和製カエサルの末の息子、後藤家信のちょっと情けない話

2011年02月28日 00:01

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 00:27:52.14 ID:ZFtXCcQe
異教徒嫌いのフロイスさんから、和製カエサルとまで言われたわれらが五州太守龍造寺隆信、
龍造寺隆信には三人の息子がいて、長男を政家、二男を家種、三男を家信といった。
長男の政家は家督を継いで、龍造寺政家となり、二男の家種は江上氏を継いで江上家種を名乗った。
そして三男の家信は武雄の肥前後藤氏を継ぎ、後藤家信を名乗ることになった。

家信が継いだ後藤氏の領地武雄は、肥前の中央に位置して大村や有馬なんかのキリシタン大名の領地に
近いところにあって、
家信の先代の後藤貴明も大村氏からの養子だったり、西肥前の影響も強い土地だったと思う。
そのためか、この家信一度キリスト教に入信しようとしてキリスト教嫌いの隆信にこっ酷く叱られてたりする。

さてこの家信、ほかの兄弟と一緒に肥後に出征したりして活躍してるんだけども、
ご多分に漏れず沖田畷の戦いにも出陣して戦ってるんだな。
結果はまぁ、言わずもがなで、家信もまた命からがら逃げだして所領の武雄に戻り、
武雄城から要害住吉城に、その居城を移した。
たぶん有馬や島津の侵攻に備えたんだろうなと思う。
そこまではいいんだけど、この家信。親父が死んでから弱気になったのかまたキリスト教に入信しようとして、
今度は家臣に猛反発されて閉じ込められてしまったらしい。
和製カエサルの末の息子の、ちょっと情けない話


ちなみに、この肥前後藤氏、家信の息子の代から鍋島を名乗って、後藤家はそこで途絶えてしまってたりする。
武雄鍋島は幕末の蘭学研究とかで頑張ってるし、そこは別に悪い話でもないかななんて思ったりしますが。




21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 18:08:46.74 ID:xSMMZ71R
なんで龍さん家は漏れなく従筋の鍋さんに何事もなかったかの様に臣従したん?

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 18:26:47.17 ID:3Bm3Jvq3
>>21
臣従したというより、事実上の肥前のオーナー一族である龍造寺一門が
鍋島勝茂をお雇い社長として雇い、めんどくさい事を直茂に全部押し付けたと考えたほうがいい。

直茂は龍造寺一門があまりに勝手に動くので「大名なんて辞めたい」と泣き言を言ってる
書状が残ってる。

鍋島が君主権を確立したのはなんのかんので勝茂の時代。
勝茂が地道に家中改革を行った成果。

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 18:37:24.53 ID:M0dz7/pX
熊さん家臣の無茶っぷりは、ちょっとスレでも結構見かけるしね~
もっと勝茂さんは評価されていいのかもね~

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 18:59:16.39 ID:c77Pe9IX
龍造寺自体が統治の正当性を主張できるほどの名門でもないしな
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森長可、高遠城二の丸にて

2011年02月28日 00:00

森長可   
25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 19:47:46.63 ID:QrPs821e
天正十年三月、織田信忠率いる3万の兵が、武田勝頼の弟・仁科五郎盛信が篭る高遠城に押し寄せた。
織田軍は、画期的な戦法で高遠城三の丸を難なく落としたが、二の丸で保科正直と小山田兄弟に阻まれた。

「いやぁ流石に名高き槍弾正と小山田備中の子ですなあ。」
「くそ、ここまで来て・・・」
「殿、それがしに考えがありまする。」

なおも激しく渡り合う織田軍と城方の間に、突如織田軍の軍使が分け入った。
「待った!もはや両軍とも兵が疲れ切っておる。ここはいったん戦を止め、とりあえずの和議を結びたい。
保科殿、出ませい!話がしたい。」
これに応じた正直が数人を連れて二の丸を出た瞬間、織田軍が閉めかかる二の丸城門目がけて殺到した。

「なッ!こ、これはどういう事だ!森殿っ!!」
森長可は、平然と答えた。
「どういう事も何も、そういう事にゴザルよ。あっ、そこの保科家のみなさーん!殿様の命が惜しければ、
抵抗しないで城を出て降伏してくださいねー!?」

どうする事もできない保科隊は戦闘を放棄し、もはや戦線を支えきれなくなった小山田兄弟は二の丸を捨て、
本丸へ逃げた。正直は、なおも勢い止まらぬ織田軍と、火の手上がる本丸を呆然と見つめるしかなかった。

「あ、あのー森殿、ウチのカミさんなんかが、本丸に人質として上がってるんですが・・・・・・」
「だからなに?」

“御前は跡部越中娘なり。此節御篭城、春日仁左衛門、伊沢清左衛門付奉る。本城へ火懸りける故
櫓の下へ退け奉る。然れども遁げ奉るべき様なく、其にて指殺し奉りけり。両士も其にて切腹す。”
(赤羽記より)


http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-667.htmlとか
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4467.htmlとか
鬼武蔵の策はストレートでわかりやすいが、普通の人間には考えつかない斬新?なものばかりである。




26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 20:01:19.69 ID:lYWp09jk
長野県の有名な県歌「信濃の国」の歌詞では何故か仁科の五郎信盛と
名前を間違えられてる盛信さん

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 20:04:50.26 ID:/unBM87l
三の丸だけじゃなくて二の丸でもやらかしてたのかこの男・・・

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 20:22:08.60 ID:3Bm3Jvq3
> 「あ、あのー森殿、ウチのカミさんなんかが、本丸に人質として上がってるんですが・・・・・・」
> 「だからなに?」

笑った後恐ろしくなった

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 20:26:49.63 ID:T3hIjH2I
長可は武辺とかじゃなく、本当に人間のクズだな

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 20:30:47.31 ID:zdv3KEUf
万が一徳川幕府の時代まで生き残ってたら
まず改易されるタイプですね。
森家は射殺してくれた人に感謝しないと

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 20:32:51.34 ID:dPVdBXnl
「あ、あのー森殿、ウチのカミさんなんかが、本丸に人質として上がってるんですが・・・・・・」

「それは知らなんだ(嘘)それならそちを先陣に命じるゆえその手で救出して参れ」

とか言われるよりはストレートでいいような気もする・・・
まあ絶対に関わりたくないが

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 20:49:51.75 ID:PdJoiQKp
保科正直は槍弾正じゃないんじゃないのか?槍弾正は保科正俊だろ
あと保科正直は戦闘放棄して城をおちたとは知ってたけど降伏してたのか?

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 21:09:13.34 ID:Z0G8ufqP
名高き「槍弾正と小山田備中」の子
という意味ではなかろうか。

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 21:10:00.18 ID:lNPWpYxh
>>32
「子」は「槍弾正」と「小山田備中」の両方に掛かってる

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 21:52:09.52 ID:PdJoiQKp
了解読解力なさすぎワロタ・・・
ちょっと腹切ってくる

37 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/27(日) 22:31:52.51 ID:9fjpSBt7
>>28
逸話を見る限りだと、やっぱり長可って、こういう、自分より立場の弱い相手に
とことん傲慢に振舞うという話ばかりでどうにも好きになれんな。

しかも、ここ一番で何ひとついいところを見せられないまま討ち取られる情けなさといい、
こいつを猛将といっていいのかどうか

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 22:53:43.83 ID:4D5OwtqH
アンチが付くとは有名になったもんだな

39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 23:03:00.56 ID:XT+Z8cch
喜ばしいことだw
鬼武蔵もさぞや満足だろう

40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 23:04:48.81 ID:AKTMuzPa
>>38
いい悪いスレでブレイクするまで、この戦国板ですら「森長可?ああ蘭丸の兄貴にそんなのいたね」
くらいの扱いだったしなw

41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 23:09:53.46 ID:/unBM87l
江戸期の当主が下衆だけど政局には敏感な忠政で良かったねというのは思います。
[ 続きを読む ]

後藤家信と加藤清正

2011年02月28日 00:00

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 00:38:25.99 ID:ZFtXCcQe
ちょっと悪い話に後藤家信の話を書いちゃったのでこっちにも家信のお話を

後藤家信は、文禄の役のとき鍋島直茂に従って渡航して、加藤清正とともに戦った。
慶長の役のときもまた渡航して、兄の家種を失いながらもまた戦った。
このとき蔚山籠城中の加藤清正を救出する際に武功を立てて、
清正が手を取って、「吾死を千百に免れ首頸を全うすることを得たるは一に吾子の賜なり」と謝辞を述べ、
太刀一振り大砲三十丁を贈ったそうな。

後藤家信はその後病気を患って、早めに朝鮮から引き上げるんだけど、
加藤清正とはそれ以来交友を持って、何度か清正が武雄を訪ねて来てるらしい。
清正が没した時は、家信はその死を悼んで清正寺を建立して、
その清正寺は、今でも武雄市若木町に残っている。
そんな武将同士の交友関係の、ちょっといい話




佐賀藩の道白と五郎兵衛

2011年02月28日 00:00

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 02:55:07.21 ID:hcSxiMrn

>>990
よし判った! そんなキミに、『葉隠』からこの逸話を贈ろう!!

佐賀藩の侍に道白と五郎兵衛という父子がいた。
息子の五郎兵衛はある日、以前から仲の悪かった岩村久内という男と喧嘩を起こし
てしまう。

この喧嘩によって面目を潰された久内は、兄・源右衛門と供に五郎兵衛の家に仕返
しに行った。
しかし、五郎兵衛の方でも、この襲撃は予想していたのである。
互いに十分に準備を整えた上での大喧嘩。たちまちの内に五郎兵衛の家は乱戦の場
と化した。

久内の兄・源右衛門、そして道白の婿(五郎兵衛の義兄弟)である勝右衛門がそれ
ぞれ重傷を負い、戦闘不能。
久内自身も道白と彼の女房によって取り押さえられてしまう。
双方に被害は出たものの、これで終わり。誰もがそう思った。

「……ここまでやれば、武士の意地を通した事になるでしょう。兄を連れて帰り、
心静かに切腹の準備をしたい。離してはいただけないでしょうか?」

神妙に口を開いた久内の言葉に道白も納得したのか、取り押さえていた手を離し、
刀を返してやった……が、その途端!

久内は抜き打ちに道白に斬りかかり、背中に一箇所、更に首を切り落としてしまっ
た。

道白は首の骨まで切断され、のどの皮だけがつながり、首はだらりと前に垂れ下が
る様な状態であった。

道白は自分の手で首を元の位置に据え直し、医者に行ったのだという。
顎に薬を付け、縄をつけて梁から吊り、傷口を縫った。
傷口がずれないよう、全身を米の中に埋めて療治した結果、この怪我は完全に回復
したのであった。


ちなみに久内は、道白を斬った後、更に五郎兵衛にも重傷を負わせ、源右衛門を背
負って逃走。
しかし重傷を負った源右衛門、そして五郎兵衛も、この時の傷によって死んでしま
ったのだという。


……うん、人間じゃないね、道白。





998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/27(日) 02:57:54.59 ID:ZFtXCcQe
これはいい話なのか!?

