いい悪いスレ、用語解説

2009年05月31日 00:13

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 15:00:00 ID:rEqSiNFW
まあまあ。新しい住人も多くなったのだろうね、ここも。
用語解説とか作ったほうがいいのかな?

しかしたまに他のスレにいる、空気読まずにここのスレのノリで武将の通称を呼ぶタイプが
増えるのもアレですしね。どうしたものか。


866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 15:05:13 ID:uOqOEOo9
テンプレに愛称集みたいなのを入れるか?

意味が通じない他で言い出すアホはどうしようもないだろ
そこまで責任持てん


870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 15:37:19 ID:QZWkN8fS
>>866
俺は比較的新参だが、来た当時そういうのがあるとうれしかったってのはあるな
しばらく、鮭様を鮭延だと思って????だったw




871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 16:27:30 ID:rEqSiNFW
いい話悪い話用語集(※他のスレでは使わないようにしましょう)

ラスボス:豊臣秀吉(戦国時代文句なしに一番恐ろしい人だから)
鮭様:最上義光(鮭に関する逸話の多さから)
工場長:蒲生氏郷(家臣の取り扱いの上手さから)
DQN四天王:伊達政宗、森長可、細川忠興、島津忠恒の事
補欠:福島正則(DQN四天王には十どかない小物っぽさから)
狂犬:富田長繁(触るもの皆噛み付くところから)


主なものはこんなところかな?


873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 16:52:23 ID:uOqOEOo9
※スレでの愛称集
由来はこのスレ名付けられたり当時の渾名だったり
あくまでこのスレでの愛称であって分別なく他所で使って煙たがられても自業自得です。

加藤嘉明=地味なほうの加藤さん
蒲生氏郷=工場長
黒田孝高(官兵衛)=クロカン
島津家久(島津貴久の四男)=良い方の家久、家久(善)
島津忠恒(家久。薩摩藩初代藩主)=悪い方の家久、家久(悪)等
戸次鑑連(立花道雪)=ベッキー
新納忠元=デ新納
細川忠興=ヤンデレ、三歳等
福島正則=市松
毛利輝元=TERU、TERU元
最上義光=鮭様
森長可=鬼武蔵

真田信之の妻、小松姫=鬼嫁

DQN四天王
:伊達政宗
:森長可
:細川忠興
:島津忠恒(家久)

豊臣秀吉=ラスボス

三河武士=めんどくさい



こんなもんだろうか?
四天王は鬼武蔵を除いてバリエーションがかなりある
あとは全体的に見て名前が読みづらい、打ちづらい武将が渾名付けられる傾向にあるな



コメント欄より追加


親指武蔵=新納忠元
又佐・犬千代=前田利家
名人・名人久太郎=堀秀政
知恵伊豆=松平信綱
金吾=小早川秀秋
宗瑞=北条早雲


・泳ぎの得意な人・泳いで参った人=宇喜多秀家
(戦国板で誰かが言った冗談から)

・ゲヒ殿=古田織部
(古田織部が主人公の漫画「へうげもの」から、戦国板で使う人はあんまいないかも)

・サドの守・サドの神=本多正信
(官位が佐渡守だから)

・爆死した人・爆発した人=松永久秀
(その最期から)
ボンバーマン&ギリワン


ベッキー=立花道雪
クマー=龍造寺隆信
受け弾正=高坂昌信

NGMS=黒田長政

天庵様・・・小田氏治 (晩年の名前から)
お兄ちゃん・・・真田信之、毛利隆元など弟の方が有名な上に苦労人人生を歩んだ方々
権現様・・・徳川家康 (東照大権現から)
スポンサーサイト

加藤清正の面接・悪い話

2009年05月31日 00:11

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 00:46:37 ID:rEqSiNFW
ある時加藤清正の下に奉公を望む、壮年、老人、若者の三人があった。
そこで清正は其々に、その志を述べさせた。面接ですね。

壮年は言う
『私は立身したいのです。そのため御当家に奉公を望みます。』

老人は言う
『私は年若く盛んな頃は、数度の功名もありましたが、今は年老いて他に望みはありません。
ただ御当家において、安心して一生を送りたいのです。』

最後に若者が言う
『私は若く、どんな事にでも役に立てる自信があります。それで御当家への奉公を望むのです。』

これを聞いた清正、この三人の前で語りかける。

「先ず最初の者、
立身の心がけ故に奉公を望むのは武士の本意。かくあるべき事である。
よってこれを召抱える。

次の者、
年を取ったからもはや役に立たぬとは、随分と屈折したものだが、
数度の戦功を積んだ後、我が家を死処と心得るのであれば、若き者達への手本ともなろう。
よってこれを召抱える。

さて、最後の者、
自分から、若いから役に立つなどとは、人も居ないかのような振舞である。
そのような言葉を聞けば、我が家の若者達は必ず憤るであろう。
わしが家臣に、年老いても高禄を与えるのは、後進を奨励するためであるのに、
老人は役に立たぬ、若き身だから役に立つ、と言うのは、これまた老人を侮り
辱めているものである。その方の言葉は大いに誤っているぞ?
よくよく了見をするように。」

と、最後の者は、ついに召抱えなかったそうである。


若者、若さを前面に押し出したら面接失敗したでござる、の巻。




839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 00:54:58 ID:ouWf1spc
押し出し方が悪かっただけでしょ。

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 02:14:54 ID:PNx4O9/H
典型的な圧迫面接じゃん

841 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/30(土) 02:38:01 ID:vMLB9Jm1
女「若いですが…」
清正「採用!」

842 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/30(土) 04:22:08 ID:Dut06Ktm
女「若いですが…」
腐れ禿鼠「採用!」

何に採用したかは…げふげふ

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 04:27:58 ID:aku2lRkt
女「年増ですが」
信長「採用!」
女「後家で子供もいます・・・」
家康「採用!!」
女「まだ毛も生えてません」
畠山義続「採用!!!」

844 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/30(土) 06:50:38 ID:E57Lc+IN
女「不細工ですが」
元春「採用!」

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 07:30:05 ID:OjkfXRGm
>>844
( ;∀;)イイハナシダナー

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 07:51:29 ID:5a3lJaLG
>>838
年寄りにはかなりいい話

>>849中途採用でなくても
尼子の「臆病野洲」とか、笹の才蔵とか、ベテランいくさ人の意地を見せる話って好きだなー

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 10:52:40 ID:4TWKeNQU
>844
島津厨恒「ヒャッハー!」

龍伯、熊谷信直「……」


看羊録より日本人評・悪い話

2009年05月31日 00:10

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 07:36:28 ID:uOqOEOo9

と、いうわけで看羊録より日本人評

大体その風俗というのは、小にさとくて大にうとく、
衆の誉れとすることについては、そのあとさきもよく調べもしないでひたすらそれに従い
一度それに惑わされたが最後、死ぬまでさとりません・・

目先の事は良く出来ても大局が見えない、
集団になると目上の人の言うことばかり聞いて自分で考えもせず従ってしまう

今の日本人もあんまり変わってない?





1591年12月、各国大名が聚楽第に集まった時・悪い話

2009年05月31日 00:08

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 11:31:54 ID:i2CaRdgh
蒲生さんで調べてみたら無かったので
他で既出だったらすまん

1591年12月、秀吉が関白職を甥の豊臣秀次に譲り聚楽第も秀次のものとなった
そのお祝いとして各国大名が聚楽第に集まった時のことである
当然だが奥羽のDQN眼竜も元気にこの集まりに参加していた

(●∀・)/「太閤ちーっす!政宗推参なり」
ラスボス「政宗か、よく来たなごくろうさん。あ、席はあっちね、ゆっくりしていって」
(●∀・)「言われなくてもゆっくりしてくんだぜ!……ってあれ?」

席に着こうとした政宗だが、ラスボスに示された席を見て思わず顔色を変えた。

(●∀・;)「……おいおい、よりによって最上の伯父貴と蒲生氏郷の間の席かよ……」

示された席の両隣は政宗にとってあまり同席したくない二人。
しかしラスボスに指定されたのはこの席である。
しぶしぶ政宗はその席についた。

(●∀・;)「はいはいどうも失礼しますよ」
鮭様「……」
工場長「……」

ものすごく気まずい空気である。
しかしラスボスの指示だから仕方がない。
DQN眼竜も我慢した。
ただでさえ先年氏郷と色々揉めてラスボスから目をつけられている政宗である。
しかし政宗が席についてしばらくした頃、突然氏郷が口を開いた。

工場長「おい」
(●∀・;)「ん?なんだよ」
工場長「お前、席間違えてねえか?」
(●∀・;)「ああ?何言ってんのお前」
工場長「だって最上殿よりお前の方が上座とかあり得ねえだろ」

この時の席の並びは上座から
氏郷・政宗・鮭様
であった。
工場長の主張的には源氏の流れを組み、
更に政宗にとっては伯父にあたる鮭様より
上座に政宗が座るなんてマナー違反だから無しなのだ。

(●∀・;)「でも太閤様にここに座れって言われたし……」
工場長「それ絶対太閤様が間違えたんだよ。そうに違いない。
俺が言ってきてやるから今すぐ下座へどけ。
さ、さ、最上殿こちらへどうぞ」

最終的に
氏郷・鮭様・政宗の順で座ったそうです。
そんな三人の空気が悪い話。
政宗の隣が嫌だったのだろうか。





852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 12:00:00 ID:rEqSiNFW
>>851
いいねえ。メンツ的にも東北三国志って感じで。
何よりこの三人を並んで座らせようとした秀吉の意地の悪さがすばらしいw

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 12:06:03 ID:sVuCWshD
こりゃまた、ちょっとどころじゃなく空気の悪い話だな…
おれ近くにいたら、便所に避難してるわw

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 12:10:46 ID:OjkfXRGm
>>851
氏郷そんなに嫌かw

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 12:13:28 ID:uOqOEOo9
南部さんは京で酷い目にあったらしいしこの時点で政宗も若いから
席の座り方もわからねぇのかよ田舎者…
って馬鹿にされたって話じゃあないよね?

