第一回!いい悪いまとめ戦国武将投票

2009年08月31日 11:45

と、いうものを、投票プラグインなるものを見つけたので(いまさら)、
このブログではどの武将が人気があるのかちょっと興味が出てきまして、とりあえず作ってみました。
選挙も終わりましたしねw

左側の下のほうに設置しましたので、良かったらお好きな武将に投票してみてください。
戦国武将のセレクトは、逸話の数が二桁以上の人にしてみました。

とりあえず1週間くらいやってみようかと。

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仙台城、新築移転の儀式で

2009年08月31日 00:23

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 23:14:58 ID:GpoerWMu
伊達政宗が生まれた米沢の城は、政宗の先祖が作った城、
後に秀吉に飛ばされて移った岩出山城は家康が作った城。
故に仙台城は政宗にとって生まれて始めて、自分で建てた城である。
慶長八年、初めて足を踏み入れた政宗の喜びは格別だったであろう。

そんな仙台城で家臣を集め、新築移転の儀式が行なわれた時の事。
祝宴の途中、泉州堺の在からきた石工たちが即興で踊り始めた。
(これが「雀踊り」で、今に伝えられ仙台の青葉祭りで踊られる)
その後も次々と面白く踊りが続き、興に乗った政宗も大黒舞を踊りだした。
よほど嬉しくて浮かれていたのであろうと想像に難くない。

が。
これを見た家臣の一人、鈴木元信が思わず泣き出してしまった。

( ●Д゚)「オイオイ。めでたい席なのになに泣いてんだ」
(ノД`)・゚・「今まで殿が財政で困んないようにと、金山開発したり
      金穀の貯蓄したり、会計立てて頑張ってきました。
      それもこれも殿が天下を握る日のためです。
      それなのに、こんな城ひとつで大黒舞踊るとか、情けない!」
( ;●Д゚)「・・・ええっと」

元信の言いたいことはわかるのだが、一応めでたい席なのである。
空気読めと言いたいところなのだが、
それを見ていて更に口を開いた者がいた。片倉小十郎景綱である。

(#゚Д゚)「お城ができたと言っても、殿お一人の力ではございませぬ!
    家臣一同が粉骨砕身し働いた結果できたのです!」

小十郎はそう言うや、刀を抜いて出来たばっかりの仙台城の柱を切りつけた。
マジギレである。
要するに城が出来たからといって浮かれてちゃいかんと言うことなのだろうが、
それにしても祝いの席(ry

(´●ω・`)ショボーンとなっても仕方のない、そんな仙台城新築祝いの話。





794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 23:17:03 ID:YyAzOM6y
何この殺伐とした雰囲気

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 23:37:38 ID:aWx6tRTx
伊達だから仕方ない

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 01:03:15 ID:Hl2Qlc7B
鈴木=泣き上戸
小十郎=説教上戸

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 01:06:27 ID:vy7eOfBn
積もり積もった鬱憤が家康死後の江戸で爆発しました


799 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 04:25:38 ID:7N3lceFI
>>793片倉さんってば、こんな感じかね。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-706.html

 これは前田けいじろはんのエピ

800 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 10:21:12 ID:sYAjXksP
さんさ時雨で浮かれてて、豊臣への対応が遅れた失敗を
教訓にせず、また浮かれてたらそりゃ家臣も怒るだろ。

801 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 13:24:13 ID:8g7oMup/
この時代の有力大名の家には
めでたい席なのに空気読まずに諫言してくる
家臣が必ず一人はいる気がするw


DQN四天王がwww

2009年08月31日 00:21

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 01:33:27 ID:oguXGupe
DQN四天王がwww

戦国時代超短編やる夫
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1246612124/506-510

佐竹義宣、ぶっちゃける(上)(下)

2009年08月31日 00:21

802 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 16:45:18 ID:EkgtkTsQ
佐竹義宣、ぶっちゃける(上)

上杉景勝・伊達政宗そして佐竹義宣が江戸城中で将軍秀忠の饗応を受けた時、
三人に秀忠が聞いた。
「御身らは武の名門として名高いが、半生のうち己の満足の行く戦はあったかな?」

これに政宗が答えた。
「私は天正の郡山合戦こそ、誇るに足る戦と思っております。
私はまだ若く、手勢も少ないものでしたが、佐竹親子・蘆名氏を始め、相馬・石川に
白河結城と、諸族の大軍を相手にして大いに戦いました。縁戚の岩城常隆の調停により、
やっと和睦を結んだものです。」



「心外だ!言い過ぎだ!!
だいたい、あの時に政宗を討つのは簡単だったが、カーチャン(輝宗妹)がオヤジに必死で
頼むから手加減してやったんじゃねーか!
和睦で命拾いしたのは政宗の方だぞ?!それが何でアイツの武勇伝になる!?」

殿中では黙って聞いていた義宣は、自邸に帰るとそう言って激怒したという。

803 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 16:46:02 ID:EkgtkTsQ
佐竹義宣、ぶっちゃける(下)

寛永三年(1626)、将軍家光に従い上洛した佐竹義宣に、京・四条の宿舎で
家老の梅津憲忠が尋ねた。
「幕府の権勢も、今や大したものですなぁ!いやしかし、この幕府を創った家康と
秀吉、そして信長を大将として、対等の軍勢で平地で会戦すれば、誰が勝つでしょう?
いずれも天下を取るほどの人物、その駆け引きたるや、見ものでしょうなぁ!」

これに義宣は冷静に答えた。
「お前はアホか。勝敗なんぞ議論するまでもないわ、秀吉は信長を上回れぬし、家康は
秀吉を上回れんよ。

手が届く所に『天下』があれば、義理や名聞を置いても奪おうってのが人情だ。
信長が生きてるうちに、秀吉が天下を取った時の権勢を持っていれば、謀反を起こしてた
だろう。それだけの力が無かったからこそ、黙ってただけさ。

その証拠に、秀吉は岐阜中納言(織田秀信)を主君とは仰がなかったし、家康は秀頼を
……って、他人の目のある所で変な事聞くな!噂になっちまうだろ!」

で、義宣の危惧通り、御用商人の大嶋宗喜が聞いており、翌日には京洛中で
「まぁ、正論だけどさぁ……」と、噂になっていたとさ。





804 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 17:12:45 ID:UgFYLiT9
・・・・コント?

805 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 17:25:16 ID:kE7GZ24K
>>803
IF歴史を根本から否定するような正論(´・ω・`)

806 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 17:36:50 ID:Kfv+Or5x
おもしれえなあw

807 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 17:39:18 ID:dnKN7ZfH
義宣はいろいろストレス溜まってそうだな…w

808 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 17:50:13 ID:Z3I3oOhf
逸話を書き残した人って、絶対政宗と義宣のからみを面白いと思ってる節がある

809 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 18:53:44 ID:E+fPW/lf
>>803
その話の出典教えてください。

810 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 19:27:47 ID:EkgtkTsQ
>>809
web版国立国会図書館の「秋藩温古談」。江戸中期までの佐竹家歴代の逸話集。
正直、我流現代訳等アリ。スマソ

811 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 19:44:53 ID:dnKN7ZfH
>>810
>>809じゃないけど読んでみたくなった。サンクス

812 名前:809[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 20:21:24 ID:E+fPW/lf
>>810
ありがとう。
この逸話は鈴木眞哉の「戦国武将 人気のウラ事情」にあったが
鈴木も出典分からないと言ってたので出典知りたかったのよ。

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 21:15:49 ID:EWG63z1k
いつもながらこのスレの住人のレベルはすごいな。感心する。


島津義弘と三徳院の盲僧、菊市

2009年08月31日 00:18

863 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 11:46:33 ID:4jb30VQn
>>861

木崎原の戦いの前に島津義弘が三徳院の盲僧で菊市という人物を伊東領内に
遣わし合戦の情報を集めさせて、結果島津が勝ったんだが、このときの功で
菊市は盲僧の最高位と共に、小林郷の年貢米を毎年決まった量だけ貰えるという
特権を与えられた・・・というのは以前にも書いた気がするけど、
この年貢米の特権、いつの間にか慣例化して幕末どころか大正時代まで続いたらしい。

・・・てな話で良いんだよね?




