はかりごとは兵法の根本である

2013年10月31日 19:20

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/30(水) 20:20:33.35 ID:j8lfx3zP
はかりごとは兵法の根本である。
このはかりごとは、相手がはかりごとだと思っていても、仕掛けていくと相手が乗ってくるものが本物である。
仕掛けておいて、こちらの術中にはまったところで勝つことだ。
はかりごとに相手が乗らなければ、次の手の仕掛け方が考えられてくる。
だから、こちらのはかりごとに敵が乗らないこともまた
こちらのはかりごとに乗ったということにもなるのである。

(柳生宗矩 兵法家伝書)   




452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/30(水) 20:22:37.27 ID:wfXyVMsk
四路五動を逆から見るとそうなるのか、なるほど

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 00:15:34.89 ID:GxSX+h7O
>>451
元就の調略じゃー!ってやつか

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池田利隆の乳母

2013年10月31日 19:19

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 17:35:45.16 ID:sbzUBMtC
池田利隆の乳母は古田甚内の妻である。ある日、利隆が門外で
遊び戯れていると、狂った僧が来て利隆を奪い、空室に入った。

衆人はただそこを取り囲むばかりであったところ、乳母は衣を持って
静かに落ち着いて僧に近づいた。

「とても寒いですから、どうぞしばらくその子を私に貸してください。
あなたがこの衣を着た後に、お返しします」と、乳母は僧に言った。

すると僧は利隆を放したので、乳母は利隆を抱いて離れた。

――『皇朝金鑑(日本智嚢)』




461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 21:12:53.66 ID:6wUnyXdP
乳母の機転は素晴らしいが、狂った僧って怖いな

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/01(金) 14:10:14.69 ID:wzWHPK96
>>461
私、錯乱坊

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/01(金) 18:36:20.41 ID:5XK1ent5
本願寺だ!

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/01(金) 21:28:04.52 ID:KlJ4x1QH
>>462
運命(さだめ)じゃ

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/01(金) 21:44:20.57 ID:VlTXoGo4
そのうち、うる星やつらのネタも通用しなくなるのだろうか…

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/01(金) 23:47:33.83 ID:amd12zl7
うる星って、もう30年過ぎたのか

徳川頼宣、火事の話

2013年10月31日 19:18

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 07:20:40.17 ID:RaiMKiAr
紀州和歌山で失火があった時、家老久野和泉守は預かりの櫓へと人数を上せらせ
「一人でも降りるものは切り捨てにすべし、消防できずば皆焼死せよ」と下知して、
自分も家人もあちこちに怪我はしたが櫓は無事に残した。

この働きを和歌山中の者は貴賤ともに賞賛しないものは一人も無かった。
しかし頼宣卿は何とも仰せられず、その他にあちこちで火を防いだ者にも一言の
御意もなかったので、家老を始め下々の者まで不審に思っていた。

それより二、三年過ぎて御近習の士を集めてお話になられていた時、火事の話に
なり仰せられたのは

「失火の際に消防に身命を軽んじて働くのは血気の勇で、真の義勇にはあらず。
ただ智が足りないだけだ。

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 07:22:50.00 ID:RaiMKiAr
火は無情のもので天気が乾いて風が烈しい時はなかなか人力の及ばざるものだ。
ただし水がよく行き届く時は消防も行き届くが、もし水が行き届かない時は家屋は
もちろん人まで焼亡してしまう。

どうして家屋が燃えつきる事を厭って人を損ずるべきであろうか。これは無智の勇に
して、ただ血気の勇である

いかなる金殿玉楼であろうとも人には替えられない。家は幾度消失してもまた元の
通りに造れるが、家人一人を損じたらその家人はもう戻ってこない。

失火の為に我が大切な軍兵を失えば、それこそ不自由というものだ」と仰せられた。

久野和泉守はこれを聞いて感心していたと紀州家の三刀谷伴蔵が物語った。

(明良洪範)




456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 09:21:12.96 ID:loSbYA7v
久野和泉守が本当だとしたら1643年生まれなんですけど
スレタイわかってる?

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 09:35:35.20 ID:DhARhHe+
頼宣がスレの範疇だろ

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 12:58:30.02 ID:eqnLTJY5
忠勤を誉めてやったうえで
命には代えられないといってやればいいのに。

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 13:04:41.64 ID:X2DSLFvN
他に何を言ってもお褒めの言葉があれば良い行いだと認定してしまったことになって家の名誉になるし
ダメだと思う

大阪夏の陣・桑名弥次兵衛の最期

2013年10月31日 19:17

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/30(水) 20:09:13.61 ID:vPGML2T9
慶長20年(1615)5月6日、大阪夏の陣で藤堂高虎の軍と長宗我部盛親の軍が激突した、
八尾・若江の戦いでのこと。

桑名弥次兵衛は元々長宗我部譜代の重臣で、幡多郡中村の城主であり、合戦のたびに武功を上げた、
天下に名の知れた勇者であったが、慶長5年、関が原の戦いの結果長宗我部家が没落すると、
桑名には井伊家や蜂須賀家などから仕官の誘いがあったが、かつて秀吉の四国征伐の時、
彼の降伏を周旋された縁を以って、藤堂高虎に7千石で使えた。

そしていかなる不思議であろうか、この日、八尾において旧主たる長宗我部盛親の軍と
戦うことに成ったのである。

桑名弥次兵衛を始めとして、その嫡子将監一久、そして杉立九郎左衛門、市田十右兵衛、鶴原善左衛門、
入交助左衛門といった、旧長宗我部配下の土佐組は、群がる敵を次々と突きたて、
先手を置い崩し、長宗我部旗本にまで切り入った。

長宗我部譜代の者達は皆、互いに見知った相手であった。
長宗我部の旗本たちは桑名を見るや、口々に叫んだ

「お主は桑名ではないか!」
「それ逃がすな!桑名弥次兵衛を討ち取れ!」

そういって我も我もと桑名に切ってかかった。中でも近藤長兵衛が先に進み、
無二無三に突いて掛かり、桑名弥次兵衛の槍を突き折った。

そこで桑名は刀を抜き近藤と打ち合ったが、刀も打ち落され、最期は短刀を握ったところを
近藤の槍に貫かれた。

多くの土佐組の面々も、組頭である桑名弥次兵衛と、同じ場所で討ち死にした。

『彼らは新主への奉公もはたし、また旧君への志も立てたのだ。』

合戦後、人々は彼らの戦いに感じ入り、そう言い合った。

長宗我部盛親も哀れに思ったのか、夜に入り、桑名弥次兵衛の首を嫡子将監の陣所に
送り返してきたと伝わる。

(元和先鋒録)




622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/30(水) 22:15:59.34 ID:eSNBBkKf
盛親の隊って、夜になる前に壊滅してるよね?

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 07:14:19.20 ID:uRpDfnGO
してないだろ

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 09:44:19.74 ID:DhARhHe+
部隊としては壊滅してたが首一つ届けられないような文字通りの全滅してた訳ではないだろ

黒田官兵衛、才知を以って

2013年10月30日 19:14

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/29(火) 19:21:46.75 ID:YBvvq51b
天正10年(1582)3月、羽柴秀吉は清水宗治の籠もる備中高松城を攻める。
しかし秀吉は、この城を力攻めにすると味方に多くの損害が出ると見て、
高松城の、地勢が低く二方が山に近く、またその中に川が流れている地形を見て、
水攻めにするしかないと、城の二方30余町(約30メートル弱)の間に堤を作らせた。

その堤の内に、大小7つの川より水を流し入れた。水は一ヶ所に落ち合って堤の入り口まで
4,50間(約40メートル前後)というところで大河と成って堤を破壊した。
これをせき止めようと。大石を数多く投げ入れたが、水の勢いが強く、2,30人で
持つような石でも容易く流された。
また枝葉の多く茂った大木を多く伐って川上につなげて流しかけ、その他様々に手立てを変えて
流れを抑えようとしたが、水の勢いは強く、竹木土石、尽く押し流され、どうしようもなかった。

秀吉はこれを大いに憂い、黒田官兵衛に
「どうにか才覚を以って、緊急に堤を築き立ててほしい」
と仰せ付けた。

官兵衛はこれを受け、川下にある大船を、人夫を多く派遣して2,30艘引き上げさせ、
水上に錨を入れて、土手の間に、この2,30の船を隙間もなく並べて繋ぎ止め、
その中に大石を多く積み、そこで船の底を破ると、船はたちまち沈んだ。

そして、かねてよりその辺りの家屋を破壊して竹木土石を多く集め置いていたのであるが、
それを沈んだ船に投げ入れた。

これによって即座に水をせき止め、その後、土石を以って難なく堤を築き立てた。

はじめこの堤を築こうとし、水の勢いが強くてせき止めかねたのを、
官兵衛のこのような巧みによって終に完成させたことに、秀吉の御感は甚だしいものであった。

(黒田家譜)

有名な、黒田官兵衛、才知を以って備中高松城水攻めの堤を築く、というお話。





毎夜夜中に屋敷内を見廻るべし

2013年10月30日 19:11

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/29(火) 23:09:23.55 ID:OuNCHzC2
一、毎夜夜中に屋敷内を見廻るべし。下人の寝所、ともしびなどをうかがえ。
もし他所の者が入り交じっていたならば追い払え。

こちらの下人は翌日異見せよ。深く憎んで道理に反する事を起こす時には、かえって
夜盗の手引きなどをするものだ。主命に背いて異見を用いないならば、手討にすべし。

一、是非もなき次第が起きて自分の家来を手討にしようとする時には、

先に誠意ある家人を一人呼んで次の間に控えさせて一方をあけてあき、手討にする者を
呼び出して、しかじかの理由を申し聞かせて得とくさせ、声をかけて討ち果たすべし。

怒りに乗じて急き込むと討ち損じ、取り逃した時には主人は汚名を得て、人前の交わりで
後ろ指をさされることだろう。

また、強勇の家人はかえって主人を討って立ち退くことがある。そのような時は、
子孫永々の恥となることであろう。

――『山本道鬼入道百目録聞書』




619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/30(水) 08:27:05.22 ID:+CaBbXaN
>>618
誰?

