武田信玄の西上州侵攻と見銘寺

2011年01月31日 00:00

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 02:38:25 ID:J/yx0Jcz

武田信玄が西上州に攻め込んだ時の事。
ある山城を囲んだ信玄は、この城には井戸がなく、どこかから水を汲み上げなくてはならない事を見抜いた。

早速周囲を調べてみると、城の西側にある見銘寺という寺の付近に水汲み場があり、
城で働く使用人達は毎日そこから城まで、水を運んでいるのだと判った。

それが判ってしまうと話は簡単。武田軍は見銘寺に軍勢を入れ、山から下りてくる
使用人達を片っ端から撃ち殺してしまう。
水汲みに行った使用人が一人も帰らぬ事で、城方も水源が武田軍に抑えられた事を
悟った。

何度か決死隊を組んで水汲みを強行するも、すべて失敗に終わった城方では、最後の策を立てる。
大力の侍三十人で、山の上の城内から、大石を次々に見銘寺へと落し始めたのである。

大石の一つは見事に見銘寺を直撃。
武田軍は大きな被害を出して兵を退いた……と、ここまでは作戦通り、大成功である。問題はこの後。
大石に押しつぶされた寺から出た炎が周辺を焼き、山の上の城にまで飛び火してしまったのである。

火が漸く治まった時、後に残っていたのは焼け崩れた城の跡……廃墟だけであった。


武田軍では被害は出たものの、戦う事なく城が落ちたのは目出度い事だ。と喜び、
城方では寺を潰した仏罰があたったのだ。と嘆いたのだという。




581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 02:58:44 ID:ltGxFPzO
正に「どうしてこうなった」状態

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 03:06:31 ID:k48A3xtF
これ最初から火攻めしてりゃ落ちたんじゃね?

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 06:05:53 ID:NRL28KJb
孔明「だからアレほど・・・」

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 12:47:39 ID:BG8yuVhZ
まさに「戦わずして勝つ」だな
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雑談・何この無駄な連携力w

2011年01月31日 00:00

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 23:28:37 ID:hMx5wnvo


570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 23:30:55 ID:hMx5wnvo
誤爆失礼

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:16:12 ID:xRSqDpq0


572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:30:31 ID:toLUb0vv


573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:44:52 ID:A16Wvp5r


574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:51:06 ID:fxVtuhGE


575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:54:28 ID:N9F3f4Xw


576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:54:56 ID:4Emvb3Sd


577 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/30(日) 01:32:27 ID:hXY1ZQQc


578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 02:27:14 ID:09VHSzYN
何この無駄な連携力w

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 02:34:28 ID:0D/7hF+i
>>569-577
おい、おまえら!



大好きだ

佐川田昌俊の有名な歌と、それにまつわる不思議なお話

2011年01月30日 00:01

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 22:05:14 ID:iRVaeWLn
佐川田昌俊という人は下野に生まれ、上杉景勝に仕え、やがて関ヶ原の後永井直勝に仕えた
武勇優れた武士であったが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-515.html
ここに書かれているよう、武士としても勿論、歌人としても名が高く、当時を代表する文化人としても知られていた。

さて、彼の主君永井尚政が山城国淀城主となった頃のこと、永井家よりの禁裏への使者として、昌俊が
遣わされた。
この時朝廷の公卿たち、昌俊が和歌の達人であるとの評判を聞いていたため

「喜六(昌俊)よ、一つ歌を詠んでくれないか?」

とせがんだ。これに昌俊

『吉野山 花待つ頃の朝な朝な 心にかかる峰の白雲』

この歌に公卿たちは感嘆し、当時の京で大変な評判となったそうだ。


さて、それから数年の後のことである


ある公卿が嵐山に遊んだ時、その山奥に小さな庵を見つけた。
このような山奥にと、公卿は珍しく思いその庵を訪ねると、庵主である僧に招き入れられた。
そこで公卿と僧は宮中の式礼について、和歌についての興味深い話など色々と面白く語り合った。

この僧が非常に学識深く風雅の道にも造詣が深い事かったため話は興に乗り、春のことであったため、
ふとこの公卿、かつて佐川田昌俊が詠んだあの、吉野山の歌を吟じた。

「さてさて面白い歌であろう?堂上にてもこれほどの歌を讀めるものはおらんよ。」

そういう公卿にこの僧

「それほど褒めるような歌ではありませんよ。この歌は昔、東下総守(東常縁)が詠んだ

『朝な朝な 雲たち添うる小倉山 峰吹く風は花の香ぞする』

という古歌によって詠んだものでしょう」

と言った。


さて、この公卿が帰ってきて親友にこの事を話すと、この友驚き
「それは他の者ではない!佐川田昌俊が隠遁して世をのがれ、そこに住んでいるのだろう!」

翌日公卿とその友はうち連れて再び嵐山に分け入り、かの庵室を訪ねたが、その庵は既に崩し捨てられ、
庵主はどこかへ行き去った跡だったという。

佐川田昌俊の有名な歌と、それにまつわる不思議なお話。




456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 22:08:37 ID:hii+OybT
言葉のなまりで分かるだろ、とか突っ込んじゃだめ?

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 22:46:31 ID:Alsf5Fmn
なまりだけで個人を特定出来るものなのかとも思う
京の都だし・・・

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 23:02:48 ID:UxDpwWfS
ケンミンSHOWのマスターみたいな人かw

一級剣豪塚原卜伝と恥知らずな左太刀の兵法者

2011年01月30日 00:01

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 23:12:15 ID:r5cdqpI7
一級剣豪塚原卜伝と恥知らずな左太刀の兵法者

鹿島神宮の祠官卜部氏の子であるからリアルではモンクタイプの卜伝さん
ある時この卜伝、相当な使い手の武芸者に試合を挑まれたが
好かろう受けて立つ!と二つ返事。
さて自分の門人達に対戦相手の兵法者の情報を集めさせてそれらを聞き出した。
それによると、かの者は過去数度の木刀の試合に勝ったことがあるが
その時の状況は何れも通常の刀の持ち方とは逆の左手が上で右手が下の柄尻の方を持つ
左太刀という構えで、しかも勝を決めた時は必ず片手で敵を打つていたと言う。

 「右兵法人の数度木刀の仕相に勝利有作法様子を聞くに、構えは左太刀、
  扨勝利は右か左か必定片手にて利をする」

これを聞いた卜伝は何を思ったのかこの兵法者に
卜伝「おいィ?左太刀は普通の構えじゃない奇策だから勝っても卑怯すぐるでしょ?
天下に鳴り響いた卜伝と立ち会うのに左太刀はどちらかというと大反対だな」
と使いを送り、なおも「おい、やめろ馬鹿」「この仕相は早くも終了ですね」など
十度にも渡って使いを出したのだが相手の兵法者も卜伝からの使いが来るたびに
兵法者「左太刀の片手打ちをいやと思し召し賜わば、勝負する前から卜伝の負けにせられよ」と返事する。
むしろどちらの方が卑怯未練の振る舞いであろうか?と思われるが
そうまでしておきながら卜伝はこれで勝つる!と試合に挑む。
 
「そこにて卜伝仕相に仕る。卜伝勝利疑なし」

いざ立会いとなった時、相手の兵法者は額から一気に鼻唇まで切り裂かれて卜伝は勝利した・
この卜伝の戦いを甲陽軍鑑の結要本においては
「是全く一つ太刀の心静に名人の故也、相手も上手なれ共未名人にあらず、意地計也云々」と評す。




460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 23:31:53 ID:NtjGRIFW
確かこれって、左か右か判らない相手の構えを、「左太刀は卑怯!」「左太刀はヤメロ!」
と粘着する事で、逆に左太刀を使うよう、追い込んだって言う話でしたよね。


461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 23:37:35 ID:zAyXf/3q
こういった話は現代にも通じるものがありそうですね
いつぞやの日本シリーズとか

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 05:49:12 ID:jX5bYIY4
森と野村の化かし合いか

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 09:25:42 ID:hwuXeX/P
田淵が苦手なシュートを投げさせないために
打ったのはシュート、とコメントしてたのと同じ感じ?

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 11:25:09 ID:6MAAxpMB
>>463
どっちかというと「俺はシュートが苦手だ、シュートは嫌だ」と言い続けて、絶対にシュートが来る状況を作った上で
そのシュートに山をはるってことじゃないかな?
絶対に来ると分かっていて準備していれば、少々ややこしい業でも対処できる、ってことで。

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 11:43:15 ID:OseatOna
戦う前から呑まれていたということじゃ(キリッ

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 11:43:21 ID:rq8Z4UHq
そっくり話で、徳川家中で浜松から見附に本拠地を移そうかという話が出たとき、
敵である武田家方面から「見附はやばい!見附は困る!」って声が聞こえてきて

家康「あれどう思う?」
酒井忠次「浜松より見附に我々がいた方が、武田にとって都合がいいってことです」

ってのがあったな。

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 12:44:25 ID:nNLLY4K8
意地計と言うのが相手を意地っ張りにする計略と言う意味ですから
押すなよ?押すなよ?絶対に押すなよ?と言われると押したくなる
日本人には効果的な計略だったんでしょうねw

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 13:08:02 ID:X1hp5UO1
>>459
宮本武蔵
「武士なのだから死ぬ覚悟は当り前。
死の覚悟は武士でなく、坊主、女、百姓においても、
義理、恥を知る者なら覚悟出来るものである。
武士の行う兵法の道は、何事においても勝つことを基とする。」


剣豪の考え方も興味深いね。
余談、塚原卜伝が宮本武蔵の打ち込みを鍋のフタで阻止したのは創作だとのこと

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 13:17:23 ID:Ks8Y3evL
見附は遠江国府や国分寺があった要所だけど、軍事拠点としては水確保の
目処がつかなかったそうで。
武田が大井川越えでなく伊那から侵攻してきたことから考えても、天竜川流域と
浜名湖両方を睨む浜松の方が優れていたんだと思う。
下手をすれば吉田城を落とされるような最悪の事態もあったかも。

