原田宗時と後藤信康~刎頸(ふんけい)の交わり~・いい話

2009年02月28日 00:21

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 03:06:56 ID:EMpaCP39
この二人のエピソードがまとめサイトにまだなかったので・・・

原田宗時と後藤信康~刎頸(ふんけい)の交わり~


伊達家中で武勇・智勇で活躍した二人だが、
原田宗時と後藤信康の仲は当初険悪なものであった。
どちらかと言えば宗時が一方的に信康に対抗心を燃やしていた。

天正13年(1585年)、家督を継いだ政宗は会津の雄
蘆名氏を攻める。その折、宗時は蘆名方の柴野弾正を内応させる
ように仕向けた。
しかし、内応役として潜り込ませた家臣が逆に蘆名氏に寝返り
敗北を喫する。

その話を伝え聞いた信康は宗時の所業を笑った。
この知らせを聞いた宗時は激怒。
信康に決闘を申し込む為、信康の屋敷に踏み込んできた。


宗時が「抜け!!」と声を荒げると、
信康は囲碁をしながら口を開いた。

信康「宗時殿、私が何故貴殿を笑ったのか分かりますか?」
  「貴殿は功名欲しさから、内応役を良く見極めませんでした。
   それ故、蘆名氏に寝返られたのです。」
  「貴殿の本質を見抜けなかったことに対して笑ったのです」

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 03:08:24 ID:EMpaCP39
323つづき

それを聞いた宗時は激昂し、信康に斬りかかろうとした。
それを見て信康は続けてこう切り出した。

信康「宗時殿、殿と共に奥羽統一、天下取りに進む我々がここでこのような
   ことで言い争いをして何になります。このような事に一々
   怒っていては大業をなす事はできませんぞ」
  「若さに任せて行動し、本質を見抜けぬようでは殿のお力に
   なれませんぞ。」
  「それにこのような決闘で貴殿のような勇士が命を落とすのは国に
   とっての損失。むろん私もこんなことで命を失いたくはない。
   互いに伊達家の為に戦い死ぬことが武士の本懐ではないですか。」

信康の言葉を聞いて刀を鞘に収めた宗時。
宗時はその場に座り込む信康に頭を下げた。


宗時「信康殿の申すことごもっともです。貴方様の言葉を聞いて
   自分がいかに未熟であったか思い知らされました。
   数々の傲慢な振る舞いお許し下さい。」
信康「宗時殿、頭をお挙げ下さい。私も大人気なく貴殿のことを
   笑ってしまい済まなかった。」
  「共に伊達家の為に働きましょう。」


このことが契機となり二人は親交を結ぶようになった。

朝鮮出兵の折、二人は出陣式で2.7mの大太刀を金の鎖で肩から下げ
派手な伊達軍の中でも一層目立った。

出陣式後、宗時は朝鮮へ渡航、信康は岩出山城留守居役となった。
しかし、宗時はこの出兵で病を発病させる。
対馬にて29歳の若さで亡くなる。

この伝えを聞いた信康は嘆き悲しんだと言う。

信康「宗時殿を亡くすは、弟が死んだと同然じゃ・・・」
  「これから伊達を背負って立つ人物だったのに・・・」

信康は宗時の大太刀を譲り受け、家宝にしたという。





325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 05:19:44 ID:GiCHu3bd
>>323-324おお。細かいエピ乙

原田宗時が黄後藤さんに果たし状を送りつけ河原で日暮れまで(r

   という話だと思いこんでいたよw 
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豊臣秀吉、1594年9月朱印状・いい話?

2009年02月28日 00:20

339 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/27(金) 13:37:20 ID:/9BAlWLp
1594年9月秀吉は島津義久(薩摩鹿児島城主)と秋田実季(出羽湊城主)に、ちょっと
変わった朱印状を発した。
「近々京都あたりで鷹狩をやろうと思っているので領地内の鳥を鉄砲でおどして領地内から
皆追い出すように」
なんと秀吉は日本の南と北の両方から鳥を鉄砲でおどし畿内に日本中の鳥を集めようとしたのだ。
また翌年9月にもほぼ同内容の文言を持った朱印状を下記の大名に宛てて発している。
福島正則(尾張清洲城主)・加藤嘉明(伊予松前城主)・立花宗茂(筑後柳川城主)・
筑紫広門(筑後福島城主)・松浦鎮信(肥前平戸城主)
加藤清正(肥後熊本城主)・伊東祐兵(日向飫肥城主)・秋月種長(日向高鍋城主)・
島津豊久(日向佐土原城主)・島津義久(薩摩鹿児島城主)
島津義弘(大隅栗野城主)・秋田実季(出羽湊城主)・南部信直(陸奥九戸城主)


毛沢東と比べたらかわいいアホw



340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 13:41:26 ID:soFwcjY/
>339
だからいい話を書けと(r

お狩り場の近くで鳥獣の害に遭っていた民草にはいい話…か?

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 13:45:26 ID:mHNPpkNb
>>339
これは当時の朱印状もらった大名のみならず、現在の研究者も、
一体これは秀吉の冗談なのか本気なのかで戸惑い続けていると言う
いわくつきの朱印状なんだよな~。

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 13:47:10 ID:SkfUmCWq
それ、諸大名は素直に従ったのかな?

毛利輝元はじめての上洛・いい話

2009年02月28日 00:18

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 15:24:39 ID:9dsimhCW
戦国ちょっと羨ましい話
輝元はじめての上洛①

輝が豊臣に屈し、初めて上洛の途についた
山を下り川を下り瀬戸内海へ出る
やっぱり領内の海は安心
ここからずっと船のターン
輝は叔父の穂井田元清らとparty
三原の叔父と合流し、クルージングand隆景主宰のparty
塩飽で嵐に見舞われ停泊
小姓たちがサザエやミル貝を採って来てくれたものを
つぼ焼きなどバーベキューを楽しむ
途中、黒官の手配してくれた宿を無視し船でparty
ここから領内を抜け、毛利船団に緊張が走る
輝「船から一歩たりとも出ちゃだめだお!」
船の中から盆踊りを鑑賞
塩屋で嵐
輝「このくらいの嵐なら大丈夫じゃ・・・」
嵐の中を強行
ところが意外と嵐が激しかった
2艘大破
進物品は無事
和田岬に到着

輝「すごい嵐だったねー。みんな無事にたどり着けたのが不思議だお」

輝にとってはハードな船旅だったようだ

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 16:11:32 ID:9dsimhCW
戦国ちょっと羨ましい話
輝元はじめての上洛②

兵庫から陸路京へ向かう輝元ご一行
初めての京都でどきどきしている輝元を出迎える大名たち
歓迎されテンションが上る輝元
京都に着くと用意されている寺へは入らず
曲直瀬道三の家へ直行
そのまま曲直瀬道三の家に入り浸り泊まってしまう
輝を放置し隆景以下家臣団は寺へ赴く
ラスボスに謁見
ついにビックイベント、御所への参内
冠位を賜り天にも昇る気持ちの輝元が寺に帰って来たのが
夜の8時
浮き足立った輝元を止めることが出来るものは誰も居ない
輝元「秀長殿に挨拶に行くお!」
隆景「・・・今、夜の10時・・・」
輝元「行くお!」
こんなやりとりがあったかどうか分からんが夜中の10時に
秀長宅を訪問
やっぱり閉まってる
渋々家の人に言伝をし帰宅

また別の日
ラスボスにたまたま出会った時の事
ラスボス「これやるよ」
輝元「松虫が綺麗な籠に入っているお!嬉しいお!
   太閤殿下超いい人だお!大好きだお!」
感化されやすい輝元はあっさりラスボスの手中に落ちた

また、瀬田の唐橋を見に行ったり
伊吹山を見に行ったりなど
修学旅行並みに観光を楽しんだのだった




352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 16:23:24 ID:dfRWnJ9t
秀長のことだからそれでも出迎えて饗応してへとへとになる話かと思ったw

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 16:29:24 ID:mHNPpkNb
で、>>350-351の話が

ごく普通の豊臣秀長について・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-660.html

これに続く

島津豊久、たまには、まっすぐ帰ろう・いい話

2009年02月28日 00:17

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 19:38:08 ID:l789gLpa
たまには、まっすぐ帰ろう。

