「ガハハハハハハハハ!!」

2010年12月31日 23:02

43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/31(金) 16:57:13 ID:O3ShwE8j
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4631.htmlの後、
徳川家康の勘気は解かれ、榊原康政を始めとする上田合戦への参加者は、謹慎状態から開放された。
康政のもとには、友人の本多忠勝井伊直政が訪れ、祝いの酒宴が開かれることになった。

「しかし、このたび康政殿が、身も省みず大殿を諌め、御父子の仲を修復したる事、徳川家のため…いや、
天下のためのお働き。いかなる勲功にも勝りますぞ!」
「ふふん、そうか?」
“幼にして沈静”と言われたさすがの康政も、年下ながら自分より所領の多い直政に持ち上げられ、気を良くした。

「だがのぅ小平太よ。直政の言う事もっともだが、わしには一つ心得ぬことがある。怒らずに聞いてくれい。」
「なんじゃ、平八?わしとお前の仲じゃ、遠慮なく言ってみろ。」

康政にうながされた忠勝は、神妙な顔をして、話を続けた。
「うむ。こう言っては何だが、われら三人、『徳川にその人あり』と天下にその名を知られる身よ。」
「…まあな。」
「そのお前が、佐渡(本多正信)の後ろに控えておったのが心得ぬ。お前ほどの男が、先頭切って上田城に
バーッと乗り込み、ガーッと崩せば、関が原の陣に間に合い、大殿に怒られずに済んだのではないか?」

「……………」
「い…いや忠勝殿、それはですな……」

それ以前に、康政や正信は上田城なんぞ放っておいて、さっさと中山道を進みたかったのである。
だが、秀忠や若手が血気に逸ってそれを許さず、康政らはせいぜい真田にスキを見せないようにしたり、
深入りをしないよう戒めるしかなかったのである。そういう立場なのである。

ついでに言えば、康政・忠勝ともにこの時52歳。上野館林10万石と上総大多喜10万石の大名格であり、
そろそろ孫の一人や二人生まれている立場である。いい大人なのである。

「…でも、忠勝殿はこれでいいんですよね。あははは……」
「そうだよな、平八は変わっちゃダメだよな!ハッハッハッハッハッハッ!」
「?おう、そうだろうとも!ガハハハハハハハハ!!」

三人一同に打ち笑い、その夜は和やかに宴の時を過ごしたという。




44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/31(金) 17:12:03 ID:u2v4eWAV
『徳川にその人あり』と天下にその名を知られる三馬鹿トリオに見えてくるから不思議!

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/31(金) 17:13:38 ID:IOseUWVO
うわっははははははははは

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/31(金) 18:07:53 ID:lrHtuvjp
ヤバイ、全然面倒臭くないwww

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/31(金) 18:43:22 ID:11ix+aVI
つか若手が血気盛んになったのって武功あげたいからなんだから康政があげたら余計こじれるような…

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/31(金) 20:49:38 ID:skdbaA+B
そうなんだよなあって三人で笑ってうやむやにするパターンもあるな
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「さても聞こえし弥平次の」

2010年12月31日 00:01

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 21:25:24 ID:qYHr6L2Z
秀吉の小田原攻めに従い、伊豆韮山城の包囲に参加した森忠政の軍が竹束など備えていると、誰が言い出したのか、
「間もなく城から討って出るので、みな本陣へ退いて、戦うべし。」
との噂が流れた。噂を聞いた森家の兵たちは、われ先にと竹束の備えを捨てて退いていった。

「情けなや。先代がご覧になれば、何と言われるか・・・」
味方の体たらくにタメ息をついた森家の家老・各務兵庫助元正は、長刀を杖にして五十路を迎える身を引きずり、
みずから前線に立つべく足を運んだ。

「ん?あれは弥平次か?」
無人と思われた竹束の備えの中に数十人の兵がおり、一人の侍が檄を飛ばしていた。鉄砲頭の若尾弥平次であった。

「下知なくば、ここを去ってはならぬ!下知に従わぬ者は、後で罪に問う!」
檄にも関わらず何人か退いた雑兵もいたが、弥平次の意気は衰えない。
「よいか、城方が来たら時分を見てわしが合図するゆえ、一斉に撃て。その後、わしが一番槍を入れてくれるわ。」
「おーい・・・」
槍をしごき、手に唾して気合を入れる弥平次に、どこからかやって来た同僚の右京が声をかけた。

「何とは無しに、みな退いてしもうた。わしも退こうと思ったが、あまりの心許なさに戻ってみれば弥平次、
おぬしが居るではないか。どうするつもりだ?」
「どうするも何も、他人はどうあれ、わしは『退け』との命を聞いておらん。ましてや、殿より先陣や鉄砲など
預かる身が、事の実否も確かめずに退くわけにはいかぬわい。お前も槍持つ身なら、腹を決めい。」

「その言葉、もっともじゃ。」右京は弥平次の近くに来ると、その横に自分の槍を置いてしゃがみこんだ。
「おい、何じゃそれは!敵が来れば、その槍でわしを転ばし、己が一番槍せんとの心得かっ!!」
「そ、そんなつもりはないっ!」一喝された右京は、あわてて槍を引き上げた。

「うむ、それで良い。戦場では味方といえども気が立っており、些細な事で災難に会いかねん。注意せい。」
「いやあ、すまんすまん。それにしても弥平次、おぬしは本当に動じぬのう。」
「先陣においては『天狗の雑説』と言って、噂によって聞き崩れ・裏崩れを起こす場合がある。
およそ前線を預かる身は、物事を静かに聞き届け、進退すべきものだ。覚えておけい。」

「さても聞こえし弥平次の言葉よ。」
後ろで黙って様子を見ていた元正は、目を細めて微笑み、本陣に帰っていった。

若尾弥平次、十八歳で森長可より感状を授かったのをきっかけに、頭角を現した男だという。




26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 21:43:39 ID:RNPfTcUl
弥平次は凄いベテランっぽいけど若尾氏は本能寺後の東濃征伐の時の降将なのでまだ20代中盤ぐらいのはずw

27 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/30(木) 21:44:21 ID:mmcAw9aP
Coolですな

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 21:55:57 ID:uFPUDKh4
なんとかしてよかがみえもんの話かと思った
[ 続きを読む ]

甲州征伐の論功行賞で

2010年12月31日 00:00

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 02:02:19 ID:n7pNbJxD

織田家の甲州征伐によって武田家が滅ぼされると、信長の手によって論考恩賞がな
された。
中でも徳川家康は「長年武田家の圧迫を支え続け、この度も駿河&甲斐南部を素早
く平定した事は大きな手柄である」として、駿河一国を与えられた。また、甲斐国
巨摩郡を与えられた穴山梅雪も徳川の旗下として添えられた。

しかし家康は、
「私の元には前の駿河国主・今川氏真殿が身を寄せております。彼に駿河を与えれ
ば、国人衆もなびき、駿河は安定するのではないでしょうか?」
と提案。
信長はそれを聞いて、
「お前には功があるから駿河を与えると言っているのだ。氏真に何の功がある?何
の能がある?お前がいらないと言うなら、駿河は俺に返上せよ。それが筋だろう」


氏真も徳川の客将としてちょっとばかり働いておけば、信長の扱いも違っただろう
にね。
ちなみにこの武田攻めのちょっと前までは、家康の下で城主などを務めていたよう
ですね、氏真さん。
が、武田攻めの際には何をやっていたのかまったく不明。手柄どころか消息すら良
く判らないという状態のようです。




217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 02:15:52 ID:sfNRkI8a
>>216
ええとね、氏真さんは長篠のあと信長から、対武田の調略を任されたの。
でもその調略は武田家中の旧今川家臣からすら

「こんな調略受けるわけないっていうwwww
俺らは勝頼様に忠誠を誓うっていうwwwww」

と馬鹿にされる始末。そこで信長は氏真を担当から解任。(このとき氏真にくっついてた
今川旧家臣団も遂に解散した)
新たに対武田調略を、遠江の回復に集中していた家康に任せると、家康は
武田の駿河支配のトップである穴山梅雪の一本釣りという離れ業を成功させたわけですな。

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 08:35:28 ID:RNPfTcUl
おお・・・もう・・・

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 08:51:24 ID:D85i/KHf
おお、さすが海道一の弓取りの二つ名を継ぐ物…

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 09:50:07 ID:j4Pe7d33
氏真様だって海道一の鞠取りなのに・・・

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 10:27:04 ID:sfNRkI8a
氏真の本当に凄いのは、対武田調略担当を解任されて牧野城を追い出されると、
その足で家臣連れて浜松の家康のところに行って

「しばらく世話になるよ!」

って平然と世話させたところだなw
まああっさり世話しちゃう家康も家康なんだけど。
居心地が良かったのか、京に出るまで10年くらい家康の下で居候暮らしていたらしい。

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 10:37:12 ID:kCfFoEQZ
人望無い!節操も無い!wwww

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 10:57:29 ID:L/i8jI2D
氏真は不感症

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 11:16:37 ID:BsCUdzL3
なにげに氏真と家康はウマが合ってたのかもね。
後の小説とかでおもしろおかしく描かれただけで。

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 11:28:26 ID:gMbimw+n
氏真さん、きっと人質とか興味もなかったから竹千代さんは悪い印象がなかったんじゃないかな~

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 12:16:58 ID:eaRzKf7j
かつての主君の息子で、全部を失った氏真をいまさら討っても評判落とすだけだし
無能だから策謀も出来んだろうし
人望も無いから担ぎ上げる奴もいないし…

…とりあえず無害だから世話しておいていいんでね?
もしかしたら超運良く役に立つ可能性もごくわずかに残ってるし

と家康が考えても否定できない

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 12:19:47 ID:KP/qTS7c
全く使い道がないと思ったらそりゃ放り出すよ。
ま、結局役に立てる機会は来なかったわけだがw

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 12:42:52 ID:6Z5Nby31
>>227
今川家というか品川家を高家にしてまあ権威付けにはなったんじゃないか?

氏真が見事な働きで駿河を回復&穴山梅雪をゲット
本能寺後には梅雪の手引きで甲斐や信濃に進出し、対家康・対北条の睨みとなって秀吉に厚遇される。
北条滅亡後は早川殿の縁から北条の旧領を得て六大老の一人に収まり
ついには東軍総大将となって天下への道を…みたいな架空戦記ってないかな。

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 13:01:01 ID:eaRzKf7j
氏真がそこまで有能だったら今川家は滅んでねーよ

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 13:08:06 ID:jeyKGsMa
家康の家臣の中には、氏真に恩義を感じてる人も恨みを持ってる人も両方いるからね
家臣団に加えずに、適当に養護するってのが微妙な線だったのかも知れない

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 13:20:39 ID:7LyAThY4
家康は今川家人質時代はけっこうよくしてもらったみたい。

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 13:32:18 ID:wd+btQio
氏真公胆力はともかく個人的武技は達人級だったらしいから
幼い竹千代に手ほどきしてやったと妄想する。

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 13:45:31 ID:jeyKGsMa
幼い竹千代に手ほどき…(*´Д`)ハァハァ

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 15:09:06 ID:8747H0z5
>>232
信長における斯波家みたいなもんなのかなあ?

