週刊ブログ拍手ランキング08/24~/31

2011年08月31日 22:04

08/24~/31のブログ拍手ランキングです!



コンビ誕生 257

立花宗茂ちょっと良い話  門を託される(2) 91
立花宗茂ちょっと良い話  門を託される(1) 71

雑談・政宗の服喪 69
江戸城中でとある儀式が営まれた時 68

加藤光泰、連絡の取れなくなった加藤清正に 49
わしが離島に流されておる世に、蜂須賀の家はなぜ 47
永禄7年(1564)正月13日、法師、やっちまう 45

森長可、信長の保科弾正忠正直処分命令に 42
蒲生巨石祭り後日談 40
ある日、前田利常が目付衆を呼んで 38

名乗り出たのは、鍋島勝茂だった 37
三河一向一揆の講和と大久保忠俊 28
本当は怖い忍者の話 27

太田某、その折紙を秀忠に投げ返し 25
雑談・長篠の勝頼のこと、など 25
前田利常「大和殿・・・じゃーん!」 22
主君替え、三人目 13
黒田長政、嫡男の袴着式にて・古郷物語Ver 8
合計 1372


今週の1位は、これはすごい、拍手が250を超えましたコンビ誕生
黒田家の名家臣、栗山備後と母里太兵衛が義兄弟になったいきさつとその後のお話です。
如水さんと栗山さん、母里さんのそれぞれの個性がよく出ている、しみじみといいお話ですね。
そして黒田如水という人の器量がどういうものであるかも、伝わってくるようです。
人生というものも感じさせる、逸話だと想いました。

2位はこちら!立花宗茂ちょっと良い話  門を託される(2)
もう一つの立花宗茂ちょっと良い話  門を託される(1)も3位に続いてます。
この2つの逸話からは、立花宗茂への将軍秀忠の厚い信頼と、その信頼に実力で応える宗茂の姿が
見えてきます。そういえば秀忠にとって宗茂は、自分が取り立てた家臣でもありますね。秀忠にとって宗茂が信頼できる
ということは、彼を取り立てた自分の目が間違っていなかったことの証明になっていたのかも知れません。

さて、今週管理人が気になった逸話はこちら!
蒲生巨石祭り後日談です!
あの話に続きがあったとは!というかあの石が放置されていたとは!w
個人的に逸話を読む醍醐味の一つに、別々の逸話がリンクしていることに気づく瞬間、というのがあります。
これなどもそういったものの一つですが、事後の状況が詳しく見て取れ、少々感動してしまいました。
しかしそもそも巨石事件の発端が京雀の茶化しだったというのに、彼らも懲りませんね、まったくw



今週も各逸話に、たくさんの拍手をいただきました。いつも、本当に有難うございます。
又、気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください!

今日で8月も終わり!まだまだ残暑は続きそうですが、頑張っていきましょう!
(`・ω・´)
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主君替え、四人目

2011年08月31日 22:04

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 00:37:04.15 ID:mangm6AO
主君替え、四人目

父親が謀反人という、ちょっとワケありの織田信澄のもとで
与右衛門は武功を重ねていた。
丹波小山城攻めでの功により黄金一枚を受けて良馬を買い、
続く籾井城攻めでは騎馬隊として戦い、兜首二つを獲得した。

やがて、欠員補充の穴埋め人事とはいえ、母衣隊に抜擢されることになった。
しかし禄高は依然、八十石のままだった。

母衣隊ともなれば、馬は必須のこと、厩を整え、馬具を揃え、世話人を雇わねばならない。
良い飼料も絶やしてはなるまい。
八十石では、足が出た。
馬を肥やせば自分が飢える。

思い余って与右衛門は訴えた。
「恐れながら、このままでは存分な戦働きができません!」

「で、あるか。」

信澄はまともに取り合わなかったのである。
ここは思案のしどころだった。
他家に仕官を求めるか、このまま八十石で飼い殺されるか。
さすがに、餅代も事欠くほどの浪人暮らしはもうごめんだった。

だが、
「(セコいそ、甥っ子!!)」
与右衛門はついに、信澄のもとを辞したのだった。

三たびの浪人暮らしである。
大望を抱くも、郷里近江周辺をぶらつき(安近短で手を打ったわけだ)、
先輩・知り合いを訪ねては軍議と称して手柄話しを披露した。

羽柴小一郎秀長との出会いは、もうまもなくである。





605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 01:39:35.38 ID:S4m81Z/k
藤堂さんの主君替えシリーズきたー
こんな兵糧攻めみたいな人事されたら仕える相手を替えざるを得ないって

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 01:49:55.11 ID:v+j4tj8Q
当時の俸禄が貫高じゃなくて石高・・・

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 05:53:10.22 ID:tE8DPw4L
母衣に抜擢されたからって禄も増やしてもらえるわけじゃないし

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 06:46:22.01 ID:3LjQ10Tn
けんもほろろ

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 10:14:20.20 ID:zs4fZMPY
維持費は増えたのに収入はそのままだからな

主君替え、四人目の嫁と息子

2011年08月31日 22:04

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 18:20:08.66 ID:mangm6AO
主君替え、四人目の嫁と息子

本能寺で織田信長が明智光秀に討たれると、
甥の織田信澄は内通の疑いをかけられ殺された。
嫁が明智の娘だったからである。

さて、山崎の合戦で勝利した羽柴軍秀長のもと、
三千石を拝する藤堂与右衛門高虎を頼って、女が訪ねてきた。

「信澄殿の嫁ごだと!?
信澄殿といえば、俺がどんなに頼んでも八十石しかくれなかったではないか。
いったいどのツラさげて参ったか?信澄殿の嫁!」

見ればわずかな供を連れ、人目を忍ぶ女がいた。
懐には二歳になる子を隠し抱いている。
「・・・・不憫じゃ。」

高虎は、母子を保護し、子を芦尾庄九郎と名乗らせた。
高虎の庇護のもと、成人した庄九郎がさすが大器の片鱗を見せ始めた頃、
徳川家の千姫が豊臣秀頼に輿入れすることになった。
庄九郎の母が明智の娘で、教養も才能もあるとして
千姫の上臈に抜擢された。すると、
庄九郎は母と共に秀頼のもとに行ってしまったのである。
「よりによって秀頼殿とは・・・」

しかし、時流は容赦ない。
豊臣家は滅びた。

徳川家康の腹心として、大坂の役の戦後処理に忙殺される高虎を頼って、
男が訪ねてきた。

「庄九郎だと!?
庄九郎といえば、さあこれからという時に
とっとと秀頼殿のところへ行ってしまったではないか。
いったいどのツラさげて参ったか!信澄殿の息子!」

見れば、昔日の若武者の面影はすでになく、
投降兵の姿があるばかりだった。
「・・・・不憫じゃ。」

高虎は家康に、庄九郎の助命と家名の存続をとりなした。

庄九郎は織田昌澄と称し、
子孫は旗本として二千石を拝領するようになったという。




358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 19:56:46.72 ID:qRwCc0U/
高虎さん、無職の俺にも御慈悲を

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:06:11.33 ID:RSCAwxlF
高虎www

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:18:58.47 ID:zCy8ZROv
美談ではあるけど、こんなに優しくて大丈夫か心配になる

361 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/31(水) 20:54:55.98 ID:pSa3ZAk7
高虎って優しくて弱い石垣職人のイメージが定着した

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:55:24.22 ID:LE7hJ10d
まあ自分も色々苦労したしねえ

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 21:05:47.31 ID:kyQAoyB/
受け入れた高虎はさすがの器量だけど、これなにげに信澄の嫁の人を見る目と決断がすごい話
でもあるよな。

いくら出世街道にのりつつある高虎とはいえ待遇への不満を理由に出て行った旧臣を頼るか?
織田・明智両方の縁をたどればもっと安易な道はいくらでもあったはずなのにこの選択はすごい。
さすが光秀の娘といったところか、ガラシャのすぐ下の妹なんだね。

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 21:12:43.95 ID:hwkPySbX
たんに信澄の旧臣の中で、高虎が出世頭だったからでは
より大きな大名にすがったほうが同情してくれる可能性も高いだろうし

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 21:16:58.42 ID:k3MJQfyD
高虎の立ち位置が安全だったってのもあるんじゃない?
明智を討った秀吉の弟の直臣だし。つか父親を討った男の弟の部下を頼る気になった奥方様がすごいな

前田利常、堀尾忠晴に一目惚れをする

2011年08月31日 22:03

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 15:42:53.17 ID:cVYVs/k6
いい話にしたものか悪い話にしたものか迷った。僕らの微妙院様・前田利常公のお話

慶長20年(1615)大阪の陣の時の事だという。
この時、16歳の出雲松江藩3代・堀尾忠晴は堂々たる初陣を遂げた。
忠晴は絶世の美少年として知られていたが、彼の美々しい初陣姿はまさに天下無双だと大いに評判になった。
と、この忠晴の姿を一目見て心を射抜かれたものがあった。そう、我らが加賀百万石太守・前田利常(当時19歳)
である。

利常は堀尾忠晴とお近づきになりたかった。深くお付き合いしたかった。
大阪の陣が終わると利常は早速、共通の知人である幕府旗本の竹中左京に仲立ちを依頼、月見の宴を開き
そこに忠晴をお誘いすることに成功した!

当夜。
前田邸に堀尾忠晴が訪れた瞬間からもう心臓がバックんバックンの利常公。
周りは気をきかせ二人っきりに。
が、利常、あこがれの美少年が側にいることに緊張しまくり、彼にどんな言葉をかけていいのか、
何を話題にすれば良いのかわからない。
そんな状況に堀尾忠晴も退屈そう。そこで利常がようやく搾り出した言葉が

「つ、つつ、月が綺麗ですね。」

もっとロマンチックな言葉がかけられると思っていた所、この恋愛したての中学生あたりが
告白の時動転して言いそうなセリフに堀尾忠晴もガッカリ

「そんなに月が綺麗なのなら、どうぞお一人でご覧になって下さい」

こんな言葉を投げ捨て座を立ち、そのまま帰ってしまった。利常、手痛く振られてしまったのだ。
これに利常の落ち込みようは半端ではなく、周りもすっかり困り果てた。

と、それからしばらくして、今度は堀尾忠晴の方から利常に「またあなたの所にお訪ねしたい」と言ってきた。
落ち込んでいた利常、今度は有頂天である。その日は屋敷の中を大いに飾り立て彼を迎える準備に大わらわ!
今度こそ自分の思いの丈を忠晴に伝えるんだ!そこに堀尾家から書状が!

『やっぱ行けないやゴメン by忠晴』

このドタキャンに利常は本気で落ち込み完全に塞ぎ切った。正にジェットコースター。憔悴甚だしく、家中の
者たちの言葉も虚しいだけである。そして日が暮れた頃、暗い前田邸に、「堀尾山城守(忠晴)からの使者」という者が
訪れ、前田利常へ直接会って主人の言葉を伝えたい、と言ってきた。
ところがこの使者、侍ですら無い、ごく身分の低い下男であるという。

「いけません!そんな下賎の者に前田家の当主たる殿が直接会うなど!」

家臣たちは揃って反対した。それも当然であろう。前田家といえば御三家にも並ぶ最高の格式を持つ家なのだ。
だが利常の忠晴への想いは本物であった!その前には家臣たちの反対など何ほどのものであろうか!

「堀尾殿が内々に私に伝えたい事があるに違いないのだ!どんな身分の低いものでも直接会わねばならぬ!!」

人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて何とやら。利常、家臣たちを押し切りその使者に直接会った。ところが
その使者は!

