「これこそ間違いなく御墳墓の地だ!」

2012年09月30日 20:12

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 18:07:03.09 ID:SL7Dp0qe

成瀬正成土井利勝は観智国師存応を伴って上州新田にやって来た。
徳川家の先祖の旧蹟を捜索しに来たのである。

しかし、聞き込みをしてもそれを知る者が見つからなかった。
だが、一人の農夫が「世良田の近くの丘に古寺のあとがあると言い伝えがある」
と証言したので、

利勝は人夫を集めて丘の上を掘らせたところ、たくさんの古仏古瓦を発掘した。

「これこそ間違いなく御墳墓の地だ!」

利勝らはその地形を記録して帰り、(徳川家康に?)報告したという。

――『徳川実紀(駿府政事録)』

後の大老もいろんなことやってたんすな。




685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 18:30:24.46 ID:q/AyMoqe
>「これこそ間違いなく御墳墓の地だ!」

すごいゴットハンド臭がする(´・ω・`)

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 19:30:18.42 ID:WtmvNjRi
ほほえましいなw

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 19:38:40.49 ID:KqbV6UIN
>>685
稲妻ヅモ

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 21:23:53.91 ID:eh+JOYTU
それっぽいものがあったら何でもよかったんだろうなw


689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 21:51:43.24 ID:G8uDJ1+k
>>すごいゴットハンド臭がする(´・ω・`)
トッシーなら○く治めるためには埋めるくらいやっちゃいそう・・・

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 22:04:55.10 ID:DDorhG0P
竜巻ヅモも

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/01(月) 06:26:56.10 ID:bHmGh7wP
そいじゃ真空ヅモ追加しとこう

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/01(月) 18:30:56.55 ID:2SUJ1x8S
自己中どもめ
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薬師寺元一、一の文字へのこだわり

2012年09月30日 20:12

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 14:18:30.19 ID:lDqfzO4N
永正元年(1504年)9月初旬、右京兆細川政元の家臣である薬師寺与一元一は、赤沢宗益(朝経)と共に、
政元の養子細川澄元を擁立するとして政元に反旗を翻した。

しかしこの反乱に追随するものはおらず、逆に元一の弟・薬師寺長忠によって攻撃を受けるなどし失敗、
9月18日には元一の籠る淀城は追討軍により落城、自害者数名、討たれたもも数知れずという状況になったが、
それでも薬師寺元一は脱出した。しかし水中村という所の葦の中に潜んでいた所を発見され、
生け捕られて薬師寺氏の菩提寺である一元院に監禁された。
10月2日には赤沢宗益討伐の軍勢も出発した。

この様な中薬師寺元一は切腹の処分と決まった。
元一は住持に引導を請うた時、この様に言った

「ご存知のように私は常に一の文字を好んでいる。
故に名は与一、実名は元一、寺は一元院と号しておる!
しかれば腹も一文字に斬り申す!」

そうして見事真一文字に腹を斬って死んだ。

文字通り最後まで一の文字に拘った、薬師寺元一についての逸話である
(陰徳太平記)

ちなみにこの薬師寺元一の辞世の句は
『地獄には よき我が主(若衆)のあるやとて 今日おもひたつ旅衣かな』
と伝わる。
彼が主君政元と衆道関係にあったとも言われる所以である。




618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 14:50:10.47 ID:UYXoHlot
細川政元はホモで天狗とかイズナの術が得意で、天下を権を握って、その上、最期は暗殺される・・・
ぜひ大河ドラマの主人公になって欲しいキャラだな

「不死身の鬼美濃」馬場信春

2012年09月30日 20:12

619 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/30(日) 15:55:03.14 ID:T6lieRIp
甲陽軍鑑といえば間違いが多く、その記述内容は極めて信憑性が低いと言われる。
とりわけ山本勘助の活躍はその実在すら疑われるほど怪しいものなのは周知の通り。
しかし甲陽軍鑑の怪しさはこれだけにとどまらない。
その活躍が怪しい人物がもう一人いるのだ。

その人物とは、「不死身の鬼美濃」で知られる馬場信春

武田四名臣の一人とされ、甲陽軍鑑の中でもさかんに信玄に助言するさまが描かれる。
しかし実際の活躍の記録は信長公記での長篠の合戦の記録にとどまる。
三方原の合戦の後、信春が800の手勢で信長軍1万を退けたという話もあるが、これも明白に誤りである。
なぜならこの戦いで美濃岩村城を信春が落としたことになっているからだ。
実際の岩村城は三方原以前に武田方に降っており、三方原後秋山虎繁が入城しており、馬場の記録はない。
さらに馬場発給の竜朱印状はなく、政治的に高い地位にいた記録はない。

実は甲陽軍鑑の中でもよく読めば馬場の地位の低さが見えてくる。
他の四名臣や秋山、原昌胤などは20代で150騎ほどを与えられているが、馬場は32歳でようやく50騎である。
また他の将がいずれも城主、城代経験があるのに対し、馬場はない。
さらには築城術を山本勘助から教わったなどという怪しい話が残るばかりである。




620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 16:00:35.30 ID:5uAaIze5
まあ講談でお馴染みの武将ってそういうの多いからなあ

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 16:05:12.89 ID:XjEq5PrD
深志城代じゃなかったの?

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 18:26:43.69 ID:q0viYpZX
無名の人ほど尾鰭ついたエピソード作りやすかったのかなぁ

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 20:45:05.61 ID:/SVpEYRs
んーどこから突っ込んだものやら…
以下、ややスレ違いかつ長文の為、適当に読み飛ばしてください

まず甲陽軍鑑は、近年の研究によれば、国語学的には、その語彙は江戸期ではなく戦国期の語彙が多くを占めており
書誌学的研究からは、編者とされる小幡景憲がかなり原資料に充実に書写を行っていたことが、明らかになっていて
少なくとも(関係者の多くが生存していた)元和年間の認識が反映された、
武田時代の史料や関係者からの聞き取りを踏まえた記述を含む史料である(丸島和洋氏)といった感じに、
かつての通説が言うほどいい加減なものではなく、
一定の配慮・留保はしつつも以前よりはやや肯定的に評価するのが最近の学会の風潮になっている

で、馬場については、
>>他の四名臣や秋山、原昌胤などは20代で150騎ほどを与えられているが、馬場は32歳でようやく50騎である。
馬場は、他の4名臣や秋山、原昌胤と比べると15歳くらい年上だから
馬場が25くらいの時期、ようやく晴信がクーデターを起こして甲斐一国をまとめ挙げた段階
他の武将は、20代の頃、信濃への侵攻を重ねて武田家の所領が急速に拡大している時期にあたり
若くても出世しやすかった
実際、この時期に馬場も120騎持ちに加増されたと甲陽軍鑑にも記してあったはず
異なる時期・状況での麾下兵力を比べるのは誤解を招くのではなかろうか

あと信春が少なくとも牧之島城代だったことは間違いないはず
武田勝頼の代に牧之島城代を信春の息子とされる「馬場民部少輔」が務めているけど
(勝頼が馬場民部少輔の同心衆に軍記粛正を指示する文書が残っている)
父の後を継いだ以外に考えられないし

馬場信春がその知名度に比べてえらく一次資料が少ない謎な人物であることは確かだけど
だからといって、「怪しい話」で一括りにしてしまうのはいかがなものか

ややスレ違いな長文失礼しました

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 23:12:03.26 ID:KqbV6UIN
そういや馬場美濃守って、諱は確定したんだっけ?

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 23:35:46.45 ID:eh+JOYTU
>>632
日向なのか大和なのか・・・


637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/01(月) 01:03:58.13 ID:keNEq6Ue
日向(ひなた)氏、だろ

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/01(月) 07:14:07.26 ID:PA4vPWOX
内藤さんは感状スルーされるわ、馬場さんはそんな偉くなかった可能性あるわ、

武田四名臣は五人で龍造寺四天王の逆バージョンだな
二人はプリキュ…武田四名臣!

「侍でなければ人ではないのだ」

2012年09月29日 20:29

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 17:28:55.88 ID:yc+atVTf

田中吉政は初め久兵衛という名で、近江の民衆の一人だった。
ある日、畑の畔で久兵衛が休んでいたところ、ある侍が若党五、六人を
引き連れ、槍を持たせているのを見かけた。

「侍でなければ人ではないのだ」

侍一行をまじまじと見てそう言った久兵衛は百姓を辞めることにした。
久兵衛は宮部継潤の若党となったが、その頃はわずか三石の身分であった。

はれて武士となった吉政に、伯母方の織った麻布一端が贈られてきた。
そこで紺屋に袴を染めさせると、巴の紋が付いていた。これを縁にして
巴を定紋としたのだという。

吉政の働きぶりは礼儀正しく勤勉で、過悪もなかった。豊臣秀吉が秀次を
養子とし、師傅に相応しい人物を選んだが吉政よりも適任の者がいなかった。
よって吉政を秀次の傅とし、近江八幡山城三万石を与えて兵部大輔に任じた。

――『名将言行録』




681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 09:41:19.28 ID:q/AyMoqe
>>677
農民から大名にまで成り上がったミニ秀吉なのにイマイチマイナーなのは、
江戸時代に田中家が断絶してるのと、大恩人の三成を捕まえたり
してるからかね

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 10:10:23.54 ID:G8uDJ1+k
でもあの時に三成を見逃すわけにはいかんでしょ・・・

少弐政資といえば至って悪の人であり

2012年09月29日 20:29

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 14:36:21.07 ID:v/n0K/kk
少弐政資といえば至って悪の人であり、どんな事にも非義の行いが多かった。

ある時の事、宗像の大宮司より政資に、印子金(良質の金)で作った獅子の像一匹を増進された。
その姿は後ろを向く形であったため、政資は、対となるもう一匹があるはずだと思い、それも合わせて
自分に渡すようにと、所望の使いを、数度にわたって大宮司へと遣わした。

しかしその獅子像は元来1匹しか無かったため、大宮司はその旨を伝えその要求を断ったのであるが、
政資はこれを信じず、

「私に渡さないため深く秘蔵するとは!なんと憎いことか!」

と大いに怒り、ついに大宮寺を自害させた。大宮司は自害に及んで、このような辞世の句を詠んだ

『根をたてば 末は枯葉の藤原や 何せうにとて打捨にけり』(藤の原と、藤原氏である少弐氏を懸けている)

後に大内義興によって追討された、少弐政資についての逸話である
(陰徳太平記)





611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 18:49:47.03 ID:XbXJhMnF
狛犬じゃないんだから・・・

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 20:23:06.65 ID:cKk1FnPP
ウッ獅ッ子、倍率ドン、更に倍!

