秀吉の大名援助方法

2009年07月31日 00:07

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 21:14:31 ID:VIQJFOj2
秀吉が太閤の頃の事
ある時秀吉は、諸候が経済的に疲弊している事を聞いた、

「それでは身代が持たないではないか。よろしい、では普請を申し付けてやろう」と、言い出した。

秀吉の考えはこうだ。例えば200人ほどの人数でやる規模の普請の見積もりを、
倍の400人かかるとして、その大名が国許から人を出して普請の工事完成までの期間の費用を
渡してやる。

そうすれば必然的に費用は余るから、大名はこれを秀吉からの援助だと考える。
又、大名の方も、こっちが400人かかるつもりの普請を、200人ほどで成し遂げれば、
その大名の手柄になるだろう。

「わしは大名に恩を売つつ普請も成すことができ、大名も世間に評判をとりつつ金を儲けられる。
誰にとってもいい事尽くめであろう。」

不況対策の公共事業みたいな発想の、秀吉の大名援助方法。





941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 21:26:37 ID://HRJkuM
それはいいとして、そんだけの財源があったって事なの?

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 21:30:12 ID:96kL0pHr
>誰にとってもいい事尽くめであろう。
財源である民衆にとってはいい話ではないなw

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 21:37:48 ID://HRJkuM
やっぱ蓄えとかないよなぁ この時代だと
その資金はどっから調達するんですか?とか言っちゃうと斬られるんだろうな
だから朝鮮に行ったんだろうけど

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 22:08:31 ID:nlHCmKsK
でもまぁこの頃の政治って国がやる範囲が狭いから金はあまりあまってたかもよ?
今日本の経済を圧迫してる社会福祉なんてないし軍事と交通を押さえるのが主で他は二の次でしょ
良き領主なら新田開発や鉱山開発に金を掛けるだろうけど

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 23:01:09 ID:NDy7tLLn
日本中の金山取り上げて、米ころがしで米価吊り上げて、
大名相手に兵糧の貸付やって、ってところには金あるかもね

946 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/31(金) 01:57:15 ID:AoGtUefF
とりあえず徳川家潰すしか方法ないよな。

947 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/31(金) 09:49:15 ID:79c6wSjq
太閤が亡くなった時、大阪城に遺した遺産は最近の説では兆の上の京「けい」に達していたとのこと。いくらでもあったんじゃね?

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/31(金) 11:33:53 ID:m2v16jng
大坂の陣夏冬2戦してもまだ残ってたそうだからな。
秀頼の再起の資金としての隠し財産がまだどこかに眠っているという話もあるし。

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/31(金) 16:36:29 ID:WRf3Vn/q
シッ!
大阪が穴だらけになるから黙っていたのに・・・


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池田輝政はドケチであった

2009年07月31日 00:04

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 22:17:52 ID:u3So8udC
池田輝政はドケチであった。
重臣が心配して諫言するほどドケチだった。

「殿、すぎた倹約は人の心を消極的にします。
どうかほどほどになさいますよう、平に申し上げまする」

「お前の目は節穴か。俺は贅沢をしているではないか」

「はて…見当もつきませぬが?」

「フフフ、優れた人物を大勢登用するのが俺の贅沢なのだ。
だが、それには何かと金がかかるのでな。
こんな金のないご時世はカツカツに倹約しないとまかなえない。
どうだ、ケチはケチでも藩のためのケチであろう。
俺のケチでいい人材がどんどん集まるのだ、ハッハッハ」

「……」

重臣の諫言も輝政には馬の耳に念仏でした。





907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 22:32:47 ID:dIFHwpcf
良い話っぽく聞こえるから困る

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 22:38:11 ID:NdJjwAp6
大名ともなれば私=公だから間違いではないんだが…
部下にして見りゃ贅沢しづらくてしょうがないなw

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 22:38:44 ID:qQOfGNsY
恒興と元助を失って窮地の池田を
あっぱれ姫時宰相100万石まで成長させたんだからな・・・
結構苦労人&すげえ奴だよ。いい話っぽいな


鳥取城の失敗

2009年07月31日 00:04

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 00:25:53 ID:HLUFX7tq
鳥取城の失敗

後世に「鳥取の渇え殺し」として伝わる、1581年の秀吉の鳥取城攻め。
20日分の兵糧しかない状態で4ヶ月を耐えた城兵の姿は、
「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、
叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず」(信長公記)
という悲惨なものであった。

さて、守将・吉川経家が切腹することで降伏が認められた鳥取城の兵に織田方から
飯が提供されたが、多数の死亡者が出た。なぜか。

現代でも北朝鮮やアフリカのニュースで取り上げられることがあるが、人間は極端に
飢えると、ものを食べても消化器官が動かなくなる。そんなところに大量の飯を
詰め込んだらどうなるか……。
普通は重湯やお粥で徐々に慣らしていくのだが、このとき提供されたのは普通の
飯であったため、多数の死亡者が出てしまった。

秀吉の、ちょっと(?)悪い話。




915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 00:27:18 ID:5JbClSzT
ラスボスのことだから
知ってて出したんじゃないかと
穿った見方をしてしまう

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 00:48:45 ID:nlHCmKsK
労ってやろうと御馳走だしたら裏目に出たって聞いた事あるな
こっちの方も秀吉っぽい

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 01:13:50 ID:MfHz0iNg
その鳥取城の話を出そうとしていたら考えているうちにきてしまった

出そうとしていたのはアニメキャラ板の某スレだが
その件を踏んで以降は粥で出すようにしたんだっけ

918 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/30(木) 01:26:32 ID:6zZWOZ26
しかし秀吉公の場合は三木城の干殺しの先例もあるんだから、
まじめに嫌がらせじゃないのだろうか?
もう飢えた人間にたらふく食わせばどうなるか分かってるんだから。

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 07:24:03 ID:LcYbMi3X
味噌を載せられた所が痒くて掻いていたら化膿していったとか

昔、俺も右手の甲が爛れてひどいことになったわな

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 09:03:56 ID:XOqKWFO5
播磨三木合戦では城の食糧が尽きて
早々に城方が降伏を決めたから餓死者は出てないはず
つうか鳥取城みたいに城兵が人肉食を行うほど耐えるのが異常なんだよ

米子出身の友人に聞いたが、現代でも鳥取県の小中学生は
郷土の誇るべき歴史としてこの鳥取城攻防戦のことを授業でやるらしいね
当時のカニバリズムの記録から、
「人肉は脳味噌が美味い」ということを学んだと言ってた
それも教育的にどうかと思うが

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 09:54:47 ID:ukYJhB0F
秀吉は「飯を振る舞え」と命令は下すだろうけど、メニューまで指図するかね。
そこまでしてたらその逸話も残るんじゃないかな。気が利かない部下のせいのような気がする。

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 10:05:57 ID:L8WY2TuM
>>923
うろ覚えだが、人間の脳味噌って食ったら危険じゃなかったか?

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 10:43:00 ID:OvtYDl9w
クールー病だかになるんだっけか?


927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 11:30:24 ID:BJ+zIFJU
>>914
俺の記憶では、粥を各自お椀にちょっとずつ渡していたが、
城方の兵達が争うように粥の入った大釜に群がり、ついに
織田の兵も止めることが出来なくなり、粥をむさぼって
死んでいく者達を見ているしかなかった…だった。
司馬遼だったかな?なんかで読んだ。司馬遼の先祖は三木城
の篭城戦に参加したらしい。

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 13:24:19 ID:K6oW7kwv
人間の悲しいサガなのか…

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 14:45:19 ID:96kL0pHr
どうしても たべる つもりですね。
これも いきものの サガ か…

よろしい しぬまえに かゆのあじを とくと
したに やきつけておけ!

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 17:44:50 ID:RNwIDf40
小説か実話かは知らないが、本能寺の変を秀吉に知らせに来た伝令にも腹いっぱい食わせて・・・
ってな話しを歴史の先生から聞いたなあw
飲まず食わずで駆けつけたが、口封じって事らしい。

>>925-926
どことは言わないがお隣の国には「サルの脳みそ」ってなご馳走があるけど、サルはあくまでも代用品。
本来は、・・・。


931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 17:49:15 ID:Leu7pMff
>>914
これ郷土史の資料集みたいな本に載ってたな@鳥取

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 19:12:59 ID:EPpxKQs2
>930
ペルシアかどっか西アジアの大魔王ザハーク伝説なんてのもな('A`)
魔王の毎日アレな食事を羊の脳みそで代用さして、生き延びた人間の奴隷が集まって反乱する


..要するにアルスラ~ン戦記のネタ本ね。スレ違いでごめん

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 20:58:03 ID:jy49l2lM
>>930
代用品と言えば、何処とは言わないが某大陸や某半島では
虎の肉が手に入らないときは猫を代わりに食べていたとか。
(薬膳のようなものらしい)

もし虎の肉が手に入らなかったらラスボスもひょっとしてネコを食してたかも…

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 21:00:30 ID://HRJkuM
>>930
あれってかなり栄養価が高いらしいぞ 値段もかなり高い
味は・・・うまくもまずくもないけどな

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 21:18:47 ID:XOqKWFO5
味方は死骸を引取切分て是と喰ひ、或は手負て未だ死果ぬをも
是は深傷なり助かるべきに非ず、苦痛をなさんより早く死かしとて
無体に切殺し節々を放して其脳を喰ひ、中にも
佳味は首に有へりとてを頭を砕きて争ひ喰ふ有様

真書太閤記の鳥取城籠城戦の記述より
「こいつはもう助からねえ」とか言いながら味方を殺して
その脳味噌を食らうとかマジ餓鬼道
戦国時代の合戦の中でもトップクラスの悲惨さじゃね
ちなみに真書太閤記では秀吉は戦後城兵に白粥を振舞ったと書いてました

964 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/01(土) 00:24:06 ID:TLm/4uwi
>>923
鳥取城ではなんでそこまで頑張ったんだろうな。
そこまでの悲惨な篭城は聞いたことがない。


965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 00:38:06 ID:pQ8SKuLD
義昭を抱えた手前の意地とか

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 01:20:11 ID:tUowKWTC
まあ篭った城の規模が違うが小田原の陣ではこういう話は聞かないな。
篭城しながら敵に兵糧攻めを仕掛ける北条さんは篭城名人だな。

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 01:25:18 ID:ZxGKs5Jl
普通は先に降伏するか城中が荒れて開城するかだからだろう
高天神城は武田の降伏認めなくて皆殺しだったっけ?

968 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/01(土) 01:31:26 ID:TLm/4uwi
経家さんの言葉。

>日本二つの御弓矢境において忰腹に及び候事、末代の名誉たるべく存じ候

だって。
死ぬなら配下民衆を餓鬼地獄に落とす前に
一人で死ね。
俺は山名豊国の方が好きだな。

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 01:32:21 ID:GOY1LrLd
非常時に備えて兵糧が備蓄してある場所にいる守備側と本拠地を離れて
遠征している攻撃側ではどっちが兵站が楽か論じるまでもない

兵糧攻めで城が落ちた事例より兵糧が切れて遠征側がすごすご引き上げた事例の方が
圧倒的に多いさ

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 01:55:33 ID:22jiiK1L
>>968
でも中村春続と森下通与が意地張って織田に下るの拒否しなければあんな事には
ならなかったんじゃね?

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 02:30:13 ID:g9fnneno
吉川経家は司令官だけど外部から入っただけだから、戦術単位ならともかく、
大きな政治的決定は山名の側の方針に従うしかないぞ。
吉川が勝手に降伏とかの方針を決めたら、それは毛利同盟国に対する越権行為だ。


977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 10:33:43 ID:w+XHFiBv
>969
鳥取城は“あの”山名豊数ですら篭城して一度は秀吉(織田)軍を撃退している名城だもんね。
……秀吉軍から瓢箪の馬標をかっぱいだのこの時だっけ?

その代わり、新たに吉川経家が来た時は先の篭城で減った兵糧の集積が間に合ってなかった。
(三木みたいに秀吉が買い占めた影響もあるんかね)


その地方の農業経済を破綻させるまで間断なく攻め続ける織田方・秀吉の途方もない経済力、
動員力の恐ろしい話

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 13:22:59 ID:MEsnueZ1
>>968
経家は鳥取城跡に銅像建ってるしさながら鳥取の猛将みたいなイメージがあるけど
実際は石見から送り込まれただけなんだよな

>>977
それお兄ちゃん>豊数

豊国も二人を切腹させる位の力量があれば盆暗扱いされなかっただろうに
豊国が追われた後嫡男が城主になったらしいが知らない間に追われた

982 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/01(土) 16:44:26 ID:Zhil2RWM
>>971
じゃあなんで山名側は降伏開城決断しなかったんだろう?
「今更降っても殺されるから」
と粘ったのかな?

