週刊ブログ拍手ランキング09/22~/29

2010年09月30日 00:01

09/22~/29のブログ拍手ランキングです!


「猫橋」 89

小早川隆景、鉄砲の音を聞いて粥を炊かせる 76

青山忠俊の忠義 75
毛利元就「おお、渡辺殿、よく来られた。」 65

雑談・天庵様の肖像画 54
本多忠勝、晒し首を見て 45
大久保彦左衛門「わしの知っておる上様は」 43

細川忠興「何だこの焼き鮎は!」 39
雑談・鬼武蔵は基本ヒャッハーだろw 32
慶長11年(1606)2月、島津義弘から島津忠恒あて書状 29

「国分たばこ」由来 24
滝川雄利の人質 24
薩摩、禁煙のお触れに 24

武田信玄の猫の飼い方 23
悪代官のお話。 23
薩摩示現流「雲耀の太刀」 23
前田利家「不遇な時にこそ本当の友情が」 22
わかりあえない親子 22
雑談・広域支配の守護大名 20
合計 1395


今週の1位は「猫橋」
十時新五郎惟久のすさまじい忠猫のお話です。
しかしコメントの中にもありましたが、戦国の逸話の出てくる動物は、強い。
過酷な時代だからこそ人間だけでなく動物も、強くなくては生きていけなかったのでしょうね。
そんなことをふと、感じさせるような逸話です。

2位は小早川隆景、鉄砲の音を聞いて粥を炊かせる
「1を聞いて10を知る」ってもしかするとこういう事かな、などと思いました。
隆景は銃声を聞いた瞬間既に、その後の戦の展開まで頭の中にあり、何を用意しておくべきか
ちゃんと解っていた。この逸話が伝えているのはきっとそういう事だと思います。

今週管理人が気になった逸話は武田信玄の猫の飼い方です!
この実利主義。よく信長を評して『前例にとらわれず革新的』などといいますが、個人的には
信玄こそそういう人だったと考えています。彼の行動は「実利さえあれば形に拘らない」
という哲学で一貫しています。その一端を、この逸話からも感じました。

今週も、各逸話に本当に沢山の拍手をいただきました。
いつもありがとうございます!
又気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!



さて、今週は久しぶりに本の紹介を!
今回紹介する本はこちらの漫画!

うっかり戦国4コマ かいこ (2) (ウィングス・コミックス)うっかり戦国4コマ かいこ (2) (ウィングス・コミックス)
(2010/09/25)
久山 ちず

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久山 ちず著 「うっかり戦国4コマ かいこ」2巻です!
1巻の方も紹介しましたが、待望の2巻の発売です!
この方の漫画がすごいのは、非常に親しみやすいキャラクターで描かれている上に、
そのネタの一つ一つに、根拠がちゃんと存在することです。

無論キャラクター4コマとしてそのまま読んでも面白いのですが、多少でも戦国時代を知った上で見ると
流れの中のごく些細なネタにも原典があることがわかり、戦国好きなら思わず感心してしまうような
密度の濃いお話がぎっしり詰まっています。

戦国初心者にも上級者にも楽しめ、又読んで欲しい。
そんな漫画です。おすすめですよー!
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板倉重宗と未解決の難事件

2010年09月30日 00:01

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 22:05:07 ID:ZSblyOze
まとめには載ってませんでしたが、「法曹夜話」にあった板倉重宗の話なんかは
さすがにスレ違いでしょうか?

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 22:34:04 ID:cLNlGhQO
取り合えず書いてみる!



306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 22:55:35 ID:ZSblyOze
では、既に戦国ではありませんが板倉重宗の話を(出典:法曹夜話(岩波文庫))

板倉重宗は、父勝重の後を継いで京都所司代となり、父に勝るとも劣らない名声を博した。
35年勤めあげ、いよいよ辞職の際、抱えていた仕事は全て整理し、後任の手を煩わせないようにしたが、
ただ一つ当時世間で評判となっていた難事件については、片付けずにそのまま後任の牧野佐渡守親成に
引き継いでしまった。

「佐渡?誰それ。周防殿ですら解決できないものがこんな奴に出来る訳ねーじゃん( ´,_ゝ`)プッ」

と着任前から散々な言われようだった牧野親成、いざ着任してみれば明快な調査、公平な判断で
事件をあっという間に解決してみせ、
「佐渡殿すげえ!これなら周防いらねーじゃん!」
てな具合に、新任所司代の名声はいやがおうにも高まったのであった。

…が、実はこの事件、板倉重宗は既に完璧な調査を終え、後は判決を言い渡すのみとなっていたのを
辞職に当たってあえて残し、さらに詳細な意見書まで書いて引き継ぎ、牧野親成はそれをただ読んで見せた
だけなのであった。

自分の功を誇らず、お上の威信のために後任に花を持たせた重宗のいい話。




307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 23:09:52 ID:vgZoZNko
板倉さんとこは親子でガチだね。

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 23:13:24 ID:ih/MKB6h
本多佐渡さん親子とは正反対だな

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 21:46:57 ID:U5dwo9l0
>>307
孫も立派だよな
3代続くのは珍しい

天寧寺について

2010年09月30日 00:00

309 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/29(水) 01:45:40 ID:Uyd8ZdRM
善吉和尚が住職をつとめた天寧寺という寺はなかなか面白いぞ
もともとこの寺、楠木正成の八男が会津若松に創建して蘆名の庇護を受けていたんだが、
その後、摺上原の戦いで政宗に焼かれて、会津若松と京都にそれぞれ再建されてる
さらに蘆名義広が角館に移ったときに、こちらにも会津の天寧寺を本寺として同名の寺を建てた
このときに開山として呼ばれたのが鉄山和尚で、後に新天流槍術の奥旨を編集して、横手の上遠野家へ伝えている

京都の天寧寺は、天正年間に10世の祥山和尚が焼け残った本尊や寺宝を収集して京都・鞍馬口に移転
直江兼続や板倉勝重の援助により堂宇を整備したそうだ
東郷重位は19881588年に天寧寺に参禅しに行って、善吉和尚と出会ったらしい
善吉和尚は1594年に亡くなっていて、天寧寺に葬られている。現在でも鹿児島から墓参りに来る人がいるらしく、
墓前に焼酎が供えられていることもあるよ。ちなみにこの寺には金森宗和の墓もある

ところでご存知の人も多いと思うけれど、会津若松の天寧寺には近藤勇の墓がある
政宗が天寧寺を焼いていなかったら、示現流は存在せず、近藤勇が隊士に「薩摩者の初太刀は外せ」と言うこともなく、
土方歳三が会津天寧寺に近藤勇の遺体の一部を葬ることもなかったかもしれない
意外なところで政宗の絡む、歴史の不思議さを考えさせるよい話ということで




310 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/29(水) 01:53:17 ID:Uyd8ZdRM
1988じゃない。1588年の間違い


311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 01:55:14 ID:KmZmqHm1
東郷、今も存命かな?

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 02:13:53 ID:2yVrjsND
東郷「わかった やってみよう・・・」

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 15:05:35 ID:7iCGrH1w
東郷「報酬は鹿児島信用金庫の口座に振り込んでくれ……」

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 16:16:30 ID:swFZP+Nc
G型鍬13本の注文か?

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 17:54:04 ID:TZmgv480
10%の才能に20%のDQN、そして30%の臆病さ…残りの40%は運だろうな


316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 18:08:21 ID:UKZqk3CV
鬼武蔵「俺がいるから戦乱が起こるのではない。戦乱が起こるから、俺が存在するのだ。」

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 21:29:29 ID:406Etpr/
>>316
長久手の戦い
           カチャ
                          ,,,,,
          , ーっ--、_      / ̄ ̄ ヽ
_______,/ /'}=三ア─'    /;;;;;;;;;;;;;;;;  ヽ
           ムEミ}`ー゙      トミ;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ノ
、_ ___ ,, -─ー--'"_ , - ──イミ;;;;;;;;;;  ,; 7,/
  ̄        , - '         \  イ,レ//
         /             ヽ ,/
        /                Y
        /           ,   鬼 ノ
       /            |   武/
       /            ノ  蔵/

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 21:32:48 ID:UKZqk3CV
稲富一夢「銃に異常はないようだな・・・」 チャッ

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 21:46:54 ID:2yVrjsND
稲富「この世界は、病的な用心深さと、それ以上の臆病さを持ちあわせている奴だけが、生き残れる
資格を持っているのだ・・・」

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 22:16:38 ID:9GL5X6Hp
杉谷善住坊「(ミスファイア…!?)」

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 22:18:33 ID:VVrKShOZ
>>317
むしろこのシチェーションは富田さんだろうw

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/30(木) 00:02:10 ID:0ST6YOXB
>>321
いや、あんたこないだ本当にG13に出てたや無いか。
銃身の膨張による弾道変化を理解出来ていない素人として。

細川幽斎さんが貧乏なわけ

2010年09月30日 00:00

340 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/28(火) 22:47:18 ID:tzkO4pkq
このスレでは有名な三歳さんの父親にして超1流の文化人、細川幽斎さんの話。
小田原攻めでのこと。当時の細川軍は兵の装備を黒で統一する程に質素だったのだが、
幽斎さんは財政難に悩んでいた。
そんな時に近江の十四屋という商人が
「幽斎様、貴方にお金の貯め方を教えて差し上げましょう。」と申し出た。

それを聞いた幽斎は、
「有難い!それが聞きたかったのです。御礼に銀100枚を貴方に支払いますよ!」と喜んだのだが、

十四屋はすかさず、
「幽斎様、それですよ!それがいけないのです!貴方はその様に無造作に人にお金を渡すから貧乏に
 なるのです。」と答えた。

これを聞いた幽斎をはじめ、その場にいた人々は皆思わず笑ってしまったという。
貧乏の理由が自分にあった事に気付かなかった幽斎さんのちょっと悪い話。




341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 22:51:11 ID:TnaL/ANz
教えてやれよ家臣達www文化人はお茶目なのが多いな
息子は度が過ぎてるけど

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 22:57:23 ID:yvGMYqXt
ならば褒美に死をやろうっ!!