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 20:33:54.95 ID:LkCWWSBB
長安・・・。

614 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/30(日) 00:49:44.53 ID:hTyMeY/d
>>610
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3815.html
こっちだと獅子の像が猫の像になってたりするけど同じ話っぽいよね

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 08:01:26.61 ID:XwnLgV5F
道灌「猫と聞いてはだまっておれぬ」

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 10:57:38.72 ID:fCyEyFS1
三楽斎「犬のほうがいいのう」
・・・少弐さんというといつ討ち死にするんだろうって聞いてしまう

武田信繁「武士として歌道への嗜みも」

2012年09月28日 20:59

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 19:49:08.31 ID:mGc7KhXh
武田信繁
「武士として歌道への嗜みも持つようにしたいものだ。
昔の歌に、

『数ならぬ心のどかになり果し
しらせてこそは身をもうらみめ』

というものがあり、古来より歌の心を重んじていることがわかる」

【信玄家法下巻九十九箇条】




649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 20:39:13.37 ID:cCQcAYXm
さすが古典究さま

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 01:32:38.38 ID:9KUwjgBH
〉 『数ならぬ心のどかになり果し
しらせてこそは身をもうらみめ』

誰か現代訳お願いします
わたしには難しすぎる

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 02:57:11.16 ID:pu0XdAN6
西行法師の歌をもじってるのか?
まぁ西行も元北面武士だけど

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 15:07:57.49 ID:9KUwjgBH
『数ならぬ心のどかになり果し
しらせてこそは身をもうらみめ』

『とるに足らない心がゆったり落ち着つくようになった。
落ち着くことを知ったからこそ身をうらめしくも思うのであろうが』

古語辞典片手に訳してみたけどイマイチ理解できないw
だれか古典得意な方ご教示を

664 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/28(金) 22:38:18.17 ID:LISgt9za
>>656
風雅の心得のないつまらないものは
物事に心が動かされることもなくのほほんとしている
歌道というものを知ってこそ
身を焦がすような思いもするものだ

てな感じではないかと。

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 23:19:59.50 ID:V9pkD7nS
>>656
ちょっと高貴な女に告って玉砕してくるわ

明石レジナの事

2012年09月28日 20:59

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 21:50:03.28 ID:NErhFr3o
明石掃部(全登)といえばキリシタン武将として、大阪の陣で活躍したこと、有名である。
その明石掃部にはレジナと言う娘があった。
彼女は大変聡明な女性であり、父からも子供の中で最も愛され、大阪城にも父とともに入城した。
城内では淀殿から大変可愛がられ、ゆくゆくは一廉の領主と結婚させよう、と言われるほどであった。

慶長20年(1615)5月7日、大阪城陥落。
幕府方の兵が乱入し、レジナを見つけると暴行を働こうとした。レジナはこれに、命がけで激しく抵抗した。
そうしているうちに幕府方の兵の中から

「お前は何者か」
と聞かれ

「私は明石掃部の娘である!私を大御所様(家康)のもとに連れていきなさい!」
そう答えた。

兵士たちは彼女の要求を聞きとどけ、家康の元へと届けた。

レジナの事を聞いた家康は彼女と対面した。
家康はレジナの気高い態度にすっかり感心し、それを大いに褒め称えた。
彼女のことは異教徒の間でも評判となり、彼らはキリシタンを賞賛した。
そして家康は彼女の身柄を、家康の側室の一人である”オカモ”という女性に預けた。
その側室や周りの人々も彼女の態度、振る舞いに感心し、丁重に扱った。

大阪の陣の戦後処理にめどが付き、家康が駿府に帰るという時に、家康は再びレジナと対面した。
家康は彼女に、その父で戦後行方不明となった明石掃部の行方について尋ねた。
彼女は「時分は屋敷の中に居たので解らない」と答えた。
また自分の兄弟は5人いるが、そのうち一人はキリスト教の修道士になった、ということも答えた。

彼女は家康の前でも落ち着き、誠実に答えたので、その姿は家康の側近たちも賞賛するほどであった。

質問を終えると家康はレジナに、
「そなたは今後も、キリスト教への信仰を持ち続け、父である明石掃部の霊魂のため祈りを捧げるように。」

と言って小袖一枚と銀子を与えた。その上でさらに

「そなたが自由に、どこにでも行く事を許可しよう。もし北政所の所に留まりたいと思うのなら、私がその斡旋をしよう。」

とまで言った。しかしレジナはこれに

「私は恵まれない環境に身を投じることこそ、キリシタンとして神への純潔を守ることが出来るのだと考えています。」
と答え、その申し出を断ったのだという。

キリシタンの記録に見える、明石掃部の娘、レジナについての逸話である。
(シュッテ「1614-15大阪の陣と日本の教会」)




651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 21:58:22.94 ID:pml4fx5k
Reginaだと女王という意味だが
さすがに大層な名前ではないだろうし

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 22:04:27.16 ID:vYIjAbG1
この頃って禁教令が出てるよなぁ

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 01:33:25.63 ID:m7NvOGZk
「連れていけ~」って言えば家康の所に連れてってくれるのねw

柳生宗矩と二匹の猿

2012年09月28日 20:59

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 17:33:15.77 ID:uLQrDdHx

柳生宗矩は常に猿を二匹飼っていて、打太刀の相手にしていた。
そのために猿は後には鍛練して未熟な弟子なら打ち負かすほどになった。

ある時、槍については自負のあった浪人が縁を求めて宗矩の門人になることを
請い、かつ手合わせを望んだ。

「易きことなり。しかし、まずはこの猿と立ち合ってみたまえ」
「なんと! 畜生の相手になれとは馬鹿にするにも程がある!」
「さぞ不思議に思っているだろうが、ともかくまずは立ち合いたまえ」

しかたなく浪人が立ち合うことにすると、竹具足と小さな面を身につけ、ふくろ竹を
持った猿が出て来た。そしていざ立ち合いが始まると、猿はつかつかと槍の柄を
潜って何の造作もなく浪人を撃った。

思いもよらないことに浪人はもう一度立ち合いを望んだ。宗矩はもう一匹の猿を
出したが、やはり浪人は撃たれて大いに面目を失うことになった。

宿に戻った浪人は四、五十日かけて工夫を懲らした。これならそう簡単には負けない
だろうと思った浪人は、再び猿に挑戦することを望んだ。

「その方は工夫を懲らして殊の外上達したと見える。今度は猿では相手にならなそうだ。
しかし、此度もまずは立ち合ってみたまえ」

再び浪人は猿と向かい合ったが、今度は槍も合わせないうちに猿は大いに鳴き叫び、
逃げ出した。それから浪人は宗矩の門人となり、ついには兵法の奥儀を究めたという。

――『名将言行録』




663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 18:04:33.26 ID:x4aSHy+j
後の猿叫である

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 23:16:15.21 ID:CKrEPPmd
「我、未だ木猿足りえず」

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 00:42:44.39 ID:ifWKWYyU
猿飼ってる大名多いな

足利義政
武田信虎
大友宗麟
豊臣秀吉
上杉謙信
加藤嘉明

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 00:47:42.14 ID:Ov745w5n
>>667
織田信長もw

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 00:50:05.78 ID:wE6cCju4
空前の猿ブーム
若者の猿離れ

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 01:10:13.58 ID:M4Xg57cz
>>662
ワンピに似たような話あったな

678 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/29(土) 18:13:17.67 ID:vhwZTDQl
>>662
剣豪が「四、五十日かけて工夫を懲らした」を上達したって言うのはなんか違う気がするわw
元々ちゃんと強かったからだろうけど

679 名前:人間七七四年[sage ] 投稿日:2012/09/29(土) 21:41:42.14 ID:NqHgBvMU
>>678
スポーツで伸び悩んだ時にささいな経験が原因で発想の転換できて急に壁を越えれる事もよくあるよ

680 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/29(土) 22:36:30.51 ID:vhwZTDQl
>>679
ああそういう風なことか
強くなったわけでは全然ないけど上手くなりましたみたいな
特殊な試験の傾向と対策的な印象受けちゃって

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 13:25:27.68 ID:3SCM63BP
>>680
それが"強くなった"ということなのよ。
フィジカル面の向上だけを"強くなる"とは言わない

徳川家康と見目麗しい小姓

2012年09月27日 20:30

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 18:01:53.45 ID:2YhtCWjs

武田信玄は見目麗しい小姓を選び出し、密かに徳川家に送り込んだ。
やがて徳川家康はその小姓を召し抱えて側近くで仕えさせた。

ある日、家康は酒宴を終えて横になっていたが、日ごろ黒本尊を拝めることを
習慣にしていたのをこの日は忘れていたので、起き上がって仏前にて
念仏を唱えていた。

この時、例の小姓は家康が寝ているものと思い、刀を抜いて衾の上に
乗りかかって刀を突き立てるも、即座に召し捕らえられてしまった。
そして家康に「ありのままを白状しろ」と言われると小姓はすべてを話した。

「若年でありながら主君のために一命を捨てて、わしを殺そうとしたか。
すばらしい志だ。決して咎めるに及ばず」

そのように言うと家康は小姓を解き放ち、甲斐へ帰したという。

――『徳川実紀(寛永聞書)』




646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 18:17:08.89 ID:NErhFr3o
>>645
伊達政宗が蒲生氏郷に美少年の刺客送った話とそっくりだな。
どっちが元ネタなんだろ?

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 22:03:20.38 ID:QygYjULI
>>645
ありのまま白状しちゃうのはどうなのかなw

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 15:15:03.87 ID:HqHEyaW7
>>645
刺客を送った方と送られた方が逆であったら
黒本尊がとても卑猥な意味に思えてなりません。

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 22:18:18.91 ID:g5jwDPI2
>652、染まったんじゃないか?三河武士の乗りにw

「黒血流れて物すさまじ」

2012年09月27日 20:30

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 14:56:16.73 ID:5KBqIbgC
これはちょっと良い話だと思ったからこっちに
昨日(2012.09.26)の読売新聞、磯田道史センセのコラムより、ちょんまげ話を引用抜粋

戦国時代、ちょんまげを結うのは激痛をともなった。月代をハゲにする為、木製の毛抜きで引き抜いた
「黒血流れて物すさまじ」(『慶長見聞集』)とも記録されている。

我慢大会が終わったのは、天正期(1580年頃)
「太閤以後は髪を引き抜く代りに剃刀で優雅な格好に剃った」(イエズス会宣教師ロドリーゲス『日本教会史』)




644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 15:53:50.73 ID:f2ihicX8
信長は月代剃ってなかったっけ?