天正12年(1584)3月、有馬晴信の救援要請を受けた島津氏は、末弟・家久を
総大将として、肥前島原で龍造寺軍と対峙した。

出陣に先立ち、家久は一人の若武者を呼んだ。 「豊久を、これへ。」
家久嫡男・豊久15歳、これが初陣だった。

家久の本音を言えば、息子の初陣に、この戦は選びたくなかっただろう。

兵数で倍する上に『武士道とは死ぬ事と見つけたり』と豪語する佐賀侍に勝つため、
この時、家久は過酷な軍法を発令していた。

一、一番槍、一番首の功を用いず。ひたすらに将目がけて突き進むべし。

一、わが隊将の首、敵に委ねるべからず。その仇、報ぜぬ時は一隊ことごとく討死せよ。

一、最初の持ち場から前進していれば良し、左右に避けたり後退しても目前の敵を
  撃破すれば良し、それ以外は隊将も士卒も死罪。

豊久は当初、薩摩へ戻ることを命じられたが、
「父の危機を聞けば、いずれにせよ駆けつけるものを、ただ戻ったとあっては、
末代までの恥でございます。」

と、帰還を拒否したという。

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 19:38:54 ID:l789gLpa
「お呼びでしょうか、父上?」甲冑を着込んだ島津豊久がやって来た。
「おう、良き武者振りぞ・・・ただ、兜の結びようが悪いな。島津家の者は、兜の緒は
こうやって締めるものだ。」

家久は豊久の兜の緒を固く締め直すと、脇差を抜き放った。
「ち、父上?!」 「動くな。」
脇差で豊久の兜の下げ緒を切り落とすと、大将は若武者に語った。

「さあ、これで自分では緒をほどけまい。お前が今日討ち死にしても、龍造寺の侍が
この緒を見れば、『島津の若者は、二度と兜を外さぬ覚悟で出陣している』と、お前の
心意気を賞賛するだろう。

もしも生きて戻れたならば、わしが兜を外してやろう。良いか、生きて戻らねば
その兜、外すこと許さぬ。必ず生き延びるのだぞ・・・!」

戦いは、龍造寺軍が沖田畷の湿地帯に入り込んで動きが鈍った所を、島津の伏兵が
襲い、総大将・龍造寺隆信まで討ち取る大勝利に終わった。
「豊久は?豊久はいかが致したッ?!」 豊久は、


帰って来た。その手には、兜首さえ下げていた。父は笑って、息子の兜を外してやった。


関ヶ原で伯父・義弘を逃すため殿軍となり、井伊隊の槍ぶすまの前に散った
豊久のものとされる甲冑には、兜がありません。
ttp://uproda11.2ch-library.com/src/11162442.jpg
豊久甲冑

『帰る』事なく外すことを許されないその兜は、今も戦場で豊久とともにあるのでしょう。




360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 19:41:43 ID:eBAYPVTD
何といういい家久・・・

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 19:51:25 ID:++TAoG4+
家久(善)はさすが。さわやかな話だなあ。

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 21:16:36 ID:VjLiNEVX
>>358-359
この親子、漢であるッ…!

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 21:23:39 ID:eBAYPVTD
家久(悪)「チッ・・・親父が生きて帰ってきたお陰で内府殿への言い訳が面倒になったじゃねーか」

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 21:31:21 ID:XD9M4hC+
鎧の傷生々しいぜ…

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 21:46:57 ID:9bMR+Js0
>>359
こんな光景見ちゃった周りの武士、目から汗状態で戦えないだろ!

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 23:14:10 ID:39hyG9pC
鎧だけが残ってるってことは家久はふんどし兜姿か・・・

小早川秀秋の初陣・悪い話

2009年02月28日 00:14

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 22:42:45 ID:KVDSXlBq
小早川秀秋の初陣は朝鮮、1597年慶長の役であった。

15歳の少年の率いる軍船は、対馬を後にして数時間後に目にしたのは
待ち受けている朝鮮水軍の船団であった。

これが初陣である少年の補佐役は黒田如水であった。
敵船を見るなり突撃を命じようとする秀秋を制し、
如水はしばらく船足をとどめさせ静かに時を過ごした。

待つことしばらく、前方の朝鮮水軍は戦いを仕掛けるわけでもなく
すごすごと西の海上へ去って行った。

大量の兵員と食料を積んだ船団での海戦は論外であったし、
この海での戦は、文禄の頃より日本にたいそう分が悪かった。

如水は、朝鮮水軍の航続距離を知っていたのである。
彼らはこの日、無理に無理をして櫓を漕ぎ、彼らの勢力範囲の
遥か東まで進出してきたのであった。

日本側が挑発に乗らなければ、朝鮮側も戦火を開くことは
できなかった、つまり帰り道の櫓を漕ぐ事で水夫らの体力は
限界だったのである。

日本側の補給線とは、対馬と済州島を結ぶこのか細い一線だけであった。

半島の西岸からの海上補給が可能であったならば、朝鮮の役の展開は
更にこじれまくっていたことであろうが。




427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 01:48:27 ID:wClgzm9L
秀秋、初陣が朝鮮で海戦で楽な出来レースでも無いって..
ラスボス何考えてんだよ...楽な所当てろよ

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 01:58:12 ID:ny+wWTuU
淀殿「その通りですねー」

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 02:09:44 ID:clwCkyLw
補佐役に怪物がついてたのなら問題ないし破格の待遇だろ。

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 03:17:42 ID:N0r7l0v0
そもそもラスボスは朝鮮なんか眼中に無かったからな

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 07:19:38 ID:J8fm1/YK
手柄立てようと最前線で槍振るったらラスボスから「お前は大将なんだから雑兵みたいな真似すんな」とかえって怒られたり
頑張りが空回りしてますな金吾殿

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 08:01:06 ID:xulAc7Iu
もはや誰もラスボスの本名覚えてないだろ

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 08:30:45 ID:7BmJHXPd
え~と、プロゴルファー猿だよね?

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 09:24:23 ID:9dsimhCW
うちの地元にはラスボスの湯という温泉があるんだが

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 22:00:34 ID:XahcLCRa
>>434
貴方佐賀県の御方?

『姉川の七本槍』と渡辺金太夫・悪い話

2009年02月28日 00:13

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 23:13:51 ID:CY3THSo7
姉川の戦いは織田・徳川連合軍の勝利に終わった。
この戦いで優れた働きをした者たちは『姉川の七本槍』と謳われた。

その一人、渡辺金太夫は特に派手であった。
赤色の傘、金色の短冊をつけた旗指物はとにかく人々の目を引いた。
信長はこの金太夫の働きぶりを見て感心した。

信長「金太夫の働きに並ぶ者はおるまい、褒美をやろう。」
金太夫「ははっ、ありがたき幸せ!」

「ちょっと!ちょっとちょっと~!」

信長「な、何だ?どうしたのだお前たち。」

それは他の七本槍たちだった。

「私たちはみんな金太夫より前に出て戦いましたよ!」
「あいつが派手だから私たちが目立たなかったんです!」
「理不尽だ!不公平だ!」

信長「わ、わかった・・・。お前たちに感状を出そう。」

彼らも活躍していたのだが、
信長は派手な金太夫にしか目が向かなかったのだ。
世の中そんなもんである。




小早川秀秋を待ち伏せしていた朝鮮水軍・悪い話

2009年02月28日 00:12

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 10:38:06 ID:jH/QX5xE
小早川秀秋を待ち伏せしていた朝鮮水軍である。

彼らは深入りしすぎた。
気づけば遥か南東方向に対馬の山影がみえる、そんな
所まで流されていた。
慌てて船の向きを変え彼らの本拠地である閑山島を目指した。

この頃、海戦の実状に無知な李王の命令で司令官李シュン臣は軍を追放され
田舎で畑仕事をしていた。替わった元均も嫌々ながらの出撃であった。

潮流と風にはばまれ、舮を懸命に漕ぐが朝鮮水軍の船はばらばらに四散してしまった。
ある者は海に沈み、なんとか漕ぎ寄せた島に上陸したものも島津義弘の軍に討ち取られた。
首尾よく閑山島まで達した艦船の行く手には、島津の軍船が準備万端待ち受けていたのである。

7月15日から16日にかけ、朝鮮水軍は壊滅した。




436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 12:12:45 ID:cFQDRQuq
朝鮮水軍に栗田ターンを教えてあげたい。

あいかわらず面倒臭い三河衆、門番編・いい話

2009年02月27日 00:31

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 23:53:05 ID:hP1oaepa
あいかわらず面倒臭い三河衆

駿府でのお話。ある時、村越茂助が清見寺に使いに行った。そう、関ヶ原の時
福島正則たちに「おまえらがさっさと戦わないから家康公が出てこないんだよ」と
言ってのけた、あの村越さんである。

そんな村越さん、帰りが遅くなって夜半になった。
すでに門限を過ぎ、城の門は閉ざされていた。

「村越茂助です!お使いから今帰りました、門を開けてください。」

ところがここを守る二人の門番、開けない。
「既に時間が過ぎている以上、誰であってもこの門を開ける事はできません!」

門前で村越さんが困り果てているとそこに、家康の側近の一人、安藤直次が通りかかった。
訳を聞いた安藤は、門番に向かい

「この方は確かに村越茂助殿である!とにかくわしが保障するので、村越殿を通すように!」

ところがこの門番達、それでも開けない。
「この門は日が暮れて以降は、決して開けてはならない決まりとなっております。
安藤殿、あなたは今重職についておられますね。そんな方が、決まりを破るような
まねをして良いのですか!?

