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休松の戦い

2012年08月23日 02:37

169 名前:名無しさん@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 00:09:40.15 ID:P4yn8byU
休松の戦い(秋月種実VS戸次道雪・吉弘鑑理・臼杵鑑速)

時は1567年9月3日
大友傘下の武将である古処山城主・秋月種実(当時20歳頃)は高橋鑑種に同調し大友氏に対して謀反を起こした。
当然怒った大友宗麟は戸次道雪・吉弘鑑理・臼杵鑑速の所謂「豊後三老」に秋月討伐を命じた。
大友勢は邑城・休松城を落とし本拠・古処山城に迫った。古処山城の守りは堅く名将・戸次道雪を以てしても
容易に落とせず膠着状態が続いた。折りしも秋月氏の盟友・毛利氏(種実は亡き毛利隆元と義兄弟の約を結んでいた)が
九州に迫るとの報を受けると大友傘下の国人衆は動揺し自領に引き上げてしまった。この状態を知った宗麟は一時撤退を命じる。

大友軍の撤退を見るや秋月種実は父・文種や長兄・晴種の仇を討つべく戸次勢に攻撃を加える。
これに対し道雪も異母弟・鑑方ら一族や由布雪下・小野和泉らと迎撃する。
戸次勢の猛攻に秋月勢は逆にに蹴散らされ多くの死者・負傷者を出して撤退。

翌日4日
秋月種実は夜半風雨の強い中夜襲を決行し再度大友勢を襲った。
臼杵・吉弘・戸次陣は秋月勢の夜襲によって大混乱に陥り臼杵勢や吉弘勢は崩れ立つ。
ここでも戸次道雪は冷静に対処し臼杵勢や吉弘勢を収容し撤退には成功したものの、
秋月勢に筑後山隈城まで追撃され多くの将兵を討たれてしまう。

この戦いでも道雪の奮戦は目立った反面、戸次一族や家臣の犠牲は甚大だった。
戸次一族は異母弟・鑑方を始め鎮比・親繁・親宗・親久が
家臣団では十時惟忠・ 小野鑑幸・ 由布惟清・ 綿貫吉廉が討死した。

ちなみに道雪に娘・誾千代が生まれたのはこの2年後である。




170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 00:38:54.24 ID:NVVah7I9
秋月さんはマジ雑草魂の名将なんやで
最近はのぶやぼでも大名として使えなくてアレなんだけどさ…

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 00:50:50.16 ID:kOKlR8Wv
何気に隆元すげえw

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 01:17:13.90 ID:oCwprfAj
秋月さん頑張ったから「いいね!」て話?

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 07:52:00.11 ID:ouAaLxFO
秋月さんは確実に相手が悪かった

週刊ブログ拍手ランキング08/15~/22

2012年08月22日 20:52

08/15~/22のブログ拍手ランキングです!





戸次道雪が常々言っていた事に 84

やはり新納武蔵の武勇、比類無し 57

私は博打を打になんか行っていません!!! 43
道雪とはなんと、武士冥加の強い侍なのだろうか 43

そして尼子再興軍の事 37
木村吉清とその妻 36

武士は武士臭く、味噌は味噌臭く 32
「すわ、例の音頭が出たぞ!懸かれ!」 29
大将は合戦の際、絶えず前方にいるべきだ 25

立花宗茂「これこそ私の本懐」 24
ある時、徳川家康がオコリになったことがあり 24
諸大名への拝借金顛末 22

松平定綱と井伊直孝は故あって 21
山県三郎兵衛という男は、 20
宇都宮家のその後 20
北松斎(北信愛)と奴踊りの始まり 20

家督簒奪の末路 19
江馬輝盛の興亡 17
家光は氏長に獲物の数を数えるよう命じた 14
合計 887


今週の1位はこちら!戸次道雪が常々言っていた事にです!
内容的には既出でしたがこちらは古郷物語バージョン。これを読んだだけでも、道雪という人は
凄い人だ、という感想を持ちますね。こんな人に上司になられたら頑張らざるをえないでしょう。
その意味では恐ろしい人かもしれませんw
今回は道雪とはなんと、武士冥加の強い侍なのだろうかと、他にも
道雪の逸話がランクインしています。興味を持たれた方は、ここから他の道雪の逸話も
読み返してみるのも良いかもしれません。

2位は、こちらも知勇兼ね備えたの猛将やはり新納武蔵の武勇、比類無し です!
(超意訳)に笑ってしまいましたw しかし極度の緊張下にあり、ある意味極限状態の軍中を和ませるのが
シモネタというのは、古今東西変わりませんねw そういう「ネタ」を、こういった状況で自然に出せる
親指武蔵さんは、やはり大変有能な指揮官ですねwこんな変な所でも、妙な感心しちゃいました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!そして尼子再興軍の事です!
尼子再興軍というと山中鹿介ばかりに焦点が当てられがちですが、ここの尼子勝久からは、
見事な大将としての貫禄と覚悟を感じます。失敗に終わったと言えども、鹿介などともきっと素晴らしい
君臣関係を築いていたのだろう、なんて想像させますね。
尼子勝久のことをもっと知りたくなる逸話だな、と思いました。

今週もまた、各逸話にたくさんの拍手をいただきました。いつも本当に有難うございます。
また気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!

それから、いよいよラストスパート!第1回・戦国女性キャラ投票!もどうぞよろしくお願いします!
( ´ω` )

小早川隆景、伊予拝領の次第

2012年08月22日 20:51

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 19:57:11.29 ID:dNJHXAHM
豊臣秀吉による四国征伐の後、四国の国割を行った時の事である。

秀吉は阿波を蜂須賀に、讃岐は仙石秀久、土佐は長宗我部元親、そして伊予国は小早川隆景に下した。
これに蜂須賀・仙石は拝領した国に直ぐに入部した。

ところが小早川隆景はいつまでたっても入部せず、それどころか内々に、この拝領を断ったと聞こえてきた。

隆景に伊予が与えられたのは、かつて本能寺の変により備中高松より撤退しようとする秀吉に、隆景が
律儀を立てて陣中で乱舞などを行い陣を静め、秀吉の撤退を助けたことが、後に秀吉の耳に入り
その感謝の印として与えられたのだ、と言うことだという。

隆景がこれを断った理由は、このようなものであった

「私がこの、伊予国を上様(秀吉)から直に拝領しましては、私は立場上、(毛利)輝元と同格の大名になってしまいます。
そうなっては、もし輝元の意向に反する事態が起こった時、上様の厚い恩義を被ってしまった以上、輝元に一味するのが
難しくなってしまいます。

私が何故こんな事を言うのかといえば、我が父毛利陸奥守元就が亡くなられる時、輝元を見放さないと、父親に対して
誓紙を出したためなのです。」

秀吉は奉行衆よりこれを聞くと深く感じ入り
「その分別、神妙である。ならば伊予は輝元に与え、輝元より隆景に遣わすようにすべし。」
と命じた。
隆景も「それならば」と、伊予を拝領したという。


小早川隆景、伊予拝領の次第である
(川角太閤記)




162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 20:03:35.93 ID:orzdFVdn
伊予が隆景に与えられたのは河野さんが外交で大ポカしちゃったからなんだよなあ。

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 20:41:16.30 ID:57/081Vp
その後小早川家の末路を考えるとちょっとつらいね

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 22:28:11.88 ID:Kci/xxnv
金吾も殴っておけば・・・

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 22:31:00.13 ID:Y3EZtG6H
隆景の伊予統治はフロイスらが不思議がるほど見事だったらしいね

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 22:34:12.58 ID:ncNEwzwH
(・∀・)イイヨイイヨー

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 23:42:49.41 ID:q9lynghV
【審議中】
    ∧,,∧  ∧,,∧
 ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
| U (  ´・) (・`  ) と ノ
 u-u (l    ) (   ノu-u
     `u-u'. `u-u'

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 23:49:40.28 ID:rHW+nIkE
>>167がなければ気づかないでいるところだったw

それが戸次道雪という武人

2012年08月22日 20:51

174 名前:名無しさん@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 08:06:12.10 ID:P4yn8byU
秋月種実の大胆不敵な行動、あくまでも騙し討ちを嫌う戸次道雪

ある時秋月種実は僧に変装して博多に歌舞伎見物に出向くことにした。しかし博多はあの戸次道雪の勢力圏内にある。
種実からすれば道雪は父兄の仇だが道雪から見ても種実は弟や一族の仇である。種実の行動は大胆不敵ではあるが、
同時に危険極まりない行動である。この行動が戸次家中に気づかれないわけもなく戸次家中は色めきたった。
家臣の一人は道雪に「私めにお命じくだされば(種実を)討ち取って見せます」と囁いた。
すると道雪は怒ってその献策を退け、秋月城に急使を差し向けた。
「お忍びで博多へ出向かれるのを、わが家臣で狙う者がいるやもしれませぬ。ご用心なされよ」
例え相手が弟たちの仇であっても騙し討ちは嫌い相手に注意を促す、それが戸次道雪という武人。
(歴史群像シリーズ『戦国九州軍記』に載ってた話)




佐々成政の大蛇退治

2012年08月22日 20:51

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 17:19:36.77 ID:W4C+cbjW

佐々成政が越中を支配していた頃、国中を栄えさせるために古道を改修することにした。
ある所に両方を山に囲まれた三十間ばかりの大きな淵があった。谷底を廻って行く
難所だったので、成政はここに橋を掛けて、安心して往来できるようにしようと考えた。

ところが住民によると「昔からここには大蛇が住んでいて、毎年必ず犠牲者が出ます。
旅人はその話を聞いてここを通ろうとはしません」ということだった。

「それは本当か。なんて悪い奴だ。昔は好き勝手できたのだろうが、今は私の領地だ。
往来の邪魔は許さぬ。それならば早く追い出してしまおう」と言うと成政は淵に

石火矢を仕掛け、兵を集めて「私はこの国の守護として、この街道を昔のように
旅人が安心して通れるようにしようとしている。お前が毎年人を喰らっていることは
けしからんことだ。早くここから立ち去れ。何処へなりとも人の迷惑にならない所へ

行け。出て行かないなら酷いことになるぞ。まずは手並みを見せてやろう」と
石火矢数挺を天地も響くばかりに淵の底に打ち込ませた。

すると水面が逆波を立てて震動し始めて突然霧が降り、四方は暗くなった。
そして底より大蛇が長い竿のように出でると、それは一直線に十六、七町飛んで
山の尾崎に落ちた。この時、大地は大きく震動して山は崩れ、五十間ほどの
淵ができた。大蛇はそこを新しい棲みかとした。

この出来事の後、初めの淵に橋が掛けられ、往来は便利になったということだ。

――『名将言行録』

日本昔ばなしみたいな逸話。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2174.html
上の逸話とは何か関係があるのかな?




176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 18:00:19.63 ID:H2BgoqMO
追い出すだけで退治はしてくれなかったのか…

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 18:54:50.14 ID:gIVvrAPU
特に悪さもしていない巨大すっぽんを虐殺した鬼武蔵とどうして差がついたか

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 21:52:43.38 ID:CXChx6EW
佐々と蛇といえばあまが池での信長暗殺未遂(´・ω・`)

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 22:27:22.59 ID:FHB3GzUE
佐々とか勝家の歌は綺麗だよな
オレの偏見だけど愛知人て芸術性には疎い感じがするけど、
信長配下の歌は素晴らしいのが多い
まあ、戦国時代は愛知が一番輝いていた時代だからな

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 22:58:11.04 ID:juAjoS+I
まあでも尾張人と三河人では結構違いあると思いますし

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 23:14:52.55 ID:FHB3GzUE
三河って東国気質だよね
今でも名古屋人てより静岡人っぽいもん

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 23:39:47.10 ID:/ZQR3Cu5
東三河と西三河でも結構ちがうからなあ

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/23(木) 00:25:34.85 ID:MPz4H9Ho
>>180
徳川宗春「もっと金を大放出じゃ! 篝火を焚け! 飲めや、歌えや、名古屋をもっと輝かせるのじゃ!」

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/23(木) 01:37:04.84 ID:JVi/jbOU
尾張の歌は雅やか
三河の歌は土ストレートだよな
鳥居さんとか忠勝さんとかw
三河の歌は幕末で言うと土方さんみたいな感じ
技巧はないけど、なにを言いたいかは物凄く伝わってくるw

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/23(木) 07:08:58.56 ID:S2SfW5cB
信秀がやたらと貴族を引っ張ってきて勉強会を開いていたからでしょ?

