週間ブログ拍手ランキング11/23~/30

2011年11月30日 22:11

11/23~/30のブログ拍手ランキングです!



江戸城ランチタイム 67

石田三成「…つーか、ぶっちゃけ」 61

元就と隆元が末っ子に会いに行ったようです 59
結城家分国法・第62条 57

佐々成政『槍之先の水湧き』 51
安国寺恵瓊さんが佐世元嘉さんにお手紙書いた(天正11年9月16日) 38

雑談・大河ドラマ 37
木村又蔵の切腹 36
大阪冬の陣・講和まで 31

「永井正宗」 28
細川忠興見事なタケノコを頂戴しまして』 28
菖蒲左馬允の妻 28

明智光秀と寺社本所領 26
小早川隆景「おもしろの~」 26
香川光景、厳島合戦の論功行賞にて 25
江刺兵庫頭重恒は酒好きで 25
わんこそばの始まり 23
長久手合戦・堀秀政への批評 22
長久手の戦いの秀次勢 19
合計 1030



今週の1位はこちら!江戸城ランチタイム
江戸城内で、お歴々達による、学生のランチタイムみたいなお弁当風景です。実にほのぼのしますねw
どうも江戸城というのは、茶くらいは出すけど食事はあまり出さない場所だったようで、そこで働く人は弁当が必須
だったらしいですね。
そのため、お偉方に取り入る方法として、特製弁当を差し入れする事があったようです。
嘘か真か、柳沢吉保には毎日諸大名や旗本から豪華な弁当が食べ切れないほど届いたとかw

2位はこちら!石田三成「…つーか、ぶっちゃけ」
本当に珍しい、石田三成の肉声の聞こえる記録ですね。
今僕達が考える三成のキャラクターというのは、江戸時代に創作されたものと断言していいと思います。
実際の三成がどんな性格だったか、実は良くわからない。
管理人は三成という人は、細かいことにこだわらず、物事を強引に先にすすめることが得意な豪傑タイプだった、
なんて想像しています。彼の事歴を見てもあまり繊細さや几帳面さは感じないw
このお話からもそんな所が見えるんじゃないかな?なんて思いました。

今回管理人が気になった逸話はこちら!明智光秀と寺社本所領
先の三成と並び、この明智光秀も実態がさっぱりわからない人であります。
荒々しい信長に批判的な、保守的な教養人、なんてのは、これも江戸時代に作られたものです。正確には
絵本太功記でのキャラ付けですね。
逆に宣教師などは光秀を「極悪人」のように記録しています。宣教師の言うことはバイアスがかかりすぎるので
そのまま信用はできませんが、史料を見ていくと光秀という人も、信長ですら一筋縄ではいかない、かなりの悪党だと
感じます。(というか管理人は、ラディカルな解釈ですが光秀と秀吉が織田麾下のド悪党2トップだったと思ってますw)

史料や逸話を読むことの面白さの一つは、過去の人物に対して新しい角度から見るヒントを与えてくれること。
管理人はそんなふうに思います。



今週も各逸話に、たくさんの拍手をいただきました。いつも本当にありがとうございます!
又、気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください!

( ´ω` )
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広辞苑に「笹の才蔵」が載ってて感動してたら

2011年11月30日 22:11

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 23:50:23.17 ID:728iAUFI
広辞苑に「笹の才蔵」が載ってて感動してたら全然別物だったでござる

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 23:56:09.43 ID:mlI8h7Vp
笹の才蔵
福岡県博多・宮崎県佐土原で作る土偶、猿が上下に袴をはいた姿。
壱岐には同じ姿を描いた札があり、いずれも疱瘡除(ほうそうよけ)という。

カニさんが猿になっちゃった




近江日野・綿向神社の支払い請求

2011年11月30日 22:11

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 15:11:35.21 ID:RwQJrugB
戦国期の神社の予算はどのように使われたのか、これを
天正12年(1584)、蒲生氏郷の領国、近江日野の綿向神社の記録より見てみましょう。

『綿向大宮殿への20石の寄進から、支払い請求の記録

・1石 正月元日の御祝い。殿様(蒲生氏郷)にお供し、神社に残った社家の者たちのものも含めて頂いたもの。
・2斗 御浄め料 社家の物祝として
・1石 御油米 毎日の灯明代金として
・1石5斗 御神宮 毎日の御供社祝として
・1斗5升 4月朔日たけの御神事 社家祝として
・3斗 同太宮殿御神事 社家衆祝として
・1斗5升 五月御神事 同所祝として
・5升 4月晦日御榊参 社官祝として
・1石 1年間の御幣 社家祝として
・1石6斗6升2合 忠三さま(蒲生氏郷)のお誕生日の神事
・1斗 霜月の御神事 社家祝として
・1斗 正月の松飾り 社官祝として
・3斗 7升5合 五節句の御供 社家祝として
・5升 10月神のお向かい 社官祝として
・2斗 霜月の御祈祷 社家祝として

右合計して7石8斗3升7合が伝えられ支払いがあった。

残りの12石1斗6升3合は、神社の改修費用として引かれたと小日記(メモのようなものか)にあり。
(天正十二年綿向御神事之日記)

これを見ると大名から寺社への寄進というのは、先に与えるのではなく後で請求されるものだということが
わかりますね。請求費用それぞれの内容、理由も細かく記載されています。
戦国大名の予算執行の一端が見えてくる記録です。




「永井正宗」

2011年11月29日 22:06

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 19:37:57.49 ID:zoPBs4jp
「永井正宗」

関ヶ原の戦も終わった頃、永井善佐衛門という浪人が京への旅路についていた。
彼は当初徳川家に仕えていたが出奔し、蒲生や上杉家に仕えていたが上杉の米沢天封の際に浪人となってしまった。
そのためかつての旧主である徳川家に戻ろうと旧知の板倉勝重を頼って京に上ろうとしていたのである。
その途中である浪人と連れになったのだが、その浪人は善佐衛門の刀と自分のひどく錆び付いた刀を取替え逃げてしまったのである。
仕方なくその刀をなんとか砥いで使おうと思い、京で砥ぎにやらせた。
すると予想以上にすばらしい刀となって返ってきたため、コレはただものではないと考えた善佐衛門は高名な刀剣鑑定家の本阿弥光悦にそれを見せた所、
光悦が言うには「この刀は正に正宗であり、その中でも最上のものである」ということだった。
この刀は後に善佐衛門が板倉勝重の引き立てで徳川家に帰参した際、将軍に献上され「永井正宗」と号されたという

なお、この永井善佐衛門にはもう一つ似たような逸話がある。こういう星の人間もいるのだ。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2690.html




798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 19:57:32.11 ID:HiojDSvx
武辺咄聞書をググったら、114話に刀と壺、両方の逸話が書かれているようだ
114話の前半には、永井さんは政宗の兵六人に取り囲まれたが、四人を討ち取ったという逸話も(残りの二人は逃亡)
その時の刀が、交換される前の太刀だったとしたら盗みたくなるのもわかるな
しかし、
>正宗であり、その中でも最上
に某伯父甥を連想したのは自分だけでいい

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 15:01:59.74 ID:OUvhvBpg
>>797
寛永の三筆の一人で、琳派の創始者の一人で、素晴らしい楽茶碗をつくり、
刀剣鑑定でも高名な本阿弥光悦って、どこの星の人間?

石田三成「…つーか、ぶっちゃけ」

2011年11月29日 22:05

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 21:00:28.24 ID:zw/Oc4Cl
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5999.html
↑まあ実際、親しかったようなのですが内容はどうかと言うと

『さいつさまへ  石治部より

貴殿からの礼状と中書殿(本多忠勝)からの返書、拝見しました。中書殿へは私から直接お返事しますが、
もし返事について聞かれたら、「承りました。何かと大変ですね。」と言っていたと伝えて下さい。』


『真豆州へ  三成より

最近、忙しくて報告が遅れたんですが、岐阜中納言(織田秀信)が体調不良で、オタクの近所の草津温泉へ
湯治に行きたいとの事です。

ところが『関東は不案内だから、信之さんに留守居衆へ(秀信を)接待するように、一筆書いてもらって』
とか、私に言って来やがりました。上記の通り家臣の方に言ってもらえれば、私も本望です。

こんな事ばっか頼んで迷惑だと思いますが(度々如此之儀申入、御心中迷惑に候)、曲げてこちらの使者に
良い返事を預けていただければ、幸いです。』


『「その内会おう」と言いつつお会いできず、ゆかしく思っています。この間の手紙も早々に返事すべき所、
ようやく先日そちらの使者に会えました。それもご存じの通り、路地の真ん中で、です。

これからも私はしばらく城詰めが続き、お話する事も出来ないでしょう。
…つーか、ぶっちゃけ城詰め飽きた。(もはや御番もあき申候)面会して、色々話がしたいです。

いつ(伊豆)様  石治』


…治部少ガンガレ超ガンガレ………





208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 21:15:48.93 ID:VnzvfWOM
三成頑張れもだけど、色々頼まれる信之兄さんも頑張れ

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 22:53:41.81 ID:atGJQ3Ct
>>208
お兄ちゃんはタカられてるだけだろ、ニートに。

細川忠興見事なタケノコを頂戴しまして』

2011年11月29日 22:04

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 21:01:45.42 ID:zw/Oc4Cl
おまけ

『見事なタケノコを頂戴しまして、過分の御心差しに言葉がありません。本日は直接お運びいただき、
早々に御目にかかりましたが、一段とご気色良く見えました。めでたい限りです。

いつ様へ  細越中

追伸

貴殿のこのような御心差し、私には余人に千回挨拶されるより、有難く思います。
(尚々貴様之かやうに御心入御ざ候所、我等よの人の千度より忝候)』


さすが手紙魔で外面のいい三斎様は、こういうのが上手い。




210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 22:54:21.77 ID:Rzk0kcdx
そういえば、忠興公って京都生まれ京都育ちなんだよな。
同じ底意地の悪い京山城と近江(石田三成公)でも、何というか

