家康「今の日本では景勝なら」

2012年07月31日 20:50

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 02:53:45.13 ID:NN47ay0t
徳川家と豊臣家が不和となり戦が始まろうとした頃
家康に家臣たちは皆「各地に関所を設けて大坂に人が集まるのを食い止めるべきだ」と
言ったのだが
家康は「その必要はない」と言って取り合わなかった。
そして「今の日本では景勝なら私の意見に同意するだろう」と言うので
本多正信は上杉に使いを送って景勝の意見を聞いてみた。
すると景勝は「関所など必要ない。大身の者の動向にだけ注意していれば良い。
中心となって率いるべき人間がいなければ烏合の衆など少人数なら取るに足りず
数が多ければ必ず意見がまとまらず対立しあい蹴散らすのはたやすい」
と答えた。


なんでそこで景勝だったんだろう。




760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 07:58:54.00 ID:kqikBUUh
上杉がらみの記録なんじゃないのか?

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 07:59:46.03 ID:fRaNXw5O
当時はもう少ない実戦経験者の一人で、普段しゃべらないからここぞという時の発言にインパクトがあるから?

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 09:42:08.95 ID:UeWVt17J
>大身の者の動向にだけ注意していれば良い。
>中心となって率いるべき人間がいなければ烏合の衆など少人数なら取るに足りず

つまり俺は豊臣には行かねってことかな?それとも関が原の皮肉か。

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 09:53:08.16 ID:SHqZ/elM
10年ほど前に懲りてますねん

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 10:33:06.12 ID:NN47ay0t
つまり上杉に振ったってのは毛利らは懲りてないと思ってたという…

景勝はそういう「国を纏める事」には慣れてそうだからかな?と思ったけど
なんで大名連中のなかピンポイントに景勝に…と思ったので

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 10:52:29.09 ID:NPlztew/
戦国生き残りの大名家で、幕閣連中が納得するネームバリューがあると言ったら景勝くらいしかないんじゃね。

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 11:07:49.12 ID:neGBq095
>>759
関所設けないことで不満分子を大阪に集められるって意味もあるのかな

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 11:14:03.88 ID:10uOKFPf
家康で納得しないなら誰に言わせても意味ないだろうし既に納得はしてるだろう

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 11:30:52.96 ID:EKEgfHjO
>>764
皆様ご承知の通り輝元はバカなので。

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 11:38:41.19 ID:neGBq095
淀君が戦にまで口出すような状態の国に反幕府勢力が一点で集まってくれるなら、
幕府視点で見れば、権現さまや景勝のような歴然の武士じゃなくともおいしいと思うはず
しかも大阪方は人が欲しいばかりなんだから
三方ケ原以降の権現さまは軍神

771 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/31(火) 12:22:34.21 ID:D1ARJBNX
戦国生き残り実践派の中では、

政宗だと、内心は家康に賛成でも、ひねくれて変なこと言うかも知れない。
秀家は島まで聞きに行く人がかわいそうだし、輝はしょせんTERU。
藤堂、黒田は「なぜピンポイントで俺に聞く?」と変に裏を勘ぐってくる。
三斎様、スーパー宗茂様は指揮官としては優秀だけど、こっち方面はあまり得意でなさそうだし、
島津の人たちは何行ってるか聞き取れない上、「関所作りまくれ」とかきっと言う。
鍋島さんは多分忘れられてた。

その点、景勝なら必要なことだけ、素直に答えてくれそうだ。安心の景勝クオリティー。



772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 12:30:57.33 ID:TODWIQHa
権現様を使ったよくある藩祖持ち上げエピじゃないのけ?

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 15:51:00.46 ID:r9Ht9tNk
景勝のこの無難ポジションは見習いたいもんだ
なんというか過不足無い感じ
義父のエキセントリックさが反面教師になったんかね

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 16:18:15.77 ID:fP6t7Xxr
藤堂黒田はまだしも、この中では確かに一番安全パイだわな

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 16:19:17.56 ID:dL+82e8W
しかもこの後に戦になったら上杉軍無双だからな

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 17:22:18.01 ID:UeWVt17J
>>765
(#●ω^)「そうか俺は認められぬか酒井殿、ならば相撲で決着つけようぞ!」

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 20:14:57.59 ID:cOqgJv/T
>>768
バカなのはお前だ
遠国のTERUに聞きに行く手間も考えることができないのか

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 20:31:27.53 ID:8bb2Lu8j
だって景勝の意見なら
本多正信→本多政重→直江兼続
身内に聞くだけで終わるし
 
780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 20:33:59.86 ID:s7aZodH2
>>768
もしもしごときに侮られるとは、輝元公が不憫にござる

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 20:38:00.24 ID:AAyt2pbo
>>778
>皆様ご承知の通り輝元はバカなので。

これは関ヶ原の後の、吉川広家が出した弁明状の一節だよ。
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「今日初めて汝の勇気を見たが」

2012年07月31日 20:50

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 18:22:59.77 ID:jcvCqkK7
徳川家康が織田信長と同盟を結ぶために清洲城へやって来た時、
その行装を見物しようと尾張の人々が城門の辺りに集まって騒がしくなった。

この時、長刀を持って供奉していたわずか十四歳の本多平八郎忠勝が
「元康が両国のよしみを結ぶためにやって来たというのに、汝ら何故このような
ふざけた真似をする!」と一喝すると、その猛威に恐れて群衆は静まった。

本丸へ入るという時、植村新六郎が刀をかかげて家康の後に従っているのを見た
信長の家人が「そのような物を持って入ってくるとは、一体何者だ!」と咎めたところ、

新六郎は「松平の家臣、植村新六でござる。主君の刀を持って従っているだけだ。
何を咎めるか!」と反論した。それを聞いた信長は「新六が参ったか。彼の者は
かくれなき勇士だ。くれぐれも無礼があってはならぬぞ」と言った。

その後、同盟がなった後の様々な催しの時、信長は新六郎を呼び出し「今日初めて汝の
勇気を見たが、鴻門の会の樊カイにもまさっておったぞ」といたく賞賛したという。

新六郎は幼年より多くの戦功をはげみ忠勤も怠らず、御家号を賜るかというほどであったが、
植村の姓は他国にも知られ、徳川にとっても誇るべきものだったので、一字を与えられて
家政(のち家存)とし、軍扇と一文字の刀を与えられ、直参の徒三十騎を付けられたという。




793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 15:18:14.52 ID:YVFkyYlK
>>777
新六郎はともかく合戦や外交行列には付き物の
見物の衆に突然ぶち切れる忠勝は何なんだw

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 15:21:13.45 ID:1H29ZaN/
まあぶっちゃけると清洲同盟の時の信長と家康の会盟というのは、実際には存在しなかったとされているw
三国同盟の善得寺会盟と一緒やね。

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 16:15:19.52 ID:dj1Fvg5z
>>793
戦国時代の見物客だからな・・・・
『みきゃーのとのさんがきとるらしーわ
おださんよりはちいーさー家らしーよーニヤニヤ
ちょーと見にいったろみゃーかニヤニヤ』
な態度丸出しでジロジロ見てたとか

796 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/01(水) 17:10:42.69 ID:ObEW6HMJ
忠興「見たくらいでそんなに怒らなくたっていいのに。」

豊臣秀吉は吉川広家について曰く

2012年07月30日 20:56

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 17:05:11.63 ID:m2Ls1l1C
豊臣秀吉吉川広家について曰く

「広家は尋常の者ではない。五万、三万の大将となっても不足はあるまい。
元春が最近、武威を振るっているのは当然であろう。

毛利元就は吉川元春、小早川隆景を先鋒として西国に武威を震わし、
また元春は元長、広家を先陣として敵を破った。

わしは弓箭においては元就、元春の十倍であるが、良将の器ある子を
持つという点では劣っておる。

ああ、もし男子が三人おれば一人に天下を譲り、二人は関東と関西の
鎮として置くのだがなあ」

世の人もまた、たとえ隆景死すとも広家がいる限り、毛利の政道に
邪法なく、弓箭も前代に劣ることはない、と語った。




748 名前:たかとら・かずとよ[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 18:07:22.20 ID:PHP5Wd49
>>747
然り気無く太閤様が元春様disってる気もするが、最後に広家のみにしか触れてないの
が元春、元長死後の評かな?

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 19:00:41.98 ID:7Ci8/Lj3
毛利一族はみんなすごいんだお!天下一だお!バカなんていないお!

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 19:41:07.13 ID:qrNaWWrX
>>749
まあTERUは天然なのか策士なのか、野心家なのかそうでないのかよくわからんところがあるしなあ。
つかみどころがない点では元就以上。

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 19:46:48.06 ID:Aa25Wzxv
まあTERUさんも馬鹿ではないんだよ。勇み足しちゃっただけで。
関ヶ原は一門や重臣の、当初の反対意見ばかり取り上げられるが、どうも輝元の近習たちは
積極的に参戦に賛成していたっぽいのね。野心あふれる当主近習と保守的な一門重臣という、よくある対立が
毛利家でも起こっていたっぽい。

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 22:48:43.14 ID:Sv9YTkEF
TERU「鳴かぬなら 部下が鳴かして 俺そうせい」

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 23:43:46.70 ID:JcTh/gHK
TERUはふつーに東西対立してる間に毛利家の勢力拡大して漁夫の利を得る作戦だったっぽいからなー
上杉と狙いは一緒なんだよね

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 00:58:44.02 ID:PqUseq/E
誤算は三成があまりに役に立たないかったwってことか。まーくんとクロカンとかもそう思ってそうだけど

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 01:03:03.14 ID:mgl8fCwQ
一日で負けただと…!?状態だったんだろうな

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 01:06:55.47 ID:BrrjkW2h
押したり引いたり
城を取ったり取られたりが続くと思ったんだろうね

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 01:27:27.24 ID:UeWVt17J
そこんとこは家康すごいけど、
あっさり大阪城明け渡したのがマイナスかも。

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 02:04:41.66 ID:ZLNmB6t4
そもそもどこぞのAKに
「輝元様ご謀反の風聞が立っておりますぞ!至急上阪なさいませ!」
なんてだまされて大阪に引っ張ってこられたあの人に
やる気なんてあるわけがない

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 11:44:08.72 ID:yrIAWaaI
>>751
負けてから俺には負けるのがわかってた上がバカだから~とか言い出す人は
古今東西よくいるからねえ
酷いのになると戦前は戦煽りまくってといてとかさ・・・

毛利隆元の苦悩

2012年07月30日 20:56

775 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/29(日) 19:51:59.08 ID:X5+SVVPC
毛利隆元の苦悩
天正二十三(1554)年三月十二日付けで、当時三十二歳であった隆元が、深く慕っていた一つ年上の
竺雲恵心に送った有名な手紙。
前にもちょこっと挙がってたけど、拙い訳で全文挙げてみる。



「恵心公宛隆元自筆書状」
謹述胸念
一、来世の善所(極楽)の事については、強く心に留め置いております。ですから、心の及ぶ限りに
  善根(善い行い)を積むように致したく思っております。

一、娑婆(現世)については、果報は一つもないと見ておりますので、何を恨む事がありましょうか。
  これも前の世の報いと弁えておりますので、殊更思い悩む事もありません。

一、私の一生は、先の易にも見えておりますから重ねて申し上げるまでもありませんが、私は
  無才無器量であるだけではなく、これは必然であるのかも知れません。

一、我が家も、父・元就の代で終わりと見えます。
  私の代で家運が尽きてしまうのも因果の道理に従っており、これも必然の道理であります。

一、他の諸家の有様については論じてませんが、この国も悉く変わりました。
  それは至って明白な事であります。
  また、そのような中で、当家だけがこの世に今日まで存続して居るのは不思議な事に思います。
  これは、偏に父・元就の信心の故と思います。
  私にはそのような信心がないため(原文:サノミハナキ習ニテ)、毛利の家運の尽きる時に当たり
  生まれたのだ、と思っております。

一、当家は代々名を留めた当主が多いと言う中でも、父・元就ほど先代を超えた者はありません。
  ですから、私に才覚器量があったとて、到底父には敵わない事でしょう。
  私が形ばかりとて当主として存在していても、家臣や人の覚えは莫大の劣れがあり、況んや
  他国一円においては沙汰の限りではありません。

一、その上、私には無才無器量に加えて良く補佐してくれる家臣もおりません(原文:家ニ無人候)。
  只今はこのように思っておりますが、ただ偏に父の一心の心遣い、心労によってこのような状況です。
  家に賢佐良弼もおりません。これは物事を見知る以前のことでしょうか。