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 14:39:46 ID:E4U6xfhE
>>459
ちょっとオーストラリアの監督に「高さのサッカーは卑怯」「高さのサッカーはツマラナイ」ってメールしてくる

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 14:59:09 ID:4wCFdztF
元就も「厳島取るなよ!絶対取るなよ!」言って上手くやったな

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 16:12:21 ID:klcJqwxd
でも謙信が「信玄は卑怯」「北条は籠城ばかりでつまらない」って言っても誰も相手にしなかったけど
その辺が所詮無名の武芸者風情ってことか

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 16:53:48 ID:rq8Z4UHq
>>472
信玄「あいつ強いけど馬鹿だからなあ」

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 18:49:59 ID:uQurS41E
王将で王手

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 19:10:46 ID:941ndqfO
信長「今度、拠点を清洲から二ノ宮山に移転するから引越しの準備をしておけよ」

家臣一同「あんな不便なところ行きたくねーよ」

信長「移転先はやっぱ小牧山にするわ」

家臣一同「小牧山ならまあいいか」




信長「ニヤリ」

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 19:11:47 ID:X1hp5UO1
>>472
謙信が言うと駆け引きじゃなく本音な気がするから不思議だw
センゴク謙信のイメージでw

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 19:13:21 ID:PCU6yu/d
最初に相手が承服しないであろう条件をあえて出して反対意見が出た所で妥協案(実は本命)を出すってのは交渉事の基本らしいな。

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 19:15:03 ID:MBdnPsdH
>>473
氏康「そのうち飽きて帰るさ、いつものこと」

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 19:35:14 ID:uJihSEWc
TERU 「承認されないだろうと萩に城を築くと申請したらあっさり承認されてしましました。」

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 19:44:08 ID:O5L1PCxF
>>473
その上、無礼な奴ときてる!

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 19:50:03 ID:+P6ClNBt
>>477
コーデル・ハル「次の段階の交渉のために無茶ぶりしたらいきなり戦争になりました」

鍋島勝茂、城を新築したら…

2011年01月30日 00:00

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 00:28:11 ID:K4fmYetH


鍋島勝茂が佐賀を治めていた頃の事。
龍造寺家の村中城を大改造し、佐賀城が鍋島家の居城として生まれ変わった時の事
である。

勝茂は既に隠居していた父の直茂に新しい居城を自慢したくて、お披露目の為に佐
賀へと招待し、自ら佐賀城を案内した。
「あそこから攻められた時はここでこう防御します」
「ここが弱いので、あっちでこうしてそれを補うのです」
「いざと言う時はあそこでああして……」

勝茂は城の隅々まで、父にお披露目し、知略の限りを尽くした防御のノウハウを説
明した。
それは師である父、直茂への挑戦だったのかもしれない。
だが、父の反応は……

「……これだけ?」
「え? は、はい。そうですが……」
「じゃぁ、一つだけ、お前が忘れている物があるね」
「そ、それは何でしょう!?」

「お前が腹を斬る場所。この城にはそれが用意されてないよ」


その後、直茂は国の防衛というものは『城』やら『陣立て』で行うものではなく、
『人の和』が大事なのだ。敵が攻め寄せた際の戦術、戦略をあれこれと決めて置く
よりも、周囲の者達への気配りこそが大事であり、いざと言う時に命を捨てて守っ
てもらえるような主君になる事こそが肝要である。と勝茂を諭したのだという。


城を新築したら「この城は落城するから切腹する場所を用意しとけ」と叱られたで
ござる。の巻。
やっぱり叱られるんだな……勝茂さん……




558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 02:59:42 ID:SnQMlMfi
よくぐれなかったもんだと思うよ

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 08:39:13 ID:V4gJ46j+
息子の考え違いを諭すにしても、もうちょっと言いようってものがあるでしょうに直茂さん

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 09:34:43 ID:oQEWojKz
何となく勝茂と勝頼がかぶる

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 11:10:56 ID:GSUXXxBh
というか佐賀城の改築って、直茂が計画して取り掛かって、勝茂が完成させたんじゃないのか。
途中で縄張りとかを大きく変えないのなら、直茂の説教は自作自演というか
親父の構想通りにやった息子に、「言った通りに完成させたのは良いが、家中の統制にも気を配れ」と
忠告しているようにも見える

年寄りの武辺争い

2011年01月29日 00:02

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 22:30:34 ID:I9P1dmMH
大坂の陣も終わり、世も太平となった頃の事、
永井善左衛門の所に、板倉重宗が招かれた。

この時相客は石谷十蔵、横田甚右衛門(尹松)、大久保彦左衛門(忠教)、今村九郎兵衛、であった。
みなみな戦場生き残りの、老勇者たちである。

この頃今村は槍奉行、大久保彦左衛門は御旗奉行であった。
まず、今村が彦左衛門に食って掛かる

「わしは長久手でもどこの鑓場でも、人が十回かかるほどの働きをやって来たというのに
何のご褒美もなかったわ!彦左、おぬしはどれほど優れた働きをして、その様な結構なお役を
頂いたのだ!?」

これに彦左衛門
「わしは長篠で、鬼神のごとくと言われた岡部丹波を切り落とし、本多主水(彦左衛門の郎党)にその首を
取らせたわ!その他にもちくちくした事は数多あるが、まあ、甲州者などでは逃げたことが高名になるそうだ。」

これを聞いて黙っていられないのがその甲州者、そして高天神落城の際脱出した旧武田家家臣横田甚右衛門である。

「それがしが高天神城にこもったのは、『この籠城は運を開くことは出来ません』と勝頼様に申したのに
同心いたして頂けなかったゆえ、しからば一応勤め、どうしても駄目になれば敵を切り抜け、再び勝頼様に
お目見えいたしますと君臣約束した故である!!」

そう聞いても彦左衛門
「それは狭間潜(さまくぐり:城中から狭間(さま)を潜って逃げる者。転じて、逃亡者、臆病者)というものじゃ!」

「はっ!しかしあの時わしは三河者の頭の上を越えて行ったが、そのわしを指さす者すらおらんかったわ!」

「それはまあいい、ほかに何か無いのか?」

「ふん、そうだな、芦田小屋(芦田城)でも最も骨を折ったのはこのわしであった!」

この言葉に彦左衛門
「ほほう!芦田小屋から横田が逃げたという話は聞いていなかった!」

これには横田たまらず
「皆の衆あれを聞いたか!?三河衆は口が悪いから、人の武辺を言い貶す!全く意地の悪いことだ!
近藤石川といった連中に起請を書かせた上で言わせれば、ありのままに話すのだろうが。」

老勇者たちのいがみ合いヒートアップ。今にも発火せんばかりの空気の中、
ここで板倉重宗が割って入った

「いやはやいやはや!皆様はもはや老年でもあり、孫や子の事ばかりお話されると思っていたのですが、
武辺争いをなさるとは、近頃奇特なる事で、若き者の後学の為にも良いことです。
さあどうぞどうぞ、いくらでもやってください!さましく御重宝というべきものです!」

…と

この板倉重宗の言葉に気恥ずかしくなったか逆に白けたか、老勇者たち黙ってしまい、座敷の空気も
静まったそうである。

年寄りの冷や水ならぬ年寄りの武辺争い、と言うお話。
しかしまあこの人達、仲が悪いというより、そう言うコミニュケーションだったんでしょうねw




446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 22:50:41 ID:Q9lZeOBv
>>444
乱世を生きた武人の気質なんだろうな
日露戦争時に薩長出身者が幕末の活躍を話してると、
桑名藩雷神隊だった立見尚文が、
「キミら、オレの隊からは逃げてたよね?」
みたいにチャチャ入れたりしてるしw

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 01:06:37 ID:swpyhMCd
しかし重宗もどうかしてるな
あの彦左がのほほんと孫の話なんてするわけがないくらいわかりそうなもんだが

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 01:10:14 ID:iRVaeWLn
だからあてつけというかしらばっくれというか、そういう事なんだよと思うよw>重宗
「あんたらもう孫がいるような歳なのに、そう言う子どもみたいな意地の張りあいしてて
それはどうなの?」
って底意で言っているんだよ。


451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 01:40:36 ID:hii+OybT
戦場往来の爺ちゃんたちは我が強すぎるねえw

452 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/28(金) 03:58:35 ID:MhR7EtTZ
どうにも収まりのつかない口喧嘩を全員誉め上げてて収める、
さすがは板倉Jr.という話




関連
大久保忠教と横田尹松が・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1658.html

天正15年、安芸の宮島水精寺歌会

2011年01月29日 00:01

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 22:34:20 ID:+Dhh+RyE
1587年(天正15年)島津征伐に向かう途中、安芸の宮島の水精寺で歌会を開いた秀吉たちが詠んだ歌
豊臣秀吉
ききしより 眺めにあかぬ 厳島 見せばやと思う雲の上人

長束正家
宮島の 春の景色は 君が代の 風ふかぬとや花もしるらむ

増田長盛
ゆく舟も 君がみゆきの 折をえて 浪もしづけき春の宮島

石田三成
春ごとの 頃しもたえぬ 山桜 よも霧島の心ちこそすれ

大谷吉継
都人に 眺められつつ しま山の 花のいろ香も名こそたかけれ

ここで長束と増田のいう「君」=秀吉だよね。
あと大谷の「しま山」は島津とかけている、と思う
資料に歌の意味とか背景の解説がないんでなんとなくしか分からない…
詳しい人がいたらお願いします




547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 22:55:03 ID:pwnIT3PV
大谷吉継の和歌を
「この宮島の景色は全国で有名なのは、都人が評価しているからなのだ(自分の目にはそうでもない)
同じように「島なんとか」とかも有名だが、実際はたいしたことないだろう」
と解釈してしまった
いや、三成でもあるまいし、そんな空気を読めないことは言わないか

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 23:15:46 ID:I9P1dmMH
>>546
大谷さんのは素直に
『(秀吉などの)都から来た人々に眺められているためか、厳島の山に咲く山桜の色や香りも、
より一層引き立っているようである』

