大久保治右衛門忠佐の功と渡辺半蔵守綱の放言

2010年03月31日 00:08

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 00:31:58 ID:5Uyv65Ik
昔読んだルーツを探るみたいな本に松平氏の故郷、奥三河の人間は今でも純朴で素直と書いてあったが・・・




140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 02:28:41 ID:TGkX6xZC
はいはい、三河武士三河武士

関ヶ原の戦いの後、徳川家康は大久保治右衛門忠佐の功に対し、沼津二万石を与えた。
これについて渡辺半蔵守綱は、
「治右衛門は武功により二万石というが、オレに会ってはクソ垂れて逃げたものよ!」と罵った。

守綱の放言を聞きつけた家康は、忠佐を呼んで言った。

「あやつが言っておるのは、三河一向一揆の時、あやつが兄弟等七人で待ち伏せしたのを、
お前が背を向けた事だろう。
しかし、お前は多勢を率いており、半蔵に対して『お主のような者の相手をして、犬死にはせぬ』
と言って退いたという事を、わしは存じておるぞ。
お前のような大志ある者が、あのような無茶を言う者に構わずとも良い。」


…また例の単語が出てきて申し訳ないが、槍半蔵が権現様のNGワードに触れたから忠佐の肩をもった
ワケではないと思う。




143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 11:49:40 ID:GmcvU3hI
>>137
それで思い出したがオレの知り合いの彼女が奥三河の松平郷の人で
その知り合いの完全に縁の切れた昔の彼女の写真(高校の集合写真)を見て
なぜか知り合いの家の押入れに入って泣いていたそうだ

純朴っていえば純朴だがなんともめんどくさい号泣ポイントだと思う

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 13:04:37 ID:W5shuhRW
>>143
なんというか…世が世でその彼女が男なら、立派に三河武士はれてたと思わせる行動だな…

146 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/30(火) 13:34:56 ID:FgcI8CcO
三河節…

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 13:43:40 ID:tcujx1+H
それでも一般人の見解は

三河武士=犬のように忠実
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石田三成の忍城攻めと大筒の弾道

2010年03月31日 00:06

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 13:48:44 ID:FJTmIQa9
ラスボス秀吉の関東仕置きの際。
圧倒的な兵力で武州忍城を囲んだ石田三成。
しかし、大勢で同時に攻撃出来ぬよう考え抜かれた忍城の縄張りに、大軍の利を活かせず、逆に夜襲で損
害を受けたり、三成自身が槍で追い掛け回されたりと、水攻めを始める前だというのに早くもフルボッコ
風味。

何とか挽回を狙う三成は大筒を牽かせ、城内に向けて撃たせた。
弾は木立に着弾、火の手があがる。
「よっしゃOK! 皆の者、城に火の手が上がったぞ! 今が好機だ攻め寄せろ!」

一方城内。
「ありゃ、下忍の薬師堂の方角か?」
「はっ。薬師堂から金剛院に延焼との事です」
成田配下の老将、本庄越前守(越後の人とは別人)ニヤリと笑う。
「大規模な攻撃があるぞ。伏兵でも備えておくか」
何故、寺が燃えたら攻撃があるのか。仏の守りが薄くなるから?
「阿呆。ワシらは火の手の方角だけでどこが燃えたか判る。だが上方軍がどうやってそれを判ろうという
のだ。今頃敵陣では、城に火の手が上がったから攻め時だ、などと言っているに違いない」

さすが爺さん。バッチリの読みです。
が、この事実に上方軍でも気付いた者がいた。
「……殿? 燃えてるのって、びっみょ~に城の方角とずれてません?」
三成の部下、川瀬左衛門であった。
実は上方軍、忍城の前には岩槻城や館林城を落としており、その降兵も参加していた。忍城の情報は持っ
ていたのである。
「ん? まぁ、そりゃ本丸にドンピシャってワケにゃ行かんだろ。でも櫓の一つでも落ちてりゃ、それなり
に慌ててるって。チャンスチャンス!」
聞く耳を持たない三成、全軍に攻撃命令を下した。
全軍の采配を振るう三成に代わって攻撃部隊を率いる川瀬、ワザとゆっくり進み、城内の様子を探っていた。

上方軍でこの攻撃命令に慌てた人物がもう一人いた。
長束正家である。
長束隊の陣取った場所からは、ハッキリと見えたのだ。大筒の着弾点が。
燃えてるのは城じゃない。城外の寺だ。
大急ぎで三成の許へと伝令を走らせる。

しかしこの伝令、一歩遅かった。
本庄越前指揮する迎撃部隊によって上方軍は大損害を出して後退するハメになる。
無事だったのは長束隊を初めとする着弾点をハッキリ見ることの出来た部隊と、川瀬の機転で攻撃を控え
ていた石田隊のみであった。

主君の失敗をフォローして手勢には損害無しとした川瀬左衛門のいい話? いや、他の部隊には多大な被
害が出てるって話だしなぁ。(^^;
老巧の本庄越前の機を見るに敏ないい話でもあるし、こちらに投下しとくか。




穴山梅雪と武田埋蔵金伝説

2010年03月31日 00:05

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 22:23:00 ID:pCmjMhyh
やっぱりフェイトちゃんが人気なのは当然として
金髪ってのは日本人が大好きだと思う
そもそも日本人は昔から金が好きだから
要するに何が言いたいかと言うとフェイトちゃんは可愛い

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 22:24:06 ID:pCmjMhyh
申し訳ない




778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 22:46:30 ID:eXiePoaF
よしわかった。金についての話だな

戦国期の金といえば有名なのが、武田信玄の甲州金だが、これは当時から全国的にも名高く、
武田家滅亡の後多くの「埋蔵金伝説」が生まれた。

「諏訪湖の湖底に大量の甲州金を隠した」「軍用道路である棒道に埋蔵金が埋められている」
と言ったものは有名だが、これに加え

『信玄は生前、穴山梅雪に命じて大量の甲州金を隠させた』

と言うものがある。この伝説によると、本能寺の後、伊賀越をする家康と別れた
穴山梅雪が盗賊によって殺された際、この盗賊が梅雪の遺品のなかから書付を見つけ、
それを頼りに埋蔵金の「三分の一を見つけた」、というのだ。
では残りの三分の二は未だ…?


ちなみに1971年、山梨県勝沼市のぶどう園でゴミ捨て用の穴を掘っていたとき、
その穴から「ひるも金」と呼ばれる室町幕府時代の金貨2枚と、甲州金18個が発見された事があった。
これは武田氏家臣、勝沼氏の隠し財産であった、といわれる。

甲州金の本場、山梨。そこには未だ多くの甲州金が、人目に触れず隠れているのかも知れない。




779 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2010/03/29(月) 22:49:31 ID:0hjDLiPE
いい話だ。

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 23:23:24 ID:7mriKN6E
ロマンはあるけど信玄は埋めてないだろうな
あったら勝頼が使ってる

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 23:28:14 ID:xZh4FNfv
金だけあっても戦はできぬ

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 23:54:06 ID:EjPNY3Gg
>>781
ケチな旦那持つと領地経営も大変ですね


783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 00:44:32 ID:5Uyv65Ik
信玄公がブドウ畑に隠したと伝えられる温泉を掘り当てた農民は

石和温泉が日本有数の温泉地に成長し、観光でたんまり金が入りました

めでたし、めでたし。

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 06:57:05 ID:BZZ7EgrN
>>778
よし、8時間15分¥44,510也をかけて山梨へ行くぞ

西郷俊雄は家康を難詰したのだ

2010年03月31日 00:04

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 01:15:48 ID:O27qgtf/
永禄五年(1562)、織田信長と徳川家康の間で同盟が結ばれる。世にいう『清洲同盟』である。
この事を知った駿府の今川氏真は、家臣の篠束城主、西郷内蔵助俊雄を家康の元に派遣した。
西郷俊雄は家康を難詰する

「あなたが今あるのは誰のおかげか!?今川の恩を忘れられたか!?」

しかしこのような西郷の言葉に、家康が動じることは無かった。


同年、九月
西郷俊雄は再び家康の前に出た

「今川家を見限り申した。どうか幕下にお加え下さい!」


西郷が家康の変節を罵倒したのは、ほんの僅か前のことであった。
滑稽と言うにはあまりに残酷な、戦国という時代の一面である。




786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 11:54:32 ID:TQFb7vri
>784
一番嫌われるtypeじゃないか?w

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 13:37:07 ID:tCw7GhWn
信長だったら生かしてもらえないだろうな

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 17:44:34 ID:miGjFPzi
>>786-787
主命である「家康を難詰する」を全うしただけだよ。
で、きちんと仕事をして、役目を果たしたから心置きなく裏切ったんだよ、律儀な良い話じゃないかwww

成田家重臣、成田近江守泰徳の悲哀

2010年03月31日 00:03

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 13:47:33 ID:FJTmIQa9
武州忍城、成田長泰には4人の弟が居たとされる。
それぞれが各地の城代として派遣されていたり、長泰&氏長の名代として成田軍を率いて活躍したりと、中々の
器量人揃いであった。

中でも一門の長老として重きを成していたのは成田肥前守泰季と成田近江守泰徳の二人。

肥前守泰季はとある戦の際、近習が旗を奪われたのを知り、夕闇にまぎれて敵陣に単騎潜入。
自分の旗を持っていた敵兵を探し出し、切り捨てた挙句に旗を取り戻し、帰陣するというムチャをやらかしたホドの
武勇の主……兄貴には軽率だと叱られたケド。

