「小さな旗指物」

2011年09月30日 22:04

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 23:41:38.44 ID:kIudkm3p
「小さな旗指物」

上杉謙信の家臣に北条長国という武将がいた。彼の旗指物は白い練り絹に黒い蟻の絵を描いた一尺四方という小さいものだった
ある時謙信が長国に何故そんな小さい旗指物を使っているのか尋ねた所、長国は
「私は戦の時は進む時には必ず一番駆けをし、退く時には必ず殿を勤める覚悟でいます。
つまり戦場で常に敵の一番近くにいるのですからこの程度の大きさでも充分敵の目に入るだろうと思い、使っているのです。」と答えた。
謙信はこの答えに深く感心し、頷いたという。




861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 23:51:46.99 ID:u3Ew21Iu
初鹿野伝右衛門「ですよね~」

863 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/30(金) 13:59:44.52 ID:V5py4wHV
キタジョウさん?

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 22:21:55.80 ID:BrC6ALvo
北条長国って誰だと思ったら北条景広か
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細川政元私邸の怪異

2011年09月30日 22:04

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 00:53:27.11 ID:jUa+jXr/
長享2年(1487)7月7日の事

細川政元の私邸の庭の池の上に、何者かが浮かんでいた。
よく見るとそれは、何と人の頚であった。

その色は白く、不思議なことに近くからは見えないが、離れると見えたのだという。
全くもって妖怪であった。

この事について、細川家の安否に関わる予兆であろうか、と囁かれた。
また他にも、最近世の中に風狂の相が現れていることもあり、何か不吉なことが起こる
兆候ではないか、とも言われた
(蔭涼軒日録)

ちなみに7月14日にも政元の邸宅に再び様々の怪異があり(親長卿記)、
8月15日にも禍々しいものが現れたと記録されている(大乗院寺社雑事記)


奇怪にもほどがある魔法半将軍様の私邸についてのお話





138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 05:58:37.07 ID:we/YdPxc
後のけ…凶兆家である

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 09:15:27.89 ID:Adb7yLi8
後に騒がれる人面魚…である?

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 13:25:05.32 ID:N38zTaFQ
見えたり見えなかったりするシュレディンガーの首である

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 13:36:37.27 ID:lSDcbpOm
怪異があっても細川家は21世紀まで続いているんだから
実はたいした意味はなかったんじゃね?

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 13:51:10.67 ID:KFTD2Wxc
残ったと言っても半将軍から東北の一陪臣だからご利益十分じゃね

佐々成政の謀略

2011年09月30日 22:04

143 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/30(金) 18:42:53.15 ID:IaKOSBR4
羽柴軍と織田・徳川連合軍による小牧・長久手の戦いが始まろうとした頃、佐々成政
織田信雄に

「羽柴秀吉の元に人質に出している子供を見捨てて味方するので、秀吉亡き後は加賀と能登を頂きたい。」

という書状を送り、寝返りを表明した。そして、秀吉方として前田利家に接近し、

「利家殿の次男である利政殿を佐々家の養子に迎え、自分の娘と結婚させて越中を譲ろう。」

と申し出た。前田家にとっても悪い話ではなかった為縁談も順調に進み結納も終えたが、当時富山城に
茶坊主として仕えていた養頓(じょうとん)という男が、成政が織田・徳川方に加担している事を前田家家臣に密告した為、
前田家の味方を装ってその領土を攻めようという成政の謀略は水泡に帰してしまったという。




144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 22:04:24.74 ID:i66FYDwW
多分その茶坊主は前田の間者だろうな

そこで一計を案じたのが鳥居元忠である

2011年09月29日 22:10

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 22:00:36.67 ID:dUleUS2Q
長篠の戦いでのこと。

織田方や武田方も味方内での中は良くなかった(主に幹部)ようだが、徳川方にも雑兵の中で喧嘩する者が現れた。
長年はりあってきた武田勢との正念場である、徳川の幹部たちは当然これを憂慮した。
当然三河武士たちである。喧嘩をあらゆる(暴力的)措置をとって止めようとしたのであろうが、
ダガシカシ、一向にうまくいかなかった。

そこで一計を案じたのが鳥居元忠である。
「兵どもに楊枝を使え、と伝達すればよろしかろう。」
ポカーンな家康。つまり喧嘩を沈めるために「お前ら歯ぁ磨けよ!」と言う訳である。
元忠が言うには、
「もめるときの人間の顔は醜いもの。されば楊枝を携帯させ、身だしなみに気を使うようにさせれば、
 おのずと素行も良くなる。」
とのこと。

なんだか現代の先生の「ボタンは第2ボタンまで閉めろ!」というお説教に近い気がする。
これが実行されたかは不明(というか史実かどうかすら怪しい)だが、
元忠、意外と三河武士の中では相手の心を考えたり読み取ったりするのが得意であったのかもしれない。





834 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/28(水) 22:27:26.94 ID:HvgZyHiS
>>832
商品棚の奥に鏡を設置したら万引きが減った・・・という話を思い出したw

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 22:56:25.47 ID:xvr4lmRN
「てめえ、口が臭えんだよ!」
「何だと!やんのかゴラア!!」

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 22:58:27.90 ID:pC8wEAvU
本多忠勝も、身だしなみを整えろと言っているし
三河武士はそういう気質も多いのかな

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 23:13:24.32 ID:GLMLxktH
首を取られた時に備えて化粧して出陣する武士もいるくらいだから
「武士なら見苦しくない格好をしよう。」みたいな認識はあったんじゃないだろうか。」

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 00:26:26.81 ID:XUBRYC9d
まあ雑兵足軽に至るまで徹底させる所がいいのではw

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 01:22:03.24 ID:owLIQX+T
家康自身も意外にも武士の身だしなみ(嗜み)にうるさかったりするんだよな
万が一の場合に備え、頭には香を焚き込んでおけとか言ったり

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 01:58:46.66 ID:zanImqqh
家康の衣類や鎧は、同時代的にもかなりド派手なんだよね。
全身黄金の鎧なんて秀吉でも付けないようなもの作ってるしw
どうも家康は後の質素倹約の時代に、地味な感じにキャラクターを変更された観がある。

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 02:12:27.00 ID:T+cE2pzF
ワシ等普段から質素倹約してんじゃん
だもんで戦装束ぐらい着飾るだらぁ
お前等もやってみりん

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 04:03:19.76 ID:+0TDz4Pk
桶狭間ん時の大高城に金色の鎧着て兵糧搬入したんだっけな。目立つよなあ

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 06:12:14.80 ID:UxUhVSAl
ガンダムシリーズに出てくる百式のモデルが家康公だからな。
嘘だけど

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 07:03:23.68 ID:v2ygL4Kk
家康って、普段節約して合戦では出し惜しみしないのが武士の姿って考えだと思う。
関ヶ原の頃のキラキラした若武者に苦言を呈する逸話と整合性取れないけど。

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 08:05:29.16 ID:JxBp5y97
>>843
一瞬納得しかけたw

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 09:22:38.85 ID:zanImqqh
>>844
家康みたいな大将がそうするのと、組頭レベルがキラキラした武装をするのはやっぱ違うんじゃないかね?
前の悪い話スレにあった一条さんの逸話じゃないけど、やっぱ下の人間が派手な武装するのは
集中的に狙われて損だと思ったw

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 09:36:33.15 ID:+m92HzHL
家康に然り、政宗に然り、クロカンに然り、早雲に然り、
こいつらは倹約家であってケチではないからね
節制をして貯蓄に励んでも、いざというときの出し惜しみはしないタイプ

ケチってのは、銭を連れて戦争へいけと嫁さんにマジギレされた前田利家みたいな人のことだからなw

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 10:41:41.80 ID:s2tN12eE
>>844
キラキラ通としては「そのキラキラは違うんだよ」とか言いたくなるんじゃね

849 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/29(木) 12:22:05.43 ID:Rcwy8hs3
なにそれ可愛い

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 12:28:32.26 ID:CYQQUAaN
そのキラキラはキライってか

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 17:37:06.38 ID:XUBRYC9d
あまり関係ないが戦国武将の馬印も金が多いね。

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 18:23:37.06 ID:UxUhVSAl
動乱期の武士の遺訓みると、
最近の若い侍は茶の湯なんぞに金使って・・・
みたいな人多いからな。
戦があるのが常な時代の武士は武具にこそ金使うのがデフォなんだろうね

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 18:29:56.91 ID:7couifVY
直江状が本物として、山城守が三河者の家康に
「上方の武士は茶器などを集めているが、田舎武士は武具に金をかけるのだ」
と言っているのに違和感あったが、家康も派手好みだったのか

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 19:02:36.28 ID:s2tN12eE
>>853
侘び茶が広まってない地域だと茶の湯というと闘茶のイメージが強かったんじゃね?

