初代喜多七太夫の伝説

2012年01月31日 22:09

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 17:19:03.21 ID:rQSCjATu
能と高虎
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6164.html

↑コレに至るまでの喜多七太夫のお話

喜多七太夫の家は猿楽の旧家ではなく、慶長年間にその元祖である七太夫が鼻金剛の弟子になったもので、
彼の父は堺・蛇谷の町に住む扇屋であった。

22歳の時、大阪夏の陣があり、このとき七太夫は金春の大太夫と共に大阪に籠城し、5月7日、
真田左衛門佐(信繁)に従って将軍の御備に切り込んだ。大太夫は馬上、七太夫は徒歩であった。

大阪落城に及び両人とも落ち去り、太太夫は藤堂和泉守(高虎)に目をかけられていたゆえに、
藤堂の陣に走り入りそのまま隠れた。

七太夫は大和の方に逃げたが、その途中柳生但馬守(宗矩)にばったりと出会った。彼はこれ幸いと
顔見知りであった宗矩を頼ろうとしたが、宗矩は七太夫を見るや激しく叱りつけ、自分の前から退かせた。
そこで縁のあるものを尋ねて、これに頼って隠れ住んだ。将軍家においては、とりわけ彼らが
御備に切り込んだことを憎まれ見つけ次第成敗せよとの命令があったが、両人とも発見されること無く
隠れおおせたという。
(猿楽伝記)

しかしこの話には当時から疑念があった

「人が言い、世に伝わっている逸話によれば。元祖喜多七太夫は22歳の時大阪夏の陣において、七太夫は
真田の手に加わり、御備に切り入ったという。
この事、逸話といえども非常に疑わしい。

先ず大阪落城の時に七田有が22歳という事。これが喜田家の家伝と合わない。
家伝の年表から計算すると、大阪落城の年、七太夫は34歳である。
また、彼が22歳の年は慶長8年であり、太閤は他界した後ではあるが、神祖(家康)は御上洛されて
将軍宣下を受けた御年であり、秀頼もこの年内大臣となっている。世の中に波乱はなかった。

それに七太夫が藤堂家に忍び潜れたとも言うが、これも彼の家の家伝(黒田家に保護された)と違っている。
そもそも喜田七太夫と藤堂家の間にどんな縁があったというのか、未だ全く知られていないのである。

さらに、神祖が七太夫を召すときに柳生但馬守宗矩に諮問しこれを任せた、ということになっている。
これは無いことではない。大阪落城の時、宗矩は45歳である。
されども黒田から七太夫が召しだされたのは、神祖の没後である。そういう事である以上、これは真実ではない。
金春のことはわからないいことが多いので置いておくが、喜多の話はこのように、誤伝が非常に多いと
断定せざるをえない。

また近頃喜多湖遊が伝える所によると、七太夫は大阪落城後故郷である筑前に帰ったのだ、とも言い、
また内々の命令により薩摩に潜入したのだ、とも言う。
そして喜多家の家伝には、七太夫は伊賀の出身だともあり、このように初代七太夫に関する話は非常に混乱し、
今現在において結論を出せるようなものではないといえよう。」
(甲子夜話続編)

初代喜多七太夫の伝説と、それに対する反論、である。



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能と高虎

2012年01月30日 21:57

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 10:49:45.02 ID:QD1iStZI
能と高虎


大坂夏の陣から数ヶ月経た頃。

藤堂高虎徳川家康が何気に尋ねた。
「あれは何と申したか、能の名手で、聚楽第でも見事に舞っておった、
しかもなかなかの槍の使い手で・・」
喜多七太夫、でございまするか。」
「そう、そう、七太夫!あの者は、どうしておるかのう。」

なおもチラ見しながら家康が聞くと、高虎はやにわに平伏して言った。

「じっ、実は、七太夫は九州におりまする。どうかお許しを!」
秀吉の死後もその恩顧を忘れず、大坂の陣にも大坂城にて戦った喜多七太夫は、
いよいよ落城という時、旧知の高虎のもとに逃げ込んだ。
「武士とはいえ、もとは能役者、斬るにあたわず。なんとか逃げる手筈を・・。」
そこで、黒田長政あての添え状を持たせて九州へ逃した、と言う。

「おおかた、そのようなことであろうと思うておったわ。
能役者としてお前が後見するが良い。」

家康の許しを得て、喜多七太夫は京に戻り「喜多流」を起こす。
能楽五流の一つとなった「喜多流」は、藤堂家らの恩顧を受けて栄えたという。

高虎は常に言い続けてきたのだ。
「人を斬るばかりが武士ではない、人を生かすもまた武士なり」
                             ・・・よく言う


喜多七太夫関連逸話
能にはまる水野さん
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5250.html
黒田長政が音痴なのはよく知れた話だ・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-613.html
伊達政宗、喜多七太夫の勧進能・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-169.html
伊達政宗三連発・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-67.html



657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 10:53:29.43 ID:3CjR41MJ
黒田の若殿から請願あがっての出来レースぽい一幕だなw

命と才能生かすためのお芝居だから何も問題ないが

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 19:24:45.58 ID:MDyxEeR3
こういう皆が得した話は和むなあ

659 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/30(月) 19:36:43.34 ID:O2ZocYWo
そだね、ホッコリした♪

清水宗治が切腹するまで

2012年01月29日 21:58

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 16:15:37.70 ID:dV7cpYjB
天正10年(1582)6月

備中高松城で対峙する毛利輝元と羽柴秀吉であったが、秀吉は輝元の陣に使者を派遣し、
安国寺恵瓊を呼んで、和議についての話を始めさせた。

秀吉からの和議の条件は以下の通り

・伯耆の国は矢橋川を境界とする
・備中は河辺川を境界とする
・残りの中国筋は尽く毛利家の進退するものとする
清水宗治には切腹を仰せ付けられること

「この条件であれば信長公へ御和平は相整い、毛利の御家もつつがなく、秀吉も面目を立てることが
出来ます」

安国寺恵瓊はこの条件を持って毛利輝元に報告する。毛利の現状からすれば上々の
和議内容であろう。しかし輝元はこれに断固として反対した

「国分け(領土割譲)の事はともかく、当家にあれだけの忠義を尽くした清水に切腹を申し付けるなど、
そのようなことは出来ない!断じて罷りならん!」

安国寺は説得したものの、輝元は2度にわたってそう言い切った。
こうして状況は膠着した。ここに秀吉は密かに蜂須賀彦右衛門正勝、生駒雅楽頭親正を安国寺のもとに派遣し
内々にこう説得した

「毛利は現実を見るべきだ。近辺の国主はみな尽く秀吉になびいている。それらは全て証拠のあることである。
特に、小早川隆景殿が弟同然としていた上原元将さえ毛利と手切れをいたしましたぞ!
この現状では、この和平案を承諾するのが最善ではないか!」

安国寺、答える
「輝元様があれだけ言い切られた上は、これ以上説得した所で聞かれはしないだろう。」

それから安国寺は密かに高松城に入り、清水宗治に対面すると、これまでの和睦交渉の経緯を
ありのままに伝えた。
宗治は聞き終わると

「私の切腹の有無の事だけで和睦交渉が滞っているのですね。
毛利の御家の安否がどうなろうとも、拙者の事をお捨てにならないと決断された。
生々世々(生まれ変わり生き変わっても永遠に)、かたじけない儀であります。
このように扱って頂いたこと、家の面目、これに過ぎるものはありません。

こんな時は一命を投げ打ち、後代に名を残すことこそ武士の願うところであります。
この一命、片時も無駄に伸ばすつもりはありません。
しかし御両三殿(毛利輝元・吉川元春・小早川隆景)に申し上げても、私の切腹には賛同されないでしょう。
そうなれば秀吉との和平が整うこともありません。

安国寺殿、秀吉のもとに行き、清水は条件を承知した。御両三殿の御意に背いても切腹する。そう伝えて欲しい。
そして早々に和平のことを調え、この高松城に残る者たちは無事、毛利本陣に送り届けるようにし、
その上でこの事を御両三殿に披露してください。」

安国寺恵瓊は直ぐに秀吉のもとに向かい、この事を語った。
秀吉は感動し

「神妙無比である。清水の望むとおりにしよう」

と、清水宗治に伝えた。
こうして清水宗治は、6月4日、切腹することと決まった。

清水宗治が切腹するまでの過程である。
(萩藩閥閲録)




649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 18:35:56.38 ID:lzWD42wk
毛利家ってなんでこんなに家内の結束が固いんだろうな
清水だって毛利の中じゃ外様なのに

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 19:02:30.89 ID:zB0rRwcG
出典から分かるように大本営発表だから美談にしてるが・・・

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 20:13:27.85 ID:skFjOdns
まあこれ御両三殿がすぐに了承してたら高天神城落城後の武田みたいに
国人衆が歯が抜けるようにボロボロ織田に下ってあっという間に滅亡だからな

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 20:33:24.55 ID:bIApyMfZ
え?これ備中高松城攻めの話だぞ?
清水宗治が切腹する二日前に信長死んでるけど
そういうフォロー?

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:04:04.52 ID:J1U8VOXD
>>652
確か、明智から毛利への密使が間違えて羽柴の陣に入ってしまって
急いで撤退していく羽柴軍を不審に思った毛利が調べて初めて、信長が死んだって気付いたが
通説じゃなかったっけ?

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:13:18.80 ID:/TYHd38b
どっちが正しいねん(笑)

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 05:51:29.66 ID:35cGvL6C
>>652
当時2ちゃんは無かった

何をしても逆効果な結城秀康

2012年01月29日 21:58

902 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/29(日) 04:13:43.68 ID:+SM43X7k
生後しばらくの間、徳川家康から実子として認められなかった結城秀康は、父に気に入られていなかったことを
伺わせる

逸話を残している。ある時、腫れ物を患って回復後に家康に招かれた秀康は、病気で欠けてしまった
鼻を貼り薬で隠していた事で不快感を抱かれて面会を拒否されてしまった。
家康いわく、

「美男を好むのは、公家や町人のする事だ。この家康の子として生まれ、一軍の将たるべき者が、
鼻の形が醜いのを気にするなど言語道断である。」

という真意だったという。また親子で京にいた時、近所で火事が起こると、秀康は家臣を引き連れ
素早く消火に当たったものの、
家康から

「親を出し抜くとはけしからん奴だ!」

と不興を買ってしまったという。 何をしても逆効果な秀康のかわいそうな逸話。



関連
徳川家康、醜い事は恥ではない・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1386.html


903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 08:15:10.56 ID:rpkgUPaU
きしゅつ

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 08:47:13.76 ID:dV7cpYjB
そもそも秀康が家康に気に入られたと言うか、認められてないと関ヶ原の時の上杉の押さえとか、
関が原後要衝の越前任せるとかありえないからなあ。

幼少期に実子と認められなかったのも、母親の身持ちが悪く、実際の所本当に家康の子かどうか
かなり疑わしかった、というのがホントのところですな。

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 15:27:39.64 ID:yfHPd8mh
おまん、だっけ?

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 16:24:43.30 ID:skFjOdns
家康が気に入らなかったのもわかるおまんの子…つまり

                                 Y
                ,. '"´三二二三`ヽ      _ノ    r┐
              /,ィ彡'"´ ̄  ̄ ``ヾミヽ     〈  r‐-┘└っ
              /   /    殺     ', ヽ    ノ   r‐-' 'ーっ
            /   /::(         ノ:::)  ヽ   く   二」 こ
              /   /く´‘`ヽ ',从,' ∠‘``',   ヽ ノノ  (__=ノヽ〉
          /    ハ´ ̄`フ.:;;;;;:: ヽ ̄`フ',   ヽ )   ____
            /    /     ,,   ,,      ',    〈{ /::::::::::::::::..ヽ
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     // /   /  ハ:::::::::.\ V´ ̄`Vく/  l | | |  `ヽ.    | |
.   // /   /   l  >.-、/   ヽ  ヽ  | | ! !   ノ     | |
   // /   /    |/ /       \)  l/ | |  く.      | |
  .// /   /    V   〉   '"´  ``ヽ).     | !   ゝ     | |
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907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 16:54:54.27 ID:EYUcwgXw
こうか?


