織田信雄と、波多瀬三郎

2012年04月30日 21:03

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 09:14:42.73 ID:bNijGbCe
天正4年(1576)11月25日、伊勢では織田信長・信雄親子による北畠具教ら、北畠一族への粛清事件が起こる。
これに翌天正5年、奈良興福寺にあった具教の弟、北畠具親は伊勢に帰国し、織田に対して反乱を起こす。
しかし間もなく制圧され、具親は逃亡。与党の者たちも多くが捕らえられた。

さて、そんな反乱者に対する処分が続く中、織田信雄の元に3人の捕縛者が引き立てられた。
六呂木某、山福某という者、そして波多瀬三郎という15歳の少年だった。

三人は処刑される事となっていた。だが信雄は波多瀬少年を見るなり気が変わった。それは波多瀬が
『無双の若衆(美少年)』だったからである。信雄は即座に、少年の助命を命じた。

が、波多瀬三郎はこれに

「私達三人は同罪です!三人ともお助けくださると言うのなら、忝いと感謝いたしますが、
私だけが助かっては面目がたちません!ですからどうぞ、殺して下さい!」

これを聞いた六呂木某、山福某は、逆に波多瀬を説得した

「我らは既に老体であり、命は惜しくない。しかしお前はそのような若年ではないか!
構うことはない!お前は御意に従うが良い!」

「嫌です!そんなことは出来ません!」

波多瀬三郎は頑として、助命を受け入れなかった。
そこで信雄も致し方なく、三人を磔とした。

これによって波多瀬三郎は、死後、見事な若者であると大いに名を上げた、とのことである。


信雄、これと似たような話を、、以前にもやっていたのですね。しかもこっちは拒絶されていた
織田信雄、高野聖の処刑にて http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6357.html


織田信雄の助命を拒絶した、波多瀬三郎少年についてのお話である
(勢州軍記)





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雑談・福島正則の茶杓

2012年04月30日 21:03

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 23:49:20.39 ID:OPrWAALV
近衛家の陽明文庫展(近衛信尹の真筆は圧巻)見てきた
茶道具の一角に、利休や紹鴎・細川親子作の茶杓に混じって福島正則作の茶杓が…
割に小ぶりで可愛い感じで、失礼だが何か意外だったw
まとめでも↓以外茶関係の逸話が見当たらなかったが、彼が茶に親しんだ記録はあるんだろうか?
千利休に気圧された話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1696.html
臨月肩衝の話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5328.html


905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 00:15:13.04 ID:VylLO+TL
落語の荒茶

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 00:18:28.56 ID:ey9X4Nto
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2990.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-234.html
なぜかすでに投稿されていた>落語の荒茶

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 05:01:40.88 ID:+6zj6T2Z
似た噺に「本膳」てのがあるが、これなんぞ幽斎様辺り出すと面白くなりそうだ。

雑談・大義名分のこと、など

2012年04月30日 21:03

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 20:04:17.48 ID:kO7Fq+5v
ところで秀頼が「退去するお!」と言い出したらタヌキどうしたんだろ?おまけに
「蹴鞠の人に蹴鞠教わりたいから江戸にいきたいお」とかいわれたら激しく困らないか?

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 21:02:40.18 ID:gSoiPg0+
知らんぷりして、大阪城が崩れるまで大砲を撃ちこむだろ

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 21:43:22.31 ID:k01qHrXV
江戸か京都に屋敷与えて高家扱いで監視つけて無力化できれば
元主家&孫婿殺しの汚名着てまで根絶やしにすることもなかったろう

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 21:49:00.14 ID:ztjl8+YM
>>920
そんな下衆は天下人にはなれません

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 22:46:33.67 ID:GvhL4K27
我が身がカワイイだけのお坊ちゃんだったらむしろ扱いやすかっただろ
公家にするなり高家にするなり

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 23:59:56.41 ID:C2i2Z0vJ
まぁしばらく後に流行り病で急死して貰えば良い話だしね。

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 01:02:20.86 ID:VCml6z1i
摂関家格だと数千石くらいか
うーん、ほぼ改易クラスだな

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 07:52:28.40 ID:s7TVgxWO
>>922
厨二かよw
天下人に正義や清廉でも求めているのかね?

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 08:29:28.95 ID:aH3j7qPl
>>927
いやあ実際の所、どんなことをしても勝てばいい、と思う方が厨二なんだわ。現実世界じゃな。
これは戦国時代でも一緒。

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 08:39:50.66 ID:s7TVgxWO
>>928
正気かよ・・・
戦国時代を現代的な倫理で見るとかもうね

おめぇはそれでいいや

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 08:42:51.55 ID:aH3j7qPl
>>929
現代じゃなくて同時代的な目で見てもそうだぞ?
同時代資料を、読める範囲で読んでみるといいよ。当時の倫理観みたいなものが見えてくるから。
勝てばいい、強ければいい、みたいな単純な世界じゃないことが解ると思うよ。

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 08:50:00.16 ID:Vn7nyXOM
>>929
おまえの言う、どんなことをしても勝てばいいという勢力は
結局のところ一地方勢力で終わっただろ?
少なくとも諸侯を従える天下人になるには「徳」ってもんが必要なんだよ。
大義のない明智光秀についてくる奴がいなかったのもそれと同じことだ。

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 08:56:30.30 ID:s+tpFYCR
王者と覇者か

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 09:00:26.36 ID:lTVWKohd
強けりゃいい、なら誰も大義名分に拘らないし、朝廷に官位を要求したりもしないだろ?

「あいつは道理も倫理も通用しない狂犬だ」って思われたら、誰も交渉なんかしてくれない。
道理や倫理の上で同じラインに立てる、って前提があるから同盟も停戦もできる。

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 09:09:08.60 ID:6U95cMNj
当たり前だが信用できない人間について行く奴はほとんどいないぞ
たとえ自身が討ち死にしてもその分だけ一族に目をかけてもらえられると確信してるからこそ
命を投げ出してるわけだからね

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 09:36:42.48 ID:HpWTwJQc
>>931
同盟を破りまくって勢力広げた某守護大名家の末路は家臣や領民にも見放されてみじめなものでしたしね

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 10:39:55.05 ID:QG51IkwJ
何だか今日は説教臭い爺が多いインターネッツですねw

つーかさ、天下人に必要なのは詐欺師のスキルだと思うよ
秀吉や家康を見てごらん

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 11:41:57.59 ID:MJhwE1fc
家康ブームでも来てんのw

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 11:48:55.46 ID:HOUpCekY
世間の皆様までも騙せるというか騙されてやってもいいかって思わせる位のスキルは必要だろ?
嘘吐きってのと、詐欺はまた別だと思うの~

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 11:59:40.43 ID:ev5FYQe0
仏のウソを方便と言い、武士のうそを武略と申しますし

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 12:59:34.92 ID:U5O6L9do
武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候だっけ?
[ 続きを読む ]

虎姫観音由来

2012年04月29日 21:08

915 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/29(日) 03:54:30.71 ID:ATFqVyNA
虎姫観音由来

前橋城の西、利根川の流れが城につきあたったところ旧競輪場あたりをお虎が渕とよんでいた。

酒井 重忠の頃、城内にお虎というそれは美しいおなごがいた。
赤城山麓の農家の娘で、重忠が鷹狩りに出た際みそめられ、城に召された。
重忠はたいへん気に入って身近において世話をさせたが、
こうなると奥女中は嫉妬して、とんでもない悪だくみを実行した。
重忠のご飯椀の中に針を忍ばせ、給仕役のお虎はそのお膳を重忠の前に・・・・・・・
こうしてお虎は身に覚えのない罪をきせられ、蛇やムカデをつめた木箱に入れられ利根川の渕に沈められた。

その後、毎年秋には利根川は洪水になり本丸まで川底にしずんでしまった。
人々はお虎の怨念にちがいないと、お虎の霊をお虎稲荷大明神として祭った。
お堂の中には150cmほどの愛らしい観音様と水の神である弁財天を
右には幾重にもとぐろをまいたヘビがまつられており、
ぼけ封じのご利益もある。




916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 07:10:48.72 ID:PGTEv/YS
なんのひねりもないストレートな悪い話だなw

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 13:50:43.62 ID:yJVimFpK
酒井家は前橋城だけでなく利根川の水害に悩まされ続けて代々転封を願い続けていたらしいが、
こんな逸話まであったのか

腹痛持ちの臨機

2012年04月29日 21:08

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 01:11:04.58 ID:w4u9QR0K
腹痛持ちの臨機

信虎のころ、甲州市川に矢作(やはぎ)なにがしという武士がいた。
この矢作、いざ槍合わせとなると腹痛を起こし、隠れて用を足すというのが度々あった。
矢作には名のある首を取るという武功も何度もあったのだが、人々は臆病者と馬鹿にしていた。

福島正成が甲州に乱入した時、信虎は矢作を呼び出すと、人を預けて河内路に向かわせた。
(甲府盆地南部は既に福島らによって占領されていたので、後方攪乱を命じたと思われる。)

信虎がようやく勝利を得た後、矢作はどうしたかと尋ねると、「これこれの働きがありましたが、
ついに館にこもって腹を切りました」ということだった。

信虎曰く、
「あの者を臆病というが、そうではない。あの者は『吹越』を心得ていて、敵の盛んなときは
いくさせず、敵の衰えを見て打ちかかるのだ。そうであるから自分は特に用いたのである。
そうでなければこのような働きはできなかっただろう。間に合わなかったのが残念だ」

といって涙を流したので、余人は恥じ入ったということである。

ストレス性腹痛持ちの、戦の呼吸に通じていたことをうまく生かしたいい話。




885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 01:57:19.22 ID:YRw8jWfq
過敏性腸症候群か

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 04:01:48.18 ID:lajj7EJG
権現様もIBSか?

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 12:23:55.58 ID:Po19ra4m
実際には戦争ではよくあることらしいぞ
ヤクザの抗争レベルでも漏らす人はいるというし

それを絵に描かせて後の戒めにするところが英雄の資質だと思う
現に同時代の武士たちがこの件で権現様をディスった話を見たことないし

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 12:39:31.27 ID:YNPNbj1q
三河武士がdisらないのは確かに不審極まりない

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 13:10:01.06 ID:GZnnr+Mc
ディスろうと思ったらすでに自らディスってたでござる

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 14:04:59.24 ID:9/Lr7fox
一応大久保忠世が笑ってなかった?

忠世「おおww殿wwよくぞご無事でwwで、その茶色いものは何ですかなwww」
家康「焼き味噌じゃ!」

こんな事があった後夜襲で武田軍蹴散らす忠世カッコイイ


891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 14:14:03.67 ID:qzH7lcSb
戦場では漏らすほど怖いのが当たり前だろうなぁ……。
実は本当に焼き味噌で、みなの気を紛らわすためにクソ扱いした可能性もある(実話なら)。

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 14:25:13.57 ID:pX6OK4FY
このとき確か権現様は一騎の状態で武田勢討ちつつ退却してたよな。
恐怖で漏らす以外に、
馬降りて帯といて用足す時間も余裕もないのは確か

893 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/29(日) 14:48:40.47 ID:oxipwqUu
現代でも米軍なんか敵地で食べる事の多い携帯食料の場合
あまり便が出ないような内容になってるらしいしな

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 14:56:15.88 ID:qzH7lcSb
だが、途中休憩で腹ごしらえして、無銭飲食でババアに追いかけられる余裕はあった権現様。
負け戦でもパネェw

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 14:59:56.95 ID:GZnnr+Mc
ババア「こんなこともあろうかと残飯だしといた。」

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 15:02:46.79 ID:lajj7EJG
伊賀越えでも催してた気が…

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 15:23:40.58 ID:HCUtjmm3
脱糞街道を行く
柴遼太郎著
民明書房刊

みんめいしょぼう、を一括変換できない
アップルはやっぱりダメな会社だw

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 15:24:30.15 ID:nmWn17Xt
家康公は幼少の頃、衆目の前で放尿して今川家の家臣に剛鍛さを感心されたんだよ。
大人になって放尿から脱糞と言う次のステップに進んだと考えられないだろうか?