城主たる家康公の命令がない以上、開けられません!」

この安藤さんも村越さんも、当時、徳川家どころか天下にもその名を知られた人たちでである。
そんな二人にもこの門番達、容赦無いのだ。

後になって家康はこのことを聞き、この二人の門番を褒め、つーか褒めにゃしゃーないですわなw
加増し、駿河から紀州家に付けられたとのことである。




264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 00:11:33 ID:ZO8YfRV9
>>263
門番かっけーな、でも長可が来たらガクブルで開けると思う

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 00:13:24 ID:4PbG5bMT
確か春日局も、遅刻して締め出しくらった逸話なかったっけ。
あの江島も遅刻締め出しからゴタゴタはじまったし。
三河武士の性質は大奥にまで影響与えたってことかね?

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 00:14:26 ID:AJIRKsxd
いや、放火されて門が炭になってもどかないに一票

277 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/26(木) 03:29:26 ID:1XHn6GGJ
>>264
>>266
その"鬼武蔵"を信長公のもとに送り届けたのは三河武者だw

本庄繁長の強運・いい話

2009年02月27日 00:30

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 00:27:27 ID:OxOI4mKB
本庄一門筆頭の本庄房長という武将がいた
彼は出陣中に実弟の小川長資に反乱を起こされ城を乗っ取られてしまい怒りで悶死してしまう
城の状況を探りに来た本庄一門鮎川清長の家臣が道中で重傷を負った女性が倒れているのを見つけた
そして驚いた
全身に傷を負い虫の息のその女性こそ、本庄房長の妻だったからである
しかも臨月
慌てて連れ帰って手当し、一命を取り留めた房長の妻は7日後に男の子を産んだ
その子供こそ、本庄繁長である
生き残った本庄家臣や一門衆達は嫡流を守る為に城を乗っ取った小川長資が繁長の
後見となるのを認めた
争いを避け仇の下で耐えた
13年後
繁長は父房長の13回忌の法要の席で小川長資を自害に追い込み本庄嫡流として
一門筆頭に返り咲いた
その後本庄繁長は上杉家中にあって度々反旗を翻すも許されている

彼の強運は生まれ持ったものかもしれない




270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 01:18:44 ID:sGX5aRd2
いい話と言うよりすさまじい話だな
いかにも戦国なお話だ

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 01:29:27 ID:YO3//vYb
>>269
そのあとも、謙信に背いてみたり、庄内で暴れ回ってみたり、
いろいろやってるのに、畳の上で死んでるんだからすごい。
しかも、息子の充長は上杉家の中では、直江と並んで諸大夫に
なってるし・・・

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 01:35:02 ID:csehL1OB
地方によって謀反の重みとかも全然違ったのかもね。
北陸や能登越中なんかは、裏切りがあっさり許されていて拍子抜けする。
九州の逸話を見た後だとなおさら。

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 01:39:00 ID:ryHYLERD
>>269
地元の武将の話だ、ありがとう!

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 02:38:37 ID:SCdptHdA
>269
>>271
御館の乱で早々に景勝を支持したんだったかな。
後の上杉家中で重く用いられたのはそういう理由もあったと思うが

関ヶ原後の平和な時代になんだかんだ適応できてしまったのが繁長の非凡さだよねえ
メチャメチャ乱世をエンジョイしているような人生で、最後は大往生ってあたり



279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 09:22:37 ID:OxOI4mKB
>>270
ごめん
では後日談を足して良い話の流れに…なるかな?

実は鮎川清長も小川長資に荷担していた
本庄房長に援軍を出さないという消極的支援であったが領地の境界で房長と清長が
争っていたのは事実である
しかし一門という事で妻子を助けるのには異存がなかったのだろう
生まれたばかりの繁長と母親は本庄一門の家に送られた
後々、繁長が当主になって反旗を翻す度に鮎川氏は対抗する側について交戦
御館の乱迄はそれで良かった、繁長の相手は上杉宗家であったのだから
ところが御館の乱で清長の跡を継いだ鮎川盛長が繁長嫡男の顕長と共に景虎方に
付いてしまった為にお家の危機に
ところが繁長、息子顕長の助命と同時に鮎川盛長の助命も願い出た
揚北衆筆頭の自分に一度たりとも同調しなかった揚北衆の鮎川氏を、である
これが受け入れられ本庄顕長は廃嫡されたが助命、鮎川盛長も許された
鮎川氏は新発田の乱に際して血縁のある本庄、新発田に挟まれたが静観を決め込んだ
鮎川氏は会津、米沢転封にも従い家名を保っている



291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 13:47:54 ID:WjCuFT4Z
>>279
揚北衆の結束力があるのか、仲が悪いのかようわからんね。
けど、一族敵味方に分かれて確実に血筋を残す……考えをお互い共有していたのかも。

戦国武将、国人領主たちのしたたかさを示すイイ話。かも

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 15:53:55 ID:HvVKymfN
揚北衆ってすべて同門なんだっけか?結構ルーツ違ってたような気がした。
どれがどの系譜なのかさっぱりわからんが

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 17:35:20 ID:vubZxo7x
>>297
えーと、本庄・鮎川・色部が秩父党で中条・黒川が三浦党、
新発田・竹俣・加地なんかが佐々木党。
同族同士でしょっちゅう喧嘩してるな。
敵味方に別れて家存続と言っても、
本庄繁長の乱の時とか真っ先に繁長は鮎川を攻撃しちゃったりしてるわけで。


349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 15:05:48 ID:RMF3DsHg
>>279
繁長って意外にこいつ…って側面が結構あって侮れない

豊臣秀吉、遠州七不思議 鎌研池の片葉の葦・いい話

2009年02月27日 00:29

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 02:16:47 ID:gTwDAqbK
遠州七不思議 鎌研池の片葉の葦

鎌研池と呼ばれる池がある。
秀吉が日吉丸と呼ばれていた頃、日吉丸は骨身を惜しまずよく働いた。
日課の一つが草刈りである。
草を刈る前にはいつも近くの池で鎌を研いだ。
研きあがるとその切れ味を試すべく、
あたりの葦を片端から切り払った。
しかも狙いすまして片方ばかりをそぎ落としたので、
この辺りの葦はみんな片葉になってしまった。




275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 02:27:38 ID:Z6prT/Is
>>274
前半生のラスボスって本当に凄いよな。

真田家の「吉光のお長持」・いい話?

2009年02月27日 00:28

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 09:29:55 ID:gTwDAqbK
【大名】江戸三百諸侯について語ろう4【藩主】より転載
949 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/02/22(日) 00:37:12
ttp://oniheru.fc2web.com/jinbutsu/sekigahara/sanada_masayuki-nobuyuki.htm

 さて、真田家には「吉光のお長持」というのが代々伝わっていた。家老でさえ中を見たことがなく、常に4人の不寝番がいた。
中身は家康から拝領した吉光の短刀が納められいるとされたが、明治になって開けたときとんでもないものが入っていた。
なんと石田三成から届いた書状をはじめ、徳川家を敵にしていたころの危険な証拠書類が詰まっていた。
これが徳川幕府に発覚すれば、取り潰しの好材料になっていたにちがいない。
従順温和といわれた信之が危険な証拠書類を焼却せず、わざわざ不寝番をおいて秘蔵し、
後世に伝えたのは仇敵であった徳川家に対する反骨精神のあらわれであろうか。


関連
さいつ殿へ。石田三成から真田信之への手紙
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5999.html


313 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/26(木) 20:37:26 ID:4MITIisI
>>280
このスレじゃ信之は苦労人で定着してるだけにギャップがあるな。
秀忠が信之を嫌ってたのも信之のこういう一面を見抜いていたからかも。

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 21:06:24 ID:Clz+ljbC
>>280
なになに、兄ちゃんって三成と親密だったの?
手紙の内容どんなだったのか気になる

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 21:17:19 ID:HGc8eq+7
>>314
かな文字だらけのすごい汚い字で見た瞬間吹いたな
まぁ三成は字汚いのが普通なんだけど。
たしか署名もろくにないようなメモ書きみたいな物もあって、
なんでこんなもん保存してんだ?って感じのが複数
「さいつとの(真田伊豆守の略)」って書いてるし親しかったんだとは思う

でも昌幸宛の関ヶ原の時の密書もそこにあったんだっけ?