でいいと思うよ。

あと順に
秀吉『聞いていたよりもずっと眺めていて飽きない厳島の風景である。
    京の宮中の人々にも見せてやりたいものだ』

長塚『宮島のこの春の景色の中に、確かに君(秀吉の)の世の風が吹いているとは
   花も知らないであろう』

増田『海を行船も、君(秀吉)の行幸という素晴らしい時期を得たため、静かな波の中を
    進んでいく春の宮島の風景である』

石田『春のたびの、とりわけて花の盛んな時期の山桜である。
    その花の盛んな様は既に、ずっと南にある霧島にいるような心地がする』

こんな感じかと

550 名前:546[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 23:55:00 ID:+Dhh+RyE
>>549ありがとうございます
ひらがなで「しま」って書いてあるから掛け言葉だと思いこんでた。
霧島って今噴火してるところだけど桜の名所なのか



551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 23:59:17 ID:mvYmcyAc
ttp://www.city-kirishima.jp/modules/page059/index.php?id=18

桜特集するサイト市がつくっとるね
まぁ当時どうだったかは分らんけど適してはいたんじゃないか

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 00:05:34 ID:gANGkQga
長束と増田は諂ってて好きになれんないかにもって感じだ

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 00:10:29 ID:ug6x0t/F
秀吉は辞世も名歌だが、何気にこの歌もいいな。

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 00:52:35 ID:swpyhMCd
秀吉の歌は変に捻ってないシンプルな構成だから俺も好きだわ

555 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/28(金) 05:43:55 ID:MhR7EtTZ
俺には大谷の歌は>>547の意味に思える。
ていうかこれ悪い話なのか?

大村純忠、小鳥を

2011年01月28日 00:01

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 20:55:59 ID:Odb2kL0S
病に伏せる大村純忠は自分の死が近いことを感じていた。
そのせいか彼は捕虜200人を解放した。
そして自分が可愛がっていた小鳥も籠から放してやろうとした。

だがもう弱りきっていた純忠は、それを侍女に頼んだのである。
「すまぬが小鳥を放してやってくれんか・・・」
「かしこまりました」

ところが侍女の小鳥の扱いが雑だったようで
「ゴルァ!小鳥ちゃんをもっと大事に扱わぬかーっ!(゚Д゚#)」
純忠は激怒してしまったのである。

(はっ、いかん。怒ることはゼウス様の御意志に反するに違いない)
と我に返った純忠は
「怒ってすまなかった。しかし、小鳥はゼウス様が作られたのだ。
ゆえにわしは小鳥を可愛がっておる。ぜひ、お前もそうしてほしいのだ」
と言って侍女に立派な帯を与えた。死の前日のことだったという。




430 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/26(水) 21:18:25 ID:3kBGhh5W
立派なクリスチャンだな

徳川家康「軍勢にああいう勢いがついたときは」

2011年01月28日 00:00

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 02:02:36 ID:I9P1dmMH
小牧長久手の時のこと

かさにかかって攻める徳川軍は、先へ先へと乱入する。
これに徳川軍の部隊長たちは「止まれ!止まれー!」と制しようとするが、その命令も耳に入らず
少しも止まらない。

この時家康

「軍勢にああいう勢いがついたときは、止めようとしても止まるもんじゃない。
まあそのままにしておけば、先で敵に合って止まるだろう。
我らはそうなった時すぐに対応できるよう、即刻備えを立てよ。」

と命じた。
案の定その軍勢は先で待ち受けた敵と遭遇したが、後方の備えが万全であったため
大きな問題にならなかったという。

おそらくこう言うのが戦場の呼吸というものだろう。そんな事をちょっと思わせるおはなし。




433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 05:20:08 ID:YHbHGYoa
>>432
名人久太郎にそれで痛い目に合わされてたと思うんだが

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 11:22:46 ID:AdE/I6zM
>>433
それ家康本体の到着前だわ

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 16:47:36 ID:GyfVzBbb
先鋒倒して調子乗って家康に攻めかかったら今度は堀が敗退してたなw

秀忠の陣が前線に近いから

2011年01月28日 00:00

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 15:29:05 ID:jr6G3fvh
宗茂が秀忠の陣が前線に近いから下がったほうがいいよって言ったけど秀忠が無視
そしたら矢が飛んでくるなどの大坂方の勢いで供回りが動揺したもんだから
秀忠がちょっと下がろっか?って宗茂に意見を仰いだら今度は
宗茂曰く「大坂方はもう疲れが見えます。ここで下がったら味方の士気に影響します」
そしたらほどなく大阪方が次々撤退した

っていうような逸話をみたことがあるんだけどなんだったっけな?




543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 15:53:14 ID:yB5s8aPc
冬ではなくて夏の陣でしょうね。冬は離れた場所に布陣していたから。
夏の陣では、真田、毛利の猛突撃に続いて右翼側から
大野らの混成部隊が秀忠の本陣に突っ込んだのでは。
秀忠自ら槍をとって、立ち上がり、とか。

宗茂は秀忠の相談役だったから、そんなこともあったかも。

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 16:03:12 ID:O1pVA/d4
>>542
ここで見たと思ったけどまとめにはなかったな

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 17:01:13 ID:tNt0E/u+
大炊頭との絡みだったらあった気がする

週刊ブログ拍手ランキング01/19~/26

2011年01月27日 00:02

01/19~/26のブログ拍手ランキングです!


とある大名が領地に帰るときの話 103

立花宗茂と安東助四郎 74

九州征伐の黒田家家臣、吉田六郎太夫、又助父子 72
渡辺半蔵は震えた 65

島津の退き口と北原掃部 57
大阪陣勝利、家康政宗対面の事 44
三河一向一揆、大久保忠世と本多九郎三郎 39

徳川家康、秀頼が怯えたことを 38
蘆名盛氏、盛隆と松本家 30
後藤又兵衛の忠告 30

増田長盛、三成に怒る 29
天正十四年五月の沼田城攻め 29
島津の退き口のわけ 29

前田利家、妨害される 17
織田信長は気分が晴れないとき 17
真田家の深井某 13

豊臣秀吉、尾藤知宣の殿に 12
黒百合の呪い。。。(別バージョン) 12
長尾輝景の川田城攻め 8
合計 1144


今週の1位はとある大名が領地に帰るときの話
徳川家康の意外な(?)酔態のお話。そういえば家康とお酒の逸話というのも余り見たことがありませんね。
二重の意味で珍しい逸話かも?

2位は立花宗茂と安東助四郎
こちらはいかにも宗茂らしい、家臣を励まし奮起させたお話。
いつの時代も安東さんのように、人から足を引っ張られることはあるものですが、そういう時、
この宗茂のような上司がいて欲しいと思っちゃいますねw

今週管理人が気になったのは蘆名盛氏、盛隆と松本家です!
これぞ洞中というべきか、されど洞中というべきでしょうか?w;
こんななのに立場的には蘆名盟下。gdgdと言うだけでは済まない、あまりに不思議な関係ですね。

今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました!
いつも本当にありがとうございます。
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいねー
( ´ω` )

葉隠から生け花の話

2011年01月27日 00:02

420 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/26(水) 15:20:38 ID:3kBGhh5W
葉隠から生け花の話

山本常朝
「あるとき、太閤様が大名衆を集めて生け花の会を開いたのだが、
直茂公の前にも花器と生花が用意されていた。
ところが直茂公には生け花の経験がなかった。
そこでどうしたかと言うと生花の束を鷲掴みにして、
そのまま剣山に突き刺して太閤様に差し出されたのだ。
それを御覧になった太閤様は、
「形は悪いが、心意気は見事である」
と、言われたとのことである





421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 15:52:22 ID:7UrYXUCq
>>420
> 「形は悪いが、心意気は見事である」

こう言うしか無かったんだろうなw
テストで「0点だけど全問きちんと答えているのがえらい」みたいな。

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 16:17:13 ID:Jif0yKC2
直茂さんが、めんどくさい人たちじゃなくてよかったなぁ~
つか、葉隠も結構めんどくさそうなイメージあるなぁ~

423 名前:420[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 17:00:43 ID:3kBGhh5W
補足

本文で剣山と意訳しましたが、
この時代、今のような針のついた剣山ではなかったらしいです。

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 18:25:23 ID:JFxT9qfj
秀吉はいつ頃生け花なんかやったんだろう
少なくとも信長の下にいたときはやる暇なんかないよね

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 19:02:20 ID:6rsQ2ZgU
鍋島には知恵と勇気はあるが大気がない

だけど心意気は見事なのか。
よくわからんなあ

426 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2011/01/26(水) 19:07:29 ID:qAr9Fg9L

>>424
京都で奉行やっていた時じゃないか?

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 19:58:20 ID:ZUSyDy2o
>>421
人によるだろうな
先日悪い話に出てた尾藤知宣ならとんでもないことになってたかもしれん
直茂の人物が良かったんだろうな

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 20:05:21 ID:WUtUPlqR
なんで親父は何をやっても評価されて、息子は何をやっても駄目だし食らうんだろう・・・鍋島家

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 00:57:28 ID:eUCKijbu
>>421
漫画の持込みで褒めるところが無い時に「最後まで描きあげたのは偉いですよ」と似たようなもんだなw

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 09:51:30 ID:aMdOUEmA
>>428
葉隠自体が直茂や茂安と同世代の爺さんが
勝茂世代の人間から閑職に追いやられて、「あの頃はよかった」と漏らした愚痴を拾い集めた本だから

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 17:54:58 ID:z5PU0W9c
>>434
三河物語ならぬ肥前物語ですか

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 18:14:03 ID:v/AJCwHq
「葉隠」に関しては、大隈重信(元は佐賀藩士)が「あんなもの読むな」とか酷評
していたという逸話をどっかで読んだことがあるんだけど本当なのかね?

