高天神城の首実検の時、ひとつの首に

2009年10月31日 00:14

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/29(木) 23:44:22 ID:QxbFhF5O
天正九年(1581)徳川家康が、遠江の重要拠点、高天神城をついに攻め落とした時のことである。
城兵たちの抵抗は激しく、捕虜になるようなものはおらず皆討死したそうだ。
その、首実検の時、ひとつの首に、家康を始めとするみなが驚いた。

それは、年のころは十六七であろうか、うっすらと化粧をし、目鼻立ちあくまで美しく、
皆、見とれるほどであった。

「これは、女首ではないか?」

こんなに美しい男と言う者も無いだろう。そう言う者も現れたが、いかんせん既に首になっており、
確かめようも無い。しかし女首であった場合、それを手柄とするわけにはいかない。

みなが頭を悩ませていると。家康がこう言い出した

「その首のまぶたを開いて見よ。白目ばかりになっておれば女である。
黒目が真ん中に来ておれば、それは男である。」

早速確かめてみたところ、黒目が真ん中にあり、「これは男の首である」となった。

はたして、後日その首は、高天神城の守将、栗田刑部の秘蔵の小姓、時田鶴千世の物だと
わかったそうである。

徳川家康、首だけで性別を見抜いたお話。




10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 11:15:16 ID:7By91C6l
>>7
死んだ女の目を何度も見ていないとその発想は出てこないよな。

11 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/30(金) 13:18:45 ID:vOPnW665
女が白目をむいて死ぬというのは、医学的に説明が付くもんなのかなぁ?

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 14:00:02 ID:2hJyR9/7
女性……戦死の苦しみに耐えられず意識を失いながら息絶える(白目を向く)
男性(武士)……戦死の苦しみに耐えて敵を睨みつつ息絶える(黒目を向く)

って感じの悪く言うと偏見じゃないかなぁ

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 14:08:28 ID:UCV6e9+9
戦国心理学ってとこかな。「女が殺されるのは不当な暴虐によってだから、少しでも逃れようとして目が上を向く。
男は殺されて当たり前だから最期まで抵抗して眼は前を向くのだ。」
講師は徳川家康さんでした


14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 15:17:25 ID:w+BIs/nz
三河武士の心構え的な事を当て嵌めただけのような気も・・

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 15:21:03 ID:elZfJy7e
>>7
孕石元康どのが化粧するので待ってほしいと……

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 16:32:04 ID:FbSs2y1h
アヘ顔です

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 18:00:36 ID:3a7h7gJh
そういう、誰が理屈を考えたのかわからない嘘知識って、昔の記録に結構あるね
未来人が今の本見たら、同じように思われるんだろうけど

18 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/30(金) 18:23:08 ID:1k0kBqja
>>13
まだ築山殿と信康を失った痛手が癒えてなかったんだねT_T


19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 20:21:26 ID:Zz4risCY
>>17
うなぎと梅干し一緒に食うと腸が腐って死ぬとかそんな迷信あるよな
迷信だとわかりつつも試したことないが

20 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/30(金) 21:05:34 ID:1k0kBqja
>>19
本多S渡守「いやいや、それがしは大丈夫でしたぞ?」

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 21:08:42 ID:PcM/kFvS
まあ、後世の人間から見れば、現在の血液型性格判断なんて、戦国時代のもの以上に
意味不明の迷信と写るだろうさw

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 21:11:05 ID:O+f1080H
「西瓜と天ぷら」は水と油だから食い合わせ悪いのは分かるけど
「うなぎと梅干」はわからんよな。幕の内弁当でも偶にあるしなw

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 21:43:04 ID:lU70N6Cz
逆に梅干しの酸っぱさがうなぎに良く合い過ぎて沢山食べてお腹を壊してしまうからよくないって説もあるけど
後世の人が民間伝承に無理に理由づけしようとしてこじつけ臭くなる典型な気がしてならない

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 21:44:49 ID:elZfJy7e
>>23
紀伊田辺の大名と浜松の大名が仲悪かったんじゃね?

片方は安藤さんだがw

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 21:57:41 ID:PDfVu6El
うなぎと梅干は鮮度の問題じゃなかった?

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 22:20:01 ID:Z3s+L+TI
ハレとケの食材の混同を忌んだから
漢方の思想ではうなぎは体を熱する食べ物で梅は体を冷やす食べ物なので同時に食べると両方の作用が働きかえって体調を崩す
梅干し何て食ったら食欲がそそられるから刺激の強いうなぎをガツガツ食っちゃって体調を崩す
俺が聞いたのはこんなところだな
多分正解はない

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 22:25:22 ID:1IBm4gQL
俺が聞いたのは
うなぎは海のもの、梅干しは山のものだから
一緒に食べるとどっちかの鮮度が落ちてるとかいもの

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『兵法雄鑑』より、戦国時代は全く油断がならねえのだ。

2009年10月31日 00:11

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 01:09:04 ID:PcM/kFvS
戦国の兵法を書いた『兵法雄鑑』より

Q、「籠城していますがもはや兵糧もなく、また、援軍の当てもありません。
  こんな八方塞のときは、どうすればいいでしょうか?」


A、「そう言うときは、速やかに降伏しましょう。

  で、城の受け取りに敵がのこのこ入ってきますね?
  そこがチャンスです。伏兵を置いておいて、油断して入城する敵将を討ち取り混乱させ、
  包囲を破り敵を追い払うのです。」


戦国時代は全く油断がならねえのだ。




871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 01:32:01 ID:YubbTGk7
匿名希望「狸の天下狙ってますがもはや石高が60万石しかなく、また、伯父貴も当てになりません。
       こんな八方塞のときは、どうすればいいでしょうか?」

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 02:17:13 ID:CqsHbiqK
頭でも丸めてろ、このDQNが!

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 02:43:06 ID:3GtzHcNi
匿名希望『四天王が一人戦死して、枠が空いたので次は俺だろ!、って思ったのにその弟が後釜に座りました、他の奴らを殺せば入れるんですがまともにやっては返り討ちが関の山です、どうすれば四天王入りできるでしょう?』

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 03:33:21 ID:mpdAxONc
>>873
返り討ちに遭ってこその貴方です。まずは実際に倒せないか試してみては?

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 08:39:33 ID:1FV4hzdu
>>873
某竜造寺四天王「四天王が5人いたっていーじゃねーか」

879 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/30(金) 09:27:48 ID:eVthFKQT
>>873
『俺みたいに考える前にヒャッハーしてみようぜ』

週間ブログ拍手ランキング!10/21~/29

2009年10月30日 00:05

10/21~/29までの、ブログ拍手ランキングでございます。



細川幽斎と伏見城天子献上の柿 100

(●Д゚)「ホラ、あれだ。情けは人の為ならずってな!」 84

対馬藩の国書偽造事件と政宗 77

戦国の「人礫」 66

立花宗茂、島原の乱にて 55

朝鮮出兵と七匹の猫 35
教来石景政は頻繁に諏訪の諏訪大社へと参拝した 32
浪切孫七郎、家康に会ってしまって 31

平岩親吉と徳川家康の3人の息子 30
家康と和歌 30
宮部継潤家臣友田左近右衛門、豊臣秀吉の命令に 30

関口柔心氏心、上座に行かされそうになって 29
三者三様 29
武田信玄が御咄衆にこう言った事がある。 27

酒井忠次から指揮下の松平家忠に手紙が届いた 25
田中吉政家来、坂本和泉、石田三成の鉄砲足軽を 21
兵部どのー! 19
『安倍川餅』由来 17
”脇を合わせる” 16
大井城撤退戦の大久保忠世 15




1位は細川幽斎と伏見城天子献上の柿
ちょっとした悪戯も実に幽斎らしい。
というかよく考えてみれば、古今伝授で有名な、田辺城の開城も、この手を
大掛かりにしたものですよねw

2位は(●Д゚)「ホラ、あれだ。情けは人の為ならずってな!」
政宗が嫌われないのは、コメントの中にもありましたが、カラっとしていて陰湿さを感じさせないって所
なのでしょうね。だからこそ、粋で「伊達」なのでしょうね。

今回面白かったのはやはりこれ!戦国の「人礫」!
ホントにリアルに北斗の拳の世界と言うかなんと言うかw
戦国の関東は恐ろしいところですよ~。


今回も、各逸話にたくさんの拍手を頂きました!本当にありがとうございます。
また、気に入ったお話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください。

上杉謙信死の理由異聞

2009年10月30日 00:04

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/29(木) 16:02:39 ID:QxbFhF5O
上杉謙信の死についての異説である。
それには、柿崎景家が係わっている。

謙信が、信長への内通を疑われた柿崎景家を誅殺した、と言う話は、
真偽はともかくとして有名であるが、この時謙信、いかにも謙信らしいというべきか、
柿崎と一対一の格闘で、これを斃したそうなのだ。

ところが斃された柿崎も、格闘の際謙信の尻の穴に指をいれ、これを引き裂いたのだという。

誅殺の後、その傷も癒えたのだが、その日便所で踏ん張っていたところ、傷が開き、
これが悪化して死去したそうだ。

本当に伝わっている、上杉謙信死の理由異聞。




862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/29(木) 16:22:06 ID:0Tx74bXy
>>861
これぞ、まさに3年殺し!!
実際、景家の死後3年数ヵ月後に謙信亡くなってるし。

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/29(木) 16:45:18 ID:QFaI6B/S
柿崎ぃぃぃぃぃ!

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/29(木) 16:49:42 ID:LR2aA54d
アッー!

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/29(木) 17:13:40 ID:6/DvJ8S/
無理矢理拡張とか・・・慣らしていけよ

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/29(木) 17:32:41 ID:xw1r7wpU
謙信は突っ込むの専門だったの?


869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 00:46:01 ID:/eEUoC72
「プロレスの神様」といわれた故カール・ゴッチがガチンコでも強かったって話しの中に
「試合中、相手の肛門に指を突っ込む」という反則技(?)が上手かったってのがあったけど・・・。
これをやると仰け反ったり、動きが止まったり、バランスや姿勢崩したりで、
技をかけるのが容易になるとかなんとか。

そういうことをやられてもキッチリ勝つのが謙信なんだろうかなとw


880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 10:07:24 ID:elZfJy7e
>861
柿崎アミバ守「んんー、間違えたかな~?」
「どうやらこの秘孔ではないらしい……」

謙信「お前は断じて和泉守ではない!」アテテテ...

秀吉と家康、小牧長久手合戦を語る

2009年10月29日 00:05

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 14:24:51 ID:IlX4Tek6
文禄の頃の事だそうだ。

朝鮮出兵の前線基地、肥前名護屋において、豊臣秀吉が、徳川家康の本陣で、
一日遊んだ事があった。

この時秀吉に御茶を持ってきたのが永井右近太夫直勝。
秀吉、あれは何者かと家康に聞く。家康、これを答えると

「ああ!あの者が先年長久手の戦で、池田勝入を討った手柄者か!
その姓名、確かに聞き覚えがある。」

このように言い、自然、秀吉、家康の間で、小牧長久手合戦の話となった。

秀吉はふと思い出し
「あれは四月下旬の事だったか、家康殿、貴方の先手が小牧山の麓に降りてきた。
しかし終日戦わず、そのまま陣に帰らせたという事があったな。
あれは一体どういう理由だったのか?」

これに家康
「は。あの時それがしは、あの部隊をおとりに貴方の御先手を、一重堀のこちら側へと引っ掛け
東の野で戦おうとしたのですよ。
が、こちらの挑発にもそちらの御先手がまるで動かないので、しかたなく部隊を下がらせました。」

秀吉、これを聞いて突然大笑いした
「なんと、実はあの時我等も、貴方の先手を堀のこちら側に引き付けて戦おうとしたのだよ。
そのため、そちらの部隊が堀を越えるまでは堅く陣を守っておけと、動く事を禁じておったのだ。
いやはや、同じ事を考えておったか。」

このように言い、実に面白がった、とのことである。




976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 20:02:50 ID:JWUa2VgK

>>971
何故だかわからんが面白がってる二人が怖い

977 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/28(水) 20:16:16 ID:+1//xfbw
池田涙目

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 20:21:51 ID:bcigLfRB
 |∧∧
 |・ω・`)  お茶を持ってきました…
 |o旦o
 |―u'