近江守泰徳は兄弟の末弟で、御館の乱の際、成田軍を率いて厩橋城まで進軍したと言う記録が残っている。
越後に援軍を出した北条氏邦の第2陣としての行動だったのか、氏邦の留守を預かる守備隊だったのかは不明であるが、
一軍の将として信頼は受けていたのである。

そして時代は流れ長泰の死後。ラスボス様の関東仕置きが始まる。
当主氏長は小田原城に篭城する事になり、残された忍城の城代として泰季が、その副将として泰徳が指名された。

城内は肥前守泰季が抗戦派。近江守泰徳は和睦派であった。
しかしいざ、石田三成の忍城攻めが始まると、緒戦は兵力差にも係わらずほぼ互角。
あっという間に膠着状態になってしまう。
そして、膠着状態の打破を目指して行われたのが、あの有名な「水攻め」だった。

関東ローム層の土質は脆く、突貫工事の堤防には不向きだった。
城の中から忍者が放たれ堤防を破壊した。
付近の農民がわざと手抜き工事をした。
等々、様々なコトが言われているが、とりあえず水攻めは失敗。それどころか決壊した堤防から溢れた水は、
石田軍の陣に押し寄せ、多大な被害をもたらしたと言う。

しかし、たった一つ。この水攻めで挙げた成果がある。しかもかなり大きな戦果。
長期間の篭城。しかも水攻めで床の上まで水が溢れる悪環境に晒された為、守備側の総大将、肥前守泰季が病にかかり、
急死してしまったのだ。享年75歳。

2万を超える大軍に包囲され、援軍は続々と到着予定。城中は農民町民女子供を含めて5千。
その上武勇で鳴らす指揮官まで失った。
フツーならココでギブアップする。実際、現実が見えてたらやってらんないよね。
が、泰季、死の間際に遺言を残す。
「ワシの後を継いで戦の指揮を執るのはワシの息子、長親とする」
「泰徳は知恵はあるが勇に乏しい。大将とすべきは長親である」

激怒したのは近江守泰徳。
だって、現実を見ろよ!ムリじゃん!成田の家を残すなら降伏だって、絶対!
脳筋の兄からは腰抜け扱いされた挙句、副将である自分は無視で、いつの間にやら甥っ子が大将とされていたのである。
しかもその長親、今までは父の影に隠れて無能扱いされていたと言うのに、あっと言う間に城内の意見を抗戦で
纏め上げてしまった。

誰よりも成田家の為を思っているハズの自分が無視され、蔑まれ……思い余った泰徳は浅野長政に寝返りを申し入れる。
何なら氏長や長親の系統が断絶しても、自分の系統さえ残れば成田家は安泰、という思いがあったのかもしれない。

が、その企てさえも上手く行かない。
後は浅野からの合図を待てば良い、という所まで話は進んでいたのに……何があったのかは記録にはない。ただ、
手違いで合図が上手く行かなかった、とだけ書かれている。

結局、徹頭徹尾戦に反対し続け、徹頭徹尾思うように行かなかった成田家の宿老。
小田原城で「だって家の存続の方が大事だし」とか言ってラスボス様に寝返ったもう一人の甥、氏長の話を聞いた時、
どんな思いを抱いたのだろう?

「だったら何で最初っから戦なんか始めるんだよっ!!」
「小田原に籠もるのを拒否れば済んだコトじゃねぇか!!」

関東仕置き後の近江守泰徳の消息を伝えるモノはない。




795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 22:09:00 ID:+pNLQil1
>>788
ああ、例の http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3644.html の話の浅野長政の言葉は
負け惜しみの口から出任せって訳じゃなかったのか。

で、このとばっちりは長親に行くと……

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 22:13:37 ID:g6bgyz5u
現実が見えてる分強硬派と上手くいかずに割り食うってよくある話だけど
そういう人は立場難しいよねぇ。

それは、出来立てほやほやの

2010年03月30日 00:08

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 02:03:50 ID:9hlaTYTO
う○この話で思い出したけど

上杉家の扇動で越後で一揆が起こり溝口宣勝は兵を出し、世間太兵衛という将が先陣を務めた。

彼は三条の城に向かう途中の小川であるものを見つけた。


それは、出来立てほやほやの う○こ だった。


これを見て彼は、


「ここらへんに一揆勢の伏兵がいるかもしれない」


と思い付近を探索したら予想が見事に的中する。

伏兵達は攻撃を受けて退却するも、彼らに散々に打ち負かされたという。

う○こ1つで敵の伏兵を撃退した彼のいい?話である。




123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 09:09:57 ID:NPB8d1CG
ウンのいい話・・・じゃ失礼かw

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 09:37:23 ID:J8UVVYEn
一揆勢にとっては運の尽きだったな

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 09:46:37 ID:xEBAMTq5
>>111
だれだ?トイレの花子さんの仕業か!

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 10:07:57 ID:MgBQ21mC
>>124
ウンを出したばかりにな

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 13:14:34 ID:l9ru62jZ
昨日から(品の)悪い話スレになっとるw

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 13:24:00 ID:eaVqPCgE
公園にトイレがあるような時代じゃないんだからしかたあんめえ。

野田菅沼家、始まる

2010年03月30日 00:07

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 13:26:49 ID:eXiePoaF
「そんな事出来るわけがなかろう」

永正二年 (1505)、設楽郡を支配する富永氏の家宰、今泉四郎兵衛は苛立っていた。富永家の家督、の事である。
かつて設楽全体を治めていた富永氏の領地は、新興の奥平氏、菅沼氏に侵食され、
この頃には館周辺の野田郷四ヶ村だけとなっていた。
その上当主の富永千若丸は家の将来に絶望したのか、嗣子も無いまま乱心し自害してしまった。
これにて富永家は断絶した。この時、富永家の家来たちもその多くが四散したという。

「京の公家の若君に下向して頂き、お家を継いでいただくわけには行かないものか」

富永家は家格だけは高かった。そのため、残った家中の者たちはその家格をどうにか保ちたかった。

「こんな没落したも同然の家に、わざわざ京から継ぎに来る物好きなどいるものか!もっと現実を考えろ。
この上は…」

今泉四郎兵衛は決断した。例え養子を迎えても、このままでは奥平、菅沼に滅ぼされてしまうだけだ。
ならば一方の敵である菅沼から養子を迎え、その勢力下に生き残りを計るべきだ。
四郎兵衛は菅沼氏の本拠地、田峯に出向き、今は菅沼氏に仕える富永の旧家臣。城所道寿信景や城所助之丞直政
を通して交渉、田峯菅沼家当主菅沼定忠の三男竹千代、この時14歳を迎えることで合意した。

田峯の菅沼としてみれば、菅沼の跡継ぎには長男定広が確固として決まっており、本来なら厄介者ですらある
三男竹千代に自らの懐を痛める事なく領地を与えられるのは、渡りに舟であっただろう。
定忠は竹千代に菅沼権之丞、城所助之丞、塩瀬甚兵衛を付け、早速富永館へと出発させた。

ところが事はそう簡単に進まない。
永正二年十一月、野田郷に向かった竹千代一行は、菅沼領との境界で足止めを食らった。
富永の家中が竹千代を迎え入れることに猛反発している、と言うのだ。

「我々は菅沼家に領地を侵食されたため衰退したのだ!そこから養子を迎え入れるなどあってなるものか!」

今泉四郎兵衛が必死に説得している間、竹千代一行は境界の村で様子をみることになった。
説得工作は長引き、竹千代たちはその村で展望も見えぬまま、越年するにまで至る。
しかし、それでも諦めて田峯に帰ることも無く、滞在する邸宅の中に井戸まで掘って説得の成功を待った。
若き竹千代も、もはや実家に帰ることは出来ないと覚悟を決めていたのだろう。

この姿勢が幸いしたのか、足止めから丁度四ヶ月後の永正三年 (1506)二月十一日、ついに竹千代は
富永館に入城を果たした。
この時富永館は、「野田城」と名を改めた。

竹千代は後、菅沼定則と名乗る。そう、二代後に菅沼定盈を輩出し、徳川家譜代大名として菅沼氏族の中で
最も栄えることとなる野田菅沼氏が、ここに始まったのだ。




130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 16:29:10 ID:5vcOYG0Z
素朴な疑問だけど、菅沼定則に改名しても富永家の家格は引き継げるものなの?

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 16:56:21 ID:eXiePoaF
>>130
正確に言うと富永の名跡は引き継がずに、その領地と家中をまるごと引き継いだ。
社員と機構をまるごと引き継いだ上で社名と社長だけ変わった感じ。

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 20:26:11 ID:7mriKN6E
風は山河よりでも読んだんか?