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 19:43:36.01 ID:9Wn8sJjR
馬印は寧ろキラキラ目立たないいかんのじゃないか?

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 19:52:59.63 ID:6Svqa0cw
家康の馬印に赤丸が書いてある金の扇があったと思うけど、あれは何故傾けてるんですかね?

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 20:21:08.65 ID:+m92HzHL
扇子は91度以上180度未満で開くから、
片側を垂直に立てた棒にくくりつけると、片側は水平にも垂直にもならないから

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 20:30:22.28 ID:cyH9kFXl
>>856
棒に閉じた扇を括って扇を開くと自然とあの傾いた形になる
元々アドリブで作った馬印だし、弦を担いでその傾いた形から変える必要性がなかっただけかと

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 22:06:14.75 ID:xCOFNUC4
武者は目立って自分の手柄をアピールしてなんぼ。
目立つと敵の的になるのは当たり前で、敵に狙われるぐらいに自分の馬印を有名にしなくちゃいけない。


881 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/10/01(土) 02:38:40.67 ID:v/Z1mi6o
>>847
利家は信長のお気に入りを切って追放されてもそれでもどうしても
信長に仕えたくて二年間浪人で貧乏暮らしをしてこたえてるから
でしょう。
他のメンツはそこまでのビンボーを味わっていないからね。

恐れながら謹んで言上仕ります

2011年09月29日 22:10

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 22:29:29.02 ID:qwi8IaQd
『恐れながら謹んで言上仕ります。

今の大阪表の状況を、どのようにご覧になっていらっしゃるのでしょうか?
恐れながら私は、驚きいっております。

この以前から秀頼様の御事を、下々が何かにと言っているのも、秀頼様が両御所様(家康・秀忠)の
御座所から遠く離れた場所にあるためだと、恐れながらそう考えています。

年内は余る日数ももう少ないのですが、御袋様(淀殿)が江戸に見物に行くのだと、年内中に
御下向なされてはいかがかと考えています。

きっと秀頼様は、御袋様がそのように下向されるのはどうかとお考えになるでしょうが、とにかく
今の危機的状況を解消させるため、御袋様が取り敢えず下向遊ばされ、来年になれば
秀頼様がご決断を以て、駿府江戸へと軽々とお見廻りなされて、その上で御袋様の方は
御上洛いただけるよう(家康・秀忠の)御沙汰をいただく、と言う方針ではいかがでしょうか?

このように申し上げたのは、私が最近御所様(秀忠か?)と対面した際、御所様は「(大阪方に)何かと
申し出ているのだが、今日に至るまで我々の要請を受諾する様子は無いのだ」とおっしゃっていたからです。

とにかく、四方から色々と言ってきているでしょうが、それらは全てお捨てになって、どうかどうか、
御親子様のうちどちらかが、年内に下向成されるようご決心して下さい。それこそが最善であると私は
考えています。

私めがこのような、本来なら憚るべき事を申し上げたのは、この事で、おそらく御機嫌も悪しくされたとも
思いますが、これも全て太閤様の御恩をひとたび申し受けた身であれば、秀頼様の御ために良きようにと
考え、恐れながら申し上げたのです。

恐惶謹言

(慶長十九年(1614))十月八日 進上

秀頼様』


結果、この申し出は無視された。
大阪冬の陣直前、福島正則淀殿豊臣秀頼母子に江戸下向を勧めた書状である。

(大坪文書)





125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 23:13:25.35 ID:e5L0iW5U
ほんと清正と違って正則は良い子だねぇ

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 09:47:17.09 ID:+m92HzHL
>>124
酒の入っていない市松さんは本当にええ人やで

でも現実が見えてない人たちや
秀頼を神輿に担いで一発を狙ってるような輩には妄言でしか無いだろうな

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 21:19:52.83 ID:37f5g6AC
>124
これ悪い話か?正則のいい話だと思ったが

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 21:37:00.77 ID:H2eDU9Mk
>133
無視した大坂方の悪い話、だろう

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 23:20:25.06 ID:sYRBxMz/
文治派憎しを家康に利用されて豊臣没落のお先棒担がされたことを悔やんで酒びたりになったのさ

136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 23:35:50.06 ID:+m92HzHL
だが待って欲しい
もし豊臣が存続できたとしたら、その時は連日祝い酒を呑むのではないか

どうころんでも市松さんはそれを口実にして酒を呑むだけではあるまいか

週刊ブログ拍手ランキング09/21~/28

2011年09月28日 22:02

09/21~/28のブログ拍手ランキングです!


一条信龍その3 「信龍の影武者たち」 134

主君替え、七人目 84

「あぁ宗俊よ、今一つ命じる」 79
高橋紹運・最後の恩賞 78

家康と深田 59
雑談・その死亡フラグって何? 51

永正、一向一揆越前侵入にて 49
真田信之と好物を前にガマンできなくなった小姓 45
織田信長の部下の評価基準 36

組み討ち 35
鷺森合戦 35
恵瓊の涙 35
「清正の茶碗」 35

雑談 戦国由来の言葉 29
小田原陣、上州松井田攻めにて 25
家康、誰が従ったかの虚実を確かめる 25

「大将の条件」 24
「徳川家の大功労者」 23
『大阪物語』より、小早川寝返り 21
合計 1344



今週の1位はこちら!一条信龍その3 「信龍の影武者たち」
量産型一条信龍!!w『一条殿討ち死にの報が戦場を駆け巡ることは良くあったが』の一節には、さすがに
爆笑してしまいましたw 敵にも味方にもはた迷惑なw
一条さんは「天然系戦国武将」とでも呼ぶべきなのでしょうか?稀有な個性の持ち主ですねw

そして2位は、人気シリーズですねー主君替え、七人目
大名に復帰した高虎に、家臣たちが加増を断ったという有名な逸話が主題ですね。
そしていよいよ家康登場。
家康と豊臣秀長は大変に関係が良かったらしく、例えばあの三河一向一揆の後、関係断絶状態だった家康と本願寺の
和解を仲介したのが秀長だったりします。家康も秀長が病に倒れると、何度も見舞いに行っていますね。
そういう中で家康と高虎の関係も、深くなっていったのでしょう。

今週管理人が気になったお話はこちら!「あぁ宗俊よ、今一つ命じる」です!
こういうお話はやはり、グッと来てしまいますね。青山親子も立派ですが、彼らの忠義に応える家光の姿も、
この時代で言う「頼もしき」主君であると思います。

ところで大変盛り上がった雑談 戦国由来の言葉 のコメントに出ていた戦国死亡フラグ、
たくさん頂いたコメントを、元ネタを記しつつまとめてみようとしているのですが、なにせ数が膨大なのとちょっとワタワタしているので
中々進んでいませんw;
良かったら気長に待ってやってみてくださいw

今週も各逸話に、たくさんの拍手をいただきました。いつも本当にありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやって下さい!

( ´ω` )

織田信長と、信忠の四羽の鷹

2011年09月28日 22:02

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/27(火) 23:53:46.92 ID:u47H4fz5
ちょっといい話というか、ちょっとほのぼの父子話。

天正六年。
織田信忠が岐阜城で飼っていた四羽の鷹の子が、いずれもいい感じに育った。
いい感じに育てあげた鷹匠は、近頃めずらしいお手柄である。

七月二十三日。
信忠はこの鷹を鷹匠の山田と広葉の二人に持たせて安土へ届けた。
信長はその中から一羽を受け取り、あとの三羽は信忠に返してやった。
鷹匠二人には「育てるのは大変だったろう」と労りの言葉をかけたうえ、銀子五枚ずつに衣服を添えて与えたので、
鷹匠は大感激しながら帰っていった。

十月十四日。
信長は信忠の鷹を使い、長光寺山で鷹狩りを行なった。
鷹が獲物を捕らえた為、信長は上機嫌だったという。

信長が鷹を献上される事自体は珍しい話ではないんだけど、一羽だけ受け取る例は珍しい。




817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 00:08:36.53 ID:1zoL4d+g
信長って送られたもの少しだけ貰って残りは返すこと多いよね
息子からはともかく北条から馬送られてほとんど送り返すとか
大名相手には礼儀知らずと取られたりしないのかな

