黒田長政は納得できなかった

2014年07月31日 18:54

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/31(木) 00:21:08.21 ID:jq6ueLWV
(宣教師ヴァリニャーノの)室での滞留により大いに利益を被った二番目の人物は、官兵衛殿の一人息子で後継者であるカイノカミ(=黒田長政)であった。
彼は関白の了承を得、すでに父から豊後国を渡されており、これを所有し統治している。
洗礼名をダミアンと称し、当時二十二歳、または二十三歳であった。
だが極めて優れた理解力と知識の持ち主で、その秀でた勇気と勤勉と相まって、日本で彼に優る者はごく僅かしかなく、したがって関白殿から気に入られ寵遇されていた。
五年前に父の官兵衛が関白の軍勢の武将として、一軍を率いて秋月を襲撃した時に、この息子は関白の命令により、戦場へ父に会いに来た。
当時、彼は十七歳であった。
その折、彼の父は彼がすぐにキリシタンになるように説得し、彼はその地で幾つかの説教を聞き、多くの家臣とともに受洗した。
だがこのたび関白の迫害が襲った時には、まだキリシタンとしては日が浅く、若輩で、我らの教えについてはほとんどなにも知ってはいなかった。
つねに自分がキリシタンであるとは公言していたものの、彼は聴聞したことに大いなる疑問を抱いていた。
特に人間が救われるためには、洗礼を受けてキリシタンになる必要があるということが納得できなかった。
彼には、人間は道理にしたがって正しく生きさえすれば、いかなる宗教によっても救われると思えたからである。


「フロイス日本史」より、1590~1591年頃の黒田長政についての話




411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/31(木) 00:29:46.71 ID:ApMjhh46
なぜダミヤンにしてしまったのだろうか。ネタキャラすぎる。

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山田勘六郎の事

2014年07月31日 18:53

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 23:28:53.46 ID:VXn6jKwP
前田利長の兵山田勘六郎は、十四歳で父の仇を討った人である。

ある日、利長は土蔵の戸を開くために、鍵を預けていた山田を「急いで来い」と
呼んだのだが、山田が遅かったために利長は怒り、持っていた杖で山田を突くと、
思わず山田の額に当たって血が流れた。

山田は跪いて平伏すると、脇差の刀身が自然に鞘から抜け出た。それを見た利長は、
「手向いもするのか!」と言って、畳み掛けて打とうとしたものの、傍らの人が
山田を引き退けた。この時から山田は病気と称して引き籠っていた。

関ヶ原の乱が起こり、利長が大聖寺の城を攻める時、利長は一段高い所に打ち上り、
武者押しを見物した。この時、山田は五、六十人ほどを引き連れ、今日を最後と
出て行って押し通り、城に着くと先駆けして一番に乗り込んだ。そして槍で乳の下を
突き通され、痛手であるために姫垣の下に落ちた。

山田は前もって従者に言い含めたので、息の絶えない内に利長の前に担がれて来た。
利長はこれを見て甚だしく後悔し、その過ちを丁寧に明らかにして、涙を流した。

山田はやがて死んだ。行年二十歳、世にすぐれた美男だったが、大剛の働きをして
討死した。その前日に、山田は親しい朋友に奇南香を分かち贈った。その頃、
その奇南香のことを、『大聖寺きやら』といって、もてはやしたと言われている。

――『常山紀談』




844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/31(木) 06:47:56.65 ID:MtEobYiW
山田、遅刻したばっかりに変な逸話が

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/31(木) 10:35:47.10 ID:7FhShnAf
刀って傾けたくらいで簡単に鞘から抜けるもんなのかな
それともうっかり触ってしまったのかな

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/31(木) 10:39:55.06 ID:rjrCgL6Q
鯉口が緩んでるとそうなる

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/31(木) 10:45:54.19 ID:WRXagawh
仇って誰なん?

意外な人の意外な高評価?

2014年07月30日 18:54

400 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/07/30(水) 15:43:25.83 ID:eu5p67WC
意外な人の意外な高評価?