                   / / / ´ {ミ丶   ヽ
                   ,' / / /  }ミ、 ヽ  '.                   オ レ       テ ロ リ ス ト
                     |,  〃 , ´ ̄ `ヽ  '.  i                  拙者は三河の戦国大名
                     |   /   家  '.  }  l
             ,  - ―<!   {.  康  }  i!   {⌒ヽ               今日は仏閣壊したぜ!
            /___   |     ≧ェ.、 rィェ彡 i!   '.   \                  イマガワ
           /´. -‐- 、`ヽ.|    |   ト   ! i!  .l    丶     /:::::     明日は旧 主掘ってやる!
         ' , ´     ヽ |     |〈__ ー|‐`, } i!  .|、    }ヽ    }:::::::       サツガイ      サツガイ
       , -/ /        }     rくWWW/ ハ i!  .|ヾ:、  ノ }    ノ:::::::     下克上せよ!下克上せよ!
      { ' '        ノ .i!   、ト、` ̄ ' イ/リ     |ヽ、`¨´ /  /::::::/
      | { {         /  ハ  ト、 T77´,//ハ     !'//`Y´   /::::::/; /
      | i! '.      /  イ '.  |ヽ }/ i !// //    |///∧   .!:::::/; /ゝ
      |人  `ー一   イヽノ  l .K ///リ/,イ//     !////ハ   ノ/; /ゝ
     /// `ー-‐ 7´ムイ: `ヽ  ! |ヽ`ハ///`//    |/////'>´\/ ´
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908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 16:56:51.88 ID:76xNHuPX
秀康の指料として残ってる刀も朱塗だし
黒厨の家康とはそもそも趣味が合わなかったんじゃないか
ttp://www.emuseum.jp/detail/100491?word=&d_lang=ja&s_lang=en&class=6&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=89&num=5&mode=detail

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 17:18:02.03 ID:3xhA950k
秀康は太閤の養子になったから
趣味が豊臣寄りになってたりして

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 19:16:29.07 ID:61E2U3Ei
病気で鼻が欠けるっていうと真っ先に梅毒を思い浮かべてしまうんだが
違うよね?w

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 19:19:28.21 ID:wQnKxtvE
梅毒説は有名じゃないか
真偽は知らんが

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 20:09:50.33 ID:Kqkq2qBQ
>>908
>黒厨の家康
意外に政宗公と趣味が合うかもw

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:06:02.25 ID:J1U8VOXD
>>910
スレチになってしまうが、梅毒説のある武将って秀康の他に誰か居たっけ?
黒田如水くらいしか知らないんだけど

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:09:16.63 ID:P3SWhhgo
加藤清正/浅野幸長

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:09:55.16 ID:B3B2HeGF
朝鮮行った武将ならけっこうもらってそうだけど

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 08:28:42.41 ID:KgTdxVb6
朝鮮で梅毒めっちゃ流行ってたんだよな

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 09:04:05.98 ID:mGfRkdlz
前田利長の死因も唐瘡とされている
小早川秀秋も可能性を否定出来ない

豊臣氏が朝鮮の役で被った最後にして最大の被害と言えるのかもしれない

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 09:05:39.23 ID:t23fue6q
あっちでヤリまくってた大名も悪いんじゃね、ヤルことしか楽しみがないんだろうけど

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 09:37:03.12 ID:3CjR41MJ
家臣の妻襲えば安全なのに。

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 10:11:10.07 ID:mGfRkdlz
松平忠吉も梅毒で死亡したと思われる

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 19:38:50.87 ID:8bWUm58O
板がヒャッハー状態

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 00:55:29.22 ID:c4+tXjYN
避妊で病気を防ぐ概念は無かったのかな

923 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/31(火) 01:51:03.52 ID:0dCNrhUH
当時は衛生観念違うし【今度産む】もなかったしなぁ
粘膜接触は避けられなかったんじゃない?

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 11:09:32.88 ID:ZdAjZkdo
梅毒にかかると妊娠しにくくなるから、梅毒にかかってようやく一人前の遊女という
風潮すらあったとかいう話だな・・・


925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 11:30:37.21 ID:+xvUJork
安全な大名の女遊びのやり方をお教えしましょう。

まじめな家臣に美人の嫁を斡旋する

家臣を上方もしくは江戸に単身赴任させる

慰労ということで家臣の妻を呼んで・・・・ウマー

この時遊び人の家臣を選んではいけません、回りまわって感染してしまいます。
気性の荒い家臣を選んではいけません、斬られます。
口うるさい老臣に近い立場の家臣を選んではいけません、折檻されます。

これで楽しいアバンチュールを安全に楽しみましょう

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 13:09:02.65 ID:vF+4Fqq8
宗リン「いやあ、恐ろしい手法じゃ」
TERU「誠に恐ろしい、そのような人面獣心の輩の顔が見てみたいものじゃ」

偏諱にちなんだ笑える話。

2012年01月28日 22:04

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 01:40:31.60 ID:Jn8C25A3
偏諱にちなんだ笑える話。

大友氏は一族や国人の反乱を防ぐためあらゆる策を講じた。
そのひとつに偏諱の乱発がある。
これを受けると領地の大小はあってもみな直参となり、有力者を分断する
ことになる。
だから有力者には当主・嫡男だけではなく、次男以下、
更にはその近親者にも偏諱を行った。当然、被官層ももれなく偏諱。
しかも大友の威光が高まるにつれて、有力な一族や周辺国の大名・その一族にも
次々に偏諱を受けていくようになった。

だから同名さんが増えてしまった。同名者が複数いる例。
鑑康
鑑種
鎮種
鎮実
鎮秀
鎮賢
鎮純
鎮直
鎮信
統虎





612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 08:23:07.75 ID:pLwH/qgN
鎮虎さんはいないのか


613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 09:57:34.75 ID:FUcJn9Ix
長政は?

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 10:02:29.32 ID:pi3tb3f5
しげしげと眺めてしまったぜ

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 10:18:38.72 ID:+wDDcbcQ
>>612
西の完璧超人さんが立花姓初期に名乗っていた模様

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 11:56:36.37 ID:boVBREML
立花宗茂って晩年の名前なのな
変えすぎだろう…

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 12:54:00.64 ID:MPnlgZY1
あまり頻繁に変えられちゃ、名前変えた後に手紙送る時
相手に誰? って思われないんだろうか

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 12:57:00.09 ID:J+yyiK1h
花押があるから

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 13:12:17.69 ID:MPnlgZY1
ああそうか 花押があったか
それじゃあ出会い頭に会った時、いや今は○○と改めたって言うのかね

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 13:17:05.64 ID:3hD+lZsV
諱は普段出ないんだろうから苗字+通称や官位(自称を含む)で区別してんじゃねぇの

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 13:22:24.74 ID:MPnlgZY1
んじゃどれだけ名前変えても、日常的な人付き合いでは
特に問題ないってことか

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 13:25:08.08 ID:4faSkx4S
手紙に出てくる個人名のいい加減さは、このスレではお約束じゃないか・・・

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 13:31:43.60 ID:pQaPwTAf
学者もそれで名前の比定に苦労してるしな
別人だと思ってた二つの名前が同一人物だったり
その逆もあったりするし

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 13:35:02.25 ID:MPnlgZY1
当て字も多いから、名前が違うくらいなんでもなかったか…

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 14:09:40.30 ID:XMVCfJ3m
上杉政虎→輝虎に改名した時、上杉憲政に今どんな気持ちか聞いてあげたい

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 14:13:12.39 ID:6RNaz/r1
将軍相手ならしょうがない、もしくは喜ばしいだろ

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 14:25:59.94 ID:cGf6rbGG
工場長とこも元が誰だかわからなくなるくらい乱発してるよな

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 14:27:44.79 ID:MPnlgZY1
蒲生さん多すぎる…蒲生製造工場か

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 18:13:13.43 ID:pLwH/qgN
工場長がもう連発しすぎ

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 19:01:42.01 ID:qbaKdBiP
誰か>>614に突っ込んであげて~

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 21:06:11.30 ID:6YM77AK0
大友鎮鎮殿は果報者にござるな

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 22:38:07.32 ID:hF5IVVvb
>>611
佐伯家とかの大神一族系の他門衆や
同門衆でも三大支族の志賀家と田原家は
偏諱を受けないみたいだけどね。

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 23:19:10.89 ID:cgmmRaMB
>>625
輝政になられるよりは良かったんじゃ…

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 00:48:22.56 ID:7B+B5ExM
ところで山之内上杉の代々の通字って『憲』だろうになんで『政虎』なん?

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 00:58:10.63 ID:lzWD42wk
そういや輝も義輝の輝だな。なんかルールでもあんのかね

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 01:43:36.32 ID:0W6epqBK
偏諱は下の字を相手の上の字に授けるのが一般的と聞いた
(長宗我部信親とか秀次の家臣団とか例外はあるけど)

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 01:44:25.70 ID:TPZanYLJ
偏諱は基本通字じゃない方だった気がする

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 01:57:30.14 ID:0W6epqBK
>>637
伊達氏の通字「宗」や千葉氏系の「胤」は当主の下の字になることが多いから
家臣で頭の字に頂いてるのをよく見る

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 07:55:09.96 ID:RiiIGYll
>>625
赤の他人の人質に景虎の名前が付けられた時の景勝にもどんな気持ちか聞いてあげて


640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 09:45:05.11 ID:pwDUF/l5
>>611
戸次鑑連も特に武功を称されてとかいうことじゃないんだな

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 13:37:36.14 ID:M6ettp4l
>>634
娘との縁組ですらない養子だからか?


642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 13:44:15.87 ID:szfVGw5T
>>634は家督をついだのに、通字じゃないのな、て話だったようなのに
いつの間にか偏諱全般の話に

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 13:58:43.83 ID:4xQB+Gft
>>639
直江「それについては私がお答えしよう」

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 13:59:39.50 ID:P0DDgbd7
大友家の同紋衆は、元々大友氏が通字としていた親の字を同じく通字としていた
みたいなんだけど、19代の大友義長から足利家から義の字の偏諱を受けて
通字としたため、通字じゃない方を慣習的に偏諱するようになっていったみたい。
同紋衆でも家格の高い田原家や志賀家は親を通字のままにしてたようだけど

佐伯家とかの大神一族系の他紋衆は、惟の字を平安の頃から通字にしてるから
基本的に偏諱は受けない信念があるようだ。

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 14:14:14.43 ID:zB0rRwcG
>>634
簡単に言えば政虎と改名した時は正式に家督を継いでいなく
憲政個人の代理補佐役いわゆる陣代だったので、
山内の通字を使ってなかったと考察されている

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 14:55:33.71 ID:FHD6h9E1
>>632
それも大体そうなんだが、結構例外も多い。
佐伯鎮忠(惟教の息子)とか田原鑑道(親賢の養父親資の弟)、統高親子とか
南志賀家の鑑隆・鎮隆親子とか。
そもそも吉弘ももともと田原一族だが、分離しちゃったし。

>>640
そう直参はみんなもらえる。
鑑連の代わりに加判衆になった戸次鎮秀も戸次の別家の当主。
だから鑑連も戸次一族の中でただ一人もらっているわけじゃなく、
みんなもらっている中の一人。

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 15:02:41.84 ID:FHD6h9E1
>>644
「親」の他にも「直」「能」「氏」「秀」なんかもよく使う。

ついでに義長以前にも義右(第17代当主)がいる。
それ以前は将軍の下の字をもらっていたが、この頃から「義」の字を
もらうようになった。
なぜかというと「義」の字の方が高いからw


>>611に追加。

鎮忠
鎮則

2人どころかひどいのは3人同名さんがいる。

蹴鞠大好き島津忠恒

2012年01月27日 21:58

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 21:10:55.54 ID:7nIIJpyI
ところで大日本史料DBで、島津忠恒で検索して気がついたのだが

☆肥前名護屋編

文祿3年8月25日 是より先、秀吉、薩摩鹿兒島の島津忠恆(忠恒)の、父義弘の軍に朝鮮に從はんとするを許す、
             是日、忠恆、肥前名護屋に出陣す

文祿3年8月29日 薩摩鹿兒島の島津忠恆、肥前名護屋の町を見物す、又陣中に蹴鞠の庭を作る、

文祿3年9月13日 薩摩鹿兒島の島津忠恆、肥前名護屋の陣中に茶湯の座敷を作る、


☆朝鮮巨濟島編

文祿3年10月30日 薩摩鹿兒島の島津忠恆、朝鮮唐島(巨濟島)に渡り、父義弘の軍に從ふ、

文祿3年11月1日 島津忠恆、朝鮮唐島(巨濟島)の陣中に鞠の庭を作る、

どっちも明らかに、到着して真っ先にやってるのが蹴鞠場作りなんだが、
悪久は身近に必ず蹴鞠場を作らないと死んじゃう体質か何かか?w




883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 21:53:10.43 ID:DrZH7TCm
蹴鞠はこの頃も人気スポーツだったが、相撲に押されつつあった
その意味で島津家は流行に遅れているわけだ

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 22:02:30.34 ID:LxGPhHmD
秀吉さんの家中の連中が相撲より蹴鞠に夢中!!!だったら、
それはそれは嫌だし、さすが島津さん雅だわ~って感じ

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 22:33:33.89 ID:1FLw3Lb0
西の蹴鞠狂い代表を名乗っていいぞ

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 00:21:49.11 ID:Pk9ABAmQ
京に遠ければ遠いほど、京の遊びに熱心だよね

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 01:26:43.05 ID:Jq0gdZzg
蹴鞠や連歌とかの指導者は、技術だけでなく朝廷や幕府有力者との連絡役も兼ねてるからね

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 02:39:44.07 ID:vspkf9zU
蹴鞠・連歌・犬追物などの室町式儀礼を開催することは
守護の系譜に連なる大名にとって、地域の支配者であることを示すステータス。

まあ、どこも秀吉時代くらいにやらなくなるみたいだけど

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 02:59:53.50 ID:sIZkG0bf
島津家は戦国どころか室町時代に既に衰退した犬追物を
明治まで保存してしまった、時代遅れどころかある意味浮世離れした家。

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 07:03:34.13 ID:xXDtgTrX
>>889
生類憐れみの令の時代はどうしてたんだろう?