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 19:44:59.09 ID:Ou0494U/
>>644
信長が始めたって話も聞いたことがある
いずれにせよ織豊期の畿内が発祥なのかな

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 00:56:09.29 ID:+pibW53T
ハゲで何が悪い!

春日信達顛末

2012年09月27日 20:30

584 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/27(木) 04:30:59.03 ID:Q5dWYvzf
かの武田四名臣に数えられる春日虎綱の息子、春日信達のお話

彼もまた父のように武田家に忠義を尽くしたかというと…、

ついに織田軍の武田征伐が開始され、東駿河の三枚橋城にいた信達は勝頼の元に馳せ参じる!

「勝頼様のおそばで戦いますぜ!」

…しかし実態は、近隣の戸倉城が同時に動き出した北条軍に落とされたため、
恐れおののいて逃げてきただけであった。そのため三枚橋城はそのまま北条軍のものとなってしまった。
これに対し勝頼は「なに三枚橋放棄してこっち来てるんだ!お前はもう地元の海津城に帰ってろ!」
と叱られ、とぼとぼと信濃の海津に帰還する。

その後、やって参りました鬼武蔵!これに対して信達は!

「あたしゃ強い者には逆らいませんぜ。この通り人質も差し出します。へっへっ。」

と息子を人質に出してさっさと降伏、そのまま鬼武蔵の配下になる。
しかし間もなく本能寺の変が発生。鬼武蔵はただちに帰還することに。
すると信達は…!

「おおっと兄さんここからは帰しまへんで。立場は逆転したようですのう!」

と裏切り、一揆衆を率いて鬼武蔵の帰還を妨害する。
これに対し鬼武蔵側は大塚次右衛門を使者に立て、
「こっちには人質がいるんだ!こんな状況で汚ねえ真似しやがって、道を開けろ!」
と強い態度で責めたて、不可侵の約束を取り付ける。しかし…、

「なーにぶっ殺しちまえばいいってことよ。」

と約束を破り攻撃する。
しかしそこは相手は鬼武蔵。あっさり撃退される。
再度不可侵の約束を取り付けられて撤退されてしまう。
しかし鬼武蔵の怒りは収まらず、その後人質は皆殺しにされてしまった。

次に信達は上杉景勝に臣従することにした。
しかしやがて北条氏が勢力を伸ばしてきた。隣の真田昌幸も北条氏に仕えることにしたという。

「こりゃまた強い方に乗っとかな損でんな、上杉はんサイナラ。」

とまたしても裏切ろうとするが…、

景勝「てめえが裏切るだろうことはすでに見抜いてたんだよッ!!」

とここで信達、ついに誅殺されてしまった。

しかも話はここで終わらない。
やがて鬼武蔵の弟・森忠政が川中島に配置される。
そこで忠政が初めに手を付けたことは…、

「ここに兄貴を裏切って随分ナメた真似してくれた奴らがいるってなあ!ケジメつけてもらおかあ!!」

と残る春日一族を徹底的に探し出して皆殺しにしたという。
忠義?なにそれおいしいの?




585 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/27(木) 08:55:38.89 ID:ylUuRTa0
なんだこんな奴なら殺されても仕方なかったじゃないか

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 09:35:01.19 ID:il61QrAl
久々にスッキリする話を読んだw

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 10:25:33.36 ID:g5jwDPI2
>584、真田パパン「きたないマネをするから。もっとうまくやらなきゃのう」

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 12:41:41.93 ID:K93fT0nf
鬼武蔵「俺達は人をみて斬っている!平和主義者だからむやみに人は斬らん!」

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 12:57:03.26 ID:DZcRIs4J
>>587
真田パパンも春日信達も、「長篠合戦で兄ちゃん死んじゃった組」ですな
武田の武将、長篠後に運命かわっちゃった人がたくさんいるね

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 13:09:46.29 ID:ZIUk9L71
俺達は人をみな斬っている!のかと思ったよ、武蔵さんは・・・

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 14:14:28.38 ID:f2ihicX8
>>588
でも撃つのは見境無しなんですね?

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 17:36:03.46 ID:4pQ4ekKl
信達は兄の昌澄が長篠で戦死したために急遽後継者に繰り上がった経緯があり、
恐らく家を残すことに気持ちが向かい過ぎていたんだな
海津城に戻ってからの行動も、そもそも地政学的にも勢力の大きさ的にも風に靡き
機会主義的な行動も選ばざるを得ず、地侍や農民たちからの突き上げに抗せなかった
面もあるんだろう

愚将凡将と評される人にも全く持って弁護の余地が無い訳ではないさ

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 23:35:26.78 ID:YE1hKJAw
>>584
人質37564の話も、こういう事情があったとしたら致し方なく思えるな
てゆーかこいつ、正真正銘のクズすぎて言葉が出ねえ・・・

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 00:16:00.10 ID:Wj5+BYCP
逃げ帰ったのはその通りだが、そもそも三枚橋は速やかな後詰めと
水軍のサポートあってこその拠点だしな
防御力に乏しいし既に兵も足りないので籠城して持久戦も難しく、
撤退するのも止むを得ない選択だろう
>>584はやや悪意あり過ぎないか

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 00:18:06.33 ID:cG/fzyhG
>>584
さらにたちが悪いのは、こいつがこういうことするから
虎綱の甥は甲陽軍鑑の執筆を佐渡島に逃れて行わなければならず、
その結果甲陽軍鑑は間違いだらけになり、後世史料的価値なしと断じられることに…。

「拙者は髪にて御奉公は仕らず」

2012年09月27日 18:53

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 14:05:28.68 ID:5KBqIbgC
昨日(2012.09.26)の読売新聞、磯田道史センセのコラムより、ちょんまげ話を引用抜粋
「彦根往古ノ聞書」(慶大図書館収蔵)から
「(井伊)直孝様の時代、家中に上泉権左衛門という人がいた。この人はお見目えの時、
髪を結わず長髪で登城したため、藩主の目にとまりお叱りを頂戴した」
剣豪・上泉伊勢守の孫、居合の達人の権左衛門は「拙者は髪にて御奉公は仕らず」と抗弁
結局は、直孝は激怒し、閉門処分に。彦根も退去して尾張に仕える

彦根藩ではその後、長髪登城で2人、ちょんまげを糸でなく藁で結った1人が、閉門処分となっている

戦国期には自由だった髪型も、寛永頃には戦闘の準備行動であるちょんまげが主君への奉仕を象徴し、
管理統制へ移行したようだ

…直孝に抗弁して刃傷沙汰にならなかったから、いい話だったかもしれない…




593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 14:18:19.06 ID:g5jwDPI2
あたま・・・全部剃っちゃダメなのか?

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 14:24:26.63 ID:4Q5aK0LG
>>591
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?no=4215&spの逸話を思い出した
しかし糸でも紙でもなく藁で髪結ぶっておしゃれ上級者すぎるなw

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 15:04:30.88 ID:OFBUKKBq
髷が結えなくなったら隠居だから

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 16:17:38.68 ID:6bzTicsI
シグルイの夕雲思い出した。

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 18:48:46.21 ID:UBtiprp8
>>591
ひこにゃんは武士の規律を乱す人とかに厳しそうだもんな

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 20:19:59.05 ID:pml4fx5k
>>593
頭を留める者は髪を留めず
髪を留める者は頭を留めず

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 20:32:45.93 ID:ZIUk9L71
>>598
武者から藩士への過渡期なんやろね~

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 22:58:10.27 ID:f2ihicX8
>>599
フサフサは皆死んでしまへ!

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 23:42:06.24 ID:jLsdpooI
>>591

権左衛門さんってこのことで出奔して尾張に流れ着いて
尾張柳生の所にやってきて剣聖の孫の実力を遺憾なく発揮することになるのか


606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 17:37:46.53 ID:JqkI9rwb
柳生さんって剣聖の弟子だっけ?世間は狭いな

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 17:52:01.16 ID:IO6GurYO
世間は狭いっていうより、剣聖がいろんなとこ行脚してるからね~

週刊ブログ拍手ランキング09/19~/26

2012年09月26日 20:29

09/19~/26のブログ拍手ランキングです!



榊原康政と井伊直政 57

吉川元春の方針、小早川隆景の方針 54

家康は台所に出入りする下人たちを見て 39

小早川隆景、隆達節から 35
これはどの島津の殿様… 35

九条稙通の教養 31
佐久間盛政の処刑 31

高虎と江戸城修築 29
徳川家康は浅野長政を呼んで「賭碁をするぞ」 28
雑談・ナガマサ 27

黒田長政は常々こうぼやいていた 26
堀尾吉晴は深く慎み 24
あの藤吉猿面郎にひとこと言っておきたいことがある 24

橋本六郎の腰兵糧 20
福島正則という人について 16
日本丸命名の理由は、 13

退魔寺由来 9
そんな親バカ官兵衛さん 9
渡辺了と田中角之助 7
雑談・江戸城についてなど 7

合計 718


今週の1位は、なんと先週の3位からランクアップ!榊原康政と井伊直政です!
なんだかどんどん人気が増しています、この逸話!徳川四天王系のお話でこんなに人気が出るとは、なんだか
嬉しくなっちゃいますねw
内容は実に良い話。榊原康政が井伊直政を認めて接している、とてもよい関係が現れています。
家康の家臣団って面倒なのも確かですが、こういう風通しの良さも特徴ですね。
野球やサッカーでいう所の、監督が言わなくても選手が自分の役割をちゃんと把握しているチーム、という
感じがします。そんな事をふと、思ったりしました。

2位はこちら!吉川元春の方針、小早川隆景の方針です!
コレも非常に面白いですね。兄弟の性格の違いがはっきりと出ています。
そしてどちらも非常に優秀だということも伝わってきます。
どちらも間違いではないからこそ難しく、輝元は一体どうやってこの二人の意見のバランスを取ったのだろう?
なんて心配すらしてしまいましたw
こうなると隆元についてのお話も見てみたくなりますねw
それにしてもレスにあった「秀吉をして勇気が足りないと言われる理由がわかる」という言葉には
ハッとしました。

さて、今週管理人が気になった逸話はこちら!これはどの島津の殿様…です!
コメントに…
>誰だか明言されてないのにタグが家久にされてて吹いたw

>ホントだ!タグがあの人になってるwwww

>いま気付いたw

あれ?ホントだ!?不思議だなー(棒)


さてw今週も皆さんから、たくさんの拍手を各逸話にいただきました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )


ところで!今週も本の紹介をしたいと思います!今回は、誰が言ったか「戦国好きはすべからく三国志好きである」
のだそうですが(ホントかよ!)
面白さという意味ではダントツに面白い三国志小説!せっかく最近親巻が出たので紹介します!

