2008/11/23 ~ 2008/11/29カテゴリ別ランキングTOP16

2008年11月30日 00:15

エントリ別のランキングはブログ拍手の方でいいような気がしてきたので、こちらは
カテゴリー別のランキングにしたいと思います。


福島正則
森長可
藤堂高虎
豊臣秀吉
長宗我部元親

伊達政宗
武田信玄
太田資正
宮本伊織
細川忠興

最上義光
前田慶次
鍋島直茂
DQN
宇喜多直家
前田利家



今週は藤堂高虎や長宗我部元親が上位に上がってきましたね。
個人的に好きな武将なのでちょっと嬉しいw

まあこれも、参考程度で見てやってください(´・ω・`)
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利休と砂糖のかかった西瓜・悪い話

2008年11月30日 00:14

千利休   
747 名前:703[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 20:30:28 ID:TyJP6UkK


・飛喜百翁ネタでひとつ
飛喜百翁という者が利休を招いたが、そこに出されたのは砂糖がかかった西瓜
利休は砂糖のかかっていないところだけを食べその後、家に帰り利休は門人に
「あいつは、わかってねぇな。西瓜には西瓜のうまさがあるのによぉ」
とぼやいたらしい

贅を尽くしたもてなしが裏目にでた話でした

「美味しんぼ」でも出た話だから割と有名かもしれないけど、出自が『雲萍雑誌』しかないのでどうも…

豊臣秀吉と側室摩阿姫・悪い話

2008年11月30日 00:13

摩阿姫   
749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:42:26 ID:7fqsM08T
秀吉の女癖の悪い話というか…

秀吉の側室、摩阿姫。
彼女は元々柴田勝家の家臣、佐久間十蔵と婚約していたが、十蔵が天正11年(1583)
賤ヶ岳の戦いの、柴田軍敗戦の折、自害。彼女は前田家に戻り、天正13年(1585)、秀吉の
側室となった。

この時摩阿姫、13歳。
秀吉、48歳。
年齢差、35歳。

そんな秀吉が、側室となった摩阿姫にわたした書状が残っている。

「お土産に送った鶴は気に入ったかな?ところで今晩、ボクのベットにおいで?」


なんとこの時秀吉、この誘いを断られているw



750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:46:31 ID:P8aCcDVi
秀吉は摩阿姫には色々と気を使ってたがどうも姫には嫌われてたようで、
しばしば病弱を理由に同衾を拒まれてるよね
最初は前田との関係も有って丁重に扱ってた秀吉も
面倒臭くなったのか最後は適当な公家に払い下げてる

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:46:32 ID:j9jy/bCc
秀吉きめえwww

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:47:17 ID:AAN2oqos
>>749
摩阿姫を側室にするくだりは、山風の妖説太閤記だと反吐が出そうなほど外道
描写されていたな…

豊臣秀次の女癖、などなどについて・悪い話

2008年11月30日 00:12

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:37:47 ID:pdIDB95g
秀吉は有名だけど
秀次もすごくなかったっけ?

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:51:40 ID:0uok0+HD
>>753
どっちも有名。
ただし秀吉は子が少なかったが、秀次は多い。
秀吉はキモメンオッサン、秀次は若くてイケメン。
秀吉は上流好みでロリコンだが、秀次はストライクゾーンが広い。
秀吉はノンケ、秀次はバイセクシャル。

一番二番の違いから、秀吉は秀次に嫉妬みたいなものも
あったんじゃないかとも言われている。
側室ごと秀次の胤を消したいなら、妊娠しているかどうか数ヶ月待てばいいだけ。
秀次の妻子を連座させて殺すのはあまりに異常なので、そういう意見もあるそうだ。

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:52:55 ID:oUqpV9uM
13歳といえば、女の盛りパート1だからなあ

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:54:04 ID:ud5UprBS
>>753
母と娘をともに側室にしたとか、あのへん?>秀次

秀次が女好きじゃ無かったとは言わないけど、秀次の側室に関する逸話は、
他の暴虐な行いも含めて、典型的な「暴君譚」のテンプレそのものなんだよね。
中国の古典に出てくるような。

秀吉のこの手の話に出てくるような、生々しい感じが無くて、個人的には
秀吉周辺によるプロパガンダであった可能性が強いと思ってる。

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:56:48 ID:oUqpV9uM
13歳の娘と33歳の母親かあ
女の盛りパート1とパート2のせっとか
そりゃああこがれるなあ

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:11:54 ID:pGx8xTkj
秀次が若くてイケメンとか上でも出た妖説太閤記の創作じゃんw
秀吉が容姿の冴えない小男だったのは史書に残ってるが、
秀次の容姿に関しての記録は見たことが無いよ
秀吉は秀次に関白職を譲る時に彼の好色を危ぶんで
「関白になったらスケベは程々にしろよ、自分の真似はするな」なんて訓戒状を出してる
自分のことを棚に上げる養父も笑えるが、その訓戒を聞かず側室集めまくった秀次も何というか
色好みは羽柴一族の特色だったんじゃないかと


759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:15:06 ID:0uok0+HD
瑞泉寺由来から抜粋。
・処刑される秀次の妻子は、獣のように車に押し込められて引き回された。
殺されると知らない子供たちは母親に甘えていて、都人はそれを見て涙した。
・処刑場になった三条河原には、秀次の腐り始めた首がある。
妻子たちはそれを拝むと、順番に首をはねられた。
・姫君のひとりが処刑を見ていった。「私もああなるの?」母は応える。
「念仏を唱えれば父上に会えますよ」。それを聞いた処刑人は「叶わぬ望みよ」
と姫を引きずり出し刺し殺した。亡くなった子供は上は九歳、下は三歳五名。
・殺された妻妾は三十四名。上は尼僧68歳、下は12歳。
おそらく唯一、処女のまま殺されたのが有名な駒姫十五歳。
 駒姫は、静かに座り落ち着いてみずから首をさしだした。

  罪なき身も世の曇りにさへられて、ともに冥土に趣かば、
  五常の罪も滅びなんと思ひて   伊満(いま)十五歳
    罪を切る弥陀の剣にかかる身の
     なにか五つのさわりあるべき

(罪のない私ですが、世間のいわれない誤解から皆とともにゆきます。
ありがたい阿弥陀様の剣にかかる私です、どうして往生できない五つの罪があるでしょう)

・彼女らの死骸は、犬のように転がされてひとつの穴に捨てられた。
その上には「秀次悪逆塚」ときざまれた碑が置かれ、ひとびとはいつのまにかそれを
「畜生塚」と呼ぶようになった。
・都には夜のうちに貼り紙がなされた。
「今日の狼藉は、あまりにひどい、こんな政権は滅びてしまえ。
ああ、因果のほどを覚悟しろ」と。
秀次に連座した大名は最上義光、伊達政宗、細川忠興らがいる。彼らはのちに
東軍につく。確かに因果はめぐったのだ!

その塚はしばらくそのままで、洪水で破壊されていたが角倉了以が慶長十六年、
高瀬川改作のさいに瑞泉寺を建立し菩提をとむらった。
これが瑞泉寺の由来である…

ちょっと悪い話じゃねえ!
関連エントリ http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-514.html


760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:17:17 ID:5zgCib3e
>>157
でも秀長はそういうのはない気がする。
秀吉は成り上がり者だし秀次は若いからな…権力のこわさかも。

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:19:22 ID:0uok0+HD
>>758
んー、オレはうろおぼえだけど小説以外で
秀次イケメンってみたけどな。肖像画も結構立派な顔だった。

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:41:40 ID:WkndspAo
>>757
そのパート1とパート2の定義はおかしい

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:42:16 ID:ud5UprBS
豊臣秀次
http://blog-imgs-21.fc2.com/k/o/u/koudainobuon/untitled.jpg
秀次01

イケメンかどうかはともかく、たしかにちょっと秀吉に似てるんだよね
さすが親戚w

まあ、若くてインテリで貴公子だから、もてたのはもてたでしょうな。
あと、側室が多いのは、急造りの「豊臣家」というものには、どうしたってその藩屏を、
急速に「製造」しなきゃいけなかったわけだから、そう言う意味では政権の要請に従ったと
考えられなくも無い。

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:46:52 ID:0uok0+HD
あ、思い出した。
宣教師の記録では優雅な美男だった希ガス>秀次

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 02:17:26 ID:an320nMw
>>760
秀長はめちゃめちゃ常識人だからな。
破天荒な兄を支えるのはそういう人物じゃなくちゃ駄目だったんだろう。

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 02:58:23 ID:oUqpV9uM
>>762
何がおかしいのですか、先達よ

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 03:06:34 ID:mhPJ9fWS
>>759
>上は尼僧68歳

( Д )゚ ゚

オールマイティーにも程があるわ……
それともいわゆる、乳母→愛人の類なんだろうか…

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 05:23:02 ID:30YHYRZs
>>768
妻妾の母親という線もあるでよ

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 11:11:17 ID:kIIxhFu5
関白の何が怖いって、山風の妖説太閤記が
一番実情に近かったんじゃないか、って思わせるところが怖い。

ごく普通の豊臣秀長について・悪い話

2008年11月30日 00:10

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 02:49:45 ID:ud5UprBS
秀長のごく普通の日常

天正十六年(1588)、

九月四日:午後二時、京から大阪入りするにあたり大和に寄った毛利輝元を出迎える。
       そのまま宿舎の別邸に案内。終日酒食の饗応

九月五日:午前八時、輝元を郡山城にご招待。進物の儀の後、宴会。参加者は毛利一族のほか
       細川幽斎、黒田如水、安国寺恵瓊、大谷吉継など。
       正午より金春太夫らによる十二番の能。午後10時まで続く。

九月六日:午前八時、輝元の宿舎で家臣一同で出立を見送り。
       午前十時、輝元出立。秀長はそのまま輝下についていき、奈良見物の案内。
       午後二時、成身院にて昼食のお振る舞い。
       午後十時、秀長の宿舎にて宴会、金春太夫による囃子や謡、鼓。
       零時ごろ輝元帰宿