「私です」「あっ!?」

なんと、それは下人に変装した堀尾忠晴本人であった。彼は利常の自分への想いが本物であるかどうか、
こうやって試していたのである。魔性の美少年にもほどがあるぞ堀尾忠晴。

とまあこうして相手の気持ちが本物であることを知った忠晴と前田利常は、それ以後想い想われる仲になったと
言うことである。めでたしめでたし。
(寧固斉談叢)




612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 16:00:31.58 ID:s2fv4nWQ
魔性すなぁ

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 18:17:51.15 ID:tLab+ljF
微妙すなぁ

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 19:32:17.99 ID:prUpXMoj
戦国ちょっとホモ話

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 19:56:34.12 ID:v+j4tj8Q
堀尾の思考パターンが
完全に女に見えるんだがw

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:02:51.09 ID:glJgJGDD
女・忠晴 はじまったな^^

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:04:30.65 ID:hGB7AKfa
いよっ、御両人アッー!アッー!だね

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:07:38.38 ID:FQDgtgnw
漱石が「I love you」の訳語を「月が綺麗ですね」
にしたのを踏まえたネタだと思ったんだけど、原文にそう書いてるのだろうか

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:08:36.92 ID:6eJZV5Sn
忠晴は利常のどこに魅かれたんだ…
普通に考えれば引く手数多だっただろうに

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:13:27.69 ID:zCy8ZROv
忠晴もなんでこの露出狂に惹かれたんだろう…

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:49:02.78 ID:kyQAoyB/
忠晴もこうしてみるとほんとに惜しい人をなくしましたって感じだな


いろんな意味でw

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 21:19:20.87 ID:X+qoPoyA
うむ、おかげで松江藩はいろんな家にたらい回しにされた挙句、
松平不昧公のおかげで財政危機に

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 21:23:39.84 ID:hGB7AKfa
>>620

信長公を虜にした父親の股の槍左譲りの名槍持だったとか
それなら自慢したくて露出したくなるのも判る気がする

三河一向一揆の講和と大久保忠俊

2011年08月30日 22:11

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 18:18:28.99 ID:tHRXCUMQ
三河一向一揆も永禄7年(1564年)になると一揆から吉田現太郎左衛門、蜂谷半之丞、石川善五左衛門、同半三郎、
本田甚四郎といった面々が離脱、家康の優位が決定的になっていった。
さて、この頃一揆の主力の籠っていた土呂の本宗寺は、先に降服した面々を通して、家康に対し講和を
働きかけた。そこで出してきた降伏の条件は3つ

第一・この度一揆に参加した諸侍達の本領安堵のこと。
第二・真宗の道場ならびに僧俗共に、元のように立て置かるべきこと。
第三・一揆の張本人、一命を助けられるべきこと。

この条件を受け入れてもらえれば、今後家康に対し忠節をなし、未だ抵抗を続ける上野城も自分たちで攻め落とし、
さらに諸方の残党たちも尽く退治し、忠勤をなす。
土呂の一揆勢はこう言ってきたのだ。

この事を老臣・大久保忠俊より聞かされた徳川家康は即座にこれを拒絶する意向を示した。
徳川家中を二分するほどの内乱を起こした一揆勢にとってあまりにも都合が良すぎる、そう思ったのだ。
が、ここで大久保忠俊が強いて言上した

「殿の御憤は御尤の事です。しかし、ここはよくよく、今後のことも含めてお考えください!

第一に、このように国中騒動に及んでいるうちに、もし他国から攻め込まれれば、内外の敵に挟まれ
御家の存亡は計りがたく、例えそういったことがなかったとしても、考えてみてください、今度の一揆の
勃発により去年の冬以来我が御家は、他国に進出することが出来なくなりました。
これは非常に嘆かわしい状況です。

そもそも、今度の一揆に遺恨を言うなら。この常源(忠俊)こそ1番でしょう。
私はこの一揆との戦いで子供や孫たちを始め、親類たちが数多く討死致しました。
この老齢になってからの私の嘆き悲しみは、言葉にすることもできません。
ですが、これも全て殿様の御為である以上、例え子供たち全てが相果てるような事になろうと、
決してそれを厭うものではありません。

その上で申し上げます。なにとぞ一揆共の御願いを、言った通りに了解され、残らずお宥しなされてください。
そして一日も早く、再び御家が他国に進出できる態勢を整えてください!」

そう、涙を流して訴えた。

家康はこの大久保忠俊の言葉に深く感じ入り、しばらくしてつぶやくように言った。
「いかようにも、お前の良きようにせよ。」

これにより2月28日、ついに和平整う。三河一向一揆はついに収束した。

大久保忠俊が、家康に講和を受け入れさせた事の逸話である
(三州一向宗乱記)




340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 19:29:41.25 ID:IgoapiSr
忠俊さんは、この人の行動がひとつ違ったら徳川の行く末が全く違っただろう
っていう分岐点に必ずいた気がする。

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 21:08:57.19 ID:hUKiH2sX
でも、この後、家中の一向宗徒を強制改宗させた上で、
「真宗の道場、元のように」更地にしちゃったんだよね。
一向一揆を半年程度で後腐れなく収めたケースとしては
いい話なんだろうけど。

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 21:10:46.01 ID:ZstUeY06
むしろそれだけで済んで良かったんじゃないのかな

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 21:21:47.38 ID:4HyhmfHc
>>341
面白いなー

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 21:24:31.88 ID:o7d314sJ
>>341
一向宗の道場というのは、記録などでも「城」と表現されることがあるように、大規模な堀と土塁を要した
要害設備だったと言っていい。なので領主としては何にかあればそこに篭られては困るので、破却は
領主の立場としてはしょうがなかったと思うよ。

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 01:13:41.78 ID:txKEWVJ3
偽和睦は家康の得意技だろ。

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 01:16:34.62 ID:ItUf5VjX
50年経ってもなw

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 01:25:16.75 ID:hGB7AKfa
更にこのときの事を根に持ってあとで大久保一族を・・・gkbr
まさに安心の家康クオリティー

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 01:33:18.92 ID:zCy8ZROv
そんな無理矢理悪い話に持っていかんでも

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 02:04:34.51 ID:IpxZHOjQ
ちなみに一応言っておくと、大阪冬の陣の和睦に関しては内堀の埋立も含めて最初からの条件通りだったと
現在はほぼ証明されている。

350 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/31(水) 07:38:35.51 ID:mLoQ80MG
それ本当かよw


てか徳川家の元通りってのは怖いなw

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 08:02:18.93 ID:SJXJRt7D
武士の嘘を武略といい、坊主の嘘を方便というからな
この時代だまされた方が悪いと言うことなんだな

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 13:29:43.45 ID:vTv6p+M0
>>341
26歳のやることじゃねぇよなw
後の大坂攻めの破却の件を彷彿とさせる無理やり加減が恐ろしいww

>>348
悪い話?
いい話だろ、武士的には。

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 13:48:49.52 ID:II1bBQ/N
別にそれくらい当たり前のことだよw

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 13:58:39.55 ID:v+j4tj8Q
>>352
そんなに褒めるなよw

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 15:52:49.19 ID:fG7f1JDA
>>350
>徳川家の元通りは恐ろしい

三歳「3回粗相をしたら、その家臣は元通りにしてやろう」

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 16:16:44.55 ID:LQ7cubPB
偽和睦というと信長が有名だけど江戸期以降の儒学に慣れた基準からすればけしからんってなるわけね
まあ大坂の陣に関しては>>349の言うとおりなんだけど、意外と知らない人多いみたいだねぇ
ただ有能さというものがお行儀の良さよりも優先される、実力主義の時代だったんだよな

前田利常「大和殿・・・じゃーん!」

2011年08月30日 22:11

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 18:16:28.85 ID:NhNyIOAq
江戸城中で、松平大和守直基が大坂の陣について雄弁を振るった事があった。

・・・が、大坂の陣の時に、直基はまだ元服も済ませておらず、活躍したのは兄の忠直や直政である。
同席した諸侯に、かの戦で自身も傷つきつつ戦った者や、親族を失った者も存在する中での直基の語りは、
人もなげな振る舞いに見えた。

そんな時、ツカツカと直基に近づいたのは我らが権中納言前田利常であった。

「大和殿・・・じゃーん!」
「きゃ――――――――――っ!!!」
(原文:大和守殿の側へお寄りなされ、足を捲り、慮外がましき体・・・)

利常お得意の露出狂攻撃を食らった直基は、目の色を変えて立ち上がり、諸侯も「これは事じゃ。」と
身構えたが、二人は何事もなく立ち別れた。


十日ほど過ぎたある日、富山藩主・前田淡路守利次(利常次男)は、直基に呼び止められた。

「おお、淡路殿!わしは利常殿の所へ参り、申し上げたき儀があるが、公儀にはばかりあり、それもならぬ。
貴殿も然るべき旨、お心得あれ。」
「し、承知。(ヤベェ!中納言の親父殿には直接仕返しできないから、オレに意趣返ししようってか?)」
困り果てた利次は、義弟(利常婿)の浅野光晟に相談した。

「ああ、それは私が大和殿に、義父上の
『ウチもようやく犬千代という孫(のちの綱紀)が出来ましたが、初めて犬千代が殿中へ上がる際には、
大和殿に介添えを願い申す』という言葉を伝えたからでしょう。大和殿、スゴい喜んでましたよ?」

“斯様の儀、御方便と存ぜられ候”と、「微妙公夜話」は結んでいる。
もう鼻毛殿は下に何もはかなくていいと思う。




601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 18:25:25.37 ID:ZstUeY06
利常は下の話しか逸話がないのか

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 20:56:44.22 ID:gKE0G6lL
上の話は鼻毛しかないので、上下話題に事欠かない、ってことで。

わしが離島に流されておる世に、蜂須賀の家はなぜ

2011年08月29日 22:43

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 19:56:56.85 ID:J74Cp+SV
ある時、八丈島に江戸への廻船が漂着した。さっそく宇喜多秀家がやって来て、船頭に本土の事を聞いた。

「ほほう、江戸へ荷を運ぶ舟か!して、どこからの荷を運ぶのだね?」
「はい、阿波からの荷を運んでおります。」
「阿波か……今、阿波のご領主は、どなたかな?」
「松平阿波守様でございますね。」

秀家は、小首をかしげた。
「……?聞いた事のない家だ。徳川殿のご親戚か?」
「おや、ご存じない。なァに、蜂須賀様のことですよ。公方様から、松平姓を下賜されておいでです。」

ますます秀家は、首をひねった。
「わしが離島に流されておる世に、蜂須賀の家はなぜ今も存続している……?」(想古録より)


一方その頃、蜂須賀家政は伊達政宗に『阿波の古狸』と呼ばれていた。




583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:13:16.48 ID:N3FqdAgo
>ある時、八丈島に江戸への廻船が漂着した。さっそく宇喜多秀家がやって来て

また酒をせびりに行ったのかと思ったよw

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:29:52.40 ID:G7S70noy
>>582
蜂須賀家と宇喜多家って何か確執あったっけ?

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:30:31.28 ID:q5Apfb6S
漂着した船に最初に近づくのは宇喜多秀家と決まっていたと想像させるなw

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:36:02.04 ID:EzRAhmuq
何も無くて暇なんだろうな…

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:36:37.99 ID:HzqxeYRg
>>584
「えっ、あのおっさん西軍やったやん?」くらいじゃねーかな?

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:55:35.78 ID:eG7S93P8
関ヶ原時は家政は高野山にひきこもり、息子の至鎮は東軍についたから
西軍じゃなくないか

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:56:32.12 ID:YhD5zXjH
>>582
そういや秀家が知ってるのは「湯漬け三杯食ったと思ったらいきなり領地返上して高野山に引きこもった」ところまでだったな。

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:58:32.01 ID:EzRAhmuq
>>589
西軍に攻められてあっさり城明け渡したから
事情詳しくない人には加担したと見られてもおかしくないかも

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:07:47.30 ID:CSlBG1Vt
しかも至鎮が率いていたのは、十数人程度の小勢じゃなかったっけ?

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:22:08.48 ID:e96XCm4/
阿波国内は毛利氏の家臣団が占拠された上、家政自身は逼塞を余儀なくされたみたいだし、
蜂須賀家政が西軍という認識は秀家にはなかったと思うけど、おそらくは蜂須賀といえば正勝以来の
豊臣家にゆかりの深い家だっただけに、「あれ、取り潰されてないんだ」という違和感を持ったって話かな

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:35:12.20 ID:YhD5zXjH
蜂須賀黒田浅野といえば、ちょっとでも胡散臭い大名には無理やり羽柴姓を名乗らせた秀吉から羽柴姓を押し付けられなかった譜代中の譜代だからな。
一方で揃って松平姓押し付けられてるけどw

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:46:34.91 ID:N6m879jK
秀家が流刑になったの1606年だから知ってるでしょうよ

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:48:24.16 ID:eG7S93P8
福島正則の改易前なら、同じく家康の養女をもらっている
蜂須賀が取り潰されと思うのは変な気も
改易後なら・・・酒をせびる相手がいなくなったから、新しい標的にしようと思ったんだろうか

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:50:28.97 ID:q5Apfb6S
秀家「あれ?酒は?」  って話じゃないの?

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 01:49:45.84 ID:oJQXviBU
羽柴姓受領と豊臣を名乗ることは
この時期どの位の価値があったのかよくわからん
豊臣朝臣清正って名乗ってなんで怒られたの?

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 02:20:33.82 ID:tHRXCUMQ
>>598
朝鮮役の頃は豊臣姓授与が武功への一種の褒美として与えられていたようで(だから陪臣でも
豊臣姓がやたら居る)勝手に豊臣姓を名乗るというのはその褒賞秩序も破壊する行為に成る。

森長可、信長の保科弾正忠正直処分命令に

2011年08月29日 22:43

森長可   
286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 00:12:53.95 ID:XjaPiXcv
高遠城の戦いの後、二の丸の城将であった保科弾正忠正直は、森長可によって軟禁された。

「やぁ森殿、今日は朝から騒がしいですな。何ぞ騒動でもありましたかな?」
「おお、保科殿!実は上方より、こんな書状が届きましてな。」
長可は書状の一部を手で隠しつつ、正直に見せた。

“武田逍遥軒並びに保科弾正○○の事”
「さて、○○の部分は何と書いてあるでしょうか?」「…まあ、ロクな事は書いてありますまいな。」
「正☆解~!」
長可が手をどけると、そこには

“誅罰”の二文字があった。

「!!で、では今朝からの騒ぎは……」

「左様。すでに、わが手の者が逍遥軒のもとに向かっておる。しかし保科殿、貴殿の安否は心易かれ。
貴殿をも誅罰するつもりであれば、何でこの書状を見せようか?
この事、上方には報告しておらぬが、きっと信長様にお願いして貴殿の命、続かしめん!」

「も、森殿……!」

一種の信頼すら芽生えた二人だったが、直後に本能寺の変が起こると長可は旧領に帰って
二度と信濃に現れず、長可去った後、正直も祈願寺の僧の勧めによって滝川一益に仕え、
森家と保科家が再び交わる事はなかった。(赤羽記)

まあ、槍弾正Jrが殺しの軍団・森家の仲間入りしてヒャッハーするのも見たかった気はする。




289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 00:15:40.13 ID:G7S70noy
いい…話?

