福島正則「おまえは何故、千利休などを敬っている?」

2010年01月31日 00:10

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 01:30:19 ID:rSDBxjEF
福島正則が細川忠興に言った。
「おまえは何故、千利休などを敬っている?あいつは何の武功を立てたことも無いだろう」
忠興「まあ一度、千利休の茶を経験してみろ」
茶事の後
正則「忠興、お前が利休を尊敬するのはもっともな事だな。利休の茶に臆してしまった。
今日は本当に良い経験をさせてもらったよ」と大喜びしていたらしい。




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千利休が五人の武将を茶事に招いた。

2010年01月31日 00:08

千利休   
464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 01:39:19 ID:rSDBxjEF
千利休が加藤清正、福島正則を含む五人の武将を茶事に招いた。
しかし問題が発生した。1人我儘な破天荒な男が居たのである。
福島正則たちは作法に従いおとなしく刀を置いていったのだが、
加藤清正だけは利休の制止聞き入れず、「刀は俺の魂だ」と無理やり茶室へ
刀を持ち込んだのである。
仕方なく茶事を始めた利休であった。がどうしたことか柄杓の湯を炉へこぼしてしまった
のである。
たちまち茶室には煙がたちこめ、五人の客は慌てて外へ飛び出していった。
その時、利休が一言
「加藤殿、魂が落ちてますぞ」
清正は刀をほったらかして逃げて行ってしまっていたのだった。




466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 02:02:08 ID:z+OGs40u
>>464
そんな市松がやりそうなことをよもや虎之助が……

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 07:54:08 ID:i22FKQRO
>>464
これとほとんど同じ話だけど他にも客がいたのか…
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1922.html

大橋茂右衛門の茶室

2010年01月31日 00:07

千利休   
467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 02:02:41 ID:rSDBxjEF
松江に大橋茂右衛門の茶室がある。
この茶室には他の茶室にはない特殊な穴があいている。
言い伝えではこの茶室は福島正則が千利休に指導してもらいながら
造ったものであり、のちに家臣の大橋茂右衛門に譲ったものが移築されたのだという。
そして福島正則が茶室開きに招いた客の中に加藤清正が居た。
最初の客に予定されていた加藤清正は三尺余りの太刀を所持していることで知られていた。
福島正則は客に招く予定の清正の太刀が通常の刀掛に収まらないことに気付いていたので、
予め壁に穴を開けておき、清正の太刀が収まるように設計したと言われている。




468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 02:06:11 ID:wQm6PWZG
利休「計画通り」

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 02:12:09 ID:eWD22/Tm
敵に「弓なんて捨てて刀でかかって来いよ!」といいながら槍で突き殺した男に言われてもなあ

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 07:03:00 ID:ClAn9jLh
>>464
全員集合のオチの音楽が脳内再生された

鼻紙朱印状:家康と浄山寺、謎の寺領寄進

2010年01月31日 00:06

472 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/30(土) 09:31:54 ID:nn6/izNM
地元の事調べてたら、越谷でもう一つ小ネタが見つかったので投下しますよ。

【鼻紙朱印状:家康と浄山寺、謎の寺領寄進】
小田原征伐も終わり、関東へ加増転封された家康。
彼が趣味と領内見回りを兼ねて、頻繁に鷹狩を行っていたのは、もはや有名な話。

越谷でも、どうやら鷹狩を兼ねながら、自ら各地域に寄っては実際に人と会い、
小豪族の所領安堵,寺社への寺領寄進等も一緒に行っていたらしい。
さて天正19年11月、越谷野島にある浄山寺にも、鷹狩のかたわら家康が寄りに来た。

「おお、住職殿!いやあ、丁度近くまで鷹狩へ来ていましてな」
「これはこれは。わざわざ当寺に御労足頂き…(自ら何の用件だろ?ドキドキ)」
「まだ渡してないと思いましてな。…コレ、朱印状!」っ寺領寄進
「おお、何とありがたい事です…。(おいくらでしょうか?)…って、ええ!?」
『浄山寺へ、寺領300石を寄進』
「さ、300石!?」

この数字、大名の石高や、万単位の寺領を得たような寺社と比べれば小額かもしれないが、
同時期に越谷各地の寺が受けた寺領寄進は軒並み一桁。
立派な山門を持つような所でも数十石。いきなし三桁寄進の寺なんて見当たらない。

(い、いったい何で?そりゃ小さい寺じゃないけど、言う程大きくもないぞ。
他寺との違いったって…武蔵七党野島氏の館跡ってくらいだし…)
「いやいやいや、ウチにはあまりに過分です。こんな沢山受け取れません!」
「えー」
住職はこれを過分として辞退。どの位過分だったかは、以下を見れば分かる。

「っても書いちゃったしなあ。うーん、他に何か紙はあったかなあ」
ごそごそやって、懐に一応紙があるを見つけた。
「紙あった…けど、これしかないんだが」
鼻紙(懐紙?)。
家康はその場でこれに書き直し、平均的な3石に決めなおし改めて住職に渡したという。
これが、野島浄山寺に現物が残る『鼻紙朱印状』の話である。
他、家康はこの寺を『野島浄山寺』と改めるようにも言ったという。

ドケチに定評のある家康が、何で急に太っ腹になったのかが謎だ。
特に肩入れする理由も見当たらないし、浄山寺にいったい何が…。

っ鷹狩

(元々の寺の土地,大小,由緒などなど)× 鷹狩の成果。かねえ?
事前の鷹狩のボーナスポイントで×100か。随分でかいなw

まあ、無欲だった住職の良い話ってことで。




473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 12:48:35 ID:7Ic0Jyxv
300石は現代の米の値段(1kg=450円として)で考えると、約2000万円。

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 12:53:03 ID:l6s3CWuw
本多忠勝「あんなに気前の良いお方であったか?」
酒井忠次「わが息子にももっと気前良くして頂きたいものですな」

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 13:32:35 ID:+L31MNQo
井伊直政「pgr」

家康の倹約術 麦飯編

2010年01月31日 00:06

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 15:21:16 ID:xu+ibyvR
家康の倹約術 麦飯編

徳川家康が三十路になるかという頃、家康は夏になると麦飯ばかり食べていた。
ある時、近習が白米の上に麦飯を覆って出したところ、家康はこう言ったという。

「お前は俺の心がわかっとらんな。俺はケチだから麦飯食ってんじゃないの!
いまは乱世だから、兵士たちは戦に忙しくてゆっくり休めないし、衣食にだって困っている。
そんなときに俺だけが贅沢できるもんか。百姓だって苦労して米作っているんだからな。
俺だけが美味いもの食べるなんてできない。それにこうやって倹約した金は戦の備えになるんだぞ。」




479 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/30(土) 16:32:02 ID:MrvH35Da
まずは天婦羅食ってお怒りを鎮められよ

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 16:36:59 ID:mHKyc/Uk
久秀「ささ、拙者がじかに揚げた天麩羅を」

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 16:41:09 ID:LxE0OtuP
直家「いやいや、某の持参した天麩羅を」

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 17:12:10 ID:rSDBxjEF
本多重次「わしの焼き味噌を」

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 17:38:43 ID:ClAn9jLh
氏郷「毒盛るやつなんか嫌いだ!」

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 18:08:43 ID:jat6Vern
直家しょっちゅう出てくるなw

まーくん、家康に助けられる。

2010年01月31日 00:05

485 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/30(土) 20:06:28 ID:u1yI5pgV
まーくん、家康に助けられる。

これは「老談一言記」などにあったお話。

1591年ごろのある日、家康が朝食をとろうとしたとき、打ちひしがれたマー君の家来が尋ねてきた。
聞けば、九戸の乱に加担したことを疑われ、秀吉に四国・伊予への
国替えを命じられそうになっているので助けてほしいとのこと。
家康はまーくんの家来に朝食を相伴させ、その後一喝する。
「大体、政宗という男は、荒々しく見えるが、実は腰抜けだからこんなことで狼狽する。
四国に行って魚の餌になるか、切り死にするか、もう一回よく考えてみろ。」
そして、使者にこっそりと秘策を耳打ち。