 永 井 直 勝

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 21:01:54 ID:OOUWHLvF
>>978
池田輝政「父の首を打ちとったものに美濃尾張を与えてはいかがですか?」

”脇を合わせる”

2009年10月29日 00:04

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 23:07:59 ID:IlX4Tek6

埋め代わりに
”脇を合わせる”

福島正則が改易された後、川中島の配流先でのこと。
正則に付き従った人々集まり、物語などをしていると、関ヶ原の話となり、正則は、
関ヶ原で討死した家臣、星野又八の事を語り始めた。

「あの時の星野は脇を合わせると思ったが、あれだけ優れた働きをして討たれてしまったのは
不憫であった。」

左右の者達これを聞いて「”脇を合わせる”とは、一体どういうことなのでしょうか?」
と、おずおずと尋ねた。

こう質問されて正則「おいおい、お前達は、わざわざわしの配所まで従い来て、
後日にはわしの軍功を語り伝える人間達だと言うのに、そんな事も知らないようでは、
わしまで世間から馬鹿にされてしまうぞ。

よいか、”脇を合わせる”とは、1度武功があった上で、次の合戦で続けて手柄を成す事を言うのだ。
星野は岐阜で高名をし、関ヶ原のときもずいぶんと張り切っていた。
だから皆、星野は脇を合わせる物だと思っていたのさ。」

福島正則の改易の頃には既に、このような「合戦用語」はかなり廃れていた、と言うことを
うかがわせるお話。



990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 23:28:01 ID:+LQBIEWL

>>989
乙なんてのも後2、30もしたら廃れるんだろうなあ

”ゆうげき”の丸薬

2009年10月29日 00:03

沈維敬   
839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 02:01:06 ID:IlX4Tek6
文禄四年(1595)の暮れのことだそうだ。

明より和睦の使い、三名来朝し、大阪へ到着した。
その中の”ゆうげき”と言う者、常に丸薬を服しており、秀吉の前でも、紙袋より
その薬を取り出し、飲み込んでいた。

これに秀吉「お前が飲んでいる丸薬は何か?」と問えば、”ゆうげき”答えるに

「私は日本と明、朝鮮の和睦の交渉のため、はるか明よりこちらに参りました。
我が帝は、この大切な交渉の最中に病死などしてはならぬと、直々にこの薬を調合し、
私に賜りました。
この薬は世の常の人が知る事のできない、秘法の大薬でございます。」

秀吉はそれに大変興味を持ち、是非自分にも分けてほしいと言う。
すると”ゆうげき”は

「これはあなた様から見れば異国の薬であり、こちらの方々に合うかどうか。
先ず、お近くにいる方に飲ませて下さい。その上で、10日ほどたっても大丈夫のようなら、
その後あなた様に進上いたしましょう。」

そこで秀吉の近臣二人が”ゆうげき”の丸薬を服したところ、気力甚だ盛んとなった。

「これはよい薬である。」

10日たつと早速、この薬を進上させた。秀吉は朝夜これを服用し、また、小早川隆景、前田利家にも
これを分け与えた。

ところが時が過ぎ、慶長二年(1597)に小早川隆景が死去、さらに慶長三年には秀吉が、
続けて慶長四年には前田利家が死んだ。
また、最初にあの丸薬を飲んだ二人の近習も、三年たってそれぞれ卒した。
それらは皆、突然の病で死した後、筋骨が砕け、五体が崩れ去るという、全く同じ症状であった。

『あの丸薬のせいであろう。異国の智謀とは、まことに恐ろしいものだ』
人々はそう驚き恐れた、とのことである。




841 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/28(水) 02:21:58 ID:sS7azWx+
放射性物質か発癌性のめちゃくちゃ高い物質でまも含んでたのか?

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 02:42:13 ID:WWTiPTf0
家康「馬鹿すぎるw 薬は自分で調合するのが一番だろ。さて、この水銀を……」

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 03:00:29 ID:QYGuzVDb
”ゆうげき”本人はどうなったんだろう。
平岩親吉の毒まんじゅうのようにその身をかけたんだろうか。

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 04:01:00 ID:mIgQwWG9
罠とかじゃなくて水銀とか使った明で当時流行ってた怪しげな漢方か何かなんじゃないかw

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 04:19:20 ID:XDefHtkf
>>839
え、秀吉ってそんな死に方したの?それは知らなんだ…

>>841
胃ガンと脚気と脳梅毒が死因として挙がってるけど、
どうなんだろうね

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 08:25:34 ID:fI+duE/t
気力が盛んになる効果があって数年後に死ぬってアレしかないだろ
おそらく麻薬か覚醒剤の一種だったんじゃないかな
あの薬はやがて全身がボロボロになり廃人にしてしまう

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 08:32:04 ID:lMSPy8AD
小田原のういろうも中国伝来の薬だっけ。
作ってた人を早雲が小田原に呼び寄せたみたいだけど。
幕府で働いてた時のコネクションなのかねえ。

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 09:29:40 ID:NrxVBPfE
沈維敬のことだろう。遊撃という官名を貰っていたが、何の軍歴もない
街の口上手な山師。伝説は多い。

何故か明の高官の目にとまって講和の責任者となったが、最後は
交渉過程での嘘がばれて斬首。

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 10:49:53 ID:2sD29ntC
>>845
そういや石綿も薬ではないけど
高貴な人達の間で貴重品として
扱われたとか何かで読んだな。

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 10:51:52 ID:uZGt3Iot
竹取物語に出てくる「火鼠の皮衣」か

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 10:57:34 ID:J9f9WZIv
マルコ・ポーロの東方見聞録にも出てきたな

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 11:16:31 ID:/XyAmSCi
>>851

安部御主人は アスベストの着物 を手に入れた!

ミも蓋もないな


887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 21:18:47 ID:ojI9MAfj
亀だが>>839

それ多分「紅鉛丸」だと思う。主材料は水銀と初潮の血で、強壮・興奮効果と共に
服用後の性行為で強烈な快感と共に体温が低下するという凄まじいもの。
明の嘉靖帝・万暦帝・泰昌帝・名臣張居正等が中毒死したと伝えられ、
特に嘉靖帝は宮中に少女二千人を集めて供給させ、泰昌帝は在位一ヶ月で急死した。
明末期の上流階級の退廃ぶりを見ると、日本と清に大敗して民衆反乱で自滅したのも頷けるわ。

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 21:41:34 ID:Z3s+L+TI
何だその薬w
初潮の血とかぶっ飛び過ぎだろw

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 22:05:44 ID:tzJx/Wbm
明はいかれた皇帝多いからな

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 22:53:50 ID:Bb/e3XIO
マトモな皇帝三人ぐらいしかいないもん>明

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 23:37:05 ID:fftfMn0m
>>890
個人的な記憶だと、孝宗弘治帝くらいしかいないんですけどw>まとも

大谷吉継と平塚為広の辞世の句

2009年10月29日 00:02

855 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/28(水) 15:36:52 ID:rvaCRA5t
出遅れたけど辞世の句なら。

平塚為広 名のために捨つる命は惜しからじ終にとまらぬ浮世と思へば

大谷吉継 契りあれば六つの辻にて待てしばし遅れ先立つことはあれども

どちらも原文ママじゃなくて若干現代風に読みやすくしてあるっぽい。

この二つセットになっていて、関ヶ原で大谷軍が最早これまで!
て、なったときに、平塚が主君の吉継に
「オレ、ちょっと戦死してくる!殿も潔くな!」
のメッセージと共に贈ったのが上の辞世の句、んで吉継も。
「その覚悟見事なり」
と誉めた上で平塚への返句の意味もある先ほどの歌でその覚悟に応えている。


ところで、野戦の最中に辞世の句とかどうやって書くんだろ?やっぱ敵をある程度凌いだ時に
「筆を持てい!」
とか?今回のやりとりだと事前に用意していたとは思えんのだけど。




856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 20:13:06 ID:16yYRDMf
セットで
前もって用意したと考えるのが一番自然なんじゃないですか?


857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 20:40:02 ID:YoTzf1UK
大身の者(万石以上とか高家とか)なら平素から辞世の句の1つや2つは用意してる
死亡直前に本人から、その余裕のない場合は死亡後に祐筆などから公表されるだけだぞ
当然、死ななければ公表することもされることもない
現代で言えば自衛官が任地に向かう前などに遺書書いて艦単位や部隊単位で
保管してるのと同じ


(●Д゚)「ホラ、あれだ。情けは人の為ならずってな!」

2009年10月28日 00:05

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 20:24:06 ID:AJCBLIZk
珍しく?男気溢れる政宗。


(゚∀゚)「政宗さーん、例の巻物みーせーてー。」
(●Д゚)「あん?巻物?
    あぁ、すまねぇな。あれもう持ってねーんだわ。」
(゚∀゚)「エー。なんでなんで~?あんだけ自慢げに見せびらかしてたのに~。」


政宗恩顧の商人で、佐渡屋某という者がいた。
その日政宗を訪ねた茶人陸阿弥は、佐渡屋から取り次いだ逸品を政宗に渡した。
藤原家隆自筆の「名歌百首」という巻物である。

(●Д゚)「こいつはスゲーや!ありがとよ陸阿弥さん!佐渡屋にも充分お礼しといてくれよ!」
(´ー`)「喜んでいただいて何よりです。
     そうそうその佐渡屋さん、質屋もやってるみたいなんで、まだ掘り出し物があるかもしれませんよ。
     またいい物見つけたら持って来ますね~。」
(●Д゚)「え・・・質屋?
    ちょっと待て!じゃあこれってもしかして質に入ってたヤツなんじゃね!?」

案の定、それは質に入れられたものだった。
なんでも、若狭の今川求馬という浪人が金に困ったので質として入れたが、
期限までに金を返すことができず、そのまま佐渡屋が手に入れたのだという。

(●Д゚)「質に入ってたモン手に入れるなんてなんか気分ワリーな・・・。
    ・・・やっぱコイツは元の持ち主に返してやるか!」

結局政宗は、その巻物に金五両を添えて求馬の元に送り届けた。


(●Д゚)「つー訳だ。
    まぁ質に入れたとはいえ、そいつにとっちゃ大事なモンだからな。
    そうと知ったら持ち主に返してやるのが人情ってもんよ!」
(゚∀゚)「へー。政宗さんてやさしーんだー。」


後日、今川求馬がお礼を述べに政宗を訪ねて来た。
彼が南蛮流の外科を学んだ者だと聞いた政宗は彼を召抱え、後に足軽大将まで出世したという。


(●Д゚)「ホラ、あれだ。情けは人の為ならずってな!」




938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 20:40:12 ID:OkzZi9lU
>>937
ずいぶんと粋な江戸っ子政宗だな。かっこよすぎる。
まさに伊達男ってとこか。

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 20:41:39 ID:R2u6TNxX
返してやるのはともかく、一介の浪人に金五両もつけてやるとか家臣が泣いちゃいそう。
まあ優秀な外科医が手にはいるなら安いものだが。

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 21:10:29 ID:7K9clZ0q
政宗って、和歌とか狂歌とかそっちの素養のある人にはわりと好意的な気がス。


941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 21:22:57 ID:9bN22qvu
悪いスレでも和歌の話題で結構盛り上がったから
戦国時代の色んな人が詠んだ和歌のスレでも立ったら面白いだろうな

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 21:43:19 ID:WLXXrvqk
【】武士の格言名言辞世の句【】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195107110/

こういったスレならあるけど和歌限定だとなかった気がする

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 22:09:12 ID:C8pcq4nx
伊達さんは一般人には容赦ないが教養高い相手にはちょっと優しいよな


有名な茶器「ano・・・・・わたしにもやさs・・・バリーン」

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 22:14:21 ID:xSS6zS82
叔父さんとか引っ越して来たばかりのお隣さんにも優しくしてやれよ

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 22:27:27 ID:Ma+3iU2r
最初に引っ越してきた人は、教養高い人だったような気がしたが・・・。

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 22:33:34 ID:G2e6zzWt
政宗は掴み所がないなw

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 22:35:37 ID:iyNKigsI
程よくDQNで国宝ものの本とか半分こしても怒らない人じゃなきゃ駄目なんじゃないか?
きまじめ相手には反発するんだろうよ


948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 22:40:33 ID:3MCAVE4x
政宗はの逸話も良い話も悪い話もカラッとしてるものが多いね。
だからDQNでも憎めないんだなあ。

