それを見間違えたのが事の発端ということだ

2013年01月31日 19:54

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 22:44:24.29 ID:ibDTggh8
本丸に勤める御番衆たちがさしてする仕事もなく碁を打っていた。
剛の者として城下町でも名の知られる牛島久次兵衛は碁を見物していた。
碁を打っていた松浦嘉左衛門がふと久次兵衛に目をやると、
久次兵衛は苦々とした表情でつまらなさそうにしていた。
碁の旗色が悪くイライラしていた嘉左衛門はカッとなり、
いきなり飛びかかり久次兵衛に抜き打ちに斬りつけた。
それを見た有田権之丞はすぐに体を張り嘉左衛門を取り押さえた。
斬りつけられた久次兵衛は真っ直ぐ嘉左衛門に向かい、

「貴様、城中でなければ」

と一言を残し前のめりに倒れ死んだ。
この一言が当時、大いに評判となり、
「さすがは久次兵衛にして、この覚悟の決め方だ」
と武士も町人にも称えない者はなかった。

その後、松浦は切腹。
権之丞は体を張り喧嘩を止めたことを評価され、
上役から刀を贈られることとなった。

久次兵衛は顔の筋を痛めていて、
ときどき目、口が引きつる癖があり、
松浦がそれをしかめっ面と見間違えたのが事の発端ということだ 【葉隠】




229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 23:10:41.16 ID:xFOxtOI8
他人の碁でも微妙な局面とかになるとついつい難しい顔して考え込んじゃうよね
まさかそれがアウトとは…

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 00:24:31.45 ID:/7YQKJXZ
>>228
顔面麻痺に気づかなかったのか

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 02:30:58.22 ID:71ZRINtX
囲碁将棋をやる時は、刀は遠くに置きましょう!

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 02:51:00.13 ID:o6E7G6Qx
「木太刀の一本もあれば…」

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 09:59:49.05 ID:8fdWBHvX
このくらいでキレて斬りかかるんなら、このまま有田さんが勝っても
有田さんに斬りかかってたのではないだろうか

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 13:45:03.14 ID:ZDR9dS1f
血の気多すぎだろw

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 15:42:04.79 ID:3S397xde
現代でもこういうチンピラいるじゃん
パチンコ屋で後ろからリーチのハズレ見たら殴り掛かってくる奴とかさ

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 16:18:11.16 ID:NqBMAViV
ほんの些細な碁会が原因だったんです

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 16:58:44.15 ID:Nn8liYfA
全く、しょーぎない奴だな

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 18:37:09.27 ID:nUUAFt1Q
みんな松浦さんのおかしさに目がいくんだな
牛島さんや有田さんの剛勇こそ称えようぜ

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 21:39:44.70 ID:NqBMAViV
碁盤は火を扇いで消す為の物です

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 23:13:51.00 ID:E18Imh5p
牛はブン投げる為の物です

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 23:23:12.85 ID:ftL6n08a
岩も投げるためにあります

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/01(金) 23:21:45.72 ID:q1PnOX2A
>>228
>本丸に勤める御番衆たちがさしてする仕事もなく碁を打っていた。
さしてする仕事もないから将棋ではなく碁を打ったの(´・ω・`)?
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金吾中納言殿は政所殿の姪

2013年01月31日 19:54

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 23:58:22.92 ID:xoPSghuK
金吾中納言殿は政所殿の姪(ママ)である。政所殿の御寵愛によって太閤は養子となされた。
始めは微々たるものだったが、筑前一国を与えられたので筑前中納言殿という。

治部の乱までは二心もなく、伏見城を攻落した。伏見城は鳥居彦右衛門が守っていたのを
金吾殿が攻落した。その時、金吾殿は抜群の賞禄があるだろうと思っていたが、

治部にそのつもりがないと見て心替わりし、関ヶ原で東照宮に属して治部を攻め滅ぼし、
その忠によって備前美作を宇喜多殿のごとく遣わされた。

――『老人雑話』




359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 11:47:30.71 ID:pCXFRDOj
祭姪稿思い出したw

週間ブログ拍手ランキング01/24~/30

2013年01月30日 19:51

01/24~/30のブログ拍手ランキングです!


江村小備後・五輪切り由来 46

徳川家康と、反抗した門徒武士たち 43

『卒塔婆ヶ本』 25
「神主、久しうおじゃる」 23

雑談・人質について 21
細川幽斎の信長・秀吉評 19

『義元左文字』由来 18
鍋島家の祖 17

支倉遣欧使節団・スペインに残った武士についての、その後 16
イチョウの漢字を御存じないのか? 16

南部信直の申し入れ 15
二面の鏡 15

徳川家康「それはわしの命がわかっていないのだ」 14
道春は非道の者だ 14

「まるで外記の具足のようだ」 11
槿花の宮の事 10

『鬼十河』と呼ばれた逸話が 9
「お前たちは人間じゃない」 9
「観音山」由来 9
善悪報応の理は決しがたい 6



今週の1位はこちら!江村小備後・五輪切り由来です!
長宗我部元親初期の名臣、江村親家の少年の時の怪異譚。後に一条兼定から「汝が勇は篠塚重広(新田義貞四天王
の一人)にも勝る」と言われた勇者らしい、豪胆なお話です。
しかしこのお話のように、怪異が身近にあることを感じさせるのが、土佐、あるいは四国だなあと、ちょっと
感じちゃいましたw
平安末期くらいだと、武士の権能として『魔を払う』というものがあったのではないか、という説も
ちょっと思い出しました。

2位はこちら!徳川家康と、反抗した門徒武士たちです!
家康と三河一向一揆との、和解の場面ですね。
家康の有名な旗印「厭離穢土欣求浄土」からも解るように、家康も一向一揆も、浄土思想と言うことでは
一致しているのですね。
そういう共通の基盤があることを、お互いに知っていたからこそ、スムーズに出来た和解かもしれません。
しかし「お前たちが私などを仮の主人、阿弥陀を長き世の主と思っても当然のことであろう。」というのは
いい言葉ですね。相手の立場を解ろうとする、無理に否定しない、というのは人の上に立つ者にとって、
とても大切な資質ですね。その上で相手を許容出来るのが、器量というものなのでしょう。
そんなこともちょっと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!細川幽斎の信長・秀吉評です!
何故気になったかといえば、そういえば息子の忠興が、秀吉と家康を比較する話を残していたなあと
思い出しましてw

細川忠興の家康評と分析・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2246.html

この親子、決して親子中はよろしくない、互いに微妙な関係ですが、何のかんので似ているなあとw
武勇や政治、芸術的感性だけじゃなく、こういう人物評的な才能も、きっと受け継いでいたのでしょうね。


今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )

【井伊直孝遺状】(抜粋)

2013年01月30日 19:50

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 21:04:26.49 ID:kK6dsO2q
井伊直孝遺状】(抜粋)

一.上意は申すまでもなく、御老中からこの上もない無理難題を申しつけられても
幕命に沿い、只管に将軍家への御奉公を専らに勤められることを本義とする。
我らへの孝行は将軍家への御奉公に勝るべきでなく、御代々の御厚恩を子々孫々に至るまで忘れるべからず。

一.大権現様により泰平の世となって以来、我らが御主君の御役に立ってきたことは、天下に広く知られている。
其方も昼夜武道を忘れなく励まれよ。
世の中が泰平ゆえ、大猷院(家光)様と当公方(家綱)様に対し、戦場での御奉公も致さず相果てることは、誠に残念至極である。
幕府に対する謀反者が現れた際には直ちに出陣出来るように、常日頃から覚悟しておけ。
その際の軍法は以前より定めおいた通りにすべきであるが、場合により少しばかり変えてもよい。
しかし、新たな戦法は取るな。 井伊家直々に伝わってきた軍法と、別書一巻の通りに合戦をしろ。

一.天下に兵乱が生じた際、靫負佐(直滋)が独自に別旗を立てて出陣しようとしても、その意に任せてはならない。
また金銭を所望してきても、以前から定め置いた合戦の員数以外の援助は無用。

一.賞罰については、当たり前のことだが、賞を厚く罰を薄くするように心掛けよ。
大将たるべき者は、表向きの役務をする外様者や、遠所に在勤する者に対しても、よくその善悪を見極めろ。
並みの人と能き人とを同等に扱ったら、能き侍は嫌気が差し、奉公を等閑にするものである。
他人から聞き及ぶことには、事実と相違することがあり、そのため人を見誤ることも多いのでよくよく分別せよ。
何れにせよ大将たるべき者は、欲を浅く慈悲を深くすることが肝心である。

一.家臣を召使う場合、その侍の善悪次第によって召使われるべきで、譜代・新参の分け隔てなく扱うこと。
一心に奉公する者がいても、贔屓がなければ主人の目にも止まらず、埋もれて知れぬ事が多いものだが、これはとかく残念なことである。
また、さほどの取り柄の無い者でも、取り成してよき様に処遇してやり、
人並みの奉公も出来ない者でも、その善悪を選び出して程よく召使うことが、大将の手柄である。




