弓矢の無礼である!

2012年06月30日 21:00

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 20:25:29.73 ID:Ztwz2rjW
上杉謙信武田信玄と対陣した時の話である。
この時、武田の陣において、越後衆の夜襲があると騒ぎ出し、俄に混乱したことがあった。
この事を知った前線の上杉軍の武将達は、直ちに本陣に馳せ来てその状況を伝え
「この虚に乗じて攻められれば、我軍の勝利、疑いありません!」と言上した。
ところが謙信はこれを聞くととたんに不機嫌な表情になり

「虚実は解らないが、そういう事がないとも言えない。しかし仮にこれが事実としても、
空虚を突くというのは私の本意ではない!それにそんな行為は信玄に対しても、弓矢の無礼である!」

そう言下に拒否したという。

もし信玄がこの事を聞けば、感動するよりも「変な奴だなあ」と呆れる気がしないでもないがw
上杉謙信、自分だけでなく好敵手に対してもその武を汚させず、と言うお話。
上杉謙信言行録)





235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 20:29:05.65 ID:HGN8hn2A
軍神さまきれいすぎるな

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 20:45:50.37 ID:mLhTz5Vg
謙信はこれは罠だと思ったにちがいないw

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 23:55:28.03 ID:hWKR8dCb
むしろいい話な気がしなくもない
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明応2年閏4月。このごろ怪鳥が出没し

2012年06月30日 21:00

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 01:39:19.44 ID:nurx7Nrg
明応2年閏4月。
このごろ怪鳥が出没し、細川政元の家人がそれを図にした。

陰涼軒日録には次のように記されている。

「世間に化鳥あり」という話を聞いた。
その頭は馬、尾は蛇、蹄は牛のようであり、「無常引導骨積天」という鳴き声を上げるそうだ。
その図は右京兆屋形(細川政元邸)より出でて、天竜寺に在るという。

また、昨日20日、右京兆屋形の辺りで羊角風(つむじ風)が大いに吹き荒れ、人々を驚かせた。
その羊角風の中には鳶が居て、火を纏って飛行していたという。
(後鑑)

よ、呼び出してしまったのですか・・・ 管領様・・・。




242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 01:44:00.74 ID:5eQHhM/Q
右京兆様の逸話独特の禍々しさは何なんだろうなw

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 05:09:04.41 ID:sP8V6lEQ
さすがや!!

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 08:34:45.33 ID:A6gePg3A
ま~た半将軍が召喚したんか

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 10:09:35.19 ID:AW0Zc9N9
この前湘南に現れたアザラシみたいに
珍しい動物が中世に出現したら漏れなく妖怪認定されるのかな・・・

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 10:12:52.32 ID:NvhdMRCN
権現様が駿府城で見たという肉人の正体はなんだったのか

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 10:14:23.52 ID:k9LnvroQ
本物の徳川家康

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 12:15:15.30 ID:jEcZJefm
>245、大王イカのゆるくなってるのとかだとまずそうなるだろうね・・・


249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 12:28:24.78 ID:3zG53xIi
ダイオウイカは同時期の西洋でも魔物認定されてたな

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 12:43:34.97 ID:NvhdMRCN
クラーケンも北斎にかかればhentaiに


260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 23:58:23.92 ID:rEKRKzUO
>>246
妖怪「でびっどはっせるほふ」ぢゃ

上杉謙信という人は、人を斬ることをなんとも思っていなかった

2012年06月30日 20:59

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 15:31:12.92 ID:5eQHhM/Q
上杉謙信という人は、人を斬ることをなんとも思っていなかった。

謙信の家臣に元尾州牢人・深渕金太夫と言う者が居た。
彼は10年前から謙信に仕えて覚えめでたく、軍功の数々も重なり次第に扶持の高多くなった。
謙信取り立ての近習の一人だったのである。

そんな金太夫がある時、謙信御座所の次の間で、何事かあって仙可という若者と口論になり、
怒りのあまり仙可を取り押さえ殴りつけようとした。

この物音に謙信は襖を開いて出てくると、帯びていた貞宗の脇差を抜くやいなや、物も云わず片手討ちに
金太夫と仙可の二人を斬り捨てた。

この状況を近くで目撃した仙可の父、内記は怒りのあまり声を震わせ叫んだ

「殿!先に乱暴をしようとした金太夫は公儀を恐れぬ狼藉者、御成敗は道理だと思います。
しかし咎無き倅を同罪に遊ばしたのは、近頃にない無慈悲の御沙汰と心得ます。これはいかなることか!?
ご返答によっては殿とて決して仮借いたしませぬぞ!」

そして小刀の柄に手を掛ける。しかし謙信は全く動ずる色もなく、静に脇差を鞘に収めて
自分の部屋に帰ろうとした。この謙信の態度に内記は激怒した

「ご返答がないというのは、弁解の道に窮したためだと心得ました!ならば、御免!!」

内記は脇差を抜くや謙信に斬りかかる。謙信、その切っ先を巧みにあしらいながら二太刀目に
彼の右手首を切り落とした。
その時、謙信の小姓、上村伊勢松がこの騒動に気が付き馳せ来る。内記が脇差を左手で持ち直そうと
する隙に、彼の太腿を突いて討ち伏せ、ついに止めを刺した。

これを見て謙信はすこぶる機嫌よく、伊勢松に向かい

「ハハハ。今日は妙なところでお前と相打ち(一人の敵を二人または数人で討つことの意)したな。」

そう言って大笑したのだという。

多分隣の部屋で喧嘩騒ぎされてイラッとしたのでしょうが、それによって死者3名。
謙信公の近くではよくよく気をつけていないと、命にかかわるのだ。
上杉謙信言行録)




252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 16:09:14.20 ID:L0SsltCB
景勝のほうが義将っぽい

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 17:03:04.49 ID:ef62dox4
>謙信御座所の次の間で、何事かあって仙可という若者と口論になり、
TPOを弁えないようでは、斬られても仕方なし

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 17:26:24.46 ID:bGUHSJwM
ただの喧嘩両成敗だろ

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 17:54:32.14 ID:SmDIVfrx
しかし両成敗って大雑把だよな
便利だけどw

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 20:16:56.87 ID:7sp5dfUU
謙信ってば剣の達人すぎw

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 20:25:07.38 ID:uWnlCOoZ
>>254
親父は見逃したげてよ・・・

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 20:16:56.87 ID:7sp5dfUU
謙信ってば剣の達人すぎw

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 20:25:07.38 ID:uWnlCOoZ
>>254
親父は見逃したげてよ・・・

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 21:35:35.11 ID:iNH344sh
>>257
切りかかって来たのにか?

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 23:10:53.26 ID:bZ+ypjFE
こういう逸話を見るといかに人の命が軽い時代だったかとよく分かる。
俺はとてもじゃないが武家奉公して命を全うできる気がしないw

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 01:36:48.91 ID:gqw7mYFI
>>259
悪い事は言わぬ、其許は刀を捨てるが宜しかろう。
某がさる御家の庭師か門番の職を紹介してやる故、安心召されるが良い。

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 07:31:40.70 ID:s49HQ+w3
>>265
武家筋は不味かろう、民草の橋番が相応しかろう

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 08:23:47.10 ID:XwlTz+Xz
>>269
民とて常に危険と隣り合わせ、尾張のあたりで坊主となるがよろしい

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 08:24:59.24 ID:ETEvtIMm
>>259

道雪「武家奉公が出来ぬなどと嘆かず、この跛を助けてやってはくれまいか?」

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 08:36:52.03 ID:xBkM9F9b
梅雪「こ、こんな死亡フラグだらけのところにはおれん、わしは別の道をとらせてもらう!」

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 08:58:12.26 ID:H4weqO9O
>>272
土民「ヒャッハー」

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 11:57:03.81 ID:KMPaj/h+
>>272
光秀「この首要らね」

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 17:40:34.37 ID:o2kP2EXK

>>265,269,270
どれもこれもフラグじゃないかw

>>271
ホントこんな上役いないかな・・・

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 18:47:24.75 ID:P/EZIwgF
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-876.html
無断で里帰りした兵士を軍規違反で親ともども殺してるから
ベッキーも死亡フラグじゃないのか

北条氏長殿が人相占いを呼んで

2012年06月29日 21:02

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 20:10:24.81 ID:F1QoftM/
北条氏長殿が江戸で流行っていた人相占いを呼んで、
門弟たちの一人一人、剛胆か臆病かと人相を見てもらった。

北条氏長
「剛と言われた者は今以上に武士の道に励め。
臆病と言われた者は命懸けで武士の道に励め。
臆病と言われたからとて生まれつきの人相であるから少しも恥ではないぞ」

と言い順番に一人一人見てもらっていたとき、
広瀬伝左衛門(12歳)の順番になった。
伝左衛門は人相占いの前に坐ると、声をいからせ、

広瀬伝左衛門
「おのれ、俺を臆病の人相などと判断したなら、一刀に斬り捨ててくれる」

と言ったとのことである


葉隠より




183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 20:23:37.00 ID:f7oesujV
人相占い「あ、あなたは豪胆の相です」
広瀬「この人相占いの相をご覧あれ!これこそ臆病の相でございます」

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 20:30:55.67 ID:DdCRKXiK
広瀬さんダウトです。

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 20:33:12.68 ID:A9vrUOyH
>>182
その言葉を聞いて震え上がった占い師だが、
「あなたは臆病の人相でございます」
と、正直に言ったという

これをきいた広瀬伝左衛門、庭に躍り出て庭師を瞬く間に斬り捨ててしまった

後の細川越中守である


186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 20:41:44.42 ID:0E5TL1ZN
>>182
人相占い『ひとつだけ聞こう、北斗七星の横にある星を貴様は見た事があるか?』

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 21:21:35.52 ID:WCV4SA70
無理にボケる必要はないですから…

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 17:46:41.73 ID:Q+zzDcuz
>>183>>185
このスレ初めて見た人が信じるからヤメれw

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 10:50:09.24 ID:XmckbJEX
あつちには何があるんんだろう?
源ハチからは離れてるようだけど

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 11:25:07.38 ID:yxhD5vKi
>>201
>>183が実話だと思ったw


205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 12:00:57.32 ID:vddH01V5
安土には何があるんだろう
源八(源八郎為朝?)からは離れているようだけど

どういう意味だろう

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 13:32:42.99 ID:hcC8H0Ai
>>204
たしかに>>183は占い師が一本とられた話として面白いw

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 14:12:19.25 ID:Jp8Ke8at
>>182だけだと尻切れトンボでオチてない、4コマ漫画の3コマ目で終わってる感じだもんな
まあそもそもがエンタメ目的で書かれたもんじゃないというのもあるけど、当時の感覚では
広瀬の台詞のインパクトで十分オチになってたのかもしれない

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 20:08:47.66 ID:5Gdm1uI+
大道寺友山とか山鹿素行あたりも門弟だったみたいだな

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 20:14:20.87 ID:6G2dhB3w
本当に剛胆なら、人相をどう評されようと構わないはず
弱い犬ほど良くほえるってのが広瀬にはぴったり

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 20:52:32.89 ID:hcC8H0Ai
弱い犬が吠えなかったらイジメられっ子になってしまうではないか。
武士は強さや剣の技術ではなく、心意気こそが大事という考え方の常朝さんは、
広瀬少年の気迫を好ましく思ったのだろうね

ちなみに広瀬さんは弱い犬ではないぞ

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 20:58:34.83 ID:oW6lHdsL
しかし結果として広瀬さんは師匠の顔を潰してないか?