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 12:36:27 ID:4TWKeNQU
>>851仲悪いなあw

これが後代、尾張と紀州だと付家老が「同格に扱わないとこの場で腹切って果てますぞ!!」と
夜中に老中や公方様ん所にマジ推参(推して参る)するわけね。

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 13:03:38 ID:h8dcQKFc
豊臣期の殿中はにぎやかで良いね。
右も左もツワモノだらけで、そいつらが一堂に会してるわけだから
さぞかし壮観であったに違いない。

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 13:17:35 ID:i2CaRdgh
>>855
最上さんちのことは貶してないし
一応席は秀吉の指示みたいだし
多分純粋に政宗の隣が嫌だったんだろうと思われ

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 14:25:38 ID:wznEQ3y0
蒲生が最上に気を回したんだろう。
伊達としても指示されたからそこに座ったので、
ちゃんと取りなしてもらえるなら別に問題ないだろうし。
これは蒲生さんの細かい気配りができる性格を表したいい話とも言えるかもしれん。
まあ、隣にうるさいのが座られるのがイヤだったのも本音だと思うがw

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 15:06:09 ID:Fy0an+0h
>>851
政宗がおとなしくしてる話
久しぶりに見たw

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 15:29:00 ID:nH21MUQP
先年に引き続き氏郷ともめる→秀吉に睨まれる
義光ともめる→某姫から双方が怒られる
席次に異を唱える→秀吉逆鱗間違いなし

さすがに暴れるのちょっと無理w

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 15:34:41 ID:mSbqZjTb
ここはさすがラスボスと言うべきであろう


細川忠興、一色義定の謀殺・悪い話

2009年05月31日 00:06

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 16:59:50 ID:rEqSiNFW

一色義定は、細川幽斎の娘婿であった。

山崎の戦い後の政治的な流動の中、幽斎、忠興親子は、かつて明智についたこの義定を
殺す事にした。謀殺である。

「幽斉、老衰に及び、余命の程も分りませぬ。婿と舅になったからには、命のある間に
親子の対面を致し、この老人を喜ばせて頂きたく」

このような書状を出し義定を会食にさそった。天正十年(1582)九月八日、その、謀殺の場でのこと。

書院には、一色義定と家老の日置主殿介。
彼らを斬る役は、忠興であった。

が、忠興の脇に置かれた刀の置き方が悪く、とっさに抜くには勝手が悪かった。
それに気がついた細川家の米田宗堅、肴を運ぶ折、わざとその刀を踏み、これは失礼いたしましたと、
刀を置きなおした。勿論、抜きやすい位置に。

そして盃が出、義定がそれを押し頂いた、瞬間、忠興、抜き打ちに斬り殺す。
返す刀で日置主殿介を襲い、主殿介はこれに驚き逃げ出そうとしたが、これは中路市之允に
討ち取られた。

米田宗堅のとっさの機転で、謀殺は成功裏に終わった。
武家の有能な被官とは、こう言う所に気がつく者の事なのだ。





876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 17:04:32 ID:TuPYSWYH
忠興「それはそれとして主君の刀を踏むとは不届き千万!」
とはならなかったのね。よかったよかったw

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 17:28:22 ID:uOqOEOo9
>>875
気の利く人間ってのはいつの時代も重宝されるな
大事な場面でそういう大胆な事が出来る胆力も大したもんだ


島津家久(悪)「当山で一番の茶の実を持って参れ!」・悪い話

2009年05月31日 00:05

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 19:03:40 ID:alKXMNjB
ようし、愛妾集…もとい愛称集も出来たところで
家久(悪)の話、いくよー。

薩摩藩の日当山で茶の栽培が始まって暫くのこと、家久(悪)は自国の茶と京の茶の味を飲み比べてみようと思った。
思い立ったが吉日なのか、単に堪え性が無いのか、行動力に溢れているのかは分からないが
とにかく家久(悪)はこう言った。
「明日にでも日当山で一番の茶の実を持って参れ!」

これに日当山の百姓達は大変困った。
百姓達は茶を専門にしているわけではなく、他の作物も耕しており
今は麦の収穫の真っ最中だった。

「殿様の仰せに従っていては畑仕事も進みません、何とかしてください」
百姓達に泣きつかれた地頭の徳田太兵衛は、その日のうちに一人の老婆を伴って城を訪れた。

これに家久(悪)は大喜び。
「おお、『明日まで』と言ったのにその日のうちに参るとは忠義者よ。
 して太兵衛よ、茶の実は何処じゃ?」
太兵衛は老婆を伴ってきただけなので当然茶の実などあるはずが無い。
だがしれっとこういった。
「はい、これなる老婆こそ、日当山一のちゃのみにございます。」
これには家久も怒って
「馬鹿を申せ、ここに居るみすぼらしい老婆が茶の実なものか」
だが太兵衛は動じない。
「いえいえ、この者こそ「日当山一の茶飲み」でございます。
 何せい朝も昼も茶に興じ、この時期も皆が麦の収穫で忙しく、猫の手も借りたいと言うのに
 茶ばかり飲んで居るから村の者からつまはじきにされている始末でございまして。」

家久も太兵衛の言わんとすることを察したのか
「あー、わかったわかった。茶飲みなど麦の収穫の後でよいわ。
 忙しい時期に無茶を言ってすまなんだな」
と茶の収穫を撤回して太兵衛と老婆を帰らせた。

子供っぽいわがままで領民を困らせた家久(悪)のちょっと悪い話。

関連
島津家久(悪)「当山で一番の茶の実を持って参れ!」別バージョン


887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 19:10:55 ID:rmoTR0ca
>>886
この家久は傍迷惑じゃあるが、素直で良い事だw

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 19:24:50 ID:uOqOEOo9
>>886
誰が上手いこと言えと(ry
ってかお茶の栽培までやってたのか薩摩藩…

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 19:24:57 ID:alKXMNjB
あ、狙って書き込んだわけじゃないけど
伊達政宗⇒細川忠興⇒島津家久とDQN四天王の話題が続いてるなぁ。

>>887
徳田さんと家久の逸話は他にも色々鹿児島に伝わってるのですが
逸話での家久は殆ど一休さんの将軍様のようなポジションですw

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 22:22:25 ID:alKXMNjB
>>888
>ってかお茶の栽培までやってたのか薩摩藩…
義久のタバコ、義弘の養蜂が一定の成果を挙げていたので
家久もそれを見習って新しく産業を興した…という説があります。

まあ、どんな動機ではじめたのかは分かりませんが
お茶の栽培は江戸時代から今日まで続き、鹿児島の県の茶葉の生産量は
静岡に次ぐ全国2位にまでなりました。

ttp://www.makinouen.co.jp/ocha_deta.html

お茶が今の鹿児島の産業に一役買っているところを見ると
やはり家久にも「島津に暗君なし」という言葉は当てはまるのかもしれません。

とはいえ、夥しい数の家臣誅殺、妹婿のだまし討ち、正室への扱いなど
正当化が出来ない事績も多くやはり彼は名君とはいいがt…
おや、こんな時間に誰か来たようですね、ちょっと見てきます。


904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 22:37:45 ID:uOqOEOo9
煙草
薩摩焼
養蜂
焼酎
砂糖
茶←new

鹿児島ってそんなにお茶の生産が盛んだったのか…
良いことを知った


忠恒も決して暗君とは言えないとは思うよ
並の君主だったら権力の集権化なんて出来ないし薩摩武者らしく武勇もある
ただ人間的には…な
…なんか外から叫び声が聞こえたな。ちょっと見てくるか

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 22:47:16 ID:rEqSiNFW
暗君どころか、あの当時の大名の中でもトップクラスの頭の良さだったと思う>忠恒

性格はともかく。

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 23:01:44 ID:OjkfXRGm
義久の制止を振り切って謝罪しに上洛したり関ヶ原以後の対応は素晴らしいな。

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 23:24:34 ID:UF7UdQyn
>>906
関ヶ原の上洛はあんまりイメージ良くないなあ
結果的に功を奏したから良かったけど、
同じように上洛して改易されたり減封されたりした家がある以上
慎重に動くのは当然なのに、独断で上洛と言うのは大胆すぎると思うよ

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 01:15:30 ID:eS+EUT2M
有能な狂人ほど手がつけられるぬものはなく・・・

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 03:39:17 ID:BTZG0umo
森さんは早死にして未知数な部分が有るが、他3人は能力だけなら間違いなく優秀だからな
というか能力と人間性のギャップが面白い

910 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/31(日) 03:50:22 ID:U2XFRhSn
>>903
三歳「わしはガラシャを大切に扱ってきたのにこんな奴と同列なのか…orz」

とかいいたそうに見ているが、
三十六歌仙、百人一首(違)、万葉集(コレも違う)、妹婿の謀殺etc

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 08:40:22 ID:oCAzGZ+b
>910
お陰で病んだ妹にあわや斬られそうに……越中守


912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 09:46:07 ID:Y1VFDHBP
>897 殿

それは、楚の成王の話ですね。結局、聞き入れられませんでしたが。

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 12:26:01 ID:yP0PCmat
>>904
鹿児島茶の生産は二次大戦後に大幅増産したんじゃなかったっけ
確か水を大量に使うのでシラス台地的な問題もあり引水に苦労したとか

ダムとか井戸掘りとか技術改善で作付け面積が増えたので
だいぶ後になってからブランドも出来て段々有名になってきてるところ

知覧・頴娃らへんはどこ行っても一面茶畑ってイメージしかないわw
あと日新斎が養蚕をかなり奨励して成功したとか。今は面影は殆どないけど。

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 14:19:21 ID:yllIt3qH
しかし大名ってのは自分で戦争の指揮はするわ資金調達はするわ産業は育成しなきゃならんわ、
臣従したり離反したり暗殺されたり籠城したりで大変な職業だなw胃がもたんだろうw
政治家+軍人+なんでもやる課+ヤクザって感じかね

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 15:02:29 ID:qdmkr+62
>>913
ちゃんとした畑を作って生産したのは明治以降(輸出品にしようとした)、
戦後の復興事業の意味合いもあって太平洋戦争後に本格的な増産に乗り出したそうです。
江戸時代は民家の生垣や畦道でお茶を栽培していたとか。

既存の畑を潰さないで済んだので上手いことやったつもりなのかもしれないけど
領民にとっては負担が増えただけなので、
喫茶や喫煙の特権を与えて懐柔を図ったとか。

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 17:35:27 ID:SzNDtlBM
>>904
あと「鉈豆」の栽培もあるぞ>薩摩

豆を採取して煎じて飲むと膿取りの効果があるらしい>健康食品として市販されてるw

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 18:02:55 ID:gIZrJFZX
あとは豚だな
日本の中世、近世は仏教の影響で肉を経常的に食べる習慣はあまり根付いていなかったが
薩摩では戦国時代から豚と鳥は「歩く野菜」だからという言い訳を作って喰ってた
貿易の玄関口として肉食を行う中国、琉球との交流があったからと思われる

本格的な養豚は家久(悪)が始めたらしい
琉球出兵時には琉球の豚を何匹か持ってきてるし江戸の藩邸でも飼育されていたようだ
薩摩武士を屈強せしめたのは豚肉パワーがあったのかもしれない

今ではかごしま黒豚として売り出してるね
ttp://www.k-kurobuta.com/index.html

カブラルとか宣教師も肉喰いたかったら薩摩行けば良かったのに

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 18:41:24 ID:JUEZYW7n
薩摩の郷土史家の爺さんから聞いた話だが、樟から樟脳作って外国に売ってたってな話しもあり。
(戦国末~江戸初期らしい。)
生産が間に合わなくて、幼木や根っこまで使ったとか。

「火薬の原料云々」と言ってたので、それは硝石とツッコミ入れたかったが我慢したw
まあ普通に防虫剤としての需要だと思うけど。

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 18:55:17 ID:Fhu6JrBW
歴代当主の努力が透けて見えるようで泣ける
こんだけ努力しても薩摩藩の財政が火の車だった事実も相まって更に泣ける(;_;)

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 19:00:50 ID:juRNul7X
江戸時代の大藩で借金の無い所なんて殆どなかったよなぁ・・・

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 19:37:03 ID:SzNDtlBM
借金の解決法=踏み倒し だからな

単なる踏み倒しじゃなくて、門閥との姻戚関係結ぶとか、領内の特産品独占とか
そんなのと引き換え、だけど

幕末の薩摩藩は半分返しただけでの踏み倒しだけど、それでも商家からは
喜ばれたそうな>つまり他の大名家はほとんど・・・

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 19:44:36 ID:gIZrJFZX
>>919
豚肉に関しては家久本人が喰いたかったからってだけな気がしないでもないけどな
他藩への輸出なんて絶望的だろうし(後年になって将軍家に献上したりはしてるけど)
あと豚は穀物を食うから人間と食い物を競合するし元が猪だけに飼育もメチャメチャ大変
茶も大規模生産じゃ無かったんなら先代の煙草や薩摩焼きとは違って
自分の好みで生産奨励してたんではという疑念が…
家久の業績を陥れる意図はないけどさ
奄美の砂糖奨励策は家久の代からだっけ?