泣き虫弱虫諸葛孔明 第参部
酒見 賢一
文藝春秋
売り上げランキング: 79642


酒見賢一 「泣き虫弱虫諸葛孔明 第参部」 です!

「後宮小説」「墨攻」など、アジア的世界を部隊にした小説の第一人者が、満を持して発表した
三国志小説!

…というのは間違っていないのですが、この本、一般的な英雄群像劇的な三国志小説とは、
一味も二味も違う、強烈な個性を発揮している作品となっています。
例えば、こんなタイトルですが、この小説の中で孔明を表すキーワードは「変質者」「放火魔」「宇宙軍師」ですw

少し中身を紹介すると

『そんな話をしていると中門に着いた。わざわざ周瑜が迎えに出ていた。
「よくぞ参られた、私が周瑜、字は公瑾である」
「お初にお目にかかります。わたくしが宇宙から来た軍師、臥竜こと諸葛亮、孔明です」
となんでいつもそんなものを持っているのか、たびたび人を疑わせる白羽扇を大きく振ってみせた。
意味は無い。
(!)
薄明かりの下、二人は目を合わせた。周瑜三十三歳、孔明二十八歳。その互いの双眸に火花が散ったりは
しなかったが、周瑜の心の中には孔明を見た途端に何か得体の知れない感情が発生した。内心を戸惑わせた。
(なんだ、この男は)
周瑜の心の一部が少し燃えた。それは何か気持ちの悪い虫に手が触れたかのような嫌な感触をともなっていた。
(こやつ、殺す)
と、短絡的にそんな思いが浮かんだ。周瑜は初対面の孔明に強い殺意を抱いた。それは理屈ではない。
一目惚れの反対で、一目殺意というべきか。ボーイズ・キルであった。』
(3巻p159)


孔明、周喩、初対面の場面でございます。いきなり孔明の殺害を決意していますw
しかしそんな殺意を持たれるのも読者が納得できる、仕方のない変態性がこの作品の孔明にはあるのです。
いやほんとにw

こちらは書籍ですが、1巻2巻は文庫化していますので手に取りやすいと思います。

泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)
泣き虫弱虫諸葛孔明〈第2部〉 (文春文庫)

ちなみに管理人が2巻で大笑いした描写
『例えばこのとき孔明が、劉キの切羽詰まった身の上相談に対して
「残酷な天使のように神話になればいいではありませんか」
と爽やかな表情で答えたと書かれていても、誠実な研究者であればあるほど否定も肯定もすることが出来ないのである。
「私は継母に呪われて、命旦夕迫っております。どうすれば良いのでしょう」
と劉キが泣きすがって問うたのに
「人は愛を紡ぎながら歴史を作るのです。もしふたり逢えたことに意味があるなら、だけどいつか気付くでしょう
その背中には、はるか未来目指すための羽があるのです。ほとばしる熱いパトスで、この宇宙(そら)を抱いて輝く
誰よりも光を放つ神話になればよろしいのです」』
(文庫版2巻p142)


しかしこんな風に書くと色物小説と思われそうですが、読めば解りますがこの作品、各種資料を
丹念に読み込んで(なにせ三国志演義成立以前の平話まできちんと調べています)書かれている、
実にまじめに不真面目をやっているのですw

「魔性の人たらし」劉備
「春秋左氏伝原理主義殺戮マシーン」関羽
「野生の大量破壊兵器」張飛
「体育会純朴系殺戮マシーン」趙雲
「危険な唯能力主義人材マニア」曹操
「気苦労の絶えないヤクザの若組長」孫権
「孔明だけは殺す!」周瑜
そして「スリーピングドラゴン、宇宙軍師」諸葛孔明

すこし(かなり)ひねくれていて、それでいて本道を外していない画期的な三国志小説が、
この『泣き虫弱虫諸葛孔明』だと思います。

最期に、歴史マニアの心をくすぐる一節を紹介

『もし日本に三国時代があったとしたら、五年周期でNHKの大河ドラマに採用されるに違いなく、
その際は遥かにしょぼい造りにされた上、しかも変な解釈を加えられてとにかく主人公の影の部分は隠蔽され、
無理矢理にでもいい人にされてしまい、サンゴクシャンの顰蹙を買うことになりかねないと思われる。』
(3巻p16)


三国志が好きな方にも、全然解らないという方にも(もしかしたら歪んだイメージを植え付けられる
かも知れませんがw)一読することお勧めの一冊ですよ!

吉晴はそのように深く感じ入った

2012年09月26日 20:29

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 00:10:22.99 ID:wMkph5TO

山崎の戦いの際、堀尾吉晴の家臣・則武三太夫は首を取って
吉晴の前にやって来た。

「おお三太夫、思ったよりもやりおったな」

(思ったよりも…?)

吉晴の言葉に怒った三太夫は首を持って進み寄ると、

「こんな時には大将の目も暗くなるものですな!
則武三太夫が取りし首をもっとよく御覧になられよ!」と、吉晴を罵った。

三太夫の非難に吉晴も怒ってしまい「憎い奴め!」と言うままに
三太夫を斬りつけると、三太夫の兜の星が削れてしまった。

すると、三太夫は一直線に敵の中へと馳せて行き、またも首を取って
帰って来た。吉晴は「絶対に三太夫は討死しただろう」と悔やんでいたので、
三太夫の帰還を大いに喜んだ。

「とにかくお前を誉めようと思うあまり、つい『思ったよりも』
などと言ってしまった。剛の者にかけるべき言葉ではなかったよ。
私の過ちではあったが、お前の二度の先掛けは誰よりも大いに勝っているぞ」

吉晴はそのように深く感じ入ったという。

――『名将言行録』

なお元ネタは常山紀談の模様。




640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 00:56:56.70 ID:jWnoSq73
先の>>572堀尾吉晴が武勲を子どもに言わなかったのは、こういう失敗がいっぱいあったからなのかw?
間違いを認めて正すのは美徳だけどね。

福地六郎右衛門がお城から退出してくると

2012年09月26日 20:28

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 16:00:01.69 ID:r6oWzknT
福地六郎右衛門がお城から退出してくると、
多久殿の屋敷前で、身分の高い方であろう女乗物が行くのが見えた。
侍がひとり、行列をさけ道の脇で礼をしていたのだが、
行列のナギナタ持ちが、その侍に、
「頭が高い」
と言いながら、ナギナタの柄で頭を打った。
侍が頭を拭くと、手には血がついていた。
それを見ると、侍は静かに立ち上がり、
「礼をする人間に対して、無法なやり方、許せぬ」
と言い、ナギナタ持ちを一刀に斬り伏せた。
女乗物はそのままどこかへ通り去って行った。
見ていた六郎右衛門は、侍の近くまで行き、
自分の持っていた槍の鞘をはずし、
「刀を鞘におさめるのだ。城中で、抜身の刀を持つ者を通すわけにはいかない」
と言うと、その侍は、
「只今、やむを得ぬいきがかり、刀を抜くこととなった。
貴殿も御覧になっていただろう。
刀を納めたいとは思うが、今の一言では納めるわけにはいかない。
迷惑ではあろうが、お相手になろう。
さあ、どこからでもかかって来い」
と、言ったので、六郎右衛門は槍を投げ捨て、
「ごもっともな言い分である。
わたしは福地六郎右衛門と言う者です
天晴れ見事なおふるまいでござったな。
わたしが証人となり、一命を捨てても貴方のお力添えをしよう。
ささっ、刀をお納めくだされ」
と礼儀を整え挨拶をすると、
その侍は刀を納めた。
「どなたの御家来衆ですか」
と尋ねると、多久長門の家来とわかったので、
六郎右衛門はともに付き添い事の次第を届け出た。
ところが女乗物は想像以上に身分高い方の奥方だと分かり、
長門殿は恐縮して、この侍に切腹させることを申し上げられた。
そのとき、六郎右衛門がまかり出て、
「侍の約束ゆえ、この方に切腹を仰せ付けになるならば、
この六郎右衛門がまず切腹をしましょうぞ」
と必死の覚悟を見せたので、
別段のことなくすんだとのことである 【葉隠】

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 16:25:59.57 ID:r6oWzknT
この逸話に付随して書いてある話も

福地六郎右衛門は大身でありながら、
家ではいつもゴザ作りをしていたそうだ。
家来たちが、
「身にふさわしくないことをなさる…」
とボヤキあっていることを知り、
ある日、家に迎えにきた家来たちに、
門前で馬に乗ってから、その者たちに、
「肩にゴザの屑はついていないかな?
ついていればみっともないと見る方々もいよう(笑)
よく見ておいてくれ」
と言ったとのことだ。
また、主水殿が役人を勤めていた組親だったので、
主水殿のところへ行って、台所でゴザを作っていたとのことた。
当時は、寄親と組子の間は上司と部下の関係ではなく、
親と子のように親しかったとのことだ





「今度の様子頼もしからず」

2012年09月26日 20:28

574 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/26(水) 00:57:27.13 ID:IU4GiR0Q
天正十一年(1582)八月、
上杉景勝は越後、信濃の旗下の兵を動員して反乱を起こした新発田へ出陣した。
同年九月、
この隙をついて隣国深志城の小笠原貞慶は、兵三千余を率いて上杉方の竜王城を襲った。

この時、城主清野清左衛門佐は景勝の新発田攻めに従って居た為、
城には隠居した父の清就軒と兵四十余が籠るに過ぎなかったが
清就軒は、信玄公以来の武功の将だったので、
兵を三つに分け城内や山岳に潜ませ五千六千の兵に見えるように配置した為、
小笠原勢を食い止めることに成功した。
そして自らは、海津城の村上(山浦)国清の許へ援軍の要請に向かった。

海津城で国清に面会した清就軒は、
「我等が敵を引き付けている内に海津城から兵を出し、
敵の後方から切り崩せば小笠原勢を討ち取る事が出来るでしょう」
と主張したが国清は、病気を理由に出陣を渋った。
これを聞いて清就軒は、
「自身の出陣が無理ならせめて二十三十の寄合武者だけでも寄越すべきである!
このような不義な振る舞いをするのであれば、
川中島の四郡の内に貴殿の下知に従う者は一人も居なくなるだろう!!」
と怒り戦場へ戻って行った。
これに国清もさすがにこたえたのか二日後に配下の島津勢を加勢に向かわせた。

島津勢が到着する前の九月十一日払暁、
小笠原勢は竜王城の守りが堅く進攻は無理だと判断し、兵を九つの備に分け撤退を始めた。
山上からこれを見た清就軒は、
十騎に雑兵四百五十余を率いさせ山上に残し、自らは三十騎を率いて山を駆け下りた。
不意を突かれた小笠原勢は混乱し、歩者二三〇、士五六騎の被害を出して壊走していった。

十月五日、帰国した景勝は清就軒に感状を与え、救援を拒否した国清は、春日山城に召喚され
「今度の様子頼もしからず。ゆくゆく、川中島を敵に取られるべき事眼前なり」
と叱責され海津城主を罷免された。

『管窮武鑑』




575 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/26(水) 10:27:59.59 ID:Ii86Mq/S
寡兵を多勢に見せるって話はよく聞くけど
ちゃんと成功するもんなんだなー。
それにしても、小笠原勢は一度も攻めなかったのか。

583 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/26(水) 23:25:22.35 ID:aENemeea
>>575
敵の主力が出陣している隙をついて敵地に乱入する小笠原貞慶
そのまま攻めかかった場合は、こんな感じ。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-630.html

徳川家康「その道存とは誰だ」

2012年09月25日 20:28

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 18:24:46.93 ID:tt2gFvNR

松平忠直は讒言を信じて家臣の布施但馬(久世但馬守)を殺害した。
この時、表口より本多富正、好寄屋口より永見伊右衛門、台所口よりは
永井道存が討手として遣された。

その話を聞いた徳川家康が「その道存とは誰だ。
他の二人のようにこのような時に出るべき者なのか」と尋ねると、

本多正純が「それは永井善右衛門のことでこざいます」と答えた。

「善右衛門のことか! 親の秀康の心にかなわず退去した者を
その子が使っておるのか!