豊臣秀吉の御前にて、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、蒲生氏郷、毛利輝元などが話していた時のこと
秀吉は
「たとえば昨今、織田上野介に兵五千、蒲生に兵一万をつけて合戦させたとする。どちらに味方すべきだろうか?」
と言った。
いづれも返答しかねていたが、秀吉は
「それがしは上野介につくべし。その故は、蒲生方より兜付きの首を五つ程も取るならば、その内に氏郷の首もあるだろう。
上野介方は四千九百まで討ち取られる分には、上野介は討死しないだろう。
然れば大将のはやく討ち取られたる方こそ、大きなる負けなり。」
と言ったという。

武功雑記

※織田上野介=織田信包

激しく既出の気がするけど、このパターンは無かった気がするので




401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 15:49:46.32 ID:nayFSFDk
野と総が混同された?

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 16:28:51.85 ID:SgluMGfl
そのいいようだと誰も気を悪くしないしな。打ち取られるのもいつも先頭にいるってことだし
・・・志村さんのお小言タイム?

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 17:21:17.90 ID:W6uMAL1B
>>401
信ちゃんは先頭だろks

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 17:36:03.20 ID:oYAnjCtX
>>404
いや、これとそっくりな話で信長と氏郷のパターンがあるんだよ。
俺も信長のが誤って伝わったんだと思うが

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 17:39:37.33 ID:nayFSFDk
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3294.html
有名なバージョンは信長だし

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 21:46:31.09 ID:vkO2DVH/
でも結局信長は謀反で死ぬからね 氏郷につくのが正解だろ

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 22:16:02.19 ID:mSVmn9LE
たとえ氏郷が討ち取られようともいずれ第二第三の蒲生が…

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/31(木) 00:13:35.60 ID:2az/Ewhc
量産型蒲生がいるから氏郷が死んでも何とかなるとw

さてさて、御事はおこなる人哉

2014年07月30日 18:53

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 00:11:59.62 ID:1Iz7iLnm
同じ話はここに出ていますが、出典のある詳しいバージョンということで
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-231.html

天正壬午の乱の結果、甲斐を徳川が領有すると、旧武田家の一条、土屋、原、山県の配下にあった者達は、
そのほとんどが井伊直政に付けられた。そして家康は「山県昌景の赤備えは見事であった」と、
直政の備えを皆赤色にした。

この時家康は、最初は酒井忠次に甲州人を召し預けようと考えていたのだが、それよりも、
若輩の直政を引き立てるために彼に付属させたいと、忠次本人に相談した。

忠次はこれを聞くと
「殿の仰るように井伊直政は若輩ですが、私の目から見ても臆しているようにも見えません。
ですので、彼の者に甲州人を付ければいよいよ励み働くことでしょう。」と申し上げた。

さて、その後忠次の所に榊原康政がやって来てこのように言った
「甲州人を半分に分け、私と直政の両人に付けられるべきなのに、直政のみに付けられたことは
なんと口惜しい事でしょう!この康政、どうしてあの若輩者に劣るでしょうか!?
この後、もし直政に出逢えば刺し違えようと決意しました。ですので、今生の暇乞いに参ったのです。」

これを聞いた忠次は激怒した
「お前は馬鹿か!!!(さてさて、御事はおこなる人哉)

殿は私に預けようと言って来たのを、私が勧めて直政に付けさせたのだ!
これを聞き分けずに軽卒な行動をするつもりなら、殿に申すまでもなし、
私がお前の妻子一族まで、全員串刺しにしてくれる!!!」
そう以ての外に怒り罵ったという。
(武功実録)




830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 00:40:37.51 ID:nv8Xlm8h
甲州兵の戦経験値は異常

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 01:00:17.17 ID:CPc5dUvq
なんで喧嘩してんだよ。鬼武蔵つれてくるぞ。

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 01:05:58.29 ID:LINdzkzZ
つれてきても討ち取られちゃうだろ。

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 01:20:22.98 ID:Oda6FVfj
出典かくならちゃんと徳川実紀って書いた方がよくない?
鳥居家譜とか武功実録って今見れる手段あるの?

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 01:45:28.87 ID:BP+5V0ZH
薩摩の兵は下がると斬るとか無茶苦茶な法で軍紀を守ったけど
甲州兵はどうやって軍紀を保ったのかね
戦えば損害も出るし規律の弱い補充兵も来るだろうし

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 06:19:59.64 ID:9LUB8Toi
康政おこなる?