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 19:47:08 ID:JUEZYW7n
菱刈鉱山が戦国時代に発見されていたら、少しは歴史も変わったのかも知れないw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%B1%E5%88%88%E9%89%B1%E5%B1%B1

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 19:59:59 ID:qdmkr+62
>豚肉に関しては家久本人が喰いたかったからってだけな気がしないでもないけどな
>他藩への輸出なんて絶望的だろうし(後年になって将軍家に献上したりはしてるけど)
何の因果か、幕末には徳川慶喜が豚肉にハマッています。

小松帯刀が世話役を務めていたときに献上したのがきっかけで
豚肉の美味しさを知ってからは、
何かに付けて小松に豚肉を催促するようになったとか。

当然豚肉もタダではないので小松の財布はたちまちカラッポになり
「また豚一さんが豚を所望してきた。私の給料ではもう賄えない。
 済まぬが御義父上からお金を拝借してもらえないだろうか」
と、奥さんの実家へ金の無心とお詫びと愚痴を綴った手紙が今も残っていると言う…

篤姫は見てなかったけどこのエピソードあったのかな…
スレ違い失礼。


925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 20:17:59 ID:Fhu6JrBW
義久が奨励したタバコは現在は縮小、義弘が奨励した薩摩焼は伝統工芸化
家久(悪)が奨励した茶と豚は藩政時は振るわずとも現在では鹿児島で一大産業に
先見性があるのやら無いのやら

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 21:01:07 ID:DixDWXHU
>>922
琉球や薩摩じゃ賄賂や贈り物に豚肉送ることもあったそうな
琉球じゃ中国からの使者の接待の度に豚を大量に消費したって記録にあるし、
嗜好品や物々交換にも使えたので薩摩領内じゃ豚肉の価値は高かったのさー

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 22:22:31 ID:oCAzGZ+b
>928
元来中国じゃ大事な祝い事や、是非とももてなしたい相手に豚を振る舞うんだっけ

琉球や明と貿易やってると必然的に豚を屠ってアピールしたい場面もあったかもね。




……ミ●ター味っ子か何かの受け売り半可知識なので間違ってたらゴミン


長可はふと、鹿が猛烈に食べたくなった・悪い話

2009年05月31日 00:04

森長可   
892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 19:54:38 ID:OjkfXRGm
四天王?ならばこれも

森長可、祖父の仇討ち・いい話?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1344.htmlの最中の出来事。

土岐三河守悪五郎を招いた祝宴も盛り上がってきた所で長可はふと、鹿が猛烈に食べたくなった。
長可「おい、鹿の汁物を持て。今すぐに。」

これの知らせを聞いて台所に衝撃走る。
お勝手1「どうしよう・・・鹿の汁物なんて準備してないぞ・・・」
お勝手2「今から作ったらどれだけ時間が掛かるか・・・どうすれば」

長可「さっさとしろや(#゚Д゚)ゴルァ!」

お勝手1「や、やばいよ((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル」
お勝手2「・・・もうヤケクソだ!生煮えでもいいから出すんだ!」
こうして生煮えの汁物がやってきた。

長可「ハハハ、いかかがですかな?悪五郎殿。」
悪五郎(ブヨブヨの肉にキツイ鉄の味・・・美味いわけねーだろ!)
長可「ハムッ ハフハフ、ハフッ!!もう一杯。」
悪五郎(どんな味覚してんだコイツ。)

長可(生煮えじゃねーか・・・ったく。まぁいいや ど う せ 悪 五 郎 は 今 日 で 死 ぬ し)


その後、お勝手がどうなったかは伝わっていない・・・





893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 20:10:50 ID:n47fhUAZ
四天王揃い踏みw
それにしてもワイルドだな鬼武蔵
肉が生煮えのカレー食った事あるけど吐きそうだったぞ
鹿の肉ならクセも強いだろうに

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 20:17:35 ID:uOqOEOo9
すぐには出せない鹿肉を所望してなにかの時間稼ぎでもしてたのかな?
…急かす説明がつかないか

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 20:18:06 ID:OjkfXRGm
まぁ、おかわりの下りは想像だが蛇を生で食えるなら大丈夫かな・・・って思った。

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 20:33:46 ID:p7R9k6NU
蛇は寄生虫が多いからなぁ。
生で食うのはマジやば。
確か自衛隊のレンジャー部隊でも蛇を食うときは
必ず火を通せと教育してたはず。
まぁ鬼武蔵なら寄生虫を逆に消化して栄養にする
ぐらいの胃腸は持ってそうだが。

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 20:39:52 ID:sVuCWshD
隋の煬帝だっけ、
追い詰められた時に熊の手を所望して、時間稼ぎを狙ったって逸話があるよな
これは殺される側だけど
武蔵も、悪五郎を引き留めるための機転だったのか

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 20:42:21 ID:uOqOEOo9
>>897
だとすれば生煮えで出しちゃった人は不作法な上に時間稼ぎにもならなかったから…


織田信長、武井夕庵と菅谷長頼の進言により・いい話

2009年05月31日 00:03

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 01:14:22 ID:IQ0oeMNq
打ち続く戦乱の中で、朝廷の財政は困窮していた。老齢の山科言継が自ら
大名達に援助を求めるほどで、天皇のおわす皇居ですら、織田信長が修繕
するまで酷く荒廃していた。また外観だけではなく節会や礼楽もまた廃れ
ていたという。

織田信長はそうした実情を危惧した。信長はアドバイザーであり、諌臣で
もある武井夕庵にしばしば質問し、夕庵も事にふれて諌言した。

夕庵が言うには「朝廷の節会はすっかり絶えてしまって、中老以下の方々
はかつての礼楽を知らず、見たこともないでしょう。こうして十年余りが
過ぎたので、朝廷の礼楽は跡形もなくなってしまいました。国家を治める
ためには、礼楽が正しくなければいけないというのに、ああなんと嘆かわ
しい」ということであった。

常々、上下万民を一子として天下をなそう、と思っていた信長は「では、
そちが計らうのだ。そうしたことは誰に聞けばよいのか」と夕庵に問うた。
夕庵は「なんと言っても老者の方であればご存知でしょう」と答えた。
信長は「では、その者の言う通りにして、そちと九衛門が計らえ」と指示した。

そして武井夕庵と菅谷長頼がいろいろと手配した結果、節会が催された。
しかし、長らく行われていなかったため、中老以下の諸卿殿上人の様は、
まるで初めての稽古のようで滑稽だったという。

こうして祭事が再興されたので貴賎問わず、右府信長公は末世に稀なる
大将だと言い合ったという。

一部訳に自信ないけど、概要は合ってると思う。






木村重成、正使として・いい話

2009年05月31日 00:01

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 20:46:19 ID:D5Ebu+WX
流れを読まずに話投入。

木村長門守重成のお話

時は慶長19年の暮れ、大阪冬の陣が終わり、一時的に講和なった際のエピソード。

和議にあたり、秀頼の正使に任命された重成は、家康の許に赴いた。

重成が家康本営の奥に通されると、玄関から廊下にかけて、
徳川家譜代の将士が威儀を正して、ずらりと左右に並んでいる。

重成はその真ん中を、まるで誰も見えていないかのように、
目礼のひとつもせず、まっすぐ正面だけを見据えて静かに歩いて行った。

譜代の将士達は、「あれが木村長門守か」「若造のくせに生意気な」「礼儀を知らんのか」
と互いに顔を見合わせては重成の悪口を言い合った。

そして、家康の許まで行き、皆がそれぞれ席に落ち着くと、
互いにあいさつを交わし、家康は講和の誓詞に血判を押し、重成に渡した。
重成は家康の近侍が運んできた誓詞をうやうやしく一礼して受け取ると、
しばらく内容を読んでいたが、最後の部分でふと顔を上げるとこう言った。

「これではご判(血判)の血が薄く、よく見えませんが─」

家康も心の内ではムッとしたかもしれないが、ここは器の大きいところを見せて、
「自分ももういい加減年なので、血も出ぬようになったのだろう」
と誓詞を取り戻し、再度血判を捺し直した。
重成はそれをしっかりと確認した上で、丁寧に礼をし、それを文箱にしまうと、
「では、これで」と席を立った。

そして、今度は左右に並ぶ将士達に向かって丁寧に挨拶すると、
「今日は主君、秀頼公の名代として参りましたので、さいぜんは誠に失礼致しました。
なにとぞお許し下さい」
そう言葉を掛け、しずしずと通っていった。

先程、悪口を言っていた将士達は恥ずかしくなり、返事もできぬ有様。
わずかに、伊奈筑後守忠政が、
「ごあいさつ、いたみいります。さあ、ずっとお通り下さい」
と挨拶した。
重成はそれに丁寧に会釈すると、そのまま玄関を出た。

譜代の将士達は後になって、
「立派なものだ」「四方に使いして君命を辱めず、とはこういう事を言うのだろう」
と、手の平を返すように重成を褒め称えた。
家康もよほど感心したらしく、あとでそばにいた近侍に向かって、
「秀頼はよい家臣を持っているな」とため息をついたという。


花も実もある若武者、木村長門守重成のいい話でした。





97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 21:00:27 ID:rEqSiNFW
>>95
木村重成って、戦前は大阪方の登場人物の中で最も人気があったらしいね。
若くてハンザムでかっこよくて。


