週刊ブログ拍手ランキング03/23~/30

2011年03月31日 00:03

03/23~/30のブログ拍手ランキングです!


三河者たち、緊急の大ピンチで 91

福島正則、改易の知らせに 79

相馬義胤と伊達政宗、出くわして 66
真田昌幸のアドバイス 65

相馬家伝来の家系図 51
堀尾吉晴、少年の頃 50

市角頼母の人生 45
サン・ファン号「何とか耐えた」 石巻・渡波 45
目黒に置いて、将軍徳川家光による鷹狩が行われた時 40

雑談・現在の相馬家に関することなど 35
井伊直政の福島正則評 34
渥美助左衛門、家康が褒美に 33

真田信之のしゃちほこ 28
秀吉、池田恒興の母親の養徳院に宛て書状 27
石川丈山の見た本多正信 26
真田信之、伊木三郎右衛門の三男小膳に語る 26

相馬義胤の決意 25
能にはまる水野さん 25
蒲生氏郷の行軍 25
合計 1332



今週の1位は三河者たち、緊急の大ピンチで
もはや芸の域に達していそうな、三河者達の撤退コント(?)ですw
こう言うことが出来るのも、逆に言えば戦場の呼吸のようなものを十二分に心得ているからこそか、
なんて事も少し思いました。
そういえば彼らの主君である徳川家康は、遠江小山城攻め中武田勝頼が軍を率いてきたため撤退する際、
息子の信康とどっちが殿をするかで大喧嘩してあやうく武田軍に追いつかれるところだったとか。
家臣が家臣なら主君も主君ですw

2位は福島正則、改易の知らせに
福島正則という人は、その実際の人物像が見えにくい人です。
世間一般には豪放で直情的な猪武者、と見られていますが、実際の行動を見ると非常に知的で理詰めで、
政治感覚にも行政手腕にも優れた人です。また一方で家臣を大切にしたと言われ、もう一方では家臣をしばしば虐待し、
後の彼の死が幕府に検死させるまえに火葬したのは、一説に幕府を恨んで切腹して果てたためだと言われますが、他の説に
正則に怨みを持っていた旧家臣による暗殺だったため、などとも言われます。これも含め、正則に伝わる話は
非常に極端です。そんな福島正則が、改易を言い渡されたときのこのおはなし。
戦場で恐れること無く多くの勇猛な敵を殺してきた正則が、か弱い自分の娘を殺すことが出来ず観念する。
ここにも福島正則という人物の、世間イメージとの乖離を見る気がします。

今週は
相馬義胤と伊達政宗、出くわして
相馬家伝来の家系図
雑談・現在の相馬家に関することなど
相馬義胤の決意
と、相馬家関係のお話が多くランクインしました。
相馬家の領した今の相馬市は、ご存知のように今回の震災で、今も多くの方が大変な思いをされています。
先日、相馬市の市長さんがメルマガで、「籠城の覚悟」を述べておられました。
涙が出ました。
相馬に限らず、東北、北関東の各地は今も、同じような思いをされているところが多いでしょう。
僕らはその籠城を救うべく、後巻き(援軍)をなさねばなりません。見殺しは許されません。

この悲劇が過去の事となり、相馬の地で再び、あの勇壮な相馬野馬追が見られること。その日を強く信じます。


今週も各逸話に、多くの拍手をいただきました。いつも本当にありがとうございます。
又、気に入った逸話が見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください。
また、FC2ブログサービスを利用されている方は、上の方から今回の震災への義援金フォームに飛べますし、
そうでない方には日本赤十字社で直接受け付けています。
余裕のある方はどうぞ、宜しくお願いいたします。




さて、今回は久しぶりに、本の紹介もしたいと思います。今回紹介するのはこちら!

古城の風景〈3〉北条の城 北条水軍の城 (新潮文庫)古城の風景〈3〉北条の城 北条水軍の城 (新潮文庫)
(2011/03)
宮城谷 昌光

商品詳細を見る


文庫版が出たばかり!宮城谷 昌光 著 「古城の風景〈3〉北条の城 北条水軍の城 」です!

個人的にこのシリーズが大好きで、しかも今回は北条の城です。北条の城!管理人は北条の城が好きです。
もしかすると石垣天守の近世城郭よりずっと好きかもしれません。
それを取り上げている以上、紹介しないわけには行きませんねw

これまでのシリーズもそうですが、この本は城そのものを取り上げると言うよりも、その城の履歴や、まつわる
エピソードを中心に語られます。それが積み重ねられたこの本は、読み終わるとその地域の戦国史が、
非常に立体的に見えてくる、と思います。
宮城谷先生らしい、対象への真摯な研究、考察も相まって、浮ついたところのない、すばらしい古城の探訪記と
なっています。

ただ、これが書かれたのは大河で功名が辻をやっていた前後、2006年くらいですか、なので、
多少見方に古さを感じないでもありません、たとえば武田勝頼は家督を継いだのではなく、息子信勝の
陣代として武田家を指導したという認識は、今は殆ど取られていないと思います。

しかしそれがあっても、この本が内容的にも非常に充実した、一級の東国戦国古城の探訪録であることに
変わりありません。文庫で比較的手に取りやすいですし、管理人も三重丸でお勧めします!
( ´ω` )
スポンサーサイト

山中鹿介、ただ一人で立ちむかう

2011年03月31日 00:02

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 21:13:44.47 ID:+Y7rM1H9
>>551にも山中鹿介の話が出てるけど、名将言行録が出典の話では、冒頭部に出てくる
毛利の騎馬武者の一団を相手に、鹿介がただ一人で立ちむかう話が好き。

永禄五年(1562年)七月、毛利勢、出雲に来襲。
しかし、決戦を挑む尼子義久に対して毛利勢はまともに取り合わず、稲や麦を刈り取る破壊
工作を行うばかり。

毛利勢の死体の山を築いてくれる、と意気込む鹿介は民家に一人ひそんで好機を待つ。
そこに現れた毛利の騎馬武者3,40騎。

当時、山中鹿介17歳。
若いが、8歳の時には既に人を殺した経験があるというこの男は動じない。

鹿介が騎馬武者の一人目を切り捨てた後、馬から降りて向かってきた二人目に一撃をくれると、
相手は木っ端微塵になって谷底に落ちていったという。
(真っ二つとかじゃなくて「微塵になる」と記されていて、この表現が素敵)

その後、縦横に切り結んで16,17騎ほど倒すと、さすがに生き残りは退散。

それを見届けた鹿介は、近くの民家でご飯を奢って貰って悠々と月山富田城に戻っていったという。

こういうエピソードがあるんだから、無双やBASARAみたいなゲームでもっと注目されても
おかしくないと思うんだけどね。




織田信長と牛頭天王

2011年03月31日 00:02

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 02:16:22.78 ID:ul0yzAJN
織田信長が牛頭天王を強く崇敬していたという伝説がいくつか存在する。
有名なのは為那都比古神社の逸話であり、
内容は記録によってゆらぎがあるものの大体の流れは、
ある日のことキリスト教信者の信長が高山右近に命令して寺社を壊した後に
祭神を自分が信仰する牛頭天王の祇園社やキリスト教の教会にした
という信長の伝説らしい豪快な話である。

この話は伝説だけで終わらず、
後の幕末や明治初期になると国学者を中心に強く主張され出した上に、
「日本中のほとんどの祇園社は信長を恐れて祭神を変えてしまった神社であり、
戦国時代に誕生したものだと言ってもいい!」というレベルにまで内容が発展し、
神仏分離や廃仏毀釈の流れの中で、
最終的には日本から祇園社がほぼ消えることになる。

死後数百年経った幕末でも、
日本中の多くの寺社を祇園社に変えてしまったと言われてる辺りが、
信長のスケールの大きさを感じさせる。




635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 02:26:40.05 ID:+TLXR2Wf
>>634
怪作「信長あるいは戴冠せるアンドロギュノス」を思い出したw
あの話の筋にはこんな裏付もあったのか

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 04:56:39.64 ID:ruvK7dE6
>>635
ああ、あれは凄まじい本だった
面白かったけど


637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 08:36:25.08 ID:1AJcPF7q
ウスイケドナ

山本常朝「昔の人たちは刀を」

2011年03月31日 00:02

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 09:02:16.80 ID:zNg129x7
葉隠から刀の話

山本常朝
「昔の人たちは刀を落とし差しに差していた。
今の人は刀の差し方をあまり考えていないようだ。
柳生流では、刀を鞘がよく見えるくらいに抜き出して差させるとのこと。
近頃は抜き出して差す者が多いが、
彼らは柳生流を習ったわけでもないのに、
ファッション感覚で柳生流の形だけを真似ているようにも見える。

直茂公、勝茂公ともに落とし差しにされておられた。
そのころの腕に覚えのある者は落とし差しであったというのだから、
いざというときには有利な点があるのだろう。
それに、抜き出して差していると、不意に抜き取られる心配もある。
光茂公は勝茂公のお指図で落とし差しにされた」




639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 11:40:17.24 ID:ue8ihzwi
もう少し時代が下ると逆に閂差しの方が大身の武士や武芸者の嗜みに変わるから面白いもんだ

伊達政宗、慶長6年(1601年)初頭今井宗薫宛書状

2011年03月31日 00:01

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 11:42:41.51 ID:n96kxtNj
最近、「葵徳川三代」の大坂の陣付近の話を見ていて
思い出したことがあったので、記載する。
(まだ、まとめサイトにもなかったと思う。)

関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601年)初頭
伊達政宗は堺の豪商、今井宗薫(今井宗久の息子)に預言書のような
手紙を出している。


( ●_ ̄)<今井宗薫 様へ

「秀頼様が幼少の間は江戸か伏見か、とにかく家康公の側に置き、
成人し天下の政道を行う、一国の主たるべき人物にならなかった場合は
2~3カ国程の大名にした方がよいでしょう。今のように母子を切り離さず
大坂に置いておけば、秀頼様を担いで謀反でも興し、
何もご存じない秀頼様が腹を切る事になります。それでは
亡き太閤殿下の亡魂に対して相済みませぬ。自分から申し上げると角が立つ
恐れがありますので、貴殿から家康公の側近の本多正信殿などに
ご相談して頂けないでしょうか」


