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日向鷹ちょうだい!

2010年06月21日 00:00

516 名前:sage[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:29:35 ID:xfwzNIqy
ソースは旧記雑録

「日向鷹ちょうだい!」1/2

天正7年、とある仲介者を通して織田信長から島津義久へ「日向鷹献上を促す」手紙が来た
スルーしていたら今度は雅の友、細川幽斎から義久へ手紙が届く
幽斎の手紙↓
「足利義昭様が日向鷹を所望するという書状と義昭様からの小袖を送ります。
名誉なことですからお引き受けして下さい」
信長に贈ってないのに義昭に贈ったらフラグが立つだろう。スルーしてたら
先のとある仲介者から「日向鷹を信長に献上せよ」と催促が来るが義久またもスルー
義久がスルーするのは訳があった
日向鷹にことよせて、信長は大友と島津の和睦を要求していたのだ
鷹を献上したら和睦の話を承諾することになる。

無視し続けたらシビレを切らしたのか翌年の天正8年、信長から仲介無しで直接手紙が来た
信長の手紙↓
「大友との争いをやめる事、本願寺が石山を出て紀伊に入った事、毛利成敗のため大友と協力し天下のために大忠を尽くすこと!」
さらにスルーの義久に翌月も信長は大友との和睦を勧告
義久は諸情勢を考え不承不承引き受け、その証としてかねてより催促されていた日向鷹を信長へ献上した


517 名前:sage[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:45:14 ID:xfwzNIqy
「日向鷹ちょうだい!」2/2

さて、前置きが長くなったが言いたかったのは「とある仲介者」のことだ
本スレの方々なら薄々察しはついているだろう

とある仲介者とは島津義久に古今伝授をした人物であり、信長とは鷹狩り猟友会仲間
関白、近衛前久だ
近衛は古今伝授で薩摩に下向した時も犬追物見学パーティなど豪華接待を受けている
その前久、信長へ日向鷹献上の催促をするときに便乗

近衛「信長に献上するときには麿にも頂戴!」と言ってた
こんな仲介者では余計話が拗れるんじゃ無いだろうか
近衛の要求は信長とともにスルーされた
そして途中からは近衛の頭越しで交渉は進み結局、日向鷹は信長に献上された

日向鷹が手に入るという話を信長本人が自慢でもしたのか
相変わらず耳聡い近衛は、鷹情報をキャッチすると再び今度は個人的に義久へ手紙を書く

近衛「信長に鷹を贈ったんだって?麿にもちょうだいね!」
たぶん義久は気分を害したのだろう日向鷹が近衛に贈られることは無かった

以上、日向鷹を巡る信長と義久の政治的やりとりと近衛さんがワガママな話




519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 22:30:11 ID:lpF0lWJY
純粋に高度な政治の問題なのに遊び気分だな、前久

信長の隠し子

2010年06月20日 00:04

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 09:51:53 ID:QUoYVJA8
信長の隠し子


信長の家臣団には異例の抜擢を受けた者や相撲取り・黒人など異色の者がいるが、巡礼
出身者もいた。
巡礼とは諸国の神社仏閣霊場を訪ね回り礼拝することをいい、そんな巡礼の一人である
埴原常安は諸国を遍歴していた途上、尾張清州の長光寺六角堂で昼寝をしていた。
「おいコラ。どこで昼寝しとる。」
鷹狩りをしていた信長もその六角堂を昼寝の場所と決めていたらしく、昼寝をしていた常安を
蹴とばした。
それが縁で常安は信長に仕官することになったという。

巡礼出身の武将は当時でも珍しかったようで「太閤記」「祖父物語」など江戸初期の書物に
彼の記事が見られる。
常安は美濃に20貫の知行を受けやがて尾張清州城代をつとめ、信長死後には尾張国守織田
信雄に仕え清州の町奉行となるも、信雄転封後は信長の長女・五徳付として一生を終えた。

そんな常安は信長とある秘密を共有していた。
それは信長の許に濃姫が輿入れした頃にさかのぼる。
信長は侍女の中条という女性を孕ませてしまい、それを知った家老の平手政秀は「正室を迎えた
ばかりなのに側室でもない女性に子供を産ませるのはあまりに外聞が悪い」と考え、懐妊した中条を
平手の養女として埴原に下賜したのだ。
やがて中条は男子を産み、信長はその子に「乙殿」と命名した。
その男子は長じて埴原左京と名乗り、常安死後埴原家の家督を相続して尾張藩に仕官し、信長の
血脈を明治まで伝えたという。




872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 10:37:55 ID:LiQJjqL2
こ、これは「埴原も中条もじじいもみんな乙!」の意味じゃなくて
ただの幼名なんだからね!

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 11:46:19 ID:IRncMYzE
こういうのって公然と囁かれてたのか
それとも本人が触れまいてたとか?

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 11:52:07 ID:XkIxp4aP
「自分の家の由緒」って事で、藩が藩士の家譜を作るとき提出したりする。

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 13:28:30 ID:PhePMldt
ん~、こういう話は眉唾ものだと思うがな
まぁ、信長が平重盛の末裔という話よりはあるかもしれんがw

ちょっぽり甚右衛門

2010年06月20日 00:03

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 15:38:38 ID:QUoYVJA8
ちょっぽり甚右衛門


尾張津島に平野甚右衛門という男がおり、織田信長に直訴して織田家に仕官した。
彼は身長が低かったようで、信長から「津島小法師」(津島のチビ)とか「ちょっぽり甚右衛門」
(チビの甚右衛門)というニックネームで呼ばれていた。
もっとも、彼は小兵にも関わらず馬廻りに抜擢されるほどの勇士であり、どれだけ勇猛であったか
といえば、佐々・前田をさしおいて馬廻りの番付でナンバー1に輝く程の猛将であった。
しかし、血気にはやりすぎたのか天正3年の長篠の合戦において軍令違反を犯し、改易されて
まった。
「武家事紀」には彼を評して「匹夫ノ魁殿ヲトクル勇士」とあるから、スタンドプレーがすぎたために
改易されたのであろう。

さて、織田家を追放された甚右衛門は放浪の末、織田家の宿敵の加賀一向一揆に参加して
自分をコケにした織田家と戦うことに身をささげた。
そして、天正8年に織田家臣・佐久間盛政が加賀尾山城を攻撃した際には、甚右衛門は広済
寺・本源寺等を指揮して戦い、盛政の先鋒隊を三度返り討ちにするなどの意地を見せたのち討
死した。
現在の金沢城の西手下り坂を「甚右衛門坂」と言うが、ここが平野甚右衛門の戦死の場所であ
るとされている。

ところが、実は甚右衛門は無事に逃げおおせたようで、その後は上杉謙信に仕官した。「武家事紀」
「武功雑記」にも上杉家臣時代の甚右衛門の逸話がいくつか残っている。
やがて謙信が死亡すると家督相続をめぐって「御館の乱」が勃発し、甚右衛門は景虎方に味方して
こんどこそ討死したという。

反骨を貫いたちょっとかっこいい男の話。




真田家、天明山会議

2010年06月20日 00:03

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 22:11:24 ID:fKbwEJaH
徳川家康の上杉征伐に従った真田安房守昌幸は、大阪で蜂起した石田三成、大谷吉継よりの書状を佐野で受け、
伊豆守信之、左衛門佐信繁の兄弟と共に天明山に登り、茂みの中に座を作って言う

「たった今石田治部、大谷刑部より来た書状を見るに、景勝卿に秀頼様に対する逆心の無いことが
はっきり解った。この上は内府を敵としてここより引き返そうと考えている。お前たち両名は、これについて
意見はあるか?」

これに信之
「父上がそうおっしゃるのは当然だと思います。
父上は石田治部と縁が深く、もし内府に従えば世上の評判も悪いでしょう。
左衛門佐も大谷刑部の婿です。父上は左衛門佐を連れて御料地にお帰りあって、
今後のことを御思案してください。

しかし私は内府に御懇意にして頂いており、特に本多中務(忠勝)殿の婿でもあります。
お許しいただけるのなら私は、徳川家の旗本に属します。
これには些か考えもあります。もし上方の軍が破れ、各地の城郭にこもる者達も、内府が刑罰を処される
と言う事になれば、父上や左衛門佐の命を救いそれのみならず、真田の氏族の断絶が無いようにしたい。
そのように私は謀ります。」

この言葉を言い終わらぬうちに、左衛門佐信繁が口を出した
「兄上にご意見申し上げる!内府がどれほど兄上に対し懇切だったと言ってもそれは、太閤の御恩と
比べられるものでしょうか!?
それに本多中務と御縁者であるから内府につくと言うことですが、それはあくまで私的な関係であり、
公儀に関することの判断材料にして良いものでしょうか!?
そのうえ上方の軍が敗れたときには、父上とそれがしの命を救うとおっしゃいましたが、おおよそ軍に功がなければ
将から士卒にいたるまで多くが戦死するものです。であれば上方の軍が敗北した時に、父やそれがしの命の程も
どうなっているかは測ることはできません。

また苗字の絶えないようにする為に内府に属すという考えも私にはよくわかりませぬ!秀頼公のために
一家が滅亡してもこれは、ご先祖への不孝にはなりませぬ!世の中を見るに、滅びるべき時には
滅びることこそ、かえって目出度い事だと思います。
天正の頃父上が徳川や北条と不和となり、危ういところに誉ある和議をしていただいたのは秀吉公だったでは
ありませんか!その時は上杉景勝卿も後詰を出してくださった。ここにも浅からぬ縁があります。
私はそれ以来秀吉公の旗本に属すること、14年になります。しかる上は、君の御恩を忘れ景勝卿の志を捨て
内府の味方になる、などと言うのは人の道ではありませぬ!