218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 21:24:01.24 ID:e+3He9uu
彦根藩と庄内藩どうして差がついた

近畿ととうほぐの違い

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 07:22:59.47 ID:7//td3HG
先日放送の「八重の桜」で
井伊邸に居たひこny…白猫や、松平容保と井伊直弼の対談を観て感慨に耽った身として
会津藩の藩祖・保科正之が遺した家訓と
井伊直孝が直澄に宛てた遺状って似てるんだよなーとまたまたしみじみ

秀安は忠家の気質をよく知っていたので

2013年01月30日 19:50

222 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/30(水) 07:46:43.69 ID:ro4mP+NL
ある時、宇喜多忠家は直家の家老・小野田四郎右衛門を討ち、これに直家は激怒した。
忠家は怖れて居城・富山城(とみやまじょう)に引き籠り、直家の呼び出しにも応じないため
もはや叛意は確実と見られた。
ここで岡家利・長船貞親らは日頃忠家と仲が悪く、これ幸いと直家に討ち果たすべしと讒言した。
戸川秀安は忠家の乳母の子だったのでこれを嘆き、某にお任せくだされと願い出て
富山城へと向かった。

富山城に着いた秀安だが、説得など一言もせず城攻めの用意を始め、
仕寄を設け井楼を用意し、これでもかと城攻めの気勢を見せつけたところ、
忠家はこの勢いに恐れをなし、起請文を出して降参してしまった。
これを秀安がうまく取り繕ったので和睦となったのである。

秀安は忠家の日頃臆病な気質をよく知っていたので、こんな方法を取ったそうだ。

(戸川記)


戸川秀安、無言の脅迫で乳兄弟を救ったいい話。





224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 08:58:32.27 ID:7XZCZzFN
・・・で直家に詫び入れるときは鎖帷子を着込んで登場ってわけですね

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 21:43:21.71 ID:4c/Ysv3g
戸川△

如水一生の大事件

2013年01月30日 19:50

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 23:41:52.43 ID:emQAy27q
小田原陣の折、松田尾張の嫡子・笠原新六郎は太閤方へ内応し、引き入れようと
計ったが、二男の松田左馬助は同心しなかった。

後に太閤は左馬助を誅殺しようとして「松田を誅せよ」と、黒田如水に命じた。
ところが如水は聞き誤った様子で、尾張と新六郎を殺してしまった。

太閤は如水を責めたが、聞き誤ったということで、特別な事情もなかった。
これは如水一生の大事件だった。

左馬助は後に加賀大納言に仕えて五千石を領したが、近頃死んだとか。

――『老人雑話』

実際は笠原については左馬助の注進があった時点で殺されている。




339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 23:48:44.00 ID:2atgh01A
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42919_25723.html
坂口安吾「二流の人」にも出ているな

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 12:40:34.97 ID:6xFcnk2s
どこが一生の大事件なんだ?

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 12:58:38.18 ID:CUb0+MDX
一歩間違えれば処断される可能性があったってことかと
如水さんだから許されてるけど二流どころの武将だったら怒りを買って切腹だろう

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 13:06:51.23 ID:l1M2p6bT
>>338
間違えて2人はない、わざとだろー
と思ったが本当は1人だけか

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 13:14:08.27 ID:pSHQSXmM
松尾山に鉄砲射掛けろと言われて全力射撃の上、総攻撃掛けちゃった的な

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 14:42:07.21 ID:K8W3+3LZ
確か既出だね、この話。

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 15:54:15.32 ID:6xFcnk2s
北條家の宿老が寝返るんだぜ
天下統一イベントでな
不忠者はいらないでしょ

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 17:03:47.30 ID:rmMALY3x
なんだろ、直家とか真田パパンとかなら黒いな直家、さすが黒いと思うのにクロカンさんだと何間違えてるんですか?と思うのはなんでだろ?

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 17:14:33.31 ID:yzs0Ix7o
>>350
うっかり官兵衛だからなあw
ホントにこの人、逸話的にもうっかりが多いよなw

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 17:17:15.58 ID:ypS6ksqG
滲み出る人徳の差ですな

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 19:45:39.17 ID:JvVKd3X5
>>344
しかし坂口安吾の小説の題名は
「二流の人」

来年大河の主役だから、この逸話も脚光を浴びそうだ

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 19:51:59.03 ID:7XW+VPVS
>>344
小田原城開場の第一の功績者がクロカンだし
処断されるわけないだろ

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 20:23:05.04 ID:yzs0Ix7o
>>354
ただ小田原陣のあと、第一線から退く形になるんだよな、クロカン

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/31(木) 01:12:34.54 ID:XawLom8i
>>355
このころには既に隠居してたからな

358 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/31(木) 11:24:51.31 ID:kMMhBF0x
狡兎死して走狗烹らる

張良を見習っただけ

善悪報応の理は決しがたい

2013年01月29日 19:51

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/28(月) 23:46:18.10 ID:aBPZahBa
善悪報応の理は決しがたい。細川はかつて不仁だったが、今子孫は盛んである。

池田勝入は信長の乳母の子で、城介殿や常真と同じ乳房に育った人だ。
常真に向けて弓をひく理はないのに、小牧の陣で太閤の黄金五十枚の賄にあざむかれて
常真の敵となった重悪の人である。

しかし、その子は備前、備中、播磨に手を伸ばし、因幡、伯耆に手を伸ばす子孫もいる。
一方で加藤肥牧(清正)などは律儀な人だが、子孫は既に絶えてしまった。

――『老人雑話』




329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 00:03:32.99 ID:piD4P2sK
ちょっとまって!
勝入入道と同じ乳房で育ったのは、城介殿や常真さんのパパの信長さんだと思うの・・・

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 12:14:37.59 ID:hpGkLg9I
息子たちの乳母も兼任してたんだろ
俺は50手前だがまだまだ元気で白いミルクがいっぱい出るぞ

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 12:17:13.67 ID:d1qysb2o
こういう伝承ミスで構築される逸話の成立過程に興味がある

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 12:51:37.96 ID:e+3He9uu
老人雑話「なお武田や大内が滅んだのは当然の報い」

槿花の宮の事

2013年01月29日 19:51

333 名前:1/2[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 18:39:16.52 ID:QkWcQkiV
槿花の宮の事

長宗我部元親が仁井田を巡見し、堂原に至った所に、槿花の宮という祠が有った。
元親は、これは聞いたこともない祠だと思い、現地の老人を召し寄せその縁起を尋ねた。
老人が畏まって申し上げるには

「この宮については、不思議な物語があります。

志和の城主和泉守の息女は、容色無双の美人でありました。これを西原藤兵衛重介が娶り、
比翼の語らい(いつも寄り添って語り合っていること)の夫婦仲であったのだが、
ある時この妻女が藤兵衛に涙とともに語った
「私には悩ましいことがあります。どうか暇を与えてください!」

藤兵衛は驚き
「これは心得ぬことを。私はお前と、二世までとも思っているのに。さては他の誰かに想いを寄せているのか!?」
これに妻女、涙をこぼし
「申すも恥ずかしいことですが、申さねばお疑いなさるでしょう。
実は、夜な夜な私の寝室に通って来る者があります。どこから来たとも知れず、又如何なる者とも知れず、
夢ともなく現ともなく忍び入ってくるのです。

初めの頃は私もこれを拒みました。しかしついにこれに従い、終夜語らい、この者が帰ったと解ると、
夢が覚めたようになるのです。

始めは、これは夢だと思いました。しかし彼は一夜も欠けることなく現れ、生臭い移り香も感じました。

一体どんな化生の仕業でしょう?わたしは、心ならぬ事とは言いながら、あなたと二世を約束したのに、
このような浅ましいことになってしまいました。
どうかお暇を下さり、私は急いで里に帰ります。とにかくもそうしないと…」
そう、声を上げて泣いた。

しかし藤兵衛はこれを聞いて呆れながら
「一体何を言っているのだ?お前は私と枕を並べて寝ているではないか。それなのに
私が知らないのだから、それは夢に違いない。
そんな夢で、私がどうしてお前を厭う事があるだろうか?そのような事を気にしないように。」
と、苦笑しつつ言った。

だが一方で『もしかして、浮気をしていて私を欺いているのだろうか?いや、不思議のこともあるものだ』
と思い、様々な祈祷をし、憑物落としなどもしたが、妻女はただ、物思いに沈む体であった。

大永七年(1527)三月二十二日、未の刻(午後2時頃)の事である。

妻女は藤兵衛に向かい、世の中の儚い事などを語っていたが、何気なく、ふと立ち上がり、縁の方に
行くかと思えば、庭の梢の上を、まるで平地を行くように歩いて、塀の上にたった。

藤兵衛は突然のことに驚き駆け寄って、彼女を引き止めようとしたが、妻女は
「藤兵衛殿、さらば!」
と言って塀から飛び降りると、はたひろ(約4メートル)ばかりの大蛇となって、淵の中に入っていった。

