田中吉政「そういうこともあるだろうと思って」

2012年12月31日 19:56

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 17:46:22.93 ID:AaHORiM6
岐阜城の戦いの折、田中吉政の家臣・田中采女は村の入口で
敵を突き落とした。吉政はこれを見て「采女は今日の一番首だ。
首を取るのだ」と言葉をかけた。

その次に川淵九郎左衛門が高名をあげた。吉政はこれを見て
「鼻をかくのだ」と言った。戦後、二人の間で一番首をめぐって
争いが起きた。

吉政がこれを聞いて「そういうこともあるだろうと思って、
わしは采女が敵を馬より突き落とした時に今日の一番首なり首を
取れと言ったのだ。その後に九郎左衛門が高名したゆえ、
鼻をかけと申し付けた」と言うと、争いはすぐに収まった。

――『名将言行録』




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ある時、堀田正盛が殿中を進んでいた

2012年12月30日 19:50

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 22:42:14.80 ID:zgeUB0kr
ある時、堀田正盛が甥である喜多見久太夫を伴って殿中を進んでいた。

(…何やら臭うな)
御茶部屋の辺りに来たところで、久太夫は妙な匂いに気付いた。
(そうだ、これはまさしく煙草の匂い。法度を犯して煙草を吸っておる不届き者め、何奴か)
殿中においては火気の扱いについて細心の注意を払うことが大原則。煙草一つ吸うにしても所定の場においてのみと定められていた。
立ち止まって御茶部屋の様子を窺う。見ると少しばかり開いていた障子がすっと閉まった。どうやら吸っていた茶坊主がこちらを察したらしい。
しかし、少し気付くのが遅かった。仄かな紫煙が久太夫の鼻先をくすぐっていく。
「これは煙草ですな」
久太夫、先を進んでいる正盛に聞こえるように呟いた。正盛の歩みが止まる。
「煙草がいかが致したか」
「かような場所にて煙草の匂いがするとは解せぬことでありましょう」
正盛は少し鼻を動かしたようであったが、振り向きもせずにまた歩み出した。久太夫はそれに不満を持ち、追いつきながら語調を強めた。
「ご法度の煙草を何者か隠れて吸っておりますぞ」
「喜多見殿」
正盛が立ち止まり、久太夫に横顔を見せた。
「貴殿は目付役」
「…? いかにも左様にございますが」
「いつから鼻目付を仰せつかったかな」
それだけ言うと正盛、そのまま立ち去っていった。




887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 23:05:16.74 ID:6yE1bUAG
なんかよくわからん…
喫煙は喫煙で見つける担当者が決まってるのか?

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 23:12:48.51 ID:me4PcMjE
目で見て取り締まる→目付
それ以外の五感→○目付
っていう洒落かな
違ったらごめん

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 00:46:30.17 ID:urpmWWbs
いい話なのか?

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 01:16:46.62 ID:sUh2TgPE
大名があまり些末なことに目くじら立てるなというお教えじゃないか。

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 07:39:08.74 ID:jGus6LDt
目付はおまえなんだから俺に頼らずお前がしかるべく処分しろよということじゃないかな

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 10:34:55.13 ID:gA08ZAGa
ただ臭い嗅ぐだけじゃなくて自分で注意しに行けよって意味じゃない?

久太夫が煙草に気付いた時に素直に注意しに行かずに
聞こえよがしに煙草の話を振ったから正盛をイラッとさせたんじゃないかと思う

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 10:37:03.92 ID:klPh3kjU
>>889
ここはちょっといい話スレだから。
いい話か悪い話かで言えばいい話じゃないか
2ミリくらい

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 14:15:46.17 ID:Uv6WdMfA
人の上に立つ者はその程度で目くじら立てて犯罪者を量産するな、って事だと解釈したんだが、
この場合は大事な江戸城の防火に関する重要な規則だから見逃しちゃ拙いわな

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 09:03:47.36 ID:GY2eF6zU
法度に関わらず軽輩が柳営で平然と喫煙出来るような雰囲気が有る事自体が、風紀、規律の乱れ。
すなわち目付の失態になるだろ。

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 10:16:45.58 ID:E8W+Ja5q
キリシタンが出ると出したほうの責任になるので見なかった事にしよう、みたいなものか

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 10:39:00.57 ID:hcZfLqjy
あってはならないこと→あってはならないのだからそもそもある訳ないという風潮

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 12:16:48.33 ID:AJe1AVyK
堀田正盛も事なかれ主義の官僚に成り下がっていたのだろうか?
それとも、将軍の寵臣として出世した故の引け目もあったのか?

佐々成政の滅亡について

2012年12月30日 19:50

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 17:58:24.40 ID:6swtotlv
佐々陸奥守は柴田などと同じく織田信長譜代の家である。信長の死後、
太閤を討つも降参して坊主になり大津へやって来た。この時、太閤は
大津城にいて陸奥守の礼を受ける。

さて陸奥入道は、大津の城中で武道の談話があった時に浅野弾正殿を
散々に叱った。「武道の事はお前などが知ることではない」とのことで、
聞いた人は皆「後々不味いことになるだろう」と言った。

太閤は肥後半国を陸奥守に与えた。入部の後に一揆があって状況は
悪くなり遂に陸奥守は身を滅ぼした。弾正殿の妨げもあったという。
陸奥守の入道号は道閑、尾崎の寺にて自滅。尾崎に石塔があるという。

――『老人雑話』




945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 18:30:24.49 ID:jGus6LDt
日本人が他人の間違えを訂正するときついでに人格否定になってしまうのはいつからの伝統なんだろう?

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 08:53:40.44 ID:i/jmB30T
浅野さん宇都宮でも何かやらかしてるし
権勢をかさに着たこの種の横柄な公私混同は豊臣の家風なのかね?

昔懐かしい某大河ドラマだと豊臣の天下が終わった途端
恨みを我慢してた伊達さんから出入り禁止食らってたじゃん

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 09:10:08.90 ID:FQuRrf3p
伊達が逆恨みしてただけじゃねーのw

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 09:14:22.76 ID:yEczM5Nn
内匠頭の事を考えると、家風ってのも納得できちゃう

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 15:15:03.10 ID:GPkwHloS
浅野って北条攻めで小勢ばっかり攻めて恩賞貰えなかったり、九戸に圧倒的兵力で
歯が立たなかったりで戦ではろくなイメージが無いな

挙げ句宇都宮の件に加えて佐々まで・・・

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 16:33:27.76 ID:di0KPi6D
長政ってどういうわけか地味に嫌われてるよな

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 16:43:39.54 ID:xzIqKjG7
長政自身の問題もあるかもだけど
立ち位置的に恨まれやすい立ち位置だったという気もする

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 16:51:10.22 ID:hcZfLqjy
伜どもの活躍で浅野家に悪いイメージはない

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 17:03:09.32 ID:di0KPi6D
思えば奥州仕置あたりも汚れ役もいいとこだよなぁ
「とりあえず奴のせいにしておけば丸く収まる」的ポジションだったのかねぇ・・・

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 17:25:51.52 ID:c0om2kDi
>>953
それだけ豊臣という権力が急進且つ不安定だった、というのもあったとは思う。
制圧する手段に信服させる段取りが追いついてなかったというか。

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 17:29:20.71 ID:rsk1zaCt
豊臣風なんてものはない、全て誰かの猿真似なんだから。

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 17:57:39.65 ID:pay35FP+
戦国時代の浅野家に悪いイメージは無い
だが赤穂浅野テメェーはダメだ、知れば知るほど殿様は擁護できなくなる

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 19:11:14.54 ID:SeZsMtLu
電柱に子猿、電柱に子猿!

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 19:19:01.75 ID:bsCCajT9
お前ら、何度も既出だが「長政」って略すなw

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 19:22:16.19 ID:ForaGXAd
ちくしょうw
うちの方リアルに猿ときどき出るから普通に電柱に登る子猿想像しちまって「?」てなったw

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 19:23:13.97 ID:Df2MEhDu
黒田のほうはNGMSと略すと決まっているし、
木沢や山田はほとんど出てこないし、
浅井は浅井でだいたい出てくるし、
弾正を使うとだとこのスレでは爆死と決まってるから長政でおk

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 19:32:48.82 ID:SeZsMtLu
高坂「…」
真田「…」
保科「…」

決めつけイクナイ

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/31(月) 19:41:30.56 ID:Df2MEhDu
その三人は弾正だと三弾正の誰かわからないから、
受け弾正、攻め弾正、槍弾正で弾正単独では出てこない
[ 続きを読む ]

雑談・年齢についてのことなど

2012年12月30日 19:50

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/28(金) 05:50:36.57 ID:yhLVZSVl
このスレの年齢は数えでいいのかな?
そうすると17歳は満年齢だと15歳ぐらいだよね
歴史小説家は当時は成長早くていまの15歳と比べられないといってるけどどんなもんだろ

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 09:32:19.00 ID:Q0BFbw83
>>916
亀だけど釣られる。
成長という言葉の意味が、いっぱしに大人の仲間入りできるか否かという事なら、その通りだと思うが。
現代人の15歳、そりゃ平均身長は高くなってるだろうよ。100メートル走の日本記録だって伸びてるさ。
しかし中流階級の平均値となると、当時の満15歳と戦って勝てる現代っ子は、野生児か格闘技選手じゃねーの。
知力にしても、元服前の小童でも人体の急所とか自害の手順ぐらいは常識だからな。日常で謀殺の
危険にさらされるケースもあるだろうし。
現代のヌルさが戦国と比べ物になるわけない。

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 09:58:44.75 ID:5PXD0suK
現代は一般家庭基準で考えているのに
当時は武士(1割に満たない特別な環境の人物)で考えるふしぎ