983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 16:56:32 ID:jCR3NaI+
降伏したいのは、やま山名んだけど


984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 17:20:29 ID:P5CuM3my
篭城してる最中ですら、毛利に付くか織田に付くかで勢力争いやってたんじゃなかったっけ
陸軍と海軍の予算の取り合いの余力でアメリカと戦争してた大日本帝国みたいなもんじゃないかなあ、と。


985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 19:27:34 ID:GiQ3wygk
>>983
【審議中】

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 19:52:24 ID:B3TDYccG
>>985
【審議終了】
百段全力疾走にて市中境内引き回しの上鬼武蔵に7日間近侍の刑

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 21:26:20 ID:w+XHFiBv
>>981スマソ間違えた..
HARAKIRIのAA探してくるわ……


988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 22:03:47 ID:aw+xY4PR
因幡山名氏よりも先に本家の但馬山名氏が秀吉の侵攻で没落しているから、
今さら降伏なんてできないと判断したんだろう>森下・中村

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 23:44:22 ID:k6U6qkBO
>987コレデイイナライマノウチ...
      ∧,,,∧
     (・ω・` ) 御免・・・
     / y/ ヽ
 ━(m)二フ⊂[_ノ
     (ノノノ l l l )
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



柴田勝家の自害・痛い話

2009年07月30日 00:06

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 11:05:12 ID:dIFHwpcf
柴田勝家の自害・痛い話

賤ヶ岳の合戦で秀吉に敗れた柴田勝家は、
北ノ庄城で別れの宴を張り、近親の者たちと共に自害することになった。

勝家はまず正室・お市の方を初めとした女性たちを手にかけ、
そののちに「勝家の腹の切り様を見よ」と叫んで
刀を左脇腹に突き立てて右脇腹まで裂いた。

さらに返す刀で胸から臍の下に至るまで切り裂いて
五臓六腑を掻き出し、ここで介錯のものを読んで首を打たせた。

柴田の一類ことごとく滅び、城が燃え上がるのを見て
侍は言うに及ばず、野の人々、山賊にいたるまで皆涙したという。






869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 11:07:52 ID:otplQOcp
>そののちに「勝家の腹の切り様を見よ」と叫んで
>刀を左脇腹に突き立てて右脇腹まで裂いた。

切腹してすぐに死ねる人だから言える台詞だな

870 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/29(水) 11:26:57 ID:xDP6RS59
南北朝あたりじゃ切腹後に腸取り出して床に叩き付けるのが勇ましいとされてたようだ


871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 12:10:44 ID:CTZVzSOa
昔の人はすげえよな
幕末に外人が日本人の切腹を見てびびる話とかもあったなぁ

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 12:56:19 ID:uwW59LmL
北条氏照や仁科盛信、織田信孝、高橋紹運
なんかにも切腹の時腸を掴んで投げたって話あるよね
本当かどうかはわからないけど、
それくらい勇猛で怒り猛々しく死んだんだって
印象が残る人たちだったってことかな

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:03:41 ID:wEYPc/aA
首落とさずに腹掻っ捌いただけじゃ苦しくて死ねないから
早く死にたいが為に腸を引き摺り出すことがあるとか無いとか

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:05:51 ID:NdJjwAp6
そう考えると腹切りって異常だよな
中国みたいに自分で自分の首を切り落とすほうが苦しまないのにわざわざ苦しむ事をしてるわけだから


880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:09:29 ID:iYegqEgj
楽に死ぬのは現代の自殺と同じただの逃げ
あえて苦しい死に方して覚悟を云々かんぬん

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:10:44 ID:oujJWih1
ハラキリとかマジ勘弁wwww
有楽斎の気持ちがよく分かる

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:13:21 ID:17IujXw1
昔に「切腹の正式な作法は腹を十文字に切って自分で腸取り出して並べる事」
とかなんとか聞いたよーな
ちゃんと臓器ごとに分けて置くらしい
どこで聞いたんだか忘れたけど、それで外国公使が切腹に立ち会った時
どうせなら一番由緒正しい立派な死にざまを見せつけてやるわ!的に
本式のを見せられて大変だったんだよ、みたいな話題の流れで

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:28:38 ID:NdJjwAp6
幕末の堺事件のことなら切腹を不満に思った武士が大使に内蔵投げつけるって事が起こってる
(この人自分の血で辞世の句まで書いてる)
この件が切腹が西洋に喧伝されるきっかけになったと言われているな

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:46:51 ID:8ozdiK/i
腹切ってんのに辞世の句まで書くとは凄いよな。

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:53:16 ID:kaZ+FpGO
>>884
日根野さんが、何か言いたげにこちらに臓物を投げつけてきてますよ。

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 15:36:31 ID:pPR7UE5V
>>878
中国では春秋代に
「ある男が使者として他国に赴いている最中に主君が殺された。
 男が帰ってきたとき主君の遺体はバラバラにされ、肝だけが残っていた。
 肝に成果を報告したあと男は腹を切り、自分の内臓を取り出したあと主君の肝を納めて絶命」
という故事があったり。

887 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/29(水) 16:17:28 ID:J3n4Zxpq
>>876
丹羽長秀「いつまでも一緒にいたいと思ったので、はらわた送りつけちゃいました。てへっ♪」


徳川義直の配下、焼き味噌を恐れる男

2009年07月30日 00:05

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 20:34:55 ID:pPR7UE5V
尾張の徳川義直の配下に変わった男がいた。
焼き味噌を何よりも恐れるというのだ。

それを聞いた義直は直に試してみようと酒宴の席にその男を呼び
酒宴の最中に声をかけて、肴の焼き味噌を手ずから下された。
焼き味噌を恐れていた男であるが、義直自らではどうしようもない。
仕方無く手を差し出し頂戴した。

と、その瞬間男の手は『木作りの如く』硬直してしまい引くことも曲げることもできなくなった。
驚いた義直は男を次の間に下がらせ焼き味噌を捨てさせたが
男の手のひらには赤黒く焼き味噌の痕が残り、やがてそこから腐り出して死んでしまった。

元禄期の尾張藩士の日記「鸚鵡籠中記」にある話




896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 20:36:15 ID:NdJjwAp6
怖っ!
焼き味噌を塩や聖水の如く嫌う妖怪かなんかか!?

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 20:51:53 ID:ID3YGuaj
今昔物語にもそういう男出てこなかった?

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 20:56:33 ID:shJRW5bF
焼き味噌に見えたのは実は大権現様のウン・・・

おっとこんな時間に誰か来たようだ

899 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/29(水) 21:12:42 ID:J3n4Zxpq
焼き味噌を怖がっていたら徳川家臣になれない気がするw

900 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/07/29(水) 21:38:07 ID:lvAqBhgT
>男の手のひらには赤黒く焼き味噌の痕が残り、やがてそこから腐り出して死んでしまった。

本当に焼きみそだったのか?

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 21:40:44 ID:sh7FfR2j
戦国には桃で死ぬ妖怪も居るし焼き味噌で死ぬ妖怪が居てもいいじゃないか。

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 21:41:08 ID:ag/KBVCb
数兆匹の麹菌の集合体だったんだよ

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 23:50:22 ID:pZvwcaI5
>>895
 大豆アレルギーの一種ってわけでもないか

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 23:56:29 ID:8GZ0o9vz
>>897
「胡桃酒を飲んで溶けうせる話」
寄生虫が人間として生まれ信濃の国司となるが、寄生虫が苦手とする胡桃酒を
出されたために正体が露見。本来の姿を現して水に溶けちゃった。
なぜか妻子もいたらしいw


佐竹義重とシングルファザー

2009年07月30日 00:04

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 22:11:30 ID:ZiyRhY7d
佐竹家が秋田に転封となり、義重が六郷に隠居した後の話

義重の館を守る当番で、小貫三之助という武士がいた
いつからか、彼は仕事場に二、三歳の女の子を連れてくるようになった
それをあやしたり、抱きかかえたりして当番をするのである
さすがにその姿は目立ち、義重にも報告が入った
義重は三之助を呼び出すと、なぜそんなことをしているのか尋ねた
三之助は答えた
「実は先ごろ、妻が病死してしまいました
我が家には、子を見られるような者はおりません
家に置いておいては、病になるかもしれず、死んでしまうやもしれません
そこで面倒を見ながら、御役を務めていたのです」
「そうか…」
義重は頷き、これを許した上、様々な品を与えた

この時代にもシングルファザーの苦労はあったようである




907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 22:38:39 ID:oc41Yz4X
>>906
転封されて来たばかりの土地だから、乳母を雇うとか近所で預かってもらうって
ことも出来なかったんだろうな。

908 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/07/28(火) 23:16:21 ID:TFkQnv+T
>>906
義重も家臣の事情を知った以上は許さないけないわな。
まさか小さな子供を泣かわけにはいかないからな。


京都「猫放し飼い令」

2009年07月29日 00:43

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:41:55 ID:mamzEIGs
京都の「猫放し飼い令」

1602年8月のこと。
名奉行・板倉の勝ちゃんこと京都所司代板倉勝重の名で、「猫放し飼い令」が
京都の町に発布された。猫を飼っている者は放し飼いにしなければ罰すると
いうものである。
当時大発生していたネズミ対策のためであり、実際に効果があったらしい。





881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 00:50:10 ID:Kseaadd7
>>879
無益な殺生が良いとは言わないが
お犬様の時と違ってこっちはかなり意味あったんだねえ。

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 00:56:22 ID:uBn3z0uj
別に猫が可哀想だから放し飼いにしろって意味じゃないだろ

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 01:08:32 ID:HOH3P1CI
チューと半端な鼠対策じゃ
ニャンともいかなかったんだろう

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 03:06:08 ID://RBSVI1
>>881
害獣退治なんだから無益な殺生とはいえないだろ
それにお犬様の方もけっこうな意味があったって説もあるぞ


888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 03:26:10 ID:Kseaadd7
誤解招く書き方だったかもしれんな。

「無益な殺生」はお犬様にかかってるんだよ。
あれは犬猫を殺すという事が当時頻繁にあったから
「生類哀れみ」になったわけで法の理念は間違ってないが
情が先行して犬猫神格化までしたから批判されてる訳で。

板倉さんのは最初から鼠駆除って目的のようだから
「こっちはかなり意味が」って書いたわけ。

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:05:30 ID:mtIaohGm
>>879
直茂「害獣は鼠ではなく猫なのだ!」

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:21:14 ID:JrOi5WHk
道灌「猫かわいいよ猫。猫なら何兆匹いてもいい」

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:29:25 ID:0RQUy/JK
>>892
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=.  _~:、         /_.}'':,
 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
 ,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:'  ノ゙ノブ   <またまたご冗談を
"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
 .-''~ >'゙::    ‐'"゙./  ヽ.,'   ~ /
   //:::::       ',    /    ,:'゙

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:39:54 ID:upl0xPbu
>>879
日本史板の食事スレかどこかで見たことがあるけど
江戸時代のお米の鼠害は酷かったらしい、食事中の人には申し訳ないが糞尿で駄目にされてしまう
新米がありがたがられるようになったのはこの頃かららしい・・・

ちなみに京都市中の町屋の多い地区は今でも鼠害がすごくて
その辺りに立地している大手薬局では普通に「ネズミ取りホイホイ」や
昔懐かしネズミ取りのカゴを売っており
本当にここは人口100万人の政令指定都市なのかという気分になりますw
経験者によると、ネズミ取りホイホイにかかったネズミの断末魔の声は
トラウマになるほどすさまじいらしい・・・

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:44:46 ID:mtIaohGm
>>895
ネズミホイホイって北海道だけにしか売ってないのかとおもってたのだな案外色んな所に
売っているのだなw

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:55:21 ID:PScKmDH7
富山だけどアパートにネズミでたからホイホイでGETしたよ。
設置してから2日くらいできゅ~って泣き声聞こえたから安らかにさせてあげたよ

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 11:21:37 ID:+6R9apP8
俺はこのスレ寝ず見

899 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/28(火) 11:48:35 ID:xRzWT/C2
>>877
お前はこんなモノを見たかったのかw
そして、実際に味わいたいんだなw?
>>884山椒

