管理人の独り言

2008年12月31日 01:09

いつもこのブログをご利用いただき、ありがとうございます。管理人です。

このまとめブログを始めて3ヶ月ほど経ちますが、開設当初から毎日たくさんの方々に訪問していただいて、
管理する側として本当に嬉しいです。これもたくさんの、良質な逸話を投下していただいている、
本スレのみなさんのおかげです。本当に感謝です。

実はブログと言う物をやるのは、コレが初めてでして。未だに色々と試行錯誤している有様です。
ふがいない管理人ではありますが、来年もどうぞ、宜しくお願いします<(_ _)>

皆様どうぞ、よいお年を、お過ごしください。
ヽ( ´ω` )ノ
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本多忠勝のかわいい話

2008年12月31日 00:09

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 13:12:59 ID:2rAdctml
有名かもしれないけどまとめブログになかったので
本多忠勝のかわいい話。

その勇猛は天下無双と称えられた平八郎忠勝だが、文武両道とはいかず
無学文盲に近かった(by海音寺潮五郎)
あるとき家康に召抱えられた林大学頭羅山に尋ねていわく、

忠勝「林さんて学者なんだよね」
羅山「左様でございますが」
忠勝「それじゃあ、林さんと天神さまとどっちが頭いいの?」
羅山「(苦笑)」
忠勝「なんだよお!」

忠勝「…って尋ねたら、笑うだけで教えてくれないんですよ。実際どっちなんですか?」
家康「(苦笑)」
忠勝「なんだよおお!!」

天神さま(菅原道真;言わずと知れた学問の 神 様 )と大学頭をひと括りにカテゴライズする
素敵な思考の持ち主でありました。
実話なら羅山も家康も馬鹿にして笑ったんじゃなくて、微笑ましく思ったんだろうけどね。



672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 13:51:24 ID:DHDLdsKy
死にともな まだ死にともな 死にともな 御恩を受けし 君を思えば

673 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/30(火) 13:55:53 ID:07pu3Pg/
忠勝は勉強嫌いなのか。

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 14:09:24 ID:StVgZ8h1
>>671の話読んでのイメージは、勉強嫌いっていうよりも
勉強できる人=すげーっていう尊敬をもってそうな気がするな
そうじゃなきゃ神様のことを引き合いには出さないだろうし

学者=頭良い=頭が良いと言ったら天神→どっちすごいの?
っていう、武人っぽい「どっち強いの?」的な比較が頭の中に出来てそうだ

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 15:45:18 ID:xyM0GA8r
>>672の忠勝の辞世を見ると同じ武骨な武人でも柴田勝家は随分教養があったんだなと思う。

勝家の辞世いいよね。

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 15:54:26 ID:EsmT+6M8
辞世の句は三七郎様のがガチw

677 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/30(火) 17:03:45 ID:07pu3Pg/
三河武士の中で一番教養あるのたれかな。

678 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/30(火) 17:07:00 ID:cWX7dV9T
>>676
源義朝の最後にかけとるしな

>>671
内政手腕は立派にあるんだがなw
まぁ、文字を書けるのと人間を使いこなす器量は別ともいえるが…

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 17:19:35 ID:w0un0+8w
>>677
前に「怪傑大久保彦左衛門」って新書で読んだけど
三河物語で有名な大久保彦左衛門なんかは書く文章自体
こなれてるっつーか漢籍とかも読んでる感じがするらしい
母親が京の公家の娘だから子供のころから教養もあっただろうとのこと
なんと本人直筆「源氏物語絵巻写本」が残ってるとか
たしか勝海舟の蔵書(ちょっと前に鎌倉期の写本とかってニュースに
なってたけど勝海舟って源氏物語好きだったのかね)
見た人によると「下手だけど気骨が感じられる絵」だとか
……どんな源氏だよw
俺は前にジャンプでやってた世紀末リーダー伝たけしみたいなのを
想像してしまったんだがw

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 17:27:50 ID:/eVAnowW
忠勝テラKAWAEEEEEEEE

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 19:12:04 ID:b2RNYgii
>>679
源氏物語の例えに児童買春で捕まったしまぶーを引き合いに出すとは・・・
気骨の感じられるレスだな!

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 19:29:55 ID:KCI60VLd
忠勝かわいいいいいいいいいいwwww

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 20:37:21 ID:lawy2KRU
>>677
板倉勝重

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/01(木) 19:33:15 ID:pJzMMxzR
>>671
林羅山って23歳で家康に召抱えられていてこのときとても若いんだよな
忠勝とは親子くらいの年の差なのを考えるととってもかわいいな。

森忠政、津山城をごまかす・悪い話

2008年12月31日 00:08

森忠政   
828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 02:02:39 ID:6lW2lY3B
「兄貴に遺言でお前には家を継がせねえと言われた森忠政です」


その忠政が美作一国を拝領し津山城を築城した時のお話

美作国主となった忠政は、持てる技術の全てを投入して五層天守の壮麗な城を完成させた。
忠政得意満面で城の絵図を幕府に提出。が、丁度その頃江戸城にも五層の天守が建ったばかりだった。

「将軍様と同じ高さの天守建てるなんて森家は何考えてんの?福島家みたいに潰されたいの?」
と絵図を見た幕閣おかんむり。早速老中から呼び出しを受ける忠政。

そんな事も知らずに素直に出頭してきた忠政、天守の事を詰問されて大慌て。
そこで忠政の口から出てきた言葉は
「あーこの絵図間違ってますね。うちの天守五層じゃなくて四層すよ。まさか将軍様と同じ高さの天守なんて建てる訳無いっすよ」
と無茶苦茶な言い訳。だが何故か老中納得してその日は無事にやり過ごせて忠政ラッキー

だが、「一応念の為確認しとくか」って事で結局幕府の使者が津山へ検分へ行く事になって大ピンチ
しかも検分がある事を知ったのは幕府の使者が江戸を経って数日後、もう絶体絶命。

もう俺ダメかもと一度は覚悟した忠政だったが、ふと家臣の中に仙術を学んだという伴という男がいるのを思い出し
「お前あの使者より先回りして津山まで行け。何が何でもあいつらより先に着いて検分の事知らせろ!」と無茶な命令。

その後、何故か使者より速く津山に着いちゃった伴からの知らせで城を急遽突貫工事。
天守四層目の屋根「だけ」切り取り、やけに間延びした四層天守の出来上がり。
ほらこの城屋根4つしかないでしょ?五層の天守なんてうちには無いよ!と使者の目をごまかして、無事に事なきを得たのでありました。


森家の話なので無条件で悪い話の方へ書いてみた





829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 02:41:49 ID:3t8rNmQr
まあかっこ悪い話だなw

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 02:45:27 ID:2cXCuUzV
仙術使いの凄い話だな

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 03:01:13 ID:5Te8cK9D
津山城

ttp://www.city.tsuyama.okayama.jp/chikujo400/history/hyaku/hyaku_img/100-046.jpg
津山城

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 03:57:26 ID:OrWxuWAi
仙術使えるクラスじゃないと森家の家臣はやっていけないんだろうな

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 04:04:47 ID:zVZXJvl1
>831
カコイイ

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 08:46:05 ID:KVxVhMWC
>>828
>天守四層目の屋根「だけ」切り取り、やけに間延びした四層天守の出来上がり

これ使者は分かってたろ絶対w
津山城って忠興の小倉城を偵察しにいってバレて図面貰って作った城だっけ

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 08:54:52 ID:3S8BkmB3
>>828
福島家のような不手際やゴタゴタがあるわけでなく、江戸城と同じ五層だったというだけで
取り潰されちゃうのかな?

まぁその気になれば取り潰されちゃうんだろうな・・・

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 09:53:07 ID:zn4CjfKw
>>837
幕府なんて幕末を除けばその気になればいつでも取り潰す気満々だからな。

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 10:09:42 ID:wHzdJG+h
>>828神行太保おつ

というか、仙道って波紋法をつかt

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 10:13:11 ID:Rm2cQLco
先の将軍様も使えたと言う縮地法をつかったんじゃないかな

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 12:13:24 ID:3jUbagRd
伴「なにが何でも早く着かないと命がないですゆえ」

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 12:25:29 ID:NdYe4NRh
ロープの反動を利用したんだよ

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 14:02:10 ID:YhQ6dDET
まぁ幕府の使者つっても急ぎの旅でなし、のんびり行ったんだろな。
早馬を乗り継いでけば割と簡単に追い越せるんじゃね?

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 14:04:50 ID:nPMuurim
公費だしな
接待とかありそう

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 14:20:33 ID:lImsXF9H
百段の霊が乗り移ったので

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 14:21:31 ID:DHDLdsKy
>>845
リアル松風乙

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 14:21:57 ID:lImsXF9H
いや百段生きてるな。

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 14:27:35 ID:DHDLdsKy
なんと、大阪の陣両方出てんのかこの妖怪馬

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 14:31:45 ID:K8wjSXMm
二代目とかじゃ ないよな…

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 14:40:02 ID:Epq7Hp92
赤兎なんかもそうだけど、ジュニアじゃないのかなあ。

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 16:23:44 ID:Rm2cQLco
2代目はだいたい造形がちゃちになっているからすぐ分かる

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 16:47:19 ID:wabmv0wa
>>838
幕末でも慶喜は松平頼徳を改易してるけどね
一部例外を除いて統治機構自体は最後まで機能していたからこそ植民地にならずに済んだ

875 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/02(金) 01:52:30 ID:OgZqZywc
>>828
持てる技術って…忠興たんに図面もらったからだろうがw

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/02(金) 08:23:20 ID:zoYL/XeR
持ってる図面 ワロタ

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/02(金) 15:25:06 ID:AP5QUst5
>>875
(細作が)持てる技術を総動員して…… ってバレてまんがな

柏木源藤のその後

2008年12月31日 00:03

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 04:42:15 ID:y9Ryoh03
柏木源藤のその後

直政の負傷で井伊軍は追撃を停止、義弘主従は九死に一生を得た
井伊軍の追撃を断念させたのは柏木源藤の殊勲と言っても良い
戦後、源藤は義弘の隠居地でもある加治木に主の川上氏と共に移り住んで
子宝にも恵まれ平穏無事に暮らしましたとさ

……とは行かず、『本藩人物誌』によれば
「逼迫して町人にまかりなり、子孫断絶いたし候」とある
源藤は何故ここまで落ちぶれたのか?

『旧南林寺由緒墓志』では、こう書かれている。
「弔死の志をもって墨染の法衣を身にまとい、廻国修行に郷関を出しが、また帰らず、
その終焉の地、果して何処なるか、勇士の末路、憐れにもまた遺憾なり」

勇壮で知られた井伊直政が自分があの時放った銃撃の負傷が癒えずに
一年半後に亡くなったことを知り、悔いたのか哀れんだのかは分からないが
世の無常を感じその後入道となり各地を放浪したと言う


いい話なのか悪い話なのか良く分からないとある郎党の話



835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 08:43:32 ID:Rm2cQLco
熊谷次郎直実みたいなお人だな~

北条氏康家臣、松井康吉「今敦盛」・いい話

2008年12月30日 00:03

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 23:28:20 ID:xv/zPGOg
今敦盛

永禄七年正月、北条氏康、氏政親子と里見義弘の、鵠台合戦でのこと。

この戦は北条方の大勝となり、敗走する里見方への追撃戦が行われた。
北条の武将、松井康吉は軍に先立ち駆けていると、戦場に踏みとどまり矢を射掛けている
里見の武将を発見した。

「なんとけなげな、天晴れな大将よ!」

康吉は彼に挑戦をすると、その武将も受け、馬上で組討になったが康吉のほうが強く、組み敷いて
馬から落とした。そうして首を取ろうとその武将の顔を見ると、

それは、まだ幼さの残る、花の様な美少年であった。

康吉は戸惑い、どうにかこの少年を助けたいと思ったが、既に味方の大軍が追いつき
雑兵たちも首を取ろうと群がってきたため、しかたなくこの少年の首を落とした。

この少年は里見の一族で、この歳15になる、長九郎弘次という者だと言う事が、後でわかった。

戦の後、康吉は空しさに包まれた。
「朝には紅の美しい顔立ちをしていても、夕には白骨と化してしまうのか。」

世の無常を感じた康吉は、そのまま帰国せず寺に入り、「浮世」と名を改め、ただひたすらに
弘次少年の成仏を祈る生活に入った。

人々はこの話を聞き、「源平の時代に熊谷直実が平敦盛を討って、世をはかなみ武士を捨て
仏門に入った話は聞いたことがあるが、今の世にもこのようなことがあるのだな。」

と、涙したと言う事だ。



665 名前:蓮如の「お文」[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 00:01:16 ID:yw+i+xaq
>>664
>朝には紅の美しい顔立ちをしていても、夕には白骨と化してしまう

一向門徒かと思った。

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 00:37:40 ID:wEkevAin
白骨の章だっけ。そういえばうちももし戦国であれば一向門徒として
一揆に加わっていたかもしれないな。

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 00:50:27 ID:vjEu8BUT
さすが>>666だな

立花道雪、騙される!・悪い話

2008年12月30日 00:02

783 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/29(月) 00:51:05 ID:4EZpoSEH
道雪、騙される!

