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黒田官兵衛と、井口家の四兄弟

2009年04月25日 00:13

7 名前:ある兄弟の話 1/3[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 09:05:31 ID:0ZxPb6Qe
新スレ記念に連投失礼


黒田官兵衛の家臣、井口与次右衛門には、四人の息子がいた。

秀吉の命で黒田軍が播磨長坪城を落とした時、官兵衛は四兄弟の長男・猪之介と
三宅藤十郎を留守居として城に残し、他の城の攻略に向かった。
その夜、長坪城から逃げ落ちた兵たちが再び集まり、城を取り戻そうと夜襲をかけて来た。

猪之介は、三宅に言った。
「攻め破ったばかりでロクな備えも無い、この城は長く持つまい。幸い殿は、
そう遠くに行っておるまい。三宅、おぬしが囲みを突破して殿に知らせてくれ。」

三宅は二十人ばかりで包囲を抜けたが、そのスキに敵は城内になだれ込んだ。
わずかな手勢とともに残った猪之介は奮戦したが、ついに足を斬り落とされ、石垣に
寄りかからねば立てぬ程になった。しかし敵はその気迫に呑まれ、近づこうとしなかった。

夜が明ける頃、ついに官兵衛の軍が救援に駆けつけたのを見届けた猪之介は、
「この城の大将、井口猪之介じゃ!首取ってみよ!」と叫んで、自害した。

彼のすぐ下の弟・六太夫も別の砦を守り、見事な討ち死にを遂げた。

8 名前:ある兄弟の話 2/3[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 09:06:48 ID:0ZxPb6Qe
数年後のある日、官兵衛は罪を犯した家臣に刺客を向けた。
しかし、罪人は刺客を返り討ちにして、仲間二人とともに屋敷に立て篭もった。

「拙者が、見て参りましょう。」
井口四兄弟の三男、甚十郎が名乗り出たのを、はじめ官兵衛は許さなかったが、
再三に及ぶ申し出に折れ、彼を差し向けた。

現場に着いた甚十郎は、門の横にある潜り戸をもぎ取り盾にして、屋敷に飛び込んだ。
戸による体当たりで罪人のうち二人を吹き飛ばし、ひるんだ残る一人を斬り倒した。
そのまま、吹き飛んで倒れたままの二人にもトドメを差した。

たちまち三人の首を獲り、意気揚々と馬にまたがった甚十郎の体に、衝撃が走った。
腹に槍が、刺さっていた。

屋敷に戻った罪人の従者が、主人の遺体を見て、甚十郎に襲い掛かって来たのだ。
返す刀で従者を切り捨てた甚十郎だったが、ついに力尽きて落馬し、戸板で官兵衛の
前に運ばれた。

官兵衛はヒザを枕にして甚十郎を横たえ、問いかけた。
「じ、甚十郎・・・こ、これはどうしたことじゃ・・・・・・」
「・・・かくの如くに、候。」 一言だけ残し、甚十郎は息絶えた。

9 名前:ある兄弟の話 3/3[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 09:07:38 ID:0ZxPb6Qe
「兄弟三人が、わしのために死んでくれた。言葉もない、この通りじゃ。」
官兵衛は、四兄弟の父・与次右衛門の家に弔問に出向き、深く頭を下げた。
家には末弟・与一が残っていたが、まだ八歳であった。与一は官兵衛に呼び出された。

「おまえの三人の兄は、みな尋常ならぬ勇士だった。
だが、人の性質は測りがたく、おまえもそうであるとは限らぬ。ゆえに、試す。
おまえは、磔にされた者を見たことがあるか?」
「ありません。」与一は答えた。
「今夜は月夜じゃ。刑場に磔にされた者がおる。そこへ行き、磔柱に印を付けて来い。」
「わかりました。」

刑場へ向かった与一が、磔柱に印を付けようとすると、磔柱が動き出した。
「むっ、こやつ、まだしにきっておらぬか?とどめをさしてくれる!」
与一が柱に登り出すと、なんと磔にされた者が飛び降り、逃げ出した。
「まてー!にがさんぞ!」

「ま、待った!わしは殿の仰せで、おまえを脅かすために刑死者に化けておったんじゃ、
許せ!・・・おまえは子供なのに大した奴じゃ。これを持って、殿に見せて証拠にせい。」
罪人(?)は、白装束の片袖をちぎり、与一に渡した。

この話で、幼いながら家中に面目をほどこした与一は、のちに元服して兵助と名乗り、
他家にも名の知られる武辺となった。

すなわち、黒田家きってのメンドクサイ男、井口兵助である。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1776.html




10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 09:46:14 ID:66eygMqe
>>9
よくそんな役目を受けたな>刑死者役の人

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 10:45:32 ID:udWUc9lE

>>10
度胸試しの脅かし役みたいなもんで、案外wktkしてたんじゃない?
したら逆にガキンチョに脅かされてちょwまぢかよwwwwやめれww、という
小学生の頃、子供会で度胸試しあって田舎だったから怖かったわ

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 22:27:36 ID:S3m9e9BK
>>7
如水もポカするんだな
救援は間に合ってるけどさ

小幡信貞、妻を・いい話

2009年04月25日 00:11

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 17:28:07 ID:gx1OGd2y
武田信玄の家臣小幡信貞は、長野業正の娘婿であった。

さて、信玄がこの長野氏を滅ぼした後、小幡信貞に「長野家の者であるお前の本妻を離別し、
武田の譜代の家と新たに縁付いてもらいたい。」と言い出した。

これに信貞
「もしこれが、長野家の没落以前の事なら、お受けしていたでしょう。
私は主君、上杉憲政を疎み、その上、越後の輝虎には憎まれ、彼らに一族内の紛争を利用され
討たれる寸前となった所を、武田家に救っていただきました。この信玄公の深い御恩は
どれほどの事をしてもお返しは出来ません。

ですが、今は我妻は、父の実家も既に滅び、もはや寄る辺も無い身柄です。
そうである以上、たとえ御成敗を仰せ付けられようとも、離別する事はできません!」

そう、言い切った。

信玄、信貞の言葉に深く感じ入り、「お前のその見事な意地に、次の戦、先手を申し付けるぞ。」
と、言い渡し、さらに甥の武田信豊を、この信貞の婿にした。

嫁さんを守る旦那と言うのは、やはりこの時代でもかっこいいのだ。




15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 18:03:47 ID:e0rks3wu
信豊を婿養子じゃなくて婿に迎えたのか
男気があるな信貞ァーッ

16 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/24(金) 18:04:29 ID:0TyDXnWg
>>14
細川精神年齢三歳「俺のことだな」

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 18:55:21 ID:b2Va249y
あんたは離婚「しなかった」んじゃなくて
「できなかった」んだろw

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 19:36:06 ID:wRqCz7Ui
徳川秀忠「そうじゃそうじゃ。むしろワシのことじゃろう」

佐久間大学助の鼻・いい話?

2009年04月25日 00:10

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 21:42:26 ID:h4C/54Kx
織田信長の初期の有力家臣としてそこそこ有名な佐久間大学助のちょっといい(?)話。
ある日、酔っ払って寝ているところを暗殺者に襲われた。
しかし、そこは剛毅な大学助、逆に暗殺者を斬り伏せ難を逃れた。
とはいえ、無傷とはいかず顔に傷を負ってしまった。
さて、大学助、しばらくして傷は癒えたものの鼻が曲がってしまった。
そこで医者に診てもらったのだが「治すのは無理」と言われてしまった。
それを聞いた大学助、脇差を抜き、鼻の傷と逆側を自ら斬り強引に治してしまったとさ。




24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 22:27:36 ID:S3m9e9BK
>>22
治した…?

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 22:40:59 ID:h4C/54Kx
>>24
多分、切り傷が治ったことにより鼻が片側に引っ張られてしまったので逆側に傷をつけて同じようにしたんじゃないかな。

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 22:50:30 ID:S3m9e9BK
それは治すというのか…?w

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 23:02:16 ID:VA1h2ZHe
治すじゃなく、「直す」だなw

徳川家康、ちょっと後悔する・悪い話?

2009年04月25日 00:09

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 00:58:25 ID:gx1OGd2y
徳川家康、ちょっと後悔する。


まだ三遠二ヶ国の頃であろうか、家康があるとき家臣たちの前で

「わしが信長と同盟した時、もう少しじらして武田信玄と同盟するように見せて、
そこであせらせた挙句、信長と同盟しておけばよかったな。

そうすれば信長も徳川をもっと大切にしただろうし、所領も多く増えただろうにな」

そう、笑って言ったことがあったそうだ。
家康ほどの人でも、あの時ああすれば、この時こうすればと色々と後悔していたのだな、と言うお話。





918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 01:09:49 ID:S4Djhz/e
>>916
江戸時代の創作だなあと一発でわかるのも悲しいな

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 04:48:03 ID:QExKUfaK
第六天魔王様にそんな駆け引きは危険

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 05:53:23 ID:6MwQ354o
ぽろっとそんなこと家臣に言って耳に入ったらどうすんねん

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 06:08:19 ID:oVDdeYv4
三河武士なら洩れないさ。
ってのは冗談だが、当時の徳川家中でも少なからず不満があったんだろう。
家康の功績に報いていたとは言い難いからねえ。

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 08:23:37 ID:4qF1hRUw
信長と同盟したのは1560年以降で当時の松平と武田の勢力を見較べたらすぐにわかるだろ
あれは信康切腹に対する家康なりの仕返し

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 09:53:25 ID:HO4ZBR7c
>>921
清洲同盟締結時の1563年当時、武田は上杉を敵にして背後の今川とは固く同盟中。
今川から離反独立を企む松平が、どうやって武田と同盟結ぶんだ?
交渉材料にもならない。

徳川の領地はあくまで徳川が自力で切り取った分。武田滅亡で駿河を授かるまでは。
領地が小さいのなら、それは徳川の実力によるもの。織田に不満を抱くのは筋違い。
信康切腹みたいな捏造を除けば、信長は徳川を配下大名としては優遇している。

家康の功績といっても、武田攻めには駿河一国と十分報いているが。滅ぼしたのは
あくまで織田軍だしな。
当時の情勢を知らない後世の人間の創作だと丸判り。

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 10:21:50 ID:tOOmXBx9
そもそも、家康がそう思ったとしても絶対に口には出さないだろうしね

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 10:25:13 ID:7vv3TxzD
晩年 信長の事を聞かれても、絶対答えなかったんだっけ?