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/30(水) 11:33:57.67 ID:XcdFqZgl
甲陽軍鑑で今川家ディスるためのダシにされてる片目で色黒で醜い人では

週刊ブログ拍手ランキング10/24~/30

2013年10月30日 19:09

10/24~/30のブログ拍手ランキングです!



竹中半兵衛、黒田官兵衛の意図を 64

鯉を御前で調理した時 53

秋上伊織助、山中鹿介の対面 37
知恵が浅いとここがわからない 29

天野・杉原の普段の仲 27
人と交わる時、 27

ベタベタするのは野暮ったい 細川忠興 26
天正5年7月23日付、小寺(黒田)官兵衛宛秀吉書状 26

滝川一益がいまだ匹夫だった時のこと 18
「心にかかるものは一人、織田常真である。」 16
福島勢の戦いの様子を描いた逸話2つ 16

黒田官兵衛、仇を恩で返す 15
この景虎の先鋒に向かって恐れげもなく 13
慶長四年の秋、九鬼嘉隆と稲葉道通の間に相論が起こった 9

信栄の茶の湯の手前、ことのほか上手であった。しかし 8
在尾城の落城 4



今週の1位はこちら!竹中半兵衛、黒田官兵衛の意図を
コメントにもありましたが、本当に三国志の世界ですねwなんたる神秘的な軍師半兵衛!
「官兵衛はここに私が居ることを知っている」というのも、痺れるセリフですw
竹中半兵衛という人は、実は史料は少なく、実際にはどういう人物だったのかよく解らなかったりしますが、
こういう逸話を見ると、実に花も実もある名軍師!
半兵衛さんの事を、もっと知りたく成る逸話だと思いました。

2位はこちら!鯉を御前で調理した時です!
こちらは徳川秀忠の、いかにも秀忠らしいお話ですね。『罰なきところに賞は無い』
こういう原理原則的な考え方の出来る点が、未だ不安定であった江戸幕府を、盤石たらしめたのではないか、
そんな事をふと考えました。
秀忠という人は本当に、治世を作るための性格を、よくぞと思うほど万全に備えています。
きっとその裏には大変な努力もあったのだろうなと、想像もしちゃいますね。

今週管理人が気になったのは、こちらは乱世にしか通じない性格ですwこの景虎の先鋒に向かって恐れげもなく
いやあ軍神様、容赦ありません。さすがというかなんというか…
しかし武士というものは本来こういう性格なのですね。舐められちゃいけない、侮られてはいけない。
そして問題解決方法として即座に出てくるのは、相手を殺すこと。
鎌倉以前からの、武士のあるべき姿です。謙信公はそれを忠実に行っているに過ぎない。

このお話に現在の私達が残酷さや違和感を感じる、というのは、江戸時代に『武士の文明化』が、
広く行われたためなんですね。戦国後期くらいから徐々にそういうことは進みますが、江戸時代に入って
ようやく完成に至りました。それも大変な時間をかけた努力によって。
そう言う意味で、2位の秀忠の作り上げた江戸時代というものは、大変偉大なのです。
そんなことも思った逸話でしたw

今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話がありましたらどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!

( ´ω` )

「心にかかるものは一人、織田常真である。」

2013年10月29日 19:00

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 21:35:46.05 ID:TUlAiWxa
慶長十九年、豊臣秀頼に異心ありとの聞こえがあり、徳川家康はたびたび津田秀政を呼んで、
大坂の事について相談した。この時、家康は「心にかかるものは一人、織田常真である。
お前はなんとかして彼が大坂の城に籠らないようにはからえ」と言ったということである。

秀政は答えて「以前、常真の心底をうけたまわりましたところ、長久手の役の御恩恵は
いつも忘れていないとの旨を申しておりました。ですから、御言葉の趣旨を伝えれば、
必ず御味方に参ることは疑いありません」と申し上げた。

家康はこれを聞いて「お前の申すように必ず味方に属すのであろうな?」と重ねて尋ねた。
秀政は承って「もしこの御使いを仕損じた時には、それがしの白髪首を速やかに
お刎ねになってください」と、言った。

これに家康はとても上機嫌になって、それならば少しも常真を疎んじる気持ちはない
との旨を言いつけた。秀政はこの事をもって常真と通じ、味方させた。

――『寛政重修諸家譜』




445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/29(火) 13:00:50.43 ID:BCLP5R4h
織田常真ってそこまでの人物かな?仮に大坂の陣の時采配ふるったとしても対して影響無いような。
家康が関東転封の時に家康旧領へ転封蹴って改易になったくらい時流が読めない方だし

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/29(火) 13:51:26.13 ID:SUzHFdTK
本人の能力は置いといて織田信雄は何度も大軍を指揮した経験がある稀有な武将であり、
織田家の長者でもあり、淀殿の親族の長老でありと、名目的に旗頭になるには十分な境遇あり
信雄を名目的な中心として烏合の衆がまとまる可能性があった訳さ
んで、その後の信雄無き大坂方はみんなの知っての通り3派4派に分かれて派閥争いでグダグダ

447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/29(火) 15:11:02.99 ID:M+pvybLe
同じオダでも天庵様は実際何度か軍隊を率いて上杉謙信や佐竹義重とかと
戦っているんだけどね...(´Д` )

まぁ、率いりゃ良いってもんじゃないけどね。
ふと思ったけど相手が毘沙門天や鬼とかの渾名付きで天庵様運が悪かったのかもね。

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/29(火) 17:46:59.35 ID:oLTHvw/c
そんなの相手に生き長らえている天庵様、きっと天が味方を

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/29(火) 17:54:38.06 ID:tiBiOe3n
生きてるだけで身ぐるみ剥がされてるような

黒田官兵衛、仇を恩で返す

2013年10月28日 19:49

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 19:50:33.83 ID:Hsl4ksYA
天正7年(1579)10月19日、信長に反乱した荒木村重の有岡城が陥落すると、荒木に同心した
小寺政職は、自身への追求は逃れ難いと御着城を出奔し、中国所々を流浪しながら信長に対し
赦免を乞うたが、一旦味方に属しながら敵に寝返ったことへの信長の憤りは激しく、それを許すことは
無かった。その後、備後の鞆に居住し、天正十年に卒した。

小寺政職は男子一人、その後を付いて加賀守氏職と称した。その他、娘が数人あった。
小寺の家が滅び、その子がこのように零落したことを、黒田宗円・官兵衛親子は深く嘆き、
ある時秀吉に申し上げた

小寺政職の不義によってその家はすでに滅び、流浪の身と成って、終に死去いたしました。
然る上は、その子供の罪は御免して頂けないでしょうか?
彼を召し寄せ、養育したいと考えています。」

秀吉は、旧好を忘れぬ志に感じ入り、その願いを許した。

これによって官兵衛は家臣の衣笠久右衛門を使いとして備後の鞆に派遣し、小寺氏職を迎えて
懇ろに養育した。

世の人々は
小寺政職は信長公に背き、罪なき官兵衛を疑い、その身を危うくさせたと言うのに、
今その旧悪を忘れ、却ってこのように情深く憐憫される事。
誠に、恩を以って仇を報ずるとはかかる事である。』
と、感じ思ったそうである。

(黒田家譜)

黒田官兵衛、仇を恩で返すというお話




438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 20:57:09.51 ID:sghIEC8B
仇って言うけど黒田家を引き上げたのは政職だし、主君の言うこと聞かずに織田に肩入れしたのは官兵衛大先生だけどな

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 21:06:26.43 ID:6tbPYIo9
まあ黒田家譜だし、仕方ないじゃないか

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 11:33:13.84 ID:w7yJGO+8
人がいいのか真っ黒なのかクロカンはよくわからん

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 12:29:55.64 ID:0PvVS5nz
>>438
主君を利用したとも言えるね、陪臣から直属になれた

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 18:31:49.29 ID:v4M7Lw6D
>>400
人の良い腹黒オヤジ

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 18:33:03.90 ID:v4M7Lw6D
しまった>>440だおい、富田さんに喧嘩売ってくるわ

秋上伊織助、山中鹿介の対面

2013年10月28日 19:48

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 22:38:39.15 ID:fwUAutZf
じゃあいおりんの話でも。

出雲の国の大宮司、秋上家は無二の尼子方だったが、
勝久が「もし本意を遂げて出雲に入れたら秋上・山中を執事とする」と約束していたにもかかわらず、
次第に山中鹿介の方針ばかりを重んじるようになって、
伊織助の父、三郎左衛門尉は不満を抱いていた。
そこに吉川元春から「うちなら優遇するよ」と揺さぶりがかかった。
三郎左衛門尉は渡りに船と喜び、毛利家に味方する決断を下した。
勝久は慌てふためいたという。