864 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 12:54:10 ID:tDWD5V9C
盲僧の最高位って検校だよな

865 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 12:59:02 ID:3IpRcgSo
塙保己一とか勝海舟のじいちゃんが検校としては有名どころすね

866 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 13:16:14 ID:8A0mH/Dz
石田検校を忘れるな

868 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 15:01:33 ID:4jb30VQn
>>864
菊市は、史料では「地神座頭」と書いてある
宗派とかで違うんじゃないのかね


甲斐の「甲州升」

2009年08月31日 00:17

867 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 14:21:19 ID:GZURujxD
>>861

甲斐国の国中地方では本能寺の変後甲斐に入った神君によって
武田時代の制度が引き続き認められた。
この制度の中に武田家制定の升といわれる「甲州升」というものがあり
さらにその升を用いた特殊な税収法を大小切税法と呼んでいた
江戸時代に度々幕府から甲州升は田舎臭いから度量衡見直さない?
幕府の定めた税収法の方がナウい(死語)よ?と言われたが国中の人々は
その都度「この升は神君御入甲の際、制度を保障されたんですよ・・・
河尻の二の舞になりてーか、お?」と甲府城に皆でお願いに行ったり
近隣の米問屋を打ち壊したり甲府城下を歩いていただけの甲州勤番の役人を
フルボッコしたりと熱意と忍耐と誠意をもって説得した
時は下って明治五年、明治政府が大小切税法を廃止しようとしたのだが
コレに怒った(現笛吹市と旧山梨市近辺の)約6000人は一揆をおこした
明治政府は板垣退助と近藤勇が戦った甲州勝沼の戦いでも
官軍の呼びかけにも幕軍の呼びかけにも応えず
木に昇り飯を食いながら戦見物をするような大人しい甲州人が
コレほどまでに大規模な一揆を起こすとは!と驚いたと言う。






島津義弘は朝鮮の役で敵味方の区別無く弔いました。

2009年08月31日 00:16

870 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 15:52:26 ID:n2KjxK+Y
>>861

残った、続いた、と言うのとは少し違いますが…

島津義弘は朝鮮の役で敵味方の区別無く弔いました。
また、帰国後には高野山に『敵味方供養碑』なるものを建てています。
これは島津忠良が薩摩統一の折に加世田に六地蔵塔(日新公敵味方供養碑)を建てたことに
影響を受けたものと言われています。

時を経て昭和二十八年十二月二五日、鹿児島市中央公園に
『第二次世界大戦敵味方戦亡者供養碑』が
敵味方二千数百万の戦没者を弔うために建てられました。
これは高野山の『敵味方供養碑』と全く同じ大きさ、同じ形をしており
『義弘公が高野山供養碑を建てた精神に基いて建立した』と言う由来が
当時の鹿児島市長、勝目清氏によって石碑の傍らに記されています。






甲斐姫の(格好)いい話

2009年08月31日 00:08

甲斐姫   
869 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[] 投稿日:2009/08/30(日) 15:47:12 ID:nS0e7net
遅ればせながら甲斐姫が戦国無双に登場なさると伺ったので


 
秀吉の小田原城攻めに際し、武蔵・忍城で石田三成を相手に
籠城戦を繰りひろげ、
継母(成田氏長の夫人)の指揮で、水攻めを試みた三成軍を散々に
打ち負かした。

水攻めを断念した三成はとうとう力攻めに出た、
そこに現れたるは小桜縅の鎧に猩々緋の陣羽織、その姿はさながら「緋牡丹」
とも称えられる甲斐姫

名刀「波切」を手に寄手の真っ只中に飛び込み、多くの首級を上げた

そうして、忍城が奮戦している間に肝心の小田原城が開城の運びとなった。

ところが、甲斐姫や氏長夫人たちはこれを信じようとせず
なお頑強に抵抗を続けた。

そして先に秀吉に降っていた氏直が妻子を説得し、どうにか忍城を開城させた。


ついでに氏直はかわいそうな事に、この後、忍城の開城が遅れた責任を償うため
多額の黄金を秀吉に献ずる羽目になった。


既出でしたら、すみません。

甲斐姫の(格好)いい話 ということで





871 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 15:54:16 ID:A6JP8DqO
>>869
のぼうの城とは全然違う形の逸話なんだな
いろんな逸話が出来るぐらい忍城の篭城戦って凄かったんだろうな


雑談・義姫による政宗毒殺未遂疑惑について

2009年08月31日 00:07

658 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/22(土) 03:08:45 ID:kAcDosWY
政宗って家族関係で苦労してるよね。
特にお母さんからは愛情を得られなくて、そのせいで捻くれたとも聞く。
でも輝宗は政宗の才能を見込んで、非常に熱心に教育に力を注いだとも聞く。

なんか政宗と輝宗の親子愛を伝えるような逸話は無いものかね?
クレクレ君ですいませんw

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 03:16:53 ID:B294gvbQ
どんな美談でも穿って見られるのが政宗
当時も21世紀も変わらない
世間もこのスレもそんなもん

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 03:53:11 ID:FJjxHN2S
成功者が穿って見られるのも必然ですし

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 03:56:51 ID:IFeeI3GZ
>>658
母親と仲悪かったら大量に手紙が残ってるわけないと思うのだが

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 04:14:23 ID:ySu19wuw
性格が歪んだ理由はむしろ教育にあるのでは?
ハジケ損なった輝宗パパの、自信作だったんじゃないかな。

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 10:16:44 ID:04/OL17M
>>658
子供のためにわざわざ合戦場にまで行って、敵である兄を説き伏せる母親に愛が無いと?

667 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/22(土) 10:29:03 ID:7FET92qi
直江某「某なら愛はあるでござる!」

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 11:26:06 ID:bnCD6hEY
俺達 『愛なんて都市伝説』

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 12:56:53 ID:M+uIqmJ3
>>666
愛があったら食事に毒を盛らんと思う……

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 13:02:01 ID:EpKvmxRW
毒母の典型例だな、正宗母

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 13:05:11 ID:qSMumW+C
>>670
それって江戸時代の資料にしかない話じゃなかったっけ?

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 13:21:34 ID:04/OL17M
>>670
毒をもったら三年も四年も伊達家にとどまってないと思う。
朝鮮の政宗が手紙をもらって感極まって泣かないとも思う。

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 13:44:37 ID:E8iRybz1
>670
それたしか最近は信憑性に乏しいといわれてなかったっけ

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 13:50:08 ID:xQzvkkdU
壊滅的に料理な人いるじゃんきっとあれだよ

あんこの入った味噌汁を泣きながら飲み干したら泣くほどうれしかったのかと
おかわりが出てきて政宗が卒倒したとかそんなんだよきっと

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 14:04:38 ID:wlcY8dWC
珍しいものを食わせてやろうと
小鼠を煮たんですよきっと。

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 16:45:38 ID:ySIxoGc4
>>621
骨削って武器って無限の住人の尸良かw
ってかヤツは凶に左腕も斬り落とされてたな

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 19:50:29 ID:eYlwvhbs
>>675-676
正宗はジャイアンシチューを食わされたのか

679 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/22(土) 19:52:27 ID:WmNc8bwZ
山名某「家内が久しぶりの餅でなかなかいい顔して旨そうに食ってるもんですからww」

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 20:14:06 ID:npo4kvDA
>>674
信憑性どころか研究で完全に否定されたようだぞ

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 22:50:26 ID:f9XSVha2
あれだ、マンガとかである鍋とか爆発させる人だな。

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 23:01:46 ID:aOp9QQTf
政宗「こ、これは卵焼きなのか…?(うまいよ!ありがとう母上!)」

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/23(日) 00:08:57 ID:Xrm529ms
愛情も料理のスパイスでして。

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/23(日) 00:38:39 ID:xxUEIw8e
義姫「たまの毒入りはスパイスかもね~♪」

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/23(日) 01:03:46 ID:WmUkvT0x
>>680
kwsk

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/23(日) 01:06:47 ID:WmUkvT0x
遺骨から○○歳くらいに毒を盛られた痕跡がある!
とか分かればいいのにな
無理そうだよなぁ・・・
仮にできても犯人が母親とか確証ないだろうし

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/23(日) 01:08:56 ID:cc52Jg2/
http://mogamiyoshiaki.jp/?l=120067&p=log

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/23(日) 01:27:57 ID:WmUkvT0x
おお、有り難う
でも、やっぱり推測を域を出てないんだよなぁ
科学的な確証が欲しい。科学の進歩に期待だね
個人的には毒殺未遂は無かったんじゃないか、て気はするけど

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/23(日) 01:43:23 ID:cc52Jg2/
実はただの食いすぎとか食中りだったりしてな


輝元と「龍達節」と隆景

2009年08月30日 00:43

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 22:08:50 ID:vrbmUhZK
文禄年間に、「龍達節」という唄が流行した。その歌い回しが小唄の源流になったと
言われるもので、太閤秀吉に「異風を好む」と言われた毛利輝元もハマッていた。

「 ♪面白の春雨や 花の散らぬ程に降れー♪ 」 アーコリャコリャ
「……………」
「げっ、小早川の叔父上……」

「……殿、実は私もその「龍達節」とやら、最近習いまして、愛唱しております。
ただし私の場合、替え歌ですが…」
「へ?叔父上が今ドキの数寄風流なんて珍しいじゃないですか!聞かせて聞かせて!」

「では……ア、ソレ

♪面白の儒学や 武備の廃らぬ程に心掛け♪

♪面白の武道や 文筆を忘れぬ程に心掛け♪

♪面白の歌学や 其身を捨てぬ程に心掛け♪

♪面白の乱舞や…♪ 面白の茶湯や…♪」 「……も…モウ結構デス……」


とんちもイケてる(?)小早川のオジキでした。



関連
小早川隆景「おもしろの~」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6019.html


821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 22:19:25 ID:IhaY76d8
このスレにたびたび出て来る頓知とか現代の日本人には理解できんし

