鍋島直茂公、対人関係についての心得

2009年11月30日 00:26

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 17:00:56 ID:uRg4LvjV
鍋島直茂公が、ある時こんな事を語った。

「世の中の人ってみんな、自分と気の会う人間とばかり一緒にいようとするよね。
だけど、そう言う人との付き合いがいつも思い通りになるかと言うと、そう言うわけじゃ
ないだろ?

一度試しに、気の会わない人間とも親しくしてみようよ?
絶対何か、お互いに得る物があるはずさ。

これは友達付き合いに限った事じゃなくて、そもそも仕事だって、最初『これは辛い仕事だ』
って思えるものほど、やり遂げれば身の為になるだろ?それと一緒なんだ。
人との付き合いも、最初にどうにもとっつき辛いと思う人と、かえって長年にわたって
いい関係でいられたりするものなんだよ。」


そんな直茂公の、対人関係についての心得。




750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 17:27:08 ID:MkG/fVtm
>>749ひょっとして
『おれ本当はクマー隆信兄貴とあんまし気が合わなかったんだけど、
仕事きっちりして竜造寺一門とも信頼関係を築いてきたからこうして藩政を預かっているんだぜー』

って意味かね。穿ちすぎか

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 18:11:41 ID:r16XvdFn
よーし、三成・正則ペア、政宗・兼続ペア、正信・忠隣ペアでトリプルデートだ!

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 18:30:34 ID:bNEmwE/r
アッー!

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 18:34:20 ID:ED1iOR/V
>>751
それだけ揃ったら閻魔大王でも生き延びることは出来ないだろ。

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 18:37:26 ID:wwalKvEl
クマー兄貴と気が合いすぎるヒャッハーな奴ばかりだと困る気もする。
百武さんも泣いて出陣しないぐらいだし。

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伊達政宗、千菊姫への形見

2009年11月30日 00:25

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 20:24:44 ID:YyiG/E5Y
悪い話でもないと思ったのでこちらに投下。


千菊姫への形見


千菊姫は、伊達政宗六十歳の時、最後に生まれた子供である。
後に京極高国に嫁いだが、
父である政宗の死が迫っていると知り、
再三会いたいと書状を出した。千菊姫、わずか10歳の頃である。
病床にあった政宗は、千菊姫からの書状を見、
まだ幼いのに良い文だと褒め、またその気持ちがわかるだけに不憫だと思った。
同時にしとやかに育っていると聞く娘の成長を喜んだ。
かわいい末の子供である。やはり会いたい気持ちは父にしても同じ。
だが、病床の自分の事を思うに、やはり会う訳には行かない。
そのため、返事を書くことにして、硯を引き寄せた。
しかし、側の者に体を支えられてようやく筆を取るが、思うように筆が進まない。

「どうしても書けぬ。一字を書くのさえやっととは、無念だ。
会いたいが、会えぬ訳がある」

そう言って、書きかけの書状をそのままくるくると巻いて側近に渡し、
それを形見として千菊姫に渡すように伝えた。

老いて病床にある姿を子供に見せるのは忍びなかったのだろう。
ある時には刀に手をかけ、「今天下に大乱あれば、
子供達に戦の作法を見せてやるのに」と涙をこぼした政宗は、
寛永十三年五月二十四日卯の刻、息を引き取った。
その日ホトトギスが何処からか飛来し、ずっと鳴き続けていたという。





759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 21:09:03 ID:mACfveO9
これは・・・ちょっと泣けたぜ(´ぅω;`)

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 22:06:20 ID:Y6kQuQK/
たまに妻を寄せつけずに小姓を侍らせて云々て言われるけど、やっぱそういうのじゃなかったのかな。

毒沢義盛とその子達、「毒か薬か」

2009年11月30日 00:22

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 03:02:30 ID:dJsY5hSG
ついでに一つ


毒か薬か


近畿では関ヶ原が終結した頃、奥州和賀の地でも一つの戦いが終わった
奥州仕置で没落した和賀氏が、領地拡大を狙った伊達家の支援を受け、
再興を図ったが夢破れたのである
その後、和賀の当主忠親や家臣の主だった者は仙台の国分尼寺で自刃することになる

その中には毒沢義盛の名もあった
毒沢という厳めしい名は、和賀氏没落の時に義盛の居城であった
濁沢城の井戸に自ら毒を投げ入れ
野に下ったことを由来とし、濁沢から毒沢に改名したと伝わる

義盛は前述の通り自刃して果てたが、子の吉広は名を毒沢から多田と改めて伊達家に仕えた

その義広は、後に子供二人を政宗の側に置く事に成功する

只野作十郎勝吉と勝女姫である

只野作十郎に関しては今更説明の必要が無いので省略するが、
三代全員が名を変えたのは興味深い
勝女姫は政宗との間に伊達宗勝と岑姫の二人を授かった

伊達宗勝は伊達騒動の中心人物で、以前は専横を極めた悪人とされていたが
近年においてそれは、旧来の地方知行制を維持したい伊達宗重派と、
中央集権化を図ろうとした伊達宗勝派の争いに
敗れた末の評価であり、宗勝は改革者であったという評価もされている

事件後の仙台藩において、地方知行制はその影響を色濃く残すが
毒沢の血を引く宗勝は伊達家にとり、果たして毒であったか薬であったのかは定かではない



勝女姫の娘・岑姫は伊達宗重の兄宗実に嫁いでいます
伊達騒動の頃には勝女姫も岑姫も亡くなっていますが、勝女姫は1665年まで生きていたので
片や息子、片や娘の嫁入り先が日々軋轢を深めていく様を
複雑な気持ち見ていたのではないかと思います




698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 08:53:17 ID:4N/wmRGO
只野はラブレターの相手かw
勝女姫はなんて読むの?

699 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/29(日) 11:03:39 ID:I0iZF+dC
盛重は実はかなり有能で出奔後は佐竹に仕えて
対伊達最上の最前線にもなる横手城を任されたほど。
単にDQN政宗にイジメを受けていただけだと言う…

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 11:11:11 ID:wSW6lPkk
実際はそんなとこだろうな

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 11:13:23 ID:RgBp5NEz
経営者一族で関連子会社任されたもののそこでは合わず、他社に移ったら実力発揮ってとこか

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 11:31:09 ID:cZ72HBqL
逆に、大内定綱は伊達に反抗していた時は散々だったが、
召し抱えられてからは手腕を遺憾なく発揮しているな。
後に一族の家格も与えられているし。
石川昭光も伊達家に戻ってからは、一門筆頭になっている。
まあ、成実はおもしろくなかったみたいだけど。

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 11:45:04 ID:jRrUVGb3
前からいた家老よりも有能な新参を待遇するのはどの家でもあるんだけどな
まぁ織田はそのせいで殺されたけど

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 13:13:58 ID:dJsY5hSG

>>698
スイマセン分かりません

長宗我部元親「おい、おまえ!おれの名前をいってみろ!」

2009年11月30日 00:20

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 13:03:13 ID:yYukUHn4
「おい、おまえ!おれの名前をいってみろ!」

秀吉の四国攻めに際して多聞院英俊、日記に記す
「四国の支配者は長曽我部という人らしい。ちょうすがめと読むのだろう、面白い名字だ。
一条兼定殿の有力家臣からのし上がったとか…」
(土佐大将ハ長曽我部ト云人也。チャウスカメと云ト思ヒシ、面白キ名字也。土佐ノ一条殿ノ
内一段武者也…)

同時期にルイス・フロイス、イエズス会に報告する
「秀吉がチョースガミ( Chosugami )と称する暴虐の君主を討った。」

元和のはじめ、毛利家臣の玉木吉保、自伝において盛親について記す
「長曽亀は…」

幕末、土佐藩士の楠目盛徳、随筆に記す
「長宗我部殿は、チャンスカメと訓みける由…」

……実際の所、どうなんですか?

元親「秦氏の分家が土佐長岡郡宗部(そがべ)に移住し、「宗我部」を名乗った。
ところが、同じ土佐の香美郡に既に「宗我部」を名乗る一族がいたので、区別するために
「長宗我部」を名乗ったのが、わが一族の始まりらしい。
よって、「長曽我部」と書いてある本も多いし、普通「 Chousokabe 」と読まれているが、
「長宗我部」と書き、「 Chousogabe 」と読むのが本来だろう。

それはともかく、いまだ長宗我部の者は名字に悩まされており、webマガジン「そら飛ぶ庭」の
代表、長宗我部友親氏はわが弟の親房の子孫だが、若い頃バイト先で
「『名字だけ書け』と言ったのに、下の名前まで書いたのは誰だ!」と怒られたそうな。

「伊東」を「伊藤」と書いたり、「北条高広」を「ほうじょうたかひろ」と読んだり、人の名前を
間違えるのは失礼な行為だから、みんなも気をつけろよ!」






712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 13:20:50 ID:CreuKBbs
>>708
>「北条高広」を「ほうじょうたかひろ」
え、違ったの?と思った俺にわか乙w

俺も名前よく間違えられる
最近は訂正もうざくなってきたので、問題ないときは放置してる

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 13:30:12 ID:wSW6lPkk
>>712
きたじょうたかひろ

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 13:37:26 ID:aA4Q8/++
紛らわしいから漢字変えろ

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 13:49:44 ID:KgNyNY3O
チャンスカメw

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 13:54:49 ID:K8BMLuUN
>>714
分かりました!