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 10:48:33 ID:I/9eDHcz
信玄の事を聞かれると、嬉しそうに喋り出したらしいな

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 11:31:58 ID:IpQGE6eA
>>923
家康が独立した当時は、三河の大名ではなく豪族程度の実力。
武田が同盟結ぶほどの存在感はないだろ。

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 11:43:59 ID:66eygMqe
>>925
何か嫌な思い出でもあるのか?信長メモリー

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 12:17:41 ID:10G/8LQJ
>>928
そりゃあ、あるだろう
なんとなく家康と信長は縁はあっても
性格的に合わなそうな気がする

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 12:18:28 ID:zBcMmUMk
人質時代に実は掘られていたとか

931 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/24(金) 12:32:43 ID:oSlMPvdn
ありそうだw

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 13:35:24 ID:ORUzYhZl
>>930
たしか司馬遼が「ひょっとしたら…」と前置きしてそんな説をとなえていたぞ
家康の信長に対する従順さは女のそれに近いって

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 13:36:25 ID:JlgtxoHZ
同盟じゃなくて降伏なら話はわからんでもないけどな

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 14:14:28 ID:4lURpcQ2
信玄ファンクラブ会長だから、信玄の事は幾らでも語れるだろうな

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 14:17:44 ID:2TyeD7Sa
最初は対等同盟だったけど、その後織田が勢力拡大して力関係が傾き、
最後は実質的に傘下大名となってしまったってこった。

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 14:23:36 ID:/YxH/Mmw
信長時代を語ると芋蔓式に秀吉が付いてくるから語りたくないんじゃね?

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 14:59:54 ID:if5WlJtg
>>926
マジで?w 面白いな

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 22:00:11 ID:x6k+VbyP
>>932
司馬遼が司馬遷に見えた
ちょっと去勢されてくる

成田官九郎の進言・悪い話

2009年04月25日 00:08

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 16:28:08 ID:gx1OGd2y
丹羽長重の小松城に、豊臣秀吉が立ち寄るという折の事。
長重の家臣に、成田官九郎と言う者がいた。

彼は長重に説いた。「秀吉は先君長秀公を、北陸管領にすると賤ヶ岳の折約束しました。
ですが長秀公が没するとたちまち小松12万石に減じ、丹羽家は滅亡と言っても良いような有様です。
このような秀吉の不義、憎むに余りあることです。どうか私に秀吉を討つ事をお許しください。
たやすく刺し殺してご覧に入れましょう!」

しかし長重は聞き入れず、この沙汰も事止みとなった。

ところが、秀吉はどこからかこの事を知り、大いに怒って成田を捕らえようとした。
成田は小松を退き伊勢の朝熊に隠れたが、終に探し出され、殺されたとのことである。

おそらくは内々の話し合いであったに違いないこの陰謀を、秀吉が知ったという事は、
既に丹羽家の内部に秀吉は、相当の内通者を持っていたのだろう。そんな事を感じさせるお話。




942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 17:00:39 ID:10G/8LQJ
織田の遺臣に対してる時のラスボスは
なんか末期のラスボスの影を感じる

転封後の本多正純・悪い話

2009年04月25日 00:07

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 21:41:24 ID:VA1h2ZHe
転封後の本多正純の話

転封は正純が山形で最上改易の処理をしていた際、電撃的に告知された
すでに鳥居忠政や佐竹義宣らが幕命を受け、軍勢を展開している
正純は身辺の家臣とともに、おとなしく転地の由利本城へ向かった

しかし、正純が到着した翌日、佐竹軍が本多家の居城となるべき本城城を破却
二十日後には、佐竹家重臣の梅津政景より、「今後は一切お付き合いしません」と通告される
翌月には、正純の荷物が佐竹領を通ったら差し押さえろ、とのお達しが幕府より下る
追い詰められた正純は由利の受領を拒否
結果、佐竹家の横手城へお預けとなり、知行は1000石とされる
しかも、佐竹家には百姓といえど正純の知行地と交流させるな、と命じられていた
二年後、正純に番がつけられ、幽閉が強化される
四年後、ともにお預けされていた嫡男・正勝が死去する
十一年後、幽閉のまま正純も死去する

政争に敗れるとはこういうことだった、というお話






富田重政「無刀取りとは」・いい話

2009年04月25日 00:06

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 22:27:28 ID:R1O2RqF6
埋めついでの話。

加賀前田家の家臣、富田重政は後に名人越後と呼ばれることになる中条流の達人である。
ある日、前田利常は重政を呼ぶと、いきなり真剣を抜いて
「無刀取りと言うものがあるらしいが、どのようなものか見せてみよ」と無茶を言い出した。
すると重政は慌てず騒がず「これは秘伝につき余人に見せられませぬ。
まず向こうの障子から覗く小姓をお下げください」と答えた。
言われて利常が障子の方を振り向いた瞬間、重政が素早く刀をもぎ取って
「これが無刀取りでございます」と答えたとか。

……ちなみに、中条流の無刀取りは実は白刃取りでもなんでもなく
「相手を押し倒し、組み敷いて腕をねじり上げて刀をもぎ取る」戦場の組打ちの技であったとか。
重政が空気を読まなかったら、利常は家臣に組み伏せられる恥ずかしい姿を
小姓たちに見られていたかもしれないという、主君思いのいい部下を持った話。




986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 23:03:00 ID:ZSgioEsW

>>985
確か石舟斎が家康に披露した無刀取りも懐に飛び込んで…とかだったような

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 23:03:38 ID:X+qg8lLx
無刀取りって刀持ってないときに如何するかってもんだし、刀取れればいいんだよな。
ちなみに柳生の無刀取りは「隙が出来た時に後の先で分捕る」

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 23:38:51 ID:cut8eRq4
無刀取りは真剣白刃取りとはまったく別物です。
というか真剣白刃取りは曲芸以外の何物でもないよな。

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 23:59:06 ID:IW7gS+ng
まあそんな事する暇があるなら避けて殴るわな

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 00:12:54 ID:EeCuzuBR
>>989
そもそも刀の軌道線上に入って刀を獲る意味がわかんないもんねw

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 00:24:38 ID:nnxap15P
意味はある、格好いいという非常に大きな意味が

朝倉家臣、真柄十郎左衛門の大太刀「太郎太刀」

2009年04月25日 00:04

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 00:26:15 ID:gx1OGd2y
埋め代わりに戦国化け物シリーズ
朝倉家臣、真柄十郎左衛門の大太刀「太郎太刀」

http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20090414/CK2009041402000020.html
http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20090414/images/PK2009041402100102_size0.jpg
真柄十郎左衛門の大太刀「太郎太刀」

これはすごいw;




993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 00:30:41 ID:Kl49qF6m
>>992
本当ならスゴイけど、ここまで極端にデカいと眉唾ものっぽく思えてくるな

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 00:31:31 ID:ET+gSi8o
実物はもっとでかいよ。

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 00:32:44 ID:xNbyA7mK
これは・・・
実際には太刀じゃなくて長巻だったのかな?
それでも長いが

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 00:42:12 ID:PANtYm9h
真柄十郎左衛門の刀はあまりにでか過ぎて向こう側が見えにくいため、
ところどころ窓を開けてあったと言うな。
。。。。すいません、古典落語のネタです。

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 08:06:56 ID:b2Va249y
関東武士の金棒とか丸太よかマシに思えるふしぎ!

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 09:13:41 ID:K86F4Fs+
>>997
三浦息子ヒャッハー
清水息子ヒャッハー
太田康資もみなヒャッハー!

佐竹義重や真壁氏幹も大概だけどな

999 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 10:30:27 ID:L3FB4e5T
姉川合戦図屏風だっけ?
大太刀担いでる絵があるけど使いづらくないのかな

1000 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 10:52:08 ID:IpQGE6eA
1000



参考
「姉川合戦図屏風」の真柄十郎左衛門
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1927.html

古田織部と紹智の花入・悪い話

2009年04月24日 00:19

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 01:37:46 ID:BVoEgmzx
ある日、茶道薮内流の開祖・薮内紹智(剣仲)は義兄の古田織部らを招き、茶会を開いた。

天下の宗匠でもある織部を客に迎えての重要な茶会に望んで、紹智は秘蔵の名道具
『 鉈鞘籠花入 』 を床に飾った。
この道具は、千利休が、木こりが鉈の鞘に使っていた竹籠に目をつけ、買い取って
花入としたものを、利休の弟弟子にあたる紹智が譲り受けた逸品である。

茶会は、客の誰もが茶席の見事さ、紹智の点前、そして利休が見出した花入の風情を
褒め称え、なごやかな空気のうちに進んだ。
所用で席を外した紹智が茶席に戻ると、織部の姿は消えていた。

自慢の花入も消えていた。

紹智は織部に、花入を返却するよう、抗議した。抗議した。
さんざん抗議した末、織部は息子の小平次に花入を持たせ、書状を添えて返して来た。
書状にはこう書いてあった。

「これといった用はないけど、息子の小平次がお邪魔するので、お手紙します。
息子にいろいろ教えてやってもらえれば、有難いんですけど。
(略)
最近は筋肉痛があったぐらいで、あとは差し支えありません。
(以下略) 」


たぶん、某マンガの有名なシーンの元ネタの一つ。以下、例のAA禁止。





885 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/23(木) 03:01:04 ID:hEaGqFq1
>>880
織部の意図がわからん。
どういう逸話なんだ?