さて、嫡子の伊織助は、たった一人で鹿介の宿所に赴き、面会を申し入れた。
何の警戒もせずにすぐに出てきた鹿介に対し、伊織助は
「こんなことになってしまってから会いに来るなど、面目もない。
 しかしあなたとは少年のころから仲良くしていて、死ぬならともにと約束した仲だ。
 それなのに、愚父は毛利家に属すと決めてしまった。
 明日からは敵になる。こうして会って話をすることもできなくなる。
 あなたとは朋友としていつまでもともにいたかったのに、残念でしかたない。
 これまで仲良くしてくれてありがとう。お別れを言いたくてここまで来たのだ」
と言った。

鹿介は答えた。
「侍は渡りものだ。あなたの父の決断は無理もない。
 あなたは少年のころから私の話し相手だった。今でも断金の友だと思っている。
 あなたが親とともに行動するのを、どうして恨みに思うものか。
 今日ある命も明日には知れないのが武家の習いだ。
 さあ、別れの盃を重ねよう。
 私は明日から、伊織殿を討つための謀略を練る。
 あなたもまた、私を殺す算段をするといい」

二人は盃を出して取り交わし、さしつさされつたっぷりと飲みおさめた。
「ではこれまでだ。明日は戦場の塵となるとも、互いに旧交は忘れまい」
互いに手に手を取り、涙にむせんで立ち別れた。

伊織が森山の城に帰った後、鹿介らは秋上の所領に夜討ちをかけた。

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 22:46:53.13 ID:fwUAutZf
スマヌ、いおりんはミスタイプでした……orz
あと既出チェックしてなかった。
重複だったら切腹で許して。




606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 22:52:50.52 ID:dbBhaRGm
>>603
イイハナシダナー

在尾城の落城

2013年10月28日 19:47

609 名前:1/2[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 01:42:47.42 ID:WcSP28Jl
大村家親は、大村家九代当主家徳の弟であった。
文明8(1476)年2月、小城の千葉介胤朝は家臣内田某をもって藤津郡に攻め入り、在尾城(現蟻尾山)を包囲した。
内田は在尾城に援軍のないことを知ると、城の水の手を立ち持久戦に持ち込んだ。
そのため家親は、千葉方に見える場所でにをつなぎ、精米で馬の背中を流し始めた。
馬を水で洗っているように見せかけたのである。
城の麓からその様を眺めていた内田は、場内にまだまだ水が豊富にあるのかと思い驚いた。
そこで内田は、在尾城が容易に落とせないと考え一計を案じる。
在尾山の北に位置する味島神社の方向にかがり火を焚き、今にも大勢が攻めてくるかのように見せかけたのである。
城方はこれに応じて表の城門に人を集めて警護を厳重にしたため、逆に南の警護は手薄になった。
こうして内田は兵を南に潜ませて手薄な裏門を一挙に突破したので、城内は大混乱に陥り在尾城は陥落したのであった。

611 名前:2/2[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 01:46:38.75 ID:WcSP28Jl
この在尾城の落城に際して、鹿島にはいくつかの悲話が残されている。

家親の女である緑姫は、在尾城の北斜面の茨をかき分けて西牟田の黒川に落ち、敵の目を逃れるために池に潜み身を隠した。
しかし、池には蛭が棲みついていおり、緑姫はこの蛭に襲われ命を落としたという。

また、家親の幼子は乳母に抱かれて南方に逃れて、千葉兵から身を隠すため藪の中に潜んだが、
幼児が急に泣き出したため、千葉兵に見つかり殺されてしまった。
今この場所には石仏が祀られており、「啼きびす仏」と呼ばれ土地の人々が焼香を欠かさないという。
お参りすると、幼児の夜泣きに霊験があるとされている。

なお守将の家親については、在尾城が落城すると能古見の本城を目指して落ち延びたと伝えられるが、
家親のその後については誰も知る者がおらず、史料に再び家親の名が載ることは無かったという。


佐賀の戦国人名史、大村日向守家親の項を参考に千葉氏と大村氏の抗争にまつわる話を一つ。
城名については現在の地名では蟻尾山と呼ぶらしいけれども、書籍に書かれていた在尾山で統一させていただきました。




610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 01:46:32.08 ID:VdlvUD7V
なんか聞いたことある話だな…なんだっけ

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 07:46:32.70 ID:GIcyzz/G
なんというか、よくある話を全部ぶち込んでみました的な

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 08:46:11.33 ID:hwLe+/Br
ごくありふれた風景なんだろうね

てか、まだ下総に対抗意識を燃やして千葉介を名乗っていたのか

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 12:37:05.85 ID:0PvVS5nz
直系なんだから当然だろ、下総のほうは宗家横領

ベタベタするのは野暮ったい 細川忠興

2013年10月27日 19:03

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 22:20:50.39 ID:3Ymjx0z2
ベタベタするのは野暮ったい 細川忠興

封し文の事、女郎よりはうつくしく封してこす物なり。
おとこよりつかはす封じ文は、ひしひしと折まきて、
封じめ計に糊を付て、上下は其のまま置くべし。
若し大事の用をいひやらば、封しめに印判はくるしからず。
それとても、上下をおりかけ糊付にするは初心に見ゆ、
文箱にいれて封付けたるなどはくるしからず。

細川忠興入道三斉は、封じ文の上下はいふに及ばず、
封じめに糊おほく付る事さへきらひ給へり。
糊多く付たるは野体なる物也。  以上、 色道大鏡 巻第二・寛文格 より原文引用

(遊女からの文は美しい封をして寄越すもの。男から出す文はしっかりと封をする事。)
(大事な用を書いたなら、封じめに捺印するのは見苦しくはない。)
(上下を折り込み糊付けするのは初心者。文箱に入れて封をつけるのは見苦しくない。)

細川忠興は封じ文の上下の折込はもとより、封じめに糊を多く付ける事さえ嫌う。)
(糊多く付けるのは野暮である。)  以上、転載者の適当な意訳

三斎様の出す文には、彼なりの拘りと美学があったのでしょう。男が出す文のお手本ですね。
しかし、遊女の手解き書に書かれるくらいなのは、実際に三斎様が文を遊女に送ったか、
貰った遊女がとっておいたのかは定かではない。ですが、三斎様の艶文、見てみたいものです。





知恵が浅いとここがわからない

2013年10月27日 19:02

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 22:10:31.57 ID:UJJpVPKX
古老の話、ある者の屋敷を上役が事情により必要となったので、
差し出すよう申しつけられ転居先を探していたところ、
話が進むなかで、やはり必要でないということになった。
それで、転居先を探す手間を無駄に過ごしたとその者がすっかり腹を立て、
今回のやり方は不届き至極だと、堂々と誰にでも不満を明かしていたが、
上役がその者に謝罪をしたので納得し、そのうえ謝礼として金銭を受け取ったことを誇った。
いやはや、この者は笑止千万な武士である。
損をさせられ負けているのは意気地がないと世の人は思うものだ。
しかし、それは違う話なのである。
たとえ上役相手でも損をさせられたなら取り返す、
などということは武士の覚悟とはまったく別のことである。
要するにこの男の話は損得の話なのだ。
根本が汚い。
それを上役相手でも金を取り返したなどと誇るのは誠に無礼千万と言ってよい。
はっきり言えば、金銭を受けとれば逆に負けとなる。
将来の支障になることだ。
裁判での言い分などというのもこれと同じで、みな損得の話である。
損さえ覚悟していれば争い事は起こらない。
こればかりは我慢しても負けにはならぬ。
知恵が浅いとここがわからない 【葉隠】






竹中半兵衛、黒田官兵衛の意図を

2013年10月26日 19:40

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 20:05:57.73 ID:MTndVanY
ある時、羽柴秀吉は別所長治の籠もる三木城を攻めた。
三木の城山より尾根が続いて下る山の尾崎があり、秀吉はその向かいの山の陣を敷いたが、
その距離は甚だ近いものであった。
三木城からは度々この尾崎に兵を出し羽柴軍と小競り合いを起こし、何度も敵が利を得て帰っていった。

とある早朝、秀吉が本陣から見ると、その尾崎の後ろの方の山陰に、4,500ほどの兵が備えており、
伏勢のように見えた。あれが敵か味方なのか、秀吉が迷っていると、竹中半兵衛がこれを見て言った

「今日の合戦は味方が勝利するでしょう。何故なら、あの山陰に見える伏勢は敵ではなく、
小寺(黒田)官兵衛の部隊だからです。

と言っても、私が官兵衛殿と話し合ったのではありません。ですが、官兵衛はここに私が居ることを
知っています。

彼の伏勢を見ますと、三木城から人数が出撃した時、尾崎の前に備えている神子田半左衛門(正治)は
それと一戦し、わざと早々に引き退く作戦をとるべきでしょう。そうなれば敵は必ず、
逃げる軍勢を追撃します。
その時官兵衛殿は伏兵を起こし、追い打ちにするのです。

そうなると、追い詰められた敵はこの本陣の前を通過するはずです。そこでここからも兵を出し
それを討てば、必ず充分なる勝利を得られるでしょう。

官兵衛殿の考えは、鏡を合わせて見るように解ります
神子田殿に敵が出てくれば矢戦を少々やって、必ず早々に引き退くようにと仰せ付けられるべきです。」

秀吉はこれを聞いて尤もだと思い、神子田に使いを送ってその旨を命じた。
この時竹中半兵衛は、印をつけておくと、小笹を7,8本切らせて腰にさし、馬に乗って
尾崎と本陣の間まで行くと、谷あいを横に見た所にこの笹を挿した。
そして本陣に帰ると「敵があの笹の印を越えてきた時、ここから人数を出して、
横合いに攻めかかるようにして下さい。」と言った。