1578年10月大友家は耳川の戦いで島津にやられ衰退する。
筑前では、秋月・原田・宗像・筑紫などが一斉に離反した。
その時筑紫広門は道雪に計略をもって偽り和議申し入れようと、家臣の島珍慶を立花山城へ遣わした。
珍慶は城内渡りの間で道雪と対面した。味方の少ない時、筑前側の申し入れに道雪は喜んだ。
急ぎ珍慶にお膳が用意され、さらに引出物として床上に掛けてあった長盛作の名刀壱振を彼に与えた。
また、筑紫広門への贈り物として大鉄砲10丁、火薬10瓶を 川上まで運ばせて珍慶を見送らせた。
立花山城から刀と鉄砲をせしめた珍慶は博多へ走り市中にある道雪管理の物質貯蔵庫をわざと使用できないようにした。
この変事を博多にいた年寄衆から聞いた道雪は血相を変えて珍慶を追ったがすでに珍慶は味方の武蔵城へ逃げていた。
以後道雪は筑紫広門と戦う時彼を「鉄砲盗人」と呼ぶようになった。

家臣「道雪様ヤツはとんでもない物を盗みました、それはあなたの鉄砲です」
道雪「な、なんだってー!」




784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 02:36:44 ID:nXESr98R
喜びようが尋常じゃ無いなぁw

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 02:58:09 ID:R9pL630f
>>784
地図にでも描いてみろ
大友家がいかに追い詰められていたか分かるから

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 05:04:13 ID:gidbdV2W
最終的には数郡程度に押さえ込まれてるんだっけ?

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 10:12:14 ID:NuKfT+wp
>>783
筑紫広門は後年、高橋紹雲のとこに駆け込んで大友側に戻ったんだっけ。
高橋統増の嫁取り?は既出だったね

向背常なき、ってそのままの筑紫さんでした

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 14:09:06 ID:8DNhyi9H
そうは言っても自分の価値をちゃんとわかってる点は凄い
秀吉に美姫差し出したり茶器で釣ったりと世渡りは一流だな

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 14:10:01 ID:YJG/Gwcy
>>783

ベッキーを騙すなんて筑紫、てめぇの血は何味だぁ!

793 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/29(月) 14:32:00 ID:4EZpoSEH
広門「騙される方が悪いのですよ」

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 14:33:42 ID:EWmtZ4Tv
筑紫さんは騙した相手が鬼武蔵とかじゃなくて良かったよな

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 14:38:07 ID:fOwoVBv1
広門「武士の嘘は武略」

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 14:42:43 ID:W15EfCbc
でも筑紫広門って結局最後まで立花や高橋と行動共にして
西軍について改易されたんだよね
黒田長政に娘を側室としておっつけてたり相変わらず世渡り上手そうなのに
なんか不思議だな

797 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/29(月) 15:03:51 ID:4EZpoSEH
おまけ情報として筑紫広門の奥さんは紹運の奥さんと姉妹なんだよな。

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 15:06:52 ID:fOwoVBv1
東北もそうだが九州も、血縁関係が錯綜しすぎw

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 16:09:57 ID:jvPqeAfP
九州は島津だけでお腹いっぱい
同じ島津家で結婚しすぎだろjk…

800 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/29(月) 16:30:56 ID:izZtOpW7
>>799
義久たんの奥様は"おば"だからなぁw

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 16:48:37 ID:NuKfT+wp
>>796なんか思うところあったんだろうな。
高橋紹雲と立花宗茂の人柄にでも感化されたのか、嫁さんや娘に仲良くしろって言われてたとか。<義や小松さん系の愉快エピソードはないのか?

まあ大友島津の九州争覇は自分と一族の生死に次の日にも関わってくるけど、
海外や天下の穫りあいは他人事で。自分や子息がその場で死ななきゃいいや、って冷めてたのかも。

>>800総領の甚六、賢弟愚兄の見本かといわれつつ
日新の爺様が義久を高く買っていたんだっけ。

わざわざ初名に日新斎と同じ「忠良」名乗らせてるし……

それで娘に嫡孫のドゥーティーを食わせた心情はよくわからんけど((

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 19:46:15 ID:l4uDTCaP
>>802
>総領の甚六、賢弟愚兄の見本かといわれつつ
派手に有能な弟を持つと地味に有能な兄は損するよなあ…
毛利さんちの長男とか


ついでに言うと、島津義久の第二夫人は鉄砲でおなじみ種子島時尭の娘。
そんな種子島時尭のちょっとばつが悪い話

島津日新斎の娘を娶っていた種子島時尭、
女子二人には恵まれたものの男児にはなかなか恵まれなかった。
そんな中
時尭が嫁に内緒で、当時島津家と敵対していた大名・禰寝氏から側室を迎え
しかも男児まで出来ちゃってたのが嫁にばれてしまった(ノ∀`)

怒った嫁さんは娘二人を連れて実家に帰ってしまったそうなー

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 19:56:15 ID:of8F0vfQ
              僕らはすっと友達だ!!
  ∩∩      ________ _______  V∩
  (7ヌ)                  V            (/ /
 / /                 ∧_∧             ||
/ /  ∧_∧     ∧_∧  _(´∀` )   ∧_∧   ||
\ \( ´∀`)―--( ´∀` ) ̄      ⌒ヽ(´∀` ) //
  \       /⌒   ⌒ ̄ヽ、信之 /~⌒    ⌒ /
   |      |ー、      / ̄|    //`i 義久  /
    | 信広 | | 隆元 / (ミ   ミ)  |    |
   |    | |     | /      \ |    |
   |    |  )    /   /\   \|       ヽ
   /   ノ | /  ヽ ヽ、_/)  (\    ) ゝ  |
   |  |  | /   /|   / レ   \`ー ' |  |  /



810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 20:22:13 ID:Z0St9hj7
義久は認めてやれよ…
合戦での知名度は弟達に劣るが内政的にも教養的にも兄弟一だぞ
あの家は兄弟で分業されてるんだし

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 20:27:30 ID:yw+i+xaq
>>809w スットて なんやねんw

>>808相当な大金出して鉄砲をガメたのは、嫁の実家に攻められるという恐怖の反動か?!

しかし思慮深くて大人しかったて、武家のそれも若いウチは余計に目立たんよな義久。
ただでさえヤンチャで武略絶倫な弟や知謀キレまくりの弟が合戦に出てはジャンジャンバリバリ活躍すんだから・・・
老成して、しかも島津家が大きく伸張したからようやく認められたのであった。まあ目出度い話だな。

……毛利隆元もマジそんなかんじやね。大内義隆の元で優雅な人質生活を送った影響も大きいだろうが
けど厳島の合戦では無茶苦茶勇敢に戦ったて話もあるんだよな、
風雨と波浪にビビって逃げ出そうとする郎党のケツを蹴飛ばすようにして、真っ先に舟に乗り込んだとか

814 名前:808[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 20:57:26 ID:l4uDTCaP
むむむ808ですが何か語弊を招く言い方をしてしまった気がするので
追記させてくれ

「派手に有能・地味に有能」っていうのは
有能さの度合いを指して言ったつもりでなくて
派手に有能→合戦向きに有能
地味に有能→内政・外交向きに有能
って言う意味なので、そういう風に読み変えて下さい

個人的に島義久とか隆元とか、能力の割に
不遇なお兄ちゃんズはもっと評価されてほしいと思うわ…(´・ω・`)

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 21:04:00 ID:Z0St9hj7
島津で不憫なのは家久だろう
自分のほうが本家なのに厨二と同一視されてるんだぜ?

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 22:13:39 ID:i3zetSJa
四兄弟で一番は歳久だと思うけど。
もうちょっと畿内寄りに生まれてたら小早川隆景になれた

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 22:47:19 ID:3400oSiD
>>814
なにがむむむだ!

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 22:56:12 ID:NuKfT+wp
>>814
ここ見に来るヤシならニュアンスはちゃんと伝わってると思うよ。

人間、空気がないと生きられないのと同じ。武張ったり才気走ってややもすると我の強い弟をまとめるのは血縁や人柄だけじゃない力、一種の政治力じゃないかな。

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 22:59:44 ID:ubSWlz87
隆元兄ちゃんは歳入を安定させたり兵站に優れていただけでなく
大内家での生活で培われた外交手腕もなかなかのものなんだぜ。

厳島の合戦の後、守護職や官位を迅速に整えられたのも隆元を
通じた大内系の朝廷人脈、幕府人脈あってこそさ。
本来なら1570年くらいから隆元大活躍のターンがあったはず。

以上、死んだ時期がちょっと、いやだいぶ悪かった話。

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 23:17:26 ID:RGnIA0lh
>>809
ところで左端の信広さんて伊勢長島で死んじゃった信広さん?

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 00:21:36 ID:2cXCuUzV
信広兄さんは庶兄だから最初から家督を継ぐ権利が無かった。

かわいそうな信広兄さん

824 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/30(火) 00:39:05 ID:07pu3Pg/
家臣クラスまで広げたらもっといるかな、地味な長男と派手な次男の兄弟。

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 00:43:45 ID:QUk8SK90
井伊直勝「病弱だし、父と兄が強烈なので歴史上殆ど印象に残ってません~。小説やドラマでも
      良くスルーされます~。でもいい人なんです~。」

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 00:57:31 ID:2cXCuUzV
丹羽長秀や金森長近が次男坊だと即座に答えれる奴は相当なマニア

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 01:11:32 ID:QUk8SK90
「養子のおかげで多少メジャーに成れました!前田利久です。」
「嫁が母上見捨てて逃げたので廃嫡されました。細川忠隆です。」

853 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/31(水) 00:43:13 ID:Nvhgt0Ef
>>825 >>827
岩城親隆「某DQNの伯父の俺を忘れるなよ」

筑紫晴門と川上忠堅の一騎討ち・悪い話?

2008年12月30日 00:01

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 16:37:05 ID:/kJAHXGo
筑紫広門と言えば勝尾城での弟・筑紫晴門と
龍造寺隆信の首級を挙げた島津軍・川上忠堅の一騎討ち

決着は相討ちにより双方死亡と伝わっていることが多いが
実際には深手を負いながらも川上忠堅が討ち取った形となった
城攻めの最中であったが晴門の遺骸は丁重に筑紫側に返されたという

その後すぐに川上忠堅はこの時の深手が元で亡くなってしまう。享年29
この忠堅の次男が忠兄である。川上忠兄と言えばそう、関ヶ原の退却戦で
井伊直政を銃撃し落馬させ、「川上四郎兵衛、討ち取ったり!」と大声で叫び
その名を知らしめたことで有名である

…が、実際に狙撃し叫んだのは川上忠兄の郎党・柏木源藤だった。この時22歳。
思わず主人の名を叫んだのは郎党である自分が名を名乗るのは憚られた為ではないかと言われている

郎党ゆえの悲哀を感じるちょっと(カッコ)悪いお話



967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 22:30:23 ID:EzGcEfPp
>>801
良い話じゃないか

戦国DQN九大天王!・雑談

2008年12月30日 00:00

737 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/28(日) 11:14:13 ID:PyzU9aze
ついにドラクエ9予約開始
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/gamenews/1229268850/321


738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:51:07 ID:ybm5eBCO
> 737
DQ9? 「DQN九大天王」の略でしか。

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 12:01:30 ID:Qoev2pa3
9人選抜してみようか

森長可
伊達政宗
細川忠興
島津家久(忠恒)
福島正則
豊臣秀吉
織田信長
水野勝成
大友宗麟

こんなところか

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 12:09:18 ID:qCjVwgRK
福島か輝元かで悩むな。
他の面子はガチなんだか・・・。

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 12:41:22 ID:50KqSsRF
富田長繁と森長可と福島正則を陣中に並べたい

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 12:44:45 ID:O4FZVo/f
まとめ見てると忠恒の話が割りと少ないな
義久長女の亀寿いびった話は有名だが次女の新城への嫌がらせも相当なモンだw

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 12:45:27 ID:jgzFrhXW
福島正則は最初に倒された挙句、他の面子から
「ふっふっふ、奴は九大天王のうちでも最弱・・・」とか言われそうだ

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 13:22:46 ID:GIHgFT8N
誰か書いてたが、富田は覚醒した既知外だな。始末におえん。

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 13:44:19 ID:ybm5eBCO
>744
越前の富田氏は他(別家)にいい人もいっぱいいるんだが、なんかどっかでゾォーンに入っちゃったんだな……

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 14:06:11 ID:QFPS+jH1
正則は素面だと激情家の反面、存外物分りが良くて度量を示せる奴だからな。
酒が入ると理性が吹っ飛ぶけどなw

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 14:08:15 ID:DsF7YfxN
>>743
言われそうというか、その役の為に選ばれたとしか…

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 14:15:00 ID:50KqSsRF
>>744
味方に裏切られて「良かったー」って思える奴も珍しい
あのまま勝ってたらコトだよほんと

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 15:43:24 ID:d5cZC3It
富田長繁がDQN九大天王にいないのは突き抜けすぎたからか?w

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 15:52:25 ID:lhRnSbnN
>>749
DQNたちとは話し合いの余地があるし納得すればちゃんと理性的な行動も取れるが
富田長繁にはそんな余地ないからなw

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 15:56:25 ID:/nAIdePD
富田長繁は会うだけで死亡フラグ

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:04:20 ID:jgzFrhXW
地位は五車星クラスなのに行動はヒャッハーだからな

753 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/28(日) 16:07:55 ID:MyyPcZhH
DQNの王は誰だYOw

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:28:20 ID:0MqldXou
>>738-739
戦国常識人十傑集も必要になるぞ、それw イイハナシダナースレなら候補がいるかも

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:29:57 ID:5QmjErKu
大晦日には紅白DQN合戦が出来そう。
いや、東西DQN合戦の方がいいか

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:33:57 ID:qCjVwgRK
ん、東西DQNの逸話を交互にレスしてどっちが勝ちかを競うのか?
面白そうな企画ではあるがなw

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:37:33 ID:5QmjErKu
と思ったけど

東の伊達政宗
西の細川忠興

尾張の鬼武蔵がどの陣営に入るかで勝敗が大きく左右されそう

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:38:36 ID:+Ft7FFFg
富田って、このスレにすでに書いてあること以上に、何かとんでもないエピソードがあるわけ?
まとめブログには>>679のしか見当たらないみたいだけど。

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:38:48 ID:Gml/xgZN
>>755-756
そうだ、このNHKホールの観客の首どれだけ挙げれるかで決めようぜ!
と観客席に踊りこむ鬼武蔵と富田の姿が浮かんだ

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:56:25 ID:K49GdaWf
>>754
信之兄ちゃん
鮭様
権現様
蒲生氏郷

あと6人


764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 17:24:29 ID:ZxDvoxgP
>>742
kwsk!