九月七日:午前六時、輝元を招いて朝食。
       午前八時、奈良を出立した輝元と別れる。


諸侯が畿内に出入りするたびに秀長、こんな感じで接待していたらしい。
ちなみにこの数日前には家康を、その少し前には秀吉との交渉に来た北条氏規を接待していた。

そりゃ早死にするわ。



809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 22:02:54 ID:/DyB7thl
>766
そういや、秀長の悪評って聞いた事が無いな。
俺が知らないだけかもしれないが…

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 22:09:59 ID:rWcVQSbw
悪評というか検地やら何やらで奈良の既得権をもっていた層には嫌われてて、
多聞院だかなんかの日記で秀長が死んだという記事の後で蓄えてた金の重みで
建物が壊れたことについてふれて、
「意地汚く蓄えてても使うこともなく死んでは蓄えた甲斐もない、おろかなことだ」
というような感想を残してた記憶がある。

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 22:10:58 ID:5bnxW/kB
秀長は、島津の家久(貴久の4男の方)を毒殺したって説があるな
秀長一代の失策とかなんとか

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 22:13:35 ID:DgJzdk1g
秀長が若い頃
足軽や組下を集めて賭博詐欺で巻き上げてたらしいな
まあ金銭感覚を養わせるためにやっていたとかって話だけど
恐らくは巻き上げた金の一部はそのまま羽柴軍の軍資金になってたんじゃないかと思う

まさに『”ちょっと”悪い話』だと思うが

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 22:14:36 ID:HfZRHPpU

>>809
出典は出せないが、金に五月蝿い人だった、とかいう話は残ってる筈。
あと、紀州統治時代に地元の寺社に対してキッツイ要求をして困らせた、
とかも。寺社勢力を削ぐために必要な事だったんだろうけど。

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 22:19:34 ID:3CabhQGu
秀長は金に汚いじゃなかったっけ?
材木を売らせて代金着服とか。

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 22:21:24 ID:pdIDB95g
そういうとこが兄弟だなぁ

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 16:49:52 ID:Co/d3am3
>>766
出展詳しく

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 23:47:49 ID:C97ztUDj
>>857
毛利家文書の輝元初上洛の記録

細川忠興の領民救済と板倉勝重・いい話?

2008年11月30日 00:09

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 11:18:19 ID:JyVWtYes
直家をはじめ、梟雄と呼ばれる奴らは統治面だと非常に優秀というケースが多いからな。
あくどいとされている事ははっきりと目的を持って、いわば必要悪として行っている。

DQN四天王や関白は、その目的がすっぱりと無いんだよな。



776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 12:13:17 ID:mo8Qyyq5
四天王も感情の発露が過激なだけで為政者としては優秀、とフォローしておく

細川忠興が小倉に移封されたばかりの頃、九州で飢饉が起きて餓死者まで出た。
事態を憂慮した忠興は、幽斎より継承した名物茶器を残らず家臣に持たせ、
京で売り払ってその金で食料を買って領民に配るよう命じた。

茶器はいずれも天下の名物ばかりなのに、まったく買い手がつかなかった。
いよいよ重い事態に心痛すらおぼえた忠興は、京都所司代・板倉勝重に相談した。

「いや、簡単なことです。こうすれば良いのですよ」勝重はそう言って、高札を立てた。

『このたび売りに出された茶器は、細川家所蔵の由緒ある品ばかりです。
購入希望者は望みの金額で買い取り、所司代に見せにきてください。
名前しか聞いたことのない名物を、実際に見るだけでも幸いです。    勝重 』

豪商が争って買い求めて来た。要するに、

「あの細川がこれだけの名物、売りに出す訳がねー!ニセモノだ!!」
「あの細川の売り物?買ったらあとで何言われるか…」((;゚Д゚)ガクガクブルブル

と思う者ばかりだったのが、勝重の保証がついて始めて買いに来たのだ。

忠興の家臣は集まった金を持って大阪へ行き、米・麦を山ほど買って、船で
小倉へ送って領内に配り、多くの者が助かったという。(提醒紀談)



777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 12:16:26 ID:eLyIJcrm
×四天王も
○四天王の一部も

明らかに優秀じゃないのが一人まj

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 12:38:47 ID:p/jMfdmd
>>775
場当たり的な犯行、むしゃくしゃしてやったってかんじが多いんだよね。
そのあとでどうなるかまで、考えてないというか。


>>776
いい話だけどビビル京都市民にワロタw

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 12:55:38 ID:Zhu26wbw
名品を売って領民を助けるって忠興も人間だったんだな
安心した

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 12:57:02 ID:pN5+5YPe
こんな人間らしい人間も珍しいと思うが・・・

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 12:58:10 ID:BG0nf94n
元々偏執狂モード発動してないときの忠興は判断狂わせるタイプじゃないと思うが

782 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/29(土) 13:06:30 ID:0Ju2RQxV
>>779
名物うって領民助ける話
金森か稲葉でも似たような話なかったっけ?

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 13:24:29 ID:BG0nf94n
弟いらねーから名物寄越せの人の立場は

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 13:53:19 ID:IimGoItc
>>777
それはsh

いやなんでもありません

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 14:42:53 ID:ud5UprBS
江戸期の島津さんところは、後世に評判のいい「開明的君主」の時代の方が、
実は領民には大迷惑な存在だったりするのはここだけの話だ。

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 15:24:26 ID:z+qBnx9C
重豪さんなどまさにそういうタイプだよね。

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 16:50:09 ID:kH06f4Mz
いや、一将功なって万卒枯るというように英雄が登場した時代の一般民て大体苦しんでる。

現代だと小泉人気の影で非正規雇用や社会保障崩壊がいっそう進み、
辞めてから一気にしわ寄せがやってきたようにw

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 17:09:50 ID:HfZRHPpU
明治時代なんかも軍隊と産業を支えるために庶民は重税と貧乏暮らしを
強いられたからな。『改革には痛みが伴う』ってのは確かだ。

その方向を間違えると痛いだけに終わるがなw

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 17:16:59 ID:RA3xxelO
>788
ブッシュ政権の8年間みたいなもんか。

金森長近の孫、重頼の、銘物よりも領民救済・いい話

2008年11月30日 00:08

782 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/29(土) 13:06:30 ID:0Ju2RQxV

名物うって領民助ける話
金森か稲葉でも似たような話なかったっけ?



784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 13:42:43 ID:yHGVPHHR
>>782
金森長近の孫、重頼の話。

長近は利休も認めた名品『雲山肩衝の茶入』を持ってたんだけど、家康に献上した。
それを秀忠が「天下の名器、ふさわしい者が秘蔵すべし」と言って、重頼の家督相続祝いに返してやった。
寛永になって領内飢饉の折、かねてより所望していた京極高広に三千両で売り、領民を救済した。

名品より民を取った重頼は男を上げ、人の弱みにつけ込んだ京極はまたまた男を下げた、というお話。

徳川家康、勝頼に怒る・悪い話

2008年11月30日 00:05

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 17:29:11 ID:ud5UprBS
1575年、長篠の戦の折りの事、

武田勝頼は、長篠城から重囲をくぐり抜けて、信長のもとへ援軍の要請をしに行った
鳥居強右衛門を、その帰りに捕らえて磔にした。

これを聞いたときの家康の反応。

「勝頼には大将の資格が無い!強右衛門のような者は、敵であっても命を助けるべきなのだ!
そうすれば味方にも、忠義とはどういうものかを教える事ができるではないか。
自分の主君に対して忠義を尽くした者を、憎いからと言って磔にかける馬鹿がいるか!

…勝頼め、今に見ていろよ。お前が滅びる時は、譜代の家臣たちも心変わりして皆裏切るような、
そんな滅び方をするだろう!」

そう吐き捨てて、勝頼の事を本気で軽蔑したと言う。

家康が素の感情を露にして怒っているのが、ちょっと珍しい、
(家康にとって勝頼の大将としての心構えが)悪い話。




792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 17:48:53 ID:pGx8xTkj
いかにもな権現神話で萎え

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 18:04:31 ID:Lg06I3sC
>>792
何だそれ、家康の逸話は極悪な物でない限り紹介するなとでも言うのか?アホらし

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 18:07:04 ID:pdIDB95g
三方ヶ原以来これと直江状くらいか?
本気で怒ったのは

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 18:08:26 ID:DgJzdk1g
秀忠遅参も相当怒ったんじゃないかな

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 18:09:51 ID:pN5+5YPe
関ヶ原でも切れてたよねw

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 18:13:35 ID:DgJzdk1g
あと数正離反も怒ったんじゃないか
あの大事な時期に軍制を武田式にしなきゃいけなくなったんだし

やる康スレみたいな見解もあるけど
あの大事な時に抜けられちゃ怒るだろ常識で考えて

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 18:18:33 ID:R2iNwcDY
軍制筒抜けになってどうやって戦えと
どうやって取り込んだかはよくわからんが
疑心暗鬼で戦ができんようになったから
効果絶大だな

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 18:18:54 ID:5zgCib3e
重役が機密データ全部持ってライバル会社に、みたいな状況だからな…

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 18:28:39 ID:pdIDB95g
叩き斬られても文句言えんな…

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 18:36:42 ID:R2iNwcDY
以前勤めてた会社で営業部率いてた部長さん
引き抜かれたらガタガタになったなぁ
懐かしい…

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 18:54:32 ID:5SSZYicw
高天神城を落とした際、武田側の生き残りの中に、今川人質時代に自分を虐めてた奴がいたんで
そいつだけは容赦なく処刑したって話もあるな>家康

忍従の人ではあるが爆発する時は爆発するんだな

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 20:39:56 ID:kH06f4Mz
>>802
元来家康は短気な性分。
人質時代の子供の頃、居並ぶ今川家臣団の中、今川屋敷の庭で小便したとか。

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 20:43:34 ID:L3T7gbbi
>>805
それは短気さを表すエピソードなのか?