幽霊よりも恐ろしい鍋島直茂

2012年08月22日 20:51

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 09:58:04.87 ID:gIVvrAPU
夏らしくこんなお話

ある時、三の丸にて不義密通をしたものが出たので、鍋島直茂は詮議の上、男女とも死罪とした。
ところがその後、この男女の幽霊が毎晩現れるようになり、城の女中衆は怖ろしさのあまり、夜になると
部屋の外には出ないほどであった。
この様なことがしばらく続いたので、御前様(直茂正妻・陽泰院)に申し上げたところ、慰霊のため祈祷や施餓鬼などを
するよう仰せ付けられたが、これらをしても幽霊の出現は止まなかった。

そこでついにこの事を直茂公に申し上げると、直茂公はこれを聞かれて

「さてさて、なんと嬉しいことだろうか。
あの者たちは首を斬っても足らないほど憎き者たちであった。そうであった所に、あの者たちが死んでも
行くべき所にも行かず、迷い廻って幽霊となり、苦しみ続けているというのは実に嬉しいことである。

なるほど、かまわないからずっと幽霊としてこの城に居ればよい。」

すると直茂がこう言ったその夜より、幽霊は出なくなったそうである。
(葉隠聞書)

幽霊よりもずっと恐ろしいのが戦国大名なのだ



参考
鍋島直茂と佐賀城の幽霊 ・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-193.html


96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 10:16:10.99 ID:IMOYF7SG
直江も真っ青やなw

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 10:19:53.88 ID:g0PnSKOF
化け猫も出たようですが、
と言われたらどんな返しをしたんだろ

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 11:51:51.30 ID:P9b1b+0F
この話既出だね。

99 名前:名無しさん@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 11:55:48.94 ID:P4yn8byU
あまりの剛胆さに幽霊すら逃げ出すなんてさすが直茂
>>97
鬼武蔵「そこへ直れ。この人間無骨の餌食にしてくれるわ」
三歳様「そこへ直れ。この歌仙兼定の餌食にしてくれるわ」

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 12:01:35.89 ID:PpggZvH7
>97
猫缶を準備する義弘様

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 14:24:21.71 ID:Hb83kX6S
TERU「不義密通など許せませんな、叔父上」
家久(悪)「正室とのみ愛し合わないといかんぞ!」

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 17:45:58.08 ID:8sNJcG3T
なんか飼い主に忠義なねこって違和感あるよな

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 19:01:33.53 ID:eIKmHs79
犬でも裏切る時は裏切る

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 21:05:50.29 ID:GhOqlR3z
犬ってそんなに忠義心ないよ

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 21:26:33.15 ID:vchVMVkx
家庭内序列犬以下はつらいな

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 22:05:48.45 ID:BEL8Vlty
犬にも性格があるからな
あと犬が自分以下だと判断した人間に対しては割と厳しい

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 23:27:38.24 ID:/d54mMID
>>106 >割と厳しい

あるあるw


109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 23:38:56.38 ID:jqfPcNhz
多くの犬は自分がNo.2と自負しているらしいから
家庭内で一番強くないと自動的に犬以下が確定しちゃう

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/23(木) 07:07:05.85 ID:S2SfW5cB
>>109
皮肉だな
老犬を愛す義眼の軍務尚書に粛清されるとは

鳶が鷹を産む

2012年08月21日 20:54

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 21:07:09.61 ID:e5SeXbOW

小田原の役の時、わずか十五歳の浅野幸長は疱瘡を病んでいたにもかかわらず、
父長政に出陣させてほしいと頼みこんだ。だが長政は「お前はまだ若い上に
病気でまともに立っていられないではないか。共に出陣できるわけがない」と

許してはくれず、再三頼み込んでもやはり許されなかった。しかし幸長の意志は
固く、老臣の堀田孫左衛門、松井又右衛門と相談して、先に出陣した父を追って

関東までやって来てしまった。さて幸長は岩槻城攻めでは馬を馳せて首級をあげた。
また、忍城攻めで長政の備えが崩れて引く時、幸長は槍を横たえて自軍の兵を
せき留めると「我はここにあり、お前たち私を見捨てるなよ」と只一騎進んでいった。

味方はこれを見て一同に引き返し、千駄口の砦を乗っ取った。その後、ある者が
秀吉に「幸長は御下知を待たずして勝手に動きましたぞ」と告げたが、秀吉は
「あの長満が生まれて七夜目に長政の家に入って、その泣き声を聞いた時、

『これは鳶が鷹を生んだな』と誉めたことがあったが、今の働きはまさに逸物の
鷹である」と大層上機嫌だったので、その者は口をつぐんだ。これによって幸長の名誉は
大いに知れ渡ることとなった。

――『名将言行録』




144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 21:13:38.19 ID:X48DWtBf
浅野長政で鳶なのか・・・

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 21:20:11.97 ID:KmVOnD3k
告げ口したある者とはどなたの事で?

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 22:34:59.76 ID:dLuJ7em6
名将言行録だから細かいことはいいんじゃないかw

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 22:56:42.34 ID:/1Z1Z7ZW
>>146
確かに>>143後半の太閤殿下の言を見ると、あたかも忍城攻めに太閤殿下が参加されて
いるような記述だしな… 恐るべし、超時空太閤HIDEYOSHI

木村吉清とその妻

2012年08月21日 20:53

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 22:49:12.11 ID:eLtJDnxP
俺は木村吉清という人物の子孫だが
吉清は荒木に明智と謀反人に仕えながら最終的には豊臣家大名と生きながらえることができたのは
妻の存在が大きかったと祖父が語っていた
妻の名前は不明だが、彼女は宇多源氏の血を引く名家出身で
吉清は光秀の計らいで結婚することができた
吉清は何か悩んだことがあったら妻に聞き、妻の答えをそのまま
自分の行動に移していた
結果、荒木家謀反の時にはすぐに明智家に
明智家謀反時には光秀に任された亀山城を秀吉に引き渡して5000石を手にした


しかし吉清も妻の話を聞かなかった時が一度あった
吉清がどれだけ優秀だったのか知らないが
光秀より直々に嫁を選んでもらったり、亀山城の城代として任されたことから
多少の才はあったように思われる
奥州平定後豊臣家からは蒲生と木村の両氏が豊臣家代表として送られ
吉清は30万石を領地とした

このことを妻に「俺は行政能力を買われて大大名になったんだぜ」といったら
妻は「あなたじゃ無理です。すぐに返しなさい。」と言われ
このとき吉清は怒って無視してしまった

結果大崎葛西一揆の発生により切腹は免れたが
領地は5000石→300000石→500石という大幅ダウンを受け
吉清は失意の中妻に詫びたところ
妻は「今のお前さんの方が素敵ですよ。領地が増えても側室が増えるだけなんですから。」と言って
吉清を慰めたという


田舎に帰って祖父にご先祖様は誰と聞いたときに聞かされた話




149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 22:55:00.34 ID:+TJ83YDR
50000じゃなくて500?

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 22:55:30.85 ID:Nrt28lDk
>>148
ご先祖、福島の名付け親じゃないですか。

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 22:56:00.58 ID:eLtJDnxP
>>149
蒲生家に移されるまでは500

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 22:56:30.53 ID:eLtJDnxP
>>150
え?
まじで言ってんのか

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 23:02:00.26 ID:Nrt28lDk
>>152
マジだよ。領地の信夫郡杉目を「福島」と改称したのが木村吉清。
今の福島県の名前はこれがルーツ。


155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 23:10:59.50 ID:eLtJDnxP
>>154
何気に今にも残ることやってたんだな
ちょっと感動

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 23:49:50.73 ID:NQxHo+id
>このことを妻に「俺は行政能力を買われて大大名になったんだぜ」といったら
>妻は「あなたじゃ無理です。すぐに返しなさい。」と言われ

ワロタw
30万石もの領地もらって得意絶頂の夫にこんなこと言っても、
そりゃ聞く耳持たんわなw
てか、吉清さんはその後豊後で大名に復帰してるんだな。

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 23:58:55.45 ID:eLtJDnxP
>>156
復帰した直後に死んじゃって
関ヶ原、大坂の陣でも吉清の息子は負けて死に
残った子供が山形で暮らして今に至る

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 11:15:28.81 ID:dnRvSKks
奥さんの言うこときてたらって思うとおもしろいな

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 18:56:02.96 ID:SMwQ8p7l
加増とはいえ断ったら不服従で逆に処罰食らう可能性がけっこうあるのでは?

160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 19:30:26.43 ID:bgBkvcEQ
>>159
吉清は北政所と親戚だからそこまで厳しい処罰はないんじゃないかな

江馬輝盛の興亡

2012年08月20日 21:07

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 20:37:21.36 ID:FqR7YSwH
お盆に実家近くの神岡に行ってきたので飛騨の話を


飛騨の豪族たちは、時に争いながらも表面的には友好関係を保っていた
しかし越中から上杉謙信、信濃から武田信玄の脅威が迫ってくると、彼らもどちらかに付かざるを得なかった
南飛騨の三木氏が上杉氏と強く結びついたのに対し、北飛騨の江馬氏は主に武田氏寄りの立場を採った

江馬氏は執権北条氏の末裔を自称し、飛騨国高原郷(飛騨市神岡町)を中心に飛騨北部に勢力を持った。
戦国時代後期の当主・時盛は信濃から進出してくる武田氏と結び、三木氏と対抗していたが、息子の輝盛は越中国中地山城にあり、
上杉氏へ近づこうと考えていた
こういった考えの相違から、時盛は輝盛の弟・信盛を当主に据える動きを見せており、親子の対立は避けられないものとなっていた

天正元年、遂に輝盛は時盛を殺害して高原郷の本城を支配した
次いで弟の信盛を甲斐へ追放、他にも後継候補であった従弟の慶盛を攻め殺し、完全に実権を握った。
その後は三木氏と共に上杉氏に属した。
(武田信玄死去の情報を上杉氏へ伝えたのは江馬氏家中の者から河田長親へ宛てた書状である)

しかし、信玄と謙信の死、そして両氏の勢力減退、さらには織田信長の横死という激しく動く情勢は輝盛の野心に火を付けた
当時三木氏は織田氏と通じており、その織田氏という後ろ盾を失った三木氏に輝盛は決戦を挑んだのである
兵力の劣る三木氏は小島氏らと結んで迎撃、「飛騨の関ヶ原」とも言われる八日町の戦いとなった

父を殺し、従弟を討ち、弟を追った男の最期は、三木勢の放った銃弾であった
高原郷へは勢いに乗った小島時光が攻め寄せ、江馬氏は滅亡した

この抗争に打ち勝った三木氏は、これまで協力していた諸氏や自身の一族までも滅ぼし、飛騨国内の大半を手に入れるのであった





72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 23:03:49.44 ID:sareDJhY
飛騨の三木氏って聞いたことないと思ったら姉小路氏のことかよ

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 00:50:45.88 ID:k6Fhdk0n
三木を隆盛に導いた直頼は美濃にちょっかい出してたりするほどなんだけど、あんまり有名ではないよなあ

ところで、小島って国司家の姉小路傍流なのかな?
それとも無関係の一族?