北条隆広

これで


718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 14:50:10 ID:T+mQlIeI
>>708
長宗我部は戦国の源五郎丸洋ですね
ネタ古すぎて分からない人がほとんどか

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 14:54:05 ID:l1/6w4Ud
職場の北条さんは「ほうじょう」だな
どうでもいいがウチ東西南北の条が揃ってる 
一時期は東西南北上中下の野がいたそうだし人事部ふざけすぎ

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 15:33:49 ID:HDFqLx4N
じゃあ上条中条下条さんもいずれそのうち・・・。

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 16:01:01 ID:LTDpP9Ip
>>708
字の読み方はけっこう変わるからな…
戦国時代には曽は「ス」で部は「メ」と読むものだったのかも。
木曾氏は「きす」氏で色部氏は「いろめ」氏とか。

あるいは発音の問題とか。バ行とマ行は音が近いらしいし。

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 16:56:42 ID:D0TEMh9X
「伊達」も元々は「いだて」と読んだらしいね。
文字は目に見える形で残るけど、発音は後世に残らないのが惜しい。

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 17:07:02 ID:jRrUVGb3
もしかしたら武田はぶたと呼ばれていたかもしれない

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 17:07:18 ID:ED1iOR/V
北畠顕家や豊臣秀吉が漢字をほとんど使わないのは、
正しい発音で読んでもらうためだな。

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 17:21:02 ID:l1/6w4Ud
>>722
そういえばDQがN竜さん
ローマへの書簡で Idate って名乗ってた気がする

726 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/29(日) 17:23:22 ID:I0iZF+dC
違う「いたて」だ。
はっきりいって奥羽の訛りは酷すぎるので、アクセントも考慮したら
最上の「もかみ」も含めて爆笑もんだったろうね。
浅井を「あざい」と読むと言ってるのは小和田先生が地元の地名がそう
読むとか言う話だったが、こちらは義姫や義光の平仮名文に書いてあるから間違いない。
義光はたまに政宗のことを義姫への手紙で「まさ」と書いてたりするな。

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 17:25:38 ID:D0TEMh9X
「まさ」は訛りじゃないだろSub

728 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/11/29(日) 19:21:13 ID:8xMAtUTF
その時代に濁点とかないし。

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 19:28:54 ID:l1/6w4Ud
あったあった IDATEはともかくMASAMVNEて新しいよねw
ttp://www.kufs.ac.jp/toshokan/gallery/senk35.htm

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 19:37:21 ID:zhtllJhb
その時分、uとvは同じ文字扱い。

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 19:38:14 ID:VRoN2tnx
>>726
「てつはう」をそのまま呼んで恥をかくタイプ。


733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 20:26:32 ID:kfuA34/n
過去スレにあったけど、三斎様はローマ字の印鑑作ってtadauoquiって彫ってる。

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 20:41:57 ID:BfG7hVvp
タダウオクィ!

735 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/11/29(日) 20:53:23 ID:8xMAtUTF
quiは キ でいいだろうけどさ。

ただをき か。

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/30(月) 13:28:06 ID:tE3XSiCj
>>719
鹿児島いた当時は周りに
東西南北上中下内外前の園(薗)が揃ってたわ

園(薗)はバリエーション多すぎて全部把握出来ない
東郷西郷南郷北郷より確実に多い
[ 続きを読む ]

前田利家、福島正則への礼状を

2009年11月29日 00:30

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 23:25:32 ID:IiICFUvM
ある時前田利家の元に、福島正則より鯉二尾が送られた事があった。

利家は家臣、江守平右衛門に命じ、これへの礼状を書かせた。
江守はそれを

『鯉二尾到来いたした、満足である』

と、書いた。利家はこれを見るとたちまち顔を曇らせ

「正式な書状には故実などがあるのだろうが、こういったものは、
なるべく先方を敬い、『御意に架けられ忝く』と書くべきだ。
同輩より下の者に書状を出すときは、慇懃に書いておくほど、それを受け取った
先方では、いっそう忝く思うものである。

下輩であるからといって相手を見下すような文章を書けば、
『こちらとそちらとでは、これほど位が違うのですよ』と言っているのと同じ事であり、
相手にいらぬ推量をさせてしまうだろう。
そのような、自分の位をひけらかすようなことは、小身で、しかも愚かな者が
好むものだ。」

そう言ってこれを書き直させたそうである。




714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 23:30:28 ID:WKQPHAOM
江守使えなさすぎだろうw

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 00:26:38 ID:S1a8om8X
>>713
さすが出世する人間は違うな
やっぱりこういう簡素な文が読みやすくていいわ

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 00:50:47 ID:4ddL+kNJ
一筆啓上
御意架け忝
鯉二尾到来
満足也

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 01:07:25 ID:aIzK7CbD
新説:江守=本多作左衛門となw

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 02:38:20 ID:F8aso/j4
相手が福島正則だし、読む人の頭に合わせてあげただけなんじゃ?


720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 08:44:57 ID:PFlDhZ3u
福島も家臣に命じて読み上げさせるんじゃね?
字が読めないかもしれないんだし

真説?三成と干し柿

2009年11月29日 00:29

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 08:18:08 ID:zp6qLNeM
真説?三成と干し柿

捕縛された石田三成に茶が饗された。

この時、そこの給仕係の老婆が気を利かせて
「デザートに、良かったら干し柿でもいかがですか?」と
聞いてきた。

これに三成

「お主がそうして気を使ってくれるのはありがたいが、先日以来腹を壊してな、
まだ回復しきっていないのだ。こう言う時に柿は禁物だと言う。
すまんが、結構だよ。」

と、柿を断り茶ばかり飲んでいたそうだ。
後で小西行長がこれを聞いて

「どうせ首を斬られる身ではないか?その老女の気持ちを汲んで、
柿を食えばよかっただろうに。」

と言った。これに三成

「お主は解らん事を言う奴だ。『今日刑場に引き出され首を打たれる』と言う瞬間まで、
世間がどう変化するか予測のつくものではない。
それ故に、わしは未だ、身の養生をするのだ。」

そう、答えたとのことである。


どうもこれが、この逸話の一番古い形のようですね。




721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 08:50:43 ID:1j481UZF
痰の毒になるとかいう気の長い話ならともかく、腹壊してる時に
消化の悪い柿は良くないという話なら、単純に食べたら即悪化して
首を切られるまでに辛い思いして見苦しい事になるかもしれない。
断って当然の話になってしまうじゃないか。
小西行長とのやり取りの意味も不明になってしまうぞ。

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 10:49:16 ID:pqUb+cO2
最後のセリフを本心とするなら、腹を壊しているからという理由は
老婆への気遣いで、断った本当の理由は違うところにあるという話では。
それであれば「痰の毒」への変化もわからんではない。

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 12:33:57 ID:IRrEQsC8
>>722の解釈が当然だろうに。

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 20:51:21 ID:1j481UZF
>>722 >>723
いや…書き方おかしかったか。腹壊してるなら断って当然なのに、
なんで小西は食えば良かったのになんて言うんだという意味だったんだが…
ごめん。後世の創作だって前提で作り方おかしいだろとツッコミしてた。


727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 21:00:57 ID:zp6qLNeM
>>726
小西は
「例え腹を壊していたとしても、どうせ死ぬ身なんだし、せっかくの
老婆の好意なんだから、むげに断らず好意としてそれをありがたく
受ければよかったじゃないか。」

と言っていて、三成は
「死ぬギリギリまで何が起こるのかわからないのだから、
そのためにも体調は保っておかないといけないものだろ。」

と言っている。

他人の好意と言うものは多少無理してでも受け入れるべきものだ、と言う小西と、
あくまで自分本位、目的本位であろうとしている三成、と言う対比で見ても面白いかと。

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 21:51:46 ID:z6Z7rYyI
相手の立場で物事を考えるのが苦手だったのか、
相手の言動の意を汲み取ることが下手だったのか…
どちらにせよ三成は、コミュニケーションに必要な何かが欠けている印象を受ける

三好長慶 用水水論の裁定

2009年11月29日 00:27

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 15:15:59 ID:Ox4vkaGz
内政でちょっとイイ話?
三好長慶 用水水論の裁定

摂津国や山城国の国人達が水論の裁定を求めて、何度も芥川山城へ文書を提出していた
芥川山城は地元の水論の裁定場となっており、政庁としての側面も帯びつつあった。
天文23年頃より村同士で用水水論が起こっており、長慶は最初、
地元の国人・土豪の判断を尊重したが
両村では長慶の被官クラスや土豪の裁定では納得しなかった。
三好家奉公・多羅尾綱知の書状によれば、長慶の裁定を仰ぎたいとの
村側の意見であったと言う
当時の村々が相論の裁定者として地元の土豪達ではなく上位権力の
三好長慶に期待していた事が理解出来る
このような大名が用水水論に介入して裁定した例として北近江の浅井氏などがある

また芥川下流の2つの村で水論が発生した。芥川の取水口をどこに置くかで
川を挟んだ隣村間で争っており
これに対し長慶は裁定を下し両村には長慶の裁許状が残っており、
勝訴した村は後世の水論の際にも根拠にしていた。
その資料は村を統治する権門側ではなく両村が大切に保管し、
高槻歴史資料館に展示されている
そして現在も長慶を「水の神」と称し芥川山城の主郭に彼を祀る祠を置いている

祠は1820年に築と時は経ってるけどね




725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 17:44:15 ID:zp6qLNeM
>>724
こう言うところからも、三好は既に幕府から独立した畿内の上位権力として
成立していたんだよねー。
それもほぼ確立していたのに、三人衆と松永の分裂が台無しにしてしまった。

松姫と下山殿

2009年11月29日 00:26

松姫   
664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 22:35:41 ID:FItSXzGy
甲州を平定した徳川家康は徳川に武田の血を入れようと、信玄の娘で
美女と名高い松姫の所在を探した。これが武田旧臣には面白くない。
彼らは新羅三郎義光の血統を田舎武士などに渡したくなかったのだ。

しかし松姫が見つかるのは時間の問題である。彼らは考えた末に
思いついた。どうせ家康は姫の顔を知らない、替え玉を差し出せばよいと。
彼らが目をつけたのが穴山信邦の妻、於都摩であった。