1000 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/27(日) 03:03:07.80 ID:arg+2gd2
>>997
生命力バンザイ\(^O^)/
>>998
としか言い様がないよね

山本常朝「敵に首を打ち落とされても」

2011年02月27日 00:00

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 23:58:16.70 ID:CDs81fSk
葉隠はこうでなくっちゃ!

山本常朝
「敵に首を打ち落とされても、そこからさらに一働きは出来るものだぞ。
新田義貞の最期(矢が眉間にあたり、自ら首を切り深泥に隠して後死す)がその証拠だ。
心が不甲斐ないから、一矢報いぬままだというのに倒れてしまうんだ。
最近では大野道賢の目覚ましい働き(大阪夏の陣後、堺の町を焼いた罪により火あぶりにされたが、
火あぶりにかけられながらも身じろぎせず、
焼死したところを確認する検使が火の始末を始めたところ、
焼死体に見えた道賢が飛び掛かり脇差を抜き取り、
一突きに殺した途端、たちまち灰になって崩れ倒れた。)を見るがいい。
これは、何かしてやろうと一筋に思いこんだ結果であろう。
武勇のためには、怨霊にも悪鬼にもなってやるぞ!と、
人並みはずれたふてぶてしさを心に持てば、


首が落ちても死ぬはずはない!!




981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 23:59:59.53 ID:UXi8VYEa
ちょっと待て
これはいい話なのか?

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 00:00:51.16 ID:WrN7CRq/
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4615.html
大野道犬斎治胤の執念
新田義貞の話は無いが、既出っぽい

983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 00:08:46.22 ID:Sq51FbAX
>>981
たしかに微妙ですが、心意気の面でw

>>982
鍋島武士から見た大野道賢。関連した逸話ということでお許しください

988 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/26(土) 01:30:10.33 ID:hTC/UEnk
ホラーだろwww

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 15:58:43.13 ID:6iC3lGD7
>>980
   ____i ̄i___                     /ヽ /ヽ /\
   | _______  |                   i--ヽ ┴ 亠 イ--i
   |__|i----------i|__.|                   |__|~=====~|__|
   _,二二二二二,____                      | ======= |
  └---┐ TT ┌---┘                     .| ======= |
     ノ ノ .| |  __                     L__  __  ___」 ___
    / /  | └-┘ ノ                    ___ノ ノ | └-┘ |
    ̄     ̄ ̄ ̄                    \_/  \____/
   ┌-----------\                     .「~| i ̄ ̄ ̄ ̄~|
   --------フ /                    .┌┘└vニコ Eニニ、
        |^´/                      | || ∧》-┐ ┌┐ |
        | |                        Lノ| |┌-┘ └┘└i
        | |                         | | ~ニニニニニ~
        | |                         | |  | ┌-┐ |
      「二ノ                         L_」 .| └-┘ |
                                       ̄ ̄ ̄ ̄


990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 16:41:11.71 ID:dGTDoNsn
>>980
いくら昔の人でも信じる訳ねーだろw

992 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/26(土) 20:16:59.70 ID:Sq51FbAX
>>990
誰か忘れたけど有名な学者かなんかが、
大野道賢の最期のようなことは現実にありえると思うみたいなこと書いてた

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 20:19:06.41 ID:PZ1P8vyc
表面だけ焼けてたとか?

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 21:47:18.39 ID:Sq51FbAX
>>993
ごめん、詳しくは覚えてない。
ただ、山本常朝の父、重澄が大阪の陣参戦してるし、
大野道賢の話は本当にあった話だから広まったのだとオレは思ってる
[ 続きを読む ]

前田親子・宇治川の堤防普請で

2011年02月27日 00:00

4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 17:11:16.96 ID:y+WGegrb
武将親子シリーズ、前田利家と利長


前田利家・利長親子が豊臣秀吉により、伏見城下、宇治川の堤防の普請を命ぜられたときの
ことである。前田利家は『この宇治川の堤防普請は末代までの聞こえとなる!』と大いに満足し
張り切っていたそうだ。

さて、前田家は堤防作りのため土俵を積むのだが、この時利家の方の家中では
あらかじめ集めておいた土俵が少なく、必要最低限しかなかったらしい。
利家のところだけにその辺もケチッたか?w

と、その日の暮方、急に川の水位が上がり始めた。
このままでは土俵を越えて水が溢れ、それまで二日間の工事を台無しにしてしまう!
利家は土俵を次々と積ませた。が、用意していた土俵が少なかったためたちまち底を付き
しかたなく利長のところの土俵まで取って行こうとした。

だがここに利長の家臣たちが立ちふさがる。
「この土俵は我らの方で使う物!勝手に取っていかれては困る!」

考えて見れば利家のところで水位が上がっているということは、利長の担当箇所でも
当然水位は上がっており、土俵が緊急に必要となっているのだ。たとえ利家のところより
余裕があったにしても、簡単に渡せるものではないのである。

が、これに前田利家は激怒。
「お前たちが邪魔をするか!コラー!」と
持っていた杖を振り回しながら土俵の引渡しを拒否した利長の家臣たちを追い回したという。

この事件により利家と利長は何かにつけ対立し合うように成り、両者の家臣たちも
甚だ困り果て、最終的にこのことを聞いた秀吉が出向いて両者を和解させる、という
事にまでなった。


利家利長親子、土俵で喧嘩する、と言うお話。

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 17:17:47.63 ID:PZ0gVOte
末代までの聞こえになるってんなら、状況に対応できるように多めに用意しとけばいいのに、ホントケチだなあ。

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 19:03:11.76 ID:6nNecO4J
ここぞで金使う人だったらと思うと…
もったいない

7 名前: 忍法帖【Lv=11,xxxPT】 [sage] 投稿日:2011/02/26(土) 19:08:05.94 ID:1ebSlbHp
太っ腹な戦国武将って派手にばらまいた秀吉くらいじゃないか?

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 20:05:56.86 ID:KAK0TCIo
いたとしても、秀吉以外は滅びちゃったんだろうな・・・

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 20:16:28.85 ID:9WtKwsl3
秀吉が太っ腹になったのは天下とってからだな。
織田の武将やってたころは、下の連中から知行が少ないとストライキ未遂まで
起こされてる

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 20:17:27.08 ID:qd3bTeLU
土俵が足りなかったのもケチったからだなw

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 20:25:21.31 ID:6nNecO4J
いや、使うべき時に必要な分だけ(不測の事態も考慮した分)使えれば的な意味で言っただけで大盤振る舞いとは言ってないよ。もちろん金があればの話ね
実際金はあった訳だし

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 21:18:57.53 ID:3388sTKJ
>>4
ttp://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771449/104

↑が元ネタだと思うけど、「史籍集覧」所蔵版には「土俵は少なく寄せ候内に」の一文はなく、
「…御満足にて御家中に當土俵集候へば其日暮方に水出来明日は此体に候はば二日の普請を流候…」
となってる。
(もちろん、「利家のところだけにその辺もケチッたか?」なんて↑にも書いてない。)

だいたい、そのすぐ後に書かれてる利家が自分でもっこ担いで土俵運んだ話や、秀吉の仲裁の内容とか
同じ「利家夜話」にある伏見川の普請で大釜をいくつも置いて粥を炊いて人足がいつでも腹の足しに
できるようにした話を紹介しないとか

利家ファンからすると、安易にケチネタで貶めたり揶揄したりしてるように感じる。

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 21:27:16.76 ID:Xj1CSWd5
半端じゃないケチだからこそ、悪名とは言え後世に名を残せたんだと思うべきかもしれない

黒田如水と長政、如水臨終の床で

2011年02月26日 00:00

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 04:58:35.18 ID:hEN37VRR
黒田如水長政親子シリーズ

黒田如水が病に倒れ、臨終の床についていた頃のことである。
黒田長政は床にある父如水に向かって言った

「父上はそろそろ死にそうですが、私には心残りがあります」
(はや御果可被成候に、心に懸りし事御座候)

死にかけの父親にこんな事言い出す長政も相当なものである。ま、ともかく続き

「それは、私は今一万ほどの手人数を持つように成りました。
そこで黒田如水を自分の旗本に置き使い、私の采配で一合戦お目に掛けたかった。
それだけが心残りなのです。」

これを聞いたその死にそうな黒田如水、長政に

「おいおい、わしはお前がそれ程のアホだとは思わなかったぞ!」
(扨其程に貴所は気の付候はんと思ひ不寄候處に)

「そんな事なら、わしの方には今生に思い残すことなど何も無いよ。

大昔の名将弓取りなどの事は、書物に記録してあるだろう?
わしはそれらを読んで綿密に分析してみたところ、近代において名将や弓馬の道の上手は
美濃・尾張・三河、この三ヶ国から出るようになっているのだ。

その三ヶ国の名将たちの戦の仕様、その武者振りの体、まあ日本のうちそれ以外の地域は
残りカスみたいなもんだな。」

だから三ヶ国の出身ではない長政の采配など、たかが知れている。
そんなものを経験できなくても自分には何の後悔もない。ということなのだろう。
しかし如水も死にかけなんだから、息子にもうちょっと可愛気のある言葉を遺してあげても
いいような気もするがw

ともかく最後までこの息子にこの父親、としか言い用のない父子の会話である。
(川角太閤記)




963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 05:11:50.91 ID:k3xHwwL8
最後の最期でもダメだしとかw

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 06:14:54.06 ID:K5spKSxR
カツオ風味のダメだし~

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 08:40:29.64 ID:MLxUTQsI
黒田長政と鍋島勝茂はなんていうか…ホントになんていうか……

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 09:14:15.66 ID:pq45nIdI
南米ファイブAAは鍋島さんとこにも応用できるな

967 名前: [―{}@{}@{}-] 人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 11:05:31.53 ID:nk2ofNxx
実戦で俺の腕を見せられなかったものだから、最後まで親父は上から目線なのが残念です

お前なんぞの戦の腕なんてたかがしれてるよプギャー

本当にこの親子はなんというか、なんというか……

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 11:09:14.51 ID:yYVCfplf
政略の腕は息子の方が上だがな

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 11:17:33.51 ID:SIy2Sbgj
如水の最終目的を考えるとそうとも言えん
必要以上の戦局の安定化はむしろ邪魔なんだから

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 11:18:23.28 ID:yYVCfplf
親父の器量見切ったんだろ
あんな天然に天下とれんわ

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 11:19:17.98 ID:SN6Hd6Ye
>美濃・尾張・三河、この三ヶ国から出るようになっているのだ

何でなんだろう・・・本当に

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 11:22:59.13 ID:yYVCfplf
つ鎮西八郎

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 12:13:53.78 ID:xRadzELg
>>963
嫌われて死ぬのが望みな人に何をいまさらw