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 18:22:31 ID:v/AJCwHq
ごめん、ぐぐったらそんな感じのがあった。
ttp://www3.bunbun.ne.jp/hutongmi/054.htm

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 18:23:32 ID:oO99siU5
藩校退学になった人ですもんw

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 19:19:22 ID:Ui7vkMc2
大隈重信は佐賀藩(というか、鍋島閑叟)の若い秀才への猛勉強の強制且つ酷使が大嫌いだった人だから仕方ない

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 19:52:43 ID:Q9lZeOBv
>>439
リンク先読んだけどありきたりな葉隠論だな。
佐賀藩主に尽くすのが視野が狭いとする論だけど、
尊皇思想が登場する前の書物にそれを求めても・・・
現代日本人でもオバマの方針より身近な日本政府の政策に従って(あるいは反対)していくしかないのと一緒だ。

三十六人の榎本城攻め

2011年01月27日 00:01

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 01:54:22 ID:D1skHDJM

下野国の佐野宗綱が佐竹氏と手を組み、北条氏に抵抗していた頃の話。
宗綱に取ってはお隣さんである藤岡城と榎本城が佐竹氏と手を切り、北条方に寝返
るという事件があった。

宗綱は激怒し、すぐに両城を攻撃する準備を始める。
そんな時に配下の将、山上藤七郎を筆頭にした若者三十六人が、宗綱の許可を得る
事なく、榎本城に夜襲を仕掛けた。

榎本城はこの奇襲に狼狽し、まともな抵抗が出来ないまま、藤七郎らに城中への侵
入を許してしまう。
しかし、彼等の快進撃もここでタイムアップ。城を落しきれないまま、夜明けを迎
えてしまった。

周囲が明るくなった事で、佐野勢が少人数である事を知った榎本城は、ここで漸く
反撃を開始。
藤七郎等は七人にまで討ち減らされ、退却せざるを得なかった。


藤七郎達の行動を知った宗綱は、命令違反の抜け駆けを行った上に、多数の犠牲者
を出して逃げ帰ってきた事に激怒。
主君の怒りを知った藤七郎は「大庵寺にて切腹いたします」と言い残し、城を去っ
た。

周囲の家臣達の取成しもあり、何とか許しを貰ったのだが、その報せが大庵寺に届
くより早く、藤七郎は切腹を遂げていたという。


「戦うべきでない時でも合戦をする連中」はここにもおりましたとさ。
しかし小城とはいえ、三十六人で城攻めって無茶すぎるだろ。




細川興元「丹羽五郎左衛門(長重)、立花飛騨守(宗茂)の勢の働きは」

2011年01月27日 00:01

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 11:07:22 ID:qyIOF+62
珍しく立花宗茂関連の悪い(?)話

大坂の陣の時のこと
細川忠興は弟である細川玄蕃頭(興元)にこんな事を尋ねた

「丹羽五郎左衛門(長重)、立花飛騨守(宗茂)の勢の働きはどうか?」

玄蕃頭答えて

「丹羽、立花の勢は散々の不出来です。前に彼らに良い働きが出来たのは、
それぞれの重臣であった江口三郎右衛門、十時孫右衛門(連貞)が居たおかげでした。
ところが今回はその両人が居りません。そのため、丹羽立花勢は散々の体となっております。」

このように立花の事も散々に言っている細川興元だが、この人の妻は立花宗茂養女(高橋鎮種の娘)
だったりする。親戚なのだ。親戚故にきついのかも知れないが。

ともかく細川興元、丹羽、立花勢の働きを酷評する、と言うお話。




532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 11:14:54 ID:eoJXUVWq
>>531
どちらを信用するかにもよるなw
十時さんが有能な人なのはわかるが
でも大坂の陣だと判断しづらいような

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 11:15:24 ID:u/iuNDjH
>>531
おおっ、やっと悪い話らしいのが出たなw
丹羽と立花って両方とも改易された者同士だけど
一度組織が吹っ飛ぶと立て直すのは難しいんだろうか?

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 13:47:26 ID:msrWOVwI
あれ?大坂の陣の時宗茂前線に出てたんだ

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 21:50:03 ID:nEYal3qI
>>531
十時さんっていうと、どこまでも宗茂にもついて行った人ってイメージだったけど、
大阪の陣には居なかったのかね、意外。

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 01:28:11 ID:xTtBHvpr
もう由布も小野もいないから留守番じゃないのかな

>>534
関ヶ原の汚名返上を期した秀忠の護衛

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 01:50:24 ID:q/p6M57N
秀忠もかなり崩されたんじゃなかった?大坂の陣

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 05:26:17 ID:YHbHGYoa
>>540
いや、全く。
秀忠の指示で攻撃した部隊が失敗して家康に怒られるって事態はあったけど。

成田甲斐姫、真書太閤記より

2011年01月27日 00:00

甲斐姫   
535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 14:51:44 ID:hfRjro5C
成田甲斐姫の活躍については
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-451.html
をみてくれい。

ともかく、甲斐姫は秀吉の側室となり、成田家は下野烏山に移封となった。
しかしそれについて真書太閤記には

『ひとりの妖女、一、二寝の間に三万石の地を進退す。
秀吉薨じて墳土乾かざるに、たちまちにして乱起これども、重恩の諸将これに死をいたすものなきゆえん』
とある。

つまり豊臣恩顧の諸将が「やってらんねーぜ」と、見切りをつけてしまったというのだ。
1行目-2行目のつながりが強引過ぎるとおもうが、真書太閤記の作者栗原柳庵は不快に思ったらしい。

あ、この本江戸後期のものか。




小倉祇園祭由来

2011年01月27日 00:00

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 17:34:55 ID:JI0vbB6F
関が原の戦いが終わってしばらくしたころ。

新たな封を豊前に得たが、日ごろ温厚で心優しき細川三斎公、
愛する夫人を失った痛手からまだなかなか立ち直れずにいたのであった。
そんな鬱々とした気分のある日、気晴らしにと小倉の城からさほど遠からぬ
長行の地に公は鷹狩りに出たのであった。
紫川の西、肥沃な広野が広がり小高い丘の起伏が織り成す地は
良き猟場であった。
久々の狩で汗をかいた公が、荒れはてた祇園神社に休息を求めた。
その昔、この地の豪族長野氏が手厚く保護したころは
ずいぶんと栄えた神社であったが、公の目の前には
朽ち果てつつある本殿が見えた。

憐れに思った公、ご神体の状態を仰ぎ見たく扉を開けようとしたのであったが、
長年の雨露泥に汚れ果てた扉であったから、思わず手にした鞭を差し伸べて
扉を開けてしまった。

その瞬間、本殿から1羽の鷹が飛び出し、公の両目をしたたかに蹴りつけた。
そのまま鷹は大空に飛び去っていった。
その直後である。公の眼前は暗転し両目が見えなくなった。

あまたの戦場を駆け抜け武勇の誉れ高い公であったが、
おおいに恐れおののいた。その場にぬかずき、
おのれの無礼をわびにわびた三斎公であった。
暫くすると不思議なことに片目だけが見えるようになった。

ほっと安堵する公であったが、見えなくなった片方の目も快癒を願った。
そのために立派な社を新たに造作したのみならず、
領内三箇所に祇園神社を分詞したのであった。
その社の一つが今も小倉城内八坂神社に残っている。
さらに京都の祇園祭りに負けじと、小倉の祇園祭を創始したのも三斎公であった。
似ても似つかぬ男くさい祭りとなってしまったが。




537 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/26(水) 18:36:21 ID:HJyJbuAi
                 , '´  ̄ ` 、 , '´  ̄ ̄ ` 、 
                , '´  ̄ ̄ ` 、i r-ー-┬-‐、i 
                 , '´  ̄ ̄ ` 、 |,,_   _,{|
                i r-ー-┬, '´  ̄ ̄ ` 、゚`lリ
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                 i r-ー-┬-‐、i _,{| .イ  
                 ト| |,,_   _,{| {"゚`lリ )) 
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                 ⊂ \ ー .イ  ⊂ )
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                    (⌒)|三 `J 
                    三 `J
                 神木→ |
                      ⊂( ゚д゚ )
                        ヽ ⊂ )
                        (⌒)| 
                        三 `J
              ∧_∧
             ((ヽ(    )ノ)   ∧_∧
             ヽ ̄ l  ̄ ./ (ヽ(    )ノ)       ∧_∧
     ∧_∧   | . .  |     ヽ ̄ l  ̄ ./      (ヽ(    )ノ)
   (ヽ(    )ノ)(___人__ )    | . .   |  /⌒ヽ  ヽ ̄ l  ̄ ./
    ヽ ̄ l  ̄ ./  ; 丿 し    ( _,;*;,__ (ヽ(    )ノ) | . .   |
   ∧|_∧  ||    ∪       ∪  ; 丿 ヽ ̄ ∧_∧ (___人__ )
 (ヽ(    )ノ)      ∧_∧     ∪   (ヽ(    )ノ)丿 し 
  ヽ ̄ l  ̄ ./   (ヽ(::::::::::::::::)ノ) ∧_∧  ヽ ̄ l  ̄ ./

一本の「神木」を巡る熱い男の闘い・・・西大寺会陽(はだかまつり)
毎年二月第三土曜日 岡山市西大寺町

織田信長は気分が晴れないとき

2011年01月26日 00:01

396 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/25(火) 15:27:35 ID:+3nNqy0O
織田信長は気分が晴れないとき、
「狂おうでや」
と、家臣らを引きつれ喚声をあげながら馬を狂ったように乗り回したという。
これが「お狂いあそばす」信長のストレス解消法であた。
と同時にチャッカリ馬術の訓練にもなっているところはさすがだw




398 名前: [―{}@{}@{}-] 人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 20:12:38 ID:WKMavWIg
>>396
>家臣らを引きつれ喚声をあげながら馬を狂ったように乗り回した
やっている事は現代の珍走と大して変わらなさそうなのに
妙に格好良く見えるのはやはり格の違いというべきか。

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 20:24:56 ID:8T1F/COF
信長が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたら格好良く感じるし
政宗が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたらまた政宗だよ…だし
長可が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたらこのDQN次はどこ攻める気だよ!だわな

