葉隠から、鍋島直茂と蒟蒻

2010年11月30日 00:00

515 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/28(日) 21:43:19 ID:xpDCb4XP
葉隠から鍋島直茂の話

山本常朝が言う
「直茂公が本庄村の梅林庵で習字を習われていた頃の話なんだが、
梅林庵の近くにあった宝持院という寺が、
髪の手入れ、着付などすべてにおいて心からのお世話を直茂公に尽くされた。
その後、直茂公がご成長なされ感謝の気持ちから宝持院に対して、

『何なりと望みのものがあればかなえましょう』

と仰せられたので、宝持院は、

『当寺としてはなにも御願いすることはありません。
ただ蒟蒻を一生の間食べ続けたいと思っています。
直茂公がご親切に仰ることでございますので、どうかこの望みをかなえてください。』


と申し上げたそうだ。
なに!その願いはどうなったかと?
もちろん我が鍋島藩の誇る直茂公のこと、それ以前に武士に二言はないのが当たり前でもあろう。
生涯に渡り、2日に1度、使いの者が宝持院へ蒟蒻を届けたということである。




516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 23:25:22 ID:44CUhdD0
一生こんにゃくか ヘルシーだな

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 23:29:02 ID:rNf5YOEl
後のマンナンライフである

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 00:23:26 ID:xNPSrX4U
当時こんにゃくって一年中作れたんだっけ?
ぐぐったら1700年代後半に粉こんにゃくができるまでは
収穫期にしか食べることができなかった、としてあったが
でも葉隠の成立時期から考えるとこの逸話のほうが正しいのか

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 01:47:55 ID:OEVQNE8B
>>518
賞味期限の概念がない時代だし、蒟蒻をどう保存していたのかもわからないし、
じっくり調べないと答えが出なさそうな問題だね

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 01:49:39 ID:NQE4ka3t
その前に、「一生こんにゃくを食べ続ける」ということが、
毎食、あるいは毎日食べ続けることに直結するか否かという問題があるが。

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 01:58:31 ID:MVJYrPUX
当たり前だがこんにゃくは『作る』ものだ。
買ったりもらったりするようになったのはここ4,50年くらいだよ。
群馬じゃ今でも家庭で作るしね。

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 03:32:29 ID:c2xRG3Z6
佐賀でも作るよ
ばあちゃんが作ったこんにゃく食べると市販の物は食えない


523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 10:16:22 ID:U+fTly3G
蒟蒻芋だったら保存効きそうだしね。

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 15:19:06 ID:PxPDDUSz
本当に食用に使ってたのか気になる
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島津忠恒の注文

2010年11月30日 00:00

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 21:58:26 ID:klJ5C+WU
ある日、東郷重位は主君の島津忠恒から上意討ちを命じられた。が、忠恒は今回一つ注文をつけた。

「憎っくき彼奴めの死ぬところを、直に見てみたいのだ。オレは城の角櫓から見ているので、城門の前で
討ち取ってくれ。出来るか?」
「殿の仰せ、しかと承りました。どうぞ存分に御覧下さい。」

さっそく重位は、城門の前で目指す相手を待ち受けた。数刻後、相手が城門を出たと見るや、剣士は動いた。
「上意であるッ!チェストオオオ―――――!!!」

重位が相手の脇を抜けた、と見えた次の瞬間、相手は崩れ落ち、その頭は瓜のように真っ二つに割れた。

身なりを改める間もなく、重位は再び忠恒に呼ばれ、ねぎらいの言葉を受けた。
「重位、ようやった。それにしても、相も変わらぬ腕前よ。諸人に勝れたる仕留め方であったわ。」

「いやあ、拙者の示現流もまだまだ未熟にて、恥ずかしき次第にござる。使命を果たすには、首飛ばすだけで
良いものを、殿の上覧だからカッコつけようと欲心を起こし、あんな派手な事をやってしまいましたわい。」


東郷重位、生涯に十九度の上意討ちを果たしたという。
示現流開祖の豪剣ぶりを語るいい話…と言えなくもないが、悪久主従の思考がなんかアレなのでこっちに。




770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 22:09:13 ID:7CzQdynq
忠常「東郷、たのむ!島津家のためにこやつを暗殺してくれ!」
東郷「分かった やってみよう」
忠常「おおっ!!」

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 22:17:01 ID:YXhN5Zfo
上意討ちっていっても単なる私怨にしか思えないってのは、
悪久さんの普段の行いかね~

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 22:35:11 ID:rNf5YOEl
不意打ちに何流も糞もあるまい
尋常に勝負されよ

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 22:47:16 ID:yWasqKfi
悪久さんは気に食わない相手をプロに任せて自分は見物して喜んだ。
一方三斎様は気に食わない相手を自力で殺してその刀に風流な名前をつけて喜んだ。

不思議、三斎様のほうが清々しく感じる。
やってる事自体は変わらないのに。

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 23:00:30 ID:hAN+X4cK
悪久もアレだけど、それに合わせて腰巾着で人殺しやってる東郷重位もかなりヤな奴にみえるな。

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 23:03:48 ID:JoJNoFHL
主君の命令だから仕方ないだろ
逆らったら自分が殺されるかもしれないし

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 23:10:28 ID:oNGi6zUD
悪や

純粋な悪や・・・

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 23:18:46 ID:2CNZHalu
>憎っくき彼奴めの死ぬところを、直に見てみたいのだ。



ほんとこの人はいい趣味してるよ

葉隠から豊臣秀吉の話

2010年11月29日 00:00

502 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/28(日) 00:48:37 ID:xpDCb4XP
葉隠から豊臣秀吉の話

山本常朝曰く
「春岳和尚の言うには、天地をも動かす気合を備えた者は、
日本開闢以来、豊臣秀吉ただ一人だったろうと思う、とのことだ。」




503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 06:33:24 ID:yWasqKfi
まあ、思うのは勝手ですから

文禄の役発進の軍議

2010年11月29日 00:00

506 名前:1/2[] 投稿日:2010/11/28(日) 17:15:38 ID:HMxmlkup
文禄元年(1592)豊臣秀吉による朝鮮出兵。いわゆる文禄の役である。

いち早く釜山、登莱を攻略した日本軍は、これから直ぐに朝鮮の都に向かって進撃するか、
それとも秀吉からの命令を待つかで評議をした。
ところが諸将の議論様々に分かれ、とても纏まりそうにない。
この時、福島正則が進み出て発言した

「今回日本を離れ高麗の地に向かうと決まった時から、この命は太閤殿下に捧げ、死骸を
朝鮮の地に晒そうと思い定めて来た。

このような事今更あなたがたに申すのもおこがましいが、三千の兵が一致して命をかるんずるときは
万の兵を破るのも安いと言う。いわんや今我々には十余万の人数がある。
進んで決戦をするのに何の不足があるだろうか!
各々方、どう思われる!?」

すると加藤清正が進み出て言う

「武具を肩に懸けるほどの人間であれば、戦場に望んで誰が命を惜しむものか。
ましてや今回の戦、上古にも例のない朝鮮征伐のために我々は差し向けられた。
その先陣を仰せ付けられた私に言わせれば、なおもってこれからの行動こそ慎重にすべきだと考える。
我が身命を捨てるということはさておいても、進むべきでないときに進み、止まるべきではないときに止まり、
この戦全体を壊してしまっては、上の御為、またさらには日本国末代までの瑕瑾となってしまう。

評議というものは意見を調整し行動を一致させるためのものであろう。
福島殿の言葉、近頃稀な傍若無人である!」

「傍若無人とはなにか!?」
「そうではないと言うのか!?」

正則と清正互いに非難しあい、斬り合いでもしかねぬ勢いとなった。


507 名前:2/2[] 投稿日:2010/11/28(日) 17:17:43 ID:HMxmlkup
列座の諸将これに大いに慌て、とにかく穏便にと二人を落ち着かせる。
ここで座長役と言っていい小早川隆景が、立花宗茂の方を向いて言った。

「宗茂殿、あなたは秀吉公から西国一の武勇と呼ばれたほどの方です。
若手であるからと遠慮せず、思ったことを遠慮なく申されると良い。」

宗茂、これを再三辞退したが、正則と清正の喧嘩による空気を変えてほしい、そんな気持ちもあったのだろう、
隆景の言葉に促され、諸将もしきりと宗茂に発言を求めた。そこで宗茂も断りきれず、
ようやく発言をした

「私のような若輩者が申し上げるようなこと、少しも役に立つとは思えませんが、
申さねば隆景殿の権威を軽んずるようにも思え、愚見を申し上げます。

我々の捕虜にここから都までどれほどあるか尋問したところ、まだ遥々と遠い。と申しました。
ところで、多人数というものは直ぐに集められるものではありません。
もしここでの議論が整わず、都への進軍が遅々として遅れれば、敵は大軍が都に集まり、
我々がこれより進軍する道すがらを、その大軍をもって難所難所に配置しこれに防がれれば、
我らにとって由々しき困難と成るでしょう。

ここは一刻も早く都へ討ち入り、都において合戦を遂げ、あるいは敵が都も放棄するようでしたら
そこを占領し、ともかくも都まで進出した上で再び如何様にも評議いたせば良いのではないでしょうか?」

これに諸将
「それは大変正しい意見であると考えます。しかしながら朝鮮の都に人数が未だ集まっていないと申されたが、
そう考える根拠は何であろうか?」

「そこです。仮に大軍が既に招集してあるのなら、釜山、登莱をはじめ各城に少人数が籠城しているだけ、
という事になるはずがありません。既に人数が集まっているのであれば、彼らは大軍をこれらの城に差し向けて
防衛をしたでしょう。そうでない以上、未だ人数は集まっていないと考えてしかるべきだと思います。」

この宗茂の意見に諸将尤もと同意し、日本軍は釜山に留まること無く都に向かって進軍した。


文禄の役発進の軍議、と言うお話。




508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 18:22:46 ID:rNf5YOEl
さすが西国一 賤ヶ岳七本槍ごときとは格が違った

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 18:24:57 ID:fAaiSzv2
常に満点の解答を出す男・宗茂
安心の宗茂

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 18:50:01 ID:7CzQdynq
釜山を陥落させてから今後の方針を軍議で決めるとはw
慎重な清正も、史実とは違うなw
問題は、なぜ、どこからこういう逸話が作られたのかだね。

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 19:29:06 ID:MKZVfzjf
>>506-507
安心と信頼の立花ブランド乙

水野勝成の証文

2010年11月29日 00:00

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 19:10:06 ID:UkNzBkDi
>>480
宗茂の証文の話が出たのでついでに

水野勝成が猟に出かけた時の話し、猟に熱中し過ぎて案外遠くまで来てしまった勝成、そのため
路銀が乏しくなったので放浪時代から馴染みのある庄屋 江草五郎左衛門という者にお金を借りる事になった


水野「すまんが路銀が底をついてしまったので少しばかり都合してもらえないか?」

江草「それは構いませんがいくら水野様とはいえしっかりと証文を書いてもらいますよ、それと借金は
私の年貢の前払いって形にしてもらいます!」

勝成はその条件を快諾しすぐに証文を書いて渡した

証文
金二百両 年貢の一部としてにわかに受取った 勝成
江草の大馬鹿者へ
と、

五郎左衛門とかなり仲が良かった事と「普通に書いたんじゃ面白くねぇな」とふざけた勝成の性格が垣間見える話

ちなみに証文も現存しています




513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 19:29:32 ID:fAaiSzv2
まあ勝成が大馬鹿者なんだがw

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 21:29:25 ID:DTJnfDCk
勝成「五郎左そのほうも馬鹿よのう…」
江草ILE「いえいえ、お殿様にはかないませぬ」
勝成・江草「わはははは」

讃岐善通寺の狸と

2010年11月28日 00:02

492 名前:1/2[] 投稿日:2010/11/27(土) 00:04:26 ID:tE13QuhJ
文化1,2年(1804,05)の頃の話だそうだ。

讃岐は松山の善通寺に、納所(施物の金品・米穀などの出納事)そしている僧があった。
彼は大変に律儀篤実な性格であったため信頼され、その年の寺中諸勘定(年間の収入と支出の計算)を
任された。

ところがこの僧、もとより計算など不案内で、一切の不正無く正直に計算したにもかかわらず、どうしても
20両ほどが足りない、ということになった。
彼はこの事を朝夕思い悩み、計算をしなおしたり数字の確認をしたりしたが、やはりどうしても20両足りない。

真面目な性格のこの僧『これは私の責任である。こんな体たらくで生きていても恥辱であるだけだ。
…よし、死のう。』と思いつめ、遺書を書き『今宵死のう』と坐禅を組んで夜がふけるのを待った。