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 09:20:06 ID:Lj2ji6G+
>>880
話のオチもよくわからないし、
某マンガの有名なシーンも、
例のAAもわかりません。
マンガがわかればわかる話なのか?

戦国(書き方が)ちょっと悪い話になってますよ…。

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 09:43:40 ID:NoUtlQnR
>>888
あんまりしつこいんで返したけど、盗んだことに関してはすっとぼけて認めようとしなかったという
織部の往生際の悪い話だろ?
マンガとAAは良くわからんが。

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 11:06:03 ID:k5lU8kNe
>>888
モーニングで連載中の「へうげもの」

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 11:57:22 ID:GOateFOI
>>885
物欲にまみれた話、かな。芸術的意図もなんもなく、ただ欲しくてパチったんじゃね?

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 12:16:04 ID:lKsXYqgq
しかし、そんなバレ易い状況の物よく盗んだよなぁ。

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 12:51:37 ID:/xQzb5Lc
>>896
漫画のそのシーン知らないけど
多分、同じもの作って、作った偽物のほう返したんだろう。
漫画だと織部はそういう奴。

佐竹義宣と養子彦次郎義直・悪い話

2009年04月24日 00:18

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 01:55:08 ID:GAdZLziR
佐竹義宣には男子がいなかった
困った義宣は、末弟・申若丸を養子とし、跡継ぎに任じる
申若丸は元服し、彦次郎義直と名乗った
彦次郎は江戸に屋敷を与えられ、徳川秀忠や家光への拝謁もお膳立てされる
この時、彦次郎はいまだ十二歳
周囲によって、次期藩主の立場を着々と固められていった

が、彦次郎十五歳の時、事件は起こる
江戸城本丸にて能が催され、参勤中の諸大名が出席する場があった
江戸にいた義宣も当然、彦次郎を連れて登城した
よほど退屈だったのか、なんとこの能の席で彦次郎、居眠りした
しかもウトウトなんてレベルではなく、かなり見苦しかったらしい
隣に座っていた伊達政宗が見るに見かね、
「おい、アンタんとこの息子、寝てるぞ(,;●Д゚)」
と義宣の膝を揺すって知らせたほどだった

能見物から帰った義宣、ぶちキレた
「もともと物足りないやつだと思ってたが、もう見限ったわ…
彦次郎は秋田に戻れ!勘当じゃー!!」
激怒した義宣によって彦次郎は廃嫡、わずか二日後に江戸屋敷を叩き出される
秋田に到着すると即座に出家させられた

秋田での僧坊生活は針のむしろだったのだろう
二年後、彦次郎は高野山に行きたいので、援助して欲しいと佐竹家に申し込む
だが回答は、高野には行けばいい、だが援助は一切しない、という冷淡なものだった
これ以降、佐竹彦次郎義直の記録は絶える





883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 02:21:21 ID:LwluVos9
オゥ、ノー

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 02:43:00 ID:A/m7aaNG
よだれ垂らしてたのか?

黒田如水の島津戦略・悪い話

2009年04月24日 00:17

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 15:24:20 ID:Z/KNEkgD
関ヶ原の決戦の後、島津攻めについて噂になった時に、黒田如水がその戦略を語った。

「島津征伐が私に命じられれば、簡単に攻略して見せよう。
その内容はこうだ。薩摩口へは鍋島を先手として使う。『それは迷惑だ』などとは言わせんよ。
肥前は大国でその軍も大軍なのだから、必ず戦ってもらう。

で、鍋島軍は島津に手もなく負ける。
弓矢の作法を知らず、軍の調練も行き届いていない連中だからな。あいつら朝鮮の役の時
自分の所の派遣軍をまとめることも出来ず、こっちから蟻之介という足軽大将を遣わして
ようやく立て直したような所だ!

というわけで、鍋島の兵は全て弱兵であり、島津はこれを簡単に打ち破り、勝ち誇って
進軍してくる。
そこで加藤清正だ。彼は格別な器量の持ち主であり、いい気になって攻勢をかけてくる
島津軍に、二の手として真一文字にかかって行けば、何ほどのこともなく打ち破る。

で、私の部隊はその後、平服のまま楽々と薩摩に入るというわけだ。
どうだ、道理にかなっていて簡単だろう?」

そんな、黒田如水の鍋島家への評価がひどいお話。





900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 15:25:40 ID:xmxvuywl
鍋島捨て駒w

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 15:46:36 ID:cut8eRq4
鍋島ボロクソ過ぎるw
仮にも九州三強の一角なのにww

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 15:53:49 ID:UuNXsYPb
>>899
そんな如水の期待を裏切って鍋島より真っ先に
突撃し、壊滅する黒田長政を想像してしまった・・・

903 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/23(木) 16:09:19 ID:0Aclvmcd
そんな鍋島に

「あいつは後方で立ち見だけしてた臆病ものの司令官っすよww
大軍で小兵を飲み込んだってだけで功なんざたいしたこたぁねぇす」

っと小西行長をぼろくそ叩く

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 16:10:53 ID:JBJnC00F
>>899
官兵衛ワルだなw
秀吉に警戒された理由もわかる気がする。

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 16:24:35 ID:Nnjmoxhr
それより、蟻之介が気になる。蟻?

906 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/23(木) 18:44:06 ID:czh5ivL2
>>902
反省のために髪の毛を切ってつるっぱげになった長政を横目に「そんなことでいちいち以下省略」と
嘯く後藤さんがw


907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 18:58:53 ID:qO3p6HJ4
逸話における長政の扱い見てると、異見会開いたのは煙たい爺さん連中が若手にやり込められる
のを期待してじゃないかと邪推してしまう。

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 20:32:12 ID:xmxvuywl
まとめ見てたら

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 20:35:26 ID:4JMMaVO6
>>702
たしか、竜造寺隆信の軍団は『退けば理由の如何を問わずとにかくぶっ殺す』
と言う鉄の規律だったので、相手がどんなに強かろうが、退却して殺されるより敵に遮二無二突っ込んで
討ち死にを果たした方がマシ(結果勝てば恩賞が期待)・・・と言う按配だと思ってたけど
沖田畷での壊乱振りを見るとそうとも限らない気がするなあ・・・


こんなレスがあったがこれが本当なら竜造寺家は軍略も糞もなく
ソヴィエト並みに人海戦術で突撃させるだけだったから
如水にボロクソ言われるような錬度の低い兵になっちゃったんじゃねぇの?
主だった将が沖田畷で死んでるから纏めるのが大変だったってのもあるかもしれないけど

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 21:37:19 ID:f7r3YQdm
そういやその時期の竜造寺って四天王(五人)もほぼ潰滅で
鍋島は居るけど、長篠後の武田みたいな状態だよな。

しかしそれでも全盛期の竜造寺は立花や高橋擁する大友を結構痛めつけてるんだから
悪く言い過ぎじゃねえかとは思う


910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 21:55:46 ID:TWpPpTvX
>>899
加藤清正は官兵衛から評価高かったの?

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 22:19:16 ID:oYhzVaQS
鍋島はわざと侮って戦いに参加させる
しかし肥前の兵は烏合の衆だから薩摩兵に蹴散らされる
その後、気持ち良くなって調子ぶっこいてる薩摩兵に
清正軍を当てる、清正は虎のような男なんでも一人でやろうとする性格だが
おだてて飼い馴らして任せちまえばOK
弱い大軍を蹴散らさせてつけ上がったところを
少数精鋭で逆捨て奸り、島津お株を奪われ超涙目w
(まあ百戦錬磨の俺位じゃないとこいつらは使いこなせないけどね
って事っすか?官兵衛さんマジパネェっす!

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 22:56:45 ID:/xQzb5Lc
>少数精鋭で逆捨て奸り、島津お株を奪われ超涙目w
釣り野伏せの間違いだよな?
そこで清正が捨てがまりで撤退したら囮の鍋島兵やられ損じゃん。

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 22:57:23 ID:hy7jmik9
>>911
逆捨て奸りって大将自ら突撃ってこと?