133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 22:09:30 ID:NPB8d1CG
あの作者は、欠点がないような感じで主人公を描くからなぁ・・・

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 22:30:40 ID:dJ7UY9n8
あの作家の作品は、一癖二癖のある主人公を見たことがないな

135 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/03/29(月) 23:11:26 ID:M1O52gTe
あの作者と出版社は三河者がなんたるかを見たことがないからなぁ。

浅野長政から、野々口五兵衛あて書状

2010年03月30日 00:06

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 11:04:22 ID:GQMwSr7y
浅野長政から伏見城の普請奉行の一人、野々口五兵衛あて書状

「最近連絡できなくて申し訳ない。太閤殿下が近日中に様子を見に行くそうなので、そちらの普請等、
油断なく申し付けられたい。
(中略)
・・・ところで、殿下ご寵愛の猫が大坂城から行方不明となり、捜しているが、なかなか見つからない。
あなたは、黒猫一匹、虎毛が二匹飼っていると聞いた。
ぜひ、虎毛のうち毛並みの良い方をしばらく貸していただけないだろうか?その間に当方で元の猫を
捜し出した後、お返ししたい。

文禄二年十月十九日  野々口五兵衛どのへ  浅野弾正」


要するに秀吉の寵愛の虎猫を見失ってしまい、野々口の猫で代用してごまかそう、という事らしい。
その後、長政が猫を発見できたか定かではないが、文禄四年、彼は一時期嫡男・幸長とともに
能登へ配流となった。






・・・が、それとぬことは関係ない、と思われる。




763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 11:09:35 ID:Hv9Ahrww
ムツゴロウ「模様が同じなら、主役級のヤツでも案外バレないもんですよ」

観客「違うよ! チャトランの顔も模様も全然違うよ!」

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 11:24:40 ID:gENPrNbS
何故そんなエピソードが残ってしまったのか

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 11:28:01 ID:X2EbKdJx
書状 が残ってたんじゃ。

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 14:04:37 ID:u7Sou4R1
マジで寵愛してたら一発で見破るだろ。
怒りに火注ぐぞ、その小細工はw

模様で見分けにくい黒猫同士でもしばらく様子見れば自分の猫かどうかわかるもんよ。

雑談・1567年生まれの武将

2010年03月30日 00:05

767 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/29(月) 16:06:40 ID:y2dz2ugO

そーいや別のスレでしったがマーくん、立花宗茂、真田信繁(幸村)
て同い年なんだな、妙に繋がりのある三家だな。

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 16:47:53 ID:uKygsLAI
へえ~他の二人がデビュー早くて独立してるから幸村がわりと若いイメージだったわ

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 17:31:05 ID:IRhM4vyl
1567年生まれの3人か
他に小早川秀包も同い年だよね

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 20:21:22 ID:7mriKN6E
武田信勝、成瀬正成、塙団右衛門、有馬晴信、森力丸なんかも同い年
みんなイメージ違うわあ…
有馬晴信なんか結構古株のイメージあったんだけど

777 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/29(月) 22:39:58 ID:09+MuS2B
>>770
政宗の側室に団右衛門の娘がいるのだが、どういう繋がりなのか不思議で仕方がない

延沢満延、蟻ケ袋を訪れ

2010年03月30日 00:04

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 20:43:24 ID:MPCDOpTu
天正16年、留守政景率いる伊達軍は大崎氏との合戦に大敗を喫した。
この際、捕虜とされたのが、泉田重光と長江月鑑斎である。
重光は政景と並ぶ本作戦の大将、月鑑斎も桃生郡に大きな兵権を持つ重臣だった。
二人は蟻ケ袋城というところに幽閉されることとなる。

さて、しばらくして、蟻ケ袋を訪れた男がいる。最上義光の重臣、延沢能登守である。
最上家は大崎方として、和議の仲介などを行っていた。
延沢は個別に月鑑斎と会い、何やら相談した。
それから間もなく、重光は驚愕する。
月鑑斎の帰国がかなったのである。しかも多数の護衛までつけてもらった上で。
伊達や大崎で何か交渉の進展があったのか?自分達はどうなるのか?
重光主従には外の様子は分からず、不安になるばかりだった。

やがて、延沢は重光にも面会し、「以後は最上・大崎方に与してはどうか?」と諭した。
重光はきっぱりと拒否。
すると、場所を移されながら幽閉が続くことになってしまった。
(そうか…月鑑斎の野郎、最上に寝返りおったな!)
確信した重光は何とか手を尽くし、主君に長江裏切りを伝えた。
知らせを受けた伊達政宗は激怒。
月鑑斎を秋保において自害させ、長江家を滅ぼしてしまったいう。


なんか、誰かが「計画通り」とか言った気がする。たぶん気のせい。




772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 20:54:18 ID:TDQS3B5F
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776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 22:36:58 ID:NSeR/kNi
>>771
こんな奴なのに妹に「甥っ子と喧嘩しちゃだめじゃない!?」と言われると、涙目で合戦やめちゃうんだよなあw

武田軍襲来!その時野田城主菅沼定盈は!

2010年03月29日 00:15

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 00:15:18 ID:Jg0QSE/g
元亀元年(1570)四月、遠江を襲った武田信玄の軍は、進路を変え三河へと侵攻した。目標とされたのは
菅沼定盈の守る、野田城。
信玄は田峯城主、菅沼定忠らを案内とし、山県昌景、相木市兵衛の部隊を派遣した。
武田軍の襲来を知った野田城では緊急に軍議が開かれ、浜松の家康の元に撤退することとなった。
が、その場に城主、菅沼定盈がいない。城主がいなければ正式の命令は下せないのだ。

「殿は、殿は何処!?」

重臣たちが近習に聞けば、「トイレに入ってます」という。

「トイレ!?」

しかし何時まで待ってもこないので、業をにやした足軽大将、山口五良作はトイレまで自ら出向いた。
するとそこでは

バンバンババンバン
「ふっふ~んふふっふ~ん ふははは~ん♪」

菅沼定盈はトイレの中で呑気に謡曲を歌っていた、しかも前板を叩いて拍子をとりながら。
武田の大軍が目前に迫っているというのに、どう言う神経だろうか。
あまりの事に山口は怒鳴った

「殿!敵は早くも近くまで寄せ来ています、このままでは御討死にすること疑いありません!
大将たる者は命を全うして御運を開く、これが良将のとるべき道であります。
どうか早々に撤退命令をだし退去して下さい!それがしがその後ろを防ぎます!!」

「ふふふふ~ん♪ ん?…そうか」

定盈はようやくトイレから出てきた。そこに近習が手水を持ってきた。ところがそれに手を入れて

「なんだこれは?水ではないか。いつも手水には湯を使っているのに、敵が近づいたからと言って
水を使うということがあるものか。」

そう言っていつものように湯を持ってこさせ、それからようやく甲冑を付けると、南の曲輪より
悠然と城を出た、と云う。


緊急事態でも肝の座った、菅沼定盈さんのお話。




84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 00:17:02 ID:aHvwDqWg
有事に悠長にしてんなw

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 00:22:40 ID:x4dGMo4i
まあ緊張してたら小便もでないしな まずはリラックスしないと

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 01:43:22 ID:TUfR9lv4
逃げてる最中にウンコもらすなんて人生最大の恥だからね

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 02:20:29 ID:rwSDdJeL
普段からこのノリなのか、実はテンパっててこの意味不明なハイテンションなのか、
判断が難しいところだ

しかし、唄なんぞ歌いながらトイレってかえって落ち着かんと思うんだが
小ならいざ知らず大なら一意専心・精神集中が必要だろ絶対

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 02:30:47 ID:XFJJ1Lmc
まあ城主が取り乱してたら下にまで伝播するしねえ。

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 02:32:51 ID:ccwYL6Im
しっことうんこじゃ出す時に使う脳神経が微妙に違うような希ガス
力みまくると屁がでるように 急に座ったり立ったりすると尿漏れするように?
うんこするときはおしっこが先にでるように おしっこ我慢してるとうんこしたくなるように

うーん 謎だ

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 03:36:44 ID:PCZf7FMs
配下を落ち着かせようと演技してみたけど、
あまりにやばい状況でテンパってたからズレた感じになっちゃった、
に一票

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 03:43:17 ID:ccwYL6Im
たしかにしっこにはリラックスが必要だけど 
うんこには気合が必要だ うんこしてて脳溢血でぶっ倒れたりするじゃん
うんこは出したとき達成感があるがしっこは寝ててもおねしょするし

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 04:11:15 ID:4YX5mg6t
気合入れなくても快便な人はいるんだぜ
あと寝てるときに(以下略)な世界もあるんだぜ

貴方の知らない世界。

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 07:52:39 ID:PC767Gw5
>>91
謙信のことか。

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 08:58:47 ID:jwAipzf0
話がずれてきてるぞw

>>85
だから味噌だと言って(ry

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 09:11:41 ID:XPPRMRB6
>>93
やっぱり一般的には、謙信が便所で用を足している時に倒れたと思われてんのかなあ
上杉好きとしては微妙な感じだ

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 09:36:27 ID:JyvT6qu3
日本の支配者層のトイレも中国みたいにナニできることを想定した造りになってるんかな?

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 10:17:11 ID:VUSRfUUu
masamuneのトイレは6畳間と聞いておじゃる

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 10:18:14 ID:g1cY4v1Z
トイレと言えば信玄
よくテレビでもやってるな

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 10:21:03 ID:hyeEo6cO
日本初の人工水洗トイレを使ったのが信玄なんだっけ?

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 12:09:59 ID:hyeEo6cO
そう言えば、昔読んだなぞなぞの本で、
伊達政宗のうんこは硬いか、やわらかいかというのがあったな

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:03:30 ID:hea7/9h4
>>83
相当の剛の者でも戦場では逸物が縮こまり尿意もなくなるというのに、なんと隆々たる・・・

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 16:27:14 ID:hyeEo6cO
>>108
いわれも何もないよ
伊達政宗は片目だからうんこも硬めだってオチ
こんなん子供の本に載せるなよって言いたい

ちなみに次のページは丹下左膳のうんこは~だった気がする

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 16:12:22 ID:rwSDdJeL
>>100
なぞなぞってことは、なんか謂れがあるんじゃなく単なる頓知ネタなんだろうが
そんな泣けてくるようなネタ話作られるとは有名になりすぎるのも困りもんだな…

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 16:35:22 ID:8ZPcvakz
小学○年生とかで定番のなぞなぞを戦国風にすると…

伊達政宗が雪隠で何者かに襲われた!
その手に握られた便所紙には筆で「ツマル」の文字が
犯人は誰だ?