その時である

「死ぬのはしばらく待ちなさいよ」

戸の外から突然、声が聞こえてきた。
僧驚き

「わ、私は死ぬことを誰にも言っていない!私の心中を知るお前は何者か!?」
「まあまあ、ちょっと外に出てきてください。言っておきたいことがあります。」

僧が外に出てみると、そこにいたのは大きな古狸であった。

「恐れながら、聞いて頂けますかね?俺はね、この山に数年来住んでる狸で、こう言うことには鼻が効くのさ。
あんたはどうしてそこまで心が追い詰められて、死のうなんて思ってるのさ?」

「…もはや決心したことであるし、隠すこともないだろう。
かくかくしかじかの理由で私は死を決したのだ。…それにしても、かねてからこの山に年久しく住む狸がいるとは
聞いていたが、おまえだったのか。その狸が、どうして私が死のうとするのを止めようとするのか?」

「その前にちょっとお聞きしますが、足りない額はいくらで?ふむ、20両…。分かりました、俺がその20両、
明後日までに用意しましょう!だから死んじゃだめですよ?じゃ!」

去ろうとする狸に僧、慌てて呼び止め

「ちょっと待て!お前の志は大変ありがたいが、それは駄目だ!
狸は金を持っているわけがない。金を用意するというのならおおかた、どこかから盗み取ってくるのだろう。
それは私が盗むのも一緒である。やはりいけない。この事止めにしよう!」

「ははは、あなたがそう疑うのも尤もなことだが、そんなことはしないよ。安心して待っていなさいって。」
そう言って立ち去った。

493 名前:2/2[] 投稿日:2010/11/27(土) 00:05:22 ID:tE13QuhJ
翌々日の夜、僧のもとに狸が現れ、20両を渡した。
「本当に持ってくるとは…」
僧、大いに喜んだ。…が小判を見るうちに
「違う!これは違う!」

僧、驚いて
「た、狸よ、この小判はたしかに金で出来ているが、我々が使っている小判とは形がまるで違う!
これは一体どういう金なのか!?」

「これはね」

狸、答える
「讃岐と土佐の境、人家も絶えた幽谷に埋まっていた、長宗我部の埋蔵金さ。

長宗我部盛親が関ヶ原の後没落したときのことだ。
長宗我部の連中はその幽谷に、金銀を埋め隠したんですよ。
これがまた恐ろしく深く険しい谷でね、我々の眷属であってもなかなか、手がだせないんなが、
まあどうにかこうにかして、そこからこの20両を揃えてきたのですよ。」

「どうしてそこまでして…?」

「俺はこの山に住んで年久しくなるわけだが、そのうちに子孫も増えて、食料にも事欠く時があったのさ。
だがそんな時、納所のあんたが寺のお供え物を山に捨ててくれた。それを拾ってきて俺は自分の
眷属を養うことが出来たんですよ。その恩返しさ。

…ま、もう一つ正直に言えば、あんたに死なれて新しい納所になったら、あんたみたいに俺達に良くして
くれないんじゃないか、とも思ってね。まあそんなわけで俺たちの眷属一同、必死でその埋蔵金を探したのさ。
じゃあな!」

そう言って姿を消した。

残された僧は途方に暮れた。

「このような金、今の世間に通用しないではないか。」
もはや致し方なく、住寺にすべてを告白した。住寺大いに驚き
「計算が合わないからと言って、死を考えるなどあっていいものか!」
と、彼の誠実さを感じつつ叱った。しかしてその長宗我部の20両、住寺にもどうにも取計れず、
事の訳と共に松山の役所に届けた。事のあまりに奇異さに役所から領主に伝えられ、領主からは
「その金子、現在通用している小判に直せばいくらほどになる?」との諮問を受け、専門家が計算したところ
「百両あまり、といったところです」との答え。

そこで長宗我部の埋蔵金20両は領主のもとに差し置かれ、善通寺には新たに、通用金で百余両が
下げ渡された、とのことである。

讃岐善通寺の狸と長宗我部埋蔵金、のお話。




494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 01:36:27 ID:40SVBwaw
餌付けをするための狸がいない

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 01:41:26 ID:ELa52p38
>>494
世田谷に引っ越せ

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 11:05:08 ID:vGEDQhUj
周囲をよく見渡せ
常に赤ら顔ででっぷりと突き出た腹、短足、風呂嫌い、そいつが狸だ
最近は飲みに行く同僚も金もなくて寂しがってるからちょっと相手してやれ

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 11:09:41 ID:kIKHEjZH
200年間でおよそ5倍のインフレ
これは経済規模が拡大したから?

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 11:26:04 ID:74Gns0id
>>497
重さ・含有率

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 13:13:47 ID:cbQ5ndMJ
>>497
純度と大きさ、も+かな。

200年後の金の方が他の混ぜものして質を落としている。
8代将軍の頃で例えると「家康の頃より今の方が小判1両の質が落ちており、含有率が半分以下」
って言われてる。

その後含有率はどんどん下がっており、15代の頃には開国その他の小判改訂の影響で
トンでもない内容に。

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 14:47:28 ID:w/UemxFO
豊臣家が作った天正大判がかなりでかいらしいね

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 14:49:04 ID:eB89gQu3
大判は小判の10倍クラスだろ


504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 10:41:43 ID:XWDtN4Z5
>>501
そらそうよ。大判=十両なんだから。
江戸時代には大判にはプレミアがついて十倍以上の価値になったらしいが。

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 11:35:52 ID:wC+n/paj
大判=7両半では?
対小判相場があるのは認める

『土気古城再興伝来記』より、本行寺を巡る戦い

2010年11月28日 00:02

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 02:48:30 ID:ZtkkmtZC

もう一つ関東仕置きの時の土気酒井氏の事。

>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4908.html
のちょっと前。もうすぐ上方勢が土気に攻め寄せてくるだろう、という時の話。
第二次国府台合戦の後、>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4903.html
の冒頭であっさりと死んでしまった池野和田城主・多賀蔵人に、息子が一人いた。
父が死んだ時にはまだ幼く、城を逃れて隠れて生活していた浪人である。

この多賀内膳という青年、関東仕置きが始まると、
「上方勢に加わり、父の無念を晴らし、多賀家を再興する」
と志し、上総・下総方面の攻略を任された浅野弾正少弼の元に出仕する。


この頃土気城では、近づく上方勢の攻撃に、どう対処するのかが議論されていた。
「相手はとんでもない大軍なんだろ?篭城しても勝ち目はないぞ」
「……打って出るか?」
「本行寺に篭城してみよう」
「本行寺?城を捨てて寺に篭ると言うのか?」
「そうじゃない。城には囮の軍勢を残しておく。相手は我々が討って出るなどと考
えてないだろうから、警戒もせずに城を囲むだろう」
「そうか、城を包囲した上方勢の背後を……!」
「……本行寺の主力で叩く!!」

「一度しか使えない手だ。一旦は敵を退けられても、二度目はない。一度勝って、
意地を見せた上での玉砕という事になる。皆はそれで良いか?」
「おう!」
「上総武士の意地を見せてやるぜ!」

こうして酒井勢の作戦は決定した……………が、



763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 02:49:45 ID:ZtkkmtZC

「……ってな作戦を土気城では立ててます」

流石に地元の土豪。多賀内膳には土気城内にも伝手があった。
悲壮な覚悟で決定した作戦は、あっさりと浅野弾正少弼にばれていた。

「本行寺は中々の要害で、ここに主力が篭るとなると、判っていても少々厄介です。
今の内に焼き払っておくべきだと思います」

多賀内膳は浅野から数十騎ばかりの兵を借りると、多賀家の遺臣・大島小太郎を連
れて浅野勢に先行、本行寺へと急いだ。

ところが内膳は本行寺に到着すると、僧侶を避難させる事もなく、問答無用でいき
なり放火してしまう。
逃げ惑う僧侶達の中、火は本堂を包み、全ての堂宇を焼き尽くした。

それを確認して悠然と本陣に帰還する内膳であったが、何の弾みか突然に落馬、血
を吐いた挙句、狂ったような声を上げて息を引き取ってしまう。

若君の隣りで全てを見ていた大島小太郎は、
「仏罰だ!主家の再興を夢見るあまり、我等はやってはいけない事をやってしまっ
たのだ!」
頭を抱えそう叫ぶと、次の瞬間、馬を取って返し、未だ炎の治まらぬ本行寺の本堂
に駆け込み、寺と運命を共にしたと言う。


結局、作戦を実行出来なかった酒井勢。心が折れてしまったのか、玉砕するでもな
く、篭城しつつ開城への路を模索するしかなかった。


『土気古城再興伝来記』から本行寺を巡る戦い。こちらはこちらで、お留守番の人
達だって涙目だったんだい!という悪い話……と言うか可哀想な話?
多賀内膳が寺を焼き払った悪い話っつっても良いか。

以上、『土気古城再興伝来記』からの一連の話でした。上総酒井氏の成立から、土
気開城まで、ですね。
お付き合い下さり、ありがとうございました。




764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 12:59:22 ID:9lxeJoVu
>>762-763
こちらこそありがとう。
楽しめました。

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 13:37:27 ID:B1SEEmtX
>上総酒井氏の人
いい悪い両方含めて面白かった。
焼身自決しちゃった大島さんには悪いが
畿内では南都山門大坂との闘争を経て薄れつつあった
寺院への素朴な畏怖が残ってるのを見ると微笑ましくもあるな

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 13:49:07 ID:tE13QuhJ
>>763
ありがとう。上州酒井氏の話って、酒井金三郎と原吉丸の草履の話しか知らなかったから
非常に面白かったよ。

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 21:06:24 ID:t/qyTeyj
>>763
仕返しにヒットマン送り込まれただけのような…

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 23:04:28 ID:+ZxmFEjP
>>767
むしろ、内通者は敵を倒したら不要なので…

立花宗茂の借金証文

2010年11月27日 00:01

480 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/26(金) 00:53:48 ID:+556C9Ed
江戸中期ほどのことだそうだ

幕府の旗本の中に、古に福島家に仕えたものの子孫があり、この者が家より、
立花宗茂福島正則から借金をした、その証文を見つけ、立花家に差し出し
その証文を返した、という事があったという。

その証文には、このように書かれていた

『拠無き儀にて金子借用いたし候。いついつの頃には、きっと返却致すべき候。
もし違約いたし返済致さずば御笑い成さるべく候。』

これを見た人々

「古の武士は義の心も強く、笑われることを何にも代えがたい恥だと思っていたのだ。」

と、感嘆したとのことだ。

宗茂がその借金を返したのかどうか、証文が何故その旗本の家に残ったのか、
その事はよくわからない。

ともかくも戦国の武士の風を感じさせる、借金証文についてのお話。




481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 00:59:25 ID:J+L1UfJw
宗茂って忠興から借金して茶器買ったりするからな
意外と人にたかるのがうまかったのかも知れん

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 02:31:25 ID:6hoLr8Za
宗茂に頼られたら悪い気もせずホイホイ貸してしまいそうだ

大越茂世、法を曲げてでも

2010年11月27日 00:01

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 05:26:32 ID:wXqm3rKb
寛永十三年、徳川家光の御世。

家光が朝鮮人(朝鮮通信使だろう)の曲馬を観覧する機会があった。
この時伊達政宗も家光に相伴にしていたのだが、どうやら早朝の催しだった様で、
少なくとも政宗のほうは朝食がまだだったらしい。
ここで仙台藩士、大越茂世というものがあった。
かつて大阪の陣で片倉重長の軍に属して兜首を上げた武勇の人だったが、
実のところそれよりも料理の腕で政宗に数々の奉公を立てた人であった。

この茂世、主君が腹を空かしているだろうと思い行厨(弁当)を一つ拵えると、
数奇屋橋を通って政宗のもとへと急ごうとした、のだが……

「あいや、またれい。例え伊達公の御家中と謂えど、今通ること罷りならん」

この数寄屋橋、ちょうど将軍警護のために幕臣が通行規制を行っているところだったのだ。
まあ将軍が江戸市中に繰り出してるわけで、当然の厳戒態勢だっただろう。
というか陪臣を将軍に近づけるわけが無いのが道理である。
とはいえ茂世としても、家臣としての面子というものがある。

「主君はおそらく飢えている。お許し願いたい」
「いや無理。貴殿の主君は上様のお傍にある。近づけるわけにはゆかぬ」

茂世にも義務があるなら、番士にしたって同じこと。当然答えはノーだ。
では茂世は諦めるか。普通なら諦めるところだろう。
というか、将軍の傍近くまで近よろうとか近づけるとかそもそも考えない。
ところがどっこい、この大越茂世という武士は、
政宗からすら「こいつ勇敢だけど平気で法を犯す人柄だからなぁ」といわれる類の男だった。