(続く)

776 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/29(日) 19:52:50.73 ID:X5+SVVPC
一、「灯火消えんとする時、光りを増す」の例えのように、家運もまさにこの時まででしょうか。
  この理は能く悟っておりますから、迷う事はありません。

一、兎も角、今生においては十分に良く知っています。偏に来世安楽の念願は骨髄に染みております
  (原文:偏ニ来世安楽之念願骨随ニ染ミ候間)ので、お頼み申し上げます。

一、右、私の心の内を申すままとしました。

一、このように申したとて、国家を保つ事は努々(ゆめゆめ)油断なく、力不足と言えども、
  懸命にその心がけを果たす覚悟でおります。
  その次第については、少しも疎かにしないようにしております。

一、右の心中については、胸の奥に納める覚悟であります。
  何れにしても、帰真の道理を覚悟するまでの事であります。

一、盛者必衰 一、生者必滅 一、会者定離
  此の理は悉く覚(さと)りました。
  一、天道満ヲカク、
  此の理を以って覚(さと)りました。


右の理を更に深く理解せずに迷っておりましたので、速やかに分別して悟りました。
誠に恐れ多いとは思いますが、確かに現世・来世の二世共にお頼みしたいので、私の念を
残すところ無く申し上げました。重ねてお頼み申します。恐惶。

天文廿三 三月十二日 拝進 恵心公
足下
タカ元(花押)

777 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/29(日) 20:00:00.81 ID:X5+SVVPC
出典は毛利家文書の七六一、「毛利隆元自筆書状」より
初めてこれをみた時、思わず涙がこぼれてしまいました。
この書状を隆元の死後に読んだ隆景、元就の反応について(毛利家文書七六三、四)は既出であったと思います。
長文失礼致しました。
 


関連
隆元死後に書簡を読んだ隆景と元就の反応
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6650.html


778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 20:00:37.39 ID:7LkG5TlJ
暗っ!ネガティブすぎるだろお兄ちゃん…

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 20:08:39.58 ID:yai3/TVz
>良く補佐してくれる家臣もおりません
家臣涙目

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 20:18:05.61 ID:CQQ1pKt3
ネガティブなのに金を集められる人って言うのは余程相手に信頼感を感じさせる人柄だったんだろうな

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 20:18:31.06 ID:CW530lSZ
こんだけ悲観的に見てても結局代々存続して「うむ、そうせい」に行き着いちゃうのね

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 20:22:31.77 ID:xiCdRbje
しかしそうせい公は名君だぞ。財政改革で文字通り藩内全体から憎まれた村田清風への信任を
最期まで曲げずに貫いた人だ。

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 20:38:43.36 ID:t6G27uqv
これ毛利が陶と対立する直前のものだから隆元はこの時自分の代で毛利家滅亡を覚悟していたんだよね。
しかしそれが逆に毛利家を大大名へと飛躍させるきっかけを作ったんだから大したものだ。

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 00:24:30.22 ID:cFBHc3UN
>>782
攘夷と真逆の航海遠略策を長井雅楽に言われるままに
藩論にしてるし何でもそうせい言ってた単なる馬鹿だろ。


790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 10:17:15.10 ID:kNykqfY1
>>788
何でもそうせい言ってた単なる馬鹿なら藩内から憎まれたという村田清風は早々に排除されるのでは?

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 19:49:02.88 ID:qrNaWWrX
>>788
もののみごとにそうせい候に騙されてるなあw
幕府はこれで長州をなめきってやられた。

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 20:55:24.84 ID:ayx0Ezqt
>>790
「あいつムカつくんでやっちゃってイイっすか」
「そうせい」

こうなるわな

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 22:53:13.64 ID:ffqDqkYL
担ぐ神輿は軽くてパーがいい

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 23:20:43.99 ID:+FETX6Hb
おっと権現様の悪口はそこまでだ。

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 01:02:14.86 ID:SHqZ/elM
つまり義昭公サイコーと

802 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/31(火) 04:27:48.16 ID:gQleTZO7
>>783殿の仰る通りこの時期は正に毛利家存亡の時で、
昨年の天文二十二年には三村元親と結んで尼子氏側の備中猿掛城を攻略し
雲州進出を目論んでいた頃に当たり、隆元の嫡男・幸鶴丸(輝元)が生まれたのも
この年だった。

毛利家内部では関係がギクシャクしてきた陶晴賢と断交するか否かで家中が
真っ二つに割れていて、隆元は元春、隆景、口羽道良ら重臣たちと「力のある今こそ、
大内義長を擁して賢(陶晴賢)を破るべきだ」
と元就に進言するけれど、
元就自身は「しかし仕損じては陶、尼子から挟撃され、毛利は末代まで失せる。
ならば晴賢に味方して家を保つべき」
と晴賢との断交に消極的な態度を取っていた。

評定は結局堂々巡りのままに過ぎたが、天文二十三年の三月に入って
晴賢の安芸国内の調略が明るみに出、遂に元就も断交の意志を固めた。
しかし陶方の兵力は圧倒的、今は吉見氏を攻めているために動けないが、
近いうちに進撃して来るのは必定だろう――

と、そんな状況の中で>>775-776の書状をしたためたと考えてもらえれば
より隆元の胸中、特に
>国家を保つ事は努々油断なく、力不足と言えども、懸命にその心がけを
 果たす覚悟でおります
なんて所についてはわかって頂けると思い申す。

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 08:08:01.19 ID:26quZrkC
むしろ、親父を押し切ろうと、主戦派の筆頭みたいになってたお兄ちゃんの内面がこうだってのがすごいよね。
相変わらず、外見と内面が一致しない人だ。

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 14:51:32.67 ID:dL+82e8W
元就-隆元間の手紙でも陶こえーから援軍に行くわという元就に
陶は信用できない父ちゃんが闇討ちされたら毛利家は潰れると泣き脅しだからな
結局らちあかないと陶からの使者を国司元相に討たせて強制断交w

熊本城天守内に展示されていたみんな大好き三斎様の逸話

2012年07月30日 20:55

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 14:46:23.55 ID:GOW/5i/X
熊本城天守内に展示されていたみんな大好き三斎様の逸話
ものすごく有名なやつで今更と思ったけど、清正公ベタ褒めの中でこれかよと思うと
笑えてきたのであえて貼ります。

以下原文ママ

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 14:52:37.31 ID:GOW/5i/X
ここがスゴいよ!細川忠興
 怒ると怖い?忠興
忠興の愛刀には「歌仙・兼定」とよばれたものがあります。
「歌仙」(六歌仙または三十六歌仙)とは和歌の名人の総称で、刀はこ
れにちなんで名付けられたといわれています。
では、なぜこの刀は「歌仙」になぞらえて呼ばれるようになったのでしょうか?

それは、忠興がミスをした自分の家臣や使用人を、この刀で6人(一説では36人・・・)
手討ちにしたから、といわれています。
戦国時代を生き抜いた忠興は、怒るととっても怖い武将だったのかも
しれません。仕える家臣たちもまさしく「命がけ」だったようです。

以上。





794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 14:58:33.03 ID:Aa25Wzxv
清正が朝鮮役の時に、虎を倒した足軽に金玉って苗字をつけた、って話をきちんと紹介しないと
公正ではないなw

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 15:04:51.91 ID:GOW/5i/X
>>792
本文の長さを調整してたら投稿ミスしてしまいました。お恥ずかしい・・・
炎天下の熊本城を一周した結果がこれだよ・・・

ちょっと37番目の歌仙になってきます。

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 15:45:35.23 ID:rzZNOCkj
それには及びませぬ、暑い中走られてさぞ汗もかかれたであろう。
水をふんだんに用意した故、備中高松城へ参られよ。

雑談・宗教一揆のことなど

2012年07月29日 20:55

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 20:59:46.62 ID:pkMYXoN5
撫で斬りをしてなお恨むことが出来るものが生き残っているならばそれは斬りようが足らぬ

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 21:23:04.23 ID:pJJSAUj+
ガチな話、伊勢長島は本当に無人地帯になったらしいからな

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 23:28:02.34 ID:YPs5bNeK
宗教系の一揆は他宗派の村を襲うからな。
先に一揆勢が他を撫で斬りにしてるから一揆勢を潰すと何も残らなくなる。
天草の時は他の村が頑張って撃退したから完全に無人にならずに済んだ。

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 23:39:09.26 ID:pJJSAUj+
>>732
それはない。明確な敵対関係に入っている場合以外は他宗派の権利や財産を侵害する高位は
行わないのがルール。加賀一向一揆も国内の他宗派を、信仰や布教の自由も含めて完全に保護している。

他宗派というだけで攻撃したのはキリシタンのみだよ。

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 10:39:33.92 ID:bRps1Hqa
法華一揆は?

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 10:55:47.19 ID:dZETt6C6
>>734
法華宗がどういう教えを説いているか知れば
啓典の民の宗教と同じ振る舞いをしても不思議ではない

それ以前に法華一揆(天文法華の乱)は宗教闘争という側面があるから
>宗教系の一揆は他宗派の村を襲うからな。
みたいな一般論化はできないよ



736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 11:10:23.60 ID:bQCh8446
法華一揆もいわゆる一向一揆への危機感から来たもので、攻撃したのも本願寺派浄土真宗とその同調者に対してのみ。
他の諸宗派に対して攻撃・破壊活動はしていない。
後に細川晴元や木沢長政に扇動された比叡山に攻撃されるが、これは宗教というより実際には京都の経済利権をめぐる
争い(比叡山が大資本として支配している京の流通・金融業vs法華の新興商人層)という面が大きかったりする。

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 11:48:33.03 ID:yhS3fnrO
宗教観の戦争って信者の奪い合いで殺し合いを目的になんてしないと思う
ただ弾圧してくる政治家には断固戦うけど

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 12:48:51.24 ID:gOZG/EXP
北陸の一向一揆も、縁戚である政元の要請に従って反政元派の排除を狙った政治行動だったとか

高虎の「ほととぎす」

2012年07月29日 20:54

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 16:47:36.73 ID:IxhoET8D
高虎の「ほととぎす」

藤堂高虎も晩年には和歌をたしなみ、意欲的に創作に取り組んだ。

ある日、帰城した高虎はゴキゲンであった。
「ずっと心に思いとどめておったが、今日、ついに十分に整ったぞ。」
八十嶋道除にそう言うと、四句詠んだ。
そしてさらに
「これは伊達殿に聴いてもらうんだ。」
と、もう一句詠んだ。

なけ聞かん わが領分のほととぎす


これを聞いた伊達政宗は、古今比べるものがないと、再三感心した。
気を良くした高虎は、これを発句に百韻(連歌の一種)を催おし政宗に見てもらおうと八十嶋に提案、
夕食時から初更(午後八時頃)まで八十嶋と二人で吟じあって、記録させた。

さて翌日、脇坂淡路守がやって来た。
「できたてじゃぞー。」
さっそく百韻を見てもらうと、脇坂もひとかたならず感心し、書き写して持っていった。


数日後、脇坂がまたやって来て高虎に言うには、
「あの百韻、花の本昌琢殿にお見せしたところ、
古今にない生きた作品であると頭を振って感心されましたぞ。
句作の参考にと、すべて書き写して持ち帰られた。」とのこと。

高虎はそりゃもう大喜びで、
「で、どの句をそんなに誉めておったのかの??」と
さらに突っ込んだという。
                     (玉置覚書)


手持ちの史料にはこうあるが、ただこの「ほととぎす」は
どう調べても加藤清正の作になっている。真偽のほどはよくわからない。





740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 20:39:32.95 ID:FWAfCW3I
藤堂の 鼻高々の発句して 虎狩武者に とられける

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 20:47:27.01 ID:FWAfCW3I
ちょい語呂が悪いので書き直し こういうのはさっと書いて逃げるべきなんだが

藤堂の 鼻高々の発句して 虎狩武者に 首(しゅ)とられける

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 21:13:25.49 ID:GMrEdJ/g
>>741←このおかた ゆうさいさまの 転生か?

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 21:14:18.94 ID:3BMsO3c2
藤堂高虎を織り込むなら、
鼻高々の→高き鼻して
首とられける→とられける首
な感じで「高」「とら」は最初においたほうがいいかもしれない
自分ではうまく捌ききれなかったけど

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 21:24:17.30 ID:tM1AqnF1
秀吉「どこもかも わが領分の ほととぎす
なかぬならば なかせてみよう」


745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 01:49:09.15 ID:5bfu0Q5k
「鳴かぬなら 分かっておろうな 不如帰」

こうですか?太閤様

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/30(月) 06:38:42.75 ID:ayx0Ezqt
羽柴秀吉が詠んだなら普通に
「じゃあ鳴かせちゃるわ!」
と聞こえるのに、豊臣秀吉だと>>745にしか聞こえない!不思議だね!

