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宇都宮国綱の改易・悪い話

2009年02月26日 00:13

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 08:50:36 ID:hP1oaepa
小田原陣の後、正式に十八万石の豊臣家諸侯となった宇都宮国綱。
ところがその国綱に、豊臣政権との繋ぎ役である浅野長政がこのような事を言ってきた

「息子の長重を、世継ぎとしてあなたの養子にしてほしい。」

これには宇都宮家家中で猛反対が起こった。当然である。宇都宮家と言えば鎌倉以来の名門。
それに、浅野などという、どこの誰とも知れない者の子を当主にして良いものか。

結局、国綱はその話を断った。


さて、太閤検地が行われる。
宇都宮氏の領地の検地は、浅野長政が担当した。
すると、なんということだろう、宇都宮氏の石高は、表高の十八万石に対し、
倍以上の三十九万余石が計上されたのだ!

「これは宇都宮氏の所領申告に不正があったのだ!」

国綱は豊臣政権の摘発を受け、慶長二年(1597)九月、秀吉の命によって改易とされた。




355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 09:33:55 ID:rbu1pror
戦国時代のパワハラですねこりゃ

356 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/25(水) 13:29:41 ID:AEZJ5TYE
宇都宮氏にとって豊臣政権は鬼門だにゃぁ

宗家にとって大恩がある城井宇都宮は滅ぼされ、結城に養子に出してたのに秀康送り込まれて…
挙句の果てに本宗家も改易w

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 13:59:43 ID:L4IPkL0C
年若いぶん、空気読めなかったのが墓穴堀田
あんまり同情できないな

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 17:57:17 ID:BdeuhsGr
宇都宮氏、麻生太郎ちゃんの遥か遠い親戚、
と言うか大昔の御本家なんですね。

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 18:20:48 ID:6e6bZV74
>>362
深谷上杉の家老で、江戸時代に老中をだした秋元氏も宇都宮支流らしいな。

暗殺将軍の影・悪い話

2009年02月26日 00:12

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 14:31:31 ID:KX4ZeTJ1
暗殺将軍の影

天文十七年八月 三好長慶は叔父・政長の討伐を細川晴元に進言するが、晴元これを拒否。
         長慶は細川氏綱を担ぎ晴元・政長に叛旗をひるがえす。  
天文十八年六月 長慶、摂津江口城を攻撃し政長を討ち取る。
天文十八年七月 長慶入京。晴元、将軍義晴と共に朽木谷へ逃亡。
天文十九年七月 将軍・義輝軍、洛内にて三好方と戦うも京奪回ならず。
天文二十年三月 長慶、吉祥院にて政所執事伊勢貞孝と会談。
         挙動不審の稚児が屋敷の周りを徘徊していたため、警備方は稚児を捕獲し拷問
         稚児「公方の命令で屋敷に火を付けて長慶と貞孝殺すつもりでした。」
         稚児及び近くに潜んでいた稚児の仲間二人を処刑。
天文二十年三月 長慶、貞孝宅にて酒宴。貞孝邸内に紛れ込んだ進士賢光に襲撃され負傷。
         賢光を捕獲・拷問する。賢光「公方の命令で長慶を斬り殺すつもりでした。」
天文二十年五月 長慶の岳父・遊佐長教、目を掛けていた時宗の僧侶に刺殺される。
天文二十年六月 長教の婿・筒井順昭、二十八歳にて謎の死。




360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 15:01:24 ID:hP1oaepa
>>358
足利将軍家は暗殺術が伝統芸みたいなところがあるよねw

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 17:55:43 ID:/VK+c9Ln
約一名、悪人の所に堂々に乗り込んで大立ち回りして事件を解決しそうな将軍がいるけどな。

忠恒と正則・悪い話

2009年02月26日 00:11

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 20:04:42 ID:fGiSbwt6
「南のDQN四天王・家久と四天王になり損ねた男」

島津家とツンデレDQNを輩出した細川家が江戸初頭まで親交があったのは比較的知られていると思われるが
島津DQN家久(当時は忠恒)と福島正則の間に交流があったことは余り知られてないのではないだろうか。

ほとんど接点の無かった島津DQN家久と福島正則がつながりを持ったのを確実に確認できるのは
慶長7年(1602年)、島津DQN家久が舅・義久の反対を押し切って単独で家康との会見に挑むため
勝手に上洛したときのことである。
何故かそれまでほとんど交流の無かった福島正則がDQN家久に接近し、
それどころか島津家が諸大名や商人から借りに借りて積もり積もった借金を正則が立て替えて返済してくれ
チャラにしてくれたのである。
このことはDQN家久にとっては 家 康 の 島 津 家 の 安 堵 よ り よっぽどうれしかったらしく
「福島殿がボクをあれこれと世話してくれて、借金も立て替えて返して下さいました!」
・・・と国元に書状を送っている。

福島正則の島津家への世話焼きはまだまだ続いた。DQN家久にはもちろんのこと
その舅兼伯父の島津義久や父の島津義弘にも季節の挨拶を欠かさず贈り
また、江戸に人質に出されていたDQN家久の妹が屋敷が失火に遭い焼け出されると、
正則は自分の屋敷をDQN家久の妹に提供し、困らないように世話を焼いた。
その救いの手は、国元で女漁りに余念がないDQN家久より遙かに早かったらしく
家臣からの
「福島正則殿が我らを助けて下さいました!ちゃんとお礼いって下さいね!」
という内容の書状が残っている。

正則がこのように島津家に接近したのは、豊臣家と徳川家が対立した暁に
西軍に付きながらほぼ無傷だった島津家の力を借りようと考えていたからではないかとも言われている。
しかし、豊臣家は慶長20年(1615年)に滅亡。
更に福島正則は元和5年(1620年)改易された。
この時に島津DQN家久が正則をかばったという史料や逸話は 全 く 残 っ て い な い 。

なお、気になる「正則が立て替えてくれた島津家の借金」についてだが、
これに関してもその後DQN家久が正則に少しでも返済したかというと
そういう記録も残ってないのである。
--------------------------
・・・DQN四天王に入選したのと落選した境目はこのへんだったのかなー




365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 20:15:01 ID:hP1oaepa
> この時に島津DQN家久が正則をかばったという史料や逸話は 全 く 残 っ て い な い 。

申し訳ないが笑ってしまったw
そういえば正則の改易の時、多少なりとも正則をかばっていたのって本多正純くらいだな。

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 20:20:29 ID:G4Uxpx7H
四天王の家は基本的にこういう判断だけは的確。

森忠政

豊臣と準一門という事で秀吉の死の際に遺品の一部を受け取り。

同年中に家康に忠誠を誓う。

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 20:27:55 ID:hP1oaepa
正則を改易させるかって話が出たとき、本多正純が

「正則改易しようとすれば、友好関係にある大名が、正則と一緒になってそれに抵抗し、
混乱を引き起こすだろうからやめた方がいい」

って言ってて、
秀忠が「それでも幕府の遺臣をかけて改易する!」って、合戦の準備までしていたんだけど、
いざ改易を発表したら、正則を助けようとする大名はだれもいなくて、秀忠はすっかし拍子抜け。
それ以降正純を信用しなくなった、って話があるね。

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 21:04:27 ID:Uwn9Nt5I
市松に恩があるんだから旧臣を受け入れるとかしても良かった気もするけどな

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 00:02:25 ID:4EWgn5f9
>>369
市松さんの家臣団は仕官先に困らなかったとか
ていうか島津家に就職って...無いだろjk

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 00:59:43 ID:O0IH+nM4
>>376
それでも、例えば借金は返すとか、配流先の正則の生活を援助するとか、
ほかに恩返しの手段はあるだろうに、それが無いってのがなあ。

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 01:12:50 ID:sGX5aRd2

>>376-377
市松の一方的な片思いで、DQNは「一方的に貢がれているボクちゃんラッキー!」
・・・ぐらいにしか思ってなかったんだろう。市松カワイソス(´・ω・`)

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 01:13:00 ID:2MlL96Wo
>>377
借金を返すもなにも、島津はそんな状況じゃなかろうし、それをしないから
こそDQN・・・

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 01:14:44 ID:AJIRKsxd
白蟻ハウスと化した鹿児島城とかで島津の財政も火の車でござい。

義光、馬揃えドタキャンす・いい話?

2009年02月25日 00:19

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 00:05:19 ID:/LaC/r97
義光、馬揃えドタキャンす。

慶長十七(1611)年、一月十五日、最上義光六十六歳はこう宣言した。
「来る四月、天童で馬揃えを行う。家中で馬を飼っているものは
全員参加すること。参加者は山形に来て騎馬帳に名前を書いて、
事前申請するように」
これを聞いて家中は皆張り切って準備をすすめ、当日早朝午前四時には
天童に集合した。

さて、この行事は事前に知らせてあったためか見物人が大勢来ており、
数千人はいるのではないかと押すわ押すわの大騒ぎ。
一体どれほどいるかわからないほどだった。

午前六時、義光は着飾った供三十騎を従えて城を出た。
かねての打ち合わせ通り、城持ち家臣から乗り入れようとした時、義光は言った。
「やっぱり、馬揃えは無期限延期としようか」
と、彼はドタキャン宣言するとそのまま城に引き返した。
これには集まった皆( ゚д゚)ポカーン …とした。

こんなに大がかり、数ヶ月かけて準備したのにドタキャンとは、
義光の機嫌を損ねたのかと、家臣数名が彼に問い合わせた。
すると「いや、今日の馬揃えは何の心配もない、皆帰っていいぞ」と
返答があった。

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 00:05:57 ID:/LaC/r97
おさまらないのは若武者たちだ。
「いくらなんでもドタキャンてありえなくね?」
「だよな、せっかく準備したのにさ」
「おれたちが派手なかっこしすぎたから、殿ムカついたのかもなー」
「あー、殿って着飾るの大嫌いだからね…」

と彼らがブツブツ言っていると中のものが言い出した。
「でもさ、考えてみれば殿だって軽い気持ちでこんなことしたとは
思えないんだよね。今は合戦がないから皆まったりしてファッションに
ばっかり気をつかって、武具点検とかサボってるだろ。
今回の馬揃えっていうのは口実で、本当は武具点検をさせたかったんじゃ
ないかなあ。でもこのイベントって事前から公表していたから、見物人が
いっぱい来てただろ? その中に他国の隠密が混じるかもしれない。
かといって見物人を許さないのもケチくさいし。
で、ドタキャンすれば大騒ぎになるから、隠密ももう探りようがないから、
あきらめて帰っただろうね。そこまで考えないで文句つけちゃ駄目だよな」
こう言われて、聞いた者は「そっかー、それもそうだよな」と感心した。
「殿の心は奥深くて、ちょっとやそっとじゃわからなんなあ」と、
言いあったという。




