使番の指物の意味は

2013年02月28日 20:06

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/28(木) 00:43:21.32 ID:EngjyjMs
Q:軍勢において、使番の指物には『五』の文字が書かれていますが、これには意味があるのでしょうか?

A:もちろんあります。物を知らない子供のために、これを説明しましょう。

  かつて武田信玄の使番は、百足の指物を差していました。百足は足が多く、どんな場所でも
  能く進むため、その意味合いを含んでこれを使ったのです。

  さて、『五』の文字ですが、これは数字の中間に位置する数です。
  数字は一から始まり九で終わります。五はその真ん中にあり、一にも遡り、九にも至ります。
  それ故に、どこにも良く通づるという意味を持ちます。

  また一から九までは皆数えるときに、「ひとつ」「ふたつ」と「つ」を付けますが、十に至って「つ」は
  無くなります。
  そのかわり「五つ」には「つ」が2つあります。このため十には「つ」の字が無いのだといいます。

  こう言った意味合いを以って、五の字を用いているのです。

  ちなみに『続・松平記』には使番の旗印に「互」の字を用いていると書かれていますが、
  「互」は元々「五」であり、文字は変わってもその意味は先に言ったものを含んで使っているのです。

(慶元記)

以上、使番の指物に付いての説明である




570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/28(木) 06:09:12.93 ID:hBwqINd2
戦国時代にゼロはなかったのか

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/28(木) 06:24:19.19 ID:MbUG01Jr
ムカデは草鞋を履くのに時間が掛かるって聞いたけど・・・

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/28(木) 08:12:45.23 ID:ReS80TT3
大河の風林火山で時々出てたな百足衆

スポンサーサイト

お前たちは甚だしく愚昧だな

2013年02月27日 19:51

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 23:38:52.72 ID:BPUmaEY7
小田原開陣の後、太閤が諸将を会して言うには「会津は関東八州の要地、
勝れた大将を置いて、鎮めなくてはならない地だ。各々は遠慮なく所存を
書き付けて見せるのだ」とのことだった。

今はそのようなことを入札というが、当時はかくし起請といった。
その結果、細川越中守が相応しいとする者が十に八、九人であった。

太閤は開き見て「お前たちは甚だしく愚昧だな。わしが天下を容易く取ったのも理だ。
この地に置くべき者は蒲生忠三郎をおいて他にいない」と言い、忠三郎を置いた。

――『老人雑話』




555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 00:11:31.66 ID:izkpjhYJ
…なんで聞いたん?

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 00:33:33.17 ID:lRHYj8jE
確かに自分で決めるなら聞くなよなって話だなw
内容とは別だけど、かくし起請って何か言葉としてイイ響き。

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 01:24:03.25 ID:C61vDHQK
会津は関東八州の要地・・・
なにかモヤモヤする

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 01:39:49.73 ID:7zJTOQv7
DQNのそばにDQNは置くな、と。

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 02:21:46.24 ID:no/RSWoo
DQNの世話と関東の監視と、両方やらなければならないのが会津の辛いところだな

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 04:16:07.80 ID:zOS/PnjH
関東の徳川、越後の上杉、ついでにDQNの監視

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 04:54:21.92 ID:EAR/TroZ
ついでに目障りな奴を田舎に追い出せる
一石四鳥なり

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 10:40:19.42 ID:H23bdDLI
>>554
忠興配置したら伊達と合戦をしかねないw

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 10:42:18.77 ID:RlKUBiNP
>>562
蒲生でも合戦しかけているしなぁ


貫高と石高

2013年02月27日 19:50

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 23:03:24.50 ID:k4fnI85x
昔は、地方の知行を測るのに、『百貫千貫』という単位を使っていた。現代でも仙台では、その単位を使っているところがあると聞く。
しかしこの単位は、西国においてはもはやはっきりと知る人はいない。

武家系図の、相模入道高時(北条高時)の項に領地28万7千貫とある地が、現在知行143万5千石であり、これから
おおよそ田5段を1貫としている計算となる。

またある人が、奥州の人に聞いたことだとして語ったことには、昔は永楽銭10文で、米4合8勺が販売されていたという。
故に100文は4升8合、1貫は4斗8升、100貫は48石に当たる。
ということは、知行100貫というものは、今の知行100石とほぼ同じになる。(おそらくは5公5民計算)
後世、家によっては知行を蔵米にして渡すが、4つ8分の免ならしとして、米48石と名付けて遣わすのは、この古法によるのだという。

しかし今考えてみると、この土佐はそのようではない。
私の友人が、古い證文などによってこれを研究したのだが、彼が言うには、土佐国幡多郡は、中村郷不破村の八幡宮の宝蔵に、
かつてこの地域を治めた一条家の古文書があって、それによると


     於本郷中村
    八幡江新御寄進田之事

                       有間之内
中ノ前田               光任小作
一所壹貫                彌五郎

ハシラ松               目黒之内
一所壹貫分               泉(欠損)

大ホトケ
一所七百五十分          蔵橋分

ミソノ下
一所貳百五十分          立石分

合参貫分宛
 永禄二年巳未3月吉日
                  康政(印)      』

この文書から、現在の八幡の地領の土地を比較して考察してみると、田1歩を1文として、100歩を100文、1000歩を1貫と
していることが解った。これは銭1000文を1貫とするのと同じである。とすれば、1貫は3段3畝10歩である。
100貫は10万歩、現在の計算では33町3段3畝10歩、知行333石3斗3升3合、とするべきであろう。(但し1反=1石とする)
おそらくは関東でも計算式もこのようなものであったのだろう。

かつて一条殿を、幡多郡1万6千貫の主と呼んでいたと伝わる。
これに、先の計算式を当てはめると、5万3千3百石あまり、となる。

現在の幡多郡の石高は、元親以後の(検地の)改出と、開発された新田等を加えて、7万石あまりである。
ということは、かつて幡多郡が1万6千貫であったというのは、この法則からいってほぼ相違無いと考えられる。
(土佐物語)

以上、土佐物語より、貫高と石高についての考察である。土佐物語が成立した頃は既に、貫高の事は全く解らなくなっていたのですね。




758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 23:14:30.67 ID:x1emc8lH
読んでて混乱してきた

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 09:48:40.03 ID:vwFC7TfY
>>757
その頃には「石高」も意味不明になってるけどね。

生産高なのか物成なのかさえ分からなくなってて
現代も議論が分かれてるし。


週刊ブログ拍手ランキング02/21~/27

2013年02月27日 19:50

02/21~/27のブログ拍手ランキングです!



徳川秀忠の深謀遠慮 33

ただ早く討つことが肝要だ 25

手を汚さず幡多郡を取りたり 22
徳川家康「公家は金銀の如く、武家は鉄の如し」 16

長宗我部元親が織田信長公に通じられた事に関して 15
正重の疵 15

籤で持ち口を 14
『高知』命名の事 14
滝川一益「私の紋は殿より」 13

雑談・弟がノートに 12
雑談・オダノミクスがどんなものか教えて下さい。 10
斉藤妙椿、死去の反応 10
ニュース・真田幸村の最期に新説 7



今週の1位はこちら!徳川秀忠の深謀遠慮です!
徳川秀忠による3すくみの策!大阪の陣に参戦させなかった大名を策によって相互監視させるという逸話です。
この逸話の内容についてや、この策については色々と意見があると思いますが、個人的には
こういう逸話が残っている、と言う所に注目したいですね。
つまり、この逸話からは、家康ではなく秀忠による大名統制が既に行われていたのだ、という面が読み取れると
思うからです。その視点から見るとこの逸話の受け取り方もちょっと違ってくるのではないかな?
なんて思ったりしていますw

2位はこちら!ただ早く討つことが肝要だです!
家康らしい合理主義といいますか、果たすべきことを果たせるのなら、体面とか考えるな、チャンスが有るなら
その時に行え、というお話ですね。戦乱の時代を生き残ってきた人らしい、考え方だと思います。
そして「何が本質かちゃんと把握しろ」という話でもありますね。
現在でも色々と示唆に富む逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!長宗我部元親が織田信長公に通じられた事に関してです!
ここでは本能寺に、信長の四国政策の転換が関わっている、ということが示唆されています。
前に読んだ『人物叢書・織田信長』の中に、仮に信長の四国攻めで、長宗我部元親が激しく抵抗するような
事態になれば、それは長宗我部の取次をしていた明智光秀が責任を問われる事態になる。光秀はこれに
強い危機感を抱いたのだろう、という記述があり、ものすごくハッとさせられました。
なるほど、取次はその対象の動向にも責任を取らされるのですね。徳川家康が小田原役のあと関東に
移封されたのも、北条との取次が結果的に失敗した事の責任を取らされた、という説もあります。
そういう視点で見ると本能寺は案外クリアに見えてくるなあと、そんな感想を持ったことを、この逸話で
思い出しました。

今週もたくさん居拍手を、各逸話に頂きました!いつも本当に有難うございます。
また気になった逸話が有りましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )


長宗我部元親が織田信長公に通じられた事に関して

2013年02月26日 19:50

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 12:47:46.52 ID:k4fnI85x
長宗我部元親織田信長公に通じられた事に関してだが、
明智日向守(光秀)家来、斎藤内蔵助(利三)は元親の小舅であった。ここから元親は明智の取り成しを以って、
元親の嫡子。弥三郎の実名の契約を信長公といたし、その偏諱を頂いて、信親と名乗った。
このような友好関係から、四国のことは元親手柄切り取り次第との御朱印を、信長公より下されたのである。

ところがその後ある人が、元親のことを信長公にこう申し入れた
「元親という人物は、四国に並びなき弓取りです。今のように切り取り次第を許していては、後々天下の災いにも
なるでしょう。阿波・讃岐まで手に入れその上淡路にまで手を出すことは、あってはならないと考えます。」

信長もこれを尤もだと考え、その後、先の朱印の内容を一方的に変更し、『切り取っていいのは伊予・讃岐まで。
それに阿波南郡半国を付けて与える』と伝えてきた。

元親はこれに大いに怒り
「四国のことは、私が自分の実力で切り取ったもので、これは信長卿のご恩義ではない!
この要請は私が思いもしなかったことで、驚き入っている。」
と、これを完全に拒絶した。

その後、織田方より重ねて、斎藤内蔵助の兄・石谷兵部少輔(頼辰)が使者に使わされたが、元親はこれにも
拒絶することを言い切った。

これによって織田と長宗我部は断交し、信長は息子である三七殿(信孝)を四国征伐の大将として
泉州岸和田まで出陣させた。

この時、斎藤内蔵助は四国のことを強く気遣かい、明智に謀反を急がせた。よって6月2日、
信長卿は御切腹された。
このため四国は無事にすんだのである。
(土佐物語)

土佐物語より、本能寺の原因についての言及である。




746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 17:03:22.16 ID:Zr0bAbLG
急がせたってことはそれ以前から叛意を持ってたってことだから原因なんかね?