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 21:22:13 ID:64UbLOQt
>>314
にいちゃんの手紙というよりも昌幸とうちゃんのじゃないかな
でも、本当は西軍に付くつもりが父と弟に諭されて
家を残すために東軍に付いたみたいなことが証明される書簡だったりしてね

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 22:59:20 ID:CSxvXv6D
>>280
嫁がアレだってのに、良くもまぁ処分せずにいたもんだ。
心臓に毛が生えているとはまさにこの事だな。

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 23:31:44 ID:vHAHUOOp
なーに、あの嫁ならたぶん頭の中まで筋肉だから手紙なんて見t

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 23:34:00 ID:CSxvXv6D
直前まで「殿様といっしょ」の真田さんご一家を読んでいたんで、衝撃二倍増しなおはなしだった。

季節外れの桃と家康・いい話

2009年02月27日 00:27

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 09:15:27 ID:Ge/Zyc2D
鬼を従えたり、成敗したりと家康は桃太郎か



281 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/26(木) 10:25:02 ID:1XHn6GGJ
>>278
桃と神君といえば…
あるとき(織田徳川(従属)同盟の時期)、季節外れの桃が大量に都から神君の元に
送られてきたことがあった。

普通はありえない時期の桃だけに珍しがって食べるものなのだが、家康公は…
他人に全部配ってしまったのだ

理由を尋ねられると…
「私には体毛^h^h大望がある。季節外れの桃に当たるようなくだらないまねをするわけにはいかん」
だとか

・・・だったら他人にもあげるなよとかいろいろと思ってしまったが…
あと鯛の天麩羅はそのころにはすでに大望をなしたということで…w




282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 10:35:15 ID:Guv00nh7
>>281
桃の話は三成と輝元にもあったね(こっちは季節はずれじゃなくてでっかい桃だったけど)

これもテンプレが有るんだろうね。

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 10:47:59 ID:EKJsY4+d
森忠政「では遠慮なく」

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 10:57:47 ID:sGX5aRd2
>>283
よっ!待ってましたw
盛大にあたって下さい!!!11

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 11:00:22 ID:W4OHWnVy
>>281
三成 「せっかく好物の果物を上げたんだから食えよ。そして仲直りしようぜ!!」

286 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/26(木) 11:03:05 ID:1XHn6GGJ
>>283
実は、わしも忠政の返事を待っておったのじゃw

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 11:13:39 ID:UTKNzLxf
>>285
どうぞ
つ 柿

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 11:18:46 ID:4EWgn5f9
>>285
忠興「(#^ω^)ビキビキ」
玄以「(#^ω^)ビキビキ」

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 11:42:07 ID:ZO8YfRV9
>>285
忠興「……」

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 12:46:59 ID:vNRFMp+d
送ったのは輝元だなw

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 13:59:15 ID:QxSjubXd
経久「中国地方でとれた」
元就「沢山の美味だよ」
直家「いっぱい食べてNE☆」


293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 14:01:24 ID:Guv00nh7
>>292
なんという暗殺フラグのジェットストリームアタック。

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 14:34:32 ID:csehL1OB
久秀「ささ、食事の後は茶を」
長可「その次は運動だな」
長繁「fj:あねあwぴ;あうぃえ@わ(解読不能)」

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 15:27:34 ID:4EWgn5f9
市松「酒うめえwww」
孫権「酒うめえwww」


296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 15:40:38 ID:1PsJWdMa
義光「鮭うめぇ!」
元春「鮭うm…うぐっ!」


298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 15:59:41 ID:WjCuFT4Z
>292-296あたりちーともイイ話スレに見えないんだが…気のせいか?

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 16:15:35 ID:IJrfyZMs
>>298
少なくとも、彼らにとっては(都合の)いい話だと思うよ。





邪魔者排除的な意味で。

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 16:52:59 ID:UTKNzLxf
兵卒や領民にとってもいい話だよ。
戦にならずにすんで、万々歳。



参考
柿と三成と忠興・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-886.html

長宗我部元親、国家を語る

2009年02月27日 00:23

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 18:08:41 ID:gTwDAqbK
国家を語る

長曽我部元親は安芸氏を滅ぼし、一条兼定を伊予に追い、
安芸地方の反抗豪族をも討ち破って、
天正3年(1575)、ついに土佐一国を平定。
元親は土佐平定を遂げ、つぎのように言ったという。

上に礼あり下に義のある時、その国は興り、
上に礼なく下に義なければ、その国は必ず滅ぶ。
下に義があったとしても上が礼を知らなければ、その国は異変が起こりやすい。
上が礼を知れば下が義を知らぬということはなく、その国はよい方向へ向く。
ゆえに、良将が国を治める様子は、よく善悪忠邪を察して賞罰を明らかにするのだ。

名将言行録



長宗我部元親、四国統一の夢

2009年02月27日 00:22

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 18:09:19 ID:gTwDAqbK
四国統一の夢

土佐を統一した元親は、天正5年(1577年)
雲辺寺を訪れ、住職の俊崇坊に四国統一の夢を語った。
しかし住職は
「薬缶の蓋で水瓶の蓋をする様なものである」
と元親に説いたが、
元親は
「我が蓋は元親という名工が鋳た蓋である。いずれは四国全土を覆う蓋となろう」
と答えた。
その言葉通り元親は天正13年(1585年)に四国を統一した。




長宗我部元親、民の取り分

2009年02月27日 00:22

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 18:10:07 ID:gTwDAqbK
民の取り分

天正七年の春、新名内膳助がこもる鷲山の城を攻めた折、
元親は足軽を出して敵領内の麦を刈り取らせた。
その際、それぞれの畑で半分を刈り取らずに残し、これは民の取り分であるとした。
百姓らはこれを喜び、早く土佐によって和平が実現すればよいのにと、まず民の側からそのように感じたという。
やがて新名は元親に降伏した。

名将言行録




長宗我部元親、中富川の合戦

2009年02月27日 00:21

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 18:11:01 ID:gTwDAqbK
中富川の合戦

天正十年、中富川の合戦において、
長曽我部元親が敵の二つの小城の間を通過する際、
両城より銃が撃ちかけられた。
元親は
「これらの城は小勢である。
小勢と戦って弾薬を費し兵を損ずるのは無益なことだ。捨てて通る。
十河存保に勝てば、この二城は戦わずして手に入る」
そう言って押し通った。


306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 18:11:34 ID:gTwDAqbK
十河を中富川において破り、敵の敗兵は坂西の城に入った。
長曽我部掃部介がこの城を攻めて本丸にせまったが、
元親は使いをやって命じた。
「十河を滅ぼせば、まわりにある小城はみな、敵は一矢も射ずに壊散するだろ
う。兵を損ずることは益なしだ。速やかに帰陣せよ」
掃部介は引き上げた。
翌日、さきの両城も坂西の城も、
城兵どもは元親の狙い通り城を捨てて壊走した。
十河はついに城を捨て、讃岐に逃亡した。

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 18:12:06 ID:gTwDAqbK
さて、この戦いには紀州の雑賀衆が援軍として参加する予定だった。
彼らは合戦に間に合わなかったことを悔しがり、
十河追討の先鋒を願い出た。
元親は
「申されることはもっともだが、
海路が人の思い通りにならないのは昔より変わらぬこと。
これは遅滞とは言わない。
かねての約束を違えず、速やかなる出兵、実に有り難い。
讃岐へ逃げた敵は、我々と刃を交えるに値しない。
籠城か、逃亡か、まともに戦う者はいないだろう。
そういう状況なので、ぜひ帰国なされるよう」
部隊長には馬と太刀、兵達には兵糧二百石を贈った。
雑賀衆は大いに喜んで国に帰り、
みな長曽我部のために戦いたいと願ったという。

名将言行録




329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 08:04:17 ID:xulAc7Iu
>>305-307
仕事してないのに贈り物もらえて そりゃ喜ぶよ >雑賀衆

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 13:53:38 ID:soFwcjY/
>>329
今も昔も大勢での渡海は難しいんだよ。バッドコンディションで無理やり敵前に着いたって友軍の足を引っ張るだけだし
元親は船大将じゃないけど水軍整備していたから、その辺に理解があったんでそ。
まあ報酬を値切ったりしなかったのは田舎大名の純朴さ、甘さともいえるんだろうけど

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 14:12:21 ID:9dsimhCW
>>345
輝元は大勢で海を無事渡ったぞ
瀬戸内海を

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 14:15:42 ID:mHNPpkNb
>>346
それは輝元の、最初の上洛の時のことでしょ?平時だしなあ。

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 14:47:41 ID:q+/1fVrs
湊川の戦いの足利、沖田畷の戦いの龍造寺、四国・九州遠征の豊臣などなど

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 17:39:45 ID:7VgYeD+s
>>345
八丈島より泳いで(ry