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 23:10:21 ID:5wAo//Rn
>>944
おじさんは教養人なのにな。

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 23:12:59 ID:xJ4D9XGf
国宝や文化財になったのは昭和になってからの物が多いんじゃないか
政宗の頃は「ちょっとした文化人の作」程度の認識だったんじゃないかな

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 23:56:32 ID:L9/xmwI2
当時でもお宝大切にせずにぶっ壊したら
豪快な男と褒める奴もいるだろうが、物の価値が分からん馬鹿扱いされる奴の方が多そうな気もする


[ 続きを読む ]

三者三様

2009年10月28日 00:04

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 08:46:34 ID:khcWuOvo
三者三様

関ヶ原の決戦後、西軍の首魁として捕らえられた石田三成、小西行長、安国寺恵瓊。
その彼らに家康より、見苦しい格好をさせてはならぬと、新品の小袖二領づつが
下げ渡された。

先ず石田三成、
これを視て「誰が送ってきたものか?」と問う。
番使が「上様よりである」と答えれば、「上様とは、誰か?」
「家康様である」と言ったところ

「太閤殿下が薨去されてより、上様とは秀頼公の事である!
一体何者が家康を上様と名付けたのか!?」

そう高笑いし、小袖に対して礼を述べるような事もなかった。


次に小西行長、
小袖を渡され、「私は今回の乱の、徳川殿へ敵対した随一であり、
本来このような懇志に預かるような立場では無いのに、その御心底、
あつく感謝いたす。」

そう言って、涙を浮かべた。


最後に安国寺恵瓊、
彼は小袖を出されても何も言わず、ただ涙を浮かべ、俯いているだけだった。

この安国寺は捕縛されて以来、朝晩の食事の際に、逃走していたときに受けた傷に
箸を突きたてようとして、周りから止められる事たびたびであった。

『早く死にたいのであろう。』

人々は、そう語り合ったそうである。




820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 08:47:51 ID:3qi6Ku7+
住民もだっけか
すっかり失念してた

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 12:02:22 ID:p64zHe+9
>>819
面白いな。

三成は自分の信じたものしか見てなくて、
行長は割りと自分とその周りのものを冷静に見ていて、
恵瓊は自分しか見てない。

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 13:20:24 ID:GSaucFZL
三成は武士として
小西はクリスチャンとして
恵瓊は普通の人として
行動したように見える

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 13:35:30 ID:aU3+C1HI
なんつーかエピソードだけ見てると、
三成って卓越した行政手腕が無かったら、
ごく普通の武人として活躍できたんじゃないかと思ってしまう。
武士としての覚悟や部下に対する度量は相当だし。

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 14:28:08 ID:/o8KLvYb
>>823
めんどくさいタイプの行政官僚だよね
生まれる場所さえ間違えなかったら徳川幕府の重鎮だったかも

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 14:43:06 ID:7K9clZ0q
あの日お茶っ葉きらしてさえいれば・・・

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 18:20:36 ID:NGJWDS2s
一家に一人ぐらいいるのかね?めんどくさい武士が

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 18:59:58 ID:CZRIeWIS
>>826
薩摩にも南部にもいるどころか
大陸見ても居たりする気がする
ただ度合いや人口密度が違うけどねw
三河なんか武士どころか農民・商人・かーちゃん・子ども
みんなめんどくさいじゃんw

ヨーロッパではこういうの見かけないと思うけど

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 19:44:24 ID:h9W5XN41
>>819の話だけからの感想だけど
三成は見事ではあるけれど、理屈が過ぎて身を滅ぼしたのがわかる
行長は情実先行で朝鮮陣での独断も理解できそうな感じ
安国寺は…ただただプライド高かったんだな

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 20:31:13 ID:87G1F8eP
三成は家康の勝者として処刑を政治的に利用するこすっからい
腹の内、偽善を見抜いていたから、嘲笑したのであろう。

行長は人の善さが露呈してしまった、唯の人。

安国寺は、武士をまねてカッコよく腹切って死にたかったのに無念。

と、書き込む自分はひれ伏し命乞いするかも・・・

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 20:43:50 ID:VoT6p/CZ
もし関ヶ原で三成が勝って、家康を捕らえたらどんな扱いをしただろうか?

少なくとも小袖を贈ったりするとは思えないな。

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 20:52:56 ID:pvDquLvD
三成ならそもそも捕らえることすらせずに即斬首じゃないかな
「家康めを捕らえる必要は無し、首だけで良し」とか

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 23:11:38 ID:9xbpYJ6H
家康なら捕まる前に腹を切りそうだ
面倒くさい三河武士が我が身を投げ打って助けてなければ
何度も腹を切る覚悟するほど窮地に陥ってるイメージがある家康って

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 23:48:48 ID:SFP9/qH/
あんがい三成も敗将には節度持ちそうな気する

武田信玄が御咄衆にこう言った事がある。

2009年10月27日 00:06

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:18:17 ID:CQYlX+tH
武田信玄が御咄衆にこう言った事がある。

「人にとって大事なのは遠慮(思慮)の二字だ。これがあれば分別者になる。
なぜかというと、己で判断できないとき、大身は家老に、小身は親類か友人に
相談して筋道を踏めば、越度がなくて済む。

分別のもとは遠慮だと信玄は考えておる。遠慮深く、才覚、分別があれば、
なんでもできて、歴史に名を残すことだろう。

例えば大織冠・藤原鎌足公は分別と才覚をもって海の龍王から奪われた
水晶の玉を取り戻した。海女と契りを結んで玉を拾わせたのはまさに鎌足公の
才覚である。そして、その契りが偽りだったとしても、水晶によって日月から光を
とり、水精に水をとらせたのは、人間の工夫、思案する才覚である。

しかし、人間として工夫と才覚でどうにもならないものが一つだけあるぞ。
一体それはなんだろうか?」

その問いを当てた者はいなかった。

「それは人の命だ。寿命が縮まっていくのだけはどうしようもない」

信玄はそう言って笑った。





宮部継潤家臣友田左近右衛門、豊臣秀吉の命令に

2009年10月27日 00:06

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 16:08:00 ID:mpUr/cPi
文禄の頃の話である

豊臣秀吉が諸大名に命じ、伏見に築城をはじめたが、
宮部継潤もそのうちの一箇所を担当し、友田左近右衛門を奉行としてこれに当たらせた。

ある時、秀吉が工事状況を巡検した折、宮部の担当箇所の石垣が、事のほか
出っ張っている事を見つけると、甚だ機嫌を悪くし、奉行の友田を呼び出して

「あの石垣を直ぐに崩すように」

と命じた。
ところが、これに友田

「承りました。この事、善祥坊(継潤)に申し聞かせ、その上で改めて主君からの命令をいただき、
その後築き直しましょう。」

この返答に秀吉は激怒した

「わしが直々に下知した以上、継潤を憚る理由があるものか!いいから直ぐに打ち崩すのだ!」

それでも友田、この仰せに従わず、その場から大阪に飛脚を立て、宮部継潤に伺い、その上で
石垣を築きなおした。

さて、秀吉は大阪に帰り諸将に対面の時、宮部継潤に向って怒鳴った

「おぬしの所の奉行、友田左近右衛門は憎き奴なり!」

かくかくしかじか、伏見であった事への憤りを言い放つ。
宮部は真っ青になって驚き、『ああ、友田を切腹させよと言われるのであろうか、そうでなくとも
何か重い罪を命ぜられるのであろう。友田はわが家の大切な家臣だと言うのに、なんと言う事だ』と、
びくびくしながら畏まる。

秀吉、伏見での鬱憤を一通り言い終わると、

「…と、かように友田は憎き奴である。
友田は憎き奴だ。なれど、」

継潤のほうを向き

「おぬしは、まことに篤実なる家臣を持ったものだ。」

と、逆に友田を褒め、罪を言い渡す事はなかった。

その場にいた人々、なんと言う意外な事かと驚き、宮部は心底安堵し秀吉に感謝をしたそうである。





904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 16:25:48 ID:SWwUAniN
>>903
これは良い秀吉…と言いかけたけど
良く考えたらマッチポンプじゃねーかw

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 16:35:53 ID:ColvTzyA
基本秀吉ってめんどくさい子嫌いじゃないんだよなw

むしろ功利で動く奴根っこでは信頼してない印象がある

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 16:36:22 ID:XIrfYTgY
このころまでは秀吉もまだ耄碌してなかったのね
慶長のあたりから完全に自失したか

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 17:40:48 ID:R6drDZ3I
>>905
若い頃三河辺りを放浪してたんだから
めんどくさい人達の気性や習性をよくわかってたんじゃないかなあ

めんどくさい人達って基本一本筋が通った法則があって、
それを譲らないとこ以外は、犬みたいに従順でしかも意外と規律正しいんだよなあ


908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 20:11:30 ID:vyxkG7Hz
めんどくさい人は今でも現存しているからな。

「10数年前に拾ってもらった恩義」とかで、地元の町工場で薄給で80近くまで働いても文句言わず、
逆に下から上から慕われてるってのがうちの親戚にいた(親戚は生まれも育ちも愛知東部)

ただ1つ「嫁さん(自分の他人の問わず)に関して文句言うやつは説教の末鉄拳制裁」ってのを除いて。

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 21:31:31 ID:mBKn9o+W
めんどくせぇ親父だなwww

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 21:55:04 ID:8/vX+IUd
工場で80までおいてくれる会社もすごいな。
体が動かないから役に立たないだろうに。

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 22:21:18 ID:NIW0aA1B
チラ裏

昔NHKの番組で生涯現役80歳のエンジニアって番組やってたが立派に役に立ってたぞ
流石に一戦は退いてよく判らん実験が主みたいだったが
ある時若手が何かの機材の試作品を作ってそのじいさんの所に持って行くもその爺さんは見ただけで問題点を看破、
若手は忠告をあまり気にしなかったが実際に看破された箇所が原因でその機材は使い物にならない
結局様々な枷があって若者だけでは解決出来ず爺さんの助言でなんとか製品化に漕ぎ着けるって内容だったと思う
今だって定年過ぎても働いてるのなんてかなり多いぞ
歳食ってるからって侮るもんじゃない
戦国武将だって死ぬまで働いてるのはかなりいるしな

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 22:37:18 ID:1b/aL+m+
伝説のホンダの老メカニックみたいだな
引退したあとも何か重大な問題があるとその人に電話して
エンジン音聞いてもらってどこがまずいか教えてもらうってやつ

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 23:08:08 ID:NIW0aA1B
調べたら80歳じゃなくて90歳だった…
しかも2006年に95歳で退職したらしい
よくそこまで働けるわ

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 23:11:14 ID:MLW8gopB
S田N之「いい歳こいて働くなんてマジ勘弁だわw」

鍵湯

2009年10月27日 00:03

森忠政   
756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 20:57:31 ID:L5LXPTeU
鍵湯

美作国(現在の岡山県北部)にある奥津温泉。美作三湯にも数えられるこの名泉にある時、
森忠政が湯治にやってきた。
やはり評判どおりの名泉で入浴した忠政もご満悦であったが
あまりにもいい湯だった為に悲劇が起こる。

忠政「気に入ったのでこの温泉はこれより俺専用の湯治場となった。
以後、俺以外の入浴を固く禁ずる。」

気に入られ過ぎたが為に忠政以外の入浴が一切禁止されてしまったのである。
しかもわざわざ鍵が掛けられ、森家から「温泉番」なる役人が派遣されて
睨みを利かせるという念の入れようであった。

たまったものでは無いのは突然締め出しを食らった地元の領民である。
恨みを持った領民は皮肉をこめてこう呼ぶようになった・・・鍵のかかった開かずの湯、『鍵湯』と。


ちなみにこの奥津温泉、今でも沸いているが鍵は無くなり誰でも入れるようになっている。
しかしながら鍵湯の呼び名は健在である。




757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:07:09 ID:ArZwABF0
何と言うジャイアン・・・

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:20:24 ID:ajVOKyYF
江戸中~後期なら一般に開放して金取った方がいい収入なると思うけどな

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:27:52 ID:L5LXPTeU
>>758
森家が居なくなった後は普通にそうやって儲けてたと思う。

経営者的にも涙目だからね、これ。

岩井屋次右衛門、タコを釣り上げる

2009年10月26日 00:09

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 01:43:18 ID:oICP9TT8
天正十三年四月七日、土佐での事である。