この様に、神子田も下知を得て待っていた所に、案の定三木城から兵が出てきた。
神子田は下ってくる敵に矢戦にて一戦するように見せたが、早速撤退を始めた。
敵はこれを謀とは知らず、後ろについて追撃を始めた。
ここで案の定官兵衛の伏兵が立ち、追いかけて三木勢を手痛く攻撃した。
こうなっては三木勢は、後ろに戻ることが出来ないため秀吉の本陣の前を通過するより他にない。
そして例の笹の印を超えた時、兼ねての想定通りに本陣より兵が出て横合いに攻めかかる。
後ろからは官兵衛の部隊が更に激しく攻めかかり、神子田勢も取って返してこれを攻撃する。
こうして前後と横から挟み討たれ、敵は一支えも出来ず即座に壊乱し、その殆どが討ち取られた。

合戦が終わって秀吉は、官兵衛と半兵衛の謀を大いに感じ入った。
官兵衛は伏兵を置くことを、秀吉や半兵衛に告げなかったのは、急に敵が出てくる様子があったため
にわかに兵を備えたため、連絡する暇がなかったのだ、と語った。

(黒田家譜)

竹中半兵衛、黒田官兵衛の意図を即座に理解し戦勝に導く、というお話。





419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 23:34:22.53 ID:/qI2tW2t
>>417
長生きしてもらいたかった

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 00:22:50.13 ID:8yfDmZf/
半兵衛が存命なら、関ヶ原ではどちらに就くのか気になる

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 00:38:52.42 ID:2zS4mEmT
普通に朝鮮に渡って三成にぶちぎれ組の一員になってんじゃない

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 01:04:12.34 ID:j0ARABPu
そりゃ知らぬ顔で毛利の陣でからあげ弁当を…

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 01:13:26.86 ID:cByI3DZg
>>420
黒田と同じく息子が東軍なので東軍確定

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 01:36:02.17 ID:jGB7mCkb
重門って寝返り組だよね
井伊が誘ったから寝返ったのかな
それとも井伊に頼み込んだのかな

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 03:33:42.12 ID:ZIyHnAFD
真田と同じく息子が東軍なので西軍確定

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 06:09:40.93 ID:uTiz2UFY
>>424
犬山の調略は直政と加藤貞泰の間で進んでたので
縁戚である竹中も乗っかったんじゃないかな

天野・杉原の普段の仲

2013年10月26日 19:38

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 09:54:32.77 ID:oZCdc+f1
上の方でちょっと険悪な天野・杉原の普段の仲をうかがわせるお話。


上月城の戦いでは勝利を得た毛利勢だったが、
備前の宇喜多・伯耆の南条など、相次ぐ離反に悩まされていた。
元春率いる吉川勢は南条攻めに赴き、抗戦に出た南条の一族、九郎左衛門を討ち滅ぼした。
その勝利は、先陣の杉原盛重の活躍によるところが大きかった。

やがて拠点としていた八橋に引き上げてきた吉川勢や国人衆が、
皆で集まって今回の合戦の話をしていたとき。
盛重の嫡子の元盛が天野隆重に向かって、「南条勢の敗因を分析してください」とねだった。
隆重は、今回の地形ならば南条勢がどのように備えどう戦っていればよかったのかを語り、
「しかし南条勢が万全の備えで出てきても、盛重が臨機応変に応戦しただろうから、
どのみち南条勢に勝ち目はなかった」とまとめた。
元盛はすっかり感心して、話に聞き入っていた。

すると今度は隆重の嫡子の元明が、盛重に対して
「愚父がご子息の勧めで考えを述べたのですから、次は盛重が勝因を教えてください」とねだった。
盛重も元明の求めに応じて、自分の戦術を細かに語って聞かせたが、
「本命の南条元続を誘い出すことができなくて残念だった」と結んだ。

盛重は続けて、
「敵がやりそうなことを予想して、前もって対策を講じておくのが軍法の基本ではあるものの、
 実際に相対した敵を制する方法は、事前にどうこうと言えないものだ。
 敵の機を察する以心伝心の妙が必要だ。
 けれどこれは、敵の様子を見るまでは何の備えもしなくていいという意味ではない。
 しっかりと備えを固めておくことも大事だ」
とアドバイスした。

さらに談義に花が咲くかと思われたが、盛重が元春に呼び出されてしまったので、
寄合はお開きとなった。




587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 10:41:50.32 ID:DzMsDEuO
帝国陸軍兵学校の講師に招きたいのですが

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 11:09:34.17 ID:oZCdc+f1
今別の本読んでたら、元就の「御弓矢向、常々御談合之衆」リストに隆重・盛重の名前もあって、
わりとこの手の話が好きというか得意な人たちだったんだろうな。

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 18:25:01.14 ID:cxvo9xQO
杉原盛重は忍者の棟梁でゲリラ戦のプロフェッショナル
天野隆重は兵300で兵6千の尼子再興軍をボッコボコにしちゃった対ゲリラ戦のプロフェッショナル

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 18:55:59.57 ID:d7SjMLDf
ヴェトコンの起源である

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 11:44:48.15 ID:T7i8gd7L
>>589
兵6000側が兵300側にゲリラ戦仕掛けるとか意味が良く分からないんですよ。
しかも300側が勝つとか。

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 12:26:17.23 ID:kv2pxtZY
そりゃ相手の20倍もいるのに正攻法で戦わなかったのが敗因だな(確信

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 14:11:05.83 ID:zLEzgT+j
>>598
月山富田城は正攻法で落とせない城だから
経久のようにゲリラで攻略するか元就のように兵糧攻めで攻略するしか手がないのですよ
で兵糧攻めは時間がかかって不利になるからゲリラ戦でいこうってなったんだけど
出す手全部読まれて逆にボコられたという

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 18:10:28.25 ID:7PW1nfMd
降伏したいんだけど色々手続きあるからちょち待ってよ、と言われて鹿ちゃんたち待ってたら
時間稼ぎされて後詰めきてあぼーんしたんじゃなかったの?

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 20:04:17.11 ID:EaC0wMRM
天野「降伏するよ―。城を渡すから取りに来てよ~」
秋月伊織之助(尼子十勇士)「ほいほい」
天野「ほいほい来てしまって良かったのか(ニヤリ)」
城門の中に引き込んだ後で殲滅

激昂した山中鹿之介、あの手この手で攻め立てるが全て見切られて撃退。
そうこうするうちに後詰めの吉川軍が到着。
初手の失態で居心地の悪くなった秋月は毛利に寝返り。

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 22:47:08.97 ID:zU/z4xUz
300人で大軍と戦ったと言えばペルシア戦争でのスパルタ

607 名前:602[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 23:23:52.08 ID:EaC0wMRM
すまぬ、 ?秋月 ◎秋上 だった。 罰としてアイマス2を買ってくる。

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 23:49:44.14 ID:R8oG1Hnq
ヒロインあしつきいおり、が出てくる「I′s」でも買ってくれば

人と交わる時、

2013年10月25日 19:08

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 17:21:16.40 ID:4Y/L2yAU
人と交わる時、「世の中に何の望みも無い」と言う人と深く付き合ってはならない。

貴賎ともに、人に望みが無いという事はない。望みが有るからこそ、
すなわち今日の行跡を慎んで乱れないのである。

ところが何事も望みが無いと言う人は、己の心を基本として我儘で気随なものである。
今日は心よく付き合うとしても、明日には勝手な振る舞いが表れて極まるものと知るべし。

――『山本道鬼入道百目録聞書』





418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 21:53:07.08 ID:8Fc0tuzc
>>414
ひろゆきの言う「無敵の人」みたいなもんだね

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 10:46:07.76 ID:DzMsDEuO
>>414
「金もいらぬ、命もいらぬ、名誉もいらぬという者は始末におえない。だがそういうものでなければ大事はなせない」
By 勝海舟

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 13:02:16.53 ID:UJJpVPKX
>>414と>>427どちらの言葉にも当てはまる人物

『心知らぬ人は言わば言え
身をも惜しまじ名をも惜しまじ』

明智光秀

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 13:30:51.41 ID:x4oVNex5
>>427
あれ?それ西郷の言葉じゃなかった?