この信邦という男は穴山梅雪の弟である。彼は武田への忠節から妻を
犠牲にすることに決めた。夫に説得された於都摩は松姫の身代わりとなり
家康のもとへ向かった。

家康は偽物とも知らず大いに喜んだ。そして信玄の息女に敬意を払って
下山殿と敬称をつけた。家康の側室で殿がつけられたのは彼女だけである。
その後、下山殿は家康との間に二子をもうけたが二十七の若さでこの世を去った。

その下山殿の碑を建てたのが水戸光圀だった。かつての水戸領主、武田信吉
は下山殿の子であり、下山殿の墓が荒れているのを見た光圀は信吉との縁
から下山殿を他人とは思えず、墓を改葬して石碑を建て、そこに下山殿の
履歴を残したのであった。




665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 22:47:53 ID:wkcg9Qmb
松姫は八王子にいたはずなんだが…

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 22:50:07 ID:rh202t+t
身代わり説、影武者説は珍しくないとは言うものの、
いつ誰から姫の身代わりだとバレたのか…

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 22:58:29 ID:IiICFUvM
まあ身代わりなんかしたところで、徳川家中には旧武田家臣が
何ぼでもいるから直ぐばれますけどねw

一種の伝説、説話の類なんでしょうね。


668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 01:00:45 ID:Hu8DeJ6L
既出の松姫話とはまたえらく毛色が違うなw
こういうのも面白いね

滝川一益の最期

2009年11月29日 00:25

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 14:33:25 ID:/dP2D5gJ
滝川一益の最期

蟹江城の戦いが終わり、豊臣の世がやってきた
剃髪し、僧籍に入った滝川一益は放浪し、越前国今立郡の五分一庄に流れつき、
そこで何をするでもなく毎日村はずれの楠木の下に座り込んでぼんやりとしていた
そんな姿を地元の人々は時折気にして見ていたのだが
ある日奇妙なことに、この一益の足元の真っ黒な影が
日に日に小さく、薄くなってゆくことに気がついた
空模様のせいだろうなどと言っていたのだが、しかし改めて見てみると
やはり楠木の影と比べて一益の影は異常に薄いのだった

ある日とうとう影は、フッと消えてしまった
それを見ていた人が驚いて走り寄ると、もはやそこには
一益自身の姿もなかったという話である




675 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/28(土) 17:03:54 ID:aEWVkSGM
>>674
伝説だろうけどある意味スゴイ話しだな。
ゾッとした

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 17:04:55 ID:zp6qLNeM
そう言えば滝川一益忍者説、なんてのもあるな。

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 17:07:50 ID:TY8J/lKh
>>674
戦国ちょっとホラーな話だな
こんな話他にもある?

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 20:23:41 ID:DTQj3VaP
>>676
某ゲームでも忍者だしね

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 21:12:45 ID:0umufALV
海外なら、リンカーンが暗殺される前に
メイドが自分の死を悼んで泣いている夢を見た
という話があった


683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 22:23:36 ID:FFwIVmm7
>>674
一益も本能寺から後は転落人生だよね…
関東を任された時が絶頂で。

伊達政宗、「国に帰る代わりに人質を出せ」と言われ

2009年11月29日 00:24

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 21:38:46 ID:+Cz2qTtS
出てなかったと思うので

葛西・大崎一揆の扇動がバレ、窮地に立ったまーくん
蒲生氏郷から国に帰る代わりに人質、を出せと言われ
まーくんはしゃーねぇな成実と国分盛重を出すよと言いました

が、氏郷が帰り支度をして人質を迎えると盛重しか来てません
ちょwwwさすがにねーよwwwwwwと氏郷は約束違うだろ、二人ともよこさないと帰らんぞと怒る
まあそりゃそうだ
氏郷が盛重を追い返すと、政宗は渋々成実と盛重をセットでよこして来、
氏郷はやっと名生ノ城へ帰れたのでありました


蒲生氏郷記から政宗の人質までごまかそうとして失敗した話




681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 21:41:20 ID:+Cz2qTtS
>>680
あ、「国に帰る」じゃないや
陣払いをする、でしたすまん

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 22:19:07 ID:1j481UZF
自分が知ってる話とちょっと違うな。
政宗は氏郷から、右腕の従兄弟伊達成実か輝宗代からの功篤き叔父留守政景を出せと言われて、
どっちも惜しいからとりあえず叔父だけど無能であんまり要らない感じの国分盛重を出してみた。
だが伊達に取っての盛重の価値は氏郷も知っていたのか、成実か政景しか人質として認めん!
と言われ盛重が返されてきたので、盛重は無事戻って来たし大丈夫だろうと、
仕方なく成実を人質に出した。という話だった。


684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 22:51:44 ID:gegrPVDe
盛重ェ・・・
物みてえな扱いだな。

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 23:01:41 ID:Zs7enw5m
>>682
蒲生さん相手にそんなに構えることないのにねぇ。
後ろ暗いと発想が自ずとw

これが宇喜多さんだったりすると盛重を無事に帰して信頼させておいて成実ぬっ殺すとか平気でやるだろうけどw

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 23:22:39 ID:rZQcYiPv
盛重さんカワイソス…


名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 23:38:48 ID:1j481UZF
>>684 >>686
うん。でも盛重は国分へ養子に行った時からずっと家臣団に嫌われてて反発を抑えられず、
家臣達からの訴えが酷くて政宗にも随分手間を掛けさせてて、この頃には既に家臣団は
政宗の直属になってるような状態だった。
そして最後には追放処分になっているので、政宗としては本気で要らなくて
「なんだったらあげるからこの無能再生してやってよ工場長!」だったかも知れないねw


689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 23:44:37 ID:0umufALV
DQN眼竜軍団には不必要な人材だったとしても
現代なら盛重さんは普通の小父さんでいられたかもね
生まれた時代が悪かったつうか、家が悪かったつうか

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伊達政宗、宮崎城攻防戦あれこれ

2009年11月28日 00:13

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 05:27:43 ID:e44G+zZi
書きかけで放置してたら、姉妹スレで関連逸話が出てたから急遽仕上げた


宮崎城攻防戦あれこれ

世間では政宗と氏郷のやり取りや、秀吉と政宗の鶺鴒の目問答ばかりが注目される葛西大崎一揆
その中でも激戦だったと伝わるが、あまり知られていない宮崎城攻防戦に関するお話


宮崎城は東と南が川に面した断崖上にある堅固な山城であり
そこに籠るは旧大崎家中でも武闘派で知られた笠原党で、旧主・大崎義隆の子も迎えて
いよいよ士気も高まっていた

これに対し政宗は降伏を促すが、士気の高い笠原党は拒否

一揆への関与が疑われていた政宗は、早々に宮崎城に攻め寄せ銃撃戦が始まり、
断崖上で有利な宮崎勢は休み無く撃ちかけた

撃ち続ければ当然に銃身が熱をもち撃てなくなるが、笠原党を率いる嫡流の宮崎隆親は
「鉄砲焼ければスズメのはかま(カタバミ)という、草を揉み、それで拭えば冷めていつも通りだ」
と、兵を励ました

そんな勢いで撃ちかけられた伊達勢も無事ではすまない
政宗は狙撃されたが、馬取りに当たり寸でのところで難を逃れた

これに怒った政宗は
(♯●Д゚)「大将を狙うとは!目に物見せてやる!」
周囲の兵を励ますと、城の東の沢に向かって一文字に突撃したが、跡に続いた家臣に
「大将の深入りは無益です!もし怪我したらどうするんですか!?」
と、諌められた

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 05:29:01 ID:e44G+zZi
このように膠着した戦況を打開しようとしたのが、歴戦の知将・浜田伊豆景隆である
景隆は大手口の水掘を切って攻め寄せようと、土塁に取り付き指揮を執った

これを見た政宗は
(;●Д゚)「浜田が深入りした、危ない!」
と呼びかけたが、景隆は城中より狙撃されて弾が鎧を貫き落馬してしまった
従者達は介抱しながら後方に引いたが、傷は致命傷だった

景隆は
「我、主の為に死ぬのは武士の常だ。急所に当たったので死は間違いない。
 だが、敵が果てるのを見ずして死ぬのは口惜しい。
 今、死を遂げたなら、鎧を帯びたまま城と真向かうように立った姿で埋めよ」
と、言ったかと思うと息を引き取った

景隆は遺言通りに鎧を着て立った姿で埋葬されて、墓は現在も宮崎の地にある
また、その時に着ていた血染めの鎧下着が仙台市博物館に保管されている

これに奮いたったのは、良きライバル関係にあった原田宗時と後藤信康である
信康は夜中に抜け駆けして城中に侵入したのだが
「随分と早駆けだな」と声を掛けられた
振り返れば、なんと宗時も抜け駆けして城内に侵入していたのである
二人は門を破り味方を引き入れ、遂に宮崎城は落城したのである

まーくん的にちょっと格好悪い話なので、どちらのスレに書くか迷ったけど
全体的には死しても城に対する浜田伊豆や、大崎家中の意地を見せた笠原党等
いい話寄りなのでこちらに




699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 09:54:13 ID:MdkkdCPv
原田宗時と後藤信康のいい話でもあるな。
どうせ死ぬなら御家のためってか。

武田信玄から雲洞庵への書状

2009年11月28日 00:11

702 名前:人生七十四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 11:31:45 ID:0Aaw2FHC
こないだ、天地人巡りで雲洞庵に行ってきたんだが、ここって武田とも関係があったんだな。
ってことで武田信玄から雲洞庵への書状

龍雲寺の道場開きの様子が聞きたいと思っていたやさき、おつかえの僧がこられ、
特に修行参加僧が五百人余もあつまったとのこと。
まことに和尚の優れた得によるのはいうまでもないことであります。
当国の宗門の規則どおり修行工夫をきわめ、又毎日の夏季の修行を通し、
禅の規則を怠らぬよう、修行僧達をおしかりくださるのがよろしいかと存じます。
くわしいようすは又書状でおしらせいただきたいと思います。