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 15:25:49.33 ID:qzH7lcSb
前田利益「呼ばれた気がして」

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 16:07:46.53 ID:/9X8ZdMc
>>898
次のステップまで進まなくよかったな~
でも実はあの成分には・・・

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 16:23:53.73 ID:JycC5Jxc
天海「秀忠様、長命の秘訣は逃食、正直、日湯、陀羅尼、時折ご放糞あそぶ事ですぞぉ」

近衛信尋公、無双の美少年成りし故

2012年04月29日 21:08

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 16:46:59.81 ID:XSm62Ux7
新井白石の『白石先生紳書』より

『近衛信尹の養子にて、後陽成天皇の第四皇子であった近衛信尋公と言えば、御幼少の頃無双の美少年であったので、
伊達政宗、並びに藤堂高虎、柳生宗矩といった人々は、上洛する時は常に、心やすく出入りしていた。』

(応山公(信尋)御幼少の時に、無双の美少年成し故、政宗、并 藤堂泉州、柳生但馬等、常に上洛の時は、
心安く出入り有し。)

『中でも伊達政宗などは、このようにせっせと訪問したため気に入られ、大変に睦まじい仲となって、ひとしお昵懇の
間柄であった。
そうであったので今でも近衛家と伊達家は家礼関係(公家の間の一種の主従関係)を結んでいるのだという。
藤堂高虎は、信尋公の以前の邸宅を造営してさし上げたそうである。』

(政宗などこれを以ってや亦り給ひけん、限りなくむつまじくなりて、一入昵懇の御事也。干今(いまに)御家礼申給ふ。
藤堂此前の亭を造営してまゐらせしなり。)


近衛信尋に対して、柳生宗矩は28歳差、伊達政宗は32歳差、藤堂高虎にいたっては43歳差である。
こんな、孫みたいな高貴で学識豊かな美少年に、戦国乱世を生き抜いたいい年したおっさんたちが
メロメロになっていたわけである。貴種で美形だと、なるほど無敵なのである。

どうでもいいが、ここでもやっぱり伊達政宗の表記は「政宗」である。政宗と書かないといけない決まりでもあったのか?
そんなこともふと考えさせる逸話である。




903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 16:57:52.38 ID:TbMbEuJJ
東の政宗、西の輝元

あと名前で直接書かれてる人っていたっけ?

片桐貞隆の妻

2012年04月28日 21:07

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 22:59:01.40 ID:jCpxSmpK
 堺の商人今井宗薫の娘はその美しさが評判だったため、豊臣家臣大野治長の弟の大野治房が
見染めて妻に迎えようとしたが、治房の人柄を嫌った宗薫は娘を豊臣家の家老片桐且元の弟の
片桐貞隆に嫁がせた。このため、大野治房は大いに恨み、折りに触れて片桐兄弟の悪口を
豊臣秀頼に吹き込むようになった。
 大坂の陣が起きて片桐兄弟が大坂城を退去すると、貞隆の妻は堺の実家に身を寄せた。これを
知った大野治房は堺に兵を送って貞隆の妻を奪おうとした。このことを片桐貞隆に知らせる者が
いたので、貞隆はすぐさま家来の多羅尾半左衛門と富田太郎助の2人に20名の足軽をつけて
救出に向かわせた。だが、到着した時には堺の今井家は治房の兵に包囲されていた。
 多羅尾たちは包囲を破って今井家に駆け込んだが、貞隆の妻は もはや逃げられぬと覚悟を決め、
下女に屋敷に火をかけるよう命じ、自らは薙刀を構えて多羅尾たちを引き連れて敵陣に乗り込んだ。
そして、彼女は敵兵を3人斬り捨てると、「夫に仕える女の手本にせよ」と叫んで炎上する
屋敷へ飛び込んで命を落とした。この時、彼女は21歳であった。そして、家来の多羅尾、富田、
それに従う足軽20名、全員一歩も退かずに戦死したという。




866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 23:11:04.45 ID:Bw6SwRM9
貞隆の妻と多羅尾、富田勢は武家として素晴らしいが、
いい話ではないよね

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 23:39:34.83 ID:Gr9i8tXX
現代の感覚でいえばな

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 23:48:25.52 ID:aRBLUkzS
>>864
なんか玉さんの悲劇再びって感じだな

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 00:20:42.00 ID:GrrOMxVm
>>867
戦国の感覚でも女欲から、
あたら立派な女丈夫と退かない侍が死んだのは悪い話だろ

信玄の息子のバランス感覚

2012年04月28日 21:07

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 00:35:50.63 ID:Os/c6xpV
この前信州に旅行した時高遠城で拾った小ネタ

仁科盛信と言えば織田の武田攻めに高遠城で抵抗し、勇名を馳せた武田家一門衆の一人であるが
「信盛」と記された資料も散見される。
名前の書き間違えなどよくある事、と言ってしまえばその通りなのだが、
自著(祐筆だろうが)らしきものにも「信盛」の名がみられるから少々話は違う

そこで、「盛信」という名が仁科氏の通字「盛」と武田氏の通字「信」の組み合わせである事に
着目して資料を見比べると、ある事実が見えてくる
つまり、仁科家当主としての署名には「盛信」の名を用い、武田家一門としての署名には
「信盛」を使っていたらしい。

信濃の名跡を継承した信玄の息子のバランス感覚の話。




872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 07:59:04.86 ID:BogkPxrH
武田信信殿
仁科盛盛殿
御両名は果報者にござるな

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 11:10:57.93 ID:mqGn+IEd
>>870
長野県歌「信濃の国」に出てくる仁科の五郎信盛は間違いでは無かったのか

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 18:42:35.78 ID:vSzXSud1
>>870

大久保忠世「秀康公、秀忠公ともに頭はあの秀吉めの秀!無念至極!!」
鳥居元忠「ん・・ちょっと待て、ならば江戸では康秀、忠秀公にすればよいではないか!」
青山忠成「それイイね!」
大久保忠隣「そもそも筋から言えば広忠公の’忠’の字こそ御名にふさわしからん。」
酒井重忠「若が、それがしと同じ字をお持ちになるのか、よいのぅ・・。」
本多忠勝「あ、殿!鳥居殿がいますっげー事思いついたんです!聞いて聞いて!」

徳川家康「四男からは頭文字’忠’にするんで許して下さい(´;ω;`)」

毛利元就・土竜攻め

2012年04月28日 21:07

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 19:51:20.78 ID:3opbs+Zy
石見銀山の支配権を巡り、毛利氏と尼子氏が激しく争っていた永禄2年(1559)2月、毛利元就は次男・吉川元春に、
尼子に味方する小笠原長雄の居城・温湯城の攻略を命じた。

しかし、信濃守護家の流れを汲むという長雄の篭る要害は、元春の猛攻をも弾き返し、長男隆元・三男隆景そして
元就自身までもが温湯に出陣、毛利家総出で攻城に当たる事態に陥った。

「父上、申し訳ございませぬ・・・!」
「よい、元春。このまま、お前も攻め手に加われ。かくなる上は土竜攻めじゃ。金掘り衆をもって山腹を掘り進め、
城の本丸まで抜け穴を作り、一気に内側より奇襲をかけよ!」

元就号令のもと、石見銀山の鉱夫が集められ、連日に渡り坑道が掘り進められた、ある日のこと。

「おい、こっちに空洞があるぞ!」
「本当か!?よし、好都合じゃ。そっちを掘れ、掘れ!!」
工事がはかどる、とばかりに喜んだ鉱夫たちが空洞を掘り広げたその先には、

人がいた。

なんと城方でも同じ事を企て、坑道を掘っていたのだ。
「や、やぁ」「お、おぅ」予期せぬトンネル開通を祝い、感動のうちに両者は固い握手を交わし、
・・・となるハズもなく、文字通り日の当たらぬ場所で泥仕合が始まった。

結局毛利軍は城方に撃退され、土竜攻めに失敗。あきらめた元就は普通に兵糧攻めを行うことを決意、
半年近く経った7月下旬、城主・長雄の降伏により、毛利氏が1万2千余の軍勢を動員した城攻めは
ごく平凡な結末を見たという、珍しく元就の策が見事な空振りに終わった話。(毛利元就記より)


この土竜攻めの際、毛利軍は5ヶ所を基点に坑道を掘り進めたが、そのうち3ヶ所で城方との遭遇戦が
発生したそうな。どんだけ穴掘ったんだ。
というわけで邑智郡川本町にお住まいの方、謀神の遺産による突然の落盤にご注意ください。




882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 19:58:46.34 ID:Gr9i8tXX
元就も特別城攻めが上手いわけでもないからなぁ

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 20:02:37.02 ID:zJ1GDEEy
墨攻とか大河ドラマの風林火山で見たけどこういうの”地聴”というんだっけ?

攻城側の土竜攻めへの籠城側対抗策として、水を溜めた壺の波紋や地面から
聴こえる音から穴を掘ってくる方向を推測して、籠城側は待ち構えたり自らも
穴を掘ったりして迎撃するってやつ

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 20:19:32.98 ID:eQGgxCp7
土竜攻め専門集団を描いた、森秀樹のコミック「ムカデ戦記(だったかな?)」は佳作
未完なのがアレだが

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 20:47:31.75 ID:pO/cu9x+
土竜が後のドリルの語源となったのは明白である

民明書房「戦国の土木工事とその影響」

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 21:00:41.58 ID:C0kjWfgU
民明書房ww

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 21:06:57.86 ID:DNYqN2Ej
>>887
ちょっと感心してしもた

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 21:16:59.06 ID:aRBLUkzS
>>881
尼子は晴久生存中は防衛頑張ってよく持ちこたえてたからなあ
晴久が死んで一気にパワーバランスが崩壊してしまった

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 22:20:57.27 ID:csVhjffg
>>891
義久も頑張った・・・ただ既に詰んでいただけ

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 22:54:11.64 ID:UxggQZCc
まあ頑張ってもどうしようも無い事ってのもあるからな

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 22:55:47.89 ID:cBvYqb8m
>>885
金堀衆の話で本当にあったのは松山城攻城戦のみ

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 01:03:23.64 ID:yJBmqSaU
どこ松山城? ○○松山城多すぎるわw

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 03:26:55.87 ID:Cwtarezc
現代でも水道管の水漏れは地面の音聞いて調べてるんじゃなかったかな?
まぁ、20年位前の話だから今はどうなってるかわからんが~

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 08:29:03.00 ID:ADAx9Xiz
水道管のパイプを叩いてその反響音で水漏れを確認するんじゃなかったか

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 08:36:15.50 ID:XkUnnREn
>>897
武蔵松山城だろ
今は東松山になっているけど

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 11:32:30.94 ID:GllQPPuK
>>902
東松山と言えば、20年くらい前に見た「さいたま軒」という
ラーメン屋だけは忘れられん。

埼玉県とは言え、コテコテすぎるネーミングだろw

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 03:55:42.38 ID:WH887MC1
>>881
三国志だけど、曹操が官渡の戦いであらかじめ深い塹壕掘っておいて、地下から攻めようとする袁紹軍が
その塹壕に堀り当たって顔出してきたとこを撃退してるし古典的な攻防なのかな

そこで信長、十数枚の銭を取り出して

2012年04月28日 21:07

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 20:15:14.99 ID:eGNHR97R
織田信長を語る上で、外せないのが桶狭間合戦。
合戦前後を含めたエピソードは真偽不明のものまで混在して事かかないが、その中の一つ。

敦盛舞って湯漬け食って飛び出した信長は、熱田神宮に参拝しつつ味方を待つ。
が、相手は大軍で兵士達の意気は上がらない。
そこで信長、十数枚の銭を取り出して、
「天意をうかがおう。ばらまいて表の面が多く出れば勝ちだ」
と、放り投げた。
皆が注視する中、音を立てて落ちた銭は……なんと、一枚残らず表!
これを見た織田兵は勇気百倍、勇んで戦いに望んだという――
……実はこの銭、両面を打ち付けて全部表が出るように細工したもの。
味方を奮い立たせる信長の、知恵であった。

が。
実はこの話、中国・宋代の名将・狄青の逸話とそっくり。
信長公記のような信憑性ある史料には欠片も乗っていないことから、中国の故事を下敷きにした
創作なのはまず確実。
信長が故智に倣った可能性はまぁゼロではないだろうが……。
銭絡みだけにマネーしたのか、というオチの悪い話w




886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 20:45:09.45 ID:BHLm4ZgG
>>884
仕込み乙
大事な合戦前にコソコソ白鷺用意したり銭に細工したりしてる
細かい信長想像したらちょっとワロタ

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 21:34:11.86 ID:feGE4p3n
>>884
秀吉で同じような話(江が主人公の歴史番組)をテレビで見たが、
江が秀吉を嫌ったのはこんなにずる賢いことから、ってことになってた

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 22:05:01.27 ID:DQT7KR/5
>江が秀吉を嫌ったのはこんなにずる賢いことから
この時代だと「故事に倣う謀をするなんて、教養のあるお方」となるのが普通のはずなんだがなぁ
現代との共通点を見出すのは悪いことではないと思うが
当時の文化・教育をガン無視して現代の感性を押し付ける悪癖は何とかならんものか

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 01:07:26.88 ID:qKG7mcJe
じゃあ、江は伯父さんも嫌いだったのかな?