98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 21:03:02 ID:uOqOEOo9
>>95
黙々と仕事をこなす理想のサラリーマン像だなぁ
奥さんも美人らしいし

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 22:03:55 ID:yK28vNTm
>>97
腐女子の餌にされるのも時間の問題だ

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 22:08:45 ID:5aMBW6hb
理想化された侍像を絵に描いた様な生涯だもんな、そりゃ人気出るわ

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 22:57:58 ID:COQuia02
>>95
生まれてくるのが遅かったな。
秀吉時代なら知行の方ももう少しよかっただろうに。

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 23:04:54 ID:OjkfXRGm
親父の木村重茲の淀18万石が秀次事件でパアになっちゃったからなぁ


夏目正吉、三方が原の戦いにて・いい話

2009年05月30日 00:10

54 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/28(木) 23:40:00 ID:GvCW6SNh
>>20を見て思ったけど、このスレでは三方が原での
夏目吉信の身代わりエピソードはまだ出てないんだっけか?
あれ自体物凄くいい話だと思うし、はじめて聞いた時は思わず涙してしまったんだが。

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 19:18:26 ID:sxIB3PJ4
>>54
夏目正吉単体の話を詳しく
概要はしってるんだが詳しく知りたい





79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 20:02:37 ID:+efwIugk
>>76
三方が原の戦いにて

武田軍の猛攻の前に総崩れとなった徳川勢

家康もわずかな供周りとともに敗走していた。
そこに現れたのが夏目正吉であった。
正吉は浜松城の留守居役であったのだが、味方の敗報を聞くや、
わずかな手勢と共に駆けつけたのだった。

正吉は家康に退却するよう進言したが、家康は聞かず、
「ここで自分一人生き残る事はできない」
と討死覚悟で追手に向かおうとする有様であった。

正吉は家康を睨みつけ、
「そのような心根は、まるで木端武者ではありませぬか」
「最早遠慮いたさぬ。これからはそれがしがお館を名乗りまする」

と言うやいなや、家康の馬の首を浜松城の方に向け、馬の尻を槍で突いた。

馬が浜松城目がけて一目散に駆け去るのを見届けると、
正吉は「我こそは徳川三河守家康なり、我と思う者は参るがよい」
と大音声で呼ばわり、槍を振るって瞬く間に2騎を突き落とした。
そして、引き連れてきたわずかな手勢と共に追手に向かって斬り込んでいった。

奮戦空しく、正吉以下正吉の手勢は残らず討死したという。

しかし、彼らの決死の戦いが功を奏し、家康は九死に一生を得て、
浜松城に帰還する事ができたのである。

こんな感じ





80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 20:51:50 ID:sxIB3PJ4
>>79
おおwサンクスw
たしか夏目正吉って三河一向一揆で一向宗側にいたんだよなw


江戸時代の秋田藩士、長山盛晃の記録より・いい話?

2009年05月30日 00:09

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 19:28:56 ID:zs9Ttgcx
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2110.htmlの後日談かもしれない話

江戸時代の秋田藩士、長山盛晃は次のような記録を残している
『不思議なことがある
横手城代の戸村家が所持する馬道具、鷹の道具などに
真田左衛門の銘があるものが多いというのだ
戸村側でも理由は知らないという
私も鷹道具を拝見したが、「さなださえもん」と仮名で彫られていた
古びた感じから、後から彫り付けたようには見えない
なぜこれが戸村家に伝わるのか、私にはよい考えは浮かばない
ここに記しておいて、後人の評を待つことにしよう』

盛晃、小西行長の子孫を名乗る富豪が秋田にいるという記事も載せている
が、こちらはだいぶ懐疑的で、「そのうち糾明してやる」とまで書いている

はて、真田親子が薩摩からはるばるやってきたのだろうか
そんなロマンを感じさせる話




78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 20:01:13 ID:+dAWCKcP
モンゴルに渡って世界一の版図築いたんだよな。たしか。

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 21:23:00 ID:wuFpyLwV
>>77
なにこの江戸Xファイル
長山、あなた疲れてるのよ

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 01:18:46 ID:yK28vNTm
>>77
娘どころか、息子も秋田に往ってたよね。


黒田如水、「天下に最も多いもの、少ないもの」・いい話

2009年05月30日 00:07

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 21:47:40 ID:lK84txWP
秀吉があるとき、黒田如水に問うた

「この天下に最も多いものは何か?」

如水答えて曰く、「人です。」

「では、天下に最も少ないものは何か?」

如水、再び答えて曰く、「人です。」


黒田如水、いい話というか、いい言葉。





83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 23:40:13 ID:A9XLeq/1
>82
人手と人材、てヤツだね。ビジネスマソの教訓書きによく戦国武将が云々~て出てくるワケだw


徳川家光、坊主に熱湯をかけられて・悪い話?

2009年05月30日 00:04

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 22:49:09 ID:P4cBftym
将軍家光が狩から戻って湯に入ったとき、御湯殿坊主の久庵が
誤って熱湯をかけてしまいました。一瞬、かっとなった家光は、
阿部豊後守忠秋を召し出すと、「久庵は父子共に死罪にせよ」と命じます。
いったん退出した忠秋は、夜になって家光が機嫌もよくなり、談笑し
ていると近侍の者から聞くと、直ちに登城しました。「先刻のお話しで
ございますが、久庵父子の処置をいかがにするか、私の記憶が定
かではありませぬので改めておうかがいいたします」。
しばらく考えていた家光は言った。「粗相をした久庵は八丈島への流刑とせよ」と。
「豊後守さまでも御上意を失念されることがあるのだから、我々はあっても不思議ではないな」。
近習たちの話を聞いた家光は、笑いながら言った。「忠秋が忘れるわけはあるまい。
天下の御政道の中で、死刑はとりわけ念入りにすべきである。誠に行き届い
た忠秋の配慮であり、予は実に恥じ入っておる」。
一同の者は改めて阿部老中への尊敬の念を厚くしたと言います。





800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 22:55:12 ID:TRKp6qg3
家光の悪い話、阿部忠秋のいい話か

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 23:20:31 ID:rUEZNk1L
いくら相手が将軍といえど、たかだか湯をかけたくらいで殺しちゃおうとするのはな
ダチョウ倶楽部が将軍なら何十人と死人が出てるぞ





803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 00:05:46 ID:+NreqL/k
>>799の話には続きがある。ある時、大赦があって高木久庵も
赦されることになった。こういう時は赦される候補の名前を
読み上げた後に将軍が赦すかどうか言う決まりだった。

久庵の番がくると、久世広之が「高木久庵!」と読み上げた。
が、家光は根に持っていたらしく何も言わない。久世は次に
移ろうとした。

「待たれよ。もう一度読み上げるのだ」

そう言ったのは酒井忠勝だ。久世が言われるままにすると家光は
嫌な顔をしたので、久世は次の者に移ろうとした。するとまた
忠勝が読み上げろと言った。

「今度はゆっくり読み上げたまえ」

(マジかよ・・・)

仕方なく久世は「た・か・ぎ・き・ゅ・う・あ・ん」とびくつき
ながら読み上げた後、家光の返事を待った。嫌な間があったが、

「分かったよ。赦せばいいんだろう、赦せば・・・」

さしもの家光も諦めて、嫌々ながらも赦したという。これを知った
人々は感銘を受けて、君も君たり臣も臣たり、と語り合ったそうだ。







宇津山城守小原鎮実、酒井忠次の軍勢に・悪い話

2009年05月30日 00:03

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 11:51:39 ID:6mMSABlq
城爆発ネタ?

今川義元が桶狭間で敗死後、氏真と手を切った徳川家康は三河から遠江へと勢力を伸ばした。
宇津山城を守る小原鎮実は、家康の家臣酒井忠次の軍勢を迎え撃つが、多勢に無勢。
自身の重臣増田団右衛門も討ち死にしてしまう。
そこで城を抜け出すことにしたが、せめてと一計を案じて城中に焔硝を埋めておき、
敵が入り込んだときに爆発するよう細工した。
そして、これは酒井忠次が城に乗り込むと同時に確かに爆発した。
・・・・・・派手に爆音が響いただけだったが。
死傷者は出ず、酒井忠次らは大いに驚いたがそれだけだった。
火薬の量が足りなかった話。





817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 13:07:45 ID:54WsOsTq
>>813
酒井忠次が驚くんだから鉄砲の音の何倍もあったんだろうなぁ
でもやっぱり当時の火薬じゃ爆殺は無理があるだろ

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 19:14:11 ID:zs9Ttgcx
>>817
火薬をむざむざ敵に渡したくない、てのが先にあったんじゃないかね
で、一か八かに賭けてみたが、やっぱ駄目だったと…


加藤清正と小西行長、人気の理由、不人気の理由・いい話

2009年05月29日 00:18

19 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/27(水) 23:33:38 ID:3I0nIrso
人気の理由、不人気の理由

肥後半国を治めていた行長。彼の南肥後での人気は現在イマイチです。


南肥後にはキリシタンが続々と集い、南蛮の技術を取り入れた宇土(行長拠点)は
大いに発展していきました。
しかし行長、やってはならぬ事をやってしまいます。

それは寺神社の破壊です。某お隣の大名もやらかしてましたが…。

インテリのキリシタンの人々ならまだしもこの行為は一般人から見れば狂気の沙汰。
いつか神罰が下ると。

その後、小西家滅亡後南に入ってきた清正。
「(´・ω・`)ぶち壊されたり焼き討ちにされた神社寺は復興するよ!皆協力してね!」

っと神社寺の建て替え、河川整備、熊本城築城など莫大な予算を公共事業につぎ込み、
民達に仕事を与えました。
清正は民に金払いがよく、民達に不平不満を溜めさせない用気配りし各地の工事を進めていきました。

この用な丁寧で公平な対応、また神仏の再興などが後の清正の地場での根強い人気、
神格化へと繋がっていきます。
一方行長はバチがあたったなど評され神社を再興し神となった清正と大きく
差をあけられてしまいましたとさ…







夏目吉信、家康に許されて、&戦国武将の子孫・いい話

2009年05月29日 00:16

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 01:44:39 ID:yuiixjxG
徳川家康の家臣である夏目吉信は三河一向一揆に加わって
家康に刃向かったが、松平伊忠に敗れ、寺に立て篭もった。

寺を包囲した伊忠は家康の命令がありしだい攻撃するつもり
であった。だが家康の命令は許せというものだった。家康は
伊忠の働きを褒めた上で、蔵の吉信を討つのは篭の鳥を殺す
に等しいと言って、許すよう命じた。伊忠は寛大すぎると
不満だったが、主君には逆らえないと、命に従った。

まさか助かると思わなかった吉信は岡崎に向かって平伏した
という。吉信は家康を裏切ったことを恥じた。それからの彼は
よく仏堂に入っては、私を主君のお役に立たせたまえ、と大声
で祈ったそうである。

こうした恩があったからこそ、家康が三方ヶ原で窮地に陥った
時に、吉信は家康を守って死んだのである。





21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 10:42:50 ID:NjO2z9gc
これはただの思いつきなのだが、
家康が全体的に家臣に甘い(他家比)のって、
義元がそれだけ人質の家康を丁寧に扱ったから、なのかね。
人質ですら斯くの如し、しかるを況や家中をや、ってなノリで。


22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 12:23:23 ID:uWQxFL3N
君主権が弱く、下に対して掣肘が加えられなかった。
かつ中央の礼儀と無縁で、武士豪族が高級層化していなかった。

江戸時代にこの二つが進むと、かつての三河譜代のとやらも大人しく官僚化。

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 12:59:21 ID:nY34zLww
>>20㌧
神君がらみじゃ割と有名所だけど
やっぱいい話だねぇ……夏目漱石や房之助さんの遠いご先祖様。

子孫がヘマやったときも士籍に残され家名を保ったのは
幕府に家康から「夏目の子孫を粗末にせんでくれ」と伝えられていたんだとか


24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 15:02:45 ID:VOYCkwqD
>>23
へ?マジで血縁なの?