974 名前:秀忠[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 17:38:22.35 ID:koR0Ue6C
親 父 が 死 ん だ 時 初 め て 俺 た ち の 人 生 が 始 ま る ん だ !
  ∩∩ ぼ く ら の 春 は こ れ か ら だ !  V∩
  (7ヌ)                              (/ /
 / /                 ∧_∧            ||
/ /  ∧_∧     ∧_∧  _(´∀` )   ∧_∧   ||
\ \( ´∀`)―--( ´∀` ) ̄      ⌒ヽ(´∀` ) //
  \       /⌒   ⌒ ̄ヽ、秀忠 /~⌒    ⌒ /
   |      |ー、      / ̄|    //`i 勝茂  /
    | 秀宗 | | 長政 / (ミ   ミ)  |    |
   |    | |     | /      \ |    |
   |    |  )    /   /\   \|       ヽ
   /   ノ | /  ヽ ヽ、_/)  (\    ) ゝ  |
   |  |  | /   /|   / レ   \`ー ' |  |  /


975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 17:42:55.52 ID:GzNdByUq
義信「そ、そうだよね・・・やっぱそうだよね・・・ふ・・ふふ・・。」

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 18:16:08.94 ID:LXXs/9tH
景勝・輝元・秀家・義宣「二代目っていろいろ大変なんだよ」

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 18:33:34.14 ID:VxpavJiq
隆元「・・・オイTERU、ちょっとこっち来い」

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 19:28:59.49 ID:f97GA1AI
一方、島津家のあのお方は親父が死ぬと生き生きと嫁へのDVを始めた

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 20:05:34.95 ID:UOGjODTL
>>974
一番右の人、ダウト・・・

980 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/25(金) 21:04:40.62 ID:zy5hZ7PM
>>977
TERU「鬼畜伯父上より父上の方が良かったです…っ!(涙)」


981 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/25(金) 21:42:23.66 ID:O/pSs/39
>>980
伯父上→叔父上の方が正しいぞ

雑談・各所で天庵様が

2011年02月26日 00:00

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 20:07:35.89 ID:P/RN/4Vy
てか某スレで某政治家を天庵様に譬えた奴でてこいw
見てたらいきなり名前出てきてコーヒー吹くかと思ったわw

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 20:21:44.70 ID:Wo819EIS
天庵様にぴったり合うのは、やる大矢だと思うんだ。
というかあのAAもぴったり合うと思うw

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 22:21:38.30 ID:MDGu0TqT
>>949-950
そう言えば天庵様がついにゲームに登場。
http://www.unicorn-a.com/products/gesen18/sengoku3/char/oda2_uziharu.html

天庵様のことは想像以上に世間にも広まっているのか?w


953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 22:31:59.50 ID:+wCwcXkb
よりによってこのゲームかよw

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 22:34:57.65 ID:GNZCv7sX
信長の野望には昔から普通に出て来るけどな
ってよりによってクソゲーで有名なエロゲーシリーズかよw

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 22:36:04.06 ID:/eEadD8y
こういう下積みを積めばやがてはもっと輝かしい舞台に上がる日が来る・・・

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 22:43:49.65 ID:UiH4Rqsk
『天賦の敗将』ワロタ

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 23:06:33.63 ID:GYK8Jyxy
鬼武蔵が出る日も近いw

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 23:31:29.72 ID:jPs8y5ZV
>>952
なんか戦国ランスと天下統一と信長の野望の蒼天録を混ぜたようなゲームだな
てか大友宗麟が過大評価されてる気がするw

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 23:33:02.04 ID:TtpJm1WM
>>957
太閤Vの鬼武蔵の武力に納得がいかない

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 03:45:21.65 ID:zVnSmgEM
自分より弱い相手にいかに暴虐に振舞えるかなんてパラメーター無いものw

984 名前:人間七七四年[[sage]] 投稿日:2011/02/25(金) 23:03:40.09 ID:4IYz9iLD
>>952
なんで北条や徳川より先に小田が出てるんだよw
絶対ココ読んでるやつが作ったろ

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 23:09:25.68 ID:UOGjODTL
四天王が、「東の四天王 長可」等として出てくるゲームがあったら、どうしよう・・・

軍師孝高(or直茂)「君は本当にバカだな・・・」
君主長政(or勝茂)「・・・(ちくしょう、いつか殺してやる・・・)」

なんてのは、もっと嫌だが

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 23:28:08.15 ID:UXi8VYEa
>>984
一番最初に公開するインパクトがあって、尚且つ後にとって置く弾は大物を用意したいっていう、
なんかそういう判断だろう

984 名前:人間七七四年[[sage]] 投稿日:2011/02/25(金) 23:03:40.09 ID:4IYz9iLD
>>952
なんで北条や徳川より先に小田が出てるんだよw
絶対ココ読んでるやつが作ったろ

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 23:09:25.68 ID:UOGjODTL
四天王が、「東の四天王 長可」等として出てくるゲームがあったら、どうしよう・・・

軍師孝高(or直茂)「君は本当にバカだな・・・」
君主長政(or勝茂)「・・・(ちくしょう、いつか殺してやる・・・)」

なんてのは、もっと嫌だが

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 23:28:08.15 ID:UXi8VYEa
>>984
一番最初に公開するインパクトがあって、尚且つ後にとって置く弾は大物を用意したいっていう、
なんかそういう判断だろう

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 03:20:52.37 ID:gjjFlY8y
21世紀の御世にも光り輝く天庵さまのカリスマとはことほどさように神々しいものだ >952

『黒田如水という人物に見合うのは』

2011年02月25日 00:01

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 04:12:17.47 ID:8Fly0/Wg
黒田如水の晩年の頃のこと。息子長政にこんな事を言った

「わしはな、貴所(長政)の公儀上手に感じ入っておる。
今後は知らぬが、今までの両御所様(家康・秀忠)の御前、そして幕府高官たちとの
関係においてお主はいささかの失敗もすること無く御奉公しておる。
これを公儀上手と呼ぶのだ。

わしなどは太閤様の前で2度しくじった。1度目の時は播州の寺社でしばらく蟄居したなあ。
近年は九州のことで叱られた。
先の関ヶ原の時は、わしの行動が御所様(家康)の構想と全く噛み合わなかった。

あの時はこうだった。お主は東で御所様のお供をしていた。わしは国元にあって隠居の身だったが
人数を抱え隣国の豊前で働き、30日ほどでこれを討ち従え、その後金吾殿(小早川秀秋)が
お留守にしている所領の仕置を行い、筑前の立花左近(宗茂)の城に軍勢を寄せた時、
薩摩討伐のお触れが来た。

この時加藤肥後守(清正)殿は薩摩に接する国の領主であったので、先の立花殿と講和をし
それから肥後を出発し薩摩との国境まで詰め掛けたところで、
『当年中は薩摩に仕掛けてはならぬ。早々に引き上げるように』
との命令が来たため国元に帰った。

我らは東と九州の二ヶ所において御所様に御馳走いたした上は、お主とは別にわしにも
国や知行が拝領されるものだと信じきっていたのだが、そのような御内意は一度もわしの元に
届かなかった。

どうやらわしが隠居の身の上だというのに、お主の留守にその金銀を取り出し豊後や
その他に手出ししたことを不似合いだと思われたようだ。
本来ならお主の城である中津城に引き篭もり、世間の成り行きやお主の動向などを注視することこそ
然るべきだったのに、隠居の身であのように働いたことが不似合いであると思われた。それ故に、
わしの国元での働きは御意に召すことが出来なかった。


わしはな、太閤様の時代に『一角の大名になってやる!』と思っていたのだが、そうは成れなかった。
関ヶ原の時も又、同じく出来なかった。

我が心のことながらわしは、自分を過大に評価しすぎているのだなあ。
太閤様も御所様も、『黒田如水という人物に見合うのはこの程度だ』と見切っておられたのだよ。
太閤様のわしに対するお目利き、御所様のわしに対するお目利きは少しも違わない。
これには感動するほどだよ。


この上はな、わしは浮世を捨てようと思っている。
歌道三昧の生活をしようか、あるいは月見花見の遊山をして過ごそうか。

お主はこの如水の身の上をどう待遇したものかと能々考えていたようなので、
その為ここでこの事を、申し聞かせてやったのだ。」
(川角太閤記)


晩年の黒田如水の挫折感、あるいは諦観を感じさせる述懐である。




942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 10:18:45.54 ID:Epso76/G
(´;ω;`)

943 名前: [―{}@{}@{}-] 人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 10:32:40.62 ID:rz6cEElJ
関ヶ原の件は、
「ムリヤリいい話にしてんじゃねえぞ親父」
と息子は言いたいと思うんだがなあ……。

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 12:41:20.10 ID:onmTgomV
父上の印象がデカイから正当に評価されないされにくい長政さんであっと…
勝茂さんは知らん!

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 12:47:06.94 ID:k2dzP2dc
どんなに頑張っても駄目な時は駄目なんだよ
ね、天庵さま?

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 14:51:28.47 ID:51fqpjvf
>>945
そんなことはない、為せばなると天庵様は仰せです。

さあ一緒に越後の軍神気取りを討ち取りに行きましょうぞ

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 17:53:07.38 ID:yZCQTJ3H
菅谷さんが死んでしまうw

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 19:26:36.12 ID:P88ZnCtu
実際死んでるしな

まーくん、息子の就職を心配して

2011年02月25日 00:01

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 10:30:12.95 ID:+btdGJvw
読売新聞に載ってたやつなので転載になるが・・・。

「身上之義~まーくん、息子の就職を心配して口利きをしてもらう」
高知市の旧家で、伊達政宗から、徳川家家臣本多正純に宛てた長男秀宗の、今でいうところの就職斡旋依頼書
(口利き依頼書?)みたいな書状が見つかったそうな。宇和島藩の成立と政宗の冬の陣参戦にも関係している書状らしく、
時代は大坂冬の陣の頃(慶長19年)1614年の11月10日付けで、徳川家康が大坂冬の陣に向かうため
二条城に居たときに書かれた書状らしい。

内容としては、「うちの息子(秀宗)が秀吉の傍にいた経緯もあった上に、側室の子なので役職に就けなかったから、
本多さん、両御所(家康と秀忠)様にお願いして何とかしてください。返す返すお願いします」

と念を押した内容だそうな。
徳川幕府の公式記録「徳川実紀」に書かれたものによると、この日に二条城で家康と会って翌日の軍議にも参加。
この時に本多正純に根回ししたものと言われており、それから伊達親子は冬の陣に参加し、その功績から秀宗は
宇和島藩を貰うことになる。

どの時代も自分の子供の就職を心配する親はいるもんなんですねぇ・・・。




968 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/24(木) 12:31:34.06 ID:piSKvOMi
そしてまーくんに甘やかされ過ぎた末っ子が伊達騒動をおこすっと

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 01:14:41.59 ID:qCs374Pj
山内一豊も、弟の処遇を家康に頼んで(自分の家臣にすればいいのに)、旗本→武州指扇城主にしてもらってる。
栄えた当主の務め的なところもあるんだろう

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 04:04:33.53 ID:RIOyyr4j
個人的に忠宗より秀宗の方が政宗の息子らしい感じはするけどな

秀宗が家継いだらどうなったかな
たいして変わらんか

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 06:02:41.15 ID:U252Cr3w
>>967
>どの時代も自分の子供の就職を心配する親はいるもんなんですねぇ・・・。

そこまでやったのにその息子は後に和霊騒動起こして政宗公を激怒させると・・・・・・。
親の心子知らずとはよく言った話ですわな。


973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 06:36:47.29 ID:TDAkbb7u
まあ政宗なりに秀宗に負い目を感じていたのも確かなんだよ。
和霊騒動後に率直に話し合って和解もしたわけだし。
殺された山家公頼一族はお気の毒様だけどね!