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 20:56:17 ID:56rRGGsu
おしっこ我慢出来なかっただけだったり

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 20:58:39 ID:oUqpV9uM
若いときからトイレが近かったというエピソード

……と書いたら、三方が原のときのエピソードを思い出したけど、
元々ウンコをしたくて我慢してたんだろうな、あの時は。

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 22:14:36 ID:HfZRHPpU
まあ苛々して旗本の背中につけてる旗を切り飛ばしたり、自分に諫言した
医者をクビにしたり、窮地に陥った時に死にたがったりと頭に血が上ると
抑えの利かない性格だったっぽい。

細川親子、農民の恨みを買う・悪い話

2008年11月30日 00:04

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 19:24:17 ID:bw3zfYV+
細川幽斎・忠興が丹後を統治していた頃のお話。

ある年凶作となり、このままでは飢饉だ餓死だと恐れた領民は
おらが殿様に検見を願い出た。
田畑の実態をつぶさに見てもらい、年貢減額を期待したのだ。
ところが期待とは裏腹に「検見はしないし、年貢も例年通り」との
冷たい言葉が返ってきただけだった。
裏切られたと感じた領民、普段教養人ぶってるくせに
実際にはこうかよと憤激し、恨みをこめて次の狂歌をつくった。

秋の田を からでそのまま ただおきの 心なかおか 何をいふさい
                 (忠興)      (長岡)    (幽斎)
              
                     細川親子のちょっとバツの悪い話            




804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 19:44:04 ID:yHGVPHHR
マヂレスすると、細川の丹後時代なんて信長・秀吉からの軍役軍役また軍役で
余裕なんてまったくない件

まあ付き合わされる農民はたまったモンじゃなかったろうが

荒木村重と餅・いい話?

2008年11月30日 00:03

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:49:58 ID:5DXt8oUn
荒木村重と餅

荒木村重が信長に臣従し、信長に拝謁した。
信長は「褒美をやる。」といい、
脇差に餅を突き刺して村重に向けた。

村重は平然として、
「ありがたき幸せ」と言い脇差に口を向けてパクリと餅を食い、袖で脇差しを拭
って信長に返した。

村重の剛胆に驚いた信長はニコっと笑い、
「この脇差も褒美に取らせる」と言ったという。
(備前老人物語)



876 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/29(土) 02:02:33 ID:0Ju2RQxV
>>865
このとき、脇差を突きつけられたことに遺恨を持って後年謀反おこしたのかもなw

吉村又右衛門物語・いい話

2008年11月30日 00:02

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:24:04 ID:7fqsM08T
>>821
大崎玄蕃は、福島家が改易されてからその逸話にいたるまでの、おっそろしい頑固貧乏話が
面白いよねw



867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:52:41 ID:5DXt8oUn
>>823
>おっそろしい頑固貧乏話が
たぶんこの人の話↓


吉村又右衛門物語

福島正則の家臣に、吉村又右衛門という武将がいた。
福島家改易により又右衛門は妻子と伊勢の関に寓居した。
寓居中の貧窮ぶりはすさまじく「女房は丸裸に、娘は泣き伏して飢えに及ぶ(原
文より)」という有り様。

そんな中、福島家の同僚・大崎玄蕃が訪ねてきた。要件は、紀州に仕官できそう
なので又右衛門に紹介状を書いて欲しいというもの。
又右衛門は快く紹介状を書いてやり、
「玄蕃殿は路銀をお持ちかな?」と聞く。
玄蕃がないと答えると、具足櫃から金50両と銭1貫を取りだし玄蕃に与え、玄蕃は
喜んで帰った。
それを見ていた女房は「家族を飢えさせながら、他人に大金を与えるなどあり得
ない!」と激怒した。
対して又右衛門は、
「武士はそろばん勘定はしないものだ。あの金は我が武名を落とさないためのも
のじゃ。そんなことも分からないのなら武士の女房とは言えぬ。離縁申し付ける
。」と言った。

さて、又右衛門の武名を聞いた松平定綱から仕官話が来た。
又右衛門はボロの着物のまま定綱に会いに行こうとした。
定綱の使者が「せめて馬か駕に乗って下さい。」と頼んでも、
「浪人は恥ずるものではない。」と一向に聞かず徒歩で登城した。

めでたく仕官がかない又右衛門は定綱の重臣になったが、連日ボロ具足・古葛籠
を担いだ百姓が広島からやって来た。
あまりに異様な光景に定綱の家臣が驚いて又右衛門に理由を聞くと、
「彼らは皆ワシの譜代の家臣じゃ。再起の時のため広島の村々に預け百姓をさせ
ていた。彼らをいつか役立てようと浪人中も彼らに隠し扶持を与えていたのだ。
」と答えた。

そんな又右衛門が子供に残した遺言は、
“ワシは武功を持って大禄を得た。しかし、貴様には武勇武功もない。よってワ
シの所領は殿様に返上せよ。
もし貴様に新たな所領が与えられたなら、小禄でも文句を言ってはならんぞ”
(名将言行録)



871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:18:27 ID:H657N+pQ
>>867
このあたりがなんというか、安土桃山以降江戸時代の武士の価値観になるのかね。

戦国までの武士は一族郎党家族家来を養い保護するのが第一義。

福島正則さんも慕われているんですよ・いい話

2008年11月30日 00:01

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 10:15:58 ID:ud5UprBS
正則は強いのは強いんだよ。ただ、群れずに一人で判断を迫られると、肝心なところでへたれるだけで。

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 10:18:45 ID:f5OlsvW/
正則のDQNぶりは「俺が支えてやらねば」心をくすぐるので、家臣、友人には恵まれる。
そこが四天王との違い棚。



880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 13:14:43 ID:BVStxWQJ
その市松さんが家臣に慕われてた話。

藤堂高虎が福島浪人久留島彦左衛門に使番を遣わして
一万石で召抱えようと伝えた。
しかし、久留島は答えて
「旧主福島左衛門太夫が和泉殿と不和の事は衆知の事実である。
 私は扶持米を受けるために元の主人の敵に仕える事は義理においてできない。
 よろしく御断り申し上げる」
と言った。
高虎はそれを聞いて、やっぱり豪傑なんだ、惜しい事よと断念が、数日の後、
久留島は紀伊国に遠ざけられて一万石を与えられた。
久留島は、これは全く高虎が人を見定める力の賜物として、
書状をもって恩を感謝したという。

(開国遺事)

竹千代放尿・いい話

2008年11月30日 00:00

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 21:51:21 ID:xn9N/FGw
竹千代と名乗っていた駿府での人質時代のある正月の事、今川義元の屋敷に恒例の新年の挨拶に出かけた。

今川氏は当時、有力の大大名であったので、新年の挨拶に家臣や豪族たちが大勢集まっていた。正月の寒い日のことで、
しかも座敷には火の気すらなかったので、誰もが寒さのために尿意をもよおしたが、
いつ自分の順番になるかも知れなかったので座を立つわけにもいかず、
じっと我慢していた。もちろん家康公も同じである。

そのうちに、あまり見かけた事のない少年が控えているのを見た家臣たちの中から
「あの子倅は誰だろう?」という声が聞えてきた。「あれは三河の松平清康の孫だということだ」と答えた者もいた。
だが中には、「剛勇で鳴らした人物の孫とはいっても、父が意気地がないので人質に出され、今はあのようにして畏まっているただの子倅よ」
と没落した松平家を嘲笑う者もいた。

このやりとりを耳にした家康公はふっと座を立ち上がり、腹が立ったのか、単に目立ちたかったのか、
縁側まで行き、前をまくって何とジャージャーと立ち小便を放ったのである。
用を足し、また元の座に戻り、平然としている。
この家康公の大胆な行動に、義元や家臣一同はただあっけにとられ、その成り行きを見守るしかなかった。
「やはり清康の孫だ・・・」と、家臣たちはヒソヒソと話し合ったという。




882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 21:53:43 ID:L3T7gbbi
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )

世巧者、藤堂高虎・いい話

2008年11月29日 00:11

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:14:42 ID:WBe8c8bb
世巧者高虎

藤堂高虎は、あるとき書院に箱を置いて、
「ワシが死んだ時に殉死したいと思うものは、名前を書いてこの箱に入れよ。」
と言った。箱には70名の殉死志願者の名が集まった。
高虎はその箱を持って駿府の家康に拝謁し、「我が家中にはこれだけの忠義の家
臣がいます。彼らは子孫の代まで上様の先鋒として役立つ侍ですから、上様の上
意をもって彼らの殉死を禁止し先鋒を申し付け下さい。」と言った。
家康は高虎の望みをかなえ、藤堂家では殉死を禁止すること・藤堂家は徳川家の
先鋒とすることを命令した。

またある時、老境の高虎は家康に拝謁してこう言った。
「せがれの大学頭は不肖の子ゆえに、伊賀の本領を国替して下さい。伊賀は要衝
の地ですが、せがれでは上様のお役にたてません。」対して家康は、
「そなたは先年殉死者名簿をワシに提出し、彼らの殉死を禁止したことがある。
彼らのようなよき侍が多ければ、せがれの出来が悪かろうと立派に奉公できるで
あろう。伊賀は子孫末代まで藤堂家に任せる。」と言った。

こうして高虎は、先鋒大将とすること・国替はしないことの家康じきじきの言質
を得ることに成功し、幕末までそれが破られることはなかった。
(武将感状記)


大崎玄蕃と召使の女・いい話

2008年11月29日 00:10

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:17:14 ID:WBe8c8bb
召し使いの女

清洲城主・福島正則の家来に、大崎玄蕃という銭勘定に無頓着な武将がいた。
ある時、賤しい格好をした女が武家奉公をするために清洲に来たが、誰も召し抱
えなかった。ところが、玄蕃は家来の反対を押しきって召し使いとして採用した

以後女は陰日向なく21年間働き、玄蕃も2万石の身上まで出世した。
ところが、福島家が改易されるや家来・奉公人はことごとく退散し、残ったのは
玄蕃の家来3人と召し使いの女1人だけとなった。
「かつて2万石の身上だったワシも、いまやすかんぴんじゃわい。」と玄蕃が自嘲
すると、
女は庭石を動かし穴の中から、金5000両・銀2500枚を取り出して玄蕃に献上した。

「このような大金をどうしたのじゃ?」と驚いた玄蕃に対して、
「旦那様は銭勘定に無頓着ですから、万が一のことを考えて旦那様の収入の一部
をコツコツ蓄えておきました。旦那様の金ですからお役立て下せえ。」
玄蕃は女の機知に驚いたが、互いに「金は受け取れない」と押し問答になりそう
なので、
「ではこうしよう。銭の山を交代でひと掴みしあいワシとそなたで山分けしよう
ではないか。」
女はその提案を承諾し、玄蕃と金を山分けした。
玄蕃は後に徳川頼宣に仕官できたという。
(名将言行録)