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 00:39:12.81 ID:gvRheARJ
てっきり油断させといてぶっ殺すのかと思ったら
普通に助けてあげたからいい話だなー

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 00:41:38.74 ID:6GU0T4ht
信長の命令無視した上に事後承諾取り付けたる!
なんて、信長に気に入られてるのをかさに着て傍若無人な振る舞いしてたのが良い方向に発揮された良い話じゃないか。
しかし、鬼(畜)武蔵さんは
「ヒャッハーお前なかなかやるじゃねえか、気に入ったぜ!」
的な台詞が似合いすぎて困る

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 01:00:02.25 ID:VnHIVZzA
気に入らない奴らは皆殺しだけど
見所のある敵は家臣に取立てる
ある意味信長のやり方を忠実に守ってるとも言える

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 02:03:26.55 ID:ZNcONyn1
久しぶりに鬼武蔵キター。
毎回ほとんど似たような話しなのに、テンション上がるー。

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 02:17:14.63 ID:bpRQGDGi
鬼武蔵的には敵陣営の人間でも
戦の上手そうな奴はウェルカムなのか

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 02:24:23.86 ID:wAjyQQcS
しかしまぁ毎度毎度出展が違うのにキャラがブレないのは感心する。

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 02:31:22.87 ID:du+DpSpI
しかし遺言状?を読んで感動して
「きっと父も弟も戦で死んだから、戦が嫌いになったんでしょうね」
といった学者か小説家がいたとか前に見たような

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 05:27:38.20 ID:Ebs0gaA+
この人はちょっぴりSATSUGAIが好きなだけで、器の大きさを感じさせる逸話も結構あるんだよな。

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 13:26:18.36 ID:Z+30jwXX
スレチだが今週の『信長の忍び』に森長可(12歳)が出てきた
「後に戦国時代を代表する狂戦士となる男である」と解説されてたw

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 14:31:46.92 ID:v2bcXCOi
長可は最期の呆気無さがなぁ

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 15:05:02.26 ID:ztDFfdd0
潔くていいじゃないかw
まさに武士の鑑

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 16:13:00.58 ID:6+cu9AVu
小牧長久手で勝って欲しかった。 残念。

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 18:34:03.26 ID:mrKx5V3J
生き延びていた

303 名前:302[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 18:39:11.12 ID:mrKx5V3J
失礼
生き延びていたらどこか地方で3、40万石くらいの大名になっていたかな。

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 18:43:49.94 ID:G7S70noy
>>296
小和田哲男の『戦国武将の手紙を読む』でそんな風に語ってたような
娘は武家に嫁がせず、医者とかに嫁がせてくれとか
弟を跡取りにするのは嫌です とかこんなの自分だけで充分だよ…と思ったのかな

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 18:54:50.40 ID:HzqxeYRg
>>299
ヒャッハーらしい見事な死にざまじゃないか。

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 18:57:07.72 ID:G7S70noy
額に矢があたって即死して
その死体を乗せたまま帰ってきた馬も凄いよね

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:13:21.85 ID:jXdCAcjL
>>298
以前出たカードゲームといい、
鬼武蔵さんの方向性がかなり固まったな

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:15:00.19 ID:ztDFfdd0
>>298
マジかw買おうかなw

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 21:02:07.02 ID:xy074avB
>>296>>304
> しかし遺言状?を読んで感動して
> 「きっと父も弟も戦で死んだから、戦が嫌いになったんでしょうね」
> といった学者か小説家がいたとか前に見たような

それは読み方を間違っていて、実際の鬼武蔵の遺言内容はそんなしおらしいものではなく、
鬼武蔵が秀吉に要求したのは、忠政には美濃の森家を継がせるのではなく「京の政権中枢で」使うように。
妹も「京で(政権に関わっている人間に)嫁がせるように」と、
政権に直接つながることを強く意識した遺言なのだ、って解釈を見たことがある。
[ 続きを読む ]

ある日、前田利常が目付衆を呼んで

2011年08月28日 22:30

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:35:46.41 ID:8mRTkC67
ある日、前田利常が目付衆を呼んで命じた。
「金沢城下の侍が、側妾を小屋敷に召し置いており、これを『囲い女』などと呼んでおるそうな。
もっての外である。いったい誰と誰がそんな事をしておるのか、調べて参れ。」

さっそく目付衆は調査に乗り出し、とりあえず調べのついた五、六人の名を書き付け、利常に報告した。
報告を受けた利常は、重臣の津田玄蕃を呼んだ。

「こやつらが『囲い女』を持っておるとか。この中で、妻子のある者はおるか?」
「(いかん、妻子持ちが囲い女など、けしからんとお考えか?)さ、さあ・・・良く覚えておりませぬ。
調べて報告致します。」

数日後、再び玄蕃は利常に呼ばれた。先日の書き付けの、幾人かの名に印が付けられていた。

「この者ども、妻子を持っていよう。」
「・・・・・・!」
「ふふ、わしが妻子持ちを罰すると思っているな?逆だ。連中は、自宅で『山の神』を祭らねばならぬ。
よって女を外に置いておるのだろう。もっともな事だ。
独身者はそうではない。女を置くに、誰はばかる事ないはず。外に囲うなど、もっての外である。」

玄蕃が『囲い女』持ちの男に利常の言葉を伝えると、心底を見透かされた男たちは、何とは無しに
女を囲うのをやめたという。(微妙公夜話より)


( ;∀;) イイハナシナノカナー?




277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:44:18.01 ID:YNTzrsME
何時の世も嫁さんはおっかないと言う事か、家内だけにナンチテ( ´w`)

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 13:36:51.08 ID:b849g2Fj
>>278
加賀辺りは詳しくないんだが、山岳信仰だったの?
山の神は女を嫌いというけど


282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 13:40:42.98 ID:ZHdetznJ
>>281
嫁さんのことを俗に「山の神」っていうんだよ。

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 13:47:28.41 ID:prw/VQVG
ちなみに「容貌が醜く、嫉妬深い」とされるのが一般的>山の神

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 13:58:02.42 ID:b849g2Fj
>>282-283
ああ、そういう意味なのか ありがとう
つまり隠語ってこと?

加藤光泰、連絡の取れなくなった加藤清正に

2011年08月28日 22:29

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 20:03:55.27 ID:ls5hNM/b
文禄の役において、加藤清正は漢城(ソウル)攻略の後、さらに北部へ進軍し、諸将と連絡が取れなくなった。
糧秣が乏しくなった諸将は、漢城を離れ別の土地へ移動しようとしたが、ひとり加藤光泰が反対した。

「清正は、我らと離れて敵に向かっている。ここで我らが漢城を去れば、清正は捨て殺しになろう。
今ここを去る者は、男では無い!清正を捨てるは、日の本の恥ぞ!!」
「だが、食い物が無いのだ。どうしようもあるまい。」

すでにキレていたのか、光泰はムキになって答えた。
「砂を食えば良かろう!」
「いや、砂は食えんだろう・・・」
「へー!お前、砂の食い方も知らんのか?!じゃあ、オレが教えてやんよ!」

もはや絶好調の光泰、今度は福島正則を睨み、
「やい、市松!!いつの間にそんなにデカくなったんだ?!」
返す刀で宇喜多秀家を指差し、
「今までは『中納言殿』と敬ってやったが、お前なんか今日から『中納言め』だかんな!
どいつもこいつも、清正を捨て殺しにして、恥を異国にまでさらすヤツらだ!!」

そう言い捨てて光泰が座を立ったところに、清正が行く所まで行って戻って来たとの知らせが入った。
(常山紀談)

有名な話だけど、全部はまとめにもあがってないようなので。
残念ながら、光泰がその後どんな顔して諸将と付き合ったか、という記録はない。




574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 20:24:29.28 ID:huA4REKS
そのあとすぐ病死したからな

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 20:39:30.76 ID:cqcruWx6
そういう逸話があったとすると本当に病死か気になるな

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 20:44:20.75 ID:RIonVYmM
>>573
なかなか気持ちのいいやつじゃないかw

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 20:51:15.39 ID:3T6T1f/I
光泰は当時から毒殺説が囁かれてたよね

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 21:30:43.23 ID:dacXyYTQ
まあ享年57だから死んでもおかしくはない
でも息子がいきなり4万石に減封されてるしなあ

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 12:34:11.95 ID:D61nGDrr
光泰殺害の主犯が、三成で、共犯者は宮部の息子は、明白。

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 12:38:55.15 ID:CvhAk2z0
清正のために本当に砂を食ってみせたらいい話に…ならんか

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 13:40:40.31 ID:ysX4tuUO
このひと自分の槍に倒韓槍とか名前付けちゃう、
ちょっとイタイじいさんだからな。


586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:35:26.87 ID:UeTBVAd1
>>580
 砂を食ったために死んだと正直に記録しない程度の情けは豊臣家中にも存在した。

永禄7年(1564)正月13日、法師、やっちまう

2011年08月27日 22:39

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 17:48:30.58 ID:1ki89kUV
三河一向一揆の最中のこと。

永禄7年(1564)正月13日の早朝、上和田にあった家康方の大久保党は、その前日、
11,12日と一揆勢に押し寄せられたことに怒り、今度はこっちから押し寄せようと井内村まで下り
一揆の根拠地の一つ、針先の寺の近い浦地まで押し寄せると、一揆勢も同じようにそこまで
進出、双方鉄砲の打ち合いとなった。

この時大久保勢の大久保七郎右衛門忠世と一揆勢の本田彌三郎は正面で対峙し、互いに互いを鉄砲で狙う。
同時に発射!
と、彌三郎の弾は外れ、忠世の撃った弾は彌三郎の股をかすり、本田彌三郎、その場にうち倒れた。
が、浅手であったため味方に助け起こされ針崎の城内に引き入った。

こういった所に、針崎に籠っていた浄妙寺という一向宗の僧、これを見て進み出て、
重藤弓(全長170~180cmの世界最大級の長弓)を持ち、三河での説法で鍛えた声で

「しゃらくさく堀を越えて戦に来たお前たちに、我らが大軍の武者をこれ以上手負わせてなるものか!
私が相手をしてやる!」

と、片肌も脱がずに弓を引こうとした。

この姿がどうにも似合わず可笑しいもので、寄せ手の者たちこれを見て

「弓を射る作法も知らないとは、いらざる法師の腕立てかな!」

と声をかけるとこの浄妙寺

「法師だからといって、弓を射る作法を知らないということがあるか!」

と片肌脱ぎにした。『右肩』を。

はい。弓を射る時脱ぐのは左肩であるのが常識です。浄妙寺さん、やっちまったわけです。
これには敵だけでなく味方も、戦の手を止め声を上げてどっと笑ったそうである。

三河一向一揆の中の、ちょっと可笑しなエピソード
(三州一向宗乱記)




566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 19:38:16.34 ID:xtbQWOIP
はずかしいw
後で思い出して悶絶しそう

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 19:58:51.64 ID:GrrDZcSN
やっちまったな坊主!w

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 20:36:33.21 ID:QfdOZ6Cm
>重藤弓(全長170~180cmの世界最大級の長弓)

いやもっと長いよ、普通でも2メートル以上はあるはず。

この重藤弓というのは本来武将が持つような格式の高い弓のはずなんだが、
それを射方も知らない坊主が持ち出してきたところにおかしみがある。

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 20:38:47.56 ID:/uyGzAn+
ここまだ笑われていざ射てみればものすごい威力と精度とかだったら伝説だったなw

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 20:46:28.09 ID:eXZh1iW2
あれ相応の技術を要求されるから、それやったら天才どころの騒ぎじゃねぇよw

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 21:16:05.87 ID:6pTFi6De
天地を喰らうの張飛並みだったら面白かったんだけどね

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 03:19:31.67 ID:LqePyUMB
なんかもう太陽でも射れそうな弓だな

名乗り出たのは、鍋島勝茂だった

2011年08月26日 22:30

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 10:36:37.94 ID:VLpOzuAJ
寛永10年(1633)8月、徳川家光は品川沖で新造の御座船『安宅丸』の進水式を行なった。

百丁の櫂、四百人の水夫を用いたという巨船の進水式は、松平信綱・阿部忠秋などの重臣が早船で
周囲を警護する中、伊達政宗親子・池田光政毛利秀就ら江戸在番の大名を招き、大々的に行なわれた。

