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上林竹庵、籠城す

2012年07月21日 20:51

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 14:55:33.12 ID:ijSPW+5s
石田三成が挙兵し、いわゆる関ヶ原の役が進行する中、伏見城留守居の徳川家康家臣・鳥居元忠は
西軍との戦いを決意し、籠城の準備を進めていた。

と、その頃宇治の茶師に上林竹庵(政重)というものがいた。
この竹庵が籠城の準備をしている伏見城にやってきて言った

「それがしこの数年来、内府様(家康)に御恩を被り奉りました。であれば、この度私もこちらに、籠城いたします!」

これには鳥居元忠も驚き、彼を説得した

「確かに其の方はかねてから当家のお茶の御用を承り、少しの知行を頂いておる。
だがそれは他の者を超えるほどの御恩というわけでは無いではないか。
そうであるのに今回ここで討ち死にすれば、其の方自身は無用なことをしたものだと言われ、また我々は、城中
無勢であるのに困って商売人までかき集めた、などと言われてしまうだろう。そうなってはお互い面目もないではないか。
とにかくそれは止めるのだ。」

そう、言葉を尽くして諦めるよう言ったが、竹庵はまるで納得せず、

「鳥居様の言うことはたしかに道理です。であれば強いてそれに反論しようとも思いません。
だからといって、先に言った一言を無かった事にして再び宇治に帰ってしまっては、それは私という男の恥でございます!
いたしかたない!ここで切腹いたす!!」

そう、顔色を変えて言い放ったので、流石の鳥居元忠も致し方なく、彼が城中にとどまることを許可した。
元忠は竹庵を太鼓丸の守備に当てた。竹庵は喜び、茶袋を集めて自分の指物にしたという。

そして8月1日、西軍の大軍勢に10日以上も持ちこたえた伏見城も、ついに落城の時を迎えた。
竹庵は兜の代わりに赤い鉢巻を着け、太鼓丸に攻め込んだ鍋島勢に一騎、突撃し、
そこで見事に討ち死にをした。
彼の首をとったのは、鈴木善八と言う者であったという。

伏見城で散った、一人の茶師についての逸話である

(関原軍記大成など)




519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 15:15:40.74 ID:k3vcaVJN
竹庵の男っ振りに涙。
それにしても、宇治の人が三河武士のような性格になっている…

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 17:33:34.39 ID:mD428EP+
>>519
竹庵て権現様から三河の代官だか任されてたから。

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 20:25:39.47 ID:W2hkamTP
上林って利休と組んでのしあがったんだっけか

小松山合戦の関東武者

2012年07月21日 20:51

518 名前:小松山合戦の関東武者1[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 15:15:00.67 ID:PJw4IN28
大坂夏の陣の時、水野勝成を先鋒とする徳川軍は道明寺の小松山に布陣した。
遅れて到着した豊臣方の後藤基次の軍は小松山奪還のため攻めてきた。
猛将の基次の攻撃に耐えかねて徳川軍は退却したが、徳川方の奥田三郎右衛門のみは
悔しがって「彼も人 我も人なり、恐れるに足らず」と手勢を率いて突進した。

520 名前:小松山合戦の関東武者2[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 15:21:08.91 ID:PJw4IN28
荒猪の狂うに似たりと記される戦いぶりで、さしもの後藤基次も顔色を失った。基次は
「撃て、鉄砲で打ち取れ」と鉄砲隊に一斉射撃させた。全身蜂の巣にされながらも
三郎右衛門は突進をやめなかった。これを見た徳川方は奮い立ち、「関東武者の意地を見せよ、
三郎を見殺しにするな」と後に続き、ついに基次の部隊は退却した。三郎は後を追おうと
したが倒れた。三郎の命はとっくに尽きていたのだ。




522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 15:56:13.42 ID:xokxdCNh
徳川軍が先に小松山にいたってバージョンがあるのか

尼子経久と松吉

2012年07月21日 20:51

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 23:21:10.82 ID:sZLh3To0
尼子経久は領内各地で多くの勇士や腕が立つ者を募集していた。
募集に応じて多くの者が集まり、皆腕を競い合った。
その中に松吉、周りからは鬼吉と呼ばれる大男がいた。
松吉は身分の低い百姓の出であったが、六尺五寸ほどの巨躯の持ち主で、鬼のように恐ろしげな容貌を持ち
素手で木を引き抜き、槍を同時に五本振り回し、矢を十本同時にへし折るほどの怪力の持ち主だった。
だが、その豪勇の割に無口で大人しい男であり、何を聞いてもまともに受け答えが出来なかったため皆からは馬鹿にされていた。
経久はこの大男をとても気に入り武士に取り立てようとした。
だが松吉は幼い盲目の妹がいることを理由に断ったため、経久は松吉に心ばかりと米俵を与えすんなりと帰させた。
部下にはそれを咎める者もいたが、経久はよいよいと言い、小気味よさげに見送った。

何年か後、経久は松吉のことが気になって部下に調べさせたが、既に亡くなったという非常に残念な報告が届いた。
松吉が住んでいた周辺は完全に経久の勢力圏で戦もなかったため、どうしてあの豪勇の士が死んだのか
経久は疑問に思い部下に松吉のことを再度調査をさせた。
すると、松吉はその性格ゆえか村人達に非道な虐めにあって殺されたばかりかその亡骸は辱められ
盲目の妹は慰み者にされたあげくに殺されたとの惨たらしい報告が届いた。
豪勇の士を遇することを知らぬ者達のあまりの仕打ちに烈火の如く怒った経久は、即座に虐めの首謀者らを捕らえ打ち首にし
その首を松吉の墓前に供えて霊を丁重に弔ったという。




620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 23:39:47.20 ID:o43kAeLP
>>619
後味悪すぎる・・・

松吉には少し障害があったのかな
今も昔もくだらないことで虐める奴いるんだな

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 23:48:30.63 ID:TC8d8MTi
大津市もちょっとは見習っとけよ

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 23:53:18.29 ID:w5QRtuDg
>>619
毛利元就「同時に折る矢は二本までにしてくれないと…」

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 23:59:47.50 ID:vctJrax/
>>622
山中鹿之介「この豪傑さえ十勇士の仲間に入っていれば
毛利の三本の矢など折れたものを」

624 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/21(土) 00:51:51.08 ID:MziHLxEh
ちょうど10本!
隆元、吉川元春、小早川隆景、穂井田元清、元秋、出羽元倶、天野元政、末次元康、秀包、二宮就辰

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 01:09:41.57 ID:GcOViNkz
弓になりきれなかった人物までいれるのはどうかと思います

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 01:13:12.50 ID:GcOViNkz
やだ…、弓じゃなくて矢だったわ…

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 02:15:25.60 ID:mD428EP+
あらヤだわぁ

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 03:06:46.68 ID:93gflo4f
経久さんに大津市長やってもらいたい

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 03:09:09.56 ID:mD428EP+
ダバオ市長じゃねぇんだから…

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 07:12:08.70 ID:A8CF7d2X
たしか経久は木を引き抜ける者を別にもう一人雇っていたな。
木を引き抜くのは定番の試験だったのか?

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 08:23:56.75 ID:U/bKkmPx
じゃがいもですら引き抜くにはそれなりに苦労するというのに

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 09:25:12.91 ID:TIG6DBQO
経久さま△

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 12:57:43.05 ID:l/Mg6B08
それでは経久さまさんかっけー、になるのでは

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 13:08:06.99 ID:H4RvnM2W
豪勇の士を遇することを知らぬ者とかそんな生やさしい物じゃないな
人の心を持たないクズ野郎共だ

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 15:54:39.65 ID:k3vcaVJN
非常に痛ましい話だけど、きっちり仕置きした経久様GJ

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 16:06:39.17 ID:qltYteDD
人の心があるからこそ恐怖心から退治したし復活しないよう死体に凌辱を加えたのだろう

秀秋の御裁許

2012年07月21日 20:51

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 16:26:22.75 ID:ijSPW+5s
関ヶ原の緒戦、伏見城攻めの時のことである。

筑前中納言小早川秀秋の家臣・比奈津角助は、籠城衆の松平五左衛門を突き伏せた。ところが
後から来た同僚である田島勘右衛門はこの角助に向かってこう言い放った

「角助よ、その頸の半分は俺のものだ!そう心得よ!」

角助が松平五左衛門を討つのに田島の手は一切借りていない。当然ながら彼はこれに納得せず

「なんだと!?お主に一体何の骨折りがあってそのようなことを言うのか!?」

これに田島
「お主は敵と槍を合わせていたが、未だ互角のうちに俺が馳せ来たため、敵は気が飲まれて引き色となり、
お主は勢いを得て能く敵を討ち取った。そういう事だったのにこれをお主一人の高名とするというのは、
全く思いもよらぬことである!」

角助はこの言葉に強く反発したが
「ここでなんのかのの言い合っても仕方がない!ご主君の御裁許を仰ごう!」

そうして二人は小早川秀秋の前に出て、その経緯を述べた所、秀秋は

「この事、田島の言う所に理がある。これはいわゆる相打ち(二人、もしくはそれ以上で一人敵を打ち取ること)と
定めるべし!」

と、下知をした。
角助はこれに全く納得できなかったが、主命であるので拒否することも出来ず、仕方なく訴訟を止めたと言うことである
(関原軍記大成)




638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 17:46:03.60 ID:j4aRX38L
安心の金吾クオリティ…

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 18:26:57.28 ID:oWZljOMI
徳川の世では、松平氏を討ち取って加増されてたら
むしろ白い目で見られそうだ

名ドラマー伊達政宗、その師匠の名を…

2012年07月20日 20:52

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 19:09:44.51 ID:ZiRg7sap
本願寺門跡が公卿や大名を招き、猿楽興行を催した時のこと。観客には前もって演目表が配られたが、
それを見たある大名が言うに、

「ふむ・・・この演者の組み合わせなら、『杜若』の曲の太鼓はオレがやろう。」
「!? だ、伊達殿、それは・・・」

プロの楽師を押しのけ、自分が一曲太鼓を叩くと言い出し楽屋裏に入り込んだ伊達政宗に、主催者は狼狽、
観客はみな(また伊達殿のなさることよ)と眉をひそめた。

ところが意外や意外。曲目が始まるや、政宗の太鼓は序・破・急の理にかなうばかりか、逆に楽師たちのほうが
政宗の拍子に誘われる形で、一曲を見事に奏でてのけた。演奏を終えて戻ってきた政宗を、門跡は絶賛した。
「いや、驚きましたぞ!伊達殿がこれほどの芸をお持ちとは・・・」

「フフン、今の『杜若』はもちろん、『獅子』『姥捨』などの秘曲であろうとも、その辺の楽師では
オレの片腕のバチさばきにも足りますまい。」自慢げに答えた政宗は、しかしタメ息をついた。

「・・・とは言え、オレの師匠は太鼓に限らず、数多の芸に通じると有名だったが、己が芸を一生自慢することの
無い人でした。こんなマネや放言をせねば、それと知られぬようでは、オレの太鼓も人柄も、まだまだ師匠の足元にも
及ばぬということでしょうな。」(関原軍記大成他より)