822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:23:20 ID:deBa+BAm
>>821
おお、いい話だね! これぞ恩返し

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:24:04 ID:7fqsM08T
>>821
大崎玄蕃は、福島家が改易されてからその逸話にいたるまでの、おっそろしい頑固貧乏話が
面白いよねw

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 02:31:35 ID:WGxiGAE4
ほう、福島にもまともな家来がいたんだな

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 03:06:26 ID:7fqsM08T
>>824
正則の家臣はむしろ、超まともなのが多い。

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 03:24:20 ID:+DWdb5z7
例の酔った勢いで切腹させられた家臣もまとも故だろうな
あの時代、主君の切腹命令はそりゃ軽いものじゃないだろうけど
それでも市松の酔いが醒めるまで適当に誤魔化して時間稼ぎせず
家臣としての勤めを果たす

・・・もう少し不真面目というか要領良く立ち回っていい気がするよ

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 03:32:40 ID:7fqsM08T
>>826
> それでも市松の酔いが醒めるまで適当に誤魔化して時間稼ぎ

本多正信あたりはそうしそうだな、と思った。

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 19:20:43 ID:6itW+ap3
>>821
これ、いい話なんだけどさ、
もし万が一なことが起こらないうちに蓄えてた金が見つかったら、
召使のクビ飛ぶよね(文字通りの意味で)

大崎「貴様、俸禄を着服しておったのか!!ワシが雇ってやったにもかかわらず!」
召使「いえいえ、これはダンナ様に何かあったときのために・・・」
大崎「問答無用!!」
スパーン

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 19:27:02 ID:pU7H+KTC
>>842
確かにw
主の銭勘定への無頓着さを信頼してたんだろうか

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:23:55 ID:vNPqCRkP
>>821
年間あたりおよそ金250両前後、銀125枚前後もの大金を
21年もの間露見せずに侍女が抜き取れてたとか銭勘定に無頓着とかってレベルじゃねえww
もしかして金500両、銀250枚の間違いでね?
それでも1年あたり金25両前後、銀12枚前後と侍女が抜き取るには額がでかいw

853 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/28(金) 23:26:49 ID:7XDvnTI8
今だったら横領罪で告訴されるレベル

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:34:23 ID:Jztf0SU9
抜き取ると云うよりも
例えば銀1枚も要らない程度の支払いに
玄蕃「これで払っといて」と適当に銀1枚出して
その女がきっちりお釣りは取っておく

みたいなのが積もり積もってじゃないのかな
流石に主人が出した額以外に色々抜くのは
他の奉公人の目もあるから難しいと思う

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:42:09 ID:QU9s18zN
家計簿つけたら支出が十分の一に!
とか馬鹿な事態が起こりそうw

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:42:56 ID:btaS0tkw
主人が出した額:これで今月の支払い全部やっといて、と手持ち全部

とかかもしれんぜw

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:46:49 ID:vNPqCRkP
>>854
どうだろうな。
大崎家は2万石と小大名並の所領を持つ家だから当然勘定方がいるんじゃね?
だから、仮にその女が代金を支払うとしても勘定方を介して金を受け取るだろうから、
毎回毎回お釣りをちょろまかすなんて無理な気がする。

まあ真面目に考察しすぎるのも野暮かも知れんけど、
どうやったらそんなウルトラCを決められたのかどうしても考えてみたくなるw

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:19:07 ID:WI1OKLo+
あんまり言うと真偽論争みたいになって嫌なんだけど実際はそんなに無かったとか。

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:22:54 ID:ud5UprBS
まあ、こう言う話はどうしたって数字は大きくなる物だからねw

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:25:54 ID:bw3zfYV+
>女は庭石を動かし穴の中から、金5000両・銀2500枚
これだけの量を収納できる穴を用意、隠し通した事の方が
すごいと思ったり(笑

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:27:26 ID:WI1OKLo+
侍女「FXで運用してました」

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:29:22 ID:pN5+5YPe
だよなw5000両と銀2500枚だから千両箱7,5個分考えれば良いのか?
結構でかい穴だなw

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:46:22 ID:WI1OKLo+
銀一枚一匁として1600年頃の頃のレートで大体一石=25匁=0.5両
5000両と銀2500匁は米換算で合計11000石相当
勤続21年だから一年当たり平均523石相当を貯蓄に回していたと推測
まあ常識的な範囲とも取れる

ソース
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J029.htm

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:49:02 ID:pN5+5YPe
ちょwww523石って芸州浅野家なら上士五人雇えるw

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:50:19 ID:pN5+5YPe
いや、知行取りだから五公五民なら十人?とんでもねぇな

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:54:39 ID:h1MF+XUg
>>863
大崎家の所領は2万石。
2万石と言っても年貢収入で年間2万石を得られるというわけではなく、
2万石程度の収穫を見込める領土を与えられてそこから年貢を徴収する。
そして6公4民だとすれば年間1万2千石程度を年貢米として徴収というわけ(豊作や凶作等で年貢米は変動)
1万2千石から更に大崎家に仕える者への俸禄を支払うから大体多くて4割程度(5千石前後)が大崎の手元に残るはず。
大崎家が1年間に自由に使えるのが5千石前後ならば、1年当たり523石相当は相当の額だと思うんだが…

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:03:06 ID:WI1OKLo+
>>868
そのへんのやりくりが上手だったんだろうなぁ・・・と思った。
純粋な大崎の収入も5000石も無かったかもしれんし最初から2万石貰ってた訳じゃない。

でも小遣いの1/10程度なら常識的な貯蓄と言えるしあまり常識的な話だと逸話にすらならないから。
まあどう解釈するかは各々でw


870 名前:821[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:05:21 ID:5DXt8oUn
>>852
逸話の真偽はともかく数字はガチ。
ちなみに、庭石を動かしたのもこの召使い。
玄蕃はこの女を採用する際に家中の侍と相撲をとらせて、
女が14人勝ち抜いたのが採用の決め手になったそうで…



872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:20:17 ID:EOVlBM6j
なんだその天下無双はw
女を採用するのに相撲取らせるってそれ本当は雇う気無くて
追い返すつもりだったんと違うか。

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:22:40 ID:0uok0+HD
>>872
その女は花山薫か何かですか?
小松殿の女中とキャットファイトしろ!

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:27:13 ID:bw3zfYV+
>>870
なるほど、それほどの豪の者なら
穴も一晩で掘ったに違いない。

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 01:31:49 ID:0uok0+HD
その侍女はジョバンニだな

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 10:05:13 ID:Zhu26wbw
正則より強そうだな

宇喜多直家、家臣との団結・いい話

2008年11月29日 00:09

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 15:57:26 ID:j0+b9FlZ
宇喜多直家のちょっと良い話

直家が勢力の拡大を始めた頃
宇喜多衆は能家時代の旧臣、所領以上の兵卒を集めていたため
兵糧が乏しく、秀安、貞親、利勝らをはじめ家臣の者達はみな自ら耕作し、
それを兵糧とし城内に蓄え、ときには敵地の兵糧を奪いまでして兵糧を蓄えたという。
それでもなお兵糧が不足し、直家はじめ家臣一同が、1ヶ月に数度は失食と称して絶食した。
直家はこの乙子城時代の貧窮により家臣団との結束を高めることに成功したのである。


蛇足
息子秀家は贅沢三昧な生活へ家臣の諌言やキリシタン問題により
お家騒動に発展、直家以来の家臣ほとんどに出奔される



835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 17:46:46 ID:CwBe2RcI
>>833
関ヶ原時の宇喜多軍は抜け殻状態だったのか。

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 17:59:19 ID:bZK31i09
そんな状態の宇喜多に撃退される市松・・・

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 18:08:15 ID:kIhadbyd
>>835
その出奔した連中は見事に家康側に持ってかれたんだ。
大谷が調停したけど家康に横やりされてダメになった、というか
家康に都合のいいようにされてしまった宇喜多騒動な。

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 18:11:00 ID:pBU/5Cyx
いやいや、宇喜多の先手は明石全登だから仕方ない。

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 18:19:14 ID:E6k8mUDg
島津奔るだと、
宇喜多家の家臣を一本化する為の
石田・大谷の策だったって書いてあったなw

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 18:40:30 ID:Bo+C8MvH
老臣の長船が暗殺されたという風聞を聞いて彼の政敵の戸川達安(だったっけ?)に刺客を
送った話をどっかで耳にし、ああやっぱり親子だと思った俺。

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 19:11:57 ID:2CZWoru4
>>835
・宇喜多忠家(直家の弟)、お家騒動後、出家
・宇喜多詮家(忠家の息子)、元々秀家と対立してた
・花房正成、高松2万8000石の領主、お家騒動後浪人、関ヶ原後徳川で5000石


織田家で言えば桶狭間の前に柴田、佐久間、丹羽、秀吉らがいなくなり、明智のみ
徳川家で言えば四天王が出て行って本多正信のみいる状態

疋田景兼と他流試合・いい話

2008年11月29日 00:07

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 16:01:25 ID:C25S2zwG
対石舟斎に三戦三勝と伝わる文五郎さんのお話

関白が豊臣秀次であったとき
当時剣術指南をしていた、上泉信綱の甥の疋田景兼に対し
富田流・長谷川宗喜と他流試合をする様命じる。
しかし景兼はそれを拒否。それを見た側近たちは
「疋田は臆したのではないか」
と噂した。これを聞いた景兼は
「臆病者というならそれでいい。竜虎相打つときは、必ずどちらかが傷つくもの。
剣術は遊戯ではないので、軽々しく命を賭けて、試合するわけには参らない」
といって気にかけることは無かった。


徳川頼宣と三人の福島家旧臣・いい話

2008年11月29日 00:05

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 22:56:18 ID:7fqsM08T
>>821の大崎玄蕃、再士官のときのお話


福島家が改易される時、人材マニアとして有名な紀伊藩、徳川頼宣は

「福島左衛門大夫はよき侍を数多く召抱えていた。そのうちにて名の知られている者であれば
幾人であっても我が家に召抱えたいものだ」

と、語り、熱心に勧誘して、世間にも名の聞こえた大崎玄蕃長行・村上彦右衛門義清・
真鍋五郎右衛門貞成の3人を召抱えた。

その年の冬の事、頼宣はこの三人に御茶を下される事となった。
ところが、大崎玄蕃には頼宣御手前にて御茶を下され、彦右衛門と五郎右衛門には
茶道の千賀道圓の手前にて茶を下された。

