日本人で初めて花火大会を見物したのは誰だかご存知だろうか?

2011年07月31日 23:01

939 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/31(日) 18:45:27.76 ID:u/hXnqVW
既出だったらゴメン。

日本人で初めて花火大会を見物したのは誰だかご存知だろうか?

狼煙や合図として中国で発明された花火はヨーロッパに渡り、赤、青、黄色などの色彩を持つ
美しい現代の花火に改良される。
その花火を見物した人物として初めて文献に記録されたのが、大御所となった徳川家康だった。

勿論それ以前にも花火を見物した人物はいただろうけど名前が出たのは家康が初めて。
家康は花火を見て非常に気色を良くしたらしく、職人を育て大量の花火を作ったとのこと。
一説には、自分の死後は久能山から一晩中花火を打ち上げろと秀忠に遺言を遺した。

現代人が花火を楽しめるのも家康公のお陰かなと思いながら花火大会を楽しんでいる。


940 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/31(日) 18:54:55.39 ID:u/hXnqVW
補足。

自分の死後、一晩中花火を打ち上げろと秀忠に命じた時、『自分が死んでも徳川の天下は既に揺るぎようがない事を
万民に知しめよ。太平の世を喜び祝え』と遺言した。




941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 18:57:33.19 ID:oalwK8VI
この花火って
鎧を二枚重ね、砲術では百発百中の腕前を誇った稲富さんの
技術の賜だっけ

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 19:21:42.34 ID:afEx/Ka8
本番に弱い稲富さんか

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 19:27:26.91 ID:osiOzeYP
家康が死んでも天下泰平は続くという意味か

国王は死んだ!新国王万歳!みたいなノリだな

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 20:20:21.44 ID:BGAOJfLl
大和田重清日記の文禄2年7月17日条に「花火数多サセラル」という記述があるので、
家康より先に唐入り中の名護屋城で秀吉が花火大会やってるんじゃないかな。
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黒田忠之・出生の秘密?

2011年07月31日 23:01

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 01:12:23.06 ID:OFnW17nu
黒田忠之と言えば、黒田如水の孫であり、黒田長政の嫡男である。
長政死後に筑前太守となったものの、家臣団と衝突を起こし、
筆頭家老の栗山大膳に嘘の謀反を訴えられるという黒田騒動の主役の一人である。

忠之は長政が筑前に入封して後、継室である栄姫との間に生まれた子である。
のだが、この忠之の出生について"一部で"こんな異説が伝わっているらしい。
忠之誕生の時、長政は三十五歳、娘が一人いるものの、男子に恵まれず、
加えて彼のたった一人の弟は数年前に事故死しており、
とにかく黒田家には世継ぎが待望されていた。
そこで栄姫の懐妊が発覚するのだが、今度こそお世継ぎの誕生かと盛り上がる黒田家、
「次も女子ならば捨ててしまえ」とまで言い出す始末。
ところが、栄姫の産んだ子は女の子だった。
家中ではお世継ぎの誕生が切望されている。
困った栄姫、側近たちに同じ日の生まれた男の赤ん坊を探させます。
すると、ちょうど同じ日に箱崎の貧しい庶民の家に男子が産まれたことが発覚。
栄姫は自分の産んだ娘とこの男の赤ん坊を取り替えさせます。
そして、黒田家の嫡男・万徳丸として養育されたのが、黒田忠之である。

といったような異説が肥前は佐賀藩の鍋島家中にて囁かれていたそうです。
黒田家と鍋島家は長政の時代まではとても良好な関係を築いていたのですが、
忠之と勝茂が絶縁して以来、国境問題もあり関係は最悪。
つまり、如水長政を貶めないように黒田家を叩く理由付けをしたのではないかと思われます。




247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 11:54:12.12 ID:6/pO09H2
>>245
NGMSと忠之の肖像画比べればすぐ親子だってわかるのになw

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 12:03:34.86 ID:27QM8Dgn
>>247
あの肖像のそっくりさ加減は、逆に親子じゃないって言われた方が驚愕するわなw

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 12:12:43.90 ID:caHuuPC+
>>247-248
あの肖像画は忠之死後50年くらい経ってから描かれたもので、おそらく長政像をベースにしてるから似てて当然
忠之生前に描かれた寿像が存在するがぶっちゃけあんま長政とは似てない
丸顔で目は切れ長でなよっとした女性的な感じ

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 13:20:14.49 ID:yBQ/CJuL
黒田忠之は生まれが平和な時代でよかったよな
織田信長の時代なら黒田家滅亡してたかもしれん

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 15:27:34.95 ID:3yD4qKaz
>>250
無意味な仮定

栄姫の出産

2011年07月30日 23:05

栄姫   
927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 14:55:39.64 ID:fDjtHE7P
黒田長政の継室・栄姫徳川家康の妹の娘、
つまり、家康の実母伝通院は彼女にとって実の祖母にあたります。
慶長七年(1602年)、伝通院は北政所や後陽成天皇に拝謁するために上洛、
筑前で新婚生活を送っていた栄姫も祖母に会うために上洛します。
そして、上洛中に彼女の懐妊が発覚します。
この報を聞いた家康は栄姫に帯を贈り、伝通院からは
「せっかくなので京で出産してはどうか」と提案します。
これを受けて黒田如水
「長政にとっては初子となるので、筑前で産ませたいです」
(厳密には長政には前妻との間に娘がいるのですが、筑前の太守としては、という意味かと思います)
と帰国する旨を伝えれば、家康は彼女のために養安法印を付けさせます。
更に伝通院は自分が家康を出産する時に神社を参詣したら安産だったいう話を受けて、
栄姫は舅の如水と共に安産祈願のために清水に参詣したそうです。

そんなわけで、黒田如水、息子の嫁と仲がいい話。
出典は黒田家譜ですが、家譜には秀忠とその母とあるところを
これは家譜の間違いだろうと判断して(秀忠の母は関ヶ原以前に他界)、
家康とその母伝通院、とさせていただきました。

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 15:07:52.23 ID:fDjtHE7P

ところで、伝通院はこの年の8月28日に亡くなっており、
懐妊の発覚した栄姫が帰国したのが9月になってからとあるのは、
おそらく祖母の葬儀のためであったと思われます。
しかし、彼女はその年の暮れ12月22日に福岡城にて万徳丸(後の忠之)を出産しています。
つまり、栄姫は大体妊娠7カ月の身で京都から福岡に戻ったということになるわけで……
結構な無茶ぶりですね、黒田家




929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 15:12:01.53 ID:xPnWy7Re
於大さん薄幸若死にのイメージあったけど長生きしたんだなあ

930 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/30(土) 16:39:38.66 ID:bDpcnlUl
徳川3代でも晩年に登場してたでしょ。

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 17:47:54.61 ID:QhGr4zXH
江も千姫輿入れのときに身重の身でついてきたんじゃなかったか
そして京でそのまま出産

元気ですな

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 20:45:05.20 ID:FvcDezSX
>>931

普通の下々に比べりゃ至れり尽くせりでの移動だからな

モンタヌス日本誌・小西行長の最期

2011年07月30日 23:04

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 03:49:32.32 ID:HkL5D/QP
関ヶ原の後の事

『内府様(徳川家康)は日本全土の君主と成るに至ったが、他の君主のごとく勝利の後に暴虐を行うことは無かった。
彼は捕虜となった敵に対しても穏和の手段を執ったが、ただ3人のみは許さなかった。
内閣員(奉行衆)の軍を率いて彼に対抗した近江の王・治部少輔(石田三成)、肥後半国の王摂津守殿(小西行長)、
毛利殿が顧問とせし安国寺(Ancocugis 恵瓊)である。

彼らは甲斐守(Cainecanis 黒田長政)に捕らえられ、始めはその身分に応じた待遇を受けたが、程なく
大阪で幽閉され死刑を宣告された。彼らは大阪において痩せ馬に乗せられ市内を引き廻されたる後、荷車をもって
都に輸送された。彼らの周囲には庶民群集して、貴人の不幸を憐れむ者もあり、またこれを嘲る者もあった。

治部少輔は第一の車にあり、その次に安国寺、摂津殿は最期にあった。
ラッパ手が各人の前に行き、彼らが謀反人なるを以て恥ずべき死刑に処せられることを声高に叫んだ。

この時摂津殿はいささかも勇気を失わなかったが、それに対して他の二人は自分たちの無罪を弁じて
当局者の処置に対し嘆き訴えた。

彼らが刑場に近づくと、近隣の仏教僧が数人やってきて彼らに説諭し、全ての罪悪を浄めるための、
多くの笑うべき儀式を行ったが、これは不潔なる精神を持たずに阿弥陀の前に出ることを得るためである。
これによって処刑者はいささかの心の慰安を得永久の生に確信を得たように成るのだ。

