駿府城火災と松平正綱

2010年06月30日 00:00

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 23:15:07 ID:AsMZk7bf
埋めがわりに

慶長15年(1610)10月14日、徳川家康の滞在する駿府城において火災が起こった。
この時駿府城にあった松平正綱は、御納戸に向かいそこから晒し布を取り出しはじめた。

「火災の中そんなものはどうでもいいではありませぬか!?早く逃げないと!」
そんな非難に正綱

「そうではない、こうするのだ!」

彼はその晒し布を結びあわせ、数箇所の石垣の上から、地面へと垂れ下がらせた

「この布を伝って石垣の下に避難せよ!!」

正綱のこの機転によって、城中の多くのものが無事に退去できた。
家康は正綱の措置を大いに褒め、新たに三千石を加増、さらに自筆の御黒印を下賜したとの
ことである。

ちなみにこの松平正綱、あの有名な知恵伊豆、松平信綱の養父である。

知恵伊豆の養父も知恵者であった、と言うお話。




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輝姫の伝説「落石さま」

2010年06月30日 00:00

987 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/29(火) 20:52:05 ID:hhJXXK2Y
埋めに大蔵系嫡流原田氏最後の姫君、輝姫の伝説「落石さま」

話は天正14年(1586年)4月、当主の原田信種が一人娘の輝姫14歳を逃がすとこから始る
当時は豊臣秀吉の九州征伐で、原田氏は島津に従がっていたので、いつ攻撃を受けるか分らない状況だった

信種「姫は乳母とともに乳母の郷里に逃げるのだ」
輝姫様「いやです!弟の嘉種も残るのでしょう?!姫も共に戦います!」
信種「嘉種は若年だが嫡男ゆえ城に残るのだ。女子のそなたは今後、原田の家がどのように零落しても生き延びるのだ!」
姫君は乳母と供を一人だけ連れ高祖(たかす)城を出た


乳母「おちいさま(輝姫を乳母は、こう呼んでいた)お労しい・・・」
城の中しかしらぬ姫君が慣れぬ足で歩き続け、乳母の郷里で漁村の野北(のぎた)浦に辿りついた
乳母の夫は「殿様が・・・ワシら夫婦を頼れを言って下さったのか・・・もったいねぇ!」
と喜んで受け入れ、村人たちも姫君の境遇に同情し海の幸、山の幸と食糧を提供した

やがて野北浦に父の高祖城が秀吉軍によって落城した話が伝わる
それを聞くと姫君は、立ち上がり振袖の裾を千切ると乳母夫婦に宣言した

輝姫「今日よりは一人の娘です。いつまでも人様の情にすがり続けるわけには参りません。私は魚を行商して稼ぎます」
乳母夫婦が必死で止めたが姫君の決意は固く、その日から魚を担いで村々を回り売り始めた
姫様は名前を輝姫からテルと改め、手広く行商し、かつて姫君として暮らした高祖まで売り歩きました


村人は「なんと雄々しい姫様じゃ。ワシらの娘にも見習わせよう」と褒め称え
野北浦では「娘は魚の行商を経験してからが一人前の女だ」とまで言われるようになる
やがて輝姫・・いえ、おテルは村の漁師と結婚し平凡だが幸せな家庭を築いたそうだ

姫君が亡くなると村人は彼女を「行商の神」として祀りお堂を建てました
それが福岡県志摩町野北の戒宝寺に残る「落石さま」堂です
名前の由来は、乳母が輝姫様を「おちいさま」と呼んでいたのが
「落石(おちいし)さま」に転化したと言われています
今は訪れる人も疎らとなっていますが、毎年9月1日が御祓いの日だそうです

ソースは糸島市史を紹介したHP




988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 21:16:42 ID:3Wh1ryy3
おちいさまと結婚した漁師になりたい

989 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/29(火) 21:24:36 ID:hhJXXK2Y
通常なら手が届かぬ高嶺の花で神様に祀られるほど稼ぐ働き者の女房
漁師は人生の勝ち組















料理の腕はメシマズな可能性

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 21:28:00 ID:ogfLxMdC
一瞬「原田氏最強の姫君」にみえて、筋肉モリモリの姫が巨岩を投げて戦う話かと思った。

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 21:37:09 ID:bQ3hroq7
ここのスレ見てるとそういう話もどこかにありそうに思えてくるから怖いw

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 21:38:26 ID:45Jml0ua
大坂で原田直政が死ななければもらったかも知れないのかな。

993 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/29(火) 21:41:34 ID:hhJXXK2Y
>>990殿を婿候補として、ぜひ手合わせ願いたいと某本○家の姫君が捜してます

町人、佐野四郎右衛門の義侠

2010年06月29日 00:00

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 22:36:01 ID:bpDOvLfE
市川茂右衛門と加藤甚九郎は、鳥居元忠の家来であった

慶長5年(1600)彼らは関東の元忠の所領にいたが、蜂起した石田三成等の軍勢により
元忠のいる伏見城が囲まれたということを聞くと、取るもの取らず、急ぎ伏見に向かった。

ところがその手前に大津城主、京極高次によって関が設けられ、怪しいものが通らぬよう
人改めをしているという話が聞こえてきた。
そこでこの両人は急ぎ出家の姿になり、わずかばかり覚えていた経文をとなえ、
これによりどうにか関を通過した。

だが伏見城は西軍に厳重に囲まれ、どうにも入城する方法がない。
そこで二人は京に上り、鳥居元忠が常々懇意にしていた、佐野四郎右衛門と言う
町人のところに行った。

「我々は、どうにかして伏見城に入りたいのだ」

伏見城は大軍に囲まれ援軍の当てもなく、誰が見ても落城は時間の問題であった。

それでもなおこのように言う二人に、四郎右衛門は感動し、両人のため具足、槍、薙刀を用意、
密かに城内と連絡を取り、7月末日の夜、二人は無事、入城に成功した。

彼らは鳥居元忠と共に討死し、見事本意を遂げた。

また、この佐野四郎右衛門は、伏見落城の後、大阪で獄門に掛かっていた鳥居元忠の首を
盗み出し、京に持ち帰り葬儀を行ない、さらに知恩院の寺内に龍見院という寺を建て、そこで
元忠の霊を厚く弔った、とのことである。

町人、佐野四郎右衛門の、義侠についての逸話である。




970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 22:49:34 ID:FuDqvqoT
>>969
出家の姿になり、というのは
頭も丸めたという意味なのかな。

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 22:51:13 ID:bpDOvLfE
>>970
そういうことですな

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 23:29:04 ID:EtqXN1hS
>>969
家来も天晴れとしか言えん奴らだな
イイハナシダー

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 23:42:33 ID:92jvn3n7
面倒臭い三河武士のことだから伏見城に入城した時に「何で殿の元へ行かなかったのか!」とか言われてそう。

974 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/28(月) 00:16:43 ID:jGVV42iW
この者達の子孫は厚遇されているの?

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 00:51:09 ID:v+SPD03B
>>974

東照大権現「お前たちも自分の子孫が可愛いか!?」

976 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/28(月) 00:57:39 ID:byBVe5DO
>>969
名のある武士にも出来ない事をやってのけるとはスーパー町人だなあ

977 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/28(月) 09:39:20 ID:8iggxO7F
鳥居勝商はその辺の武将と同程度の立派なお墓だったが
子孫がどの様に扱われていたのだろうか?

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 12:52:52 ID:9VyHiFu3
鳥居勝商の子孫は奥平信昌の四男、松平忠明を祖とする奥平松平家に仕えた。
1500石だから大身だね。
奥平家にとっても家運を開く合戦だったわけだし墓も立派になるさ。

尼子さんの家の記録による、鹿之助vs狼ノ介

2010年06月29日 00:00

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 22:13:46 ID:UjdQP+By
永禄8年(1565)9月、毛利氏は家運傾く尼子氏にトドメを刺さんと月山富田城に攻め寄せた。山中鹿之助幸盛は
これを迎え撃つべく秋上伊織介らを率い、毛利氏の先鋒・益田藤兼隊と広瀬川を挟んで対峙した。

「そこに見えるは尼子の勇士、山中鹿之助と見た!我が名はタラ(木或)木狼ノ介勝盛!いざ尋常に勝負!」
「…?益田さん家の品川大膳さんですよね?馬鹿力で有名な……」
「ち、違う!わしの名は狼ノ介だ!」
「あぁ!春先、鹿がタラの芽食べると角が取れるって話があるから改名したのか。」
「え?じゃあ、“鹿”之助を取って食うから“狼”ノ介?幸盛に“勝つ”盛?なんてベタな……」

「う、うるさい!一騎討ちを所望する!」仕方なく鹿之助が川に馬を乗り入れると、品g…狼ノ介が矢を放ってきた。
「!一騎討ちは槍合わせか太刀打ちで勝負、と相場が決まっておる。卑怯だぞ!」
秋上伊織介の非難を無視し、勝てば良いのだ、とばかりに狼ノ介が二の矢をつがえた瞬間、狼ノ介の弓弦が切れた。

「……え?」伊織介の放った矢が、狼ノ介の弓弦に見事に当たり、断ち切ったのだ。
「阿呆が、鹿之助が片腕・秋上伊織介は『養由(中国の伝説的射手)の再来』とまで呼ばれる弓の達人よ!
そんな事も知らんと、鹿之助と立ち会おうってか!」尼子方が、どっと囃したてた。

「ふ、ふん!ならば、そちらの要求通り、槍にて勝負じゃ!」
狼ノ介は、なおも虚勢を張り鹿之助と槍を合わせたが、猛将として名高い鹿之助の槍の妙技に、防戦一方になった。
「待った!これでは勝負がつかん。馬を降り、組打ちにて勝負じゃ!」(自慢の大力でねじ伏せようってか…ならば)

二人が馬を降りるや否や、狼ノ介は鹿之助に飛びつき、力任せに投げつけ上になった。「ふはは、鹿之助、覚悟!」
「お前がな。」「……え?」
下になるが早いか、鹿之助は隠し持っていた脇差を抜き、狼ノ介の腿を貫いた。狼ノ介がひるんだスキに、
鹿之助は体勢を入れ替え、さっさと狼ノ介の首を獲ってしまった。

後続の毛利本隊も、この話を聞いて「我ら援軍も待たずに無様な一騎討ちを仕出かしおって。士気が下がるわ!」
と、進軍をいったん留めてしまい、あわれ益田隊は、この日の戦に大敗したそうな。