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 23:04:31 ID:lvIdWxtD
現代でもこんな金持ちいるよ

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 23:12:33 ID:mt2dGB0o
>>343
いいとこの坊ちゃん嬢ちゃんだった人に多い。
人から持ち物褒められるとすぐにあげたがる。
取引先の婆ちゃん、昔はすごい金持ちだった家の生まれらしくて、気に入られてすぐに何くれなくくれそうで
断るのが大変。
今は逼塞気味で横で娘さんが困ったような怒ったような顔でこっちを見てるし。

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 23:16:19 ID:ih/MKB6h
幽斎さんは若い頃、油盗む位には貧乏してた筈たけどねえ…
突っ込んで欲しくてわざとボケたんじゃにのか?w

346 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/28(火) 23:57:18 ID:rXHXLgMO
>>342
こういうときは美濃と尾張をくれてやると申すものだと…

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 00:56:53 ID:2yVrjsND
この前の細川家展に行ったら、分家で赤貧だったはずの幽斎の系統が
なぜか大量の細川京兆家伝来の宝物持ってるんだよね。
おそらく、大名になってから、金に糸目をつけずに買い占めたんだと思う。
そりゃまた貧乏になるわ・・・

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 01:06:06 ID:PbVfYoB9
そういや今日桂歌丸が『細川井戸』が出てくる落語してたらしい(その逸話自体はまとめブログにあったはず)
湯呑みをその場で300両で買っちゃうってところみると息子にも受け継がれてるなw

「おいらん渕」伝説

2010年09月30日 00:00

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 03:16:21 ID:m5nUo2U3
天正10年(1582)、武田家滅亡の折の頃。

武田の財政を支えた黒川金山。だが武田家の滅亡が明らかになると、
金山を管理する奉行たちは、ここを放棄することに決めた。

さて、この金山の近くには女郎郷と言う場所があり、そこには金山の鉱夫たちのために
遊女たちを集めていた。
この当時、55人の遊女たちがいたという。

金山の奉行たちは柳沢川の上に演台を作り、そこで宴席を設けた。
この時55人の遊女たちに舞を舞うよう命じる。

彼女たちが舞っているその最中、奉行は演台を釣っていた藤蔓を断ち切った。

遊女たちは演台と共に川の中に真っ逆さまに落ちた。
奉行は金山の秘密が遊女たちから漏れるのを防ぐため、こうしてその口をふさいだのだ。
多くは水に沈み、かろうじて助かったものも、又殺された。

この遊女たちが沈められた場所は、後に「おいらん渕」と呼ばれた。

その下流にある丹波山村には、遊女たちの死体を引き上げ、彼女らを供養するお堂が建てられた
そうだ。

が、「おいらん渕」には今も彼女らの怨念が、漂っているのだという。


武田家滅亡にまつわる悲劇、「おいらん渕」の伝説。




350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 07:27:50 ID:ex1VhtGC
花魁淵と八王子城と薗原湖はガチな心霊スポット

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 19:10:31 ID:dxaz4LVM
>>349
なぜだろう
「細かすぎて伝わらないものまね選手権」をまず連想してしまった
あれ、PCの後ろに変な光が…

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 22:57:29 ID:BGqu2yUW
吉原で遊ぶ時は吉原神社にお参りに行くんだが
次行く時は、おいらん淵の遊女の分もお祈りするぜ…

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 23:22:29 ID:2yVrjsND
>>352
いくなら深夜がおすすめだ。

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/30(木) 00:03:24 ID:ATbyK4BO
一応、24時までに店入んなきゃ抜けないぞw

本多忠勝、晒し首を見て

2010年09月29日 00:01

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 23:10:21 ID:aVtDGJyV
徳川家康の関東移封に伴い、上総大多喜の地を授かったばかりの本多忠勝が、新領内を見回っている時、
晒し首が置かれているのが目に止まった。
「哀れな。ロクな取り調べも無しに、打ち首にされた者であろう…せめて丁重に葬ってやれ。」

忠勝の家臣は、首を見ただけで事情を断じた主君の言葉を不審に思い、命じられた通り首を葬った後、晒されていた
罪人の素性を調べた。すると、忠勝の言っていたように、関東攻めのドサクサに紛れ、打ち首にされたものと分かった。

「確かに殿の言われた通りでした。しかし、なぜ首を見ただけで事情が分かったのですか?」

「なァに、簡単だ。月代が半端に伸びていたからよ。キチンと取調べをして、まともに刑が執行されたなら、
牢に長く居るので、月代は伸び放題になっているか、最後の情けに散髪をしておるはずじゃ。
半端な伸び方をしているのは、牢に居たのが短いか、粗末な扱いを受けたという事よ。むごい真似をしたものだ。」


百戦錬磨の武人は目配り・気配りが違う、という話。




293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 23:12:29 ID:+J+LgG29
実際観察眼が優れていたからこそ、戦場でもあれだけ活躍できたのだろうな。

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 23:26:51 ID:72ZG448q
>>292
小田原征伐のどさくさで殺された首?
そうすると、真夏に少なくとも2.3ヶ月晒されっぱなしだったはずだが、月代を判別できるものだったのだろうか?
まあ、それほど平八の観察眼がすごかったということで。

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 01:51:48 ID:ITJ5Q5uI
大多喜城
一度行って味噌
滅茶苦茶いい加減な再建城だからwww


296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 01:55:29 ID:DdTawuyR
>>294
「小田原征伐のどさくさ」ってのは、小田原の役の結果の北条家改易に伴う混乱も含まれるだろうから
そんなに長期間さらされていたものでもないだろ。

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 02:18:20 ID:CP9O+4F5
>>295
千葉県っていい加減な模擬天守の宝庫なんだな
千葉城、関宿城、館山城、久留里城、大多喜城、安房勝山城、万木城

東郷重位さんの話

2010年09月29日 00:00

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 16:20:17 ID:atoBDJZq
東郷重位さんの話

東郷さん島津義弘さんに従い京に上洛していました。
そこに天真正自顕流を伝える善吉和尚に出会いました。
タイ捨流免許皆伝で腕に自信のある東郷さんは立合いを申し出ました。
しかし、善吉和尚が箒を八相にとり、凝然と立ち尽した。その姿に慄然とした東郷さんは
その場で指南をお願いしました。
すると善吉和尚も東郷さんを許して自顕流を指南を了解しました。
6ヶ月の間でしたが東郷さんは熱心に剣術に励み正伝を得ました。
そして、帰国の際に善吉和尚より東郷さんへ3巻の伝書と40の技法を授け、自顕流を東郷さんに託しました。

帰国後も熱心に剣術の修行を行い、屋敷にあった柿の巨木を昼夜三年間、休むことなく打ち込みを行い
巨木を立ち枯らしてしまいました。
また、東郷さんの噂を耳にした剣士たちが他流試合を申し込んできましたが、其の事如くを打ち破り、
求められれば門弟として向かいいれました。

まあ、ここにいる人ならわかると思いますがその噂を聞きつけた殿様の命により現指南役タイ捨流東権右衛門と
東郷さんが立合をすることになりました。
東郷さん自信もタイ捨流免許皆伝で権右衛門より皆伝を受けています。
しかし、権右衛門との立合は47回に及んだといい、東郷さんは権右衛門に勝利をしました。
この結果、東郷さんは剣術指南役として薩摩藩で召抱えられましたとさ。

でもね、薩摩藩の藩主さまがた何にも起さないで剣術指南に任ずる訳がないとは思いませんか?
実はwikiからなんですが、時の18代藩主島津家久さんは47回立合った後の東郷さん(丸腰)に切
りかかったそうな・・・・
まあ、懐の扇子で刀を叩き落とされたらしいですがne。




小田倉の戦い

2010年09月29日 00:00

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 23:54:14 ID:iU4/z8Gg
小田倉の戦い