忠宗は輝宗的な優等生だな。政宗が頭の上がらない男とはそういうタイプ
のようであり、あるいは故父を意識して教育したのかも知れない。

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 18:04:09.52 ID:Ln8LUYq6
そのわんこ凶暴につき

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 21:17:38.11 ID:MqUlyjYr
>>973
親父よりはお袋さんに似たのかな >忠宗
あれだけ自由な父親じゃ色々困らされただろうに
ケンカしたり嫌ってたりした形跡を見たことがない

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 21:54:27.56 ID:25roWutc
細川忠利「・・・」

週刊ブログ拍手ランキング02/16~/23

2011年02月24日 00:00

02/16~/23のブログ拍手ランキングです!


“♪鹿児島の館 快い館 お盃賜る 琉球で語ろ・・・” 71

相浦源左衛門、二条城にて 69

家康、若き日の土井利勝に 66
清正の赤鬼面 51

名古屋城普請の清正 47
毛利家の大になるは~♪ 42

成富兵庫と上杉家の家臣・某 38
清正少年、泥棒を 35
織田信長「平八郎(本多忠勝)、そなたはどうだ?」 30

成富兵庫、加藤家籠城の心配に 29
雑談・なんで森忠政は兄の敵である家康に 28
上の目、下の目 28

雑談・小田原城 堀から戦国の弓、を見て 27
内匠が逃ふりハ 26
「寿能の蛍」 24

加賀美武光、犬に 23
「是」と言う文字を 23
毒饅頭 23
加藤嘉明の相馬眼 23
合計 1238


今週の1位は“♪鹿児島の館 快い館 お盃賜る 琉球で語ろ・・・”
先週も紹介しましたねwその時言ったように、一つ一つの逸話も魅力的ですが、それらに繋がりがあると
さらに歴史上の人物の実在感を感じることが出来るように思います。
血の通った歴史がそこにあるな、と。

2位は相浦源左衛門、二条城にて
いかにも鍋島家らしいw
よく鍋島家の武士を「葉隠侍」などと呼びますが、こう言うことを知ると「葉隠」という書籍の印象も
かなり違ったものになりますねwこんな面白い人達の中から生まれたものなのだなあと。

さて、今週はちょっとした加藤清正ウィークでしたねー。
ランキングに入っている中にも
清正の赤鬼面
名古屋城普請の清正
清正少年、泥棒を
成富兵庫、加藤家籠城の心配に
こんなに清正、加藤家関連のお話がありました!
清正という人もなかなか評価の難しい人で、間違いなく優秀で器量も大きい、英雄と言って良い武将なのですが、
一方で極端な度量の狭さを感じさせる時もあります。このあたり、彼のライバルであった石田三成に実は
似ているかも知れません。なので今でも、信仰のように尊敬している人もいれば、極端に嫌う人もおられますね。
そのあたりの毀誉の激しさも、清正という人が大きな存在であったことの証拠かもしれません。

今週も各逸話に、みなさんからたくさんの拍手をいただきました!
いつもありがとうございます。
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください!
( ´ω` )

黒田如水、松永久秀の武辺者論について

2011年02月24日 00:00

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/23(水) 12:09:30.14 ID:ae4q67kq
::::::::        ┌─────────────── ┐
::::::::        | 若殿の逸話はもう尽きたようだな… │
:::::   ┌───└───────────v───┬┘
:::::   |フフフ…若殿は黒田家の中でも最も短慮 … │
┌──└────────v──┬───────┘
| 理想の主君として話題となる │
| 大殿の息子とも思えぬ。     │
| 黒田家の面汚しよ…       │
└────v─────────┘
  |ミ,  /  `ヽ /!    ,.──、
  |彡/二Oニニ|ノ    /三三三!,       |!
  `,' \、、_,|/-ャ    ト `=j r=レ     /ミ !彡      ●
T 爪| / / ̄|/´__,ャ  |`三三‐/     |`=、|,='|    _(_
/人 ヽ ミ='/|`:::::::/イ__ ト`ー く__,-,  、 _!_ /   ( ゚ω゚ )
/  `ー─'" |_,.イ、 | |/、   Y  /| | | j / ミ`┴'彡\ '    `
  又兵衛        太兵衛      大膳     官兵衛



932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/23(水) 13:37:31.36 ID:vdPdQ0B1
>>931
ではそんな若殿に如水さんのお言葉

あるとき黒田如水が、息子長政にこんな事を語った

織田信長公が松永弾正殿に『武辺者とはどういう者を言うのか』とお尋ねになったことがあった。
この時弾正殿は

『そういう者は二種類あります。
まず、一番槍、一番乗りをすべしと心がけ、上に対し非常に目立つ者達。これが一種類。
そしてもう一種類は、そう言う目立つ者達に隠れ上からは見えにくい、真に役に立つ
殊の外慎み深き者達です。

私も家中に、一番槍、一番乗りを心掛ける者、12、3人は持っています。
ですが一番槍の者が敵に槍を突きつけているとき、彼らの後ろにまわり槍の石突(槍の底部)を
才槌(小形の木槌)を持って打ち込むと言うような者は、5人、3人も持っておりません』

筑前(長政)よ、この如水は世間にその才能が目立つ、前者のタイプである。
一方そなたは才槌で石突を打ち込む立場を覚悟している者だ。

ただし、それ一辺倒では総大将としては気配りが足りない。
大将軍、名将と呼ばれるには、状況状況で機転を利かせることこそ必要なことであるぞ。」


『才槌で石突を打ち込む者』というのは、先手が拡大した戦線を確保することを
心掛ける者、ということだろうか?

それにしても如水さん、長政を褒めているようで、あれだけ前線で一番槍をやりたがってる人に
「俺はスタータイプだけどお前はどうしたって裏方タイプだなあ」と、盛大に全否定している
感じがいかにもこの親子である。


以上、黒田如水が長政に語った、松永久秀の武辺者論。




933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/23(水) 16:29:54.69 ID:943oRQrt
「裏方一辺倒じゃ駄目だぞ」って叱られて以来、先頭に立つようになったのでした。
という流れなのかと思ったが、全否定で終わってんのかよ。
さすがだな。黒田家と鍋島家は一切ブレない。

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/23(水) 17:06:30.82 ID:nPRSxXuH
一族郎党からコキ下ろされても忍耐して許す長政公は実はとてつもなく器がでかいのかもしれない

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/23(水) 17:57:33.60 ID:h8Kf1gij
しかしこの逸話、俺の作りたい流れをよく読んで俺を後押ししろよとも読めるな
長政は意図してなかったとはいえ、関ケ原前後で如水の乾坤一擲の賭けをぶち壊したからなぁ
あの如水の行動を読めというのは無茶だけど、自分の親父のことよくわかってなかったんだなと思う
長政も十分すぎるくらい優秀なんだけど、如水と比べると器の違いが浮き出るから気の毒だ

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/23(水) 18:06:24.09 ID:pFjyuf5w
読んでたから無茶やらせないようにしたのかもよ

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/23(水) 20:26:09.72 ID:2XGZndZA
いままで全否定しやがって、と乾坤一擲の意趣返しだったのかも

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/23(水) 21:09:34.87 ID:FMv0MSPp
>>937
それの方がおもしろそうだw

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/23(水) 22:14:31.37 ID:BMLTf31H
それに近いような小説はあったよなw

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 21:49:05.46 ID:av3dPesC
>>932の話は
俺は「一番槍、一番乗りを心掛ける者」=才能ある先駆者、家名を大いに上げた一代目(家康タイプ)
お前は「才槌で石突を打ち込む者」=地道な努力でそれを確かなものにする二代目(秀忠タイプ)
という御家の栄えさせかたを、戦の勝ちにもっていくやり方に例えたうえで
だけどある程度は両方の素質持ってないと駄目って話かと深読みしそうになったけど
やっぱ単純に俺のほうがすごいから、お前分相応にしろ、でもそれじゃ俺は超えられねぇって話なだけだろうな

内匠が逃ふりハ

2011年02月23日 00:01

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 18:58:19.73 ID:lZBNHHnr
武田家に『奥近習六人衆』と呼ばれる男たちがいた。甘利左衛門、土屋右衛門、三枝勘解由、長坂源五郎、
そして曽根内匠と武藤喜兵衛のことである。
いずれも次代の武田家を担うと見込まれた男たちであり、特に内匠と喜兵衛は今川領侵攻戦において
物見・先鋒として衆目を驚かす活躍を見せ、信玄に「内匠と喜兵衛は、わが両の眼」とまで言わしめた。

将来を期待された六人だったが、その後それぞれ劇的な人生を歩んだ。

甘利左衛門は、要衝・上野箕輪城を任され出世頭となったが、落馬事故がもとで早くに世を去った。
土屋右衛門と三枝勘解由は、長篠の露と消えた。
長坂源五郎は、義信事件に連座して死んだとも、父・釣閑斎とともに勝頼の馬前で果てたともいう。

残る二人、駿河興国寺城を守っていた曽根内匠は、武田崩れの際に徳川家康の軍門に下り、
兄たちを長篠で失った武藤喜兵衛は、真田安房守昌幸と名乗り、実家の名跡を継いだ。


天正13年(1585)8月、押し寄せる徳川軍を上田城で迎え撃った昌幸は、辛くもこれを撃退した。

徳川軍には武田旧臣も多く参加しており、昌幸が去って行くその背中を櫓上から見つめていると、嫡男・信幸が
報告にやって来た。日ごろ冷静沈着な信幸も、思わぬ大勝に興奮しながら語った。

「いや~しかし、何とか勝ちましたな!それにしても、武田の旧臣どもの腰の抜けた様ときたら。
『信玄の両眼』などと言われし曽根内匠も、今日は槍を引きずって逃げて行きましたぞ!」

「たわけ。
わしから見れば、内匠の逃げっぷりは、お前たちの追撃の仕方よりも上手であったわい。
(内匠が逃ふりハ、おぬしらが追よりハ増して見えし。)
立場が逆なら、お前たちなんぞとっくに内匠に討たれておるわ。」

昌幸の言葉により熟練の士としての評判を保った内匠は、のちに蒲生氏郷の懇請により蒲生家に仕え、
会津若松城の縄張り等にも参画し、奥州にもその名を轟かせたという、比興者の友情?の話。