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 12:19:48 ID:DGnK3hcq
>>895
東京都心部だと若者の街と言われてる渋谷はセンター街中心に昼夜問わず
デケえ鼠が年中大量に走り回ってるので初めて来た観光客とかビビると思う


豊臣秀吉、宴席で新納忠元に

2009年07月29日 00:41

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 13:25:54 ID:kTZ8fxCo
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2324.htmlこれと荒木村重の餅に似た話だが
デ新納さんのお話

秀吉が九州征伐で島津を服従させたころ

秀吉を歓迎する宴席で秀吉は島津家の勇将、新納忠元が気になった
宴会も終わりに差し掛かったころ、秀吉は唐突に太刀を抜き目の前にあった魚に突き刺した
一同騒然とするなか、秀吉はそれを忠元の前に突き出すと
「 食 え 」
と言った

人々はそれを手に取って食べるかと思ったが、忠元は直接かぶりついた
秀吉は驚いてなぜ手に取って食べなかったか、と尋ねると忠元は
「関白殿下の腕は伸びきっておられました。それ故某を突くことは出来ないと考えたのです。」
(そんな小さな腕で俺を突けるかよバーカ)

これに秀吉は甚く感心し、わしの直臣にならんか、と言ったが、
「いえ、某はもうこの通りの高齢。このような老いぼれには荷が重すぎまする。」
(ははーん、そんなこと言って島津を弱くするつもりだろ?バレバレだよバーカ)

デ新納さんの(気概の)いい?お話

上に挙げたやつとは真逆の逸話だが、地元にはこんな逸話もあるんだよと、
それが言いたかったので書いた
ちなみにカッコはデ新納さんの心境。大体こんな感じで伝わってる




902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 13:27:47 ID:q/M7x0Rf
秀吉しょっちゅうそんなことしてんのかよw
しかしデ新納の反骨精神は相変わらずだな

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 14:05:26 ID:M9YQBhhN
信長ならともかく、秀吉がやったらなんか小物っぽいのがなんとも…


安藤直次、密談を聞いてしまって

2009年07月29日 00:39

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 21:58:40 ID:sZrWn6ex
大坂冬の陣の後、徳川家康は次の戦に備えて一部の家臣たちと
極秘に相談した。大坂方に情報が漏れないためである。
しかし、この密談の内容を知った男が唯一人だけいた。

安藤直次(うーん、困った…)

安藤直次である。持病がでた直次が休んでいると次の部屋で
密談が始まってしまったのだ。

直次(大事な話のようだし、出るに出れないな…。
   仕方ない、寝たふりしよう)


(………)


(駄目だ、聞こうとしなくても全部聞こえる!)

結局、直次は全部聞いてしまった。そこで間もなくおこるであろう
合戦に備えることにした。やがて陣触れの命が下された時、
ほとんどの家臣が慌てたのだが、既に準備していた直次は真っ先に
駆けつけることができた。家康は大変満足した。

家康「さすが直次、危急の際の心得ができておるな」

家康は直次が早く来た理由を勘違いしていた。すると直次は

直次「上様、これからは戸障子を外して、遠くからでもわかる
   ような場所でご密談していただけないでしょうか。
   実は、かくかくしかじかでして此度のことは存じておりました。
   あの場で申し上げることもできたのですが、それではご密談
   の意味がありませんので、私の胸だけに収め、私の家臣にも
   気取られるぬようにして準備しておりました」

と本当のことを話したのだった。
わざわざ正直に話した直次の心に家康は感激したという。




905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 22:01:08 ID:uyxuwgqs
なかなか出来ることじゃないわな。


前田利家の浮気、および当時の美人の基準

2009年07月29日 00:38

831 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/27(月) 22:42:55 ID:747hxOKN
文章へたくそで申し訳ないが一つ投下。

利家の浮気の話

前田利家が肥前名護屋に陣取っていたときの事
秀吉から「洗濯女のごときおなごを呼び寄せよ。妻が嫉妬するなら当人が下るよう申せ」
との命が各大名に下った。

これはチャンスと思った利家さん、さっそく妻のまつへ
「身の回りの世話をする侍女を遣わせ」とお手紙。

利家の浮気性を知るまつには面白くない話。
とはいえ、秀吉の命とあっては無視するわけにはいかず
「この娘だったら、さすがの殿も…。」と
器量のよくないと思った侍女を遣わします。

が、しばらくしてこの侍女めでたくご懐妊
まつの目論みはあえなく粉砕。

ちなみにこの時に生まれた子が
加賀藩第2代藩主の前田利常です。




832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 22:51:41 ID:oJrTuQ39
どんな醜女であろうと関係無く妻以外の女に餓えてたんだな
もしくは心が綺麗だったのかも知れない

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:12:31 ID:ebKrorFi
吉川元春「…」

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:13:52 ID:z2H7Mabx
いやまて、当時の美人の基準からは外れるかもしれんが、スレンダーで小顔で
現代では男受けしそうな女かも知れんぞ。

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:14:55 ID:1sQDM9Qv

>831乙だが
既出……かな。

837 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/27(月) 23:21:47 ID:747hxOKN
>835
ありゃそうでしたか。
一応まとめブログには目を通したつもりでしたが、
すんませんでした。

838 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/27(月) 23:28:01 ID:UoYpf/h5
利常若年時には不遇だったって理由少しわかった気がする。

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:28:23 ID:OwwJkGrj
>>837
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-459.html
これだけど、>>831の方が詳しく解説しているから、これはこれでいいんじゃ無いかな?

841 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/28(火) 00:50:13 ID:5rlQT+YW

>>832
巨乳だったんじゃ?

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 11:35:25 ID:s/fEN0pR
>>841
江戸時代以前は、巨乳は人気なかったそうな。
まあ女と男との美人判断の基準の差かと。

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 11:58:43 ID:JrOi5WHk
江戸時代の萌え絵(浮世絵)みてもヌけないしな

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 12:02:05 ID://RBSVI1
>>842
つまり江戸時代以前の男もつるぺたはにゃあんだったわけだな

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 12:11:03 ID:EwjdTlzv
巨乳お姉さん好きの俺ウハウハだな

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 13:31:36 ID:uBn3z0uj
胸についてはブラジャーが開発されるまで垂れる居乳より張りがあってツンと立っ適乳が好まれたらしいぞ

847 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/28(火) 14:18:31 ID:xRzWT/C2
>>846
なるほど、確かにブラがないと型崩れするわなw


毛利輝元、加藤清正からの条件に

2009年07月29日 00:34

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 15:17:31 ID:wmfxLjt1
上杉征伐に向かった徳川家康に対し、石田三成が蜂起、いよいよ関ヶ原が始まった頃、
加藤清正は毛利輝元の元に、桑山式部大輔を遣わした。

「今度の内府と石田冶部との弓矢の事、輝元様は石田冶部少輔に御一味なされたそうですな。
ところで、我々に大和国を頂けるのなら、我ら早速上方に上がり、近江、三河、美濃、へと攻め上がり、
輝元様に御馳走仕ります。
その上でどうぞ、家康の事は我ら加藤家にお任せくだされ。
清正が罷り出でましたら、今回東国に下った上方、西国の諸侯も多くは我らに味方するでしょう。
そうなればこの戦、我らの勝ちであります。」

輝元はこれを聞いて返答した。

「清正殿のご内意、承知いたした。大変満足いたしました。
ただ、大和の国のことは、ご存知のように、増田長盛が郡山を所領いたしており、これを与える事、
我々が勝手に出来ることではありません。
清正殿は、秀頼様への御馳走をいたさなければ叶わぬ御筋目でござれば、そのような条件をつけず、
御忠節を励まれるべきです。そうすれば後々、どんなお望みも叶う事でしょう。
我々は清正殿を粗略に扱う事は決してありませんから、どうぞ早々に上方へとお上りあるように。」

桑山式部は、これに大いに失望し

「なんと言うご案外な返事であろうか。清正様の提案は秀頼様のお為にも、また西軍の戦力の
増強にもなる話ではないか!であれば、すぐに増田長盛と相談をし、大和を遣わせるべきなのだ!
そうすれば加藤家は強力な味方となったと言うのに!
しかしこのようなご返事では、加藤家はお味方になる事は無いであろう。西軍にとって惜しいことだ。
よき味方を、自分からお捨てになられた。」

そう吐き捨てるように言い、肥後へと帰って行った。

こういう場合、ハッタリでも空証文でも、与えると言っておいて味方を増やすものなのだろうが、
輝元は生真面目なのか、そう言う腹芸が出来なかったようである。

そんな、輝元は確かに乱世タイプの武将では無いな、と思わせるお話。





849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 15:40:55 ID:jAeA5WPe
黒田官兵衛「とっとと東上しててくれれば楽だったのに」

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 15:42:48 ID:KHWROuIT
ぶっちゃけ勝ってたら増田長盛も郡山どころかどっか1国持ちに転封だったろうし
どう返事しても問題なかったのになw

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 15:51:36 ID:NJZ9uuvL
乱世タイプの武将では無い割には
小西行長の息子処刑しちゃってるよね>輝元

862 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/29(水) 01:00:26 ID:ztWibPqZ
>>848
「勝ったら大和の国をくれ」ってことだったのか。
俺はまた「現時点で大和の国をくれたら味方する」
という言い分だから輝元が断ったのかと思っていた。

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 01:47:45 ID:y3UfHl7j
>>862
いや、「現時点で」って事。

おそらくは「長期にわたり上方に駐留するから、その兵を養うまかない領として、
大和をよこせ」って事でしょう。大軍を擁して上洛した場合、畿内近国にその兵を養うための
領地を与えるのは普通の事で、大内義興や信長が上洛した時もそれをやったしね。

>>848の話が実際にあったとして、そこから見えることを整理すると、
清正の、長期駐留の為の根拠地が欲しい、と言う希望が、西軍のある種の縦割り行政
(奉行派の権限、利権に輝元は介入できなかった?)の中で拒絶され、
清正としては、基盤無しに上京するのは無理だと判断した。って流れかと。


864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 10:14:14 ID:Vz5IFILJ

>>848
> 毛利輝元

こいつ知恵遅れか?家康は婚姻や知行を与えたり活発に活動してるのに、何の努力もせずに形だけ総大将になる。
吉川がびびるのも当然だろ。

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 10:21:50 ID:vxa9VB5y
天下目指してるから勝ったら知行なんか自分の思いのままに割り振れる、と考えてる人と
そんなんまるで考えてなくて独裁する気ない人じゃおのずと違うでしょ。

頼りに出来る叔父上たちがもういなかったのが運の尽き。
まぁ居たらそもそも総大将に祭り上げられる状況回避した可能性の方が高いけど。

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 10:32:17 ID:NTg2Wgbw
当時、地方から兵を率いて上洛する場合、みなに根拠地が振舞われたの?

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 10:42:13 ID:y3UfHl7j
>>866
無論率いる兵の規模や、戦時か平時かで違いはあるが、その大名が京から遠国の場合は
だいたい与えられる。
豊臣政権時代、徳川も伊達も島津も、畿内に滞在費捻出の為の領地が与えられている。

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 12:25:24 ID:Oj1OFPpy
>>867
とは言っても肥後半国20万石から連れて来た兵を養うのに、大和一国よこせってのは
さすがに欲張りすぎじゃね?