無事に進水式が終わり、祭事を行なって船の魂入れをした後、品川の海岸で酒宴が開かれた。

「♪舟より御下りなば、拷訴(拷問)を致そう。」「♪拷訴と言わば、捨身の行。」
「♪命を取ろう。」「♪命を取るとも、ふっと下るまじ。」

酒宴の座興で、池田光政伊達忠宗と組んで、能楽『自然居士』
(説法者・自然居士が、人買いの舟に乗り込み、売られようとしている子供たちを救う、という筋書き)
の謡をして、喝采を浴びた。続いて、金森重頼が仁王のマネをして受けを取った。

「…お船方にとりてはァ…お船祝いがござんするゥ…フゥフゥ…蓬莱山は、ハヒー沖の船で…ゼェゼェ……」
「もういい…!もう…休めっ…!秀就……!」
“松平(毛利)長門守秀就は、ふとり過たる人ゆへ大黒舞を舞ひしが、誠にふつつかなれば、
舞果てずして止みぬ。”(徳川実紀)

「さ、されば次は、それがしが領内に伝わる須古踊りを仕る!」
名乗り出たのは、鍋島勝茂だった。
エイヤットウ「♪あわずばかえれ かえれきみ このほどに さだめことばを まちれども……」
踊る勝茂の姿を、家光はじめ一同は黙って見つめた。

「……うっ……くっ………ぐっ、ぐははははははははははっ!!!」
見つめていたのだが、厳格をもって知られる池田光政が、真っ先にこらえ切れず吹き出したのに釣られて
爆笑の渦に包まれ、宴は盛会のうちに果てたという。


よかったね直茂さん、息子さんはしっかり成長(?)してますよ…
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5695.html




239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 20:59:13.14 ID:2/fmLTF6
>>236

輝元のときは気位があってワザと踊らなかったのか
下手で馬鹿にされるから踊れなかったのかと二通り見れたけど
今度は秀就を助けるためにワザと下手に踊ったか
それとも本当に下手だったのか、この前の逸話と並べてみると面白いね

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 21:14:51.27 ID:sLZeWD61
>>236
自分はわざと下手に踊って流れを変えたとみたい
勝茂も大人になったんだろうか
それはそれとして、光政さんの爆笑姿がなんかツボったw 楽しそうだなあ

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 21:23:53.49 ID:3Ti9DVXE
もしも、直茂パパンが信之兄さん並みに短命だったら、「お前は何故、あのような下手な踊りを披露したんだ?」と説教食らってたと思うんです

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 21:34:46.46 ID:ruwEWR6Z
徳川家光がいたからじゃない?別に勝茂側には毛利のご機嫌うかがう必要もないわけで
江戸期の外様大名って将軍の寵を競ってお互いにライバル心むき出しだったからさ

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 21:35:58.85 ID:sLZeWD61
それなら政宗が一番変になってないとおかしい!

244 名前:人間七七四年[[sage]] 投稿日:2011/08/27(土) 00:04:39.15 ID:DU5wA9HS
つか光政ってこの面子の中じゃ一番年下だよな
それが爆笑って非礼じゃないのか

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 00:21:26.24 ID:M1RyOch3
まあそれは野暮ってもんだよ

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 01:54:12.32 ID:eUzoBoEv
>>234
事実政宗は一番変じゃないかw

立花宗茂ちょっと良い話  門を託される(1)

2011年08月26日 22:30

237 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/26(金) 17:29:10.72 ID:RYodRbID
立花宗茂ちょっと良い話  門を託される(1)

慶長11年、御書院番頭(将軍の親衛隊長)として二代将軍秀忠に召し出された立花宗茂、駿府から江戸に出てきた
大御所家康に拝謁した際、徳川家に仕える心得を尋ねられた。
「天下は安泰なる今、さしたる役にも立たぬ身。御門の一つなりとお守りし、御酒でも頂戴し、千秋楽を謡い舞おうと勤めております」
「聞きしに勝る武辺者よのう」
宗茂の返事に満足した大御所は、江戸城の天守に登ることを許した。
これに対し、旗本たち、ことに三河以来の名誉の旗本たちは、密かに不平を漏らした。
代表的な例としては、三河者の魂とも言うべき、この人の話が有名である。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4314.html
その後、奥州棚倉において3万5000石まで加増された宗茂は、大阪冬の陣では、豊臣最強の将毛利勝永の動きを封じ、
夏の陣においては大野治房による自爆的突撃で、壊乱しかけた秀忠の本陣を守り通した。以降、宗茂に対する陰口は
ピッタリとやんだ。
何故なら、大御所本陣を守るはずの天下の旗本が、無残なまでの敗走し、三河者の魂と呼ばれた槍奉行ですら、
打ち捨てられた旗を拾って転進するのが精一杯という有様だったからだ。




立花宗茂ちょっと良い話  門を託される(2)

2011年08月26日 22:30

238 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/26(金) 17:30:46.53 ID:RYodRbID
立花宗茂ちょっと良い話  門を託される(2)

元和2年、三傑最後の巨木、大御所倒れるの報が天下を駆け巡ると世上に様々な風聞が流れた。
ある者は福島正則の、またある者は奥州王”伊達政宗”の、またある者は島津の反乱を囁やき、
江戸城内に不穏な空気が流れた。そんな中、家康の見舞いに秀忠は、馬廻衆と共に強行軍で駿府
に向かった。
駿府に到着し、拝謁を願った秀忠は、家康の代理人たる本多正純に詰問された。
「天下の将軍たる大樹様が、軽々しく江戸を空にするとは何事か、と大御所様は仰せです。
まもなく本復する故、直ちに江戸にお帰りをとの・・・・・・」
「城の大手は、立花左近将監に託したと伝えていただきたい。その上で、帰れと言われれば、
仰せに従おう。疾く取り次がれよ!」
秀忠の気迫に押された本多正純が「江戸城の大手を立花左近将監に託した」との秀忠の言葉を
病床の家康に告げると、一瞬、絶句した家康は次の瞬間、笑い出した。
「我れが大樹に及ばざるは、この一事に尽きるか・・・・・・よし大樹と会見いたそう」
秀忠と会見した家康は、終始、上機嫌だった。




247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 11:28:51.21 ID:lu7mFZz6
>>237-238
譜代でもないのに宗茂への信頼度の高さはすごいなぁ・・・
家光も結構贔屓してたし

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 12:29:57.75 ID:5pZiCbOM
外様で信用あるのって藤堂もだよな
藤堂は関ヶ原から忠節を尽くしてるけど立花は敵対してたのにすごいね

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 13:11:53.27 ID:1ki89kUV
秀忠と宗茂はとにかくウマがあったらしい。
それに秀忠にとって宗茂は外様というより、自分が取り立てた家臣だしね。

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 13:22:22.12 ID:YuvQd5wn
家光の二大贔屓の外様だもんな、まーくんと宗茂は
秀忠もか?

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 13:23:43.13 ID:2phoVTJq
土井利勝に「上田への国替えをお願います。」と言って受け入れたという仙石忠政は贔屓だったんだろうか。

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 13:23:45.12 ID:YuvQd5wn
あ、秀忠は三斎か

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 13:35:00.26 ID:98HikQDi
>>252
鍋島忠茂と丹羽長重も

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 16:43:21.86 ID:9ItczVCG
大御所だと誰だろ、高虎とまーくん?

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 17:34:22.50 ID:YuvQd5wn
>>254
あと最上家親とかか

262 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/27(土) 19:47:47.09 ID:Yc1d3TBo
>>254
悪久じゃね。あの島津家の曲者の中で唯一の親徳川派だし。

雑談・長篠の勝頼のこと、など

2011年08月25日 22:38

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 23:12:07.17 ID:f9UVLGRP
宋の華元が主君の文公が亡くなる時に遺言で厚葬を禁じたのにそれを破り
盛大に行って一部から批判されたなんてのもあるな。

殉死を禁じる遺言を破った例も結構あるし、この辺は自分の死の間際になっても
なお周囲を気遣うほどの主君だからこそ逆にそれは聞けないって感情もあるのかもしれない。

関係ないけど上の宋の主従で思い出した、この時代に宋が楚に攻められて首都包囲された時に
鳥居強右衛門とよく似た話があったよね。
勝頼の立場の楚の荘王は使者を殺さず許したというのが大きく違うけど、信玄や弟達
だったら教養あったからこの話も当然知ってただろうし強右衛門を殺すようなことはしなかった
だろうなあ、と思ったりする。

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 00:23:52.42 ID:uY06rW9f
>>220
日本と中国は似ている部分も異なる部分もある
中国でそうしたからって必ずしも日本でも同じことをするのが美徳とは限らないでしょ

例えば、周公旦は人材を求めて人が訪れたときには食事の最中でも髪を結っている途中でも対応に出向いた
これは美徳とされている
ところが日本では平将門が藤原秀郷が訪れたときに同じことをやって、「こんな軽率な大将では大事は成せない」
と見限って敵に回ることになった、ここでは不徳とされているわけだ

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 00:30:14.69 ID:p2OQSlW5
信玄の場合は鳥居さんに「援軍は来ない」なんて言わせずに
無言で鳥居さんのバラバラ死体を城の中に放り込んできそうなイメージ

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 07:37:47.01 ID:5Fjze/9k
単に成功した人物の行いを「徳がある」とか「善」とし、
失敗した人間のしたことを「不徳」「悪しき行い」と言っているだけじゃないの

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 11:40:46.14 ID:lesJgVgs
>>222
死体を見せて援軍なんて来ないと分からせれば開城したはずなのに
何で本人に言わせたんだろww
長篠城さえ落としてればあんな惨敗は避けられたのに・・・

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 12:06:27.04 ID:zNErPRFN
だから勝頼さんなんだろ・・・

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 12:17:15.68 ID:U/rq7m5G
死体みせても援軍が来るか来ないかは判断つかないからね
とはいえ、磔の状況で援軍は来ないと言っても素直に信じられないと思うが

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 12:28:27.81 ID:4uu251es
勝頼「めんどくさい事で有名な三河者に
命乞いさせることに成功したら父を超えられる…!」

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 12:31:46.53 ID:SKXQCTOn
本当に三河者なんだろうな・・・

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 19:10:49.98 ID:idDN7PFP
>>221
その平将門と藤原秀郷の日本外史バージョンでは
髪を整えず飯を食いながらでむかえ、しかも、落ちた飯を自分で拾って食べた
おかげで藤原秀郷に見限られた、てことになっているが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4607.html
この話の老婆なら米を大事にしてくれた、と喜ぶかもしれん

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 19:44:19.29 ID:kdpfwAcR
将門公の時代から三秒ルールがあったのかもしれないな

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 20:16:30.09 ID:4EXmYpDS
都人目線での評価だからなー
藤原的には「ないわーww」でも
東国基準では合理的なヘアスタイルだったかもしれん

>落ちた飯を自分で拾って食べた
自 分 で 拾ったのがNGだったんじゃね?

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 20:24:50.26 ID:idDN7PFP
>>232
「源平盛衰記」では自分で払いのけただけだから、おそらく「自分で」がNGだったっぽい
「日本外史」では、「拾うて之を食う」になっているから、「食べた」までがNGのような気がする

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 20:33:59.95 ID:R//Cz7aJ
両人の立場の違いってのが大きいのでは。
周公旦は食客より遥かに身分が高いから、髪を結ってる途中でも逢ってくれれば感激されるが
平将門と藤原秀郷だったら同格に近いから、無礼だと怒られる。

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 21:50:10.76 ID:umOpofXB
片や宰相(実質的に統治者として見られていた)と就職活動中の浪人の会話。
片や戦乱や政争に臨んでる時代の有力者同士の会話。

しかも中国の食客は時代が下る毎に立場が下がる仕様の、ローマで言えば高級奴隷みたいな立場。
一番食客が重んじられた春秋近隣の話とは言え、周公旦クラスとでは流石に足下にも及ばない。

状況がこれだけ違えば意味合いも違ってきて当然だ罠。
現代だって就職活動中の人間に会社役員が「食事中でも構わないなら」と会うのと、
会合に来た取引先や支配下企業の役員に会社役員が「食事中でごめんねーw」とやるのとでは話が違う。

コンビ誕生

2011年08月25日 22:38

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/25(木) 14:10:14.87 ID:prBPLEgH
コンビ誕生

栗山備後守利安と母里但馬守友信は、黒田如水が若い頃から側近くで使っていた。
その頃栗山は善助、母里は萬助と呼ばれていたが、如水は両人とも将来見どころのあると思い、
いつか取り立ててやろうと思った。が、問題がひとつ。もちろん母里萬助に、である。

母里萬助はいつも無分別に粗暴なことばかり言い廻り、人間として非常に問題があった
(萬助は無分別に荒き事のみ言廻り、大方人外の體なれば)
そのため朋輩たちもうんざりし、我慢も限界という状況であったそうだ。だいたい母里但馬という人は、
大人になり立身してからも、とんでもないやらかしが多かったのに、まして子供の頃なんてどれほどだったか、
想像がつくでしょう?(年たけ立身仕りてさへ、笑止なる事多し。まして童の時は、思ひやられたり)
とにかく黒田家の大問題児だったと言うことですね

さて一方の栗山善助だが、こちらは少年の頃からおとなしく、道理を良くわきまえ、日常の過ごし方も
年来の功者のようであった。
彼は15の頃から如水の側近くで使われていたが、その頃から何かことが起こった時に一言意見を
言わせてみても、聞くほどに優れた意見であったと言う。
こちらは黒田家の若き秀才でありエリートであったわけです。