949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 20:13:37.16 ID:DAvt/LVK
元亀元年の信玄による駿河花沢城攻め
三枝勘解由、曽根内匠、武藤喜兵衛の三人が共に城門に詰め寄り
一番槍は三枝勘解由だったが二番槍は曽根内匠と武藤喜兵衛だったそうな。

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 21:27:09.39 ID:WqW1caRX
いまさらここで言う程のことではないかもしれないが
武田で近習と言えばやっぱりそういう関係があったのかなと思ってしまう

ある時松永久秀の家老が。久秀にこう申し上げた

2011年02月23日 00:00

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 04:12:42.00 ID:QUoufZ3H
ある時松永久秀の家老が。久秀にこう申し上げた

「殿がご所有の平蜘蛛の釜を、信長公はご所望になっております。
この上はご進上申し上げるべきではないでしょうか?」

ところがこれに久秀

「たわけたる事を申すな。あの釜を信長にやった上に、我らが首まで所望されたら
どうするのだ?」

それから暫く後、再び家老が久秀に申し上げた

「この頃世間に取りざたされている話を聞いてみれば、殿の御身に大事が迫っておるようですぞ!」

久秀これを聞くと胸を反り返らせ

「ふぁ~ぁ」

と大あくびをし、

「あらうれしや。思い出になることだ」

そのように言ったそうである。

2度目の謀反の前あたりの話であろうか?松永久秀とその家老の会話である。




921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 17:54:41.21 ID:5SiBRRQH
>>909
子供の頃は大嫌いだったんだけどね、弾正。

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 18:37:12.31 ID:DAvt/LVK
>>921
弾正好きな子供というのも…

毛利家の大になるは~♪

2011年02月23日 00:00

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 18:48:28.84 ID:mzsiaKZS
出雲尼子氏が没落した後のこと。

その尼子氏の牢人に、金玉が大きくなる持病の持ち主がいた。
居たんだから仕方が無い。

で、その牢人が陰嚢を湯で洗っているとき、口ずさみにこんな事を拍子をつけて歌っていたそうだ

『ふふふふ~ん♪
毛利家の大になるは、尼子の滅亡~
陶が大になるは、大内家の滅亡~
ふぐりの大なるは、それがしが滅亡~♪』


で、それを近くでたまたま聞いた者がいて
「お、おぬし、何を言っているんだ!?」
と尋ねてきたので、牢人は斯様斯様と詳しく説明してやったそうである。
(武功雑記)

…何でこんなどうでもいい話が記録されちゃったんだろう?w




925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 18:49:33.46 ID:Yvt6R5Ns
自虐ギャグw

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 19:14:37.19 ID:BycG4MVG
西郷どんも罹ったフィラリアによる陰嚢水腫だな

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 20:02:34.73 ID:DAvt/LVK
原文が気になるw

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 20:25:12.52 ID:9vzXotMc
腫瘍でもひどいことになるようだが
鼻歌歌いながら洗ってるようなら違うんだろうなw
でも「それがしが滅亡~♪」ってことは痛みもあったのかね

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 21:37:06.07 ID:PtdeplC7
>>924
笑えねえ、けど笑えるというなんともいえんアレだ…w

「是」と言う文字を

2011年02月22日 00:00

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 22:05:09.72 ID:hcoJILWV
ある時松平清康が、「是」と言う文字を握りしめる、と言う夢をみた。

不思議に思いこれを占ってもらったところ、「大変な吉夢だ!」と言う。
その理由はこうだ

「『是』と言う文字を分解すると『日の下の人』となります。これを握るというのは
日の下の人をすべ掌握するということ、すなわち天下を握るということです。
松平の家より必ず、天下を握る人が出てくることでしょう!」

清康はこれに大いに喜んだ。後、彼の孫である徳川家康が天下人となること、
誰もが知るところである。

清康の見た「是」の夢、と言うお話。




929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/21(月) 00:14:25.42 ID:8geZNmXQ
>>925
松平の家よりってw
普通夢見た本人がどうこうするだろw

近藤康用、借金の手形を

2011年02月22日 00:00

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/21(月) 17:11:41.50 ID:8m2BbT/E
遠州浜名湖の沿岸部を有する井伊谷三人衆の一人、近藤康用は徳川家康への帰属後、
家康の叔母の所に出入りし、ある時借金をしたという。

しばらく後にこの叔母のお局が、近藤に借金の返済をするように言ってきた。
ところが近藤

「いやいや、私は借金などしておりませんよ!」

と、しらばっくれる。
これにはお局も驚き呆れた。近藤は借金をするときちゃんと、借受の手形を書いて
いたからである。

そこでお局はその手形を近藤に見せつけ、「さあ返済を!」と迫った。
このとき近藤

この手形を奪うとその場で引き裂き、さらにそれを口に入れご丁寧に歯で噛み砕いた!
そして目を怒らせ睨みつけると

「たわけめ!こんな手形への捺印など、わしが本気でしたと思ったか!?」

と散々に怒ったそうである。逆ギレもいいところである。

この事は後に息子の近藤石見守秀用が、「うちの父はこんな大へそ曲がりでありました」
と、述懐したことだそうだ。




901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/21(月) 19:13:59.78 ID:z5bVtjAQ
この場合に逆ギレというのは国語力が足りない。
居直ったとか踏み倒す気満々とか盗人猛々しいとか、豆腐の角に頭ぶつけて死にやがれこのドサンピンめとか書くと教養ありげに見えると思う。

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/21(月) 19:17:20.28 ID:8M4vGcGF
上品さは欠けらもないけどなw

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/21(月) 19:19:56.63 ID:zabodcXR
犬千代が金かした相手にこんな目にあったらどうしただろうか・・・

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/21(月) 19:28:15.13 ID:CfN506FO
>>899
こういう事やると次からは誰も金を貸してくれなくなると思うんだが…

清正の赤鬼面

2011年02月21日 00:01

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 22:23:18.17 ID:1PA64pC+
加藤清正鬼シリーズ

天正20年(文禄元年)(1592)、文禄の役、朝鮮に出兵した播磨・三木城主の中川秀政は10月24日、
現地での鷹狩の最中気がついたら敵兵に囲まれていた、と言ううっかりプレイで討死。
享年25歳であった。

さて、主君のあんまりな死に嘆き悲しんでいる中川家の家臣のところに加藤清正がやって来た。
そしてこの家臣に品物を手渡した。その品物を見て驚く家臣に清正

「これを与える。これで元気を出せ!」

「あ、あの、これは…?」

赤鬼の面であった

「この地で手に入れたものだが、おぬしに渡す!何時までもくよくよするのではないぞ!」

「は、はあ…」

家臣はよく解らない。何故赤鬼の面なのか?どうして赤鬼の面が自分を慰めることになるのか?
ただ単に清正が赤鬼の面が好きだというだけではないか?
様々な疑問をかかえ、ともかくもその家臣は赤鬼の面を持って帰国した。
が、だからと言ってこれをどうしたものかよく解らず、そのまま放置し、そのうちこの家臣も死んだ。
後継ぎなどにもその面についての言及はなく、完全に忘れ去られた。

時は流れ延宝3年(1675)、この家臣の子孫がたまたまこの面を見つけた、しかも清正の
寄進状と共に。こんなモノにもちゃんと寄進状を書いていたのですね清正公。
だが、やはり子孫もこれをどうしていいのか解らず、地元の月輪寺へと奉納した。

そのうちに月輪寺が赤鬼面と対になる黒鬼面を購入し、これを用いて鬼追いの祭礼を
行うようになった。これは「三木・大宮の鬼追式」として、現在も大宮八幡宮と月輪寺にて
神仏習合の祭礼として行われている。

清正寄進の面、なんだか色々あって祭礼となる。と言うお話。




愛媛県松前町、後藤又兵衛生存伝説

2011年02月21日 00:00

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 23:02:08.85 ID:SeT607j4
地元に伝わる伝承を一つ



後藤又兵衛が生き延びていた、という話は又兵衛桜が有名ですが

愛媛県の松前町にも、又兵衛が逃げ延びてきたという話が伝わっています


大阪からなんとか脱出した又兵衛は、旧友の加藤嘉明を頼ってこの地を訪れました

徳川家からの捜索を逃れるため、名を弟の市郎右衛門と偽り、百姓となったそうです

百姓となった後は、地域の開拓に尽力し、寛永11年にその生涯を終えます

今でも後藤新田、後藤の堰などの事跡が残っています


http://shikoku-net.co.jp/ehime/kankou/iyogun/masakikankou.htm

↑参考にさせていただきました

又兵衛夫婦のものとされる墓の写真もありますよ


個人的に「旧友の加藤嘉明を頼って」という部分が気になります

又兵衛の主君と仲良かったから交流はあったと思いますが…

なんとなく相性悪そう




897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 23:05:44.83 ID:o1BraLN+
問題は大坂の陣の時にはすでに加藤嘉明は居城を
松前城から松山城に移していることだが
昔の居城近く、というならありか

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 00:11:34.18 ID:zIpvnBRW
>>896
そこ伊予に旅行行った時行きましたわー。

そう遠くない同県伊予市の長泉寺にも後藤又兵衛の墓があって、
こっちは生存説ではなく、戦死した又兵衛の首を持って逃げた部下がここに葬ったという伝承が。

叔父の藤岡九兵衛(又兵衛幼少時代の保護者)が住職をしていた縁で、
大坂入城前に又兵衛が加藤嘉明との交誼を頼って、妻子を託したことが碑文に刻まれています。

程近い三谷に塙団右衛門の子説もある程仲の良かった雲居国師の生誕地があったり、
松前城跡には加藤家を出奔した団右衛門の事跡が看板に書かれたりしていて、
この大坂の両豪傑好きにはちょっとした穴場地域に感じました。


>>897
松山から松前もそう遠くないしね
松山築城の際に破却した松前城の建材を再利用した話もあるし

「寿能の蛍」

2011年02月21日 00:00

能姫   
899 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/20(日) 00:42:58.78 ID:ojBUX0H1
現在のさいたま市に伝わるお話。武将ではないが投稿。

「寿能の蛍」
昔、池の辺りで笛を吹いている娘がいた。やがて娘の周りには蛍が集まり、その中のとびきり大きい蛍が
娘を池の底へと連れさった。
やがて娘が目を覚ますと目の前に美しい上品な女がいた。

「実は私、昔この地を治めていた潮田家の能と申します。寿能城が落城した際に私は待女と共に
この池に入水したのですが竜神様にこの夏の期間だけ蛍となり一族に祈りを捧げる事ができるのです。
どうか我が一族を供養してください」

この姫の気持ちに心をうたれた娘は供養塔を建てたと言う。




900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 00:56:05.58 ID:eG9/zR8H
なんかあっさりした話だから結構古い時代かと思ったら、
寿能城が落城したのって小田原征伐の時なのか

加賀美武光、犬に

2011年02月21日 00:00

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 01:47:05.20 ID:qcMhgtEk
>>890で似たような話を思い出した。