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 12:29:39 ID:48dxOgJR
三成とあれだけ仲悪いのに本気で西軍になるつもりだったとは思えないな。
腹を探るつもりで無茶をいってみただけじゃないの。

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 12:49:47 ID:0j+i4bLl
真田には勝ったら甲信二国で釣ってたのに…
どうも西軍の人は最初からある程度
人を選んで勧誘してないか
頭よすぎて余計な勝った後のことまで考えて
戦ってた感じ

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 12:52:50 ID:G7Yezn5k
しかしこれ、家康が負けてたら後世には三国志の魏延みたいな扱いで伝わってたんだろうな・・・

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:07:11 ID:g+Ih544m
清正のことだから、家康を独力で屠った後は味方になった連中を引き連れて、
返す刀で佐和山に攻め込んだだろう。

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 17:39:59 ID:9AOVBXvu
>>879
清正にそんな根性は無い。
つうか>>848は輝元、清正二人の悪い話で、中でも清正の根性の悪さの方が目立つ話のような気がする。

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 18:42:11 ID:mA8CKVF6
>>889
お前のこと熊本県民が血眼になって探してたぞ

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 18:44:21 ID:8ozdiK/i
いや、そうでもない。
熊本市周辺以外はそうでもない。

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 18:56:27 ID:vRVD+/ME
>>889
朝鮮出兵で疲弊した清正に多くは期待できないよ
そんだけ働いて加増もない不毛な遠征だし
空手形切られても後からなかったことにされる可能性もあるのにそれすらなく
いいから上洛しろよって言われたら普通切れないか
詰めが甘いって言われる吉川広家すら家康の重臣の誓紙くらいはせしめたぞ
清正は元々家康の養女嫁にもらった家康派だろ
清正としたらその家康と敵対する事も辞さない譲歩を見せたのにばっさり
切り捨てられたらもういいよとしか言えないだろ
…なんかだんだん気の毒になってきたんだけど


元亀元年,浅井・朝倉連合軍の侵攻に

2009年07月29日 00:32

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 16:44:26 ID:KHWROuIT
元亀元年浅井・朝倉連合軍の侵攻を受け
森可成は信長に急使を送った上で織田信治、青地茂綱とともに出陣した。
敵軍は最終的には三万余の大軍、森勢は宇佐山城に数を残したためわずか千。
敵の侵攻速度の遅延を目的とした決死の出陣である。

初戦は撃退に成功するも一向宗の支援を受けた連合軍の猛攻で
三将相次いで討ち死にとなり、敗北。
森家の軍勢は各務、武藤、林、肥田の四人が統率して宇佐山城に退却に成功。

宇佐山城は四人の指揮よろしきをえて信長の救援が来るまでの数日間
連合軍の猛攻に耐えぬいた。
信長は各務ら四人を召しだして絶賛したという。

ここまでなら時間を稼いだ可成、そして主の意に従って守り抜いたかがみんたちのいい話。

その後信長の元に宇佐山城の城代を勤めていた宇佐美左衛門が現れ不満を述べた。

「この城を守りぬいたのは全く私の功績です、
あいつらは大将を見殺しにして逃げ帰っただけなのになぜ彼らに褒美を授けたのですか、と。」

命知らずである。
たちまち追放された。

後日信長は語った。
当時森勝蔵は幼少でありあのような者を残していたらいずれ勝蔵の寝首を掻こうとしたであろう。
だから追放した、と。

森家にどこまで甘いんだよ、この人




853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 16:59:52 ID:n5Oz9SdX
いや、俺が信長でも処断するわ・・・。むしろ追放で済ました信長温厚すぎ




854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 17:08:59 ID:quUbpZAz
ちなみにコイツは後日こうなった。

森家の重臣から一夜にしてニートになった宇佐美左衛門は越前の一族の元に帰っていた。
軍歴を買われて一族を率いて柴田勝家の侵攻を何度か防ぎ、手を焼いた勝家は
信長に呼び戻す事を進言した。
すると信長からは以下のような快諾が戻ってきた。

2万石くらいくれてやっても構わん。
まだ長可幼かったからあんな奴が家臣では不安だし追放したけど
お前だったら寝首かかれるような事はないから召抱えて使っていいよ。

だが勝家から宇佐美左衛門の元に打診があった事を聞いた一族は
寝返りを恐れてとっとと左衛門をぬっ殺してしまったという。

信長さん本当に帰参させる気…あった?
これこの結末予想してない?





855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 17:21:16 ID:wmfxLjt1
>>854
          ,      /〃ハヾ  / ∧∨〃、ヾ} l| :}ミ;l\
        /〃// / 〃l lヽ∨,〈ヾ、メ〈 }} ;l リ ハ l`!ヽ.
          //' /,'  ,' 〃 l l川/,ヘ丶\;;ヽ/:'/〃∧ l ト、:l !
         〃,'/ ;  ,l ,'' ,l| レ'/A、.`、\;;ヽ∨信/,仆|│l }. |、
         i' ,'' l| ,l ' l. !| l∠ニ_‐\ヽ;\,//,イ| l | l ト/ λ!   、
.        l ;  :|| ,'i:/ l| |:|: |``'^‐`ヾ∨`゙//|斗,l ! | ,タ /l.| l  三__|__
       l ' l |」,' l' lハ |'Ν    ̄´ /` ,|l_=ミ|! ly' ,〈 :|| |  口 |
        |l .l H|i: l | ゙、| l        _.::: ,!: l厂`刈/ /!} :l|    ‐┬‐
        |! :l |)!| ! |  ヽ      '´ ’/'_,.   ノイ.〃/|!    │田│
        l|l |l 「゙|l |`{             ..   _   |}/,ハ l     ̄ ̄  
       |!l |l、| !l :|.      ‘ー-‐==ニ=:、__j:)  l'|/|l リ    、 マ
ヽ ̄ニ‐、__.」乢!L!lヱL」__           ー、 `'''´   从「 /     了 用 
 \ `ヽ\      /l |       / ̄´     //        '"`ー‐
.  ,、  l  ゙、    / ' |、      {        /l/         ,
   '}  l  ゙,    /   |:::\      }     ,.イ/          レ |  
   l  l   l  ,.イ   l:::::::::\__   `'-‐::"// |′          ノ
   l   !   K ヽ,、 \「`''''''''"´:::::::;;:" //          
.    l   l   ト、\( _.... ヽ  .:.::::::::;;″ /'       _    
\   |  l|  八、ヽi´    | .:.:::::::::::::i' .:/'"´ ̄ ̄ ̄ ,.へ\

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 18:34:02 ID:inpso3D0
そりゃ自分だけ抜け駆けして帰参しようとしてるような奴は生かしちゃおけんわなw

故意だろ、これは

857 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/28(火) 19:17:41 ID:xRzWT/C2
>>852
信濃住人・鬼武蔵被害者の会一同「寝首かいてくれればよかったのに」


858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 21:01:41 ID:M9YQBhhN
少年鬼武蔵にSATUGAIされるのがオチだろ…


柳生十兵衛・敵役との意外な親戚関係

2009年07月29日 00:29

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 21:51:32 ID:3fSO8jes
柳生十兵衛・敵役との意外な親戚関係

山田風太郎の大ヒットシリーズ、柳生十兵衛三部作。
その一作目『柳生忍法帖』は会津藩加藤家改易の原因となった
堀主水事件(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-711.html)を
下敷きにしている。
小説は悪逆無道の暴君・加藤明成に一族を皆殺しにされた堀の女たちが
復讐に立ち上がり、十兵衛がこれに協力し非力な女人たちをして
強大な敵を打ち破らせるべく奮闘する…という筋立てで、ヤングマガジンで漫画にもなった。

ところで、十兵衛の母おりん(柳生宗矩正室)は秀吉の若い頃の主君として有名な
松下加兵衛之綱の娘である。之綱の後を継いだ松下重綱は十兵衛の
伯父にあたるわけだが、この人の正室は加藤嘉明の娘。
つまり明成の義弟なのだ。
松下家は加藤家の与力大名として一時は五万石を領したが、
加藤家改易の一年後に煽りを食ってやはり改易の憂き目を見ている。
その時の当主の松下長綱は明成の甥、十兵衛から見れば従弟になる。

もともと『柳生忍法帖』は原題を『尼寺五十万石』といい十兵衛には
登場の予定すらなかった。それがこの作品のヒットが『魔界転生』につながり、
現代におけるヒーロー柳生十兵衛のイメージに多大な影響を与えることに
なったのだから、十兵衛と明成の遠い親戚二人は泉下で何を思っているだろうか…
という山風先生のちょっと悪いお話




861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 23:20:33 ID:inpso3D0
>>859
親戚同士だったんだなw


佐竹義重、采配を取り落として

2009年07月28日 00:03

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 00:12:15 ID:eEED+PEF
天正4年(1576)8月、佐竹義重は三春城主・田村清顕の要請を受け、白河義親を攻めた。
ところが9月になって清顕が裏切り、22日の夜半に義重は白河と田村の挟み撃ちにあった。

思わぬ夜襲に佐竹の兵は右往左往するばかりだったが、義重は床机に腰掛け、冷静に
采配を振るい続けた。
しかし、一度乱れ散った隊列が闇夜で整うはずもなく、ついに義重の本陣にまで矢弾が
飛んでくるに及んで、動かぬ義重を近習がムリヤリ馬に乗せて退却を図った。
この時、義重は近習と押し合ったはずみで采配を取り落としてしまった。

「いかん、拾って来い!」
義重の命により落ちた采配を探したが、夜のうえに雨まで降ってきて、見つけることが
できない。敵はいよいよ迫り、義重の馬丁まで銃弾に倒れた。
「殿、旗本も討たれております!采配などあきらめ、早くお逃げを!」
しかし義重、少しもあわてず答えた。
「勝敗は兵家の常だ!ここであわてて采配を失くしては、オレは二度と佐竹の家で
采配を振るうことが出来ぬわ!」

「殿!ありましたぞ!」一歩も退かぬ義重を見て、重臣の川井大学が偽って別の采配を渡し
義重の馬の口を取った。
「お馬の口に侍りしは、川井大学と知り給えぃ!」
川井の芝居がかった言い方に義重も苦笑し、ようやく退却を始めた。
が、途中で小川を見て立ち止まった。
「こんな泥まみれの馬に乗って、もし追いつかれて討ち死にすれば、『義重は慌てたり』
と笑われよう。」
そう言って、川の流れで馬を洗った。

この戦、当然義重の負け戦となったが、関東奥州の諸将は
「合戦は時の運によるもので、義重が采配を拾ったのは、源義経の弓流しの故事と
同じである。」と言い、義重を褒めた。




859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 01:28:09 ID:tfyM2Q+u
水戸の光圀さんに言わせりゃ悪い話にもなりかねん。
でも、俺はいい話だと思うよ。

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 09:49:14 ID:vDt6n78F
>>858
一方、織田信長は「大将たる自分が討たれたら戦は終わりだろjk」とばかりに一目散に逃げていた

どっちも武士らしいと思うけどね

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 10:19:25 ID:1sQDM9Qv
>858剛毅だなあ鬼義重の人……

>>862
まぐれ当たりでも何でも、今川義元を戦場で討って織田が生き延びた実感があったんだろうね


865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 11:13:41 ID:1oW14Ut1
信長は型の外れた大将だから、真っ先に逃げても評判が落ちないという利点があるよな。
佐竹みたいな古い大将は逃げたくても真っ先に逃げるわけに行かないし。


利家の浮気の話

2009年07月28日 00:02

831 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/27(月) 22:42:55 ID:747hxOKN
文章へたくそで申し訳ないが一つ投下。

利家の浮気の話

前田利家が肥前名護屋に陣取っていたときの事
秀吉から「洗濯女のごときおなごを呼び寄せよ。妻が嫉妬するなら当人が下るよう申せ」
との命が各大名に下った。

これはチャンスと思った利家さん、さっそく妻のまつへ
「身の回りの世話をする侍女を遣わせ」とお手紙。

利家の浮気性を知るまつには面白くない話。
とはいえ、秀吉の命とあっては無視するわけにはいかず
「この娘だったら、さすがの殿も…。」と
器量のよくないと思った侍女を遣わします。

が、しばらくしてこの侍女めでたくご懐妊
まつの目論みはあえなく粉砕。

ちなみにこの時に生まれた子が
加賀藩第2代藩主の前田利常です。






832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 22:51:41 ID:oJrTuQ39
どんな醜女であろうと関係無く妻以外の女に餓えてたんだな
もしくは心が綺麗だったのかも知れない

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:12:31 ID:ebKrorFi
吉川元春「…」

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:13:52 ID:z2H7Mabx
いやまて、当時の美人の基準からは外れるかもしれんが、スレンダーで小顔で
現代では男受けしそうな女かも知れんぞ。

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:14:55 ID:1sQDM9Qv

>831乙だが
既出……かな。

837 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/27(月) 23:21:47 ID:747hxOKN
>835
ありゃそうでしたか。
一応まとめブログには目を通したつもりでしたが、
すんませんでした。

838 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/27(月) 23:28:01 ID:UoYpf/h5
利常若年時には不遇だったって理由少しわかった気がする。

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:28:23 ID:OwwJkGrj
>>837
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-459.html
これだけど、>>831の方が詳しく解説しているから、これはこれでいいんじゃ無いかな?