兄上はご若年の頃より御器量も人に優れ、数々の戦功も治めた人ではないですか。
いつか公儀の御用に立つべき人だと思っていたのに、それがむざむざと敵になるなんて、残念至極のことです!」

これに信之は激怒した
「父上の言葉より先に、しかも無用のことを言うのみならず、内府の旗本に属するものは
人たる道にあらぬなどと、私を侮辱いたしたな!これ以上そのような口を聞くなら、今すぐここで斬って捨てる!」
と、刀の柄に手をかける。しかし信繁

「わたしの命は、君の御為に死ぬための一命です!ここにてお手にかけられることは御免被る!」

「両人、やめよ!」
昌幸が二人を制した
「二人の言う事、それぞれに理がある。
伊豆守はこう思っているのであろう。太閤逝去の後内府の権威はおのずから上がっていった、しかしこれを
他の大老や奉行達が妬み、無理に内府の権力を削ろうとしたため、この度の乱が起きたのだと。
そう考えて、内府に心を寄せているのだろう。

また左衛門佐が論じているのは、ほとんどの大老や奉行が内府退治に加わっている以上、
どちらが公的な存在かは明らかであると、伊豆守に諫言を申しておるのだ。

わしが考えるに、伊豆守の申すことにも一理ある。しかし秀頼公のことももちろん大事である。」

そうして信之が家康の味方することを許し、自分と信繁は領地へと引き返したとのこと。
真田家、天明山会議の逸話である。




457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 22:24:30 ID:ssJgpjki
真田兄弟の議論で残っているけど
何処の大名も似たような主張で割れたんだろうな

時代が悪い話?

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 00:10:00 ID:OzQpqbBK
南北朝から続く
「これを機会に俺が親父or兄貴を出し抜いて独立だぜヒャッハー」
のパターンの方が内実な気がする

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 09:13:11 ID:9wuHNMCa
徳川本隊を足止めした小信玄の父超えは到底かなわず
逆に弟に大阪の役で追い抜かれて日の本一の兵になられてしまったでゴザルの巻き

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 09:23:12 ID:nhNWqHog
日ノ本一の長生き大名にはなれたからおk!

御用金と本多忠政

2010年06月20日 00:03

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 10:18:53 ID:o/vewnzO
慶長の終わり頃、江戸から京都所司代へ御用金を運ぶべく、東海道を往く行列が仕立てられた。
一行が伊勢桑名まで来たところで日が暮れ、道中奉行は桑名城主・本多忠政に城下での宿のあっせんを依頼した。

すると忠政は、
「一夜だろうと御用金を街中の旅宿に置くなど、物騒だろう。金はこの城の金蔵に預け、ご一同は城内に泊まられよ。」
と、親切にも申し出てくれたので、早速に金を城内に運び入れ、安心して一行は眠りについた。

夜が明けると、一行は金蔵に御用金を取りに行ったが、番人が蔵を開けようとしない。
「殿の命により、金はお渡しできない事になっております。」

奉行は驚いて忠政を問い詰めたが、
「当方、手元不如意のところ、幸いにして蔵に金を入れて下さり、かたじけない。このまま借り受けさせていただくが、
それでは貴殿も立場が無かろう。よって、代わりの金を江戸表に依頼しよう。しばし、当城で待たれるが良い。」

…などという訳にも行かず、奉行一行は急いで京に行き、この件を京都所司代の板倉重宗に訴え、一件は重宗から
江戸の将軍秀忠に、至急の早馬で報告された。

しかし秀忠は、
「それは、アレの親譲りの『謀計』というヤツだ。道中奉行ごときが、武門・本多家の謀計にかなうはずも無し。御用金は
そのまま忠政に貸し与え、京へは代わりを遣わせるが良かろう。」と苦笑して命じ、忠政を許したそうな。


参考までに
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-816.html
姉と弟、カツアゲと詐欺(?)、どっちがマシか、という話。平八郎さんは子供にいったい何を教えたのであろうか。




463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 11:18:36 ID:iw3PMJBE
平八郎「「斬り取り強盗は武士のならいだ。良くやった!」

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 12:39:01 ID:zDScUA/Y
鮭「味方をだましてはいけない」

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 13:04:14 ID:zIgX+11h
こんなことしたらまず改易間違いないはずだけど…

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 13:16:20 ID:kRiOpFyi
外様なら間違いなく改易だね。
大功臣の譜代、本多家だから見逃しただけだろ。

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 15:39:18 ID:zAQn+tEj
本多正純「譜代の功臣に改易とかありえない」
大久保忠隣「全くもって」
石川数正「では、抜けるか」
松平忠直「落ち着きなされ」

「十左衛門火」

2010年06月20日 00:02

468 名前:sage[] 投稿日:2010/06/19(土) 17:32:05 ID:E/tjJ2RR
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1454.html
この話の補足。ソースは実家で埃をかぶってた岩手の民話集

「十左衛門火」
北信景は通称を十左衛門と云い南部利直の寵臣だったころは十左と呼ばれていた
その十左衛門が伊勢で捕らえられ盛岡藩の利直の元へ連行された

十左衛門は弓の名手として家中でも知られ、大坂の陣でも巧みな腕前を披露し将軍秀忠の目に止まった
利直は秀忠に「南部は惜しい家臣を失ったな」とまで云われてしまい、かつての寵臣だっただけに怒りは激しかった
まとめには利直じきじきに処刑したとあるが、利直が命じたのは惨いもので
十左衛門の全ての指を一日一本ずつ切り落とせと命じたのだ

利直「指を落とされるたびに己の罪を悔いるが良い!」
十左衛門「ならば拙者は指を1本落とされるたびに、殿へ怨みの矢を10本射てくれましょう!」
返事に怒った利直の命令で処罰は執行された
そして全ての指が切り落とされた20日後、再び利直は十左衛門に対面した

利直「どうじゃ!少しは後悔したか?」
十左衛門「おお!殿へ怨みの矢を200本放ちましたぞ!」
利直「おのれ!まだ云うか!」
カッとなった利直は持っていた銃をブッ放し十左衛門を撃ち殺した

それ以来、城には怪異が続き十左衛門が殺された刑場に鬼火が出るようになり
人々は「十左衛門火」と呼んで恐れおののいた
さて、全国的な知名度は低いがDQN度は高い南部利直。彼は別に暗愚ではない
利直「十左のことは、やはりワシの不徳の致すところだろう」と思いなおし供養塔を建てた
ねんごろに弔ったところ、しばらくすると怪異は治まり鬼火は出なくなったそうだ

どんな怪異が起きたのかは民話集には載っていなかったです




左甚五郎その1:命名秘話

2010年06月20日 00:02

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 17:56:53 ID:fASr5E8P

足利将軍家の家臣に伊丹左近尉という者がいた。
しかし時は乱世。まだ幼い息子と妻を残して左近尉は死んでしまう。

母子は親戚の縁を頼って金森長近の家臣、河合忠左衛門の元に身を寄せる。

やがて成長した息子は上京して禁裏大工に弟子入り、大工として身を立てる。
大工としての腕は良かったようで、江戸幕府成立後、江戸城の改築にも参加。
しかし、西の丸から城外に通じる秘密地下道の建設に携わってしまった為、機密保
持として命を狙われるようになってしまう。

しかし、彼に対しては幕府トップも同情していたようで、老中土井利勝の手引きで
利勝の娘婿でもある讃岐高松藩主、生駒高俊に匿われたという。

彼は若い頃、大工の腕を妬んだ同僚によって右手を斬られ、それ以来左利きとなっ
たとも言う。
「左手一本の名工」という事で、彼は左甚五郎と言う名で後世に知られるコトにな
る。

「実在しない伝説上の人物」「何人もの職人が左甚五郎を名乗った」等、様々な説
があるが、とりあえず高松藩の分限帳には「大工頭 甚五郎」なる名前が残ってい
るらしい。

……アンタなら自分で義手を作れば動くんじゃねぇか?右手。


連投になってしまいますが、左甚五郎作の彫刻が地元にもあると知って調べてみた
ら、出てくる出てくる逸話の山ですな、この人。
全体的に「動く彫刻が人々に迷惑をかける」話が多いので、一括で悪い話に投下さ
せていただきます。
「連投ウザい」という方はスルーしてくだされば助かります。




左甚五郎その2:薬師堂建立

2010年06月20日 00:02

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 17:57:57 ID:fASr5E8P
現在の埼玉県越谷市。歴史はあるがすっかり荒廃した薬師堂があった。
ある時、日光東照宮の修理に向かう大工がこの薬師堂の近くを通りかかった際、夕
立に降られてしまった。

大工は薬師堂で雨宿りをしたのだが、荒廃していた堂は隙間風が吹き込み、雨漏り
も酷い。
この有様を見た彼は、

「もう夕方だし、今夜はこのままこのお堂に泊めていただこう。その代わり、一泊
の礼として私に出来る限りの修理をさせていただこう。きっと薬師如来にも喜んで
いただけるに違いない」