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 22:29:29 ID:P1II8HZQ
これは普通にわかるっしょ

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 22:39:38 ID:pKZwWFxh
これはさすがに分かる
流石隆景様

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 23:04:49 ID:SK+1aP1u
叔父さん死んだ時にはガッツポーズしてそうなくらいの逸話の量だな、隆景さんと輝元はww

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 01:13:41 ID:ezHrigEM
>>820
逸話の内容とはあんま関係ないけど元の歌流行っただけあっていい歌な

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 05:18:36 ID:GX/7N5nH
>>821
元の隆達の唄が
雨がどんなに興趣深く降っても、花が散ってしまったら元も子もない雨よ花が散らさない程度で降れ
って意味の唄。
だから小早川おじちゃんが輝元に
『何事も程度が大事なんだよ?わかってる?わかってないよね?
わかってないからそんななんだよね?』
ってことを言ってる。

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 10:59:59 ID:nNzLtnOc
>>820
そんなその当時では不良の歌う歌だったらしい龍達節を
超一流の文化人といわれた細川幽斎さんがたぶんこれまた堅物だったらしい島津義久さんを招いて
「義久さん、お得意の龍達節を披露して~」
と龍達節レイブパーティーを開いたというのはここだけの内緒です

参考文献は『細川幽斎』(これの元ネタは「綿考輯録」


雑談・歌舞伎、およびお国について

2009年08月30日 00:41

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 08:30:49 ID:yFbPsXS6
>>805
男装の美女、今は野郎だけの歌舞伎も当時彼女から始まった頃は艶めかしいエロな寸劇らしいね

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 08:54:03 ID:SYSPZvd7
エロというか、そういうのは遊女歌舞伎ではないかえ

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 09:14:13 ID:X0FVsxlE
歌舞伎は当初、女性のみが踊るもので男装美女と遊女役のからみ等、
いまでいうところの宝塚をエロくしたようなかんじだった。
次第に猥褻化がすすんでしていったため、
おかみがけしからんから女性禁止にしたところ、今度は美少年が踊るさらに
デカダンでいやらしいものになった。
その後、若衆歌舞伎も禁止。現在の野郎歌舞伎が定着し、江戸スイーツ格好の
ストレス発散レジャーになったといういきさつがある。

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 12:46:49 ID:yFbPsXS6
>>830
元祖の阿国も胸元や着物の裾はだけたりとか
風俗的な芝居取り入れたりとか結構際どいものだったが
後に続いた遊女がこりゃまた過激で女だけの歌舞伎禁止になった

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 13:14:31 ID:bGhrcSNs
芸と色は昔も今も表裏一体の様なもんだ

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 13:21:20 ID:c+6h6gaS
パンチラ禁止の結果、穿いていないへと悪魔進化した様に
男歌舞伎も女形が芸術の域まで達した

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 17:53:37 ID:/q2Waxgv
お国って1559年に京で舞った記録もあり活動期間長いから母子二代説もある

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 18:30:43 ID:eeWbkL/o
>>844
記録上の年代だともの凄いサバをよんでた説と母子二代説があるよね
名古屋山三との俗説も初代が関係があって二代目は知らなかったorその逆の説があるし

細川幽斎が剃髪して出家してきた名古屋山三郎九右衛門には宗円と称させて
「かしこくな身をかへにけるうす衣 錦にまさるすみそめのそて」と美貌を
褒め称えた詩残してるし、九右衛門は坊主頭でもそんなに美形だったのか幽斎自身が
この寺にお前が居ると(性的な意味で)危ないから武士に復帰しろと助言したり
生前の約束守って玉甫紹和尚に九右衛門の供養塔を一番大事な場所に建たせてるし

幽斎か玉甫紹和尚が出雲阿国の供養塔を後々九右衛門の側に置いたと大徳寺に伝わるし
天才的な文化人であったにも関わらず他人の才能に嫉妬せず、むしろ気にいった文化人を
支援していた細川幽斎自体が二人を結び付けた犯人かもってのを何かで見たなw

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 18:52:36 ID:+DFjjf37
>>846
母子説の方が有りだな、前者だと関が原頃には軽く見積もっても5、60歳はいくだろうし


山中鹿介大脱出

2009年08月30日 00:39

836 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/29(土) 13:23:23 ID:gtROUOkM
出雲つながりで鹿介の話を一つ

不浄口の脱出で定評のある山中鹿介ですが
逸話によってはちょっと面白い会話をしているのは既出でしょうか?



末石城で吉川元春に降った山中鹿介
天敵・杉原の城に軟禁されていた

鹿介はある夜、不浄口より抜け出でて、高さ八尺ばかりで
二重に作られた柵を飛び越し城外へ逃れた。
しかし
警固頭・木次左衛門尉に追いつかれ、上に下にの取っ組み合いとなった、
そこに、木次源五郎が追いつき
「上と下のどちらが木次だ?」
と問うたところ、鹿介は
「上も下も木次だ」
と答えた。
源五郎が躊躇っていると、鹿介は足を伸ばし、源五郎を蹴り倒した
しかし、鹿介は左衛門尉と起き上がってきた源五郎により
再び、捕らわれてしまった。


四五日後、鹿介は白昼に高さ一丈、二重に構えられた柵を飛び越え
大山原を東へ逃げた、馬により追手もかかったが、
終に鹿介を捕えることは出来なかった。



いい話とも悪い話とも言い難いのですが、
(トンチと運動神経の)いい話ということで。


ついでにソースは「芸侯三家誌」巻五です。

所で、山中鹿介って一般に身体の大きいイメージがあるようですが、
鹿介の見た目に関し言及している、多分一番古い資料の雲陽軍実記では
「骨柄五尺余り」となっているそうです。
ここの板では、鹿介は大きかったと見る方と小さかったと見る方
どっちが多いのでしょう?
ちなみに友人に聞いたら、誰それ?と言われてしまいましたwww




837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 13:32:54 ID:dRqFptAZ
>>836
> 鹿介は白昼に高さ一丈、二重に構えられた柵を飛び越え

なぜか鹿介が走り高跳で柵を飛び越えるところをイメージしてしまった。
一丈 = 3.03030303 メートルだから、もし走り高跳ならぶっちぎりの世界記録だがw


838 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/29(土) 14:23:53 ID:aUpsPxsd
映画の大脱走は実は鹿介がモデルらしい

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 17:23:16 ID:3+KI9ViF
>>838
へぇそうなんだ

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 17:26:07 ID:kJsP6Csu
本気にするなよ…

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 17:58:44 ID:1Y+DRxE8
>>841
嘘に決まってんだろw


織田家「家中の勇者ナンバー1は誰か」投票

2009年08月30日 00:38

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 15:20:57 ID:ChDyOWDQ
明日は選挙っすね~

ある時織田家で、「家中の勇者ナンバー1は誰か」という投票が行われた。
得票数1位は林佐渡守の子の林新三郎であったが、
一方で「新三郎逃走」と記載された票も7票あった。

しかし、信長はこの7票を誹謗中傷の無効票とし、林新三郎を「織田家第1位の勇者」に認定した。
新三郎は選挙結果に恥じない働きをし、「槍林」の異名をとったという。





843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 17:40:57 ID:YyAzOM6y
>>839
新三郎の票が伸びると読んでの嫌がらせかなぁ

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 19:00:25 ID:86tP2g0u
>>843
ライバル達の妨害みたいな感じだろうね


ちょっと良い森忠政、ちょっと悪い森忠政

2009年08月30日 00:37

森忠政   
847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 18:38:09 ID:YyAzOM6y
もしかして名古屋に「俺の友達の家なんてどう?」って感じで森家薦めたの忠興なんじゃ・・・

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 18:58:40 ID:5RTyzSOy
>>847
名古屋も織田一門の出で森家に仕えた時は織田九右衛門と名乗ってたし
普通に織田と縁戚のある森家の誰かがお前の妹可愛いしウチにくれない?
嫁にくれたら結構な待遇で雇うよ!ってのはあったんじゃね

じゃないと老臣井戸を遠ざけて新人の名古屋を義兄と慕って贔屓した忠政は鬼すぎるw


まぁその後事件は起きたんだけども・・・

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 19:13:15 ID:RlCahaU/
ところで、森忠政が四天王枠じゃないのはやっぱ兄貴があれだから?