今井宗薫は当時、徳川家康に接近し、政宗の娘”五郎八姫”と家康の息子”松平忠輝”婚約成立
に尽力し、晩年は徳川幕府に仕え、大坂の陣で被害を受けた堺の復興に務めている。


政宗の予言通り、13年後の慶長19年(1614年)に大坂冬の陣が勃発する。
大坂冬の陣の直前、豊臣秀頼側は軍備を整える一方で政宗に和平交渉を申し入れている。

徳川寄りの政宗に和平交渉を頼んでいる事に違和感を感じるが、実は関ヶ原の戦いの直後
政宗は上洛し秀頼親子に謁見した節があり、それを豊臣方は後々まで頼ったようである。

しかし、和平交渉を申し入れたが時既に遅く開戦となる。


「葵徳川三代」で秀頼の台詞として

「島津も伊達もやって来なかったではないか・・・」

という台詞がある。

また、今から15、6年前に放映された「愛と野望の独眼竜伊達政宗」という作品では
政宗と秀頼の仲は良好に描かれており、秀頼の命を何としてでも助けようとする政宗の苦悩が
滲み出ていた。

少なくとも、政宗は豊臣家に対して気にかけていた節があり、豊臣家も政宗に期待していた節がある。




641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 11:46:21.52 ID:vj6BSitE
政宗さんいい人じゃん

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 12:26:56.41 ID:KQ8tNJJd
関ヶ原直後でコレは何というドライ思考
こういった人は計算には入れども、宛てにして頼っちゃダメだね

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 12:33:41.88 ID:Lt1PkM9W
まあ、これに関しては

> 「秀頼様が幼少の間は江戸か伏見か、とにかく家康公の側に置き、
> 成人し天下の政道を行う、一国の主たるべき人物にならなかった場合は
> 2~3カ国程の大名にした方がよいでしょう。今のように母子を切り離さず
> 大坂に置いておけば、秀頼様を担いで謀反でも興し、
> 何もご存じない秀頼様が腹を切る事になります。それでは
> 亡き太閤殿下の亡魂に対して相済みませぬ。自分から申し上げると角が立つ
> 恐れがありますので、貴殿から家康公の側近の本多正信殿などに
> ご相談して頂けないでしょうか」

豊臣への心配というより、どちらかと言えば政宗からの
『徳川家が豊臣家をどう処分してもオッケーっすよ!俺は支持するっすよ!』
って、徳川上層部への政治的表明だねえ。

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 12:55:23.94 ID:ojVgVBsx
>640
母子ともに大坂で一緒にしておけば処分できるのか。これはいいことを聞いた。

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 13:18:23.65 ID:IWq7kr56
>>640
大坂の陣の時、政宗は倅の乳母に秀頼・淀ザマーな書状を送っていたかと

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 13:31:04.99 ID:38R2Mlcw
そういえば思い出したが、一時期『日本のゲルニカ」などと持ち上げられた黒田版大坂の陣屏風は、
実際には「君主が間違った政治判断をしたらこういう目に会うんだぞ。」っていう、
自戒を求める意味合いが大きいとか。

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 21:02:08.21 ID:djVXKqMr
>>640
来てくれなかった伊達は政宗じゃなくって、秀宗のことだよ、たぶん
[ 続きを読む ]

鍋島光茂と水戸光圀

2011年03月31日 00:01

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 12:47:04.08 ID:BqSuGec5

以前、鍋島勝茂の逸話が投稿された際、「登場人物を鍋島光茂と水戸光圀に変えて、
水戸黄門でやっていたエピソードだ」と言うコメントがついていた。
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4607.html
ドラマの中だけではなく、光茂(勝茂の嫡孫)と光圀は仲が良く、互いの屋敷を訪
問し、一緒に遊ぶ事が多かったらしい。

そんなある日、光圀は光茂に船についての知識を披露し始める。
「いやぁ、前々から船については●●で▲▲だと聞いていたのですが、本当なのか
どうか、確かめる方法がない。でも、考えてみたら丹後殿(光茂)は長崎警固の担
当者ではないですか。丹後殿ならこの話、本当なのかどうかご存知ではありません
か?」

光圀のこの言葉、どこまで本気で聞いているのだろう。
しかし光茂は平然とした顔で答えを返した。

「なんとまぁ、よくそんな事までご存知ですな」

自分の知識が正しいと確認出来た光圀は、御機嫌な様子であった。


自分の屋敷に帰った後、光茂に付き従っていた従者達、
「殿、いつの間に船の知識など学んだのです?長崎警固と言っても、殿は江戸で生
まれ育ち、ご自身の手で船を動かした事などないでしょう?」

「そりゃそうだ。専門知識など持たなくても、詳しい家臣に任せればいいだけの話。
黄門様に聞かれた話も本当の事は知らんよ。適当に答えただけだ。黄門様とて船を
動かす事などありゃしないんだから、問題はなかろ?」


また、江戸城の櫓に鳥が止まっているのを見た旗本が光茂に
「あの鳥が止まっている櫓の高さはどの位でしょうなぁ。丹後殿は長崎警固の担当
者ですから、当然測量法くらいはご存知なのでしょう?」

それを聞いた光茂は
「まあ、測量くらいは出来ぬものでもありませんが、江戸城の櫓の高さを、大名で
ある私が測ってしまって良いものなのでしょうか? 問題になりませんか?」

と応え、旗本を黙らせてしまったという。


何でみんな、大名に現場の知識を求めるんだ(笑)
光茂もシレッと上手にかわすよな。そのスキル、爺様に少し分けてやれ。




645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 12:55:23.94 ID:ojVgVBsx

>644
日本人気質だよね。
総理や大臣が官僚に助けを求めてはいけないみたいな。

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 14:48:04.46 ID:XurIMvdi
>>644
よくいるよな、○○なら××できるだろうとか言って無茶振りする人w

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 15:15:35.62 ID:ul0yzAJN
もし戦国時代なら「なんでお前がそんなこと知っているのだ!」とか言って、
引っぱたいてくる嫌な上司がいたかもしれないなw

652 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/30(水) 16:01:09.06 ID:zNg129x7
机上の空論のインテリの言論はパーフェクトだね

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 19:36:04.79 ID:djVXKqMr
>>638
あれ?勝茂が駄目だし食らってないぞ?

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 20:36:36.56 ID:/Dcj5095
つーか、勝茂が駄目出ししてるしw

>>644
光茂はスマートな感じでかっこいいなw

浅井長政の姉、昌安見久尼

2011年03月31日 00:01

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 21:28:36.96 ID:vituTarA
もしかしたらその評判の悪い大河ドラマでもやってたかも知れないけど、見てないので既出だったらスマン。

小谷城の南にある実西庵。その庵主・昌安見久尼は浅井長政の姉である。
天正元年に浅井家が滅亡した際、お市と浅井三姉妹は一時、この実西庵に身を寄せていたという伝承がある。
信長の手勢がこの庵にお市と三姉妹を探しに訪れた際には、昌安見久尼が法衣の中に三姉妹を隠して守ったという。

しかし、いくら子供とはいえ三人も法衣の中に隠せるものか?

実は、昌安見久尼は身長175センチ、体重105キロという巨躯の持ち主。幼少時からあまりに大柄だった為に、
早々に結婚を諦めて尼になったとさえ言われる女性であった。

織田兵にしてみれば「お前のような尼がいるか!」といいたくなったかもしれない。

そんなデカい姉がいたのなら、と浅井長政デブ説の傍証になりそうなので、イケメン説を信じる人にはちょっと残念?な話。




409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 21:44:59.31 ID:ne50t0eo
淀殿もデカかったという話あったよね。
身長170㌢超とか。

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 21:57:09.36 ID:C7A/BqTr
以前いい悪いスレで淀殿の身長が168cmという記述を見て、出典を探してみたら
肖像画の着物の寸法から推定・計算したものらしいね

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 21:57:29.48 ID:nvLGpUYl
織田も浅井も当時としては高身長な家系なんだな

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:17:39.25 ID:vh5Qr9dM
高虎「北近江の米を食べると大きくなれるのでござる」
清正「左様。今浜あっての某でござる」
正則「然り然り」

浅井長政「横に大きくもなるとは」
遠藤直経「殿……」


413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:50:18.84 ID:/aa9rkyr
石田佐吉「・・・」

蘭奢待を手に入れた男達

2011年03月31日 00:00

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 23:41:53.07 ID:yknrq99r
大河ドラマでもネタにされていた蘭奢待について。
東大寺の蘭奢待、この切り取りを許される武家とは天下人に限られるという。

さて、ここに実際に蘭奢待を手に入れた男達、すなわち「蘭奢待四天王」を紹介する。

俺は、リーダー・足利義満。通称・日本国王。
北山文化と勘合貿易の達人。
俺のような天才策略家でなければ百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まらん。

俺は足利義教。通称・悪御所。
自慢のくじ運に、女はみんなイチコロさ。
ハッタリかまして、永享の乱から嘉吉の乱まで、何でもそろえてみせるぜ。

私は、足利義政、通称・東山殿。
足利幕府一の文化人。
応仁の乱は、細川勝元と山名宗全が、お手のもの!