翌朝、大工が日光に向けて旅立った後、村人達は薬師堂を見て仰天した。

「あ、新しくなってる……!!」
「いつのまに立て直したんだ!?」

そう、大工は一晩にして「修理」どころか新しいお堂を「建立」してしまったので
ある。

その大工の名を左甚五郎と言う。




左甚五郎その3:甚五郎と龍神

2010年06月20日 00:02

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 17:59:08 ID:fASr5E8P

現在の埼玉県さいたま市。見沼と呼ばれる大きな沼があった。
その沼には龍神が棲んでおり、大雨の度に龍神は沼で大暴れをして付近の住民を困
らせていたという。

そんな時に見沼を通りかかったのが日光帰りの左甚五郎。
近くの国昌寺に宿を取っていた甚五郎は話を聞くと、「任せとけ!」と言って一体
の龍を彫り始める。

やがて、見事な出来栄えの木彫りの龍が一体、村人達の前に引き出された。

「コレは見沼の龍神を彫り上げた物だ。真に見事な彫刻には魂が宿ると言う。つま
り、この彫刻には見沼の龍神の魂が宿っているってコトだっ!」

そう言うと甚五郎は龍の頭に釘を打ち、国昌寺の山門に据え付けた。
半信半疑の住人達だったが、それ以来見沼の龍が一帯を荒らすコトはなくなったと
言う。

しかしコレには後日譚がある。
ある時国昌寺の檀家が亡くなり、葬儀が執り行われた。
棺を担いで例の山門を潜った所、突然棺が軽くなってしまったのだ。

担ぎ手を務めていた遺族は不審に思い、棺の中を改めると、もぬけの殻。
つい先刻まで確かに遺体はあったし、担いでいた棺は重かったのに……

甚五郎によって封じ込められた龍神に取って喰われてしまったのだ、と言われ、そ
れ以来国昌寺の山門は誰も通れないよう、開かれなくなったという。

現在でもこの山門は特定の日以外には開かれないと言う。




左甚五郎その4:甚五郎の虎

2010年06月20日 00:01

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 18:00:15 ID:fASr5E8P
現在の埼玉県吉見町。松山城下に岩殿山安楽寺という寺があった。
この寺の付近にはしばしば虎が出没し、畑や家畜を荒らしていたという。

何故、日本で虎が出るのか?
不思議に思いながらも実際に被害が出ている以上、何とかしなければいけない。
村人達は総出で大規模な虎刈りを行った。

虎を仕留めるコトは出来なかったが、勇敢な一人の村人が突いた槍が、虎の足を貫
き、撃退するコトには成功した。

村人達が血の後を追って虎の巣を探すと、安楽寺の境内へと続いている。
住職に訳を話し、村人達と共に血の後を追うと、お堂の欄間に彫られた虎が後ろ足
から血を流していた。

これを彫ったのも左甚五郎である。




左甚五郎その5:「つなぎの龍」

2010年06月20日 00:01

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 18:01:14 ID:fASr5E8P
現在の埼玉県秩父市に奈倉という地域がある。
ここに大層立派な龍の彫刻があった。

徳川家康によって秩父神社が再建された際、奈倉地区の住人達はお祝いとしてその
龍の彫刻を秩父神社に奉納。神社でも立派な贈り物を喜び、本殿に飾るコトにした。

が、この龍の彫刻が神社に飾られるようになってから、秩父の街に異変が起こる。
秩父神社近くの沼で、夜な夜な龍神が暴れ回り、沼の付近では畑や家畜に大きな被
害が出ていたのだ。
そして龍神が暴れた翌朝、神社の掃除をしていると、必ず例の龍の彫刻の下に大き
な水溜りが出来ていたという。

「この彫刻は明らかにおかしいぞ」
秩父神社では遅まきながらもこの彫刻の由緒について調べ始めた。

すると、超有名な名工が手掛けた傑作だと言うコトが判明する。
だが、同時にその「超有名な名工」、別の意味で有名な「とある問題」がある人物
であった。
そう、彫った龍神が動く確率、限りなく100%に近い男、左甚五郎である。

実は奈倉の村でも同じように田畑を荒らされ、ほとほと困っていた為に秩父神社に
押し付けた、というのが真相だったのだ。

「や、やられた……!」

秩父の住人は頭を抱えるが、奉納され、本殿に安置された彫刻を「やっぱり要らな
い、返す」と言う訳には行かない。
本殿を飾るには見栄えが悪くなってしまうが、背に腹は返られない。宮司は鉄の鎖
で龍の彫刻をグルグル巻きにしてしまった。

それ以来、龍の被害はなくなったという。
現在でも龍は秩父神社に「つなぎの龍」として存在している。


同様に夜な夜な寺を抜け出して付近を荒らす左甚五郎作の龍は滋賀県の三井寺(園
城寺)にも存在している。
コチラは甚五郎本人が処置をした為か、秩父神社よりも容赦がない。
そう、龍の目に釘を打ち込んで動けないようにしてしまったのである。
こちらの龍も三井寺に現存している。




左甚五郎その6:「蝉錠」

2010年06月20日 00:01

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 18:02:12 ID:fASr5E8P
現在の京都府綾部市に厄除け八幡宮と呼ばれる神社がある。

そこには左甚五郎作の鍵(錠前)があり、蝉のような形をしていたコトから「蝉錠」
と呼ばれていた。
その蝉錠、鍵ではあるのだが、甚五郎作である以上、動く……いや、鳴く。

蝉の季節でもないのに八幡宮には蝉の鳴き声が響く。
どこにいるのかと探してみると、蝉錠が鳴いていたという訳だ。

関ヶ原の合戦の際、田辺城の細川幽斎を攻撃した小野木軍が、この綾部にも襲来し
た。
小野木軍は八幡宮にも落ち延びた兵が隠れてないかとやってきた。

神殿を護るようにしっかりとかけられた蝉錠を見て、兵士は怪しいと思ったのか、
刀で何度も何度も錠を突き、壊そうとした。

蝉錠は傷を残すも破壊は免れた。しかし、それ以来一度も鳴き声は上げなくなった
と言う。

……しかしまぁ、錠前まで作ってたんかい、甚五郎www




左甚五郎その7:「竜ヶ渕」

2010年06月20日 00:00

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 18:02:57 ID:fASr5E8P
現在の京都府宮津市。
その昔、この辺りが旱魃に見舞われた頃の話。
あまりに雨が降らず、困った住人達は成相寺の和尚に雨乞いの祈祷を頼んだ。

和尚は一晩お経を読み上げ、祈祷をしたのだが、雨は降る事無く、代わりに仏のお
告げをいただいたと言う。

「この近くに名人と呼ばれる彫刻家が滞在しているらしい。その彫刻家に龍の御姿
を彫ってもらい、この寺に安置すればいい。名人の彫った作品には魂が宿るという
から、きっと雨が降り出すだろう」

和尚の言葉を聞いた住人達が探し出したのが、若き日の左甚五郎。彫った龍神が動
き出す確率、限りなく100%に近いあの男である。

しかしこの頃の甚五郎、まだ一回も龍を彫った経験がなかった。
しかも、今まで他人の彫った彫刻や、他人の描いた絵画で龍を見たコトはあっても、
実物を見たコトはない。
実物を見ずに魂が宿るホドの傑作は作れない、と辞去する甚五郎。

「そこを何とか!仏様のお告げでもありますし!」

熱心に頼み込む住人達に押し切られるように、龍神の彫刻を引き受けることになっ
た。
引き受けはしたものの、まったく出来る気のしない甚五郎は、和尚にお告げをした
という仏に縋ってみるコトにした。
すると、

「この寺の北に深い淵がある。そこでなら龍の姿が見れるだろう」

と仏様に告げられる夢を見た。
これぞ霊夢。甚五郎は一人、告げられた淵に出かけ、幾日も龍神に祈り続けた。

幾日過ぎた頃だろうか、突然周囲が暗くなり、甚五郎の周囲のみが猛烈な風と雨と
に包まれると共に、淵の底から大きな龍が姿を現したのである。
甚五郎は逃げもせず、心ゆくまでじっくりと龍神を眺めた後、成相寺に帰り、彫刻
に取り掛かった。

完成した龍の彫刻は素晴らしい出来で、それを掲げて雨乞いの祈祷をすると、忽ち
の内に雨が降り始めたという。
甚五郎が龍を見た淵を「竜ヶ渕」と呼ぶようになり、龍の彫刻は今でも成相寺で大
事にされているという。




左甚五郎その8:円教寺の力士像

2010年06月20日 00:00

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 18:04:32 ID:fASr5E8P
現在の兵庫県姫路市。名刹として名高い書写山円教寺がある。

その昔は弁慶もここで修行したと言われるこの寺。開山の性空上人を本尊として祀
るお堂を作ることになった。
そのお堂は開山堂と呼ばれ、中に本人の遺骨が入った、快慶作と伝わる性空上人像
が本尊として安置された。

そしてこの開山堂を建立する際、呼ばれたのが左甚五郎。
建物の軒下に、屋根を支える力士像を彫ったのが甚五郎であった。

しかし、甚五郎の彫った力士像。素直に大人しく屋根を支えてなどいる筈がない。
…………逃げた。wwww

山形県の専称寺の力士像はサボッて遊んでいる所を最上義光に鉄砲で脅されて持ち
場に帰ったようだが、ここはあいにく姫路である。義光はいない。

四方を支える力士の内、一体がまんまと逃げおおせ、行方は誰も知らないという。
現在も開山堂の屋根は北西隅の一人を欠いた三人の力士で支えている。


……以上、連投終了です。
お付き合いいただきありがとうございました。




隆元の愚痴に対する、元就の返事

2010年06月19日 00:00

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 23:09:30 ID:2EZSViyD
毛利隆元が父元就にあてた
『弟たちは私を助けようとする心がけなど微塵もありません。
吉田にやってきても直ぐ自分の領地に帰りたがるし。
何につけても隆元をのけ者にして、二人だけでヒソヒソとやっているのです。』

と、愚痴を綴った書状は有名だが、これに対する元就の返書は意外と知られていない。
それに曰く

『今朝、書状を拝見しました。元春、隆景についてお前が思っていること、よくわかった。
本来なら馴れ馴れしいほど親密であるべきなのに、だんだんと疎遠になっていくと言うのは
本当に困った事だ。