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 23:12:04 ID:JBJnC00F
>>911 
逆捨て奸りって
清正軍の少数の兵を、死ぬまで島津の大軍ぶつけて、彼らが島津に
討たれたら新手の少勢を出して同じことを繰り返すってことかな?
攻撃側がそれをやる意味がよくわからん・・・

915 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/24(金) 00:42:32 ID:Y3ippRs5
>>910
結構良いみたい。清正は熊本城をわざとみてもらったりしてたりする。
鍋島も小西とは対照的に加藤はべた褒め。
どうでもいいけど熊本城の歌に「黒田が攻めてきてもこわくねぇwww」って歌詞があるんだが
なんで島津じゃなくて黒田なんだ?当時から勘兵衛って相当な悪役だったんだのか

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 01:07:20 ID:LYjUyeel
>>915
いつの時代の歌かは知らないが、
黒田家2代目藩主が大阪の陣終わったあとにも関わらず、
足軽召抱えたりして軍拡(黒田騒動)したんで警戒したんだろう。

937 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/24(金) 14:46:53 ID:phXWy7iS
>>909
龍造寺四天王は本当はザコだけどな。

鍋島には龍造寺四家と呼ばれる有能な龍造寺一門衆がついていた。
立花道雪・宗茂・高橋紹運を柳川城で撃退した龍造寺家晴とか、
隆信の息子で、加藤清正を蔚山城から救出した後藤家信とかが、
龍造寺四家のメンバー。

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 15:09:26 ID:tOOmXBx9
「四天王がやられたようだな…」
「所詮やつらはただの数合わせ…」
「四天王のくせに(同時期に)五人いる訳の分からん奴等よ」
「島津ごときに敗れるとは竜造寺の面汚しめ…」

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 15:14:36 ID:if5WlJtg
四天王のくせに(同時期に)五人いる訳の分からん奴等よ ワラタw
五人いたら数合わせになってないしw 足し算できてない

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 18:59:15 ID:qQWkqgLx
>>940
まあなんだ。 チャンバラトリオも確か4人いることだし。

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 20:24:12 ID:wwcgDFZV
残念ながらチャンバラトリオは現在3人です

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 20:49:57 ID:qqGpSm/L
四天王なのに5人と言われてもクロマティ高校しか連想できん。

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 21:40:40 ID:e8X92GTO
>>945
クロ高のそのネタは竜造寺四天王を参考にした


んではなかろうか

大友宗麟の大猿と立花道雪・いい話

2009年04月24日 00:16

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 21:33:20 ID:qq30wM4F
大友宗麟は一匹の大猿を飼っていた
この猿を座敷に置き、出仕して来た家臣にけしかけ
家臣の慌てふためく様を侍女と共に笑って楽しんでいた
家臣も宗麟の猿なのでどうしたものかと困っていた
さて、立花道雪も大友家臣として出仕し宗麟に頭を垂れた
止めときゃ良いのにいつものように猿をけしかける宗麟
猿が道雪の頭に飛びついたその時…!

ボ キ ッ !

猿が触れるより早く道雪は持っていた鉄扇で猿の頭を打ち砕いていた
猿は血反吐を吐いて倒れている

( ゚д゚)

想定外の事に驚く宗麟
道雪の顔を見てみた

(#゚Д゚)

怒りの表情で自分を睨み付けていた
この後道雪に
「人を弄べば得を失い、物を弄べば志を失う」
「畜生を飼って家臣を苦しめるのは孟子の言う獣を率いて人を食わせるような悪逆無道
こういう戯れは止めろ」
とかなんとかこっ酷く叱られ宗麟は恥じ入ったという




953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 21:37:20 ID:qq30wM4F
宗茂が人間味ないってのはいい話ばかりっていうより
こういう泥臭い話が無いせいだと思う
親父達も忠臣名臣だけどまだ人間味が沸くし
宗茂は感情的になったりする話を聞かない

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 21:40:15 ID:+MUNj1r8
道雪爺ちゃんも心労で早死にしてるよな。
あと20年生きていれば大友義統もなんとかなっていたであろう。

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 21:46:55 ID:CsKr5pMm
信之兄ちゃんも(ry

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 21:48:37 ID:L3YV5mua
耳川の大敗の後では道雪が奮闘したところで大差なかったと思うけどな

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 22:01:40 ID:+oeTjS+4
>>956
>>954は道雪が何歳まで生きたか知ったうえでのネタ書き込みだよ

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 22:11:41 ID:2ezkxwHt
「もう少し長生き」も半ば定番ネタと化してるよな。

大久保彦左衛と葵の旗・いい話

2009年04月24日 00:15

960 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/22(水) 22:43:17 ID:0bg/8cYW
これは歴史マニアに有名な大阪の陣の話。
真田幸村の本陣突撃に一目散に逃げ出した徳川家康。
その時葵の旗が倒れてしまう。
槍奉行として本陣にいた大久保彦左衛門忠教。
葵の旗を必死に守り抜き、倒れてしまったが彼はすぐに立て直した。
真田幸村は程なく討ち取られた。
戦いの後の評定でこの件の検証が行われ、「現場証人」として大久保翁1人が頑固に主張した。
「葵の旗は立っていた!」
この時点で既に70代半ばの家康をもうならせた。
この時代の感覚では50代半ばにして、すでに老境になった大久保翁の男意気にリスペクト。






東照宮の3匹のサル・いい話?

2009年04月24日 00:14

961 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/22(水) 22:48:54 ID:0bg/8cYW
日光に住んでいる人から聞いた話。
東照宮の3匹のサル、「見ざる言わざる聞かざる」。
これにはモデルがいる。
聞かざるは石田三成。
わがままな彼は人の言う事に聞く耳を持たなかったから。
見ざるは直江兼続。
臆病な彼は怖い物や嫌な物を見たくなかったから。
そして言わざるは大久保彦左衛門忠教。
天下のご意見番として、相手の身分に関係なく歯に衣着せぬ発言をした。
しかし、自分の命取りとなる発言はしなかった。だから言わざる。
この3人は同い年の申年。大久保翁の意向でこの「サル」ができたと言われる。




962 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/22(水) 22:51:32 ID:0bg/8cYW
>961
いい意味の申1匹と良くない意味の申2匹をあえて対比させたのだ。
人生の教訓でもある。

963 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/22(水) 22:54:11 ID:fxS/dcoc
>>951
それ葵徳川三代にあったw

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 23:03:50 ID:FgurobbZ
青面金剛の使いを悪い意味に使ったのか?
それは…宗教的にどうなんだろう?

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 07:39:32 ID:AtTws3Dz
見ざる・聞かざる・言わざる・犯さざる
の4猿だという話しもあったような

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 20:30:07 ID:CuvD5g/e
>>963
そのとき歴史が動いたでも使われてたっけ映像
葵徳川三代では山口祐一郎が島津豊久やってたんだよな
2年後に利家とまつで佐々成政やったからそっちの印象強いけど。
義弘役の麿赤兒は強烈だったw 篤姫にも出てて懐かしかったわ

しかし三成は島津兵を見込んで再度自ら加勢を頼みに来たとはいえ、
その時にはもう島津も兵数1000以下の小勢だったろうし双方どーにもならんだろうな
玉砕覚悟で中央突破でもしてくれとでも言いに来たんだろうか。

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 20:35:20 ID:DdB092uE
そういえば高橋秀樹さんは
島津久光と島津斉彬の両方を大河でやってるね。
スレ違いでゴメン

上杉謙信の恩賞論・いい話

2009年04月24日 00:13

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 00:35:01 ID:Z/KNEkgD
上杉謙信があるとき

「人の家来というものは、我が身をなげうち忠義を旨として主人の先途に立とうとする物であり、
これは仕官する者の常と言うものだ。
そうであれば、主人たるものも、その志に報いるために、普段から相応の俸禄を与え扶持すること、
これが私心無き恩賞という物である。

ところが昨今の諸将は、『家人という物は禄のために使われるもので、忠死をもって
これを償うのだ』などと考えている。

これは大間違いである。

そんな了見では士卒一和は出来ず、合戦に望んでも利運を得ることは出来ないものだ。」

と、このように言われたと言う。

つまり、「社員が給料に報いるため働く」、という発想は間違いである。
社員であるなら働こうと言う意欲は当然持っているわけで、経営者はその意欲に対して、
「社員に報いるために」給与を支払う、と言う発想であるべきなのだ。と言うことか。

そんな、上杉謙信公の恩賞論のお話。






東郷元帥と新納忠元・いい話

2009年04月24日 00:12

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 01:22:27 ID:hpXmumdS
明治時代の話なんだけど戦国武将にも由来するお話

東郷平八郎が元帥に任じられた当初のこと。
鹿児島から、各地の史跡の碑銘に対する揮毫の依頼があった。

故郷の者からの依頼、ということなので快く引き受けたが
とある碑銘のところで、ピタリと筆が止んでしまった。

依頼をした村の者が横から伺ったところ、
『関白陣跡』の四文字を見てムッと難しい表情をしていた。
この4文字がまずいと悟った村の者が慌てて『新納忠元公記念碑』と改めて依頼したところ
快く筆を走らせたとの事。

時代が変わっても薩摩の人にとってはラスボスより親指武蔵さんの方が
尊敬されてたんだね。というお話。

ちなみに東郷元帥は西郷さんの推薦でイギリスに留学したが
留学中に西南戦争が起こり、帰国前に終結してしまった。

長州閥に「参加できなかったのが残念だったのではないか?」と揶揄されると
「いや、全く残念だ。かなうことならば自分もイギリスから駆けつけて西郷先生の
お手伝いをしたかったものを」
と半ば本気で悔しがって周りのものを倉皇とさせたとか。
この辺は纏めサイトでも紹介されている
「オマエなんか義久様からGOサイン出ればいつでも殺ってやんよ」
発言を彷彿とさせます。





975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 11:14:11 ID:GOateFOI
>971
井伊の万千代さんといい、アミバ様より前に取り上げられる新納さんといい……(´Д`;)

野戦に強い大名んところの侍大将って気力だけで人を頃せるんじゃね?
んで全盛時のラスボスはそいつらの殺気を跳ね返すオーラがゴゴゴ・・・とかドドド・・・とか溢れてんの


豊臣秀吉、国の盗り方・いい話?