四国征伐と、高畠左兵衛、矢野市之助兄弟・いい話

2009年02月25日 00:18

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 01:06:08 ID:wqtZ8UQ6
豊臣秀吉は長宗我部元親を倒すべく四国征伐を開始した。
そして今、長宗我部軍の一宮城は豊臣軍の攻撃を受けていた…。

ところで豊臣軍の中に筒井家臣・高畠左兵衛がいた。この男、暇だった。

「暇だね~。どうせあの城すぐ落ちないだろうし、どうすっかな。」

退屈だった左兵衛は暇潰しすることにした。
鹿狩り、魚取りなどはひと通りやり倒した。

「タノピー!そういや一宮城には市之助がいたんだっけ。
あいつどうしてるかなぁ…。」

市之助とは彼の弟である。矢野市之助と称し、一宮城に籠っている。
気になった左兵衛は矢文を送ることにした。

「市之助、お主宛にこんなものが!」
「何ぃ?敵がいったい何の用だ!!」

「いよう市之助!オレオレ、オレだよ、左兵衛だよ。
お互い敵同士になっちまったが家名を汚さないように
がんばろうぜ!じゃ。
                     -兄より-」

「こ、これは兄者の手紙!わざわざ手紙をくれるなんて
ボカァ感激だなぁ。」

しばらく経ったがまだ城は落ちない。
その頃、左兵衛はあることで困っていた。

「う~ん、困ったな。よし、また市之助に矢文を送ろう!」

「市之助、またお主宛てに手紙が!」
「うん?きっと兄者だな。」

「やぁ市之助!実はお前に頼みがあるんだ。
無理ならいいんだけどさ、犬貸してくんないかな?
狩りに使いたいんだよ。頼むな!
                     -兄より-」

「こんな時に犬を貸せ?………御安い御用だぜ!!」

かくして左兵衛は犬を貸してもらった。
その後、一宮城は陥落し、筒井軍も引き上げたが
左兵衛は休暇をもらってある村に行った。

「よっ、市之助!犬返しに来たぜ。」
「おう、兄者!よく来たなぁ!」

戦後、市之助はこの村に引っ越していたので
左兵衛は借りた犬を返しに来たのだった。




196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 01:53:24 ID:IBORYFqt
泣けてきた
この村って現世のだよな、まさかってことは無いよな

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 02:30:40 ID:e5anlBIX
>>195はこれで完結?続きがあるものと思ってたw

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 10:18:09 ID:rJnvmM0c
>>195
実はこの村は幻想なのでしたという落ちがつきませんように・・・

藤堂高虎さん、徳川頼宣をたしなめる・いい話

2009年02月25日 00:17

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 02:30:40 ID:e5anlBIX

ふらりと立ち寄った高虎スレで、こんなの見つけた

54 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/23(日) 23:58:22 ID:snv8Gzb6
秀頼が滅んだ後、大阪城が欲しいとか言い出した家康の何番目かのガキを
「テメーなんめてるのか!」とボコボコに〆て紀州(和歌山)で
我慢させたんだよな、さすがだよ。

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/24(月) 10:21:01 ID:umbKDmLX
頼宣の話だな。
遠江→駿府→紀伊と移封する時に
「オレ、大神君様と一緒で狩が趣味なんだけど、紀伊は鶴がいないからやだ~!
 だったら大坂にしてくんない?」
て言ったら高虎が
「大坂なんて豊臣の恨みの残る地に、徳川の若様が行っちゃいけません!
 しかし、ワシは昔粉河にいたけど、確かにあそこは鶴がおりませんな~。
 よし、ワシは狩をしませんから、伊勢で狩をなさいませ。鶴も多いし」

後の南龍公を諭す高虎。この頃になると、ホント親戚のおじちゃんみたいだw



で、個人的にはコレ↓が気になったが、これは悪い話、だよな?

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/21(金) 16:23:59 ID:5k2UHpWO
藤堂家と黒田家の縁談話が結局破談になって、
細川家に「あそこの仲の悪さはガチ」なんて書が残ってるんだよなw





198 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/24(火) 03:05:48 ID:B4LyQONB
>>197
そういう細川家も前田家との仲の悪さはガチw
5代藩主・綱利が改名したのも当時の細川家当主と同じ名前になってしまったのが嫌だったらしい…

が…将軍から一字拝領したうえで、通字と組み合わせると大概似てしまうわなw

(前田・細川は両方とも将軍家からの一字拝領ある家柄)

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 10:18:09 ID:rJnvmM0c

>>197
家康の信任が厚かったせいもあるんだろうけど
晩年の高虎は蒲生やら生駒やらあちこちの大名の世話焼いてるね。

あと、有名な話だけど細川と黒田の仲の悪さはもっとすごいので
細川家の文書で黒田の話が出てきたら多少割引く必要があると思われ。

>>198
DQN四天王の一人が長男夫婦を無理矢理離婚+勘当したからなぁ。
前田が東軍に着いたとはいえ豊臣家に近い大名だったので、
長男夫婦の離婚で家康にアピール(ごますり)したという説もあるけど、アレはやりすぎだな。
前田家が嫌うようになるのはもっともだと思う。

徳川家康「そういうもの」・いい話

2009年02月25日 00:15

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 09:55:03 ID:v+xCGVxx
そういうもの


徳川秀忠がまだ将軍職を継ぐ前の事である。
秀忠が家康の下に挨拶に来たとき、秀忠に従っていた未だ小身の旗本たちに、
家康は直々に声をかけた。

「お前たちのような徳川家取立ての譜代の者達は、我が家にとって格別な者たちだ。

何故なら、外様の大名達は、口では徳川家を大切だと言っていても、いざ徳川の力が弱くなれば、
強いものに付き弱いものは捨てるからだ。

勘違いしてはいけないぞ、これは古今の定めだ。そんな態度は不届きだ!などと考えてはいけない。
世の中とはそういうものなのだ。

お前達はそう心得て、秀忠を支えてほしい。」





202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 10:08:09 ID:4U8LpgOM
>>201
さすが冷静でリアリストだなぁ狸の神君。

…幕末のことまで見通していたっていうよりは、
いずれ起こる(起こす)豊臣との戦を考えていたんだろうけどね

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 10:15:19 ID:TQ1dNl0S
まさか優遇した譜代はすべて新政府側について、仮想敵国だった東北諸侯や簒奪を疑われた保科正之の子孫である会津藩だけが最後まで従うとは思わなかったろうな。

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 10:18:09 ID:rJnvmM0c

>>203
いくら東照大権現公でも250年先までは予言できませんw

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 11:34:06 ID:+i6tTG5K
家康「我が遺体は西に向けよ」

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 12:51:02 ID:qLu4ZnL7
輝元「江戸には足向けて寝よう」

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 15:40:08 ID:FsTP8Y/0
>>205
一応、最初の墓所は駿河の久能山。
一年祀られただけで、250年も西方を押さえられたんだからたいしたもんだろ。

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 16:07:19 ID:QwlAhGBT
東に向けといたらアメリカにも負けなかったかもねw

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 18:02:38 ID:IBORYFqt
地球は丸いからどうにでもなるよ

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 19:27:42 ID:4U8LpgOM
>>203
信濃衆、武田遺臣としてもがんばったよ保科正直……

同じ幕末でいくと「藤堂さん家はやはりw裏切ったか」とかいわれちゃうのな...


213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 19:35:31 ID:w+BnZlnn
当家は元来、豊臣家臣でござれば…

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 19:54:35 ID:2DXMomdp
おっと、高虎の悪口はそこまでだ
裏切った理由を先祖に押し付けるのはのはいかんぞ
当事者が責められるべきだ

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 19:59:38 ID:v+xCGVxx
まあ、鳥羽伏見の時の裏切りも、本藩の指示ではなく部隊を率いていた家老の一存だった
らしいしな。>藤堂藩

200年以上も前の人物の個性を、200年後の組織と結びつけるのは無理がありすぎる。

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 20:02:21 ID:uhFMVumx
ネタとしちゃ面白いがな。真に受けちゃいかん。

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 20:24:42 ID:CVPfKu9l
でも会津の家風は家祖によるものが大きい気もする

220 名前:212[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 22:10:14 ID:4U8LpgOM
>214-215スマソ藤堂与右衛門は漏れも好きだよ。

というかもう、今更悪いこととも思えん。文字通り“時代が違う”もんね仕方ないわさ。

221 名前:212つづき[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 22:15:29 ID:4U8LpgOM
神君がさばけて>201で世の習い、って言ったこと(大名家の離反)を
世人は不義とかなんとか、色々理由つけるもんだね……って

これじゃ「悪い話」向きの解釈かw

上田宗箇さんの、討ち死に、ワンポイントアドバイス!

2009年02月25日 00:14

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 18:51:23 ID:v+xCGVxx
いいのか悪いのか書いてて訳が分からなくなったので、あえてこっちに投稿して見る


上田宗箇さんの、討ち死に、ワンポイントアドバイス!


ハーイ!SOKOだヨ!
侍は常に、戦場で討ち死にして首になったときのことを考えておくべきなのは、もう常識だよネ!

そのために大切なのはそう、『月代』!月代の後ろが下がった感じに剃っちゃうあなた!
それはミステイク。
首になったとき、なんだか詫び言をしているような顔になって、とってもかっこ悪いんだゾ!

月代は後ろ高に剃るように。これが首になったときかっこよく見せる秘訣!
そうそう、当然陣中にも剃刀を持参して、合戦の前日には月代をそって首を綺麗にしておくのも
オシャレ武士の身だしなみだゾ☆

この点に注意して、君もかっこいい討ち死にライフをエンジョイしようネ!