しかし隆景の奴はお前だけでなく、私に対してもだんだんと疎遠になって来て、
腹の立つことが多いのだ。私でさえそうなのだから、お前がどのように考えているか
良く解るよ。怒るのももっともだ。

ただ、元春に関しては昔から細々と付き合うことをしない性格だったからなあ…。
あいつに関しては、仕方ないとあきらめろ。』


次男吉川元春、どうも家族の中でも浮いた性格だったらしい。
と言うお話。




452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 23:56:59 ID:UHDuxQa7
なんか年齢だけ気にしないと反抗期みたいに見えるな

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 06:31:21 ID:pL5B0t0w
>>451
細々と付き合う事をしないとは言っても
現に隆元は>隆元をのけ者にして、二人だけでヒソヒソとやっているのです
と感じている訳だから実際元・隆景ラインができてたんだろう

まあ隆元が生きてる頃は隆元が弟達と疎遠だったおかげで
隆元 対 元春・隆景という形が出来ていたから
それなりにうまくやってたけど、
輝元の頃にはどっちが宗家の舵を握るかで吉川と小早川のパワーバランスが崩れて
元春と隆景の仲がだんだん微妙になってしまった

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 10:33:07 ID:IBD8O2LX
>>451-453

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1144.html の現代語訳版でしゅね。

 弟ズに構って貰えずスネて父ちゃんに愚痴る地味兄ちゃん……moemoe

雑談・御伽衆のことなどについて

2010年06月19日 00:00

846 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/17(木) 21:39:07 ID:9eHd/U8G
去年から流行ってるバルーンスカートって知ってる?

あれジオングみたいだと思ってたら、
江戸中期藩士の袴のほうが近いと思わないか?

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 22:34:00 ID:Nl+IlDKo
なんだい
藪からスティックに

848 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/18(金) 02:57:07 ID:BgFAswax
まあまあ彼に言っても馬耳イーストウィンドだよ

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 06:47:20 ID:UqRKTClS
誰か>>837を分かりやすく訳してもらえると
大変ありがたい。

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 13:03:53 ID:sV1mHOem
なんでノレー大紫が紛れ込んでいるんだ。

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 14:10:15 ID:6jeMdcv7
犬紫だろ?

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 14:25:55 ID:JUSU8yGm
>>847
結構響きが良いな

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 19:21:42 ID:qQCUr4z4
秀吉の御伽衆って、ルー大柴みたいな奴なら取り立てられたのだろうか…
現代のお笑い芸人とか行けるんじゃない?
まあ失敗→打ち首とか覚悟してる芸人とか居ないだろうけど。

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 19:46:03 ID:fKbwEJaH
>>853
御伽衆って曽呂利新左衛門のイメージのせいか、主君に対して気の効いたことを言って喜ばせる、
西欧の宮殿の道化師みたいな感じに捉えられがちだけど、実際は君主の私的顧問、って役割が
強かったみたい。

徳川秀忠の御伽衆を見るとわかりやすいんだけど

・立花宗茂:九州関連
・九鬼守隆(九鬼嘉隆の息子):水軍関連
・脇坂安元(”貂の皮”の脇坂安治の息子):四国関連
・平野長泰(賤ヶ岳の七本槍の一人):豊臣家の事柄について
・佐久間安政(佐久間盛政の弟):北陸、奥州関連
・細川興元(細川藤孝の次男):畿内関連

と、それぞれの専門分野での助言や提言を期待されていたらしい。
面白い云々以前に、ある種のスペシャリストでないととても取り立ては無理だっただろうね。


855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 20:36:24 ID:XmBC4h3c
家光の代には夜伽集とな

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 20:37:17 ID:zB0FdqR+
>>854
中国地方の担当・山名ちゃんも入れてあげろ

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 20:50:48 ID:SkzrRqgt
七本槍では地味な方の2人が、他の東軍4人よりも幕府からは重宝がられたのかしら

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 21:47:50 ID:BoeITsI2
所領小さいから全然脅威にならんし

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 22:43:50 ID:65EuhGuO
>>854
あかん、戦国鍋TVのSHICHIHON槍の♪大名じゃないよ平野長泰♪を思い出してニヤニヤ笑ってしまった。

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 22:55:02 ID:1irnzLyb
大名じゃない♪ だっけ?

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 23:03:58 ID:xKW7xCf1
でも、「あとは」の二人の方が惨めだよなw

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 23:23:13 ID:SkzrRqgt
正則&清正以外は、世間的には割とどうでも良いことを逆にネタにしてるような
地味加藤さんも孫六とか言われても・・・

大久保彦左衛門の憤懣

2010年06月18日 00:00

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 10:34:52 ID:2EZSViyD
関ヶ原の後、大久保彦左衛門忠教には激しい不満があった。

「安芸の毛利に周防長門を安堵したこと、これは吉川が予め内通していて当日参戦しなかったので理解できる。
島津も安堵されたのは元々の本領なので、これも理解できる。
丹羽長重が許されて所領を与えられたのも、前田利長との関係上仕方なく徳川の敵となったわけだから、
これも理解の範疇だ。」

だが、これだけは理解できない

「立花宗茂だ!
あいつは膳所城を攻めたりして、徳川家に対してはっきり敵対した者だった。
命を助けるだけでも大変な御恩であるのに、召し出して、多くの知行まで与え、
あまつさえ『役に立つ者』とのお言葉までかけられた!
私のような凡人にはこれは、全く理解できない!

大前提として、敵対したものは徳川家の役に立たなかった、これは当たり前である。
そして『この後の御用のお役に立つ』とお考えになったとしても、今回敵対しなかった者こそ、
次にも確実にお役に立つのだからこれを取り立てるのが当然なのに、
多くの御用に立つ人よりも、立花により多くの知行をくだされた。
これは、敵対した事へのご褒美なのだろうか!?

今の時代は、敵対しても知行が取れるようだ。」

『三河物語』より、大久保彦左衛門の立花宗茂取り立てへの憤懣。




431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 10:38:59 ID:zKbSrC1d
無能の嫉妬の浅ましいのう

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 12:23:37 ID:slhoanEb
ただの僻みだな

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 12:30:21 ID:XCy02uZ8
三河武士は面倒くさいけど根はイイ奴が多いけど、彦左衛門だけはガチでイヤな奴にしかみえないから困る。

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 12:38:59 ID:93AoP0/D
彦左衛門だけが、自分の考えを書き残したから、彼だけが不満だったように後世の人は受け取るが、
本多平八郎も榊原さんも同じように不満に思っていたと思われ。

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 12:42:18 ID:mQqenDcP
べ、別にお前らの不満を代弁するために書いたんじゃないんだからねっ!

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 13:43:08 ID:5OEsvBf+
これ見てると、一番槍託された高虎なんかさぞ嫌われたんだろうなあと思う。
本田佐渡とか酒井雅楽頭とか土井大炊頭とかとは仲良かったみたいだけど。

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 13:53:45 ID:0ancZPdk
>島津も安堵されたのは元々の本領なので、これも理解できる。
へぇー義弘の独断だったのでryじゃないのかぁ

438 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/17(木) 16:12:56 ID:OpkUNrVD
>>430
まあ普通は納得いかないだろうな。


439 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/17(木) 17:34:40 ID:WXVvue25
筋は通ってると思うけど

440 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/17(木) 19:29:30 ID:f4DYZ0aW
まあ、初代とか創業期に活躍した人達から見れば、
二代目のする事成す事が「いや、先代なら…」って
感じになるんだろうな。
「俺達の時は違った。昔は良かった。」って言うのは
古今東西に存在する、共通意識なのだろう。

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 20:32:42 ID:v8kWGgn5
宗茂に関しては、武勇を惜しみ、性格を愛したんだと思う。
彦左衛門には大した武勇がなかった。

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 20:35:10 ID:3q3TLhhI
喧嘩売った相手が悪すぎるから彦左は叩かれるよ
武勇も性格も知名度も申し分ない文句なしの人気武将様(笑)ですもの

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 21:17:11 ID:gW9RcIwK
彦左衛門は、兄貴の忠佐の沼津5万石相続を蹴ったこともあるわけで・・・ひねてますな

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 21:19:07 ID:gW9RcIwK
>>437
考えてみたら、長曾我部がかわいそうだな

445 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/17(木) 21:34:46 ID:NG+PC2vy
>>444
兄貴殺しの胡散臭い小細工しなかったら、土佐半国貰えてたのにな。

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 21:45:29 ID:KRHT58+f
なんか一豊と土佐半分こってのは嫌だな……

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 22:44:47 ID://JKFKj3
頑固な爺で愚痴ばっかり言ってるが、遊びに行ったら日ごろ疎遠でももてなしてくれそうな気はする。
同僚や年長の部下としてはありえないくらい嫌だろうが、先輩として顔を立ててやると扱いやすそうな…。
実際庶民に人気の大久保彦左衛門というのは大公儀に公然と愚痴をたれるところ以外にも上記のようなキャラクターが愛されたのではないか。

プロフィール画像集

2010年06月17日 19:33

意外と希望されている方がいたので、ちょっとまとめてみました!
逸話を知った上で武将の肖像画を見ると、より一層楽しめますよねー。

赤松政則
赤松政則

後藤又兵衛01
後藤又兵衛

多分井伊直政
井伊直政

0624小松姫
小松姫

0303氏郷
蒲生氏郷

0612里見義堯
里見義堯

毛利隆元01
毛利隆元

0325直家
宇喜多直家

0308小田氏治
小田氏治

0617山県昌景
山県昌景

0617池田輝政
池田輝政

0617山名豊国
山名豊国

0617久太郎
堀秀政

ブログ拍手ランキング06/09~/16

2010年06月17日 00:01

06/09~/16までのブログ拍手ランキングです!