翌日、政宗邸を訪れた秀吉の使者は仰天する。
政宗の家来はみな槍、弓、銃などで武装しており、ものものしい雰囲気で、
政宗だけは丸腰だったが、
「殿下の命なので従うつもりだが、家来が、見知らぬ土地に行きたくないから、ここで一戦するか、
みんなで腹切りましょうといっていうこと聞いてくれない。挙句の果て自分にも自害を進める有様。」
と泣きつく始末。

空恐ろしくなった使者が立ちもどり、それを聞いた秀吉も苦りきった顔。
そこに出てきた家康が、このままでは大騒ぎになるからと秀吉を説得して、国替えは中止になりました。




486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 20:53:41 ID:fz98y8Zc
山岡荘八だと秀次事件のときにそのエピソード使ってるね。
ほんとは九戸の乱のときだったのか。

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 22:35:37 ID:Zy/IUp8X
岳宏一郎の本には家康は政宗の失敗の尻拭いばかりさせられていたとあってワロタ

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 23:07:48 ID:LxE0OtuP
(●∀・)<俺もワロタ



関連
伊達政宗、秀次処分での危機に
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5230.html

島津尚久、敵の追撃に

2010年01月31日 00:04

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 14:35:26 ID:hKk9CF0a
天文年間のことであろう。大隅の蒲生範清と敵対していた薩摩の島津貴久(島津四兄弟の父)は、
弟の尚久に、蒲生の支城、北村城を攻めさせた。
しかし北村城主、北村清康は巧みな作戦で反撃に成功、島津軍の大敗になった。

島津尚久は撤退の際多くの家臣を失いながら、岩戸川原から久末の岩上を通り、
高牧の井手山(いでんやま)の奥まで逃れた。
しかし蒲生勢の追撃は激しく、ついに尚久は自害を決意した。

ところでこの島津尚久は、かねてから謡曲が好きで良く学んでいた。
そのためこの時、この世の名残にと一曲唄い始めた。尚久の切々とした唄が、
井手山の谷に響く。

これを聞いた追っ手の蒲生勢も尚久の考えを悟り、彼が一曲唄い終わるまでと、
追撃の足を止めた。武士の情けであった。


…と、敵の追撃が止まったことに気がついたのが、唄っている島津尚久である。
彼は傍にいた部下に

尚久『この続き、お前が唄え!その間に俺は逃げるから!』
部下『ええ俺が!?声でバレますよ!』
尚久『そんなのわかりゃしねえよ!いいから早く!なるべく長めに唄えよ!』

そう、部下を身代わりにし、その隙に島津方の吉田城へと逃げ帰ったそうである。


鹿児島の蒲生に、今も伝わるお話である。




169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 17:12:26 ID:Jt6CAZpo
尚久の部下が自ら言い出せばとってもいい話だったのに・・

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 20:29:01 ID:crut5nLU
>>167
島津尚久って若くして病死してるけど記録見ると何だか豪放磊落っぽい性格してるよなぁ
長生きして九州統一戦に参加してたら面白かったんだがな

ところで部下のその後は?w

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 21:02:15 ID:LxE0OtuP
>>175
部下「昇天でござる(泣)」

家康、本多百助の息子の名を

2010年01月31日 00:03

173 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/30(土) 20:19:00 ID:u1yI5pgV
徳川家康の家臣に本多百助というものがいた。
長篠の合戦後に長男が生まれたが、不幸にして兎唇であった。
本多百助が嘆いていることを聞いた家康は、百助を呼び出し、
「武田四天王の山県昌景も兎唇だったというではないか。お前の息子はあの
名将山県の生まれ変わりじゃ。」
と言い、その子の名を、本多山県にするよう命じた。

家康の家臣を励ますいい話ともおもったが、名前に山県はないだろうとも思ったので、
家康のネーミングセンスが悪い話。




174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 20:25:32 ID:O+gcxJ1l
兎唇は勇者の証って言われてたのは、この辺から来てるのかな

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 20:55:56 ID:fz98y8Zc
>>173
>名前に山県はないだろう
そこまで読んだ瞬間思ったよw
なんで三郎兵衛や昌景じゃないんだw

倅めが、吠えをるわ。

2010年01月30日 00:11

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 23:43:21 ID:GboJyzWo
天正8年(1580)7月、織田信長より丹後半国12万石を授かった細川藤孝(幽斎)は、
御礼言上のために嫡男・忠興を名代として安土城に派遣した。

「丹後拝領のこと、父・藤孝に成り代わり、厚く御礼申し上げまする。」
「ふん、藤孝からの礼など要らぬがな。」
「……は?」
「おれは丹後をお前の父親にやった気など、無い。お前自身にくれてやったつもりよ。」

従五位下兵部大輔、細川藤孝の実績や能力に与えたのではなく。
2年前に初陣したばかりの17歳の若者の、将来性に期待して12万石を与えたと言うのだ。

忠興の中に熱いものが込み上げ、涙があふれ出た。
「こっ、このご恩は決して…決して忘れませぬ!」

泣き続ける忠興の前に、信長が来た。「ガキが、吠えるじゃねーか。マジで忘れんなよ?」
(原文:倅めが、吠えをるわ。誠に恩を忘れ間敷者ぞ。)

そう言って笑いかけ、忠興のオデコを小突いたという。




428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 01:09:44 ID:zcX5bn9K
悪い話の方にも逸話来てるが信長は忠興気に入ってた感があるね

429 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/29(金) 01:10:19 ID:jJIABq5N
ひ、人たらし右府殿…

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 01:43:55 ID:C/gtZ3/J
信長って人間味のある逸話が多いね

いい悪いスレ見る前と後で、信長と秀吉への見方がすごく変わった

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 01:45:41 ID:7t9V3pCz
忠興は信長に似ているとかいう評があるんだっけ?

つうか、信長って割りと重臣の子供は大事にしてるよね
どこの家でもそうだとはおもうけど、いい年扱いたオッサンが一緒に遊んだ的な逸話も結構多い
やっぱ子供っぽかったのかな

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 02:22:55 ID:HDRP39yT
つかやっぱりさ、目の前に子どもがいたら
人間ちょっとはほだされなきゃ嘘だろ

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 02:37:50 ID:FZcY1b+6
>>430
まあ悪人がたまにいいことするとすごく褒められるのと似てる

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 09:48:50 ID:kFQoOJv/
嫡子が家を継ぐのは当たり前だが、甘やかされた息子に名君が少ないような気がするな。

それはそうと、信長ってDQN好きなのかな。
お気に入りにはスーパーDQNもいたし。

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 10:21:11 ID:B03sDK/7
>>438
黒田さん家も孫の代でヤバかったはず

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 11:13:18 ID:owvxw7mt
>>431
そりゃあそうだろ?将来の幹部候補を育てないといけない。

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 17:29:48 ID:pc8WfSIB
家臣の子供あつめて期待してるぞと励ましたり父親のことを褒めたりかばったり
してたのは島津義弘だったか 

この人が人質の少年に送った手紙

2010年01月30日 00:09

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 02:22:55 ID:HDRP39yT
つかやっぱりさ、目の前に子どもがいたら
人間ちょっとはほだされなきゃ嘘だろ

ってことで、
あんまり子どもに優しいイメージが一般には無さそうな
この人が人質の少年に送った手紙

お手紙頂戴しました
珍しい気持ちで読ませて頂いています
こちら小田原では貴方のご家族に会いました
皆さんとても元気そうです、安心してくださいね
貴方の噂も話したりしました
春には小田原に帰るということだから、
色々と教養など身に着けておいたほうがよいですね
どの兄弟達も大きくなっています
呆れられてしまったら大変ですよ
追伸、お手紙嬉しいです
腕前が上がりましたね。もっと励んで下さい
二、三日のうちにここを立ちますから、
二十日頃には駿河に帰ると思います
家内にもこのことを伝えておいて下さい
帰ったら色々会ってお話しましょう。かしこ

今川義元から北条氏規への手紙




434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 02:48:26 ID:xOlOg5RX
氏真が外交的にアレ程強気になれない子になっちゃったのは義元が
優しい親父だったから甘やかしちゃったのかも、と考えることも可能だし

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 02:54:36 ID:C/gtZ3/J
人質時代に家康と面識あったって説もあるよね<氏規