852 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/29(土) 19:19:36 ID:aUpsPxsd
>>851
弟は兄に勝てないんだよ

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 19:34:04 ID:CMz0vpex
>>851
どっかみたいに四天王が五人いたとしてもかまわないんじゃないかな?w




854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 19:50:43 ID:eeWbkL/o
ちょっと良い森忠政
「お岩(妻)の兄ちゃんだし大事に持て成したいけど重臣の井戸たちに面目がたたないな~」
→忠政も散々悩んで二人を仲良くさせようとしたが二人の中は悪化する一方で
結果回避できず悲惨な事件へ
重臣と妻の兄を二人失う事件に忠政もショックが大きく大変悲しんだという
その後妻の甥でもある名古屋の嫡子山三郎(名古屋隼人)を忠政様は大事に育てました

ちょっと悪い森忠政
「ねぇ義兄者悪いんだけど俺に小言言ってくるあの老害ども殺っちゃってくんない?^^」
→この時なぜか名古屋に自慢の愛刀「かんな切り」まで渡してる
→暗殺を恐れて警戒してた井戸は普段から弟達を傍に呼んでいて弟・井戸甚三郎も現場にいた
→井戸兄弟に切られた名古屋が死んだ直後に最初から仕込まれてたかのように
「おやおや~家老職の立場であられる井戸様がこのような事を・・・これはいけませんねぇー」と
白々しく森家の兵がなぜか出てきて井戸兄弟はボッコボコされて埋められた
→なぜか井戸のもう一人の弟井戸惣十郎もタイミングよくぬっころされてしまった
これには忠政は「井戸ざまぁwwwこれで当分の間謀反も小言も言われないで済むぜw」と
したり顔だったという




855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 19:57:45 ID:YyAzOM6y
名古屋隼人は成長すると家中の空気が気まずかったのか自主的に出て行ってしまうんだけどNE☆

譜代の林親子放出のお陰で家中でゴタゴタは頻発するわでもう大変。
やり手の可政叔父さんと3人の息子が入るぐらいまでなかなか安定しなかった。

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 21:35:24 ID:5RTyzSOy
名古屋隼人って森家で育って前田家に仕えたくらいしか大して記述ないのに
結構時代恋愛物の小説に登場してるよなスーパーアイドルだった父ちゃんと母ちゃんのお陰だな


名古屋は蒲生さん時代は美人だからというより先駆け大将的な意味合いで
男に異様に人気あったとか


薩摩の寺と添え木

2009年08月30日 00:34

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 21:42:01 ID:tswDGQFy
薩摩の寺には山門を構えたり壁で囲ったりする風習が無かった。
とはいえ、戦国の世ともなれば治安も悪化する。

寺院を預かる僧侶達から「盗難を避けるために山門を気づくことをお許し願いたい」
という申し出があったのも仕方の無いことであった。
この話を受けた義久は一旦許可を出したが、このように付け足した。
「山門を築くのは致し方ないが"駆け込み寺"と言う言葉があるように、寺とは領民にとって
 心のよりどころでもある。
 たとえば夜に助けを求めてきた者が、山門に阻まれて寺内に入れなかったとあっては
 意味があるまい。山門の横には塀を乗り越すための添え木も建てておくように。」
 
そこで薩摩の寺院では寺の門の横には必ず添え木を立てて、登り越しのための
横木を付ける事が義務付けられた。
これは江戸時代に入っても幕末まで守られたという。




861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 02:15:40 ID:Lk2U2uvz
>>857
すげぇな全国各地で戦国時代前後の文化や風習が明治維新までごり押しで
残ったとか色々聞くけどこう言う系の話があったら教えて欲しいでござる

862 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 10:21:44 ID:FMFoaVVE
>>857
それって盗賊も入ってこれるんでは……

と書こうとして思いついた。壁に忍び返しをつけて一方通行にすればいいのだ。

873 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 17:37:47 ID:Lk2U2uvz
>>863>>867>>870
おぉ見たかったのはこういうのです ありがとう


最上さんから秋田さんにお手紙ついた

2009年08月30日 00:33

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 03:22:44 ID:F2XODRxQ
最上さんから秋田さんにお手紙ついた


お手紙ありがとうございました
湊合戦以降、河北の騒乱が収まらないこといつも気にかけていました。お返事送れずゴメンなさい
実季どのは色々御苦労されたとお聞きしましたが、ようやく関白様の仕置きも決まって一安心ですね
私も自分のことのように喜んでいます

∧実∧
( ・∀・)  でもまだ秋田郡の仕置きが決まってないんだよなー

そうそう、秋田郡は太閤蔵入地になりましたね。代官は実季どのなので
今までとそう変わらずに済むでしょう
かねてから実季どのが石田治部どのと懇意にしていたことが功を奏したようです
同じ出羽国の大名同士、かねてより懇意の間柄の実季どののこと、
私もこの裁定には非常に満足しております
石田治部どのも実季どのの私への言伝を見てますます喜んでいましたよ

 ∧実∧
(; ・∀・)  え? ナニソレ初耳なんだけど

それはそうと小田原へ関白様が出陣なさいますが、私も前々から
関白様のお手伝いをしてきた手前、陣処へ参上したいと思っています
思ってるんですけど!
ほら、隣のね……その、私の可愛い妹の子がね、なんていうかね……

 無 謀 ?

 身 勝 手 ?

 向 こ う 見 ず ?

……みたいなところあるじゃないですか。いや、悪い子じゃないんです。
私の可愛い妹の子ですから。

 ∧実∧
(; ・∀・)  いきなり家庭事情話されても!?

関白様も私が羽前を留守にすると堺を接している私の可愛い妹の子が
何をするかわからないので、参陣しなくていいと朱印を貰いました
そうはいっても小田原に行くべきだと思うんですけど、日ごとに私の可愛い
妹の子が乱b…やんちゃをしているって噂もあるので遅くなりそうです。(・A・)クヤシイ!

 ∧実∧
(; ・∀・)  ……なんの手紙だっけ?

でも(この手紙を預けた使者が見ていると思いますが)山形城の普請もバッチリですので
警備については安心してくださいね!(b^ー゚)
いずれこちらからも使者を送って、疎遠になっていた間の事など色々とお話できればと思います
追伸:石田治部どのから貴方宛の書状をこの使いに託してお届けします

                                                   義光より







手紙魔の鮭様の返答に困る手紙を貰った人形遊び実季の話
まーくんに頭悩まされる鮭様もどっかで愚痴りたかったのだろうか(ちなみに鮭様44才、実季14才)
後年、この人の良さそうな鮭様と家康にハメられて転封くらったことも実季の人形遊びを加速させたのかも知れない……





770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 09:15:21 ID:X0FVsxlE

それにしても義光は誰にでも嫁だの甥っ子だの、聞かれもしないのに
家庭事情を語り出すなw
給湯室で愚痴るパートのおばさんかよw

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 09:32:49 ID:dRqFptAZ
>>764
一見愚痴の手紙の間に、サラっと重要情報を入れているのがやり手であることを伺わせるなw


「毛利秀元記・巻之五」より、小早川秀秋の寝返り

2009年08月30日 00:32

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 11:31:43 ID:dRqFptAZ
「毛利秀元記・巻之五」より、小早川秀秋の寝返り


「金吾殿、山中の城に居給ひけるが、心替り分明の聞こえありしに依って、手籠もうすべしと
評定ありしかども、夫れも何かと延引なり。
杉の権頭所より、金吾殿心替り必定の由、堅く三箇度安国寺へ申越ししたり。
此権頭は、隆景より金吾殿へ、付け給ひたる者なりし故、斯く申越したり。
安国寺、此由を治少へも長大蔵へも申されにしに、両人乍ら、うかうかとして居られしに、
案の如く金吾殿打って出でられしぞ。」

(訳)
『小早川秀秋は松尾山の城に陣を置いたが、心変わりは明らかであるから捕らえるべきとの
評定があったのに、これも何かと先送りになった。

杉の権頭の所から、秀秋の心変わりは間違いないと言う事を、厳重に三度まで
安国寺恵瓊に申し越された。

この権頭は、小早川隆景が秀秋に付けた者であったので、このように(安国寺に)申し越して
きたのだ。

安国寺恵瓊はこの事を石田三成にも長束正家にも伝えたのだが、両人ともに
うかうかと何の対処もしなかったので、案の定秀秋は(西軍に向かって)討って出たのだ。』


これを見ると、松尾山に陣を張った時点で既に、秀秋が東軍に寝返ったと言うのは、広く認識
されていたようです。にもかかわらず、西軍首脳はこれへの対処を先延ばしにし、結局それが
命取りになった。という認識が、少なくとも毛利秀元周辺にはあったらしい。というお話。





776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 12:37:20 ID:XNdyn0GP
これが小早川隆景隊だったら…と思うところだがそれだとそもそも毛利の動向変わるよなw


778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 14:15:11 ID:m4Akfrd6
>>775
と、いうわりには、毛利には小早川の裏切りに備えた形跡が無いんだよな

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 17:50:42 ID:796DllEL
>>778
吉川広家「計画通り」



大友家の入札

2009年08月30日 00:31

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 17:54:26 ID:mr+TY6c6
いい話に選挙ネタがあったので、こっちにも投下してみる


大友家の作法では、家老を申し付ける時は、家中の者達により入札(投票)をさせ、
その数が多かった者に申し付けたそうである。

ところが義統の代になって、この入札は行われなくなり、
家臣たちが行うように申し入れをしても、その嘆願は無視された。

これに大友家の家老達は、
「我々は家中の投票によってこの職に付いている。それゆえに、自分達が申し入れる事は
家中の意思を汲み取ったものであるのに、それが行われないとは当家も滅亡間近か。」
と、大いに嘆いた。