「主人を飢えさせる。何の面目あって生きていけるだろうか」

言うが早いが、どっかと番士の前に座り込んだ茂世は脇差の鞘を払い、
その切っ先を迷わず突きたてようとする!
驚いたのは番士である。当然の義務を果たしてるだけなのだが、
よりにもよって将軍の間近で祝いの席を血に汚されてはたまらない。
ましてや、相手は家光の覚えめでたき伊達政宗の家臣なのだ。
何がどう転んで自分に罪が及ばないとも限らないではないか。

「……そこまでなさるならやむを得ぬ、通られよ」
「かたじけのうござる」

話がどう通ったのか、誰が許可したのかは記録には残らない。
だが茂世は数奇屋橋を通過し、家光の傍らに控える政宗の下に弁当を届けた。
こうした数々の茂世の忠勤に、政宗は大いに気をよくしたという。

大越茂世、法を曲げてでも政宗に弁当を届けるの巻。


……ただし、政宗は茂世の出身(大越顕光の義弟、大越源兵衛(甲斐守の弟)の子)自体は大嫌いで、
嫡男でやっぱり茂世の忠勤を評価していた忠宗に対しては、
「俺こいつ自身はともかくこいつの出身嫌いだから取り立てない。お前の代で取り立てろ」
なんてむちゃくちゃを言い残していたりするからまーくんもたいがい執念深い……




484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 07:29:42 ID:lHmgAf8I
「取り立てるな」じゃなくて、「お前が取り立てろ」なだけマシとか思ってしまう

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 10:42:58 ID:+DiPReHf
誰かみたいに番士相手にヒャッハーするかと思ったよ

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 11:55:41 ID:UY0lCKSq
これってちょっといい話なのかよくわからん。

むしろ、出自で恨まれて
当時だったらもっと可哀想なことになりそうなのが
俺の代は取り立てないけど息子の代では取り立ててもいいよ
って話になってるあたりがちょっといい話の部分じゃないのかと。

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 12:08:13 ID:/FL1osud
「出自で恨まれて」じゃなくて「出自を恨まれて」とか、「出自を惜しまれて」がよい表現ではないかな。
本人自体のことは恨むどころか出来れば取り立ててやりたい、って思ってたんでしょ。

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 12:40:13 ID:UY0lCKSq
実際どう思ってたかは知らんけど
自分の代で取り立てないのは周りへのけじめもあるのかもね。

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 12:45:20 ID:MF5CnMsz
牛縊さんに対しても配慮したんじゃないかな

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 13:07:31 ID:SpIFX+YN
いくら当人が誠実に仕えたとしても他の一族郎党がアレだったら簡単には出世させられないよなあ

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 14:07:50 ID:fwNoKnVy
>>483

嫌いだからて、いかにも印象操作してる感じがする。
田村家出品で、反伊達派だから、政治的な配慮もあるだろ。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1249.html

『土気古城再興伝来記』から康治さん涙目な悪い話

2010年11月27日 00:01

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 01:47:27 ID:BUtYr6Ey

ラスボス殿下の関東仕置きの時の事。
北条氏は配下の武将を全て小田原に呼び寄せ、篭城するという策を取った。
それに対して豊臣軍は圧倒的な戦力で小田原城を囲んだ上で、別働隊に関東各地に
散らばる北条方の城を虱潰しにさせるという作戦に出る。

酒井康治の上総国土気城もその例に漏れず、浅野弾正少弼らの軍勢に囲まれてしま
う。
上方軍は開城を命じるラスボスの書状を持ち、無条件降伏を呼びかける。
それに対して土気城は、
「今、うちの殿様、留守なんですよ。ちょっと待っててくれます?」
いやまぁ、そりゃ留守だろう。小田原に篭城してるんだし。

が、土気城の酒井家臣、単なる時間稼ぎのつもりではなかったようだ。
浅野から預かったラスボスの書状を持ち、使者を小田原に向かわせた。
本気で「主君に開城の許可を貰ってきますね。それまでちょっと待ってて」と言う
のである。

当然、小田原城は上方軍に包囲され、簡単には入城出来ない。
しかし酒井家中から選びぬかれた使者であり、勇者である。戦場での不測の事態に
備え、水練の訓練もしっかりと行っていた。
そう、彼等は迷わず水に飛び込み、海側から包囲網を突破、見事小田原城に忍び込
んだのである。

困ったのは篭城中の主君・酒井康治である。
わざわざ居城から使者が来たと思ったら、敵の総大将からの手紙を持って、
「開城しても良いっスか?」
と言うのである。
「うん、いいよ~」
などと返事の出来よう筈がない。
当然、北条氏からも疑いの目を向けられる。
必死の弁明で許しては貰えた物の、守備の受け持ちは交代させられ、城内では孤立
してしまう羽目となった。


『土気古城再興伝来記』から康治さん涙目な悪い話。つかお留守番の人達、もうち
ょっと空気読んであげて。
「攻撃に耐え切れず部下が開城を決めちゃった」なら康治さんの顔も立つんだから!
忍城の成田さんほど面の皮厚くないんだから!

ちなみに関東仕置き後、酒井康治は小田原で蟄居&病死。二人の息子が家康に仕え
たと言います。




760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 15:54:22 ID:AqGeQn5v
家来が真面目すぎたんだな。

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 16:21:46 ID:ndPVmgoe
攻撃が始まったら皆殺しにされる可能性が…
前田や上杉も降服開城させたら「何勝手に助けてんの?」とか
ラスボスに脅されてるし

水野勝成「軍かつなり」

2010年11月26日 00:00

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 13:42:12 ID:aDdCkTFB
戦国有数のDQNな事で知られてる水野勝成

実はこの勝成という名前、関ヶ原以降に自分で付けた名前である。

幼名は国松だし、本来は忠則と言う水野家の諱を継いだ立派な名前を持っていた。
じゃあ、なんで名前を変えたのか?

伝承によれば
自分は「戦に勝つなり」だから勝成と言う名前に変えたらしい。

って言うか関ヶ原以降に変えたのならとっくに30半ば過ぎてるわけで
もうこの頃にはそれなりの立場にいただろうに

と思ったが、この人放浪中も「六左衛門」と名乗ってる
今の意味で言うと「ろくでなし」と自分から名乗ってたらしい。
ある意味納得。


まあ、ともかく水野勝成はこの「勝成」と言う名前はいたく気にいってたらしく
後年、島原の乱の平定に行く際、沼隈郡能登原沖矢の島近くを通った時にこんな一首を残してる。


武士の 矢のにかかる 門出には 矢種つきせぬ 軍かつなり


歌の内容はかつてその地であった源平の合戦の故事を題材にしたものであり
平教経がその地で那須与一の部隊らと対峙した際、平教経が射た矢がとある島に当たり
その後、この島から矢竹がたくさん採れるようになり、
この島を「矢の島」と名付けたことに由来する話なのだが

歌の最後に自分の名前とかけて
「軍かつなり」つまり戦に勝つなりと、親父ギャグな一首を残したw
まあ縁起担ぎが出来る名前に改名したのは、ある意味良かったのかも。


左義長まんじゅうといい、
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3036.html
名前の付け方がストレートな水野さんのお話。



470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 15:03:46 ID:w/ZZb8hq
これをオヤジギャクとか言っちゃうなんて・・・

471 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/25(木) 15:45:52 ID:oZeTXhQU
かつしげ

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 16:32:45 ID:34jYn308
シバタはどおする

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 18:14:56 ID:p2nffH7V
昔の小説なんかだと
みずの かつしげ と読ませてる例も多いな

最上義光の天童城攻めと延沢満延

2010年11月26日 00:00

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 00:10:28 ID:YqZTvPlO
延沢満延シリーズ


最上義光が最上八盾の天童頼澄が守る天童城(舞鶴城)を攻めた時の事である。

最上勢、千手堂という場所で天童勢を大いに破ると、その勢いのまま天童城に攻め寄せた
この時延沢満延は最上八盾の一人として天童城に援兵として入っており、場内から最上方の攻勢を見ると
大手の門を押し開き、ただ一騎討って出た。

この日の満延の出で立ちは、鎖帷子の上に黒糸縅の鎧を着、八方頭の兜をかぶり、月毛の馬に打ち乗り、
常に身から話さぬ5尺1寸(約1.5メートル)の鉄の棒を打ち振るい、向かってくる最上勢をばったばったと
なぎ倒し、これには最上勢、延沢満延の方を見ることも出来ない有様だった。

さて、最上勢の中に安間某という、長く羽黒山に住む弓の名手がいた。
彼は味方が延沢満延一人を恐れている様子を見て

「いくら能登守(延沢満延)と言っても鬼神ではない。よし、俺が勝負をしてやろう!」

と一直線に駆け寄ると、これを見た延沢満延

「わしとの勝負を望むとは、なんと面白い振る舞いかな。ならば我が手並み、見せてやろう!」

と、安間某に向かって突進した!

「この鉄棒を所望のようだな。さあ、一打取らせようぞ!」

安間某が弓をつがえた、その時、

延沢満延、信じられないスピードで拝み打ちに鉄棒を、安間某の頭上に振り下ろす!
そのあまりの衝撃に、安間某の頭は胴の中にめりこみ、乗っている馬も衝撃に足が地面に埋まった!

鉄棒の一撃で頭が体にめり込んだ安間某と足が埋まった馬。
このギャグマンガか、はたまた北斗の拳でしかありえない光景に
最上勢皆驚き呆れ返り(それも当然だろう)、われ先にと引き退いた。


延沢満延と安間某の一騎打ち、のお話。




739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 00:24:41 ID:Lbgl1t5+
安間某「ぱっびっぶっぺっぽぉっ」


740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 00:28:10 ID:p2nffH7V
むか~しから思ってたんだけど
五尺や八尺の棒を振り回すより、三間の長柄鑓の方が絶対強いと思うんだが・・・

まあ、江戸時代の鍵屋の辻の決闘でも
荒木又右衛門の豪刀を鎖帷子の上から食らった仇役の首が胴にめりこんだなんて俗説あるからね。

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 00:37:08 ID:S4mE7Ucz
集団で固まって使うならともかく、一騎打ちで三間の長柄鑓は使いにくいんじゃないか。

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 00:43:16 ID:w/ZZb8hq
三間って・・・5mオーバーだよね?


744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 03:39:23 ID:o60gM2F/
>>740間合い
懐に入れば、短い武器の方が逆に有利になるっしょや。

長柄の武器は馬上や開けた場所で使う分にはいいが…

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 06:02:32 ID:txhbKGEn
三間槍とか集団戦用だよね

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 06:29:50 ID:llfbNwDt
武士の使う槍ではなくて、兵卒の使う集団戦用の槍だね。

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 10:35:37 ID:HoW6MPg8
ラスボス「槍は長いほうがよい」

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 11:29:31 ID:q1zIg7Fz
長くても子が出来るわけではないしなあ

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 11:33:28 ID:5v68Rb8A
>>748
磔を申し付ける

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 11:37:02 ID:bwvWe17T
つロンギヌスの槍
どうぞ>>748の脇腹をお突きください

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 11:48:15 ID:p2nffH7V
>>745
一般的にはそうだが
蜻蛉切には2丈(6m)の柄が付いていたとされる

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 21:08:17 ID:bpQ7LGzr
写真で見る蜻蛉切の刀身は長い。重心を調節するため柄も長くなったんだろう。

用途や使い手の個性で合わせるものでないかんs。

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 22:09:43 ID:llfbNwDt
蜻蛉切のような大身槍はぶった切るのが目的の武器だからな。
分類で言えば鎗だけど鎗のような戦い方とはちょっと違う気がするぜ。

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 22:56:48 ID:FWhjzZmF
まあ大力にまかせて風車の如く振り回し当たるを幸いって感じなんだろうな
6メートル超の槍振り回されたら誰も近づけないから
忠勝さん怪我を負わなかったのかもw

いくら柄が長かろうともそこに触ったからって斬られる訳じゃない
って言ってのけた卜傳さんはマジパネーっす

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 23:32:17 ID:Lbgl1t5+
足軽と武士じゃあ槍の長さも違ったろうけど当然戦い方も違ったんだろうな

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 23:34:37 ID:YqZTvPlO
というか源平の時代以前からそうなんだが、騎馬の武士は自分の手に合う好きな武器を持って
戦っていい、という不文律があった。

『土気古城再興伝来記』より、転がりかけで治まってくれた兄弟喧嘩

2010年11月26日 00:00

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 01:22:20 ID:L/5g5H1K

上総国土気城の酒井康治には一人の弟がいた。
この弟は出家し、一位殿と呼ばれていたが、悪僧と名高い乱暴者であった。

ある時、酒井家の帰依している本国寺の日典上人が土気城に出向いている隙に、こ
の一位殿が本国寺にふらりと姿を現した。
そして、
「今日、この時からこの寺は俺様の寺だ!お前等もそのつもりで俺様に仕えろ!」