※あくまでも、尼子さん家の記録に基づくものです。毛利さん家の記録では
「品g…もとい狼ノ介は一人で果敢に挑戦したよ!伊織介に邪魔されたんで、鹿之助に勝てなかったよ!」
と、なっております。ご了承ください。




上杉さん家の『義』ってなあに

2010年06月29日 00:00

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 23:25:01 ID:nYNpJL13
越後から会津に転職した上杉さんと、上杉さんの後任として越後に就職した堀さん。

「俺が貰うハズの初任給、なんで上杉が貰ってんの!?」
「あぁ、コレ、退職金。お前も前の職場で退職金貰っとけば良かったのに、何やっ
てんの、バカじゃね?」

という訳で隣国同士で大層仲が悪かった上杉と堀。
それでもラスボス会長が存命の頃はまだ良かった。
ラスボスが死んでまだ幼い二代目が就任、実権を握るのは徳川専務か石田部長か、
となった途端、話はややこしくなってくる。

三成「例の計画、上手く行きそうだよっ! 毛利が総大将を引き受けてくれたから
   ね」
兼続「そりゃ良かった。で、奥羽の状況はどうなってんの?」
三成「佐竹は味方してくれるだろうケド、最上も伊達も徳川方だねぇ。あ、でも、
   越後の堀がこっちについてくれるって!!」
兼続「…………堀?」
三成「うんっ! 越後がこっちについてくれれば、徳川包囲網がかなり強固になる
   よね」
兼続「……かもねぇ……」
三成「で、徳川を潰した後、堀の希望は上方で一国ってコトだから、越後が空くん
   だよね。ココはやっぱり、上杉にあげちゃおうかって思ってるんだケド、ど
   う? ……あ、勿論関東管領職はそれとは別にあげるよ、勿論!」
兼続「……越後くれるの? ウワァ、ウレシイナァ。それじゃぁ、今後の越後支配の
  
 為に、カネツグ張り切っちゃおうっと!!」

で、上杉さん家の直江クン、「今後の越後支配の為に」越後牢人衆に反乱を起こさ
せた。

三成「…………え? 何で?」
兼続「いやぁ、こんなこともあろうかと、上杉家に縁のある牢人衆に武器や金を支
   援してたんだよねっ!!」
三成「いや、だから……堀は味方……」
兼続「さぁ~カネツグ、頑張って堀さんの首、取っちゃうぞぉ!!」
三成「……………………………………(泣)」

味方のハズの越後を引っくり返したり、江戸に攻め込まず最上いぢめしてたり、ど
う考えても、徳川vs石田のどさくさまぎれに越後-会津-庄内-山形と一円支配
を企んでいた様にしか見えない上杉さん家。
『義』ってなぁに?という上杉さん家の悪い話。




609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 17:39:58 ID:UhrrJq8P
>>604
上杉とか毛利とか、キーマンが好き勝手やってるんだから負けたのも道理なのかな・・・・

比叡山焼き討ちに関する、不思議な偶然

2010年06月28日 00:00

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 18:12:17 ID:bpDOvLfE
悪い話というか、興味深い事実なんだが

日本の歴史上比叡山焼き討ちを行ったのは、足利義教、細川政元、織田信長の三人。
この三人全てが、家臣によって殺され志半ばでその生涯を終える。

比叡山焼き討ちに関する、不思議な偶然のお話。




595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 18:33:50 ID:+Ofuv1k6
不思議というよりは、苛烈すぎる人間の末路は似たようなものになるんだろうな。
3人とも有能だったのは間違いないが、他人の想いを斟酌することに長けてたようではないし。

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 19:28:20 ID:t7gb9gCy
そのうち二人が第六天魔王で、一人がマジカル管領・・・

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 20:43:06 ID:Tze5L4lO
それただの童貞なんじゃ

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 20:58:56 ID:XLYKQzO1
/ ̄ ̄ ̄ ̄\   |:::/, ─-.|  -──--、、 | ミ      / ̄ ̄ ̄ ̄
|         |  |::|    / l         ヽ ミ     |
|         |  |::|   .,l  .|   _ 、   /ヽ / ヽ ̄ ̄ .|
|    童    | -::::|-─-、  ,ヽ/ ̄::::─ヽ\_ミ( 丿   .|    私
|    貞    |/:::::::/┘::::::丶-ノ( ┘::::::::|/ ̄ |ミゝ___ |    は
|    だ    |\::::|ト.::::::::ノ| |  ゝ:::::::::ノノ ヽ  |ミ/ | |ミ|  |
|         |   .|  ̄'  | |  |  ̄ ̄    )   / |ミ|  |
|         |   |    (:  , _)      ノ   /  /ミ| |
|         >   |    .ゝ-/     イ   イ ̄ ヽヽ|.<
\____/     |   ,.====...、   |  |:::: _├  \____
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          | ::::::::::::::|  ::: ̄ ̄::::   | ハ :::::::::::::::::::::::::::
         | iiヽ ::::::::::::| ::    ::   | |iiヽ :::::::::::::::::::::::::
         | iiiiiiiiヽ ::::::::ヽ ::   :  /| |iiiヽ :::::::::::::::::::::::::
        | iiiiiiiiiiiiiii| :::::::::::ヽ___..,イ | |iiiiiヽ ::::::::::::::::::::::::

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 21:11:39 ID:P92hZCT+
フランスに帰れ

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 21:18:08 ID:fLna8AAM
魔法管領リリカルよしのり

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 21:22:47 ID:bpDOvLfE
>>600
よしのりは魔将軍。魔法管領はまさもと、なw

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 21:23:16 ID:rW/8PP8e
ソボロはええねん!

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 09:30:32 ID:7CnXmx1+
>>601
まさもとだと白い悪魔っぽくないし

りりかるのぶなが・・・いや、なんでもない

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 09:41:03 ID:06gjBLV/
>606
その人だと嬉々としてコスプレして、しかもそれが妙に似合ってたりしてそうで怖い……

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 16:22:34 ID:9mjOc5tV
美男美女の家系だしなぁ…

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 19:22:00 ID:XYA8XRVB
>>607
ヒゲとマントの似合うリリカルのぶママ

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 19:47:53 ID:nKbFgUT5
>>607
前田玄以ちゃん「それがしも混ぜてくだされ~」(メイド服で)

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 21:17:42 ID:7CnXmx1+
>>611
                              ト、
                              | ヘ                        _/}
         少 し …                     | . ヘ                        /    /
                               _,ゝリ. |                   /     /
       .....:;:;:;:;:;頭 冷 や そ う か …    ,--メ、_ 〉-┴―' ' ― ― - : - 、        /   / /
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       .{.:.:.:.:.ヽ:.:.:r´⌒ヽi::::::::::::::::::::::::::i:ll.:.ll:. ツリ }. / ≪    ',  |::| ン /  ≪   |          /ノ .|
       /.:.:.:.:.:.:.:.V    {:::ヽ:::}::::::::::::::.|:||.:||.:.:} リノ {   \    \二ー/   /   |        // ノ
      (.:.:ヽ/⌒\   )-、./⌒\ソ|:||.:||.:/Y____,イ-----\   ヘ /   /_____|     =ニノ/
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『鬼』の風化

2010年06月27日 00:00

森長可   
580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 13:28:42 ID:UPakxgY5
男が尾張岩作の安昌寺を参拝したついでに、池田恒興の供養塚を見に行くと、畑の外れに塚が立っていた。

「勝入(恒興)が討ち死にしたのは、畑の中に陣取っていた時じゃなかったのかね?」
男は近くにいた百姓に聞いたが、
「へぇ、確かにその向かいの畑ン中でしたが、そこに塚なんぞ立てても、わしらの収入が減っちまうんでね。
そんなこと言ってたら、後の世の人間が『当時は、そんな細かいこと気にしてたのか』って笑いますぜ。」

まさかと思った男が森長可の供養塚に向かうと、案の定これも実際の死に場所から五、六反(約11m)離れている。
男は、これについても百姓に問い質した。
「確かに長可公の遺体が、ここに落ちてたんで立てたんですがねぇ・・・」

「いや、長可が眉間を撃たれて落馬した時、家臣が遺体をかついで逃げたんだ。そこに本多八蔵が追いついて、
置き去りにされた遺体から首を取ったのさ。だから、実際に死んだのは五、六反ほども向こうだよ。
オレは、それを見たんだから。」
「お侍さん、面白ぇこと言うなあ!」百姓たちは、男の言葉に笑った。



笑い事では、なかった。

男の名は、丹羽氏次。尾張岩崎城主である。長久手の戦いの時は、徳川軍の先鋒に加わり、城を留守にした。
主不在の城は池田軍に攻められ、留守部隊は良く守ったものの、森長可の突撃を受け、落城。
城を守っていた氏次の妻の兄・加藤忠景、実弟の氏重など留守部隊三百の兵は、長可に皆殺しにされた。

一族の仇、『鬼』と呼ばれ世を騒がせた男が風化して行く現場を見た氏次は、複雑な思いで長久手を去った。




581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 13:35:40 ID:d+CylV+5
そこは笑った百姓を皆殺しにしないと

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 14:09:28 ID:Y43vLrVE
 

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 20:21:08 ID:s+9sBRx2
武士の美学も、百姓の現実主義の前に打ち砕かれてしまうのであった…

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 21:14:17 ID:qn+ejkgu
名誉もまた儚いものなんだなぁ

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 21:46:52 ID:6jvVsr0G
超時空太閤H「露と落ち 露と消えにし なんとやら
      天下人となったわしの生涯でさえ夢のまた夢なのだから
      彼らのような者共の尚更じゃ」

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 22:07:24 ID:0DfDK7C8
>>585
嬉やと 再び醒めて 一眠り 浮き世の夢は 暁の空
「まったく、夢のような一生でありましたな」

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 22:16:46 ID:55XHXEAE
そしてさらばこの世

先に行く あとに残るも同じこと 連れて行けぬを別れぞと思う

『御前相撲』

2010年06月27日 00:00

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/25(金) 22:03:16 ID:RzAGyi7B
朝鮮征伐の頃のこと
本営名護屋において豊臣秀吉は無聊をかことうと、御前相撲を開催した。

さてその相撲において、加藤清正家臣、毛谷村六助(貴田孫兵衛)が強い強い。
その勝ちに興をそえようと、秀吉の御伽衆、曽呂利新左衛門は六助が勝つたびに
負けた相手の狂歌を作った。

石田三成の家臣太山伯耆(ふとやまほうき)は、六助に突き飛ばされると三成の前に吹っ飛び
なんとその頭を蹴り飛ばしてしまった。そこで曽呂利

『ほうきだけ 土俵の砂をかき下がり 主人の頭けるはふと山』

次に挑戦したのは渡辺勘兵衛了、これは六郎にあっさりと土俵の外に掴み出された。
そこで曽呂利

『渡辺は かねて手取りと聞きたるに つかみ出されてくやしカンベエ』

今度は可児才蔵が挑戦、こちらははたき込みで敗れた。
ここで曽呂利

『はさみ手を 取られてカニ(可児)の負け相撲 横にはうのを前にはうとは』


以上、落語『御前相撲』の一席でございました。




945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/25(金) 23:31:01 ID:B5OrUO8B
うまいなあ、よくもまあすぐに作れるもんだ

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 00:30:50 ID:eXmJn4T4
可児才蔵だったら相撲で負けた後に「次は槍で勝負するぞ」とか言い出しそう。

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 00:38:10 ID:YkMKvMQV
「次は槍で勝負しようぜ、ただしお前は一人で来いよ」ですね。

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 16:50:47 ID:sFb48Sr4
>>944
太山伯耆って大山伯耆のことだよね
落語ではふと山になってるのか?