よおお待ちどう。俺様こそ織田信長。通称・第六天魔王。
比叡山焼き討ちの腕は天下一品!
奇人?変人?だから何。

土岐頼武。通称・土岐次郎。
美濃守護だ。土岐頼芸でもブン殴ってみせらぁ。
でも斉藤道三だけはかんべんな。



義満・義教・義政・信長「なんか居るーっ!?」

土岐頼武の存在はノーカン扱いされていたり、莫大な寄進を行って「金で買った」
扱いもされていたりするのだけど、そもそも天下人の証が金で買えたりするものなのか。
蘭奢待の価値観をぶち殺す、土岐頼武さんの収まりの悪い話。




416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 00:27:18.14 ID:ul0yzAJN
後世で色々と意味づけされただけで
わざわざ手続き踏んでまで蘭奢待を嗅いでみたいって権力者が
少なかっただけな気もする。

文禄3年(1594)8月、京洛を荒らしまわっていた一大盗賊団が

2011年03月31日 00:00

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 17:17:21.40 ID:LYFmdCIN
文禄3年(1594)8月、京洛を荒らしまわっていた一大盗賊団が、京都所司代により捕縛・処刑された。

『北条五代記』を書いた三浦浄心の随筆によると、彼らはあろうことか太閤秀吉のお膝元である伏見近くに
広大な屋敷を構え、昼には頭領が大名公家のごとく駕籠に乗りこみ、配下は弓槍で武装して京の街を練り歩き、
行く先々で乱暴狼藉を働いて、夜は夜で押込み強盗等を繰り返し、都人を悩ませたという。

よほど世を騒がせた集団だったようで、公家の山科言継もその日記で、
「三条河原で、主だった者10人が釜で煮られ、同類19人が磔にされた」という主旨の記述を残している。

この“釜茹で”が珍しかったのか、貿易商アビラ・ヒロンも『日本王国記』で盗賊団の処刑に触れており、
さらにイエズス会宣教師がこれに注釈を加え、

「煮られたのは Ixicava Goyemon 一味9~10人。兵士のような装束をしており、他に10~20人が磔になった。」

と述べている。




雑談・刀についてのことなど

2011年03月31日 00:00

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:19:49.29 ID:903fpAuW
そもそも戦場で刀使わないのになんで消耗するんだよ

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:25:06.85 ID:ITeY+K8m
>>609
いまどき合戦での刀否定なんて鈴木信者かよ?
普通に使ってたっつーの。

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 21:26:24.04 ID:8rXibiK8
>>610
鈴木自身、すり減った刀を持ってたもんな。
あくまで主武器じゃないって話で。

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 21:54:00.85 ID:C7A/BqTr
鈴木本人の主張と、アンチが言う「鈴木説」は全く別。
鈴木本人は一度も「刀は使われなかった」なんて主張してないから。
本人が長年居合をやってたしな

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:08:41.83 ID:hls/vBwJ
ドラマとか講談みたいな行き過ぎた 武士=刀
みたいなイメージは流石に違うって話じゃなかったかあの人のは?
その話が行き過ぎて全く刀を使わなかったみたいに言う人も出てきちゃったけど

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:14:45.39 ID:ne50t0eo
チャンバラ時代劇はフィクションだよ。史実じゃないよ。←言われんでも皆知っとるがな。

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:36:27.90 ID:8rXibiK8
刀は、近代戦における拳銃みたいなもんだと理解してた
槍が小銃みたいなもんだと

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:48:45.73 ID:ne50t0eo
小銃と拳銃ほど射程の差はないでしょ。
槍の長さが十丈もあるってぇなら話は変わるがw

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:50:54.11 ID:5kvM4qnW
>>624
そういう事言ってるんじゃないだろ

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:52:19.25 ID:JlVvJW70
>>624
そういうのを屁理屈って言うんだよ

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:55:13.43 ID:hKeiY2E5
アサルトライフルとサブマシンガンくらいが妥当

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:58:59.99 ID:C7A/BqTr
少々日本史を知ってる外人から見ると、武士が刀を二本以上差して戦場に持っていくのが不思議でならないらしい。
「一本で十分だろ?重いだけじゃね?」と。

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 23:09:11.62 ID:ne50t0eo
長槍と手槍の区別くらいは出来るようになってほしいものだ。

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 23:22:13.36 ID:ITeY+K8m
脇差と太刀って全く別の武器なんだよな。脇差はコンバットナイフだな。

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 01:43:32.07 ID:lrBMgrSc
でも幕末では京都で日本刀が大活躍したじゃないか
戦国でも剣豪将軍の無双を始め刀の活躍を伝える逸話は多いし、
やっぱり刀は槍や弓と変わらず十分実用的で重要な武器だったと思うぞ

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 01:57:07.27 ID:1KKz+0FN
幕末の場合は暗殺用だから話がだいぶ違うやん…

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 02:11:36.82 ID:+TLXR2Wf
幕末は素肌だしな

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 15:19:13.95 ID:1lEl8LbE
>>631
江戸時代260年間は槍を使わないから刀が活躍するのは当然

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 15:36:25.66 ID:KZ4QvMEU
銃剣全盛になって刀剣廃れても日本軍は使い続けたんだから、もう呪い的段階なのかもなぁ。

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 17:07:50.28 ID:KbVUF5B0
刀は護身用ウェポンだからねい

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 17:52:51.46 ID:41iY8Zst
>>631
江戸時代を通じての整備と建築ラッシュと魔改造の果てに小路だらけになった京都、
さらには「街そのものには手をつけない」という制約と兎角相性が良かったんだろうな>刀
これが戦国までなら初期段階でまず市街が焼き払われる。そして飛び道具戦からスタート

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 21:19:33.71 ID:1KKz+0FN
>>654
京都での本格的な戦いなら、蛤御門やら鳥羽伏見やら、鉄砲つかいまくり。
鳥羽伏見では大砲も使いまくり。
刀が活躍したのはあくまで暗殺と護身。

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 21:26:35.15 ID:WuP8rycT
戦国時代の刀ってアレだろ
マンガに出てくるような糞長いヤツ

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 21:44:35.83 ID:DpvXH5VV
>>631
西南戦争のときも会津抜刀隊が活躍した

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 22:30:14.01 ID:vCK7NKat
>>660
言っとくが、あれ愉快なレベルの損失も受けてるから。

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 23:12:06.61 ID:qeiEGy/v
まあ長州の連中は京都焼くつもりだったらしいし?

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 23:25:27.37 ID:lrBMgrSc
>>661
装備が違う。アームストロング砲やら元込め銃装備の銃陣に突っ込めばそりゃそうだ

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 23:34:00.22 ID:mTuoV0li
劉永福「刀剣で銃火器に挑むなんて駄目だろw」

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/31(木) 00:39:06.29 ID:vA/YaAUY
>>663
調子に乗って深入りするからだよ

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/31(木) 00:46:50.44 ID:3P4CdmS/
>>656
まぁ、江戸生まれの江戸育ちだし…死ぬことと~でも葉隠武士たちと意識の隔絶があるみたいに書かれてたかなー

蜂須賀家政、百五十石の浅田亀之亟に

2011年03月30日 00:01

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 10:26:04.45 ID:ksf/PHhw
>>591 
そういえば蜂須賀家政の話にも
当時の大名の逸話らしく、質素倹約を尊ぶ話が多いんだが、
中に毛色の変わったものがあった
浅田亀之亟という家臣が御用があって料理を頂いていた時
そこに家政が入ってきて雑談していったそうだ
「お前は今知行をいかほど取っているのか」と聞かれたので
百五十石ですと申し上げたところ
「私が織田信長に仕えていた頃も百五十石取っていたが
あれは不自由なものだった
とはいえ、私は元々親が大身であったので、その分家で使っている人間も多く、
それほどでもないところがあったが、その方はさぞ難儀だろうな」
こう言ったあと、ふと付け加えて笑ったそうだ
「その頃私は革袴を持っていて、それを周りの者から随分羨ましがられた
ものだったが、今時ではそんなこともないだろうな」

経済が成長して、ちょっとしたぜいたく品だったものが一般に普及したり
戦がなくなったせいで需要が減ったりしたのかなーと考えさせられた
平和な時代だと、武士もいざという時のためにひたすら貯め込んでおく必要性薄れるだろうしね




608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 10:52:14.91 ID:IrkOfTjv
戦時だと軍役が定期的にあるから。
刀も消耗品と、一本あればいい平時では同じ収入でも余裕が違う。

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:19:49.29 ID:903fpAuW
そもそも戦場で刀使わないのになんで消耗するんだよ

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:25:06.85 ID:ITeY+K8m
>>609
いまどき合戦での刀否定なんて鈴木信者かよ?
普通に使ってたっつーの。

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:52:33.36 ID:eRDgox0+
手入れを怠って劣化したり、金に困って売ったりするからじゃないかw>平時の消耗

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:55:26.78 ID:4YtqyzhV
馬も高い金出して名馬一頭買うくらいなら、その金で普通の馬3頭買え、
なんて話もあったな。

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 13:16:46.97 ID:Ftar+IRJ
ジミーさんと高虎の運用思想の違いの類型の話やね。

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 14:04:28.75 ID:jl621Qg5
竹中さんが牛に乗り換えました

堀尾家水口略奪事件顛末

2011年03月30日 00:01

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 01:14:34.69 ID:4YtqyzhV
一応いい話として記録されているのだが…

堀尾信濃守忠氏の近習に、揖斐伊兵衛、堀尾作左衛門という者があった、何れも400石ずつの
知行であったという。

さて関ヶ原の決戦の後、堀尾家の家臣たちが、既に降伏していた長束正家の所領、
水口城下において略奪を働くという事件があった。
この事件に対し人々は、水口は落城した以上既に味方の地となっており、そんな所で
略奪をするような連中には、関ヶ原での武功もなかった事にされるだろうと、もっぱら噂し合った。

そんな噂を聞き及んだ揖斐伊兵衛は、同僚の堀尾作左衛門にこう語った

「今度我軍が略奪を行ったこと、後悔先に立たずと言いますが、このままでは我が堀尾家の、
江渡(河田木曽川渡河の戦い)での功も無効となるかもしれません。

ところで我らは信濃守(忠氏)様の旗本でありながら、さしたる功もありませんでした。
そこで今回の略奪の張本人であると名乗り、その責任をとって切腹すれば、堀尾家としての
責任は回避できるのではないかと考えます。いかがでしょうか?」

これを聞いて堀尾作左衛門

「それは尤もな事です。そういたしましょう!
しかし二人とも死ぬというのは詮のない事です。ここはクジで切腹するものを決めましょう。」
と伊兵衛に同意したうえで、さっそくクジを作り始めた。ところが揖斐伊兵衛、これに

「作左衛門殿しばし待たれよ。もし私がクジに当たって切腹いたせば、それがしは
死に得でござるが、貴殿は信濃守様の御一門であるのに伊兵衛に切腹させた、などと言われては
武士の面目が立たず生き損となります。