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 01:43:44.42 ID:4RWe1OET
飛騨っていうとなぜか飛騨鷹比等を思い出してしまう

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 22:34:44.64 ID:k6Fhdk0n
飛騨といったら甚五郎

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 22:45:48.38 ID:MumgZtZW
赤影かもしれん

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 07:29:28.62 ID:A3Ki2MCk
牛だろ牛、飛騨牛
あーでもこの時代は食わんよな

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 07:58:52.32 ID:sD34GSnx
>>78
日本の食用のなんとか牛は
近代になって海外の肉牛と掛け合わせた物だから

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 08:04:12.99 ID:7GiGOlWx
飛騨といえばブリだろ

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 08:32:24.20 ID:VlFlRE4n
乳牛の飼育に失敗したのは8代将軍だったか

82 名前: 忍法帖【Lv=14,xxxPT】 [sage] 投稿日:2012/08/21(火) 15:28:59.27 ID:3RAewFho
飛騨ってよくあれで1国になったね。
国力めちゃくちゃ低いんじゃない?

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 15:46:35.16 ID:MQ1+/the
あまりの低さに税金免除されたレベル

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 16:33:17.47 ID:F9rxcNHt
飛騨国は農業生産はゼロに近いけど、良質の木材と銅や亜鉛などの鉱物資源で
人口の割に収入はあるイメージだな。まあ、隣国などとの交易も大変そうだけど。

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 16:39:45.00 ID:QMn0xiiF
二年くらい前に白川郷に泊まりに行ってみたら、道中のトンネル手掘りが結構な数あったなー。
当然の事、幅は狭いし、短い間隔で道路工事やってたもんだからトラックも結構通るなから、なかなかスリリングで楽しかったw

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 17:07:16.77 ID:hUkpucKK
飛騨かぁ。高山とか下呂温泉には旅行で行ったことある
観光で行くにはなかなか素敵なところだけど、住むとなるといろいろ不便ではなかろう
か、と思ったり

俺が戦国武将だとして、もし、
「こたびの働き見事であった!加増してつかわす。○○国××郡に代わり、飛騨一国を与える!」
とか言われたら「ははぁ~有り難き幸せ」とか言いつつ、内心ビミョーなんだろうなw

でも、外敵には強そうだな。勝手知ったる地元の兵を動員してゲリラ戦に持ち込んだら
多少の大軍は撃退できそうなイメージ

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 17:13:16.00 ID:YGXQo3yb
飛騨は石高は大国の一郡程度だけど木材収入が結構な物だったから、
小大名クラスならかなり美味しい話かも。
結局木材の安定供給のために木曽共々天領になっちゃたけど

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 17:48:21.55 ID:fo8flQkM
長政が前任だったらハゲ山になって引き渡されたりしてな

89 名前:!ninja[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 17:58:33.84 ID:3RAewFho
>>88
忠興「このDQNが!」

どっちかいうと、兼続さんの方がそんなん得意そう。
TERUさんでもいいけど。
5人目に返せと言われ、家臣が決死で酒飲んで死んで、許してもらう。

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 22:23:34.59 ID:Kci/xxnv
おにいちゃんなら開発した鉱山のリストとかないないしそうだ

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 00:09:48.07 ID:5xjuHDDU
兼続さんはそのうち越後取り返す気だったから
そんな禿山にしたり統治に必要な資料ないないしたりはしないよ
むしろ景勝にべったりで会津移封から米沢減封まで自領である米沢放置状態だったのが
米沢にとっては悪い話(一応父ちゃんが城代してたけど)

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 01:11:38.52 ID:vzhmPES2
お前ら、天嶮に篭り強敵を幾度も撃退してきた内ヶ島さまをなぜ思い出さんのじゃ
連戦連敗のどこぞの猫抱き爺よりも凄いおかたぞ

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 01:52:47.69 ID:PcqlKZI+
そういや手掘りトンネルくぐる前に、向牧戸城址を観たなあ、城址公園すらない寂しい所だったけど。
まあ確かに「天嶮」だわw
保木脇に帰雲城を築き、とは向牧戸の看板に書いてあったけど、攻める気が起きなくてもおかしくないレベルだったんだろうなあw
でも越中西部の砺波まで勢力下にあったと書いてあったから天嶮に籠もってばっかりだった訳じゃないんだろうね

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 03:40:07.15 ID:oCwprfAj
>>92
おぉ、まさにジシンに溢れておりまするな。

やはり新納武蔵の武勇、比類無し

2012年08月19日 21:10

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 14:46:29.19 ID:c07NlFBC
ある時、薩摩島津軍が山越えをして敵城を目指すことがあった。いつ敵に見つかるか分からぬ土地で、
深く険しい山坂、道無き道を進むうち、さしもの薩摩隼人たちも音を上げた。

「い、いやぁ、しかしノドが渇くこと、ノドが渇くこと!」
「そうじゃのう・・ん?“のどの渇ける、の、ど、の、か、わ、け、る”・・・・・・
どうじゃ武蔵どの!歌数寄で知られた貴殿のこと、このような時でも上の句など付けられるかのう?」

危険な行軍のストレスを逸らすための座興か、イライラがつのっての無茶振りと言ったところだが、
お題を振られた新納武蔵守忠元は、すぐに上の句を詠んでみせた。

「 “中つかふ 女の足の ながければ” 」
「「おお!流石は武蔵どの!!」」

常と変わらぬ忠元に、島津家中は「やはり新納武蔵の武勇、比類無し」と賞賛した。(薩藩旧伝集より)


“中使ふ 女の足の 長ければ のどの渇ける のどの渇ける”

敵地を行軍中に
「 ウチのメイドさんの脚(;´Д`)ハァハァ 」(超意訳)とか言っちゃう親指武蔵マジリスペクト




128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 16:30:20.97 ID:lme70Y/G
武勇?

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 17:15:41.73 ID:nopW7FZ1
首取るだけが武勇じゃない
それで難行軍の士気が上がれば立派な武勇


130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 17:16:12.40 ID:M1oEUGj7
武勇っつーか戦場行くのに下ネタ(?)かましてる南の鬼武蔵は度胸のある勇者だって話だろ

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 18:26:32.00 ID:BwQaCWrc
武勇だけじゃなくて教養もあるからなあ、親指武蔵は
・・・幽斎さまだったらどんな句になるんだろう?

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 19:12:02.58 ID:wK/xOXfA
幽斎様といい、この手の古典落語の「青菜」みたいな話多いなぁ

まぁ俺は冴えた句を詠む数寄者ではなく冷えた柳陰を飲む方が好きな者だが

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 19:23:42.88 ID:Hb6qklkd
そういえば「生ツバごっくん」ってフレーズ、最近みないね

私は博打を打になんか行っていません!!!

2012年08月19日 21:10

61 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 13:17:21.55 ID:YECCYDjF
聚楽繁栄の時分というので、天正の16~20年頃であろうか。黒田家においては如水より、家中の者に
賭博の禁止を、厳重に申し付けた。
ところが桂菊右衛門と言う無足の者、法度にも関わらず毎晩他家に忍び出て博打を打っていた。

ある夜の事、菊右衛門は博打に勝って金・銀・刀・脇差など数多を取り、これらを雨羽織に包んで
打ち担いで帰る道、夜も明けようとしていた。

この道は如水が出仕のため通る道であり、行き合ってしまっては都合が悪い。如水が出仕の前に
帰ろうと道を急いだ。仮に行き合い、問い詰められたら、博打打ちに行ったわけではないと
言い訳しよう。その様に考えながら前の方を見ること無く急いでいたら、町の境目で
バッタリと行き合ってしまった。如水と。

菊右衛門大慌てである。心の準備もないまま出くわしてしまったのだ。パニックになった彼は
かの刀を担いだまま這いつくばり、聞かれもしないのに大声でこう叫んだ

「私は博打を打になんか行っていません!!!」

如水は、何も聞かなかった体で菊右衛門の横を通り過ぎた。


さて煩悶この上ないのが菊右衛門である。
「なんてことだ!あんなに取り乱してしまって、どうしようもないではないか!
この間法度を厳しく申し付けられたばかりだというのに…。きっと私は切腹を申し付けられるだろう!
こうなったらもう是非に及ばない。菊右衛門の奴は狼狽えてたわけたことをしたと、死後にきっと
馬鹿にされる!返す返すも無念だ。…どうしよう?」

そう思い悩んで長屋に帰り、すっかり草臥れていたのに寝入ることも出来ず、布団を打かぶって
まじまじとしていた。きっとガタガタ震えていたのだろう

さて、菊右衛門の大胆な告白を目の当たりにした、如水の出仕の時に供に付いていた者たちは
「おいおい何てことだ?コレはどうなっちゃうんだろう?」と、如水の出仕中座り込んで
囁きあった。
「絶対只じゃ済まないぞ。この間の博打禁止の法度は、普段よりも厳しく申し付けられた。
切腹は疑いようもないなあ…。」

そう考えると不憫に思い、供より帰ると直ぐに菊右衛門の部屋に我も我もと見舞い、さて、これからどうしよう
と話し合ったが、皆意見はまちまち

「とにかく逃げ出す以外はない!仰せ出される前に逃げろ!」という意見に菊右衛門

「いやいや、逃げ出すなんて出来ないよ。今朝すぐに逃亡しておけばどうって事も無く逃げ切れたの
だろうけど、あなた方が帰られ、こんなふうに相談してから逃げ出したら、あなた方が後から必ず
詮索を受けるよ。そうなったら私の逃亡先はバレて、またここに戻らされるだろう。
もう、とても逃れられない道だ。切腹を申し付けられたら外聞が良いように斬らせてくれ。」

そう行って逃げないことに決めた。傍輩達への信頼感はゼロである。しかし傍輩達

「そう思うのも理屈だけど、お前が逃げちゃえば、上から詮索受けても俺たち随分凌いでみせるぜ?
それでもどうしてもダメだったら、ま、その時は出てきて腹を斬れ。
そうした方が武士の手柄としても上だろう。さあ、急いで逃げる準備をしろ!急げ急げ!」

そんな風にしている所に突然、如水より御側衆の緊急の呼び出しがかかった。
すわ何事か!?何が起こったのか、もしや早くも菊右衛門の切腹の事かと口々に悔やみつつ、
取るものもとりあえず駆け出し集合してみれば、何のことはない、中間たちに居間の庭に竹垣を結ばせたが、
その結び様の手際が悪く、あれをほどいて手際よく結び直せ、との仰せ付けであった。
さては菊右衛門の事ではないと何れも安堵した。


62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 13:18:12.04 ID:YECCYDjF
その頃菊右衛門は、切腹の仰せが今か今かと固唾を飲んで、部屋で(多分布団をかぶったまま)
ガタガタ震えていたが、一人走り戻ってきて
「博打のことじゃないぞ!垣を結べという事だ!」

と報告したので、菊右衛門、そして一緒に残っていた者たちはホッとして大息をついた。そして菊右衛門
「こういう仕事にはいつも出ている私が、ここで引き込んでいるというのも良くないだろう。
もう手討ちにあってもしょうがないさ。あなた方と一緒に行くよ。」

と言い出したので、傍輩たちも「それも尤もだ」として共に竹垣の直しに向かった。

さて、如水は居間の縁側からそれを見つけると「菊右衛門!菊右衛門!」と高々と呼んだ。
傍輩達はこれに

『すわ、博打の事だ!不安だなあ。だけども如水様は家来を手討ちにはしない人だ。その上
他家での手討ちをいつも批判しているほどなので、まさかここで私が手討ちにされることは
無いだろう。いつもみたいにしたたかに叱りつけると言う事なのだろう。
上手く行けばここで、この件に関しては埒が明くぞ!』
そう思いながら尻目に見ていると、菊右衛門はいかにも近くまで呼びつけられ何事か囁かれた。

傍輩達『これは博打のことではない。何か隠密の用でも仰せ付けられるのか?
それとも如水様は彼の常日頃の心立てをよくご存知なので、菊右衛門に直に申して、埒を明けて
下さるのだろうか?おや?菊右衛門も何か申し上げているぞ?多分博打のことだな。
如水様が申し開きを聞いてくださっているのだ。あら嬉しや』