「寄 り 道 し て よ っ て い く ぞ。」

2011年09月28日 22:02

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 00:13:57.52 ID:dUleUS2Q
時は三方ヶ原の戦いの直前。
徳川家康の家臣が、軍勢を率いて織田家の加勢のため近江に向かっていた。
ダガシカシ、武田信玄が迫っているとの報が届き、慌てて引き返した。
「信玄が来襲するまでに、すぐに浜松に帰らねば!」
と急く家臣たち。だが、軍勢を率いている武将が
「このちかくに浅岡さんっていう弓矢の名人がいてさー、一度行ってみたかったんだよね。」
「との、まさか・・・。」
「寄 り 道 し て よ っ て い く ぞ。」
マイペースである。おまけにその武将がその弓の名手浅岡に教わったのは弓ではなかった。
射掛けという弓の手袋の緒の正式な結び方を教わったのである。
いや、結べたら何でもええやんという周りの家臣のツッコミに、当人は

「もし、今度の合戦で討ち死にした時、射掛けが正式じゃなかったら哂われるやん。」

と答えたとか。彼は三方ヶ原でまっさきに戦端を開いた。
その男とは、徳川家のナンバー・ツーといっても過言ではない人、
西三河衆を率いる石川数正だった。




819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 00:27:59.12 ID:IArBNC1c
そうか数正さんはマイペースな人だったんか
つーかこれは良い話なのかwww

宗祇と酒。そして酔漢

2011年09月28日 22:01

宗祇   
119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/27(火) 22:22:25.70 ID:X+xEZQO/
姉妹スレで酒関連の話題が出てるので


連歌師として有名な宗祇がある年京に上ろうとして東海道を歩いていたが急に喉の渇きを覚え、酒場に入ったものの
一銭も持っていなかった。
呆然として店の入り口に立っていると、酒場の主人が出てきてどうしたのかと尋ねたので、酒が飲みたいのですが
銭がないのですと答え、
つぼの中に匂ふと見れば梅の花さけがな一つ春のきどくに
と一首詠んだ。これを聞いて酒場の主人は
つぼの中に匂ひし梅も散り果ててかすみぞ残る春のきどくに
と詠み返して、酒を出してあげた。
ここで終われば風流なよい話なのだが、この様子を初めから見ていた店内の酔漢がこのやりとりに感心し、
自分も宗祇に酒を振る舞おうとしたが宗祇がそれを断ると、
自分の酒が飲めないのかと怒り出し、宗祇の手を取って捻りあげ、歌を詠むように要求した。宗祇は仕方なく
なら酒や此手をとりてうちはらに兎にも角にも捻る人かな
と詠み、酔漢を振りほどいて去っていった。



せっかくの風流な話を台無しにした酔っ払いの悪い話





秀吉から久留米を任されていた殿様がいたそうな

2011年09月28日 22:01

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 15:28:34.73 ID:wPD8Jbor
江戸時代の怪談話調べてたら面白い話があったので


まだ大坂の豊臣氏が政権の座にあった頃の話
秀吉から久留米を任されていた殿様がいたそうな
ある時修行中の旅の僧がささいな事で他領の者と口論し、訴訟となった。殿様は事実を調べず、一方的に
僧に非があるとして処刑してしまった、僧侶は殿様を呪いつつ首を落とされた。
それから暫くしたある日、殿様は小姓を呼び刀を持ってこさせた。小姓が言われた通り持ってくると、
殿様はその刀を抜いて「覚えたるか」と小姓に斬りつけた。
小姓はとっさにかわして逃げたが、殿様が更に刀を振り回して暴れるので他の家臣達は殿様を座敷に閉じ込め、
戸を締め切った
家臣達はかの僧侶の祟りではないかと思い付き、どうしたものかと思案していたが、家中一の剛強者が
床下から座敷に忍びいって殿様を足を捕まえ、そのうちに取り押さえる
という案を思い付いて、実行し無事殿様を取り押さえ、座敷牢に放り込む事が出来た。
その後、かの僧侶を神として祭り上げた所、50日後に殿様は正気に戻った。しかしすでにこの事件は
秀吉の耳に入っており、結局御家断絶と言う事となってしまった


この殿様は小早川秀包って事になってるけど、史実の秀包は断絶されてない以上、この逸話の信憑性は
ゼロなんだけどね
この逸話が書いてある本の作者に秀包が馬鹿殿だのなんだのメタクソに叩かれていたし、こういう
変な逸話作られた秀包の可哀想な話と言う事で




121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 16:13:19.44 ID:7X5EmFF7
小早川秀包さんって、だれだかに異様に評価されてたような覚えがあるな~

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 17:33:27.21 ID:gWgZg9+i
西のパーフェクト超人と義兄弟だったとか聞いたことがあるが。>小早川秀包さん

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 18:50:56.25 ID:wPD8Jbor
ちょっと調べてみたら秀包は高良山の座主を殺してるのか
キリシタンだったみたいだし、そういう事を意識して作られた逸話なのかな

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 00:40:48.74 ID:8hgQR677
>>123
高良山の座主を殺したのも理由があるし、非道な人じゃなかったんだけどね。
やはり、関ヶ原の後改易されてそのあと1年で急死したのと
キリスタンだったりしたのが後の世にマイナスイメージだった?

家康と深田

2011年09月27日 22:26

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 22:39:51.45 ID:qKpWGIGX
家康公が出たので、それじゃあこちらも 既出だったらごめん

とある戦いで敵地深く侵入した時、索敵の斥候が家康にこう告げた
「この草原の前方右に、かなり広い湿地帯がございます
誤って馬などに乗り入れますと、ぬけなくなる恐れがございますので、御用心が肝要かと」

この報告を聞いた家康は、一瞬前進を躊躇した
敵はもしかして、その湿地帯に誘い込み、罠にかかったところを一斉攻撃してくるかもしれない
もしそうなれば、大勢の味方が命を落としてしまう

しかし敵城は間近 今更引き返すことも出来ず、味方は後ろから何も知らずに続いてくる
そこで家康は伝騎を次々と出して、後方部隊に知らせたが、どうも徹底した様子が見えなかった

それを見た家康は何を思ったのか、突然一騎で駈け出した

驚いた近時が慌てて後を追ったが、たちまち家康は件の湿地帯に向かって一直線に駈け出し
そのまま泥沼の中に身投げした
折からの初夏のこと、泥沼からやっと這いでた家康は、泥人形のようであったという

「殿が深田に落ちて泥だらけになったぞー!」

「あやうく一命を取り落とすところであったそうだぞ!」

このような知らせがたちまち全軍に伝わり、湿地帯への注意はこうして徹底され
その後始まった敵兵との遭遇戦で、深田に落ちて討ち取られた者は一人もいなかったという





「あぁ宗俊よ、今一つ命じる」

2011年09月27日 22:26

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/27(火) 21:11:04.01 ID:SfoeI6Uk
青山忠俊徳川家光の守役であったが、家光が成長してからも直言を繰り返し、ついに改易・配流となった。
のちに家光は己の行いを後悔し、忠俊を呼び戻したが、忠俊はこれを断った。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4666.html

それに代わって、忠俊に連座して蟄居した者たちが再出仕を許された。特に嫡男の宗俊は、父譲りの実直さを
認められ、書院番・大番頭と昇進を重ねていった。
青山家が再び家光の信頼を得たのを見届けた忠俊は、配所で66年の生涯を閉じた。



それから何年か後、青山因幡守宗俊は、将軍家光の呼び出しを受けた。
「お前の所領3千石に、信州小諸2万7千石を加えて、3万石とする。」
「ははーっ!有難き幸せにございまする!」

「お前の父は、わしの幼き時より犬馬の労をいとわず尽くしてくれた。しかし若き日のわしには、
その事が分からず、良き忠臣を配所で死なせてしまった。その事、未だに悔やまれてならぬ。
ここに青山家を大名に復す。宗俊よ、忠俊がわしに仕えたのと同様に、竹千代(家綱)に仕えよ。」

「ははっ!・・・亡き父も・・・さぞや・・・・・・」
眼からあふれるものを平伏して隠し、ようやく落ち着いて退出しようとする宗俊に、再び家光が声をかけた。

「あぁ宗俊よ、今一つ命じる!お前はこれより下城した後は、どこにも立ち寄ってはならぬ。
まっすぐに帰宅して忠俊の位牌に、この事を伝えるのだ。良いな、頼んだぞ。」

宗俊は、もはや涙を隠すこともなく退出した。(榊原日記他より)




815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/27(火) 23:45:01.95 ID:syAC0ltj
君子豹変か
家光=DQNというイメージだったけど少し修正w

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 00:46:22.43 ID:Ye6uONLy
>>814
いい話なんだけど、どうせなら元通りの五万石にしてやればいいのにと思ったw

821 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/28(水) 01:40:57.61 ID:BnJeMsMb
>>814
>「宗俊よ、忠俊がわしに仕えたのと同様に、竹千代(家綱)に仕えよ。」

「蟄居になって配所で死ね」って意味ですか?