1560年、関東に勢力を伸ばし始めていた上杉景虎に恭順の意を示さなかった那須家は上杉家の同盟相手である
蘆名・白河結城家の侵攻を受けた。
これに対し那須家当主、那須資胤は徹底抗戦を決意し先立って兵を進め白河領内に布陣した。

しかしながら兵は蘆名・白河連合3000に対して那須家はわずか600・・・まともにやりあって勝ち目はないので
那須資胤は佐竹からの援軍を頼むことにした。
当時の佐竹家との交渉役は大関高増。高増は交渉を見事に成功させ、荒巻為秀率いる1000の軍勢、
加えて高増とその弟の大田原綱清率いる100の軍勢が本隊に合流した。
しかしながらまだ圧倒的に不利である。ここで高増は資胤に『佐竹義昭からの言付け』と前置きし策を話した。

高増「地形的には小田倉原に本陣を置き、進軍してきた敵の隊列が伸びきったところを
側面から伏せていた兵が動けば必勝であるとのことです。」
資胤「皮籠原の方が良いのではないか?」
高増「白河城から近すぎます故に側面の兵が崩したとてすぐに後詰めが来るでしょう。」
資胤「なるほど・・・それで行こう。」

こうして資胤率いる600は小田倉に本陣を置き、夜闇にまぎれて大関・大田原・荒巻1100はそれぞれ
側方に展開し伏せるという布陣を取った。
そして翌日、その布陣を見た蘆名・白河連合は動いた。まず、連合軍の内1000が那須本陣に襲いかかる。
那須家も戦には強いので数では劣るが負けてはいない、戦況は互角であった。痺れを切らした連合軍は
更に1000を那須本陣の攻撃に当たらせた。
こうなると流石に那須本陣も苦しくなってくる、しかしまだ側方に伏せた軍勢は動かない。
ついには資胤本人も負傷するほどの大乱戦となり、弟の森田資郡が辛うじて支えているという有様であった。

資胤「おのれ・・・謀ったな高増!わしでここで自害する、あとは頼むぞ資郡!」
資郡「おやめ下さい!ここで兄上が自害すれば総崩れですぞ!」

こんなやり取りまでされる絶体絶命の窮地に本陣が追い込まれたところでようやく大関・大田原・荒巻が動いた。
すっかり隊列が伸びきっていた連合軍は崩れ始めるが、蘆名にはまだ動いていない本隊の兵がある。
そこで遅れていた千本資俊率いる100の軍勢が怒涛の勢いで蘆名の本隊に迫った。

蘆名「なに・・・まだ伏兵が?これは迂闊には兵を進ませれぬ、退けー!」

実はただ千本の軍勢は遅れてやってきただけであったのだが警戒した蘆名勢は進軍出来ず撤退を始めた。
こうして小田倉の戦いは那須軍の勝利に終わったのである。しかしながら資胤は納得がいかない。

資胤「高増!あの動きの遅さ・・・貴様一体どういうつもりだ!」
すると高増はいささか呆れた様子でこう答えた。
高増「遅れた?遅れたのは資俊殿でございましょう。私は那須家の勝利のために時期を待っただけです。
それによく引き付けねば作戦の意味がございませぬ。」
資胤「抜け抜けと・・・わしが討たれるのを待っていただろう!」
高増「何をおっしゃいます・・・被害も最小限で奥州勢を破ったでございましょう?那須家の勝利でございますぞ。」
資胤「何故蘆名を追わぬか!」
高増「それは無理です。蘆名の本隊が無傷なので深追いは危険でございましょう」
資胤「・・・」


正論といえば正論であるが資胤のこの時感じた高増・・・ひいては佐竹家への不信感は拭われることはなかった。




326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 23:59:01 ID:72ZG448q
さすがは冷血動物の大関さん

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 00:41:28 ID:JRAHBZqz
大関高増ってやっぱり人を見下してるよね。

東郷重位さんと東郷重方さんが夕涼みをしている時

2010年09月29日 00:00

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 01:27:00 ID:jeVCHotE
いいスレの方で東郷さんが出てたんで
東郷重位さんのお話

東郷重位さんと東郷重方さんが夕涼みをしている時
野犬が庭に入り込んで暴れ始めました。

そこで重方さんは
「うるさいので黙らせてきますといって」
席をはずしました。
程なくして重方さんもどってきて重位さんに一言
「親父殿、この刀を見て下さい刃こぼれ一つないでしょ?」
と言って自分の剣の腕が上がった事を自慢しました。
しかし、重位さんは顔をしかめてこう言い返しました。
「刃こぼれしてない?、刃こぼれするほどに打ち込まないと駄目じゃないか」
と呆れたそうな。




330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 01:37:29 ID:jeVCHotE
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E9%87%8D%E4%BD%8D
東郷重位さんのwikiなんだけど島津の殿様とのエピソードがあるね

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 01:43:25 ID:k84iHUrn
犬をどうしたかっていうのは最早語るまでも無しかw

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 01:48:51 ID:DdTawuyR
薩摩は江戸期になると日本中で「野蛮だし無駄に金持掛かるしこんなの必要ないよね」と
やらなくなった『犬追物』を幕末まで続けた稀有なお国柄ですw

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 01:52:15 ID:npoAXU6x
この時代の人は、刀なんて人斬り庖丁だと思ってた人が多いのかなw

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 07:15:10 ID:3NlQvAHZ
綱吉の生類憐れみの霊(犬保護の条文)って旗本奴がやってた犬追物を規制するためのものだったとかいう話ががが

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 15:09:08 ID:jM+OCGdC
旗本奴がやっていたのはただの犬殺しと犬食いね。

>>332が少し書いているけど犬追物は射手だけで36騎、利用される犬が150匹と規定されてる大規模な行事。
乗馬も目の前に犬が飛び出しても竿立ちしないような訓練をされたものを使うので数年がかりで訓練が必要。
それに弓を射る時の儀礼(犬を追い抜きながら射らないとだめとか弓は完全に引き切っていないとだめとか)や
会場の広さや整地法が決まっていて、武家礼法相伝の家以外で急にやれるようなものじゃないよ。

↑を書きながら、それでも北条家の幻庵じい様なら嗜んでるんだろうなあと思ってしまった。
根拠は全くないんだけどね。

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 15:49:07 ID:VQKsbWKT
そういう件は幻庵か幽斎さんに確認すればおkという印象は確かにある

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 15:57:24 ID:3wmEsk6S
妖怪爺の鑑だもの。歳も容姿も知識も名前も

生類令は戦国時代の死が身近にある死生観を
統治用に急速に方向を代えさせる目的の
日本史上重要なステップのひとつ

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 22:33:31 ID:pWazhtW8
>>338
服忌令とかもそうだけど、綱吉の路線によって、「戦国の遺風」といったものが
完全に息の根を止められていくんだよね。
大坂の陣、島原の乱などで実戦経験のある人間もほぼいなくなっていく時期でもあるし。

小早川隆景、鉄砲の音を聞いて粥を炊かせる

2010年09月28日 00:01

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 13:23:42 ID:Fp+R2RHU
豊臣秀吉の九州征伐における、天正15年4月16日夜半、当主島津義久を大将とした島津軍によって、
日向国根城坂に陣取る宮部継潤らへの大規模な夜討ちが行われた。いわゆる根白坂の戦いである。
この合戦、藤堂高虎が戦闘参加を禁止した豊臣秀長の命令を無視して援軍に駆けつけたことなどが
有名だが、やや離れた場所に陣取っていた小早川隆景も、夜半の銃声を聞いて早速援軍の準備をさせた。

この時小早川隆景、出陣と同時にこのような命令を出した。

「いつでもこういう時は、軍兵は食事を取れなくなるものだ。粥を炊いておくように。」

と、大量の粥を終夜にわたって炊かせ、自らは軍を率いて出陣。先の藤堂軍と共に
島津軍を挟撃する形となり、翌朝には島津軍は、大損害を出して敗走した。

さて、合戦が終わると宮部継潤らの陣に小早川隆景からの使者が来た。

「兵たちは食事をとっておらず、手負いもまた多く出たようです、どうぞこれをお使いください。」

使者は大量の粥と酒を携えていた。
夜を徹した戦闘に疲れ果てた兵たちに、それらが多いに喜ばれたことは言うまでもない。

後でこの事を聞いた豊臣秀吉は

「小早川は何と気の付いた贈り物をすることだろうか!」

と、大いに感嘆したそうである。


小早川隆景、鉄砲の音を聞いて粥を炊かせる、と言うお話。





278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 15:39:41 ID:3f3CqAqz
隆景できすぎだろー

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 15:51:25 ID:b0KgRrQL
賤ヶ岳や大返しあたりを考えると
一番評価しそうなタイプのエピソードだよね

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 16:56:30 ID:etF+37Vw
これが陪臣だからラスボスのいい話になるんだよな~
大名だったら粛正予定リストに入れられてしまう。


286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 19:17:45 ID:JTO3S0ce
>>280
そいつの主君よりも優遇して内部分裂引き起こさせたりする場合もあるから困る