そう囁き合っているうちに、如水から

「竹垣を直し終わり、掃除をしたら皆々帰って休め!よく骨を折ってくれた。上々の竹垣である。
これには気に入ったぞ!」と、悦びを伝えた。

彼らは庭を出るやいなや菊右衛門に「何事を囁かれたのか!?」と尋ねた。すると菊右衛門

「あの事ですよ。お前、昨夜は博打を打にどこに行ったのかと聞かれたんだ。
どこどこの殿の家中に参りましたと申し上げると、

『どうやら勝ったようだな。刀、脇差の他、金をどのくらい取ったのだ?』

私は五百目程取ったのだが、如水様の常日頃の気質を知っているので
『一貫目あまりだと思います。今朝からは殊の外悩み苦しんでいたので、金ももはや要らぬものと思い
打ち捨てていたので詳しくはわかりません』

と申し上げた。すると如水様は手を打って喜ばれ
『先ずは勝ったか!でかしたぞ!しかし小金を要らぬものと思うのも当然だ。法度を厳しく言いつけたのだから、
お前のやったのは近頃は危ないことだ。
まあ、お前が今朝のようなたわけた事をしたのも、法度を常々恐ろしく思っているゆえだろう。
それ程に思っているのなら、今後はいかなることも法度に背いてはならぬ。

良いか、何でも物事というのは、良い事の次には悪い事があるものだ。勝った時はしっかりとそこに留まれ。
お前の身体にとって昨晩の勝ちは重々しいことだ。今後お前の身代が擦り切れたと聞いたら、罰を
与えるぞ!構えて構えて、博打を打ってはならぬ。むざむざと物を人に与えて、身代が擦り切れないようにせよ。』

そう、念を入れて仰っられたのだ。」
菊右衛門ははその仰せを肝に銘じ、誓紙にするまでもなく、博打をやめた。

その後彼は如水より知行を与えられ、身体に過ぎる富貴を得、年老いて子に知行を譲り、一生楽をして
80歳に及んで死んだという。

桂菊右衛門が博打のバレた顛末、についての逸話である
(古郷物語)




63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 13:32:07.55 ID:w2Dv+0c1
>>61-62
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-873.html

の詳細・別出典版というのかな。詳しくありがとう。
個人的には時間的に遠い被りは気にしないけど・・・

やっぱいい話なんじゃね?w

道雪とはなんと、武士冥加の強い侍なのだろうか

2012年08月18日 20:51

114 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 19:18:05.85 ID:BGjsCREX
戸次道雪が立花城に移って以来、方々での働きにおいて手柄忠節の多さにより、豊後の大友家より
感悦の使者が送られた。しかし筑後路も敵領であり、通路がないので、豊前より船で海路をもって
遣わされた。

さて使いより道雪には、第一の褒美として旗竿を遣わすとの旨が伝えられた。これはとりわけ道雪のため、
吉日を選びこの使者が帰国して報告を次第、船にて送り遣わすとの事であった。
道雪はこれを承り悦び申すこと限りなく

「さて旗竿の事、家の面目、一代の名誉、老後の本望、いったい何事がこれに匹敵するでしょうか。
出来る事なら御本国へ伺候して頂戴したいのですが、方々の敵が隙を伺っている状況です。
そこで、幸いにもご舎弟の田原殿(大友義統の弟・大友親家)が、御代官として筑後黒木城に
御座なされております。ですので旗竿を黒木まで届けて頂ければ、この老体が彼の地まで罷り越し、
田原殿の御前において頂戴仕ります。私は大きすぎる冥加は恐ろしいと考えています。御使者によって
ここに直接に送られるのはどうか御免なされるようにお願いいたします。」

この様にたって申し上げた。
使者が豊後府内に帰ってこの旨を伝えると、大友義統の周りは困惑した。

「道雪が恐縮するのはともかく、立花城から黒木城まで行くのに、筑後までの七里余りは大敵秋月の領分であり、
特に城下一里余りの所を通り、また筑後の問註所氏(一族の一部が寝返っていた)の領内を四里ばかり、
これも城下半里ほどの場所を通ると牛島という巨大な坂があり、これはいかなる鬼神でも通れないような
場所である。

道雪め、自分の手柄の程を人に知らせんがため、広量な御請を申し上げたのだろう。
そんなふうに言ってもどうせ、まさか黒木に送るとは思っていないだろう。」

その様に言って、再び使者を添えて、船にて立花城に直接送った。
この時の道雪への批判は、府内にも多くの道雪贔屓の人々が居たので、彼らから道雪へと伝えられた。


115 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 19:18:40.73 ID:BGjsCREX
さて、立花城にて道雪は旗竿を受け取り、その祝宴も終わり使者が船で帰っていったその翌夜半、
道雪は立花城の館を出て、翌日は高橋紹運の領地である三笠郡に逗留、下々の足を休めると、また
夜半に打ち立ち、秋月領である長者町と言う所で夜が明けた。そこかた甘木という町を通り筑後川を越えた。
甘木は秋月城から一里半ばかりの場所であったが、秋月城からこの道雪の一行に向かって
軍勢が駆けつけることはなかった。これは、その頃侍たちは何れも知行地に召し置かれており、
普段は百姓をやっており、軍陣やその他、人の要る時だけ呼び出し召し使うという時代であった。

そのため道雪の一行の直接に見、あるいは聞きつけた者たちだけが在々より集まり、「道雪は
少人数で通るのなら、これを討ち取るべし!」と前後から攻めてきた。

さて道雪はあらかじめ「大勢を引き連れていくのはかえって良くない」と、精鋭を300人ほど、
何れも徒歩にて召し連れ、きっと手負いも出るだろうと馬も少々引き連れ、自身は例の手輿に乗り
先手と手廻りの二手に分け、先を塞ぐ者たちは先手が追い払い、後ろからくる敵には自身がとって返し
蹴散らし、道雪に向かって来るもの達は打ち捨てにした。

この様にして秋月領内を難なく通りぬけ、筑後に入り問註所の城下半里ばかりの所を踏みつけ通り、牛島という
大坂を越えて、何事も無く黒木までたどり着いた。即座に大友親家に面談し、

「御旗竿をお預け頂き、これによる家の面目、弓箭を取るほどの者ならば皆望む程のものです。
老後の本望を遂げ、忝く存じ奉ります。
本来ならば御国元に参上して御礼申し上げるべきなのでしょうが、それがしが今他へ行ってしまえば
方々の敵たちが力を得てしまうと考え、ここまで罷り越しました。
貴方様は御屋形様の御代官であり、特に御兄弟でありますから、御屋形様を拝み奉るのと同じ事です。」

この様に御礼を懇ろに申し上げると、次の日早朝に黒木の城を出立する折、黒木城の軍勢は
問註所の城のある妙見獄を攻めることが決まっていた。
道雪一行は諸勢に先立ち妙見獄を通り過ぎ、問註所の領内を静々と通ったが、問註所の方では
防衛のため城に集結していたため在々に人はなく、心静かに秋月領まで進んだ。

秋月領内の者たちは、普段道雪に手ひどくやられているため、藪の中に隠れながら道雪一行を
監視する、といった有様であった。これによって道雪は何事も無く立花城に帰り着いた。

黒木において、大友親家に付き従っていた豊後の者たちは
「大軍勢で合戦をし、敵を蹴散らせばようやく通れるような場所であるのに、
わずか300人ほどの人数で、敵領12,3里の間を心静かに通り、道すがら遭遇した敵も打ち捨て、
しかも味方に負傷者もなかった。道雪とはなんと、武士冥加の強い侍なのだろうか。
あの人には軍神が乗り移っているのではないだろうか。」

そう、感嘆したそうである。
(古郷物語)




116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 20:09:07.80 ID:1W5Q48/b
鬼武蔵に思慮があればこんなふうになれるのかな?

北松斎(北信愛)と奴踊りの始まり

2012年08月18日 20:51

北信愛   
117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 22:12:40.86 ID:m9sndWvf
本日北松斎公400年忌

北松斎(北信愛)と奴踊りの始まり

慶長6年4月26日、伊達に支援された和賀忠親の篭る岩崎城を陥落させた南部軍は、
戦勝に喜びながらもさすがに疲れた様子で、岩崎街道を花巻へと帰還していた。
既に時間も遅く、空には夜闇が立ち込め、兵達は煌煌と灯るたいまつを手に列を作って粛々と行進した。

そして南城というところにさしかかった頃、東の北上山地から光り輝く月が顔をのぞかせた。
北上川は月の光りを映して銀色にさざめき、街道の松の向こうには花巻城のいらかが見える。

先頭を歩む隊長は、自分と馬の影がくっきりと映るほどの、松明もいらないほどの明るさに興が乗り、
部下達に松明を捨てさせ、そしてそれを踏み消させながら朗々と馬上で歌いだした。
つられた士卒たちもこれを真似て歌いだした。

  地こぶのてっぺんから
  星の親玉顔出して
  火事の卵をがちゃりと踏んごわした

地こぶとは土のこぶ、すなわち山のこと。星の親玉とは月。火事の卵とは松明のあかりのこと。
そして火事の卵とは、和賀稗貫領でくすぶっていた和賀一党の反乱のことで、その光を星の親玉――北信愛がうち消した、という歌なのだ。
将士はこの歌をすっかりと覚えこんで、歌に合わせてだれともなく両手を動かし、左右に足さばきをつけて踊りながら歩いた。
これが今に続く奴踊りの一番歌、その元歌とされている。

その後時を経て、花巻にある観音寺の祭礼の際、城中の若侍たちが唐竹で大きな鯨をこしらえ、これを車に乗せて町を練り歩いた。
その山車は評判となり、松斎の耳にも届き、これを見物してすこぶる上機嫌となり、若侍たちに酒をふるまった。
若侍たちは酒興に乗り、例の歌を北松斎の前で歌い踊った。

松斎は大変喜び
「気味のいい歌だ、もっとつづけよ」
とほめそやし、さらに勢いづいた若侍たちは縁側にかけてあった大うちわを手に取り、それをかざして踊りまわった。
これが、にないもの奴踊りの始まりだという。




118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 22:24:13.36 ID:yREJO4JG
戦国の頃は武士も領民も芸達者が多いようで宴会芸を一つも持っていない俺としては羨ましい

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 22:46:03.49 ID:s9xZ4BTH
では一つ某がエビ掬いをば…

駿府で徳川家康は林羅山に質問をした

2012年08月18日 20:50

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 16:05:37.21 ID:oIwLRfRm

慶長十七年三月、駿府で徳川家康林羅山に質問をした。

「中庸に『道はそれ行はるべからず』とあるが、どうして行われなかったのだ」
「行われなかったのではなく、人君はみな暗愚であったので行うことができませんでした」

「では中とは何だ」
「中とはおよそ一定し難きことで、それぞれに格好の道理があることを申しまして、
理と申すも同じ様なことです。中にも権にも善悪があります。湯王と武王の故事は一見すると
悪しきことのようですが、その心は善でありました。古人の『逆に取て順に守る』に当たります」

「では善でも悪でもないのが中の至極か」
「それがしの愚意は尊旨とはまったく違います。中とはまったくの善であっていささかも
悪所のないことを申します。ゆえに善を善とし、悪を悪として取捨することも中ですし、
是非を考えて邪正を分かつのもまた中です」

羅山は湯武について ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2094.html のように言った。

「対して新の王莽や魏の曹操などは人の家国を奪い、己一身の驕奢だけを望んだ奸賊で
あって湯武とは天と地ほどの違いがあります。また『逆に取て順に守る』とは権謀術数の徒の
申す所にして、聖人の言われた権道とはまったく違います。

こうしたことはみな経典に記されておりますので、邪説のためにお疑いの心をお持ちにならない
ことが肝要です。古今聖人が懇ろに教え置いた言葉は、単なる理の一字には留まりません」