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 07:13:42.36 ID:efiSts+H
将軍お膝元である江戸と地方で取り締まりのレベルが全然違ったようだよ
地方の山間部で江戸と同じレベルで取り締まれば野生動物に荒らされまくりだし

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 09:05:31.85 ID:pSDdBLVJ
>>890
尾張藩ですらいい加減だったのが「鸚鵡籠中記」に記されている

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 09:30:39.29 ID:9AwPK7xe
江戸幕府の統治って、基本的には各藩の自治を認めてるからね~

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 10:44:21.36 ID:3Fgw5pWt
生類憐れみの令はもともと、戦乱の時代じゃないんだしさ、殺伐な気風は改めようよ、
今までも口酸っぱくして言って来たけど動物範囲まで極端にすれば
せめて人間同士のいがみ合いは減るだろーちゅう精神論だからな
点数稼ぎに使った側近や役人の管轄地域はおかしい事になったが

しかし徳川水軍の場合、本気で戦う時がたまに見られる

2012年01月27日 21:58

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 10:51:49.06 ID:pSDdBLVJ
東海道の水軍(織田・徳川・武田)は基本的に伊勢水軍系列なので、身内同士の戦いとなる
当然ながら、仲間内で本気にはならないので小競り合いが殆どであった

しかし徳川水軍の場合、本気で戦う時がたまに見られる
その時の指揮官は常に「本多重次」であった




896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 11:08:35.88 ID:HD992qgQ
さすが三河武士
全く空気を読まない

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 11:10:24.14 ID:PoJZ4VvT
煙たがられてたんだろうなw

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 15:10:02.55 ID:uIaqvim+
ほんま作左さんは…

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 15:23:33.34 ID:ehS28Uyg
困ったことに梶原景宗のような本職をもフルボッコにしてしまってもいるしな

向井正綱や旧今川→武田水軍の面々が優れていたとも言えるのだろうけど

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 17:16:23.76 ID:KWt9lrMn
あれは数があったからではなかったか

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 16:38:23.41 ID:L7pgtpy6
北条家傘下の三浦半島の海賊衆は相模湾から江戸湾にかけてへばりついてて、
里見と親しい木更津水軍の連中と争ってたからね

先祖伝来の大筒

2012年01月26日 21:59

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 21:40:04.11 ID:O91Yk9sI
先祖伝来の大筒



慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い時のこと。対上杉の関東の最前線として東軍が重視した拠点の一つに
大田原城があった。
当時の大田原城主は大田原晴清(大田原資清の孫で大田原三兄弟の末弟である綱清の息子)で
上杉の領内の諜報活動などを行なっていた。

もし上杉が仮に南下して来るとすれば真っ先に危険が迫るのは会津と関東の連絡路でもある
大田原であろう事から
徳川家からも物資や城改築の奉行が入り、急ピッチで備えが進められたが、その時に
徳川軍が持ち込んだ物資に大型の大筒が10挺あった。

大筒10挺は結局の所、使われることは無く関ヶ原の戦いは東軍の勝利に終わったが、
それでも大田原城が有事の時に会津と関東の重要な中継拠点であることに変わりはない。
大田原城から徳川軍が去る際に大筒10挺のうち3挺がこれから起こり得るかもしれない「有事」への
備えとして大田原城に残された。


そして時は流れて慶応4年(1868年)5月、ついに大田原城に敵が押し寄せる「有事」が起こった。
大田原城の守備兵はわずか50人しかいない。
だが、こんな事もあろうかと大田原藩は先祖伝来の徳川謹製の大筒をしっかりと使えるように
代々しっかりと手入れしていた。
この時代においては骨董品のようなものだが威嚇程度には使えるだろう・・・


そして官軍に付いた大田原藩の兵は大筒を会津と関東との連絡路をバッサリ断ち切られてしまい
大田原城攻略を急ぐ旧幕府軍に撃ち込んだのであった。




859 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/25(水) 21:57:09.05 ID:kA7Kgmj5
司馬遼太郎の小説にそんな話あったよね。

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 22:03:19.40 ID:6fPGxN8r
なんで外様なのに関東から追い出さなかったのか

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 22:04:50.56 ID:2+GdgyCD
那須本家は潰したし、大田原ごとき残しといても害はないと思ったんでしょ

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 22:36:43.90 ID:gc+kJ1bS
井伊家の先代が現当主の小さいころに関ヶ原で「ご先祖がここで死にもの狂いに働いたればこそ今があるんだぞ」
みたいなことを言ったそうだがそれを言うなら「幕末に主家を裏切ったればこそ今があるのだぞ」
というべきだと思った

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 23:08:36.46 ID:zzOSAZRE
>>860
関東って言ったって南東北みたいな場所だったから。

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 23:19:28.78 ID:HRvmd4Ig
>>859
あれは、奈良の高遠藩の話だっけなぁ~

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 00:17:55.17 ID:CiqgYKqu
きたない大関さんの話じゃないんだなw

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 00:24:49.67 ID:vMTuV2r3
>>864
司馬遼太郎の「おぉ大砲」の話だったら
大和高取藩の話なんだが
ちなみに高遠藩なら信濃なんだが

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 00:29:22.54 ID:DIQZhpSP
汚い大関さんの黒羽藩は骨董品の大筒じゃなくて超最新式の七連装ライフルで
会津藩の詰所をジェノサイドしたからな。

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 09:15:24.58 ID:P/em+5lE
幕府的にはあの兄弟の利の聡さ考えれば勝算ない東北側に組することなどないのは目に見えてるから
押さえとしてそのままおいとくのはありだと思ったんじゃね

自分たちが東北側になるのはさすがに想定外だろ

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 11:25:10.45 ID:4+Oe1l8f
>>866
300年近く養われた一族が結局、
人一人を脳震盪と聴覚弱化させただけ、の
顛末が、なんか好き。

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 12:08:22.52 ID:R3U7wtAC
そんなのに大坂城が屈したんだから
且元はよっぽど撃ちまくったんだろうなやっぱり

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 15:36:53.18 ID:f91n20Yg
>>857
そんなことをしたら義重に怒られちゃうじゃないw

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 17:49:56.00 ID:DrZH7TCm
>>869
あの時使われたのは実際は幕末に新たに購入した大砲
司馬の話は大嘘です

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 18:57:36.62 ID:/l2jziFt
創作と言ってあげなよ小説家なんだしw

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:16:41.19 ID:f91n20Yg
司馬遼を本当の歴史と思ってる奴らが少なからずいるのが問題なんだよな
それだけ小説家としての司馬遼が凄い、ということなのか

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:19:37.49 ID:Ayo58s3g
昔の物語を一次史料のように扱うのは多いから
未来でシバリョの小説も一次史料となりうる可能性なきにしもあらず

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:23:12.89 ID:f91n20Yg
軍記物かwww
戦国時代はともかく、坂の上の雲とかはマジでそうなってそうでこわい

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:30:26.64 ID:Xqv0A4M5
高校生の時に燃えよ剣を読んで歴史好きになったっけなあ。
なんというか魂を揺さぶられた。

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:52:32.44 ID:/l2jziFt
>>874
あれは史実も創作も取り混ぜて本当にあったことにのように解説する書き方のせいだな
見てきたような嘘をつき、の講釈師としては確かに優秀だが
厄介なことに歴史知詳しくない人はそれが史実だとコロッと騙されちまうw
ここの住人なら大丈夫だろうけど

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:55:18.24 ID:+DUTiKga
そう、史実と創作と個人の主観(時に断罪)を混ぜて書く
なまじ文章力があるものだから、違和感を感じない

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 20:25:20.70 ID:5/YdtMoR
司馬さんは今でも大好きだがちょっと見方が片寄ってるかな、ってのは感じるな
まあその片寄った見方が俺は好きなんだが

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 21:08:10.47 ID:FmHkgzur
坂の上の雲はもう40年も前の小説だしな、古典に近い
今現在の研究家や勉強してる人が読めば粗が見えるのは当然だわな
後出しジャンケン的に批判してやるのはちょっと可哀想、そら必勝だわ

週間ブログ拍手ランキング01/18~/25

2012年01月25日 21:59

01/18~/25のブログ拍手ランキングです!



身代わりとなった猛将 110

若かりし頃の真田信幸と乳兄弟・祢津志摩 78

年始の贈り物・巡る 52
ドラゴンクエスト1~3 43

安国寺恵瓊、島津義久宛書状 33
福島正則の幕・後日談 28
北条夫人の最期 27

雑談・市松って 23
津軽為信に取られた諸城 22
常陸桂芳院縁起 22
一宮(小笠原)成助謀殺 22

『小笠原牡丹』 21
天正11年12月15日、安国寺恵瓊・林就長連署書状 20
雑談・北政所のことなど 20
「朝山日乗は全く異能の人物です。」 20

雑談・しかし勝成って 16
高倉少将範国の闘死 15
松林蝙也斎「ワシを驚かせる奴が居るなら何時でも来い!」×3 14
水原親憲の最期 14
合計 959


今週の1位はこちら!身代わりとなった猛将
生きてた!死亡フラグぶっちぎりw こういうところも三河武士でしょうか?いやはやすごいw
この鈴木さんに限らず、この頃の三河武士というのは寄ってたかって家康の身代わりになろうとする所がありますね。
しかも家康の意思も意図もガン無視する形で強制的にw
あの当たり、一般的な忠義とか自己犠牲とか、そういうものとも少し違う気がする、どうにも不思議な
君臣関係だなと感じることがあります。
同時にこういうことをさせる徳川家康という人の不思議な魅力についても考えさせられますね。

2位は若かりし頃の真田信幸と乳兄弟・祢津志摩
東のパーフェクト武将である真田のお兄ちゃんでも、こんな頼る相手がいたんですね!
なんだか少し安心すると共に、可愛らしく思えてくるお話ですw
真田信之には頼り信じられる家臣がいた、というだけでも、あの時代の真田家の状況を考えるにつけ、
少し救われた気持ちになりますねw

今週管理人が気になったお話はこちら!ドラゴンクエスト1~3です!
こんな不思議なお話が、戦国時代前期に!
本当に神話時代のお話のようです。史実と比較しながら研究すると面白そうですねー。
信玄以前の、武田家三代の物語。色々な面で興味深いお話です。




今週も各逸話に、たくさんの拍手をいただきました。いつも本当にありがとうございます!
また気にいったい逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )

某氏の聚楽第レポ

2012年01月25日 21:59

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 23:11:20.01 ID:u5iZYnBa
某氏の聚楽第レポ


これはすごい!
屋敷の中がすべて金で塗られている!
全部の部屋の内外上下、壁の屏風、廊下と縁側、台所に馬屋、厠、ついでに置いてある机や道具まで金塗りだ!
屋根瓦と外壁の瓦は金塗りの上に花柄模様がついてるし!
おまけに全部の屋敷に門が2つずつあって、うち1つは関白だけしか使えない関白専用の門(もちろん金塗り)だ!
2000軒以上も建物のあった上京のほぼ全部がこんな建物で埋め尽くされてる!
これがたった6ヶ月で完成してしまうなんて!しかもいまだに広がり続けてるなんて!
そしてこれだけの工事をしておいて、屋敷の中だけでなく、門の外にさえ一切なんの汚れも痕跡も残ってない!
この世のものとは思えないほど清潔だ!


だけど…えーと…ほら……
こんなの大砲が4門もあれば半日で壊せるから!別に戦闘用に作られてるわけじゃないけど!
あと、ここの外にある京の町はヨーロッパの町より全然ショボいから!こことは直接関係ないけど!
あと、この町はいかにすごくて、所詮お金をたくさん出せば買えるけど、
ヨーロッパの町とか教会には無限の価値があるから!お金じゃ買えないから!

こんな無理矢理作らせた町は、関白が死んだら消えてなくなる気がするし!
繰り返すけど、日本の町が全部こうなわけじゃないから!
これから日本にくる新任の宣教師は勘違いしないように!



安土城や大坂城は手放しで賞賛しているのに、なんでこんなに真っ赤になって否定するのか。
フロイスのこの記述から、聚楽第がいかに凄い建築物だったかが逆説的にうかがえるのである。




582 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/24(火) 23:50:33.41 ID:tR2JMIjm
>>579
フロイスの日本史は面白いよね
日本の権力者のなかでも秀吉が下賤の出だって内心で小バカにしたりして血統を重んじる
西洋人の感覚が丸出しだったり
仏教も宗派によって邪宗だって貶める一方で
貴重な仏像とかうっかり書いちゃったり
ちゃんとした学僧の悪口はかかなかったりで読みながらフロイスの腹の底を探るのが楽しい

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 11:47:34.26 ID:REPIzGSg
>>582
血統を重んじるのは日本も同じ。
「日本の祭祀はすべて悪魔によって考案された」と書いているよ。
貴重な仏像もあるのは事実だし、布教を邪魔しない人については特に何も書く必要もないだろう。

雑談・孫子といえば…

2012年01月25日 21:58

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 21:55:53.04 ID:O32M3snt
孫子といえば武田だけど、他の大名だってそれなりに孫子知ってたり、孫子使って作戦立てたりしてた?