>>760
あと毛利元就、立花道雪とかいれたいな。
ところでDQNって常識人とセットにするといきてこないか?

立花と大友
伊達と最上or蒲生
とかさ


765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 17:26:08 ID:y/t6ijHW
>>760
名人久太郎

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 17:33:17 ID:PyE75KIO
>>739
信長は選抜するほどDQNじゃないんじゃないか?w

>>760
鬼作佐とかどうかな?
若かりし頃は激情しやすかった家康を鬼作佐が諫言するってのがいい話スレでは様式美となってるしw

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 17:38:48 ID:+Ft7FFFg
天下人の母親を焼き殺そうとする常識人…

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 17:43:26 ID:zM9fPzIP
>>760
島津義久も

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 17:54:40 ID:/nAIdePD
>>760
北条氏康とか

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 18:13:45 ID:GIHgFT8N
朝倉義景の立ち位置も確保して欲しい。

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 18:16:05 ID:ybm5eBCO
>>760 >>764-765
毛利は最上さんと同様、家風でDQN発生率を抑制している感じだな…輝元('A`)
ベッキー(道雪)さんは主君がアレだから武人ぷりがよけい際立つw
名人Q太郎か……織田家中じゃ貴重な人材かもしらん。

鍋島さん家はどうだろう。本人より竜造寺隆信が893過ぎるから相対的にマシに見えるだけか?


>>767
のちのひでよしを考えれば むりもない


772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 18:16:34 ID:hiuYc81M
>>760
武田信繁とか

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 18:21:52 ID:5QmjErKu
元就は常識人と言うより直家と同じ分類な気がする。
インテリDQNと言うか何と言うか・・・

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 18:25:00 ID:z5VTXpja
羽柴秀長とかは?

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 19:33:53 ID:xqSVRLMC
加藤嘉明は常識人というかなんというか

高天神城の幸若舞・いい話

2008年12月29日 00:06

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 01:58:06 ID:CizWmuDW
長篠の戦いの数年後、遠江国高天神城を家康が攻めた時のお話

城主岡部丹後守長教以下僅か数百名の将兵達はよく持ちこたえていたが、武田勝頼からの援軍は来ずいよいよ落城の時が迫っていた。
そしてある夜、長教から家康へ1通の書状が届いた。

その内容は「最期に城兵の見えるところで、幸若太夫の舞を演じてもらえないか」というものだった。
家康はこれを承諾し、陣中にいた幸若舞の名手に舞を演じさせた。

それから数日後、長教以下全将兵は城を打って出、全員壮絶な討ち死にを遂げたと言う。(落穂集)



635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 02:01:46 ID:xv/zPGOg
>>634
これは確か長教が、攻め手の徳川方に幸若舞の名手がいるって事を知っての上で頼んできたんだよね。
与三太夫だったっけ?

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 02:17:31 ID:2nHQP2mW
この城将岡部は桶狭間で討たれた義元の首を信長から取り戻した
武勇伝を持つ人でもあるんだな。

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 02:20:11 ID:K49GdaWf
鳴海城=義元の首
の話だっけ?

おんな風林火山(会津擁護風)・いい話

2008年12月29日 00:06

松姫   
640 名前:おんな風林火山(会津擁護風)1/3[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:04:19 ID:MbNrSfYe
天正10年(1582)2月、武田勝頼の従兄である穴山梅雪(信君)が信長に黄金二千枚を贈り、
織田家に通じた。一門筆頭の裏切りにより国人衆が次々に離反。勝頼の弟・仁科盛信らの
奮戦も空しく、同年3月、織田信忠の軍勢の前に甲斐武田宗家は滅んだ。

これに先立ち、盛信は信忠の婚約者でもあった妹・松を、関東に脱出させた。
勝頼の娘・貞、盛信の娘・小督、小山田信茂の娘・香具を連れた松は、八王子に逃れる事に
成功。この地で兄たちの討死の報を聞くこととなる。

その後、松は奇妙な話を聞いた。武田を滅ぼした織田信忠だが、婚約を解消した松を未だ
求め、嫡子・三法師の生まれた今も正室の座を空けていると言うのだ。

「そこまで、この私を愛して下さるのなら・・・」松はわずかな供を連れて尾張まで行ったが、
そこで彼女が聞いたのは、本能寺の変で信忠が二条城に散ったという知らせだった。

八王子に戻った彼女は、出家して寺子屋や機織りで生計を立て、兄たちの遺児三人を
立派に育て、貞は鎌倉公方の子孫・宮原義久へ、香具は磐城平藩主・内藤忠興へ、
自分を慕って出家した小督の他は、しかるべき家に嫁がせている。

尼となった松の法号は『信松院』という。『信』の字は信玄からか、それとも信忠からか。

いっぽう、裏切った穴山家に見返りなどなかった。
一門筆頭でありながら真っ先に裏切り、長篠でもいち早く離脱した梅雪は「卑怯者」と
陰口を叩かれ、あげく本能寺の変後、家康を疑い別行動をとった結果、土民に討たれた。

追い討ちをかけるように嫡男・信治も早世し、穴山家は断絶。梅雪には信玄の次女が
嫁いでいたが、夫と息子に先立たれた彼女もまた出家。『見性院』と名乗り、家康の保護を
受け、のちに江戸城は田安門内・比丘尼屋敷に住まうことになる。

こうして亡国の姫君たちは、世をはばかり、細々と生きて行った。

641 名前:おんな風林火山(会津擁護風)2/3[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:05:34 ID:MbNrSfYe
南無氷川大明神
(中略)
ここにそれがし卑しき身として、太守の御想い者となり、御胤を宿して当四五月のころ
臨月たり。しかれども御台嫉妬の御心深く、営中に居ることを得ず。
今、信松禅尼のいたわりによって、身をこのほとりに忍ぶ。
(中略)
それがし胎内の御胤、男子にして安産守護したまい二人とも生を全うし、御運を開くことを
得、大願成就なさしめたまわば、心願のこと必ず違い奉るまじく候なり。

この哀しい誓願を立てた女性、お静は「大姥局」と呼ばれる徳川秀忠の乳母だった女性の
侍女だったが、それが縁で秀忠の目に止まって寵愛を受け、懐妊したと言われる。

だが、秀忠の正室・お江与はこれを許さなかった。秀忠は一生、正式な側室を持てなかった
ほどである。江戸城を追われることになったお静は、かつての上司・大姥局に泣きつき、
大姥局は同じ比丘尼屋敷に住む縁で、見性院を頼った。

見性院は八王子に住む妹・信松院にお静の保護を依頼。上記の誓願文は信松院とお静が
見性院の知行地である武蔵大牧村を訪れた時に奉納したと思われる。願いが届いたか、
慶長16年(1611)5月、お静は無事男子を出産。『幸松』と名づけられた。

しかし、やがてこれはお江与の知るところとなり、見性院のもとへ詰問の使者が訪れた。
秀忠が公的に幸松を認知していないのを良いことに、「素性の分からぬ子を預かるな」
というのである。 「そうですねえ…」 この難クセに、見性院は答えた。

「いかにも左様なり。さりながら、預りたる訳にてはなく、我ら子供にせよとの事にて
ふつともらい切たるなり。つつがなく成人の後は武田の名字に為し、我らに賜りし少しの
知行も譲り、跡をも弔われんとの心組みなり。たとえ御台所より如何なる難事申さるるとも
一度見性院が子になしたる人の事なれば、離さん事は思いも寄らざる!」

信玄の娘、戦国武将の妻の威に打たれた使者は、顔を真っ青にして引き上げた。

642 名前:おんな風林火山(会津擁護風)3/3[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:06:29 ID:MbNrSfYe
元和2年(1616)4月、信松院が幸松の行く末を案じつつ、死去した。享年56歳であった。
その魂は、信忠のもとへ行けたであろうか。

妹に先立たれた見性院は、いよいよ幸松の身を案じた。世情不安の折、姉・淀殿の説得に
当っていたお江与も、大阪の陣が終わった今となっては手空きとなっているはず。
あの詰問以来、何も行ってこないがそれだけに実力行使に出る恐れもある。

見性院は身を切る思いで、今日まで育てた幸松をしかるべき者に預けることに決めた。
自分への敬意を忘れず、御台所を敵に回す気骨を持ち、養子を受け入れてくれる者に。

『槍弾正』保科正俊の孫、保科正光は武田因縁の地・高遠2万5千石の大名で、実子がなく
盆暮れに見性院へのあいさつを未だ欠かさぬという、この話にうってつけの男だった。

翌元和3年早春に話を聞いた正光は、
「誠に恐れ多きこと。ならばせめて内々にても、上意をたまわれば謹んで承りまする。」

と言い、実際に秋にはどのように幕閣を動かしたか、秀忠のお墨付と幸松の養育費として
5千石をもぎ取っていたから、『表裏比興の者』 信州侍のしたたかさはあなどれない。
こうして11月、幸松は保科家に引き取られ、お江与の手の届かぬ信州高遠へと旅立った。

「父上、勝頼殿、盛信殿、松…私は…武田は勝ったのです…将軍御台所との女いくさに…」

折々の便りで幸松の成長を見届けた見性院は元和8年5月、波乱の生涯を閉じた。

生みの母と育ての母二人、三人の母の愛を受けし幸松こそ、幕藩体制の完成者、
会津松平家始祖・保科正之である。彼は家光より松平姓を授かったが、養父母の
恩義の大なるをもって、その一生を保科姓で通した。 (千載之松)

さいたま市緑区大牧・清泰寺。かつての自身の知行地に信玄の娘の墓所はあり、
毎年5月、旧会津藩士の子孫が、今も厳粛に彼女たちの法要を行っている。



643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:33:06 ID:FL487Q0X
いい話だけど長い

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:44:40 ID:joXbTheT
いい話だ。
信玄の娘たちは皆波乱万丈の生涯だね。
その中では景勝に嫁いだ菊姫が一番安定してたかな。人質生活は長いが…。

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:45:51 ID:qCjVwgRK
こんぐらいで長いとか言うなよ。
どんだけ活字読みなれてないんだよだよ。

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:46:33 ID:92ouJF0D
横書きだと読みづらいってのはあるかもね

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 12:01:18 ID:xqSVRLMC
長いけどいい話だ

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 12:08:08 ID:Qoev2pa3
いい話は長くてもイインダヨ

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 12:55:41 ID:Za75Dqjn
>>640-642
大 河 ド ラ マ 化 決 定
ていうか10年位前から会津と高遠でNHKに呼びかけてるが
未だ実現に至らず。宮下親子の力で何とかならんかな。

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 13:21:09 ID:xqSVRLMC
甲州武士は旗本の大勢力。信濃武士も譜代大名での一勢力
いい所に目を付けたのかもね

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 14:59:13 ID:yAhOZsng
松姫の物語は、昔大映がドラマ化してたな。
主題歌が洋楽の日本語カバーだった。

お江与は怖い女で通ってるが、茶々とどっちが恐ろしいだろうか。

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 15:13:34 ID:xv/zPGOg
>>653
茶々は怖いって話は、講談の類以外では伝わらないね。
どうも実態としては、どちらかと言えばおとなしい、まわりに流されるタイプの女性だったようで。

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 15:27:55 ID:m7/IHqh4
>>644
一応景勝は最初は菊姫を人質に出さずに甥を出してるから
人質生活してた期間より越後で結婚生活してた期間のほうがだいぶ長い、
最後も夫と弟が傍にいる状態で亡くなってるし他の姉妹よりかなりマシ…。

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 15:33:12 ID:z5VTXpja
>>654
義姫「私もね」
小松殿「私も」
甲斐姫「私も~」
市松の嫁「私もよ」

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 15:35:52 ID:/nAIdePD
>>656
あんたらが言うなw

658 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/28(日) 16:10:49 ID:MyyPcZhH
お江与って、別の秀忠落胤を灸をすえて殺したという風聞があったな…

そう考えると浄高院が一番まともなのかw

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:16:33 ID:N+T39Fya
「おんな風林火山」の松姫は鈴木保奈美だったな。
見性院は岡田奈々w

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:35:03 ID:+Sg/7Pwo
>>655
その弟も、信玄の息子のなかでは、唯一天寿を全う出来た人なんだよね。

中川清秀、するとこうなる・悪い話

2008年12月29日 00:04

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 00:37:04 ID:Qoev2pa3
中川清秀は秀吉に正面切って「猿め!」と言い放った事がある。するとこうなる。