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 22:56:36 ID:iKXMu6ng
>>962
実在人物を歌舞伎や浄瑠璃にする時に微妙に名前を変えるのと同じなんじゃない。
武智日向守とか真柴久吉とかさ。

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 00:43:36 ID:ggZ+o18t
杉原親憲「その程度の表記の違いはよくあること」

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 13:35:53 ID:cETv7P+I
>>964
秀忠「うむ。杉と水のような間違えやすい字の場合はいたし方あるまい」

信濃の国の鬼神退治

2010年06月27日 00:00

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 08:33:49 ID:WadOYW56
信濃の国の鬼神退治

昔々信濃の国の虎空蔵山という所にに鬼神が住んでいて人民を悩ませていたそうな。
ある男がその鬼神を討伐に向かったのだが、とても人間が太刀打ちできるものではない。
そこで男は水内八幡宮で願いたてをすると槍を授かった。
その槍は不思議な事に夜になると松明に変わり、その槍で鬼神を退治する事ができたそうな。

やがて時が流れ、その男の息子が13歳の時に合戦に初めて参加する事となった。
男は息子に「まだまだ若いのに初陣なのだからこの槍を与えよう」とこの槍を授けた。

息子は長じて名将となりこの槍を持ち主を最後まで支え続けた。
その槍の名は小松明、息子の名は矢沢頼綱という。

小松明の由来のお話。




950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 08:44:12 ID:0DfDK7C8
こまつ あきら?

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 08:46:20 ID:Z78R8Xrm
鬼と見て武蔵か!と思って読んでました・・・
すいませんでした;;

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 08:56:10 ID:v1iw5Pkl
俺も鬼武蔵が退治されるのかと思った。

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 09:02:28 ID:WadOYW56
一度でいいから見てみたい人間無骨を持った鬼武蔵と小松明を持った矢沢頼綱の合戦。

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 09:05:34 ID:C9MLQUdA
小松明のいんちき能力を前にしては、人間無骨はただの切れ味のいい槍でしかないなw

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 10:17:28 ID:/g19A0mp
夜は槍として使えないのか

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 10:30:03 ID:0DfDK7C8
夜襲に使えないな。
こちらの位置が丸わかりだ。

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 10:59:33 ID:55XHXEAE
>>950
小松明(こたいまつ)

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 11:01:03 ID:OMG0jZhh
なんか気の強い奥方のような名前ですねw

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 13:54:27 ID:dVXxZFcv
>>956
しかし頼綱はフツーに夜襲しているという……
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3842.html

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 15:41:32 ID:aF+hBYFB
虎空蔵山って多田満頼も妖怪退治してなかったっけか

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 10:42:02 ID:+SDBbP42
>>949

こういう鬼退治の逸話が作られるってことは
真田頼昌はよっぽど武勇に優れてたってことか。

しかし幸隆には小松明を与えなかったってことだよねコレw
無くても大丈夫だろうと思ったのか、
持っててもしょうがないと思ったのか。

山田有栄「さて、かの退き口のこと」

2010年06月26日 00:02

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/25(金) 11:01:15 ID:kiHVykoh
>>410から時は流れ、多くの人に支えられながら一命を拾った島津義弘はもちろん、その子である忠恒も既に亡く、
二代藩主・光久の治世となっていた明暦のころ。
江戸に出ることになった光久の嫡子・綱久は、薩摩阿久根港から本州に向かう船を待っていたが、
阿久根に程近い出水の地頭のことを思い出し、関ヶ原の話など聞こうと召し寄せた。

齢八十にならんとする山田有栄は、
「この年になると、目も良く開きませんでな。」と、瞼を指で押し開いて綱久一行を見回すと、言葉を続けた。

「さて、かの退き口のこと、残らずお話しいたしましょう。



・・が、それには若殿はじめ皆様、三日ばかり絶食していただけますか?今の有様では、とても話せませんな。」

そう言って、また瞼を指で押し開いて綱久らを見回した。ここでようやく一同は、有栄が何を見ているかに気づいた。
有栄は、綱久の近習たちの着物を見ていた。粗末な木綿の裃を着た有栄に対し、近習たちは
絹の羽織を着ていたのだ。

「食うや食わずで逃げた先祖の苦難も忘れ、贅沢にふける小僧どもに、中馬大蔵が絶句するほどの話を語れるか!」
と言ったところであろうか。綱久はじめ若者たちは、言葉もなく恥じ入ったという。




948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 01:19:20 ID:58srF2uq
>>943
ほぉ、黄金の鞘の人は長生きしたんだな
この人はもうちょっと早く生まれておけばデ新納さん以上の大物になった気がするわ

秀長病死の真相?

2010年06月26日 00:01

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/25(金) 18:24:09 ID:RzAGyi7B
「三河物語」より。

徳川家康が秀吉に臣従してしばらくのこと。
秀吉は家康を危険だと考え、とある饗宴のさい食事に毒を入れこれを暗殺しようとした。

その日、席順は家康が上座であった。だが食事が出るというとき家康は、秀吉の弟、大和大納言
豊臣秀長が自分の下座にいる事に遠慮し、秀長の下座にと席を移動した。

このため家康の場所に置かれるはずだった膳は秀長の前に置かれ、これを食した秀長は、
その毒が回り遂に死んだのだという。

まあ事実かどうかはともかく、家康の家臣の間に、豊臣秀長の病死に際して、そのような噂が
流れたのは確かなようだ。

そんな、秀長病死の真相?のお話。




576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/25(金) 20:02:18 ID:zfTPNMlI
秀長って病んですぐ死んだわけじゃないしなあ


577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/25(金) 20:38:53 ID:RHBW5vyP
>>576
平岩親吉「其方にはそれがしから饅頭を馳走しよう。なに、それがしも相伴いたすゆえ不審がることはない」

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/25(金) 20:41:00 ID:neLbCNMu
三河武士はフィクションの世界でも面倒くさいなw
秀長が死んだ話を、家康が毒で狙われた話にするとかもうね

石田三成呼吸をするように

2010年06月25日 00:01

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 23:30:20 ID:rUNvThIF
かつては下野東部に覇を唱え、宇都宮家や佐竹家相手に武威を張った那須七騎。
そんな彼らもさっさと豊臣秀吉に拝謁を済ませた大関、大田原両家を除き、
小田原征伐までもたもた旗幟を鮮明にしなかったため戦後大きく所領を減らされ、
概ね元の五分の一から十分の一、二千石から一千石未満までに所領を減知されてしまった。
小田原開城までシカトしてた主家たる那須家に至っては改易処分である。

そんなこんなで経済的にへろへろになった那須七騎だったが、それでもお勤めは待ったなし。
天正十九年には浅野長政に属して大坂詰めの任務が言い渡された。
一万石、二万石の領主であった昔はともかく、数千石の少録の身では遠隔の地での常勤は経済的に厳しい。
見かねた浅野長政は那須七騎(マイナス1)を呼び出し、
「君ら、二人除いて小身になっちゃったし。無理に詰めないでも、連番で出仕したらいいよ」
と言い渡した。大身のままの大関と大田原も順繰りに帰っていいことになってるのは謎だ。

さて、那須七騎(マイナス1)は大いに喜び、早速帰国の順番を相談する。
結果、伊王野資信と芦野盛泰がまず最初に帰国することとなり、早速大坂を出立した。



で、浅野と仲の悪い告げ口魔に見つかった。

「那須の輩は不届き千万で御座います。誰からの指示もないまま、勝手に帰国し申した」

その告げ口に激怒したラスボスは即座に早馬を立てて伊王野と芦野を呼び戻した。
既に下野に入国していた両名は慌てて大坂に馳せ戻り秀吉に詫び、
関八州を委ねられていた徳川家康の取り成しもあってなんとかかんとか事無きを得た。
この一件によって那須七騎の豊臣政権への不満と、告げ口魔への憎悪が募ったとのは言うまでもない。

ではその告げ口魔、誰かといえば恐らくは想像がおつきであろう。
石田治部少輔三成その人である。

これから九年後の慶長五年、関が原の合戦では那須衆はひとつの例外もなく徳川方に参じ、
上杉景勝との合戦に軍功があったそうな。
那須町誌には那須衆の一糸乱れぬ徳川方加勢の姿勢のその理由を、この時の怨恨大なるが故としている。

以上、石田三成呼吸をするように敵を作るというお話。




543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 23:46:56 ID:1ZqDeE6x
大関<全部計算どおり

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 00:12:00 ID:jE0dtj9u
弱小の那須衆が、近接する徳川家に敵対したら
一瞬で踏み潰されちゃうからなぁ

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 00:35:07 ID:jwdV7r1M
那須本家もう復活してなかったっけ?

まぁどっちにしろ全部徳川に付いたんだけども。

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 00:41:05 ID:/PguvnW1
まあちょっと穿った見方をすると、那須衆が処分されるのはその申次である浅野長政と
東国の安定に責任を持つ徳川家康に取って政治的なマイナス要因になるので、
それらと対立している石田三成としては当然の指摘ではあっただろうね。

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 00:50:52 ID:P3w4570S
巻き込まれた現場の人間にとってはたまったもんじゃないな
三成にしても嫌われて構わない相手を選んでやってはいたんだろうが
人間どこで人の繋がりがあるかわからないもんだしな

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 00:54:43 ID:dJdOwqih
これ一番悪いのは浅野だよなぁ…
一言太閤に言っておきさえすれば何の問題も無かったのに

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 00:58:56 ID:Q1vV3FHv
大関高増「汚いな石田さすがきたない」
大田原晴清「たしかに告げ口するのは勝手だがそれなりの言い方があるでしょう?」
福原資孝「俺はこれで治部きらいになったなあもりにもひきょう過ぎるでしょう?」

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 01:07:47 ID:Hsh3LmOs
那須七騎マイナス壱の件だけど三成は職分を果たしただけじゃねぇの?