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 21:00:12.15 ID:O0ESjtZT
12歳の少年がやったならかわいいもんだろう。

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 21:05:40.24 ID:hcC8H0Ai
>>211
思春期って現代でも喧嘩の強さとか気になる年齢だし、まして武士だからね
人相見に公開で門弟鑑定させる氏長さんの配慮が足らないような気もするw

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 12:17:29.13 ID:t4i/ojDP
三河武士には最初からやらんだろうな。絶対面倒なことになるからw

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 16:48:14.35 ID:tGONjg9K
信長「そんなことより相撲やろうぜ!」

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 17:08:24.78 ID:pAZgF9/v
では早速山内一豊殿に支度を…

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 17:26:25.58 ID:t4i/ojDP
(´・ω・`)「相撲、楽しそうだね」
(^-^)「殿、見るだけにしといてくださいよ」

斎藤利宗、波乱?の人生

2012年06月29日 21:01

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 23:49:42.09 ID:4s59c1jM
斎藤利宗、波乱?の人生

斎藤利宗という、ちょっとマイナーな武将の紹介。

といっても、お父さんは有名です・・・

あの「斎藤利三」です。

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 23:56:32.88 ID:4s59c1jM
彼は光秀の謀反に加担し、山崎の戦いで高山右近と戦うも、敗れて畿内に潜伏した。
そののち光秀に加担したとして捕えられ、細川忠興に預けられることとなった。

だが、その後、同族の斎藤兵部入道以密に訴えられ、北野天満宮で神意を問うことになった。
その方法とは・・・熱く熱した鉄を持ち、その火傷具合で非があるかないかを見極めるというものである。

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 23:58:36.04 ID:4s59c1jM
この結果は利宗の勝利に終わり、今度は稲葉一鉄に預けられることとなった。
その後の彼は小牧の戦いに従軍して活躍し、朝鮮の役では加藤清正に属して活躍。
役後そのまま清正に仕え、5000石で召し抱えられたのであった。

順調にいけば加藤家の重臣になったのだが・・・

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 00:04:25.51 ID:Z2hCvOqw
しかし、清正の死後、加藤家は分裂してしまう。

そう、「馬方・牛方騒動」である

利宗はこれに直接かかわっていなかったものの、勢力を伸ばした加藤右馬允正方と対立し、ついに
加藤家を飛び出してしまったのであった。

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 00:08:14.13 ID:Z2hCvOqw
しかし、利宗は幸運だった。
妹が於福=春日局であったからである。

そのつてを頼ったかは定かではないが、5000石で家光に召しだされ、幕府につかえることになった。

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 00:13:15.00 ID:Z2hCvOqw
その後、前半の流転人生がウソだったかのように安定した生活を送ることとなった。

元主家である加藤家の改易の際には、土井利勝、ダブル酒井忠勝、同忠世に混じって密議に加わっている。
その密議ののち、甥の稲葉正勝が城受取に加えられている。

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 00:17:52.54 ID:Z2hCvOqw
越後の堀家が改易になった際には、城受取の役を務めている。

そして正保4年5月4日、81歳でこの世を去ったのであった。
なお、名乗りは伊豆守だったが、のち佐渡守に改めている。

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 00:21:04.88 ID:Z2hCvOqw
そんな彼だが、最後に小ネタを一つ。

出版された『寛政重修諸家譜』では、宗利(としむね、とルビがある)と誤表記されてしまっている。
原本はどうなんだろう・・・?

細切れで読みづらくてすみませんorz




196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 03:04:12.71 ID:p3bJYqM8
火起請て勝ち負けによらず下手すりゃ手が使い物にならなくなったらしいがその辺は大丈夫だったんだな

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 09:18:04.07 ID:M2bMXRSn
そんな危険なものに挑んだのかノブと作左…

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 09:38:07.07 ID:7uclrbgO
あれって、なにかトリックがあった気がしたけど

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 10:57:43.12 ID:HGN8hn2A
清正さんとかだと平然とやりそうだ

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 11:26:05.59 ID:JDqW3Uy+
地味加藤さんならうっかりで火起請みたいなことやっちゃってたな

小早川隆景の予言による最初の犠牲者

2012年06月29日 21:01

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 22:16:18.78 ID:DdCRKXiK
 小早川隆景は幼名を徳寿丸といい、幼くして聡明さは他を絶していた。
13歳で人質として大内氏に行き三年を過ごして帰ってきたが、その際に父の毛利元就にこのように報告した。

「大内氏は必ず滅亡するに違いありません。
なぜならば、大内義隆の贅沢は度を外れていて、政治も自ら行わず家臣の陶隆房は諌言を尽くして、ついには
義隆の意に反するようになりました。
そこへ相良武任という者が義隆に阿諛追従して、隆房を讒言しました。
なので群臣は皆義隆を嫌い、武任を憎み、隆房に心を寄せる者が多くなっています。
主君が隆房を疎んじ、家臣一同が隆房に帰服しているような状況ですから、隆房が兵をあげるのは
時間の問題でしょう。」

元就はこれを聞いてうなずいたが、果たしてその後、隆景の予言したとおりとなった。


小早川隆景の予言による最初の犠牲者




220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 22:24:04.30 ID:rXHmKKR5
隆景を件(くだん)扱いするなwwww

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 00:22:03.55 ID:hWKR8dCb
隆景が毛利宗家継いでたらどうなってたんだろ

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 00:27:14.93 ID:JDqW3Uy+
元春が生きてると成り立たないからifとしても想像しづらいw

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 01:02:50.87 ID:cbJOdNM1
兄弟仲が悪いままだったなら、あるいは……

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 01:21:25.21 ID:1uc45loy
隆景のワンマンに吉川家との溝が更に開いていく様子しか見えない
バランサーは必要なのだよ、でも輝元には無理なのだよ

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 02:34:30.81 ID:UQoMqn1U
隆景の人生に人質になってる暇なんて無いよなー

元春と隆景は隆元が死んだ後から責任感が出てきたんじゃねーかな?
毛利家伝統の若いころろくでなしな奴が年取るとめっちゃ真面目な原理で。

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 05:35:17.67 ID:BMIywk23
毛利家中って預言者多いなw

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 05:44:45.04 ID:tNfUpQeG
安国寺恵瓊は隆景の真似をしたかっただけなのかもしれないな。

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 07:16:30.68 ID:cyq+WLeb
これ隆景自身が義隆をたらし込んてないか?w

あるいは、とらねばならなかったと言うお話

2012年06月29日 21:01

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 13:20:32.73 ID:uHRpgtHv
天正十四年ころから「世間物騒の時分」につき、あれやこれやと上方対策を始めていた後北条氏だが、
天正十五年に入ると、正月に小田原城、五月には上野の箕輪城と松井田城、
一〇月武蔵岩付城、十一月箱根の山中城、足柄城と領国全土で普請を始めていた。
上杉、佐竹に加え、天正十四年十月に秀吉に臣従した徳川と、
全方面からの攻撃が予想されたからであった。

しかしそんな普請で忙しい最中のはずの天正十五年五月、
武蔵の各地では北条氏邦や氏房の命令で、堰や堤の構築が行われていたりもする。

実はこの時期、上記普請の連発のためか、北条領国内では退転欠落が続発していた。

「御国の御用につき」と言う理屈で百姓を動員していた北条だが、
一方で懐柔策もとっていたと言うお話。
あるいは、とらねばならなかったと言うお話。



230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 14:23:37.93 ID:itjA/vHi
無様だなぁ

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 16:37:21.52 ID:+6+KYZzv
「猿wwww」「成り上がりふぜいがwwww」とかいって
余裕ぶっこいてた連中よりはまし

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 16:59:21.95 ID:TJpXzbS6
一庶民に対して国のために戦えっていうのは、近代以降の概念だからなー
数百年ばかり速すぎた、北条は未来に生き過ぎた

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 20:19:45.23 ID:aPDrTFXH
善政を敷いてたのが仇になったか

「蛍の鳴き声」・別バージョン

2012年06月28日 21:02

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 22:46:43.28 ID:ZTilXqH+
既出の話だが(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-516.html)、別バージョンを見つけたので初投稿。

ある日、連歌を学び始めたばかりの秀吉がこんな歌を詠んだ。

『奥山に 紅葉を分けて 鳴く蛍』

百人一首にも収録されている『奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の…』という歌をふまえたものだったが、
夏の「蛍」と秋の「紅葉」を組み合わせるのはおかしく、何より蛍は鳴いたりしない。
単に秀吉が知らなかったのかもしれないし、奇抜な歌を詠んでみたかっただけかもしれない。
その場には里村紹巴と細川幽斎がおり、紹巴は「蛍は鳴きません」と秀吉の間違いを指摘した。

不機嫌になりかけた秀吉だったが、そこへ幽斎がこう言って場をおさめた。
「蛍というものも、場所によっては鳴くことがあるようです。何という歌集だったか、
『武蔵野の 篠をつかねて 降る雨に 蛍よりほか 鳴く虫もなし』という歌がありました」

後で紹巴は、「あれは何という歌集に載っている歌なのか」と幽斎に尋ねた。すると幽斎は、
「あなたの首をつなげるために、私が創作したのです。以後はむやみに殿下に逆らわぬよう」と紹巴を諭した。


後日、秀吉は紹巴の前で

『谷かげに 鬼百合咲きて 首ぐなり』

と詠んだが、紹巴は「神妙な句です」と誉めたという。秀吉は、
「蛍は鳴かぬが、鬼百合は“ぐなり”とするか?」と紹巴に聞いた(やはり蛍の歌は知っていて詠んだのかも)。
紹巴は、「慈鎮和尚が『まくずが原に 風騒ぐなり』と詠んでいます」と答えた。
「騒ぐ」+「なり」なので「ぐなり」ではないのだが、秀吉が機嫌を損ねることはなかったという。

相変わらず抜け目ない幽斎さんと、反省した紹巴さんのいい(?)話。

「戦国武将の歌」という本で読んだ話で、出典は『続近世畸人伝』とのこと。
しかし、秀吉の歌のセンスは江戸時代の川柳や狂歌を先取りしているような気がしてならない…




171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 23:09:15.84 ID:n7KUUKt0
本能寺の後に謀反を疑われたり、秀次事件で連座されたりして
何となく紹巴と秀吉は反りが合わなさそう

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 23:12:41.05 ID:HK80yfd3
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2974.html
この落語だと、公家の間で歌を詠むことになった秀吉が
「奥山に紅葉ふみわけなく蛍」
と詠んでしまい、貴族から笑われるが、曽呂利新左衛門に幽斎と同じアドバイスを貰い、
(万葉集に載っているってことされている)
「しかともみえず、須磨の関守」と呼んで公家から賞賛された、てことに



173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 23:43:20.38 ID:3mbelIJx
>>170
「首ぐなり」ってどんな意味?

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 23:50:51.37 ID:pYkxG7xv
正解は三条河原で!

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 01:14:31.20 ID:w2Mmfbqh
> 「首ぐなり」ってどんな意味?

もし訪ねていたら

秀吉「お前の首をそうしてやろう」...

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 01:22:56.49 ID:DFjGMWq7
蛍って鳴かないんだ…

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 01:31:00.59 ID:1kIJMIjL
恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす~

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 08:42:16.81 ID:VthakbDF
>ぐなり
ぐにゃり?

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 11:24:02.60 ID:FiPbTtRk
>>176
蛍鳴かないよ!
鳴かないから、ぴかぴか光って
アピールに務めるんだよ!