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 19:20:39 ID:72ZG448q
>>277
家康が関ヶ原後に生米をふやかして食べるよう指示を出したエピソードに通じるものがあるね。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3483.html

さすが百戦錬磨の武人は気配りができるわ。

もともと松平一族の本宗家は

2010年09月28日 00:00

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 20:32:56 ID:+J+LgG29
十六松平で思い出したが、『三河松平一族』によるともともと松平一族の本宗家は
岩津松平だったが、伊勢新九郎(北条早雲)による今川家の西三河侵攻でヌっ滅ぼされて、
それで本来分家だった安城松平が、この戦いでの活躍から本家になったんだそうな。




290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 21:40:12 ID:sIVLtUOV
伊勢さんはホント業が深いでぇ

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 22:01:58 ID:7O5cEVJo
>>289
晩年はしょうもない抜け殻だったにしても、長親さんは頑張ったんですね

細川忠興「何だこの焼き鮎は!」

2010年09月28日 00:00

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 21:10:21 ID:+J+LgG29
三斎さんといえば息子の細川忠利に宛てた書状に

「何だこの間の焼き鮎は!鮎はカリッと香ばしく焼けと言っただろう!」

ってのがあって、海原雄山かお前は!と思ったなあw




323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 21:15:12 ID:72ZG448q
やる夫家康でも
幽斎のAAが海原雄山で、三斎が山岡だったよねw
あれはすごく嵌ってたw

大久保彦左衛門「わしの知っておる上様は」

2010年09月27日 00:02

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 10:44:22 ID:DyMbKUrr
トン切ってごめん。昨日の中日新聞に彦左の話が載ってた。

お茶壺道中に居合わせた彦左(大久保忠教)は、茶壺付添いの武士に怒鳴られても
茶壺に頭を下げず(畏まったりしなかったってことかな? 意訳転載でごめん)、
「わしの知っておる上様は人間より茶葉を大事になさるようなことはしない!」って
怒鳴ったとか。

まとめでただの偏屈だと思ってたから、この話はちょっといいなと思ったw
しかしお茶壺道中ってすごく大変だったらしいね>近在の人達的に。
めちゃくちゃ威張られて、みんな関わり合いになりたくなくて「戸をぴしゃんと閉める」
→「トッピンシャン」になったとか




237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 11:56:42 ID:ZqTZrxR+
さぁ、ご一緒に

めんどくせぇ~

250 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/26(日) 19:15:41 ID:BEdTIvEM
家康公は秀吉に
「高価な茶器は持ってないが、
命を投げ打つ家臣を宝物と思っている」
って言ってやったからなぁ。

薩摩示現流「雲耀の太刀」

2010年09月27日 00:02

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 04:43:20 ID:YrGJtvZ3
そういや小松明みたいなトンデモ武器って他にもあんのかね?

243 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/26(日) 15:03:13 ID:PeIkm/EU
>>233
トンデモ武器は無いがトンデモ技ならあるよ
示現流の奥義「壱ノ太刀」は有名だが
開祖の東郷重位だけが使えた奥義マスター壱ノ太刀こと「雲耀の太刀」
その神髄は脈拍の8000分の1の速度で敵を両断する事なんだが
東郷重位(184㎝)、脈拍(分70)、太刀の刀身(1m)として
蜻蛉の構えから弧線距離で剣先の速度を計算してみると
雲耀の太刀の剣速は軽く秒速30万mを超える
現代兵器に換算すると実用型レールガンの2倍の速度
因みに雲耀とは雷光のことですがサンダーリードの速度は更に10倍
流石に雷速とまではいかなかったみたい




245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 15:07:38 ID:OS0IU9ND
>>243
まあほんの少し前まで(一部には今でも)
「私の正拳突きは音速に近い」とかほざく空手家いたからな。
武道家とその信者に誇大妄想は付き物だ。

雑談・石川数正の寝返りについて

2010年09月27日 00:01

250 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/26(日) 19:15:41 ID:BEdTIvEM
家康公は秀吉に
「高価な茶器は持ってないが、
命を投げ打つ家臣を宝物と思っている」
って言ってやったからなぁ。

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:19:00 ID:F0OTWzHV
秀吉から高価な茶器を貰って
石川数正はさっさと寝返り

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:33:46 ID:hbg7prsO
高価な茶器をもらうより 安くても忠義貫くほうが美しい
めんどくさすぎて 傷ついてる人もいるけど
さんざん我侭言ったあと 家康公への思いは変わらないけど
みえてる(秀吉の)優しさに 時折負けそうになる

ここにあなた(家康公)が いないのが寂しいのじゃなくて
ここにあなた(家康公)が いないと思うことが寂しい
WowWow

でも負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと信じ抜くこと
徳川家に仕官するなら それが一番大事

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:38:50 ID:yjOvcgUs
>>252
この糞暇人がw
この歌はおっさんしかわからんだろwww

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:47:54 ID:5OJRKoap
忠義(あい)は勝つ

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:48:30 ID:TZGgvw9J
>>253
ヒットしたのが20年前だもんな~

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 21:26:18 ID:BJxN1NEL
>>251
石川数正の寝返りって結局なんだったんだろうね?
別にそれで豊臣側が大して有利になったわけでもないし、寝返ったことから嫌われてそうな石川家は
徳川幕政下でもきっちり大名として生き残ってる。
山岡荘八の小説の「豊臣と徳川の架け橋になるために上方へ走った。家康も事情を理解していた」説が
意外と本当じゃないかと思う。

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:00:40 ID:bgI0snSh
石川数正の出奔は、戦国最大の謎の一つになってるね

司馬さんなんかは、数正は姑息で冷徹な家康のやり方に嫌気が差した、という解釈をしてる
ただ、この件に関しては司馬史観はあまり広がってないように思う

山岡さんは、数正が本多作左衛門と共謀して、徳川方の強硬論を抑えるためにやったと言っている

以前見た映画では、秀吉が欲しかったのは数正よりも、以前数正の与力だった服部半蔵であり、
数正が半蔵を連れずに出奔してしまったので、秀吉は大層がっかりした、というお話だった

資料がない分、歴史作家としては話を膨らませやすいんだろう

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:05:17 ID:ZqTZrxR+
秀吉さんは、徳川家臣団のだれでもよかったんじゃね?

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:11:57 ID:49NCz2C3
秀吉の義弟の浅野長政が家康と親密だったあたり、世に言うほど家康は、打倒豊臣な
陰険タヌキ親父一辺倒でもなかったんじゃ?

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:30:14 ID:OS0IU9ND
>>259
だって司馬遼太郎は家康大嫌いだものw

出奔まで数正は股肱の重臣として大活躍してたんだから
>>260みたいな意見はいくらなんでもかわいそうだ。

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:35:14 ID:6lsQRuHN
>>258
>寝返ったことから嫌われてそうな石川家は徳川幕政下でもきっちり大名として生き残ってる。
数正の系統は後できっちり全員改易されちゃったじゃん
家成の系統のことを言ってんの?

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:59:56 ID:hbg7prsO
>>263
> 数正の系統は後できっちり全員改易されちゃったじゃん
それは数正の出奔に関わる話ではなく、数正嫡男の石川康長、次男の康勝、三男康次も
関ヶ原では東軍について大名として所領安堵されている。

後に二人とも大久保長安事件に巻き込まれて改易されているが、これは必ずしも
数正の息子だからではなく、康長の娘が長安の嫡男の嫁という、長安にあまりに近いポジションに
いたためだと思うぞ。
[ 続きを読む ]

滝川雄利の人質

2010年09月27日 00:00

246 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/26(日) 17:03:21 ID:aeMo3vtX
殺されるはずだった人質などを助命した話しとかない?