彦右衛門と五郎右衛門の両人は、
「なぜ玄蕃には君自らの御手前でわれらには茶道の手前であるのか心外である!
このようなことではお暇をいただき申す」

と、憤った。

これを聞いた頼宣は

「大崎は元は備後国鞆の城主で、福島家の家老までやった、お前達の先輩じゃ無いか。
こっちでの仕官は横一線で一緒だけど、こう言う所で昔の先輩を立ててやってもいいだろ?」

と、体育会系によくある理論で諭す。

彦右衛門と五郎右衛門も、

「言われてみりゃその通りですね。」

と、納得。さすが福島の旧臣たちであった。



850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:00:03 ID:pU7H+KTC
>>849
聞き分けがいいなぁ、二人

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:20:08 ID:8sQIaTO6
>>849
家臣は結構良いのが揃ってたのになあ福島家は

農民三右衛門と片桐且元・悪い話

2008年11月29日 00:04

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:12:42 ID:WBe8c8bb
農民三右衛門と且元

摂津国野里村に三右衛門という血の気が多い農民がいた。

大坂冬の陣で、片桐且元が秀頼を裏切り茨木城に帰ると、且元は大坂方に攻撃さ
れている堺に200の援軍を派遣した。

それを聞いた三右衛門は、近隣の農民を召集して義勇軍を結成し、且元の軍勢と
交戦した。且元は「農民ごときに負けられるか!」と歯噛みしたが、且元の援軍
は農民軍に壊滅させられた。

大坂の陣も終結した後も且元は三右衛門への恨みを忘れられず、ついに決断所に
訴訟を提起した。

被告の三右衛門は原告の且元を睨み付け、
「旦那様は太閤様に恩を受けながら、土壇場で殿様を裏切った。旦那様は真のさ
むらいでねえ。偽物のさむらいを討ち取っても罪にはならんじゃろが。
それどころか、旦那様は自分を恥じることなく、おらを訴えた。ホンマに面の皮
の厚い旦那様じゃな。」と憚ることなく言い返した。
これには且元も答えようがなかったが、その様子を見ていた家康は大笑いして、
「三右衛門は農民ながら勇気もあり、さらには弁才もあるではないか。こやつは
只者ではないゆえ、許してやれ。」
と言ったという。
(武将感状記)

戦も訴訟も農民に負けた且元のかっこ悪い話


北条の制札・悪い話?

2008年11月29日 00:03

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:15:51 ID:WBe8c8bb
制札を嘆く

北条氏政の時代、ある僧侶が小田原に立ち寄り、制札を見てこう嘆いた。
「ああ、北条家も末か、滅亡の兆しが見えておる。」
僧侶の嘆きの報告を聞いた町奉行はこの言葉の意味が分からず、僧侶を奉行所に
呼んだ。
「実は貴僧がしかじかの嘆きをしたとの報告を受けたが事実か。」
「事実です。」
「制札の条文に誤りがあるのでしょうか。」
「いいえ。条文自体誤りはありません。」
町奉行は条文に誤りがないのに「北条家滅亡」を公言した僧侶の言葉にはよっぽ
どの理由があるに違いないと思い、
「愚かな私には制札が悪い理由が分かりません。ぜひ貴僧の道理でその疑問を解
消して下さい。」と頼んだ。
「実は、拙僧は30年前の氏康公の時代に小田原に立ち寄ったことがありました。
その時の制札は僅か5条でした。ところが、今日見た制札は実に30条も有りました

そもそも、名君の威には民は心服しますから、法度でわざわざ規制する必要は有
りません。逆に、主君の威が衰えると、民の心が離れ法律の威を借りる必要が出
ます。
だからこそ、制札の条文の多さに北条家の威の衰えを感じ、御家も末だと嘆いた
のです。」
それを聞いた町奉行は感服して、僧侶の言葉を記録したという。
(武将感状記)



729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:22:40 ID:deBa+BAm
>>726
氏政ががんばって法律整備した、と考えられなくないかな。
なんて弁護してみる。
でもこれ、四天王だったら僧侶首とんでそうだな。

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:33:56 ID:7fqsM08T
>>729
つーか、後北条氏は近世的な文書行政と法治主義の権化だからなあ。
そういうものが煩わしい、慣習法でいいだろ、と思う世論があってもおかしくはない。
この時代の僧侶って、主君に領民の不満を伝える役割も持っているから、こういう
逸話があっても、まあおかしくは無いね。

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 10:15:43 ID:EBP0y7lq
>>726
この逸話も、かの汁かけ飯話のように
氏政を貶める為の捏造話だと思ってた。

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 10:58:56 ID:R8r+45k4
法ってのは最初は単純、後々になって抜け穴を通って悪さする奴が
出てきて複雑になっていくのが常だから、先代<次代になっていく
のは仕方ない。特に北条みたいなシステマチックな運営だと。

その坊主は威権主義者で氏政は法権主義者、それだけの違いかと。
法の中身がずれたものでないのならね。

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 11:01:54 ID:7fqsM08T
>>733
最終的に話を聞いている逸話は、貶めのための物ではない。
文句言うやつを問答無用で牢に入れたり殺したりすると貶め。

水野勝成が何故話題に上がらないか・雑談

2008年11月29日 00:02

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:19:31 ID:DLoK/ePo
話題は変わるけど水野勝成って話題にあがらないね。若い頃は自分の家の重臣殺害を皮切りに仕官→暫くして同僚と喧嘩して殺害→お咎め喰らう前に出奔→また仕官→また喧嘩してのループで四天王に匹敵するDQNぶりなのに。やっぱり年とってから丸くなったのがマイナスかな。

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:22:34 ID:8dlpSqCc
水野はなかなか頭に浮かばないな
統治者・軍の統率者としてのイメージがないからかな

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:22:40 ID:deBa+BAm

>>727
カッちゃんは微妙だなあ。市松レベルか。

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:31:55 ID:seJkxRO/
市松よりは上だろう
ヘタレではない

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:33:56 ID:7fqsM08T

>>727
水野勝成の悪さって、まだチンピラレベルなんだよね~。正直あの程度なら、戦国時代には
無数に類例がある。

彼が小説などでよく取上げられるのは、家康って言う大立者が可愛がっていた事と、
最終的に大きな大名になって、歳を取ってからは毒気が抜けて普通に名君になったからだろうね。

大友宗麟の女癖のなれのはて・悪い話

2008年11月29日 00:02

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 12:53:21 ID:EHmK17p9
女癖の悪い話ってない?

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 13:14:45 ID:V7raxxyM
じゃあ宗麟の女癖のなれのはて?な情けない話

すでに書かれてるように宗麟は女癖が悪すぎた為、妻・奈多夫人との仲は最悪だった。
奈多夫人はキリシタンでは無いが、逆にキリシタンを迫害しまくったキリシタン嫌いだったため、
宣教師達につけられたあだ名がイザベル(聖書に出て来る預言者エリヤを追放した悪女の名前)

んでそんなイザベルの宗麟への攻撃、国中の山伏やらを集めて宗麟を呪い殺そうとした。
それにビビった宗麟、あまりの恐怖でノイローゼになりなんと家出して行方不明に。

そして家臣に捜索され数日後、城下町のはずれで一人しゃがみ込んでる所を発見される。
しかし「大友屋敷にだけは帰りたくない」と繰り返すだけで結局家には帰らず、丹生島城に引きこもった。


他にも宗麟は家督相続してから何度も暗殺をされそうになってるんだが、その度に丹生島城に逃げ込んだとか、
毛利との戦中、なぜかいきなり行方不明になったので国中を捜索したら
府内のはずれの浜辺のあばら屋にたった一人で孤独悄然として佇んでいた、などという話しもあったりで
なんとも精神薄弱で不安定な所があるんだが、その原因の一つとして父・義鑑と母の不仲によるとの説がある。

息子の義統も相当不安定な所があるのも、宗麟と奈多夫人の険悪な仲に振り回された背景があるかと思うと
負の連鎖ってあるんだね、ってなまるで現在の家族問題みたいなお話。



738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 13:32:06 ID:EHmK17p9
それマジで呪われてるじゃねぇかw

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 13:41:15 ID:DLoK/ePo
>>737
情けないというか宗麟は何かおかしい所があるんだよな。有能なのは間違いないけど何処か壊れてる。ついでに小説だけど白石一郎の「火炎城」とかはマジで紙一重な宗麟が書かれてて面白い。

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 15:14:04 ID:gHofeyg2
幼少期不安定に育つとどうしても
人格形成で突出した部分と
駄目な部分が極端になりやすいのよね

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 16:40:13 ID:tzNS40fn
DQN的行動は別としても、ちょっと精神病っぽいな、宗麟

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 17:23:28 ID:BbAogG0O
>>741
忠興もそんな感じなんだっけ?
幼少時には父藤孝は将軍家のために奔走していたため
忠興を家臣の家に預けていたとか

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 17:44:38 ID:gHofeyg2
>>743
忠興公は橋の下で…




宅配便が来たからちょっと失礼

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 18:11:21 ID:PxoOmpU1
三十六歌仙に刻まれたキルマークがひとつ増えました。

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 20:27:19 ID:J4KOnqgx
>>739
そういうひとの魂を救うためにこそ、宗教はあるんだよ…とマジレス。

大友義鎮(宗麟)の鷹・悪い話

2008年11月28日 00:17


668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 22:48:37 ID:7mlAR6w0
ある時の事、豊後の大友義鎮(宗麟)が可愛がっていた鷹が、突然行方不明になってしまった。

その鷹は、島津領である日向宮崎の国人、久保山治郎という者の在所に飛んできた。
久保山はこれを義鎮の物とは知らずに捕らえ、島津義久に贈った。

が、やがてこの事が義鎮の耳に入った。義鎮は怒り、手の者を出して久保山を捕らえてしまった。
これに驚いた義久は義鎮の元に、鷹も持たせた使者を出した。

「大友のお屋形の鷹であると知っていたなら、私も受け取らなかっただろうし、久保山も
こちらに持ってくるようなことはせず、すぐにお屋形にお届けした事でしょう。
彼も知らなかったのです。鷹もお返しします。
どうかこの義久に免じて、彼をお許しいただけないでしょうか」