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 05:45:00.34 ID:zfcktFr6
>>814
改易の原因の半分は春日局の讒言を家光が真に受けたからなんだよな

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 13:27:59.68 ID:pC8wEAvU
>>827
井上正就が殺された事件も春日が絡んでなかったっけ?

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 19:06:35.42 ID:kWXCF/D3
春日局オソロシス

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 22:18:37.48 ID:VoH0GepN
>>828
井上正就の子息と鳥居成次(徳川忠長の家老)の娘の縁談を春日局が持ってきたため、
もともとの縁談を正就が取り消したところ、仲介役だった豊島信満が面目を潰されたことを
怒り、正就は殺されてしまう。という流れだったはず。

厳島社の祟

2011年09月27日 22:26

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/27(火) 14:12:37.90 ID:fRWMZiXx
慶長11年(1,606)6月27日のこと、安芸の厳島での祭礼の際、この地の代官であった山本小兵衛と言う者が、
この祭の場より狂気して、7日間物狂いをした末に、死んだ。

ときに、厳島神社の社領は毛利輝元の時三千石を寄付されていたのだが、福島正則がこの地を拝領してより
これを尽く取り上げられ、寄進地は全く無くなってしまった。
今度の代官の狂死はその祟りであろうと、下民たちはそう言い合った。
この翌年、正則が養子正之を殺したのもまた、神の祟りであると囁かれた。

そのためであろうか、正之が殺されたこの慶長12年より、厳島神社に五十人扶持の所領が寄付され、
その上に末社の堂宇、鳥居なども建立されたとのことである。
(当代記)




いりこ酒の隆房様

2011年09月26日 22:01

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 22:04:22.92 ID:AQD8nKru
市松さんみたいな人発見w

陶隆房(後に晴賢)は、いりこ酒(ヒレ酒のにぼしバージョン)が山口で大流行したときに、
夜な夜な諸将の主催する酒宴に顔を出してたんだが、ある日、オールで遊んで朝帰りした。
酔いも覚めやらず、寝所の外で鳥の声を聞いていると、家の中から近習が話す声が聞こえてきた。
近習たちは隆房の帰宅に気づいていない様子だった。

「殿はこんな時間まで、どこで何をされているのやら。心配だなあ」
「なに、殿はいりこ酒だ。いりこ酒の隆房様よ!」

馬鹿にされたと思ってカチンときた隆房は、荒々しく障子を開け放つと、脇差を抜いて
「いりこ酒」と言った近習に斬りかかり、反対側の庭まで追い詰めて首を差し出せと迫った。
近習は縁側に上がり「殿の悪口を言ったのではなく、ちょっとふざけただけですが、
そこまでお怒りならどうぞお好きになさってください」と諸肩脱いで首を延べ、
隆房は一も二もなくその首を落としてしまった。

この近習は隆房の乳兄弟で、父親も隆房が赤子のころから養育係として仕えている。
父親を呼んで成り行きを話し、死骸を弔ってやるようにと言うと、父親は息子の遺体を庭に突き落とした。
曰く、「こんな不届き者、私の息子じゃありません。天魔か狐の類でしょう」
この父親、他の人にも悲しみを見せなかったが、夜になるとこらえきれずに涙で枕を濡らした。
それでも、その後も隆房を恨む気配もなく、一途に仕えていたため、
隆房も自分の行いを恥じて、近習を殺したことを悔やんだそうな。

酒癖の悪い主君を持っちゃった家は大変だね。




110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 23:09:16.77 ID:hR4yMktv
>109
乳兄弟を切るなんて嫌な話だ
首を出されたら切らないで引くわけにはいかなかったんだろうな
そもそもその程度でカッとなって斬りかかったのが間違いだろうけど

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 23:49:28.32 ID:YzF229A4
近習は最期の言動を見る感じ
「ああ、この人はダメだ」と思いつつ斬られてそうなのがまた悲しい

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 00:53:45.98 ID:sVDG7Hm8
しかしこの陶さんが西国無双の侍大将って呼ばれてたんだもんなあ
人品は関係ないんだろうな

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 01:39:59.84 ID:qskgS5Z1
信長が舅殿を斬るようなもんか

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 16:21:00.32 ID:jSz+peDf
陶の評判大暴落w

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 19:16:00.10 ID:bXtP2px0
乳兄弟と穴兄弟(アーッ的なほう)

どっちの絆が強いのかね・・・

家康、誰が従ったかの虚実を確かめる

2011年09月26日 22:00

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 17:55:36.51 ID:ySNBKEb2
徳川家康公が三方ヶ原で敗れて撤兵した際に、家臣たちは家康公の左右を護って敵を防いだ。
その後で誰が家康公の側にいた、誰はいなかったということで討論が起きた。
家康公は諸将の刀を差し出させそれを確かめると誰々は右に、誰々は左に居たということを明瞭に指し示した。
家康公は後でこういった争いが起きることを予知して馬上から唾をあらん限り左右に吹き掛けていた。
そのため刀身にのこった汚点の有無を見ることで誰が従ったかの虚実を確かめ右か左に居たかも判断できたのである。
軍が戦意を喪失し旗色が既に乱れていたときに後のことを気遣う余裕があった。その非凡さを想い見るべし。
想古録、昌平黌の教授古賀侗庵談




788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 18:12:42.86 ID:3RY+7dMU
漏らしながら唾もはき散らかしてたのかこの人は…

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 18:51:20.74 ID:2Z9ldu9Z
逸話につっこむのも無粋だと思うが…嘘くせぇぇぇw

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 19:13:09.04 ID:bXtP2px0
※本当は味噌が付いていました

791 名前:nttkyo282235.tkyo.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp[] 投稿日:2011/09/26(月) 19:39:41.23 ID:8SrM7hzp
その状況想像したら拭いたwwww

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 19:40:44.94 ID:XxN9Zeuy
唾ならそんなに明白に跡残らんだろうと思ったが
味噌なら納得だな

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 19:42:24.03 ID:z1D/fM+W
戦国の永源はるかさんみたいだな

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 20:15:30.41 ID:HZfBWMQP
>>788,791
戦場でうんこもらしながら部下という部下に唾吐きまくる家康・・・

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 21:11:54.91 ID:JjFwZ8bL
作左「との!刀は武士の魂!それに唾を付けるとは(ry」
忠世「ホントはトイレ我慢して唾飛ばしてただけだというに。」

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 21:21:57.54 ID:v9VmSKVZ
なにこれ汚い、と刀を手入れしてしまった奴涙目

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 21:22:12.50 ID:ggiaxP0y
当時は唾=汚いという意識は、現代ほどはないのでは

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 21:31:41.52 ID:uuTvkJfh
俵藤太が矢に唾をかけて、大百足を退治していたけど、
これは清める行為なのだろうか


799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 22:20:30.45 ID:W88m3/Tn
ムカデは人の唾に弱いという迷信があるだよ

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 22:36:07.65 ID:+sQd4ybX
>798
たしか大ムカデの吐く火で眉毛が焼かれそうになったので、眉に唾を付けて
ついで矢に唾を吐いて射掛けたとか。
この話は「眉唾」の語源になっていたはず。
あと、狐や狸に化かされないように眉に唾をつけるとか
唾には霊力があるってお話

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 22:40:26.19 ID:9eCCnqlO
古事記にも唾に力があるという話があるらしいな
[ 続きを読む ]

小田原陣、上州松井田攻めにて

2011年09月25日 22:27

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 23:31:51.35 ID:Cs1cejuI
小田原陣の際、上州松井田を真田勢が攻めた時のことである。

真田勢の接近を知った北条勢は人数を出し、両軍は碓氷峠の盤根石というところで両軍はぶつかりあった。
この時真田勢はまず真田信繁が敵を追い崩し、その後真田信幸が下知して峠の坂上へ引き上げを図った。
真田勢の殿は大熊勘右衛門水科新介であったが、北条勢は食いついて後を追ってきた。

坂上からこれを見た真田昌幸は言った。
「これは危険な殿である。両人共に討たれるであろう。」
すると大熊勘右衛門の兄大熊五郎左衛門が答えた。
「何の差支えもありますまい。」

その時信幸が下知して鉄砲を激しく撃ち掛けさせ
赤沢加兵衛というものが追撃の指揮を執っていた北条勢の二人の黄母衣の武者うちの一人を撃ち倒したため
大熊、水科の両名は無事に人数を引き取ることができた。。




779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 01:13:50.35 ID:e+G4sWWf
勘右衛門っていうのは大熊朝秀の息子かな?