慶長12年(1607)4月、織田有楽、古田織部を招き 132

茶会での友情・刑部の涙 126

ある猛将の晩年 109
北条氏康、小田原に立ち寄ったとある高僧に 53
新納忠元と島津家久の歌合 52

蜂屋半之丞、逃げる 50
有名な逸話を省いた清正無双伝 その4、「もとより自分は戦を」 48
日光東照宮の『理想』 44
解説しよう!機嫌の悪い利家の前で 44

有名な逸話を省いた清正無双伝 その3、備中冠城攻め編 38
有名な逸話を省いた清正悲愴伝、1600年の清正 33
あるとき、徳川義直少年はお弁当を作らせていました。 28
主水の首のはなし 28

宇喜多秀家と矢野五郎右衛門 25
有名な逸話を省いた清正無双伝 その1、市足久兵衛退治 25
最上義光 「偽りは侍の道にあらず」 25
雑談・汁かけ飯の逸話などについて 24
雑談・戦国期の土地開発について 24
石山合戦、開戦までの経緯 23
合計 1459


今週の1位は慶長12年(1607)4月、織田有楽、古田織部を招き
某漫画のキャラで完全再生されてしまうw、大変愉快な逸話です。
有楽も織部も、ホントにひょうげ者ですね。面白いけど近くにいると、ものすごく面倒くさそうだなあ…w

2位は茶会での友情・刑部の涙
こちらは有名な逸話ですね。この逸話自体は、相手が三成ではなく秀吉であるなど色々なパターンが有り、
史実とは言い難いものもありますが、後世の人が大谷吉継と言う人の三成への友情、あるいは豊臣家への忠義は
このようなことがあってもおかしくない、と思ったほど、固くブレないものであったと感じていた、と
言うことなのでしょう。
その意味でこの逸話も、吉継の一面を表しているということが出来ると思います。

さて、今週管理人が気になったのは、今回沢山ランクインしている大作

有名な逸話を省いた清正無双伝 その1、市足久兵衛退治
有名な逸話を省いた清正無双伝 その2、因幡国鳥取城攻め編
有名な逸話を省いた清正無双伝 その3、備中冠城攻め編
有名な逸話を省いた清正無双伝 その4、「もとより自分は戦を
有名な逸話を省いた清正無双伝 その5、伊予攻略編
有名な逸話を省いた清正悲愴伝、1600年の清正

有名な逸話を省いた清正無双伝シリーズです!
清正って実は、戦国武将の中でも一般的なイメージと実態とが大きく隔離している人の上位に入る人ですよね。
歌舞伎の「二条城の清正」などは好例ですが、豊臣家に忠義を貫く、知勇兼ね備えた硬骨の武将と言ったイメージを
一般的には持たれていると思います。(ちなみに「二条城の清正」は、昭和の新作歌舞伎だそうですね)
しかし逸話などを見ると清正って、端的に言って非常に利己的なんですよ!w何でこの人があんなに理想化されたのか
解らないほどに。
そんな、後世のイメージなるものと現実的な姿との差を楽しむことも出来る、大変素晴らしい大作、労作だと
思いました!

今週も大変多くの拍手を格逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます!
又気に入った逸話を見かけましたら、どうぞそこの拍手ボタンをポチっと押してやってください。
( ´ω` )

戦国武将、軍歌(いくさうた)

2010年06月17日 00:01

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 23:10:52 ID:ypW6T87q
軍歌(「いくさうた」…戦陣訓を和歌に詠んだもの)

【武田信玄】

戦には 物見なくては 大将の 石を抱きて 淵に入るなり
一戦の 日取時取(合戦前の吉凶占い) さし除き 物見をかけて かねてはからへ
【上杉謙信】
我が人数 弱きとみての 合戦をば 先を仕掛けて 突きたててみよ
ためしさねの 人数を持ちて 合戦せば 幾度成りと うけてせよせよ
【北条氏康】
夜戦(よいくさ)は 功のゆかねば 仕掛けても 味方討ちして 損となるべし
夜戦は ただ合印合言葉 敵と味方の 分けをあらせよ
【織田信長】
大軍を 請くは辺りを 地焼して 引き静まりて 神妙にもて
【豊臣秀吉】
山を越え 敵地へ入ると つまりつまり 丈夫に城を こしらへて押せ
【徳川家康】
敵へ寄せバ 大事々々と 心得て 合戦をむねに あてて近寄れ
又敵へ 仕寄りをするときつらしく 突て出でむと 心得てせよ
【柴田勝家】
取掛る 初日につよきことせねバ 後には敵の へのこ(兵の児)かたまり
つつと入るに 手痛きことを せぬ敵は 乱れ入ても 骨は切るまじ
【蒲生氏郷】
敵近く 成て人数を 立かぬる なりは中々 みるも見ぐるし
若き者 敵へ取りかけ 押すときは ひかへ過ても いかがあるべし
【蜂須賀家政】
後巻は しづと先手も 押え置き 旗本近く 成てしかけよ
敵ちかく 陣を張なば 水よりも 夜の目当を 専らにせよ
【荒木村重】
たびたびに 真先にかかる 大将は 敵も味方も 果ては討ち死に
敵大将 けなけて先へ 駆け出るは 手遠く伏せを 置きて狙へよ

>>833-834
ネタ切れにつきこんなので勘弁
わりとそれぞれの個性が出てるような・・・・



841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/16(水) 14:23:05 ID:DkkKrr7F
>>837
なんとなく合戦の傾向がわかるような気が…

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/16(水) 23:49:17 ID:V+/agsSB
>へのこ(兵の児)かたまり

へのこ!?宮城でへのこって言ったら・・・

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/18(金) 23:58:20 ID:9z2PBjdg
>>849遅レス御免なれ
【武田信玄】
「戦の前に物見斥候を怠り、いきなり敵に当たるようでは、惨敗して石を抱えて入水して死ぬ羽目になるぞ。」
「吉凶占いなどで運勢をうかがうヒマがあったら、物見斥候を出して敵の様子をうかがえ。」
【上杉謙信】
「自軍が数で劣っても、先手を取って懸命に突き立てれば、優位を取れる。」
「キチンとした陣構えをもって戦に当たれば、大抵の攻撃は平気なものである。」
【北条氏康】
「夜襲は経験を積んだ兵でやらねば、同士討ちをしてしまい、かえって損になる。」
「夜襲を行うには、目印・合言葉をキッチリ決め、敵と味方の区別をハッキリさせねばならない。」
【織田信長】
「大軍と戦うには、自軍の周りを焼き払い、見通しを良くして静かに陣を構え、何が起きても動じないようにせよ。」
【豊臣秀吉】
「敵国へ攻め入るのは、野戦築城などして、持久戦の覚悟で臨むべきである。」
【徳川家康】
「敵との初接触は、一大事である。合戦の様子を確認しつつ、慎重に接するべし。」
「敵が静まりかえっているからと言って、近づいて仕寄りなど作るのは危険だ。まず、敵が討って出ると思え。」
【柴田勝家】
「敵との初接触で激しく攻めておかねば、相手は『弱し』と見て、次に当たる時、一気に倒さんと当たりが強くなる。」
「小手調べに、軽く攻めても手ごたえの無い敵は、無理攻めしても肉を斬っても骨は斬らぬものだ。ガンガンいこうぜ!」
【蒲生氏郷】
「敵勢に駆け入って、いざ槍をつける時に構えが揃わねば、見苦しいものだ(普段から軍規を整えよ)。」
「自軍の若者が猛って敵を攻めている時に、「自重せよ」というのも、いかがなものか(勢いを買え)。」
【蜂須賀家政】
「背後から襲う時は、普段のようにワーッと攻めるのでは無く、先鋒を静かに進め、敵の旗が近く見えてから一気に襲え。」
「敵勢の近くに陣を構える時は、水の確保よりも夜襲への注意を最優先にせよ。」
【荒木村重】
「大将が先陣を駆けているようでは、たとえ敵を討ち取っても、大将も討ち取られる。」
「敵大将が先陣を切って来たら、遠巻きに伏兵を置き、期を見て囲め。」

テキトー訳につき異論反論お待ちしております。
[ 続きを読む ]

高橋元種失敗する

2010年06月17日 00:01

407 名前:sage[] 投稿日:2010/06/15(火) 22:12:27 ID:wro4E+7x
高橋元種失敗する

三田井を滅ぼし高千穂を手に入れた高橋元種が次に狙ったのは隣接する米良領地だった
豊臣政権のもと天下統一されたことなんてお構いなしだ
文禄5年(1596)朝鮮出兵のドサクサに紛れて高橋元種が米良領に侵攻する
怒った米良は奉行の石田三成に訴えた
三成「では公平を期すために双方から言い分を聞こう」ということになった
米良は領地所有の正当性の証として名門・菊池家から続く家系図を抱いて必死の思いで自ら大坂へ向かった

そして裁定の日
高橋元種側からは誰も来なかった
さすがに言い訳が思いつかなかったのだろう。本人はもちろん家臣も来なかった。
米良は秀吉の前で系図を出し自らの正当性を訴え秀吉もこれを了承し、裁定は米良側の勝利となった
名門・菊池家の血統であることを認めた秀吉は改めて米良を別室へ招き丁重にもてなし
さらに手ずから槍を与えたと言われている

裁定をバックれた高橋元種だが何故か何の処分も受けていない
石田三成は翌年の慶長2年には今度は相良さんの御家騒動の裁定があったりで忙しく
さらに朝鮮の役のバタバタで、うやむやになったのだろう
失敗しつつも生き残る。それが秋月一族のクオリティ




408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 22:25:06 ID:k3dbRotS
高橋元種は延岡周辺の開発で地元ではそこそこ知名度があるらしいな

「一言」でのめんどうくさい出来事

2010年06月17日 00:01

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/16(水) 19:31:02 ID:TGNZP4Mh
>>405の「一言」での出来事

一言の坂のおり口で武田の騎馬隊に追いつかれた家康の軍、この時大久保勘七郎忠核(ただつね)は
とって返し武田軍に向かって鉄砲を放った!