血塗られた蒲生氏前史

2010年12月31日 00:00

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 14:42:06 ID:RNPfTcUl
血塗られた蒲生氏前史


蒲生氏14代当主、蒲生貞秀には秀行、高郷、秀順という3人の息子がいた。

年老いた貞秀は情勢不安な近江の勢力として生き残りを賭けて長男秀行に蒲生氏の家督を譲ると次男高郷を
六角氏へ、三男秀順は細川家へと仕えさせる。
しかしながら長男の秀行は父に先立って早世してしまい、貞秀は新たな後継者の指名を迫られた。
そこで真っ先に名乗りを挙げたのが・・・

高郷「兄の子である秀紀はまだ幼少の身でございます。私にお任せください父上。」

次男の高郷である。しかしながら貞秀は了承せず嫡孫である秀紀を後継者に指名した。
そして1513年に貞秀は死去。正式に秀紀が蒲生氏の家督を継ぐことになったのだが、
高郷はここに至っても所領の配分に不満を漏らすなど全く納得していなかった。

この後、高郷は六角家臣としての足場固めに腐心し始め、息子定秀の嫁を六角氏家臣の名家
馬淵氏(佐々木氏庶流)から迎えるなど血縁の結び付きも持った。
長い年月をかけて六角氏当主である定頼の信任を得た高郷はついに長年胸のうちに燻っていた野望を実行に移す。

高郷「秀紀を討ちます。定頼様も力をお貸しください。」

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 14:43:57 ID:RNPfTcUl
六角定頼としても秀紀を廃して蒲生氏を本流ともども配下に取り込むよい機会であると考えこれを快諾した。
1522年8月、蒲生秀紀の篭る音羽城は蒲生高郷と六角定頼の軍に攻囲され、8ヶ月に及ぶ籠城戦の末に
秀紀は定頼の呼び掛けに応じて降服した。
これにより秀紀は蒲生家の家督を高郷の息子である定秀に譲らされた上に音羽城を退去させられ、
同城は廃城となっている。(日本最古の城割と言われる)

しかしながら家督を奪われた秀紀はこの理不尽極まりない一件にもちろん納得がいかない。
新たに鎌掛城という要害の堅城を築きそこを居城としていた。
一方、家督を簒奪したものの完全に二つに蒲生家が分裂してしまった事が高郷・定秀親子は不満であった。
高郷らは鎌掛城の秀紀の抹殺を決意する。

1525年12月。蒲生親子の刺客である禅僧、祥善に毒を盛られた蒲生秀紀は苦しさに悶えながら腹を切り裂くと
池に身を投げて息絶え、
鎌掛城も定頼の名によりわずか3年で廃城処分となった。
これにより蒲生氏嫡流は断絶し高郷-定秀流が蒲生氏の嫡流に成り代わったのだった。

後に92万石の大大名となる蒲生氏郷は定秀の孫に当たる人物である。




週刊ブログ拍手ランキング12/22~/29

2010年12月30日 00:02

12/22~/29、今年最後のブログ拍手ランキングです!


宮下藤右衛門の上意討ち 71

渡辺半蔵、三方原の撤退にて 59

三好長慶の作法 53
新納忠元と島津義弘、ちょっとお行儀の悪い話。 41

文禄4年のスキャンダル 40
堀直政の心構え 38
慶長17年、駿府城下の喧嘩顛末 32

境与三右衛門春時と羽柴秀長の合戦 30
戦国時代からアナタの頭脳に挑戦!! 29
金子さん平常運転中、の巻 28

『五霊鬼』 25
「三十郎お前、そりゃ嘘じゃろ?」 24
「最も心構えの立派な武士は誰か?」 23

加藤清正、増田長盛と絶交す 22
『 難波の霞 』 20
山県昌景の秘訣 19

昔、土佐の山内家が幕府から 16
鷹、鷲、雉 15
合計 1067


今週の1位は宮下藤右衛門の上意討ち
「三十郎お前、そりゃ嘘じゃろ?」も今週のランキングに入った、
なんとも言えないいいキャラクター、祢津三十郎さんの逸話です。
断片的な逸話だけ見ても、三十郎さんのとぼけた性格が見えてくるようですね。
逸話には、こう言うキャラクターの発見があるから、面白いと思いますw

2位は渡辺半蔵、三方原の撤退にて
槍半蔵の三方原でのおはなし!内容としては普通に美談なのですが、その時の心理を身も蓋もなく
話してしまうのが三河者らしさでしょうか?よく言われますが三河衆のお話って、江戸落語の
登場人物のようですねw 江戸が三河の人間たちの強い影響下で作られた都市であることを、
少し思わせてくれます。

今回管理人が気になった逸話は、加藤清正、増田長盛と絶交すです!
よく小説やドラマなどでは、福島正則が直情傾向、加藤清正が思慮深く冷静、というキャラになりがちですが、
江戸期の軍記物などを見ただけでも、それは全然逆なんですね。正則はむしろ非常に思慮を(お酒さえ
飲まなければ)働かせる武将で、
清正は、この逸話もそうですが、感情に任せて後先考えない行動が多い人です。
それがどうしてこんなに、後世の印象がひっくり返ったのかw
そんな事をふと考えさせてくれる逸話でした。

さて、今年最後のランキングも、皆様から沢山の拍手をいただきました。
今年一年、本当にありがとうございました。

ブログの記事エントリ数も遂に、5000を超えました!本スレの皆さんにも心から、感謝感謝です。

皆様どうぞ良いお年を。そして拙いブログではありますが、来年もどうぞ、よろしくお願い致します。

まとめ管理人 拝

障壁画の大きさは

2010年12月30日 00:01

千利休   
11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 19:18:31 ID:qArgZ48m
前田利長細川忠興が、知人を連れて愛宕山へ参詣した。参詣の帰り、仁王門の障壁画を見ていた利長が
忠興に言った。

「どうじゃ越中!障壁画はこのように小振りで、細工が細かいものが見栄えが良かろう。」
「肥前よ、それは違う。障壁画というものは、大型で迫力あるものの方が良いぞ。」

二人は口論になり、麓に下りても未だ言い争っていた。
「いや、小さい方が良い!」
「何を言う、大きい方だ!」
「いやはや、楽しそうなお話ですなあ。」

「!ハ、ハハ…これはこれは……」
「申し訳ない、宗匠……」

ここで二人は同行の知人、すなわち千利休のことを思い出した。
「そ、そうだ宗匠!今の我らの話、どうか宗匠にもご批評いただきたい!」

「さて。お武家の話を、私などが批評するも僭越でございますが…お武家の話に例えれば、
馬の大きさや体格の大小で、勇士かどうかが決まるのでしょうか?」
「……ご意見、至極ごもっともにござる………」

のちに利長は側近との雑談で、
「わしは戦場など少しも怖くは無かったが、太閤殿下の御前に出ること、大徳寺の春屋和尚の前で座禅を組むこと、
そして利休宗匠の前で茶を点てること、この三つだけは怖かった。」と語った。




12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 19:27:36 ID:Dc4tBuOv
市松がびびるくらいだからな
しかし、千利休長身説が本当だった場合、この逸話の印象が変わるような

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 19:44:46 ID:wHwZo8xY
○○に恐れられた男 利休

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 19:54:58 ID:h23ODXU5
利休というと切腹前の最後の茶会は、徳川家康ただひとりを客とした、って話が
強烈に印象に残ってるな。

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 19:59:08 ID:+3t3Yv4c
>>14
その逸話、聞きたいです

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 20:11:23 ID:h23ODXU5
>>15
いや逸話というかそのまま。
記録上、千利休が行った最後の茶会は、利休切腹の年の天正19年(1591)、
徳川家康一人を客として招いたもの(利休百回記)、ってだけの話。
どんな茶会だったか何が話されたか、一切不明。

ちなみにこの茶会のために利休が自分で作った竹茶杓「泪(なみだ)」が、後で古田織部に
形見として渡された。

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 20:12:38 ID:FWKg+blQ
徳川家康と千利休って、接点がないようで割りと会ってたらしいね

家康が利休にうすーい味噌汁ご馳走して、
利休に「何このお湯?w お椀の底が見えるんだけどwww」なんて言われた話も残ってるし

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 20:20:45 ID:h23ODXU5
ちなみにテレ東の歴史ミステリーとかいう番組が、そのへんの
家康と利休の関係を超解釈して

「利休は実は家康のスパイで秀吉暗殺を狙っていたんだよ!!!」

「Ω ΩΩ< な、なんだってー!?」

という話をやってたw

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 20:46:22 ID:Dc4tBuOv
>>17
お約束だが、権現様手製の焼き味噌じゃなくてよかったじゃないか

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 20:52:21 ID:+3t3Yv4c
>>16
ありがとうございます
なるほど、茶会の記録が残っているけど、
なにが話されたかは残っていないと。
で、テレビ番組に勘ぐられたわけだw

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 21:53:54 ID:/N/4LqDH
秀吉死後の天下取りに役立ちそうな事とかは普通に言ってそうな気はするね、想像でしかないが

赤木城秘話

2010年12月30日 00:00

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 11:53:46 ID:lpv9p3f2
今に伝わる古い謡がある。
「行ったら戻らぬ赤木のお城、身捨てどころは田平子(たびらこ)じゃ」

太閤検地に激しく抵抗し頻発する大規模な一揆に、いよいよ疲労困憊した豊臣秀長は、
藤堂高虎らに城を築いたうえでの一揆討伐を命じた。

後に、築城の名手と呼ばれる高虎は、なるほど小規模ながら恰好の砦となる立派な城を築いた。
さて、城は完成した。
その祝儀をのべるように公布され、土地のおもだった者たちも招かれた。
彼らは一揆の首謀者でもある。
一人ずつ奥に通された彼らは、そのまま捕らえられ、打ち首となった。
城の西方にある田平子峠に、さらされたその首は150とも300とも。

高虎在居の期間、ついに一揆は起こらなかった。
城の名は、赤木城。
田平子峠の道路工事の際には、多量の人骨が出土したという。

高虎信者にはへこむ話である。だれか慰めてほしい・・・




203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 11:56:17 ID:mUphlCBq
検地に対する抵抗はどこも激しかったみたいね~
まぁ、高虎さんならこの位のことをやっていてもおかしくはないんじゃない?

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 12:46:23 ID:Brn9MFHA
高虎の頓智の効いたいい話じゃね?