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 22:01:01.09 ID:rBxaf0+f
孫子の兵法も孫武と孫ぴんでは大分違う

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 22:38:43.12 ID:sRo5f9ME
まあ六韜とか名門の大名家は読まされてそうだけどどんな兵法書であれ読み手で解釈は違うだろうし
信玄と謙信と北条と義元と元康と元就と島津と宗麟と元親と長慶と久秀と道三と義景とで
それぞれ同じ一文をどう解釈したのかなんて面白いと思う

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 22:40:05.99 ID:5MkHZSCT
でも孫氏がその2人なのとどっちがどれ書いたかとか割とはっきりと分かったのって
ほんの30年だか40年だかくらい前なんだっけ。墓の発掘で出て来たおかげで判明したとか。
あと孫氏の内容が広く伝わってるのって曹操が整理して注釈つけた奴のおかげなんだよね。
忙しいのによくそんなことまでやるもんだ。
それで思い出したけど、吉川元春が陣中で写本してた太平記も現存する中では原本に非常に
近い形残してるとかですごく学問的な価値があるらしいね。

と無理やり戦国に引き戻してスレ違いをごまかしてみる

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 22:46:11.97 ID:rYvfJEzi
その吉川が写本した太平記が後に「私本太平記」と呼ばれたわけか

580 名前:sage[] 投稿日:2012/01/24(火) 23:28:43.56 ID:80/CUFp6
戦国期の筆写が後世の歴史学に役立っている例というと、まず『吾妻鏡』がある。
陶晴賢の大叔父にあたる陶弘詮は、各地から『吾妻鏡』の写本をかき集め、自分で校訂。
その写本が、その後吉川家に渡り「吉川本」となって今に伝わってる。
そして、今ではこの吉川本が、『吾妻鏡』の最善本とされてるのよね。

他にも、吉川経基は趣味が禅問答、愛読の書が『元亨釈書』という文化人。経基筆の『元亨釈書』も
吉川家に伝わってる。

こう見ると、吉川家って本当に史料の宝庫だよね。
ってか、元春の『太平記』が少し霞んで見えるような気も……。

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 00:45:48.03 ID:qXk8QNMS
吾妻鏡は家康も収集してた

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 01:08:08.03 ID:8OTx067s
頼朝マニアの家康が吾妻鏡読んだら、気を悪くしそうだ。

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 03:40:38.10 ID:IYTivm79
>>584
むしろ出版して広めてますがな

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 05:35:47.49 ID:2+GdgyCD
家康「頼朝公も大変だな。御家人が言うこと聞かなくて・・・」

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 08:59:18.42 ID:MIp6tndC
写本させて教育した後は出版する
これが家康流出版ビジネスか

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 11:43:39.01 ID:lx9tGg+e
家康流というか書物の管理・出版は立派な既得権益だよね。

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 11:59:24.52 ID:QPlLZ0E+
>>576
氏康「戦わずして勝つ」
直家「戦わずして勝つ」

同じ事いっても明らかに意味と手段違うもんな

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 12:20:43.18 ID:PKYnQ7s3
謙信「和議が相成ったからには誓いの盃じゃ」
直家・秀久・元就・為信「では我が郷里の銘酒でも」
六韜なんて和訳版すら見た事ないが、こんなことまで書いてあるのか。

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 13:24:10.36 ID:lx9tGg+e
>>591
なぜ仙石が

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 13:49:27.21 ID:PKYnQ7s3
>>592
ごめん、素で打ち間違えたようだ。漫画板に帰るね。
さあ古織殿も一緒に帰りましょうぞ。

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 13:52:43.82 ID:wNeS96vo
センゴクを久秀と間違うのは何回か見たような
そのたびに弾正の陰謀と言われてたけど、
実は十河あたりの陰謀だったりして

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 18:53:21.76 ID:ackwj7cA
爆弾正と仙石の何がアレかって語感が近すぎるとこだろ
十回秀久or久秀って言ったらどっちがどっちか分からなくなるわ

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 19:21:06.66 ID:JdTtOPNg
爆弾正は秀吉より地位が高かったから「久秀」

センゴクさんは秀吉より地位が低かったから「秀久」

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 20:25:25.78 ID:kVqEqsdV
久久でいいや

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 20:32:17.26 ID:wJtVSMIX
尼子秀久「たまには日の目を見たいな...」

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 20:33:15.44 ID:EiFFBlZo
織田信秀:秀吉の「秀」はここから?
織田秀信:秀吉の偏諱をうけている
曽祖父と曾孫でややこしい

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 21:25:09.53 ID:CCveSuNi
佐久間信信殿は果報者にござるな

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 23:22:26.65 ID:K5DM1WEs
>>599
丹羽長秀の可能性も

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 00:01:56.18 ID:vtu5mV5x
つーか秀吉の「秀」に関しては、弟も最初から「秀」長(信長時代は長秀)を名乗っているところから、
秀吉の生家の通字が「秀」だったという可能性もある。

603 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/26(木) 19:22:55.87 ID:xCKS1zlX
>>602
秀吉の父は木下弥右衛門秀ナントカや竹阿弥秀ナニガシってことか
なんかちょっと偉い人に見えてくるな
異父弟の秀長は百姓出身だって言うには多芸だしやっぱりそれなりに富裕層だったのかな
秀吉って父に関して何で語らなかったんだろう
幼いうちに死んだにしても大政所から色々聞いてるだろうに

604 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/26(木) 19:57:54.77 ID:jJZ111pk
順序としては、
諱決めた→通字決めなきゃ→皆、頭の方を通字にしてる→通字は秀
と思ってましたwソースなんてないですがw

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 13:46:27.74 ID:2ntAG9Eg
>>603
だれかがどっかで書き込んでたけど、
親戚の清正とかが鍛冶屋の息子だったり、姉の夫も名も無い百姓だったり
まわりに碌な親戚連中がいないのでそれほどたいした家とは思えないってあったな。
俺もそう思うわ。
だいたいこの当時富裕な百姓って地侍も同じで、
それなりの武家とは親交もあったろうし、
そのつてでそれなりの武士が速い時代に秀吉の遠い親戚ってことで
家臣に名をつらねていてもおかしくないだろうけど、
そんな資料は今のところないしな。

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 14:21:16.56 ID:ehS28Uyg
そもそも竹阿弥って何者なんだよといつも思う
智、秀吉と秀長、旭は異父同母とか言われても弥右衛門の死去年や4人の
年齢差を考えると嘘臭く見える

弥右衛門=竹阿弥説とかもあるが竹阿弥は実在しない人物だった可能性すら
考えたりする

老武士が男泣きに泣いた話

2012年01月25日 21:58

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 00:54:58.87 ID:8iRVnDgO
大道寺直次は元亀2(1571)年生まれ
御厨の合戦では18の首級を挙げ、小田原の役では300の兵を従えて北条氏直に従し
その後徳川家康に拝謁して呉服羽織等を下賜されたという。
以後黒田如水、豊臣秀次、福島正則に仕え関ヶ原の合戦では岐阜城攻めで三か所に負うなど奮戦
正則の改易後は蟄居し、寛永11(1634)年5月に徳川家光に1000石で召しだされ12月には御先弓頭となった。

そんな戦国生き残りであった直次はある日坂下番所に近藤貞用を訪ねた。
この時直次は貞用にこのように語った。
「今指しているこの刀、片手で100度は打ちつけることが出来たものだが年老いた今では3打も出来ぬ。」
そして無念であると声をあげて泣きだしたという。

老武士が男泣きに泣いた話。





853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 08:22:09.29 ID:BMEfX9D/
黒田如水、豊臣秀次、福島正則、徳川家光に仕えるとはビッグネームばかりw

>年老いた今では3打も出来ぬ。
武辺者の時代の終わりを示してるようで寂しいねぇ

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 13:12:56.82 ID:HYvPr3kU
そりゃ政繁の息子だから引く手あまただったろうね


855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 13:16:34.42 ID:HRvmd4Ig
打つ場がないと言って嘆くなら時代の移り変りかもしれんが、
個人の老いの嘆きとしかオレが感じなかったのはそれぞれの感受性の違いかw

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 18:39:00.03 ID:ZH/+zZn2
いつまでも同じ刀差してないでもっと軽い刀に換えなよ(´・ω・`)

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 21:39:19.04 ID:EiFFBlZo
忠勝のように刀を短くするとか

常陸桂芳院縁起

2012年01月24日 21:59

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 05:16:44.12 ID:r3WO69rk
常陸の和泉という所に、東條兵部少輔重定(あるいは頼重)という武将があった。
彼は元々江戸崎の土岐大膳大夫治英の一族であったが、彼の領地のあたりは全て
東條庄であったので、この地名を苗字としたのだという。

ところで、この東條重定は、小田天庵氏治が未だ小田に在城の頃、双方に
不快のことがあって、いつも争っていた。

ある年、和泉から18~9丁(約2キロメートル)ほど隔たった小坂という場所で
天庵と戦った。
この時江戸崎の土岐治英も兵を出し重定を援けたが、天庵は強力に戦い、
重定はついに敗北して討ち死にした。
これにより東條の家人たちは和泉の城を保つことが出来ず尽く退散。
和泉の城は落城した。

この時、東條重定の母は年老い病に臥せっていたが、土岐治英は彼女を哀れんで
引取り、江戸崎と龍崎の間にある太田という所に小さな庵を作って、そこに隠居させ、
俸米の地を与えこれにて養った。
彼女の死後、その庵を寺として、彼女の院号を以って寺の名とし、桂芳院と称させた。
そして彼女に与えていた俸米の地をそのまま、その寺領とした。

今(江戸時代)に至るも、桂芳院はその寺領をそのまま保っている。
(常陸治乱記)

常陸桂芳院の縁起ですが、珍しく天庵様が大勝しているお話w




837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 05:33:30.23 ID:MJwUdaGo
土岐氏の武徳も地に落ちたものだorz

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 10:09:57.39 ID:Z6vjVqwK
所詮足利の血が濃い者に土岐氏は勝てぬのだ

ということにしておこう

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 11:45:49.48 ID:FEiIr49O
>>836
どうせ戦は菅エモンが…とか勘ぐらず、素直にいい話にいれてやれよ。

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 14:23:19.72 ID:vh/sRUfE
天庵様が勝つ…、だと…

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 15:09:23.73 ID:BBCl8Ghd
天庵様が勝つ=悪いスレ的に悪い話
問題はない

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 16:02:01.57 ID:OaLnnoKf
東條重定の母のことも気にしてあげてください

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 16:26:14.50 ID:iOJZHP+1
これで常敗将軍の名は返上だな

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 16:31:31.15 ID:+5H+T6Ny
完敗将軍でいいな

常に負けるわけではないが負ける時は・・・

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 16:34:17.85 ID:SLM0l4pE
本拠地がもうちょい北なら
「常北(常に逃げる)将軍」でよかったんだが

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 16:39:03.50 ID:sRo5f9ME
佐竹ばっかり取り上げられるけど名門だし
郷土の誇りとしてチバラギ将軍じゃだめ?

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 21:34:11.70 ID:iOJZHP+1
チバラギ民からしたらてんあん?誰それ?状態だから無理じゃね

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 22:44:53.70 ID:if+3Xdll
一時将軍

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 22:49:21.19 ID:9E0Hg5p3
あんまり小田天庵様をおだてんな

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 23:13:40.70 ID:izby63zw
審議中

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 23:19:25.00 ID:IU6XPqGH
天庵「もう二度と勝てなくなってもいい…ありったけを…」

高倉少将範国の闘死

2012年01月23日 22:00

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 18:25:05.26 ID:PpsF+v76
天正12(1584)年7月5日

昨夜、唱門師村(下級の陰陽師(唱門師)の集住する村)の旧屋敷の近辺において、
高倉少将範国が賊徒に襲われ闘ったが、散々に手負い今朝死んだという。

この人は柳原亜相(淳光)の実子である。
私も柳原亜相とは常々、別して仲良くさせてもらっている。本当に驚いている。
先に見舞いに行っていた侍従(吉田兼治)が帰ってきて言うには、柳原亜相は正体がないほど
打ちひしがれているという。

6日

京に出て、柳原亜相の元に行き対面し、高倉殿のこと、その不慮に驚き入ったことを
申し上げた。
柳原亜相は、この事件が(唱門師村のあった)川原で起こったこと。
こんな事は聞いたこともないということ、などを語られた。

(兼見卿記)

秀吉支配下の京ではあるが、この頃でも、高級公家ですら賊に襲われ殺されるような治安状況であった、
という事を今に伝える記録であろう。




830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 18:42:04.23 ID:EKpAdN1W
信長末期より治安は悪化してたってこと?

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 18:54:58.83 ID:A1Yd9z+Y
>こんな事は聞いたこともないということ、などを語られた。
ってことは聞いたこともない位に珍しく凶悪な事件という風には捉えることはできないの?
高級公家だからこそ襲われたという風には考えられないのかい?

教えて学のある人~


832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 20:06:03.69 ID:YapjXU1r
ショックのあまり聞いたこともないって言っただけじゃない?
平安時代には強盗を生業にしていた藤原保輔なんて貴族もいたけどねえ


833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 20:07:41.94 ID:q7T7grj2
現代だって強盗殺人はたまに起こる

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 21:33:35.84 ID:fOqWrNjp
唱門師村なんかに高級貴族の屋敷があったの?

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 22:26:12.90 ID:WXBb9gW8
そこを通っただけで目的地ではなかったのでは。

雑談・しかし勝成って

2012年01月23日 22:00

784 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/20(金) 01:29:50.13 ID:tb3YdIQF
鬼武蔵って水野勝成に倒されたんじゃないのか?