普通秀吉かその取次やってる部下に挨拶して帰るもんだと思うが。

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 01:14:44 ID:EzP3FuHk
>>550
改易されろw

上杉景勝、名幡馬義任の提言に

2010年06月25日 00:01

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 00:55:03 ID:U9OQY8q1
慶長五年(1600)、上杉征伐に軍を進めていた徳川家康は、上方での石田三成蜂起
の報を聞き小山よりその軍を返した。

奥州浪人の名幡馬義任、景勝の陣を訪れ、今後の作戦を言上した。

「治部少輔殿が大坂にて挙兵し、伏見に迫っているようです。毛利を筆頭に西国の
大名は皆、治部少輔殿の味方となり、内府が率いていた面々も大部分が上方の味方
として早々と上洛してしまったようです。最早孤立してしまった内府は小山からも
撤退し、スゴスゴと江戸に逃げ帰ったと聞きました! この期に上杉全軍を挙げて
江戸に攻め寄せれば楽々勝利できますぞ!」

景勝「…………」
直江「……この度の戦は内府に仕掛けられた故、受けてたったまで。上杉家も徳川
   家も、共に豊臣家の大老職にあり、互いに争わぬと亡き太閤殿下に誓紙を出
   したのだ。徳川がそれを破ったからと言って、上杉も破る理由にはならぬ。
   上杉家は専守防衛に徹し、自らの領土からは一歩も外に出るコトはない。と、
   上様はおっしゃっておられる」

「いえ、しかしっ! 治部少輔殿の戦略は上方と会津で内府を挟み撃ちにするとい
うモノ。我等が北から江戸を窺わぬとなれば、治部少輔殿もまさかの不覚を取らぬ
とも限りません。そうなれば戦後、内府に真っ先に潰されるのは上杉家ですぞ!
戦って名を落とすのと、戦わずして滅びるのと、どちらをお選びになるのか!?」

景勝「…………」
直江「……内府が孤立したと言うが、奥羽には最上、伊達が居り、佐竹もどっち着
   かずで信用ならない。江戸への途中には結城秀康が迎撃体制を整えて待ち構
   えている。周囲を敵に囲まれているのは我が上杉の方ではないか。と、上様
   はおっしゃっておられる」

「最上、伊達がごとき小録の者共、各城に配置した諸将の軍勢で十分抑えられます!
それに結城なんぞの若造、我等の足止めにすらなりゃしません!佐竹は日和見の様
ですが、既に車丹波らが援軍として着到しておるのですから、彼等を上杉軍に加え
れば戦力的には十分です!」

景勝「…………」
直江「……内府が小山から江戸に帰ったのは確かだが、配下の軍勢が上洛したのは、
   ホントに治部に合力するためか? 内府を甘く見てはいけない、用心せよ。
   と上様は………………っつーか、前線に陣取ってるワシが何でココに居るの
   か考えろよ! お前に言われんでも上様にはとっくに言上しとるわい! 何度
   も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
   何度も何度もなぁっ!!!」

結局、こちらから家康を攻めるのは道理に合わない、と景勝に押し切られ、江戸へ
の出兵は見送られた。

鮭「『こっちからは一歩も攻め込まない』……? 誰が……?」


>>523とは家康の評価が正反対だが、「やっぱ追撃かけるべきだよなぁ」というの
は上杉家中の共通認識だったようだ、というお話。


ちなみにこの頃、東軍側では上杉家臣団の切り崩しを画策しておりました。

蒲生秀行「キミたち、元々蒲生家の家臣だもんね、内通してよ!」
岡左内・他 「「断る!!」」




553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 01:22:33 ID:jE0dtj9u
>>549
直江の腹話術はすっかり定着したねw

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 02:29:32 ID:AJgfe+/W
>>549
地味に突っ込んでらっさる方が w

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 03:08:31 ID:/PguvnW1
> >>523とは家康の評価が正反対だが、

名幡馬義任の家康評はそれこそ杉原親憲の言っている

> 「我が軍の中には、内府は我々と上方という前後の敵を恐れたために、早々に軍を引き返したのだ、
> などと言っている者が居るが、

このたぐいではないだろうか。

秀次処分、一説に曰く

2010年06月25日 00:01

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 03:08:14 ID:Cp6sPcvT
三成無双のようなので

関白秀次の処分には諸説あるが、一説に曰く

秀吉は菊亭晴季の娘を側室にしていたが、病気を理由に戻していた
しかし、秀次への使者にあるとき娘を遣わしたところ、秀次が気に入ってしまう
秀次は関白でもあるし、娘もまんざらでもなさそうであるし、
晴季は秀吉に内緒で娘を秀次の継室にした

さて、秀吉に内緒で、としていたわけではあるが、この話が秀吉の耳に入ってしまう
病気で戻したのだが、秀吉は嫉妬に駆られ、これが秀次への処分のきっかけになったというのだ
この話を秀吉の耳に入れたのはご存じチクリ魔石田三成であるという

ってことらしいですよ聞いた話ですけどね!と川角某は著書「川角太閤記」で記している
川角某は田中吉政の旧臣であるというし、それを念頭に置いて読めば秀次寄りの記述が目立つ
ことの真偽はどうあれ、秀次旧臣には「あのチクリ魔のせい」ということになっていたのかもしれない

だいぶ前に読んだのでちょい記憶あやふやで微妙に間違ってるかもしれんがすまん




557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 03:36:49 ID:Hsh3LmOs
>>555
田兵絡みだと三成を悪く書かないヤベいんだろうか?

ただ秀次の旧臣をかなり召抱えているのも三成なんだよね、
その辺考慮すると三成は秀次の家臣に恨まれてないんじゃ?

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 08:45:14 ID:aH9Y5gPm
三成「計算通り」

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 11:51:03 ID:w7/yRQxR
>>555
これ、悪いのは石田じゃなくて晴季じゃね?

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 14:46:22 ID:Cp6sPcvT
>>557
よく言われることなんだが、旧臣を召し抱えたことが恨まれていないとイコールにはならないと思うんだよな
特に三成のもとに行かなかった旧臣からすれば、「労力なしに家臣引き抜けて三成は得したよね」みたく
穿って見ようと思えばいくらでも悪い方に取れるわけで

川角太閤記って聞き書きの体裁を取っていて、まぁいわゆる噂話の類も多くて、
時々やたら詳しく書いてるのは当事者かそれに近い人から聞いたもんだろうけど、トンデモ話も結構多い
例えば秀吉が三法師を担いだのは信忠に懸想してたからなんつーのまであるw
>>555の話はまさにその類で、「っていう風に聞いた」と著者が糺してあるのもそのためなんだが
とりあえず三成関係の記述は「汚いなさすが三成汚い」って感じのが多いから
日頃の行いとかで「あいつならやりかねん」というイメージができてたんだと思う

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 18:41:18 ID:iZZQBqOn
石田三成と本多正信がいれば、たいていの相手を失脚させる逸話を作れそうな気がするな・・・

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 21:02:59 ID:Ycqkvf17
本多正純もいれたげなよ

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 21:27:29 ID:/PguvnW1
土井利勝「え?私が正純殿追い落としの黒幕ですって?いやだなあ、
       私のような気の弱いものに、そんな怖いこと出来るわけ無いでしょ?フフッ」
[ 続きを読む ]

「特定しますた」

2010年06月25日 00:00

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 11:00:12 ID:wsfSMZEj
チクってる当人は忠誠だとか正義だとか思ってやっておりますゆえ

「特定しますた」

岡崎城主・水野監物忠善のもとに、隣国の尾張大納言義直が、在国中は家臣に甲冑を着せ、しきりに軍事調練を
行なっているとの噂が入ってきた。
「・・・怪しい、すぐに尾張様の周辺を調べよ!」
忠善は忍びを名護屋城下に派遣して調査させたが、不穏な様子はどこにも無かった。
「そんなハズは無い。もっと良く調べるのだ!」


ある日、名古屋城の堀周りに縄を持った不審な男が現れた。男は、縄の先に重りをつけ、堀の中に放り込んだ。
この様子を、徳川義直は櫓の上から見ていた。
「あれを見よ。この名古屋城の堀の深さを測り、縄張りを知ろうというのであろう。くせ者じゃ、出会えい!!」

すぐに追っ手が不審者に迫ったが、不審者は素早く隠していた馬に飛び乗り、逃げ出した。追っ手からも十人ばかりが
馬で追いかけたものの、不審者は用意周到にも替え馬を何頭も隠しており、馬の息が続かなくなった追っ手は
不審者に逃げられてしまった。

追っ手は恐る恐る義直に不審者を逃がした旨を報告したが、
「わしの足元で無礼を働く度胸を持ち、逃げる時のことまで考える知略を持つのは、岡崎の監物自身に他ならん。」
そう言って苦虫を噛み潰したような顔をしたが、それ以上は不審者について追求しなかった。

さて、岡崎に帰った忠善は、さっそく江戸に自分が調べたことを注進に及んだ。
「こんな噂があります!名古屋城の縄張りは、こうです!」
「神君の御遺訓を守り、変事に備えること、神妙である。そなたの忠義、有難く思うぞ。」

将軍家光は忠善を賞したが、尾張家に対して何かしようとはしなかった(当たり前だ)。




560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 11:51:03 ID:w7/yRQxR

しかし水野は一族揃って騒ぎ起こすの好きだな。そういう血なのか

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 12:46:17 ID:mCuaFrBX
石田三成「汚いは、褒め言葉だ」

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 14:24:37 ID:aH9Y5gPm
「官僚の嘘は社会正義で許される」

週刊!ブログ拍手ランキング06/16~/23

2010年06月24日 00:01

06/16~/23の、ブログ拍手ランキングでございます


藤堂高虎と3人の近臣 104

「一言」でのめんどうくさい出来事 82

鍋島直茂の口伝 80
隆元の愚痴に対する、元就の返事 52

左甚五郎その8:円教寺の力士像 43
真田家、天明山会議 41
ちょっぽり甚右衛門 33

雑談:よく真田の兄ちゃん(信之)は… 33
大久保彦左衛門の憤懣 32
慶長12年(1607)4月、織田有楽、古田織部を招き 32

「一生に一度、一言(だけ)の願いを叶えてくれる」観音様 28
戦国武将、軍歌(いくさうた) 27
御用金と本多忠政 25
ご先祖様、己の身命をもって 25
日向鷹ちょうだい! 25
成富兵庫 『勝ちといふは』 25