そうである以上、貴殿が切腹なされて私が生き残ることこそ、あなたの御為にも良いことでは
ないでしょうか?」

堀尾作左衛門はこの言葉を聞くと感激の涙を流し

「あなたのおっしゃることは一段尤もである!ええ、私が切腹いたしましょう!!」

と、盛り上がっているうちに堀尾家の方に徳川家康から、略奪の事赦免の御内意がもたらされ、
切腹のことも無くなった。

後に堀尾作左衛門は主君堀尾忠氏に
「我が事を話すようですが、お為になることと存じます。揖斐伊兵衛がいかに知恵深きものか、
という話です。」
と、この時の顛末を語り、これに感動した忠氏は、堀尾作左衛門、揖斐伊兵衛の両名を
三千石に加増したという。

と、いい話なんですが…、
揖斐伊兵衛さんのレトリックと、それに感動する堀尾作左衛門や堀尾忠氏がどうしても納得できない
わけで。基本口八丁で「作左衛門さん一人で責任とって死んでくれや」って事を言っている
だけではないか、と。

そんなモヤモヤとした気分の残る、しかしこの時代的にはこれでいいのですかねえ?
堀尾家の水口略奪事件におけるエピソード。




386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 01:53:42.25 ID:TP3R1ulM
うーん、確かに現代人から見ると揖斐が汚い立ち回りをしてるように見える
だけど主筋の一門を死なせるわけだから揖斐にもそれなりの覚悟がいると思うんだよな

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 02:30:30.02 ID:8rXibiK8
うーん
うーん
うーん
なんとも言いがたいな

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 03:15:40.33 ID:Tv/4GtKA
>>386
関ヶ原では、主君の九鬼嘉隆を切腹させたら、義弟の九鬼守隆に
鋸挽きで斬首の上さらし首にされた豊田五郎右衛門の例があるわけだしね。

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 03:16:16.12 ID:WIE5PMuG
家のために死ぬことの方が、生き残ることより価値がある

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 04:03:07.68 ID:1HIW+/X9
ひとの命の価値がめっちゃ安かったからなあ

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 06:07:51.88 ID:tdksv+0t
死ぬより生きるほうが難しい時代だったんだな

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:27:22.77 ID:54mYD9XN
>>390
考え方だよなぁ、命を的にご奉公。
うまくいくと、広大な領民付きの領地・・・結構いい値段だよな命

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 14:10:40.62 ID:jl621Qg5
まあ家康が戦後処理に忙しい間に事が上手く進んで良かったジャマイカ

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 14:26:41.43 ID:1HIW+/X9
>>393
保険金みたいなもんですからね>死後の恩賞
医療技術も発達してないから日本人全体が余命半年みたいな感覚でいたのかもしれませんな

くはりん

2011年03月30日 00:00

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 17:54:31.15 ID:4YtqyzhV
武功雑記の記事の疑問をもうひとつ出してみる。

○ くはりん本名は稲生次右衛門(細野藤光の事か?)と云。実子左京は分部家へ養はれて
分部左京(分部光嘉)と云。左京兄は用に立也。
○ 分家くはりん(分部光嘉)、関原陣の時、伊勢の津に籠城、御家へ忠節あり。
其子助左衛門は大阪にあり。其子左京は上野の城守なり(伊勢ノ長野城カ)。

「くはりん」が伊勢長野氏の一族、細野氏を指しているらしいことは何となく解ったのだが、
その「くはりん」って、何?w;




天海僧正と伊達政宗

2011年03月29日 00:01

天海   
585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 02:39:18.61 ID:MwZdKRyO
天海僧正は黒幕・妖僧のイメージが強い。
それは前半生が謎に包まれているからだろうか。
一説によると会津高田の出身で蘆名一族出身の人間とも言われている。

そんな天海僧正に伊達政宗が宛てた手紙が残っている。
一見するとあまり接点がないような二人だが、奇妙な接点がある。

天海の前半生一つとして会津に戻っていた説がある。


天海は天正元年(1573)より十数年のもの間、
蘆名盛氏の招きにより会津に定住する。

しかし、天正17年(1589)に蘆名義広と伊達政宗との間に
摺上原の戦いが勃発し、蘆名氏は破れ、蘆名氏側についていた
天海は会津を離れることを余儀なくさる。
この時、蘆名氏を滅ぼした政宗に対して天海は相当な恨みを持つ。


天海は蘆名氏を護って常陸へ行くことになり、江戸崎不動院の住職を務め、
その後、歴史の表舞台へと立った天海は家康・秀忠・家光と三代に仕える。


江戸幕府が成立し、政宗と天海は顔を合わせる機会が増える。
蘆名氏を滅亡させた仇敵政宗に対して、恨みを持っていた天海であったが
次第に政宗と恩讐を越えた関係が築かれて行く。

そんな天海に政宗はいくつかの手紙を出しており、そのうちの一通が
龍興寺(福島県会津美里町)に残っている。


伊達政宗

「天海殿にぜひともご面談したかったのですが、先客があるとのことで
そちらもお疲れのようですから、今回はこれで帰ります。」



文面からはごく親しい人を訪ねる政宗の気持ちが表れているようで
気心通じた親密さがうかがえる。


天海と言うと、大坂の陣の発端となる方広寺鐘銘事件に崇伝、本多正純と
関わったとされ、ダーティな部分を連想させる。

しかし、紫衣事件などで罪を受けた者の特赦を願い出たり、
大久保忠隣・福島正則・徳川忠長など赦免を願い出てたり
堀直寄、柳生宗矩と共に沢庵宗彭の赦免にも奔走したり、また民政にも
力を入れている。


後世でDQN扱いされる政宗。
黒幕・妖僧・明智光秀同一人物説などという扱いを受ける天海僧正。
彼らの本当の姿とは?




586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 02:45:51.99 ID:dNlhN9Yp
天海にダーティーなイメージなど最初からない
金地院とごっちゃにしすぎ

587 名前: 【東電 63.8 %】 [sage] 投稿日:2011/03/28(月) 05:02:01.81 ID:fi9io1lY
天海は小説やマンガ、ゲーム等で悪役・黒幕としてやたらと登場してるけど、
崇伝はそういうの無いもんね。

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 07:24:42.50 ID:03fq79X8
林羅山「ワタシには悪いイメージないな」
鳥居燿蔵「御先祖様・・・」

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 08:54:21.93 ID:fqr94LUg
>>587
金地院さんは「あずみ」でムチャクチャ悪役だよ。
あと「あずみ」の宮本武蔵はカッコよすぎ。
「バガボンド」の武蔵はバスケ部員が剣豪始めましたみたいで苦手

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 15:37:19.30 ID:EttIvdFV
>>587
漫画的には天海の方が字面にインパクトあるし強敵っぽいからね

実際には崇伝の方が悪役・黒幕的な要素が濃い気がするが

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 15:43:18.83 ID:88Ew93xR
天海が黒幕という驚愕の展開が

……ごめんなさい

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 15:50:56.88 ID:iNTW8Jnl
天界へ行きたまえ

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 20:48:35.48 ID:lOGfiZDe
天海は某ゲームで悪役ボスだったからそういうイメージがw

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 21:30:16.91 ID:TtVUO1AI
水金地火木土…

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 01:07:16.00 ID:Mx/sONYQ
天海が悪役ボスってどんなゲームだw

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 02:10:30.67 ID:hls/vBwJ
正体は明智光秀で云々って感じでボスだったゲームは確かあった。

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 03:32:45.13 ID:1HIW+/X9
天海春香…いや、なんでもない

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 18:10:20.77 ID:mboLT6Dz
>>602
サクラ大戦とか?
あれ1の中盤のボスが天海
ちなみに4のボスは大久保長安

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 18:53:48.80 ID:cinmdMEN
>>602
蒸気で動く甲冑が登場するゲームとか

真田信之、伊木三郎右衛門の三男小膳に語る

2011年03月29日 00:01

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 14:15:10.66 ID:lGzUW2XQ
真田信之はある時伊木三郎右衛門という者の三男小膳を召出し、刀を与えた。
この時信之が小膳に歳を尋ねると十三であるという。

それを聞いた信之がこう言った。
「静謐の世と言いながらお前たちは侍の冥加に叶っている。
 我らは十三まで刀など持たなかった。十四で初めて指したのである。
 それも父安房守からではなく母から二貫文で調えたのだ。
 甲州では一四で初陣を飾るのが法であったからそれ以前は指さなかったのだろう。
 
 刀の値段も安いようであるがその頃の一貫文は今の八貫文
 永楽銭の二貫文は十六貫文であるから金四両だ。
 金銀の乏しい頃であったから今の五、六十金にも勝るのである。
 また刀の寿命も今の十分の一にも及ばなかった。
 戦となれば打ち折り打ちかき捨てるのだから名作であろうと安直なものだった。」

伊木三郎右衛門が信之に仕えたのは大坂の陣の後
もはや戦の気配はない時代に信之が語った話




601 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/28(月) 23:08:08.78 ID:vLNXXQTC
>>591

>  刀の値段も安いようであるがその頃の一貫文は今の八貫文
>  永楽銭の二貫文は十六貫文であるから金四両だ。


ゴメン、まったく想像つかない。

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 06:04:41.75 ID:tdksv+0t
>>601
戦乱の時代が終わって平和がやってくると
生産・商業が活発になり物価や地価が上がった
 
つまり高度成長期

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 06:27:41.36 ID:cjMrC144
たぶん>>601はあの部分を書き込みした人のコメントだと思ったのだよ

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 15:58:27.40 ID:/8c0sQ2B
刀を待たなかったって、稽古はするんだよな?
自分用のがないってことか?