長宗我部国親、妻の侍女に

2009年07月27日 00:11

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 17:47:12 ID:S0qm7Def
ある日、長宗我部国親が婿の本山茂辰に書状を出した。
「実は、わしの妻が嫁に出した娘に会いたいと言っておる。わしも一度ムコ殿にあいさつ
したいと思っているのだが周りがうるさくて、公式には出かけられそうもない。
そこで妻と輿に乗って忍んで参りたいが、ご都合はどうだろうか?」

信長と道三の逸話にもあるように、政略結婚の多いこの時代、暗殺等を警戒して舅と婿が
会わない事もあった。国親の書状を見た茂辰は、
「よくぞ本山家を信頼して下さった。そういう事なら、重臣たちにも知らせぬようにして
お会いいたそう。」と、これを受けた。

国親が茂辰の城に来た当日は、人を遠ざけて宴が設けられ、翌日は能の興行が催された。
能の最中、国親の妻の侍女が陪席していた本山家の家臣の名前を、側にいたお局に
聞いて書き留めた。

「さて、明日のお慰みには、何を致しましょうか?」茂辰が聞くと、
「このような席には似合わぬ申し出だが、相撲見物が見とうござる。」国親が答えた。
ただちに高札が立ち、本山領内の腕に覚えのある者たちが集められた。
当日相撲が行われると、また国親の妻の侍女がお局に
「本山さまの直参の侍はあのうち、どなたでしょう?」と聞いて回った。

全てを聞き終えた侍女は、含み笑いをした。「希代の幸せかな!」
実はこの侍女こそ国親の変装で、滞在中は影武者と入れ替わりずっと女装していたのだ。
岡豊に帰った国親は、
「さてさて、あの城の普請は驚くばかりだ。その上、家臣どもの家構えも結構なものだった。
しかし、書き留めてきた侍どもは、当家の大身・小身いずれと比べても器量が勝った者は
家老の吉井修理の他にいない。
それゆえ、いつ本山と合戦になっても恐れる事はあるまい。心安く思っているように。」
そう重臣に語ったという。

策略としちゃ悪くないと思うが、そんな事だから息子が「姫和子」とか(ry





790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 17:53:40 ID:KwX+BGZI
親子揃ってよほど端正な顔立ちだったんだろうか?

791 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/26(日) 18:12:22 ID:6QMo6Tk1
>>789
女装国親>>>>>超えられない壁>>>>>>>吉川元春妻

おや、こんな時間に宅配便ry

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 18:57:20 ID:7i2CNeya
本山「あの侍女どう見ても舅殿だよなぁ…。
   でも、指摘したら斬られそうだし…。よし!
   皆の者!絶対指摘するなよ?するなよっ!」

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 19:00:58 ID:e4j3zuz/
>>792
本山さんの良い話しじゃないかwww

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 19:06:52 ID:6qxfybLC
>>789
神話の昔から女装男装TS大好きな国民性だょな・・・('A`) リボンの騎士とかもさあ

こんなだから前田玄以「ちゃん」にお説教されてまうんやー

795 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/26(日) 19:12:57 ID:6QMo6Tk1
>>794
なんとなく、花慶での玄以の女装姿を想像してしまったw


796 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/26(日) 19:31:52 ID:vpLAsyRc
革新の国親の顔グラみてふいたwww

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 20:40:47 ID:gqhoTd8o
>789殿
MSZM「時に宮内少輔どのの仇名は“姫若子”ではごさいませんか?」

サドの守「そのような瑣末なこと、わざわざ指摘せずともよいではないか!('A`)ウチノセガレハ...」


第2次上田合戦と、森忠政家臣、井戸宇右衛門

2009年07月27日 00:10

森忠政   
797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 19:40:36 ID:SF5vE2uW
第2次上田合戦の時の事。
川中島領主・森忠政は家臣の井戸宇右衛門に上田への出陣を命じた。

忠政「ただしお前の手勢だけで行け。」
井戸(えっ・・・?何これ新手の嫌がらせ?)
忠政「いやぁ、俺も出陣したいっちゃあ出陣したいんだけど内府様のお達しが
   『川中島へ駐留し備えよ』だからさぁ、迂闊に俺は出陣出来ん訳よ。
   でも目と鼻の先で城攻めやってんのに黙認するのってやっぱりどうかと思うんだよね。
   と、いう訳で井戸が出陣して真田を牽制してきなさい。」
井戸(やっぱ先日の一件は心象悪かったかなぁ・・・)

というのも井戸は先日、葛尾城を任されていたが禄の少なさに不満を持っていた井戸の家臣が
真田の兵を引き入れ二の丸まで攻め込まれるという失態を侵していた。
詳細:http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1982.html

井戸「分かりました・・・引き受けましょう。」
忠政「そうかそうか、ところでちゃんと葛尾城の守備兵は残して置けよ?」
井戸(一体何人で出陣しなきゃいけないんだろう。遠回しに『死ね』って言われてないか、これ?)

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 19:41:39 ID:SF5vE2uW
そんなこんなで僅かな手勢と共に上田を目指し出陣した宇右衛門。しかしながら川中島から
上田に行く上で避けては通れない地蔵峠は既に真田の罠でいっぱいであった。
パーン!パーン!
家臣「うわ、間道から伏兵が発砲を!うわあああああああ」

飛んで火に入る夏の虫。当然の如く真田軍のゲリラ攻撃を食らう宇右衛門の軍勢。しかしながら
宇右衛門はこれで帰る訳には行かなかった。
井戸(あれだけの失態を侵してちょっと撃たれたぐらいでオメオメ戻れるものかよ・・・!
   名古屋にまた物笑いの種を与えるだけじゃないか。)

もはやヤケクソである。とにかく何かしら武功を立てるまでは撤退は無い。井戸軍は
真田の伏兵を無視して突っ切ると地蔵峠に設けられた真田の砦に押し寄せた。
「手ぶらで帰るぐらいなら全員討ち死にした方がマシ」という特攻作戦であった。
そしてついに・・・
井戸の弟「兜首取ったどー!!!!」
井戸兵「イヤッッホォォォオオォオウ!このまま砦を・・・」
井戸「馬鹿!よく見ろ。こんな状態で落ちる訳がないだろ。撤収だ!撤収!」

兜首を1つもぎ取った井戸軍は今までの必死さが嘘のように踵を返して
一目散に川中島へと逃げて行った。ボロボロになりながらもなんとか『武功』は立てたのである。
そして帰って来た井戸が真っ先にこれを伝えに行ったのはよせばいいのに名古屋山三郎であった。

名古屋(自慢UZEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE)

名古屋もこれをわざわざ聞かされて面白い訳が無い。こうなれば言葉を返さずには入られない。
名古屋「貴様の弟が取った首なんて一揆軍の輩の首であってそんな物は本当の武士では無いと
     聞いている。」
井戸「なんだと、適当な事を!」

家中でのメンツは立ったがこれ以後、更に井戸と名古屋の中は悪くなったという。




799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 19:50:30 ID:jM9E1iN5
このあと色々あって殺されてしまうのですよね
何でこんな人についていったんだろう
周りの人から殺されるぞって言われてたのに

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 20:52:17 ID:5CampWyu
名古屋が怖くて逃げたと言われたくなかったんじゃない?

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 21:50:48 ID:2xzEKblk
>>798
ま、やっぱ名古屋が悪いよな。当時なら「真田の武将」を
討ち取るって、大功だよ。
でも、いまいち後世で「真田を討った」って評価されないんだよな…
↓見たいに。

iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-682.html


元和元年、薩摩と大阪諸将とほっかむり

2009年07月27日 00:08

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 22:37:20 ID:e4j3zuz/
女装じゃないけど美貌の武将でお話を一つ。

元和元年、浪人の集団が薩摩を訪れた。
その話は既出だろ?と思わずにもう少し聞いて欲しい。

この面々は
・後藤又兵衛基次
・薄田隼人兼相
・木村長門守重成
・大野治長

そう、大坂の陣における大坂方の主要メンバーである。
お前ら城ごと落ち延びてきたのか、と家久(悪)も心の中でツッコミを入れただろうが
真田親子や秀頼同様に匿うことにした。かと言って、人の多い城下に集団で匿うのは危険である。
そこで家久(悪)は彼らを人もまばらな場所に分けて匿うことにした。

・後藤又兵衛は揖宿へ
・薄田隼人は鹿屋へ
・木村重成は加治木へ
・大野治長は谷山へ

といった具合である。大野治長を秀頼と同じ谷山に匿ったのは家久(悪)なりの気遣いであろう。

さて、木村重成である。彼が匿われた加治木は義弘の隠居先でもあった。
義弘は大坂で奮戦したこの若者を気に入り、相応の待遇で召抱えた。

とはいえ天下は既に徳川のもの、豊臣家は滅んだのである。
召抱えるに当たって義弘も近臣も非常に気を使った。
偽名はもちろん、加治木に住むに至った氏素性までも用意(捏造)した。
ここまでしてくれた義弘に重成は誠心誠意仕えたが、
町の者達から自分に好奇の目線が向けられていることに感ずいた。目線の主は町の娘達であった。
そう、言うまでも無いくらい有名な重成の美貌が町娘達の視線を集めてしまったのだ。

万事抜かりなく匿ったつもりの義弘だったが、良くも悪くも武辺者。
彼と近臣達には「重成の美貌は衆目を引く」という考えが見事に欠落していたのだ。
町人の視線を集めるだけならよいが、そこから正体を勘ぐられては元も子もない。
かくして重成は人目を避けて夜に出仕して朝に帰り、やむなく日中に出歩くときは
ほっかむりをする破目になったという(それはそれで怪しまれるであろうが…)

そんなわけで真贋はともかく、今も鹿児島には大坂の陣の面々の墓があったりするのである。




804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 22:47:59 ID:+aA/Wswf
薩摩と大阪城の間にどこでもドアでも有るんだろうか?

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 23:04:27 ID:hCsz20E6
まあ、逸話だな。
イケメンは罪って事とうっかり義弘。

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 23:06:10 ID:hCsz20E6
逸話じゃねーや、講談とか伝説とかだった。

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 23:21:51 ID:GAF3w+Ao
普通に出歩いてる美形より
ほっかむって歩いてる美形の方が
忘れられないインパクトになりそうな気もする

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 23:48:26 ID:7grlmr01
頼朝さんなんてイケメンで天下取ったようなもんだけど・・・。

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 23:50:28 ID:KwX+BGZI
突然やってきたイケメンが都会の洗練された物腰してりゃ放っておかれないわな

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 21:30:14 ID:jy49l2lM
>>803
遅レスな上に自分のコメントへのレスで恐縮ですが…
こういう講座があるそうです。

【大坂方の薩摩落ち伝説について】
ttp://open.gakushuin.ac.jp/course/detail/2009/B/S03/

秀頼、真田幸村、木村重成たちの薩摩落ち伝説が題材だとか。
島津家の現ご当主が講師をなさるとのことです。

ご当主直々に戦国時代のお話が聞けるそうなので興味のある人は行ってみてはどうでしょう。


938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 21:35:52 ID:VIQJFOj2
>>937
こんな講座があるのかー。しかも講師は島津宗家の人かよ!すごいなー。
さすが学習院だ。



可児才蔵、困惑する

2009年07月27日 00:05

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 00:25:57 ID:NaTLcWd2
可児才蔵、困惑する

「槍の才蔵」こと可児才蔵が、「槍の宝蔵院」こと宝蔵院胤栄の元で槍を学んだときのこと。

才蔵が宝蔵院に弟子入りしたのは福島正則に仕えた後ということなので、
それが正しければ天正十三年ごろになる。だがそれより前から才蔵の
槍働きは知られていたので、それまでは我流で槍を使っていたということ
だろうか。

宝蔵院で修行した才蔵はみるみる上達した。ところが主の命で一旦主家へ
戻って戦場に出ると、何故か上手く働けず困惑する羽目になった。
才蔵は再び宝蔵院を訪れ、胤栄にこのことを相談した。胤栄答えていわく、
今までは無心で戦っていたが、なまじ技術が身についたからあれこれ考えてしまい、
素直に突撃できなくなっているのだ、と。
「要するに修行が足りん。考えなくても身体が動くまで修行せい」
そう言って、再び才蔵に修行を課した。

そして数ヵ月後、そこにはもはや戸惑うこともなく突撃する才蔵の姿が!

技術が本当に身に付くには、練習と時間が必要だというお話。




840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 00:37:58 ID:hCsz20E6
……別に修行しなくても良かったんじゃね?