岩井屋次右衛門が小船に乗って浅島(へさじま)の沖に漁に出たところ、一匹のタコを
釣り上げた。

ところがそのタコ、一つの茶碗を、二つの腕でしっかりと掴んでいた。
この茶碗飴色に光り、幅三寸四、五分(約10センチ)、深さ二寸四、五分(約7センチ)ほどの
大きさだったと言う。

次右衛門、これは稀代の珍事なりと、長宗我部元親の元に、この茶碗を差し上げた。
すると元親これを見て、

「ふむ、まことに前代未聞の不思議な事だ。これは岩井屋次右衛門が家の吉兆であろう、
彼に、これを家宝にせよと伝えよ。」

と、茶碗を返し給わったとのことである。
そんな、珍器をわたくしせず、引き上げた者に幸運がくるように配慮した、長宗我部元親のいい話。


決して、海から引き上げられた気持ちの悪い茶碗を押し付けられるのが嫌で適当な事を言って
つき返したのではない。と思う。




870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 01:47:56 ID:JC0zVAQg
その釣り上げたタコは刺身にして食べたのかなw

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 02:24:08 ID:Z93s1Ysg
最初に茶碗を所有(?)していたタコには幸運どころか不幸が訪れた悪い話w

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 07:41:28 ID:dml/JKbE
この前NHKでやってたダーウィンが来た!の蛸を思い出した
ttp://www.nhk.or.jp/darwin/program/program166.html

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 10:55:54 ID:srSqUKyo
岩井屋次右衛門はこれで褒美をせしめようとしたんじゃないの?
それを見抜いた元親のいい話なのかなと思った

平岩親吉と徳川家康の3人の息子

2009年10月26日 00:07

874 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/25(日) 20:53:38 ID:6KblIV6t
平岩親吉と徳川家康の3人の息子

平岩親吉は家康の人質時代から生死を共にしてきた忠実な家臣であった。
家康は、長男信康の教育係を選ぶとき、平岩親吉以外の人物しか考えなかったし、
親吉も、信康をよく補佐し、信康に数々の武勲を立てさせた。

しかし、信康は、1579年、信長の命があったかどうかは別として、
家康の命により自害。親吉も1年ほど謹慎し、のち復職した。

十数年後、家康に8男仙千代が生まれたとき、家康は、「そちにもう一度子を与える」
といって、仙千代を子供のいない親吉の養子とした。
これまでの子は跡取り(信康、秀忠)を除き、豊臣家、武田家、松平家分家など
そうそうたる家を継いでおり、名家とはいえ家臣の平岩家に養子に出すことは異例であった。
だが、仙千代は5歳で死去する。

1603年、家康の9男義直(仙千代の同母弟)が甲州25万石に封ぜられると、
親吉は幼少の義直の後見を任される。
慶長12年(1607年)、義直が尾張名古屋藩主に転ずると、
親吉は義直付の家老として尾張に移り、藩政を執行した。

1611年、親吉死去。跡取りのいない親吉は所領を義直に譲る遺言を残していたが、
家康はその昔、親吉との間に生まれたという噂のあった子を見つけ出し、
その子に平岩氏の所領を継がせようとした。
しかしその子の母が、この子は親吉の子供ではないと固辞したため、
結局、平岩氏は慶長16年(1611年)の親吉の死をもって断絶した。

子とも主君とも思ってきた信康の死に堪え、さらに2人の子を任された一人の男のお話。




875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:03:38 ID:cCTQxg7m
今時の汚い相続紛争を見ると、昔の人、というよりこの侍の一族は偉い!
がたがたインチキやって家業続けても、いびつで醜い家族神話が
子孫に残るもの。

土佐、蓮池城謀反

2009年10月26日 00:06

746 名前:1/2[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 15:15:03 ID:oICP9TT8
弘治三年(1557)四月の事である。

土佐の大平山城守は一条氏に属し、高岡郡高岡郷など、四千貫を領していた。
彼の居城、蓮池城は、一条氏に敵対する本山茂宗の所領、吾川郡との境にあったため、
一条氏よりの加勢も入れられていた。

大平たちとこの加勢の者達、最初の頃はよそよそしい風であったが、やがて馴れ合うようになり、
膝を交え思った事もずけずけと語り合うようになった。

そんなある時、大平がこんな事を言った

「おのおの方はどう思われる?

中村の御所の、一条教房卿、房家卿、房冬卿、房基卿は、何れも性質正直、温和にして慈悲深く、
万事倹約を守り、民の費えを嫌われていたものだが、
今の兼定殿は何事も我意に任せ、放逸無慚の御行跡であり、このままでは、行く末
おぼつかない。

どうやら一条家も末になったと思う。このままでは、やがて長宗我部か山本あたりに
その権を奪われてしまう事、疑いない。
皆もあらかじめ、覚悟をしておいたほうがいいぞ?」

これに加勢の番使たちも、「我等もそう思う」と同意した。

最後に大平は小声になって「これはあくまで、隔意の無い雑談であるから、構えて
他に漏らさないようにな。」と、囁いてこの話は終わった。

さて、内緒にするようにと言っても、そうは行かないのが世の常である。
番衆の中にいた船戸左衛門は、常に大平とはそりが合わず、何事にも対立していたのだが、
この雑談を聞いて『これこそ!』と喜んだ。

船戸はにわかに病と称して、町屋で治療をするといって城を出、中村御所へとこれを密告、
その後、さにあらぬ体で蓮池城に戻った。

さて中村御所においての評議では、蓮池の者ども逆心明らかであり、これを討伐すべきとの
声が上がった。これに土井宗三申し上げるは

「今討ち手を出せば、我らが番手に派遣している者達も、一緒に籠城してしまうでしょう。
ここは番手の交代をすると言って、城から出てきたところを皆首を刎ね、蓮池の兵を
少なくし、その上で討伐の軍を派遣すべきでしょう。」

評議の者達これに同意し、早速に偽の交代兵を派遣した。

747 名前:2/2[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 15:15:53 ID:oICP9TT8
番兵の交代の事、蓮池城にも報告されたが、とたんに、不審の念が出た
「番兵の交代は通常十月のはずなのに、今はまだ四月。何か変更がある場合は
先だって理由の説明があるはずなのにそれも無い。なにか秘密があるのではないだろうか?」

城内でこのような議論になり、密告をした船戸左衛門は、事が発覚したときの
自分の身の危険を感じたか、にわかに逐電をした。

これに蓮池城の人々は驚き、「船戸はかねてから我らと仲が悪かったが、さては先日
病と称してしばらく城を出ていた事。あれは、あの雑談を中村に密告したのだな!
それでわかった!代兵はわれらを謀り殺すための者に違いない。」

そうはいくかと、皆集まり詮議した。

さて、それから程なく代兵たちが到着。蓮池城の者達は大いに歓迎し
「遠方よりご苦労でございました、暇乞いの杯が用意してあります。どうぞこれを。」
と、珍味を並べた膳を出し、酒を勧める。

そこは土佐である。代兵たちもその使命は言い聞かされてきたものの、酒を出されて
飲まぬわけには行かない。進めるほうもたいへんな大盃で出してくる。
これに皆、前後不覚になるまで酔っぱらった。

「頃は良し」

蓮池の者達、ここでにわかに刀を抜くと、代兵たちの首を残らず打ち落とした。
さらに別室に控えさせていた代兵の下人たちをもなで斬りにすると、城の周りの堀を深くし
逆茂木を並べ、籠城の構えを作ったと言う。


この後起こる一条の討伐軍と籠城衆との戦いも、相当の紆余曲折を経る事になるのだが、
それは又別の話。




続き
蓮池城攻防の顛末。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3095.html

家康と和歌

2009年10月26日 00:05

750 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/25(日) 19:54:39 ID:6KblIV6t
家康と和歌

家康は和歌が嫌いというのが通説である。
侍医の板坂卜斎も、準備せずに詩歌の会に臨むほど教養はあったが、
「根本、詩作、歌、連歌はお嫌いにて」と述べ、
もっぱら儒学や史学を好み、歴史上の人物について述べることが好きだったと述べている。
歌も数多く残しているが、形は一応整っていても、目の前の景色をなんとなく歌っている歌が多い。
例:待ちかぬる花も色香をあらわして咲くや吉野の春雨の空(1594年)
当然、司馬を始めとする歴史小説等でも、まじめな学問だけが好きで、
風流を解さぬ無粋な家康像が多く描かれてきた。

だが、この通説には疑問がある。

家康は幼いころから書に親しみ、手本をもとに数多くの書を練習で書いているが、
この手本が定家の遺墨や伊勢物語など
歌に関するものばかりなのである。
また、源氏物語の講義を受けたり、自ら「歌枕覚書」を書いて歌枕を
覚えこんだりしているのである。
さらに、連歌についても、1604年、熱海に湯治に来た際、一人で連歌作りを楽しみ、
それを宗祇の孫弟子に批評してもらっている。

以上のことから、家康は歌が嫌いだったのではなく、好きだったけれど下手だったので、
周りのそうそうたる戦国武将歌人
(ラスボス、まーくん、三歳、謙信、氏真など)と比べられたくないので
嫌いのふりをしたというのが、真実なのではないだろうか。





751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 20:05:47 ID:ArZwABF0
何か氏真と和歌について語り合ってるエピソードが
まとめにあった気がする。

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 20:10:28 ID:x6Hhivj8
>>750
そういえば、家康の歌って有名なのが無いですよねえw
(鳴くまで待とう、は除外。)

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 20:27:40 ID:oICP9TT8
家康の辞世の句とも言われる
「先に行く 後に残るも同じこと 連れて行けぬを別れとぞ思う」
は、名句だと思う。


754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 20:33:11 ID:w23Am+Y2
へー、家康の辞世の句なんて初めて知った意外

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 20:40:01 ID:MvsAn+Tx
暁の空の方はまさに勝者の句だな


760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:55:41 ID:rWYOyY/7
咲く花を散らさじと思ふ御吉野は 心あるべき春の山風
ころは秋ころは夕ぐれ身はひとつ 何に落葉のとまるべきかは
怠らず行かば千里の外も見ん 牛のあゆみのよしおそくとも

とりあえずネットをあさって出てきた家康の和歌
大日本史料の家康死去の項にもあるが字が読めん

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:05:50 ID:Yt2vZWpq
「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」
これを抜いてるのはなんでだい?

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:11:23 ID:8hRn/51H
>>760
一つめや二つめなんかはホントに目の前の風景を歌にしてるだけだなw

でもストレートなだけにすぐに情景が目に浮かぶし共感もしやすい。
一流の歌はいろいろと手が込んでてそれを読み解く楽しみがあるが、
こういう単純なのも味があっていいな。

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:12:48 ID:rWYOyY/7
>>761
既出ですんで

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:14:08 ID:oICP9TT8
>>760
> 怠らず行かば千里の外も見ん 牛のあゆみのよしおそくとも

やっぱり家康の句は、技巧を凝らしたものより、こう言う、人生の機微を表現したものが
ぐっと来るな。


>>761
>>755で指摘してるからかと。

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:14:56 ID:rWYOyY/7
個人的に家康は正岡子規の様に写実を好む性質だと思う
現実主事的な性格も反映して

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:15:52 ID:oICP9TT8
全く同じ事考えた。家康の句は子規好みだね。

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教来石景政は頻繁に諏訪の諏訪大社へと参拝した

2009年10月25日 00:05

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 18:15:51 ID:g2PqHbIZ
武田家の猛将として知られる馬場信春が、まだ教来石景政と名乗っていた若い頃の話である。

景政は頻繁に諏訪の諏訪大社へと参拝した。余りにたびたびなので、
大社の神職の一人と親しく言葉を交わすようになった。

神職がある時
「あなたはお若いのにずいぶんと信心深いのですね。何か願い事でもあって
参拝されているのでしょうか?」
と、問うと、景政、

「実は私、甲斐の軽卒なのですが、…まことにお恥ずかしい話ですが、戦が怖くて
仕方が無いのです。

ところがわが国の武田晴信様は野心家で、毎年あちらにこちらにと出陣いたします。
その度に引っ張り出されるのがまことに辛く、何とか戦に出ないですむよう、
神頼みをしていると、そう言う次第なのです…。」

神職は大いに同情し甲州の事など聞いてみると、何の警戒もせずに、すらすらと
細かい事まで答える。

『これは良い鴨が来た。』

神職は、もっと甲斐の情報を聞き出そうと、彼を引きとめ酒を出して饗応をする。
酒の入った景政はさらに口が軽くなり、武田家の弱点などもどんどん話してしまう。
そのうちに景政、酔った挙句にひっくり返っていびきをかき始めた。

その隙に神職が、景政の刀を抜いてみると、これが一面赤錆だらけの代物。

「こいつは確かに臆病者の軽卒だ。籠絡して武田家の情報を取るのに利用しよう。」

翌朝、景政が目を覚ますと、神職は彼にこう提案した
「そんなに戦が嫌いなら、諏訪に移住して諏訪大社の氏子になってはいかがですか?
そうすれば従軍の災難から逃れられるでしょう。」

これに喜んだ景政。早速家財を甲州より運び込んで諏訪に住み着いた。
そしてまことしやかに、武田家の内部情報を土産話にする。
当然、その情報は神職から、領主諏訪頼重に元に届いた。
逆に景政は神職に諏訪の内情を尋ねたが、神職は、自分が景政を利用していると
信じているので、彼を侮って、諏訪領内の事、委細話して聞かせた。

このようにして景政は3年の間諏訪に滞在し、その内情にすっかり精通すると、やがて
甲斐へと戻っていった。

天文十一年(1542)、武田晴信は諏訪侵略を開始。その先鋒に、教来石景政の姿があったこと、
言うまでも無い。




729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 18:36:33 ID:r8EpUcLd
さすが鬼美濃!
信玄の指示なら彼もさすがだね

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 19:07:58 ID:fU5DASJe
時期的に言えば、信玄でなく信虎の指示になるんじゃね?