信じない男 24
南部利直の虎退治 24



今週の1位は藤堂高虎と3人の近臣
藤堂高虎の古参家臣、居相孫作・服部竹助・大木長右衛門のお話。です。
古参で能力も功もある人間が褒美をとらないと言うことには、組織としてどうなのかといろいろな意見は
あると思いますが、しかしそれでもなんとも清々しい、気持ちの良いお話ですねー。
こんな男たちに惚れられている藤堂高虎という人の器量も、忍ばせてくれるお話です。

2位は「一言」でのめんどうくさい出来事
久しぶり、三河者の面倒くさい話!三河者が3人集まれば面倒くさい事態が発生しますねw
このお話は戦場で無い分ましなのか。彼らなら戦場でもこんな事をやっていそう。
個々に自己主張や信念があって、それを抑えず口に出しちゃうところが、三河者達の魅力だと思います。

今週管理人が気になったのは、今週もすごい大作がありましたね。

カテゴリー左甚五郎
左甚五郎八分作です!
しかし左甚五郎という人の逸話はすごい。前からめちゃめちゃだとは知ってはいましたが、
こうして逸話を並べられるとそのすごさに改めて感服します。
もしかすると左甚五郎は、弘法大師と並ぶ日本の奇跡伝承の主人公ではないだろうか、なんてことを
考えてしまいましたw

今週も本当に沢山の拍手を、各逸話に頂きました。
いつも、本当にありがとうございます。
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやって下さい。
( ´ω` )

名将の降伏

2010年06月24日 00:00

928 名前:sage[] 投稿日:2010/06/22(火) 22:08:30 ID:FtuZjf/z
以前規制で投稿できないまま忘れてたのを思い出したので

「名将の降伏」1/2
大津攻めの後に柳川に帰還した立花宗茂だが鍋島軍の挑戦を受け止むを得ず戦った江上・八院合戦
何度も鍋島軍を蹴散らかすも多勢に無勢で敗北し立花軍総大将だった小野鎮幸も重症を負った
1600年10月23日深夜、宗茂は意を決し降伏するため加藤清正の本陣を訪れた
勝ったのは鍋島なのに何故訪問が加藤清正本陣かと云うと
立花軍総大将小野を討ち取るまで後一歩というところで加藤清正が鍋島軍に待ったをかけたからだ
宗茂に朝鮮の役で借りがある清正は宗茂を無為に死なせたくなかったし
黒田如水も鍋島軍と立花軍には消耗戦で兵力を損なわせず島津戦に使いたかった
そこで交渉は清正が受け持ち宗茂を助けるため鍋島に引き上げるように使者を送ったのだった
途中から東軍の鍋島にとって最初から東軍の清正と如水が相手では分が悪い
鍋島は名将の降伏というクライマックスシーンを清正に譲る羽目になった

清正は数名の供だけを連れて来た宗茂を丁重に迎えると言った
清正「毛利輝元と宇喜多秀家に謀られたのでしょう。
立花殿の行動は豊臣家への忠義のためにしたことなのは誰もが認めるところです
徳川殿には自分が取り成すので、これよりは東軍の先手として尽くされよ」

清正の言葉は宗茂の気持ちのどこかに響いたらしい。名将は落涙したと伝えられている
宗茂は清正に丁重に謝意を述べると今後は東軍に従がうことを約束した

929 名前:sage[] 投稿日:2010/06/22(火) 22:20:23 ID:FtuZjf/z
「名将の降伏」2/2

これで終るかと思ったら清正本陣でハプニングが起きる
何故か馬が1頭、突然暴れ出し引き綱を切って走り回った
清正の本陣は馬を押さえようと騒ぎになったのだ

さて、主君宗茂の帰りを今か今かと待っていた柳川城
三の丸から清正の本陣の騒々しさに気づき
立花兵「あの騒ぎ!さては主君宗茂を謀り殺したのではないか!」と勘違い
籠城だ!弔い合戦だ!と騒ぎ出し清正本陣の様子を見ようと3の丸に続々兵が集まりだした

一方、部下から騒ぎの報告を聞いた清正は、ただちに柳川城へ使者を出した
清正の使者は大声で柳川城に向かって叫んだ
使者「ただいまの騒動は暴れ馬のせいでござる!和議は無事整ったので、貴公らの主君は、間もなく
戻られるゆえ安堵なされよ!」

柳川城内は半信半疑で今にも暴発しそうなのを留守を預かった薦野増時が必死で宥めた
立花兵にとっては気の遠くなるような待ち時間だっただろう
やがて宗茂が「ただいま」と何事もなく戻ったときには歓声が上がったそうだ

立花宗茂、生涯ただ一度の降伏の話でした
ソースは筑後郷土史研究会のHPより引用しました




932 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/22(火) 23:28:21 ID:80lelMCz
そういうので父も祖父も亡くした家康公が不憫だ。

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 09:14:49 ID:KfLH3pnh
暴れ馬はいつも迷惑だなwww

大谷吉継の懸念

2010年06月24日 00:00

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 19:32:32 ID:DjEoIVR/
慶長五年(1600)6月21日、
徳川家康の上杉征伐に合流するため美濃、垂井の宿にあった大谷吉継。
それそ聞いた石田三成は家老樫原彦右衛門を吉継の元に差し向けた。

樫原より三成が挙兵を計画していると言う事、その相談のため佐和山に来て欲しいと言っていることを
聞いた吉継は、しばらく考え込んで、こう言った

「内府(家康)の政務に私が有ると言っても、それは世を覆すほどの邪にはなっていない。
わたしは心にそう思い、人にもそのように言ってきた。その事があるので、友人で有る三成のこ
のような申し出にどうするべきか迷っている。

今回上杉景勝殿はじめ多くの者達の謀により内府を引き出したこと、その智謀勇ましきところで有る。
そうは言ってもそれで事が成功するかといえば、いささか疑い無きにあらず。

お前もよく知っているように、治部少(三成)は器量のある人間ではあるが、憎む輩、世に大変多い。
これが治部の過ちのためか、それとも嫉妬であるのか、そこは判断しかねる。
が、いずれであったとしても、もし治部が今回味方の諸将に対して、人もなげなる行為をするような
事があれば、それまでのイメージから言っても間違いなく人々の神経を逆なですることになる。

願うなら、(宇喜多)秀家卿か(毛利)輝元卿を主将となし、景勝卿と良く申し合わせて東西より内府を挟み
勝負をつけるようにするべきだ。それならば内府の滅亡もありうるだろう。

が、もしこの言を用いず、治部少が表に出て主導しようとすれば、上杉がたとえ数ヶ月内府を足止めしたとしても、
その連携がスムーズには行かず、さらに内府が会津を捨てて上方に攻め上がってくるような事態になれば、
味方の軍も危ういことになるだろう。

良いか樫原彦右衛門、挙兵するにしても治部少は絶対に表に出てはならぬと、このむね石田家の重臣一同でよく相談し、
治部少に諫言するのだ。わしもこの事は後でちゃんと言っておく。」

そう言付け樫原彦右衛門を帰した。


このようなことがあったにも関わらず、三成は挙兵すると、宇喜多秀家、毛利輝元が大阪に着府するのを待たず
その身一人で、「したり顔」にて大阪に駆け上がったと言う。この事で少なくない大名、小名が家康に従うことを
決めたとも言われる。
ちなみに長束正家はこの日、共に大阪に上がることを三成から誘われたが、正家は
「秀家卿、輝元卿がまだ到着されていない以上遠慮する」
と断ったそうだ。

大谷吉継の懸念、現実になるというお話。

しかしそこの重臣と「お前もよく知っているように三成は嫌われ者だから」と言う会話が成立する
三成という人間もよっぽどのものだな、とも思ったw




539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 19:44:43 ID:avbthBNd
前線を左近を筆頭に家臣に任せて、後方支援裏方兵帖作業を長束と一緒にやってれば、
治部の政務能力的に合致してできたと思うんだけどなぁ。

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 22:56:51 ID:joZyG2yA
旗頭も名目上の総大将も誰も前線にいないんじゃダメだろ。


541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 23:25:22 ID:MbvzIasE
采配面で誰もが納得する大将にすえれる奴がなぁ。

輝じゃな…

藤堂高虎と3人の近臣

2010年06月23日 00:00

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 07:12:14 ID:92wo+7V+
文禄の終り頃、宇和島七万石の大名となった藤堂高虎は、家臣の居相孫作・服部竹助・大木長右衛門を呼んだ。

居相孫作は、高虎が羽柴秀長に従い、中国攻めに参加していた頃に召抱えた、但馬の土豪の次男である。
服部竹助は、そんな高虎に憧れて実家から飛び出し、そのまま高虎のもとに転がり込んだ同郷の士である。
大木長右衛門は、高虎が転々と主君を変え、近江をさまよっていた頃から若党として仕えていた男である。

いずれも高虎が無名に等しい頃から従っている、藤堂家最古参の男たちであった。
「ようやく、この高虎も大名としてデカい顔のできる身分になり、お前たちの苦労に報いることのできる立場になった。
そこでだ。この際、お前たちにそれぞれ千石を支給しよう!」

笑顔で宣言した高虎に、孫作は不満そうな顔を向けた。「な、ならば千五百石でどうだ!?」
竹助が、哀しそうな表情を浮かべてうつむいた。「うぬぬ…ならば二千石……」
「殿。」三人を代表して、長右衛門が不機嫌な声を上げた。「なんだ!何が不満だ!」

「千石も頂戴したところで、わしらに十人分の働きはできませんや。そんなら、わしらに下さるつもりの三千石で
百石の侍を三十人雇って下され。」(兎角拾人の働、壱人にてハ難仕得ば、百石づつにて三十人御召抱遊被候得。)

大名・藤堂和泉守の重臣として多大な知行を管理し、部下を使うことに追われるよりも。
軽輩でも良い、高虎の側近く仕え、侍・藤堂与右衛門の背中を追いかけていたい、というのだ。
「お、お前たち…」
三人の知行は元の六十石で据え置かれ、役目に応じて臨時収入の合力米があてがわれることになった。

その後、さらに高虎は出世し、伊賀・伊勢三十二万石の大大名となった。高虎は、また三人を呼んだ。
「これだけ家がデカくなると、古参にそれなりの待遇をせにゃ、若い者に示しがつかん。で、二千石でも三千石でも…」
「そんなら、茶なんぞすすって遊んで暮らせる程度に、もらっときましょうかね。」