しかし摂津殿は頑として僧の説諭を拒み、あくまでキリスト教徒たる態度を示した。

刑場に上がる時、僧の長が現れた。彼は常には外出せず、ただ高貴なる人が悩む時において顔を出すのみである。
彼は多数の日本僧を従え、手には釈迦の聖典を携えていた。

様々な呪文を唱えまた、作法を行った後、治部少輔と安国寺とが死せんとする時、この僧の長は聖典を出して
接吻させた。
しかし摂津守殿はこの時僧を罵って、己がキリスト教徒であることを公言し、そうして帯の間からキリストとマリアの
小さな絵を取り出した。これは皇帝チャールズ5世(神聖ローマ皇帝カール5世か)の同胞ポルトガル国の女王
カザリンがイエズス会の手を経て彼に贈ったものである。

彼はこの絵を両手に掲げ、これを熟視して祈祷をなし、首を差し出して処刑人の刀を待った。
処刑人は3度刀を振り降ろして、これを斬首した。
他の二人も同様に処刑され、その屍は焼かれた。

摂津殿の屍はイエズス会員の手にわたり、都において長い屍衣を以て覆われ、ローマ教会の儀式によって
埋葬されたのである。』
(モンタヌス日本誌)

日本では過小評価されがちな小西行長ですが、ヨーロッパでは他の二人が彼の引き立て役となり、
実に立派な死に様だったと伝わっていたのですね。と言うお話。




231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 07:04:56.92 ID:Ph5z2QvA
AcasicamonだのAncocugisだのCainecanisだの、古代ローマがギリシャ人みたいな字面だな

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 07:27:26.92 ID:Q8q2ORIl
たぶんモンタヌスが織田信長と松永久秀に会ったら二人とも弾正で同じ名前だと思うんだろうな

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 07:54:44.45 ID:UWCYjXCF
>>230
おお?いい話じゃないですか?
小西行長りっぱに見えます。
ラッパというのは、当時日本のどんな楽器にあたるのでしょうね。

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 07:58:52.80 ID:a15vGj++
>>232
その場合「同じ名前」ではあるんじゃないか。
>織田信長と松永久秀
受領名も名前の一部ってことで。


235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 07:58:58.04 ID:V8fb9BAd
キリシタン補正ってすごいんだなw

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 08:15:25.06 ID:FvcDezSX
ラッパって法螺貝かな?

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 08:15:50.15 ID:Ph5z2QvA
>>235
たぶんカイネカニスも、聡明で思慮深く、家臣から慕われることこの上なく、けっしてダメヤンさんじゃなかったんでしょう

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:13:46.48 ID:buoFAfWc
>処刑人は3度刀を振り降ろして、これを斬首した。


一太刀で斬ってあげてください(´;ω;`)

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:25:23.53 ID:SdbJLH6S
山田浅右衛問も時には失敗したというから…

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:27:33.61 ID:RMxcrKRc
まあ、そのせいでヨーロッパで苦痛を与えないギロチンとかが生まれたわけだしなぁ

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 11:44:11.04 ID:mc/ELILf
>>232
実際モンタヌスは関ヶ原の描写で、同じ中納言だからか織田秀信と小早川秀秋を
同一人物として描いてるw

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 15:29:06.54 ID:EZqkUVWf
>>230
甲斐守がCainecanis
Canine Canisなら犬の犬か
ところで安国寺がAncocugisってことは
上で出てきたGiciasuはジシヤスなのか

祇園守紋

2011年07月30日 23:04

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 18:08:16.03 ID:0Y9hlBW/
祇園守紋という家紋がある。いくつか種類があるが、いずれも巻物等が交差した図案となっている。
ttp://i.imgur.com/dU8Gq.gif
かもん

祇園社、つまり八坂神社の護符を図案化したというが、肝心の八坂神社は特にこの紋を使っていない。
ttp://i.imgur.com/6NM6N.jpg
6NM6N.jpg

この紋について疑問に思った松浦静山は、実際に家紋としている池田定常(松平冠山)に由来を聞いてみた。

「某も詳しく知りませんが、当家の言い伝えでは、この紋は天王(牛頭天王、八坂神社の祭神)より
授かったものと聞きます。
…が、それは表向きの話で、本当は『王』ではなく『主』から授かったのでしょうな、ふふ…」

(軽いネタ話のつもりが、とんでもない事を聞いてしまった……)

『天王』ではなく『天主』、すなわちキリシタンのデウスとやらに関係するものだと言うのだ。
すると因州池田家は、摂津池田家とのつながりか、それとも戦国のころ、信長傘下にいたキリシタン大名の
影響か何かでキリシタンと縁があるのか?キリシタンが『邪宗門』と呼ばれる、この時代にも?

(と、すると)
やはり祇園守紋を使っている柳川藩立花家は、旧主・大友家への義理でキリシタンをかばっているのか。
同じく岡藩中川家に至っては、家祖の中川清秀自身がキリシタンだったではないか。

ならば意外にもキリシタンご禁制のこの時代、信者をかくまっている大名は多いのか?こうなると島津家の
丸に十字紋も怪しく思えてくる。いや、あれは昔からの紋だ、関係ない。いや、分からんぞ……

(いかん、頭がおかしくなりそうだ。やめよう。)
「ハハ、ご冗談を。」何とか定常に笑みを向けた静山は、早々に話を打ち切った。(甲子夜話より)


宗茂とか瀬兵衛の子あたりがキリシタンをかくまったいい話…かもしれないが、真相は霧の中だし
松浦静山の胃に悪い話、ということで。




244 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2011/07/31(日) 00:45:58.56 ID:tsHHT7NT
>>243
さすが甲子夜話、江戸中期のネタの宝庫である。
たしか、13人の侍の元ネタの事件も甲子夜話にあったな。

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 03:40:59.38 ID:S2j9Mxkv
>>243
宗茂は、育ったのが博多近辺で祇園信仰が盛んだったから祇園守を家紋にしたみたいだけどな。
宗茂が考案した初期のは、扇に祇園守っていう十字とは全く別の形の物だったりするし。

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 16:22:02.46 ID:oalwK8VI
>>243
中川清秀が自家の家紋とした中川久留子は十字架を図案化したものと言われているが
あれも祇園守紋の一種なのか
そういえば、宣教師が来日した当初、島津の家紋を見て
キリスト教徒に違いない、と喜んでいたらキリスト教に改宗した大友氏と
戦いまくってがっくりしたとか

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 16:55:26.63 ID:SFAnWIgp
丹羽さんの筋違い紋(×)を見た宣教師はどう思ったのかねぇ
やっぱキリシタンと間違えられたりしたんだろうか?

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 20:14:06.67 ID:vWgKz8ng
>>252
>「中川清秀が自家の家紋とした中川久留子は十字架を図案化したものと言われているが

中川久留子を「なかがわくるこ」と読んで一瞬なんのこっちゃと思ってしまった。

大谷吉継、石田三成に対し

2011年07月29日 23:01

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 20:35:16.08 ID:CRDb1V4L
いい話とちょっと違うかもしれないが、本に載ってて気になったので。
大谷吉継石田三成に対して言った言葉

「必ず金銀にて人を使はんと思はるるは、人心の離るる本なり」
(金で人を動かすのを習慣化させると、だんだん金銀だけの繋がりになってしまい、
かえって人の心が離れていく原因になるから気をつけろよ)

関ヶ原のときも「お前は人望がないから裏方になれ」とか注意してたけど
これはいつどんな状況で言ったのか気になる。




911 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/29(金) 23:23:11.12 ID:B0lO/CyE
>>910
どういう文脈なのかわからないけど、お金で精算しちゃうと相手ももう済んだことってなるかもね
逆に僅かな金ならおごりにしちゃって恩着せたほうがかえって得な場面は今でもあるよね


912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 23:28:49.83 ID:fGBQb4vB
「人を使はん」なんだから部下の扱い方の話でしょ

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:18:40.86 ID:wYYxCefJ
寄せ集めの石田勢が善戦したことを考えると部下への人望はあったのかな

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:24:07.55 ID:a15vGj++
寄せ集めではあるが島左近に舞兵庫にと諸家が羨む超一流だから。
そういう人材を集められる三成は相当の人物だったのだろう。

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:29:45.47 ID:AXS+99fY
部下の扱い方の話なのはわかるんだけど、
いつ頃のやりとりなのかなあと。
左近スカウトする前にこういうやりとりしてるんだったら面白いなと思ってさ。

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:33:21.87 ID:xn3MJGMk
>>910
島左近を2万石で雇ったことに対する話ではなかったっけ?
高給で雇ったって、人間関係がうまくいかなかったら元も子もない、みたいな。

勘違いだったらごめん。

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:33:33.30 ID:TVuk6+na
秀吉批判?