あの家老は
「梅の花は寒いうちに咲き、風が温かくなると散ります。
義統様が当家の仕置きを一方的に変えられても、今の所目だった弊害はありませんが、
家中の雰囲気は悪くなっています。これは春風が却って梅の花を散らせることと同じです。」
と、今の状況を語った、とのことだ。


まあ、大友家にこんな風習は無かったから、間違いなく江戸期に作られたお話なんだが、
昔の人も解ってた、「選挙は大切だよ」、と言うお話。


782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 17:56:38 ID:VbBglB4z
>>774
裁判にいったら訴訟人と裁判官が仲良く鷹狩で不在だったからな
とんだマッチポンプだよまったくw







森家の林長兵衛為忠

2009年08月29日 00:39

森忠政   
735 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/27(木) 23:49:01 ID:gcU1ukwX
森家に林長兵衛為忠という重臣がいた。彼は長可、忠政の生母妙向尼の弟であり
森兄弟の叔父にあたる。
家老として重きを成していたが、妹の夫、井戸宇右衛門が名古屋山三郎とのイザコザで
忠政に誅殺されるという事件が発生した。
(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1536.html)
為忠は激怒し、忠政を見限り福島正則に仕えることになる。正則改易後も森家に戻ることなく
本多家に仕えた。
兄弟を全て失った忠政にとって、一族は為忠を除けば数年前まで出奔していた
(>>580)叔父の森可政くらいのものであり、
忠政にとっては大きな痛手であったことだろう。忠政はつくづく家族運に恵まれない。




736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 00:01:11 ID:ACBNV7e/
鬼武蔵の一族でも義憤することを示したいい話。

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 10:01:58 ID:rv6NSVGa
なんかこっちがいい話スレの気がしてきた。

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 10:20:33 ID:VuCOZ/kT
為忠って甥の井戸宇右衛門の事でブチ切れて忠政を説教しようと思ったのか
復讐なのか判らんが個人的に気にいってた名古屋山三郎を動かそうにも
甥と殺し合いした当人だし忠政にかんしちゃ森家の主君だし何も出来なくて
もう当てつけかのように正則に仕えるしか出来なかったんだよな

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 10:48:57 ID:VuCOZ/kT
間違えた甥は忠政で義理の弟が井戸宇右衛門だったw


「毛利秀元記」より、関ヶ原決戦前の、西軍評定の様子

2009年08月29日 00:37

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 15:30:53 ID:XwWjT4eV
関ヶ原、家康の赤坂到着前のこと

美濃、岡山にまで進出して来た東軍に対し、西軍では石田三成、大谷吉継、宇喜多秀家、島津、
長束、平塚、脇坂と言った面々が集まり、評定を開く。
この時毛利家からも、毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊、天野元政といった者達がこの会議に
参加した。

評定は三度も開かれたが、これぞと言う方針も決まらず、淡々と、ただ時間だけが流れた。

これに業を煮やした毛利秀元が発言する
「ここで合戦をすべきである!そうせずに、今集結している大勢の軍兵が、うかうかと
敵を目の前にして守っているだけだとは、無念この上ないではないか!

今、岡山にいる軍勢のうち、殆どは上方勢である。人数で圧倒している以上、
味方の勝ちは必定と考える。然れば我らが先手を仕る。敵をことごとく、虜として
くれよう!」

大谷吉継はこれを聞くと
「ここに、この評定の結論は出たと言うべきであろう。我等も合戦してしかるべきと存ずる。
是非、合戦との決議をしていただきたい!」
と、賛同を示した。

ところが石田三成は、
「刑部少輔は目が薄いためそのように言うが、敵はとるに足らぬ数ではないか。
あのような連中には、合戦をせずに勝つべき物なのに、いらぬ所に手間をかけるのは、
無体な事である!」

そう言って、主戦論に反対した。
大谷吉継は、自分が目の悪い人間故に、三成が「目が薄い」と言った事に
もっての他と立腹し

「私は盲ゆえ、談合の役にも立たぬようだ!兎にも角にも、三日のうちに合戦を行わなければ
この弓矢は負けとなるぞ!」

と、言い捨て、そのまま駕篭に乗って帰っていった。


それから程ない九月十三日、赤坂に家康の旗印が立つ。

「毛利秀元記」に見える、関ヶ原決戦前の、西軍評定の様子。





743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 15:43:13 ID:2/fcyjkB
>>742
三成は三成なりに必死だったんだろうけど、こんな風にいわれても
西軍として戦った大谷さんが切ない。
三成は悪人とかではなかったかもしれないけど、こういう面が
周りから信頼を失わせる結果に繋がったのかな。

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 16:11:20 ID:bSAyQ1ct
>>742
三成はきっと自分なりの価値観や正義が自身の中で確立されてるんだろうね。
良く言えば歪みない、悪く言えば独善的。
他人の意見に耳を貸したような逸話が存在しないのもそういったことかも。
だから、吉継の飲んだ茶の器に平然と口を着けたのも、吉継の病は他人には
うつらないものという自分なりの確信を持ってた、ただそれだけなのかも
知れないと思ってしまう。

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 16:19:44 ID:GI3HrkQt
つか全部三成に責任押し付けて秀元マンセー記事にしただけでないの

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 16:33:57 ID:XwWjT4eV
>>745
毛利秀元記が秀元マンセーなのはその通りだが、この評定の模様に関しては
出席した天野元政の証言があるっぽい。(それも勿論毛利側からの見方な事は間違いないが)


747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 16:43:51 ID:8Rvfhs2q
>>744
茶会の話は有名なわりに出典すら不明の信憑性ゼロの逸話だから
引き合いに出されても検証材料にならんよ。

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 18:05:22 ID:anQnHhX4
だから逸話の真贋だのを検証するスレじゃないと何度言ったら…


伊達順之助について

2009年08月29日 00:35

751 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/28(金) 18:28:16 ID:3pPEowkY
既出かも知れんが

伊達順之助について

独眼竜がDQNなのは周知の事実だがなんとDQNの血は昭和に入るとさらに威力を発揮したらしい。
直系の子孫である順之助さんの華麗な御経歴。

1892年生誕、政宗直系の孫で華族でありながらいわるゆヤンキーであり数々の学校で
クローズ的生活を送りその都度退学。
17の時には893を撃ち殺しタイーホ。しかし親の手回しでなんとか助かる。

22歳の時ようやく旧制中学を卒業したと思えば大陸で張作霖爆殺計画に乗るわ
山県有朋を殺そうとするわの暴れっぷり。
もっと過激なことをしたくなったのか大陸浪人になり持ち前のDQN力でなんと
馬賊の頭領になり彼らを引き連れ山東自治軍に参加。
「俺が奥州といわず中華の覇者になってやんよww」と言ったかどうかは知らないが
日本国籍を捨て中国に帰化し自治軍の指揮官として日本、満州、国民党、共産党の
全てを敵に回し暴れまわるDQNぶりww
終戦後は今までのツケか戦犯になり銃殺刑。

下手したらどんな災害よりも怖い独眼竜の血の復活。






森忠政と作州一揆

2009年08月29日 00:35

森忠政   
754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 19:13:44 ID:soTq0QnJ
森忠政と作州一揆

小早川秀秋の急死により1603年、美作には森忠政が18万6千5百石を領し移ることとなった。
すぐに「森家の制度は非道で、領内の民百姓は難儀に及んでいるそうだ」などと国中で噂された。
ある者は信濃・美濃へ行き様子を見るとやはり噂に違わず、領民は森家の国替を聞いて
限りなく喜んでいたという。

そこで美作国人や小早川家浪人は林野城へ集まり軍議を行った。美作出身で
隆景公の代からの小早川家臣である難波宗守
(かつて筑前国三笠郡を領したことから三笠入道と呼ばれた)が大将に選ばれ、旗揚げした。

集まった武士は、美作東部の安東氏・江見氏・菅家党を初め国中の多くの国人と
小早川家譜代の武将ら、毛利恩顧の武士、野武士・浪人・備前侍が集まり、総勢
二千六百八十余人が各々播磨因幡国境の城砦を固めた。

忠政は報告をを聞いていたが、注進を無視して老若男女千人にも足らない人数で
五月八日本国を出立した。
五月二十二日播州山崎に到着。入国は困難に見えたが、播美の親戚関係を利用して
東北部国境を守る
新免氏と菅家党有元氏を密かに説得、彼等の案内で北の山路を迂回して五月二十七日、
入国することに成功した。
有元氏の居館に本陣を構えると、本領安堵を期待して降参する者も現れ、
結局一戦も及ぶことなく一揆は解散し、六月十五日林野城は開城した。
三笠入道は自害し、あるものは国外へ退去、またある者は苗字を変えて密かに暮らした。

忠政は八月に本陣を院庄へと移し、築城を開始する。そこで例の事件が起こるがそれはまた別の話。
翌年には検地を半年で強行し、表高からさらに4万石打ち出した。
その後も国人層から家臣として召抱えられた者は僅かであり、1608年には武士としての身分も
剥奪されることとなった。