腹が減っては戦はできぬ

2012年07月29日 20:53

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 03:29:27.65 ID:wCCV8kBY
腹が減っては戦はできぬ

元亀二年(1571年)、九州大隅の国人である禰寝重長は
摺ヶ浜で島津義久の軍と戦い激戦となった。

戦いは苛烈を極め戦場のどこにいようとも安全とは言い難い状態となった。
そんな中、時刻は昼時となった。

すると長重は、いきなりその場に座り込み平然と昼飯を取り始めた。

心配した家臣が、
「このような場所で危険です。おやめ下さい!」

と言うと、長重は
「古来より腹が減っては戦ができぬという。
それにもし、飯の最中に命を落としてしまうならばその男は所詮それまでだったということよ」

と答え、昼飯を食べ続けたという。

禰寝重長の豪胆な話





767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 06:10:42.44 ID:f/1B3mzs
危険というか迷惑というかw

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 06:28:52.94 ID:CW530lSZ
秀元「お昼ゴハンはちゃんと食べないとダメだよぉ~鮭弁美味いよねぇ」

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 06:41:23.00 ID:CQQ1pKt3
こういう時に弓や鉄砲で狙い撃ちにするのは武士の名折れになるのだろうか
みな悩んだ末に結局誰も狙わないということになりそうな

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 06:53:18.51 ID:n+J2+2oy
直家「あの豪胆な者にこのお茶を贈って差し上げよ。」

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 07:59:28.73 ID:3N4zQMPg
>>769
朝倉宗滴なら迷わず撃つね

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 08:35:49.12 ID:3BMsO3c2
敵前で弁当むしゃむしゃといえば
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4044.html
>謙信は
>「確かにお前の言うことはもっともだ。
> が、人間は死のうと思えは生き、生きようと思えば死ぬものだ。
> 心を集中して動じていなければ、火に入っても焼けないし
> 水に入ってもおぼれぬ、とある人に言われたのだよ」
>そう言って笑った。

宮居眼左衛門と褒美の弓

2012年07月29日 20:53

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 10:24:28.11 ID:bQCh8446
元亀元年(1570)2月下旬、織田信長は近江常楽寺において相撲大会を開いた。
この大会で宮居眼左衛門が一番の成績を治めたので、信長はその褒美として、秘蔵の重籐の弓を与えた。
この弓は山城国伏見の、島田喜内という名人の制作したものであった。
ちなみにこれが、勝ち相撲に弓を与えることの始まりとされる。

ところがこの眼左衛門、その後相撲を取ることをぷっつりとやめてしまった。
信長は不審に思い、その事を眼左衛門に尋ねると、彼はこの様に申し上げた

「相撲というものは、強いものが必ずしも勝つというわけではありません。
自分はたまたま勝利し弓をいただきましたが、次は打ち負け、この弓も別のものに取られてしまうかも知れません。
そして次に弓を取った者が殿様に敵対し、それにて文字通り殿様に対しに弓をひくようなことになれば、
せっかくの私の名誉は空しくなってしまいます。

そう懸念するため、私は相撲を取らないのです。」

信長はこの言葉に納得し、以後、褒美として弓を渡すことをやめたという。

(古今相撲大全)

ちなみに安土城跡の西側には、今も「眼左衛門」と言う地名が残っている。
これは宮居眼左衛門が信長の家臣として、屋敷を与えられた地であるという。

そんな信長の相撲取り、宮居眼左衛門のお話。




774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 17:05:56.12 ID:gh6mgBPh
相撲取りに弓あげても活用してくれなさそうな気が・・・
まあ、名誉の品で実用性は二の次ってことなんだろうけど。

てか、眼左衛門ってすごい名前だな。
どんな目してたんだろw

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 20:48:10.38 ID:gOZG/EXP
>>774
弓は手近なところにあったからじゃないのかな

信長はけっこう相撲取りを召し抱えてるよね
本能寺でも殉じてるのがいた気がする

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 21:05:16.27 ID:LYh5x/En
まぁ、当時の大力で勇猛な男で戦場に出てない奴なんていないだろうし。
腕っ節しか取り柄がなくても、武将の護衛とかには使えるだろうし。

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 21:29:10.70 ID:qmElIRHf
腕っぷししか取り柄がなかったら太い棒与えて振り回させれば陸戦型モンスターに

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/29(日) 21:49:11.68 ID:DZ7Dn8uv
>786>腕っぷししか取り柄がなかったら太い棒与えて振り回させれば陸戦型モンスターに
思慮がまったくない鮭様ですか?

789 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/30(月) 09:07:07.85 ID:uIG/xTnR
>>773
弓取式のWikipediaで信さん起源が思い切り否定されてて笑った

文禄四年、秀吉が長政を甲斐に封じて曰く

2012年07月28日 20:59

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 23:55:28.73 ID:OzNrzMCi
豊臣秀吉はかつて浅野長政とともに、浅野長勝の世話になっており、
ある時に二人は約して兄弟の間柄となった。

秀吉が出世するに伴って長政は軍国の政務を掌り、吏民の心を得た。
文禄四年、秀吉が長政を甲斐に封じて曰く

「お前とは兄弟であるのに、こうして天下の君主になっても
大国を与えてやれないのは本当に恥ずかしく思う。
しかし、それも天が定めたことだから恨まんでくれよ」

長政は深くその恩を感じ涙を流したという。




701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 23:58:42.99 ID:r171e/L+
天=太閤様ですねイイハナシダナー

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 00:21:08.87 ID:62+fNDCc
天は太閤様に逆らう根性の持ち主を創造しなかったでFA

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 00:36:03.23 ID:v/Dk2uxP
いろんな意味にとれるよね、その涙

秀吉が天下を取ったあと、黒田如水が天下の取り方をたずねたことがあった

2012年07月28日 20:58

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 00:36:46.88 ID:EsVTMv8y
業界誌というか、業界同人誌というか…
おえら方が一席ぶちたいという欲望をかなえるために
血税で作製され関係部署に配布される
くだらないエッセイが載ってる冊子なんだが…

なぜか秀吉の話が載ってた。

後の太閤秀吉、木下藤吉郎は、信長の命を受け、竹を調達したり、炭を節約したりした。
職人を組に分けて競わせたり、余剰分を元手に自分の軍用を揃えたりして

その働きぶりは信長をして
「駿馬に荷駄を引かせるようなものであったな」と言わせた。

秀吉が天下を取ったあと、黒田如水が天下の取り方をたずねたことがあった。

秀吉「別に難しいことはない。目の前の仕事に懸命に取り組んでいただけのことさ」

ちょっと書き手の心情が見えていやらしい気もしますが、
秀吉が言ったと想像するとかっこいいので書いてみる。




705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 00:57:01.71 ID:BdE5jZdf
同僚と夢を語り合ってる際に、周りが国主だなんだと大望を述べるなか、秀吉だけは
少しだけ俸禄があがればいいとか言ってたような
欲がないと笑われると、確実に実現できる目標を夢にして、それを繰り返して
着実に上へ昇るんだとかなんとか

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 01:04:29.50 ID:hpvHk+eb
誰の下で働いてるかにもよるよね、信長に仕えてるから目の前の仕事をとにかくこなしていく事が
大事だと思ってても
別の所で仕えて上がヘボかったら『燕雀いづくんぞ~』とかデカイこと言って出奔してたかもしれんし

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 02:03:42.18 ID:HsaQwquO
実際秀吉は織田以前に今川に仕えていたわけだしなぁ

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 02:52:32.60 ID:aw5KqHKH
義昭公も目の前の仕事に懸命に取り組んでおられたのだぞ!

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 05:44:39.01 ID:tgIsd5+9
義昭公はいいんだよ足利将軍として成すべき事をやったんだから
あそこでそのまま傀儡に甘んじてたら問題だ

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 08:47:16.28 ID:AvJVL4yX
確かに書き手の意図が前に出過ぎてて気持ち悪い文章だな

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 09:05:46.91 ID:iByU6E0i
義昭公に足りなかったのは剣技の腕前。

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 09:09:48.47 ID:k0tuG//F
義輝「そんなふうに考えていた時期が俺にもありました」

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 09:10:58.81 ID:PcS3niN6
この話とちょっと似てる
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-904.html

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 09:23:19.48 ID:s/bsdWtf
目の前の仕事がなくなったので唐入りしてみました
目の前の仕事がなくなったので女遊びを始めました

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 12:33:52.68 ID:sMo/1Me7
毛利元就「天下を願ってこそはじめて安芸一国が保たれるはずなのに」

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 12:44:17.42 ID:ylhSgVVb
>>714
女遊びに関しては、目の前の仕事の合間を縫ってちょくちょく遊んでただろ―
じゃなきゃねねと信長の手紙が残らないからな

始めたのは女遊びじゃなくて、虐殺

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 12:59:08.02 ID:koBJB9px
>>715
やはり世界制覇をめざすべきだったのだ

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 14:03:09.21 ID:FIaPbqjl
>>716
虐殺も昔からだな。
中国攻めの時とか結構酷い事してるよ。

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 16:41:58.22 ID:jKcdyXnU
なんてったって織田家だからなぁ。勝家も光秀も信忠も虐殺たくさんやらかしてるし。
大規模なヒドイ虐殺やらかしてないの家康ぐらいじゃないか。って織田家じゃないけど。

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 16:51:39.43 ID:1QLSuGI0
まあ家康の場合はそれでも独立大名だから、あまりひどい虐殺したらあとの統治に響くけど、
信長の部将でしかない秀吉たちの場合はそういう責任がないからね。信長に成果さえ見せればいい。
なので恐怖戦略を取りやすかった。

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 17:11:31.72 ID:FIaPbqjl
>>720
新しい国へ攻め込む時は、最初に恐怖を印象付ける必要があるから
どの大名も撫で斬りくらいはやるよ。

家康だって三河、遠江の頃にはやったしね。

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 17:18:09.39 ID:1QLSuGI0
>>722
程度問題ね。家康はさすがに一郡や一国規模で死体だらけ、なんてなで斬りはやっていないし。
まあそこまでする権力も兵力もなかったから物理的に不可能でもあったがw

轟木長右衛門とその妻妾

2012年07月28日 20:58

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 21:35:47.59 ID:bUdKwb22
轟木長右衛門とその妻妾1/2

陸奥国和賀郡笹間の領主轟木長右衛門は、奥州仕置後の和賀氏没落後、その主人を和賀氏から南部氏に変え、
関ヶ原の際に南部領で起きた岩崎和賀一揆の時も
他の者達が旧主和賀忠親につく中、南部氏に仕えて岩崎城を攻め、その命脈を保ち、安定した生活を送っていた。

この長右衛門にはひとりの愛妾がいた。この妾を、長右衛門はことのほか溺愛していた。
面白くないのが本妻である。最初は我慢もしていたが、次第に嫉妬の気持ちが芽生え
遂に妾を陥れようと画策した。

ある日、本妻は夫を誘って清水観音に参詣した。と、境内の大杉をみると、
その木に釘で打ち留められた髪の元結いがぶら下がっていた。
首をかしげる長右衛門に、本妻は言葉を掛けた。
「これまで何度か申し上げようと思ってはいましたが、女ずれのはしたないことと思われてはと
そのままにしておりました。貴方の妾は、家臣の某と懇ろな仲になって、貴方様のお命を縮めようと謀っています
これ、このようにもとどりを打ち付けて祈念をこらしているよしにございます。ゆめゆめご油断あそばすな」

長右衛門は、この時はただのやきもちから来る言葉だろうと聞き流したが、
本妻はその後も折に触れて妾の行いの疑わしいことを夫に告げ口し続けた。
長右衛門も、何度も聞かされるうちに疑念の心が浮かんできて、それとなく愛妾を疑うようになった。

秋頃のこと、長右衛門は本妻と妾を連れて将軍寺という菩提寺に仏参した。
寺の本堂で誦経が終わり、焼香を終えて別間で休息している時、本妻が耳打ちした。
「妾のたもとになにやら怪しいものが潜められている様子。取り上げてごらんになっては・・・」
妾は呼び寄せられ、長右衛門の言いつけに不審に思いながらも自分のたもとを探ると、一枚の板札が出てきた。
それには墨で「轟木長右衛門」と書かれてあり、その上を何度も踏みつけられた跡がある。