長宗我部元親、秀吉に降る

2009年02月27日 00:20

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 18:12:57 ID:gTwDAqbK
秀吉に降る

天正十三年、元親は秀吉に降ることになった。
家臣たちを集めて言った。
「既に降参のうえは、近日大阪に上り、恩恵を謝そうと思う。
準備のほうを頼む。」
家臣たちはそろって反対した。
「当世は未だ乱世であり、人心も定まりません。
ひとまず上方の情勢をご覧になったうえで、
上洛は来春にでもするべきです」
元親「お前達が申すのももっとも。
しかしながら、既に秀吉は天下の武家の長となり、
一言をもって信となすべき立場にある。
言を翻すような小人ではない。
また、自分は平素より誠実をもって人に交わってきた。
何を恐れることがあろう。」
元親はそう述べて、家臣五十余名を連れて大阪に上り、秀吉に謁する。
秀吉は大いに喜び、饗応を尽くした。

名将言行録





326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 05:26:31 ID:GiCHu3bd
>>308
その後、秀吉と遊んだときに食べかけたまんじゅう持って帰るんだもんな。

元親としては四国の雄から豊臣麾下の国持ち大名に収まるとき多少なり葛藤があったとおもうけど、
乱世も、治世でもそれなりにやっていける才覚と覚悟があったんだろうね <早すぎる信親の死がなければ・・

ラスボス太閤様はそこの切り替えがうまくなかったんかなーともおもう。唐入りとかやっちゃって

大久保彦左衛門忠教のいい話

2009年02月27日 00:19

309 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/26(木) 18:26:28 ID:gCQI7rdR
以前にも触れたと思うが、大久保彦左衛門忠教の話。
若い時代に手柄を他人に譲った。これは戦国時代では出世に響くため「KYな行為」。
しかし、この話が美談として伝わると言う事は、大久保忠教は若い時代からかなり
好感度があったという事。
驚くなかれ。あの豪傑が多い「賊ヶ岳の七本槍」の誰よりも長生きした。
長寿が多い「蟹江の七本槍」に父や兄がいるのだから当然かな。



天正遣欧使節、ラモン司祭の告発・悪い話

2009年02月27日 00:17

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 22:54:10 ID:n65l6Sjy
1582年2月20日長崎を出港した天正遣欧使節、有名な4人の少年らは
訪問したポルトガル、スペイン、特にカトリック総本山のあるイタリアでは
極東から遥々やってきたキリスト教徒の貴公子として、いく先々で大歓迎を
受けた。ローマではローマ教皇のシスと5世の戴冠式の際、新法王のすぐ
横に列席させられる程の栄誉であった。反プロテスタントのプロパガンダ、東洋からやってきた
東方三博士に擬せられて利用されたのである。

ところが彼らがまだ帰国の途中のゴアに滞在中の1587年、
彼らを告発するスキャンダルが生じた。
少年らを教育していたラモン司祭が、「彼らの真の氏素性は、とても王子、貴顕には
値しない、単なる田舎のハナタレ餓鬼である。」とイエズス会本部に当てて
お手紙をしたためたのである。

伊東マンショは、日向の屋形伊東義佑の娘の息子、大友宗麟の
遠い縁者であったが、伊東家は当時島津に追われ、豊後で
食うや食わずの落ちぶれ中。彼自身も豊後府内では乞食同様の身の上であった。

原マルチノ、千々石ミゲル、中浦ジュリアンも、せいぜい国人の息子であり
とても王子、プリンスといえる身分、ふさわしい財力を持たぬ身であった。

何故、当時平戸にいたラモン司祭が告発したか、その真意は不明である。
おそらくイエズス会内部での坊主同士のつまらぬ喧嘩、出世争い、などであったろう。




371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 23:10:34 ID:Uwn9Nt5I
ヴァリニャーノが日本の布教方針に色々介入してたのが気に入らなかったんじゃねぇの?
ラモンが既に追放されたカブラル派だったとか
本国でヴァリニャーノが挫かれればカブラルが帰ってくるかもしれんし

徳川家康と趣味の悪い便器・悪い話

2009年02月27日 00:16

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 23:28:57 ID:FUYD+5HP
趣味の悪い話。

ある者が家康に↓を贈った。


      / ̄ ̄ヽ
     / /~ ̄ヽヽ
     | .|    | |
     |. | ・∀・| |  ベンキー!!
     ゝヽ  .ノノ
     ヽ, ̄ ̄ ̄ ̄)
     人     Y´
     し (___)


AAではわからないがこの便器には
蒔絵が施されていてそれは立派であった。
なんとも趣味の悪いことである。

「なぜこんな汚らしいものを飾りつけるのだ!
普通の便器はどうすればいいんだまったく!
おい、さっさとぶっ壊せ!」

かくて高価な便器は壊された。
さすが家康公、倹約家である。
主君が率先して倹約していることを家臣に示しているのだ。
便器そのものに怒ったわけではない。決して!!!




373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 23:40:52 ID:yDlnuTX+
既出かもしれないけどもうひとつのパターン

家康「糞が絵を見るかっ!!」

これも破壊

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 23:43:41 ID:G4Uxpx7H
まさか三方ヶ原の家康のウン○事件に掛けてこんなもんを贈ったんだろうか・・・w

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 23:46:44 ID:BCi86q/s
誰から贈られたんだかはげしく気になるわー

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 01:12:50 ID:sGX5aRd2
>>372
便器AAがナイスw

漆器じゃないけど立派な絵の描いてある便器実在するよね。
小樽の「ニシン御殿」として有名な青山別邸で見て仰天した。
ロビーの来館者用のトイレはこれをそのまま復元してある。
http://www.otaru-kihinkan.jp/aoyama/sansaku/index.html(2Fの「便所」をクリック)

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 01:17:00 ID:4PbG5bMT
>>372
阿片戦争のときだったか、中国のおまるがあまりに綺麗なので
イギリスだかが奪ってランチボックスとかにしていたそうだ。
気付いておえー。

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 02:40:56 ID:SCdptHdA
>>372
昔のお公家さんちはンコ箱という綺麗な容器があって
そこで用を足して家人が始末していたようですふぁqp

383 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/26(木) 03:25:48 ID:1XHn6GGJ
>>381
人が食事中に…orz

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 03:48:11 ID:9TcG1FXQ
>>382

芥川龍之介「好色」にその話があったな。
侍従の局のことを諦めるため、ウンコボックスの中身を
見たらいくらなんでも百年の恋もさめるだろうとウンコ
ボックスを強奪、だけど開けてみたら我慢できずに中身
を食べちゃったって話。

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 03:59:07 ID:QxSjubXd
好色なんてレベルじゃねーぞ

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 04:16:05 ID:Ke1UocwJ
あれ、なにぶん読んだのが十年以上前なんでうろ覚えなんだが、
それって実は家人が気づいてて砂糖菓子に入れ替えてたとかいう落ちがなかったか・・・?

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 04:27:02 ID:f7T+97g/
畠山「変態もほどほどにしろ」

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 04:29:39 ID:OfGPOp6Z
今昔物語の平中の話だね

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 09:08:22 ID:KnNVgAHd
谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」で同じエピソードが。

食べたら、女があらかじめ便を暴かれることを予測、用心して
昆布と鰹で巧みに便に似せられたものであった。
実に芳しく、恋情が逆につのったとか。

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 09:14:42 ID:Guv00nh7
これみたいだなw

○○ってうんこするの?

しないよ派 ─┬─ 肛門ないよ派
          │
          ├─ 肛門あるよ派
         
                ├─ 肛門からは何も出ないよ派
                │
                ├─ 肛門から出るものはウンコではないよ派
                    │
                    └─ ○○の排泄物は本質的にウンコなどではない派

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 09:16:47 ID:5mRLzYcc
水木のマンガ今昔物語で一番引いたエピソードだw
今昔物語は悪い話ばっかりだが……戦国時代じゃないよな

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 09:23:06 ID:gb3TDLd4
う○ことふんどしの話になると盛り上がるなw

404 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/26(木) 15:19:25 ID:/ud2bW5I
>>372を読んで思った
贈られた便器→脱糞→三方ヶ原での悪夢の醜態・・・

という連想が家康の脳裏に瞬時に繋がり
さしもの家康も思わずカッとなって叩き壊したんじゃまいか?



