谷川大膳の節義

2012年11月30日 19:52

621 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 20:54:38.49 ID:CYfM9YTg
前に出ているかもしれないが岩屋城に関するお話

高橋紹運の家臣に谷川大膳という者が居た。
岩屋落城前日に紹運の命を受け立花城に使いをし、
島津軍の厳重な包囲をかいくぐり岩屋に戻ったが
時遅く、城は落城し主君も切腹。
そんな事を知らない谷川大膳は門を叩くがどうも様子がおかしい。
そうこうしている間に島津の兵に囲まれ、島津忠長の陣へ連行された。

大膳は尋問を受けたが、悪びれる様子もなく姓名を名乗り
主君の命で立花城に使いした事を申し述べた。
その態度に感じ入った島津忠長は紹運の死と落城を告げ
「当家に仕える気は無いか?今まで受けていた俸禄と
おなじ分を進ぜよう」と誘った。

622 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 21:03:11.22 ID:CYfM9YTg
続き

大膳はそれを聞くと
「忝い次第ですが、この期に及んでそんな望みはありません。
主君の最期に遅れ、お供が出来なかった事が残念でなりません。
そこでお願いしたい事があります。
立花城からの返書は私の首にかけてあります。
どうかこれだけは、私の首を落とした後立花城に返していただきたい。
もし叶わぬなら、首をはねた後、ご覧いただきたい。」と涙を浮かべ言った。

これを聞いた忠長は涙を流しつつ
「これぞ誠の武士である。紹運殿はいかに名将であった事かがよく分かる。
この者を殺してはならない、またその書状も見る必要はない
大切にしまって立花城へ帰られるがいい」と言って、縄を解き刀を返したばかりか
馬に乗らせ足軽数人までつけて送り返したという。

623 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 21:12:41.15 ID:CYfM9YTg
続き

大膳は立花城に帰ると立花統虎に書状を返すと
切腹しようとしたので、統虎は驚いてこれを止め
「今そなたが死ぬ事は犬死に等しい。亡き父上(紹運)も喜ばれまい。
どうか、これからは余に仕え、余の馬前で死んでくれよ。」と言った。

その後は立花家に仕え統虎の兵学師範となったが
後に剃髪し、紹運はじめ戦死者を弔いながら一生を終えたそうである。

浅川聞書に伝わるお話ですが、死んだ人たちよりも生きながらえた方が
つらかったのかも知れませんね。
視点によっては良い話では無いかもしれません。




624 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 21:54:11.70 ID:oQXW4n1B
生きるのも死ぬのもどっちもつらいだろ
優劣つける必要ない

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 21:58:28.03 ID:5Za6BvO6
いい話だと思うよ

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 22:34:39.91 ID:CG4P9gBD
>>624
そこに拘らなかったら侍じゃないと思う

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 22:47:30.88 ID:oQXW4n1B
>>626
なるほど
では生きるか死ぬかどちらに理屈をつけるべきだろうか?

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 23:08:08.85 ID:IJMIozKW
やっぱ島津忠長は情の深い名将だな
某SLGじゃ出てこないかモブ扱いだけどさ

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 23:33:50.19 ID:CG4P9gBD
>>627
そんな難しいことわかんねえよ
ただ生きることに理屈はいらないけど、死ぬ時にに生きてて良かったって思うためには死ぬ理由はあった方がいいかもしれない
矛盾してるか
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我兵法の道である。

2012年11月30日 19:51

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 17:22:35.00 ID:pUBJW8Va
宮本武蔵
「武士の兵法に関していろいろな論が世にあるけれど、
何を初心者の技とし、何を武士道の奥義と区別しているのだろうか。
あらゆる芸事には、これが極意である、
これこそが秘伝であるなどと言う奥義が伝わっているものだが、
いざ敵と斬り合うときには、
初心者の技で斬るとか、この場合は奥義を使うなどの区別はない。
我が流派では、初心者にはまず合理的に勝つための技術を教え、
論理で伝えられないところは、
その者の心のわだかまりや執着が薄れる頃合いを見計らって、
次第次第に深いところの理を体得してもらえるよう心がけている。
とは言っても、兵法とは突き詰めれば斬り合いの場での術を学ぶこと。
それ以上でも以下でもないのだから、もともと奥義なんてものはない。
例えば、山奥に行こうとして辿りつき、
そこからさらに奥を目指せばまた入口に出てくるようなもの。
それは兵法に限らず、なんの道でも、
深いところの技が効果を発揮する場もあれば、
初心者の技こそが効果を発揮する場面もあるということだ。
他流派にはこれは奥義だからまだオマエには教えられない。
と、言って奥義なる技を隠す流派もあるようだが、
そもそも斬り合いに勝つということにおいて、
何を隠すことがあり、何を顕すことがあると言うのだろうか。
以上の理由から、拙者宮本武蔵は誓紙や罰文などで、
弟子を型にはめ育てる方法を好まない。
兵法を学ぶ人のそれぞれ生まれもった気質才能を大事にし、
その本来の心へ直に至る道こそを教え、
それまでの人生で後天的に身につけた悪いところを捨てさせる。
そして自らの力で誠の武士の道に入るよう教えるのが我兵法の道である。

よくよく鍛練あるべし」【五輪書】




今でも厚木の市島では、蕎麦はつくらない

2012年11月30日 19:51

552 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 21:42:50.99 ID:bwSx+5J3
神奈川県は厚木の市島に伝わる伝説だそうだ。

永禄十二年(1569)、武田信玄北条氏康が三増峠で合戦に及んだ。
結局戦いは信玄方が勝ったが、武田方の殿として残った三島一族は北条方の追い討ちにあい、
味方から引き離されてしまった。
三島勢は追撃を振り払い、なんとか鳶尾山のあたりまで落ち延びた。
「ここまで来ればもう少しで甲斐の国ざかいぞ!」
落ち武者たちはお互いに励ましあって夜の山道を進みつづけたが、突然一人が叫びだした。
「う、海じゃ!」
指さすあたりを眺めると、確かに海のようだ。見渡す限り一面に白い波がきらめいていた。

当然、甲斐に海はない。

「で、では、われらは道を間違え小田原の海に出てしまったと言うのか」
落ち武者たちは呆然として顔をみあわせた。
故郷の山が近いと、心がゆるんだあとだけに、もはや一歩も踏み出す気力は無かった。

「もはやこれまで、敵の手に掛かって死ぬよりは……」
と、一人が腹に刀を突き立てると、もう止めるものもなく、次々とそのあとを追って死んで行った。

……しかし、落ち武者たちが見たのは海ではなかったのである。
月の光をうけて、一面にしろじろと揺れている蕎麦の花を、海と間違えたのだった。

わずかに生き残った落ち武者の一人からこのことを聞いた村人たちは、あまりの痛ましさに言葉もなく、
それから蕎麦づくりをやめたのだという。
今でも厚木の市島では、蕎麦はつくらない。

『乱世に生きる 日本の民話8』より

本棚をあさってたら面白そうな本を見つけたので一部を編集して抜粋してみた。
蕎麦の花を海(川)と間違えた、って話は上杉謙信が川中島から撤退する時にもあった話だけど、
これは逸話のテンプレなのかしら




553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 22:08:21.68 ID:1uUTXw8I
>なんとか鳶尾山のあたりまで落ち延びた。
>「ここまで来ればもう少しで甲斐の国ざかいぞ!」

いやいやいや、まだまだ全然遠いから、
険しい丹沢つっきって直線でも国境まで20km以上あるから(´・ω・`)

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 22:28:36.25 ID:Why8UaWw
まあそれまでの道のり考えれば後少しと鼓舞できる位なんじゃないの

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 01:14:07.14 ID:Ba2DCcCh
地図を見ると甲斐まで三増から遠くなってるwww

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 06:30:43.10 ID:szDOamf6
北条側でも、収穫されたとうもろこしの茎を武田方の槍と見間違えて自刃した伝承があるんだろ
史料的に、とうもろこしが伝来するのはこの10年後だけど

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 09:09:24.71 ID:pJDwcquZ
米が水に見えたり蕎麦が海に見えたり
どんだけ遠くから見てるんだ

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 11:05:56.64 ID:2tcsPcxh
峠で合戦→殿で奮戦→山道を行軍で心身共に極限状態だっただろうから
こういう錯覚を起こしても不思議ではないな

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 12:18:44.93 ID:y8PtCFIH
持ち上げられた後に落とされるのは結構きつい
極限状態下で今までの苦労が無駄と判明したら心折れるわ
厚木に出たなら実際に道間違えたっぽいし

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 13:51:07.33 ID:k53uNVz4
城が見える飯盛山まで敗走したら周辺に上がった戦闘時の煙のせいで
城が燃えていると勘違いして自害した白虎隊士も近い感じかね

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 13:57:42.07 ID:cAUg0cNa
>>560
それは単に捕まりたくなかっただけっていう生存者の証言がなかったっけ

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 15:44:41.78 ID:8UXR3/YH
鬼武蔵の部下だと道連れ求めて敵に突っ込むんだろうな

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 15:50:43.87 ID:gG4Vpwu3
もっと打算的だと思うが

豊臣秀吉の脅威

2012年11月30日 19:51

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 17:17:15.99 ID:IYlXkk4M
1592年5月31日付・スペイン王フィリペ2世宛、フィリピン総督ゴメス・ペレス・ダスマリーニャ書簡

『日本の皇帝で、「コンバコンドノ(関白殿)」と称する者は、薪売りの卑しい身分から今の身分へと
暴力を以ってのし上がってきたもので、現在はその身分に尊大に安んじています。

彼は反乱の恐れのあるところには、身分は低いが彼の信頼するものを統治責任者として送り込み、それまでの
血統と相続故に支配していた者達を殺害、あるいは幽閉します。
また彼が領地、あるいは何らかの地位に誰かを据える際には、その者の子、あるいは兄弟、又は他の人質を
自分の元に取ります。

このようにしてすべての基礎を固め服従させたので、今は国内で何もすることが無くなり、それぞれ兵力五万を擁する
軍隊を3隊作り上げました。各軍は兵糧、武器、弾薬を多量に備えた艦船多数で武装しています。

彼は朝鮮遠征を公にしましたが、朝鮮というのは中国に隣接した屈強で過酷な地であり、遠征しても必ずや
敗北に終わるほど獲得の難しい土地であります。ですから、彼はマニラを攻撃するためわざと朝鮮の名を出し
噂を広めたのだと明らかに推測できます。

何故なら、彼は当地の情報を収集するために放ったスパイ(私がこの手紙を書く3年前に、3~40人の日本人が
キリスト教の巡礼衣でやって来ました。信心行のため当地の教会を訪問するという名目で、首からロザリオをかけ
たくさんの苦行をしていましたが、マニラ市に隣接する、周囲1.5レグアに及ぶ地帯全体を、海や河口を通って
くまなく歩きまわり、全て偵察して帰っていったのです)の他に、ガスパール(原田孫七郎)とか言う日本人キリシタンが
極めて特異で、またしばしば目立ちました。この男は当地の事情について非常に多くの情報を得、偵察していったのです。

帰国したこの男を、主人であるコンバコンドノは大いに褒め、多くの褒美を取らせ、自分の甥に領国を放棄させた上、
手元の300万金のうち200万金を与えました。

あの男は自らこの遠征にやってくるはずです。戦に勝とうが死のうが、ここに留まるためです。その狙いは
毎年当地から陛下に送られる、多額の金です。
コンバコンドノはそれを聞き及び、当地の征服を企て、その実行を望んでいる、ということなのです。』