雲洞庵末寺龍雲寺を開いたときの信玄の書状らしいです。
雲洞庵との心温まるいい関係がのぞける話です。

まあ謙信と仲が悪かった長尾政景とよしみを通じるためって理由があるんですがね。
宇佐美ダイブの理由のひとつなのかも。






関連
武田勝頼から雲洞庵へ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3237.html

加藤嘉明「袴帯は前で結ぶものだ。決して後ろで結ぶな。」

2009年11月28日 00:08

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 11:00:47 ID:YwohuI/m
涙目の人の話

ある日、加藤嘉明が家臣に訓戒した。
「よいか、いざという時、袴帯は前で結ぶものだ。決して後ろで結ぶな。」
「それはまた、何故でございましょう?」

「うむ、慶長のはじめ、伏見の大地震の時だがな。『太閤殿下はご無事か』とご機嫌伺いに
どの大名も伏見城へ走った。わしも懸命に走ったが、わしの横を追い越して行く者がおった。
そいつに負けるのもくやしいと思って、ふと見るとそいつの背中に帯の結び目があるのが
目に付いた。
そこで、城門前の人ごみに紛れて、そっとそいつの帯の結びをほどいてやったら、そいつは
門に入ったとたん帯が外れ、刀も脇差も袴もみーんな落ちてしもうた。
そいつが帯を直している間に、わしは先に行くことが出来た。という訳で、帯は前で締めよ。」




650 名前:人生七十四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 11:36:17 ID:0Aaw2FHC
嘉明さんひどいな
でもこれが命のやりとりのときだったら、やられたほうは丸出しで死ぬことになるんだよな。
そう考えると心がけとしては正しいのか

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 12:10:54 ID:SK+r99E+

>>649乙
後で結ぶ→背後にいる奴から解かれる
前で結ぶ→正面にいる奴から解かれる
つまり、いざという時は裸(or褌一丁)が最強という事ですか?


654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 12:16:43 ID:wttP/Twa
正面から解きにきたらぶった切るとか無骨するとか火箸でぶっ刺すとかぶっ飛ばすとか出来るだろw


656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 12:57:12 ID:u2EiSITc
ある時、佐藤聖が後輩たちに訓戒した。
「いいか、いざというとき、ブラは前で止めるものだ。決して後ろで止めてはいけない」
「それはまた、何故でございましょう?」


……なんとなく書いてみた。

武田勝頼から雲洞庵へ

2009年11月28日 00:06

651 名前:人生七十四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 11:37:37 ID:0Aaw2FHC
いい話で武田信玄と雲洞庵の話を書いたんだけど、さて勝頼の代にはどうなったかというと・・・

武田勝頼から雲洞庵へ

つつしんで一筆をさしあげます。思うに遠くはなれたために、
長い間お目にかかることができず気持ちもふさがりがちです。
なお最乗寺の住職権について、興国寺と定津寺の間で問題が再燃しました。
そこでお考えをうかがわなくては細かいことはなにもできません。
ご老体であり、炎天の頃でもあり、御苦労をおかけすることは誠に申し訳ございませんが、
致し方ございませんので、早速お出で願えれば本望であります。
くわしくは大泉和尚からおしらせがあるでしょうから重複しないようにしたいと存じます。

信玄の書状は余裕たっぷりなのに対し、こっちは悲壮感が漂うほど
信玄さんの打った手のマイナス面をことごとくひっかぶった勝頼さんですが、
こんなとこでも苦労してたんです。



655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 12:28:05 ID:ny7uVmkZ
>>651
現存する勝頼の手紙を見てるとあまり傲岸不遜な人物だったようには見えないんだよなあ
まあ状況が悪くなってるってのはあるんだけど


657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 13:11:58 ID:dOXpdrN9
アクの強さで親父の信玄にかなう奴はそうそういないよね
信玄があれだけ怖いボスだったから、二代目の勝頼が舐められてしまったのかも

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 14:11:58 ID:9xSD/kSm
>>657
おジイちゃんから数えると三代目…

細川忠興の福知山城、小野木重勝攻め

2009年11月28日 00:04

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 12:06:55 ID:wttP/Twa
細川忠興は関が原後に父の開城の知らせを受け激怒、
田辺城攻めに加わった諸将の討伐を請願し家康の許可を受けた。

まず前田茂勝を攻めに向かったがこれは茂勝の必死の弁明と幽斎の口添えで
怒りが鎮まり福知山攻めの先鋒に加わることで決着。
木下家俊もこれを見て急ぎ謝罪し許された。

だが忠興は福知山城に篭る小野木重勝の決死の抵抗を排除できず
損害も増え続けたため長陣となった。
困ったのは家康である。
大勢は決着してるのに畿内で長々と戦されてはたまらない。

小野木からの弁明も届いていたこともあり家康から調停の使者が使わされ
重勝助命を条件に開城が決まった。
開城した重勝は近くの寺に入り剃髪し隠居生活を始めようとしたのだ…が

忠興「今すぐ重勝を捕らえてまいれ」

内通していたり父の助命のために密かに動いていた連中はともかく
主将たる小野木重勝を許す気など忠興にはさらさらなかったのである。

忠興「我が手で首を刎ねたい程憎い奴だが内府に免じて打ち首は免じる。我ら父子の前で切腹せよ」

当然驚き慌て周囲は制止した。制止しまくった。
だがそんなことはものともせず重勝を切腹に追い込み溜飲を下げた忠興であった。
なお、家康には当然報告が行ったが特に忠興に対するお咎めはなかったという。
まだ小野木の切腹のあたりはチラッとしか出てなかったと思ったので。

関連
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2096.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2316.html




659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 16:40:56 ID:AfrfZVYw
嫁が死んだ直後くらいの三歳様は本当に恐いな

結城旧臣謀反騒動

2009年11月28日 00:02

660 名前:1/2[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 17:19:02 ID:IiICFUvM
天正十八年、秀吉の奥州仕置きにより所領白河を没収、改易となった結城(小峰)義親。
その後各地を流浪していたが、改易から6年を過ぎた頃、故郷懐かしく、その身を
旅人の姿にまぎれさせ、白河へと入った。

前領主であり、人目を忍ぶ身であったので、夕暮れのさびしい時間になるのを待って、
結城家の菩提寺である、関川寺へと行く。
そこでは、記憶にあったものより寺の庭の梢は茂り、代々の墓所は、義親が改易されて以来
折々の清めも絶えたため苔むし、なんともいえない、物寂しい有様であったという。

この関川寺の住職、比丘得峰は義親が来ていることを知ると、早速、今は地下の者となっている
義親のかつての郎党たちにこれを知らせた。間もなく十人ばかりが、酒肴を持ち寄り関川寺に集い、
義親に見参、やがて酒肴を出して、宴会となった。

旧家臣たちは言う
「もう世の中は変わらない、これまでだ、などと、ご短慮をされてはいけませんよ?
梅は厳しい冬を耐えて、花を咲かせるのです。
このようにご辛苦を重ねられている上は、必ずよい日が巡って来るはずです。」

始めは静かに始まった酒宴であったが、夜が深まり、酒が回ってくる内に、皆気持ちが
大きくなっていった

「もし世が再び乱れれば、それがしは一方の大将を仕ります!」
「私もお旗本に駆けつけますぞ!」

他愛も無い酒の席での広言。
ところがこの時、この話に聞き耳を立てている者がいた。

661 名前:2/2[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 17:22:42 ID:IiICFUvM
それは蒲生氏郷よりこの白河の支配をまかされた関一政の下人、何某と言う者である。

彼はこの関川寺の喝食の一人と仲が良く、この日の夜も、これと物語するため寺に
忍んで来ていたのだが、俄に義親が現れ寺の中が騒がしくなると、外に逃げ出す事もできず
しかたなく仏壇の下に隠れた。ここで、結城旧臣たちの、先の発言を聞いたのだ

「これは、謀反の話し合いだ!」

この何某、夜明け前ほどに酒宴がお開きになり、面々が寺より出て行くと、仏壇の下から抜け出て
関一政の元に駆けつけた。

「昨夜謀反人の談合を聞きました!そこにいたのは関川寺の住職得峰、
武士は斑目信濃、遠藤某、地下のものには当宿の検断である土蔵但馬、星三河、同源三郎、
矢部主膳といった者たちです!」

関、これを聞いて急ぎ捕り手を派遣、かの面々を召し取った。
この時、結城義親は既に、白河を出ていて、捕縛される事はなかったらしい。

が、捕まった彼らを尋問し仔細に調べてみると、謀反の証拠などまるでなく、
どうやら誤認逮捕であることがわかった。しかしどうするべきか方針を決めかね、
彼らを拘束したままにしておいた。

これに関川寺の住職、得峰は激怒し、警護の者に向って

「私は愚かな僧であると言っても、二十年余り修行しここの寺の住持を任された者である!
それを無実であるのに、このような捕縛の辱めを与えるとは何事か!
たとえ関一政はこの過ちを認め我らを開放したとしても、一体何の面目があって
再び仏に仕えることが出来るだろうか!?
もはや生きる甲斐も無い。私は関一政の目の前で自ら首を切り落とし、因果のほどを
知らしめてくれる!」

これを聞いた関は、
「あの僧の態度を見るに、例え縄を解いても感謝することなく、かえって仇を成そうとするであろう。
だいたい、事の実否はともかく、捕縛された人間が法を悪し様に言う事、その罪軽くない。
また、大勢の者が、まるで野心があるかのように広言した事、これは事実である。
よって」

得峰を始めとして捕縛されたものたち、全員斬首。
その首は獄門にかけられた、とのことである。

なんとも後味の悪い、結城旧臣謀反騒動についての話。




662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 17:26:25 ID:WmnH6cAZ
蒲生さんとこまで話が上がってたらこうはならなかった気がする