254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:45:52 ID:C1D62bma
>>246貴殿がお望みの主旨とはズレると思われるが


天正12年(1584)、羽柴秀吉と織田信雄の間で緊張が高まる中、信雄の重臣・滝川雄利は、秀吉のもとに人質として
わが子を送り、秀吉はこれを脇坂安治に預けた。

ところが信雄は徳川家康と組んで秀吉に対することになり、雄利はなんとか子供を取り返そうと考え、安治に
「妻の病が重い。子供を一時こちらに戻し、対面させてやってほしい。」と申し出た。
安治は申し出を請けた。まんまと子を取り返し、後顧の憂いの無くなった雄利は、伊賀上野に築城まで始めてしまった。

上野城の話を聞いた秀吉は、激怒した。
「安治!雄利の子を連れて来い!!」「えー、あー、そのぅ、返してしまいました!」
秀吉の怒りは、頂点に達した。

「道理で、雄利め…この始末、どう付けてくれるつもりじゃ!!」
「も、申し訳ございません!これから上野城を攻め、討ち死にして参ります!」
「ふん!三千石取りの、おまえの配下など数十人しかおらんのに、どうやって城攻めが出来る?まさか、攻めるなどと
言いつつ、雄利に呼応するつもりではあるまいな?」
「なんで秀吉様の恩を忘れましょう?お疑いならば、私も母を人質として残して行きます。御免!!」

涙まで流して秀吉のもとを発ち、二十人ばかりの配下を連れて伊賀に入った安治は、それはもう必死で地侍に説いた。
「雄利を討つために、助太刀を願いたい。味方になり、功のあった者は所領を安堵し、先に取った人質も返そう。」
たちまち多くの地侍が味方になり、安治は上野城の攻略に成功し、戦後に摂津能勢一万石を与えられた。


世知辛い戦国の世に、あっさり雄利の子を返した事と言い、伊賀の地侍への説得のセリフと言い、好意的に見れば
実は人質を取るのが嫌いor卑怯な事と考えてたんじゃ?という、地味に漢な貂の皮の人の話。




255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:47:53 ID:OS0IU9ND
どう見ても悪い話しでしょ・・・

「吉名川悲話」

2010年09月27日 00:00

295 名前:sage[] 投稿日:2010/09/25(土) 22:25:43 ID:DQOtuNmg
やや出遅れた感があるが、大友関連で小ネタを一つ。

「吉名川悲話」

大友家臣で、大友家改易後に立花宗茂に仕えた吉弘統幸だが、まとめに、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-160.html
と、あるように石垣原の戦いで奮戦し戦死した。
戦後、吉弘の首は石垣原に晒されていた。
吉弘家の菩提寺・金宗院の住職は、彼の菩提を弔うために何とか首を取り戻した。
住職は必死の思いで、吉弘の首を担ぎ、吉弘の故郷である長岩屋まで辿り着いた。
ふと見ると、首が入った風呂敷から血が滴り落ちている。
住職は風呂敷から吉弘の首を取り出し、手前にあった長岩屋川で首を洗い始めた。
すると吉弘の眼が「カッ」と見開き叫んだ。
「あぁ!和尚よしな(吉名:やめなさい)」
和尚は驚き手厚く供養をした。
それ以来、長岩屋川を「吉名川」と呼ぶようになったそうだ。
金宗院には、首を洗った場所とされる付近に案内板があるそうです。

吉弘が首を洗うのを嫌がったか、わからなかったので、悪い方に投下しました。




296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 22:54:02 ID:JCVhT8nD
もう少し頭髪に優しい洗い方をしてほしかったとか

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 23:14:43 ID:ZXB1i5W5
顔は吉名
ボディボディ

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 06:30:27 ID:iApd2RuZ
>>297
俺もまずそれ浮かんだわw

次々と降ってくる大岩、その時毛利輝元は

2010年09月26日 00:02

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 21:36:01 ID:TppyOS28
悪いスレでTERUの話題が出てるので、たまにはTERUのかっこいい話

第2次月山富田城攻略戦終盤、偵察に出ていた尼子十勇士が一人、柴原大力之助は崖下の山道に
毛利輝元の部隊を発見した。
「やや、あれに見えるは毛利の当主! この大岩を投げ落として打ち砕いてくれよう」
頭上から次々と降ってくる大岩に毛利の部隊は大混乱。
その時、TERUは

「お前たち、何を騒いでいるのだ」

少しも慌てず部下を窘めた。危地にあって少しも動じないその姿に、流石は毛利の当主よと一同感じ入ったという。




216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 21:47:36 ID:PZFUOW8f
人間が大岩を投げ落としたりできるか!って突っ込んじゃいけないんだろうなw
まあ逸話だから、100人力の人間がいても何の問題もないな。

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 22:03:52 ID:hSbGROvs
>>215
テルがすかさず安全な場所に避難して悠長な事を言ってる間にも味方がどんどん
大岩の下敷きに・・・

一同「さすが毛利の当主よ(本当に駄目だこいつ)」

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 22:30:27 ID:Z3SXyFtc
状況を把握しきれてないだけかもなw

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 23:23:08 ID:TppyOS28
>>216
そもそも大力之助が出てくるところに突っ込んでくれよ

…実在が確認されてないよね?

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 00:15:09 ID:34sxUbMN
このスレの逸話は1%の真実と99%のふぁんたじーで出来ているので無問題

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 00:20:25 ID:aOZsd9ej
人間が強すぎる時代なんだ
ネコやタコだって強いさ

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 00:39:56 ID:aFkIeFf+
タコは海女さんだけを襲っていればいいと思います。

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 00:51:46 ID:bzW3IP5f
>>220
すごい名前だよね、大力之助w


まあ、戦国時代の人々のメンタリティは平安時代の人とそこまで変わってないからな。
御伽噺の中で、俵藤太が大ムカデ退治したり、源頼光が鬼退治したことは、当時大半の人が信じてただろうな。
強い武士には超常のパワーがあって、妖怪や神仏とも戦えるものだとね。
鬼武蔵に殺される蛇や亀は、その名残だよねw

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 11:26:23 ID:fuDRKrjs
鬼武蔵の蛇亀退治(?)で思い出したけど、
何も悪いことしてない神だの妖怪だのが殺される話があるのは、
合理精神の普及となにか関係があるんだろうかね

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 12:57:59 ID:Z0TyBqUD
>>225
珍走団が警察煽って暴走するようなノリだったんじゃね?

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 13:16:51 ID:bzW3IP5f
>>225
関係は大有りだと思う。
平安時代の妖怪と比べると、ずいぶん弱弱しくてスケールが小さくなってるが、
超常現象へのおそれが薄れたんだろうね。
例えば、鹿島神宮の要石が押さえ込んでる地震を起こす存在は、
中世では龍神だと考えられていたが、江戸時代には大ナマズになった。
大ナマズなんて、間抜けそうだし、少しも怖くないよねw

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 17:43:45 ID:U/OipAQ4
大ナマズ…
そんなものが夜寝てるときに、布団に入ってきたらと思うと…((((;゜д゜)))ガクガクブルブル

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 18:10:01 ID:oAcE8u0w
そして明治になるとナマズは災害からすら外れ、偉そうにしている官吏の隠喩として
描かれるようになる。
ちなみに芸者は猫。
ナマズと猫がセットになっている絵は、つまりそういう官吏を揶揄しているわけだ。

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 19:55:27 ID:9dmu//xI
つか400年後の俺らも平成の日本人はこんなバカなことを信じていたとか言われてたりしてなw

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 20:12:16 ID:bzW3IP5f
絶対言われてるよw
その頃の日本はもう、アジアのどこだか分からない国になってるんだろうな

薩摩、禁煙のお触れに

2010年09月26日 00:01

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 23:41:20 ID:A46wgv94
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4659.html
の通り一時期、薩摩では禁煙のお触れが出されたわけですが、それについての首脳陣↓


島津忠恒(家久)は、父・義弘に怒りをブチまけた。

「こないだ鎌田左京を通じて伝えたけど、タバコ吸ってた侍は知行召し上げだからな?皆によーく言っといてくれよ!?
話によると、比志島宮内とか鎌田又七郎みたいな上士も吸ってるんだとか。シャレになんねーから!
そんなだから鹿児島城中の女房衆まで平気でプカプカやってんだよ。とにかく、言ってもやめないヤツは重罪人な!?」
(をしいたしのミ候者ハ、深々敷キ罪人にて候)

義弘も、これに答えた。
「そっち(江戸)じゃ、タバコが大流行だとかで、おまえも煙の臭いで大変だろう。まぁ他国の人がどうだろうと、
こっちじゃ歴々に起請文まで出させたし、「流行りだから」とか「みんなやってるから」って薩摩では許さんもんね。」
(自然世上ニはやり候とて(略)、其科遁間敷由)



薩摩の禁煙令、わりと殿様の好みと、おじいちゃんの「近ごろの若いモンは・・・」に左右されてたという話。
まあ正直なところ、禁令の効果はほとんどなかったわけですがw

♪花は霧島 タバコは国分 燃えて上がるは おはらハァ桜島~ ハーヨイヨイヨイヤサット (・∀・)y─┛~~





慶長11年(1606)2月、島津義弘から島津忠恒あて書状

2010年09月26日 00:01

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 23:42:12 ID:A46wgv94
おまけ、というか蛇足

慶長11年(1606)2月、島津義弘から島津忠恒あて書状

“一、江戸からの帰り道、よく京に立ち寄ってるみたいだけど、みんな「何事か」と心配するので、京・伏見でムダな
日数過ごさず、まっすぐ帰って来なさい。

一、江戸城へ登城するのに、ワシらみたいな田舎者が上方武士の真似しても見苦しいだけです。
田舎者は田舎者らしくしてりゃいいんです。

一、新将軍(秀忠)は酒がキライと聞きました。おまえ、江戸・京で(いつもみたく)呑みすぎるんじゃありませんよ?
公家衆の寄り合いなんぞに誘われてノコノコ出かけるとか、もっての他ですよ?