フィリピン総督からの、豊臣秀吉の脅威についての報告である。




565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 17:22:30.98 ID:eTJKxE2a
朝鮮よりフィリピンのほうが楽に征服できたのかねえ?
そりゃスペインの守備隊なんてカスみたいな人数しかいないだろうけど…

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 17:50:00.55 ID:PJUFqn7+
>>565
明から大軍がやってくるわけでもないし、スペイン人追い払うだけならなんとでもなるでそ。
もちろん、その後きちんと統治できるとは、とても思えないけど。

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 18:27:38.41 ID:Z1IEIH2n
ただ、城塞に立て篭もったヨーロッパ人はつえーからなあ…

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 19:32:14.01 ID:Ba2DCcCh
国性爺「んなぁ事ない」

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 19:44:08.71 ID:QGq5E4hF
ヴォーバン「俺が手がけた城でないのならたいしたことないって」

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 20:53:09.48 ID:8UXR3/YH
真田パパン「城より守る人間の質が大切だ?見せてやろうか?」

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 21:17:20.15 ID:gG4Vpwu3
>>565
海上戦で負けて補給不足になると思うけどな

駒形さんは愛犬家なんだなぁ

2012年11月30日 19:50

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/30(金) 18:13:57.18 ID:wGHN8sOI
摂津の住人駒形甚九郎光親はある時、若侍十人ばかりと多くの勢子を連れて
鷹狩りに出かけ、一日中遊んで暮らした。同じ時、十河一存の子・孫六郎修理大夫の
次男・七郎兵衛が五十人ばかりで勝尾寺より帰るところだった。

一行が草の深い所の傍を通ると駒形の鷹犬が草原を嗅ぎ回っているところだった。
犬は人々をきっと見て見知らぬ奴だと大いに吠え掛かり、飛びついて噛み付こうとしたので、
小姓が素早い手利きで打刀を引き抜き、犬の細首をずんと切り伏せた。

その後、犬引きが犬の死骸を見つけて仰天し駒形に報せると駒形は「なんたる狼藉だ!
畜生をかように切って棄てるとは、あの野郎め逃がさんぞ!!」と、只一人三町ばかりを
走って一行を追いかけた。追いついた駒形は一行五、六十人の中へ押し入り、

「只今鷹犬を殺しなさったのはどなたですか」と言ったが、侍たちは「いやぁ知らないな」
とばかり言うので駒形は機転を利かせて「犬は畜生ですから別に死んでもよいのです。
ただ、もし噛まれた方がいて痛がっておられるのではと思いここへ参ったのです」と言った。

例の小姓は「ああ、そういうことか」と思って「それがしと主人へ噛みつこうとしたので、
ただ一打ちに致した。あんな癖の悪い犬を飼うなんておかしいですよ」と厳しく言った。

「さてはコイツか…」と感づいた駒形は「おのれも共に畜生道へ行きやがれ!」と言うままに
小姓の細首を宙に落とした。一行は大騒ぎになって傍にいた若侍が刀を抜いて向かったところを
駒形はその右腕を切り落とし、そのまま多勢を切って廻ると近寄る者もいなくなった。

そこへ駆けつけた駒形の侍や勢子三十人ばかりが切り掛かったので、勢子どもも多く切られた。
しかし、かなわないと思ったのだろう、五十余りの侍たちは主を捨てて逃げ出し、遅れた
七、八人が切られてしまった。後に隣郷にも聞こえて「駒形が手柄、修理の孫六郎後を取りける」
と噂になったので暫く世間へ出てこなかった。

――『室町殿物語』

駒形さんは愛犬家なんだなぁ(棒読み)




「つんつくおどり」

2012年11月29日 19:51

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:49:05.47 ID:7gcmoWU5
「つんつくおどり」
現在も四日市市日永地区に伝わるこの踊りは、
滝川一益が起源に関係していると言われているようです。

説は2つあり、1つは滝川一益が母の隠居所を実蓮寺境内に建築する際に、
地固め工事に歌った歌謡と動作を元にしているというもの。
もう1つは、滝川一益が毎年大雨のため田畑が流出してしまう農民の困窮を見て、
天白川の堤防を築き、その際の地固め、地つきに歌ったという説です。

そしてその踊りがどんなものかというと、天明八年(1788年)の司馬江漢の日記には、
「十二歳から十七歳の男女、手と手をとり、輪になってツンツクツンツクとて踊るなり。
中に十五、六の男の子、白きさらしの手拭いをほうかむりして、うたをうたいて太鼓をたたく。
(中略)その夜も前夕の通りツンツク踊あり。踊と云うには非ず、
ただ手と手を取り、伸びたり屈んだりするのみ。誠に田舎の踊りなり」とある。

こんな思春期の少年少女たちがドキドキできる
マイムマイムみたいな踊りを滝川一益が作っていたとは。
ちょっと面白かったのでいい話に。




相田吉左衛門が、神埼の長者林を通りかかると

2012年11月29日 19:51

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 19:30:19.40 ID:vZJ3EBrF
中野内匠の家来、相田吉左衛門が、
夜、神埼の長者林を通りかかると、
突然に大男が立ちふさがり、
「裸になり、持っている物すべて置いていけ」
と言うと同時に、大力で相田が刀を抜けぬよう両手首を抑えた。
相田は、
「裸になるから、どうか命だけは助けてほしい」
と力なく言うと、大男は両手を放した。
すると相田はまず大小を大男に渡し、
つぎに衣服をいそいで脱ぎ渡し、
おそるおそる立ち去る様子を見せながら、
すれ違いざまに、大男が取り上げた刀の柄を握り、
立ち去る方向に抜き、そこから反転し袈裟がけに斬り殺した。
相田はそれから神埼へ行き、事の次第を届け出た。
何のお咎めもなく済むかと思われたが、
しばらくしたある日、鍋島紀伊守様が佐賀城へお越しになり、
「わたしは足を一本折ってしまいました」
と、いきなり勝茂様に申し上げた。
普通に歩行しているが、なぜそんなことを言うのかと勝茂様が尋ねると、
「普段から可愛いがっていた、
数人分の大力を持ちよく働く駕籠かきがいたのですが、
それを中野内匠のところの者に斬り殺されたのです。
ですからすぐにその者に切腹をお命じください。」
と訴えた。
勝茂様は事情を紀伊守様に説明したのだが、
最後はやむなく、相田に切腹を命じることになり、
これは何とも残念なことであった。

切腹の当日、中野一門が総出で相田の見舞いに訪れた。
相田はそれを殊更喜んで、
「わざわざのお見舞い、誠にかたじけなく思います。
お礼に、日頃練習していた仕舞をお目にかけましょう」
と、子供たちを呼び拍子をとらせ、
ゆうゆうと仕舞を舞い終わると、
甥の相田権兵衛が介錯をつとめ最後を遂げた【葉隠】




522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 19:34:29.08 ID:zt5JlkmR
なにがどうしてやむなくになるのかわかんねえ…

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 19:37:58.99 ID:aCLMo1m9
喧嘩両成敗とか屁理屈ゴネられたんじゃない?

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 19:41:46.70 ID:wAyX7EF7
全裸でも鮭さまとか幽斎さまとかだと返り討ちにできそう

仙石秀久の息子について

2012年11月29日 19:50

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 20:33:19.68 ID:hxqGvG8V
仙石秀久長宗我部元親といえば、耳川の戦い戸次川の戦いでの大敗という大きな因縁がある。
その因縁は彼らの子弟にも、不思議に受け継がれていた。

長宗我部元親の後を継いだ盛親が、関ヶ原で西軍に付き、改易され京で寺小屋の師範をしていたこと、
これは有名である。

一方、仙石秀久は東軍に付き、彼の仙谷家は近世大名として生き延びた。
ところが、である

秀久の跡継ぎである仙石秀範は関ヶ原において、父とは違い西軍についた。
そのため戦後、秀久より廃嫡・追放処分を受けた。

こうして仙石秀範は京に牢人し、奇しくも彼も、寺小屋の師範となった。

そして大阪の陣が起こる。仙石秀範も、長宗我部盛親と同じように豊臣方として大阪城に入城した。
この時秀範は豊臣秀頼より、大名格として三万石ほどの所領を与えられたという。
しかし夏の陣で豊臣家が崩壊すると彼は行方不明となる。討ち死にしたとも、丹波に逃亡したのだとも伝わる。
そして、秀範の息子である長太郎、この時十歳は伯耆で捕らえられ、閏6月22日、乳母の子とともに
六条河原で斬首、晒し首とされた。


関が原後、不思議にも長宗我部盛親とほぼ同じような人生を送った、仙石秀久の息子についての話である。




526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 20:37:49.50 ID:mC8QOvN4
もし十河存英も浪人中、寺子屋で教えていたら面白いのに

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 21:00:15.73 ID:7gcmoWU5
シンクロニシティwとか好きな人は昔からいたんだなー

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 21:07:25.80 ID:i0SBGpEe
>>525
まてまて、耳川じゃねーだろ

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 21:12:46.68 ID:hxqGvG8V
>>528
うわ、なんで耳川なんて書いたんだろw;

>>525
1行目

× 耳川の戦い
◯ 戸次川の戦い

申し訳ない

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 21:13:25.17 ID:eYxSm6Lj
耳川は龍造寺が島津にフルボッコされた戦いだったような

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 21:44:32.63 ID:sbemlcRK
いやいや、一条兼定が長宗我部元親に敗れた戦であろう
それとも柴田勝家が上杉謙信に敗れた戦いだったかな?

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:23:40.95 ID:xvXPbHwF
>>530
それ田手畷の戦い
耳川は日向に進出してきた大友勢を島津がフルボッコにした戦い

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:41:47.33 ID:xvXPbHwF
あれ、田手畷じゃなくて沖田畷だった
詫びとしてちょっとすてがまり要員として井伊勢に吶喊してくる

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:46:25.07 ID:HGwaImoa
でも井伊直政撃った本人は薩摩に帰れたような

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 00:12:54.99 ID:GxJjnsEb
>>535
柏木源藤さんか
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6524.html
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6519.html
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-858.html

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 08:24:34.16 ID:ad3LN7d1
宗麟の子分のカニ怪人を釣ったのが耳川
クマーを釣ったのが田手畷
センゴクと信親と十河さん釣ったのが戸次川

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 09:28:05.83 ID:4awvqKpm
>>537
沖田畷だろw

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 09:44:27.85 ID:CG4P9gBD
もう何が何やら

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 09:59:31.59 ID:/mCku+bg
家兼じいさまが鍋島祖父と大内を蹴散らしたのが田手畷
島原の戦いは沖田畷

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 11:08:37.38 ID:zK9ZsB66
結局、全部島津の釣り自慢でおk?