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 15:07:38 ID:lrYBDX8b
>>24
そうだよ。漱石はこの夏目さんの子孫。

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 15:45:14 ID:nY34zLww
>24
坊っちゃん……というか金之助はんの性格にカッチリ現れてるっしょ。

「ユー・アー・チキン!屋根から飛び降りる度胸もねェのか貴様」と中指おっ立てて挑発されたら、
やらいでか!て屋根からダイヴするよなお人だ。


……めんどくさい明治の文豪……

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 16:05:57 ID:TRKp6qg3
夏目吉信→夏目漱石(小説家)
織田信長→織田信成(フィギュアスケート)
小野鎮幸→オノ・ヨーコ(芸術家)
肝付氏→肝付兼太(声優)
佐竹氏→佐竹敬久(秋田県知事)

あと誰かいたか?

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 16:08:16 ID:VOYCkwqD
>>25>>26
同じ名字なのは偶然だとずっと思ってた
トン

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 16:24:13 ID:1nvKS9Fk
佐々淳行とか細川元総理とか山中豊子とか吉川晃司とか三枝成彰とか小早川毅彦とか
どこまでホンとか知らんけどね。

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 16:26:38 ID:hzxc0itB
あと筒井康隆

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 16:29:16 ID:TRKp6qg3
松田聖子忘れてた
しかし結構いるもんだな

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 16:54:13 ID:P4cBftym
ゴルフ協会の偉い人が鍋島家だってゴルフ部の友達から聞いたことある

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 16:57:31 ID:rBwtflfv
松平定知は松平定信の関連じゃなかったっけ。
まぁ江戸だが。

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 17:04:14 ID:nY34zLww
>>27
井伊さん彦根市長何十年やってた

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 17:20:26 ID:QBuHqeu5
甘利虎泰(武田二十四将)→甘利甘利明(衆議院議員、行政改革担当相)とか

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 17:24:37 ID:1nvKS9Fk
えっ?

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 17:30:55 ID:lrYBDX8b
細川護煕元首相が出ないとは…

細川忠興に近衛前久の血まで引いている。

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 17:33:52 ID:hBsra04N
>>27
爆笑問題太田光の嫁、光代は松永久秀の子孫だとか

39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 17:52:38 ID:FBfZci/5
>>37
>>29で出てるよ。

40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 17:53:22 ID:1aSCxe31
>>37
>>29

41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 17:58:28 ID:CthW3n4E
ちょっと戦国時代から外れるけど逸話スレで何度か一休さん出てるから
K1の武蔵が一休さんに出てくる新右衛門さんのモデルになった人の子孫だね
同じ格闘家で毛利元就の息子、秀包の直系子孫の毛利照彦とか

43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 18:08:40 ID:Qvrosgsd
板垣退助は板垣信方の子孫。
ただし退助の代に「乾」から「板垣」に改姓している。
ともかく甲斐の民衆の支持を得た退助は
甲州勝沼の戦いで幕府側の新撰組に勝利し、
武田神話に1ページを書き加えることになる。
山梨でいまだに武田氏が熱狂的に支持されているのは
板垣退助の活躍のおかげもあったのだろうと思う。

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 18:11:25 ID:lrYBDX8b
>>39-40
すまん。許してくれ。

45 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/28(木) 18:11:46 ID:7lC71m1r
>>27
亀井茲矩→亀井久興(衆議院議員、国民新党幹事長、元国土庁長官)

あとは変わり種で
相馬盛胤→相馬恵胤(故人、中央競馬馬主協会連合会元会長、柏台牧場経営)

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 19:13:19 ID:wiBymy/R
>>27
佐伯惟教→緒方洪庵(医師、蘭学者)

48 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/05/28(木) 19:13:59 ID:srRIl0SQ
>>27
立花宗茂→料亭旅館御花の社長

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 19:25:56 ID:2lkU+CPc
生天目瞳(声優) 武田軍末裔

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 19:28:24 ID:q0ZrsDoT
キリが無いからそろそろ止めようぜ。

普通に1000まで埋まるぐらい居る。

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 19:36:15 ID:VgZY/VH0
>>50
言いだしにくい事をよく言った!!
オマエ、侍だよ!!

54 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/28(木) 23:40:00 ID:GvCW6SNh
>>20を見て思ったけど、このスレでは三方が原での
夏目吉信の身代わりエピソードはまだ出てないんだっけか?
あれ自体物凄くいい話だと思うし、はじめて聞いた時は思わず涙してしまったんだが。

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 00:00:45 ID:lK84txWP
>>54
驚くべき事にこれ単体での話は出て無いっぽいな。
息子の話は出てる
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-230.html

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 00:03:47 ID:pPHza6ze
息子関連で出てたが、さらっとだな


細川藤孝、荒木村重反逆の回想・いい話?

2009年05月29日 00:14

42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 18:01:47 ID:8bOaT18B
細川藤孝の回想

天正6年からの荒木村重の反逆の際のことです。
彼の日頃の言動からこれは危ないと、かねがね総見院様には申し上げてたのです。
それを村重のやつめは、藤孝が讒言したとかなんとか、逆恨みの被害妄想というものです。

有岡での包囲戦が手詰まり、長期化した中で、私めにも出陣の御命が下ったのでした。
というのも少し前、織田信忠様の部隊が夜襲を受け、散々蹴散らされたことも
味方の士気を大いに損なっておりましたし、総見院様もお怒りでした。

雨の中、長路丹波から細川の部隊が有岡城と面した最前線に布陣したのです。
私は確信しておりました。到着して疲労が極に達しているであろう、その今夜、
しかも雨のそぼ降る中でこそ、常々遺恨に思っている村重が襲ってくると。

夕刻、有岡に数年前から潜入させておきました工作員から、村重、自ら小勢を率いて
襲撃をかけてくるとの知らせ有り。

すぐに鉄砲隊の火縄には革を巻かせて雨に備え、民家に忍ばせておきました。

夜半、雨の泥濘な中を、先ず村重の別働隊が牽制の攻撃をかけ、すぐに退却して行きました。
私はこれを囮と見抜き、数十人の雑兵の両手に各々数本の松明を持たせ、さも細川隊が追撃に
移るように見せかけたのでした。

程なく、本陣の前の壕から人の気配がしてまいりました。村重の本隊です。
声も無く忍んでまいります。
十分に引き付けた後、一斉に撃たせまくったのでした。

村重の一隊は、算を乱して退却に移ったのですが、足元の泥にすくわれ容易に逃げ出せずにおります。
百数十名の武者を討ち取りましたが、当方の損害は皆無でございました。

着陣し、疲れきったその日こそが、まさに勝負でございます。





44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 18:11:25 ID:lrYBDX8b

>>42
藤孝は本当に、武人としても達人だな。

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 18:20:51 ID:TRKp6qg3
>>42
数年前から潜入させてるあたり先見があるなぁ
…もしかしたら織田家内の権力闘争に使ってたのかもしれないが


鳩館弥右衛門、残されて・いい話?

2009年05月29日 00:11

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 19:56:17 ID:lrYBDX8b
大阪の陣において、信州松本藩初代、小笠原秀政が、長男・忠脩と討ち死にした時、
彼の近習10人のうち、9人は皆、秀政と同じ場所で討ち死にした。
ただ、鳩館弥右衛門一人が、その時他の場所にいたため、生き残った。

戦後、その領地松本において、秀政親子の死から百日目に、追善が行われることとなった。
その九十九日目にあたる日、弥右衛門は妻に、「明日は舅の所で、精進落ちをするといい。
お前は今から、子を連れて舅の所に行きなさい。」そう言って、家を出した。

実家に帰った妻は、夫の言う事を不審に思い父に相談した。するとその父は、あわてて
弥右衛門宅に向かった。

「娘から話は聞きました。弥右衛門殿、あなたは悪しき覚悟をなさっているのではないですか?
十人の内一人生き残ったからといって、それは卑怯な振る舞いをしてそうなったわけではない。
その事でもし、何か至らぬことを考えているのであれば、それは返って不覚悟と申すものだと
拙者は考える。それをあなたに言いに来たのです。」

弥右衛門はこれを聞き、さにあらぬ体で
「なにをおっしゃるかと思えば、私はそのような事、一向に考えておりませんよ。
妻はそちらで、どうしてそんな事を申し上げたのやら。
そのような心にもない事、世間に聞こえれば、返って我々の
大きな恥とも傷ともなってしまうじゃないですか?」

そんな風に言うし、また、主君の死から百日もたって、その後を追う事もあるまいと思ったので、
舅も安心して帰宅した。

翌日、弥右衛門は寺において、主君、秀政の追い腹を切って、死んだ。

そこには書置きが残っていた。

『このたび大阪で、殿様に御昵懇に召し使われた十人の内、九人まで、乱戦の中
殿の御前で討ち死にされました。

私は他所で働いていたため、一人生き残りました。
この口惜しさ、これに過ぎるものはありません。
早速にも追い腹を斬ろう、そう思いました。

しかしよく考えてみると、行きがかりの討ち死になれば、それで良いのでしょうが、
生き残った私には、殿より仰せ付かった役儀上の仕事が残っています。
これを残して逝くことは忠義ではない、残らず終えてから殿の後を追おう。そう考えました。