怒った長右衛門は詰問するが、妾は全く覚えのないことで答えられない。
それを見ていた本妻が
「それは言えぬも道理。その板札こそは、そなたがそれが家来の何某と密会するたびに、泥足をもって
踏みつけるといううわさのものに違いない」

それを聞いた長右衛門は烈火のごとく怒った。
「おのれ、よくもこの長右衛門をたばかったな!」
彼は傍らの太刀を抜くと、動転している愛妾を斬りつけた。
「ぎゃあーっ!」
悲鳴を上げて敷居ぎわに愛妾は倒れ伏せる。鮮血はふすまに飛び散り、床を真っ赤に染めた。
思わぬ修羅場に住職も家臣たちも声を飲んだ。


755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 21:36:44.96 ID:bUdKwb22
轟木長右衛門とその妻妾2/2

それから21日後――三七にあたる夜のこと。
その日は天気も良くなかったが、夜にはいって風が吹き出し、ざわざわ落ち着かない様子だった。すると
「ぎゃーっ!」
どこからか大きな悲鳴が聞こえてきた。
書き物をしていた長右衛門が何事かと立ち上がると、吹き込んできた風がろうそくの火を消し、
とたん、血の臭いがあたりに漂った。そしてまた、
「ぎゃーっ!」
と、暗がりから悲鳴が聞こえてきた。
長右衛門も恐ろしくなり、「たれかある、灯りを持て、灯りを――」と狼狽したという。

またその翌日の夜。
長右衛門の本妻が侍女達と雑談をしていた時、侍女の一人が悲鳴を上げた。
月明かりに照らされた障子戸に、ざんばら髪を振り乱した女の影が映っていたのだ。
本妻が意を決して障子を開け放つ! が、人影はない・・・。
「ほっほっほっほっ・・・」
虚空から気味悪い悪い笑い声が降ってきて、生臭い風がさあっと吹いた。

そのまた翌日の夜。その日は雨が降っていた。
本妻とともに眠ろうとした長右衛門が服を脱いでいた時、雨がいっそう強く振ったかと思うと、
部屋が急に薄暗くなって、やがて青白い光が立ち込めた。
「ひいっひいっひいっ・・・」
不気味な笑い声がする。天井を見ると、顔面を血まみれにした愛妾が天井に張り付いて、
口を耳元まで開き、長い髪を振り乱して、恨めしげにふたりを見下ろしている。
長右衛門が床の間の刀掛けに走りよって太刀を握ると、亡霊はすっと消えた。

――以来、亡霊は毎日のように城内に出現した。家臣や侍女達はすっかり怯えてしまい、
口実をもうけて次々に暇を取っては去っていってしまった。

そして秋も終わりの頃。
さすがに長右衛門もすっかりほおの肉が落ち、恐怖と不安でイライラしながら暮らしていた。
城内の静けさが気に触り、彼は太刀を持って妻の部屋まで行くと、本妻の声がする。
「ああ、苦しや。そこを放せ、ええい、放さぬか――!」
長右衛門が障子を開けると、なんとそこには本妻の衣装をまとった愛妾がいて、虚空を睨んでいる。
長右衛門が思わず刀の鯉口を切ると、愛妾の顔はたちまち消えて、本妻の顔が。
「ああ、苦しや。まこと、わらわがそなたを落としいれようと濡れ衣を着せ、夫をたばかったもの。
わらわの奸計よ。ああ、苦しや。こう白状したからには、そこを放せ、放せい――」
妻はそう言いながら床の上を転げまわっていた。長右衛門は呆然と立ち尽くすほかなかった。
その4・5日後、本妻は狂ったままこの世を去った。

そして長右衛門は日夜を問わず亡霊を見るようになった。薬も祈祷も効く事はなかった。
そしてやがて雪が降り始める頃。
長右衛門の目に、妻だけではなく、岩崎の戦いで戦い殺したかつての仲間――和賀氏の何某や何某の首を
見るようになった。彼らは空中から降りてきては床に下りてきて、長右衛門を睨みすえ、
そして小気味よさげに高笑いしては消えていった。

その年も暮れぬうちに長右衛門は死んだ。彼に子はなく轟木氏はここに断絶。
その城館も取り壊され、わずかに土塁が残るだけだという。





757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 22:49:51.38 ID:Na0wy1Uf
暑い夏こそ相応しいちょっと悪い話だね

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 23:40:07.67 ID:/0XdNYsw
鬼武蔵なら気にしないんだろうなw

大谷吉継計策

2012年07月28日 20:58

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 07:53:52.33 ID:1QLSuGI0
関ヶ原戦役の時のこと

中川宗伴(光重)は故前田利家の娘婿であり、当時上方にあったため、上方よりの情報を金沢の前田家に送った

『今度上方一面に蜂起して、内府(家康)の味方する輩を討ち果たすべき為に国々へ手遣いあり。
殊更丹波・丹後・若狭の軍勢数千人御領内宮腰へ兵船を進め、大谷刑部少輔(吉継)、諸将を帥いて、此の口より
加州へ発向の用意夥し。御用心あるべし。』

そのうちに金沢の安否をおぼつかなく思い、直接加賀まで向かったが、越前の今庄まできたところで大谷吉継によって
捕まってしまった。

吉継は宗伴に
「其の方、何の用があって加賀に下るのか?」
と尋ねると宗伴は、『あなた方に気をつけるよう警告するためだ』とは言えず

「は、はい。今回(前田)利長が、内府の味方をするという風聞があります。私ごときが言うのもどうかとは思いますが、
御幼君(秀頼)を見放される様でいかがなものかと思い、さればその考えを覆し、上方(西軍)の要求に従うべきだと、
強く諫言するために加賀に下ろうとしたのです!」

吉継、これを聞いて頷き
「いかにも御辺の言うとおり、利長卿がもし父の遺言に背いて御幼君の秀頼公を見捨てられるのなら、彼の行末、
どう考えても目出度い事にはならないだろう。願わくば先非を改められ、宇喜多秀家・毛利輝元と同じように、天下の
御為を成して頂きたいものだ。

もし御老母(まつ)を江戸においているため、一筋に御忠節を行うことが難しいというのなら、せめて金沢から
動かず天下が治まるのを待っていても、前田の御家は恙無いだろう。
それなのに利長卿は軍勢を率いて小松・大聖寺の城を攻め落とし、そこから当国に乱入するという声も聞こえてくる。
もし風聞のとおりなら、偏に前田家の滅亡を招くものとなるだろう。
例えその方があちらに行って、言葉を尽くして諫言しても、おそらくその甲斐はないだろう。
…そこで、だ」

吉継、声色を変えて
「其の方、ここで私のいう通りにはかりごとの書を書き、利長卿の陣所に送れば、彼が軍勢を金沢に
軍勢を引き返す事、疑いない。
その上で加賀に人を遣わし、其の方の誤り無き趣、又は御亡父の志を継ぎ御幼君を守り立つべしと
理を尽くして申し送れば、どうして承諾しないことがあるだろうか?これほど解りやすい理屈を、お主、
もしこの書を書くのを辞退するというのなら、最前に言ったことは我々を欺くためのものだと判断する!
そうでないのならさあ、今ここで筆を取れ!!」

そう言って硯と料紙を出した。そんな状況で宗伴も断ることが出来ず、吉継の言うままに書をしたため、
それを利長に送った。

前田利長はその書を見て驚いた。間違いなく宗伴の筆跡であり、また彼は利長を謀るような人間ではない。
それがどうしてこの様な内容の書状を送ってくるのか?
利長は判断がつかず、弟の能登守、その他老臣達を集めて評議をさせた。
そして、吉田保馬一人は反対したが、その他は全員、金沢に御帰陣あるべしと諌めたため、
利長もそれを受け入れその日、軍勢を大聖寺へと後退させた。

大谷吉継計策、という逸話である
(関原軍記大成)




760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 08:27:51.12 ID:0eHGz4i8
さすが吉継、利長じゃこの程度だろうな

雨の降る日は天気が悪い 伊達政宗 

2012年07月27日 20:51

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 13:28:53.78 ID:Er1BtRa/
雨の降る日は天気が悪い 伊達政宗 

『ある日、沢庵和尚は千代田城に赴いた折、名うての荒武者伊達政宗に会つた。
政宗が 「雨の降る日は天気が悪うござるが、どうしたものでござるな」
沢庵和尚はヂツと政宗を見た、政宗は瑞厳寺の和尚に參じて禅も出來た武士である。
「左樣、雨の降る日は天気が悪う御座るな」  と同じやうなことを沢庵も繰返した。
     
ある日鷹狩の帰りに一天俄かに掻き曇り、雨は篠を突くやうにザアザア降つて來た。
政宗も家来も濡れ鼠のやうに、眼もあてられない。すると今まで野良かせぎをしていたらしい百姓が

『雨の降る日にや天気が悪い‥‥』と大声で唄つて行つた。

その時、政宗は百姓の声を聞いて「ははあ、ここだな」と、初めて沢庵禅師の言葉の意味が分つた。
その時の彼の心持は家来共が雨に濡れて困つている樣子を見て気の毒に思ふ憐みの情以外の何物でも無かつた。
つまり我を捨てたのである、我を捨ててこそ会得が可能なのである。‥‥』

出展は青空文庫の土井晩翠 「雨が降る日は天気が悪い」 ※一部旧字体を新字体に読みやすく変更しました。
(土井自身の引用先 昭和五年十一月刊行、谷至道さんの著『禪の極致を洒脱に説いた澤庵和尚』から拜借)

自分も濡れて大変なのを顧みず、同じような状態の部下を心配する。 即ち『生仏一如』の境地の会得という事か

ことわざ『雨が降る日は天気が悪い』を調べてたら出てきて結構知られている話だそうですが、まとめになかったので
わかりやすい現代文は『雨が~ 伊達政宗』でggrば、親切な解説のサイトがたくさんヒットしますのでそちらをどうぞ

ことわざの意味は 当たり前のこと、わかりきったことのたとえ。
           当然のことやわかりきったことをもっともらしく言う人に対し、皮肉を込めて言う場合に用いられる。


沢庵和尚は政宗に対して、禅の境地を説いたのか嫌味で返したのかは謎のまま…




682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 14:08:27.58 ID:sgZiDIYP
血の雨降る日は殿の機嫌が悪い

683 名前:37人目[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 14:21:28.74 ID:/0XdNYsw
よそ見するからさ、38人目さん

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 17:09:37.98 ID:bvC0d4g5
人は殺されたら死ぬ

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 18:11:13.97 ID:RRgjrRC5
>>681
沢庵さんの場合どっちもありえるから困るな

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 19:05:42.67 ID:HU47Z6sq
>>681
つまりそれまでは自分のことばかり考えていたと・・・

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 20:07:11.84 ID:vMUBXukK
>>681
思わせ振りに世(余)を惑わすクソ坊主めがっ!!
って斬るのかと思った

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 22:19:47.38 ID:AICw+2kW
私見だが政宗にとって頭が上がらないタイプは優れた教養を持っていて、
硬骨で厳格さと包容力を兼ね備えた人
師匠たる虎哉宗乙などドンピシャじゃないだろうか

沢庵さんは政宗にとってとても値踏み出来るようなタイプでは無さそう
個人的には素で禅問答になったような感想を抱いた

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 22:52:28.13 ID:DlPLVeFz
秀吉に妙に懐いていたみたいだが包容力に惹かれたのかな

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 23:45:13.66 ID:/0XdNYsw
ラスボスに懐いてたように見えるのはさすがにヤバイ相手って思ったからじゃないかとw

朝鮮役の時、黒田長政は全義館に在陣したことがあった

2012年07月27日 20:51

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 23:38:00.52 ID:59T/Ispl
朝鮮役の時、黒田長政は全義館に在陣したことがあった。
そのある暁に陣中が騒がしくなった。

長政は「敵は早朝を狙って来たか」と思い、甲冑を着て楼に登って辺りを見回すと、

大きな虎が馬小屋の馬を噛み殺して狂いまわっていた。誰も虎に近づけない
ところ、菅政利が刀を抜いて立ち向かった。飛び掛った虎を引きはがして

腰を深く切りつけた政利だったが、虎は前足二本でしっかと立ち、ますます
猛り狂って政利も危なくなった。

そこに後藤基次が助けに入り、眉間を切り割ると、二刀で虎は絶命した。

一部始終を見ていた長政だったが、殊の外不興になり「一手の大将ともあろうものが
大事の役を持ちながら、畜類と勇を争うとは不心得なるぞ!」と叱り飛ばした。





742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 23:58:08.26 ID:nIE25o4Q
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-626.html
こっちだと菅さん一人で頑張ったことに
ついでに南方熊楠「十二支考 虎」ではその刀に林羅山が「南山」とつけたとか書いてた
http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/526_28258.html
(京劇「周処除三害」の元になった逸話では三国志演義にも出てくる周魴の息子、
周処が南山の白額虎を退治している)