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 01:34:10.39 ID:Xj3BDm3o
まああの手のインチキもとい演出って、騙される方も、わかってて騙されてるもんだからねえ。
全部わかった上で、空気を読んで盛り上がる。
戦国時代の人は、神意だなんて単純に喜ぶ段階は、さすがにもう抜けだしてるw

『当代記』より、荒木村重謀反の理由

2012年04月28日 21:06

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 14:19:06.95 ID:lxgRHWqB
『天正6年(1578)10月、荒木摂津守(村重)反逆のこと、方々より注進があった。
信長はこれを聞き及び、
『これはきっと、村重が何者かに騙されているのだ。そうであれば宥めることが出来るはずだ!』
そう考え、松井友閑、惟任(明智光秀)、万見仙千代を10月下旬に遣わした。

村重は家老に対し、彼らと対面し、近いうちに信長のもとに出仕すると言うつもりだ、と伝えた。
しかしこれを聞いた家老は、すかさず諫言に及んだ

「この度の事は、もはやその科を逃れることは出来ません!このまま出仕を止められるべきです!」

村重も内々にそう考えていたので、家老の意見に同調し、使いの三人に対面すると、そう言い切って、
信長への敵対の姿勢をはっきりと打ち出した。

そもそも荒木村重は、信長の厚恩により出頭した者であって、特に摂津一国を与えられ、反逆など
有り様はずもなかったのだが、彼に対して、信長の寵愛する小姓、長谷川藤五郎(秀一)がしきりに慮外を企てた。

ある時のこと、信長が三河岡崎城を訪問した時、それに従っていた荒木村重が門の所に立っていたところ、
長谷川は2階から、村重に向かって尿をしかけた。

これに気がついた人が、村重にそのことを伝えたが、村重は「苦しからず」と言ってその場を立ち去ろうとしなかった。

こんな事があったために、謀反に及んだのだ、と言われている。』

つまり、当時信長の寵童であった長谷川の嫌がらせに当初は耐えたものの、これが原因で、そんな長谷川を
重用している信長に対し逆心を抱いたのだ、ということである。

『当代記』より、荒木村重謀反の理由についての記載である。




905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 16:13:06.62 ID:5D9Lsl0e
竹中半兵衛「その程度で逆心とは、なんと器の小さい男」

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 16:33:07.14 ID:IAX/Zo7P
長谷川がこういう軽薄なことするイメージにピンとこない
逸話レベルとしても人選がどうしてこうなったかに興味

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 17:14:11.30 ID:Uc5/dZXL
織田家中で重用されてなかったうえに
信長の小姓にまでこんな扱いされたら謀反するかもしれん

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 20:00:04.57 ID:dNIuXleX
創作臭いが、実際になぜ荒木が謀反したのかって謎が多いからな……。
ボンバーマンと違って……おやだれk(ry

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 20:04:31.53 ID:43tvGGII
>>906
江戸時代まで残ってた家は悪役に使いづらいからじゃね?
長谷川家って途絶えてたよね?

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 20:39:47.48 ID:ZWEDU/G3
>>905
先越された

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 22:59:08.32 ID:w5fKeVgs
秀吉もトイレでわざとおしっこかけられて相手に謝罪させた上で
名前を売っていたらしいがw

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 00:00:14.41 ID:KLkzLPcu
>>909
荒木攻めで死んだ万見仙千代あたりで因縁話にする方が分かりやすい気もするなぁ

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 17:42:46.39 ID:TbMbEuJJ
>>908
中川清秀にハメられただけのような気がしないでもない

織田信雄、高野聖の処刑にて

2012年04月27日 21:18

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 22:25:10.74 ID:9j97hhVT
荒木村重の織田信長への謀反が起こる。
その謀反に味方したものの中に高野聖があり、それが高野山に逃げ込んだ。
信長はその者たちを差し出せと使者を送ったが、高野山では僧徒がこの使者の態度に怒り、これを殺してしまった。
この事態に信長は激怒、『諸国の高野聖を捕えて殺せ!』との命令を発した。

そこで伊勢でも数百人の高野聖やその関係者が捕らえられ、松ヶ島で処刑される事となった。
この処刑を、織田信雄・信孝兄弟が検分した。

処刑は次々と行われ、最後に15歳くらいの少年が引き出された。
この少年が顔を上げる。…と、

「…!!まて!その処刑、待て!!」

織田信雄が突然これを止めた。少年はその容貌、非常に美しく、信雄は彼を見初めてしまったのだ。

「この者は、私の名において助命いたす!」

信雄はそう宣言し、少年の身柄を引き取った。

この様子を見ていた織田信孝は、白子杢右衛門尉というものを呼び出すと、いきなり呟いた

「尻ゆえにこそ命たすかれ」

これに白子はすぐさま

「蜘蛛(ささがに)の 糸あはれにも引き出して」

と、上の句を付けたという。信雄への強い皮肉である。
信雄はこの少年に「道也」と名をつけ寵愛し、彼は信雄のもとで大いに「出頭」したという。

この軍記を書いた作者は、当時の世相をこの様に書いている
『今、諸家では男色に溺れ、佞者を愛し、そういう者に大きな知行を与えて国を乱すものが多数いる。』

傾国の美女ならぬ、傾国の美少年が数多いた時代の記録である
(勢州戦記)




842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 23:00:44.06 ID:1+sm0Z9E
のぶおタン…

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 23:03:56.24 ID:iCm/wXfL
高虎が側近達の衆道狂いに悩まされて禁止するためにあの手この手を考えるちょっと悪い話もあったな

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 23:07:57.43 ID:O15v/WLk
修道ネタが多いほど資料としての価値の低さを無視して引用されるのが困ったもの

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 23:20:20.14 ID:bsD0EtDT
尻一つで!!

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 23:26:24.04 ID:fSlqgVWm
まあここは逸話スレだし

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 00:30:06.30 ID:cqEC5bYf
>>840
久々に笑ったw

山口築山館の怪異

2012年04月27日 21:18

848 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/27(金) 06:55:28.68 ID:q7I+YgjL
史料価値なんて知ったことか!
ってことで角川書店の日本の伝説 35巻をソースにして一つ。

かつて応永の乱の主役たる大内義弘が築いた山口の築山館。
その庭園には「月見の松」なる名木があり、
その月影に映える枝ぶりは代々の当主の心を大いに和ませるものであった。

さて、天文十五年。大内義隆公の御世のことである。
この築山館にて松の枝に掛かる秋月を肴に義隆公が月見の宴を開いていたところ、
館の塀の上に怪しげな影の一つ、蠢くものがあった。
義隆公は大いに怪しみ、急ぎ宿直の者を呼びつけてこれを撃つように命じる。
命ぜられた武士、松原隆則は弓矢を取り出してひょうと射放つと、矢は狙いあまたず影を射抜き、
射抜かれた影はどうと庭へと崩れ落ちた。
この時射殺された影を改めて見ると、それはまごう事なき天花畑の山奥に潜む山姥の姿で、
これを見事退治した松原隆則は大いにその面目を施したという。

だが、常日頃になき妖怪の出没は、周防の人々によからぬ事が起きる予兆を強く感じさせた。
そして果たして五年後の天文二十年、陶晴賢の謀叛により大内義隆公は太寧寺に自刃に追い込まれ、
件の松原隆則も主君を守って遭えなく討ち死にを遂げてしまうのである。

大内家の衰運が妖怪を呼び込んだか、
はたまた妖怪の呪詛が大内家を衰亡に導いたか、
どっちにしてもいい話じゃなさそうなお話




849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 09:10:13.58 ID:iboM5bqg
認知症の婆ちゃんが迷い込んだだけだったりしてな

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/27(金) 12:27:53.45 ID:ElSl2FII
>>849
ありうるw

虎姫の戦い

2012年04月26日 21:14

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 20:57:25.11 ID:sev6+b2r
虎姫の戦い

賤ヶ岳で有名な鬼玄蕃・佐久間盛政が滅んだ時、一人娘である虎姫が残された。

盛政を高く評価していた秀吉は、この虎姫の結婚の仲立ちをした。
結婚相手は何と、その佐久間盛政が賤ヶ岳においてその陣を急襲し討ち死にさせた中川清秀の次男、
中川秀成であった。
秀成の兄、播州三木城・6万6千石の中川秀正が文禄二年(1594)、朝鮮水原城のほとりで
鷹狩りをしていたところを毒矢で射かけられて没すると、秀吉は秀成に家督を継ぐことを
認めると同時に、この結婚を命じたのだ。

中川家では佐久間盛政との戦いで、清秀を始めとして多数の死者を出したこともあって、この結婚に
大いに不満であったが、秀吉の命には逆らえず、秀成は虎姫を迎えた。

しかしこの夫婦の仲は至って良く、嫡男久盛をはじめ、多くの子宝に恵まれた。

慶長15年(1610)1月、7人目の子を妊娠した虎姫は、夫・秀成に願い事をした

「もし今度の子供が男子ならば、その子に盛政の佐久間家を継がせたいのです。」

はたして生まれた子は男子であった。ところが虎姫は産後の肥立ちが悪く、間もなく死んでしまう。
しかし秀成は妻との約束を守った。彼は生まれた子を内記と名付けると、これを佐久間盛政の弟、勝之
(鬼玄蕃の弟たちのその後http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6335.htmlこの話の佐久間源六)
に養子に出した。勝之はこの甥を養育し、元服すると『佐久間勝成』を名乗らせ、自分の娘と結婚させた。
ここに盛政流佐久間家の復興は成った。

この後、この新生佐久間家は中川家の親族衆として存続、明治まで至る。

余談だが、虎姫は息子である嫡男の中川久盛にも一つ頼みごとをしていた。それは父、佐久間盛政
菩提寺を建立して欲しい、ということであった。

彼も母の死後、その約束を果たした。その菩提寺の名は『英雄寺』という。


佐久間盛政の娘、虎姫の、佐久間家のための戦いであった。





842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 21:26:20.78 ID:esZJkMB/
またもイイ話

映画化されてもいいくらいだと思うが
賤ヶ岳の戦犯にされてるから
あまり世間受けしないのかな?