※東照大権現より一言
『さすが文武に秀でた古強者、SOKOのアドバイスは完璧だね!
ボクからもう一つ付け加えると、戦場に出るときは、鎧なんかはグっと抑えたものにして、
思い切って兜にお金をかけちゃおう!
討ち取られた時首とセットになるアイテムは兜だけ。首実検の時「この兜から察するに、
この武者はひとかどの者だったのであろう…」なーんて、周りの評価も一気にポイントアップ
しちゃうよ!』




211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 19:23:54 ID:4U8LpgOM
>>210
あんた大坂城下で竹藪を物色していた数奇者の……

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 21:21:23 ID:fzrGVHGj
>>210
そーなのかー
おれも明日から月代後ろ高に剃るわ

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 13:05:58 ID:fGiSbwt6
>>210
戦国時代のいけてるファッションは
・月代後ろ高剃り
・鎧は質流れのボロでいい 兜はブランド品
・ふんどしはもっこふんどし


こうですか分かり(ry

上記にもう一つ南の国から島津日新斎忠良おじいちゃんからのアドバイスがあるよ
「身分高く名のある武将はな
 戦場にあっても身だしなみを忘れぬ物じゃ
 どんなに過酷な戦場であっても
 眉剃り+眉書き+おはぐろ!!!
 絶対毎日忘れてはならぬ!」
(以上出典「日新菩薩記」(『島津史料集』所収)


・・・上記の話を読んだときから、
私の頭の中では島津一門+その部下は
大河ドラマに出てくる今川義元のように天井眉にお歯黒姿

大友義統の自虐・悪い話

2009年02月25日 00:13

322 名前:人間七七四年[sage ] 投稿日:2009/02/24(火) 07:08:53 ID:2sPtXp2I
大友宗麟の息子に大友義統という愚息がいた
朝鮮出兵の折、前線で戦っていた小西隊から救援要請があった
義統「小西隊壊滅?大群がこの鳳山城まで攻めてくるかもしれない
   そうだ!逃げよう!」
小西隊から救援要請があるにもかかわらず、
義統は逃げようとした
しかし1人で逃げる訳にもいかない
義統「立花宗茂くんだ!立花くん、立花くん、小西くんが
   壊滅状態でもう死んだかもしれないから一緒に
   漢城まで引き上げようよ!」
宗茂「小西行長死んだの?そんな話聞いてないよ。よく
   調べてから行動してみなよ。もし死んでたら弔い合戦
   すりゃいいじゃん」
あっさり宗茂にふられた義統は近くにいた黒田長政に同じ
提案をしました
義統「長政くん、長政くん、小西隊が」
長政「事実関係が明らかでないのに返事できねえよ」
長政にもあっさりふられた義統
今度は小早川隆景の弟であり息子である秀包の元に
同じ相談をしにいった
義統「秀包くん、秀包くん、小西が」
秀包「あのさあ、義統くん?あんた見苦しいよ。
   救援要請があったのに見方を見殺しにするの?
   自分が部下に小西行長殿の安否を確認しに行くから
   ちょっと待ってろ」
すると、小西行長は無事で、大群と1人果敢に戦っているのであった
事の顛末を秀包は隆景に報告しに行った

諸将は
「さすがは毛利元就の息子だ。大友義統とは大違いだ」
と秀包をほめ、義統は株を下げたのだった



323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 09:10:12 ID:jqCw81YM
その後秀吉に「豊後の臆病者」「日本一の臆病者」「最後の臆病者」(多数の説あり)
と言われて改易をくらう。諸大名に対しては「豊後の臆病者」として
「大友勘当の朱印状」が示される。
そして豊後は秀吉 蔵入地とされ、諸将への恩賞供給源とされる。
という後日談を加えるとよりわるい話になる。


324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 09:11:27 ID:jqCw81YM
さらにこの四人の年齢と関係を書くとより趣き深い。
大友義統   永禄元年(1558年)生まれ。四人の中で最年長。

立花宗茂   永禄10年(1567年)11月18日生まれ。
大友家の家臣から秀吉により独立した大名に取り立てられた。

黒田長政   永禄11年(1568年)12月3日生まれ。
黒田長政は高山右近、蒲生氏郷らキリシタン大名と共に
小西行長宅で開かれた天正遣欧少年使節を出迎えるパーティに参加した。
そこに大友義統が呼ばれもしないのに乱入した。
なぜ義統が父・宗麟と大村純忠・有馬晴信が派遣した使節を出迎えるパーティに
呼ばれてないかというと
使節の帰国前に秀吉が禁教令(1587年)を出すと
義統は即効棄教、弾圧開始したから。
その後秀吉の南蛮人に対する態度軟化。
使節も聚楽第において秀吉を前に、西洋音楽を演奏したりする。

そしてパーティの席で義統は
「自分は本当に弱虫で…意志薄弱で…」」
自虐トークを始める。
秀吉の禁教令によってキリスト教を弾圧したことについては
「周囲の家臣に言われて…」
「両親が死んで孤独だったから…」と弁解。
「また仲間に入れて」
とか言い出す。みんな義統にびっくりする。

小早川秀包永禄10年(1567年)生まれ。
正室:大友宗麟の娘・桂姫 つまり姻戚





325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 11:34:40 ID:mejB3sAn
自虐トークわろた
聞かされる方はたまったもんじゃないな
義統は親が不仲だと子供がおかしくなるいい例

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 12:54:45 ID:7nspmLhu
秀吉が聚落台にヴァリニヤーノ、天正遣欧使節の少年らを迎えたのは1591年で
既に黒田長政は表向きは棄教していたのかも。如水は棄てなかったっぽい。
もともと義統は洗礼受けるも、あまりその気が無かった。
秀吉も現金なもので、一旦バテレン追放、迫害とかしときながら
帰国に際して困った使節が、「インド、ゴアの副王のお使い」てことになったら
最初は会う気もなかったのに、満面笑みで
「いらっしゃい、お前ら楽器たいそう上手いのう、ワシに仕えぬか?」だった。
ジャスカン.デ.プレの曲だったらしい。

朝鮮での義統の敵前逃亡は、偵察に行った家臣の誤報がもとだったらしいが、
卑怯は卑怯。
御蔭で小西行長は、着の身着のまま、凍死寸前で黒田長政の陣地にたどり着いた。

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 15:00:16 ID:rJnvmM0c

>>326
「ジョスカン」といわれる場合もあるようだね
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E9%9F%B3%E5%B7%BB-1-%EF%BD%9E%E7%A7%80%E5%90%89%E3%
81%8C%E3%81%8D%E3%81%84%E3%81%9F%E9%9F%B3%E6%A5%BD/dp/B00005FIFZ/ref=pd_ts_m_23?ie=UTF8&s=music
にしてもラスボスはラスボスだなぁ

武田信玄、軍配者を推挙される・悪い話

2009年02月25日 00:11

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 13:06:28 ID:v+xCGVxx
ある時、武田信玄に、その側近、長坂釣閑斎が、徳厳という軍配者(まあ、占い師ですね)を
推挙したことがあった。

その時信玄が釣閑斎に尋ねた。

「その徳厳と言う者は、足利学校で学んだのか?」

釣閑斎が、徳厳は足利学校で学んだのではない事を説明すると


  足 就 足  /   ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、    ,r';;r"           _ノ
  軽 職 利  L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/             )   非 え
  ま.出 卒  //;;/´         `' 、;;;;;;;;,,l;;'            /ヽ  足 │
  で 来.以  /.,';/              ヽ;;;;,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i 利 マ
  じ る 外 l |;|┌--‐フ  ┌----、、   |;ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !!  ジ
  ゃ の がi  |l ~~__´ 、   ``'__''''┘  |;;;;;l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;厶,
  ぞ は   l _|. <,,O,> 〉   <,,O,,>    |;;;;;| `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;ヽ
        ._ゝ'|.    /   、       |; ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
       「 | |    (    )       .ソ l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ
        ヽヽ |    _,ニ ニ,,,,,_        ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄  `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、     ''  ', i、-----.、       `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ!   ',   :i゙''''''''''`l'  ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\        ,'  ト、,
      /    ヽ.   L__」   「 止 笑 L_ ヽ〈    i|          Vi゙、
ハ ワ  {.     ヽ.  -、、、、 '  ノ  ま い  了゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
ハ ハ   ヽ.     ハ       )  ら が  |  ',.' ,  ̄ , '    ノ  /./    ヽ,
ハ ハ    >  /|ヽヽ、___,,,,、 'く  ん    > ヽ.  ̄´   / ,、 ' /     / \
ハ ハ   /  ノ. | ヽ       フ      /  ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙     /


「そんな奴は信用できない」
信玄は徳厳を召抱える事はなかったということです。




328 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/24(火) 14:04:47 ID:4JgnhEYl
>>327
秀吉「学歴なんざに拘るようじゃ天下は取れないぜ」

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 14:05:06 ID:2DXMomdp
武田家の採用基準って...?
つーか山本勘助はどうなるんだよ

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 14:22:23 ID:UasReE19
信玄に好意的に解釈するなら、出来るだけ重臣の長坂の面子がたつように断ったってことじゃないかね
出自のしっかりした(=足利学校出身の)者ならともかく、どこの馬の骨かもわからん得体の知れない者は雇用しないってのは当然といや当然でしょ
それをあえて足利学校なんて出して遠回しに示したとか

存在云々を一旦おいといて、山本勘助は資料を信じるなら今川家の被官の一族出身だった・・・よね?

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 16:50:37 ID:OqbRWuT7
武田家は(もとは武田の血族でもあるんだけど)地元に根を張った
国人領主が総領国主の言うことを聞かない。そうした国内の領主は
独立割拠する勢力であって、信虎の時代まで「家臣」と言える存在じゃ
なかった。

だから信虎あたりから、他国からの流れ者や、能力はあるけどよその
土地でくすぶってる人間に積極的に働きかけて直臣化させる努力を
せっせとしている。よく勘助を召し抱えた晴信が引き合いに出されるが、
そもそも信虎だって、原虎胤、小幡虎盛らをどんどん他国からゲットした。
虎胤なんて、他国者の侍大将あがりなのに、板垣・甘利が粛清された
ある時期は彼らに代わって「職」の地位について国内の運営を任されてる。
今で言えば帰化した外国人が官房長官を任されるようなもの。
内紛が絶えなかった甲斐ならではの現象という要素もあったのじゃないか。

徳厳の場合はタイミングや職種の問題でしょ。


334 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/24(火) 18:21:48 ID:xma5Foau
>>327
このAAを褒めるべきだろ