名ドラマー伊達政宗、その師匠の名を細川幽斎という。




465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 20:15:50.90 ID:CO0UcwPx
人柄の方で師匠を超える気は全く無いだろw

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 20:31:58.89 ID:v/MZOqfB
いかにも逸話然とした話ではあるけど
なんかこう、プロデュース能力で売れたアーティストが実力派に対して抱く劣等感的な妙なリアリティがw

政宗の場合はただの神輿じゃなくてセルフプロデュースだからそれはそれで大したもんなんだが
案外繊細な所あるし審美眼は持ってるだけに、ふと我に返ってこんな心境になることもあったかもねえ

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 20:36:31.92 ID:FQYaFi2F
ま~君はなんだかんだ言って繊細でいろいろ面倒臭そう…
三歳さんは嫁以外のことではブレない感じ
まぁ、嫁のことでもブレてはないけどね

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 21:22:14.56 ID:xvE5VkqM
まぁ師匠超えるのは無理だから。

芸事で幽斎さん超えるとか頭の回転で官兵衛超えるとかは無理ゲー
むしろ政宗はそいつらを親に持ってなかったからそんな慨嘆で済んだ

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 21:31:15.43 ID:v/MZOqfB
>>468
親が内面的な円熟期を迎える前に自ら葬りました

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 00:41:49.82 ID:iayw3Lcq
和歌に剣術に・・・数えきれない

471 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 00:43:41.65 ID:Hg0l0HvR
DQN眼流「あっそうだ!師匠の事好きだから九曜紋の家紋ちょうだいね。忠興!王義之の書を半分やっただろ」

472 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 00:48:06.65 ID:Hg0l0HvR
芸のデパート 細川幽斎
DQNのデパート 伊達政宗

473 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 00:49:53.69 ID:Hg0l0HvR
手紙のデパート 細川忠興

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 01:10:39.66 ID:2yROda39
側室のデパート 島津家久(悪)

475 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 01:19:03.64 ID:Hg0l0HvR
SATSUGAIのデパート 森長可

476 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 01:20:33.46 ID:Hg0l0HvR
裏切りのデパート 武田信玄

477 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 01:29:51.75 ID:gtPt/EJX
滅亡のデパート 日根野弘就

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 01:33:52.70 ID:2yROda39
乗っかってなんだけど、Hg0l0HvRは少し落ち着いたほうがいいと思う

479 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 01:56:23.39 ID:Hg0l0HvR
すみません、書き込み新参でよく分かってなくて

480 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 02:07:39.59 ID:13YGG14u
芸のデパート 細川幽斎
食品売り場 伊達政宗

細川忠興の石垣感

2012年07月20日 20:52

481 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 03:23:00.78 ID:FjElpIL3
他スレに書いたんだけどまだ出てなかったみたいなんで転載

細川忠興の石垣感

小倉城主になった忠興は小倉城を築城するにあたり当時主流になりつつある打ち込みハギ(加工石使用)ではなく
野面積み(自然石使用)を多用した。
理由は「石を加工するのは誰でもできるが、美しく大きい石を集めさせることは権力者にしかできない」から
利休七哲と言われるだけあって変なところに価値観を見出したらしい



482 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 03:32:13.54 ID:FjElpIL3
>>481の関連

さて小倉城築城のため石集めに励む忠興さん。
大谷で巨岩を見つけて家来に引かせていたのだが、あまりの重さに途中で動かなくなってしまった。
そこで忠興さん、いつも通りカッとなって責任者の首を刎ねる。
恐れをなした足軽衆は必死になって石を運び、無事小倉城まで運び込んだ。

その後、細川氏が熊本へ移ってから小倉城主となった小笠原氏の4代、小笠原忠総がこれを聞き
「俺なら動かなくなった時点で二つに割った。それなら死人が出なくて済んだものを」
と嘆いたという。これを2人の性格の違いを示すものとして「細川の大石、小笠原の割石」と呼ぶ。
その石は今も小倉城内、八坂神社の前に残っている。




483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 03:34:05.01 ID:zQe/DhUw

>「俺なら動かなくなった時点で二つに割った。それなら死人が出なくて済んだものを」

そういう問題じゃねーよwww


484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 03:37:48.10 ID:2yROda39
>「俺なら動かなくなった時点で二つに割った。それなら死人が出なくて済んだものを」
なら最初から割って運ばせろよw
とりあえず動かなくなるまで運ばせるって、計画性なさすぎだろwww

485 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 03:41:32.68 ID:FjElpIL3
>>484
細川は石の大きさで見栄を張るというか、権力の象徴としてデカい石を運ばせた
小笠原はそこまで石の大小は気にせず、家臣の命の方を取る
とかそういう意味の逸話なんだろうと思う

486 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 03:44:12.94 ID:7lfB08jb
>>481-482
早速ありがとう
しかし忠興公はぶれないなー

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 06:14:26.98 ID:HDcb1mc0
石が動かなくなった時点で家臣を二つに割った三歳様、
動かなくなった時点で家臣を割りつつ直進行軍で町まで割った工場長、
どちらにせよ決してケツは割らんのだ

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 07:32:25.47 ID:sD9Cgwd+
コレはちょっと悪い話だろw

489 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 16:18:41.56 ID:1UvJ3oDg
それにしても、どいつもこいつもよく黙って斬られるな。
細川家に男はいないのか?
一人くらい返り討ちにしてやれよ。

平野権平「貴殿の家中になると」

2012年07月20日 20:52

平野権平「貴殿の家中になると」


平野長泰

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 17:09:41.54 ID:y76OiWPe
平野権平(長泰)は賤ヶ岳にまっさきに登った七本槍の一人。
のちに家康公は、旗本におとりたてになった。
あるとき、権平が細川殿のお屋敷へ招かれ馳走になった。
そのおり細川殿が、

「権平殿の武勇は日本中に響き渡っている。
これほどの武勇の士を小身で召しかかえておかれるのは至極残念。
さぞかし、お暮らし御不自由しておられるでしょう。
もし我が細川の家中となられたなら、領地の半分は差し上げてもよいものを」

とおおせになると、
権平は何も返事をしないで、座を立ち縁に出て正面に立ちはだかり、
庭へ小便しながら、

「貴殿の家中になると、ここから小便できなくなる」

と言ったそうである 【葉隠より】

細川家は当時から仕えるのに、堅いというか難しい、
という印象は持たれていたみたいですね




491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 17:31:18.79 ID:FGXS0tgB
家康リスペクトで庭に放尿したんだな

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 17:46:35.16 ID:92f8CM4C
どこの家であっても主君の庭で小便なんて無理だろうし…
そこはそんなに小便したくなる場所なのか?

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 17:53:16.77 ID:L+VSPN0f
小身でも直参であり、同格だからね^^ 、
ってことなんだろうけど気骨と礼儀を秤にかけるとかけるとどうなんだろね

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 18:03:45.45 ID:y76OiWPe
>>492
権現様が人質の身でありながら今川家の庭で小便した前例がありますw
おそらく平野さんがその故事にならって意志を伝えた、
達人が即興で作る歌のような風流なエピソード

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 18:34:01.99 ID:iayw3Lcq
平野長泰の子孫は幕末を上手に立ち回り一万石の扱いとなり立藩、男爵となったそうだ

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 19:17:33.52 ID:iu1KjriB
かたくるしいというか37人目になりたくないというか

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 19:25:32.53 ID:teG7bH2w
権平さんは脱糞もするべきだと思うの。

雑談・信康事件のことなど

2012年07月20日 20:51

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 01:40:56.66 ID:9qKNODW9
家康も息子ぶっ殺してるから信長秀吉とそこまで大差ない

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 05:22:12.13 ID:1+V2IgD8
>>599
言っておくと信康殺したのは家康の都合ってのはまだ仮説にすぎない、というか一種の空想だからな。

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 06:23:11.67 ID:2KuZTAxa
>>596
小笠原信興(小笠原長忠)の末路は、病死説の方が有力じゃなかったっけ?

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 09:17:07.64 ID:G5GFfFLJ
>>601
えぇ~、おねのなかでは確定

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 12:30:49.50 ID:P8Z9yYIi
>>601 >>603難しいなぁ…

妄想かどうかはひとまず置いておくとしても、家康と信康と家中が割れたので、家康が殺したという学説もあるからなぁ…。


605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 12:32:08.76 ID:4fyoJuX9
おね?
おねって信康と関係あったっけ?

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 15:29:44.40 ID:FjElpIL3
>>605
そこにチャチャいれてやるなよ

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 15:42:06.77 ID:GMovvG7E
なるほど、茶々を入れたら
信康は従姉妹の徳姫の夫で関係あるし、
おねとは秀吉夫人ということで関係あるな

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 15:48:00.79 ID:GMovvG7E
あ、信康は義弟の秀忠の兄でもあったか

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 16:24:01.01 ID:Epu0T8Ym
でもあの時期に信康殺すっていうのは徳川にとってかなりリスキーだよね。
信康切腹の5ヶ月前に秀忠が生まれてるから、あそこらへんで家康死んだらと思うとやっぱ家康の判断で殺したとは思えない。
当時の赤ちゃん事情考えたら秀忠もいつ死ぬか分からん。

秀忠がいてもいなくても、めんどくさい三河武士のことを考えれば家康死んでも当然離散なんかするわけないが、
信長の乗っ取りと俺は考えてる。スレチ気味で申し訳無し。

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 16:27:04.44 ID:aKQddXCQ
存在を忘れられている秀康

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 17:28:55.65 ID:G5GFfFLJ
うげ、今更だけど
×おね
○おれ

信康殺害とか、石川数正の出奔、本能寺事件とかね。
多分同時代で比較的近い処にいても当人以外には判らないんじゃ無いかと。
う~ん、もしかしたら当人にも判らないかも。




612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 17:44:21.62 ID:1+V2IgD8
信康事件は事件後に家中の粛清が一切ないから、徳川家中が分裂していたとは考えにくいんだよね。
むしろ結束した観すらある。
事件の処理から見ると、やっぱり母親の築山殿の絡みでの、信長からの圧力と見たほうが自然な気がする。

>>610
秀康は母親の身分が低いので、家康の他に男子が産まれないという事態でも起きない限り
嫡男には成り得ない。

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 17:56:22.64 ID:sD9Cgwd+
俺は親子不仲により家康が殺したに一票

信長殺害説だと信長の利益が説明つかないんだよね
信玄も義信を殺したし、親子相克はよくあることだよ

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 18:13:07.24 ID:1+V2IgD8
>>613
> 信長殺害説だと信長の利益が説明つかないんだよね

だから信長が武田への内通を疑ったと見ていいんんだと思うよ?
あの当時既に政権を形成していた信長としては、配下統制の一貫としての処置でしょう。
それを言うなら信康事件で徳川家中には誰も、粛清どころか家中勢力の変動すら起こっていない。

武田の義信事件の時は、飯富虎昌を始め義信派の大きな粛清があった。
仮に家中分裂があった場合はどうしたって反対は責任者の責任追及は行われざるをえないわけで、
それが何をどう見ても存在しない以上、家康や徳川家中の都合というのは、どうにも信じられないんだなあw
徳川家の内部でも、誰も得してないんだものw

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 18:13:18.04 ID:o43kAeLP
>>612
たしか秀康と秀忠でどちらを跡継ぎにするか意見が分かれたことあったんだよね

秀康の母親の身分が低いなら意見も分かれることなく跡継ぎは秀忠にならないのかな?