三人は高虎の言葉をさえぎって言い、結局二百石以上は受けなかった。


ところで、この三人が『兎角拾人の働、壱人にてハ難仕』男たちだったかというと、大木長右衛門と居相孫作は、
高虎の各地での城普請の際、普請奉行を務めた。服部竹助に至っては、藤堂藩の飛び地二万石の代官を任された。
それでも一生を少禄で過ごし、高虎の側近く仕えた。そういう男たちだった。




919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 07:48:35 ID:0Ezq00kI
本人たちはともかく家族/一族的にはどうだったのかね
現代人的な感覚からすると嫁や子供から疎まれそうな感じなんだが

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 08:29:16 ID:SZ/iZlMG
出世の白餅しかり、高虎さんの逸話って昭和テイストというか、コテコテな人情話が多い印象が
大河よりも、プロジェクトXとかALWAYS三丁目の夕日なんかの方が似合いそうな雰囲気

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 08:36:27 ID:2QQLZVTN
これは文句無しに良い話

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 08:52:03 ID:skn3RahF
>>919
こういう場合、奥向き同士で色々贈られたりするんじゃないかなあ
今でも田舎の方だと、零細社長の嫁さんが薄給部下の嫁さんに
色々気を配ってるみたいな

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 10:54:55 ID:SHe2mpS1
他の部下の手前もあるから、
そのあたりは奥向き経由でとか、
色々気は遣われてたんだろうね。
これはこれで面倒くさい話かもしれん。

杉原親憲の先見

2010年06月23日 00:00

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 17:36:05 ID:Qw1iLuuu
慶長五年(1600)、上杉征伐に軍を進めていた徳川家康は、上方での石田三成蜂起の報を聞き
小山よりその軍を返した。

さて、上杉家家臣、猪苗代城代、杉原常陸介親憲はこれを知ると、このように嘆息した。

「我が軍の中には、内府は我々と上方という前後の敵を恐れたために、早々に軍を引き返したのだ、
などと言っている者が居るが、それは内府と言う武将の器量をあまりに知らない言葉だ。

私はつくづく考えるに、内府は諸侯と相図って、上方に軍を出すのだろう。
勝敗はどう言う結果になるかわからないものの、おおかたは内府が勝利を得るだろう。

仮にそういう結果になったとしたら、わが主君景勝様は内府よりも優れた御名将であると私は信じているが、
今回の、撤退する軍を追わないと言う判断は、内府に対して『どうぞ天下をお治め下さい』と
言ったも同然の処置である。

ああ、こんな事態を恐れていたから、私は前から『到着前とは言え、内府が諸将に命じて我が国に攻め入らないのは
却って不気味でござる』と言っていたのだ…。」

その後、戦の展開はことごとく杉原の言ったとおりになり、彼の先見の明の確かさに、後々まで感嘆するものが
絶えなかったと言う。


杉原親憲の先見、と言うお話。




524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 17:53:06 ID:BBc2pF5c
確かに家康の到着前に、福島たちに岐阜城を攻めさせたりしてたな

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 18:19:13 ID:8j9hEVkS
>>524
到着前違い
上杉征伐の諸将が会津手前で停止していたことを指す

平野伊勢守の占い

2010年06月22日 00:01

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 21:03:30 ID:9hx33bkG
占いで思い出した、伊達政宗の易者、平野伊勢守の話。

人取り橋の戦を前に、政宗は易者の平野伊勢守に勝敗を占わせた。
その結果を受け「地水師(参考・tp://kaiun.web.infoseek.co.jp/page027.html)」の卦を
旗に染めさせたが、どうしたことか逆さまになってしまい、
「水地比(参考・ttp://kaiun.web.infoseek.co.jp/page028.html)」になってしまった。
驚く政宗に、平野はますます吉兆だと進言した。
曰く、「三軍一和の占なり。軍中和親、一致して敵に向かえば、勝利必ず我に帰す」

人取り橋の結果は何度かスレで紹介されているので此処では割愛するが、
あたっているといえばあたっているような・・・・・・。
とりあえず、平野が機転を利かせたいい話かも。




ご先祖様、己の身命をもって

2010年06月22日 00:00

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 01:54:35 ID:EgyJUrxS
時は慶長二十年五月六日。
戦国時代の完全な終結を告げる大阪夏の陣の最中のこと。

この日の道明寺や八尾・若江の戦いに続き、翌日には豊臣軍と徳川軍の決戦が予期された。
天王寺口の徳川方先鋒大将は浅野長晟が予定されていたが、この日の会戦で少なからず損害を受け、
茶臼山方面へと下げられて代わりに本多忠朝がその任に当たることとなった。
忠朝にとっては念願の先鋒である。
喜び勇んだ忠朝はその夜、天王寺口第二陣のガラハゲ二世こと小笠原秀政の陣へと足を運んだ。

「ねんがんの うちじにのきかいを てにいれたぞ!」
「ころしてでもうばいとる」

兵力はこの正面に展開した徳川軍十五万に対し、豊臣軍は最大でも七万である。
だというのに、杯を交わすこの二人の将は討ち死にのことしか考えていなかった。
もちろん、それには彼らなりの理由がある。二人とも、この大阪の陣の間に拭いがたい恥辱を受けていたのだ。

忠朝は冬の陣の際、主戦線ではなく戦闘の発生しにくい今福に配され、配置換えを具申して家康に疎まれたと言う。
或いは、深酒が祟って合戦に遅参し、激怒した家康に面罵されたとも言う。
小笠原秀政は秀政で、夏の陣において自軍の進軍の遅れから秀忠にその怯惰を諸将の前で面罵され、
信濃の父祖の地死守のためにも生命をはなから捨てた働きをなすことを余儀なくされていた。

果たして翌日、死に物狂いの突撃を敢行する豊臣方毛利勝永の軍と本多、小笠原両隊は正面から激突する。
互いに死の物狂い両軍は一歩も引かない交戦を演じ、結果として本多、小笠原両隊は主将討ち死にという形で
壊滅した。

この時の二人の死は、決して無駄にはならなかった。
結果として家康本陣まで豊臣方の突入を許したものの、討ち死にしてまで身を盾にしたのはこの二人だけ。
家康は涙を流して忠朝の兄忠政に「忠朝の死を無駄にしないように」と命じた。
兄忠政の家系が絶えた後、特に許されて忠朝の家系が少録ながらも大名本多家再興を許されたのは
無関係ではないだろう。

小笠原秀政の系統も度々断絶の危機を縁者の相続許可によって特別に許され、
その温情を受けた上で宗家が絶えた後も次男の家系が唐津六万石を得て老中を出す栄誉に授かった。
その配慮の数々は、父祖の勲功、すなわち秀政が身をもって家康の盾となった故とされる。


ご先祖様、己の身命をもって子孫の危機を度々救うというお話。




906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 02:13:23 ID:GK98L9UA
小笠原の本家は基本的に幕閣出せない家だしなぁ。

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 19:57:40 ID:lpF0lWJY
彼らの奮闘あっても旗奉行は旗を倒した

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 22:14:11 ID:+2uxxZe/
小笠原秀政って家康の影武者といわれている人物だよな?
事実を知ってる幕臣なら小笠原家を無碍にはできんわな。
でもなんで唐津にうつしちゃったんだろ?

909 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/21(月) 22:32:29 ID:DTqHZ9Tv
大失敗した(弱い)大名に正面を預けるって、
危なくないか?

911 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/06/21(月) 22:50:54 ID:GNreA7DL
>>907
本多の面倒くさい爺様「倒れておらん!旗は倒れなかった!」

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 22:55:05 ID:s76c9VdC
>>911
彦左「き!きさま!わしの姓をあんな鷹匠上がりのものと間違えたな!?」

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 23:20:05 ID:5Cc2AET6
数日後、又一と共に死装束姿で彦佐と面会する>>911の姿が…

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 23:43:05 ID:Jj6Ph2uo
>>912
松平家忠「彦左がまたキレよったか・・・」
夏目吉信「フン…やつは三河武士文豪三銃士で一番の小物…」


915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 00:02:43 ID:kVq3mY4/
>>912
本多の面倒くさい爺様と言うのは佐渡守ではなく鬼作左でござるよ。
山岡荘八では仲良かったではござらぬか。
許してあげなされ。

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 01:28:13 ID:DeyuEhHP
かんちがいも、さくざがしかる

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 02:40:42 ID:Bq+62bzK
>>910
本家が小倉。唐津は分家。

小倉藩は九州総目付の役割があるんで基本的に幕閣を出せない。
6代藩主だかが老中を目指して猟官運動した時に藩内が二派に分かれて
黒田藩やらを巻き込む大騒動やらかして取り潰されなかったのは
秀政・忠脩の活躍が大きいかと。

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 12:53:19 ID:i3aKJLJz
>>909
事前の戦闘計画がどーなってたから分からんから何とも言えんけど、
包囲殲滅を狙ってたとしたら正面は柔らかいほうがいい。
カンネーでハンニバルが正面にガリア人を配置したのと一緒。

935 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/23(水) 15:19:37 ID:+ac/qmHm
肉を切らせて骨を絶つって作戦ですな!