津軽信建と天藤四兄弟

2012年11月29日 19:50

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 11:34:54.86 ID:5nEj0bsG
慶長7年(1602)、津軽氏は堀越城に本拠を置いていたが、津軽為信は黒石の館で政務を執っており、
長子・津軽信建が堀越城の城主となっていた。
津軽信建の嫡男である熊千代はこの年のある日に祖父為信の元へ遊びに行った。
その折にどうしたことか、囲炉裏の中へ真っ逆さまに落ちてしまい、顔から頭にかけて、
月代まで焼けただれてしまったといわれる。

熊千代のやけどは為信によって秘密にされていた。しかし、噂が信建の耳に入ってしまう。
信建は烈火のごとく怒った。
「熊千代をすぐさま黒石から堀越へ連れて来い」と、家臣に命じた。
この使者に選ばれたのが、天藤家の衛門四郎、小太郎、佐衛門四郎、甚右衛門の四兄弟
(津軽家譜草案)であった。

天藤兄弟はさっそく黒石館に駆けつけ、為信に目通りした。信建の意志を伝えたが、為信は拒絶した。
やけどの熊千代を見れば信建が何をしでかすか分からないからである。

しかたなく四人は堀越城へ帰還、その旨を信建に報告した。しかし、逆上している信建は、
「必ず連れてもどれ」と重ねて厳命。兄弟は再び黒石を訪れたが、為信は依然として
連れ帰ることを許さなかった。
兄弟は板ばさみとなり、しばらくは黒石館で粘ったものの、ついにはあきらめて堀越へ帰ることにした。

ところがその途中、ちょうど天藤家の前にさしかかった時、四人は信じられないものを見た。
家族が皆殺しに遭い、その遺体を縁者、知人らが葬ろうとしていたのである。
仰天して訳を聞くと、四人の帰りが遅いので、激怒した信建が斬り殺させたのだという。
兄弟は呆然し、怒った。

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 11:36:14.04 ID:5nEj0bsG
「まことに宮仕えほどくやしきものはない。連れ帰れというのも主君なら、おさえて
帰さぬのも主君。臣たる者、どちらの道をとれば良いのか。
 我々の家来としての命運もここに尽きた。家族を皆殺しにするほどの主君だから、
我々も極刑に処されるだろう。
 しばり首になるよりは、場内へ斬りこみ、命を懸けて諌言しよう。 それから
腹を切っても遅くは無い。むしろ家族への供養になる。」

四人は堀越城に着くと、喚声をあげて無二、無三に斬り込んだ。黄昏時だったという。
不意をつかれた城内の武士はたちまち斬られて、四人は信建の居間の近くまで迫った。

しかし、ここで「三代相伝の主君へうらみをなし奉らんことは、臣たる者の道にあらず。」
と剣先が鈍った。
そこで、この上は、日ごろ奸臣と苦々しく思っていた奴ばらを討って取り、
最後の思い出とするべく城内を発った。

一方の津軽信建は居間にいた。騒ぎを聞いて仰天し、乱入者どもが近づくにつれて、色青ざめ、
立ち尽くすばかりであった。
とうとう、女中のすすめに従い、長持の中にかくれ、女どもにかつがれて居間を脱出、
四兄弟が城を出るまで離れたところに隠れていた、とされる。(永禄日記)


さて、城外へ出てきた天藤兄弟は白取瀬兵衛を襲うも、下人どもがかけつけたため、撤退。
次に森岡信元を暗殺した梶仁右衛門方を襲撃し、仁右衛門の母を惨殺。夜明けの頃だったという。
この後も四人は散々に暴れ回り、奈良岡万助が討たれ、他にも怪我人が十数人いたという。
徹夜で暴れた天藤兄弟は疲れ、近くの空き家に入り休憩した。

この頃には騒動を聞いた津軽家中の諸士が天藤兄弟の立てこもる空き家を包囲。
双方とも激しい攻防戦をするも、多勢に無勢。
東海幸義が向かいの家の屋根にこっそり登り、雁股の大矢を放ち、矢は衛門四郎の首を貫き、
二本目の矢は小太郎の胸板を射通し、二人は討たれた。
これを見た左衛門四郎と甚右衛門は立ち腹を切り、最期を遂げた。

家臣が首を持ち帰り、ことの次第を言上すると、信建は怒りにまかせて首を獄門にかけたという。
津軽の官製史書『津軽一統志』もさすがに哀れと思ってか、一件っを記したあと、
「天藤が横死せし、不運のほどこそ浅ましけれ」と結んでいる。

以上、「続・つがるの夜明け」から

ちなみに熊千代のやけど跡は治らず、醜いままであったのも一因となり、津軽氏を継承せずに
為信三男で関ヶ原合戦時に家康本陣にいた津軽信枚が二代目を継承することとなった。




544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 14:19:17.31 ID:ebhULvH2
豊臣時代に信建は京でそつなく為信の代行をこなしてるんだよな

信建が豊臣に近かったことと為信よりも先に亡くなったことで、この系統は没落するんだよな

冷泉隆豊の最期

2012年11月29日 19:50

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 18:05:53.89 ID:iGTjITmr
大内義隆が無念の死を遂げた大寧寺の変の際、冷泉隆豊は最期の戦を
奮戦して敵に目に物見せてやろうと、五郎入道正宗がうった乱刃の
抜けば玉散るばかりの太刀三尺二寸を軽々と掲げ、多勢の中に打って出た。

隆豊は活人剣、殺人刀、向上極意の妙剣、十字手裏剣、沓ばう身などの
兵法の術を尽くして斬り廻ったので、もはや手先に向かう兵もいなくなった。

隆豊は「もう相手になる敵もいないか。雑兵なぞを太刀汚しに殺しても仕方ないな」
と立ち帰り、仏前で鎧を脱ぎ短冊を一枚取り出して
「見よや立つけぶりも雲もなか空にさそひし風のあとも残らず」と辞世を残す。

黄門定家卿の末流とはいえこのような時に歌を詠むとは思いもよらなかったが、
歌道に入魂したのでこのように口ずさんだ。優美な心である。

かくて隆豊は腹を十文字に切り、返す太刀で胸もとを突き立て夕の露と消える。
その死を惜しまない人はいなかった。

――『室町殿物語』





546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 18:31:49.44 ID:MIYs+5wb
囲いを突破してきたなく生きて再起を図ればいいのにな

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 18:59:30.64 ID:CG4P9gBD
定家の子孫ってことは公家なのかこの人?

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 19:22:44.14 ID:oQXW4n1B
公家→武家のパターン
一条さんとこと同じ

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 19:34:57.38 ID:oQXW4n1B
>>546
中国にはそのタイプの英雄が多いな。
まあ、広大な大陸だから逃走しながら闘争する戦術使いやすいのだろうな

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 19:42:51.96 ID:ynFq+kSp
母方に冷泉家の出身者が居た程度じゃなかったっけ

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 19:52:20.56 ID:dqla+REu
>>546
しかし再起を図ろうにも
周囲は大友・毛利・尼子だぞ?

織田信長「必ず梶川弥三郎だ!」

2012年11月28日 19:48

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 01:11:03.69 ID:n0oLrGDd
織田信長が槇島の足利義昭を攻めた折、連日の暴雨によって宇治川は増水して
渡ることも困難であったが、信長が水のほとりに立って「先にこの河を渡るのは誰だ!
古の梶原も佐々木も鬼神ではないぞ!」と、言い終わらないうちに上流より一騎が
流れを乱して宇治川を渡った。

信長は「必ず梶川弥三郎だ、余人ではない! 天晴れな勇士をむざむざ敵に討たせるな!」
と命じ、大勢が競ってこれに続いてついに岸に上り勝利を得た。

初め梶川は博奕を好んで人々に除け者にされたが、信長は独りその勇を愛し、
「急難のある時はこれで功を立てよ」と名馬を与えた。梶川は感涙して「この馬で
先駆けできなければ生きては還らない」と自ら誓い、ここに功を立てたのだ。

大槻磐渓曰く、
「宇治川の先登について世の人は梶原と佐々木だけを知り、梶川を知る者は少ない。
梶原、佐々木は馬を並べて先陣を争ったわけだが、さて梶川の最も勇壮な単騎直進に
及ぶのはどちらであろうか。どちらも及ぶわけがないのだ」

――『近古史談』




612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 05:26:58.54 ID:CiJOS1Ku
日頃はどうあれ、一世一代の博打には勝ったんだな

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 06:53:12.68 ID:eYxSm6Lj
馬もらって泣いて奮迅するとは純な奴だ

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 10:46:47.32 ID:yQqXJ/+H
増水した川を渡るなぞ無理過ぎw

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 13:23:30.34 ID:wAyX7EF7
いや、後ろに鬼武蔵と三歳さまがいればやるおでもやろうとするだろうな

永禄9年、成田家の親子不和

2012年11月28日 19:48

509 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 20:02:32.43 ID:/gAGb3HT
永禄9年(1566)の事

成田長泰は71歳の老年と成り、子息氏長が成人したというのに、彼に家督を譲らず、常々色を好み酒に長じ、
城外に別荘を建てて、小筑という女を上方から呼び寄せ寵愛した。
家老や一門の者達、これを諌めたものの聞き入れようとしなかった。まさに老醜である。
このような状況の中

成田長泰に見捨てられた家老
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7055.html
↑これで危うく見殺しにされかけた豊島美作守は長泰への恨みを忘れておらず、氏長、及びその母に
申し上げることには

「長泰様は老体の御身でありながらあのような無行儀の作法、御一門も他家も、嘲り疎み果てております。
この時に、私は皆々と相談し、大殿を無理に隠居させられるように才覚いたし、若殿を世に立てたいと
考えているのです!」
これに母親も氏長も同意し、豊島の計画に参画した。

そんな陰謀が起こっているとは知らず、成田長泰は梅阿弥という同朋衆一人を共とし、妾の小筑の元へ
出て酒宴していた所、成田一門家中、豊島に賛同し、重臣である小田伊賀守を始め、豊島左馬助、
別府兄弟といった人々は忍城に集結し、成田長泰を城に入れないために門などを皆閉じた。
恐るべき嫌われっぷりである。
帰ってきた成田長泰が見たものは、完全に閉じられ自分を拒絶する忍城であった。

が、この成田長泰は只者ではなかった。

彼は水落の桶が城内に繋がっていることを知っており、特殊部隊のごとくそこに潜りこんだ。
長泰に続いて梅阿弥も桶を潜った。

「大殿が桶をくぐられた!」

510 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 20:03:08.44 ID:/gAGb3HT
物見の通報によりこれを知った城内の者達は桶の口を固め、三友十兵衛というものが、桶の口で
槍を構え待ち構えた。と、潜ってくる長泰の姿が!十兵衛は一気にこれを突いた!

が!成田長泰は塚原卜伝の第一の弟子であった。彼は兵法の達者であり、桶の口から突かれた槍の刃を、
口で噛み止め受け止めたのだ!
奇妙な手応えに十兵衛、槍を引きぬく。すると

『ズザザザザザザザザ!!! スポッ!』

槍の穂先を咥えて成田長泰が、桶口から引っ張りだされた!槍で大殿を釣ってしまったのだ!
藁で穴の中の土蜘蛛釣り上げたような、あの感じである。まあこっちは釣りたくて釣ったわけではないが。
三友十兵衛はこれに当然ながら驚愕し、さらにその後から梅阿弥も出てくるとその場から逃げ出してしまった。
しかしそれを誰が攻められるだろうか?