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 21:48:58.74 ID:hTVtKC/m
>>745
結果的には滅んじゃったけどな

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 22:08:59.67 ID:c5vsZAoX
>>753
長宗我部に限った話じゃないけど、そうやって家を大きくしても
結局たったの十数年後に滅びましたというオチが付いちゃうと悲しいねい。

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 22:28:46.68 ID:Ad6RZUrn
俺も滅亡しようかな・・・

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 22:38:53.97 ID:2US/it7g
まだ興ってもないじゃないですか!

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 04:52:51.84 ID:mznTk9Ao
>>754
いまの日本企業の平均寿命が30年くらいだったか

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 05:03:00.63 ID:zOS/PnjH
街のラーメン屋の平均寿命も知りたい

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/27(水) 05:52:59.08 ID:1zHo4Y8F
>>760
今の勤務地の近くにここ2年で4回テナント変わった建物があって内3回はラーメン屋だった

駅前で周りの店は昔からあるのにその建物だけ次々に変わる


スレチすまん

雑談・オダノミクスがどんなものか教えて下さい。

2013年02月26日 19:50

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 23:04:15.47 ID:EWuoLoQg
オダノミクスがどんなものか教えて下さい。

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 00:28:11.94 ID:2US/it7g
・負けても泣かない
・それでも猫が好き

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 01:22:35.42 ID:ERs9YK7F
・天下布武を設定し、市:座の排除も視野に入れて大胆な金融緩和を行う。

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 01:27:35.14 ID:fz6AjDiR
陶器などに投機させてバブル経済

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 06:26:12.86 ID:ypWcdqyz
・利用価値の無い既得利権層は権益奪って追放
・敵の信者は消毒だー
・茶碗に格付けして価値を創出

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 07:14:48.99 ID:WU67qpNi
鉄こそ価値があるのだから鋼鉄貨幣が流通してることにしたゲーム設定あったけどみごとに鋼鉄貨幣の部分は失敗してたな

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 07:31:05.72 ID:8YGriW15
市や座を保護します
軍役も各自適当で
ちょっとはっちゃけても1・2度なら許す
 
でも何度も説得しても反抗したら37564

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 09:30:50.11 ID:B+cxoiM6
・貨幣経済が破綻気味だから、現物納入に移行(石高制)

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 11:10:08.93 ID:aAmrEDF3
>>547
鉄は錆びて変質しやすい時点で貨幣向きじゃないからなー
江戸期も銅不足から鉄銭を作ったけど散々だったな

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 19:48:56.14 ID:IX2wetoz
・津島の市場を武力で支配下に置く

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/01(金) 08:29:25.94 ID:KYbUiVlc
トヨトミクスでODAはどうなりますか?

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/01(金) 10:40:24.04 ID:AgSfvIFC
13万石の一介の大名になります

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/01(金) 15:01:11.35 ID:sziel3RG
HIDENOBU「たとえ東軍先遣隊が3万をこえてても、ワンパンしないと気がすまなかった
岐阜城が一日で落城した今は反省している」

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/02(土) 07:07:20.20 ID:0wTnrFRM
>>579
トヨトミクスではODAは縮小され、奥州仕置きの実施、国替え、刀狩り、検地、兵農分離の徹底

大陸・半島には支援として鉛玉をくれてやる予定


滝川一益「私の紋は殿より」

2013年02月25日 20:05

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 08:25:16.70 ID:Ej/xhwgj
ある時、織田信長の御前で家臣を集めての酒宴の席でのこと、
滝川一益がこのようなことを言った

「私の紋は殿より一つ少ない4つですが、それでも立派に立っておりますぞ!」

これは説明が必要であろう。信長の家紋といえば有名な織田木瓜であり、
これは5弁の木瓜なのだが
http://www.harimaya.com/kamon/column/mon2/mokko2.jpg
mokko2.jpg

滝川氏の紋は同じ木瓜ながら、4弁なのである
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/buke/takigawa.jpg
takigawa.jpg

これを聞いた信長は機嫌を害したように
「何だ、お主はわしに立ち向かう気か!?」
と言ったが、一益は

「いいえ、殿を上に立てるのでございます。」

そう見事に受け答えたという。
(家紋逸話辞典)




523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 11:05:58.86 ID:QScXydi2
馬上でもウンコはできますぞ!

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 12:42:26.47 ID:uh+jpmGk
(`Д´)いい加減尻の話はやめい!

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 14:16:56.08 ID:DwgtOsy9
木瓜を尻の○と申すか

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 15:51:03.73 ID:Lyn37Doj
ちょっと待て家紋が木瓜の人にマジ謝れw
因みに我が家は何の変哲もない丸に木瓜だ

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 17:28:52.12 ID:Ub5n/s1R
たしかに>>525は浅はかで失礼だよな(笑)
木瓜紋が全国何人いると思ってんだという


徳川家康「公家は金銀の如く、武家は鉄の如し」

2013年02月25日 20:05

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 17:30:12.69 ID:FGUu6gFf
徳川家康の言葉のひとつ。

「例えば、公家は金銀の如く、武家は鉄の如し。金銀は尊いけれども、鉄のように多くの役には立たない。
五穀・竹木などを刈り納め、乱を鎮める武器、宮室を建てる道具、総じて鍛冶の刀剣は皆鉄の力なり。

金銀は好みすぎると災いを招くことは眼前であるぞ。古語にも『金屑貴しと雖も、眼に入りて禍を為す』
というから、時の宜しきに依り、賤しき鉄こそ貴いのだ。

武士が武道を忘れるとは、横にさした刀・脇指を止めて、巾著と扇子ばかりになって往来する類である」

――『責而者草』




530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 18:01:22.49 ID:r/3PPUnM
チタンとかプラチナは。。。

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 18:09:56.29 ID:QScXydi2
金銀があれば安いところで米とか買って足らないところで施せるけどな

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 18:13:34.98 ID:sRthtU6N
しかし、全国の主要な金山、銀山を直轄にする家康公なのでした(´・ω・`)

ラスボスですら石見銀山はTERUに残してやったのに...

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 18:17:30.65 ID:Ub5n/s1R
気持ちの問題だよな
権現さまオレはわかるよ

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 18:22:55.48 ID:/97hQ0OF
兼続「まったく、上方の武将は茶器など人たらしの道具にうつつを抜かして困りますな。
我らのように鉄砲弓箭を備えなければ」

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 18:26:00.05 ID:lZQGL0Cb
鉄は役に立つけど手入れが面倒臭い
とか言ったら権現様にクドクドクドクド説教されるだろうなw

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 18:38:45.65 ID:uAs2KXnD
>>532
国際貿易港もキープだぜ!

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 18:40:08.70 ID:AQQ0P5vw
>>532
運上として根こそぎ取り上げてますが

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 19:22:37.05 ID:UI4wmqVw
ラスボス「鉄より木綿」

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 19:25:35.15 ID:bUH1jP/W
丹羽「ニワトリ」

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 19:39:29.22 ID:LCEa2jEu
>>539
あんたは米五郎左でしょうにw

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 20:37:50.42 ID:9MRmQ/w7
柴田「か、カレー…」


ニュース・真田幸村の最期に新説

2013年02月25日 20:04

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 14:43:41.26 ID:TsXrrAwh
【歴史】真田幸村の最期に新説、越前松平家の古文書で発見
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1361759516/
知らないほうが良い真実もある(´・ω・`)

記事内容
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130225-00000041-yom-soci
幸村の最期に新説、越前松平家の古文書で発見
読売新聞 2月25日(月)8時52分配信
 1615年の大坂夏の陣で戦死した武将・真田幸村の最期を記した覚書が、越前松平家に伝わる古文書集「松平文庫」(福井県立図書館保管)から見つかった。

 同家の家臣と戦って討ち取られたと記されており、戦わずして首を差し出したとの定説を否定する新説だ。

 幸村は、大坂夏の陣で徳川軍の本陣に迫って家康を窮地に追い込み、「日本一の兵(つわもの)」と呼ばれた。覚書は、徳川方で参戦した、のちの福井藩主・松平忠昌の戦功を記しており、福井市立郷土歴史博物館が昨夏、文献調査で発見した。

 幸村の最期は「もう戦う気はない。手柄にせよ」と、のちの福井藩士、西尾仁左衛門に首を差し出したとする逸話が知られており、徳川幕府の史料にも残る。

 だが、覚書では、仁左衛門が、相手を幸村と知らないまま槍(やり)で戦い、討ち取ったと記述。後に、家臣が陣中見舞いに来て、幸村の首とわかったとしている。


725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 14:53:49.58 ID:/97hQ0OF
新説か?
西尾と家康の逸話とほとんど変わらないのでは

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 15:00:28.46 ID:uAs2KXnD
西尾仁左衛門の黙して語らぬ話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3009.html

真田地蔵・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-682.html

ってことで、西尾仁左衛門の主張したとされることすら諸説ある。
越前松平家の古文書には徳川実記にあった西尾の主張が記録されていると
考えれば、>>725の言うように、逸話とほとんど変わらないことになる。

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 20:19:33.15 ID:6fs5PM93
>>724
逆に首差し出したってのが初耳っすw世間じゃそっちが有力だったん?