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 10:20:26.40 ID:gA08ZAGa
そもそも中近世と現代じゃ成人の年齢が違うんだし
子供が15歳で一人前の大人になるように教育されてる戦国時代と
20歳で一人前の大人になるように教育されてる現代を比べる事がナンセンスじゃないの

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 10:28:52.64 ID:71xstaYY
社会システムもそうだけど、幼児死亡率が異様に高い中世と、そうでない現代を
いっしょにしてる時点でなんだかなぁ

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 10:34:40.09 ID:Q9CrYugm
当時は15歳で社会人だったから、
現在の大学新卒と高卒四年目の社会人を比べても
考え方目つき顔つきまったく違うように過去現在の15歳もちがうだろう。
ましてや農民でも気を抜けば死んじゃう当時の状況を考えれば、的な話だろ

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 16:48:41.04 ID:jGus6LDt
生物的な意味での成熟速度も早かったというような話もあったな

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 16:52:13.74 ID:7xxOFoqG
むしろ今の女児のほうが夜間光を浴びているせいかメラトニン分泌が抑制されて、
初潮年齢が下がってきているとか

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 17:43:40.48 ID:5cduvKbb
15年くらい前のデータにサンプル平均12歳前後というのがあったような記憶がある
どういった経緯でそういったレポートを出したかは忘れたが、まあ身近な例からもそんなとこだろうな
雑談・年齢についてのことなど

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 17:56:10.58 ID:XZQzdEQK
小学、上がる年の正月に元陸軍大尉の爺様から切腹の作法教わったわW

乳井氏の戦国

2012年12月29日 19:55

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 11:36:29.08 ID:8e3YYawD
弘前市の石川地区には、かつて石川城があり津軽の中でも南部寄りの地区という話があったが、
石川地区の乳井という大字はまた違った歴史がある。
現在、乳井には乳井神社という神社があり、かつては乳井福王寺毘沙門堂という修験寺であった。
大鰐から平川右岸の山岳地帯に勢力を持ち「津軽の法師三大名」ともいわれたという。

別当は福王寺氏といい、戦国時代には堂衆を率いて勢力を拡大し、
福王寺玄蕃の代には猿賀神社の別当も兼ねる勢力にまで発展、
南部氏にも従わないことから玄蕃は「沙門大名」とも言われた。
もちろん、南部氏は邪魔な福王寺を放っておくはずもなく、
1565年、玄蕃は大光寺城代滝本重行の刺客により路上で暗殺されてしまう。
玄蕃の息子は乳井建清といい、父が暗殺された当時はまだ若年で、仇討ちすることも出来ず、
逆に滝本重行に福王寺に対する抑えの高畑城を築かれるなど、寺領を圧迫され、侵略を受けることとなる。

その後間もなく南部家中は南部晴政の後継問題で統制が効かなくなり、
それに乗じて大浦為信が1571年に謀反、石川城と和徳城を一日で落とすが、
建清の居館と石川城は目と鼻の先であり、騒ぎを聞いた建清はこれに乗じて高畑城を急襲、奪取することに成功する。
建清は高畑城主となり、すぐさま為信に臣従した。
1574年8月と1575年1月に先陣として大光寺城を攻め、1575年に滝本重行を津軽から追い出すことに成功する。

1578年、大浦氏が浪岡北畠氏を滅亡させた結果、大浦為信と安東氏の仲は悪くなり、
1579年には安東愛季が比山六郎・七郎を総大将に津軽へ軍を出した。
この軍に滝本重行と北畠顕則が合流し、建清の元居館である乳井茶臼館や乳井城が落とされた。
この時に建清は大浦城におり、比山軍が乳井茶臼館に立てこもると大浦為信自身が軍を率いて出陣、建清はそれに従軍した。
両軍は六羽川付近で合戦し、大浦軍は次第に追い込まれ、田中太郎五郎が大浦為信の身代わりとなるなどの損害を出すが、
大浦為信を討ち取ったと勘違いした比山軍が油断した隙に比山六郎が討死した。
比山軍は大将を失い総崩れ、滝本重行も敗走する結果となった。

父を暗殺した仇敵を戦で二度破った乳井建清は、その仇敵の居城であった大光寺城主となり、
福王寺玄蕃暗殺以来の滝本氏との因縁に白黒つけたのであった。

>>358あたりで出てきた乳井氏の戦国時代でした。


参考
津軽信義、幕府の尋問に
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7009.html


榊原康政、堀川城攻め

2012年12月29日 19:55

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 17:41:14.94 ID:2edVXPOQ
永禄十一年三月、徳川家は遠州の城々を攻め取らんと尾藤彦四郎らが
籠る堀川の城を攻めた。先陣は松平信一、榊原康政が務める。

康政は配下に向かい「私は若年でありながらこのような寵任を蒙り一隊の
主将となった。その上、御諱の字さえ賜り御恩の深高なること山海にも
比し難い。明日の戦はかならず一番乗りを遂げて盛意に報いるぞ!」
と宣言した。

その日、康政は早朝より紺地に無の字の指物をさし、笹切という鎌槍を
掲げて一番に城へ攻め入り、散々戦って二ヶ所の深手を負った。
そこで家人らが康政を肩に負ってなおも進み、遂に城を乗っ取った。

その後、康政の傷を見た徳川家康は「この深手ではもう助からない」と思い、
康政に「後事に思うことあらば、つつまず申せ」と言った。康政は畏まって
「この度、配下の伊奈、中島の両人の忠戦は衆人よりも勝れておりました。
ですから両人に御恩賞をお与えください。この外に思い残すことはありません」
と申した。家康はすぐに二人を召し出して感状を授けた。

ところが後に康政は思いもよらず回復を遂げたので、家康は大層喜んで
様々な慰労の言葉をかけたのだという。

――『徳川実紀(武徳編年集成、家譜)』





883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 18:39:37.75 ID:vbEgc1jm
遺言のつもりで何か言い残した後に回復するって…あー照れくさいわぁw

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 18:59:11.40 ID:nGqfpWiH
日根野さんは、切腹した後に身辺整理だからその点きちんとしてるな

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 23:03:00.33 ID:9Lcwdn0n
堀川城って撫で斬りにされた城だよな

光秀と秀吉

2012年12月29日 19:55

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/28(金) 23:19:42.96 ID:sPgezdbT
明智光秀は亀山の北、愛宕山から続く山に城郭を構えた。この山を周山と号す。
自らを周武王になぞらえ、織田信長を殷紂に比した。これは謀叛の宿志である。

羽柴筑前守は信長の手の者の様にて、その上度量が広く小事にこだわらない
気質なので人に対する言葉はいつもずけずけとしていた。それに比べて光秀は
外様の様に、その上つつしみ深く、まじめで温厚な人だったので言葉はいつも
うやうやしかった。

ある時、筑前守が「わぬしは周山に夜普請をして謀叛を企てていると人は皆言う。
実際のところはどうなんですか?」と尋ねた。これに光秀は「でたらめを言うものだ」
と笑ったのでその話題は打ち切られたのだという。

――『老人雑話』




925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 04:19:06.54 ID:n0F+FKxn
>>921
岐阜を知らない明智じゃあるまいし、自らを周の武王になぞらえるなんてしないだろ

926 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/12/29(土) 19:43:45.36 ID:fYL989m6
光秀ってちょくちょく野望むき出すよな

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 20:24:21.01 ID:vSVJvJim
そうしないとお話しにならないから

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 21:05:26.53 ID:K1iLnD6M
ていうか秀吉はこんなウカツなこと言わないだろ

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 21:15:59.48 ID:2NW3m/4U
>>926
あー、「野ぼうの城」てやつだな

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 23:00:41.27 ID:9Lcwdn0n
>>929
ザブトンの代わりに首を置いていけ

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 00:37:49.57 ID:eTQ1sVGQ
織田家はもっとこう、、、殺伐としないと

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 01:15:16.68 ID:E04ZgmIH
秀吉が仲間になりたそうにこちらを見ている。
どうしますか?

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 08:54:06.12 ID:f1go1rkc
>>931
問いたい、問い詰めたい。手紙で小一時間折檻したい

松永貞徳が言った。

2012年12月28日 19:50

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 23:44:48.15 ID:BFGZEA3B
松永貞徳が言った。

「相国寺の仁如和尚の御門弟に俗男の儒学を志して詩作を自慢する者がいた。
彼は入道して和尚に道号を求めたのだが、和尚は彼の心中をご存知だったのだろう、

『ただその方の思うように付けよ』と言ったところ宋の詩人、蘇東坡と黄山谷から
一字ずつ取って坡谷庵(はこくあん)と付けた。

しかし『はこ』は糞のことだから、人々に『汚い庵号だなあ』と笑われたのだ。
笑われていると知った彼はそれならばと庵を取って斎の字を付けてしまったもの
だから、ますます酷い呼び名になって人に笑われたそうだ。

とまあ、そんな話を由己法橋が語られていたのだ。大笑い、大笑い」

――『仮名世説』





915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/28(金) 00:00:24.15 ID:n9mqw1bW
リアルで雲黒斎がいたとは

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/28(金) 05:50:36.57 ID:yhLVZSVl
このスレの年齢は数えでいいのかな?
そうすると17歳は満年齢だと15歳ぐらいだよね
歴史小説家は当時は成長早くていまの15歳と比べられないといってるけどどんなもんだろ

重見通種の決意

2012年12月28日 19:50

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/28(金) 12:20:07.91 ID:/VWf/rLz
毛利元就の大勝に終わった、天文24年(1555)の厳島合戦。
この時陶軍からの捕虜のうち、重見因幡守(通種)と言う者があった。
彼は伊予河野氏の一門・十八家の内にある者で、河野対馬守(法名・天徳寺)の近親であった。