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 21:41:29.74 ID:GEiclbes
シエや山内妻の活躍なんかが捏造されるのに比べて
こういう実際にあった女性の働きが埋もれるのはもどかしいな

小早川隆景「松永久秀の謀反は…」

2012年04月26日 21:14

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 22:18:53.88 ID:VgSLHNA0
毛利家が木津川河口で織田水軍に勝利した翌年の話である。

毛利家は石山本願寺、上杉家と連携して中央の織田勢力を圧迫し始めていた。
そんなおり畿内より毛利家に朗報が入ってきた。

「松永弾正久秀、織田信長に対し謀反!」

誰しもこの吉事を喜んだがこの男だけは冷静にこう言った。

小早川隆景松永久秀の謀反は少しばかり早すぎた。おそらく本意を遂げずに自滅するだろう。」

それからまもなく松永久秀は大和信貴山城を織田軍に囲まれ
隆景の言葉通りに最後は盛大に自滅して果てたのである。




845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 22:37:39.63 ID:S4zHkS7B
隆景さんのダメ出しは日ノ本一!

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 01:04:01.37 ID:gKdJ4D5i
直江「ウズウズ」

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 01:46:43.10 ID:2jF/kqBV
なにをもって早すぎなのか、遅すぎなら分かるが

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 05:55:03.33 ID:eBgwy8xf
>>847
まだ別所、荒木が謀反してないからでは?

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 18:35:27.65 ID:30GA2CXF
>>844
10月10日
松永久秀は死亡する
Dead END

雑談・天下人の大名処分のことなど

2012年04月26日 21:14

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 01:25:57.11 ID:1aW69wHh
秀吉も信雄丹羽大友蒲生と短期間で大減封しまくったうえに小早川乗っ取ってるぞ
秀次まで潰してしまったが

権力確立してから寿命までの時間が他に比べ短いというのもあるし

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 05:41:47.28 ID:VXdQCCzc
信雄はともかく他は相応の理由があるじゃねーか

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 13:24:13.13 ID:kS06K2bd
理由=俺が気にくわないからみたいなもんか

大友・波多あたりは朝鮮征伐が原因だけど…

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 14:17:54.67 ID:dCFjanja
既得権丸呑みって徳川幕府までずっとそうなんだけどな。

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 18:51:32.85 ID:1aW69wHh
>>807
理由が無きゃ潰せんよ
初期の徳川幕府だって一応理由付けはしてる

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 19:04:26.09 ID:wivtCGN9
信長「追放の理由は、直筆で余す所なく伝えるものだよな」

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 19:20:38.35 ID:1lUak4IF
考えてみれば、右筆が当たり前のこの自体に直筆の折檻状って律儀だな
別に使者を立てて口頭で処分を伝えるだけでもいいのに

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 19:31:14.33 ID:VgSLHNA0
>>806
漫画の読みすぎだろ
秀吉は中央集権化にほとんど興味もってないぞ

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 19:54:31.28 ID:S4zHkS7B
>>812
律儀というよりも、自分で罵詈雑言を書きたくなる位にご立腹ってことなんじゃないかな?
一言いわなきゃ気がすまいってことは我々でもあるじゃないですか~

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 23:56:10.93 ID:V/yQIQPG
信長は近江(京東)を引っ掻き回して
秀吉は淀川流域(京西)をハチャメチャにした、
そんなイメージ>既得権

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 00:50:52.15 ID:EqWOOmgl
>>806
これだけ潰した割には豊臣本家にたいして実入りがないんだよな
太閤蔵入地とかあるとはいうものの
子飼いも関ケ原まではそこそこの中堅大名以下しかいないし、浮いた分
徳川前田に持ってかれただけな気がしなくもない

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 03:49:53.84 ID:w/H5xH0i
前田は豊臣の与党だから大丈夫だと思ったんだろう
問題は徳川に関東まるごとくれてやったことだと思う。あれで抜きん出た勢力になっちまった
家康は東海に留めて関東は上杉・佐竹・豊臣旗本あたりで割るべきだったんじゃないのかね
お互いに牽制させる感じで勢力を拮抗させた方が家康も動きにくいだろう

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 04:37:47.37 ID:55TkOpAK
まあ、転封を拒否したり統治をミスれば処分できたわけだからなあ
信雄とか佐々成政みたいにさ
本貫地含む自力で取って手塩にかけた領地を取り上げて、
直前までの敵地に移しちゃうわけだから、問題も何も相当に酷い処遇だろ

まあそれをうまく切り抜けた家康のファインプレーだけどな

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 04:43:10.77 ID:ysZNjGzy
また切り抜けられるだけの下地を北条が作っていたからな。
独自に検地済みだし、佐々のしくじりの元になったような国人層は潰していたか官僚化済だったし。
家康にしても甲斐や駿河で自領化に成功していた経験もあったし。

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 08:45:46.93 ID:maciCzzR
関東は堀にやる予定だったとか見た覚えがある
小田原征伐のときに病没したから徳川になったんだね
珍説で堀が生きてたら徳川は会津という話もあったからもし実現してれば
伊達徳川の面白い逸話が生まれたかもしれん

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 10:59:04.74 ID:Go6ipyJ+
俺が秀吉なら東北全部取り潰して家康にくれてやる
関東なんて平将門の時代から何度も中央に反乱起こして
独立志向が強い土地柄なのに危険すぎるわ

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 11:29:05.06 ID:acoxwNRe
独立思考が強い奴はそれぞれ相手を牽制しあってもらった方が動きとれないと思うがなあ

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 11:47:34.98 ID:JGJZLesC
家康に関しては長久手で負けたのが全て。
結果論だけなら天下統一が遅れようがなにしようが潰れるまでとことんやるべきだった。

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 12:26:26.40 ID:93dG/gz8
ずっと徳川を押さえつけられると思ってたとは思えないし
先に家康死ねばどうとでも出来るっておもってたのかなあ

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 16:11:03.52 ID:mYlh5woA
趣味が薬作りの奴に寿命競争挑む訳ないだろうが
そもそも秀吉の方が年上だろ

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 16:15:18.59 ID:OExFLsTV
家康を心底信頼するようになったとか?
自分が信長の子弟にやった事を忘れて……。

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 17:34:04.94 ID:g2SOi90b
秀吉は、臣従後の家康を心底信頼しているんだよね。それこそ小早川隆景と並んで東西の双璧にするくらい。
で、家康の方も秀吉に、心底忠実に仕えている。

秀吉死後も、家康は一般に言われているのとは違い、あくまで豊臣政権の宰相として行動しているし、
関ヶ原も徳川派vs豊臣派というのはやはり間違いで、あくまで豊臣政権内の主導権争いと見るべきだろうね。
それが徳川幕府の開府に至っちゃうのは、その後のいろいろややこしい過程があるわけで。

いい話スレのほうで話に出てたけど、徳川幕府は本当に大阪の陣直前まで、大名の羽柴姓を普通に
許容していた。これは徳川の方には豊臣を滅ぼそうとする積極的な意思はなかった、と見ていいと思うよ。
少なくとも秀吉がやったような、織田家権力の簒奪のような行為は、家康はやっていない。

個人的には大阪の陣の勃発は、冬夏共に豊臣家側の挑発・暴発が大きな理由だと思う。

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 18:15:12.99 ID:55TkOpAK
それはちょっと好意的にすぎると思うけれど、
当初は豊臣を滅ぼす気はなかったとも思うね
つっぱねまくるんだもん、あいつら

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 18:57:18.23 ID:30GA2CXF
>>827
>それこそ小早川隆景と並んで東西の双璧にするくらい。

なるほど豊臣両川体制か。

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 20:01:36.15 ID:iCm/wXfL
秀吉は堀と蒲生に惚れてるとしか思えないくらい重用してたよね
どちらも早世してしまったから重用に値するほど大名としての能力あったのかイマイチ判断できないけど

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 20:10:17.14 ID:bHClotPq
長谷川秀一も彼らほど優遇はされてないが15万石も貰ってた。信長小姓衆への待遇は悪くないな。

ただし矢部、おめーはダメだ

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 20:54:29.95 ID:fSlqgVWm
楊枝くらい作ったっていいじゃない

週刊ブログ拍手ランキング04・18~・25

2012年04月25日 21:10

04・18~・25のブログ拍手ランキングです!


鬼玄蕃の弟たちのその後 176

雑談・日本産の銅って… 87

がめつくない高虎の話 72
鍋島舎人助に仕えた草履取りの話をしよう。 50

変なところで素直な土一揆 47
本阿弥光二と信長 45
吉川元春「誰が行くか!」 43

南部藩の二代目藩主、南部重直は 35
他家に厳しい三歳さまが珍しく?気配りするお話 34
勝茂公が江戸城へ登城なさったとき 33

佐久間信盛と『播知釜』 27
雑談・九州情勢は複雑怪奇 24
雑談・武将の弟などのこと 23

夢を語るには早すぎた隆信 21
服部小平太の墓?の悪い話 21
「新宮党粛清」 20

太閤様も認める九州の強者竜造寺 18
吉川元春、小早川隆景に 7
「貝塚日記」、天正13年(1585)の記事より 7
合計 1002



今週の1位は、凄い拍手数ですね~! 鬼玄蕃の弟たちのその後  です!
あの佐久間盛政の弟に、こんな物語があったとは。とても波乱に飛んでいて、そしていい話で、
小説としてじっくり読みたくなるようなお話ですね。どこか歴史小説にしてくれないものかw

そして家康の、実に家康らしい心遣いにもグッと来ました。家康のこういう話は、秀吉のように
派手ではないですが、それだけに心にしみるものも感じますね。

そしてこういう、世間的にはマイナーな人物の逸話が評価されるのは、なんだか嬉しいですw


2位は!…え? 雑談・日本産の銅って…  です!銅してこうなった!?
シャレのつもりで掲載したら拍手がこんなに伸びてるじゃないですかー!みんな銅かしてるよ!
悪乗りにもほ銅がありますぞ!いったいこのブログを何だと思って…
一銅、深刻に反省するように。
ところで銅のラテン語名cuprumの語源は「キプロス島の真鍮」なんだって。銅豆知識



今週管理人が気になったお話はこちら! がめつくない高虎の話 です!

この逸話、高虎も正信もそうですが、とても戦国乱世を生き延びた人たちの会話には思えませんね。
思考内容が、近世の人たちのようです。
同時代的な意識としては、藤堂家の家臣たちの反応のほうが正しいw

この人達はある意味、意識の上で時代を先取りしていたのでしょうね。
それゆえに色々と、反発を買ったり、不気味に思われたのかもしれません。
ちょっとそんな事を考えてしまったお話でした。


今週も沢山の拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )



今週は、せっかくのGWに、がっつり歴史の本を読んでみたい、という方におすすめしたいシリーズをご紹介!

吉川弘文館「戦争の日本史」シリーズです!
http://www.yoshikawa-k.co.jp/search/index.php?page=1

このシリーズ、戦国のみを対象にしたわけではありませんが、どの本も非常に読み応えがあり、
知的刺激をたくさん与えてくれると思います。

個人的には

9・応仁・文明の乱
10・東国の戦国合戦
11・畿内・近国の戦国合戦

14・一向一揆と石山合戦
16・文禄・慶長の役
17・関ヶ原合戦と大坂の陣

このあたりおすすめです!あと戦国ではないですが

8・南北朝の動乱

も面白かったですw
少し大きめの図書館などなら、置いてあるところも多いかと思います。
GW、少々重ためのこういう本で、歴史に浸ってみてはいかがでしょうか?