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 13:36:43.12 ID:UJJpVPKX
~西郷隆盛が山岡鉄舟を評した言葉~

431 名前:勝海舟[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 16:57:12.52 ID:DzMsDEuO
うるせえ。 江戸っ子っが細けえことを気にすんな

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 17:25:40.19 ID:IW6UAmv8
嘘でもいいから本当の事を言ってくれ

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 17:34:43.78 ID:Hu1FX0cx
なんか西郷が泥舟を評した言葉とも聞いたことがあるが
三舟どれでもいいや

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 10:32:22.48 ID:OSATyEou
>427、命は大事だよと我らの天庵さまは申しておりますが

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/27(日) 17:51:27.63 ID:CpyCjo5J
天庵様の本体はネコだからな。
人の姿の命など、仮初めのものに過ぎない。

信栄の茶の湯の手前、ことのほか上手であった。しかし

2013年10月25日 19:07

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 00:07:38.83 ID:yrwsuMaa
佐久間信盛・信栄の親子が石山本願寺を包囲している時、織田信長が陣中を訪れた。
佐久間親子は茶会を開いて信長をもてなした。
信長は京に戻ってきてからこう言った。
「信栄の茶の湯の手前、ことのほか上手であった。しかし羨ましいとは思わない」




408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 00:13:38.61 ID:ptmj4Qfe
で信長折檻条につながると
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4448.html
一、貴様(親子)が本願寺を包囲している間に手柄を立てた話は聞いたことがない。
二、もっと臨機応変に戦うべきなのに、貴様は包囲一辺倒で工夫がない。
十二、貴様の息子はろくでなしだ。

信栄が茶の湯より戦に励んでいればよかったものを

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 01:38:10.58 ID:D7rKQx7m
「お前もそうだが息子も茶の湯にばっかり励みやがって、武士なら戦に励めコラ」
と。
まあでも信盛にしてみりゃ、ウッカリ動いて負けでもしたら自分が討ち死にせずとも塙直政一族みたく潰されるんじゃないか、とか考えてたんじゃないかなあ

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 01:40:12.78 ID:tdHrFcQD
そりゃ首になっても仕方ない

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 09:04:31.68 ID:4d91IT6u
>>408
信盛「貴様の息子は舞は事の外上手だが要らん戦仕掛けて負けてくるろくでなしだ。」

412 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/10/25(金) 10:55:51.70 ID:2xlYhFig
でも信盛が死んだ後、息子は旧領戻してもらえたよな

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 12:39:13.22 ID:D7rKQx7m
ちょっと切れ気味でキツいハッパかけたつもりがまさかアッサリ引っ込むとまでは思ってなかったとか
それに家臣も散ってるし、何より腐っても織田の重鎮の一人だった信盛と違って、息子だから戻しても問題ないかなとかじゃないの
敵に内通した、とかの疑いじゃないしね

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 19:06:11.52 ID:sVFaAJ4L
魔王さま領地を取り戻した水野の息子の方がろくでなしなんですけど、しかも筋金入りの

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 19:20:25.93 ID:7A29hjLT
鬼武蔵は人でなしというか鬼畜だけど、ノブのお気に入りです

鯉を御前で調理した時

2013年10月24日 19:20

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 07:30:35.42 ID:0KNR1rSS
鯉を御前で調理した時、鯉の調理は鯉の背を三度撫でてから切ると言う
のが作法であったから、料理人がこれを撫でた時、鯉がはねて俎板の上
から落ちそうになった。

この時、まな箸を取り直して両目を一箸に突き刺し、そのまま調理した
様がいかにも手際良かったので、周囲のものはいずれも感嘆し賞せられる
のではないかと話し合った。

秀忠公は初めから余所を向いていて見もしなかったが、調理ができあがり
左右へも賜られたところ、風味も格別であると周囲がまた言い出したが

「このような小事には賞を行わぬものよ。賞罰というのは全てつり合いが
取れていなくては成り立たない。この鯉を調理した時にもし取り落とした
からと言って罰するべきだろか。汝らはただ目前の事を見るだけで前後の
思慮が無い」と仰せられた。

(徳川実記)




403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 14:12:17.49 ID:cBOtFCYU
秀忠は本当にいい管理者だわ

時にその料理人と賞すべしと申した者の名はなんと

この景虎の先鋒に向かって恐れげもなく

2013年10月24日 19:19

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 06:55:42.69 ID:6KlCSDX4
天文22年(1553)8月、長尾景虎(上杉謙信)は上野の平井城に滞在し、上野・下野の国境などを見て回った。
兵二千あまりを連れて、桐生から佐野に越えようと、新田龍広沢の境、足利八幡に差し掛かったが、
道幅が狭く、また地理不案内でもあったので、軍勢が左右の山の根や田畑を踏み荒らした。

この様子を、金山の横瀬雅楽介成繁の足軽大将である金井左衛門佐がそこから離れた茶臼山の要害より
これを見つけ、雨沼のあたりまで馬で駆け下りて、景虎の軍勢に向かってこれを咎めた。

景虎の先鋒である柿崎和泉守(景家)はこれに手のものを走らせ

「誰であろうと、馬上よりの誰何は無礼である!」
と言い返し、重ねて
「お前はこの近くの、地頭か誰かの使者なのか!?」
と問うた。

金井は答える
「私はこの地の領主、新田の家人で金井左衛門佐という者である。
この山の番所を預かり、警護をしている。

ここから足利までは、新田、長尾両家の土地が入り組み、なにか起これば複雑な事態となる。
大将たるものは部下が乱暴狼藉をしないように下知せよ!」

この報告を受けた景虎は笑い出し
「この景虎の先鋒に向かって恐れげもなく、しかも馬上からあしらうとは、無礼である!
このまま言うとおりに成っては、今後、この周辺の諸将にも侮られるであろう。」
そして
「その金井という足軽大将を殺し、彼の番所も焼いてしまえ!」
と命じた。

これを聞くや、逸り立っていた柿崎の手の者は刀を抜いて金井に迫った。
金井は、かなわじと見て馬を引き返し、神明の森まで逃げたが、越後の兵はなおも追撃を続けたため、
彼は寄騎の侍二人と踏みとどまって抜き合わせたものの、やはり多勢に無勢であり、
金井はついに立ち腹斬って果てた。

二人の寄騎はかろうじて番所まで逃げ帰り事の次第を告げ、番所に居た老人や女子供を
直ぐに山奥の谷に避難させた。
そして他の者達が防御のため弓、鑓、長刀と武器を探している所に、はや柿崎の家来たちが
踏み込んできて、目に入った者は老人であろうと子供であろうと片端から斬り捨てた。
その上で、番所に火を放って一片の煙とした。

(関八州古戦録)




570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 07:38:02.07 ID:Veg5aus4
ヒャッハー

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 08:40:47.17 ID:OwYsjTG9
千葉や成田といい坂東武者ってのは時代錯誤も甚だしいねw
まあ関八州古戦録は謙信公の名を貶める資料だからしょうがない

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 08:46:06.80 ID:K3geGEnj
関東からしたら影虎なんて手のつけられない暴風雨でしかないからなあ
構おうものなら身が破滅する

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 12:36:36.05 ID:5tNL3Dlq
馬上でなんたらっていちゃもんの付け方が、まんまヤクザの手法だな
お前の言うことは正しいかもしらんが、その態度が気に食わん、誠意見せろや!って感じ

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 15:15:09.78 ID:eKAptpLg
>>572
基本的に関東の武将が北条についたり上杉についたり北条についたりしたのは
謙信が怖かったからだよ!日和見してたわけじゃないよ!ってアピールは凄く感じる

滝川一益がいまだ匹夫だった時のこと

2013年10月24日 19:18

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 18:12:12.73 ID:JWtR0ukI
滝川一益がいまだ匹夫だった時のこと。伊藤内蔵という者がいて、
多くの人がこの者を討ちあぐねていたところ、

一益は思案して、ある宮の拝殿に伊藤が参詣する時に座るところの柱に
穴をあけておき、伊藤が社参した時にその穴から鉄砲で撃ち殺した。

これに立ち騒ぐ諸人の中を一益は障りなく退いたのだが、
刀の鞘を落としたことを無念に思って引き返し、鞘を取って退いた
ということである。

――『名将言行録』




576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 18:15:30.31 ID:EkpOBQfM
どこからつっこめと

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 18:35:40.34 ID:I65kX809
ケツからだろう

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 18:43:53.36 ID:2dc+yolJ
なぜ鞘だけ落としたw

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 18:57:23.67 ID:F3ZUhnVt
ノブ野望で滝川一益の鉄砲ステータスが高いのはこの逸話のせい?

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 19:59:45.10 ID:p0HZ9wCZ
××人皆殺し!とか書いてあるから貶してるのかと思ったら
実は、カッケー!スゲー!!ってアゲてるんだった、なんて話を聞いてから
こういう話をどう受け取ったらいいのか分からなくなった…。

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 20:53:18.98 ID:+3FCDnJC
書かれてないけどこれは上意討ちか何かで、
首をとる必要があったから、その時に鞘を忘れたってことなのか?

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 21:00:15.42 ID:vQURCEwh
穴のあいた柱って残ってないのかな
つか穴あけてる最中に来たら間抜けだな

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 23:34:19.32 ID:UDBh0w+w
いまだ匹夫というか、やり口がまさに匹夫としか

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 00:48:56.43 ID:/qbf96ER
鞘だけ落としたってことは、抜き身で腰に差していたのか?
それとも抜き身をぶら下げて帰ろうとしたのか?