そして一条さんなら家臣がついてこず一人で馬を狂ったように…

400 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/25(火) 20:29:33 ID:be7sKMEB
別にかっこよくもなんともないが ただのDQNとしか

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 20:31:21 ID:+3nNqy0O
>>398
尾張連合
みたいなw

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 20:32:31 ID:0pCPIw3z
謙信が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたら北条は引きこもりになるし
信玄が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたら家康はウンコもらすのか

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 20:32:36 ID:Ntp4zmAT
畠山が女引き連れて馬上に狂ったように乗り回させたらエロい

豊臣秀吉、尾藤知宣の殿に

2011年01月26日 00:00

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 13:10:55 ID:7BjZsWcw
豊臣秀吉による九州役の時のこと

ある合戦に置いて秀吉は、尾藤甚右衛門知宣に殿を命じた。さらに

「今日の殿は大変重要である。撤退中敵が追って来ても絶対にそれと戦ってはならない!」

さて、実際に軍を引き上げると、案の定敵が追ってくる。尾藤は命令通りにこれを相手にせず
引き上げ作業を続けたのだが、はるか後方の山上にいた秀吉は、その様子を見て激怒した

「どうして尾藤は合戦をしないのだ!?あいつは大腰抜けだ!!」

そうしているうちに無事兵の撤収を完了させた尾藤が戻ってくる。「何故戦わなかった!?」
尾藤の顔を見るやいなや秀吉は猛然と叱りつけた。

これには尾藤も戸惑うしか無い
「先に、絶対に戦ってはならないと命ぜられました。それ故に相手にしなかったのです。」

しかし秀吉
「合戦をしないようにとの命令は大法である。だが明らかに敵を討ち取る事の出来る状況に引き込んだ時、
これと戦わないのは目が明いていないのと同じことだ!
まあ佐久間備前、大膳兄弟のように、戦うべきでない時でも合戦をする連中よりはましだろうがな!」

そう言って尾藤を下がらせた。
ちなみにこの佐久間備前、大膳兄弟とは、賤ヶ岳の結果死んだ佐久間盛政の弟たちだだったそうだ。

ところでこの場に蒲生氏郷がいた。氏郷は秀吉に
「先程のお言葉、佐久間兄弟にとって誠にかたじけない仰せでありました。
そこで佐久間兄弟を、私に家臣として頂けないでしょうか?」

秀吉はその望みを許し、氏郷に佐久間兄弟を与えたということである。秀吉に悪例として出された
佐久間兄弟への、氏郷のフォローだったのだろうか。


とにかく全部の歯車がかみ合っていない感じの、妙にもやもやする九州役のヒトコマ。




514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 14:20:18 ID:0pCPIw3z
言われたことしかやらない、できない
戦国のゆとり社員それが尾藤知宣

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 14:31:11 ID:3i5yRyCP
言われたこと以外もやっちゃうセンゴクは?

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 14:55:20 ID:md7ywBoV
結果出るなら無問題

この前の伊野波みたいなもん。

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 14:56:28 ID:lMIlZzwV
>>514
これ仮に戦ってても太閤殿下は叱責したと思うよ
尾藤が気に入らないんだろう

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 15:05:12 ID:DuOMYhfy
戦って勝つ→なぜワシの指示を無視した!と叱責
戦って負ける→ワシの指示を無視して負けるとは獄門だな、GOKUMON
戦わない→叱責

何この無理ゲー

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 15:09:04 ID:f+Ju0cLj
>>517
俺もそう思う

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 15:12:40 ID:66axgH2J
秀吉「指示待ち人間はいらねえんだよ」

指示無視で結果を出すのを繰り返して出世したのが加藤清正か

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 15:41:19 ID:eQtjHPU+
ラスボスは信長死後になると、自分の織田家時代からの古参家臣に妙に厳しいというか、冷たい。
当時はまだ自分も偉くなる前だから我慢しながら使ってたけど、もう我慢する必要無いってか?

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 15:48:01 ID:99TntDbz
古代中国の越王勾践みたいに
昔の弱かった・つらかった時期を知ってる家臣が疎ましかったのかもね

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 15:53:00 ID:jFzytkmR
能力第一主義、厳罰主義なんだろ。
イメージ的には信長の影に隠れているが、親族関連以外は信長より徹底してると思う。

雑談・家紋とか苗字とか

2011年01月26日 00:00

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 13:46:08 ID:lN1N9TQC
なんか家の家紋調べてたら、三河大久保の流れらしいことがわかった。
自分の祖先がめんどくさい人種だったとは。

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 14:13:34 ID:aOu9fMRz
家紋って適当に付けられるから名字以上に当てになんないよ

378 名前:348[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 12:11:55 ID:cPN2hmLs
>>349
(´・ω・`)夢くらい見させてくれよ

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 15:12:16 ID:83VtPZ/0
(´・ω・`)しらんがな

380 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/24(月) 19:17:23 ID:B5U6n/d/
因みに家は新潟で若狭源氏で武田姓で桔梗紋です。

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 19:46:09 ID:MlOaa5v7
うちは太田姓で桔梗紋。おそらく美濃源氏。


382 名前: [―{}@{}@{}-] 人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 19:56:08 ID:GE04qOvr
父方の祖母は、(眉唾だが)小早川秀秋の流れを汲むと自称していた。
母方の祖母に「裏切り者の家系が自慢できるんかい!」と突っ込まれていたが。
そもそも秀秋って無嗣断絶により改易されたんじゃ…
(側室の子と言われる羽柴秀行の系統という説だったのか?)

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 20:14:25 ID:1DA6gtmI
辿れる限りでは室町時代からの由緒正しい農民です
家系図見ても近所の人ととかばかりで貴種流離譚が入り込む余地がありません……

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 20:17:19 ID:kcxPhvn9
>>334
宗茂から分家の内意書を与えられたらしいね
こいつへ文句があるのなら俺に言えってことかな?

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 21:14:39 ID:bGFq3rOO
真田にフルボッコされてる後北条の家臣の末裔です
先祖の宗家は、豊臣軍に本当にフルボッコされて討死
一部は徳川に拾ってもらって旗本になったけど
うちの直系先祖は、百姓になって今に至る

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 21:19:04 ID:5lSswm0m
三河出身で実家が本多姓ですが、家紋とか家系とかの話は別に聞いたことないです

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 21:32:00 ID:SsySyJVP
お前らのことはどうでもいい


388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 21:33:09 ID:sLtSswDN
戦国どうでもいい話

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 22:23:23 ID:YmW0Mqdb
戦国三弾正の一人と同じ姓だが繋がりはよくわからん

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 00:01:09 ID:1Avq+srx
そういや八丈島出身の浮田って名字の人いたなあ

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 02:21:25 ID:CuVGgK0Y
うちの先祖は南部家家老職だったようだ。

てなわけで弘前以西には親戚は一切住んでいないw

392 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/25(火) 12:09:45 ID:osT5rHaV
おまいら凄いな。

うちは江戸時代から苗字があるって程度の
稀に番付載ってた地方地主だ(´・ω・`)

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 12:31:20 ID:YTOngWiI
すぐカスが調子に乗りやがる

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 12:59:13 ID:R4tPUzQl
うちの先祖は高天神城に勤めてただけしかわからんぞ(キリッ

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 13:09:17 ID:md7ywBoV
ま、ルーツに興味持つってオーソドックスな入り方の一つだしな。

しかしあんまし続けるなら専用のスレ行った方が


397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 19:40:22 ID:aA7Ihvfx
380です。素朴な疑問ですが四菱の筈の若狭武田で桔梗紋で異な処はないんでしょうか?突っ込み待のつもりが
普通にネタ振りになって凄い違和感。

徳川家康、秀頼が怯えたことを

2011年01月25日 00:00

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 00:47:40 ID:RwMeCe73
豊臣秀頼が初めて城の外に出たとき河口で牛を見て、これを大いに恐れ怖がったという。

それから間もなく、徳川家康の御前でこの話が出た。
話題が話題だけに、おそらくは若年とは言え武士として如何なものかと、幾分の嘲笑や
侮蔑が混じっていただろう。
が、家康の反応は意外なものだった

「どんなものでも見たことの無いものを始めて見れば、驚くものだろ?
秀頼公が牛を見て驚いたと言うが、それは当然のことだ。
わしだってもし初めて見たら、牛なんてものは特に恐ろしいと感じるだろう。」

初めて見た牛を恐れるのは恥でも問題でもない、としたのだ。

家臣が秀頼を侮ることをたしなめたか、あるいは家康らしい合理主義で語っただけか、
家康、秀頼の恐怖を当然とする、と言うお話。




371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 01:00:26 ID:fQOhp6RU
考えてみりゃ、当時の本州・四国・九州で一番でかい生き物って牛か?
びびるのは無理ない。

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 01:08:56 ID:irpUoVAk
後に秀頼公は牛よりでかくなって家康公を大いに恐れ怖がらせましたとさ…。
TO BE 大阪の役

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 01:37:25 ID:Cj4CPmZR
伊達に母父浅井長政ではないとw

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 02:02:44 ID:sLtSswDN
伊達が母で父が浅井とな?