頑張れ真田家の兄貴(ρ_;)

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 23:20:24.56 ID:1Qb6/uFQ
三斎さんは、ガキの頃いろいろ苦労してるしなぁ~
いろいろと振れ幅がデカイw

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 23:29:35.46 ID:En/Xsg33
>207は珍しい組み合わせだなぁ

菖蒲左馬允の妻

2011年11月29日 22:04

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 08:12:33.39 ID:TX26W8wz
ソースは軍記物なので御笑覧くださいな。

天正九年、毛利、吉川家の傘下で勇将だった伯耆の杉原盛重が病死した。
跡を継いだ元盛に、遺産の分け前が少なすぎると恨みを抱いた弟の景盛は、
しばらく後に家中には「元春の上意なり」と言い張って兄を殺し、
まだ幼かった兄の子供たちをも殺してしまった。
やがてこの悪事が露見し、吉川元長の号令によって軍勢に居城を取り囲まれる。

景盛の陰謀に深く関与していた、菖蒲左馬允という男がいる。
敵に囲まれた城中から、この男が姿をくらました。
それを知った菖蒲の妻は、10歳になる嫡男、小次郎に語りかける。

「いいですか、小次郎。
 おまえの父は、景盛公に加担して主君の元盛公を殺し、
 今また景盛公が報いを受けて明日をも知れないお命となり果てると、
 おまえをも捨てて、情けなくも逃げ出してしまいました。
 悪逆の名を末代に残すのみか、臆病の恥までも晒すとは。
 妻としても恨めしく憎らしく思います。
 小次郎、あの大悪人の子として敵に捕らわれ、嘲笑われ、無残に殺されるよりは、
 この母の手にかかって死になさい。母もともに逝きます。
 それともおまえは、あの父と同じように、恥も人目も気にしませんか」

「すべて母上にお任せします」と答える我が子に、
「おまえは、魂は父ではなくこの母に似たようじゃ」と語りかけるや否や、
女は守刀を二度突き刺し、幼い我が子を押し伏せた。

これを見ていた12歳ほどの娘は、母が狂ったのだと思って部屋を駆け出て、
景盛の妻室の居室へと飛び込んで助けを求めた。
人々が駆けつけると、自分の腹に守刀を突き立てている女に取り付き、刀を奪う。
女の命に別状はなかった。

やがて女は、夫の菖蒲が東伯耆にいると聞きつけ、訪ねていった。
菖蒲は天罰が当たったのか、すっかり白髪になり、
眉も鬚も抜け落ちたみすぼらしい姿になっていた。
女は言う。

「あなた、あなた、私はもう死んでしまってもいいと思いましたが、
 あなたに一度会って、子供を捨て、主君を捨て、
 そんな取るに足りない命惜しさに逃げ去ったあなたにこの恨みを伝えてから
 どこぞの淵にでも身を投げようと思い、これまでつらい世に命を永らえてきました。
 今のあなたの有様を見ると、天罰が当たって非人・乞食になったようですねぇ。
 この世にどんな未練があって生きさらばえているのですか。
 あれこそ恥をも人目をも顧みず、仏罰・神罰をも恐れず、
 主君を殺し主君を捨てた邪見放逸の輩ぞと、人々に後ろ指をさされるよりは、
 いっそ自害したらどうですか」

菖蒲は妻の言葉に納得したのか、はたまたひもじさに耐えかねてか、自害した。
女もまた、その刀で自分の身を貫いて絶命した。




214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 13:31:28.84 ID:gArV46j1
既婚女性板の通称が鬼女板ってのも納得できる逸話だな

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 14:07:38.15 ID:/GNs7wj9
悪い話でもあるんだけど、この奥さんの清々しさを思うといい話にも見える
やはり武家の妻というか、戦国時代の女性は男と変わらんくらい凛々しいもんだな

小早川隆景「おもしろの~」

2011年11月29日 22:03

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 16:09:16.27 ID:S4HqeLX2
お酒の話題が上がってたので、流れを読まずに投下。

小早川隆景さんも飲酒には一言残してます。

「おもしろの酒宴や本心を失わぬほどに」

要は「ほどほどにしとけ」ってことですね。

これはまとめにある
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2715.html
の時の歌なんですが、まとめに全文が無かったのであらためて・・・・・・

おもしろの春雨や花を散らさぬほどに♪
おもしろの武道や文学を忘れぬほどに♪
おもしろの好色や身を亡ぼさぬほどに♪
おもしろの儒学や武備のすたらぬほどに♪
おもしろの権勢や他に誇らぬほどに♪
おもしろの酒宴や本心を失わぬほどに♪
おもしろの利欲や義理の道を塞がぬほどに♪
おもしろの釈教や世理を忘れぬほどに♪

即興でこんだけ説教を歌にできる隆景さんは、やっぱりすごいと思う・・・・・・
にしても隆景さんて、あんまり儒学に好意持ってなかったんでしょうか?
三行目は大内さんのことだったりするのかな?




217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 16:15:52.67 ID:MZ8/O1Q3
好意を持ってないものを並べ立ててるようには見えないけど

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 16:41:09.08 ID:b/GtYPOS
何事も程々にって感じに見えるね

安国寺恵瓊さんが佐世元嘉さんにお手紙書いた(天正11年9月16日)

2011年11月28日 22:01

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 01:53:51.43 ID:3GmFzwgC
酒の話題に便乗しようとして遅参
安国寺恵瓊さんが佐世元嘉さんにお手紙書いた(天正11年9月16日)

「昨夜は酔っちゃって正直スマンカッタ
 私、たしか御若衆なんかを呼びつけたりしてたよね /(^0^)\

 そりゃそうと、秀吉の言い分は全部伝えてあるんだけど、結論出す気あるの?
 戦になれば八割方こっちが負けるよ?
 境目の件は可能な限り調整済みなんだから隆景元春にこれ以上グダグダ言わすな
 条件出揃ってるし、とにかくここらで手を打つって、もう輝元様の口から言ってもらって
 それで異議が出るんなら、そいつは毛利の家臣じゃない!
 グズグズしてたら御家のためにならないよ

 仏祖・天道も照覧あれ! 上方びいきで言うわけじゃないんだからね!
 和平と戦争の得失は和睦次第、早く態度決めなって
 ちなみに上方衆は、人数・手柄・手早さ・米と銭・武略の仕掛けが揃ってる
 こっちは、人数も少ないわトロくさいわ米も銭もないわダメダメじゃん! 以上

 まだ酔いが残ってるよマイッタね 恐惶謹言
 ※この書状は読んだら燃やして」

かなり大事な話し合い中にやらかしたようです
その前にアンタ坊さんだろと思わないでもないが、恵瓊さんが飲んでいたのは断じて酒ではない!
きっと般若湯だよだぶんそのはず

アツい坊さんの威勢のいい話でした




788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 11:24:56.50 ID:EWmHiAqZ
燃えてないじゃない

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 11:34:13.81 ID:8eS7uQ70
読んだら燃やしてって手紙結構残ってるよね
燃やさなかった結果がこのザマだよ!

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 18:18:57.20 ID:ciI+xNbT
豪快な坊さんですな

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 18:32:13.56 ID:VnzvfWOM
戦国時代というか、昔の坊さんは豪快な人多いよね
顕如さんとか

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 19:12:28.67 ID:65zlB4ww
これは確かものすごい追い詰められてたんじゃなかったっけ?

秀吉から領土割譲を迫られて、返答期限まで決められてるのに両川が納得しなくて期限ギリギリ。
実際に交渉担当してる恵瓊は秀吉軍の状況を目の当たりにしてるから、まともにぶつかっても勝てないと踏んでる。

もう、飲むしかねーって状況だったはず。

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 20:10:38.37 ID:S3SavluT
顕如みたいに嫁さんがたくさんいる坊主だとそれだけで憎たらしく感じる

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 20:18:37.62 ID:AvVTirdD
一向宗は妻帯OKだからなw

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 22:55:51.97 ID:atGJQ3Ct
>>794
宣教師「No More Ikkou!!」

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 11:59:50.05 ID:7+SNWqNs
むしろ浄土真宗以外の妻帯してる僧侶が憎たらしく感じる

明智光秀と寺社本所領

2011年11月28日 22:00

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 20:45:01.41 ID:VI2DDFF0
明智光秀の悪い話でも

信長に仕えた明智光秀は、義昭上洛の成功後、京都奉行職に就いた。
新参者としては破格と言ってもいい厚遇である。

さて、この京都奉行の役割の一つが「寺社本所領の保護」であった。
中世において寺社勢力は無視できない存在。信長にしてみても、こうした政策を打ち出すことで
畿内経営を円滑にしようと考えていたのかもしれない。
そうしたことを踏まえると、故事来歴に詳しく、教養もあり、更に実務能力にたけた光秀を
京都奉行に就任させるのは理にかなったことと言える。

しかしながら光秀は、本所領を保護するどころか、幕府の同僚たちと一緒になって横領しているのである。
それがどれだけ酷かったかというと、正親町天皇より二度も勅勘を出しているほどである。
特に2回目においては、側近の山科言継がわざわざ岐阜まで行って、信長に綸旨を渡したりも
している。

それに対して光秀がどうしたかというと・・・

「なにかと手元不加意でお困りでしょう」

夜中に言継の元に使者を出してワイロを渡している。
どうも「信長に対しての物言いを和らげてもらえない」というものだったようなのだが。
(ちなみに横領した土地は返還等はしているようである。全部渡したかはわからないが)

土地の横領をし、やばくなったので賄賂を送る光秀の悪い話でした。




190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 23:52:08.54 ID:xzIK6GJh
司馬遼の影響かはたまた前からあったのか冷血な信長と義の人光秀、みたいな見方多いけど
光秀も結構やってること外道なんだよなあ

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 23:56:34.99 ID:+/z7dyRJ
外道っつーより、戦国時代なんかそんなもんじゃないの?
弱肉強食だし