しかし天徳寺殿が、嫡子弾正忠と父子不和となり、ついに合戦となった。
因幡守は父子の礼儀を重んじ、天徳寺殿の見方となり、遂には伊予を浪人し、大内義隆を頼って
周防へ亡命をした。

大内義隆はこれを許容し、陶尾張守(晴賢)に預けられ、安芸西条の桑原という場所に小知を与え、
浪人分として大内家に属した。そして今回陶晴賢と共に厳島に渡海した。
その様であったので、捕虜になった重見因幡守は毛利方に対し、「御検使を下されればそこで
切腹をしたい」との申し出をした。

これを聞いた毛利元就は、内々に彼を召抱えたいと考えていたので、
『一命を助けるので、御奉公申し上げるように』
と、児玉内蔵丞、兼重左衛門から申し渡された。

因幡守は承り、しかし、
「ありがたき御意、身に余り、忝く思っています。
ですが、切腹のことはもう決心しているのです。どうかそこを解っていただきたい。」
そう申し上げた。

これを聞いた元就は再び彼に伝えた

『もし自分の家臣になることを受け入れないというのなら、西条に居るそなたの倅達を召し捕らえ、
その方の面前で殺してやるぞ!それを憐れだと思うのなら、私の意に従い、切腹のことは
思い留まるように。』

因幡守はこれを承り
「重ね重ねの有難きお言葉、生々世々忘れがたき幸せです。
ですが私は、生国は伊予、河野一族の者であります。
さる仔細があって伊予を立ち退き、大内義隆を頼み山口に罷り越したいとしていた所を、
これを御許容下され、当国西条において小知を頂き、陶氏に預け置かれました。

そして入道(陶晴賢)は私に対して別して懇切でありました。ですからその報謝として、
この度厳島へお伴し、同じ場所で如何にも罷り成るべしと考えていたのですが、多勢に隔てられ、
あまつさえ生け捕りになってしまい、この様な有様で、もうどうしようもありません。

もし今、御厚恩をいただけるのなら早々に切腹を仰せつけて下さい。
子供については、どのように仰せ付けられても構いません。
その様なことは、常日頃から覚悟させております。」

これを再び児玉・兼重から報告された元就は、
『さてさて、惜しく思うが、この上は望みに任せて切腹を申し付けよう。
子供については取り立て、召し使いたい。』
との旨を伝えた。

これを聞いた重見因幡守は
「有難く存じ候」
と御礼申し上げ、厳島のありの浦にて切腹した。
彼の二人の子供は召しだされ、別して良く召し使われた。
兄は木原兵部、弟は木原二郎兵衛と申して、戦場での御奉公数度に及び、
そのためより一層重用されたという。
(吉田物語)

毛利元就、重見因幡守の決意を覆せず、という逸話である





918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/28(金) 14:04:36.05 ID:GEFZpWAE
>>917
(´;ω;`)ブワッ

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/28(金) 15:20:08.29 ID:RK4YLfHe
死に場所を探してた老兵

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/28(金) 21:54:08.75 ID:D2nU7MF5
これで命乞いするようなら武士として使えないよなあ。

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 01:59:03.27 ID:9ljgyvp1
>>917
こういう人こそ召抱えたいものだが、何か方策はないものかね?

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 03:43:14.70 ID:tZsoP29G
無理矢理貸しを造り奉公させ、時間を掛けて篭絡?

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/29(土) 04:14:34.36 ID:9Lcwdn0n
>>922
この時点では、出来たとしても生かしておくのが精一杯じゃないかな。

信義厚き者

2012年12月27日 19:50

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 23:08:25.12 ID:dldnZeIU
高井助次郎実重は今川家の旧臣で、その父蔵人実広は義元に従って
桶狭間の戦いに討死し、実重もまた氏真に仕えて終始忠節を尽くした。

小牧長久手の戦いで諸人がいずれも高名をあげる中、助次郎一人は
何の高名もあげられなかったので、あまりの面目なさに涙を流していた。

しかし、そんな助次郎に徳川家康が「お前は古主氏真の行方を見届けた
信義厚き者だから、今日の戦で敵の首を取るよりも遥かに勝っているぞ。
嘆くことはない」と言葉をかけたので助次郎は思いもよらず誉れを得た。

――『徳川実紀(感状記)』

別バージョン
武であるのに嗜みをしないこと


879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 23:51:16.38 ID:21coINsu
>>878
家康は結構今川リスペクト強いよね
泉岳寺まで作ったりと

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 00:11:46.24 ID:UmIFNy52
泉岳寺の名の由来って、今川義元の出家名の栴岳承芳から?

織田信雄、三老臣を成敗する

2012年12月27日 19:50

899 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 21:06:18.43 ID:1lrPS9Ok
織田信雄、三老臣を成敗する


天正12年(1584)、羽柴秀吉と織田信雄の仲が険悪となると、秀吉と通じたとして
信雄が三老臣(岡田重善津川義冬浅井多宮丸)を誅殺するのではないかという
風聞が流れていた。

3月3日、上巳の祝いのために鷹狩で獲った雁を与えると
三老臣へ使いがあったので、皆出仕した。
各々が饗膳の席に着いたころ、信雄は南蛮張の大筒を出して、
これは父祖より譲られたものであると言ったので、岡田・津川は謹んでそれを拝見した。

信雄はさらに岡田に対し、その大筒を持ってみよと言い、
岡田が畏まって大筒を取り手に持った所、土方雄久が飛び掛って抱きつき、
片手に短刀を持ち岡田を突いた。岡田は突かれながらも土方を引っ立て脇差を抜いた。
信雄は大左文字の刀を抜き、岡田を斬ってくれようと、
「雄久放せ!」と命じたが、
土方は、
「大事の役目なので放すわけにはいきませぬ、早く某もろとも斬りなされ!」と答えた。

902 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 21:14:31.99 ID:1lrPS9Ok
しかし、信雄がしつこく放せと命じるので、短刀でもう二突きした上で放した。
すると信雄はすぐさま岡田を斬り、止めを刺した。

この有様を見た津川、
「そ、某をも誅されるおつもりか?」

信雄答えて、
「汝もどうして赦せようか?」

津川はこれに対して、
「なんと薄情な! 某の心底がお分かりにならないのか!?」

と言ったが、その時かねて討手と決められていた飯田半兵衛らが襲い掛って一太刀斬りつけ、
そこに信雄また続いて津川を仕留めた。

残りの一人、浅井多宮丸は未だ17歳にもならぬ若者だったので、
森勘解由が承って難なく斬り伏せた。
こうして三老臣を誅殺したので、残党を掃討するため岡田の星崎、津川の松ヶ島、浅井の刈安賀と、
三人の居城へそれぞれ討手を差し向けたのであった。

(伊勢国司記略)




903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 22:26:21.74 ID:3tvf34An
この話を読む限り、津川は岡田が斬られるのを抵抗もせず見ていたんだよな
仮に翻意があればさっさと刀抜いてそうなものだが

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 23:13:09.40 ID:Jb6y8Dqs
うむ。

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 01:34:46.48 ID:uwGaSoc4
17才にもならぬ老臣…

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 01:38:58.51 ID:+pVjqYKa
若年寄?

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 05:52:58.78 ID:7TE8nu7A
信長の野望とかでよくあったね、三歳髭面とか

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 10:35:43.04 ID:MdLaw1F3
老臣やら大人とかは、老中とか若年寄とかと同じ役職みたいな感じで使われることが多いよね

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 11:02:50.04 ID:bu3fi/5y
元老院も老人の集まりだと思われがちだが、20代の若者もいる

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 12:47:09.31 ID:7VcFyRgh
世襲議員だな、小泉進次郎みたいな奴

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 13:32:55.98 ID:LruDLFiG
身の程をわきまえてる奴なら別にいいんじゃね?
問題は口先だけで実行しない鳩山小沢の類で

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 15:13:02.10 ID:6jii2X/e
オクタウィアヌスが20歳だったか
叔父のカエサルも30代だよな

願泉寺卜半斎の策略

2012年12月27日 19:50

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 21:12:51.10 ID:LSyBy1dk
大阪夏の陣の時、

豊臣方の大野治房の軍勢が紀伊国に向かう途中、和泉国貝塚で、願泉寺卜半斎という物の出迎えを受けた。
卜半斎は軍勢に馳走を振舞い、貝塚の町や近在から集めた麦飯を集め、半切(樽状の桶)に入れて運び、
また酒も大いに振舞った。

大野治房軍の兵士たちはそれまで夜通しの行軍をしてきたこともあり、疲れ空腹であったので、彼らは
この振舞いを喜び受けると、たちまち酔っ払ってその場で寝てしまった。
さらに岸和田方面の抑えに出ていた、宮田七平の兵たちまで集まってきての酒盛りになった。

このため、この軍の行軍は甚だしく遅れ、戦場に間に合わず、これによって和泉樫井の戦いで
豊臣方は大敗を喫した。

実はこれらは全て、願泉寺卜半斎が豊臣軍の足を止めるための策略であり、彼らはそれに
まんまと引っかかったのである。
(大阪合戦口伝書書入)




913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 21:35:37.30 ID:hlwGoHLy
>>900
俺の中で大野治房は脳筋っぽいイメージだな
一度戦いになるとめちゃ強いけど頭が弱いせいで知略に長けた相手によくやられる印象

こおり山のキツネ

2012年12月26日 19:55

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/25(火) 20:35:26.78 ID:LgLro0gF
こおり山のキツネ