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 09:16:16.55 ID:kGSI/mDu
>>728
真田太平記はこれじゃなかったか?
草刈さんが手柄にせよとか言ってたような記憶が

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/26(火) 12:45:08.83 ID:Cf0AGfZk
>>743
池波正太郎には勝てんな。
鬼平犯科帳の飯が旨そうで困る・・・。

徳川秀忠の深謀遠慮

2013年02月24日 19:27

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 16:25:04.34 ID:KfCYJF5t
大阪冬の陣が始まろうとしている時である。
ある日、江戸の将軍秀忠は福島正則を御前に召してこの様に言った

「関ヶ原の時も、あなたが第一の勤功を示してくれ、ついに凶徒を退治することが出来た。
今度私は大阪に発行するのだが、万一上方での合戦が手間取った場合、この幕府に反逆を起こすと
考えられるのは、加藤嘉明黒田長政の両将である。

私はあなたを頼みに思っている。もし彼らに反逆の様子が見えるようなら、これを殿中に招いて
あなたの手で誅殺して頂きたい。

そしてこの事は、どうか心中に秘して、ゆめゆめ面に出さないようにして頂きたい。」

このように慇懃に頼まれたため。福島正則

「何と有難き仰せでしょうか!」

と、直ぐにこれを了承した。

さて、秀忠はその後、密かに黒田長政を召し出した。そして
福島正則加藤嘉明の両名は、故秀吉の厚恩のある人たちであるので、上方の合戦の状況によっては
謀反を起こすことも考えられる。万一そのような徴候があれば、あなたが速やかに計って
彼らを殺して欲しいのだ。あなたのことを、偏に頼みに思っている。」

この秀忠からの要請があまりに懇切であったため、長政は感動し落涙してこれをお請けした。
この時の長政の態度が、殊の外幕府への貞節が顕れていたため、秀忠もまた感じ入り、
彼の嫡男である右衛門介に、松平の姓と諱を与え、忠之と名乗らせたとのことである。

最後に秀忠は加藤嘉明を召し出し、言った。

「あなたは格別の人であり、この時代の英雄の一人である。故に、あなたに我が嫡子・竹千代(家光)の
鎧の肩入れ(鎧親)を頼みたいのだ。
そして、あなたが大御所(家康)からも疎意なく思われているのであえて頼むのだが、
今度上方の闘乱を鎮めるために近々出馬をすることとなった。よって、関東のことはあなたに
任せたいと思っている。

この事は、深く心中に秘して油断の無いようにして頂きたい。
特に、福島正則黒田長政の両者が、まさかの事を起こすようであれば、あなたが宜しくこれを
取り計らって頂きたい。
これは絶対に口外しないように。」

このような事から、大阪の陣の間この福島、黒田、加藤の三家は互いににらみ合い、
何か怪しいことはないかと監視しあっていた。
そのため江戸は、常にまして日々静寂であったそうである。
(慶元記)

大阪の陣における、徳川秀忠の深謀遠慮についての逸話である。




711 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/02/24(日) 18:37:24.39 ID:xrqqCrCd
夷狄を以て夷狄を制すですな

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 19:31:20.06 ID:UUVitJgg
じつは福島黒田加藤三家で将軍の言動を笑ってたりして

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 20:06:10.55 ID:1mhG3QfG
その三人て元々仲悪くなかったか?

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 20:10:44.99 ID:mWC+upp3
昔のレスでこんなのがあった、福島はどうだっけ

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/24(金) 21:48:29.28 ID:lzBTSYpa
三斎は高虎と仲良いんだよな
んで長政は高虎と犬猿の仲の加藤嘉明と仲良し
領土接してるからいざこざ耐えんのだろうけど

北九州  忠興 vs 長政
       |     | 
伊 予  高虎 vs 嘉明

ちょうどこんなイメージ

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 20:12:17.87 ID:0xl0QDbE
三成死ね死ね団の元メンバーじゃないの

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 20:20:32.25 ID:QacvpE5d
>>712
こいつら仲いいからありえそうだw

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 21:07:17.14 ID:PGwd0Ig1
さらに当節はやりの美少女武将だったら、まちがいなく全部しゃべっちゃってるな

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 02:56:51.02 ID:sRthtU6N
黒田長政→信長の命令に反して命救われる
福島正則→いとこ。超優遇で大名にしてもらう。
地味加藤→長浜時代からの譜代。

どの面下げて地獄で太閤に弁明するんだよ

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 07:15:25.58 ID:EWuoLoQg
長政「右手の温もりが忘れられなくて。」
正則「大坂城が落ちるとは思わなくて。」
地味「どうせ目立たないと思ったんで」

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 07:45:00.74 ID:VUGiWm8e
地獄でノブに折檻されるラスボスを目撃する

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 09:48:32.87 ID:DwgtOsy9
>>718
NGMS救ったのは竹中半兵衛だろ

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 10:45:25.00 ID:Fp8mjWwa
>>715
共通の敵がいる間は同心出来るけどそいつを排除したら新たな敵を作るって流れやね

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 11:58:15.03 ID:ugtIOuAI
>>718
山内一豊「譜代同様で裏切るとは…、ひどい連中よ」
浅野幸長「親戚でありながらそのようなことに加担するとは、まったく…」



正重の疵

2013年02月23日 19:57

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 23:25:31.02 ID:kp8E3iw5
徳川家が今川氏真の籠る遠州掛川城を攻めた時、城将・日根野備中の甥の同弥吉は
激しく戦い、水野太郎作正重が相手になって弥吉を討った。しかし正重は弥吉の首を
取って立ち上がろうとしたところで、腰に敵の矢を受けて深手を負った。

徳川家康はこれを聞いて丸山清林という外科医を呼び「正重の疵は大事なことだから、
何とかして平癒するように療養せよ」と命じた。清林は恐れ多く思って殊更に心を用いて
治療したので、その後、疵は無事に平癒した。

後年、甲斐若御子で北条と対陣した折には、久世三四郎広宣は北条の野中六右衛門を
討ち取ったが、面に疵を蒙った。家康は広宣に自ら薬を付けると、この時も清林に
療治を命じ「三四郎の鼻が落ちぬように」と言ったという。

――『徳川実紀(続武家閑談、柏崎物語)』






499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 23:43:10.78 ID:s/Y1h2Gr
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1386.html
於義丸「わたしの鼻には膏薬を塗るなとおっしゃったのに・・・」

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 23:50:05.41 ID:3T3cUQBH
>>499
膏薬じゃなくて、「付け鼻付けるな」って話だったような

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 10:00:22.80 ID:fR/q8ZM5
薬の実験台が来ると喜ぶ家康であった

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 10:11:26.31 ID:lMZuhj91
大久保忠世「膏薬いらんかね~」
クロカン「目薬いらんかね~」
三浦按針「オクスリアルヨ~」

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 10:45:18.11 ID:QpPxuiEW
北条早雲「…外郎なら大歓迎なんじゃがのう」

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 16:00:47.47 ID:/lPEKKui
「某の尻にも軟膏を塗ってくだされ」

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 16:24:06.54 ID:i0dPa0CY
          -‐::´::::::::::::`ヽ、
       --ーフ::::::::::::::::::::::::::::::::\
       ´フ彳::::;/iノi:::ノヽ;ハ ::::、:::ヽ
       ´ノ〃:/lr'´ l|/' `ヽリ|::l::|:::::i     軟膏といわず
        レ!小●   ● 从::::|:::ハ   
          ヽ|l⊃ 、_,、__, ⊂⊃:::|::!__   槍はどうだい?
     /⌒ゝ、 lハ. 丶_'')   jW'',く_)  
      y'´:.:.:\ _.>,、 _ _, イ-.._/.:.:.::/  
       ヽ゚・。:.:.:l`オ/!`弁´N`(/.:.:.:.ソ
         \:.:.:ヤ' '、| 川:.Lゝ`、.:.:,イ

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 16:34:08.98 ID:mH3++sMa
権現様「怪我した子はおいでー」

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 17:34:20.39 ID:lMZuhj91
ピョートル大帝じゃあるまいしw

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 01:27:04.75 ID:f9kQVHbU
>>504
穴山梅雪・榊原康勝「ぼくらにもぜひ」

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 11:11:54.42 ID:Fp9XIVUL
そういや梅雪さんは、痔のせい逃げ遅れて殺されたって説があったな

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 13:00:38.09 ID:0xl0QDbE
京周辺で単独行なんて痔殺行為だったんですね

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 14:35:51.23 ID:s533mJHm
なんで京のすぐそばに丹羽さんの大軍がいるのに誰も頼らないし明智さんも警戒しないのかよくわからん

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 14:51:35.31 ID:xoUi/v4Y
四国征伐軍は寄せ集めだったから本能寺の報を聞いて丹羽らの手勢以外は四散
副将の一人の津田信澄は明智光秀と手を結んだと思われたりもしたし
頼ったり警戒されたりする理由が逆に無い

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 14:57:04.48 ID:xkzT/7Qj
もうウォシュレット使うのが当たり前の生活になってるけど昔は紙すらなかったんだよな・・・

小姓たちの苦労痛み入るな・・・

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 15:26:59.74 ID:QpA3ffp8
>>513
昔はそこらに田んぼあるから引いてきた川も多いだろ
天然ウォシュレットで葉っぱだと思う


[ 続きを読む ]

籤で持ち口を

2013年02月23日 19:56

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 23:51:03.10 ID:3T3cUQBH
大阪冬の陣が始まらんとしていた時の事である。
大阪城中では関東勢(幕府軍)が軍勢を発進させた、との報を受け、諸方の砦。そのほか外構え等の
軍事施設の普請を急いでいた。

この時に豊臣秀頼は譜代新参の諸将を集めて評定を行ったが、そこで秀頼は

『先に達って申し付けた各々の持ち口(担当場所)であるが、その配置に善悪が有り不満が出ている。
よって改めて、籤によって持ち口を決め直す。』

と仰せになった。これを聞いた各持ち口の頭分の者たちは

「最前、既に仰せ出された持ち口であるのだから、それに善悪があるといっても今になって又
変えるべきではない。それに武士が籤を用いる時は、その故実に従うべきものであるので、
ともかくもそのままに差し置かれるべきだ。」

と思い、敢えてその沙汰に同調する雰囲気は無かった。

この時、大野治長渡辺糺は籤奉行であり、両人は座の中央に居たのだが、治長が進み出て
申し上げることには

「黒門口は平野口に近く、これも又大手の要害ですので、かの口の30間は、私治長が
これを固めます!」

渡辺糺はこれを聞くやいなや怒鳴った

「治長のやり方は全く理解できない!今、持ち口の善悪があるからと籤を用いようとしているのだ!
そんな所に黒門口は治長自らがこれを固めると言い出す。
然らばこの籤は無いのと同じではないか!