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:43:53.59 ID:Zjf9EnAm
左近と兵庫が有能な人物なのは納得だけど、他の大名が欲しがったなんて話ある?

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:23:38.66 ID:SdbJLH6S
高名な士を向かえたいというのは誰でも思う事だろうし、羨む者もいたんじゃないか。
話としてはとくにないと思うけれど。

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:25:31.23 ID:KWackV3J
上司と部下に好かれてるのに同僚に悉く嫌われるってなかなか無いパターンだよな

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:48:02.85 ID:j9t9/O/A
>>921
鬼武蔵とかはどうでしょう?

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:53:12.80 ID:e+zN1sJw
>>922
部下は慕ってたんだろうか・・・?

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 11:32:45.89 ID:r+VBTW+J
逸話見る限りでは面倒見は意外といい

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 12:34:37.15 ID:izvS3ht+
鬼武蔵は基本自分の前に誰か(信長以外)が対面しているのが嫌なんであって後ろに付き従う人に優しい気がする

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 14:15:38.84 ID:Dly3sodQ
>>921
まさに俺

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 18:02:04.04 ID:xn3MJGMk
>>921
関羽とか?

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 21:14:19.22 ID:O+9uCVxO
>>933
げぇっ

936 名前:*[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 22:21:47.50 ID:MsxqXSXH
>>933

麋芳・士仁 「正直、呉に降ってホッとしてます」

劉元徳 「見殺しにしたのは内緒だぜ」

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 00:38:30.97 ID:EPi5f3lu
>>921
戦国大名の部下なんて大部分がそんな奴ばっかだろ
織田家で見ても、羽柴秀吉・柴田勝家・明智光秀のいずれも上司部下からの信頼は厚いが同僚同士では
ライバル心むき出し
三成だって孤立してたって言うけど実際は派閥を形成してたわけで珍しくもないな

938 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/31(日) 13:16:02.34 ID:rJT2nFqY
好きでもライバル心くらい持つだろw

関ヶ原、黒田長政と明石全登

2011年07月29日 23:01

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 13:48:21.08 ID:uTik07+G
関ヶ原についての記事

『内府様(家康)の軍勢を荒らせし者で、明石掃部(Acasicamon)と薩摩の如く甚だしい者は
無かった。

その中でも明石掃部は退却せずして敵中に突入し、自害するよりも敵の手にかかることを望み、
しだいに敵に追い詰められもはや逃れるすべのない事を知ると、甲斐守(黒田長政)の軍隊に
乱入して最後の血戦を試みんとした。

甲斐守は乱入してきたのが、その挙動、及び軍装によって掃部であることを知り、声高に下知を伝えた

「おまえたち、彼を助けよ!殺してはならない!私が彼を生け捕りにする!」

この叫びに黒田軍は皆動きを止め、甲斐守は自ら明石の方に進み近づくと、その頭に手をかけて
抱擁し、涙を流して語りかけた

「我が友よ!我ら互いに敵となってここに見参することの苦しさよ。
勝ち誇る我軍によって敗れたと言っても、あなたの名誉は隠れ無いものである。」

これに明石は
「あなたが真の友ならば、その刀で今すぐに私を斬ってくれ!」

と答えたが、甲斐守はその言葉に従わず、それどころか自分の馬を明石に与え、
それに騎らしめて戦場を脱出させ、敵の命を救った。』
(モンタヌス日本誌)

日本の記録では見たこともない、関ケ原における黒田長政明石全登のエピソードである。




908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 19:35:31.71 ID:ZzTF9sjv
明石は関ヶ原の後黒田に保護されたんだっか。

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 20:13:21.79 ID:xsW++Brm
同じキリシュタンだからな
確かに可能性はあるなw

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:34:28.41 ID:kRyBlpXj
>>908
しばらくは黒田親子の下で厚遇されてたはず
長政としては自分で優秀な人間をスカウトしたい時期だったし
血の繋がりがある明石全登はうってつけだったんだけど
領内でのクリスチャンへのあたりが強くなった時に放置してたら
出奔されて又兵衛と一緒に大阪方に付かれるハメに

日本人改名の習慣

2011年07月29日 23:00

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 00:01:07.70 ID:uTik07+G
もう一つモンタヌス日本誌より

『日本人改名の習慣

日本人の習慣として貴族は種々の出来事に遇いて名を改む。

大御所は家康(Jyavasu)およびギシアス(Giciasu)と称せられしが、
のちこれらの三者を捨てて内府様(Daifusama)と改めたり。』

ギシアスって、何?w; 徳川ギシアス…。




206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 00:11:02.30 ID:GYAogJBZ
>>205
ほら、権現様は子沢山だから

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 00:16:20.68 ID:RWEKH+bz
モンタヌスの日本誌って挿し絵がとんでもな奴だよね

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 00:23:40.43 ID:uTik07+G
>>207
そう。こんなのw
http://sageuploader.vs.land.to/1upload/src/sage1_29901.jpg
秀次

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 00:30:16.04 ID:29MKGV4V
日本人の俺も、昔の人の呼び方はようわからんから、奇想天外な話になるのもよくわかるがw

210 名前:前だけ弄ろうとします ◆OVNYPzgZN2 [sage] 投稿日:2011/07/29(金) 00:31:45.74 ID:58XjjXxb
>>206
寧ろギシアス=ギシギシass assで,権現様の衆道趣味をフィーチャーして
いるんだよっ!!1!

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 00:35:31.13 ID:wN2p/29C
http://www.yushodo.co.jp/pinus/60/montanus/index.html
このサイトでも紹介されているね
ところでgiciasuの発音って、イタリア語っぽくジチヤスとか
どっちにしても意味不明か

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 00:35:53.02 ID:6aTo8SgS
>>205
「内府様」って「だいふさま」なんだ。「ないふさま」だと思っていた。
内裏と同じなのか。

>ギシアス
なんだろ。次郎三郎?家康(Jyavasu)と内府様(Daifusama)がけっこう正確なだけに気になる。

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 02:32:20.85 ID:c/cQRjG2
昔のヨーロッパ人は知らんが、現代の西洋人は
イエヤスは発音しにくいんだと思う
北米の大学で歴史学勉強してた時の教授、
イエヤスのことをアイヤスって発音してたわ


216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 02:53:39.25 ID:bUxUpYpV
>>214
しかしトロヤ戦争の英雄アイアスAiasの英語の綴りは、発音がしにくいのか
Ajaxな件

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 05:41:55.05 ID:A95/jvdE
オランダもスペインもGの発音は特殊で、単純にガ行にはならなかったはず

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 06:45:13.47 ID:dMezI5EA
>>211
うーん、何となく知っているつもりだった日本とは微妙に違うけど・・・。
なんせ相手はその時代に実際に居て記録した訳だから、そっちの方が正しいんだろうね。

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 11:00:43.45 ID:ksYWSRUg
ジチヤスと聞いてチチヤス思い出してしもうた…

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 12:31:05.15 ID:sXhaq0AA
大納言の唐称の御史大夫がギシアスに聞こえたとかでね?

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 16:43:24.16 ID:PPd0yxby
>>217
現代語だと ヒシアス になるのかな?