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 19:17:28 ID:soTq0QnJ
寄せ集めの一揆勢は、忠政の入国に気づいて陣を夜襲したら既に移動した後で、追撃しようとしたら
別の拠点から夜襲を仕掛けた味方部隊といつの間にか同士討ちになってたとか連携悪すぎ。
そんなまとまりも無く、一国人が精々数百の兵しか出せず、戦国を通して
統一勢力の生まれなかった美作で合計三千近くもの兵を集めさせた森家の悪名の高さ。
検地はたったの2割の増税と、さすがに信濃の時よりは控えめですねw





756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 19:28:37 ID:XwWjT4eV
まとまって合戦したらどうなっていたか解らない状況だけど、まとまらないのを見越して
入国したんだろうな。

それにしても忠政の果敢さや有能さはやっぱり、戦国大名のものですな。
平時には迷惑w

757 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/28(金) 21:15:51 ID:elmMbD15
                     ,、
                    /| |
       ,,;r''"~ ̄^'ヽ,     /  | |            
     ,/ 森忠政  \,   /   | |   <よいか皆の衆!
   ∠__,,,,,,,,_,;____\/     | |    逃げる者はただの国人衆じゃ!
      l l''|~___;;、_y__ lミ;l  /     | |    逃げない者はよく訓練された国人衆じゃ!
      ゙l;| | `'",;_,i`'"|;i | /       | |   まことに美作は地獄じゃのう!
     ,r''i ヽ, '~rーj` //        .| |    フゥハハハーハァー
   ,/  ヽ  ヽ`ー"/::/ `ヽ      .| |
  /     ゙ヽ   ̄、/::::  ゙l,     .| |
 |;/"⌒ヽ,  \ /_ヽ:  _l_   | |
 l l    ヽr `i`I`I`I_⊂////;`ゞ .| |
 ゙l゙l,     l,| {ニニニl,,l,|,iノ二二二二ニニニニニニニ二二二二二二二二Iニ三三>
 | ヽ     ヽ∠∠∠∠∠/\,-| |
 /"ヽ     'j_\ヽヽ, ̄ ,,,/" ''''''''''⊃
/  ヽ    ー──''''''""    `゙,j"
  _,,,,,,,,,ヽ、        ,,,,,r-''''' | ̄| ̄I
''"    ヽ,,___,,,r‐''''''二_\  | |  ,|
          \'''"   / \| | ノ



758 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/28(金) 21:23:01 ID:0bBbVaFm
>>757
弓の持ち方くらい治せよw


島津忠長と家久の梅ノ木

2009年08月29日 00:32

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 23:12:36 ID:uzP+CpXV
ふむ。島津忠長の名前が見えたので忠長関連のエピソードを1つ。

元和元年、上洛の途中に清水観音に立ち寄った家久は、一晩お堂にこもり
「嫡男誕生」を祈願した。そして住職から梅干をもらったので、その梅の種を
鹿児島で植えたのだった。
するとどうだろう。今まで4人連続女の子が生まれていたのに、梅が芽を出すと
連続して男児が生まれたのだった。
これに気を良くした家久は、この生えてきたばかりの梅ノ木を
霊験あらたかな瑞兆の木として非常に大切に扱ったのだった。

だがしかし、元和4年これらの経緯をすべてしっていた大叔父の忠長がなんと
庭普請時にこの梅の木を切ってしまったのだ。
しかも家久が普請方にこの梅の木だけは切るなと命じていたのにである。

家久はさっそく「話があるから来い!」と大叔父を呼び出す。
当然不穏な空気を感じた忠長は「今ちょっと急用あるから、これ終わってからで」と
呼び出しをかわそうとする。
しかし「こっちも急用だ!早く来い!」と引かない家久だが、
忠長は「こっちも急用、あっちも急用ってどうすりゃいいんだか?とりあえず
こっちを片付けてからで」と呼び出しに応じない。

そして3度目の家久の呼び出しの使者に忠長は逆切れする
「うるせー!日薩隈3州の太守がたかだか梅1本でグダグダ言うな!見栄えが悪いから
切っただけだろうが!!
そんなに梅の木が欲しけりゃ領内にいくらでもあるだろ。そう言うことだ!」

使者から忠長の伝言を聞いた家久は黙りこくってしまい、その後出頭した忠長には
「庭普請で疲れたでしょうから一緒に酒でもと思って声をかけたんですよ」
と叱言1つ言わず、一緒に酒を飲むのであった・・・

と家臣の暴言にも切れずに対応できた南のDQNのお話。まあこの時はまだ
義弘が健在だったからかもしれませんが。




793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 23:15:55 ID:rySBvAwG
見栄えが悪いからって人のモンを勝手に切るなw

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 23:27:50 ID:udAUmEsr
家久(悪)の方?

795 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/27(木) 23:28:59 ID:9IABb3HT
豊久「これぞまさに切り捨てご梅ん!」

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 23:41:21 ID:McfvGh23
一緒に飲んだ酒って梅酒だったりしてw

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 23:52:29 ID:RyK1DP9z
梅干しから芽が出るってすごい事なのに・・・(´・ω・`)

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 23:55:45 ID:OoqBACQP
いい話?梅干しのいい話か!

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 00:32:43 ID:r7dI8gQK
>>797
そうだよね。
既に塩漬けされてるわけだから、発芽するための機能が壊死してなかったのはスゴイや

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 00:54:45 ID:tEvgSs9q
悪い話と良い話過去スレから全部見てきたけど
悪い話に上がってる政宗の話はいい話の方でいい気がする

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 01:16:41 ID:wtVC6naO
残暑がまだまだ続きそうですね。


802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 01:25:25 ID:ovoh4FCp
いやみったらしいの

803 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/28(金) 01:31:07 ID:ib6Ups4g
>>792
その後自分の子を養子に送り込んでうさをはらしていたらおもしろいな

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 03:40:21 ID:OvmJdWXX
これが徳川家中だったら家康が言いくるめられてめんどくさい部下の話になってるところだな

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 08:22:38 ID:1Qt54/vz
>>803
家久には後々報復ってエピソード多いからなあ。
川上さんちとか子供の代に火あぶりの刑だし…

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 09:55:14 ID:kjP5uUgs
>>792
この時史実では忠長死んでたよ・・・というつっこみはなしでw

>>797
そうですねw

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 09:57:26 ID:6cSToMEQ
>>792
「梅干しの種から木が生えたぁ? おいおい、そりゃあ『種違い』なんじゃないの?』
っていう、意味なんじゃなかろうか。

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 14:03:01 ID:IK6Al3pn
>>808
忠長の死亡年には諸説あるから。
ウィキだと慶長年間に死亡したことになってるけど元和年間という説もある。
そして元和年間説をとるとこの件のあと比較的早く死んだことになるんだよね。
別に悪久が手をくだしたとは(ry


名古屋山三の死と出雲阿国

2009年08月29日 00:30

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 04:09:11 ID:VuCOZ/kT
森家で起こった「にらみあいの松の事件」の地元に伝わるその後のお話を一つ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1536.html(←にらみあいの松参照)

当代無双、絶世の美少年として名を馳せ齢十五にして「名古屋山三は一の槍」と
流行り謳として謳われた
名古屋山三が井戸宇右衛門と両者相討ち死にしたとの事は、瞬く間に全国に広がり
特に山三が浪人時代過ごした京の都ではその話で持ちきりであった。

京の都では名古屋山三と浮き名を馳せた出雲阿国とその一座も今では民衆から
「阿国一座はもうダメかもね・・・」 「そもそも次の公演自体があるのか・・・?」
と「やや子踊」や「念仏踊り」で一躍スターとなった阿国一座であったが名古屋山三が
惨死してから間もなく同年同月に念仏踊りの公演が行われる事が民衆の間で広まった

京の民衆たちも「演目も念仏踊りだし追悼公演だろうな」 「これが見納めになるだろうし
見に行くか!」
なかば同情的な意味合いで観衆は意外にも多く 阿国一座にとっては盛り返す為の
最後のチャンスでもあった…

演目が始まると念仏踊りしているのは出雲阿国本人ではなく一座の別の女性であり民衆たちも
「あぁ阿国ちゃんはやっぱり出て来れないか」 「巷の噂じゃ自害して
2代目が後を継いだとか言われてるぜ」と噂とブーイングが飛び交う
が、そこに客席から突然異国風のド派手な衣装と飾り物を身にまとった男装の女が現れた
客席からは「名古屋山三だっ!」「かぶいてるねぇぇぇ!」「槍の山三が生き返った!!」と
大歓声や屋号が巻き起こる 
この女こそ出雲阿国で有り名古屋山三の衣装と飾りを身に纏ったこの日の公演で
「阿国歌舞伎」は誕生した。

人気者ゆえに亡き恋人(もしくは夫)を舞台の上で蘇らせた芯の強い女性であったとも
言われる一方で
面識もない癖のに勝手に山三の名を語り売名した悪女とも言われる彼女だが、
にらみあいの松付近の言い伝えや
作楽神社の伝承では出雲阿国が郷里する為に、このにらみあいの松に訪れ
山三の遺体が埋められた北側の松の木の下で一人泣き崩れ 深夜になっても
泣き崩れている女を心配して村人達が訪れると先刻とはまるで別人のように
北側の松の木の下で踊り始めそのあまりに美しい舞姿に村人たちは驚いたと言われている

松事件以降の森忠政のその後のトラぶった逸話を書こうかと思ったらいつの間にか
戦国ロマンスになってしもうた・・・





807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 09:34:24 ID:toMEKD2K
>>805
かっこいいね

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 10:39:33 ID:Bhz8YfPX
>>805
阿国さんって一座で一番べっぴんな女の子に自分の名を口上させて自分は名古屋になりきって
イチャイチャ歌舞伎したり、その後も名古屋さんの霊と会話したり周りからは美談に
仕立て上げられてるけど


俺は精神的に病んで別の世界に逝ってたんじゃねーかと思うんだ

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 11:08:47 ID:KJJl7dGV
太古の昔から舞踏ってそういうもんでない?