この時、家康は羅山の説の醇正さと明晰さに感心したとされる。

――『徳川実紀(羅山行状)』



121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 17:42:19.96 ID:oIwLRfRm
>>120
うわ、申し訳ない。「中にも権にも~に当たります」までは家康の言葉だった。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2094.html と同じですね。
こんな感じ↓

「では中にも権にも善悪があるが、湯王と武王の故事は一見すると
悪しきことだが、その心は善であった。古人の『逆に取て順に守る』に当たる。
では善でも悪でもないのが中の至極なのか」




122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 18:00:56.86 ID:sH4sD/XL
権現様「ふーむつまり、新・魏のような禅譲より殷・周のような放伐のほうが善ということだな」
林羅山「え?」

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 18:52:02.82 ID:XFFckGPj
地獄への道は善意で敷き詰められているという言葉もありましてな

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 22:46:14.91 ID:k9w5P8oc
豊臣の天下奪った権現様になんて事言ってるんだよ(´・ω・`)

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 23:36:27.55 ID:5iDCGB5y
>>124
だから殷周の故事を引いて正当化してるんだろ(´・ω・`)

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 00:04:16.60 ID:Hb6qklkd
晋まではまだいいよ。所詮漢民族内の政遍歴なんだから。
そのあとの南北朝・五胡十六国のぐちゃぐちゃぶりの中から大義名分論が出てきて
江戸時代の儒家はそれに付き合わされて、ついには徳川幕府が自己否定してしまうわけだが。

諸大名への拝借金顛末

2012年08月18日 20:50

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 14:04:03.68 ID:q5nYetVq
権現様(徳川家康)は(将軍職を秀忠に譲って)駿府に移られる際も、万事質素に隠居成されたため、
御他界なさるまでに百萬両に達する貯金を作られた。
その内から尾張殿と紀伊殿に三十万両づつ、水戸殿へ十万両を御遺金として進呈され、残りの三十万両は
江戸の御金蔵に入れておくべきか伺いを立てたところ、そのまま駿府に残しておくように、とのことであった。

大納言忠長卿(秀忠次男)が駿河を拝領された時、この三十万両はおそらくお城に付いているものであると
皆思っていたが、この資金の所属についての明言がなかったので、忠長は幕府の御金を預かるのは迷惑であると
申し入れ、久野の御宮に御金蔵を作りそこに移した。これを世間では久野の御金と呼んで莫大な額があるように
言っていたが、ただ三十万両ではなかった。
それは尾張殿の江戸上屋敷が失火で消失した時の普請料として十万両、紀伊殿の和歌山城普請の時に十万両、
水戸殿には三万両を、それぞれ拝借が認められ、その後少しずつでも返済いただきたいと、幕府の勘定方から
お願いすると、尾張殿からの返答は

「私が拝借した御金はもともと権現様がご隠居料の中から貯えられたものであり、ご他界された時、遺金として
我々兄弟三人への御譲金の残りであり、それを我々が拝借したのだから返納する必要はない!」

と拒否し、紀伊殿、水戸殿も拝借金に対しては沙汰無しとなってしまった。

当時はその他の大名衆にも拝借金が認められていて、それぞれの借金は決まった通りに必ず返済されていた。
ところが伊達政宗の借金返済が滞ったので、これまた幕府勘定方より催促したところ、陸奥守忠宗からは

「私の代では拝借をしておらず、亡父政宗の代に借金があったとのことですが、どういう経緯で借金をしたのか
今は解りません。親の代に借りた御金ですから、親が生存しているうちに返上を申し付けられるべきなのに、
その時は放置しておいて私に返上しろとは、全く迷惑な話です!」

そう言って返済しようとしない。
また譜代大名の松平越中守の方でも拝借金返済が滞っており、これにも勘定方から催促すると、越中守は

「前に拝借した時、私の方からさし上げた証文があるはずなので、それを見えてもらえるか?」

と言うのでこれを取り寄せると、越中守はそれを見て

「うむ!私の覚えているとおりだ!皆もここに見えているように、『御貸し下され有難く存じ奉る御金の事』と書かれている。
これは『拝借を仰せ付けられた』とは私の解釈では『拝領を仰せ付けられた』ということなのだと考え一言書いたものである。
従ってこれは、返上の必要はないと思う。」

と、これもまた返済しようとしない。
この様なことがあったので、幕府からは今後もう、諸大名への拝借金は認めない、と言うこととなった。
(駿河土産)

言を左右にして何とか借金から逃げようとする大名たちのお話である。




47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 14:15:07.86 ID:XzgT6NJu
これが武断政治の実体か・・・

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 14:17:17.73 ID:uY5jsbIY
ジュニア世代も立派に育ってるなぁ、感動した;;

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 14:30:28.20 ID:HjX195iS
福島正則の改易とか結構厳しいイメージがあったから意外だった
借金を理由に伊達を取りつぶせばよかったのに
抵抗したら奥州征伐で。あの時代の武士って戦無かったからちょうどいい演習になるしな

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 14:33:13.22 ID:lBc6ZGAR
あの時代だからこそ穏便にすまそうと思ったんじゃないの

戦を経験した人も少ない時代だろうし

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 14:38:59.19 ID:54p/53yT
>>49
取り潰されるのは五人目の四天王。
四天王は潰されない。
完璧超人だからw

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 15:28:20.03 ID:UpumMJAU
津山は取り潰されたじゃん

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 15:52:49.91 ID:Wbfacg1H
江戸の人口を仙台からの米が支える構図がこの時期どのレベルだったかよく知らんけど
幕府が伊達とケンカして米の流通滞ったら物価経済の混乱で借金額なんぞとは
比較にならん損失出るんじゃね?

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 16:42:22.73 ID:nlJ9mhVm
でも下手すると直轄地にされる諸刃の刃

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 23:04:37.98 ID:aSk0UUbR
借金踏み倒すってなんかムカつくな
全部取潰してやればよかったのに

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 02:10:15.36 ID:v7aAzoIl
金は卑しいものという意識が当時はあったみたいだし
幕府としても、金のことで揉めるのはみっともないという考えがあったのかもね。

現代の感覚だと借金はどんなことをしてでも返さないといけないって感じだけど
当時の感覚とは相当な隔たりがあるんだろうな。

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 03:45:56.60 ID:wK/xOXfA
犬千代さんなら追込み掛けるんだろうな…

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 04:00:28.72 ID:VzY311M/
犬千代さんなら政宗が死んだ段階で借金の証文を燃やすだろ

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 10:06:15.52 ID:+GSIWw/p
まつ「うちの旦那なら…」

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 10:53:47.82 ID:7Kz0Em/i
あれ?細川さんどちらへ?

武士は武士臭く、味噌は味噌臭く

2012年08月17日 20:51

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 01:25:57.92 ID:Z2C7aWiJ

徳川家康の言行にこんなものがある。

「その日の生計がわずかであっても馬具をきらびやかにしておき、
人も多く持とうとすることこそ、良き侍の覚悟である。

世の諺に『武士の武士くさきと味噌の味噌くさきは用ひられぬもの』
というが、これは公家か市人などが言いはじめたことだ。

武士は武士臭く、味噌は味噌臭いのが良い。

武士は公家臭くても、出家臭くても、農商臭くても良くない。
味噌は生臭く、焦げ臭くても良くない。

味噌は只本来の味噌臭さが良いのだ」

――『徳川実紀(武野燭談、本多忠勝聞書)』


しれっと味噌ネタを盛り込む徳川実紀であった。




110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 07:19:34.61 ID:VAJbYdBT
数正「この臭さは・・・上質な味噌にござりますな・・・」

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 09:25:45.73 ID:7lCq+nIF
日光東照宮は味噌臭くなくてはならない。

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 11:48:26.31 ID:9b4pGLGn
この場合の味噌は三方原のあの焼き味噌だな。

113 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/17(金) 12:05:51.79 ID:G2dOiP7R
今日は2ちゃんねらーらしい2ちゃんねらーばかりだな

ある時、徳川家康がオコリになったことがあり

2012年08月16日 20:53

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 17:28:57.57 ID:tme3h6f2

ある時、徳川家康がオコリになったことがあり、様々な治療を試みたが効果がなかった。
そんな時に病を治すことができるという者がいて、家康の病を治すために呼び出された。

ところがその者の治療法というのが珍妙であった。まず、その者は屏風の陰に立って
「さあ参るぞ参るぞ」と言うので、家康は「何をするつもりだ」と笑った。

すると今度は丸く括った帯を蛇のようにして投げ出したので、家康はただ可笑しく思って
いるだけで、病気はまったく治らなかったということだ。

身分の低い農民などの療法を家康のような高貴な人に使って、病気を治し大手柄を立て
ようと考えるとは、滑稽な話である。

慶長五年の七月頃に家康はオコリになったというから、これはその頃の話であろう。

――『徳川実紀(古老夜話、武徳編年集成)』





11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 17:33:34.74 ID:V8qOPIpn
>>10
家康「今日からお前は帯太郎と名乗るがよい」

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 17:59:07.21 ID:Vp2XNNtA
こういうインチキ治療師が来た時、家康だからケタケタ笑ってるけど、
信長だったら世を欺く輩と言って成敗するんだろうな、と思うと
そのあたりがいい悪い別にして、君主としての違いにもつながるんだろうな、とか感じた

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 18:57:24.19 ID:Xpp3CHsJ
オコリってなんだよって思ったらマラリアのことかよ
危ないもんにかかってたんだな

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 19:38:04.14 ID:eY6iCOv1
マラリアや天然痘、破傷風にかかっても治療法がないんだもんな。恐ろしい時代やでぇ・・
梅毒もこの頃からか

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 19:50:01.63 ID:IOF/2KPf
穴山梅毒さんは上京して相当羽目を外して遊びまくったのかな

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 19:55:22.47 ID:FaHuI2bT
てっきり朝鮮出兵で流行したのかと思ったのだが
それより前から流行してたのか>穴山梅毒
しかしコロンブスから100年で日本までというのがすごいというのかなんというか
と思ったら日本での初発は1512年だった(20年で全世界一周)

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 20:27:56.49 ID:QB5cLZmC
穴兄弟ばっかだったのか・・・

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 20:37:07.70 ID:0AEbxoW1
あなおそろしや

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 20:54:19.43 ID:1hYEWxTb
>>16
穴山さんを性病扱いするのはやめて差し上げろ!

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 21:16:32.42 ID:JN9TD1HE
>>17
避妊具なんてない時代だからな…
感染の温床になりそうな遊び場所はあっただろうし。

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 21:21:50.23 ID:D1WVlOYP
>>17
大名を相手に出来るクラスの高級娼婦がとても少なかったらしい

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 21:31:38.10 ID:VeD+5Xaa
>>10
 まあ「病でこのまま俺は死ぬんだ……」と心が折れかけてる人には微妙に効きそうな気がせんでもない

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 21:40:52.87 ID:Vp2XNNtA
>>21
応仁の乱の原因の一人でもあった畠山義就の母親は京の高級娼婦で、小笠原氏や飛騨江馬氏の所でも
子供作ってるな。全部お家騒動の元になってたりw

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 23:27:30.00 ID:FaHuI2bT
なんか小少将を思い出した(こっちは高級娼婦じゃないけど)
畠山と小笠原のネタもあるが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4375.html
明智光秀の姪であり、細川持氏の妻として細川真之を産み、
持氏の仇である三好義賢の妻となり三好長治と十河存保を産み、
三好長治の後見である篠原自遁と通じ、
三好長治を攻め滅ぼした長宗我部元親の妻となり長宗我部右近大夫を産む
[ 続きを読む ]

家光は氏長に獲物の数を数えるよう命じた

2012年08月16日 20:52

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 18:55:44.44 ID:tdBm0c4/
連休最後に図書館行ってきたんで小ネタを

北条氏長が徒歩頭の時、家光が板橋のあたりで狩りを行なった。
思いのほか大猟であり、家光は氏長に獲物(鹿)の数を数えるよう命じた。
しかし辺りはすでに暗く、獲物の数も多いので簡単には数えられない。
どうするべきか…

そこで氏長は鼻紙を切り、その数をあらかじめ数えたうえで組の者に渡し、その紙を1枚づつ鹿につけさせた。
全てつけ終わったところで、残りの枚数から鹿の数を割り出し、家光へ報告した。
みな氏長の考えに感心したのであった。

『名将言行録』より


非常に既視感を覚える逸話ですが…一応良い話ということで
あと薄暗い原っぱに敷かれた大量の鹿というのも想像すると不気味ですね




89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 21:37:30.11 ID:APcVaHzw
>>88
板橋にも鹿がいっぱいいたのかー

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 22:31:24.60 ID:gSKt1dSl
>>88
結局、具体的な数は名将言行録に出てこなっかったの?