他所に口に糊する所がなかったのだな。親が見限った者を
子として養う道理はない。我が生前に再び道存の面を見ることはないだろう!」

家康は相当不機嫌だったようで、忠直としても放置しておくわけにもいかず、
道存は逼塞を命じられた。

――『徳川実紀(武功実録)』




564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 21:30:29.62 ID:maC7aOIv
権現様も最終的には秀康のことかなり評価してるっぽいんだよなあ
秀忠に対する礼の篤さが権現様の心を溶かしたのか

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 21:46:59.11 ID:c7kC9PRQ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2690.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6023.html
上の話だと永井善左衛門は、秀忠に壺や刀を献上して徳川家に戻った、てことになっているが
秀忠は親の家康の心にかなわなかったものの帰参を許したことに?

福島正則という人について

2012年09月25日 20:27

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 21:56:24.12 ID:PFkfcjlj
ところで福島正則という人は豊臣秀吉の御従兄弟であったが、始めは大工の弟子であられた。
彼は天性大剛勇猛であったので、大工の道具を売却して太刀を買い、太閤が未だ筑前守であったときに
これに奉公し、上月合戦において27歳にて南條元続の若党の頸を獲ってから後、数度の勇を顕し、
特に賤ヶ岳の合戦において比類の無い鑓働きをし次第に立身して高麗の陣の頃には
12万石(10万石とも)を采地し、諸大夫から四位の侍従に昇進した。

正則は酒に関していつも悪い癖があり、酔うと些細な事でも家人を自ら斬り殺したり、
切腹させたりした。
しかし酔っていない時はそのような悪癖は聊かも無かったのだが、そういう時もあまりに理屈を
強く重視する人で、そのため愛という事を知らず(余リニ理強ク被樹ケル故、愛ト云事ヲ不知)、
小さな罪でも許さず、彼の与える罰は常に、手柄を立てた時の賞に勝る物であった。

そんな事だったので人々の心は彼に叛き親しむこと無く、ただ悪鬼天狗のように恐れていた。
(陰徳太平記)

陰徳太平記より、福島正則についての解説である




568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/25(火) 22:42:54.86 ID:/0D5qFmv
>>566
正則が侍従に叙任されたのは1997年で
従四位下に叙位されたのは関ヶ原後でしょ

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/25(火) 23:11:06.14 ID:gBW1WsGn
>>568
侍従叙任最近すぎるなw


570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/25(火) 23:15:38.36 ID:inG40JbE
>>568
橋本内閣が追叙したのかwww

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/25(火) 23:22:08.95 ID:/0D5qFmv
失礼
1597だったしwww

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 00:02:11.99 ID:NzqqgQxX
腹痛ぇw
1997年じゃ平成になってからの叙任になってしまうな

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 00:15:53.23 ID:zOxjmtoR
陰徳太平記書いたのは吉川の家臣みたいだし
筆者はもとから市松を良く思ってなさそうね

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 13:16:27.86 ID:5xg+0/vi
民主党政権もどうせ末期なんだから、今のうちにおらが町の武将を追叙任してしまえばいい。
もしかしたら、この板の住人が1票ぐらい入れてくれるかもしれん。

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 18:51:23.42 ID:IkBZVB/p
>>573
吉川と福島はそこそこ親しい
陰徳太平記もこのすぐ後に、正則の友人広家って表現出てくる

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 19:54:12.14 ID:/rFvEKkh
>>568
三成も正則と一緒に諸大夫から侍従に叙任されたのかな?
それとも三成は諸大夫のまま?

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 20:55:33.74 ID:NhBHIA02
>>578
三成死んでますがな

580 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/26(水) 21:00:19.82 ID:SlP38sd5
まあ1997年なら確かに死んでるが・・・

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 21:05:14.86 ID:/rFvEKkh
>>579
1597年なら辛うじて生きてますがな

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/26(水) 23:11:58.10 ID:V+z4qb0d
加藤清正も侍従に叙せられたのは関ヶ原後だしなぁ

吉川元春の方針、小早川隆景の方針

2012年09月24日 21:46

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 19:47:54.29 ID:EMkUoTnH
小早川隆景が亡くなった時、その事を吉川広家に知らせに来た林吉兵衛入道梅林と内藤河内守が広家に語った話である。

『これは未だ、吉川元春様が生きておられ、我々と織田信長との和平が敗れ、織田との戦いが続いていた頃のことです。
ある時、元春様より隆景様に、次の合戦におけるご自身の方針の所存を遣いを以ってお伝えなされました。
これを聞いた隆景様は驚かれ

「元春は若武者か、五百三百の侍大将のつもりか!彼の言うような事が出来るわけがない、
こんなものは討ち死にするだけだ!彼はここから一歩も引き下がらず、敵に向かって攻めかけるとのみ言っている!

敵の大将である羽柴秀吉は大敵である。その秀吉との争いで、このように短慮で勇一途を専らにしては、
大敗するのが目に見えておる。このような作戦は、尼子勝久程度の敵に対してするものだ!」

私たちは隆景様の仰ったことを、誠に道理だと思いました。この事は元春様が誤っていると考えたため、
元春様の元に行き、この事を申し上げました。すると元春様は

「隆景ともあろう者が、なんと武道を心得ぬ事を言うものだろうか!
どうして私が秀吉を尼子勝久のような小敵と同じに見て、あの方針案を作るものか!

よいか、勝久のような小敵には、先ず負けぬ工夫をして、よく身を縮こまらせ堅く守る戦をするのだ。
そうすれば所詮相手は小敵であるので、次第に威勢衰えて結局は敗北するのだ。小敵こそ恐れるべきものである。

さて、現在我々は織田信長を敵とし、羽柴秀吉と合戦に及んでおる。
織田は大敵強敵であろ、中でも羽柴秀吉は大勇にして智を兼備した良将である。
彼は天性の大将であり、敵が弱気であると見て取れば、即座に打ち破り、そのまま足を止めず
三ヶ国も五ヶ国も、直ちに押し入るような弓取りである。

例えば、我等が父元就が厳島で陶晴賢を討ち滅ぼした時、家中からは「一両年ほど置き
戦備を整えて山口に攻め入りましょう」との声が上がった。これを聞いた父上は

『元就の弓矢は古風でな、私ならば陶を討ったその勢いに直に乗り山口に攻め入る。
そうすれば大内義長はその年のうちに滅びるだろう。期間を空けるのは、遠慮過ぎたる弓矢の取り様である!』
そう言って批判なされた。

秀吉は元就様のような大不敵の将であり、味方が少しでも弱気を見せれば、その威勢に任せ大軍を以って即時に攻め潰してくる。
この様な大将が、しかも大軍を以って敵対している以上、我々は勇を専らとして何度も攻めかかり、
彼の戦機を奪い動揺させ、十死に一生の戦いを決せんとする体を示すべきだと、私は言ったのだ。

それを小敵などとの戦と同様に考え、危うい戦を謹んで身を大事とのみ心得るのは、敵に威を奪われ
味方は気後れをし、ついには刀を血塗る事すら無く大敗するものである!
大敵を見ても恐れず、勇みたるこそ良きことなのだ。

思い出して欲しい。元就様が尼子を攻めようと出雲に侵入する時は、戦を後にし謀略を先にして、
陣城を築き、当方の安全を第一に考えられた。
ところが陶のような大敵と戦うときには、彼は2万余、我々はわずか三千で対峙し、風雨の中
厳島に渡り千死一生の合戦を挑まれた。
これは我々が規範とすべきことではないのか!?