武田信昌のころ、甲斐に加賀美武光という武士がいた。

加賀美家は武田を初めて名乗った信義の弟である遠光以来の家である。
小笠原や南部などの名門を生んだが、それらと異なり他国へ雄飛しなかったためか、南北朝の頃には
既に衰微していた。

この武光、虐められっ子だったのか、あるとき馬に乗って道を行くと、国人大井某の郎党に犬をけしかけられた。
突然のことに馬は竿立ちになり、武光は落馬した。そこへ多数の犬が襲いかかる。
武光は応戦するが、落馬した時に怪我でもしたのか、抵抗虚しく噛み殺されてしまった。

後日その弟が訴えを起こしたが既に証拠はなく、また誰もが大井某を恐れて証言しなかった。

逆に「武光は盗みに入って犬に食われた」という噂がまととしやかに流れ、
「いぬ(く)いなる おとにきこへし かかみのたけみつ」と彼を囃し立てる歌まで流行った。

「乾の方向に住む加賀美武光は、名刀を持っているという噂だったけれど、実は鏡のような竹光だったのだろう、
犬に食われてしまったよ」。

これに激怒した武光の弟は弔い合戦を挑むが、大井他の連合軍に敗れて死に、領地も奪われてしまった。
しかし武光の子は信虎に仕え、大井、栗原などの仇を取って領地を回復し、代々の信濃守を名乗ったということである。
子孫は後に家康に仕え、武蔵に移されるも、旗本加賀美家として800石あたりで存続した。めでたしめでたし。




907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 12:07:20.00 ID:kGgISsUy
>>901
これってイジメ云々じゃなくて、普通に狙ってやった暗殺でねえの?
信昌のころの甲斐なんて、普通に世紀末だろ。

甲斐犬(かいけん)は日本固有種の中では最も凶暴で、オオカミの血が混じってる。
というか犬の血が混じったオオカミ。無茶苦茶獰猛だし、訓練すれば集団行動も出来る。

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 14:43:16.85 ID:Y/kZI0Uh
>>907
甲斐犬こええ
甲斐の国はまるでロンダルキアみたいだな犬でさえ強いw

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 16:05:30.51 ID:3we+YkSQ
>>911
では、代わってもう少し解説させてもらおうか。

甲斐犬はオオカミのハーフと一般に言われるが、ニホンオオカミよりはタイリクオオカミに近い。
甲斐犬と呼ばれるようになったのは割と最近で、それまでは甲斐虎と呼ばれていた。
文献上の初出は奈良時代、東北などに導入されてクマ狩りなどに使われていたという。

かつては山岳地帯でよく野犬が見られたそうだが、あまり群れでの行動はしないという。

甲斐の人間と違うのは、主人だけにはなつくことだろうか。
ただし家庭で飼っても主人は基本的に一人(夫婦の力関係によっては母親の場合もww)にのみしかなつかず、
その主人の命令ならば下位の人間の言うことも聞くが、とにかく非常に飼育が面倒だそうである。

戦後品種改良が進み、「一吠えされたので犬がいることは分かったが、次の瞬間には地面に引き倒されていた」
というような、典型的な甲斐犬の個体は少なくなっているという。が、筆者は散歩していた主従にやられたことがある。

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 16:15:34.68 ID:3we+YkSQ
以下引用。

オオカミとしての傾向
 ものすごく敏捷、身軽、よじのぼる。 
 人を噛む。馴れない。訓練は無理。
 遠吠えをする。ワンと吠えない。

イヌとしての傾向
 尾を振る(食事の時)、人にも接する。
 帰家性がある。

用途は、家庭犬・番犬・猟犬。臭い、毛抜けは気にならないので
室内でも飼える。用便をかねて散歩が必要。暑さ寒さにも強い。
性格は、一人の飼い主にしかなつかない忠犬。きつい面もある
ので他人や他犬とフレンドリーになるようなしつけが大切。
頭脳明晰で訓練はOK.。
野性味のある体型から想像できるように、いったん野に放せば
敏捷性に優れ、その跳ぶ姿は疾風のごとくで、この甲斐犬ほど
山野に似合う犬はいない。

確かに甲斐犬は二君に交えない武士道を地でいく忠犬だし、日本刀に例えられるほど頭脳明晰だ。
しかしながら甲斐犬には3kイメージ-きつい、怖い、咬みつくといったマイナーな面があるのも事実だ。
とくに猟場において他人を咬んだり、友猟犬とけんかするので、「友人を無くす犬種」だと言われている。
柴犬と比較して甲斐犬の飼育登録数が極端に少ないのは、この辺が原因かもしれない。
甲斐犬愛好家のみなさんが、あまりにも酔いしれて「この性格こそ甲斐犬の本質なり」、
「これでこそ甲斐犬なり」と申されても、あばたもえくぼでは世間には通用しないだろう。

914 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/20(日) 16:16:09.95 ID:kHIbRhgP
>>912
武田信玄は犬だったのか!!

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 16:24:41.07 ID:7MUt+Xv+
大月の岩殿山城に登る途中の民家で甲斐犬っぽい犬がいたな

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 16:25:34.33 ID:FwNe6wyD
>>914
それ言うなら信虎だろ!!!

ねえなんで甲斐の人たちって、人も犬もこんなに鬼武蔵ライクなの?

917 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/20(日) 16:31:07.66 ID:P9eXwdkG
甲斐犬が一体現れた!


おお914よ 死んでしまうとは情けない…

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 16:49:37.31 ID:tTFXFs/9
               --":::::::::ヽ                 鬼
             ,::´::::::::::::::::::、::::`,               小
で            {:::::::::::::r ''"__ _、::}     甲  痛     島
も           ',:::::"::/   rqrq|/       斐   っ     
ち            !,::、ゝ    J.|        犬   :     弥
ょ             j:,|    -=,|        に   :     太
っ            "j        /.        噛    .く     郎
と            ,┴─`─='∟.        ま    ね
用         ,, -": : : : : : : 0 : : └-. 、   れ    |
あ       ,‐" : : : : : : : : : : : : : : : : : : : ``i. た   全
る       /: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :|: : :| け   .然
し       /: : : : :i : : : : : : : : : 0: : : : : : :|: :| ど   痛
越     /./: : : : :|: : : : : : : : : : : : : : : : | : | 痛   く
後    ,' /: : : : : :,: : : : : : : : : : : : : : : : : : :|: : :|. く   ね
帰     , i: : : : : : / : : : : : : : : : 0: : : : : : : :|: : :| ね   え
る    ; |: : : : : / : : : : : : : : : : : : : : : : : : | : : | え
わ    ; | : : 三i : : : : : : : : : : : : : : : : : : : | : : | わ
      ', , : : : : ,: : : : : : : : : : : 0: : : : : : : :| : : |
        |: : : : :ハ : : : : : : : : : : : : : : : : : : ', : : l
       i : : : : : ,: : : : : : : : : : : : : : : : :/: 〉: :/
      ',: : : : : :, : : : : : : : : : 0: : : : : :/: } :/
       ハ: : : _:_〉: : : : : : : : : : : : : : : :/ヾ
        ィ  ヽ,: : : : : : : : : : : : : /: : : l
         ;|   l: : : : : : : :ハ__/ : : : : '
           l i, i, iヲー──‐': : : : : : : : イ
         ー ^: : : : : : : : ,、: : : : : : : |
          |: : :√ヽ: : : ハ : : : : : : |
          |: :/`\ゞ^,: :i. ', : : : : : :|
          |N \丶, V   i: : : : : : :|
          | {’X`丶, |   .|: : : : : : |
          |ゞ、   zN   |: : : : : : |

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-594.html

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 16:55:54.22 ID:FwNe6wyD
ワロタw

920 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/20(日) 18:22:56.29 ID:lM2a2qKk
>>914
なにそのジャンプマンガ?

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 19:20:49.32 ID:64Nbr+Xb
戦国時代、他国に恐れられた甲斐の武田軍団
その影に軍用犬として甲斐犬が使われていた事は
あまり知られていない。
甲州流軍学によると武田軍の軍法とは、
まず甲州犬を敵陣に放ち敵を混乱させ、次に小山田勢による投石で
敵の足をとめ、最後に騎馬軍団による突撃で止めを刺すというものだった。

このように先鋒として活躍した甲州犬であるが、警護犬としても優秀で
第四次川中島の合戦で上杉謙信が単騎武田の本陣に斬り込んだ時、武田信玄
の傍らにいた信玄の愛犬「竹虎」が主人の命を救った事は有名である



民明書房刊『戦国時代のトップブリーダー』より

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 19:41:03.64 ID:9NLJ9Rqt
三楽斎がアップを始めました

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 20:26:52.45 ID:Nolio+8m
甲斐犬は、無愛想に見えるけど他のどんな犬よりも主人に尽くすし、
馬鹿に見えるけど実際軍用犬に使われたくらいで頭だっていいんだぜ。
まあ知力体力ともに傑出するも、気性の問題で採用されなかったんだけどな。

http://www.geocities.jp/atommirai/aso/fuji.html

人だろうと犬だろうとやたら周りに噛み付く(しかも離さない)のは、
ご主人様だーいすきなヤンデレメイドみたいなもんで。

本当はいい子なんだぜ。うん、性根は悪い子じゃないんです。山梨県民と違って。
さて犬の話題はこれくらいにしておこうか。

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 21:59:48.89 ID:kY5YI97A
>>921
高橋よしひろ先生に漫画化してもらうか

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 22:05:47.61 ID:DnFIAaCI
>>924
既にそのジャンルは開拓済みです
http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/50378957.html

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 22:24:27.39 ID:kY5YI97A
>>926
リアルタイムで読んでたよw
犬に脳外科手術モドキをほどこすんだよね
若い頃の猿とか出てたな

清正少年、泥棒を

2011年02月20日 00:01

872 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/19(土) 01:33:19 ID:Rc+iCtKp
加藤清正が尾張津島の親戚の家にいたの事である。突然、家に泥棒が押し入り、家の者を縛り上げてしまった。
ところが清正だけはとっさに鬼の面と短刀を手に取り、道具箱の中に隠れた。
盗品を村外れまで運んだ泥棒がその道具箱を開けると、鬼の面をかぶった清正が飛び出してきて、
たちまち泥棒の一人を切り捨てたため、残りの者達は
「鬼じゃ!鬼が出た!」
と驚きのあまり一目散に逃げてしまったという。
清正少年、泥棒を撃退したいい話。




873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 01:50:30 ID:NMqjuvxE
当時のお面って神事や儀式に使う神聖な道具ではないのか?
現代のお面とは感覚が全然違うような

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 02:30:57 ID:Vzchav0y
姓は虎退治。名は清正!