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 18:19:22.75 ID:bis/4Eyx
>>615
関ヶ原の後だよね?あれは秀忠と秀康だけではなく、忠吉も名前が出てきてとにかく前提なしに議論してみよう、
みたいな話だけど、しかし秀忠は秀吉の時代から既に江戸で、実質的に後継者として家臣団も形成し
関東統治の中心として活動していたわけで。もし秀忠を後継者から外すとすれば既に形成されたシステムや
家臣団をぶっ壊すことになってしまうのですよ。

なので仮にあの話が実際にあったとしても、それは秀忠を後継者として再確認するセレモニーに過ぎなかったと思うよ?

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 18:36:45.28 ID:Epu0T8Ym
>>613
徳姫との不仲説+信康が瀬名同様親勝頼だったとしたら・・。
&家康が死ねば政治的なやり取りで徳川を傀儡にできるかも。

十分利益はあったと思うな。

話がぜんぜん違うけど関が原後の秀康秀忠忠吉どれがいいかって逸話あるけど
あれって確か本多忠勝も井伊直政も本多親子も平岩親吉も榊原康政すら秀忠以外を推薦したんだよなw
賛成したのは大久保忠隣だけだったか…果たしてセレモニーとしてはどうだったのかと思うw

太閤の幼名を猿といったのは

2012年07月19日 20:52

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 19:37:07.61 ID:8BmSGQo3
伝え聞く、豊臣太閤秀吉は天文五年(1536)丙申の春正月朔日、丁巳の日癸卯の時、尾張国
愛知郡中 中村(中村は上下の三ヶ所あり)の民家にて生まれられた。その幼名を猿と言ったとか。

異本に、太閤の幼名を猿といったのは、その面貌が猿に似ていたための異名であると記されている。
これによって林道春も、秀吉を猿面郎と書いた。また異国より渡る雑書には、木に登ることを能くした故の
名であるとある。

しかし古を調べてみると、これらの説は全く信用することの出来ないものである。
何故かといえば秀吉の面貌が猿に似ていたという事にはっきりした証拠はなく、たとえ彼が猿に似ていたとしても、
父母の身として、子供を猿と名付けるようなことはしないだろう。
その上猿に似ていたという書物も、そうなったのは成長した後だと書かれている。それならば幼少の時から
猿に似ていたため父母に猿と名付けられた、という説に相違している。

また木登りの誉れがあってその名を得たという話も、全く根拠のないものだ。推測すると、太閤は下賤の出身であると
伝え聞いて、外国で作り上げられた浮説であるのだろう。
この他外国の小説に、秀吉は呉越の間に居住していた書生であったが、科挙に合格出来なかったために日本に渡り、
ついに和の首領となって天下を治めた、などと誠しやかに書いた異説もあるが、これらは皆、信用するに足らないものである。

また別の本に、秀吉はただ人ではない。彼の母が、日輪が懐中に入る夢を見て宿った子である故に、
日吉と名付けられたと記されている。現在から見て、これは秀吉公が名を成した後、異国を攻められていた当時に、
相手に渡された書簡にこの怪異が記されているのであるが、それを事実として信用していいものか。

また一説に、秀吉公の家は山王権現(日吉大社)の氏子であり、神の御名を取り用いて、しばらく日吉と
名付けられたが、何らかの理由で急に神の名を憚ることになり、そこで、猿も山王の愛されている獣であるとして、
その名をお猿と改められたというのだ。
なお、この説は私が伝え聞いたものなのだが、少しは本当めかしい話しである。

まあ、ただ単純に太閤は申年の生まれであるので、父母もなんとなくその名をお猿と呼んでいたため、
成人のあと、計らずもそう呼ばれたのではないか?
それに本当に猿に似ていたかどうかも知り難い。

こう言った説の数々はここでどうしても言わねばならない事でもないのだけれど、筆に任せて
思いつくまま書き付けてみた。
(関原軍記大成)

江戸時代初期くらいの、秀吉=お猿という話についての考察である。




566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 19:47:19.53 ID:FQLJJe7E
愛知郡はかろうじて行政単位として残ってるな
いまにも消滅しそうだけど
でも県名の由来になった郡だから何とか存続して欲しいわ

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 22:26:25.01 ID:5h8iDGxC
>>565
>また異国より渡る雑書には、木に登ることを能くした故の
>名であるとある。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1322.html
明史「日本伝」の
信長に樹の下であったから「木下人」と名付けられた、
って話の元ネタかな。その雑書

戯れに奴の馬鍬を

2012年07月19日 20:52

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 20:09:24.37 ID:fWTAZxLP
大井川の辺りに万年三左衛門重頼という富豪の者がいた。
徳川家康が狩りをしている時、ちょうど重頼が農民に命じて田代を
かかせているのを見かけた。

家康は「戯れに奴の馬鍬を取り上げて鼻をあかしてやろう」と思いつき
御供に命じてすべての馬鍬を奪い取ってしまった。

ところが重頼はものともせずに、さらい(竹製の農具)を取り出して黙々と田代を
かき続けた。小高い所から様子を見て興じていた家康は「逸物の万年かな」と
言って重頼をその辺りの代官とし、子孫は代々遠州の代官となり、
江戸に移ってからは後家人となった。




458 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/18(水) 21:18:15.79 ID:JlY5Gguo
泣く子も黙る地主さまって奴だね

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 22:17:15.01 ID:SLPHHkBL
仕事の道具を取り上げるパワハラ権現様ひどいw

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 22:52:49.86 ID:Yqpiy80x
御家人なら遠州あたりの富農で居たほうが幸せだったりしないだろうか

461 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/18(水) 22:56:25.49 ID:JlY5Gguo
>>460
たしかに(笑)
維新後の状況みても地主ほど美味しい思いしてるよな

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 02:32:50.17 ID:RdvG09fR
抜群のネーミングセンスで「万年」って名づけた話かと思ったら

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 11:56:09.11 ID:eleMkNfs
馬や鍬を奪い取ったのかと思ったら
馬鍬っていう農具のことなのね。

週刊ブログ拍手ランキング07/11~/18

2012年07月18日 20:56

07/11~/18のブログ拍手ランキングです!



ボロボロになり帰ってきた旦那を見た女房が 66

信長は「こやつできる!」とビビッときて、 65

殿はまた いらぬ事をは 54
そんな信長の死後55年経った1637年 53

小早川相続と前主君のアフターケア 44
尾張の王カンヅカン殿、別名ノブナンガ 37

小西行長の処刑とバテレン 31
鈴木右近はケチだった。三話 30
細川幽斎、酒徳狂歌 25

加藤清正は確かに強かった。だが 24
坊主はまた叱られてしまった 23
上杉謙信「この九里に一里を足して」 22

雑談・ここの住人は… 20
島村蟹 20
モンセニュール・ド・セルケイラ、家康に謁見す 19

青年武士シマンとその叔父 17
山本神右衛門はいつも家来どもに 16
とある七夕の雨の日の歌 12
城鍬舞 10
合計 830



今週の1位はこちら!ボロボロになり帰ってきた旦那を見た女房がです!葉隠の有名なエピソードの一つですね。
大河ドラマなどに出てくる戦国の女性は、戦いの虚しさや平和の尊さを訴える事が多いですが、同時代の女性は
そんな生やさしい存在ではありませんw 本多忠勝も言っていましたが、なまなかな男よりよほど戦闘的だったのです。
それだけに旦那がまともに戦わず帰ってこようものなら、家の恥であり妻たる自分の恥であると打ち取りかねない
勢いで激怒しますね。ちょっと似た感じの話で関ヶ原の時、鳥居元忠らとともに伏見城の守将を任されていたにも
かかわらず元忠らを残して退去しいてしまった木下勝俊に対し、彼の正妻であるウメは激怒、文字通り
三行半を叩きつけ離婚してしまいました。ちなみにこのウメ女史、あの鬼武蔵の妹さんです。
流石ですねw
そんあ戦国時代の武家の女性の猛々しさを非常によく伝えるお話だと思いましたw

2位は信長は「こやつできる!」とビビッときて、
です!
明智光秀という人の前半性は、本当にわかりませんね。あまりにわからなさ過ぎて、江戸期の軍記物などでも
前半性の描写はバラバラです。
同じく前半性のよくわからなかった秀吉は最近、どうも信長の尾張時代の早い段階から、信長の奉行として
活躍していたらしいというのがわかってきて、実は若い頃からかなり偉かったようなのです。
それと比べて本当に、推測しかできない光秀の前半聖。非常にミステリアスですが、それだけに魅力的ですねw

今週管理人が気になったお話はこちら!そんな信長の死後55年経った1637年 です!
細川忠興という人は本当に信長のことを終生尊敬していたようなのですが、それはきっと
彼の幼少時代、父の藤孝からはほぼ放置されていたような環境で成長した中、自分を認め一人前に
扱ってくれたのが信長だったからではないかな?なんて想像しています。
それに忠興は信長に容姿も良く似ていたらしいんですね。彼には信長のご落胤説までありましたw
忠興も実際に信長を父のように思っていたかも知れません。そんな事をふと考えた
お話でした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!

P.S.
戦国女性キャラ投票、来週くらいから始めますよ!