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 08:59:12.87 ID:vkO2DVH/
酒井の激怒っぷりもすごいな 串刺しってw

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 13:58:11.91 ID:mSVmn9LE
激烏滸なの?

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 14:40:40.30 ID:Oda6FVfj
中世では無礼な奴は「尾籠(おこ)であるぞ!」と言われて責められるという話があるとかないとか

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 14:48:05.79 ID:nayFSFDk
当て字を音読みした、びろう、も悪い意味となるややこしさ

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 16:30:25.13 ID:SgluMGfl
三河武士ってよく刃傷沙汰にならねえなw

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 16:44:46.91 ID:LINdzkzZ
しょっちゅうなってるし

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 18:47:36.95 ID:HS4w3HiT
たしか同盟中にも織田勢とやりあってただろw

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2014年07月30日 18:53



「これは伊賀の教えなのだ。」 45

酒井忠次の妙技海老すくい 38

「赤松のシェフ2」 31
仙台ワラシ 28

源義経ほどの大将は 23
只今某が申せし事を思い当たらせ給うべし 21
酔っぱらいを笑った結果 21

昨日の広言にも似ぬものかな! 16
信長の乗馬 16
脱ぎ捨てた袴 13
武者之助と”信昌” 12



今週の1位はこちら!「これは伊賀の教えなのだ。」です!
若き日の家康の逸話としてよく知られたお話ですが、やはりいいお話ですね。
何が良いかといえば、やはり家康が生涯に渡り、その教えを守ったところだと思います。
鳥居忠吉も本望であっただろう、と感じますね。
まあそんな忠吉も家康本人も、後に城の床が抜けるほど貯蓄出来るような状況になるとは考えもしなかった
でしょうけどw流石に床を補強せよという忠告は出来ませんでした。
そんな、人の未来はわからないものだという感慨も持つお話です。

2位はこちら!酒井忠次の妙技海老すくいです!
ソ~イソイソイ~
こちらは、もしかすると戦国武将の宴会芸で最も有名なものかもしれませんw酒井忠次の海老すくいのお話。
これを長篠の合戦の前にもやっていたとは。
酒井忠次という人はまさに重臣の中の重臣で、酒井家の存在はある時期まで、松平(徳川)氏にとって、家臣というより
同盟者と言っていいものだったと思います。
そういう存在が積極的にこういう芸でみんなに緊張をほぐそうとする。それは結束も高まりますね。
そんな意味でも、いいお話だなと感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!「赤松のシェフ2」です!
卵のふわふわ!静岡の袋井宿の名物である「卵のふわふわ」と同じものでしょうか?
袋井宿の者は江戸時代発祥とされていますが、これと同じものだとすると、室町には既に存在していたのですね。
そんな、料理史の面でも面白いお話だと思いました。しかしどれも美味しそうで困るw



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話を見つけましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ ▽ ` )ノ

武者之助と”信昌”

2014年07月29日 18:50

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 23:30:41.17 ID:BsmDQudM
長篠の戦いで、長篠城を守り切った奥平貞昌であるが、その後岐阜へ参上し織田信長に謁見すると、
信長も大変に彼の功を賞し、

「貞昌の今度の勲功は武士の模範とも成るものであるから、今後は”武者之助と改名せよ!」と命じた。

そして自分の諱から一字を授け、信昌と名乗らせた上に、様々に引き出物も与えたのである。
(貞享書上)

ちなみに平山優『長篠合戦と武田勝頼』によると、奥平貞昌は武田氏に属していた時点で”信昌”を名乗っており、
信長から偏諱を与えられたというのは、後世の由緒の作り替えだったことが明らかになってしまいました。
武者之助の方は良く解らない。




806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 23:37:51.81 ID:x22v6+Li
そうするとすねえもんの件もますます怪しいな

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 23:51:39.00 ID:BsmDQudM
>>806
鳥居強右衛門の逸話に関してその実在を疑う史料は無いよ。

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 03:09:05.33 ID:e+lsAxNH
それは悪魔の証明ですな

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 07:35:58.36 ID:sbrNR4O7
長篠の戦いの基本史料になっている「三河物語」に記述されてる話を疑うのなら
それ相応の根拠を出してもらわないと

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 16:14:37.18 ID:RxBownd+
鳥居強右衛門の息子の信商が安国寺恵瓊を捕縛して200石貰っとるじゃんね

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 16:38:17.13 ID:xo35E/EU
信長「信昌には我が名より「信」の拝領を許す。只今より信信と名乗るがよかろう。」.

