最上の狙撃兵と大井右近

2011年05月31日 00:02

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 02:41:29.14 ID:Vs8ItAoL
最上ネタねぇ…
良い話ネタだから良い話の方に。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2761.html
この谷地城攻防戦に関する別の話。
まとめでは戦闘前に下った事になってるが、
激烈な戦闘があったという異聞もある。その話。

谷地城は最上勢に猛烈に攻められていた。
特にある場所が最も激しい攻撃に晒されていた。
守る直江軍も必死に守ろうと弓を射掛けるが……、
運の悪い事に、最上勢には練達の狙撃兵がいた。
矢狭間から弓を射掛けようとすると、
その狙撃兵がもみ臼を盾に城兵を狙撃してくるのである。
しかもその腕前は正確で、城兵は次々と撃たれていき、
落城も時間の問題かと思われるほどになった。

それを知って駆けつけて来た直江側の武将に、大井右近という者が居た。
右近は最上方の狙撃兵の様子をしばし観察し、
それから鉄砲を用意して隙を見て矢狭間にセットした。
そして、対決の時が来るのを待った。

弾込めを終えた最上の狙撃兵は、安全なもみ臼の後ろで狙撃体勢に入る。
絶対に安全なもみ臼という塹壕の後ろで、
城兵を撃ち倒す簡単な仕事であるはずであった。
が、狙撃兵がもみ臼の後ろに隠れた時、
もみ臼に開いている柄を差し込む穴がその人影で暗くなる……。
右近がその機を逃さず予め狙いを定めていた鉄砲の引き金を引くと、
銃弾は真っ直ぐにもみ臼の穴を通過し、
狙撃兵の眉間を一発で撃ち抜いたのである。

この一発がもたらした結果は絶大であった。
最上方はもみ臼の背後に身を隠して攻撃する事を断念するだけに留まらず、
その攻め口からの攻撃自体を断念する事になったのだ。

たった一丁の銃で城兵を圧迫し、一発の弾丸で城の一つの攻め口を守る。
そんな戦国武士達の腕の良い話。




843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 02:45:05.36 ID:FtHh/XoU
>>841
「ここにいたのかゴ・・・いや。ミスターデューク・東郷!!」

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 09:12:55.16 ID:nO8wSedL
腕がいいってレベルじゃねーぞ!

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 10:31:20.85 ID:opguE85J
>>841
さいとうたかおの劇画で脳内再生されたw

846 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/30(月) 11:42:03.41 ID:jEqvvZJ1
>>841
そ、その鉄砲はワンオブサウザンド!!
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戦場の「いろはにほへと」

2011年05月31日 00:02

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 02:43:05.43 ID:9OmxN4u4
戦場の「いろはにほへと」

牧野成重は滝川一益→豊臣秀次→石田三成→徳川家康と主を転々と変えた武士である。

島原の乱で一手の将として出陣し、「いろはにほへと」と書いた銀板を旗印にした。

その次に続く「ちりぬるを」「わかよたれぞつねならん」に掛け、「散りぬるを」の決意を持って戦場に赴いた
当時の武士の心意気をカタチにした良い馬印の話。





847 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/30(月) 12:05:51.61 ID:ytCianW7
>>842
長岡藩祖?

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 20:58:00.42 ID:I1ON3z2N
>>842
「成里」「成重」と良く混字されるが、どっちが正しい名前なんだろう?

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/31(火) 00:28:04.37 ID:M7ON5V59
>848
滝川一益→豊臣秀次→石田三成→徳川家康と仕えたのは牧野「成里」。
しかし成里は慶長19年に亡くなっているから、島原の乱に出たのは別人と思われ。

駆け落ちした鍋島茂治の娘と成富兵庫

2011年05月31日 00:01

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 21:15:19.13 ID:wrjG+g3k
面白かったので転載

> 285 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/22(日) 20:58:54.70 ID:laKpGgoA
> 葉隠物語読んでるんだが、直茂って依怙贔屓ばっかしてんのな
>
> 成富兵庫が加藤清正から駆け落ちした姫を奪還した話は痺れたわ

> 286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 22:31:58.55 ID:2sD0nmYg
> >>285
> 面白そうな話なので
> もう少し詳しくお願いします

> 287 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/24(火) 18:58:58.98 ID:Ac7hpaHl
> >>286
> 鍋島茂治の娘が夜中に若侍と駆け落ち
> その数年後、加藤家の家老の側室になっていることが判明
> 茂治の家来が連れ戻しに行ったが、本人も加藤家も拒否する
>
> で、成富兵庫の出番となる
> 大勢の共を連れて熊本入りした兵庫だが清正は仮病を使って会わない
> 兵庫は慌てず、そのまま居座り物見遊山よろしくあちこちを見て回る
> その内、噂が広まり仮病で会わないのは卑怯だという世論に負けた清正は兵庫に会う
> そこでも女の引き渡しを渋る清正だが兵庫が朝鮮での借りを持ち出すと一も二もなく陥落
> かくして姫は佐賀へ連れ戻されたとさ
> そいでばっきゃあ

龍造寺氏と、たまには鍋島氏を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1271704721/




430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 21:47:08.10 ID:EQZ6c5QC
>>428
どの辺りが依怙贔屓なのかようわからん・・・

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 22:21:04.75 ID:DnMhRMXV
>>428
この話は続きがひどい。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3175.html

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 22:23:18.43 ID:wrjG+g3k
>>430
「葉隠の直重の話は依怙贔屓ばかりだ」って事で、成富さんの話はそれとまた別だぞ?

伊達政宗、母への愚痴

2011年05月31日 00:00

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 21:26:43.33 ID:Vb5Y2uzl
政宗の母保春院が仙台に引き取られ、亡くなってしばらくした後に
嫁いだ頃よりの母付きの侍女が国元にあった政宗に挨拶に来て
「御曹司におかれては相も変らずご健勝で何より」と述べた
今や幕府にも一目置かれる大藩の藩主であり子や孫も大勢いる政宗も
かつてを知る老女にとっては未だにおぼっちゃん扱いである
そこで昔を懐かしんでつい気が緩んだのか
「いやあ、俺は父ちゃんには良い思い出ばかりだが
母ちゃんのことはぶっちゃけ恨んでるんだよね」などとついこぼしてしまった
政宗に関する逸話や書簡は数多く残されているが、こんな些細な愚痴まで
後世に残ってしまっているちょっとバツの悪い話




431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 22:08:44.79 ID:WCnIekCm
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-585.html
でも

政宗:陸奥のマザコン大名。ママンあての手紙が多数残る。
ツンデレのため「母上には恨みがあるからね!」と記録に残すが、
その実大量のママンへのレターやお土産記録がある。ママンの位牌はお手製。
(中略)

・母子再会の歌。
政宗:年月久しう へたたりける母にあいて
あいあいて 心のほとや たらちねの ゆくすゑひさし 千とせふるとも
保春院:母ノ返し
二はより うへしこまつの 木たかくも えたをかさねて いく千世のやと

・政宗が母の死を悼んだ和歌。
鳴く虫の 声をあらそふ 悲しみも 涙の露ぞ 袖にひまなき
七周忌に詠んだ歌。
七夕の 逢瀬(おうせ)ながらも 暁の 別れはいかに 初秋の空

毒殺未遂はアヤシイにしても、愛憎半ばというかなんというか

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 22:13:11.93 ID:9gOYw3IQ
>>429
とーちゃんは自らの指揮で撃ち殺しておいて、良い思いでばかりと
いうのも、なんかあれだな

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 23:04:53.51 ID:lFPDkSZ2
>>429
こんなにママンが大好きなオレをおいて、実家に戻るなんてひどいよー! 
ってことかもしれんなw
無断出奔だったそうだし、そのせいで政宗がプレゼントした小袖が届かなかったらしいしw

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/31(火) 01:08:52.81 ID:Axa6xMSk
父ちゃんの良い思い出…母ちゃんの回りを飛んでる蝿を撃ち殺せた
怨み…ヤらせてくれなかった


的なキモい想像

津軽為信、年貢米の輸送命令に

2011年05月30日 00:00

830 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/29(日) 20:51:18.75 ID:0HosEl2F
ある年の事である。春から長雨が続いて凶作になった上に、病が流行して多数の
死者がでた為、津軽為信は米や援助金に加え、薬や守り札まで与えて領民の救済に努めていた。
しかし、そこに南部信直から、年貢米を信直の居城である三戸城に送るようにとの命令が伝えられたのである。
他の南部配下の者はこれに従ったが、為信は

「むしろ援助があるのが当然ではないか。」と逆に陳情。

一方、自身は節約を心がけて妻子にも粗末な服を着せるようにしており、
これを知った領民からますます尊敬されたという。

「南部史要」より、民の為に命令違反を犯した津軽為信の良いお話。





831 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/29(日) 22:17:37.78 ID:tR/usN5G
>>830
なんというか・・・色々黒いものを感じてしまう

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 22:25:14.89 ID:3WKECmfO
結局、南部と津軽って明治維新までに和解出来たの?

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 22:38:30.65 ID:bVRiF51C
出来てないんじゃないの

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 22:41:05.76 ID:QvrovA4l
>>830
宇喜多とか津軽とかこういう話があるからこそ
騙し討ち生活でも生き残れるんだろうなあ

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 22:55:05.28 ID:3wXxC4Mg
個人的には津軽さんの場合にはむしろ、南部さんの被害者面がちょっと気に食わない感もある。

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 23:39:52.86 ID:7aDeNCS8
>>830
独立前のエピソードかな
髭殿が大名として独立してからは南部に食糧援助したって話聞いた事ある

南部裏切って独立したとかよく書かれるけど
戦国時代的には別に珍しいことじゃないような・・・

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 23:44:22.98 ID:pRL+UOkx
池田・・・じゃなくて相馬大作事件というのがあってだな

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 23:53:50.55 ID:p804O9dF
公明党のものですが……?