関連
徳川家康と趣味の悪い便器、別説
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2387.html

真田信之の酷い話

2009年02月27日 00:14

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 09:25:08 ID:gTwDAqbK
真田信之と共に苦難を乗り越えていくスレin歴ゲ2 より転載
773 名前: 名無し曰く、 投稿日: 2009/02/24(火) 21:11:53 ID:MzXroDCN
http://www.city.ueda.nagano.jp/sanada/archive/bunkazai/sanadakouen.html

        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄

なんで爺さんと親父のレリーフがあって、俺のが無いんだ、、。




395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 11:43:25 ID:ZO8YfRV9
>>393があまりにもひどすぎて涙が出てきた
兄ちゃん……

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 11:49:36 ID:z5wbYwoD
上に同じく。兄ちゃん…

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 12:35:43 ID:bGv+rSEq
真田家は誰が守ったんだと思ってるんだ、まったく

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 13:19:39 ID:GqT8Y132
全米が泣いた

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 22:49:09 ID:ZiELzIE9
>>393

ttp://www5.synapse.ne.jp/furusato/sub2oosyouji.htm
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄

義久「変なもん作られるくらいなら無い方がマシだぜ、、。
   何で降伏時の銅像なんか作るんだよ、、。」

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 22:58:10 ID:AJIRKsxd
>>419
さらに肖像画が一枚も現存してないからその情けない銅像が義久としてクローズアップされる事に・・・ならないか。

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 01:07:53 ID:AGVJbpeG
>>422
実はもうされているのです・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E7%BE%A9%E4%B9%85#.E4.BA.BA.E7.89.A9.E3.83.BB.E9.80.B8.E8.A9.B1
>この時代の戦国武将には珍しく、義久本人の当時の肖像画は残存しておらず容貌に関しては不明であるが、
>鹿児島県薩摩川内市の泰平寺には後世になってから作られた義久降伏の銅像がある。

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 01:18:35 ID:LBwRf6QO
>>424

地元の偉人を地べたに座らせる銅像作るとか…ほんとどういうことなの…
弟との扱いの格差が激しすぎてもう涙も枯れました
島津家は誰が支えたと思ってry

426 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/27(金) 01:31:59 ID:4F9KdiWj
当主なのに裏方だよな
島津家最大の勢力を築いたのに

織田有楽斎作の茶杓

2009年02月27日 00:13

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 11:41:09 ID:OxOI4mKB
茶杓という茶器がある
茶杓とは茶粉を計る匙の事で茶筅と並び茶道では消耗品とされる
さて、織田有楽斎作の茶杓が現存している
その名も、

‘玉ぶりぶり’

消耗品が400年後に美術館に展示されるなど思いもしなかったであろうが他に良い名は無かったのか?
何ともネーミングセンスの悪い話




399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 13:22:35 ID:sGX5aRd2
>>394
つ http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/07b16c50cd3f9b303bccdc93b9abc433

400 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/26(木) 13:56:22 ID:1XHn6GGJ
>>394


                      、_f^ヽ
                  ミ三ニ彡ゞ=ニ'、
                 / ̄ ,イリハi})ヾ丶、
                /   /ィノリ川l.i.l.i.l.i.ヽ、
                  /   く彡彡ノノノj⊥、l.i.l.ヽ_,ノ
              /     `ゞッ=ミソ(ィ'ぅ丶l.i.l.iV_,' _,_
              l  , '  ,、 '´  `ヾj,ニ、 )ヽミッゞくラ丶、
              '、/  ,イツ        、゙_,ノ  ,! l/:.:.:.:.丶、
ヾ 川川川川川川川,ノ  '、'、,li},イ   _、    ヽ'、 i,  /:.:.:.:.:.:.:./l
三           三.   ヾミ'゚'゙ー _,ィf トミ、   ヾ!l! /:.:.:.:.:.:.:.:/:.l
三 ゲ 良 こ 俺 三      ', ::... '゙//::::ヽ    lリ/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.l
三 ヒ  い の .の 三      l '´ /ノヘ::::::l   ,' /:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.l
三 ヒ. 物 茶 作. 三     `⌒ '゙´  `tヲノ  /, /:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:l
三 ヒ  で 杓 っ 三          _,.ン介-イl'/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.,'
三 ヒ  ご と  た. 三         /:.:.:.:l:.:/l::ll/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.,':.
三    ざ て    三         l:.:.:.:.l:./ l::l':.:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.,':.:
三    る      .三       (^ヾ:.:.:l:./ ,l:/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:,:':.:':.
三    よ      .三       ,/`ト,∨:/ l/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.l⌒l:.:.:
三           三     /: : l{∧∨ ,/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.:l'^'l:.:.:
ノ 川川川川川川川ヾ    ,イ_ ,ィ'l:しヘ.∨:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.:.:.'(ソ:.:.:
                /: : : : : lr‐-=.ヘУ:.:.:.:.:../:.:.:.:.:.:.:.:.:',:.:.:.
               r'ニ-‐: :/-、 、_,へ、(二,^ヾ、:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:
              //: :/, -、 、_,.ヘ、 `~`゙'ー- ヽ:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:
             /´: : ノ/_,_ 、__ 〉、 `ヽ丶、   'i,:.:.:.:.:.:.:.:.:.:

徳川家康、強がる・悪い話

2009年02月27日 00:12

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 13:59:11 ID:Guv00nh7
家康、強がる



大阪夏の陣、五月七日の朝のことである。

家康は具足をつけず、袴に茶色の羽織という姿でいた。
このとき藤堂高虎がやってきて家康の姿を目に止め、

「具足はお付けにならないのですか?」

と、尋ねた。すると家康

「秀頼の様な若輩者を成敗するのに、具足などつける必要があろうか!」
と言った。

さて、高虎がその場を退出した後、家康は傍にいた松平右衛門太夫にこっそりこう言った

「高虎にはあんな事を言ったが…あいつにも、こんな事は悟られたくなかったからだが、

実は歳を取って思いがけなく下腹なども膨れて、具足など着ては馬の乗り降りも出来ない有様なのだよ。
それで、具足をつけないのだ。

わしも若い頃とは、本当に変わってしまったよ。」


この時徳川家康74歳。天下人とて、歳を取っても強がりたいものなのだ。




403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 14:14:50 ID:NX7lYQUq
家康は天下を獲った代償として半永久的にうんこ洩らしが晒される非情。

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 15:43:59 ID:qwy+XQ5D
>>401
そして昼間には真田信繁、毛利勝永にさんざ追い回され、
三方ヶ原以来の屈辱を味わうわけか…

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 15:51:41 ID:Guv00nh7
ウンコを喜ぶのは小学生までだぜ

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 16:25:57 ID:NX7lYQUq
本当は家康の黒歴史知っといて便器贈ってくるヤツは八つ裂きか改易
にしたいくらいだろうけど、それやったら半永久的に「小さい男」として
歴史に名が残るから出来なかったのだ。

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 16:58:38 ID:gb3TDLd4
>>405
某信玄公のスレッド連想したw

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 18:05:23 ID:5mRLzYcc
>>401
そうなってまで馬に乗り続けるところも強がりだよなぁ

山科言継「ここで果ててはお上に申しわk」・悪い話

2009年02月27日 00:11

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 20:07:11 ID:ZZFsMA44
万能お公家さんこと、山科言継の話

1556年、言継は今川家に朝廷への献金を「命ずる」べく、駿河に下向した
その途中、伊勢国から三河国の篠島へ船で渡ることになったのだが…
用意された渡し舟、言継から見てあまりに小さかった

言継「渡海するのは波の荒さで有名なところ…ああ、なんと恐ろしい。ここで果ててはお上に申しわk」
船主「わ、わかりました。大きな船を手配させますので」

さて、無事篠島まで到着した言継。早速、渡し賃を支払うことになった

船主「船賃百疋になります」
言継「おお、百疋ですか…」
船主「え、ええ、百疋ですが」
言継「百疋…ああ、使命を果たせずお上に申しわk」
船主「わ、わかりました!五十疋で結構です!」

大きい船を用意させた上、船賃を半額に値切った男、山科言継
確かに万能お公家だった




412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 20:12:36 ID:AJIRKsxd
>>410
麻呂AAで喋らせたくなった

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 20:13:59 ID:TUzfnU1K
>>410
言継さんサバイバーすぎるな。
どんだけ生活力有る公家だよw

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 20:21:36 ID:2UiormE5
         ,l、::::::::::::::::::::::::::::::::::|:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:l
        ,ハ::`丶、:::::::::::::::::::::::|:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;_,, -‐:〈
        {;;;;ヽ、:::::`丶、:::::::::::::l:;:;:;:;:;:; ィ";:;:;:;:;:;:;:}
        ,l;;;;;;;;;シ丶、:::::::`:`:ー'‐::'':"::::::::_, ィ"´;;l
       fうl;;;ミミ、  ``丶 、::::::::,: - ''"´  リ;;;;;;f-、   渡海するのは波の荒さで有名なところ…
       { l l;;;;;ッ=`   (三> `^´ (三シ  ム;;;;;;ソl}
       t !;;;リ    _,,...,,_     _,,..,,_    l;;;//    ああ、なんと恐ろしい…
        ゙l ヾ;l  :'ィテヘ9ンミ   ,: ',シヒ9ン、  l;//
        `ーll!   `''==ヲ'  l:.:^''==彡'" ,!リノ    ここで果ててはお上に申しわけが立たぬ…
            ll   ` '' "   l:.:.:` '' "  ,i;;l´
          li,     ,r .: :.ヽ、    ,:,り
           t、   / ゙ー、 ,r '゙ヽ  /,K′
           ゝ、 ,:'   :~:    } // /ヽ、
           /{lヽ ,ィ==ニニ==,ノ,ノ7 /:.:.:.:ヾニヽ
         , ィ/:.:い ヽ `` ー一 ''"/,/,/:.:.:.:.:.:.:.:ソ }- 、、
        / /:.:.:.:ヽヽ `' ー‐ -- '"//:.:.:.:.:.:.:/ /   ` 丶、
     ,, - {  ヾ:.:.:.:.ヽ丶     //:.:.:.:.:, -'" ,/       ` 丶 、
  ,, - ''"   丶、 `` ーゝ、ヽ.,_,,ィ"ェくユ- ''" , ィ"