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 23:22:58.36 ID:3AmN5/i9
本田正純みたいな奴がいるなw

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 23:30:34.05 ID:PuZaOFjy
>>89
練馬なんて戦後までド田舎と言うか東京とは名ばかりの田園地帯だったそうたし、
江戸時代は渋谷とかも規模は村であり今みたいな繁栄はしてなかったそうですからね…

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 23:37:15.53 ID:hjv79N4y
>>89
しかとはわからぬ…

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 23:45:21.48 ID:/Lh96GhQ
練馬は豊島氏と石神井城推し
http://www.city.nerima.tokyo.jp/annai/rekishiwoshiru/rekishibunkazai/rekishitenbyo/toshimashi.html

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 00:19:45.32 ID:EuixgF7S
21世紀でも多摩にある大学キャンパス内で 鹿に注意! の看板あるからなぁ~

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 01:52:10.84 ID:FfuCbwfd
さすがに鹿はいないけど浮間公園でタヌキを見た事ならある。

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 02:43:17.94 ID:Yp0wxjhx
権現様飛び出し注意!

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 03:27:33.95 ID:B1bwIWwz
ようしパパ関が原まで走っちゃうぞ!

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 04:53:50.56 ID:0AEbxoW1
ようし、婆食い逃げ追い詰めちゃうぞ

大将は合戦の際、絶えず前方にいるべきだ

2012年08月16日 20:52

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 01:51:08.53 ID:gWlFiXHT
武者奉行である大将は合戦の際、絶えず前方にいるべきだ。
敵の首を取った者、怪我した者、そういう知らせが大将のもとに来る。大将が前におれば、それだけ
前面の備えは厚くなって強くなる。
もし大将が後方にいた場合、先陣の兵も知らぬ間に後方に集まり、ちょっと敵に攻められると、
おじけついて、我先にと逃げてしまうものだ。

朝倉宗滴話記』より


あなただからできるんだと思うんですが…





101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 06:27:26.90 ID:IOF/2KPf
レオン&ダミアン「ほら見ろ、やっぱり大将は前方にいるべきなんだよ!」

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 10:10:01.86 ID:EuixgF7S
レオン&ダミアンっていうと向こうの殺し屋か傭兵みたいになっちゃうなw
どんな二つ名がつくんだろうw

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 11:02:14.54 ID:0AEbxoW1
直情径行のダミアン
直進行軍のレオン

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 11:14:40.15 ID:MmqyQt1U
>>96
それを体現したのが道雪のお神輿です
大将がどんどん進めば家臣たちも前にいかざるをえない
能力のない大将がやると沖田畷みたいに大敗する諸刃の剣だが

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 13:50:27.74 ID:kf0LG2l8
「我が軍の大将は鉄砲より怖いので大将が本陣にいるとみんな前に出ますよw」

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 14:16:46.28 ID:IOF/2KPf
>>104
>能力のない大将がやると

>>77の山県の話もそれなんだね
自分が進みたくても相手だって負けたくないわけだから
互いに押し合い圧し合いなかなか思うようにいかないもの
鍋島茂賢が初めて必死の槍働きをした際に感じた不思議な距離感
その中でもやはり名将は討ちかかるべき相手や場所や頃合を見定めていく
しかも家康相手に常に五~六間というのだから九州まで音に聞こえる訳だ

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 22:14:18.21 ID:ujcjoGNt
>>104
道雪の合戦での輿はともかく、普段はどうしてたのかね。
屋敷内での移動とか、勘を忘れないための鍛錬とか、下の世話とか、褥創防止とか


108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 00:09:22.62 ID:1W5Q48/b
じゃあ先方100人討ち取ればそのなかにいそうだな。工場長とか鮭様とかだと。真田パパンなら全員討ち取ってもいそうにないけどw

週刊ブログ拍手ランキング08/08~/15

2012年08月15日 20:54

08/08~/15のブログ拍手ランキングです



政宗と太閤殿下のハートフルな交流 69

『政宗の野望』 50

大久保彦左衛門は突然「但馬殿、仕合を致しましょう」 48
立花宗茂、秀忠に召し抱えられるまでのいきさつ 45

黒田如水は世捨て人のようであった。が 42
ネタ・福島正成の福島をくしまと読むと知った時は驚いたな 42

会津を任せるに相応しい人物は誰か 40
さて中身は・・・・・・ 40

「その積善は後世の子孫にまで及ぶだろう。」 37
三好長慶・キリスト教への理解と保護 33
徳川家康「名前はよく考えろ」 31

『幸村の実像』 27
『信長、謙信に降伏する!?』 26
雑談・最近、立花宗茂人気だな 25

織徳同盟成立時の会話 23
大将首は丁重に実検せねばならんぞ 23
『綱成の必勝法』 21
村越茂助と鎌倉八幡宮訴訟 21
ホントですか大僧正? 21
合計 1040


今週の1位はこちら!政宗と太閤殿下のハートフルな交流です!
伊達政宗と豊臣秀吉というのは、生まれも育ちも立場もまるで違うのですが、不思議と気が合う
関係だった感じがありますね。もちろん秀吉は政宗を警戒し、政宗は秀吉を心底恐れていました。
それでもどことなく、お互いにお互いを面白がっているように見えます。
相違関係だったからこそ、政宗もなんのかんのでこの時代を生き残れたんじゃないかな、
なんて、この逸話を読みながら思っちゃいました。

2位は、こちらも政宗のお話!『政宗の野望』 です!
個人的にはこういうもの、例えば熊本城の昭君之間なども、後世の穿ちすぎの解釈だと考えています。
公的にも幕府から国目付けなどが派遣される江戸期において、そういう言い訳の効かないものを
残すわけがない、と思うんですね。
ですが政宗という人は、ある意味自分の野望をおおっぴらに見せつけることで、逆に安心させるという
稀有な才能の持ち主でしたw
そう考えると、あるいは政宗なら…、なんて気もしてくるのが、伊達政宗という人の、本当に
魅力ですねw

今週管理人が気になった逸話は、こちらも政宗とは別の意味で警戒されていた人の逸話!
黒田如水は世捨て人のようであった。がです!
これだから黒田如水は油断がならない。何かあった時に備えて素知らぬふりでこんな仕組みを作っている。
そりゃあ秀吉にも警戒されるってものですw
ある意味おおっぴらな政宗と比較すると、実に底知れなくて不気味です。
このあたりが如水の強みであり、また大きくなりきれなかった弱点でもあったんじゃないかな、
なんてことを思ったりしました。

今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました!いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
そして今日は8月15日。お盆であり終戦記念日ですね。
今日は、近い過去にも、想いを寄せたいと思います。

そうそう!第1回・戦国女性キャラ投票!の方も、まだまだ投票募集中です!
どうぞよろしくお願いします!
( ´ω` )

戸次道雪が常々言っていた事に

2012年08月15日 20:53

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 09:06:30.60 ID:/k4Ik1zx
戸次道雪が常々言っていた事に

「侍に臆病な者はいないと確信している。もしそういう者が居たら、それはその当人の科ではなく、その主人の
使い方が悪いためである。悪しき主人を頼んだばかりに、惜しいかな侍を捨ててしまったのだ。
どうしてそんな事が言えるのかといえば、私に従ってくれている者たち(申合わせ候衆)は、侍身分は申すに及ばず、
中間・小者に至るまで度々手柄を立てない、という事は無いからなのだ。
他家において臆病の名高き者たちよ、かわいそうに、私のもとに参るが良い。私のもとで指導してみたいものだ。
仮に一度目は悪くても、二度目には必ず手柄を立てさせるだろう。」

実際に道雪のこの広言に違わず、道雪の配下に度々手柄を立てないような者はいなかった。

道雪がある時、とある若き者が初陣の合戦で遅れを取ったという悪口を言われている、と聞くと、彼を近くに召し寄せ

「其の方は昨日の合戦で些か遅れを取ったようだが、武辺の事は、そういう事が有るものなのだ。それは
全く以て臆病だからではない。出来・不出来・明・塞があるのが武辺なのだ。
特に其方が臆病でないことは、私は老巧でな、能く解っている。

さあ、明日にもまた合戦がある。其方、人に煽られて粗忽の働きをして、討ち死にしてはいかんぞ!
それはこの道雪に対し、最大の不忠である!
身を全うして敵を討つ分別こそ肝要なのだ。お前のような者たちが従ってくれるからこそ、この老いぼれも
口をきけるのだよ。偏に頼み入るぞ。」

その様なことをいかにも親しく、懇ろに申し聞かし、酒など飲ませ、自身の喉輪か脇引きといった小具足を取らせた。

次に合戦のあった時、この若者は火の散るほどの働きをした。そこで道雪は彼を大勢の前に呼び出し

「この者を見よ!お前たち、この道雪が見損じることはなかったぞ!
困ったことには、この者は逸り過ぎて討ち死にしてしまうのではないかと、片面では悔やんでいたのだ。
この者は今、牙に血をつけ面白く嬉しく、また思ったよりも武功を立てるのは簡単だと思っているだろう。
こういった若者が、これから次第に経験も重なり、この道雪の家において5人7人を争う武者になることも多いのだぞ。」

と、褒め称えた。

また道雪が平時に侍を召し使っている時、客人が訪問して、その侍に大いなる仕損じがあった。
普通の主人ならばしたたかに叱りつけるか、又は追放するほどの不調法をした時、道雪は打ち笑って

「御覧になって下さい、私に従ってくれている者たちはいずれも無調法にてなんとも困ったものなのですが、
こういう事になった時には、いつでも火花が散るのですよ。」

そう言って槍を繰り出す真似をした。客はこれを見て、「侍にとってそれより他に、何が必要でしょうか?」と
深く感じ入った。
無調法をした侍は、これによって当座の恥をすすぎ、かたじけなく思い涙を流した。
(古郷物語)

戸次道雪の人使いについての逸話である。






関連
立花道雪と家臣の使い方・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-245.html
立花道雪の主従・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-107.html

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 11:50:10.49 ID:8nFl45AV
>>79
その逸話 イイネと!君は言ったけど
三つまとめて 既出記念日

「すわ、例の音頭が出たぞ!懸かれ!」

2012年08月15日 20:53

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 12:16:24.57 ID:/k4Ik1zx

戸次道雪は若いころ雷にあたったため、歩行することが出来なかった。
そのため常に手輿に乗り、二尺七寸ばかりの高田打の刀、種子島の鉄砲一挺、三尺ばかりの手棒に腕貫をつけて
いつも手奥に入れ、また長刀だけを持った若侍を、定衆と名付け、これを100人、徒歩にて召し連れていた。

合戦が始まると道雪はこの定衆に手輿を担がせ、敵との距離が近くなれば、手棒にて乗り物の縁を叩き、
自身で

「えいとう!えいとう!」

と声高に音頭を取った。この拍子に合わせて

「輿を担ぎ、あの敵の真ん中に担ぎ入れて、そこに捨てよ!」

と、いきり立った。
手棒の拍子より少し遅いと思えば後先の担ぎ手を手棒にて打ち、打たれたものは敵の面前で
逃げたかのように互いに笑われたので、彼らは面も振らずに輿を担ぎ入れた。