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 03:24:42 ID:QGX+FoUg
>>432
義元は家康の近習が元服した時に主従セットの槍送ったりしてるし、案外優しいとこあるんだよね
ただ氏規の親父には厳しかったらしいけどw 親と子は別だってことかね

南部信直の家族への想い

2010年01月30日 00:09

437 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/29(金) 03:44:45 ID:ZWfCBJJp
家族関係の話がよく出ているんで便乗して。初カキコ+文章力皆無なんで、お見苦しかったらすいません。

九戸の乱も終え、朝鮮出兵の軍役も終えて故郷へ帰った南部信直。
この頃彼は、病弱で体調の悪い娘婿の八戸直栄と娘千代子への手紙を幾つか書いている。

『次郎殿(直栄)の病気良くないそうだね、とても心配しているよ。
養生ばかりしてないで、湯治にでも行ったらどうだい、薬をやめて食事に注意してはどうだろう』
『近習の者を使いに出しても、くわしいことを教えてくれない。ちゃんと養生しなさいよ』
『梅を二櫃送ります、何か用事があればいってよこしなさい。孫達がみんなで梅を拾っています。
次郎殿が少しいいようだったら、四・五日泊まりに来なさいな』
『次郎殿の病気はどうですか? 心配なので知らせてください。くわしい返事を待っています』
こんな手紙を数日おきに送っている。娘夫婦を心配する老人そのままです。

戦乱の中、分裂しがちな南部家を取りまとめ、津軽・安東等と戦い、九戸の乱を乗り越えて、
ようやく彼にもこんな手紙を書く余裕が出来たのでしょう。
最後の手紙を書いたちょうどその日に、八戸直栄はわずか25歳で死去してしまうのですが、
南部信直の細やかな心遣いが感じられる話なのでこっちに投下してみました。
安息の日々を得た南部信直の、家族思いなお話。




438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 05:03:35 ID:enBYCy0O
しかし八戸氏は利直の時にあわや取り潰しにされかかったな
親の恩人でも子の代では……黒田さん家みたいなのもアレだがw



444 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/29(金) 19:47:20 ID:5cSV5GwY
>>437
信直の娘大好きっぷりは見ていてちょっと恥ずかしいw
逸話とは時期は違うけど大体こんなペースで手紙を書いてるね

1957年12月 3日 八戸おちかたへ
      6日 八戸千代子かたへ
      9日 八戸千代子かたへ
      23日 杢方(五戸代官木村秀勝)へ
      28日 八戸千代子かたへ
1598年1月  4日 八戸千代子かたへ
      7日 八戸千代子かたへ
      9日 八戸千代子かたへ
      15日 八戸千代子方へ
      24日 八戸千代子かたへ
  2月  1日 おちかたへ
  2月  1日 八戸千代子かたへ(二通目)

部下宛の書状が娘宛の書状に完全に埋れてる



449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:46:09 ID:7dw7tdj9
>>438
三戸と八戸南部氏の関係を思えば八戸信栄の滅私ぶりは奇跡じゃね?
元お隣りの実季は親子二代で取り組んだ檜山と湊の確執解消が関ヶ原後の転封をきっかけにグダグダだし

討ち死にした元均をどうするかという話になった

2010年01月30日 00:08

元均   
446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:04:55 ID:mgHpKWg3
朝鮮出兵が終わり朝鮮では戦功を立てた者達の選考をしていた
光海君の下、次々と選別されていく中、水軍の将で討ち死にした元均をどうするかという話になった

すると光海君が口を開き

「壬申倭乱の緒戦の頃、元均が李舜臣に救援要請したけど
あいつ王命がないからって渋って出陣を半月以上も遅らせやがって。
元均は死を恐れず常に先鋒に立って軍の士気を高めて功績は李舜臣と同じだが
李舜臣は元均が将兵を倒して接収した船を掠め盗りやがった。
元均が李舜臣に代わって水軍の長になった時、何度も勝てない事を進言していたが
備辺司も都元帥の権慄も出陣を促したから敗北を知りながらもやむおえず出陣し
溺れ死んだ全兵士と共に自らも国に命を捧げたのだ。
元均は知略と勇敢さを備えていたのに運に恵まれず戦功が消えてしまい不憫でならない…。
今日の選考で彼を二等功臣などにしてしまったらそれこそ無念であろう。」

こう言うと権慄、李舜臣と共に元均を一等功臣にした

頑張った人がちゃんと評価されたという良い話




448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:28:45 ID:QGX+FoUg
光海君自身が不憫な人だから思うとこがあったのかも知れないな

信長「やーい、ビビリめー。

2010年01月30日 00:06

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 23:44:45 ID:GboJyzWo
天正10年(1582)4月、武田家を滅ぼした織田信長は、その帰り道で富士山を見物した。
麓のいわゆる人穴にも立ち寄った信長は、近習の森蘭丸、長谷川秀一、津田信澄、
そして細川忠興に洞窟の探索を命じた。

洞窟の奥深くは水滴がしきりに滴り落ち、松明の火が消えてしまった。暗闇の中をなおも
進んだが、やがて水の流れる音が響いてきた。どうやら、洞窟の中を川が流れているようだ。
試しに川へ小石を投げたが、流れる音が激しく水面に落ちる音も聞こえない。

「これはいかん。一旦戻って松明を再度灯し、濡れても良いよう袴を脱いで出直そう。」

人穴の入口に戻った一行は、経緯を信長に報告した。
「…今まで、お前らは恐れ知らずだな、と思ってたけど違ったか。やーい、ビビリめー。」

ブ チ ッ

「やぁぁぁってやるぜぇぇえ!!」
信長の嘲笑を聞いてキレた忠興は、何の装備も持たず洞窟の中へ駆け出した。

「ちょっ…待て、待ちなさい!忠興クン!?」
早くも遠ざかる忠興を、信長が必死の大声で止め、事なきを得たそうな。


…うーん、いい話に投下した方と並べると、信長のが幽斎さんより三歳のパパしてる気が…




98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 23:47:41 ID:vcC9SjcR
瞬間湯沸し機の系譜ですね。分かりません。

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 23:49:08 ID:+z2vJtXX
俺忠興公を簡単に打ち取れると思えてきた
落とし穴掘ってやーいバーカと叫べば案外・・・

100 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/29(金) 00:00:52 ID:yvS0uT3U
>>97
つか信長テラカワユスww

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 01:01:40 ID:4oEVuVCB
信長が案外いい奴かも

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 01:12:36 ID:18WfL/u0
>>99
まるで石器時代の勇者

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 01:31:31 ID:9WW3h9kb
相変わらず口の悪い信長公

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 02:17:38 ID:fkywzssI
>>97
某戦国MMOでは富士山地下洞穴は八雷神の一柱が巣食ってたの思い出したw

つか大名クラスしかもおさーんになっても肝試しってのはやるんだなぁw

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 07:28:05 ID:wvJmMC2v
>>99
NGMS<呼んだ?

「今から殿んち遊びに行こうぜ!」

2010年01月30日 00:05

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 10:52:28 ID:z+EyT/R0
>>49
おハイソな茶道の話だから様になるけど
これが夜更けに友人宅に上がりこんで「おーい酒飲もうぜ。つまみはありあわせでいいや」になると普通に失礼だな

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 01:12:52 ID:VMgArqfS
>>59
あれ?同じことを主君の家に上がり込んでやった家臣たちなら知ってるような
黒田長政のとこだが



105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 01:49:20 ID:VMgArqfS
>>103のソースは名将言行録だった。
名将言行録はいったいこの話でなにを伝えたいの?他の部署への気遣いや連携の大切さ?