そうして今、全ての仕事を終えました。思い残す事何も無くなった故、今日、殿のお供をいたします。』

秀政の近習がみな、高い忠誠心を持っていたのは、若い頃、小姓として使えていた彼らを、
容貌ではなく、その心根が正しい事を持って寵愛したからだ、と言われる。

余談だが、残された弥右衛門の子は成人すると、小笠原家の家老となり、後、病死。
その子もまた、小笠原家に仕えた。


一人残された男のお話。





53 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/28(木) 23:30:25 ID:2pIxbxyn
切ない…(;_;)

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 00:05:24 ID:yFj16U4l
>>52
しかし本当に皆良く、死にたがるのな・・・
それが武士の潔さと言っちゃえばそうなんだろうがこのメンタリティーは何処から来たんだろう
正直今の日本人と同じ民族とは思えないよ

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 00:18:35 ID:/54IwGke
成人するまでに半分以上が死ぬ時代だからねえ
それでなくても野良犬よりも死体の方が街中では珍しくないような社会情勢なんだろうし

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 00:33:15 ID:pPHza6ze
戦乱の世といっても戦場以外は結構平和なんだけどな
戦国時代100年余で人口も2.3割増えてるくらい平和

60 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/29(金) 00:44:56 ID:P9E6QVrV
戦では100人くらい死んだら大敗北だし…。
一部の撫で斬りなんかを除けばそんな民衆に被害が出てるとも思わない。
民衆殺せば後が圧倒的に恐ろしい。
忠義忠義って騒ぐのは旗本か一部の階級のみ。
戦場でも雇われや農民は決死で戦うかと言えばそうでもないし。
戦傷で死ぬ人は多かったかもね。


61 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/29(金) 01:03:39 ID:wEDAU3qA
落ち武者狩りで農民が兵隊をぶっ殺してたりもしたしな。

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 01:14:56 ID:dlvqFiEj
まあ殿と近習が自分以外みんな死んだらおめおめ一人生きてられないだろう
自分一人生き残って幸せだったのか未だにわからないってのは太平洋戦争の生存者も言う言葉だしな

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 02:36:14 ID:phY7wZRX
生き残った、じゃなくって
生き残ってしまった、なんだよな…


64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 05:01:13 ID:7ciZBH5z
牟田口廉也の名前は出すなよ荒れるから

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 07:20:32 ID:ecvKJIfN
>>62
震災やこないだのJRの事故とかの災害後でも少なからずそういう人が出るから
どうも周りが死んでいく中生き残った事が辛いってのは人間として珍しくないメンタリティーらしい
武士があっさり死にたがるのもそこら辺があるのかもしれない

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 07:43:43 ID:0sc77biG
後、子孫や一族のためもあるな
戦で討ち死にしたり追い腹切ったりしたら
その子供は目をかけられるから

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 08:10:41 ID:7zt0vvW8
>>64
牟田口は別に荒れないだろ。
思想を問わず全会一致でダメ将校なんだから。
本当に荒れるのは外国に直接関わる話。

むしろスレに関係無いから自粛すべきというのが言うべきこと。

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 10:56:28 ID:/54IwGke
>>58-59
戦場で死なないからって平和に生きていられる時代じゃないでしょ

普通に生きていても、飢えて死ぬし怪我したら衛生状態の悪さで
簡単に悪化して死ぬ、ただの風邪でもコロリと死ぬ。
まして戦国時代は社会基盤も脆いし、自然環境も室町以来ずっと
寒冷に傾いてるから食料生産力も落ちてる。
勿論小児死亡率の高さは言うまでもない。江戸時代ですら半分が生き残れるレベルじゃなかったか。
現代の成人年齢の20になる頃には顔見知りの同世代は半分死んでるわけだ。
20くらいとなると親も40近くとか過ぎとかだからこれも普通に死んでる可能性が高い。

戦国でなくても近代以前の人類はこんな環境で生きてきたんだ、
人命に価値があるという思想が個人に生まれるのは
難しいだろう。


69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 11:53:39 ID:qvpqMlVG
コロコロ死ぬから長生きしたお祝いとかあるとも言えるんじゃね

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 13:42:37 ID:JgECr1ri
道元とか法然とかもそうなんだけど
若年にして自ら発心して仏道に入る人が多いのも
人があっさり死ぬからなんだよな


71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 14:22:20 ID:i45g/QnM
というか、仏教教祖の釈迦の発心理由がそれだしな

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 14:50:14 ID:zWzKERkw
生き残るのが難しかったからこそ優秀な人材が尊ばれ
生きることに価値が見いだされた側面もあったと思う。
ただ死は日常に溢れていて、覚悟するのはさほど難しくなかったろう。

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 17:56:16 ID:ROEE8q/Y
(身内の)肉体は滅んでも、その心、魂だけは残り続けて欲しいという願望もあったから、
信心深い人が多かったのかも知れない。

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 18:12:25 ID:JgECr1ri
そういえば茶道の一期一会の考え方とか
「この度の出会いの後は再び会うこともないかもしれない
だから一席の茶会に心を尽くしもてなしをしよう」
っていう非常に死を意識した思想なんだよな
茶道が武士の間に流行したのもいつ死ぬともしれない生活の中で
習慣的に「末期の水」ならぬ「末期の茶」をやっておいて
ある日来る死を儀式化する側面があったんジャマイカとどっかで聞いた
メメント・モリってやつかね

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 18:27:16 ID:v7sCyWaG
高虎「朝起きたら、今日が死ぬ日だと思っておくもんだよ」


徳川頼宣の参勤と松平三郎兵衛・悪い話?

2009年05月29日 00:10

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 23:48:44 ID:+liEFnnL
徳川頼宣の、ある年の参勤の折のこと。

彼は伊勢松坂より渡海して、東海道まで出ようとしたのだが、丁度その頃
風雨激しく海が荒れており、近臣たちは皆

「船は危険です!今回は陸路を行きましょう!」

と諫める。ところが頼宣、これを聞かない。こんな諫言を素直に聞く頼宣ではない。

「この程度の波風を恐れ、陸路を取ってしまっては、これは紀州家の恥辱ではないか!」

それでも、近臣は必死に諫め、特に松平三郎兵衛は激しく考え直す事を求めたが
頼宣は聞く耳持たぬ。そこで三郎兵衛、「ならば一命を賭して」と、切腹をしようとした。
これには流石の頼宣も驚きこれを止め、ついに陸路での参勤を承諾した。

さて、その三郎兵衛はそのまま松阪に留まったが、頼宣一行は松阪から陸路桑名に出、
そこから熱田に渡り、やがて池鯉鮒宿(現愛知県知立市)に付く。が、

そこには居たのだ。そう、松阪に残っているはずの、彼が。
松平三郎兵衛が、ニコニコしながら頼宣を出迎えたのだ。

「ななななななな!何でお前がここにいるんだ!?いつ我々を追い越した!?
お前の姿なんか見なかったのに!」

「そりゃあ当然、船で来ました。」

「船!?お前、船は危険だって諫めたくせに、何で自分は船に乗ってきてるんだよ!?」

この頼宣の至極当然の疑問に三郎兵衛、

「ほら、殿を諫めたのは、実は自分が海路の危険が怖かったからだ、なんて言われたら
嫌じゃないですか。それで自分はあのまま松坂に残って、漁師の船を(海が荒れて嫌だと言うのに
無理矢理)借りて、ここまで来たのですよ!そのため先に着いたのです。」

自信満々に語る三郎兵衛に頼宣、押し黙ったままであった。


その夜、頼宣、密かに三郎兵衛を呼んだ。

「昼間は家臣たちの前だったので、言うのを我慢していたのだが…

三郎兵衛、お前みたいな意地の通し方、嫌いじゃ無いぜ。」

褒めた。褒めた上で、「でもこんな事、家臣の前で褒めたら他の連中もお前の真似して
みんな死んでしまうだろう。だから、ここだけの話だぞ?」

そう念を押したとの事。
しかしやはり、主君も主君なら家臣も家臣である。そんないつもの紀州家のお話でした。





770 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/28(木) 00:11:53 ID:7o4EpLtD
>769
2人の秘密がなんで後世まで流布されてるんだろう?

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 00:15:08 ID:lrYBDX8b
>>770
こういうのは、会話の主のどちらかが死んだ後に、その追憶として語られた、ってパターンが多いね。


大阪の陣、坂崎直盛の行為に付いて・悪い話

2009年05月29日 00:09

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 11:20:21 ID:lrYBDX8b
大阪の陣の折、

ある合戦で坂崎直盛が敵の首を二つ取ると、これを披露するため戦場から返し、
将軍秀忠の元に駆けつけた。
この事に対する反応

大平角助
「坂崎って大名でしょ?身上から言っても一部隊率いるほどの人間じゃ無いですか?
それが首をたった一つ二つ取ったくらいで、秀忠様にお見せするために戦場から立ち返るなんて、
その心底、卑怯至極ですよ。」

本多正純
「坂崎ってホント、勢いだけの人間なんだよね。そのくせ出なけりゃいけない所では、
出ない事が多い。まあ、そう言う人なんだよ。」


坂崎直盛、びっくりするほど嫌われていた模様。まあわからんでも無いがw







弘前城天守閣物語

2009年05月29日 00:07

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 21:14:39 ID:TRKp6qg3
弘前市が弘前城400年祭に向けて準備してるそうですね
ttp://www.city.hirosaki.aomori.jp/kakuka2/HSC01-0000000219/index.html

そんな事で弘前城にまつわる話を
実はこの弘前城、全国でも珍しい天守閣が現代まで残っている城であり
天守閣のある最北の城でもある

しかしこの天守閣、実は江戸時代に再建されたものである
では築城当初の天守はどうしたのか?