不思議というのも愚かなことである。下女や端女達は大いに恐れて逃げまわり、藤兵衛は、
妻女がこのような事になったのを見ても、どうしても彼女を名残惜しく思い、途方に暮れて嘆いていた。

そうして、しばらく経った頃の事

あの妻女の父である和泉守が常に召し使っていた次郎介という下部(卑役の雑人)が草刈りに出て、
その川上で鎌を落とした。あたりを見ても見つからず、草を分けて探していると、気がつけば
広々とした野に出た。四方を見渡してみても、全く見慣れぬ場所で、帰る道も解らず、仕方なく
足に任せて歩いていると、そこに大きな築地塀があった。

そして大きな門を始め、中の家も結構と言うばかりの立派な作りである。
門の中を覗いてみると、人一人もおらず、思わず奥に入ってみると、そこに一人の女性が機を織っていた。

334 名前:2/2[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 18:39:54.32 ID:QkWcQkiV
そして彼の方を振り向き「それなるは次郎介か?」と声をかけた。
次郎介は驚いた。それはあの、藤兵衛の妻女だったのである。

「ど、どうしてこんな所にいらっしゃるのですか!?姫君が行方不明になって以来、ご両親様のお嘆きは
言葉で表すことも出来ないほどでした!そして御母上君は終に嘆きのあまりお亡くなりになり、
御父上君も嘆きに身体を崩され、今はお命も危ういように見えます。

姫君様!さあそこから出てください!私がお供いたして、帰りましょう!」

妻女はこれを聞くと涙を流しながら
「私がこのようになって後は、我が二親のお嘆きを思って朝暮に悲しく、我ながら浅ましく思っています。
であるが、これは前世からの宿業であるため、仕方のない事なのです。
せめて父君に、このような有様ではあるが、子も多く産んだと言うことも伝えなさい。
少しはお嘆きを安める事も出来るでしょう。
私が再び、人界と交流する事は出来ません。これだけは悲しく思っている。

今日はここの殿も、あびやうし殿といって、ここから二十町ばかり北にあびやうしが淵の主があり、
それへの慰めのため、眷属共をみな引き連れて参られた。よい隙なので、お前にここを見せ、また
今の状況を父君に伝えたいと思い、お前の鎌を取ってここに隠したのです。
お前の鎌はこの機に懸けてあります。これを取って帰り、この有様を詳しく父君に申し上げてください。
絶対に他人には語ってはいけませんよ。」

そう申し渡され、次郎介は
「で、では、お子様達はどこにいらっしゃるのでしょうか?」
と尋ねると、「あそこで昼寝をしています」という。そこでそちらに行って見てみると、
数知れぬほどの小蛇が、うずくまり重なり伏せていた。

次郎介は身の毛がよだったが、何でもないようなふりをして「ど、どうか殿の留守の隙に、
故郷にお帰りください!御供仕ります!」と重ねて申し上げたものの、妻女は涙にむせび
「私もそうしたいが、再び人界に戻ることはならぬのだ。お前は殿の戻らぬ内に、急ぎ帰りなさい!」
と言われ、もはや致し方なく、「又こちらに参ります」と出立すると、妻女は名残惜しげに
見送った。

次郎介が四、五町ばかり歩くと、元の川端に出た。後ろを振り返って見ると、今来た道はどこに行ったのか、
川が流れ草が生い茂り、その跡形も見えなかった。

次郎介はあまりに不思議な事だと思い、友人達に「このような事が有った」と語ったが、
恐ろしさに舌を震わす者も有ったが、「そんな馬鹿なことがあるか」と否定する者も多かった。
と、そんな所に次郎介は、にわかに物怪のように踊り狂い

『人に語るなと言いしものを、悪い奴かな!我が棲家へ連れて行くなり!』

と大声で叫び、その夜行方知れずとなった。

西原藤兵衛はこの話を聞いて
「わが妻女が蛇道へ落ちたとは、なんと嘆かわしいことだろう。一体どういう業因なのだろうか。
せめてその苦しみを助けてやりたい。」
そう思われ、この祠を建てられ、槿花の宮と名付けられました。なんといじらしい心でしょうか。

西原藤兵衛は深く嘆きましたが、間もなく空しくなり、子も無かったためその跡も絶え、城には住人も
おりません。妻女の父和泉守は、悲しみに耐えず、志和の里に天神の宮があったため、一社に祀りこめて、
北野の天神、今天神など、一社の中に社壇を並べられましたが、後に、妻女が蛇道を免れた事が
新たに御託宣あり、諸人これを承り、有難きことと肝に銘じたのであります。」

長宗我部元親はこれを聞くと「そうであるなら西原の城を見よう」と立ち入り一見した。
この城は山の尾先、屏風のような切崖の上に塀をかけており、下は鵜の巣の淵といって、
深いこと限りなく、その藍の水の色からは、大蛇が住んでいるというのも偽りではないと感じさせた。

こうして元親は高岡郡の城々への仕置の下知を完了し、岡豊へと帰られた。
(土佐物語)




335 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/29(火) 22:31:42.54 ID:HfG/u7B+
獣姦NTRとはまた高度な・・・・・・

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 23:35:31.62 ID:gJtbY3kA
しかもヌラヌラした爬虫類
蛇×美女とかいくらなんでもマニアックすぎでしょう

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 23:37:09.82 ID:2atgh01A
古事記における倭迹迹日百襲媛命からの日本の伝統

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 00:58:35.08 ID:1VXwlu3Z
大陸なら蛇女と人間の男の組み合わせもある
蛇女は陰の気が強いから男は死ぬか瀕死化になるけど

狐なら、孫だとされている栗林義長がおるね

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 01:06:40.00 ID:dNqXk2JW
時代はズレるけど、
安倍晴明も妖狐・葛の葉が母親という説もあるね

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 15:50:50.19 ID:kVgfvNS6
>>336
蛇の手触りはサラサラだよ
ヌラヌラは両生類、蛙や山椒魚のたぐいかと

『鬼十河』と呼ばれた逸話が

2013年01月28日 19:53

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 23:21:03.26 ID:dVcawtOG
良い話とかと関係ないけど、まあ記録が間違ってたかなんかだろうけど
十河一存の逸話にある寒川氏を攻めた時の
神内左門という侍に左腕を槍で貫かれ傷口に塩すりこんで
そのまま神内左門を討ち取って悠々と帰り『鬼十河』と呼ばれた逸話ね
これ1532年って事になってるけど鬼十河が生まれたのは1532年なんだな
つまり寒川氏を攻めた時の十河一存は0歳児の赤さん
そりゃ人間離れした行動で鬼十河と呼ばれる訳だ。




204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 23:26:50.12 ID:dVcawtOG
1532年だと三好氏は元長が死んでテンヤワンヤだしまあ単純に年間違えただけだろうけどw
実際は状況的に考えると1550年前後だろうけど

イチョウの漢字を御存じないのか?

2013年01月28日 19:52

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 20:14:38.40 ID:awzvNXJe
1525年、六角家臣・蒲生高郷(氏郷の曽祖父)は、
当主の座から追った甥・秀紀を毒殺した(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1276.html)。

蒲生氏は京の将軍家とも関係の深い家だったため、秀紀毒殺について将軍家から六角氏に追及があり、
六角義賢(※)は毒殺犯の僧・善知客を捕え、五十五度もの拷問にかけ真相を白状させようとした。
しかし僧は拷問に耐え抜き、自白しないので処刑するわけにもいかず、
とりあえず獄舎につないでおいた。

しばらく後、義賢は銀杏の紋の入った鞍を他国へ遣わそうとしていた。
しかし担当の者は無学だったので、漢字でイチョウをどう書くのか知らず(送る物の品目を書く
必要があったのだろう)
更に周りの者共にも聞いてみたが、誰一人その漢字を知る者はいなかったのである。

「ま、まさか仮名書きで書いて送るわけにもいかないだろ…どうすりゃいいんだ…?」

どうすべきか話し合っていると、獄中の僧がこれを聞きつけ、
「イチョウの漢字を御存じないのか? 銀杏と書き、鴨脚という異名もある。」

と教えたので、義賢は「良いことを申したものだ。これで今回は恥をかかずに済んだ…」
と深く感じ入り、僧を助命したのであった。


(蒲生軍記)


(※)原文では義賢だが、義賢は1521年生まれなので父の定頼の間違いのはず




318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 21:08:09.76 ID:GK/Zq8Q+
結局、毒殺の真相はどうなったんだ?。
それにしても55回の拷問に耐えるってのも凄いな

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 21:39:54.17 ID:nTGBlkvA
>>318
良く生き延びたよな
それとも僧侶相手だから直接痛めつけない拷問だったんだろうか

寝かさないとか

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 22:11:07.94 ID:fsrXLPkh
クッションの刑とか安楽椅子の刑とかの恐ろしい拷問を…

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 23:52:34.90 ID:ZU0288WA
当主毒殺の疑いがあるので僧を拷問することにした。
他人の目に触れるとまずいので家に連れ帰る事にする。
嫌がる僧を風呂場に連れ込みお湯攻め。
充分お湯をかけた後は薬品を体中に塗りたくりゴシゴシする。
薬品で体中が汚染された事を確認し、再びお湯攻め。
お湯攻めの後は布でゴシゴシと体をこする。
風呂場での攻めの後は、全身にくまなく熱風をかける。