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 13:12:07 ID:CDjx4jSe
普通に武略ってやつやね

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 13:14:58 ID:s5Lc7aw4
百姓は可愛いことなり。


207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 13:16:34 ID:aEJaRUAU
築城より相撲大会の方が明るくていいよね

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 13:21:15 ID:H6lXtSqQ
戦争で正々堂々(?)とぶっ殺すぶんにはいいけど、こういう風にだまし討ちで一方的な虐殺はちょっと引くよなぁ
まぁ大なり小なり皆、似たことをやっていたんだろうけどさ

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 13:34:49 ID:rifB0KJy
>>208
信長、義光、幽斎「俺達、病気でもうだめかもしれんから、お見舞いに来てくれないか?」

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 13:49:41 ID:H6lXtSqQ
>>209
「わかったお見舞いを送るよ」と言いつつ羽織の下にフル装備をしている部下を入城させた半兵衛がry

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 14:07:07 ID:0XJ/CVAt
>>208
ちょっと弟の葬式始めるんで人集まると思うけど気にしないでね

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 14:09:40 ID:BmYoqnoO
>>209
「病とおうかがいしたのでキビ団子を送りました。一杯食べて元気になってね!!
                                               なおいへ」

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 14:44:14 ID:rifB0KJy
信長w
絶対に舞ってないだろw

慶長元年、伏見大地震でのヒトコマ

2010年12月29日 00:00

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 10:43:25 ID:rJwOlQNG
慶長元年(1596)7月12日の夜、後世に言う伏見大地震が起きた。

太閤秀吉の居城伏見城も甚大な被害をうける。秀吉より謹慎を命ぜられていた加藤清正は、
被災した秀吉のもとに手勢300を引き連れいち早く駆けつけた。

そして清正は秀吉の許可を得て、警備のため中門に家臣の加藤博蔵、加藤與左衛門、
和田備中、大木土佐、小代下総、出田宮内といった者たちを置き

「この主計頭(清正)の許可を得ないものは、誰であっても通してはならない!」と命じる。

そのようにしている内に、石田治部少輔(三成)をはじめとした奉行の者たちが
登城してきた。三成は中門で止められると

「治部である。苦しゅうない、通らせよ。」

と言い放ち通り抜けようとした。ところが警備の者たち

「なんだと!?治部少輔などと言う者が、地震からこんなに遅れてやってくるものか!?
通すわけにはならぬ!」

と、三成の通行を拒絶。三成これに怒り

「天下において誰一人知らぬ者の無い、この治部少輔を知らぬ門番は一体どこの家中のものだ!?」

「加藤主計頭家中なり!!」

「主計!?主計は殿下より蟄居を命ぜられ御前を許されざる者ではないか!
それなのにこのように振舞うのは、一体どういう理由からか!?」
と、食って掛かる。

この時秀吉、この騒ぎを聞き

「治部が来たようだ。ここに通すように」と清正に言った。これに清正、警備の者たちに

「あのチビの悪口野郎を通せ!」
(かの背のちいさきわんざん(和讒:誹謗・中傷の事)ものめが通し候へ)

と命じ、三成はようやく門の内に入ったという。
そんな伏見大地震のヒトコマ。




181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 11:36:53 ID:sVOKSlyk
>>180
この話のせいで三成=チビで陰険、ってイメージになってるけど、遺骨調査によれば
華奢な骨格だが当時の平均くらいの身長だったんだよな。

まぁ陰険かどうかは遺骨調べても分からんけど・・・

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 11:52:54 ID:DFPaDCrw
悪口野郎はどっちだよ・・・これは駄目だろ

それにしても加藤方の悪口は具体的なものが多いのに、治部方は何を言ったのかよくわからんよな
チクったとかの話は多いがその内容が悪口なのか?
逆恨み・・・とかもありそうだが内容がわからんことにはなぁ

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 12:20:28 ID:IGGwBcno
こんな時鬼武蔵が生きていてくれたらなあ…
「よし、両方死ね。」で丸く収まったろうに
惜しい人を亡くしたもんだよ、ほんと

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 12:23:14 ID:1HTm7sbT
家康「すまん、わしが鬼武蔵を仕留めてしまったばっかりに
秀吉様の家臣らが内部分裂を起こしてしまうとは
くやんでもくやみきれぬのお」

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 12:48:04 ID:CT9e5yhZ
ちょっと、っつーか、結構悪い話だな。

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 13:20:52 ID:fuY8MJrS
>>180
何で謹慎処分になってたのか、多少気になるところだw

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 13:25:10 ID:DQmPWFZL
>>186
そこが気になってるのは、君だけだ

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 19:15:33 ID:dTdZkp8H
>>186
まあ、多少なりとも戦国時代に興味があるなら知ってる所だわな。

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 21:21:12 ID:l7RgHNwb
はーい、知ってます。
それから、どっちもどっちですが、清正くんはちょっと大人げないと思います。

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 21:23:57 ID:NqYQW4gz
>>186
ヒント:朝鮮征伐絡み。
ヒント2:書状で勝手に豊臣姓を名乗った。

ところで、清正ってなんで豊臣にしてもらえなかったんだろう?
実は秀吉にあまり重く見られてない?

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/28(火) 21:41:08 ID:JxyngBYh
豊臣氏相当ばらまいてるのにそこらへん不思議だな
家康とかも秀吉が生きてる間は豊臣朝臣徳川家康だったな

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 00:36:27 ID:uftchwiJ
しかし豊臣組の生徒は本当に仲悪いなww

織田組は先生怖いからみんな言うこと聞くし、
徳川組も面倒くさいけど、みんな先生大好きでいいクラスなんだが・・・。

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 01:01:20 ID:kKPZ4rUK
三成も豊臣氏じゃないよね?
ウィキペディアみたら三成の兄が豊臣氏貰ってるみたいだけど

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 01:31:35 ID:7Bf0fCtP
三成は結構秀吉に逆らっているから、そのせいかねえ。
どちらかというと、秀長が取り立てたっていう見方が強いんだっけか。

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 06:51:01 ID:gKFJJkPl
>>192
信長の顔自体はあまり怖くないんだよな
ttp://www.shouzou.com/mag/p2.html
現代でも通用する顔かもしれん

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 08:54:34 ID:RxID7/8A
ホクロまで書着こまれていて、最もリアルだと言われる報恩寺織田信長像
http://sugiue-t.s3.x-beat.com/cgi-bin/uploader/source/up1628.jpg
報恩寺信長像03

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/29(水) 09:29:59 ID:HiFOcu6i
サンクス
>>196の肖像画は初めて見た
>>195と雰囲気似てるし本人見て描いたのは間違いなさそうだな
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宮下藤右衛門の上意討ち

2010年12月28日 00:00

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/27(月) 19:44:13 ID:FNU0RgcN
ある日、真田家江戸屋敷に詰めていた重臣の祢津志摩守幸直は、主君の真田信之に呼び出された。

「おぅ志摩よ。国許の宮下藤右衛門が、大坂の弟に通じ、玉薬を横流ししておった。成敗したいが、あやつも聞こえし
強者だ。ここは、お前に討手を頼みたい。」
「せっかくの仰せですが、その儀は倅にお申し付けくだされ。」
「?三十郎にか?」
「はい。倅・三十郎、十七歳になりますが、鼠の首も取ったことがございません。ここは是非とも大事の場を踏ませ、
器量をご確認ください。」
「よかろう。三十郎を呼べ!」信之の前にまかり出た祢津三十郎は、上意討ちの命を謹んで受けた。


しばらくして後、上田から江戸にやって来た宮下藤右衛門は、さっそく信之のもとに報告に現れた。

「藤右衛門、大儀である。上田表は無事か?城中に変わった事はないか?」
「はい。国許に異常はございませぬ。」
「そうか!実は、お前について不審な噂を聞いてな。まあ、今日は休んで良い。三十郎、付き添ってやれ。」
「……はっ。」

藤右衛門に続き立ち上がった三十郎は、父の方へチラチラと視線を送ったが、幸直はにらみ返すばかりだった。
そのまま藤右衛門が廊下へ出た時、三十郎は動いた。

「上意である!藤右衛門、覚悟!!」
「小僧がっ!!」
藤右衛門が脇差に手をかけた瞬間、三十郎は飛び違いざまに斬りつけた。なおも逃げようとする藤右衛門に、三十郎は
返す刀で二の太刀を与え、崩れ落ちるその身体を押さえつけ、首を取った。

見事に上意討ちを果たした三十郎だったが、家中全体の評価は低かった。
「三十郎め、藤右衛門を斬った手並みは見事だが、親父殿の顔色をうかがい、にらまれてもなお、しばし動けなんだ。
肝が成っておらぬわ。今時の若い者はダメじゃのぅ。」

評価が変わったのは、この二人の会話の後である。
「志摩よ。三十郎、なかなかやるではないか。」

「はっ、有難き仰せ。それにしても、あの際に三十郎は『もう斬っても良いか?』と眼で訴えて来ましたので、
私も『殿の御前で万一の事あってはならぬ。部屋を出てからにせよ。』と目線を送りました。あやつはそれに応え、
殿の御座所を出た所で、仕掛けました。親の欲目ながら、場を外さぬ出来る男に育ってくれました…」




新納忠元と島津義弘、ちょっとお行儀の悪い話。

2010年12月28日 00:00

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 22:02:26 ID:gh/nWc7l
ちょっとお行儀の悪い話。

新納忠元島津義弘に茶を進上したときのこと、
柄にもなく緊張したのであろうか、落ち着きを欠いた進退を見せてしまった。
この事を義弘に見咎められると忠元、
「戦場ではこのような無作法、決して致さぬのですが・・・」
とらしくない言い訳をした。
これを聞いた義弘、
「おお、そうだそうだ。茶道の作法とはまことにやかましき物よ」
と膝を打って笑い、その後は二人して姿勢を崩してお茶をがぶがぶ飲んだとのこと。

島津義弘新納忠元、文武両道の誉れ高い名将であるが
実は堅苦しいことは二人とも苦手だったらしい。

まとめサイトの管理人さん曰く
>島津家において新納忠元さんのポジションというのは非常に特別ですね。これは後世においてもそうで、
>島津家中における君主の理想像が島津義弘なら、家臣の理想像は新納忠元さんとされていた節があります。
( http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4986.html )

とあるが、こういったおおらかな君臣関係も
義弘と忠元が理想の君臣とされた理由のひとつかもしれない。




171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/27(月) 00:09:29 ID:yUTmSb2G
(´・ω・`)「理想の主君とはまさしく僕のことだね」

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/27(月) 07:05:19 ID:hM+h53Fr
>>171
あんた誰だよ

「三十郎お前、そりゃ嘘じゃろ?」

2010年12月28日 00:00

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/27(月) 20:52:40 ID:FNU0RgcN
真田信之の家臣に祢津三十郎という男がいた。信之の乳兄弟であり、股肱の臣たる父に似て有能な男だったが、
発言がブレる事が多く、しかもそれを口から出まかせでゴマかすのが常であった。信之が三十郎と話す際は、
「お前、そりゃ嘘じゃろ?」(三十郎、夫ハうそにてハ無きか)というのが口ぐせだったという。

ある日、信之が側近たちを集めて言った。
「世も泰平となり、わしもそろそろ庭いじりなどやってみたい。庭石として置くに、ちょうど良い石はないか?」
三十郎が、これに答えた。「それならば、善福寺に良い石がありまする!」
「……お前ソレ、いつもの嘘じゃろ?」
「ウソではござらん!その証拠に、この事は植村何右衛門が良く存じております。何右衛門にお尋ねくだされ。」

やって来た何右衛門に、三十郎は問いかけた。
「先ごろ、わしとお主で善福寺の辺りに、鷹狩りに出かけたろう。その時、川端の少し小高い所で良い石を見て、
『この辺りに、これほど良い石はあるまい。』と話した事があったのう。」「はっ。」
「いかがですかな、殿?」
「よし、わかった。追って沙汰する。下がって良い。」「「ははーっ!!」」

信之が退出した後、何右衛門は三十郎に食ってかかった。
「先ほどは殿の御前ゆえ、つい答えてしまったが、拙者はそんな石の事など、覚えておりませぬぞ?」
「まあな。殿が『ウソじゃ』などと言うので、お主と鷹狩りに言った事を思い出して、名を出したまでよ。」

「け、結局ウソではござらぬか!殿が『その石を持って来い。』と仰せになれば、どうするおつもりかっ!」
「なァに、その時は『埋まっている部分が深くて掘り出せません。人手を出しますか?』とでも申しておけば、
お優しい殿のこと、『わが遊興のために、これ以上の人手は使えぬ。』とか言って、沙汰止みになるわ。」


またある日の事、信之のもとに大きな梨が献上された。さっそく信之は、梨を存分に味わった。
「美味いっ!これほどの梨は、この辺りでは食えまい。」
三十郎が、この声に反応した。
「味はともかく大きさなら、長井四郎左衛門のところの梨の方が大きゅうござる。のう、四郎左衛門?」