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 21:31:06 ID:AJIRKsxd
腹立つw

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 21:41:58 ID:qwy+XQ5D
>>413
公家といっても貧乏公家だし、庶民と風呂 (といっても当時だから蒸し風呂のはず)
に入るような人だからねい。

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 22:25:27 ID:2MlL96Wo
>>416
貧乏って言っても羽林家の出なんだけどね・・・

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 22:55:24 ID:D7X4d4r3
商売上手、オマケに酒豪、なのに町民の病気をタダで診る人情溢れる言継さんだが、
重大事件が起きた日の日記はことごとく破り捨てて、身を守る抜け目無さも持ってたと。

恐るべしは下級公家。

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 22:57:43 ID:qwy+XQ5D
>>417
でも、摂関家、清華家ですら困窮していた戦国時代、羽林家となると…

まあ、半ばヤクザと化している地下人よりはマシなのは確かだけど。

週間、拍手ランキング!&ちょっと独り言

2009年02月26日 00:21

02/18~25までの、拍手ランキングですー。



不審者鍋島直茂・いい話

輝の髪置と輝のパパ上・いい話
大谷吉継と平塚為広・いい話
関東の女傑、由良妙印尼・いい話

島津義弘お産指南・たぶんいい話
毛利元就、松寿丸の頃・いい話
和久宗是、政宗にキレる・悪い話

伊達政宗、名産品生まれる!・いい話
毛利隆元、隆景を案じる・いい話
続・輝と輝のパパ上・いい話

義光、馬揃えドタキャンす・いい話?
毛利家、三本の矢じゃないけど三男の悪い話
あかい又六の落書き・いい話

堀直寄、迷信を解く・いい話
新納忠元「耳なんとか目なんとか」・悪い話?
毛利元就の側室、東の方・いい話

宇喜田家軍制・いい話
吉川元長、眼光鋭い男・いい話
戸次鑑連、自らの武名で毛利方を恐れさせる・いい話




今週は不審者鍋島直茂・いい話が1位!
後世創作物などで、色々言われがちの鍋島直茂さんですが、こういう愚直なほどの
忠誠心があり、それを周りが知っていたからこそ、逆説的だけど、あのような主家交代が
可能だったんじゃないかな。とも思いますね。

今週は輝の髪置と輝のパパ上・いい話をはじめ、
毛利家関連のお話がたくさん入りましたね~。
毛利家と言うのは戦国には珍しく、良くも悪くも「家族」と言うものを強く感じさせる家ですね。
もともと小さな、家族経営の国人領主であった、ということもあるのでしょうが、そこが拡大期の
毛利家の強さだったのだろうな、と、毛利家関連の本などを読んでいる時ふと、
感じる事があります。

今週もたくさんの拍手をいただきました。ありがとうございます。
また、お気に入りの逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ブタンを押してやってください。
( ´ω` )



ここからちょっと独り言

このブログもそうですが、他に小説や漫画、ゲームなどから戦国時代に興味を持って、
この時代を勉強したいと思ったとき、どんな本から読んだらいいんだろう?
と言う話をたまに聞くことがあります。
戦国関係の本って山のようにありますからね。それも玉石混合でw

そんなたくさんの本の中で、管理人的に、これから戦国を学びたいという方に
お勧めしたい本は

全集 日本の歴史 8 戦国の活力 (全集 日本の歴史)全集 日本の歴史 8 戦国の活力 (全集 日本の歴史)
(2008/07/26)
山田 邦明

商品詳細を見る

こちらです。

畿内政権と言う物が有ります。明応の政変で細川政元により成立し、織田信長の上洛まで
(人によっては織田・豊臣政権も畿内政権の延長と考える人もいますが)存在した、
実質的な日本の中央政権の事です。

戦国時代というものは、無秩序な戦乱と捉えられがちですが、実は地方の戦乱も、この
畿内政権とのかかわりが非常に大きいのですね。案外この視点は無視されがちですが。

この本は最新の研究結果も用いつつ、畿内政権の流れと地方への影響を
分かりやすく説明していて、戦国時代というものの全体像を把握するのに、
非常に良い本だと思います。

このブログのような、逸話などが豊富にある、といった本ではありませんが、
逸話の時代の背景を知りたい、もう少し深く戦国を知りたい、という方にはお勧めです。

蹴鞠について・雑談

2009年02月26日 00:19

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 14:20:02 ID:hP1oaepa

今でこそ貴族趣味的な、雅で優雅な者と思われているけど、
蹴鞠は元々、戦場での動きを機敏にするための、戦闘訓練用のスポーツだったそうだね。
今のサッカーと変わらないほどの運動量が必要だとか。

もしかすると島津の剛強を支えたのは、蹴鞠だったのかもしれないなw




238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 14:28:51 ID:m5qg1XpA
>>237
そうすると今川氏真は相当の…

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 14:31:11 ID:qhpmMieW
でも日本に伝わり広まった蹴鞠は至って平和的なスポーツだよな
戦闘訓練に使われたのは中国の蹴鞠

しかし蹴鞠といいお歯黒といい昔から貴族趣味と言われてきたものは
最近じゃその時代では当たり前の風俗だったりするのが明らかになっているから
あの時代でも通用するような、本当の貴族趣味というものが分からなくなってきた

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 14:33:38 ID:JmyYHCRd
日本代表作れるな

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 14:43:22 ID:hP1oaepa
>>238
氏真は、個人としては剣の腕も含めて、運動神経は相当な人だったらしいよ。


>>239
日本でも戦闘訓練用だったよ。>蹴鞠
古代から室町時代までは、貴族も軍勢率いていたから、そう言う訓練が必要だったんだろうね。
今のように優雅で平和的になったのは、江戸期だろうね、やっぱり。

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 14:44:11 ID:L4IPkL0C
スレ違いだし、まあ有名な話だから詳細は省くけど、
今鏡や本人の日記に書かれた藤原“蹴聖”成通伝説の数々は
マラドーナもビックリだよ。出世のために蹴鞠の練習で
そこまでやるかアンタは、みたいな。

でもまあ、悪い人ではなかったみたいだけど。

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 14:52:58 ID:8xTmSFsb
>>236下段の件
貴族趣味は日新爺様の曾孫のダークサイド家久じゃね?

四兄弟の末弟も蹴鞠強者だったとして不思議じゃないけど
雪合戦、蹴鞠、なんでも戦の采配に役立てるのが戦国時代……

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 15:06:50 ID:AnkU/Qpe
冷泉天皇「サッカー好きだから馬鹿とは限らないよ」

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 22:10:10 ID:weI1fL4u
>>237
駿河のファンタジスタなめんな

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 22:23:34 ID:He+XL9s4
>>258
実際駿河のファンタジスタってモテたんだろうか

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 22:30:07 ID:kJEj/fSD
太源雪斎「そ…そんなにモテるのですか…?」

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 22:31:22 ID:EqJ6jlQl
血統値も高いんだぜモテたにきまってんだろ

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 23:08:20 ID:t0e9UnRN
>>237
サッカーの準備運動とかで蹴鞠っぽいことをやるけど体と頭と同時に使うんで結構疲れる
常に膝や腰を動かし、体幹をしっかりさせ、背筋を伸ばして視野を広く
ボールを受ける、蹴る、送る、その間の視線、体の動き、頭の動き、連動させられないいけない

馬にのって周り見て報告とかの話を聞いて指示出して、戦闘になったら剣振るって・・・
突き詰めれば同じ動きかもしれん

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 21:24:08 ID:0nsdEjcs
>>245
そうそう遅レスだが、貴族趣味なのは家久(善)のほうね。
蹴鞠も和歌も大好きだ。単身上洛したときは、色んな有名人に会って大興奮。
もちろん戦場に行くときはお歯黒を忘れないぞー。

まあ、その辺のセンスは兄弟共通ではあるんだけどね。

高山右近 inフィリピン・いい話

2009年02月26日 00:19

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 18:41:43 ID:FYhmB5iW
高山右近 inフィリピン