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 19:27:21 ID:s91k213C
>そのうちに景政、酔った挙句にひっくり返っていびきをかき始めた。
>その隙に神職が、景政の刀を抜いてみると、これが一面赤錆だらけの代物。


似た話は仮名手本忠臣蔵でもあったけど
これも一種のテンプレなのかな?

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 19:45:49 ID:8ylG7iEY
「錆びた刀」だけで武事に疎いと表せるという事かな。
そっから可児才蔵の槍のような話も出てくるんだろうけど。

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 20:00:18 ID:yKJVPJ4q
>>728
これ悪い話か。戦国時代らしい格好いい話だと思った。
錆びた刀の辺りの凝り方とか。テンプレなのかもしれないけど。
諏訪側に悪い話ってことなのかな。

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 22:07:58 ID:9SA26Z5E
武士の嘘は武略、ってのの見本だね>>728
当の諏訪頼重もいろいろ悲惨な顛末だったなあ。しかも巡り巡って、
甥っ子の諏訪四郎が武田宗家を継いでとばっちりを一身一代で受けるハメに……



他だと宇喜多直家さんの仕込みも芸術的なくらいで、
逸話を読んでて、あきれる通り越して不覚にも感動してしまったw

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 22:13:22 ID:h7cIQ739
要らんとこ凝ってばれる馬鹿と仕込み凝りまくって鮮やかに成功させる人の違いってなんだろうな

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 22:23:53 ID:R3D0uwQy
>>731
テンプレというよりは単なる変装の定石なんじゃ
刀見られてめっちゃ手入れよかったらばれるなーくらいは誰でも思いつきそうだし

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 22:24:01 ID:u/9HBJon
かといって「いい話」にするのも少し違う気がw
スパイの話だからなあ、スパイはいつの時代でも低く見られてしまう

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 22:27:23 ID:0GaZZqYj
>>735
単純に物事を客観的に見る事が出来るかどうかじゃない?
仕事を休む程度の嘘でも、あれやこれや不自然なくらい細かく
説明してバレちゃう人とかも居るし。

関ヶ原、宮田村と藤堂玄蕃

2009年10月24日 00:13

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 23:22:49 ID:vJVe2Yzv
関ヶ原
岐阜城を落とした東軍はさらににしへと押し寄せる。

藤堂高虎家臣、藤堂玄蕃の部隊は、赤坂の町を占拠せんと呂久川にそって進み、
宮田と言う村に着いた。この宮田村、竹薮の中にあり、四方に堀を構えた要害であった。
そのためか、周辺の住民の多くも、この村に非難していたそうだ。

さて、ここに藤堂玄蕃がやってきた。
軍勢は村の入り口にとどめ、武者二名を村の中に入れ、尋ねた。

「敵の落人がここに逃げ込んではいないか!?もしいるようならすぐに出すのだ!」

村の老職達は武者の前に打ち揃い、「そのような者はここには来ておりません」と
弁明をする。ところがどうした事か、この時火にくべていた竹の節が割れて、
甲高い音を立てた

「パーン」

すわ!?鉄砲!?
「さてはこの村、敵に心を寄せてわれらに鉄砲を撃ちかけるか。
そのつもりならばかまわぬ、皆の者、撫で斬りにせよ!」

藤堂玄蕃の下知と共に、配下の者達は一斉に村に乱入、たちまち数十人を切り殺した。

この事態に、村の名主の嫡男、山田五兵衛、刀を放り投げ丸腰になって玄蕃の前に
土下座した。

「我々はあなた方に敵対した事はありません!どうか村の者達の命を助けてください。
助けていただければ、相応のご奉公いたします!」

それを聞いた玄蕃

「ならば、呂久川の瀬踏みをせよ」と命じる。
彼らに、渡河地点を探させたのだ。無論、瀬踏みの最中に、水に流されたり深みに嵌ったりして
溺れれば、それまでである。

五兵衛は先に立って川に入り、無事、わたりきった。
藤堂玄蕃の部隊はその跡を渡り川を越え、赤坂の町の占拠に成功した、とのことである。

とある、戦時の村のお話。






686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 17:36:36 ID:BVyihDQa
>>672
なんか、世界警察と中東の地元軍閥のやり取りを連想させるなあ

「鳥出台合戦」、稲吉、長澤同士軍

2009年10月24日 00:11

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 02:10:12 ID:YPabc/3b
常陸の国、小田氏の居城藤沢城に、真壁、北条(きたじょう)、片野、梶原といった
豪族連合が攻め寄せ、城から出た小田勢と激突。が、決着つかず、その日は日暮れとなって
互いに陣を引いた。さて、その日のこと。

攻め寄せてきた真壁勢の中に蝦鹿島新左衛門と言う者がいた。
この新左衛門、どうしたわけか味方からはぐれ、いたしかたなく麦畑に隠れていたところを、
小田守治の家臣、稲吉與十郎に見つかった。
稲吉はこの新左衛門と渡り合い、見事にしとめ首を取った。

稲吉與十郎は首を取ったことに大喜び。血糊にぬれた刀を洗おうと
側の堀に下りた。

はてさて、ここに騎馬で通りかかったのが、同じく小田守治の家臣である長澤清兵衛。

稲吉が討ち取った敵の首を置いて刀を洗っているのを見ると、邪な考えが湧き、
その首を盗んで、後ろも振り返らず走り去った!

稲吉が、堀から上がってみれば首が無い。これは一体どういうことかと不思議に思い、
はっ、と向こうを見ると、騎馬の長澤清兵衛がすごい勢いで駆け去っていく。

「さては長澤めが盗んだか!」

慌てて追いかけたものの、そこは騎馬と徒歩、追いつくはずもなく、
ついに本陣に駆け込んだ長澤は、盗んだ首を小田守治の実検にかけ、感状を
頂いてしまった。

稲吉は当然の事、これに怒りが収まらない。何か仕返しをしてやろうと、その夜
長澤の小屋に、自分のところの中元を忍ばせ、馬を盗ませた。

夜が明けて長澤は馬が盗まれたことを知る。
一体何者の仕業かと考えているところに、知り合いの人がやってきて、

「先ほど、貴殿の馬にそっくりな奴に、稲吉のところの中元が乗っているのを見たよ。」
と言う。

長澤、これを聞いて稲吉のところに使いを出し、これこれこう言うことだから、
馬盗人を引き渡すように、と伝えた。

さて、これを聞いた稲吉、使者に向かって

「…人の高名を盗んだくせに、一体どんな根性をしていれば、そんな事を言えるのか。
いいか、長澤に伝えよ!お主のような男は死ねば地獄に落ちるであろう!
釜茹でにもされるであろうよ!さまあみろ!」

そう、散々に言って追い返した。
使いからこれを聞いた長澤は、無論反省などもせず激怒。「あんな事を言わせたまま、
安穏においてなるものか!」その足で稲吉の小屋に押し寄せた!
稲吉もこれを見て「心得たり!」と散々に切り結ぶ。

さて最初にも書いたが、この時まだ合戦は終わったわけではなく、
両軍対峙した状況である。
稲吉と長澤のこの争いに、小田の陣中は何事が起こったかと大変に動揺した。

この動揺を見て取った梶原、北条の勢が攻め寄せると、小田勢は備を立てる事もできず、
一戦に及ぶ前に、我先にと槍刀を捨て藤沢城に逃げ入った。
無論、その中に稲吉、長澤の姿もあった、との事。

後世、世に言う「鳥出台合戦」、稲吉、長澤同士軍、のお話。




674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 02:28:28 ID:qVZZ3z+n
これはひどい
二人がどうなったかとかは記録に残ってないのかな

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 02:38:36 ID:YPabc/3b

>>674
何がすごいって、これだけgdgdな小田軍が、最終的にはこの敵勢を撃退しちゃう事ですなw


676 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/10/23(金) 03:35:54 ID:ndqqsm9a
この改行の多さに耐え切れるこの板の設定が大好きだ。

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 07:13:08 ID:8Zls6XbT
サマーみろ!


683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 12:10:10 ID:sQ3yZc5Y
>>673
上州膳城素肌攻めもそんな話だったなあ('A`;)
あっちはひと揉みに揉み潰されてしまったんですけどね。フリチン四郎ちゃん勝頼...

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-996.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1011.html

佐久間加右衛門の切腹

2009年10月24日 00:09

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 10:01:32 ID:NYh5CkvH
>>571の後の事同じく福島家使番の話

関ヶ原戦後京の守備を命じられた福島正則は所用で
同じく京の守備を命じられた浅野幸長に使番佐久間加右衛門を派遣した。

しかし、この時家康は福島等豊臣家譜代の者を全面的には信用しておらず、
別に徳川譜代の臣伊奈昭綱を日ノ岡に急行させ、検問するようにも命じていた。

佐久間加右衛門はこの検問にて通行証を持たぬゆえ通過を認められなかった。
しかし主命を果たそうとする加右衛門は関所の者と口論になった。
「我が主は内府様に命じられての京の守護役であり、これから使いに参る浅野殿も京の守護役である
その御用筋にて使いに参るゆえ通されよ。」と頼むが
関所の門番は「相成らんと申せば相成らん」と申すばかりで聞き入れない。
加右衛門はさらに強く頼むがついには数人に囲まれ六尺棒で打ち据えられてしまう。

※この時はこれを堪え頭を下げ主命を果たす逸話と果たせず追い返される逸話があるようです。

その後佐久間加右衛門は主君正則に経緯を話し
「あの場で刀を抜いて闘っては相手は多勢であり、手籠めにあえばますます恥をさらしてしまうと思い
刀も抜けずにおりました。なにぶんにも男の面目は立ちませぬゆえ切腹いたします。
されば今生の残る思いに、殿にお願いがござります。事の次第を殿より伊奈昭綱殿にご通知くだされ、
佐久間加右衛門は臆病者にあらず、立派に腹を切って果てたと。」

正則は加右衛門の話を聞き、加右衛門の名誉のためには立派に腹を切らせてやらねばならぬと思い
切腹を許しこの家来の不幸に泣いた。

そして福島正則は事情を書いた手紙を添え佐久間加右衛門の首を徳川家康に送り
代償として関所の責任者伊奈昭綱の首を要求した。

家康は加右衛門を追い返した門番達を切腹させ首を送り届けたが
正則はあくまで伊奈の首を要求し、正則との関係を悪くできない情勢だっただけに
家康は仕方なく伊奈昭綱を切腹させ、その首を届けることで解決をみたのだった。
この事件を幕府は強く恨み後年の福島家改易の罪状の一つになったという。




679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 11:36:30 ID:/xTIcSts
鬼武蔵がおれば....