成田長泰は、あまりのことに硬直したその場の者達を蹴散らし本丸に入り、息子長氏を発見すると
たちまちに捕らえたちどころに殺そうとする!城内の者達はこの猛獣か悪鬼のような老人(71歳)に
どう対処していいか解らず右往左往し、捕縛された氏長も死ぬ覚悟を決めた。

と、ここで長泰、何故か述懐を始めた

「しかし、氏長がこのように歳たくるまで、家督を渡さないことについて腹立するのは仕方のない事だ。
されども私は、かつて城攻めに失敗した盃尾を攻め落として後に隠居すると心に決めていたのだ。
それがあれこれと引き伸ばしに成り、このような親子の不和になったこと、口惜しき次第である…」

などと嘆きながらやっぱり氏長を殺そうとした、その時!

「まてまてまてー!!!!!」

現れたのは成田家の菩提寺・立圓寺の長老!彼はこの親子の紛争への扱いを入れに来たのである。
長老は先ず(実に賢明なことに)長泰を無理やり引き立て、立圓寺に入れた。そのお供に何故か
今回の陰謀の主犯・豊島美作守まで付き合わされた。お供の者達が「氏長様が御父君に向かって
このような例の少ない反逆を為されるなど、天道に背く行為です!」とさめざめと泣いている中、
長泰は豊島美作守に対し「美作守、お前は嘘泣きしなくていいぞ。この逆心、お前の仕業であろう!」
と言ったとか。

そうしている内に氏長が、やっぱりあんな邪悪な父親は討ち滅ぼさねばならないと軍勢を立圓寺に向けたが、
この時は立圓寺の僧侶たちが皆鉄砲・槍・刀で武装し迎撃の体制をとったため攻めこむことが出来ず、
親子の紛争は降着。ここに小田原の北条氏が介入する動きを見せたことで、成田長泰もここでようやく、
このままでは北条に成田家は併呑されると危機感を覚え、氏長に家督を譲り自らは出家した。
(關侍傳記)

成田家の親子不和、についての逸話である。




511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 20:18:29.37 ID:eahOQBlN
なるほど、これは落城しない

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:19:03.07 ID:LWIGGGqm
成田記の姫武者の話もそうだが、成田関連はどうしてこうネジの飛んだ話が多いんだ

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:20:17.46 ID:7A9ljxOf
なんと言うハッスル爺ちゃん…

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 00:36:57.71 ID:FIiRvD43
>>509
素敵な坂東武者ですねえw

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 08:32:18.16 ID:XcCkf9pN
>>509
結局、北条が動きを見せたことで隠居したのか
道徳心がとか武士の道がとかそんなのカンケーねぇ!って話だなw
しかも坊主が出てきても話がややこしくなってるだけだし神も仏もねー

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 11:30:28.26 ID:A7PgpirE
関東は力が全てよ

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 18:55:08.62 ID:sbemlcRK
無刀取りどころか槍を口で受け止める新当流の奥深さに驚嘆したw

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:34:11.21 ID:EAL7b8Oc
>>520

真剣白歯取り
なんちゃって

浅野長政の家臣と「ニッカリ青江」

2012年11月28日 19:46

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:45:36.79 ID:cXcv4PNS
浅野長政の家臣が、夜道を歩いていると若い女が佇んでいてこちらに
ニッカリと笑いかけてきた。
この男はこんな夜中に若い女がいる訳が無い、これは物の怪の類に違いないと思い
一刀で女の首を刎ねた。

翌日、同じ場所を通ったが女の死体はみあたらず、そこには首の無い地蔵があったという。

この男の刀は備中青江貞次作のもので以後は「ニッカリ青江」と呼ばれたという。(常山紀談)




515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:47:09.43 ID:CgL4870A
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2959.html
こっちには異説が

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:55:55.27 ID:cXcv4PNS
>>515
ニッカリ青江の話はいくつかパターンがあるが
今、丸亀市立資料館にあるニッカリ青江は脇差なんだぜ

http://www.city.marugame.lg.jp/institution/culture/01.html

週間ブログ拍手ランキング11/21~/28

2012年11月28日 19:46

11/21~/28のブログ拍手ランキングです!


永井直勝、井伊直政に異見す 88

安藤重長は何かを察して 76

と言って勝茂様の遺言状を 42
雑談・関ヶ原の兵数のことなど 42

あれを斬ってこそ武士だ 39
武雄の荒踊り 39
福島正則改易の時の、井伊直孝の発言などについて 35

北条氏康の叔父・幻庵と申す人は 31
織田の家臣、弓の名手某 29
ルソンの日本人町開設の経緯 28

日根野は甚だしく貧しいために 27
田村清顕卒去、原田宗時盗人を討つ事 27
成田長泰に見捨てられた家老 22

高虎は死に臨んで直孝を招き 21
青山忠俊と知恵伊豆、記憶力について 21
家伝について 20

これが、現代にも伝わる宮島踊りである 17
紹運の恩忘れがたく 16
雑談・戦国期の百姓のことなど 14
二人の騎将が大きな背旗を負い 13



今週の1位はこちら!永井直勝、井伊直政に異見すです!
友情ですねー。それも熱血漫画のような友情。永井直勝、いい奴ですねw
そして言い争いの後でやっぱり反省する井伊直政もいい奴です。つまりこれはいい逸話ですw
それにしてもついでのような扱われ方の本多忠勝、こちらはどう考えていたのか、それも気になる
お話ですw

そして2位は!安藤重長は何かを察して です!
いやあ、粋ですね。安藤帯刀という人には全体的に、通常暑苦しい三河者らしからぬスマートさを感じますが、
このお話からもそれは充分に感じられます。
なんだか昔のハードボイルド小説にも出てきそうな、渋い大人のかっこ良さを感じさせる逸話だと思いました。

今週、管理人が気になった逸話はこちら!ルソンの日本人町開設の経緯 です!
日本人町って、そうだったのか!管理人も大変勉強に成りましたw
近世初頭まで東南アジアでは、日本人といえば恐るべき戦闘力の傭兵集団、という事は知っていましたが、
なるほど、そんな危険集団は、まとめて隔離しておくに限りますねw
こういうコロニーの作られ方からも、当時の日本人と言う物への国際的評価を理解させてくれる、なんて
ちょっと思いましたw



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )

二人の騎将が大きな背旗を負い

2012年11月27日 19:50

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 23:33:33.87 ID:ORpphC3O
二人の騎将が大きな背旗を負い、大保衣を佩びて陣営の前を過ぎるのを見た
豊臣秀吉は使者に二人の名を問わせた。

使者は馳せて「主将の命である。各々名を伝えよ」と言ったが一騎も答えない。
使者が反命すると秀吉は「お前は馬を降りずに問うたから軍礼を失したのだ。
そりゃあ答えはせん」とさらに別の使者を遣わした。

二騎は馬を降りて小早川隆景の家臣、河田八助楢崎十兵と名乗った。後に
二人は征韓の役で隆景に従いしばしば明兵と戦った。河田の背旗、楢崎の保衣は
ともに雄々しく偉大にして並々ではなかったので、その名を異国に輝かした。

――『近古史談』




599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 09:05:29.22 ID:WR+T6pHf
下馬するしないでけっこう揉めるよなあ
でも、礼というよりもメンツといわれたほうがしっくりするような気も

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 10:37:14.67 ID:Qx1w0kiF
ぶっちゃけこの礼儀知らずの使者はよく斬られずに済んだもんだ。

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 10:43:18.94 ID:SwUk9bgw
豊臣直属を斬れるわけがない

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 12:25:17.12 ID:LWIGGGqm
この下馬する・しないってのはホントに火種になるよな
使者も戦闘中にいちいち下馬してものをいうなんて、って気持ちがあるんだろう

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 12:27:40.80 ID:cXcv4PNS
長尾景虎改め上杉政虎が...

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 15:32:08.28 ID:eahOQBlN
島津豊久「○★下馬×△○~○ごわす!」

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 15:37:34.00 ID:NJOxbHj5
成田さん「ちょっくら水堀数本増やしてくるノシ」

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:24:28.28 ID:XOBI6aC/
現代で言えば車の窓から顔だけだして要件を伝えるようなものかね

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:25:43.66 ID:CgL4870A
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1895.html
いまさらだが既出?

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:54:29.04 ID:UbDSylm2
相手も騎馬なんだから別にいいじゃんと思っちゃうけど、そういうもんじゃないのか

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 22:14:25.36 ID:Lzd8dpMl
もともとは敵意のなさを示す動作だったのが礼儀作法化していったのかもな
挨拶の起源もそんなとこだろうと思ってる

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 22:45:46.92 ID:UUbXdFOe
右手の手首を左手で握りながらその右手で相手の左手首を、
双方で掴むのが敵意のない戦国時代の挨拶だっけ?

青山忠俊と知恵伊豆、記憶力について

2012年11月26日 19:58

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 18:41:29.94 ID:VSIyx/om
聞いたこと見たこと、何であってもよく覚えて忘れないというのは、その身の徳であり、第一の宝である。
見ても覚えず、学問・講習の筋を習っても、忘れ果てては何の役に立つだろうか?
人と近付きになっても、一度ばかりではその名前も顔も覚えられない、という例は多い。
記憶力が強いというのは、人の羨むことである。

青山伯耆守忠俊は記憶力に非常に優れ、旗本・小身の輩まで、一度その名を聞きその顔を見れば
能く覚えて、再び会った時には、必ずその名を呼んで挨拶をした。
その様であったので青山も自分の物覚えの良さを自慢していたが、ある会合において、
一座のものから青山に
「真似ようとしても出来ないことだ。有り体に言って中々及ばないことです。」
と声をかけられると、青山これに対し

「だいたい物覚えなどというものは、努力次第でどうにか成る事ですよ。」
と言い出した。これを聞いて同席・末座の人々、口をそろえて
「稽古によって出来る事なら、是非習いたい!」と、その答えを所望すると、青山は笑いながら

「意地がキレイか、意地が汚いかという事です。」
という。一座の人々困惑し、「そう言われても、全く理解できない。」と言えば青山

「されば、である。あなた達も、御三家・国持大名などの顔名前はきっと覚えているでしょう?
しかし小身の者たちに対しては侮っているから、その名も知りません。
私は末々まで、人であることに替わりはないと、平等に考えているので、能く覚えるのです。」

この言葉に一座のもの、皆感じ入った様子であった。

と、この場の遙か末座に、未だ無官の、若き日の知恵伊豆、松平伊豆守信綱があった。
彼は一人、青山の答えに感心した様子も見せずに嘯いていた。

青山はこの信綱の様子をいち早く見て取り、彼の方を見て声をかけた
「どうした!そこに居る小癪仁はどう思うのか!?」

これに信綱、冷然と
「…私の考えとは違う了見です。感じ入る所までは行きませんね。」と言う。
青山「では、お主の考えを聞きたい!」と、信綱の話を聞く姿勢を見せる。
すると信綱、少し進み出て

「太陽・月の事はきっと知っておられるでしょう。では、その他の星の名、星座の名など、
それをすべて覚えていらっしゃいますか?」

青山はこれを聞くと「どうやってすべての星の名を究め知ることが出来るだろうか?
天文の家であっても、細かな星は粟三斗分の数ほどもあると言っているが、それでも尚
具体的な数はわからないのだ。そうであるものを、どうしてその名を知ることが出来るだろうか?