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 06:52:37 ID:+WQv9ex7
孫娘の婿をバカにされて、不快にならないはずもないかも

蘆名盛氏、盛隆と松本家

2011年01月25日 00:00

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 10:25:53 ID:bkCiApbO
永禄元年、会津四家の一つに数えられる奥会津の豪族、山内俊政・横田俊範兄弟が兵を起こした。
二人が攻めるは岩谷城、蘆名四天の筆頭松本家の根拠地である。
折から当主松本舜輔やその子氏輔は黒川城に詰めており、城代井上河内守が代わって城を預かっていたが
何分不意打ちである。
河内守は討ち死に、城も落城したとの知らせが黒川に届くまでそう時間は掛からなかった。
報告を受けた蘆名盛氏は、相当激しい怒りを発したらしい。
それでなくても、山内家は河原田家、長沼家と並んで蘆名家と会津の覇を競ってきた間柄。
決着を付ける時と見たのかもしれない。

「すぐに兵を発し山内家を討ち滅ぼすべし」

そう下命した盛氏に、しかし異を唱えた家臣が一人いた。

「此度のこと、兵を出すには及びませぬ。某にお任せいただければ必ずや山内一族を帰順させて参ります故、
しばし追討の儀はお待ち下さいませ」

そう訴え出た者こそ、山内一族の一人であり、例外的に蘆名家に早くから帰順していた沼澤政清である。
この頃田村家との抗争が激化していた頃でもあった為か、盛氏は政清の願いももっともなことであると思い、
政清が山内舜通(山内家当主で俊政、俊範の長兄)の下へ赴くことを許した。
すると果たして、政清はほどなく山内家との和議を成立させて帰ってきた。
それも山内家の蘆名家への臣従という、明らかな蘆名家優位の講和でだった。最良の成果といっていいだろう。

……ただし岩谷城の山内家への割譲という条件を取りまとめて、ではあったが。

舜輔「えっ」
盛氏「えっ?」
舜輔「何それこわい」
政清「(にやり)」

家臣一人殺された挙句、領地は戻ってこなかった上に割譲に対するフォローもなし。
と、ここまでなら会津統一のための外交配慮の結果とも取れる話なのだが、この話には続きがある。

後の天正二年に松本氏輔が田村清顕と戦って討ち死にすると、嫡男行輔が七歳の若年であることを理由に
領地は召し上げ、
その領地は沼沢政重(政清の子)に与えられてしまった。
さらに行輔が元服した後にも「若年の故」をもって黒川城下の屋敷さえ収公し、政重に払い下げた。
挙句の果てにはこれに不満を爆発させた行輔の謀反、その翌年の松本一族関柴輔弘の謀反も
沼沢に鎮圧させている。
そしてその後に松本家を継いだのは、松本源兵衛なる宗家との血縁すら判らないぱっと出の男だった。

どう見ても蘆名盛氏、盛隆二代足掛け30年越しの松本家潰しにしか見えないお話。




494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 10:28:24 ID:bkCiApbO
ちなみに松本さん家の反乱年表。

明応元年(1492年)松本藤右衛門輔忠、富田氏、伊藤氏などと組んで謀叛。蘆名盛高に討たれる。
明応四年(1495年)松本備前守輔豊(輔忠の次兄)、猪苗代氏、伊藤氏などと組んで謀叛、長沼正義に討たれる。
明応七年(1498年)蘆名盛高、松本家当主豊前守行輔、その従兄弟大学頭輔治、小四郎輔任ほかを誅殺する。
明応九年(1500年)蘆名盛高、謀叛与同の疑いで松本対馬守輔政(輔忠の三兄)を滅ぼす。
大永元年(1521年)蘆名盛舜、謀叛を起こした松本大学、藤左衛門兄弟(宗家との血縁不詳)を討つ。また同年、猪苗代氏の謀叛に松本一族多数が参加。
弘治元年(1555年)松本与右衛門輔敦(輔忠の子)、猪苗代氏庶流の小桧山盛長と共に蘆名盛氏に謀叛、討たれる。
天正十二年(1584年)松本太郎行輔(輔豊の玄孫)、蘆名盛隆に謀叛し討たれる。
天正十三年(1585年)松本輔弘(輔忠の孫)、伊達家に寝返って謀叛。蘆名盛隆に討たれる。

……潰されても仕方がないといわざるを得ない。

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 10:35:54 ID:wjmialUe
蘆名に従う気無いだろ、これw
なんでそんなに回りくどい事しなきゃならなかったんだろう。

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 15:07:18 ID:n0sDOQSh
30年越しで不忠の松本家を潰す、いい話に思えてきたw

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 23:35:33 ID:kejyFCDx
>>494
100年間も族滅されずに残ったのか?信じられない

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 10:15:15 ID:RYqXRmfb
>>508
明応元年(1492年)松本藤右衛門輔忠、富田氏、伊藤氏などと組んで謀叛。蘆名盛高に討たれる。
明応四年(1495年)松本備前守輔豊(輔忠の次兄)、猪苗代氏、伊藤氏などと組んで謀叛、長沼正義に討たれる。
明応七年(1498年)蘆名盛高、松本家当主豊前守行輔、その従兄弟大学頭輔治、小四郎輔任ほかを誅殺する。
明応九年(1500年)蘆名盛高、謀叛与同の疑いで松本対馬守輔政(輔忠の三兄)を滅ぼす。
文亀元年(1501年)蘆名盛高、謀叛を起こした猪苗代盛頼を討つ。
永正二年(1505年)蘆名家中で松本氏と佐瀬、富田陣営が衝突。当主蘆名盛高が後者を、嫡子盛滋が前者を支援。盛滋・松本氏陣営が敗れて伊達氏を頼る。
大永元年(1521年)蘆名盛舜、謀叛を起こした松本大学、藤左衛門兄弟(宗家との血縁不詳)を討つ。また同年、猪苗代氏の謀叛に松本一族多数が参加。
天文十年(1541年)蘆名盛氏、謀叛を起こした猪苗代盛頼を討つ(文亀元年とは別件&別人)
弘治元年(1555年)松本与右衛門輔敦(輔忠の子)、猪苗代氏庶流の小桧山盛長と共に蘆名盛氏に謀叛、討たれる。
永禄十一年(1568年)蘆名盛氏、謀叛を起こした庶兄の蘆名氏方を討つ。
天正六年(1578年)山内重勝、大槻政通が越後上杉氏に通じて謀叛。蘆名盛氏に討たれる。
天正十二年(1584年)松本太郎行輔(輔豊の玄孫)、蘆名盛隆に謀叛し討たれる。同年、盛隆は男色のもつれから大庭三左衛門に殺害される。
天正十三年(1585年)松本輔弘(輔忠の孫)、伊達家に寝返って謀叛。蘆名亀王丸に討たれる。
天正十六年(1588年)猪苗代盛国謀叛、伊達氏を会津盆地に引き込む。
天正十七年(1589年)摺上原の敗戦後、会津四天が一致して謀叛し蘆名盛重を常陸に追放する。

蘆名氏にとっては一門筆頭の猪苗代氏と四天筆頭の松本氏の謀反は日常業務の内です
そんなことで族滅していては洞中が持たない

他の洞でもここまで酷いのはほとんど見ないけどな!

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 12:55:03 ID:HQyMFkIW
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2418.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3710.html
実際のところ上のように松本氏に対する処遇を誤った結果、伊達が付け入る隙の
一つになった観は否めない。四天筆頭の動員力は蘆名を支える柱の一つでも
あったはずだし。
蘆名宗家の力が強化されていけば差し引きで帳尻も合っただろうけど歴代当主の
相次ぐ急死が重なって果たせず、他の家臣の力が増しただけだったりではね。

とある大名が領地に帰るときの話

2011年01月25日 00:00

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 16:08:21 ID:37Kdlzi2
とある大名が領地に帰るときの話

陽気に駆られたのか、馬上の彼は小歌を歌いながら機嫌よく馬を進めていた
しかし、酒を飲みだすようになると風向きが少し異なってきた
杯が無いので、馬の柄杓や竹筒から直接飲み、しかも馬上である
直ぐに酔いが回った

その内に飲み仲間が欲しくなったのか、片手に手綱、片手に竹筒を持ち馬を走らせながら
行列を「酒飲みいねぇか、酒飲みいねぇか」と尋ね回りだした
そして酒飲みを見つけて強く迫ったそうである
立派な飲酒運転、いや飲酒乗馬である上に、絡み酒である


さて、かの大名は誰か?
福島正則?、島津忠恒?、黒田長政?

答えは……徳川家康でしたぁ!
イヤ、ホント、マジで
でも、ちゃんと酒飲みを捜す所が家康らしいといえばそうかもしれない




498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 16:27:38 ID:V/DlXyfN
いやいや、どこの家中にも居るよなこんな馬鹿・・・って、家康本人かよ!?

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 17:41:05 ID:fQOhp6RU
政宗じゃねえのかよw

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 17:50:29 ID:PsdT6mdX
これ家康が若い頃の話?面白いなw

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 18:11:35 ID:+WQv9ex7
悪い話で、この程度の大人しさってのも凄いのかも

502 名前:497[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 18:38:49 ID:37Kdlzi2
>>500
多分、慶長9年頃の話

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 18:56:14 ID:Ton56FQR
慶長9年=1604年=家康63歳?
幕府開いた後かよw

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 19:15:55 ID:+WQv9ex7
倹約と我慢の人生から解放されてちょっとハッスルしちゃって、第2の青春を謳歌してるだけですよ、きっと・・・
将軍位も息子に譲ったことだし

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 19:25:09 ID:yJ52B3EH
やはり影武者と入れ替わったんじゃないの?w

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 20:36:33 ID:YxdZ1Eud
ハッスルしすぎて子供もたくさん作っちゃったしねw
60過ぎてから青春を取り戻したかのようだ

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/24(月) 22:38:48 ID:FDX8zAeW
回春…か

しかし酒呑みを探してから強要するあたりの抑制のきき方が凄いw
市松なら



関連
家康とそれを出迎える西日本の諸侯と
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5191.html

渡辺半蔵は震えた

2011年01月24日 00:00

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 22:52:47 ID:rh7IN3pi
渡辺半蔵服部半蔵といえば、徳川家の両半蔵として天下に名の知られた勇者である。

渡辺半蔵は一番槍11度、一番首9度、
片や服部半蔵は一番槍2度、一番首11度、
互いに堂々たる戦歴である。

ところがそんな渡辺半蔵だが、彼は合戦の前敵と対峙すると、鎧が音を立てるほどガタガタと
震えていたというのだ。であるのに合戦が始まると、そんな事など無かったかのように剛強に
暴れ回る。人々はそれが、あたかも別の人間であるかのように見えたと言う。

渡辺半蔵は震えた、と言うお話。




341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 22:59:15 ID:0hbGveok
演習では「意外とたいしたことない」とか言われちゃうけど戦場では凄い本多忠勝といい槍半蔵といい
三河武士は実戦に強いねぇ・・・

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 23:01:17 ID:3P3v2+hp
武者震い?