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 00:45:52 ID:tamp62jW
定石を憶えて2目弱くなりというやつだな

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 06:06:19 ID:gqhoTd8o
>>839
我流でヒャッハー!してても十分強かったのが、技を覚えて却って惑うようになった、か。
もう一段覚醒して自在を得たんだからホンマモンの達人よね、才蔵さんよかったね。

843 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/26(日) 06:55:04 ID:BwOGLHXK
異名だけ見るとやたら弱そうだ>笹の才蔵
でも強いんだよな

俺も名刺を紙から笹に替えて笹の〇〇と呼ばれるように頑張る

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 07:13:31 ID:UToXQLMW
それ異名いっていうか単なるあだ名w

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 07:17:51 ID:cREjXz9l
今大河で秀吉やっている人が、才蔵と同じ異名を持っているな。

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 07:59:03 ID:LcAhmk2o
本多忠勝も稽古での槍さばきはあれだけ戦場で勇名を馳せてる人が何故?ってくらい
下手くそだったそうだし
我流で暴れまわってた人も多かったんだろうな

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 08:26:20 ID:1TXg1cw2
>>846
本多忠勝の場合は、個人の武勇よりも現場指揮官としての能力が優れて(それも無双レベルで)
いたんじゃないかと。
小牧・長久手の少数による足止めとか、関が原の時の直属兵の人数とかを見ると、
重要な場面での一撃(もしくはいざというときの火消し)として使われていたのでは、
と思う。
この辺は「鎮西無双」立花宗茂も似ているよな。

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 14:35:20 ID:sOT6EnkL
>>847
宗茂の場合、弓も剣も免許もらってるらしいな
でも将ってそんなもの振るわずに済ませられるのが一番だよ

小野和泉も主(宗茂)にそんなことさせずに済ませたのが誇りみたいなこといって気がする

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 13:05:56 ID:4IARr95L
>>839
スレ違いだが、ブルースリー語録を思い出した。

「最初、パンチはただのパンチ、キックはただのキックだった。
修練をつむことにより、パンチはただのパンチでなくなり、キックはただのキックでなくなった。
しかし、今はパンチはただのパンチであり、キックはただのキックである。」

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 13:22:10 ID:uBISxMQu
なにその神語録

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 13:42:33 ID:oJrTuQ39
禅の教えで似たようなのなかったか?

初め、山はただの山であり川はただの川であった
禅を学ぶと山はただの山でなくなり川はただの川でなくなった
しかし、悟りを得た今、やはり山はただの山であり川はただの川である

みたいな感じで

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 15:08:16 ID:4IARr95L
>>870
ブルースリーは禅にハマっていたんだが元ネタあったんだ。
興味わいたんで禅について勉強してみます。


山口と武田家のあの人

2009年07月27日 00:04

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 15:22:11 ID:cREjXz9l
山県さんに続いてもういっちょ、山口と武田家のあの人


山口に「山本家」という、大内氏の頃から続く古い家がある。
この家に残る伝承に言う

「山本家の先祖は、讃岐の国に居た。
この讃岐の、六ヶ村の庄屋の子に、勘助と言う男が居た。
この勘助は子供の頃から猪狩りの名人であったが、ある狩の最中、猪の反撃をくらい、片目を失い、
片足が不自由になった。

その勘助、成人すると武者修行に出、美作を経由して、山口に来た。
そしてその才能を認められ、大内義隆に仕えた。
彼は山口の矢原という所に住み、そこで一家を構えた。これが山口矢原の山本氏の祖となった。

ところが、それからしばらくして勘助は、

「ワシはもっと武者修行がしたいのだ!」

と言い出し、家族を残し、山口を一人出奔してしまった。やがて東国へと赴き、武田氏に仕え、
その後は皆さん、ご存知のとおりである。

この、山口と山本勘助との関係は、後に毛利家の家臣になった、矢原山本氏の分家、
三隅山本氏より毛利家に提出された、「山本家言伝之覚」にも記録されている。

これが事実かどうかは無論、わかりませんが、>>806の山県昌景のお話ともども、
甲斐武田家と大内家の、奇妙な縁を感じるお話。





852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 15:38:52 ID:A3BaQzcX
出自にいろんな説があって胡散臭い人って結構いるんだな

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 15:47:11 ID:e4j3zuz/
甲斐武田家と大内家の、奇妙な縁…といえば、
信玄の義父(三条の方の父親)は大内家に身を寄せていたところを
内乱に巻き込まれて殺されてるんだよな。

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 18:54:42 ID:TBHE6o1P
>>851
どの辺がいい話なんだろ?
むしろ家族残して出奔した悪い話では?

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 20:34:37 ID:eEAsTWf1
大内氏というより安芸守護武田氏と若狭、甲斐は同族だし、
そっち方面の繋がりじゃないの?


856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 21:01:23 ID:hBtY/dUn
まあ家臣団も甲斐から引き連れていくんだから当然だわな

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 21:24:22 ID:bFuFJjvl
萩藩閥閲録って1720年ごろに纏められたんだよな
やっぱり武田家の有名どころを起源に据えることで
徳川家と言うか幕府に対して優位にしたい気持ちがあったのかもね


将軍家が藤堂高虎を気遣う理由

2009年07月26日 00:13

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 23:01:42 ID:owSaytLd
晩年の藤堂高虎は目が見えなくなってしまう。そこで高虎を気遣った
将軍秀忠は江戸城の曲がった通路を真っ直ぐにした。

高虎は秀忠が寄こした使者からその事を知らされた。
「貴方の目が不自由なので廊下を真っ直ぐにした。もし、まだ私に教えてくれる
事があるのなら気安く訪ねてくれないか。難儀することなく私の部屋まで来ることが
できるだろう、と上様は仰せです。」

高虎は感激して涙を流した。側の者はなぜ秀忠がここまでするのか不思議だった。
「将軍家はなぜここまで貴方を気遣うのでしょう。私にはわかりません。」

「さあ、わしも特別なにかやった覚えはない。だが、わしは誰よりも早く
江戸城に上がった。そして帰るときは誰よりも遅かった。秀忠様はそれを
評価しておられるのかもしれぬ。」
そう高虎は答えた。




785 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/24(金) 23:27:24 ID:ZJh1LfGj
忠義の武士なのに不義の代表格みたいに言われる高虎さんが気の毒だけど大好きです。

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 23:28:25 ID:eWQ0pMHz
将軍からの身に覚えの無い好意にビクビクする側近かわええ

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 23:44:14 ID:9yz9P5gO
自分の読んだのは
戦国武将大好きっ子の
家光が真っ直ぐにしたという話だった

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 00:18:34 ID:zIGOQ+NR
まっすぐにしとかないと、面子を気にする直情径行な武将が直進行軍してくるかもしれないからねw
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2405.html

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 01:37:16 ID:hBP4YUvh
和泉ちゃんかわいいよ和泉ちゃん


791 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/25(土) 02:16:52 ID:dLtEYZAq
てか高虎って、滅私奉公だったよな。


小笠原権ノ丞の討ち死に

2009年07月26日 00:11

790 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/25(土) 02:16:03 ID:beF1sye+
ここで家康の隠し子のお話を一つ↓

松平勢「権ノ丞様っ、こちらにお渡りくだされっ!」
権ノ丞「・・・・・・・・・・」
松平勢「貴方様を討取ることはできませぬっ!」
権ノ丞「・・・・・・・・・・」

ここは慶長二十年、大阪夏の陣の主戦場、天王寺表。
当初優勢だった豊臣勢も午後になり敗北が決定的となった。
その最中、敗走する豊臣勢をしり目に松平勢はある武将に降伏するよう
何度も呼び掛けていた。

武将の名前は小笠原権ノ丞。なぜか松平勢は打ち掛かろうとしない。

そう、彼の父は我らが総大将、徳川家康だからである。

本来ならば親族衆として徳川勢の一手を率い、家康を補佐する立場にあるべき
人物がなぜ豊臣勢に加わっているのか。
それは彼の生い立ち、なにより宗教に問題があった。

彼が生まれたのは1588?年。家康の子供達からいえば五男・武田信吉の弟、
六男・松平忠輝の兄ということになる。しかし、彼の母(三条氏?)は正室の
女房であったため、家康は彼女の懐妊を知ると正室の悋気を恐れ譜代家臣、
小笠原広朝に彼女を押し付けた。

無事生まれた権ノ丞は広朝の子供として育てられ家康の御落胤ということもあってか
広朝の死後、家督を継ぎ順風満帆な将来が約束されている、はずであった。

時は変わって慶長十七年1612年三月、家康は家中のキリスト教弾圧を開始。

レオン・パジェスの「日本切支丹宗門史」にその時の弾圧者リストが書いてあり、
こともあろうかその武家筆頭がディエゴ小笠原、まさに権ノ丞その人で
六年前に洗礼を受け、六千石を拝しているとあった。

権ノ丞がいつ、どこで、なぜキリスト教に入教したかはわからない。だが結果として
小笠原家は改易、彼は棄教したことで死を免れ、夫人と二歳の娘共々追放された。
しかし権ノ丞はキリスト教を捨てたふりをしたのであろう、前述の「日本切支丹宗門史」にも
権ノ丞が棄教したとは書かれておらず、後述の大坂入城からもそれが伺える。

時は戻って大阪夏の陣、天王寺表。

豊臣秀頼から三十騎を与えられ、大坂方勝利後、キリスト教布教を許されていた
権ノ丞は入城した信者と共に戦った。しかし結果は周知の通り。
権ノ丞の望みも露と消えた。

松平勢「権ノ丞様!」
権ノ丞「・・・・・・・・・そなたらの気持ち、ようわかった。」
彼はようやく口を開いた。
権ノ丞「だが、たとえ徳川家に帰参叶おうとも手柄もなく逃げたとあらば生き恥となろう。
・・・・・・・・・なにより父に顔向けできぬ。こうなれば潔く討ち死あるのみ」

そして敵陣めがけ駈け、兄である秀康の長男、松平忠直の手のものによって討取られた。

小笠原権ノ丞、享年26

戦国最後の合戦で息子の首と対面した天下人の気持ちはどうだったのであろうか。


引用元
戦国Xファイル
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x034.htm


794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 07:46:20 ID:ET11s14Q
>>790
> 時は変わって慶長十七年1612年三月、家康は家中のキリスト教弾圧を開始。

それが今は1つの町内に神社とお寺さんと教会が喧嘩もせず仲良く同居してて
どうかすると神父さんが教会立てるとき神主さん呼んで地鎮祭やってもらったり
するんだからいい時代だわなぁ。
キリスト教も最初からそうしとけば弾圧されなくて済んだだろうに。

795 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/07/25(土) 08:01:44 ID:Tx9jceo4
多神教の国を制圧するノウハウがなかったんだろうな。

796 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/25(土) 09:45:50 ID:pnmE3IWS



-今籠城している者達は来世迄友になる-

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 10:36:10 ID:DpcT261A
>>795
インドって多神教じゃなかったっけ

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 11:09:50 ID:Y3zc/kaO
>>795
インカ帝国は多神教でしょ。

>>797
時代が違うし、ムガルはイスラム。

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 12:03:26 ID:M/qID5h2
よく言われる「宣教師を送り込んで信者を増やし、侵略に利用する」って
実際にやった場所ってあるの?
アメリカにしてもフィリピンにしても最初から軍事力で来ている気がする。

>>794
中国だと共存を優先してキリスト教内から批判が来たんだよね。

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 12:06:50 ID:d+zMlbTW
ものすごくどうでもいい話なんだが
梅北一揆とかだと現代の一揆の意味で使われているよな
一揆という言葉はいつごろから意味が変わったんだろ

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 12:09:36 ID:VGBg7LRJ
>>801
インドじゃキリスト教徒が東インド会社に協力して、インド植民地化の時に
ある種の特権層を形成していたようだが。

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 12:24:45 ID:/kR06yZK
>>801
コンゴを初めとするサハラ以南のアフリカ諸国はそうじゃなかったっけ?
改宗→貿易→国力疲弊→征服の順番だったような


島津歳久の死

2009年07月26日 00:09

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 11:01:36 ID:CvAn3kXW
天正20年(1592)6月、薩摩の国人梅北国兼が朝鮮の役に出征する途中、不満を抱き
肥後佐敷城を乗っ取るという事件が起きた。いわゆる『梅北一揆』である。
この事件自体はすぐに鎮圧されたが、梅北の仲間に島津晴蓑入道歳久の家臣が多かった
ことから関白秀吉は激怒し、島津義久に命じた。

「九州陣の時、歳久は無礼を働いたゆえ処罰するべき所を、その方と義弘の赦免に伴い
同様に許した。しかし当人は京に挨拶にも来ない。
今回、歳久が朝鮮にいるならその身は助ける。いないならば、歳久の首をはねよ!」

養子を九州攻めで失った歳久は秀吉が自領を通る際、矢を射るという『無礼』を働いており
秀吉の歳久への印象は最悪だった。
中風を患い歩行も不自由な歳久が反乱を企てるはずもなく、義久は上使・細川幽斎へ
必死の弁明を行ったが、歳久の孫の助命がやっとだった。

これを聞いた歳久は、せめて居城・宮之城で切腹しようとしたが、行く手を阻まれた。
仕方なく竜ヶ水という所でで追っ手に応戦、歳久はここで覚悟を決めたが、中風でもはや
脇差を握ることもできない。「誰かある。早うわしの首を獲れ。」
原田甚次という侍がやむを得ず歳久を斬った瞬間、敵も味方も刀を投げ出し、地に伏して
声を上げ泣いた。

「幽斎どの、これでよろしいかッ!?」
義久は、歳久の遺体の懐から出てきた叛意はない旨の遺書と、辞世を投げ出した。

晴蓑めが たま(魂)のありかを 人問はば いざ白雲の 末も知られず
(刑死した歳久の魂はどこへ行ったと聞かれたら、思い残すこと無く死んだので
雲のかなたに消え去って分からないと言って下さい。)

幽斎は、この句を添削した上で秀吉に披露した。

晴蓑めが たまのありかを 人問はば いざ白雲の 上と答へよ
(歳久の魂はどこへ行ったと聞かれたら、無実だったので天界へ昇ったと答えてくれ!)