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 17:05:25.69 ID:Wp1J/1RO
覇王伝かよ

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 17:26:31.76 ID:minMzll6
シンシン

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 17:26:35.32 ID:ZmAExvn7
晴信の信の線はないかな、やっぱ

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 17:50:08.43 ID:Vr+xRufE
あるでしょ

酒井忠次の妙技海老すくい

2014年07月28日 18:55

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 03:54:52.65 ID:BsmDQudM
長篠の戦いの前、徳川家康は竹広村の弾正山に陣を据えていたが、家臣たちは武田の猛勢を聞いて
恐れ、どうにも怯えた様子を見せていた。

そこで家康は酒井忠次を呼んでこう命じた。「いつもの海老すくいの狂言をせよ。」

忠次畏まり、つっと立って海老すくいを舞った。これは有名な絶技の芸であったので、一座の者達は皆
笑いのツボに入り大爆笑した。
これにより徳川の三軍にあった武田への恐怖の念はいつの間にか一散したのである。
(忠次かしこまりつと立て舞けるが、兼ての絶技なれば一座の者みなゑつぼに入て哄と
笑い出しにより、三軍恐怖の念いつとなく一散してけり)

(東武談叢)

酒井忠次の妙技海老すくい、徳川軍から恐怖を払う。というお話。




382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 04:15:08.51 ID:ieY8KXOP
太鼓も叩くし案外芸人肌な面白いおじさんだったのかもしれないね

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 04:43:26.31 ID:0U1KnlTJ
出ますぞ、酒井様の腰さばきが!

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 07:02:38.28 ID:g/gxe8er
ツボに入るってこんな古い時代からある表現だったんだ

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 09:44:31.66 ID:yaZjXFV0
海老掬いが無ければ長篠で負けていたかもしれないのか
これは歴史が動いた瞬間ですわ

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 09:50:16.77 ID:JPO4AgR6
筆頭家老自らエビすくいを披露し、長篠前哨戦では速攻で武田軍の側面をつく、こりゃ大河ドラマ級の活躍ですわ。

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 14:57:47.46 ID:bY1WnWpb
三軍て何?

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 15:11:02.63 ID:ZKq6NRc7
全軍

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 17:22:09.44 ID:wBqsu5SX
えっファーム以下のやつらじゃなかったのかよ

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 19:09:03.66 ID:hmwj7KpU
陸軍海軍空軍・・・えっ空?

真面目に答えると>>388の言う通り春秋時代の三軍(上軍中軍下軍)に倣い全軍を意味する

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 20:45:46.48 ID:0U1KnlTJ
実は三河軍団の略

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 22:39:54.15 ID:OF6jLvwu
>>384
戦国どころか、平家物語の有名なシーンでも使われてたりする。

大納言気色変はつて、さつと立たれけるが、御前に立てられたりける瓶子を、狩衣の袖に掛けて引き倒されたりけるを、
法皇叡覧あつて、あれはいかにと仰せければ、大納言立ち返かへつて、瓶子倒れ候ひぬとぞ申されける。
法皇も『笑壺に入らせおはしまし』、者ども参つて猿楽仕れと仰せければ、平判官康頼つと参つて、あああまりに瓶子の多う候ふに、もて酔ひて候ふと申す。
俊寛僧都、さてそれをば、いかが仕るべきやらん。西光法師、ただ首を取るにはしかじとて、瓶子の首を取つてぞ入りにける。

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 22:55:27.49 ID:AM0twxp2
>>381
信長の野望で鼓舞の上位コマンドに海老すくいを導入すべき
士気↑
統率↑

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 23:17:39.03 ID:JGXRelj8
しかし景勝には効かなかった!