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 22:02:25.91 ID:iaTFq7c6
ギシアスとはなんだったのか

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 22:29:05.78 ID:MPw+mlX7
私です。

「矢切りの渡し」由来

2011年07月29日 23:00

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 11:37:06.66 ID:ksYWSRUg
地名にまつわる小話を一つ(ソースは葛飾区が出してる郷土資料の本)

矢切りの渡しで有名な「矢切」の地名の由来はいくつかあるらしいのだが、その中のいくつかを御紹介。
いづれも国府台合戦がらみ。

①里見軍、北条軍双方の「矢が切れるまで激しい戦闘だった」
②里見方の「矢が切れて負けた」から矢きり→矢ぎり
③もう「弓矢の必要ない平和な世の中を願って」地元住民が名付けた。
…などなど。

あと矢切りの渡しの付近(現在の江戸川)の浅い場所を「からめきの瀬」というんだが、
どうやら「からめての瀬」の訛りらしい。浅くて渡りやすい場所を城の「搦め手」に例えたらしい。

巻き込まれる農民にとっちゃ悪い話なので、こっちに投下。
乱文失礼いたしました。




221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 12:01:43.83 ID:swGyjQ3y
>>220
からめきの瀬には一説には、
がらめきの瀬ともいってそこにある石ががらがらと音を立てるから、
みたいな話もあったね

だから第二次国府台合戦で北条の大群が夜飲に紛れて渡河しても、
渡河の音がその音にかき消されて気づけなかったとか。

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 12:11:22.99 ID:ksYWSRUg
>>221

今はあり得ないほどのどかな場所なんだけどね。
完璧に余談ですが、うちの近所に里見氏の御子孫が住んでいらっしゃるそうな…

信玄vs忍者

2011年07月28日 23:30

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 01:21:40.01 ID:XgsXEDNd
信玄vs忍者

ある時、信玄配下の忍者数十人が離反し山小屋に立てこもった。
信玄はこれを策略をもって制圧しようと、信玄の下に残った忍者を呼んだ。

信玄「忍び込みにくい城というのはどういったものか?」
忍者「いかにも厳重に守っているようでも、夜警の者の声が頻度に聞こえるようでは
   返って相手の油断も分かり易いものです。」
信玄「ほう、では今回の場合はどうだ?」
忍者「奴らはそういったことを熟知しており、決して物音を立てないでしょう。
    これは難しうございます。」
信玄「そうか、わかった。」

すると、信玄は山小屋に向け陣を張り、いかにも厳重に守っているように夜警の者などをしきりに廻らせた。
そうして数日が経ち、ちょっと隙を見せると山小屋の忍者達が夜襲をかけて来た。
もちろん、それは信玄の罠であるわけで忍者達は伏兵によって討ち取られてしまった。



”羽柴”由来一説

2011年07月28日 23:30

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 17:20:42.43 ID:lRiOOi0Q
いい話でも悪い話でもないけど、おそらくは間違った説なのでこっちに

『羽柴の名は信長が彼(秀吉)に与えたものにて、そは彼が山口王(毛利)に対してエムベロム(信長)の
有力なる軍隊を率いて発進せし時の事なり。

其時彼は新しき名を与えんことを信長に請いしかば、信長はこれを聴し、従来藤吉郎と
称せしを改め羽柴と呼ばしめたり。森の上に飛べよという意味にして、是によりて彼の成功を
祈りたるなり。

彼が対抗せんとする山口王は名を毛利殿といい、その始めの綴りは森の意味にして、
終わりの綴りは君の意味なり(”殿”のことか)。
すなわち信長は、新将軍が敵に勝ちて森の上を鳥の如く飛ばんことを欲せしなり。』

そんな、今現在まで謎の多い「羽柴」という苗字についての一説である
(モンタヌス日本誌)




193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 17:34:30.64 ID:mTpLAwEC
由来は丹羽と柴田ではなく「森」だったのか

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 18:31:57.35 ID:EjtLFIPm
意外と面白い説だね。

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 19:45:44.69 ID:VlQo2AGx
>>193
あるいは森可成を超えられるような忠臣に、という意味かもしれん。

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 20:28:51.92 ID:txmAfNQi
信長がシャレを利かせたのかとも思ったけど、著者がmouriとmoriを間違えてるだけな気がする
「殿」までが名前だと思ってそうな書き方してあるし

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 20:38:22.02 ID:so2/+sZG
藤吉郎改め羽柴はちょっと笑った、木下羽柴かよっw

毛利と森は毛利勝信とかの話もあるからまあ

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 22:01:59.04 ID:VlQo2AGx
>>198
本来は毛利は「もり」と読むものだったのかもしれないよね。
森可成の家も毛利庄由来というし。

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 22:12:15.41 ID:QQkhXWBq
織田も当時は「おた」だったんじゃないかって説もあるよね
伊達も「いだて」だったとか

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 22:25:05.34 ID:Tpn0qyBS
いだてはローマ字の署名があったよね

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 22:28:00.46 ID:5e6o5z94
つうか地域によって呼び方が違ってただけじゃないのか?
当時は今みたいに統一された形での言語なんてなかったと思うんだが

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 22:31:49.32 ID:so2/+sZG
表記と発音が違ったり、同音なら異字でもオッケーみたいなおおらかさとか
単純な間違いとかまあいろいろ有るわな。

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 02:46:51.62 ID:i4v/yBBG
今でも字が一緒でも読みが違う苗字ってあるから、ひとつの家がそうだから、他の家もそうだ、
ってのは言えないんじゃない?
「藤原」を「ふじはら」って読む方が山陰だとメジャーだったりするんだ。

秀吉の偏諱

2011年07月28日 23:30

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/28(木) 18:45:52.79 ID:P7JCUFJY
秀吉の名前の話題が出たので便乗してみる。

秀吉は最初『元吉』と名乗っていたが、放浪中に六角義秀に召抱えられた時、
その偏諱を賜って『秀吉』となったという。天正三年のことである。(『江源武鑑』より)


いつ六角氏に仕えてたんだよとか、天正三年にはとっくに織田家にいただろとか、
六角義秀って同じ書物で永禄十二年に死んでるんですけど、とかツッコミ所はいろいろあるけど、
『江源武鑑』自体、六角氏嫡流(定頼・義賢・義治とは違う血筋)をでっちあげてるかなり怪しい代物なので仕方ない。

とにかく、秀吉が死人に偏諱を賜ったという信憑性の無いお話。




週刊ブログ拍手ランキング07/02~/27

2011年07月27日 23:23

07/02~/27のブログ拍手ランキングです!


あの『音』を射よ 70
雑談・某戦国カードゲームで 67
茄子と15歳と18歳 65
香宗我部家・ほんとうにちょっとだけ(胃に)悪い話 65

栗山利安の臨終 47
人格矯正計画 45
泉田重光の忠誠心 41
山城は何にて 37
太閤検地の悪い話 35
榊原康政、松平信康に 35
山中鹿助・三日月信仰由来 31
ある時酒井忠勝が瘧を患った 31
戦国のオオカミ少年? 30
栗山利安と指物争い 30
聞かぬなら 燃やしてしまえ 部下の家 29
呼び捨てにされる毛利輝元 28
栗山大膳と『旅枕』 26
熊千代君(7歳)、喧嘩に混じって 25
合計 1367



今週の1位は、あの『音』を射よ
藤堂家家臣、玉置太郎助の弓のおはなしです。
その弓の腕前の素晴らしさにくわえ、いつの時代も嫉妬ややっかみがあったのだな、と言うことも
見せてくれますね。
玉置がその弓に刻んだ文句、彼の自負心をよく現してくれています。

2位はこちら!雑談・某戦国カードゲームで
これが2位に来ましたかw
しかし昔は信長の野望などでも比較的地味なグラフィック(こんなの)だった森長可が、
こういうキャラに認識されるようになったのは、元々の逸話のインパクトの強さはもちろんですが、
おそらくはいい悪いスレ(主に悪いスレ)の影響なのだろうな、とちょっと嬉しくも思いますねw
将来的にもこの鬼武蔵像が定着するのか、興味深いところですw

今週管理人が気になった逸話はこちら!茄子と15歳と18歳です!
いかにもこの親子らしい、ある意味皮肉の応酬なのですが、和歌の達人らしくひとつの句に
いろいろな意味が込められていて妙に奥深く、本当にこの人達の頭の構造はどうなっているのかと
感心すらしてしまいますw
学識が血肉になっているって、こう言うことなのでしょうね。

今週も各逸話に、たくさんの拍手をいただきました!いつも本当にありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください。
( ´ω` )




さて、今週は久々に本の紹介など

戦国関東の覇権戦争 (歴史新書y)戦国関東の覇権戦争 (歴史新書y)
(2011/06/04)
黒田 基樹

商品詳細を見る


黒田基樹先生の、『戦国関東の覇権戦争 北条氏VS関東官領・上杉氏55年の戦い』です!

基本的には関東の山内・扇谷両上杉の争いに伊勢宗瑞(北条早雲)が介入したあたりからの、関東戦国史についての
解説なのですが、個人的にこの本で特に印象的なのは、北條氏政のかっこ良さです!氏康じゃありません、氏政です!w

内外の情勢の変化や自然環境など、様々な問題があったものの、判断ミスと思われる事も多くそれゆえに
関東への上杉謙信勢力の侵入を許した北条氏康。これに対し氏康の死によって実権を握った氏政は、的確な政略、戦略で
上杉勢力を次々と駆逐、当初彼を舐めきっていた上杉謙信を追い詰め、終に関東から追い出します。その姿はまさに、
上杉や武田に圧迫されていた北条の救世主、名将そのものです。

そんな、通説とは違った形の北条氏政、そして彼の兄弟たちの像がみえてくるようなこの本。関東戦国史を把握するのにも
実に良いと思います。夏休みの読書にいかがでしょうか?