( ´ω` )

「黒田家譜」の毛利輝元の扱いが酷い件

2012年07月18日 20:56

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 06:11:28.25 ID:zs54iqdY
わらた。ひどいw

> 569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 22:18:22.12 ID:BJDZhdpE
> 「黒田家譜」の毛利輝元の扱いが酷い件
> 登場人物が次々にダメ出ししてゆく、不幸な立ち位置
>
> 孝高「輝元は天下の主たるべき器量ではありません」(小寺政職に)
>   「輝元は大身ですが、天下をとるべき力量などありません」
>   (宇喜多直家に)
>   「どうして、輝元が天下の主になれるでしょうか?」(別所孫右衛門) 
>   「あの輝元も隆景のおかげで、今までは見事に見えていたのだ」
>   (隆景の死に際して)
>
> 隆景「輝元を天下の主にするなら、たちまち天下を失うだけでなく、
>    毛利の家も滅亡してしまいます」(吉川元春に)
>   「輝元は天下を保つべき器量にあらず」(隆景遺言)
>
> 家康「輝元は愚かではあるが頼もしい人だ。石田が秀頼のためと称したのを
>    信じて味方し、家を傾け破ったものの、他の人とは違って
>    私的な野心などなかったのだから」(関ヶ原のあと)   
>
> 「輝元は天下をとる器量にあらず」―大事なことなので皆で何回も言いました

> 570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 23:05:50.99 ID:P/DLDS1d
> 細川書状の「あいつ生まれつきバカだから・・・」な毛利秀就評よりはましと思えば・・・

【合子形兜】 黒田孝高総合スレ 2 【圧切長谷部】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1293800734/




548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 07:52:34.90 ID:ZTMrcPEv
>>547
毛利は代々馬鹿を売りにして領地を治めている。

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 08:20:19.84 ID:GpySKgI3
>>548
バカではないは、そうせい公と呼べ

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 08:24:14.72 ID:4xiXU/nk
戦国の世が終わりを迎える時代にキレイな馬鹿が産まれるのも家が持つ運だよなあ。
家康にして毛利残してもいいか。って思わせた訳だし。

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 09:32:25.84 ID:rqzLch3R
前田利常はバカ殿を装って家を守った
一方毛利輝元は馬鹿で家を守った

どうしてこんな差がついた…

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 11:18:52.91 ID:GpySKgI3
>>551
とはいえここ見てる殆どの人間よりTERUや利常の方が実績考えたら有能なんだろうな

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 11:25:38.41 ID:9irL3ZNz
隆元&両川以前と輝元以降の深い溝。謎だな。

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 11:42:40.71 ID:FGZjr13x
>>552
そりゃー一般ピーポーに比べるならそうだろ、というかホントにボンクラだったら家残せんだろうw
でも、関ヶ原の際に私的な野心が無かった、ってのはひじょーに疑問が残るw

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 12:42:56.40 ID:35oWiEoP
西軍総大将とか輝は己を知らないにも程があるだろ
東軍総大将の権現様の経歴考えたら普通に固辞するだろ

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 12:53:54.11 ID:IhImhVkT
TERUはやればできる子のはず…

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 12:57:02.76 ID:bdjR7Vzr
ためしにやってみた結果が関ヶ原なんですけどね

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 13:05:50.22 ID:rqzLch3R
>>552
俺らと比べれば優秀に決まってるだろ、なにいってんだ

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 13:14:29.38 ID:wOO/aXJl
>>558
輝・利「ならさも自分が賢しげに馬鹿馬鹿言うんじゃねーよ」

560 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/18(水) 13:21:44.43 ID:mQqAyNaB
TERU「吉川と小早川に任せていれば、今まで大丈夫だったのに」

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 18:29:27.85 ID:2MSkOlz0
>>547
元就の遺言からして察してあげて下さい。

でも2代目将軍のポジならしっかり治めれたんじゃないのかな。
あの時代の藩政改革の実行力がトップクラスなのは証明済みだし。

568 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/18(水) 20:00:25.55 ID:k96a6zb7
TERUの話は盛り上がるな

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 22:06:51.73 ID:jxMIoW5e
>>568
アイドルだからな

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 22:13:54.84 ID:Yqpiy80x
色々と残念な人だからな

DQNは関ヶ原で

2012年07月18日 20:55

561 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/18(水) 15:09:09.69 ID:mQqAyNaB
DQNは関ヶ原で

政宗 一揆を煽動
家久 義久が西軍だったのに、駄々をこねて本領安堵
忠興 幽斎の田辺城を攻めた小野木公郷の切腹を断固として主張
忠政 「兄の仇だ」、と、川中島の百姓を磔
正則 家康家臣の伊奈図書を切腹させた。

ちなみに井伊家は上記三つと関係がある
直孝 百万石のお墨付きをビリビリと破った
直政 島津と激戦 & 徳川氏と島津氏の和平交渉の仲立ち  強敵(とも)?
直政 公郷の助命を忠興に頼んだが断られ大激怒。細川を九州に飛ばす。




562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 15:30:07.70 ID:IYv/cLge
なお、勝成は鬼島津と銃の撃ち合いをしたり大垣城に放火したり名刀を略奪していた

563 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/18(水) 15:41:54.53 ID:mQqAyNaB
家康も西軍に勝ったとは大変だったんだろう。

鈴木右近はケチだった。三話

2012年07月17日 20:50

533 名前:1/3[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 23:46:54.86 ID:LdB3vkF6
鈴木右近はケチだった。
主君の真田信之に似た(?)のか、広大な屋敷地を拝領したは良いが、敷地にぐるりと竹垣を巡らして他人の
出入りを禁じ、季節ごとに行う垣根の補修も人足を雇わず、中間や領民をコキ使っていた。

「そんな中で八助よ、お前はこの右近の心に叶い、律儀に働いてくれるのう。」
「へへーっ!有り難うございます。」
「よし、この際だ。お前に加増してつかわす。年末を楽しみにしておれ。」

そして、その年の暮れ。右近に呼び出され、ワクワクして主人のもとにまかり出た八助の前に、
年給と別の包みが差し出された。「そら、加増分じゃ。」

包みには銭が百文、入っていた。

「・・・・・・」
「なんじゃ、その顔は。あのな、我が殿は十数万石の大名なれど、侍の加増は十石二十石よ。それを思えば、
わしなんぞが百文の加増をつかわすなど、おびただしき事ぞ。有り難く思えよ。」
「・・・・・・」




534 名前:2/3[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 23:47:52.71 ID:LdB3vkF6
鈴木右近はケチだった。
餅が間食に・携帯食にと、年中作っておくのが当たり前だった時代に『米の費えが、かさむ』と
正月以外は餅つきを許さない、という有様だった。

若党八人、中間等二十数人、下女等十数人を使い、若い者も多い右近の家中がそれで収まるはずもなく、
見かねた右近の妻が用人の一場太兵衛に命じて、深夜二時ごろにコッソリ餅をついて配っていた。


さて、右近は毎朝五時に起きて支度し、六時に食事、家内の所用・指示を済ませて八時に登城、という
規則正しい生活を送っていたが、ある日のこと、餅をつく音に気づき、深夜目覚めてしまった。

「太兵衛よ、あれは何の物音じゃ?」
「・・・ははっ、あれは中間どもが、薪を割る音にございます。」
「こんな遅くまで働いておるとは感心だのう。中間に酒を振る舞ってやれ。猪口で三杯、な。」

太兵衛に振る舞い酒を命じた右近は再び眠ると、翌朝はいつも通りの規則正しい生活に戻り、登城していった。


「太兵衛、旦那様はもう、ご登城されましたか?」
「はっ、奥方様。」
「よろしい。では、あとで皆に酒を振る舞ってあげなさい。茶碗や木椀で、ね。」
「はっ、奥方様。」




535 名前:3/3[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 23:48:41.38 ID:LdB3vkF6
鈴木右近はケチだった。
それなりの給金を出して中間等を雇ってはいたが、金銭・物品の出し入れの細部に至るまで右近の監視を受け、
『どうにも気が詰まる』と、年季が明けるとすぐ辞めてしまい、二年と雇われる者は稀だった。

「そんな中で八助よ、お前は良く続けて働いてくれるのう。」
「そりゃあ、一応加増していただいておきながら、人並みに辞める、なんてマネはできませんや。」
「うーむ。その心意気、見事!これをくれてやろう。着物の一つも作るが良い。」

右近が褒美として八助に、目にも鮮やかな反物を与えてやった、しばらく後のこと。

「どうじゃ八助よ、あの反物は仕立ててみたか?」
「・・・はっ。」
「歯切れが悪いの。・・・まさかお前、主人からの拝領品を売ってはおるまいな?仕立てた着物を持って来い!」

さっそく八助は、仕立てた着物を着込んで戻ってきた。

「なんじゃ、その着物の丈は。ツンツルテンではないか。やはりお前・・・」
「い、いえ!この通り!」
八助は懐から一尺四寸ほどの、着物と同じ柄の手ぬぐいを取り出して見せた。

「それでも、これほど着物が短くはなるまい。有り体に申せ!」
「お、恐れながら!」

八助が前をくつろげた。そこには着物と同じ柄の、目にも鮮やかな六尺フンドシが締めこまれていた。
「・・・なんちゅうケチじゃ。お前のような者は日本に二人とおるまい。」

『流石質素の右近も、此八助には及ばざると思ひたるとみえたり』と、真田家御事蹟稿は結んでいる。




536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 23:54:08.96 ID:kx+wRB9H
反物を全部着物に使ってたらそれはそれでなんだかんだ言いそうな気がw

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 00:50:05.76 ID:+GMXheMF
右近さん禄高どんだけ貰ってたんだろ?
あと柳生新陰流は松代で披露したんかね?


538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 06:09:10.37 ID:aej02PQb
>>537
1657年の分限帳には500石と書かれている

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 09:53:53.00 ID:rYLXF28X
>>538
500石の割に人は多い…のかな?

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 12:14:55.73 ID:QOJ15MRf
十万石クラスの大名の家老が500石ってかなり少ないような

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 12:25:52.98 ID:QOJ15MRf
と思ったけど調べてみたらそうでもなかった
忘れてください

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 18:29:53.43 ID:jpO8CV/W
いつの時代も類は友を呼ぶんだね

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 20:53:29.45 ID:DiOFImt+
これケチじゃなくて贅沢だろw

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 21:48:59.41 ID:3+YgdTAA
江戸っ子は見えないところに金を使うって話だ(落語の蛙茶番とか)
信州っ子はしらんが

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 22:12:20.34 ID:YDLOSd8z
右近は上州っ子


546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 22:50:25.07 ID:JOyTGdHS
>>535
のちの勝負下着か

雑談・ここの住人は…

2012年07月17日 20:50

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 20:21:02.68 ID:WjR39epN
ここの住人は織田信奈の野望とか見てるんだろうか

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 20:30:18.36 ID:wTaK/TWy
文化財クラッシャーネタのあった戦国乙女なら見た

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 20:49:01.89 ID:cR1B2K2U
織田信菜を見て戦国に興味持ってここに来る人とかも居るのかな?