そう口上させて、懇ろに謝罪した。ところが、義鎮はますます怒り、使者の前で
久保山の首を刎ねてしまった。

この事があってから九州の人々の心は、次第に大友から離れて言ったとか。




669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 23:59:55 ID:/WXH61Rb
ひでえ

と思わせるために、島津が挑発的な手紙を送ったんだろうな
「大友の御屋形の鷹と知っていたら、そんな汚らしいものは受け取らなかったでしょう」とかニュアンスを含めて

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 00:32:19 ID:YXQ/hGHy
義久にそんな知略が働くんだろうか?
教養人ではあるのに弟達に比べて陰が薄いし

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 00:57:14 ID:69DUr/TM
宗麟から人心が離れ、凋落した原因はまだまだ沢山あるしね
そのほぼ全てが宗麟による悪行、悪癖、自業自得

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 01:06:39 ID:HNdOoKfm
宗麟のひどいエピソードって、島津や竜造寺・鍋島系の史料に残ってるんだろうか?
旗本として残った大友家にも、宗麟のよろしくない行状の記録って残ってるのかな

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 01:07:26 ID:2msytMe2
>義久にそんな知略が働くんだろうか?
さすがにそれは義久を侮りすぎ。
よく戦う者の勝つや、智名も無く勇功も無し。

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 01:08:32 ID:cM5xC/Mr
来週のその時歴史が動いたは宗麟だね。

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 01:14:04 ID:HNdOoKfm
今日の「その時」は、家臣の妻を手にかけることに成功したその瞬間です。

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 01:20:39 ID:KlC+SqFo
大友といえば、大友側の記録に、耳川合戦の時に島津に負けて壊走したとき、
大友の家臣の奈多鑑基(なだあきもと)が敗走の最中に謎の山伏に出会い、
その山伏が

「大友は日本古来の神仏を迫害したのでこの戦で負けたが、お前はいつも神仏を尊ぶ気持ちを
忘れなかったので無事逃がしてやろう」

と言って、鑑基は次に気がつくと豊後国の臼杵にいた、って話が残ってたりする。


678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 02:02:43 ID:WD4OWZGk
しかし大名は数多くいるが、
こういう中国の史書に出てきそうな悪事が沢山残ってるのは
宗麟ぐらいじゃないか?

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 02:39:33 ID:q6YeYMyd
>>676
殺してどーするw


680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 02:44:16 ID:JpaRY++I
>>678
太閤殿下を忘れてないか?

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 09:06:48 ID:DMTbL/Nj
>>678ある意味信長

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 09:38:03 ID:zzKFLue0
武田信虎とかも中国故事まるパクリの悪事あるな、テンプレ過ぎて後付けだろうが

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 09:55:16 ID:XzmIzxsS
「妊婦の腹を裂いた」って奴だな。
たしか信康も似たような濡れ衣着せられてなかったかな?


684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 09:57:40 ID:KlC+SqFo
たしか秀次も>妊婦の腹

685 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/27(木) 10:29:05 ID:yZ+s5QpQ
>>682-684
小早川秀秋もあったような気がする


686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 11:06:05 ID:wWSLrie6
そういうどうみてもテンプレなのは後付けだな、と思えるが
宗麟は中国でありそうな、であってテンプレどおりじゃない話ばっかだから駄目だなw

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 12:43:31 ID:ZpEsb4SV
>>676
輝元「楽しみー」


688 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/27(木) 12:55:49 ID:yZ+s5QpQ
>>687
杉元宣「御先代様方は家臣の妻の略奪どころか側室すら置かなかったというのに…」


689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 13:02:21 ID:RWRp/PUo
>>687
見る側かよ

大友吉統と伊東義祐の嫁・悪い話

2008年11月28日 00:15

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 13:56:12 ID:0DdJZXKg
では宗麟関係の悪い話 まだ投下されてないようなのを見つけた
------------------------------
天正5年(1577年)
木崎原の戦い以降、国人たちはおろか家臣達も次々と離反、伊東氏も遂に1城も支えきれない事態となり
伊東義祐は息子の嫁の父(ややこしい…)にあたる大友宗麟を頼って日向を逃亡した。
伊東氏の人々は、宗麟に故国回復を訴えた。
そして、宗麟は日向攻撃を決意する。伊東さん達の訴えが届いた・・・からではなく、
日向の北部の無鹿にキリシタンの理想都市を築くのが目的だったからとも言われる。

天正6年(1578年)
大友軍は日向を攻撃。
ところが、高城川まで来たところで島津軍の返り討ちに会い、総崩れとなってしまう。
そればかりか、多くの名のある武将を大友氏は失ってしまった。

天正7年(1579年)
日向に領土を広げるどころか、武将の多くを失い衰亡の兆しさえでてきた大友家中から
当然今回の戦のきっかけを作った伊東家に対して風当たりがきつくなってきた。

ところで、大友宗麟には吉統という息子がいたが、これが好色物で
義祐の嫁(義祐の息子・祐兵の妻、実は義祐の息子で故・義益の娘でもある)が
たいそうな美人であることに目を付けた。
そこで吉統は伊東氏に不満を持っている家臣達に語らい、
密かに伊東家の人々を殺して嫁を横取りする作戦を立てた。

が この作戦はばれた。
祐兵は身の危険を感じ、豊後から脱走することにする。
しかし問題があった。
義祐の嫁は宗麟の屋形にいる母(先述の宗麟の孫、義祐の息子の嫁)を訪問して以来
大友家の家臣に何かと言いくるめられて逗留が長引き、家に帰してもらえないのである。
結局、ある日の夜。屋形のゴミ捨て場から脱出し、ゴミ収集夫に化けた伊東家臣が嫁を回収、
その日の内に伊予国に向けて脱出したという・・・
----------------------------------
以上は伊東家が江戸時代にまとめた『日向記』に載っている話です。

ただし、実際は大友義統@嫁泥棒は既に重臣・吉弘氏を妻に迎えていることや、
逃亡した嫁の実母とその子である伊東義祐の孫2名は脱走せず、
その後も大友氏で厚遇されていることなどを見ると
大友家が改易されたことに乗じてあること無いこと書いている可能性も棄て切れませんが・・・




691 名前:690[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 14:20:43 ID:0DdJZXKg
あ、変換ミスが
大友義統=大友吉統 です。
ちなみに天正7年前後は「義統」です。

混乱させてスイマセン

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 15:17:34 ID:KlC+SqFo
大友に関しては、寺社破壊の事もあって九州では相当恨まれてたらしいから、たしかに
改易後は言われたい放題だったみたいねw

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 16:02:02 ID:xfPPak9h
あまりにも特定の大名に悪い話が集中すると
貶められたのではないかと思いたくなる

694 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/27(木) 17:42:37 ID:yZ+s5QpQ
>>693
島津軍が豊後府内に侵攻してきた時の、その"特定の大名"の悪い話
大友家当主義統は居城の府内城を捨てて真っ先にとんずらこいた
逃げ延びた後に大事な側室を忘れてきたことを思い出しちゃったので腕の立つ家臣に救出を命令
家臣は命令に従って救出してきたから義統、大喜びで恩賞を与えようと言った
腹に据えかねるものがあったのか、その家臣は
「俺は女を1人助けただよ。今回腐るほど戦死者でてるのに、そっちは無視ですか?
で、俺にだけ恩賞を与えるって?てめぇのような腐れた性根の持ち主は、主人じゃねえわ」
とぶちまけて、大友家を去ったそうな


まぁ、大友義統の単騎逃亡は流石に誇張はいってると思うが、
朝鮮出兵でも逃亡した御仁だから、嘘とは言い切れないw


695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 17:48:24 ID:fjDXLW1M
それ既出の話だったと思う。

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 18:09:16 ID:y4UrGMI3
>>693
市松の話も幕府が貶めた可能性が高いと思う。

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 18:43:58 ID:q2QbPbnd
それがs・・・伊達政宗の話も幕府が貶めた可能性が(ry

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 19:26:10 ID:5RJBIGDl
宗麟も日本のカエサルも暴君ではあったが君主としての資質はあったからな。

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 19:35:26 ID:PMw1a0M4
優秀じゃないと暴君になれないからな。

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 19:43:00 ID:hRHVFid7
龍造寺隆信もだね
かなり不遜で傲慢だったらしく最期は家臣に戦場に置き去りにされて首級をあげられちゃった
キリスト教の味方だった大村、有馬と戦ったからフロイスにキリスト教の敵としてぼろくそに書かれた部分も多々あるらしいけど

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 20:35:26 ID:4JMMaVO6
>>702
たしか、竜造寺隆信の軍団は『退けば理由の如何を問わずとにかくぶっ殺す』
と言う鉄の規律だったので、相手がどんなに強かろうが、退却して殺されるより敵に遮二無二突っ込んで
討ち死にを果たした方がマシ(結果勝てば恩賞が期待)・・・と言う按配だと思ってたけど
沖田畷での壊乱振りを見るとそうとも限らない気がするなあ・・・


708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 20:36:45 ID:LWOdJBoh
赤信号みんなで渡れば怖くないの論理

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 21:13:28 ID:IlK8tujU
>>707
隆信は「さがれ!」って叫んだのに、普段「かかれ!」って
言われ続けてた部下たちが、勘違いして敵陣に突っ込んだ…
って説があって、冷静だった鍋島直茂はすぐ退却して事なき
を得たとか。まあ、大将討ち取られてるんで、かなりの混戦
だったんだろうね。


710 名前:東昏侯[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 21:35:54 ID:hWj6T2WH
>>701
朕を優秀だと認める東方の蛮族が居ると聞いて中国英雄板から飛んできますた

宇喜多直家さん、華麗なる暗殺、粛清遍歴・悪い話

2008年11月28日 00:11

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 21:52:51 ID:KlC+SqFo
いい話スレで名前が挙がってたので、宇喜多直家さん、華麗なる暗殺、粛清遍歴


中山備中…酒宴や狩猟を頻繁に行う仲になり近づき油断したところを直家が直接殺害。
島村貫阿弥…中山備中殺害時に主君との謀計により誘き寄せ少人数で沼城に入ったところを殺害。
禾最所元常…男色の気がある元常のもとに岡剛介を送り込み仕えさせて暗殺。
三村家親…日本初の狙撃による暗殺。
宇垣与右衛門…直家も参加した鹿狩りの時に鹿と間違われて何者かに討ち殺された。
伊賀久隆…直家が饗応した時に毒を盛る。

松田元輝…直家に内応した家臣伊賀久隆の鉄砲隊に撃たれ討死。
金光宗高…家臣殺害を理由に切腹させる。
浦上宗景の嫡子与次郎…城に招待し毒を盛る。
浦上久松丸…対浦上宗景のため擁立したが、後に直家に毒殺。

えとせえとせ


とりあえず直家さんが仲良しのそぶりを見せてきたら要注意だ!