よく知られている話だが、関ヶ原合戦時に本多忠勝は

2010年03月29日 00:14

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 12:57:15 ID:LAsO0/Hi
よく知られている話だが、関ヶ原合戦時に本多忠勝は僅か400人程の部隊しかいなかった

これは本来の軍監である井伊直政が出陣前に病に倒れて、その代理となったためであるが
(直政は少し後に復帰している)、常識ではこの程度の少数では大して役には立たないと思う
だろう

ところがギッチョン、関ヶ原合戦において忠勝は正に関ヶ原をところ狭しと駆け回っている
開戦前には直政と松平忠吉と共に中央にいたが、その後に家康の命令で烏頭坂で南宮山の
毛利勢が迂回してこないか監視をしている

来ないと判断した午の刻後の行動はもはや神出鬼没
先ず、宇喜多の部隊を横撃してこれを崩すと、次に島津へ攻撃をする
この時に馬を撃たれるも直ぐに他者馬を借りると、今度は石田の最後の反撃を、周りの部隊を
率いて撃退している

この結果として400人の本多隊が得た首級はなんと90余り、これに対して5100人とされる細川隊は
136というのだから、彼が後の作品でMS化するのもむしろ当然というべきなのかもしれない




103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:07:21 ID:hea7/9h4
>101
小中規模の部隊を疾風迅雷、手足のように操るコトに特化した侍大将だったのかもしれんね
一言坂然り、小牧辺りの暴れぶりをみても。

「百万の兵を預けて采配を任せてみたい」より「300でも500でも、選りすぐりの精鋭を率いてフリーハンドで」戦わせたいタイプ

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:25:16 ID:btI8xG5y
北方あたりに書かせると騎馬隊率いて無双するところを生き生きと書いてくれる気もするなw

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:45:32 ID:LAsO0/Hi
小田原の戦いでも明らかなように数千単位でも問題なく統率はできる
でもやはり本分は「戦術級の数で戦略級の効果」を発揮する所なんだろうな

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 14:17:29 ID:p5J4WyaE
そりゃいくら何でも過大評価

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 14:23:43 ID:hyeEo6cO
本多忠勝は、敵中突破を図ろうとした島津を南へ押し出そうとしてるね
そのまま直進して家康本陣に突っ込んでいったら、大変なことになっていた

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 18:14:42 ID:YAu3uToL
>>101
関ヶ原の戦ぶりを褒められた時の忠勝の答えが「敵が弱すぎた」だものね。
天下分け目と呼ばれる大戦で、そんなコメントできるだけで只者じゃないw

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 19:13:40 ID:swiBOTzE
>>112
小田原の役でも東海道方面の戦の大部分に顔出してんな
忠勝何人おるん?とか考えちまった。

真田信幸、大久保彦左衛門忠教に呼び止められる

2010年03月29日 00:13

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 18:57:18 ID:oVOies6i
「ああ、そこに居るお主!そう、お主だ、お主!まぁ、こっちに来なされ。」
「?」「何と良い面構えじゃ・・・ピンと来たぞ!」

徳川家康への初出仕を終えた真田信幸は、大久保彦左衛門忠教に呼び止められた。

「間違いない、お主だ!あの神川合戦の折、わしが殿軍となって退却したが、その際にわずかな手勢で
我らを追撃する武者がおった。
そやつは片手で大長刀を振り回し、風切る音が我らまで届き、身の縮む思いがしたわ。わしの愛馬は
日頃自慢の速足なのだが、そいつさえもわしと一緒に躍り上がるように浮き足立って逃げたモンだ。
流石は真田の嫡男よな!」

信幸は彦左衛門の言葉に苦笑した。
「それは、私の親戚の矢沢但馬守頼康(妖怪ジジイの子)でしょう。私は小勢で追撃戦仕掛けるとか、
そーゆーアレな真似は苦手でして。」
ア、ソウナノ?(´・∀・`)


リアル無双の人の謙虚なムコ殿の話。さて、真相や如何に?




関連
大久保彦左衛門の第一次上田合戦
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3916.html

深町理忠、龍造寺隆信を救う

2010年03月29日 00:12

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 21:39:14 ID:hOxsLVuk
龍造寺家の臣、土橋栄益は目障りな隆信を追放するべく他の城主達と
つるんで隆信を包囲した。城には鍋島ら家臣もいたが状況は絶望的であった。

  「もはやこれまで…潔く腹を切ろう…」

隆信を始め全員が覚悟した時、敵側の将小田政光の家臣、深町理忠が城までやって来た。

  「今日は敵でも明日は味方となるのが武士の習いにござる。
  こたびの事を痛ましく思い、主君や諸将とも協議いたしました。
  隆信公の安全は保障いたしますゆえ、今宵のうちに城をお開きください。」

しかし隆信は理忠の申し出を信じようとしない。

  「馬鹿な、信じられぬ。騙し討ちされるくらいならここで腹を切る。」

すると再び理忠がやって来た。

  「神に誓って嘘ではござらぬ。かくなるうえは某が人質になりもうす。」

理忠は丸腰で城に入って行った。ここに至ってようやく信用した隆信はその夜、
2百人ほどで城を出て、敵の大軍の中を女子供にいたるまで柄を切った槍を構えて
駆け抜けていった。

それから8年後、理忠は隆信の急襲により討死した。
理忠の死を知った隆信はその死を惜しんだという。




117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 22:41:44 ID:UlDLro1i
なんかよくわからんけど長宗我部と竜造寺ってかもし出す雰囲気が俺の中でかぶる



関連
蒲池鑑盛。龍造寺隆信を匿う
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3917.html

伊達忠宗の娘・鍋姫、立花家に嫁入る

2010年03月29日 00:10

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 02:24:02 ID:H7TWCK+4
上の方で立花家の話と伊達家の話が丁度並んでたんで思い出した話。
つっても、最近出た本に載ってたやつなんで既に読んだ人多かったらゴメン。


寛永20年。伊達忠宗・・例のDQNの人の息子であり、このスレ的には「親父の借金を
果敢に踏み倒した人」であり、父に比べるとどうしても今ひとつ地味な普通人という
印象になってしまう彼の元に、将軍家光のお声掛かりで縁談が舞い込んだ。

「立花さんとこと、縁組みしない?」

宗茂の後を継いで柳河藩2代藩主となった立花忠茂に、忠宗の娘・鍋姫をめあわせようとの話である。
ナイスガイ宗茂には、政宗存命の頃に(政宗が)先の将軍秀忠を自ら供応した折に、毒味を
する・しないで内藤外記と大ゲンカになったのをとりなしてもらったなどという出来事もあり、
(政宗が)世話になったと言えなくもないが、しかし、忠宗はこの縁談が気に入らなかった。

(あ゛? 62万石の我が伊達家が、11万石とかそこらの立花家と縁組み? あ゛?
 つーか、なんでウチの可愛い鍋ちゃんを、三十路男の後妻にくれてやらなきゃいかんの、あ゛?)

大藩と小藩の格差、それに加えて愛娘を後添えとして嫁がせるということが、忠宗には我慢ならなかった。
だが、何といっても将軍御自ら推薦の縁談である。忠宗の意向がどうであれ断るという選択肢はない。
忠宗はぐっと不満をこらえ、承諾した。しかし押さえ込まれた不満は心の奥底で燻り、ついに
彼の身体に眠るDQNの魂に引火した(多分)。何かに覚醒してしまう忠宗。

「フーン!! おだづなよオメー! もーごしゃいだがらなー!?
 嫁入り道具に長持を300棹用意せよ! 中身は何でもいい! 1棹に1コづつ入れて
 とにかく300棹の花嫁道具を仕立てろ! 立花の小っせー屋敷を長持で埋めつくしてやれ!
 きっと入りきれなくて恥かくぞあいつらザマー見ろ!!! 」

「ラジャー!! 」

そして一丸となって立花家に嫌がらせをすべく着々と準備を進めてしまう伊達家家来衆。



さて婚礼も近づき、花嫁の支度などを嫁ぎ先に搬入する日が来た。
立花家上屋敷でこの行事を全て取り仕切っていた小田部土佐の元に、大慌ての家来の報告が届く。

「大変です! 花嫁道具の行列の物量が半端ないです!! 行列の人数をざっと数えただけでも、
 侍20人、人足500~600人はいます! 」

この時の行列の先頭から最後尾まで1,74kmあったという。
しかし小田部土佐、流石は立花家に仕える男。動じない。

「うむ・・500人から600人とあれば、長持が300ほどはある計算か。伊達め、この手狭な屋敷に
 入りきらないことを見越して、恥をかかせようという魂胆だな。しかしそうはさせん。
 急ぎ人足を集めよ! 城下の商人衆でもよい、とにかく力の強い者を呼び集めるのだ!! 」

行列が屋敷に達すると、小田部土佐の元、花嫁道具の流れるような開封作業が始まった。
つまり、長持が届く端から中身を取り出して広縁に並べ、長持はの方はそのまま
招集した人足に担がせて広い下屋敷の方へと運び出してしまうのだ。
こうして、立花家はつつがなく花嫁道具の受け入れを完了し、忠宗の嫌がらせ作戦は水泡に帰した。

なお、婚姻の主役である忠茂と鍋姫の2人は、結婚当時の周囲の思惑とは無関係に
仲睦まじい夫婦になったようで、多くの子を成して天寿を全うした。
ちなみに立花家の方もこの縁談、当初気乗り薄だった模様 →ttp://www.muneshige.com/column/04.html




708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 02:36:16 ID:CuotIvt1
>>707
さすがにDQNの血は隠せなかったか…
しかし伊達と親戚になったばっかりに騒動にも巻き込まれるなんてついてないよな