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 21:08:35.88 ID:WjR39epN
実を言うとこういうのを割りきって見るのに慣れてしまって
ブヒブヒ言いながら見てるんです

俺は戦国無双ちょっとやってから本家信長の野望やって
改めてこの辺の歴史に興味をもってここに来たクチだけど

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 21:53:41.64 ID:/z881tdx
アニメから葉隠まで割と幅広い層が集まってるよなこのスレ
資料とかやたら詳しい人もいるし

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 22:29:38.30 ID:LIVgW9Mf
自分語りなんてどうでもいいよ

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 22:36:20.81 ID:cR1B2K2U
まあしかし、アニメやゲームにかぎらず一般的な武将イメージの作品で戦国に興味持ってここに来たら、
逸話とイメージのギャップに大概はびっくりするだろうなw

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 22:59:01.82 ID:CtWg4460
上杉謙信が女じゃなくてびっくりした

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 23:10:58.89 ID:WjR39epN
美少女化もされずに腐れ外道貫いてる大関さんは希望の星
されてないよな

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 23:50:41.12 ID:kx+wRB9H
まあ、腐れ外道三兄弟は知名度的にねえ。
それに美少女化されたら多分ある程度マイルドになって腐れ外道じゃなくなっちゃうからねーえ。
腐れ外道やどっかイカレた横暴野郎辺りばかりを集めて美少女化したようなのは見てみたい気がする、どのくらい逸話取り入れるかでw

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 11:36:50.78 ID:hDBpgHJW
>>438
前田利益(慶次郎)は、むしろ小説・漫画とのギャップが少ないのに驚いた。

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 11:42:38.58 ID:BE3NvtjE
としますはとしいえよりとしした…
そう思っていた

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 13:25:25.09 ID:qO0HOYjV
戦国BASARAとかで伊達政宗はとんでもない描写をされることが多いが
史実とそんなに違ってなくて驚いた

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 14:08:40.44 ID:+teTPcFn
>>440-441
戦極姫シリーズならそのうち
大関さんたち三兄弟を美少女化してくれると信じてる

447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 18:34:17.84 ID:jpO8CV/W
>>445
DQN四天王はどれだけ創作されようとも
本人達のリアルなヤバさを越えられる気がしない

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 18:40:22.33 ID:DiOFImt+
義隆「男だろうが女だろうが関係なかろう。」

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 18:43:32.97 ID:j4gFWR0m
そういや冷泉さんってなんかのゲームで
陰陽師みたいな雰囲気の大きなお姉さんが好みそうな絵柄の超イケメンじゃなかったか

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 20:38:45.86 ID:1SuYoxlV
センゴクの権現様と不識庵と顕如さんはこのスレのイメージに割りと近いと思う

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 22:09:45.33 ID:8z2iOeN4
不識庵じゃなくて不知庵なら
中国語でプーチーアンでますますプーチンぽかったのに

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 22:36:03.05 ID:1SuYoxlV
孫市さんと土橋さんてゲバラとカストロだよねあの漫画
顕如さんが墨入れて毛皮羽織ってるのも描写として面白い

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 23:30:16.62 ID:EG++Q5pE
センゴクは柴田勝家がカッコいいんだよなあ

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 02:24:06.08 ID:bdjR7Vzr
あの漫画の明智光秀と本願寺勢は衝撃的だったなぁ
その頃は一般教養レベルの歴史しか知らなかったもの

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/18(水) 19:56:29.46 ID:+dPjCF5H
>>438

戦国BASARAと戦国コレクションで軽く知る

ここのまとめサイトを見て感心したり驚いたり

戦国コレクションのカード解説文と見比べてニヤニヤしてる

ってのがここにいる。
元々歴史は好きな方だけどさ。

坊主はまた叱られてしまった

2012年07月16日 20:58

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:15:41.05 ID:SJCrnKFz
徳川家康は倹約を徹底したといわれているが、明かりに関しても同じだった。
ある時には蝋燭は数本だけで残りは油火ばかりという徹底ぶりで日頃から
家人たちも厳しく言われていたらしい。

ある時、成瀬正成松平正綱が急ぎの連署状を書くために坊主からわずか
二、三寸の蝋燭を請い得て連署状を書き、その場を離れた。

この時、二人はうっかり火を消し忘れた。見回りが蝋燭を見かけると
坊主は呼び出され「上様が御覧になったらお咎めになるぞ。何故消さない」
と叱られてしまった。

「いや、これは隼人殿たちが…」と、坊主が説明しているところに消し忘れに
気付いた二人が戻ってきた。

「お前たち、消し忘れに気付いていたなら何故消さない」
坊主はまた叱られてしまった。




525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:35:21.66 ID:jy7EbxNU
当時蝋燭はかなりの高級品だったみたいよ
一般人は使ってなかったんじゃないかな?
水戸黄門とかの時代劇だと農民でも使ってるけど

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:35:48.56 ID:SmZeOzs0
火の管理は節約という以上に火災予防の面が強かったので、消し忘れはすごく危険なミスとして認識されてたりもする。

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:46:21.38 ID:rZBNcugH
上様が叱るからと言う理由で上様に媚びるかのように叱る
そして肝心の消し忘れはそれと気付いているのに消そうとしない
この見回りは一体誰でしょうな


528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 00:11:35.33 ID:O8eaPXUR
借りるなら油にしとけって幽斎様が…

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 08:10:27.90 ID:uN8vUu/G
油だと鍋島さんとこのヌコが寄って来るじゃないですか~

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 09:21:53.41 ID:AKgEYPKZ
つうか蝋燭消し忘れたのは自分らだって事を棚に上げて説教かましたんですか成瀬さんと松平さん
坊さんマジ踏んだり蹴ったり

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 10:31:26.98 ID:qMOzFLgo
利家とジャイムズくんが寄ってきそうな話だ

小早川相続と前主君のアフターケア

2012年07月15日 20:45

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 23:48:47.30 ID:kvHodi21
このたび御家(沼田小早川家)又鶴丸(繁平)殿より竹原隆景へご相続ができましたのは全て皆さま方のご好意によるものです
我々はこのことを感謝し尽くしても尽くせません
そこでこのご好意についてはこの元就・隆元親子は言うに及ばず、例え御家が没落したとしても忘れず
長きにおいて粗末な扱いをすることは決して致しません
もしこのことに嘘偽りがあれば、梵天帝釈・四天王・総ての日本国中六十余州の大小の神々
中でも厳島両大明神・八幡大菩薩・天満大自在天の各ご神罰を受けることを誓います

天文二十年 九月 二十八日   
                  隆元 御判
                  元就 御判
         乃美弾正忠殿

小早川家相続について毛利元就・隆元が前主君のアフターケアを小早川家家臣の乃美景興に誓約した
毛利家の真摯度の高さが伺える起請文である。
これにより小早川家中をまとめ傘下に入れることに成功した毛利家はさらなる飛躍を遂げることとなる。

それにしても日本国中の神様に誓約するあたり物凄く神様が大好きな一家である。




412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 23:57:05.58 ID:z3/RZvqb
まあこの時に隆景に嫁いだ繁平の妹を隆景は終生大事にしているしなあ
18の時に5歳くらいの嫁もらったんだっけ

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 01:12:17.16 ID:68CsjlVo
毛利の三兄弟は誰も側室を置かなかったんだよね。
隆景さんとこは結局それで跡継ぎができなかったわけだけど。

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 01:15:42.13 ID:p3aX0lDK
そういえば隆元は嫁さんに会うのにも必ず正装してたそうで。
どうも正妻との接し方について、元就は三兄弟に特異な教育をしてたんじゃないかとも思ったw

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 01:34:29.58 ID:Lo5S5Bcf
元就自身も三兄弟+宍戸へやった娘を生んだ正妻の存命中は側室置かなかったしね

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 01:35:39.72 ID:eIIROuzv
気のせいかだんだんTERU批判に見えてきた

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 07:42:58.19 ID:YQ2Ny3GU
>>411
あと少しで神無月だから滑り込みセーフだね。



428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 12:49:06.54 ID:iinS7Ung
>>413-416
       ____
     /⌒輝⌒\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   反面教師にして子孫残すことを図ったんだお!
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'´     /

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 14:33:07.38 ID:c756xxfQ
>>428
祖父様の優秀な息子達に比べTERUの息子は困った息子達だったけどな

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 17:27:35.50 ID:N0wCnUmP
   / ̄ ̄\    
 /   _ノ  \   まだ足らなかったようだなjk
 |    ( ●)(●)
. |     (__人__) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\                /⌒l
  |     ` ⌒´ノ   ――--、 \――――----------ノ  /
.  |         }   ・     \ ヽ             /
.  ヽ         }         「 )))――――――――<    __
   ヽ     ノ   ・     /  /             \ / ̄ 輝⌒\
    \         ----―´ /--------―――――ヽ ヽi; ノ  (●) \
      \_______/                 ヽ丿 (●)_人__)⌒::l
                                    、  ノ:⌒ヽrっヽ:゚/ ぐぇあ
                                     ヽ__ `~'
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431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 20:27:41.91 ID:KEpI+rBp
>>429
しかし、TERUが毛利家伝統の長説教をしたためなんとかお家の大事には至らなかったという

上杉謙信「この九里に一里を足して」

2012年07月15日 20:45

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 08:15:05.39 ID:SmZeOzs0
上杉謙信がかつて師事した僧に、信州岩村田、龍雲寺の法興和尚という人があった。
彼は永禄11年9月の下旬に、武田家よりの密命を帯びて甲州長延寺の実了和尚と共に
和解勧告のため越後を訪れた事のある僧である。

この法興和尚が越後に参侯したある時のこと。謙信は自ら大きな栗を和尚に与え

「この九里(栗)に一里を足して、十里にして食われよ。」と云った。

和尚はそれを受け取ると
「皮を剥いて、五里五里と噛み割らせて頂きたい。」と答えた。

この和尚の当意即妙の才に、謙信も嘆賞したのだという。

上杉謙信言行録)



422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 08:22:48.05 ID:Pc/b83PT
謙信「見事、ほかに所望のものがあれば用意するが」
僧「稚児の尻(四里)はむり(六里)ですかな」
謙信「三里に灸をすえなされ、七里以内にいると斬りますぞ」

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 08:26:44.81 ID:fxVkWU3x
四里から六里矢理食ってみよ

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 09:02:52.43 ID:S8Uc4zAO
昆陽「九里四里甘き十三里という食べ物がございましてな・・・」

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 09:57:52.93 ID:YQ2Ny3GU
>>421
一里=ひとり

なるほど一人で召し上がって下さいって意味か

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 10:54:37.39 ID:+5QxG8ej
>>424
川越は江戸から十三里あって甘藷の産地だったんだよね(´・ω・`)

島村蟹

2012年07月15日 20:45

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 21:43:39.02 ID:dHBxf5HS
島村蟹

享禄4年、細川高国浦上村宗と、細川晴元三好元長赤松政村(晴政)の間で合戦の火蓋が切られようとしていた。
そして、6月4日、三好方の諸勢が、打出、天王寺、木津、今宮に攻めかかった。
大物(だいもつ)崩れの戦いである。

細川高国はここを先途と防戦したが、その先鋒を務める浦上勢は小勢であったために敗れ、浦上村宗は討ち死にしてしまった。
村宗の臣・島村弾正(貴則)はこの事態に「無念なり!」と叫んで敵を引っつかみ、野里川の淵に飛び込んで死んでいった。

この時以来、彼が死んだ淵では甲羅に武者の顔のあるカニが見られるようになり、今に至っている。
周辺に住む者は、このカニのことを「島村蟹」と呼んでいる。
(足利季世記)

島村蟹とは、標準和名「ヘイケガニ」のことである。
遠浅の干潟でも見られるというこのカニは、そのインパクト抜群の姿のために様々な地方名を持っている。
江戸時代後期の『本草綱目啓蒙』という書物には、島村蟹の他にも、長田蟹(元ネタは「主をきり婿をころすは身のおはり むかしはおさだ今は山しろ」の長田忠致)、
清経蟹(平清経)、武文蟹(太平記の登場人物・秦武文)、治部少輔蟹(石田かどうかは不明)というようなものが挙げられている。

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 21:44:54.44 ID:dHBxf5HS
ちなみに、「標準和名」に歴史上の人物の名を冠する動物には、
例えば、昆虫では、ジョウカイボン(浄海坊=平清盛。火傷のような炎症を起こす別種の有毒昆虫と混同され命名されたらしい)