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 12:17:16 ID:o3SYp6G+
てか阿国と山三って面識もないんじゃないかっていわれてるよね
どうして結び付けられるようになったんかな

ああ、こういうこと書くと叱られるんかな

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 12:23:37 ID:SJ9Ia2Y3
そういう歌舞伎の出し物があったからじゃねぇの?
まぁ比較的野暮の部類の話ですな

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 17:29:46 ID:VuCOZ/kT
>>812
逸話を楽しむスレでマジレスしても良いのか判らないが一応補足しとくと
乱世で民衆に娯楽が少ない中、当時流行り詩になる程のイケメンと
当時、都で人気街道絶頂の男装の女芸人をくっ付けたがるのは今のワイドショーと変らない
と言ってしまえばそれまでなんだが、一応そこに至るまでの関連性はちゃんとあって

京の都で”クニ”と”菊”と言う少女がややこ踊りを披露していた時期に名古屋山三も
京の都でたまたま浪人していて色恋沙汰の噂が絶えなかったこと

京の大徳寺に名古屋山三郎が出家中に逆修塔(生前に作っておくお墓)を立てて居て
偶然にも大徳寺・高桐院の中の更に奥の敷地内に山三と並ぶように出雲阿国の墓がある
(ちなみに名古屋山三郎は出家中あまりにも美し過ぎて風紀が乱れてカオスったとの逸話もある)

名古屋山三郎が亡くなった1603年に名古屋山三を思わせる出で立ちで
偶然にもかぶき踊りが演じられたこと

阿国一座を真似ろ超えろと遊女達が真似た芝居で”国”と名乗る踊り子が大量に溢れて
その中の数人が名古屋山三が囲った本当の”女”だったかも知れないので色々噂が残ってる

父は名古屋因幡守(信長の従兄弟)母は養雲院(信長の姪)で山三の息子
名古屋隼人(幼名:山三郎)は森忠政の下で育てられ高山南坊の推挙で加賀前田家に仕えたと
最低限の出自がはっきりしてる名古屋山三郎に対して
出自が「出雲の国の女」とも「大和の歩き巫女」とも「京出身の女芸人」とも言われている
出雲阿国は一人の人物(本物)を中心に京の都で”クニ”と名乗った複数の女性の逸話の
集合体が歌舞伎・浄瑠璃の世界で後世に伝わって二人が恋人や夫婦であったという俗説が
大衆の間でとても根強く残る事になった。

一座を守る商根魂の強い人だったとも、色恋沙汰とは無縁の踊り一筋の女芸人だったとも、
春を売る仕事もしてたとも凄い曖昧な人物像に描かれてるのはその為とも言われてる。

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 17:48:48 ID:wBm7/MMi
戦国三大美男子の名古屋山三郎(喧嘩沙汰で死亡)、不破万作(秀次の後を追って切腹)は
太平の世まで生きられなかったけど、
浅香左馬之助は生きたんだよね。石田三成の家臣だったのにどうして生き残ったんだろうか。


本阿弥光悦の母親、妙秀尼と盗賊

2009年08月29日 00:28

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 17:42:32 ID:0F8rKzxr
戦国時代生まれの芸術家として名高い本阿弥光悦の母親、妙秀尼の話。
ある日、妙秀尼の家に石川五右衛門の一党の盗賊が押し入り、蔵から財物を盗んでいった。
近所の人たちはそれを知って、「盗まれたものは有名な品ばかりですので、すぐにあしがついて
盗賊どもは捕まるでしょう」と、妙秀尼をなぐさめた。妙秀尼は「つかまれば死刑となる。いかに
盗賊とはいえ、さすがにそれはかわいそうじゃ」と言って、運良く盗賊に盗まれずに蔵の中に
残っていた反物を寺に奉納して、盗賊のために祈った。




817 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/28(金) 17:46:35 ID:1Qt54/vz
盗賊にとって(都合の)良い話?


久世三四郎広宣、元同僚のねたみに

2009年08月28日 06:57

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/26(水) 23:46:55 ID:TJUy1lK2
久世三四郎広宣は榊原康政の家臣だったが、家康に見出され、直参旗本となった。

大阪冬の陣の際、広宣は家康に、物見に出て旧主の子・榊原康勝の陣に行き、どれほど
攻め寄せたか、その先は通れるのか見て来るよう命じられた。

榊原家の侍たちは、直参となった広宣と陪臣の身に甘んじている己を引き比べて
妬ましくなり、
「この陣の先は、鉄砲の弾が飛び交い危ないぞ。見に行かず早く帰ったほうが良いわ!」
と、意地悪を言った。

これに対し広宣は、
「榊原家の城攻めは、城方と自軍の旗先が当たるほどに攻め寄せるのが、軍法よ。
弾が飛んで来るということは、敵陣はまだまだ遠いということじゃ。
わしが貴殿らと肩を並べて戦っていた時は、こんな事は無かったはずだが、貴殿ら、
いつの間に臆病神を憑けおった?
わしら旗本衆は、この程度は何程も無いわ!」
と言い返して立ち去った。

榊原家の何者も、広宣に答えられる者はいなかったという。




774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/26(水) 23:56:33 ID:jAkoB+ZE
康勝「臆病神は憑いておらぬが、尻に疫病神が取り憑いてござる」

775 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/27(木) 00:14:51 ID:Rh+mWj8U
>>773
確か、この人の家臣だったよな
復興した大阪城の大砲の筒の中に入って遊んでたのw

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 00:18:54 ID:18y5Gpto
>>775
それは戸田氏鉄さんところだな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-745.html


777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 00:22:24 ID:lCTVkZ/p
>>773
筑後川氏の大阪の陣絵巻の逸話ほぼそのまんまだな


滝川雄利、小牧長久手にて

2009年08月28日 06:55

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 01:31:01 ID:18y5Gpto
小牧長久手の時のこと

織田信雄の家老、滝川雄利は、羽柴方と城から撃ち出て戦ったが、引き取る際に
敵の追撃にあった。

その時城の門役をしていた二蔵三蔵と言う者は機転が利いたので、わざと門を閉めるのを
遅らせ、追撃してきた敵を城の中に閉じ込めた。これにより敵は引き取る事もできず、
まさに袋のねずみとなったのだが、この時雄利はあえて再び門を開かせ、敵を討つことなく
引き上げさせた。

さて、その頃徳川家康より、雄利への援軍として、近藤石見守の部隊が到着した。
近藤は雄利が敵を逃がした事を聞き、なぜそんな事をしたのかと尋ねた。

雄利は答えるに
「あの敵は、閉じ込められた事により死地の兵となっていました。これを討とうとすれば、
城内にも多くの犠牲が出た事でしょう。また、彼らを討った所で、この戦の勝敗の大局には
かかわりありません。
そのように判断したため、彼らを引き上げさせたのです。」

近藤石見守はこれを聞き、大いに感じ入ったと言う事である。


と、雄利の戦術眼のいい話なのだが、この人後で、信雄の秀吉との単独講和を
家康に内緒で推し進めた中心人物なので、単純に秀吉に対しての心証を悪くしない為、
羽柴軍にあまり損害を与えたくなかっただけかもしれない、などとうがった見方も出来るお話。





789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 18:10:55 ID:NhGIEK05
> 二蔵三蔵
姓がふたくら、名がさんぞう か
姓が某、名がにぞうさんぞう か
紛らわしいなw


島津豊久と凶會(くえ)日

2009年08月28日 06:54

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 17:37:01 ID:XltdFEaz
薩摩領内で発生した庄内の乱は、伊集院方が12の城に立て籠もったために
島津の将兵を多数動員せねばならない事態に陥っていた。
無論、島津豊久もこれに出陣している。

戦いにあまり進展が見えぬ或る日のこと、豊久は軍議のために島津忠長の陣に
入っていた。
評定が終わり、ふと陣幕の周辺を見渡してみると、なんと高城から敵兵数十人が
妻子を携えて城から出ていくではないか。

