805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 04:09:11 ID:VuCOZ/kT
森家で起こった「にらみあいの松の事件」の地元に伝わるその後のお話を一つ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1536.html(←にらみあいの松参照)
当代無双、絶世の美少年として名を馳せ齢十五にして「名古屋山三は一の槍」と
流行り謳として謳われた
名古屋山三が井戸宇右衛門と両者相討ち死にしたとの事は、瞬く間に全国に広がり
特に山三が浪人時代過ごした京の都ではその話で持ちきりであった。
京の都では名古屋山三と浮き名を馳せた出雲阿国とその一座も今では民衆から
「阿国一座はもうダメかもね・・・」 「そもそも次の公演自体があるのか・・・?」
と「やや子踊」や「念仏踊り」で一躍スターとなった阿国一座であったが名古屋山三が
惨死してから間もなく同年同月に念仏踊りの公演が行われる事が民衆の間で広まった
京の民衆たちも「演目も念仏踊りだし追悼公演だろうな」 「これが見納めになるだろうし
見に行くか!」
なかば同情的な意味合いで観衆は意外にも多く 阿国一座にとっては盛り返す為の
最後のチャンスでもあった…
演目が始まると念仏踊りしているのは出雲阿国本人ではなく一座の別の女性であり民衆たちも
「あぁ阿国ちゃんはやっぱり出て来れないか」 「巷の噂じゃ自害して
2代目が後を継いだとか言われてるぜ」と噂とブーイングが飛び交う
が、そこに客席から突然異国風のド派手な衣装と飾り物を身にまとった男装の女が現れた
客席からは「名古屋山三だっ!」「かぶいてるねぇぇぇ!」「槍の山三が生き返った!!」と
大歓声や屋号が巻き起こる
この女こそ出雲阿国で有り名古屋山三の衣装と飾りを身に纏ったこの日の公演で
「阿国歌舞伎」は誕生した。
人気者ゆえに亡き恋人(もしくは夫)を舞台の上で蘇らせた芯の強い女性であったとも
言われる一方で
面識もない癖のに勝手に山三の名を語り売名した悪女とも言われる彼女だが、
にらみあいの松付近の言い伝えや
作楽神社の伝承では出雲阿国が郷里する為に、このにらみあいの松に訪れ
山三の遺体が埋められた北側の松の木の下で一人泣き崩れ 深夜になっても
泣き崩れている女を心配して村人達が訪れると先刻とはまるで別人のように
北側の松の木の下で踊り始めそのあまりに美しい舞姿に村人たちは驚いたと言われている
松事件以降の森忠政のその後のトラぶった逸話を書こうかと思ったらいつの間にか
戦国ロマンスになってしもうた・・・
807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 09:34:24 ID:toMEKD2K
>>805
かっこいいね
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 10:39:33 ID:Bhz8YfPX
>>805
阿国さんって一座で一番べっぴんな女の子に自分の名を口上させて自分は名古屋になりきって
イチャイチャ歌舞伎したり、その後も名古屋さんの霊と会話したり周りからは美談に
仕立て上げられてるけど
俺は精神的に病んで別の世界に逝ってたんじゃねーかと思うんだ
811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 11:08:47 ID:KJJl7dGV
太古の昔から舞踏ってそういうもんでない?
812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 12:17:16 ID:o3SYp6G+
てか阿国と山三って面識もないんじゃないかっていわれてるよね
どうして結び付けられるようになったんかな
ああ、こういうこと書くと叱られるんかな
813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 12:23:37 ID:SJ9Ia2Y3
そういう歌舞伎の出し物があったからじゃねぇの?
まぁ比較的野暮の部類の話ですな
815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 17:29:46 ID:VuCOZ/kT
>>812
逸話を楽しむスレでマジレスしても良いのか判らないが一応補足しとくと
乱世で民衆に娯楽が少ない中、当時流行り詩になる程のイケメンと
当時、都で人気街道絶頂の男装の女芸人をくっ付けたがるのは今のワイドショーと変らない
と言ってしまえばそれまでなんだが、一応そこに至るまでの関連性はちゃんとあって
京の都で”クニ”と”菊”と言う少女がややこ踊りを披露していた時期に名古屋山三も
京の都でたまたま浪人していて色恋沙汰の噂が絶えなかったこと
京の大徳寺に名古屋山三郎が出家中に逆修塔(生前に作っておくお墓)を立てて居て
偶然にも大徳寺・高桐院の中の更に奥の敷地内に山三と並ぶように出雲阿国の墓がある
(ちなみに名古屋山三郎は出家中あまりにも美し過ぎて風紀が乱れてカオスったとの逸話もある)
名古屋山三郎が亡くなった1603年に名古屋山三を思わせる出で立ちで
偶然にもかぶき踊りが演じられたこと
阿国一座を真似ろ超えろと遊女達が真似た芝居で”国”と名乗る踊り子が大量に溢れて
その中の数人が名古屋山三が囲った本当の”女”だったかも知れないので色々噂が残ってる
父は名古屋因幡守(信長の従兄弟)母は養雲院(信長の姪)で山三の息子
名古屋隼人(幼名:山三郎)は森忠政の下で育てられ高山南坊の推挙で加賀前田家に仕えたと
最低限の出自がはっきりしてる名古屋山三郎に対して
出自が「出雲の国の女」とも「大和の歩き巫女」とも「京出身の女芸人」とも言われている
出雲阿国は一人の人物(本物)を中心に京の都で”クニ”と名乗った複数の女性の逸話の
集合体が歌舞伎・浄瑠璃の世界で後世に伝わって二人が恋人や夫婦であったという俗説が
大衆の間でとても根強く残る事になった。
一座を守る商根魂の強い人だったとも、色恋沙汰とは無縁の踊り一筋の女芸人だったとも、
春を売る仕事もしてたとも凄い曖昧な人物像に描かれてるのはその為とも言われてる。
818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 17:48:48 ID:wBm7/MMi
戦国三大美男子の名古屋山三郎(喧嘩沙汰で死亡)、不破万作(秀次の後を追って切腹)は
太平の世まで生きられなかったけど、
浅香左馬之助は生きたんだよね。石田三成の家臣だったのにどうして生き残ったんだろうか。
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