一、家督を継いだ時は、「右も左も分からんだろうから奉行衆に任せて、おまえはあちこちに顔出せ」と言いました。
でも、おまえももういい年(31歳)なんだから、政治向きは細かい所も自分で直接、携わりなさい。

一、噂によると去年、江戸城で御前能があった時、おまえは能に心奪われて役者のマネして踊りだし、それが
諸侯に喜ばれたと聞きます。
だからって、それは素人芸がたまたまウケただけで、おまえが舞の稽古にうつつを抜かす理由にはならんから!
そんなこと毎日続けてれば、乱のもとですよ!?”



・・・で結局、忠恒さんは公家衆と遊びまくって蹴鞠の免許をもらい、上方でカッコつけて三歳様あたりに笑われ、
酒癖が直らず、いろいろ任された伊勢貞昌のストレスがマッハで過労死しかけるのでした。

悪久様、オヤジの言うこと聞かん人が禁令出しても聞く耳持つ人いないと思うのですが・・・





274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 23:46:42 ID:PZFUOW8f
お小言うるさいねw
姑みたいな義弘w

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 23:50:16 ID:2HVMNf9m
と、息子をあしらいつつもやはり義弘さんは格が違っていたw
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1978.html

雑談・DQN四天王のお父さんはみんな

2010年09月26日 00:01

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 00:31:38 ID:mqZ/0Zo3
ふと思ったんだが、DQN四天王のお父さんはみんなわりと穏やかでできた人だよな…

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 01:48:38 ID:tQuoDVLk
DQN四天王ってのはだれが入るんですか?
いや、4人に絞るとなると・・・
まー君と鬼武蔵さんは当確として、あとは三斎さん?もう一人がでてこない・・・
今日でてきたけど最近ご無沙汰の家久(悪)さん?

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 02:34:04 ID:45GVU40d
市松「俺だよ、俺俺」

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 07:07:15 ID:n5ZUi2TT
>>277
森 可成が穏やかでできた人だった事を示す逸話ってあったっけ

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 07:33:38 ID:Io0biNTa
親がまともで子がDQN BIG4

遺伝学的に4人とも共通のご先祖さんを持っているに違いない


285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 10:30:00 ID:fV2NeZz2

>>277
柿の木によじ登って柿を盗もうとした人とか


287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 12:13:29 ID:TPbRg3Pn
>>285
そういや油も盗んでるよなw

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 12:51:19 ID:YnIeW0ad
>>283

穏やかかどうか知らんが、利家とのエピソードがあったよ。

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 13:05:28 ID:YnIeW0ad
>>289

まとめにもあった。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1203.html

雑談・徳川家光の日光参拝って…

2010年09月26日 00:00

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 02:51:07 ID:FDA9ccdO
家光の家康崇拝は有名な話で、日光参拝も10回ほど行っております。此処までならいい話なんですが、
将軍が行くとなると当然お供がいるわけでその人数が10万人とか、1回の参拝に20万両(400億円)ぐらい必要とか
聞いたんですが実際のところはどうだったんでしょうか?

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 03:15:22 ID:l5ICK/GH
>>280
そう聞いたならそれでいいんじゃないか?
まぁ徳川自らが10万も動員するわけないし
緒大名も歩役がわりに参拝させられてたんじゃないか?


282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 03:18:07 ID:tQuoDVLk
日光街道周辺に400億もお金が落ちるのか・・・

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 10:30:00 ID:fV2NeZz2
>>282
お供の人の日当や食費もかかるし、馬の餌や蹄鉄も居る。
日光街道周辺に大金が落ちるわけではないと思う。

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 10:49:29 ID:bzW3IP5f
江戸時代の日光街道周辺は、全体的に見ると経済的利益よりも負担の方がよほど大きかったらしい。
助郷や伝馬の負担が大きすぎて、江戸時代後期の下野南部は荒廃し、
百姓が逃げ出した結果、人口が2~3割減ったとの説がある。
関東地方では珍しく、栃木の人には今でもアンチ徳川が多いが、
この日光街道の整備による経済的負担が理由のひとつだね。


288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 12:43:35 ID:nCGanAs3
10万も動員するとなると、ほとんど軍事演習だな。
ヨーロッパ人が、徳川将軍を皇帝と呼んでいた理由がよくが分かる権力規模だ。

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 17:29:52 ID:WmydYN+J
>>285
だから江戸時代の日本に蹄鉄は無いと(ry

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 18:32:31 ID:U+tKme3s
馬用の草鞋を使ってたんだっけ?
耐久力はどんなもんなのか知らんが

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 18:41:40 ID:bzW3IP5f
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」に詳しいけど
やわらかい地面を歩けば二里、固い地面では一里しかもたない。
しかも結び目がすぐ解けて大層やっかいなもの、なんだそうだ。

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 20:00:46 ID:9dmu//xI
>>286
家光のころはいい小遣い稼ぎになったそうだけどね

その後は物価が上がっても支払われる金はほぼ同じだったとかとか

「猫橋」

2010年09月25日 00:00

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 04:09:05 ID:OlY3ybj0
関ヶ原の直後のことである。
西軍方についた筑後柳川の立花宗茂は何とか領国に帰還したものの、
いつの間にか西軍方から東軍方になっていた隣国、鍋島直茂・勝茂に三万五千もの軍勢で攻め寄せられた。
一説によれば宗茂を討つことが徳川家康からの赦免条件だったという。
立花方も一万二千の軍勢を集めたものの、すでに天下の大勢は決している。
「領内に攻め込んできた敵と戦わなければ武門の恥辱。
しかし、家康殿には恭順を示さねばならぬので、殿は出陣しないで下さい」
宗茂は家臣たちの意見を受け入れ、次席家老の小野和泉守を大将に命じた。
一方、進撃する鍋島軍は成富兵庫を使者として決戦を提案。宗茂もこれを受け入れた。
かくして慶長五年十月二十日、江上・八院合戦が開始された。
小野和泉守率いる三千と鍋島軍三万五千は凄まじい激戦を繰り広げたが、やはり立花軍の被害は大きく、
歴戦の将が次々に討死した。
その中に、侍大将十時摂津守の一門で、十時新五郎惟久という少年がいた。
彼は黒猫を飼っていて、とても可愛がっていた。が、この度の合戦で討死間違い無しと考え、猫に別れを告げて
出陣していた。
そして乱戦の中、鉄砲に撃たれて落馬したところを討ち取られ、鍋島兵に首を挙げられてしまった。
が、その兵が惟久の首を持って引き上げようとして橋を通りかかった時、突然、黒猫がうなり声を上げて
襲いかかってきた。
猫はひと噛みで兵の喉を喰いちぎり、惟久の首をとって口にくわえ、逃げ出す。
鍋島軍は慌てて鉄砲玉を浴びせ、橋の真ん中で被弾した猫は首とともに水中へ没し、そのまま首も猫も
見つからなかった。
やがて合戦は黒田如水・加藤清正の仲介で終結。
戦の終わった後、村人たちが死体を片付けていると、
惟久の遺体のすぐ側に全身穴だらけになった黒猫が惟久の首をくわえたまま倒れていた。
黒猫は命と引き換えに大好きなご主人様の首を守りぬいたのである。
以後、この地域は「猫橋」と呼ばれ、現在も佐賀県三養基(みやき)郡みやき町にその名が残っている。




202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 05:04:21 ID:AIwLrTUu
勝茂「また猫か!!」

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 06:41:05 ID:7YUO2HGu
にゃー

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 09:29:57 ID:4BLwI/fB
鍋島さんの家はよほど猫に嫌われているのだな。

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 11:09:38 ID:EfgujQbk
鍋島さんきらいー!
柳川の近くにもなんか勝手に住み着いてさ、
こう寄って来て首元にガブガブするとばたっとひっくりかえって
おなかをぽんぽん鉄砲で撃って葉隠葉隠葉隠てー!

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 11:17:14 ID:Rpx+V54Z
忠猫

チューネコってどっちやねんw
っあ、やめ・・・


209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 13:27:07 ID:OeF6qM8e
天庵様「よし、南総里見八犬伝に対抗して、
北総小田八猫伝を・・・」

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 17:29:53 ID:Z3SXyFtc
菅えもん「いい加減にしてください」

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 17:50:53 ID:04jLyqvG
>>209
ちょっと読んでみたいなww

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 18:18:21 ID:zIShLSgh
小田「うわぁぁああーーっ」
太田「菅谷のいない貴様などひとひねりよ」
小田「くっ、強い・・このままでは」
太田「ふはは、死ねー・・ぬぅ?!なんだ、この攻撃的な気配は?!」
菅谷「俺は菅谷。俺は小田の当主が呼べば何度でも蘇える。たとえ冥府魔道に堕ちようともな!」
小田「菅谷!来てくれたんだね!!」


213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 19:25:21 ID:Ft2qCJbO
>>209
それを言うなら「常南小田八猫伝」だろw

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 20:04:54 ID:cvQ5KMEH
江戸屋猫八って・・・
いや何でもない。

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 23:14:56 ID:q6MTdSqd
>>201
いつも思うんだが、戦国時代の生き物全般に強すぎるだろw
猫や蛸どんだけ強いんだよw

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 00:20:25 ID:aOZsd9ej
人間が強すぎる時代なんだ
ネコやタコだって強いさ