ある時、浅野幸長が古田織部から

2011年07月27日 23:09

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 18:15:12.99 ID:EeG8E2xt
古田織部「五金時殿くらいで」



175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 21:44:40.24 ID:/pLjZPZs
>>173
ある時、浅野幸長古田織部から、狭い茶室での道具の置き方・所作の仕方等の稽古を受けた。

「よいですかな浅野殿、客も炉も自分の右側にある時はこうする。客が右、炉が左の時はこう。」
「ふむふむ。」
「客も炉も左の時はこう、客が左、炉が右の時は…って、この辺は前の稽古の時どう教えましたかな?」
「………済まぬ、忘れたようです。」


そこで二人は、前回の稽古で同席した上田宗箇を呼んで、この件について問いただした。

「………申し訳ござらぬ、それがし、師の教えを失念いたし申した!!」
「(え~)………」
「………?」
「……………」

「…と、とにかく、こういうものはその場その場でやってみなけりゃワカランものにござるよ。」
(織部候云、兎角その座敷にて置合てみねば、たしかならず)

「なるほど、そういうものですか。」
「うむ、そういうものです。」


織部のおかげで一つ勉強になった
…わけもなく、こーゆーお人に「白黒つけろ」とか㍉にゴザルよ。




182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 09:56:45.63 ID:K5IF7UPx
>>175
みんな忘れたのかよwwww

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:02:15.87 ID:IUg9pvcb
>>175
織部も忘れてる?www

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:10:52.93 ID:O5JhFgs2
消防のころ先生が答え忘れてみんなに聞いてもわからなかったこと思い出した

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:30:13.96 ID:WBUAFs8e
小学校の問題の解答くらいは、その場で考えられるだろ・・・と思うけど、焦るとそれすらも分からなくなるんだよね

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:38:13.40 ID:Gb/IrSc2
これ、小学校の問題と解答とかそういう話じゃなかろ。
マニュアルも正答もない、どうやったら非礼にならずに人をもてなせるかという話なんだから。
当然正解なんてないよ

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:46:37.99 ID:O5JhFgs2
前の稽古の時教えたことあるんだから正解はあるだろ

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:57:05.26 ID:Gb/IrSc2
「教えたことある」なんて文中に書いてないけどねw

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 20:03:41.54 ID:O5JhFgs2
読解力が乏しいのか、単に引っ込みがつかなくなっちゃったという
ちょっと悪い話

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 20:43:32.16 ID:YemAPnjX
ひどいオチだw

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 21:32:09.63 ID:r2+J8sfP
ひどいお茶でもある

千利休はある時、密庵の墨蹟を見つけた

2011年07月27日 23:05

千利休   
177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 22:59:04.41 ID:yWvWCmKA
千利休は宋の僧侶・密庵の墨蹟を愛した。
ある時、近江で密庵の墨蹟を見つけた利休は120貫文の大金で
これを手に入れた。

早速、利休は茶会で墨蹟を掲げたのであるが、
招かれた北向道陳松江隆仙は墨蹟を褒めてはくれなかった。
(おかしいな・・・どうしたことだろう)と思い、利休は2人に尋ねてみた。

松江「だって・・・」
北向「これ偽物だよ」
利休「ナ、ナンダッテー!だったら、こんなもの!」

偽物と知るやいなや利休は墨蹟を焼き捨ててしまった。




178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 23:17:05.41 ID:BFPwgWtt
そういえば当時の中国側の記録で、
「日本人は馬鹿アル。中国産のものなら偽物でも高い金出して買うねw」
というのがあったと聞いたようなw

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 23:42:02.03 ID:TKLWVOaz
中国はヨーロッパ相手に紅茶でもそれやっていたような。
そのあと毟りまくりられたけど。

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 23:53:28.05 ID:hA1AN+MX
おおじっきゅうよ、ぼられるとはなさけない・・・

主君替え、一人目

2011年07月27日 23:03

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 02:57:18.47 ID:7K5appAh
主君替え、一人目

姉川の合戦での手柄を、主君浅井長政から誉められていい気になってるだの、
図体のでかさと怪力を妖怪よばわりされるだの、とかく中傷は半端なかった。

よほど腹に据えかねたのか17才の藤堂与右衛門は、噂を吹聴する山本嘉助と対峙し、
これを切り捨ててしまった。
「・・・もはやここにはいられまい。やがて追っ手がまいるだろう。」
与右衛門は、着ていた紺地に大紋の羽織を脱ぐと裏返し、茶色に無紋の羽織にして再び羽織った。
(リバーシブルだったわけだ)
そしてその場を立ち去った。

まもなく、嘉助の死を知った追っ手が与右衛門を躍起になって探し始めた。
与右衛門の着ていたはずの紺地大紋羽織を手がかりに、聞き込みを行う。
「紺地に大紋?見かけねえなあ。茶に無紋羽織ならいっぱいいるけどよ。」
流行色だったのである。

藤堂与右衛門高虎は慌てた素振りも見せず、悠々と逃げおおせ、
二番目の主君阿閉氏の門を叩くとになるのである。



ある時酒井忠勝が瘧を患った

2011年07月26日 23:05

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 11:40:19.65 ID:3gIEtyc1
ある時酒井忠勝が瘧を患った。
それが癒えてから忠勝が登城すると、小姓たちが忠勝を取り囲んだ。
驚いた忠勝が何なのかと尋ねると「病みあがりゆえ冷えては体に障るとの御上意なれば」と火鉢を持って
忠勝を温め始めた。
家光の御前に出ると、家光自ら自分の後ろの屏風を忠勝の後ろに引きまわし
さらに自身の頭巾を与えたうえで「わしの前で許されたのだから、今後は誰も前でも頭巾をかぶっても良い。」と
言葉を添えた。

『酒井空印言行録』




栗山利安の臨終

2011年07月26日 23:05

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 13:24:07.98 ID:bE4QyERV
栗山備後守利安と言えば、軍陣にての高名は11度、そのうち5度は槍働き、6度は采配をとって人を使っての働き
であり、また仕物(命令で人を斬ること)も4度、このうち2人は豊臣秀吉が黒田如水に仰せ付けられた者を
利安が実際に斬った。
これほどの戦働きをしたが合戦で怪我を負ったということはなく、ただ一度、朝鮮の役で左の小脇に矢がかすり、
血が少し滲んだ事のみが例外であった。
このように大剛の栗山利安であったが、普段は自身の戦の話など、まるですることの無い人であったという。

時に彼は81歳で死ぬ。その前日のことである。

利安はすでに、呼吸をするのがやっと、という状態であり、子どもたちをはじめとした看病をしている者たちは皆、
枕元でその時を覚悟していた。と、この時

利安は不意に、カッと目を見開いた。そして

「馬だ!鉄砲だ!
あそこに敵が出たぞ、味方の人数をここに出せ!あちらに出せ!
鉄砲をあの山に上げて撃たせろ!
敵は馬で駆け寄ってくるぞ!味方は馬から降り芝生に座れ!采配次第に、いかにも静々と懸かれ!」

うわ言に、合戦での指揮を叫び始めたのだ。

看病の者たちは皆大いに驚いたが、そのうちの一人が利安の耳元で

「かしこまり候」

と答えれば、おとなしくなり再び寝入った。

栗山利安はその一晩の間に5度合戦の指揮を叫び、夜明け頃、儚くなった。


戦国の世に生まれ育ったいくさ人の、臨終の模様である。
(古郷物語)




864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 17:26:42.06 ID:QPdtteeK
古郷物語出典の逸話は内容が丁寧で写実的な気がする

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 18:02:44.93 ID:DNW25RW4
一応既出ではあるけど
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3914.html

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 21:49:49.83 ID:f8Ab7fdS
>>863
( ;∀;) ホントウニイイハナシダナー

2011年07月26日 23:05

松仙院   
866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 20:20:51.03 ID:Mc/6qgJL


真田信吉の正室は夫の死後、落飾して松仙院と号し、実家の酒井家に戻っていた
彼女の目に側室の子と実家の甥が高齢の義父と争っている光景はどう写ったのであろう
松仙院は死後、彼女の母の眠る曹渓寺(麻布)に葬られた
松仙院が生前に建立した真田信之の供養塔もその姿を残している