吉田郡山城の北にあるなんば谷に、年をとったキツネが棲んでいた。
銀色の、それはそれは美しい毛並みのキツネであった。
猟師がそれを獲ろうとしても獲ることが出来ず、やがてその美しさは毛利元就の耳に入った。
殿様は非常に情け深いお方であったので、

「その様に美しい狐なら、なおさら殺してはならない」

と命ぜられ、その旨を記した高札を出した。

キツネはこれを見て感激し、やがて尼子が郡山城を囲んだ時、家来を連れて毛利に加勢した。

彼らは、馬糞でごちそうを作って敵方に送りつけたり、提灯で敵が襲撃してきたように見せるなど、
尼子への妨害作戦を行い、これに疲れた尼子はとうとう去っていった。

元就はキツネの働きに感謝し、郡山の森山を彼らへの褒美として与えた。
それからキツネは、侍に化けて山の見張りを続けたそうである。

(広島の昔話)




869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/25(火) 20:36:39.84 ID:KwEtYujG
徳島のたぬきは日露戦争に従軍し、ロシア兵を撹乱したという話があったり

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/25(火) 23:23:36.39 ID:VYE2lnak
キツネもタヌキも凄いな。

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 01:26:31.34 ID:yxufI55c
>>868
馬糞は美味しいみたいよ
この前、犬が喜んで食べてた

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 12:41:27.37 ID:g4CWDpUT
>>874
何を食べさせられているかによるんじゃないかね
それによって臭いもけっこう変わる

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 16:15:59.27 ID:m2IdOMct
>>874
馬とかは草を全てを消化できるわけじゃなくてある程度消化された状況で排出しちゃう
つまり糞は通常の草よりも消化しやすい
植物を消化できない赤ん坊が離乳食として親の糞を食べる動物が居るくらいだからね
同様に植物を消化できない肉食動物にも食物繊維を取りやすい代物なのかもしれんな

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 16:21:53.68 ID:bQPO+qfH
犬は自分の糞も食うから。
しつけされてないだけ。食糞でググれ。

酒手知行

2012年12月26日 19:55

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/25(火) 23:42:37.55 ID:Rmw3k7oJ
三河大沼に住む処士木村九郎左衛門定元は徳川家康の関東入部に御供し、
その子三右衛門吉晴は妻子を引き連れて一番に江戸へ馳せ参った。

この事を土井利勝より知らされた家康は、吉晴が住みなれた土地を離れて
速やかに馳せ参ったことを賞して上機嫌になり「旅装のままでいいから
出て来い」と命じたので、吉晴は革の立付を身に着け髪も乱れたまま参上した。

家康は前もって吉晴が酒好きと聞いていたので数杯を下した。酔いが進んで
心地好くなっている吉晴を見た家康は伊奈忠政を呼んで「三右衛門は
酒好きだから、良い場所を選んで酒を飲める領地をつかわせ」と命じた。

やがて吉晴は相州高座郡菖蒲澤村百石の地を賜り、今その辺りではこの領邑の
ことを酒手知行というのだとか。

――『徳川実紀(家譜)』

忠政は忠次の間違いかな。




佛照寺の鞍替え

2012年12月26日 19:55

蓮如   
873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 00:30:33.54 ID:P1EoTL2m
 淀川沿いの溝杭の目垣という地に佛照寺という立派な寺があった。本願寺蓮如が淀川を渡って
河内の光善寺に向かう途中、その佛照寺の近くを通るとそこの住職の教光の評判を耳にした。
佛照寺は蓮如の派閥とは異なる佛光寺派の大きな寺として当時有名であったが、佛照寺の
教光住職は和歌に好むあまり、肝心の念仏がおろそかになっていた。
 ある日、蓮如は目垣の近くまでやってきて自作の三首の和歌を書いた紙をわざと落とした。
 その紙を拾ったのは佛照寺の教光住職である。紙には以下の和歌が書かれていた。

ひとたびも 佛をたのむ心こそ まことの法(のり)に かなう道なれ
罪深く 如来をたのむ身になれば法(のり)の力に 西へこそ行く
法(のり)を聞く 道に心の定まれば 南無阿弥陀仏と唱えこそすれ

和歌に詳しいはずの教光住職であったが、この三首の和歌の意味が全然理解できなかった。
そこで教光住職は落とし主の本願寺蓮如に歌の意味を聞きに行った。蓮如はわざわざ聞きに
来てくれたことを喜び、丁寧に歌の意味を説明し、ついでに親鸞聖人の教えも説いた。
 これがきっかけとなり、教光住職は本願寺蓮如の弟子となった。そして、佛照寺はこれ以後、
佛光寺派を離れて本願寺派へ鞍替えしてたのであった。
 



週刊ブログ拍手ランキング12/20~/26

2012年12月26日 19:55

12/20~/26のブログ拍手ランキングです!


男は侍、武士は食えねど高楊枝なり 70

山本常朝さん、自分語りするの巻 50

毛利元就と宍戸元源、姻戚となる 40
関ヶ原は深い霧に覆われていた 36

だいぶ「どこの国の話?」 29
可児吉長の家臣に竹内久右衛門という者がいた 28
伊達政宗、スペイン人と昼食を 27

三好長慶とカンカン石 26
雑談・影の薄い悲惨な赤座さんについて 24
元就公のご生前の、常の行状 22

尼子との手切れと人質たち 21
河田伯耆守泰親のこと 20
児玉與八郎の首獲りに 19

美濃の住人に岩崎角弥という若侍がいた 18
吉田郡山城、籠城の様子 18
吉村宣充は落魄中 17
それは徳川家康を激怒させることとなり 17




今週の1位はこちら! 男は侍、武士は食えねど高楊枝なり  です!
有名な葉隠のエピソードですが、これぞ武士、と感じる話ですね。
こういう不器用な生き方を、不利とわかっていても押し通す意地。利己的ではないことを
誇りとする生き方。たとえ餓死しても、その矜持を守ろうという決意。

日本人が武士に郷愁を抱くのは、かつて自分たちの中にこういう人々が、もちろん全部ではないにしても、
確かに居たのだ。と言う思いがあるからかもしれません。
いつ読んでも、背筋がピンと伸びるような、そんなお話です。

そして2位は、こちらも葉隠! 山本常朝さん、自分語りするの巻 です!
「目から小便が出るくらいの苦労」!涙でも大変なことだと思うのに、小便。
一体どんな恐ろしい苦労だったのでしょう(;・∀・)
もうこんな表現を生み出せるだけでも、山本常朝と言う人が、只者ではないことが
十二分に理解できます。いい意味でも悪い意味でも、実に魅力的で、かつ
間違い無く厄介な人だったでしょうw
しかし言っている事自体は、「良き公人であれ」ということですね。
それは現代の人々にも、充分に理解される内容だと思います。
非常に過激と思われがちな『葉隠』が、今の世まで読み続かれているのも、実は普遍的な
内容であるから、なのかも知れません。

今週管理人が気になったお話はこちら! 毛利元就と宍戸元源、姻戚となる です!
毛利元就の、人への信頼の得方がよく出ているお話だと思いました。人の心の中に
飛び込むような、たしかに秀吉に似ていると思いました。
そして宍戸さんの奥方に話をちゃんと通すというやりかた。これも秀吉の、
賤ヶ岳のあと前田利家を味方に引き込む時、そのまえに妻の松さんに了承をとった
逸話を思い出しますねw

後年、秀吉が毛利を大切にしたのは、もしかするとこのような、自分に似た体質を
感じたからじゃないかな、なんてことも思いましたw

今週もまた、各逸話にたくさんの拍手を頂きました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )


それから!
今、一定以上の拍手数の逸話に「殿堂入り」のタグをつけて行っています。
基本的に拍手数80以上から。昔の、まだ来ていただいている方が少なかった頃のw
タイトルの後ろに「~・いい話」「~・悪い話」とついているのは50から、という
基準でやっております。

↓殿堂入り逸話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?tag=%E6%AE%BF%E5%A0%82%E5%85%A5%E3%82%8A


で、その様な逸話のうち、記事の下の方に”殿堂入り”のタグが入っていない物を
見つけられましたら、管理人の方に、ここのコメント欄で構わないので
知らせていただけると助かります。
ご協力頂けますと、大変ありがたいですm(_ _)m



そして今年最期のランキングです。本年度も、本スレの皆さん、ここを見に来て下さる皆さん。
たくさんの方々に本当に支えられて、このブログを続けられました。心から感謝しています。

また来年も、相変わらず色々と未熟な管理人ではありますが、宜しくお付き合いいただけると
幸いです。

どうぞ、良いお年を!