主君替え、七人目

2011年09月25日 22:26

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 11:01:49.57 ID:rtLlarGm
主君替え、七人目

茶筅髪に羽織といういでたちで、大木長右衛門、居相孫作らわずかな家臣と共に
高野山にて念仏三昧の日々を送っていた藤堂高虎のもとに
生駒親正は老体をおして、太閤秀吉の命を高虎に伝えに来た。
ひとしきり秀吉の思いを伝えると、足を崩す。
「どうあっても否と申すか。」
「ありがたきおおせなれど、どうかお察しくだされ。」
「秀長殿なら、兄上をお助けしたいと思うであろうに・・・。」
高虎は天を仰いだ。


高虎は下山し、秀吉の直臣となった。
高虎を待っていたのは、伊予板島七万石と、
離散せず紀伊・大和国付近に仮住まいしていた家臣たちであった。
彼らは歓喜して高虎を迎えた。

しかしここにきて、大木長右衛門、居相孫作および服部竹助は憂慮していた。
「殿は我らに千石ずつくださるとおっしゃるがの。」
「我らに、例えば十人分の働きができるかの。」
「・・・・ま、できぬこともないが、今は十人の勇士を雇うことが先決じゃの。」
彼らは、加増を断り、七万石の屋台骨を築くことに奔走したのだ。

高虎は領民をいたわり、城を作り、街を作った。
高虎は四十歳になっていた。

慶長の役では、誰とは言わぬが武功争いであわや抜刀というすったもんだもあったが、
高虎は豊臣諸将の中で、着実に地歩を固めていった。
その、慶長の役のさなかに、太閤秀吉が崩御する。

さて、日本軍帰還任務をだれに当たらせるか。
徳川家康は高虎を推挙した。
「それがしのような者には、とても務まりませぬ。」
辞退する高虎に、なおも家康は言った。
「ぜひに」

秀長の在りし頃、家康に初めて我が名を名乗った日のことを
高虎は思い起こしていた。




784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 22:44:59.17 ID:SgqshKk1
>>780
高虎は道三や松永さん辺りと比べりゃ
全然毒が無いなあ。
奸臣扱いさるのは
鳥羽伏見での子孫の立ち回りと
小説で解りやすい悪役として
散々使われてきた影響が
デカイな。

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 02:11:56.43 ID:tgvQREMY
背もデカイ

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 02:40:52.90 ID:BcQgayq/
>>784
高虎さんは主殺しとか謀殺とかの役を持ってないからな。
まぁ高虎は結局生き残った側だから、
記録がどうしても良い方に寄るというのもあるだろうけど。

島津日新斎「孝行とは」

2011年09月25日 22:26

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 11:54:09.08 ID:j1Z+Rl3Y
島津家の中間者・孫七が父の四郎右衛門と口論の末、カッとなって父を棒で打ったとの評判が流れた。
評判はたちまち薩摩一円に広がり、島津日新斎の耳にも達した。

「けしからん。速やかに、かの者に罰を与えよ。」
直ちに家臣が派遣されて孫七を斬り殺し、これを埋めて捨てた。報告を受けた日新斎は、激怒した。

「なんという事をしたのだ!

孝行とは、幾万ある行動に先立ち、千の経巻、万の典籍に必ず書かれる人間第一の徳目である。
それを破りし不孝者など、三千の刑法をも用いても、なお余りある。

然るに、なにゆえ刑を軽くしたのだ?今すぐ彼奴の死骸を掘り起こし、額に『不孝』の焼印を押して
道端にさらせ!そうでもせねば、目を驚かし耳に針すれども、忘れて不孝を犯す者が出るわ!!」
(日新菩薩記)


みんなも親孝行しろよ?




101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 11:58:53.89 ID:UteJy8hp
噂でぶち殺して死体まで辱めるとか
流石殺魔

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 12:15:06.40 ID:f//P728K
島津日新斎みたいな無能なジジイ上司っているよな。
ちゃんと仕事の指示もしないで、あとから文句ばっかり言ってくる奴。



103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 14:00:02.95 ID:dw5O6hrQ
ぶっちゃけ何考えてるのか分かんない

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 14:48:04.46 ID:nQs2kuxc
本人も言ってるが見せしめにしたかったんだろ?
やられた側はいい皮の面だが

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 18:34:09.29 ID:OMGZ4mBr
そもそも棒で打ったというのは本当か調べないのか?

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 20:13:41.73 ID:22DKcZIr
>>105
元々、殺すリストに入ってて目を付けてたんだろ
日新斎の時代は身内以外は家中国衆共に粛正対象だし
内々で殺して埋めるだけだと名分の無いいつもの暗殺行為になるから
こんな時こそ儒教的な正当性を理由に晒し首にして綱紀粛正を計りたかったんだろうな
ここらへんは曾孫の方が要領が良くなってる、倫理的概念は皆無になったけど

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 20:28:43.77 ID:T+TDs7ZG
親父は殴られた挙句に息子が獄門じゃたまらんな
為政者の自己満足

一条信龍その3 「信龍の影武者たち」

2011年09月24日 22:02

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 22:49:13.52 ID:aza2SMPG
一条信龍その3
「信龍の影武者たち」

信龍はとにかく傾き者で、二度同じ鎧を具して戦場に出ると言うことがなかった。
鎧だけでなく、兜も刀の拵えも、末は旗指物までコロコロと替えた。

一度使った武具はどうしてしまったかというと、与力や家臣や近隣領主に気前よく下げ渡した。
やっていることがほとんど貴族であるが、甲斐は決して豊かな国ではないだけに、新品同様の武具はいつも喜ばれた。

しかし、問題が一つあった。
「……お前、手甲だけやたら派手じゃね?」
「そういうお前も、前立だけキンキラキンで浮いてね?」
「……。」
「……。」
「袖も新しくしつらえるか……。」
「信龍様の兜っぽくないとこれ、似合わないよね……。」

こうして、信龍の周囲の侍は少しずつ信龍化していった。
そして戦場。

「や、あれに見える武者は噂に聞く一条信龍!」
「ぬかったな、供回りも少ないぞ、かかれかかれ!」

一条殿討ち死にの報が戦場を駆け巡ることは良くあったが、いずれも別人だったという。
特に設楽が原では四人もの信龍が討ち取られた(信龍は殿を務めたとも言われている)。

たぶん、当人には自覚がなかったと思われる。

信龍、ちょっと迷惑な話。





78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 23:22:00.89 ID:IfO9sk/9
影武者が量産されてたのかw

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 00:05:50.98 ID:bO7bDoRC
>一条殿討ち死にの報が戦場を駆け巡ることは良くあったが
クソワラタ

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 00:11:50.91 ID:EeDrFUm2
また一条殿が討ち死になされたのか…とか言われてたのか

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 00:12:18.40 ID:KVHuYvTm
量産型一条信龍wwwww

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 00:18:30.78 ID:DOh4TV3S
通常の三倍の強さの一条信龍もいるんかね?

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 01:15:44.03 ID:i/QpKUqX
金の鬼瓦の話もあるけど、この人の無邪気な迷惑さは異常だよねwwwww

前線突撃型だったらしいから、敵にも派手な風体が知られていたんだろうね。
しかし旗指物までころころ変えるってどうなんだろう。ほんとに悪意ないのかな。


85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 07:04:37.87 ID:/0X9UYQC
でも武具ってすげえ高いから、ホイホイ下げ渡す一条さんカコイイ

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 08:21:48.50 ID:tbkh8sET
高級な武具に弱い僕はホイホイ受け取ってしまったのだ

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 08:37:54.71 ID:nEB1ACg+
そういう高級な武具を身にまとってるとリスクもでかいな
名のある武将と勘違いされて首狙われて標的にされるし
腕に自信なければ下げ渡されても即売りに行かないと命がいくらあっても足りないな

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 09:07:02.82 ID:74PStUyh
貴方が落としたのは、この金の鬼武蔵ですか?それとも、この銀の鬼武蔵ですか?