それにつけても幽斎先生は如才ねえなあ

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 18:01:56.10 ID:0E5TL1ZN
紹巴懲りて、首繋ぐなり

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 18:11:16.25 ID:to5ZHlta
歌詠みなら風物だけではなくて人物の機微にも敏くなくては

遠藤喜右衛門の諫言

2012年06月28日 21:02

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 21:13:38.31 ID:zrrGgult
永禄11年8月5日、上洛を開始した織田信長は7日、馬廻の侍わずか二百四五十で、妹婿である
浅井長政の待つ近江佐和山城に入り、初めての対面を果たした。このとき京童たちは
『婿入りも無き先の舅入りとはこの事よ』と言いはやしたという。

その後各地の情勢報告が行われたあと、信長一行は近江柏原の成菩提院という天台宗の寺に座を移し
そこに一泊した。この寺において接待のため長政から浅井縫殿助、遠藤喜右衛門、中島九郎次郎が
付けられた。様々なもてなしに信長も非常に機嫌がよく、夜すがら打ち解け、酒宴の後就寝した。

これを見届けると遠藤喜右衛門は早馬に鞭を当てて急ぎ小谷へはせ帰り、長政を諌めて申し上げるには

「信長という人物は、大変に表裏の深い大将です。彼の行跡をよくよく見れば、その知略の早いこと、
サルが梢を伝うようです。我が浅井家を縁者として組み込み、こちらに参って懇切に言ってくるのも、
ただ上洛のための、当面だけの事です。功成り名を遂げたならば、朝倉も当家も必ず敵とするでしょう。
また、終始信長の気に入るように出来るかと考えても、なかなか想像のつかないことです。
そうして信長の怒りを買った時に戦うことになったとしても、必ず討ち負けて後悔しても手遅れとなります。

であれば、今夜柏原において、二百人ほどの供の者たちも皆町家に寄宿し、信長自身は酔いつぶれて
寝入っております。彼の側には14,5歳の小姓2,3人が眠っているに過ぎません。

ここで、どうか私一人に仰せ付けください。今夜中に柏原に罷り帰って、信長を安々と討ち取って
見せましょう。二百あまりの供侍たちも、大将が討ち取られればその上は、我先にと逃げ出すでしょう。
それを追って美濃に入り、岐阜の城を攻めるなら、城主はなく家督を継ぐ嫡男も幼少であり、彼の地の武士たちも
我も我もと味方に参り、美濃・尾張両国は時を移さずして攻め取ることが出来るでしょう。
そうなれば、その威勢に乗じて六角親子を押し倒し、帝都へ攻め上がって天下の仕置を助ける立場になることも…
誠に当家の興廃は、ただこの一挙にあるのです!」

こう言葉を尽くして説得した。これに長政はしばらく迷い、家老や一族を集めて密かに相談したが、一同が言うには

「信長はあれほど当家に対し懇切で、心やすく打ち解け、頼みまいらせているではありませんか。
そんな良好な関係を失い、公方様の上洛を妨げ、その上酔いつぶれて寝ている人を殺すというのは、
籠の中の飼い鳥を殺すのと同じ事です。

それに今のような時節に信長を討ち取れば、人望に背き、天の冥加も恐ろしく、侍の本意が立ちません。
そんなことは、絶対にあってはなりません。」

長政もこの意見に同意し、遠藤の諌めを用いず、彼に早々に帰って明朝も又接待をするようにと命じた。
しかし遠藤が重ねて申し上げる

「天の与えることを取らなければ、災に会うと申します!信長は表裏の大将です!必ず当家を
押し傾けようとするでしょう。その時、この判断が返って災いとなること、私には鏡に写したように
見えるのです!
どうか、どうか私の申し上げたことにご同心ください!」

そう、涙を流して訴えた。しかし長政は頑としてそれを聞き入れなかった。
遠藤も是非に及ばず、何事かブツブツと呟きながらその夜、柏原に引き返していった。

後にこれは信長の運の強さの現れだと言われた。
(総見記)





204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 21:22:30.85 ID:JEjEBXW+
>>202
信長の運の強さは異常

本当になんか憑いてたんじゃないか?

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 21:40:40.85 ID:WXxewK+D
遠藤「もう手遅れですわ」(ブツブツ・・・)

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 08:47:45.14 ID:4lvFuVTE
>>202
遠藤さんは素晴らしい武士だな
もっと評価されるべき

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 09:23:46.25 ID:zaxIDqfm
もう出てるけど、長政が離反を決意したときには逆に、もう討つには手遅れだから止めなさいと諫めるんだよなあ

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 09:29:30.47 ID:DFjGMWq7
まあ裏切らなきゃ別段潰されはせんだろ
気付いたら家臣になってるだけで

敵の首ではなく鼻・耳を持参せよ、と下知があった場合

2012年06月28日 21:01

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 23:04:16.39 ID:WLOA6EBW
大将から、敵の首ではなく鼻・耳を持参せよ、と下知があった場合、唇がくっついてくるように削ぐようにせよ。
ヒゲがないと女子供の鼻を削いだのではないかと疑われるからである。
ただし、若い武者の場合はヒゲが生えていないこともある。
そういった場合はその若武者の持ち物を持参せよ。

                                       『細川幽斎覚書』




209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 23:12:51.90 ID:Q7H1kcS6
若武者の持ち物というのは下品な想像であっていますか?

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 23:16:10.56 ID:HK80yfd3
髭の話は「雑兵物語」にも載ってたな

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 00:29:37.33 ID:7tOhB3Y1
持ち物を切られるのはやだけど、切るのもいやだな…

週刊ブログ拍手ランキング06/20~/27

2012年06月27日 21:01

06/20~/27のブログ拍手ランキングです!



ネタ・もう手遅れですわ 66

細川ガラシャ夫人の最期に関する証言 46

若きころの秀吉公の話 41
オレのカミさんの親父殿は 35

話を聞いた吉川元長は直ちに 34
忍者の言葉 29
敵も認めた漢の褒美 29

雑談・比叡山のことなど 26
考えをまとめた源藤は大声で叫んだ 25
ねねと小袖 23

横山長知、大いに憤る。 21
雑談・天下布武の「天下」 21
名胡桃城奪取と北条氏直 20
葛西城のこと 19

ねねと材木 18
「尾張兵=強い」説 18
北條ミカン・中国ミカンバージョン 1.9% 17
「教如上人御清水潤いの水」 15
合計 905


今週の1位はこちら!ネタが!wネタ・もう手遅れですわ
しかしみなさん良くもこれだけ、戦国の手遅れを出せるものだと感心しましたw本当に戦国知識に関しては専門家裸足ですねー!
多分実生活にはほとんど役に立たない知識ですがwでもこういう遊びが出来るということこそ、
文化レベルが高いんだと僕は思います。素敵な遊びですw

2位はこちら!細川ガラシャ夫人の最期に関する証言です!
細川ガラシャ夫人の最期に立ち会った侍女の貴重な証言。あの時、細川屋敷の内部ではこの様に認識されていた、
ということがなんとも言えない生々しさを持って記録されています。
当事者の証言だけに、というべきでしょうか、他の記録と合わせつついろいろな解釈ができ、特に稲富さんの行動には
その後の展開もあわせて、想像をたくましくさせてくれますね。
記事単体としても面白いですが、さらに色々なことを考察させてくれるという意味でも、良い逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!オレのカミさんの親父殿はです!
これは色々気になります。いつ頃の時期のものか、出典はどこか、なにせあの明智光秀をある意味讃えている
発言です。忠興の光秀への感情が見て取れるという、実に興味深い逸話だと思いました。
やっぱり光秀のこと尊敬していたのでしょうね、忠興。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただけました。いつも本当に有難うございます!
また更新復帰の時の皆さんからの温かいお言葉、心から感動しました。感謝の言葉しかありません(´;ω;`)
また気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )

大坂落城の日、堀田図書助は

2012年06月27日 21:01

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 01:09:15.93 ID:cOiRsS2g
いい話か悪い話か微妙だが、とりあえずこっちに投稿。

大坂落城の日、大坂方の将堀田図書助は深手を負い、城内に引き返した。
これは主君豊臣秀頼の御供をするためであったらしい。

ところが途中で加賀前田家の軍勢が殺到し、そのうちの1人と槍を合わせることとなった。
深手を負った図書助は勝てるわけもなく、あっさり負けてしまう。

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 01:12:28.10 ID:cOiRsS2g
と、その時、相手から突然「名を名乗れ」と言われた。
せめて相手の名前だけでも聞いておこうという意図だったのかもしれない。
図書助は「堀田図書助」と答えた。

すると、相手はとたんに槍をおろしたのであった。

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 01:15:33.78 ID:cOiRsS2g
槍を下した相手は、図書助に向かって、
「おお、貴殿が我がいとこの堀田図書助殿か」と言ったのである。

なんと、相手は図書助のいとこの堀田与右衛門であった。
これまでは互いに文通をしていただけであり、実際に顔を合わせたことは今までなかったのである。

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 01:18:09.50 ID:cOiRsS2g
それを聞いた図書助は笑って、
「さて、縁者の手にかかって死ぬのは幸いである。首を取られよ」
と言い、そこにどっかりと胡坐をかいて座った。

与右衛門は助けたいと思ったものの、図書助の傷を見て泣く泣く首を打ったのであった。




169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 02:03:19.23 ID:zVr+6kbs
と、図書助(´・ω・`)

山本勘助の毛利家就職失敗談

2012年06月27日 21:00

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 23:23:00.18 ID:F9iZz8Wh
山本勘助晴幸は近江の本居を去って京に行き室町将軍家に仕官を求めたが、将軍家の権威は
日々衰える有様だったので
「ここは功名を立てる場所ではない。」言って京都を去った。
次に中国地方に行って名を全国に轟かせようと思い、まず諸将の賢否を人に聞いたところ仕えるなら
安芸の毛利元就しかありえないということだった。

安芸に着くとまず毛利家に仕官する縁を祈ろうと思い、厳島神社に参拝し神主と会見し京都の消息を語った。
神主は珍しいと思い勘助を元就に推挙した。元就はこれを聞くと何の答もせず、2、3日後に神主を呼び出した。
「先日の京都の浪人を長くこの地に留めないように。私はその人を登用することはできません。
登用しなければまた他国で仕官するでしょう。他国へ行けば安芸の毛利は兎にも角にもと評判します。
知らなければどうしようもなく、批判もできないでしょう。速やかにここを立退かせて下さい。」と
命じられたので
神主もその意を汲んで、勘助に「関東までの間に功名を立てることができる地があるでしょう。
西田舎での仕官は無益同然でしょう。」と言うと
勘助はすぐにこの意味を悟って、即日厳島を出発し東へ向かいましたとさ。

山本勘助の毛利家就職失敗談




190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 04:14:47.34 ID:KQKTF81u
仕官断られた恨みから、悪評垂れ流す可能性があると思うんだが

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 05:46:24.85 ID:6ApX9gmP
>>189
厳島の神主の日記にこのことが記されていれば勘助は存在が証明できたのになあ。

源頼政の鵺退治に涙する武将・上杉謙信!