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 04:55:42.87 ID:95vLKmEi
『武功雑記』巻十(p33)にも同様の記述あり
http://bushomemo.blog.fc2.com/blog-entry-700.html
だそうだ

天正5年7月23日付、小寺(黒田)官兵衛宛秀吉書状

2013年10月23日 19:43

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 06:19:48.29 ID:shVP74YX
天正5年(1577)7月23日付、小寺(黒田)官兵衛宛秀吉書状

『内々の御状うけ給い候。いまにはじめざると申ながら、御懇のだん、ぜひにおよばず候。
其方のぎは、我等おととの小一郎め、どふぜんに心やすく存候間、なに事をみなみな申とも、
其方ぢきだんをもつて、せじ御さばきあるべく候。此国においては、せじよからば、
御両人の御ちさうのやうに申なし候まま、其方も御ゆだんとてはいかが候間、御たいくつなく、
せじ御心がけにて御ちさうあるべく候。御状の趣一々心ゑ存候。
かしく

七月二十三日    ちくぜん
 小くわん参る 御返事

 なをなを、其方と我等間がらのぎは、よそより人々さげるみもあるまじく候間、
なに事をもそれへまかせ申候ても、よそよりのひたちあるまじく候。人もはやみおよび候と存候。
我らにくみ申者は、其方までにくみ申事あるべく候。其心得候て、やうじんあるべく候。
さいさいは、ねんごろにはまうされず候間、ついでをもて、ねんごろに可申入候。
此文みへもすまじく候間、さげすみ候て御よみあるべく候。以上』

(あなたからの内々の書状を受け取りました。今に始まったことではありませんが、
あなたの懇ろな対応には、感謝の言葉もありません。

あなたに対しては、私の弟の小一郎(秀長)の奴と同然に心やすく思っています。
他の者達が何事を言って来ても、あなたの直の判断で、万事処理して下さい。
この国(播磨)においては、万事良い状況であれば、御両人(政職・官兵衛親子)の
手腕のように言われるのですから、あなたも、油断などは無いでしょうが、退屈すること無く、
万事に心がけて政治を行って下さい。あなたからの書状については一々心得ました。
かしこ

7月23日 羽柴筑前守秀吉

 小寺官兵衛殿へ ご返事として

追伸 あなたと私の間柄は、余所の人々からの蔑みを受けるようなものではありません。
何事もあなたに任せても、余所からの批判など受け入れません。
そういった事は人々ももはや知っていると思います。
私を憎んでいるものは、あなたまで憎むこともあるでしょう。どうか用心して下さい。

最近は、じっくりお話する機会がなかったので、ついでを以って、懇ろに申し入れました。
この文は大変見栄えが悪いと思いますが、秀吉の文章はこんなものだと蔑んでお読み下さい。以上)

秀吉公は卑賤の出であり、文筆に関する教育を受けなかったのか、その文章は拙く、
言葉の誤りも多い。
だがこの書において、秀吉公が英材であることを見なければならない。

(黒田家譜)

黒田家譜に見える、秀吉の官兵衛への信頼がよく解る書状である。




405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 22:09:02.93 ID:F3ZUhnVt
>>401
>秀吉の官兵衛への信頼がよく解る書状である。

実際には全く気を許してないけど

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 22:56:03.03 ID:/GSknnVZ
こういう手紙を知りあって間もないクロカンにさらっと書いて
感激させて一生懸命働かせたあたり、秀吉は人使い上手いっていうか
やっぱり天性の人たらしだなぁ、と思う

福島勢の戦いの様子を描いた逸話2つ

2013年10月23日 19:42

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 23:40:22.59 ID:lS7XFr30
加藤清正らと違い、朝鮮出兵ではどうにも影の薄い福島正則
その福島勢の戦いの様子を描いた逸話を2つ。

文禄の役の際、朝鮮に渡海した福島正則は、配下の部将に慶州城を守らせていた。
そこへ韓将朴晋なる者が来攻したが、守将はこれを撃退することに成功した。
ところが敵方は震天雷と称する大砲を製造しており、朴晋は夜陰に乗じ、
その大砲を使って城内に巨丸を撃ち込んできた。
発射された砲弾は城の中庭に落下し、(落下しても何も起きないので、)
城兵たちが怪しみながらも集まって見物していると、
突然砲弾が爆発、雷の如き衝撃と共に鉄弾が四方に飛び散った。
この爆発の結果百人ほどの死傷者が出たため、怖れた守将は城を放棄してしまった。
(逸史)

日本の諸軍が漢城で明・朝鮮軍と戦っている頃、正則は稷山城を守っていた。
その頃敵はどうやって知ったのか、「正則は関白の叔父である」という情報を得た。
これを知った敵方は「正則さえ討ち取ってしまえば、この戦いに勝てる!」と考え、
三度まで攻勢を仕掛けてきた。
しかし正則によってその都度撃破され、それ以後敵は近付いて来なくなったという。
(藩翰譜)





552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 00:16:53.64 ID:3i8i/pzG
三成も秀吉に正則が何度も敵を押し返し奮闘していると書状で報告しているな
でももう援軍送らないとやばいと付け加えて

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 03:36:59.01 ID:DSfDkvWx
ちゃんと仕事しても嫌われる三成であった

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 09:37:09.09 ID:C6Nl5D6m
正則がちゃんとイメージ通り猛将してるのって珍しい

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 10:33:52.43 ID:sKb5KpFq
>>552
真面目な話七将の中で正則が三成を恨む理由がちょっと思い当たらない件。
他の面子は朝鮮で揉めたとか秀次事件の処理で揉めたとか事の真偽はさておきそれっぽい話があるのに。

>>554
市松は確かに名将だったよ。ただ信野暮で戦闘が毎回90超えなのはちょっと盛りすぎだとは思うけど。

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 11:02:49.95 ID:C6Nl5D6m
>>555
へー、そうなんだ
統治者としても官僚としても軍人としても優秀で、人格者とか完璧超人だな



そう、酒さえ入らなければ…

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 11:15:28.20 ID:bO0IuSJY
>>555
>真面目な話七将の中で正則が三成を恨む理由がちょっと思い当たらない件。
学級委員長気質の三成に酒をたしなめられたとか、そういうことがあったのかも知れん

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 15:49:23.95 ID:3i8i/pzG
対立の原因は諸将が窮地なのを秀吉に訴えても
返ってくる答えがなぜか「サボってるだけだろ真面目にやれ!」で
連絡係の三成が報告を改ざんしてるって疑われて、こじれてだから、
三成と正則の個々のつながりはあんまり関係ない

慶長四年の秋、九鬼嘉隆と稲葉道通の間に相論が起こった

2013年10月23日 19:41

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 17:41:40.50 ID:sZuTzTT8
豊臣秀吉の死後、慶長四年の秋、九鬼嘉隆稲葉道通の間に相論が起こった。

これは徳川家康の裁断により、九鬼の訴えが非理と定まった。このために、
道通は喜びに堪えず、嘉隆は無念に思い、やがて子息に家を譲って籠居した。

明くる五年の秋、家康は上杉家を退治するとして下向した。道通もこれに従うが、
家康の仰せを受けて道筋の途中より引き返し、岩出城に留まった。

家康は上方の戦いが起こるであろう事を知っていて道通を返したとのことである。
この時、道通は乗物から下りて供の侍のようにして国に帰った。

すると道中にて、いずことも知れず鉄砲の音がして、かの乗物に銃弾が当たり、
道通はかろうじて免れて帰ったということである。

――『藩翰譜』





560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 18:27:46.95 ID:w7p2gJOY
通行料の件か >相論

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 18:50:46.40 ID:y8LRRHEU
武吉「九鬼家ざまぁ」

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 19:09:16.35 ID:bO0IuSJY
息子の部下(娘婿でもある)に自害させられるのと、
息子に討ち死にして先立たれるのと、どっちが幸せなんだろうな

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 19:31:46.75 ID:Mh36CliO
稲葉道通って「みちとお」か「みちみち」じゃないなさすがに

伊勢
よしたかの息子「東軍につこう」
稲葉「東軍につこう」
よしたか「稲葉は嫌いだ。西軍につこう」

八幡城
よしたかの義理の息子「西軍につこう」
稲葉「西軍につこう」
よしたか「稲葉は嫌いだ。東軍につこう」

関ヶ原
よしたかの息子「西軍につこう」
稲葉「西軍につこう」
よしたか「西軍につこう・・・息子のせいで早く終わりやがった」

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 19:49:48.74 ID:wimPbiCv
嘉隆は三成が口説き落としたって聞いたぞ

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 20:00:28.58 ID:w7p2gJOY
>>563
いなばさんとよしたかくんですね

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 20:03:28.88 ID:Mh36CliO
数年前のネタなのにもうバレた

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 20:20:00.43 ID:w7p2gJOY
というか関ヶ原のよしたかくんの息子もいなばさんもよしたかくん本人も東軍じゃね?w

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 20:27:47.06 ID:Mh36CliO
スマン稲葉とよしたかで自分も混乱してた
つまらんネタひっぱるのもなんだからこのへんでやめとく

週刊ブログ拍手ランキング10/17~/23

2013年10月23日 19:39

17~/23のブログ拍手ランキングです!



西国で川中島合戦にまつわる論評合戦があったらしい 80

今どき畳の上では想像も出来ないことだろう 79

その刀を自在に抜くことが出来るか 33
千葉良胤、織田信長からの勧告状に 32

本当にご苦労なされることだ 30
首餅 30
雑談・「最上義光公没後400年記念事業」について 30

本多忠朝「討死しよう」 27
山本勘助の見た松平清康 22
神認定を受ける 21

凍った井戸 20
大友義統、天正18年3月願文 19
誠に一騎当千の剛の者である 15
雑残・忍城攻めについて 14



今週の1位はこちら!西国で川中島合戦にまつわる論評合戦があったらしいです!
こちらは今でも通じるお話ですね。過去の事象をどう判断するか。論者ごとに考え方や立場によって、
同じ事への評価でも、大きく相違します。真反対の結論になっちゃうことすら、間々ありますねw
そして結論の部分の熊谷伊豆守の言葉、これはほんとうに素晴らしい。
研究者の方々はともかく、僕達のような一般の人間は、この精神で歴史を語りたいものですw