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 11:30:17.85 ID:4v0nmErx
>>740
なんか普通に流されてるけど虎を刀でぶち殺すとか相当な人外だよね

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 19:00:53.53 ID:HU47Z6sq
>>748
まあ当時は普通に日本刀で人馬区別なく切り伏せてしまうくらいだから。

加藤清正の家臣の中にキリシタンの若者が一人いた

2012年07月27日 20:50

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 19:34:20.30 ID:7qWmZT9T
 加藤清正の家臣の中にキリシタンの若者が一人いた。朝鮮出征の最中にこの若者が気分を害する
発言をしたため、清正は若者に切腹を命じたところ、キリシタンの掟は自害を禁じられているので
若者は拒否した。すると清正は「切腹を拒むとは臆病と弱虫の証拠である」と言って、若者の胸を
槍で貫くよう他の家臣たちに命じた。(続く)

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 19:37:39.68 ID:7qWmZT9T
>>751の続き
若者は「私が朝鮮における数々の激戦で何ら恐れを知らなかったことは殿も御承知であります。
しかし、今は反対に刀を捨て十字の印を天に捧げて、以前のような勇気を
失ってしまったことを殿に知ってもらいたいのです。私は首を差し出しますので、
お望みなら刎ね落として下さい」と答えた。(続く)

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 19:41:22.33 ID:7qWmZT9T
>>752の続き
 加藤清正は若者を処刑してしまったが、後になってその行いを後悔してこう言った。
「キリシタンたちもまたその名誉を守るために戦うが、他の人々とは異なっている」
(1596年度イエズス会年報補遺)





雑談・死亡フラグ集

2012年07月27日 20:50

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 13:29:54.12 ID:iW9OmFev
戦国時代の死亡フラグって三歳さまのとこでよそ見をする、鬼武蔵に立ちはだかる。うっきーの茶を飲む、病気の鮭さまに呼ばれる。他何があったっけ?

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 13:47:15.19 ID:zMmoNLL4
松永久秀と仲良くなる。
三河武士に反論する。
政宗の前に陣取る。

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 14:15:11.90 ID:2N1wqhhY
竹千代くんの鷹が迷い込んだ時に常識的な範囲で咎めるくらいで十分だろうに勢いでdisる

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 14:49:08.60 ID:uMDCdKr9
帰雲城で宴会をする
病気の家族を見舞いに行く

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 15:01:17.62 ID:7uT4Rbk/
越前の狂犬の同僚になる

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 17:29:23.09 ID:Q3DXuDNQ
宇喜多直家の縁戚になる

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 17:49:28.90 ID:LWhAbu45
逆に芸術的な死亡フラグ回避は?

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 17:52:35.57 ID:Q3DXuDNQ
甥を自害に追い込む by有楽斎

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 18:03:50.72 ID:zMmoNLL4
致命的な負け戦ばかり繰り返す。んで俺は退かん!ここで◯×の首をとってやるううぅうぅうう!と叫ぶ。

撤退中に饅頭を無銭飲食する。

うーん。やっぱ戦国だからふっと死ぬことはあっても絶体絶命で生き残るのはきついな。

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 18:59:42.35 ID:eUUJ6iG5
本能寺のみならず大阪の陣やら、長益様の渡世術は最早芸術だな。

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 20:07:37.81 ID:ARHQDa+N
>>722
小早川隆景に死の予言をされる。
厳島神社に身代わりの願掛けをする。
少弐家の当主になる。

>>728
秀吉と仲良くなる。

735 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/26(木) 20:42:57.67 ID:px4YSSb4
>秀吉と仲良くなる。
各DQNとのデスフラグを回避するためにラスボスとの親密度をあげる・・・
ENDが楽しみです^^;

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 20:55:54.08 ID:LWhAbu45
>>735
宗匠とゲヒ殿が浮かんだけど、この2人…

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 20:58:27.86 ID:zMmoNLL4
主人公「秀吉公の後継者である関白さまとも仲良くなっておくか・・殿下もそろそろお先がないでのフッ」
→GAME OVER
政宗「だと思ったか!?DQNとのデスフラグを回避するためには、DQNになればいいのだ!」

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 21:08:16.75 ID:nIE25o4Q
死亡フラグ集
すてがまりで大将を狙撃
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6519.html
松永弾正の話に乗る
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1384.html
宇喜多の娘を嫁にもらう
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1432.html
全盛期のラスボスをディスる
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-763.html
鬼武蔵に関わる
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2522.html

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 23:02:34.40 ID:xaj/wU7p
>>722
あちこちから養子をとる(細川政元、他)
主君の屋敷の風呂に入る(太田道灌)
大田原一族と敵対する(那須家の皆さん)

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 23:39:09.29 ID:eUUJ6iG5
>主君の屋敷の風呂に入る

工場長がとても悲しげです、謝ってください

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 00:04:40.28 ID:ceAp0aD5
>>730
上杉景勝「これもうダメだろ…まあいい死んでも悔いはない最後まで戦ってくれる」
=相手が帰るフラグ


744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 00:32:59.52 ID:xS+6mxRc
兼続「と殿がおっしゃっております。」


745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 03:53:22.56 ID:vcWo9dTU
死亡フラグ立ってるのに回避フラグ

『腹痛を装って厠の××に潜って逃げ出す。』
『小豆を入れた袋の両端を結んで貰う。』
『干し柿を食べない。』


746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 04:05:45.56 ID:sgZiDIYP
石田治部少輔が病膏肓に入った様です

ある人が甲州を訪れ、国中を見て廻ったところ

2012年07月26日 20:55

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 18:52:46.32 ID:Ynb3pVaw
ある人が甲州を訪れ、国中を見て廻ったところ、片田舎とは思えないほど
立派な家や、住民の富んだ様子を見てとった。

「これは一体どうしたことだ。何故このように豊かなのだ」と地元の人に問うと、

「このあたりは土地が悪く、昔は雑穀さえ実らないほどの有様でしたが、
浅野弾正少弼殿(長政)が当国を治められた時、

『この地は耕作を止め、栗の実を育てて林にすれば利益が出る』と仰せられ、
その通りにしたところ、やがて樹林となりました。

そうして栗の実を食用に、木を材木として江戸に送るようになり、今ではこんなに
豊かになりました。まことに弾正殿はすばらしい仁者です」とのことだった。




621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 19:51:34.49 ID:2RrZYhBW
それまでの為政者は何やってたんだろう?

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 20:10:55.91 ID:/IrlmrJ4
それまでの為政者って武田信玄、勝頼、鳥居元忠、平岩親吉、大久保忠世あたりか・・。
みんな武骨だったってことかなぁ・・。まあ豪族の領土だったのか。

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 20:17:30.68 ID:I1TaP2FN
実が採れるまで面倒見てもらえる余裕、すぐそばの巨大な木材消費地
大きな要因はこの2つが生まれたことではなかろうか

山科言継の岐阜下向

2012年07月26日 20:54

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/26(木) 19:17:39.47 ID:tkKQMCCS
永禄12年11月8日、権大納言・山科言継織田信長の居る岐阜へと下った。
12日、岐阜に到着する。以下、言継の日記より

「武井夕庵に澤路隼人を遣わした。夕庵は、『奏者の事は解りました。信長様は現在の京の状況をよくご存じないのです』
というようなことを言ったそうだ。

次に朝山日乗上人、坂井文介らに遣いを出した。文介は疲れて寝込んでいるということだった。

日乗の宿舎に向かうと、門前でばったりと出会った。そのまま談合のような形になり、私の用件の
あらましを語ると、日乗は「後で、かねて岐阜に下向している三条大納言(実澄)と話し合いをする
用件があるので、ご一緒に同道しませんか?」と言った。

(後略)

光雲の所で食事の振る舞いを受けた。それにしても今の美濃は、悪銭のために商売が停滞し、
酒なども手に入らないのだという。

三条亜相の宿舎を訪ね、稲葉貞通の所にいるのでそこに行って、信長と対面することを話し合った。」

13日
「まだ弾正忠(信長)に奏者を送っていないのに、今日鷹山からの帰りに、門前で出会ってしまった。
そこで私が岐阜に来た理由を少し話した。その後、戌の刻(午後8時頃)に松井友閑が信長の
遣いとして来て、私が岐阜に来たのは勅使としてか、それとも私的なものなのか、その立場を教えて欲しい
とのことだったので、私的な訴えで来たのだと申し渡した。」

(後略)

14日
「黄昏時になって弾正忠(信長)より、好斎、武井夕庵の二人が遣いとして来て、銭二千疋を贈って来た。
信長からの伝言は『只今、京都の方のことは何も解らないので、この春過ぎの上洛の時に、知行の分配を行うよう
申し付けるつもりです。ですので、先ずそれまでご堪忍をしていただきたい』とのことであった
(只今者京面之儀、万事不存之間、春過上洛之刻、知行分可申付之、先其刻迄可堪忍之由被申之)
その日は返事を出さず、夜半ばかりに宿所に帰った。それから先の好斎の所へ礼に行き、銭二十疋を
遣わした。」

(言継卿記)

岐阜での信長側近たちとのやり取り、また美濃が、悪銭の影響を受けて非常な不景気になっていたことなど
(これは岐阜をバビロンと呼びその繁栄を報告したフロイスの描写との差が面白い)
当時の岐阜の空気がよく伝わってくる記録である。





749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 13:15:32.28 ID:kfiNQJ4u
>>733
ほんとは家康のところに法会の資金を無心に行く予定だったんだよね
信長に扇子5本プレゼントして、家康の分と合わせて法会の金2万疋貰ってほくほく顔で帰るんだよなあ
出かける前は言経に神楽の秘曲・灌頂の所作を聞かせて奥義伝授するほど悲壮だったのにさ

週刊ブログ拍手ランキング07/18~/25

2012年07月25日 20:51

07/18~/25のブログ拍手ランキングです!


尼子経久と松吉 93

上林竹庵、籠城す 83

名ドラマー伊達政宗、その師匠の名を… 78
立花宗茂ちょっと良い話  赤館 54

DQNは関ヶ原で 51
「黒田家譜」の毛利輝元の扱いが酷い件 50

春日局が急ぎの用あって夜中に駕籠を早めて登城した 40
甥っ子との約束は破るもの 39

細川忠興の石垣感 34
小松山合戦の関東武者 34
黒田長政「父上がおらぬ時は、」 31

鈴木右近はケチだった。三話 29
上林竹庵は喜びの余り手先が震え 27
駿河にて徳川家康が大久保彦左衛門と久々に会ったので 26
雑談・信康事件のことなど 26

細川幽斎という人は高ぶる気性のない人であった 23
戯れに奴の馬鍬を 22
平野権平「貴殿の家中になると」 22
合計 1172



今週の1位はこちら!尼子経久と松吉 です!
なんとも後味の悪い、やりきれない、しかし色々と考えさせるお話ですね。
経久が一貫して清々しいのが救いというか…
現代人こそ、こういう逸話から、何かを感じて行かなければいけませんね。

2位はこちら!上林竹庵、籠城すです!
上林竹庵さん、今週は他にも
上林竹庵は喜びの余り手先が震え
がランク・インしています。
三河者をもたじろがせる、実に印象に残る、面白い人物ですね。この時代らしいといいますかw
そしてコメントにもありましたが「綾鷹」にも繋がりがあるんですね。こういうのを見ると、
歴史というものが現在にまで連続していることを改めて確認できて、何だか嬉しくなっちゃいますw

今週管理人が気になった逸話はこちら!鈴木右近はケチだった。三話です!
良い、実に良いwもう大好きなタイプの武士です。武士はこうでないといけないw
個人的にこういう、なんとも扱いづらい性格がわらわら居たのがこの時代、などと
勝手にイメージしてたりしますw
それだけに主君というのは大変だったとも。きっと信之さんも寿命を縮められることも多かったでしょうねw

今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました!いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!