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 06:35:57.93 ID:DxU+oHdd
>>784
しかし勝成ってノブヤボの評価とか低いな
三国志の徐晃くらいのポジションだな

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 07:56:11.71 ID:tMsrIsrg
徐晃ならかなりの名将じゃん

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 10:31:23.55 ID:A1Yd9z+Y
ノブヤボのゲームシステムで、勝成さんや可児さんやらの一騎武者を表現するのはキツイじゃね?
三国志はまだ一騎打ちっていうシステムがあるからいいけど

一騎武者って表現が適切かどうかは微妙だけどねorz

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 10:46:10.81 ID:Jl7bIYIK
表現の仕方としては天翔期の慶次みたいな兵科適正All Eで能力だけ高い、かねぇ。

ま、後期シナリオじゃなぜかSに化けてたが

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 11:55:03.92 ID:7ZXqXj9A
>>818
楽進くらいだろ

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 11:55:24.20 ID:YapjXU1r
徐晃は演義だと猪武者、正史だとわりと完璧超人と
扱いが違いすぎる

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 12:32:45.19 ID:N0cqPcbn
>>823
突然、孟達に額射られて死んだ時は
えええええってなった


825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 12:57:33.84 ID:vu6LukV/
まあ日本にも眉間撃たれて死んだ猛将もいるし

826 名前: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 [sage] 投稿日:2012/01/23(月) 13:44:57.44 ID:EAKbR95A
元就にやられちゃった人か

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 15:20:14.41 ID:YdtnbgAD
四天王だっけ?
鮭「ちゃんと兜してなきゃダメだよね」

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 16:15:31.03 ID:DxU+oHdd
>>819
だから両方名将で評価が低いと思う

雑談・北政所のことなど

2012年01月23日 21:59

北政所   
530 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/22(日) 23:57:16.53 ID:3POdXiJH

肖像画の厳ついイメージの清正が竹松で正則が市松っていう可愛い幼名だったかと思うとなんか笑える
まあ、小姓時代は年相応に可愛いい少年で
ねねやなかに立派な武将になるべく大事に育てられたのだろうが

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 00:28:29.45 ID:EKpAdN1W
関ヶ原から何年も正則と北政所があった記録がないから親しくないって言う主張があるんじゃなかったっけ?
司馬遼太郎なんかは清正や正則の武断派はねね派、三成はじめ近江出身は淀君派って描いてたけど
それとも秀吉の遺訓を守らずに家康と縁組したりして勘気をこうむったんだろうか

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 00:36:59.58 ID:ysErkBH2
そもそも「淀派」「北政所派」なるものは存在しなかった、というのが現代の研究の通説。
というか北政所にも淀にも、関ヶ原前後でも殆ど政治的影響力はなかったらしい。

そして淀殿は政治的にはむしろ家康に近く、また三成が旧主筋として尊んだ秀吉の側室は淀殿ではなく、
京極家出身の京極龍子(松の丸殿)だったそうな。

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 01:12:50.66 ID:7ZXqXj9A
まだ有力な仮説、ってレベルの話じゃないのかその通説とやらは
つうか北政所は女性ながら大名並みの封地も所有し、それを徳川に生涯安堵されただけでも普通じゃない
人事や外交に関与した書状も残ってるし政治的影響力が無かったってのは納得できないな

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 01:38:43.16 ID:PcnIZS0x
>>534
秀吉が死去してから関与したのは木下家程度だからな。

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 02:49:59.57 ID:DxU+oHdd
>>534
付き人の孝蔵主の名前もちょくちょく出てくるし
やっぱり力あったんだなと思ったりしたけど

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 07:55:50.21 ID:tMsrIsrg
これまでの通説を否定して新説を語りたがるのは歴ヲタがかかる熱病みたいなものだからそっとしておく

539 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/23(月) 09:37:01.78 ID:vAlCKIW/
> そもそも「淀派」「北政所派」なるものは存在しなかった、というのが現代の研究の通説。
> というか北政所にも淀にも、関ヶ原前後でも殆ど政治的影響力はなかったらしい。

あんもん勉強不足のキチガイ永井路子が勝手に言い出した事だろ
政略結婚でやって来る嫁を「セックスつきの外交官」などと狂人の戯言みたいな事言い出すし

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 09:56:06.56 ID:q7T7grj2
また「現代の通説」とやらが出ちまったかww

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 10:01:17.38 ID:I6FWk76y
元々通説以前に政治力なんて無いだろ

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 11:05:36.11 ID:EKpAdN1W
なんか…いい感じに荒れてきたな

信雄「燃~えろよ燃えろ~~~~~~~よ~~~~~~~~~~~」

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 11:09:31.89 ID:JnG48o0C
おれの○○観が正しいって押し付け始めると荒れるよね

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 11:12:53.18 ID:nML09O3f
荒れそうになったら作左に叱ってもらうべき

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 11:15:51.75 ID:DtkaCxxJ
たまには道雪さんに叱ってもらいたい

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 11:17:44.67 ID:YdtnbgAD
松永久秀「この茶を飲んで落ち着かれよ」

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 11:23:41.48 ID:FwHfxJjc
秋田さんが凍蚓に向かって切々と荒れる話はよくない、皆穏やかに、と語りかけ続けるのを拝聴

>>546
悪いスレに帰れw

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 12:33:27.09 ID:WJK2O1mF
>>545
いきなり鉄扇でバシっと叩かれるのか

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 14:28:07.46 ID:yVd2LSYW
>>547
おいやめろ

550 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/23(月) 16:36:19.18 ID:88JHLf0b
>>533
派閥を作ろうにも大阪城の女性たちは後の大奥みたいに日常生活では隔離された存在だったようだから会う機会すらなかっただろう
大政所や北政所には公式な場では面会出来ただろうが
豊臣の奉行や家老ですらない清正や正則は秀吉の権勢が増すにつれ北政所達とは疎遠にならざるを得なかったと思う
関ヶ原後なんかに会ってたら徳川にあらぬ疑いをかけられただろうしね

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 16:39:43.06 ID:Gwamdi+2
>>550
良かった
松の丸殿と淀殿の席次争いなんてなかったんですね

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 16:47:51.26 ID:PpsF+v76
まあ北政所は良くも悪くも秀吉あっての存在感であり影響力だったようだ。
そしてその影響力は秀吉晩年には既に陰っていて、秀頼の産まれた頃には
北政所を差し置いて、淀殿を「北政所」「北の方」と読んでいる史料すらある。

官位において最も高貴な女性として、秀吉死後も一定の権威は持ち続けていたのはたしかだが、
だからといって大名に大きな影響をあたえるほどの存在ではなかった。と見るのが良いかと思う。

>>537
孝蔵主は北政所配下と言うより、独自のコネクションで動いていたフシがある。
北政所から半ば独立した存在と見たほうがいいかも。奥の人間と言うよりも、女性ながら
秀吉直臣に近い感じなんだよねw

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 17:16:14.69 ID:tMsrIsrg
オメエはそれでいいよ

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 17:22:28.55 ID:cBK4XWwm
それでいいから皆お茶飲んで一服しようぜ!
西国から差し入れがあったんだ!

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 17:58:36.33 ID:EKpAdN1W
>>554
お前まず飲んでみろ

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 18:11:42.34 ID:H0p29dMA
粉雪舞う季節は いつもスレ違い

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 18:35:12.51 ID:QYokWLzJ
>>533
京極龍子さんて、秀吉が死んだ後は高次のいた大津城に返されたんじゃなかったっけ?

福島正則の幕・後日談

2012年01月22日 21:57

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 14:22:47.98 ID:IEQUGWRx
福島正則の幕・後日談

名古屋城の御門番所に掛けられている御幕は、福島正則より受け継いだもので、
その紋所は正則の家紋・中貫十文字紋である。

この幕は、元々は清洲城の城門に掛けられていたものであったが、
関ヶ原後の城請取の際に、そのまま改めずに引き継がれたものだということだ。

さて、この門番所には、同様に織田家家紋の入った飾り鉄砲があった。
享保年間に、この飾り鉄砲の紋を尾張家家紋に差し替えるということがあったのだが、
陣幕の方は「今まで中貫十文字紋を使用してきたのだから」ということで、
差し替えられることはなかった。
おそらく今後もこの陣幕は、改められることなく使われるであろう。

(「金城温古禄」)

正則の紋というと、沢瀉紋が有名だと思うが、
中貫十文字紋は「古来用之」とある、福島家のもう一つの紋で、
丸に十文字、十字の交点が白く抜けている家紋
江戸時代の話だが、正則後日談ということで、投下した




安国寺恵瓊、島津義久宛書状

2012年01月22日 21:57

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 16:44:28.82 ID:MfyVFNAi
いい話でも悪い話でも無いが、ちょっと面白い天正13年(1585)3月15日付、島津義久安国寺恵瓊書状

『今まで書状をお送りしたことがありませんでした。今、謹んでこの書状を送ります。

この愚僧(恵瓊)は毛利家に仕える者です。
所で最近、羽柴筑前(秀吉)と毛利の間に和睦の義が相整い、これに伴い色々と情勢の変化があったので、
秀吉よりその説明のため、豊州(大友家)まで使いを下向させます。

ついては秀吉は、貴家(島津家)に対して、鷹を所望されています。
でありますので、この書状を以てそれを申し入れます。

尤もご持参なさるのは難しいでしょう。貴国は豊後まで国境を遠くへだったっております。
ですので、休庵(大友宗麟)まで飛脚によって送っていただければ、そこから秀吉のご覧に入れます。

羽柴筑前から貴家への書状の書礼が粗末ということで、島津家に対して礼を失しているように思われたでしょうが、
これは今、彼が公家となったためなのです。
どうかこのあたりをご分別いただければ、この上の喜びはありません。

京都において何か御用のことがあれば、どうぞどんな事でも仰ってください。
今後の猶の音信を期して。恐惶謹言。

三月十五日
島津殿
           安国寺』
(薩摩旧記雑録)


島津義久が秀吉の書状の無礼さに怒った、という話は有名ですが、そのフォローを安国寺恵瓊
していたのですね。




雑談・市松って

2012年01月22日 21:56

523 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/22(日) 11:01:00.03 ID:XwFsKeBU
新参者なのだが、何でこのスレでは福島正則のことを市松って呼ぶん?
もしかして幼名?

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 11:09:58.61 ID:+oBSMM0h
>>523
幼名。
「いつまでたっても子供っぽいなあ」という、呆れ半分、親しみ半分的なニックネーム。
個人的見解だが、粗暴なところはあるけど、筋は通すし、(酒さえ呑まなければ)優秀だし、
でも、いろんな人にへこまされたり、かみさんに長刀で追い掛け回されたり、なんか憎めないキャラクターの持ち主だと思う。
(もちろん、弁解のしようも無いむちゃくちゃなことをやったこともあるが)

まあ、そんな感じで俺は市松こと福島正則が結構好き。

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 11:12:33.87 ID:lfcSKi7Q
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
ついでにその他の愛称

528 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/22(日) 13:38:15.98 ID:XwFsKeBU
>>526
>>525
おお!詳しくありがとう
何か自分も正則に興味湧いてきたよ
色々調べてみることにする

530 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/22(日) 23:57:16.53 ID:3POdXiJH
>>523
肖像画の厳ついイメージの清正が竹松で正則が市松っていう可愛い幼名だったかと思うとなんか笑える
まあ、小姓時代は年相応に可愛いい少年で
ねねやなかに立派な武将になるべく大事に育てられたのだろうが




※管理人より
わからない言葉がありましたら、上にもありますが、一度こちらの用語解説を
見てみてください。

いい悪いスレ、用語解説
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

身代わりとなった猛将

2012年01月21日 22:31

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 19:19:18.63 ID:eAk6pBiP
身代わりとなった猛将

このスレでは『主君家康の鯉を食った男』として名前が出てきた鈴木久三郎
彼は三方ヶ原の戦いでも従軍していた。
しかし味方は大苦戦、家康もあわやと言うところまで追い詰められる。
見かねた久三郎はこう言い放った。

鈴木「それがしが殿の旗印をいただき、身代わりとなりましょう!」

しかし家康は首を縦に振らない。

家康「お前一人に討ち死にさせて私が落ち延びることなどできん!」

と聞き入れなかった。
すると久三郎、大いに怒って家康に怒鳴りつけた。

鈴木「なんと、馬鹿なことを仰る! いいから貸しなさい!」

久三郎は家康の旗印をひったくると、ただ一人敵のほうへ引き返し、そのまま突っ込んでいった。


その後、久三郎や夏目吉信らの身代わりもあり、家康はなんとか浜松へ帰城した。
しかし、家康の顔は晴れない。
身代わりとなった家臣のことを気にかけていたのである。

家康「久三郎は討ち死にしたか……」






鈴木「殿ー! ただいま帰り申したー!」
家康「なにー!?」

が、久三郎、帰ってきた。
家康は驚くやら喜ぶやらで、久三郎を褒めた。

家康「よく切り抜けて帰ってきた!」
鈴木「いやあ、思ったよりも手強くない敵でした」

久三郎、あの武田軍相手に涼しい顔であったそうな。


身代わりになったと思いきや、生きて帰ってきた猛将のお話。




518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 19:38:40.08 ID:Xzb3jSHh
>>517
これは格好良いw


519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 22:17:46.44 ID:KFOpj+4c
             ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;l
.            /;;;;;;;;;;;;;;;;;;l
          /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;',
.        /;;;;;;;;;;;;;;;;;;l;;;;;;;;;;;;;;',
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.      /;;``''''ー--------‐''";;;:::;',
.     ,r':、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、:-i''ヽ,
    /;;:::  ``'''''''''''''''''''''''''"´   :;;;;l
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.    |;;:    _,,,,,,,,_ヽ  / _,,,,,,,,,,__  ;l. _
   ,r'ヘ;;  ''''" __,,,_`,'. ', ..._,,,,,_  _ ,'´ l
   l ; l  ,:'=<_〇,>;  ':,く〇,,>,= ' l、.l l
   ヽ 、l/ ヽ_  ~  l   l ~  / ヽ/./
   ゙、〈    '、,r‐:l    l-、 /  /.,ィ,)t、 <ただ退くだけなのに大げさな様子で殿軍を申し出たり
.    ヽゝ、   .ゝ,r.、   ,riノ   ,r'',r' ! /l、 <手落ち傷を誇らしげに見せにきたり
      l.ト  //゙;彡三三ミ;ヽ  /" / |/ ス <そういう浅はかな覚悟とは違うぞ
   __,,,,,,l ヽ   リ!''‐´ ''' `ヤリ ./ ノ / ./┴''" ̄ ̄
,,,,,,r'ヽ. ヽ  ヽ.         /   / ノ
  |  ヽ. ヽ   `':、  r‐‐-.、 ,、:'    ,イ
.  |  ヽ. ヽ    `'l;;;;;;;;;r'"    .t'"', ',
  |   ヽ ヽ    l;;;;;/      人. ゙,.゙,
   |   ヽ ヽ.    リハ,_,,、-‐''"´/\',.',
   l    ヽ. ヽ  l'!  ゝ、-、 \  \゙、


520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 23:14:24.18 ID:1C5mp1ZK
しかみ像がまさかAAになっていたとはww

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 09:05:32.00 ID:dhSBtgGl
>>517
あれ?資料、というか一般的には戦死扱いだったよな?
じゃあ、彼はいつフェードアウトしたんだ?