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 23:33:59 ID:ayW90HaS
戦は恐ろしいもの、その恐ろしいものの恐ろしさと対峙した上で武功を立てる
って考えるとすごい話だと思うなあ、下手に戦を恐れないよりも格好いいと思う

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 23:50:28 ID:lCMCvMyq
>>342
庵原之政「がするのう!!」」

大阪陣勝利、家康政宗対面の事

2011年01月24日 00:00

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 16:57:55 ID:JKkFBA+p
大坂夏の陣が終わり、豊臣家は滅亡。この時伊達政宗徳川家康に拝謁しその勝利を祝い、
そしてこんな事を申し上げた

「いやいや、今回の戦、これだけの大軍を集めた内に、逆意の者(内通者)もなく、
誠に結構なことでございました。」

これに家康、フっと笑い
「今回のような勝ち戦の時は、敵は死んでしまうからな。逆意の者がいたかどうか、
調べようもなくなるわ。」

と、政宗をジロリと見て

「…全く無かったとは、思えないな。」

政宗これを聞いて
「いかにも、御意ご尤もと存じます。もし仮に、私の家来の中に逆心有るものがいたとしても、
御勝利につき敵に口無く、…知ることの出来ないことも当然、ありましょうな。」

と答えた。

この腹の探り合いを日本語に訳すと

家康「内通者が居ないなんてそんな事信じちゃいない。政宗、お前のところも
   叩けばホコリが出そうだぞ?」
政宗「仮に私のところで何かあったとしても、それは家臣が勝手にやったこと。
   それに追求するのも証拠不足で難しいでしょ?そういう事にしましょうよ。」

といったところか。
戦勝の祝いの場の和やかな対面。二人とも実ににこやかな表情。だけど目は笑っていない。
そんな情景を想像させる、大阪陣勝利、家康政宗対面の事。




487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 18:29:35 ID:hsGbcIcJ
だから神保隊は…おや?誰か来たようだ

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 18:33:32 ID:WFSG8bia
神保が浮かばれないよ!

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 18:39:40 ID:6g3/tkWl
神保などいなかった。いいな、いなかったんだ

立花宗茂と安東助四郎

2011年01月23日 00:01

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 04:45:58 ID:in1GdwYp
立花宗茂の晩年の話

島原の乱の後の事だが、柳河藩に宗茂が目をかけていた安東助四郎
という若者がいた。助四郎は病弱だったが、聡明で好学心が高かった
ため、宗茂は江戸に呼んで、勉学に励ませていた。しかし、それを
心好く思わない者達がいて、助四郎に色々と言って来ることがあり、
それを苦にした助四郎は、病気と称して柳河に帰ってしまった。
そのことを知った宗茂は、実情を調べた上で助四郎に手紙を送った。

「病はいかがか。容態はどうかと心配している。だがこちらで聞いた
ところ、帰国した理由はそればかりではあるまい。お前の勉学は私と
忠茂が認めたもので、我らはお前のことを少しも疑ってはいない。
お前に何かと申した者達はこちらで吟味する。どうか、やる気を取り
戻してほしい。お前が確かな人物であることは見届けている。」

これを受けた助四郎は発奮し、以前以上に勉学に励んだという。
後に、助四郎は省庵と名乗り、関西の巨儒と謳われる大儒学者と
なったそうな。




337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 18:56:03 ID:+1uszqax
>>334
相変わらず宗茂はかっこいいな


338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 19:15:50 ID:3P3v2+hp
どちらかと言うと努力した助四郎の良い話だけどな
見る目が合って気遣いも出来る宗茂はやっぱ良い男とも思うけど

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 12:47:50 ID:op4mvnvt
>>334
 相変わらずの完璧超人ぶり。
 この時代は、まだまだ十時摂津さんも国許で頑張ってたはずだから
良からぬ連中は、徹底的に根性焼きされただろうな。
 

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 13:18:22 ID:hsGbcIcJ
でも宗茂って道雪と違って厳しい逸話がないぶん人を厳しく罰したりしたイメージがない
せいぜい呼び出してこんこんと諭すくらいのイメージ

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 16:23:43 ID:WFSG8bia
>>347
効果がありゃそれで十分凄いじゃないか

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 16:58:13 ID:AIMOXUU/
宗茂が完璧人間過ぎだろ
悪い話ねーんじゃねえのか

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 17:12:47 ID:JKkFBA+p
>>351
悪い話というか、妻との関係で苦労したり、牢人して江戸に出たとき、資金が尽きて
家臣たちが仕方なく食事に雑炊出したら、「こんな変わった料理だして気を使わないで、
俺は普通の飯でいいよ」と斜め上の方向に解釈したり、人柄がまっすぐなことは確かだが
完璧人間とはちょっと違うとおもうぞ?>宗茂

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 17:25:31 ID:aOu9fMRz
ある意味変人

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 17:34:38 ID:WFSG8bia
天然だよね

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 17:40:56 ID:hsGbcIcJ
千代とはなんでうまくいかなかったんだろ
セックスレスか?

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 17:44:37 ID:AIMOXUU/
>>355
人の感情がわかんなかったのかもな
戦国時代にそんな事で離婚しねえか

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 17:46:58 ID:/Cap/O0M
男盛りの時に朝鮮行ってたからでしょ

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 17:58:19 ID:WFSG8bia
>>355
男心は読めても、女心には疎かったんだろ

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 18:09:55 ID:op4mvnvt
>>355
 千代が男前過ぎるからだろ。
 同じ男前でも小松殿のような浜松城婚活大合コン大会のような女らしい話がないからな。
 秀吉の名護屋城大名妻NTR大会に参加を求められた時、何を勘違いしたか、完全武装
の次女数十人を引き連れて行ったほどだし、美女だけど全然女らしくない。
 さぶ要素のない宗茂にとっては魅力ない妻だったんじゃないかな?


360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 18:20:45 ID:aOu9fMRz
簡単にいえば一家に当主が2人居る状態、
どちらも引かないなら上手く行く訳が無い。

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 18:25:37 ID:f0dW5k5/
>>359
小松殿と違って千代ちゃんは家督継いでたわけだしな

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 18:38:24 ID:qkDqgqcR
宗茂の父親も、奥さんについてドライな思考で結婚したんだっけ?

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 18:53:41 ID:/FSBi6v5
>>359
千代は家光とならうまいこといきそうだな
なんとなくだが

後藤又兵衛の忠告

2011年01月23日 00:00

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 22:23:27 ID:0dBR1auH
大坂の陣の時のこと
渡辺糺大野治長が話し合いをしているところに、後藤又兵衛がやって来て
こんな事を言い出した。

「面白い事を聞きましたよ。大住與左衛門は東軍(幕府方)に内通しているって噂だ。」

大野治長これを聞くと首を振り

「いやいや、與左衛門に限ってそんな事はありえぬ。
あいつは故太閤殿下の魚洗いであったのだが、実直ものだとしてお取立てなされ、
『秀頼公にご機嫌よく物をあてがうように』と御付になされたのだ。

そして今回の籠城が始まってからも、與左衛門は城内のあまたの倉の鍵を手元に置き、
昼夜の別なく御用をなし、また見廻りをしている。あの熱心な姿を見れば、
あいつが二心を抱くなど考えもつかない。」

すると又兵衛
「愚鈍な人間よりもそう言う奴に気をつけなきゃいかんのですよ。」

と言って去った。


後日、夏の陣の時城内から火をつけたのは、この大住與左衛門の仕業であったという。

後藤又兵衛の忠告、活かせず。と言うお話。






477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 23:06:55 ID:ZjW1erGp
>>476
>「愚鈍な人間よりもそう言う奴に気をつけなきゃいかんのですよ。」
長政「ああ、全くだなクソっ!」

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 23:13:14 ID:snAnfnoR
噂を立てられながら実直に見回りを続ける神経凄過ぎw

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 23:42:00 ID:/XlwqW9R
そういう微妙な事をそのままズバズバ言っちゃ駄目でしょおおおおおおおお
もっと遠まわしに話してええええええ

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 08:16:32 ID:qlvpyR6o
度量がある人間なら使いこなせたりうまくやれるんだけどねえ、又兵衛。
嫌がる人は多いわな、こう率直だと。

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 08:45:23 ID:0l/26EUw
直家「大住をそのままにしておくとは、又兵衛は甘いのぉ」

黒百合の呪い。。。(別バージョン)

2011年01月23日 00:00

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 13:39:13 ID:jhdSEYjf
黒百合の呪い。。。

北海道ではアイヌ族の間に恋の花として伝えられています。好きな人に思いをこめて贈れば必ず結びつくといいます。
ただしその人に送り主が分からないように相手の人が何気なく手に取るようにしむけなくてはいけません。
富山県や長野県では家を滅ぼし、人を不和にする呪いの花といわれています。

佐々成政が、愛妾ばかりをかわいがるのをねたんだ他の腰元たちがあることないことを吹き込んだ為、
怒った成政が愛妾を斬り殺してしまいました。この愛妾が立山に黒百合が咲くとき、
佐々家は滅亡するとうらみを込めて叫んだそうです。
その後成政は珍しい花として黒百合を淀君に献上したことがもとで、お家断絶の
憂き目にあってしまったと伝えられています。




483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 15:48:10 ID:lCMCvMyq
何年か前の大河ドラマで見たような気がするな>淀に黒百合献上
功名が辻だったかな

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 15:50:58 ID:kanMUdF+
>>482
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2215.html
黒百合を献上した相手が北政所と淀殿の違いはあるけど既出かと。

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 15:53:39 ID:0hbGveok
いろいろバリエーションがあるんだねぇ・・・

九州征伐の黒田家家臣、吉田六郎太夫、又助父子

2011年01月22日 00:00

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 22:48:32 ID:VpwVoTCF
黒田長政の家臣、吉田又助は秀吉の九州攻めにおいて、父・六郎太夫に連れられて初陣した。