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 23:49:29.49 ID:dd979FBF
へうげものの海老すくい
http://www.youtube.com/watch?v=FVvxOgmxeGA


横山光輝の「徳川家康」では天正壬午の乱後、北条との同盟の席で
海老すくいを披露し、徳川は大した事ないと北条を油断させてたw

万能技過ぎるwww

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 23:58:28.40 ID:ibhhCUUn
えび酒井

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 00:18:46.24 ID:73ZyftsL
酒井シュリンプ

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 10:14:32.40 ID:Vr+xRufE
>>392
勉強になった。相変わらず侮れんスレだw

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 00:43:10.83 ID:s9grfJZd
浜名湖名物なのか海老すくい

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 17:03:30.45 ID:UsXN/Doc
へうげものスレの過去ログにこういうのが

名無しんぼ@お腹いっぱい[] 2010/01/23(土) 21:00:26 ID:Le1hu93a0

所用で酒井家のご当主にご挨拶に伺ったのだが、つい弾みで「えびすくい」について聞いてしまった・・

ついかっとなってやった
今は反省している

へうげものという漫画があることはご存じなかったそうです。

名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 2010/01/23(土) 21:06:52 ID:E5ISRcS80

それでえびすくいの方はどうだったんですか
現代に至るまで踊りの秘伝が一子相伝で当主に伝わってたりするの

名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 2010/01/23(土) 22:20:49 ID:Le1hu93a0

酒井の太鼓は歌舞伎の演目になっているくらい有名な話だが、歴史上の出来事としては「史実」と言いきることができるものではなく、
「逸話」と呼ぶべきものでしょう。忠次公も踊り自体は知っていたかもしれないが、海老すくいの話も同じように「逸話」と言うべきだと
思います。とのことでした。
あ、それから、踊れないそうです(笑


412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/31(木) 09:21:34.33 ID:2ok5d24F
>>403
ご当主もなかなか見識が高いな
そういう受け答えはなかなかできないぜ

源義経ほどの大将は

2014年07月27日 19:28

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 22:39:31.64 ID:Co23d2UJ
さて加藤清正がある時に家人の加藤右馬允、並河志摩、庄林隼人、森本義太夫
三宅角左衛門、木村又蔵、飯田覚兵衛、その他一騎当千の勇士らと同座で昔の
物語りをされた時、清正が、

「源義経の家士である武蔵房弁慶ほどの忠臣は、今も昔もいるはずがない」

と申されたところ、森本義太夫

「いや、武蔵房弁慶ほどの忠臣は昔は知りませんが、今は幾人もいるでしょう。
ですが、その主君の源義経ほどの大将は、今はいるはずもありません」

と申したので、清正を初め家人一同は笑いなさったということである。

名将良士と言われる人は、皆君臣の間が睦まじかったそうだ。神君(徳川家康
は人を引き立てなさることをよくなさった。ある時の御話の折、

「昔の鈴木三郎重家を忠義を兼ねた良士であると世に言うが、我が家には重家の
ような忠義の士が幾人もいる」

と、仰せられたそうである。

陶淵明の『渠も亦人の子也』(『此もまた人の子なり』)とは、本当に
格言というべきである。この言葉は高貴下賤ともによく人情に通じている。
名将良士が心を用いるところはここにある。

――『明良洪範続編』





371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 22:42:18.22 ID:PPRdKStg
九州仲間の某家で同様の話があったならば…

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/27(日) 03:42:11.27 ID:zLeQ/84T
NGMSさんちか

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/27(日) 03:45:59.82 ID:mZBctROr
並河、三宅、木村ってなんか明智さんとこの旧臣っぽく感じなくもない

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/27(日) 08:37:07.44 ID:V+cZAXqT
でもこういう主従だか何だか分からん状態で放置しておくとお家騒動に繋がるのよね
太平の世では早急に悪久すべき

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/27(日) 10:50:20.36 ID:m510hudy
国衆を家臣化する過程は大名によって違うから一概に悪久するべきかと言うとビミョー

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/27(日) 11:17:44.06 ID:XnQ916Jd
>>371

黒田武士は知らんが、三河武士にはある

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2639.html

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/27(日) 12:20:12.06 ID:+EQiIhCF
三河武士だと全員拙者のことでござる!とか思ってそうだなw

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/27(日) 21:50:36.34 ID:xw6A6oT7
想像しただけでめんどくさいw

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 02:56:43.87 ID:NuNQEtm4
面倒すぎるw

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 03:37:48.78 ID:9WmG8ITM
自分でそう思ってるくせに主君の言うことにあれくれ理屈つけて従わないんですね
分かります