話を向けられた四郎左衛門が、「そうですな、このくらいはありますかな?」
手で直径五寸弱ほどの玉を作って見せると、三十郎は信之の方に向き直り、

「お聞きになりましたか。これほどあるそうです!」満面の笑みを浮かべ、腕で一尺余りの玉を作って見せた。
「……………!!」

日ごろ物事に動じぬ男として知られる四郎左衛門も、大いに驚き迷惑したという、
真田家で寿命が縮むのは殿様だけじゃない、というお話。




175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/27(月) 21:11:41 ID:6ctpxwy7
三十郎、いい話スレに話が上がったばかりだというのにw

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/27(月) 21:18:24 ID:wuPV4H9n
同じ人が投稿しているから
※いい話スレを先にお読みください
とでも書いとけばよかったんじゃ

「最も心構えの立派な武士は誰か?」

2010年12月27日 00:01

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 01:45:49 ID:BO82FvtZ
ある日、豊臣秀吉の御伽衆たちが議論を始めた。「最も心構えの立派な武士は誰か?」

「何と言っても畠山家の被官、三木牛之介じゃろう。」「おお、そうじゃ!牛之介がおったわ。」

三木牛之介は畠山稙長・政国に仕え、天文11年(1542)、河内太平寺の戦いで木沢長政軍へ一番槍を入れ、
天文16年、摂津舎利寺の戦いでも武功を表し、三好為三入道政勝に討ち取られたという剛の者である。


「牛之介はの、古式ゆかしい大鎧で身を固め、兜に五尺の鍬形を立て、その片方に

“運在天見敵無退”(運は天に在り、敵を見て退くこと無し)

と書き付け、もう片方に

“人は只 さし出ぬこそ よかりけれ 戦にだにも 先駆けをせば”

という歌を書き付けていたそうな。」
「ふむ、そりゃ確かに武士として天晴れな心構えじゃな。」


「なんじゃそんな歌、なーんも感心できんわい。」と言ったのは誰あろう、関白秀吉その人だった。

「大体そんな心得、昔の話じゃろう?わしなら、こうだ。

“人は只 さし出るこそ よかりけれ 戦のときも 先駆けをして”

今時こんな心構えでなければ、出世なぞ出来んぞい?」




986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 01:48:30 ID:uqoGHCGd
こういう秀吉のもとだから
加藤清正みたいなのが大出世できたのかもな

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 12:37:29 ID:eSQDgiLi
  南 大    // ̄> ´  ̄  ̄  `ヽ  Y  ,)   大 え
  北 鎧    L_ /              / ヽ  鎧  |
  朝 が    / '              '    i  !? マ
  ま 許    /               /    く    ジ
  で さ    i   ,.lrH‐|'|   /‐!-Lハ_  l    /-!'|/l   /`'メ、
  だ れ   l  | |_|_|_|/|  / /__!__ |/!トi   i/-- 、 レ!/ / ,-- レ
  よ る    _ゝ|/'/⌒ヽ ヽ/ '/ ̄`ヾ 、ヽト、N'/⌒ヾ    ,イ ̄`ヾ
  ね の  「  l ′ 「1     /てヽ′| | |  「L!    ' i'ひ}
   l は   ヽ  | ヽ__U,     ヽ シノ ノ! ! |ヽ_、ソ,     ヾシ _ノ
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄  |   〈     _人__人ノ_  i  く
人_,、ノL_,iノ!  /!ヽ   r─‐-  「  キ   L_ヽ   r─‐- 、   u
ハ キ  /  / lト、 \ ヽ, -‐ ノ  モ    了\  ヽ, -‐┤
ハ ャ  {  /   ヽ,ト、ヽ/!`h)   |     |/! 「ヽ, `ー /)
ハ ハ   ヽ/   r-、‐' // / |く  イ     > / / `'//

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 19:51:21 ID:RMrY86OH
刀剣収集マニアは当時も何人もいたが、大鎧とかへの骨董品的価値観は
当時はまだ早かったかのう。

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 19:57:42 ID:YK4CSP8Q
島津は現役で大鎧付けてたし骨董って感じじゃなかったのでは?

990 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/26(日) 19:59:58 ID:uAG8gc+W
全国的には大鎧から当世具足に切り替わったのは秀吉の天下統一以降らしいな。
江戸初期、って話すらあるくらいw

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 20:07:15 ID:uqoGHCGd
まあさすがに平安時代に活躍したような30kgある大鎧そのものを戦国時代に着てたとは思わないな。
戦国時代式に軽量化等アレンジして使ったんだろう。
大鎧は騎馬じゃないと力を発揮できない。鉄砲にも全くの無力だ。
[ 続きを読む ]

『五霊鬼』

2010年12月27日 00:00

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 00:12:21 ID:uAG8gc+W
『五霊鬼』

水野勝成といえば後年の名君ぶりと共に、前半生の野放図で無茶無茶な生き様も有名である。
勝成自信はその生涯に後悔はなかったようではあるが、それでも気にかかることがあった。
それは彼が殺した人々についてである。

といって勘違いしてはならない。彼は数えきれないほどの人間を戦場、およびそれ以外で
殺してきたが、その殆どについて気になどかけていない。ただ、そのうちの5人だけどうにも
忘れられないのだ。何故か

「いやあ、その五人を殺したのは、今考えても理不尽だったw」

殺した人間自身が、しかも勝成のような人間が理不尽というのだから、おそらくは想像を絶する
理不尽さで殺しちゃったのであろう。その為勝成は

「まあ、あれだけ理不尽に殺しちゃったんだから、あの5人はウチに祟っても仕方ないよねw」

などと言っていたらしい。

その後いつしか、水野家中では勝成が理不尽に殺した5人のことを、誰ともなしに
”五霊鬼”と呼ぶようになり、何か不吉なことが起こるたびに”五霊鬼の祟りだ”と囁かれたそうである。
のちに福山藩水野家が5代目で断絶した時も、”五霊鬼の祟り”と取りざたされたという。


水野家の五霊鬼、と言うお話





158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 00:15:12 ID:S9qHTVbA
鬼武蔵「その点、俺は理不尽に殺した奴はいないから、祟られることはないな」

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 00:21:25 ID:mVLzssMr
祟られる間もなく暴れまわってアッサリ逝ったからな、祟ろうと思ってた方々も拍子抜けしたろうなあ。

160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 05:22:28 ID:N7UiE+pV
祟る側は仕方無く桃の実にありったけの恨みを集めた模様

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 10:27:40 ID:MhPw796I
遊郭で遊ぶ金を軍資金から捻出しようとして
それを断った家中の重臣を逆切れして斬った、とか、
身持ちが悪いと舅に注意されたところを逆切れして斬った、
とかより理不尽な殺し方って一体何なんだろう。

>>159
むしろ子孫ではなく本人を祟った、数少ない成功例なんじゃないかしら。

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 10:34:11 ID:7QYIOwUw
ムシャクシャして手討ちにした
(相手は)誰でもよかった
今は反省してる

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 10:49:54 ID:eSQDgiLi
反省しているなら仕方がない

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 10:58:04 ID:OPkWKtQG
信長様「鬼武蔵が反省しているなら仕方ないな。のう、お乱」

165 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/26(日) 14:30:56 ID:M1J2uBiV
おいおい、口のきき方に気を付けろよ、ノブ。
俺は反省などしない。後悔もしない。絶対に後ろを振り返ったりしない。
俺は前だけを見てるんだ(キリッ)。

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 15:58:50 ID:UJDGAnTJ
::::::::        ┌─────────────── ┐
::::::::        |  一霊鬼がやられたようだな…    │
:::::   ┌───└───────────v───┬┘
:::::   |フフフ…奴は五霊鬼の中でも最弱 …     │
┌──└────────v──┬───────┘
| 水野ごときに殺されるとは     │
| 五霊鬼の面汚しよ…       │
└────v─────────┘
  |ミ,  /  `ヽ /!    ,.──、
  |彡/二Oニニ|ノ    /三三三!,       |!
  `,' \、、_,|/-ャ    ト `=j r=レ     /ミ !彡      ●
T 爪| / / ̄|/´__,ャ  |`三三‐/     |`=、|,='|    _(_
/人 ヽ ミ='/|`:::::::/イ__ ト`ー く__,-,  、 _!_ /   ( ゚ω゚ )
/  `ー─'" |_,.イ、 | |/、   Y  /| | | j / ミ`┴'彡\ '    `
   二霊鬼       三霊鬼      四霊鬼    五霊鬼


参考
幽鬼 ゴレイキ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5310.html

昔、土佐の山内家が幕府から

2010年12月27日 00:00

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 20:01:02 ID:jfQfQCRL
昔、土佐の山内家が幕府から貰った百二十四万石与える
という文書があった。

ところが鼠が百の字をかじってしまったので、与える幕府は
百万石丸儲けとなり山内家は百万石丸損となってしまった。

以来、幕府では鼠を福の神として祭り殺さなくなったという・・・

                       南方熊楠 十二支考



突っ込みどころが満載だが熊楠に言ってくれw





168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 20:12:45 ID:OPkWKtQG
その昔、南方熊楠伝てんぎゃんという漫画を連載してた少年週刊誌があってだな…

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/26(日) 20:17:38 ID:Ln9ZiUuz
>>167
政宗「幕府は約束を反故にするから信用出来ないよな」

境与三右衛門春時と羽柴秀長の合戦

2010年12月26日 00:01

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 18:15:51 ID:oJtZlbFG
今日はクリスマス・イヴです
籠城戦の話を募集します




967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 23:15:23 ID:mL+gXyit
羽柴秀吉の中国攻めの際、弟の羽柴美濃守秀長は因幡丸山城の攻略を任された。
秀長軍は連日、激しく攻め立てたが、先鋒の藤堂与右衛門が城方の境与三右衛門春時と戦い、
互いに傷ついたのを期に、兵糧攻めに切り替え、じっくりと攻めるようになった。

そんなある日、丸山城に秀長からの書状が届けられた。
“この近くの山に、狼が出没している。双方で人を出して狩り、長陣の退屈しのぎにしようではないか。”

「何をこしゃくな。よし、受けて立て!」さっそく秀長軍と城方、双方で人手を出して山狩りを行なった。

秀長は狩り立てた狼を胴切りにして、頭側を手元に残すと、尾の方に酒十樽と肴を添えて城方に贈った。
思っても見ぬ贈り物に城中は沸いたが、ある者が疑問を呈した。

「敵からの贈り物だぞ?毒が入っているかも知れぬではないか!」
「しかし羽柴美濃守という男、そんな悪辣な手を使うような者ではないと聞くが。」
「うーむ、どうする?」

城中の皆が悩む中、境与三右衛門が名乗りを上げた。
「わしとしては美濃守を信じたいが、毒入りかも知れぬというのも、然るべき疑問じゃ。そこで、だ。
ここは、わしが毒見をしよう。おのおの方は、わしが飲んだ後しばらく様子を見ても、遅くはあるまい。」

この意見にみな賛成し、与三右衛門は自分の飯茶碗を取り寄せると、酒樽から七、八杯汲み上げて飲み干し、
自室で静かに座りこんだ。城の皆が注目する中、与三右衛門はそのうち体を傾けると、完全に倒れこんだ。
「すわっ!やはり毒であったか!」
城中は色めきたったが与三右衛門の容態を確かめると、かすかに息をしているので、医師をつけて見守った。

翌日の夕方になって、与三右衛門は眼を覚ました。

「おおっ、与三右衛門!おぬし一日中、寝ておったぞ。やはり毒だったのか?!」
「…いいや。あれは極上の美酒じゃ!あんな酒は飲んだことがないわ。わしは久しい篭城の苦しさも忘れ、
心を仙境に飛ばしておったわい。」
「なんじゃ、そうだったか。よーし、飲むぞーっ!!」
「あいや、待て待て!わしのような飲み方をすれば、たちまち酔い潰れて城の守りに差し支えてしまうぞ!
少しずつじゃ、少しずつ!」

こうして贈られた美酒は、城方の一人ひとりに少しずつ配られた。
「そうと知っていれば、最初にガブ飲みしておいたものを……」と、城方のうちノンベエは与三右衛門を恨んだ。


>>960のご期待に沿えるか疑問だが、篭城と贈り物のお話。




968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 23:33:16 ID:hLdqxQMj
なんつーか双方余裕ありすぎるだろw

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 00:18:45 ID:O3ze9m3Y
一方その近所には渇え殺しにあってる城がありましたとさ(´;ω;`)

まあラスボスと秀長の違い、とか言っちゃうと話は簡単だけど

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 00:29:13 ID:d24pOLv8
真っ二つになった狼をどうするんだろう、という素朴な疑問。

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 00:41:44 ID:Ap/L5lTK
食うんじゃね?
江戸時代初期まで犬はご馳走だったし

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 00:46:28 ID:c218PFmw
犬食ってたってのは聞いたことあるがごちそうってのは初耳だわ

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 01:01:33 ID:GHsD1Fdz
羊頭狗肉という言葉があるように、基本的に日本や中国では劣った肉として見られてたと思うが。
朝鮮ではどうか知らないけど。

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 01:06:37 ID:d24pOLv8
与三右衛門の傷は癒えたようだが、その頃与右衛門は?