2位はこちら!今どき畳の上では想像も出来ないことだろうです!
凄まじい、戦場の「現実」を表した記録ですね。
合戦の中で兵士がどんな状況にあったのか、それを想像させてくれる大変貴重な証言だと思います。
戦場が、ただ生きていくだけでも精神的にどんどん憔悴し、また戦場においても華々しい戦いとは
全く別の、不確定な死が待っている。
非常に重く、それだけに真に迫る逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!神認定を受けるです!
これは2位の逸話と対を成している感じがしますね。過酷な戦場の中で、一方でこのような
命を度外視した、非現実的な光景がある。こういうものが、合戦の魅力でもあり、恐怖でもあるのでしょう。
そしてこういうことをしようとして死んだ、何百何千の兵士の存在も想像させます。
本当に天文学的な確率で運良く生き残った。それを周りもわかっているからこそ神だと言った。
それにしては「某」などと、はっきり名前の残っていないのは少々かわいそうですがw



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話を見つけられましたら、どうぞそこの拍手ボタンを押してやってくださいませ。
( ´ω` )

神認定を受ける

2013年10月22日 20:16

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/21(月) 20:19:50.96 ID:/CS/OUr4
大阪冬の陣でのこと

藤堂高虎の部隊に岸本某という射手がいたのだが、
ある日、陣地を離れなんと大阪城の堀際にまで行って、そこで火矢を連発した。
ところが、この時ふとしたはずみで弓を堀に落としてしまった。

堀の深さは一丈あまり(約3メートル)、大阪城からの攻撃もあり、これを取るのは誰が見ても
甚だしく難しいものであった。

ところが、この岸本某はゆっくりと自分の甲冑を外すと、堀を降り始めた。
城中からは、そんな岸本に霰のように矢弾が集中した。

これには味方の者達も驚き、岸本の所属する部隊の隊長や同僚が駆け寄って

「帰って来い!帰って来い!」

と叫んだが、岸本は聞かずついに堀の底に降り弓を取り戻すと、再び上がって甲冑をつけ、
そしてゆっくりと歩いて陣地へと戻った。
彼の体には、傷ひとつ付いていなかった。

これを見た者達は驚愕し、「あいつは神だ!」と言った。
(観者駭嘆して似て神と為す)

(宗國史太祖記)

大阪冬の陣で、神認定を受けた高虎配下の武士についての話である。




387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 09:59:38.89 ID:+oXgfRrT
>>383
ネ申じゃなっくってまだ神だったんだな

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 10:51:48.44 ID:n3io6Ys1
小田原城で弁当食べたのは景虎の影武者だよね

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 10:55:06.84 ID:8rEmS6kf
謙信ならマジで自分を毘沙門天の化身と思ってるからやりかねない

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 11:17:03.82 ID:uCqjKygl
秀元「弁当と聞いて参った」

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 11:25:55.48 ID:cZ8fRsvG
川中島で武田本陣に特攻かました上杉家臣が信玄いっぱいいたみたいな事言ってたから
謙信はあんまり影武者使ってなかったと思いたい

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 11:40:26.57 ID:ewEmgqLw
>>383
作家の火野葦平は、中国戦線で敢えて敵弾に悠然と身を晒す下士官を見て
「そんなのは勇敢なのでもなんでもない、私は幾多の戦場でよくこういう英雄を見かけた」
と皮肉っぽく批判してるけど、
実際こういうことをやると、味方のテンションはかなり上がるものらしいな。

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 14:21:06.28 ID:rbdMPLtZ
上層部が兵士の士気を当てにして戦略を練ったら負けるけど、
戦闘においてはやはり兵士の士気は重要な要素だからなあ
テンションを上げてくれるような勇者が居るとやはり盛り上がる

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 14:29:38.86 ID:XN7ZrXmw
幾多の戦場に勇敢な指揮官がいたってことではないの
前後の文がないとなんとも言えないけど

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 21:31:46.57 ID:rTSslT3W
有効射程距離がせいぜい200mくらいの火縄銃の時代と違って
機関銃とか高性能ライフルが狙ってる戦場で身を晒すのは勇敢というより馬鹿だろ

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 21:43:20.90 ID:BSyIhQKg
太平洋戦争時に南方のフィリピンで戦った作家の大岡昇平は
弾丸が雨あられのように飛び交うなかでも勇敢に戦い続けた兵士は2通りあって
もともと冷酷で残酷さに鈍感な犯罪者すれすれのタイプか
逆に生真面目で普段はおとなしい性格で、修羅場でも律儀に義務を果たすタイプだった
って「レイテ戦記」で書いてた記憶がある

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 22:03:06.42 ID:rbdMPLtZ
そういえばアーロン収容所で、
戦友の某は戦場では勇敢で誰もが一目を置く兵士だったけど、
収容所ではボンクラなダメ男みたいな説明をされていた奴がいたな

平時で輝くタイプと、戦時で輝くタイプは違うんだろね
平時に生きる我々はちょっとそこら辺わかりづらいね

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 22:07:01.81 ID:1GzK+ktS
>390、クロカン「鮭弁当やるよ」

西国で川中島合戦にまつわる論評合戦があったらしい

2013年10月21日 19:45

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/20(日) 21:53:06.97 ID:0a8ryyVQ
西国で川中島合戦にまつわる論評合戦があったらしい。

毛利元就の在世中、甲斐の武田・越後の上杉から書札を受けていたものの、
当時元就の容態が思わしくなかったこともあり、
山中鹿介擁する尼子勢に手を焼いていた毛利家は、
なかなかその返礼をすることができなかった。
元就が亡くなってしばらくすると、次男の吉川元春は、
家臣の佐々木源兵衛尉を甲斐・越後へと挨拶に遣わした。
そのついでに、両国の情勢なども見て回らせた。

さて、佐々木が安芸に帰国して、見聞きしてきた川中島合戦の様子などを
元春に報告したところ、その話を聞いた杉原播磨守盛重は、
「謙信のこのようなところが油断である、
 信玄のこのようなところが落ち度である。
 いかに良将の聞こえが高くとも、間違いをおかすこともあるのだな」
などと、話に上った川中島合戦の批評をしはじめた。

同席していた天野紀伊守隆重はそれを聞くと、口を開いた。
「なるほど、御辺の意見も一理ある。
 しかし、我らごときの愚昧な考えで批判ばかりしていれば、
 まったく過失のない真の名将などというものは、
 この世に存在しないことになってしまう。
 信玄・謙信がもし、御辺の言うように凡庸な将だったなら、今の名声もないはずだ。

 時も場所も異なるところで何を言ったところで、まったく的外れなのだ。 
 地に伏せて耳を澄まさなければ、地の底を穿つ足音を聞きつけることもできない。
 そのとき、その場にいなかった御辺が、あれこれと批判しても意味はあるまい」

盛重は「もっともだ」とうなずいた。


個人的に耳が痛い話だったのでこちらに。




541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/21(月) 21:10:22.92 ID:EL6wb5qu
>>537
しかし現場以外無意味とか言ってると戦略や戦術なんてほとんど研究できないわけで



542 名前:537[sage] 投稿日:2013/10/21(月) 23:53:49.16 ID:cjfZqQ2P
>>537に関して補足をまとめようとしているうちに、昨夜は寝てしまいました。
少し続きがあります。


天野隆重に反論された杉原盛重は、相手の言い分を一応は認めたものの、
「しかしながら、信玄・謙信のような良将を論評すること
 それ自体がよくないと言うのであれば、納得できない。
 信玄・謙信は生まれながらにして一国の将で、その名はこの日本国中に知れ渡っている。
 この私は勇智が信玄・謙信に劣っていなくても、ようやく一郷一村の主でしかなく、
 人に名を知られていない。
 それなら批評するにも何の憚りもないはずだ。
 合戦の評論をする行為自体がよろしくないというのは、納得がいかない」
と食い下がった。

そこで同席していた熊谷伊豆守が、
「二人の論争は、未来永劫決着がつくことはないだろう。
 梅はすべからく雪に三分の白を遜るべし、雪もまた梅に一段の香りを輸すべし、
 という古い言葉もある。
 お互いに優れた言い分を認め合って、腹をおさめるといい」
と諭すと、二人とも大いに笑って退出していった。


以上です。



543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/21(月) 23:56:02.55 ID:PZYN8Rgz
元春はこの時何を考えていたんだろう

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 01:08:07.03 ID:v/L45Kbq
熊谷伊豆守って孫が豊前守ってことだし、信直かな
年長者だし上手いこと纏めたな、といいたいが天野隆重の方が年上か

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 02:32:01.65 ID:0DXDVwU+
笑ってすまずに殺し合いになる家が結構あるような

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 11:52:35.54 ID:f028Go8Z
囲碁将棋観戦は命がけ

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 13:38:46.16 ID:31RUWkyD
庭師「賭ける程度では生ぬるいわ」

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 18:48:06.83 ID:p8wzde/m
兜持ち「便所いきてー」

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 19:09:46.76 ID:NDrZswl7
>>542
お面杉原が大いに笑った・・・だと?

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 22:45:57.29 ID:kHe1CpjK
お面のような顔は変わらず口から笑い声だけが・・・
見た人チビるな

千葉良胤、織田信長からの勧告状に

2013年10月20日 19:15

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/20(日) 10:52:19.68 ID:cEfgxVoU
天正10年(1582)、甲斐武田家を滅ぼした織田信長は滝川一益に関東を任せる。
そして関東での一益の行動を便利にするため、下総の千葉良胤(原文では胤富)に、一益に従い
協力するようにとの勧告状に、名馬一等を添えて使者を出した。

千葉良胤はその勧告状を見て、激怒した。

「甲州の武田が没落し、小田原の北条も織田に従ったからといって、これは上見ぬ鷲の思いあがりというものである!
こんな文書をよこすとは、奇怪至極。

たとえ総州の千葉家が小国だとはいえ、右大将頼朝公以来の、武家の名門である。
関八州において何れの列侯に、我が千葉氏の上座に座るものがあるだろうか!