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 17:49:35 ID:ny7uVmkZ
関東仕置き後の関東の名族はみんな散々だなあ
一番悲惨なのが宇都宮さんな気もするが、佐竹以外軒並みひどい

蒲生氏郷と伊達政宗の、初対面にて

2009年11月27日 00:13

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 22:56:02 ID:xlxJDe4X
天正18年(1590)、会津を拝領した蒲生氏郷は、奥州、葛西大崎一揆への対応を協議するため
伊達政宗が陣する吉岡に出向いた。これが氏郷と政宗の初対面であり、
かねてよりその野心を大いに噂される政宗の元に赴くことに、氏郷に同行した
蒲生家中の面々は、あの鴻門の会もかくや、というほどの強烈な緊張下にあった。

両雄対面し挨拶、そして一揆の状況分析、ならびにその対応策を話し合い、
双方の作戦を決める。何事もなくすんだ。ここまでは。

会議が終わると政宗より、「少し時間は早いが」と、饗応が出た。
伊達、蒲生双方の家中、定められた座に座り、そこに膳が並べられた。

さて、この時、蒲生家中の末席に、あの蒲生郷舎もいた。

会食が始まらんとした時、郷舎、突然立ち上がると、政宗、氏郷の座のほうに
つかつかと歩み寄り、先ず政宗の前に据えられた膳を取り上げ、さらに
氏郷の前に据えられた膳を取り上げると、それぞれを取替えて再び置きなおした。
そうして政宗に向かって

「このような軍門における会見では、茶を飲み酒を酌み交わすことすら
互いに疑い深くなっているものです。
そういった疑いを晴らすためあえて、このような事をいたしました。
どうか私の出すぎた無礼とお考えになりませぬよう、お願いいたします。」

と、あくまで座の興を冷まさぬよう、朗らかに言った。

これに政宗

「ぬう!?突然持病が!!すまぬが、今日はこれで失礼いたす!」

と、その場を立ち去ってしまったと言うことである。




598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 23:02:13 ID:SLQraHzo
>>596
 流石は政宗……でいいのかな?


599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 23:32:08 ID:hJKQ2rJ5
>>596
政宗の行動は容疑を認めているようなもんだろw
こんな小物臭がするのに戦国生き抜いたのは凄い

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 23:36:28 ID:4v4PSgvW
>>596
王道を行く蒲生さんと比べると
腹黒いうえにやり方がせこいんだよな。

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 00:13:18 ID:0bjJYWl/
>>600
どっちも当時の武将のなかでは、かなり優れた人物といっていいと思うけど、
そのベクトルが全然違うというのが面白いなw

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 00:14:36 ID:7lTB7ILI
その話、大河の独眼竜でみた。元ネタ逸話ってあったのか。
大河じゃ、その後蒲生の人達が怒って帰って行って、政宗達が笑いながら
毒疑惑の飯喰ってたんだけど。
大河だと結局毒盛ってないのに、なんでわざわざ疑われる様な事したのか、未だに謎なんだ


604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 01:23:30 ID:QNEsUTh9
>>602
毒殺疑ってびびってろよpgrって感じの嫌がらせだとおもww
ほんとに毒盛ったりしてたら取り潰してくださいって言ってるようなもんだしね。

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:03:41 ID:2gOcS1ec
>>596
似たような内容をどっかで聞いた事があるな
ただ、登場人物は伊達と蒲生じゃなかったと思ったけど

これも一種のテンプレかなぁ?

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:05:31 ID:bBvGnIKE
伊達が出てくるといい話でも必ず悪いオチがでてくるんだな。

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 09:32:34 ID:0Uev2M0k
>>609
まーくんは、トンデモ話テンプレに、ほぼ必ず当てはめられてる気がする。
それだけ昔から、良くも悪くも人気があったということなんだろうね。

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 09:32:39 ID:Kf28vwj0
>>596
この話、本当かな?
毒を盛ってます、ってバレバレだし。

できれば出典を教えてほしい。

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:04:01 ID:7FiLlgLs
>>612
出典は「会津四家合考」です。

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常陸の仁義なき戦い

2009年11月27日 00:11

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 01:12:26 ID:mDgHM4e3
常陸の仁義なき戦い

それは些細なことから始まった。小田領府中の百姓と佐竹領小川の
百姓が争い、石礫の投げ合いで府中の百姓が一人死んでしまったのだ。
訴えをきいた小田氏治は面子にかけて報復せねばならぬと思った。

「佐竹のアホンダラが…おいお前、ちょっと行って小川の百姓を殺してこい」

この一言で小川の百姓が十数人殺された。この行為は佐竹側を
怒らせるには十分すぎる挑発であった。

「小田の野郎…うちの縄張りで好き勝手なことをしやがって。
この落としまえつけさせてやる」

対抗した佐竹側は府中の百姓数十人を殺害した。こうなると氏治も
後には引けない。

「そうかい、そっちがその気ならもう容赦しねぇぞ…構うこたぁねぇ!
小川の住人余さず撫で斬りじゃあ!!!」

氏治の命で出馬した五十騎は小川の百姓をみな殺しにしてしまった。
もはや泥沼、佐竹だって後には引けない。

「くっくっく、氏治めもう許さねぇぞ…野郎ども全面戦争じゃあ!!!」

ついに事件は武力衝突に発展、佐竹側は塩井大膳が、小田側は
菅谷政貞が出て小競り合いが始まった。結局、この仁義なき戦いは
小田側の菅谷が詫びを入れてやっと収まるのである。




605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 01:25:17 ID:7FiLlgLs
>>603
百姓、領民の保護は、戦国大名にとって最も大切な義務なんだよね。
これが出来ないと「頼みがたき殿」って事にされて、他国に逃散されちゃう。
だから自領の百姓が他領の領民に攻撃されたら、当然これに報復を返さないといけない。
戦国大名も難儀な商売ですわ。

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 01:30:22 ID:5t3IDHVb
名門の貴公子のはずがヤクザの親玉にwww


614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 11:04:30 ID:LEXgusa9
>>603
うーん、小田さんは本当に地元民にとっちゃ地元の利益をすぐに代弁してくれるいい
領主だったのかもねい
単に負けず嫌いのプライドだけ高いお坊ちゃんではなかったのかも

長尾為景より、長尾房景への手紙

2009年11月27日 00:10

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 01:43:58 ID:remt6fvl

小田さんをイビッていた謙信の父・長尾為景

天下に例のない奸雄とまで言われ息子とは正反対の評価をされる父であるが
朝廷や幕府に献金を行う一面も持ち合わせていた、この辺りは息子にも影響したのかもしれない

そんな為景が父の仇である越中の一向宗討伐に向かった時の話である

一向宗の激しい抵抗にあいながらも何とか討伐を成功させた為景
盟友と言ってもいい長尾房景にこんな手紙を送っている
「今回の合戦で各々が討死され、嘆き悲しまれていることはお聞きしました。
 しかし負け戦でさえ合戦のならいはそのように悲しむものではありません。
 まして今回のような勝ち戦の討死ならなおのこと、決して嘆くものではありません。
 特に若い人はこれからの事を祝うものです。傷心などしてはいけません。」

言い事を言っているように聞こえるが、乱暴に要約すると
「まだ若いんだから、味方の被害大きかったけど泣くな。勝ったんだから祝おーぜ!」
と、言っているようにも聞こえる。

こんな手紙が残っている辺り、謙信と同じく筆まめだったのかもしれない。

悪い話か微妙ですが、為景といったら悪いという事でこちらで投下させて頂きました。




608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 07:58:08 ID:Fiq7Ik2Y
悪い・いいでくくれる話ばかりじゃないよね

金森可重の愛妻遍歴

2009年11月27日 00:08

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 09:33:03 ID:idBdSMEq
金森可重の愛妻遍歴

飛騨国高山藩主・金森長近の息子(養子)に二代藩主・金森可重という男がいた
二代将軍秀忠の茶道指南役を任されたり何気にスゴイ人物だが
一人の女にゾッコンになるとどうにもならない面倒くさい人物でもあった。

最初の正室は遠藤慶隆の娘にちょっかいを出して正室に迎え
気持ち悪いぐらいに可愛がりあまりにも溺愛してくるので側室も多く不安の身では
あったが室町殿はあまり機嫌は損ねず妻として平穏な日々を暮らしていたはずだった・・・
が、とある風の噂が可重の耳に届いてしまった・・・。

可重が聞いてしまった噂は文禄三年(1594年)に絶世の美女と名高い
高家名護屋氏の娘(名護屋高久の娘)が津田織部と離縁したとの事だった。

そして今は弟の名護屋山三郎を頼り伊勢で二人で暮らしていると聞きつけ
可重はさっそく伊勢へお忍びで偵察に向かいあっさりと一目惚れしてしまった。

だが、この弟は主君の蒲生氏が亡くなっていたので喪に服している最中であり
離縁したばかりの姉と慰め合って生活している真っ最中で、森家の当主と妹の婚儀ですら
両家の友人代表として媒酌人を務めた細川三斎忠興の必死の説得で何とか出席したほどで
主君の死で気落ちと苛立ちの波にあり下手に近寄れなかったので可重は手紙攻撃に出た。

「重頼の母堂ハ名護屋因州女也始ハ津田織部嫁せられしか文禄年中離別有りて後弟の
三左衛門が許に居られしに美女なる故可重の乞求て伊勢国より入興なり」
 ※金森家『家説類聚』より

ストーカーしまくったあげくに一切引く気がないので名護屋氏の方のほうが折れて嫁いだ
そんなこんなで名護屋氏の方の呼び名は、「伊勢のかみさま」「中段さま」と呼び名が上がっていき
慶長十九年(1614年)室町殿との間の長男・重近を廃嫡、続け様に次男・重次すら遠ざけ
遂には室町殿を離縁、名護屋氏の方を継室にし二人の間に生まれた三男・重頼を藩主にしたので
室町殿母子たちは山内一豊に嫁いだ室町殿の叔母・千代を頼って家から出ていくしかなかった。