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 18:33:12 ID:gEIy1syr
 元  画 し! .i:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;!;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;i        |;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:||;:;:;:;:;_ノ   .画  え
 服  像  / i:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;!;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ィ、         l;:;:;:___jl|___)    像   |
 前  な  L/;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:!;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;-彡彡、      ,イ::7´ ,r=ぅ   r- ヽ   な  マ
 ま   し  /ミイ゙ー-- ;:;:i;:;:;:;ーー‐'"´ ヾ彡彡シ     /::::シ  "´    ` ~´.i.   し  ジ
 で.  が  /ミミ´   rz,、, i ー'''rzッ    '彡彡シ      )::/ ,. -- 、   , --く   と
 で  許  l ミリ  -  ̄ `i ´  ̄,,.,,   ゙彡7⌒i     l:::l.:.,ィ句丶y'.:  ィ句丶厶  な
 お  さ  iド、 '"- 二iソ,,`ー'" 二ヾ彡 ゙彡;ヽ j      }::l:.:.` ̄,.:'´ .: : `ミ ̄.:.:.:.ヽ !? 
 じ  れ  l{ { 〃代ゞイ::i ーt‐=でシ>シ  リシ;; /     l::l   , ' ,r'  ヽ、   :.:.レ、⌒Y⌒ヽ
 ゃ  る  _ゝ ` 、,,~~':::  ヽ,,,二 ィ  / 「 {′    N!    /゙'^'- '^'゙ヽ      l::fク //
 る  の  「 いヽ   ノ::   ヾ、   , '´  r '_人__人ノ_l!   /  ,..,_,..、 丶     l:lぅ,ノノ
-┐  は,√  ゙i::.   ー=、_-=ヘヽ       | 「 心 帝 L_ i   ,イエエエ>、 ヽ    ,l:ゝ- '
  レ'⌒ヽ/    ',::: ,彡ツj i ヾミミヽ   ,' .ノ ノ. し に   了 l l{、:.:.:.:ノ:.:.:l) l   イ::ノ
人_,、ノL_,iノ!    i  (シ一 -ー―゙ミ、   //). て 言   | ! l ヽゝェェェァツ  }   ,/:::ヽ
が 汰 帝 /   ,,,,小、'  `二二´___  ,,, ノ::::く  お 上   >、  `ー-‐ '" ノ ,ィ'{^~゙゙´
よ を の{. /,:/::iヽヽ、     ,,,  /.:::::::::!  じ す  ( l, ト、       ,ィ" Y lト、
い 待 おヽ,:,:/ヘ \\`三二三,,-‐'"::::::::,,イノ   ゃ る   >ヽ.` ‐--‐ '"´    / ハ
! つ 沙 /                  フ  れ 故   /

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 18:48:20 ID:3U6/whXG
言上でもいいけど、帝に言うなら奏上の方がいいかもしらん。どうでもいいが。

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 20:15:20 ID:VxD9D4z5
AA職人ってこういう馬鹿馬鹿しいことに命賭けてるよな

愛してる

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 23:21:11 ID:km6La3NG
>>332
でも原虎胤は千葉氏の一族だから、相当な名家じゃね?
名前に胤も付くし

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 23:25:02 ID:dQH71O0d
>>327
これって軍配者=気象予報士って意味だからだよね。
作法とか慣習とか、最低限必要なスキルをつけてくれるのが、
足利学校と。
普通の武士ならブルーカラーだし、勇敢ならオッケーだけど、
ホワイトカラーならやっぱ資格とか学歴いるだろという。
肉体労働者なら学歴はどうでもいいけど、技能労働者ならやはり
必要ってことで。

それかそいつがなんかDQN臭くて、適当な理由をつけて
「当家とはご縁がなかったということで…」と言ったとか。どうかな?


342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 23:29:11 ID:KCyiMjBX
どうも胡散臭かったようだ

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 23:34:19 ID:wqtZ8UQ6
軍配者は戦の吉凶を占ったり、諸々の儀式を執り行わなければならない。
だから易学や孫子、呉子などの武経七書に精通してないといけないらしい。
で、それらを教えてるのが足利学校。

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 00:25:54 ID:Or2xIW8W
昔は国内に一つくらいしかない学校にはるばる出向いて学ばなければ知識は得られない。
当然学費生活費旅費も半端ない。まさに一将は得がたく万卒は得やすし。

ところが現代は大卒当たり前で氷河期や内定取り消しで卒業しても就職がない有様。
企業は中国やインドに安い労働力を求めて進出。
現代は一将は得やすく万卒は得がたし。

島津のDQNと酒・悪い話

2009年02月24日 10:44

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/14(土) 12:43:11 ID:5Q9P6Vhe
いい話スレで酒の話が出てきたので

「島津のDQNと酒」

島津忠恒は、兄・久保が朝鮮出兵中に急逝したことで棚ぼた的に次期島津当主予定者となった。
駄菓子下肢
忠恒の父・義弘には忠恒について1点ひじょーに心配していることがあった。

それは 酒癖が悪いこと。

忠恒が秀吉の命で上洛するとき、早速お付きの家臣にこのような忠告を送っている
「アレ(=忠恒)は酒を飲ませ過ぎると暴走するので、よくよくそばにいるお前が注意するように」
しかしその後も義弘から忠恒に宛てた手紙に都度都度
「お前、酒には(ry」
というお小言が頻出するところを見ると、家臣の注意も聞かず泥酔して(以下略)という事態が
多かったらしいことが伺える。

義弘の「お前、酒(ry」というお小言は関ヶ原の合戦後、忠恒が正式に家督を継いだ
慶長7年以降も続いた・・・
義弘から忠恒宛の手紙に酒をたしなめる文言が出てこなくなるのは慶長15年前後
そう、島津義久が死んだことをきっかけに正室亀寿を追放して家久(もと忠恒)が
堂々と女遊びに走るころである。




948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/14(土) 13:29:03 ID:L8y77fai
しかし忠恒、その後なかなか腹黒く、上手く立ち回ったんですね。

パパが死んでから、ようやく呪縛は解けたのかな。
今時の2世国会議員みたいだなあ。

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/14(土) 13:43:43 ID:i3CDX868
>>947
駄菓子下肢の意味がわからなくて5分ぐらい考えた

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/14(土) 16:51:06 ID:5w3gDqmz
>>947
忠恒「父上の『お前、酒には(ry』という暗号…
  これをryに従い、省略していくと『お酒』という文字が浮かび上がる
  つまり、これは『忠恒、お酒を楽しめ』というメッセージだったんだよ!!」

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/14(土) 18:18:52 ID:Rj9L4KUD
な、なんだってー(棒読み)

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/14(土) 18:23:41 ID:EDzK6lxv
ひどい解釈だ

島津日新斎忠良から孫の島津義久に・いい話

2009年02月24日 00:15

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 01:08:10 ID:NmGYjVQy
毛利家に負けないぞ!?
島津家の爺ちゃんから孫への心温まる手紙

「善も悪し 悪しも善なり なせばなす 心よ心 恥よ恐れよ

その1 不動明王と愛染明王への信仰は日々忘れてはならんぞ
     常に厳しい表情の不動明王と愛情と煩悩の仏・愛染明王の両方を兼ね備えるようにするのじゃ!
その2 些細なトラブルもほっとかずにちゃんと糾明しておくんだぞ
その3 小さな過失は見逃してやる方が優しいと思ってほっといたらダメポ!大きな問題の元になるよ
その4 領国の安全を思い、身を惜しまず過ちはすぐ改め、腹を立てず怒りを我慢すれば、
     天道・神様・仏様のご加護があるよ
その5 絶対に他人をけなしてはいかん、自らは戒律を守り目立たぬ様にし、他人の過ちは厳しく罰するように
     それが本当の慈悲の心なのじゃぞ

以上、諫言のようじゃが、これは老人の愚痴じゃと思って堪忍して下されよ

                                  永禄4年(1561年)10月」

上記は島津家中興の祖とうたわれた島津日新斎忠良から孫の島津義久に送られた手紙です。
内容だけ見てると「どこが悪い話なんだ?」と思われるでしょうが
実は上記の手紙を出したときに、孫・義久は既に28歳の子持ちでした・・・
おじいちゃん早く孫離れしましょうね




292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 01:15:56 ID:+mWgVJTC
別に28でも孫は孫だし、
いい話スレの方が妥当だと思うけど

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 01:18:26 ID:+901sj92
大きなお世話って言えばそんな気もするがあっちでもいいかなw

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 07:15:45 ID:sZIhWmjq
>>291
この日新斎公の信心深い態度が、後の大友との争いを宗教戦争のような様相にした、
と、考えられなくもないw

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 09:20:48 ID:vFPuCqlV
いい話でおk

南部利直とその家臣、北信景・悪い話

2009年02月24日 00:13

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 09:30:50 ID:AISn4vDq
南部利直の家臣に北信景という男が居た
彼は名臣北信愛の甥で南部盛岡藩の金山奉行を勤めた有能な人物である

ある日、利直の食事に小石が混じっていた
これに激怒した利直は小姓をしていた信景の子の十蔵に料理人の手打ちを命じた
しかし十蔵、料理人の必死の抵抗にあって重傷を負い死亡してしまう
これに信景は「元服前の若輩に命じる事か!」と激怒し出仕しなくなってしまう
これに利直も激怒、閉門処分とし職責を剥奪してしまう
こうなると収まりがつかない信景はついに高野山へ出奔してしまうのである

そして大坂冬の陣
大坂城内に派手な甲冑を身につけ‘南部の光武者’と渾名された南部信景なる人物がいた
そう、北信景である
彼は南部宗家血を引いているのでこの名乗りは利直への当てつけである
さらに彼は入城に際して、弓500矢1万(祐清私記)とも鉄砲数百挺(篤焉家訓)いわれる膨大な装備品を持ち込んだ
これらは金山奉行時代に‘不正に’貯め込んだ財産が元手であるといわれる
もちろんこの信景の行動に利直は激怒
従来、徳川への忠勤を示すとされる冬の陣へ強行参戦も信景を討つ為だけだったとする説もある

さて、夏の陣終了後もしぶとく生き残った信景であったがついに伊勢にて捕縛される
盛岡藩に移送された彼を南部利直は直々に処刑した


いろんな部分で悪い話




297 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/23(月) 10:03:54 ID:QYZ8Mf1r
>>296
北信愛「俺が長生きしていれば…」

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 10:47:35 ID:+mWgVJTC
南部の当主って根暗揃いのイメージ

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 11:19:08 ID:NKpF8JqO
津軽為信「ワシもそう思う」

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 11:37:40 ID:29f7XcwC
九戸政実「わしもそう思う」

301 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/23(月) 11:43:46 ID:COXheLoU
>>298
南部って
「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く」
と言う歌の、叩く方ってイメージなんだな。
自分も強者にしてやられているが、
弱い立場の相手にはものすごく高圧的。
もののふの情けとかとは無縁。

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 12:19:51 ID:sZIhWmjq
何故突然南部叩きの流れに?
弱いものに高圧的になるのが酷いと言う人に、朝倉宗滴翁のお言葉を

「犬とも言え、畜生とも言え。武士は勝つ事が本にて候」

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 12:21:04 ID:nOe2tkKM
それはさすがに南部さんに失礼
だがまじめに住んでいる場所の気候が似ていると
生活環境など諸々が似ていて、人間性なども似ているらしい

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 12:31:50 ID:EGNti6Y8
お前ら→え゜=ぷノ ←南部さん