そんな無茶な。
そうは思うが領主の弟君である。寺としても下手に事を荒げる訳には行かない。
とりあえず土気城に使いをやり、日典上人と康治とに今起こっている事を説明した。

「あの馬鹿は何をやってるんだ!!」

話を聞いて激怒した康治は、すぐさま配下の者に命じて本国寺から弟を追い払わせ
た。
一位殿も弟の我儘の一つも聞き入れない兄の態度に激怒し、寺に籠もって抵抗する
も、手勢を持たぬ僧侶一人が何をやった所で領主には逆らえない。
遂には力尽き、酒井氏の領内から追い払われてしまった。

一位殿が抵抗する間、寺に帰れない日典上人は近くの畑ヶ中村に滞在せざるを得な
かった。その事がまた、康治の逆鱗に触れてしまった。
一方、弟は弟で、兄に対して怒り心頭であった。
兄は上総酒井家総領として踏ん反り返っていると言うのに、自分は出家させられた
のである。
せめて、兄が武家の上に立つなら、自分は僧侶の上に立つのが当然。そう考えて領
内で一番の寺を奪い取ったと言うのに……

こうしてこじれまくった兄弟の仲(片方は明らかに八つ当たりだが)は、どちらも
一歩も譲る事がなかった為、面倒臭い方向に転がり始める。


数日後、安房国里見家の門を叩く一位殿の姿があった。
「兵を貸してくれりゃぁ、俺様がクソ兄貴の首を取ってきてやる。その時ゃ酒井家の
総領として、里見家に仕えるのも吝かじゃぁないぜ」

だが、この一位殿による土気攻めは実現しないままに終わる。
一位殿が里見義弘に謁見した直後、この僧侶は病を発してしまうのである。
病のせいか否か、里見家では一位殿の計画に乗る事はなかったようだ。
安房を辞し、上総国長南の辺りまで来た所で、一位殿はあえなく死去してしまった
と言う。

出家の身でありながら、法を犯し、上を軽んじ、兄を討とうと企んだ。その浅まし
さ故に報いが下ったのだと、彼の顛末を知った人々は噂したという。


『土気古城再興伝来記』から面倒臭い方向に転がったけど、転がりかけで治まって
くれた兄弟喧嘩。
……これ、暗殺じゃね?




週刊ブログ拍手ランキング11/17~/24

2010年11月25日 00:01

11/17~/24の、ブログ拍手ランキングです!



徳川秀忠「内府様の嘘、自分の嘘」 94

藤堂藩江戸屋敷。家臣三名が、何やら押し問答 64

山伏の夢と黒田長政、鍋島直茂 52
突然の突風と水野勝成 43
島津義弘さん、愚痴る 43

穴山信君の勇気ある心遣い 41
天庵様・軍神様に振り回される人々 37
後藤又兵衛、射撃中止を命ず 36

最上義光、白鳥十郎謀殺 33
命名、忠勝 32
雑談・家紋についてなど 30

日本各地の畠山さんと遊佐さんのお話 25
長久手「血の池」由来 22
立花宗茂、秀忠の不安に 20

木村重茲の娘 19
雑談・諱について 18
『土気古城再興伝来記』より、上総酒井氏の出世話 18
前田利家、子供の教育について 17
伊達政宗「上様、思い差し仕るっ!」 16
合計 1089


今週の1位は徳川秀忠「内府様の嘘、自分の嘘」!
大変有名な逸話ではありますが、まだ出ていなかったんですねー。
いかにもいい悪いスレらしいといいましょうかw
そして大変、秀忠らしい逸話でもあります。
来年の大河で秀忠は、どのように描かれるのでしょうね?

2位は藤堂藩江戸屋敷。家臣三名が、何やら押し問答
こちらも藤堂高虎らしいと言いましょうかw
「敵を欺くには先ず味方から」なんて言葉も思い出しますが、高虎の場合そう言う思想が
いい意味で骨の髄まで染み込んでいる感じもあります。

今週管理人が気になった逸話は穴山信君の勇気ある心遣いです!
穴山梅雪という人は、不運にも本能寺の変の煽りを受けて早くに死んだためもあって、後世に
悪い印象が持たれています。このあたり、小早川秀秋に少し似ていますね。
そんな悪名に対する穴山さんの側の伝承。非常に興味深い内容です。
色々と考えさせてくれます。


今週も本当にたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。
いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )

竹内太郎左衛門の功

2010年11月25日 00:01

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/24(水) 00:48:12 ID:UDaj1NRj

第二次国府台合戦の結果、里見家の勢力は大きく減退する事になった。
北条家は下総、上総を踏み潰し、そのまま安房まで攻め込もうと大軍を動員。手始
めに池野和田城の多加蔵人を攻め、自害に追い込む。

国府台合戦の折には北条勢の追撃を食い止め、敗走中の里見勢を無事に逃がした土
気城の酒井中務丞胤治。
当然、自分も攻められると考え、半ば以上切腹も覚悟で篭城の準備を進めていた。

が、そんな所にやってきたのは北条家からの使者。
なんと和睦に応じて欲しいと北条家の方から打診してきたのである。

「上総酒井家の初代・定隆公は遠江の出身。その頃に今川家の客将であった我が北
条家初代・早雲公が定隆公と入魂のお付き合いをさせていただいておりました。
我等としては胤治殿に何の恨みも持っておりません。昔の友誼を忘れず、我等に力
を貸してはいただけぬでしょうか? 北条家には早雲公と定隆公で交わした手紙も
残っております。その様な縁がある家を、我等の手で滅ぼしたくはないのです」

胤治は和睦に応じ、息子を人質として小田原に送る事になった。

この和睦に激怒したのは里見義弘。
「裏切り者の末路として見せしめにしてやる」
と意気込み、六百騎の軍勢を土気城に送り込んだ。
しかし、安房からの遠征で疲れが取れない所を土気勢に攻め立てられ、逆に敗走に
追い込まれてしまう。

酒井家中の竹内太郎左衛門、逃げる里見勢を見て、
「こんな事もあろうかと、抜け道を準備してたんだよ!」
と、里見勢の敗走路に先回り。物陰から弓の狙撃であっと言う間に十四、五人を打
ち落としてしまう。
里見勢はこれを一人だとは思わず、別働隊による奇襲にあったと勘違い。パニック
を起こしたように散り散りになって安房に逃げ帰ったと言う。

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/24(水) 00:49:45 ID:UDaj1NRj

戦後、論功恩賞の場で
「一番の手柄は竹内太郎左衛門を置いて他にはいない」
と皆が口をそろえるが、そんな中ただ一人富田伊豆守が、
「太郎左衛門が十数人を討ち取ったと言っても、勝ちに乗る味方に追い立てられて
逃げ回る連中を討ったに過ぎない。敵に打ち勝ち、敗走させた我々を差し置いて、
そのおこぼれに預かった太郎左衛門が一番手柄とは納得出来ない。それに、奴は討
ち取った連中から武具やら衣服やらを剥ぎ取って自分の物にしている。それだけで
十分の恩賞といえるんじゃないか?」

この言葉によって議論は紛糾。
「富田の言葉にも一理ある」「いや、でも竹内が十数人を討ったのは事実だぞ」
主君重臣を交えて様々な意見が噴出する中、板倉長門守が口を開く。
(>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4895.html の板倉大蔵の息子)

「味方の武士が敵に向かって命を賭け、謀を巡らすのはすべて恩賞の為だ。功を立
てたのに恩賞をケチッては誰も戦場で働かず、国が成り立たない。ここは当然、太
郎左衛門への恩賞はケチるべきじゃない。それに太郎左衛門は人より抜きん出た手
柄を立てようと謀を巡らせた結果の手柄だ。伊豆守は彼のような謀を持たなかった。
当然、一番手柄は太郎左衛門の物だと言うべきだろう。そもそも太郎左衛門が敵か
ら剥ぎ取った武具等は、主君から下された恩賞ではない。その様な物を理由に恩賞
を減らされたのでは道理が立ち行かなくなってしまうではないか」

これによって竹内太郎左衛門の一番手柄が決まり、恩賞が下された。
しかし富田伊豆守は板倉長門守を恨み、これ以降不和になったと言う。


流れで一緒に並べてしまったけど、『土気古城再興伝来記』から北条家&酒井家の
旧交のお話と、スタンドプレーでの手柄も超OK!な戦争のお話。

……長台詞が多いな。我ながら読みづらい。orz





少年・延沢満延と山形両所宮の大鐘

2010年11月25日 00:01

465 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/24(水) 19:25:04 ID:fAQ5IgJD
最上八盾の中心人物であり、のち最上義光に臣従した延沢満延といえば、若年の頃より
大力として有名であった。
彼が16・7の頃のことだという。

若侍達が多く寄り集まり、諸国の武辺のことなど語り合う事があった。
そのなかで非常によく喋る者が一人居たが、彼が急に進み出て

「そうそう能登守(満延)聞いてくれ。貴殿は力持ちだという話だが、それを是非試してみたい。
山形両所宮に大鐘が釣ってあるだろう?最近も力自慢の兵たちが集まって、この鐘の掛け下しが出来るかどうかで
その力を見せ合っていたよ。
貴殿ほどの大力ならあの位の鐘簡単に持てるだろう?俺達が見物している前で、それをやって見せてくれよ!」

まあ、大人の力自慢でも手こずる鐘を、満延もそう簡単に持ち上げられるものか。
持ち上がらなければ笑ってやろう。という魂胆なのだろう。
これに満延

「いいよー」

と簡単に答え、皆と共に山形両所宮に着くと、その鐘を見るやいなや、瞬く間もあらん、気がついたらすでに鐘を
取り下ろしていた。
さらにひょいと抱えると自由自在に頭の上で回し、さらに鐘を持ったまま雲井の上に飛び上がり、
お手玉のようにポンポンと取り扱った。

「何だ、提灯より軽いじゃないか。この程度の軽い鐘を、なんでお前たちは大げさに言ってたんだい?」

そしてふと気が付き

「あ、そうそう!この鐘俺にくれないか?在所の鶴子(現山形県尾花沢市)まで持って
帰りたいんだ!」

「い、いいけどお前、鶴子ってここから10里以上離れているじゃないか…」

「大丈夫大丈夫!」

延沢満延、この鐘を難なく鶴子まで持ち運んでしまったとか。
これを見た者、この話を聞いた者は、彼のあまりに常識はずれの大力に、
呆れぬものはいなかったという。


延沢満延少年と山形両所宮の大鐘、というお話。




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466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/24(水) 20:48:15 ID:OADkwknv
鐘を持ち逃げされた両宮所が気の毒すぎる
「くれないか?」は宮司さんに聞かないとw

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/24(水) 22:19:29 ID:83L2p/ih
            , '´  ̄ ̄ ` 、
          i r-ー-┬-‐、i
           | |,,_   _,{|
          N| "゚'` {"゚`lリ     く れ な い か ?