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 00:06:20.92 ID:7hJyY6vR
津軽は独立時にエグい話があるからなあ

未亡人をものにしようとして断られると攻め殺してもいるし、打算を感じられる

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 00:17:51.37 ID:sL8Nvbum
相馬大作事件って逆恨みで発生したようなもんなのにやたら美化されてるよな

朝鮮の役、「騎牛衆」

2011年05月30日 00:00

409 名前:1/2[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 11:14:00.23 ID:k4MVpi4Q
文禄元年(1592)、朝鮮の役が始まり、日本軍は続々と釜山港へ上陸すると、早速進軍を始める。
加藤清正の軍も攻略地点への移動を開始しようとするが、この時、日本から馬を輸送する船が
未だ到着しておらず、50人余りが馬に乗れない状況に居た。

彼らは船を待つべきか、それとも現地で、駑馬でもいいからそれを求めて乗るべきかと相談していると
船頭たちが、「日本では風波悪しく、5日も10日も港から船を出せない状況のようです」と言うので、
これはもう現地で馬を徴収するしか無いと、馬を探したものの、あるいは敵が乗り、もしくは
荷を付けて逃げ出したものと見え、馬は一頭も見つからなかった。
かといって騎馬の士が、徒歩で軍勢に付いて行くわけにも行かない…

と、この時現地に牛は残されていることを発見。彼らはこれを奪い、牛に乗って進軍に付く事とした。

411 名前:2/2[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 11:16:06.66 ID:k4MVpi4Q
これを見て清正軍の中の、若く不良じみた連中は面白がり

「方々は騎馬とは言いがたい、騎牛衆と申すべきだ!いつも馬乗りより遅いですぞ!」

と戯言をいう。牛に乗った者たち、最初はそれに付き合い一緒に笑っていたが、その戯言が
あまりに度々なので終に腹を立て

「さてはお主達は冗談ではなく本気で笑っているようだ!
それならば牛の乗った者が遅いか、馬に乗った者がどれほど早いか、勝負いたすべし!」

と、決闘に及ぼうとしたところ、これを聞きつけた清正の家老たちが慌てて間に入って色々と扱いを入れ、
悪口を言った若者たちから謝罪をさせ、どうにかその場を無事に済ませたという。

朝鮮の役、「騎牛衆」のお話(續撰清正記)




412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 11:53:09.87 ID:QXEiNf0o
慶次さんなら牛でも問題なし

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 12:56:10.83 ID:NdAkaJKX
最終形態 火牛衆

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 17:43:21.70 ID:tR/usN5G
劉秀「牛も悪くないよ」

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 17:49:52.60 ID:/wDKrcIH
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5299.html
「陣中に於いて、いかに竹中半兵衛とは言え、いつも心静かに牛に騎す事など出来はしない。
あれはたまたま一度、竹中殿が牛に騎した事があったのを、後の人が話を大きく、面白おかしく
したのだ。」

牛のほうが乗りにくいってことなのかな

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 17:56:20.32 ID:3wXxC4Mg
たしか中国の昔話でお互いの都から馬車と牛車でで出発して出会った所を
国境と定めたなんてのもあったな。
ウサギと亀じゃないけど、速いが長時間移動が苦手な馬と遅いけど歩き続ける牛
で丁度真ん中くらいのいいところに落ち着いたとかそんな感じの

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 18:58:04.90 ID:3WKECmfO
ここまで重治の出番なし

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 19:00:26.46 ID:3WKECmfO
>>418をうっかりスルーしてしまった(汗

黒田官兵衛幽閉事件と、官兵衛の父宗円

2011年05月29日 00:00

808 名前:1/2[sage] 投稿日:2011/05/28(土) 02:03:52.73 ID:/pbA5iPc
天正6年(1578)、織田信長に反旗を翻した荒木村重を説得するため有岡城に乗り込んだ黒田官兵衛孝高は
その場で捕らえられ有岡城に幽閉される。

さて、この報を聞いて喜んだのは、かねてから織田を離れ毛利に付きたいと考えれいたものの、
織田派の官兵衛の存在のためそれを果たせなかったその主君、小寺政職である。
政職はこの期に黒田家も取り込み毛利に寝返らんと、にわかに使者を姫路にある勘兵衛の父、
宗円に派遣した。ちなみにこの時の使者は、宗円と古くからの友人だったそうだ。

さて、使者は宗円に政職の言葉を伝える

『荒木が理不尽に官兵衛を捕らえた事は、議論の余地のない非道である!
その行為への恨みは言葉にすらし難い。
しかしこの事から推し量るに、官兵衛はかねてからこの小寺家が、信長に付くべしと唱えていた。
この事を有岡城の荒木が知り、官兵衛を人質に取れば小寺家も毛利方に付くに違いないと考え、
そのため彼を捕らえたのであろう。

そこで、この上は信長への一味を取りやめ、毛利方に付いて官兵衛の身柄を救いたいと、今は一途に
決心している。

勿論その場合、信長のもとに人質に出している松千代(後の長政)は見捨てることになってしまう、これが何より
難しいことなのは、私も良く解っている。が、松千代は未だあくまで少年に過ぎず、ここはしっかりと判断すべき
事だが、官兵衛は黒田家の家長であり、我が小寺家の重臣であり、才知才覚は人に超えており、まさに
将来にわたって小寺の守りとなるべき人物である。その官兵衛を助けることこそ、我々としては先ず第一に
考えなければならない。

その方(黒田家)とっては柱石と頼み、私に取っては兄弟にも代えがたいと考えている官兵衛を失っては、
我々の滅亡は疑いない!』

このように真に迫った内容に、黒田家のものも尤もだ、その通りだと思わぬ者はいなかったと言う。
が、宗円がこの使者に言うには

「上意の旨、謹んで承りました。官兵衛のことは是非を申し上げるまでもありません。
この上は尚以て前以上に、信長方にひしとお付きなされるべきです!
その事を殿が同意していただいたなら、私は老体であり不似合いでしょうが、力のかぎり御奉公を勤め、
小寺のお家が成り立つよう、あらゆる手立てを成すつもりです。
しかし中国方に付こうと思い召されるのなら、この愚老はお暇を頂くより他ございません!」

これを聞いて使者、宗円を説得する
「あなたのような功者に意見など似合わないことだろうが、言わないのもどうかと思うので、あえて言わせてもらう。
宗円老の御存念は間違っている。
信長方に付くというのは、官兵衛殿を殺すという事と同じだ。
官兵衛ほどの家臣を犬死させては、たとえそれが誤りのない判断であっても、たのもしからざる主君であると、
殿に悪名が付くだろう。
貴老も、人に超えた能力を持ち公私において活躍されている長男を捨てて、一体いつまでの齢を保つ
つもりでいるのかと、諸人に笑われることだろう。
今まで世間に対し何の傷も付いていないあなたのご身体を、この事で捨てるのか!?

たとえ官兵衛殿を捨てられ小寺の家が末永く栄えたとしても、それは不義の富貴である。
いや!官兵衛を捨てれば小寺の家の滅亡は疑いない!これらは全て、貴老の判断次第である!

…しかし一大事の事柄であるから、早合点すべきことでもあるまい。繰り返し繰り返しご思案された上で、
ご返答を頂きたい。今日でなくてもかまわないのだ。」

この、使者の情理を尽くした言葉に宗円、重ねて


809 名前:2/2[sage] 投稿日:2011/05/28(土) 02:04:24.16 ID:/pbA5iPc
「あなたのご助言には感謝する。心からの言葉、感じ入り申した。
確かに仰るとおり、殿様の御為には一体どうなるかわからぬ。今の小寺家が官兵衛を失うということは、
盲目の者が杖を無くし、闇夜で灯火の消えることよりも、なお心許なき事態であろう。

殿は官兵衛の成人してからの忠孝を高く評価していただき、小寺の御苗字も下され、それがしは姫路に在宅仕り
一方の押さえをいたし、官兵衛は、若年ではあるが万事功の入りたる者なればとて、五着へ召し置かれお家の押さえを
申し付けられた。そして、君臣共に神仏の冥加が強かったのであろう、小寺のお家は次第に強く、逞しく
なった。そのお陰を以てこの老体も、一身の安楽この上あるまじと思うほどであった。それも偏に、官兵衛の
忠孝のおかげである。

私はそれを捨てろと言っているのだ!それにはこう云う仔細がある。

先ず、松千代を信長に人質に出したことは、殿様、私、官兵衛の3人で相談し、小寺家の証人として出したのだ。
そして今度官兵衛が有岡の城に幽閉されたのは、荒木の突然の狼藉に過ぎない。
どうして熟慮の末出した証人たる松千代を捨てて、突然の狼藉で捕らえられた者を救けねばならないのか!?
熟慮の人質を捨てないことは、順であり道であり義である。これを捨てるのは、逆であり無道であり不義である。
この道を弁えることが人倫、それを知らないことは、木石とも畜類とも言って、取るに足りないことだ。

弓箭をあえて逆に取ることは無い。松千代を殺すことは、逆だ。逆の行いが仮に成功したとしても、
それは長続きしないし。その上不義、非礼、表裏者の悪名を得るだろう。
順にして物事が成り立たないということも、世の中にはある。しかしそれは侍の本意には背かないし、もし成り立てば、
それは長久のものとなる。もし順義正しく守っても、成り行きが悪くなれば、それは夏に雪が降ったようなものだと
覚悟を定めれば後悔することは無い。大体において、大身小身、下郎に到るまで物事、大小にかかわらず
仮初のことにも、順逆・義不義の判断は事に応じて有るべきなのだ!

返す返すも残念なのは、私は若年の頃当家に仕えてより、これほどまでに取り立てられた大殿様の御恩を、
私のこの判断で捨ててしまうこと。そして私も御奉公し、殿と共に辛苦をしのぎ、小寺の領地を倍あまりにまで広げたものの
今回の信長方と毛利方との争いの渦中に入り、その光忠を虚しくし、頼み切った一子を失うこと。これが長生の
業というものなのだろう。

この上はこの法師首を引き抜かれ骨を磨り潰されるような事になろうと、殿が毛利に一味するという御覚悟ならば、
お暇を申し受ける所存である!」
そう、涙を流して訴えた。

使者はこれをおかしな事だと思い、再び意見をしようとした。が、それはしなかった。
一つには、理屈では宗円には勝てないと思ったこと。そしてもう一つは、この使者と宗円は、先にも言ったように
若い頃からの友人であり、宗円が普段は柔和で人の意見に流されるように見えるが、大事において決断すれば、
どんな意見であっても聞き入れない覚悟を持った人物であることを、よく知っていたからである。
そして

「あら恐しの行く末や 足元の明るきうちに帰りたるがまし(帰り道が怖いので、未だ日の明るいうちに帰りたいねえ)」

と、カラカラと笑った。これに宗円
「もはや何彼と気遣いすることはない。五着の殿にはこう語れ。宗円は『一寸の虫にも五分の魂がある』と言ったと。
隠し事は却ってよく知られるものだ、若い者たちよ、以後よく心得よ、そう伝言したまえ。」

すると使者
「いやいや、せっかくの麝香に糞をまぜるような、そんな伝言はしたくもないよ。」と立ち上がり

「大たわけめ!さらば!さらば!これも命令である!」
と叫んで帰っていった、という。

以上、黒田官兵衛幽閉事件直後の、官兵衛の父宗円と小寺家の使いとの話の内容である。
(古郷物語)





天草国人一揆、志岐城攻め悪口合戦

2011年05月29日 00:00

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/28(土) 20:36:58.04 ID:mJ177SaO
天正17年(1589)、新たに肥後半国領主となった小西行長に、天草五人衆と呼ばれる
志岐鎮経・天草種元・大矢野種基・上津浦種直・栖本親高といった国人たちが反発、蜂起する。
いわゆる天草国人一揆の勃発である。

さて小西行長はこの一揆の中心人物である志岐鎮経を滅ぼさんと、伊地知文太夫を大将として
その居城、志岐城を攻めさせた。
が、この軍は志岐鎮経の夜襲に会い、一人残らず討ち取られる。文字通りの全滅となった。

この敗戦に驚いた小西行長は自ら六千の軍を率い、さらに加藤清正より千五百の援軍を得、
都合八千で、船により海上から、志岐城近くの袋の裏に上陸した。

すると志岐城から早速人数が出て、干潟を駈けて小西の陣の直ぐ側まで来ると
こう歌って挑発する

『京衆京衆、なぜ鑓せぬぞ、臭橙の皮のすもりか!?』
(京衆よ京衆よ、どうして我々と戦わないのか?お前たちはダイダイの皮の番人か!?)