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 02:58:58 ID:SZNNhWWz
鍋姫は忠宗唯一の娘で母親は池田輝政の娘、つまり家康の孫だから、
最低でも松平一門には嫁がせたかったんじゃないかね

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 03:04:41 ID:XFJJ1Lmc
>>684
この話はこの話で、広門さんはなんだかんだで旧領奪回してるよな。
まあ、関ヶ原で改易喰らって加藤清正に仕えてるから云々。

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 07:06:34 ID:4rM1S67q
家光は「宗茂の爺さんの甥っ子と政宗の爺さんの孫娘掛け合わせたらテラヤバスwww」ぐらいの気持ちでやってそうだから困る

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 09:09:53 ID:jwAipzf0
大名で遊ぶなw

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 09:47:47 ID:SZNNhWWz
家光自身が、家康の息子と信長の姪っ子かけ合わせたらテラヤバスな存在だからな

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 11:24:12 ID:9UbQpMoP
ダビスタの配合理論みたいだなw

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 12:34:50 ID:CSTZkbJC
>>707
なんか立花って家中総出で伊達キラーなんだなって思った

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:00:05 ID:CuotIvt1
>>717
っていうか小藩だからって舐めてんじゃねえよって気概があったってことでは

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:12:51 ID:hea7/9h4
>707 >>712-713
公方さまの~あんまし~空気が読めない話、かね。

 小田部さんの機転もあり、滞り無く輿入れできてようござったw

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:21:07 ID:BhOwVY3W
>>707
私の記憶が正しければ、後の伊達騒動の時立花さんちは「だって親戚だし」という理由で
めちゃくちゃ苦労させられてたような…

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:38:03 ID:DpZukUDh
時系列うろ覚えだけど忠宗は後西天皇の義理の伯父にあたるんだよね
娘まで厄介なとこへ嫁がせてたまるかという幕府側の先手打った話?

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 14:20:43 ID:CuotIvt1
>>721
伊達さんは次代になっても他所の人間に迷惑をかける人たちなんだなぁ・・・

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 15:32:40 ID:Omu6oKV7
>>724
次代だけで済んでりゃよかったんだけどな・・・

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 22:29:39 ID:lgw+/6O2
>>707
muneshige.com!


.jpも,orgも空いてるのになんでcommercialを…。

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 22:34:27 ID:0fhI/PCb
あるいはグルジアの.geでmuneshi.geとか

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神代勝利、龍の夢

2010年03月29日 00:08

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 10:52:25 ID:u8tBh6o2
>>696 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3909.html
小河信安といえば、http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-771.htmlの逸話があるが、
その中に登場する神代勝利の逸話である。

龍の夢


勝利は父の代に没落していたが、あるとき「 足に水を浸していると龍になった 」という夢を買い取った。
神代家の家運はそこから隆盛を迎え、居城を回復し少弐家の重臣として活躍した。
しかし、同じ少弐家中の龍造寺氏の台頭は目覚ましく、馬場頼周と勝利は龍造寺排斥を企ていったんは
成功するも、龍造寺隆信の登場により主家滅亡の憂き目にあう結果となった。

勝利にとっては隆信は主君の敵、隆信にとっては勝利は一族の敵であり、両者は不倶戴天の仇敵となった。
勝利は少弐家滅亡後も隆信と互角の戦いを続け、1555年に一旦和睦することとなった。
勝利を排除したい隆信は和睦の宴席で彼を毒殺することにしたが、未然にその陰謀を察知した勝利は巧みに
毒物を避けつつたらふく馳走を受け、呆然とする隆信を尻目に彼の愛馬を奪って悠然と引き返したという。

以降両軍は何度も干戈を交え、神出鬼没の勝利にほとほと手を焼いた隆信は縁組を交わして和睦するこ
ととなった。
和睦後は息子の長良に家督をゆずり隠居したが、嘉瀬川ダム発掘調査によると勝利の隠居所の規模は
かなり広壮だったと推測され、隠居所で見果てぬ龍の夢を追い求めていたのかも知れない。




716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 11:40:53 ID:oVOies6i
肥前のクマーとクマー代勝利がライバルだったわけだ

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:03:27 ID:aHvwDqWg
夢を買うって…
なんかそんな話がまんが日本昔ばなしであったな

成田氏長、寝返って候

2010年03月29日 00:06

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:30:17 ID:kYxkrcoo
まとめサイトのコメ欄でちょろっと紹介されていたが、確か独立したエピとしては未だ出ていなかったと思うので……

ラスボス秀吉の関東仕置き。
北条氏側では支城は捨て、小田原防衛のみに専心するという戦略を立て、各地の城主達を小田原に呼び寄せ、
篭城させていた。

そのせいで関東各地の城は面白いホド良く落ちたが、小田原は流石に落ちない。
しかしもう一つ、落ちない城があった。
武蔵国忍城である。忍城攻めの主将、石田三成からの経過報告を受けた秀吉、ちょっとゆさぶりをかけてみる。

「山中ぁ、お主、確か忍城の成田とは知り合いだったな? 寝返らせろ」

忍城主の成田氏長は元々上方とのパイプを何本も持っており、秀吉の書記官、山中山城守長俊との友誼も
そういったパイプの一つであった。

しかしまぁ、主君と共に篭城中の武将をお手紙一本で寝返らそうとは何と安直な。
そしてホントに寝返ってしまう氏長サンはまた、それ以上に安直な男である。w

そして氏長からの寝返り了解のお返事が山中を通じて秀吉の許に届く。

「あ、この手紙な、小田原城に届けろ」
「……は?」
「小田原城の北条父子に使者を送り、この手紙を届けろ」
「い、いや、それでは折角寝返らせた者が……」
「いーから早よせいっ!」

と、言うわけで小田原城内騒然となりまして候。

問答無用で成田討つべし、と主張する者。
秀吉の計略に違いないから黙殺した方が良いだろ、と言う者。
いや、でもあの成田だしなぁ……と頭を抱える者。
こんなトコでも相変わらずの小田原評定。

とりあえず成田が守備する陣地に使者を送り、本丸に来て申し開きをせよ、と伝えると。
「いや、今ちょっと病気を患ってましてな、HAHAHA!」
との返事。
んじゃ医者をつけてやるわい、と再びの使者+お医者様。
重ねての使者に、氏長も観念したのか、本丸に出頭するのは拒否したモノの、使者には面会した。

「成田殿が裏切ったという風説が流れていますが、ホントなのですか?
この通り、裏切りの書状まであるのですが……」
「うん、ホント」

あっさり認めた。

「だって、忍城攻められちゃってるし。別に北条が憎いワケじゃないんだケドね。オレらのコトが憎いって言うなら、
首を刎ねに来いや」

こう強気に出られると腰が引ける小田原勢。兵をそろえたモノの成田の陣を遠巻きにして包囲するに留めた。

上方勢の包囲する中、篭城している小田原勢。
小田原勢の包囲する中、さらに篭城している成田勢。

なんとも不思議な構図である。

あ、ちなみにそもそもの発端となった忍城。
「氏長が内応したから開城するべし」
という使者に対して、
「あ? バカじゃね? だったら氏長の開城命令書でも持って来いよ。手ぶらで来てそんなコト言われて、
ハイそーですかなんて言うと思ってんの?」
一蹴されたようですwwww
結局小田原開城後、ホントに氏長の開城命令が伝えられるまで粘りきったのは有名な話。




754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 23:53:03 ID:YSdzqgkb
>>722
のぼう読んだ直後だけに、その逸話有難いわぁ
しかし、読んでて思ったんだが、宗主(最高司令官)と切り離された城って凄い脆いよね
そんななか、忍城が何で耐えたかも分からんのだが
お前の主君裏切ったぜ?って言われた時、家臣らはあんなに踏ん張れるものなのかね?


756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 00:20:04 ID:pYMKijw0
>>754
ちゃんとした家臣ならそうする
関ケ原の時も増田長盛の居城、大和郡山で留守番してた渡辺勘兵衛は主君の手紙持ってこいって言ってたし
謀略で城を盗られることが日常的にあった時代だから、用心するのは当然



関連
成田氏長さんと相越同盟
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3667.html

鍋姫様の悩み

2010年03月29日 00:05

鍋姫   
725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 14:32:31 ID:k8yfm8Sw
親から聞いた話だから間違ってたらスマン

>>707の鍋姫様、大藩伊達家の申し分ない姫君だったのだが体中のいぼに悩んでいたという
政略結婚には重大な問題で、忠宗が特に豪華な嫁入道具を用意したのも姫が疎まれないよう気を遣ったためだとも
幸い姫は立花家で大事にされ、藩主の母にもなったがいぼには生涯悩まされた
そして自分のように悩む女性を救いたいと願いつつ亡くなった姫の墓からは水が染み出すようになる
(ぐぐったら墓前に供えられた水とあるがよくわからん)
この水を付けるといぼが取れると評判になり、現代でも実際に親戚がこれでいぼ取れたらしいです
故郷の仙台を向いた墓石の下で眠る鍋姫は、いぼ観音と親しまれて今も女性たちを救っているという話



727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 15:37:25 ID:DpZukUDh
>>725
切ねええええ
藩主の母になったとはいえ結局は遠ざけられてたみたいだし

イボは今でも基本的に液体窒素で焼くしかないんだっけ
ウィルス感染だから旦那も藩主として接触を避けるのは
仕方ない面もありはするけどなあ・・・

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 15:41:40 ID:RBnslmzN
イボコロリが効くならそっちが痛くなくていいんだぜ。

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 16:05:06 ID:DpZukUDh
>>728
あれはサリチル酸だから顔には使用厳禁だったような (´・ω・)