「赤松のシェフ2」

2014年07月26日 18:53

356 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/07/26(土) 08:10:32.06 ID:NhOkfCQj
「赤松のシェフ2」

赤松家の台所方とされる人物が、弘治元年に置塩城で繰り広げられた酒宴で出された料理について詳細に記した「播州置塩夜話 六花亭物語」を紹介したが、
今回はその下巻にあたる「屋形物語」で、その18年後に開かれた酒宴を追体験してほしい。

天正元年十月八日、赤松則房の置塩城に、宇野下野守(長水城の宇野氏の関係者)がやってきて、夜食が出された。
宇野からはホラ貝、鷹1羽、鯉2尾、鯛5枚、宝命酒(薬酒)5升、
家長(原文ママ)平瀬清左衛門からは鴨2羽、勝男(鰹節)10節が献上された。

宇野は広間、平瀬は次の間で御料理を下され、赤松家家老・山田助九郎や相賀道閑が相伴した。
装束は身分の上下ともに無刀、上下(裃)着用。宇野の太刀持ち原小才次、小太刀持ち村松は御縁に控えていた。

最初に出した膳は、右に澄まし汁が入った汁椀、左に茹でた蕎麦が入った食椀、
椀の前に小皿を置き、香頭(こうとう=吸い口・薬味)として唐辛子、ワサビ、ネギ、大根、鰹節、柚子などを刻んだものを盛ったものである。

客が食椀の蓋を取り、汁椀の蓋を取って澄まし汁に香頭を入れて好きなだけかき混ぜて、それを蕎麦にかけると、蕎麦の下から色々なものが出てくる。
鴨、鯛、椎茸、あわび、きくらげ、麩、セン、玉子、厚揚げ、凍み豆腐、凍みこんにゃく、雪餅、炒めニンジン、ゴボウ、カンピョウなどが出る。
具材を下盛りにしておいたのだ。

2~3口で最初の膳を下げ、引替膳を出した。
その膳は鯉の刺身と、右に白鳥の味噌汁、左に白飯を配している。

次は、鯛の1コン焼き(尾頭付きの焼き物)、シギの焼き物、御酒。
玉子、あわび、ゴボウ、クワイ、蓮根、椎茸の葛煮に、酒1返し、いも巻きを供した。

ここで中入りとなり、酒宴が始まった。
盃は5合入りの椰子杯である。

料理の方は、スズキの青ヌタ、サザエの壺焼きと、酒1返し。
雀の焼き鳥と、酒1返し。
十六島(うっぷるい海苔)の漬け焼き、酒1返し、ふくら炒り。

「沖の石台」という5升入りの皿鉢に、酢と生姜を溜め、大根、人参、柚子、タコ、イカ、アワビなどを盛ったものも出した。

次に玉子のふわふわを出し、各自に抹茶、あん餅、干菓子を出した。

この酒宴で呑んだ酒は、宇野3升、平瀬4升、相賀3升、山田5升。
宇野は「相生」を謡って退出し、嵯峨山隼人と碁を3番打ったが、明朝はくたびれ果てて休んでいた。宇野は酒が不得手のようである。

昼食は菜食で、田楽、御酒、クシコ、御酒、カツオ炒り、御酒、御菓子、饅頭、干菓子という献立。
宇野達はその夕方、暇乞いして帰っていった。

以上、珍しい料理だったので抜き書きしておいた。永く家に伝えていってくれ。頼んだぞ!

天正二年正月一日
置塩・相賀永次郎重茂  同・毛野鶴次郎武盈 

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 08:29:48.96 ID:NhOkfCQj
上巻(六花亭物語)
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1670.html




358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 08:33:00.39 ID:Kkl3FKi0
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8230.html
前回のはこれ?