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 16:14:04.50 ID:zxJkOLDw

>>595
稽古で真剣使わせる流派には入門したくないなぁ

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 16:26:37.75 ID:tVz2gvoe
小野忠明「稽古で命落としたり怪我したら大変だからね」

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 17:21:30.98 ID:YDfdUZYX
上泉信綱「うちは袋竹刀を使用しますから安心安全。キミも新陰流に入らないか?!」

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 06:04:41.75 ID:tdksv+0t
>>601
戦乱の時代が終わって平和がやってくると
生産・商業が活発になり物価や地価が上がった
 
つまり高度成長期

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 06:27:41.36 ID:cjMrC144
たぶん>>601はあの部分を書き込みした人のコメントだと思ったのだよ
[ 続きを読む ]

目黒に置いて、将軍徳川家光による鷹狩が行われた時

2011年03月29日 00:01

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 22:03:41.86 ID:1VpqS5H/
江戸近郊の目黒に置いて、将軍徳川家光による鷹狩が行われた時のことである。

この目黒には、成就院という寺院があったのだが、そこに4,5人の武士が尋ねてきた。
住職が何事か聞けば
「我々は将軍家御鷹狩のお供の者なのだが、大変くたびれてしまってな。すまんが、少しここで
休ませてもらえないだろうか?」

住職は「ああお安いこと、どうぞどうぞ」と寺の内に入れた。
「将軍家様の御鷹狩で、このあたりは大変な騒ぎですよ」「そうであろうな」
などと言いながら寺の客殿に通した。と、そこの壁には菊が見事に、まるで絵画のように美しく飾ってあった。

一番身分の高いらしい、若い侍がこれに感心し
「失礼ながら、このような田舎でこんなに素晴しい生花を見るとは思わなかった。この寺は良い檀家を
持っておられるようだな。」

そう尋ねると住職
「いえいえ、ここは江戸より遠く、然るべき檀家というものも無いのですが、ただ保科幸松殿と申せし方の御母上が、
時々祈祷のことなどお頼みされるのですが、そちらもお台所苦しく、布施のものも、豊かではありません。」
「ふむ…、その他には?」
「ははは、その他はもう皆、物の数に入らぬような…。ああそうだ、こちらにいらっしゃる皆さんは
将軍家の御家人であられるそうなので、恐れ多いことなのですが…」

住職、内緒話と声を低くし、その武士に少し近づいて語り出す

「その保科幸松殿と申す方は実は、今の将軍家の正しき御弟君だと承っております。
であるのに僅かの領地しか無く、貧しくされているのはなんといたわしい事でしょうか!?
たとえ賤しき身分の者であっても、兄弟が親しみ深くするのは世の習いだというのに、
一体どうして、あのように身分の高い方が情けなく出来るものなのでしょうね?」

と、これを聞いてその侍、少し顔色を変えたが、他の者達の方に向き直り

「さて、もう出かけよう。そろそろ上様がお帰りの時間である。」そして住職に
「御僧のお情けで足を休めることが出来た。また参ることもあるだろう。」と声をかけ、寺を出て行った。

しばらくして

成就院に大勢の、将軍家に付き従う武士達が押し寄せた!
住職が挨拶もする間もなく、その者達叫ぶ

「上様は!?上様はいずこにおられる!?」

「う、上様?わ、我らは上様のことなど一向に知りません。ただ先ほど、鷹狩の
お供の方がこちらでお休みに…」

これを聞いて押しかけた者たち唖然
「ば、バカモーーーン!その御方が上様だ!!」

住職驚愕
「な、なんですってー!?」

「未だ遠くには行かれていないはずだ、追いかけるぞ!」「ははっ」
武士達は一斉に家光たちが向かったという方を追いかけた。
哀れなのは住職である。これを聞いてから「ああ何ということだ、私は上様になんて失礼なことを。
いかなる罪を仰せつかるのであろうか?」と恐怖し、それから一月程、門の外に足音高く
人が通り過ぎるのを聞くだけでも、魂が消えるような思いをしたという。

さて、一方保科幸松、改め保科正之、この事から程なく家光より多くの領地を与えられ、家光の信頼厚く
やがて山形を領する。正之はこれを成就院の恩として、かの寺に土地など多く寄進したという。

徳川家光、鷹狩の最中のお忍びで弟正之の存在を知る、という一席。
ビビりまくった住職さんがちょっと可愛そうだったのでこっちにw




361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 22:17:43.39 ID:KdZYUSkC
そりゃあ、焦るわな

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 23:10:23.89 ID:Rty+LYv9
やっぱり坊主は目黒に限る

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 23:23:19.49 ID:OFPp8sjC
しかし保科正之自身は神道に傾倒していて会津では廃仏毀釈してたんだよね

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 00:12:59.73 ID:iJZYvXIS
保科正之は晩年神道にはまったけど、廃仏毀釈なんてあったか?

365 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/28(月) 00:18:19.44 ID:0pc7QKM6
しかし、その坊さんは若い侍の着物に葵の紋に気付かなかったのかな?時代劇とかだと着物に付いてるけど。

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 10:53:24.68 ID:UOMnrPhJ
>>と、そこの壁には菊が見事に、まるで絵画のように美しく飾ってあった。

家光…ゴクリッ

真田信之のしゃちほこ

2011年03月29日 00:00

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 00:23:40.04 ID:lGzUW2XQ
延享4年3月30日
信州上田城の西側小泉曲輪の堀から妙なものが掘り出された。
しゃちほこである。それも朱漆や金箔の跡があるかなり立派なものであった。
なぜそんなものが堀からでてきたのか?それについて上田にある話が伝わっている。

元和7年上田藩主真田信之は領内より材木や瓦を集め始めた。
目的は一つ、上田城再建である。

上田城は信之の父真田昌幸によって建てられた城である。
しかしその城は関ヶ原後に廃城となり、その後は陣屋があるのみだった。
それから20余年を経て、ついに上田に城に蘇ろうとしていた。

総廓の拡張、河川の整備、五重天守の普請を含むこの壮大な計画には一つ問題があった。
幕府の許可を取っていなかったのである。
おまけに小諸の仙石忠政がこれを聞きつけて幕府に上訴してしまった。

元和8年真田家は松代に転封、後には仙石家が入る。
城はすべて元通りにするように命ぜられ、大量の建材が堀に捨てられた。
それから140年あまりを経て再び世に現れたのが件のしゃちほこであるという。




367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 01:21:34.28 ID:b3UyXqZJ
お兄さん何やってんすか
そんな弟みたいな無鉄砲なことやんないでくださいよ

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 02:11:17.67 ID:km3FuMU8
どう考えたってバレるだろw

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 04:21:54.30 ID:RlUJwphK
仙石は相変わらずみみっちい根性してんだな

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 07:50:40.26 ID:T8fRwybB
やはりというか、悪い話に絡んでくる仙石w

三代将軍家光はある時こんな夢を見た

2011年03月29日 00:00

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 03:47:06.99 ID:cILalDQr
三代将軍家光はある時こんな夢を見た。
その夢の中では今は亡き祖父家康が馬に乗っていたのだが、
どうも馬が暴れ出しそうだったので、それに気付いた家光は即座に馬を止め家康を助けた。
家康は家光のその功績を褒め称えお辞儀をすると、
家光はその家康からの労いに感謝し跪き、この恩に命を捧げると言った所、
家康は「おお」とほほ笑んだと言う。

家光はこの夢にえらく感動したようで、
家康への感謝とこの出来事を忘れないために自分のお守りまで作っている。

これだけだと良い話なのだけど、
家光は生前に似たような理由でお守りを八つほど作ったのだが、
その中に入っている直筆の書付で彼は自らのことを
「二世将くん(二世将軍)」もしくは「二せこんけん(二世権現)」などと書いており、
家康の二代目を自負している。

彼にとって秀忠とはなんだったのだろうか…




372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 08:13:09.68 ID:EJrOCVgE
>>369
この場合の「二世」は「二代目」ではなく、『家康の生まれ変わり』って意味だな。
徳川家康セカンド、第二次徳川家康、って事だ。

家光は武断政治を標榜していたから、武のイメージの殆ど無い秀忠より(といっても大坂の陣なんて
実際には秀忠主導っぽいが)、家康を自己に投影するのは、政策イメージを浸透させる手段として見れば
多少はしょうがないだろうね。幼名も同じ竹千代だしw

あと家康自身が、父松平広忠より、祖父清康の生まれ変わりと見なされることが多かったので、
そこも意識したのかもしれん。


374 名前: [―{}@{}@{}-] 人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 11:17:52.29 ID:AQw9B0xq
家光「父上は私の知る限り衆道はなさらなかった。
   権現様は若い頃より、寵童に親しんだ信長公らと親交厚かった。
   後は分かるな」

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 11:29:09.98 ID:vvdJILlW
秀吉「つまりワシの子だったのだよ」

徳川家康「侍は朱をたしなみ持ものなり」

2011年03月29日 00:00

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 11:34:48.43 ID:trqNTSiY
武功雑記のこの記事がどうも良く理解できないので、解る人解説してもらえるとありがたい。


○同所冬御陣に、侍は朱をたしなみ持ものなり、分て取れと御意にて朱を被下候。
 何れも何の役に立んとて拝領せず。

(訳:家康公は大阪冬の陣の時、「侍は朱の嗜みを持つものである、分けて取れ」との御意にて
   朱を下されたのだが、「何の役に立つのか」と誰も拝領しなかった。)


家康の世代には武士が朱を使う風習があったが、大坂の陣の世代ではその風習が廃れ、
朱を使う意味も意義も解らなくなっていた、と言う理解で良いのだろうか?




378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 18:22:51.82 ID:7rVpIDbb
>>376

朱は漢方の朱砂かな?漢方薬に詳しい家康ならば
鎮静に効能のあるといわれる朱砂を持っていても不思議ではないような。
家康が水銀(水銀朱か?)を服用していたと言う話もあるし

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 18:46:33.31 ID:E34pGAzs
化粧のことかと思った

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 18:47:24.25 ID:FoLtJcJH
主君がくれたらありがたく拝領して老人にでも用途を聞きそうなものだが
「使わねーし」と拝領さえしない辺りが
やたら風通しがよさそうな雰囲気な

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 18:55:00.50 ID:trqNTSiY
朱は首実検の時の首化粧のためのものじゃないのかな?