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 00:39:56 ID:aFkIeFf+
タコは海女さんだけを襲っていればいいと思います。

わかりあえない親子

2010年09月25日 00:00

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 21:45:15 ID:kZ9n6Zgy
わかりあえない親子


耳川の大敗の後、勢力の衰えた大友家ではこの難局をしのぐため重臣たちから前当主・宗麟の国政復帰が求められた。
現当主・義統(宗麟の長男)としては面白くないが、家臣の突き上げに負けてしぶしぶ復帰を乞う。

「よろしい。しかし家督はは義統に譲っているのだから自分はあくまで補佐という形にする。
 だが大友の家を守るための命令には義統であっても従ってもらうぞ」


宗麟は耳川以前からすでに基督教信仰に耽溺して統治意欲を失っていた。
それでも彼なりに息子と領国のため責任を果たそうと再出馬を決意したのであるが…


それから5年後、義統から宗麟に宛てた書状。

「もはや父の助けはいらない。父は自分に家督を譲っておきながらあまりに国事に干渉し過ぎる」

中途半端な二元統治体制を敷いたせいで宗麟と義統は深刻な不仲に陥っていた。
「『憎まれっ子世にはばかる』という諺がある。案外ワシも長生きできるかもしれんな!わはは……」
老いたる豊後王は乾いた笑いを漏らした。





236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 22:11:36 ID:eLib82Cu
親子ものってのは

・ダメ親父vs聡明な息子
・ダメ息子vs聡明な親父
・どちらも間違っていないのにすれ違いから生まれる悲劇

このどれかのパターンに当てはまらないと('A`)な気持ちになるな。

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 22:16:07 ID:xQeGZTHo
マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる筈なのに・・・

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 23:27:50 ID:FtjEfdJZ
>>235
なんか現代でも同じような話ありそうで嫌だな…
しかし宗麟が国主として有能だったから家臣が嘆願したのか、それとも義統があまりにもダメだったからなのか

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 23:31:45 ID:WdwEdyfi
脳内お花畑の宗麟より駄目ってそうとうなもんだぞw
まあ朝鮮征伐で改易されたとか考えると出来損ないだったんだろうけど

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 00:38:08 ID:B8J2N3/G
朝鮮改易に関しては同じミスした黒田長政はスルーだから
秀吉に個人的に嫌われてた感があるな
>>239
宗麟に比べると義統は外交政略が決定的にヤバい
関ヶ原の時とか家康に謹慎を解いてもらった分際で西軍とか…


241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 00:49:37 ID:No7vSvl3
キリスト教王国とか夢見たり無鹿とか名前付けたり完全に頭おかしいとしか思えないけど、
島津に圧迫されて秀吉に泣き付くとかは出来るんだよな




242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 01:03:50 ID:YNnfnB4h
>>236
実父、義父、本人、ついでに後を継いだ弟と軒並み高スペックでしかも仲のいい高橋家=立花家なんてのもございます。
親子ともども高スペックのはずなんだけど、オヤジがチートすぎるのが細川家と黒田家。
実は高性能なのに評価低めの長男がいるのが毛利家と真田家ってところでしょうか。
高性能なんだけど、一族郎党どこか脳みそのネジが数本外れてしまってそうなのが森家。

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 01:45:15 ID:ueLdhkQy
親は子供達より目立った実績は無いが、その子供達の実績故に親の種子と祖父の教育が評価される島津家

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 07:50:41 ID:pUv4qlmY
親子のすれ違いが発端となり、どういうわけか「親の木像」が出現してしまう秋田家

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 08:46:04 ID:03bkPfu2

  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ 悪い話スレで話題になる親子っていったい・・・
  (:::::::::::::::)
   しωJ

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 09:27:30 ID:ACxDMTZ9
>>243
義弘-忠恒-光久で考えても、とんでもない一族だな

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 09:48:58 ID:qau+LEUc
中興の英主-戦えば負けの凡庸な主-それより器量が劣るとされた跡継ぎ

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 17:14:39 ID:iSBF40Mp
>>241
>キリスト教王国とか夢見たり

それはない。

>島津に圧迫されて秀吉に泣き付くとかは出来るんだよな

甘いな。
大友宗麟は、信長の生前から臣下の礼をとり、耳川の合戦後の島津との和睦も仲介してもらっている。
さらに小牧・長久手の戦いの後にも秀吉に戦勝祝いの使者を送っていて、いざと言うときの備えは
していた。

そもそも莫大な幕府・朝廷への献金で、機内の確度の高い情報を分析していたからこそ
できたことだがな。




250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 17:59:09 ID:B8J2N3/G
>>249
豪勢な献上品が逆に秀吉の警戒心を煽ってたと思う
せめて形式だけ島津に降伏して豊臣軍を先導してれば
国力を消費せずに6州くらいは安堵されたと思う
家康なんかと比べると其処らへんの政略判断が甘い
逆に島津は大友に比べると外交政略のミスが目立つのに
ギリギリの駆け引きだけは神がかってるもの


251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 18:05:40 ID:ACxDMTZ9
宗麟って、情緒面で問題があったとしか・・・

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 19:27:16 ID:GsHxpEdp
>>240
同じミスって、大友が改易されたのって聞き逃げのせいじゃなかったっけ?
黒田どころか、同じことした家なんてあったんだろうか…

265 名前:sage[] 投稿日:2010/09/24(金) 20:47:07 ID:xYzNhYKs
>>240
元々は東軍につく予定だったみたいだよ。
長男は江戸に人質として出仕してたし、
まぁその保険が効いて息子の代で高家になるんだが・・・。
西軍についたのは、寵愛してた側室との間に設けた子供を輝元に人質にとられたから。
だからって、それで西軍についちゃう時点で判断力はアレかもだけどね。
輝元は、家臣の粛清の時もだが、基本スペックは、やれば出来るダークな子。
西国の事情は家康より詳しいだろうし、輝元の「やれば出来るぉ」が、もう少し安定してればなぁ。

雑談・広域支配の守護大名

2010年09月25日 00:00

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 17:59:09 ID:B8J2N3/G

豪勢な献上品が逆に秀吉の警戒心を煽ってたと思う
せめて形式だけ島津に降伏して豊臣軍を先導してれば
国力を消費せずに6州くらいは安堵されたと思う
家康なんかと比べると其処らへんの政略判断が甘い
逆に島津は大友に比べると外交政略のミスが目立つのに
ギリギリの駆け引きだけは神がかってるもの

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 18:37:56 ID:i0tnyLvt
六州ってそんなに持ってたっけ?

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 18:42:19 ID:ACxDMTZ9
>>253
実質支配はともかく、六か国の守護の肩書は幕府からもらってたはず

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 18:58:11 ID:HDVFqHoe
大友宗麟は豊後・豊前・筑前・筑後・肥後・肥前の6ヶ国守護
まあそこそこ実効支配もしてる。

ちなみに尼子晴久は出雲・隠岐・因幡・伯耆・備前・美作・備中・備後の8カ国守護
こっちの実効支配はちょっと怪しいなw


257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 19:09:56 ID:zIShLSgh
大内義興も8カ国くらい支配してませんでしたっけ

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 19:23:08 ID:HDVFqHoe
大内は義隆の時代には周防・長門・石見・安芸・備後・豊前・筑前を支配しているな。
大寧寺の変の後の本質は、大友と毛利の旧大内領ぶんどり合戦。


260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 19:36:25 ID:bNQCW37J
>>257
義興は7ヶ国
周防、長門、石見、筑前、豊前、秋、山城だったかと

そういや今川了俊って12ヶ国もあったよな

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 19:41:49 ID:ACxDMTZ9
>>260
一か所だけ飛び地だな

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 19:42:05 ID:Ft2qCJbO
そういう大内やら大友やらの『広域支配』って一体何をやってたんだろ?
当たり前だが領内を同じ分国法で治めたわけじゃないし、
全域から税を取ってたわけでもないよな?
地域の豪族と御恩=奉公の関係を結んだだけなのか?