これに小西・加藤の軍は怒り、力攻めで志岐城の城際まで押し寄せる。
が、志岐城は南は深山、西北は士町に続いている道はあるがその他は全て海、
東は深い谷、堀際は厚い岩盤という天然の要害であり、小西・加藤軍は谷間まで仕寄りを仕掛け
敵を城内に押し込めたものの、攻め落とすまでには至らず、小西は志岐鎮経の縁者である
有馬晴信を通して和平の道を探った。

と、小西・加藤の軍勢は先に自分たちを侮辱した歌を大変憎く思っており、この頃志岐城に向かって
こんな囃し歌を歌いかけ、その溜飲を下げていたという

『城衆城衆、なぜ切って出ぬぞ 志岐じゃしきじゃ、へのこしきじゃ!』

説明しよう。「しき」には「城」という意味があります。そして『へのこ』、これは睾丸や陰茎、
すなわちオチンチンの事です。すなわち

「城衆よ城衆よ!どうして城から討って出ないのか!?志岐城はチンコ城じゃ!」

と歌って笑ったのです。…レベル低いですねw
そんな小学生レベルのチンコチンコの悪口で溜飲を下げるのもいかがなものかと思わなくもない、
天草国人一揆、志岐城攻めの逸話。
(續撰清正記)




395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/28(土) 22:24:56.94 ID:SEnTZOd/
チンコって…。

永祿5年・井伊家粛清

2011年05月28日 00:01

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 21:46:03.98 ID:jmqhAb78
永禄3年(1560)5月、桶狭間の戦いで今川義元、討死。
この時遠州井伊家当主、井伊直盛も共に討死をする。
井伊家の家督は直盛の養子、井伊直親が継いた。

さて、同5年(1562)春、井伊直親の家臣である小野但馬という者、主人を恨むこと有り
今川氏真の元に参って密かに告げる。

「肥後守(井伊直親)は織田徳川と通じ、御屋形様に叛こうとしております!」

氏真はこれを信じ、大いに怒った。「井伊が叛いた!急ぎ井伊を退治すべし!」
しかし今川氏の一族であり、直親の友人でもある新野左馬之助は興奮する氏真を強く諌めた

「私は直親と長年親しくしており、彼の心の中も良く存じております。
直親は当家に二心を持つような人間ではありません!これはおそらく、讒人の申したことに
違い有りません。どうか、事の真偽を究明あるまで、御追討はお止めください!」

そして左馬之助は井伊の元に使いを出し、かくかくと状況を知らせる。
直親もこれに大いに驚き

「直親は先祖以来、今川殿の被官となってよりこのかた、累代において後ろめたき事は有りませんでした。
中でも養父である直盛は、故義元公のお供をして、桶狭間の合戦で討ち死にしました。
であれば、あの信長はご主君の仇というだけでなく、この直親にとっても父の仇であるのに、どうして御屋形様に
叛いて、君父重讐の相手に組するのでしょうか!?

この旨を持って、私に誤りの無いことをどうか、申開きしてください。」

そう、左馬之助の使いに託した。

ところが、これを聞いた氏真は

「いやいや、領地に居ながらにして陳じるというのでは疑いを解くことは出来ない!
駿府に参って申開きをせよ!」

と言う。直親もこれを受け入れる。このとき直親は「現在不信を被っている身が
郎党を多く引き連れていくのは宜しくない」と、主従わずか20人にて駿府へと向かった。

途中、掛川に差し掛かった所での事である。
完全武装した掛川城主・朝比奈備中守の軍勢2,300騎が突然、この井伊家の一行を襲った。
彼らは一行を大勢で取り巻き、一人も残さず討ち果たした。
この時井伊家は事実上、壊滅した。

直親にはこの時僅か2歳の男子・虎松があり、これも氏真により誅殺されるところを、井伊討伐に反対していた
新野左馬之助がその身だけはなんとか守り、命を助けた。

この時助けられた虎松こそ、言うまでもなく井伊家を再興する、後の井伊直政である。

今川氏真による、井伊家粛清についての話である。
(藩翰譜)





377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 21:50:14.74 ID:MYzACahM
新野左馬之助のその後が気になるなぁ~
というか、直政さんってオレの中では急に登場する感じなんだよな~

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 23:01:13.55 ID:WURHk3pI
>>377
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%B0%BE%E9%80%A3%E7%AB%9C

ここに新野親矩という名前でちょこっとだけ出てるよ

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/27(金) 01:17:17.61 ID:2Zd6Kyeu
新野家は幕末に井伊直弼の兄が再興してるみたいだね

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/27(金) 10:49:37.79 ID:AiiZNlop
>>379
Wikipediaの井伊直虎の項にも出てますな。

秀次事件・秀忠脱出作戦!

2011年05月28日 00:00

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/27(金) 01:58:33.30 ID:/kq3CsKx
文禄4年(1595)、秀次事件の時のことである。

関白豊臣秀次謀反の噂高まった頃、当時京の徳川家の屋敷には、当時16歳の徳川秀忠があった。
秀次はこれに目をつけ、たばかって秀忠の身の上を確保し、その上で人質を盾に
徳川家康を頼って太閤秀吉に申開きをすべし、と考える。

4月3日の早朝、徳川家の屋敷に秀次よりの使者が来た
これに対応したのは徳川家重臣、多くも忠隣である。

「今朝は朝食をご馳走したい。どうぞ聚楽へと参るように。本来なら昨夜のうちに
伝えておくべきだったが、いささか事にまぎれてしまい、今になった。」

使者はそう忠隣に語り、直ぐに秀忠をつれてくるよう要求する。が、忠隣これに

「仰せ、承りました。ですがその…、秀忠様はまだ幼く、いつも日が高く上がってから
漸く起きだすのです。
関白殿下へのご返事が遅れるのは大変憚るべきことですので、お使いの方々は
一旦お帰りになって、この事を関白殿下にお伝え下さい。
忠隣は秀忠様が目覚められましたら仰せのことを伝え、必ず聚楽に参らせます。」

と、使者を返す。勿論秀忠が未だ寝ているなど、嘘である。忠隣はすぐさま土井利勝をお供に、
秀忠を密かに伏見の屋敷へと移し、その上で自身は京屋敷に留まった。
そのうちに秀次の使者が再び、催促のためであろう、徳川屋敷に訪れた。
忠隣これに対面して、曰く

「いやはやそれが、秀忠様ですが、かねてから茶会の約束があったそうで、今日の早朝、
伏見に行かれたそうなのです!私はその事をまるで知りませんでしたから、又いつものように
日が高くなってから起きる事よとばかり思っていたところ、たった今この事を知らされ、
返す返すも恐れ入ることでございます。」

と、心底恐縮している体で謝罪する。時間は既に午の刻あたり(正午ごろ)、追いかけて戻すことも
もはや無理であり、使者は如何とも出来ずそのまま戻っていった。
秀次は大変口惜しく思ったが、程なく切腹し果てられた、とのことである。

大久保忠隣の、秀忠脱出作戦についての逸話である。
(藩翰譜)




井伊直孝の井伊家継承

2011年05月27日 00:00

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 11:23:16.21 ID:KTOeap1G
井伊直政の次男、井伊直孝は慶長10年(1605)、15歳から将軍家に仕え、18歳で書院番頭、
慶長16年(1611)、21歳の時には大番頭と順調に出世する。が、大番頭といえども
家康、秀忠の御前においては、はるか末座の存在でしか無かった。

慶長19年(1614)、大阪冬の陣起こる。この時井伊家の家督を継いでいた直孝の兄・直勝は
病に臥せっており、大御所家康の命によって、直孝が兄の代官として井伊家の軍勢を率いた。
やがて冬の陣の和睦がなると、家康は直孝を召し

「兄に変わり、井伊家を継ぐべし」

と命じた。

これを聞いた直孝は驚き涙を流して訴える

「たしかに兄である直勝は近年病に犯され、軍国の任に耐えられる体ではありません。
ですが!大御所様が昔、父直政につけていただいた古き者共もなお多く残っておりますから、
家のことは問題なく沙汰出来ています。
又直孝もこのようにありますので、天下の事がありますれば、今回のように再び兄の代官として
軍勢を率います。
いかなる仰せでありましょうとも、兄を退けて父の家を継ぐというのは、私の望むところでは
ありません!」

しかし家康は、彼の辞退を許さなかった。その後も直孝は安藤帯刀を通じてなんとかこの命令を
撤回できるよう務めたが、終にそのお許しはなく、直孝は結局、井伊家の家督を継いだ。

さて、直孝が家督を継いだ直後の、御前への出仕の時のことである。

その頃家臣の中で最も上座にあったのは、家康の謀臣、本多正信であった。
が、この時直孝やおら進みでて、なんと正信の上座に座った。しかもその姿、些かも臆する気配なく
堂々として、実に立派であったという。

やがて諸事が終わり御前を下がると、直孝は正信に向かって頭を下げ

「今日の私の振る舞い、さぞ無礼なことだと思われたでしょう。
さりながら私が、故侍従(井伊直政)の家を継ぐよう申し付けられた上は、今後も此の様に
振る舞います。どうかこの事、御免あれ。」

これに正信、嬉しそうな顔をして

「何をおっしゃるのですか!今日の振る舞い、この正信こそ喜んだのですよ!
将軍家があなたを、かくあらん人と知って抜擢された事、実に有難いものだと
私は思っています。」

と、答えた。

これを見た人々、互いに打ち寄っては

「昨日までは大番頭としてはるか末座に伺候していた人が、今日は一番に上座に立ったが、
その立ち振る舞いは実に立派であった。これは将軍家の良き人事である。」

と、これを喜んだという。

井伊直孝の、井伊家継承にまつわる逸話である
(藩翰譜)




797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 11:29:22.43 ID:c/PiZgrK
それで喜んで噂をした方々のお名前は?

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 11:55:23.83 ID:ouBvqRyG
新参の井伊家なのに、酒井、本多勝、大久保家を飛び越えて
譜代筆頭になってしまう不思議

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 12:36:26.80 ID:S87uq2Vf
兄貴の直継は本当は病弱じゃなかったという噂もあるがのう。

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 13:08:19.06 ID:9bnGnS4l
>>798
げに恐ろしきは尻穴の魔力よw

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 13:29:24.91 ID:M7AYjhLr
>>799
実際、弟より長生きしてたんじゃなかったっけかな

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 13:30:21.92 ID:peKcQjNC
>>800
前田利家「……」

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 13:39:48.61 ID:Ekir6xPw
>>800
早く姉か妹を連れてまいれ!

804 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/27(金) 00:11:15.99 ID:+KgoKQlW
>>796
陪臣から直臣だから当然といえば当然だが、
ちょっと急過ぎ、上過ぎ?

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/27(金) 10:59:36.47 ID:wzTCBUkn
家康の目に叶うモノを持っていたんじゃないの?

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/27(金) 11:46:21.84 ID:6Y7oxVlR
見た目や性格が父と似てたとかじゃね

雑談・家康のナンバー2…?

2011年05月27日 00:00

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 18:53:35.03 ID:KTOeap1G
THEナンバー2 ~歴史を動かした影の主役たち~ 過去の放送一覧
http://w3.bs-tbs.co.jp/no2/backnumber.html

第5回からの4人が全員徳川家康の「ナンバー2」な件
というか家康は何人ナンバー2がいるんだ?そもそもナンバー2は何人も居るものなのか?w

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 19:22:38.19 ID:aGYQVjI6
>>368
あれだ、野球で言う左のエースみたいなもんだ
若手ナンバー2が直政、古参のナンバー2が正信、外様のナンバー2が高虎みたいな感じで

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 19:24:53.85 ID:peKcQjNC
>>368
ワラタw
もはや全員野球みたいなノリだw

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 19:25:19.23 ID:QycOB8dK
No,2不要論者のあの人が喜んじゃうよ^^

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 19:46:15.88 ID:/IrAXtXm
正信≒オーベルシュタイン
景勝≒アンスナバッハ
フェザーン≒一向宗

多分、当てはめていけば、きりがないだろうな

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 19:48:34.62 ID:/vfN1YbQ
千利休も秀吉のナンバー2w

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 19:52:52.26 ID:LZSdL2Zo
>>369
秀吉にも、奉行系のナンバー2と大老系のナンバー2がいるんですね・・・秀吉にとってのナンバー2って、秀長でその死後は家康なんじゃないかなあ?