その後に、乾燥した不味そうな塊を食わせる事にする。
そして俺はとてもじゃないが飲めない白い飲み物を買ってきて飲ませる。
もちろん、温めた後にわざと冷やしてぬるくなったものをだ。

その後は棒の先端に無数の針状の突起が付いた物体を左右に振り回して僧の闘争本能を著しく刺激させ、
体力を消耗させる。
ぐったりとした僧をダンボールの中にタオルをしいただけの質素な入れ物に放り込み
寝るまで監視した後に就寝。

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/28(月) 00:00:35.99 ID:WtrO6cYH
>>322
井伊直孝、島津義弘「まさかおぬし、そのような拷問を猫に対して行なっているのではあるまいな」

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/28(月) 01:02:22.84 ID:c1txSWuX
僧の玉を抜くとき聞いたところ
お湯攻めの後は熱風ではなく冷風がお勧めだそうじゃぞ。
でも冷風だと捗らないんですけど。

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/28(月) 01:27:02.00 ID:lbee8xBg
>>324
>>僧の玉を抜くとき聞いたところ

それが一番の拷問や(; ;)

「お前たちは人間じゃない」

2013年01月28日 19:52

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 23:47:22.68 ID:HRn8JFsi
丹羽五郎左衛門の家臣に成田十左衛門(弥左衛門道徳)という勝れた武士がいた。

丹羽家の大きな領地が、子の長重の代には豊臣秀吉に取り上げられて四万五千石に
なってしまった時、成田は広間で「誰か我に一味する者はいないか」と言ったのだが、
座の者は誰一人として答えなかった。

「お前たちは人間じゃない」と、成田は言った。

後にこれが秀吉に知られ、成田は(出奔して隠れていた)伊勢で誅された。

――『老人雑話』




326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/28(月) 18:16:00.79 ID:C2ohUS3j
>>321
当時丹羽家で最大の重臣だった長束正家が、とっくに秀吉に取り込まれているんだよなあ…。

「神主、久しうおじゃる」

2013年01月27日 18:56

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 20:50:18.57 ID:SGWhGIN4
地元(愛知県豊橋市)の薄い情報誌に載ってた話と現地の看板に書いてあった情報をまとめて書きます

徳川家康公は天文二十三年、まだ竹千代と呼ばれ吉田城内におられた頃、
正月十四日に安久美神戸(あくみかんべ)神明社に参拝し、太刀を奉納。
社頭の松の根元に腰を掛けて、祭礼(鬼祭・おにまつり)を興味深くご覧になられた。

その後、慶長八年に家康公は京都の伏見城において神明社の神主司守信を召され、
「神主、久しうおじゃる。今も神式にちんばの真似をするか」を昔の祭礼の様子をお尋ねになられ、
以来、例祭鬼祭の司天師田楽は「ちんば踊り」と呼ばれるようになったという。
またこのとき、朱印領三十石と太刀を奉献された。

このエピソードから「家康公御腰掛松」として社頭の松が江戸時代より奉られていたが、
明治十七年、当時の神明社を現在の地に御遷座の際に腰掛松の代わりの松が植えられたそうです。

権現様の記憶力のいい話に、また新たな一ページが・・
そして、おそらくその田楽
ttp://www.youtube.com/watch?v=UBY8m2ypKWU




191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 22:01:01.62 ID:myop0T57
久しうおじゃるとな…
神主も長生きでよかったな

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 03:31:36.61 ID:qblIWjhU
そういえば家康は普段から駿河ことばをしゃべっていたという話を聞いたことがある
実際はどうだったんだろ

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 12:36:15.15 ID:QIDNfp5f
静岡市から来た女の子の、そのの~の~ぉ、という
実におっとりたおやかな言葉というかイントネーションが忘れられない。
「その」の一言が何故そうなる。特別おっとりしてる子だったからなのかなぁ?

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 14:57:36.91 ID:Y8uZjrdl
「おじゃる」って今川家の駿府御所では日常的に使ってたのかな

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 16:15:10.41 ID:6yH5abUi
名門武家だしそんな庶民の言葉使わないんじゃないの

196 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/27(日) 16:50:32.10 ID:J/9EibcW
国替えで遠くへ行くと方言問題で苦労しそうだな。

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 16:58:17.53 ID:dgcfI0ri
宇和島だと武家だけ東北訛とかなんだっけ?
風習やら行事なんかはまんま宗家と同じにやってたと聞いたけど~

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 17:02:34.61 ID:7zAyEVUi
越後長岡藩も武士だけ三河訛りだった、とかいう話だな。

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 18:33:33.35 ID:dl4u/371
その理屈だと、土佐藩上士は尾張訛りだったとでもいうのか?

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 19:53:54.87 ID:fsrXLPkh
母方の実家が宇和島藩士の家系だけど聞いた事なかったな…実際はどうなんだか

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 20:33:51.74 ID:t31kz6b9
そんなこと言いだすとキリがない気がするがw

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 23:18:36.20 ID:jvPVyfDO
ただ、殿様連中は普通に江戸弁で幼少期を過ごしているからなぁ。
[ 続きを読む ]

支倉遣欧使節団・スペインに残った武士についての、その後

2013年01月27日 18:56

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 20:34:27.39 ID:J0oJwCr2
伊達政宗の派遣した、支倉常長の支倉遣欧使節団には、支倉と共に帰国せず、そのままヨーロッパに留まった者もあった。
その一人で、支倉とともにフェリペ3世の宮廷で受洗した武士、ドン・トーマス・フェリーペについて、1622年の記録が、
スペインに残っている

『私、ドン・トーマス・フェリーペは、日本の(支倉)使節と共にこの宮廷に来た日本の武士であり、キリスト教徒に成りました。
陛下(フェリペ4世)の、今は上の御元におられる御父陛下(フェリペ3世)は、その姉妹、極めてキリスト教的フランス王妃
と共に我が洗礼の代父母になって下されました。

サフラ在住のディエゴ・ハラミーリョは、私トーマスが彼に仕えていた時、私が奴隷身分でないにもかかわらず。
(奴隷の印である)焼印を私に押しました。これは、私トーマスが給与の支払を求めたためなのです。

この侮辱に大して正義が行われるよう、陛下に嘆願申し上げます。
また、日本への帰国の自由と許可をくださるよう、陛下にお願い申し上げます。
何故ならば神の恵みによって、私は自由人にしてキリスト教徒だからなのです。

以上の請願をお聞き届けいただけるのなら、喜びと感謝に絶えません』
(1622年 ドン・トーマス・フェリーペよりの請願書 A.I.G.,Indif.1452.))

これに、スペイン宮廷のインディアス枢機会議は、1622年9月26日の会議において、彼に帰国許可を与え、
翌1623年6月7日、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)艦隊によって、「ドン・トーマス・フェリーペ、日本人」を、
彼が来た地に向けて送り返した、と記録されている。
(A.I.G.,Contrat.5539,vol.Ⅱ,f.368r.)

スペインに残った武士についての、その後の記録である。




徳川家康「それはわしの命がわかっていないのだ」

2013年01月27日 18:56

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 23:59:19.02 ID:X1wNx43t
徳川家康が伏見城にいた夏頃のこと。家康は天守に十一の茶壺を置いて、
壺一つにつき二人の番をつけて守らせ、三井左衛門佐(吉正)を責任者とした。

家康は「窮屈にならず、大事に番をせよ」と、料理を下し、碁・将棋・双六の盤までも
遣したので、終日心安く番の仕事が行われた。その三日目に使いが来て、御用とのことで
二つの壺が引き渡された。

その後、家康が天守にやってきた。初めは「御番大儀。そのまま(碁や双六を)うっておれ」
などと言っていたのだが、壺を見ると三井に向かい「先日、十一の壺を預けたはずだが、
何故九つしかないのか」と尋ねたので、三井は「御用とのことでしたので御使に
二つの壺を渡しました」と答えた。

「それはわしの命がわかっていないのだ。お前は念を入れるだろうと思って命じたのに
配慮が足りないぞ。始めから大事にと命じたのだから、取りに来たなら他の者に跡を任せて、
お前もその使いに付き添うべきだろう」と、家康は三井を叱った。

これは家康が三井の心を試すために使いを取りに遣したのである。
このような次第だったので、家康の取り立てた衆はいずれも皆念入りの人であった。

――『紀伊国物語、徳川実紀』




307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 00:25:34.24 ID:fsrXLPkh
うわぁめんどくせぇ…

「まるで外記の具足のようだ」

2013年01月27日 18:55

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 01:40:11.90 ID:a7EzabTl
原城を攻めたときのこと、
田崎外記がとてもきらびやかで派手な具足をつけ参陣した。
勝茂さまはその姿がお気にいらなかったようで、
それ以降、きらびやかで目立った物を御覧になると、

「まるで外記の具足のようだ」

と仰った、ということだ【葉隠】

309 名前:308[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 01:48:54.11 ID:a7EzabTl
この話には山本常朝の註釈もあるのでそれも

『この話から、武具というものは、
きらびやかで目立ちすぎるものは、
逆に凄みを失い弱々しく見えて、
相手にその心の内を見透かされ、侮られてしまうことがわかる』




310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 02:05:54.01 ID:f6GCJYYj
目立つ具足ってのは手柄立てた時に周囲へ周知するって意味もあるからなぁ

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 02:38:29.52 ID:pAZksPQb
とはいえ身の丈以上に目立つ武具は味方からすれば嫌味だし相手からすればカモに見られそう

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 03:12:29.38 ID:eXEXYI+w
中村新兵衛「武具は目立たなきゃダメだろ」

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 09:25:40.10 ID:U+JEcG04
目立ちたかったら全裸に素手だろ!