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 00:17:52.38 ID:VnzvfWOM
割りと色んな武家が公家の土地横領しててるんだよな
そして大抵公家は泣き寝入りという

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 00:21:50.83 ID:q1g5+vrc
えーりんさんの方の朝倉孝景とか六角高頼とか細川配下の上原元秀が戦国初期の横領三兄弟(勝手に任命)

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 00:22:30.16 ID:mCydlT6C
戦国大名の中で寺院から所領回復を依頼されなかった家はひとつもないし、
寺社領を横領しなかった家もまたひとつもない。

外道といえば、戦国時代の人は全員外道です

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 00:27:37.97 ID:HHV6f4NY
じゃあなんで お前らは森さんのことを悪く言うんだよ。

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 00:28:40.52 ID:VnzvfWOM
悪く言ってないよ あれは偏愛だよ

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 00:31:30.70 ID:3OrtQZit
光秀は丹波でも朝廷の荘園横領して信長を怒らせてるな。信長から横領停止するようにって書状が出てる。
それでも横領やめなかったらしく信長が再び横領停止するよう書状を出した。
その後どうなったかは良くわからない

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 00:36:05.64 ID:BYn8Dx6S
そもそも織田家は、斯波氏が尾張守護になった時に尾張にくっついてきて、斯波氏の黙認の元
朝廷の国衙領を横領してその財政基盤にした家だったりする。

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 00:51:36.89 ID:llBDatpf
鬼武蔵の「鬼」は鬼小島とか鬼義重と違って鬼畜の「鬼」だからな

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 02:16:07.24 ID:LLTIoNKf
>>198
畠山の広がりに付いて行った遊佐のように
織田も斯波の下で全国に広まってたりするのかな。

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 02:36:05.65 ID:q1g5+vrc
越前が苗字発祥の地で尾張に来てるからには斯波の元で広がったと言えるんじゃないか。

まぁ越前の織田が劔神社の神主ぐらいしか思いつかないぐらい空気になってしまったが。

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 02:41:52.42 ID:p67YyqaS
斯波氏の本貫が奥州だってwikiみるまで気付かんかったw

奥州から各地に分散したんか…

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 17:21:39.35 ID:AvVTirdD
奥州のはロクな目にあってないけどなwまーくんが原因だったり南部さんにやられたり(´・ω・`)騒動でドナドナされたり

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 17:50:25.25 ID:p67YyqaS
>>203
大崎、最上、高水寺だからねえ

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 20:21:51.61 ID:jWGv4zga
>>197


案外、本能寺の原因はそこらへんにあつたりして・・。

江刺兵庫頭重恒は酒好きで

2011年11月27日 22:01

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 17:03:47.28 ID:RaWjvp9X
陸奥国江刺四十四郷の主、岩谷堂城主の江刺兵庫頭重恒は、葛西七人衆のひとりにして
遠近に威を振るう、実質半独立の大身だった。
だが彼は酒好きで、常日頃から酒にふけり、昼夜の境もない有り様だった。

ある時葛西氏から相野矢金吾という者が使者として派遣されてきた。
だが重恒は長酒しては伏せてしまい、使者に八日間も対面せず、城下に待たせたままだった。
家臣達が意見しても重恒は承引せず、弥々酒に乱遊して日々は過ぎていった。

これに江刺氏菩提寺である光明寺の現住没岩和尚は、これを聞いて嘆いた。
「およそ大身であろうと小身であろうと、身を滅ぼすのは自身の無道によるものだが、
その多くは酒によって事起きて、国を滅ぼす者も多い。
故に仏陀は長老沙伽陀を戒めて飲酒戒を立て、夏王朝の禹王は酒の美味さに、かえって酒を造った儀を疎んだ。
酒池槽山の楽しみ、長夜痛飲のもてあそびは、その果てに国を滅ぼし身を失うこと、古人その例は少なくない。

しかるに兵庫頭殿の振る舞いを見ると、昼夜酒を好んで国事を怠り、年月に貨を費やして、民の愁いを省みない。
これは敗亡の端だ。
その上、到来の使者を城下に数日まで留め置き、対面もしないとは、いかなる理由だろうか。
これは諸人の批判を招き、一家不破の仲立ちになろう。
家中の家臣達は、かかる時どうして諌言を申さないのか。我出家の身ながら、この時、相止めるべきではないと思い
一首の歌を詠んで、兵庫頭殿へ進上する」

  わざわひの その源を 尋ねるに 兎して角(こう)して 酒にこそあれ

これを見た重恒は、没岩が自分を制止する歌だと理解し、されば返歌をしなければ、と歌を詠んだ。

  酒ゆへと 思えば責めて 慰る 直しがたきは 下戸のわざわひ

この後より重恒は酒は止めなかったが、日々の行いは謹むようになったという。





わんこそばの始まり

2011年11月27日 22:00

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:28:14.36 ID:Pfb6bthU
わんこそばの始まり

南部利直が江戸に向かう際、花巻市鍛治町の宿に立ち寄り、食事を所望した。
「殿様がお食事ご所望だじゃ」
「なら蕎麦出すべ」
「んだども、お口に合わねがったら失礼になんねべか?」
「あー…んだば少しずづ出して様子見んべ」

家人は漆塗りの椀に一口大に蕎麦を盛りつけ、利直に出した。
「美味い!」
利直は蕎麦を大変気に入り、何度もお代わりをした。
以来、蕎麦を小分けして振舞うことをわんこそばと呼ぶようになったという。

ちなみに当時は今のような大食いの形ではなく、ゆっくり味わって食べるのが普通だったそうな。




780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:30:43.22 ID:FEKM4Qwa
昔のほうが風情があるね ちょっとずつ味わって食べるんだ
いつから大食い・早食いなんて下品な食べ方にしてしまったのか…

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:35:01.46 ID:TvijQjtC
>>779
この時代に江戸でさえまだまだな蕎麦切りが奥州奥深くに波及しているわきゃ無い

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:42:31.09 ID:q9otc+Aw
蕎麦がきだったかも。

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:43:09.56 ID:70A4zj5d
>>781
蕎麦掻きのわんこそば説


南部さんが蕎麦アレルギーじゃなくてよかったよ

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:50:59.34 ID:V4M2Ixzs
たしかに蕎麦がきならゆっくりたべるってのもわかるな。

大阪冬の陣・講和まで

2011年11月27日 22:00

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 15:04:06.41 ID:46CaLTZs
慶長19年(1614)大阪冬の陣も、12月に入ると、幕府軍に外堀まで押し寄せられ、また大筒の一斉射撃などにより
大阪方に動揺が見られるようになった。ここで将軍秀忠は、大御所家康にこう申し入れる

「現在諸軍勢はすべて、大阪城の堀際まで仕寄せ、包囲を完全にしました。
そこで、2、3日の内に総攻撃をかけるべきと考えます。」

これを聞いて家康

「総攻撃のこと、先ず待ちなさい。
この城は、例え外郭を取ったとしても、二の丸三の丸までは落とし難い。

どういう事かといえば、昔ここに六条の上人(本願寺顕如)が立て籠もったのを、信長は数万の軍勢で
3年攻められたが、ついに落ちず、結局講和によってようやく、大阪攻めから解放された。
その後太閤が多年にわたって改修をし、そこに今大勢が立て籠もっている。このような城に
平攻めでは利を得難いものだ。

戦いというものは、敵の在り方によって転化するべきものである。
平攻めの難しい城ならば、手立てを変えて落とすものだ。
ここはただわしに任せて、暫く待つのだ。」

この家康の言葉に秀忠は抗うことが出来ず、総攻撃は延期された。

さて、それから家康は本多正純を召して言った

「大阪城内からの報告によると、秀頼は城から討ち出ての決戦を叫んでいるという。さすがに若い。
それに対し御袋(淀殿)は秀頼の身の上を案じ、和睦を願っているという。やはり母である。
そして豊臣家中は小身者と新参者の集まりで、これをまとめ主導する者がおらず、今は皆、考える所が
バラバラになっているようだ。

これなら難しいことはない。講和工作をしてみろ。(手難き事はあらじ。扱ひを入れてみよ)」

この命に正純は早速工作を始め、京極若狭守忠高の弟(安毛高政か?)を交渉役として大阪城に入れた。

「大御所様が仰せになっていることには、秀頼の一旦の御不思慮によって、関東より軍勢を向けられた。
近日中に総攻撃となるだろう。そうなればこの大阪城といえども落城するのは明白である。

そうではあるが、秀頼とは他ならぬ関係であり、この事を大変いたわしく思っている。
もし秀頼に和議を結ぶ意志があるのなら、講和交渉を始めようではないか。」

これに、城内にも講和の機運が強まっていた所から、渡りに船と喜び、すぐに和睦となることが決まったという。

12月21日の夜半より、互いの鉄砲が止められた。
翌22日より、竹束・幟・馬印の類が撤収された。
敵も味方も、これはいかなることかと、ただ夢の覚めたような心地だった。

そうではあるが城門は未だ開かなかったので、城の内外の者たちは皆堀端に出て、
あるいは親子兄弟、旧友、縁の者たちに、手を上げ扇を上げ、互いに命が助かり再び合うことが出来た事を
大いに喜んだ。

23日より内外より人夫を出し、城の櫓・塀を打ち毀ち、石垣を崩し堀を埋め、三の丸まで平地となった。


冬の陣の講和から一月も経たず発行されたと言われる仮名草子「大阪物語」より、
その講和の模様についての、実に臨場感のある記述である。




江戸城ランチタイム

2011年11月26日 22:00

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 02:25:33.43 ID:DPw1/h2X
一部既出ながら詳しい系行ってみます。

江戸城ランチタイム

昔、徳川家光公のお伽衆といって、毎晩登城して物語を申し上げ、夜話をされる10人ほどの人々があった。
毛利秀元候、丹羽長重候、蜂須賀至鎮侯、林道春といった人々であった。

この人々が登城の時は、皆、屋敷から弁当を持参してきて、蔀の間に集まって、みんなで弁当を食べた。
珍しいおかずなどがあるときは、互いに交換し合って賞味したそうである。