又助が耳川を渡河した時、隠れていた薩摩武士が矢を放ってきた。驚いた又助が向かって行こうとしたところ、
六郎太夫がその前に立ちはだかり、薩摩武士に叫んだ。

「おーい、味方じゃ!間違えるな!!」

しばらくポカーンとしていた薩摩武士だったが、やがて気を取り直すと、弓を構えた。
「うつけが。とんだ勘違いをしておるわ!どれ、そのまま的になってくれい。」

「・・・なワケねーだろ!!」

父と目で語り合い、六郎太夫がトボけて薩摩武士を引き付けている間、密かに回りこんだ又助は、横から薩摩武士に
斬りかかった。だが、未熟な又助の一刀は敵に弓で受け止められ、弓を斬り折られながらも薩摩武士は太刀を抜き放ち、
逆に又助へ向け、強烈な突きを見舞った。

無情にも膝上を貫かれた又助は倒れ伏したが、油断した薩摩武士が近づいて来るところを下から斬りつけ、その左足を
切り落とした。(や・・・やった!それにしても、これが戦か。疲れた、もう動けん・・・)


「何をしておる!?敵は、まだ息がある。早う起きて止めを刺さぬか!!」
動かない又助を見た六郎太夫は、倒れた薩摩武士の近くまで又助を引きずり寄せ、一喝した。
父の叱咤を受けた又助は、最後の気力を振り絞って薩摩武士の首を取ると、今度こそ動けなくなった。

「よーし!初陣の身で良くやった。さあ、引き上げじゃ!!」力を使い果たした息子を、父は馬に担ぎ上げて
乗せてやり、本陣までの道すがら、いつまでもいつまでも褒めてやった・・・



・・・又助が「親父にはかなわん。」と思ったのは、父が追いかけて来た薩摩武士に対し、振り向くと同時に放った槍で
一人の喉を貫き、引き抜きざまに横に振るってもう一人を馬から叩き落し、一喝して残る武者どもを追い払った後、
悠々と喉を貫いた武者の首を取った時である。




325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 22:57:14 ID:Pu7u3tWS
スゲーなぁ 殺人マシーンだなぁ


326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 22:58:00 ID:/jDHX1KO
肉食系おやじつえー

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 23:01:20 ID:lBsB1Qy3
これが戦国系ほのぼの逸話

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 23:52:05 ID:oTfw6vIv
無名レベルでこれだろ?
忠勝とか鬼武蔵とか才三とか有名レベルはどうなるんだ…

三河一向一揆、大久保忠世と本多九郎三郎

2011年01月22日 00:00

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 00:31:34 ID:K9+ECi2O
三河一向一揆での話である。
永祿6年(1563)11月25日、土呂と針崎の一揆勢は上和田へと押し出した。
これに岡崎の徳川家康は自ら出陣、両軍は激突したが、しばらくして一揆勢は敗勢となり
妙国寺の方面への逃げ出した。

これは一揆勢の罠であった。

彼らはわざと逃げ出し追い来た徳川勢を、針崎の森に置いた伏兵をもって討つ、
という作戦であったのだ。いわゆる捨て奸(すてがまり)である。

さて、この撤退する一揆軍の殿を務めていたのが、本多九郎三郎という侍であった。
これを徳川軍の大久保忠世が見つける。忠世と本多九郎三郎は、古くからの友人であった。
忠世、本多を追いかける。本多も忠世の姿を認めると引き返し、「勝負!」
互いに打ち戦った。しかし勝負がつかず

「寄れや!組もう!」
「心得た!」

互いに武器を投げ捨て、組み合いを始めた。
上に下にと揉み合っていたが、本多のほうが力優っていたか、忠世はついに組み伏せられた。
大久保忠世、絶体絶命!…と、忠世、本多に向かってこう言い放った

「いかに本多殿!忠義に背き、一揆に与するのみならず、昨日や今日までの朋友の
よしみを忘れ、私の首をとって、一体誰の見参に入れようというのか!?」

本多九郎三郎、これを聞くと

「確かになあ…。お前のような友人を討ち取っても、感状を得るような事ではないのだ…。」

と忠世を引き起こした。すると二人、

「くくく…」
「あっはっはっはっは!」

互いに大いにうち笑い、そしてまた、左右に別れた。


ちなみに一揆勢の捨て奸だが、家康がいち早く、一揆勢の逃げ方がおかしいと気づき
「追い打ち無用!深入りするべからず!」
と命令を出したためその計略も虚しくなり、妙国寺から土呂、針崎へと引き上げたそうである。
そんな、三河一向一揆でのヒトコマ。




330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 00:42:33 ID:xMtPNWWs
三河一向一揆が腰砕けになったのって、三河武士は一向門徒である以前に三河武士であったという
ただそれだけの理由だよな

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 00:43:37 ID:89GZHsF0
三川武士は一向宗以上にめんどくさい戒律があるからな

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 00:55:17 ID:snAnfnoR
大久保なんて名前を見ただけで面(ry

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 03:23:17 ID:8lGyJpFP
確かに大久保一族は皆三河武士濃度高いよな

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 12:23:55 ID:8bWr5mnx
一向一揆に参加した本多衆は、大久保忠世の仲介で徳川家に復帰するんだよね
もちろん正信さんもこの中に入ってる
このときは仲良かったんだけどなあ

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 13:38:53 ID:JHn6gVjb
現代社会と同じだね
会社が小さい頃は力が弱いから生き残るために社員が一丸となって頑張るけど、
会社が大きくなって余裕が出てくると社員が増えたり派閥が出来たりして軋轢が生じ始める

島津の退き口と北原掃部

2011年01月21日 00:00

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 22:09:12 ID:BfJ3UjlG
島津の退き口の流れに乗って

北原掃部なる若者が居た。
彼もご多分に漏れず「惟新さぁが難儀しやっど」を合言葉に故郷鹿児島から駆けつけた者であり、
さらにご多聞にもれず義弘を戦場から逃すために奮戦した者でもあった。

激戦の末傷ついて人事不省となり残念にも敵に捕えられ、彼はとうとう首をはねられることになった。
人事を尽くして天命を待つ。もうこうなっては泰然自若として死に臨む他ない。
覚悟を決めた掃部は敵兵にしばし猶予を乞い、戦場に持参してきた腰の天吹(尺八)一管をやおら取り出し
この世の最後の別れとして「鶴の巣篭もり」の一曲を静かに吹き鳴らした。

日が傾きかけた血生臭い戦野、嘆くが如く啼くが如く響く妙音に死を前に聊かも動じぬ神色自若たる態度。
敵兵もこの若い武士の風流と覚悟に感嘆置く能わず「勝敗は決した。首を刎ねる事もあるまい」ついに許して
助命する事となった。
だが掃部は「既に天吹のための猶予を頂いたれば」これ以上の情けは無用と武士の面目を守り自決してしまった。
彼の天吹は薩摩の一族の元に届けられ「助命器」と銘打たれてその後も大切に保管されたという。

このことを聞いた義弘は掃部の遺族を手厚く保護し、家名の絶えぬように取り計らったという。
北原の家名は江戸時代以降も続き、明治には鹿児島公園の西郷隆盛像を手がけた安藤照氏を輩出することになる。


せっかく助命されたのに「武士の面目」ということで自害して果ててしまうのは
果たしていい話なのか悪い話なのか・・・判断が分かれるかもしれませんが。


468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 22:52:42 ID:BfJ3UjlG
>>458

追記ですが安藤照氏は渋谷駅のハチ公像(初代)の製作者でもあるそうです。
掃部の自決、義弘の家名保護がなかったら、渋谷駅の風景も今とは違ったものになっていたかも知れませんね。





459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 22:17:19 ID:6h+fJKOF
>>458
そこで最初の覚悟の通り命を絶ったから綺麗な話になるんだろうな
助かったら「芸は身を助ける」みたいな話になっちゃうし

まあ現代の価値観ではああだこうだ言われる類の話ではあるよね

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 22:50:54 ID:t9gLdotq
某blogに書かれていたニュース思い出した(宣伝になるんで詳細はググッてくれ)

自らの死刑が執行される寸前に見事な縦笛演奏で遺族の心を打ち、死を免れた少年(イラン)

執行官が少年に聞いた。「あの世に行く前に最後の願いがあるなら、言ってみるがよい」
ペイマンド少年は、死ぬ前にネイを演奏したいと答えた。執行官は頷き、少年にネイが渡された。
少年は、心をこめてネイを奏でた。
深い哀愁を帯びた音色と旋律。今まさに命を絶たれようとしている少年のその演奏は、その場にいた全員の
琴線に触れた。被害者の遺族も、その例外ではなかった。
イランの法律では、被害者の遺族に対し、死刑執行の直前に懲罰願いを撤回するオプションが用意されている。
しかし、アムネスティ・インターナショナルによると、これまでにそのオプションが行使されたことは“きわめて稀か、
あるいはほとんど前例がない”という。
少年が殺めた男性の遺族は、心底憎きはずの少年の見事な演奏に心を打たれ、その“前例のない選択”を下した。
遺族が懲罰願いを撤回したことにより、ペイマンド少年は死刑を免れた。

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 22:52:12 ID:WPV4yfbC
昔、美しい音楽を演奏してたせいで狙撃された若殿がいましてね…

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 23:22:26 ID:nbacYumB
>>466
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3258.htmlの逸話思い出したわ。

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 23:28:35 ID:uJtLxFH/
>>464
「勝つことが本という価値観」と「武士の美徳・美意識」ってそこまで相反するもんでもなかったんじゃないかな。
謀略なんかも武士として賞賛される行いだったわけで。



471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 23:52:50 ID:WPV4yfbC
当主代理やってる指揮官クラスの人と、一騎駆けの武士クラスの人では意識が違うのは当たり前じゃね?

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 00:00:38 ID:oTfw6vIv
う~ん、まあ誰かが書いてたんだけど
誰もが清く正しく美しく生きられるわけじゃないのは今も昔も変わらないわけで
だからこそ美しく散った人間は語り継がれると…