ある夜黒田家の吉田んちに菅と津田が来て飲んでいた。
そのうち誰からともなく「今から殿んち遊びに行こうぜ!」という話になった。
もう真夜中、雪まで降っていた。
「今から家来を起こして下駄の用意させるのも悪いよなあ…裸足でいいか」
行かない選択肢はないらしい。真夜中に主君を叩き起こすのはいいらしい。
急に行って酒の肴がないのもいやなので、一応自分たちでも用意することにした。
ザルに適当にその辺にあった豆腐を二丁入れる。
酒が入ってハイになっているのかそれともそんなの関係ないのか、裸足でかけてく
吉田長利、菅正利、津田貞俊…わりと要職にあったりする気がするメンツ。

こうして、酔っ払いが訪ねてきたという報告を受けた長政は寝床から起き出してくるはめに
なった。
ただし長政本人は一人寝が淋しかったらしく「いいとこにきた」と喜んでいたそうだ。
「酒は昨日ついたばっかりのが樽であるんだが、肴になりそうなものはあったかな…
まあいいや、台所探してみろ」
家探しの許可を受けて一同があちこちひっくり返すと、戸棚の中から骨付きの鯛が出てきた。
「いいねえいいねえ、焼いて食おうか」
ところが盛り上がる彼らに、長政が待ったをかけた。
「待てよ、明日は28日だな…これは多分明日使おうと思ってとってある分だと思うんだよ。
明日の朝、料理方の連中が魚が消えてるのに気づいたら困るんじゃないか」
「あーたぶんそうっすねー」
「じゃあ、豆腐持ってきたからこれでいいや」
こうして三人は自分たちで火を起こして酒を温めると、鶏が鳴く頃まで散々おしゃべりして
帰っていったとさ。




106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 01:54:04 ID:dKuWsTX0
>>105
長政いい奴過ぎるww

107 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/29(金) 01:54:22 ID:3pWKxtjR
>105
微笑ましく面白いな。

こういう場合は肴に漬物が出てくるもんだと思うんだが、
古漬けとかなかったのかな。

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 01:57:30 ID:ghxH13qC
黒田武士は相変わらずだな

114 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/29(金) 03:33:14 ID:jDwNBila
>>105
一人暮らしの大学生みたいなノリだなw

116 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/29(金) 03:53:55 ID:Y2pdETUp
>>105
なにこの楽しそうなのw

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 07:28:05 ID:wvJmMC2v

>>105
なんか、その後、押しかけて来られた上に親父と比較してダメ出しされてる長政の姿しか思い浮かばないんだが…。

北条氏規、田舎武士の悲しさよ

2010年01月30日 00:04

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 02:47:34 ID:HDRP39yT
天正16年8月、北条氏政の弟・氏規は、兄と甥の代理として上洛、聚楽第で秀吉に謁見した
聚楽第は秀吉にとって天皇や公家と謁見する場所であり、本来衣冠・束帯をしつらえ参じなければならないが
いまだ秀吉に臣従していない北条家の人間である氏規は官位を持たず、よってそれらをしつらえることは適わなかった
結果彼は公家衆や毛利・橘川・島津・大友といった大名たちが束帯姿で居並ぶ場に
場違いにも肩衣・袴姿で参じざるを得ず、その姿は多くの人々から失笑を買った
特に毛利輝元は氏規をあからさまに田舎者と嘲笑し
「腹が痛いので失礼します」といって食事を共にすることさえ断った

この会合を終えた氏規は
「さてさて無念の至りなり、田舎武士の悲しさよ
 かくのごとし格式をしらずして上京し、面目なき体
 この様体では氏政上りたれども、何の益か有るべし」
と嘆いたという。




113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 03:12:51 ID:mq1eVB48
それだけバカにされたらそりゃ小田原に篭って徹底抗戦するよね

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 03:39:49 ID:NddVhr7o
つか、そこは恥入らずに

「ケッ、だーれが首輪のごとき官位なんているかよ、バーカ、この猿の飼い犬め」
「せいぜいご立派な首輪ひけらかせてろ、おめでてぇな」

くらいの気概を見せてくれても
東国の荒侍なら

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 07:09:07 ID:QEkacnvt
>>112
しかし北条は伊勢氏なんで毛利あたりが田舎モンとか礼儀知らずとか
馬鹿に出来る筋でもないと思うんだがなあ

伊勢氏だからこそ恥じたというのはあるかもしれんが

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 07:33:38 ID:V9IbjP4R
>>112
これ毛利輝元上洛日記に書いてあったけど、
嘲笑する意思とかまったく書かれてなかったぞ
あるのは秀長に氏規との食事の場に誘われたけど腹痛だから断ったっていう事実だけ
この上洛日記を訳した人はまだ秀吉に従っていない北条に近づくのを
警戒したっていう考察をしていた

まあ秀長の誘いを断ったあと普通に隆景・広家と食事をしていた記録も残っているみたいだから
仮病だったのには間違いないが

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 09:53:38 ID:A1X3eIKM
秀長の仲介で秀長も立ち会う場でならそんな警戒要らん気もするがなぁ。
その後個別に会いたいって言われたら仮病はありだけど

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 10:09:59 ID:0KB58BH9
位を見せ付けて従属させようとしたんだろうけど、それなら失敗だったなあ。

やるなら鞭だけじゃなく、ちゃんと飴も見せておかないと。

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 10:39:37 ID:YDaLejfH
逆に考えるんだ
氏規と会うのに緊張しておなかが痛くなったんだと
身内なら一瞬にご飯食べても緊張しないから安心だね!

133 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/29(金) 11:41:37 ID:/VkQEDUL
>>131
秀長「TERU!敵だか味方だか微妙なやつの接待させられる俺を目の前にして人見知りしてんじゃねえ!」

本多忠勝の鍔の謎

2010年01月30日 00:01

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 12:19:24 ID:fIrKEFnt
さあみんなで考えよう


戦国を代表する勇者、本多平八郎忠勝の武器といえば、名槍、蜻蛉切が余りにも有名だが、
そんな彼も勿論武士として、大小を刺している。

その忠勝の太刀には一つの謎がある。彼の刀の鍔には、ぐるりと、とある言葉が
彫り込まれているのだが、それは


『すくんうきよやいまわ満まるこつかう』


…意味不明である。
この言葉、どれほど意味不明かといえば、古来から今にいたるまで、多くの人が解読を試みたが、
未だに定説が無いほどなのだ。

しかし忠勝に取っては、必ずなにか意味があったはずなのである。
もしかするとこの解読に成功すれば、本多忠勝と三河軍団が現代に復活するとか、そのくらいのことが
起こるかもしれないのだ!

そんな戦国の謎。
みんなも解読にチャレンジしてみないか!?




139 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/29(金) 15:14:19 ID:/VkQEDUL
>>134
とりあえず
『柄薄くん 浮世や今は 満丸こ』

長年使っていた刀の柄が握りこんで薄くなってしまったように
自分も戦場を往来していたときのような切れるような荒々しさはなくなってしまったなあという意味の俳句



…三河軍団が復活した様子もないので違うらしい

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 16:10:32 ID:fIrKEFnt
>>139
すごいそれっぽくてビックリした。そして何故かその歌の中に徳川埋蔵金の秘密が
隠されてる匂いがする。誰か糸井重里呼んでこい。

元均の指示は

2010年01月30日 00:00

元均   
147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:06:49 ID:mgHpKWg3
元均が李舜臣に代わって水軍の長になっていた時の話
彼は愛妾を運籌堂(参謀本部のようなもの、現制勝堂)に入れ
二重籬で隔て諸将と顔を合わせる事すら稀であった
また酒を飲み酔って怒っては刑罰を与えるのが常態化していた
これ対してに元均の部下達はこんな上司に命を懸けるのがアホらしくなったのか
( ´д)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(д` )「賊(日本軍)に遭ったらとにかく逃げようぜ」
と密かに申し合わせ命令を聞く気などさらさらなかった
このような状況の為、元均の指示はまったく実行されていなかったという




148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:09:48 ID:JbdCxw+b
日本以外もここなのか

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:13:38 ID:f4M77OSB
一応日本の戦国時代にかかわる文脈であればここでよかったような。
前も明の倭寇対策の専門家な恐妻家が出てたし。
朝鮮出兵の件の向こうの事情なら関係あるかと。

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 22:42:38 ID:e8jUPcUv
それで戦闘時具体的にどうなったとか、もうちょっと日本絡められないか

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 22:59:31 ID:aMlTLbp/
その後元均は日本水軍に強襲され戦死するのだが、
兵士がこのような士気の元では当然だと言えるのかもしれない

ぐらい最後に書いておけばまぁ良かったんだろうけど、
でもこれ位このスレに居る人なら普通に知ってるだろうしねぇ

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 04:48:06 ID:xHCUPWqk
>>147
いい話スレの朝鮮話とセットで朝鮮王朝の論功行賞が節穴のダメぽな話、だなー…