そもそも修理亮はいつもそうだ!何でも己のほしいままに行い、諸将を軽んずる。
甚だ奇怪なことである!今後そのような態度は謹むべきだ!」

治長もこれに怒鳴り返した

「黒門口は内側が広く、そのため小勢ではここを守るのは難しい。それ故配下の多いこの私が、
籤を引く前にここを固めると申したので、これは全く我意を挟んだものではない!
だいたいそのように言う貴殿こそ、秀頼公の思し召しが良いのをいいことに、諸士に対して
無礼に振るまい、人々もこれを憎んでおるぞ!
この治長の事を言う前に、先ず自分の身を謹まれよ!」

糺はこれに激怒し

「日々の事はともかく、黒門口の担当も籤で決めるべきで、特別に治長に任せるような事は
出来ない!それでも強いて要求するのなら、余人には渡さぬ、この糺が自らここを請け負う事とする!
未だ言いたい事があるなら、申されよ!」

渡辺糺は目を怒らし居丈高となり肘を張って言葉を投げつけた。
これに治長も膝を立て、今にも斬りかかろうとしたのを、座中の人々が慌てて両人の中にはいり

「御両人はこの大阪城をまとめる老臣ではありませんか!それがこのような論争をするのは
ただでさえ似合わぬことであり、しかも今のような大事を控えた状況で、朋輩同士の
口論などしている場合ですか!
第一これは、君のためになりません!」

そう言って二人を制した。ここでようやく渡辺糺が鎮まり、治長も「ついカッとして言い過ぎた」
と謝罪し、各々その座に戻った。

しかしこの騒ぎのために、籤の件は沙汰止みとなったそうである。
(慶元記)





702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 07:28:04.71 ID:7nKpJU6+
>>700
諸将が不満に思う籤をやめさせるために二人で芝居した……ってことはないだろうな

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 09:02:31.22 ID:R+0y1Ibw
どっちなんだろうなw
先に籤は間違いであることが述べられて、最後に結果として
籤は取りやめとなかったとあると解釈に悩んじゃうなw


斉藤妙椿、死去の反応

2013年02月23日 19:56

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 03:24:38.25 ID:bgqSXdkM
文明十二年(1480年)、斉藤妙椿死去。享年70。
東常縁と歌のやりとりで城を返したあのひとだ。

応仁の乱をきっかけに美濃の荘園を横領して所領にし、飛騨・近江を暴れまわって、
守護代家の舎弟でありながら守護も守護代もしのぐ勢力を持った。

その報を聞いて公家の大宮長興はこう書いている。
「応仁の乱のさなか、数々の行いを強行し、(そのせいで)いまだに東の騒乱が収まらない。
今出川大納言どのを擁立していまだに自国においている。(このころ、足利義視・義材親子は
入京できず美濃にいた)
この間死んだということで、世の中も平和になるだろう」
(「此者一乱中種々張行、于今東近国煩不休、今出川大納言殿奉扶持、于今御在国、
如此之間、於死去者、世間静謐之由有其沙汰者也」)

もちろん戦乱が終るどころか、全国的には荘園制の崩壊で戦国時代へと本格移行し
美濃国内では守護代家と妙椿の持是院家の争いが泥沼化してせっかく妙椿が建てた威勢も
衰えてしまうんだけどね。







ただ早く討つことが肝要だ

2013年02月22日 19:58

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 22:25:08.99 ID:1d/Aekid
徳川家康が駿河より江戸城へ入った時、徳川秀忠、本多佐渡守などが伺候した。

家康は若い衆が一同に勤番しているところを通った時に「ここにいる者たちの
親についてはよく御存知であろうが、子供については見知っておられぬであろう。
一人一人名乗って御目見えいたせ」と言った。

彼らが一人一人名乗るたびに家康は「彼の親はあの戦の時にこのような手柄をあげた
武功者であるので、よく目をかけられて御使いなされ」と一々秀忠に語った。

そのうちの一人向坂六郎五郎が名乗った時に、家康は暫くして思い出すと、
「いずれにも仰せ聞かせたいので近くに寄ってほしい。将軍には言うことではないが、
慰に御聞きなさい」と言った。

「この六郎五郎の父某には兄の敵がいた。某は日頃から心掛けておった。
その某には兄弟の契約をかわした兄分がいた。その兄分は敵の所在を知った。
彼は某に『敵の居場所が分かった。俺も協力してその敵を討つから安心しろ』と言った。

すると某は『お前がそのような心底とも知らずに懇意にしてきたようだ。敵を討ちたいから
お前と兄弟分になったとでも思っているのか。そんな卑怯な心得とは知らずに交友を持ったことが
悔やまれる。もはやこれからは義絶だ』と絶交した。

その後、程なくして某の敵は病死してしまい、某は無念のあまりこれを苦に致し、
気鬱して相果てた。六郎五郎はその年生まれたばかりで、きちんと育つだろうかと思っていたが、
こうして成人したことよ」と家康は涙を流した。

その後、家康は「若き者たち、よく心得よ。主君や父兄などの敵を討つことで肝要なのは、
武辺名聞ではなく、女を頼ってでも討つことだ。六郎五郎の父は自分の手で討とうと思ったために、
時節に後れてついに討ち損じてしまった。これは若気の悪しき心得だ。

大事の敵を一人で討ったから手柄というわけではなく、人を頼って討ったから劣る
というわけでもない。ただ早く討つことが肝要だ。ここをよく合点するのだぞ」と言った。

――『鳩巣小説、責而者草』




487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 22:30:09.46 ID:ZKD2zQw0
>>486
最後の方は家康らしい合理主義全開だな。まさしく戦国武将だなあ。

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 22:40:45.09 ID:2pikSJ9p
早く討つのが大事ってのは確かに戦国時代の人のらしいよな。
時代が下がると「確実に」とか、「失敗しては」って、言い訳つけるからなー。赤穂浪士みたいに。
結果的に成功したけどさ。

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 22:52:25.42 ID:zeQVSYHC
赤穂浪士の中にも先走って失敗した奴いなかったか
そもそも、お家再興をあらゆる手段で模索したのちの突入だから
遅くなるのは当たり前

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 22:58:24.29 ID:Dja3HCi9
仇を早く討てというよりも仇が運良く病死してくれたんだから天罰ということでそれでよしとしろよと
めんどくせえな

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 23:15:19.29 ID:w8/bMaJT
赤穂浪士の仇討ちは葉隠でも取り上げてるな
仕返すにも早いのか遅いのか、
事が起きた瞬間行くべきか、
じっくり煮詰めて行くべきか、
永遠に中立的な答えは出ないだろう

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 23:24:36.21 ID:e/M111cR
仇討ちは早い方がいいに決まってるが
成功率高めるには計画的になる

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 23:45:06.63 ID:w8/bMaJT
赤穂浪士の場合でソッコー仇討ちかなり難易度高いし、
メンバーも数必要だからひとりふたりの覚悟ですまないんだよな
当時の武士の神経の張りつめかたがどれくらいかわからないけど
戦国時代は凄いよな
天下分け目の関ヶ原で、福島正則さまが東軍内で仇討ちやりかねなかったんだから(笑)

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 07:25:09.02 ID:srbcjfOd
政宗「仇は同時に殺すのが理想的だ。」

495 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/02/22(金) 17:48:26.83 ID:8vHe41KN
報復は早いほうがいいか・・・
確かに時間をかけると怒りや恨みがが萎えてきそう。
まぁ、持続させるためにキモを嘗めたり工夫すればいいのか。。。

無計画に怒りのパワーを爆発させるのは成功率低そうだしな。

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 18:58:55.14 ID:i24N83en
仇討ちなんて物騒な事考えずにまぁ茶でも喫んで頭冷やせよ


手を汚さず幡多郡を取りたり

2013年02月22日 19:58

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 07:22:27.20 ID:PYli8qM8
土佐の幡多郡を支配していた一条兼定公が没落されたのは、一説に天正元年(1572)8月、兼定公御歳31の時に
法礼がありこれを口実に、所縁によって豊後大友方に送られた。その仔細はこのようなことである。

当時、土佐七郡のうち6郡は長宗我部元親が切り取り、一条氏は本拠の幡多郡をどうにか確保していた有様で、
一条家中には様々な雑説が流れ、諸氏の心はバラバラであった。

ではあったが一条家家老に土居宗珊(宗算)という、武勇智謀に優れた人が有り、この人が生きているうちは
元親も幡多郡に手出しすることは出来ないと、人々も思っていた。

そこで元親も宗珊を殺すための謀略を廻らされ、先ず宗珊方に数通の文を遣わし音物を送り、
親しい友人同士であるかのように、人が思うように仕向けた。
そうしてある時、元親と宗珊が意見を合わせ謀反を企てる準備を行なっているかのような文を落とした。

一条殿はこれをご覧になり、きっと御運の末であったのだろう、真実だとお考えになり、宗珊を召し出して、
その場で手討にしてしまった。

このため一条の家中は勿論、一条家に従っていた国人や城持ちも一条兼定を疑い、仮病を使って出仕を
止めるものが多く、家中は大きな騒動となった。
元親はこれを聞いて、

「手を汚さず幡多郡を取りたり!」

と喜び、一条殿の家老、並びに国人36人の城持ちに申し渡されたことには

『一条殿は我らの先祖をお取り立ていただいた筋であるので、主君だと考えていたのに、私が安芸と合戦の時、
安芸に対して軍勢を御加勢され、私は大変な迷惑に及びました。
その後、津野との合戦の時も、また津野方に加勢なされましたが、この両度とも私は天運にかなって勝利を得たのです。