こんな問題児と秀才の二人をある時、黒田如水が静かな場所へと呼び出した。そして彼らに言うには

「お前たち二人を取り立てたいと思うんだ。だからこれからは善助は兄、萬助は弟として、ほんの僅かなことでも
話しあって、お互い支えあうようにしてほしい。善助はおとなしくて、萬助はいたずらものだ。
萬助、今後見放すこと無く、兄として善助を引き立ててくれよ?」

そう言われて男気に感じたか、萬助は即座に承知をし畏まってこれを受けた。
と、そう簡単にこれを承知できないのが善助である。

「それはできません」「どうしてだ?」
これに栗山善助、秀才らしく理路整然と答える

「突然のお申し出ですが、私は自分一人の取り回しさえ満足に出来ていません。
そうであるのに兄として人の指南など、やって良い訳がありません。それ故、達てお断り申し上げます。」

如水、これを聞いて自分の目が間違っていないことを知った。
『ああ、かねてからこいつは自分の身の程を知っている人間だと思っていたが、ここまでしっかりしているとは。
これはどうしたって萬助の奴の兄になってもらわないと!』
そう思い善助に対し日を変え場所を変え、事あるごとに了承してくれるよう頼んだ。頼み込んだ。
これに善助もついに根負けし、これを承知した。すると如水は案文を調え誓紙を二枚書かせ、
1枚は善助、萬助の二人が交換し、残りの1枚ずつは「これは、後日の証文にしておくよ」と、如水が受け取った。

幾星霜の時が流れる。
黒田如水に死が近づいていた。

如水は、今や黒田家を支える重臣となった栗山備後、母里但馬の二人を密かに呼び出した。
そしてしみじみと言う

「お前たち、俺の指図に背かず今に至るまであの時の約束を守ってくれていること、ありがとう。
かえすがえすも嬉しいよ。
これからもお互い相談しながら筑前守(長政)を引き立ててやってくれ。」
そして2枚の紙を取り出し

「これはあの時の誓紙さ。本当なら今はもう返すべきだと思うのだが、最後まで約束を守ってくれた
頼もしい誓紙だからな、冥土まで持って行こうと思ってる。俺が死んだらさ、お守りとして棺の中に
入れておいてくれ。」

そう笑いながらそれを、大切そうに懐に中に入れたという。

栗山備後と母里但馬が義兄弟になったいきさつと、その後のことである。
(古郷物語)




255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 16:53:26.23 ID:PADwzSYL
>>229
母里の人外の體ってどんなんなんだ
かぶきまくって人に見えなかったとかそんなのか?

256 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/27(土) 17:05:59.01 ID:6pTFi6De
人か物の怪かという姿形の事じゃなくて、素行振る舞いが常識外れ
当時の人の思考からするとぶっ飛んだ考えの人
世間体の体、体を成すの体

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 17:23:04.39 ID:GtND0Z/i
つまり母里さんは
ニコ厨がネタにしまくってるチャージマン研!みたいな人なのか

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 17:30:45.20 ID:6pTFi6De
チャー研はキチ○イなんかじゃないやい!

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 18:19:57.68 ID:PADwzSYL
>>256
ただ今のところ出てる話では根は真面目そうだよな
関羽や張飛あたりの侠客のイメージになるのか?

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 18:39:04.50 ID:6pTFi6De
栗山を関羽、母里を張飛とみると二人の間柄も性格もそんな感じだね

週刊ブログ拍手ランキング08/17~/24

2011年08月24日 22:59

08/17~/24のブログ拍手ランキングです!


主君替え、三人目 69

中馬大蔵必殺の技 64

北国勢と三好勢が争った文明年間中の出来事 60
筑前高取城築城 54

大名行列を見た真田の奥方小松姫は 52
黒田長政、嫡男の袴着式にて・古郷物語Ver 50
千利休の切腹 49

加藤清正・等身大の絵 48
黒田万徳丸の鎧着にて 46
江戸城中でとある儀式が営まれた時 44

先代‥先々代の恐ろしさ 40
勇将の馬印 38
『飯田町』由来 30

朝倉義景と足利義昭、そして見事な駿馬  29
信繁形見の馬 26
鍋島直茂、占いで 26
本当は怖い忍者の話 24
もう一人の「酒井忠勝」 24
焼き討ちの予言 24
合計 1229



今週の1位は、ご存知藤堂高虎の主君替え、三人目
高虎が磯野員昌に仕えた時のお話です!まだまだ高虎が若さと腕っ節一本で仕官していた時代ですね。
故にひとつの家に対しどうという影響も与えられる立場ではないですが、それだけに強いやるせなさも感じさせる
お話だと思います。
そういえば先日、「水野勝成の主君替えシリーズはどうだろう:という話がTwitterで出ていました。
高虎とはうってかわって大変な内容に成りそうですけどねw

2位は中馬大蔵必殺の技
中馬大蔵さんの凄まじい射的のお話です。本当に呆れるほどの胆力としか言い様がありませんね。
これだけの人だからこそ、不断あんな問題児であるのにある意味大切にされたのでしょうw
しかし中馬さんが量産されたら…、尋常じゃなく厄介そうですねw

今週管理人が気になったお話はこちら!北国勢と三好勢が争った文明年間中の出来事です!
何というコントw 元々管理人は戦国初期の逸話が大好きなので、こういうお話、しびれますねw
北国衆というのは能登畠山の軍勢なのかな?文明期の合戦というからには間違い無く応仁の乱でしょうし、
あの大乱では京洛で北陸の軍勢と阿波の軍勢の戦いもあったのだなと、あらためてそのスケールの大きさを
感じたりもしました。

今週も各逸話に、たくさんの拍手をいただきました。いつも、本当に有難うございます!
また気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください!
( ´ω` )

雑談・政宗の服喪

2011年08月24日 22:59

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 13:42:46.31 ID:mHjK+aWp
前から聞きたいと思ってたことがあるんだけどさ
政宗が死んだ時に家光が江戸、京都を巻き込んだものすごい服喪をやったじゃん
アレってどれぐらい凄いことか分かる人いる?

家康、秀忠は多分質素に済ませただろうけど、
例えばその後の将軍の葬式や天皇崩御の時はどうだったのか、とか

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 13:53:50.69 ID:eG/ZbfIq
>>206
当時の評判に「秀忠の時と同じくらい」ってのがあったから、実際に秀忠の服喪に匹敵したかはともかく、
世間的に同等に見られたのは確かなのだろう。実質上の国葬だったのだろうね。

ただこれは、秀忠が死ぬ前に政宗に「家光のことを頼む」と遺言していて、家光も世間もその事を知っており、
政宗が家光の、一種の公的後見人だったことが大きいと思われる。

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 17:04:20.61 ID:3LEPh/kC
秀忠って、位牌以外は新調するなと遺言で言っていたらしいけど
それでも物凄かったんだろうな

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 17:05:05.26 ID:NQCPxybx
さすがに将軍だからな
それに家光って派手好きだし

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 17:20:14.22 ID:3LEPh/kC
あと政宗がよっぽど好きだったんだろうと
お忍びでお見舞いに行くほどだし

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 17:35:27.13 ID:f9UVLGRP
政宗もさすがに将軍相手にひどい無茶をしないだけの分別はあるし
家光にとっての政宗は、なんか他所ではワケの分からんこといろいろしてるらしいけど
目の前にいるこいつは楽しいおじいちゃんだな、って感じだろうか。

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 17:41:21.00 ID:3LEPh/kC
でも政宗、秀忠に会いに行く約束してたのに
二日酔いだからと仮病使ってたりするじゃん
まあ、二日酔いのヘロヘロ状態で会いに行くのもそれはそれで失礼なんだろうけど

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 17:42:15.15 ID:P/fM8fj+
家光の大好きな権現様の武勇伝を戦国の生き残りの政宗がリスペクトして
いろいろ聞かせてくれたからって感じかね、家光が政宗を贔屓したのって

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 20:07:34.85 ID:w3TsDkLu
家光の「生まれながらの将軍」宣言は
政宗が進言したといわれているからな

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 21:11:19.80 ID:Zmhm4+Ck
家光は年寄りの逸話好きで、まるでいい話スレ・悪い話スレ住人みたいな人だな

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 22:01:32.09 ID:xstQA5jN
実際、激動の時代を生き抜いた人が近所にいたら
根掘り葉掘り聞きたくなるよな

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 22:12:54.06 ID:3LEPh/kC
戦争を経験したおじいちゃんの話を聞く孫って感じか

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 22:13:25.15 ID:mHjK+aWp
そっか、秀忠のはちゃんと大々的なのをやったんだ
苦労人なんだから遺言ぐらい聞いてやれよと思わないでもないがw

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 22:23:11.77 ID:3LEPh/kC
でもやっぱり、二代目将軍の葬儀が質素なのは流石にアレだと思ったんだろう
生母の江も火葬で凄く豪華だったから尚更

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 23:12:07.17 ID:f9UVLGRP
宋の華元が主君の文公が亡くなる時に遺言で厚葬を禁じたのにそれを破り
盛大に行って一部から批判されたなんてのもあるな。

殉死を禁じる遺言を破った例も結構あるし、この辺は自分の死の間際になっても
なお周囲を気遣うほどの主君だからこそ逆にそれは聞けないって感情もあるのかもしれない。

蒲生巨石祭り後日談

2011年08月24日 22:57

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 00:18:24.49 ID:lNY7Pigs
細川幽斎が京の東に馬を進めていた時、道の真ん中にゴロンと大石が転がっているのを見つけた。

「なんじゃこれは?これ、あの石には何か云われがあるのかね?」
突然の異様な光景が気になった幽斎は、近隣の住人に大石の事を聞いてみた。

「ああ、ありゃ蒲生飛騨守様のせいでさあ。」
「…ああ……アレ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2405.html)ね………」

そう、アレから怒りの収まらぬ我らが蒲生塾長、京洛に石を置きっ放しにしていったのだ。
「こんな事になっていたとは。」
さすがにあきれた幽斎は、歌を一首置いてその場を去った。

“大石を 道にかまふ(構う・蒲生)に 引き捨てて 飛騨の匠も 及ばざりけり”
(委細構わぬ蒲生飛騨が、巨石を置いていってしまった。飛騨の名工とて、どうする事も出来まい)


しばらくして後、石の横に落書が立てられた。

“大石を 道にかまふと 見るこそは 身にも掛からぬ しらをいふさい(幽斎)”
(面倒が自分の身に降りかからん思うて幽斎はん、しらばっくれた事言うてはるわ。
同じ大名として、他に言う事・する事あるんちゃいますの?)


「越後在府日記」から、蒲生巨石祭りの何だか冴えない後日談でした。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5561.html
も畿内の商人だろうし、幽斎さんなぜか都雀とは相性が悪いようで。




555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 00:47:07.33 ID:03e9R+xW
なんつーか、蒲生氏郷は本当に性格悪いというか器が小さいというか・・・

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 00:59:33.32 ID:3LEPh/kC
性格悪いというよりも何だろう…アレな方向に忠義心が向いちゃった感じ?
あと幽斎さんも都人は扱い辛そうだな

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 02:12:08.69 ID:J63ovrss
都雀くらいの嫌味レベルになってくると巨石位放置してもいいんじゃねwww
と思ってしまう俺は東ゑびす

でももともと使うから運んでたんだろうから、その後石が足りなくて困らなかったのかねえ

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 03:11:26.07 ID:2Add00GI
>>554
上手い返しだなw

>>556
別に蒲生氏郷に太閤への忠義心なんてないだろ。信長には心酔してたみたいだが

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 08:49:54.00 ID:gUkW2k5G
他の所なら、和歌を使ってちょっと気の利いたコメントを残せば「さすがインテリの細川殿」と
素直に感心してくれて終了なんだろうけどねえ

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 09:58:34.63 ID:gLjyYOVb
京の人「格好つけてそんな下手なうた読んでる暇あったらさっさと石をどけてくだはりまへんか?」

太田某、その折紙を秀忠に投げ返し

2011年08月23日 23:01

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 19:12:46.10 ID:YPkKUyu8
家康はその場で即断するというより、
根回しをしっかりやるタイプだからな。
だから太閤の指示をあっさり翻すなどの大きな腹黒さはあっても、
小さな所ではあまり言ったりしないね。




188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 20:12:10.12 ID:bgcvNuHW
>>186
それで思い出した、常山紀談に載っているというお話

秀忠が将軍の頃に、太田某という人を雇って「お前に五百石与える」と折紙与えたら
太田某、その折紙を秀忠に投げ返して席を立ってしまった

死罪にしてくれようかとばかりに物凄い剣幕の秀忠に、同席していた井上正就が
「いやいやいや、その前に駿府に言って、大御所様にもお伺いを立てましょうよ」と恐る恐る宥める
秀忠も「それもそうだな」と考えなおして、井上を駿府に遣わした

大御所家康、この話を聞いて

『太田は誠に無礼なり。凡、賞罰中らざれば、下の恨むるは常の事にて、太田も無礼とは知りたらん。
己が身を捨てて諫むる心なるべし。臣下の直言して諫むる者、怒りに逢ひて刑罰せられ、
家を滅ぼし、大軍の中にかけ入る者は、多くの身を全うして功名を立つる故に、昔より諫臣を忠の第一とす。
然るに今、太田にあたふる禄、賞に中らざるや…』

太田のやったことは無礼だけど、太田はそれを知ってて命がけで秀忠を諫言したんだよ
そういう臣は大切にしなければならない そもそも太田に五百石じゃそりゃ怒るわ
あいつもまだまだ人を見る目ないなー と家康さん思ったかもしれない
その後、遣いの井上に「太田某は三千石与えよ」と指示して、秀忠も言われる通りにしたそうな

話の締めに「台徳院殿、井上には『汝が詞によりて孝行を知り、賞罰の道をわきまへたり』と仰せ有りて、
左文字の刀を賜りけり」 と記す

書いてて思ったけどこれ、秀忠がまだまだ未熟な悪いお話かもしれん




199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 00:37:15.42 ID:3LEPh/kC
>>188
太田某さんて誰だろう
秀忠の家臣に太田姓って誰がいたっけ?