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 16:07:29 ID:rwSDdJeL
イボはまともな外科技術なく切除すると後が大変

俺は子供のころ、イボ(水疱瘡?)が腕と顔に出来て地元(田舎)の薮んとこ連れてかれた
母親とばーちゃんに両手両足押さえ付けられて泣き叫ぶ俺を尻目に巨大爪切りのようなピンセットでブチ切られた
あげく傷が化膿して高熱出して街の夜間救急に駆け込んだらかーちゃんが思っくそ医者に叱られてた

顔のは父親がさんざ抵抗したから腕のだけとられたんだが
それでも化膿するは切ったところから他に伝染るはでえらい目に

現代でもこんなだから昔なんて切除や事後療養も含めて大変だったろうな

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 16:13:48 ID:EGPue39Y
当時はできものの切除ができるってだけで医者になれたからな
[ 続きを読む ]

穴山梅雪、持病の為に

2010年03月29日 00:03

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 21:29:39 ID:QDRb2/iA
病気関連で一つ投稿。
こういう説もあるらしい。

武田家にて重きをなした穴山梅雪は、若い頃から「痔」主であった。
外痔核、すなわち「イボ痔」で、しかもかなりの重症であったらしい。

周知のとおり、武田勝頼との意見が合わず遂には裏切って武田家を滅ぼした
梅雪は、武田討伐後、家康とともに信長から安土城へ招待を受ける。
信長から大いに饗応されたが、それがいけなかった。


大量の飲酒により痔が悪化したのである。


更に堺見物に出掛け、そこでも堺の商人たちから饗応を受け(当然飲んだ)、
ますます悪化させてしまった。


主家を滅ぼしたという疾しさから相当なストレスも感じていたのだろうか、

ストレス→飲酒で発散→酔いが醒める→ストレス→飲酒で(略)

という循環に陥ってしまっていたか?


間の悪いときに本能寺の変勃発。


当初は家康とともに脱出をはかったが、既に歩行も満足にできない状態に陥っていた
梅雪は、枚方で脱落。思うように先へ進めないうちに土民の襲撃にあい落命。



穴(肛門)にできた山(イボ痔)が命取りになった梅雪さんのかわいそうなお話。




751 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/28(日) 22:12:05 ID:WxGt4ElM
>>748
他人事とは思えない。

蒲池鑑盛。龍造寺隆信を匿う

2010年03月29日 00:01

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 21:40:30 ID:hOxsLVuk
いい話の続き。

深町埋忠のおかげで命拾いした隆信だったが、行くあてがあるわけではない。
とりあえず筑後川に行くと、川の向こう岸から舟がやって来た。

  「私は蒲池鑑盛の使者でございます。どうぞ当地へおこし下さい。」

隆信を迎えた鑑盛は衣食や屋敷を提供し、隆信を保護した。
屋敷はかつて落ち延びた隆信の曽祖父、家兼の匿われた一木にあったという。
2度も龍造寺一族を匿った鑑盛であったが、まさかこの隆信が自分の一族を
滅ぼすだろうとは夢にも思わなかったのではないか。




758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 00:39:37 ID:IZqB6dxJ
>>749ガチでいい話なんだよね。
クマー隆信はなぜ蒲池鎮並を族滅しようとか思っちゃったんだろ…

大久保彦左衛門の第一次上田合戦

2010年03月28日 00:10

53 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/03/26(金) 22:08:04 ID:pyjzUikH
大久保彦左衛門の第一次上田合戦

ある時とうとう真田と徳川が手切れとなり第一次上田合戦が始まった。
コレにはまだ若かりし頃の徳川二十八将の一人、大久保彦左衛門(当時は大久保平助)も、
元気に参加していた。
ちなみにこの合戦、真田家には昌幸と信幸が大将として参加していたが、
徳川家も負けてはいない。鳥居元忠、平岩親吉、諏訪頼忠、保科親子(正直と正光)そして、
「金の揚羽蝶」大久保忠世と「銀の揚羽蝶」彦左衛門の面倒くさいブラザーズなど
そうそうたるお歴々といいうより、天下に名を知られていた人たちである。
とはいえ、結果はご存知の通り徳川の負け。上田城の二の丸まで攻めたものの砥石城からの逆襲
で側面をつかれて敗走したらしい。我らが信幸兄ちゃんは砥石城にいたそうなので、要は
信幸兄さんにこてんぱんにやられたと言うことです。かっこいいですね。
さて、ここで彦左衛門さんは敗走する徳川軍の中で精一杯戦っていたところ真田の家来で
日置五右衛門尉という武者が、なんと、真田軍と思いこんで入ってきたのを彦左衛門が発見した。
彦左衛門「標識がない。敵だ!突き落とせ!」
日置「ちょ!まて!よく見ろ八幡だ!俺!オレ!オレだよ!日置五右衛門だよ!敵じゃねえ!」
日置さん・・・・ここ徳川軍です。

つづく

54 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/03/26(金) 22:08:55 ID:pyjzUikH
>>53
大久保彦左衛門は槍で突こうとしたものの、日置の従者に邪魔されてつけなかったので
近くにいた兄貴の家来の気多(ケタ)甚六郎に突かせたがコレも腰あたりに命中し失敗。
日置の首を取れなかったのだが・・・

日置「河中嶋衆之早く助けたりと思ひ、味方と心得て敵之中を通りける処に、大久保七郎右衛門尉弟の平助に突かれたる」
(意訳:味方助けに来たら敵じゃねえか!大久保忠世の弟の彦左衛門に槍で突かれちまった!)
彦左衛門「いやいや、我も突いてあれ共、我が突く鑓は捲けられて、五右衛門尉にあたらず。気多甚六郎とて
    七郎右衛門尉者が鑓があたるなり、我にはあらず。」
(意訳:俺も突いたが失敗して兄貴の家来の気多のが当たったんじゃ!俺じゃねぇ!)
というわけで、この勝負、

大久保彦左衛門「刺突失敗」(引き分け)日置五右衛門尉「負け逃げ」

と締まらないことになっていたところ、これまた敵と知らずにやってきた真田兵と
同僚の天野小八郎が戦っていたのを見てみたら、相手は何と17か18才くらいだった。

彦左衛門「倅にて有ぞ。むごきに、赦せ。」
(意訳:まだガキじゃねえか。勘弁してやれよ。)

この勝負

天野小八郎(大久保彦左衛門預かり)真田の少年兵

である。助けてしまったんですなって、よくこんな余裕有ったな彦左衛門!
というわけで、大混戦の中で敵兵の命を助けた彦左衛門であった。
後に彼はこれを回想して三河物語に書く。
この少年兵を討たなかったのは、

『若気の至り』

であったと。

それにしても、ボロ負けした中でもちゃっかり自分の戦いは三河物語で自慢する彦左衛門さんであったが、
この時、神ならぬ彦左衛門のみならず参加した徳川兵全員だけではなく
勝利をかみしめた真田家全部ばかりか真田昌幸も、いや、真田信幸に至っては自分に降りかかることで
あるにもかかわらず気付かなかったことがある。

徳川四天王の本多忠勝が娘の小松の嫁入り先に頭を抱えていたという事実を!

そしてコレがずーーーーと後に信幸にとって・・・・・・・・・・・

この話の原典は
日本思想体系第26巻「三河物語 葉隠」(岩波書店)の三河物語(大久保彦左衛門著)で
お送りさせて頂きました。

業務連絡
ここで出てきた「日置五右衛門尉」って、どなたなんでしょうか?
三河物語にも「真田家内」となっているので真田家の武将というのはわかるけど。
まさか、歴史に残る著作に自分の間抜けぶりがのせられるとは・・・・


関連
真田信幸、大久保彦左衛門忠教に呼び止められる
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3924.html


57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 23:11:19 ID:f/G7pzD0
>>54
真田側の記録だと日置五右衛門は三河出身の旧武田家臣
「依田助十郎」とともに大久保忠世の首を狙って潜入したが、彦左衛門にバレて
五右衛門は逃亡、助十郎は討たれたことになっている

真田が身内をかばってるのか、彦左衛門の記憶違い(?)かは不明

日置五右衛門の子孫は沼田藩で大小姓組頭百五十石取り
同心十五人持ちの御先手鉄砲組頭衆と同格なので、なかなかの家格

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 23:17:42 ID:TQXd8Uql
>>57
もしそれが事実なら、彦左衛門の性格からして嬉々として触れ回るんじゃないか?