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 08:13:02 ID:E/VLMAt5
>>971
待てよ。家畜なら生類憐れみの令なんかで犬殺しを規制されたりしないだろう
どこからそんな話持ってきたの?

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 11:35:48 ID:8wf1wLwK
作家の藤原京がたしかそんなことを書いてたな。

江戸の庶民にとって年に数度食べる犬がご馳走だった、って話で、
それを生類哀れみの令で禁じたために綱吉はひどく庶民から恨まれたとか。

ただこれ、真偽はおいておくとしても大都市江戸の話だからな。
他の地方でどうだったかまではちょっと。


978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 11:57:20 ID:S4WEEx4i
大道寺友山 『落穂集』

「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、見當り不レ申候。
 若したまさか見當り候へは、武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、
 冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」

(江戸の町方に犬はほとんどいなかった。
 というのも、武家方町方ともに、下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、
 冬向きになると、見つけ次第撃ち殺して食べたからである。)

慶長17年、駿府城下の喧嘩顛末

2010年12月26日 00:00

979 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/25(土) 12:28:17 ID:ERpvuv5a
慶長17年(1612)7月11日、駿府でのこと

黄昏の頃駿府の市街において、当時の駿府城主徳川頼宣の家臣である飯田伝吉が、
同僚である朝比奈甚太郎松野勘助と喧嘩となった。
(ちなみに飯田は朝鮮から帰化した者だったそうだ。)

その喧嘩の仔細はこうである、朝比奈と松野が飯田に対して悪口を言い、さらに刀を抜いて
斬りかかろうとした。おそらく脅しのつもりだったのだろう。が、これに飯田伝吉は、彼らの挑発に
遂に耐え切れず自らも刀を抜き立ち向かい、松野とその従僕をたちまち斬り殺した。
朝比奈も死にはしなかったものの、三ヶ所に傷を負ってその場に倒れた。
飯田はそこから退転した。

この事件は駿府町奉行彦坂九兵衛より、徳川家康にまで報告される。

これを聞いた家康は、飯田伝吉が侮辱した相手を見事に斬り捨て退けた手腕が
神妙であると褒め、速やかに召し返すことを命じた。

また重症を負いながら生きながらえた朝比奈甚太郎に対しては、相手を過言によって
侮辱した罪もある上、返り討ちに会うなど未練の振る舞いであると、切腹を申し付けた。

この当時の武士というものが、どういう所を認められどういうところが忌避されるか、
何となく見えてくる記録である。




渡辺半蔵、三方原の撤退にて

2010年12月26日 00:00

153 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/25(土) 21:36:32 ID:QQvyZKFa
三方ヶ原の戦いの時である。

徳川方の勇士渡辺半蔵守綱が追撃してくる武田勢を追いのけ追いのけ退却してくると、
途中に自分の朋輩が重傷を負って倒れていて、一緒につれていってくれとたのむ。

助けて無事にかえってきた。

家康は、
「自分ひとりの退却さえやっとのことだったろうに、よくぞ助けてかえった」
とほめた。
だが渡辺は、
「いや、そうおほめにあずかっては恥かしい。
実を申しますと、厄介なことと思いましたが、自分がここで助けないで行っても後からくる味方の者が助けるかも知れない。
そしたら自分が助けなかったことが知れて自分の名折れになると思いましたので、やむなく引きうけたわけです。
途中でも何べん刺し殺そうと考えたかわかりません。それをおさえおさえやっとかえってきたのです」
と答えた。

家康はその正直をほめたという。




154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 21:42:16 ID:OlzKxN+h
ここらあたりが悪い話なのかなあ
>>途中でも何べん刺し殺そうと考えたかわかりません。

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 21:43:14 ID:d24pOLv8
正直者のええ話やないかあ~?

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 21:54:13 ID:K+GVPaad
こういう馬鹿正直な家臣の方が断然信用できるな
いい話だと思うがね



槍半蔵、同僚を助ける
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1288.html

堀直政の心構え

2010年12月25日 00:02

堀直政   
951 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/24(金) 00:15:04 ID:Luv9nhQo
豊臣秀吉の時代のことか。

ある日の日暮れの頃、越後春日山30万石の領主堀秀治が、伏見の屋敷にて客を送り出すため、
家臣などを引き連れ門の外まで出た。
家老の堀監物直政は、一団の中で秀治から最も離れた位置にいたという。

と、秀治が外に出た瞬間、彼に恨みを持つ者であろうか、外に隠れていた者が突如、
秀治に駆け寄り斬りつけた。
秀治もとっさに刀を抜いて応戦しようとした。その時である

一番遠くにいたはずの堀直政が、気がつけば最初に秀治の元に駆け寄り
この狼藉者を一刀のもとに斬り倒した。
秀治の左右の者たちは、倒された狼藉者に止めを刺すのがやっとであった。

後日、秀治の近習の者たちは直政に面会を求め、このように聞いた

「あの時は日暮れで視界も悪くなっていた上、さらには突然の出来事でもありました。
そのようであったため我々も心ならずも秀治様のお側に行くのが遅れたのですが、
我々より遥か隔たった場所にいた直政様が一番に狼藉者を斬り捨てました。
どうしてそのようなことができたのか、我々にはさっぱりわからないのです。」

これに直政
「いやいや、お主達の武辺が私に劣るわけではない。ただ私は、かねてから一つの心構えを
決めていたのだ。お主達はその心構えを知らなかった。ゆえに私に先を越されたのだよ。
調度よい機会だ、今後もそなたたちは殿のお供を勤められるわけであるし、今後の心得にも
成ることだろうから、今までこれを人に話したことはなかったが、ここでお主達に
伝授いたそう。

総じて殿の御前に伺候し、御後に供奉する時は、仮初にもよそを見ること無く、
最初から最後まで殿から目を離さない。これが最も重要なことだ。
そうしていれば殿の動静において、たとえ針ほどの細かな異変でも気が付かないということはない。

そういう心構えを持っていれば、先日のような不慮の事があっても自分が考えるよりも早く
体が動くものなのさ。

お主達は今私の言ったこと、どうか忘れないようにしてくれ。」

堀直政の、主君を守る心構えについてのお話。




952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 10:05:08 ID:5/m2kIJt
周囲を警戒するんじゃなくて、主君に意識を集中しておく事でとっさの対応ができるようにしておくのか
なんという逆転の発想

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 10:20:56 ID:q77dxGsP
宇喜多弟「兄上……じゃなくて主君に意識を集中しておかないととっさの対応ができません。鎖帷子を着ておくとモアベター」

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 10:32:50 ID:XhJg9qTJ
>>953
「伯父上!鎖帷子を着ていたら泳げません!」

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 10:33:55 ID:dcGceEBv
>>953
あなたのDQNな息子の方にも集中してあげて下さい。

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:21:39 ID:An9Cz/Ar
>>954
八郎殿、伯叔の区別くらいつけなはれ。そんなんだから旧臣が離れんだよ。

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:30:20 ID:XhJg9qTJ
>>956
すまんすまん、伯叔どっちが年上かつい失念していた

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:51:45 ID:eEN0YUxV
ちょっと勉強になったw

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 16:22:43 ID:JWamZpie
>>952
しかしこれは近接戦闘に特化した備えで
弓とか鉄砲を持ち出されたらどうしようも無いような・・・

山県昌景の秘訣

2010年12月25日 00:01

961 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/24(金) 19:46:12 ID:ucXBffq2
毎度初陣

有名な話だが、まだ出ていないと思うので。

戦国有数の勇将・山県昌景にあやかりたいと思う人物は数多く、武田信玄の弟・一条信龍は彼に活躍の秘訣を問う。

昌景応えて曰く、「訓練も大事だが、心がけもまた大事。常に初陣のつもりで戦いの臨み、慎重に策を練ります」と。

彼ほどの歴戦の猛者でも、おごることもなく常に緊張感を持ち続けることができたということ自体がすごい。
また、信龍も同じく常に武備を怠らないなど、平時に乱を忘れないという姿勢だったそうで通じるものがあるようで。
新田次郎の「武田勝頼」だと、信龍はただの偏屈なおじさんだったので意外だった。


ただ、相手が勝頼だったら話がかみ合わなかったかも。




966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 23:04:32 ID:AESOfYUg
家康「そうだ!本多山県と名づけよう」
本多某「・・・」

金時敏、拒否をする

2010年12月25日 00:01

金時敏   
964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 20:54:51 ID:1+oUmrFu
籠城戦の話というかその前哨戦の話だけど。


1592年10月、日本軍は釜山から漢城への補給路の安全を確保すべく
朝鮮軍の策源地と見られていた晋州城の攻略を決定した。

この動きに対して朝鮮軍は晋州牧使金時敏に城の守りを固めるように命じると共に
柳崇仁に官兵及び義兵を率いさせて日本軍を迎撃させることとした。
が、柳崇仁は日本軍に敗れ、晋州城への撤退する。

しかし柳崇仁に対して晋州城の門が開かれることはなかった。
金時敏は柳崇仁の入城を拒否したのである。
なおこの時の柳崇仁の役職は慶尚道兵使
朝鮮の行政単位は道・府・牧・郡・県なので晋州牧使の金時敏よりもかなり上である。

柳崇仁の入城を拒否した結果金時敏はわずか3800の兵で20000の日本軍と戦うこととなった。
しかし兵や住民は金時敏の下で団結しており、城外にあって日本軍の後方を脅かした義兵たちの働きもあって
見事1週間に渡る戦いを勝ち抜き、日本軍を撤退させた。

この時晋州城外にあった義兵の将郭再祐はこの事を聞いて「此計足以完城, 晋人之福也」と歎じたという。

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 20:59:48 ID:1+oUmrFu
補足だけど入城を拒否された柳崇仁はそのまま引き返して日本軍に挑み、敗死している。
悪い話の気もするんだけど、朝鮮では金時敏の働きが働きだけに帳消しにされているっぽい。