信じない男

2010年06月22日 00:00

森忠政   
518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 21:19:12 ID:exf9XOVU
信じない男


慶長8年(1603年)津山藩主、森忠政は新たに藩政の要となる城を鶴山の地に建てることを決めた。(後の津山城)
当時、鶴山には鶴山城がありそれを中心に神社・仏閣や集落などが既に形成されていたのだが忠政は
そんな辺鄙な城下町ではなく
新たに大規模な城郭都市を形成することを計画していたので神社・仏閣は移転させ、集落の住民も山下に移住させた。

そんな移転された神社の一つが『鶴山八幡宮』である。
この神社は名前通り鶴山に建っていたから鶴山八幡宮だったのだが近くにある覗山という場所に移されてしまった。

それから5年後の慶長13年(1608年)、忠政は鶴山八幡宮大祭の前日に、宴を催した。そしてその夜、忠政が
眠ったあとの事。
「鶴山八幡宮の神」を名乗る翁が忠政の枕元に立ってこう言った。


翁「そなたの信仰の厚さは分かった。しかしながら今、この社が立っている場所は以前の地より他群である。
  すみやかに前いた郡の西北の地に遷宮せよ。必ず国家の鎮護となるであろう。」


翌日、この夢を見た忠政は内容をしっかりと覚えていたが「最近は臓物の具合が悪いのでおかしな夢を見た」と、
とても現実的な結論を出しスルーした。
そしてその日の夜も同じ夢を見せられたが、これもまた体調のせいにして無視をした。しかしながらまた
次の日の夜にも神が現れ同じ夢を見せてきた。
これで3夜連続で同じ夢を見せられたことになる・・・ようやく忠政もこの夢の内容が気になってきたので
鶴山八幡宮の神主と家臣の伴惟利に郡内で良い移転先を探すように命じた。

神主は神に良き移転先について八幡宮の神に伺いをたてると「城の乾(西北)、十六夜山がいい」
との神託が下ったので伴はそれを結果として報告した。
驚いたのは忠政である。夢の内容などもちろん誰にも口外していないが、まさにお告げ通りの結果が出たのだ。

忠政は、即刻家臣に命じて十六夜山に社殿を造営して、久米郡の覗山より返遷し、神器を奉納した。
こうして現在の位置に鶴山八幡宮は移ったのである。



520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 22:41:16 ID:0hqnizAe
>>518
忠政の枕元に立ってたのは八幡宮の神主とかいうオチはないのか

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 22:53:07 ID:s76c9VdC
>>520
八幡宮の神主はどんなすご腕忍者だよw

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 10:42:35 ID:kWT/FMYl
>>520
それ切られるから

成富兵庫 『勝ちといふは』

2010年06月21日 00:02

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 23:03:07 ID:PhePMldt
このタイミングに鍋島侍の逸話を投下。


成富兵庫 『勝ちといふは』


佐賀の水神といわれる成富兵庫茂安。

そんな彼が部下から「万事に勝つためにはどうすればいいでしょう」と聞かれたことがあった。

重安答えて曰く「勝ちといふは味方に勝つことなり」。

部下がそれはどういうことかと尋ねると重安はこのように答えたとされている

「味方に勝つといふ事は自分に勝つということである。

自分に勝つといふ事は気力で周りの不利な状況に勝つということである。

其の為には日頃から味方数万の侍の中に自分に続くものがいない程に心身を鍛えておく必要がある。

そうでなければ敵に勝つことは無理である」。

成富重安の良い(こと言った)話。

出来ればオランダに勝って…とまでは言わないが引き分けて書きたかった…。

ちなみに出典は『葉隠聞書』。

「武士道は死ぬことと見つけたり」のアレです。

戦国時代とは違う江戸時代の武士道を説いた本ですが結構戦国時代の逸話が多かったりするんですよ。




鍋島直茂の口伝

2010年06月21日 00:02

890 名前:1/2[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 10:05:56 ID:5wJHgvnC
黒田家と鍋島家の間で国境を巡り訴訟が起きた際、鍋島家では有事に備え、国境の山へ家老の深堀新左衛門を
派遣し、「山内の者」と呼ばれる郷士を招集した。
集まって来た郷士たちは、みな襟に布切れを縫い付けていおり、不審に思った深堀は、山内の代官・鍋島普周に
理由を尋ねた。「もちろん理由のある事です。あれは私の先祖、六左衛門が……
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「お前は、わしの死後、勝茂に意見できるか?」山内を訪れた鍋島直茂は代官の鍋島六左衛門に問いかけ、
「仰せとあらば、いくらでもご意見いたしましょう。」六左衛門は毅然として答えた。

「よく言ってくれた。ならば伝えておくが、ここ山内の郷士は、もともと神代勝利の家臣だった外様の者だ。
よって、事あるごとに恩を施し懐かせねばならぬが、勝茂が山内に来て彼らに褒美など与える時、「勝手に配れ」と
事情も知らずに言う者が出るだろう。
その際お前が意見し、勝茂の目の前で与えるようにせよ。勝手に呑ませたところで、それはただ禄を食わせている
のと同じで、恩を与えたことにはならん。そういう者は勝ち戦に付き従っても、負け戦の時には助けてくれぬものよ。」


数年後、勝茂が山内で狩りを行い、勢子として山内の郷士を使った。狩りが終わると勝茂は、タライで手足を洗いつつ
「山内の者、今日は苦労だった。酒など振舞ってやるゆえ、ここへ連れて参れ。」と命じたが、ある近習が、
「殿の御前で呑ませては、郷士たちも恐縮して楽しめますまい。酒樽ごと与えて、勝手にやらせましょう。」と言った。
「それもそうか。よし、
「なりません!直に与え、御前で呑ませるべし!!」六左衛門が、勝茂の前に飛び出して叫んだ。

891 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 10:08:10 ID:5wJHgvnC
日ごろ温厚な六左衛門の強い口調にキョトンとした勝茂だが、我に帰ると手を洗っていたタライの水を頭からかぶり、
急いで衣服を改めると、六左衛門を上座に座らせ、その前に平伏した。
「この勝茂、ただいま過ちを申しました。なにとぞお許し下さい。」
突然の事にうろたえる六左衛門に、勝茂は笑って言った。
「お前が言ってくれたのは、父上のお言葉であろう。死してなお、オレを導いて下さる。さても有難いことだ。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「その後も勝茂様は、怠ること無く山内の者の動向に目をかけ、折に触れ礼服や小袖を、ご下賜なされました。
郷士たちは、その事を忘れまいと、古くなった下賜品を裁ち、端切れを襟に縫い付けているのです。」
「なるほど。ようやくご当家の恩も染みたというわけですか……」


国境訴訟は鍋島家の勝訴に終り、佐賀に帰った深堀は同僚の鍋島庄兵衛らに、山内の郷士のことを語った。
「そういう事だったか。実は綱茂様(勝茂ひ孫)家督相続の際、山内の者が挨拶にやって来たので、酒を振舞うことに
なり、わしが綱茂様にお聞きした。
『酒は御前で与えましょうか、それとも勝手に呑ませましょうか?』
『当然、わが目の前で呑ませよ。この事、お家安泰の秘訣であると、父上から口伝を授かっておる。』



父の日を記念して。オヤジに、敬礼。




892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 16:44:29 ID:622QiC02
決死の覚悟で諌言したら主君が水を被って土下座して来たでござる

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 17:03:58 ID:mAUw7NfN
主君にも、家臣の方にもきちんと受け継がれてるってのはいいな。

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 18:10:28 ID:lP3jfRbe
しかし勝茂も物分りのいいことだ
よく察したものよ

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 18:58:00 ID:1xhC6L/Y
>>893
他の三国に比べてマイナーだけど、薩長土肥の一角なだけはあって、維新を引っ張ってゆく下地は
あったってことなのかな

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 19:24:30 ID:MDQATC5M
肥前の真骨頂は維新じゃなくて維新後だな
幕末で人材を失わなかった分、明治初期を支えた人材が豊富
藩に拘らず登用した木戸も偉いが

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 20:48:03 ID:aisd6KjM
近代化にがんばってたじゃないか。軍事じゃあアームストロング砲とか持ち出したりして援助したし
手法が強引だったから大隈重信がブーブー言ってたけど

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 21:42:41 ID:QVUlAqee
>>898
アームストロング砲は砲身が佐賀の建造した反射炉じゃ製造できないんで、
保有そのものは輸入の可能性があるんで別として、自作はかなり眉唾とされる
ぶっちゃけ戦場に意義のある数を投入できるほどの数を保有してたか疑わしい

実際には四斤山砲クラスの量産と保有が関の山だったんじゃないのかな
アームストロング砲云々は後から背びれ尾鰭がついた話なんじゃないかと

ただし、それでも当時の日本じゃ他藩の追随を許さないレベルだけど
[ 続きを読む ]

雑談:よく真田の兄ちゃん(信之)は…

2010年06月21日 00:01

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 20:29:29 ID:MoVPtgLF
ふと思ったんだけど
よく「真田の兄ちゃん(信之)は二代将軍秀忠から疎まれていた」っていわれてるけど本当にそうなのかなあ?

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-826.html
で兄ちゃんきれた時、仙石さんが幕府に抗議したら
秀忠さんは「真田が切れる気持ちもわかる」って感じで黙認したって話あるし
馬場主水が幕府に訴えたとき、兄ちゃんが「切腹する」ってきれたときも
秀忠さんは兄ちゃんの忠節を褒めてたし
弟や父ちゃんのKYを考えると疎まれていたようには思えない

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 20:39:15 ID:XkIxp4aP
>>481
信之に関しては、現在では秀忠時代も譜代格の大名としてむしろ優遇されていた、って説が
有力みたいね。
秀忠が真田家取りつぶしを画策して云々、って言うのはやっぱり後世の創作でしょう。

ただ秀忠、家光の時代は、譜代、親藩であっても治世が悪ければ常に取り潰しの危険のある
時代なので、そういう部分で非常に気を使った、と言うのはあったと思う。

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 21:49:06 ID:MoVPtgLF
>>482
やっぱり、最近ではそうなんだねありがとう。
疎まれてたイメージはやはり池波先生の「真田太平記」からなんだろうなあ

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 22:57:23 ID:byZJeNtx
>>482
だからストレスからおにいちゃんは…
天寿を全うしていれば…

細川晴元の使い捨て人生

2010年06月21日 00:01

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 21:10:28 ID:RknwqKCW
「細川晴元の使い捨て人生」

細川京兆家最後……の一つ前の当主に、細川晴元という人がいた。
父は細川澄元、第十一代将軍足利義澄の擁護者であり、例の魔法使い志願の政元の養子の一人である。
永正年間の両細川氏の乱で足利義殖=細川高国体制支持派の大内義興に足利義維共々畿内から
追っ払われたため、父の病死により七歳で家督を継いだ時は阿波細川家にて居候の身だった。

さて、この若い晴元を補佐したのはかつて父の有力家臣として仕え、討ち死にした三好之長の子、元長だった。
この頃に中央政界でも政変が生じ、勝利したはずの第十代将軍義殖が高国に京都を逐われて阿波に落延び、
さらにその養子にはなぜか敗れた義澄の次男である義維が収まっていた。
加えて言えば、義殖を追っ払った高国が十二代将軍に擁立したのはその義維の兄である義晴である。

期せずして再び独自の将軍候補を得た晴元は、元長や阿波守護細川持隆とともに四国でじっくりと時を待ち、
大永六年、十三歳のときに高国陣営で内乱が起きると元長らに奉じられて畿内への逆襲を敢行。
やはり阿波から連れ出した足利義維を中心に堺公方府と呼ばれる独自の政権を樹立し、
元長率いる四国勢と波多野殖通率いる丹波勢の奮闘のもと四年掛けて高国と政権の完全奪取の打倒を成し遂げた。