毛利秀元候の弁当のおかずに干し鮭があったときは、皆が「これは結構なおかずですね!珍しい!」と
殊の外に秀元から分けてもらい賞味したそうだ。
阿部重次は握り飯を包ませ、これを懐に入れて持参していた。そして昼食時にはこれを召し上がられ、
その包みの紙にくっついた飯粒も丁寧に拾って食べ、さらにその紙の端を伸ばして洟をかんだ事もあったのを、
それを見たものがいたと言うことである。

原文
(昔、大猷公御噺の衆とて、毎夜登城して居物語申し上げ、御夜話申し上げられし衆中十人あり。
毛利甲斐秀元侯、丹羽五郎左衛門長重侯、蜂須賀蓬菴至鎮侯、林道春の類也。
この衆中登城の時、皆々、屋敷より弁当参りけるに、蔀の間に寄り合いて、是を披き食い給う。
珍しき菜などある時は、互いに取り交わして賞味し玉いけるとなり。
毛利甲斐侯の弁当の菜に干し鮭のありければ、皆是は結構なる菜なり、珍しとて殊の外に賞味し玉いけるとなり。
阿部対馬守は握り飯に包みて袂へ入れ御持参ありて、御中食の時は是を召し上げられ、その包みたる
紙に付きたる飯粒を拾いて食い、紙のはしを伸ばして涕をかみ玉いし事などありしを見たるものもありとなん。)

『雨窓閑話』


関連
空弁当
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3167.html
毛利秀就の鮭の切り身・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-120.html


749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 02:46:59.03 ID:u1xqeTqB
権現様の教え

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 04:22:57.65 ID:Fijq0F/H
どこの学食の風景だw

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 08:00:59.91 ID:vS0mFjkw
昼休みの女子高生みたいだなw

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 08:03:17.03 ID:+Z4sEyBz
>>751
恋バナで盛り上がるんだな

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 08:30:34.13 ID:qiM0mC9+
一応
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3167.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-120.html

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 08:31:52.70 ID:qiM0mC9+
↑のはまとめスレの関連リンク用に

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 09:38:34.16 ID:tisvb3hY
>>751
えどじょう!

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 12:31:14.00 ID:BBCfUJaS
*全室禁煙です

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 12:32:58.20 ID:Wu6NonT7
鶏の唐揚げとかないのかな てんぷらとか

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 14:15:22.74 ID:sjFzGqQ6
>>748
登場人物が三頭身くらいのデフォルメさられたキャラで再生されるww

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 14:35:49.11 ID:Ek/fQSvQ
外国の歴史系小説とか読んでても、こんなふうに自分の食べ物を
みんなで交換しあって食べる描写って見たことがないんだよな
獲物をわけて食べてた狩猟民族のほうがやりそうに思えるのに

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 19:23:24.80 ID:RbJaqasY
殺伐とした時代だからこそ、こういう話は和むなー
秀元は分け与えてばかりだが、代わりにおかず分けてもらえんだろうか

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 20:31:45.00 ID:OWZV6+Rz
関ヶ原の時も鮭弁食ってたんすか?w
って聞いたら斬られるかな?絶縁かな

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 20:42:39.61 ID:UEkovXwU
毛利のボンが違う意味で切れそうだなw

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 21:08:40.58 ID:pxPB91XN
>>763
輝じゃなくて広家だろ?

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 22:00:33.83 ID:GEqmI+s8
>>761
育ちがいいからみんなに分けてあげたら自分の分がなくなって泣き出しちゃうタイプだな

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 09:42:18.33 ID:UoFoRsew
この時代の最高級料理は鮭だったのか・・・
ハンバーグとかカレーライスとかウインナーとか食べれないなんて嫌だな

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 10:16:07.70 ID:1opcnV6K
>>760
西洋で弁当っていわれてもサンドイッチくらいしか思いつかん俺

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 10:34:56.89 ID:rcvoOtpH
日本の歴史小説でも弁当の分け合いっこは見たことが無いがw

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 11:03:11.07 ID:PCz8tsV7
>>767
カレーは確かに不可能っぽいし
ウィンナーも環境を選びそうだが
ハンバーグは、技術的にも素材的にも不可能じゃないだろ。

食に一手間かける豊かさが無いのに問題はあるが

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 11:17:42.91 ID:Vttalziv
牛さんは食料という前に貴重な労働力かつトラクター兼乗用車だったんだろうか

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 12:28:28.27 ID:70A4zj5d
>>770
ターメリックとクミンはあるからコリアンダーの代用品に白根草を使えば一応形にはなるお

漢方薬のスープだからかなり高くつくけど…

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 12:42:01.59 ID:PCz8tsV7
>>771
牛さんが死んでから頂戴しても良いんじゃね?
いわゆる逸話だが、
牛肉食わせて貰うのに宗教をバカにした非礼を一心に詫びるってのがあったから、牛を食うのは
それ程異常じゃないと思われる。
だって、馬を食う奴だっていたんだろ?
そっちが余程基地外沙汰。
軍用としても民生用としても、非常に高性能な馬なのに。


カレーの香辛料って全部、金と等重量で交換するような希少品じゃなかったか?

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 13:33:15.40 ID:uVe1tSVS
馬は消耗品だよ、骨折した馬殺すにしてもただ埋めるだけじゃもったいないじゃない。

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 14:20:24.80 ID:KUrIr5TG
>>772
大友宗麟がキリスト教じゃなくてイスラム教を保護してたら可能だったかもね
黄飯つくるくらいだからカレーの再現に挑戦するかもしれん

九州にイスラム教が浸透したら、インド→インドネシア→日本のムスリムネットワークが…できねーか

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 15:00:07.41 ID:PCz8tsV7
>>774
サラブレッドじゃあるまいし、そうそう骨折しないよw

778 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/11/27(日) 17:48:33.90 ID:4mvA5Lxz
>>760
東洋文化では割と普遍的な価値観かも

食べ物がどこからか送られて来た時には、
家臣たちに対して分配するようにしなければならぬ。
『三略』に、「古に良い将がいて兵士と苦楽をともにし、
陣中に酒や食べ物が送られて来た際には、
これらの品々を川に流し入れて、
将も兵士ともにその流れを飲んで楽しみをわかち合った」
という話が伝えられている。

武田信繁

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 21:08:48.14 ID:bkxepGwb
>>778
川に流すってどういう状態なんだろうな
つかみどり大会みたいなのを開いたってことかな?ポロリもあるよ!

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 22:33:19.65 ID:zFN6ZvLi
ボケたつもりか?>>785よ
旨い酒を皆で回し飲んだ「つもり」、旨い食い物を分け合って食べた「つもり」
上下心を一にしてって奴よと釣られたクマー

元就と隆元が末っ子に会いに行ったようです

2011年11月25日 22:00

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 08:01:13.43 ID:vL8kGYKT
元就と隆元が末っ子に会いに行ったようです
毛利元就父子雄高山行向滞留日記)

永禄四年(1561年)
 3/26 元就・隆元吉田発、椋梨に宿泊
    隆景から挨拶の使者が送られる
 3/27 一行、隆景の居城雄高山(新高山城)到着、隆景が麓まで出迎える
    元就は井上春忠私邸に滞在、井上の饗応に隆景がご相伴
    隆元は巨眞寺に滞在、夜になって隆景が小魚持って訪ねてきたので数時間一緒に酒を飲む
    熊谷信直(元春の名代と思われる)・保利中務が到着、元就・隆元に炭薪などを贈る
 3/28 会所にて大宴会、能・七五三膳
 3/29 元就・隆元、御女中様(隆景妻・その母など)に御礼、饗応
 3/30 桂右衛門大夫の私邸にて宴会、五三々膳
閏3/01 会所にて大宴会、能・五三々膳 生鶴(鶴の刺身?)
閏3/02 連歌会、蹴鞠の会
    茶湯の間にて太平記読み、この夜隆元は奥の座敷に泊まる
閏3/03 会所にて宴会
閏3/04 隆元、宿所にて隆景をもてなす
閏3/05 お別れの大宴会、能・五三々膳
閏3/06 元就・隆元出立
    帰路のついでに栖眞寺で滝を見物
    見送りに来た隆景が栖眞寺で一行(近習衆まで含め百人余り)に一献を振舞う

約十日間ほぼ連日宴会とか、「生鶴」って何そのメニューとかいろいろツッコミたいが
とりあえずこれだけは言いたい

隆元と隆景だって仲いいんじゃん
でなきゃ何時間も一緒に酒飲まないよ
疎外されてないよ、自信持ってよお兄ちゃん!