高山右近はキリシタン禁止令にもめげず、
大名の地位を剥奪されても信仰を捨てなかった。
ついに慶長19年(1614年)神父や信者200名余りと国外追放された。
船が沈没しかかったものの、なんとかマニラに到着したのであった。
宣教師らの報告により右近の存在は海外でも有名だった。
そして右近らがマニラに到着したとき、
「日本から聖人がやってきた」
祝砲が打ち鳴らされ、熱狂的歓迎で出迎えられた。
まさかこんな歓迎を受けるとは思っていなかった右近は大層驚いたという。


250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 18:42:15 ID:FYhmB5iW
フィリピン総督のシルースは右近に大邸宅を与えて歓迎の意を表した。
しかし、僅か40日後に右近はマラリアにかかり病床につく。
シルースらの手厚い看護の甲斐もなく
「神父やキリシタンに囲まれて死ぬのは幸せだ」
と言い残して、63才で世を去った。
そして右近が死んだ時は、国を挙げての壮大な葬儀が行われた。
右近の娘は
「こんなに素晴らしい葬式を挙げてはもらえるなんて。・゚゚ '゜(*/□\*) '゜゚゚・。」
感動して泣いたそうな。




251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 18:46:32 ID:G4Uxpx7H
一緒に追放された内藤如安は10年以上あちらで生きてたな。

死んだ後は立派な十字架を墓標に立ててもらってる。

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 19:17:53 ID:8xTmSFsb
>249-250
凱旋将軍の如き歓待を受けた、ってね

破損した船での苦労はかなりのもんだったらしいが、
これは最後いい人生だったというべきなんだろな

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 21:04:24 ID:n65l6Sjy
高山右近のネタ元は
http://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/m080.html

だと思うんだけど、当時のフィリピン総督はwikiによれば
ファン・デ・シルヴァだった。

彼は若きスペイン名門貴族で、キリシタン大名、高山右近の
来訪を心底感激し、美々しく盛装したスペイン人騎馬部隊を
右近の護衛につけ、総督宮殿で大宴会の連続で大歓待した。

あまりの長時間の歓待ぶり、若い総督の熱意の押し付けに、
長旅疲れの右近はますます憔悴してしまった。

シルヴァ自身もその後ほどなく、当時の宿敵オランダとの海戦で
はかなく戦死したと聞いたが。

桑名弥次兵衛吉成の筋の立て方・いい話

2009年02月26日 00:18

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 21:43:08 ID:NTUb0dEY
長宗我部家臣に桑名弥次兵衛吉成という人がいた
元親の側近として頭角を現し、若くして重臣に列した
数多の武功を挙げ、元親は盛親に「わしの死後も弥次兵衛を先陣に」と遺言している

さて、関ヶ原で去就を誤った長宗我部家は改易され、土佐には山内家が入る
国外に去った吉成は、縁のあった藤堂高虎を頼った
高虎もまた吉成を高く評価し、二千石で召抱えた
吉成は禄の一部を、困窮する盛親へ送っていたという

そして、1615年
何の因果か、両軍は大坂八尾にて激突する
後の無い長宗我部軍は奮戦、藤堂軍は壊滅状態に陥った
盛親のもとに集った旧臣達は、吉成を発見して口々に罵った
「桑名め、譜代の主君に仇をなす輩だ、討て討て!」
吉成は窮した
厚遇してくれた高虎にも、かつて重用してくれた長宗我部家にも恩義がある
周囲に殺到してきた敵兵を前に、吉成は槍を取らず、無抵抗で討たれた
「新旧の主に筋を立てたものだろう」
大坂方は感じ入り、彼の首を三宝に載せて梟首した




256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 21:48:29 ID:hP1oaepa
旧恩を立てれば新恩が立たず、
新恩を立てれば旧恩が、

武士も難儀な商売だねえ。

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 21:52:41 ID:8xTmSFsb
>>255あーあった桑名弟か息子の悲しい話やね
(たしか桑名一族の主だった武士は悉く戸次川で枕を並べて討ち死にしてもーたような…)
結果的に生き残ってしまった弥次兵衛が一族と旧主の両方を支えなきゃならん
藤堂さんが扶持をくれるなら面子もへったくれもない、それで食いつなぐしかない状況だったはず



なんか司馬遼太郎の小説で読んだ希ガス

朝鮮役と平壌に入城してきた明軍・悪い話

2009年02月26日 00:16

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 23:28:27 ID:K2KcBcKm
平壌を小西行長が占領し、いまにも日本軍が豆満江を越えて
明本土に侵攻する雲行きとなった。
遅ればせながら明の大軍が平壌に到達した。

この時、小西行長の部隊は補給が完全に途切れていた。
当てにしていた食料の現地調達も、もともと朝鮮の地味が薄い上に
田畑は焼きつくされ飢餓と早い冬の寒波が兵士を疲弊させていた。

そのような心細い中、数で圧倒的な明軍の攻撃を迎え撃つこととなった。
その騎馬部隊を巧みに平壌城内に誘い込み
狭い泥濘な路地裏まで分断して物陰から攻撃、とまるで「七人の侍」
のような巧みな攻撃で撃退するも、このままでは全滅必至の日本軍。

命からがら平壌から何とか脱出した。

もぬけの空の平壌に入城してきた明軍。
死んだ日本兵の数を数えると1500人。
自軍の戦死者は3000人。死体から首を切って
皇帝陛下に届けようにもどうにも恰好がつかない。

逆上し荒れ狂った明軍兵士ら、平壌市内に息をひそめていた
生き残りの数千人の朝鮮人を虐殺したとか。




345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 23:34:48 ID:rJnvmM0c
>>341
さすが宗主国テラオソロシス・・・

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 00:49:37 ID:Uwn9Nt5I
>>345
朝鮮、明は日本兵の首に懸賞を掛けたから
他の都市でもこんな感じで日本軍はいないはずなのに首の無い死体が激増したとか
全国でこんな感じだったから
民衆は土地を捨てて逃げる→政府の税と軍の略奪で農民が飢える→野盗化して略奪する
こんな感じで日本軍も侵攻してない地域でも略奪を受けて人口激減
国力が回復するまで100年ほど掛かってる

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 00:54:23 ID:buERDdTp
朝鮮出兵って、結果的に日本の豊臣政権、中国の明朝、
朝鮮の李氏朝鮮、三カ国の王朝に致命傷をあたえたんだから、
すごいイベントだよな…いい悪いかはさておき。

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 01:18:47 ID:9Z3DvSNL
>>350
>李氏朝鮮
マテ
そこホロンでない

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 01:52:50 ID:28Rf/bbM
義兵:豊臣氏はホロン部

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 07:03:41 ID:R9xGiTgq
考えれば不思議な国だよな、李氏朝鮮。
今の北朝鮮を彷彿とさせる悪い意味で生命力を保ち続ける事に長けた国。

「島津の隠居」と火箸・悪い話?

2009年02月26日 00:15

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 23:32:01 ID:rJnvmM0c
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-28.htmlと類似の話なんだが・・・

島津の殿様が隠居し、出家してのんびりと暮らしていた。
既に戦国群雄割拠の時代も去り、使えていた小姓達もすっかりふぬけになってしまっていた。
小姓達は火鉢の鉢の中に火箸を埋めておき、
その火箸を探して人々がパニくるのを影で見てプゲラするいたずらを楽しんでいた。

ある日、小姓達が火鉢の灰のなかにいつものように火箸を埋めていると
その真っ最中に島津の隠居がやってきた。
小姓達あわてて火箸を元のようにしようとしたが既に熱くなってどうしようもない。
仕方なくそのまま平伏してご隠居をやり過ごそうとしたら
隠居はいきなりその火鉢の中に手を突っ込んで火箸をつかみ上げた。
・・・当然、ご隠居の手からは「ジュ~」という音が・・・
ガクブルする小姓達をよそ目に、ご隠居は涼しい顔で火箸を作法通りに火鉢にさして
その場を去っていった。
以後、小姓達はそのいたずらをしなくなったという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上は「武功雑記」に所収されている話なんだが
実は、原文には非常にまずい点がある。
上記では話がややこしくなるので「島津の隠居」で統一したが、
原文では 「島津 惟 新 義 久」 となっているのである。
これを所収した「武功雑記」の編者もこれには「???」となったようで、
末尾の解説に
「惟 新 といえば島津 義 弘 のこと
 義 久 といえば出家名は 龍 伯
 一体この”島津の隠居”とは義久なのか義弘なのか?
 ・・・うーんわからん。」(意訳)
と疑問を呈して締めくくっている。

いい話のはずが伝わり方が悪くて読み手を戸惑わせた悪い話。




348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 00:43:01 ID:PzxRBJNL
>>343
どっちだよ!って言いたくなるオチですねw

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 14:33:47 ID:Xhvnt/oz
>>343
加藤嘉明にも同じような話あるし、これもテンプレ逸話なのかねぇ。