378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 21:53:25.83 ID:xFONMq26
大関「わしも那須家のNO.2みたいなもんだな」
松永「三好家で重鎮の立場にいたわしもNO.2みたいなもの」
直家「浦上家随一の実力者のわしもNO.2と呼ばれてもいいですな」

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 23:50:57.45 ID:4EgGwTpb
>>NO.2
マザー2のモグラみたいなことになってきたなwww

週刊ブログ拍手ランキング05/18~/25

2011年05月26日 00:01

05/18~/25のブログ拍手ランキングです!


朝鮮陣にて鉄砲談義 75

豊臣国松の名前 66

大阪冬の陣「あら不思議の政宗や」 55
古田織部、微妙に(?)間違った教訓を得る 50

堀尾忠晴15歳、大阪冬の陣で諸先輩を唸らせる 5% 47
松平清康、椀の中の汁を捨てさせ 35

葉隠より、仏道とは 28
豫州河野家の木鉄砲 28
雑談・そういえば、真柄さんとこが 28

雑談・戦国の流行ヘアスタイルのことなど 27
三好長治の牛裂き 26
曾呂利新左衛門「キウリが胡瓜を!」 25

松前・津軽和解 24
戦国ちょっと毛深井伊話 24
「雲陽軍実記」より、尼子十勇士っていったい 22
雑談・戦国期の銃の精度についてのことなど 22

浅井亮政、武田晴信のクーデターを評す 19
浅井長政、斎藤龍興を評す 19
大崎玄蕃の分別 16
合計 938




今週の1位は朝鮮陣にて鉄砲談義
朝鮮の役で諸将が、鉄砲と弓の優劣を議論(?)したおはなしです。
当時も武器の運用や有用性は、自分の身の上に直結する話だっただけに、戦国時代、いろんな所で
こんな議論が存在したんじゃないかな、なんてことを想像させてくれますね。

しかし、調子にのって極論を言って場を引っ掻き回して、議論をちょっとしたゲームに転じさせてしまう
大谷吉継は楽しい人ですねw
大学のサークルなんかにもたまにこういう人がいますが、意見が違う人達の間を変に対立させず
サークル内の関係を円滑にさせてくれてる印象があります。
このへん吉継さんがあえてやっているのだとしたら流石だと言わざるを得ません。
三成にはこういう芸当は無理ですねw


2位は一転して悲しいお話。豊臣国松の名前です。
「皆は私のことを殿様とばかり呼びます」は、胸に来るセリフですね。
この一言で国松がどんな世界を生きてきたか、全部見えてくる気さえします。
悲惨な話ですが、しかし敵対者の男子を処刑するのは武士の習いとして、当時としてはしょうがなかったでしょうね。
信長も浅井長政を滅ぼしたとき、女児である三姉妹などは助命しますが、男子である万福丸は処刑しています。
徳川も秀頼の女児である天秀尼は助命しており、このあたりも武家の古例に沿った、かわいそうですが
時代的には常識の範囲の判断だと思います。

例外的に秀吉は秀次処分の時、秀次の男児だけでなく、秀次や秀次家臣の妻妾や女児まで殺したことで、
武士の古例に反するという批判を受けていますね。
このあたりからも、敵対者の男児を殺すという古例は、むしろ敵対者の一族を、復讐として再現なく殺すことへの
道義的なストッパーとして機能していたのでは、なんてことも思います。

管理人が今週気になった逸話はこちら!古田織部、微妙に(?)間違った教訓を得るです!
これぞ古田織部!一旦何事かに心奪われるともはや自分の身の安全も気にならない!
これぞ数寄者というものですw
そして負傷の後の言動もまさに「へうげ(剽げ)もの」
古田織部を実に、十全に表している逸話だと思いますw


今週も格逸話に、皆さんからたくさんの拍手をいただきました。いつも本当にありがとうございます!
又、気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください。
( ´ω` )

武田信繁「酒と快楽は」

2011年05月26日 00:00

779 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/24(火) 22:20:03.54 ID:a97M207m
『人生において風流は大切なことだ。
しかし、それを快楽を貪ることと勘違いしている人は多い。
史記に、
「酒を飲み過ぎれば心が乱れる。
快楽をつくすと哀しみと虚しさがやってくる。」
とあって、左伝には、
「酒色に溺れ快楽を貪るのは毒を好んで食べるようなもので、
我が身の人生を損なう原因になるのだから、気をつけるべきだ。」
とあり、論語にも、
「善を好むことが酒色を好むほどならば、誠の人物だと言える。」
と書かれている。』

武田信繁さんの言葉です。
皆さん、酒と快楽はホドホドにw




781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 22:52:43.57 ID:yVbgsIcw
>>779
皆さん、酒と快楽はドボドボにw に見えた。


782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 22:53:53.54 ID:lWbIsX1z
>>779
いいこと言うね

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 03:53:25.18 ID:Akb3OK/B
酒と女はほどほどにしとる
でも札束のベッドで寝たいお

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 04:14:52.56 ID:ZJ1xku1n
氏康の「酒は朝飲め」を実践するのは難しい…

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 04:36:06.83 ID:ILXWweoq
>>784
夜8時に寝て、5時起きで酒飲むんだよ

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 10:22:53.03 ID:z0vnVX80
信繁公は儒書でも仏書でも出典を明かして教訓するんだよな。
自分の言葉として言っても誰も責めないだけの人物なのに。
こういうとこからも生真面目さが伝わってくる

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 10:43:18.88 ID:5tjllLM0
本当にできる弟君だな 武田家は武張った一族なはずだけどこの三兄弟はみんな文人気質がある
大井夫人の影響なのか知らないけど

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 15:29:38.70 ID:sJIc8+44
出来る弟が早死にして、家の行く末に影響を与えた・・・だろうという点では
三好実休に通じるものがある

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 15:38:59.02 ID:gMyBJFCF
豊太閤のとこも弟が死んで誰も暴走を止められなくなった

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 17:40:06.20 ID:IJfIFFY5
>>785
そうなんだよな。
連中は空が白み始めたらもう起きてて、暗くなったら速攻で寝てるんだよな。

人間が集中力が高まる7時くらいにはもう起きて2~3時間経ってて、しっかり仕事に取りかかってるし、
10時くらいに集中力が最高潮になるころには仕事は佳境を迎えてるわけだ。

理にかなってる。現代の出勤に1~2時間かかるから始業が9時とかは本来ナンセンスなんだよな。

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 20:45:05.34 ID:LFcpA/Wn
>>787
一条信龍「……。」
その他弟「……。」

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 21:23:52.16 ID:TS+tDwYL
>>788
信之「ええ、うちも弟が早死にして実に大きな影響がありました…本当に大変でした」

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 21:33:47.03 ID:e9USBClu
お金をせびるニートが居なくなったいい話って訳ですね

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 23:20:21.33 ID:sKuw/ubV
>>788
信長「できる弟でも有害なら殺しておかんと。但し甥はかわいがってやった」
直家「できる弟だからかわいがってやったのに、勝手にビクビクしよる」

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 00:22:30.75 ID:wD+HKWbM
>>788
義光「よかった、死んだ弟は存在しなかったんだ…」

秀吉方が最初人質として要求していたのは…

2011年05月26日 00:00

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 01:36:14.24 ID:T4zBUTx8
天正12年(1584)冬、大阪の羽柴秀吉は小牧長久手講和の証しとして、徳川家康に
人質を要求する。この時家康の次男、於義丸(後の結城秀康)が送られたことは有名であるが、
実は秀吉方が最初人質として要求していたのは、この於義丸ではなかった。
秀吉が望んだ人質は、家康の異父弟、松平定勝であった。

この秀吉からの要求を家康も基本的に受け入れた。
が、大阪に定勝を出すことに強硬に反対する人物が現れた。家康の実母、於大の方である。

彼女は家康に向かって深く嘆き、

「三郎四郎(定勝)の兄である源三郎(松平康俊)は最初今川家の人質となり、
その後武田信玄の駿河侵攻で甲斐に連れて行かれ、そこからどうにか脱走してきたものの
雪山の中を逃げたため手足の指が凍傷により皆落ち、世に交われるような体では
なくなってしまいました。
今またこの子まで、人質として都に送らずともよいではありませんか!」

と、泣き口説いた。
家康が人質として苦労したことは皆知るところであるが、於大の再婚相手の子も
このように人質で不幸な目にあっていた、どうもこの人の子は、人質運が悪いというべきであろうか。

ともかくも実母にこのように泣かれ、さすがの家康もこれを無視することもできず、
仕方なく定勝に変わり、我が子於義丸を秀吉の人質にすることになったのだという。

この後しばらく家康は、「これは三郎四郎(定勝)が人質に行きたくなくて母上に訴えたからに
違いない!」と、定勝に対して大いに怒っていたが、そのうちにそれが誤解だと解り、家康の怒りも
溶けたのだそうだ。

家康が秀吉の元に於義丸を人質に出すまでの過程である。
(藩翰譜)




348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:09:11.55 ID:l/Xv3Cph
家康「お前でも我が子がかわいいか?」

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:13:32.60 ID:bFLd78p/
>>348
お前も我が子だろうがww

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:14:36.03 ID:YeMg+mJ8
何故か松平を名乗る事になった久松家

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:16:48.58 ID:G9X/zWnQ
>>350
歴史が動いたのか

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:28:05.89 ID:9/SVmQhP
当時は側室がいっぱいいたから、異母兄弟は全然珍しくないが
異父兄弟だとなんか嫌な感じがするな・・・
母ちゃんビッチかよって思われるし

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:42:09.36 ID:e/Bk1vnC
>>352
女の再婚も多いから平気だろ。
むしろ経産婦は石女じゃないと判っているだけ歓迎されたような話も聞くが。

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:56:01.19 ID:ZJ1xku1n
>>352
そもそも家康が後家さん大好きなわけで。晩年はロリ好きになったけどさ。

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 03:00:39.73 ID:9/SVmQhP
そういえば昔は太閤殿下と大和大納言は異父兄弟って言われてたけど
最近だと、普通の弟だった説が有力らしいな

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 06:30:35.77 ID:JdWKgAgQ
秀忠も忠輝も、異父兄が居るんだよね、確か。久松兄弟のように厚遇はされなかったようだけど

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 10:27:54.71 ID:MYE9pJba
ここで家康が冷徹に突っぱねてたら二代将軍秀忠は無かったんだろな。

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 12:02:19.32 ID:F8U7Whul
>>354
そもそも家康の祖父からして
水野忠政の奥さんの於富の方をもらって継室にしてるしな

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 23:00:39.43 ID:UCq6xldZ
>>356
忠輝は姉だったような
兄がいるのは母親の茶阿局
しかもこの伯父さんは石田三成の家臣

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 23:04:06.53 ID:TL32/uQ6
>>361
家老の花井三九郎が兄だったと思う

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 01:10:14.55 ID:bQC6Y/jz
>>362
花井三九郎って連れ子の姉の夫でしょ?