この答えに信綱

「さて、あなたもそうお考えになりますね。
例えば、私のような愚かなものであっても、御三家は勿論、国取り大名も数が少ないので、
日月・五星・二十八宿と同じように、覚えるのが楽です。

しかし小身の衆は天の星の数よりも多いほどですので、どうして覚えられるでしょうか?
伯耆守殿のように、生まれつき記憶力の良い人には、そういったものも覚えられるのでしょう。
あなたがどう申されても、自分の意地の清濁とは関係ないことです。」

これには流石の青山伯耆守忠俊も閉口してしまったそうである。

ちなみに、物覚えには少しはコツがあるらしいよ!(物を覚ゆるは少しは傅も有る事とか)
(武野燭談)

青山忠俊と知恵伊豆の、記憶力についてのお話。





499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 20:55:34.56 ID:luN+5ubm
伊豆守に聞いた青山が悪かったなw

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:16:46.67 ID:A9QZagF9
>私は末々まで、人であることに替わりはないと、平等に考えているので

江戸時代にこんな奴いる訳ないだろうが

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:21:01.19 ID:VSIyx/om
>>500
ちなみに原文

『我等は末々までも人に替りなき處を考へて、平等に存ずる故に能く覚え候』

武野燭談は宝永6年(1709)成立

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:25:32.97 ID:T7w6fXkL
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772575/21
の53p見たらそのまんま書いてある

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:33:57.24 ID:Z47zLL3B
人類皆平等的なのは実際にはともかく宗教ではよくある表現だし
表現としてはそうおかしくないんでないの

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:54:09.00 ID:luN+5ubm
平等とか公平観は江戸時代にあった。最近読んだ東遊雑記にも出てきてた

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:59:08.26 ID:MtgoaPV4
差別は許さん 大名、小名、旗本を、俺は見下さん!すべて…平等に価値がない!
口で焼き味噌垂れる前と後に権現様と言え!

こうですか?

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 22:34:59.64 ID:fv8Yc8Y/
家光乙

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 23:33:23.45 ID:/sxQ+pTx
※但しイケメンはのぞく

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 00:54:18.38 ID:/cGhAlBG
本音と建前を忘れちゃいかんよ
人類平等という思想と社会秩序のための階級格差は別なのだ

北条氏康の叔父・幻庵と申す人は

2012年11月25日 19:03

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 14:02:43.82 ID:jVWuSVCU
北条氏康の叔父・幻庵と申す人は、久野という所に居住していたため、久野幻庵とも
呼ばれていた。

この人、初めは箱根別当として出家され、真言の学問を残らず学ばれた。
その上、伊勢氏は代々、巧みな鞍を造るのを家伝としており、早雲寺殿も幼少より嗜んでおられた。
そうであったが北條の系図を請けて、嫡男の氏綱は北条であるということでこの技術を相伝せず、
幻庵は出家の身であったが、生来細工の才能があり、伝わる鞍の製造技術を尽く習得した。

これだけではなく、弓の製作も習得し、矢を剥ぎ弦をさす事、世に並びのないほどであった。
また石台を作り、茶臼を作ることにも優れていた。
その上武勇にも優れていたため、出家の身から、再び武士への還俗された。

又、幻庵は尺八を作ることにおいても名高かった。彼の作った尺八は、『幻庵切りの尺八』と呼ばれ、
彼の作った一節切りの尺八は都鄙に流布し、禁中よりもご所望があった、

これによって関東では尺八が大変に流行り、小田原では若侍たちが、皆これを愛好したという。
(關侍傳記)




564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 14:51:37.81 ID:atcxirTv
モノづくりが好きな人だったのか

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 14:54:07.41 ID:IaK7GtWI
何がすごいって97歳まで生きて後北条滅亡の前年に死んでいるという

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 16:30:48.46 ID:z/Cm6AV4
>>565
あと10年生きてれば北条もどこか一国貰って復活してたかもな

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 16:31:39.67 ID:8NnuOFlf
へー若侍たちに尺八が流行ったんだー(ゲス顔)

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 17:00:49.09 ID:OjyjOhZ+
>>566
幻庵じゃなく氏直があと十年生きていればな・・・

織田の家臣、弓の名手某

2012年11月25日 19:02

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 17:58:59.37 ID:GKQf6RL1
織田の家臣に弓の名手某がいた。織田信長はその話を聞いて腕前を試したいと思い
演射場を設け日を選んで赴きこれを見物した。

ところが他の侍たちは皆多くが矢を当てたが、終日射ったのに某は一矢も当てることが
できなかったので信長を満足させられなかった。信長は帰ると「見るのと聞くのでは
違うな。人の言葉など当てにならないものだ」と述懐した。

その後、一揆が蜂起しその勢いはすこぶる激しく、信長は自ら将としてこれを討った。
この時、大勢の者たちがしりごみして進まないなか、某は信長の馬前に立ち弓を
いっぱいに引き絞って縦横に放射した。その矢はおおむね外すことなく、賊徒は
このために退却した。

これを見て信長は「なんと深き技よ。あの時、矢が当らなかったのは当てることが
できなかったのではない。余力を養って他日に功を立てようと望んだのだ。
諺に能ある鷹は爪を隠すというが、確かにその通りだ」と感嘆し、厚く褒美を与えて
某を賞した。

――『近古史談』




570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 18:05:04.16 ID:cOAcGLLX
実は忠勝のように実戦には向いているけど
練習は下手なだけだったりして

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 18:15:08.83 ID:m0zzi1T0
一夢「あの時は爪を見せる時期では無いと思い温存しました」

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 19:38:54.08 ID:OzOieAs2
普段は緊張して人前で力を発揮できないタイプなんだろう
なりふり構わず必死になれば本来の力を発揮するみたいな。

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 20:20:32.23 ID:8NnuOFlf
逆稲富さんか

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 20:54:38.72 ID:V++vXSTn
>余力を養って他日に功を立てようと望んだのだ。

これはさすがに無理矢理だと思いました
本番に強いタイプなんだろう

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 21:26:28.36 ID:161YWbBU
「動かない、痛がりもしない的だとヤル気がしないんですよね…」

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 21:30:27.31 ID:IL7boC/N
むしろ緊張しいで戦場だと吹っ切れてアドレナリン出まくりだから当たるとか?

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 21:48:22.64 ID:CJcrbyrs
生きた的じゃないと当てらんないんスよヒャッハー

的な何かとか…

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 21:56:32.60 ID:25XWbAOY
アレか、生餌しか食べない一部の野生生物みたいなものか。

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 22:04:03.79 ID:OjyjOhZ+
それ、戦場でも同じ事言えんの?

なAAを連想した

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 22:33:30.74 ID:uCDCw6Cz
何某「自分の弓は見世物ではござらん」

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 23:12:24.98 ID:BY8mcfyc
大槻磐渓(近古史談の著者)は結構興味深い人だな
スレ対象外な時代の人だけど

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 09:04:25.19 ID:8GRBGtLK
>>576,578
お前らのせいで、悪い話になっちまったじゃねーかww

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 09:33:53.20 ID:NjPRmEbA
なんか信長の性格だと「以前儂の前でわざと手を抜きおったな!」て逆に怒りそうな気もする

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 09:38:25.35 ID:uKbG1Sij
>>584
役に立つならどんな人でも重用する人だよ。

586 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/26(月) 10:46:24.87 ID:ZpyraGFx
信長が実戦での活躍を見て、前の演射場でのぱっとしなさをフォローしてくれるいい話

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 10:51:06.88 ID:7Jirq2xh
本当は使えねえから肉壁にするつもりだったとはとても言えない

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 11:11:06.41 ID:ogcdr5SB
信長って人を見る目はないと思う

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 12:27:54.41 ID:5j9NCcQK
戦場で当てられるんだから練習でも当てろよ
と叱るわけにもいくまい
そんなの言われたら確実にやる気なくすよ

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 16:09:01.90 ID:7ZA97t50
>>584
ノブは性格より機嫌が良い時と悪いときの落差が激しいんで…

多分この時は自ら出馬しての勝ち戦で上機嫌だったんだろう

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 17:38:34.14 ID:KOnqzRZ7
>>588
ある方だと思うけどなぁ
これを見抜くのは至難の業だよ
しかも最終的には認めてるし

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 17:40:47.85 ID:fv8Yc8Y/
ノブは人を見抜く目はあるが察する心がない

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 17:47:08.15 ID:eI89sZWP
能力を見抜く力はあるけど、その人間の気持ちなり感情を察する力がない って感じかね~
つか、自分以外の者も自分と同じ考えをすると思ってそうだからな~

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 17:48:42.10 ID:L1IjBxPi
そうか?信長公記だけでもその手のエピソードはそれなりにあるぞ?

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 18:42:17.91 ID:/16afk86
察する能力高いのってラスボスとかたぬきさんとか?

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 18:46:56.06 ID:VSIyx/om
>>595
ラスボスの洞察力は凄いと思う。家康は、ホトトギスじゃないけどモノになるまで待てる感じ。
信長は良くも悪くも育ちの良さからくる人の良さを感じる。

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 22:59:33.16 ID:hma1LAxA
天然理心流みたいに実戦には強いけど、模擬戦はからきしみたいなもの?

安藤重長は何かを察して

2012年11月24日 19:51

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 17:07:12.77 ID:QdRWouJn
ある日、安藤直次が同じ苗字の安藤重長のところへ「今晩そちらへ
参って料理を賜りたい」と申し伝えた。重長は「これは珍しいことだ。
何を思はれて申し越されたのだろう」と殊の外喜んで直次を饗応した。

直次は機嫌良く料理を賜り、緩々と話して帰っていった。
その後、重長は刀が残されているのを見つけ「うっかりお忘れになったのか」
と思い、近習に命じて直次の乗物を追わせた。

乗物に追いついた近習は側に寄って「御腰物でございます」と申し上げた。
すると直次は乗物の戸を開けて中より刀を取り出し「武士が刀を忘れるわけ
ないだろう」と言って刀を見せると、戸をひしと閉じて帰っていった。

仰天した近習が重長にしかじかと報告すると、重長は何かを察して涙を流した。

「さては今度在所へ帰国される時に隠居なさるおつもりであるぞ。
その刀はそれがしに形見として賜わるということに違いない」

重長の思った通り、直次はその月すぐに紀州へ帰りその年のうちに隠居した。

――『名将言行録』






551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 19:50:56.20 ID:01bEDd5W
安藤さんは粋だなぁ

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 20:11:18.83 ID:veBfM4Uc
三河者は面倒臭いけどカッコいいよな

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 20:52:57.25 ID:a+JjAOIw
めんどくさくない三河者など石川数正と本多正信しかおらん!