この供養塔、松代藩歴代藩主が祀られた長国寺の信之の墓(本墓ではない)と大きさが大差ない立派なもの
信之次女見樹院の建立説もありますが





「留守政景と泉田重光の確執」

2011年07月26日 23:04

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 20:48:38.55 ID:gXcbMCUP
「留守政景と泉田重光の確執」
いい話スレで大崎合戦の話が出ていたので…。

宮城郡八幡(やわた・現宮城県多賀城市)の領主、八幡景廉は幼少で家督を継いだ為、
叔父の下間景継の後見を受けていた。その景継は嗣子が居なかった為、景廉の異母弟である
業継を養子に迎え入れた。
景継の死から数年後、八幡家中では凡庸な当主の景廉ではなく、下間業継を擁立しよう
とする声が高まった。家中を押さえ切れなくなった景廉は、主家である留守家に助けを
求めて逃げ込んだ。これに応じた留守政景は景廉と共に下間城を攻め、たまらず業継は
逃亡し、姉の嫁ぎ先である伊達家臣・泉田家へ身を寄せた。泉田重光は業継の甥にあたる。

業継の亡命後、留守政景と泉田重光は対立する様になった。この両名が大崎氏の内訌を突く
べく大将として派遣されたが、伊達軍が集結した松山城での軍議の場でも意見が衝突する。
松山城主・遠藤出羽守は敵方の新沼城主が出羽守の姉婿である事から、これを素通りして
敵城・師山城に抑えを残し、一気に敵中深く中新田城まで攻め入る事を主張、これを重光
は支持する。対して政景は十分に敵情を調べた後に侵攻すべし、と慎重論を唱えた。
重光は政景の岳父である黒川晴氏が大崎方へついた事を挙げ、政景は消極的であると罵った。

結局、重光に押し切られ伊達軍は留守隊を抑えとして中新田城を攻撃するも、降雪により足元
を取られ、反撃に出た大崎方によって多くの死傷者を出した。分断され雪中に孤立した政景は
舅・晴氏に使者を立て、松山城までの撤退を許された。一方の重光は敵方の新沼城に
収容され、自らが人質になる事で将兵の解放が許された。




逃げの甚五郎

2011年07月25日 23:01

147 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/24(日) 23:07:12.45 ID:VxQdvJ2m
それでは、甲州武士の鑑、横田甚五郎こと逃げの甚五郎の話
武田勝頼滅亡の端緒となった高天神城後詰の一件
主君に「高天神上の後詰は無用、捨て殺しにされよ」という書状を送ってひと月、城内の糧食も
尽きかけた今、甚五郎は、総攻めで城内に乱入した敵兵を如何に殺すかを考えながら城の図面
に目を通す甚五郎の元に同僚の相木市兵衛がやってくると耳元で囁いた。
「主将の岡部殿が、城を打って出るとのことでござる」
「馬鹿なことを、城を枕に討ち死にすると評定で決めたはず」
「それは、後詰がある時の話、後詰が見込めない今、飢え死に覚悟で籠城するより、城外に打って
出て華々しく死に花を咲かすもよし、あわよくば、敵中を突破して命を拾うもよしとの仰せじゃ」
「浅慮なことを、落城必死の今、一人でも敵を殺すのが我らの意地の見せどころのはず」 
気色ばむ甚五郎に相木市兵衛が、さればでござると話を切り出した。
 数日後、高天神城主将岡部元信が城兵と共に城を打って出て、さんざんに奮戦したが、ほとんど
の兵が殲滅された。しかし、その中に横田甚五郎と相木市兵衛の名前はなかった。
 両名は、最後の突撃直前に間道から城外に脱出していたのだ。
「ではお館様に、良しなにお伝えくだされ」
 そう言って躑躅ヶ崎館に向かう甚五郎に別れを告げ、相木市兵衛は本貫地の上州に向かった。
武田勝頼の前に帰還の報告を行った甚五郎は、高天神城からの脱出を賞賛され、感状と太刀を授けられ
ようとしたが、おめおめと生き残った自分が受ける謂れはないと断った。
しかし、高天神城から一人だけ抜け出し、おめおめと生き残ったという汚名は、生涯、甚五郎に付き纏い、
やがては逃げの甚五郎と大久保彦左衛門に嘲笑される羽目になるという横田甚五郎のちょっと悪い話。


余談

相木市兵衛のその後、武田滅亡後、北条に属すも徳川方の同族に攻められ、本拠の相木城を奪われ、
挙句の果てに木次原の戦いで討ち死にしたとさ




148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 23:41:09.94 ID:VpA8cfaV
>>147
相変わらず彦左は自分が面目潰されるとぶちきれるくせに
他人の面目潰す事に余念が無いな

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 23:48:15.00 ID:A09FbhUj
これだな

年寄りの武辺争い
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5077.html

正直現代にまで残ってる「武辺話」は彦左より横田の方が多いんだがな

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 00:04:46.19 ID:KcqYkZ3H
彦左って自分が大したことないのに、妬みや嫌みばっか言ってるよな



まるでねらー

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 01:04:03.52 ID:HBZTW1yt
彦左は性格最悪な作家そのものだと思うわ

小山秀綱と結城晴朝、兄弟の違いは

2011年07月25日 23:01

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 06:19:31.86 ID:gPW3f3Qf
兄弟の違いは

下野・小山秀綱と常陸・結城晴朝は実の兄弟である。
秀綱が兄、結城家に養子に入った晴朝が弟。
北関東も奥羽さながらに縁戚が入り乱れ、大小の戦が敵・味方を変え断続的に行われていた。

ときに天正年間。
越後上杉に与したとして下野の小山秀綱は北条勢に攻められ、父祖伝来の居城・小山城を追われた。
秀綱は北条氏照に小山城とは目と鼻の先の榎本城に入る事を許されたが、
氏照の家老・近藤出羽守綱秀の監視下に置かれることになった。

そのまま秀吉の小田原征伐が始まる。

兄・秀綱は北条方
弟・晴朝は豊臣方

将兵は顔見知り・親族同士も多いながら、北条・豊臣の軍監が見ているせいでワザと力を抜く事も出来ない。

榎本城には八王子方面に軍を向けた近藤綱秀の嫡男と城代、小山秀綱、藤岡山城、石島主水がいたが、
結城勢をはじめとする豊臣の大軍を前に城は落ち、
秀綱はわずかな供に守られ埼玉柳生に落ち延びた。

小田原の陣後秀綱は秀吉に面会を許されたが、御家は取り潰しとなった。

弟の晴朝は太閤秀吉の養子於義丸(秀康)を継嗣にする事で豊臣期の大名としての存続は安泰かと思われたが
常陸結城から越前への移封で住み慣れた土地を離れねばならず、結城の家名も後代失った。

兄弟の違いは
出来?運?




153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 09:07:17.98 ID:GlJEMa6p


154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 09:45:11.60 ID:5JTDhs9u
小山の方が小田原に近いから

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 10:44:51.87 ID:YnoUaIsD
小山……>>152
結城……同じく
長沼……宗家は戦国初期に滅亡?分家の皆川家は江戸初期に無嗣断絶
千葉……当主が相次いで家臣に暗殺される等ボロボロ 小田原陣後、正式に改易
宇都宮…http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1466.html
佐竹……唯一の勝ち組?
那須……O関「主君?なにそれおいしいの?」
小田……もういい…!もう休めっ…!


関東八屋形だけ見てもこんなんだから関東の名族に生まれること自体がハードモードと思われ

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 11:11:01.19 ID:EIbqhBoW
結城が常陸?????????????????

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 13:26:55.86 ID:wRzmTnnJ
>>156
まあ茨城だからね
やっちゃったのかなとも思うし
天庵殿を抑えて常陸南西部を支配下に治めていたのも間違いではないけど

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 19:19:35.76 ID:w2TkiRhI
>>158
今の分類で言えば茨城県だけど、結城の地は戦国時代だと常陸じゃなくて下総だよ

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 19:40:47.81 ID:5JTDhs9u
結城の領土は常陸・下野・下総の三国に跨っている。
結城城は下総にあるが、位置は見てのとおり、三国が接する場所にある。
常陸結城と言っても間違いではない。

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 19:53:53.40 ID:ucWVWMfB
領土の境界がわかり辛い悪い話ということで

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 20:42:04.91 ID:fIxGWm4f
三国を城がとり結び支配しているから結城なんですねわかります

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 20:46:22.77 ID:FLRTbt9v
誰が馬

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 21:55:43.22 ID:glk2HMOV
うまいかなぁ

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 22:20:12.00 ID:bKV3qKUB
ちょっとうまいと思う

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 11:38:55.34 ID:GQOne77X
そうでもないと思う

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 12:27:54.27 ID:uuLi1ZqZ
なかなかいいと思う

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 17:28:29.81 ID:QPdtteeK
えーい、どっちなんじゃい!