余談だけどググってみたら「捨て童子」ってタカラヅカになってんのなw

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 05:26:36.60 ID:T/1x5PXR
DQN四天王の条件に世渡りは割と上手ってのはあると思う
市松や坂崎さんにはそこが後一歩足りない
的確に時代の勝利者を見抜く感覚はあるのに

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 05:47:09.27 ID:oMjZ3AjG
ただ勝手に呼ばってるだけだろ

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 08:42:15.81 ID:Eh/D9loi
尾張の竹腰さんも義直のお兄さんだね。

三好長治の牛裂き

2011年05月25日 00:03

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 10:15:18.83 ID:CsLy+1Vo
阿波、三好実休の後を継いだ三好長治は非常に厳格で強権的な統治をしたという。

元亀3年(1572)春、かれは讃岐において鷹狩をした。
木太郷の深江と言う場所で長治自ら、鴨の群れにあわせて鷹を放つ。
鷹は鴨を掴み、そのまま真部の見勇利権之助という者の家の前に落ちた。

この時、権之助の家に使えていた若松というまだ幼い少年がこれを見つけ、恐ろしい物が
落ちてきたと思ったのであろうか、火焚き棒で鷹、鴨ともども打ち殺してしまった。

長治はこれを知ると激怒し、その少年を捕らえさせ「牛裂きにせよ!」と命ずる。
少年は両足を牛二匹に縄で結び付けられ、牛を左右に追分け両足を二方に引き裂いた。

人々はこれを見て恐れ震え

「あの子供は是非をわきまえてあんな事をしたわけではないのに、その刑罰は
あまりに暴虐にして無道である。」と口々に語り、多くの人心が三好氏から離反した、と言われる。

三好長治讃州鷹狩での逸話である。
(南海治乱記)




327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 20:05:43.43 ID:r5NEHAt8
ちょっと悪いどころじゃねーな!

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:04:52.39 ID:pCDoygft
>>326
ん、被ってるけど一応内容が少し違うな
しかし流石やな長治さんは
まだまだ長治で出てない逸話あるし、暫くしたら悪い逸話で埋め尽くしてやるから覚悟しろよ

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:07:35.92 ID:QL0FZWax
長治「牛裂きは怖いですねえ、恐ろしいですねえ」

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:08:58.01 ID:LhxhfTtG
山内容堂も子供だった竜馬の友達を斬り殺すよう命じてたな

おーい竜馬の話だが

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:13:33.20 ID:grK3Fn9f
DQN四天王序列

森 長可
伊達政宗
細川忠興
島津忠恒
坂崎直盛 New!
三好長治 New!

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:26:27.14 ID:2kgyWBz/
おいおい越前の狂犬はどーした?

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:29:27.33 ID:GP3W6zr3
富田長繁さんは序列とは別枠なの?

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:30:58.09 ID:sqJuy1mP
DQNに納まりきらないから狂犬枠でいいと思う
いまいち仲間が思いつかないが

335 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/24(火) 23:32:51.06 ID:S9u8Kl4+
DQNにはある種の親しみやすさが有るけど富田さんはただ狂ってるだけなんだよな。

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:33:51.73 ID:r6/TZ2Th
このころの鷹って高級品で、贈答、献上、下賜の定番アイテムなので、
価値を知らない人に打ち殺されたらブチギレるのも当然かという気もするが。
今の感覚だと高級車や時計をボコボコに壊されるようなもんでしょ。

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:40:17.75 ID:/rEAToCL
時代が違うのを同列に語るのはどうかと思うけど、
どこぞの知事の高級車を子どもがふざけて傷つけてしまった時に、
その知事が子供をボコボコにしたら問題になると思わんか?

領主の器じゃないってことじゃないの?

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:54:47.06 ID:vUG+5j5i
おれたちにできない事を平然とやってのける、
そこにしびれるあこがれる部分が無いと四天王には入れない

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:56:25.51 ID:FmgHjZnm
木沢長政さんは?

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 23:57:43.66 ID:qoO2jXLS
四天王入りするには○○だから仕方ないと思わせる数々の実績が無いとな

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 00:03:21.41 ID:zp87iu3X
>>339
どっちかといえば松永弾正と同じ部類かな


342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 00:06:56.31 ID:sJIc8+44
>>340がとてもいいことを言ったと思います。いや、まじでそうだよ

>>341
大関さんもそっちに分別かな

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 00:13:10.01 ID:bFLd78p/
四天王になってる人たちは武将や領主としては優秀なんだよな
優秀なはずなのになんで…っていうのが他の人には足りない

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 00:59:25.87 ID:ze8QBCKh
「五人目のDQN四天王」こと福島正則を忘れないでいて

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 01:04:15.24 ID:BdT7rFeQ
市松は酒入らないと意外といい奴だし
DQNというより酒乱枠だと思う

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 01:08:33.57 ID:ZJ1xku1n
あと、基本的にヘタレだしなぁ

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 21:12:51.05 ID:LFcpA/Wn
>>336
信虎「略奪の定番アイテムでもあるんだよなこれが」
正昌「しかも返品交換の対象でもあるんだよな、御屋形」

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 23:08:39.46 ID:Ht3V1DuP
>>360
氏綱「あのときはメニューをすぐに決められない男みたいなゴネ方だったよね」

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 19:58:15.65 ID:4EgGwTpb
>>360
まさまさェ・・・・・・。

豫州河野家の木鉄砲

2011年05月24日 01:12

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 11:30:39.39 ID:mqf8o2ov
永禄年間(1558~70)、伊予の河野通直は、安芸・毛利氏の拡大に対抗するため
豊後の大友義鑑(宗麟)と同盟した。

さてその頃、鉄砲の技術の先進地といえば永正よりこのかた、豊後大友家だとされていた。
そのため河野通直は友好関係を利用し大友家に頼み豊後府中より鉄砲技術者を派遣してもらい、
家中の者たちに煙硝の採取の仕方、弾薬の製造方法などを学ばせ、火器を大量に生産した。
この鉄砲の大量装備により河野家の防衛力は格段に強化され、その鉄砲術は
「河野流」として東国まで響き渡ったという。

しかして、瀬戸内海で中国、九州と面する長い海岸線を持つ伊予において、
その海邊を守るには鉄砲の砲弾を大きくすること、すなわち大筒の製造こそ
最も効果があると、当時の河野家は考えた。

ではあるが、ノウハウが無い以上すぐに大筒を作ることは無理である。
そのため河野家は大筒製造のため様々な研究を始めた。

ところで河野家が考えたのは、木の砲身の大筒であった。おそらく金属の砲身を作るような
鋳造技術がなかったためであろう。

まず、松の生木を繰り抜いて砲とし、これに金輪をはめてしっかりと固め、
この砲径に合わせた弾丸を作り弾薬を調合して発射実験を行った。
が、これは弾丸を撃ち出すと必ず砲身も破裂し、とても実用に堪えるものではなかった。

次に、同じく松の砲身を今度は縄で巻いた物で試したが、やはり砲身は壊れた。
このように様々な実験を繰り返したものの、どれも上手く行かなかった。

そんな時、ある者が工夫をなして、竹の輪を作って砲身を桶のようにせめ懸けて固め、
これで弾丸を発射。何と、これだと木筒は破損せず弾丸は無事発射された。

この事を喜んだ河野家は、さらに木筒の技術研究を薦め、その運用術も様々に実験した。
そして海邊にこれを多く設置し、敵船が攻め上がってくれば間近まで引きつけた上で
高楼より下に向かってこの大筒を発射。これに当たればいかなる大艦もたちどころに
破壊され、河野の大筒の威力に敵はあえて伊予の海邊に近づこうとしなかったという。

豫州河野家、木鉄砲のおはなし。
(南海治乱記)




773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 11:36:11.07 ID:Df+DbdQY
伊予の大名さんは研究好きだね

幕末の伊達も色々やってるけど

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 16:42:10.62 ID:wmKs6MBJ
大坂の陣でも登場するし
木砲って意外と頻繁に使われていたのかな。

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 16:52:49.84 ID:s4/UxCrB
木砲良さそうだけど火薬が大量に必要そう
貧乏大名じゃ気軽に発射出来ないな

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 19:34:28.92 ID:Iiy+65HJ
鉄製の大砲は輸送面で問題がでるそうだ。
道は悪いし、山道が多くて、重い鉄製の大砲は避けられたらしい。

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 20:05:26.96 ID:/vQHDJKn
モンゴル軍ばりのカタパルトはダメだったのか。

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 22:26:20.69 ID:pCDoygft
>>776
携帯に秀でた大砲といやあグスタフ2世アドルフだな
その名も皮製大砲<故障が多かったみたいだがな
だがスピードと破壊力は現代を凌ぐほど凄まじいものがあったらしい、確か検証してた

川越城水源の事

2011年05月24日 01:11

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 18:29:48.80 ID:QLWEygVY
太田道真・資長(道灌)の父子が川越城を築城するときの事
城の堀へ張る水をどこから引いてこようかと毎日踏査していたのだが、これという水源は見つからず困っていた。

ある朝、道灌が何げなく初雁の杉のあたりを通ると井水に足を浸して洗っている一人の老人に出会った。
見ればそこにはこんこんと湧き出る泉が・・・

これに道灌は大いに喜び、これはまさしく日ごろ信仰している天神の御加護であったかと改めて感謝したのだった。
しばらくしてその老人の所に向かい、この地に城を築く決意を告げ、水源となっている場所を尋ねた。
すると老人は快く承諾し、さっそく道灌を水源へ案内してくれた。
行く行く着いていくとそこは満々と水を湛えた底知れぬ深さの水源地が現れた。

道灌は手を打って喜び、老人の好意に対して心からお礼の言葉を述べ再会を約束して別れたのであった。
こうして謀らずも問題を解決できた道灌はこの地に難攻不落の川越城を完成させたのである。

さて、かの老人とは再会の折もなく時が過ぎ去っていった。
だが、かつて井水で足を洗っていたときの姿が気品にあふれていたので、
あれぞ紛れもない三芳野天神の化身であると納得したのであった。
以来この井水を天神御洗(てんじんみたらし)の井水と名づけて大事にし、神慮に応えたと言う。
そして道灌はますます敬神の念を深くし、有名な川越城内で連歌の会を催して千句を天神に奉詠したのであった。

なお、この水源地は川越城内清水御門のあたりとも、または八幡曲輪とも三芳野天神社付近とも言い伝えられている。




松平清康、椀の中の汁を捨てさせ

2011年05月23日 00:02

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 01:39:32.00 ID:oAHOITPq
三河物語より、めんどくさい三河武士の中でも一段とめんどくさい主君の話


ある時、松平清康の食事が終わる頃に家臣らが出仕してきたことがあった。

すると清康は椀の中の汁を捨てさせて前に進み、「皆、これで酒を飲め」といった。
しかし、家臣らは恐縮して頭を下げてかしこまっていた。まあ当然である。

「何故飲まないのだ。さあさあ飲め」

それでも飲ませようとする清康。なんというめんどくささ。しかし、家臣たちにとって、
主君の椀で酒を飲むというのはとてももったいなくて、更に頭を下げるしかなかった。

これを見た清康は、
「皆、何故飲まないのだ。前世の行いが良ければ主人となり、前世の行いが悪ければ家臣となるだけで、
侍には上下の隔てはない。許すから飲め」とまで言って薦めた。

あまり辞退しては失礼になると思ったので、家臣らはかしこまって御前に進んだ。
その時、清康は微笑みながら、「老いたものも若いものも残らず、三杯ずつ飲め」といった。
あまりの嬉しさに下戸も上戸も皆、三杯ずつ飲んで退出した。

帰り道で一人の家臣が話した。
「今の椀も情ある言葉も、どれだけの金銀米銭を積み、宝物を山ほど与えられるよりも有難いことだ。
今の椀の酒は、主君と我々どもの首の血だ。この情けには妻子を顧みず、馬前で討ち死にして、恩に報いよう。
それがこの世の名誉であり、あの世へのいい思い出になろう」

一同は「その通りだ」と喜び合った。


というわけで、めんどくさい主君とそれに感動した家臣のちょっといいお話




750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 01:46:09.52 ID:otX9QR77
>>749
清康の来世は家臣だなw

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 02:09:19.38 ID:eMGA/T+z
なんで?