そして、いよいよ始まりました第1回・戦国女性キャラ投票
皆様どうぞ、投票をよろしくお願いします
( ´ω` )

金沢城にて、両名のわざのほど

2012年07月25日 20:51

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 00:37:13.42 ID:fw9TA9L3
金沢。前田家お抱えの甲冑師が作る鎧は堅剛無比と評判だったそうです。
ときに、ある刀鍛冶が金沢にやってきて評判になりました。
その鍛える刀は鉄石といえども泥のごとく両断せりと、言われたそうです。

ある人いわく「子の矛をもって、子の盾を突かば、いかに」

違うよ! 韓非子は『矛盾』の話じゃありません。
でも結局は似たようなことがあったんでしょう。甲冑師と刀鍛冶は互いに意識し、やがて公然とした不仲になりました。

さて、噂を聞いた加賀公…3代目前田利常ということですが…
( @π@)y─┛~~「「余が裁定してつかわす」

金沢城にて、両名のわざのほど、その対決を披露することになりました。
甲冑師、台の上に最高の出来の兜をすえ、刀鍛冶は同じく最高の出来の刀をもってそれに臨みます。

刀(;`д´)「ぬぅぅぅぅぅ……」
大上段に構え、一撃に全てを叩きつける思いで、気迫を込めてゆく刀鍛冶。

冑( ;゚Д゚)。。。(すげえ気迫だ。これは…負ける?)

刀(;;`д´)「てぇぇー」

冑( ;゚Д゚)「あいや! 兜が曲がっており申す。すえなおすので暫時お待ちを!」


刀(;;`д´)「えっ…?」

一時中断…兜をすえなおして…

刀( `д´)「てやー!」 ペチーン

渾身の気迫を削がれた刀鍛冶、とても兜を割ることはできず、弾かれてしまいました。

刀( `д´)「ふ、不覚…………ンヤーッ!」
憤りのままに、もう一度振り下ろした刀は、なんと、たまたまそばにあった青銅の大水盤を真っ二つに切り裂いてしまいました。

( @π@)y─┛~~「うむ。両名とも、見事である」

戦い暮れて…

冑(  ゚Д゚)「戦いには勝ったが・・・勝負には負けた!」

甲冑師はその夜逐電してしまったそうです。

やがて甲冑師は刀鍛冶に転身、修行を積みなおし、近江は長曽根村で
その名を後世に伝えることになる長曽根虎徹として再登場したということです。




597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 01:07:25.43 ID:dsY+zEn4
Simple is best

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 04:13:51.97 ID:8GRbEXv0
平和になると甲冑師は失業するんだっけ
五月人形やフィギュア制作なんかでは生活に困るんだろうな

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 05:36:31.34 ID:dytNYmpf
利常がとんち利かせる話かと思ったら普通に真剣勝負だったでござる

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 07:40:39.84 ID:v3ikj57y
近藤勇の虎徹は偽物だったらしいね…

板倉勝重と焼死体

2012年07月25日 20:50

板倉勝重と焼死体

板倉勝重


603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:14:19.47 ID:Sk8GYf3p
徳川の家臣、板倉勝重が京都所司代に就任する以前の話
ある日、勝重の近所で火事があり、焼け跡から一人の男の遺体が発見された。遺体はその家の住人のもので
官憲は火の不始末から火事を起こし、逃げ遅れたものと判断したが、勝重だけは「これは殺された後に
犯人が火をつけた」と主張した。(続く)

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:17:07.98 ID:Sk8GYf3p
>>603の続き
官憲がその理由を訊くと「生きている間に火事にあったのならば呼吸で鼻の中に煤が溜まっているはずだが全然ない。
殺された後に火をつけられたとしか考えられない」と勝重は答えた。
ほどなくして犯人が捕まり、勝重の推理どおりだったのが明らかになったので皆、その知恵に舌を巻いた。

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:52:47.09 ID:fpYmWtwa
科総研の男-板倉勝重-

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:56:48.90 ID:8GRbEXv0
官憲の無能な話しという気もするな

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 12:03:44.61 ID:x9Qp4SZD
自分自身で焼けた遺体の鼻の穴の中を詳しく調べたのか?凄いな。

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 12:19:40.91 ID:S5hYxbOw
>>607
官憲A「あーこれは火の不始末だね~(たりーし手続き終えてさっさと一杯引っかけようや)」
官憲B「左様に相違ござらんな(しからばついでに茶屋じでも…ムフフ)」

勝重「だがちょっと待って欲しい
官憲AB「」

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 12:38:05.77 ID:Sk8GYf3p
板倉勝重は37歳まで永安寺の僧侶だった。葬式で数多くの死体を見てきたので
いつのまにか検死がうまくなってしまったそうだ。

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 14:12:52.13 ID:wg5p9qWP
大津にもこんな人がいたら

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 15:34:19.45 ID:ftSbaHiO
板倉さんは安浦刑事的なイメージしかない
とかく悪い話は少ないし

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:45:44.59 ID:rVKlpCgQ
名奉行の起源は板倉勝重

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:50:10.03 ID:8GRbEXv0
勝重はともかくこんな無能な官憲が
豊臣家の不利になる情報を嗅ぎまわって大坂の陣を引き起こしたって事か

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:51:53.44 ID:F9+hV9Hu
でっちあg

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:52:10.69 ID:CL8G2Bac
探偵小説家、久生十蘭の本で主人公が同じことを言ってたが
元ネタは中国の公案(政談)だそうな
うろ覚えだが、豚を二頭、殺したのと生きたのとを小屋の中に入れて
それを焼いた後、鼻と口の周辺に煤がついているか調べたんだと

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 17:06:56.26 ID:Cn0qOEjH
頭のいい人なら考えつきそうなことを、なんでも○○が起源ていうのもなんだかな

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 17:59:43.12 ID:txriBbjn
鼻つまってたらどうすんだろうな

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 18:35:51.78 ID:x9Qp4SZD
>中国が起源
中近世だと、中国は法医学が世界的に見ても進んでいたからな。
検死マニュアル「洗冤集録」が書かれたのは南宋(1247年)だったか。

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 20:23:31.68 ID:ck3bn+84
岩波文庫「棠陰比事」の36話目
「焼殺の実験」に
三国時代の呉の張挙の話として、妻が夫を殺した後、放火したのを実証するため、
生きた豚と死んだ豚を薪を積んで焼かせて
灰が口にあるか調べた、とある。

板倉勝重のwikiにも「棠陰比事」の影響をおそらく受けて、
彼を主人公とする政談ができた、とあるし

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 20:29:41.09 ID:HfGO6pVp
大政所様で検証実験はやっちゃダメですよ、作左さん…

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:27:16.99 ID:mnToEhOc
いや、起源ってのはそういうのを当てはめられる名奉行の方のつもりだったんだけどね

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:30:52.29 ID:zT7VHnbA
wikiの板倉勝重の項目(wikiで語るのはなんだけど)
>優れた手腕と柔軟な判断で多くの事件、訴訟を裁定し、敗訴した者すら納得させるほどの理に適った
>妥当な裁きを見せ、大岡忠相が登場するまでは、名奉行と言えば誰もが板倉勝重を連想した

>勝重とその子重宗は奉行として善政を敷き、評価が高かった。
>勝重、重宗の裁定や逸話は『板倉政要』という判例集となって後世に伝わった。
>その中には後の名奉行大岡忠相の事績を称えた『大岡政談』に翻案されたものもある。
>三方一両損の逸話はその代表とされる。
>また、板倉政要も、中国の『棠院比事』『包公案』などから翻案された話が混入して出来上がっている。

名奉行の起源は板倉勝重、てのもあながち間違っていない気がするが

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:53:15.68 ID:+Z9wKWJX
名奉行の起源って御成敗式目作った北条泰時じゃね?

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:54:08.04 ID:Iy/DHkhq
小姓の逸話が森乱丸で上書きされていったのと同じ感じだな

細川幽斎という人は高ぶる気性のない人であった

2012年07月24日 20:53

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 16:25:49.16 ID:Chx9nd01
細川幽斎という人は高ぶる気性のない人であった。

ある時、連歌師の里村紹巴が、他人より常に優れようとする病を持っていると見て取って、

「人というものは心より、形、言葉に至るまで全てへりくだるべきものであるぞ。
お主は能くその心に立ち返らねばならない。」

と、懇ろに教訓した。

またある時、蒲生氏郷がこ幽斎に出会ってこんな事を言った

「貴殿は芸能の誉れがあるためか、あなたの武功について語る人は少ないですね。
であれば、武士にとって多芸に長ずるというのは要らざることではありませんか?」

これを聞いた幽斎、うち笑って

「私は確かに芸を嗜みますが、みな口すさび手遊びばかりで、しかも他人より優れたものなどありません。
いわんや武士としての働きにおいては、一体誰が私に劣るでしょうか?」

そう、返事をしたそうだ。これは、この場面を側にいて聞いた人の物語ったものである。
(関原軍記大成)

細川幽斎の謙譲
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2928.html


氏郷への返事、いかにも京都人らしい、真綿に棘がしっかり入っている言葉ですねw
そんな幽斎様の人格についてのお話

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 17:14:25.44 ID:IbZESrud
武功の事で蒲生氏郷ごときに言われたら、そりゃ腹も立つわな。

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 17:16:32.10 ID:ZhMUpG1o
こりゃうまく刺しかえしたな、さすが幽斎様

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 17:56:12.38 ID:aMTTgEaO
京の風流人の皮肉オソロシス(´・ω・`)

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:03:39.86 ID:+1NTIAmg
氏郷に幽斎をくさすつもりはなかったんだろうけどねえ。
有力者に可愛がられて育ってきたエリートの世間知らずのようなものを感じるな。

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 19:05:16.84 ID:+siyYB5f
>>582
言ってるそばから上から目線で説教してるやん
同じ穴の狢っすよ幽斎さん

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 19:09:24.97 ID:gthLpY0h
>>587
いやいや、説教なんてヒトコトも言ってないだろ?
文字通りものすごくへりくだってるだけで。

これはへりくだるというのがどれだけ恐ろしい技術かを言ってるんだよw

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 19:22:57.54 ID:+siyYB5f
>>588
前者の逸話のこといってるんですけど・・・。

まあ後者の逸話も言葉でへりくだっても心が全くへりくだってないので台無しっす。

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 19:32:58.06 ID:gthLpY0h
>>589
ああ、そのへんは、里村紹巴は同じ京都の古くからの教養人仲間という”ミウチ”で、
蒲生氏郷はミウチではない、という部分を感じないとわかりにくいかもしれないな。
ミウチにはちゃんと本音を言うのさw

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 19:38:59.19 ID:GW9DHHV3
工場長言うても幽斎様からすりゃ倅のダチ程度のもんだからなぁ

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 19:46:38.20 ID:yOkWmfnc
>>591
社長の娘婿だけどな(´・ω・`)

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 21:22:05.01 ID:+Hk6Ulcz
忠興があんな風に育っちゃったのがわかった気がする。

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 22:24:58.52 ID:cK+S3Ghl
三歳さんは幼少期に幽斎さんの薫陶をあまり受けてないんだっけ?