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 20:56:52.15 ID:LnYNdIpJ
>>553
御大将の家康はどうだったんだろう?w

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 21:24:06.04 ID:veBfM4Uc
本能寺の時には信長の後を追うとか切腹するとのたまって忠勝に窘められたりとか
腫れ物出来た時にはムカついて無理矢理膿を出したら悪化して生死の境をさまよったりとか、
その時に遺言とか形見分けをし始めて死ぬ気満々で医療を拒否し始めて作左に叱られたりとか、
わりと面倒くさい

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 22:03:10.72 ID:ZeZjyIdy
方向性は違うが本多正信もかなりめんどくさいと思う。

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 22:25:07.04 ID:/MJ8+Crr
>>550
ググったら、安藤重長は、安藤直次の弟の安藤重信の跡継ぎなんだね

実際には、重長は重信の娘の子(外孫)なんだけど、養子ということに
して跡を継がせた
重長からすると、重次は形の上では伯父、実際は大伯父

つまり、ふだんあまり付き合いのない親戚のオッチャン(しかも幕府の
老中もつとめたエラい人)が突然訪ねてきて、機嫌よく飲み食いして
帰っていったというお話

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 22:26:37.34 ID:/MJ8+Crr
>>557
>重長からすると、重次は形の上では伯父、実際は大伯父

失礼、訂正。
○重長からすると、直次は形の上では伯父、実際は大伯父

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 00:16:56.97 ID:3jF6m7+6
直次さんは三河者のなかでもかなり異色だと思う
田舎臭さがなく結構粋だよね

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 03:38:56.83 ID:CJcrbyrs
死ぬ死ぬ言う奴に限って死んだためしが無いてのを地で行ってるな、家康て

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 04:29:08.05 ID:UJeJOoWB
瞬間沸騰型だがすぐ冷静になるんだろうね

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 04:45:47.47 ID:V3jPIT9D
そういう逸話にしないと盛り上がらないだろ

ルソンの日本人町開設の経緯

2012年11月24日 19:51

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 20:08:30.95 ID:38qBCV/1
ルソンの日本人町開設の経緯


戦国時代後期、ルソン(ルソン島、現フィリピン)に日本人町があったという事は割と有名であるが
その開設の経緯というのは決して穏やかなものではなかった。

天正18年(1591年)9月、豊臣秀吉は原田孫七郎を使者にしてルソンのスペイン総督府に対して入貢を要求した。
スペインからすれば何とも屈辱的な出来事であったが当時のスペインはアマルダの海戦で無敵艦隊が敗れるなど
既に衰退期に入り始めていたため、報復などの行動は取らずこれをスルーした。

しかし、翌年に秀吉が朝鮮出兵を実行に移したことで秀吉のルソン侵攻も無いとは言い切れない情勢になると、
スペイン総督府は現地にいる日本人たちが有事の際に日本側に付くことを警戒して、
当時ルソンに住んでいた日本人をマニラのディオラ地区にまとめて強制移住させた。

これがマニラの日本人町の始まりであったと言われている。




482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 20:13:30.58 ID:a2c6DmNE
なにかあるとすぐに刀振り回して暴れるからなあ

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 20:19:19.58 ID:LnXJOezq
ルソン行く場合は、やっぱ中国沿岸に沿って向かうのかな。
直線で行くのは遠そうだよなー

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 20:21:51.57 ID:YGa+HmrI
隔離地区だったのか・・・

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 21:45:06.68 ID:fY8xBBsI
雇い主のスペイン人に殴られてムシャクシャしたので
八つ当たりで全然関係ない他のスペイン人の家を刀振り回して襲撃する
とか普通にやる蛮族どもなので隔離は妥当

成田長泰に見捨てられた家老

2012年11月24日 19:51

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 22:18:50.69 ID:X2nhYk3I
永禄3年(1560)、長尾景虎(上杉謙信)が小田原城を包囲した、最初の越山のあった年だが、
小田原攻略に失敗し退いた景虎に対し、成田長泰が反旗を翻した。

ところがこの時厩橋城には、成田長泰の次男の小児と、成田家家老・豊島美作守の二名が、
景虎への人質として置かれたままであった。

景虎が厩橋に帰城する前日、城の夜番を勤めているかせ者(名字を持つ下級の侍)が一人やってきて、
豊島を物陰に呼び出して囁いた

「豊島殿、あなたは成田長泰の御別心のために、明日には切腹させられるともっぱらの噂です。
そういうことですが、私はあなたの御命をお助けしてもいい。
あなたは忍に帰れば、五千貫程の大名だと聞いています。
…私に三十貫の所領を与える気はありますか?」

この言葉に豊島は大いに驚き

「それは何よりも易き事なり!」

と、この夜番の者と深く語らい、三十貫の所領を与える書状を書き与え、「ひとえに頼む」と
協力を依頼した。
夜番の者大いに喜び、馳せめぐって川船などを置き様々な準備をし、帰ってくると
豊島を夫男に変装させ、熊手などを背負わせて、城から出そうとした。
この時豊島は

「成田の御子息もどうにかして一緒に落ち延びさせたい。」

と言ったが、夜番の男は

「美作守殿一人を落とすのさえ大変なことです!その上御子息のことは、父である屋形(成田長泰
ですら捨てて反旗を翻したのです。そうである以上是非に及ばず。御子息はここに残して、我々は
退きましょう。」

そう言われたため、成田の次男が寝入った隙に、豊島は夜番の者に付いて番所を忍び出て、
船に乗り早々に忍へ帰った。

成田の次男は豊島がいなくなったことに気が付き、後を追って外に出て探したものの見つからず、
そうしている内に追手が迫ったため川に飛び入り、そのまま空しく亡くなられたという。


さて、豊島美作守は忍へ帰ると自分の家にも入らず、先ず息子の左馬助を呼び出し、城に使いを
立てさせた。その言上はこうである

『私は数度の忠孝を立て、更に一度の不忠もありませんでした!それなのに何故、私を捨て殺しに
為されようとしたのか!?甚だ以て口惜しい!
この上は小田原へ参り、氏康殿に奉公仕ります!御暇を申し上げる!』

そうしてまさに打立とうとしている所を、成田長泰の息子の五郎が城から駆けてきて豊島を呼び止め

「誠に代々の家老である事と言い忠節といい、お主の言うことは全て、道理至極である」

と謝罪したので、仕方なく豊島も忍に帰り、元にように家老に復帰した。
そしてあの夜番も取り立て、約束通り三十貫の所領を与えた。

しかし、この時の恨みにより、後に豊島美作守成田長泰の子息・氏長と一味して、長泰を
追放したのだという。
(關侍傳記)

成田長泰に見捨てられた家老、についての逸話である。




488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 23:17:17.02 ID:LnXJOezq
戦国の習いとは言え、頼みの家老がいなくなって、
慌てて逃げ戸惑っているうちに堀に落ちて死んだ次男が憐れだなー

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 07:46:09.28 ID:Nv1NUoo1
夜番も見る目があるなw
戦国の立身出世は無法地帯だ

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 08:15:52.70 ID:fOzuw8R1
まあ、夜の番なら夜の闇も、戦国の世の一寸先も見る眼がないとね

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 09:03:26.74 ID:n6A74ZEw
よし、ちょっと眼力を養うために橋の番やってくる

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 09:21:23.34 ID:2Sp792xX
眼力養ったら、北斗七星の柄の先から二番目の星が二重になってるのがわかるらしい

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 09:37:47.42 ID:u6/4nlA+
むう あの星は死兆星!
しっておるのか半兵衛!

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 10:01:50.61 ID:iTkx5WcK
ウルトラ七つの誓いを何故だか思い出した・・・

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 10:02:21.20 ID:iTkx5WcK
五つだったわwwww

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 03:07:57.31 ID:JRdbPDlr
これかな?
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3382.html

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 06:24:09.31 ID:39PHEawU
>>490
夜の閨に見えたので細川邸に忍び込んでくる

福島正則改易の時の、井伊直孝の発言などについて

2012年11月23日 19:52

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 08:32:42.17 ID:X2nhYk3I
これは元和5年(1619)の福島正則改易について、石谷将監(初名十蔵、後に土入と号す)が語った
事である。

伏見でにおいて将軍秀忠が福島正則の改易を決断する。
そこでこの時江戸藩邸にあった正則に対し、改易を伝える使者を出すことになったが、この時将軍秀忠を始め
主な幕閣などは伏見にあり、江戸には留守居があるのみであった。そのため

『彼の者は武功者であり、また心荒き者であるので、上意を素直に受け入れるとは思えません。
そうであれば使者として赴くのは、江戸留守居の者たちからではなく、(現在伏見にある老中格の)
井伊・本多・榊原・酒井などの内から出すべきであると考えます。』

と、評議において意見が出た。重大な事態に陥る可能性の高い使者である以上、相応の
責任を持ったものが行くべきだ、という事であろう。

これを聞いた井伊掃部頭直孝は、言う

「おやおや、いざ合戦となって先陣を務めるのは私の役目であるぞ。この時は江戸留守居に残った
者達の出番はない。
幸いにも、今回のような事は、御上洛の御留守を承り、江戸御城下に居ながらのお使いという、
御留守居衆にとってうってつけの役目である。

各々の察している通り、福島左衛門大夫はこの改易を、とても素直に受け入れるとは思えない。
もし最初の使者からの改易の命を拒否したことが解れば、次は我々から彼に当てた書状を出すべきである。
その内容は

『あなたは咎によって安芸・備後両州を召し上げられ、どこどこに改易されることになった。
この事を御恨みに思うのであれば、広島に下って挙兵するのも、またそちらの屋敷に立て籠もるのも、
心次第にやって頂いて構わない。』

これを見てもまだ左衛門大夫が、むつかしく改易をお受けしないのであれば、その時は他でもない。
この掃部頭に仰せ付けられよ。討ち取って差し上げよう。

ともかく、先ずは穏当に使者を遣わされるべきであろう。」

これを秀忠もいかにもと考え、江戸留守居であった牧野駿河守信成以下が、正則への上使となった。


その頃正則の江戸屋敷は、今の増上寺の近く、愛宕山の下にあった。そのため愛宕山に石火矢を
配備し、緊急の事態になればすぐさま正則の屋敷に向かって撃ちこむ用意をしていた。

ところが、思いの外に正則は静かに改易を受け入れた。この事、江戸より伏見に報告されると、
伏見では秀忠上洛のお供として召し連れられていた、正則の嫡男備後守(忠勝)も取り籠められた。
(武野燭談)

福島正則改易の時の、井伊直孝の発言などについての逸話である。





542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 09:12:53.57 ID:AwgcWyxp
留守居の顔を立てたいい話
秀忠公は落ち着いているなぁ

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 10:09:00.99 ID:FAotWQ89
市松の身から出た錆とはいえ、改易話はやるせないなぁ

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 11:39:39.74 ID:HRCXv3lr
静かに受け入れたのも罪滅ぼしだったのかもね

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 11:58:25.63 ID:Ol09G7q6
きっと酒が入っていなかったんだろう

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 16:24:58.24 ID:KLdq6rtb
是非もなしって感じかな

高虎は死に臨んで直孝を招き

2012年11月23日 19:52

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 18:19:42.11 ID:wu7IoVQ1
二条城において福島氏改易の処置を論じた一件以来、藤堂高虎井伊直孝
含むところがあって直孝とは不通となっていた。
>>541の直前?http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3838.html

この時、改易は京都で伝えると結論が出ていたのだが、高虎は
若年ではあるが末座の直孝へも話すべきではないかと秀忠に言った。
しかし召された直孝は江戸で伝えるべきだと再三言うので、高虎は直孝に
反対してついには若造は黙れとまで言ったのである。

後に高虎は死に臨んで直孝を招き「今までは京都でのことがあったので
互いに不通のまま打ち過ごしてきましたが、此度大病のために既に
露命も窮まりました。ですからどうか倅の大学のことを頼み入り申す。
万事よろしく御引廻しくだされ」と念入りに頼んだ。

直孝も「大学頭殿のことは絶対に手抜かりのないように承知しております。
懇意に通じていきますとも」と返答した。これより両家はかつてのように
心安く出入りするようになった。

――『名将言行録』




548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 23:50:04.87 ID:nHSjt1hS
国許で改易を伝えたら合戦になってたな

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 16:36:38.14 ID:N6nvx2T2
大坂落城後、重臣の進言通り、備後を返上していたなら
福島家は存続してたのかな?