2012年06月27日 21:00

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 05:59:53.94 ID:zrrGgult
ある時上杉謙信が、石坂検校という琵琶法師を招いて平家物語を語らせた。
すると、源頼政の鵺の段になってしきりに涙を落とされた。
傍らの者たちは不審に思い、その理由を聞くと、謙信は憮然としてこんな事を語った

「私は今、検校の琵琶を聞いて、いまさらのように武道の衰退を感じた。
かつて八幡太郎義家は、禁中に妖怪が出たのを『鎮守府将軍源義家である!』と名乗って弓の弦を鳴らせば、
妖怪その姿を消したというのに、頼政は鵺を射たが、猶死ななかったので猪隼太が刺し殺してとどめを刺した
と伝えている。

義家が妖怪を払ったのは天仁元年(1108)、頼政が鵺を射たのは仁平3年(1153)である。
その間わずか46年の差ほどしかないのに、すでに武道の劣れることこういう有様である。
そこから思うと私は頼政に遅れること450年。その間に武道はどれだけ衰微したかと思うと、
つい我知らず涙を流したのである」

謙信公、武道の衰微を嘆く、というお話
上杉謙信言行録)





195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 08:00:42.28 ID:sxfeWse9
家臣一同「左様にございますな…(まーたはじまったよ)」

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 10:01:58.11 ID:DGsFh2yh
高野山を目指した理由が分かった。妖怪と戦いたかったんだな。

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 10:14:59.00 ID:idKkm+Mu
何となく全盛期のイチローコピペを思い出した

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 10:40:49.13 ID:mWaRbUqE
なんで妖怪のほうも筋トレ頑張ったとか考えないんだよ

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 13:58:02.82 ID:WR7HgupU
雑魚扱いされた源三位頼政かわいそうです(´;ω;`)

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 14:46:49.19 ID:SGuZO+XQ
ああ、モジャ公に出た人か

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 21:16:48.86 ID:HK80yfd3
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5189.html
いまさらだけど

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 21:55:41.51 ID:Q7H1kcS6
源三位頼政って同じ清和源氏とは言っても頼朝とは血統的にえらく離れてるんだけど強い同族意識はあったのかな
今の感覚からすると親戚とは到底いえないレベルだけど血族意識の強かった平安末期だしなあ

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 22:17:52.95 ID:RTgemBWr
>>206
室町後期くらまで日本は氏族社会(源平藤橘の氏族ごとで固まる)だから、そういう氏族意識はもちろん存在したと
考えられる。室町後期まで、例えば国人による一揆も「平一揆」「白旗(源氏)一揆」など、氏族で組織化していた。
これが室町後期くらいになると氏族から地縁で固まるように成る。

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 00:11:40.39 ID:TJzbM7u/
源氏だと兄弟だって信用できないイメージがあるw

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 00:36:18.00 ID:qZgMQpKI
>>211
一番やっかいなのは伯父(叔父)と甥だな
まず敵と思って間違いない

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 00:43:24.70 ID:Z3kigmrF
源氏は嫡流がひどすぎる

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 11:22:13.83 ID:TJzbM7u/
>213、まーくんと鮭様ですね、わかります

雑談・兵の強い所

2012年06月27日 21:00

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:01:23.77 ID:Vbq5sSgW
織徳同盟時代に尾張兵と三河兵で喧嘩ならなかったのかな?
尾張兵と近江兵みたいに

136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:16:35.82 ID:8FV9WQRU
>>135
信長の上洛戦の時、山城に入ってから大略奪大会が始まって、織田軍と徳川からの援軍が略奪品をめぐって
争いになり、少数の徳川軍に織田軍が蹴散らされて、織田軍の連中が信長に泣きつきに行ったら逆に
信長に叱られた、って話があったな。

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:17:02.38 ID:uNyv+qFC
終わり兵の3倍強い三河兵

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:27:39.41 ID:Vbq5sSgW
>>136
あったのかw
まあ、三河は全国区でもトップレベルの強兵だから仕方ない

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:28:58.67 ID:wOCCGGGh
貧乏だから強い…のならば最強は飛騨あたりなのだろうかw

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:41:59.88 ID:8fFIMdFh
>>137
まあそれは立花兵に対抗して作られた江戸期の創作の可能性大ですけどね
3倍の基準が全くないし

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:50:24.70 ID:iJQFR9O9
強兵というと薩摩・大隅・土佐・三河・甲斐・越後あたりか

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:51:28.93 ID:xaPAhqyY
信じてもらえないが、関東も一応強兵・・・

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:51:43.65 ID:xWkrbI/h
>>141
辺境の土地の兵は強いよね

近江兵も強くなかったけ?

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:55:52.62 ID:Vbq5sSgW
>>141
今でもヤンキーが強そうな土地なとこが笑える

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 21:06:57.32 ID:HY0CmJA3
名古屋第三師団と高田第十三師団は昭和天皇の信頼厚く、
シナ戦線の作戦で「3と13がいるなら大丈夫だね」
と言われたとか。
近代では尾張兵は強かったようだ。
ちなみに三河は豊橋第十五師団。

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 21:08:26.37 ID:8e/o61JS
辺境といえば日本のロンダルキア甲斐

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 21:10:03.48 ID:YR9GOeD6
上方ってだけで弱いと言われた八連隊..…

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 21:44:22.45 ID:Vbq5sSgW
そう落ち込むな大阪
河内源氏に楠木悪党も強いじゃん
なにより石山本願寺最強だし

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 21:50:57.75 ID:OKX/x9hx
対武田とか対北条見る限りでは三河兵は特筆するほど強いとは思えないんだよなあ
もちろん弱くはないけど
姉川で徹底的に名前を売ったという印象がある

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 21:54:06.41 ID:C2s0Bf4k
武田と戦っていた時はまだ小大名で兵の規模が違かったからな

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 22:00:24.00 ID:WsNjgq8D
>>139 エチオピア人みたいで長距離の行軍とかに強そうだぞ、飛騨兵。
隣国の美濃や越中にすら4桁での動員は無理だろうけど。
武田の飛騨遠征時はあまり戦ってないのかな?
小説なんかだと、少数精鋭の飛騨忍軍ってたまに見るね。

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 22:04:21.11 ID:8e/o61JS
安房峠越えて飛騨に攻め込んだ山県なんか最強だろ 

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 22:12:50.10 ID:Vbq5sSgW
>>149
武田が席巻してる時代から、
三河兵はやられる時も前のめりに死ぬという評価されてるぞ

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 22:14:29.26 ID:xaPAhqyY
それは強いか弱いかの評価じゃないだろ
武士として見事かどうかだ

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 22:25:31.35 ID:F9iZz8Wh
ぶっちゃけ後ろから討たれてもみんな前のめりに倒れるよね。
後ろのめりに倒れるほうが良くないか?

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 22:29:41.11 ID:tzB0u9t/
あれ、仰向けで倒れている者は足を、うつ伏せで倒れている者は頭を、武田に向けていたんじゃなかったか
ところで、この出典って甲陽軍鑑だったっけ

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 22:30:53.86 ID:Vbq5sSgW
当時の人間が前のめりに死ぬことを評価しているのを、
パソコンの前の思いつきで覆すのはよくないと思うよ
これはさすがに

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 22:38:59.44 ID:T62TSFxF
>>149
対北条、
天正壬午の乱でも小田原征伐でも、圧倒的じゃん。
北条兵が弱すぎるというのもあるがw

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 22:52:06.63 ID:8e/o61JS
黒駒合戦は見事だね しかも家康が率いて無くても勝ちまくるんだから
家康が率いた軍は相当強かったろうね

160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 23:21:49.03 ID:T4h89CuK
>>158
前者は前線指揮官の采配と家康の判断で上野と相模からの挟み撃ちをしのいだことを言ってるのか?
黒駒合戦くらいしか直接衝突してなくない? あとは寝返りばっかり。
後者については山中城攻囲の一翼として落城に貢献した後、早々と小田原に着いたくらいでは?

上杉、武田、佐竹あたりなら対北条の戦果で比較できるんが

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 23:33:06.61 ID:pr+8WZq9
結論:勝った方が強い

酒井忠次「踊って紛らわせればよいのじゃ!」

2012年06月26日 21:00

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 00:40:49.65 ID:fS2uzXJp
長篠の戦の時、鳶ヶ巣山砦を奇襲する一軍は疲れていた。
そこで、酒井忠次は考えた末、

「踊って紛らわせればよいのじゃ!」

ということになり、松平又七、松平又八の二人とともに「井杭」の狂言を演じて兵の疲れを紛らわしたそうだ。

なお、この松平×2はどちらも「松平家忠」という名前である。
又七が形原松平氏、又八が深溝松平氏で、日記職人は深溝の方。

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 00:42:54.95 ID:fS2uzXJp
ちなみに又八家忠はこれが初陣で、父伊忠とともに武田勢に突撃しようとしたが、
「お前も一緒に死んでは家が残らない。それでは忠義にならない。生命を全うして主家に尽くせ」
と言い残し、武田勢に突撃して討ち死にしたそうだ。

長篠の戦いにおける松平家忠の話でした。

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 00:50:22.57 ID:fS2uzXJp
↑訂正。言い残したのは伊忠。申し訳ないorz




126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 00:59:24.00 ID:EPc2kKnn
お前は生き残れって言って実際死んじゃうのか

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 01:23:19.10 ID:pr+8WZq9
踊るって言うからてっきりebisukuiかと

「尾張兵=強い」説

2012年06月26日 20:59

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 16:11:32.50 ID:PWbTNTWN
「尾張兵=強い」説

信玄「信長は小身の頃は三河・遠江・駿河の強兵を要する今川義元を全く攻める事ができなかった。
   ところが義元の油断によりこれを討ち取ってからというもの、尾張を平定し、隣国の美濃も
   七年をかけてこれを切り取った。
   それというのも、上方気質の弱兵ばかりたった信長の軍兵が、今川の東国武士と渡り合って
   鍛えられたからこそである」



                    by 甲 陽 軍 鑑




130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 16:55:11.39 ID:OZnbw4w/
織田厨歓喜w

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 17:42:41.15 ID:Vbq5sSgW
強将のもとに弱兵なし

132 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/26(火) 17:58:12.64 ID:bQV1ps4c
関東のおだ(小田)さんも「強将のもとに弱兵なし 」

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 19:20:48.61 ID:8fFIMdFh
尾張兵はむしろ美濃兵に鍛えられてないか?

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 19:45:29.23 ID:uNyv+qFC
それをいうなら今川軍じゃなくて三河の松平軍に鍛えられたと思う

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:01:23.77 ID:Vbq5sSgW
織徳同盟時代に尾張兵と三河兵で喧嘩ならなかったのかな?
尾張兵と近江兵みたいに

136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:16:35.82 ID:8FV9WQRU
>>135
信長の上洛戦の時、山城に入ってから大略奪大会が始まって、織田軍と徳川からの援軍が略奪品をめぐって
争いになり、少数の徳川軍に織田軍が蹴散らされて、織田軍の連中が信長に泣きつきに行ったら逆に
信長に叱られた、って話があったな。

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:17:02.38 ID:uNyv+qFC
終わり兵の3倍強い三河兵

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:27:39.41 ID:Vbq5sSgW
>>136
あったのかw
まあ、三河は全国区でもトップレベルの強兵だから仕方ない

雑談・家康はケチで内向的?

2012年06月26日 20:59

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 06:09:45.28 ID:Nd6t/5tC
一方的な判官びいきもウザイけど
勝者が臭いものに蓋をして作った歴史の裏側を
見てみようとか可能性を考察しようとかするのも大事なことなんで

秀吉と比べて家康のケチで内向的な部分が
後々の大規模一揆や尊王討幕運動を招いた幕府の体質に関わっていないかとか

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 08:06:41.70 ID:brnI6XQj
>>166
その点で言えば、明治政府が家康や幕府を貶めてる方が大きいぞ。

お前さんが家康は内向的だと思いこんでる時点で弊害は明らかだし

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 08:09:24.74 ID:pr+8WZq9
創業者の性向が250年後の組織にまで影響力持ってるなら逆に大したもんだわ

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 08:29:20.16 ID:gIXLOw3F
家康は海外貿易に積極的だったね
アダムスっていう外国人の顧問がいたり、薩摩の琉球支配の許可を出したり、秀吉よりもずっと外向的だった

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 09:32:49.51 ID:OX5WhbVa
家康の段階では同盟者を英蘭に切り替えた程度だろう
ちょうど力が入れ替わる時期でもあるし

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 14:33:41.99 ID:WsNjgq8D
えーっと、性格が外交的なのと、外交に積極的なのは全然違う話だと思います。

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 15:26:11.59 ID:4sMOLDg2
え?
じゃあ、政策に関係ない個人的な性格が内向的だって非難してんの?