土井利勝「こたびの恩賞として、将軍様より忠興様に」

2012年04月25日 21:09

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 20:15:22.14 ID:XUqmZnpg
いまの勢いならまとめブログのエピソード数で鎮西一になれそうな三斎様の話。
(ネタ元は今谷明の本)

土井利勝「こたびの大阪夏の陣の活躍、見事でございました。
大御所様も将軍様もことのほかお喜びです」
忠興「うむ、わざわざのお出ましごくろうにござる」
利勝「こたびの恩賞として、将軍様より忠興様に松平の姓を贈りたいとのこと。謹んで受けられますよう」

忠興「それはありがたきお言葉。だが、断る!」
利勝「!?」
忠興「(自称といえどもも八幡太郎義家公に連なる)徳川姓ならもらってもようござるが」
利勝「そ、それは…(ワシだって名乗りたいわ)」
利勝「しかし九州に重きを成す忠興様がいつまでも羽柴姓というのは風聞も悪く…」
忠興「では、本日より旧姓の細川に復する所存」
利勝「ですが大御所様、将軍様のお顔をお立てになって、ここはなんとか…」
忠興「お気持ちはありがたく、受け取ってござる。だが、断る」
忠興(源氏の名門の姓・細川が、どこの馬の骨とも知れぬ松平姓など名乗れるものか)

この時は羽柴忠興ではなく豊臣忠興だったはず…とか眉唾な箇所はあるものの
三斎さまの(血筋が)いい話。





801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 20:26:53.27 ID:h79d/JCj
明治まで松平姓名乗っていた久松さんが怒るよ

真面目な話すると松平氏って新田の流れの可能性高いんでしょ?
それなら義家公の流れも嘘ではないだろ

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 20:40:53.06 ID:jhfm9YSD
まあ、仮に嘘ではないにしても超傍流なことは間違いないしなあw
それに室町時代京都で細川がブイブイいわせていた時代は、三河や近江で、京都伊勢氏の被官になって
コソコソやってて、阿波細川が三河守護についてた時代に、「あの松平ってのをなんとかしろ!」って怒られたりw

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 20:58:32.98 ID:FFWHWAK/
モノホンの源氏末裔の佐竹さんちに、
「松平? 徳川? どこの馬の骨よ」とかディスられてたし
格式だけなら細川の方が上っぽいよな。

804 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/24(火) 20:59:09.84 ID:h79d/JCj
まあ名を成した後は血統にカリスマ持たせる必要も出てくるけど(名を成せば自然と血にカリスマが宿る面もある)、
基本、武家は血筋誇るより武勇と情けがあるかどうかだ。
義家公に武士は己の卑賤をわきまえよ!の教えがあるくらいだし

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 21:04:25.64 ID:jhfm9YSD
室町時代の松平がどんなだったかといえば、松平一族のうち近江で琵琶湖の湊の奉行やってた人が、
鮒寿司の売買代金で不正していると領民から訴えられるとか、そんな程度の一族だったわけでw

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 21:26:12.63 ID:cjGGF7Xm
わざわざ家康が改姓してるくらいだからな「松平」姓は
相当イメージが悪かったんだろう
イメチェンして大成功だね家康

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 21:50:02.02 ID:ChiHxTWq
>>803
八幡太郎義家>>>>>>>>>>>>>>>新羅三郎義光

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 21:58:55.67 ID:WqLBFTgC
羽柴姓の方が松平姓より酷いと思うけど
単に語感の問題なのか!?

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 22:08:47.01 ID:tmxNn1P1
徳川相手なら断っても大丈夫
しかし、しかしだ
万が一秀吉相手に断ろうものなら・・・

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 22:10:17.51 ID:lClNoC5X
>>811
忠興の場合、自分より先に息子の忠利の方が、秀忠から細川性を許された事をむかついていたのかもしれんなw

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 22:12:55.85 ID:1KuA/7RD
ガチの血統コンプもちの天下人相手に断ったら家が危ないわな…

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 22:20:37.04 ID:1FAzaDde
けど、細川幽斎って、どこの馬の骨かわからない。
って、説がなかったっけ?

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 22:27:40.67 ID:WqLBFTgC
自称細川と自称新田か

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 22:39:22.20 ID:lClNoC5X
>>815
細川幽斎の父親が三淵晴員で、三淵晴員の父親が細川元有(和泉細川氏)で、ああややこしいw
異聞としては足利義晴のご落胤だというが、そうでなくてもまあ、家柄的にはしっかりしてると思う。

そういえば細川幽斎は、信長の上洛の後、細川宗家である京兆家を乗っ取ろうとしたフシがあるとかないとかw

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 22:41:38.03 ID:h79d/JCj
てゆーか養子文化バリバリだった日本で確かな血統なんて天皇家、一部の高家、社家、伝統芸能家くらいだろうな

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 22:43:33.92 ID:u3gAmF+A
徳川家も犬の骨から始まって、さらに大奥で雑種大量生産したし
血筋に貴種を取り込むチャンスを全てフイにしたのは雑種のプライドでもあったんかね
現代の徳川さんが外国人と結婚したのも積み重ねた血筋からして仕方ないと納得してしまってる

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 22:56:28.90 ID:ZScI+8Mx
まぁ、姓を許すだの与えるだのって、別に与える方が驕ってるとか
頂く方が遜ってるっていうよりも、その時その時の現実的な力関係
の確認のための儀式みたいなもんであって、元々どっちの家の方が
格が上だとか由緒があるだとかってのを持ち出すのは野暮というか、
言わない約束でしょって暗黙の了解があったんじゃないかと。
あと、家系の仮冒も、多かれ少なかれお互い様的なところもあって、
いちいち突っ込まないで、まぁそういうことにしておきましょう、
みたいな。

じゃないと、こんな習慣自体が成り立たないでしょ。上も下も栄枯
盛衰いろいろあってぐっちゃぐちゃになった時代だったんだから。

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 01:28:11.83 ID:1aW69wHh
>>813
忠利は三斎様より幕府から高く評価されてた節もあるから仕方ない

822 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/25(水) 05:36:42.24 ID:96fv0lqu
今は姓も苗字もごっちゃだけど戦国辺りは分けてたろうし
そうすると>>800の話もややこしいよな・・

823 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/25(水) 12:03:49.02 ID:n92hjHvz
三斎さんは三河武士とは別の意味でめんどくさいからな~

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 12:15:47.41 ID:7rCINRqj
単純明快ですよー

奥方見に・・・→斬る!
黒田最高!→コロス

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 12:21:02.22 ID:h01f/8Ql
森忠政は親友なんだっけ? よく付き合えたな、お互い。

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 12:31:53.66 ID:rYdX8bRm
気分屋もしくは強力な信念の持ち主ほど、
好感を覚える相手には無条件に良くするものだ
これを素直と捉えるか、差別的と捉えるかは、

自由だ

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 13:59:37.75 ID:seBzc9SU
サバンナ高橋乙

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 18:38:26.29 ID:++oQDEik
利害から発したとはいえ、その利害の継続や別利害の因縁でないのなら
好きにしろ嫌いにしろ情の強い御方だったんじゃね?
ガラシャへの愛を考えれば、その情の強さが増に転じたと思えば理解しやすいんじゃなかろうか。
身内や格下と違って、その情を直接的な行動に訴えられないから、ネチネチとした方向に行くしかなかったとかで。

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 19:00:11.29 ID:8bqEdcUS
三斎様は精神的幼いんだよ。

つまり三斎様は何歳になろうとも三歳みたいな。


これは忠興、ではなく、
これはさておき、

三斎様の息子って秀吉の「秀」の字貰ってないね。
前田、島津、池田あたりもそうだけど。

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 19:28:05.00 ID:Q3JQoHVv
>>838
仁者のみよく人を好み、仁者のみよく人を憎む by孔子
ってやつですね

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 02:28:33.37 ID:ua7tc4Qs
亀レスだけど忠興が大阪の陣が終わるまで羽柴(豊臣?
の姓を名乗っていたのは意外。。。

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 10:33:18.34 ID:JGJZLesC
>>848
我らが森忠政も大坂の陣まで名乗りは羽柴右近なんだぜ

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/26(木) 18:38:22.58 ID:6bFgEfsV
前田利長は死ぬまで羽柴姓だったみたいね
利常は家督相続と同時に松平姓をもらったんだっけ?

雑談・三斎様お友達リスト

2012年04月25日 21:09

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 14:01:05.63 ID:fLZ+4sF5
三斎様お友達リスト
蒲生氏郷→真面目で優秀
島津忠恒→優秀DQN
立花宗茂→優秀で良識人
森忠政→優秀だが引っ越し するまでDQN
なんか縁がある人
政宗

とりあえず、癖があって優秀な人って言うのが共通点か?
異論あったら訂正よろしく!

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 14:05:58.88 ID:yOXu3+kU
>>828
藤堂高虎とも仲よかったはず
これは敵(黒田・地味加藤)の敵(藤堂)は味方、みたいな関係でもあるけど

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 14:06:32.41 ID:sev6+b2r
>>828
忠興と政宗共通の友人として、旗本の加賀爪忠澄という人がいるな。
忠興はこの人を心底信用していたし、政宗はこの人と殴りあいの喧嘩をしたw

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 14:12:03.57 ID:dxVXbeQH
七将襲撃事件のころは黒田さんとも仲良くしてたのにね

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 14:23:24.96 ID:HtrT9Jkl
共通の敵が居ればこそ

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 15:31:33.10 ID:ZSEvammA
>>829>>830
情報ありがとう!
[続・三斎様お友達リスト]蒲生氏郷→真面目で優秀 島津忠恒→優秀DQN
立花宗茂→優秀で良識人 森忠政→優秀だが引っ越 しするまでDQN
藤堂高虎→敵の敵は味方
加賀爪忠澄→政宗と共通の 友。拳で語る政宗→王義之の写本を半分こした友達。

友達多いな。他人には我慢できるけど、
家族には当たるタイプなのかな。

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 15:35:16.86 ID:M+sSCbui
そら徳川が皮肉たっぷりに「三成は我々にとっての大功労者w」と言い残すな。
文治憎しの一念で、天敵同士が結んで徳川の味方になるんだから。
原因はラスボスなのに……。

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 16:37:25.50 ID:VXdQCCzc
>>833
高虎が黒田と仲直りしたら警戒し始めたりしてる

刀剣鑑定のプロの一族が

2012年04月25日 21:09

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 21:02:44.99 ID:wGx4j7KU
 徳川二代将軍の秀忠は江戸の鉄砲町で刀鍛冶をしている繁慶という男の腕が良いという評判を聞き、
彼の作刀を取り寄せた。その出来があまりにも見事なので秀忠は本阿弥家の者に見せてみた。
本阿弥光悦を輩出した本阿弥家は戦国から江戸時代にかけて刀剣鑑定の家業で有名な一族である。
その本阿弥家の男は刀を一見してすぐさま「これは相州正宗のものでございます」と言った。
正宗は鎌倉時代に活躍した刀工の名前である。
「外れたわ。これは繁慶という男が最近作った刀だ」と言って秀忠は笑った。本阿弥は驚いて
刀に彫られた銘を確かめると、「恥ずかしいことです。しかしながら、今の世にこれほどの刀を打つ者が
いようとは思いませんでしたな」と絶賛した。当の本人の繁慶はこの話を聞いても喜ばず、
「俺の刀が正宗ごときの凡工の作と間違えられるとは」と不機嫌になった。

明治時代になり、大久保一翁という男が繁慶の刀を本阿弥長識に見せると
これもまた、見ただけでこの刀は正宗だと自信たっぷりに答えた。一翁に間違いを指摘されると
本阿弥長識は「正宗を模造して作ったのだから繁慶正宗と称するべきです」と開き直った。

刀剣鑑定のプロの一族が鑑定ミスを繰り返してしまったちょっとかっこ悪い話




798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 21:34:23.26 ID:tmxNn1P1
先祖は素直に過ちを認めたのに、
子孫は開き直りやがったwww

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 21:36:58.93 ID:LQPLLY1n
本阿弥は何でも正宗にするから困る。
でもリップサービスも仕事のうちだからシカタナイネ

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 21:40:40.90 ID:mAdre6UN
大久保一翁という男ってククリは、あんまりだと思います^^;