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 18:15:12.99 ID:EeG8E2xt
古田織部「五金時殿くらいで」

香宗我部家・ほんとうにちょっとだけ(胃に)悪い話

2011年07月25日 23:01

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 13:16:15.11 ID:ad6ob3CR
ほんとうにちょっとだけ(胃に)悪い話


戦国時代中盤、香宗我部家は長宗我部家や安芸家によって圧迫を受けていた
隠居していた香宗我部親秀は家名を守る為に長宗我部家から継養子を迎えて連合体制を築こうと図ったが
話は順調に進まなかった
弟 秀通が頑なに拒んだのである
秀通には後を継ぐべき男子もあり長宗我部家を畏れて迎合するを‘武門の恥’として反発した
家名を守る為に執心した親秀は弘治2年(1556年)に秀通を部下を使って暗殺
こうして長宗我部国親の三男が香宗我部親泰として家督を継ぐ事になったのである

親泰は秀通の遺児で歳の近い香宗我部泰吉を重用した
親泰の妻は泰吉の妹であるから尚更かも知れない
ちなみに泰吉が2歳年長
泰吉は親泰に仕える時点で姓を中山田に変えた
香宗我部家当主はあくまでも親泰であるという意思表示である
香宗我部改め中山田泰吉は本当に優秀な人物であったらしい
長宗我部家の外交官として飛び回る親泰の留守をそれはもう完璧なほどに守り、執務も代行していた
ところが泰吉には悩みの種があった

親泰「俺に何かあったら次は泰吉」

と親泰が公言してはばからなかった事である
長兄長宗我部元親を前にしても公言する
息子にも叔父さんに習えと言い聞かせる
と、親泰の義兄愛がとんでもなかったのである
確かに優秀な人材であり元々の香宗我部家の人間だが、長宗我部本家の血の結束からは外れた存在
人物、能力に惚れ込むあまりに血縁の重要さが親泰から吹っ飛んでしまったのである

このあたり、長兄とどこか似通っている

結果として親泰死後に次男貞親が後を継ぎ泰吉は重臣として香宗我部家に仕え続けた
関ヶ原後は香宗我部家の家名を守る為に奔走
香宗我部の家名は守れたが残念ながら貞親は土佐を退去した
泰吉一族は土佐に残り山内家に仕えた

今も中山田家は続いています
清和源氏の流れをくむ香宗我部と名乗る事もなく




太閤検地の悪い話

2011年07月25日 23:00

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 17:34:32.79 ID:ucWVWMfB
太閤検地の悪い話

小田原北条氏が秀吉によって滅ぼされると、奥羽の地にも中央から役人は来て測量検地を始めた。
最上義光の所領の出羽山形の測量の割り当てになったのは忍城攻めでは良いところのなかった石田佐吉三成。
部下を叱りつけながらあれもこれもと細かく注文をつけつつ、測量の指示をしていった・・・ハズであった。

三成「これでおおよそこの辺の計測も終了か。
上山、蔵王、山形、天童、余目、こっちの完了分は小国と大石田か・・・」
部下「こちらの報告書はどこに置いておきます?」
三成「村山か・・・。表紙を付け、そっちに纏めておいてくれ」
部下「は、わかりました。・・・ん?今測ってきたのって最上だけど、殿は
村山って言ってたよな。こっちの気のせいか・・・」

部下は最上地域の測量表に「村山」の表紙を付けた

従来、上山・山形・天童は「最上」地域
その北の新庄・村山方面は「村山」地域とされていた

現在、上山・山形・天童は「村山」地区
その北の新庄・村山方面は「最上」地区とされている

誰が悪いかはっきりはしないが、太閤検地で地名が入れ替えられたまま、誰も修正できなかったバツの悪い話。




160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 17:38:05.22 ID:Pn7FhItc
ケンミンショーで北のほうが最上地方と紹介されて、何でだろ?と思ってたらそんな事が

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 17:47:59.54 ID:ucWVWMfB
>>159
>>160
「最上郡」「村山郡」の逆転と太閤検地関連
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%A4%AA%E9%96%A4%E6%A4%9C%E5%9C%B0%E3%80%80%E6%9C%80%E4%B8%8A%E3%80%80%E6%9D%91%E5%B1%B1&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/25(月) 18:00:40.27 ID:ucWVWMfB
平安時代に最上郡の北半分を割いて村山郡が作られたハズだったが・・・

(´・ω・`)「キツネにつままれた気分だ・・・」

あの『音』を射よ

2011年07月24日 23:04

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/23(土) 21:43:59.53 ID:xHrLkkoJ
お盆まで一ヶ月切ったし、藤堂さんの話が出たついでに、こんな話を↓


大坂の陣の夜のこと。藤堂高虎の陣に、風に乗ってキリキリと何かがきしむ音が聞こえてきた。
「面妖な。城方の伏兵あたりが弓を試す音か、それとも何かの怪異か?よし、玉置太郎助を呼べ!」

家中において、弓の名手として知られる豪の者を呼んだ高虎は、太郎助に命じた。
「あの『音』を射よ!!」

真っ暗闇の中、音だけを頼りに的を射ろ、というなかなかムチャな命であったが、ともかく太郎助は
闇に一筋の矢を放った。格別に当たった音もしなかったが、それだけで音は止んだ。

「はて。伏兵ならば、うめくなり逃げる音なりが聞こえよう。するとやはり妖しの類であったか?」
翌朝、矢の飛んだ辺りを見に行って、高虎の疑問は氷解した。
「・・・なるほど!!」

そこには一本の柳の木があり、枝が大きく裂けていた。裂け目に風が当たって、きしんでいたのだ。
今、その裂け目には、玉置太郎助の放った矢がピタリと挟まり、柳のきしみを止めていた。

音だけを頼りに、物の見事に的に当てた太郎助を、高虎はじめ皆が賞賛した。(甲子夜話より)


この玉置太郎助、矢で敵の内股を狙い撃ち、倒れたところを首を取って、弓の腕を認められた。
「まぐれ当たりじゃ。」と、太郎助をそしる者もいたが、その後も彼は弓をもって手柄を立て続け、
その愛弓には
『此弓、弱しといへども敵七人を射倒す』と、誇らしげに銘が刻んであったという。




722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/23(土) 22:51:10.46 ID:0DouNrPo
まぐれ当たりと謗れる奴は普段どんな手柄立ててるんだろうなw

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/23(土) 22:58:53.19 ID:yXO/EUC8
わざわざ、弓に「弱し」なんて掘るところを見ると、強弓を引けなくて侮られてたとか?
なんとなく、源平合戦の頃みたいな話だなー。

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/23(土) 23:04:57.32 ID:wLDQHydk
どっちかというと「弱いとか言われても俺これで七人とか射倒してますしwww」的なノリじゃね

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/23(土) 23:05:29.14 ID:zpt9TYrP
>>722
みたいにすぐ言い返して喧嘩するのが市松
ぐちぐちと嫌味を返すのが直江
ムキになって勝負に持ち込むのが黒田
三本まとめて折るのは吉川
合戦で背後から射殺して誤射だと言い張るのが――おっと誰か来たようだ

榊原康政、松平信康に

2011年07月24日 23:04

726 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/23(土) 23:41:01.64 ID:szxML2ca
榊原康政は家康の長男である松平信康に、素行の悪さを正すようにたびたび忠告していたが、
逆に信康に恨みを持たれていた。ある日、康政の諫言に激怒した信康は、近くにあった弓を手に取り
矢を放とうとした。しかし康政はこれに全く動じる事もなく、

「信康様の事を思って申し上げている者を殺すような事があれば、お父上の怒りは計り知れず、
 結果として貴方の為になりませんぞ。」

と懇々と諭し、信康に冷静さを取り戻させると共に、反省を促したのだった。
「武功夜話」より。




泉田重光の忠誠心

2011年07月24日 23:04

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 07:47:59.57 ID:IOf/xS7n
泉田重光の忠誠心

多分過去に挙がっていないと思うので一筆

大崎合戦では妻の家の家督相続を留守政宗と言い争った伊達家臣泉田重光だが、政宗に仲直りの意味も兼ねて
政景と二人大崎攻めの先鋒の大将にされてしまった。
二人には兵1万が与えられたが、大崎陣でも口論が絶えることは無く、兵5000を率いて先に出た重光は、
後詰めの政景と大崎の大軍に分断され、兵を撤退させる講和の条件に自らが人質になる事を呑んだ。