737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 10:01:42.41 ID:H4stbxKS
生鶴w
なんかハードなスケジュールだな(胃腸的な意味で)

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 10:29:16.63 ID:9HSimLpx
鶏の刺身はあるらしい。
鶴はわからん。

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 11:09:14.58 ID:UHoEpYcf
あるらしいってw
今でもあるじゃん

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 11:41:19.60 ID:fG26fPDD
つーかこの場合の「生鶴」は、鶴の刺身とかではなく、「生きた鶴をその場で〆て料理したよ」
ということだろう。

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 15:50:54.42 ID:8zPYxI2l
鳥は血抜き処理と羽根むしるのに時間かかるで
その場で殺して食うとか無理だと思うで


742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:07:18.76 ID:IfoxjoTk
鬼武蔵さん大蛇を生で食ってたような…

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:14:43.19 ID:6NgHtMm6
隆元が弟と仲良く酒飲んでる姿を想像してほっこりした
そして連日宴ってすごいなぁ 島津(善)家久の話でもあったけど
昔は持て成しっぷりが半端ねぇ

生鶴といえば、織田信長から近衛前久によく鷹狩で取った獲物を贈られたというけど
天正八年十二月に贈られた鶴が「生鶴」で、前久はそれを座敷に掛け置いて
吉田兼見に見せたらしい そして二人は生の鶴を見たのがこの時初めてだったそうな
(兼見卿記より)
二人ですっげーとか言ってる姿想像したら、なんか和んだ

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 17:06:39.31 ID:pMvdd0Hm
平安時代の話だけど…
三河では風祭という生贄の習慣(生きながらに料理とか)があった。
三河守大江定基は、彼の郎党たちがキジをとらえてきたのを見て、
「この鳥を生きながらに食べるより、もっといい味になる方法を試してみよ」
とさとしたが、郎党たちは勘違いして、キジの毛をむしり、生きたまま火あぶりにしたために、声を上げて泣いた。
そしてその日のうちに国府を出て京へ上り、出家して寂昭と名乗った。後に唐に渡ったらしい。

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:49:21.95 ID:h3bopwSe
幽斎さんなら生きたのでも一瞬でやってくれるかもしれんw

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:59:45.97 ID:hUDrpAZQ
原始人みたいだな

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 20:06:15.20 ID:KfWxEQIV
生きたまま火あぶりにしたら血が回りすぎてまずくなると思う

長久手合戦・堀秀政への批評

2011年11月25日 22:00

堀秀政   
160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 15:10:41.76 ID:fG26fPDD
天正12年(1584)小牧長久手、三河中入りを目指した羽柴秀次軍を徳川家康が破った長久手の戦い。
この時の堀秀政の働きに関する批評を見てみよう。

『堀久太郎(秀政)は三河衆の先手に打ち勝ち、そのまま討ち進むべき所を、その場を他の味方の部隊に任せ
自分たちは引き下がった。

もし、先手に勝利した勢いのまま、後続の徳川軍の旗本勢と一戦していれば、たとえ先の交戦で
疲弊した軍勢であるため、そこで自分たちの部隊は敗北したとしても、池田勝入、森長可の部隊は
無傷の新手として残っていたので、形勢としても最終的に秀吉軍が勝利する形に持っていけたはずである。

そうであるのに向かってくる敵を他の味方に譲って戦わずに引き下がったのだ。
これは自分の最初の勝利を無にする行為であった。

つまり堀秀政には、秀吉公への誠の忠誠心がなかったということであろうか、
それとも戦に不案内で、あの場に留まる戦術上の利点が解らなかったのだろうか?
(秀吉公へ誠の忠無御座候か、又不案内にて其利を不存候か)
(長久手合戦覚書)

名人堀秀政に対する、珍しく批判的な批評である。




161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:09:45.38 ID:IfoxjoTk
疲れた兵で戦えってのも無茶な気が

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:18:02.10 ID:6NgHtMm6
勝入さんも鬼武蔵も死んだのは本人たちの責任であって
別にQ太郎さんのせいではないのでは…と思ったけど違うのか

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:24:50.60 ID:jySik5yO
それぞれ勝手に戦ってる感じで全体としてのまとまりがないよね

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:26:07.68 ID:EW/YV1tC
まあ小牧長久手の時点では、
秀吉とゆかいな仲間たちって感じだからね

明確な上下関係も絶対的な優越性もまだない

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:12:14.91 ID:9Trhl71K
譜代の臣やよほど取り入りたい事情があれば別だが、この時点の関係でそんな捨石みたいな
真似する奴いたらその方がびっくりだわな。

ていうか、そもそもそんな本気で「決戦」までするつもりが秀吉にあったのか(or可能だったのか)?
家康のプライド潰さない程度にほど良く勝って和睦して政権に取り込むっていうのであれば
久太郎は過不足のないまさに名人級の進退を見せたともいえる。

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:27:45.48 ID:hUDrpAZQ
いくら名人でも秀吉の心底をそこまで見抜いた上の撤退とは思えん
仮に秀吉の形勢が悪くなって場合に備えて家康にも目を残しておきたかったとかじゃないのか?

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:46:55.06 ID:jySik5yO
総大将の秀次さんがまっさきに逃げてるから組織的に戦えないのはしょうがないけど
けど、取り残された池田森の両隊がなんか気の毒

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:56:57.49 ID:/O5RDxdR
そもそも隠密行動の別働隊なのに、敵の主力に遭遇して
戦えとか無茶言うな

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:03:34.02 ID:Hn0shKtX
>>168
最近の研究だと、秀吉の小牧長久手の中入り部隊は隠密でも何でもなく、むしろ家康に脅威を与えるため
大いに宣伝していたらしいぞ。

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:18:34.60 ID:1gtF8JjC
>>169
鬼武蔵が例によって放火しまくってたらしいしなw

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:20:16.71 ID:6NgHtMm6
鬼武蔵の行動で、事態が良くなったことってあったっけ…

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:26:49.31 ID:lSiYGdbZ
>>170
しかも白昼堂々とねw

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:44:53.54 ID:T8U9BEr7
>>171
高遠城とか、美濃帰還のときとかあるじゃないか!あるじゃないか!多分!
[ 続きを読む ]

結城家分国法・第62条

2011年11月24日 22:00

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 20:39:13.74 ID:GmOU0buX
分国法だとこの前読んだ結城家のが面白かった
特に良くも悪くもない話だし、既出だったらスマン


第62条
「こんな細かいこと載せなくても(´Д`)」と皆は思うかもしれない。
しかしお前たちで規則を決めるのもやりにくいだろうから私が言うのである。

親類縁者・同僚同士で派手に酒肴を用意して宴会をやるのはよろしくない。
飲みすぎて表の垣根にもどすなんて誰が得するのか?
まあ飲ませる側としては浴びせるほど飲ませたいものだ。
そこで私が法律を定める。裕福になっても背いてはならない。

肴は一汁三菜、酒は上戸に対してお椀並々一杯とこの限度を超えてはならない。
夏精進中で肉を断っているなら、ひき汁(?)をつけても仕方ない。
もし私を招待してこれより多かったら席を蹴って帰るぞ?神に誓う。
親戚・家中に対しては以上のことを守れ。

よそから来た客人の場合は亭主にまかせる。
金銀飾り立てようと、百膳用意しようと一汁三菜で済ませようと、天野・菩提山・江川の銘酒でもてなそうと
濁酒で済まそうと、好きにやってよい。
相手が上戸なら、それに合わせて同席の者も飲み放題に飲み、客人が

飲 み す ぎ て も ど す ほ ど 無 理 強 い す る 

のも大いに結構である。それは、先の規定の対象外とする。


(『結城市史4巻』意訳)


これから忘年会シーズンで結城家の客人のようにならないことを祈る




128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 21:58:49.52 ID:okATPBrE
お椀に一杯ってせいぜい1.5合くらいか?少ないなー
親類同僚と気兼ねなく飲むときはとことん飲みたいもんだが

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 22:00:59.12 ID:OZG7ebMV
>>126
前半読んで市松ばりのアルハラを掣肘するいい法じゃないかと思った。

後半ちょっとまてwww

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 23:10:30.46 ID:kj04qv8+
でも最近、酒離れが一種のトレンドみたいだから困る
なんかみーんな酒飲まないんだよね・・・
居酒屋でジュースみたいなサワーしか頼まないからつまらないことこの上ない
飲み会なのになぜか仕方なく酒飲んでる雰囲気だから楽しめない。俺は酒が好きなのに
とことん飲みまくる戦国人の逸話を読むとなんか羨ましくなるわ

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 23:19:17.62 ID:vV1a1qVO
行きたくもない飲み会に付き合わされる方の身にもなってください、としか言えんな

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 23:29:39.78 ID:KeWpT/lq
信長は下戸だったらしいけど
あの時代で下戸だと、周りとの付き合いも大変だろうな
みんなもの凄く飲みそうだし

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 23:32:28.77 ID:CqSC3S6C
信長『飲みの付き合い嫌だなあ・・・そうだっ!茶を流行らそう!』

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 23:37:28.22 ID:gP5nQSI2
下戸だと市松あたりが酒を強要してきそうだ。
代わりになにかくれるならいいが

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 23:47:16.78 ID:KeWpT/lq
元就さんみたいに、酒飲み過ぎちゃいかんよって
餅くれる上司がいいな

136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 23:48:20.46 ID:PmFn2RJf
>>132
キンカン頭、俺の酒が飲めないならこれを飲め
つ刀

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 23:48:37.83 ID:okATPBrE
これ以上市松から何を毟り取る気だww

黒田節の逸話ってwikiだと「武士に二言はない」的に書かれてるけど
福岡市の博物館行ったら「酔っ払っていた福島は大事な槍だと忘れてほいほい渡してしまい
翌日日本号が無いのに気付いてビックリした」ってな書き方だったんだよな
本当はどういう経緯だったのかねえ

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 23:50:11.70 ID:KeWpT/lq
酔っぱらいの行動に理由なんて求めちゃいかんよ

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 23:58:37.49 ID:xH549lC5
>>137
黒田家の記録だと、目が覚めたら日本号がなくて、「どこやった?」と家臣に聞いて
「え?だってこれこれ…」と説明され驚愕。黒田に至急返還を求めたけど母里太兵衛断固拒否、
って話だった。

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 23:59:33.15 ID:+wLNSKsp
>>136
キンカン?
柑橘系

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 03:20:30.45 ID:Q8MFiT+4
上杉さんちは合戦で活躍した褒美の一つに
軍神の目の前で好きなだけ酒飲んでいいで賞があったってのを
どっかで見たことあるな
なんという下戸には付いて行けない家…と思った
景勝も茶より酒が好きだったようだし

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 07:35:44.92 ID:RsVx6zPL
アルハラ賞じゃねえかwww

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 08:01:48.82 ID:ZbFq5DOy
軍神さんは辞世の句まで酒のことだもんな

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 09:27:49.52 ID:WP/hcKT1
酒で死んでも懲りません

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 09:29:16.61 ID:eZqQmu7W
銘酒越乃謙信万歳

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 10:07:14.33 ID:l3gh6L1/
山科言継さんが酒豪すぎる

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 10:39:40.07 ID:nTTBIEgt
>>140
信長は明智光秀(やや禿頭?)を「金柑頭」とからかっていたらしい

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 11:34:09.31 ID:hVn8P+P/
酒豪だなんてしゅごーい

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 11:53:01.83 ID:RsVx6zPL
>>148
宇喜多備中様よりの銘酒でござる。ささ一献。

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 14:17:52.68 ID:nYRo4GSm
>>146
言継卿記にも、今日は酒もらっちゃった
みたいなこと書いてあるらしくて、よほど嬉しかったんだろうね

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 14:57:04.65 ID:ezAP1k1j
酒というと島津さんのこの話を思い出すw

島津家久(善)送迎会地獄・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-922.html

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 15:00:18.12 ID:KjwSdEou
伊勢に行った時に、禁酒令が出てる!信じらんねぇ!って書いたのも言継さんだっけ?