これには信尹公も苦笑いであった

2012年04月25日 21:08

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 21:36:58.93 ID:LQPLLY1n
本阿弥は何でも正宗にするから困る。
でもリップサービスも仕事のうちだからシカタナイネ


関白近衛信尹本阿弥光悦
こんな逸話でもおなじみの二人だが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6318.html

すでにこの時代から本阿弥家が鑑定を「盛る」のはお約束だったと見えて、

あるとき近衛信尹が光悦に所蔵の短刀の鑑定させた時のこと。
光悦はこれを一見して「正宗にございます」と即答したが

実はこの短刀、信尹が光悦をハメるためにわざわざ
京都の刀鍛冶に依頼して寸分違わず模作させた新品だったのだ。

光悦はこっぴどく信尹に叱り付けられ、
しばらくのあいだ近衛邸への出入り禁止になってしまったということだ。

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 22:01:02.23 ID:LQPLLY1n
>>799の続き

それから二十日あまりも経った頃、
さすがに光悦がいつまで経っても姿が見えないので、ちょっと不安になった信尹公。
使いを出してみると、光悦は病気で寝ていたが、
もう治ったので二、三日中にはお伺いしますとのこと。

さて近衛邸にやって来た光悦に、信尹が先日の話を蒸し返したところ、
光悦は一枚の色紙を取り出した。

「これは以前、信尹さまから頂いたものですが見覚えはございましょうや?」
見てみると確かに信尹の筆である。
信尹が自分が書いたものであることを認めると、光悦ここで種明かし。

「これはわたくしが病と称して引き篭もっている間に書いたニセモノです」
そう言われて信尹がよくよく見返すと、
たしかに似てはいるが違う部分がいくつかある書であった。

光悦「先日の正宗の見間違いも、
   新刀を打つ時に正宗を打とうと心を込めて打ったので、正宗に見えたのです」(ドヤァ


これには信尹公も苦笑いであった。




802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 22:35:18.26 ID:2u9p2p/8
お前ら本当に仲がいいな
もう結婚しろ

太閤様も認める九州の強者竜造寺

2012年04月24日 21:29

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 11:39:31.49 ID:j7ofBqol
太閤様も認める九州の強者竜造寺

山本常朝
『太閤様が薩摩を攻めておられたとき、
軍奉行の人たちから、先陣の竜造寺、鍋島の佐賀勢が軍法に背いた進軍をしているので、
けしからないことでありますから、どうか軍列を正すように、と太閤様に申し上げた。すると、

秀吉公
「戦をするのに決まった型や軍法というものはない。敵に勝つことを軍法とするのだ。
竜造寺は九州でも有名な強者たちである。
きっと、あのままで自信があるのだろう。
なまじ下手なことを言うと恥をかくぞ」

とお叱りになったとのことだ』


関連
鍋島の行列がみっともないのは
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4623.html


777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 11:41:23.35 ID:lDpP4tws
鍋島の者どもはくそ弱いので壊走するだろう
そこで加藤主計がかかっていき(ry

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 11:50:48.12 ID:h79d/JCj
竜造寺さんの反応早すぎてワロウタw

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 11:59:52.42 ID:WeBW0wgi
まぁ九州征伐終結後に鍋島は軍隊の体をなして無いと
秀吉から、軍事顧問を派遣され軍制改革を強いられちゃうんですけどね
その後の史実にまでつなげちゃうと悪い話になっちゃうなw

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:08:50.15 ID:4GNPk3x1
軍制改革なんてものがあったのは初耳

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:17:11.53 ID:l29HL47o
鍋島さんちには、軍制というか、
軍団長の規定がない(常に殿が同伴する、分隊を編成できない・しない)、
殿からの命令伝達の方法がいいかげん、伝令が大物の前を乗馬のまま横切ったら斬られるw
背命の処罰の規定が敵前逃亡以外まっったくない
などなど、なかなかワイルドだったみたいだよ。

地方豪族のまま(運よく)大きくなった、という事なんだろうな。

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:22:33.41 ID:uRlci31j
多少なり組織立ってた部分があっても沖田畷できれいさっぱり崩壊しちゃってただろうしな

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:41:26.47 ID:aGLi9qSg
織豊ですらやっと昭和後期になってから現代人が理屈こねくり回して
軍団制だ職業軍人だというようになったんだから

研究する人がいない地方大名の軍制なんて殆ど分かってないだろうに

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:45:08.82 ID:ozBaKjyZ
最高機密である軍事制度を含んだ軍事全般って、当時は口伝が主じゃないの?
軍学とかを江戸期にでっち上げる連中がたくさん出たが、これが空論ばっかで役立たずだったのは周知。

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:47:16.72 ID:c+WrngzQ
九州の周りの大名の軍制はどうだったんだ?というのが気にかかってくる

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:48:34.80 ID:h79d/JCj
そんなに無理矢理繋げたつもりはないが・・・
おねへの手紙や乞食への情けは信長の気遣いの話でしょ。
天下一称号は経済政策や技術者の能力向上の話だから

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 14:32:18.97 ID:tTZ3T335
領主とその支配民の寄せ集めにすぎない軍で、きちんとした編成とか戦術とか無理だと思うが……。

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 15:16:05.36 ID:4GNPk3x1
封建君主制はどんなに大きくなっても「領主とその支配民の寄せ集め」にすぎないわけだけど

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 15:26:16.47 ID:76wVVDVV
アメリカ陸軍は州兵の寄せ集め

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 15:28:04.77 ID:tmxNn1P1
州兵と陸軍は別系統じゃなかったっけ?

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 15:33:15.73 ID:tTZ3T335
>>791
だから江戸時代で制度が停滞して、いきなり近代化した日本はともかく。
欧州だと国王が常備軍そろえるように変化していったんじゃ?

>>792
州兵も国防総省の管轄下にあるアメリカ国家の軍組織。装備、訓練も統一されている。
歴史的経緯から、平時の指揮権が州知事にあるぐらいじゃ?

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 16:42:39.44 ID:4GNPk3x1
>きちんとした編成とか戦術
という物を用いず個人技や現場の判断といった物を突き詰めていくのが大名軍のような封建制
厳格に制度化規格化を進めていくのが律令軍や国民国家軍のような集権制という違いがあるのみで
優劣はそれこそ技術革新や陳腐化、人口の増減といった時代の流れで変わっていく

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 16:55:34.24 ID:zgDSmMTs
農民までキリングマシーンが存在した時代適当に戦ってる軍が弱いとは限らんからなぁ・・・

まぁ弱将の元の軍が弱いのはいつの時代も変わらないというのを体現した方がおいででもあったわけだが

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 17:10:01.74 ID:/lvlPHF+
日新斎のせんn……教育のお陰で、薩摩兵児は死を恐れないからそんなの無用です。

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 17:14:07.07 ID:tmxNn1P1
薩摩と土佐は比喩抜きで修羅の国

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 17:28:30.75 ID:BY1Y6njQ
>>787
城の石落としを本当に石を落とすものだと思ってたらしいなw

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 12:37:31.89 ID:ey9X4Nto
まとめブログの管理人さんの紹介していた本を読んでいたら
フロイス「日本史」西九州編第52章には、沖田畷の戦いに出向く龍造寺軍について
「その隊列は見事に配分されていて、まるで彼はヨーロッパの戦術図、ないし(戦術)計画を
入手しているかのようであった。彼は一万二千の戦闘員を率いていたが、彼らは豪華(に装い)、
また清潔で気品があり、戦場で練磨された兵士たちであった。」
と書いてあるらしい

>>776や
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4623.html
の権現様やラスボスの感想とずいぶん違う気がする

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 13:20:51.48 ID:ey9X4Nto
上のは両方ラスボスの感想だった
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4624.html
島原の乱の時の話もあったか

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 13:59:11.72 ID:VenOIFOI
幕末、西洋風近代軍隊の装いの長州勢をみて、
勝海舟「奴らは紙屑拾いのような格好でやってきた」

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 14:30:12.64 ID:r628FkdX
>>908
要は沖田畷以前と以後とで変わったってことでそ。

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/30(月) 16:13:22.40 ID:7mCOxMCs
完璧なるものは、わずかなほころびで崩れるのだ(ドヤァ

雑談・武将の弟などのこと

2012年04月24日 21:28

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/16(月) 19:39:01.23 ID:qHJ1tzLz
秀吉は秀次粛清や、秀長の家断絶で大暴れだからな……。
有力親族残すのが怖かったんだろうか。本家分捕られるって。

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 04:19:36.86 ID:b6RY9YD/
>>698
源頼朝は、息子に遺産を継がせるために、弟を殺しまくって家を支える親族が皆無

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 06:45:16.95 ID:RWi+8Fen
>>759
秀吉と違って、従兄弟やまた従兄弟はポコポコ残っているじゃない

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 08:27:50.11 ID:fsg2WA/u
虎と市松って確証がないけど一応従兄弟とまた従兄弟て話じゃなかったっけ?

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 11:44:27.03 ID:xo5GbirD
>>759
八葉が藩屏になると思ったんだろ

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:07:27.74 ID:WeBW0wgi
初期鎌倉政権は源氏の血じゃなくて頼朝個人のカリスマで
成り立ってたという学者も結構居るからな
義経関連の創作物のお陰で姑息な小心者のイメージが定着してるけど
実際は偉大な人物だったわけだ。

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:19:28.54 ID:5SLou1D5
>>759
頼朝が殺した弟って、義経だけじゃないかね

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:24:35.03 ID:ozBaKjyZ
秀吉がやらかした粛清や対外侵略は、むしろ豊臣子飼いの武将達に内紛呼んだからなあ。
政権支えるための行為なら、それこそ徳川等を狙い撃ちにするはずだけど。
あきらかにおかしかったからな。秀次は追放と自害を受け入れたのに、連座ってレベルじゃない範囲広げて……とか。

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:32:08.59 ID:HNeVQ8nR
>>760
その辺りの血族なんて源氏内じゃ敵と代わらんわい

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:37:25.68 ID:ozBaKjyZ
>>766
範頼も粛清されてなかった?

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:50:01.66 ID:5SLou1D5
>>769
その弟が死んだのは、頼朝公の死後だったと思うが

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 12:51:27.69 ID:76wVVDVV
ぐぐれ

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 13:07:17.60 ID:ozBaKjyZ
>>770
いや、講談のネタとして有名な曽我兄弟仇討ち騒動で、頼朝死去の誤報が入ったとき、
鬼y……政子ちゃんに「この私がいるので大丈夫です」と言ったのが謀反の兆しと取られたから、存命中の処置だったはず。

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 13:28:29.30 ID:tmxNn1P1
源氏で言う身内っていうのは、もっとも近い敵って意味でしか無いからなw

774 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/24(火) 13:36:09.04 ID:Sep8TOvj
足利家も細川家もそうだな。

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 15:21:01.22 ID:tmxNn1P1
武田、山名、最上、里見あたりもひどい

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 15:27:52.45 ID:cUQuNfGQ
義久「>>775兄弟仲のよいうちは贋源氏と言いたいのか?」

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 15:33:23.52 ID:tmxNn1P1
>>776
親父殿が宗家をついで一族をまとめあげるまで酷い惨状なんですけど、島津氏

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 15:40:58.96 ID:tTZ3T335
徳川家も……。
家康は長男を殺害、次男を冷遇。ただ晩年に生まれた子供達は可愛がったらしいが。
……そういえば三河物語にしかない「本能寺の変で、信長は息子を疑った」というくだりは、
信長が家康長男を殺させた、という話をじーさまが信じてたせいで書いたんだろうか。

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 15:42:03.66 ID:4bDF0eh8
>>774
足利家は鎌倉時はむしろ仲良いってーか、
庶長子が嫡男の後見や補佐したとか多いのにな

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 15:44:22.04 ID:4bDF0eh8
>>778
当時の謀反というか、家督乗っ取りの順番としては秀吉が当初三法師担いたように、
正当性のある神輿担ぐというのが常道だっtからじゃないか?