このように、一条殿は私を御悪みになっておられますが、この度一条の御家から、突然のことで私には
全く思いもよらない事だったのですが、家中の家老国人衆の判断により、私に対して若君の御後見をするように、
と申し遣わされたのです。』

として、元親は一条兼定を隠居させ豊後へ送り、若君である一条内政を元親の後見によって取り立てた。
こうして幡多郡は初めて、元親の支配下となったのである。

一年過ぎた頃一条家の家老や国人達が蜂起し元親と合戦に及んだ。
この時元親は幡多郡の武士たちに、「その郡が乱れている所に、若君を置いておく訳にはいかない。
大津の城に移してこの元近の婿とする」と言い渡し、若君を長岡郡大津城に入れ、元親の息女を輿入れさせた。
一条殿の居城には、普通の者では恐れがあると、吉良左京(親貞:元親弟)を入れたということである。
(土佐物語)

以上、長宗我部元親による一条兼定追放、土佐統一についての逸話である。




693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 08:08:20.39 ID:lQ6SLSDO
手紙怖い

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 11:13:05.68 ID:u1ioEcDP
一条さんの悪い話だなw

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 13:57:35.36 ID:BZ6YdGLW
馬超「手紙ごときで情けないな」

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 21:59:07.43 ID:pHhKhLQg
陶晴賢「偽の手紙で離間しようなんて、使い古された手だよね」

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 22:33:19.95 ID:i24N83en
義昭公「ウソはだめだよね」

三斎様「忠利くんへ…」

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 23:43:38.41 ID:HaIsVkcW
晴久「こんな見え見えの手に引っかかるわけないだろ。・・・・・・これは利用できる。」

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 16:50:36.38 ID:tILfhH+y
その長宗我部家も関が原後没落してるんだよね
因果応報だな

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 20:02:38.17 ID:bgqSXdkM
まあ、元就さんの
「きっと恨まれてるよ復讐されるよ誰も助けてくれないよ
家族だけが頼りだからなわかってるなおまいらガクブル((;゚Д゚)」
に比べると長宗我部は隙が大きいかな

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 22:24:15.23 ID:dhQT+eJC
肉親相食むことも多いけどね

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 22:33:59.44 ID:j4GGDB0W
山陽の人間は信頼出来ない

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 22:47:23.70 ID:lMZuhj91
やっぱり島根だね!

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 22:50:38.87 ID:+pVDKjPo
堀尾忠氏「島根と高知、どっちがよかったんだろう」


『高知』命名の事

2013年02月21日 20:04

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 16:55:37.96 ID:ZKD2zQw0
山内対馬守一豊は、慶長5年(1600)の冬、土佐国を拝領して入部のため大阪を船出し紀州由良にて越年され、
翌年正月2日、土佐国甲浦へ着岸し、そこから陸路を経て同8日に浦戸の城に入られたが、どのよう深いお考えが
有ったのだろうか、大高山の古城を改修してこちらに移ると宣言され、同年の秋より普請が始まり、慶長8年の秋に
成就して、浦戸よりお移りなされた。

雪蹊寺の月峰和尚は、この大高坂の名を改め、河中山(こうちやま)と号された。これはこの地が、東西南北皆大河で
あったためであるが、四方に堤防をなし、淵を埋め地をならして、平らかで広々とした城地となった。
民家は軒を連ね、昔この地にあった、かこが淵、太郎が淵、鱸砦といった場所は一体どの辺だったのか、
今は知る人もいないのである。

ここは浦戸から2里の入海であり、船の往来は自由で、元より山林にも海岸にも近く、魚鳥菜果は充満し、竹木・米穀
豊穣にて、上下万歳を唱えけり。

これより以前、長宗我部の家臣、吉田備中入道周孝(孝頼:長宗我部国親・元親の重臣。一領具足の考案者とも)は
井口の城主であったが、この大高坂山の南の麓に居を構え、老後の隠居所として常にここに住居していた。
その頃周孝が嫡子の次郎左衛門に常に
「この山は必ず国主の居城となり、一国の首府として繁栄するだろう。」
と言っており、果たして元親も一度岡豊からこの地に移り、しかし一両年して浦戸に移ったのだが、
今また一豊が居城とされ、国府となったのは不思議なことである。

そのようにしてこの地は民家繁盛していったが、一つの難儀が有った。それは度々洪水が出て四方の堤を崩し、
城下の町が浸水したのである。貴賎これを悲しみ、二代藩主の山内忠義
「これは”河中”という地名によるものである。」として、五台山竹林寺の住持空鏡上人に仰せられ、
河中山の文字を改め、『高智山』と号した。

『高智』とは大聖文殊の浄土を申す言葉だそうである。この城地を、何故浄土に比したかといえば、
この城から一里ばかり東に山があり、ここに五台山金色院竹林寺と号す。
これはかの天平の昔、聖武天皇が夢に大唐の五台山を参拝し、これにより行基上人に命じて
唐の五台山を模して建立したのが、この寺なのである。
後には弘法大師もしばらくここに滞在され、中興された。
このような由来により、四国巡礼の礼所となり、六十六部の納経所として、道俗歩みを運ぶ場所となった。

であれば、この城地も文殊擁護の地であると称して、『高智』と名付けたのである。

このおかげであろうか、以後国富み民豊かにして、山内の家運長久にして子孫繁栄翳りなく、
松平の御姓を賜り、万歳の録絶えず、千秋の色とこしえにして、尽きせぬ国となったのである。
(土佐物語)

以上、『高知』の地名が生まれるまでの経緯である。




484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 18:50:18.84 ID:rDSnYhpH
>>483
なんというか、自分の祖先(吉田)をこれでもかって感じでプッシュしまくってるね。

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 22:15:50.07 ID:Dja3HCi9
>>483
日が消えたから没落しちゃったんだな


雑談・弟がノートに

2013年02月21日 20:03

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 13:02:30.11 ID:niM9yblT
弟がノートに《中国大陸の覇者、毛利元就》って書いてた。本人以上に大風呂敷を広げたもんだなぁと思った

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 18:35:59.10 ID:wE1Ty/nJ
>>667
つまり秀吉の中国大返しは海を越えて…

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 18:44:46.70 ID:cSRvLzSS
>>667
20年近く前に出版されて、一部ではものすごく有名な『中国人と名古屋人』て本がある。

これは明治時代に内村鑑三が、中国人と名古屋人は最低で酷い奴らだってこき下ろしている文章を読んで、
内村ほどの人格者でさえも帝国主義的に支那人を見ていたのかと、義憤にかられた著者が書いた迷著。

でも、内村の原文読むとわかるんだけど、中国人とは中国地方の長州閥のことなんだよねw
確かに明治の政治情勢を反映してるわけだけど。
名古屋人についてはまあ置いときましょう。

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 19:02:40.40 ID:Ao0PogLb
清水義範「蕎麦ときしめん」
のような、批判に見せた名古屋愛
ではないよなw

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 20:55:30.82 ID:EwovXTKT
>>667
当時は中国なんて国ないからあながち間違いでもない

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 21:23:25.36 ID:ZjnaWDw1
>>670
中国人ならともかく日本人が意味を取り違えるなんて…

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 08:36:06.28 ID:eqDDpVrm
>>673
中国地方の人を中国人と呼ぶ風習は現代の日本人には無いでしょ。

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 08:50:39.12 ID:XUiF6BHw
>>675
君の国には元の文章をよく読まずに批判本書く風習でもあるのか

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 11:03:19.21 ID:1pLgutxL
>>675
シナ人、清人を中国人と呼ぶ風習も内村鑑三の時代には無いけどな

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 11:04:55.91 ID:IQ6ZY2mu
雑談にしても脱線し過ぎと思うんだ

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 11:05:27.36 ID:q8j4I5Rx
まぁ、中国大陸の覇者の元就さんからは完全に脱線してるけどな~

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 11:32:27.27 ID:Ekw1Flg6
>>678
脱線というより揚げ足取りばかり。 >>670 の時点でオチはついてるのに

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 11:35:33.65 ID:+0LF3YVN
スレ読んでたら中国地方の人をまとめてなんて呼んでたのかわからなくなった
そしてじっと考えてそもそもまとめて呼んでなかった事を思い出した…

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 13:08:51.33 ID:Ekw1Flg6
>>681
ニュアンスは微妙に違うけど、当時だと「中国衆」が一番近いんじゃないかな

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 16:21:11.07 ID:D2iT0Itc
西日本人


週刊ブログ拍手ランキング02/14~/20

2013年02月20日 19:54

02/14~/20のブログ拍手ランキングです!