秀吉のような敵を勝久などに対するように心得、危ない危ないと謹んでいれば、終には
戦わずして大いに敗亡してしまうだろう。
敵によって対応も変化させるべきなのだ。」

この様に承り、我等も愚かながら、これもまた畢竟の道理であると思いました。

いつも元春様のもとに参って仰せを承れば、これは当然の理であると思い、隆景様のもとに参って
仰せを承れば、これもまた至当であると思いました。
どちらのご所存も、一つとして愚かなものはありませんでした。
この様な名将が、今や二人ながらにして亡くなられたことの、なんと嘆かわしいことでしょう。』

秀吉との戦いについて、吉川元春小早川隆景の方針の違い。という逸話である
(陰徳太平記)




561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 13:40:04.74 ID:zK088e/x
秀吉をして勇気が足りないと言われる理由がわかるな。

雑談・江戸城についてなど

2012年09月24日 21:46

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 11:15:39.70 ID:yvQg5f+q
攻めにくい城ってえなら真田のおにいちゃんに聞くのが一番だと思うけどな。秀忠さん怒ると思うけどw

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 11:31:01.27 ID:7AOAxyCd
皇居の竹橋九段下あたりとか北の丸あたりは惚れ惚れするよな
あの高石垣かっこいい
あれが高虎の縄張りとか胸熱
西の丸あたりはおとなしい感じだからな

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 11:38:40.58 ID:dD5K3yrf
>>587
アレは城そのものというよりも、中の人込みだからなぁ・・・

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 11:40:17.11 ID:x7vvNBja
>>587
天下普請と上田じゃ縄張りの規模が違いすぎないか

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 17:11:48.65 ID:hTrt0d+v
規模もそうだが、真田は山城は得意そうだけど平城の技術を持ってるか?というのもある。

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 17:12:50.92 ID:7AOAxyCd
上田城は平山城程度じゃね
微妙だが

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 17:47:30.39 ID:/Hqn2hqW
上田城は川沿いの崖の上に建てられた平城。

>>587
信之と秀忠の関係は悪くなかったという説も。
秀忠が真田屋敷に来たとか夜の話し相手に信之を呼んで軍法について聞いたとか。

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 17:49:53.47 ID:EMkUoTnH
まあ、江戸城と上田城とじゃガチで規模として100倍違うからなあ。
中世城郭の色の濃い上田城のノウハウで江戸城に応用できる要素というのも殆ど無いでしょう。

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 18:31:44.10 ID:mNdfIb8W
真田信繁「我が甲州流築城術は世界一ィィィィィィ!!!」


まぁ真田に頼らなくても旗本にその手のテクノクラートはいっぱい居るし

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 19:18:55.49 ID:VenBuhOf
天下人の城は、田舎城と違って、見た目も大事だからね

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 19:43:45.85 ID:mKsQl1WK
一番大事なのは各地で戦って色んな城を見てきたノウハウでしょうしな


599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:18:16.73 ID:q83Cb0b3
>>588
その北の丸と西の丸より本丸が低いというのがなんとも。
水戸城や小諸城のような先細りの城ならともかく、郭がかみ合った
馬蹄形の城としては致命的な欠点じゃないかとも思う。
スレ違いで悪いが。

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:37:34.49 ID:vWh66jWU
真田信繁の真田丸は築城技術高かったのかな?

江戸城って大坂城より防御力高かったのかな?

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 11:40:15.97 ID:+nf0aXPh
>>600
未だ戦火燻る時代に戦時も意識して建てられた建てられた大坂城のが上じゃないかな?
江戸城もお堀の規模が大きいけど政庁としての平城の要素が強い気がする

築城当時の江戸城と今の皇居とでは大分様変わりしてるだろうからアレだけど

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 12:22:49.25 ID:ChxMS7kx
全国政権が本拠地まで攻め込まれるなんてもう終わりだし防御力上げてても意味ないんじゃないかという気がしなくもない

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 12:37:02.51 ID:1u6Sos5p
何より登城する人間の苦労考えると
あんまり防衛力に偏重した城はちょっと・・・

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 12:40:00.54 ID:0BeKm1EN
黒田如水はもう晩年で隠居か
天守閣は長政が請け負っているし
健在だったなら縄張りもやっていたんだろうか

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 12:51:46.41 ID:dEKKPCue
釣り天井位仕込むかもしれん

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 13:05:59.92 ID:vWh66jWU
そういえば江戸城西丸御殿が完成した時に、彦左衛門が合戦の事を考えてないって言っていたな。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-139.html

豊臣滅ぼすまでは防御力にある程度気を遣っていたと思うけど、どうだろう?
滅ぼした後は諸大名を疲弊させる為に工事してたのかな?

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 13:21:13.62 ID:sxm6wKwy
行政都市だからなぁ。どうなんだろうね。

海沿いを立地に選んだ時点で
物流の事を優先して
籠城のことはあまり考えてないのではないかな。
小田原城もだけど、どんだけ馬鹿でかいお城つくっても
籠城を選んだ時点で、もうだめぽなわけだし。

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 13:27:19.99 ID:7Tju4Wlz
大阪城も江戸城も防御力の要は総構えとそこに立て篭もる万単位の銃兵だから、防御力に差はないよ
上田城みたいに縄張りのギミックで減殺するのと思想からして違う

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 13:30:27.94 ID:eCjwpiPf
江戸城は十二分に防御力あるだろう
火縄銃の時代なら十分
甲州流の影響があるみたいだが

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 13:52:40.10 ID:DRWHlsgH
というか江戸城でどんぱちする地点で終わってるぞ。
江戸より前、駿府とか御殿場とか小田原とか殲滅するポイントはけっこうあるだろ

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 13:56:21.89 ID:7Tju4Wlz
でも江戸城が無ければ小田原を抜ける戦力さえあれば江戸を落とせるでしょ?
8万の大軍が立て篭もれる江戸城を作ることで、
それ以上の戦力を揃えないと反乱を起こせないという抑止力になってる。

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 14:00:12.65 ID:sVhlcvfE
>>602
それは後の歴史知ってるから言えること

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 14:22:29.39 ID:eCjwpiPf
同じような大阪城は実際戦場になった上、総構えは役に立った

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 14:27:34.95 ID:sxm6wKwy
大阪城は家康の寿命という時間制限があったし
小田原城は東北征伐まえに威勢を見せつける政治的な必要があったから
攻城戦になったわけで、
そういう制限がない場合には
数万の軍勢が立てこもったら立て籠もったで
補給を断ってそのうち内紛自滅するのを待てばいいし。

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 15:48:48.26 ID:LpVh5Yik
相手がただの略奪者なら途中スルーして荒稼ぎして逃げていく可能性もあるから
無意味ではないな

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 17:34:20.90 ID:DRWHlsgH
なにその軍神様?

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 17:47:34.90 ID:wpDAORpy
>>605
本多正純「この釣り天井は伊達殿の反乱にそなえ、城内で迎え撃つための仕掛けでござれば…」
[ 続きを読む ]

堀尾吉晴は深く慎み

2012年09月23日 20:40

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 18:22:07.02 ID:BpCeoGsi

堀尾吉晴は十六歳より従軍して四十年あまりの間に大小の戦に臨み、
自ら先駆けて多くの敵を討つこともあれば、士卒を下知して城を落とし、
陣を破ることもあった。

しかし、吉晴はそれだけの武勇がありながら深く慎み、子息にさえ
己の武勇を詳しく話そうとはしなかった。それでも自然と世に知られた
高名は二十二度といわれる。

ある人が吉晴の子・忠氏に吉晴の武功について尋ねた。忠氏は父の武功に
ついて詳しく知らなかったので答えなかった。

この時、その人が「この道の嗜みがないから知らないのだな」という様子
だったので、忠氏は深く恥じて、吉晴に大坂貝殻塚を一人で取った時のことを

教えて欲しいと言った。吉晴は答えなかったが、忠氏が他人にその道を
好まないのだと思われたくない一心で重ねて尋ねると、ようやくあらましを語った。

親子の間ですらこのようであったから、他人に語ることはなおさら無かった。

――『名将言行録』




573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 18:43:07.33 ID:h3S9/X5f
堀尾吉晴って名前自体が温和な雰囲気あるよな。

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 18:45:11.51 ID:OMEEsOQL
謙虚さがより武名を高めたいい話
現代でも自分から武勇伝話す人は大体ハッタリ気質だよなw

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 18:59:00.04 ID:4Cw0SdeS
謙遜は美徳かもしれないが、
黙ったまま死なれると子孫や歴史家は困るんだよ。
ある程度の政治家や軍人は回想録ぐらい書いておいてくれ。
公開は死後でいいから。

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 19:09:33.54 ID:OMEEsOQL
>>575
たしかに歴史家は困るな
子孫は知行の面ではその通りだけど、
先祖の武名が高いと比べられたり同輩からの嫉妬で苦労しそうではあるかな

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 19:19:57.86 ID:QuUwL04t
仏の茂助と呼ばれてるけど、山内一豊の例のやつにも切れなかったのかな...(´・ω・`)


578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 22:30:21.21 ID:aXDYE3V/
普段は凄く物静かなのに、ハンドル握ると人が変わるみたいな


579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 01:28:56.19 ID:yjCdr72Y
>>577
土佐に移ってからも両家には行き来があったらしいし
特にキレなかったんだろうね…えらいね…
もともと、それだけ仲良しだったってことなのかもしれないが

高虎と江戸城修築

2012年09月23日 20:39

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 05:12:25.66 ID:YwK2PHTm
高虎と江戸城修築

藤堂高虎は、関ヶ原合戦後の新領地伊予国の板島城工事のあと、
近江粟津に新しい城の築城(膳所城)と、
伏見城修築および石垣築造を命ぜられた。
さらに並行して、今治に自身の城も築城していった。


さて、それがようやく竣工なったところで、
江戸城修築の縄張りを命ぜられた高虎は、即座にこれを断った。
命じたのは徳川家康である。

「天下の大都城でございますれば、
方角その他よくわきまえた軍法者にお命じになったらよろしかろう。」
再三にわたって固辞したが、家康は聞き入れない。

「佐渡守。よく聞け。城の縄張りに必要なのは、
攻められて持ちこたえ、
攻めて攻めるに苦労した要害の地をよく知っている、
そなたのような老功者の技術である。
よいな。辞退してはな・ら・な・い。」


(観念した)高虎は、大体の絵図ができるとその都度家康を伺った。
家康自らが筆を取って御朱を引いて修正すると、
その後、将軍秀忠に絵図を見せて説明し、承認を得た。
こうして空堀、石垣などをことごとく完成させていったのであった。
                               「玉置覚書」




581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 07:10:27.46 ID:w+jE93FD
忙しいねぇ、そんだけ信頼されてたと共に、警戒もされてたんかなぁ

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 10:13:08.96 ID:mNdfIb8W
この頃は外様ながら本多正信と並ぶ腹心中の腹心だから純粋に信頼だけだろ

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 10:21:48.00 ID:Bb9V1bxm
なぜ佐渡守?