大崎軍中
一栗放牛「これはこれは、まぁ話を聞こう」
黒川月舟「某は黒川月舟、覚えがあろう」
延沢満延「某、最上家中延沢能登と申す」

泉田重光「!?なぜ最上の家中がここにいる?」

(´・ω・`)「だって、大崎家と最上家は親族だもん。援軍出すのは当たり前でしょ?囲まれた時に
旗印でわからなかった?」

*大崎も最上の旗も丸に二引き両。丸の大きさや二の間隔で区別する

留守政景と兵は講和によって無事伊達領に戻されたが、重光の身柄は大崎家から最上義光に引き渡された。

山形城

(´・ω・`)「・・・家臣にならない」
重光「お断り申す」

(´・ω・`)「鮭食べる?」
重光「・・・それはそれで頂戴致します」

(´・ω・`)「伊達家って鮎貝君も愚痴言ってるけど、そんなに良いの?」
重光「奉公に足る御恩がござる」

伊達家に嫁いでいた義姫の助力もあり、やがて重光は政宗の許に帰された。
泉田重光は朝鮮出兵にも政宗に付き従い、家中の序列は後藤・亘理家と同格とされる。




730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 12:15:07.67 ID:nGGM+b9G
逸話の内容結構面白かった。
東北は相変わらず縁戚で混沌としてるな。

熊千代君(7歳)、喧嘩に混じって

2011年07月24日 23:03

116 名前:112[sage] 投稿日:2011/07/23(土) 23:10:36.69 ID:F2vopxvQ

スレ汚しのお詫びにもうひとつ三斎公がヤンチャした話を。

まだ忠興が熊千代といった時分、細川家の邸宅を京都の今出川に新造することになった。
工事は家臣の上野氏が取り仕切ったのだが、何かの拍子にこの上野家の者と
同じく家臣である荒川家の者との間で喧嘩が始まってしまった。
さて、我らが熊千代君、年は若いが気性は荒く(弱齢なれども稍豪強を好む)、
「喧嘩と聞いては黙っちゃいられねー!俺も混ぜろヒャッハー!」
とばかりに荒川氏側に加勢した。上野氏側はボコボコにされ、ほうほうのていで逃げ帰った。
これに怒ったのが父藤孝(幽斎)。熊千代は大目玉を食らい、以降父子は不仲になったそうな。
・・・いや、反省しろよ熊千代。
またこの時、藤孝は三淵(兄の三淵藤英?)たちと相談して事件を内密にしたらしい。
お父さんご苦労様です。

以上、永源庵記よりとして、後世に編まれた『綿考輯録』に載ったお話。
ちなみに『綿考輯録』によると、邸宅造営の時期を考えると当時熊千代は7歳のはずで
「いくらなんでもウソだろ常考・・・」と考察されています。




呼び捨てにされる毛利輝元

2011年07月24日 23:03

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 09:40:56.28 ID:dNZZMTow
前々からなぜか伊達政宗が大体「政宗」と諱呼び捨てにされがちだっていう話が出てたけども
毛利輝元も呼び捨てにされやすいのかな?

福岡県史の近世史料をぱらぱらめくっていたら、目についた

慶長九年(?)正月十九日 黒田如水から真鍋次太夫宛書状

能申聞候、去年鯨をハ心懸取申候哉、(略)
次従 輝 元 参候船屋形取集、舟二可仕候間、損候ハん様二仕可置候、
筑前方へも此通可申候、恐々謹言


年不明五月廿六日 黒田長政から大嶋又衛門・毛屋主水・庄半大夫宛印判状

一書申遣候、中村藤兵衛所(略)
又 輝 元 へ大角弐其地有之由二候、彼地奉行へははや福越より被申遣候間請取、(略)

と黒田親子にまったく関係ない別の書状で呼び捨てにされてるんですが……
ちなみに上の如水書状ではちゃんと長政を「筑前」と書いていますし、
下の長政の書状では「中村藤兵衛」や「福越(福原広俊)」と諱呼びはしていません
他に諱が出てくるのは身内を除けば、長政書状に「秀頼様」とあるのが散見できるくらいです
しかし、輝元は呼び捨てです
ちなみに長政は再三再四息子やその守役に
「手紙の書き方がなってない」「字が汚い」「くだんねー用事に祐筆使うな、自分で書け」
と口うるさく注意しており、死ぬ直前にまで書状の中での人物の敬称について細かく注意しています
それなのに呼び捨てにされる毛利輝元って一体……




118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 10:49:13.09 ID:WAkfEI4+
>>117前に、伊達政宗は一回も改名してないんで諱が定着しやすかったのかな、と考えて
他の改名してない人を調べたらあっというまに30人超え、関係なさそうだな~と思って調べるのやめたんだけど、
秀頼と輝元も改名してないね。
黒田長政もずっと同じ名前だけど、長政はいっぱいいてわかりにくいんで使わなそう。

「オニギリ」異聞

2011年07月24日 23:03

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 11:59:07.83 ID:VoXGSr6O
「オニギリ」異聞

小田原征伐も終わり秀吉の天下が民衆の間にも広まると、
大名や武将の多くは著名工の作刀を贈答品としてあるいは家宝として意識せざるを得なくなった。

大名間では正宗や吉光が持て囃された。

(`・ω・´)「・・・(ウチにもなんかあったな・・・)」
さる大名「斯波家に繋がる最上様なら、童子切や鬼丸にも劣らぬ、なにか名物をお持ちでしょう」
(`・ω・´)「確か、オニギリ・・・丸?といった物があったと思います」

(´・ω・`)「・・・(鬼切・オニキリだっけ?)」

足利将軍家からなんの因果か斯波兼頼を経て最上家に伝わる名刀に、この前後に悲劇が起こる。

(´・ω・`)「・・・銘は安綱?聞いた事がある様な、無い様な・・・」
(´・ω・`)「国綱なら先日聞いたけど、有名なんだろうな・・・」

(´・ω・`)ノシシ < キン、カッ、ガキン、ガキッ
(´・ω・`)「・・・(「国」の字に読めるよね?)」
光安「いかがなさいましたか?」
(´・ω・`)「・・・なんでもない・・・」

北野天満宮に現在伝わる国宝「鬼切丸」
呼び名が幾度も変わり、持ち主も変わり、銘まで変えられた名刀の運の悪い話


120 名前:119[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 12:15:04.23 ID:VoXGSr6O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%AD%E5%88%87
すいません、国宝でなく、重要文化財でしたorz




121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 13:28:53.08 ID:mexSlrjb
髭切のヒゲキだな

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 13:34:06.26 ID:Vo539qTr
誰がうまいこと(ry

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 14:23:18.61 ID:3tg1QPFC
安綱は天下五名剣のひとつにもなってるのに、鮭様知らんかったんかw

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 15:21:33.17 ID:cHORGFgi
楠桂は今どんなマンガ書いてるの

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 15:56:48.57 ID:VoXGSr6O
>>123
「安」綱の字が「国」綱の字に改竄された鬼切の銘
写真:茎(なかご)の部分
http://samidare.jp/yoshiaki/box/01.JPG

当時は国綱の方が知名度があり、人気だったとも言われる・・・らしい
http://samidare.jp/yoshiaki/note?p=log&lid=38707

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 17:16:37.00 ID:GFM3Ad8u
それはそれとして、鬼切と髭切って別物みたいなんだけど。

http://meitou.gob.jp/index.php/%E9%AB%AD%E5%88%87

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 17:43:46.87 ID:VoXGSr6O
>>138
Wikiリンクの中にある髭切の「兄弟刀」扱い

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 17:56:53.66 ID:i5/SpOWB
○切って名前の刀って多いね。

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 18:01:03.15 ID:VpA8cfaV
>>141
これほど判りやすい箔も無いからな>ナントカ切

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 18:39:17.42 ID:LI5q77F0
???「◯◯を切ったから◯切というのは、
あまりに単純すぎるのではないだろうか
もっとこう、美しい日本の古典と掛けた銘を入れるなど」

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 19:41:22.74 ID:U87Ms834
鬼の額を撃ち抜いた銃はさしずめ鬼撃か?

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 21:21:07.66 ID:EPitOerN
にっかり青江「名前の由来がどうかんがえても妖刀の類の逸話です、本当にありがとうございました」

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 21:35:31.58 ID:wXMyGxcr
刃を当てて押すだけで人間が真っ二つになったので、
もえ、と名付けました