京の一条戻橋にさらされた歳久の首は、家老の島津忠長が盗み出し浄福寺に葬ったと
言われるが、この事で忠長が罰を受けたという記録はない。
義久は秀吉が死亡すると、さっそく歳久最期の地に菩提寺・心岳寺(現・平松神社)を建て、
これを弔った。

枝すこし 折るさへ惜しき もみぢ葉は 立ちながらにや 神に手向けん   龍伯
御佛を 頼む者ゆへ 袖に散る 霰の玉を 手向けにやせん   惟新





805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 12:25:43 ID:M3rQ1LfA
やっぱ義久兄ちゃんは優しいよな
義久死んだ途端に義弘忠恒親子による粛清の嵐だし

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 14:28:11 ID:GKLpjv0A
>>798
わざわざ辞世の句を書き換えて歳久無罪を強調してるあたり
幽斎さんも内心島津に同情的だったんだろうか…

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 16:12:45 ID:4zoIDYZz
>>808
歳久自身は首謀者と言うよりも
言いがかりを付けられて切腹したようなもんだからね。

幽斎さんが事情を知ってたとしたら
島津に同情してたことは充分ありえるねぇ。

しかし秀次処分の件といいラスボスの晩年の所業は
わざわざ敵を作ってるとしか思えないなぁ。

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 17:47:31 ID:PKJtBvbx
>>798
この話を知ってから、歳久は4兄弟の中で1番好きだ
秀吉は…まあいつものことか…

>枝すこし 折るさへ惜しき もみぢ葉は 立ちながらにや 神に手向けん   龍伯
>御佛を 頼む者ゆへ 袖に散る 霰の玉を 手向けにやせん   惟新
無学なので全然分からんが
こういうのは、古典を勉強したら読めるようになるのか…?

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 19:17:22 ID:CvAn3kXW
>>817
枝先を折る事さえ惜しい素晴らしい紅葉は、立って敬い神仏に捧げます。
(そんな紅葉の如きわが弟歳久を捧げたのです。どうかこれからも島津を護り給え。)

御仏を信ずる身として、袖に散るあられの玉を手向けにしよう。
(信ずる御仏よ、わが袖に散るあられの玉=涙を歳久へ手向けに届けて下され。)


曲解すぎるけどこんな感じかな、と。
難しく考えることないんですよ、詠み人の状況だけ考えて自分の好きなように
訳せばいいと思います。


大内氏の家臣、山県重秋の次男

2009年07月26日 00:06

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 12:53:40 ID:VGBg7LRJ
大内氏の家臣に、山県重秋と言う者が居た。彼には重房と源四郎という息子があった。

この重秋、妻に先立たれ後妻を娶ったのだが、この後妻と、当時十一歳の次男源四郎との
折り合いが大変悪く、重秋も困り果て、この源四郎を東国にある、亡妻の弟に預ける事にした。

この叔父の名は飯富虎昌。源四郎は叔父の住む甲斐に行き、名も飯富源四郎と改め、
叔父とともに甲斐国主、武田晴信に使えた。

そう、この源四郎こそ、後の武田四天王、山県昌景なのである。


萩藩閥閲録(毛利家の一級史料)に記録されている、山県昌景の意外な履歴。




807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 13:06:29 ID:yEJzR9u6
>>806
お約束の継母だが・・・

 山県三郎兵衛さん、少年時代にそんな経験をしていたのか

809 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/25(土) 15:45:57 ID:0wTPtEta
>>807
その世話になった叔父を裏切って、密告に走った…
下衆の所業だw

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 15:56:13 ID:+60wjQAA
>>809
見方を変えれば信玄に忠をつくした

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 16:08:13 ID:M/qID5h2
>>806
飯富虎昌の姉ってことは甲斐生まれだよね?
いったいどういった縁で嫁いだんだろう。

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 16:13:19 ID:6+sf4Fv0
>>809
あれって「言うなよ!絶対言うなよ!」みたいなもんじゃなかったっけか。

814 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/25(土) 16:37:43 ID:/j5eYzk9
虎昌が義信への忠義を尽くすから、昌景が信玄への忠義を尽くす。
という綺麗な物語だと思ってる。

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 16:39:22 ID:oj4O/gSw
情に厚い義信が武田家継いだほうが家は安泰だったかもなぁ

816 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/25(土) 16:44:53 ID:xNif6f68
でも家臣が付いて来ないだろう > 義信

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 18:43:58 ID:iNMuy0d0
義信が継いだら継いだで駿河地域も信濃地域も収まりそうにないわなあ……
義理だけでやってける情勢でもあるまい

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 18:47:44 ID:d+zMlbTW
というか地勢的情勢的にもう半分詰んでる
だれがなってもだめじゃね感が

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 19:18:48 ID:/O0Ki674
>>811
甲斐と安芸には同族になる源姓山県氏がいたから
甲斐山県氏の仲介で嫁をもらったんだろうかね
全国宇都宮ネットワークみたいな

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 20:05:09 ID:XVdfDDYN
山県有朋あたりの捏造じゃね?
板垣退助みたいに。

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 20:23:14 ID:M/qID5h2
>>821
ああ、なるほど。
戦国時代の同族達って結構繋がりがあったのかもね。

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 20:31:15 ID:TG7LtUyg
武田に滅ぼされた小笠原は同族の三好を頼って落ちていったりしてるしな


森長可と商人の心意気

2009年07月26日 00:04

森長可   
823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 20:05:35 ID:wziSQ6By
商人の心意気

天正5年(1577年)、森長可は領地である兼山の町の整備を執り行った。

長可「おい、塩問屋は全員引越しだ。今度からここは尾張から輸送されてくる
海魚を売る区画にするから。」
問屋「え・・・?そんな急な。そもそもここは昔から我々一族の土地ry」
長可「いやいや、もう東に新しい店建てたから。そして移った所が新しくお前の一族代々の
土地になるんだよ。」
問屋「はぁ・・・」
長可「そもそも河港の近くで塩を売るのが無駄なんだ。河港の近くでは新鮮な魚を売る、
腐らない塩は港から離れたところで売ってもいい。そういうこった」
問屋(問答無用ですかそうですか)

こうした塩問屋の移転などを初めとした職種毎の区画整理とそれに伴う住民の引越しなどが
行われたのである。
そして、改革も一通り済んだ所で長可は領内の魚屋、塩問屋を集めると各々に直筆の書状を与えた。

                                  /   |  |  l ヽ
                                  |. `|  |  l  l.  |
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               |     |      |         ヽ_j  / //     |
                \_/      |   専売権利書ヽ_ハ/′     |
                  |        |                    |無理言ったお詫び・・・ 
              /  ̄  ̄ \    |     森  武  蔵  守      |って訳でもないが 
             /  \ /  \..  |     ・・・ ・・・ ・・・       | いい物をやろう!!!
           /   ⌒   ⌒   \ |     ・ ・ ・・ ・・・        |
           |    (__人__)     |/|                    |
           \    ` ⌒´    /l|.| :::::::::::::::::::::::: |
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          /,厶イ_:.:/    ヽヽ. :l  |            〃.  `ヾ   |
          /7   /:.:「       ゝL/|   ::::..... |l  長 ||..  |
        /〈  /:.:.:.:',    /  //   |   ::::        |l 可. l.|..  |
       ∧',. ヘ /:.:.:.:.:.:',  /   〃   |            ヾー-‐シ   |
      / ヽヽ V:.:.:.:.:.:;.イヘ     トr'′  .!               ̄´    |
      l `ヽ >、フ:.:.:.:/:.:./     l    └─

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 20:06:19 ID:wziSQ6By
魚屋&塩屋「専売権キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!」
長可「フフフ・・・海沿いの都市の専売権とは価値が違うぞ?何たって内陸の土地じゃ両方とも
なかなか手に入らんからな。河港がある兼山だからこそ出来るのだ。」
魚屋&塩屋「キャー!ムサシサマカッコイイー!!!!」
長可「特権やるんだからきっちり儲けを出せよ。」

今回の長可の兼山の町の収入UP政策の目玉が「魚と塩の専売権を認める」という物であった。
特に内陸部で入手困難な塩を売れるというのは大きく、買い手は隣国の信濃からも付いたという。

そして時は流れ、兼山は尾張徳川家の領地となった頃・・・
当然の如く森家との間で保証された特権であった専売権は消滅し商人達も困っていた。
魚屋&塩屋「どうしても専売を認めさせたい!」
藩の方針なんてそんなの関係ねぇ!諦めの悪い商人達はダメ元で「最後の手段」を使う事にした。

魚屋&塩屋「代官様!この書状をご覧下さい!」

つ長可の専売許可の書状

代官「ん・・・これは?」
魚屋&塩屋「はい、これはかつての領主、森武蔵守様の書状に御座います!この兼山の町での
魚・塩の専売というのは書状から分かると通りに昔からの由緒あるものでry」

とにかく商人達はこの長可の書状で専売の由緒と正当性をゴリ押しし、ついに尾張藩では
専売では無かった「魚」「塩」の専売権を認めさせた。
結局、兼山の魚屋と塩問屋はこの長可の書状だけで明治維新まで粘り
専売をし続けたのであった・・・めでたしめでたし。




826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 20:25:07 ID:d+zMlbTW
ありえん・・・
鬼武蔵と関わって得する人間がいるなど
捏造だろ、これ

828 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/25(土) 20:37:39 ID:GhNej/QU
>>824
言っとくが鬼武蔵も一時期は立派に大名やってた時期があるからこの魚屋と塩屋のように
多かれ少なかれ得した人達はいたんじゃないかな?