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 10:51:04.50 ID:+oBSMM0h
>>521
徳川実紀だと生きてる。

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 11:09:29.65 ID:DrLWsCnL
鯉喰いと三方ヶ原身代わりでインパクト抜群なのに、どの鈴木家の誰のことなのかは
はっきりしないんだよな久三郎殿

個人的には則定鈴木氏か酒呑鈴木氏あたりの誰かかなと睨んでいる

「朝山日乗は全く異能の人物です。」

2012年01月21日 22:00

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 16:59:55.98 ID:rJgb+r7o
『信長之代五年・三年者可被候。明年辺者公家などに可被成候かと見及申候。
左候て後、高ころびあをのけにころばれ候すると見え申候。
藤吉郎さりとてはの者にて候。』

この言葉で有名な、安国寺恵瓊の天正元年12月12日付書状。
実はこの書状には、もう一人別の重要人物に関する人物評が書いてある。
それは織田信長の使僧であり、フロイスから「日本のアンチキリスト」「庶民の欺瞞者」「肉体に宿りたるルシフェル」
と罵倒された朝山日乗について、である。
恵瓊は、こう言う

『日乗は全く異能の人物です。信長にとって彼は、昔の周公旦に対する太公望のようなものです。
似合いたるものは出会いたるとはこの事なのでしょう。

然しながら、今現在において彼の行なっていることは、我ら芸州にとっても重宝と言うべきでしょう。
今度の調え(将軍義昭追放にともなう混乱の処理)も、みな尽く彼の奔走によって成立しました。

ただ、これは危ういと考えます。我々は藤吉郎(羽柴秀吉)への取次まで、日乗に頼っています。
この事について、どうか御推量ください。』

この時期の朝山日乗に存在感の大きさを、存分に表している記録であろう。
(吉川家文書)




815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 18:52:38.98 ID:bTMAn5bQ
でもこの後すぐ失脚するよな?

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 19:04:01.78 ID:GA35w0jv
>>815
失脚というのはキリシタンが言っているだけで、実際には死亡年から見ても、この時期あたりから
体調を悪くして表舞台から去った、と見るのが今は主流だと思う。>日乗

ドラゴンクエスト1~3

2012年01月20日 21:59

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 01:39:07.28 ID:XspuTWx2
ドラゴンクエスト1 ~甲斐の竜王~

人から犬に至るまで戦闘力が高く、ロンダルキアに例えられる甲斐であるが、
なんと戦国時代初期にはドラゴンまでが多数生息し、人はその頭を竜王と呼んだ。


ショウキョウのころのことである。甲州巨摩郡に貧しい村があった。
ある時戦があり、道に迷ってボウキノカミという武士がやってきた。
村人達は宿をしつらえ、村を挙げて彼を歓迎した。

夜半、ボウキノカミは大きな物音に驚いて飛び起き、何事かと尋ねた。
村人はこれは大竜が叫び暴れている音なので、心配いりませんと答えた。

「なんと珍しい話だろう。それならば私が成敗して参らせよう」
といって、ボウキノカミは広い河原を歩いて行き、黒い淵をのぞき込んだ。

すると水面に泡が立ち、巨大な竜が躍り出て襲いかかった。
ボウキノカミは少しも慌てず、弓を引き絞り矢を放つと、矢は竜の片目を射貫いた。

竜は一度淵に沈み、これで落着かと思われたが、再び躍りかかってボウキノカミの
袖に食らいつき、彼を水の中に引きずり込もうとした。
ボウキノカミは刀を抜き、竜の鼻先を袖ごと両断した。
竜は刀を鼻先に食い込ませたまま再び淵に沈んで、ついに浮かんでこなかった。

ボウキノカミが「確かに大竜であった」と言うと、
村人は「あのような竜が数知れずおり、さらに巨大な竜王がいるのです」と答えた。

ボウキノカミは驚いて、「それでは私の手に負えない」と言った。
村人は「ありがとうごした」と言って彼をねぎらい、別れを告げようとした。

するとボウキノカミは、
「この貧しい村が私を歓待してくれた礼に、国主信昌公に申し参らそう」と言った。
村人達は相談して、嘆願状を作った。

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 01:43:27.62 ID:XspuTWx2
ドラゴンクエスト2 ~甲斐の守り手~

その時国主であった武田信昌はこれを重く見て、悪竜の討伐に数多の武者を派遣した。
武者達は三日三晩、竜王の軍勢と戦ったが、ついに勝利を得ることができなかった。

ボウキノカミが戻ってきて国主に言うには、
「これを武力で征伐することはできません。法力を持って調伏致したく存じます」。

そこで信昌は国中の僧侶・修験者を集めて派遣し、土を盛って祭壇を作り祈祷を行った。

ある晩ボウキノカミが寝ていると、どこからともなく大きな声が聞こえてきた。
「汝はシンジョウというな。ならば汝のまことを信じて頼むのである。ソウダ淵の河原に、
赤と青の大岩が山から落ちて、互いに圧し合っているので、これをどけて欲しい」。

ボウキノカミと村人たちは人をかき集め、この大岩をどけようとした。
ところが余りに巨岩であり、とても地上を転がすことは出来ない。
そこで岩の根本にくさびを打ち、巨木を巻き付け、河原に土手を築いて増水を待った。

やがて大水が出て河原まで水に沈んだ。巨木の浮力と抵抗で巨岩は転がりだし、
なんとかその場所から河下へとゆっくり離れていった。

見守っていた人々が小躍りして喜ぶと、黒い水面から光り輝く巨大な竜女が現れた。

「以前の大地震のとき、私は妊娠の身体で岩に挟まれ、みな非常に苦悶していた。
いま仏の功徳と汝らの労苦によって、ようやく済度を得た。これからは山にこもり、
人の恩に報いるため、子を授け産を安んじて進ぜよう」。

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 01:53:38.89 ID:XspuTWx2

ドラゴンクエスト3 ~そして伝説へ~

ボウキノカミは、竜神を鎮めたことを国主信昌に報告した。
信昌は大いに喜び、大竜のこもった山に寺を建てた。これが大竜山満福寺である。

いまボウキノカミが袖ごと竜を斬った淵は、袖淵といい、その刀を袖切という。
また、人々はこのあたりを竜王という地名で呼ぶようになった。

その後、国主の妻であった人が、子を授からないのを憂いて入水しようとした。
人がそれを止めて「満福寺の竜神様にお願いしましょう」と言った。
彼女がその通りにすると、やがて子を授かったので岩下殿と呼ばれるようになった。

信縄は大いに喜んで、三度舞った。これが後に武田氏中興の祖となる信虎である。

(「古老は語る-山梨の民話伝説-」から引用した小冊子より、現代標準語に意訳)


なお竜王討伐に乗り出すのが信昌でなくて信玄だったり、満福寺に祈願して生まれた
のが信虎でなくて信玄だったりするが、具体性などから恐らく後世の仮託だと思われる。

また、甲斐国志によると、ドウキノカミというのは山本道鬼齋勘助のことだとあるが、
この説を取るなら、年代的にあり得ない。

ドウキノカミというのは伯耆守とか、主鷹司(ようしのかみ)など官職名の転訛、
シンジョウというのは苗字か法名、或いは諱の有職読みだと考えられる。

年代は戦国時代であるのに、不思議に神話的なお話。





508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 19:53:09.86 ID:eOYzXCPF
>>501
ドラクエwww 
竜王って地名が今も本当にあるのかwwww

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%A2
ロンダルキアってどこだっけと調べてみたら、上九一色村とあるんだがwwww

あと、勇者は袖切の剣をどこで回収したんだろう?

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 23:29:26.40 ID:iGiKBQjW
>>501
竜神が村人を苦しめる話は大体、
昔、河が氾濫して村人が苦しんでたって事を意味するらしいね。
で結果治水に成功したんだろう。

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 23:54:41.51 ID:tqLj9n+t
ちなみに信玄堤は竜王にあるな

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 23:59:21.70 ID:ysa3RWeN
(´・ω・`)「きたない、さすが津軽はきたない」

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 00:28:23.96 ID:wO1rsch3
津軽平定中に恋慕した女性の旦那を殺したことがあったらしいな

当然、その女性がなびくわけもなく、為信はその女性も攻め殺した


たしかまとめにあったかな

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 00:52:46.22 ID:/yrRuGqQ
>>501
中央から派遣されたテクノクラートが、直轄領でない地域の治水に苦労した話なんだと思う。

ところで、
>>「汝はシンジョウというな。ならば汝のまことを信じて頼むのである

というのは、
『汝は「しんじやう(しんじょう)」という名であるから、私は汝を「しんじやう(信じよう)」でいいんだろうか。

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 00:57:43.91 ID:/yrRuGqQ
>>509
だね。しかしそういうのは大体は古代の話なのに、戦国に入ってからそれが信じられて、
地名にまで発展するってのも面白い。

このボウキノカミさんが、竜神を漠然と信じる農民をうまく騙って働かせたんだろうか。
ググってみたら、山梨での竜神信仰は明治のころまで盛んだったらしい。

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 10:20:08.08 ID:jaiZyrYO
信濃にも竜神だか鬼だかの話があったような
こっちは領主の娘に恋慕してクレクレするやつ

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 14:23:41.23 ID:WnCpGCAY
>>514
つ足立重信

527 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/22(日) 12:52:21.90 ID:ctTztZGI
>>512まとめブログにある藤代御前の話だね。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3160.html

藤代御前が立て籠もったと言われる館跡には、この逸話通りに津軽家の
菩提寺である革秀寺が建っている。藤代には地元バスの営業所があって、
青森に転勤してきて、弘前駅前で「藤代(営)行き」という表示のバスを
見た時に「ここか」とこの話を思い出した。

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 02:31:39.99 ID:H0p29dMA
>>501
ボウキノカミってどこかで聞いたと思ったら、「ドウキノカミ」の逸話が『甲斐国志』二の300にあった。


清里の浅川の南西に道通という場所があり、徳川家康が信州へ移動する時の寝所に当てた。
これは浅川の口留番所であり、逸見路にかかわる平沢口の別道であったので、今でも番所橋という橋がある。

その昔この道を作って砦を築いたのは「ドウキノカミ」という人だったと伝えられている。
これは山本道鬼(勘助)のことだというが定かではない。

武田時代には平沢口へ通じる重要な場所であったために、浅川口番所を儲け浅川と樫山で守ったという。
しかし不便な場所であったので、その後は長沢(調べたらかなり麓の方)に番所が移った。
今の関本屋という商店のある場所が、番所のあった所である。


ドウキ(ボウキ)ノカミさんは、建設普請に優れた人だったんだろうね。

津軽為信に取られた諸城

2012年01月20日 21:58

504 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/20(金) 13:48:09.35 ID:w9Xt6lnx
 青森県弘前市にある弘前城は昨年が築城400年ということで多数の
記念イベントを開いたが、地元「東奥日報」は12月に「落城400年を
歩く」を連載し、津軽為信に取られた諸城を紹介した(当然ながら
落城は津軽統一戦の過程なので、400年よりもっと昔)。

 初回は石川城で、落とした手口は悪い話にある。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5509.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2433.html

 討死したとも、落ち延びたとも伝えられる南部(石川)高信は地元に
「おらほ(=うち)の殿様」と慕う人が多い。送り盆では松明行列で
高信を慰霊するほか、2004年に弘前中心街に為信の銅像が建てられた
時も町内で集まりが悪く「石川はしょうがない」と催促されなかった。

 他にも南部方として為信と戦った滝本重行@大光寺城、北畠顕村@
浪岡城らもそれぞれ地元で根強い人気があり、謀略や奇襲を常とした
為信を嫌う住民もいる。

 滅亡、改易となった武将のいた城下はどこも同じかも知れないが、
津軽といっても為信を讃える地区ばかりではなく、敗将もそれなりに
偲ばれているという話。




505 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/20(金) 15:06:44.85 ID:KW58J62k
弘前は青森県だけど、心は岩手県民って人が多いって聞いたが(笑)

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 15:13:10.21 ID:X2Bo3mIW
十三湖とか青森西部はやっぱお慕いするのは安東さんなのかな?

507 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/20(金) 15:22:35.00 ID:KW58J62k
県割りと県庁所在地は官軍の心積もりだったらしいからね~

佐賀辺りは、県としては小さいのにピンだしね~

若かりし頃の真田信幸と乳兄弟・祢津志摩

2012年01月20日 21:58

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 23:50:48.25 ID:SAE7jyC7
若かりし頃の真田信幸と乳兄弟・祢津志摩

「若様、お話したいことがあるのですが」
「何?」
「実は徳川に仕官し……『あー却下」
「まだ最後まで言ってないんですけど」
「いやいや絶対駄目だし。何だようち(真田家)じゃ不満?」
「徳川には親類も仕えてますし」
「アーアー聞こえない」
「おい……」
「嫌だ嫌だ嫌だ、いいか?行くなよ?絶対だぞ。はいこの話終わり!」

とにかく信幸は祢津志摩の徳川行きをゴネて必死に止めたそうな。


関ヶ原・犬状の別れの際の二人

「親父から呼び出し来たからお前も早く準備して」
「お一人で来いとの御達しでは…?」
「ああいいから早く。てか俺が行くんだからお前も一緒に来て当然だと思う。常識的に考えて」
「ちょっと意味分かんないです」

『関が原乱起りて(以下略… 道筋より三丁計脇の野へ安房守併左衛門佐唯二人相越、
長子信幸を招きける、伊豆守ハ祢津志摩一人召れて其処へ行けり(以下略…』

出典は「長国寺殿御事蹟」か「真武内伝附録」←こっちが元祖かも

それなりに常識人に見られがちな兄も、戦場では無双モード発動しまくるわ、
普段は面倒臭がりなとこもあるわで、家臣からすれば立派に手のかかる人だったんですね。っていう悪い話?