383 名前:386[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 19:42:25.84 ID:7rVpIDbb
なんと首化粧の紅差し用でござったか!
たしか、おあむ物語にも書いてありましたな首化粧の話
鹿毛馬の糞混じりの尿を飲んできますorz

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 20:11:02.05 ID:5BbXzVbV
>>376
いやそこは誰か空気読んで貰っとけよww家康かわいそうだろww

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:21:49.47 ID:54mYD9XN
>>384
なんとなく家康そういう馴れ合い嫌いな気がする

三傑とホトトギス

2011年03月28日 00:00

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 21:35:25.29 ID:L9tlkcyw
古物語にあるや、また人の作り事や、それは知らざれど、
信長、秀吉、恐れながら神君御参会の時、卯月(4月)のころ、いまだ郭公(ホトトギス)を聞かずと
物語いでけるに、信長、

 鳴かずんば 殺してしまえ時鳥

とありしに秀吉、

 なかずとも なかせて聞こう時鳥

とありしに、

 なかぬなら なく時聞こう時鳥

とあそばれしは神君の由。自然とその御徳化の温順なる、又残忍、広量なる所、その自然をあらわしたるが、
紹巴(里村紹巴)もその席にありて

 なかぬなら 鳴かぬのもよし郭公

と吟じけるとや。

『耳袋』巻ノ八より




549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 00:00:48.45 ID:mbuKpDg2
>>547
そういやホトトギスっていろんな漢字表記があるんだけど、違いはなんだろうね

諸国視察の山中鹿介

2011年03月28日 00:00

551 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/27(日) 02:35:49.51 ID:Jt1yn6el
毛利家に没落させられた尼子家の再興を目指し、諸国の有力大名を視察する旅に出た山中鹿介
近江国番場(現在の滋賀県米原市)に訪れた際、

「自分は出雲の浪人である」

とだけ告げてさる老僧の世話になっていた。ある日、10数人の無頼漢達が

「何か食べ物を寄こせ!」

と庵に立ち入ってくると、鹿介は

「邪魔だ、さっさと出て行け!」と一喝。

その上で、彼らが強盗で、再びこの庵を襲撃してくるだろうと考え、罠を仕掛けておいた。
その夜、案の定、強盗達が押し入って来た為、罠を駆使して全員を生け捕りにしたものの、
仏前での殺生をためらい、老僧と相談して逃がしてやる事に決めた。すると、強盗の頭目が

「貴方様は、只者ではないでしょう。何か大望を思い立たれた時に馳せ参じたいので、名前を教えて頂きたい。」

と願い出ると、鹿介は

「何を言ってる。庵の食客が何を思い立つというのだ。」

とはぐらかしたが、この一件が噂になるにつれ、自分の正体が明らかになると面倒だと考え、
鹿介は庵を立ち去ったという。




555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 11:52:20.73 ID:LgQ7s0pL
>>551
そうやって仲間を増やそうとしないから何度も負けるんだよ!

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 11:55:52.08 ID:xLHeGSGW
>>555
漫画の見すぎw

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 12:09:04.82 ID:e64FFxsb
盗賊集団に名と尼子家再興の志を打ち明けても、
盗賊集団「山中さまと立つより、毛利に売ったほうが得だな」
となる可能性もあったからじゃないか?

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 12:10:39.83 ID:xLHeGSGW
>>557
八つ墓村思い出すのでやめてくれ・・・

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 12:12:15.26 ID:ajbCM5qm
一人で十数人の賊を生け捕るとかすごすぎるだろ ハリウッド映画化決定

相馬家伝来の家系図

2011年03月28日 00:00

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 14:28:12.48 ID:jGGWVMQY

基本的にはいい話だと思うんですが、少々グロい表現があります。
ですので、この話を投下する事が空気を読めているのかどうか、ちょっと自信あり
ません。
不快に感じた方がおられたら申し訳ない。


岩城国を治める相馬家の家中に、一人の男が仕えていた。
気が利かず、何の特技もない男であったが、高い忠義が主君に認められ、側用人と
して雑用を言いつけられていた。

ある時、相馬家の屋敷が火事で全焼してしまう。
火の勢いは強かったが、誰もが身一つで逃げ出して来た為、意外と犠牲者は少なく
て済んだという。

しかし、
「屋敷や家財道具は別に惜しくもないが、先祖伝来の家系図だけは何とか助けたか
ったものだ」
相馬家と言えば平将門の末裔として名高い、東北の名門である。
その出自を記した家系図は、家宝として代々受け継がれていたのだった。

主君が残念そうに漏らした言葉を聞いた雑用係の男は、
「それでは、私が今から取って参ります」
と言って走り出してしまう。

屋敷は今も絶賛延焼中。
「お、おい! 何考えてんだ!」
「無理だよ、戻れ!」
引き止める同僚や主君を振り切って、男は燃え盛る炎の中に飛び込み、二度と戻っ
てはこなかった。

鎮火後、せめて男の遺体だけでも拾ってやろうと捜索を始めた相馬家の主従であっ
たが、彼らが見つけた男の遺体は、少々様子がおかしかった。

焼死の筈なのに、腹から大量の出血がある。そう、男は焼け落ちる屋敷の中で切腹
していたのである。

「焼死が避けられぬとみて、切腹して果てたのであろうか……」
「だから無理だと言ったのに……」
最後まで愚直ではあったが、気が回らず、役に立てなかった男を悼んだ一同が、遺
体を運び出そうとした時、体を動かしたのが悪かったのか、焼け焦げた男の腹の『中
身』が外に溢れ出してしまう。

現代の我々は勿論、戦国が終わって暫く経つ当時の侍であっても、眼を背けたくな
るようなグロテスクな光景だっただろう。
しかし、彼らは男の腸に混じって、『ある物』が男の腹の中から転げ落ちた事に気
がついた。

「……これは」
「先祖伝来の家系図ではないか!!」

間一髪、家系図を助け出した男は死の間際、自分の腹の中に家系図を押し込む事で、
炎から守り抜いたのである。


以来相馬家では、この血染めの家系図を『血系図』と呼び、将門以来の血筋を誇る
よりも、命を捨ててこの家系図を守ってくれた忠臣がいた事を誇るようになったと
言う。





568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 14:49:54.31 ID:KdZYUSkC
これほどの忠臣を火事では失いたくなかっただろうな。
まあ江戸時代の話とすればその後はでかい戦争もないだろうし、
絶好の死に場所だったのかもしれんけど。

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 15:03:04.68 ID:WhWig7fJ
相馬って平将門の末裔末裔と称しているけど、家系図上ですら将門の従兄弟の 平忠頼の末裔なんだよなぁ

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 17:19:51.68 ID:WTYtA827
>>567の話を読んで細川の血だるまの話を思い出したのは俺だけじゃないはずだ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-736.html
この時代、火事の中大切なものを守る最後の手段は自分の腹の中ってのが流行りだったのかな

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 17:33:13.86 ID:bpgdehDE
>>571
体内なら焼け残るからでしょ
惨いけれども、重用してくれた主君のために何が何でも残さなければって思ったんだろうな

相馬って、実質的に千葉一門だっけか?

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 19:38:44.97 ID:c632fA3K
藤原秀郷の子孫:佐野、小山、結城etc

平貞盛の子孫:平家主流、北条etc

平将門の子孫:相馬

逆賊の子孫を名乗るのはなかなか勇気があるな

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 19:44:59.80 ID:nl7jDLQN
中国でも死ぬ間際に大切なものを呑み込んで隠すような話はあるし、
腹の中は一番安全な場所ってイメージがけっこうあったんじゃないの?

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 20:42:56.87 ID:uwaCxJlF
>>573
将門は一部地域をのぞいて板東じゃ神だろ

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 20:46:53.21 ID:C9GR5vE8
創作界隈でも人気だしね、将門さん。

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 00:26:55.12 ID:zxJkOLDw
>>573
でも、相馬って系図上は平将門の従兄弟が祖先でそ

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 00:33:16.52 ID:lGzUW2XQ
>>583
平将門の従兄弟の子孫が将門の子孫の養嗣子…という話じゃなかたっけ?>相馬

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 16:14:04.50 ID:zxJkOLDw
>>584
wikpediaに「伝承によると師常は平将門の子孫である篠田師国の養子で、
将門に縁の深い相馬御厨を継承させたとする」とあるのか。なるほどというか、
こじつけというか…

堀尾吉晴、少年の頃

2011年03月27日 00:01

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 23:06:28.03 ID:D3qnQPAP
堀尾吉晴はその幼名を仁王丸といい、彼の家は尾張国内で信長に長く抵抗した、岩倉織田氏の
家臣であった。

さて永禄2年(1559)の事、岩倉と織田信長勢との戦いで、岩倉勢は夜討ちを敢行した。

この時未だ元服も済んでいない堀尾仁王丸はまっさきに駆け込んで、名のあるものの首を
取って帰る、という功名をなした。

だが人々、元服も未だの若い仁王丸がそんな手柄を立てられるとは思えず、
「拾い首でもしたのだろう」と、彼の手柄をまるで信じなかった。

そして翌日、今度は岩倉勢が敵に散々に打ち負け総退却となった。
ところがこの中で仁王丸は一人馬から降りて敵のほうに立ち向かった。
仁王丸の叔父の修理亮がこれを見つけ大いに驚き、彼に向かって叫んだ

「どうして味方に遅れるのか!?とにかく直ぐに撤退するんだ!!」

ところがこれに、仁王丸

「若党の一人である山田が未だにこちらに帰ってきません!彼を探します!」

と答え、遂に敵中に残されていた山田を見つけ、連れて帰った。

この仁王丸の勇敢な行為に、「さては昨晩の功名も本当であったか!」と、岩倉の人々
自分たちの不明を恥じたという。

堀尾仁王丸、明年の夏元服し”茂助”を名乗る。


後に豊臣政権三中老の一人となる堀尾吉晴の、少年の頃のエピソードである。




532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 07:36:16.11 ID:jbWKCq2Z
>>528
栴檀は双葉より芳し、ですな

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 07:42:26.07 ID:KeF/dCJf
仁王丸って凄い名前だ。
んで成人してから茂助とか吉晴とか
なんだろうこのギャップは

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 10:34:27.43 ID:jqwJKrcX
>>528
山田もいい主君を持ったな

蒲生氏郷の行軍

2011年03月27日 00:01

529 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/25(金) 23:54:04.57 ID:U1J7lSOe
我らが工場長、蒲生氏郷のエピソード。氏郷は軍法を厳守する事を家臣に徹底していた。その軍法の中に
「行軍中は如何なる理由があっても立ち止まってはならない」と言うものがあった。