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 20:38:49 ID:vs7rKAC/
>>826
いや、さすが鬼武蔵の息がかかった者達という所だろう

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 20:42:18 ID:TG7LtUyg
>826
綸旨を偽造してまで特権をまもったりしてた商人もいたからねえ

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 20:54:04 ID:wziSQ6By
>>829
久々利城落城の際は武士さながらに久々利城下の町で強盗・放火をして破壊していったからな、
兼山の町民。

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 22:18:33 ID:ngb1ggyx
>>826
森武蔵守の精神は明治維新まで商人達に受け継がれていた、という森長可の偉大さを語る
良い話じゃあないか。

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 22:48:05 ID:ybKQB8g0
いい話スレで森家の話が出ると感動する

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 22:51:46 ID:IcOrkC3N
たまにry
不良ry
子犬ry

838 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/25(土) 23:44:59 ID:0wTPtEta
>>823
>長可「そもそも河港の近くで塩を売るのが無駄なんだ。河港の近くでは新鮮な魚を売る、
>腐らない塩は港から離れたところで売ってもいい。そういうこった」
筋が通ってるが、魚屋の隣に塩を置けば調味料を買いやすくなるのだがw

861 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/07/27(月) 06:43:43 ID:Stu98tza
>>824
今の兼山の町並みを思い出して涙した。

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 18:35:34 ID:lgcZQcd7
>>861
今は寂れた静かな田舎町だな。

江戸時代は造り酒屋が25件もあったりとか氷室があって夏になると天然氷を
尾張に売りに入ったりしてたらしいが・・・

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 19:29:56 ID:oJrTuQ39
今の兼山には鬼武蔵のような人物が必要ってことか

874 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/27(月) 19:47:48 ID:e2CEHUUq
>>873
何か事件があったときに検問をはれなくなるだろw


875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 19:59:32 ID:oJrTuQ39
問題無い
検問を張るまでもなく犯人は決まってる

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 20:02:22 ID:C8SPTegq
決まってないだろ
なんてったって、一族の中に犯人候補が山ほd…

なんだよ、こんな時間に宅急便か

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:07:55 ID:ebKrorFi
>>860
一番見たいのが、池田輝政の夜になったら光り輝く名刀なのに、このリストに入ってないんだよなぁ。

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:26:50 ID:1sQDM9Qv
>860獲物がここで逸話に出てきた逸物だったりして。
伊達政宗なら太刀を無理やり摺り上げてしまった「振り分け髪正宗」脇差とかだったらいいなー

880 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/28(火) 00:39:58 ID:OkO2GaWc
>>876
出ちゃダメー!
って遅かったか、、、

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 03:27:57 ID:ym+HanfH
>>880
そもそもあの一族ならわざわざチャイム鳴らすなんてお行儀の(グシャ

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 03:35:40 ID:wmfxLjt1
まあ実際、突然夜中に押しかけて、門が閉まっていると見るや攻城兵器でぶち破って
入ってきたからなw

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 07:05:42 ID:RT+NUfTd
本能寺のときに木曽の館に押し入ってやりたい放題にあばれていったろ


「森長可」でググってみたら…

2009年07月26日 00:02

森長可   
768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 10:31:07 ID:VGBg7LRJ
「森長可」でググってみたら…

  _____ _____  ______  _______
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                           ↑

どうしてこうなった♪




769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 10:34:19 ID:l+LHR2L1
他のキーワード

最上義光 鮭 天地人 最上義光 最上義光 シスコン 最上義光 wiki 最上義光 ツンデレ


これもひどいw

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 11:37:37 ID:gDtGJwoF
>>769
ひどいけど、妥当な評価だと思うw


ザビエル、日本よりゴアにあてた手紙

2009年07月26日 00:01

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 12:02:59 ID:VGBg7LRJ
ザビエル、日本よりゴアにあてた手紙

「日本人は友誼に厚く善良で名誉を尊び、学習能力も高く、布教するには最適の地です。

何より、日本は多くの金銀を産出するので、これに進出すれば貿易で
100倍以上の利益を上げることができます!」

理にも、利にも目ざといザビエルさんなのであった。





772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 12:16:59 ID:3k5JUwYx
>>771
じゃないとスポンサーが動かないでしょ

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 12:51:21 ID:x3Z6iWeV
ザビエルって伴天連の中ではまともなほうだったんだよね。
後から来た連中のアクドイことw

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 13:29:34 ID:k45Nhfp5
ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か 岩波新書
によるとザビエル館の館長が
ザビエルは海外において率先して異教の寺社を破壊して回った。
ということを認めてる。

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/25(土) 13:46:24 ID:iNMuy0d0
>>773
人徳がある程度ある人間じゃなかったらできないようなことを色々している人だからね


水野勝成、逸話の中の逸話

2009年07月25日 00:27

754 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/23(木) 23:18:59 ID:HcJrovSv
逸話の中の逸話


島原の乱鎮圧の為、幕命により備後福山藩水野勝成が島原へ向けて出陣した時の話

福山藩からノロノロと行軍して安芸~周防辺りまで到着した水野一行はそこで一旦駐留することになった
ちなみに水野隊をサポートする為その行軍ルートには各藩の接待役が控えて待機していました


そんな折勝成は…
接待役「いや~これはこれは日向守様、遠路はるばるご苦労様です、この度は…」
勝成「いやいやこちらこそ駐留中のご支援には感謝致して…」

と業務的なことばかりこなしていたのがそのうちツマらなくなったのか、接待役の者に
「なにかこの辺で面白い話は無いでしょうか?」と尋ねてみた

すると
接待役「う~ん、ではこんな話はどうでしょう、昔福島正則様が…」
と逸話の中でも特に有名な母里友信の日本号呑み取りの話しを始めたのでした
(詳細はご存じでしょうから割愛)

話しが終り勝成は
「いや面白い!これは戦の前に実に良い話を聞いた!」と
かつて黒田家に仕えていた時に面識があったであろう母里友信と酔っ払って
しぶしぶとはいえ約束を守った福島正則両名の豪快さに感嘆した

その後この話をした接待役の者は勝成から御礼に金一封(確か金3~6枚だったと)を与えられ、
翌日勝成も満足のうち島原へノロノロと向って行った


そんな逸話の中で語られた逸話の話し
お粗末でした




755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/23(木) 23:22:54 ID:xSY5BUNx
逸話で金3~6枚とは随分と大盤振る舞いだなw

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/23(木) 23:31:26 ID:O6Z+k+/S
ちょっと水野に逸話話してくる!
ここの話使わせて貰うわ!

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/23(木) 23:32:53 ID:RHy+MQox
>>754
しかし勝成様も、すっかり丸くなられたなあ…。
日本号の話は当時でも有名だっただろうから、この逸話を知っていた上で、話をした者の
メンツに気を使った話のようにも見える。

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/23(木) 23:43:42 ID:647RjDFc
一時間後、そこには日向守に首をはねられた元気な>>757の姿が!

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 01:20:06 ID:KmXqbjJ5
>>754
久方ぶりの戦の前で超ご機嫌だったのかも




参考
母里太兵衛、酒は飲め飲め飲む酒は・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-638.html


水野勝成、戦闘一家健在!

2009年07月25日 00:25

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 03:24:37 ID:TEUTH8QQ
>>758
>しかし勝成様も、すっかり丸くなられたなあ…。



んじゃもういっちょ↓

戦闘一家


島原に到着後、鍋島が抜け駆けして開戦した時、水野隊は死んだ鍋島の兵の死体を
踏むようにして突撃
勝成も駕籠(別の逸話で書いたヤツ)に乗って移動し息子や孫の後をを追いかける、勝成の
少し前には勝重が馬に乗って指揮をとり、更にその遥か向こうで伊織が槍を振り回して
戦功をあげていた

それを見た勝成が
勝成「おお!見てみよお前達!勝重はともかく孫の伊織は今日が初陣だと言うのにこの働き、
これで冥土への良い土産話が出来たと言うもの!」と涙を流しながら喜んだと言う


そしてその光景に血が騒いだのか勝成が駕籠持ちに言った「ワシ等もこのまま本丸に向って
一気に攻めるぞ!城門で攻めあぐねる様ならお前達も戦闘に加わり
そのままワシを駕籠ごと塀の中へ投げ入れろ!」と言った


伊織(のち勝貞)14歳
勝重(のち勝俊)41歳
勝成(クソジジイ)74歳




763 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/24(金) 03:38:06 ID:cVTcM7u/
>>762
ジジイwww

764 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/07/24(金) 03:44:50 ID:s1C94Hu1
いや、孫って本気で可愛いらしいぞ。

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 09:31:25 ID:TEUTH8QQ
まぁそのなんだ…、鬼日向のGちゃんは衰えて無いって言いたかったw

楽しんでもらえたでしょうか?
島原のエピソードはまだまだありますけどあんまり水野勝成ばっかだとアレなので一旦やめときます。


766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 09:39:46 ID:onbtgb6r
投げ込まれた輿から出て来た勝成の肉体は年齢を感じさせぬ程に筋骨隆々としていて、
イキイキと敵をちぎっちゃ投げ、ちぎっちゃ投げしていた。
とかあってもおかしくはないな。

767 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/24(金) 10:04:24 ID:YT1oGrgD
勝成のエピは色々あるらしいから楽しみだ。


佐野昌綱のツンデレ

2009年07月25日 00:23

767 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/24(金) 10:04:24 ID:YT1oGrgD

それじゃ、上杉謙信と地方大名のお話を一つ↓

道及 「・・・・・・・・・・・・・殿」

昌綱 「なにさ」

道及 「殿はやはり謙信が好きなのでは?」

昌綱 「そ、そんなわけ・・・・」

道及 「叛旗を何度も翻したのは構ってほしいから、違いますか?」

昌綱 「・・・・・・・・・・・」

道及 「家中の者が遺言を知れば誰でもわかります」

昌綱 「う・・・・・・・・・・」

下野国唐沢山城主、佐野昌綱はいくつか遺言を遺していた。

俺の肖像画は京都の狩野さん系に頼んで!とか、俺の賛(死後に自分のことを
褒め称えるような言葉)はあの坊さんじゃないとダメ!とか色々な注文をつけていた。

だけど遺言の中になんとも不思議なものがあった。

「俺が死んでもすぐに墓は作っちゃダメ!
 謙信が死んで一周忌に建てること!
 そんで俺の墓石には謙信と同じ日付を刻むのも忘れずに!」

佐野昌綱は上杉謙信(その頃は長尾景虎)の関東遠征に与しては離反、
与しては離反を繰り返した典型的な小大名だったのだが、一時期は上杉城代の支配を
受けたりと結構大変だったらしく、謙信とはホントに?友好関係ではなかったらしい。


そんな男の遺言を家臣たちは忠実に守った。

「佐野系図」によると昌綱が亡くなったのは、天正二年四月八日。

その四年後、謙信が天正六年三月十三日に亡くなるとその翌年、天正七年に昌綱のお墓である
本光寺が建てられた。

その墓石にはしっかりと三月十三日と刻まれている。

道及 「殿、遺言通りにしておきましたぞ」

昌綱 「う、うむ、よくやった」

道及 「あとは殿の本心だけでしたね?」

昌綱 「・・・・・・・・う、うるさいっ!」

昌綱さんの素直になれないお話。

(あと道及は山上道及さんのことです。)


引用元
戦国Xファイル
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x146.html


768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 10:12:55 ID:M++4zy4X
ツンデレかw
でもホント良くわかんない遺言だな
どういう意図があったんだろう?

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 10:34:58 ID:JV2EyuBU
あのくそ憎たらしい謙信よりも先に死ぬなんて耐えられない。
せめて墓の文面だけでもやつより長生きしてやる! ってことじゃないの?

770 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/24(金) 10:37:12 ID:TEUTH8QQ
>>767なんか尻の穴がキュってなった…

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 10:37:28 ID:eWQ0pMHz
謙信より先に死ぬのが悔しかったんじゃないの?
上杉に比べると全然小さい大名家ながらも何度も撃退してるし
なんだかんだ言って俺って謙信より凄いよね!みたいな

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 10:40:03 ID:M++4zy4X
日付だけでなく年も捏造してるってことかな?

773 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/24(金) 10:50:58 ID:YT1oGrgD

確かに、昌綱は1529?年生まれで謙信は1530年生まれ。二人はほぼ
同年代の武将だったみたいよ。

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 10:57:20 ID:Eu1KrZK9
昌綱「勘違いするな、謙信。貴様を倒すのは(ry

775 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/24(金) 10:58:44 ID:YT1oGrgD
772さんへ

本光寺の墓石には天正七年三月十三日とありました。やっぱこっちも捏造みたいです。

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 18:34:18 ID:syRJm0dZ
山上道及も前田慶次郎はんとお友達..

>767
佐野昌綱って死に方も逸話んなってたけ?宗綱だったかも

778 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/24(金) 19:48:17 ID:YT1oGrgD
777さんへ

宗綱の死に際は逸話になってますよ。↓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%BA%B4%CC%EE%BD%A1%B9%CB

あと、昌綱の最期はわかんなかったです。討死にということでは無く
享年45歳(1530?~1574?)なので、もしかしたら病死かもしれないですね。

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 20:47:30 ID:V7d3pLxD
慶次と道及って史実で関わりあったの?

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 21:18:15 ID:HdROL7h/
>>781
上杉家の同僚だったから顔くらいは知っていたと思う。

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/24(金) 22:21:25 ID:M++4zy4X
>>775
わざわざ㌧
と言うことはやっぱり謙信より少しでも長生きした事にしたかったのかw