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 09:47:12.73 ID:nc9+6PyN
久々に笑ったが
功績のあった者に武具を下げ渡すのは悪いことじゃないよね

ある意味下げ渡された連中が死ぬほど槍働きをしてたって風にも取れるし

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 11:20:02.37 ID:vm48iuuF
>>88
三人もいたら信濃が滅んじゃうから。まとめて諏訪湖?にお引き取り願おう

>>89
「下賜するものがなかったら、頑張って風呂を沸かせばいいんだよ」って蒲生さんが言ってた

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 14:14:57.78 ID:mavwtJ1L
足軽大将「戦場で信龍を1人見たら10人いると思え」
侍大将「死んだ信龍だけが良い信龍」
首実験場「信龍の粗悪品が出回ってます気をつけて下さい」

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 17:16:54.06 ID:yEMw10MG
山岡「やれやれ、そんな信龍で満足しているようじゃな」
侍大将「なんだあんたは」
山岡「一週間後にここにきてください。本物の信龍を見せてあげますよ」

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 17:57:07.08 ID:76Kusr+D
>>92
周大人な信玄公を想像したw

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 19:59:37.72 ID:H+5eINlJ
>>92
究極の信龍ww

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 20:06:36.51 ID:bwRl4b6n
となると至高の信龍も居るのかw

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 20:12:28.55 ID:hmdxjQrY
量産型は蒲生の専売特許かと思ってたが、こっちの方が面白いなw

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 20:17:52.24 ID:eGnqtGOE
苗字は戦場で会っただけじゃわからんからなぁ~

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 20:39:22.39 ID:SniT0OrV
家康「ばっかも~ん、やつが本物の信龍だ!」

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 18:37:30.56 ID:0/2ng3h+
でも、信龍がこんな天然さんだから勝頼が苦労したんじゃね?

雑談 戦国由来の言葉

2011年09月24日 22:02

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 22:46:57.05 ID:IOUHzGU7
歴史魂って雑誌に載ってたんだけど
頑固一徹って、稲葉一鉄さんの頑固な性格から生まれたんだね 知らなかった

戦国時代起源の言葉ってどれくらいあるんだろう

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 22:53:53.85 ID:P1SjRLwf
俗説OKなら
洞ヶ峠
元の木阿弥
天王山
勝って兜の緒を締めよ
人は城、人は石垣
敵に塩を送る
外堀を埋める(別に大阪の陣に限ったことではないが)
青田刈り(戦国時代のいやがらせにもあるが、単に青田買いの間違いの可能性も)

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 23:09:30.51 ID:Er46AJAw
青田刈りって徒然草になかったっけ


757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 23:13:05.38 ID:alkcyFKp
他には
ヤマカン(山本勘助より)
一富士二鷹三茄子

現在は使われていないが、江戸時代、女にもて過ぎる事に困って女から逃げまわるような男のことを
「逃げ弾正」(高坂昌信の通称)と呼んだそうな。

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 23:27:15.25 ID:pxCOf3yg
高坂弾正ホモ弾正!

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 23:30:40.26 ID:4FmrEjlZ
「知らぬ顔の半兵衛」が竹中半兵衛だったな(俗説)

>>758
一応言っておくと例の武田信玄書状、高坂弾正の名前は後世になって後から書き加えられたものらしいぞ。

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 23:32:42.23 ID:IOUHzGU7
>>755
やはり結構あるね
あと、小田原評定・伊達男・火蓋を切る・百万一心・知らぬ顔の半兵衛 なんてのも載ってた

>>757
内容知らず「逃げ弾正」だけ聞くと、松永久秀かと思ってしまう

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 00:54:16.91 ID:pvC5RjK+
>>757
一応言っておくけど、高坂昌信が女にモテたなんて話もないからな

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 00:57:13.24 ID:VsrrnGOU
>>764
ただ、どうも江戸期の早い段階で「高坂弾正は美男子」という認識は広まっていたらしいぞ。

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 01:09:38.50 ID:iho0bFyf
>>765
例の信玄からの書状があったからだろうな
その上に逃げ弾正なんた渾名が付いていたから俗説で広まったもの

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 17:09:50.39 ID:L4XAY/73
>>760
伊達男の語源が政宗だってよく言われるけど、あれ嘘らしい。
よくは分からんが言語学的に語変化をたどると伊達さんと伊達男との間には因果関係が存在しないんだと。

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 17:35:48.25 ID:ZjyZfsG3
語源的には「立てる」だそうで
でも「伊達」という漢字を当てるようになったのは政宗クンが由来だそうな

「清正の茶碗」

2011年09月24日 22:01

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 23:33:57.19 ID:FHjM22p9
ちょっと空気読まずに逸話

「清正の茶碗」

ある日加藤肥後守清正が茶会を催したが、その際使った名物茶碗を出したままにしておいた所、
小姓の一人がその茶碗を誤って落として割ってしまった。
一同は驚いたが、その一人を庇う為に口裏を合わせ誰が割ったのかは絶対に言わないと誓いあった。しばらくして
清正が席に戻ってみると自慢の茶碗が見事に砕けているので怒り出し小姓達に誰が割ったのか問い詰めた。
しかし、小姓達は誓い合った通り誰一人として返事せず、更に怒った清正は
「お前達は何という臆病者だ。いずれの父も立派な武功者であると言うのに
お前達はその父の名を汚すものである」と怒鳴った。

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 23:34:46.18 ID:FHjM22p9
(続き)すると、加藤平三郎という14歳の小姓が顔を上げ、
「何故、私達が父の名を汚す臆病者でしょうか」と問うと清正はいよいよ怒り、
「名物の茶碗を砕いた事を咎められ、切腹を申し付けられるとでも思い、
命惜しさに壊した者の名を言わないのだろう、だから臆病者なのだ」
すると平三郎は
「私達の中にはそのような臆病者はおりません、割った者の名を言わないのは名物とは言え、たかが
茶碗の為に私達の大切な仲間が咎められるは忍びないからです
いざ戦が起きれば茶碗など何の役にも立ちませんが、私達は命を捨てて敵と戦い、
主君に代わり討死する事ができます。どんな名物茶碗よりも私達一人の方が大事です」
と答えた。清正はこの平三郎の言葉に感心して咎める事をやめ、褒美を与えたという

関連
茶碗を割った者の名を申し上げないのは


763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 00:11:21.38 ID:5H94sX+P
木村又蔵

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 09:49:27.63 ID:qncmHgdD
茶碗を割ったら褒美がもらえた。うめぇ。

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 10:27:57.09 ID:bQCWV6kR
でもこれって平時の役には立ってませんよね?
こんなの普通じゃ考えられない……!

雨晴の首切地蔵

2011年09月24日 22:01

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 11:22:16.26 ID:5Qs/ILwg
天正四年のことである。

将軍足利義昭より急ぎ織田領への侵攻を求められていた上杉謙信は、
椎名氏と神保氏を滅ぼし、一向宗から越中の諸城を奪った後にこれと和睦し、
さらに矛先を転じて能登越中二国の守護畠山氏の領国、能登国と攻め入ろうとした。
上杉方は海路の進軍を選び、先ず目指すは越中にある畠山領、湯山続甚が守る森寺城を目指す。

しかし、である。
森寺城の手前、阿尾城を望むほどになったところ、上杉方の軍船の船足が突如止まった。
凪でもなく、潮の流れが悪いわけでもない。奇怪千万の自体である。
船団にあった上杉家臣鰺坂長実はこれを怪しく思い、これぞ人外の仕業に違いないと断じた。
ならば元凶たる妖を退治してくれんと、長実は雨晴の浜に上陸して早速探求を開始する。
すると果たして、浜辺の松の間には如何にも怪しげな地蔵がにこにこと笑みを浮かべて佇んでいるではないか!
「えいや、正体見たり!」
ずんばらり、と迷わず長実は太刀を一閃! 不埒な地蔵の首を撥ねると、たちどころに船団は船足を取り戻した。
かくして目的地に辿り着いた上杉勢はあっという間に森寺城を攻め落とし、七尾城への道を切り開いたのだった。

以後、雨晴の浜にある地蔵は海難から船を守る首切地蔵として地元の人に崇められ、
今も雨晴駅の一角に祭られているのだと言う。




770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 15:56:47.44 ID:tevZKHcK
この悪魔ッ!