1582年、山崎の戦い
最前面に配され明智隊と正面からがっぷり四つ。消耗度大。

1583年、賎ヶ岳の戦い
 戦 死



726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 00:39:13 ID:xv/zPGOg
>>725
そういえば賤ヶ岳の時の中川は、高山右近にはめられた、って説があるな。

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 01:35:27 ID:omx2MqbP
まあ個人的な遺恨か自分(羽柴政権)に反抗的な分子の粛清か、あるいは
その両方か、といろいろ考える事はできるけどな。

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 01:39:48 ID:Qoev2pa3
賎ヶ岳で死んだのは偶然だと思うがなw

かなり奥面に配置されていたのに死んでしまった。

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 01:43:13 ID:xv/zPGOg
良く家康が、大阪の陣に至る過程で、豊臣恩顧の大名が都合よく死んだ、なんていわれるけど、
実は秀吉も天下取りの過程で、「信長恩顧」は都合よく次々と死んでいるんだよね。

まあ、天下人になるための「運」とは、そう言うものなんだろうな。

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 01:46:29 ID:K49GdaWf
直家「ぼくも運は良かったよ!」

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 07:41:59 ID:xolXq4w5
松永久秀「主家の有力者たちがいつの間にか死んでいました」

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 07:46:49 ID:bicA+F9P
元就「勝手に周りが弱体化していきました」

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 09:03:26 ID:WgfTCvW0
>>730
>>731
>>732

お前らww

織田信長の娘、永姫のプレッシャー・悪い話

2008年12月29日 00:03

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 10:07:30 ID:z5VTXpja
織田信長の娘に永姫と言う名の姫がおりました
彼女は後の加賀藩主前田利長に嫁ぎ夫婦仲も良好
が、二人は子宝に恵まれませんでした
唯一生まれた娘は早世
嗣子がいなければお家の存続もままなりません
結局、利長は弟利常を養子にして前田家を継がせました
永姫には相当のプレッシャーがかかっていたのでしょう
利常の生母で利家側室の寿福院が利長生母で利家正室の芳春院と仲が悪かったとされる事も影響しているかもしれません
前田家の文章には
「どんな女でも良いから夫の子を生んで欲しい」
との永姫の悲痛な発言が残っています

御家第一、そんな戦国女性のお話


芳春院は賢妻とされているのでマイナスイメージのある寿福院との対立は創作では抹殺されている
まあ、他の側室とは仲が良かったらしいけどね
歴史という物の悪い部分



735 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/28(日) 10:14:29 ID:MyyPcZhH
>>734
露出狂の利常はなんやかんやで芳春院血統を冷遇したわなw


736 名前:鼻毛の殿茶魔か[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 10:55:13 ID:ybm5eBCO
>>735
ともだティンコー! とフラッシュ(露出)して幕閣にも恐れられたという

だが加賀百万石の外様大名に対する警戒感は和らいだ……のか?

前田玄以ちゃん登場・悪い話

2008年12月29日 00:01

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 20:43:30 ID:tF2Ya4Hv
この時期は忘年会、年が明ければ新年会など、宴会の多い季節。
不景気に傾きつつある世相もこの時ばかりは脇において楽しいひと時を過ごしたいものです。

時は1593年、前年に開始した唐入りは経過はかばかしくなく士気もいまひとつ
そこでお祭り好きの総大将・秀吉は、名護屋城近郊において大々的な仮装パーティーを催し
景気づけを図りました。
思い思いの扮装をした諸将が堂に入った演技を披露します。

秀吉「おいしい瓜はいらんかいねー」(瓜売り)
丹羽秀俊「お漬物いかがっすかぁ~」(漬物売り)
織田信雄「ナンマイダーゴジュウマイダー チーン♪」(修行僧)
前田利家「大仏建立の勧進お願いしゃーす」(高野聖)
三上与三郎「はいはいはい社長さん社長さんいいコいるよいいコいるよ!」(茶屋亭主)
秀吉「ム、これは美味い茶じゃ」
蒲生氏郷「極上のお点前にありますれば」(茶の担ぎ売り)
秀吉「ほほう、で、お代はなんぼじゃ」
氏郷「100まんえんになります」
秀吉「( ゚д゚)ポカーン」
一同(爆笑)

こんな和やかなムードの中に現れたある姿に、座は凍りつく。
「一心に念仏を唱えなさい…そうすれば仏になれるのよーんキャハッ☆」

『戦国のIKKOキタ━(;゚Д゚)━(Д゚ )━(゚  )━(  )━(  )━(  ゚)━( ゚Д)━(゚Д゚;)━ !!』

比丘尼に仮装したのは山本昌似ともっぱらの評判の前田玄以。
そのキモさにドン引きする一同をよそにしなを作って説法してまわりご満悦だったとか。

宴会芸は空気を読んで決めましょう。
五奉行のひとり、前田玄以の(気味の)悪い話。



777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 20:52:54 ID:K49GdaWf
有名どころ着たな
げwwwwwwんwwwwwwwいwwwwwwwww

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 21:33:52 ID:Qoev2pa3
玄子ちゃん…おぇ

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 23:12:30 ID:jgzFrhXW
不景気な顔してるなぁ玄ちゃん
http://www.tabiken.com/history/jpeg/R/R121R101.jpg
玄以ちゃん01

780 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/28(日) 23:33:44 ID:MyyPcZhH
>>776
そんなことしてるから息子が非行(キリシタン)にはしったんだなぁw

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 00:25:13 ID:NuKfT+wp
>>780なんで倅は切支丹になったんだろうね。そういうエピソード残ってないかなー…

パパンがやたらフランクな坊さんだったのか。よほど厳しく躾けようとして反逆されたのか

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 00:34:33 ID:wEkevAin
ババアに扮装とかwww




参考
前田玄以ちゃん登場・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2571.html


大内義興、足利義稙歓迎宴会メニュー!・いい話

2008年12月28日 00:07

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:10:37 ID:FkPlUXh9
年末年始、忘年会や新年会など、宴会の多い時期ですね。
それでは、戦国時代の大名は、どんな宴会をしていたのでしょうか?

明応の政変で失脚した前将軍、足利義稙が、明応九年(1500)大内義興を頼って山口へと亡命してきた時、
義興は大歓迎をし、丁重にもてなしました。
どれほど喜んだか、義稙を屋敷に迎えた際の、歓迎の宴会でのメニューから見てみましょう。


初献
きそく(串物)、雑煮五種

二献
刺身、鯉子付、ひしくいの皮煎り、えび船盛り

三献
ちじみ鮑、鯉のいりもの、たこ

供御(お勧め料理)
鯉の焼き物、塩引、せわた、鮒なます

供御
塩、かどのもの(数の子)、干鯛、子うるか

二御台
鳥の焼き物、鮭の焼き物、刺身鯛、御汁

三御台
大かまぼこ、雁の皮煎り、貝あわび、御湯、たこ味噌焼き

四御台
こごり、しろうお、雁の焼き物、御汁、くらげ、ほや

五御台
鮒焼ひたし、御汁いるか、ふと煮

御菓子
まつき、けづり栗、昆布、みかん、ところ(山芋の一種)、あめ、串柿、くるみ、のり
まだ続きます

四献
小かまぼこ、鮒丸いりめ入、サザエ盛りこぼし、

五献
つのまた、三方せん、御添え物鵠(コウノトリ)生鳥

六献
刺身鱸、ひしお煎、あわび

七献
とっさか、まんじゅう、御添え物がざめ(わたりがに)甲盛

八献
小串さし鯛、はらか(鱒)の煎物、かせ(紫ウニ)

九献
ゆでにし、鶴煎物、かどの子(数の子)

十献
大根、蒸し麦、御添え物羽しきうずら
まだ終わらない

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:11:10 ID:FkPlUXh9
十一献
刺身ぶり、鮎の煎物、はまぐり

十二献
いわたけ、うんせんかり、御添え物かき

十三献
つべた、やまぶき煎、くるくる(鰤のはらわた)

十四献
鳥の足、海老羹、御添え物ふりこ

十五献
さしくらげ、エイの煎り物、まて

十六献
はる、羽ようかん、御添え物ほや

十七献
小串さし雁、雪魚の煎り物、からすみ

十八献
刺身こち、海苔からみ、いいだこ

十九献
こがし海老、つまかさね、羽ふしあえ

廿献
ほろす、寸金羹、御添え物こごり煮鮒

廿一献
刺身はまち、鴨の煎り物、はらこ

廿二献
さわらのせんばん焼き、あかほご(カサゴ)煎り物、たちばな焼

廿三献
い貝、ぶりの煎物、けづり塩引

廿四献
もみさざえ、つぐみ煎物

廿五献
刺身名吉(ぼら)、ほっけ煎物、しとと焼


やっとおわった(;´Д`)

これで一回の宴会分。大内義興が義稙をどれだけ重要視したか伝わってくるでしょう。
人間関係の基本は食事だとはよく言ったものです。
皆さんも年末年始の宴会、パーティなどでの暴飲暴食、気をつけましょうね。




570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:13:37 ID:n225EvTA
>568
こんな時間に腹の減るものをw

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:14:51 ID:wb5MTOG7
>>567-568
こんなに喰わせたら将軍が死んでしまうw

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:18:36 ID:jUTt7A6i
つ 本膳料理は手を着けるのはちょっとだけ 後は全部おみやげとして持って帰る

沖縄の宮廷料理とか
ケコーン式の引き出物で鯛や赤飯を持ってかえるのはこの風習の名残

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:18:48 ID:Kipu66Xe
一品一口分づつ出たとしても食い切れないだろ…。

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 02:19:06 ID:GKMyDxOt
>>567
基本魚介類なんだな。
つーか「御汁いるか」ってあの海のイルカ?イルカの吸い物なんて食ってたのか。
この頃からエイとかカニとかクラゲも食ってたんだな。ちょっと参考になった。
鶴はごちそうだったらしいけど、どんな味するのかなー。一度食べてみたい。

749 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/02(金) 19:02:08 ID:TpAtqacp
>>567 568
その宴会フルコースを再現したら数十万円レベルか?

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/02(金) 20:40:29 ID:OI+KgOFr
>>749
一人分?
おそらく材料集めるだけで、100万円規模にはなるんじゃないかな?



関連
雑談・あの将軍歓迎メニューが再現!
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4756.html

鬼武蔵、甲斐攻め裏話・いい話

2008年12月28日 00:06

森長可   
575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 01:49:29 ID:bO8kXAO2
鬼武蔵関連の話で
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-780.html
の裏話、悪い話をひとつ

このときの進軍について、実は軍令で前進は禁止されていたようだがもちろんそこは鬼武蔵、当然軍令は無視
そこで信長から

森勝三(長可)、・梶原平八郎各不及談合、先々へ陣取之由
候、わかき者共候之間、此時盡粉骨名をも取、又我々へ
訴訟之たね等も可仕と存事にて可有之候、聊爾動無用之
由、度々申聞候、猶以可申遣候間、
何も令介杓、能々申聞候て、其動専一候
※約 森長可と梶原景久がそなたに相談もなしに前進した件だが
若い者たちであるから、この時に粉骨をつくして功名を上げ、又それを私に訴えるためだろう。
粗忽な行動をせぬよう度々申し聞かせたが、なお申しておく。
彼らの面倒をみてよくよく言い聞かせること、それが専一だ。

という書状が河尻秀隆に届いていたそうだ
その後、信長から手紙で絞られたとか

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 01:50:07 ID:bO8kXAO2
ところが当然鬼武蔵、そんなことはへのツッパリにもならずまた前進
さすがの信長も自分が来るまで待っておけという命令だったはずが
それを聞かない鬼武蔵にちょっとキレたらしく
再び河尻秀隆に書状で

一、森勝三(長可)、・梶原平八郎如言上、自此方も申聞候、
猶以同篇之由曲事候、先程も如申聞、わかきものにて
規模たてを仕、訴訟之種ニもと存事にて可有之候、
是も我々いまた無進発故候、城介堅申付候ハぬ事
沙汰之限候、如此之段も信長発足候者、不可及異
儀候、右如申其内只今陣取能々取堅、あとあと仕
置以下相急候て、可相待候、

※ 一、森長可と梶原景久の件は
そなたから言上のあった通りこちらからも、申し聞かせた。
しかしなおもって彼らが直らないのはけしからぬことだ。
先日も申し聞かせたように、あれら若い者たちで
功名を上げてそれを私に訴えるためにしているのだろう。
これというのも、私がいまだ進発していないからだ。
城之介(信忠)には厳命しているが、それがいつもの命令の限りだ。
このような一件も、私が出て行けば異論に及ぶことはないのだ。
右に申した様に、今は陣を張り、よくよく陣地を取り堅め
後に仕置きなどを急ぐことにし、私の行くのを待っておくことだ。

と宛てている
それでも、処罰されるどころかその後に功績が認められ
信濃を与えられるのだから信長の森家への寵愛ぶりがうかがえる

ソース ttp://www.geocities.jp/ukikimaru/ran/nagayosi1.html



577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 01:58:35 ID:5UQbKB+f
鬼武蔵はさておき、信長の悪い話になってる気もする

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 02:24:37 ID:wb5MTOG7
>>576
若干25歳にして川中島20万石だからなw

これを寵愛と呼ばずして何とする。

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 02:40:04 ID:bO8kXAO2
>>579
一応は対上杉の最前線だから実は信長も鬼柴田より
ノブ「それでも武蔵なら武蔵ならきっとなんとかしてくれる・・」
とか思ってたのかも
まあ、実際は一揆とかでgdgdだったみたいだけど