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 12:03:49 ID:wOpOVfnq
>>159
まぁ話はそう単純ではない
良い話スレの朝鮮話は宣祖実録が元ネタ
>>147は懲録が元ネタになってる
で、懲録は元均と仲が悪かった李舜臣を推していた人物によって書かれている
その上宣祖実録は公文書だが懲録は私文書
個人の思惑が強く反映されていると思われる

元均は懲録の他に宣祖”修正”実録(朝鮮ではクーデターが起こり
記録の編纂が行われ原本に比べ元均の評価は著しく低下している。
クーデターの中には李舜臣の親族がおり李舜臣を持ち上げ
元均を蔑む事で権威を得ようとしたとも言われる。)
でボロクソ書かれて現代でも評判は悪いが厳格な記録書である
宣祖実録の方が元均の実像に近いんじゃないかって話もある
実際の漆川梁海戦では主だった武官は元均と共にほぼ戦死してしまっているしな

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 13:26:09 ID:DseapK3F
>>161
単純では無いのだけれど単純にすると、当時の朝鮮内部の二大派閥で考えると、
北人派 光海君(北人派により擁立)
南人派 柳成龍(李舜臣の上司で、上によって失脚)

・・・と、まあそういうもんもあるんだろうなあと思ってくだされ。

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 14:20:59 ID:mMxssEhG
>>161、>>163
語り手によって毀誉褒貶激しいあたり三成を連想した

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 21:42:44 ID:xHCUPWqk
>>165
忠武侯こと李舜臣は三成を通り越して安藤帯刀みたいな、めんどくさい人だったらしいけどなw

舜臣が朝廷に任官していたころ道で偶然いきあった旧友を無視して通り過ぎた
「あいつ(李舜臣)は栄達して俺に挨拶もしなくなった!」と友人が憤慨していると、
やがて倭乱の時かね“いつもの”派閥争いに巻き込まれ官職を辞した舜臣が田舎に帰ってきて友人に「やあ」と話しかけてくる
「お前は一体どうゆうつもりだ!」と怒って詰め寄る友人に舜臣曰く
「官職にあるとき人前で友情を露わにしたら、以後どんな人事も情実だと思われてしまうだろう?
君が朝廷に出仕した時に要らぬ陰口を叩かれる。だからあの頃、私的な交友はしなかったのだ」とかいう……


中国や朝鮮王朝で忠臣・良吏とされる人物の列伝テンプレだけどねー

佐竹義宣「内膳! なー! いー! ぜー! んーーーー!!」

2010年01月29日 00:16

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 23:39:02 ID:G6vXNULi
佐竹義宣公が転封先の久保田にようやく城を築いた頃、
穴門橋前に浅原甚之丞という者が住んでいた。
ある日彼は同僚が緞子の半襟を掛けているのを見つけ、それを咎めた。
「おい、それ、規則違反だぞ!」
「んだよ、ありあわせの古いやつだからいいんだよ!」
些細な事から口論となり、二の丸にある安楽寺の前で本格的な大喧嘩。
松下門の坂道まで来たとき、とうとう甚之丞は同僚を殺してしまった。

さて、ここに異変に気付いた者がいる。
城主の佐竹義宣その人である。

たまたま御隅櫓に昼寝に来ていた彼は
血の付いた刀を引っさげて帰っていく甚之丞を発見。
幸い、すぐ向かいが渋江内膳政光の屋敷である。
大声には自信のある義宣公、事態を知らせようと内膳宅に向かって声を張り上げた。

「内膳!内膳! なー! いー! ぜー! んーーーー!!」

が、あいにく内膳は留守。代わりに梅津半衛門憲忠がいた。
内膳宅の向かいが半右衛門宅で、これまたたまたま馬の爪髪をこしらえに来ていたのである。

「え、なに?殿の声?一体どこから…って、櫓から!?どんだけでかい声出せるの!」

半右衛門は大急ぎで長刀を持って駆けつけ、自宅に戻っていた甚之丞をバッサリ。
飛び掛ってきた甚之丞の弟も同じくバッサリ。
二人の首を手に引きあげてきたそうである。




366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 23:50:02 ID:IXa0lZM7
>>364
むう、まさに家政婦ならぬ義宣様は(御隅櫓で)見た。

佐竹の殿様と間久里のウナギ

2010年01月29日 00:15

372 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/28(木) 01:29:53 ID:hu86tCJe
いつ投下しようかと思っていたら、偶然にも義宣さんの話が出ていたので便乗します。
地元の事を調べてたら面白い話が見つかったので投下します。

【佐竹の殿様と間久里のウナギ】

舞台は、現在の埼玉県越谷市。
ここは家康の鷹狩の際の御殿があった他、日光街道が通り、越ヶ谷宿という宿場町となっていました。
その日光街道 越ヶ谷宿~粕壁宿の中間、間久里にも立場(旅人の休憩・食事処)があり、
その中に3軒ほど、近くの元荒川で捕れたウナギなどの川魚を出す料理屋がありました。

(引用)
『水戸より秋田に転封された佐竹の殿様は特に秋田屋のウナギにぞっこんで、
秋田産のヒバ材で自分専用の座敷まで造作し参勤交代時には必らず立寄って蒲焼をたべました。』

とのことです。
わざわざ自国から木材まで持ってきて、お店に専用座敷を造ってしまう辺り、
本当に『ぞっこん』だったのでしょうね。
特定はされてませんが、転封の件からして義宣さんでしょうね。
まあ案外、専用座敷があるのを口上に、後のご当主方も立寄っていたかもしれませんね。

遠い秋田からの参勤交代は、他の大名方と同じく出費・疲労と諸々大変だったのでしょうが、
佐竹家は一つ楽しみを見つけられたようですね。

373 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/28(木) 02:23:15 ID:hu86tCJe
ちょっと補足。

間久里は現在、上間久里,下間久里という地名で残っています。
が、住宅地化が進んでいるので、この話を元にその近辺を探してもウナギ屋は見つからないかも。
(件の秋田屋も、現在まで続いているか確認できず)
もし越谷でウナギを食べたい!と思われたら、元荒川に沿って店を探せば見つかるかと思います。

好みはそれぞれと思います。
戦国に関係無さそうなのでカットしましたが、引用文は、豪商が江戸からの客を間久里のウナギ屋に
連れて行ったら「江戸の味に劣る」と言われ、「江戸人の舌にはむかない」と笑ったという話が
続いていました(笑)

個人的には、その近辺のウナギ・川魚料理屋だと、元荒川沿いの県道325号を北上して、末田須賀堰わずか先、
武蔵第六天神社の前に並ぶ3件の店が面白いと思います。まず通の地元民しか知りませんし(笑)
ウナギは勿論おいしいですが、特徴的なのが『ナマズ料理』を出すことです。
興味があれば以下↓に紹介されていたのご参照下さい。
ttp://www.dairokuten.or.jp/kankou.html
※営業時間を要確認!また、隠れた店ながら客入りはそれなりで、休日は電話予約・確認を推奨。
特に、夕方~夜の部は団体さんの宴会も来る様なので、特に注意。




中村新兵衛の死に様

2010年01月29日 00:12

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 02:32:52 ID:gb7jpn+m
中村高次という武将がいる。
それ自体、あまり通りのよい名ではない。
鑓中村、あるいは中村新兵衛といえば多少は通りが良くなるかもしれない。
三好家の重臣であり、武辺の人であった。

永禄七年、戦国中期の巨人の一人である三好長慶が河内飯森山城で没した。
この頃に三好家の重要拠点である芥川山城を預かったのが、松山安芸守、松山彦十郎と
この中村新兵衛である。

さて、永禄十年のこと。
松山安芸守とともに三好三人衆方についた中村新兵衛は、松永久秀に止めを刺すべく東大寺の
三好本陣に在った。
列座の席次から言えば、三人衆方の総大将は一門筆頭たる三好日向守長逸であっただろう。
しかし、どうした風の吹き回しだったか。軍議の席において、突如総大将を互選で選ぶという話が
持ち上がった。
なにぶん、兵力で松永方に勝った上で、東大寺を盾にしての布陣である。
仏罰や、それに伴う不名誉への気後れもあったのかもしれない。
かくて、あれよあれよという間に互選の話は進み、なんとしたことか中村新兵衛が総大将に
選ばれてしまった。