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 19:37:22.06 ID:nEB1ACg+
地蔵の首をはねるところがいい話に水を差してるな
なんとなく後味悪いというか
現存する地蔵も首がないと言うことかなんか縁起悪そうだが

織田信長の部下の評価基準

2011年09月23日 22:06

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 20:54:39.39 ID:TWKhlefW
社報に載ってた信長公の話をば。

織田軍は実力主義で有名ですが、使える部下・使えない部下を評価するわかりやすい基準があったようで曰く、

信長「生まれながらにして天才と言われる奴は俺は信用せん(好かんだったかも?)。ちゃんと
努力してなるべくしてなった奴の方がまだ信用できる」

なのだという。

また、信長公があえて傾奇者であろうとする理由も載ってましたので載せときます。こんな理由からだそうで、

信長「世の中、馬鹿正直なのもいいが、そればかりではものの本質が見えてこない。だから少し傾いて見れば、
見えにくかった本質も見えてくるものだ」という。

少しうろ覚え気味で書きましたが、信長の人物評価基準と傾奇者であろうとする理由がよくわかる話でした。




720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 21:27:21.96 ID:VCVuhM6V
信長様は叩き上げだもんなぁ
ヤンキー上がりの成り上がり社長みたいな感じか
椎名がそんな漫画を描いてた…気のせいだな

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 21:49:17.57 ID:TnRSfX/0
>>720
結局SFになったなアレ

「大将の条件」

2011年09月23日 22:06

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 22:40:18.33 ID:Xqqni615
「大将の条件」

ある夜話に徳川家康が本多豊後守にこう語った
「大将たる者は物事に臨んで大器量を旨とすべきである。心に余裕を持ち、
大節さえ誤らなければ、他の細かい事は忘れてよい。心があまりにも鋭いと人との交わりが難しくなる。
獣には人の役に立つ牛馬もいるし、逆に害をなす虎狼もいるのだ。人間の悪い点も時には役に立つ。
信玄や謙信は疑心から家臣を滅ぼした。しかしそれは良くない事だ
わしの父が病気の時、一族や譜代の多くの者が敵方や日和見に回り、幼いわしを助けなかった。
ところがわしに武運が回ってくるとみなそのことを忘れたように集まって軍忠に励んだ。
わしも昔のことを知らぬ顔で出迎えた
信玄や謙信のようにわしは昔のことを根に持たない。それが大将にとって大切な器量である。」




723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 22:51:50.48 ID:OwsqW06x
本多豊後って広孝か

それにしてもよく言うわw
都合の悪いことは忘れてしまったようだな家康公

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 23:14:29.61 ID:PGtBiq3l
お前も息子がかわいいかぁ~(怨

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 23:41:21.83 ID:Fbtukd8+
>>723

この手の家康の訓戒話は江戸中期頃に作られた話が多いのだが、
その時代、武田信玄は儒教的価値観ではいわずもがなの極悪人だが、上杉謙信も越後軍記などの
軍記物では、子供の頃あまりの凶暴さに長尾家の重臣たちが「こんな凶悪な子供は寺に入れようね」
と無理やり坊主にされるのだが、その幼少の頃の恨みを忘れず、成長して挙兵すると彼を寺に入れた
重臣たちを皆殺しにしたことになってる。

そういう信玄謙信の軍記物でのイメージが世間に広まった上で、はじめてこういった逸話が成立したと
見たほうがいいだろうね。

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 23:42:38.38 ID:8gkZ9pyq
>>724
思わず笑った。
家康ってこんな事言うような可愛げあるのかな

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 00:13:07.70 ID:5APFghmK
信長あたりだったら酒井さんは切腹か

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 00:16:48.52 ID:IOUHzGU7
信康の場合は、家臣の讒言で斬ったってわけじゃなくね?

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 00:31:34.31 ID:9jw5HCXA
怒りっぽいとか色々言われる家康だけど
家臣を手打ちにしたことはないよね

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 00:52:32.01 ID:MmsOJugJ
>>729
ただ伝わってないだけの可能性もなきにあらず

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 00:54:44.76 ID:4FmrEjlZ
>>730
そりゃまそうだがw
ただ家康は剣術も相当の腕前だけど、それは攻撃ではなく身を守るためのものと
実際に割り切っていたようだね。

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 01:47:38.49 ID:bS5pBE+R
家康は恨みを忘れないよね。忘れたふりはするけど。

孕石さんにもしっかり復讐してるし。

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 03:52:56.25 ID:yTdXORKZ
>>730
防御と言うのも念のため程度じゃないかな
本気で天下を狙うような大将なら、
部下に舐められないためとか、武家の本分を忘れないためといったメンタルの部分が大きいんじゃないかと
義輝とか義元とか信長とか、実際に戦闘になった時点で詰んでる筈
伊賀越えでは「鍛えといて良かったぁぁ」ぐらい思ってたかも知れんがw

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 05:29:49.80 ID:7wOoCzhm
黒田長政「大将自身が戦うなんてありえない」
最上義光「ですよねー」

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 06:51:43.45 ID:2Sb+cY4k
>>736
そりゃそうだろ
侍レベルからの攻撃武器は弓と槍(長巻きの人もいたそうだが)
刀は基本的に補助。

家康って今川の侍大将してた時期もあるんだろ?その頃は単騎駆けくらいしてたんじゃね

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 08:23:27.23 ID:4aoJAivx
侍大将とはいっても徳川軍を率いる立場だからなー
小勢の指揮官じゃないだろ

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 09:09:56.29 ID:15PkwuGw
>>733
まぁ本気で覚えてないものは「忘れてしまった」だけで「忘れた」とはいわないだろう。


741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 11:17:53.47 ID:XPjrNm50
>>722
今川氏真「竹千代の奴め、そんなに褒めるなよ照れるじゃ無いか」

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 13:23:24.65 ID:xdzODYrt
氏真って家康と主従逆転した時、家康の事なんて呼んでたんだ?
やっぱ普通に「上様」、「大御所」かな

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 13:30:16.58 ID:JIYhbnwK
>>729

出来なかっただけだろ
君主権が弱いからな > 松平家

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 13:34:17.15 ID:5APFghmK
家臣は宝だ、だからだろ

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 13:36:38.44 ID:EMcjw50Q
>>742
官位で呼ぶとか(ナイフ様とかウフ様とか)

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 15:18:54.74 ID:Esd3zcNH
>>729
なんとなくだけど、若いときは作左や忠次が、年取ってからは正信が諌めて、
手打ちなんてできなかった気がする

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 16:54:22.82 ID:72ntIoG9
信長は、後に超ビッグになったので忘れられがちだけど、親父死んで尾張がカオスだった頃は
兵数百人単位の合戦で、自ら血槍振るってのガチバトルを経験してるはず

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 17:32:18.87 ID:cPVlTb2H
>>743
松平家は確かに君主権が弱かったけれども、家康は違う
家康は戦国でも珍しい専制君主的な大名だよ
徳川に改称して三河一向一揆鎮圧した以降だとそれが如実

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 19:53:56.66 ID:4aoJAivx
一般的には関東入府以降、君主独裁になったって言われてね?<徳川家

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 20:22:55.44 ID:y/iVCRT7
>>738
これは家康存命中に描かれた関ヶ原合戦図屏風だけど
大半がその補助武器を抜いて突進して行ってるな。
http://history.harikonotora.net/img/200-61.jpg

補助というか状況に応じて使い分けたってところだろ。追撃をかけるときのように
機動力重視になると刀が便利なようだな。

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 20:45:11.92 ID:v90FH10I
まぁ取っ組み合いになる乱戦じゃ槍は邪魔だよなぁ

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 21:49:10.72 ID:alkcyFKp
>>749
家康は五ヶ国時代すでに自力で一律の検地が出来るほど強大な君主権を確立している。
関東での施策は五ヶ国時代の延長線上だと今は捉えられているね。
三河時代から強力な君主直属軍を整備したことも含めて、少なくとも三河統一以降、あの時代でも最も強い
君主権を確立していた大名が家康だと考えていいと思うよ。

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 21:50:09.50 ID:ai/cLeMO
さすがに刀が補助ってことはないだろw
どんな戦闘を前提に言ってんだか。

高橋紹運・最後の恩賞

2011年09月23日 22:05

732 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/23(金) 01:18:07.20 ID:KAnJlAJ+
4万の島津勢に対し、高橋紹運が700人余りの兵と共に岩屋城に立てこもった時の事である。
家臣の杉山山城を「山城殿」と言って呼び寄せ、

「この城は後20日と持たないだろう。そこで頼みがある。」と告げた。

主君からいきなり「殿」と呼ばれ、その理由が判らず山城が戸惑っていると

「その方の家は先祖をたどれば我が高橋家より上の家柄。今は立場が変わって主従となったが、
 前々から同輩であった様な親しみを覚えていた。最後の役目に当たり、成功したら領地を与える
 と言った所で絵空事でしかないので、『殿』をつけて呼ばせてもらってその方を軽んじていないという
 私の心を表し、せめてもの褒美としたいのだ。」

と語り、

「そして頼みとは、死に臨んで心残りとならぬよう、敵中にいる次男の直次を宝満城に送り届けるか、
 さもなくば殺してくださらぬか。」

と頼んだのである。紹運のこの心遣いに打たれた山城は、敵中を突破して無事に直次を宝満城へ連れて行ったという。

以上「名将言行録」より、高橋紹運の家臣への最後の恩賞を与えた話である。





734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 02:36:21.59 ID:IxfCaneP
>>732
やべえ・・・直次殺されてたかも知れんのか親父の命令で

永正、一向一揆越前侵入にて

2011年09月23日 22:05

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 22:06:34.06 ID:Ebh8BzY9
一向宗の話で関連して