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 22:31:17.50 ID:i8gfB5xJ
三斎様は礼儀正しくて人付き合いも丁寧だよ
ただ感情の振幅が大きすぎるだけで

春日局が急ぎの用あって夜中に駕籠を早めて登城した

2012年07月24日 20:52

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:01:14.49 ID:Jdgq08Qt
ある時、春日局が急ぎの用あって夜中に駕籠を早めて登城した。
その頃の春日局は飛ぶ鳥を落とすというほどの勢いであったから
門番もあえて止めようとはしなかった。

ところが平川まで来た時はそうはいかなかった。
御供の者が「春日局様が急ぎの御用あって登城である。早く門を開けられよ!」
と言うので番の者は責任者の大久保彦左衛門に仔細を伝えると、

彦左衛門は臥したまま起き上がりもせず「この大久保彦左衛門が御番仕って
おるからには春日殿といえど放置じゃ。そのように仰せられてもこんな夜更けに
通すことはできませんとでも言っておけ」と言った。

門番は(後で絶対問題になるよなあ…)と思いながらも仕方なく彦左衛門の
言葉を伝えたところ、春日局は「もっともです。ならば男どもはここに残し、
我ら二、三人の女だけで歩いて参ります。どうか御通し下さい」と懇願した。

それでも彦左衛門は返事もせず、結局春日局は夜明けまで門外で待たされて
しまった。あまりの扱いに春日局は泣いて徳川家光に訴えたのだが、家光は

「お前の憤りはもっともなのだが、お前も知ってのとおりあれは不分別の
強情者だから、もしもお前ではなくわしだったとしても必ず門を開けたかどうか
わからん。あれと出会ったのは運がなかったと諦めてくれ」と言うので

春日局もどうしようもなく泣き寝入りした。その後、彦左衛門を召し出した
家光はなんとはなしに黄金と佩刀を与えたという。

参考
あのようでも良きことがある


699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:09:07.73 ID:F182bNZX
結局急用はなんだったんだ

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:16:48.80 ID:GW9DHHV3
なんだ、お福殿がいつ門番の腕ヘシ折るか期待してたのに…

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:23:08.03 ID:g1kS2d94
徳川の歴代当主に愛されすぎだろ、彦左

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:24:35.40 ID:seoRqsr7
急いで自分が伝えたい用事と、急いで相手に伝えなければならない用事の違いかな
前者を権力で押し通そうとしたのを撥ね付けた(後者ならばお福も引き下がらない)

という話なんだろうが、断言してもいいが彦左はそんなことカケラも考えずに天然でやってる

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:33:23.93 ID:t5b9fEG9
春日局って城外に住んでたんだ…

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 20:01:05.12 ID:6vnHCr96
>>698
>家光はなんとはなしに黄金と佩刀を与えたという。
彦左を甘やかしちゃダメです

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 20:05:59.13 ID:BNwetyMc
悪いスレの、門番というだけで死亡フラグジンクスを破ったか

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 20:12:22.49 ID:gthLpY0h
>>706
徳川の門番だけは許される。
というか家康三河時代の徳川の門番ってこんなのばっかりだよねw
その意味では確かに彦左さんは最後の三河者だわ。

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 20:36:07.34 ID:g1kS2d94
もし徳川の守る城門を押し通ろうとした者が鬼武蔵なら・・・

多分、ガチの戦が始まる、一方的な虐殺じゃなくて
[ 続きを読む ]

立花宗茂ちょっと良い話  赤館

2012年07月23日 20:51

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 19:53:31.75 ID:FUJq/t4F
立花宗茂ちょっと良い話  赤館(1)
慶長8年、御書院番頭、立花左近将監宗茂が5000石の加増を受け棚倉1万石に入部した。
城番より赤館城を引き継いだ宗茂は、城を一渡り検分すると若干の者を城番として残し、
麓の代官屋敷に入った。
その後、宗茂は、米の年貢を減免すると共に木材を年貢として徴収するなど、米の取れにくい
現地の実情と江戸城の大拡張と江戸城下の発展に伴う木材需要の増大を見込んだ政策を行い、
少しでも藩の財政を潤そうと努めた。領民にとっても米を年貢として搾り取られるより、日々の生活
で使う木材が年貢の代わりになるというのは思いもかけない話であり、新領主に対して安堵の思いを抱いた。
棚倉で1年を過ごした宗茂が、江戸に登ると棚倉藩の施政の評判が良いことを快く思わない三河者の某が
江戸城中で宗茂を詰問した。
「左近将監殿は、赤館の城に城番を置くのみで在城されないとのこと、津軽、南部の反目や上杉や伊達の
動きなど、奥州の世情が不安の折り、大樹様のご意向をどうお考えかか?ご存念をお伺いしたい」
「大御所様が大樹様に江戸をお譲りになってより、世はますます平穏となり蒲生様が会津に入り、厩橋に
榊原様が入られたことを考えれば、其れがし如き、小身が赤館に詰める意味はござらん」
「なんと申された!城を大樹様からお預かりする事をなんと考えられるのか!」
「赤館は押し出しの城にて詰の城ではござらん。思うに太樹様は、奥州に事あるときには、佐竹殿の前例に
基づき、水戸より大兵を赤館に送られ、会津の後詰を行われるはず。その折、速やかに城を明け渡すために
城番を置くだけにしたのでござる。我らは、代官所より電光のごとく発して会津への道を守るのが勤めと心得ており申す」


547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 19:55:57.77 ID:FUJq/t4F
立花宗茂ちょっと良い話  赤館(2)
 宗茂の話は、某の口から瞬く間に江戸城中の大名の間に広がり、心得違いと難ずる者あり、
さすが西国無双と呼ばれただけはあると感心する者ありの有様になり、ついには忠義顔で
大御所家康に注進する者さえあった。
 そんなある日、江戸より駿府に来た本多佐渡守が幕府の庶政について、ひと通り報告を終えると
家康が口を開いた。
「佐渡、それだけか?」
「最後に、この度の左近将監の働きにより上杉、伊達も静まり、蒲生の脊骨にも芯が通り申した。
この功を賞し、太樹様より、来年には左近将監に1万5500石を加増するとのことを大御所様に
言上せよとのことでございます」
「ふむ、大樹も左近将監の使い所を心得たようだの。加増の件、大樹の意のままにせよ」
そう言うと家康は、本多佐渡を下がらせた。
 わずか一言で奥州に睨みを効かせた宗茂のちょっと良い話。





548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 20:06:48.94 ID:pTzDPTSg
三河出の旗本以外に宗茂のことを悪く言う人達を思い出せない

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 20:27:10.16 ID:D36IGPfX
三河武士の中のレベルの低い奴らは敗軍の将を全く評価せずに蹴落とそうとするのが大好きだよな。
わが主君が一番偉い、あとは雑魚って感覚で行動してる。
いわゆる徳川中華思想だ。
上層部が人間できててまともなのが救い。

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 20:31:05.51 ID:Sv8EYo6C
つーか、当時の宗茂は将軍秀忠の寵愛深い一種の出頭人なので、そりゃどんな組織でも嫉妬はついてくるよ。

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 20:51:14.73 ID:bPehA7+Z
宗茂の逸話っていい話過ぎてうさんくさい

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 20:53:49.72 ID:9nK253+4
三河譜代が御家人どまりなのに本気で文句言ってる奴らいるからな

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 20:59:28.00 ID:7XCPUeUR
立花宗茂のいい話しといえば

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6450.html
「我が立花家には、三箇条の掟がござる。それに照らしあわせて処断したまでのこと」
「して、その三箇条とは!」
「国法に背き、節義に欠け、表裏比興の振る舞いに及ぶものは斬、国法に背き、節義に欠けるものは切腹、
国法に背くものは放し討ちと決まっております。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6379.html
「当家にて、武士の風上におけぬとは、国法を破り、節義に欠け、表裏比興の振る舞いに及ぶ者のこと。

元ネタの本が同じなのか、それか立花家?の家訓が有名だったのか
三つとも一致してるな

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 21:09:26.33 ID:GWX0pATe
このスレって出典は明記しなくてもいいの?
小説から抜き出してる人もたまにいるんじゃないかな


555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 21:11:33.87 ID:V2m2g6AR
>>546
棚倉には宗茂が代官屋敷の草庵で茶会を催す際に、自ら屋敷付近の
桜木の下から湧き出る清水を汲みに出かけて客人をもてなしていたため、
その清水が桜清水と呼ばれるようになったって話もあるな。

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 21:19:42.03 ID:JrjtXvvt
>>554
別に明記しなくてもいいんじゃない?

どっかで見たり聞いたりしたけど出典は忘れたっていう人もいるだろうし

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 21:25:44.92 ID:8WIJwihP
天性のよい子に最善の環境を与えると宗茂さんが出来上がるのかもね。
ホントに絵に描いたような理想の侍だよな。

ただ、古今東西の天下人に必要だと思われる強烈なコンプレックスがなさそう

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 21:37:14.38 ID:iYjPe3h0
>>557
実父  : 高橋紹運
義父1 : 立花道雪
義父2 : 小早川隆景

DQNになる要素が全くない

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 21:42:29.88 ID:iYjPe3h0
>>554
小説どころか他の逸話を家康版に改変してやったぜと堂々公言する人もいたりする。
まあそのへんは各自で判断してくださいってこと。

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 21:51:40.81 ID:m/b7Hi1D
>>558
実父:島津義弘
祖父:島津貴久
祖父2:園田実明(貴久の忠臣)
叔父:島津義久ら優秀な人たち

DQNになる要素が・・・あれ?

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 22:05:46.32 ID:UJ7vJx7N
>>560
そこはほら… お国柄からして戦闘民族だし…

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 22:17:07.91 ID:0gyyQntj
宗茂さんは、ぶっちゃけ一家の頭としては灰汁がなさ過ぎるってか、純粋培養し過ぎな感が~
(悪)の人は、戦場での指揮官としてはどうだったのかね?


563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 22:18:59.28 ID:pTzDPTSg
戦国時代の島津家は家臣が暴走しすぎだろ・・・

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 00:14:38.54 ID:+sKn9grY
父:大田原資清
長男:高増
次男:資孝
三男:綱清

まぁ仕方あるまい

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 00:34:03.99 ID:oS7Mf47h
>>564
父の教育に忠実だったと言える

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 00:44:50.11 ID:TQBg7kCZ
父:宇喜t…

いや、何でも無い

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 00:53:35.60 ID:N30iMXxQ
秀家は父の顔も覚えてないだろうし実家ともすぐ離れたから…

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 00:56:23.51 ID:nGWEP6nZ
父:宇喜多直家
養父:豊臣秀吉
従兄弟:坂崎直盛

秀家さん、まっすぐ育ち過ぎじゃね?

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 01:35:48.60 ID:9E24BlGw
秀家は誰と仲良かったの?

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 02:13:08.17 ID:s2FTi/pD
豪姫

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 04:52:19.21 ID:jHFm9IJN
祖父:元就
父:隆元
子:輝元

どうしてこうなった

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 05:56:09.39 ID:zplBjgZc
毛利家は頼りないのを折檻&説教育でよく矯正してる方

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 08:42:59.15 ID:YgDGHCdd
>>568
叔父に似たんだよ

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 10:07:50.98 ID:kRTDyVmi
秀家はもったいなかったな
直家がもう少し長生きしてたら直家から謀略の指南受けてすごい武将になったのにな
天下も取れたかもしれんよ直家のような人物なら秀吉は相当警戒しただろうけどw

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 10:23:08.27 ID:s4fhGLHD
まあ秀吉の時代に政敵をじゃんじゃん毒殺とかやばすぎるからなw

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 11:13:31.81 ID:z5e4np2F
>>572
手紙で延々と説教を垂れ流所まで似てしまったのはご愛嬌。

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 20:06:18.04 ID:WAU8icpn
>>546
ホント三河者の某はうっぜーなあ

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 21:00:54.39 ID:s4fhGLHD
まあ譜代の三河武士でも家格低いのや有能でなければ冷遇されてるよね。
それが天下を取るってことなんだろうけど。

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 21:44:58.26 ID:h0Jx8QpT
大久保家は本家がああなったから僻み根性の塊になるのはしょうがない気もするがそれでもちょっとなw

甥っ子との約束は破るもの

2012年07月23日 20:51

659 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/23(月) 00:36:23.99 ID:0lxoEoaE
「DQN甥っ子との約束は破るもの
実は義光は甥っ子との約束を三回も破っている。
天正十三年三月大宝寺義興は最上側の清水城を攻撃した。これにキレた義光は庄内に侵攻を開始。
大宝寺も上杉との連合軍で迎え撃ったが余り戦を長引かせたくない大宝寺は
ある人物に助けを求めた。まーくんこと伊達政宗である。
( ●Д゚)「伯父上、母上も和解するべき。って言ってるから大宝寺と和解しようぜ!」
(´・ω・`)「義が言うなら・・・。」
こうして義光と義興はいったん和解した。しかし天正十五年、和議は破られ義光は、
再び庄内に侵攻、大宝寺は再び政宗に助けを求めた。
( ●Д゚)「伯父上の大好きな鮭をプレゼントするから大宝寺と和解しようぜ!」
(´・ω・`)「鮭をくれるんだったら・・・。」
こうして再び義光と義興は和解した。
しかし長続きはせず同年の十月、再び義光は庄内に侵攻、またも政宗が仲介役で話し合い
三たび和解が成立した。
しかし翌年四月、義光はふたたび攻勢に出た。この時は上杉の援軍のおかげで生き延びた大宝寺だったが
同年九月、最上と東禅寺勢の大攻勢にが行われついに尾浦城は陥落し義興は自決した。
( ●Д゚)「俺・・・仲裁役で頑張ったのに。」
(´・ω・`)「DQN甥っ子との約束は破るもの。」

文下手でスマソ
ちなみに政宗と義光の会話はフィクションです。




577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 12:49:09.90 ID:uPft2gzv
鮭さまのエピとかみるとまーくんがやんちゃなのはやっぱ最上の血なんじゃないかなと思う
・・・志村さんは抑え役だけど小十郎さんはむしろ煽ってそうだしw

578 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/23(月) 15:26:59.30 ID:9E24BlGw
似たとこある気がするな。
DQNじゃないけど。

黒田長政「父上がおらぬ時は、」

2012年07月23日 20:50

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 16:57:43.28 ID:1yN8Iiwl

黒田長政と後藤又兵衛は主従でありながら常に武勇を争い、
先駆けて進んでいくために、従士らは帰陣するたび
「やっと生きた心地がする」と言い合った。

栗山備後、井上周防、黒田美作らがこれについて諌めたところ、

「父上がおらぬ時は、倅の忠之を先手に出し、
私は大将の威をもって重々しく旗本の側に控えよう。

今は父上がご健在ゆえ、旗本に気遣う必要はない。
私が先手へ出て討死しようとも、父上がおれば何も案じることはない」

と長政は言ったという。




673 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/23(月) 18:36:41.50 ID:iiXX8gbT
忠之って1602年誕生だよね。
お父上亡くなったの1604年でしょ。
ガキ先陣出すのかよ…

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 20:20:43.41 ID:2hcMoWu8
>>672
後に又兵衛は黒田の軍勢で一番前を突っ走ってる奴打ち取りゃ、
それが長政だって忠興に言ったんだっけ?