ある家臣が、馬に履かせていた草鞋を直すと言う理由でこの軍法を破った時にはすぐさま処刑した程だった。
その徹底ぶりは、九戸の乱の鎮圧に氏郷と共に参加した石田三成が

「氏郷殿は只者ではありません。これ程軍法に厳格な部隊は見た事がありません。」

と秀吉に書状で報告したほどで、ついでに敵に回せば手強い相手になると警戒されたという。




市角頼母の人生

2011年03月27日 00:00

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 07:52:15.63 ID:QGQHEGxH
地元に伝わる伝承を一つ。

豊臣秀吉の臣に河内国出身の市角頼母(いちかくたのも)という武将がいたそうだ。
若い市角は関ヶ原の戦いでは西軍、大坂冬の陣と夏の陣では豊臣側で出陣したはいいが、
結果は知っての通りであり、彼は命からがら下総国の大久保という地まで逃げ延びた。
全てを失った市角だったが、当時は何もなかった大久保では上方の文化や知識を知ることから歓迎され、
多くの新田や寺社を作るなど開拓に協力し、最終的には大久保の豪農として名主にまでなった。

そんな人々から尊敬される市角であったが、それを妬む者は彼のその生い立ちから、
「一度も戦に勝ったことのない勝ち知らず」などと馬鹿にしたそうだが市角は決まって、
「私は風の噂ではあるが、乱世では武功に優れ天下に名を轟かせていたというのに、
治世となってからは役目を終えたかのように消えて行った家をよく聞く。
彼らは乱世で活躍したために治世ではその力が恐れられ身を滅ぼしたのだ。
だが、私は若い時に負け続けたことで自分の身の程と処世術を知り、余生を楽しんでいる。
戦の勝ち負けよりもそれによって何を得て何を失ったのかを見なければ人生はわからんよ。」
とそうした者たちを戒めたという。
伝承では市角は九十歳ちょっとまで生き天寿を全うしたとされている。

余談だが市角が河内国から勧請した誉田八幡宮は、
明治時代になると周辺に習志野騎兵旅団の演習場や司令部がおかれたため、
騎兵第一旅団は戦地に赴く前にそこで勝利を八幡神に祈願していった。
生まれて一度も勝利を経験したことがない男によって開拓された土地が、
後に軍都となったというどこか皮肉でちょっといい話。




535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 10:32:06.76 ID:wdq+fGFR
騎兵第一旅団て戦に勝ったことあるんかいな?

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 10:59:07.23 ID:eKdB/pOO
>>535
日露戦争のときロシア最強の騎兵隊を破った
太平洋戦争中に第3戦車師団に編入されて消滅するけど
編入後も45年の老河口作戦で日本軍最後の騎兵突撃やって成功させたりしてる
要は騎兵最強の部隊

今も陸自最強って言われてる第一空挺団が駐屯してる

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 12:47:01.56 ID:d3ZPLmxf
河内って大阪周辺だよな?またも負けたか八連隊のイメージが強くて武張った感じではないと思ったが

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 12:52:44.71 ID:L9tlkcyw
八幡太郎義家などを代表とする、武士の祖と言うべき河内源氏は、
北斗の拳のヒャッハーどもも泣いて逃げ出すリアル残虐非道戦闘マシーン。

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 13:36:35.60 ID:yu6fKR5p
河内で有名な武将というと楠木正成とかか

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 14:05:10.47 ID:wZIM5Vwo
>>540
>>539にあるように、源氏の嫡流が河内源氏で、八幡太郎義家だって河内生まれ
なわけで。

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 14:25:05.52 ID:1VfN3Fhx
所領が河内で本人たちは京にいたんじゃないの?

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 15:03:00.59 ID:wZIM5Vwo
>>542
いや、少なくとも義家は河内生まれだし、幼少期は河内で育ったはず。

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 15:18:26.22 ID:d3ZPLmxf
河内=大阪=商人って強い印象があるから、あの辺の人は利に聡そうだけどそうでもないのな
朝廷に最後まで殉じた楠木正成、身を削って恩賞を与えた源義家、
私費で大工事を行い大阪入城した安井道噸、あと民衆のために幕府に楯突いた大塩平八郎もそうかな?
狭気に富んだ有名人がみんな河内出身ってのは意外っちゃ意外だわ
時勢が読めて計算高く、立ち回りがうまいのはむしろ近江人か

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 15:19:12.81 ID:J2up+iE8
ところで河内に都って置かれたことあったの?
五畿だからやっぱあんの?

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 20:13:54.56 ID:E6LmyBQ3
無いよ
文字通り大和川と淀川の氾濫原だから
都とか置けない
上町台地に難波宮はあったが

相馬義胤の決意

2011年03月27日 00:00

相馬義胤伊達政宗、出くわして、コメント欄より
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5249.html

相馬と被災地応援の気持ちで投下。

相馬義胤は法名から「外天公」と呼ばれ、地元の人達に親しまれているらしい。
初陣(1563年)からの約30年間に30回伊達氏と合戦している。
(相馬野馬追も特に伊達家に対抗できるよう「武芸技術を研ぎすましておくようにと続いた」と自分も聞いた事がある。)

伊達政宗が蘆名・二階堂両氏を滅ぼした天正17(1589)年、
相馬氏からも駒ケ嶺城を奪って、相馬氏への総攻撃を進めた時の事。
政宗への服属を勧める書状が宮城県伊具郡の武将から届いたが、
これに義胤は「政宗に従って家名を残して汚すよりは、
屍を砂礫にさらすとも名は汚さない」と徹底抗戦を主張したという。

この決戦はしかし、
豊臣秀吉の小田原攻めによって時勢が急変、回避されたらしい。

以上『武者たちの舞台 ふくしま紀行 城と館(上下巻) /福島民報社刊』より。



雑談・現在の相馬家に関することなど

2011年03月27日 00:00

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 16:26:03.65 ID:4FGFxj+k
東日本大震災:麻生元首相、相馬市で地元産野菜を味わう /福島

麻生太郎元首相は24日、相馬市で風評被害が広がっている地元産野菜を味わった。
原発事故で一部野菜から放射性物質が検出され、汚染が確認されていない野菜も売
れなくなっている。元首相はこれらシイタケやトマトを食べて「1年間摂取しても健康に
影響はない。過剰反応は慎んで」と訴えた。

 元首相は相馬家33代当主の相馬和胤さん(長野県在住)の義兄に当たる。市立中村
第一小の避難所を視察し、被災者から「原発事故を解決して」「JR常磐線の復旧を急い
で」などと要望を受けた。
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110325ddlk07040161000c.html


麻生さんって相馬家と親戚だったのか

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 16:34:58.58 ID:aOaHxOp7
相馬家って長野県だっけ?

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 16:41:51.17 ID:+s3ej5+d
天皇家って東京都だっけ?

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 16:44:13.41 ID:j1VLWXpy
現相馬市長が相馬家の足軽の家柄なんだって
その縁で麻生さんに来てもらったと、ニコニコとのインタビューで話してた

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 17:04:50.83 ID:pLKSyTHX
旧華族系はどこで繋がってるかわからんからなぁ。

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 19:09:36.34 ID:FM79KxrF
>>508
相馬家の現当主の奥さんが麻生の妹らしい
あと長男が結構イケメン

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 19:23:00.84 ID:NzyuqrX1
佐竹といい相馬といい、21世紀になって活躍を見られると誰が予想した?

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 19:27:21.84 ID:0sNaSOpo
>>513
09年の相馬野馬追で総大将役を勤められた34代相馬行胤氏

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/c3/3167fb57cc66c3ae65324004db7c7245.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/21/c1cacfcae2c673fe636b5fd1db50e939.jpg
http://blog.goo.ne.jp/kage-yh7/e/b8d671b3a9f814fc8efae816cf7488a5

北海道に移住してるけど、今なんとか相馬に入って救援活動をされているそうな。

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 19:34:06.81 ID:tISM8MX0
>>508
麻生さんは宗茂の弟さんの子孫筋らしいとwikiでみたが

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 19:43:28.18 ID:He85ORgG
血筋と言えば女系で見ると意外なところで親戚だったりして面白いよな

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 20:12:38.17 ID:RyY1JiK5
先祖は争えんのう

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 20:15:33.97 ID:Y1xE/E24
現代ちょっといい話

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 20:47:44.05 ID:+xcTm2Qj
相馬、佐竹、甘利、亀井、細川と今の政治に関わっている人が結構いるんだな。

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 20:49:46.38 ID:PMRqooip
歴史は繋がってるという事を実感するな

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 20:52:49.72 ID:enK1KbG/
>>516
お婆様が三池藩の血筋
ちなみに女系から伊達政宗公の血も受け継いでおられます
麻生!麻生!(_゚∀゚)o彡°

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 21:27:46.63 ID:4FGFxj+k
伊達家、立花家と仕えてきたうちの家系と麻生さんがこうもゆかりある人だったとはw

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 21:51:28.22 ID:IaI+Qpz6
あ そうだったのか

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 21:57:46.26 ID:KQoOXQHb
ぶっちゃけ麻生の先祖がどうこうとかスレ違いもいいところ

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 22:00:24.48 ID:3m6H3uEn
少しでもよいと思えることに目を向けていたいんだよ

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 23:01:48.20 ID:hQj4Op3V
有名人の先祖が戦国時代の名のある人物なら余談の範疇で有りでしょ。
菅さんは菅公が先祖らしいからスレ違いかもしれないが。

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 00:18:47.55 ID:bNxUSQ+I
>>508 >>513-515 泣ける。ほんま被災地の一日も早い復興を祈ります
 相馬救援隊!
http://ja-jp.facebook.com/sohma.aid

三河者たち、緊急の大ピンチで

2011年03月26日 00:00

503 名前:1/2[sage] 投稿日:2011/03/24(木) 22:52:31.85 ID:bmRiC4wc
さあみんな、めんどくさい三河者劇場が始まるよー!