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 16:02:39.45 ID:h2/iVufX
>>778
次男を冷遇したって・・・またまた御冗談を

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 16:06:31.73 ID:cUQuNfGQ
結城さんは厚遇されてたよねえ

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 16:09:50.12 ID:xo5GbirD
同母弟でもライバルになる中で異母弟じゃな。頼朝は希義とは兄弟仲良かったみたいだけど。

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 16:15:54.13 ID:tTZ3T335
冷遇してたじゃんw
原因はわからんが、対面さえ許さず(信康が無理矢理あわせた)→人質に。
後継者からも外す。
むしろ秀忠らのほうが気を使う事に。

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 16:18:03.63 ID:xo5GbirD
大名の子供になると母の出自ってかなり重要よ

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 17:31:00.35 ID:BY1Y6njQ
信長も腹違いの兄が何人もいたはずだよね

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 17:45:32.41 ID:/lvlPHF+
家光も弟を粛清しているし。権力っていつの時代も人間を狂わせるね。

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 17:47:45.07 ID:jhfm9YSD
>>784
それは母親の出自が低い上に身持ちが悪く、家康が実際に自分の子かどうか疑ったためであって、
実子として認めた後は、母親の出自から考えればむしろ厚遇されているし、
成人してからは家康は、明らかに秀康を高く信用している。

あと母親の出自から言って、母親の身分の高い異母弟が、それも複数いた以上、
秀康が徳川宗家の家督を継ぐ可能性は最初からほぼなかったし、それは秀康も当然わかっていたこと。

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 18:11:01.36 ID:/lvlPHF+
徳川家の史料でも、誰を後継者にするかで秀康の名が挙がっているが。
かなり候補がばらけて忠吉の名を挙げる家臣もいた。

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 18:42:00.00 ID:jhfm9YSD
>>789
関ヶ原の後のアレ?
アレもよく解からんのよね。秀忠は秀吉の生きていた頃から既に、畿内にほぼ駐在している
家康に変わって、徳川の本拠地である江戸城を任されていたし、官位から言っても、誰が見ても
徳川の世継ぎは、秀忠に決まっていたわけで。
それに関ヶ原後、淀殿が関ヶ原の「戦勝祝い」で呼んだのも、家康・秀忠親子だった。外から見ても
家康の跡継ぎは秀忠と思われていたわけだ。

あの後継候補を上げた話って、改めて秀忠が世継ぎであることをアピールするためのイベント、以上のものは
あったのかな、とは思う。

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 18:46:38.47 ID:BY1Y6njQ
その人物に箔をつけるために言ったのかもね
後継者候補に名が上ったという

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 18:47:17.82 ID:HNeVQ8nR
秀康が家康に距離を置かれてたのは秀吉の人質の時期があったせいかも
豊臣に近い位置だったせいで心を許せず、かといって粗略には扱えない
秀康はいろいろ難しい立場だったなのによく乗りきったと思う

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 18:55:35.46 ID:4bDF0eh8
>>787
あれは弟個人というより、弟に漏れなく着いている反現政権・旧派閥家臣の一掃の意味も大きいだろ
中央の反対勢力の御輿になりたくなきゃ、それなりの行動と意志示していないとさあ

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 19:28:01.42 ID:Tcnhrtaf
信雄と信孝も仲悪かったな。後継問題で喧嘩して、秀吉に付け入られる隙作って
織田を結果的に小大名に転落させる。
真偽は不明だが、本当は信孝のほうが兄だったけど、母親が信長の寵愛受けてた側室(つまり信雄の母)に
遠慮して遅く生まれた、と届けたとか。
何にせよ、信長の才幹は一代限りだったな。信忠はそれなりに有能だったようだが。

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 19:49:29.97 ID:WeBW0wgi
親父も有能だったから一代限りってのはちょっと

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/24(火) 20:08:44.01 ID:jhfm9YSD
信長という人が抜群に有能だったのは間違いないけど、やはりあの急激な領土拡大は
信長の一代芸と言うべきで、既存の既得権を丸呑みすることで拡大した織田家が、信長の後も
安定したかというのは(信忠が有能かどうかというのを置いても)難しかっただろうな、とは思う。

他家に厳しい三歳さまが珍しく?気配りするお話

2012年04月23日 21:23

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 22:36:06.75 ID:2/h9/3uV
ではここらで、他家に厳しい三歳さまが珍しく?気配りするお話を一つ。

島原の乱で抜け駆けやっちまった、鍋島勝茂
総責任者の知恵伊豆はそれはもうお冠だったが、
世間では「鍋島やるじゃん」とけっこう高評価だったそうな。

半年余の閉門が解かれて勝茂が世間に出てきた時、
「よっしゃ、お祝いしよう」と真っ先に茶の湯を催した者がいる。
それが、みんな大好き細川三斎様。

三斎様が言うことには、「閉門なんて羨ましい、武門の誉れ」
「鍋島藩邸の前を通りかかった江戸中の人間が
 何でここんちは門が閉まってるの?と思い、
 やがて、鍋島家が一番槍になったことを知ることになる。
 それって、すごいアピールじゃないか」と。

更に、茶の湯を楽しんだ後に催された酒宴で、
当時江戸で流行っていた小唄が演奏された。
その歌詞は、「有馬の城は強いようで弱い。鍋島様にとんと落とされた」というもの
これを聞いた三斎様、
「それじゃ、まるで鍋島勢が弱いみたいに聞こえるだろ」と、
即興で「有馬の城は強いことは強いが」と替えさせたとか。

でも、気配りされた方のナベシマンの方はあまり細かいことを気にしなかったのか、
佐賀では例の小唄は原曲のままで伝わっているそうな。




740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 22:48:47.16 ID:Qm+/7Y6C
一番槍は軍法だの道徳だの持ってきたところで一番槍には変わらんからね


が、葉隠武士の偽らざる気持ちだろうね

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 22:52:04.95 ID:SIg7ldaM
三斎様の性根の部分は武人だし
島原後の頃にもなると戦乱の世を強く懐かしんでるからこそ鍋島を褒め称えてる

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 23:22:07.59 ID:8cuJkuPw
三斎様は出陣したかったんだろうなあ
忠利との文通であれこれ心配して忠告しながら手紙で戦場の忠告なんて時間かかりすぎで虚しいと落ち込む
三斎様かわいい

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 23:43:16.82 ID:m+kKtdLC
しっかし知恵伊豆は実戦経験なかったのに、よくも立派に総司令官務めたもんだ

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 23:44:48.83 ID:Vf7bKXic
>>744
相当手際悪かったと書かれた記録を見たことある

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 23:51:38.78 ID:HC73udEE
三斎様はよくわからないなあ。
家族には苛烈だし、部下もたまに死ぬけど、
同僚ってか横並び関係の人には優しい話が多い。
嫌いな人には厳しいけど、同僚にはわりと我慢するね

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 23:59:46.30 ID:N12MMyfo
身分によって扱いが違うのが当然の時代だと思えば不思議じゃないよ

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/23(月) 00:03:55.59 ID:LSjZqhBx
>>744
西国無双が補佐してたんだから当然だろ

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/23(月) 00:15:39.74 ID:+wPVkZ8v
>>742
どっちかっていうと、
「二度も大軍出しといて
なかなか農民押さえ込めなかった幕府プゲラ」って唄だけどな

変なところで素直な土一揆

2012年04月23日 21:23

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/23(月) 17:36:53.87 ID:jUTmYakp
天文15年(1546)10月のこと、京の内裏に、数千人の土一揆が、天皇に直訴するために押し寄せた事があった!
噂ではこれは、幕府の奉公衆や奉行衆のうち、一揆の相談を受けた2,3人のものが、そうしろろ支持したのだ、
とも言われた。

ともかくも一揆側の直訴内容はこうだ

『幕府が徳政令発布を認めないので、我々は迷惑をしております。どうか朝廷から幕府へ、徳政令を行うように
仰っていただきたい。』

この突然の直訴に慌てた朝廷では、後奈良天皇の御前で緊急会議が行われた。
天皇は内裏に土一揆が乱入することを心配し、「幕府に徳政令を促そうと思うが、どうか?」と発言。
これに勧修寺尹豊などは賛同の意を表した。

しかしこの時、広橋兼秀らが猛然とこれに反対した。
兼秀はいう

「これは間違いなく、後代に悪しき先例を残します!また世上の嘲りをご推察してください!
たとえ一揆が乱入しても、我々が力づくで追い払います!」

このような意見に結局後奈良帝も、直訴を受け入れないことに決定した。
そこで、この時朝廷は、直訴を受けない理由を、土一揆にどう説明したか?その内容はなんと

『正当な訴訟なら白昼に持って来るべきなのに、このように「夜中の強訴」をするとは狼藉千万である。
よって聞き入れるわけにはいかない。』

そもそも内容以前に手続きルール違反だからダメだわ。ということである。これに土一揆は…

『それは尤もである』

と、納得し、帰っていったそうである。


幕府に対してすら傲慢なのに、変なところで素直な土一揆であった。
(兼秀公記)





750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/23(月) 18:16:01.36 ID:ZWZ3VlM9
>>749
今の政府にはこの気概がないよな。
だから国民に支持されない。

南部藩の二代目藩主、南部重直は

2012年04月22日 21:51

736 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/22(日) 17:32:31.54 ID:r+dq3SN4
今日岩手県立博物館で市民向けの日曜講座で「南部重直は暴君か」ってのをやってたんで聴講してきたんだが面白い話をいっぱい聞けたよ。

南部藩の二代目藩主、南部重直は暴君として後世に伝えられている。
譜代の家臣を理由も無く改易し、江戸や上方の巧言令色な新参者を召抱えたり
参勤交代に遅刻して家光の怒りを買い、家を改易の危機に陥れ、
あげくのはてに継嗣を定めぬまま死んだために藩の分割相続の原因を作ってしまった。

・・・っていう世評は正当なのかってのを一次資料に当たりながら検証してくんだけど
リストラの手際が悪かったせいで譜代の家臣からおおいに恨みを買ったってのが真相みたいね。
まー、重直自信も性格にムラっ気があったみたいで正月の将軍への挨拶を仮病でサボって鷹狩りに行くとか色々やらかしてて、
天才でも秀才でもない凡人が重責負わされる苦労ってのが垣間見えて中々面白かった。

特に参勤交代に遅れたってのはよりによって武家諸法度の制定後第一回目のことで、相当家光に怒られたらしいw
原因は病気で体調崩してたから(伝説では側室とケンカして遅れたことになっている)らしいんだけど、
細川家の日記には「伊達政宗でさえ病気を押して遅刻はしなかったのにあいつは何やってるんだ!」と書かれてるらしいw

こんなところまで引き合いに出されるヤツって・・・w




737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 17:36:03.25 ID:8cuJkuPw
細川家は常に他家に厳しいからw
これはちょっと悪い話の方がふさわしいとは思うがその講座聞いてみたかったな

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 18:23:55.27 ID:R/Ktogxv
それって政宗の死の直前の最後のお勤めだよな?
さすがに悪意や皮肉の意味はないと思うぞ

夢を語るには早すぎた隆信

2012年04月22日 21:51

746 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/21(土) 22:09:24.68 ID:VHzgB3G8
竜造寺本家の当主である胤栄が病死した際、竜造寺から攻められ筑後に亡命していた
少弐冬尚が、復権の好機とみて肥前に侵入してきた。これを受け、家中の話し合いにより胤栄の跡を
継いでいた竜造寺隆信は、重臣を集め

「我が代で国が乱れるのは許せぬ。すぐに出兵しよう。そして少弐家を討ったら東を得よう。次に有馬家を
 討てば西は治まる。それが成功したら、今度は隣国に出陣し菊池家や島津家をも従えて、中国、四国にも乗り出すのだ。」