ところが鉄砲から相手まで1,2間(約2~4メートル)ほどしか離れていなかったのに、
どうしたことか撃ち外してしまった。

退却した後家康は勘七郎に声をかけた

「あの時どうして撃ち外したのだ?」

「それでしたら、あの時私は、都筑藤一郎殿が弓を持って先に居られたので、それを心の頼りにして
鉄砲を撃ちました。しかし敵との距離は1,2間しか無かったにも関わらず撃ち外したのは、
撃とうとする瞬間、私に臆病風が吹いたからだと思います。」

その都筑藤一郎、これを聞いて話に入ってきた
「何を言うか勘七郎殿、あの時私は、あなたが鉄砲を撃ってくれたお影で心強く思い
弓矢を持って踏みとどまることが出来たのだぞ?」

これを聞いてさらに大久保勘七郎の兄、大久保治右衛門忠佐が割って入る
「藤一郎殿!そんなふうに弟をかばってくれなくても良い。あなたを頼りにしなかったら、
勘七郎のような若造がどうして踏みとどまることが出来るでしょうか。全て藤一郎殿のおかげです。

これは勘七郎だけではない。私だってあなたが弓を撃つ準備を始めたのを見て、
馬から降り弓を準備したのです。」

ところが藤一郎これを聞くと
「治右衛門殿それは違う!一言の坂のおり際であなたが弓の準備をしているのを見て、
私も弓の準備をしたんだ!それは逆である!」

「いいや、お主が先だ!」
「何を言うかお主の方が先だ!」

藤一郎と治右衛門、いつの間にやら誰が最初に頼りがいがあったかの口論となった。

これには家康「お前ら最初の論点から大きく外れたところで喧嘩をするな」
と、笑いながら言ったそうだ。

ちなみに家康の言いたかったことは「勘七郎が鉄砲を外したのは臆病だからではなく、
単純に撃ち方が悪かっただけだから、撃ち方を直せ」と言うことであった。

これを話すためだけに、途中二人が間に入りここまで遠回りをするはめになるという、
いかにも三河者らしい面倒くさいお話。




417 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/16(水) 19:35:30 ID:UkN/hKoR
>>416
あああああああああああぁぁぁぁぁめんどくせぇぇぇ!
息をするのもめんどくせぇぇぇってレベルじゃねーよ!

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/16(水) 19:46:32 ID:Eq5c7m6t
これはめんどくさい

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/16(水) 19:48:21 ID:e960iMTO
相手を立てようとして喧嘩になるところがなんともめんどくさいw
でもそんな三河者が大好きです

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/16(水) 20:00:40 ID:fi4cR3xY
めんどくせええええええええええええええええええええええ

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/16(水) 20:16:35 ID:pRcWc2e9
こんな家臣ばかりじゃ家康も5歳の時に我慢値が95になるよな

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/16(水) 20:57:10 ID:IhmwhV7L
お互い悪意があるわけじゃないから面倒臭いながらもどこか憎めないんだろうな

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/16(水) 21:00:58 ID:AVyApNd6
家康が止めなかったら悪意がないのにどっちか死にそうだがw

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/16(水) 22:53:16 ID:wMN2jnSX
>>423
「ならば頼りがいがあったのはどちらか、合戦にて存分に検分しようではないか!」
「おお!」
「さあ殿、責めて来られよ」

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/16(水) 23:30:13 ID:b/c9B6p5
>>421
孕石『……』

426 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/17(木) 00:35:17 ID:G66hu9hm
>>425
人質時代の知己には適用されません。

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 03:04:15 ID:y7xsr+hV
氏真とか氏規には良くしてもらっていたのかな

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 04:04:39 ID:qM31OBuN
ちきしょう
めんどくせえ祭り乗りおくれた

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 10:01:35 ID:Y3DMVtyB
松平免獨斎

河井正徳命名秘話

2010年06月16日 00:00

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 16:59:27 ID:ivFbuZ0T
今川家の侍に、河井正徳という男がいた。
彼は生まれながらにして足が悪く歩行に難があったが、鉄砲の名人であり、他家にも名を知られた
勇者であった。

ところでこの『正徳』と言う名、今川氏真がつけたのだそうだ。それにはこんな話が残っている。

ある合戦のさなか、河井を見た敵兵が言った
「あそこに手負いの者がいるぞ!押し囲んでその手負いを打ちとれ!」

これを聞いた河井はわざわざ敵の方に駆け戻って叫んだ

「勘違いするな!わしは絶対に手負いなどではない、生得のチンバである!!」

合戦の後この豪胆な行動は話題となり、今川氏真もそれを知った。そこで河井を呼び

「敵の方に戻って生得(せいとく)のチンバであると言ったこと、あっぱれである。
よって今後そなたは、『正徳』と名のるが良い!
生得だから正徳。もう勘違いされることも無いぞ!」

「は…、はあ…。」

ダジャレである。河井がこれを喜んだのかどうか、定かではない。
今川氏真、河井に「正徳」の名を与える、と言うお話。




399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 18:11:52 ID:MRXjF5UN
>>397
正徳ってイミナっぽい響きだけど、この場合は通称なんだよね?

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 18:19:34 ID:yRGuSfsU
諱っぽいというより戒名っぽい

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 18:26:17 ID:oTjVQrBW
「これからそなたはわしの一字を与え、佐久間信信と名乗るが良い」
に通じるものがあるな。

名前もらっても本人は必ずしも嬉しいわけでもないんだね。

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 18:26:37 ID:hVO8xgBh
諱で音読みは無さそうだから「正徳斎」とか「正徳軒」とか道号・法号と思われ
(「三斎」や「惟新」と同じ)

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 18:43:56 ID:0TxIl2Z4
おい、人の息子の名を戒名にするなwww

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 23:40:10 ID:tDhj2OPp
>>401
「あんたの名の時連って、金を連ねるみたいで下品だから改名した方が良いと思うよ」

とか言われた北条時房(旧:時連)さんって・・・源頼朝につけてもらった名前なのに
[ 続きを読む ]

南部利直の虎退治

2010年06月16日 00:00

398 名前:sage[] 投稿日:2010/06/15(火) 17:02:26 ID:wro4E+7x
ソースは民話集なんで緩い目で見てください

南部利直の虎退治

大坂の陣での功績で南部さんは徳川家から雌雄2頭の虎を拝領した
城内に厳重な檻を作り、マタギから一名の虎番が選ばれた
スリランカだったか、とにかく南国産まれの虎が東北で生きるのも大変そうだが
差し当っての問題は肉食獣である彼らのエサだった
虎たちの食欲は旺盛で鹿、猪など獲りつくし猟犬までエサに出すように命令が出たほどだ

ある時、虎番が檻に鍵をかけようとしたところ雄虎が檻から脱走し
目の前にいた虎番に牙を向き襲いかかった
南部利直は虎番のピンチを、たまたま高楼から見ていた
そして火縄銃を装填すると狙い定めてぶっ放し見事に雄虎を仕留めた

残った雌虎は1622年まで生きていたそうだが
檻に紛れ込んだ虎番の猟犬とケンカになり、老衰していた雌虎と猟犬は相打ちで死んだそうだ
戦国かどうかも微妙で、いい話か悪い話かも迷ったが
生まれ故郷から離された虎には気の毒な話と思い悪い方に投下




404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 19:19:49 ID:RZ37HjKJ
>>398
シベリアトラ(チョウセントラ)は意外と北国(雪国)でも
生息している。加藤清正が退治した虎もおそらく同種じゃないかな?
まあ、飼育には現代でも、かなり手間がかかるんで、利直も
折を見て処分したんだろうね…虎には気の毒だけど。
現代であれば人間より手厚く保護されるだろうに…



関連
清正の土産
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5204.html

「一生に一度、一言(だけ)の願いを叶えてくれる」観音様

2010年06月16日 00:00

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 21:51:26 ID:0ZK/fw/M
まあ駄洒落っつても字を変えてくれるだけマシじゃないかと思う。


元亀三年、遂に西上を開始した武田軍を阻止すべく
天竜川を渡った徳川家康だったが、
三箇野川(今の太田川の支流)近辺でボッコボコにされて撤退を決意。

しかし磐田原台地の西端で馬場隊に捕捉されてしまう。
ここで殿軍をつとめて大活躍し、
「家康に過ぎたるもの」とうたわれたのが、かの本多平八郎忠勝だが、
有名なので省略。

またこのとき、近隣の村にあった
「一生に一度、一言(だけ)の願いを叶えてくれる」という
微妙に凄いんだか凄くないんだかよく判らない観音像に
家康が戦勝を祈願したところ、たちどころに徳川軍が盛り返した、
という伝説も有名なので省略。


で、本題。
この観音像のご利益に気を良くした家康は、村長にこう言った。

「これからこの村は一言と名乗るが良いぞ」

村長や村人、周囲の家臣らがどう思ったかは伝わっていない。




406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 21:53:48 ID:fCrJ/xwO
流石のネーミングセンスで安心しました

戸田重貞の人質盗み

2010年06月15日 00:00

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 18:29:56 ID:94jZAwrc
永禄7年(1564)の事

東三河の仁連木城主、戸田重貞は、桶狭間以来衰退著しい今川家を見切り、東三河へと攻勢をかける
徳川家康につこうと考えていた。だが重貞の母親が、今川方の吉田城に人質にとられており、これを
何とかしないことには身動きが取れない。

その時重貞、吉田城の城代が双六好きなことを思い出した。ちなみにこの時代の双六とは、
今のバックギャモンのようなゲームである。

「そうだ!」
重貞は吉田城を尋ねると、城代にこう申し出た
「私も最近になって双六の面白さを知るようになりました。どうでしょう、御指南いただけないでしょうか?