豊臣秀吉、成り上がり者の心意気・いい話

2008年12月28日 00:04

593 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/27(土) 17:28:39 ID:nqD8OoWL
成り上がりものの心意気

豊臣秀吉が鎌倉を視察がてら観光したときのこと。
白旗の宮を訪ね、源頼朝の木像に向かいこう言ったという。

「小身から天下を平定し四海を手中にしたのは貴方とこのわしだ。
しかし貴方は多田満仲の御後胤で、
皇系を出ること遠くなく、源頼義、源義家は東国の守護であり、
諸人はみなその馴染みが深い。
その上、源為義、源義朝は関東を管領したから、
貴方が流人となっても、諸人は慕い尊ぶ。
だから兵をあげるや、関東はみな従い、天下統一は手間がかからなかったことだろう。
わしは、元々は卑賤の出で、氏も系図もない男だ。
だからこのように天下を平定したことは、貴方より、わしの功が優れている。
と、わしはこんなことも言ってはみるが、
しかし貴方とわしは天下の友達じゃ」

と木像の肩を叩いたという。



594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 17:32:57 ID:6FosQ33E
>>593
へうげものにあったな
ソースがある話だったんだ

595 名前:593[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 17:41:56 ID:nqD8OoWL
>>594
漫画にも出てたんだね。
オレは実家にあった社会思想社という出版社が出してる「豊臣秀吉」の中の言行録で知った逸話。
一次資料から出たなどの確実なソースは不明。

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 18:12:05 ID:toTaWoQs
>>595
>社会思想社
怪しいことこの上ない社名だなw

続・王義之分割事件・いい話

2008年12月28日 00:03

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 21:54:57 ID:5KrrEOIb
続・王義之分割事件
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-376.html の続き
ちょっと長くなります。失礼


1747年江戸城にて、熊本藩主・細川宗孝が旗本・板倉勝該に斬殺されるという事件が起きた

犯行動機はなんと人違い
上野安中藩主・板倉勝清と家紋が似ていたため起きた間違いらしい
(細川の家紋は九曜紋、板倉の家紋は九曜巴紋)

勝該は日頃から素行が悪かったらしく、本家筋にあたる勝清が自らを廃するのでないかと
勝手に思い込んだ勝該が、これを逆恨みして刃傷に及んだものだった

間違いで殺された細川宗孝はたまらない
なにせ宗孝には子供がおらず、その上殿中での刃傷沙汰は原則喧嘩両成敗であるため、
このままでは熊本藩は改易必至だったためである

そのとき、その場に居合わせた仙台藩主・伊達宗村は気転を利かせて
「まだ、息がある。早く屋敷に運んで手当てせよ」
と細川家臣に命じた

細川家臣は急ぎ宗孝の遺体を熊本藩邸に運び、弟の細川重賢を末期養子として幕府に届け出た
養子願いは無事幕府に承認され、熊本藩細川家は改易を逃れたのである
また、本来部屋住みの身で藩主になる目が薄い細川重賢だが、藩主になった途端に才覚を発揮して
当時困窮のきわみだったといわれる藩の財政を立て直し「肥後の鳳凰」と呼ばれるほどの名君となった


ここからやっと王義之の続き

細川家は感謝し、政宗と忠興が半々に分割して持ち帰った王義之の書の残り半分を伊達家に送った
実に155年ぶりの再会であった
また、王義之のみならず幕末の戊辰の役で賊軍となった伊達家の降伏を官軍に仲介したのも細川家である

子孫が常識人でよかったですね、というお話



606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 22:10:01 ID:Gs3olX4p
子孫が常識人で良かったね、の前に内容自体そもそもいい話w

伊達と細川って、政宗と忠興の後になってもそんなやり取りあったんだな
幕末でも関係あるとは

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 22:16:18 ID:FkPlUXh9
>>605
いい話だわー

>>606
戦国時代や徳川初期に結んだ関係が、幕末にまで影響を与えたと言えば
島津と近衛家とか毛利と越前松平家とか、実はけっこうあるよね。

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 22:39:24 ID:ZW/kaqPk
王義之の書といえば中国の一見優等生DQNこと唐太宗李世民が、
王義之の子孫から蘭亭序の原本だまし取った挙げ句に
その原本を自分の墓に一緒に埋葬しちゃったことでも有名だよね。

DQNと不思議な縁で結ばれてるのだろうかw

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 22:50:11 ID:lrU6IPGz
>>605
殿中での刀傷沙汰は喧嘩両成敗と言うが、
先に手を出した方しか処分されてないことがほとんどなんだよね。
だから、忠臣蔵で有名な吉良上野介がおとがめ無しなのも、
実は先例通りの処分だったりする。

加害者  豊島刑部少輔明重(目付)
被害者  井上主計頭正就(老中 横須賀城主60000石)
 豊島家~嫡子主膳正継重切腹、豊島家断絶
 井上家~お咎めなし

加害者  稲葉石見守正休(若年寄 下館城主12000石)
被害者  堀田筑前守正俊(大老 山形城主110000石)
 稲葉家~断絶
 堀田家~お咎めなし

加害者  浅野内匠頭長矩(勅使院使御馳走役 赤穂城主53000石)
被害者  吉良上野介義央(旗本 高家肝煎 4200石)
 浅野家~断絶
 吉良家~お咎めなし

加害者  水野隼人正忠恒(松本城主70000石)
被害者  毛利主水正師就(長門長府藩主50000石)
 水野家~改易、家名存続
 毛利家~お咎めなし

加害者  板倉修理勝該(旗本 7000石) 
被害者  細川越中守宗孝(熊本藩主 540000石)
 板倉家~断絶
 細川家~お咎めなし

加害者  佐野善左衛門政言(旗本 新番組番衆 500石) 
被害者  田沼山城守意知(意次の嫡子 若年寄 役料5000俵)
 佐野家~断絶
 田沼家~お咎めなし

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 23:20:11 ID:cZKpVEUn
元禄事件で綱吉は「襲撃に対して吉良は刀を抜いたかどうか」を確認した上で、
浅野の切腹と吉良のお咎めなしという裁定を下している。
片手落ちの裁断、なんてのが講談のでっちあげだということ。

さすがに喧嘩・私闘沙汰と殺人はちゃんと分けるわな。

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 23:23:56 ID:LAq2v38b
喧嘩両成敗の前に江戸城で刀抜く事自体が幕府に対する謀反扱いだろ

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 23:30:32 ID:FkPlUXh9
ただ、>>609の例の中で、浅野の件だけが「未遂」で終わってるのね。
他はみんな被害者は殺されている。
未遂で済んだ事件の量刑として、お家断絶は行き過ぎだ、っていう不満が
赤穂浪士事件につながる訳だ。

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 23:38:09 ID:wb5MTOG7
不満が有るなら綱吉か吉保を切ればいいのに

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 23:44:19 ID:FkPlUXh9
>>613
幕府に手を出したら、赤穂浪士の行動は筋が通らないのよ。
あれは、不当量刑のバランスを取るための行為だから。

簡単に言えば当時の人間の意識では

・殿中で抜刀+傷害 = 当人切腹+領地転封 or 削減(家自体は存続)

このくらいがバランスの取れた量刑なわけなのですよ。
だが、実際には

・殿中で抜刀+傷害 < 当人切腹+「御家断絶」

こうされた。これに対して量刑のバランスを取るために

・殿中で抜刀+「致死」 = 当人切腹+「御家断絶」

こうしたってこと。

これは室町から戦国時代にはごく一般的な意識で、家同士の紛争があった場合
双方の「被害」を同じにするため、被害が少ないと見られた家からわざわざ「解死人」と呼ばれる、
事件と全く関係のない第三者が差し出されて切腹、なんて事までやった。

こう言う意識がまだギリギリ生きていたのが、綱吉の時代なのですよ。


615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 23:54:00 ID:wb5MTOG7
屁理屈だなぁ。

量刑の不満を討ち入りで釣り合いを取るのが正当だなんて言い分まかり通るかよw

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 00:00:37 ID:xv/zPGOg
>>615
でも、浅野家再興が完全に断念されてから襲撃、と言う流れからいっても、
そう言う意識で、あの討ち入りがあったと考えたほうが自然だと思うよ。
そして当時の侍から町人まで、あの襲撃を「義挙」と称えたのは、「法のバランスを取った」と
広く受け止められたため。だと考えます。

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 00:03:24 ID:meHTHWy1
でも まかり通ってしまったって訳で


618 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/28(日) 00:17:48 ID:6Qn4DNBH
津本陽なんかは、赤穂浪士は、綱吉の時代に至ってなを戦国武士の気質を持っていたと絶賛している。
津本陽いわく「戦国武士は義理の死はせねど情の死はする」
領地をくれたなどの義理には死なないが、心底男として惚れた主のためなら死をいとわない。
逆に言えば、気に入らない奴をやっつけるためなら命もいらない!という気風だと言っているね。

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 00:24:49 ID:Qoev2pa3
どうも講談臭くて好かん、忠臣蔵は。
鬼武蔵みたいなのならともかくジジイをよってたかって斬りに行っただけだもの。

イイハナシダナー(棒)

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 00:27:07 ID:xv/zPGOg
>>618
正直津本陽は「室町時代」をあんまり知らないから、戦国時代の評価も斜め上になっているきらいがある。
室町期の紛争とその裁判を調べれば、赤穂浪士のアレは義理とか情とか以前に、日本の古い法慣習である
罪罰同等の意識から生まれたものだと理解できると思うよ。

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 00:31:50 ID:wUbUX7ME
>>612
水野事件も生き残ってるよ。
まあそのおかげでお家断絶にはならなかったみたいだけど(´・ω・`)

鬼武蔵の初陣・凄い話

2008年12月28日 00:02

森長可   
685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 23:58:25 ID:0ItkL0TT
鬼武蔵の初陣

1574年、伊勢長島の一向一揆討伐に向かう織田軍の中に一人の若武者が居た。
彼の名前は森長一。数え年で17歳の森少年は織田信忠の部隊にいた。

やがて進軍するうちに信忠の部隊が一向衆と交戦に入る。
その時、信忠の近くに居た森少年は信忠の独り言を耳にする。

信忠「アイツ等邪魔だなぁ…(ボソッ)」
これを聞いた森少年はこそこそと持ち場を離れると小舟に乗り込み自分で舟を漕いで対岸へと上陸した。
…一向衆だらけの対岸へと単身で。

小舟から降りると目に付く連中から手当たり次第に斬りかかり始める森少年。
一向衆もまさか小舟で一人で乗り込んで来るアホが居るとも思わず流石に混乱状態に。

その頃、対岸が騒がしいなと思ったら森少年が消えている事に気づいた森家家臣団の皆さん。「なんてこったい」と大慌てで渡岸。
先に乗り込んできた変なガキに面食らっているうちに
血相変えた森家の皆さんの攻撃を受けた一向衆は混乱しながら撤収。
こうして信忠が目障りに思っていた一向衆は片付いた。

この時、森長一は初陣にして27もの首級を挙げたという。



686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:01:32 ID:do1rdGr+
信忠の言葉とかは後付で実際には早く人斬りたいから単身で乗り込んだんじゃないかこれw

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:05:09 ID:n225EvTA
凄いな。真似しようと思っても普通できないよ

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:27:08 ID:bBYOBzey
なんというリアル戦国無双w

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:32:02 ID:iGvMrfu1
蘭丸より長可をだすべきだなw

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:58:54 ID:3q9kTAk3
荒武者とかそういうレベルを超えてるな
信長が別格扱いするのも頷ける

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 01:27:06 ID:lWJ1beSA
マジで無双の世界だなー
こんな奴が実在したのかw

692 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/27(土) 02:11:28 ID:AbtqFBcN
こんな奴でも鉄砲で殺されちゃうんだなww

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 02:22:08 ID:999biUfs
鉄砲に殺されたんじゃなくてそろそろ天国で暴れたいから死んだふりを。。。

694 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/27(土) 02:38:37 ID:OM1ZodMa
鬼武蔵は現代に生まれていたら、バリバリの営業マンで
他社はおろか自社の別部門やついには同僚の受注まで
強引に横取りする、辣腕だが憎まれ者イメージ。
細川忠興はおぼっちゃんで温厚そうな
エリートリーマンだが、家に帰ればDV男。
伊達政宗はみのもんたばりに空気が読めるテレビ司会者。。
こんなイメージがある。


695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 03:18:32 ID:usfES8RX
秀忠、信之、市松=木下博勝or佐々木健介
嫁達=ジャガー横田or北斗晶

696 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/27(土) 04:35:21 ID:10KCYVNY
>>685
人間捨ててやがるw

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 07:51:51 ID:do1rdGr+
>>694
家久は?

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 08:04:47 ID:9K28RCrB
>>697
父親である社長のつくった財産を趣味のために使い込むDQN御曹司。

699 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/27(土) 10:39:28 ID:9vi8UcUx
>>694
カノッサネタだけど独眼流タモリでおk?