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 08:33:20.18 ID:Kkl3FKi0
かぶった、すまん

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 08:37:34.85 ID:ynTzV5w9
個人的な嗜好からいったら最初の膳の蕎麦を完食させてほしい
史料上はこのころから蕎麦切りが現れはじめるから、まだ蕎麦がきのころかな?
蕎麦の下に具材があって汁を掛けてるからそうなのかなあ

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 08:59:54.68 ID:HguOHKq9
>>356
だれか作って写真うpして。鷹って食えるのか?あいかわらず酒の単位が升wいまよりもアルコール薄いとはいえよう飲むわ。

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:32:16.31 ID:2UE5AZie
>>361
そういや昔、某MMOスレ民がゲーム内の素材と料理法で仕上げて写真をアップしてたっけか

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:50:34.10 ID:ENrhe7f5
何かで出てた「たまごのふわふわ」?なら作ってみたいな

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:58:58.12 ID:DdbAyVs1
酒飲んだ後に碁を売ったのか。

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 12:43:47.83 ID:axf17gV4
六花亭と聞くと北海道のお土産のほうを連想してしまう

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 12:50:48.42 ID:cF4X+d7l
3升飲んで酒が不得手とか俺は生きてける自信がない

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 15:22:17.91 ID:KmwpVQjX
酒と共に運ばれて来る山盛りの○セイバターサンド

仙台ワラシ

2014年07月26日 18:53

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 15:31:36.50 ID:esuODCTo
 仙台ワラシ
 寛永13年3月隠居城若林にて伊達政宗は、寝所でうたた寝してると
小さな子が現れ「ホレ、出発の支度が整ったよ早く行こう」と催促してきた
政宗「ホウ、随分早いな。」と身体を起こそうとするが金縛りにあって
動けない。堪らず腰元を呼び起きたがその子は襖に消えていったのだ。
 そして、最後の出府し江戸で引き取るのは3ヶ月後。政宗には座敷わらしが見えていた話
 
東北怪談全集より





只今某が申せし事を思い当たらせ給うべし

2014年07月26日 18:52

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 01:34:23.26 ID:S5Ypw33x
元亀3年12月、武田信玄が再び大軍を率い、徳川家康の居城、浜松近くに攻め寄せた。
いわゆる「三方ヶ原の戦い」である。
これに人心は恐々としていた。

鳥居四郎左衛門忠次は家康から斥候を命ぜられ、はせ帰るとこれを報告した

「敵は大軍であり、行軍の様子も厳正です。である以上たやすく合戦を始めるべきではありません。
早々に御先手を引き帰らせるべきです。
また、もし一戦を遂げられるつもりなのなら、我々は軍列を整え鉄砲での迫合いで時間を稼ぎ、
敵が堀田のあたりまで打ち出るのを待って戦を始めれば万が一にも勝利があるでしょう。
しかしこれも、全勝の道ではありません。」

家康はこれを聞くとたちまち機嫌を悪くし
「信玄と言っても鬼神ではない!また大軍だからといって恐るるに足らず!
おまえはいつもは大剛の者であるのに、今日はどうして臆しているのか!?」

しかし鳥居忠次
「殿こそ普段は自重が過ぎるほどなのに、今日はどうして血気にはやっているのですか!?
全く心得ぬことです。
わかりました!ただいま私が申したことを、思い知らせてあげましょう!」
(只今某が申せし事を思い当たらせ給うべし)

そう言って御前を退いたが、外の御家人たちに向かっては
「今日の戦、かならず勝つぞ!おのおの進んで忠戦せよ!」
と言い捨て、自らは敵陣に突撃して討ち死にした。

(東遷基叢)

鳥居忠次の討ち死にについての逸話である。




784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 03:01:45.02 ID:jwIDiRcZ
三方ヶ原での家康の考えだけは未だにわからん
桶狭間の体験とか影響したのだろうか

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 07:47:48.32 ID:gNJJqO9F
織田の援軍が主戦派だったとか

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:05:23.81 ID:HguOHKq9
城を素通りされて、そのまま見過ごしたら、今後の家臣への示しがつかなくなると考えた末の焼き味噌。

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:24:34.71 ID:Dmww0v7A
ただでさえ国境沿いの領主が武田側になっちゃったのに
その上びびって引っ込んでたら
さらに武田に走る連中が増えると思ったんじゃね

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:37:25.81 ID:ynTzV5w9
>>785
先輩を切って無禄になっていた信長の小姓たちは主戦派でしょうな

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:44:14.17 ID:DeH1NMPm
自分が武田に走るって選択肢は…
援軍に監視されてるし無理か

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:04:59.06 ID:PPRdKStg
当時生き残りを掛けている小領主としては
二代続いて当主が若くして亡くなってる松平に付くってのはどんな気持ちだったのか…