と宣言した。所が家臣から

「まだ国内も治まっていないのに、諸方へ手を出しても敗れるだけです。」

と諌められ、隆信もこの意見に激怒して軍議の場から退出してしまった。この一件で、重臣からは

「あれでは国を治めることは出来ない。」

と嘆かれてしまったという。しかもこの後、かねてより隆信の本家相続を快く思っていなかった土橋栄益
謀反を起こされてしまったという。 夢を語るには早すぎた隆信の悪い話。




747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 06:57:34.20 ID:UiDyQwDU
>>746
肝心の大友家忘れてますよ隆信さん

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/22(日) 10:33:44.01 ID:JYQ44lJM
元就「天下統一を願って、九州統一」

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/23(月) 18:50:35.87 ID:x5GWsWje
>>746
まず朝鮮を討ち、その後は明に討ち入る。
明を制覇した後は天竺だ…


権力者が夢を語るのは時と場合による

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/23(月) 19:51:28.77 ID:bKLn3Mc/
秀吉の場合、朝鮮や明との仲介に立った部下が
「アホくさい……でも素直にそれいったら首が飛ぶし」
と、本当の事を秀吉にも朝鮮にも伝えなかったせいでさらにややこしくなった気がする。
最初の申し入れも、一回目の講和もそうだし。

雑談・九州情勢は複雑怪奇

2012年04月22日 21:50

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 18:12:45.71 ID:bf3w05sb
三歳「もうそういう時代じゃないから無礼はするな、たとえ相手に無礼があってもぐっと我慢だ
    あ、黒田家の連中は別ね、かち合う事があったら殺れ」

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 18:23:53.74 ID:lhklSbbO
>>642
一行目で終わればいいはなしなのにな・・・
さすが俺達の三斎様!

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 19:07:42.28 ID:UfSJgBJt
いつも思うが何でそこまで黒田を嫌ってるんだ?

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 20:19:26.78 ID:mVoHMMA1
黒田が存在するからだろうw

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 20:23:48.40 ID:82JNew2Y
>>644
黒田長政が関ヶ原後の移封のときに旧領から年貢を徴収したまま移ったので
後任の忠興が抗議したんだけど長政曰く「だが断る」
これで忠興がキレた

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 20:45:59.83 ID:UfSJgBJt
その辺はわかってるんだけど不倶戴天の敵レベルまで昇華してるのがね

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 20:56:54.09 ID:4Pxyq8RN
三斎様に怨まれたり、家臣に大殿と比較されまくったり、
ngmsは色々大変だな

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/19(木) 00:06:48.24 ID:vosHbob4
三斎の面目丸つぶれだからな>細川に対して黒田がやった事
もちろん黒田にも言い分はあるだろうけどね。

黒田も関ヶ原合戦でだいぶ金を使ったので金が無い。
かといって転封先でそれを回復させるように大きく年貢を取れない。
もし重税を課したら一揆が発生するだろうし、それによって幕府に目を付けられたら厄介だ。

とはいえ「金が無いから細川の所から年貢持っていきますサーセン」なんて言ってしまったら、
今度は黒田の面目丸つぶれ。
しかも長政は昔からの家老その他と折り合いがあまりよくなく、それによるイジリに耐えきれるような性格をして無かったと思われる。


650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/19(木) 13:27:46.42 ID:9uFPOvIB
まぁ若殿の知恵ではそれが精一杯だったということだ、大殿ならb

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/19(木) 13:35:20.68 ID:KSVBLpi+
黒田さんとこは本州と九州でそれぞれかなりの数の軍勢うごかしてるもんね、金かかるわ

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/19(木) 14:28:40.34 ID:OpRh/QeX
結局、黒田さんはどうしたんだろうね。
ならまた民衆に税金かければいいや、となったんだろうか。
島原の乱の原因になった板倉氏のような、滅茶苦茶な重税でもまかりとおった時代だからなぁ……。

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/19(木) 16:00:52.36 ID:HoVaXfYp
加増転封で博多もあり検地も厳しくしたので財政再建
でも天下譜代や長崎警護を積極的にやったのでずっとカツカツ

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/19(木) 16:06:58.34 ID:mOybldeI
>>649
長政の息子は「親父は昔からの家臣に甘すぎ」って嘆いたらしいけどな
さらにその息子が昔からの家臣筋をバッシバシに刈り取ったようだけど

655 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/19(木) 16:19:16.92 ID:a2AADZei
言い分と言うにはちょっとなあ・・・細川も同じような境遇だったんだろうし

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/19(木) 16:26:22.43 ID:mOybldeI
上杉も国替えのときに年貢を持って行ってしまったのだっけ

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/19(木) 18:50:24.24 ID:yt+Bfc4p
細川さんのとこは貧乏なイメージ
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本阿弥光二と信長

2012年04月21日 21:47

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 11:16:21.38 ID:nv9zJcBm
 本阿弥光悦の父、本阿弥光二は刀剣の目利きに優れた男であり、織田信長と親しかったので
毎日のように御前に参上していた。
 その頃、荒木村重の反乱が終息し、村重が所蔵していた名刀「大江」が売りに出された。「大江」は
鎌倉時代の刀鍛冶の郷義弘が作った名刀なので、光二はさっそく買い求めて信長に献上した。しかし、
信長はその刀が元々荒木村重所有の品であることを知ると「謀反人が持っていた刀は不吉である」と言って
返してしまった。
 それを見ていた信長の近侍の者が何としてでもその刀を手に入れたいと思って、光二のことを中傷して
無実の罪を着せようとした。罪人にしてしまえば刀を取り上げるチャンスが生まれると考えてのことであろう。
中傷を真に受けた信長は怒り、光二の身は危うくなった。光二は自分の無実を主張して自宅に引き籠った。
 光二の妻である妙秀はこのままではいけないと思い、信長が加茂山へ鹿狩りに来た際に、妙秀が信長の前に飛び出してきて
信長が乗っている馬にすがりついて夫の無実を訴えた。狩りを邪魔された信長は「憎い女め、離せ!」と叫んで馬上から
妙秀を蹴飛ばしてしまった。しかしながら、妻がこのように直訴してくるのは無実の証拠ではないかと考え直したのか、
翌日に本阿弥光二を呼び出して「妻が直訴してくるのは前代未聞のことだ」と言い、怒りを解いて光二を許した。




682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 11:43:53.39 ID:Gk2tiTTU
暴君ならそこで怒り倍加だがさすが。

しかし・・・主君の忌避した刀持ってもおおっぴらに使えんのじゃないか?

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 14:20:07.10 ID:tQBmnaPh
使わずにニヤニヤ眺めるに決まってるじゃない

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 14:25:53.78 ID:75+eKcEm
うがった見方されたら、お前も謀叛起こすつもりなのかと思われかねない。

鍋島舎人助に仕えた草履取りの話をしよう。

2012年04月21日 21:47

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 14:27:13.67 ID:GqapNZLz
山本常朝
『鍋島舎人助に仕えた草履取りの話をしよう。
彼はあるとき、主人の供として諫早家について行った。
その待ち部屋にて諫早石見守の仲間と争いになり、
その相手を斬り殺してしまった。
当然ながら重罪だが、その身の処し方が武士の道に適っていたことから、
お構いなしという裁定になった。
この草履取りは、

「たまたま人間として生まれきて、
これぞという思い出もなく死にゆくのは無念なり。
いずれ死ぬのは同じなら、よし、ひとつ天下を取ってみよう!」

と思い立って、昼夜を別たず計画をひたすら練ったので、
天下取りの計画は十分に練りあがっていた。
ところが、このときふと思ったのが、

「天下取りの計画はしっかり出来上がっているが、
骨を折って天下を取ってみても、政治だなんだと苦労が絶えない。
いずれ死ぬのは同じなら、あくせく苦労ばかりしながら、
一生を終えるのもつまらないことではある。
それよりは、出家して悟りをひらいて、成仏したほうがましかもしれん」

ということだった。
それから出家をし修行に励み、真言宗に入った。
後に「温泉のホッケ」と言われるほど、日本中に名の聞こえた名僧となった。
最後に彼の歌を紹介しよう』

我他彼此と思ふ心のとけぬれば
自己智もなくて無性なりけり




686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 15:02:44.18 ID:DDlMW4oF
えーっと、おとがめなしになった武士道にかなった所作ってなんなんでしょか
野心があったから?

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 15:12:45.55 ID:WldibdNf
「身の処し方が」と書いてあるんだから野心とは関係なしでしょjk

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 15:15:28.62 ID:APuXXqtw
葉隠って、朝とか寝る前に死んだイマジネーション練習しとけ、そうすれば何が起こってもなんともなくなるから!
って勧めているかなーり滅茶苦茶な書という印象が……。

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 15:38:45.58 ID:GqapNZLz
>>688
戦国期の名高い武士はそれが普通の感覚なんじゃない?
信長が好んだ敦盛もそういう意味だし、
戦国武士の辞世はそういう死生感を歌ったものが多いし
死をハッキリ意識するからこそ、生を怠けないようになるんだと思う

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 15:42:20.53 ID:Nb7gD3Mg
>>688
二次大戦の戦記とかでも、似たようなことを書いてる人多いけどな。


691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 15:48:43.77 ID:Fl+LBbtV
要は、不測の事態が起きても慌てないように普段から想像力を働かせて心の面でも
物理的な面でもしっかり準備をしておきなさい、っていう至極まっとうな教訓でしょ?
当時はそこでの失敗≒死だったからそういう表現になってるというだけで

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 16:13:20.17 ID:uqf8DUOj
朝倉のじじいとかギリワンさんとかだと最後まであきらめそうにない

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 16:28:37.39 ID:WldibdNf
思へば此世は常の住処にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月より猶あやし
金谷に花を詠じ栄花は先立て無常の風に誘はるる
南楼の月をもてあそぶ輩も、月に先立つて有為の雲に隠れり
人間五十年、化天の内を比ぶれば夢幻のごとくなり
一度生を受け滅せぬ物のあるべきか
一度生を受け滅せぬ物のあるべきか


敦盛なんだけど、これは日本的死生感なのか?
それとも仏教的死生感というべきか?
とりあえず日本人の心に響くことに違いはないが

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 16:34:39.34 ID:jJnDt64f
こう言っちゃ何だが、大将と言うよりも兵卒の考え方ではあるな、敦盛は。

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 16:36:21.75 ID:Q0nRV9Ax
仏教的死生観がベースながらも
四季の風物が溶け込むあたり極めて日本的だと思う

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 16:56:42.89 ID:WldibdNf
>>695
日本人は四季の移り変わり、
儚さ、哀れさを感じたときに、
なにか触発されるものがある
それは多分、インドや中国の仏教とは違う趣で、
宗教ですら風土や民族性が現れるのは面白いなと思う

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 17:56:43.31 ID:I63eCJrf
昭和の軍人に剽窃され曲解されたせいでイメージ悪いからな葉隠。
儒教に感化された武士を攻撃したり、処世術をといたり、実際はかなり生臭い書物なんだがw

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 19:29:47.12 ID:GqapNZLz
葉隠は歴史の表には出にくい、
日常の喧嘩話や世間話の宝庫で面白い。
講談や歴史小説の題材にはならないような逸話も多い。
この時代の武士や僧、相撲取りなどの生活感が伝わってくる書物。
そういう外世話な話も収録されているからこそ、
常朝さんは、葉隠は、あくまでも自分自身の学びのために書きおいたもので、
他者が読めば、遺恨、曲解され悪事にもなるだろうから、
読んだら焼き捨ててくれと言っていた。
結局、書物として残ってしまったけどね

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 21:03:05.03 ID:Ed+f/q7n
>>698
俺たちのハードディスクみたいなもんか

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 21:51:12.99 ID:sdQYfheU
常朝さんがすげえ身近に思えてきたぞ