トウゴウヤブカ、トウゴウカワゲラ(東郷平八郎)、カミムラカワゲラ(上村彦之丞)、オオヤマカワゲラ(大山巌)、ノギカワゲラ(乃木希典)
(外人の研究者が名付けた「学名」を「和名」に反映させている)

魚類では、キントキダイ(坂田金時)、クマガイウオ、アツモリウオ
(それぞれの体色に由来)

シュンカンハゼ(俊寛僧都)、タメトモハゼ(鎮西八郎為朝)、ベンケイハゼ
(それぞれの標本の産地(薩摩硫黄島の対岸、運天港の近く、田辺湾)+容姿に由来するらしい)
等があるようです。

戦国時代の人物にちなんだ標準和名の動物とか、いかにもありそうな気がするけど・・・

タメトモハゼ「魚類に限って言えば、小耳に挟んだことも無い!」

まあ、変化球でアカハチハゼ(石垣島の豪族・オヤケアカハチ)とか、
伊達者という言葉に由来するという、お洒落な縞模様のダテハゼなんてのがあったりしますが。




516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 21:48:23.09 ID:poa2keyK
ハタハタ「サタケウオ・・・」
サナダ虫「・・・」

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 21:49:17.96 ID:poa2keyK
あ、標準和名の魚か失敬した

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 22:13:24.40 ID:dHBxf5HS
そうだ、サナダムシがあったね。
魚類くらいしか把握できてないもので、完全に忘れてた。

サナダムシ

形状が真田紐に似ていることからその名が付いた。
また、一説では徳川家康がサナダムシに苦しんでいた事から
「真田は虫になってまでもこの家康を苦しめる」と嘆いた事から家康が名付け親と言われる事もある。

あと、地方名なら戦国の人名由来のものは色々ありそうですね。

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 23:26:49.08 ID:KkSrYP1x
>>514
話の本筋からは離れるけど、
いわゆる「大物崩れ」って戦の範囲がえらく広範囲に及んでるんだけど、
これってどう解釈したらいいのかな?

細川浦上連合軍が西宮の神呪寺に布陣してた赤松勢に
背後から襲われて総崩れになったことになってるんだけど、
天王寺や今宮のあたりから大物まで延々と布陣してたなんて考えづらいし・・・


520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 00:17:39.65 ID:PKmFApoL
>>519
『後鑑』収録分を使ったので前後の文章が分からないけど、
ただ単に『足利季世記』作者の誤解または故意で、数ヶ月にわたる一連の戦いを
一日のものとして描いてるだけじゃないのかな?

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 06:08:15.45 ID:73R7Butz
>>514
    (~)
  γ´⌒`ヽ
   {i:i:i:i:i:i:i:i:}
  ( ´・ω・)  
  (V)    (V)
    し─J


522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 10:03:56.86 ID:jLTHAmro
蛍なんかゲンジボタル・ヘイケボタルだな。

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 11:31:50.35 ID:JUJOLVZM
しまむらガニワロタw

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 20:08:41.44 ID:zifDkflF
>>515
あんま関係ないけど、スカシカシパンとかのカシパン類って昔は「桔梗貝」って呼ばれてたそうだが
明治の学者が菓子パンからカシパン類なんて権現様のようなネーミングをしたせいで今に至るという・・・

山本神右衛門はいつも家来どもに

2012年07月14日 20:31

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 20:06:53.24 ID:C78wCGh4
山本神右衛門はいつも家来どもに、
「博打をやれ、虚言を言え。
一町歩くうちに七度虚言を言うくらいでないと男は立たぬぞ」
と言っていた。
昔は武勇のみを心がけていたから、
正直者では大働きが出来ぬと思い、このように言われたのだ。
身持ちの悪い者がいても、知らぬふりして許しておき、
「よいことをしたな」
と言っておられた。
相良求馬及真なども、盗みや密通した家来どもをそのまま許しておいて、
少しずつ侍らしくなるよう鍛えていった。
「そのくらいの者でないと、ものの用には立たない」
と言っていたとのことだ




380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 20:08:47.79 ID:j0rPLlDY
何と言うスパルタ教育

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 21:06:19.78 ID:3Ebkgk5f
>>379
勝成「まったっくもってその通り」

ボロボロになり帰ってきた旦那を見た女房が

2012年07月14日 20:31

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 20:25:32.16 ID:C78wCGh4
もうひとつ葉隠からいきます

高木某が、近所の百姓三人と口論になり、田んぼの中で打ちのめされた。
ボロボロになり帰ってきた旦那を見た女房が、

妻「アナタ様は、人が必ず死ぬということをお忘れになられたようですね」

と嘆いた。高木が、

高木「いや、忘れてはおらぬ」

と言うと、

妻「人は誰しもいつかは死ぬものでございます。
病死、斬り死に、切腹、縛り首・・・色々死に様はありますが、
見苦しい死に様をなさっては無念にございます」

と言い捨て家を飛び出していった。
やがて戻ってくると、二人の子供をよく寝かせつけておき、
松明を作り、日が落ちると身ごしらえをして、

妻「様子を見てきましたところ、
なにやら三人は集まって相談事をしているようでございます。
ちょうどよい頃合い。さあ、おいでなさいませ」

と、夫を先に立たせ、松明を灯し、自身も脇差をさして、相手方へと踏み込んだ。
そして夫婦で斬り立て、二人を斬り倒し、残る一人には手傷を負わせ追い散らしたという。

高木某はその後、切腹をおおせつけられた




383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 00:21:20.80 ID:zbRMCUWR
>>381
ちょwwwオチがひどいwww

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 00:44:24.47 ID:JW9kSSsF
>>383
文章は淡白だけど、
百姓にフルボコられてショゲて帰ってきた侍が、
奥さんに励まされて、武士の名誉刑である腹切で最後を飾るいい話だぞ

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 00:51:48.89 ID:86dQHOtO
奥さんが夫を嵌めた話にしか見えないw

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 01:17:44.40 ID:RHgNsXw+
百姓にボコられてそのままにしてたら切腹じゃすまないだろ

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 01:19:10.56 ID:tPNOtMYB
その場で切り捨てるべきだったな

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 01:21:05.77 ID:CLucpikP
奥さんも一緒に突入してるから、明記されてないだけで処分されてそうだ

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 01:23:39.73 ID:JW9kSSsF
百姓にボコられた侍よと後ろ指さされて命永らえるか、
ムチャしてなんとか形を取り繕うかの二択か・・・
皆さんならどうするよ?

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 01:26:30.32 ID:JW9kSSsF
>>387
どの道、百姓斬り捨てたら処分されるんだからそれが正解だと思う
まあ、百姓と口論しなきゃよかったんだが・・・
色々あるんだろうね当時も

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 01:55:19.29 ID:IywwDwj5
百姓にボコられるとか仕返ししないとガチで家録召し上げ御家取り潰しにあう
あと自藩の百姓斬り捨てても切腹とか普通無い。

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 02:04:38.40 ID:u5qum9bB
じゃあ最初の負けが響いたんだね、きっと

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 02:10:02.26 ID:clULgAfH
仮に斬りに行かなかったとしても
最初の口論のときにボコられるがままで刀も抜かずに帰ってきてる時点で
高木に非があると思われて一方的に処分されかねないんじゃないか

しかし当時の武士も多かれ少なかれトラブルは経験してそうなものだが
そのたびに相手やら自分の腹やら切ってたら命がいくつあっても足りなさそうだ
どの辺が相手を斬っていいラインなのかね

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 02:38:22.16 ID:+fs4nR+b
>>393
今と変わらない・・・と言うと明らかに言いすぎだろうけど
どんな相手だろうと基本相手を切った時点でアウトで
なんやかんやで切腹になる印象

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 06:41:24.95 ID:u1g3oh1k
>どの辺が相手を斬っていいラインなのかね
これ時期にもよるし藩主の考えにもよる
戦国期なら百姓町人を切っても事情があれば許されたし褒められもした
江戸期に入ると、刀を抜いただけで処分もありえた
(更に刀を抜いて相手を殺せなかった場合は武家の対面という意味でも処分された)

たしか商人に呼ばれて、相撲取りと相撲しろと強要された侍が相撲取りを切り捨てた話があったはず
この人は処分されておらず、切ったのはもっともな話ってオチだったはず


396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 08:53:33.38 ID:kj++Woj/
正当防衛として名誉を傷つけられたその場で叩き切る
あとからやったんじゃただの報復殺人

397 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/14(土) 09:12:38.30 ID:u1g3oh1k
>>396
正当防衛というより自力救済権だな
正当防衛だと守ったモノと守った結果生じたモノのバランスが問われるけど
自力救済権はそういうのはない

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 09:30:31.36 ID:85NjoChL
鬼武蔵「へっっくしょん」

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 10:59:29.24 ID:+fs4nR+b
>>395
相撲取り可哀想に商人斬れよ

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 11:21:44.73 ID:SFJv28dI
商人は教唆で裸芸者は実行犯だからじゃないか?

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 11:45:00.28 ID:nHgw/Cs/
381のオチがひどいとか言ってる人は
wikipediaの「切捨御免」に結構よく書かれてるから勉強するといいよ


402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 13:28:57.15 ID:ebc2hUti
切捨御免関連の情報は朝日文左衛門が色々遺してくれてるなw

酒によって絡んできた浪人を相手のなまくら刀で撲殺した尾張藩家臣が出奔する羽目になったって
話もあったよな、確か

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 15:24:54.56 ID:z3rz8M+M
それはやっぱ殺るなら自分のでやれや、とかそういうアレ?
[ 続きを読む ]

小西行長の処刑とバテレン

2012年07月14日 20:31

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 22:20:50.32 ID:eeBMNuSJ
関ヶ原で敗れた小西行長は大名の黒田長政の面前に連行された。
同情した長政は内府(家康)に助命を請うか尋ねると行長は答えた。
「私はもはや命を重んじていない。キリシタンの教えが禁じていなければ切腹するのは
容易で私は自分の罪に対してどのような死を与えられようとも甘受する用意がある。
私が貴殿に願いたいことは自分が告白するのに一人の司祭バテレンに会えるよう尽力してほしい」

507 名前:506 小西行長の話の続き[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 22:24:08.67 ID:eeBMNuSJ

 黒田長政は内府の許可を得られるよう全力を尽くすと約束した。しかし、内府の家康は
司祭との面会を許さなかった。バテレンの司祭たちはあらゆる手を尽くしたが、面会はかなわず、
小西行長は処刑されてしまった。
 家康はキリシタンの告白が何のことかわからず、何らかの欺瞞ではないかと思ったので、
司祭たちに面会の許可を与えなかったのだ。(イエズス会年報集)




モンセニュール・ド・セルケイラ、家康に謁見す

2012年07月14日 20:31

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 23:39:26.91 ID:rf3Ug6Rg
『1606年の条

(上略)…また、モンセニュール・ド・セルケイラは、公方(徳川家康)に謁見することがあって、これにより公方は
宗教のことに関してますます寛大となられた。

この司教、日本に到着して以来、迫害、内乱、そして公方によるこの帝国の統一と厳重なる施政の展開があり、
この間、彼は長崎から動くことが出来ず、また自由に司教の職務を果たすことも出来なかったが、
ここに至って事態が好転したことを認め、この国の主権者に拝謁する計画を立てた。