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 11:39:25 ID:u1pg+Fcg
>>678
でも一番の責任は、二重の任務を出して通達もしなかった家康だよなこれ。

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 11:56:38 ID:GJVdWPXt
これは「影武者徳川家康」で読んだエピソードだから覚えている
あれはかなり脚色してたんだなあ

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 12:06:43 ID:YPabc/3b
>>680
この時京の守護には正則の養嗣子の福島正之が既に入っている。
佐久間加右衛門は、この正之との連絡を取るための派遣で、伊奈の立場としては
通交渉を要求するのは当然でしょうね。

あと、佐久間の切腹はいわゆる「指腹」で、「復讐」を前提にした切腹ですな。
伊達の『塵芥集』にもある

「自害の事、その自害の理由を申し残して死んだ場合は、遺言の敵に対して、
自害した本人に代わって成敗を加える」

って奴。正直この件は、佐久間は正則に対しても(当時の社会通念として)その後の措置を
強制している面があるので、徳川と福島の間で云々と言うより、伊奈と佐久間の私闘のにおいが
強い気がするんだよねー。


684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 13:21:23 ID:kAqN8Bpm
佐久間某 通行手形がないから主命を果たせない →なあに、切腹しちまえばごまかせる

福島正則 通行手形を用意すんの忘れちゃった → なあに、佐久間の首を送って恫喝すれば格好がつく

徳川家康 うっかり関所に通達出すの忘れてた → なあに、伊奈を切腹させれば丸く収まる

伊奈昭綱 そんなこんなで切腹を命じられる → まじっすかwwww


685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 17:11:59 ID:cE+/XPnk
>>678
御用筋ってどこの筋肉だよって一瞬考えた

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 17:48:35 ID:vw73FtaS
>>685が脳筋だったってオチですね、わかります。

細川幽斎と伏見城天子献上の柿

2009年10月24日 00:08

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:39:41 ID:k4B5rzzz
秀吉の隠居城である伏見城には天子献上の柿の木があったという
その日、幽斎はその柿の木のある所へたまたま立ち寄った
  ∧∧
  (,,゚Д゚)
 ⊂  つ
  0  |~))
   `J

見てみるとまさに鈴生り、食べ頃であった
周囲には誰もいない
そこで幽斎、遊び半分に柿を根こそぎ全部取ってしまおうと(!)思い立った

   .∧∧∧∧   ダレモイナイ・・
   (゚Д゚≡゚д゚)     カキヲトルナラ  イマノウチ
     ./ つ つ
 ((~(_⌒ヽ    
     )ノ `J    

スルスルと柿の木に登り始める幽斎
今まさに柿をもぎ取ろうとすると御殿の方から障子を開ける音が…

                           ./,,くノ__ノ___ノ___ノ___ノ___ノ___ノ___ノ___
 :::ゞ:;ヾ :::ゞ:;ヾ :::ソ :::ゞ:;ヾ;ヾ:;ヾソ     /,,くノ__/__/__/__/__/__/__/__/__
 ヾ;○:::ゞ:;ヾ ::: :::ゞ○:;ヾ ゞ :::ゞ:;ヾ    ヒ,イ=@==@==@==@==@==@==@==@==@
 ヾ ゞ:;:ソ :○::ゞ:;ヾ;ヾヾ ::ヾ :: :::ゞ           l」/'' l」/'' l」/'| l」/'' l」/'' l」/'' l」/'' l
 :;ヾ :::ゞ:;ヾ ○:ヾ::: ○ゞ:; :::ゞ:;ヾ'"          .|  ||       .┠─┼─╂─
 :○;ヾ :::ゞ:;ヾ ::ゞ:;ヾ::: :::ゞゞ:; '"            .|  ||       .┠─┼─╂─
 ;ゞ:;ヾ :::ゞ:;ヾ :::ゞ:ヾ○:::ゞ:;ヾ:, '"            .|  ||  ∧_∧ .┠─┼─╂─
      ∧ヾ;; i r´            ナニヤッテンノユウサイ>(・∀・;).┣━┷━╋━
 アッ…>(;゚Д゚) |                      .|  || (    )┃//////┃//
      ノつ○ ;l                   /,/,|_|l | | |┗━━━┻━
    ~(_ ,、 `^)l)               ,/ ,/,∠ 二二(__(_)二二二二二二二
       l ; l. i |               ∠二二二二二二二二二二二二二二二二二
       |l:; .l,i;l              └─────────────────
       |0l i l.|                   ...:::::::::::::,,|;;;;i|,|:フi:::::::::::::::::::::::::::::: ,,|;;;;i|,|:フi
 .,,;,.,;;,,,,; 丿;i;;'、 ;ヾ.,,;,.,;;,.,,,.,,,,..,,;,,,..,,;         ...::::::f----イ/::::::::::::::::::::::::::: f----イ/


…見つかった
秀吉は幽斎の姿を見ると

( ・∀・)<柿の木に 人丸くこそ 見へにけり ここかあかしの うらの白浪

と一首
幽斎はすかさず

(*゚Д゚)<太閤の 御前で恥を かきの本 人まるならで 顔は赤人

と返歌
秀吉は笑って幽斎を許したと言う

芸で罪を逃れた良い話、笑い話なんだろうが
俺は幽斎の手癖の悪い話だと思うw

。+  ゜。  * 
*  ゚   +
        ゚
    ∧∧○
  (^(*゚∀゚)')) 柿ウマ-
  ヽ   .〈' 
 ((~〉   ヽ
    (_,ノ´ ゙J 




689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:47:36 ID:UmjN1vkB
幽斎……そんな子どもみたいな

やっぱ歌うまいなw

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:48:17 ID:K96szutF
芸は身を・・・を体現しすぎw

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:48:41 ID:0K918zt4
俺の中の幽斎像が、が、が、が、が

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:51:15 ID:ZVLsvj1A
ガキの頃は学校の帰り道に柿の木があって勝手に取ってたなぁ
バレて怒られたけどあの柿の旨さを思い出す
ってか柿食いたくなったw

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:53:24 ID:XCFE/iRT
>>691
子に似合わぬ風雅な人間像を消去して
あの子の親にふさわしい人間像、に書き換えておきますね(^Д^)

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:58:27 ID:6iRbRybR
神社から油盗んだり、天子献上の柿をもぎ取ろうとしたり傍若無人にも程があるぞw

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:08:01 ID:AvEZk7sX
幽斎…こんなに面白い方だったのwwww

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:21:00 ID:jeVF1/cc
>>688
秀吉も鷹揚なもんだねw 徳川幕府にとっての政宗、みたいな
豊家に文化のかほりを吹き込んでくれる「愉快なおじさん」扱いだったんだろうか。


>694
包丁人幽斎どのですから……

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:21:36 ID:8xvPFzTc
DQN因子みたいなのが幽斎にもあったのかな。
戦国でもトップくらすの常識人氏康、幽斎にもカワイイ逸話があるもんだな。

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:24:19 ID:GJVdWPXt
秀吉も即座によく作ったなww
たぶん秀吉も幼少の頃はこんな事ばかりしていただろうから笑って許したんだろう

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:24:24 ID:NtAAvcet
俺の地元だと旧暦の月見の十五夜の時にだけ
子供に限りどこの家の庭の果物食ってもいい日があったの思い出した
その日に柿とかを盗むのは神社の神さんなんだとかなんとか


700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:31:51 ID:ZVLsvj1A
神奈川の俺の地元でもあったなそれ
月見用に縁側にお菓子がおいてあって友達と菓子目当てに練り歩いてた
今思うと和製ハロウィンみたいなもんだなぁ
ハロウィン定着させるよりもこっちを復興させればいいのに

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:35:12 ID:1pzUhEuW
>>688
秀吉に即興で和歌を詠む教養があったことに、何より驚いた。

702 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/23(金) 22:38:51 ID:+J7ieQAp
>>688
三成「なんと・・・越中殿はそんなに柿がお好きだったのか・・・φ(`д´)メモメモ...」

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:40:30 ID:ZVLsvj1A
この時代農民ですら歌を詠めるんだからある程度の教養があれば即興位ならできんじゃね?
上手いかどうかはまた別だし現代人には馴染みが無いからまず無理だろうが

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:42:05 ID:NtAAvcet
>>701
それくらいじゃないと多分あんなに出世できないぜ
芸術っていうより頭の回転の良さが求められることだし

705 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/23(金) 22:52:40 ID:vprLtaTO
山深い里に入った時の道灌を相手に山吹の歌を詠んだ少女もいたしな。
道灌がのちに歌の意味を知って自分の無知を大いに恥じたと言う。

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:56:49 ID:kAqN8Bpm
秀吉の辞世の句、すげー名句だよね


707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:59:45 ID:X30m7qkG
>>688

幽斎玄旨の返歌
とっさに柿本人麻呂の名を織り込むとは
さすが古今伝授の人ですね。

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 23:08:33 ID:YPabc/3b
>>707
顔が赤くなったと言う事を、山部赤人の名を出して現しているところも。

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 23:21:48 ID:X30m7qkG
>>710

それに白波だけでは盗賊盗人のままであるものを
騒がしいと思って来てみれば柿泥棒が・・・
と言ったニュアンスを
源氏物語にも語られる明石の浦の名を出して泡立つ波に例えて
風情を醸し出す秀吉も然る者ですね

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 23:24:04 ID:3845d7vJ
>>702
「越中守は柿が好物だと聞いたので、持参いたした。
それがしのことは気にせず、食して頂きたい。」

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 23:37:02 ID:kAqN8Bpm
調べてみたら、白波で泥棒って意味なんだな

[ 続きを読む ]

朝鮮出兵と七匹の猫

2009年10月24日 00:06

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 05:15:13 ID:d2zdxnm7
唐代の「酉陽雑俎」、江戸時代の「和訓栞」に書かれているように、中国日本では
猫の目、虹彩を見て時を計っていた。

鹿児島市郊外、薩摩藩島津家の別邸地跡磯庭園の森林の中を川が流れる広大な敷地の
一角に「猫神神社」がある。小さな鳥居をくぐると、両側に石灯籠があり、正面に
小さな石碑が鎮座している。
ここには、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍した猫たちが祀られているというのだ。
文禄慶長の役(1592~98)秀吉の命を受けて出征した島津家十七代義弘公の軍団に、
7匹の猫がお供をしたのだ。お役目は時を告げるため、まさに“陣中時計”だ。
7匹というところから想像すると、部隊同士で攻め込むタイミングを示し合わせるために、
それぞれが猫の目をのぞき込んだのではないだろうか…?
猫の瞳とがっちりと目を合わせて「それいくぞー、エイエイオー!」と出陣したとすると
すごいことだ。
このエピソードについては、当時書き残された確固たる資料は何もない。
言い伝えられてきたものを、後の時代になって書きとめたものだけである。
しかし、これは実際にあったことだと思いたくなるようないい話が残っているのだ。
7匹のうち生還した猫は2匹しかいなかった。そのうちの一匹は、義弘の二男久保に
可愛がられ、“ヤス”という名だった。白地に黄色の波紋があり、つい最近まで地元の
人たちは、この模様の猫をみんな“ヤス”と呼び敬ったというのだ。
そして、毎年6月10日の「時の日」には、鹿児島市の時計業組合の人たちが、
ヤスたち7匹の小さな霊をなぐさめるために、猫神神社にお参りするのだという。


ぬこ好き2ちゃの皆さんへちょっといい話。
島津義弘するか二男久保(ひさやす)にするかどっちだろ?