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 13:19:34.04 ID:IIJcNzxh
編笠七蔵「俺の出番か!」

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 19:16:54.45 ID:+zEci214
一条信龍「勝負服なんだから目立ってなんぼ」
信龍's 「「「そうだそうだ」」」

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 19:43:28.56 ID:YiBaonjf
剣聖さまなら全裸でもやばいだろうな・・・種子島で一斉射撃か畳で畳みかけて槍でぶすぶすやるしかねえか

『卒塔婆ヶ本』

2013年01月26日 20:03

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 19:25:27.80 ID:1XAQkbOF
永禄12年(1569)、長宗我部元親は宿敵である安芸国虎を滅ぼし、その居城であった安芸城には、弟の
香宗我部親泰を入れた。

この時、国虎の家臣であった畑山内蔵丞・右京の兄弟は、国虎の嫡男である千寿丸を阿波の矢野備後の元に
落ち延びさせ、その後故郷の畑山に帰ったが、安芸一族は皆滅び、その幕下はみな元親に降参していたため
自分たちの身を置く場所もなかった。

そこで、この畑山兄弟は元親家臣の野中三郎左衛門と所縁があったため、これを頼り、元親に降ることを乞い、
そうしてようやく畑山に居住した。

ところが、元親からの内命によって、香宗我部親泰はこの畑山兄弟を謀って安芸城に呼び寄せ。
そこで彼らに詰め腹を切らせて、殺害したのだ。

畑山の家臣たち36人はこの報を聞くと直ぐに集まり、涙を流して評議した

「さても!かのご兄弟をたばかり殺されるとは、無念というにも余りあることだ!
もし我々が従っていれば、あのように暗々と討たせることはなかったのに!
この上は安芸の城に押し入って香宗我部親泰を討取り、この鬱憤を散じよう!」

そうしてこの36人は皆で神水を飲み、出るを最期と思い定め安芸城に向かった。

これを知った香宗我部親泰
「死夫の向かう所、砕き難き習いであれば、小勢といっても侮ってはならない!」と、屈強の兵200人余りを出して
これを防がせた。

36人の者たちは、元より覚悟のことであれば、切られようとも突かれようとも物ともせず、一歩も引かず、
一人残らず一箇所にて討ち死にした。
城兵も、数多討たれたのだという。

この事が岡豊に知らせられると、元親は
「哀れ、なんという剛の者たちだろう。一騎当千とは彼らを指すべき言葉だ。最も勇も有り義もあり、
感嘆するに余りある。
その霊魂を弔わないでおくということがあるだろうか!そしてこれは、緒士に手本として見せるためでもある!」

そう言って、彼らが討ち死にした場所に、36本の卒塔婆を立て、数多の僧を請じて弔った。

それからはその場所のことを、『卒塔婆ヶ本』と呼ぶようになったそうである。
(土佐物語)




289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 19:56:34.90 ID:pktUq91W
弟が汚れ仕事を担当して不穏分子を掃討
それをネタに当主が人心掌握か…さすがに元親も戦国武将だな

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 21:16:49.17 ID:kbbZaQx1
そもそも騙し討ちするなよ(´・ω・`)

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 21:23:50.67 ID:k43E7Hju
山内家一同「そうですね」

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 21:58:26.49 ID:XkN8xL7S
山内一豊「うわー、こいつらマジでクズだな」

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 22:03:49.98 ID:kbbZaQx1
因果応報ってやつだね
しかし、どうやって兄弟を誘い出したんだろ?
やっぱり相撲見物か...

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 09:34:07.34 ID:k7tv7XKn
>>290
騙し討ちは元親のお得意な手

298 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/26(土) 11:15:51.03 ID:XHq7c7EC
阿波の一宮と細川だっけか

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 22:11:26.61 ID:HAsWnEHa
>>298
有名な丈六寺の血天井というやつだな
(あれはたしか新開道善だったはず)

道春は非道の者だ

2013年01月26日 20:02

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 23:57:48.96 ID:Y9nw/FoC
藤原惺窩林道春が図書編を求め得たと聞いて、数通の書を送って
借りたいと伝えた。だが、道春は「手に入らなかったので」と、
最後まで貸さなかった。そのため、惺窩は、

「道春は非道の者だ。

図書編を手に入れたことは明白なのに、偽って無いと言うのは非道だ。
あるけども貸さないと言うむごさよりも、遥かに劣っている」

と、人に語ったのだとか。

――『老人雑話』




295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 09:04:42.24 ID:wEgG3y83
貴重なモノなら他人に貸すの嫌がる人もいるんじゃないか

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 09:15:00.67 ID:QDP4NrwQ
欲しい物が手に入らなかったからファビョって相手のネガキャン始める

藤原惺窩ってどうも好きになれないなぁ

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 17:27:09.75 ID:JQFp8nqq
惺窩さんって、
高尚な思想やら学んでるんだろうけど自分の行動は子供と変わらないんだよね・・・

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 18:57:24.87 ID:W4G5L8Lw
>>296
この人の小早川秀秋評もこの類だったりするのかも

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 19:11:29.47 ID:H3lkLhi5
>296
このスレ向きの人物じゃないけど、松平不昧も若い貧乏藩主の頃は「今の茶の湯は古道具商か」って批難してたけど、
藩の財政立て直しに成功してからは「名物は財産価値あるから」って結局高価な名品を集めだしたっていう

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 20:14:46.08 ID:nBFo//FR
藤原惺窩て儒学スキーが昂じて抑留から解放されて帰国する姜沆に
「明・朝鮮連合軍で日本占領しちゃって下さいよ」とか言っちゃうとか、
学はあるけどどこか足りてない人なんだと思う

南部信直の申し入れ

2013年01月25日 19:50

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 21:15:45.13 ID:/cMzjHMl
「奥羽津軽一族」に書いてあったのを抜粋。

九戸政実らが投降したことで諸将は各陣所に引き上げていったが、一方で南部信直浅野長政の陣所を尋ねた。

津軽為信は実父高信の仇である。幸いにも為信がこの地に在陣している。まさに天与の機会である。
 この際、為信を攻めて父の仇を討ちたい。是非、貴将の許しをいただきたい。」
と申し入れをした。

これに対し、長政は
「この度の出陣は貴殿に対して謀反を起こした政実を討伐するためであり、
 この機会に津軽為信に対し私怨を晴らさんとすることは認められない」
と拒否した。

この時信直は言葉もなく下がったが、次いで蒲生氏郷の陣所を訪れて同様の願いを述べた。
これに氏郷も同調、ともに長政の陣所を訪れ重ねて願いを繰り返した。

これに対して長政は
「為信は殿下に属し、それに拠って朱印を賜りたる者であり、此度も当地で十分武功を顕し、
天下へ忠勤を示している。
 そのような時に貴殿が私怨を晴らそうとする行為は容認できない。」
と拒否し、津軽為信には不測の事態を避けるために即刻の帰国を勧告し、為信は従って帰国した。


なお、後に名護屋で津軽が馬鹿にされたことで津軽家と浅野家は絶縁しているので
本当にあったやり取りなのかは疑問が残る。


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283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 21:56:55.38 ID:sfOCPR+u
工場長が同調しちゃうのがちょっと意外

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 21:59:56.63 ID:voF6uaqJ
津軽と九戸どこで差がついた

時流の読みとしたたかさの違い

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 08:36:14.11 ID:ASx27AZm
>>282
まあ、南部と津軽は相手をディスる為に無茶苦茶な話を書き残してるからなぁ

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 11:47:46.61 ID:uij6e+ed
●∀・「もっと仲良くしようぜ!」

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 14:25:14.84 ID:hDIRbCtu
>>283
工場長の娘か養女だったかが
信直の息子の嫁になってるし、仲は良かったんだろう

「観音山」由来

2013年01月25日 19:50

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 13:44:48.72 ID:YVIrqPYW
天正十二年、豊臣秀吉は大坂城の築城のために生駒の大龍禅寺の裏山から岩石を
運んでくるよう命じた。ところが、運び出そうとした時に全山が震動し、大風が
起こり、雷鳴が走った。このことを聞いた秀吉は観音の霊地ではないかと思って
この山を「観音山」と命名し、その地の年貢を免除した。