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 12:41:01 ID:kVuIlv65
万が一に備えて、家臣を大阪に送り込むも徳川の勝利。
徳川への弁明のために後で話を捏造系のネタのような気がしないでもないが。

308 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/23(月) 19:27:08 ID:6IHhSLbb
>>306
テル「家臣をこっそりと大阪に送り込むなんて卑怯だよ」

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:45:24 ID:1zRwLVaG
>>306
三斎「家臣じゃなく息子を大坂に入れた大名もいるらしいぜ。徳川に忠勤を尽くす細川家にはあり得ない話だな。」

伊達忠宗と政宗の借金・悪い話

2009年02月24日 00:12

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:17:35 ID:sZIhWmjq
あるとき、幕府勘定方より、奥州太守伊達忠宗の所にお手紙着いた

「借金返セ」

忠宗
「え?、ウチは公儀から借金なんてしたことないよ?」

勘定方
「いえいえ、先ほど亡くなったアンタの父上、政宗公が。ほらこんなに。」

        ___
       /⌒  ⌒\         ━━┓┃┃
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      ゙ヽ, ,__    ,. -ー"ヽヽ

「なんじゃこりゃあ!!!???」

それはそれは莫大な借金だった。もう笑っちゃうほど。
「こ、こんなもの払ったらウチの藩は破産する!」

しかし間違いなく偉大な父、政宗のした借金である。その子である忠宗、意を決した。

「払えませんよこんなもの!ウチの親父が借金してたなんてしらねーですもん!」

支払い拒否の方向で。

こんな親父のわけの分からん借金で藩をむちゃくちゃにされてなるものか。
どうせろくな事に使っちゃいないだろうし。

「だいたい先代の借金なんだから、先代が生きているうちに催促しに来なさいよ!
それしてないのはそっちのミスでしょ!その癖先代が死んでから、いまさら
『親御さんの借金ですよ~』って俺に言われたって、そんな事いわれても困るだけだよ、
俺のした借金じゃないんだから。とにかく、迷惑。こんなもの、払えません!」

と、気合でこの借金を有耶無耶にしてしまったとか。
派手な大物を親に持つのも色々大変だ、というお話。




309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:34:52 ID:+901sj92
>>307
そんな言い分で踏み倒せるのかよw

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:39:36 ID:sZIhWmjq
>>309
「あくまで政宗の個人的借金!藩で借りたんじゃないし俺しらね!」で、押し通したらしいw

312 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/23(月) 19:47:11 ID:GNTtcPKg
さすが政宗、いったい何のためにそんな金額を借りたのやら。

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:56:51 ID:29f7XcwC
文化財クラッシュ
秀忠・家光招待してパーティーしまくり
グルメ三昧

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 20:17:37 ID:+rvGLvNP
遊興なんてたかが知れてる、仙台入って金山掘りまくり開発しまくりだから
仙台開発にめちゃくちゃ使ったんじゃ?
と、思ったが伊達じゃわからん

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 20:19:36 ID:+rvGLvNP
って幕府方からからよww

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 21:37:38 ID:2CCGavU7
公儀からの借金ってところが、使途「遊興」に真実味を与えてるな・・・w

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 21:47:42 ID:p6hWrxon
>315-316
……遣欧使節の渡航費とか?

あれ幕府もグルだから

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 01:13:44 ID:K3DITO7G
>>317
遣欧使節は着払いでスペインに払わせるつもりだったらしいが(もちろん事前連絡なし)
向こうはこんな押しかけ女房みたいな連中に金出してくれたのかね?
滞在費かさむから、さっさとスペイン出てけみたいなこと現地で言われてなかったっけw

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 01:17:59 ID:e5anlBIX
>>318
まとめブログにそこら辺の話あったような気がするよ~

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 03:39:46 ID:g93NH5m7
出てけまで記述あったっけ。ってスレチかw

何というか、 なぜ 許されるのか… 納得がいかんw

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 03:56:34 ID:0yNPT8SB
まぁ借金に関する観念が今日日と違った時代だし
徳政令とかがまかり通った世の中かつ
相手の返済能力を勘案した適度な貸し付けで無かったのも事実




参考
伊達政宗と慶長遣欧使節・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-522.html

伊達政宗とお腹のできもの・いい話?

2009年02月24日 00:11

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 23:02:51 ID:TzuaBHJU
伊達政宗が東北の片田舎でブイブイ言わしてた頃のおはなし
政宗のお腹にできものができてしまい、切っても薬を塗っても治らない
どうしたもんかと悩んでいたが、政宗ふと思いついた

       |
   \  __  /
   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
   /  .`´  \
     ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    (・∀・∩< そうだ!焼こう!
    (つ  丿 \_________
    ⊂_ ノ
      (_)

早速政宗は小十郎に熱して布にくるんだ蹄鉄を用意させ、自分の腹部に押し当てさせた
その痛みは半端でなかったらしく、「小十郎の姿ふたつにも見え」と政宗が語ったほどであった
結局、荒療治であったができものはきれいさっぱりなくなったと言う

いい話でもなんでもないかもしれないが、目玉をくりぬかせた上に腹に焼きゴテまで命じた
政宗と、それを実行した小十郎の信頼関係は素晴らしい




147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 23:22:16 ID:qDq+XRWS
片目なのに二重に見えてしまうんだから相当なもんだな。

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 23:32:03 ID:3N67HzcO
実は小十郎が素早く動いてこれでもかと腹に鏝を当てまくってたのが残像として見えたわけではないのだな

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 00:46:43 ID:Q/N4OF8G
>>146
戦国時代の日本に蹄鉄は無かったと思ってたけど
そんなことは無かったぜ(;・∀・)

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 01:19:40 ID:+mWgVJTC
>>147
確かにww



続き
伊達政宗とお腹のできもの・補足
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3136.html

米沢城下の火事と片倉小十郎景綱・いい話

2009年02月24日 00:09

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 00:02:49 ID:qfhdwWpE
政宗が家督を継いだばかりのころ。 ある夜、米沢城下で火事が起こった。

政宗はわずかな供回りを連れて馬で駆けつけ、みずから消火活動を督励したが、
風が強く火は強まるばかりで、あきらめて逃げ去る侍が現れた。

政宗に付き従って来た片倉小十郎景綱は、歯ぎしりした。
「いかん、これでは政宗様の威信にも関わる。しかし、どうすれば・・・」

その時、近くを二人の侍が逃げ走るのを見た小十郎は、ひらめいた。

「ど  こ  へ  行  く  !!」

政宗の許可も取らず二人の侍を追いかけた小十郎は、馬上から二人を槍で突き殺した。
これを見た者たちがさすがに凍りつき、逃げ足を止めるのを見た小十郎は、叫んだ。

「聞けい、皆の衆!今日の火事は、主君のご出馬ある以上、大敵に向かうと同じ!
敵ならいざ知らず、自城の小火を消せぬとあれば、隣国に聞こえれば大恥をかくぞ!
さあ、恥を知る者は風に向かい、火の粉を被るとも一歩も退くべからず!!」

これに奮起した諸侍が力を合わせて消火に努めた結果、程なく火は静まった。
かたわらでこれを見た政宗は、いよいよ小十郎を重く用いるようになった。


片倉さんはその忠義だけでなく、機転と肝の太さをもって政宗に信頼されたという話。




150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 00:40:44 ID:+rvGLvNP
ふと以前にも思ったことがある気がするが、鬼小十郎は
息子の方の異名だが、本当に鬼っぽいのは父小十郎だよな。

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 00:44:04 ID:RvEsdKHR
異名に鬼が付く武将って結構いるよな

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 00:56:54 ID:kg5ZCPh/
織田徳川武田だけでも鬼がぞろぞろ居るからな。

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 00:59:15 ID:+901sj92
九州あたりにも結構住んでる。

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 01:17:49 ID:cZbElYEg
>>151
軍記ものでは、異名どころか苗字に鬼がついた鬼小島なんていうのも。

>>152
ってことで、明治時代以降にできた逸話っぽいねぇ。

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 01:24:34 ID:yAg7jW6o
>>151
政宗さんの近所には「坂東太郎」の異名を持つ鬼がいるとかw

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 01:42:08 ID:QlhEffPG
犬(利家)サル(秀吉)雉(?)を引き連れた桃太郎(信長)のでばんですな?

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 02:33:04 ID:cLfR/SJl
>>157
東北でも「暑くて布団で寝られねー」と言ったお方な

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 14:55:27 ID:p6hWrxon
>>158
あんた鬼に甘いからダメっスよ第六天魔王(自称)の人...('A`)

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 15:15:55 ID:tMtctVtZ
鬼を部下にした桃太郎により世界は暗黒に包まれた

~桃太郎伝説 完~

サン・フェリペ号の座礁と久武内蔵助親直・いい話

2009年02月24日 00:07

160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 02:42:06 ID:7aKBd201
長宗我部家の奸臣として名を残してしまった久武内蔵助親直の話

慶長元年、土佐浦戸に一隻の外国船が漂着した
暴風雨に遭遇して船体を痛めたイスパニア船、サン・フェリペ号だった
長宗我部元親は国主として保護を約束し、上方へ通報した

さて、一息ついたサン・フェリペ号、湾内に移動しようとしたのだが、岩礁に座礁、
船底に大穴を開けてしまった
布製品から香辛料、金や武器まで大量の積荷が、ぷかりぷかりと流されていく
この当時は、海から流れ着いたものは、その浜のもの
土佐の人々も慣例に倣い、勿怪の幸いと荷を持ち去った

これを危ぶんだのが、久武親直である
「これは外国との問題です。
通報を受けた上方から、石田三成様や増田長盛様が検分に参られれば、どうします。
船の荷を勝手に処分したとあれば、お家の命取りともなりかねません。
積荷を奪うような者は、この内蔵助でも誰でも、厳罰に処するべきです」

親直は有言実行だった
自分の親族の使用人が積荷を盗んだと判明するや、使用人を処刑、親族も切腹させてしまった
浜の人々はついに荷を恐れ、避けて通るようになった

やがて、長盛が検視役としてやってきたが、この経緯を知り、長宗我部家の処置を褒め称えたという




161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 03:27:36 ID:+901sj92
頭の回転の早い人ではあるんだよ。

良くも悪くも。

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 04:31:54 ID:+mWgVJTC
石田とか直江みたいなポジションの人だったのかな

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 06:56:29 ID:MzZeEafD
No.1にならなくてもーいーいー

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 14:58:44 ID:iviqCVoV
取りたまえ。君はテミストクレスではないのだから
って言葉を思い出した。

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 16:01:14 ID:sZIhWmjq
>>160
でも結局、その積荷は豊臣家で没収したんだよねw