こんなものは、無茶の無理押しの話である。
承服できぬ、と新兵衛は固く断った。しかし、長逸とて汚名は当然受けたくはない。
無理を、押し通した。新兵衛を、説き伏せ、みなの勧めとして総大将を飲ませた。

「……選ばれた以上、それに報いねば生きただけの価値とてない」

新兵衛はそう、嘆息してこれを受けたという。

果たしてまもなく、東大寺は深夜の失火により焼け落ちて、
その混乱を奇貨として劣勢の松永勢は夜襲を断行、三好三人衆方は総崩れとなった。
この混乱の中、中村新兵衛は討ち死にを遂げた。
彼はたとえ互選とはいえ三好党の総大将を引き受けた身として、
敗軍の中に踏みとどまって、弟正之とともに討ち死にを遂げたのである。

かくして義を貫いた中村新兵衛の死に様を、
のちに伝え聞いた(久秀あたりからか?)織田信長は義士であると賞賛したという。
成り行きをしっかりと受け止め、己に課した勤めを果たした武人の義侠心のあるお話。

ただしソースは甫庵信長記なので信憑性はあんましない。




376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 03:07:52 ID:7EcZOIWS
最後の一行が決め手となって、又聞きの又聞きを聞いた…ってぐらいなレベルの話になっちゃった。

久秀が焼き討ちの責任を逃れるための話にも聞こえるし…。

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 07:40:08 ID:lwnumM20
久秀「本殿に火をつけたの三人衆だよ!ホントだよ!」

福島正則「奥州の連中は」

2010年01月29日 00:11

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 09:09:50 ID:F75okTwv
ハメられたとも言われる市松さんの信州転封、その命が下されると市松さんの屋敷は表門を陸奥会津藩主
蒲生忠郷に、裏門を陸奥磐城平藩主鳥居忠政の軍勢に取り囲まれてしまった。
両勢とも甲冑を身につけ大変物々しい雰囲気で、市松さんが転封を受け入れたと聞くと信州出発の催促をしてきた。
これに市松さんは
「言われずとも、すぐに信州へ出発するから少しの間待っておられよ。」
と答え、家臣の熊沢半右衛門、上月新八の二人を呼び
「奥州の連中は躾が悪いって言うからさ、蒲生と鳥居の連中が門内に入ってきたらうちの衆に難癖つけて
ドンパチ吹っ掛けて来るってのは充分ありえるじゃん?だからさ、二人は門内居てなんとかしてあいつらを説得して
欲しいんだ。それでも聞き入れないようならすぐに知らせてくれ、自害するからさ。」
と言った。しかし、半右衛門が
「これは納得しかねる事を仰せられるのですね・・・」
と答えると市松さんは
「何?俺がこんなんなったからってお前まで俺を馬鹿にするの?そうなの?ウガーッ!」
と怒り出すが半右衛門は驚かず脇に居た新八に向かい
「奥州の連中が野蛮なのは当然のこと、あいつらを相手にいくら道理を尽くして説得したって聞き入れるわけが無い。
それで殿に知らせに戻ったとなるとそれは逃げ帰ったも同じで末代までの恥になる。ならば、なだれ込んでくる奴らを
この腕が続く限り斬り合ってそれを注進してから、その後に殿はお好きなようになされればよかろう。」
と言うと新八も「元よりそのように思っていた。」と答えた。
「(´;ω;`)ブワッ
 二人の言う通りだよ。だけど、何度も何度も穏便に済むように道理を尽くすんだよ、それでも駄目なら
その通りにして。」
と市松さんは大いに喜び、半右衛門と新八も嬉しそうに承り門内に向かった。

結局、事は荒立つ事は無く、市松さんは無事に信州へ出立しましたとさ。




379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 09:46:18 ID:GEa8jfsB
いい話なんだろうけど、良く考えると
勝手な想像で勝手に友情を深めた
とかそんな感じなんだよな…

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 09:52:51 ID:U/gz7UPf
>奥州の連中は躾が悪い、奥州の連中が野蛮

(●∀・)「誰だろ?」

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 10:02:27 ID:B8i8d9Sf
津軽「九戸とか阿弖流為とかそういう話なんじゃねえの?」

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 10:03:15 ID:lwnumM20
>>380
津軽為信「おぬしじゃ」

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 12:35:07 ID:+z2vJtXX
最上「はて」

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 13:26:44 ID:gb7jpn+m
>>381-382
浪岡顕村さんがじっと熱視線を送っています

伊達政宗と母を背負った百姓

2010年01月29日 00:10

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 16:49:19 ID:p0O9EyRo
伊達政宗は鷹狩が好きで、家臣を引き連れての鷹狩を、度々楽しんだと言う。

ある時のこと。政宗の狩りの行列の前を、老婆を背負った百姓が横切った。
大名の行列を横切ること、これは例え狩りのものであっても、重大な罪である。

「無礼者!」

政宗の家来たちは刀を抜いてその百姓に迫った。百姓は青ざめて土下座をし

「母親が急な病で苦しみだし、急いで医者のところに連れて行く最中だったのです。
お殿様の行列とは知らずに横切ってしまいました。どうかお許しください。」

政宗はこれを聞いて、

「よいよい、許してやるのだ。親と言うものは一度なくしてしまえば二度と持つことが出来ない。
さあ、早く医者に連れていけ。」

そう言って百姓を逃がしてやり、さらにその後で、親孝行の見本であると褒美まで下した。

さてさて、とある怠け者の百姓が、これを聞いて思い立った
「俺もその真似をしてご褒美をもらおう!」
この怠け者は、病気でも何でもない母親を無理矢理に背負うと、政宗の狩りの行列の前を横切った。

「無礼者!」

家来たちがまたも刀を抜いて迫る。ここまでは計算通り。
が、この怠け者、刀が怖くて口を開くことができなくなってしまった。
今にも叩き斬られそうにな息子に、慌てた母親が叫ぶ

「このバカを育てた母は私です!どうかこのバカの代わりに、こいつをこのように育てた
私を斬ってください!」

政宗これを聞いて

「よしよし、許してやるのだ。
それからそこの若いの、よいか、いつまでもあると思うな親と金。
真似事でも良いから、親が生きているうちに孝行をして大切にせよ。」

そういって逃がしてやった。
怠け者はこれに恐れ入り、それからは真面目に働くようになったのだとか。

仙台に伝わる昔話である。





404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 17:15:26 ID:4gLCNs5D
>>402
秀宗「ほんとーに真似事でもよろしゅうございますか、父上?」

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 17:37:00 ID:tWRCvwx1
>>402
政宗の両親の経緯を考えると、
>親と言うものは一度なくしてしまえば二度と持つことが出来ない。
>真似事でも良いから、親が生きているうちに孝行をして大切にせよ。
この辺の台詞は重いね

410 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/28(木) 18:21:14 ID:xlUY+yS0
>>402
本当にあった話ならお優しい藩祖様ってことになるんだろうけど
作り話なら、何故父親を討ち、母親に疎まれた政宗を主人公にしたのか作者に聞いてみたいw

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 18:45:24 ID:Fs7QzGQO
>>410
だからだろう?
他に家中平和・孝行話で有名な人で作るより
ギャップがおもしろいじゃん
[ 続きを読む ]

黒田二十四騎

2010年01月29日 00:08

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 22:07:59 ID:DYowdLhM
黒田家と賤ヶ岳といえば…黒田二十四騎には当然後藤又兵衛、母里太兵衛、栗山利安ら錚々たる面子が入っている。
だが二十五騎という説、そしてそれに基いた絵画も残されており、その場合長政が追加される。
その説では如水存命時は二十五騎で長政が家督を継いだので二十四騎になった、とされている。