188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 12:53:40.93 ID:oWgjBIxc
百姓「うひゃラッキー」

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 13:13:27.04 ID:f4FXBF8j
巨石が転がり落ちた音じゃね?w

鍋島家の祖

2013年01月24日 19:53

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 22:33:17.63 ID:9F3Oc/un
勝茂さまが将軍様に元旦の挨拶を申し上げた帰りのこと、
城内を歩いていると、突然に林羅山が近づいてきて、
「鍋島家の先祖は何氏でありますかな?」
と問いかけてきた。
今までそのようなことを考えていなかった勝茂さまは、
確信があるわけでなかったがその場の思いつきで、
「鍋島は少弐氏の流れにござる」
と答えを返したところ、羅山は、
「おお、それは名家でござるな。
いま幕府では系図改めが進行中でござるが、
いずれ太田備中守殿からお申し入れがあろう」
と会話が弾んだ。

勝茂さまは鍋島邸にお帰りになると、
いろいろと調査をされて、平原善左衛門が少弐氏の流れで、
その系図も持っているということを突き止めた。
そこで善左衛門から系図を取り上げて鍋島の系図に作りかえられ、
幕府へと提出されたということである。
その後、先祖に興味が湧いたので調べてみると、
鍋島家の祖である鍋島三郎兵衛尉経直さまは、
佐々木氏だとの説があるとわかった【葉隠】


関連
「失礼、鍋島殿のご先祖はどなたかな?」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3896.html


178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 23:06:05.21 ID:XBeC+MAB
>>177
これは現代の感覚でみると悪い話にみえるけど当時の尺度だと良い話なのかな?

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 23:53:41.13 ID:f70+D/ZQ
悪い話だったら家臣が書き残さないんじゃね?

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 00:22:24.84 ID:7hS+4jx3
いい加減と言うかおおらかと言うか。

>系図改めが進行中
何でアータは自分ちのチェックしてないんですか。

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 00:58:41.10 ID:2wZMAWwa
残念ながら既出
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3896.html

徳川家康と、反抗した門徒武士たち

2013年01月24日 19:53

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 17:41:43.19 ID:nkRpnFAc
三河一向一揆で徳川家康に反抗した門徒武士たちは降伏し、
そのうち首領百人ばかりが岡崎に呼び出された。この時、家康は直接彼らに向かって、

「お前たちがこの度宗門にくみし、譜代の主君に敵対したことは大逆無道ではある。
しかし、よく考えてみると身分の高い者も卑しい者も、この世は仮の世であって来世は長い。
だから、お前たちが私などを仮の主人、阿弥陀を長き世の主と思っても当然のことであろう。

よって、いずれの者も許すからには、私はいささかも怨みを抱いたりはしない。
お前たちもまた、これまでのように本心に立ち返って、少しも心を隔てずに忠勤を励め。
この旨を末々にまであまねく言い知らせて、いずれの者も安心できるようにせよ」

と、諭したので、首領たちはありがたさのあまり感涙にたえずして退出したということだ。

――『徳川実紀(落穂集)』




『義元左文字』由来

2013年01月24日 19:53

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 20:13:22.28 ID:HMDK0N41
京都の、織田信長を祀る建勲神社に、『義元左文字』という、二尺二寸一分の太刀が蔵されている。
その中子に、金象嵌で刻まれた文字には

『永禄三年五月十九日義元討捕、則彼所持刀、織田尾張守信長』
(永禄3年5月19日に今川義元を討取り、その折に彼が所持していた刀である。織田尾張守信長)

と、書かれている。義元が最後まで持っていた太刀なのだという。

ところが、この太刀は義元が持っていた時点では別の名で呼ばれていた。
それは『三好左文字』という。
この『三好』とは、管領細川晴元の側近であり、三好長慶と激しく争った彼の叔父、三好政長の事である。
この三好政長が江口の戦いで長慶に敗れて討ち死にした時、持っていたのがこの『三好左文字』であるというのだ。

その太刀を、武田信玄に追放された武田信虎が。畿内を周遊していた時に手に入れ、これを義元に贈ったものだという。


三好政長今川義元と、その所有する者を2代にわたり討ち死にさせた(信長まで入れれば3代である)、
数奇な太刀についての話である。




275 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/23(水) 22:08:44.34 ID:Xtm37D+S
『宗三左文字』だったような

ぶっちゃけ武将で数寄者と言えばこの人が元祖だよな
息子も数寄者でしかも手癖悪いし素晴らしい上に刀目利きでは幽斎の師
数寄者としての三好氏もかなりの可能性を秘めた存在

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 22:32:26.22 ID:o7s9aYFW
この間建勲神社に行ってきた

大きな鳥居
http://uproda11.2ch-library.com/376996hvN/11376996.jpg
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見取り図
http://uproda11.2ch-library.com/376997a8F/11376997.jpg
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本殿
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大文字山が正面に見えた
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船岡山は京の真北
http://uproda11.2ch-library.com/377000XmB/11377000.jpg
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二面の鏡

2013年01月24日 19:52

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 23:29:11.62 ID:jpTOhSIv
寛永年中のことだが、小幡景憲は実子がいなかったので某の次男を養子にした。
その頃、御旗本の若輩たちの間で丹前風という名の、髪の結い方から
刀脇差・服装に至るまでも異様な風俗が流行していた。

景憲の養子も若者だったので、彼もまた丹前風を学び、二面の鏡を用いて
髪を結っていたのだが、そこを養父・景憲に見られてしまった。

「若輩だからといって、武家に生まれた者が二面の鏡を用いて形を作るとは、
遊女男娼のふるまいだ!」と、景憲は腹を立てて咎め、養子を義絶してしまった。

その後、景憲は横田次郎兵衛の子を養子にした。これが今の又兵衛である。

――『良将言行録』




278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 00:02:44.85 ID:ABbkugDD
Twitterで余分なこと言って内定を取り消し合う感じだなw

江村小備後・五輪切り由来

2013年01月23日 19:51

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 19:19:13.08 ID:e1TzfBPV
江村小備後(親家)といえば、長宗我部家の家臣のうち、その武勇が四国のみならず中国九州まで鳴り響いた、
長宗我部家を代表する豪の者であった。
これはその江村小備後が、13歳の時の事である。

そのころ、江村の近辺では多くの人が失踪する事件があった。
それも、死んで失せるとか、飛んで失せるとか、そういうことではない。座敷の中に皆で集まって居る時に、
立ち上がったわけでも、その場から出て行ったわけでもないのに、かき消すように消えてしまうのだ。

一体どんな化け物の所業なのか。最初は人の目にも見えなかったが、後にはその姿を顕し、あるいは鬼の姿となり、
または女に変じ男に化して、上下を選ばず男女の区別なく、思うままに取り失われたので、
近隣の者たちは貴賎を問わず、申の刻より後(午後5時頃)になると、家の中に人も入れず、外に出ることもなく、
門を閉じてじっと朝を待った。

これに憤ったのが、当時13歳の少年である、江村小備後であった。
「一体何者の仕業であっても、私が住む近辺でこのように不快なことが行われているのを、余所に聞いて暮らすということが
あっていいものか!」

そして或夜、深夜に及んで人が皆寝静まった後、誰も連れず唯一人だけで、西江村の住居を出て、丑寅の方に
向かって歩いていくと、そこに七尺ばかり(約2メートル12センチ)の大法師が、物も言わずに立っていた。

小備後、これこそ話に聞く化け物だ、と思ったが、何事もないような顔をして近づき、すれ違い様!
抜き打ちにはたと斬った!

太刀音高く、手応えあり!倒れる!と見えたが、これも掻き消すように消えてしまった。
その時、小備後は大声を上げた

「化け物を斬ったるぞ!続け者共!!」

近所の者達この声に驚き、手に手に松明を燈してその場に駆けつけてみれば、地面に血が流れているではないか。
この血の跡を追っていくと、遥か北の山に、大きな古い墓の五輪塔が倒れて、空の倫牌が2つに割れ、そこから血が流れていた。

江村の人々は、「このような古石に誑かされ、数多の男女が悩まされたとは、なんと安からぬことであろうか。
さあ、この墳墓を掘り起こし、白骨と五輪を大路にさらすべし!」と評議したが、長宗我部国親がこの話を聞き、

「これは稀代の不思議な出来事である。墓の主はきっと、罪業深く、悪趣に堕した人なのだろう。
誠に憐れなことではないか。」

そう言って石塔を新たに立て、僧を呼んで墓の前で経を読み弔わせた。
この国親の情けが伝わったのだろうか、その後化け物があらわれることはなかったそうである。

そして、江村小備後がこの時化け物を斬った刀は「五輪切り」と名付けられ、後に長宗我部信親に捧げられたという。
(土佐物語)

江村小備後の化け物退治の逸話、そして名刀五輪切りの由来である。




細川幽斎の信長・秀吉評

2013年01月23日 19:51

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 22:07:54.93 ID:9EE5taSl
信長様の御軍法は、御敵になった者は子々孫々までも殺してしまい、
その名跡をも取り上げるほどに厳しいもので、こうして天下を治められた。