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 15:59:21.59 ID:Nd6t/5tC
それ以前に「秀吉と比べて」内向的と書いてんのに
なんで単発IDが必死に家康擁護してんの?

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 17:16:07.55 ID:xaPAhqyY
家康はケチつーか倹約家だけど、
徳川幕府が倹約せざるを得ない原因を作ったのは家康が倹約家だったからじゃなくて、
家光が家康・秀忠が蓄財した金銀全部使い果たして、
そのうえ大奥とか(金銭的に)負の遺産を後世に残したせいで財政がすごい勢いで傾いたからだぞ

さもなくば綱吉が財政改革に着手する必要なんて無かったのに

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 18:27:53.30 ID:Nd6t/5tC
ケチってのは金銭的な意味よりも
積極的に敵からも人材を発掘して取り立てるという部分で

秀吉と比べて身内びいきというか無難だった家康の方針が
幕末の外様の反抗に繋がらなかったかどうかってことね

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 18:38:33.20 ID:8FV9WQRU
>>176
三傑どころか戦国大名全ての中で外国人まで政権ブレーンに加えたのは家康だけだぞ?
それに秀吉が身内びいきでないように言うが、そもそも「身内」の極端に少ない秀吉は特殊例中の特殊だろ。
しかも数少ない身内はきっちり厚遇してるし。
ついでに言えば家康は、政権とった後は、外様や新参を厚遇しすぎて
その身内の三河衆からかなりの反発を受けている。

どうも家康、というか家康に限らず三傑のイメージは実態を離れた部分の固定観念が強すぎる気がする。

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 19:46:09.85 ID:8fFIMdFh
つーか秀吉が外向的と言われてるのは唐入りを行なったからだし。
家康は秀吉に比べれば内向的と言われても仕方がないよ。
当時は秀吉が桁外れに外向的すぎた。

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 19:48:52.21 ID:8FV9WQRU
唐入りを外向的と読んでよいものかw
むしろ外の世界を全く理解してないからあんなことができた、としか言えないと思うんだがなあ。
秀吉の体外認識ってホントに粗雑で幼稚だぞw


180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:00:40.05 ID:8fFIMdFh
認識はどうあれ日本は明に勝ちまくって、明側に秀吉が死んでくれて助かったって言われてるんですけどね
あと10年秀吉が長生きしていれば本当に明を倒せたかもしれない

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:20:53.04 ID:C2s0Bf4k
おいおいおいおい

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:22:09.42 ID:8FV9WQRU
>>180
無理。
というか日本軍は勝ちまくってなんかない。明軍が参戦したら押しまくられてる。
そもそも明国本土に一歩も入ることが出来なかったという現実をよく見た方がいい。

戦闘意欲がいくら高くても、兵站が貧弱で現地の状況を知らず外交的な政略も無かった日本軍が
どうあがいたってあの時期の明に勝てるわけがない。
唐入りは秀吉の幻想にすぎんよ。

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:26:56.19 ID:h3xHtRx+
2回目は朝鮮半島南部の奪還が目的だろ確か
10年続けてれば明は嫌気が差して引き上げるかもしれないけどそれまで日本側がもつかどうか

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 20:37:01.58 ID:xaPAhqyY
朱印船貿易で貿易しまくった家康のほうが対外的だと思うがな
安定しつつあった時期ということを差っ引いても、
近代以前の日本人であそこまで多くの勢力と外交関係を結んで貿易をしたってのは
家康くらいだろ

大体のやつは中国・朝鮮どまりだからな
[ 続きを読む ]

葛西城のこと

2012年06月25日 20:59

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 01:48:44.21 ID:kz64S8gr
後北条氏関連ときいて投下

下総の国葛飾郡にかつて葛西城という城があった。詳しい創建の時期は明らかになっていないが、
15世紀中ごろにはすでに存在していたようである。
はじめ関東管領上杉方の城であったが後北条氏の手によって天文7年(1538年)に陥落。
後北条氏により整備され規模も拡張されたが、天正18年(1590年)後北条氏の滅亡により城としての役割を終えた。

この葛西城での発掘調査ではいくつか不思議なものが発掘されている。
漆器の椀や将棋の駒、下駄、櫛、陶器類などの日用品に交じってヒコサンヒメシャラ(英彦山姫沙羅)という
植物の種が発見されているのである。
このヒコサンヒメシャラは椿の仲間で白い花を咲かせるのだが、神奈川以西に自生する花であり、
おそらく小田原から持ち込まれたものだと考えられている。

さて、もうひとつ見つかって大変驚かれたものだが…。
堀の中から見つかったのはなんと女性の頭骨。しかも打ち首にあったと見られる刀傷がある。
泥の中から発掘され、茶色く変色した頭骨の持ち主がどういう人物であったのか、どういういきさつで
打ち首にあい、首が堀の中に紛れ込んでしまったのかは全くの不明である。
人質か何かで囚われ、斬られてしまったのでは等諸説あるが、はっきりとした資料がないためわからない。
ただ、現代人である私たちに戦国の世の苛烈さを伝えるばかりである。

葛西城から発掘されたヒメシャラと女性のしゃれこうべの話、乱文大変失礼いたしました。





144 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/25(月) 02:19:21.44 ID:kWkmw88L
>>143
大河ドラマ「武田信玄」に出てくる八重のような女中だったとか?


145 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/25(月) 06:30:47.05 ID:GQJ4ExFu
この前小田原城行ったわ
めちゃ北条氏推してたわ。

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 13:40:38.23 ID:w5p0GLbe
>>143
教育TVの日本史で見た

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 13:51:17.04 ID:kz64S8gr
>>148
マジですか地元でもマイナーな話なのに流石教育テレビ

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 14:04:21.72 ID:w5p0GLbe
>>149
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/resume015.html

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 14:25:37.25 ID:kz64S8gr
>>150
こんなのやってたのか…ありがとうございます!

余談ですが第二回国府台合戦で氏康公が指揮する主力はここ葛西城周辺方面で集結し
て現在の江戸川のからめきの瀬を渡ったそうです。
あ、からめきの瀬に関しては以前に投稿させていただいたこちらをご参照ください
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%CC%F0%C0%DA%A4%EA

ネタ・もう手遅れですわ

2012年06月25日 20:59

89 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/24(日) 20:20:12.48 ID:ei++JYwN
意訳:これは手遅れですわ

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 20:21:08.91 ID:ei++JYwN
ごめん、誤爆

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:00:41.28 ID:L7BEoLx5
>>90
忠興「もう手遅れですわ(意訳:36人目です)」

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:02:47.21 ID:KNx+oA6x
>>90
長可「もう手遅れですわ(対岸の一揆衆を掃除中)」

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:06:17.09 ID:isvpIpSG
>>90
一豊「もう手遅れですわ(相撲大会実施中)」

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:14:39.69 ID:PCMdbXAz
>>90
直家「もう手遅れですわ(そのお茶飲んだのなら)」

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:16:19.61 ID:2998xCUq
如水「長政よ、もう手遅れだ(お前の左手は何してたんだ)」

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:17:28.28 ID:8pgh7s4d
>>90
一益『もう手遅れですわ(清洲会議)』


97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:20:49.71 ID:PCMdbXAz
>>90
久秀「もう手遅れですわ(意訳:君も一緒に木っ端微塵です)」

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:33:29.08 ID:KNx+oA6x
長益「もう手遅れですわ(切腹しとけ、俺は生き延びるけどね!)」

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:36:56.08 ID:9MqWAdn9
>>90
九鬼守隆「もう手遅れですわ(嘉隆切腹)」

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:49:12.24 ID:DJqQQ3PP
元就「もう手遅れですわ(うっそで~~す!戦闘準備!戦闘準備!)」

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:03:27.95 ID:2bQdFUfL
(´・ω・`)「梵天・・・」

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:11:14.87 ID:L7BEoLx5
義昭「まだ手遅れじゃない、まだまだ(於 天正十四年)」

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:18:44.21 ID:zf7Fgzes
秀忠「もう手遅れですわ(中山道にて)」

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:45:52.73 ID:G4W9ko1k
信長「もう手遅れですわ(本能寺にて)」

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 23:02:24.62 ID:u4KHU94P
菅谷「殿もう手遅れです。藤沢に引きましょう」

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 10:51:52.31 ID:Wsnr87z4
蒲生っておくれですわ(蒲生氏郷)


107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 14:41:31.98 ID:9OpKfu3I
三成「もう手遅れですわ(裏切り続出)」

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 16:25:30.39 ID:qJDtjjQY
家康「もう手遅れですわ(焼き味噌)」

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 16:37:18.49 ID:1B8sxJ+d
光秀「もう手遅れですわ(信長への引導的な意味で)」

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 18:27:53.93 ID:+eCRuhDv
内ヶ島「もう手遅れですわ」

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 18:49:28.38 ID:Wsnr87z4
島津・加藤『もう手ぐすねですわ』(宗茂へのラブコール)

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 18:50:16.61 ID:bKPjUPGr
且元「もう手遅れですわ(方広寺鐘銘事件)」

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 18:58:46.66 ID:iVnGGrGo
特にこれといった逸話が紹介されてないのに悪い話スレを一周遅れにしそうw

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 19:04:29.87 ID:YnBikQWY
輝元「(人妻誘拐の件)ごめんなさい」
隆景「もう手遅れですわ(鉄拳制裁決定!)」

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 19:07:14.13 ID:boJI4vlX
元康・宗茂「もう手遅れですわ(大津城で足止め)」

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 20:51:20.66 ID:XSPdJ4UF
なんだこの流れはw

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 21:25:50.81 ID:EQh3PZnK
もう手遅れですわ(流れを指摘するには)

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 21:56:42.48 ID:Wsnr87z4
安西光義『もう手遅れですわ』

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 22:29:28.53 ID:jHFxV7Ob
誰かと思ったら安西先生かw

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 23:44:18.84 ID:9OpKfu3I
義政「もう手遅れですわ(京の都)」
秀次「もう手遅れですわ(切腹寸前)」


義姫「(政宗に向って)もう手遅れですわ…」
政宗「(薬を飲んで)まだだ、まだ終わらんよ!」
小次郎「もう手遅・・・ぐふっ!」

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 00:00:39.89 ID:hXV0Xb2J
いい加減この流れに秋田城介

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 01:26:22.19 ID:SASjBcuC
>>122
もう手遅れですわ

北條ミカン・中国ミカンバージョン

2012年06月24日 21:02

109 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/24(日) 01:14:49.40 ID:XCF0KyZA
織田信長が本能寺の変で自刃に追い込まれると、その旧領を巡って北条家は徳川家康と争ったが、
上野を北条領、甲斐と信濃を徳川領とする事で和睦した。この和睦の証として、家康の娘である督姫を正室に迎えた氏直は
ある日、家康から中国産のミカンを贈られたのだが、北条家の面々はこれをただのミカンと勘違いし、

「徳川領ではそんなにミカンが珍しいのか。ならば山ほど送って驚かせてやる。」

大箱いっぱいのミカンを送り返した。これを受け取った家康は

「氏直はまだ若いから仕方ないが、老臣たちも一緒になってこんな子供じみた真似をするとは、
 北条家も滅亡の運命にあるな。」

と冷笑したという。




110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:18:04.77 ID:G4W9ko1k
>>109
この話っていろいろなバージョンあるよな



111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:18:46.41 ID:cg09ikiR
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6485.html
今月頭にも出た

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:26:45.77 ID:PCMdbXAz
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2892.html
こっちの話だとオレンジだね

統合すると、北条に送られた物候補は、オレンジ、九年母、中国ミカンか

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:53:12.07 ID:lQVuy8FS
滅亡した大名って言われ放題だよな(´・ω・`)