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 23:01:44 ID:2pPpfK5C
>>160

船の積み荷は、秀吉がひとり占めにしたんだよね。
朝鮮行くのに使った。

日本国王のくせにケチなやつ。

蒲生氏郷と佐々成政の馬印・いい話

2009年02月24日 00:05

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 16:31:20 ID:1z7GMaY5
小田原攻めが決まると蒲生氏郷は豊臣秀吉にあるお願いをした。
「どうか、亡き成政殿の馬印を私に下さい。」

佐々成政は小田原攻めの2年前に失政の責任をとって切腹していた。
氏郷の馬印は熊の毛皮を棒に巻いた地味なものだったので、氏郷は
成政の金の三階菅笠の馬印を所望した。しかし、馬印はそうやすやすと
変えていいものではないので秀吉は難色を示した。

「成政ほどの武将の馬印を簡単に認めるわけにはいかぬ。
どうしても欲しいというならば武功を立てよ。」

「わかりました。此度の戦は人々が私の働きに驚嘆するか、
私が討死するかのどちらかとなることでしょう。」

出陣した氏郷は松坂城に立ち寄り、自分の肖像画を描かせ、
まだ許されてはいないが、金の三階菅笠の馬印を作った。
そして乳母に自分の肖像画を菩提所に納めるように頼んだ。
しかし、氏郷があまりにも不吉なことを言うので乳母は泣き出してしまう。

「氏郷様はまだお若いのに肖像画を作るだなんて縁起でもありません。
やめて下さい!」

すると氏郷は笑ってこう言った。
「武士は生きて帰ることなど考えたりはしない。
ましてや関東に下るともなれば、なおさら生きて帰れる保障はない。
だから肖像画を作っておけば、万が一私が討死したとしても
息子の秀行が大きくなったときに、私がどんな姿だったかがわかって
形見になると思ってな。」

やがて合戦が始まると氏郷は小田原城に夜襲を仕掛けた。
その際、氏郷は北条家の将・広沢秀信と死闘を繰り広げた。
氏郷の槍はくたびれ、鎧には矢が2本刺さっていたという。
この働きに秀吉は満足し、遂に成政の馬印の使用を許可したのだった。




169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 16:34:13 ID:EGNti6Y8
>>168
氏郷って常に武功立てて何かもらうか死ぬかの二択しかないよな。
それだけ自分の追い詰めて力発揮するタイプなのか?

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 17:15:52 ID:D0I4mqWW
秀吉の部下の蒲生氏郷、でしか無いところに焦りを感じていたとか・・・

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 17:56:35 ID:vAy1AORR
ひとり立ちしてもその猪突っぷりが仇になってあっという間に死にそうな気が

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 18:02:59 ID:sZIhWmjq
いろんな意味で、良くも悪くも「優等生」なんだよね、氏郷は。

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 18:09:58 ID:p6hWrxon
>>171
信之兄ちゃん(の家臣を兄ちゃんが評して曰く)みたく、
「殿に先駆けなんてさせンじゃねェ、逝くぜ真田武士共」ウラー!
って殿様の馬前に立って代わりに討たれる家士が続出しそうな悪寒

実際、蒲生家中で名を成して他家へ移った連中が関ヶ原の西軍最前線にもろもろ……


そういや殿様から家臣までみんなシグルイの鍋島さん家とか、島原の乱じゃムチャクチャ犠牲出したらしいな

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:00:54 ID:+901sj92
名古屋山三郎「氏郷様にはとても可愛がってもらってたけど子供に仕える義理は無いよね。」


「鬼」の異名について・雑談

2009年02月24日 00:01

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 00:44:04 ID:RvEsdKHR
異名に鬼が付く武将って結構いるよな

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 01:17:49 ID:cZbElYEg
>>151
軍記ものでは、異名どころか苗字に鬼がついた鬼小島なんていうのも。

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 01:24:34 ID:yAg7jW6o
>>151
政宗さんの近所には「坂東太郎」の異名を持つ鬼がいるとかw



175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:32:35 ID:RvEsdKHR
青鬼 籾井教業
赤鬼 赤井直正
赤鬼 井伊直政
赤鬼 織田信長
鬼柴田 柴田勝家
鬼玄蕃 佐久間盛政
鬼五郎左 丹羽長秀
鬼武蔵 森長可
鬼武蔵 親納忠元
鬼美濃 原虎胤
鬼美濃 馬場信房
鬼の半蔵 服部半蔵
鬼作左 本多重次
鬼虎 小幡虎盛
鬼将軍 加藤清正
鬼義重 佐竹義重
鬼島津 島津義弘
鬼十河 十河一存
鬼道雪 立花道雪
鬼の小十郎 片倉重長
鬼真壁 真壁氏幹
丹波鬼 波多野宗高

日本は真鬼の住まう地であった…



176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:35:47 ID:sZIhWmjq
>>175

しかしこれだけ鬼がいると、地獄の番卒も困っちゃうだろうなw

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:38:46 ID:1sjUpwJS
かぶっちゃった新納がなんとも言えないwww
完全にインパクト負けしてるw

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:44:59 ID:kbgTcVds
>>175
鬼吉川の吉川元春がおらんがや

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:51:46 ID:+901sj92
武田家中で鬼美濃ダブってるw

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:52:30 ID:p6hWrxon
>>175
新納忠元ぬ

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:56:24 ID:p6hWrxon
あと鬼小島弥太郎さんとかね

>175
北条の松田康郷も赤鬼・鬼孫太郎といわれてるな

上杉謙信が褒め称えたつー話で

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:57:38 ID:sZIhWmjq
しかし「鬼」の付く人は、基本的には武将か武官なのに、文官で鬼とあだ名された作左さんは
ちょっと面白いなw

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:58:05 ID:o5Sor8fb
「鬼美濃」は美濃守の名乗りごと受け継いだようなもんだしな。

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 20:09:13 ID:Bql8f+Q1
鬼庭 良直
「拙者はどうですかね?」

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 20:11:01 ID:QlhEffPG
鬼畜関白秀吉「ガッハッハ、グレイトだぎゃ~!」

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 20:53:42 ID:vAy1AORR
出羽の鬼姫様がいないようだが

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 21:36:06 ID:p6hWrxon
>177
親指武蔵の怖さを知らんのか…

そらDQN振りで森長可にゃ及ばんけど、インパクトとかの問題じゃねえだろ
戦場の功名は抜群で敵味方問わず戦死者を厚く弔う一面もある
島津義久が家中の武功の士を挙げたとき(弟たちと並んで)真っ先に出てくるくらいの功臣やぞ?

>182作左衛門重次さんは三河の奉行衆だけど…槍先の功名だっていっぱいあるんやでー
まあ「まもらねば さくざがしかる」は世紀の名言だがw

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 21:38:35 ID:kbgTcVds
このスレには森長可ヲタが多いからしょうがない

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 21:49:12 ID:zqgvra5I
名臣なのにインパクトで負けちゃって勿体ねえってことでしょ

岡部の黒鬼・・・

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 16:04:51 ID:0My735Zu
>>175
亀レスだが「播磨の鬼」も入れといて

筧又蔵の出奔・悪い話

2009年02月23日 00:29

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 03:48:36 ID:pFM743/I
徳川家の臣に筧又蔵という男がいた。
彼は長篠の戦いで見事な采配を見せたので信長は非常に感心した。

信長「又蔵の指揮はすばらしい。三河殿はよき家臣を
   お持ちのようだ。」
家康「いえいえ、あの程度の者なら我が家中にごまんと
   おりますよ。」

家康は見栄を張って余計なことを言ってしまった。
又蔵は家康の言葉を本気にした。

又蔵「殿がそのように思っておられたとは心外だ。拙者のような
   者がそうそういるものか、拙者は暇を取らせていたたく!」

怒った又蔵は徳川家を飛び出してしまった。家康は内心、

家康(あれほどの武将を失うとは、馬鹿なこと言ってしまった…。)

と悔やんでいたのだが、意地を張ってまた余計なことを言ってしまった。

家康「あのような者は日本中の誰もが相手にしてはいかんのだ。」

これを知った又蔵はまた本気にしてしまう。

又蔵「そこまで低く思っておられたのか…。こうなれば日本を出て
   外国にでも行くとしよう。」

とうとう朝鮮半島に渡ってしまった又蔵はそこで朝鮮軍が
外国の軍隊と戦って負けるのを見た。

又蔵「ふん、拙者が采配を執ればあのような負け方はしない。」

又蔵がこのように言っていることを知った朝鮮国王が
又蔵に兵を与えてみると、又蔵は日本の戦術を兵たちに教えて
敵軍を負かしたという。

張らんでもいい意地で有能な家臣を失った頑固家康であった。




255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 04:05:46 ID:o6qpRSr4
>>254
そこは「織田家中にもごまんといるでしょう」って言うところだよなw
ところで、何処と戦ってたんだろう?

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 04:07:11 ID:Taovu6+H
でも朝鮮戦役がグダグダになったお陰で
家康は後で楽に天下取り出来たし
損ばかりでも無いんじゃね?

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 14:12:23 ID:pFM743/I
>>255
どこかはわからないけど明じゃないだろうし…。
女真族じゃないかな?

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 15:17:43 ID:Hoz7APtK
>>264
秀吉さんちの日本軍が攻めてきたのに朝鮮義兵を率いて対抗したんではないの?