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 10:33:04.84 ID:5WgmFJ82
佐渡守だからでしょ

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 11:00:48.41 ID:YwK2PHTm
この時期(1606年)は佐渡守。1607年より和泉守に改称。
一説には本多佐渡守正信との混同を避けたためとも。

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 11:15:39.70 ID:yvQg5f+q
攻めにくい城ってえなら真田のおにいちゃんに聞くのが一番だと思うけどな。秀忠さん怒ると思うけどw

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 11:31:01.27 ID:7AOAxyCd
皇居の竹橋九段下あたりとか北の丸あたりは惚れ惚れするよな
あの高石垣かっこいい
あれが高虎の縄張りとか胸熱
西の丸あたりはおとなしい感じだからな

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 11:38:40.58 ID:dD5K3yrf
>>587
アレは城そのものというよりも、中の人込みだからなぁ・・・

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 11:40:17.11 ID:x7vvNBja
>>587
天下普請と上田じゃ縄張りの規模が違いすぎないか

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 17:11:48.65 ID:hTrt0d+v
規模もそうだが、真田は山城は得意そうだけど平城の技術を持ってるか?というのもある。

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 17:12:50.92 ID:7AOAxyCd
上田城は平山城程度じゃね
微妙だが

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 17:47:30.39 ID:/Hqn2hqW
上田城は川沿いの崖の上に建てられた平城。

>>587
信之と秀忠の関係は悪くなかったという説も。
秀忠が真田屋敷に来たとか夜の話し相手に信之を呼んで軍法について聞いたとか。

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 17:49:53.47 ID:EMkUoTnH
まあ、江戸城と上田城とじゃガチで規模として100倍違うからなあ。
中世城郭の色の濃い上田城のノウハウで江戸城に応用できる要素というのも殆ど無いでしょう。

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 18:31:44.10 ID:mNdfIb8W
真田信繁「我が甲州流築城術は世界一ィィィィィィ!!!」


まぁ真田に頼らなくても旗本にその手のテクノクラートはいっぱい居るし

九条稙通の教養

2012年09月22日 20:30

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 22:01:54.76 ID:LqlbWoBI
九条稙通といえば山科言継、近衛前久らと並ぶ戦国時代を代表する公家だが
いかんせんどんな人物だったか、まではよく知られていない
ウィキペディアですらわずか2行(ほとんど1行といってもいい)ほどしか記述がない
そんな稙通だが戴恩記にこんな話がある

あるとき稙通に色々物を習っていた松永貞徳が、4、5日出かけて戻ってきたときに
稙通が「どんなことがありましたか?」と聞いてきたので貞徳が
「いやあ聚楽第の毛利の屋敷で連歌の会がありまして
このとき里村紹巴殿(明智光秀の連歌の会の件でも有名な人)
が庭に咲いている梅花を見て
『梅の花 神代もきかぬ 色香かな』
(この梅の花の色や香りは 不思議なことだらけだったっていう神話の時代にも聞いたことないぜ!)
と呼んだのでみんな喝采の拍手でした」
と言ったらここで稙通
「おやおや、紹巴殿は連歌の腕は確かのようですが
いかんせん古歌には精通していないようですなあ」とご立腹だった
どうしてかと貞徳がわけをきくと
「いいですが、神話の時代にも聞いたことがないとは
在原業平がかつて
『ちはやぶる 神代もきかず たつたがわ からくれないに 水くくるとは』
(竜田川がまるで真っ赤に絞り染めしたように一面紅葉だらけで美しいぜ!
こんなのは不思議なことだらけだったっていう神話の時代も聞いたことがない!!)
と詠んだように具体的に竜田川の見たこともない美しい光景をとって
神話の時代にも聞いたことがないと言っております
同じように夢庵も
『冬咲くは神代も聞かぬ桜かな』
(冬に咲く桜なんて、不思議なことだらけだったていう神話(以下略))
と詠んでいます、これは冬に桜が咲く珍しさと、場所も伊勢ということもあって
神話の時代にも聞いたことがないと言うに相応しい
それにつけて紹巴殿は大して珍しくもない梅の花につけて「神話の時代にも聞いたことがない」
とおっしゃっています、一体何の根拠があってそんなことを言うのでしょう」

これには貞徳も「俺のような若輩者にもなんて分かりやすくて最もな説明……!!」
と感心したそうだ

九条稙通の教養のほどがうかがい知れる話






566 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/22(土) 00:09:56.87 ID:EB2SNDHC
時期が時期だけに戦国武将みたいな名前だな

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 02:21:26.19 ID:OMEEsOQL
幕末には「○麿」と名乗る武士が増えたらしいから時代ってあるかも(司馬ソース)。
でも基本、公家と武士って名前そんな違わないでしょ?

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 11:02:12.04 ID:hBrVEyEn
名前が何を指しているかにもよるけれど、
諱の場合は好んで使われる使われる漢字(含む通字)に差があるな
言継とか雅庸とか実条とか武士ではなかなかお目にかからない

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 11:12:38.65 ID:Rak/zI8J
五摂家の当主でも将軍から偏諱を受ける感じなので武士っぽさも増すんだよな

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 11:23:18.44 ID:qRdHmeZi
>>569
それは二条さんのとこだろ

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 11:49:15.02 ID:xhLZRFUp
>>566
義稙の偏諱だし

佐久間盛政の処刑

2012年09月22日 20:29

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 07:34:28.08 ID:/3atuCBe
柴田勝家を滅ぼした羽柴秀吉は、越前を丹羽長秀に、加賀を前田利家に与え戦後処理を終えると帰洛。
捕縛された佐久間盛政も山口甚兵衞、副田甚左衞門に警護され京へとその身を移された。

秀吉は浅野長政を使いに立て盛政にこう言った
「私はお主の大功を知っているので、殺すに忍びない。そこで怨敵と言う思いをひるがえして、私に従ってはくれないか?
九州の諸大名は未だ服属していない。私はお主に肥後を与え、九州の討伐を任せたいと考えているのだ。」

盛政はこれを聞くと
「命を助けてもらい、その上大国を与えられるということ、これは後代までの名誉である。
私が九州に行けば1年のうちに平定するだろう。平定を終えて上洛をして、秀吉に対面すれば、
その時私は必ず憤怒の感情が生じて、思わずとも秀吉を斬り捨てるだろう。
そうでなくても肥後に下って、反乱を起こすだろう。私は秀吉とはそれほど相容れないのだ。

命を助けてもらった恩、国主としてもらった恩を返すこと無く却って災いになるというのはどうかと思うだろう?
恩というなら、速やかに死罪にしてもらいたい!」

長政は帰って秀吉にこれを報告すると、秀吉は再び長政を盛政の元に使いさせた

「もしかしてお主は、私が何かはかりごとをお主に対して企んでいると考えているのではないか?
私はそんなことはしない!その事は天のご照覧に任せる!とにかく、早く私に従って欲しい。」

盛政は答えた
「私は秀吉にはかりごとが有ると考えてはいない。そもそもそういう話ではない。
勇者たるもの発した言葉を、再び翻すべきではない!
私に対しては明日、必ず車に乗せて洛中を一見させて、河原にて殺されるのが良いだろう。」

秀吉もこれには
「勇者の一言というものは俚諺にもあるように、もはやとても、私に従うような事はないだろう。」
と、ついに盛政の助命を諦め、彼に最期の衣装を与えた。

佐久間盛政は自らの小袖の上に染物の赤い大広袖を着て車に乗った。
その姿は、身長六尺(約180センチ)、顔は紅潮し、頬髭があったと云う。

天正11年(1583)5月12日、年齢は30、車にて洛中を引き回れた。
世に聞こえた鬼玄蕃を見ようと貴賎上下を問わず馬車道に横たわり、
男女が巷に立ち並んでこれを見た。

盛政は引き回されながら彼らを睨みつけ、河原において処刑されたとの事である。
(佐久間軍記)

以上、佐久間軍記に見える、佐久間盛政の処刑に至る様子である。





517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 08:51:18.05 ID:lu9U/Xis
肥後はアカン

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 09:24:56.87 ID:LIK4VB4Q
ここで素直に部下になっても、佐々のようになるのがオチか

雑談・ナガマサ

2012年09月22日 20:29

雑談・ナガマサ


511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 01:02:26.01 ID:F7XLBAkn
長政は余計な一言での出番が多いが、事実はともかくそういう人だと思われてたんだろうか
それとも豊臣家の中枢に居た人なのにあまりにも早く家康の軍門に下ったから
江戸初期には侮られて小物役にふさわしいと思われてたんだろうか

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 01:07:25.95 ID:QuUwL04t
信長の命で斬られるところを秀吉の独断で助けられた
という話が本当ならどの豊臣恩顧の武将よりも豊臣への
恩は深いはずなのに...


513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 05:33:44.59 ID:v4hiVesG
秀吉に大恩が有っても淀殿や石田三成とは確執があったのかも試練

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 06:06:52.39 ID:qRdHmeZi
いつの間にか話が浅野長政から黒田長政にすりかわってるような…

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 06:14:44.22 ID:JJ8Bdbbi
中枢に居たからこそ早々と見限ったのではなかろうか。

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 09:49:16.48 ID:muq0fmif
長政さんは、秀吉さんというよりは重治さんの機転と覚悟のおかげで、救われたような・・・
寧ろ、信長さんの処刑命令をあっさり受け入れた秀吉さんを受け入れられないんじゃないのかな~

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 10:45:05.55 ID:F7XLBAkn
おまえら長政といったら黒田のことしか浮かばないのか

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 11:40:44.23 ID:ZpdO2oWP
K☆I☆Z☆A☆W☆A

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 11:52:36.88 ID:jGro9prD
あの肥後を治められるとは大した自身だ

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 12:00:39.49 ID:rIHbkXdq
浅井とか山田もいるな。今頃だとシエがらみで浅井って答えるかもしれん

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 12:07:25.53 ID:LoeRgdT8
長政軍団の中じゃ浅野さんが地味なのは間違いない

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 12:14:52.32 ID:hBrVEyEn
織田長政なんてのもいるぜ
活動時期は江戸初期だけど生まれは戦国ってことで一つ

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 12:24:46.56 ID:96f3VvAj
木沢長政 (1493年? - 1542年) - 戦国時代の武将。(山城国南部守護代)
浅井長政 (1545年 - 1573年) - 戦国時代の武将・大名。(浅井氏)
浅野長政 (1547年 - 1611年) - 戦国時代から江戸時代の武将・大名。(浅野氏)
黒田長政 (1568年 - 1623年) - 戦国時代から江戸時代の武将・大名。(浅井氏)
池田長政 (1575年 - 1607年) - 戦国時代から江戸時代の武将。(池田氏)
上杉長政 (生年不詳 - 1628年) - 江戸時代の旗本。(上条上杉家)
織田長政 (大名) (1587年 - 1670年) - 江戸時代の大名。(織田氏、芝村藩)
山田長政 (1590年 - 1630年) - 江戸時代、シャム(現タイ)の日本人町の頭領として活躍した人物。
関長政 (1612年 - 1698年) - 江戸時代の大名。(関氏、宮川藩)
織田長政 (旗本) (1628年 - 1690年) - 江戸時代の旗本。(織田氏)

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 12:26:14.75 ID:4Cw0SdeS
浅野長政は豊臣政権においては調整型の政治家って役割だね

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 12:32:40.70 ID:EB2SNDHC
木造さん・・・

黒田長政は常々こうぼやいていた

2012年09月22日 20:29

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 12:28:22.84 ID:96f3VvAj
黒田長政は常々こうぼやいていたという。
「オレは14歳で初陣して以来、手柄を何度も取った。
しかし、人は皆『如水の子だから当然だ』という目をしている。
その点、幸長はさして武辺者でもない弾正(浅野長政)の子だから、
あまねく天下から武勇をもてはやされている」と。





530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 12:56:45.43 ID:F7XLBAkn
>>528
10歳くらい年下の幸長に嫉妬するとは

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 13:07:52.18 ID:QuUwL04t
>>528
え?クロカンの方が無辺者のイメージ無いけど...