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 03:03:23.88 ID:O9y3CtQ4
前世で善行を積んだとは思えない大名が何人か


753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 03:58:08.22 ID:0hJfQFVt
鬼武蔵は何に転生したんだろう

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 07:51:23.40 ID:DXNnveyX
>>751
よかれと思ってやった事が、他人にとって必ずしもいい事とは限らないと言いたいんじゃね
家臣が喜んでるからいい事だと思うけど

>>753
時間軸をLOOPして羅生門の鬼に…

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 08:07:47.43 ID:OslqlfV4
直家さんは薬師に、久秀さんは花火師、忠興さんは宣統帝溥儀に・・・

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 09:22:05.00 ID:plUt9M8d
やたらと金のかかる花火師だな

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 10:16:08.75 ID:aQ6eXG1l
小田さんは鳩に
政宗さんは・・・小泉さん?

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 11:34:53.16 ID:uaq2z6sG
天庵さまを鳩なんかといっしょにすんなよ

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 12:44:06.87 ID:fs/uw1ZV
そうだそうだ
天庵さまは天下どころか
自分のうちにも帰れないんだぞ

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 18:01:36.53 ID:WyJXsj8a
俺が未だに童貞なのは、謙信公の生まれ変わりだからなのだろうか

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 20:40:10.48 ID:hOvIpklR
>>760
細川政元公の生まれ変わりなのかもしれんぞ


770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 09:57:08.38 ID:5m1R4vZ9
>>760
空を飛ぶがいい、お前なら出来る筈だ


771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 10:21:24.08 ID:3I7LvGEx
最後は入浴中に逝くのか

松前・津軽和解

2011年05月23日 00:00

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 19:49:25.37 ID:8Oy76fio
文禄元年(1592年)、津軽為信は海路で上京しようとしたところ暴風雨にあい、
蝦夷の松前に漂着した。松前の領主・慶広は為信が漂着したというこで自ら出向いてきた。

「殿、慶広殿がいらっしゃったようですが」
「放っておけ」
「は?しかし・・・」
「わしは安東の領土の土を踏むつもりはないわ」

為信は安東氏の領地であることを理由に上陸を拒んだ。
もともと両家は敵対していたこともあって、為信の態度は慶広に疑念を抱かせた。
その後、名護屋、大坂においても両者に不快なことがあり、両家の関係は冷え切った。

が、慶長十五年(1610年)に転機が訪れた。慶広は駿府でたまたま老中の安藤直次と会った。
「松前と津軽の不和というのはよろしくないことです」
直次は慶広と為信の子・信牧を戒め、両者を仲裁した。為信はすでに没している。

このために元和三年(1617年)、慶広は参勤の途上、弘前の信牧を訪ねた。
信牧は慶広を厚くもてなし、慶広は則重の刀を贈り、信牧は宝剣と駿馬を贈った。
これより二藩の関係は良好となり、松前は参勤で津軽を通らければならないので、
津軽はその際には諸々の便宜をはかり、慶広の娘は信牧に嫁いだ。
また蝦夷地に何か有事のあるときは、幕府はまず津軽藩に命じて松前藩を
助けさせるのが慣わしとなった。


768 名前:762[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 21:01:21.87 ID:8Oy76fio
>>762
投下しておいてなんですが、1617年だったら慶広死んでますね・・・
元和元年か二年と間違ったかも
新北海道史にあった話なのでつくり話ではないと思うんですが手元にないので確認できません
申し訳ないです・・・




763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 20:15:46.48 ID:1Es3p1pE
なんでわざわざ仲裁したんだろう?
不和で有り続けた大名同士なんて大藩でもいっぱいあるのに

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 20:24:55.25 ID:8chlkP+c
幕府がわざと仲悪い大名家を隣に配置して相互監視させたって
どれくらい信憑性あるんだろうか

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 20:35:16.86 ID:wp6nrZ9o
何もしなくても隣国とは勝手に仲悪くなることも多いしな。
ただ松前だとアイヌの問題も含め国境線ってこともあるからいざという時に
真っ先に援護する必要のある津軽と露骨に嫌い合ってるのはまずいと
いう判断はあったのかも?

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 20:54:23.87 ID:1J67Q7wl
>>764
そういう意図は殆ど無かったと思われる。
というか、そりゃあ仲良くなられすぎても困るが、仲が悪くっちゃお互い警戒して交流がなくなり
むしろ情報が入ってこなくなるもの。
あと、ライバル大名同士を隣合わせに配置する、というやり方は室町幕府がやって大失敗した。

監視という意味では、室町幕府と違ってそれぞれに地域に譜代大名も入っているわけで、
大名同士が勝手に仲が悪くなったのを後から江戸幕府に責任転嫁した、といった例がほとんどだろうね。

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 21:14:24.15 ID:WyJXsj8a
>>768
県史でも軍記物から引用してたりするからね

作り話とまではいかなくても、年代や人物のズレはあるよ

三浦義同の首

2011年05月23日 00:00

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 19:19:14.33 ID:azWmqE0V
永正九年(1512年)北條早雲は、古くから三浦半島一帯を支配下に置く
三浦一族を滅ぼさんと、一族が立て篭もる新井城を攻めた
名将と言われた三浦同寸と、豪傑で知られたその息子義同は
鉄壁の守りの構えを崩すことなく奮戦したが、
足掛け七年の篭城の末、早雲に退路も兵糧も断たれ
永正十五年七月、ついに華々しい血戦に討って出で、親子共に自害した

ところがこの時自害し、落とされた義同の首は、落とされた途端空に舞い上がり
小田原にまで飛んで行き、とある街道沿いの松の木の枝に引っ掛かった
既に首だけとなったにも関わらず、義同は両眼を爛々と見開き、怒髪天をつく恐ろしい形相で
松の木の近くを通った者は、その首を見ただけで死んでしまう

その話を聞いた総世寺という寺の住職であった忠室存孝という人が
小田原を訪ねると、首に向かって静かに歌を詠んだ

「うつつとも夢とも知らぬひとねむり憂世のひまをあけぼのの空」

すると、生きているようだった義同の首は音を立てて落ち
忽ち目を閉じたかと思うと白骨化してシャレコウベとなった
落ちる時、天から誰の声とも知れぬ声で

「今より永く当所の守護神となるべし」

と聞こえた
その話を聞いた当地の人々は、松の下に祠を建て、義同を祭ったという
今も小田原に残る「居神神社」の由来話である

武家の歴史は潰し潰され
一人の武士生きるに一人の武士の血を吸う…
なーんてね




318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 19:22:55.29 ID:eZVnhGlS
将門といい関東の武者はすぐ首で飛ぶから困る
生きてるうちに飛んどけっての。

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 19:27:48.48 ID:pYDzCk1F
ちなみに油壺の由来は新井城で玉砕した城方の血が湾内に油のよう
に漂ったから

子供の頃油壺マリンパーク行った時は知らんかったが

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 19:41:30.89 ID:AqlVluHQ
>>317
んまぁ、早雲時代の伊勢氏の居城は伊豆韮山だけどね

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 20:28:23.15 ID:hOvIpklR
元オカ板住人として、>>317と>>319の油壺から小桜物語を真っ先に思い出たよ

ちなみにこれhttp://www.paperbirch.com/sakura/

戦国ちょっと毛深井伊話

2011年05月22日 00:02

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 07:56:21.35 ID:l/tBddA+
司馬遼の街道をゆく(近江散歩)より抜粋。

「…家綱が将軍になったとき、将軍の代がわりごとに聘せられる恒例の朝鮮通信使がこのときもやってきて、
江戸城で家綱と会見した。
家綱のまわりには、四人の重臣(井伊直孝、保科正之、酒井忠清、酒井忠勝)がいた。
この光景について、通信使の随員のひとりである南竜翼が『壷谷扶桑録』という紀行文を書いている。
いま身辺をさがしてもこの本を見つけようとおもったが、見あたらないので、以下『彦根市史』上冊から孫引きする。


 直孝、状貌豊偉、臂(二の腕)に遍く毛を生ず、深く多知を見る。
執政中、最も驚なるものなり。年七十二、而して兵権最も重し。」

戦国ちょっと毛深井伊話でした。




雑談・そういえば、真柄さんとこが

2011年05月22日 00:02

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 11:38:53.24 ID:j6J6PlTr
そういえば、真柄さんとこが下駄、刀に続き鎧を製作中らしい。
完成後2.3mのマネキンに着せると地元の新聞に書いてあった。

次はなに作るんだろう。

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 11:44:44.86 ID:nId1lM+d
何かあさっての方向に突っ走ってる感がハンパ無いなw

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 12:16:40.66 ID:sh/tXUV1
いいじゃあないか、地元の英雄にスポットライトがあたるのは

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 12:29:16.56 ID:CDrsFq5d

      __       __
     / 、〉〉〉〉      〈〈〈〈ィ ヽ
     |_,イ_⊆》 __   《⊃_ヒ_|
    [・_・_・_] /, --||-、  [_・_・_・]
    /   // r'∠二二> |   |
    〈__ノ\/ 0、 ゚ (>゚l/ ̄ヽ_| ガオーッ!
    \   i | ヽ_ニニニフ、   /
    i'^|ヽ__ノノ      | |/              ____
    | ト---"ヽ___ノ|"                 |┌──┐
    |ニ|==()     ()|          ___円rrrrr|│   │
    | |ニニニニニニニ| 且┐     _| |田:|ロロロ|└──┘
    ∧_∧   wWピピピピピ ^i┐ ┌|iiiii| |:::::::|ロロロ|二二二二
   | *’ω’|¶ ¶  <行くぞ マガラム!
┳┳(  つロ二二l┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳


743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 13:22:49.41 ID:OkUOiA2B
>>737
3俵の米俵を右肩に担いだお秀さまの銅像

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 20:39:32.38 ID:Z97bz9ac
>>737
北海太郎とバトルでもさせるといいかもしらん

2.3mの真柄さんと3mの羆を向かい合わせて

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 20:53:16.67 ID:wc60+o9U
真柄さんがデビルリバース化してる・・・

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 21:25:35.40 ID:iX9965hF
討った青木一重もモンスターにしないと釣り合いが取れない

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 21:37:04.78 ID:nId1lM+d
いやいや、モンスターを討ち取るヒーローは少なくとも見た目普通じゃないとダメだろ

・・・ん?えーと、青木?誰だっけ?w

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 22:25:49.31 ID:1g0qiMtN
向坂三兄弟のジェットストリームアタックじゃなかったっけ?