2009年04月24日 00:10

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 16:51:56 ID:Z/KNEkgD
国の盗り方

織田信長の頃、淡路は矢部善七が支配していたが、秀吉の天下となり、この淡路を
当時まだ小身であった千石権兵衛に与える事になった、
が、千石、秀吉に尋ねる。

「私は小身なので兵を持ちません。これでどうやって、矢部の支配する淡路を制圧できるでしょうか?」

これに秀吉
「簡単な事じゃ。お前はかの地に行って地侍どもに、『手柄次第で恩賞を与える』と
言って回れ。そうすれば万事解決じゃ。」

それで権兵衛、淡路に渡り秀吉に言われたとおりにすると、かの地の地侍たちたちまち蜂起し
矢部の城を取り囲み、ほどなくして城を明け渡して退転、権兵衛は楽々と淡路一国を接収したとの
ことである。

そんな、いかにも秀吉らしい国の盗り方。




977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 16:58:51 ID:UuNXsYPb
>>976
秀吉っていうか官兵衛の入れ知恵っぽいな


978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 17:34:40 ID:RqtGPpMb
矢部善七って、ほんと逸話の中ではひどい扱いだな。
本能寺前は、信長の側近として天下の差配に関与して信頼された能吏だったのに。

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 19:20:18 ID:cW83eRdM
>>975
秀吉は組み伏せるというよりひらりマントでさらりと流す感じだなあ


週間ブログ拍手ランキング!&お勧め逸話・参

2009年04月23日 00:15

04/15~22までの、週間ブログ拍手ランキングでございます。




県立熊本高校、校章の由来・いい話 42

前田利常とわらび餅と老婆・いい話 35

1576年 天王寺の戦いにて・いい話 32
細川忠興と、紀州家、虚堂智愚の墨蹟『不動斬』・いい話 32
一番の馬、一番の腕前、一番の志・いい話 32

徳川頼宣のあざ・いい話
31
立花宗茂と、和仁弾正の和睦・いい話 31
豊臣秀吉、葦名家からの使者に付いて・いい話 31

大阪夏の陣、大和郡山城攻めと松倉重政・いい話 26

鬼の目にも涙と戦国時代でも死亡フラグな話 24
武田勝頼、浅間大社詣にて・悪い話 24

黒田長政と家臣たちの異見・いい話 23

伊東義祐、他二人のちょっと悪い話 21
長宗我部、高森城攻めと山彦・いい話 21
名古屋築城と清正の口止め・いい話? 21

九十九茄子の受難・いい話 20
竹中重治流、馬の買い方・いい話 19

徳川家康、小田原陣と夜中の騒ぎ・いい話 18
薮内匠の槍働きと毛利家家臣、児玉三郎左衛門・いい話 18

服部小平太のはばき・すさまじい話 17




今週の1位は県立熊本高校、校章の由来・いい話
さすが熊本の高校!というトリビアなお話です。
地方の古くからある学校には、こういったお話がまだ眠っていそうですね。

2位は前田利常とわらび餅と老婆・いい話
非常に有名な逸話ですが、前田利常と言う人のキャラクターを、実に良く凝縮したお話だと思います。

今回ランクインした中で好きな逸話は
徳川頼宣のあざ・いい話
ですね。
後の名君南龍公と、名家老安藤帯刀の二人の君臣の関係は、なんだかとても
清々しい感じがします。

今週も各逸話に、本当にたくさんの拍手をいただきました。いつもありがとうございます。
又気に入った逸話を発見されましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいませ。
( ´ω` )




さて、すっかり逸話の数も膨大になり、管理人ですら全体が把握できなくなって久しい
このサイトですがw (気がついた点がありましたらどんどん指摘してくださいね)

古いほうの逸話は中々見難いかと思います。
そこで久々に、古いエントリーの逸話の中から管理人のオススメ逸話を!

伊達政宗三連発・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-67.html
いい悪いスレと言ったらこれ!と言うべき、初期の頃の代表的な逸話ですね。
家康死後の政宗の自由奔放さはすばらしいw

長年寺を守る・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-124.html
合戦から一人で寺を守り通した僧のお話。本当に感動的です。

柴田勝家と利家、成政・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-50.html
柴田勝家の人間の大きさ、魅力が非常に良く出ている逸話だと思います。
こういう人に、ついて行きたい。

細川藤孝と食事会・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-77.html
藤孝の学識が存分に出ている逸話ですね。彼のお話は全体的に、インテリジェンスが
にじみ出てくるようなものが多いです。

赤松則繁の消息・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-71.html
戦国よりは少し前ですが、嘉吉の変後行方不明になった赤松則繁の消息。
非常にスケールの大きな逸話です。

本当に数が多くて、(今見たら1800件を越えているんですねw;)なかなか過去のものにまで
目を通すのは大変だとは思いますが、
良かったら時間のあるときににでも、古いエントリーの逸話も覗いてみて下さい。



過去のお勧め逸話
管理人おすすめ逸話その弐
管理人おすすめ逸話その一

家来想いな殿様蜂須賀家政・いい話

2009年04月23日 00:14

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 23:57:57 ID:kXBEKX3M
蜂須賀家政は江戸に在勤している他の大名を訪ねるとき、
一緒に付き添った家来に「俺日暮れまでこちらにお邪魔するから
帰る時間までお前らはその辺で遊んでな。」
と言って小遣いを渡して自由時間を与えたそうな。また家政は
食後のデザートが大好きだったけれども、必ずその日の当直の
人数分、餅やあんを残し、それでも足りないと自分の分も残した
そうな。実に家来想いな殿様だ。




936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 09:58:05 ID:5D4VdaU6
>>927
地味だけど、こう言う気配りが結構くるものあるね。
もしかしたら、父親から学び取ったのかもしれないね。

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 10:17:56 ID:FgurobbZ
いい話だけど地味過ぎて親戚のおっさん臭がする

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 12:51:22 ID:kbuDtk56
名家だとまた違うのかもしれないけどこの時代の殿様親戚のおっさんみたいなの多いよな
実際若い近侍は重臣の子だったりして親戚みたいなものだったり本当に血が繋がってたりするし

竹中半兵衛と織田家の歴々・いい話

2009年04月23日 00:13

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 00:13:04 ID:qFkDF/2M
竹中半兵衛は若くして軍略の巧者と、世間で持て囃されていたそうだ。
柴田勝家や滝川一益と言った歴戦の面々は、どうにもこれが気に入らない。

半兵衛が中国の秀吉の使者として、信長への状況報告のため京に上った折
それを待ち構えた柴田たちが、「そなたに一献差し上げたい」と、無理に竹中を自分達のいる部屋に
連れ込んだ。

『竹中半兵衛、何ほどの事やあらん、軍略に付いて、やり込めてやろうぞ』
との魂胆であった。

さて、半兵衛に柴田が言う
「この度中国においての毛利家との対陣の様子、秀吉の考えなどを聞かせて頂きたい。」
しかし竹中
「私は秀吉殿の考えなど聞かされておりません。よって何事も申し上げることはありません。」

「では秀吉の考えはさて置いて、竹中殿、お主は中国戦線の状況をどのように考えるか、
それを語っていただきたい。」

これには半兵衛やむを得ず、毛利家の軍事能力、織田方の対処方針、双方の思惑などに付いて
彼の分析を語った。それから

「私はまだ信長様に秀吉の使いの趣を報告しておりませぬ。こちらを先に済ませてまいりますので、
失礼いたします。」と、出て行った。

半兵衛が行った後、その場にいた柴田、滝川、丹羽、佐久間と言った歴々は、
「竹中とは、聞いていた以上の男だ。彼の中国戦線に対する状況分析と展望には、
文句のつけようが無い。軍略の才能と言うのは、合戦の経験で測れるものではないのだな。」

そのように感嘆した、とのことである。





立花宗茂の実戦思考・いい話

2009年04月23日 00:12

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 03:06:21 ID:zMNEPAwK
立花宗茂が十歳のとき、父・鎮種は家中で重罪を犯した者を、
家臣の萩尾大学に命じて討たせた。萩尾はその者と街で行き
逢ったとき、すれ違いざまに後から一太刀で切り伏せた。
このことを家中の傍輩たちが「後から切るのはたやすい、手柄
とは言い難い」などと囁きあっているのを、宗茂が聞きつけて、
「突然行き逢ったのであれば、前後を問わず、その場で討ち止
めてこそ手柄だ。敵を討つのに容易なところを避けて、討ちにく
い方法で切りかかって、仕損じたら何とする。お前たちのような
者は、私が成長した後には、軍利の邪魔になるであろう」と言っ
たそうな。

よくいい人と言われる宗茂だが、非常に実戦的な思考の持ち主
だったことが伺える逸話




934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 03:42:59 ID:IyIpUrgh
高位で、家名を残せる事がほぼ約束された者と
自らの武で家名を上げなければならない者との
考え方の相違のようにも思える。

武士の心を知る豊臣秀吉・いい話

2009年04月23日 00:11

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 18:47:07 ID:qFkDF/2M
小田原陣が始まった頃の事である。

小早川隆景の家臣に、川多八助、楢崎十兵衛という、大力無双と呼ばれた武士があった。
彼らも主人隆景に従い、小田原陣に従軍した。この時川多は巨大な旗指物、
楢崎は巨大な母衣を掛けて街道を徒歩で進み、沼津までやって来た。

この頃、秀吉も沼津に陣を張っており、遥かに両人の姿を見た秀吉

「さても大力なる者どもだ。彼らの名を聞いて参れ。」

と、近習を使わした。近習の者馬にて急ぎ彼らに追いつき、馬上より秀吉の命令を伝え
その姓名を問いただした。

所がこの二人、使者を無視し、さっさと過ぎ去ってしまった。そうして近習の者が何度言っても
相手にしないので、しかたがなく秀吉の元に戻りこの事を報告した。

これを聞いた秀吉、近習を大いに叱り付けた。

「お前はきっと、馬から下りずに彼らの名を聞いたのであろう!無礼至極の振る舞いではないか!
想像するに、彼らもそもそも騎馬の身分であろう。だが、あの大指物や大母衣を抱えては
馬が疲れることを恐れて、徒歩にて道を急いでいるに相違無い。

それなのにお前はそうとも考えず、あのような勇士に呼びかけるのに、事もあろうに
馬上から呼びかけたから、彼らは相手にせず行き過ぎたのだ。
もう一度取って返し、下馬して慇懃にその生命を問うて来い!」

そこで近習のもの、赤面しながらその場より取って返し、彼らに追いついて、秀吉に言われたように
下馬して慇懃にその姓名を尋ねたところ、案の定彼らも挨拶を返し、それぞれ自分の姓名を名乗り、
そして悠々とその場を去った、とのことである。」

秀吉武士の心を知る、のお話。




950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 19:24:52 ID:qq30wM4F
>>946
こういうポカって結構聞く気がする<馬から降りず
関が原でもあったよな
どっかの陣に戦闘に参加するように三成の使者が馬上から口上を垂れたら
激怒した武将に馬から引きづり下ろされてボコボコにされそうになった奴
上司の威光があるからいいんじゃないかとか思っちゃうんだろうか?