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 16:47:53 ID:nuDFPt3D
朝鮮は北の遊牧民と度々抗争してるから多分満州族だろ
もしくは倭寇

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 20:51:13 ID:swsFCbu9
>>254
実は家康は後に起こる秀吉の朝鮮出兵を見越していて、筧を朝鮮に追いやったのでした

鍋島直茂のおうらみ状・悪い話

2009年02月23日 00:28

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 09:54:29 ID:2prOSOt7
鍋島直茂のおうらみ状

1607年龍造寺高房(22歳)は、江戸の屋敷で妻(19歳)を殺害、自らも自害を図った。
発見が早かったため一命をとりとめた。
高房に事情を問いただすため幕府からも使者が来たが、何も答えなかったという。
直茂は龍造寺政家に書状を送った。
この手紙が世に言う「おうらみ状」である。

「自分は隆信様の死後、龍造寺家を盛り立ててきた。
領国の経営は仮に自分が預かってはいるが、
常に龍造寺家を大切にしてきた。
高房様には江戸でのお暮らしに不自由がないよう、
十分な仕送りもしている。
しかるになぜ高房様はこのようなことをなさるのか。
誰にあてつけたのでしょうか。
高房様が国元に戻られたら
政家様が質問して下さい。
その上で我々親子も申し開きをします」

高房は佐賀で療養するはずだったが、帰国することはなかった。
半年後ふぐを食べ(当時ふぐは食用を禁じられていた)自らの命を絶った。
政家は翌月高房の跡を追うように死去。龍造寺本家は断絶した。





259 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/22(日) 10:13:41 ID:wHGCW3gb
家康「自分は太閤様の死後、豊臣家を盛り立ててきた。 国の経営は仮に自分が預かってはいるが、
常に豊臣家を大切にしてきた。秀頼様には大阪でのお暮らしに不自由がないよう、
取り計らっている。 しかるになぜ淀殿はこのようなことをなさるのか。
誰にあてつけたのでしょうか。秀頼様が質問して下さい。 その上で我々親子(家康、秀忠)も申し開きをします」

って言ってるようなもんだな。理屈では分かっていても悔しいものは悔しい。

262 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/22(日) 12:50:49 ID:GUjNULdY
>>258
高房「家兼様がいきていれば…」

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 13:59:07 ID:QgVor0mY
1607-1459=148

それでも家兼なら・・・家兼なら生きてくれる!!!11
(無茶ですね済みません)

前田慶次の悪戯シリーズ「珍芸・兜むくリ」・悪い話

2009年02月23日 00:28

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 11:36:01 ID:/+OH0qIl
まだ出ていないようなので前田慶次の悪戯シリーズ「珍芸・兜むくリ」の話をば。

今日も今日とて暇を持て余していた慶次のおじちゃん。
そんなある日の事、堂森善光寺の門前に高札が立っており、そこには
「某月、某日、寺の庭で兜むくってやんよ。見たい奴は誰でも見に来やがってください。 前田慶次」
と書いてあった。その噂は瞬く間に広がり、兜をむくるって何だ?という好奇心も相まって、
当日の善光寺境内は満員御礼。ところが、肝心の慶次は中々姿を現さない。
観衆が慶次に一杯食わされたのかと訝しがり始めたその時、ようやく姿を現して一言
「あ~、今日は下痢で無理。皆にゃ悪いけどとても芸が出来るコンディションじゃねぇわ。
次の指定日には必ず見せるから今日は帰って」
と言うと、さっさと引っ込んでしまった。都会の人間なら堪忍袋の緒が切れそうな場面ではあるが、
そこは田舎の純朴な村人たち、
「下痢じゃしかたねぇべや。また今度来んべ」「前田様、早く良くなるといいべなぁ~」
と優しい言葉を口々に大人しく帰路についた。
そうして、次の約束日当日。前にも増して大勢の人で境内は溢れかえった。
寺の玄関前には立派な台が設置され、その上には「明珍」作りの見事な兜が飾られている。
いよいよ約束の時間、刻限どおりに現れた慶次は、
「今からこの兜むくってやるぜ!オメェら、眼ん玉かっぽじってよぉ~くみさらせ!!」
と気合も十分にうやうやしく述べる。
群集は何が起こるのかと固唾を呑んで見守っていたが、やがて慶次はやおら兜に手を掛けると、
「どっせぇぇぇい!!」
と鋭い裂帛の気合と共に・・・・・・ただ兜後ろ向きにした。
「・・・・・・」「・・・・・・これだけ?」
呆れて押し黙る群集たち。
そんな群集を尻目に、
「さぁ、どうだ!?これにてオレっちの秘芸・兜むくりは終了でござい~」
とやりきった顔で満足気にさっさと退場する慶次。
群集は怒るに怒れず、
「あの野郎また騙しやがった!」「馬鹿にしくさりやがって!」「でも、前田様らしいや」
と毒を吐きながら帰路についたとさ。




261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 11:38:47 ID:UpH7Nnys
>>260
でかい事言ったはいいが、オチを思いつかなくてズッコケでどうにかその場を治めようとしたコントみたいだなw

そういえば富田長繁って、森長可との違い・雑談

2009年02月23日 00:27

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 18:04:44 ID:3oQeLn+J
そういえば富田長繁ってえらい既知らしいけど、あんまり話見ないよね。
どこらへんから拾ってこればいいのか

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:09:05 ID:9ojsOmZD
そりゃまあ一瞬の輝きでクローズアップされた人物だから探すの難しいだろうな
と無責任に言ってみる

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:11:50 ID:kQ49DU+M
長繁さんは逸話の一つ一つのインパクトが強すぎるんだよ

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:15:36 ID:nuDFPt3D
20過ぎでちょうど今頃亡くなったんだよな
本人満足だったんだろうか?

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:15:49 ID:UpH7Nnys
長繁さんの逸話に関しての資料は、「越州軍記(朝倉記)」くらいだろうね。


272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:22:56 ID:IaOWAuVg
若くして死んでるのにあれだけ逸話が多い鬼武蔵が異常なんだよw

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:37:49 ID:3oQeLn+J
>>271
ありがとう、探してみる

>>272
長可基準がいけなかったのか……

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:39:04 ID:YQeU/YDb
>>272
そりゃそうだろ
森長可は単独で戦死しただけ
森家としての参加陣営は勝ってるし家臣の大半は生き残ってる
お家が存続してるのも大きい
冨田長繁なんかは勢力として壊滅してるし一揆で資料も消失してる
歴史資料の消失という点においては一向一揆は間違いなく悪だからね
まあ、武勇伝と称して良いか微妙な話を残した森家の感性は素晴らしいwww

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:40:27 ID:TzRga0z/
小牧・長久手で主だった家臣誰も死んでないよな。

みーんな美濃に居残り。

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:45:59 ID:F6qZBSPB
東美濃は後方攪乱でちょっかい出される可能性結構ある土地だったからねぇ。

実際遠山家はじめ数人の城主は家康の元に逃げてたわけだし

迷惑かけられ体質と真田幸道・悪い話

2009年02月23日 00:26

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 21:50:01 ID:UpH7Nnys
親やら弟やら孫やら、とにかくいろんな人からかけられた迷惑をこなす事が
その人生だったと言っても良い真田信之。
その迷惑かけられ体質は、真田騒動で信之が守り通した孫、真田幸道にも見事に遺伝されていた。

ある時、真田幸道の屋敷に、関口流柔術の二代関口氏行が尋ねてきた。
幸道はこの氏行の、柔術の弟子であったのだ。

挨拶もそこそこに幸道は、「このたびは大変であったな」
と、見舞いの言葉を言った。
そう、つい最近氏行の弟子、虎蔵が何者かに斬殺されると言う事件があったのだ。

「しかしそなたも大変だろうが、あの件では何故か我が藩にも疑いの目が向けられていてな。
なんでも虎蔵を殺したと言う賊は、虎蔵を斬った後その刀を、我が藩で使っている紙で拭いて、
それをまき散らかして逃げたと言うのだ。

まさかと思い家中のものを調べては見たが、そのような不届きをするものは見当たらず。
しかし世間は真田家の者の仕業だと取りざたす。まったく不愉快な事だ。」

『なんと!』氏行は内心驚いた。なにせその虎蔵、素行心底の悪さを危ぶんだ氏行が、
自分で殺しちゃってたのだ。

そういえば虎蔵を斬った時、刀を吹いた紙は真田候に頂いた物だった。
まさかそれが諸恩ある真田候に、このような迷惑をかけていたとは…

氏行、意を決して言った。

「まったく、どこの誰があんな酷い殺人をしたのでしょうな!けしからん話です!」

適当に話をあわせる内容を。

そして早々に挨拶を済ませ家へと帰った。
自分が殺したとは悟らせ無かった。これで良し。そして当然真田家は、この件でずっと疑われた
ままであった。




279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 22:01:23 ID:QgVor0mY
氏行、わるじゃのう~
幸道も先生はもうちょっと人を見て選びましょう

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 22:19:02 ID:TzRga0z/
これはいかんw

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 22:37:32 ID:3oQeLn+J
>>278
ちゃんと白状しないと幸道かわいそうです

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 22:57:33 ID:bZeZ3YxV
でもなんでこの逸話書いた人は真犯人が先生って分かったんだろ?

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 23:01:37 ID:UpH7Nnys
>>282
後年、関口流の歴史を書いた「柔話」が著された時、氏行自身が
「いやあ、あの時は流石に『俺が殺しました』なんて言えなくてさ~」
って証言してるw

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 23:06:44 ID:Oscvap/t
つーか柔術家なのに人殺すのに刀使うなよ

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 23:06:44 ID:Oscvap/t
つーか柔術家なのに人殺すのに刀使うなよ

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 23:34:05 ID:nuDFPt3D
柔術は刀使うぞ

286 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/23(月) 00:32:57 ID:lvaPxo+I
>>284
柔術は柔道とは違う。
元々戦場で首をかき切るための組み伏せとか、
逆に組み伏せられたときに相手の関節を取って
体を入れ替える実用的な技術。

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 00:40:43 ID:Q/N4OF8G
当時は名前が~流柔術、~流剣術、でも
中身は築城術から医術、占いまで何でもありの総合武術だし

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 00:40:54 ID:+901sj92
柔道って柔術を基にして明治時代に生まれたスポーツなんだよな。

アンサイクロペディアに

2009年02月23日 00:24

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 11:07:41 ID:UpH7Nnys
アンサイクロペディアにこんなものがw

DQN四天王
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/DQN%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B




管理人評曰
アンサイクロペディアに「DQN四天王」の項が出来てました!
あと森長可の項も面白かったですw





339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 23:23:35 ID:uhFMVumx
アンサイクロのDQN四天王の記事がもう削除候補になっててワロタw

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 00:41:49 ID:G4Uxpx7H
>>339
嘘百科なんだから丸め込めるだろ。書いた奴見てたらまとめの知識総動員で誤魔化して来いw

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/DQN%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B

豊臣秀吉、天下人の度量・いい話

2009年02月23日 00:21

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 16:15:46 ID:UpH7Nnys
天下人の度量

奥州仕置きの折のことである。蒲生氏郷からの「伊達政宗異心あり」の告発により、
京ではにわかに、政宗謀反との憶測が高まった。
悪い時は悪い方向に話は大きくなるもので、疑惑の目は政宗本人のみならず、
京の屋敷に人質として置いた妻にまで向けられた。

『政宗の妻と言う女は、実は偽者であり、政宗が本物と偽って置いたのだ。
彼は最初から秀吉公を騙していたのだ。』

そんな風説が広まったのだ。

秀吉の左右の者たちは
「もし偽者とあれば、政宗は最初から秀吉様をたばかっていた言う事!
これは関白の沽券にかかわる事ですぞ!なにとぞ厳重な取調べを!」

が、秀吉はその話を一笑に付した。

「政宗は本物だと言って、妻を人質として差し出し、わしに臣従した。
政宗自身が本物だと言っている以上、これが実際に本物だろうが偽者だろうが、
わしにとっては同じ事だ。」