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 02:39:06.80 ID:KNx+oA6x
しかし判官贔屓されない不思議
日本人は判官贔屓大好きなんじゃねーのかよー

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 03:17:14.57 ID:c3mdYiEV
>>114
最近、判官贔屓に拒絶反応が出るようになって
やっぱり時代を作った人のほうが凄いやって思うようになったな

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 03:48:00.62 ID:CDjhDghM
その辺りは時勢と関係しそうだね
信長みたいな武将に今の閉塞した空気を作り替えてもらいたい

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 04:36:38.31 ID:L7BEoLx5
三条大橋たもとで梟首の後、石櫃に納めて展示するだけの簡単なお仕事です。

名胡桃城奪取と北条氏直

2012年06月24日 21:01

115 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/24(日) 02:52:45.06 ID:XCF0KyZA
話がかぶっていたとは失礼しました。 もう一つ北条の逸話を…

1586年、徳川家康が織田信長の後継者として勢力を伸ばしていた豊臣秀吉に臣従し、北条家も服属を迫られる状況となった。
家中では、当主の氏直ら恭順派と、家中に強い影響力を持つ父の氏政ら交戦派に分かれたが、家康の

「こちらの説得を聞き入れない場合は同盟破棄も辞さない。」

という強い説得を受け、秀吉に使者が送られる事になった。その後、北条家と豊臣配下の真田家との間に会った領土問題に秀吉が
裁定を下し、北条家もこれを受け入れて、氏政が上洛し臣従の意を示すことで話がまとまりかけた。所がそこに、北条家家臣、猪俣邦憲が
真田配下の名胡桃城を奪取するという事件が勃発した。これに激怒した秀吉から

「必ず氏直の首を刎ねてやる!」

と宣言されると、氏直は

「北条家は何も知りません。父の氏政は上洛させますが、そのまま抑留されるなどの噂もありますので、
 かつて家康殿の上洛に際して豊臣家から人質を出した様なご配慮お願いします。」

といった弁明書を送り、家康にもとりなしを頼んだものの、聞き入れられる事は無かったという。




116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 03:05:32.11 ID:G4W9ko1k
>>115
名胡桃城奪取は秀吉の策略だったっていう説もあるよね

秀吉は最初から北条家を潰したかったのかな

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 08:25:15.88 ID:XlXEwLQX
>>116
どういう策略を使ったら北条に真田を攻めさせれるんだ?
その策略が知りたい

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 08:40:01.57 ID:cfWXMFj4
>>120
北条じゃなく猪俣を羽目たんだろ

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 09:25:33.31 ID:UaJtz3Jf
攻めるといっても物理的に攻めたわけじゃなく寝返りだからなあ
はめるのは簡単だろう

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 09:52:41.86 ID:F/V7u639
あの時期は北条がどうあがいても豊臣に攻められるのが確実になったから、
猪俣が北条勢の防衛戦のことを考えて名胡桃城を奪取したみたいだよ。
戦術的な判断で、あの城取ると上野の防御の助けになるとか。
また氏康時代から、本城の小田原で侵攻軍を受け止めて、支城で絡め取る戦法が通用してたから、
豊臣勢にも同様に通用すると思ってたらしい。

でも豊臣の攻勢は一拠点で支えられる規模では済まなくて、
四国や九州を攻めたように多方面から大軍を投入してきた上に、補給も完璧だったからご存じのとおり小田原も落ちた。
完全に秀吉の戦略勝ちで、関東の一武将では思いつかないくらいスケールが大きい攻勢だったんだね。

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 11:18:40.76 ID:5M4ODsf0
>>116
ねーよ
小説真に受けんなw

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 11:50:49.76 ID:lQVuy8FS
北条が生き残った場合の豊臣政権ってのも見てみたい

ナンバー2とナンバー3が縁戚でラスボスもあんまり無茶できないだろうな

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:08:26.20 ID:SG+Vq1CY
>>125
実はそうでもなかったりするんだな
豊臣の対北条の饗応役のその後を見るに

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:14:54.83 ID:G4W9ko1k
>>125
小説で出てたのか

何ていう小説?

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:26:35.09 ID:26aRAo2S
秀吉は何かといえば「北條は必ず滅ぼす」「北条攻めの準備をするように」って発言や指令を出すんだよね。
それこそ小牧長久手から小田原合戦までの8年間、ほぼ絶え間なく。
こういう状況があるから北條もうかつに秀吉を信じるわけには行かなかったし、常に警戒を行う必要があった。

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:29:32.06 ID:1Z8Av8D3
よっさん北条に何の恨みがあって…

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:32:25.85 ID:7p6rjKG8
>>126
秀吉的にはそんなめんどくさい状況にしたくないだろうなあ。
ちゅーことはやっぱり北条はどう対応しても潰されたんじゃなかろうか。

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:32:39.69 ID:u4KHU94P
>>128
真田太平記

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:35:07.14 ID:SG+Vq1CY
北条は織田に協力したのも遅かったし、
その上、本能寺の変の直後にすぐさま織田を裏切っていたしなあ

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:40:59.24 ID:cg09ikiR
>>131
家康「北条からミカンが山ほど送られてきた」
秀吉「これほど見事なミカンを産出する国がそばにある。
北条はなんとしても滅ぼさなければならぬ」
加藤清正(大カトー)加藤嘉明(中カトー)加藤光泰(小カトー)
「そうだそうだ」

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:44:09.09 ID:G4W9ko1k
>>132
自分はたぶんほかの小説で見かけたと思う

ちょっと無理があるんじゃないかなあと思ったけどw

136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 16:40:53.77 ID:+k+xMmvQ
>>124
名胡桃城と沼田城って利根川を挟んでだいたい3㎞くらいしか離れていないんだよね。
晴れた日なら見えるくらいの距離だから、そこが敵方のままでは沼田城を活かしきれない。

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 17:08:07.40 ID:2bQdFUfL
やるおでやる真田家みてると真田パパンがはめたように思えてくるけどな。

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 20:26:10.69 ID:vC4ERPjY
上杉や北関東の反北条諸氏の取次やってた石田三成が北条の上洛を嫌がってた節がある
「北条の兄弟衆が上洛したら事態は最悪だぞ」って警告する書状が残ってるみたいだし
石田ごときの讒言に左右はされないだろうけど、秀吉が北条滅ぼす気満々だったのはこの辺も関係するのかな?

対して家康はギリギリまで秀吉と北条を取りなそうとしてたし、戦後も氏直赦免に奔走した
三成と家康の対立って結構早い段階から始ってたのかな

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:22:44.68 ID:c3mdYiEV
そりゃ氏直は家康の娘婿だもの

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:10:35.42 ID:F/V7u639
氏直が関ヶ原まで生きてればとは思う

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:28:21.99 ID:26aRAo2S
北条氏直は北条家家督であると同時に、
今川氏真養子として今川の継承権を、
武田信玄娘黄梅院の子として武田の継承権を所持しており、
さらに徳川家康の娘婿という、東国大名のサラブレッドにも程がある存在だったりするw


142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:40:51.06 ID:NR1LLmj6
氏直は北条を名乗ってないって話は本当なのかね?

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 11:05:46.13 ID:nkKcnEi3
>>134
Hojo delenda est 乙

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 13:35:44.01 ID:yIl1GZjS
>>141
ラスボス「女ならともかく、男にはいかなる興味もありません」

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 16:03:10.84 ID:9NNhsfhs
>>141
むしろ絶対生かしておけないだろ
旧三国同盟の遺臣をすべて統合できる人物なんだから天下人にとって不発弾でしかない

信長は実子を養子として送り込んで家と権威を乗っ取るかもしれない
家康は事実、娘を嫁がせて敵対しないよう懐柔した
しかし、秀吉は上記の手段をとれないため潰すしかなかった

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 17:31:53.64 ID:TO9LxSsc
そんな血縁だけで統合できるわきゃねーよw

154 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/25(月) 17:37:23.99 ID:11IoEfL6
貴種の血脈は誰かが統合の象徴として利用するには、価値の高い存在だよ。
足利の代々とか、尼子勝久とか
[ 続きを読む ]

織田配下だった逸見昌経は

2012年06月24日 21:01

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 08:35:38.39 ID:6PanonHY
これはひどい

> 593 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/14(木) 12:19:34.12 ID:sqRAU7+v
> 織田配下だった逸見昌経
> 8000石の所領を持ち若狭衆筆頭として活躍。
> 天正9年2/28に馬揃いに傘下したが3/26に死去。
> すると信長は所領全没収の上
> 5000石を溝口秀勝に
> 3000石は武田元明に分配され
> 子の源太虎清は追放される。
> なんら罪もなく武功を重ねてきたのに・・・
> こんな暴君はありえない。

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1331989369/

雑談・比叡山のことなど

2012年06月24日 21:00

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 15:23:41.85 ID:wO8699qx

比叡山があそこまでイカレたのはなんでなんだろうね。

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 15:32:20.99 ID:UEYSoFyL
最初は立派なもんでも、だいたいのもんは時間が経てば淀んで濁って腐ってグシャグシャですわ

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 15:34:34.34 ID:dUTd6hu7
比叡山は別にイカれちゃおらん。勅命和議があって朝倉・浅井が引いたら信長が即座に比叡山攻めただけの話。
そもそも所領の支配形態も比叡山など畿内の寺社のほうが「先進的」であり、信長の支配下は過大な軍役と重税で
疲弊していて、一般的な民衆からは信長の政権はほとんど支持されていなかった。

本願寺もそうだが、比叡山に関しても、信長に対して一般民衆レベルで支持を集めている勢力を信長が軍事力で潰した、
と見たほうが正しい。

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 15:55:01.20 ID:hRp8yU7W
僧兵は信長秀吉でほぼ一掃されたと思っていいのかな
信長に潰された一向宗と比叡山、秀吉に潰された高野山と紀伊の勢力はわかり易いけど
他の僧兵もってた勢力は秀吉政権下の大名が虱潰しに解体していったのかな

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 16:00:42.23 ID:Q84WPWVB

比叡山がイカレたというより、もとから寺社って僧兵という傭兵置いてるし、
現代からみると生臭寺なだけなんじゃないか?
織田信長と利害の合わない集団が戦っただけでしょ

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 18:10:53.53 ID:8k8uCprT
お山は親鸞の時代から権力に汚染されてたみたいだし、
この頃もやってることは仏教の人を救うという根本からずれてる希ガス

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 19:16:59.59 ID:gYWjqwiF
洋の東西を問わず、宗教が権力を持ち腐敗していたのが中世という時代でしょ。

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 19:41:32.48 ID:dUTd6hu7
そもそも中世の宗教勢力は腐敗していたのか、という部分を考えた方がいい。
そういう紋切り型の解釈(しかも手垢のついた共産主義の発展論的歴史観)じゃなくて。

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 19:55:36.76 ID:Q84WPWVB
オレも宗教勢力が自衛のために傭兵雇ってたことは別に腐ってるとも思わないな
銃刀法も全国にまたがる警察力もない時代に寺社勢力だけは丸腰でいろとか無理だろ
そもそも比叡山て反戦組織でも平和団体でもなかっただろ?(今の比叡山のことじゃないよ)

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 20:03:56.34 ID:dUTd6hu7
ついでに言うと「宗教」というものの捉え方自体現在と中世では全く違うし、叡山や本願寺などは
宗教団体であると同時に、一種の複合的権力組織である「権門」だったわけだしね。

例えば中世に発展し近世の地域自治の要となった「惣村」は、比叡山の荘園内で特に多く確認されている。
比叡山は近世社会形成の一翼を担った勢力だったと考えることもできるわけだ。

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 20:07:13.11 ID:4GDzCyS+
室町時代の京で最も安全で信頼できる金融機関は延暦寺だったそうな。
確実な取り立てと資本の防衛が出来る武力とネットワークがあったから。
京に約300軒あった金融業者のうち8割は延暦寺の資本だったとか。
さらに京の酒屋、米屋、油屋、そこに商品を供給する水運、馬借にも資本を出していた。

幕府や朝廷があの様なのに京が大都市として存在し続けたのは延暦寺のおかげ。

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 20:27:16.81 ID:hRp8yU7W
強訴は内容的にも私利私欲全開だからねえ・・・
強訴の多かった院政期は白河院の政治も酷かったし大寺院の僧兵もこんなだし
今から見ると酷い時代に思えてしまう
末法思想の流行りようを考えると当時の人達も絶望感強かったんじゃあるまいか

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 21:36:17.45 ID:Q84WPWVB
アレクサンドロス「わたしには希望がある!!」
庶民「わたしには南無阿弥陀仏がある!!」

人間は強い

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 22:18:37.46 ID:0Drf12UF
森某「だが骨は無い」

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 09:56:46.43 ID:F/V7u639
宗教団体だけじゃなくて商人も武装してた時代だしなぁ
ライバルの荷止めやったり、傭兵雇ったりして、その上に戦国大名とも癒着してるのもいた
腐敗というか生存競争の手段?