輿を担がないものは長刀を抜き先に進んで攻めかかった。
先手の者たちは道雪の拍子が聞こえてくると、「すわ、例の音頭が出たぞ!懸かれ!」と、
優れた勇士たちが斬りかかるので、いかなる堅陣と言えども、駆け破られない、ということはなかった。

しかし戦の習い、道雪の戦において先手が追い立てられることも度々あった。それでも旗本が堅く踏みとどまるため
幾度も追い返し、最後に勝利しない、ということはなかった。
この様であったので道雪の家来には合戦のたびに、今日は幾度も槍を突いた、と言うものが大変に多かった。
(古郷物語)

戸次道雪の戦ぶりについての逸話である






82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 12:55:08.40 ID:KpQmkjq1
>>81

無粋でスマンです、戸次音頭の逸話もまとめサイトにあった(ただし別の逸話の中のお話だけど
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3445.html

でもどちらの逸話もより詳しく描かれていてGJですよ
古郷物語って黒官のお話ばかりだと思ってたけど道雪の逸話もあるのか
読み応え十分じゃないか

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 13:05:55.34 ID:GYCJKnb3
道雪の本拠地が黒田領になってるから旧臣とかも多かったろうし
いろいろ話残ってたんだろうね

家督簒奪の末路

2012年08月15日 20:51

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 20:39:04.46 ID:lPYzGUNE
家督簒奪の末路


永正9年(1512年)、下野宇都宮家で「宇都宮錯乱」と呼ばれる大きな家中騒動が起き、
当主宇都宮成綱は隠居に追い込まれ子の忠綱が跡を継いだ。
隠居をした後も実質的な権力をは忠綱に有り、2年掛けて錯乱を鎮圧し、反抗勢力の主である芳賀家を叩き、
宇都宮家の安泰に務めたがその成綱も永正13年(1516年)に死亡してしまう。

忠綱の代の宇都宮家には2つの爆弾があった。まずは父成綱の弟興綱、もう一つは宇都宮錯乱で
大いに活躍した壬生綱重の息子、壬生綱房である。
忠綱は叔父の忠綱を仲の悪かった芳賀家に送り込んで取り込みを図ったが、仲の悪い芳賀家に
これまたさほど良好ではない間柄の叔父を送り込んだ事は、反忠綱勢力の結集を強めてしまったらしい。

大永3年(1526年)、ついに反抗勢力が忠綱に牙をむく。
結城政朝が宇都宮領に攻め込んで来たことで忠綱が迎撃に出撃した隙に興綱が宇都宮城を占拠したのである。
本拠を追われた忠綱は壬生綱房に匿われたが大永4年(1527年)に興綱を接近した綱房に暗殺されてしまった。

こうした経緯で宇都宮家19代当主宇都宮興綱が誕生したのであるが家中の混乱はこれで収まらない。
興綱は忠綱への反抗に役立った芳賀家嫡流に家督を返還し、宇都宮家中での地位を保全したのだが
これがまずかった。
芳賀家は忠綱時代より更に強大になった壬生綱房と手を結び、やがてこの両者の専横に
手が付けられなくなったのである。

天文元年(1532年)、興綱は芳賀高経・壬生綱房によってかつての「家督簒奪」の罪を糾弾され
強制的に隠居に追い込まれ、
天文5年(1536年)にはついに芳賀高経よって暗殺されてしまう。

芳賀や壬生が興綱の家督簒奪を罪に問うのはまさに「お前が言うな」状態では有ったのだがこうして
興綱の短い春は終わった。


後日談
宇都宮家のその後
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6692.html


986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 20:44:47.89 ID:QoHnq8Qd
>仲の悪い芳賀家に これまたさほど良好ではない間柄の叔父を送り込んだ事は、反忠綱勢力の結集を強めてしまったらしい

頭悪すぎだろう・・・

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 21:30:35.14 ID:xUEdL4ex
宇都宮家にとっての芳賀と壬生は、那須家にとっての大田原みたいなもん

宇都宮家のその後

2012年08月15日 20:50

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 23:59:11.01 ID:xUEdL4ex
>>985で紹介された宇都宮家のその後

宇都宮中興の祖・成綱の跡を継いだ18代当主・忠綱は叔父の興綱に城を追われ、腹心の壬生綱房の元に
落ち延びるも暗殺。
これにより19代当主となった興綱も壬生綱房、芳賀高経らによって若干二十歳の嫡男・尚綱に家督を
譲らされたうえ暗殺された。
しかし宇都宮家の混乱はさらに続くのである。

まず、興綱へのクーデターで協力関係にあった芳賀高経と壬生綱房が対立した。
芳賀家は宇都宮家当主を出すほどの有力な一門だったが「宇都宮錯乱」で失脚。返り咲きを望む
芳賀高経は先代当主・興綱排除の功績から宿老筆頭の座を要求した。
しかし先々代当主・忠綱暗殺の功績により宿老筆頭となっていた壬生綱房はその座を譲らず、
クーデター後も尚綱の後見役として宇都宮城代に就任。
家中での権勢を高め、ついには宇都宮惣領家が相伝してきた日光山御神領の支配権まで握ってしまった。
これに憤った芳賀高経は天文7年(1538年)に挙兵するも敗走。常陸の小田政治を頼って落ち延びるも、
あっさり宇都宮家に引き渡され斬首。

そして天文18年(1549年)に那須高資との戦いで20代当主・尚綱が討ち死にすると宇都宮家の混乱は
最高潮に達する。
当主討ち死にの知らせが伝わるやいなや城代の壬生綱房は宇都宮城を占拠。
那須高資と和睦し、那須家に身を寄せ亡父・芳賀高経の仇を討った芳賀高照を当主として招く。
もちろん高照にはほとんど実権がなく、実態は綱房による傀儡に他ならない。
こうして主家を乗っ取った壬生綱房、まずは会心の笑みであった。




991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 01:11:14.22 ID:7RQ+gPFV
>>990
これの更に続きがこれになる
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4508.html

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 07:51:11.19 ID:NQXs0Hg/
北関東大荒れすぎw

993 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/15(水) 08:50:24.96 ID:JcWCV5o5
>>常陸の小田政治を頼って落ち延びるも、あっさり宇都宮家に引き渡され斬首。

ちょwwww天庵パパひどいwwwww

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 09:13:00.06 ID:2eVX/EEK
そりゃそうだろ小田氏がかくまってもなんのメリットもないもの

995 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/15(水) 10:18:31.21 ID:JcWCV5o5
窮鳥入懐って言葉もあるじゃないですかwww

つか、まぁ、逃げる先が小田家ってのがそもそも間違いだと思うんだけど、
なんか縁故あるんだっけ?



996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 10:22:45.47 ID:/k4Ik1zx
>>995
簡単に言うと先祖が一緒。500年ほど前のw

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 10:26:08.30 ID:qxrimqnS
>亡父・芳賀高経の仇を討った芳賀高照を当主として招く

えっ

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 10:41:38.76 ID:mr0nU9S7
そもそも何で尚綱の外祖父である天庵パパを頼ったのか
じーちゃんから孫に口聞いてもらう気だったなら考え甘すぎだろ…

999 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/15(水) 10:49:46.05 ID:JcWCV5o5
孫が可愛くて仕方がない 

これが世の爺・婆の常だ!
孫の頼みなら引き渡しても仕方ないか~

そして尼子再興軍の事

2012年08月15日 18:03

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 13:31:28.86 ID:9/8v8C50
尼子氏と言えば、大河ドラマ『毛利元就』の影響から緒形拳の尼子経久で知るか。
『信長の野望』で戦闘能力は高いが知謀があり得ない程低い尼子軍団を思い浮かべるか…

そして尼子再興軍の事になると、どうしても山中鹿介の存在感が大きく鹿介ありきの再興軍に見え
毛利氏に負け続きで、鹿介の七難八苦発言もあり尼子再興軍=鹿介=ドMとネタにされる始末
再興軍のリーダーである尼子勝久はただの神輿か何をやっていたか良く解らない人もいるかもしれない。
立原久綱や山中鹿介に持ち上げられて本人にその気は無かったんじゃないかor人質の尼子義久からしたら堪ったもんじゃない、などの意見もある。

出典は『陰徳太平記』で資料としては改竄もあり必ずしも1級資料とはいえないが、尼子勝久の言葉を記しているものがある

舞台は1578年、播磨国において、毛利軍と羽柴軍が鬩ぎ合いをしていた
前線の要であった上月城にいた尼子再興軍に織田信長は撤退を促したが(見捨てたとも)
尼子再興軍は敢えてこの場に残る事を選んだ。尼子勝久は降伏し、その時に家臣に伝えたとされる言葉がある。

尼子勝久『法衣をまとって一生を送るべきはずであった自分を一度は尼子の大将にしてくれたことを感謝する。
     今後は命を永らえ、命を大切にするように』

享年26歳 尼子勝久はタダの神輿ではなく紛れも無く武士であった
逸話の信憑性はともかく、この勝久の言葉があるからこそ尼子再興軍が徒花とならずに済んだと言えるだろう。




85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 14:03:19.90 ID:/Lh96GhQ
尼子と言えばアマゴワクチンとか八つ墓村だろ…(´・ω・`)

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 15:52:35.81 ID:GUXbvUuR
このコピペ思い出した

鹿之助「勝久殿、勝久殿は尼子家を最高する石はお持ちでござるか」
勝久「えっ」
鹿之助「尼子家最高の石でござる」
勝久「いえもってません」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」
鹿之助「勝久殿はまだお若いですからな。 …それに勝久殿の境遇を考えれば仕方のない事か」
勝久「いくつになったらもらえるんですか」
鹿之助「えっ」
勝久「としをとればもらえるということなんでしょうか」
鹿之助「何がでござるか」
勝久「最高の石が」
鹿之助「いえ、最高の石とは人から譲り受けるものではなく自らが生むものでござる」
勝久「なにそれこわい」
鹿之助「えっ」
勝久「うむのはいたくないんですか」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」
鹿之助「ああ…確かに我々には七難八苦があるでしょうがその先にあるのは尼子家最高でござる」
勝久「そうなんだすごい」
鹿之助「……勝久殿、どうか我々に力を貸してくださらぬか」
勝久「なんだかおもしろそうだからいいですよ」
鹿之助「おお勝久殿、ついに尼子家を最高する石を持ってくださったか!」
勝久「いえもってません」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 16:54:25.75 ID:AJBbdbwE
この前尼子家の本拠月山富田城行ってきたけど険しすぎ
本丸から晴久の墓に向かう道はどうなってんだあれ

松平定綱と井伊直孝は故あって

2012年08月14日 20:52

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 19:13:13.68 ID:nW9C8wHs

松平定綱井伊直孝は故あって数年にわたって断交していた。

ある時、直孝は麾下の士に「いま天下で異変があったとしたら、
その時に私が会わなければならないのは松平越中守だけだ。

近年、互いの心に隔たりがあって疎遠になっていることを
残念に思う」と言ったのを、その士が定綱の家に来て告げた。

これを聞いて定綱は喜び、和談のために使者を取り交わして
早いうちに面会しようとしたのだが、病に罹ってしまい、
直孝と会うことができずに死んでしまった。

――『名将言行録』




959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 19:49:53.48 ID:7X34yFFk
理由はどうせ些細なことなんだろうな。めんどくさい三河武士だから頭を下げるのは嫌だと

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 20:00:32.75 ID:UaTtOTGh
まあ三河武士にかぎらず、些細な事に平気で命をかけるのがこのへんの時代の武士ってもんですよ

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 20:04:20.52 ID:l2uRUcA5
井伊直孝って三河武士だっけ
あ、そうか、権現様のかくし…

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 20:45:51.86 ID:MV1dIMPX
男は子供産まないだろ