(レスは省略されました。すべてを見たいときはここをクリックしてください)


468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 13:16:17 ID:pnbFlo9T
わっふるわっふる

雑談・諱について

2010年11月24日 00:01

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 06:00:43 ID:UK1+okYB
岩城氏なんて何回同じ名前使うのさ、感じだしな。

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 06:26:48 ID:LsN32bIh
ルイ18世「ちょっと通りますよ」

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 06:39:39 ID:tbrnX57g
諱を語るスレから

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 03:53:48 ID:01sVF3IG
毛利家臣の福原氏も何がなにやら。

福原広俊(毛利元就の外祖父)

福原貞俊(筆頭重臣)

福原広俊(筆頭家老)

福原貞俊(四人衆の一人)

福原元俊(豊臣姓を賜る)

福原広俊(輝元時代の重臣)

福原元俊(長州藩永代家老)

福原広俊(長州藩永代家老)

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 02:11:59 ID:s2PiBCJL
こういうの見ると甲斐の郡内小山田さんとこがやっぱり奇異に写る

小山田信隆

小山田信有(越中守)

小山田信有(出羽守)

小山田信有

小山田信茂(↑の弟)


428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 07:16:26 ID:auvWP8u5
あと通称を代々受け継ぐのも混乱のもと

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 07:44:59 ID:EBT+8M+/
うちの親は松たか子父を染五郎と呼ぶ。
おれは松たか子兄を染五郎と呼ぶ。
ややこしい。

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 09:23:30 ID:6YeM6tjh
>>427
俺の先祖もほとんど一代ごとに名前が入れ替わってるだけだったなぁ
昔はあまり名前に頓着してなかったと考えるには偏諱とかあるのはおかしいしよくわからんなぁ

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 09:45:35 ID:aHSadx3y
義豊時代の里見家はまともに史料が残ってないらしいから、同名異人の可能性はないでもな
いんですが、流石に寛政年間に書かれた本では、単純に当主の世代を把握し切れていなかっ
たと見るのが妥当かと。w


441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 10:49:11 ID:1xlbSPMO
>>427
日本もJr.や 大小○○ の概念を取り入れるべきだ

大小山田信有(越中守)

中小山田信有(出羽守)

小小山田信有

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 12:52:12 ID:ySTUTlpN
>>441
大小○○ってのは外国人の名前を分かりやすくするためのものだろう?
だから日本人には外来語を導入すべきだ。

小山田信有α

小山田信有β

小山田信有γ

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 13:21:38 ID:n1FvhHH6
>>442
すごくダサいです…

ってか普通に二代目とか三代目とかでいいだろw

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 13:22:36 ID:0ILJiCxQ
風魔小太郎や市川團十郎とかもあるしいいじゃないか

445 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/23(火) 13:26:54 ID:1C21UKU1
つーか江戸期は公家、大名、旗本から町人百姓まで普通に
「何代目〇〇守(官位)」、「何代目〇〇屋」、「何代目〇〇衛門」って呼ぶのが普通だった。
家督を継ぐとはその家の「屋号」を継ぐ事なわけだ。

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 13:48:52 ID:Z69JN7gC
屋号や通称の襲名はわかる。
だが現代人的感覚だと名前(諱)まで使い回すのはそれでいいのかよ、という
もやもや感は拭えないな。当時の感覚では別に気にしなかったのだろうけど。

447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 13:55:59 ID:WJzUmZ63
イミナなんて普段使わないからな。
もちろん絶対に口に出して言うことはない。

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 14:12:08 ID:dqWEyWjP
( ´w`)<諱なんて意味ない。ナンチテ

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 17:07:24 ID:8PcBT6/K
>>448
[ー。ー;]つ<< ´w`)「帰りますよ。」

命名、忠勝

2010年11月24日 00:00

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 14:49:52 ID:D4SD4O3l
永禄2年、松平元康は本多鍋之助と叔父の忠真を呼んだ。

元康「忠真、鍋を元服させようと思う。」
忠真「鍋之助をですか?鍋之助はまだ12歳ですぞ?」
元康「何を言う。鍋はもう大人顔負けの働きをしているではないか。問題なかろう。」
忠真「しかし…まだ早すぎでは…。」

元康「そうと決まれば名前を付けなければならんな…まあ通称は父親と同じ平八郎でいいだろう。」
鍋之助「ドキッ」
元康「諱はどうしようかのう…。やはり『トンヌラ』かのう。ちと平凡すぎるな。」
鍋之助「(た、助けて…)」
忠真「あの、せめて『忠』の字は入れて…」

元康「何かいいダジャレはないものかのう。本多平八郎ホニャララ、うーむ。」
鍋之助「ガクガクブルブルブル…」
元康「父も祖父も戦死しているからのう。勝てそうな名前がいいのう。本多平八郎勝つ…。」
鍋之助「…」

元康「本多平八郎ただ勝つ…。忠勝…。よし、これにしよう!ただ勝つのみ。
    鍋、これからは本多平八郎忠勝と名乗るがよい!」
忠真・鍋之助「ホッ…」

こうして本多鍋之助は元服して本多平八郎忠勝と名乗るようになった。
家康公、このころはまだネーミングセンスは普通だったというお話。




450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 14:55:57 ID:WJzUmZ63
つーか別に家康のネーミングセンスが「悪い」ってことはないよな。
オシャレではないけど。

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 15:25:55 ID:xt4/Xerf
本多山県「…」

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 15:51:47 ID:eHpHqfNz
何気に信長並のネーミングセンツでつよね家康は。

穴山信君謀反秘話

2010年11月24日 00:00

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 02:56:17 ID:yzZil/kB
向こうで穴山信君と武田勝頼の話が出ていたのでこっちでも。
昔河口湖に合宿にいったときの古老(というほど年でもなかったが)に聞いた話。


木曽が裏切る前か織田が攻め入る直前か要領を得なかったが、そのあたりのころ。

滅亡直前の武田家には、織田家から頻繁に降伏勧告が届いていた。
その条件は、婚姻と従属という、和議ともとれなくもない譲歩したものだった。

武田の姫を織田の嫡男の正室にして、間に生まれた長男を織田の後継とし、
その後に生まれた適当な子を勝頼の養子として武田を継がせるというものだったらしい。

一族の会議ではこの案を受け入れることを決定したが、勝頼はこれを拒否。
勝頼は自分の身だけを考えていると非難囂々だったらしい。
(勝頼が腹を切れというわけじゃなかったみたいだが、分からない)

そこで穴山信君自らが新府城に登って説得しようとしたのだが、勝頼は聞かないばかりか
「織田を討つ」「御旗楯無ご照覧あれ」と言って人質(木曽の?)を殺してしまった。

穴山信君が謀反を起こしたのはそれからしばらくしてのことで、驚く人は誰もいなかった。
むしろ「穴山様が勝頼に代わるならば安心だ」とほっとしたのだという。

「このあたりの領主だった小山田さんも、それで勝頼の首を差し出して、穴山さんを新たな
殿様にして武田を立て直そうとしたんだけど、勝頼に逃げられちゃって、身代わりとして
信長に殺されるはめになったんだ。勝頼は自分の格好ばかりつけようとする悪い奴だ」  と語っていました。

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 02:58:55 ID:yzZil/kB
あ、先に謝っておきます。 自分は穴山と一緒に寝返った人物の末裔ですので、
穴山信君に甘い聞き方をしていたかもですし、甘い書き方になってるかもです。




716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 04:13:46 ID:9PWsLyeS
>>713
北畠の時と同じやないけw

さすが信長www

717 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/23(火) 09:29:54 ID:BcqWemlR
>一族の会議ではこの案を受け入れることを決定した
結局、勝頼は後継者って思われてなかったのかなぁ
この案の場合、勝頼の子の信勝は消されるんだろうか

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 10:48:05 ID:vhuJVHgY
>>716
同じ言い草で命どころか御家まで丸々ぶんどった信長からこんな提案されたら首肯しかねるよなw

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 11:02:12 ID:WJzUmZ63
史実では織田は武田の詫言(降伏)を拒絶してるのにな。
そういや河口湖近辺まで小山田領だったことに初めて思い至った。

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 12:11:51 ID:Z69JN7gC
勝頼が言うことを聞かなくて滅亡へという筋書きにはどうも首肯し兼ねるんだよな。
勝頼の逸話には逆に言い分を懸命になって消化しようとする律儀な一面も透けて見えるし。

俺の身贔屓なんだとは思うけどさ。

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 12:18:31 ID:0ILJiCxQ
親の因果が子に報いってことだろうね。
本人は頑張ったんだと思うけど親父のやり方では
甲斐武田家の末路はさもありなんとも思える。

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 12:20:58 ID:nQ+OGLiP
>>722
信長「君はいい鴨であったが、君の父上がいけないんだよ。ハッハッハッハッハッ」

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 12:56:26 ID:N/OkD4cG
>>722
信玄のせいで勝頼と武田が滅んだというのもどうもなあ
信長のせいで息子達と織田家が瓦解したのか
秀吉のせいで秀頼と豊臣家が潰れたのか
言い出したらどうとでもなるんじゃないか?

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 13:58:12 ID:7pZQOhFf
家名を保てない当主は当主たりえないからなぁこの時代
どんなに正当性があっても引きずりおろされる

…逆に言えばどんだけボロ負けしようが家さえ保てば、ね?

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 14:17:24 ID:28xKgT88
天庵「いや、いくらなんでもそれはバカすぎるだろw」

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 14:53:20 ID:2oKc20PS
>>713
信玄の後継者としての責任やプライドがあるから、簡単に頭を下げられないのよ。

景勝も、相当なプレッシャーがあったので、滅びる時は仕方ないと、佐竹に手紙を送っている。


731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 14:56:13 ID:2oKc20PS
>>724
秀吉は死ぬ直前に、大阪城の改修工事を徹底的にしてる。
思い切って、城を家康に渡すくらいしてれば滅びずに済んだ。


732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 15:13:59 ID:c9u2mhOq
>>713
武田の姫と織田の嫡男が、松姫と信忠だったら面白いな。

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 15:19:51 ID:RNqz7lWv
まあ信忠と松姫の話がすでにあったとはいえ
降伏勧告の内容が織田の嫡男に姫を継がせるぞ、って辺りが自分達(武田)の矜持なのかね
信忠の正室が空いていたのは内親王狙っていたんじゃないかと、個人的には思うんだが

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 19:44:05 ID:yzZil/kB
>>732
多分そうじゃないですかね。まあ非常に一方的な主観を感じる逸話ですが、
それは下々に言い伝えられた逸話と言うことで処理してください。

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 20:20:47 ID:HI9SiVRG
>>713-714
諏訪神社の神意やら願文うんぬんの話とか聞くと、
勝頼は既に滅亡やむなしって諦観があったんかなあと思ってしまう……

木曽や穴山、小山田は家を残そうと行動したんで普通の武家・領主なのかもしれんがね

室鳩巣先生、武田信繁を熱く語る

2010年11月24日 00:00

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 12:58:42 ID:1C21UKU1
武田家の話に便乗してこんなのを投稿してみる

江戸中期の儒学者で、徳川吉宗の享保の改革にも参画した室鳩巣による、テンションの高い
武田信繁評がある。
どうもこれが武田信繁再評価の走りだったらしい。
それを抜粋してみよう。


『足利時代の末期、天文、永禄の頃で、真に『賢明』と呼ぶべき人は、甲州武田信玄の弟、
左典厩武田信繁なのである!!!

なのに近頃の世間ときたら武功のことばかり尚んで、徳行というものとに関心を示さないから
信玄の名は高く知られているのに、信繁の賢明さは兄の名前に隠れて世の中に知る人すらいない!
今わしが彼について書き表さねば、一体誰がこれを言い出すというのか!!

そもそも信玄は父信虎と不和で、群臣何れも信玄が武芸に長じているのを見て信虎を捨て
何のかんのあって信虎を追放した。

信虎は信繁を愛しており信玄を廃して信繁を家督に立てようとしたこと、これは信玄も含めて
皆知っていることだった。
そんな彼は間違い無く信玄から憎まれ、警戒されており、にもかかわらす国に残って信玄に仕えるとは、
自ら危難の場に身を置いたと言うことなのである。

武田信玄という人は父親を追い出すような人間であり、肉親への友愛の気持ちなど欠片も持っていない。
そうであるのに信繁が信玄に仕えて、兄弟の間に摩擦があったという話を聞いたことがない。

昔後漢の東海王強は光武帝の太子であったが廃され、光武帝に母が寵愛されたことにより新たに立太子された
明帝に仕え名臣として全うしたがそれは、そもそも明帝が考友厚い性格を持っていた事が大きいのであって、
信繁はそれとは違い、あの残忍至極な兄に仕えたのである。

それでも日々国家の重責を任され、人臣の節を失うこと無く、あの信玄から常に信任され、嫌疑を受けることもなく
最後まで兄弟一体のようであった。これは信繁の忠信、誠実さが信玄を始めとした武田家の人々を
感化したのでなければ、どうしてこうなるだろうか!?