61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 10:19:46.45 ID:xLgXEpF3
自衛のための兵力と経済体制?
これからは織田家が責任もって保護してやるから余分な権益はいらないよな?よこせ
ナニ嫌だ?じゃあ敵か?敵なんだな?じゃあつぶすぞ?いいんだな?

宗教関係無くて一勢力に対する対応は堺衆とかと同じな気がする、現実見てた境衆は屈したけど

雑談・天下布武の「天下」

2012年06月24日 21:00

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 14:47:57.32 ID:u+6N2JM6
信長の「天下布武」ってなんだったのだろうか?
単純に日本を織田家の武力で統一するのか、
それとも日本の全てを武家文化で機能させるのか?
後者なら比叡山や本願寺の抵抗も、
京都での馬揃え、本能寺もより凄い意味を持ってくるよね

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 14:53:32.76 ID:26aRAo2S
>>64
当時の「天下」=室町将軍の影響範囲である畿内近国の事。日本全国のことではない。
天下布武は「混乱している将軍の支配領域を私の武力で静謐にします」くらいの意味。

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 15:13:01.79 ID:u+6N2JM6
>>65
と言う歴史学者もいるけど、京を押えているという限定的な意味で天下布武なのかって疑問がある。
天下布武が禅僧の沢彦から出た言葉ってのも禅僧が「天下」を限定的な意味で使うかな?と思うんだよね

ちなみに古語辞典で天下調べると、
①天の下に広がるすべての空間。全世界。また、この世。
②その国全部。国中。
③全国土を支配すること。国を支配する権力・政治。
④江戸時代の将軍など、国の最高権力者。
⑤思いのままにふるまうこと。
⑥世間。世の中。世の人々。

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 15:13:48.99 ID:8pgh7s4d
>>64
岐阜の由来に周の文王だしといて
天下布武が武力で天下って意味はヘンじゃね?

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 15:14:01.30 ID:MvfOiOas
いつまでつこてたんやろか

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 15:15:03.61 ID:KtcYw5a2
>>65
初めはそうだった。将軍機能してないから取って代わるぐらい。
終盤は部下をはじめ全国支配になってんだろう。
織田のままでも朝鮮征伐までいった気がする。軍を止めるのは難しい。

織田の焼き討ちはいつも全悪のように描かれるからなぁ。
見た目的におもしろいからなんだろうけど、視角を変えたのもやってほしい。


70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 15:15:51.56 ID:8pgh7s4d
七徳の武とかガセなのか?

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 15:23:11.43 ID:26aRAo2S
>>67
そもそも「岐阜」の地名も周の文王云々は後世のつくり話で、実際には信長以前から
あのあたりの禅寺で、稲葉山周辺を呼ぶのに使われていた、『長良川のほとり』を意味する言葉だった。
それを禅宗的教養に親しんでいた信長が採用したもの。

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 15:29:34.82 ID:u+6N2JM6
>>70
春秋左氏伝からなんだろうけど、
禅僧は天上天下唯我独尊の自己解釈が激しいし・・・
ただでさえ日本語って歌でもなんでも様々な意味含ませること出来るしな

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 15:44:32.81 ID:26aRAo2S
>>66
ただ、当時の常識で言えば「天下」といえば京都周辺くらいを指す言葉なのよ。

仮に信長に天下を日本全国とする意図があったとしても、世間は天下布武を見て常識的に、
信長は京都周辺を、具体的には義昭に反対する三好三人衆を討伐するんだな、というくらいにしか
受け取らないわけですよ。世間がそうなのに信長一人が日本全国のことだと思っていても、
それは意味が無いわけですね。

そもそも日本全国を意味するとすれば、信長は書状を出すたびに日本中の大名に
「あなた達はそのうち私が武力で潰します」と喧嘩を売っているに等しいわけで、
そんな無駄に敵を作る事を、いくら信長でもやるわけがない。

なので信長は少なくとも、世間が天下布武の天下を京都周辺位の事と考えていると認識していたし、
それを受容していた、と推測できるわけですね。
その証拠に、信長は上洛のあと京都の周りから三好三人衆を追い出すと、その時点で「天下静謐」を
宣言したりしましたし。

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 16:24:30.19 ID:u+6N2JM6
>>73
武家として畿内を押さえてることを天下人と言うのが共通の認識だっただけで、
「天下」という単語が即畿内を指していたわけではないでしょう?

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 16:36:45.96 ID:26aRAo2S
>>74
例えば、割合史料として信頼されている川角太閤記では、秀吉が小田原征伐から京に帰ってきた時
「上様天下へ御帰陣」と書いていたりする。
天下が地域の範囲として把握されていた事を表してると思うよ?

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 16:54:03.58 ID:u+6N2JM6
>>75
天下人の根拠地を天下と呼ぶのと同時に、
オレが古語辞典で引いた天下という意味も確実にあるでしょ?
ってことを言いたい。
アナタは「天下」という単語が当時は「畿内」のみを指していたと言ってるの?
「天下布武」の「天下」が「畿内」を指していたという主張ならわかるが、
天下即畿内ってのは当時でも違うでしょ

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 17:22:41.55 ID:cfWXMFj4
まあ、天下はひとつじゃないって事でいいんじゃない?

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 18:04:56.20 ID:xLgXEpF3
饅頭を三つに割ればいいんだな

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 18:17:19.58 ID:XlXEwLQX
狭義の意味での天下と、広義の意味での天下、2つ意味があるんだろ
どっちか一方だけに決め付けなきゃいい

80 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/24(日) 18:21:40.07 ID:3vvFVi5U
"天下"の"天"が何を(誰を)指してるか考えれば答えは簡単だろ。

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 18:23:02.74 ID:WV4MKx/e
天庵…いやなんでもない

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 18:26:11.47 ID:DJqQQ3PP
だいたい全国のことは「日本六十余州」とか「六十余州」って言われてるね。

天下って「天皇の下」って意味じゃなかったのかな?
だから畿内限定になっちゃったとか。

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 18:27:14.46 ID:dkLkoNgC
でもなあ、畿内といっても摂津は最後近くまで掌握しきれなかったんじゃないか?
大和も時間がかかってる

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 18:31:17.76 ID:XlXEwLQX
紀伊も最後近くまで

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 18:40:46.86 ID:uFw888tO
天下の「天」が天皇指してるなんてあったのか?
天皇を儒教の「天」にこじつけだすのは幕末の国学者くらいからだろ

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 18:44:58.78 ID:2998xCUq
紀伊を実質的に支配できたのは本能寺後に秀吉が制圧してからじゃない?
当時の意識で高野山より南を機内と認識していたかというと微妙なような気もするけど

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 18:49:06.59 ID:DJqQQ3PP
畿内=五畿内のことだから山城国、摂津国、河内国、和泉国、大和国に該当する。
いわゆる京阪奈ってことだね。

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 19:06:40.36 ID:2998xCUq
ああ、そういえばそうだった
でもつい機内=近畿って考えてしまう

細川ガラシャ夫人の最期に関する証言

2012年06月23日 21:02

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 19:30:03.58 ID:eB8HCZ9D
長くなったけど思い切って投稿してみる

細川ガラシャの侍女に、霜女という人が居た。彼女の夫は明智光秀に使えた入江兵兵衛という武士であり、
山崎の戦いで討ち死にした。その縁のためであろうか、霜女細川ガラシャ夫人に仕えた。
以下、霜女による細川ガラシャ夫人の最期に関する証言である。

『石田治部少輔乱(関ヶ原)の年7月12日に、小笠原昌斎河北石見の御両人が台所(奥)に参られ
私(霜女)を呼び出し、こう申された

「治部少輔方より、何れも(徳川家康とともに)東に出陣された大名衆から人質を取るのだという風聞を
奥方様(ガラシャ)はご存知でしょうか?ご存知だとしたら、この事についてどのようにお考えに
なっているのでしょうか」
私はこれをその通り秀林院様(ガラシャ)に申し上げました。秀林院様がこれを聞いて仰ったのは

「治部少と三斎様(忠興)とはかねがね御関係が大変悪いので、定めて人質を取る時はまっ先に我が方に
要求してくることでしょう。もし最初でなければ、他家の対応を見ながら考えることも出来るでしょうが
一番にそれを要求してくればどうするべきか、昌斎・石見によく検討してみるよう伝えなさい。」

私はこれをまた、その通りに両名に伝えた。これを受けて小笠原昌斎河北石見は、
「石田方より人質を要求されれば、『忠興様のご子息である与一様(忠隆)、同じく与五郎様(忠秋)は東に
出陣成されているし、内記様(忠利)は江戸に人質としてあります。現在我が方には人質に出すべき者は
一人もおりません。よって人質を出すということは不可能です。どうしても人質を出せというのなら、丹後に
使者を出して、幽斎様に京に上って頂き人質になって頂くしかありません。それを申し使わす時間もあるので、
それらの調整が終わるまで人質の件はお待ちくださるように。』と返答すると言われ、これに秀林院様も
「それこそ然るべきである」と仰られた。

そのような時、”ちやうごん”と申す比丘尼があり、これは常々御上様(ガラシャ)の元に出入りしていたのであるが、
石田方はこの人を頼み、内々に「(ガラシャに)人質に出るように」何度も申し上げた。しかしこれにも

「三斎様の御ためにも、人質に出ることはどんな事があろうとも同意できない」

と拒否された。その後この比丘尼が参られ今度は「そういえば宇喜多秀家様の奥方と、忠興様嫡男忠隆様の奥方は
同じ姻戚(両方前田利家娘)であり御一門であります。ならば宇喜多殿の屋敷に入るということでもいいのです。
その分には、人質に出たと世間も申しますまい。そうなされませ。」
これを聞いた御上様は

「宇喜多の八郎殿(秀家)は確かに一門ですが、これも治部少の一味ではありませんか!そこに出るのも
同じ事です!」とこれも拒絶した。

16日、石田方より公式の使者が参られ、「是非是非御上様を人質に出して下さい。それを聞き入れないのなら
我らは押し入ってでもその身柄を頂く!」と申しよこした、
この強行な姿勢に小笠原昌斎河北石見は激怒した。
「あまりの申し様ではないか!この上は我らが切腹する事態になっても、絶対に人質に出ていただく訳にはいかない!」
これにより屋敷中の者たちは覚悟を決めました。御上様の御意には
「本当に石田方が押し入って来たら自害いたします。その時は昌斎が奥に入りなさい。私の介錯をするように。」
と仰せになられた。与一郎様の奥方も人質に出してはならない。これも一緒に御自害なされると言うことも、
内々に約束された。