金子さん平常運転中、の巻

2010年12月25日 00:00

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:06:40 ID:b84mgSVC

上野国沼田を制圧した真田家は、続いて北条家配下の白井長尾氏攻略に動き始める。

天正十年夏、白井城の支城である猫城&樽城に、沼田衆&川田衆といった上州国人
衆を主力とした真田軍一千が押し寄せた。総大将は矢沢頼綱


が、この侵攻は真田軍の散々な敗北に終わる。
矢沢頼綱が戦場に到着する暇もなく、白井長尾軍の伏兵による攻撃を受けた沼田衆、
続いて川田衆も総崩れになってしまったのである。

「……………」
報告を受けた頼綱、憮然とした表情を隠そうともしない。
勝敗は兵家の常。百戦錬磨の頼綱にそれが判らぬ筈もない。
しかし、それでも尚、憮然とせざるを得ない報告があったのである。


第二陣の恩田越前守&下沼田豊前守、猫城兵の伏兵により敗走。これはまだ良い。

同じく二陣に配されていた塚本肥前守、敗走する味方の兵を収容しつつ、樽城兵の
追撃をかわし、撤退。これはむしろ手柄と言っても良いだろう。

先鋒の中山右衛門尉、後続の沼田衆が崩れた為、敵中に孤立。奮戦するも最後は茂
みに足を取られ、二人掛りで討ち取られる。これも褒めてやりたい所だ。

では、問題なのは誰か。
二陣に配された金子美濃守、白井城からの後詰の兵七人と交戦。備えを崩して逃げ
惑う、とあるから敗走、と言うより壊走と表現した方が近いだろう。


「……七人?」
金子美濃守が何人の手勢を率いていたのかは判らない。
しかし、沼田衆の中心人物であった美濃守である。少なくとも百や二百の手勢はあ
ったのではないか。
「七十人ならともかく、七人に追いまくられて、逃げ惑っていた。と言うのか、奴
は?」
「そ、その様に報告を受けております」
「……いい加減、殺しといた方が良くないか、あいつ?」

苦虫を噛み潰したような表情の矢沢頼綱。負けるのは良しとしても、負け方と言う
物がある。あまりに無様な負け方をすると、一気に国は崩壊してしまう事があるの
だ。
頼綱には予想出来ていたのだろう。
この敗戦を見た国人衆、特に白井長尾氏と領地を接する川田衆が、次々に北条方に
寝返りを始めたのである。
北条氏邦に提出された連判状に記された名は、実に五十四名。

その後、頼綱は真田昌幸に信州からの援軍を請い、重要拠点から上州国人衆を外す
などの対応に追われる事になった。


……金子さん平常運転中、の巻。w
これ以降、真田氏の側から北条への侵攻はなくなってしまうので、真田氏による上
州制覇の野望を挫いた敗戦と言っても良いかもしれません。
つか、地元の国人衆を左遷した状態で、よく北条の大軍を何度も退けたな、頼綱さ
ん。マジバケモノだ。www





142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:28:27 ID:XhJg9qTJ
矢沢頼綱「小松明がなければすぐに死んでいたかもしれんな」

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:38:39 ID:oJtZlbFG
「七十人ならともかく、七人に追いまくられて、逃げ惑っていた。と言うのか、奴
は?」
「そ、その様に報告を受けております」
        /´〉,、     | ̄|rヘ
  l、 ̄ ̄了〈_ノ<_/(^ーヵ L__」L/   ∧      /~7 /)
   二コ ,|     r三'_」    r--、 (/   /二~|/_/∠/
  /__」           _,,,ニコ〈  〈〉 / ̄ 」    /^ヽ、 /〉
  '´               (__,,,-ー''    ~~ ̄  ャー-、フ /´く//>
                                `ー-、__,|     ''


週刊ブログ拍手ランキング12/16~/23

2010年12月24日 00:05

昨日はちょっとバタバタしててランキングやれなくてすいませんでしたー!
1日遅れで、12/16~/23のブログ拍手ランキングです!


阿部忠秋の茶壷 171

『 難波の霞 』 134

佐瀬源兵衛と太田三楽斎の会合 121
『要』『害』 56

黒田官兵衛さんは 39
「ソギ」由来 37
戦国時代の二つの南部 36

加藤清正、明の勅使に 33
鈴木正三の話2 33
三好長慶の作法 30

南部さんの憂鬱な8月 28
「王というものは」 22
これぞまさしくお家安泰の兆し 20

金子美濃守、戦続きで乱れた世の中を憂い、 19
荘内神社と徳川信康 18
『今川仮名目録』第二十条より 17

ゑんたん城攻め、森本儀太夫・貴田孫兵衛の一番乗り争い 16
今日は細川政元の誕生日 16
若き日の前田利家 14
合計 1141


1位は阿部忠秋の茶壷
文字通り良いお話!江戸幕府初期の閣僚の中で、後世の歴史家からも高く評価される阿部忠秋らしいお話です。
武士の美徳というものに、物に恬淡とする、というものがありますが、そうは言っても人間、
なかなか物への執着は抜けられませんw
だからこそ忠秋さんのような態度に、今の私たちもはっとさせられるのでしょうね。

2位は『 難波の霞 』
武勇だけでなく学識も深かった新納忠元さんが、文化的に大活躍というお話。
島津家において新納忠元さんのポジションというのは非常に特別ですね。これは後世においてもそうで、
島津家中における君主の理想像が島津義弘なら、家臣の理想像は新納忠元さんとされていた節があります。
そんな新納さんの面目躍如というべき逸話ですね。

今週管理人が気になった逸話は佐瀬源兵衛と太田三楽斎の会合です!
非常に爽やかです。爽快なワンシーンです。宮城谷小説の主人公のようですw
また相手が謀略と恩讐の塊のような、太田三楽斎三というのも良いですね。
北関東から東北にかけての戦国史は非常にえぐいものがありますが、そんな黒々とした世界を
吹き抜ける爽やかな風のようなお話です。

今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつも本当にありがとうございます。
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください。
( ´ω` )


さて、今回紹介するのは雑誌です!

歴史REAL vol.1 (洋泉社MOOK)歴史REAL vol.1 (洋泉社MOOK)
(2010/12/03)
不明

商品詳細を見る


洋泉社MOOK、歴史REAL vol.1
最近歴史系の新書に力を入れられている洋泉社から出された、歴史雑誌です。

勧めておいてちょっと否定的な面から語りますが、正直なところこの雑誌の目玉企画の一つである
「歴史の通説を斬る」という企画は我田引水感が強すぎて個人的には馴染めませんでした。
というか、この雑誌に置いて「通説」とぶった切っているもののほぼ全部が「これって通説かぁ?」と
首をひねるものばかりでw
先にあからさまに穴のある前提を提示してそれを否定するというやり方は、解りやすいのでしょうが
正直フェアじゃ無いな、と。

ただ付録に付いたDVDで、映像としても記録された火縄銃の検証は非常に素晴らしく、史料的価値も
大変高いと思います。ボクはこれと、後半にあった「東京戦国史散歩」のコーナーで充分元が取れましたw

全体的には初級~中級者向けの雑誌だと思いますが、買って損はないと思います!
ご興味のある人は、是非!



それでは皆様、良いクリスマス、そして良いお年をー!

戦国時代からアナタの頭脳に挑戦!!

2010年12月24日 00:01

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 19:16:53 ID:SYYvQTnN
天皇誕生日にちなんで天皇ネタ(?)
戦国時代からアナタの頭脳に挑戦!!(『後奈良院御撰何曽』より)


Q1,竹生島には山鳥もなし?

Q2,風呂のうちの連歌?

Q3,海中の蛙?

Q4,稚児の髪なきは 法師に劣り 田舎に置け?

Q5,一昨日も 昨日も今日も 篭もり居て 月をも日をも 拝まざりけり?


正解は一時間後に
一応現代人でも解けそうなのを選んだつもり



947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 20:18:22 ID:SYYvQTnN
↓答え(反転すると出てきます)
Q1答,『笙』
「竹生島」に「山鳥」→「嶋」が無いのは「竹生」→「笙」

Q2答,『袋』
「ふろ」の内に「連歌の会の作品」、つまり「句」を入れると「ふ句ろ」→「袋」

Q3答,『蔦』
「うみなか」→十二支の「卯・巳の中」にあるのは「辰(たつ)」、それが「返る」と「つた」

Q4答,『碁石』
「ちご」の「頭(かみ)」が無くなれば「ご」、「ほうし」の「尾」つまり末尾だけ取っておけば「し」、
その中に「い」を置けば(「い」なかに置く)、「ごいし」

Q5答,『御神楽』
「おととい、きのう、きょう」で「三日」、「月も日も無く引き篭もる」のは「暗い」→「三日暗」



個人的に「破れ蚊帳」→「蚊入る」→「蛙」がこの時代すでにあった事にビックリ





948 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/23(木) 20:21:26 ID:C0tcKKZN
>>947
全然わからんかったw;
なぞなぞでも発想の方向性が違うな。

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 20:24:50 ID:d65jbRhN
>>947
おお信じられん、笙だけ当たってた!他はさっぱりわからんかったがw
昔の謎かけは品があっていいな

鷹、鷲、雉

2010年12月24日 00:00

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 02:11:11 ID:O6ZN9IN2
猛禽類って詳しくないから、どういう感じで優劣つけてるのかわからん
今までなんとなく鷲>鷹>鳶の順番で大きくて強いのかと思ってたけど
ぐぐったらトビはオオタカやハイタカより大きいんだな
弱いのか?カラスによくつつきまわされてるもんな…

いっしょに鷲>鷹な感じの逸話を投下

関ヶ原での一戦が終わった後のこと、家康の本陣では首実験が行われ諸将が参集していた。
そこにやってきた小早川秀秋は、芝生の上にひざまずき、明日の佐和山城攻めでの大将を
つとめることを望んだ。
寝返った武将が前に出て働き、寝返り先もそれを認めるのが相互理解っつーもんで
まあ申し出自体は尋常なんだろうが、その場にいた福島正則に言わせると、
言い出す態度がやりすぎだったらしい。
後になって友人の黒田長政に言ったそうだ。
「いくら勝ったといっても、まだ将軍でもない内府に、中納言の秀秋が芝の上で手をついて
見せたのはみっともいいもんじゃなかったな」
黒田長政にしてみれば秀秋は寝返り工作を仕掛けられるくらいに誼を通じた相手、
十代の小僧のしたことと気楽に構えているのかもしれない。
「まあ鷹と雉が会ったと思えば、あんなもんかで済むだろ」
と、庇ってるんだか却って失礼なんだかよくわからない事を言って笑っている。
すると正則の方でも「それはお前の贔屓だな」「鷹どころか、鷲と雉くらいは違うだろ」と
笑ってしまって、その話はおしまいになった。




127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 02:29:31 ID:O6ZN9IN2
秀秋が悪いんじゃなくて家康がそれだけ強大なんだよ、と言いたいんだろうけど
雉、やっぱ獲物的イメージ強いよなー
もうちょっとマシなフォローしてやってよと思った悪い話です

128 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/23(木) 04:16:20 ID:dcK0nt3f
鷲と鷹って大きさだけで分類されてるんだよね

初夢で吉とされる
一富士
二鷹
三茄子
は家康の好きなモノの順番だったらしい

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 09:05:27 ID:+Bc/juOC
大抵こういう他人の悪口を言い出すのは、正則なのね。三歳様は、会話にも加わらないようなイメージだが

>>128
5番目辺りがタバコだけど、これも家康の好きな薬というカテゴリなんだろうか

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 10:27:17 ID:7/eUgEyb
ワシは洋の東西を問わず権力の象徴なんだな

現在のアメリカ合衆国の国章から
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:US-GreatSeal-Obverse.svg


古くは東ローマの双頭のワシとか




全く関係ないがこの回は良かった
http://www.nhk.or.jp/darwin/program/program007.html

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 10:38:59 ID:1GePetwF
ロシアの国章は今でも双頭の鷲だが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Coat_of_Arms_of_the_Russian_Federation.svg

まぁ全然関係ないな

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 11:21:23 ID:1DESRd2z
>>131
だね。
ロシアの双頭の鷲はローマ帝国の後継国家としての象徴とかいう話は
面白いんだけど、このスレとは無関係だ罠。

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 11:27:33 ID:XRFZlCo2
>>130
それはローマの流れを汲んでるからではないのか?
それに強い動物を意匠にしてる事の方が普遍なような気が…

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 12:51:04 ID:IpEomSAS
世界史ちょっといい話・悪い話ってスレはどっかにないのか?