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 01:25:11.70 ID:03e9R+xW
>>199
太田資宗かな?

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 07:53:19.31 ID:2UugBWCn
>>200
wikiによると資宗は家康存命中だったら15,6歳だから、他の太田さんじゃないかな?

まあ逸話だからね

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 08:25:35.19 ID:03e9R+xW
>>201
微妙に時代が合わないかな?とはオレも思ったんだけど
秀忠に結構な厚遇で召抱えられた太田某という辺りは合ってるんじゃないかと

あの逸話が十代前半の少年の話だとしたら
相当のバカか大物かのどちらかだろうな

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 12:27:15.90 ID:g2fxC7UO
その帯刀さんも1605年で2300石しかもらってなかったからなぁ。
秀忠はケチな家康と他の家臣に遠慮したのかも。
秀忠が500石と言って、家康が3000石と正せばどこからも文句は来ないだろうしな。

買いかぶりすぎだろうけど。

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 12:50:56.46 ID:gHdvGeYG
俺様は若年とはいえお梶の甥なんだから、高禄で雇え!ってことなんじゃね?

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/24(水) 12:56:03.43 ID:FRXAyI5o
>>203
帯刀もすぐに加増されたけどね
しかも自分だけ家康の手違いで周りの半分しか貰えてなかったことに
文句の一つも言わずに黙っていたというところが、この人のいい所

江戸城中でとある儀式が営まれた時

2011年08月23日 23:00

189 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/23(火) 20:56:54.48 ID:IqGfXAPc
『身命を惜しまず』掲載の話

紀州藩附家老・安藤直次は、紀州頼宣は元より、尾張義直、水戸頼房の徳川御三家当主から信頼され愛されていた。
老いた直次が三人に従い、江戸城内紅葉山へ登った時、頼宣が右手をとり、義直が左手をとり、頼房が腰を押した事は、
幕閣、初藩士に広く知られていた。

そんな直次が、最晩年になってからの出来事。

江戸城中でとある儀式が営まれた時、水戸頼房の装束の袖に伊達政宗の烏帽子が引っ掛かり落ちてしまった。
政宗は公の場で恥ずかしい思いをし大いに怒った。
儀式の後にこの顛末を聞いた直次は、下城すると直ちに政宗の屋敷へ出向いた。
政宗が諸大名の前で怒りを露わにした事を、頼房に詫びさせねば徳川御三家の威信に関わるからである。

政宗の家臣が、政宗は病気で会えないと伊達屋敷の玄関で断ると、
「病気でも結構、御床へ参上致す」と家来たちを押しのけ、政宗の寝所へ押しかけた。
驚いて飛び起きた政宗に大声で
「中納言(政宗)殿には、本日の城中でのおふるまい、大きな心得違いをしておられる。
水戸殿は亡き御主君である家康公の御子なるぞ。
直ちに水戸殿へお越し召されお詫びに出向かれよ。ご同道つかまつる!」と告げた。
政宗は直次の全身から漲る異様な殺気に圧倒されつつ逆らったが、
「とにかくお仲直りなさるべし。早く袴を召されよ」と、有無を言わさぬ勢いで身支度を整えさせ水戸屋敷へ連行させた。
直次と共に頼房の御前に出た政宗は、
「本日は政宗が心得違いを致し、無礼つかまつった。何卒今まで通り思し召されたしとて、参上致しました」と詫びを入れ、
頼房は快く受け入れて何事もなく終わった。

この時に政宗が無礼な振舞いをしたら、直次は政宗をその場で刺殺し自分も死ぬつもりであった。


何事にも命懸けで相対する安藤直次のちょっといい話




195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 23:18:25.50 ID:HyUQH3XY
>>189
政宗が九死に一生を得たいい話だな
本当に具合悪くて勘気を抑えられなかった可能性もあるけども
政宗が絡んだ面子をかけたチキンレースはテンプレ化してるな

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 23:37:58.39 ID:kQohL8+b
>>189
さすが帯刀さんはカッコいいな
政宗も帯刀さんにあっちゃかなわねー

本当は怖い忍者の話

2011年08月23日 23:00

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 00:16:10.89 ID:NLEuPCXP
天正6年(1578)4月、要衝・上月城を山中鹿介をはじめとする尼子残党に奪われた毛利氏は、これを奪還せんと
大軍をもってこれを囲んだ。篭城側にも織田家から羽柴秀吉らが救援に駆けつけ、戦線は膠着した。

6月に入ると、毛利氏の重臣・杉原盛重が、配下を集めて檄を飛ばした。
「お前ら、高倉山の羽柴陣に『忍び討ち』をして来い。こういう時のために、お前らが時々他人の蔵を破り、
垣根を飛び越えて盗人のマネをしているのを見逃しているのだ。今こそ、羽柴の警戒を確かめて参れ。」

杉原播磨守盛重、彼こそが毛利忍び衆の頭目だった。
その檄に応じた徳岡久兵衛、別所雅楽允、佐田三兄弟など二十余人は、その夜半に羽柴陣へ忍び込んだ。


まず初めに羽柴陣へ忍び込んだ徳岡久兵衛が篝火の燃えさしを取り、寝ている羽柴兵の背中に突っ込んだ。
当然羽柴兵は転がって叫び声を上げ、騒ぎを聞きつけて他の兵も陣屋から顔を出した。
闇から姿を現した忍びたちは、顔を出した兵を手当たり次第に押し倒し、その首を次々に落としていった。

「おい雅楽允、何をまごついておる。遊んでいるヒマは無いぞ!」
ひとりいつまでも首の落とせぬ別所雅楽允に、佐田兄弟の長兄・彦四郎が声をかけた。
「待ってくれ、打っても打っても首が切れんのだ!」
「落ち着け。お主のデカい鍔の刀では、地に伏した者の首など、鍔がつかえて圧し切れんわ。掲げて切れ。」
「おおっ、なるほど!!」

納得した雅楽允、いったんは押し倒した羽柴兵を引き起こすと、頭をつかんで掲げ、切り落とした。
その後はスパスパと首を落として満足した雅楽允は、引き上げの際、大音声で言い放った。

「我こそは杉原播磨が郎党、別所雅楽允!当陣の真ん中に、忍び討ちして帰るなり。
畿内並びに美濃・近江の弱兵どもよ、普通の戦と思っていると、こうして不覚を取るぞ!」
あわてて羽柴兵は雅楽允を追ったが、忍びたちは高倉山の宵闇の中に消え去った。(陰徳太平記より)

その後も忍び討ちを受けた羽柴軍は救援どころでは無くなり、そのうち別所氏の離反への対応で撤退。
孤立無援となった上月城は7月に陥落するという、本当は怖い忍者の話。




545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 00:26:22.34 ID:FLdFN5GU
雑兵の首なんて放っておいて陣とか兵糧庫に火を燃やせよ・・・

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 00:52:38.11 ID:VTkPb0vT
その辺は守りが固いからじゃね?
あと兵を怯えさせるのが目的だからなるべく直接的でないと。

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 01:02:13.86 ID:jUl+cQiq
単に火をつけるだけじゃ普通は消されてボヤで終わるんじゃね

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 01:06:28.00 ID:FLdFN5GU
つ 焙烙火矢

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 06:20:33.83 ID:fvsyMy2u
小手調べでいきなり必殺技は使わない。
そういうことかもしれない

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 18:31:08.98 ID:4Fcp0HYy
軍の攻撃は防げても、人ひとりの侵入は防げない
ってことかな

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 20:44:53.30 ID:+5gSCeqg
軍記物で忍者の活躍をまともに書いてる珍しいシーンだったりするよな。
佐野兄弟は架空戦記とかで毛利忍者の頭目でよく出てくる。

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 21:13:50.89 ID:tGAZY2F4
独立系伊賀
六角甲賀
北条風魔

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 22:28:15.17 ID:XAckVRxH
職種上基本目立たない部分での活躍が多いだろうしな
たまに記述があったかと思えば失敗談だったり

先代‥先々代の恐ろしさ

2011年08月22日 23:00

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/22(月) 10:52:49.66 ID:u9qyDYfN
佐竹義宣の養子義隆は、徳川家康に「律儀に過ぎる」と言われた養父にならい、常に紋付袴をまとい、
人と話す時は家臣であっても必ず正座、朝起き、飯を食い、政務を執り、晩に奥で眠る時刻を
一日たりとも変えない、という暮らしぶりだった。

「いや~我らが殿の謹厳実直なることよ!御前で下手な真似をすればどうなるか、
恐ろしゅうて殿の前ではロクに物も言えぬわい。」
「まことに、まことに。」

小姓たちのグチを聞いていた老臣の一人が、おかしくなって彼らの会話に割り込んだ。

「殿が恐ろしいものかよ!先代の義宣様と比べれば、猫のようなものじゃ。わしらの若いころは、
義宣様の前で物言うどころか、あのお方の顔もまともに見たことが無いわい。

先々代の義重公はなお恐ろしく、戦に臨んで勇猛果断なること鬼神の如し。あれが常陸の鬼義重よ
と、家中どころか関東中の、敵も味方も恐怖したものじゃ。」(秋藩温故談)


佐竹家歴代の威厳を示すいい話…ではあるのだが、「へうげもの」で義宣の茶席に呼ばれた家臣が
ビビりまくったあげく漏らしてたの思い出した。




176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/22(月) 20:00:56.63 ID:14mtRMja
>>173
そういえば佐野天徳寺が「武田信玄や上杉検診の前に出たら恐ろしすぎて顔も上げられなかった。
それに対して秀吉様は自分たちにも気軽に声をかけて親しく接してくれる。だから秀吉様は
天下を取れたんだ」みたいなこと言ってたなあ。

佐野天徳寺の言うことの是非はともかく、戦国真っ最中の武将の言うのはとにかく怖かったようだ。

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/22(月) 20:28:35.57 ID:LeErMJHC
謙信には唐沢山城攻められて殺されそうになったし、
信玄には理不尽な理由で弟殺されたからだろ、
太閤殿下の方が恐ろしいはわ

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/22(月) 20:53:31.14 ID:bceoqKQC
殿下はニコニコ顔で恐ろしいこと言うから油断ならねぇw
でも親しみやすい雰囲気ではあったんだろうな

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 00:35:53.14 ID:5fiVScwc
太閤殿下はニコニコしながら誰とでもすぐに仲良くなって、そのまま笑顔で相手を刺し殺せるんだろうなぁ

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 00:49:28.90 ID:bgcvNuHW
勝新秀吉思い出しちゃう

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 01:36:45.85 ID:XfRyRlVv
秀吉は逸話一つ一つを抜き出して見ると、
「良くも悪くも個性的な人だったんだなあ」っていう感想を持つことが多いけど
全体を通して見ると腹の内が全然読めなくて怖い

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 01:37:39.28 ID:ARP0znoU
>>180
ありゃどう見ても信玄だわw

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 01:40:12.38 ID:HyUQH3XY
秀吉は信長の悪い部分を反面教師にして天下取ったからな
そして家康も秀吉の悪い部分を反面教師にして天下を治めたと

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 18:19:07.32 ID:bqosklXE
>>181
そうか?