700 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/27(土) 11:40:10 ID:KYsVSV7c
>>699
www

秀吉が秀次を憎んだ理由・悪い話

2008年12月28日 00:01

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 13:42:33 ID:FkPlUXh9
秀吉が秀次を憎んだ理由


ある時の事、聚楽第の奥で大切に飼われていた猿が、どういうことか檻を抜け出し、たまたま近くを
通りかかった秀次の愛妾の一人を、後ろから襲った。

この人は御小督前(おごうのまえ)と言い。大変な美女であったがそれだけではなく、武芸にも優れ、
男にも勝る胆力を持つともっぱらの噂であった。
この時も彼女は少しも騒がず、後ろから抱きついてきた猿の肘を締めると、その痛さに猿は気を失い、
御小督前はそのままその場を逃れた。

少しして肘を痛め失神した猿が見つかり、その事が秀次に報告された。大切にしている猿である、
何者の仕業かとすぐに取調べが行われたが、御小督前が「わたくしです」と、申し出、これこれと
理由を語った。
それが嘘かまことか、彼女の前に件の猿を連れてくると、御小督前を見たとたんおびえ恐れた。
これにて偽りなしとわかり、御小督前は許され、このことは聚楽第での大きな話題となった。



そしてそれは、秀吉の耳にも入った。

「関白は、猿を飼って女どもになぶりものにさせておるのか…。」

もちろんゆがんだ形で。

「これはわしの幼名が猿ゆえ、わしをなぞらえての事であろう…。
わしを女にいたぶらせて喜んでいるとは…おのれ秀次!」

後に秀吉が三条川原で秀次の妻子、子女まで三十余人を斬首したのは、この一件以降、
秀次のみならす、その女中たちまで深く憎んだ事によるそうだ。



705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 13:47:22 ID:5KrrEOIb
>>704
面白かったけど

「わしの幼名が猿」

この部分おかしくないか?

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 14:02:04 ID:FkPlUXh9
>>705
そこはこの逸話の原典の、続武将感状記の記載に準拠したので、
あんまり突っ込まないでくださいw

秀吉の幼名って実は、信憑性のあるものは一切伝わっていないしね。

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 15:05:43 ID:d7hJmnEI
藤吉郎の前は何て呼ばれてたんだろうな

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 15:12:38 ID:usfES8RX
>>707
日吉

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 17:01:53 ID:kXAzeYI/
>>708

それはどうも太閤記の創作っぽいって事で
現在は定説無し。

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 17:35:05 ID:6FosQ33E
どこまで猿っぽかったのかな?
禿鼠って呼ばれてたって話もあるし、実際はどんな感じだったんだろ

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 17:38:35 ID:5KrrEOIb
>>709
自称太陽の子だもんな
太陽=日+藤吉郎の吉で日吉でしょ?
かなり嘘くさい

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 18:01:17 ID:HqI+4l0y
>>711
それもあるかも知れんが、どっちかというと日吉大社=猿田彦だと思うんだよね。
「猿」というあだ名も、実は秀吉自身が自分でつけたんじゃねーかと。

713 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/27(土) 18:34:13 ID:10KCYVNY
>>710

腐れ鼠への面当てなら、鼠を大量殺戮すればよかったんだよw

穀物を守るためにやりました、と言い逃れもできるだろうしw

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 18:45:55 ID:Kipu66Xe
信長からは禿げ鼠とは言われていたけど猿とは呼ばれてなかったと聞いたけどな。

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 19:04:51 ID:5KrrEOIb
>>712
なるほど
ぐぐったら面白いサイトを見つけた
日吉大社を意識してたのは確からしい
ttp://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_hie.html

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 19:55:12 ID:wb5MTOG7
>>714
禿げていて身長が低い男と言った所か

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 20:03:58 ID:FkPlUXh9
とりあえず、羽柴秀吉時代に、宣教師や毛利家の記録に「猿に似ている」ってのがあるので、
実際に当時から猿呼ばわりされていたのは間違いないようで>秀吉

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 20:16:12 ID:v9LpJJsR
家臣たちよ、妻を隠せ!
女たらしのハゲ鼠が帰ってきたぞ!!

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 21:36:16 ID:bBgORpvh
>>714
信長が出した書状でおもいきり文頭から「猿帰り候て~」て秀吉の事書かれてるよ
宛名が長岡兵部大輔(細川幽斎)、惟住五郎左衛門(丹羽長秀)、滝川左近(一益)、
惟任日向守(光秀)のやつ

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 21:43:22 ID:BVlGfYjj
>>718
カエサルなら笑って済ますけど秀吉に言うと殺されるだろw

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 21:45:07 ID:FkPlUXh9
まあ、信長の付けた「ハゲ鼠」が独創的(もしくはあだ名として酷すぎ)だっただけで、基本的には
誰が見ても第一印象が「うわ、猿だ」って容姿だったようねw>秀吉

724 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/28(日) 00:35:22 ID:MyyPcZhH
>>718
カエサルと腐れはげ鼠の違うところは、自分の魅力か権力による力ずくかの違いだw


725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 00:37:04 ID:Qoev2pa3
中川清秀は秀吉に正面切って「猿め!」と言い放った事がある。するとこうなる。

1582年、山崎の戦い
最前面に配され明智隊と正面からがっぷり四つ。消耗度大。

1583年、賎ヶ岳の戦い
 戦 死

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 00:39:13 ID:xv/zPGOg
>>725
そういえば賤ヶ岳の時の中川は、高山右近にはめられた、って説があるな。

蒲生氏郷と武士の本分・いい話

2008年12月27日 00:09

550 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/25(木) 23:55:13 ID:D3mnPNhI
基督教の聖なる日ということで蒲生氏郷の話

若年より儒仏両道に歌道、茶道を学び、どの道においても、
才能を発揮してまわりの者たちにいたく感心されていた氏郷。
誉められればやる気も湧くのだろう、儒道や歌道、茶の湯にばかり心を入れて、
日々を過ごしていた。
そんなある日、弓矢の修練に打ち込む侍、斉藤内蔵之助と会ったところ、
「役にも立たない事に一所懸命になってどうする?
武士の本分である武芸兵法に心を入れて打ち込むべきだ。」
と言い、その後も会うたびに同じことを意見してくる。
だが、まだ若かった氏郷。それを耳にもとめずに日々を過ごしていた。
日は流れて、氏郷が織田信長の観音寺城攻めに参加していたところ武士がひとり駆けつけてきた。
それは例の斉藤内蔵之助で氏郷に言う。
「今日の先手は伊賀衆らしいが、俺がみたところ、軍のかけ方、足軽の使い方がよくない。
おそらく伊賀衆は準備不足か連戦の疲れで態勢が整っていないのだろうから、
敵に攻められたなら敗れるのは間違いない。
だから、其の方の軍勢を西の山の竹藪に隠し、先手の伊賀衆が崩れたならば、
伊賀衆を追いかける敵の軍勢が過ぎたところに割って入れば勝利を得ることが出来るだろう。
そうしてから伊賀衆に、今朝から戦いつづけてお疲れでしょう。我らが入れ替わるので後はまかせてくだされ。
と断りをいれてからシンガリをやったならばそれこそ高名というものだ。」
と教えてきたので、氏郷はその教えどおりに軍を動かしたところ、内蔵之助の言ったとうりになった。
そして氏郷は三十人もの首を打ち取り、信長に大いに感心されて国俊の腰の物を拝領した。
それからの氏郷は斉藤内蔵之助が言うように武士の本分に一所懸命打ち込み、
天下に名を轟かしていくことになるのである。



551 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/26(金) 00:15:03 ID:LOvSktzn
>>550
儒道や歌道、茶道が役に立たないわけじゃなくて、
儒道や歌道、茶道の精神性の上に武士の本分が加わったからこそ、
非凡な武将になったのだろう。
文武両道が大事だ。

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 00:28:38 ID:oyBugiBv
としみったんの武骨さ、マジ好きだ
光秀の家臣はこういう奴多い気がするw

553 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/26(金) 02:28:05 ID:BX7UAicw
今気付いた。
このスレは、ちょっといい話じゃなくて
すごくいい話が多い(´・ω・`)

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 17:26:54 ID:/Uy8gUCI
伊賀衆というのは,筒井順慶のことかいな?

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 17:36:25 ID:lJYaR6I2
>>555
単純に伊賀の国人衆の事では?筒井順慶は大和だし。

つーか、観音寺城攻めって信長の上洛戦時の話だと思うが、この時は
六角は戦わずに城を放棄しているので、まあ、この逸話は六角戦全体の中でのエピソードと
考えたほうがいいのかな?

真田信之の九度山への援助。そして小松殿の教育方針・いい話

2008年12月27日 00:08

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 22:46:18 ID:1Uk+kjDn
九度山に蟄居謹慎を命ぜられた昌幸・信繁に対して上田藩藩主真田信之が生活援助を行っていたのは有名
だが、真田家上田藩として大々的に援助をするのはやはり気まずかった
‘やっぱり真田は…’と叛意を疑われかねないからだ
やむを得ないので信之は藩とは別に個人的に支援も行った
そう、自分達家族の生活費を削って九度山に送ったのである
この倹約生活を支えたのが正室の小松
女中の数を減らして自らも家事をこなし、子供達の学問・武術も指南したと言われる
援助物資の手配も彼女が主導していたそうな
後年、松代に移るにあたり信之は20~30万両とも言われる莫大な蓄財を持ち出している
埋蔵金説もあるが藩全体に倹約生活が浸透していたからともされている

おまけ
信吉「母上、お腹減った」
小松「我が儘言ってんじゃねーぞ(#`Д´)ゴルァ」
信吉「うわぁぁぁん」

信政「母上、ここ解らない」
小松「昨日教えたのに同じ箇所聞いてんじゃねーぞ(#`Д´)ゴルァ」
信政「うわぁぁぁん」

信重「もう腕が痛いよ~」
小松「それでも平八郎忠勝の孫か!私の子か!あと素振り100回だ(#`Д´)ゴルァ」
信重「うわぁぁぁん」

信之「小松、あまり厳しすぎても…」
小松「貴様も京都に愛人つくってんじゃねー、小遣い減らすぞ(#`Д´)ゴルァ」
信之「(´・ω・`)ゴメンナサイ」



558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 23:12:51 ID:zFsa/+ya
スパルタすぐるw

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 23:17:34 ID:NsWRkzQQ
>>557吹いたwww

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 23:20:31 ID:0ItkL0TT
婚姻の時の勇ましさはどこへ行った信之w

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 23:23:54 ID:lzHnsw8U
あの時勇気を使い果たしてしまったのかもしれない

581 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/27(土) 04:37:10 ID:10KCYVNY
>>557
本家当主が苦労してるのに、九度山の弟はナニしてたw

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 09:41:47 ID:Xc8TAYGB
真田紐の販売

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 10:38:22 ID:P8ld3lhv
ギシギシアンアン

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 11:26:58 ID:rkuc4IJf
弟と父のために身を粉にして、屈辱にも耐え、
嫁によるパワハラにも耐えてきたのに…
兄は空気で弟スーパーヒーロー、歴史評価というのは残酷なものよのう…

でもそんな兄貴が好きだw

585 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/27(土) 11:55:44 ID:KYsVSV7c
>>584
弟君も兄上を敬愛していたはずたw

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 12:22:43 ID:kcJQIK6s
×敬愛
○たかり

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 14:31:36 ID:iGvMrfu1
兄は高給官僚、弟は夢見がちなプー太郎
親父はリアルニート…

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 14:32:56 ID:FkPlUXh9
そして妻は…

589 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/27(土) 16:04:43 ID:KYsVSV7c
妻・・・

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 16:17:37 ID:tnLfcFo/
「兄貴www銀行残高0なんスけど・・・ちゃんと振り込んでおいてくださいよwww
 ボケ老人の介護俺に押し付けて大名になったんスからこんくらいしても当然ッスよねwww
 マジ頼んまスよwww尊敬してんスからwww」

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 16:21:48 ID:jUTt7A6i
このすれ「いい話」スレのはずだよな・・・(w

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 16:27:30 ID:kcJQIK6s
いい(人が苦労する)話

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 17:54:32 ID:jv3qXlqK
>>584
こんな境遇じゃなかったら
兄者ももう少し長生きできたんだろうにね・・・

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 18:12:05 ID:toTaWoQs

>>596
父 -10歳
弟 -10歳
嫁 -10歳
少なくともこの3人がいなければあと30年は生きられたはずだなw

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 18:32:54 ID:kcJQIK6s
30年プラスしたら徳本先生を超えるぞw

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 18:54:15 ID:xeD89ck1
どっちかというと息子と孫の方が寿命削った感じがするけどな

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 19:17:46 ID:u59zPmx/
なら息子と孫の分も入れてあと20年プラスかw

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 20:50:42 ID:gQPRa9TY
むしろ息子に振り分けろよw

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 21:01:05 ID:usfES8RX
>>601
一応、次男の信政は60過ぎまで生きてます
家督を譲られてすぐに亡くなりましたが当時とすれば充分に長生きです
三代藩主の幸道は信政の60間際の子
何故か幕府へ届け出がされていなかったそうでお家騒動が混乱した一因とも言われてます

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 21:04:35 ID:Kipu66Xe
なんか忍たまにいたなー。
父親がいつまでも元気で長生きで現役なので
息子が家督譲ってもらえなくてジジイになっても若様といわれてる殿様。

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 21:12:54 ID:n225EvTA
忍たまたまにみるとおもろいな。

伊達政宗、細川の九曜紋を強要する・いい話?