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 19:46:29 ID:KMiL2qAJ
>>261
上洛しましたからね

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 19:54:13 ID:hSbGROvs
山名祐豊「ご先祖様が6分の1殿とか言われてましたが今やその面影は微塵もありません」

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 21:36:47 ID:HDVFqHoe
>>262
室町幕府の「守護」ってのは基本的には役職であって、「幕府の」軍事行動のさい、守護領国に於いて
国人や地侍を動員する権利、警察権、半済と呼ばれる、荘園から上がる年貢の半分を取る権利、
他に荘園から軍夫人夫を徴収する権利、などがある。

守護は幕府に従う限りに於いて、国人地侍を管理監督する権利を有しており、基本的には
その権利を行使し、国人地侍を通じて領域の人民を間接的に支配する。
しかしその構造上、守護権力は国人地侍の権益にまでは強くは踏み込めない。
その範囲内で「支配」をしている、と考えてもらえれば。

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 21:55:41 ID:PZFUOW8f
>>266
thx
だけどそういう教科書知識よりは、具体的に大内と大友が『領国』にどれだけの権益を持ってたのか知りたいんだ。
>>256で書いてある、大友はそこそこ実効支配してて、尼子は怪しいっていう根拠を。
『領国』全域から段銭と棟別銭を徴収してたんだろうか。

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 22:05:55 ID:HDVFqHoe
> 大友はそこそこ実効支配してて、尼子は怪しいっていう根拠
ああ、そこは単純に、大友なんかはそれぞれの守護領国各国の守護所に人員を派遣して、
ある程度国人を直接に掌握していたようだけど、尼子に関しては山陰以外で守護所を設置
出来ていたのかよくわからない、という事。
まあ、尼子に関しては史料が少なくて支配体制も含めてよくわからないんだが。

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 22:10:25 ID:PZFUOW8f
>>269
なるほどね。ありがと。

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 22:29:09 ID:Z3SXyFtc
しっかしこうしてみると国人・地侍強いな
一向衆も噛んでるが、国人たちの反乱で加賀は大名殺されてるくらいだし

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 23:47:17 ID:g9fbcDM3
>>260
今川了俊もそうだが、南北朝期の守護職の与え方って異常に大雑把だよなw
それだけ守護の出来る人材が不足していた、って言うものあるのだろうが。

大友宗麟の次男坊に田原親家ってのがいるけど、

2010年09月25日 00:00

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 18:50:26 ID:i0FMhLtm
宗麟の次男坊に田原親家ってのがいるけど、こいつ豊後侵攻のときに裏切って島津に内通してるんだよね。
兄貴の義統と仲悪かったからって…
いかに末期の大友がヤバい状態だったかわかるだろ

ただし戦後の親家は宗麟の取り成しで助命されて一緒に暮らし、
宗麟の最期を看取ってその葬儀を取り仕切ったとか(これはいい話か?)




青山忠俊の忠義

2010年09月24日 00:02

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 21:58:41 ID:03Tc0mWd
青山忠俊は徳川家光の養育係として直言を繰り返してきた。
しかしあまりにも直言が過ぎたために、ついに家光の怒りを買った。
忠俊は家光が舞踊のために髪を結んでいるのを注意したことで
下総に流され、所領の岩槻五万石も召し上げられた。

「あまりのこと」と思う人々はいたが、忠俊は「いや、かえって安心だ。
上様はご器量がありながら、それをお示しになろうとされなかった。
今回の処置は見事と言うほかない。私は安心した」と恨み言ひとつ
こぼすことはなかったという。

その家光ものちに己の誤りに気づいて忠俊を戻そうとした。
しかし忠俊は「誤りを悔やまれたことはご立派です。上様がご自身の
誤りを悔いておられるなら、もはや私がお側におらずとも、私の言葉を
聞いていただいているのと同じことでありましょう」と申し出を断った。




182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 23:00:53 ID:yzaQ8lhU
>>179
いやー、忠臣すっなー
上に立つ者の養育係としては最適だろうなー
今の世の中でやったらただの親ばかだがw

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 23:05:13 ID:nNwUCSLx
>>179
出来すぎだ、青山出来すぎだ

毛利元就「おお、渡辺殿、よく来られた。」

2010年09月24日 00:02

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 22:10:41 ID:J/ff0AIe
元就が毛利宗家を相続した直後、弟である相生元綱を擁立し、反逆しようとした一派を
先手を打って殲滅したという事件があったことは皆さんご存知であろう。
その首謀者の一人、渡部勝の誅殺について「所用と言って郡山城に呼び出しておいて
刺客に集団で襲わせた」というのが通説であるが、異説がある。

元就「おお、渡辺殿、よく来られた。内密の話ゆえ裏庭で二人で話そう」
勝「(二人っきりになるってことは、俺が反乱に組みしてたってばれてないんだよな。
   ちょっとダメ押ししとこ)」
元就「…というわけで、尼子殿の元に使いをして欲しいのだが」
勝「承りました。 時に殿、弟御や坂殿へのあまりに苛烈な処分に家中では動揺が広まっております。
 ご一族や累代の重臣に対しては、慈悲のお心を持つことが大事ではないでしょうか」
元就「これは痛いことを言われるな」と言いながらすっと近づくと

元就「おのれ等がいらんカバチタレよったせいで、わしゃあ弟を殺さにゃならんようになったんじゃろうがぁ!」

と、勝の髻と頸をつかんで差し上げると、城の裏手の高所から投げ落とし、粉々にしてしまった。

謀将・知将のイメージがどこかに消えていく元就公若き日の1ページ。




181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 22:39:16 ID:5oyECgY3
>>180
菅原文太で再生されたじゃねーかw

184 名前:sage[] 投稿日:2010/09/22(水) 23:07:47 ID:c7crK45k
>>181
を見て文太元就で再生しなおした。
カッコいいな。

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 00:11:23 ID:jZS1GAYF
通さんは粉々になった親父殿を見て何を思ったか

188 名前:安芸国人[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 12:55:22 ID:Q5iO0Dor
>>180
そういやぜんぜん気がつかなかったが、元就グランパも歴とした広島人なんだよな。
ドス効かせたバリバリの広島弁で恫喝かけてたとしてもおかしくないんだよなw

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 12:59:03 ID:V93oQrQm
>>180
つかこれいい話なのかよw

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 13:06:54 ID:QlzegUgz
部下に以後いらんカバチタレをさせないように頑張るきっかけとなった ならいい話だ

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 16:30:40 ID:Tl/eOD9d
>>180
勝さんが粉々になったのは
恐怖で固まってしまったからなのか


192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 16:40:55 ID:aVbpiIBa
>>191
頭が潰れたトマトみたいになったんですよ

前田利家「不遇な時にこそ本当の友情が」

2010年09月24日 00:01

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 16:43:55 ID:ACI8jSm/
前田利家

不遇な時にこそ本当の友情がわかるものなのです。
私が信長様に罰せられた時、今までの友人が3つに分かれました。
一つはいい気味だと笑いに来るもの。
一つは私が逆恨みして謀反を起こさないか疑りに来るもの。
そして、もう一つが私のことを本当に心配してくれるもの。





194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 16:54:17 ID:h7LG5a4c
>>193
 笑いに来る   佐々(ばっかじゃねーの。たかが茶坊主に刀使うなんて、男は拳で決めるんだよ)
 疑りに来る   権六親父(若い奴は切れやすいから心配だわ)
 心配してくれる 猿(ねねがお松さん貸した米と味噌の代金が回収でけんと困る)

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 20:07:38 ID:NkrS4jxp
その場で成敗されそうなのをかばってもらい、浪人時代の面倒を見てもらい
再仕の口添えまでしてくれたのに、賤ヶ岳で裏切った悪い話ですね

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 20:08:02 ID:0MNVPklp
笑いに来る   前田慶次
疑りに来る    佐脇良之
心配してくれる 織田信長

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 20:31:16 ID:Paj2O7dd
>>193
この人北条攻めで秀吉の不興を買った時も同じこと言ったエピがあったような
笑いに来たのが加藤光泰か嘉明だった覚えが


198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 20:46:56 ID:SYuyIJCM
わざわざ笑いに来るやつってすげーなw
当時のメンタリティでは、そのまま斬り合いになっても全くおかしくないし、
相手の屋敷の中で笑ったりしたら殺してくださいって言ってるようなものじゃないかw

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 20:48:36 ID:xQeGZTHo
北条攻めの時に、嘉明が利家さんを笑いにきたとなるとかなりのものだろw

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 00:29:52 ID:CttbYzmK
嘉明さんなら多分利家を笑いものにしてる連中の脇で居眠りしてると思う

208 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/24(金) 13:17:23 ID:6dfSR/VS
利家もバカだよな。

茶坊主ごとき無茶苦茶に殴りまくって
逆らわないようにトラウマ作ってやれば良いのに、、、

週刊ブログ拍手ランキング09/15~/22

2010年09月23日 00:01

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ところがその日の夜に大雨になってしまった 10
合計 1065


今週の1位は雑談・鬼武蔵は基本ヒャッハーだろw
枕草子や季節の歌に仮託した?春夏秋冬の鬼武蔵ネタがすばらしく、管理人も思わず吹かざるを得ませんでした。
何だよ「春は、ヒャッハァー!」って!w
秋までに力を使いすぎたのか冬になるとおとなしめに成るところもツボでしたw

2位は家康の孫、徳川光友の得意なこと
徳川家康の孫の意外(?)な特技。
しかし尾張家の人って妙に大向うの受けを取る、派手なところがありますね。
なにやら楽しいような、側にいると疲れるようなw

今週管理人が気になったのは本多忠勝「俺の若い頃は女だって」
たしか宣教師の記録にも、「日本では女も戦う」というものがありましたね。
実際に女性が戦った記録もありますし、ともかく戦国時代というのは、例えばヨーロッパと比べても
戦乱と日常が非常に近くにあった時代だと、そう思えます。

今週も本当に沢山の拍手を格逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいませー。
( ´ω` )