712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:05:11 ID:THjearLB
毛利元就「まったく信用ならんヤツだな」

松永久秀「主君の子を殺すとかねーわw」

斎藤道三「謀殺なんて卑怯すぎるだろ…」

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:05:46 ID:S3mAGxcL
猿「え、マジ?」

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:34:45 ID:KlC+SqFo
>>712
この三人のような、圧倒的な不気味さは流石に直家には無いなw

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:39:30 ID:xfPPak9h
宇喜多直家は早死にしすぎた

直家爺さんがいればとんでもない事になりそう

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:40:17 ID:LPrYsIEW
歴史物のifは面白いよね

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:41:03 ID:cRSDBRob
>>711
直家の場合、数年かけて謀略するから恐ろしい。

現代で言ったら
入学式で声をかけられ知り合う
(気さくに話しかけてくれていい人ダナー)
        ↓
3年間を通して交流を深める
(こいつとは一生の友達になるかも知れん)
        ↓
卒業式でいきなり刺される
(な、なぜ!!)

みたいなもんだもん。


718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:41:53 ID:xcSO0izu
>>711
この直家の子が秀家なんだからより引き立つ

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:42:39 ID:S3mAGxcL
もしかしたら死亡報告も
謀略だったりするかもなw

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:44:04 ID:5RJBIGDl
こんだけ殺しまくってるのに信用されるってのは凄いよな。
普段は物凄くいい奴だったんだろうな。

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:49:32 ID:KlC+SqFo
(本人の安全のため映像と音声に加工してあります)
某弟『兄の前に出る時はですねー、常に死を覚悟して、帷子を着込んでいたんですねー』

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:49:54 ID:2msytMe2
忠家「いつか絶対、兄貴に殺されると思っていました」

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 23:17:38 ID:0MI3kbzS
兄貴が生きていた時は暗殺に脅え、その息子の代になったら自分の息子が主君と喧嘩することを恐れて両者の調整に奔走。頑張ったのに本家は潰れ自分の息子は自害。本当に報われない人だ。

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 23:49:18 ID:eX2+qljg
忠家も結構出来のいい人だと思うのだが気の毒な人なのは否定できないw

732 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/28(金) 01:07:42 ID:zn5fIp4W
>>721-724
俺、忠家は兄のためなら自分の身体を盾にする覚悟で鎖帷子をいつも着込んでいると思ってたけどT_T

769 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/29(土) 04:38:19 ID:ohM7/F59
>>717
漫画にしたらさぞいいラスボスになれただろうなw

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 06:47:51 ID:pznnB/z7
>>769
彼を倒して全てが終わったと思ったら真の黒幕がいた……というパターンのが似合うと思う。「直家など前座にすぎんわ…脆弱な武士どもよ―!支配してやるぞ―!この太閤秀吉がなぁ―!」とか

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 06:57:50 ID:ud5UprBS
>>771
秀吉の「悪」って、特に権力を握ってからは、直家みたいな目的意識のはっきりした物じゃなくて、
気分で人を虫けらのように握りつぶすような、そう言うものだからなあ…。

773 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/29(土) 08:28:55 ID:0Ju2RQxV
>>771
何処の犬型○○○魔族だw



関連スレ
宇喜多直家の城の落とし方・悪い話

最上義光と北楯大学利長「米どころ庄内ビギンズ」・いい話

2008年11月28日 00:09

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 00:30:26 ID:cM5xC/Mr
新米の季節なので。「米どころ庄内ビギンズ」

慶長出羽合戦のあと、最上義光は庄内領有に成功。
これでやっとねんがんの鮭がたべられるぞ! と喜んでいた。
(義光の庄内への野望は、鮭食べたさという伝承が山形にある)
しかし最上家中にひとり、複雑な気持ちのものがいた。北楯大学利長である。
彼は庄内の民が餓えているのを見て不思議に思った。
「なぜ平地なのに稲がないのだ?」「水がひけなきゃ稲作なんか無理ですって」
「そうか…水がないのが悪いのだな」
当時の庄内平野は広大だが水回りが悪く、荒れ地が広がるばかりだった。
大学はそれから日夜庄内を見回り、どうすれば水をひけるか考え抜いた。
彼の熱心さは周囲に奇妙にうつり、農民すら陰では彼を「水馬鹿」と呼んでいた。
それから十年近く経過した。

調査結果をたずさえ、北楯が山形に登城した。彼は庄内開発の利をとくが、
身分の低さゆえに誰も相手にしない。
義光はかねてより、北楯に好感を抱いていたこともあって前向きだった。
北楯に目だった武功はなかったが、義光はかつて彼の居城・狩川城を視察し
武具点検をしたが、装備が見事に揃っていることに感心した。
それ以来義光は北楯に目をかけ、細やかな気遣いを見せる書状を送り続けていた。

だが、主君の寵愛だけで藩を左右する工事は決定できない。
義光は事業が可能かわからず態度を保留した。そしてひそかに大工をやり、
北楯のプランが実行可能か調べた。
結果、「見事な設計、工事可能」という結果が出たため義光は工事許可を出した。
しかし北楯を侮る者は多く、妨害がたえない。義光はこまめに手紙で励まし、
北楯に異例の権限をあたえて工事をすすめた。義光や北楯は、埋蔵金と
いつわって金壷を埋めておいたり(まとめ参照)、上戸には酒、下戸には菓子を与えるなど、
細やかな気遣いで作業員をいたわった。途中、死亡事故が起きるなどしたが、
工事は予定より早くすすんでいった。

ところが最後の難所、青鞍之淵を埋めようとしたところ、水の流れが強すぎて
いくら土をいれてもおさまらない。困る北楯に彼を妬む同輩はいった。
「貴殿は工事がならなければ切腹する覚悟だったな?」
北楯はこの言葉に死を覚悟し、愛馬の鞍をはなつと祈りながら淵に投げ入れた。
すると不思議なことに、流れはぴたりとおさまった。皆喜びここに土を投げ入れた
ところ、淵はあっという間に埋まった。
こうして四ヶ月に及ぶ工事はやっと終わった。

艱難辛苦をへて、大堰と呼ばれる用水路が完成した。
これにより庄内平野の収穫高は十倍にふくれあがった。米どころ庄内のはじまりである。
義光は北楯大学の功績を喜び、
「きっと将軍家にも伝えて代々残るようにする。庄内末世の宝である」と絶賛した。
北楯大学は死後も水神として、庄内のひとびとに敬われた。

のちに明治になって、北楯大学の功績を賞した住民たちは「大堰」を「北楯大学堰」と
改称した。四百年を経てなお、北楯大学堰は庄内平野をうるおし続けている。
ちなみに北楯大学の肖像画や銅像が頭巾をかぶっているのは、義光が
「川風が寒かろう、これをかぶればいい」と頭巾を贈ったことからである。

…そして北楯大学が義光からもらった「鮭トンクスウマー」書状が、後世に義光の鮭中毒ぶりを
詳しく伝えることになった(ちなみに義光はフルーツも好きだったらしい)。




778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 00:46:17 ID:0Mocvpzj
>>775
義光が褒美として300石加増の他、
「この堤の御蔭で増える新田が何万石に成ろうと、全てを北楯の知行とする」って証書を与えてるのが凄いわな。
正に絶賛。

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 00:53:41 ID:69DUr/TM
>>775
うわこれは凄い・・・「ちょっと良い」どころじゃない
知らないだけで偉人ってのは居るもんだな

780 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/27(木) 01:02:03 ID:yZ+s5QpQ
>>778
最上家が存続してればT_T
彼を登用した鮭様こそ名君に相応しいな

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 01:11:40 ID:0Mocvpzj
>>780
因みに最上家改易の後、代わりに入って来た酒井家が召抱えようとするのを固辞し、
息子を300石で酒井家に仕官させて、本人は浪人として静かに余生を送ったらしい。


782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 01:13:29 ID:c7s1WjCd
成富茂安、大谷休伯とならぶ隠れた内政家だな>北楯大学

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 03:16:10 ID:EEb/vENH
>>781

酒井家は肥沃になった土地をただで手にいれてウマーなのに
功労者の北楯の子にたった300石とか・・・


787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 05:42:34 ID:inr4++4V
酒井忠次「お前も我が子が可愛いか!」

788 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/27(木) 08:15:14 ID:yZ+s5QpQ
>>787
本多重次「オマエモナー」

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 09:34:30 ID:zqby/RLA
>>781
それもまたいい話だなあ

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 10:28:59 ID:hn3Br13y
>>786
庄内酒井藩は最上の旧領のうち一部をもらっただけ。収入は限られる。

しかも普通、家老クラスで表高の1/100の禄なんで、14万石の庄内藩が
外様に300石出してんだからむしろ妥当。


791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 10:35:28 ID:KlC+SqFo
よっぽどの大藩でも、1000石以上なんて、お目見え以上(幹部クラス)だしね。
戦国時代の感覚で石高を見ちゃいかん。


792 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/27(木) 10:52:08 ID:yZ+s5QpQ
>>791
加賀本多家(正信流本多家:陪臣)の五万石なんてのは極めて特殊な例だからなぁ

そういや、美術館にはそれを藩主にわたせば10万石にしてやるといわれた壷が展示してあったな
今度見てくるわ



793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 13:40:03 ID:TDutbSxS
うちの先祖が仕えてた藩は5万石だが、千石取りなんて江戸中期に800石から加増された家老の本家だけ。
家老を持ち回りで勤めてた他の家は軒並み200~500石程度。
藩の石高の内の割合なら大体100石が同等だがこれもたまに家老を出す家柄だけ。