小笠原昌斎河北石見稲富祐直などが談合し、稲富は表にて敵を防ぎ、その間に御上様にご最期を迎えて頂く、
という事に決まった。そのため稲富は屋敷の表門に居た。そしてその日、夜の入の頃、敵が御門前まで押し寄せた。


80 名前:続き[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 19:30:59.70 ID:eB8HCZ9D
稲富はその時心変わりをし、敵に寝返った。その様子を小笠原昌斎が聞き、「もやはこれまで!」と思い長刀を持ち、
御上様御座所へ参り、「只今が、ご最期の時です」と申し上げた。内々に約束してあったことなので、与一郎様の
奥方様を呼んで、一ヶ所で果てられようと、奥方様のお部屋に人を遣わしたが、もはやどこかに落ち延びた後であった。

最早仕方のない事なので、御上様はお力なく、お一人で御自害なされた。昌斎が長刀にて御介錯された。

その前に御上様は三斎様・与一郎様への書置を作られ、それを私に御渡しになり仰せられたのは、”をく”と申す
女房と私の両人は落ち退きてこの書置を届け、最期の様子を三斎様に申し上げるように、とのことであった。
私は「ご最期を見捨てて落ち延びるなど出来ません!どうかお供をさせて下さい!」と申し上げたが、
「二人は落ちるのです。そうしなければ、一体誰が私の最後の様子を伝えるのですか?どうか、お願いします。」
そう仰られたために、私はその御最期を見届けて屋敷の外に出た。内記様(忠利)ご存じの方には、内記様への
御形見を遣わされた。

私達が御門に出た時には、もはやお屋敷に火がかかっていました。御門の外には大勢の人が居ましたが、
後に聞いた所によると、それは敵ではなく、火事を見物しに集まった人たちであったと言うことです。
敵も居たのですが、それらは稲富を引き連れて、御上様のご最期以前に引き上げていったのだそうです。
この事も、後になって知りました。

お屋敷において切腹されたのは、小笠原昌斎河北石見、石見の甥六右衛門、同じく子一人、このあたりは
覚えております。他にも2,3人も切腹されたと思いますが、それははっきりとは覚えていません。
細々としたことまでは書き付けられませんでしたが、だいたい概略はこういうことでした。』
霜女覚書)




81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 19:49:56.66 ID:dsc/DapB
稲富ェ・・・

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 19:53:38.30 ID:371T431n
ガラシャが死ぬ前に引き上げてたのか
稲富さんが上手く騙してくれたんだね!

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 20:27:06.35 ID:7dxXa9EY
これ、なんか稲富さんの寝返りっていうのは何かの行き違いのようにも見える書き方なんだね

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 20:38:49.58 ID:Yew3VIlI
悲壮な思いで最期を見届け決死の覚悟で脱出したら回りに居たのは火事の見物人だけ…

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 20:57:48.57 ID:iFDQZ7aD
ドンパチやってる所に野次馬が集まって来ちゃうあたりに日本を感じた
興味本位で戦を見に行って巻き込まれて死んだ奴とかいっぱいいたんだろうな

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 21:12:18.69 ID:MnPLGTVQ
押し入れば奥方様は自刃なさられて石田方の都合の悪いことになるだろうから
代わりにわしを人質として連れて行けみたいなことを言ったのかね?

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 21:23:37.24 ID:PMARcdPp
入ったら死ぬ覚悟決めてるよ?止めた方が良いよ?
って脅して三成に説明しに行っただけだったりして…

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 21:28:22.75 ID:CxmBMAPS
伝令が、「小笠原、河北の両名は切腹、稲富は生死不明」って三歳様に報告したら、
「だったら、稲富は逃げたのであろう、あいつは腹を切るようなやつじゃない」って三歳様は言ってたりする。

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 21:30:55.29 ID:iFDQZ7aD
稲富が何か交渉しようとして三成にとっ捕まえられて、裏切ったって喧伝された可能性はあるよね

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 21:53:13.07 ID:S5/vHg8V
稲富が幕府に仕えるようになってから三齋様と出会った事はあったんかのぉ。
怖いような面白いような。

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 00:14:22.85 ID:3r7dyb+D
与一郎の奥方はいつの間に脱出してたんだ

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 12:58:09.86 ID:Ia2lEB/+
稲富の言い訳は残って無いのだろうか

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 13:15:36.95 ID:3nrTBRmg
>>97
あのあと一度、三斎さまのところに顔出した話はあったよね、そこで何らかの申し開きはあったかも
ただそれを表に出してしまうと勘違いで自害したマヌケということになっちゃってまずいから
稲富が泥をかぶったままとし、身柄は徳川が召抱えたからもう手が出せないっす、という体にしたとか

のこのこ出て行った時に斬られなかったのがガラシャがらみの三斎さまの対応として不自然極まりねぇ・・・

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 14:08:34.50 ID:C+9ijvkl
少年だっていつかは大人になるものさ
あるいはすでに36人斬ってたか

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 14:21:05.47 ID:E+Y5tmlo
>>100
確かに、敵前逃亡か裏切りかで味方見殺しにした、それも当主の妻をも見殺しにした訳だから
忠興じゃなくとも斬られてもおかしくない失態だよな
ヘタレの稲富にしてはさっさと忠興の方に顔を出してるし、言うとおり稲富が悪いという事にして
事態を丸く収めたのかね

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 17:37:50.48 ID:7MWDdH3C
やだ…稲光さんかっこいい…

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 20:00:07.39 ID:3eke8mgx
もしかして稲富さん
稲富「屋敷の中では既に皆自刃して果てた、これ以上の狼藉は無用!」
石田方「ちぇっ死体じゃ人質にならねーから引き上げるか、代わりに生きてるお前連れてくわ」
稲富「あーれー(皆様方、今のうちに落ち延びなされ」
とか言って上手く相手を丸め込んだつもりが
中の人が稲富裏切ったもう駄目ポ→奥方自刃&屋敷に火を放つとかだったら悲しすぎる

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 20:53:08.84 ID:3nrTBRmg
忠隆の嫁の避難先が>>79でそこに移るだけでもいいから、って言われた宇喜多屋敷なんだな
ということは実はその時点で人質が成立してた可能性があるのか?
自害モードに入っちゃって説得聞かない人達を無視して稲富(さくせん:いのちをだいじに)
が独断もしくは嫡男周辺で計らって石田方を退かせたけど連絡間に合わず、みたいな

そうするとその後の嫁が逃げたことで三斎激怒して忠隆が廃嫡になったってのも
いろいろありそうな・・・

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:06:50.77 ID:PCMdbXAz
完全な憶測だけど、稲富が逃げた後忠興に会いに行った事に理由があったとすれば、

ガラシャを永遠に自分のモノにしたい忠興は
関が原に際してガラシャが石田方に捕捉された時点で死ぬ手はずにしていて、
その時に全責任をかぶせる役として稲富をガラシャにつけてた……というのはどうだろう

稲富なら、それなりの立場ながら正直使いどころのない奴だし、
一度逃げたら現場に引き返す事はないだろうし、
「稲富が帰って来た」という事が「ガラシャの死」を確定させる暗号みたいな役割を帯びるだろうし
つまりあの現場では脇役のようだった稲富だけが事の流れが見えていた状態だったとか

横山長知、大いに憤る。

2012年06月23日 21:01

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 14:24:49.68 ID:6HtTLQ3l
小瀬甫庵の信長記(甫庵信長記)と言えば、三河物語の

「さて又、信長記を見るに偽り多し。3分の1は実際にあったことがだ、3分の1は似たようなこともあった。
しかし残りの3分の1は全く事実のない、信長記の作者の創作である。
自分の贔屓のものの逸話を、自分の知恵のあるままに上手く捏造したのだろう。」

という批判が有名だが(ただし三河物語のここに言う”信長記”は、太田牛一のいわゆる「信長公記」だという説もある)、
実は「常山紀談」にも小瀬甫庵への批判が収録されている。しかもそのネタ元の人からの!


小瀬甫庵は町医者であり、加賀の金沢に住んでいた。
甫庵は、前田利家の家臣であった横山山城守長知の元に心やすく出入りし、毎晩のように夜話を楽しんでいた。

横山長知は尾張の出身であり、織田家のことをよく覚えていたので、甫庵は信長のことを毎回尋ね、さらに
秀吉のことも問いただした。
長知はが、あることは詳しく、あることはうろ覚えを語り聞かせた事を、甫庵は筆記し、信長記、太閤記の二部の書を著し、
世の中に発表した。

この事を知った横山長知

「信長や太閤のことを筆記するために尋ねたと知っていれば、もっと答えようがあったのに!
遺漏も多く、語り尽くしていないことも多い。
筆記し出版するということを全く知らせなかったために、ただこの場だけの物語として言い聞かせたのに、
それをそのままに書著するとは、今更ながら甚だ遺憾なことだ。甫庵はまったく馬鹿者である!
(今に於いて甚遺憾なり。甫庵馬鹿者なり)」

そう言い捨てたそうである。』

甫庵のネタ元、横山長知、大いに憤る。というお話。




104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 16:55:03.33 ID:3eke8mgx
やらしいな小瀬甫庵
まるでマスコミが事件現場周辺の住民にインタビューしたのを
都合よく編集した感じだな

恥ずかしながら

2012年06月22日 21:03

|・ω・`)カエッテキタヨ

そんなわけで更新再開ですー!

話を聞いた吉川元長は直ちに

2012年06月22日 21:03

2 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 20:02:33.73 ID:sSXHDhlz
天正十年、両川は織田軍に対し十死一生の戦を挑もうとしていた。

そのような時に三沢為虎が羽柴秀吉に通じているとの流言があった。
話を聞いた吉川元長は直ちに為虎の陣に向かった。

元長は為虎の側まで迫り、座して曰く

「あなたが秀吉と通じているとの噂だが真実か。真実ならば
今すぐ私の首を刎ねて秀吉に送るがいい」

これに為虎は大いに驚いて、

「まさか!事実無根の讒言です!」と言うと、直ちに誓紙を献じた。
この元長の行動によって将兵の動揺は収まった。




6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 21:28:43.17 ID:LnMuR9a+
>>2
首だけになって秀吉を咬み殺す気かw

オレのカミさんの親父殿は

2012年06月22日 21:02

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 21:26:09.29 ID:wgKWxrfB
『婚』は『昏』に通じ、その昔には花嫁は黄昏時、すなわち夕暮れに実家から婚家へ行き、夜に婚礼が行われた。

その日の夕暮れも、細川家の重臣・米田助右衛門の娘と、同じく重臣の牧左馬丞との婚礼が行われていた。
娘は重臣同士の婚姻を気遣った主君の肝煎りで、豪奢な女輿を三丁仕立てて嫁いで行った。


「近ごろは、物事も大げさになったもんだな。(当世ハ、物事結構ニ成タリ)オレのカミさんの親父殿は、
丹波一国と近江に一郡を知行する身分だったが、カミさんは今日と同じように輿三丁でオレのところに来たよ・・・」


主君こと細川忠興は、妻が嫁いで来た夕暮れのことを懐かしそうに語った。




7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 21:29:40.97 ID:ta6kVe8E
妻が髪を売って以来、見栄っ張りをやめたからだろうか

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 22:24:52.66 ID:bVwEYcPh
あー、けち なんだよ多分

30 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/22(金) 16:28:50.65 ID:nocSikKj
>>5
輿三丁でオレのところに来たよ・・・

褌一丁でオレのところに来たよ・・・」
に見えた俺はもうだめかもしれない