(このあと長々と川中島での討ち死にを讃えたり普段の言動を誉めそやしているが略)

仮に信玄に社稷をおもんばかる心があって、早いうちにこの信繁を世子として立て、監国の任を
任せておけば、甲州武田家は長く滅ぼされることはなかっただろう。
それなのに昏昧剛腹の武田勝頼に跡を継がせたばかりに、信玄が死んで程なく織田氏のために滅ぼされた。
何と嘆かわしいことだろうか。』


以上、室鳩巣先生、武田信繁を熱く語る。




727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 13:07:07 ID:WJzUmZ63
>>725
何というか
すごく儒者っぽいですw

『土気古城再興伝来記』より、法華宗の坊さんの話。

2010年11月23日 00:01

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 09:49:01 ID:aHSadx3y

>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4893.html
の酒井定隆の時代、下総国に日泰聖人という僧侶がいた。
定隆が上総に渡る際、船を襲った高波を鎮めたと言い、それが縁で酒井家の尊崇篤
い僧侶であった。

下総国八幡郷(千葉県市川市八幡)で八幡宮の神主を務める市川刑部の息子が疫病
にかかった。
病人は、
「これは八幡神の崇りだ。私には親しくしている高僧がいるから、彼の読経を聞か
せてもらいたい」
と訴えたのだが、何故か近所の者、親族一同は相談の上、それを無視。日泰聖人に
祈祷を頼んだ。
日泰聖人が読経を上げると、たちまちに病人は快癒してしまったという。


またある日の朝、本堂でのお務めの最中。
突然怪しげな風が本堂を舞い始める。
日泰が入り口の方を振り返ると、そこには一人の女性が赤子を抱いて立っていた。
「…………寒い……」
泣きながらつぶやく女性。
出産の際に命を落した女性が、子供を死なせてしまった後悔から化けて出てくる亡
霊、『産女』であった。

「ここは……寒い……この子…助け…て……?」
涙を流し、助けを求めながら日泰に赤ん坊を差し出す産女。
日泰はその赤ん坊を受け取り、片手で抱き上げて女性と赤ん坊の為に読経してやっ
た。
女性が深々と頭を下げて姿を消した時には、日泰の腕に抱かれた赤ん坊の姿も消え
ていたと言う。

しかし、それが夢でなかった証拠として、日泰の片腕は凍えたまま、一生涯動く事
はなかったのである。


『土気古城再興伝来記』から法華宗の坊さんの話。
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4113.html
といい、法華宗の坊さんは産女に縁があるな。ww





433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 10:29:55 ID:uAHfw04c
神主の息子なのに坊主にお払いを頼むもんなのね

いや父親では駄目だったから、ってことなんだろうけど

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 11:11:08 ID:LZ0rw23g
>>433
坊さんが神社の管理とか普通にしてる時代だぞ

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 11:16:38 ID:OFcpXlAj
多分この時代は、坊さんの方が禰宜よりも社会的地位も高く
功徳や霊能力もあると考えられていたのではないか。
もちろん個人差は非常に大きいが。

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 11:23:57 ID:ZYXAemV3
現代でも神主と僧侶兼務っていうとこを知ってる
お葬式やると穢れで神事ができないからって檀家をもってないんだよね

437 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/22(月) 11:29:10 ID:LDgAF04R
例えば春日大社の宮司と興福寺の別当は兼務されていた。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 21:59:07 ID:Rw0So04Z
>>432
成仏させてあげたのに片腕凍らせるとか

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 23:39:26 ID:n48vOzg3
>>438
確かにw
悪い話しだな。

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 08:24:29 ID:6q0XuDhK
>>438
成仏する前に
「赤ん坊なめんな?! 赤の他人が何で抱いてるんだよ?!
経唱えるのを止めないと凍らせるぞ? あ!?
凍らせちゃってるのに読経続けるなんて度胸あるな!? くッ!!」
てな感じで凍らせちゃってたんじゃね?

島津義弘さん、愚痴る

2010年11月23日 00:00

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 23:13:57 ID:djmKJfZM
義弘さん、愚痴る


天正19年(1591)、上方の島津義弘より、国元の家老、鎌田政近宛書状より

『もうね、困ってるの。

今の世の中で国持の大名といえば、まず毛利殿に徳川殿、その次くらいに来るのが
我らが島津家なんだよ。世間ではそのくらいの認識なんだ!なのに…、
上方でその島津家が関白様(秀吉)の御用のお役に立つことは、一つもないんだ!
何故か!?

例えばどこかの国で一揆が起こったとしよう。
我ら島津家がその鎮圧の先手(先鋒)に加えてもらおうとしても、無理なんだ!
軍勢が無いから!

では、先手は無理でも関白様のお側を守るお役目に加えていただいてはどうだろう?
それも、無理。
今俺がこの上方で率いられる騎馬武者、数人だけ。
わずか数人でどの面下げて

『これが日本有数の大名、島津の人数でございますー!』

って言えると思う!?

先手できない、お側も守れない。じゃあ御前向きの御咄衆の役でもするのかといえば、
…まあ、解っていると思うが、無理だ。
さらに人数が無いから御普請のお役も出来ない。
なあ?こんな公儀に対し何に役にも立たない家、長く持たせる事が出来ると思う?

我が島津家の家士は、京大阪を往復するときの、5騎・3騎の供衆さえ、槍を1本持っているだけという
体たらくなんだ。同じ九州の大名である龍造寺、鍋島、立花、伊東達にも劣っている有様なんだぞ!
言語道断、沙汰の限りとはこの事だ!

今の京の島津家がどういう立場か言ってみよう。

関白様に対し何の忠義もなく。人並みの振る舞いも出来ず、他所に優れているのは
借銀(借金)の額だけ。

もう、露ほどの希望もないよ…』


島津義弘、上方で深刻な絶望感に浸る。と言うお話。




695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 23:28:35 ID:G+XKskO8
そのグダグダさのおかげで関ヶ原で減封も無く生き延びれたんだから
おにいちゃんに感謝してもらいたいなっ

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 23:37:43 ID:JyqEQqUU
意図的に派兵してなかったのかそれとも出来なかったのか…

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 03:04:28 ID:d5Oy4Pni
>>697
伊集院の反乱と朝鮮討伐で本当に苦しい財政状況


699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 08:55:20 ID:Gsk9phxT
つまり悪久の伊集院忠棟謀殺はそこまで見通した苦肉の策だったんだな。



なわけないか。

『土気古城再興伝来記』より、土気&東金家大喧嘩のお話

2010年11月23日 00:00

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 09:51:01 ID:aHSadx3y

第一次国府台合戦の結果、生実御所(小弓御所)が滅亡。上総に北条家の勢力が少
しずつ進出してくる。
ある者は北条に従い、ある者は北条に対抗する為、常陸の佐竹家に助けを求めた。
一時は「上総の三分の二を支配する」とまで言われた土気酒井氏も、佐竹と北条に
圧迫を受け、その威勢は衰えて昔と比べるべくもなかった。

当時の土気酒井家の当主は、左衛門次郎玄治。初代越中守定隆の孫に当たる人物で
ある。
この玄治には息子が一人あったのだが、足に障害を抱えており、腰から下にくびれ
がなかった。(足の関節がなかったという事?)
それでも努力の末、家中に並ぶ者なしというほどの馬術の達人となった息子である
が、流石に当主として家中を纏めるのはどうか、と考え、重臣から養子を取って酒
井家を継がせる事となった。

この養子が中務丞胤治。障害を抱えた実の息子は別家を立て、板倉大蔵介と名乗っ
たという。

しかし、これに反発したのが同族の東金酒井氏。
家臣筋の胤治を総領と認める事が気に入らなかったのか、定隆の後を継いだ二代目
定治&東金初代の隆敏の代にまで遡って、
「我が東金家こそが定隆公の正当な跡継ぎであり、上総酒井家の総領である!」
と逆に土気家に対して臣従を求めてきたのである。

ただでさえ分裂し、がたがたになっている上総国の中、同族同士で争われては堪ら
ない。
特に実際に戦争となると、両家がそれぞれ他国の勢力を国内に引き込んでの争いに
発展しかねない。
当時勢力を伸ばし、「上下両総の旗頭」と呼ばれていた臼井城の原式部大輔の仲介
によって漸く和睦。最悪のシナリオだけは回避されたのである。


『土気古城再興伝来記』から土気&東金家大喧嘩のお話。
結局この後、両家とも北条に臣従。土気家は里見に寝返るものの、北条・東金から
の圧迫で降伏する羽目になっちゃうんですけどね。





穴山信君の勇気ある心遣い

2010年11月22日 00:00

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 00:06:31 ID:d7FKAjzh
穴山信君の勇気ある心遣い

長篠の戦いの直後、武田勝頼のもとに一門衆の穴山信君が訪れた。
戦後処理のために徳川と交渉することを許して欲しいというのである。

つまり徳川家に金品を贈って、捕虜の身請け、遺体や遺品の回収と弔いなどの許可を得たいというのだ。
ところが、これに対して勝頼は頑として許可を出さず、食い下がる信君に怒って罵声を浴びせた。
しかし、穴山信君にはどうしても戦後処理を進めねばならない理由があった。


wikipediaによると、戦死した主な武将について
>>武田四天王の山県、内藤、馬場を始めとして、原昌胤、原盛胤、真田信綱、真田昌輝、
 土屋昌次、土屋直規、安中景繁、望月信永、米倉重継
とあるが、これらは武田政権中枢の、言わば戦死した官僚たちである。
これらの武将たちが、武田の新領土である信州や山梨北部の領主なのもそれを表している。


しかし、本当に悲惨だったのは、河内(山梨南部地域)・木曽の半独立豪族たちであった。
特に戦場に近い河内では、下部左京、丹沢主馬、井出元輔、下村源助、市ノ瀬左衛門ら有力国人が戦死し、
兵卒も大損害を被った。

主従関係こそなかったようだが、これら河内衆の指揮を執っていたのが穴山信君であり、
責任を感じていたのであろう。
勝頼から許可が得られないと知ると、駿河の配下豪族・万沢氏に独自に交渉するよう命じた。無論彼の独断である。

信君の努力の結果、内々に許可が出た。戦死者の家族や部下たちは長篠に向かい、
人捜しをしたり弔いをしたりした。

これらは本来、勝頼が責任を持つべき部類の仕事だと思われるのだが、なぜ指示せず交渉も
却下したのかは分からない。
だが主君の怒りを恐れない信君の優しさに、家中の士卒のみならず河内衆みなが感激した。

武田滅亡時、これら河内衆は武田庶家までほとんどが穴山信君に従って徳川に寝返ることになる。




396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 00:27:23 ID:d7FKAjzh
長篠だと、
「信君はお味方危うしと見るや、敵に背中を見せて一目散に逃走。武田逍遙軒と信豊も続き、ついに潰走が始まった」
というような認識が一般的だけど、実はこのあたりの記述は、例の甲陽軍鑑にしかないんだよね。

指揮下にあった武田の庶家衆まで討ち死にしているってことは、本当は奮戦したのかも知れない。

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 00:45:35 ID:L4DoOPR4
一門衆は後備えだから単に早く戦場から離脱できただけだろうな

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:06:27 ID:V3+RI8MR
酒井忠次の別動隊が長篠城を包囲していた部隊を壊滅させてたから
退路を断たれて全滅もありえた

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:07:21 ID:NWqfuSSQ
調べたら、市ノ瀬氏は馬場氏と同族で甲斐源氏。
下部氏は秋山氏や三枝氏と同族で甲斐源氏。
下村氏は井出氏と、穴山氏は丹沢氏と(ry


甲斐情勢は複雑怪奇なり

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:09:39 ID:gF9EBSbi
なぜ
「甲州情勢は複雑怪奇なり」
と言わない・・・と思ったら、甲斐と「怪」奇をかけているのか

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:11:58 ID:NWqfuSSQ
利口な奴は考えすぎるということだ(キリッ

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:12:14 ID:G+XKskO8
信長公記の記述だと武田逍遙軒も先陣として突撃している。
本来は脇備か後備を勤めてるはずの部隊も前面に出し兵力差を補ったんだろう。
そこから推測できる状況としては
予備兵力を前面に出してしまったことから酒井の片翼包囲に対応できず前に進むしかなく
精鋭たる本来の先手である山縣隊らとは錬度士気とも劣る親族部隊が
数時間の激闘に耐えられず、最初に敗走したって事だろう

軍鑑は本来軍事テキストで無理にでも理屈の通った敗因を作る傾向があり
穴山以外はその後も重用されてるから軍鑑の長篠の記述は鵜呑みには出来ないな

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:36:16 ID:M4yaFFC1
なんでもそうだけど説明しようとすると勝った方の意図通りになったから勝利を得たってなりがちだよね
(結果論で語る解説者とか)
軍記ものとか兵法書とか戦場の霧を無視してること大石

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 08:25:25 ID:JyqEQqUU
最初の予定と大分違ったけど勝っちゃったって事がそれほど多いかな?

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 10:07:59 ID:zeoTJXYH
古今東西、最初の予定通りに勝ちました、なんて戦争の方がよっぽど少ないよ
だからこそ参謀組織が発達していくんだから

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 10:22:48 ID:SIiAnx3i
>>397
典厩は違うだろ。

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 10:49:38 ID:ywZFe45s
ヤケクソで突撃かましたら敵総大将を殺っちまったZE!
ってのはあるのかね?