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 20:45:28.81 ID:h0Jx8QpT
そりゃ川でぷかぷかしてるのみてりゃあの若殿また突撃してるぜHAHAHAHAHA
と思うようになるのも無理もないって

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 20:49:00.52 ID:vYHPOYQC
>>674
たぶんそれ、秀吉が蒲生氏郷の事を最初に突撃してくる部隊にの先頭にいるから、それ狙って
鉄砲集中すれば殺せる、みたいに言ったって話の改変バージョンだろうね

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 21:02:43.37 ID:MTVQywTN
氏郷はダースベイダーみたいな南蛮鎧を着て先陣を駆けていたのか


678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 21:05:27.40 ID:IPxwo055
ダースベイダーのヘルメットの元ネタは政宗だそうだから
仲悪いのが混ざっせまうな

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 22:13:04.28 ID:COhinuNO
>>637
蒲生さんに脳筋的イメージ全くないけど、何で先頭突っ走ってたんだろうか
黒田Jr.は又兵衛に負けまいとして....

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 01:39:25.17 ID:2QcxufoA
逆に真田パパンなら先鋒にいたとしても1000人討ち取ってもそのなかにいないような気がするw


681 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/24(火) 01:53:20.90 ID:cK+S3Ghl
全軍壊滅で唯一の生存者、そうそれが信長さんだ!!!!!
まぁ、戦場でならって話だろうけどね

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 02:26:34.78 ID:d6lO0Of9
生存では有楽さんが最強のような。

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 06:50:48.25 ID:rok03Gjh
天庵様だろ

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 07:00:04.85 ID:6WuyY/nD
織田の後継者である甥っ子が一緒じゃ逃げ切れないからといって
切腹させるとか無いわ(´・ω・`)

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 07:15:02.69 ID:gthLpY0h
>>677
氏郷は新参の人間には必ず

「我が家では合戦では銀のナマズ尾の兜の武士がまっ先に突撃する。お前はその兜を目印についてくるようにせよ。」

といってた。ちなみにこの兜なw

蒲生氏郷 銀箔押し 鯰尾兜
http://www.yoroi.co.jp/gazou/topics/2007/gamou/main2.jpg


686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 07:42:52.74 ID:wr04ILuH
>>683
主に息子を犠牲にし続けて天庵様の命を助ける菅谷さんの功績では

第1回・戦国女性キャラ投票!

2012年07月22日 20:53

そんなわけで、お待たせいたしました。始めました!第1回・戦国女性キャラ投票!!
まとめてみたら、いやあ、多い(;´Д`) 自分お好きな人物を探されるのも大変ですよね、
ほんとに申し訳ありません。

〆切は8月31日までです!
こちらから、もしくは
http://vote1.fc2.com/browse/3596059/4/
ここから投票できますので、みなさまどうぞ、ご参加してくださいませ!

上林竹庵は喜びの余り手先が震え

2012年07月22日 20:48

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 20:26:37.51 ID:ijSPW+5s
竹庵さんシリーズ

上林竹庵(政重)が経営する宇治の茶の生産地に、彼の招きに応じて千利休が訪問したことがあった。

利休の訪問に竹庵は大喜びし、自ら手前を立て接待したのだが、、茶筅を倒してしまうという
失態を犯してしまった。

ところが利休は茶を喫した後、竹庵に 「日本一のお点前でした」 と、褒めた。

この事を不思議に思った、同席していた利休の門弟が、後でそのわけを聞くと、利休はこう答えた

「竹庵は私に手前を見せようとして招いたのではなく、ただ茶を飲んでもらおうとしただけである。
彼は、湯の冷めないうちにと一心に茶を立てていた。私はその心を褒めたのだ。」

千利休、上林竹庵の茶を褒める、というお話。




526 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/21(土) 22:18:55.89 ID:yLabZzva
ぬかしおる

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 22:21:17.30 ID:J2/QgrC6
「綾鷹」は竹庵の兄・上林春松の子孫が作ったんだったか

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 23:24:16.76 ID:mD428EP+
ババムカシ飲みてぇな

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 01:22:36.06 ID:GWX0pATe
本当は手前も褒めて欲しかったところだろうけど
敢闘賞に終わった竹庵の残念だった話


532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 01:29:24.33 ID:ptyhgdzq
利休「いんだよ細けぇ事は!!」

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 07:31:10.89 ID:wwzD/tDe
利休がそれを言うなよww

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 07:43:20.76 ID:/o+p1fpm
もてなしの心>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>|超えられない壁|>>>>>>>>>>>>>>>>>点前

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 08:12:26.60 ID:pTzDPTSg
茶道の嗜みがないので茶筅を倒すことがどの程度の問題なのかわからないのが哀しいところ

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 08:57:34.54 ID:NRG+DqRI
俺もあんまわかんないけど茶碗に突っ込むものを床につけちゃうんだから結構アウトっぽい匂いがする

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 11:29:22.98 ID:NW+GgggY
ドヤ顔で茶を立てる奴よりは
客の来訪を喜んで一生懸命に茶を立ててくれる方が
後者の方が下手でも飲もうという気分にはなるね

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 12:00:16.14 ID:0gyyQntj
利休さんも結構な逸話あるんだっけ?

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 13:30:48.13 ID:xNGl9GzN
ゲヒヒまあちょっと良い悪いスレ見ると
この時代きっての文化人の方々も
癇癪起こして家臣を切ったり、文化財を平気でクラッシュしたり
他人の茶器すら盗んだり等々基本荒大名ばかりですからなw
竹庵さんは前の逸話と合わせても一本気な好漢でござるな

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 14:39:22.04 ID:xhLTZA02
鼻水がお茶の中に…(´・ω・`)


541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 14:55:32.32 ID:pm1metR1
清正公のヒゲが…

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 15:22:24.25 ID:Yq2PQCQp
>>539
へうげものでもそんな感じでしたな

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 15:31:28.69 ID:+AWEQHK5
貴殿の家中になると、ここから小便できなくなる

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 15:33:32.77 ID:8WIJwihP
茶の湯とは ただ湯を沸かし 茶を点てて
呑むばかりなり 本を知るべし

千利休

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 15:48:42.09 ID:C++YEqWQ
へうげは明日15巻発売か

駿河にて徳川家康が大久保彦左衛門と久々に会ったので

2012年07月22日 20:48

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 19:10:11.47 ID:hn2RZa6E
駿河にて徳川家康が大久保彦左衛門と久々に会ったので四方山話を
始めたことがあった。

「関ヶ原の戦の後は世も静謐になった。
まことに、わしにとってあの戦は死生の分け目であった。

我が方は挟み撃ちにされそうになったが、敵は一戦に打ち負けて
右往左往に逃げる有様は見苦しいものだったな。

それに比べて我が方は命を惜しまず、功を争わずまことに潔いではないか。
のう彦左衛門よ?」

(なっげえ話だなあ)


彦左衛門は長話にうんざりして帰りたくなった。


「なるほど一溜りに敗北とは見苦しいですね。

しかし上様が小山に御着陣の折、伏見より上方が敵だらけになった
との報があった時は、上様の御顔も真っ青になり、諸将も妻子を取られたと

聞いて顔を青くしておりましたが、太平となり青い御顔も元通りになられた
ようですから、まことに御運強くめでたいことです」


嫌味を言われた家康であったが笑って「彦左衛門はやく休め」と言って
彦左衛門を下がらせた。




641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 19:15:43.40 ID:EUNK3t/x
信長「鬼武蔵なら仕方ない
家康「彦左なら仕方ない
秀吉「お前切腹

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 19:17:57.56 ID:wWBUJrik
まあリアルな話、こんな事を目の前で言っても怒られない、処罰されない、ってのが家康の長所だったと思うよ。

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 20:09:30.58 ID:aLS48ZBu
この程度で処罰していたら、三河衆は全滅

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 20:50:13.82 ID:JZhqPn1C
三河衆を処罰したら謀反を起こされかねないしね、家康の勢力がまだ弱い頃だと特に

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 20:56:27.66 ID:CvNoAxIA
三河衆って直接家康に歯向ったことあったけ?

そういうのまったくないイメージだけど


646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 21:16:50.04 ID:mD428EP+
三河一向一揆を含めるかどうか

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 21:52:52.73 ID:0txqr0hm
三河一向一揆も傍からみてるとトムジェリっぽいしなw


648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 22:17:21.38 ID:eDSL+ZUQ
>>643
だから幕末期に頼みにすべき譜代大名がどれもこれもクソの役にも立ってない(ry


649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 22:54:30.28 ID:H+zr7FD7
>>645
大賀弥四郎

650 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/22(日) 13:33:23.96 ID:R8e/BZeY
大賀弥四郎は残忍な殺され方したんだな。

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 14:36:35.24 ID:m/b7Hi1D
酒井さんは頑張っただろうにw

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 15:06:33.20 ID:MsS3PSd1
石川数正さんは? 秀吉に恭順するか敵対するかの路線対立で追い出されたんだっけ

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 15:22:33.65 ID:1i0xQXe2
>>652
追放じゃなくて出奔。

しかも、既に内通していた小笠原貞慶の人質もいっしょに連れて行ったので
かなり計画的だったと思われる。

654 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/22(日) 20:47:07.74 ID:0UtXdvam
常日頃からチクチク反抗してストレス発散してるから、歯向かうレベルまではいかないんだろうよ

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 20:59:26.96 ID:D36IGPfX
>>640
小早川秀秋が動かないんで家康がテンパって癇癪起こしてるところを知ってる人からするとこの自慢は見苦しい。

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 21:02:53.27 ID:m/b7Hi1D
小早川については最近色んな異説もあるしよくわからん。



ところで殿、三方ヶ原はお忘れかな?(・∀・)ニヤニヤ
まあ金ケ崎とか三方ヶ原の撤退戦は普通に凄かったと思うけど。家臣が。

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 21:36:50.21 ID:pm1metR1
右往左往と見苦s…あ、島津…

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 23:26:24.04 ID:1vpv/5Ne
>>656
だからこそ勝った立場で見て改めて見苦しかったんだろう


665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 06:24:15.67 ID:zplBjgZc
>>640
関が原で毛利両川に挟み撃ちにされたらどんな反応してたことやら

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 06:30:25.77 ID:vYHPOYQC
>>665
最近の説だと関ヶ原は2時間ほどの短時間で大勢の決した合戦で、三成の方からの
毛利や島津への出陣要請も、既に小早川秀秋が東軍として参戦した後だという事らしい。
つまりチャンスだから攻めろ、じゃなくて、ピンチだから助けて、だったというのね。

そりゃ空弁当もするだろw

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 06:40:03.67 ID:zplBjgZc
>>666
チャンスだったとしても支援要請遅すぎのような
あの距離ではドンパチ始まった時点で南宮山の兵は即行動かなければ意味ないと思う

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 07:45:07.73 ID:VufuxXm2
霧が深くて、戦場全体を誰も把握できてなかったって説もあるね。
みんな目の前の敵を叩くことしかできてない。
山上とかに布陣してると、どこに敵と味方がいるかもよく分からなかった。

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 10:20:50.07 ID:s4fhGLHD
井伊直政「まったくもってその通り。」

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 15:21:58.19 ID:9E24BlGw
家康が野戦上手と言われるけど、関ヶ原ではそれが発揮されたのかな?