839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 07:18:07 ID:QomoWYek
犯人はヤス

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 08:36:54 ID:kAqN8Bpm
く…久保…

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 17:03:11 ID:jeVF1/cc
>838
鍋島直茂どのが猫神人事やに供物を捧げるから堪忍して下さいと……

立花宗茂、島原の乱にて

2009年10月24日 00:02

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 20:30:05 ID:8an/sbGP
まとめに見受けられなかったので、いい話?というか立花宗茂伝説の一端を。

幕藩体制も整ってきた寛永14年(1637年)、幕府を震撼させる事件が勃発した。
ご存知、島原の乱である。

この乱を鎮圧させるため、
幕府は板倉重昌を大将とした九州諸藩で編成された討伐軍を派遣した。
しかし、寄せ集めの兵であったうえ、
大坂夏の陣以降の泰平の世にどっぷりつかっていたためか士気もあがらず、
なかなか反乱を鎮めることができなかった。

家光「なかなか難儀しておるようだな。
   長引かせると幕府の威信に関わるゆえ、しかるべき人物を中央より派遣せねばなるまい。」
幕臣「ならば老中・松平伊豆守殿が適任かと。」
家光「知恵伊豆か。
   それはよいが、彼でも鎮められなかったとなればいよいよ面倒じゃ。
   誰か、伊豆守を補佐する者も選ばねばなるまい。」

そこで白羽の矢が立てられたのが、宗茂だった。
この時、御年72歳。

家光「乱を長引かせぬため松平伊豆守を遣わすことにしたが実戦経験が乏しいゆえ、
   ご老体にはご苦労であるが、彼を助けて乱を鎮めて欲しい。」
宗茂「乱が長引いているのは、武士が泰平に慣れてたるんでおるからでしょう。
   あと1、2年ほどは、乱が続いてもよろしいではございませぬか。」

冗談とも本音ともとれる言葉を残して、宗茂は一路島原へ向かった。

着陣後、さっそく松平伊豆守や現地の幕臣も交えて軍議となった。

幕臣「伊豆守殿が来られたのならば、原城も落ちたも同然。
   一気に総攻撃と参りましょう。」
信綱「・・・宗茂殿はどうお考えか?」
宗茂「原城を包囲し、兵糧攻めにするが上策かと。」
信綱「まさか、本気で乱が長引けばよいと考えておられるのか!?」
宗茂「原城に篭っている敵勢は決死の覚悟を決めておるでしょう。
   そんな相手に正面からぶつかればこちらの被害も甚大になりまする。
   ゆえに、まずは兵糧を無くさせ、
   士気が落ちたところを攻めれば容易に鎮圧できましょう。」

この兵糧攻めが功を奏し、
食料が尽きたところに総攻撃を受けた一揆勢は全滅を遂げ、反乱は終結した。

西国無双・立花宗茂の、最後の戦である。   




845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 20:45:30 ID:qE+Lmnqp
決死の覚悟で籠城すればどうなるか、
誰よりも知ってる男だもんな。

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 20:47:41 ID:ZpwKzTKz
実父の岩屋城か

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:08:30 ID:Cf7uDR6Q
伊豆守と聞いて真っ先に腹黒父親とKYな弟と鬼嫁に苦労した
あの人(当時71歳)かと思ったぜ

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:15:25 ID:AvEZk7sX
信之w
宗茂と年齢近かったんだな

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:04:00 ID:0K918zt4
確か幸村、政宗、宗茂が同年生まれだった気がしたから
wikipedia見てみたら1567年生まれで纏めてあった
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/1567%E5%B9%B4

浪切孫七郎、家康に会ってしまって

2009年10月23日 00:11

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 23:23:50 ID:NARI/eZd
三河一向一揆の大将格の一人、浪切孫七郎は戦闘中に、小豆坂で
徳川家康に会ってしまった。するとどうしたことか、孫七郎は敵の大将に
背を向けて逃げ出したのである。

彼は家康と敵対してこそいたが、家康を殺したいわけではなかったのだ。
ただし、慌てて逃げるとみっともないので、そろ~りと馬を進めた。

「待たんか貴様!孫七郎だろう!」

(やべ、バレた!)

焦った孫七郎、やっと本気になって馬を走らせるが、家康に背中を
二度突かれてしまう。しかし、致命傷ではなく、孫七郎はなんとか逃げおおせた。

そして一揆鎮圧後のある日、家康は帰参した孫七郎を呼び出した。

「小豆坂で負った後ろ傷はその後どうだ?」

「某は後ろ傷を負ったことなどありませぬ!人違いでありましょう!」

「ほう、白を切るつもりか。わしは確かに二度お前を突いたぞ。
そこまで違うと言うのなら、裸になれ!」

孫七郎は追いつめられて顔を真赤にするが、まだ認めない。

「確かに二ヶ所槍傷がありますが、断じて殿に突かれたものではありませぬ!
他の者に突かれたのです!」

「それ見ろ。それは間違いなくわしのつけた傷だ!
その傷があるかぎり、お前は一生わしに頭が上がらんな?」

いよいよ言い訳できなくなった孫七郎は、ついに降参した。
それからの孫七郎は熱心に奉公したという。




815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 23:53:47 ID:2HW5Osko
おちゃめな逸話だことw
上手く言えないけど三河一向一揆時の逸話って、
みんなが家康のこと好きって感じがするから和む
まあ面倒くさいんだけどw

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 02:36:54 ID:EHhuq9cn
じゃあ初めから敵対するなって感じだよなw
ツンデレっていうのか、これはww

817 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/10/22(木) 04:03:08 ID:s5FLGh4z
ツンデレだけではなく、2ちゃん名物ウホッになりそうな流れに見えた。

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 06:03:56 ID:bpL7bpaA
二回も後ろから突かれるだなんて・・・

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 06:49:12 ID:Ax6RX8fI
>>818
万千代殿が睨んでおりますぞ、殿ー

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 07:33:20 ID:uOZc5aNI
 他 の 三 河 武 士 が ア ッ プ を は じ め た よ うで す 

821 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/22(木) 10:48:45 ID:6H9jewl5
>>814
蜂屋さんといい、神君も戦いにくかっただろうなぁ…^^;;



822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 10:57:07 ID:iMbeqKR7
>>821そういえば、
門徒一揆に同心した本多弥八郎どん(後のサドの守)はどうしてたんだろうなw
若い時分だけど陣頭で馬を駆って暴れ回る姿は正味、想像つきませんて

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 10:57:31 ID:nBC8WEI+
確か三方が原で、家康をぶちのめして馬に押し上げ浜松まで暴走させて脱糞させた後、
武田勢に「徳川三河守」だと名乗って殺された人も、三河一向一揆の参加者だったはず。

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 11:19:28 ID:D0br9rS+
>>823
なんか、
「別にあんたを助けたくて助けるんじゃないからね。
あんたが私以外の奴に倒されるのが嫌なだけなんだからね。」
ってセリフが聞こえてくるな。

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 11:34:16 ID:nBC8WEI+
信長のコレクション 茶器
秀吉のコレクション 茶器 女
家康のコレクション 年増女
正則のコレクション 家臣

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 11:45:57 ID:QT9Bi9/5
>>825
>家康のコレクション 年増女
まてまて「めんどくさい三河武士」が無いぞ

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 12:07:20 ID:mQh+Y3Rx
>>826
めんどくさい三河武士は集まってくるものではなく自生しているのだから
蒐集には当たらないと思うがどうかw?

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 12:56:39 ID:iMbeqKR7
>823夏目吉信、通称アナゴさんですね(違)

「こんな所で討ち死にだの切腹だの弱音を吐く殿様には心底愛想が尽きたぜ!」
「俺は殿を見放して謀反した。今から俺自らが殿様になってやるぜヒャッハー!」というツンデレ殿軍


まとめサイトにもっと綺麗な文章で纏められてるよ...

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 16:35:38 ID:TlI5SVF/
めんどくさい三河武士は伝染したり吸引されたりする性質のものなんだよ。

三河育ちじゃない人たちもめんどくさい人ばかり集まってくるし、家康自身も
乳母も学者もめんどくさいのが徳川家の家風。

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 16:38:07 ID:gIOiVpPs
ただの類友じゃあ・・・おっとこんな時間に伊賀者が何の用だろう

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 23:00:38 ID:TFQ5Qxar
家康さんはある時期からロリコンになるんだよね。


関口柔心氏心、上座に行かされそうになって

2009年10月23日 00:09

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 23:12:27 ID:bZBUhbfW
面倒くさいでこんな逸話を思い出した。

関口柔心氏心(せきぐちじゅうしんうじむね)
関口義広(築山殿の父)の孫という名門出身。
まあ、今川の滅亡で没落するんだが、あらゆる武術を極め、ついに柔術の祖となった人物だ。
この人は本多甲斐守に仕えていたが、待遇が悪いので脱藩。
で、紀州の徳川頼宜に仕えた。が、本田家の顔を立てる為、家臣で無く客分待遇となった。
実際は「今後紀州の藩主はみんな関口流を学べ」と頼宜に言わせる程気に入られていたが・・・
そんな彼は、藩士達の酒席に呼ばれても常に下座だった。そんなある時、
「先生、上座へどうぞ」
「自分は、客分ですから・・・」
「いや、事情はみんな知ってますし。どうぞ上座へ」
「自分は上座に座る資格がありませんから・・・」
「今日こそは座って頂きます。おい!」
その場にいた4~5人でムリヤリ持ち上げて上座に運ぼうとした。が、
「う、動かん!?」
どうやっても持ち上がらなかった。まさに達人の業である。
「自分はここで結構ですから・・・」
「そ、そうですか・・・」
その後は無理に上座に座らせようとするものはいなくなったという。

ちなみにこの人、ぬこが屋根から飛び降りるのを見て、
「これだ!ぬこにできて人間に出来ぬはずは無い!」
と自分も屋根から飛び降り、長い苦闘の末「受身」の技法を編み出したという逸話が有名。

かなり面倒臭い人だったんだろうな~と思う。




834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 23:21:25 ID:MUYvBKtt
>>833
ニャ、ニャンコ先生!!

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 23:37:05 ID:aTkwYEXG
面倒臭さも極めると達人とかに通じるのか

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 00:10:03 ID:ryiurhkC
>>833に補足というか明らかに蛇足を
柔心=氏心、両方ウジムネと読みます。
関口刑部少輔氏広の子、関口弥六右衛門氏心(柔心)
氏広は築山殿・信康親子と結び武田に内通したと嫌疑をかけられ浪人。
氏心は生まれが三河で今川家家臣というより、松平家の家臣として育つ。
松平飛騨守に仕え、主の死後近江膳所(異説に大和郡山)城主本多甲斐守に
招かれたが長続きせず、寛永十六年に本多家を去り、紀州家に仕える。
居合を林崎甚助に、組打ちを三浦与次右衛門に学び、長崎で中国の拳法を
シナの武芸者から教わったという。後に関口流(新心流)を興す。
息子の八郎左衛門氏業は父の遺領をそのまま受け継ぐのを潔しとせず、
開国修行に出る。後、信州松代藩主、真田伊豆守ら大名も彼の門人となっている。

週間、ブログ拍手ランキング10/14~/21

2009年10月22日 00:12

10/14~/21までの、ブログ拍手ランキングですよー



那須作蔵と下人、牛太郎 62

安藤直次「私は彦坂九兵衛が大嫌い」 59

大井城撤退戦の大久保忠世 54

戦国の「人礫」 47
宇喜多秀家嫡男八郎の乳母と、その子澤橋兵太夫 45

兵部どのー! 44
黒田長政と父、如水からの使者、中山市内 43
福島正則、後藤又兵衛に 41

上杉家臣、坂田采女義満と、渋江熊蔵
39
伊達政宗『酔余口号』 35
第二次国府台合戦の北条氏政 34

上杉謙信、自分に槍をつけた者に
32
戦目付の石田三成が宗茂に会いに来たとき 31

比叡山焼き討ちの遺体が流れ着いた場所 30
雑談・「いい話しと悪い話は表裏一体」 30
鉄砲の複製を命じられた鍛冶屋は悩んでいた。 30

鞆の小幕府の内藤如安 29
最上義光、長谷堂決戦の後の恩賞配分 28



今週の1位は那須作蔵と下人、牛太郎
関ヶ原と言う大合戦の中での、小さな局地戦における主従のエピソード。
大きな歴史のうねりの中に、こう言う、一人ひとりの必死の働きがあったのでしょうね。

2位は安藤直次「私は彦坂九兵衛が大嫌い」
実にストレートなお話ですw
かなり乱暴に言ってしまうと、『公』って、こういうことなんだろうな、と思ったりします。

今回期になった逸話は
第二次国府台合戦の北条氏政
管理人、北条氏がかなり好きでしてw
そんな中、氏政を多少調べてみたりしみて、やはり言われているような、能力の無い
戦国大名ではないと考えるようになりました。むしろ能力ある武将だったでしょう。
ただ、結局北条が滅んだのは、氏政が自分の能力を過信したのではないかな?とも
思っていたりもします。この辺は難しいものですね。

今週も各逸話に、本当にたくさんの拍手を頂きました。いつもありがとうございます。
これからも気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください!
( ´ω` )