立花宗茂「これこそ私の本懐」

2012年08月14日 20:51

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 21:04:42.54 ID:UaTtOTGh
関ヶ原の後、立花宗茂は加藤清正によって肥後の高瀬という場所に保護され、謹慎していたが、
翌年の春、宗茂は清正に

「これまでの御芳志によって、心静かに休息させていただき、満足この上もありません。
ですが私は現在、暇を持て余している遊人ですので、都に上り名所旧跡を見物したいと思っているのですが
これをどうお考えでしょうか?」

まあ、ニートしてますが引きこもってばかりいるのもアレなので外に出て京都観光でもしたい、という
ような話である。これに清正は
「尤もの仰せです。どうぞ御心に任せて下さい。この清正からも一つ馳走させてもらいます。」と、
京までの旅行について懇切に取り計らい、宗茂を京都まで上らせた。

宗茂は京都、南都(奈良)、泉州堺などを心静かに遊覧し、三歳の春を送った。
3年も遊び歩いていたのかと思わないでもないが。まあともかくもそのあたりで「今度は江戸に行ってみたい」と思い、
慶長8年の秋ごろ、江戸に行き高田の宝祥寺に忍んで滞在していたのだが、旧交のある大名小名が
これを聞きつけ訪問してきたため、後々は忍ぶも何も無いような状態で、諸大名の馳走に会って
彼方此方と忙しくしていた。

そんな時、土井大炊頭(利勝)が取り持ちをして、この宗茂の江戸滞在のことが
大御所(徳川家康)に伝えられた。このとき家康は

「先年関ヶ原の時、宗茂が石田に与したのは心から出たことではない。後から聞いたところだが、
宗茂は小早川秀包と共に、毛利輝元に色々と異見したのだが、輝元が聞く耳を持たなかったので
致し方なく大津城の攻め手に加わったのだという。宗茂にとっては詮方無き次第であったのだ。

大炊頭、その方より宗茂に、彼が輝元に異見した当時のこと等を聞き、その上で今後の身の上について
相談をしてくるのように。」

そうして訪問した土井利勝に、宗茂も徳川家から扶持されることに、いまさら異議はないと答え、
直ぐに召し出され奥州棚倉において1万石を、堪忍分として与えられた。
この時立花宗茂

「この度1万石を仰せ付けられたことを、完全に満足とは思っていない。
だが、関ヶ原の折、私が毛利輝元に諫言したということが上聞に達した。
これこそ私の本懐であり、どんなものもこれに過ぎることはない。」

そう言って喜ぶこと限りなかったという。
(立斎旧聞記)

「とにかく輝元が悪い!」で家康と宗茂が即座に和解、という微笑ましい逸話である。





964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 21:38:35.13 ID:MV1dIMPX
三成が悪い ! にしといた方が角が立たない気がするが・・・

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 00:18:43.43 ID:4JYYrUrJ
これおそらく毛利からも陳情があった結果と思われ

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 01:39:55.21 ID:XAdBBDXl
両川のゲンコツが足らなかった?

967 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/14(火) 07:17:20.89 ID:E1Hky5l8
TERUがそんな気が利くとは思えんな

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 08:06:20.34 ID:b1X0oJOX
TERUは書状を見る限りではかなりの気配り屋さんタイプなんだけど

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 11:27:28.02 ID:fctVNUNr
>>968
毛利家は揉め事の宝庫だからなぁ
家臣同士の対立が多くて結構、輝元が仲裁に入ってるね。



970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 11:33:25.70 ID:fiOs9Nt2
仲裁できるなんて有能な部類だろw


971 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/14(火) 11:42:45.08 ID:9LaxXP4H
仲裁というより泣き落としいう勝手なイメージ

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 11:58:22.66 ID:flU5ze7h
そこだけは泳ぐ人より上だな

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 14:27:41.47 ID:Bt9OSZvH
>>969
毛利家は揉め事が起こりやすい実質国人集団なのにほんとにしっかり治めてて不思議でならない

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 14:52:27.24 ID:Ib2dEjUM
あれ?でも宗茂って関ヶ原で西軍が負けた後も徹底抗戦しようとか主張してなかった?

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 15:25:13.76 ID:tUPjInXh
そうだっけ?
なんか干し飯濡らした印象しかない。

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 18:12:52.50 ID:z220kJtF
>>974
だから家康、宗茂の双方、その他諸々が打ち合わた芝居なんだろう

道雪は板輿に乗ったまま口を開いた

2012年08月14日 20:51

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 21:36:00.63 ID:MZsX/QvQ
天正12年(1584)、「龍造寺隆信、沖田畷に死す」の報を受けた大友宗麟は、次男親家・三男親盛へ龍造寺氏に
奪われた筑後の平定を命じた。二人は筑後の各城を攻略していったが7月、猫尾城を攻めるに及んで戦線は膠着。
数十日経っても好転しない事態に、宗麟は立花道雪高橋紹運の両将に援軍を要請した。

8月18日、猫尾城への急行・奇襲を目指し居城を発った立花・高橋勢が夜を迎えたところで、
高橋家の家臣が紹運に申し上げた。

「もはや夜半を過ぎ、月も傾きました。このまま進めば、筑後川辺りで夜が明けまする。明るい日差しのもと、
見通しの良い河原端を敵中行軍するのは、いかがなものでしょうか?」
「ならばその事、道雪殿に相談して参れ。」

紹運よりの使者・萩尾大学が口上を述べ終わると、道雪は板輿に乗ったまま口を開いた。

「ああ、早く夜が明けぬものか?!我らを見つけて寄せる者、みな撫で斬りにしてくれようぞ!!」

興奮した道雪は板輿の縁を叩き出し、あわてて自軍に戻った萩尾は、
「つまらぬ使者をして、恥をかいたではないか。」とグチをこぼした。(常山紀談より)


結局、両将は強行軍を敢行。途中、本当に筑後川の河原で城方の物見に会ったり、秋月勢と交戦したりするも
これを蹴散らして猫尾城に到着。9月1日には城を落としてしまったという。

まあ、これを見た親家・親盛が「ツマンネ。あとは二人でよろしく」とグレて帰ってしまい、老体をおして
筑後国を転戦せにゃならなくなったベッキーは翌年死んじゃうのですが・・・




72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 21:43:48.89 ID:P5RY1qih
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6453.html
ツマンネといった親家・親盛にベッキーがあきれた話
(まとめスレの関連リンク用に)

(管理人:ありがとうございますm(_ _)m)
73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 21:59:17.34 ID:pO2U2TVn
カミナリ様の心意気を示すいい話なんだろうがソーリンの倅どもは本当に…

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 22:00:29.42 ID:UaTtOTGh
まあホントに、信長の所以上におもいっきりダメ息子だらけだよねw

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 22:42:39.94 ID:94udm6dJ
息子が全員常真様みたいな言い方しちゃイヤン

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 22:47:30.69 ID:z2gHxsM2
>>71
いい話?

山県三郎兵衛という男は、

2012年08月14日 20:50

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/14(火) 16:44:22.90 ID:PfYvBoVL
『「柳川の合戦において、私ははじめて必死の場で槍働きをした。
もう二十間は突き進んだろうと思い見渡すと、もとの場にいる。
十間は進んだだろうと思っていると、二、三間も後退していた。
山県三郎兵衛という男は、家康公と合戦するときには、
いつも五、六間さきまで突き進んだと九州までも伝わっているが、
山県の槍が天下無双だということがその時に、
実感として始めてわかった」
と安芸殿(鍋島茂賢)の言葉である。
家康公が信玄と戦うときにはいつも山県が立ち向かったが、
一度も槍合わせにひけを取ったことがなく、
槍合わせのたびに、五、六間さきまで突き進んだものである。
山県は欠唇だったので、家康公は、
家中の者に欠唇の子が生まれたとお聞きになると、
その子は山県の再来だから大事に育てるようにと、
お喜びになられたとのことである』

葉隠





黒田如水は世捨て人のようであった。が

2012年08月13日 20:58

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 14:48:54.75 ID:HF7C+RxT
関ヶ原の後、黒田如水は筑前においては世捨て人のようであった。
全く浮世を捨て切ったと言って、召し使っていた侍たちも筑前守(長政))に揃えて渡した。
その時、無足者(知行を持たない家臣)のうち確かな者には知行をこれだけ、知行を与えるほどではない
者には扶持・切米をどれだけ、知行を取っている者には相応に加増を取らせ、その者たちを
安堵させるようにして、如水自身は知行も家臣もいらない、と言い渡した。

ところで如水の弟に黒田養心という人が居た。養心は病弱で役に立つような人ではなかったので
2千石で召し置かれていたのだが、この養心に1万石を取らせ、宗像郡のうち津屋崎という所、
ここは城はないが要害だというのでこの場所に置き、如水もこの近所に小屋同然の家を作らせ、
小姓など知行取り10人ほど、徒者少々にてそこに暮らしていた。
それから博多においては、博多町屋敷の空き地に、表向きは町家に拵えた屋敷を造り、
いかにも逼塞の体に、殊勝に見せていた。

さてさて、そのころ如水は太宰府天神信仰の体にて、時折太宰府まで出かけていたが、そのあたりの山陰、
いかにも閑静な山中に茶屋を造り、その近辺、あの藪の中、この森の陰と屋敷を造らせ、
ここに屈強の侍60余騎を置いた。
さらに牢人衆を町中に住まわせ、彼らを商売人に紛れさせた。

また馬敷という深山からは材木が採れた。如水は、ここは涼しい山中であり、また中間どもに
材木を採らせるためとしてこの山中に小屋を掛け、定番だのなんだのと名目を付けて侍どもを
隠し置きいた。

さらに博多の町外れに広い空き地があるのを見つけると、如水は長政に、鷹師どもをここに置くようにと
指図した。これに長政は
「その場所は城から1里ばかりも離れていて不自由な場所です。鷹師であればもっと近くに置きましょう」
と反対したが、如水は

「悪いようにはせぬ!とにかく私のいう通りにしろ!」

こう頻りに言ってきたので致し方なくそこに鷹師を置くようにすると、それに紛らわして
家来も馬も持っていないような小知行の者たちに

「人も要らず、まして馬も無用である!家をあの地に、町家のようにして造れ!」

そのように申し付けた。この下知に従い、指図通りに、この小知行の者たちを
町人とも鷹師とも解らないような体で召し置き、牢人も少々紛らわせた。

この他、ここの新田・あそこの山守などと名づけ、あるいは牢人のようにして人を置き、
突然の合戦などで人が必要な時は、いつでも騎馬の侍200騎余りが確かな者たちを引き連れて
集結するようにしていた。
それなのに普段は人も持たず、逼塞一遍の体で居たのだ。全く恐ろしい覚悟である。

ある者の言う、奮馬は死するまでと言うのは、この様なことを言うのだろう。

(古郷物語)




954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 16:14:02.27 ID:EBJkiDF+
なんかワイマール共和国時代のドイツ軍みたいなことやってんな

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 16:33:14.14 ID:W6MJCntJ
筑前の世捨て人
「愚息め、せっかくの好機であったものを…いいこと考えた!
百万石あれば天下を取れると太閤のお墨付きをいただいておるこの如水ならば
半分の五十万石もあればたちまち天下の半分を切り取ってみせるであろう
然る後内府と天下分け目の大いくさを行い是を打ち破れば宿願の天下も夢ではない!
都合よく目の前に五十二万石の領地が広がっておるグフフ」

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 19:09:56.89 ID:ER4+IZgZ
あんまり悪い話に見えないな
本気で隠居もするけど、備えも細やかにきっちりしておく
いかにも知恵者らしい如才ない話

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 19:44:30.33 ID:VsMs2P86
>>956
死去が1604年だからまだまだ油断出来ない時期の話だもんな
で、なんか問題になったら「隠居が勝手にやってたんです、ほらあんな人ですしー(棒)」
てすっとぼけられる配慮までしたものと思われる