血の涙をしぼるほどに徹すれば 40

遠藤基信の献上品 39

家康公はお若い頃より 35
小ネタ・髑髏ヶ崎館も 31

阿賀屋正斎・器量の謀り 30
水谷・皆川両家の姓名 30
雑談・天庵様で大河作ったら 29

鬼玄蕃・大崎長行 28
大阪落城の原因は 27
その手本を、見せ候べし 27

徳川家康、広島にて 26
雑談・関ヶ原前後のことなど 24
重宗はこの旨を伝えて、有無を言わさず 21

大阪城への諜報 19
徳川家康・何と軽い事か 19
「普尊」平井貞利 17

「子の好きにさせるつもりだ」 15
かえせと言ってはいけないのだ 14
雑談・こないだ父親から… 13
ある武将が、天寿をまっとうし、亡くなった 12


今週の1位はこちら!血の涙をしぼるほどに徹すればです!
養父と養子のお話。現代でも難しい関係ですね。ましてやこの時代。
それにしても、精神論的なことを言いつつ実利的な面も匂わせ、このあたり山本常朝は上手いですね。
さすが、葉隠という300年読み続けられた本の著者だけはありますw
彼は現在でも、コンサルタントなどで成功しそうですねー。

2位はこちら遠藤基信の献上品です!
こちらは政宗の父、伊達輝宗による織田信長への献上品についての逸話。遠藤基信さんナイス!w
信長は「名物狩り」で有名ですが、その名の通り、それまでに価値が認められたものを収集していたわけですね。
その意味で、茶の湯で秀吉などに比べ保守的と評せられることもあります。
この逸話はそんな保守的なコレクションをしていた信長が、伊達のお陰で、千宗易から一本取ったという
お話ですね。色々なものが読み取れて、大変面白い逸話だと思います。

今週管理人が気になった逸話はこちら!阿賀屋正斎・器量の謀りです!
個人的に面白いなと思ったのは、家康がこの二股かけた阿賀屋正斎を褒めているところですね。しかも”器量”という
言葉を使って。
家康は自分の目的のための謀が出来る能力を、かなり評価していたフシがありますね。
大阪の陣が始まるという時、土佐に幽閉されていた毛利勝永が、山内忠義を騙して土佐を脱出した時も、
勝永の器量が忠義に勝っただけだ、みたいな評価をしていたと思います。
こういう物をいい悪いで判断していないところが、戦国生き残りとしての家康の感覚なのかなあ、
なんて思いました。



今週も各逸話に、たくさんの拍手をいただきました、いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話を見つけられましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ω` )


里村紹巴、足利義昭を取り成す

2013年02月20日 19:52

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 19:01:16.37 ID:ozj3vlf9
里村紹巴足利義昭が都にいた頃には懇志な間柄で、詩連句や和歌の御伽をして
一日中傍を離れなかったほどだが、いまは秀吉のもとで和歌の指南を務めていた。

心に義昭のことをどうしたらよいかと折々思ってはいたが、公儀に忙しく疎遠になっていた。
しかし、秀吉の機嫌をうかがって義昭のことを取り成して度々申し上げるので、
秀吉もどうにかしたいものだと思ってはいたが、天下の大将軍にして数代相続の的流なので、
並々の武士に申し付けては恐れ多いと思慮を巡らして、兎角の計らいもなかった。

ある時、秀吉は紹巴を呼んで「義昭公のもてなしを誰に任せようかと案じ続けたのだが、
尋常の大名には差し障りもあろう。毛利輝元ならば、名誉累代にして現在無双の大身だから、
これに預けることにしよう」と言ったので、紹巴は「義昭公は大慶にお思いになることでしょう」
と大いに喜んだ。

かくして義昭は移され、輝元は畏まって請待し様々に饗応した。また備後深津に御館を造り、
五千石の知行を附けた。秀吉はこれを聞いて大いに感心し「これで身上を安心なさることであろう。
だが田舎では物足りなく、退屈で暮らし難いことだろう」ということで秘蔵の御局を義昭のもとへ
参らせた。義昭は秀吉の懇志を来世までも忘れ難く思った。

――『室町殿物語』





465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 20:51:46.97 ID:K0B673KS
>>461
現在無双のTERU△

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 21:32:27.81 ID:otbWvL4y
>名誉累代にして現在無双の大身

TERU個人の能力には全然触れてない褒め言葉でワロタ

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 22:07:35.09 ID:UCrLU+aF
と、ゆーかTERUの所にいたのを当人の希望で京へ戻したんだよなぁ

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 22:32:10.87 ID:ETjR6Mv2
>毛利輝元ならば、名誉累代にして現在無双の大身だから、

島津や佐竹なら累代の大身ってのも分かるけど、
毛利なんてTERUが実質2代目じゃないかw

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 22:43:38.91 ID:Y9dVhO/Q
まぁ義昭は鞆にいたんだし、輝元起用は出来レースだったんじゃね?

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 22:46:40.06 ID:nPgpkKPp
>>461
秘蔵の御局

絶対に秘蔵されてないだろ(´・ω・`)

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 23:15:15.85 ID:e6ubEhM2
ラスボスは将軍様と穴兄弟になりたかったんだよ。。。

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 23:38:25.79 ID:bdBW1f2C
>>468
「名誉累代」は所領のことじゃなくて、先祖代々の名誉、ってことだから、
大江広元嫡流の毛利家の家名をたたえた言葉だと思うよ?

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 01:48:52.29 ID:od810Ey9
では殿下秘蔵の姉上を…

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 03:56:06.96 ID:DRwA7j4S
文化の香のなさそうなド田舎に流されてどんな気分だったんだろう

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 07:38:34.97 ID:M2m4REjN
体よく厄介者をTERUに押し付けただけのような・・・

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 10:18:17.60 ID:7hBVIyPC
>>472
流石に嫡流ではないよ

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 10:23:56.04 ID:ZV5H+s/J
>475
でも信長に京都を追い出されてから、ずっと世話になってから適任じゃね?

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 12:40:11.22 ID:EsH3EX8N
ラスボスの中古払い下げとか公方様涙目

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 13:19:43.15 ID:79ozRLbH
薄口だと帰って塩分多いんだっけ?
・・・中古品でもタヌキとか伊達のタネ宗あたりなら気にしないかもしれん。
大内の遺産で多少は残ってないかな

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 13:44:49.25 ID:MT/ovAuy
田舎の落ち目に下げ渡されちゃった御局さん気の毒・・・
と思ったが、こーいうのって渡されちゃう人にもメリットあったんだっけ?

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 17:10:41.05 ID:8DfXhC16
仮にも前の公方様だから非常に名誉なことではあるんだよね
厄介払いって側面は否定できないけど

そういえば昔戦国大名ってボードゲームで将軍様(義輝or義昭)を引くと
強制雇用&給料馬鹿高いかわりに威信ってステータスが1上がるってあったのを思い出した

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 20:39:11.29 ID:FU/FH/Wt
>>481
公方なんぞ飾り物と申すかッ


かの長宗我部盛親という人は

2013年02月20日 19:51

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 19:34:38.35 ID:Nr6+gYY6
「かの長宗我部盛親という人は、国政のことも心にかけ、知勇もある方であったのに、
一日の命を捨てかね(大阪の)死地を逃れ、その結果賤しき者たちの手に渡り、縄目の恥に及びました。
しかしこの人の常の行跡や、八尾合戦での活躍を聞けば、それほどの不覚人には見えません。

一体どんな因果によってこのような事になったのだろうかと考えてみますと、久武内蔵助という大悪人が、
盛親を立てて己が威を欲しいままにしようとしたため、蓮池左京進、比江山掃部助、以下を讒言し、
津野孫次郎に詰め腹を切らました。

これらは、盛親自身の考えではありません。ですが、皆盛親を立てるために行われたことでした。
ですので、それら積悪の餘禍が見に積もり、その罪が盛親一人に帰して、
武運薄く、生きながらに捕らえられ、白昼に誅せられたのでしょう。

本当に痛わしい事です」
(土佐物語)

土佐物語より、長宗我部盛親の生涯についての、著者の所感である






義昭帰洛に関する天正11年の輝元宛家康書状

2013年02月20日 19:51

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 11:39:42.16 ID:7hBVIyPC
いい話スレで輝元と義昭の話が出てたので、義昭帰洛に関する
天正11年の輝元宛家康書状を紹介
----
公方様の帰洛について書状を受け取りました。
信雄、羽柴、その他家老の衆の請書も添えられており、即座に読みました。
拙者としては各々次第ですのでいささかも問題ありません。
他に東国に御用の際は仰せください、恐々謹言

  二月十四日 三河守家康(花押)
 謹上毛利右馬頭殿
----
足利義昭は本能寺の変の後、都へ帰洛しようと各所へ工作を行っていたが
この書状にも見えるとおり天正11年の初頭には、織田政権の合意を取り付け
帰洛は目前とも言える状況だった。

書状の主である家康は「みんなにお任せ」って感じでスルーっぽい対応。

このまま帰洛が実現すれば良かったんだけど、織田政権内部の抗争が
激化して「賤ヶ岳の戦い」や「小牧・長久手の戦い」が続発した事により、
義昭の帰洛は九州征伐後まで延びてしまったので、ちょっと悪い話だろうか。





その手本を、見せ候べし

2013年02月19日 19:53

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 19:33:06.63 ID:bSxWEju3
大阪の陣が終わり、長宗我部盛親が捕縛された時、盛親の弟である長宗我部右近大夫は、加藤清正が父元親の
親友であった縁によって肥後にあったが、盛親の罪に連座し、召し捕らえられ京へと上ることとなった。

この右近、肥後では譜代の郎党・小宮崎久兵衛と言う者がただ一人仕えていたのだが、これも共をして
上京をした。

伏見に到着すると、藤堂和泉守高虎を検使として、右近に切腹仰せ付けられた。

これを聞いて郎党の久兵衛は、「私も一緒に切腹させて頂きますよう!」と望んだが、
高虎は「いやいや、お主のことはお上より何の仰せもない。そのようなことは許可できない。」と諭した。

が、久兵衛畏まって

「ここにある右近は未だ、人が腹を切る所を見られたことがありません。ですので、切腹のやりようをご存知ありません。

その手本を、見せ候べし!」

言い終わらぬうちに諸肌脱ぎになり腹を十文字に掻っ切り、右近に向かって

「かく切らせ給え!」

と申し上げると、右近はうち笑いながら「心得たり」と、潔く腹を切られたという。
(土佐物語)

盛親の弟、長宗我部右近大の切腹の模様である。




643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 19:38:41.71 ID:yKP7YXYQ
長宗我部盛親の弟で、
香川親和の弟で、
津野親忠の弟で、
細川真之の弟で、
三好長治の弟で、
十河存保の弟、
って説明したら兄弟でなんでそんなに苗字違うんだよ!
と言われそうだ

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 20:35:40.87 ID:pZAn2DQM
腸は痛覚ないからつかんでも痛くないらしいがどこが痛いんだろう?

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 21:19:50.95 ID:E/YX39Pe
じゃあ下痢ぴーになった時はなんで臍の下辺りがメチャクチャ痛いの?

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 21:50:31.84 ID:9lk/mFCZ
うん

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 21:55:31.71 ID:rrHjUb/f
腸管も攣縮すれば疝痛が生じる

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 23:15:48.73 ID:aP8N5R5X
>>643
この「小少将」って十河存保の母親とは別人。
十河存保の母親については、天正5年に亡くなったことが
『己行記』という史料に登場する。
いつも思うんだが、長宗我部右近大夫の母親と
十河存保の母親が同じ人物じゃ年齢的におかしいじゃないか・・・

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 23:31:46.04 ID:MdmCsSJ8
12歳で細川真之
27歳で三好長治
28歳で十河存保
57歳で右近太夫
ぎりぎり自然妊娠可能?