内裏の御修理などを仰せ付けられ、衰えた王法を盛り立てなさり、
後に仔細あって京の地子を免除なされて、万事賞罰正しく
仰せ付けられたので、万民にいたるまで仰ぎ奉った。

しかしながら、一度御敵となれば御詫言を申し上げて御旗下となろうとも
御心を許されず、憎しみも浅くはなかったので謀叛人も多くなり、
そのような時には、強引にというばかりにもいかなかった。

太閤様はそれをよく御覧になっていたので、御敵となった者には厳しく
仰せ付けても、御詫言を申し上げて御旗下となれば御譜代同然に
懇意になされ、気兼ねなくなされたから、昨日までの御敵となった者でも
身命を捨てて忠節を尽くそうとし、謀叛人もおらず、
早々に天下を御治めになった。

両大将の御軍法は、このように裏腹に違っている。
この心持ちは小身の者でも心得ておくべきことだ。

――『細川幽斎覚書』

細川幽斎の信長・秀吉評か。




164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 22:35:01.35 ID:3LFIQHqX
だけど裏切り者には手厳しい秀吉であった。
まあどこもそうなんだけど。

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 10:05:47.23 ID:2GwMkXWk
しかし言われるほど「一度敵になった者は味方になって忠誠を尽くしても許さない」なんてあったかね信長?

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 10:14:06.72 ID:weTpr0ej
>>170
そりゃあ、一度は信行に与したものの、その後ずーっと信長に忠実に仕えていた宿老の林秀貞が、
信行事件から24年後に、その話を蒸し返されて追放されるんだぞ?

この一件だけでも、信長はそういう印象持たれても仕方ない。

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 11:12:06.46 ID:n4oZ2zd4
それどころか、ずっと真面目に勤めてきたのに追放されちゃった佐久間さんみたいな人もいるし・・・

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 12:34:49.00 ID:mSY/6VCm
通政が死ななければ隠居ですんだろうにな

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 22:01:11.07 ID:U74InqaX
>>170
どっちかというと降った後も敵なんだか味方なんだかよくわからない挙動を取る人間に
甘い傾向にあるきがする

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 10:42:31.49 ID:QuJJ83a1
めんどくさい軍団だと喧嘩してもいつのまにか配下に戻ってるんだろうな

雑談・人質について

2013年01月23日 19:50

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 22:53:16.57 ID:KjfK8raV
人質になるのも地味に死亡フラグだよなぁ

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 22:59:41.29 ID:Rd1oEYc6
>>254
竹千代「いや全然」

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 23:02:29.03 ID:e1TzfBPV
北条氏規とか今川への人質時代に家康と友達になってたおかげで、小田原陣のあと生き延びれたようなもんだな。
そう考えると今川の人質は意外と恵まれているかも。

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 23:16:59.75 ID:Rd1oEYc6
>>256
秦の?政と燕の太子丹みたいにならなくて良かった(´・ω・`)

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 23:18:23.46 ID:szTyxOIl
今川さんとこは結構なお家柄だからあまり野蛮な扱いはしないんじゃないかしら~
メンタル的なイヂメはあるかもしれないけどさ

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 23:30:44.20 ID:HOxdM2s0
人質として越後に来た。人質なのに景虎の名前をもらって優遇された。
同盟は手切れになったけど、殺されるところか親族と結婚して一門に
なった。
そして気がついたら跡継ぎ候補になっていた...





やっぱり人は見た目だと思う(´・ω・`)

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 23:31:47.91 ID:ZEZTVJ8s
戦国のファンタジスタさんとも茶飲みながら思い出話できるぐらいの仲だしな

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 07:34:20.54 ID:67T9fInI
>>259
悲劇的な人物は美化される傾向にある
それも後世になって出てきた不確実な情報

出っ歯の醜男説のある義経が浮世絵で美男子になってる現象もある 実物はどっちなのか

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 07:41:13.27 ID:HMDK0N41
>>261
> 出っ歯の醜男説

それ義経の時代から200年近く後の軍記で初めて出てくる話な

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 08:29:45.80 ID:K4svOgWU
美男として知られた源義仲の都落ちの際には数百人の妻妾が慕って後を追い
義経の時には数百人の妻妾でただ一人静だけが義経を追ったというので・・・

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 08:43:17.09 ID:MkxSg/qn
>>254
隆元「すごく優遇された。絵の才能も開花した。実家に帰ったら何故か怒られた。」

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 09:13:45.15 ID:Jx9EJUim
人質を差し出すと変に偉くなって帰って来て、逆に人質送って来られると後々ロクな事が無いラスボスさんち

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 12:30:20.74 ID:IPgng3p6
嫡男なんだけど半ば陪臣扱いで伊豆守のお兄ちゃんと、
人質なのに左衛門佐でお兄ちゃんよりちょっと格上な弟。

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 12:56:09.51 ID:Vt9c6L6O
>>266
どちらも従五位下として叙任だけどね
伊豆守さんは従四位下侍従に昇叙もしてる

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 13:46:28.38 ID:Y0nq9o2V
>>265
家康「後継者争い対象外の次男がやたら立派になって帰ってくるし、へんなブサイクを押し付けられるはで大変でした」

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 14:46:03.42 ID:IPgng3p6
>>267
そですな。同じ位なので弟のほうがちょっと格上ってぐらいで済んでいるけど、
官位相当だと従七位下と従五位上なので、官だけだと圧倒的に弟のほうが格上。

侍従でも官位相当は従五位下だけど、従四位下に叙任されので、ようやく弟より格上になった。

でも、それ以後もずっと豆州とか、さいづとか言われているんだよなぁ…

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 18:14:25.56 ID:RhkJVVsk
正室と郷御前は義経と死ぬまで一緒だったのでは

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 18:14:40.57 ID:RhkJVVsk
正室の、のつもりだった

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 19:10:39.19 ID:nzAR/2VI
>>269
>侍従でも官位相当は従五位下だけど、従四位下に叙任されので、ようやく弟より格上になった。
ここ違うよ
官位相当はその時々で変動があるし武家官位もまた違う
そして特に豊臣政権時代は従来の形式と異なった形態を取っている
例えば秀吉の聚楽第行幸の際には侍従の大名は従四位下に叙位されていた(聚楽第行幸記)
またその後の従五位下侍従でも「四品の礼」は与えられていたとのこと

精華成=三位相当
公家成=四位相当
諸大夫成=五位相当

そして「左衛門佐は諸大夫成」で「侍従は公家成」に該当する
ちなみに従五位下の武士に与えられた官職は付随的なもの

下村效『豊臣氏官位制度の成立と発展--公家成・諸大夫成・豊臣授姓』
池享『戦国・織豊期の武家と天皇』

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 19:30:45.01 ID:nzAR/2VI
あと四位でも諸大夫の者も結構いる
中将、少将、侍従以外の四位は公家成に該当しなかったのではないかな

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 10:53:48.62 ID:KzxdUlrJ
>>269
>でも、それ以後もずっと豆州とか、さいづとか言われているんだよなぁ…

いつ任官されたのかも定かではないし、侍従は何人かいるし
昔から使い慣れた兼官などで呼ばれるのはよくあるんでない?

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 10:58:12.44 ID:xoQfaxwK
そういえば家康には、将軍を退任して大御所になった後に、自分のことを「内府」と署名した書状があるのだとか

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 13:00:19.28 ID:KzxdUlrJ
>>272
豊臣官位制度の中では、左衛門佐も伊豆守も従五位下で特に上下の区別がなく
空いている官に適当に押し込めただけなんだろうな。
江戸時代になると、「四品以上に昇進する大名家一覧」でWikipediaするとわかるけど
家ごとで完全に統制されるようになるね。

週間ブログ拍手ランキング01/17~/23

2013年01月23日 19:50

01/17~/23のブログ拍手ランキングです!