2008年12月27日 00:07

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 23:26:03 ID:3p69vWWS
政宗、細川の九曜紋を強奪するの巻

政宗(●∀゚)「お、おめえんとこの家紋、cooooolじゃね?ちょっと見せなよ」
忠興(;゚Д゚)「ちょっ袴引っ張んないでよ。見せたげるからさぁ」
政宗(●∀゚)「いいじゃん、coolじゃん。ちょっとおいらに貸しなよ」
忠興Σ(゚Д゚;)「勘弁してよ。君んち竹に雀っていう立派な家紋があるじゃん。いらないでしょ」
政宗(●Д゚)「あれ元々上杉んとこのだしなぁ・・・。成実が縦三引両のほう使えってうるせぇんだよ」

忠興( ゚Д゚)ハッ「あっ、あそこにも九曜紋あるじゃん!あの人からもらいなさいよ」
政宗(●⊿゚)ペッ「相馬じゃねえか!あんな奴から家紋もらうほど落ちぶれちゃいねえんだよ!」
忠興(´-`).。oO(うちならいいのかよ・・・)


上のようなやり取りがあったのかは知らないが、政宗が九曜紋を忠興から所望したのは事実らしい
文禄の役の際、忠興のピンチを助けたとかなんとかで弱みに付け込んだ末の顛末であろうと推測される

同じDQN四天王の忠興すらも強奪の対象にしてしまう政宗、まるでスネオにたかるジャイアンである
以上、仲の良い(?)お話




563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 23:32:44 ID:lJYaR6I2
> 忠興(´-`).。oO(うちならいいのかよ・・・)

ここで大笑いしてしまったw

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 23:36:46 ID:YnruqFNo
やっぱりというかなんというか、ガキっぽよな政宗
そして細川の九曜紋は良くて相馬はだめってそんなに細川好きか
細川が三管領の1つだっていう名門だから?
相手がそれなりに構ってくれる忠興だからか?

そして、なんだかんだで(このスレでは)つるんでる(ように見える)忠興は
付き合いが良いというか大人というか、単にウマがあっただけなのか・・・

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:02:50 ID:Kipu66Xe
>政宗(●Д゚)「あれ元々上杉んとこのだしなぁ・・・。

竹に雀紋も越後守護上杉からの貰い物だが
九曜紋だと更に長尾家とかぶっちゃうが
竹に雀&九曜と両方かぶるのは政宗的に良いのか?

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:05:05 ID:wb5MTOG7
忠興さんはガラシャタンが絡まないと福島よりDQN度が下になってしまうお人。

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:11:43 ID:n225EvTA
竹に雀はないが、九曜は政宗忠興の友好関係っぽ
とてもプライベート臭を感じるのはこのスレのせいか

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 00:23:06 ID:iGvMrfu1
年柄年中DQNの森、島津と比べると気持ちのいいDQN達だな

藤堂高虎と、加藤嘉明の会津転封・悪い話

2008年12月27日 00:06

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 02:23:08 ID:+0FpMWSI
家康が病に臥せっていた時の話である。
見舞いに訪れた藤堂高虎は
「私も老いました。そして私の見るところ後継ぎの高次には伊勢・伊賀を治めるだけの器量がありません。
私の死んだ後は速やかに国替えをお申し付けますように」と言った。

それを聞いた家康は、
「それは許さん。たとえお前が死に、高次にその領地を治めるだけの器量がなかったとしても
お前が長年にわたり育ててきた家臣共がいるではないか。国を治められぬと言う事はなかろう。
我が家があるかぎり未来永劫、伊勢・伊賀は藤堂家のものである」と言った。

この一言のおかげで藤堂家は明治維新まで減封、転封が一切なかったという。

この話自体はいい話に入るかも知れんが、この話には続きがある・・・

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 02:23:49 ID:+0FpMWSI
・・・時は流れて寛永4年
加藤嘉明は満足げにひとりごちていた。
関ヶ原で加増されてから、25年もの長きに渡って築いていた松山城が、もう少しで完成と言うところまでこぎつけたからであった。
嘉明「長かった・・数々の天下普請の合間を縫ってコツコツと続けてきた城作りもようやく完成が見えてきたな。
今治よりも、篠山よりも、伊賀上野よりも、津よりも立派な城がもうじき完成するわww」


そこへ使者が飛び込んでくる
使者「お喜びくださいませ、加藤左馬助様は会津40万石に加増転封が決定いたしましたぞ」
嘉明「なんと!!なぜだ?」
使者「大御所様(秀忠)は最初は藤堂和泉守様に転封を命じましたが、権現様のお言葉があると言う事で辞退なされたそうです」
嘉明「・・・・して何故この私が?」
使者「なんでも和泉守様がご推薦なされたとか言う話で御座います」
嘉明(なに!?高虎が・・・だと?この俺が心血を注いで作った松山城が完成間近なのを知って、会津に飛ばそうと言うのか?そうはいかん!)
嘉明「この話、お断りします」
使者「な、なにゆえで御座いますか」
嘉明「私も年老いたし、家中には武勇の士も絶えて会津を治めるほどの力はないからでございます。大御所様にそうお伝えくだされ」

しかし、その願いは受け入れられず、嘉明は城の完成を見ることなく、泣く泣く会津へ赴くこととなる。


その頃高虎は
「うはww孫六wwざまあwwwあんな寒いトコになんか行きたくないわなwww
ご立派なお城も完成間近だったのにwwwwwwくやしいのうwwwくやしいのうwwww
それにしても権現様のお言葉ってやつは効果抜群だなwwwwww」m9(^Д^)プギャー
とか言ったとか言わなかったとか。



いい話スレで既出の話だが、見方を変えると悪い話になるというおはなし




657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 02:29:22 ID:69ee0dAC
その後松山城入りしたのがあの蒲生氏郷の孫である蒲生忠知だったり…

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 04:52:19 ID:lJYaR6I2
つーか、東北の最重要拠点である会津を馬鹿にした話でもあるな。
どうもこの逸話は、東北への蔑視が基礎にあるように感じて好きになれないんだよなー。

659 名前:大人の名無しさん[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 07:40:14 ID:3GwXry3V
九州在住のオレからすれば、寒い東北転勤なんて悪夢でしかない

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 07:54:44 ID:EMXcGv3w
>>658
元々寒いとこの人じゃないからねえ

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 09:44:49 ID:mMvyf5r1
>>658
まあ仕方ないんじゃないか。現代はともかく、当時は東北ってほんと米が取れにくい土地柄だし。

表高で加増ったって素直に喜べないよな。

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 09:55:15 ID:KRitudhH
会津に転封されて4年後に死んでるんだよな嘉明
やっぱ25年も心血注いで築いた城を完成目前で掠め取られたのがショックだったんだろうか

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 11:21:51 ID:0POti0BX
同じ北国越後から会津に入った上杉でさえ
「耕せる土地がNEEEEE!」って困ってました。

664 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/26(金) 11:43:27 ID:qz2iX0Qf
東北は山ばかりで平野が少ないんだよな。
俺は岩手の沿岸部の出身で、そういうと
「いいところだ」
とお世辞を言われるんだが、実際は海と山に囲まれた
わずかの平地に人間が住んでいるに過ぎない。
耕せる土地が少ないから、意外と農家も少ない。
クラスで1人程度じゃなかったかな。

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 12:00:47 ID:R7uzhAB+
畿内と東北じゃ、生産力に絶望的な差があるし
当時の畿内人が東国を蔑んでたのは事実だから、美談じゃないぶん、本音を写してるんだろう
南部信直も馬鹿にされてホームシックになってたが…

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 12:26:32 ID:9Sxrh9g+
ってか老齢に雪国は辛いだろ…
歳食ってくると暖かさを感じなくなっていくのにその上雪国じゃ体に良くないわな

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 12:42:37 ID:apiIL3Ah
自分も岩手(ただし内陸)の出身だけど、この時代の常識考えれば
この手の話における飛ばされる側の反応は仕方ないよなーと思える
戦国生きた人間なら、米の生産=大人数を養う基本=国力という感覚なんじゃないかな

高虎や加藤嘉明の生きてた時代ぐらいだと
まだ「風土に合わせた特産物で産業奨励」という発想にまでは至ってないのか、
とも受け取れるから興味深い
あ、実際どうだったのかは知らん。すでにそういう風潮があったっていうならすまん

670 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/26(金) 13:58:49 ID:t9ZMsFqg
>>661
あれ…江戸時代の江戸近辺の米は東北産だって聞いてたけど…

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 14:30:05 ID:p7x6Ttuy
転封ってさ、なついた領民と別れるっていう面でも嫌だって話を聞いたことがある
新領地では前領主とくらべられたりするとかなんとか

税制や法制、習慣等細かな違いやらなんやらを
前の殿様はどうたらとか言われちゃうんだぜ
ましてや会津なんて前の殿様がチート野郎の
蒲生や上杉だろ
心労も半端ねぇと思う

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 14:37:37 ID:xfenYw8f
領民的にはどっちも大した領主じゃない気もするw

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 14:47:18 ID:v3AaYcCc
蒲生はともかく上杉は・・・

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 15:56:35 ID:cmq6wA9+
>>670
それは東北産というか、仙台産じゃないかなあ
仙台平野と、会津や仙台以北の米の生産力は雲泥の差があると思う
(山形あたりはどうだか知らないが)

関係ないけど、なにかの本で
「日本人の米に対する執念はすさまじい。
明らかに水稲栽培の向いてない東北地方でも稲作やるんだっていって
本当になんとかしたんだから」
ってのを読んだ
米ありきっていう考え方は、戦国~江戸に培われたもんなのかね

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 16:00:51 ID:lJYaR6I2
>>675
米がいろんな価値の中心なのは、少なくとも平安時代からだね。
農民の側の価値観からして、米栽培こそが農作の本道って意識があった。

まあ、何故なら経済的に一番高く売れるのが米だったから、らしいのだが。
江戸期はむしろ、米以外の作物栽培が奨励され、農民が米を作らなくても
生活できるようになった時代。

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 16:07:46 ID:csemcjlH
>>671
越後は米よりも青そと日本海交易と金山銀山の売り上げが
凄かったから越後から切り離されて上杉マジ涙目。
(謙信の代では金山運営はあまり関係なかったけど
景勝の代では佐渡の金を別にしても日本一の産出量)
上杉が越後に固執したのも頷ける。
青そ栽培は米沢に移って以降も奨励して
しまいには米沢から越後に青そが輸出されるようになっとる。

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 18:42:55 ID:0POti0BX
会津にはなんか特産品なかったんか?
葦名もあんま内政面評価聞かないが。

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 12:42:49 ID:RIIhWHUv
>>670
実はDQ眼竜政宗や伊達さんの功績なんだよな。
仙台で開墾しまくって、表高より大幅に収穫量増えた米を江戸に売っていたんで

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 12:59:45 ID:y2RDjlcs
というより子々孫々開墾し続けた結果だね。
伊達氏全体の功績なんで個人に帰すもんじゃない。

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 13:17:27 ID:5KrrEOIb
>>702
ちゃんと伊達家全体を評価してるように見えるんだが
>DQ眼竜政宗や伊達さんの

真田昌幸【凄く反省してます】・悪い話

2008年12月27日 00:04

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 12:32:39 ID:1Uk+kjDn

【凄く反省してます】

関ヶ原後、徳川に反抗した真田昌幸・信繁は真田信之・本多忠勝(井伊直政・榊原康政との説も)の助命嘆願により死一等を免ぜられた
家康は高野山への蟄居謹慎という流罪を決める
しかし高野山は女人禁制…

「ヤダヤダ!奥さんと子供と離れるの絶対 イ ヤ ~ ! 」

結局、九度山に配流替えとなる
昌幸は妻を信之に預け、頑なに随行を求める数名の家臣を伴って
信繁は正室と側室二人、息子一人(一説には二人)と娘二人を伴って…

九度山での生活は窮乏を極めた
流罪なれば当然である
信之からの援助が彼等の生活を助けていた
それでも足らずに昌幸は真田紐を編んで生活費の足しにした
何故ならば…

「で、何人目じゃ?」
「こちらに来てから5人目です」

九度山配流中に信繁は息子4人(内二人は大阪落城後に出生)娘5人をもうけた
食い扶持が増えれば生活費が嵩むのは当然である

「謹慎の意味を知っとるか?」
「(∩゚Д゚)アーアー聴~こ~え~な~い~」



668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 12:33:56 ID:v3AaYcCc
貧乏子沢山

他にすることが無かったんだろうな・・・

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 15:39:11 ID:gh8BgmOp
>>667
兄ちゃん、こいつ一回ぶん殴んなきゃだめだ
山手さんは昌幸が死んですぐお亡くなりになったみたいだし仲はよかったのかしら

富田長秀の暴走・悪い話

2008年12月27日 00:03

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 20:37:23 ID:F/ouuDU7
暴走

朝倉義景滅亡後、越前では前波吉継が権力を握った。信長より越前守護代に
命じられたのである。彼は名前も桂田長俊と改め、一乗谷を本拠とした。

これに反発したのは、富田長繁である。彼は前波からわずか一日遅れで織田軍に
寝返り、朝倉攻めでも粉骨砕身した。彼もまた、名乗りを富田長秀に改め、府中を
与えられそれなりに遇されていたが、前波との差がとにかく面白くなかった。

まもなく前波改め桂田長俊は眼を病み、瞬く間に失明してしまった。
これを好機と捉えた富田長秀は、越前国内の一揆をそそのかし、桂田の拠る一乗谷に
共同で攻め入った。失明のため満足に指揮も取れず桂田長俊は一族とともに滅亡した。
これが天正2年1月20日のこと。

それから4日後、1月24日。富田長秀はこれも義景滅亡時に織田に降った魚住景固
を朝食に誘った。魚住は次男彦四郎と共に赴いた。食事が終わり、酒を酌み交わした
ところで、今度は義景秘蔵の中村太刀をご覧に入れよう、といって奥へと案内する。
魚住が何の疑念も抱かず太刀を見に行くと、いきなり斬りかかり首を落としてしまった。
驚いた彦四郎が刀を抜きかけたが、これも斬殺。
翌日、鳥羽の魚住館に攻め寄せ、残る長男の彦三郎も滅ぼした。

わずかのうちに、義景の元重臣の家を二つも滅ぼしたのである。

富田長秀は、弟を岐阜へ人質に送り、信長から越前守護の朱印をもらったと吹聴したが、
嘘か真かはわからない。

富田長秀が魚住を殺した頃、一揆も他の旧朝倉家臣を個別に攻撃し始めた。
2月に入ると、一揆と富田長秀の手切れとなり、富田の与力である増井、毛屋の二人が
一揆に攻め殺された。
2月14日、ついに富田長秀と一揆の戦いが始まる。富田は敵陣に突っ込み大軍の一揆
勢を蹴散らしたが、何を思ったのか、近くの山で形勢を観望していた朝倉景健・景胤の
軍勢にも襲い掛かった。(もう誰が誰だかわからなくなったか?)