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 02:40:20 ID:x53vzWWY
清正「悪い子はいねが~!」
泥棒「天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!」

876 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/19(土) 08:41:41 ID:nkhfZZQR
始めから斬ればいいのに

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 09:49:16 ID:Qu8k2yhJ
それじゃぁ逸話に成らない

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 11:35:31 ID:66LlXUkg
>>873
神聖である、信仰しているということはむやみに畏れ遠ざけることじゃないし、子供は昔から怖いもの知らず。
また、鬼神の力を借りるという意思で被り、一種のトランス状態になって恐怖を克服するのはありうるよ。
トランス状態って要するにぶっちゃけ思い込みによる自己神格化な訳で、立ち向かう勇気は溢れると思う。

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 12:41:41 ID:NMqjuvxE
>>878
なるほど~!
本当にそういう意味で清正がお面被ったように思えてきたよ。
文字通り鬼になったわけだね。
女性が化粧すると気が強くなるのと一緒かな。

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 13:54:41 ID:Zs+jCVpr
>>879
ウチのヨメはスッピンでも気が強い


881 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/19(土) 14:58:14 ID:3Cyaw363
(´・ω・`)

うん、>>880の前世は福島正則なんだよきっと・・・。

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 15:09:07 ID:U0tR2LXG
>>880
そりゃぁ、山ノ神なんだから当然じゃね?

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 15:37:06 ID:vAuCsby+
>>878
そういうことはあるだろうね。
鈴木大拙の「日本的霊性」にも念仏宗の信徒(若い娘)が、
お伊勢参りの道でヤマイヌの群れに囲まれたときに、
もうダメだと思って無心で南無阿弥陀仏を唱えたらヤマイヌが退散したという話があった。
無心の気迫が通じるみたいなことなのだろう

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 18:59:07 ID:Yb3xM0DT
>>880
女性と妻もしくは母は違う生き物だと思うんだ

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 19:38:57 ID:x53vzWWY
化粧とる前→女性
化粧とった→化け物

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 19:39:16 ID:Ml1bUh2M
>>880
兄貴、金送ってくれ。

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 19:59:02.23 ID:pjcD1Dyt
>>886
頼むから、高野山でおとなしくしててくれよ。

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 20:00:33.09 ID:ecpPsbQH
九度山だろ

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 20:27:46.11 ID:QwY8JaJd
>>878
仮面のように白粉を塗りたくってトランス状態で尾張に侵入したら第六天魔王に出会ったでござる

「父上はいつもそなたを見ている。」

2011年02月20日 00:00

890 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/19(土) 20:35:20.60 ID:Rc+iCtKp
ある男が幼いころ、よその家に忍び込み果物を盗もうとしてその家で飼っていた犬に追い立てられた事があった。
だがその犬を男は返り討ちにして殺し、草履を無くした上に手足に血をつけて帰宅した。

その様子を見ていた母親から問い詰められると、男は犬を殺した事は認めたものの
果物を盗もうとした事は認めようとはしなかった。
そんな男を母親は家の仏間に連れて行き、父親の位牌を前に

「父上はいつもそなたを見ている。嘘をつけば地獄に落ちる。」

と諭した。この言葉を聞き男は猛烈に反省し、信仰を深め、清廉潔白な人物に育ったと言う。
この男は後の加藤清正である。




891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 21:03:52.80 ID:qh1TmXW3
虎だけじゃなく犬も殺すんだな

加藤清正のあたご山攻めにて、南部無右衛門

2011年02月20日 00:00

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 23:46:52 ID:AZivvAOO
天正十七年(1589)、肥後の国人天草、志木氏らによる小西行長への反乱の時のこと。

加藤清正は小西に援軍を出し、あたご山という場所に陣した敵軍を攻める。
この時清正軍の先手、南部無右衛門、山岡道阿弥、鵤(いかるが)平次らはあたご山のすぐ側に
備を立てた。これに清正の本陣より使いが来る。その内容は

『その様に山に近い場所に備を立てては、敵が山から落とし掛かってきた場合突き崩されてしまう。
山から離れた場所に備を立て直せ』

というものであった。しかしこの使いに対応した南部無右衛門は

「私が先手に居る以上、そのような心配ご無用でござる!」

と傲然と顔を上げて言い放った。


さて、敵は清正が心配したとおり、山から駆け下り、
これまた清正が心配したとおり、清正軍の先手を圧倒。
先手の備は一支えもできず本陣へ崩れかかり、清正自身が敵の将木山弾正と
槍を合わせるほどの乱戦となった。

さてこの合戦の後、清正は南部無右衛門を呼びつけ怒鳴りつけた

「先手が崩れたのは、お前が誤った判断をしたためだ!!」

ところが無右衛門、これにうなだれるどころかさらに傲然とした表情でこう言い放った

「先手は崩れてはおりませんでした!私は備を立て直そうとして一旦下がらせただけなのです。
ところが山岡道阿弥が何もせず逃げたため、散々に崩れたのです。
叱るのなら山岡を重ねて叱りつけるべきです!」

清正これを聞いて
「その言い方、気に入った!(そのやうに申さるるこそよけれ)」
と、無右衛門の言い訳に納得してしまったそうである。


加藤清正、南部無右衛門の言い分を認める、と言うお話
(武功雑記)




866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 00:50:11 ID:dahkB4+s
山岡道阿弥って瀬田の山岡兄弟の山岡道阿弥?
清正に仕えてたの?

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 00:56:44 ID:Z4eyAzS1
>>866
この頃道阿弥は秀吉から清正にお預けになっていたらしい。

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 09:56:33 ID:YizMEq5x
無右衛門っつーとのちに二代目五郎左のトコでも迷惑かけてんな↓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4033.html

どこに行ってもジャイアニズムで押し通すのか・・・

さて、1609年の薩摩の琉球占領から

2011年02月20日 00:00

870 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/19(土) 16:17:24 ID:hvYxp81y
さて、1609年の薩摩の琉球占領から。

1623年に成立した「おもろさうし」のうち、「きこゑ大きみかなし おもろ御さうし」には霊力による
怨敵退散の歌がありますが、そこで薩摩兵は「前坊主(まえぼじゃ)」と書かれています。

半分ハゲっていう意味の悪口ですね。




871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 18:05:29 ID:hNVjagVX
月代か。

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 18:17:20 ID:Amzrs2k7
琉球って頭剃る習慣ないんだ

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 07:54:20.47 ID:/uSiJaMT
>>870
ヤマトマエボジャをニライ・カナイに沈めろって歌ですな
実際、当時の琉球兵は薩摩兵を前にして「悪霊退散!」とかしてるわけで…
平和ボケの恐ろしさは現代にも通じるものがあるな

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 08:47:37.00 ID:OHh6Ep+z
>>873
日本でも戦勝祈願はよく行われていたわけで。
平和ボケというほどのものでもない気がする。

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 09:39:22.69 ID:hcoJILWV
そもそも琉球王国もあのへんの時代、奄美群島や八重山諸島なんかに侵攻しておる。
当時の琉球=平和国家、っていうのは幻想にすぎんよ。勿論平和国家なんて概念自体
存在しなかったしね。

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 14:43:01.33 ID:lM2a2qKk
呪術的な意味合いが強いんだろうけど、薩摩兵に粥をかけたりもしてるね

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 14:51:11.45 ID:f9vTY7Jn
阿片戦争では清側が英軍艦相手にババアのケツ並べて大砲萎えさせようとしたってのも有名だね。

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 19:19:02.81 ID:YoMMHn1G
>>877
便器って話も聞いたことがある。この手の話って兵の動揺を鎮める方便なのか
指揮官もガチで信じてたのか気になるけど、負けちゃった以上馬鹿にされてもしょうがないのか。
[ 続きを読む ]

上の目、下の目

2011年02月19日 00:08

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 22:19:56 ID:sbxiq9zv
徳川家康は家臣に重い役目を申し付けるとき、必ず先にその下で働く者たちの
意見を聞き、その人々が支持する者をその役職につけるようにした、という。

勿論これには理由がある。

「人の上に居る人間は惣じて、人の善し悪しが見えにくくなっているものなのだ。
何故ならどんな人間であっても、上の者の考えに合わせそれに迎合し、上の人間に
気に入ってもらおうとしてしまう。これは人情というものなのだ。

そのためその者の本心は非常に見えにくく、どんな賢明な君主であっても、
上からの視点ではその善悪を判断しずらくなってしまうのだ。

よって実際に下で働く者たちの意見を聞くことで、上からの視点では見えないものを
補うことができるし、また下の者たちも、自分たちの意見が汲み上げられた上役ということで、
その下知にもよく従うようになるのである。」

家康の人材の使い方の一端についてのおはなし。





852 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/17(木) 22:41:01 ID:G9k4U7kR
>>851
実際は現場に顔を出して
「お前達の替わりに番をしてるから遊んで来いよ」
と下の者にプレッシャーを与えるけどね

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 23:28:52 ID:wdf+id6r
>>851
戦略拠点を任せておいて「柱の傷~」とか理解不能なイチャモンつけて怒るけどな
氏康歴史資料館でも作れば良かったのかと

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 23:44:04 ID:9Wfc3Vrx
>>854
お前それはいちゃもんでもなんでもないだろ
例え傷物の柱だって逸話つきの立派な文化遺産だぞ?

相浦源左衛門、二条城にて

2011年02月19日 00:07

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 17:48:24 ID:koAYKGx9

鍋島勝茂が徳川家光に従って上京した時の話である。

勝茂が泊まっていた宿舎に、若年寄の永井尚政から書状が届いた。
それに対する返書を持たせ、相浦源左衛門を永井家の宿舎に送り出す。

が、あいにくと永井尚政は二条城に登城しており、宿舎を留守にしていた。
取次ぎの者からそれを聞くと、源左衛門はそのまま、二条城へと直行してしまう。

勿論、何のアポもなく二条城に入る事など出来はしない。
源左衛門はただただ、勝茂に言われた「永井殿に届けてくれ」という言葉のみを考えており、
その辺りの手続きは一切考慮していなかった。

門の前で衛兵に止められる。当然である。それどころか侵入を企てた怪しい奴、として
拘束されかかってしまう。
「私は怪しい者ではありません!鍋島信濃守(勝茂)の使いとして参りました。永井様に
お目通りを致したいのです!」

当然、何のアポもなく城で執務中の幕臣に面会など出来はしない。
だが、「鍋島家の臣」と言われると、門番としても自らの一存で拘束してしまって
良いものか、少々不安になってくる。


そんな時に、門前での騒ぎを聞きつけ、一人の男が城から出てきた。
「どうした、何の騒ぎなのだ?」
「岡部様! これは良い所に。この男が鍋島家の使者を名乗り、ここを通せと言っておるのですが……」
「なんだ、信濃殿のお使いとな。それなら私が手紙を預かろうではないか」

いかにも身分の高そうなその男は、気さくな感じでそう言うと、手紙を寄越せと手
を差し伸べる。
しかし……



867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 17:49:16 ID:koAYKGx9


「いえ、この手紙は主君に預けられた大事な手紙でございます!いかに身分の高い
御方であろうと、見も知らぬ御方に預ける事など出来ませぬ!」

源左衛門はその手をあっさりと拒絶。

「え……? 知らない? 私の事を……? お前、鍋島家の者で……永井家に使者に立つ位には
重用されてる者なんだよ……ね?」

呆然とした男。それもその筈、この身分の高そうな男、大垣城主・岡部長盛の嫡子、
岡部宣勝であった。
そして実は宣勝は鍋島勝茂の妻の弟。主君の義理の弟なのである。

義兄の家臣が困っている様子だったからと声を掛けてあげた宣勝、何故か自分が誰なのか、
勝茂との関係がどうなのか、社会的にどの程度信用出来る人間であるのか、
一生懸命に源左衛門に説明する羽目となってしまった。

漸く納得してくれた源左衛門から手紙を預かった宣勝は、手ずから城内の永井尚政に手紙を届け、
返書まで持ってきてくれるという良い人ぶり。
それどころかその日の晩、義兄の許を訪れた宣勝は、

「二条城での騒ぎを聞きましたかな? あの男、愚直に過ぎる所はありますが、中々の器量ではないですか。
私は気に入りましたな、是非、目をかけてやってくだされ」

と勝茂へのフォローまでしてやった。
将軍が滞在中の城で騒動を起こしてしまった源左衛門、もうこれは切腹しかない、
と思い詰めていたのだが、宣勝のフォローによって世間の評判はむしろ高くなった。
勝茂からもこの件へのお叱りは一切なかったと言う。


>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4528.html
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2624.html

というキッツイ逸話持ちのお姉ちゃんの弟さんのお話。
……お父さん、育て方間違えたんじゃない? 逆! 性格逆でお願い!!