政宗がたまげて 52

英林公の分国法 52

大内義隆公の山口退去 51
吉田伊賀介の妻 36

新納忠元・愛刀の行方 34
朝倉宗滴の考える名将の条件 32
そんな光悦であったが、年をとってくると 30

佐竹義宣、肥前名護屋にて 29
元就にとって肝要なこと 28
下田駿河守の滅亡 28

自らの事業、いまだ未完 23
今日は『火』と申してはならない 22
張文と家康 22

豊臣秀吉と、山里の松茸 22
信長がその富、権力、身分のために陥った大いなる慢心と狂気の沙汰 21
支倉使節団、マドリードの宿泊先 20

野中良明の事 16
脇坂安治と安土城普請の石 14
「高虎の石集め」 14

土佐本山城の奇異 12
上杉朝興の遺言 11
夜襲じゃない方の河越夜戦の話 9
足利義明は大笑いして一蹴した 8



今週の1位は、同数1位でした!
政宗がたまげて

英林公の分国法
です!
政宗がたまげては、こんなお話が政宗にもあったのかと感心してしまいましたw
どうも戦国武将が、ピンチになっても「タマが縮み上がっていない」事は大変重要だと、少なくとも江戸期には
考えられていたようでwたしか武田信玄にも似たような話があったような。
妙な生々しさもありますが、それだけになんだか時代の感覚を感じられるような気もしますw

そしてもう一つ!英林公の分国法
こちらはかなり専門的な内容ですね。
しかし分国法って、その法律が設定された当時のそのカ中の内実が見えてきて、実に面白いのですよねー。
長宗我部さんのところの「偉い人の前では静かにしろ!」とか、結城さんのところのはやたらと酒絡みの
禁止事項があったり、その家が何に苦労していたのか、ひと目で解りますねw
この英林公の朝倉孝景条々も、その時代の朝倉家の様子が垣間見られて、実に面白いw
法律はいつの世も、現実社会の鏡なのでしょうね。

さて、今週管理人が気になった逸話はこちら!支倉使節団、マドリードの宿泊先です!
支倉使節団って、ヨーロッパでは歓迎されたとか、持っていた鼻紙すらその品質に驚かれたとか、
そういった華々しい面は伝わっていますが、こういう、実態の部分を伝える話って、実はあまりないと
思います。それだけにこういった話を見ると、支倉使節団を多面的に見ることも出来て、すごくいい逸話だと
思いました。使節団を泊めるために、お年寄りたちが追い出されたのか、とかw
こういうの好きですw



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!
また、気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )

佐竹義宣、肥前名護屋にて

2013年01月22日 19:52

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 02:48:10.79 ID:JhwoqoZl
文禄二年(1593)、朝鮮出兵のため肥前名護屋城に在陣していた佐竹義宣が国元の重臣・和田昭為へ送った
面白い書状が残っている。

(追而書き)

なおなお、重ねて桃源へ申します。(肥前名護屋の)陣中では茶の湯の流行ること、並々ならぬ次第です。

太閤様などは一日はお城を出られて方々へ出向かれ、私なども同じように数寄のため
方々の陣へ出向いております。
まつほ(茶器か?)なども二十余見ました。

そうそう、また茶の湯の稽古をしたので、関東で一番の数寄者でもなければ、私の前では
茶でも湯でも、貴方などには口を開かせませんよ?
(原文:関東ニおゐてハ一之すきしやたらす候ハゝ、それかしまへなとにてハ、茶とも湯共、
其方なとハ口ハあかせ申ましく候)
今はただただ茶の湯一つばかりをしております。
(原文:たゝ/\きさ一ハかりハすかるへく候)
以上。

160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 02:49:25.91 ID:JhwoqoZl
(本文)
重ねて手紙にて申し遣わします。
こちらは別段何事もなく、高麗(朝鮮)のことも順調である、などと聞こえております。
ただ、今のまま相済む、などという事は無いでしょう。
度々申し遣わしている事ですが、当春は太閤様が自ら朝鮮へ御渡海される事になるでしょうから、
中の丸の事は少しも油断してはなりません。
年貢についても引き詰めて催促するようにして下さい。
普請は三月から申し付けるようお願いします。

それから、人見主膳の所に置いてある鼓の筒(どう)を返事の際に大小ともに寄越して下さい。
大鼓は瓜の蒔絵、小鼓はたんぽぽの蒔絵のものですよ。

ああ、小鼓は皮も一緒に添えて送って下さい。大鼓は筒だけで結構です。

そうそう、笛が館にありますからよくよく尋ねて送って下さい。
主膳の所にも笛が一つあるはずですから、これもまた送って下さいね。
主膳の所にないなら宗叱の所にあるでしょう。

太閤様は日々御能をされますから、陣中では乱舞が流行っております。
重臣共はこぞって狂言をしているので、私も稽古をしてやろうと思います。
狂言の相手には桃源、玄喜、伊賀などを寄越して下さい。
唐へ渡って無事に帰ったら、国元で能の興行を考えておりますから、何事においても諸法度以下、
油断無く申し付けて下さい。謹言。

正月十九日 義宣(花押)
和田安房守殿

(『阿保文書』)


陣中では秀吉の影響で能と茶の湯が流行っており、茶の湯や乱舞を楽しむ大名も多かったようだ。

義宣は国元の仕置きだけでなく鼓、笛に関してもあれこれと細かい指示を出しており、
追伸にあたる追而書きでも茶の湯の腕前についても自信満々に述べていて、あの肖像画からは
伺い知れない佐竹義宣像が浮かび上がってくるような書状である。




161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 06:02:00.85 ID:PNOCPoXy
太閤様は日々仮装コント大会をされますから、陣中ではコスプレが流行って云々…

吉田伊賀介の妻

2013年01月21日 19:52

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/21(月) 17:59:11.68 ID:eInuXsaE
吉田伊賀介の妻

長宗我部元親は大軍を本山城攻略に向け、日々夜々鬨の声、鉄砲の音止む隙もなく、
ここに攻め寄せあそこに押し寄せ、打ち合い斬り合い、利を得て進む時もあり、怯れて退く時もあり、
互いに雌雄まちまちにて、この合戦がいつ終わるのかも解らぬほどであった。
この長宗我部の軍勢の中には、先に、これも長宗我部元親と敵対する安芸国虎の支城である馬ノ上城を攻略した
吉田伊賀介も加わっていた。

さてこの頃、吉田伊賀介に城を取られた馬ノ上城の番衆たちは、城主伊賀介の留守を、城を取り戻す
絶好の機会と思い、百四・五十騎の軍勢を集め馬ノ上に押し寄せた。

この時城内では、伊賀介の妻が、女房たちを集めよもやまの話をしていた。
その中にあった14.5歳ばかりの童女、何気なく縁側に出て遠見してみると、大勢がこの城に向かって
押し寄せてきているではないか!大いに驚き「敵寄せて来たり候!」と大声で叫んだ。

と、ここで伊賀介の妻は少しも騒がず、立出でて見渡し

「どうやらこれは、先に逃げ落ちた番衆達が、城を取り返そうと殿の留守に隙を伺い寄せて来たのでしょう。
ならば、我が方も用意せよ!」

そう言うと城中に残っていた全ての女房下女端女、さらに全く役にも立たなさそうな下男共そ呼び集め、下知をして
ある者には頭に兜を着せ、手にも兜を持たせて塀の上に差し出し、また他の者には両手に槍と薙刀を、他には
前後に旗印を、と持たせ、また大旗小旗を木の枝や塀柱に結びつけ、とにかく大勢が城に籠っているように見せかけた。

寄せ手の者達、この意外な風景に驚き、しばらく躊躇していたものの、ついに西の方へと通り過ぎ、安芸へと引き返した。
伊賀介の妻は咄嗟の謀によって、虎口の難を逃れ、夫の名をも挙げたのである。

その頃、誰が詠んだのか

『打落ちし 馬の上人今もまた 乗りも得ずしてかちでいにけり』

という歌で国中の上下男女、この番衆たちの臆病を嘲笑った。この事に安芸国虎は激怒し、その臆病の者達全員を
縛り首にしたそうである。
(土佐物語)

とっさの機転により城を守った、吉田伊賀介の妻についての逸話である。




158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/21(月) 19:52:12.98 ID:zdyBm1jg
>>157
小備後さんの兄嫁かぁ
土佐のお城は「はちきん」で持つ!ということですなw
しかし全員縛り首にしちゃって安芸さんとこは戦力的に大丈夫なのか

今日は『火』と申してはならない

2013年01月21日 19:51

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/21(月) 18:32:01.97 ID:w82+h7jv
豊臣秀吉が伏見城に移転した時、近習の面々に向かって、
「今日は『火』と申してはならない。何であろうと火と申した者は
必ず銭を出してもらうからな」と言った。

そのようなところに、御咄衆の前波半入が秀吉に申し上げた。

「実は私事で珍しい茶の湯に遭遇しました。木の釜を使っていたのです」
「なんと! その釜は火に焼けないものなのか?」
「では、銭を御出しください」

――『良将言行録』




240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/21(月) 18:50:14.09 ID:yDJApdJq
アニメの一休さんみたい

241 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/21(月) 19:21:00.09 ID:f2OaEZnK
逆上して殺されそうだな

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/21(月) 19:38:05.70 ID:l85OPTLI
お題が「火」じゃなくて「尻」のバージョンもあったな
まあこっちの方が上品だけども

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/21(月) 20:08:06.66 ID:M1qczVWh
くそwこんなので笑ってしまったw

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/21(月) 23:05:43.99 ID:cGGNbMLQ
言行録というより落語だなこりゃw

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/21(月) 23:37:27.29 ID:4c/t8Rak
>>241
何言ってるんだ?
秀吉はこういうの大好きなんだぜ

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/21(月) 23:39:44.51 ID:zXsU+5fv
この手の担当は幽斎様だと思ってた

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/21(月) 23:40:49.37 ID:TzX/bKSZ
いや曽呂利だろう
もしかしたら曽呂利噺に取り入れられているかもしれない

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/22(火) 04:04:12.64 ID:1BmS8sxE
>>239の尻バージョン
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