12月26日・徳川家康の生誕日に。

児玉與八郎の首獲りに

2012年12月25日 19:31

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 20:06:44.17 ID:F79U+TuQ
天文9年(1540)、安芸国は吉田郡山城の戦いの時のこと。

9月4日、尼子晴久が着陣した夜、毛利元就は家臣たちとの物語の中に、
「敵兵の首を一時も早く実検したいものだ」
と言われた。これを児玉與八郎が聞いて、
『容易いことである。明日討ち取り、お目にかけよう』
と考え、破れた笠を付けて網を持ち夜中に城を出て、敵陣の前に多治比川と言う小川があったのだが、
ここに一人でいって魚を獲っていた。

そうしているうちに、敵よりこの川に小便をしに出てきて、各々用を済ませて陣屋に帰っていったが、
2名ほど残って未だ小便をしていた。

それを見た與八郎、今だ!と蓑の下から脇差を抜き、一刀で首を討ち落とし、これを掴んで逃げ出した。

敵陣はこれを見て、大勢が追いかけてきたが、與八郎はその頃若さの盛でもあり、難なく城に駆け込み
「御感に預かるべし!」
と申し上げた。

元就はこれを聞くと、しかし

「大敵を引き受けての籠城というこんな時に、若気とは言いながら、なんと要らぬことをするのだ!」

と、大いに怒り、與八郎は勘気を蒙ったとのことである。
(吉田物語)


児玉興八郎、良かれと思ったのに怒られたというお話である。




880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 20:09:50.04 ID:3i1w+TmF
この手の軍令違反系の逸話は結果的に主人の構想に寄与するか否かで評価が決まるんだろうな

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 20:21:50.19 ID:nyrf6heK
はやく首実検したいって文字通りのそういう意味ではないよなあw

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 21:13:25.43 ID:a/gBLp+f
その場にいた人達の「そういう意味じゃねえよ」という心のツッコミが聞こえてきそうだw

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 21:18:14.66 ID:zyxXrSJi
S野宗綱「若気の至りとは言うけど、お前ら空気読めって言いたい時も有るよNe」

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 21:52:34.08 ID:njZY1X1U
>>880
下手に構想通りになっても「鶏肋」になりかねないしなぁ

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 22:29:52.66 ID:6Fzkypgi
秀吉「敵前逃亡でも処罰無し余裕でした^^」

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 23:36:31.94 ID:sFWww/rn
>>886
神子田「・・・・。」
尾藤「・・・・。」
仙石「・・・・。」

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/25(火) 11:37:26.26 ID:ZPZHRHYb
>>887
>仙石「・・・・。」
あんたは復活できたから上2人よりはまだマシだろ。

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/25(火) 13:57:31.25 ID:/io3l886
仙石さんは徳川さんの後押しで復活出来たみたいだけど、なんで徳川さんは助けてくれたの?

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/25(火) 14:10:21.46 ID:Sx2pncVL
直政「ねえ殿…敵が伏せてると分かっていて突撃するなんて、天晴れじゃありませんか…?」
家康「しかしだな、結果的に味方は大損害を…」
直政「じゃあ、自ら敵に突っ込んでいくような男はお嫌い?」
家康「そ、そのようなことはないぞ///」

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/25(火) 14:17:00.22 ID:a5ZDCWX4
家康は陣借り許しただけ、後は自分で兵集めて勝手に手柄立てて復帰
何でって聞かれるほどの手間は掛けてないし

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/25(火) 15:58:03.21 ID:YlWUj1pp
仮にも大名を務めたほどの人物だし、復帰してくれれば自分のシンパにできるしね
総指揮官としてはアレだけど、現場指揮官としてはすこぶる優秀な人だし

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/25(火) 22:01:55.73 ID:0wz/8eSZ
富永恭次「そうそう、大将のシンパなら大丈夫大丈夫」

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 00:27:24.19 ID:f6/0IznD
>>891
クリスマスだったからっていちゃついてるんじゃねーぞw

あ、もう26日か
権現様お誕生日おめでとうございます

897 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/12/26(水) 02:42:04.09 ID:hvn5iwYX
仙谷は徳川の世になってからも優遇されるんだよな
大失態があったとはいえ、助けたくなる何かがあったんだろうな

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 07:18:06.93 ID:vEVuEvQh
>>891
忠吉サンとか「だから(義)息子の前でイチャつくなよな…(*´・ω・)(・ω・`*)ネー」
帯刀サンとか「|ω・`)……………。゚・(ノД`)人(´Д`)人(Д` )・゚。」
健全三河武士「∩(´・ω・`)つ―*'``*:.。. .。.:*・゜゚・* もうどうにでもな~れ」

美濃の住人に岩崎角弥という若侍がいた

2012年12月25日 19:30

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 23:49:29.11 ID:UoAYNgIu
美濃の住人に岩崎角弥という若侍がいた。主君は斎藤道三で多年膝元にて宮仕した。
ところが傍輩の嫉妬によって讒言され、道三はこれを信じて角弥の出仕を止めてしまった。
角弥は迷惑して「それがしの誤りは何でありましょう。承りたい」と人を介して尋ねるが、
道三の返事はなかった。角弥は「もはや主君との縁は尽きたのだ」と悟り別の縁を求めた。

その後、角弥は摂政殿に奉公することになった。彼は器量・骨柄・心様ともに人よりも
優れていたので、摂政殿は角弥を最も重用した。かくして角弥は二年の間御所にあった。
道三はそのことを聞きつけ、摂政殿に使者を送り「角弥を賜りたい」と申し上げた。しかし、
摂政殿は「呼び返す程欲しき者をどうして追い出したのだろう。叶えられないことだ」と断った。
道三は諦めずに千度百度頼んだが、摂政殿は「この者だけは出すことはない」と断固拒否した。

大いに立腹した道三は「それならば討手を上らせる」と決意し、山本伝左衛門と須田忠兵衛
という二人の大剛の者を京都に派遣した。二人は中々角弥を見つけられなかったが、
ある御節会の時、禁中に渡る摂政殿に角弥も供奉していた。この時、二人は角弥を見つけ、
角弥も見合わせてお互いに「あっ」と思ったが、摂政殿の警固は厳重で両人は手を出せず、
その日は空しく諦めた。それからの二人は角弥を討つ機会を毎日窺った。

一方の角弥は「あれは討手に違いない。殿下にこのことを申し上げたほうが善いのではないか」
と思い、ある時摂政殿の様子を窺ってその旨を申し上げた。摂政殿は直ちに奉行所へ
「かかる者が京都にいる。厳重に捜査して洛中より追い払え」と命じ、長高と貞親が洛中に
「この者を一時でも抱えた輩は処罰する」と触れを出した。この状況に両人は是非もなく帰国し
道三に報告すると、道三もどうしようもなく、そのまま角弥殺害を諦めてしまった。

――『室町殿物語』




894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/25(火) 20:57:29.83 ID:vJy29klx
>>888
斉藤家は京都に刺客送ると失敗するフラグでも立ってるのか?

吉田郡山城、籠城の様子

2012年12月24日 19:54

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 19:57:00.10 ID:KQqj50H3
天文9年(1540)、尼子晴久は毛利元就攻めを決断する。世に云う吉田郡山城の戦いである。

毛利元就はこの事を聞きつけると、先ず宍戸親子を始め、高松城主・熊谷伊豆守信直、同豊前守、
天野中務隆重、同民部少輔、香川又左衛門尉光景、同弟元忠、といった信頼の置ける同盟者に連絡し、
粉骨をなされるよう要求し、また、人質を出すことも要請した。

このように防衛体制を創り、また郡山城防御の手配も行う。

城の後をわざと手空きにし、森や林の茂みの中に兵を置いて、合図によって敵との戦闘を行うこと、
物頭の侍たちに徹底的に教えこんだ。

そのうち三猪山の、尾崎多治比方面には、茶垣を柵のように結ばせ、幕を張り旗を立て、この場所を
重点的に守ると、敵が見るように仰せ付けられた。ここにもまた物頭の侍たちに作戦意図をしっかりと
説明して差し置いた。

この時、郡山上に立て籠もったのは、女子供も含めて8千人であった。その中で兵として使えるのは、
わずかに2千4・5百ほどに過ぎなかった。

この籠城の期間、色々と不思議な事が起こった。
8月15日には、宮崎八幡のお供え物に、人の頭のように毛が生えたのを、児玉内蔵充が見つけ、奇妙に思って
轉新九郎を以って元就公に差し上げた。それによって、宮崎八幡を城内の祇園の社に遷宮させられた。

また祇園縄手の深田に、毎夜光るものがあった。これを見たものが不審に思いその場所を掘ってみると、
そこから太刀が一腰出てきた。これは『稲光』と名付けられ、毛利家の御宝蔵に入れられたとか。

また、この時は城下の百姓町人も、城内に妻子を連れて籠っていたのだが、尼子軍によって自分たちの家屋が
放火された時、それを嘆くようなこともなく、誰が教えたわけでもないのに

『尼子殿は雲客 引きずり下ろしてずんぎり』

と、言い合ったそうである。雲客とは、尼子が出雲からきたことと、雲にのってきた者というのをかけており、
雲にのってきた尼子軍を、その雲から引きずり下ろして、寸切にしてやる、という意味である。

この様な言葉が自然に出てきたのも、不思議な事である。
(吉田物語)




861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 21:23:48.57 ID:Lidj1Xrz
それ実は全部元就さんの仕込みじゃねーのか、と思いたくなる

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 21:54:14.40 ID:GzLpUxzp
元就「よし饅頭に毛を生やして毛利饅頭として売り出そう!」
家臣「皆気持ち悪がって誰も買いませんでした。」
元就「在庫どうしよう・・・」

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 22:43:54.89 ID:hD00KwHr
ただカビてるだけやないですか!