868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 18:01:30 ID:KURTc/d/
性格がいいだけじゃなくて名君やね岡部宣勝

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 20:13:18 ID:EOsgiZcA
勝茂相手だけじゃなく、誰彼かまわずああいう態度で接していたような気がしてくる。そんな鍋島家の家臣たち・・・

”織田”と”織田”

2011年02月19日 00:07

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 00:15:46 ID:LspNf9sW
天正元年、朝倉家が滅亡した際に信長に屈して生き延びた朝倉旧臣は、前波吉継を越前国守護代として
再編成された。
その際、前波吉継が桂田長俊と改名したように、他の将も改名している。
自発的なものというより、信長の命令によるものだったらしい。
で、改名された名前は、桂田長俊以外はそれぞれの持ち城にちなんだもの。安易と言えば安易だけど、
信長が子供に対して発揮したネーミングセンスのことをおもえば文句はいえまい。
結果、朝倉の名は捨てさせられてこんな感じに。
朝倉景鏡→土橋信鏡(大野郡・土橋城主)
朝倉景健→安居景健(足羽郡・安居城主)
朝倉景冬→三富景冬(丹生郡・三富城主)

で、ここで問題?になるのが丹生郡・織田城主の朝倉景綱。

景綱「んじゃワシは、織田景綱ってことで、よろ」
信長「……」

丹生郡織田には、まさしく織田家の名乗りのルーツとなった織田剣神社があり、いわばこちらが「織田」の本家本元。
信長も駄目とは言えなかったと思うが、二人がどんな顔をしていたのか非常に見てみたい。

ただ、ここの織田は「おた」と濁らない読み。
なので、おそらく読み方は違ったと思う。

そんな織田景綱も、織田の名乗りをひけらかす暇もなく?、富田長繁が引き金を引いて巻き起こった一向一揆に
居城・織田城を攻められて逐電。その後、彼の姿を見た者はいない。




857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 00:21:23 ID:pSXxe+mN
オタ景綱

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 00:24:58 ID:5GhEqUAa
ニューオタ影綱

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 00:29:20 ID:q0sE4SAb
>>856
問題なのは信鏡の方じゃねーの?

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 06:25:11 ID:ZB+/DbHe
これからは織田信信と名乗るが良い

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 11:01:46 ID:RxJ9qyLT
織田信信殿は誠に果報者でござるな

雑談・なんで森忠政は兄の敵である家康に

2011年02月18日 00:01

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 00:12:54 ID:cdRMPZ7p
話は変わるけど
なんで森忠政は兄の敵である家康に接近した訳?

TERU池田はラスボスが間を取り持って家康の娘婿になったから分かるんだけど。

上記の例とか、兄貴が蘭丸殺した人間を召し抱えたみたいに「武功は武功」・「戦国の世の常」的なものかな?
川中島増封は森家が無理にとってつけた事みたいだし。

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 00:22:01 ID:94ILP934
ゴリ押しで豊臣の奉行公認で信濃にほぼ倍の石高で戻してもらって「家康殿のおかげ(キリッ」と言い放つ奴に
そんなウェットな感情論は無いと思う。

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 00:27:30 ID:bgIVk3f2
>>832
徳川と戦ったのはあくまで秀吉に与力したというだけで、お互いに敵対したかったわけではないし、
その意味で仇ではない。また痛い目にあったからこそその人の実力がわかるって部分もある。

戦国大名は狼の群れみたいなもんだ。噛み付かれて彼我の差を知って屈服するんだよ。

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 12:44:42 ID:WE5R798n
>832
え、兄をぬっころしててくれたおかげで当主になれたのだから感謝するだろ。

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 12:55:19 ID:HhkQrD2J
ふぅ危うく商人の嫁にされるところだったぜ、ですね。

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 13:21:45 ID:UEfCrLOx
池田恒興を討ち取った永井直勝は1万石になれたけど
長可を討ち取った誰かはどうなったんだろう。

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 14:59:30 ID:9l560cQ8
>>832
完璧超人立花宗茂は旧敵の小早川隆景を義理の親にしてるし
親父を殺した島津とは共に西軍で戦った仲間としてるんだから
立場が変わればそんなもんだろうといえば優等生の宗茂ゆえに逆に胡散臭く聞こえるが

戦国期トップレベルのDQNの弟と戦国期トップレベルの優等生が同じような思考をしているから
これが戦国時代の常識なのではと思った

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 15:40:52 ID:HhkQrD2J
>>837
鉄砲だでなぁ

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 15:55:05 ID:9GYbjDFc
戦場での命のやりとりだと仇とか遺恨はあまり残らないんじゃないのかな?


841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 16:19:30 ID:ApE85CDP
>>840
ビジネスですから

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 18:05:52 ID:+hSGBrCV
死ぬ時にこそ生き様を見せつけるようでなくては。
名のある相手に討ち取られたのはむしろ喜ばしい事なんだろう

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 18:48:11 ID:94ILP934
>>839
ついでに首も森家の人間に持ち去られたからなぁ・・・

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 21:02:06 ID:XF4zCo0q
>>840
富田長繁「元敵には遺恨は残りませんな」

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 21:55:08 ID:8TMNEi/X
まあ犬死にみたいな事にされた秀吉より家康のがましかと

名古屋城普請の清正

2011年02月18日 00:00

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 20:05:06 ID:zlxEqfjF
名古屋城普請の清正。

名古屋城普請を命じられた清正は普請に熱心に取り組んだ。

清正はよく普請のそばで行われる市場に顔をだし、市場まる事買う事がよくあった。

そして大きな仕事の前はここで買った品(酒、食料、日常品など)を大盤振る舞いしたという。

清正の故郷も近い事もあり大勢の人が集まり、市民や他国の家臣も参加してこの宴会は毎回大騒ぎになっていた。


そして大工事当日は美少年5、6人に華美な小袖羽織を着せ、現場を見回った。
この少年達、余程見栄えがよかったのか

「およびなけれど万松寺の華を、折りて一枝欲しうござる」
(近くにある万松寺の美しい花になぞらえた美少年を褒める歌?)


この様な歌が流行り美少年を一目見たいと大勢の女性が加藤家の屋敷に集まった。

清正は彼女等を屋敷に入れ、少年達を披露し酒を振舞い楽しんでいたという。

藤原惺窩も現場で清正等一行の工事を見ていた。惺窩の従者は清正のあまりの放蕩振りに驚き

従者「全く肥後殿は何を考えているのか。このような事をしていては普請など上手くいく筈もなかろう」っと呟いた。

それを聞いた惺窩は

「それは全く見当違いな話だ。天下は徳川家というご時世だ。他の者が徳川家に睨まれまいと規則通りに
仕事をするのに
肥後殿はあのように堂々とした振る舞いをしている。工務も決して遅れてはいまい。
それにな、ああやって現場で仲間を増やしておけばいざという時に役に立つものだ。
このような事が出来るのは今や肥後殿だけだろう。度量のある武士とは彼の様な者を言うのだ。
大御所様の御目に掛かるのもこれだけ観て十分わかる。」

っと清正の度量に感服したそうだ。

名古屋城築城後は
音にきこえしなごやの城を、踏みやならいた肥後の衆が
という歌が流行し名古屋での清正の名声は高まったという。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1857.html

こういう事故が起こっても普段から必要経費(保険)をかけておけばなんとかなる!っという
清正の人心把握術のお話。




847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 20:45:03 ID:urLfUhv7
>>845
実際名古屋城には清正が普請現場で激励してる石像があるな

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 23:06:41 ID:8SDk0+qZ
>>845
下で働くもんとしては、こういう大盤振る舞いやってくれる大将のが仕事も精が出るだろうなあ

855 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/17(木) 23:33:01 ID:4ZYnF/O8
理想の上司ですな。ジミ加藤さんはこういう事やりますかね?

856 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/17(木) 23:33:40 ID:0/P6lueW
>>851文句だらけの市松さんとは偉い違いだなw

857 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/17(木) 23:35:41 ID:wwDKOgz1
↑もそっと詳しく!


>ああやって現場で仲間を増やしておけばいざという時に役に立つものだ
どんな「いざ」だよw

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 23:41:34 ID:yg5qQ8QK
>>845
男で美少年が好きでも白い目で見られない、昔は良かったなぁ
っていい話にしか思えぬ!

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 23:45:01 ID:sbxiq9zv
>>858
むしろ武士の場合女にデレデレする方が白い目で見られた。
衆道は武張って男らしい趣味だと考えられてた。

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 23:52:25 ID:yg5qQ8QK
>>860
バイにはたまらん時代だぜ…。

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 00:17:51 ID:5GhEqUAa
>>855
地味加藤さん、松山築城では城下のおたたさん(魚を売り歩く女性)に協力を仰いだり
嫁さんが炊き出しに出たりと、なんだかアットホームなアプローチをしているね。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3837.html参照)

築城予定地の勝山に棲んでいた八百八狸の頭・隠神刑部と、

「狸に危害を加えない代わり狸もお城を末長く守る」

と言う約定を結んだ、なんて伝説もあって、
これが百三十年後のお家騒動を元にした講談『松山騒動八百八狸物語』
に繋がるのはまた別のお話。

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 00:25:37 ID:aMuUUD2B
平成狸合戦もまた別のお話


865 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/18(金) 09:45:51 ID:o4FGuh/V
>>857
石が落ちても誰もしゃべらないってことだなw

しかも幕府の役人まで半ば見て見ぬふりだしw