その日より重貞はしげしげと吉田城に足を運び、城代と双六を楽しんだ。
ある時、重貞が下人に大唐びつ(衣服などを収納する箱)を背負わせてやってきた。

これには怪しいものは

吉田城の門前で番人の前で自分から唐びつを開けようとした。実際、その中には雑具など、
どうということの無いものが詰まっていた。番人たちは慌てて

「いえいえ、戸田殿の荷物なら確かめるまでもありません」

「そうですか、では通していただきます。しかしもし疑いがあるようなら、私は城内におりますので
いつでも言ってください。すぐに開けてご覧に入れます。」

「そこまでなさることはありません。よくわかっております。」

「では私がこの唐びつを持ってきたことを、よく覚えておいてください。」

そう言って城の中に入り、いつものように城代と双六を打って遊ぶ。その間に人質であった母親は、
予めの計画通り唐びつの中に隠れた。これを下人が抱え、番人に「先程の戸田様の唐びつです」とだけ言い
城の外に出た。

これを見届けた重貞の小姓が碁を打つ部屋の白洲に、しずしずと歩んできた。この合図に
重貞は双六を打ち終え退出、門を出ると馬上で薙刀をとり、唐びつから出した母を先にたてた。
するとかねてからの打ち合わせ通り仁連木より家臣たちが迎えに走ってきて、これらに守まれ
無事、帰城した。
これにより重貞は心置きなく、家康への臣従を誓った。

『これほど立派な人質盗みは、これまでに類がないほどだ』
戸田重貞の成功はそう、大きく讃えられたと言うことである。




802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 19:38:40 ID:/oiKNLnt
重貞が童貞に見えてしょうがない

803 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/14(月) 20:43:33 ID:1v3Urp2t
それは被害妄想w

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 21:41:36 ID:BfPUY3DD
>>801
いい話だけどやっぱり>>802と同じだw

805 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/14(月) 22:29:26 ID:ZZSNt4AT
    (⌒⌒)
モチツケヨ l|l l|l  どどど童貞の何がいけないのでござるっ!
  ∧∧∧_∧
  (;゜Д(`・ω・´)") }}}
  ヽ 、と'^)  l^)´
  ~〉  ) )、 \
   (_ノ(__) ヽ_)))

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 22:44:55 ID:yd45jzAf
>>802>>804
俺の代弁をしてくれて感謝する

807 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/14(月) 23:11:29 ID:sqEtQEmf
  小 面 童  /   ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、    ,r';;r"           _ノ
  わ が 貞  L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/             )     何
  っ .許 が  //;;/´         `' 、;;;;;;;;,,l;;'            /ヽ  と と
  ぱ さ.    /.,';/              ヽ;;;;,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i な 童
  ま れ   l |;|┌--‐フ  ┌----、、   |;ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 貞
  で る   i  |l ~~__´ 、   ``'__''''┘  |;;;;;l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;厶,
  じ の   l _|. <,,O,> 〉   <,,O,,>    |;;;;;| `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;ヽ
  ゃ は   ._ゝ'|.    /   、       |; ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
  ぞ    「 | |    (    )       .ソ l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ
        ヽヽ |    _,ニ ニ,,,,,_        ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄  `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、     ''  ', i、-----.、       `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ!   ',   :i゙''''''''''`l'  ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\        ,'  ト、,
      /    ヽ.   L__」   「 止 笑 L_ ヽ〈    i|          Vi゙、
ハ ワ  {.     ヽ.  -、、、、 '  ノ  ま い  了゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
ハ ハ   ヽ.     ハ       )  ら が  |  ',.' ,  ̄ , '    ノ  /./    ヽ,
ハ ハ    >  /|ヽヽ、___,,,,、 'く  ん    > ヽ.  ̄´   / ,、 ' /     / \
ハ ハ   /  ノ. | ヽ       フ      /  ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙     /

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 23:32:52 ID:7347L+XY
/ ̄ ̄ ̄ ̄\   |:::/, ─-.|  -──--、、 | ミ      / ̄ ̄ ̄ ̄
|         |  |::|    / l         ヽ ミ     |
|         |  |::|   .,l  .|   _ 、   /ヽ / ヽ ̄ ̄ .|
|    重    | -::::|-─-、  ,ヽ/ ̄::::─ヽ\_ミ( 丿   .|    私
|    貞    |/:::::::/┘::::::丶-ノ( ┘::::::::|/ ̄ |ミゝ___ |    は
|    だ    |\::::|ト.::::::::ノ| |  ゝ:::::::::ノノ ヽ  |ミ/ | |ミ|  |
|         |   .|  ̄'  | |  |  ̄ ̄    )   / |ミ|  |
|         |   |    (:  , _)      ノ   /  /ミ| |
|         >   |    .ゝ-/     イ   イ ̄ ヽヽ|.<
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          | ::::::::::::::|  ::: ̄ ̄::::   | ハ :::::::::::::::::::::::::::
         | iiヽ ::::::::::::| ::    ::   | |iiヽ :::::::::::::::::::::::::
         | iiiiiiiiヽ ::::::::ヽ ::   :  /| |iiiヽ :::::::::::::::::::::::::
        | iiiiiiiiiiiiiii| :::::::::::ヽ___..,イ | |iiiiiヽ ::::::::::::::::::::::::


809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 23:36:20 ID:5aJ+wn+C
どうって事ないでござる。

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 23:50:49 ID:YQ1hWeNn
この流れ何とかしなくては…
いあいあおにむさし!
あいあいおにむさし!

贔屓の理由

2010年06月15日 00:00

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 22:01:08 ID:7LdNBIuV
「贔屓の理由」

鍋島家の家臣達の間に、ある不満が広がっていた。
隠居している大殿、直茂が最近雇われた新参者をいつも側においているのだ。
しかもこいつが槍働きなんぞできそうにも無く、やたらに軽薄なだけの奴であった。
直茂は隠居したとはいえ、未だに家中からは畏敬の念を持たれている。
はやい話、「な、なんであんな奴が大殿のお気に入りなの!?」という嫉妬であった。
で、ある家臣がみんなを代表して直茂に苦言を呈した。

家臣「最近〇〇をやたらに可愛がられているそうですが、
我々が戦場で現役だった頃には全然見かけなかった奴ですよ?
これから先も役に立つとは思えないんですが、どこが気に入って可愛がっておられるのですか!?」
(今程何某を別けて御懇ろに召し使はるゝと相見え申し候。我々槍突き申し候時分、終に相見え申さず、
先途の御用に相立ち候儀、心得申さず候が、如何様の思召し入にて御懇ろに召し使はれ候や)

直茂「まあ確かにその通りだな。あやつは先々も大して役に立たんだろう。
その分気安く使えるから、俺のお尻を拭かせるのに雇ってるんだよ」
(いかにも尤もの存じ分にて候。彼の者先途の御用に立ち申したる者にてもなく候へども、
我等気に入り、心安く候故、尻をも拭はせ申し候)

家臣「……(汗)」

直茂「だってほら、いざって時にはお前らが頼りだけど、
お前らに俺の尻拭かせるわけにはいかないだろ?」

家臣「お、大殿……(泣)」

葉隠に載ってる有名な話だが、書いた人は美談のつもりだったんだろうなあ……
現代人にはなんとも言えない話なのでこっちに投下してみた。




395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 22:11:51 ID:/oiKNLnt
始めはクロカンさんみたいな「わしが嫌われておれば勝茂の人気が…」的な落ちかと思ってたら
ここはそういえば悪い話スレだったw

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 23:34:44 ID:fVos4uPQ
なんだ下の方の槍働きか

慶長12年(1607)4月、織田有楽、古田織部を招き

2010年06月14日 00:00

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 16:16:50 ID:QCnJByLK
慶長12年(1607)4月、織田有楽は大坂天満の自邸に古田織部を招き、“台子点前”の茶会を開いた。

“台子点前”とは、飾り台に茶道具を置いて茶を点てる作法であり、貴人をもてなす作法とされるものである。
有楽が本日の客で当節、宗匠と呼ばれる織部を敬った形であり、さらに有楽は加藤清正が朝鮮から持ち帰り、
太閤秀吉に献上した「天下無双」と言われる“龍頭の水指”を用意した。

通常、台子点前においては、このような貴人ゆかりの道具は押しいただいて拝見するのが作法であったが、
肝心の客の方は台子の作法に詳しくなかったのか、織部はそれをしなかった。
これでは秀吉・その子秀頼、もしくは水指の発見者である肥後国主の清正を敬わない、という事になってしまう。
しかし有楽は、そんな織部を眺めて、ただニヤニヤしていた。

微妙な空気の中、茶会は進み、やがて有楽が炉の炭を起こし、茶釜を火にかけると織部は、ニヤニヤした有楽の
顔色から己の無作法を悟ったのか、「失礼だが、台を拝見したい。」と言い出した。
「・・・どうぞ。」有楽の許しを得た織部は、台子の作法をモノにせんと台の茶道具の並べ方など凝視して調べ、
それに飽き足らないのか、台の棚に顔を突っ込み、釜の炭の置きようまで、食い入るように見つめた。

そこへ炭の火の粉がはじけて、織部の頭にクリーンヒット!!