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 22:48:10.97 ID:lsFBUtIo
毛饅頭が食いたい…

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 23:25:17.56 ID:n4aPgzw3
「頭髪にお悩みの方、毛利に味方すれば発毛促進剤をプレゼントしますよ!」

吉村宣充は落魄中

2012年12月24日 19:53

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 23:57:08.25 ID:x9+yeZTt
吉村宣充は落魄中、追々家士従僕にも暇を取らせ、子供を一族に託し、
今は馬一頭だけが残っていた。

時に馬の売買・仲介を業とする人が来て「馬を売り払い給へ」と言う。
それを聞いて宣充は「只今まで用に立ってくれた馬だ。この上、売り払う
なんて可哀想だ」と、馬を阿部野へ解き放った。

――『名将言行録』




元就公のご生前の、常の行状

2012年12月23日 19:12

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 23:23:58.75 ID:1bAaG98a
ここに古老の物語あり。左をこれに記す。

ある時吉川元春様より、宍戸隆家年松彌六と申す者が御使として差し越された。
彼は甲立(五龍城)に登城し、元春からの口上を申し上げようとすると、その日は丁度
元就公の御忌日であり、宍戸隆家は書院の床に御位牌をかけられ、その御位牌の前に
座っておられた所に使者がやってきたため、そこで隆家はこの彌六を側に召し、直に
その口上を聞かれた上で、この様に言った

「今日は元就公の御忌日であるので、出家などを招いて焼香をするのだよ。
これについては、家来たちには焼香を免していないのだが、そなたは元春殿の名代として
こちらに来ているので、尊霊に御焼香されるように。」

彌六は恐縮し辞退したが、再三に仰せ付けられたため、お次の間に立って別の香炉に火を入れ
持参し、書院に戻ってこれに焼香した。

この時隆家が彌六に語ったことには

「その方などは歳若いので、元就公のご生前の、常の行状なども知らないであろう。

元就公は、先ず常には物静かで、落ち着かないような気色など少しも見えない人であった。
どれだけ諸方から急難が報告され、大敵が攻め寄せてきたという時でも、いつもと変わった
御気色もなく、却って、春は花、秋は紅葉と、その季節の風景によって連歌の会を開いたり、
歌などを詠まれる事も多かった。

私は最初、軽業などは苦手だと思っていたのだが、馬を乗り弓を射、太刀を遣い走り来る、
こういった飛び技まで優れた人であった。

そうであったから、家中に侍たちは言うに及ばず、新たに幕下に加わり初めて対面するものまで、
この人こそ主君であると頼んだのだ。

元就公は一言の約束が、たとえ年月を経ても、違えること有るまじと、好意を表すように
律儀第一にされ、夫々の者たちに対して礼儀深く、慮外な振る舞い、奢った行跡など露程もなかった。
土民に至るまで、無理非分の事が少しもなかったので、人々はことごとく公を慕い、
『どんな役儀であっても申し付けて下さい!元就様のために御奉公をしたいのです!』
と思い立っていた程の仕置を為されていた。

また、非常に細かく心遣いを為されていた方であった。
公は、夜ぐっすりと眠られるということはなかった。硯・料紙・灯を枕元に置かれ、
諸所や国境に置かれた侍たちに、その時その時に適した指示書の案文、その他要件の事など
思いつき次第に書き置かれ、翌朝家老たちが出仕すると、書付を元にいろいろな指示を
申し付けられたのだ。」
(吉田物語)

宍戸隆家の語る、毛利元就の姿である。



851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 00:20:00.20 ID:tsA5WNC2
完璧超人たる隆景の父親も完璧超人だったでござる。

隆元やTERUが自虐気味になるのも仕方がない。

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 00:30:53.46 ID:E8N7OZZb
隆元ももう少し自身持てよと言いたいくらい大概完璧超人だと思う
信用とか内政手腕は元就を凌いでいるじゃないか

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 01:18:18.62 ID:yU+K4tyY
元就すげー。よく70まで長生きできたなぁ

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 03:36:30.71 ID:mWfnJU9O
「萩藩閥閲録」によると
毛利輝元は秀吉死後の混乱に備え、
大阪の毛利屋敷に2万の兵と鉄砲700を備えさせていたという


最終的にはこの毛利勢2万を利用する形で西軍が形成されるんだけど、
この辺りの周到さはTERUも乱世の人だなぁって思うわ

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 03:51:06.29 ID:Aj3PgZs/
2万人収容できる毛利屋敷広いな

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 08:53:20.13 ID:qZHo839D
>>854
それのネタって、いつもホラ吹き全開な内藤周竹さんあたりじゃなかったっけ?

三成襲撃事件などでも、広家が自領から兵を率いて急行してたりするから、
上方に極端な大兵力は置いてないんだけどね。

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 12:06:50.54 ID:mWfnJU9O
>>845
たしかに内藤小源太のやつだねー

三成の件の後に常駐させていた(数にフカシはあっても)可能性もあるし
個人的にはそういった戦力がないと西軍を結集するときに
諸大名を糾合するのに必要な物量がなかったんじゃあ…と考えてるんだけど、どうなんだろ

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 12:14:02.54 ID:qZHo839D
>>857
一応、三成事件の前も伏見に1500程度はおいてたから
あわせて三千程度ならあるかもしれんが、それ以上の数は
毛利氏の動員力的に無理だと思う。

文禄、慶長の役でさえ、軍役を満たせてなかったし。

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 12:31:28.97 ID:c4lJcLo9
鉄砲700からすると2000兵でも多そう

雑談・影の薄い悲惨な赤座さんについて

2012年12月23日 19:11

855 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/12/22(土) 20:48:57.32 ID:EwOjHy7l
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             {{   ,. -------  .,γニニニヽ
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      γ7: : : : : : : : : : : : : : : : : : : :|: : :|: : : : :゚。: : 、: : ミ
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        ∨: : : : : : : :..|: : : : : :|:`/ー}ヲ   ヽ:.|: : : : ゚ :」
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        |八}: : : : : :ヽ     ー‐′    /:.:.} :/:}ヾ/    
          ⊂ニ''' 、 个:...ハ         ィ:.:∧∧/
         /   ヽ \ .=| |ニ¨¨¨¨¨´ {∨
            ′    冫‐‐、! |ニヽ       〉≧r 、
         i      { ⌒ .} }ニニム     /二=| |/ヽ
        _|≦三ミ :, ⌒ {_ /ニニニ}ー―/二二| |  }
        }ニニニニ二∧'⌒´ }\ニニ}ニニ/ニニニニ| |   ′
        }ア⌒ヾニr=ミ     }  \ }ニ/ニニ=- ´| | /
        |: : : : : /:{/   /    `ヽ、     | |イ
        |: :\ ィ: : \  /\   (X)}     | |彡

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 20:49:26.85 ID:EwOjHy7l
ごめん、酷い誤爆をした……

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 20:52:38.26 ID:fizCT++q
よくわからんが、
関が原で便乗裏切りしたあげく所領没収された
影の薄い悲惨な赤座さんについて話せということか

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 20:59:44.82 ID:FDVrbrAB
氾濫した川を見に行って溺死という流れるようなフラグ回収をした直保さんがなんだって?

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 21:07:18.93 ID:kZ8VV+lG
上杉から追放され自裁した舟見さん(字は違うが)
毛利家中から裏切り者呼ばわりされた吉川さん(読みは違うが)
…、一人足りない

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 21:11:43.76 ID:8YzjGYxR
赤座さんがいつの間にやら加賀前田家に仕えたものの、息子の代に微妙公に永原と苗字を変えられた件。
ちなみに幕末に子孫が、水戸天狗党鎮圧行ってる。

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 21:18:02.54 ID:fizCT++q
永原甚七郎か
山田風太郎の天狗党をモデルとした小説で
自分が降伏をすすめたために無残に殺されてしまった、と精神を病んで死んだ
って書かれてて本気にしてた

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 21:28:17.01 ID:P/u3oaBx
武田耕雲斎は跡部勝資の子孫だけど、甲陽軍鑑のせいでイメージが悪い、てので武田にしたそうだが
直保の息子も裏切りのイメージを嫌ったとか?

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 21:43:53.01 ID:MJXUrFOC
>>858
赤座さんが死んだ越中大門は高岡の隣か

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 21:47:26.67 ID:1bAaG98a
なにげに朝倉家臣からスタートした赤座さん。

つまりあの越前の狂犬とも同僚だったということだ。

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 12:11:31.33 ID:U9TsOr9h
赤座さん小川さん朽木さんは裏切っても相手にされないし
大谷好きからは忌み嫌われて悪名高くなる一方だしで散々だよね

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 12:57:50.34 ID:3ga+/rTp
申し訳ございませんお客様、裏切りは完全予約制となっております

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 13:50:20.56 ID:Tw8CTV1P
脇坂「予約しといて良かった…」

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 17:59:47.06 ID:FOSIncts
弾正「ゴールドカード会員なら予約も不要ですぞ」

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 19:08:05.95 ID:L6D772zb
ノブ「ゴールド会員は入会費として九十九茄子が、年間料として土蜘蛛が必要となっております」

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 19:18:26.44 ID:/NFacn01
>>877
それは「平」蜘蛛だっ
土蜘蛛だと妖怪になっちまうよ

それは徳川家康を激怒させることとなり

2012年12月23日 19:11

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 23:43:55.59 ID:egkfmNX5
天正六年三月、武田勝頼が遠州へ出張した折、大須賀康高の甥、
弥吉は軍令に背いて勝頼の本陣へ打ち入り高名をあげた。

しかし、それは徳川家康を激怒させることとなり、弥吉は恐れて
本多忠勝の家に逃げ入って許しを祈ったが、許されず終いには
切腹を仰せ付けられた。

家康は何事にも心が広く情け深い人だったが、軍令に背く者に
対して厳しいことはこの類であった。

――『徳川実紀(柏崎物語)』




866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 05:37:33.69 ID:c6PTG4mL
>>865
市松「お宅の赤備えとか言うのが抜け駆けしやがったんでが…(震え声)」

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 07:34:23.99 ID:5pjQbNKT
>>865
勝頼の首が取れてたら帳消しだったのにな。

関ヶ原は深い霧に覆われていた

2012年12月23日 19:11

868 名前:話の流れ上あえてこちらに[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 12:04:52.07 ID:f+nHlxNe
関ヶ原は深い霧に覆われていた。
敵陣である西軍の彼方より散発的に銃弾が飛来するようになった。
この時にはまだ開戦には至っていない。
前衛三番隊に陣取っていた黒田隊に居た大道寺孫九郎が進み出て敵間を伺っていたが
如何にせんとも視界が完全に閉ざされている。
黒具足の武者が横合いから進み出、手綱をゆらりと打ち掛け心静かに敵方を見据えていた。
すると徐に振り返り独り言を呟いた。