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 12:53:53 ID:0k6GL8HL
東ローマが滅んだあとはロシアこそが正教の宗主であると自任してるからね

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 12:25:12 ID:ZFqcQU/5
>>126-128
個人的なイメージなんだが

鷹は鷹匠って言葉があるから飼い慣らせる、忠義心があるイメージ。
→忠実で強い部下とか家臣っぽい。

鷲は好きな鷲匠とは言わないし、バンドの曲でeagle fly freeって曲があるし、何となく自由で束縛されない、悪くいえば身勝手なイメージ。
→強いけど自由人とか独立事業主とかトップの立場の者、或いは海外みたいに自分を守るものっぽい

そう考えたら鷹にたとえたのは豊臣家中の実力者、鷲にたとえたのは豊臣とは別の強大な支配者と考えたってのは考えすぎやろうか。

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 19:41:02 ID:VsouNqE4
>>144
鷲(イヌワシ)は日本書紀では吉兆をあらわす鳥とされ、
時代が下がっても天狗の化身として崇められた。
日本で一般的な鷹であるオオタカは飼い慣らす事ができて、これが鷹狩につかわれていた。
同じく日本書紀でも古墳時代ぐらいには鷹狩が行われていた事が書かれている。

また、鳶は大型の猛禽類ながら、油揚げをさらう諺のように、
小動物の捕食よりカラスと同じように死肉を漁ったり人間の食い物を狙う。
なので見かけだけの弱者・卑怯者といったイメージが当時からあるんだろうね。

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 19:45:43 ID:XOGsH1GK
神武東征完全否定きたーw

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 20:00:26 ID:g961Ikfu
金色の鳶「・・・」


149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 01:28:50 ID:VNXK8ghZ
一般の鳥さんと霊鳥・神鳥を一緒にしたらあかんで~

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 11:34:52 ID:E1EgMnCM
野鳥観察してると、若いトビがカラスの群れにボコられてるのを
たまに見かける
トビがタカを産むとかの言い回しはそのへんから来たのかねえ

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 11:51:55 ID:U0HLGF9L
>>150
んでもそれは、トビとカラスの生活圏が被ってるせいで
ワシやタカとトビのどっちが強いかとかとは別問題なんじゃ…って、なんか
戦国武将同士個人戦させたら誰が強いの?みたいな意味のない話になるけどw

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/25(土) 12:56:41 ID:E1EgMnCM
>>151
そらもちろんそうよ
それに成鳥になれば逃げ方あしらい方は身に付くから滅多にないし
ただ背景がどうあれ現象としては目立つことは目立つから
そういうイメージになっちゃったんでは、という話ね

加藤清正、増田長盛と絶交す

2010年12月24日 00:00

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 19:07:41 ID:C0tcKKZN
有名な逸話だけどまだ無いようなので

加藤清正は文禄の役の所業が豊臣秀吉の勘気を受け、処罰が下され切腹もありうる、と噂された。
このため清正は、弁明をせんと朝鮮より帰国。伏見に到着するとその足で増田長盛の屋敷へと向かった。

増田と対面すると、清正はまくし立てた
「私が今、高麗より直にあなたの所に参ったのは余の儀ではありません。

ご存知のように私は治部少輔(石田三成)の奴と大変仲が悪い。それ故に治部は太閤殿下に
ある事ない事私の悪口を申し上げ、殿下も遂に、それを誠と思し召され、私を切腹させよなどと
仰っているとの使いがあり、そのため急遽帰国したのです。

治部少輔と私が仲の悪いこと、殿下も内々にご存知のはずです。
そもそも私は数年来高麗に置いて忠功を成し、本来勲功こそ頂くべきなのに、讒言を誠に取られたために
斯くの如くに成り果てるとは、是非に及ばに仕儀でござる!」

これに増田長盛
「主計頭(清正)殿、あなたの数年来のご忠義は天下に隠れありません。そうであれば太閤殿下の
お怒りのことは、治部少輔と仲直り致せばそれで済むことではありませんか。

今の世の中に石田殿のことを治部の奴などと言う者は、日本中におりませんよ。
もしあなたにその気があるのなら、私は明日にでも治部少輔にこの事を申し、仲直りの
仲介をいたしましょう。
もしそうしなければ、今日のあなたのご相談を解決することは無理というものです。」

これを聞いて清正は激高した
「八幡もご照覧あれ!私は治部奴と一生仲直りすることはないと誓う!
何故ならあ奴は朝鮮国において数回の合戦に一度も参加せず、人の陰口ばかり言いまわり、
気に入らない人間を陥れようと企んだ!そんな穢き奴原と仲直りしてどうするというのか!?
例え太閤殿下のご機嫌直らず、このまま切腹仰せ付けられようとも、治部の奴めと仲直りするなど
絶対にありえぬ!」

そして怒気は長盛に向かう
「そもそもあなたの態度も納得できない!私は朝鮮に在陣中昼夜苦労し続け、帰国すると直にこちらに参った!
私の朝鮮での労苦に敬意を持ち、また日頃のよしみから考えても、玄関までとは申さぬ、せめて
次の間まで自ら出てきて、久しきことよ、懐かしきことよと出迎えるのが当然ではないか!
それなのに座に居ながら、頭ばかり捻り回しての挨拶とはいかなることか!?」

これは清正が無茶である。清正は先に連絡もなく長盛の屋敷に現れた上、その時長盛は別の客と
対面していたのである。長盛はその客との対面をわざわざ早く切り上げて、清正の相談に乗ったのだ。
(このあたり、清正側の人間の記録である『清正記』にも、正直に書かれている)
だが清正は怒りで道理も見えなくなっている

「もはや貴殿のような礼儀知らずと話し合いをしてもどうにもならぬ!今後は絶交致す!」

そう言い放って座を立ち返ろうとする。増田長盛はそれでも後を追いかけ
「そういう事ではない!とにかくもう少し私の話を聞かれよ!」

と説得しようとするが清正は耳を貸さず、長盛の屋敷を出た。
清正のこの日の態度に、加藤家の家臣たちは

「さてさて何という物狂わしい人であるのか。あのような讒言など、昔も今もある習いではないか。
そもそも清正様は三奉行(石田三成、長束正家、前田玄以か?)と仲が悪く憎まれている中、
右衛門少尉(長盛)殿だけは入魂していただいていたというのに、こんな事になってしまうなんて、
是非にも及ばぬ次第である。もはや太閤殿下のお怒りが解かれることもなく、切腹させられる可能性も
高いだろう。」

と、清正のやりようを大いに憤ったとのことだ。

以上、加藤清正増田長盛と絶交するに至る顛末のお話。




138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/23(木) 21:29:07 ID:1GePetwF
これなかったんだ
なんでもいいから怒りをぶつけたかったんだろうなぁ

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 02:30:24 ID:IwLzb5Oh
普段から仲が悪い(嫌い)からこうなるんだな
勘気の内容もよくわからないのに初めから治部のせいと思い込むのは・・・
秀吉の機嫌を取ったり直接意見を言える立場なのに、この慌てようは心当たりがあるんだろうなあ

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 02:58:56 ID:vGJsAUQ0
小西行長「どや。虎之助ってけったくそ悪い奴やろ?わいもほとほと困ってん。」

三好長慶の作法

2010年12月23日 00:01

932 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/21(火) 23:35:18 ID:eOqZj02M
細川幽斎はあるとき、こんな事を語った

「私は連歌における作法の大切さを、三好修理太夫(長慶)殿から学んだ。

連歌の席において修理太夫殿は、まるで人形であるかのようにじっと座られていた。
膝の傍らには扇が、少し斜めに置かれていた。

夏の暑い時期などは、その扇をいかにも静かに右手に取り、左手を添えてそっと三、四間だけ
開き音を立てずに使い、終えるとまた左手を添えて閉じ、元の場所に置いた。

驚くべきことにはその置いた位置が、前と畳の目一つほども違っていなかったのだ。」


若き日の細川幽斎に感銘を与えた、天下人三好長慶の連歌の作法についてのお話。




933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/21(火) 23:52:26 ID:npjYFSs+
>>932
晩年はあれだったけど、やっぱすごい人だったんだろうね

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 01:28:08 ID:IAUddHuX
超時空太閤H「誰じゃ!わしの陰口を叩いておる奴は!>>933お主か!」

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 01:36:50 ID:UmiZs8RO
三好長慶って晩年、安宅冬康を殺して鬱病なった人だよね?

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 01:59:34 ID:egFmaFqS
この人と弟が顕在なら下手すれば信長の出番が回ってこなかったかもしれなかった程度には凄い人だよ

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 02:05:40 ID:2RrRhynu
三好長慶ってなんか微妙なんだよな
凄い人ってのは分かるんだけど…
中途半端な所で終わってるからだろうか?

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 02:05:52 ID:bkl73xJg

長慶は子供を失ってからダメになりはじめたんだっけ?
やはりみんな同じなんだね
もし本能寺の時に信長だけが生き残ってたらどうなったかな

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 09:28:04 ID:W+rPJZKY
むしろ、前と畳の目一つほども違っていなかったことに気づく幽斎さんが恐いわwww

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 15:58:11 ID:1HhChuTH
石田三成さんなら、本当に畳の目を数えてそうだ。
「ふーむ、扇は前7列、左29列目に置くのが作法でござるか。メモメモ」

文禄4年のスキャンダル

2010年12月23日 00:00

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 00:44:16 ID:t113YYki
某事件で降板した歌舞伎役者さんが本来やるはずだった人物のスキャンダル

文禄4年(1595年)頃にあるスキャンダルが大坂中の民に知れ渡った。

ある一行が道中、秀吉側室が疲れたので茶屋にて休憩するに至ったが、無論中にはお付の侍女らしか
居らず、周りには太閤から信頼のおける者が数名警護にあたっており出入り口を通れた者は
門番の厳しいチェックを受けた者で、実際に通る事が許されたのも身分ある女性だけだったが
名古屋山三郎が女装してあっさり入って暫くのち出てきたが為に不義密通疑惑の大騒ぎになる。

この出来事に関わったと言われている者たちは誰も死罪等を言い渡されておらず
大抵の者が処分がない事から、山三郎が行き付けの茶屋で先客として既に居た所を偶然居合わせ
太閤殿下の側室だからと云って"すぐ出て行けとは横暴である"と断り、のんびりして出てきた場を
たまたま野次馬に目撃され民草たちが大げさに話を広げたと云う話であるが山三郎はこの直後、
帝の直轄地として太閤と云えども手出しのし辛い四条に隠れた事や、この時の門番を任されて
いたいう太閤秀吉から信頼の厚い馬廻衆、小沢彦八郎と云う若衆が職を奪われている。