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 23:40:11.18 ID:MdmCsSJ8
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4375.html
過去に議論あったんだ
しかし、「戦国三好一族」でも小少将が同一人物とされていた気が
疑問に思わないんだろうか

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 23:43:34.63 ID:51zUyYq3
>>650
30年の空白がこわいw
同一人物だとしたら元親は相当な熟女好き?

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 23:46:55.51 ID:RLYVO50o
実は元親のは、朝倉義景の方の小少将だった、とか

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 00:16:45.57 ID:r91GqvMQ
>>650
元親が四国をほぼ制圧した頃ならまだしも、前年に三好長治が滅亡して
ようやく・・・という時期の天正5年に没しているわけで、元親のところに流れる
理由も状況も全く考えられないし、同一人物という線はないだろw


かえせと言ってはいけないのだ

2013年02月19日 19:53

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 00:17:49.36 ID:j1OudHiP
度々の功のある人だった長岡玄蕃(細川興元)はこう言ったという。

「私は関ヶ原の時、引いて退く馬武者を見て『かえせ!』と言ったのだが、
その武者はすぐに立ち帰って来て、私は組みしかれた。

あわや首を取られるという時に、郎等の一人が来て武者を引きはがし私に首を取らせた。
危ない目にあった。足を乱さずに引く武者には、かえせと言ってはいけないのだ」

――『老人雑話』




656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 00:21:36.29 ID:j2wQy1hN
情けない話のようだけど、教訓にしてるからイイ話かもな

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 00:33:46.89 ID:Y9dVhO/Q
「もう二度とあんな真似はしないよ」

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 00:45:02.40 ID:e6ubEhM2
有楽「知り合いに、助命のお願いしてやるとか言ってはいけないのだ」

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 13:20:31.65 ID:0g8ybFHf
帰師には遏むることなかれって孫子にあるじゃないですかやだー

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 16:01:12.22 ID:vgNhBVPG
クマ「足を乱さずに」
宗麟「撤退する島津を」
センゴク「深追いしてはいけない 」

四天王、信親、存保「…(-_-;)」

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 16:04:17.26 ID:5SQiINAA
一人だけ落ち着いてて目だってたからつい声かけ事案を起こしてしまったのかな

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 17:53:06.68 ID:wTlf7E0P
>>660
リアルさを損なわないために、釣りの餌には何も教えないと言うブラックな説もあったなぁ

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 22:07:10.32 ID:Dj7pfXN7
>>660
大友の場合はそーりんじゃなくて田原さんやで。

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/20(水) 03:33:34.66 ID:oinhnwMU
>>660
井伊直政、松平忠吉「足を乱していても深追いは危険」


ある武将が、天寿をまっとうし、亡くなった

2013年02月19日 19:52

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 00:52:07.03 ID:FVy3qKxR
まとめを見た所、出てなかったので。
ある武将が、天寿をまっとうし、亡くなった。
武将には、すでに他家に嫁いだ娘がおり、嫡男と次男に遺言を残した。
『家督、武具、茶道具は、嫡男に譲る、金5万両は次男に譲る。』
これに、嫡男は『嫡男である、自分が、全部相続するのが筋ではないか。』
と、遺言を守らず、金を蔵に仕舞い込んでしまった。嫡男付きの家老が、次男に申し訳なく、説明したら、
次男は、『さもありなん、兄上は自分と違い、大身の身、小身の自分には、もったいない、どうぞ
役立っててください。』と、恨み言を言わず、笑顔で、家老に申し渡した。
それを聞いた、嫡男は、自分の大人げい振る舞いを、恥じ、『遺言どうり、お前が受け継いでくれ。』
しかし、次男は『いえいえ、兄上がお持ちなってください。』
と、譲りません。
困った両家の家臣達は兄弟の親戚に説得をお願いします。
これに次男が『では、使う機会がある時まで、兄上が預かってください。』
で落着します、が、次男は永遠に使う事ありませんでした。
父の名、本多忠勝、兄の名は、本多忠政、弟の名は、本多忠朝


関連
本多忠勝と二人の息子・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-806.html


454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 01:03:07.36 ID:KhJv7QCW
どうでも、いい、が、ちと、読点、が、多いの、が、気に、なる
渡辺、陽一、です

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 01:36:10.06 ID:r6zJgGQQ
「ある武将」とか、伏せる意味あったのだろうか

まあ、このスレに住んでる人ならみんな知ってる話だけど、
まとめを補充してくれるのは助かる

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 10:08:31.48 ID:3nifdYVc
>>453
既出ですな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-806.html

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 13:57:35.70 ID:N2MeEExr
>>455
誰もが知ってる有名逸話がまとめサイトにない場合あるからな
知られてるからあえて誰も投稿してないのかも

「普尊」平井貞利

2013年02月19日 19:52

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 14:57:33.00 ID:5xyDwjl/
赤松広秀の臣・平井備中守貞利は、主家の移封に従って播磨の龍野から但馬の竹田へ移ったが、
鳥取城の一件で広秀が自害に追い込まれ、赤松家が改易となると、故郷の龍野へ戻ってきた。

龍野赤松家の旧臣の中には、円尾孫右衛門横山五郎兵衛宗信片岡治兵衛など、龍野に残って
醸造業を営んでいるものがあり、
平井貞利もまた、醸造業「石橋屋」を開業したのである。

醸造業者となったとは言え、貞利は家康によって処断された大名家の旧臣。
役人がたびたびやってきては、赤松家のことを詮索していった。
しかし貞利は、他の者たちのことを慮って「赤松のことは存ぜず」としか答えず、
死ぬまでそれを貫き通したのである。
そんな彼はいつしか「不存」と名乗るようになり、戒名もまた、不存にちなんだ
「普尊」と付けられている。

なお、龍野赤松家の旧臣たちが始めた醸造業は、円尾氏が発明した淡口醤油によって
その名を轟かせることとなる。
また、片岡治兵衛の開いた「幾久屋」が合併等の変遷を経たものが、今のヒガシマル醤油である。





462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 20:15:05.31 ID:j/KRVdar
>>460
旧臣等はなんでみんな醸造業を営んだんだろうな。
ところで、ヒガシマル醤油って関西の方だと有名なの?

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 20:38:02.16 ID:TN0rvxxE
>>462
ヒガシマルは全国シェアでもトップ5に入るメーカーだよ。
関西は、関東じゃあまり造らない淡口(うすくち)しょうゆの需要が多いしね。

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 20:42:54.47 ID:2PJn0+PE
鴻池「醸造業といえば、山中鹿之介の子孫であるわれわれだろう」



阿賀屋正斎・器量の謀り

2013年02月18日 19:51

447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 12:17:08.08 ID:c0AXQ9Pk
大阪冬の陣が勃発した時の事

泉州堺は大阪の近隣で、繁華な港であり、幕府からは柴山小兵衛が代官として置かれていた。
この頃大阪城の評議として、幕府軍の駐留を妨害するため、堺を放火すべしと決定され、
そのための軍勢が派遣された、との旨が聞こえてきた。

これに堺は大恐慌をきたし、あるいは私財雑具を船に積んで四国南海へと向かおうとし、
あるいは山林に身を隠し、親を連れて行くのを忘れる、子を逆さまに背負うなど、前代未聞の騒動となった。
こんな時に代官の柴山小兵衛は眼病を患い、起居すら自由に成らぬ有様で、この混乱を防ぐ術もなかった。

ここに、阿賀屋の正斎といって、古今不敵の町人があった。
彼は自身で堺の街中を走り触れて回った!

「女子供、足弱の老人たちは、どこかに避難させるべきである!
そして15歳以上60歳未満の男は一人も逃げ出してはならない!今度のことは私の謀らいに任せて頂きたい!」

この、正斎の謀らいとはこのようなものであった

「年若の者達と老人とは、当分は交わりを絶って、敵味方のように振る舞っていただく。
また大阪へは硝石千斤(約600キロ)を献上して、堺の町人は残らず大阪の御味方なりと言って放火狼藉を免れるべし。
また京都にも、町衆宿老のうち複数名を上らせて所司代板倉殿にこう伝えるのだ

『大阪より堺を放火して略奪を行うという情報が聞こえてきたため、この災いから
免れるためこのような計らいをいたしましたが、これは全く、幕府に対して御敵対すると
意図したことではありません』

これを言っておけば、後の祟も無いだろう。

また、若き者どもは200人ばかりで代官所へ馳せ参じ

『僅かの軍勢にては中々大阪方を御防ぎすることは叶わないでしょう。早々に岸和田にお退きなさいませ。』

と申し上げるのだ。代官此の頃眼病を患っており、必ずこの言葉に従うであろう。
この時代官所の荒男(吏僚)が大阪に硝石を献上したことを咎めるならば、

『その事は老人たちが差配したことであるので、我々ではどうすることもできません。』

と申し上げ、若者たちはその難から逃れよ。

また、大阪から代官を岸和田に避難させたことを咎めてくれば、年寄衆が

『若き者どもが是非を存ぜずにあのような事をしてしまいました。それ故に、私どもは彼らとは義絶したしました。』

と申し上げ、大阪方の実力行使を引き延ばすのだ。
そして現在の事態が収拾すれば、その時宜しき方に従うまでである。

とにかく、必ず騒動し混乱してはならない!」
そう人々を制した。

この後暫くして大阪の陣も鎮まり天下一統に復したのち、大御所(家康)がこの阿賀屋の正斎の事を聞き

「器量の謀りである。その時の事態に応じた智謀である。」
(器量ノ訛方ナリ、時ニ取テノ智謀)

と高く評価し、彼に褒美を下されたとのことである。
(慶元記)

大阪の陣勃発のおり、活躍した町人についての逸話である




448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 12:54:44.88 ID:bpPmMlrL
結局焼き払われてるがな(´・ω・`)

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 08:23:22.97 ID:UCrLU+aF
>>448
それ夏の陣

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 10:47:56.19 ID:OEF++wXY
実際大阪の陣が始まる直前に、城方が堺を襲撃してるんだよね
で、片桐且元や今井宗薫が奮戦して且元の重鎮・多羅夫左衛門とかが戦死してる
だから堺における動揺と混乱ってのは非常に激しいものがあったんだと思う

(「本光国師日記」「大阪市立博物館所蔵、今井宗薫・宗呑宛片桐且元直筆書状」)


小ネタ・髑髏ヶ崎館も

2013年02月18日 19:51

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 05:57:56.43 ID:InM3MCTW
髑髏ヶ崎館も名前負けしてると思う。

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 09:58:25.95 ID:aytRm3LB
>>626
躑躅ヶ崎?