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 20:12:09 ID:vNCngTga
>>950
>どっかの陣に戦闘に参加するように三成の使者が馬上から口上を垂れたら
>激怒した武将に馬から引きづり下ろされてボコボコにされそうになった奴

島津の陣にお使いに行った八十島だっけ。
確か豊久が激昂して馬から引き摺り下ろしたはず。
その後、三成本人がお詫びに来たけど
『今日は各々が各々の意思で豊家の為に戦うのでござる。
 貴殿の指図は受けぬ!』
とやはり怒鳴り返されて結局三成自身もすごすご帰る破目になったとか。

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 21:37:20 ID:qq30wM4F

>>951
あー、島津か
名門だし怒るのも無理ないわ

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 22:19:05 ID:HM1GpRN8
>>946
人たらし心得
・相手の気持ちを的確に見通すこと

豊臣秀吉「醍醐の醍の字」・いい話

2009年04月23日 00:09

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 19:04:03 ID:jc7EsaDW
じゃあ秀吉のちょっとした話でも。

秀吉の右筆が書き物をしていたのだが、醍醐の醍の字を忘れた。
「あれぇ?どんな字だったっけ。」と考えていると秀吉がやってきて
「なんじゃい、『だい』の字も知らんのか?『だい』はこう書く
のだ、かっかっか。」と笑いながら大の字を書いたという。

俳句を作ったときの話。秀吉は「奥山にもみじふみ分け鳴蛍」
という俳句を作った。そして俳匠が「蛍は鳴きませんがな。」
とツッコんだところ秀吉は「ふん、わしがその気になれば
蛍だろうが、鳴くに決まっている。」と豪語したという。

たしか俳句の話の続きはまとめにあったと思う。




949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 19:22:08 ID:t+QQvpbg
>>948
醍醐を大五と当て字にしたんだよな
太閤5の攻略本欄外の戦国トリビアに書いてあった

アソ氏バイバイ・相良義陽の史書伝説・悪い話?

2009年04月23日 00:07

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 23:44:47 ID:BQp8uWKN
アソ氏バイバイ・相良義陽の史書伝説

皆さんは「求麻外史」という史書を御存知でしょうか?
これは延宝3年(1675年)までの人吉・相良氏の歴史を人吉藩家老・田代政輔が
記した文献のことです。
今日はその「求麻外史」に書かれていたこんなお話。

ときは天正9年9月23日、耳川で大友氏に大勝したばかりの島津軍により、
人吉の相良氏が逼迫を受けていた頃の事です。
このとき島津軍は、正に相良家臣・犬童頼安が護る水俣城を包囲していました。
この事態に当主・相良義陽は臣下の溝口半五郎という者を、水俣城への
使者として遣わします。
半五郎は夜陰に紛れて水俣の地に入り、島津の陣を抜けて城に入ろうと試みます。
しかし、そうはうまくいくはずもなく半五郎は島津の衛兵に捕らえられて
しまうのです。
ここで半五郎、咄嗟に言い訳をします。
「私は球磨の住人で、城中にいる身内の者を訪ねてやってきたものです」と。

下手な言い訳云々はさておき、衛兵はこれを信じません。結果、半五郎は
真意を問い質され拷問を受けてしまいます。
そこへ、水俣攻めを一任されていた新納忠元が現れます。
新納は、そなたが城に向かって『義陽様は、悪戯に兵を失わないよう速やかに
城から退去するよう頼安様に命じられました』と言えば、そなたの命を救って
やると言いました。
半五郎はこれを承知したので、城の下へと連れられて来ます。
ところが半五郎はこの約束を破り、城内に向けて「自分は八代からの使者です。
ここ数日にも義陽公は球磨、八代の兵を率いて救援に駆けつけます」。
と叫んだのです。

当然これに腹を立てた島津軍は、半五郎の首級を竿の先に刺し貫き、城内の者に
見える様に高々と掲げられました。
しかし半五郎のこの命を賭けた行いは甲斐もなく、相良氏は島津氏に事実上降伏、
新納の言わせようとした通り城は島津に明け渡されてしまうのです。

ですが、ここで不思議な事が一つあったのです。

これと同じような出来事が、なんと天正3年の長篠で起こっていたのです。
たった6年の間に日本の中央と西で起こった偶然、これを奇跡と言わずして
何と言いましょうか。正に神の悪戯と言うべき出来事です。
この事実は人吉藩家老・田代政輔に偶然にも伝わり、更に享保5年までの相良氏の
歴史を記した「南藤蔓綿録」へも受け継がれ、今日にまで語り継がれることが
出来ました。

以上、信じるか信じないかはあなた次第。




848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 23:48:12 ID:7xBQMDXP
東に忠臣あれば、西にも忠臣あり。

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 13:58:32 ID:dn4P13Qk
>>847
ちなみにそれらの逸話と若干似た話が、中国の五代十国時代の南唐でも起こっている。

南唐の皇帝は快進撃を続ける後周軍と和睦するため、宰相の孫晟を後周の皇帝柴栄に遣わすと、
柴栄は和睦の交換条件として、寿州を割譲することを求めた。
寿州は柴栄、趙匡胤らが束になっても土をつけられなかった不敗の名将、劉仁贍の守る地である。
柴栄は寿州の開城のため、その使者として孫晟自身に説得するよう求めた。
後周軍の監視の中、孫晟は寿州城下から城壁上に立つ劉仁贍の姿を認めると、叫んだ。

「公が国から受けた厚恩を思うなら、決して門を開けて賊を入れてはならない!」

柴栄は孫晟の言葉を聞くと大いに怒り、これを斬ろうとすると、
孫晟は「臣は唐の宰相である。何故節度使を叛かせることができようか。」と言った。
忠心に感心した柴栄は、彼を許した。

以上、参考は『五代史平話』。
…史実では確か孫晟を殺してから悔やんでるってのは内緒。

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 20:19:01 ID:4AuTd2kk
>>861
いやこれ、何かおかしくね?

軍を撤兵する交換条件で、土地割譲を出して、一国の使者である宰相はそれを呑んだわけでしょ?
それでいざ城の明け渡しの段になってから反故にするってのは、美談にもならないと思うんだが。
鳥居のエピのように、脅迫されて嘘を言わされようとしたってわけでもない、そもそも自分が約束
したことでしょうに。



戦国「後」の、世の中・悪い話?

2009年04月23日 00:06

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 14:56:47 ID:qFkDF/2M
戦国「後」の、世の中


渡辺勘兵衛が睡庵と名乗り、坂本に居住していた頃の事である。
渡辺の家来が大津の町で喧嘩騒ぎを起こした、と言う話が広まった。
これを聞いた、友人で、元の福島家臣であり、正則改易後牢人をしていた吉村又右衛門は
京より坂本に駆けつけた。

坂本の自宅に現れた吉村に、渡辺
「吉村殿、今日こられた用件が喧嘩見舞いであるのなら、特にさしたることもないゆえ
帰られよ。
何か話でもしたいと思ってこられたのならどうぞ、うちで飯でも食って語り合いましょう。」

心配して急いでやってきたのだ。感謝されることこそあれ、この渡辺の態度はどうか。
吉村、気を悪くし「いや、喧嘩の沙汰を聞いたので見舞いに来たまでです。そのような事であれば、
これで帰ろう。」

「そうか…。では、少々待たれよ。」

渡辺は次男を吉村につけ、街道まで見送りをさせた。
道すがらこの次男は、「父から、密かに吉村様に伝えよとの、言付けがあります。」と語りだした。
その内容はこうだ。

『吉村殿、今日の見舞いの事は、吉村殿には似合わぬ行動ですぞ。
今は天下の大法が定まり、もし我が家来が殺されれば、殺したものは切腹を申し付けられ、
逆に人を斬れば我が方の者が切腹を申し付けられる、そう言う世の中になりました。
しかれば、喧嘩であっても無責任に放置する事はできません。

そうであるのに、喧嘩騒ぎがあったこのようなときに、吉村又右衛門ほどの剛の者が
京都より渡辺の下に来たと知られれば、双方の徒党を組んだ若者達を刺激する事は間違いなく、
いたずらに事態を悪化させるでしょう。

そのような事なので、今回は慎んで頂いたのです。』

戦国の自力救済社会からの転換が、はっきりと感じられる、そんな、戦国が遠くになった頃のお話。





天正5年(1577)10月、丹波亀山城にて明智光秀と若者・悪い話?