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 15:14:05.46 ID:FovqXBf7
薩摩の場合はむしろ、飲んでいない時のほうが珍しい

上井覚兼、軍陣と宴会と・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-259.html

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 18:27:31.64 ID:l3gh6L1/
>>152
そうそう
猪口ではなく盃10杯以上飲んだ今川義元を下戸呼ばわりだからなぁw

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 18:32:00.04 ID:nYRo4GSm
氏康さんだっけか 酒は朝に飲めってのは
理由を読んでると、なるほどなーとは思うんだけど、現代日本じゃ無理だな

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 00:50:44.59 ID:n1HLub3g
酒は避けられない

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 00:59:33.71 ID:KpKL3nxS
鮭を避けられない吉川さん

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 07:45:36.50 ID:arzjxpaR
お茶はまだ気軽に飲めるほど普及してないし、
客に振舞うとなるとやっぱ酒しか選択肢がないのかね

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 09:34:51.53 ID:rRq+nZXE
お神酒とか三々九度のように儀礼的、神秘的な意味も持ってる

週間ブログ拍手ランキング11/16~/23

2011年11月23日 22:01

11/16~/23のブログ拍手ランキングです!


早朝、豊前小倉城を訪れる老人 86

香川光景、厳島合戦の論功行賞にて 79

「これこそ武辺の女の心がけぞ」 68
細川忠興「わが御留場で、なぜ雁を撃った?」 56

さいつ殿へ。石田三成から真田信之への手紙 47
天正13年(1585)9月24日、小早川隆景宛、羽柴秀長書状 43

雑談・室町幕府、鎌倉幕府などについて 32
雑談・大河ドラマ 29
毛利家の交渉担当者は酒を飲んでる市松のところで 28

姉川の戦いby 徳川実記 27
雑談・槍について 26
長宗我部元親、仏罰に当たる 24
天正13年・伊達政宗家臣遠藤基信宛、秀吉書状 24

この土屋惣蔵、今こそ主君に御恩返しを 24
榎もよい木 22
応仁の乱後の、京の治安 22
長久手の戦いの秀次勢 21
天正三年の宗論 18
羽柴をしなす峰の城かな 17
合計 1021



今週の1位はこちら!早朝、豊前小倉城を訪れる老人です!
怪しいw
水戸黄門でこんな話がありそうですね。しかし黄門様とは違い、読んでいるこちらも、目的を口上通りに
受け取れないあたりがさすが如水というべきかw
敵も味方も第三者も惑わせる、如水の圧倒的存在感ですw

2位は香川光景、厳島合戦の論功行賞にて
コメントの中にもありましたが、元就が香川さんを怒ったのも、大将として軍の統制上当然なことだと思います。
しかしそれでもなお武功至上主義もまた武士。源平以来の、悩ましい関係ですねw
そんな武士というものの関係を浮き彫りにもしているような、いい逸話です!

今週管理人が気になった逸話はこちら!天正13年・伊達政宗家臣遠藤基信宛、秀吉書状 です!
この時期の秀吉が、自分をどのようにアピールしていたのかがよく見えてくる書状の内容ですね。
忠臣であり武辺者でありものすごい土木技術の持ち主であり…
政宗の方だって畿内の情報源はあったでしょうから、その内容が正しいかどうかなんて流石に把握していたでしょうが、
それでもこういう「公式見解」を主張することで自分の姿勢を表現していたのでしょうね。面白い。



今週も各逸話に、沢山の拍手をいただきました!いつも本当にありがとうございます!
このブログのエントリ数もついに、6000を超えました!本スレの皆さんに、本当に感謝です!
又、気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください。

( ´ω` )

佐々成政『槍之先の水湧き』

2011年11月23日 22:01

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 15:17:10.14 ID:xH549lC5
越中に置いて佐々成政前田利家が争っていた頃のことである。
成政は越中と加賀の国境の要所要所に多くの砦を築き、そのうちでも最も見晴らしが効き要害でもある、
舘村の城山の砦に入った。

ところがこれを知った前田軍は、城の南側にある南谷川を堰き止め、このため城山の砦は水に大いに
困ることとなった。
これに佐々成政は水源を求め、城山の峰の西に、湿気を多く含んだ場所を見つけた。
そこで成政、槍を持つと岩間に向けてそれを一気に突き立てた!すると

ドォォォォ

槍を突き立てた場所より、滔々と水が湧き出てきたではないか!
このとき奥方もその近くを突き、そこからも水が湧き出した。

成政の家臣たちは大いに悦び、競って喉を潤した。

しかし前田軍に圧迫により、成政は結局この城山から撤退する。
この時成政は城山の東にある舘村の民家に立ち寄り、あの水源に突き立てた槍を取り出すと

「我々はこの槍のお陰で命の水にありつくことが出来、家臣一同の命を守ることができた。
だから、この槍は戦に使うことは出来ない。
これは大切な槍なので、おまえの家に預けていく」

と、それを置いていった。

やがて佐々成政は没落し、前田家の時代となる。
舘村のあたりは成政の見つけた水源のお陰で多くの田畑を開くことが出来た。
成政の突いた所は男水、奥方の突いた所は女水、
その地は『槍之先の水湧き』と呼ばれた。

前田藩は何度も佐々成政の槍について捜索を行ったが、槍を預かった家では
これを隠し通し、槍を水の神として、大切に伝え守った。

しかしはるか後世、昭和18年頃、政府による金属提供の求めに槍先を提出し、今は槍の柄のみが
伝わるとのことである。
そして成政の発見したこの水は、今も銘水として知られ、日本酒の醸造などにも使われている。

佐々成政『槍之先の水湧き』、の伝説である
(富山・福光の昔ばなし)





732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 18:04:20.17 ID:GmOU0buX
>>730
富山に「成政」って酒あるもんな

俺は立山と銀盤と風の盆しか飲んだことないけど今度行ったら飲んでみるわ

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 04:12:59.69 ID:Vy5IPMKR
成政のちょっとかっこいい話だな
別に領民や酒造りのためにやった訳じゃなかったけど

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/24(木) 10:00:21.56 ID:uLO2IbRd
ダウジングで水脈を探す成政

735 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/11/25(金) 01:23:45.31 ID:KpKL3nxS
( ;∀;)イイハナシダナー

木村又蔵の切腹

2011年11月23日 22:00

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 17:36:01.23 ID:/FGAwNcC
文緑二年、大坂で豊臣秀頼が誕生した時、父の秀吉は秀頼の為にも天下に優れた武士を
守役としてつけてやりたいと思っていた。
その時に加藤清正の家臣である木村又蔵という武士が大変な勇士であったことを思いだし、
秀頼の守役とすべく清正に申し付けた。清正は早速この名誉な命令を又蔵に伝えた。
すると又蔵は「秀頼公のお側には女どもばかりで、私のような武骨者が仕えるべき所ではありませんし、
私も勇気がなくなって役立たずになるだけです。御勘弁を。」と言った。
清正も尤もではあるが、しかし秀吉公の命令なのだから断るにしても一旦は参上すべきだと説得したが、又蔵は
「忠臣は二君に仕えず、私は死んだ母とそう約束しました、ここで秀頼公に仕えれば、あの世で母に
会わせる顔がありません。」
と言ってその日の夜に切腹して果ててしまった。清正は深く悲しみ、この事を秀吉に言上すると秀吉もまた、
我が一生の誤りであったと涙を流して後悔したそうだ。




755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/26(土) 08:33:33.13 ID:kfbI/W7F
>>731
木村又蔵もいろんな逸話があるのね。

長久手の戦いの秀次勢

2011年11月22日 22:01

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 23:51:27.71 ID:nDKbrrqW
長久手の戦いの秀次勢

御前8時頃、秀次が三河に向かっていると、後ろから7・800人程の部隊が不意に現れた
秀次「あれは何だろう」
側近「何でしょう」
そんな事を言っている内に、新たな部隊が出てきて4キロまで近づくと、穂富という家臣が
「あれらは何らかの意図を持っている部隊です。覚悟してください」
そんな事を言っている内に、また新たに4・5つの部隊が現れ、先の二隊に合流するし、
たちまち一塊になると1キロまでそのまま秀次隊に押し寄せ、後方の小荷駄を蹴散らし始めた
そこで車輪と永楽銭の旗を見て、徳川と織田勢と気が付き、恐慌状態に陥り壊乱した

いや、秀次勢
あんたらやっぱりダメダメだわ




116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 23:58:17.47 ID:EKvj8+pz
って、いろいろあるわなぁ。

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/22(火) 00:04:51.13 ID:TTJQ2Q0v
秀次隊で冷静だったの長谷川秀一ぐらいだな

しばらく徳川隊としっかり戦ってから先行してる堀秀政に連絡入れて撤退

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/22(火) 00:12:23.64 ID:v0VWk4dr
冷静にほっぽらかしてトンズラこいた笹の才蔵さん辺りもか?