60 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/03/27(土) 00:16:15 ID:Wf9R/XXk
>>57
おぉ!ご指摘サンクスコにござる!
日置さん討っておけば出世出来たのにね。
「依田助十郎」の記述は三河物語にはないので
別方向か突入時に彦左衛門の見えないところで
戦死かもしれませんな。

>>58
どうもこの時は、退却戦による大混戦で
首までは取れる状況ではなかったそうです。
三河物語にも『頸をば取らずして』踏ん張った
事が記載されています。

フロイス、意外にも素直に褒める

2010年03月28日 00:09

61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 14:02:30 ID:faFhPXNC
実はフロイス、異教徒は大っキライだったケド、意外にも日本建築や仏教美術に関し
ては素直に褒めている。

「欧州の建築物の方があらゆる面で数倍も優れている」
「こんな僻地で、他の国も知らず、戦争ばっかりしてる連中だからこの程度で満足し
てるのも仕方ないんだけどねwww」
などといつもの罵詈雑言を振りまきながらも、
「清潔さと整然とした様は素晴らしい」
「寺院だけでなく、住居や貴族の邸宅や庭園までもがそう(清潔で整然としている)
なのだ」
と、フロイス補正をかけて読んでみれば、手放しの絶賛と言っても良い評価だ。

仏像に関しても
「(三十三間堂に収められている仏像の中で)一番巧妙で、奇抜で、素晴らしい像は
乞食の像(婆藪仙人像)である。この像は男の貧苦を真に迫って表現しており、本当
に一見の価値がある」
「これらの像はどれも極上等の金箔が厚く施されていて、その顔は美しく、均整が取
れている。この驚異に眼を見張らせる素晴らしい像が多数並んでいる様を見渡すと、
全く荘厳な印象を受ける」

……おいおい、どうした、何か悪いモノでも喰ったか?
それとも霜台さんちに行った時、うっかり茶でもご馳走になってしまったのか?
そう聞いてみたくなるほどの褒めっぷりだ。

仏像=燃やすモノ、という視点以外からでも見ることが出来たんだねぇ、フロイス。
まぁ、カトリックは偶像崇拝してるし、将来は京都か奈良の仏師にマリア像を彫らそ
う、なんてコトを考えていたんだろうか。
何はともあれフロイスの口から

「素晴らしい出来の仏像」
「仏像を見てると荘厳な印象を受ける」

などという言葉が聴ける日が来るとは思わなんだ。
かなり意外なフロイスの一面が見れた良い話(?)




62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 14:08:41 ID:tJYTm6p2
>>61
昼間っから酒でも飲んでたとしか思えないw

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 14:52:37 ID:TR/bCxmh
この清潔や整理への美意識の高さや美術を神に向けられれば新たなるステージへ!と思ってたのは間違いないなw

いかにフロイスとはいえ清潔なほうが居心地いいのまでは信仰で弁護できるレベルじゃないんだなw

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 15:11:34 ID:EbQGJfNZ
フロイスが生まれたのは初期ルネッサンスだから芸術はまだ未熟な時期だ
こういうあり方も有りではないか?と問いかけられた時期に日本に来た訳だから
本国とは全く別の芸術性に魅入られても不思議ではないな

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 22:00:16 ID:+jFMHrBb
>>64
フロイスが生まれたのはルネサンス後期だよ
ダヴィンチやラファエロなどルネサンス盛期の芸術家はもう死んでて
美術史でいうとマニエリスムに入ったあたりだから
聖職者であるフロイスは彫刻や建築などは完成されたものを間近に見てるはず

栗山備後利安、臨終の時に

2010年03月28日 00:08

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 21:38:56 ID:U/MISp0j
後藤や母里どころか菅や益田まであるのに、筆頭家老の項目がないので、
栗山利安の話を二つほど出してみる

15の時に黒田官兵衛孝高に仕官して以来、生涯挙げた首級は57にものぼり(これは母里太兵衛に次ぐ)、
有岡城に囚われた主君を救いだしたり(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2994.html)、
母里らと共に主君の奥方を護衛したり(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3851.html)、
家中で一番我の強い母里太兵衛に兄貴と慕われ(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2.html)、
長政と母里の大人げない喧嘩を仲裁するのはいつも彼の役目で
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-725.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1508.html)、
とても機転の効く人だったので(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2602.html)、
長男の大吉(大膳)誕生の折には長政がわざわざ祝儀に栗山家に出向くほど彼を重用し、
如水公からはあの合士兜を形見に与えられるような(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3388.html)、
とてもあの栗山大膳の父親で済ませられない、黒田家存続に一役も二役もかっているスーパーご家老です

そんな栗山備後利安も76の時息子に家督を譲って卜庵と称します
そして、長政死後の8年のちに亡くなるのですが、
その臨終の時の話、意識不明だった利安が突然声を上げます

馬よ!鉄砲よ!彼方に敵が出た。味方の人数を揃えてあの山に鉄砲を放て!

栗山利安は戦国を生き抜いた一人の武将として81年の生涯を閉じました




73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 21:43:33 ID:9acQ2KNU
こういう死に方はかっこいいね。
長政より長生きしてたのは知らなかったから驚いたけど

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 22:22:51 ID:U/MISp0j
>>73
というか、黒田家は三代藩主(長政の孫)が80まで生きたのを除けばだいたい50代で亡くなってる
大坂の陣で討ち死にした又兵衛と京都で病死した長政の享年が1歳しか違わんし

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 22:29:07 ID:9acQ2KNU
>>76
そうなんか。いや、自分の浅学が恥ずかしい…
長政とかすっげー長生きなイメージがあったんだよな

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 22:38:09 ID:U/MISp0j
>>78
長政はデビュー(?)が早いからね
関ヶ原の時まだ33歳だからね
ttp://homepage1.nifty.com/SEISYO/seki-to.htm

栗山利安の貸金

2010年03月28日 00:06

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 22:16:23 ID:U/MISp0j
息子と若き藩主の不和という心残りを残しつつ、81年の生涯をまっとうした栗山利安

息子の大膳が父の遺産整理をしてみると、なんと銀百貫目もの未返済の貸金があったと言います
栗山利安という人はつつましやかで忠義心が厚く、家中の者には身分の上下を問わず慇懃でありました
華美贅沢を好まず、倹約かなところはさすがあの黒田親子の重臣というところであり、
家中の者が普段派手な服を着ているのを見かけると呼びつけて、
「衣服には礼服と、普段着と、晴れ着があって、普段から豪奢な服を着るもんじゃない」と叱りつけ、
高い馬を買ったものがいると聞きつけるとそのものを呼びつけて、
「どんないい馬でも二頭分の働きをするわけじゃない」と苦言を呈したと言います
と、一見とても吝嗇な御仁に思えますが、大事な時には惜しげもなく金銀を遣ったそうです
そして、とても面倒見のいい彼は
「なに? 殿の江戸出府にお共する支度をしようにも金がない? よし、貸してやろう」
「仰せつかった普請をしようにも金が足りないそうだな。俺が貸してやろう」
と、部下たちに気前良くお金を貸していたそうです
しかも、後で返済に来た分は受け取るが、返済しないからと言って取り立てることもなかったようで、
そうやって積もり積もった貸金が、筑前入府から利安死後の30年間で積もり積もって百貫目だったそうな

ちなみに一貫目=1000匁で、慶長14年で1両=銀50匁だから、2000両?
1両が現代でいくらになるかは5~20万と諸説あるそうですが、
とりあえず寛永期なら下女の年間の給料が0.5両だそうです




77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 22:27:11 ID:JNpqLnNb
>>75
この時期は1両の価値が最も高かった頃だと思うから、20万円とすると
4億円ですか。おそろしい。

昔は広門

2010年03月28日 00:04

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 21:38:36 ID:hVm8Mgbm
昔は広門


天正14年、カメレオン大名こと筑紫広門は、九州制覇を目指し北上する島津軍を岩屋城に迎え撃つこととなった。
かの有名な岩屋城合戦の前哨戦である。

岩屋城の前衛を守備する広門は、島津の岩屋城攻撃を少しでも遅らせるために、出城にいる弟の晴門に島津軍の
背後を襲わせ、挟み撃ちにする計略をたてたのだ。
しかし、この策はあっさりと島津軍に見破られて晴門は討死。広門自身は、島津軍に降伏し大善寺に幽閉の身となっ
てしまった。

広門は再起を図らんと大善寺で、「忍ぶれば いつか世に出ん折やある 奥まで照らせ 山のはの月」という和歌を
詠んだというが、これを聞いた人達は、「 昔は広門、今は狭門 」と嘲笑したという。




病に倒れた武田信玄は語った

2010年03月28日 00:03

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 22:34:46 ID:4bu8LRub
病に倒れた武田信玄は語った。

「わしの望みは天下を握る事であったが、こうして死ぬのは都で政治をして
死ぬよりもずっとよいであろう。人々はわしが生きていれば上洛を果たして
天下を治めたに違いないと言うであろうからじゃ。

しかし、わしも信長と家康という強い者達と戦って命を縮めてしまったわい。
わしの武力が彼らと対等なら命を縮める事もなかったな。
彼奴らはわしには到底及ばないので、天がわしの命を縮めたのじゃ。

それは輝虎にも当てはまろう。奴は3年のうちに病死する。
信長を降せる者は、わしの次には奴しかおらぬからのう・・・。」

悪くもないかもしれないが、すごい自信だと思ったのでコッチにした。




686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 23:02:43 ID:AeUsoPYn
こーいうのって後者の物書きが書いてるわけだけど、よくよく考えたら
江戸期の妄想軍記物って今で言う歴史小説みたいなもんだったのかもなw

世戸口十兵衛の結末

2010年03月28日 00:02

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 17:02:11 ID:RcxccBkm
忠臣かもしれんがちょっと考え物の武将の結末

立花宗茂の家臣にという武将がいた。
弓術と水練の達人で実直な人柄を買われ、宗茂が立花家に養子入りする際の供につけられた人物である。
物事にあまり動じない印象がある宗茂も、さすがに嫡子をはずされて他家に養子入りというのは
けっこうショックだったようで、十兵衛はそんな若い主の支えになるように勤めてきたのであった。

1600年に関が原の戦いが勃発し、立花勢は大津城を攻めた。
その中で、宗茂直筆の降伏を促す矢文を京極家の馬印に命中させるという手柄を立てたものの、
西軍が負けたという報せを受け立花勢も柳川に引き上げることになった。

船で帰国の途中に悲劇が起こった。
十兵衛のあずかる小船が突然の嵐にあい転覆してしまったのだ。
なんとか近くの海岸にたどり着いたものの、助かったのは十兵衛本人と従者ただ一人だった。
そんな惨状を前に十兵衛は、
「殿の頼みとする屈強な兵を死なせてしまった上、自分一人帰っては面目が立たない。
よって腹を斬ってお詫びをする」
生き残った従者にこのことを伝えるように言い残し、そのまま切腹して死んでしまった。
股肱の臣ともいうべき十兵衛の死を聞いた宗茂は深い悲しみに沈んだという。

自分の中だけで話を完結させてしまって、主がどう思うか考えなかったのかね?
これからが立花家にとって正念場だと言うのに…




693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 17:38:14 ID:E7k25Rqj
なんてこったしくじった!
失敗した以上どの面下げて帰れってんだ。顔向け出来ん、死ぬ!