2009年04月23日 00:05

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 20:18:26 ID:8CCuEFhh
天正5年(1577)10月、明智光秀は丹波亀山城の波多野氏を攻略していた。
この戦には、初陣を済ませたばかりの親友の息子も加わっており、光秀はやがて
親友の後継者となるであろう若者に、将としての心得を説くつもりで尋ねた。

「この矢文を見てごらん、城兵が助命を求めてきただろう?さて、次に我々がやるべき
事はなんだろうね?」

若者は答えた。「抵抗していた者どもを助ける義理はありません。皆殺しにしましょう。」

「 ( ゚д゚) い、いや、ダメダヨ!?門を開けるように指示すれば、城攻めが楽になるし、
寛大なところを見せれば他の抵抗者も降伏するかもしれないでしょ?
ナニ信長様みたいなこと言ッてんの?!」

若者の父親も呼び寄せ、二人がかりの説得によって、ようやく若者は納得し、亀山城は
開城となった。 しかし、光秀の胸中は暗かった。
(駄目だこいつ…早くなんとかしないと…そ、そうだ!ウチの娘に似合いの年頃の子が
いるじゃないか!結婚させれば義理の父親として、オレが監督できるぞ…!)

「という訳で、ウチの娘とオタクの息子を結婚させてくれ。」
「えぇー?あいつ我が子ながら、凶暴だからオススメできないよ?」

渋る親友を、信長の仲介のもとで了解させ、天正7年(1579)、ついに婚姻が成立した。


ある意味、逆効果だったのは皆様ご存知の通り。
しかし、『綿考輯録』のこの記事とか、『森家家譜』とか、藩祖のDQN言動を残して
どうするつもりだったのか。子孫から見てもm9(^Д^)プギャーな話だったのか。





871 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/22(水) 20:30:31 ID:/Nvjx19W
>>869
他のDQN四天王にも光秀の娘がとついでいたらすばらしい名君が生まれたに違いないw


872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 20:43:12 ID:qq30wM4F
>>869
親友の子ってアイツかよww
明智が関わると四天王唯一の常識人も形無しだなw

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 22:15:24 ID:HM1GpRN8
>>869
>ある意味、逆効果だった

精神年齢三斎「だって、タマちゃんすっごくカワイイんだもん!」

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 22:21:23 ID:f2buLnKd
でも忠興のメロメロぶりって何か普通とは違うから
巷で言うようなお玉ちゃん=絶世の美女っていうより
ジョン・レノンに対するオノ・ヨーコみたいな
特定個人にのみ大ヒットする妖怪魔性系だったのかも。

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 06:25:12 ID:Z+B7Mcne
>>876
フロイスはガラシャが子供の頃、
「光秀の息女達はスペイン貴族の子供のように美しい」
と記録してるよね

俺の中のガラシャは仲間由紀恵系だったんだが、
西洋人に褒められるということはブリトニーとかペネロペ・クルスみたいな顔だったのか?

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 08:34:33 ID:cJ24SeCq
同じ神を仰ぐ者にはとことん評価が甘いフロイスだから
リップサービスも混じっているでしょう


889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 09:28:56 ID:ZSgioEsW
>>887
ダンナについては上司に「最も凶暴な大名」と報告してるしな


891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 09:48:19 ID:xmxvuywl
>>887
光秀の妻が元々美人だって話だからガラシャが美人でも不思議ではないがな

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 10:24:39 ID:cJ24SeCq
誰も美人である事は否定してないんだけど



894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 11:12:36 ID:mxyoKuOM
確か天正遣欧少年使節は容姿の美しさも選考基準に入ってたはず
で、リーダー格の伊藤マンショのあっちで描かれた肖像画がこれ
ttp://home.att.ne.jp/wood/aztak/news/TKY200511290277.jpg
マンショ

ここから当時の宣教師の美的感覚が推測できるかも?

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 11:22:53 ID:mxyoKuOM
あ、伊東だわごめん
あと、伊東マンショは大友宗麟の遠縁ってことで選ばれた比重が高そうなので
容姿の方はそれほどでもないかもしれん

徳川家康、小田原陣と夜中の騒ぎ・いい話

2009年04月22日 00:07

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/20(月) 23:50:34 ID:9QfNGPQY
小田原城開城前後の頃の事である。
徳川家康は、双子山と言う所の、麓の平野部に陣を張っていた。

その夜、家康は一方に土を盛り、もう一方に鎧櫃を置き、その間に戸板を二枚わたして
その上で寝ていた。簡易ベットですね。
傍では大河原と言う、この時まだ15,6の小姓が控えていた。
彼もうつらうつらとしていたが、夜更けも過ぎた頃、にわかに騒ぐ音が聞こえた。

大河原、これに驚き立ち上がったが。その勢いで戸板にあたり、それを落としてしまった。
そう、その上に寝ていた家康、寝床からすべり落とされたわけです。

「い、一体どうしたのだ?何を慌てておるか!」突然ひどい起こされ方をした家康が聞くと、
大河原、「不審な物音がいたしまして…、ほら!、今も!」
その音を聞いて、家康

「お主はまだ若いから、わからぬのも仕方が無いが、陣中においては、夜中の騒ぎなど、
これは良くある事なのだ。
敵が出てきたときは、鉄砲の音、弓のつるの音なども一緒に聞こえてくる。

さて、先ほどの音を聞くに、これは人の話す音であった。これは馬を取り押さえているか、
口論でもしているのであろう。まあどちらにせよ、気遣いするようなものではないよ。」

そう諭すと、また板をわたし直して、再びお休みになったそうだ。

そんな、ベテラン軍人と新兵、という感じのお話。




881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 00:00:40 ID:z3+QzHRS
多少の事で起きてたら眠れないしなぁ
かといって重大な事態で起きれないと生き残れないし

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 00:21:10 ID:NJErpDN5
>>881
今回はたまたま誤報やうっかりで済んだけど、次にガチ夜襲がないとは限らない。
その時主君の叱責を恐れて若い家臣が報告できないようでは困るから、
たしなめたけど怒ったり罰したりはしなかったんだろうな。



……ベテランの三河武士どもは吉四六さん(九州だが)みたいに確信犯的なKYだから、
夜襲が来たら家康が万一泥酔や熟睡していようが愛妾とギシアンしてようが乱入して叩き起こしにくるだろうが..w

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 00:40:26 ID:qTsetVQO
家康優しいなw そんなハードな起こされ方したのに
近習ってのは主君の為に働くのもあるんだけど師弟みたいに色々教えなきゃならない
から大変だな

884 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/21(火) 00:52:17 ID:PF87FioS
「確信犯的なKY」ウケタ!
家康公御自ら教えないと他のメンドクサイ三河武士に教育されてメンドクサイ三河武士に育っちゃうからね。


885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 00:52:46 ID:6xZLjEtb
>>880
三方ケ原で地獄を乗り越えてきた男の面目躍如だね

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 04:17:47 ID:LIKgo3mL
>>883
未来の幹部候補生だからな


887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 04:28:55 ID:p6Ng86WC
北条攻めの頃なら生きてる武将の中で、
戦陣で寝起きしたキャリアは家康、秀吉がだんとつじゃないかな。
一事が万事で、長年前線で培った経験が、百戦必勝という自信に
なってた二人じゃあるまいか。

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 06:04:01 ID:zcj8qaRX
>>887
冷静に考えたら北条攻め時の豊臣軍ってとんでもないな
実績・経験共に現役最高の城攻めの名手
実績・経験共に現役最高の野戦指揮官
こんなのがタッグ組んで大軍引き連れてる訳で

889 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/21(火) 06:29:27 ID:wEJ5Lymp
>>887-888
西から腐れ禿鼠と神君に率いられた17万、北から上杉勢、真田勢、犬畜生、
南からは九鬼水軍とおまけが
そんな軍団がわらわらと…

それに勝利できる武将がいたら知りたいものだ

朝鮮出兵をこの面子で行うことができてれば成功してたかもw

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 06:39:26 ID:7xBQMDXP
>>889
西国からも小早川景隆や黒田如水、長宗我部元親まで。
まさに戦国の最後を飾るにふさわしい面子ですな。

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 07:03:52 ID:c0KKApRr
景隆って誰だよ

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 07:06:02 ID:/0JzuXxu
能登畠山の温井(景隆)さんがいますぜ。

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 07:11:00 ID:7xBQMDXP
何でこんな打ち間違いをしたのだろうw;
隆景orz

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 07:22:01 ID:X1NTXyyx
・大途(主君、北条政権)のための総動員令。
・豊臣軍との決戦に備えた箱根城郭群。
・その構想を猛烈な火力と数多の兵の犠牲を問わぬ突撃によって打ち砕かれた山中城の戦い。

北条から見た小田原攻めも燃えまっせ。


895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 10:02:41 ID:1+myXeDU
>>893
隆景「急いでいる時こそ、ゆっくり落ち着いて書きなさい」


本仁房と双桂、駿河の対局・いい話

2009年04月22日 00:06

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 17:55:34 ID:FMmcbbz9
スレチだけど今日・明日と熊本城で将棋の名人戦やってんだよね
戦ですよ、戦。城で戦。燃えるねー現代は城といえば観光名所だけど
やっぱ戦が似合う
もっと色々使って欲しいよね、眺めるだけってのは今ひとつ城がもったない

城のいい使い方だと思うの話れした


907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 18:37:55 ID:NJErpDN5
>>903
名人戦か忘れたが、別のお城の公園か会館でもやってたよな

ああ津山城で鐘を鳴らしたいなあ





908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 19:05:04 ID:7xBQMDXP
将棋といえばこんな話が

大阪の陣の前、駿河においての事。
徳川家康が本仁房と双桂という、将棋の上手を呼び、自分の前で一局打たせたことがあった。
この対局に近臣たちも皆集まり、熱心に見物した。

さてこの勝負、本仁房が優位に進め、双桂を後一歩で詰める、という状況になった。
これに双桂、次の一手を、打たない。思案を続けている。

見物の者たちは、「どう見ても他に打つ手がない、双桂の負けなのに、何をあんなに考えているのか」
と、不思議に思い、家康も、あまりの思案の長さに、飽きた。

途中で席をはずし、風呂に入りに行った。
帰ってきたら、まだ思案していた。
さらに夜になり、食事を取りに行った。
戻ってくると、やっぱりまだ思案していた。

これに家康、「もう遅いから、今日は本多正信の屋敷に下がり、又明日にいたせよ」
と、中断させようとした所、双桂

「少々お待ちを!」

と、一手を指した。そしてそこから三十手で、ついに本仁房を逆に詰ませてしまった。
劇的な大逆転勝利であった。

家康はこれを大いに面白がり、
「見ているものが誰も、もう駄目だ、無駄な抵抗をと思ってっていたのに、
そこから三十手で逆転いたした。
将棋に限らず世の中の物の上手というのは、ゆえなく工夫をする訳ではないのだな」

そう、感心したとの事だ。





909 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/21(火) 19:08:42 ID:edV8I4DB
>>908

カッコエ~!