見る者全てを敵と看做し攻撃する富田に呆れ果てたか、富田陣中にいたこれも朝倉の降将
である小林吉隆がいきなり背後から鉄砲で富田を射殺、首を挙げた。

桂田長俊滅亡からわずか20日余、義景滅亡からおよそ半年。
越前を血に染めて太く短く生きた富田長秀、享年24歳。

鮮やか過ぎて、何かすかっとした感じがする生き様です。




680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 21:20:00 ID:pFD7Tabz
24歳!
しかし何というか戦国時代をよく表した青年だな。

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 21:22:18 ID:STgjDXjG
ぜったいヒャッハーて叫びながら人を殺してたよなコイツ

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 21:49:34 ID:EMXcGv3w
実力あるキチガイはマジでタチが悪い…
好きな武将だけどw

小林吉隆は自らの卑怯な振る舞いを恥じてその後隠遁したんだっけ?
従ってるときはさぞや胃が痛かったろうなあ

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 21:59:49 ID:+SArt3TJ
もう少し長生きしたら四天王並みに逸話を残したかも知れんw

しかし義景の治世が続いてたら出世は出来なかったろうな

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 22:56:47 ID:3PSCjPh1
主家滅亡直後に同じ主君を戴いた家臣同士で殺し合いか。
恐ろしいな。

大友義鎮(宗麟)は羨ましかった・悪い話

2008年12月26日 00:09

632 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/25(木) 03:15:47 ID:4B+nrRp4
大友義鎮(宗麟)は羨ましかった。お隣の大内さんが、である。

朝廷や将軍との近しい関係から、官位や官職を次々と得、西日本王とも言うべき権威と権力を
得ていたからだ。

聞くところによると、大内さんは莫大な献金によりその地位を得ていると言う。
ならば、俺もやってみよう。
義鎮は天文二十三年(1554)、将軍足利義輝に莫大な献金をした。

効果はてきめんであった。

義鎮はその褒美として肥後守護織に任じられた。
大友氏は肥後支配の正統性を手に入れた。

『大友義鎮の権威が上がった。国衆たちの義鎮を見る目が変わった。
大友義鎮の支配力のレベルが上がった。』

「これだ!」
権威は金で買えるのだ。もっと!もっと支配のための権威を!

義鎮は京にプレゼント攻勢をかけた。
金銭は勿論の事、記録に残るだけでも、緞子、白糸、黄金、絵画、手火矢、南蛮鉄砲、石火矢、種子島筒、
えとせえとせ。
とにかく身の回りにあるもので珍しい物、価値のありそうな物は、すべてといっていいほど送った。

結果

天文二十三年(1554)、肥後守護織
永禄二年(1559)、豊前、筑前、筑後守護織、九州探題織、大内家家督
永禄三年(1560)、周防、長門守護織、左衛門督叙任、桐の紋を授与

なんと義鎮は瞬く間に、制度的、名目的には島津守護職薩隅日を除いた九州全土、
そして旧大内領すべての支配権をその手にした。
彼は、かつて羨んだ大内をすら越える、西日本王の地位に、今まさに立ったのだ。

そう。あくまで名目的に。

島津「京から貰った権威?」
龍造寺「そんなもの」
毛利「知るか!」

『権威の効かない連中が現れた。大友義鎮は動揺している。』

彼が大金をかけて得た権威は、彼の権力を保障してはくれなかった。それどころか
その名目上の権限を守るため、泥沼のような争いを強いられる事になったのである。

身の丈に合わぬ権威を求めると、その権威に「位打ち」されることもある。
そんなお話。



633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 05:43:07 ID:3cKlJeKE
>>632
宗麟が悪いっていうより、毛利、竜造寺、島津が悪いようなw

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 07:20:14 ID:R9di+Qzx
何か宗麟って適度というものが無いイメージがあるな・・・

635 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/25(木) 10:52:00 ID:n0El7Z/U

>>632
大内さんの官位のための献金には時の帝ですら呆れて、官位授与を取りやめるように言ったほどだw


636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 11:52:45 ID:fMNK1sc+
>>635
そこで貰っておけば、三代計34年間の即位式の延期もなかったかもなw

市左衛門惟明と蛸・悪い話

2008年12月26日 00:08

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 14:37:53 ID:iUEU7n0U
蛸に救われたのは中村一氏だが、こちらは蛸に殺されかけた人の話

寛永4年7月14日……1627年8月24日。
上田七本槍の一人で、佐渡奉行の鎮目市左衛門惟明が御逝去なされた。享年64歳。
市左衛門惟明と申せば、大久保十兵衛長安の手腕により全盛期を過ぎた佐渡金山を復興させた名奉行である。
その仕事先である佐渡での金の総生産は4000kg 銀の総生産は50tという業績が残されている。

そんな彼が死んだ理由には、ある一説が考えられている。

相川・吹上ヶ浦で市左衛門惟明が趣味(?)の釣りを楽しんでいた所、蛸が釣れた。
しかしその蛸、遠くから見ていても、手に持ってみてもかなり大きい。

惟明「重い」

惟明が、重いなあ。と感慨深く思っていたのも束の間。

大蛸「一人でも多く、海へ引きずりこんでくれるわ!」
惟明「危ない危ない危ない危ない危ない………!」

これまで大人しかった大蛸が惟明とお手手を繋いで海の中へズルズルと引き返し始めたのである。
お手手を繋がれた惟名も、このままでは海に引きずりこまれて溺死してしまう。
何と言うべきか、溺死だけは避けたい惟明、とっさに刀を抜いて蛸の足が絡まっている腕を一刀両断。
腕は綺麗に切断され、そのことに気付かない蛸は惟明の腕の先っちょだけを引きずって、海へと帰っていった。

さて。
残されたのは、腕を切断した為に重傷を負ってしまった名奉行・惟明。
惟明はこの傷が元で死亡したとか。実にやりきれない。



641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 14:52:36 ID:+XUUNRjn
戦国時代の蛸はいったい何なんだ

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 15:01:16 ID:4dxhZQAE
これじゃね?

ttp://wkp.fresheye.com/ja/shared/9/9d/Colossal_octopus_by_Pierre_Denys_de_Montfort.jpg
たこ01

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 20:04:41 ID:yL59nDkL
>>640
蛸の足切ればよかったのにな



参考
中村一氏と蛸地蔵さま・むかし話

武田信玄、円昌坊教雅を呪う・悪い話

2008年12月26日 00:04

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 17:12:31 ID:0HrxbW9k
聖夜に心温まる愛の話

武田信玄の御持僧を務めていた円昌坊教雅という人が1576年(信玄死後3年)に、彼の友人に宛てた文書

拙者が武田に勤めていたとき、信玄は彦吾郎(フルネーム不明。おそらく一門衆)にのめりこみ、拙者を侮辱しだした。
(彦吾郎の讒言かと思われる)
拙者は我慢ならず寺に帰ったのだが、その後聞いたところによるとなんと信玄は拙者を調伏という手に訴えて呪い殺そうとしたそうだ。
そんな意地の悪いことをしているから、本来は65まで生きられたものを、13年も寿命を縮め53で死んでしまった。哀れなお人だよ。
(歴代古案 所収文書より。文の訳は一部、鴨川達夫氏著・「文書に見る戦国大名の実像」より抜粋)


愛する人の為ならどんな手も使える真の漢・信玄公。




646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 20:05:02 ID:uzUPnzHK
>本来は65まで生きられたものを
これって「あなたの寿命65まで」みたいに言われたことがあったのだろうか?
それとも「無茶な理由で呪うと寿命が13年…」みたいな話があったのか。

647 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/25(木) 20:15:15 ID:n0El7Z/U
>>644
やっぱ、わら人形に五寸釘?w

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 20:27:16 ID:oVRBARmE
>>646
原文には「武信の命期(めいご)は六十五にて候き、十三年命をつづめ候」とあるから
あなたの寿命は~ とあらかじめ言われていた可能性もあると思う。
教雅自身が占いかなんかでそう予想してたのかもしれない

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 20:56:49 ID:G43rdRpa
信玄にあと13年の寿命があったら戦国史はどう変わっていたことやら

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 21:28:49 ID:GNeXP7Jo
流石に変わらないだろ

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 21:30:10 ID:x7hOPVoG
織田の東の圧力が強まるぐらいか
もしかしたら徳川滅亡してるかもしれないが

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 22:37:22 ID:z90pjfT5
>>647

拙者の五寸釘が貴殿の・・・

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 00:04:43 ID:toSN/vQq
>>649
わからんけど、少なくとも信長はもっと苦労する羽目になったろうね。
家康は・・・・涙目としか。


654 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/26(金) 00:12:52 ID:t9ZMsFqg
>>652

アーッ!!
五寸釘ってそっちかよw

伊達政宗の国風六首・いい話

2008年12月26日 00:03

526 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/25(木) 00:23:55 ID:PyeGt8Rf
政宗の国風六首

政宗が朝鮮出兵のおり、幼い頃からの近臣であった原田宗時が対馬で病没した
友とも言える宗時の死に、政宗は和歌六首を贈った

夏衣 きつつなれにし みなれども 別るる秋の 程ぞ物うき
虫の音も 涙催す 夕ま暮 淋しき床の 起臥はうし
哀れげに 思うにつれぬ 世の習い 馴れにし夢の 別れをぞする
みるからに 猶哀れそう 筆の跡 今より後の 形見ならまし
誰とても ついには行かん 道なれど 先立つ人の 身ぞ哀れなる
吹き払う 嵐にもろき 萩の花 誰しも今や 猶まさるらん

上から順に頭の一文字を取ると「なむあみだぶ」となる
DQNと言われまくっている政宗であるが、こんなセンチな面もあるのだ


以下余談
原田家は跡継ぎがおらず、桑折家からの養子・宗資を迎えることで名跡を残した
その原田宗資と茂庭綱元・香の前の娘おつた(一説には政宗の落胤)の子が
伊達騒動で有名な原田甲斐である

おつたが本当に政宗の娘であるならば、原田甲斐は
原田宗時の義理の孫であり、
茂庭綱元の義理の孫であり、
なおかつ政宗の孫という、かなりややこしい血筋となる




528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 02:28:04 ID:Sg2gcPng
とりあえず文化面みると忠興の友人ってのは
納得だな政宗って。
詩詠むなら基本繊細なとこもないとな。

529 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/25(木) 09:01:56 ID:ftu1L1kT
縦読みを初めてやったのは政宗なわけね

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 10:03:01 ID:4TPuW3CY
いや、「とがなくてしす」がw

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 10:38:10 ID:AtMicU9M
>>529
つ 「かきつばた」

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 12:10:28 ID:4qyVNh2F
>>529
つ http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1158488972/322

関ヶ原の黒田長政と細川忠興、そしてその小姓・いい話

2008年12月26日 00:02

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 10:55:48 ID:pp5VOldH
関ヶ原の戦いにて、黒田隊、細川隊が石田隊に追い散らされているときのこと。黒田長政が細川忠興の姿を認めると寄っていき、
「さっきお主が敵中に馬を乗り入れて攻め掛けた働き、よく見届けた。戦後に内府(家康)にご報告いたす。
だから黒田隊の働きもぜひ、ご報告していただきたい」と、忠興に呼びかけた。
忠興は、この自軍が劣勢のときでも自身の功名のことを考えている長政に( ゚д゚ )となり、やや不興ぎみに
「われらの働きは、それほどのことでもない。そして貴殿の働きも未だ見ていない」
と答えたところ、忠興の小姓が空気を読んで
「私は甲斐守(長政)殿の働きを見ました。あそこに見えます小さな森で敵味方が入り混じり、
競り合いになりましたところ、真っ先に馬を乗り入れて敵を追い崩した武者が甲斐守様でありました」
と言った。すると長政は
「おう、よくぞ見届けた。そのことに間違いない」と言ったので、忠興は
「われらの小姓が見届けたことを、必ずや内府に申し上げようぞ」
と答えたので、長政は満足げに戦場に戻った。




533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 11:03:19 ID:5EqTqUTu
いつ忠興がブチ切れるのかとおもって読み進めたが…

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 11:29:41 ID:yBdzdEfE
なんかほのぼのしてていい話だな