775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 23:53:16.18 ID:rHzT4aXy
甘えてるだけに見える

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 23:57:14.48 ID:+u7F9AaD
そんだけ信頼してたんだろうな、って良い話だろコレw

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 00:01:10.24 ID:PEg0mhXj
やる夫真田では乳兄弟いないっぽいこと書いてた気もするけど、いたんだ

年始の贈り物・巡る

2012年01月19日 21:59

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 16:22:15.60 ID:tSrsllzw
天文20年(1551)正月24日、
本願寺十世・証如は、京兆家当主・細川氏綱からの年始の祝儀(贈り物)を見て、思わず『呵々(かか)』と
笑ってしまった。

それは贈り物が粗末だったから、ではない。氏綱が送ってきたのは折(曲げ物に入れた詰め合わせ)10合で
あったが、その内の5合は、なんと当の証如が10日ほど前に、同じく年始の祝儀として三好長慶
贈ったものであったからだ。

つまり証如の贈り物は


  証如三好長慶細川氏綱
   ↑           │
   └───────┘

と、10日ほどの間に巡り戻っってきたわけである。

お歳暮などで今でも有りそうな、贈り物が戻ってきた、というお話。

(天文日記・正月二十四日条)




769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 16:33:24.07 ID:cWTGX6Rq
我が贈り物をたらいまわしとは殺す!恥をかかせやがって殺す!

証如三好長慶細川氏綱

ってならないだけ平和でよいですなぁ


770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 18:44:12.55 ID:FaMnoDg1
三好細川間で更に誰か挟まってたりしてw

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 19:19:58.25 ID:kSHdk7Xb
  証如─5→三好長慶─5→細川氏綱
   ↑              │
   └────10────┘

なのか
  証如─5→三好長慶─10→細川氏綱
   ↑              │
   └────10────┘

なのか気になる

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 19:20:48.15 ID:n67tShpP
道の途中で強奪されたり・・・おにいちゃんの寿命がまた一年短くなります

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 20:31:58.95 ID:X9FkdHmT
北条氏綱「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

     『俺は長尾の為ちゃんから鷹を二羽貰おうと思ったら
      いつの間にか一羽になっていた』

北条氏綱「な…何を言ってるのかわからねーと思うがおれも何をされry」


791 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/20(金) 12:18:23.95 ID:w9Xt6lnx
>>768は朝日新聞の日曜書評欄に紹介されていた桜井英治『贈与の歴史学
儀礼と経済のあいだ』(中公新書)に載っている話みたい。Amazonによると、

<一年中贈り物が飛び交い、損得の釣り合いを重視する中世人の精神を探り、
義理や賄賂といったイメージをまとい続ける贈与の源泉に迫る>

だそうだから、ここの住人には面白そうな本だ。いつも思うが、戦国時代に
他家の領内を通って進物や書状を届ける(織田信長や長尾景虎は自ら上洛も
しているが)ってどんな状況だったんだろうか?逸話レベルだと明智光秀の
毛利家への使者が秀吉陣中に迷い込んで講和&中国大返しとかもあるけど、
意図的な暗殺や捕縛だけでなく野盗、事故、病気、路銀が尽きた等々あった
だろうし、そのうえで外交官としても振る舞わなければならんし。

週間ブログ拍手ランキング01/11~/18

2012年01月18日 21:59

01/11~/18のブログ拍手ランキングです!


北条夫人の最期 134

水原親憲の最期 110

『小笠原牡丹』 76
水野勝成・豪胆にして繊細、勇猛果敢な武将にして有能な為政者 59

てめーには見せてやんねー!!! 48
麦と大雨と水野勝成 42

そーりん様のバツが悪い話 39
駿足の家康 34

吉備津宮明神の太刀 32
家康からも賞賛されていた・加賀美正行(3) 32
富田重政・ゴルゴ 31

雑談・直江兼続のことなど 27
雑談・職場では気を付けろ 24
天正11年12月15日、安国寺恵瓊・林就長連署書状 19
松林蝙也斎「ワシを驚かせる奴が居るなら何時でも来い!」×3 17
天竺人 17
天正11年三河洪水 10
土屋昌恒の大演説 8
合計 1103


今週の1位はこちら!北条夫人の最期
勝頼と最期を共にした、北条夫人についての、哀しくも美しいお話です。
北条の姫君は、多くが波乱万丈の人生を送っていますが、どの人も非常にしっかりした、見事な女性ばかりです。
北条家の家風の確かさというものも感じさせますね。
その中でも最期に強烈な個性を放った北条夫人。後世の僕達に、武家の女性の覚悟とは何か、というものを
教えてくれているように思えます。

2位は、こちらは無骨なもののふの最期水原親憲の最期 です!
こちらは古武士然とした、見事な生き様であり死に様ですね。
爽快さすら感じますw
こういう人生には、多少なりとも憧れを感じます。良き武士のあり方って、こういうものなのでしょうね。

今週管理人が気になったお話はこちら!吉備津宮明神の太刀です!
ここで面白いのは、伊勢新九郎と備中のつながりが、きちんと記録されているところですね。
江戸後期から明治にかけて、伊勢新九郎は伊勢の素浪人とされた俗説が広く流布されましたが
このように彼の出自が、実際にはきちんと伝承されていた、というのが興味深いところです。
その意味でも面白いお話だと思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました!いつも本当にありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )

一宮(小笠原)成助謀殺

2012年01月18日 21:58

一宮(小笠原)成助謀殺


長宗我部元親 小笠原成助



746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 16:44:29.62 ID:uB/h0mse
天正10年(1582)11月7日、は阿波の一宮(小笠原)成助の元に、長宗我部元親より
急の使者が訪れた。

『戦のことについて相談したいことがあるので、下八万の夷山城(現徳島県徳島市八万町)
に来て欲しい』

当時元親に従っていいた成助は直ぐに承知し、時を移さず夷山城に参上した。
元親は成助と、相伴としてその舎弟主計頭、星相六之進の計三人を内室へと呼び入れた。

こういう時、元親という人がやることは一つである。

部屋の周りには元親の侍共が隠し置かれていた。
元親は3人の隙を伺い、合図と共に侍たちが乱入。成助たちは皆、討ち果たされた。

謀殺の後、控えの間にて主君を待っていた成助の家臣、一宮主水正と坂東市正は、
城内の雰囲気を怪しいと感じ、とっさに元親の家臣の一人を人質に取り、命を取り留め
一宮城に帰ることができた。

成助は謀殺された無念から、死後亡霊となったと言われ、首なしの馬に乗る阿波の妖怪『夜行さん』の
モデルにもなったとされる。

長宗我部元親による一宮成助謀殺、についての逸話である。
(三好記)




747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 17:09:33.00 ID:JOAOCfg8
徳島にいたころ近くに住んでいたのに、夷山に城があったことを知らなかった。
近くに山城という地名があるけど、関連性はあるのだろうか

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 17:15:56.40 ID:NQzX74Fw
元親もかなり暗殺嗜むほうだけど達人扱いはされにくいな、なんでだろう

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 17:32:16.54 ID:VXxC3aU9
暗殺に限らず、元親はどうにも不器用なところがあるせいかあまり悪人物と評されない気がする。
信長のときも秀吉のときも征伐上等かましたりとか、
生まれた場所がよかったら天下とってたとか天下人の秀吉に語ったりとか。
世渡り上手になれなくて損ばかりしてる気の毒な人って印象が強い。
元親の子までも怨みこそあれ、恩なんかないはずの豊臣家に最後まで付き合わされるし。

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 17:41:42.85 ID:gxXseOz9
某「怪しまれて討ち漏らしているようではまだまだじゃわい」

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 19:26:19.76 ID:DvPR1gcq
長宗我部元親は徳島県では残虐な侵略者、だまし討ちが得意な卑怯者というのが一般的な認識です。
中学生の頃は「超スケベ元痴漢」とかひどい言われようでした。
まさか歴女に人気が出るとは思ってもみませんでした。

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 19:46:29.97 ID:oR5C5RYy
愛媛では道後まで攻めて来た記録もろくにないのに
いつの間にか征服されたことになってる人、かな(そもそも関心が薄い)

>まさか歴女に人気が出るとは思ってもみませんでした。
内陸部出身なのに海賊キャラはないわな
配下の水軍だって輸送以外でぱっとしないし

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 19:52:59.80 ID:S5Myrgk9
>>749
徳川に家潰されたから豊臣にすがるしか道が無かった
ってだけだろ盛親は…

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 20:08:23.84 ID:DuflSx4s
>>753
結局そうなってしまったとこに悲哀を感じるってことじゃないの
基本的には本人達の実力的な問題なんだけど
長宗我部家は一時を除いて国親の時代から悲壮感が漂ってる印象

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 09:47:15.87 ID:NLNtVd4U
元親は本人が自負してる程には鮮やかな手腕って訳でもないんだよな。
全般的に高いレベルだとは思うんだがどこをとっても中央の名人たちには及ばない印象。
鳥なき里のってのはよく言ったもんだと思うわ。

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 10:18:17.58 ID:nkGA/Iv2
常備軍整備してる信長にしたら、一領具足とか噴飯ものだし

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 10:54:14.68 ID:noB3b5Ez
一長一短だろ地域的なつながりがつよければ四国討伐軍が噂だけで消滅するようなことなかったろうし

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 11:27:26.88 ID:UJnq3s4+
所で、基礎的な質問で恐縮だけど一領具足ってこの当時じゃ画期的な制度だったの?
イマイチ良さが分からんのだけど。

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 11:55:22.02 ID:OL+LPGVZ
多分この当時でも前近代的な制度だったんじゃないかな。
ただ現代でも最先端と装備と軍制をもつ軍がいつでも優位とは限らないように、
土佐や阿波南部では、兵数や戦い方に寄ってはかなり有用だったんじゃないかな。

ところで讃岐、伊予に進出したころでも、依然として一領具足は長曽我部軍の主力だったのかな?
詳しい人教えて。

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 11:58:37.36 ID:1xyY51SG
一領具足はどこにでも居た、ただの半農半武士。
他の大名はそれらを軍役衆や同心衆として組織化していったが
後進地域の長宗我部家ではいつまでも零細地侍として残ってたというだけの話

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 12:02:00.35 ID:1xyY51SG
>>761
1597年制定の長宗我部元親百箇条でも保護する規定があるから関ヶ原まで主力

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 12:25:52.05 ID:OL+LPGVZ
>>763 早速ありがとう。
しかし元親が「保護しろ」と言っているという事は、
「時代遅れだし変えよーゼ」って声も無視できない程度にはあったんだろうな。
イメージとしては久武あたりが言いそう。

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 13:26:14.75 ID:1xyY51SG
いや、保護と同時に帰農禁止も規定してる
どういう事かと言えば豊臣配下になったことで軍役負担が中央基準になり負担増
さらに土佐一国検地の結果石高が2倍に増える=同じ土地でも軍役や税が2倍増
四国内時代に比べて4,5倍の負担増なんて零細の俺たちには無為無理!帰農する!
という事態になり帰農禁止した上で保護政策も同時に取ったという訳


766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 13:38:00.43 ID:0zwKSVXm
長宗我部の話になると仙石憎しの気持ちが盛り上がってしょうがない。

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 16:12:34.19 ID:L1sxgKzt
盛親が兄貴殺してなければ、とはいうものの兄貴殺さないと家中分裂してたと思うし、
いずれにせよ家康にはどっかに飛ばされるとも思う

実に惜しい

松林蝙也斎「ワシを驚かせる奴が居るなら何時でも来い!」×3

2012年01月17日 21:59

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 00:45:07.98 ID:tHQ4CcGO
>>697
剣豪にバックアタック掛けて返り討ち、
なんてどこかで似たような話を見た事あるなと思ったら、
松林蝙也斎だった。
有名なエピソードだろうけど一応。

徳川家光の前で演舞をしたこともある高名な剣術家である蝙也斎(バガボンドにもチョイ役で出てる人)は常々、
蝙也斎「ワシを驚かせる奴が居るなら何時でも来い!」×3
と言っていた。
そんなだから、弟子達は常々虎視眈々と蝙也斎を驚かせる機会を狙っていた。
ある時、蝙也斎は弟子たちと一緒に川に蛍を見に行った。
(…師匠が蛍に見ほれている、ここで「ここに居るぞ!」をせぬわけにはいかぬ)
と思った弟子1は、不意に背後から蝙也斎を川へと突き飛ばした。
…蝙也斎は何事も無かったかのように川を跳び越え、対岸へと着地。
そのままのんびりと蛍見物をしていったのだそうな。

翌日、弟子1は師匠の蝙也斎の所を訪ねた。
弟子1「いやぁ、昨日は師匠のお供で愉快な蛍見物が出来ました」
蝙也斎「で、あるか。時に弟子1。昨日だが、君は何か無くさなかったかね?」
弟子1「えぇ…。とても大事な物を無くしたのですが、何処で無くしたのか全く見当もつかないのです」
蝙也斎「落としたものは此れだろう」
そう言うと、蝙也斎は敷物の下から刀を取り出して投げ與へた。
昨日丁度弟子1が蝙也斎を突き飛ばした瞬間、蝙也斎は対岸に飛び移るだけでなく、
弟子1に気付かれないようにその刀を抜き取って行ったのだ。
これを以って、油断大敵の教訓としたという事である。





703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 03:09:54.01 ID:P1RuipOU
川幅が気になるな

刀を気付かれず抜き取ったのは流石

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 01:02:48.86 ID:mi8dMhJw
>>702
何かこういう剣豪って胡散臭いな
稲留さんに狙撃してもらいたいわ

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 11:33:35.34 ID:ja499xHL
>>718
江戸時代の話だが
http://mukankei961.blog105.fc2.com/blog-entry-766.html
 
みたいなのもあるからいつのまにやらスパーキャラにされるのはよくある事だったんだろう

720 名前: 忍法帖【Lv=20,xxxPT】 [sage] 投稿日:2012/01/17(火) 11:42:03.61 ID:pUwSl18r
俺は>>702みたいな話は全部ドリフで再生される

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 11:42:59.69 ID:KMAg7rRm
>>719
講談「宮本武蔵伝・狼退治」というのを聞いてたら、その関口氏業の弟、関口弥太郎氏暁というのが
宮本武蔵に鳥のように飛べる術を教えたことになっていて、武蔵がその術のお陰で佐々木巌流に勝てたってことに

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 11:58:05.87 ID:Aq0qblAT
>>721
何故わしに教えてくれなかった!!!と管領様の血を吐くような叫び声が聞こえてくるようですな

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 15:03:32.54 ID:zEzPJ5T9
この話題になるといつも二階堂平法がどんなものだったのか気になる。
本物のエスパー剣士だったの?