「只今に戦は始まるべし」

これを聞いた孫九郎はその武者にそれは如何に、と問いかけた。

「敵間が近くなる程足軽はうろたえ、弾丸を筒の中へよく入れ得ぬ故に弾に力が無く
味方の足下へころころ落ちるものである。機は熟した」

と言って馳せ帰った。
後に聞けば、この黒具足の武者は井伊直政であった。

『名将言行録』

味方の展開状況と敵の状況視察のため
あえて目立たない黒具足を着て自ら物見に出ていた直政は急ぎ自陣へ戻り
家老の木俣守勝に戦機の切迫を告げ指示を出した。
機敏にいつもの朱具足に身を包み、今度は開戦の備えに駆け出したという。




869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 06:15:52.29 ID:Tw8CTV1P
最初読んだとき黒具足と赤具足を書き間違えたのかと思ったw
視覚ではなく聴覚で足軽が時折放つ銃弾の落ちる音で戦機を計っていたということか

この後の抜駆けは…
口火を切る潮時の判断一つで勝敗が大きく左右する事実
徳川が天下を取る上での面目を大いに立てることになったし
市松と才蔵が更に奮発する足掛かりまで固めた
目付の対象であった市松の性格を考慮した上での全てが計算づくであったと考えると
家康も褒める事はあっても咎める事はないだろう

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 07:04:00.27 ID:dhTYqbHr
>>868
直政の召替具足が黒?
メインがダメになったら赤備えで一人だけ黒に・・・と思ってググって見たら召替具足も赤だったでござる

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 12:06:43.44 ID:P/+P0KzR
先祖は鉄砲の標的にならないよう、わざわざ黒具足に着替えてるのに、子孫ときたら…

尼子との手切れと人質たち

2012年12月22日 19:54

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 21:40:59.84 ID:cVnLvN3Q
天文3年、宍戸元源と和睦を果たした毛利元就は、当時服属していた尼子より離脱し、以前のごとく
大内に付くことを決心。大内義隆のもとに嫡男隆元を人質として送り、甘ことの手切れの準備は整った。

そこで元就は、出雲の月山富田城に人質として毛利家より出していた、光永中務少赤川十郎左衛門
密かに連絡を取り、尼子と手切れになること、よって隠密に尼子領より脱出するようにと伝えた。

これによって両人は相談し、夜中に忍んで脱出をはかったが、どこからか情報が漏れたのであろうか、
富田城の者たちが聞きつけ、脱出する両名を大勢で追いかけ、大楽というばしょにおいて、光永中務少
共の者たち15人と、一所にて討ち死にしてしまった。

しかしその間に赤川十郎左衛門は切り抜け、無事吉田に帰還した。
(吉田物語)

この時代の、人質というものの過酷さが現れた逸話であろう。




843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 23:49:44.62 ID:M2rs5iG5
>>839
脱出を指示してくれる点は優しいね
無茶ぶりだけど

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 01:08:16.55 ID:nLql3VZC
>>839
尼子なのに甘くなかったでござる

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 03:18:53.73 ID:20g7S1XL
>>839
赤川って聞き覚えあると思ったら、
隆元暗殺(疑惑)の赤川元保の兄か。
ここで生き残った事で、息子が赤川元保の家を継ぐのか。
なんというか浮き沈みの激しい人生やな。

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 09:00:15.03 ID:xpq9YhU6
>>847のような繋がりを見つけたりするのがこのスレってか、歴史の楽しさだと思うの・・・

まぁ、言い過ぎだけどさwww

河田伯耆守泰親のこと

2012年12月22日 19:54

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 21:59:25.08 ID:85L79Sj0
河田伯耆守泰親はもとは上杉謙信に属した武功の者であるが後に後北条氏に従い、
上野国利根郡に三千貫の地を領した。

後北条氏の滅亡後、徳川家康が戦死した者の首帳を見ると泰親の名前がなかった。
そこで家康は「きっと当地にいるはずだ」と井伊直政に命じて探させた。

その後、直政の調査によって泰親は先の松井田城の戦いで深手を負って既に
死に際の状態であることがわかった。直政の報告を受けて家康は「かねてより
泰親は忠実の者と聞いている。ぜひとも死ぬ前に目にしておきたい。
籃輿に乗せて連れて来るのだ」と命じた。

さて泰親が板扉に乗せられて御前に現れると家康は側近くに寄り、非常に
沈痛な面持ちで「この傷が治った時には不動山の城主とし、譜代の大名に準じよう。
それまで心のままに養生せよ」と言葉をかけた。また当分の費用として月俸百口を
下したものの、泰親は亡くなった。

そこで家康は泰親の子で当時六歳の助兵衛政親を直政に養わせ、成長した後に
父の跡を継がせたのだという。

――『徳川実紀(諸家譜)』




840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 22:27:39.82 ID:mg3ksSrF
良い話なんだけど、深手負って死にそうな人動かしていいのかなぁ・・・。

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 22:48:42.84 ID:rc3mURLw
黒くなる前のラスボスさんなら自ら出向いたんだろうな~

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 03:13:35.20 ID:4z3z3BNG
>>837
牛島っていうと、死ぬことと見つけたりで猿連れてた杢之助の友人のモデルなのかな

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 03:16:31.31 ID:/5ZuVw+s
大将が敵将の見舞いに行っちゃダメでしょ

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 09:31:45.29 ID:hhYByaof
>>841
「五郎左がむかついたので、死んだ後に難癖付けて息子の石高を大幅に減らしました」

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 09:33:52.31 ID:1bAaG98a
>>841
黒くなる前というか、木下藤吉郎の頃だろうな。竹中半兵衛への三顧の礼の逸話的にw

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 10:19:08.24 ID:i3tuzY2E
助兵衛さんw

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 11:51:53.05 ID:kntVdV6w
すけのひょうえさんを笑う理由は無いだろう

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 12:18:17.88 ID:yefrraZv
硬骨漢の花房さんもスケベにされるのか

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/30(日) 08:23:36.81 ID:Q0BFbw83
>>843
亀だけど、初期の殿いつネタ(謙信玄)を思い出したわw

可児吉長の家臣に竹内久右衛門という者がいた

2012年12月21日 19:50

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 23:55:28.55 ID:C4w1xGjF
可児吉長の家臣に竹内久右衛門という者がいた。覚の士であり、吉長は
いつでも知行の半分を分かち与えていた。

長久手の役で羽柴秀次が敗軍したところ、秀吉は怒って吉長を咎めた。
このために吉長は日蔭者になっていたのだが、福島正則が七百石で召抱えた。

そこで吉長はすぐに三百五十石を分けて久右衛門に与えた。

――『名将言行録』




832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 10:50:29.26 ID:191HpPKJ
>>830
なんかズレてる

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 10:57:55.58 ID:jBjRZkrw
>>830
なんかアンパンマン思い出した

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 11:08:05.07 ID:5JGushqd
三成に 過ぎたるものの…

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 11:08:05.28 ID:1dAM2XsE
三成・左近の縮小版だな。

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 13:23:23.79 ID:3v211z+y
>>833
可児パンマンの誕生だw

男は侍、武士は食えねど高楊枝なり

2012年12月21日 19:50

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 14:37:12.70 ID:KpklqrfU
男は侍、武士は食えねど高楊枝なり
牛島新五郎の妻は権藤七兵衛の妹であった。
その七兵衛が、江戸で遊廓通いをしていることが表沙汰となり、
上役たちの相談の結果処分を科されることとなった。
戦の世が終わり、風俗がだらしなくなってきた時期でもあり、
周囲の者たちへの見せしめのためを思い、
七兵衛の所属する一門から縁戚のはしばしまで厳しく咎めることとなった。
そういうわけで新五郎もすぐに国に呼び戻され蟄居となった。
新五郎のまわりの者たちは、
「新五郎殿は上役からの覚えもよいのだから、
すぐに七兵衛殿の妹と離縁するべきだ。
さすれば、新五郎殿までお咎めを受けないですむ。
たった四石の扶持で蟄居ではいずれ暮してゆけなくなりますぞ。」
とたびたび意見を述べにきたのだが、新五郎は、
「男女の情にひかれて離縁を拒んでいるのではない。
自分の身が立つからと理屈をつけて、
罪もない妻を去らせるのは義にはずれたことだろう。
飢え死にする覚悟を決めたので、
もはや私におかまいくださるな。」
と言い、ついに首を縦にふらなかった。
新五郎は三年の後、復帰を認められた 【葉隠】




だいぶ「どこの国の話?」

2012年12月21日 19:50

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 21:49:24.44 ID:t10VLyXq
『…その土地はイスパニアより、それ自体ではずっと大きく、極めて活動的で、北緯34度に位置する。
夏冬の区別があり、多くの、そして良質の銀や他の金属も産する。
15の王国にわかれ、うち一人を他の王が認めれば皇帝なのだが、現在彼らを統率する者が居ないので、
誰も皇帝ではない。また4人の王が既にキリスト教徒になった。

全てに豊かであり、雌牛、鹿、家畜化した、あるいは野生の豚、野兎、雉が、野や山を埋め尽くしている。
畑は一枚6マラベディーの値である。他の家畜の雌鶏がたくさんいるし、小麦、大麦、米、他にも種子類がふんだんに採れる。
また果物類、多様で良質な梨類、桃、すもも、栗、胡桃、どんぐり、瓜、それに黒い小粒のブドウも山野に満ちている。
だから必要とあればこのブドウからミサ用のワインが出来、それを以ってミサを捧げられるだろう。