永正の頃、加賀から越前に勢力の拡大を目指して一向一揆が侵入した。
扇動した坊主は「敵の方へ懸る足は極楽浄土へ参ると思え、引き退く足は無間地獄の底に沈むと思いて、
一足も退くべからず」と一揆勢を叱咤した。

対する朝倉氏は朝倉宗滴を大将として派遣、この軍勢を迎え撃つ。数で劣る朝倉勢は奇襲を決行し、
この一揆勢を打ち破った。
多くの一揆勢が討ち死にする中、扇動した坊主は加賀へ逃げ帰った。

寺へ戻ると、討ち死にした一揆勢の首領の女房が嘆き悲しんでいるので、
坊主は「ご主人の事なら悲しまれる事はない。きっと往生の素懐を遂げられたであろう」と声をかけた。
これに対して女房は「夫はあなたの教えを守って死にましたから往生は疑いなく、心配はしておりません。
ただ坊様が逃げていらっしゃったので無間地獄に堕ちられるのではと心配で、
それで泣いております」と答えた。

坊主は言葉を返すことができなかった。

一揆を扇動した坊さんのばつの悪い話。




84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 02:33:40.22 ID:1d7Dcbaa
20万の一揆勢蹴散らす宗滴さんは戦国最強

週刊ブログ拍手ランキング9/14~/21

2011年09月22日 22:05

9/14~/21のブログ拍手ランキングです!
昨日はゴタゴタしてて出来ませんでしたので、1日遅れ。すいません!


真田信之と好物を前にガマンできなくなった小姓 130

雑談・その死亡フラグって何? 110

武辺咄と小姓鶴千代 86
栗山備後怖い 84

清正さん度胸ありすぎ 83
「一富士二鷹三茄子」由来異説 77
吉川家・関ヶ原の因縁 64

主君替え、六人目 63
才蔵が正しい。 62
真田信之の最期 60

真田信之と等々力村の名主・庄右衛門宅 52
例によって、あの人からあの人にお手紙ついた 46
草野介惣は不満であった 45

清正「隠して置いたのさ」 40
美少年九蔵 37
雑談・税率のことなど 37

「田中泥薬師」由来 29
節姫の切腹 26
組み討ち 22
合計 1654


今週の1位は真田信之と好物を前にガマンできなくなった小姓
真田信之とその小姓の、ちょっと愉快なお話ですw妙にほのぼのしますね、こういうのも。
それにしても小姓、欲張って大きいのを取ってひどい目に。昔のギャグマンガのキャラのようですw

2位はなんと!雑談・その死亡フラグって何?
現在コメント数が100を超えています!いやあ、すごい。
皆さん戦国武将の死亡フラグを良く知っていらっしゃいます。管理人もほとほと感服しました!
そしてこういうのもなんだか嬉しいですね。みなさん、この時代が好きなんだなと感じさせてくれます。
ありがとうございます!

今週管理人が気になった逸話はこちら!清正さん度胸ありすぎ
いやはや、凄まじい胆力です。流石鬼上官と恐れられただけの人ですね。
こんな人に率いられた軍隊はそりゃあ強いだろう、と感じました。
加藤清正という人の、武将としての凄みを充分に感じさせてくれる逸話ですね。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつも本当にありがとうございます!
また気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやって下さい!
( ´ω` )

「徳川家の大功労者」

2011年09月22日 22:04

40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 21:00:55.23 ID:cO/iIDeX
「徳川家の大功労者」

関ヶ原の合戦後、天下が治まってから徳川家康本多正信を呼び出して
石田三成の子が妙心寺で寺童をしているようだがどのように処置したのか」
と正信に問うと正信は
「はい、特別に許すべきだと考えて処置しました
何故なら三成が理由もなく戦いを起こし、西国の大名を誘って打ち負けたからこそ日本全てが徳川家に帰服しました
そう考えれば、三成こそ徳川家にとって一番の功労者と言えるからです」
家康もその理屈を一理あるとし三成の遺児を許す事にしたそうな


三成への皮肉にしか聞こえないのでこっちへ


類似
石田が子の僧助命の事
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5567.html


41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 21:08:32.03 ID:XYztUoVD
皮肉っちゅーか 皮肉そのものだ

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 18:08:43.65 ID:/BvP5s1Y
>>40
普通なら20万人規模の戦を起こして負ければ、一族皆殺しなんだけどね。


66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 18:24:48.87 ID:+rym/qHz
>>65
三成が豊臣の人間であれば当然そうなるけれど、三成は所詮家来筋だからな。
神輿にはなりえないので脅威にはならないので、
殺すかどうかは勝利者次第。

恵瓊の涙

2011年09月22日 22:04

恵瓊の涙

安国寺恵瓊 豊臣秀吉 小早川隆景

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 21:52:55.97 ID:XYztUoVD
関ヶ原の戦いって各地で色んなことが起こってて面白いのに
あまり細々とした所は取り上げられないので勿体無いな
関ヶ原合戦トリビアとか面白そう




46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 21:56:47.14 ID:cO/iIDeX
じゃあこれはどうだろう
安国寺恵瓊の項目が見つからなかったからないとは思うが…

小早川隆景が毛利輝元に
「私は安国寺恵瓊と太閤殿下の面前に同席した事がある。
その時に話がたまたま大政所様のご逝去の事に及んだので太閤は涙を流された、すると恵瓊も同じように涙を流した、
別に悲しみがあった訳ではなく太閤へのへつらいの涙である、太閤はそれを見抜けずに恵瓊への親愛を深められた。
もし太閤が亡くなられたらおそらくあの僧が国を誤らせるであろう。」と語った


隆景が遺言に恵瓊を用いるなと残したのにはこういう背景があったという話




47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 22:51:51.23 ID:BAAMQKeQ
流石の人誑し人材鑑定士もカーチャン死んだ悲しさで目が曇ったのかね

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 23:06:02.43 ID:YAn3gnLd
間違いなくこの件で秀吉は狂っちゃったね
ここから妄想性人格障害が酷くなっていくんだ。

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 00:31:42.86 ID:U/Fr1EFI
作左がファイヤーしてたらどうなっていたことか…

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 08:14:21.76 ID:qWPr6evw
姉朝日姫、弟秀長、息子鶴松、母大政所、と3年連続で立て続けに家族が逝っちゃったからな
そりゃ天下人でさえ辛さで頭もおかしくなるわ

鷺森合戦

2011年09月22日 22:04

顕如   
鷺森合戦

顕如


62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 14:01:05.83 ID:Iv38V+0w
織田信長を苦しませ続けた本願寺との戦い、所謂石山合戦の最終局面において、法主顕如
朝廷の仲介による講和を受け入れた。にもかかわらずその息子、教如はこれに従わず
石山本願寺に残り猶も抗戦を続けた。

これを恨みに思った織田信長は本願寺の殲滅を決意。天正10年(1582)6月2日、突如として
顕如らが大阪から退去した紀伊の国鷺森に大軍を向かわせた!世にいう鷺森合戦の勃発である。

織田の大軍に完全に包囲され、顕如は慨嘆した

「このように信長の軍勢に取り巻かれたが、信長の怒りは無理も無い事で、これは当然の報復である。
ああ、本願寺の真の敵は信長ではなく、(講和の後も抵抗を続けた)教如だったのだ!」

そして自害を覚悟した。その時である!

何と言う事であろう、織田軍が一斉に退却して行くではないか!?
おかげで顕如たちは命を永らえた。だが、一体何が起こったのか!?

天正10年6月2日。そう、本能寺の変の起こった当日である。
この変の勃発を伝えられた織田軍は、急ぎ帰っていったのだ。
阿弥陀如来がお守りしてくれたのだろうか?本願寺はこうして、危うい所で滅亡から逃れたのである。


…と、この鷺森合戦ですが、実はこれ寛永15年(1636)に西本願寺より刊行された「本願寺表裏問答」という本で
捏造されたつくり話なのです。
実際の信長は、鷺森に退去した顕如一行の身の安全を保証し、才賀で当地の有力者である
鈴木孫一と土橋若太夫の紛争が起こると、わざわざ家臣を派遣して顕如達の警護をさせたほどでした。

この本の刊行当時、西本願寺と、教如によって始められた東本願寺との対立が激化し、西本願寺はこの話を
作ることで、「本願寺を滅亡の瀬戸際に追いやった教如に正当性はない!」と批判したのです。
実にくだらない話ですが、この鷺森合戦は後に陰徳太平記や明智軍記というような軍記物にも取り入れられ
あたかも実際にあった出来事のように語られてしまい、後々まで石山合戦のイメージ形成に
大きな影響を与えました。

そんな、つくり話が事実のように扱われてしまったお話。




63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 14:13:24.91 ID:PhWsnRKn
宗教って本当にくだらない…