豊臣国松の名前

2011年05月22日 00:02

国松   
294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 23:02:31.88 ID:t9E3gFGk
豊臣秀吉が、その晩年に出来たわが子秀頼を溺愛したことは有名だが、
彼はこんな事も言ったそうだ

「秀頼が成長し、男子でも女子でも、子供を設けるほどになるまでこの世に長らえれば、
初めて秀頼の子を産んだものには、どんなに身分の低い者の娘でも構わない、
先ず黄金千枚を、当座の引き出物として取らせようぞ!」


さて慶長20年(1615)5月8日豊臣秀頼切腹。大阪夏の陣が終わる。

当時未だ7歳であった豊臣秀頼の子国松は、大阪城より脱出し伏見の町家に
潜伏していたが、幕府の探索により程なく捕縛され、二条城に連行された。そして

「未だ幼児であり、今回の戦争に対して何を知るというわけもないが、
大敵の子であり、また男子である以上、助けおけば将来の患ともなるだろう。」

と、処刑されることに決まり、その身柄は京都所司代・板倉勝重の屋敷に移された。
勝重は国松を風呂に入れ衣服を与えるなど丁重に扱う。そしてこの少年に話しかけた

「お名前はなんと言われるのですか?」

国松はこの問に不思議そうに

「名前…?私に名前はありません。」

「お名前が無い?それは…」

「はい。皆は私のことを、殿様とばかり呼びます。」

これを聞いた人々は皆、思わず涙したという。
そして5月23日、国松は市中引き回しの上、京都六条河原で斬首された。

豊臣秀頼の子、国松についての逸話である
(大阪物語)




295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 08:13:31.68 ID:Q0nwCkLS
えぐいなぁ、こんな超ボンボンが将来の災いになるはずもないのに・・・

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 08:23:55.93 ID:xQwuvk/k
本人はその気がなくても周りの奴が担ぐから

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 11:53:50.66 ID:sxuPEsPJ
国松公が処刑されるとき徳川家が豊臣家に対する数々の背信行為を弾劾
したとか言う話もあったなどこで見たか忘れたけど

曾呂利新左衛門「キウリが胡瓜を!」

2011年05月22日 00:01

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 11:54:53.21 ID:mWINSonv
曾呂利新左衛門さん話

肥前名護屋の陣営でのこと。
ある日、曾呂利新左衛門が外から秀吉の本陣に入ってくると、突然語ることには

「殿下!世にも不思議なるものがあるものですね!
臣はただいま陣の手前でとても奇妙なものを見ました!」

秀吉、これに興味を持ったか
「新左衛門は慌ただしいのう。奇妙なものとは一体、何を見たのだ?」

「さればでございます。『キウリ』が胡瓜を食っておりました!」

「なにっ?胡瓜が胡瓜を食っておったと?新左衛門、たわけたことを申すな。
口のない胡瓜がどうして胡瓜の共食いをするものか。たわけにも程があるわ!
まあ、これもお前のいつもの戯れだろうが。」

しかし曾呂利引き下がらない
「いや、確かに食っておりました!これは相違ございません!」

秀吉と曾呂利は食わない食ったと言い争ったが、これでは埒が明かぬと秀吉、
傍らに居た家臣に「誰ぞある!?まこと、果たして胡瓜が胡瓜を食っておるか、急いで行って
見て参れ!」

家臣の一人、「ははっ」と答え陣の外まで出て、あたりを見回す。当然のことだが
胡瓜が胡瓜を食っている様子は、ない。それでも、何事も見落としてはならぬと
キョロキョロと見回す。
「しかし胡瓜が胡瓜を喰うなどとあるわけが…、 はっ!?」


この家臣が戻ってくると、秀吉は急かすように尋ねた

「どうじゃ!?胡瓜が胡瓜を食っておったか!?」

「それがでございます。胡瓜が胡瓜を食っている様子は見えませんでした。」

秀吉、そら見たものかという顔を曾呂利に向ける。が、家臣続けて

「それは無かったのですが…」

「ですが?」

「ははっ、陣営の外では、背中に薪を背負っている薪売り(きうり)が胡瓜を食って
おりました。」

秀吉あきれ返って
「なんじゃと!?薪売り(きうり)が胡瓜を食っておったと!?
さては新左衛門めにたぶらかされたか!なるほど、胡瓜が胡瓜ではなく
薪売りが胡瓜か!」

曾呂利、澄ました顔で
「仰せの通りにございます」

これに秀吉
「おのれ、また誑かしおったな!」
と笑って叱りつけたという。

『太閤之腰巾着曾呂利新左衛門』より、曽呂利頓知話の一席




299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 12:13:56.94 ID:+dczATAl
>>298
いやこれ誰も損しないし、とんちのきいたいい話だろw

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 12:25:44.51 ID:sh/tXUV1
腰巾着ってまんまだなw

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 12:58:28.09 ID:evIZoeIn
>>299
見に行かされた家臣が疲れるじゃないか!

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 13:11:56.46 ID:nId1lM+d
しかしひとこと言いたい

コレ、頓知じゃなくて駄洒落じゃね?

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 13:29:55.09 ID:6g+Bu522
宮廷道化師その物だな

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 13:43:00.60 ID:hfmandWt
ただの小話になっちゃってるな
曾呂利の演出家として伊達政宗を呼んだらどうか

雑談、熊谷直実の事など

2011年05月22日 00:01

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 09:59:24.48 ID:Qf1zijUm
人間50年~で有名な熊谷直実の出家が代表的な無分別の分別かと。
過去とか職業とかそっちのけで自分の心に従ってるし

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 15:14:45.77 ID:c7CCic90
>>700
直実は何もかも嫌になって遁世しただけで、そういうのは無分別の分別とはいわないんじゃないかな

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 15:36:22.15 ID:Qf1zijUm
>>707
平敦盛を討ったことに何かを感じて、
それを追い求めたんだから無分別の分別だとオレは思う。
普通なら、武士としての行いだから~、生きるためには仕方がない~、頼朝公がぁ~
って本音と建前の分別心で理屈つけちゃうよ

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 15:52:17.10 ID:T+5uMFvV
>>708
> 平敦盛を討ったことに何かを感じて

吾妻鏡だと熊谷直実の出家に敦盛は関係なくて、久下直光との所領争いの裁判で頼朝の御前での
口頭弁論で上手く話すことが出来ず、さらに逆ギレして梶原景時が紛争相手の久下に
加担していると叫んで出奔→出家

710 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/20(金) 17:10:21.68 ID:QXCjw2B9
お師匠さまのご親筆のご名号欲しさに
兄弟子から強奪して、お師匠さまから
「新しいの書いてあげるから、奪ったの返してあげなさい」って
お手紙もらった熊谷直実がなんだって?

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 18:53:59.62 ID:c7CCic90
子供かよwww

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 18:59:38.09 ID:Qf1zijUm
鎌倉のジャイアンだねw
しかし情けない先輩坊主だな。
なんのための仏道修行だ

713 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/20(金) 19:11:20.14 ID:QXCjw2B9
>>情けない先輩坊主
源智上人・・・総本山知恩院初代住持

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 19:32:53.62 ID:Qf1zijUm
>>713
仏道の教え、地位があっても、いとも簡単に腕力に屈するのか?
それともこういう経験を含め修行の後に開山となったのか?
が重要だと思う。

地位と名前だけ出してもアレじゃね?

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 19:45:18.71 ID:QXCjw2B9
いや、そういう先輩にたいして
横暴な振舞いを仕出かした蓮生房こと直実に
なにか言ってやって欲しいw

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:12:53.43 ID:Qf1zijUm
>>715
直実のやったことが正しいとはオレは言ってないよw
でも、そういう行いを注意するのが先輩の役目だろ?
直実相手に注意出来る人間が少ないのもわかるが、
そこは生死を説く仏門だから期待しちゃうよ

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:18:02.82 ID:xi7NsWIk
あれ、強奪って
木下延俊「ほほう、これがあの……すいません義兄の命令なんです!」ダッ
津田秀政「ちょwどwろwぼwうwwww」
みたいなあれじゃないの?
↑が頭にあったせいで、胆力とかでどうにかできる強奪方法だと思わなかった

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:42:17.12 ID:QXCjw2B9
>>716
大原問答で「師の法然上人が論議にもし敗れたならば法敵を討たん。」って
お師匠を困らせたお人ですよ。

お師匠の法然さんの言うことしか聞きませんよw
カリスマの存在(ここでは法然)って、困ると思うよ。


719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:52:48.23 ID:T+5uMFvV
>>716
つーか「熊谷横取りの名号」は、正面から強奪したのではなく寺に置いてあったものを
密かに奪いとったらしいので、盗難といったほうがいい話だぞ?

で、それ自体は当時は、法然が存命だったこともあって大事件でも何でもなく、
子供のいたずらのような話で、蓮生もそういう意識で報告しているし、法然も
そういう児戯のような行動を嗜めるという形で注意しているわけだ。
ちょっと君はこの件の認識を間違えてると思うよ?

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 21:19:40.64 ID:c7CCic90
頼朝の朝廷に出仕した御家人に対する怒り方といい、宗盛の仲綱の話といい
鎌倉時代の武士ってなんか可愛いんだよなw子供のまま大人になった感じだ

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 23:37:51.26 ID:jdzAYfXR
その分東国武士ってえげつないエピソードにも事欠かないんだけどね。
越中前司盛俊の最期とかな。しかも猪俣の振る舞いは卑怯とされないあたり、
当時の価値観の一片が現れてると思う

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 00:11:58.91 ID:PfI0zj/A
散々戦場で血を流した者が出家したくなりゃ即出家するし、
生まれ変わってでも憎い敵を討ちたいし、
ある意味純粋だ。
現代的な公共の道徳観念はあまり感じられないな。
この時代に儒学、仏教に大きな価値があったのもうなずける。
羨ましいような、恐ろしいようなw
現代も十分に恐ろしいとは思うけど

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 00:14:15.60 ID:2BLOpuf/
機内から来た連中以外は農民に毛が生えたのとか、土豪ばっかじゃあねえ

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 00:24:32.70 ID:nrr7E295
この頃の関東ってリアル北斗の拳状態に近かったのか・・・・?

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 00:34:05.41 ID:PfI0zj/A
そういう集団に一定の秩序を持たせるんだからやっぱ偉大だよな。
頼朝さん、尊氏さん、家康さん。
あと法然さんも。
隆盛さんは明治新政府の人間たちに嫌気がさしちゃったみたいだけど

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 00:47:45.14 ID:sh/tXUV1
そういえば、南北朝期にも親王の館に火をつけたり牛車に矢を射たバカがいたっけか
南北朝はDQNの宝庫だぜ・・・

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 00:52:05.30 ID:2ry+vqhJ
>>726
しかもそいつら幕府の中枢なんだぜ・・・

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 00:54:30.62 ID:YYnuN2jT
BASARAの話はするなとあれほど
ところで、佐々木導誉と土岐頼遠とどっちのこと?

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 00:56:47.98 ID:V2SMIybd
どっちってどういう意味?火つけ=道誉、矢を射た=土岐だよね?

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 01:04:50.09 ID:2ry+vqhJ
「天皇とか木像でいいんじゃね?」の高師直もお忘れなく

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 12:48:53.30 ID:1g0qiMtN
ここって平安・鎌倉・室町時代と江戸時代の板だっけ…?