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/22(火) 00:15:24.22 ID:XJMdxzY5
書き手によって全然違うw

そもそも今度の一天下の乱は

2011年11月22日 22:00

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/22(火) 01:25:52.31 ID:I6Pi0Jv+
文明3年(1471)8月5日の記事より

『先月21日、越前において、西軍斯波義廉の部将甲斐左京亮と、東軍に寝返った朝倉孝景が合戦し、
朝倉方が討ち負けた。朝倉方はもっての外の少勢であったそうだ。

これは越前守護職を得て以来、朝倉孝景は国司気取りで、烏帽子狩衣の、まるで殿上人のような姿をして、
その驕慢な振る舞いは隠しようもなく、そのため越前の国衆たちは彼を嫌い尽く背いたのだとか。
稀代の事だとの評判である。

そもそも今度の一天下の乱(応仁の乱)は、この朝倉孝景の所業によって起こったものなので、
彼はついに天罰を被ったのだと、世間ではもっぱら噂している。』
(大乗院寺社雑記)

後に越前で強力な戦国大名となる朝倉氏であるが、その初代である朝倉孝景が驕慢であったこと、
越前を必ずしも掌握できていなかった事、何より彼が応仁の乱の原因であったという認識があったことなど
色々なものが見えてくる記録である。




121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/22(火) 08:22:37.11 ID:7K43f71P
へぇ、この時代は朝倉孝景が応仁の乱の原因なのか
おもしろいもんだ

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/22(火) 09:21:08.32 ID:KimIK5o3
>>120
狩衣で殿上人www

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/22(火) 17:57:20.40 ID:eeunHnWU
英林さんさすがや

124 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/11/22(火) 23:12:01.07 ID:Bm6AWC69
面白いな。

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/23(水) 18:11:52.94 ID:LZLJjBQO
英林と言えば英林壁書

もっとも実際いつ成立したのかわからないが

雑談・大河ドラマ

2011年11月22日 22:00

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 23:56:52.73 ID:cSHalizh
【NHK】「明智光秀を大河ドラマに」 署名2万7000人、4府県の団体集まり報告「『逆臣』の武将から『天下の名将』へ」
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1321797811/

天王山で勝ってれば・・・

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 23:59:38.79 ID:vKV14gtA
ちょっと悪いスレより↓

>28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/17(木) 20:28:57.21 ID:M9vXwRgW
>【TV】「細川ガラシャを大河ドラマに」 京都府知事と長岡京市長、NHKに要望・・・NHK「真剣に受けとめる」
>http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1321526044/
>
>毎回貴重な庭師が三歳の餌食に・・・

細川親子も入れれば話を捏造しなくても尺取れそうだ

708 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/11/21(月) 21:37:58.24 ID:jzFsoIqN
>>702
全36回にして、大河ドラマ「三十六歌仙」とかはどうだろう?

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 21:44:42.84 ID:AbjJlmPK
毎回40分あたりで切られるわけだw
ただいつも切るだけじゃ面白く無いので、
この間の黒田領の方へ飛んで行こうとした鳥をぶっ殺して許されたみたいに、
許される話もたまに入れるといいんじゃないかな

いける、大河ドラマ「細川三斎」
これは、あたりやでぇ

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 21:44:59.33 ID:eovu83wJ
>>708
毎回、番組の最後の方で斬り殺して歌詠んで終わるのかw


711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 21:53:07.71 ID:6MdIC1LA
>>710
OPから真っ赤に彩られてそうだな

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 21:54:23.06 ID:DVyVu73L
現存してる細川家から猛烈な反発くるわバーローW

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 21:56:26.97 ID:T2Mg/Dk+
三十六歌仙は大河ドラマ枠じゃなくて時代劇枠でいこう

大河ドラマ枠は信長の家臣、秀吉の同僚、家康と戦った男で、
武田家との戦にも参加、親族に美少年という素晴らしい逸材がいるから、
そっちで

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 22:03:06.01 ID:zm/vJSEo
初陣で17人も惨殺した悪鬼じゃないですかー!やだー!

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 22:06:38.30 ID:FfQSPOTk
大河ドラマ
      「ONIMUSASHI」

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 22:08:54.53 ID:RWQU6jjh
>>715
薩摩の方ですねわかります

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 22:12:35.99 ID:6g+aOk1J
全国津々浦々の鬼武蔵を取り上げたオムニバス作品ですね

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 22:14:07.79 ID:BVDiQMTz
いや、これだ
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-976.html

原作が要るというならこちら
ttp://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E3%81%AE%E9%AC%BC-%E6%A3%AE%E6%AD%A6%E8%94%B5-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E8%BC%9D%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4882933322
(参考
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2254.html

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 22:26:16.76 ID:f5bnEjVQ
>>709
すばらしい。 ついでに、山菜さんが主役なら四天王も全員出演するし。

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 22:35:10.27 ID:/GjkHH3n
よし、俺らもNHKに陳情するぞ!

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 22:52:10.29 ID:6g+aOk1J
N(なんと)H(本当に)K(首切った)

姉川の戦いby 徳川実記

2011年11月21日 22:00

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 19:46:29.32 ID:J7NgHdVw
姉川の戦い


信長は浅井親子が朝倉氏に味方していることに憤慨し、「ならば先に浅井を滅ぼしてその後で朝倉を攻める」と言って
家康公に協力を求められたので、家康公は3000余の兵を率いてご出陣なさった。
浅井方は朝倉に加勢を求めたので、朝倉景紀が兵15000を率いて出陣してきた。

6月28日に姉川で合戦が行われた。

はじめ信長は「私は朝倉勢に向かうので君は浅井と戦ってくれ」と言っていたのだが、朝倉が大軍であるのを確認すると、
急に「私は浅井勢を攻撃する。君は朝倉に向かってくれ」と言ってきた。
徳川の御家人たちにはこれを拒否する者が多かったが、家康公は「大軍に向かう事こそ勇士の本意である」と仰せになり、
朝倉勢に向かわれた。

こうして朝倉勢15000が家康公の軍勢に、浅井勢8000が織田勢に向かっていった。
徳川勢の酒井忠次らがかけ声を上げながら向かっていくと、朝倉勢もついには敗北し、真柄直隆など優れた勇士たちを多数討ち取った。
浅井方は先鋒の磯野員昌が織田勢を11段まで切り崩し、織田勢は大混乱となった。

家康公はこの様子をご覧になり、「織田殿の旗色が悪いようだ。崩してかかれ」とご命令になり、
本多忠勝ら数名が浅井勢の中に向かっていった。
浅井勢も横から攻撃を受けては防ぎきれず、混乱した。
織田勢はこれに勇気付けられて反撃し、浅井勢は敗走して小谷城へ逃げ込んだ。

信長は「今回の勝ち戦はすべて徳川殿のおかげである」と言い、感状のほか、長光の刀などさまざまな品を送ってきた。







                                                            by 徳川実記


110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 20:19:22.73 ID:okU3lH9I
えーーーwww

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 20:48:15.93 ID:6MdIC1LA
徳川軍てこの戦いの前に、織田軍が全面に戦うからって言われて
せっかく来たのにそんなおまけ扱いなんて心外だ だったら帰る
とかいう話なかったっけ

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 20:54:08.77 ID:eovu83wJ
歴史とは勝者が書くもの

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 21:03:29.09 ID:vEX20NKr
徳川軍って6千の援軍を出してなかったっけ?
で、織田軍が2万以上だけど少ない浅井軍と対峙した。
その後の三方ヶ原では織田からは3千位しか援軍来なかったんだよね
信長ってばちゃっかりしてるわw

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 21:54:28.01 ID:QWH46Tm7
信長が「浜松城すてて岡崎城へ後退しろ」って家康にいうくらい遠江がピンチだったし
「武田への寝返りand対織田の先鋒となる」ってちらつかせなかったら本当に見捨てられてたかもね

香川光景、厳島合戦の論功行賞にて

2011年11月21日 22:00

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 08:14:24.02 ID:O5OCu3zQ
厳島合戦が寡兵の毛利勢の大勝利に決し、論功行賞を行っていたときのこと
毛利元就が以前から「家臣にしたい」と言っていた大和伊豆守を殺すことなく生け捕った香川光景は、
期待に胸躍らせて元就の前に進んだ

元就「ようやったのう。ワシがかねてから言っていたことを乱戦のさなかに思い出し、
   あの大和を見事捕虜にしたとは大したものじゃ

   だが、ワシャぁな

   オマエのことを頼もしく思って、譜代でもないのに国境の要衝を任しとんのじゃ!
   陸から攻められようもんならイの一番にオマエんとこの城が狙われるじゃろうが!
   それを開けっ放しにして厳島に出てくる、ちゅうのはどういう了見じゃい!」

褒めてもらえると思っていたら烈火のごとく怒られたでござるの巻き
しかし香川も、平伏しながらも黙ってはいなかった

香川「大殿のお子さんらも全員この決死の戦に出てきとるでしょーが!
   今回負けたら御家滅亡になりますじゃろがい!
   皆死ぬんなら、ワシだって及ばずとも戦って、一緒に死のうと思っとりました
   また、勝つのでありゃァ城の一個や二個奪われようとも、取り返しゃァ済むことじゃ
   城にいるウチの女房子供が殺されようが捕まろうが、知ったことじゃありませんわ
   大殿や御一族と生死存亡を共にできなくて何が忠義じゃ!」

勢いに押されたのかもっともだと思ったのか、元就は香川の格別の忠節を褒め称え、
重ねて手柄を褒めたので、香川は満足して、喜色満面で退出したのだった




羽柴をしなす峰の城かな

2011年11月20日 22:02

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 01:14:45.73 ID:+n/HE+5X
天正11年(1583)、秀吉の弟、羽柴美濃守秀長と羽柴孫七郎秀次は、伊勢の峰の城攻めをしたが、
城主・滝川義太夫がこれを良く防いで戦った。
織田信雄の家臣・津川玄蕃も同じくこの城を攻め、軍勢を集結させ城の堀際へと寄せてきた。
この時城中から長い柄杓を使って糞尿を汲み、これを寄せ手に向かってかけ散らした。

それから織田上野介信包(信長弟)もこの城に攻めに来たが、この時信包の部隊が城のすぐ近くまで近づき、
こう大声を挙げた

「我らに俳諧の発句あり!城内の人々、歌の心あらばこの脇をつけよ!」

これに城内の誰とも知らぬものが大音で返答した

「お前たちはどうせ、前々から発句を作っておいて、今我々に脇を乞うているのだろう!
それがし、只今とっさに作った狂歌がある!お前たち、これに返歌せよ!」

そして一句

『上野の やき砥は鑓に合わねども 羽柴をしなす峰の城かな』
(上野介程度の敵では我々の手に合わないが仕方がない戦ってやろう。ここは羽柴軍の連中の命を奪う峰の城だ!)