元和元年閏(1615年)6月3日に可重は最終的に「慈弘院」という号となった継室
名護屋氏の方の死後1カ月もたたずに謎の死(死亡理由が一切不明)を遂げた。




624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 18:52:14 ID:/mYZM9Uc
>>613
ひでぇな、これw

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 19:19:57 ID:GyLFU62o
重近って確か有名な茶人になってたような気がするけど、彼の廃嫡にはそんな背景があったんか…

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 19:21:21 ID:Vv/9T7oL
嫁さんが格上の家の場合に良くある話と思って調べたが

名君3代目も森家の小澤さんから従妹ゲットで4代目にして
4代目も本多家から森忠政の孫娘にあたる姫をゲットして5代目にして…

金山家には奥さんの家の血をひく嫁しか許さんって遺言でもあったのよw
政略婚だとしても三代続けて近親婚とかこわいわw

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 19:54:20 ID:/mYZM9Uc
必ず森家の血も混じるようになってしまたから金森家に改易される運命が待ってたんですね、
分かります


630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 21:53:21 ID:Vv/9T7oL
>>626
金山家ってなんだよ金森家か そして遺言でもあったのかよだった

佐野祐願寺「戦国リクルート」

2009年11月27日 00:06

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 21:43:41 ID:nUmmbAP5
「戦国リクルート」

下野の唐沢山城を拠点とした、佐野昌綱という小豪族があった。
その三男は祐願寺という名で、新当流の達人だったという。
彼は素性を隠し、剣術修行がてら武田信玄に仕えた。
合戦では無茶苦茶に暴れまくり、途中で逃げ出したかと思うと、砥石で
長刀を研ぎ直してから再び突撃。
しかもそれを一回の合戦中に二度もやって信玄を驚嘆させた。
信玄に呼び出された祐願寺は素性を明かした上で、恩賞をねだった。
「俺、すごいでしょ。恩賞に一千貫文ください」
これに対して信玄は、
「お前には確かに一千貫文の値打ちがある。しかし、当家譜代の者でも
ニ百~五百貫しか与えていない。
それでも命令どおり命を投げ出して働いてくれるんだよ。
いくら手柄を立てようが、出自が正しかろうが、新参者に高禄を与えれば家中に害が生じてしまう」
と、やんわりと断った。その上でこんなアドバイス。
「関東にはお前を召抱える器量のある武将はいない。
いるとしたら越後の謙信だけだ。そっちにいってみたら?」
佐野祐願寺は信玄の転職アドバイスに従って越後で謙信の面接を受けた。
信玄の言葉をそのまま伝えたところ、即一千貫文で採用。
歩兵弓頭となり、剣術指南の一人となった。

越後上杉に採用された祐願時は、自分以外の剣術指南役の稽古にケチをつけまくった。
このことが謙信の耳に入り勝負させてみたところ、圧倒的に祐願寺が強かった。
口先だけでは無いのだ。
が、その勝負から数日後、祐願寺は甲斐武田のスパイだという噂が流れた。
いくら否定しても広まるばかり。彼には全く味方はいなかった。
ついに身の潔白を示す為に切腹したという。

今も昔も職場の人間関係はやっかいだという悪い話。




630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 21:53:21 ID:Vv/9T7oL

>>628
その後ちゃんと身の潔白は晴れて供養してもらったんだろうか…

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 23:09:13 ID:tJ0542fK
>>628
コイツに禄を与えたくない、しかし敵に回られてはやっかいだ、そうだ謙信に殺させよう

そこまで信玄が考えているんじゃないかと勘ぐってしまう


647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 09:36:14 ID:eRljPu5T
>>628
面白い話だ 訴訟マニアの曲渕を飼いならすほどの人が手放すか

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 10:28:53 ID:WfpGq4HE
まんま道徳訓になるよな
実力があるからと思い上がって周囲のものを批判ばかりしていたら
立場が悪くなったとき誰も味方してくれる者がいないなりますよーという

長宗我部国親、高桜から

2009年11月27日 00:05

666 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/26(木) 01:27:28 ID:/FrVgjHR
長宗我部元親のパパ、国親さんの幼少のお話

1511年、千雄丸(国親)7歳の時、長宗我部家は周辺の豪族からボコられて城を失い
中村の一条房家の元に身を寄せていました。

ある日、一条家のみなさんが高桜(2~3階の高層建築かな?)で酒盛りをしています。
房家「う~い、良い気分だね、ほんっと。お~、そこにいるのは千雄丸か~。
  オイ千雄丸、今ここから庭に飛び降りたら家を再興してやるぞ~ゲラゲラゲラ」
家臣A「房家様、そりゃムリってもんっスよ、どれだけあると思ってるんスか、ゲラゲラゲラ」
家臣B「あ、あの・・・房家様・・・・・・」
房家「ん~、どうしたよ?」
家臣B「千雄丸のヤツ、飛び降りちゃいました・・・」
房家「ウソっ、マジ!?」

千雄丸はすぐに飛び降りた様です。子供で体重が軽いのが幸いしたのか、命は無事だった様ですね。
1518年、その時の約束かどうかは知りませんが、一条房家の助けもあり長宗我部家は
岡豊城に復帰します。




667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:00:57 ID:GyLFU62o
>>666
ツに女ではなく米に女の楼ですな
でも家2,3階分の巨木の桜もあるかもしれないw
7歳ともなれば立派に跡取りの意識ができとるんやねぇ
(親が常日頃愚痴っていたのかも試練が)

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:15:32 ID:n4jwJw5C
直家と同じく没落した家を再興して、四国の雄に育て上げる土台作ったからね
やっぱりつき従ってくれている郎党の事を考えると、早熟になるんだろうな

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:51:16 ID:PWxql8Iv
親父さんは討たれてなかったっけ

このころには守護の細川は名ばかりだったのかな?
それとも阿波の系統が兼ねていたのかな

山名や畠山、斯波なんかもそうだけど、転換期に勢力が大きいと変化についていけてないよな


670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:57:49 ID:KnUwCVHN
応仁の乱に深く関与したので衰退したんだろう
>細川、山名、畠山、斯波、佐々木、土岐

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 09:03:48 ID:n4jwJw5C
国親の父・兼序は守護の細川の権威を頼りに土佐で有力視されていたらしいけど
細川の没落に合わせて、他の国人たちに討たれたって流れだったと思う

豊臣秀次の数寄

2009年11月27日 00:03

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 09:28:26 ID:fHQQhh+b
そういえば秀次のいい話とかないのかなぁ。
やっぱラスボス周辺によって抹殺されたり、豊臣系大名が由緒書くときに小牧長久手関連で
ボロクソいったりしてるせいなんだろうか。



673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 10:21:00 ID:MLKVud2f
豊臣秀次が百人一首の元祖である藤原定家筆の『小倉色紙』を手に入れ、聚楽第の茶席に
千利休らを招き、色紙披露の茶会を開いた。

時は旧暦初夏の早朝、まだ日も出ぬうちに利休らは茶席に入った。室内は亭主たる秀次が
いるだけで灯りも無く、ただ茶釜の煮える音がするばかりで、何とも言えぬ寂びた席だった。

「さて今日の秀次様は、どんな趣向であろうか?」
客たちが考えていると、利休の座った席の背後の障子が、ほんのりと明るくなってきた。
不思議に思って障子を開けてみると、残月の光が冴え冴えと茶席の床の間に差し込んだ。
「・・・さては!」
思い当たった利休が床の間の掛け物を見ると、果たして小倉色紙の一つが掛けられていた。

ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる
(ホトトギスの鳴き声が聞こえた方を見れば、その姿は既に見えず、ただ明け方の月が
空に残っていたよ。 ※ホトトギスは初夏の季語)

季節と時間を踏まえた演出に感嘆せぬ客はいなかったという、殺生関白、実は茶聖をも
驚かす数寄者だった話。




674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 10:36:17 ID:YjTCLmFC
歴史的に見れば及第点を挙げられない為政者だったかもしれないけど、
豊臣家としては大事な中継ぎをトップの意向で消してしまったよなあ

実際に帝の喪中に殺生していたのだって秀吉だし・・・

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 10:40:58 ID:6OwAcq2l
>>673
公家的な感じも受ける話だけどラスボスはこういうの気に入らないだろうなあ…

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 10:48:58 ID:cA7z6Uvt
確か唐入りの時は朝廷と一緒になって中止を求めたんだっけ?
秀次が秀吉弟に変わるストッパーになれていたら

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:55:40 ID:fHQQhh+b
>>673
おお、いい話あるんだthx。だけど、大名っぽくないいい話具合が>>675もいうように
ラスボスに受けなかった一因かもしれないネェ
>>674近江八幡での治世は結構いいものだった、とかいう話もどっかで聞いたし
秀忠くらい世の中が安定した状況で跡継ぎに
なったらもっとマシだったんじゃないかと思うんだ。評判とか末路とか。

細川政元は変なことを言い出した

2009年11月27日 00:02

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 15:24:46 ID:rx4PgaG3
 細川は応仁の乱では没落してないよ。

 守護大名にありがちなお家争いもなく四国をがっちり支配、勝元の子・政元は
幕府権力を独占してむしろ強くなってる(幕府自体が小さく、弱くなったから強いとは言えないかも)

そのままやってればいいのに、政元は変なことを言い出した。
「俺、魔法使いになる」

断食したり、とびあがったり、やおら真言を叫んだりと奇行をするようになった。
政務を怠ったわけではないが、その影響は政元が死ぬと現れた。

「女とすると魔法が使えなくなるのか。じゃぁ俺生涯童貞!」
といっていたからだ。

さあー、四国にも戦国時代がやってきた。
政元の後継者の座をめぐり、南北朝以来四国を支配し強い団結力を示した細川家も
分裂と凋落の時。

その後は家宰の三好、さらにその家中の松永が台頭するのはご存知のとおり。




678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 15:27:06 ID:rx4PgaG3
すまん、悪い話スレに書くべきだった

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 16:47:19 ID:LEXgusa9
そういえばその伝説は戦国時代からの伝統だったなw

細川政元「魔法使いに俺はなる!」
上杉謙信「毘沙門天に俺はなる!」

北条氏照「そんな二人に憧れたら嫁がキレました」

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 16:50:49 ID:7FiLlgLs
実はリアルに、「上杉謙信は細川政元の影響を受けている」って説があるなw


681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:12:39 ID:Fiq7Ik2Y
謙信は戦に勝つ魔法が使えたわけだが、政元はなんの魔法が使えたんだろう?