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 13:09:07.22 ID:Bvq/ysY1
一休宗純の話がまとめサイトに9
知恵伊豆の話が14入っているくらいですし
と思ったが、生没年考えると両者とも
1467~1615のどこかの期間には生きているか

葉隠より、仏道とは

2011年05月21日 00:00

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 00:11:05.15 ID:Qf1zijUm
葉隠から

山本常朝は語る。
江戸の鉄牛和尚山本五郎左衛門が面会して、
仏道について教えていただきたいと言うと、鉄牛は、
「仏法は、ただ分別心を取り除くだけのことで、ほかになに事もない。
侍の身の上にたとえていうと、憶という字は立心扁に意と書く。
この意がすなわち分別心である。
本心に分別心がつくと臆病者となる。
武士道に分別心などが生じて、武勇の働きができようか。
これでだいたいお分かりになるだろう」
と言ったそうである




695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 08:44:48.08 ID:iZgTgH4p
よくわかりません

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 08:59:48.35 ID:9DGuX/Wf
多少無茶苦茶の人の方がいいってことですかね
鬼武蔵とか

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 09:26:37.54 ID:vWWGfIvE
まあ仏教ありきで武士がいたわけじゃなくて
当時の武士社会において仏教が存在してたわけだから、
その時代に迎合してたってことだよな。

宗教なんていつの時代もそんなもんだ。

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 09:32:07.03 ID:3NRTOual
分別ってのは俗世間の常識に合わせて妥協するって事でもある
それを切り離して確固たる自分の信念、悟りを開いて邁進するって事かね
槍働きで語っちゃうのがアレだが

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 09:53:29.63 ID:Qf1zijUm
無分別の分別が葉隠の言いたいことの一つだからな。
八幡大菩薩信仰、剣禅一如と、
武士の道は仏の道に近いところが多いにあるね。

無差別、無分別になったところからの分別が、
各人それぞれの本来面目ってことなんだと思う

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 09:59:24.48 ID:Qf1zijUm
人間50年~で有名な熊谷直実の出家が代表的な無分別の分別かと。
過去とか職業とかそっちのけで自分の心に従ってるし

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 11:57:01.81 ID:vWWGfIvE
我思う、故に我在り

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 14:32:35.42 ID:Qf1zijUm
天上天下唯我独尊(釈迦)
我思うゆえに我あり(デカルト)
無知の知(ソクラテス)
莫妄想(無業和尚&鎌倉武士)
主はあなたと共にある(キリスト)
仁者無敵(孟子)
心即理(王陽明)
無分別の分別(葉隠)

指してるとこは一緒なのかもな
オレは悟り開いてないからわからないけどw


707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 15:14:45.77 ID:c7CCic90
>>700
直実は何もかも嫌になって遁世しただけで、そういうのは無分別の分別とはいわないんじゃないかな

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 15:36:22.15 ID:Qf1zijUm
>>707
平敦盛を討ったことに何かを感じて、
それを追い求めたんだから無分別の分別だとオレは思う。
普通なら、武士としての行いだから~、生きるためには仕方がない~、頼朝公がぁ~
って本音と建前の分別心で理屈つけちゃうよ

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 15:52:17.10 ID:T+5uMFvV
>>708
> 平敦盛を討ったことに何かを感じて

吾妻鏡だと熊谷直実の出家に敦盛は関係なくて、久下直光との所領争いの裁判で頼朝の御前での
口頭弁論で上手く話すことが出来ず、さらに逆ギレして梶原景時が紛争相手の久下に
加担していると叫んで出奔→出家

710 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/20(金) 17:10:21.68 ID:QXCjw2B9
お師匠さまのご親筆のご名号欲しさに
兄弟子から強奪して、お師匠さまから
「新しいの書いてあげるから、奪ったの返してあげなさい」って
お手紙もらった熊谷直実がなんだって?

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 18:53:59.62 ID:c7CCic90
子供かよwww

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 18:59:38.09 ID:Qf1zijUm
鎌倉のジャイアンだねw
しかし情けない先輩坊主だな。
なんのための仏道修行だ

713 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/20(金) 19:11:20.14 ID:QXCjw2B9
>>情けない先輩坊主
源智上人・・・総本山知恩院初代住持

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 19:32:53.62 ID:Qf1zijUm
>>713
仏道の教え、地位があっても、いとも簡単に腕力に屈するのか?
それともこういう経験を含め修行の後に開山となったのか?
が重要だと思う。

地位と名前だけ出してもアレじゃね?

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 19:45:18.71 ID:QXCjw2B9
いや、そういう先輩にたいして
横暴な振舞いを仕出かした蓮生房こと直実に
なにか言ってやって欲しいw

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:12:53.43 ID:Qf1zijUm
>>715
直実のやったことが正しいとはオレは言ってないよw
でも、そういう行いを注意するのが先輩の役目だろ?
直実相手に注意出来る人間が少ないのもわかるが、
そこは生死を説く仏門だから期待しちゃうよ

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:18:02.82 ID:xi7NsWIk
あれ、強奪って
木下延俊「ほほう、これがあの……すいません義兄の命令なんです!」ダッ
津田秀政「ちょwどwろwぼwうwwww」
みたいなあれじゃないの?
↑が頭にあったせいで、胆力とかでどうにかできる強奪方法だと思わなかった

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:42:17.12 ID:QXCjw2B9
>>716
大原問答で「師の法然上人が論議にもし敗れたならば法敵を討たん。」って
お師匠を困らせたお人ですよ。

お師匠の法然さんの言うことしか聞きませんよw
カリスマの存在(ここでは法然)って、困ると思うよ。


719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:52:48.23 ID:T+5uMFvV
>>716
つーか「熊谷横取りの名号」は、正面から強奪したのではなく寺に置いてあったものを
密かに奪いとったらしいので、盗難といったほうがいい話だぞ?

で、それ自体は当時は、法然が存命だったこともあって大事件でも何でもなく、
子供のいたずらのような話で、蓮生もそういう意識で報告しているし、法然も
そういう児戯のような行動を嗜めるという形で注意しているわけだ。
ちょっと君はこの件の認識を間違えてると思うよ?

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 21:19:40.64 ID:c7CCic90
頼朝の朝廷に出仕した御家人に対する怒り方といい、宗盛の仲綱の話といい
鎌倉時代の武士ってなんか可愛いんだよなw子供のまま大人になった感じだ

浅井亮政、武田晴信のクーデターを評す

2011年05月21日 00:00

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 00:21:54.48 ID:t9E3gFGk
天文10年(1541)のこと。
甲斐の武田晴信はその父武田信虎を駿河に追放。クーデターにより武田家の実権を
奪い取る、という事件があった。

さて、その事を聞いた近江の浅井亮政(久政の父、長政の祖父)は大いに憤り
こう批判した

「人々は皆こう言う、武田晴信は良将である、と。
しかしそれがどうして、此の様な乱暴なやり方で父親を追放するのか!?
実に憎むべきこと甚だしい所業である!

その武田家というのは、自身の武に奢るというものであろうか。
これは人望に背き天道に捨てられる行いである。

私はこう断言しよう、武田晴信を良将と呼ぶべきではない、と!」
(浅井日記)


まあ後年、そんな事を言ってた亮政の息子の久政が孫の長政から、武田とほぼ同じような
クーデターされて強制引退食らうんですけどねw




282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 11:10:20.99 ID:QlKynUP4
>>274
なんか浅井亮政がギレンで再生された

あえて言おうカスであると! 

まあそういうギレンさんも妹にやられちゃったわけですけど

雑談・戦国の流行ヘアスタイルのことなど

2011年05月21日 00:00

273 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/19(木) 23:29:53.76 ID:Jcwz0sod

ところで今日のタイムスクープハンター、ハゲて髷が結えずに公務に出られなくなった
実例として立花鑑虎(柳川藩第三代。宗茂の養子とDQNの孫娘の子)が挙がって吹いたw
男性ホルモン濃そうだもんなぁ

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 00:23:23.72 ID:obBdsFpE
戦国時代はハゲて髭面なのがカッコイイとされていた

だからフッサな奴はわざわざ毛を抜き、髭が薄い奴は付け髭をしてた

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 00:48:38.58 ID:T+5uMFvV
あと戦国末期はモミアゲを長ーく伸ばすのが最新の流行だったらしい。
なので豊臣秀次、蒲生氏郷、福島正則なんかは肖像でも頭を大きく剃り上げ
モミアゲが頬まで長く書かれているなw

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 00:51:12.97 ID:lNQK4ZDS
正則のあれって流行だったのか

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 00:57:22.85 ID:M5/nOUUW
やっぱ鑑虎のころだと太平の世になって荒々しさや実力より官僚的なものが求められたんだろうな
ハゲてマゲ結えないと、今なら「プッ、あいつスーツ着てねぇww職場で失礼すぎワロタwww」とか

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 17:11:16.80 ID:IKhYfTe+
>>275
戦国時代の流行りってどうやって生まれるんだろうな?

たまたま大坂城内で待女にモテモテな奴がモミアゲロングで口髭だったのを、太閤殿下が
「わしもやる!モミアゲ伸ばして付け髭つける!」
で、各大名が
「おい、アレ俺らも真似しなきゃヤバくね?」
「マジかよモミアゲだせぇって・・・」


って感じだろか。

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 17:17:48.09 ID:nC18uwri
土井利勝「どこかで聞いたような話だな」

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 18:55:34.25 ID:c7CCic90
>>285
そんなナンパな理由じゃないと信じたいw

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 19:27:08.05 ID:rklj0PMC
公家なら江戸初期にナンパな奴もいたみたいだが武家はどうなんだろうね

浅井長政、斎藤龍興を評す

2011年05月20日 00:01

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 11:32:25.09 ID:WpXvErRg
永禄7年(1564)7月の末、尾張の織田信長と美濃の斎藤龍興が戦い、
龍興が敗北した。
また同年8月10日にも両者は戦い、この時は斉藤勢が大敗北をした。
しかし龍興は決して、信長に降伏しようとはしなかった。

さて、この事を知った近江の浅井長政は、赤尾という家臣にこんな言葉を漏らした。

斎藤龍興という人は誠に、今の世の義士である。

将来、我々の武威が盛んになれば必ずこの人を幕下に加えよう。
もしまた我々の武威が衰えて他の勢力に付かねばならぬ時が来たら、
必ずこの人を頼ろう。

ああ、今後の世の中に義士が現れるとは私には思えない。
ただ裕福な商人の友を作ってこれを縁とし、それにへつらうような士や将ばかり多い
世の中ではないか。」

浅井長政による、斎藤龍興評である。
(浅井日記)




682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 12:54:24.20 ID:FPEAlSY0
負けっぱなしの人の下に付いたり、家臣にしようとしたりする
意味が解らんが…
気概だけは立派なり!ってことなん?

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 13:31:56.12 ID:EktnG6Iv
六角に屈した事とかもあると思う

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 14:38:53.63 ID:5OyY7kHY
浅井長政が天庵さまと出会ったとしたら、もはや何が興るか想像できない

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 18:45:04.49 ID:FCmIQRs1
天庵さまって別に義士じゃないよな。奇怪な徳はあるけど

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 19:20:01.94 ID:vLE0dyFo
龍興もどの辺が義士なんだ…
信長=(当時の長政にとって)悪 に一貫して反抗してるから?
それ以外では暗君エピソードくらいしか知らなかったのでwikipe見たら
長政の甥か従兄弟に当たるんだな
キリスト教に接近したからかもしれんが、宣教師からの評価も高い

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 19:22:11.67 ID:Hbqph87K
宣教師の武将評価ほど信用ならないものはない

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 20:02:44.33 ID:yGWwilAu
宣教師の記録を信じるなら、あの一条兼定はスーパー聖人君主なのである。

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 20:13:08.36 ID:stFhYcRd
聖人が悪人の策謀に勝てるわけもなく

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 20:27:07.36 ID:M28elnrz
>>685
義士は菅谷さんと小田領民の皆さんだな。

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 20:43:27.19 ID:q0LMY/Jh
宣教師が入れ込んだ大名が悉く衰退したのは策謀に劣る聖人だったからかw

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 22:19:55.89 ID:APCW+l9I
織田秀信とか前田玄以の息子(パウロ、長男のほう?)も宣教師からは高く評価されていた


693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 22:25:39.57 ID:RJMZT/VL
竜造寺「カエサルとか言われて調子こいてたら釣られたクマー」