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 10:51:15 ID:SIiAnx3i
>>407
桶狭間www

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 11:23:54 ID:4a70b2O8
>>405
情報収集と的確な分析というのは強調されるけど、近代戦ですら「戦場で手に入る情報で確実なものはない。
全く正反対の噂が飛び交っていたりするから」
と言われてるくらいだしね

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 11:37:44 ID:tsfrYBQq
>>407
中国だと昆陽の戦いがややそれっぽい。
公称百万(実数は多説あり)相手に一万弱で籠城。
もちろんそのままじゃ落ちるだけなんで援軍呼んで挟撃するために13騎が夜間脱出。
劉秀は兄が反乱軍指導者の政敵のため、疎まれてか足止めのため周囲の地域から募兵後ゲリラ戦展開。

そこで本来文官で傍流皇族の劉秀が、うっかり雷雨の日に敵宰相を殺してしまってさぁ大変。
敵は虎の子の精兵が一気に瓦解するわ、従軍してた対異民族戦での歴戦の名将が散り散りに逃げて
分断された地域に逃げ込むわ。
味方は劉秀の兄の発言力が強くなりすぎて兄が粛清されるわ、そのごたごたで洛陽奪取を赤眉に先越されるわ。
予想外過ぎて敵も味方も大混乱に陥れてしまった。

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 12:09:29 ID:iI+QVGP9
宮城谷の今連載してるやつがちょうどそのあたりやってたような

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 12:35:48 ID:iz8X6d5W
また、完璧超人って感じ?

413 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/21(日) 12:57:53 ID:zu2BFfRz
そーなのかー

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 13:09:13 ID:iI+QVGP9
完璧超人であるということが、たれの辜であると言えるのか

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 13:44:36 ID:XJeSkVtC
>>399
みんなみんな♪親戚なんだ♪甲斐源氏な~ん~だ~~♪

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 16:10:54 ID:saAd/65U
ヤケクソで突撃?
こ、これは焼き味噌じゃ!!

『土気古城再興伝来記』より、上総酒井氏の出世話

2010年11月22日 00:00

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 16:43:24 ID:2hWSh0ji

上総国に酒井小太郎定隆という男がいた。
元々は遠江国の土豪だったのだが、知行が少ない事を不満に思い、戦乱の続く関東
で一旗挙げようとわずか三人の従者のみを連れて下向。鎌倉公方・足利成氏に仕え
たのだと言う。
しかし、公方家は鎌倉を追われ古河に逃亡。出世が望みであった定隆はそれを期に
足利家を見限り、上総国に渡った。

当時の上総国は安房国の里見義豊の支配下にあった。
諸国を見聞した浪人として義豊に面会した定隆は、各国の軍法や見聞きした戦の詳
細、大名の評判等を余す事なく義豊に披露し、その功で家臣に取り立てられる。

その当時上総を制したばかりの里見家は、下総からの執拗な攻撃に悩まされていた。
新参の定隆はまず、下総勢との最前線に投入される事になる。
この戦で定隆は活躍。上総、下総の国境地帯を押さえ、これ以上の敵の侵入を防ぐ
事に成功した。

これに喜んだ里見義豊・義弘の両将は、定隆に上総国の三分の二を任せる事にし、
越中守の名乗りを許した。
定隆は当時寂れていた土気の古城を再興してそこを居城と定め、上総を治めたと言
う。

大永元年(1521年)八十七歳になった定隆は土気城を長男・左衛門佐定治に譲り、
出家&隠居。隠居城となった東金城は後に三男・孫五郎隆敏が相続する。
これにより上総には土気・東金の両酒井家が並立する事になるのである。


『土気古城再興伝来記』から上総酒井氏の出世話。
通説では定隆は美濃国出身で、幕府の軍に従って下向。幕府から鎌倉公方家に乗り
換えて、成氏の命によって上総北部を平定した、という事のようですね。

この『土気古城再興伝来記』、中々面白い逸話が載っているんですが、あまり長文
なのも、連投での大量投下も、ウザいと思いますので、一日一~二話位のペースで
投稿させていただきます。いい話、悪い話合わせて計六~八話位かと思われますが、
よろしかったらお付き合いください。

……一つだけ言わせて貰おう。里見義弘はあからさまに年代が違うだろ!




418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 19:10:52 ID:88qvFQ00
>里見義弘はあからさまに年代が違うだろ!

里見の謎だね

419 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/21(日) 19:14:35 ID:djmKJfZM
http://stat001.ameba.jp/user_images/11/13/10130880841.jpg

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 20:13:05 ID:SIiAnx3i
>>417
連載是非にお願いつかまつる。

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 21:33:46 ID:XveU73MM
同名の別人じゃなくて?
伊達政宗だって9代目と17代目と二人いるじゃん

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 21:35:48 ID:4a70b2O8
島津家久なんて、ほぼ同時期に二人いたりするから・・・別に困らない。片方は、悪久の方で定着してるから

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 21:36:04 ID:OW74PhoH
後年、義尭に味方する義豊の息子だったりして

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 00:51:11 ID:b16A/BfL
河野通直に死角はなかった。

山伏の夢と黒田長政、鍋島直茂

2010年11月21日 00:00

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 01:41:27 ID:7vny0g+F

ある時、一人の山伏が黒田長政に面会を許され、こう言った。

「昨晩、黒田様が五ヶ国の太守となった夢を見ました。お目通りが許されるタイミ
ングでこのような夢を見たとは、間違いなく吉兆の霊夢かと思われます」

それに対して長政、

「おおそうか、そりゃ目出度い!そなたの夢の通り、五ヶ国を拝領したら必ずや祝
儀を与えよう!」
と応え、その場では何も与えず、面会は終わった。


数日後……

「昨晩、鍋島様が五ヶ国の太守となった夢を見ました。お目通りが許されるタイミ
ングでこのような夢を見たとは、間違いなく吉兆の霊夢かと思われます」

佐賀城で同じ事を言う山伏の姿が。
その言葉を聞いた鍋島直茂

「そりゃ良い夢だ!真に目出度い!おい、祝儀として金を包んでやれ!」
と、金百疋を山伏に与えたという。


「殿……よろしかったので?あの山伏、筑前の黒田家でも同じ事を言っていたと聞
いておりますが……?」

山伏が退出した後、恐る恐る直茂に疑問をぶつける家臣。

「よいのだ。我々が弓矢を取って生活を立てるように、皆それぞれの方法で生活を
立てねばならんのだ。あの山伏は、あのような事を言って金を施してもらわねば生
きて行けぬのだろう?あの金子はあ奴に恵んでやったと思えばよい」


直茂さん、山伏の嘘を見破った上で、「物乞いに金をくれてやっただけ」と平然と
言ってのける。の巻。
突っ込み所としては数日前の福岡での出来事を何故佐賀の家臣が知っていたのか。
早耳デスネ?と言った所だろうか(笑)




378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 02:01:32 ID:gDmkp1VX
>>377
狼煙なら、3時間で伝わるし・・

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 02:39:54 ID:nN51s4Y9
>>378


380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 04:50:13 ID:Yvq3my9o
のろくないのに「のろし」、とはこれいかに?

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 08:01:10 ID:eFxm3Mvf
・・・<嘘くさいと思っても、その場で金子遣るくらいの度量がないから、うちのb・・・若殿はダメなんだよ。

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 08:12:11 ID:jxmb+j0T
これ、もしも勝茂さんだったら、どうなってたんだろう。金子を与えた事を家臣や奥さんから非難されて、
何も言い返せない図しか浮かばないが

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 12:49:00 ID:XIlMvHZa
どこも二代目は苦労するな

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 13:21:33 ID:Q7V1/wZB
「殿様が五ヶ国の太守に(略)」

毛利輝元「よーし、徳川征伐しちゃおっか」
家臣「お止めください!」

前田利長「今より睨まれるのー!?(((;゚Д゚)))ブルガタ」


伊達政宗「五ヶ国……?
そーだ、百万石もらってねー!!今からねじこむぞ!!!」


386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 13:25:38 ID:0mp2jpGY
>>385
なるほど、新年の恒例行事は本当は
毛利輝元「徳川征伐の用意は整ったか」
家臣「まだその時ではありません」
が正しかったわけか

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 14:10:21 ID:XIlMvHZa
五ヶ国てのが、ふと五州二島の太守思い出させた

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 15:38:36 ID:GI03jBwm
>>378
すげえな
昔の狼煙はずいぶん細かい情報を伝えられたんだな

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 19:46:00 ID:ucqWrv6w
乱数表を開発したのは山本勘助が起源ニダ

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 19:56:18 ID:vaRLvTYd
エチオピアなんかは通信手段に太鼓使ってたらしい
いろいろ考えるもんだな

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 20:52:45 ID:vU5A9Zud
>>377
なんか好きだね、この話。

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 23:39:17 ID:gDmkp1VX
>>388
赤、青、黄色、白、黒の組み合わせで表現できる

木村重茲の娘

2010年11月21日 00:00

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 17:36:11 ID:IuyHqysh
木村常陸守重茲には、その年13歳になる娘がいた。
彼女は木村自慢の娘で、木村の主君、豊臣秀次からも成長すれば側に置くよう
所望があった、とも噂されるほど、輝くように美しい少女であったと言う。


文禄4年(1595)。秀次事件があった。

関白豊臣秀次は切腹。秀次の家臣、関係者も次々と粛清を受ける。
秀次重臣木村重茲も、連座により切腹した。

さてこの時、木村重茲の母、妻、そして娘は越前にあった。
彼女らは重茲が死ぬ前密かに遣わした野村静六という少年の報により、
秀次事件と重茲の切腹を知る。

野村はそれを伝えると、
「賤しき者の手に掛かり御一門の名誉を汚す前にどうぞ、ご決断を。
私は先に行っております。」

と言うや腹を十文字に斬って果てた。

木村の妻、これを見て守刀を取り出し自害。
木村の母はかねてより親しい僧侶を呼び、金品を与えて後の一門の弔いを頼むと、
また、自害。

木村の娘だけは乳母が殺すことをためらい、密かに連れ出し、逃げた。


娘は乳母と共に山の中に逃げ込んだが、もとより蝶よ花よと大切に育てられた娘である。
険しい山道に足からは血が滲み、岩山に踏み迷い、獣の声に怯え、そんな道を夜もすがら歩くうちに
すっかり疲れ果て、
「こんな苦しい思いをするなら、母上たちと共に死んだほうが良かった。」
そう思い、どこか深い淵に身を投げて、母上たちの後を追おうと、乳母から離れ
川を求めて谷伝いに降りて行った。

その頃、ようやくに夜が明けた。

娘は、夜明け前から山田に出て作業をした百姓が帰るところに出会した。
彼女は叫んだ

「私は道に迷った者です!どうか吾が家までの道を教えてくれませんか!?」

百姓は「お安いことです、どうぞ私の後を付いてきてください」と快く言い、
娘は喜んで、転げるように百姓の後を追った。
こうして娘は、元の家に帰りついた。


家には、京より秀吉の派遣した捜索の者達がいた。


娘はその場で捕縛、京都に連行された。
そして罪人として三条河原において磔にされ、その遺骸を、朽ちるまで晒された。


木村重茲の、13歳の娘に起こった悲劇についての話である。




682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 18:23:19 ID:zLTlMaBn
ちょっとじゃない

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 19:49:24 ID:lV4E1B+r
嫌な・・・事件だったね

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 20:23:02 ID:gGUGe0kL
武家の娘なら覚悟もあろうに潔く自害しなかったばかりに恥をさらしたのか
しかしあたら若い娘をしかも美少女…
俺が百姓なら手をつないで逃げるところだ

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 21:03:09 ID:3l/Lfd24
秀次事件絡みは本当に陰惨だ

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 21:09:40 ID:JEgarUI+
信長秀吉家康と三英雄はみんな酷いこともしているけど、秀次連座の件は戦じゃないぶん一番嫌な事件だなあ

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 23:22:15 ID:6VRm9Ws0
仙千代丸 百丸 お十丸 土丸 御姫(以上秀次の子)

一の台御局 小上臈 お妻御前 お亀の前 お和子の前 山口将監娘 おチャの前 お佐子の前 お万の前

おなめの前 お阿子の前 お伊満の前 阿世智の前 小少将 左衛門後殿 右衛門後殿 妙心尼 お宮の前

お菊の前 お喝食の前 お松の前 お伊佐の前 お古保の前 お仮名の前 お竹の前 お愛の前 お藤の前

お牧の前 お国の前 お紋 東 お三 津保見 お知保



「葉隠」より三条河原の受刑者一覧 刑場のお触書等から書き写したと思われ

駒姫や木村の娘はどれに当たるのだろうか・・・

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 23:57:36 ID:4hPLnlUB
「お伊満の前」だそうだ。>駒姫
瑞泉寺の墓には「於伊萬ノ前」とあるそうだから、ひょっとして「駒」と書いて「いま」と読んでいたのだろうか。

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:23:28 ID:M4yaFFC1
つか秀吉の血縁はほとんどろくな死に方してないなあ

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 04:20:42 ID:yXt9f80q
>>689
日秀の三人息子は秀勝は陣没、秀次はアレで、秀保も秀次と同時期に変死
だからなぁ。