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:13:58 ID:sPvveicN
細川政元が信仰したのが愛宕権現の飯綱法で、謙信も愛宕権現を
信仰していた可能性があるんだっけか?

あと>677 の説明は、「女とヤらずに子供が出来なかったから養子を取り捲った結果、
政元死後に分裂した」
の解説の一文が欲しいな。

ちなみに、政元死後から信長による将軍義昭追放まで、畿内での戦争の根本原因は、
この分裂した政元の養子たちによる相続争いまで遡れる。
ほんっとハタ迷惑なことしたもんだ。

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:21:15 ID:b7Qr5cQ7
それでいて本人は優秀なものだから余計にたちが悪い

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:24:15 ID:7FiLlgLs
>>681
実は政元も戦争はかなり強かったし、配下の武将も強者ぞろいだった。
ただ異常に気分のむらの激しい人だったが。

あと、政元暗殺の後の京兆家分裂は実は、養子の澄之と澄元の戦いの結果、
澄元の勝利で一旦は収束したんだが、分家であり、澄元の勝利に非常に
大きな役割を果たした野州家の細川高国が突然

「実は俺政元様の養子だったんだよ!」
「ナ、ナンダッテー!?」

って、京兆家の家督を宣言して、これで畿内がしっちゃかめっちゃかになった。

ちなみに謙信の父親の長尾為景は、この高国のバックアップで
越後支配が出来た。
高国さんはこの為景に限らず、全国いろんなところに手を出して
戦国の混乱が深化する手助けをしてたw

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:46:17 ID:LEXgusa9
>>681
なんか「空も飛べるはず」って言って屋形の屋根から飛んでたらしい
魔法使いだし飛べたかもな

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:51:10 ID:uYeCOPoN
⊂⊃                      ⊂⊃
        ⊂ \        /⊃
          \\ /政ヽ//
   ⊂⊃  ((   \( ^ω^)    ))
            /|    ヘ       空も飛べるはず
          //( ヽノ \\
        ⊂/   ノ>ノ    \⊃
             レレ   スイスーイ   ⊂⊃
           彡
\____________________/

                 (⌒)
                   ̄
                O
               。
          /政ヽ
   ⊂二二二( ^ω^)二⊃
        |    /       ブーン
         ( ヽノ
         ノ>ノ
     三  レレ


688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:56:48 ID:Nr24p3OJ
政元さん未来に生きてんな

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 18:38:50 ID:pifZ1gKr
>>684
高国さんの行動力は凄いよね。良いか悪いかはともかく・・・

690 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/26(木) 19:01:38 ID:6xDQyVQp
花の乱での勝元って
山名宗全が死んだあとの勝元の最後の描写では死なずに、
なにかを悟ったのような表情をしたあとに、
ゆっくり目を閉じてあぐらをかいたまま宙に浮かんで解脱したのか?
いきなりこの世から消えたよねw
野村万斎の演技力すげぇ。

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 20:31:11 ID:onk/wupr
>>682
直江兼継の愛の前立も愛宕権現の愛じゃないかって話があったけど
そういう事情があったんだね。

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 20:37:44 ID:PWxql8Iv
愛染明王よりもらしいよね

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 20:42:45 ID:7FiLlgLs
あの愛の兜は、もともと景勝の所有していたものを、直江に
下賜されたものらしいそうで。
そう言う意味では愛宕権現のほうがそれらしいだろうね。

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週間ブログ拍手ランキング11/18~/25

2009年11月26日 00:10

11/18~/25までの、ブログ拍手ランキングでございます!



案外謙虚な政宗公 87

「天才的な戦下手」小田氏治 86

相馬家復興と、門馬吉右衛門の貸し与えた円座 75
伊達政宗、振り上げた刀を 68

石田、小西、安国寺、引導を断る 52
津山の名物「きらず粥」 51

小田氏補足・氏治様の鮮やかすぎる戦歴 39
奥州岩城、白土摂津と羽柴秀吉 39

島津義弘の家臣北山内助が早退したいと言ってきた 36
『黒田節』、その後 35
鐘巻自斎さん弟子にボコられる 34
奇声を発する理由 30

小田氏治、その特徴の発揮 29
伏見城落城と鳥居元忠の首 28
伊達政宗、少年の記憶に刻み込まれる 28

小田氏治は智仁勇の三徳を備える 27
尾張中村の仁王と福島正則 27
加藤清正の使者、明石茂兵衛と谷崎権太夫 27
デス武将扱いされる日根野弘就 26
宇喜多直家の美作三宮城攻めと岡平内利勝 24




今週の1位は!案外謙虚な政宗公
また政宗かw
コメントの中に、ヤンキーがたまにいいことをしたら必要以上に評価される、みたいなのが
ありましたが、確かにそんな感じですねw

2位は!「天才的な戦下手」小田氏治
今週はまさに小田氏治ウィークでしたねーw
多少戦国に詳しくなっても、「へー、織田じゃなくて小田なんて大名もいたんだ」くらいの扱いしか
されない小田さん。こっちのほうが名家なのに!
そんな小田さんにまさかの(局地的)注目が!これも、負けても負けても家臣領民が何故か
慕ったという、氏治の人徳のなせる業でしょうか?

と、今週はまさに小田氏治ウィーク。2位のほかにも
小田氏補足・氏治様の鮮やかすぎる戦歴
小田氏治、その特徴の発揮
小田氏治は智仁勇の三徳を備える

と、計4つもランクインいたしました!
そういえば軍記ものでも、「小田軍記」「小田天庵記」と、氏治が主人公のものが
二つも後世に伝わっていますね。鎌倉依頼の名家とはいえ、滅びた、しかもおせじにも
活躍したとはいえない小勢力の、実質最後の当主の軍記が書かれたということは、
やはり地元でも長く慕われていた、と言うことなんでしょうかね?


今回は非常に面白いランキングでしたw
又、気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください!
( ´ω` )



さて、今週は久しぶりに本のご紹介です!今回は

うっかり戦国4コマ かいこ (ウィングス・コミックス・デラックス) (WINGS COMICS)うっかり戦国4コマ かいこ (ウィングス・コミックス・デラックス) (WINGS COMICS)
(2009/11/25)
久山 ちず

商品詳細を見る


こちらです!ご存知の方も多いでしょうが、久山 ちずさんの、戦国歴史四コマの
単行本です!

こちらの本、考証なども非常にしっかりされていて、ライトな戦国好きの方から、
ヘビーに研究されている方まで、楽しめる4コマだと思います。
何よりもこの時代、人物に対して、しっかり調べられた上で、非常に愛があるマンガを
書かれていると思います。

リンクのほうから作者様のHPにも飛べますので、気になった方はどうぞ
そちらのほうもご覧下さい。

真壁道無、婿の使者が来て

2009年11月26日 00:08

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 22:46:48 ID:E/1rkV7F
佐竹配下の猛将、真壁道無は、新たに佐竹家に参じた太田資正の連れている若者が
気になり、何者であるのか、資正本人に尋ねた。
「ああ、あれは私の息子です。名門梶原家を継ぎ、梶原源太と名乗っております。」

名高い三楽斎の息子と聞き、ますます気に入った道無は、源太に申し入れた。
「わしの娘に、おぬしに似合いの年頃の者がおる。もらってはくれまいか?」
「せっかくですが、お断り申し上げる。」
「なにぃ!わしの娘が気に入らんと申すか!」
「…そういう訳では、ありませぬ。とにかく、お断り致す。」

その後、源太は手這坂の戦いで百人力を誇る道無の息子、氏幹に勝るとも劣らぬ手柄を
立てた。家中の賞賛の中、源太は道無のもとを訪れた。
「どうか、娘御を私に下され。」「はて、今のおぬしなら、嫁など家中に引く手あまたじゃろう。
なぜ一度は振ったわしの娘など欲しがる?」
「逆をお考え下さい。あの時、新参者の私が他国にも知られる道無どのの娘御を娶れば、
家中の者に何と言われたか。
私は道無どのの婿たるべく名を揚げるのを、ひたすら待っていたのです。」
大いに感心した道無は、喜んで娘を源太に嫁がせた。

ある日、鰯をオカズに食事を取っていた道無のもとに、梶原源太改め美濃守政景の使者が
やって来た。道無はあわてて鰯を膳の下に隠し、使者と会った。
それを見ていた道無の家臣は、政景の使者が帰った後に、あきれて道無に訊ねた。
「常陸にその人ありと知られる真壁道無ともあろうお方が、何故そのようにうろたえた真似を
なさるのですか?」
「まぁそう言うな。梶原美濃は、わが婿ながら見事な男じゃ。あの男は、鰯を食うなら半分ずつ
食って金を貯め、武具を買う。
この道無が、鰯をまるまる一尾食っていたなどと聞けば、『贅沢である』と言うに違いない。
わしには、それが耐えられん。」