まぁ二十四騎自体江戸時代に言われ始めたことなのだが…
江戸時代にも如水存命時の長政の立ち位置はそんなもんと思われてたんだろうな、と推測出来るお話。




57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 23:05:45 ID:s1KASEOO
うっかり歴史に名を残すといつどこで何を言われるかわかったものでないのはご存じの通りで、
黒田二十四騎というのは、実は長政のひ孫の時代になってから作られたもので、実際には
文禄の役の侍大将を列挙しただけらしい。
武田二十四将ブームにあやかったらしいが、その内神格化されて神社に祀られてしまったん
だからすごい。
他にも、「長政が書き残したものが出てきた」と称して都合のいい偽文書を出した事がある
なんて噂も聞く。死後も大活躍とはさすが黒田長政だ。
しかし黒田二十四騎図といえば、常に二十四人の頂点には偉大な藩祖長政公が描かれて
いるというのに、人口に膾炙すると父親がトップになってしまうのは二代目の悲しさか…。
だがまあ、この子孫の所業、ケチケチエコスタイルに定評のある如水と長政なら
よくぞ便利に使ったと笑って許してくれそうな気もする。

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 00:05:51 ID:cA8YKFfD
黒田家は当の長政が父上マンセー発言しまくってるから、後世でそういう評価なんじゃないだろうか
しかし、父親が有名人なために、戦に負けて布団かぶって拗ねるだの、
謀殺した城井一族の怨霊に怯えただの、若い頃の恥ずかしい話が伝わってるのが何とも

関ヶ原、本多忠勝の頭巾と陣羽織が

2010年01月29日 00:06

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 14:00:35 ID:p0O9EyRo
関ヶ原の時のこと。

この時本多忠勝は、家康から拝領した、黒羽の頭巾と陣羽織という非常に珍しいものを
着用していたそうだ。
多分こんなの
http://shop.nhk-sc.or.jp/img/goods/L/V30600012.jpg
0128hibari.jpg

ところで今の世も社会人には、そう思ってもあえて口に出さない奥ゆかしさ、と言うものが必要なのだが、
これを見た福島正則は、相変わらず空気を読まずにストレートにこう言った

「ちょwww本多殿なんすかそれwwwwニワトリのコスプレ?wwwww」


言わぬが花の言葉もあるだろうに。しかし忠勝

「バーカ、俺はこれで鬨の声を作るんだよ!」

と、『(勝利の)鬨の声を作る』と、『時の声を告げる』をかけて、上手いこと言い返したのだそうだ。


まあ、いい話といえばいい話ですが、忠勝の方も自分の格好がニワトリみたいって言われて図星だと
考えたんだな、ってのと、正則はきっと、加藤嘉明の兜を見てもストレートに
「あ、イカだ。」とか言っちゃうんだろうな、とか想像してしまったのでこっちにw




61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 14:12:34 ID:zLBy04ER
画像が予想外で笑ったw

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 14:15:23 ID:1CEY32Xy
家康からだから着たくないって言えなっかたのかもね

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 14:31:48 ID:cuOGseK5
秀吉から佐藤忠信の兜もらって「どうだ、嬉しかろう!」
って言われても
「いや、ピンと来ないッス」とか正直に答えたクセに…

64 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/28(木) 17:43:09 ID:npSCJDC/
市松が逸話に登場すると安心するなw

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 17:45:49 ID:4gLCNs5D
うん、なんか清々しさを感じるよw

新納忠元の後味の悪い話

2010年01月29日 00:04

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 19:49:29 ID:X39e+y0C
新納忠元には、可愛がっている愛妾がいた
この娘は和歌が上手で、忠元も彼女のそんなところを愛していた

ある日、忠元が娘の元を尋ねると、娘は一心に何かを書いていた
ははあ何か歌でも思いついたかと忠元は思い、
娘に見せてみろといったが、娘は頑としてそれを見せなかった
見せろ、嫌だの問答がしばらく続き、やがて娘はその紙を飲み込んでしまった

瞬間、忠元はキレた。
娘が歌を見せたがらないのは、おそらくはあれが浮気の歌だからだ
忠元はそう思い、太刀を取ると娘の首を刎ね
その喉の奥から歌の書き付けられた血まみれの紙を取り出した

紙には娘が忠元を想って書いた歌が書き込まれていた

新納忠元の後味の悪い話




68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 19:53:47 ID:9weoB+cD
>>67
グロい

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 19:55:32 ID:+z2vJtXX
ひでえ話だwww
忠元も流石に応えたに違いない

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 19:57:05 ID:Wi/Q+8XA
>>67
おお…これはひどい…

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 20:00:45 ID:hLIjAgs7
これはいかんでしょ

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 20:01:45 ID:+z2vJtXX
最早自害モノだろ
可愛がってた娘を浮気と勘ぐって殺しちまったら自分を想ってくれた歌だったとか
俺なら間違いなく自決するか夢に娘が出てきて発狂死する
塚ちょっとどころじゃない ワーストクラス

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 20:03:05 ID:V1XRP1on
血の気の多い戦国武将に
下手に隠し事するとロクな目に遭わないのかw

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 20:14:35 ID:9nkBduQ2
グロ忠元だからしょうがない

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 20:19:40 ID:CuqIvSLb
森じゃない方の鬼武蔵はまとも
そんな風に考えていた時期が俺にもありました



76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 20:29:01 ID:X39e+y0C
思い出せなかったから書かなかったが、飯食ってたら娘の歌思い出した

「人ならば浮名やたたん小夜ふけて 枕にかよふ軒の梅が香」

これ読んだ忠元は大泣きしたそうだが、なんともねえ




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池田光政が汁物に虫が入っている事に気づいた

2010年01月29日 00:03

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 21:44:00 ID:32uDB/vj
池田光政が家臣たちと食事していると汁物に虫が入っている事に気づいた。
光政はそっと蓋をすると家臣たちに汁を飲むなと言った。

食事を終えた光政は係の役人を呼ぶと仔細を話して、以後気をつけろと注意した。
すると係は涙を流し始めたので理由を尋ねると家臣はこう言った。

「私にも同じような事がありました。その時、私はカッとなって鍋を投げつけたために
その者は全身火傷で死んでしまったのです。上様のありがたいお言葉を頂いて、
あの時は酷い事をしたと思うと涙が流れます…。」




86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 21:57:17 ID:E0r5HWHh
>>85
その時気付けよ(´・ω・`)

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 22:01:23 ID:N7UQ7Zxr
三成「私なら虫ごと飲んでいた」

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 22:03:22 ID:9weoB+cD
>>85
海原雄山みたいな家臣w

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 22:05:41 ID:+z2vJtXX
鹿之助「我に七難八苦を与えたまえ・・・」
カサッ
鹿之助「ん?」
カサカサ
鹿之助「おお、まずはこの虫を食べよという天の苦行に違いない」
そして毛虫を食べて蕁麻疹を起こす鹿之助

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 22:12:24 ID:hLIjAgs7
杯に大蜘蛛が落ちたのを見た後にそれごと酒を飲み干した武将がおってな

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 22:20:07 ID:cIUCURo4
晴信「虫を食うとか勘弁してよ…全身紫色になっちゃうよ」

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 22:21:03 ID:1CEY32Xy
光秀「それは鮒寿司です」

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 22:25:32 ID:vcC9SjcR
鍋を投げつけ殺すってどんだけだよ

94 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/28(木) 22:33:34 ID:4Ltqmrvp
料理も合戦なんだな
この時代は何やっても死ぬ危険性がある

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 22:38:46 ID:p0O9EyRo
坂崎直盛「料理人は大切にしないとだめだよねー。」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-317.html

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 23:16:29 ID:T1efx5ug
>>85
   、ミ川川川彡                 ,ィr彡'";;;;;;;;;;;;;;;
  ミ       彡              ,.ィi彡',.=从i、;;;;;;;;;;;;
 三  ギ  そ  三            ,ィ/イ,r'" .i!li,il i、ミ',:;;;;
 三.  ャ  れ  三    ,. -‐==- 、, /!li/'/   l'' l', ',ヾ,ヽ;
 三  グ  は  三  ,,__-=ニ三三ニヾヽl!/,_ ,_i 、,,.ィ'=-、_ヾヾ
 三  で       三,. ‐ニ三=,==‐ ''' `‐゛j,ェツ''''ー=5r‐ォ、, ヽ
 三.   言  ひ  三  .,,__/      . ,' ン′    ̄
 三   っ  ょ  三   /           i l,
 三.  て   っ  三  ノ ..::.:... ,_  i    !  `´'      J
 三   る  と  三  iェァメ`'7rェ、,ー'    i }エ=、
  三   の   し  三 ノ "'    ̄     ! '';;;;;;;
  三   か  て  三. iヽ,_ン     J   l
  三  !?    三  !し=、 ヽ         i         ,.
   彡      ミ   ! "'' `'′      ヽ、,,__,,..,_ィ,..r,',",
    彡川川川ミ.   l        _, ,   | ` ー、≡=,ン _,,,
              ヽ、 _,,,,,ィニ三"'"  ,,.'ヘ rー‐ ''''''"
                `, i'''ニ'" ,. -‐'"   `/
               ヽ !  i´       /
               ノレ'ー'!      / O

週刊ブログ拍手ランキング01/20~/27

2010年01月28日 00:06

01/20~/27までの、ブログ拍手ランキングでございます!