794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 14:19:32 ID:Yp2oDNoT
騎乗身分ってやっぱりすげぇなぁ、と思ってしまうな

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 15:13:17 ID:S3mAGxcL
騎乗身分ってなんかエロいなぁ、と思ってしまうな

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 16:58:35 ID:wELQVAI/
憧れの騎乗死     いえ言ってみただけです

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 19:31:04 ID:hRHVFid7
>>797
討ち死にじゃねーかw

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:04:27 ID:xKOlzuyi
>>780
亀レスだが、義光の北楯宛て書状に
「いい季節だし、工事を見に行けばみんな喜ぶだろうから、是非そうしたいけど、
病気で行けなくてとても残念だ」
とあってせつない。
義光はこの頃、病で体力的にかなりつらかったらしい。死ぬ僅か二年前です。





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最上義光、北楯大学と埋蔵金・いい話

母里太兵衛、酒は飲め飲め飲む酒は・いい話

2008年11月28日 00:07

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 00:41:15 ID:KlC+SqFo
めちゃめちゃ有名な話だけど、まだ出ていなかったので投下してみる


ある時黒田長政が、福島正則の下に、家臣、母里太兵衛を使者に出すことにした。

が、福島正則といえば有名な酒豪。また母里太兵衛も黒田家屈指の酒飲みであり、
太兵衛が酒で役目をしくじる事を心配した長政は、
「正則から酒を進められても、決して飲まぬ事」と禁酒を厳命し送り出した。

さて、太兵衛が福島正則の下に赴くと、案の定、朝から酒宴を張っている。
彼は太兵衛の到着を喜び、「用件は後でよい、先ずは一杯」と、酒をなみなみと注いだ大杯を
進めてきた。酒好きの太兵衛、これにはグラリと来たが、主君の厳命がある、飲めない。

「そ、それがし酒は無調法でして、どうかご容赦を…」

しかしそこは酔っ払っている正則。聞きゃあしない。
「良いから飲め!そちがこれを飲み干せば、望みの物を何でも取らせようぞ!」
「いやしかし、主君からも酒は飲むなと…。」

こういわれると正則はエスカレートしてくる。酔っ払っているだけにノンストップだ。

「わしの酒が飲めないとあれば!お主の口を割ってでも飲ませようぞ!」
「例え八つ裂きにされても飲め申せず!」

すると正則、突然大笑し
「天下に名の知れた母里太兵衛ですら、たかが一杯の酒に後ろを見せるとは、
黒田家は腰抜け侍ばかりの、豆腐同然の骨も筋もない、弱虫藩じゃのう!」

ここまで言われては武士の面目にかかわる。ついに太兵衛は承知する。

「ところで先ほどの、これを飲み干せば望みの物を何でも取らせるとの仰せ、
よもやお間違いはありませぬな?」

正則はいい気になっている「おお、勿論じゃ!」

すると太兵衛は朱塗りの、直径一尺(約30cm)の大杯に並々と注がれた酒を、
立て続けに三杯飲み干した。
そしてうろたえる正則から、福島家秘蔵の品、名槍・日本号を取上げた。

太兵衛はこの槍をかつぎ、黒田藩歌「筑前今様」を吟じながら、悠々と帰っていったという。


黒田節として今に伝わる、母里太兵衛日本号を頂くの一席ににて候。


豊臣秀吉と側室のこと・いい話

2008年11月28日 00:05

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 03:09:33 ID:q6YeYMyd
豊臣秀吉が多くの側室を持っていたのは有名な話で、
淀殿、松の丸殿、加賀殿、三条殿、三の丸殿、姫路殿などなど
十本指に余ります。

さて、その甥にして、後に悲劇的な最期を遂げることになる
秀次さんもまた、大層な色好みで、母子の両方ともを側室に
召したという話が残っております。
そんな秀次さんが関白になったときのお話。

「茶の湯、鷹野の鷹、女狂いについては、わしの真似をしないように」

秀吉だからこその諌言なのかどうなのか。
秀次が自害すると、その「女」たちも殆どが処刑されるのですが。


戦国時代じゃないけど、足利義満も凄い。
公卿中山親雅の妻、弟満詮の妻を側室として召し上げ(夫は勿論存命)、
さらに自分の正室の日野康子の母と思われる「池尻殿」にも子を
生ませている。
そして、朝廷の女官とも関係があったと噂され、日頃の圧力に加え
寵妃を寝取られたのではという疑いから時の帝はノイローぜ状態。

個人的にはこの人が日本史上最大の色好みだと思う次第。
ではと



788 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/27(木) 08:15:14 ID:yZ+s5QpQ

>>784
花山天皇「こまった関白だな」
天智天皇「こまった将軍だな」

八丈島の宇喜多秀家と前田家のちょっといい話

2008年11月28日 00:04

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 15:15:55 ID:KlC+SqFo
宇喜多秀家と前田家ちょっといい話

宇喜多秀家は八丈島で、浮田苫という苫製品を製造、販売して生計を立てていた。
生活のすべを何も持たないお殿様ではなかったわけだ。

ちなみに宇喜多家、八丈島で秀家の死後七家に、後には二十家にまで分かれて繁栄した。

前田家は宇喜多秀家に毎年、米七十俵、黄金三十五両、衣料等を送り続けた。
それは秀家の死後も続き、なんと明治二年、新政府による宇喜多家放免まで続いた。

なんと言うか、封建時代っていろんな意味で凄い。




798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 17:45:06 ID:SreTYZNK
>>796
ありがとう・・・
中納言様を支えた前田ありがとう・・・うう・・・

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 18:03:32 ID:CAZ5n0h9
一方、福島正則は酒だけを送った。

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 18:07:10 ID:SreTYZNK
いや、嬉しいよ?酒も
サンキュー、市松

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 18:46:54 ID:fxanGVbd
生活支援もあって下手な大名より
良い暮らししてたらしいもんな秀家公
かなり長生きしてるし

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 19:01:30 ID:S3mAGxcL
生活支援頑張って、お家騒動まで起きたのに
90超えた人もいたけどな

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 19:20:16 ID:KWG5PbTz
>>801
いや島の奉行所だったかに呼ばれて御馳走を振舞われたとき
秀家がコソコソお持ち帰りしようとした時
奉行が「どうなされた?」と聞くと秀家は
「家臣達にも食わせてやろうと思いまして」と答え
恥ずかしそうに照れ笑いをした、とかいう話が有ったような
そんな秀家が哀れで奉行が泣いてしまったとか

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 20:05:13 ID:AgIGQxq+
>>802
信之兄さんですか。

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 20:08:00 ID:p2dZFX8r
>>802
相続争い調停してすぐに亡くなったんだよな
壮年期からずっと心労半端なかったろうに凄い人だよ

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 20:13:57 ID:fxanGVbd
>>803
その話が上役に伝えられて
宇喜多家が生活に困窮しているとわかり
前田家や花房家の支援が始まったんじゃなかったけ

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 20:19:33 ID:yNi6qKOf
うーむ・・・
秀家殿のつめの垢を飲ませたい御仁がおるのじゃが・・・

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 21:15:24 ID:rdnKNKQ9
秀家殿は戦国時代には向かない人なんだろうな。
親父さんなら関ヶ原で小早川より早く寝返ってると思う。

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 21:17:09 ID:Yp2oDNoT
親父さんなら戦場で寝返るなんて下手なことせずに、
どっちが勝っても美味しい立ち位置に居ようとすると思うw

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 21:20:03 ID:KlC+SqFo
親父さんなら関ヶ原なんて起こすまでもなく家康か三成を暗さ…(ry

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 21:21:40 ID:gt/rmCoj
宇喜多直家って若いときにかなり苦労してるんだよなぁ・・・
抜け目無い、節操の無い策謀家のイメージが一般的だけど
若いときの苦労が影響してるんだろう、と思ったり

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 21:39:31 ID:Ngq4Sg17
策謀家と言われている武将は低い身分から苦労して這い上がった奴ばかりだよな。
大大名のボンボンに生まれたくせに策謀大好きな中二病患者もいるが…。

宇喜多直家さんの前半生・いい話

2008年11月28日 00:03

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:08:02 ID:2msytMe2
若い頃の直家の振る舞いは常軌を逸しており、
近隣の住人はもとより、一族までドン引きするほど。
見かねた母が涙ながらに直家にもう少し落ち着いて欲しいと説いた。
周りに誰もいないことを確かめた直家が小さな声で、
「あれはうつけの真似事です」
「うつけが自分の事をまともだと言うか」
「祖父の仇・島村を討つためです。もし俺が賢いと評判になれば島村は警戒して俺を殺そうとするでしょうから。その為にうつけを演じ、策を練っていたのです」
母は突然のことで驚きながらも、喜んで直家の言うとおり浦上宗景に仕えられる様に計らった。
直家はそこで賢しく立ち回り宗景のお気に入りになった。
ある時、宗景が思い悩んでいたので訳を聞いてみると、
「お前のさー、舅の中山いるじゃん?あいつ最近調子に乗ってね?お前に言うのもなんだけどさ」
「いえいえ、私は殿への忠義が一番ですよ。なんならサクっと殺っちゃいますぜ」
「え、マジ?」
「その代わりといっては何ですが、島村いるじゃないですか。あいつ祖父の仇なんで殺りたいんですけど」
「あいつもなー、俺が小さいことを良いことに好き勝手やってたんだよなー。いいよ、殺っちゃえ☆」

こうして浦上宗景のお墨付きを得た直家は見事祖父の仇を討ち、一族の恨みを晴らすことに成功した。

途中までは良い話だと思うけどねw




818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:16:27 ID:gt/rmCoj
爺さんが浦上家中の宿老格で幅を利かせる
 ↓ 
嫉妬した同僚の島村観阿弥が奇襲を仕掛けてきて爺さん自刃
 ↓
逃げ延びるけど親父が遊んでばかりで敵討ちできない
 ↓
色々あって浦上家に仕えるようになるものの、治安も悪く荒地で収穫なんてほとんどない城を預けられる
 ↓
泥にまみれて節約などしてひたすら耐える
 ↓
色々あってようやく島村を討つ
 ↓
直家の謀略家人生はまだ始まったばかりだ!!

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:35:42 ID:SreTYZNK
>>818
wwwwwwwwwwww
途中で打ち切りになった週間連載の熱血マンガかよw