姉妹スレの天庵様ブームに対抗してみますた。




640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 23:03:21 ID:NB8Ta7c3
>>639
真壁は内陸だし
当時いわしは大変な贅沢だったと思われ。

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 23:20:39 ID:F+Ax3MK9
鮮魚は日持ちしないからね。
この鰯も干物かも。

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 23:35:22 ID:9My1oxhx
天日干しなんじゃないかなぁ。
すでに地域によっては肥料としての干鰯の利用も
始まっている時代なので、高級品ではないと思うけど。

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 23:37:26 ID:03JHB4CK
>>640
当時どころか、40年ほど前まで海の魚はご馳走だったw
普段は鯉とか鮒とか公魚とか、そんなのばっかり


647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 07:31:03 ID:KhORnkew
>>639
当時の嫁取りってホントに家との結婚なんだな
吉川元春みたいに、相手の父親の武勇にあやかったり

凄いと思ったのは賤ケ岳で討死した中川清秀の息子が
父の仇の佐久間の娘を懇願して貰い受けたってのはハンパないと感じた
家中の反対は現代の比じゃなかったみたいだし

阿茶局、怒られた酒井家次をフォロー

2009年11月26日 00:06

阿茶局   
644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 00:14:12 ID:F5ev576K
ある日、酒井家次が年賀の使いとして駿府の徳川家康を訪ねた。
その時、家次は寒いので折烏帽子の下に綿帽子をかぶっていたのだが
ちょっとしたはずみで鳥帽子が脱げて綿帽子が見えてしまった。
家康はこれが気に入らず、家次を叱った。

「本多佐渡のような者は老体だし、おどけているから綿帽子をかぶるかもしれん。
だが、お前のような若者がそんなことをせんでもいい。わしだからよいものを、
諸大名列座の前でそれでは将軍家の恥ぞ」

ここですかさずフォローしたのが家康の側室阿茶であった。

「実は昨夜、家次殿は風邪をひかれまして、これでは今朝の拝謁ができない
と申しますので私が厚着をしてもよい、綿帽子をしてもよいから初春の挨拶
はなさいと申したのです。これは全て私の一存で家次殿のお考えではないのです」

阿茶にそう言われては何も言えないのか、家康は機嫌を直し、

「ふむ、まあそういうこともあるか」

と言ったので家次は家康の前から下がることができたという。




645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 00:35:01 ID:CzyptNcU
ここにも、めんどくさい対応係が

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 19:40:00 ID:4v4PSgvW
>>644
年賀、つまり元旦に月代を剃った昔の人は
頭がすごく寒いわな。
無理もない話。

秋田実季、比内浅利氏のサボタージュに

2009年11月26日 00:04

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 20:33:49 ID:+XDPRmZM
かわいそうなイメージばかりつけちゃったので、乱世っぽい秋田実季の話を。

数代にわたって秋田氏に圧迫されてきた比内浅利氏。
安東愛季には当主・浅利勝頼を謀殺され、嫡子の頼平は津軽為信を頼って浪々の身となる。
後、為信と実季の妥協によって比内へ帰還したが、身分は秋田氏配下になってしまった。
しかも、時は豊臣秀吉が奥羽まで従えた、ちょうどその頃。
中央に秋田氏配下と認められてしまい、独立の機会は遠のいた。

さて、全国の大名には豊臣への奉公義務があったが、秋田からは杉材や鉱物が納められていた。
頼平も当然負担していたのだが、ある日これが馬鹿らしくなった。
「せっせと太閤に貢納しても、全部実季の功績になるだけだ。
なんで仇敵の手柄を稼がなきゃならんのだ」
頼平、豊臣への負担分をごまかすようになった。サボタージュである。
当然、すぐに実季にばれた。
「ほう、津軽の顔を立てて戻してやったが、そういう態度なら容赦はいらんな」
実季は税金の「強制徴収」を始める。
比内へ進攻し、浅利軍を攻撃、ついでに村々から略奪を行ったのである。

浅利方は後に被害を訴えるため報告書を作るが、それにはこう書かれている。
「この村では家が七戸しかなくなった。以前は二十戸の村だった。秋田軍が撫斬、放火した」
「この村は十五戸あったが、今はもうない。荒れている。秋田軍が放火した」

秋田・浅利紛争は豊臣政権の法廷に持ち込まれるが、実季勝訴の判決とともに、頼平は急死した。




593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 22:05:43 ID:xlxJDe4X
>>592
戦国大名の発生が遅れた、東北らしい話って感じですなー。
南北朝時代のようだ。

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 22:37:30 ID:Kc8dkWQe
南北朝時代ならもっとドロドロしているだろ

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 22:46:14 ID:hJKQ2rJ5
南北朝の東北は初代風林火山の人のおかげか結構話題になるな
すごい複雑で理解が追いつかないけど、東北から関東突き抜けて上洛とか
戦国時代でも考えられない


597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 22:56:31 ID:W5jADjNU
南北朝は戦国では蹂躙される一方の足利様、北畠さん、菊池さんや山名さんや
畠山さんが強者として戦う様は胸が熱くなるな

負けっぱなしの少弐さんも…少弐さんも…負けてるなぁ。

伊達政宗、振り上げた刀を

2009年11月25日 00:17

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 22:30:47 ID:jgdlniVm
伊達政宗が鷹狩りに出かけたある時、その途中で芝の上に寝転がり、
よほど気持ちが良かったのか、そのまま昼寝を始めた事があった。

政宗、スヤスヤと寝入ったが、この時俄かに雨が降り出す。
付き従っていた近習が、政宗を起こした

「殿、雨が降り出しました。目をお覚まし下さい。」

が、気持ちよく寝入ったところを起こされた事は、独眼竜の逆鱗に触れた

「誰が起こせといったーーーー!!!!」

政宗、傍に置いた刀を抜くと、刃をその近習に向けた!
寝起きの独眼竜の目は本気だ。近習、逃げる。が、逃げられれば政宗も当然追いかける。
そのまま2,30間(4~50メートル)ほども、抜き身の刀を振り回しながら追いかけた。

これが、政宗に雨が降りかかる事を心配した、その結果の出来事なのだ。

近習、逃げているうちに、流石にその馬鹿馬鹿しさに気がついた。
はた、とその足を止める。そしてくるりと振返ると、そのまま政宗の前につかつかと歩み寄り、

「君臣の礼もこれまででござる!さあ!お手に懸けられよ!」

と、その場に胡坐をかいた。『もう勝手にしろ!殺すなら殺せ!』というわけだ。

おそらく途中から追いかけることが面白くなっていた政宗、こう言う態度に出られて
ふと冷静に戻ってしまった。しかし振り上げたこの刀、さて、どう治めたものか?
そうだ!

「何を勘違いしておる!?」

政宗、近習を叱り付けた

「わしはお前を斬ろうとして追いかけたわけではない!」

「ええっ!?」あんた、殺る気満々だったじゃないか!?
近習が吃驚した顔を向けると、政宗、

「わしは、お前がわしを起こしてくれた褒美に、この刀を与えてやろうと思って
追いかけたのだ。それをわしが殺そうとしたように取るなどとは、まったく、ひどい思い違いだ。」

と、抜き身の刀を投げ出して、その近習に与えた、とのことである。


これを記録した江戸期の書物には、このような事が書かれている

『政宗に関しては、この手の変人行為の記録が大量にあるんだけど、
多すぎてきりが無いし、スペースも足りないので、あえてこれ以上記載しない事にする。』

全部書いてくれればよかったのに。おしい。




546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 22:37:37 ID:5yleT5yf
政宗、テラ半端www

DQNエピばかり載せて、伊達家からクレーム付くと嫌だから加減したのかな

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 22:40:07 ID:/ddIaKoD
何故、全部書かない?

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 22:42:03 ID:GpqN2Vwa
>>545
>これを記録した江戸期の書物
ちなみにこれは何?

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 22:44:44 ID:YtjmM3th
書くのが億劫になるほどよくある事だったんだよ、多分

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 22:47:30 ID:jgdlniVm
>>548
関ヶ原軍記大成です。

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 22:51:41 ID:GpqN2Vwa
>>550おk

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 23:21:51 ID:9RabIy3v
本当にもっと書いてくれれば良かったのにwww

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 23:43:30 ID:nPn4V2DX
その当時にこのスレがあれば!

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 23:46:23 ID:aPcczLft
>>554
大規模規制されるんじゃないかな


558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 00:35:01 ID:LthTeKIT
>>547
書き手「私は真に驚くべき逸話を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」


563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 04:15:06 ID:QzUJ3Rdr

スペースがなくなるっていってどんどん字を小さくしていったの誰だったっけか
忘れちゃった

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 08:08:17 ID:HaLycqAo
>>563
たぶん、↓の逸話だと思う。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3090.html
だから、誤爆なんだけど、正確に目標に命中してたりするw


565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 09:11:28 ID:fSIPkzDq
558じゃないけど
>>558の元ネタはフェルマーの最終定理だな。
17世紀なので一応同時代だし。

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 09:12:43 ID:Ac0kr6F1
>>558
どっかの数学者の逸話というか所業だったっけ?

鐘巻自斎さん弟子にボコられる

2009年11月25日 00:16

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 00:25:07 ID:g5Ci0s65
鐘巻自斎さん弟子にボコられる

鐘巻自斎の弟子の一人が
「剣術の妙を悟りました」とか言い出した
これを聞いて自斎先生は怒った
「舐めるな若造、数年の修行で身につくわけがないだろ」
「こういうのは教えてもらうもんじゃないし、年数とかも関係ないし」
「調子に乗るな、剣術の奥深さを思い知らせてやる」
が、あっさり敗北
二度目も負け
三度やってもやっぱり負け

この後二人で剣談とかあって、なんか覚っちゃった自斎先生
「オレの極意とかもう不要かもしれないけど一応教えておくわ」
ってことで秘伝を授けた

この弟子が後の伊藤一刀斎景久である