これに信包の家臣たちは返答につまり、ただ城に向かって鉄砲を撃ちかけることしか出来なかった。
(北畠物語)





90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 10:57:39.52 ID:MW30yS/y
>>81

しかし、楠木正成は熱湯を寄せ手にかけていたら、後世糞尿にされちゃって、
「楠は鼻をつまんで下知をなし」とか川柳ができたそうだが
前田慶次の父親ならほんとに糞尿をかけかねない気がする

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 11:41:44.21 ID:zVVQO1nD
熱湯ぶっかけも恐ろしいよね
米に余裕があったら、熱々のおかゆもぶっかけてたんだっけ?
熱い上にドロドロのお粥の粘りで、お湯のようにさらっと流れないのでダメージ倍率ドンとか

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 11:44:53.75 ID:4Qnt+SFj
しかもあわてて逃げようとしてもヌルヌルですってんころりん

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 11:45:18.75 ID:MW30yS/y
>>94
この話でそういう話題がいろいろ出てた
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3356.html

榎もよい木

2011年11月20日 22:02

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 12:45:50.36 ID:zVVQO1nD

ごめん これも既出だったね
お詫びに、悪い話でなさそうだけど一つ

慶長九年、街道整備の為に徳川幕府は一里塚を築いた
この街道整備だが、家康主体ではなく、秀忠が中心となって企画・推進したと言われる

『台徳院殿御実記』の巻一にも
「九年二月四日、公(秀忠)の仰として、東海・東山・北陸の三道に一里塚を築かしめらる」
と記されてある

家康が江戸~京都間の東海道の宿を設定し、伝馬朱印状と伝馬定書を下したのは慶長六年(1601年)正月
秀忠は江戸~京都を結ぶ、東海道・中山道・北陸街道の三つを一元的に統括し
東西の交通を掌握する必要があると考え、一里塚を築かせることにした

さてこの一里塚、榎がかなり多く植えられている その謎についての逸話

秀忠は一里塚築造の惣奉行、大久保長安に「よい木を植えろ」と命じた所
長安が「えの木を植えろ」と聞き間違えたからだという

でも榎もよい木だから間違っちゃいない





98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 12:50:45.62 ID:MW30yS/y
あ、既出指摘じゃなくて単なる紹介のつもりだったんだけど
それはそうと一休の歌でも冥土の旅の一里塚とかあるけど、
全国的に整備されたのはこれが初めてか

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 14:01:30.08 ID:uX8fZrCk
一里塚ってなんだ?一里ごとに馬を用意しておくのか。

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 14:07:35.94 ID:ZG8kC+Jq
Wikipediaより


一里塚

一里塚(いちりづか)とは、大きな道路の側に1里毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)である。

日本では、平安時代末期に、奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われている。
室町時代の一休(或いは一休に近しい遊女・地獄太夫)が「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」との歌を詠んでいる。

一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。慶長9年2月4日(グレゴリオ暦1604年3月4日)、江戸幕府は
日本橋を起点として全国の街道に一里塚を設置するよう指令を出した。一里塚の設置は、大久保長安の指揮の元に行われ、10年ほどで完了した。
一里塚には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていた。また現存する一里塚の多くは道の片側にのみ存在するが
街道の両側に対で設置されるのが本来の姿である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%87%8C%E5%A1%9A

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/20(日) 15:02:52.92 ID:A7VRgClO
道路拡張の邪魔物になるアレだなw

さいつ殿へ。石田三成から真田信之への手紙

2011年11月19日 22:22

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/18(金) 22:25:27.39 ID:TGcc3cvX
まとめに載って無かったようなので有名な話ですが投下

さいつ殿へ。石田三成から真田信之への手紙

“さいつ”とは真田伊豆守信之の略称。
松代転封ではキレた信之だったが、必ず守り続けるようにと遺言を残した場所がある。
それは「真田の宝物館」
何でも寝ずの見張りを立てさせた程に厳重なものだったらしく、何が入っているのかと後になって
家の方が開けてみると…

そこには信之の主である徳川家康と敵対した石田三成からの手紙が13通も残っており、
いづれも、宛名はさいつ殿へと書かれかなり親しげだった様子。

他にも京都伏見の大名屋敷の地図を見てみると、
真田屋敷と石田屋敷は近隣にあり(三成屋敷の右斜め上に信之屋敷)
ここではご近所同士だったみたいです。

別冊宝島の本には、真田家の中で三成と一番仲が良かったのは信之では…?と記されていました。

しかし二人がどんな会話するのか想像出来ないw


関連
真田家の「吉光のお長持」・いい話?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1486.html


石田三成「…つーか、ぶっちゃけ」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6022.html
細川忠興見事なタケノコを頂戴しまして』
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6021.html
655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/18(金) 22:27:24.19 ID:N2N00dER
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1486.html
完全に既出というわけではなかったけど、一応貼っとく

664 名前:653[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 01:05:43.53 ID:TFopCPJD
>>655
あったのか!やっちまった…

調べたつもりだったのに手間かけさせちゃってすみません

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 06:14:33.02 ID:RQV+BFM/
>>653
松平定信の子が真田家に養子にいってるけど、
本人は実際にその書状を見たのかが気になる。
まあ、その時代にもなると大昔の事だから別に問題ない事なんだろうけど。

天正13年(1585)9月24日、小早川隆景宛、羽柴秀長書状

2011年11月19日 22:21

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 01:00:06.66 ID:oZs//48J
天正13年(1585)9月24日、小早川隆景宛、羽柴秀長書状

『貴殿とは四国征伐以来互いに連絡を取りませんでした。これはお互い、いささか離れた場所にあった為ですが、
今回ご連絡をいただき、伊予のこと残らず仰せ付けられ御拝領とのご報告、誠に喜ばしく思います。
それにつけて鷹二羽を私に贈っていただいたこと、その御懇情浅からず思っています。

私の方も又、大和を拝領仕り、そちらに在住しております。こちら(畿内)に何か御用があれば、
どうぞ私の方までお聞かせください。きっと粗略にすることはありません。

なお、安国寺(恵瓊)に多くのことを申し入れましたが、その内容はここには書きません。恐々謹厳。

九月二十四日

小早川左衛門佐殿
                       秀長(花押)
             御返報』


片や親族の代表として、片や外様の重要人物として、初期の豊臣政権を支えた秀長と小早川隆景の、
関係の深さが垣間見られる書状であろう。
それにしても秀長は安国寺を通じてどんな事を伝えたのか、大変気になるところである。

(小早川家文書)




665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 01:18:30.39 ID:WYCAd8ej
>>663
秀長はほんとに色々気配り大変だったんだな
権力者の弟だっつーてそっくり返る奴もいるだろうに
頭が下がるわー

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 05:38:41.36 ID:NXWCJ0Ex
秀長あっての秀吉だったんだな

この土屋惣蔵、今こそ主君に御恩返しを

2011年11月19日 22:21

671 名前:葉隠より[] 投稿日:2011/11/19(土) 15:40:33.57 ID:Z4wqyEaA
山本常朝
『武田信玄の家中には当時無類の剛勇の者が揃っていたが、
勝頼が天目山で討ち死にしたときには皆逃げてしまった。
そんな中、数年来主君から怒りを買って遠ざけられていた土屋惣蔵は踏みとどまり、

「日頃大口をきいておられた方々はどこへ参られた?
この土屋惣蔵、今こそ主君に御恩返しを致す」

と言い、ひとり討ち死にしたとのことだ。』




672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 16:04:56.18 ID:MW6OyRz1
土屋昌恒って遠ざけられてたっけ?
どっちかと言うと小宮山友晴辺りのような気もするけど

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 16:13:13.78 ID:vX1TCzU8
まぁ山本が後世の人だし
だが、こういう武人はかっこいいな

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 18:50:05.81 ID:TN3Whwp1
天目山では跡部も一緒に殉死だよね
実は長坂も一緒だったというのが最近の見解だね

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 18:57:37.85 ID:KCklEodZ
そういう意味だと跡部勝資や長坂光堅も実際には勝頼と命運を共にした忠臣だったと
最近は再評価されてつつあるな

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 19:06:55.12 ID:KCklEodZ
もろ被りした

土屋昌恒ら金丸一族は武田家への忠誠ぶりがハンパないよな

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 19:33:49.10 ID:e+DbJHcW
甲州金入りの箱を常に抱えてて手柄を立てると
惜しげなく与えるようなアホ丸出しのスタイルで
忠臣なんて生まれるのかね

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 19:45:41.58 ID:8LpprzW3
天目山で、妻子一族全員殉死したため、
武田滅亡後ただの一人も徳川など他家に仕えたものがいなかった、
小原丹後守、小原下野守兄弟の小原一族もお忘れなく

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 20:37:03.38 ID:EPJENNTy
井伊家に仕官した武田の遺臣連中には滅ぼされた恨みとかは無かったんだろうか

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 20:50:52.37 ID:vqYTpSEf
滅ぼされて恨みがある連中は仕官しなかったんじゃね?
つか、むしろ徳川さんより織田さんの方に恨みはあるんじゃないのかな?
で、織田家に隠れて武田の遺臣を召抱えてたんじゃなかったような~
あ、一応許可は貰ってたかもしれん

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/19(土) 20:51:56.67 ID:H9LumBT5
上杉家や毛利家と同じように信長さえ滅びれば秀吉だろうと家康だろうと仲良くなれるさ
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