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 10:06:03.51 ID:WU04mRwf
どこの魔王だよ!w

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 10:06:30.48 ID:gyH6AgR3
>>626
髑髏ヶ崎館ってどこだw

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 10:37:34.80 ID:iYPsK9sN
コワイ!

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 10:54:42.08 ID:ZGsDVx4x
髑髏の杯が霞んで見えるぜ…

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 11:17:37.56 ID:eWF9Voca
当面 >>626 関係のコメントしか期待できんな

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 15:03:30.47 ID:g1g84q1K
しかし「躑躅ヶ崎 髑髏ヶ崎」でググってみると…

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 15:11:30.09 ID:QEVRWymS
久しぶりにこっちが恥ずかしくなるような勘違いを見た

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 16:51:21.17 ID:MXQVCfmU
音で覚えてないんだろなぁ

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 17:04:58.92 ID:vv8UpmZA
天道スレで昔ネタにされてたな。

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 17:11:15.42 ID:aNMAjEpH
まあ別の名前にしてしまうことは少なくても読み間違えなら良くあるよね
城井鎮房をしろいちんぼうと読んでしまったあの恥ずかしさは一生忘れない

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 17:14:06.47 ID:bpPmMlrL
最上義光はもうヨシミツでいいと思う

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 17:30:12.08 ID:MMm8AWLu
ヨシミツって音だけ聞くと「鉄拳」のキャラが思い浮かぶ

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 17:34:08.15 ID:mYVQcWot
浅田長政

浅井長政
浅野長政
山田長政
黒田長政
さぁどれだろう…

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 19:19:08.09 ID:9lk/mFCZ
>>637
いやんえっち


家康公はお若い頃より

2013年02月17日 19:26

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 18:08:00.26 ID:JAi8iu33
豊臣秀吉は島津征伐の帰陣後、立花宗茂を殊の外賞美し、
「若年だが、武勇は西国にて一人なり」と度々言っていた。

また、秀吉は徳川家康が上京した時に本多忠勝を召しだして宗茂と引き合わせ
「両人は東西にて無双の勇士、よき天下の固めなり」と賞した。

このようなこともあり、宗茂においても忠勝は老功の人だったので、
懇意にして度々参会するこもあって、武道の話をいつも所望した。

ある時の忠勝の話にこんなものがあった。

「家康公はお若い頃より、何事もはきはきとは申されませんでしたので、
いつも、もどかしく思っておりました。

しかし、それがしなども段々年寄りになり、自分の家来を仕立てるようになって
思いましたのは、総じて上からは下のことがよく見えるということです。

ですが、よく見えるままに善悪を申しては下の者は一切頭が上がらない。
この所を家康公は御勘弁あって、下々をいたわっておられたのでしょう。

それゆえ、この事は武蔵守様へも度々お聞かせしております」

――『良将言行録』




439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 18:40:35.43 ID:eP7uYQxR
名将言行録と良将言行録って何が違うの?

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 18:42:53.90 ID:1EqPGAfJ
パクリ

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 19:27:14.49 ID:m172MTMb
>>439
成立時期も編者も違う

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 21:06:27.58 ID:S9zpd9vu
さらっとググったら名将が明治期で良将が大正期?

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 23:21:32.80 ID:JAi8iu33
>>443
著者が明良洪範の真田増誉らしいので成立は江戸中期頃じゃないかと

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 07:22:35.87 ID:3pRJKwYN
>>443
名将言行録は江戸後期だ。

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 14:44:35.43 ID:puMNq4yu
>>438
秀忠がことあるごとに忠勝から説教受けてるように見えるw

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 22:18:12.04 ID:avsf9gC3
秀忠さんは、徳川家でいうとTERUと同じポジションだから・・・

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 22:24:39.80 ID:bpPmMlrL
TERUと一緒にするな

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/18(月) 23:53:46.23 ID:51zUyYq3
内部統制(粛清)システムの構築が得意な点は似てる……かも


大阪落城の原因は

2013年02月17日 19:26

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 15:33:31.77 ID:ED2zy0Da
大阪夏の陣で大阪が落城したあと、逃亡していた長宗我部盛親も潜伏先の京都八幡の葦原で発見され捕縛。
その身柄は二条城へと運ばれた。

盛親はここで板倉伊賀守(勝重)の尋問を受ける。
そこで勝重は、このようなことを聞いてきた

「あなたはこの度の合戦において戦われた東国勢の中で、何れが最も軍功優れていたとお考えですか?
また、大阪方の敗北の責任は、誰にあったとお考えでしょうか?」

これに盛親
「東国勢では井伊掃部頭(直孝)の軍功を第一とすべきでしょう。
そして大阪の落城は、この盛親が原因です」

「あなたが?」

「はい。その理由ですが、あの八尾での合戦において、関東方の先手は藤堂和泉守(高虎)と井伊掃部頭、
そして大阪方は木村長門守(重成)と、この盛親でした。
長門守は掃部頭に当たり、私は和泉守と対戦しました。

私は見事高虎を討取り、秀頼公への忠勤に備えようと思っていた所に、長門守が不意に討死をしたためその部隊が崩壊し、
井伊勢が我々の横合いから攻めかかってきました。
このため、我が方はついに敗北したのです。

一陣が敗れた上、残党を無事に回収できなかったのですから、大阪方が敗北したのは、第一にこの盛親が
原因だったというべきでしょう。」

これを聞いた勝重は、大いに感じ入ったとのことである。
(土佐物語)





620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 18:43:03.58 ID:eP7uYQxR
「徳川の勝因は盛親を破ったこと!大阪の敗因は盛親が敗れた事(キリッ」の元ネタはこの話か。

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 19:55:01.38 ID:RP78d43e
この後に粗末な食べ物を足軽からあてがわれ悔しがっていることを聞きつけた直孝が
盛親を座敷に上げて大名料理で饗応して感動の涙を流したという話があったな

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 20:20:03.88 ID:i6W42d/S
良い,Come onのCome in

て言って呼んだんですね

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 21:02:44.10 ID:aXxE8anV
>>621
盛親さん頭いいなあ

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 21:48:30.80 ID:gc7ACnQo
暗に木村重成が悪いって言ってるようにしか見えない

雑談・天庵様で大河作ったら

2013年02月16日 19:50

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 14:48:57.59 ID:u5vvY0yg
天庵様で大河作ったら問題無さそうだな

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 15:04:48.23 ID:HLCuktbM
あの軍神に挑み、民に愛され、不屈の心を持つ男…
話題性やメッセージ性もバッチリだな!!

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 16:23:24.38 ID:h+9LZ1Yt
>>574
天庵様の場合、最終回はどーしたら良いんだ

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 16:58:50.06 ID:pO46lMSw
頭に浮かんだのが漫画版のデビルマンの最後
理由がまったくわからんけどwwww

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 02:06:01.29 ID:PcH8+oDT
>>577
あの奥州藤原氏を興から亡まで大河で描けるんだから弱小天庵様の些細な興亡程度なら余裕だろう

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 07:14:56.81 ID:xxfBOTXE
奥州藤原氏はドラマチックに滅んだけど、天庵様は・・・

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 08:27:41.85 ID:/YV5FSHG
つか、藤原三代で半年じゃねえか。
その理論だと天庵様の大河は2ヶ月で終わる。

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 10:49:03.17 ID:p0S3xEwM
織田かと思ったら小田だったで苦情殺到だろ

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 11:39:39.38 ID:/O+SNlF+
タイトルはこれでお願いします

「家康が最も恐れた男 小田氏治

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:10:29.97 ID:obKfq3In
天庵様にもその称号かよwwww

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:20:36.26 ID:xxfBOTXE
そういや家康って関東諸大名と通交があるけど、天庵様とはあったのだろうか?

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:21:19.66 ID:eRPrsEYq
>>584
「家康が最も(警戒した豊臣秀吉と戦った北条氏政と敵対していた佐竹義宣が少し)恐れた男 小田氏治

こうか!

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:52:32.12 ID:Ziy3iXx3
天庵さまの娘が結城秀康の側室だっけ?

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 15:00:29.95 ID:Hoeyod+u
YES
でも家康との直接的なつながりってないような気がする

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 15:18:06.55 ID:XezMpZLU
たしか息子の守治一家も妹の縁で秀康の家臣になってるよね

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 15:52:46.21 ID:xxfBOTXE
いっそ大河は菅谷一族にしたらどうだろう。ハッピーエンドだし

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 11:36:57.35 ID:1JiT4w5T
福井藩史事典っての借りてきたんだが、家臣の一覧(幕末頃?)に小田家が見当たらんなぁ。
水戸(江戸)と山川は高家として扱われてるのに。

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 11:56:43.38 ID:m172MTMb
>>613
断絶したとかでなければ、越前松平家が分裂してるから
福井藩じゃなくて、別の藩なんじゃないかな。

結城の紋を継いだ、前橋松平家あたりはありそうだけど。

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 11:58:08.46 ID:ED2zy0Da
何らかの理由で苗字が変わってる可能性もあるなあ。

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 12:00:20.43 ID:m172MTMb
そういや八田氏に戻したのも居たっけか

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 12:10:37.90 ID:1JiT4w5T
うん八田は100石でいるな。
しかし水戸の米百俵とか山川の二十人扶持とかどんだけ落ちぶれてるんだか。