と言って勝茂様の遺言状を

2012年11月22日 19:58

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 21:44:54.34 ID:JGRtyo9K
>>479関連の話

光茂公の御代となったばかりのころのこと、
多久美作殿は、作り馬鹿の志田吉之助に相談を持ちかけた。

美作
「御代かわりは最初が大事だ。
そこを考え、勝茂公が拙者に遺言状を残してくださっている。
志田殿にもぜひ読んでもらい、
なにか助言があれば是非とも聞かせてほしい。」

と言い、美作殿は遺言状を読み上げ始めた。
しばらく聞いていた吉之助だったが、
吉之助
「退屈になってきたから帰る」
と言い出した。
美作殿もさすがにお怒りになり、
美作
「普段から武士らしくない放言をふざけ、
金が欲しくなれば金貸しを営み、
腰抜けを演じたかと思えば山賊無頼と喧嘩する、
そんな志田殿には、勝茂様や私が、
真面目に奉公する姿はさぞ愚かに見えるのでしょうな。
この遺言状は主君びいきを差し引いても素晴らしい内容。
なにが退屈なのですか」
とその理由を詰問した。
吉之助
「美作殿は人なみの家老であると見ていたのだが、
どうやら何の役にも立たない家老のようだ。
その理由は、そもそも家老というものは、
主君が家中の者どもに慕われるように計らうもの。
美作殿が読み上げられた勝茂様の遺言状は内容素晴らしく胸打つものがある。
その遺言状を御代替わりの始めに家中の皆に教訓したなら、
家中の者どもは勝茂様をさらに慕い思い、
それを授かった貴方の名も上がるばかりであろう。
勝茂様がお亡くなりになりまだ日も浅く、
ご恩を受けた家中の侍どもが涙もかわかぬうちから、
その遺言状の内容を知ったならいよいよ先代への思いが募ることになる。
それにひきかえ光茂様は江戸生まれで、
肥前の侍どもにも国柄にも馴染み薄く、
新しい主君は、はたして九州者の気持ちをわかってくださるだろうか?
というような世間話が拙者の耳にも聞こえてくる。
そこに遺言状が知れ渡れば光茂様をお慕いする者はいなくなるだろう。
誠の家老であるなら、その遺言状を新しい殿様の考えとして、
美作殿の才覚、手間も隠して公表できるはずだ。
そうして新しい殿様は勝茂様にもまして、
ありがたい主君だと慕われるように計らうべきであろう。」
と答えた。
美作殿は、
「まさにその通りだ。やはり志田殿に相談してよかった」
と言って勝茂様の遺言状を破り捨てた【葉隠】




528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 22:15:51.75 ID:BMvfWn+S
破り捨てちゃ駄目だろ

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 23:26:36.86 ID:dMqQwsD5
勝茂って可哀想だよなw

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 23:51:04.74 ID:6pAeQzF3
さすが鍋島藩士。どこか斜めだな。

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 23:53:25.56 ID:ioxlymfs
黒官はわざと家来に当たり散らして、早くNGMSに代わるように願わせたというが
勝茂もそうすればよかったのか?

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 10:34:46.63 ID:GcjH3LWU
>>531
そもそも勝茂自身が半ば伝説化した直茂パパンの声望に追いつこうと必死だったので
そんな余裕はありませんのだ

雑談・関ヶ原の兵数のことなど

2012年11月22日 19:57

440 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/21(水) 11:45:25.97 ID:yuZ2AsFA
>>433
忠勝「わしの手勢は500だが?」

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 13:08:54.92 ID:6pAeQzF3
兵500で100の首挙げられちゃ何も言えませんがな
兵5,000で前線でバリバリやってた主力の細川隊ですら首200なのに。
おかしいですよ本多さん・・・

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:08:08.28 ID:IINPhY91
>>441
兵数は参謀本部の推定だからなー。
東軍、西軍ともに実際の兵数は通説より少ない気がする。

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:10:28.02 ID:hvSbJfUS
実は小早川参戦前から西軍はフルボッコ状態だったって説もあるんだっけ?

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:19:09.78 ID:VwY/B77K
参謀本部言うたらアメリカの戦力やソ連の戦力、ドイツの戦力も理解できなかったどころか
支那の戦力ですら読めなかった無能集団だろ。
信用するほうがおかしいぞ。

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:25:52.73 ID:258mDYVm
>>443
昨今の、薩摩の覚書などを元にした研究だとそういう話も出てるね。
少なくとも三成陣に関しては、島左近が負傷した後即座に崩れたとか。

あと西軍は東軍より相当数が少なく、東軍の半分程度だったんじゃないか、なんて話も。

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:33:09.35 ID:XT8aC3CY
なんだかんだ言っても豊臣軍主力は上杉征伐行ってた東軍の側だしな…

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 21:22:47.96 ID:hvSbJfUS
>>445
そうそう。桐野作人氏の説ね。
個人的には「天下分け目の決戦」で割と五分の勝負が続いてた
って方がロマンがあって好きなだけに実像を知って割とショックだったわw

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 21:42:06.34 ID:IINPhY91
>>443
そういう説はあるね。東軍が一気に前進して押しつぶしたってやつ。

激戦だったにしては東軍は翌日からすんなり行動を再開してるし、
夕方に戦いが終わったとすれば首実検が終わらんのじゃないかとか
あれこれ考えると、東軍があっさり勝ったと考える方が合理的ではある。

これが、現代にも伝わる宮島踊りである

2012年11月22日 19:57

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 22:51:07.72 ID:79AnIxRV
良い話で踊りの話が出てたから、悪い話でも踊りの話。

1503年、大内義輿が上洛する前の頃、安芸の厳島神社の祭礼にやってきた時の話。
お祭りと言えば酒である。
祭礼に来ていた参加者たちもどうも呑んだらしい、しかもベロベロになるまで…。
酔ったら気が大きくなるのは今も昔も変わらない。
彼らは酔った勢いで神社で行われている神事に対して悪口放逸をし始めた。
これに怒った厳島神主支配下の神領衆は暴れてた人々を十人ほど殺してその船を沈めた。
神社の勢力なのに過激な事である。

ところでこの殺された人たちの中に、
伊予の豪族であった多賀江(多賀谷とも)氏の郎党も含まれていた。
多賀江氏も宮島と同じく大内の傘下に居たため、神社の祭礼に参加していたのだろう。
それで祭礼に参加して殺されたのでは、カチコミに至るのは当然だろう。
…そして蒲刈島を出発した160~170隻の船が厳島を襲った。
島に上陸して火を点けて回るなど暴れ放題。
まさしくヤクザの抗争である。
と、奇跡的なタイミングで風雨が強くなってきた。
さすがにこれは帰らねば、と、暴れた者の中の一人、
多賀江氏の勇士として知られた多賀江兵部小輔は神社に軽く拝礼して船に乗り、
神社の鳥居の前まで漕ぎ出して…。

船が沈没し24人の郎党と一緒に海中に消えた。
※ ついでにその後来た多賀江氏の親戚である重見氏の船も沈んだ。

で、この時死んだ多賀江兵部達が悪霊となって厳島の住民を苦しめたので、
その霊を慰めるために念仏踊りを始めたという。

これが、現代にも伝わる宮島踊りである。
ttp://www.miyajima.or.jp/event/event_odori.html
と奇麗に纏めてみたけど、味方同士での抗争で死者まで出た上、
悪霊にまでなってしまったという悪い話。




453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 00:23:18.91 ID:KaHK7Kje
そして誰もいなくなった…

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 08:29:09.23 ID:+Jo1HRuw
由来を知るとなんか馬鹿馬鹿しくなる踊りだなw

あれを斬ってこそ武士だ

2012年11月22日 19:57

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 17:31:39.07 ID:KwSY+G46
元三河武士にして四十代で身分を捨てて出家の身となった鈴木正三
ある時、一人の侍が正三を訪ねて来た。

「私は辻斬りが大好きなのです。世の中に辻斬りより面白いことなどありません」

「わしも辻斬りが大好きだ。それならば今夜ともに参ろうか。しかし、お前ごときに
辻斬りをするほどの勇があるとは思えないがなぁ。わしの若い時などは木竹を
切るように人を斬ったものだ。いまは年老いて長いこと人を斬っていないが今夜は
わしの腕前を見せてやる」

正三は侍と一緒に品川辺りにやって来た。辺りをうろうろしていると多くの町人や百姓、
女子供が通り過ぎていく。侍はこれを斬ろうとしたが、正三はその度に侍を引き止めた。
やがて多くの従者を引き連れた者が現れた。

「よし、あれを斬れ。さあ早く!」

しかし、侍はたいそう物怖じして躊躇してしまった。

「お前にできないなら、わしがやるぞ」

侍は慌てて、正三を切実に諌め袖を引いた。正三は大笑いして曰く、
「なんとまあ口ほどにもない臆病者だ。あれを斬ってこそ武士だ。女子供を幾人も
斬ったところで功名になるとでも思ったか!」と侍をいたく戒めた。それからは
侍も辻斬りを止めたのだとか。

――『近古禅林叢談』





456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 19:00:36.85 ID:KoqGrZhw
出家した奴の所にやって来て辻斬りタノシスwとか言うのも、
言われた方もノリノリで辻斬りに付き合うてのがそもそも現代人には理解出来ん

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 19:14:12.23 ID:y6OWRbHJ
正三の方はハナから諭す気で付き合ったんだろ

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 19:32:39.13 ID:fxSSvdtH
相手が相手だしこの侍もやめたかったんじゃないかと思ってしまう

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 19:34:15.06 ID:p6W5sKtG
辻斬り中毒の侍の方も、誰かに止めてもらいたくて話に行ったんだと思うよ

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 21:29:00.35 ID:Z9akXTdc
「無差別に人を襲いたかった」と言い訳する通り魔に
「でも暴力団事務所には行かないんだね」と返すみたいだ

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 21:38:35.21 ID:M/0austq
斬りたいのであって斬りあいをしたいわけじゃないからな

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 21:58:22.94 ID:uX19Ty5o
辻斬りなんて自分の安全が確保された上じゃないと刀抜かないもんだ

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 22:02:22.21 ID:V6DmeAAv
剣聖を辻斬りする椰子はいないが村雨の人は毎回斬られるようなもんか?

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 22:14:33.87 ID:y6OWRbHJ
は?

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 22:25:50.55 ID:60RMfyyQ
その辻斬り中毒の侍って、戦に出たことあるのかな?

>>463
某K○EIのゲームに出てくる足利義氏のことだろ。
武力低いくせに最高ランクの武器(村雨)を持ってるがゆえに、
それを狙った連中に斬られまくるんだよ。

466 名前:465[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 22:29:08.76 ID:60RMfyyQ
アンカーミスったorz
>>463は>>464です。

ちょっと福島正則主催の宴会に参加してくる・・・

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 22:36:02.02 ID:R4HQtNgt
まあ人殺しが楽しい奴はおらんわなぁ

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 22:45:44.31 ID:jkNr+Exv
鬼武蔵「人殺しが好きな奴なんていないだろw」

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 23:06:54.70 ID:V6DmeAAv
街中での辻斬りはともかく勝てる椰子を斬るというのは戦場では有効な戦術だな。
好き好んで呂布とか関羽とかにケンカ売るより絶対勝てそうな文官っぽいの狩って手柄にするほうが生き残れそうだもの
狩れそうもないなら畳で畳み掛けてから種子島で穴だらけにするなり工夫せにゃならんけど

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 00:19:35.35 ID:Ol09G7q6
>>466
に、日本号はあげないんだからねっ!