「 うぁ熱ちゃあああああああああああああああっ!!!!! 」
思わず飛び上がった織部は飾り台に頭をぶつけて破壊し、畳は一面抹茶の海と化した。動転した織部は、
茶入に抹茶をかき集めると、なぜか茶入を抱えて茶室を飛び出した。

「も・・・もういい、カンベンして織部・・・・・・」
イロイロ我慢できなくなった有楽は、「もういいや、今日はゆっくりしよう。」と、小姓に枕を二つ持ってこさせ、
織部と二人、寝転がってテキトーに茶を点て、その日は一日ダベって過ごしたということである。




376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 17:24:54 ID:DB6KDsWx
>>375
> 動転した織部は、
> 茶入に抹茶をかき集めると、なぜか茶入を抱えて茶室を飛び出した。

わらたw
人間慌てふためくと意味不明の行動するもんだが、織部でもこれかw

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 18:10:25 ID:pYkQR/b2
へうげものの絵で再生されたw

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 18:26:43 ID:/RsKGWLo
へうげ織部なら明らかに盗みにかかってるぞ、それw

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 18:32:00 ID:EXcJ4jw9
有楽も人が悪いなw

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 18:37:13 ID:JsLq+fXh
1607年か、へうげものでこのエピソードが語られるのはまだまだ先だねぇ

382 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/13(日) 20:23:49 ID:VgHtQQJH
>>378

                      、_f^ヽ
                  ミ三ニ彡ゞ=ニ'、
                 / ̄ ,イリハi})ヾ丶、
                /   /ィノリ川l.i.l.i.l.i.ヽ、
                  /   く彡彡ノノノj⊥、l.i.l.ヽ_,ノ
              /     `ゞッ=ミソ(ィ'ぅ丶l.i.l.iV_,' _,_
              l  , '  ,、 '´  `ヾj,ニ、 )ヽミッゞくラ丶、
              '、/  ,イツ        、゙_,ノ  ,! l/:.:.:.:.丶、
ヾ 川川川川川川川,ノ  '、'、,li},イ   _、    ヽ'、 i,  /:.:.:.:.:.:.:./l
三           三.   ヾミ'゚'゙ー _,ィf トミ、   ヾ!l! /:.:.:.:.:.:.:.:/:.l
三 ゲ 良 こ 俺 三      ', ::... '゙//::::ヽ    lリ/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.l
三 ヒ  い の .の 三      l '´ /ノヘ::::::l   ,' /:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.l
三 ヒ. 物 茶 盗. 三     `⌒ '゙´  `tヲノ  /, /:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:l
三 ヒ  で 入 っ 三          _,.ン介-イl'/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.,'
三 ヒ  ご と  た. 三         /:.:.:.:l:.:/l::ll/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.,':.
三    ざ て    三         l:.:.:.:.l:./ l::l':.:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.,':.:
三    る      .三       (^ヾ:.:.:l:./ ,l:/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:,:':.:':.
三    よ      .三       ,/`ト,∨:/ l/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.l⌒l:.:.:
三           三     /: : l{∧∨ ,/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.:l'^'l:.:.:
ノ 川川川川川川川ヾ    ,イ_ ,ィ'l:しヘ.∨:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.:.:.'(ソ:.:.:
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383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 21:01:47 ID:/Is8XE2s
>>382
作ってもないものでえらそうにすんなw

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 21:07:07 ID:uyWYjjf0
>>375
ウマが合うってこんな感じを言うんだろうなあw
還暦すぎてもこんな友人関係でいられるのって、うらやましいと思う

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 21:08:14 ID:TlJ8F6lq
有楽と織部、面白いコンビだったんだろうなあw


388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 01:43:40 ID:2GyftF75
>>375
事故に見せかけて茶入盗もうとしたんだと思った

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 08:48:39 ID:3Zy+og1t
へうげものでは利休在世当時に有楽には台子手前を教え、
織部は教わってないという話があったが、
このエピソードへの伏線だったのか。

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 09:31:23 ID:UoWPtULc
>>375
(荒)大名茶とは別の意味で抱腹絶倒の落ち話だな w w さすが有楽斎と古織

蜂屋半之丞、逃げる

2010年06月14日 00:00

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 22:12:32 ID:DB6KDsWx
永禄6年(1563)、三河一向一揆の時のこと

家康に背き一揆軍に参加したものの中でも、蜂屋半之丞貞次と言えば、当時の三河を代表する勇者として
有名であった。

蜂谷は背が高く力も強かったので、真ん中が太くなるように作らせた白樫の三間(約5.5メートル)槍に、
紙を投げつけるとサクっと貫くほど研ぎ澄ませた長吉の刃をはめこみ、、これを自在に振るった。

『半之丞の槍先に、誰が向かってこようか!』

蜂屋は常々、このように豪語していたそうだ。


さて、一揆とのある合戦で家康は攻勢をかけ、一揆軍は退却を始めた。この退却する軍勢の中に
蜂屋を見つけた家康は、その方に向かって駆け出した!当時家康21歳、血気にはやる若者なのだ

「蜂屋!戻れ!!わしと槍を合わせよ!!」

これに蜂屋半之丞、わしと戦おうなどとは何を生意気な、返り討ちにしてくれる!と、振り向くと、
そこにいたのは家康

「げぇッ!殿!?」

すぐさま回れ右、前かがみになって槍を引きずりながら、一目散に逃げ出した。
この、逃げる蜂屋に追いついたのが松平金助である。

「蜂屋半之丞!もどってわしと槍を合わせよ!」

「ぬ?家康様ではないな!?さっきは家康様であったから逃げたのだ。お主ならば容赦ない!」

と蜂屋、取って返すと槍を合わせ、たちまち鯨にモリを突き立てるように刺し貫いた。
この槍を引き抜いたところで、またもや家康が追いついてきた

「おのれ蜂屋め!勝負いたせ!!」

家康の声を聞いた途端蜂屋、勝利の余韻に浸る間もなく再び、槍を引きずりながら一目散に逃げ出した。


家康は陣に帰ってから
「蜂屋は自分から逃げ出すような侍ではないのに、私を見ると逃げて行ってしまったよ。」
と言った。この時家康、非常に愉快そうで、上機嫌だったそうである

有名な三河一向一揆、蜂屋半之丞逃げる、の一席。




391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 17:33:38 ID:kyUKQoup
>>386
忠義と信仰の板挟みの中で主君と戦う…といえばシリアスだけど、
こうして見るとやっぱ面倒くせぇな三河武士という感想になってしまうw

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 17:47:30 ID:YQ5+sPmY
それをしつこく追い掛け回す家康、どうみても面白がってわざとやってる様にしか見えない。

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 19:16:46 ID:mMptHekV
べ、別に殿とは戦いたくなかったんだから!
松平の長として、反省だけしてくれれば良かったんだから!!

ナニコノツンデレ。

主水の首のはなし

2010年06月13日 00:01

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 22:19:27 ID:44tJLEsg
伝承で、昔読んだ本なんで証拠を出せと言われても
本のタイトルも忘れたんであくまで「逸話」として読んでほしい。

「主水の首のはなし」

上方で天下分け目の合戦が行われている頃、
ここ奥羽の地でも上杉と最上と言う大名の間で合戦が行われていた。

上杉は米沢と庄内を中継する領土としての山形を狙い、
最上は降り掛かる火の粉とでもいうべき上杉を追い返そうと必死だったそうな。

上杉方の大将は天下の陪臣直江兼続。
対する山形の大将は殿様自ら先陣が好きな最上義光。

最上は上杉に味方する素振りを見せ
支度金までせしめていたから余計に直江を怒らせたらしい。

直江は3万もの兵を率いて守将2千足らずの長谷堂城を包囲した。

ここで話は数日前に戻る。

最上領民「上杉が責めて来るそうな」
別な領民「最上の殿さまったって相手が上杉じゃ大人と子供のけんかのようなものじゃて」

最上義光は精鋭1500を長谷堂に送り
身代2000は老兵や農民しかいなかった。

義光「上杉からせしめた金もあるし、どれだけの浪人が雇えるかどうか・・・」

支度金を出すとの触れに浪人100人ほどが山形城に顔を見せた。

最上家臣「ちゃんと並んで、記帳したものから支度金を与える。ん?お主さきほども並んでおらんかったか?」
浪人「(汗)い、いいや、わしゃはじめてだがな!」
最上家臣「嘘をつけ!先ほども見たぞ!」
喧々囂々としてるところに義光が顔を出した。
義光「どうしたんだ?騒々しい」
最上家臣「いえ、こやつが二度も支度金を取ろうとするもんですから」
義光「本当か?」
浪人「い、い、いえ、滅相もございません(汗)」
義光「本人がこう言うのならまだ貰って無いんじゃろ。他人の空似じゃ」

長谷堂郊外で直江の外臣、上泉主水が討たれたのはそれから暫く経っての事。

「最上の殿様には名誉を守っていただきました。」
主水の首を山形城に持って帰ったのはその時の浪人だったという昔話。

とっぴんぱらりのぷー




742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 22:27:13 ID:tfcjzJXE
同じ頃、九州の黒田官兵衛にも似たような話あったよな。

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 22:36:45 ID:tYnMPWSf
>>741
なんかそいつ要領いいから他人に討たせて首だけせしめて帰ってきたっぽいな。

744 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/06/11(金) 23:03:37 ID:V7ezwA84
>>743
本当の要領がよかったら鮭も一緒に持ってくるはずだ!

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 23:13:27 ID:tYnMPWSf
浪人「鮭はありませんが、愛(兼続の首)なら今度獲ってきましょう。」

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 23:34:41 ID:IChcrZBA
北信愛「呼ばれた気がしたが…?」

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/12(土) 00:23:20 ID:9MFOf+Du
義光「計画通り(ニヤリ」