で、そこから早速迷走が始まる。

既に堺公方府は事実上の幕府として機能しており、あとは義維が将軍宣下を受ければ名実共に正統な政権となる。
しかしここで、何を思ったのか晴元は京から逃げ出して近江にいた足利義晴を呼び返すという行動に出た。
要するに、自分の擁立している義維をあっさり捨て去った。理由はよくわからない。

当然これに驚いた三好元長や畠山義堯は強烈に反対、これを疎ましく思った晴元はこの二人も捨てることに決めた。
カードは既に用意してあった。畠山義堯の家臣木沢長政、元長の同族三好政長、そして元長と対立する一向宗だ。
この三枚のカードを使って元長、義堯を騙まし討ちに討ち取り、堺公方府は高国打倒後たった一年で崩壊した。
晴元は足利義維や元長の遺児も殺害したかったようだが、細川持隆が一戦も辞さぬ態度で彼らを保護したため、
さすがに海を渡ってまで征伐するようなことはしなかった。


484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 21:11:29 ID:RknwqKCW
さてこれで邪魔者はすべて消え去り、細川晴元政権は磐石となる――はずがなかった。

有力な武家を葬り去ったことで跳ね上がった一向一揆が、天文元年に各地で騒乱を引き起こしはじめたのだ。
もともと元長を排除できないから一向一揆の力を借りた晴元に、一向一揆を統制できる力など元からない。
なので、今度は法華一揆を利用して一向一揆を鎮圧した。

と思ったら、今度は法華一揆が跳ね上がって天文五年に大規模な騒乱を起こした。
もともと一向一揆を排除できないから法華一揆の力を借りた晴元に以下略なので、
今度は近江六角家と比叡山の力を借りて法華一揆を鎮圧した。

しかしこのまま両宗派と敵対していては民心が安定しないので、四国から三好元長の子、長慶を召し出した。
一向宗とも法華宗とも通交のある彼に宗派間との和睦交渉に当たらせるためで、長慶は期待に応える働きを見せた。

と思ったら、天文八年、今度は三好長慶が(ry
なので木沢長政を(ryと思っていたら、ここで木沢の方がもうひとつ凄い跳ね上がり方を見せた。
彼自身も晴元と諍いが多くなりつつあった所で、どうせなら将軍の身柄を押さえてしまえ、と決起に及んだのだ。
仕方がないのでこれは三好長慶と畠山家臣遊佐長教を使って排除に成功した。

そしてこうなると、もう晴元には最後に残った長慶をけん制するカードは一枚も残らなくなっていた。
どうも、強いものにより強いものをぶつけて排除する形で使い捨てていけば最終的にどうなるかという点について、
まるで理解していなかったように思える。
結果として天文十八年に長慶が細川氏綱方に離反すると、晴元は六角家の支援を得ながらずるずると敗退、
讒言が多いながらも晴元には忠実だった三好政長を見殺しにするに及んで、味方は次々脱落していくことになる。

紆余曲折の末、永禄元年に晴元は当時擁立していた十三代将軍義輝と共に長慶と講和した(実は二回目)
そして嫡男の信良を人質に差し出して家督を譲って隠居する……のだが、彼はまだ諦めていなかった。
人質に差し出した嫡男のことはすっぱり見切りをつけ、影で将軍義輝、六角、河内畠山の各者と連絡を取り合い、
隠居の自分に代わって次男の晴之を名目上の総大将として、永禄四年に反三好の一大決起に及んだのだ。

結果から言えば、この決起もまた失敗に終わった。
決起当初は畠山高政が三好義賢を討ち取り、六角軍が京都を占領する戦果を挙げたが、
それに続く河内教興寺の決戦で畠山軍が崩壊すると六角義賢は三好家に屈服。
最後まで他人の褌で相撲を取った晴元の野心もここに費えた。

ちなみに晴元の次男である細川晴之という人物が歴史に顔を出すのもこのわずか一瞬のことで、
これ以前にもこれ以後にも姿が見えることのない謎の人物でもある。
彼もまた兄と同じく、父に使い捨てにされた一人だといえるだろう。

翌永禄五年、細川晴元は誰に顧みられることもなくひっそりと帰らぬ人となった。




485 名前:sage[] 投稿日:2010/06/19(土) 21:21:50 ID:E/tjJ2RR
>>484
他人の褌で相撲を取った男晴元
細川家に新たなフレーズのついた男が誕生した
個別認識する時便利なんだよな

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 21:55:30 ID:iw3PMJBE
>>484
上野の国立博物館でやった「細川の秘宝展」でさ、
なんで細川家の傍流の傍流である細川藤孝の家が、
細川家の室町時代以前の宝物をたくさん所蔵してるのかと疑問におもったんだけどさ、
こうやって衰退した京兆家から、宝物を買い叩いたり、脅し取ったりしたんだろうな・・・

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 09:28:14 ID:Lm4VuGfq
細川晴元って宗滴さんに「人つかひ下手の手本」って酷評されてた気がする。

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 10:53:50 ID:TGnfzSHi
>>490
幽斎さんならしれっと持ち去りそうだ……

 ラスボスの(しかも天皇陛下が手植えしただのいう)柿をかっぱらって食おうとするようなハイパーメディア文化人だから

512 名前:505だす[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 13:52:10 ID:TGnfzSHi
>484 >490

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2694.html  三斎さまにはこんな逸話がおありでw

毛利元就の首実検

2010年06月21日 00:00

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 22:22:05 ID:miq9LRDt
毛利元就の首実検

厳島の合戦が終え、敗軍の将・陶晴賢の御首は公卿衝重に据えられ、
これに諸城の諸組の頭たちが左右に並び、ただただ畏まっていた。
毛利元就、隆元の親子は鎧を召し、床几に腰を据える。
その左右に平佐源三郎が太刀を持って控え、その前方に回神藤十郎が弓矢を持って控えていた。
元就の右やや前にて陣貝を膝に乗せるのは、市川式部少輔。
市川の右手には太鼓があり、赤川十郎左衛門がバチを手にして畏まり、
また床几の右手には、粟屋孫次郎が手拭を扇に乗せて待機。
その少し前に秋山隼人が御団を持って膝をついている。
物々しい雰囲気の首実検であった。
元就は床几から立ち、鞭を手にとると。
「おまいが義隆に叛逆したのが悪かった。これも天命、恨むなよ」
と言って、

ぺーん、ぺーん、ぺーん、

三度、陶晴賢の御首に向けて鞭を振り下ろした。
その後公卿衝重から御首を引きずり落とし、
「拾いおけ」
それを陣僧に拾わせた。

たとえ死んでも敵将は敵将であった――――というお話。




493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 22:58:14 ID:kmaTO4Dr
でも魏延に比べればずっと恩情な処置

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 23:12:00 ID:6wxN+GV+
>>491
晴賢の首が見つかったのは死んでから四日は経っていたから
ぐっちゃぐちゃだろうな

495 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/19(土) 23:34:56 ID:aRnUCbwZ
普通に陸路で行けばいいのに、なんで大軍で島に渡ったんだろう。

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 23:59:11 ID:RknwqKCW
陶晴賢は俺のご先祖にひどいことしたよね(´・ω・`)

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 00:16:52 ID:gXBxoiNw
>>496
まさか厚狭弾正の子孫?

498 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/20(日) 00:31:32 ID:QVUlAqee
>>497
いにゃ、松原隆則つー無名の大内義隆殉死組の子孫でござる
陶の謀反と大東亜戦争の鉄供出と農地解放と阪神大震災さえなけりゃ……(´・ω・)

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 01:30:56 ID:gXBxoiNw
>>498
色々重なってるなw

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 03:14:38 ID:lrYQ6SPg
>>496
毛利元就がいなければ、うちの先祖は出世できてたかもしれん。
小早川家の乗っ取りさえなければなあ…。

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 09:13:49 ID:MMJ1VZq+
>>497
厚狭弾正は架空の人物だから
子孫が出てきたらびっくりするわー

落語・左甚五郎三部作

2010年06月21日 00:00

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 07:05:07 ID:rT0hJg2U

落語・左甚五郎三部作

竹の水仙
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5419000

ねずみ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6590763

三井の大黒
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5591368

稲葉一鉄「お前の主人は」

2010年06月21日 00:00

506 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/20(日) 12:23:51 ID:cx7oP8Ah
稲葉一鉄「お前の主人は」

稲葉一鉄が信長の命により菊亭晴季のところに使者として赴いた。
ところが、早朝に着いたにもかかわらず、晴季はすぐに会おうとせず、
一鉄を何時間も待たされた。

お昼も過ぎても出てこず、なお待たされる。
晴季は八つ時(午後2時頃)にやっと出てきて、
「信長の使い、それへ、それへ」
と言った。長時間待たされていた一鉄、この晴季の態度に切れた。
脇差に手をかけて、抜き打ちにする姿勢をとり、目をいからせ
「お前の主人の天皇は俺の主人の信長さまから扶持を得ているのに、
 さんざん待たせた挙句、その態度はなんだ。ゴラー!!」
晴季も一鉄のこの言葉に怒り、険悪な雰囲気のまま、一鉄は
帰った。


507 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/20(日) 12:24:46 ID:cx7oP8Ah
一鉄が晴季のところで何かやらかしたらしいとの話は、一鉄が
帰る前に、信長の耳に入った。信長は一鉄を呼び出し
「その方、菊亭どののところで、何か無作法がなかったか。
正直に申せ」と問いただした。
一鉄が晴季邸での一部始終を詳しく説明したところ、
信長は手を打って
「さあ大変。」といい、頭を抱え、事態を収拾するため。
晴季に再び使者を出すなどした。
この件で、一鉄はとくに処分などは受けなかった。




509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 12:48:33 ID:dfgfGQEa
>お前の主人の天皇は俺の主人の信長さまから扶持を得ているのに

いくら朝廷や御上が蔑ろにされていてもこれは酷いよねw

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 12:54:09 ID:FJxcb4wM
でも信長としちゃあ悪い気持ちせんだろね

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 13:17:55 ID:NW3nFfUw
一方信長は大貴族である菊亭晴季を、面と向かって「おい、菊」と呼び捨てにしていた。

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 13:53:20 ID:TGnfzSHi
>>511
洒脱というか、ぞろっぺなおっさんだよな信長公って案外……

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 13:59:20 ID:LxmvF6f+
おい近衛、てめえは中仙道で帰れ

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 14:51:56 ID:CqbgNKtC
350年後 陸軍若手将校「おい荒木」 「若いもんは元気じゃのう」