186 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/23(火) 18:47:41.87 ID:LnNVAI9i
やっぱラスボスより家康のほうがいいと思うわ。
佐竹家と違ってめんどくさい人たちのおかげで忠言愚痴切腹騒ぎなんでもあり。
本人は短気だったみたいだけど家康に忠言して恨まれたとか左遷されたって話聞いたことがないわ。

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 19:12:46.10 ID:YPkKUyu8
家康はその場で即断するというより、
根回しをしっかりやるタイプだからな。
だから太閤の指示をあっさり翻すなどの大きな腹黒さはあっても、
小さな所ではあまり言ったりしないね。

伝・山中鹿之助奉納

2011年08月22日 22:59

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/22(月) 13:33:50.18 ID:Nl0TbRdq
瀬戸内水軍の本拠地大三島には日本総鎮守こと大山祇神社があって、戦国時代の有名人もたくさんの武具を奉納している。
毛利家はもちろん大内家、河野家、秀吉など、瀬戸内で戦った一族は一通り。
さて、そんな中に一振りだけ、どう考えても不自然というか、お前はなぜここに来たと言いたくなる人物がいる。

伝・山中鹿之助奉納

大山祇神社の宝物館に行くと、こんな刀が展示されている。
何かにつけて神仏に祈ってるイメージの鹿之助だが、もろに毛利の影響下にある
当時の大三島まで行って尼子再興を祈ったのかと思うと感慨深い。
さすがは全三島大社の総本山、日本総鎮守……と言いたいけど、時の支配者の
敵対勢力の残党から武運長久を祈られる側はいい迷惑だったろうな。




175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/22(月) 19:04:03.85 ID:javTJQiQ
まあ、大三島支配してた能島村上氏も
厳島の戦いからずっと毛利家一筋ってわけじゃなくて
元就死去前後に大友や三好と通じて、その死後に毛利へ反抗したりしてるから
その頃に鹿之助が渡ってた可能性もあるな

黒田長政、嫡男の袴着式にて・古郷物語Ver

2011年08月22日 22:59

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/22(月) 03:16:21.17 ID:14mtRMja
黒田長政の嫡男・万徳丸(黒田忠之)4歳の年の暮れ、長政の伯父黒田図書の屋敷にて、袴着(幼年期から
少年期への移りめの儀式)が行われた。この時黒田家中の主だったものは皆罷出て、万々歳を唱えた。

ところで黒田家重臣・母里但馬守友信は万徳丸の蟇目(懐妊5ケ月目の15日に胎児の健康なる成長を祈って
弓を射る儀式)親であり、万徳丸は常に「祖父祖父(じい、じい)」と呼んで良く懐いていたそうだ。
この時も母里は万徳丸の頭をクシャクシャに撫でながら

「万徳丸殿、早く成人して武辺をなされよ?侍は他に何もいらない、武辺が専一です。とと様よりは武辺を能くしてくださいよ。」
これを聞いて当然ながら激怒したのが長政である。

「但馬何をいうか!このワシより能くせよとは!?わたしの武勇を悪しく思っているのかあっ!?
ワシが若い頃には備後(栗山利安)、次には其方を指図し、朝鮮でも度々、その後も神戸、関ヶ原の合戦と、
私は武辺を示してきた。その後は天下静謐となり合戦の場数を稼ぐことはできていないが、とにかく私は
其方共に見限られるような武将ではない!それを何だ!?とと様より能くせよとは!全く理解出来ない(一圓分別に能わず候)」

そう叫ぶと大脇差を抜いて母里を睨みつけた。その場の人々『これは何事だ、大事が起こるぞ!?』と
ハラハラしながら見ていると、母里は長政の脇を向き天井の方を眺めながら(つまり激怒している長政を
ガン無視である。失礼にも程がある)

「変なことに腹を立てる人がいるものだ。自分の子供が武辺を能くせよと言われるのが悪いことか?変な人が居るものだなあ。」
と、そのまま長政の方には見向きもせずに言った。この態度に(当然ながら)長政は治まらない

「万徳に武辺をせよというのが悪いのではない!しかし親より能くせよとな何事だ!?」
これに母里は冷笑し(ホントにそう書いてある)

「他人事ではありますが、御心を静めて聞いてください。武辺というのは図ることも出来ず、底も知れないものです。
何度合戦に挑んでも、やりきったと思うことはありません。合戦のたびに『やり足りなかった』と後悔しないことは稀です。
残念な働きだったと思っているのに、周りが『比類なき働きだった!』と言われれば、不承不承そういうものだとしておきます。
そうであるのに、殿は大名であって能き人を多く引き連れ、能き作戦の元に得たお手柄自慢、笑止ですな。
(大名にて能き人を引き連れ、能く計る所の御手柄御自慢、笑止に存候)
勝ち戦ばかりにお会いなされ、いつもこんな物だと思っていたら必ず不覚を取りますぞ!
まあその辺りの事はそれがしより備後に聞いたほうが詳しいでしょう。それはともかく万徳殿、どうか武辺を成し給え」

相変わらず長政をガン無視したままそう言いつつ万徳丸の頭を撫でた。

さてこの時、その栗山備後守利安は次の間で若い衆たちに酒を勧めて回っていたのだが、長政と母里が声高に
言い合っているのを聞きつけ土器と銚子を持って走ってやってきた。そして長政に

「さてさて勿体無い事ですがこれは私にくだされた盃です。憚りながらこれを拝上いたしたいと思います。」
これを長政の方に差し上げ、
「私が若年で小姓だった頃、如水様の御前でやった小笠原流のお酌を(ここは笑う所)、今ここで思い出しつつ、
昔を懐かしみながらお酌致します。」と盃に酒を注げば長政、

「栗山から盃をもらうのはいつものことだが、酌は珍しい」
と笑いながらこれを飲むと、栗山

「その返杯は但馬(母里)に下さいませ」と言って母里の方を向き
「おいキチガイ!こっちに出てきて杯を頂戴いたせ!(気違ひ罷出て、御土器頂戴仕候へ)」

これに母里も「畏れ入り候」と罷出て、頂戴仕った。これで長政も母里も何事もなかったかのようになり酒宴大いに盛り上がる。
ここで栗山一同に申し上げたことには

「若き者共、よーく聞け!お心掛けの深いのも殿様であり、無分別なのも殿様である!
そして大たわけで、かつ頼もしいのも母里但馬。どうだ当家の武勇、末頼もしいとは思わないか!?
平穏なときはこのように目出度い場で、高下の区別なく酒を飲み楽をし、一旦ことあれば槍を突きまくって
すべき事をしておけば、やがて主君になる人(万徳丸)も、何事も許してくれるぞ!さあ歌え舞え!」

これに長政すっかり機嫌も直り「備後の申すようにすべきことをした者には、許しもしてやらないとなあ」と言い、
そのまま夜明けまで酒宴をしたそうだ。(古郷物語)




530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/22(月) 03:30:09.33 ID:i/FOXGZQ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1508.html
こっちは常山紀談の同じ話
古郷物語を元にしたのだろうか

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/22(月) 03:36:30.81 ID:7Ea1Vr1Y
>>530を見ると常山紀談は表現がずいぶんマイルドになっているのが解るなw

主君替え、三人目

2011年08月21日 23:01

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 01:15:40.75 ID:EmIpp6OI
主君替え、三人目

浅井家の家臣でありながら、小谷城攻めで織田信長の軍門に下らざるをえなかった
磯野員昌は、なるほどひとかどの武将であった。
与右衛門の、浅井家・阿閉家での刃傷沙汰を不問に付し、
その実力のみを認め、八十石で召抱えてくれたのだ。

ここにきてようやく、初めての禄を得た与右衛門の働きようといったら。
いよいよ本領発揮である。が、
現場で血と汗を流す与右衛門のあずかり知らぬところで、
織田信長による主君の入れ替えが粛々と行われていた。

信長の甥、織田(津田)信澄を磯野員昌の養子とし、
員昌自身は隠居するよう命が下ったのだ。
「右近さまというお子もあるのに・・・・」
与右衛門は、員昌の胸中をおもんばかった。

磯野家家臣のほとんどはほぼ流動的に、若くてそこそこ綺麗な織田信澄の家臣となった。
与右衛門もまたしかり。
「俺とひとつしか違わねえや」
与右衛門、十九歳の頃であった。



数年後、員昌は信長によって追放される。
信澄に家督を全て譲るように命じられたが、これを拒絶したためとも言われる。
やがて板島城主となった藤堂与右衛門高虎は、
員昌の子、右近を千石で召し抱え、大阪の役ではさらに三百石を加増したのであった。






160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 01:23:23.28 ID:ucfN/SHp
主君替えシリーズ好きだ
高虎は餅の件といい、本当に昔受けた恩を忘れないなあ

162 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/21(日) 06:48:31.53 ID:C6IJfvDM
晩年成功する人はなんというか昔のことを忘れないなあ~
家康さんとか。
べっべ別に孕石モンドのことではないから。

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 08:49:06.41 ID:+oAipI1t
主水セレクション

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 09:56:13.85 ID:yelZnl6P
太閤電化も松下を取り立てたし・・。

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 12:39:35.61 ID:ucfN/SHp
>>164
電化と松下でパナソニック? と思っちゃった

長政は後藤又兵衛の件だって
あれは又兵衛が好きすぎて、他のところに行くんじゃねえ こっちに帰ってこい
というアプローチなんだなきっと

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 13:04:49.11 ID:ztD4EdN3
口の悪いツンデレだらけの黒田家か……

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 13:25:56.12 ID:H9Z+luVy
後藤又兵衛の出奔は細川の引き抜き工作だったフシがある。
そのため余計にこじれた感じ。

170 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/21(日) 18:11:25.35 ID:tscG6SzT
>>164
昔の「失敗を」忘れないって意味じゃないのか?

黒田万徳丸の鎧着にて

2011年08月21日 23:00

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 10:08:54.07 ID:sT971X2h
ここで出ている逸話など見ると、黒田長政は母里太兵衛といつも喧嘩しているように見えるが、
何のかんのいって長政は太兵衛が大好きなのである。

長政の嫡男・万徳丸袴着の時の逸話は既に出ているが(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1508.html)、
それから数年後、万徳丸の鎧着にて、
初めて甲冑を身につけた若殿さまの雄姿を目にして太兵衛、
「これはなんとも立派なお姿で、亡き先代如水様の雄姿が思い出されます」
と涙を流し、長政も、
「本当に亡き父上にそっくりだ!」
と涙を流して喜んだそうな。

万徳丸は袴着も鎧着も母里太兵衛につけてもらったようです。
どちらにしろ、如水死後の話ですし、長政ご指名かと思われます。
太兵衛が数々の我儘を許容され、家中随一の知行高を与えられていたのも、
結局のところ、長政に好かれていたからなんだろうなと思います。




獺野原(うそのばる)の戦

2011年08月21日 23:00

498 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 10:54:02.85 ID:O54MV1ow
獺野原(うそのばる)の戦い~1

1559年人吉城詰衆の若侍、児玉・早田・深水の三人が、それぞれ人吉奉行である丸目頼美の屋敷に仕える
侍女たちに惚れた。
互いに相思相愛となり密かに逢瀬を重ねていたが、見つかったら処罰を受ける。
女は欲しい、だが処分は嫌だ、何とか惚れた女を連れ出したいと考えた児玉たち。
丸目屋敷を取り仕切るのは丸目の母親で相良家中から「徳深き人物とあり、侍女を多く抱えていた」とある。
徳が多いから侍女が多かったのか、侍女が多いから徳深いのか、そのへんは解らないが、とにかく
丸目の母がキッチリしてるので侍女を連れ出すなど到底無理。
困った三人は宗慶寺の僧組・智勝に相談した。

智勝「侍女らが仕える丸目と同役でライバルの東長兄を争わせ、その隙に侍女を連れ出せば良い」
三人は後先を考えず、その話に乗り手分けして実行に移した。

児玉が東長兄の元へ、早田と深水が丸目の元へ訪れ「○○が貴方様を陥れようとしています」とウソを吹き込んだ。
東と丸目の二人は同じ人吉奉行とはいえ元々不仲だったので、最初は半信半疑だったが相手の言動が
イチイチ気になり、本当にケンカになったしまう。
そして二人の不仲が主君である相良頼房(後の義陽)と、その生母・内城の耳に届くころには、
どちらも抜き差しならぬほど拗れてしまっていた。



499 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 11:04:39.55 ID:O54MV1ow
獺野原(うそのばる)の戦い~2

主君の頼房は若干16歳、重臣同士のケンカを収める政治力は未だ無いため、
生母である内城が、丸目の縁戚である東直政(湯前城主)に仲裁を依頼した。

東直政は、どういうわけか「仲裁がダメなら丸目を討つということだな」と思い込んでいたらしく、
内城に「二人が元の鞘に収まれば、それで良いのです」と言われると、張り切っていた分、ガッカリ。

丸目の元へ出向くと「拙者は丸目殿へ味方致します!」と勝手な振る舞いをした。
仲裁役(のはず)東直政の言動は、丸目のケンカ相手である東長兄の耳に入った。
「このままではワシが不利」と危機感を覚えた東長兄は、相良頼房と内城に拝謁すると

東長兄「仲裁役が丸目の縁戚では、拙者を不忠者とするでしょう。このままでは某に残された道は
謀反しかありませぬ!」
と、泣き脅しをかけた。

500 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 11:11:40.73 ID:O54MV1ow
その3

謀反をチラつかれては、目の前の東長兄の言葉に従うほかない。
相良頼房と生母・内城は言われるままに仮病を使う羽目になる。
東長兄が頼房と内城に仮病を使わせたのは、二人に他者が目通りするのを防ぐ為で、
内城は「気分が優れない」、頼房は「腹の調子が悪い」として、屋敷の奥に引っ込み続け、
そして夜中に東長兄の手配で人吉城を出た。
主君と生母が赤池城へつくと、赤池城から人吉城へ向け篝火を焚いて「二人の無事確保」の合図を送った。
篝火を確認すると東長兄家臣60余人が、丸目屋敷に火をかけて攻撃開始!