政宗ごときがどんな小細工をしようが、自分にはどれほどの事もない。
逆らえばどの道潰すだけだ。そんな秀吉の自信の程を伺わせるお話。




138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 16:22:18 ID:qDq+XRWS
本物にはピアスの穴が(ry

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 17:28:28 ID:3oQeLn+J
>>137
やっぱラスボスだなーと思ってしまった


140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 17:55:25 ID:jvHghFcg
さすがラスボス、格が違うな

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 17:58:38 ID:JdrhHIAY
実際あの時点ではそう言い切って問題ないだけの力があるからな

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 18:36:24 ID:r2Ntib7i
これで耄碌さえしなきゃねえ・・・

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 18:42:18 ID:rrq3E+Kc
まあ、あの時点でラスボスがその気になれば、伊達政宗一瞬で終わるからな・・

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 18:54:08 ID:nuDFPt3D
しかしそれだと家康が益々強大化しそうだ

利休、侘の心がけ・いい話

2009年02月23日 00:20

千利休   
145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:01:58 ID:rrq3E+Kc
とある春のこと
千利休は某茶人と連れ立って、東山へ物見遊山に出かけた
その道すがら、利休ははたと気づいて連れに話しかけた
「ああ、そういえば、お宿に釜を準備してこられましたか?」
茶人、妙な顔をする
「いいえ…今日は、早朝より利休様のお供と決まってましたから、そんなことは…」
これを聞いた利休、なんとすぐ帰れと言い出した
「そんな嗜みで侘びがなりましょうか。さあ、すぐに釜を仕掛けてくるのです。
晩には誰が立ち寄るとも分かりませんよ」

侘とは手前ではなく心がけ、というお話




続・輝と輝のパパ上・いい話

2009年02月22日 00:23

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 23:05:31 ID:xc4jwCVK
>>68続編とはいかないかもしれないけど

続・輝と輝のパパ上

大友そーりんとの戦いに明け暮れていた隆元
隆景と一緒に豊前に出兵したり石見に移動したり
非常に忙しかった
もちろん家に帰ることなど出来ない隆元
しかしこの時の隆元は忘れていなかった
息子が9歳になった事を!

隆元は輝にお手紙を書いた↓

「紐直しの儀式おめでとう!おじいちゃんにも言いました
 帯を頂くそうですね、おめでとう!本当におめでとう!」
日付:11月13日

11月13日が大安で11月15日が先勝なのでどちらかで
行われた様子

紐直しとは、幼児が付帯をやめ、初めて帯を用いる儀式だそうです
ちなみに、おじいちゃんのところは「ちいさま」と書かれています
「ちいさま」って書くだけで元就が何だか可愛く思えてしまいますね

ただ輝が可哀相なのは、この儀式、親族の男は全員戦場に出ている
ため、立ち会ったのは尾崎の局ママだけ…
でもパパも遠くから輝の事を大事に想っていたんだよ

隆元が謎の死を迎える2年前の心温まるお話




86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 23:23:15 ID:SwN2kgSD
大河でも吉川親子をうらやましそうに見てたな輝元

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 23:49:58 ID:PfMJ6j7d
>>85
ここまで息子を思っていたパパに先立たれたのは大きいな>輝

かといって人の女房取るような人格に育ったのはどうかと思うがw

毛利隆元、隆景を案じる・いい話

2009年02月22日 00:21

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 23:30:11 ID:xc4jwCVK
隆元続投スマン↓

隆元、隆景を案じる

例の大内義隆のお家に元就・元春・隆景の三人が出向くこと
になり、隆元兄ちゃんはお留守番をしていた時のこと

隆元27歳から隆景17歳に宛てた手紙
「何度もいうけどねっ、大内さん家に行ったらこういう風にするんだよっ!
まず…(長いので省略。概要「ハンカチちゃんと持った?」的な内容)
何でもパパと元春兄ちゃんとかお寺の人とか大内さんとこの人に
相談するんだよっ!ああっもう心配で仕方ないよ」

もしかして一緒に行きたかったのか?




88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 23:49:58 ID:PfMJ6j7d

>>87
一緒にいきたかったんだろうな
だって大内の殿は隆元の元かr(ry

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 23:51:44 ID:GpgcbTRY
>87
ん? 後方不敗?

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 01:01:28 ID:f7oceIqY
>>87
反抗期な若い隆景が嫌がる顔が目に浮かぶようだ

伊達家騎馬鉄砲隊・いい話?

2009年02月22日 00:20

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 03:46:26 ID:ntIniqIc
まとめサイトにキーワードとして登場していた
伊達家「騎馬鉄砲隊」の話を・・・
(いい話か分かりませんが・・・)

関ヶ原の戦いからしばらく・・・

伊達政宗は参謀・片倉景綱と此度の戦について雑談を
交わしていた。

( ●_ ̄)「この前の戦いは摺上原、朝鮮の戦より凄まじかったな・・・」
( ´ー`)「そうでしたねぇ・・・」
     「でも、大掛かりな戦はなくなりそうですね」
( ●_ ̄)「いや、まだ大坂に秀頼様がいるし、その気になればワシが・・・」
( ;´ー`)「殿、自重して下さい(怒)」

上杉攻めの戦の話をしていた政宗と景綱、いつの間にか上杉繋がりで
武田氏と織田氏の話になっていった。

( ●_ ̄)「景勝殿も手ごわかったが、謙信公の頃の上杉家は
      武田家と信濃を巡って争っていたな」
     「武田家は我が伊達とは比べものにならない騎馬隊を率いて
      いたと聞いたが」
( ´ー`)「そうですね。しかし、その武田騎馬隊を打ち破ったのが
      織田信長公の鉄砲隊です」
( ●_ ̄)「長篠の戦か・・・あの戦で信長公は3千丁の鉄砲を
      3段撃ちにして勝利したのだったな」
「騎馬の機動力を鉄砲の破壊力で打ち破る・・・
     歴史が動いた瞬間だな」
( ●_ ̄)「(騎馬の長所と鉄砲の長所を合わせる事が出来ないものか・・・)」
     「景綱、馬上から鉄砲を撃つ部隊など組織できぬものか」
Σ( ;´ー`)「殿、何馬鹿な事言ってるんですか!!
        そんな芸当出来る人間など居る訳が・・・」
( ;´ー`)「居ますね、一人・・・」
Σ( ●口 ̄)「何!!、それは誰じゃ!!」
( ;´ー`)「当家に仕えております鈴木重朝殿です」
      「あの方は元は雑賀衆の出で、”騎馬鉄砲隊”
       なる部隊を編成した経験があります」

早速、政宗は鈴木重朝を呼び出した。

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 03:48:01 ID:ntIniqIc
93つづき

( ●_ ̄)「重朝、そちは雑賀衆の折に馬上から鉄砲を撃つ
      部隊を率いたことがあると聞いたが、真か?」
(´・д・)「ございますが、あれは数ヶ月で編成出来る部隊では
      ありません。馬の鍛錬、鉄砲の扱い等の仕込みに
      数年間は掛かります。」
     「それに、あの部隊は織田家との戦で編み出した
      奇策です。到底実戦には役には立ちません」
( ●_ ̄)「しかし、騎馬鉄砲隊なる部隊を率いることが出来れば
      我が軍は敵味方を含めて優位に立つことも出来る。
      こんな部隊を持っていれば徳川・豊臣にとって
      抑止力になるのではないか?」
( ●ー ̄)「確かに馬鹿な考えかもしれん、しかしどうせ馬鹿なら
      大馬鹿者で伊達政宗は通そうと思うのだ」
( ´ー`)「(殿は昔から目立つ事や派手なことが好きだからなぁ・・・)」
     「(そんな殿に仕えている私も大馬鹿者だが)」

しばらく悩んだ重朝は・・・

(´・д・)「分かりました、殿がそこまで仰せになるのであれば
      騎馬鉄砲隊の養成をしてみましょう」

かくして重朝は騎馬鉄砲隊の養成を始めることとなる。
しかし、それは並大抵の苦労では計り知れないものであった。
馬の上から鉄砲を撃つなんて芸当は現在で言うと
サーカス団員を養成しているようなものである。


そして数年後・・・重朝の努力は実り伊達家に騎馬鉄砲隊は
誕生した。

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 03:49:12 ID:ntIniqIc
93つづき

部隊の内容としては
「騎馬隊の更に前衛に、鉄砲を持たせた騎馬隊を配置し、
 機動力に優れた馬の上から鉄砲を発射し、敵が崩れれば
 後ろの騎馬隊が突撃をかける」といったものだった。

これは
「騎馬上にいる武将は短い武器しか使えず、
 そのため長槍などの射程外からの攻撃に弱い」
などの騎馬隊の弱点を解消する、画期的なものであった。

この部隊の力が発揮されたのは大坂夏の陣。

この部隊の活躍で後藤基次は戦死、大坂方を翻弄。
しかし、真田幸村には通用しなかった。

幸村は兵を潜ませ、騎馬鉄砲隊をぎりぎりまでひきつけてから、
側面から一斉に攻撃。接近戦に持ち込まれてしまえば、
騎馬鉄砲隊はただの役立たずでしかなかった。

幸村にリベンジをしたい政宗であったが、当の幸村は
それから程なくして戦死。政宗はリベンジの機会を失った。

大坂の陣以降、大規模な戦はなくなり
騎馬鉄砲隊が再びその力を発揮することはなかった・・・




96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 10:56:39 ID:PBlgLL9E
>>94
そして眼帯もつけるのだ!

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 11:35:43 ID:DcKP0dWG
当時は騎馬からの発射後、次の弾丸こめまで最低数十秒は
かかろうし、まして馬上ではもたつくはず。だから必殺の一発なんだろうね。
鉄砲の射程は80から100mときくが、わざわざ1発の発射のために
突撃しながらの発射としても効率悪そうな希ガス。
相手から見れば、馬を狙っても攻撃は阻止できるし馬なら的はでかい。

地上で狙い定めて撃った方がよさげだが。。。と素朴な疑問

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 11:50:29 ID:qkNvPHeC
火縄銃を背負った部隊を馬で輸送する形の機動火砲兵にすれば…と思った
が射程距離が短いから下馬してぶっ放す前にやられるのかな。

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 13:04:40 ID:DcKP0dWG
>>95

敵の背後、側面に歩兵よりも機動力にとんだ騎馬隊で素早く回り込み、
不意撃ちで鉄砲攻撃する、ならかなり戦術的意味が有ったと思う。