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 19:22:08 ID:KlpTa9KH
直家「そうそう。何事も工夫が大切さ。」


911 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/21(火) 19:27:30 ID:jbJSyh9P
工夫する相手だからこそ、時々断食の日があっても付いていけるんだな。

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 19:28:29 ID:OWjDz51T
くふぅ…

913 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/21(火) 19:49:58 ID:wEJ5Lymp
>>908
真田信繁「大坂の陣でもう駄目ぽから逆転勝利を狙ったけどやっぱり駄目ぽでしたorz」

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 20:08:38 ID:QXgfDDQ5
>>908
痺れるな。
まさに将棋を魅せた人だ。

915 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/21(火) 20:10:59 ID:SSQX43Iz
>>908
家康の人生とかぶるな。

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 20:46:28 ID:sp2+rKgT
>>913
毛利勝永「後の世に有名になっただけいいじゃないか」

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 20:53:41 ID:aIjA6mFw
>>913

明石全登「お互い頑張ったのにまともに名を覚えてもらえないとは
     口惜しいのう」

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 20:56:09 ID:sRilSvsl
>>908
この双桂っていうのは
将棋の初代名人、大橋宗桂のことかな?


920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 21:06:16 ID:qDjwWvjO
>>918
えーっと…ゼントーさん…でしたっけ?

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 21:07:16 ID:7xBQMDXP
>>919
手持ちの本には双桂と書いてあったんだけど、おそらくそうでしょうね。

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 21:09:35 ID:glKCTPrM
>>908
ギャラリー的には一発逆転の鮮やかさばかりが際立って、
その前の敗北寸前まで追い詰められていたという点は忘れ去られるんだろうな

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 21:57:56 ID:/pU9HDTa
現代のルールでは時間切れで負けになるんじゃ?

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 22:39:35 ID:7xBQMDXP
>>923
近代以前は将棋に限らず、柔術も剣術も、大抵のものは時間無制限なんだよねー。
おおらかと言うか、時間の概念自体も大きく違ったんだろうね。

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 23:44:17 ID:EYD4EZhf
>>923
ええい、現代の本多正純め

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 23:55:30 ID:D4ENrDz5
>>922
むしろ大逆転勝利を際立たせるために誇張されていくんじゃないかな。>敗北寸前

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 00:31:33 ID:lwaTBvI4
>>919
ついでに相手の本仁房は囲碁名人の本因坊算砂かな

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 01:42:17 ID:jE0PPotW
>>924
剣道も流派によっては今も時間無制限だよ
群馬の俺のじいちゃんは若い頃に剣道の試合で両者竹刀が折れたら
そのまま取っ組み合いになって五時間やって
そん時の怪我で右目失明してた

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 01:53:08 ID:f858W5qG
ちゅーか申し合わせて人気の無いところで斬り合わない限り
一対一の環境で10分も1時間も斬り合いするほうが実戦的じゃないと言えないか?
実際に3~5分でケリつけなきゃ味方が加勢して有耶無耶になるわけで

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 01:56:27 ID:L3YV5mua
戦場ではそうかもしれんが江戸期の剣術はまた別だからね。
袋叩きにしたら「武士の風上にも置けぬわ!」って非難されそう。

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 05:09:58 ID:f858W5qG
>>932
江戸時代の剣術もそんなもんだよ

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 11:04:39 ID:gD6Q1FBm
>>935
932氏は戦場での剣術と江戸時代に発展した道場での剣術の違いを言っているのだと思う。

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 11:14:48 ID:qq30wM4F
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%CF%B6%BC%EA
みたいな話もあるしな

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 13:59:01 ID:CAylLNxI
俺の通っていた道場(20年以上前)は狭い道で襲われたらとか、
複数の敵に囲まれたらとか、正座している時に襲われたら~みたいな練習。
戦争中の話も長く数時間正座して聞くのは当たり前、
小学生の俺たちに真剣を持たせ振らせるというはっちゃけぶり。
こんなんだから、普通の試合ではものすごく弱かった。

先生が病気で倒れて、息子さんに練習見てもらったんだけど、
ちゃんと普通の試合の仕方を教わったら、大会でありえない快進撃を続け、
団体戦でトロフィーもらって帰った。

戦と試合は違うのさ。

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 16:10:59 ID:IMIXY6iw
先生涙目だな
実践で通用する技術を!と張り切ってたのに空回り

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 16:19:25 ID:+MUNj1r8
むしろ、「先生のお陰で基本能力などは凄く上がってたけど、
試合のコツだけ教わってないから試合は弱い」から
「息子さんから普通の試合の仕方をちょっと教わっただけでいきなり試合でも強くなった」
様にも思えるが…

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 16:30:09 ID:CAylLNxI
スレチスマンカッタwww

んー基本能力も低かったと思うよ
試合では敵さんは竹刀を軽々と扱うけど、俺らは竹刀を真剣に見立て、
相手を切り伏せる振りをしないと怒られてたからw
敵は竹刀をポンと当てるだけで良いのに、こっちは擦るような振りをしなきゃいけないし、
例にしても殺気を出すために相手を睨みつける方法までおそわっていたし、
俺らだけ格好の悪いかぶいた試合前の構えの方法やらされたし、
防具や袴もわざと目立つように変な色にさせられていたし、
敵が近づいたら組みふせる為に相手を転ばせないとものすごく長い説教されるし、
審判には怒られるし、会場はブーイングの嵐・・・・

興味の無い人特にスマンカッタwww

長宗我部元親の長浜城奪取・悪い話

2009年04月22日 00:04

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 05:36:52 ID:7xBQMDXP
長宗我部元親が、土佐において本山氏と争っていた頃の事である。

本山氏の長浜城は本山の本拠よりは八里も離れていたが、元親の居城からは
僅か三里ほどの近さであり、元親はどうにもこの城が邪魔であった。


ある時本山氏が、この長浜城の門を建て直す事になり、腕利きの大工を探していた。
このとき本山の所に元親の元から、肩口を斬られ負傷した大工が駆け込んできた

「お助けください!長宗我部元親の気が狂い、このような目にあいました!」

本山はこれを信じて保護。また、この大工が中々の腕利きだと言う事がわかり、
丁度良いと、長浜の城門工事を任せることにした。


もちろん罠である。


長浜城の工事を知った元親は、あらかじめこの大工と示し合わせ、人質まで取って
この狂言を行った。

間もなく長浜城に長宗我部軍が来襲。たちまちに乗っ取られる。
無論、城内の大工が内通していた為であった。

謀略もスケールが小さくどうにも泥臭いのが、初期の元親らしいというべきか。
そんな長宗我部元親、長浜城奪取のおはなし。




834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 11:30:29 ID:NJErpDN5
>>833
大工さんを頃さない程度に斬った達人は誰だろ?とか余計なことを考えさせられる策略だなー

長宗我部家中で腕の立つ人といえば福留パパンや泰泉寺さんあたりか。泰泉寺さんは槍だが

836 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/21(火) 13:00:09 ID:wEJ5Lymp
>>833
元就公「間者にあらかじめ怪我させるなんて酷い真似できませんw」

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 13:05:46 ID:yLUWO5Wl
>>836
宇喜多直家「お前が言うな」

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 21:12:58 ID:4MIkUFm9
>>833
元親の話じゃなくて国親の話だろw

ちなみに長浜合戦が元親の初陣。
秦泉寺豊後守に槍の使い方と大将の行動を聞いたという逸話が有名。

信長に仕えてた黒人はホントにドコ行ったのか

2009年04月22日 00:02

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 13:54:15 ID:0j863Yx4
信長に仕えてた黒人はホントにドコ行ったのかね

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 14:04:05 ID:/qPNGogx
今まさに俺を掘ってる

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 16:28:29 ID:CvoUDfY2
>>838
なんかさっきテレビで「♪あなたを追って出雲崎~」とか歌ってたよ。
誰を追ってたんだろう?

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 18:03:25 ID:fnUXTf+t
>>838
言い伝えでは本能寺で一緒に死んだとか。
東アフリカ、モザンビークの黒人奴隷でしょ。
おかげでこの地で難破すると恨みを買ってる西洋人は、皆殺しにされたとか。

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 21:52:38 ID:XQQyP4TI
>>841
記録では、捕虜になったあと光秀に「こいつは人間じゃないから」と言って
解き放たれたという。その後の行方は不明。
イエズス会に払い下げられた、という話もある。可能性としてはこちらも
あると思う。ある意味有名人で、どこいっても目立つ人物のその後が全く
ないってのも、イエズス会の奴隷に戻されて海外に売り飛ばされたと思えば
しっくりくるか。