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 13:23:50.56 ID:F7XLBAkn
武辺者ってのは個人の武勇だけじゃなくて戦場での采配巧者も含むから如水は武辺者で良いんじゃない?
それも同時代の人から見ればとびきりの武辺者だと思うけど

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 13:43:27.23 ID:uCrdzVEh
クロカンが武辺者だからというよりは
あのクロカンの息子なんだからさぞ出来がいいんだろう、
とか思われてたんじゃないかと

これはどの島津の殿様…

2012年09月22日 20:29

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 13:47:22.01 ID:fd1muouz
慶長年間のこと、
大隅の城において薩州様が手討ちに及ばれたことがあった。
その時、お使いになった正宗の切先が鴨居に当たり折れてしまったそうである。

これ以来島津家においては正宗を差し料とはしないと言うことだ。
これは薩摩の国人、小川權兵衛から聞いた話である。


『鍛錬玉函』
『鍛錬秘函』


やっちゃった感がすごいですが
これはどの島津の殿様なんでしょうねえ・・・・・・?




535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 13:55:54.73 ID:qRdHmeZi
>>534
可能性があるのは義久、義弘、忠恒だけど
まあ、あの人でしょ

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 14:00:10.18 ID:96f3VvAj
(●Д゜)「正宗は大事にしてね。」

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 14:10:08.20 ID:Bhz95nJk
>>534
何の根拠もなく断言するけど、きっとあの人だ。



538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 14:13:58.05 ID:F7XLBAkn
手討ちなんて一生しなかった人の方が遥かに多いんだろうなあ
そう言えば嫁を失った後の秀忠の手討ち話は豪快で爽快感すらあったな

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 14:38:17.17 ID:OvyJ76u2
>>536
偽物のマサムネとはいえマサムネを削ったマサムネが言うな

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 14:56:48.87 ID:rIHbkXdq
(´・ω・`)「銘を変えただけだからOK」

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 15:18:38.01 ID:pPMT5WgO
やっぱり之定だ 36人斬っても だいじょーぶ

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 15:31:14.22 ID:uCrdzVEh
>>534
政宗「誰だろう」
忠興「誰だろうね」
長可「誰だろうな」

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 15:52:52.43 ID:nlPpsqja
島津で手打ちする当主とか誰か分からないわー、コナンの正体ぐらい謎だわー

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 16:07:36.49 ID:hBrVEyEn
切るなら切るでスパっとやっちゃえばいいのに
鴨居とかで刃毀れしちゃう間抜けは、まああいつだな
東郷に襲いかかって返り討ちにあったのと同じ匂いがする

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 16:10:34.29 ID:pPMT5WgO
どうせなら蹴り殺した方がマシちゃうんかと

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 16:21:21.93 ID:URmyPShf
へー、鴨居を斬って刀を折っちゃうような格好悪い殿様が、島津にいるのかー

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 16:59:16.30 ID:ttUqhglz
おまえら憶測でものを語りすぎだろwww

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 17:21:58.61 ID:96f3VvAj
伊集院忠真「義兄さんがそんな事する訳ないよ」

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 17:43:19.77 ID:v4hiVesG
>>545
????「毬は友達だよ、乱暴に扱っちゃダメだよ」

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 20:47:10.39 ID:pPMT5WgO
腹のわた 掻き出でてみれば ○久の 鴨居に禍う 抜きつ白刃

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 11:12:38.64 ID:yvQg5f+q
ちぇすとー!な剣術だと当たるわな・・・部屋の中だと突き主体の剣術のほうがいいんだが。バールのようなもので撲殺もいいと思うが

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 13:42:41.15 ID:Bs7TKjKo
??「鴨居ごと 圧し斬ってしまえ 不如帰」

ここに出た話では棚の中に差し込んで斬ったんだっけ

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 14:59:53.21 ID:yvQg5f+q
さっき実験してみた。もちろん打刀でやると怒られるので木刀で代用
鴨井の真下あたりにいるのを切るとか鴨井から一歩のところで振りかぶるとかしないと当たらないな


554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 15:38:24.29 ID:RI8/iPDP
室内で刀を振るなら居合いの型を参考にすれば良いな

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 18:09:57.65 ID:yEt8ZH62
ふむ居合やってる妹に聞いてみようかの

徳川家康は浅野長政を呼んで「賭碁をするぞ」

2012年09月21日 20:40

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 18:36:02.88 ID:vPe/m93+

ある雨の日、徳川家康浅野長政を呼んで「賭碁をするぞ」と言った。

「では私が勝ちましたら、本日別室に控えております船越五郎右衛門(景直)
の倅を上意をもって召し寄せて下さいませ」

「ほう、それは変わった賭けだな。何か理由でもあるのか?」

「はい。五郎右衛門は戦場での振る舞いは天晴れな武者だ、勇者であると
諸卒から大いに賞賛されたものですが、御治世の今では誠に不甲斐ない
臆病者と聞こえております。

この者は中頃に(秀次事件で)御勘気を蒙り、南部へ遠流させられ、
七、八年後に帰参を許されましたが、未だに名跡を継がせる嗣子がおりません。

元々、本妻には子がいなかったのですが、蟄居の折、南部で一男をもうけまして、
本妻の憤りを恐れて披露できなかったようでして」

「そういう事情ならば賭けには及ばない。
その配所での産子を早々に呼び寄せて嗣子とするように」

路次伝馬などについて定めた後、二人は囲碁を始めたという。

――『名将言行録』




563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 18:42:36.66 ID:2M0Px8yd
予め別室に控えさせてる位だから碁抜きに頼むつもりで来てたのか?

あの藤吉猿面郎にひとこと言っておきたいことがある

2012年09月21日 20:39

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 18:03:47.66 ID:MHus+mKZ
賤ヶ岳の合戦で柴田軍が討ち負け崩壊すると、佐久間玄蕃允盛政はともかくも合流しようと加賀まで
向かったところで、中村と言う場所で落ち武者狩りの郷民に取り囲まれた。
盛政は彼らを睨みつけ

「私の命運はここに付きた!再び合戦をしても勝機はないだろう。
お前たち、あの藤吉猿面郎のところへ私を連れて行け!ひとこと言っておきたいことがある。」

こうして盛政はこの郷民たちに捕われ、北の庄の浅野長政のもとに連行された。
長政は盛政を見て、彼を侮るように言った

「あなたは鬼玄蕃とまで言われた人ではないか!どうして未だ死なずにいるのか!?」

盛政はこれを聞くと
「汝はなんと愚かなことか。かつて源頼朝は大庭景親に負けて伏木の中に隠れ、将軍足利義稙(原文では義昭)は
細川政元に捕われ幽閉されたが、後についに脱出し大功を立てたではないか!
将たるものが、どうして容易く敵に自分の死を許すことがあろうか!」

これを聞いた人たちはみな、盛政の凄まじい気魂に舌を巻いたという。

(佐久間軍記)




504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 18:18:55.37 ID:61LT6kna
それなら素直に捕まえろと言わず、うまく買収でもすべきなんじゃ…

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 19:02:33.25 ID:2M0Px8yd
問答無用で竹槍や妖怪首置いてけの餌食にならんかっただけマシか

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 19:29:48.96 ID:ggKjd+3g
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4596.html
郷民も身ぐるみはぐより褒美をもらうほうが得だと思ったんだろうね

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 20:10:46.61 ID:eEqRxYjX
>>505
(諦めが)悪いように見せかけていい話かな

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 21:15:12.12 ID:Dhfzjym2
連れてきた連中の玄蕃さんの扱いがあまりに酷いので秀吉が処罰したとかなかったっけ?

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 21:20:11.71 ID:N7QhuWx+
>>509
>>507に書いてある

家康は台所に出入りする下人たちを見て

2012年09月20日 20:31

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 18:39:56.38 ID:UVLY0Ayr

まとめで少し触れられていたけど語られていない部分もあったので。

伏見にて、徳川家康は猛暑を避けるために城の櫓の上で涼んでいた。
この時、台所に出入りする下人たちの様子を見ていた家康は不機嫌な様子で
本多正信に語りかけた。

「下人どもは様々な物を懐や袂に入れたり、宿直の荷物に包んで退出しておる
ようだが、どうやら官物をくすねているな。官長の注意が足りぬからこうなるのだ」

「それは、実にめでたいことですな」

「何? 下人の盗みがめでたいとは何事だ!」

「岡崎におられた頃はもちろん、浜松に移られた後も御分国が広大になったとはいえ、
台所の物は鰹節一本とて盗むことはできませんでした。

しかし、関八州の大守となられ、海内第一の大名にして天下の政務にも御参与なさって
おられますと国々の国守より貢物奉ることおびただしき故に、自然と裕福にもなりましょう。

ですから、かような盗人も出てくるのです。いや、これぞ御家繁栄のしるしですな。

前波半入がいつも御前で歌う小歌で、お聞きになったことはありませんか?
『御台所と河の瀬はいつもどむどむとなるがよい』というやつですよ」

正信の言葉を聞いて家康は「佐渡の言うことはいつもこれだからな」と微笑んだ。

――『徳川実紀(霊岩夜話)』





553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 19:47:32.44 ID:jFNwSsNH
ドムドムよりはモスが好みにて候

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 19:50:56.86 ID:8R7FfNr6
三河者はジャンクフードは贅沢だとか言って口にしなさそうだな
もちろん健康中毒の権現様も

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 19:53:09.63 ID:MSrsUEOF
本田佐渡はシニカルな態度が似合うなw

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 21:51:18.00 ID:h6soEjVJ
下人の盗みというか下げ渡しは役得になっていったな

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 21:59:42.85 ID:QZgNRW+q
橋下さんなら絶対許さないだろうな
本多さんとどっちが正しいのかわからぬが(笑)

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 06:05:43.15 ID:iy/kyvss
これぞ佐渡守って感じだなぁ

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 11:04:41.29 ID:dwvUxS1x
どむどむとなるってどういう意味?
教えてエロい人。


560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 11:08:21.83 ID:+I3Db/Bt
>>559
ドムドムハンバーガー
私たちドムドムは、お客様を大切に、そして喜んで頂けるお店作りを目指しています。

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 11:43:54.54 ID:N7QhuWx+
河の瀬にかけてあるから、ゆっくりよどみながら水が流れる様子と解釈した