人吉城下・丸目屋敷で火の手が上がったのにビビったのが、侍女を連れ出そうとした三人の若侍だ。
「ちょっとした騒ぎが起きてくれれば・・・」のつもりが「リアル市街戦勃発」。
三人は自分たちのウソがバレルのを恐れて職場放棄(人吉城・詰衆)し遁走する。

501 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 11:29:00.69 ID:O54MV1ow
その4
突然の攻撃に、何の準備もない丸目屋敷では抵抗できず、丸目頼美は一族・郎党を連れて、
縁戚で仲裁役で「味方します」宣言してた東直政の湯前城に逃げ込んだ。
(ちなみに騒動の元になった侍女たちも同行)
東直政は驚いた、迷ったが自身の後見役にも諭され「主君に弓引く籠城戦」を決意する。

なりゆきで籠城になったで兵糧が足りない。
そこで兵糧を運ぶために人夫と護衛兵を出した。
その情報を入手した相良頼房は、帰り新参の犬童頼安に攻撃を命じる。

犬童は謀反に加担して敗れて逃亡、日向など転々としていたが1556年に帰参を許された。
彼にとって罪を許した主君への恩義に報いる絶好の機会。
犬童は「奥野一度橋」で兵糧を運ぶ湯前城兵を迎え撃った。

話が籠城前に戻るが、目が屋敷を逃亡した時に、丸目のもう一人の同役・深水頼金の末っ子左近が従っていた。
深水左近は湯前城に行く前に、友人の佐牟田の屋敷に出向き、最期の暇と手拭いを形見の意味で交換した。
で、湯前城でこれを同僚らにシミジミ~と話すと、
同僚「敵として相まみえる可能性の者と形見の取り替えは聞いたことがない。むしろ差し違えるべきだったろう」と
笑われ、
確かにそうだったと深水は納得し、心中深く決意した。

湯前城から出兵した兵糧の護衛兵の中には、同僚に笑われた深水左近がいた。
奥野一度橋で戦闘が始まると、深水は友人佐牟田の前で手拭い放って「自分がいる」ことを知らせた。
二人は互いに槍を合わせ、双方ともに討死したそうだ。

502 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 11:45:25.59 ID:O54MV1ow
その5「獺野原の戦い」の前哨戦である「奥野一度橋の戦い」は籠城側の勝利となった。
犬童頼安は敗れ手傷を負ってしまう。
犬童が怪我したのは、殿の中にいた宮原(謀反⇒逃亡⇒流浪⇒帰参を共に行動していた仲間)が
負傷し動けなくなったのを助けようとしたためだ。

兵糧は入手できたが、このままでは心許ない。
湯前城主・東直政は日向から那須氏を援軍に呼ぶ。
さらに東直政の元へ「人吉城から多良木城へ兵が入り、湯前城を総攻撃する」という情報(実は誤報)が入った。
東直政は攻撃される前に先手を打とうと、恒松蔵人を多良木城攻撃に向かわせた。

多良木城主は岩崎と言うのだが、実は甥が籠城する湯前城に入っていた。
岩崎の甥は「このまま不意打ちを受けたら叔父が討死するかもしれない」と心配し、
自身の侍女を城外へ出して「出兵情報」を多良木城へ漏洩してしまう。

内乱だから敵も味方も親戚・知人が入り乱れているので、何ともはや流れが悪い話。
多良木城側は、さっそく伏兵を配置したが、恒松蔵人は難なく撃破。
この勢いで多良木城を攻撃するが、落城までには至らず、已む無く獺野原に陣を布いた。

503 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 11:58:14.08 ID:O54MV1ow
その6~1559年8月16日、獺野原で東直政・丸目頼美・恒松蔵人・日向の那須氏の連合軍と
犬童率いる人吉勢・深水(人吉奉行の深水とは別人)率いる多良木勢が激突する。

決戦前、犬童頼安は多良木城兵を率いた深水に「人吉衆が大軍に当たるので、多良木衆は横から攻めて欲しい」と
言った。
すると深水は「これまで籠城して我慢してきた。自分らに先陣を任せてくれなければ、これから
恥ずかしくて戦など出来ない」と反論する。
犬童は深水を説得しようとすると深水が逆切れした。
「なら勝手に攻め込んで討ち死にする!」犬童と険悪な状況になった。
だが犬童は帰り新参の上、奥野一度橋で敗退しているので、それ以上強く出ることが出来ず、
深水に先陣を譲ることとした。


ヤル気満々の深水は戻った自陣で「討ち死にする覚悟のある人間」を呼び出した。
その者らに酒を一杯ずつ振る舞って出陣、途中にある川を「三途の川」に準える張り切りぶり。

深水率いる多良木衆は、その「三途の?川」を渡って獺野原の敵陣に向かう坂を登る途中で交戦!
緒戦で壊滅した。
気分を盛り上げすぎて注意力散漫になったのか、初めから死ぬ気だったのか、将の深水も討死したでござる。

「なにやってんだアイツらは・・」と犬童が思ったかは知らないが、彼は彼で行動していた。


504 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 12:09:54.38 ID:O54MV1ow
その7
犬童頼安、自軍を率いて密かに敵の背後にある坂を登らせ、背後から敵を攻撃。
タイミングはバッチリだったのだが、交戦し始めたら互いに見知った顔ばかり。
ついこの間まで、杯を交わしていた友人・親戚らの腹へ槍を突きだす気になれない。
本気が出ないので決着がつかず、だらだらと交戦状態が続いたが、
そうこうしているうちに、連戦の恒松兵に疲れが出て腰が引いて来た。
そこへ人吉勢が押し出し、一気に乱戦となる。

東直政の軍が壊滅し、東直政と恒松蔵人を含めた180余人が討死する。
丸目頼美は戦場を脱出し日向へ落ち延びると、伊東家へ仕えたが「木崎原の戦い」で戦死したそうだ。
留守を預かる湯前城代は、敗戦の知らせに城に火をかけ自害。
丸目の母、件の侍女も自害した。

505 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 12:22:24.19 ID:O54MV1ow
その8
翌年の1560年、そもそもの発端である、児玉・早田・深水の三人と、
彼らに入れ知恵した宗慶寺の僧侶・智勝が捕えられた。

若侍たちは、惚れた女が自分達の浅はかな行動の巻き添えで自害したので、完全に自暴自棄だったそうだ。
4人は人吉城下を引き回しの上、斬首。首は罪人として晒された。
これで一件落着・・・・のはずが困った事が起きた。

宗慶寺へ向かう道に、斬首された智勝が、生首だけの姿で夜な夜な化けて出るようになったそうだ。
智勝は僧侶だが、よほどの強い未練が残っていたのか、調伏することができず、
宗慶寺では止む無く寺を移転する羽目になったそうだ。

ソースは八代日記ですが、ネットから拾ったので細かいとこは相違があるかもしれません。
長文にお付き合い感謝です。




506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 12:39:36.98 ID:gM7ZYZWJ
ファミリー台子

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 13:30:27.48 ID:PDvgSchI
一時間半もかかるとは思わなかった

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 13:49:20.49 ID:UZKhShry
長いよッ!!w

しかしまあ、あんな四方敵みたいな立地でこんなアホこの上ない理由で
同士討ちまでしでかしたってのに大名として生き残ったのは大したもんだな

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 14:07:45.36 ID:y78mz2mD
わかりやすくて面白い文章だったけど長いな
いくつかのエピソードに分割して続き物にした方が読みやすいかもしれない

しかし助言の件といい化けて出る事といい、どんだけよこの腐れ坊主w

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 17:51:42.11 ID:yBhJ4BtY
情報を全部説明しようとするから長くなるんだよな
肝心なのは嘘がこじれて合戦になったくだりだけ
あいだあいだの小エピソードは省いてよし

511 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 18:22:15.29 ID:vxpql5QG
>>510殿、参考になり申した。

発端のウソが拗れたのが1559年の5月の話で、
合戦になったのが8月のことなんで、
どこで区切るか迷って、つい欲張って小ネタも全部入れてしまいました。
構成力が及ばなかったorz
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由良氏誕生

2011年08月21日 22:59

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 19:11:55.41 ID:/tJ71kRE
由良氏誕生


横瀬氏は元々は新田氏の血を引く上野の名族、岩松家に仕える家柄であったが戦国中期の横瀬泰繁の代から
家中を牛耳り、やがて主家を凌ぐ権力を得ていた。
だが、専横を極める泰繁は天文14年(1545年)に下野壬生合戦で戦死し後を息子の由良成繁が継ぐことになる。
そしてこの成繁は父以上に容赦がなかった。

家督相続時、成繁は40歳という年齢で政務への参加歴も長く「家中法度」「百姓仕置法度」などを制定するなど
既に実績充分で家中の信任を得ており、
泰繁の死という絶好の機会が有りながらも既に梯子を外されているどころか当主が幽閉されてしまっている
岩松家は流れを変えることは出来なかった。
そして天文17年(1548年)頃、時の岩松当主である岩松氏純が長年の幽閉に精神が擦り切れたのか自殺し、
跡を岩松守純が継ぐとこれも成繁は幽閉した。

成繁は名実ともに新田荘の支配者となるべく時の将軍、足利義輝との関係を重視し、また関白近衛前嗣が
関東に訪れた際にはこれを持て成して義輝より賞詞を賜った。
やがて幕府との関係強化が身を結び、永禄7年(1565年)に成繁は幕府より刑部大輔に任じられ、
御供衆に加えられるとともに毛氈の鞍覆と白傘袋を免許された。
こうして横瀬氏の新田荘支配の正当性は幕府公認という事になったのである。

成繁はこれを期に姓を横瀬から新田荘は由良の地からとって「由良」と改めた。
また、この時より成繁は横瀬氏の系図を小野氏後裔猪股党から清和源氏新田氏後裔に改竄した。
どこから得たのか成繁は岩松家の系図を把握していたようで由良氏の系図はかなり新田氏の系図とシンクロしており、
あたかも本当に新田氏の子孫であるかもような系図が完成したのである。


こうして源姓由良氏は「作られた」。




514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 19:22:04.77 ID:A8v9Gtzt
明治時代に新田嫡流争いで岩松さんの方が嫡流と認められるんだよな、これ。

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 19:27:45.51 ID:yBhJ4BtY
岩松守純って後に旗本になるんだけど、なんと
「20石」なんだよなあ
そのへんの足軽レベルじゃんこれ

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 19:32:33.37 ID:3mC0MeTQ
そりゃ得川さんからすればねぇw

勇将の馬印

2011年08月20日 23:01

141 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/19(金) 22:49:11.39 ID:l/VpIR0q
もし既出だったらゴメン。初カキコです。
慶長の役、蔚山城の戦いにおける一幕。

完成間近の蔚山城は明・朝鮮による5万7千もの大軍に囲まれた。
篭城側は加藤清正をはじめとしたわずか2千、
兵糧も尽き水の手も押さえられ、落城寸前のところに現れた援軍は
毛利秀元、黒田長政らからなる2万だった。

いよいよ明・朝鮮軍による蔚山城への総攻撃が始まると、
援軍も敵軍の背後を衝くべく動き出した。
そのとき、毛利秀元の軍勢より二引両の馬印を掲げた一軍が躍り出し、
颯爽と、縦横無尽に敵を蹴散らしてゆく。
後続の軍勢もこれに続き、ついには、約三倍もいた敵軍を敗走せしめた。

この様子を蔚山城から見ていた加藤清正は、
鬼神のごとき働きをした、あの二引両の馬印の大将を招いて曰く。

清正「貴殿の馬印は遠目には目立たないし、勇将には似合わない。
   変えたほうがいいのではないか?」
大将「そっすか。では主計頭(清正)殿の馬印を賜りたい」
清正「それは嬉しいお申し出! ぜひ使ってくだされ!」

二引両の大将は、吉川広家
広家は以降、清正から贈られた銀の九本馬簾の意匠をアレンジし、
赤の十三馬簾(婆々羅)として用いることになる。
関ヶ原でやきもきする毛利秀元たちの前に立ちはだかったのも
このド派手な馬印だった。



参考・赤の十三馬簾(婆々羅)
118b5ce71d8bd413affff6606401f596.jpg
http://blog.goo.ne.jp/kazutoyo_1974/e/f3c295f2ef545b9f15feb194e1631a3b

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 22:57:56.57 ID:vSpXtfY8
ググってみたけど、やはり赤は派手だねぇ

清正 絶体絶命のピンチなのに、そこ気になるとか、結構余裕じゃね?

143 名前:141[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 23:27:52.48 ID:l/VpIR0q
>>141ですが書き忘れです。
これじゃ清正がケチつけたような話になっちまう。
清正は広家を招いたときにちゃんと援軍のお礼言ってます。
話の流れで馬印のことに話題が及んだだけ。
たぶん清正も感心するほど勇猛だったから、
もっとカッコイイ馬印使えばいいのに、てことだと思う。

>>142
俺も画像見たときつい赤面したw

あと、うっかりageてスンマセンした。


145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 03:43:48.08 ID:KoKBEFF1
>>141
携帯ヤシの木という言葉が頭に浮かぶアレですか