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 15:10:19.31 ID:Bb1EsPMD
⊂⊃                      ⊂⊃
        ⊂ \        /つ===|ニニニニニニニ>
          \\ /⌒ヽ//
   ⊂⊃  ((   \( ^ω^)    ))
            /| 武蔵 ヘ       
          //( ヽノ \\
        ⊂/   ノ>ノ    \⊃===|ニニニニニニニ>ブンブン
             レレ   スイスーイ   ⊂⊃
           彡


天正11年12月15日、安国寺恵瓊・林就長連署書状

2012年01月17日 21:58

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 17:51:55.78 ID:Qq//8JEl
天正11年(1583)12月、毛利氏は賤ヶ岳の合戦に勝ち、名実ともに覇者となった羽柴秀吉に対し、
国境画定の作業を進めていた。しかし毛利氏の実効支配が進んでいた美作地域の、羽柴方への
割譲に、家中から強い不満が噴出し、毛利家当主輝元もこの家中世論を無視できず、国境交渉の停滞も
起こりかねない状況となった。

これに危機感を抱いた毛利の交渉担当者、安国寺恵瓊林就長は連署の書状を送り、輝元に決断を迫る。
その書状にはこのようにあった


『現在、毛利家中の上下の心中を見れば、去年以来の数度の戦闘の事を忘れ去って、今では今回の
国境策定は理由のないものだと考え、皆がのぼせ上がっております。これはある意味仕方が無いのかも知れません。

ですが思い出してください。前に鳥取城を攻められた時、北口(山陰方面)の衆はその救援すら出来ませんでした。
また去年、南面(山陽方面)の冠山城、宮路山城が攻め落とされ、高松城が二重三重に取り巻かれる。
我々はそうなってからようやく軍勢の集結をして出陣したのではありませんか?
その状況は今だって来年だって変わりません。上方の軍勢は10日や15日の間に出陣するというのに、
この芸州では、たとえ御三殿様(毛利輝元・吉川元春・小早川隆景)が既に途中まで出立したとしても、
軍勢が集結するまで50日。少なくとも30日以内ということはありえません。
このようでは南北の入口の一つすら守ることは出来ません。

これらは児島、松山、高田などの割譲について、今も毛利家中の意見があまりに無分別なので書いているのです。
その事は解っていただけると思いますが、驚かれることもあるでしょう。

御三殿様、そして福原貞俊、元俊殿によりご内談なされるのは、恐れながら今この時です。
正月も何も関係ありません!かつて大内家が崩壊するとき、日頼様(元就)は正月の儀式をとりやめられ
弓矢を取ってご出陣成されました。
逆に尼子経久は毛利に攻めいった時も正月の儀式をし、恐れながらこれにより我々は神風を得ました。
こう見れば正月の儀式など、目出度いことではありません。

大内義隆がどうなったか、よくご存知でしょう。
山名、赤松、土岐、細川、朝倉といった人々は皆大大名だったのに、今は跡形も無くなりました。
我々の直ぐ近くでは、名家である河野殿に、長宗我部が戦うごとに勝利を収めています。
九州ではあの大友殿が、百姓のような者である龍造寺に追い詰められています。

また、現在の天下の形勢をみるに、甲斐武田殿、また直近の柴田滝川、彼らは自分たちの都合を主張し、
そのため即座に敗亡しました。
われら芸州は未だ6,7ヶ国を保っております。それらの統治は安定しており、長久のものとなるでしょう。
これは鉢開きのご正慶というべきです。

小僧のごとき私(恵瓊)がこのように申し上げるのは、口幅ったいことではありますが、今日、京都五畿内の事は
言うに及ばず、日本の半分ほどを見回している私の目は、世の中を見ていない連中のそれとは少々違います。
そして芸州の、殿のお側の人々は慢心していて、世の中が見えていません。

今の世の中というのは、男に華麗な衣装も言葉遣いも必要ありません。どんな分限者であっても、駆け馬一疋で
公の用を成すことが出来ます。しかし今の殿の周りでは華麗な分限者ばかりを召し連れ、そうでない人々を
排除しているように見えます。仏の前で説教するようなものではありますが、今の公私のご分別は
間違っているように見えるのです。繰り言ではありますが、あえて申し上げました。』
(毛利家文書・12月15日安国寺恵瓊林就長連署書状)

安国寺恵瓊による、本能寺のおかげで虎口を脱したというのに、早くも喉元過ぎて熱さを忘れている毛利家中と
輝元に対しての警告である。




726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 18:00:18.20 ID:aikk9VdH
>逆に尼子経久は毛利に攻めいった時も正月の儀式をし、恐れながらこれにより我々は神風を得ました。
富田城を元旦に奇襲して奪った経久なのに


729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 18:37:48.39 ID:j1diPcou
外から分析するには優秀みたいだけど中から分析することは難しいらしい

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 18:48:40.65 ID:yCrqyqtG
安国寺恵瓊を見損なってた
なかなか気骨あふれる坊さんじゃない
もし安芸武田家が残っていたら、毛利家にとって脅威になっていたかもな

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 19:20:03.42 ID:/tGk8T7T
ただこういう人はやっぱ家中で浮きやすいよね

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 19:57:32.92 ID:dbkQhh6d
しかし自説の確かさを主張する為とはいえ、俺は家中の有象無象とは訳が違うぜ!現状を知ってるぜ!
ってのはどうなんだろう。この人、普段からこんな感じだったのかな
いかに言ってることが正しくてもこんな調子ではなかなか納得してくれないと思う
ちゃんとコンセンサスがとれなければ実行する時に困るのに

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 20:13:56.12 ID:/tGk8T7T
決定権握ってる人間さえ納得させればあとの有象無象はどうでもいいって感じかね?
タイプ的に呉起とかそっち系かな。
学識ある坊主ならそういう失敗例もよく知ってるはずだろうに。

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 20:25:32.91 ID:sXotpZ+3
>>730
関ヶ原時は時流を見誤った

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 20:38:11.66 ID:qMWzSwQN
首脳陣は恵瓊の言ってることぐらいわかっててどう説得するかを考えてたんじゃないかと思うんだけどなあ
こんな(首脳陣にとっては)わかりきってる正論ではなく、説得方法を考えればいいのにとも思う

そういう意味ではテンプレイメージとしての三成、兼続に近いのかね

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 20:43:11.33 ID:gTd9uPVJ
正論を唱える人ってのは必要なんだけどお前ら馬鹿だから俺が正しい事言ってやるぜ、じゃ駄目だよな
本多正信と足して2で割りたい。

間違えて正純と足すと大変なことになりそうだ

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 21:10:29.49 ID:DPfD7WuH
というか毛利前田宇喜多上杉の領土削らないで恩賞足りるわけないじゃん
前田→上杉ときたら次は宇喜多か毛利しかないだろうに
徳川はその四つつぶせば関ヶ原なくても天下とれるのはわかってんだから
前田みたいに靴の裏舐めるか戦うかどっちかにしろよ阿呆ってことだろ常考

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 23:04:22.97 ID:Q2xA8n9Z
>>735
この頃の毛利家は、まだまだ国人連合から抜け出し
きれてないので、重臣間の利害を調整するのが大変。

ただ恵瓊は、ここで遅れると毛利家の危機だからこそ
必死になって訴えてるんだと思う。

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 01:18:34.85 ID:tVZOeYNU
毛利は拡大期には機敏な行動が目立ったのにいつの間にか行動が重くなってしまったよね
元就死後も勢力は順調に拡大しているのに何というかもっさりした動きに

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 01:31:26.52 ID:o97eQVGB
地味なお兄ちゃんこと隆元が死んじゃって財政破綻寸前に追い込まれたからな

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 02:38:28.80 ID:xwullzVz
俺も安国寺恵瓊を見直した

佐々成政程度には

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 02:51:33.41 ID:od/ZFm3w
中央との交渉役は嫌われ役でもあるからな
徳川家中での石川の例もあるしw

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 09:16:08.54 ID:lAeSGNxI
時流を読むのに長けてると言うより秀吉に懐柔されてるだけ
賢い奴は、秀吉が死んだら手のひら返して、徳川に接近してるし

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 09:41:20.91 ID:stsKgq93
関が原でも懐柔されただけなのかな

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 11:40:50.84 ID:wogidobT
合議制ってのは、
大きな間違いは減るかもしれないけど、機敏な行動を取るには向かないよね~

元就さんは自分が死んだら天下とかよりも大毛利の現状維持を第一に考えて、
両川体制しいたと思うわ~

まぁ、TERUさんじゃなくお兄ちゃんが生きてたら話しは違ったのかもしれないけどw

『小笠原牡丹』

2012年01月16日 21:59

479 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 17:59:25.82 ID:nEbxNjIs
信濃守護職・小笠原長時は草花、特に牡丹の花を愛した。
天文19年(1550)7月、塩尻峠で武田晴信に敗れて以来、衰退著しい長時は、祈願寺である兎川寺の住職を訪ねた。

「和尚と会うのも、これが最後となろう。」
「やはり、いけませぬか。」
「うむ。無念だが、武田には勝てぬ。信濃を落ち延び、上方で助力を請う。・・・和尚に頼みがある。」
「承りましょう。」

住職の了承を受けた長時は、一株の見事な牡丹を持って来た。

「わしは、花が好きじゃ。この地を落ちるは、当家存続のため仕方ないとしても、わしが手塩にかけた花を
武田の奴輩に踏みにじられるのは、我慢ならん。
そこで、わしが特に気に入りの白牡丹、この寺で育ててはもらえまいか?」

住職は申し出を快く引き受け、長時は居城を焼き払い、山中を隠れ行き、上方目指して去った。

長時の残した白牡丹は住職が大切に育て、住職亡き後も、牡丹の話を住職から聞いた兎川寺檀家の久根下氏が
『殿様の白牡丹』と呼んで、密やかに守り続けた。

480 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 18:00:10.48 ID:nEbxNjIs
旧伯爵・小笠原忠統は戦後、文化活動に熱心に取り組んだ。
昭和32年(1957)、小笠原氏本貫の地・松本市の市立図書館長に就任した忠統を、一人の青年が訪ねて来た。

「“殿様”、よくぞお戻りになられました。今こそ、これをお返しいたします。」
「これは・・・?」

青年の名は、久根下栄一。『殿様の白牡丹』を守り続けた、久根下氏の末裔であった。

栄一は、小笠原氏も一時居城とした松本城に、この牡丹を株分けする事を提案し、忠統もこれを快諾、
牡丹は松本城本丸庭園に移植され、『小笠原牡丹』と呼ばれるようになった。


戦国乱世の兵火を逃れ、400年の時を越えた『小笠原牡丹』は、今も松本城で美しい花を咲かせている。

ttp://www.shinmai.co.jp/flower/200005/00052302.htm
ttp://www.oshiro-m.org/quiz/g1_4.pdf (PDF注意)





481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 18:24:20.42 ID:kVgPYhsu
いい話だが、小笠原氏は大名に復帰しているのになぜ戦後まで待ったのかな?

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 18:40:24.10 ID:LqaT6squ
牡丹を手放すのがもったいなかったとか

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 19:47:39.60 ID:8oExZufN
>>482
好意的に考えれば、江戸期の松本領主、その後継たる華族家を憚ったのかな。悪意的なのはいわぬ。


484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 00:57:33.45 ID:WAh17nbX
うわ、すげえでけえ、綺麗ー!
こんな見事なの、よくぞ守ってくれたねえ。
小笠原長時も久根下さんもいい仕事をなさったわ

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 10:07:32.88 ID:zEzPJ5T9
>>483
旧主の小笠原家に託されてずっと貴方達の目に触れないように
守ってきた牡丹を株分けに行きますとは時代的に言えなそうですよね。
後で知られても面倒になりそうだし。

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 12:16:20.88 ID:y5jQAZXY
初代松本城主の石川氏と小笠原氏の関係は気になる。

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 19:53:27.42 ID:frhW3aho
>>483-485
でも、逸話の中にもあるように、小笠原長時の息子、小笠原貞慶は
1583年からの2年間、松本の領主だったこともあるわけで。
さらにその息子、小笠原秀政も1613年から松本の領主だし。

なぜその時ではなく明治維新まで待ったのか、激しく疑問。