一時の武威に奢って、誰も彼も自分に靡いてくるなどと考えるのは、もっての他の事である。
このような書状、返事に及ばぬ!」

そう言うと信長の送ってきた馬の尻尾を切って通に放り出し、使者の髪を剃り落として坊主にし、厩橋に返したという。

(関八州古戦録)




536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/20(日) 21:36:20.14 ID:EJUFdxRT
>>530
馬は献上品ということにしてもらっとけば良いのに

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/21(月) 03:48:20.34 ID:tQ2ARwAR
>>530
実在の疑われる良胤はないと思うわ
仮に実在したとしても、この時期は奥州に追放されてた頃だろうし
あと良胤は大の信長贔屓で、それが原や北条に嫌われて追放されたことになってる

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/21(月) 10:51:37.39 ID:qix5bUKE
というか
「関八州において~」
って、この時期の千葉氏って小田原北条氏の支配下、とまではいかずとも、庇護下みたいなもんなんじゃないの
胤富亡くなってるし

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/21(月) 18:11:41.05 ID:qghfbuzv
しかし、なぜ北条は直重をあのまま入れて千葉を乗っ取ろうとしなかったんだろ?
直重を追い出せるだけの力が原にあったとは思えないけどなあ

雑残・忍城攻めについて

2013年10月20日 19:14

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 22:24:04.84 ID:JTo68RAX
こうやって歴史は改竄される

【埼玉】三大水攻めの舞台、ポツンと水に浮かぶ難攻不落の「忍の浮き城」に、歴女もうっとり…「のぼうの城」で再び脚光、行田・忍城址
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1382186218/

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 22:45:01.61 ID:89+jMl0r
忍城って工事中に戦争終わっちゃったとこだっけ

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 22:50:49.63 ID:Be3/gGQ4
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7588.html
このコメントだと水攻め初出が17世紀末の軍記物だから
三成「あとちょっとで堤ができて秀吉様の言われたとおり水攻めができる」
成田「小田原自体が開城したんで、降伏します」
三成「なんだったんだろうな今までの努力は」
て話が有力みたいだ

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/20(日) 10:53:36.96 ID:B1EW+Wv+
>>525
そら軍記に書かれてるような
「勝手に水攻め→味方に大被害」なんて失態をマジでやらかしてたら
あの場にいた誰かが何らかのお咎め受けないとおかしいしな。

今どき畳の上では想像も出来ないことだろう

2013年10月20日 19:13

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/20(日) 11:03:07.98 ID:o9prHf2z
これは毛利安右衛門という浪人が
大阪の陣で長宗我部盛親の手勢に属して戦ったときのことを
嘘偽りなく、ありのままに語ったことである。


「今どき畳の上では想像も出来ないことだろう。
戦というものは昼夜油断なく心を苦しめ、夜は露霜に犯され安々と眠ることも出来ず、
いざ攻撃というときに、竹束の陰にいて夜を明かすまでの心持といったらない。

城内の者は昼夜油断なく守って、食事はただ飢えを助けるまでのこと、
うまい、まずい、などとは寝言にも出せず、なかなかに浅ましいことである。

喧嘩なら互いの怒りの上の事で、死んでもそれまでだが、合戦には怒りはない。
ただ主君への忠を思って働くまでのことである。

城の中でも寄せ手の中でも流言飛語を放ち合い、
誰々は逆心を企て敵に内通したとか、やれ何だとか、
毎日毎夜さまざまな風説が立って人の心を驚かす。

さて敵と取り結び、互いに鑓を合わせる時は、土煙が立ってすさまじいものである。
一命を捨てての合戦なれば、人々の心は朧月夜に夢路を行くが如くで、
場なれて武功のある人などは、場数少なき者とは違い、
少々は目もあいて、はっきりしているであろうが、
『それでも朧月夜のようになることは同じだ』と、場数を踏んだ士もよく物語った。」

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/20(日) 11:04:01.82 ID:o9prHf2z
「我らは鴫野堤の合戦(八尾の戦い)に、堤の下に皆々折り敷いて鑓を伏せていたところが、
藤堂和泉守高虎の軍勢が寄せてきた。
だんだんと寄せ太鼓の音が近くなってくる。
大将、長宗我部盛親は『采配を出すまで、必ずともに静まって控えておれ!』と
馬を乗り回して下知をする。

この時、思わずわなわなと震えがこみ上げて来た。
これは口惜しい事かな、と思って周りを見るに、やはりみな震えているではないか。

やがて間近くなって、鑓を合わせるとなると、たちまちに震えが止まった。
この時、藤堂勢の先手では、歴々の人が討死にをされた。

戦場で討死にと言えば、ただ戦って死んだとばかり思うだろうが、
なかなかそうではない。

目を廻したところを首を掻かれたり、手傷を負っているところを押し伏せられて首を取られたり、
あるいは長柄の鑓で叩き殺され、または踏み殺されなどして、いろいろの死にようがある、

それを討死にとさえ言えば、世間では互いに勝負して死んだものと思っているのだ。」


『二川随筆』より





534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/20(日) 14:20:07.11 ID:fcksWb1h
流石に真に迫る物が有るな・・・

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/20(日) 14:32:01.94 ID:Y2EKd+Ow
逆に乱戦の中で背中に傷を負ったりしたら臆病者にされたりするんだろうか

山本勘助の見た松平清康

2013年10月19日 19:05

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/18(金) 21:00:10.07 ID:zCVj+pE9
あるとき武田晴信(信玄)が、山本勘助を呼んで聞いた
「そなたの生まれた三河国では、近年優れた大将は出なかったのか?」

これに勘助は答えた
「最近では、松平清康という大将が、弓矢を取っては敗れること無く、生国の三河を征服し、
同国の侍大将たちを与力として従え、いまにも尾張国を手に入れようと、意欲的に活動していました。

彼は尾張と数度の合戦を重ね、尾州勢五千に対し、三河は千の軍勢でも、一度も負けること無く
尽く勝利を得ていました。

5年間の活動の間に、本国三河で与力となった侍大将衆は皆清康の被官となり、彼を主君と仰いで、
尾張は勿論のこと、美濃、伊勢にまで出陣し、近隣諸国に威力を振るい、清康は武道の大家として
名を馳せ、遠国の浪人衆まで馳せ参じで彼の家中での奉公を望みました。

そして本国は勿論のこと、尾張の者まで清康配下に入ろうという勢いだった所で、不慮のことで
亡くなられてしまいました(森山崩れ)。

今は清康の息子である広忠の代ですが、他国に広げた勢力圏は勿論のこと、本国三河すら
他人の物になろうとしています。

もし清康が健在であったら、三河侍は今時分、皆清康譜代として他国に威力を振るっていたでしょうに、
果報少なく不運だったため、思いがけぬ死によって、哀れにも今では本国の人々でさえ、
子息広忠の統制下にはいらない状況なのです。」

(甲陽軍鑑)

甲陽軍鑑より、山本勘助の目から見た、松平清康、広忠の時代の三河についてである。




517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/18(金) 21:08:51.70 ID:mf74572e
伊勢に取り残された三河衆「やべっ帰れねえよ」

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/18(金) 22:40:56.35 ID:MyTHkvap
絵に描いたような後付

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/18(金) 23:43:25.45 ID:0hdfZqT/
松平清康って美濃や伊勢に出兵したことあったっけ・・・

520 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/10/18(金) 23:50:28.15 ID:8Y5WAdai
知らん

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 21:49:30.57 ID:kwAootqa
清康のとき今川方面は攻めたりしなかったの?

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 23:08:30.95 ID:s4ABQkQe
>>516
俺もこの部分投稿しようと思ってたけど、

>5年間の活動の間に、本国三河で与力となった侍大将衆は皆清康の被官となり、彼を主君と仰いで、
>尾張は勿論のこと、美濃、伊勢にまで出陣し、近隣諸国に威力を振るい、清康は武道の大家として
>名を馳せ、遠国の浪人衆まで馳せ参じで彼の家中での奉公を望みました。
>そして本国は勿論のこと、尾張の者まで清康配下に入ろうという勢いだった所で、不慮のことで ……

この部分、正しくは

5年も存命でしたら、本国三河で与力となった侍大将衆は皆清康の被官となり、彼を主君と仰いで、
尾張は勿論のこと、美濃、伊勢にまで出陣し、近隣諸国に威力を振るい、清康は武辺の家として
名を馳せ、遠国の牢人衆まで馳せ参じて清康を主君と仰ぐので、 本国三河の事は言うに及ばず、
尾張の者まで清康の譜代となっていたことでしょうに、不慮の儀にて……

だと思うぞ?新編岡崎市史はこの解釈だったし

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 23:15:51.21 ID:2mLYCHGx
松平清康なんかよりも、織田信秀の方が全然勢力拡大してるのにスルーするし
所詮、甲陽軍鑑は江戸時代のインチキ資料

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 23:18:41.13 ID:89+jMl0r
松平清康なんかよりも、フェリペ2世の方が全然勢力拡大してるのにスルーするし
所詮、甲陽軍鑑は江戸時代のインチキ資料

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 23:24:44.11 ID:s4ABQkQe
というか信秀の勢力拡大って清康の夭折も一因なんじゃないの?
まあ清康の勢力拡大も今川氏親が死んで後継ぎの氏輝が幼少だったのに乗じてだけど