このワインはよく飲まれている。当地原産の良質なワインもたくさんあって、いずれも安い。
半リブラ(1リブラは約460グラム〉くらいの大きさのパン15個で1レアル、しかも白くて良質である。
骨なしの雌牛の牛肉2.7リブラが1レアルで買えるし、雌牛1頭では5から6レアル、それでも高いくらいだ。
魚も豊富でとても安い。

土地の人々とは極めて友好的な関係にあり、特に王とその父親とはうまくいっている。
住民は非常に清潔で衣服もこざっぱりしている。それに大変好戦的かつ勇敢で、あらゆる武器で武装し、
良い鉄砲、槍、刀(一撃で人を切り倒せる武器である)、弓、矢、胸当て、背当てを持っている。

キリスト教徒の武士は大変清潔で美しい家を持ち、イスパニア人のように武器を携行する。
馬も小さいながら、何頭も所有している。
宣教できる人間さえおれば、瞬く間に全員がキリスト教徒になるであろう。
既に洗礼を受けたものは、典礼もないのに、見たところ立派なキリスト教徒である。』

以上、平戸に上陸したアウグスチノ会員フランシスコ・マンリケが現した『日本』の姿である。
ちなみに友好的な関係にある王とは、平戸の松浦隆信のことらしい。
(フランシスコ・マンリケ1588年3月1日付書簡)

だいぶ「どこの国の話?」と言いたくなる、日本についての報告であるw




824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 01:01:27.50 ID:pXRohuVd
キリストに関する記述がだいぶ盛られてる気が

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 01:07:21.99 ID:zkMr7BhP
>>823
このころはまだ、欧州より東アジアの方が富んでいたということだね

このあと、植民地からの収奪で飛躍した欧州と差がついてしまうが。

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 01:24:22.05 ID:VWOvGnvE
食文化が…

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 10:49:39.15 ID:Q8qrY0HH
まぁ現地で活動する宣教師としては、本国のやる気をくすぐって、できるだけ支援
を引き出したいわけで
だから「ここは有望ですよ!」ってことをMAXアピール。人についても土地につい
ても、報告書では盛りまくったんじゃないかと

どうせ本国で報告書読む人には現地の実情なんて見えないわけだしw

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 13:30:38.60 ID:OlFrgKA/
なんか九州とか、ともすれば肥前の中だけの話のような気もするぞこれ

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 13:39:23.52 ID:llrH0Ssp
ヨーロッパに比べれば高温多湿なので物がよく取れるのは確かだが
明らかに盛ってるわなw

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 16:21:46.61 ID:EscrAhuT
盛ってるのもあるだろうけど、ただ、当時のヨーロッパも相当にヒドイのも事実なのよね
いわゆる小氷期まっただなかだし

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 16:32:46.87 ID:pWcyw876
小麦なんかも蒔いた量の10倍にもならないんだっけ、確か

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 17:02:32.28 ID:9CyN3gnX
中世欧州だと、地域にもよるけれど、小麦の収穫量が1haあたり300~700kgらしいね
ちなみに一反=一石を適用するならば、日本の場合は1ha(10反)だと1.5tの米が収穫できる
重さだけで考えると二倍以上~五倍は違うからな・・・

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 17:11:43.58 ID:71al5+CE
そんだけ作れても、収穫の8割がたを王家と領主と教会に持っていかれるんじゃ日本より悲惨だなあ

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 19:48:59.19 ID:ITDBxvqF
だからパンは主食になれなかった

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 20:00:19.71 ID:XjnCzKtJ
パンがないならケーキを食べればいいじゃない

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 20:03:35.67 ID:RGQDRi8U
そこで讃岐が誇るうどんですよ!

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 20:26:01.53 ID:9CyN3gnX
ジャガイモ様がアップを始めてます
貧者のパンは伊達じゃない!

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 20:51:44.99 ID:rc3mURLw
おジャガ様は歴史が証明してるんだっけか・・・
まぁ、同時に梅毒まで撒き散らしちゃったのはご愛嬌ってかwww

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 21:43:45.61 ID:eWbjDVbY
>>838
挙句の果てがジャガイモ飢饉だよ

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 21:46:18.17 ID:KhGRsx69
蕎麦最強伝説

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 22:18:08.99 ID:rc3mURLw
ジャガイモ飢饉、知らなんだわwww
一極集中はいかんってことよね~

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 23:58:13.30 ID:GMWQ4/Fj
>>840
そうなったら赤ん坊を食べればよい

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 00:47:24.68 ID:Mv/KCpki
ジャガイモ飢饉はモノカルチャーの弱点がモロに出た形だからなぁ
でもこれが無かったらJFKが大統領になる事もなかったか

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 10:03:15.12 ID:lVRS0UXW
>>841
蕎麦は収穫量が少なくて…
実がなりにくいんだよねー自家受粉しない上に受粉しにくい変な植物で

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 10:11:20.32 ID:0+mhat6C
さらに、小麦以上に食べるまで手間が掛かるし

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 10:17:30.42 ID:yLbUWFHf
練って雑炊にぶっこむだけだから大差ない

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 12:29:47.57 ID:8PLO+WhI
日本ならさつまいもの功績を忘れちゃいかん。
老人の中には戦時中これしか食べてなくて大嫌いになった人も多いな。

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 17:14:22.76 ID:tI+m0WOd
>>850
引いて粥にすれば消化できないかな?
不味いだろうけど

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 17:18:33.80 ID:Mv/KCpki
つ ガレット

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 08:26:22.03 ID:hhZVrk98
>>823
二毛作、三毛作とやってたしヨーロッパ人から見れば
食料豊富に見えたのかも。あと向こうはギルド(日本でいう座)の力が強かったから。
安土城の楽市楽座を見た宣教師が安土の城下町は
楽園のようだと書いてたとか書いてなかったとか。

毛利元就と宍戸元源、姻戚となる

2012年12月20日 19:50

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/19(水) 22:21:23.86 ID:lmqUdhCU
毛利元就は天文三年(1534)、同じ安芸国内で対立していた宍戸元源と和睦すると、
翌天文四年正月18日、元就は和睦の御礼として、供廻り50人足らずで、宍戸氏の居城・甲立へと訪問した。
吉田と甲立の間は一里ばかり離れていたので、先ず御遣いのものが遣わされ、それに対応するため
宍戸家からも人数が甲立城下川端まで、御案内のために出された。
彼らは毛利家の使者が口上で、元就の御出参の事を申し上げると、それに相当の返答をし、
元就は直接に城に入った。

城では元源親子が揃って元就を待っており、一礼がすむと、種々様々な御馳走は浅からぬものであった。
食事が済むと、元就は城を立とうと思ったが、だんだんと元源と話をしている内に、

「この様に心安く対話ができるとは、一世ならぬ奇縁だと思います。今夜はこちらに留まらせて頂き、
終夜あなたの物語を聞きたく思います。」

と話すと、元源は大変機嫌を良くし、夜陰になっても様々に馳走して、その後寝所を同じくして
元就・元源は枕を並べて、終夜雑談をしようということになった。
そのはじめに、元就が言うには

「あたなのご嫡子、雅楽頭殿には、未だにご縁組も、結婚の約束をしたものも無いと聞いております。
そうであるなら、私の娘に、年齢も相応なものが居ります。これを宍戸家に差し上げたいと思っているのですが、
これを奥方とご相談為されて、ご了承頂けるのなら、私も本懐に思います。」

宍戸元源はこれを聞いて「さて!御年相応なご息女がいらっしゃるか!これは幸いなことです!」
と、早速奥方のところに行って報告し相談をし、その上で奥に元就を呼び込んで、
親同士相対した上でこの縁談を結んだ。
双方祝詞を仰せられ、喜び限りなかった。

その後、元就は語表にて朝食を召し上がり、心静かにお話などされ、そうして吉田へと帰った。
(吉田物語〉

毛利元就宍戸元源、姻戚関係を結ぶ、という逸話である。

しかしこの手の逸話で、婚姻の許可を得るため、旦那や相手方の父親まで奥さんと相談する、という
話は始めて見た。中国地方はやっぱり女性の権威も強かったのでしょうかね?




821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 00:08:05.36 ID:yEemqBjP
それでやってきたのが五龍さんだからなー。

…悪い話?

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 00:46:24.68 ID:v4xPLGH0
>>820
いや元就自体がこういう儀礼を重んじるタイプ
ぶっちゃけ根回しの達人

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 03:45:45.49 ID:P+Mx/twC
元就のコミュ力ぱねえな

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 08:39:21.11 ID:mpeSImtt
TERUも、もうちょっとコミュ力があれば・・・

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 08:52:25.32 ID:XPWTn5dp
>>825
TERUもちゃんとやってるんだがなぁ

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 10:04:42.98 ID:puc7QdPA
TERUさんはちゃんと礼儀ができてて褒められるレベル
元就さんは礼儀ができてるのが当り前のレベル

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 10:43:21.87 ID:t2vv/StO
これ確か天文3年に和睦したとき、元就は単身で宍戸のところに和睦交渉しに行ってるんだよな。

秀吉が家康を落とした手口とそっくり。

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 20:38:11.95 ID:RoeqA+hv
1日で婚姻を承諾させるとこまで行けるコミュ力・・・・・・

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 23:58:09.95 ID:M59km+lB
元就の兄の代では宍戸とは仲悪くて戦争ばっかしてたのに
しかも宍戸の五龍城が堅城すぎて毛利側は負けまくり