って事なのかねぇ
まぁこの時代色々極端だから…

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 20:41:31 ID:9N2QDJLl
>>692
衰弱しちゃって、落ち武者狩りを撃退しつつ帰国する体力がなくなったのかもしれんね…
悲劇だ

小河信安、前夫を忘れぬ龍造寺隆信夫人に

2010年03月28日 00:01

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 20:37:24 ID:dVAHpyGh
天文15年(1546)、龍造寺家兼(93歳)が息子の家純と孫の周家を馬場頼周に殺され、復讐を遂げた後、
ひ孫の隆信を後継に指名したことは有名だが、実は隆信が継いだ水ヶ江龍造寺家は分家であり、
村中龍造寺家というれっきとした本家が存在していた。

ところが天文17年(1548)、村中家の当主・胤栄が25歳の若さで亡くなり、一族の多くを病や兵乱で
失った龍造寺家は、隆信に胤栄の未亡人を娶わせて龍造寺家を統一し、お家の存続を図ることにした。
しかし、夫人はすでに胤栄との間に娘を産んでおり、この娘を可愛がって前夫を忘れようとしなかった。

重臣の小河信安はこれを憂い、夫人と面会した。
「近ごろ豊後の大友屋形の威光強く、ご当家にも調略の手が延びております。どうか家中安寧のため、
隆信さまにお親しみ下さい!」
「何と言われようと、この娘のある限り、胤栄さまを忘れることなど出来ませぬ。」

「どれ、それがしにもお嬢様を抱かせて下され・・・おお、よしよし・・・
・・・今は家兼公の遺言に従い、隆信さまを嫡家と仰ぎ、家中一和すべきです。しかるに、ご夫人が
お親しみにならないため、お家は二つに割れております。
今、大友が当家を攻めれば、我らはことごとく捕らえられ、このお嬢様も豊後に屍をさらすことに
なりましょう。それがし、それを思うと耐えられません。ならば、いっそ今この手で・・・ケケケケケ」
「わ、私の娘がァ―――――!!!」

こうして夫人は小河の説得に応じ、龍造寺家は統一をみることになる。




698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 20:41:57 ID:as9Zp2FQ
>>696
いきなりひぐらし化すんな。w

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 21:09:36 ID:TT5GTJMh
>>696
このあと熊さんは大内義隆にケツを差し出すわけか・・・・

700 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/27(土) 22:11:49 ID:CPoL+8yh
島原の乱のときのオランダは
利のあるほうに転んだだけよ

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 22:26:29 ID:pK8xqMf9
>>696
機転の効いた良い話だろww

702 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2010/03/27(土) 23:21:27 ID:inlDAnlx
>>696
熱狂的な忠臣のいい話じゃねえか。

整備中の江戸城下で、チンピラに絡まれたある虚無僧

2010年03月27日 00:08

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 13:14:47 ID:WG15xbrU
そんな治安が悪かった整備中の江戸城下でのお話

ある虚無僧が市中で托鉢をしているとチンピラ3人ほどにからまれた。
虚無僧は相手は刀を持っているし、第一に騒ぎを起こしてはまずいと考え身を翻しその場から逃げるが
いつの世も下層のDQNの習性は変わらないらしく
チンピラたちは面白がって虚無僧を追いかけはじめた。
逃げる虚無僧追うチンピラ
しつこく追ってくるので虚無僧はなおも逃げる
チンピラどもは虚無僧はなおも逃げるのでさらに追う
逃げ……るのも馬鹿らしくなったのでその虚無僧はチンピラどもに向かっていくと刀を奪い、あっという間に
そのチンピラどもを斬り伏せてしまった。

そこで騒ぎを聞きつけた捕吏が駆けつけ、その虚無僧を召し捕らえた。
虚無僧は大人しく縄につき取調べをうける事になるのがだが捕吏は名前を聞いて驚いた。
虚無僧「立花宗茂が臣、十時連貞と申す。それがしは騒ぎを起こしてはまずいと一度は逃げ
穏便に済まそうと思ったのだが
     いかんせん相手が分を弁えず追ってきてその身を守るため致し方なく応戦した次第である。」
と名乗り、騒ぎの顛末を臆することなく説明した。

そう、この虚無僧は托鉢をして浪人中の主君・立花宗茂の生活費の足しにと家臣の十時連貞が変装していたのである。
相手は浪人中とはいえ以前は10万石越えを大名の家老格。捕吏は対応に困り上役に相談。
その上役も上に話をもっていきとうとう幕臣土井利勝の耳に入るまでになってしまった。
その結果、土井利勝の裁量で十時は無罪放免。立花宗茂は土井利勝の知己を得て御書院番頭として
徳川家に仕えることになるのである。

後に旧領にまで返り咲く立花宗茂。そんな宗茂が徳川家に仕えるきっかけになった忠臣のお話でした。




35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 13:16:37 ID:m2vNqE+P
人を外見で判断するのはよくないね……

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 13:26:28 ID:HbdxmTAb
相手を見る目もってたら下層DQNになってないって

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 13:32:27 ID:FO7gOmA3
虚無僧かと思ったら実はその正体は…
ってけっこう昔からある流れなんだな

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 13:41:21 ID:3pn5zINd
上泉信綱「ところで私は通りすがりのか弱い僧ですがこのおにぎりを食べませんか?」

39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 13:52:07 ID:TEOUVpLd
さらっと流されてるけど素手から難なく三人切り捨てるってやべぇな

40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 14:01:56 ID:WOTKBrOF
>>39
最初は尺八で応戦してたみたいよ

どっちにしてもやべぇな

41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 14:20:14 ID:NO1CEvmp
立花家の勇者たちに掛かれば尺八すら死を呼ぶ武器に!

42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 14:23:06 ID:6AW5Hw9P
後の音波兵器で・・・あれ?

43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 15:01:14 ID:HOXmK8qc
尺八で応戦か…
ジャガージュン市が応戦してるのが猛烈に思い浮かんだ

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 15:28:07 ID:AcNm0Gp9
>>39
宗茂の家老ならそれぐらい軽いだろうと思わせてしまうあたりが正に信頼の立花ブランド。

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 15:44:44 ID:3pn5zINd
応仁の乱の前だが、坂本の馬借一揆が起こったとき、京の警備をしていた山名時煕(宗全の父親)
の兵十数人が馬借の一団300人ほどと遭遇し戦闘になったが、山名の兵はこれをたちまち
追い払ったそうな。

専門の武士とそれ以外とは、戦闘力がこのくらい違ったらしい。

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 16:30:11 ID:WG15xbrU
小早川「立花家の戦闘力は他家の三倍です」

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 16:51:59 ID:H+6kWPsT
明智光秀が自分の部下、それも雑兵まで、怪我などをしたときに手紙を書いていた。

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 20:03:54 ID:l58LZqSr
盛親さんは、どうして返り咲けなかったんでしょう・・・

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 20:28:40 ID:sRc8Lis8
>>34
家老身分だった人が托鉢までしてくれるって宗茂ってよっぽど好かれる人だったんかね~


50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 21:12:59 ID:ygUQtYjy
>>34
十時さんはいい人だよねぇ
宗茂よりも長生きするし、島原の乱でも一緒に出陣してくれたし

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 21:26:17 ID:q561o+EU
>>40
尺八で刀を受けたとかなんとか。
どんだけ固い尺八だよwとか思ったけど、
チンピラの刀がナマクラだったと考えるほうが自然か。

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 21:42:05 ID:5xKnendy
>>48
田舎者だから、政治、外交、情報に疎い

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 22:58:32 ID:m2hqz2yi
武田信玄「尺八の使い手かいると聞いて飛んできました
     それがしの槍を受け止めてみよ」(道雪さんに会いたいなぁ

「仏もまた塵」

2010年03月27日 00:06

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 20:28:40 ID:sRc8Lis8

最近切支丹ネタが多かったので便乗して小ネタを一つ
昔読んだ本に載っていたものでうろ覚えだけど割と好きな話なので失礼しますよ。

宣教師が歩いていると、道にある小さな仏像に手を合わせ、熱心に祈っている男がいた。
宣教師は早速この男を教え諭してやらねばと思い「そこに神はいない」と教えてやった。
すると男はびっくりした顔で「勿論いない」と言った。
その答えに宣教師は驚いて「では何故祈るのか?」と聞くと、
男はしばらく考えた後「仏もまた塵」と呟き、そのまま立ち去ってしまった。

宣教師がその答えに対してどう思ったのかは謎。




55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 22:51:26 ID:TEOUVpLd
>>49
祈ってる男の答えが良く判らないなぁ
仏典にこういう説話があったりするのか?

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 22:58:32 ID:m2hqz2yi

>>55

華厳経ですなググッテみるヨロシ

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 23:19:06 ID:TEOUVpLd
>>56
世の中の全ては塵一つでさえ奈良の大仏さんの一部なんだから
俺の拝んでる仏像だって仏の一部
全ては仏の一部なんだから拝む対象が何とか仏がどこにいるかとかこまけぇ事はいいんだよ
ってことかな?