津軽藩藩祖津軽為信は関ヶ原で東軍に参加し奮戦していたが国元で謀反が勃発
居城であった堀越城を占領されてしまう

反乱は鎮圧されたが為信は元々この城城の防御に不安を持ち、新城を建てる計画をしていたため
これを契機にしたのか鷹岡(後の弘前)に新城の建設を始める
これが後の弘前城になる

ところが為信は京都で早世してしまう
お家騒動もあり築城は一時中断されてしまった

その後お家騒動で改易を免れ権力闘争に勝利した
二代目藩主津軽信枚は幕府に許可を貰って新城建設を再開
親父の代から安定してない足下を固める為にも新城を建てる事は絶対に必要だった
工事は急ピッチで進められ僅か1年1か月で新城は完成
出来た城は4万7000石の藩としてはデカ過ぎる5層5階の天守を持った城だった
この城の完成によって津軽藩は国内外に威容を示す事が出来ただろう
為信の遺志も継げて信枚も満足だったに違いない

…それは城が完成してから16年後の事
その日は激しい雨が降り続き雷鳴が轟いていた
その内雷の一つが天守に付けてあった鯱に落ちた!
雷から火が付き五層目から延焼が起こり4層目にも火の手が回った
鯱が水を吐いてくれることもなくそのまま燃え続けていたが
4層目に釣ってあった鐘が真っ赤に燃えて落下
鐘はよりにもよって3層目の千五百丁の鉄砲と硝煙を保管している弾薬庫の上に落ちた

その瞬間、ごうぜんたる大爆発が起こり雨の夜空に火柱が立ち上った
小大名意地の5層天守はたった16年で爆散してしまった
為信の落胆を思うと…

その後、何度か天守再建を幕府に打診したものの却下され続け200年近く天守の無い時代が続いた
今の天守は九代目藩主津軽寧親が櫓の新築を幕府に申し入れて作られたものである
3層櫓として申請したためこの新しく出来た天守は5層5階ではなく3層3階天守になってしまった

それでも現存する貴重な天守である事に変わりはない
弘前城は現在では弘前公園として整備されている
今でも城の原型を留めているのが見所の一つであるが
現在は大量の桜が植えられ桜の名所としても知られる

2011年の弘前城築城400年祭、是非訪ねてみてはどうだろうか





792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 21:26:27 ID:lrYBDX8b
>>791
弘前城は天守もいいけど、石垣が実に美しいよね。
すばらしい曲線と角度だと思う。
ttp://ys2001hp.web.fc2.com/gazo-hirosakijyou.jpg
ttp://ys2001hp.web.fc2.com/gazo-hirosakijyou3.jpg

> その後、何度か天守再建を幕府に打診したものの却下され続け
これは幕府からすれば、身の丈に合わない天守作って、その負担で領民に
一揆でも起こされちゃたまらん、って考えだったのでしょうな。

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 21:59:07 ID:bIcWc+Of
>>791
天守が爆発したという面白エピソードかw
以前コメに書かれてて読んでみたいと思ってたから嬉しいw

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 22:22:00 ID:vDVTdopH
>791
鯱は火災の時に水を吐いて守ってくれるハズなんだけどな
その鯱が火災を招いたことで悪名高い話

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 22:23:56 ID:jD4h5lec
>>791
よりによって火事除けの鯱に雷が落ちるとはw

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 23:00:35 ID:kO5a0jyq
>>792
凄く綺麗な天守だね。
あまりに綺麗でプラモみたいだ・・・

  そだ  |------、`⌒ー--、
  れが  |ハ{{ }} )))ヽ、l l ハ
  が   |、{ ハリノノノノノノ)、 l l
  い   |ヽヽー、彡彡ノノノ}  に
  い   |ヾヾヾヾヾヽ彡彡}  や
  !!    /:.:.:.ヾヾヾヾヽ彡彡} l っ
\__/{ l ii | l|} ハ、ヾ} ミ彡ト
彡シ ,ェ、、、ヾ{{ヽ} l|l ィェ=リ、シ} |l
lミ{ ゙イシモ'テ、ミヽ}シィ=ラ'ァ、 }ミ}} l
ヾミ    ̄~'ィ''': |゙:ー. ̄   lノ/l | |
ヾヾ   "  : : !、  `  lイノ l| |
 >l゙、    ー、,'ソ     /.|}、 l| |
:.lヽ ヽ   ー_ ‐-‐ァ'  /::ノl ト、
:.:.:.:\ヽ     二"  /::// /:.:.l:.:.
:.:.:.:.:.::ヽ:\     /::://:.:,':.:..:l:.:.
;.;.;.;.;;.:.:.:.\`ー-- '" //:.:.:;l:.:.:.:l:.:

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 22:36:08 ID:TRKp6qg3
>>792
俺も石垣のほうが好き
天守が悪いって訳じゃないけどね
城好きとしては木が多くて全景が見づらいのが欠点だと思う


週間ブログ拍手ランキング!&お勧め逸話・四

2009年05月28日 00:08

05/20~27までの、週間ブログ拍手ランキングでございます。



毛利隆元の意外に偉大なお話 77

板倉重矩と板倉家伝来の弓・いい話 62

武田信繁「合戦が近い時には」・いい話 54

立花宗茂と一匹の狂犬・いい話 42
徳川家康の、何にもかえがたい宝・いい話 39
前田利家、飛ぶ鳥跡を濁さず・いい話 38

団体行動からはみ出る事をする者・悪い話 37
細川忠興「我慢出来なかったんです!」・悪い話? 34
麒麟児の初陣にて・いい話 33
伊達政宗が大好きだったもの・いい話 32

吉川元春の嫁取り・いい話 29
名人久太郎と呼ばれた理由・いい話 29

毛利家、謀叛で死んだ大内義隆の扱い・いい話 28
徳川頼宣流、武士の扱い・いい話 28
織田信長、家臣を気付かう・いい話 28

細川流子供に苦手科目を勉強させる方法・いい話? 26
徳川家光と守り役、青山忠俊・悪い話? 26

島原の乱の終結、参戦した諸将を集めて・悪い話? 25
北条氏直と督姫と、『高祖の御守』・いい話 25
徳川秀忠問う、「よき人とはいかなる人か」・いい話 25



1位は毛利隆元の意外に偉大なお話
隆元のお話がこんなに人気が出るとは。意外の感に打たれております。
隆元ブームこないかなー(望)

2位は板倉重矩と板倉家伝来の弓・いい話
本当にいいお話ですね。上に立つ人間の度量というものを考えさせます。
こういう事をサラっと言える人を、ダンディと言うのかな、とも思いました。

今回ランクインした中で取り上げたいのは、毛利家、謀叛で死んだ大内義隆の扱い・いい話ですね。
一面から見れば、政治的正統性の主張なのでしょうが、それが意味がなくなっても続ける、
日本人の「義理堅さ」と言うものを、よく表現しているお話だと重います。
「記憶の継承」とは、こういう事なのでしょうね。


今回も、非常に多くの拍手を頂きました。いつも本当にありがとうございます。
また、気に入った逸話がありましたら、どうぞそこの拍手ボタンを、押してやってください。




さて、気が付いたらこのブログ、いつの間にやらエントリ数が2000を越えておりました。
途切れることなく逸話を書いていただいている本スレの皆さんは、本当にすごいです!

そんな中、管理人がたまにやってる過去にエントリした逸話の掘り起こし、
久々に、過去のお気に入りの逸話を紹介したいと思います!

・毛利隆元、弟との関係に悩む・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1144.html

レスまで含めてこれを読むと、新たな毛利隆元像が見えてくると思います。

・めんどうくさい三河武士、小栗又一さんの大阪の陣・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-406.html

これぞ三河武士。これだから三河武士。この恐るべき意固地さと愛すべきカラっとした単純さは、
他の武士団にはちょっと見られない特徴ですね。

・細川忠興と利休の石灯籠・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-227.html

最後まで師を慕い続けた、細川忠興のいい話。
こういう節義があるからこそ、忠興と言う人は面白い。

・森忠政とその子忠広・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-444.html

これもレスまで含めて読んで欲しいお話です。ホント色々恐ろしい。

・大谷休伯「戦わなかった英雄」・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-265.html

このブログで、このお話を知ったと言う方がいると、とても嬉しくなります。
管理人も大好きな、偉人と呼ぶべき大谷休伯のお話です。

過去のエントリーにも、多くの素敵なお話があります。
良かったらそれらも、お時間のあるときにでも、覗いてやって見てください。



過去のお勧め逸話
管理人おすすめ逸話その参
管理人おすすめ逸話その弐
管理人おすすめ逸話その一


佐々成政の素行に千田吟風・いい話

2009年05月28日 00:07

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 00:44:43 ID:OS/js5zz
佐々成政は居城の比良城の客分・千田吟風に古今東西の名将達の
ことを教わった。だけどもこの頃の成政は素行が悪く、吟風に突っ掛かった。

「くだらねえ。昔の武将の言行なんて、本当にあったか怪しい
もんだ。違うかい、先生よ?」

成政は過去の名将の逸話なんて嘘臭い、自分には信じられないと
食ってかかった。すると吟風は成政にこう言った。

「ほう、名将達の言行を疑われるのか。しかし、何故その前に
ご自身の馬の肥やしにもならない馬鹿な遊びに疑問を抱かぬのやら?」

成政は吟風に一泡吹かせたつもりが、逆に痛いところを突かれて
しまった。それからの成政は素行を改めて真面目になったという。





11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 13:32:27 ID:TFuLMtWx
>>5
注意やアドバイスは相手を納得させなければ反抗心を煽るだけだからな。
だけど武田信繁のようにその反抗心を戦にぶつけさせる方法もあるわけで。
時と場合によって良いことが悪くなり、逆もまたある。
このスレは奥が深い


山名宗全、”例”を、”時”に・いい話

2009年05月28日 00:05

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 14:01:28 ID:+liEFnnL
応仁の乱において、西軍の大将となった山名宗全。

ある時彼が、とある大臣家の公家と話をしていた時、この公家が『先例』という事に
強く拘るのを聞いて、このように言った

「公家の方々は何かと言えば、先例、先例とおっしゃる。
しかしこれからは、”例”を、”時”と言う文字に置き換えてみてはいかがでしょうか?

世の中が安定し、法が不変の時代ならば、先例を引くのはよいでしょう。
しかしそうで無い時代では、それは全く通用いたしません。
あなた達公家は先例に拘るあまり、時代の変化を理解できませんでした。
そのため武家に天下を奪われたのです。

もし古来の『先例』を当てはめるなら、何故このように、宗全のような卑しい者が身分尊きあなたと、
今対等に会話をしているのでしょうか?

このような事、古来いずれの時代の”例”にも無かった事です。
すなわち、これこそが”時”なのです。」


先例の通じる時代では無いのだ、過去よりも今の現実を見つめよう。
この後の、長い混乱を作り出した一方の当事者の、時代認識である。






14 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/27(水) 18:12:26 ID:SRU8aMvQ
>>12
その後、山名家が没落していって豊国が腐れ禿鼠のような卑しい身分出身に
隷属するようになったこととあわせるといろいろと考えさせられるが…

宗全の時代認識は正しいな


15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 20:39:32 ID:XAZIPYxt
山名家ってなんだかんだいって戦国時代でも頑張ってたよな。


池田光政、幕府に謀反を疑われ・いい話?