天正10年(1582)8月、いわゆる天正壬午の乱の真っ最中である。
信濃乙事(おっこと)には徳川軍甲斐・信州入りの先鋒と言うべき七手衆、酒井忠次大久保忠世岡部正綱
石川康道大須賀康高本多広隆・康重親子、そして穴山衆が軍を集結させていた。
いずれ劣らぬ歴戦の勇者、徳川軍の誇る戦争のベテランたちであった。

と、その夜、徳川方の信州国人、依田信蕃より知らせが入る

「北条氏直の軍4万3千が、この乙事から1里(4キロ)しか離れていない柏原に集結しています!」

驚いた七手衆から大久保忠世は偵察を出すと、たしかに北条軍の存在を確認、しかも乙事に向かって
進軍している。明朝にはここに押し寄せるであろう。対して七手衆はわずか3千!しかも乙事は
防備に向いた地形ではない

「直ぐに徳川勢力圏である甲斐に撤退するしか無い!」

誰もがそう思った。が、この三河者共が先ず始めたのは喧嘩であった
大久保忠世が吠える!

「左衛門尉(酒井忠次)のジジイ!あんたが諏訪頼忠をちゃんと味方に出来ないからこの有様になったんじゃ!」

諏訪頼忠の抱き込みに失敗した酒井忠次を罵った!これに忠次も

「なんだと新十郎(忠世)!?お前も北条軍の接近に気づかなかったくせに!」
「ジジイが信濃任されて張り切り過ぎて、信濃は俺が支配するとかいい気な事言ってるから信濃国人を
離反させ、そのせいで情報が入らなかったんだろうが!」

売り言葉に買い言葉。七手衆のトップ格である酒井大久保、頭に血がのぼり口論をヒートアップさせる。しかし

他の人々「あ、あの、それは後でいいのでそろそろ撤退しませんか?」

ごもっとも。罵り合っている間にも北条軍は近づいてくるのである。喧嘩している場合では全くもってないのである。
そこで酒井忠次

「お主達先に撤退せよ!わしは全員が撤退するまで、ここに残る!」

そうは言っても責任を感じていた忠次は、皆を逃がすため自分がここに最後まで踏みとどまる!と言ったのだ。
老武者(55歳)の感動的な決意ではないか。が、残念ながら三河者はそんな事に感動するほど、甘くない

504 名前:2/2[sage] 投稿日:2011/03/24(木) 22:54:39.44 ID:bmRiC4wc
大久保「なんだとジジイ!まさかそれで今回の責任チャラにする気か!?そんな事絶対にさせんぞ!
     先ずジジイから撤退しろ!」
酒井「なんだとこのクソガキ(50歳)!わしが殿軍するって言ってるんだから素直に先に撤退しろと言っておるのだ!」
大久保「馬鹿言うな、ジジイこそ先に撤退しろ!あんたが撤退するまで俺は絶対に撤退しないからな!」
酒井「ンだとこいつめ!わしだってお前が撤退するまで撤退などするものか!」

バトル再燃。もう子供の喧嘩レベルの意地の張りあいで収拾のつかない状況である。そうしているうち

偵察「あの~、北条軍の先鋒が沢を越えて、もう目と鼻の先に来ちゃいました」

岡部・石川・大須賀・本多親子・穴山衆「お前らいいかげんにしろ!!」

さすがにこれ以上はまずいと二人は無理やり引き離され、酒井忠次はいろんな意味で責任を取らされ
彼の部隊が最初に撤退することになった。
しかし忠次、これに腹の虫が収まらない

「なんと不名誉な。なんでわしが最初に撤退せねばならんのだ…。そうだ!おい、撤退するときわしの陣に火をかけろ!」
部下「え?そう言うのは全員の撤退が終わってからやるものでは…?」
酒井「いいからやれ!」

と、自分の撤退と同時に陣屋に火をかけた。夜である。その火は接近中の北条方からもバッチリ見える

北条方A「ややっ!徳川の陣屋の方から火の手が上がったぞ!」
北条方B「さては我々に気づいて撤退したか!急ぎ追うぞ!」

北条軍、火の手を目印に殺到し始めた!

酒井「やあみんな、北条軍が急接近してるみたいだよ?君たちも早く撤退してね。じゃ!」
と、酒井忠次さっそうと駆け去る。これには大久保忠世はじめ一同「あのキ○ガイジジイ!後で絶対殺す!」と
怒り心頭だが、とにかく他の者達も大急ぎで撤退を始めた。
この時の撤退は、殿が岡部正綱、二の手に穴山衆、三の手に大久保忠世、四の手に本多広隆・康重親子、
五の手に石川康道、六の手に大須賀康高、最後七の手が酒井忠次という陣容であった。


…で、何が恐ろしいってこの戦場生まれ戦場育ちのベテランウォーマシンどもはこの撤退で、大喧嘩した
酒井大久保も含めて、北条軍が攻勢に出れば各自連携してこれを防ぎ、北条軍が一旦下がれば各自に
威嚇を行い、あたかも一個の有機生命体のように、予めの打ち合わせがなくとも連動して行動し、
なんと、遂に甲斐までほぼ無傷での撤退に成功したのである!(史実)
あんな喧嘩してたのに!グダグダで滅茶苦茶な撤退開始だったのに!

三河者、緊急の大ピンチで通常営業の巻。




505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/24(木) 23:03:59.76 ID:w5Q318qD
梅雪が死んだあとの穴山衆って徳川直参扱いだったの?

しかし、真田さんとこはよくこんな奴ら相手に勝てるなー。

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/24(木) 23:07:15.83 ID:10g3/AbD
平山優の「天正壬午の乱」から引用したのか。
あの本『三河物語』を史実として扱ってるからなぁ。

史料的価値が高いとされる『家忠日記』では、諏訪撤退のくだりは
普通に軍を引いたようにしか書いてないけどね。
『三河物語』では三河衆が切った張ったの大活躍して北条を振り回して撤退したように書いてあるけどさ。

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/24(木) 23:14:20.86 ID:f5x4eJ3r
なんか読んだことがあるようなないような・・・

渥美助左衛門、家康が褒美に

2011年03月26日 00:00

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/24(木) 22:54:21.20 ID:EBIyQvFP
ちょっと小ネタを。

渥美助左衛門という武将がいた。
父の代には高天神城主小笠原家の臣だったようだが、主家滅亡で浪人。
しかし「九戸の乱」にて井伊直正の軍勢に加わって武功をあげ、家康の賞賛を受けた。
なんでもその活躍は家康をして「無手なる活躍」と言わしめるものだったようだ。
「ろくに軍勢もない状況で活躍した」という意味だろうか?

家康「よし、褒美をやろう!」
助左衛門「はっ!(ワクワク ワクワク)」
家康「今後、無手右衛門と名乗るがよい!」
助左衛門「あ、有難き幸せ・・・・・・」

渥美無手右衛門。その後は井伊家に仕え、やがて結城秀康に引き抜かれて、
忠昌の代にもその名が越前松平家臣団の記録に残っている。

最初は「いい話」に投下するつもりだったんだが名前のインパクトが・・・・・・




346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/24(木) 23:09:09.06 ID:lKMjDtF2
安心の家康クオリティ

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/24(木) 23:15:39.07 ID:Cbkzwr4w
無手右衛門って武田家にもいたよね

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 09:58:05.42 ID:/SZsq+Lc
変わった名前だと、理由を聞かれやすくなるだろ?
そんときに「この名は恐れ多くも神君家康様から……」と自慢できる。
だからわざと変な名前を与えてるんだだよ。たぶん。

能にはまる水野さん

2011年03月26日 00:00

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 10:08:06.83 ID:SC+MAhB5
能にはまる水野さん

大阪の陣後、福山藩を手に入れた水野勝成
福山城を造築した際、廃城した伏見城からも資材やら、分解した建築物を運んで
福山城の建築に利用したらしいが、

その時一緒に、ある貴重な物も福山城に持ち込んだ。
それは能舞台である。

能舞台と言っても、ただの能舞台ではなく
かつては秀吉も使ったとされる、貴重な組み立て式の能舞台であった。

そんな能舞台を、秀忠から
伏見城にあったものだからと言うので、勝成は拝領したのである。

当然、勝成も大喜び
そう勝成もまともな武士であるから、幼いうちから教養としては身につけており
能にはひとかたならぬ思いがあったのである。


こうして、能舞台を拝領してしばらく後のこと
勝成は当時の能楽の名人の喜多七太夫の息子「寿見」を自分のところに呼んだ。

呼び寄せるからには当然理由があって
勝成は能舞台で、この寿見に能を演じて貰いたいからであった。
演目は「道成寺」であった。

これに対し、寿見は
「道成寺」をこの場で演じるには難しいと言った。

演じる為には、周りの者との熟練の呼吸が必要で、
周りの者つまりは「勝成の家臣」の鼓で
舞うのは嫌だと暗に諭したのだった。

これに対して勝成は相当キレたらしく
寿見はすぐに夜逃げして福山から離れた。

頼んだ事を断り、なおかつ夜逃げという失態
こうなると後が怖いので、

それを知った寿見の父親の当代一の名人、喜多七太夫
息子の後始末のために、異例とも言える
遠路はるばる福山まで足を運び「道成寺」を演じると言う
謝罪の講演を行い、勝成はご機嫌を直したとされる。


半生はDQNで藩政はまともでも
その一方で芸事にはうるさかった、水野さんのお話。




350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 10:55:44.72 ID:QJHwK6a9
NO--!!

351 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/25(金) 23:05:02.94 ID:rpEdG3ZT
「道成寺」って佳境で鐘が落ちてくるやつでしょ?
視界の悪い能面かぶって鐘の真下に入らないといけない。一歩間違えば大惨事。
これで能役者が頭打って死ぬ話がなんかの漫画にあったな。

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 00:33:01.10 ID:JYTAEehH
そいつはおっ鐘ー

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 02:07:48.77 ID:59IeSGJ6
舞い手だけでなく、周囲の人間の段取りも完璧じゃないとダメなんだと
前にかじった本に
「道成寺みたいな命の危険が伴う舞台でも、百回やって百回とも当然に成功するのがプロ」
って書いてあったなー
つまりプロでないと死んでもしょうがないような演目なのか

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 19:34:40.96 ID:GVYZEZlA
>>351
ギャラリーフェイク