471 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/23(金) 02:14:30.90 ID:dFOR1EtY
>>469
戦目付がしっかり見てる

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 06:53:10.56 ID:dl9dHUF/
薩摩隼人「酒と血しぶきが大好きです、釣りに引っ掛かったバカの首狩るのが特に楽しくて楽しくて」

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 09:47:50.09 ID:Ol09G7q6
ニート・引きこもりが社会問題となっている昨今、
薩摩国ではちぇすと・すてがまりが深刻化しており…

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 10:37:57.13 ID:ZTR2EY3J
ひえもんとりも深刻化

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 16:01:33.05 ID:PKSClC2s
>>471
いや、そりゃ強敵倒すよりは評価低いだろうけど
一定の地位のやつ倒せばそれはそれで評価上がるでしょ

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 16:54:03.24 ID:4zixlAjn
>>473
一瞬チェストステマに見えた

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 17:22:39.10 ID:nNaCNMWS
自分はステマ狩りに見えた

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 17:41:57.69 ID:jFuokJTt
>>475
まぁ問題は「考える事は皆同じ」って所だったりするかも

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 18:22:09.21 ID:nvVEh4UF
「あ、あの武将弱そう」ってしっかり見抜いて討ち取ってかえってくる…
凄すぎるだろw

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 19:58:25.93 ID:Q0PWAsmz
まてまて、「弱そう」と「弱い」は全く違うからな

「お、あいつ、いい甲冑着てるがヒョロっとしてて腕っ節はなさそうだな。
さしずめ筆より重い物は持ったことがないってクチか?もらった!」

なんつってうっかり挑みかかったらこれが釣りで、実は百戦錬磨の返り討ち
職人でした~、なんてこともないとは限らんからな

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 21:42:18.40 ID:3CnQY/Ac
>>479
家康が若い武士と経験豊富なつわものの違いを語ってたような

週刊ブログ拍手ランキング11/14~/21

2012年11月21日 19:53

11/14~/21のブログ拍手ランキングです!



紹運の恩忘れがたく 187

家伝について 159

俺は断じて及ばない 84
徳川家光の恐ろしさ 43

志田吉之助は竜造寺政家さまの小姓であった 36
細川藤孝が代鼓をうつと 34
徳川家康・諫言について 34

「洪水見物」 31
松平忠吉は、美男であり楽しい性格であった 29
大宮大之丞と秀吉 その2 29

本多忠勝からの、息子への訓戒 26
江戸にて初鰹をめづる事 24
「マジで!?」by中川清秀 21

雑談・戦国の駄洒落のこと 20
どうにかして強敵を討ち取りたいと 19
あるいは泣き出しさえしたという 19

団扇を見た家康は 18
大宮大之丞と秀吉 その1 18
宇喜多直家と殉死 17
光悦がこのような人になったのも 17

兄弟の絆 15
豊臣秀吉の、織田信雄と徳川家康に関する評論 15
追沢二股の竹 12
「百姓斬り捨て禁止令」 10
天罰を蒙った者ということなのか 9



今週の1位,2位は、こちらです!
紹運の恩忘れがたく
家伝について
こういった、世に埋もれた逸話というものを知る時、なんだか無性にドキドキします。
それがこんなにステキな逸話だった時、喜びをどう表現していいかわかりません。
同じように思われた方も多かったのではないでしょうか?
軍記や家譜などのように、人の手の入ったものではないこの家伝からは、
高橋紹運や立花道雪の、その表情や息遣いまで感じられるような気がします。
こんな逸話を紹介できたことも、ほんとうに嬉しいです。
投稿者の方にも、そしてこういうお話を投稿できる戦国ちょっといい話スレがあったことにも
感謝したいです。

今週管理人が気になった逸話はこちら!
徳川家光の恐ろしさです!
家光期の幕府の諜報といえば、ある早朝に薩摩の江戸屋敷の奥の方にある台所から失火したのを、屋敷の「外から」
知らせた、なんてお話が有名ですね。
そんな初期幕府の半ば神話化された凄まじい諜報能力ですが、この逸話からもそんな一端が垣間見られますね。
初期江戸幕府は、情報を収集することの重要性をよくわかっていた、と読み取れるかも知れません。
そんな事をふと思い出した逸話でした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にただ来ました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してくださいね!
( ´ω` )

武雄の荒踊り

2012年11月21日 19:53

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 00:13:41.93 ID:mkCVhKtB
武雄の荒踊り

佐賀県武雄市の各地には荒踊りと呼ばれる伝統芸能が今もなお残っている。
この踊りの起源については諸説あるらしいが、
一説によると享禄3(1530)年に武雄領主後藤純明の頃、有馬晴純に塚崎城(武雄城)を
攻められ山内の住吉城にまで迫られた。
純明は黒髪山に戦勝を祈願し、山内は三間坂に陣取っていた晴純を奇襲し破った。
この戦勝を祝い足軽たちが踊ったのが荒踊りであるということだ。

さて、時は下って永禄6(1563)年、武雄領主は純明から大村家より養子に入った貴明に継がれていた。
晴純はこの貴明を破ろうとしたが、なかなか打ち倒せない。
そこで一計を案じ、宴会を開くとして貴明を島原におびき寄せて討ち取ろうとし
、貴明も誘いに乗ってしまった。
しかし島原の老僧がこのたくらみを知り、貴明に警告を送ってきたのである。

「貴明様、今回の宴は有馬の謀略でございます、むざむざ殺されに行くようなものですぞ」
「フム…しかし一度約束した手前行かねば卑怯者のそしりを受けようぞ、
それならばいっその事晴純めの方を計略にかけてやろう!」
「計略とは?」
「屈強のもの250人を選び出せ、花衣装を着せ荒踊りで乗り込むのじゃ、まあ見ておれい」

貴明は250人の猛者に大小日本の刀を帯びさせ、花衣装を着せ、十日も早く島原へと乗り込んだ。
これに驚いたのは有馬であったが、晴純は老将の余裕を見せ、貴明がまんまとわなにはまったとほくそ笑んだ。
夕刻、本丸にて有馬家の重臣の居並ぶ前に貴明が出ると、貴明の口上は始まった。

「本日伺ったのは他でもありません、約束の日には急用ができてしまいやむを得ず
今日この日に挨拶に参りました」
「そうか後藤殿、ご苦労であったな(フハハー馬鹿め、わざわざ寿命を縮めに来るとは!)」
「急な事で手土産もありません、その代わりと言ってはなんですが
今日は我が武雄領に伝わる荒踊りを披露したく、
 踊り子たちを連れてまいりました。さあ皆様広いところでご覧ください」

そういって貴明は晴純達を連れて庭まで出てきた。
庭には荒踊りのために連れてきた250人の勇士が控えており、一斉に立ち上がった。
浮立の笛太鼓が鳴り響き、250人の花衣装は貴明を中心に舞いだした。
その動きは勇壮かつ華麗で一部のすきもない。
そのまま踊り子たちは舞い続け、貴明を中心としたまま城の外に出ていった。
後には宴の跡と、苦虫を噛み潰したような有馬勢だけが残されていたという。

伝統芸能にまつわるちょっといい話
この辺参考にしました

歴史散歩たけお
http://www.epochal.city.takeo.lg.jp/siryo/Web_data/furusato/html/densetu.html





498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 00:25:32.96 ID:0OI8HCGj
鴻門の会っぽい話

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 09:12:27.27 ID:+1HAegbw
>>497
250人の勇士が暴れまくる話かと思ったらそのまま
踊りながら出てったのかwこれは確かにいい話

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 10:49:00.72 ID:ulnsaAvN
>>497
>250人の猛者に大小日本の刀を帯びさせ、花衣装を着せ

なんでこんなの城内に入れちゃうんだよw

日根野は甚だしく貧しいために

2012年11月21日 19:53

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 17:21:25.71 ID:E76JNPm/
高麗陣の時、豊臣秀吉は日根野備中を高麗へと遣した。
しかし、日根野は甚だしく貧しいために支度もままならず、
三好新右衛門を介して黒田如水から銀百枚を借りることになった。

日根野は帰国すると三好と一緒に如水を訪ねて御礼を述べた。
この時、借りた銀百枚とは別に利息にと思ってさらに十枚を持参していた。

ところが、対面した如水は人を呼んで「さきに貰った鯛を三枚におろして
その骨を吸物にせよ。それから酒も出せよ」と命じたので、二人は心付けが
足りないと思い、酒を飲み終えた後、三好がさらに銀を取って来て礼を述べた。

だが如水は「いやいや最初から貸す心ではなく合力の心で渡したのだ」
と、再三勧めても受け取らなかったので、二人は大いに感銘を受けて
帰ったのだという。

――『老人雑話』




517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 17:43:54.63 ID:tcbs2ICO
如水「タイは骨が一番美味いんだよ~」

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 17:47:08.81 ID:ghlFElqr
如水はけちなイメージがあったけど出すときには出すなぁ

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 17:59:59.78 ID:QQIR8oW3
犬千代さんの悪口はやめろ

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 18:52:08.55 ID:c7G30z+z
鯛って結構高級だったのかな

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 18:58:03.43 ID:eJATltdU
ここぞというとき攻めるために貯めるのが普通の武将
「こいつだけは裏切らない」という気持ちで身分を失ったときのために貯めるのが犬千代

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 19:40:53.92 ID:fLOM1lt/
>>516
本筋からはずれるけど、こういう料理絡みの話は好きだわ
大大名が調理に通じてるってのが何かうれしい

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:04:50.64 ID:dMqQwsD5
>>497
晴純を逆に討たずに踊って帰ったところがいいね

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:26:15.31 ID:6pAeQzF3
>>523
主人自ら調理作って風呂沸かして饗すのが当時の最上級のおもてなしだからね
大抵の武将は料理心を持ってる時代

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:38:02.08 ID:258mDYVm
>>525
室町時代の武家礼式でも、一人前の武士のスキルとして料理の出来る事が挙げられてるね

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 10:47:10.83 ID:V6DmeAAv
>525、まーくんとか幽斎さまとかだとうまいだろうな・・・逆にまずそうなのは誰だろ?

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 11:56:07.81 ID:KoqGrZhw
>>533
直家様直々の御招きぞ、有難く御受けなされませ。

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 15:54:58.75 ID:R4HQtNgt
>>533

小野忠明とかめっさ下手くそそうw

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 16:02:38.99 ID:xNHdELY1
>>534
毛利両川「だが断る」

一方我等が羽柴様は・・・

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 16:09:04.81 ID:RwTP090j
ラスボス「貧乏人は麦飯がごちそう」

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 19:19:38.88 ID:V6DmeAAv
????「日々是節約だ」

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 20:38:43.51 ID:y9yrGL9t
>>536
おいしくいただきました(ペロリ
八郎殿は某にお任せあれー

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 22:48:35.63 ID:xk5ZPyRV
>>536
兄者はご馳走を断らなかったばかりに、身罷られたからな。