血気盛んな老将とそれを支えた二人の男 85

「伊達政宗と四人の客とつまみ菜の吸い物」その夜 84

大八丸救出 77
阿菖蒲姫救出 75

(●∀・)「今日人と会う約束してたんだけど」 71
姫鶴一文字 70
上杉謙信のお手紙「ナイスガッツ。ナイスファイト。」 69

"波遊ぎ兼光"その恐るべき切れ味 60
小田切所左衛門「甲冑は大切」 58
戦国武将の妄想イラスト 57

肥前名護屋水騒動 54
ガラシャの首飾り 53
立花宗茂、肥後一揆鎮圧の際 51

黒田官兵衛は、覚悟を決めた。 50
酒井忠世、失礼な神谷与七郎を 46

いざ、鎌倉へ!!!!! 43
恐るべき長尾一族 42
徳川義直がなかなか側室を持とうとしなかった理由 35
細川忠興、兜の忍びの緒 34

合計 2558


今週の1位は血気盛んな老将とそれを支えた二人の男
いやもう、さすが親指武蔵。このパワフルさだけでも名将ですねw
付き合わされた牛之介と六太郎も本当にご苦労様ですw

2位は「伊達政宗と四人の客とつまみ菜の吸い物」その夜
このお話に続きがあったとは。しかし政宗は面白いと言うか、先輩武将から可愛がられる才能みたいなものが
あった感じがしますねw

今週は大八丸救出阿菖蒲姫救出と、真田信繁の子供を救出するお話二つが同時に上位に入りましたねー。
色々と謎も多い伊達家と真田家の繋がり。そういえば政宗と信繁は、同じ永禄10年生まれなんですね(異説有り)
いろんな空想が許されそうな、逸話であります。

今週も本当に沢山の拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます。
また、気に入られた逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください。
まだまだ寒い日が続きますが、管理人も上杉謙信公に励まされて頑張ります!
「ナイスガッツ!。ナイスファイト。」
(`・ω・´)

息子が槍稽古しているのを見た本多忠勝が一言

2010年01月28日 00:05

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 23:02:06 ID:1F9lZO0d
息子の忠政・忠朝兄弟が槍稽古しているのを見た本多忠勝が一言

「わしが若い頃は小身だったから槍をとって遮二無二励んだものだった。
しかし、いまでは御恩により家来を多く使うまでになることができた。
故に大将として指揮・統率・部隊配置などを学ばねばならなくなったよ。

あ、いやなにも跡継ぎのお前たちに槍稽古などするなと申しておるのではない。
ただ、人には己の役目に相応しい度合いがあるということだ。」




254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 23:18:03 ID:23EzLHuA
>>252
小十郎Jrが親父に怒られたのと似たようなエピがあったんだね

表裏比興の者の2週間

2010年01月28日 00:04

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 04:14:49 ID:qAGFGYZQ
1582(天正10)年3月11日
天目山にて武田勝頼自刃、武田家滅亡。

そして3月12日、真田昌幸のもとに1通の書状が届いている。
差出人は武蔵国鉢形城城主北条氏邦で北条氏への帰属を勧めている。
気になるのはこの書状は「真田家からの申し出への返事」であることである。
つまりこれ以前に昌幸は北条氏への帰属を申し出ているのだ。

新府城で昌幸が勝頼に岩櫃城行きを勧めたのが3月3日
それから2週間ほどの間にこれらのやり取りは行われていたのか?
それとも昌幸は3月3日以前に武田家に見切りをつけていたのか?
だとしたら勝頼が岩櫃城行きを選んでいた場合どうなっていたのか?謎は尽きない。

なお昌幸は3月15日に織田信忠に服従を申し出ている。
他の信濃諸氏族の多くが3月20日に鷲峰山法華寺で信長へ服従を申し出ていることから考えると
素早い動きはやはり昌幸の腹は初めから織田への降伏にあった故とも考えられるが…

表裏比興の者の2週間の話。


勝頼自刃の報を受けた昌幸が
「小山田めを信じたためにあのような事になったのだ!!我が岩櫃城を頼られておれば!!」と
勝頼を救えなかったことに号泣したなんて話もあったりする。
感情と理性は別ということだろうか。




345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:12:55 ID:9RR9luVr
まさに昌幸らしい行動。
仮に勝頼の身柄を押さえたら織田、北条、上杉の何処が高く買ってくれるか?

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:22:55 ID:9w/PQdVH
主君ともども岩櫃に数年篭城だろうな
周りの勢力がどう動くかはわからんが 

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 09:24:51 ID:loK1r3It
その頃は上杉は手一杯だし、北条は織田方だしな。
もし御館の乱で北条に味方していても駄目だったのかな?

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 11:01:38 ID:3gNU8Aao
長篠の後だからやっぱり直ぐ目の前の金に飛びついちゃうよね

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 11:38:35 ID:7shRcYSD
昌幸って意外と義理堅いから、上杉に勝頼逃がすくらいはするんじゃね。
その後は史実通りの表裏比興だろうけど。

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 11:39:11 ID:iG0Uepe+
>>346
勝頼がいれば、織田に降参は無理だよね。
完全に破滅している。
信長の、武田への恨みは深いから皆殺しになる。
[ 続きを読む ]

千利休と親しい侘茶人

2010年01月28日 00:02

千利休   
49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 19:19:11 ID:OC09LJ01
某漫画にも取り上げられた逸話ですが…

現在の大阪府守口に、千利休と親しい侘茶人がおり、いつか茶席をと約束していた。
ある冬の日、大坂から京へ向かっていた利休は、彼の家へふらりと立ち寄った。
アポなし、しかも夜も更けている。
主人は来訪に驚いた態ながら、喜んで利休を迎え入れた。

邸内は手入れされ、心憎いまでに侘びをかもしている。
通された部屋で利休が風情を堪能していると、窓の方から物音がする。
見てみると、亭主が行灯を足元に置き、竿で柚子の実を取っているところだった。
(ああ、あれで今から料理を出してくれるのか)
とっさの客をもてなすのに、実に気のきいた趣向だ。
利休は心から喜んだ。

さて、案の定、柚子味噌が出され、酒一献を終えた。
その後。
「大坂より届いたものです」
亭主が出してきたのは、ふっくらとした蒲鉾だった。

「……」

利休はすべて察した。
当時、蒲鉾は高級品で、庶民が日常食べるものではない。日持ちもしない。
よそ向きの食べ物だった。
亭主は何食わぬ顔だが、利休が守口を通ることを、あらかじめ誰かから聞いていたのだろう。
柚子の件も、利休が喜ぶと分かっていて、わざと見せたのに違いない。

一気に醒めてしまった利休は、
「京に用事があるので」
と言って、亭主が引き止めるのも聞かず、席の途中で帰ってしまった。




50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 19:43:25 ID:DBVmu0Ul
おお、これは「へうげもの」にもあったエピだな

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 19:47:52 ID:UtMbA8Ru
「常に事前に準備せよ。合戦の前に勝利を決めよ。矢を放つ槍を合わすは事後処理にすぎぬ。」
というセンゴクの武田信玄の言葉を守っただけです(´・ω・`)

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 20:19:13 ID:9Ebywxi8
>>50
エピがエビに見えて、海老料理なんか出てたか?って素で思っちまったよ

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 10:52:28 ID:z+EyT/R0
>>49
おハイソな茶道の話だから様になるけど
これが夜更けに友人宅に上がりこんで「おーい酒飲もうぜ。つまみはありあわせでいいや」になると普通に失礼だな

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 17:55:14 ID:A5EfLBCn
>>59
北条時頼のことか