エチアム(小笠原一庵為信)という朝廷(幕府)の重臣の一人はこれより前に、ポルトガル関係事務の監督官として
長崎に派遣されていたのだが、司教に助力することを申し出、ついにその謁見の許可を得た。

司教は多くの師父、及び法兄弟と共に直ぐに上洛した。大阪に至ってエチアムが用意した一艘の川船に乗り
エドガワ(淀川)を上って京都にいたり、師父の家に宿泊した。
大阪においても、またその途上においてもいたるところでキリスト教徒は群れをなして駆けつけ、司教に
服従の意を表し、京都に至るときもまた同様にて、キリスト教は尽くその権利を回復せし観があった。

モンセニュール・ド・セルケイラは司教の服を着け謁見のために出発したが、駕籠のまま宮殿の内部に
入ることを許可された。これは最大の諸侯でなければ与えられない特権であった。
公方自らも礼服を着用し、最も厚く司教を待遇した。

次に、その平常の居城である伏見の宮殿、及び城と、京都の城(二条城か?)とを司教に見せるべしとの
命を下し、また日本国中で最も壮麗である同地の諸寺院を見せた。

司教はこの滞在を機として、キリスト教徒を最も厚遇している諸侯であり、君主の寵臣たるカンズケ殿(本多上野介正純)、
及び京都の知事板倉殿(板倉勝重)に謁した。この両人は共にキリスト教の重要な保護者である。

司教はまた甚だ多くのキリスト教徒に、堅信の秘跡を授ける機会を得た。
帰途、豊前候エッツーン殿(細川越中守忠興)に、同国の首都小倉にて謁見したが、候は彼に、司教によるミサ聖祭に
臨席する許可を求め、キリスト教及び宣教師に対する保護が決して覆ることがないと、司教に確信させた。

また司教は後で、候自らもその心中においてはキリスト教徒であり、未だ神聖なる洗礼こそ受けられていないが、
候を以って神霊上の子の一人と認めざるをえないと言われた。
候が自らキリスト教徒であることを宣言し、かつ洗礼を受けることが出来ないのは、公方が諸侯のキリスト教に
改宗することを禁じたために、その意に従わざるを得ないためなのだ、とも付け加えられた。』


本多正純と板倉勝重がキリスト教の二大保護者だったり、細川忠興をキリスト教徒認定してたり、
本国への報告のためか、どうも希望的観測すぎないかと思わざるをえない記録である。
(パジェー日本耶蘇教史)




509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 00:36:10.05 ID:bL+LifhN
エッツーン殿

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 00:59:02.57 ID:CLucpikP
エェツーン殿キリシタン説はちょいちょい見かけるけどこの辺がソースなんだろうか

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 02:25:15.98 ID:clULgAfH
フロイスしかり、こういう宣教師の書いた歴史書って
妄想補完とキリスト教上げが多すぎて何が本当なのかわからん

歴史とか言いつつも、結局は布教活動用の資料の粋を越えてないと思う

尾張の王カンヅカン殿、別名ノブナンガ

2012年07月13日 21:11

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 20:42:39.97 ID:/ZhxeEYf
『ここで話を中断し、尾張の王カンヅカン殿(上総殿)、別名ノブナンガ(信長)と称する人について
少し述べたいと思います。彼については既に堺から長い通信を発送しましたが、それは彼を実際に見たり
詳しく知ったりする以前のことでした。

この尾張の王は年齢は37歳。長身痩躯、ヒゲは少し。声は甚だ高く非常に武技を好み、粗野です。
正義及び慈悲の業を好み、傲慢にして名誉を重んじ、決断を秘し戦術に巧みにして殆ど規律に復せず、
部下の進言に従うことは稀です。彼は書人から異常な畏敬を受けており、酒は飲まず、自ら奉ずること
極めて薄く、日本の王侯をことごとく軽蔑しており、下僚に対するように、肩の上からこれに語ります。
諸人は至上の君に対するように、これに服従しています。

彼は良き理解力と明晰な判断力を有し、神仏その他偶像を軽視し、異教(キリスト教意外の宗教)の一切の
占いを信じません。表向きの宗旨は法華教ですが、宇宙の創造なく霊魂の不滅もなく、死語は何も存在しない
という事を明確に言っています。

彼の事業は完全にして巧妙を極め、人と語る時には、常に紆余曲折となるのを憎みます。
どんな諸侯であっても、彼の前に出る時は帯剣することはありません。
彼は常に二千余りの騎馬の小姓を引率しています。

彼の父は、ただ尾張一国の領主でしたが、彼には大変な才覚があり、またその努力によって
ここ4年ほどで17・8ヶ国をその命令に服従させ、主要なる8ヶ国、すなわち都の所在地である
山城全国、及び近隣諸国は7.8日のうちに征服しました。』

ルイス・フロイスによる、有名な信長の解説である
(日本耶蘇会年報)




359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 21:45:40.36 ID:eXGx44pq
このフロイス評は読むたび毎回「尾張の王」という所でもやもやする
王て

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 21:56:22.86 ID:5vEol3xs
「王」ってもっと大きな領土を治めてる人に使うイメージがある

尾張くらいの大きさならなら「領主」でいいと思う

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 22:00:59.97 ID:iAZeGcEf
これって、原文はポルトガル語なんかね?
他のところが領主で信長さんとこだけ王とかなら何か意図があるのか考えちゃうけど~

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 22:03:12.34 ID:ZhO/vJec
コレは原文でも「王」だよ。というか宣教師は戦国大名=王、公方様=皇帝、帝=教皇、というふうに考えてたフシがある

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 22:06:58.41 ID:zMTV6EhK
カンヅカン…
上総守のことだとしたら信長の周辺には親王任国を知らないやつが多かったとか

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 22:07:08.19 ID:1QwBNHVq
ヨーロッパ的に見るとそれが一番近いっちゃ近いな
皇帝の地位がビミョーな所込みで

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 22:08:18.60 ID:W4ZurSRM
ノブナンガ

ヒデヨンシ

ミツヒンデ

イエヤンス

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 23:03:22.77 ID:iAZeGcEf
帝=教皇か・・・
まぁ、そう取れなくもないからな~

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 01:51:49.26 ID:hJX29DlV
軍権持ってない祭祀の長なら教皇でおかしくないか

そんな信長の死後55年経った1637年

2012年07月13日 20:59

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 09:02:28.12 ID:4bf1DGSo
そんな信長の死後55年経った1637年、

真夏の炎天下に、当時75歳ながら信長の墓のある大徳寺まで参って焼香した男がひとり。
その男は、本能寺の直後から所領の丹後に信長の菩提樹を建立し、
その後も豊前、肥後と領地が替わるたびに菩提樹も移して、毎月忌日には精進を欠かさなかったという。


このクソ熱い夏に、三歳様の暖かいい話。




370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 11:59:15.08 ID:sRqLyuc5
菩提寺?

371 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/13(金) 13:00:39.60 ID:BpbQITHP
元ネタに「建立」ってあったみたいだけど
「植えた」で良い様に思いますね。
「植樹」ではどうも合わないし、「建立」に「木を植える」って意味を
探してみましたけど、詳しい人、どうでしょう?

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 13:33:57.29 ID:HGlidSbK
玉ちゃんとどっちが大切と聞くと・・・37人目になる?

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 15:05:10.89 ID:lu8jwE5k
どっちも亡くなってるからどっちも大事で良いのだろう。

あと君、37人目な。

374 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/13(金) 17:07:21.01 ID:vZ+OKWof
忠興「信長さんの一銭切りをさらに高め、私は一目切りやってますよ。謀反人の娘など斬捨てなきゃ」

375 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/13(金) 17:19:27.57 ID:vZ+OKWof
「玉ちゃんとの結婚薦めてくれてありがとう」という気持ち?

376 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/13(金) 18:32:07.34 ID:A/gpt0mc
>>371
そこは菩提樹の方が間違いじゃないか?

↓これを見ると信長の菩提寺というのも間違いのようだが。
http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/odakuyou.html

377 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/13(金) 19:26:15.93 ID:BpbQITHP
>>376
なるほど了解しました。

378 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/13(金) 19:32:18.78 ID:7cYMMjhk
>>369
この話最近観たような…

青年武士シマンとその叔父

2012年07月13日 20:59

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 20:01:51.45 ID:rf3Ug6Rg
『日本人イルマンがパンタリヤン(田原親盛大友宗麟三男)の城に於いて説教を行なっていた時、
豊後国の大身の一人の兄弟にて、名を式部殿と呼ぶ武士がこの場所にあって、ことごとく説教を聴き終わった後
洗礼を受け、バスチャンという名を与えられた。
翌日彼はパードレ・ペロ・ゴメスと日本人イルマン一人を伴ってその家に帰り、直ちにその妻と家族及び
家人一同に説教を聞かせ、約80人に洗礼を受けさせた。

また、このパンタリヤンの城において、偶然彼を訪問していた青年武士が一人キリシタンとなった。
彼については特に報ずるべき事件が起きた。

シマンと名付けられたこの青年は、説教を聞くと熱意に満ち、偶像を崇拝していた過去を恥じて、次の手段によって
これを改める決心をした。すなわち洗礼を受けた後、その家に戻らず、直ちに領内の町村に行って、同所にある
寺院に火を放ったのだ。

この事は突然行われたので、坊主も俗人も驚き、火災が甚だしいため、住民は彼が豊後の王(大友宗麟)に叛いたか、
あるいはその地が敵の手に落ちたものかと考えた。

彼は領内にある、彼の父の兄の寺院に至ると人を遣わして、

「私は既にキリシタンになったことにより、その領内における神仏の愚行を容認することが出来ない。
しかしこの寺院は叔父上のものであるのであえてこれを焼却しないが、叔父上が自ら命じてこれを焼き払われる
事を望む」

との旨を伝えた。叔父はこれに返答をせず、異教徒である親類及びその兵士とともにこの寺院を守る決意を固めた。
この叔父の態度にシマンは大いに怒り、彼を殺すことを決心し、必ずその首を取ると言い放った。

叔父は偶像崇拝の保護者たる親賢(田原親賢大友宗麟の妻奈多夫人の兄。反キリスト教)に頼り事の顛末を
伝えた。この事は神仏を守ることであると田原親賢はこの要請を引き受け

「怖れるには及ばない!私自ら保護に当たろう!」

と宣言した。それでも青年は叔父を殺す決心を動かさず、また田原親賢は既に約束した事によりこの叔父を守ろうとした。
しかしその田原親賢の婿であるパンタリヤン(田原親盛)は、こと信仰に関することであるので青年に好意を寄せ、シマンの
許に人を遣わして、この問題においては感情的にならず、道理によって処置すべきだ。もしその結果によってあなたに
見の危険が迫ることがあれば生命をかけて防ぐ。そう伝えた。

(中略)