2009年05月28日 00:04

16 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/27(水) 20:58:04 ID:BOF4Jlut
まとめから来ますた
個人的には宇喜多のが好きだけど、池田光政公の話をば…
文才無いけどどうかご容赦を

光政公、三名君と謳われるほどのやり手であると同時に、幕府に謀反を疑われたりする
独立不羈な人物でもありました。
なんと光政公、謀反の噂が流れると釈明どころか藩領の西端(江戸方向)に城のような
威圧的な建物を、あてつけがましく普請したのです。
場所も山陽道を扼する山腹のこと、幕閣も「すわ築城か!?」と色めきたちます。
しかしながらこの建物、城ではなく学校として使用されたのです。
光政公は母も妻も将軍家からの入嫁であり、多少の無茶もできたのでしょうが、
彼の剛毅な(偏屈なw)性格が覗えます。

現在もこの学校は「閑谷学校」として現存(講堂は国宝)しています。




17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 21:18:20 ID:h66OkbIN
>16
閑谷てめっさ紅葉が綺麗なとこだよ~

秋に平服で行くと確実にカゼをひくくらい涼しい。夏でも涼しい。

しかし、領地の西側って江戸じゃなくね? <旧地名ならごめん

18 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/27(水) 21:44:12 ID:BOF4Jlut
>>17
スンマセン、普通に東でした
一応地元なのに、何をトチ狂っていたのかorz

観光㌧ですw


二人の又四郎・怖い話

2009年05月28日 00:01

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 12:00:40 ID:+liEFnnL
ちょっと怖い話に便乗

北條早雲こと、伊勢宗瑞の頃の事である。小田原城下に、百姓と家臣の下輩の者たちが少々
住んでいる村があった。中間の西岡又四郎と言う者もここに住んでいたが、あるとき煩い、
程なく死んだ。

その夕刻、日が暮れてから野原に埋めようと、又四郎の家に朋輩達が集まって、日が落ちるのを
待っていると、そこに見慣れぬ男がやってきた。

彼は集まる人々に挨拶もせず死者の前に座ると、声を限りに啼いた。その哀れな様子に、
おそらくこの人は、又四郎の親族か親しい友人なのだろうと皆は思った。
所がこの時である、突然、死体がむくりと起き上がった。

これに啼いていた男も立ち上がり、この死者と取っ組み合い、殴り合いを始めた。
しかし殴り合っているものの、双方一言の声も発しない。
集まっていた人々は大いに驚いたが、どうしていいかもわからず、皆その家から逃げ出し、
その家の戸を閉め二人を閉じ込めた。

しばらく戸の内から、打ち合う音が聞こえていたが、日が暮れた頃にそれも静まったので、
人々、再び集まりその家の戸を開けた。

そこには二人が並んで臥し、死んでいた。

見れば二人、背の高さ、顔かたち、髪や髭の有り様、その衣服まで全く同じ姿であった。
又四郎にいつも接していた朋輩ですら、どちらがどちらか、見分ける事ができなかった。

そのような事なので、一つの棺に二人を入れ、塚を作りそこに埋めた、とのことである。

何がどうなったのか良くわからない、二人の又四郎のお話。








763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 16:42:01 ID:kRrENiSz
>>759
これ面白いな。
ドッペルさんにしては実態があってしかも死亡してるし、
実は双子だったにしても服装など一致しすぎてて妙だし、
影武者にしても行動の意味が分からない・・

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 18:07:27 ID:h66OkbIN
>763鬼や物の怪の類と何か取引があって、契約を果たさないまま(半身が)なくなってしもうたんかね。

まあ不思議噺で意味は分からないんだけども


徳川家、謎の十人衆・いい話?

2009年05月28日 00:00

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 00:18:59 ID:+liEFnnL
ある時、徳川家康と福島正則が歓談していたが、正則、この中で
家康の将、本多忠勝、井伊直政、榊原正康の事を賞賛した。

「あの三氏の武勇は真に素晴らしい。まさに御当家の干城と言うべきでしょう。」

この言葉に家康、首を左右に振りつつ

「いやいや、そう言うものではない。わしの下に居る勇士は、その三人のほかにも
後七人ほど居る。都合十人であるな。」

「ほう?では残りの七人とは、どなたですかな?」

「ふふふ。秘密じゃ。」

家康、これに笑うばかりで何も答えなかった。

さて、これを聞いて奮起したのは、本多、井伊、榊原以外の徳川の将達である。
「我こそは十人の中に加わる者なり」と、競う合うように切磋したとの事。

こうなる事を最初から予想して発言したのか、それともただ単に正則に大げさに言ってみただけなのか。
徳川家、謎の十人衆のお話。





988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 00:46:25 ID:VeEYlJh9
信長に褒められたときは「あんなもの山盛り居るわ!」とか言って本人にへそ曲げられてたのに……
権現様ったら成長しちゃって……

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 00:52:24 ID:mzDGW0iT
衝撃の忠隣とか華麗なる守綱とか白昼の勝重とか暮れなずむ康景とかか

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 13:29:13 ID:+ZTIVyBp
>>989
槍ぱっちんするのか


佐々成政、信長への諫言・いい話

2009年05月27日 00:10

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 02:19:02 ID:4HHGDU0P
悪いスレでやらかしたのでいい話を。

信長が酒宴の時に朝倉義景、浅井父子の髑髏を出して盃にした
という話はよく知られている。この時の信長はすこぶる機嫌がよく、

「お前達の尽力に報いるため、このような肴(髑髏)を用意した。
わしはこの上ない喜びを感じておる」

と言って家臣達に褒美を与えたという。その席には佐々成政がいた。
酒宴が終わると彼は信長に言った。

「後漢書に『王者四海をもって家とし、万民をもって子とす。
天万民を生じ、君を立ててこれを養う。君道を得るすなわち、
人これをいただくこと父母の如く、これを仰ぐこと日月の如し』
とあります。

上様に従わない国があるのは、上様の不徳ゆえとお考え下さい。
ご自身の良くないところは省みなくてはなりません」

これを聞いた信長は成政の手を引いた。まさか手討ちに!?
いやいや、そうではない。成政の換言に感じいった信長は
別の部屋で政治について語り合ったのである。この事について
信長の側近・武井夕庵は成政の教養はたいしたものだと感銘を
受けたという。





967 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/05/26(火) 02:26:18 ID:un3IS8W2
>>966
平手政秀の切腹が引っかかっていたのかな?

968 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/26(火) 03:00:21 ID:J9KaWTCE
脳筋キャラだとばかり思ってたのに

969 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/26(火) 03:07:14 ID:mTmKivwd
>>966
結局、そういう家臣の命懸けの諫言を全う出来なかったから本能寺で桔梗が狂い咲いたんだよ

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 07:56:05 ID:B4/WzbHo
>>966
この諫言は大河の秀吉では秀吉、利まつでは利家のエピにされてたなあ
秀吉は仕方ないかもしれんが、利まつは成政も準主役だったのに
おいしいところ持っていかれて泣けた

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 11:31:10 ID:axS3fpcZ
>>966
手を引かれて別室に連れていかれたら手打ちよりアッチの方が心配

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 12:45:51 ID:15PhcM/s
そもそも杯にしたってのが戦後の小説から出てきたうそだし。


976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 13:56:22 ID:bpsp6up7
wikiだけど

>一級史料と評される信長公記には天正2年(1574年)の正月の宴席において
>箔濃(はくだみ、漆塗りに金粉を施すこと)
>にした義景、久政・長政父子の三ツ首を御肴として白木の台に据え置き、
>皆で謡い遊び酒宴を楽しんだとある。
>なお、これを杯にして酒を飲んだという俗説もあるが史料には見当たらない

>>966が盃と勘違いして書いた可能性もありそうだからなんとも言えない気がする

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 18:37:47 ID:P1MXU7jk
趙の襄子はいじめっ子の智伯を斃した後に頭蓋骨を杯にしたとか、
便器にしたとかいう逸話があるけれど、信長がそういう教養があったとも思えないので
これは独創なのだろうか。

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 18:52:41 ID:JmtoLtdZ
左伝とか史記とか日本でも学識層の基本学問だし
耳学問で入ってるんじゃね

岐山にちなんだ地名とか教えてもらってつけてんじゃん


982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 19:43:42 ID:4HHGDU0P
>>974>>976
ごめんなさい。そこは俺のミスです。でも箔濃とか成政が故事を例にだして
学識豊かに諌言したとかは信長記にあって捏造じゃないんでご容赦。

ところで髑髏をそういうふうにすると、神通力を得るという信仰が当時あったそうで。
もし本当なら信長は決して無信仰ではなかったんでしょうな。

983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 21:18:34 ID:ECg8PFlJ
叡山には箔濃職人もいたしな
偉い坊さんの頭骸骨を箔濃にするそうな
立川流とはちと違うのかな

984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 21:24:54 ID:1/Mul+nM
立川流って奈良の大仏の前で乱交したあれか?

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 22:50:32 ID:xpb8z1PH
>>982
箔濃の記事は確かに太田牛一の信長記にある。というか、これにしかないが。
(厳密には、信長記から引用された江戸時代の書があと一つある)
しかし佐々成政の諫言はないぞ。

甫安信長記か?

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 22:55:14 ID:4HHGDU0P
うん。七巻元日酒宴の事。


前田利常、能見物に家臣を呼んで・いい話

2009年05月27日 00:09

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 17:55:52 ID:kIA74w1K

前田利常が能見物をしていたときのことである。

この能、事の外面白く、利常、家臣たちにも見せてやろうと皆を呼び寄せた。
ところが、この能桟敷が狭かったのか、人数が多かったのか、舞台の周りは人で溢れ、
利常の面前にさえ家臣がひしめく始末。しかし家臣としては主君の見物の邪魔をする事は許されない。
そこで視線を塞がない為、利常の面前の方向にいる家臣たちは皆、手を付き平伏した姿になり、
頭だけをもたげて見物するという、非常につらい姿勢での観能となった。

これを憐れんだ利常、近習に命じ、畳を大量に持ってこさせた。
そしてそれを高く重ね、自分はその上に座る。
このおかげで皆手を付く事無く頭を上げ、楽な姿勢で見物することが出来た、とのこと。

最初の時点でボタンの掛け違えがあったような気もしないでも無いが、ともかくも
家臣思いの利常公のお話。






徳川家光と草履取りと堀田正盛・悪い話?

2009年05月27日 00:08

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 00:04:01 ID:4HHGDU0P
徳川家光が鷹狩りから帰ってきた時のことだが、その時の彼は
非常に機嫌が悪かった。家光がふと後ろに目をやると、そこには
草履取りがいた。この男はかなりの出歯で、いつも笑っている
ように見えた。「あいつめ、何がおかしい!」と怒った家光は
堀田正盛に言った。

「あいつを今すぐ斬り捨てよ」
「は、仰せのままに」

哀れなことに草履取りを斬り捨てろとの命が下ったのだ。翌日
家光は草履取りを殺したかどうか正盛に確認した。

「あいつを斬ったか」
「いいえ、まだです」
「何をしているんだ、早く殺せ」
「は、仰せのままに」

なんと正盛はまだ草履取りを殺していなかった。そこで家光は
重ねて成敗しろと命じた。それから十日
ほど経って、家光は殺したかどうか、再び確認した。

「さすがにもう殺しただろう」
「いいえ、まだです」
「・・・・・・」

さすがの家光も、とうとう諦めたという。


706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 00:16:39 ID:EP1T07Tt
アッーだけの人物ではないという捕らえるか、アッーがより深かったと捕らえるか