さて、久しぶりに本を紹介してみたいと思います。今回は

戦国ファッション絵巻―戦国の魅力、いにしえのファッションで徹底解説! (マーブルブックス)戦国ファッション絵巻―戦国の魅力、いにしえのファッションで徹底解説! (マーブルブックス)
(2009/08)
植田 裕子

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こちら!
「戦国ファッション絵巻―戦国の魅力、いにしえのファッションで徹底解説! 」(マーブルブックス)
です。

本屋で最初表紙を見たとき、「これが歴女向けの本って奴か!」と、実はかなーり
侮っていたのです。
が、中身を見て認識を改めました。考証が、相当しっかりしていることに気づかされたからです。

軍装から庶民の服装まで、きちんと基礎を抑えている、アマゾンのレビューにもありましたが、
この時代の服飾に関する入門書として、大変良い本だと思います。

表紙も含めて絵柄には賛否あると思いますが、そのあたりに拒絶感が無ければ、
お勧めしたい本だと思います。

対馬藩の国書偽造事件と政宗

2009年10月22日 00:10

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 00:10:30 ID:xZ4sRzhF
対馬藩の国書偽造事件と政宗


豊臣秀吉の朝鮮出兵により、朝鮮王朝との国交は断絶していた。
その国交を回復しようとの動きが、徳川幕府発足後に起こる。
間に立ったのは対馬の宗氏。
昔から半島貿易に頼ってきた島では、国交回復は悲願であった。

国交回復交渉に当たり、朝鮮王朝の出した条件は二つ。

 ・ 秀吉軍出兵の際の王墓破壊者を引き渡す事
 ・ 二度と侵略しない事を約束する事

前者は、朝鮮出兵とは一切関係のない、藩内にいた犯罪者の喉を
水銀で潰して身代わりに差し出すことで解決した。
だが、後者は宗氏から「戦争放棄」を将軍家に申し入れることが難しく、
窮した対馬藩はなんと国書を偽造してしまう。
更に朝鮮からの返書も改竄、その後も国書の偽造と改竄を繰り返し、
それによって貿易協定を結ばせるなどし、国交は回復した。

だがこれを幕府に告発した者がいた。
主家からの旗本独立を狙って宗氏と対立していた、対馬藩の家老・柳川調興である。

事件が表ざたになった時、幕府はすでに三代目の家光の時代になっていたが、
幕府を欺く国書偽造である。大問題となった。
対馬藩は取り潰しにあうのではないかという最悪の噂まで飛び交った。

寛永12年、家光の前で宗家当主・宗義成、柳川調興の直接の口頭弁論が行われた。
江戸にいた大名は総登城し、江戸城大広間にてこの対決を見守る。
結果として幕府は、日朝貿易は対馬藩に委ねた方がよいと判断し、
宗義成は無罪(ただし事件に関わった外交僧・玄方が盛岡藩に流罪)、
柳川調興は津軽藩に流罪となり、その後の貿易は幕府が厳しく監視した。

これが「柳川一件」と呼ばれる国書偽造事件の経緯である。

この国書偽造事件について家光の裁断が下る前に、
事件のとりなしのために一肌脱いだのが伊達政宗である。

宗氏は古くから朝鮮王朝と深いよしみを通じており、
秀吉の理不尽な要求で半島出兵が行われた時の宗氏の苦悩を政宗は知っていた。
「朝鮮に討つべき罪はない」と言った宗氏に同情も持っていた。
更に国書偽造事件がこじれることで、再び昔のような戦が起こることも怖れた。
政宗は義成をこう励ましている。

「朝鮮の役の時、我々は貴方の父上、義智公に危機を救っていただいた。
今こそ恩に報いたいと存じております」

この当時、政宗は死を一年後にひかえた69歳になっていた。
老骨に鞭打って、政宗は裁断前、家光にこう言った。

「朝鮮は昔から親しい国でございます。それなのに、秀吉は理由もなく兵を動かした。
間もなく豊臣家が滅んだのも天の報いだと、人々はそう言っております。
権現様は、その過ちを正されたお方。再び兵を動かすようなことになれば、
殿は地下の権現様にどんな顔で会われるおつもりですか」

最早残り少ない往時の戦役体験者の言葉は、説得力を持って響いた。
この諫言が功を奏したのか、対馬藩最悪のシナリオは避けられたのだった。




774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 00:15:36 ID:szMICUqk
この政宗にはDQNの面影が無い…

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 00:16:24 ID:eeGK85+j
これはいい政宗

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 00:22:44 ID:TvYVeO2L
四天王だなんだと言われていても、いい話しはちゃんとあるんだよなあ・・・。

・・・約一名以外は。

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 01:05:19 ID:zjDwjbiY
DQNだDQNだと言われても、政宗のエピソードは彼の情の深さを思わせるものが多いよね

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 01:25:26 ID:CMJmABD0
晩年の政宗は「オレも昔はワルだったんだけどさ・・・」って将軍に説教するちょい悪親父だからな。

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 01:27:58 ID:qf0yRDBy
あの遺訓を見れば、いかに味わい深い人物であったかが分かる
だいぶ家康を意識した遺訓ではあるけど

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 02:30:43 ID:EvCFeXBL
>>773
しかし、宗氏の国書偽造は昔からだよな。
その場しのぎの浅知恵外交が多いのは島侍の特徴だろうか?

琉球も、そういう一面なんか持ってたよな。

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 02:36:03 ID:hsA9FtcH
>>782
僧の嘘は方便といい
武者の嘘は武略という

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 02:37:27 ID:zV0zrzen
外交とか政治の嘘だけどな


786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 02:56:02 ID:EvCFeXBL
嘘っていうより、なんかその場凌ぎすぎるのがスゲエ気になる。

田中吉政家来、坂本和泉、石田三成の鉄砲足軽を

2009年10月22日 00:10

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 02:01:20 ID:16+ulZD6
関ヶ原、東軍による美濃攻めの時の話である。
合渡堤の合戦で西軍は東軍に圧倒され、兵たちは逃走、
その中に石田三成の鉄砲足軽、勘右衛門と言う者の姿もあった。

さて、鉄砲を持って逃げる勘右衛門の姿を、田中吉政の家来坂本和泉が発見、
駆け寄ると、これを斃さんと馬上より槍を繰り出した。

勘右衛門とっさに避けると、坂本に向ってこんな事を言い出した

「ま、待て!味方を討ち取ると言う事があるか!」

自分を東軍側の侍だと言う事にして、この場を逃れようとしたのである。
これを聞いた坂本

「味方だと?何所の部隊の者だ!?」

そ、それは…

勘右衛門、東軍の者の中で田中吉政家臣である、西村五右衛門のことを
同郷であると言う事で見知っていた。そのため

「に、西村五郎右衛門の部隊のものでござる!」

と答えた。
これに坂本

「なんだ、西村殿の所の者か…。では行くがいい。」

助かった!勘右衛門がそこから離れようとしたところ、後ろから坂本が声をかけた

「あ、そうそう、西村殿の所の者だと言うのなら、お前が今着ているその羽織、
脱ぎ捨てていったほうがいいぞ?
石田三成の部隊の足軽は、皆そろいの羽織を着ているのだよ。今お前が着ているのと同じ物をな!」

そう言って他へと駆け出した。

坂本、この勘右衛門が敵方だと解ってはいたものの、同僚の西村の見知ったものだと悟り、
これを逃がしてやったのだ。
後に人々、「坂本は情けを知る人だ」と言い合ったそうである。





785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 02:47:09 ID:BIOUozcF
>>781
「あ~、ワシは今、何も聞いてはおらなんだ、よってワシの預かり知らぬとことじゃ」
とか
「これから言うことは独り言じゃからな…実は○○は××であるのだ、おっとこれは独り言じゃぞ」
とか
「ワシは今こっちを向いておる、そっちは見ておらんからな、決して見ておらんからな」

こういうのけっこう多くない?

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 11:04:21 ID:4hRLmZGn
>>781
関ヶ原戦後には
揃いの羽織がいっぱい脱ぎ捨てられてたんだろうか・・・

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 11:25:18 ID:6ITPTRlI
そういや合戦の後の死体処理や武具の処分・リサイクルなんかは
誰がやってたんだろうか。
いわゆる被差別階級の人たちがやってたのかなあ。

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 11:33:05 ID:IixOd/zU
>>783
農民

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 11:45:06 ID:6ITPTRlI
>>794
ありがとう。
まあ落ち武者狩りなんてやるくらいだから
積極的にやってたんでしょうねえ。

その武具のリサイクルを生業にしてる商人もいたんでしょうね。
目利きが出来ればそれなりに稼げそうだし。

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 12:46:41 ID:bMZuhxzR
>>795
落ち武者から村を護る目的と、戦災から逃れるために大名との契約で落ち武者狩りしてたりもする

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 13:24:35 ID:jDa6reVU
>>795
一応、古金買い(戦場漁り)は違法なんだけどな、少なくとも武士からは良い顔はされない。
ま、戦場になるって事は刈田狼藉とか人災を被ってる可能性が高くて、
農民からしてみれば戦場漁りでもなんでもやって少しでも損害を補填する必要はあるんだけどね。
その結果、釘一本のこらないといわれる現在の業者も真っ青な廃品回収業者と化す。

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 14:46:09 ID:6ITPTRlI
>>798-799
ありがとうございます。
リサイクル率高そうですねw
きっと肝とか漢方として売られたりしたんだろうなあ・・・

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 17:33:54 ID:ziUCgMWe
>>800
人肝を薬に使うのは江戸時代な。
戦国時代はまだ明から製法が伝わっていなかった筈。
伝わっても製法は広まらなかったと思ったが。

『安倍川餅』由来

2009年10月22日 00:09

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 16:44:48 ID:16+ulZD6
関ヶ原も終わり、家康は天下を取ると、かねてより構想があったのだろう、さまざまな施策を
一気に推し進めた。新田開発、治水事業、通貨政策、街道の整備、貿易振興…
その中に、大久保長安などを抜擢しての、鉱山開発も含まれていた。

家康が大御所となってのお膝元、駿河においても、海野彌兵衛を奉行に、安倍川の源流地域にある
井川(静岡市)の笹山金山や、梅ヶ島(静岡市)の日影沢金山などの採掘を盛んに行った。

これにより、これらの金山からは年間、四斗樽(72リットル)に三百杯と言う、多量の採掘を見た
そうである。

さて、ある時家康がこの金山に、直々の検分に出向いた。
この時金山の者達が餅を搗き、これに黄粉をまぶして献上した。

「黄粉は、この金山から安部川に流れる砂金をイメージして
まぶしました。よってこの餅は金粉餅』と申します」

家康はこの餅を大変気に入り、金山の者達の褒美を与え、改めてこれを
『安倍川餅』と名付けた。

これ以後、『安倍川餅』は東海道の名物となり、京から江戸に下る勅使や八代将軍吉宗、
また、西郷隆盛などもこの餅に舌鼓を打ち、今に至るも多くの人々に愛されている事、
ご存知の通りである。

『安倍川餅』由来のお話。




804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 16:46:49 ID:sv5HtGuB
それまでは黄粉まぶして餅を食う習慣はなかったのか
あっても呼び名がなかったのか

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 17:11:55 ID:uZM1itvC
家康って餅関係の逸話多いよな。

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 17:23:01 ID:roPX3UNJ
尻から餅を出せるしなー

808 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/21(水) 17:52:45 ID:vdfN36yy
>>804
大豆は縄文時代からあるから、似たような物は
あったと思う。
ただ、安倍川餅は江戸時代、当時まだ珍しかった
「白砂糖」をつかっていたため、東海道の名物
として広く喧伝されたみたいだね。

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 18:49:20 ID:gUZsMDs/
江戸時代は遊山目的の旅も増えて庶民の購買力も高まったから
各地域で名物を作ったり名所を作ったり、という今と同じことをやり始める

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 19:47:13 ID:Cy0dRL93
きな粉か。金粉をまぶしていたら大変なことになっていたな。

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 20:36:14 ID:UQc25V8c
別にいいんでは?金粉の入った食品って結構あるし

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 20:39:55 ID:16+ulZD6
土地柄なんだろうけど、金沢は和菓子店も洋菓子店も、お菓子に軒並み金箔を使いますなw
もはや一種の調味料だ。

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:57:33 ID:Wu8nzTL0
まあ金は唾液や胃酸じゃ溶けないだろうし触感はあるかもしれないけど
味はしないよな?