この事件の翌年、慶長元年(1596年)から約三年もの間、舞太夫として太閤に招かれたのは
村山又八ら狂言師が伏見に招かれ太閤の前に狂言尽を為す”と"事始"などに記録されてる通り
山三郎本人ではなく、山三郎の直弟子達が代わりに太閤に贔屓されるに至っている事も
噂話に変に尾ひれがついてしまったと云われる。(村山又八は京芝居の祖と云われる人物)

更に翌年、慶長元年(1597年)には浪人の身で各地放浪をしていた小沢彦八郎が三十人程いた
森忠政側近衆の一員として仕官するに至り、後に山三郎が森家中に加わった際に
山三郎の末妹を娶る事を森忠政から許され、森家中でそれなりの地位となった事や
山三郎が出家した事がこの噂話に変な真実味を加えたのではないかと言われている。

実際には、このスキャンダルが流れた時期に太閤秀吉は山三郎の妹が森家へ輿入れする際
自身の結婚を山三郎と新婦の父に祝ってもらった事を諸将によく自慢しており亡き弟
秀長に代わり豊臣、名古屋の両家を代表して嫁ぎ先の森家へ名刀"鎌倉一文字"と
祝いの書状を送っている事から両者の仲はむしろ親密で山三郎が一時的に大阪から
遠ざかったという事実だけで噂が独り歩きしていって収拾がつかなくなっていった次第である。

この大坂スキャンダルは民草に目撃された雑説として知れ渡っていた事から江戸期に
なっても調べ上げる者が多く、この謎の側室が誰であったかを淀君と主張する
"近世奇跡考""嬉遊笑覧""塩尻"を始め、松の丸殿と主張する"泰平漫録""梅屋日記"など
側室が誰であったのか以外はどの書物からも時期、時間、場所等が一致しており
"異本大阪物語"に至っては、御丁寧にこと細やかに逢引方法が書かれている。

が、こんな下地のあるネタが淀殿バッシングの激しい徳川天下の時代で利用されないはずが無く
戦国期にはこの側室が誰か判らない事が民草の想像を駆り立て噂が広がったが、
江戸期にはこの女性を完全に淀殿と断定し、山三郎は弟子の村山又八の息子らが江戸に
歌舞伎座を起した為に現代でも歌舞伎直系の祖とされているが、恰も"歌舞伎役者"名古屋山三郎
戦国の時代に存在したかのように脚色され、歌舞伎発祥以前に淀殿が若い歌舞伎役者連れ込んで
浮気をしていたと云うあべこべ話が成立してしまい、この偶然が重なっただけかも知れない
大阪での出来事は真偽はともかく、最終的に淀殿の不義密通説の土台として定着し、
時期を変え、相手を変え、秀頼の出生まで疑われることに大いに貢献する事になった・・・。

ただの噂が原型を留めずに変わっていく悪い話




120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 01:07:56 ID:w0lRq0It
ab蔵もこの時代のかぶき者と比べれば可愛い方だなw

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 01:14:21 ID:kxcv72cu
山三郎はハッタリじゃなくて喧嘩がマジ強いAB蔵ってイメージ

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 23:39:35 ID:7IbjQlmt
歌舞伎役者と~~~ってな話しは、江島生島事件とかそんなネタがあったような気がしたけど板違いかw

阿部忠秋の茶壷

2010年12月22日 00:03

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 21:51:58 ID:TO1loJjJ
阿部豊後守忠秋が名物の茶壷を手に入れ、これに見合った箱など作らせるため、細工職人を呼んだ。

ところが、職人が懸命に木材を組んでいるスキに、一緒について来た職人の子供が茶壷で遊び出しており、
そのうち壷の口に突っ込んだ手が抜けなくなってしまい、オマケに忠秋の近習たちに見つかった。

「殿様の大事な壷に、なにをしておる!?早く抜かんか!」
「それが、どうしても抜けないんで!」
「ならば止むを得ぬ。その子の手を切り落とすか。」
「そんな!お、お願いします、どうかお助けくだせぇっ!」

父親と近習の剣幕に、とうとう子供は泣き出してしまい、泣き声を聞きつけて忠秋もやって来てしまった。
騒ぎの原因を聞いた忠秋は、
「なにをいつまでも愚かな事をしておる。早う、こうせぬか。」

と言って脇差に手を伸ばすと、その柄頭を茶壷に叩きつけた。壷は打ち砕かれ、子供の手は抜けた。
すぐさま職人は忠秋の前に土下座し、感謝した。

「大切な壷を割ってまで倅を救っていただき、まことに有難うごぜぇます。この罪は、あっしが受けます!
どうかどうか、倅だけはお助けを・・・」

「何の罪だ?」土下座したままの職人を横目に、訳が分からない、という顔をして忠秋は去った。


職人は、泣いた。




907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 22:48:24 ID:M5yl7yy3
俺も泣いた

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 22:50:25 ID:P1VmSyrn
俺も泣いた
潔さにまったく感服だ

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 23:02:48 ID:r7VS/C1n
これは文句なく良い話

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 23:03:17 ID:mvhlA8n1
これぞいい話

この茶壷は修復されて名前伝わったりしてないのかな

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 23:13:56 ID:arsXuBo8
あれこれ言わずただ一言だけ言って去るのがまた格好良いな

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 23:21:58 ID:cUmdBwFm
阿部△

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 23:44:27 ID:M5yl7yy3
>>912
            , '´  ̄ ̄ ` 、
          i r-ー-┬-‐、i
           | |,,_   _,{|
          N| "゚'` {"゚`lリ     
             ト.i   ,__''_  !
          /i/ l\ ー .イ|、
    ,.、-  ̄/  | l   ̄ / | |` ┬-、
    /  ヽ. /    ト-` 、ノ- |  l  l  ヽ.
  /    ∨     l   |!  |   `> |  i
  /     |`二^>  l.  |  | <__,|  |
_|      |.|-<    \ i / ,イ____!/ \
  .|     {.|  ` - 、 ,.---ァ^! |    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
__{   ___|└―ー/  ̄´ |ヽ |___ノ____________|
  }/ -= ヽ__ - 'ヽ   -‐ ,r'゙   l                  |
__f゙// ̄ ̄     _ -'     |_____ ,. -  ̄ \____|
  | |  -  ̄   /   |     _ | ̄ ̄ ̄ ̄ /       \  ̄|
___`\ __ /    _l - ̄  l___ /   , /     ヽi___.|
 ̄ ̄ ̄    |    _ 二 =〒  ̄  } ̄ /     l |      ! ̄ ̄|
_______l       -ヾ ̄  l/         l|       |___|

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/21(火) 18:16:00 ID:tUWAV86S
割らなくても手なんて普通に抜けるだろ・・・

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/21(火) 18:34:50 ID:PPNL95xc
>>919
物にもよるが、茶壷の口はかなり狭いぞ。
後、入れ物の口は入れるより出す方が難しい。徒然草の仁和寺の和尚の話然り。

921 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/21(火) 18:41:24 ID:eOqZj02M
良い茶壷だとこんな感じ。たしかにうっかり手を入れると抜けなくなる事もありそう

万休院茶壷 京丹後市指定文化財
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/kyoiku/bunka/shiryokan/digitalmuseum/data/images/c36-01_1.jpg

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/21(火) 18:42:20 ID:awmvwei9
指輪が抜けなくなる事もよくあるでな。

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/21(火) 18:45:00 ID:Clonsq4H
一瞬「茶壷の中身を掴んでおるのであろう。」って感じの知恵話が来るかと思った。
度量が広い忠秋がかっこいい。

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/21(火) 18:45:50 ID:vTt+wDc4
指輪が抜けなくなったら消防署にな。

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/21(火) 18:46:50 ID:H5JTVFtj
一方ブラックジャックは腕を切った後、再びつなげた

926 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/21(火) 18:50:57 ID:eOqZj02M
そういえば茶壷で思い出したが、童謡の「ずいずいずっころばし」は
将軍に新茶を献上する御茶壷行列が来たら粗相の無いよう家の中に入るように、って内容だそうで。


927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/21(火) 19:16:46 ID:UmyveuxH
壺の中でこぶしを握ってたから抜けなかっただけだったりしてw

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/21(火) 20:29:01 ID:JKOUaWki
なんか小泉八雲のk猥談みたいだな>914

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/21(火) 21:16:49 ID:hvw+D8Wq
ゲヒなら金を流し込んで修理して高く売りつける
三歳なら…

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/21(火) 23:05:43 ID:3emiZKE1
指輪はリングカッターで切ると後の修理がラク ・・・はともかく
>>919
圧迫されてると浮腫んで本気で抜けなくなる

鈴木正三の話

2010年12月21日 00:01

894 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/20(月) 07:28:54 ID:vQUDL0WD
鈴木正三の話

仏教者として有名な正三ですが、生まれは三河則定城主鈴木重次の長男です。
初陣は天下分け目の関が原でした。後の大阪の陣では武功を挙げ200石取りの旗本となっています。
彼は戦場で生死に近かった三河武士の経験を通じて、仏教に傾倒していきます。
ついに42歳のときに出家をします。しかし本来旗本の出家は禁止されています。
しかし、後に名を残す僧のなにか凄いオーラがあったのか、秀忠公が正三の人柄仏法への真摯さに感じたのか、
出家の罪を不問とし、長男正三のいなくなった本家が養子を取ることも認め鈴木家の存続も認めました。
これが正三道人誕生の話です。他のエピソードもありますのでまた書きたいと思います。




鈴木正三の話2

2010年12月21日 00:01

902 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/20(月) 17:51:42 ID:vQUDL0WD
鈴木正三の話2

>>894で話した通り出家した正三。
あるとき正三のもとに一人の百姓が訪ねてきた。

百姓「正三さぁ、ワシは浄土へ往生しとうていつも念仏しとるんじゃが、
   果たしてこれでええんやろうか?」

正三「おお!素晴らしいことではないか。
   念仏の誓いを建ててもすぐ辞めてしまう者もおるのに立派な心がけじゃ。
   ではすこし念仏の参考になる話をしようかね。
   まず念仏には五つの種類があるんだ。
   一つは功徳(善言を成して御利益を願う)の念仏じゃ。
   二つは慙愧懺悔の念仏。
   三つは裁断の念仏よ。この三つめの念仏とは念仏の剣を持って善念、悪念どちらも南無阿弥陀仏と切り払う念仏じゃ。
   四つは末期の念仏。
   五は平等の念仏じゃな。万事に碍えられず、南無阿弥陀仏と、松吹く風と斉しく申す念仏じゃ。
   まぁ、この五種じゃね。」

百姓「正三さぁ、どれも気持ちいい念仏じゃなあ。
   そのなかでもワシは三つ目の裁断の念仏が気にいりました!!
   これ一つでワシの念仏の用は調うですよ。
   本当にありがとうごぜえます。」

と、その百姓は喜び勇んで帰り六年ほどの後、見事な往生を遂げたということである。

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 17:54:49 ID:vQUDL0WD
ちなみに正三道人は曹洞宗の禅者です。
尋ねてきたのは恐らく三河にも多い念仏宗の農家の方です。
他宗派の相手にも見事に法を説いた正三と、それをすぐに理解した百姓。
いい話なので投稿させてもらいました。




904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 18:14:54 ID:7kXG8d/L
鈴木正三って、島原の乱の後で天草地方に禅宗を広めた人だっけ

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 18:16:34 ID:vQUDL0WD
>>904
そう、その人です。
天草でも治水関係かなにかで伝説残していたような記憶がありますね。
また気が向いた時でも調べて書き込みます。