「さては城内の兵糧が尽きて都城に退く腹積もりか」
好機である。
「誰ぞ、士卒を率いてあれを追い詰めよ!」
軍議で来ているため自前の兵のない豊久は、陣内の将兵に追撃を促した。
しかし、これに異を唱える者が一人、
「本日は凶會(くえ)日に御座いまれば、その儀はお止めになられた方が・・・」
凶會(くえ)とは何かと豊久が問えば、その者曰く「合戦に利無き日」であるという。
君主である義久が事ある毎にクジを引いたり、川田義朗らに戦の吉凶を
占わせていることもあり、島津家は何かと縁起を重んじていた。
そのため凶會(くえ)日である本日の合戦は行えないというのである。

しかし豊久これに立腹。
「”くえ”日であるならば、敵を追いかけて”食え”や! ヽ(゚皿゚#)ノ ゴルァ!!」
「Σ(;゙゚'Д゚') ハッ、ハハ━━━━ッ!!
その剣幕に将兵らは我先にと敵の跡を追いかけて行った。
これにより既に敵の先頭部は遥か先に逃げ延びてしまっていたが、後方の者らを
討ち取るにいたった。

「豊久様のお言葉は勢を進むるに計ごと、時に取り手の金言である」と世の人々は
豊久のダジャレ・・・・いや、言葉を称賛したという。




790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 18:25:20 ID:WACb1216
>>788
で、関ヶ原の合戦は義弘おじさんの代わりに東軍に く わ れちゃったわけですね・・・

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 21:11:50 ID:czZKWTVW
>>788
>君主である義久が事ある毎にクジを引いたり、川田義朗らに戦の吉凶を
>占わせていることもあり、島津家は何かと縁起を重んじていた。

義久の籤引きに関してはやらせ…もとい、士気を挙げるための芝居といった側面もあるので
縁起担ぎとも言い切れないんだけどね。

豊久がまだ劇団の見習いの頃と言うお話でw

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2454.html

伏見伊達屋敷への討ち入り

2009年08月28日 06:52

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 17:46:47 ID:18y5Gpto
さてさて、久々に面倒くさい人たちのお話。

伏見においての事。

徳川家康の若い旗本である、筑紫惣九郎と言う者の小者が、伊達政宗の屋敷の、
水汲みの者と口論となり、その水汲みに筑紫の小者が叩かれて帰ってくる、と言う事があった。

これを聞いた筑紫惣九郎は激怒した
「堪忍ならぬ!政宗の屋敷に切り込みに行く!!」

まわりに居た、関金平、藤田民部と言った6,7人の惣九郎の友達たちも、これにさすがに驚き、
「何もそこまでする必要は無いだろう?」などと、口々に諌めたが、惣九郎は
まったく聞き入れようとしなかった。

惣九郎のあまりの頑固さに、周りの者達もさすがに呆れ
「解った勝手にしろ。しかしお前一人で討ち入らせるのもどうかと思うので、みんなで討ち入ろう。」

なんだか斜め上の結論に至った。

惣九郎と愉快な仲間たちが早速討ち入りの準備をしていると、これを聞きつけたのが
足軽大将の渡辺矢之助である。
渡辺は足軽大将と言う地位からもわかるように、惣九郎たちより年齢も地位も上の、
徳川家のことを考えた上で、若い者達を導く立場の人間であった。
渡辺は惣九郎の眼前で強く言った

「わしが足軽を出して後詰をする!存分に討ち入って来い!!」

話の解る上役であった。


さて、この当時の大名屋敷と言うのは、通常、常に大門を開いていたそうだ。
彼らは伏見伊達屋敷に、大門から堂々と入ってくると、理由も告げずに
突然切込みをはじめた。

伊達家の者達は当然わけがわからない。番兵たちが押さえ込もうとするが
この厄介な三河者達はその番兵どもを蹴散らすと、「まあこんなものか」と
引き上げようとした。が、藤田が伊達の番兵に捕まってボコボコにされているのに気がつき
もう一回戻って藤田を助けたりもした。

そんなわけで引き上げてると、騒ぎに気がついた伊達の屋敷の者達が、大勢で彼らを
追跡してきた。7人ほどの三河者に、数十人の伊達勢が迫る!その時である

後詰の渡辺矢之助が、足軽を率いて間に入った!

「伊達家の皆様、これは軽率ですぞ!我等は家康の者どもにて譜代の家人なれば、
逃げ隠れすることは少しも無い!
何か言いたい事があるのなら、われわれが聞こう!」

そういって惣九郎たちを引き上げさせた。
これに伊達家の者達は、何も出来ずに引き下がったそうだ。

その後、伊達政宗から家康に、正式に抗議が来た。
この事を惣九郎は聞くと、「他の方々に迷惑をかける事はできない。」と、その頃の奉行に
断ってから、切腹をした。政宗もこれに異議を挟まず、この件は決着にいたった。

ちなみにこの討ち入りに加わったものの内、藤田は怪我の手当てのため関東に戻り、
後に松平忠吉に仕えた。
その他の者達には、特に沙汰も無かったとの事である。





725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 18:13:08 ID:NhGIEK05
筑紫惣九郎と申す者、覚悟誠に天晴れと言う他無しに候。


726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 19:23:16 ID:Kai4OQoI
めんどくさいというか二転三転しすぎでしょ
政宗も扱い方がよく分かってらっしゃる

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 19:50:14 ID:H7AYwN5F
叩かれて帰ってくる小物とか
気づいたら番兵にボコボコの藤田とか、いちいち表現が可愛くてウケたww

渡辺も話のわかる上役だしいいな

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 20:59:24 ID:USuCG/8Z
これは頭が固いというよりか身勝手な発想で命のやり取りすんなって感じだな。

729 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/27(木) 22:15:28 ID:9IABb3HT
いや、今の日本に必要な発想だな

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 22:20:14 ID:PkjgSr5d
まあ徳川家に限らず、この当時の武士なんて、みんなこんな感じだよなw

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 22:41:48 ID:16y4U6Eu
ヤクザじゃん

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 22:45:14 ID:PkjgSr5d
>>731
むしろヤクザの方が武士のメンタリティにあこがれたと言うべき。

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 22:52:31 ID:zw+1QSr5
>>724>>727
斬り込んで来た相手にボコボコで済ませるなんて、伊達家の番兵は随分と優しいな。

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 22:57:02 ID:oWrluhwN
>>733
政宗「主君に似ただけさ!」

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 14:39:55 ID:qTEUVmIl
>>724
そういや、水野勝成も伊達政宗んとこ殴りこみに行かせてたよなあ・・・
たかが馬一匹の為に。

741 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/28(金) 15:14:09 ID:0bBbVaFm
実は政宗に一泡吹かせたいだけだったとか
日頃の行いは大切だよね

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 18:12:38 ID:CocuVOrm
>>740
夏の陣の戦自体、伊達が言うことを聞かないせいで
苦労してる中、配下の部隊の神保隊は政宗に撃たれ全滅に近い状態に。
さらには、自分の家臣にあげた馬が
戦のどさくさで、なぜか伊達軍にあった。

そりゃ、何かしたくなる罠
もっとも馬一頭を奪い返す際、
馬取り、付き添いの徒士までを殺した辺りは勝成らしいが

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 18:30:07 ID:YrvN1N+C
まーくんはまーくんでその鬱憤晴らしに老中と相撲とったり、酔っ払って
膝枕したりしたってわけですねw


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2009年08月27日 00:05

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伊達政宗の臨終と愛姫 54

伊達政宗の朝鮮行の船に乗る老僧の話。
35

毛利家御家騒動? 34
草野文左衛門「戦国の行状」 34

石川数正の合戦論 31
堀秀政「この城に不足の物」 31

小早川隆景は開城府に有った 30
前田利家、小姓たちを起こした茶坊主に 29
こんにちわ、鬼武蔵です^^ 28

福島正則と立花統虎(宗茂)、胃が痛くなりそうな 27
雑談・武将のオンとオフ、等 27

島津貴久が国分の八幡宮を訪れたとき、とある夢を見た 25
鬼武蔵を恨み続けた森さん 24
藤堂高虎と黒田長政は不仲であった。 23

そういや鬼武蔵の兜は 21
美濃苗木城主、遠山友忠は悩んでいた。 20
成瀬正成の父、吉右衛門正一 20

松本城「清正公駒つなぎの桜」 19
川村重吉の北上川工事、その2 19




1位は伊達政宗の臨終と愛姫!政宗の死の時の、有名なお話ですね。
「奥さんにかっこ悪いところを見せたくない。」ってのは、最後まで愛姫の事を愛していたんだなと、
そんな事を感じさせてくれますね。

2位はこれまた政宗関連、伊達政宗の朝鮮行の船に乗る老僧の話。
ぽこぽこ槍とはw
こういう神がかった逸話が多いのも、この時代の名将の特徴ですね。

今週好きな逸話は小早川隆景は開城府に有ったですね。
隆景すごいわー。
こう言う人だからこそ、秀吉やその他の武将からも、大きな尊敬を得ていたのでしょうね。

今週もたくさんの拍手を頂き、本当にありがとうございます。
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下さいませませ。

( ´ω` )