その後パンタリヤンはパードレ・ペロ・ゴメスに使者を遣わし、シマンとその叔父のことは既に解決し、二人の裁判官を定め
その正当と認める所に従うよう伝え、裁判官たちは田原親賢が約束を破棄し叔父を保護せず、またこれを臣下とせず
国外に追放し再び入国することを許さず、その所領の半分を没収し、残りの半分はその子に与えると決定した。

その後パードレはシマンがその家臣約2000人をキリシタンにしようと切望していると聞いた。しかし全員をキリシタンにすれば
労役者が不足するので来れをするのは不可能であった。(キリシタンは労役義務を免除されていたようだ)
シマンは信仰のことに甚だ熱心であり、たとえ世子(大友義統)が反対の命令を下しても、既に説教を聞いた上は
必ず洗礼を受けると言い、ついにこれを受けた。』


大友宗麟の時代の、豊後で起こったキリスト教絡みの騒動の一つである
(天正12年・日本耶蘇会年報)




512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 06:54:03.49 ID:zz3tN4If
>>505
キリシタンは労役を免除されてたのか
これはメリットあるな

信長は「こやつできる!」とビビッときて、

2012年07月12日 20:59

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/11(水) 23:15:43.47 ID:WNCAMhGO
織田信長は将軍足利義昭を擁して上洛を果たした。
そして将軍の御座所の建設に取りかかるため、各家に人夫と世話役を出すよう命じた。
ある時、信長が御座所建設の現場を視察していると、ある一人の世話役が目に付いた。
皆その日の仕事を終えて急ぎ早に帰るのに、その者だけは一番最後まで残り材木の切れ端などを
すべて掃除してから退出するではないか。
気になった信長は翌朝早くに現場を訪れると例の世話役が誰よりも早く出仕してもう仕事の段取りをしていた。
それから信長は現場にくる度にこの者の行動を注視していたが何度見ても決してその真面目な態度を
崩すことがなかった。
信長は「こやつできる!」とビビッときて、この者の主君である細川藤孝に是非にもと頼み込んでこの者を
譲ってもらった。

信長は早速この者を小姓として召抱え、数々の戦場で指揮をさせた。
するとどうだろう、この者は人一倍勇猛果敢で、その智謀も他より抜きん出ていたため行く先々の戦場で
無数の武功を積み上げて行き、あっという間にその名を知らぬものはないほどに有名になってしまった。
信長はこの者が武功を上げる度に千貫、二千貫とどんどん加増したが、それでも役不足と思ったのか
とうとう近江国の滋賀郡六万石の要衝を与えるまでに至った。

そう、信長がこの時召抱えたこの者こそ誰あろう明智日向守光秀その人である。




349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 00:18:07.08 ID:ncI7Vfx3
残りものにはふくがある。

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 00:21:13.63 ID:OgQFiKT2
春日局「読んだ?

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 00:37:33.83 ID:YfobpMyD
珍しく役不足の正しい使い方を見た

352 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/12(木) 01:44:49.42 ID:Onhss/RH
流川「てめーだけじゃ役不足だ」

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 08:28:49.68 ID:Vh50jt6n
>>348
いつ首はねられるのかビクビクした(´・ω・`)

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 18:22:55.61 ID:pap5C7me
>>348
ほんまに光秀はんは謎の御人や(感嘆

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 18:51:33.01 ID:nZbiMRnX
今はサービス残業したら怒られる時代なのでこういうまじめアピールは通用しませんね。

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 19:23:26.65 ID:i+1WFOep
光秀は仕官前の逸話が豊富だな

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 19:27:34.34 ID:78torYHO
何回同じ所に就職繰り返してるんだろうな

週刊ブログ拍手ランキング07/04~/11

2012年07月11日 21:00

07/04~/11のブログ拍手ランキングです!



南部利直 代官を叱る 65

とある七夕の雨の日の歌 63

政宗「得体の知れぬ物」 57
城鍬舞 51

政宗「でぇぇぇぇぇえええええ!?」 49
殿はまた いらぬ事をは 48

幽斎「これはウグイスの初音ですね!」三条西実枝「昨日も聞いたよ」 40
「ほのぼのと・・・」の歌の逸話、細川高国バージョン 37
歌さへ詠めば人まる(火止まる)と知れ 36

藤堂高虎の神業 34
「富士の道芝」 28
雑談・静岡で… 26
日本のアンチキリスト、又は肉体に宿りたるルシフェル 26

上杉謙信「私が毘沙門天を百度拝めば、」 24
手負いの猪が家康に向かって突っ込んできた 23
細声峠 23
「児手柏」 22
美濃の陶工の話 19
福島正則、後藤基次の要求に 18
合計 1025



今週の1位はこちら! 南部利直 代官を叱る です!
南部の漆の資源保護をやったお話ですね。戦国時代というのは非常に厳しい時代ですが、それだけに
再生可能な資源の保護ということにはどの大名も気を使っていて、特に森林資源は、戦略物資である
木材の確保という重要な目的の為にも厳重に管理していた感じです。そしてそんな山林資源も争奪の対象に
なっていたりも。そんなことをふと思い出したお話でした。この時代の人も、自然からの無理な収奪は
結果としてその資源自体をダメにする、という事をよく解っていたのですね。

2位はこちら! とある七夕の雨の日の歌 です!
毛利元就には本当に和歌に関する逸話が多い印象があります。そもそも学者の家であった大江家の
流れのためでしょうか?こういう教養を大切にする家柄だったのでしょうね。
そしてこの歌は大変ロマンチックですねw 元就は冷徹冷酷な謀略家ですが、こういう繊細な感性が
あったからこそ、多くの国人たちに押し上げられリーダーとされたのかな、なんてことを思いました。
追記の三条西実枝さんの添削も、なんだかいいですねw

今週管理人が気になった逸話はこちら! 日本のアンチキリスト、又は肉体に宿りたるルシフェル です!
本当にキリシタンからどれだけ嫌われていたのか朝山日乗wキリシタン勢力から、よほど脅威だと
考えられていたのでしょうね。これだけ言われまくっているが故に、逆に彼の優秀さが証明されていると
思います。
こういうのもあって管理人は、個人的には例の朝山さんがキリシタンとの宗論に負けたという話は
信用していないんですねw 朝山日乗が当時のキリスト教批判の代表的人物だったことは確かでしょう。
だからこそキリスト教徒の中では徹底的に無様にしなければならなかった。宗論で負けた日乗が、刀を抜いて
迫るなどのみっともない描写は、そういう理由で創作されたのだろうな、とw
僕自身は朝山日乗の歴史からの退場は、「宗論」があったとされた後も信長から特に変わりなく
重用されているので、単純に病気によるものだと考えてます。



今週もたくさんの拍手を格逸話にいただきました!いつも本当に有難うございます。
また気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(`・ω・´)

細川幽斎、酒徳狂歌

2012年07月11日 21:00

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/10(火) 21:11:41.66 ID:y1u+vsqr
細川幽斎、酒徳狂歌

一切の 其の味ひを分ぬれば 酒をば不死の薬とぞいふ
二くさ(憎さ)をも 忘れて人に近づくは 酒にましたる媒はなし
三宝の 慈悲より起こる酒なれば 猶も貴くおもひ飲むべし
四らず(知らず)して 上戸を笑ふ下戸はただ 酒酔よりもおかしかりけり
五戒まで 酒をきろふもいわれあり 酔狂するによりて戒せり
六神の 罪をも咎も忘るるは 酒にましたる極楽はなし
七など(質など)を おきて飲むこそ無用なり 人のくれたる酒ないとひそ
八相の 慈悲より起こる酒なれば 酒にましたる徳方はなし
九れず(くれず)して 上戸をわらふ下戸はただ 酒を惜しむか卑怯なりけり
十善の 王位も我も諸友に おもふも酒の威徳成りけり
百までも なかろふ我身いつもただ 酒呑てこそ楽をする人
千秋や 万歳などと祝ふとも 酒無き時は寂しかりけり

(幽斎公歌集)




武田二十四将
343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/10(火) 23:15:03.15 ID:pjHhYEGa
なんか難しいこと言ってるけど、
要は「酒大好き!!」ってことでおk?


344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/10(火) 23:18:04.12 ID:Bki0xL3h
大伴旅人「13首の讃酒歌を詠んでいるわしのほうが一首分勝ちだな」

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/10(火) 23:34:40.23 ID:5Q6gNBqq
一月は正月で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
二月は豆まきで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
三月はひな祭りで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
四月は花見で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
五月は子供の日で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
六月は田植で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
七月は七夕で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
八月は暑いから酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
九月は台風で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
十月は運動会で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
十一月は何でもないけど酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
十二月はドサクサで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

を風流な人がやると>>342になんのか

347 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/11(水) 05:11:29.40 ID:baCQLYPq
私は下戸ですが共感できませんね

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 00:42:24.88 ID:3Ebkgk5f
>>342
柿じゃなく酒を出せば憎さを忘れてくれたのか…

加藤清正は確かに強かった。だが

2012年07月11日 20:59

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/11(水) 18:58:11.46 ID:j+NV/K6z
戦国とはかなりズレるが印象的なエピソードだったので。

昭和35年(1960)、新安保条約の自然成立を目前に控えた内閣総理大臣・岸信介は、池田勇人を呼びこの様に言った

「君は保守本流なのだから、党内の反主流派と付き合うのは控えなさい。僕の後は、君か栄作(佐藤栄作)しか
居ないのだから。河野(一郎)は闘将だが、一国を任せられる器ではない。

加藤清正は確かに強かった。だが、天下は取れなかった。そういうことだ。」

昭和の妖怪・岸信介が清正を例えに出したエピソードである。




492 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/12(木) 04:21:18.92 ID:jcIeA/hr
>>490
岸信介その人は武将に例えると誰になるのかな?

能吏でもあり大国の後ろ盾があって好き放題wやったあたりは小西だけど
ありゃ天下取れんかったからなぁ

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 18:15:52.15 ID:pap5C7me
>>490
岸信介はリアル大叔父上であらされる。
リアルでは岸安倍両家共に没交渉ではあるけれど…

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 18:27:26.05 ID:IPTk1YZ9
空気の読める三成とか?

495 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/12(木) 19:33:41.80 ID:L9e0S6TR
嫌われ具合、雌伏期間があったことなど
細川頼之、本多正信が浮かんだけど
やっぱり違う気がする。

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 01:50:25.87 ID:lu8jwE5k
浅野長政とか?
うーむ…

497 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/13(金) 06:57:36.96 ID:BpbQITHP
反主流になっちゃいけないって教訓だから
能吏とかどうかは、まず置いといて
家康のように天下を取れる位置にいることが大事ってことでしょうか。

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 08:13:12.28 ID:VotxM4Wd
戦国時代じゃないけど源頼朝とか。嫌われてるあたりが。

岸信介は佐藤栄作とのエピが好き
安保改定の夜「首相が死ぬのは首相官邸だ」と避難の勧めを無視して官邸に残る岸。
「兄貴を一人で死なせる訳にはいかない」と一緒に官邸に入る佐藤。

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 08:59:32.92 ID:Wh0Vg5KI
誰それ