前田利家、子供の教育について

2010年11月20日 00:01

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/18(木) 21:55:14 ID:tFJEiQGt
前田玄以の嫡男は前田左近将監秀以といったが、この秀以の素行甚だ悪く、
親子は仲違いをした上、秀以は出奔し伊勢の朝熊山にて頭を剃って流浪した。

色々とこの親子の和解をさせようとした動きはあったものの。前田玄以がそれらを全く受け付けず、
ついにはこの親子不仲の事、豊臣秀吉の耳にまで入ってしまった。

これを聞いた前田利家は、このように評した。

「徳善院(玄以)は今の世の中に置いて分別者であると褒め讃えられているが、
彼の分別は間違ったものだ。

わしの息子である肥前守(利長)は若い頃、諸事素行について、それはもうわしの気に入らぬことが
多かったものさ。

しかしあいつを安土に置いた頃、わしは越前府中にあったが、そこから村井豊後、
近藤善右衛門、木村三蔵、小塚藤右衛門といった者達をみんな安土の肥前守の元に遣わし
行儀などを大いに教育させた。
また肥前守の語る言葉も、きちんとしたことを語るよういちいち気を使わせた。

そのため世間の評判も高くなり、信長様の婿として選ばれるほどとなった。
これは全て、我らの教育の結果である。

父が子をそのように悪く育て、親子仲違いし主君の耳にも入る、などと言う恥ずべき事態に
至ったのは、これはひとえに徳善院が無分別であったためである。」

この利家の言葉に周りの者達、何れもご尤もな事だと感じ入ったそうである。


前田利家の、子供の教育についてのお話。




658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/18(木) 22:20:02 ID:M5w3jjEn
教育の甲斐有ってティンコ丸出しできる漢になりました

659 名前:鬼武蔵[sage] 投稿日:2010/11/18(木) 23:13:30 ID:VBtVPcfr
ヒャッハァーしないとな

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/18(木) 23:56:43 ID:TO1NLHvm
某「腰抜けが何をぬかすか」

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 01:30:53 ID:W229jPBS
>>660
宗茂はスバっときりますな

最上義光、白鳥十郎謀殺

2010年11月20日 00:00

661 名前:1/2[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 01:30:33 ID:4a5suRdh
有名な話だけど全体を書いたものはまだ無いみたいなので投下

天正12年(1584)の事だという。

そのころ、出羽の支配をめぐって激しく争っていた最上義光白鳥十郎長久は和睦。出羽には一時的な平穏が
訪れた。が、白鳥は氏家尾張守などと密かに連絡をとるなど義光に対抗するための謀りをめぐらし、その
平穏も長くは持たぬと思われていた。
そんな時である

最上義光より白鳥に書状が届けられた。

『私は病にかかり重病に陥り、最早長くはない状況である。
このような私を哀れと思うのなら、とうか十郎殿と対面し、我が領地の後々のことをお頼みしたいのだ。
そしてわが子修理太夫が成人するまで、我が最上家の系図も預かっていただきたい。
どうかお頼み申す。』

これはつまり、自分の死後最上家の管理を全て、白鳥十郎に任せたいということである。
戦うこと無くライバルが消え、その領地が手に入る!白鳥は大喜びで訪問する旨の返事をし、
日をおかずして山形城に向かった。

さて、白鳥が義光の屋敷に入ると、その中は非常に重苦しい空気に包まれている。
最上の家の子達は残らす屋敷に詰め、書院では清就院の護摩壇が作られ病気退散が祈られていた。
御座の間の次には最上一門の者達が集まり、義光の病状の重さに深刻な表情を浮かべていた。

白鳥十郎は普段ならもっと用心深いのだが、この様子を見て『義光はたしかにもうすぐ死ぬのだ』と思い、
その哀れさに思わず涙ぐんだ。

そして白鳥は最上義光と対面する。
義光はもはや立ち上がることも出来ず、床に臥せったままであった。

弱々しい声で義光は、白鳥に話しかける

「あなたに直に言っておきたいことがある。どうか近くまで寄ってもらいたい。」

白鳥が枕の近くまで顔を寄せると、義光は白鳥の耳元でつぶやく

「今まであなたと音信が無かった事は、私の本意ではありませんでした。
これからはどんな事でもお心を置かれること無く、いつでも言ってきてもらいたい。」

そして枕から頭を上げ

「私がこのような哀れな体であなたをもてなそうとしたのはな、十郎殿、いつ死ぬかもわからぬ以上、
息のあるうちにあなたとの対面を果たしたいと思ったからなのです。
私が死んだあと、ここには他方から攻められること間違いないでしょう。
その時はどうか、この最上家のことを全てあなたに頼み入りたいのです。
そのためこの最上家代々の系図、息子修理太夫の成長まで、あなたにお預けいたしましょう。」


663 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 01:31:40 ID:4a5suRdh
白鳥は渡された系図を三度押しいただき、『これで私が出羽の主人となったのだ!』との色が
その顔に見えたとき、


義光、枕の下に隠し置いた重代の太刀を取り出しそのまま白鳥を抜き打ちに、斬る!
剛勇の誉れ高い白鳥十郎、このとき真二つとなって死んだ。

広間には馳走を出されていた白鳥の共多数がいた。
奥より太鼓の音が鳴る。合図。
かねて討ち手を申し付けられていた者達、三方から斬りかかり、一人も残らず討ち取る。

すぐさま法螺貝が鳴る。

熊澤主税助、高橋主計、志村藤右衛門、最上家の侍大将たちが準備万端、兵を率いて集まる。
その真中で鎧兜に身を固めた最上義光、ゆらりと愛馬にまたがると、かつての白鳥勢力圏、
寒川に向かって、駆けた。


最上義光の出羽統一の端緒となった、白鳥十郎謀殺事件のおはなし。




664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 01:57:36 ID:ibyVPa6s
なんつーか、ここまで演出しなくてもいいじゃん、って気がするなー

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 11:58:31 ID:ElWpXHsz
宇喜多直家が>664の家の前に茶室を建て始めました。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1764.html

日本各地の畠山さんと遊佐さんのお話

2010年11月20日 00:00

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 13:48:18 ID:dYb2g0gt
室町から戦国時代にかけ、源姓畠山氏の守護代として栄えた一族に遊佐氏があった。
14世紀に畠山高国が奥州探題として出羽国に入国した際、その家臣となった一族である。

さて戦国時代には、室町期の栄華の名残として畠山氏には全国で大きく三つの流れがあった。
一つは総領家である河内畠山氏。
一つは河内畠山氏から別れた能登国守護畠山氏。
最後に本来は畠山一族の総領家であったはずの陸奥国二本松畠山氏である。

この三家はいずれも旧態依然とした体制のまま戦国時代を乗り切ることができず、
それぞれ大名家としては滅亡の道を歩む結果となるのだが、その末路は概ねこんな感じである。

●河内畠山氏
早くも文安年間には実子vs養子のお決まりの構図で内乱を起こし、応仁の乱の原因となる。
長期化した相続争いで大きく力を殺がれて戦国時代後期には家中の主導権を握りきれず、

内乱に勝利した尾州家でも末期の当主の畠山高政、昭高兄弟は半ば家臣団の傀儡であった。
兄高政は三好氏の進出とそれに通じた『遊佐長教』の専横に悩まされた挙句、
三好氏を逐って入洛してきた織田氏に下った後に長教の子『遊佐信教』に追放されている。
その高政の後釜に担がれた弟・昭高も、織田氏の力を借りて信教排斥を企てた結果、
三好氏に通謀した信教一派によって逆に殺害されて大名河内畠山氏の滅亡を迎えてしまった。

●能登畠山氏
戦国時代中期までは名君・義総のもと安定した栄華を誇っていたが、
その子である義続の時代には家督争いに敗れた叔父が一向一揆を能登に引き入れるなど、
一気に家中の不安定化が進んだ。
天文末年から弘治年間に掛けては七尾七人衆と呼ばれる重臣団の権力闘争で七尾城が焼かれるなど、
もうしっちゃかめっちゃかの状態である。

権力回復を狙う義続・義綱父子は温井総貞と三宅総広の勢力を弘治の内乱で撃滅したものの、
そのために一度追放したものを呼び戻した『遊佐続光』の謀叛を受けて国外追放の憂き目に遭い、
以後二度と能登に返り咲くことはなく。
跡を継いだ義綱の子や孫たちも遊佐続光と長続連の権力闘争の巻き添えで次々と死亡し、
織田信長に従属した最後の当主春王丸も疫病で倒れて大名としての能登畠山氏は滅亡する。
その後、遊佐続光らはクーデターで親織田の長氏を滅ぼし上杉謙信に降服するが、
謙信没後に能登に侵攻してきた織田軍によって続光・盛光父子は斬首されている。

●二本松畠山氏
本来の総領家ながらも幕府からの役職もなく、領地も二本松周辺のびびたるものであり、
ただの国人領主に過ぎない存在だった二本松家は戦国期初期から伊達家の影響下にあった。
伊達洞中の空中分解が進むと畠山義国は蘆名家に接近して伊達輝宗と対立する路線を打ち出し、
その子である義継は父の路線を継承して蘆名家に服しつつ、同じく蘆名陣営の大内定綱と姻戚を結ぶ。
この姻戚が仇となり、天正十二年に伊達政宗の怒りを買って定綱が敗走すると二本松も標的となり、
その降服交渉が拗れて義継による輝宗の拉致と両者の殺害、二本松攻囲と佐竹蘆名等の連合軍の来援、
そして人取橋に至った経緯は言うまでもないところ。

さて人取橋の合戦の結果、幸運にも引き分けを拾う形となった伊達勢は二本松の反撃を受けるのだが、
被占領地域奪回を狙うこの反撃は本格化する前にあっさりと終息してしまった。
というのも、引き続き二本松を狙う伊達成実らの誘降工作に我先に応じる重臣が続出し、
攻撃続行どころか二本松での持久すら不可能になってしまったからだった。
中でも二本松に残された支配地域でも最前線を担う『遊佐丹波守』『遊佐重勝』らの寝返りは深刻で、
遊佐兄弟の居城であった田子屋館は渋川城として成実の二本松攻撃の拠点になってしまった。
結局二本松国王丸とその後見新城弾正はこれで抵抗を続けるだけの戦意を失ってしまい、
相馬義胤の調停を受けて二本松を開城、蘆名領へ亡命することとなってしまう。

ちなみに遊佐兄弟はそのまま伊達成実の家臣となり、特に弟重勝は成実とは馬が合ったようで、
のちの成実の伊達家出奔と帰参にも行動を共にしている。


以上、日本各地の畠山さんと遊佐さんのお話。
或いは遊佐さんが畠山さんに同時多発テロを仕掛けたお話。




667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 14:08:02 ID:6DOCOnP7
初歩的な質問だが、各地の畠山家に仕えた遊佐氏って親戚同士?

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 14:15:36 ID:2/umWVRG
一応、畠山氏の進出に従って出羽の遊佐氏から分かれた同族のはず

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 21:39:24 ID:z4QOYvGg
>>668
長男、次男と別々の家を建てるからね。
済む場所も、河内、能登と分かれる。

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 22:56:52 ID:k7gDckPq
どっちも似たような悪党だから笑える

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 23:35:05 ID:nFgw74Gn
血は争えんね

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 23:37:46 ID:4a5suRdh
畠山氏の歴史は殺伐としすぎてる。
特に応仁の乱の直接の原因と言っていい畠山義就と畠山政長!
この二人のうちどちらかが生まれていなかったら、戦国時代は起きなかったと断言ていい。

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 23:47:47 ID:c1uBjkqj
戦国時代が来るのが50年遅れた位の感じじゃね?

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 00:05:01 ID:mjTOLHYu
義就の方かなぁ、生まれなかったら……と思うのは
政長は人並みの人間に人並みのプライド持ち合わせているだけで
周囲に振り回されてる感がある


675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 00:29:10 ID:IuyHqysh
義就が化物じみた名将なのが又、応仁の乱やその後の両畠山の戦争が
にっちもさっちも行かなくなる理由になってしまったりねえ。

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 00:34:07 ID:nN51s4Y9
義就って日本で最初に水攻めしたんだっけ

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 00:41:22 ID:Z3U2s3uf
義就はよくもまぁ天寿を全うして死ねたもんだよ。

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 00:52:09 ID:IuyHqysh
義就は領地の独立割拠や城下町形成など、日本で始めての戦国大名化を志向していた節もある。

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 01:34:09 ID:mjTOLHYu
義就にはそこまで名将というイメージはないが
細川の大軍が居なくなった時にサッと湧いて河内を荒らし回る
→細川の攻撃に晒されて耐えきれずに落ちる
これの繰り返し

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 16:22:13 ID:LUkrCdpr
>>679そして細川の被官だった三好……

三好の被官だった松永……