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:09:18.45 ID:DdbAyVs1
これで味噌が付いたんだな

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:10:36.44 ID:ji6rMtZT
小領主にとっての現実は自領の保全のみ。縁起とか気にする余裕なんてない

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:44:42.54 ID:H7ojjQEU
>>784
・信長から援軍を送られながら、一戦もせずに武田軍をやり過ごすことは立場上出来なかった
・相次ぐ遠三の国人衆の離反を止めるために、一戦して存在感を示さねばならなかった
・家康本人は武田軍が待ち構えているとは予想しておらず、地理的優位を生かして一当たりはできると思っていた

定本徳川家康見たらこんな風に書いてあった)

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 11:16:19.18 ID:cF4X+d7l
・後背を突ける
・さらに相手は坂を下ってる状態なのでより有利
・さらに夕暮れなので数を頼んだ反撃を受けても夜になるので追撃されない
安全に一矢報い入れれる!威信回復!名誉挽回!

ジャーンジャーンジャーン。家康「げえっ 山縣!」.
信玄「坂の手前で待ち受けちゃうよ。反転反撃は得意だよ。三増峠の再現だね。」

家康は攻めなければならない理由もあったし作戦も理に適ってたが
信玄が上回ってたちゅう一戦やね

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 12:43:18.86 ID:axf17gV4
意識して抑えてるけど元々プッツンしやすい気質だしな、権現様
多分母方の水野一族の血統のせいなんだろうが

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 16:00:37.22 ID:1co0NzCY
>790、少弐さん家なら日常だろ?

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/27(日) 03:35:43.71 ID:G6mW8orW
武田相手に手出し出来ないと武田、徳川間でどっちにつこうか
迷ってる遠江の国人達が一斉に武田方になって
さらなる苦境に陥るのは火を見るより明らかだから乾坤一擲に
かけるしかなかった

昨日の広言にも似ぬものかな!

2014年07月25日 18:50

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 01:01:08.38 ID:MsYe8bme
姉川の戦いの前夜、織田信長の御前にて軍議が行われていた時、徳川家康
「今回の合戦は、二の手の働き次第で勝利を得るでしょう。」
と発言した。しかしこれを聞いた池田勝三郎(恒興)は

「どうして敵を二の手まで越させようか!」

そう傲慢げに発言した。家康はこれに「そのようにあってほしいものです。」と、
さにあらぬ体で席を立った。

さて、姉川の合戦が始まると、池田恒興の備は浅井の先鋒にさんざんに切り崩され、
酒井忠次の備に崩れかかった。
忠次はこれを見て

「おことは昨日の広言にも似ぬものかな!」

と言いながら、長刀の石突の部分で、恒興の馬の三途(馬の尻の方の、背骨の盛り上がって
高くなっている部分)を打つと、馬は驚いて恒興は落馬した。
その頃の人々は、池田常興が忠次によって落打ちにされたと、誤り伝えたこともあったそうである。

(落穂集)





「これは伊賀の教えなのだ。」

2014年07月24日 18:51

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 02:21:04.77 ID:GaAOfrKi
徳川家康が、松平元康として駿府の今川家の元にあった頃、今川家は阿部大蔵定吉、石川右近の二人を
三河に派遣し、岡崎城の留守居とし、松平領の奉行は鳥居伊賀守忠吉と松平次郎右衛門重吉の二人に任せ、
そこから得られる租税は皆、駿河の今川家に横領された。
しかし鳥居伊賀守忠吉は一人辛苦して、長年かけて米や銭を数多貯め、将来の戦に備え置いた。

そして元康が今川義元の許しを得て岡崎に帰城した時、鳥居忠吉は喜びに耐えず、元康の手を引いて
蔵へと連れて行き、そこを開いて見せ、言った

「私は多年に渡り。今川の人々に隠してこのように貯め置きました。これは我が君が早く御帰国あり、
御出馬されることがあれば、御家人を育み、また軍用にも事欠かないように、備え置いたものなのです。

私は年齢も八旬の残端(80代後半)となりましたが、朝夕神仏に願い続けたかいがあって、このように
生きている間に再び、我が君の御尊顔を拝すことが出来ました。生涯の大幸、これに過ぎる事があるでしょうか」

そう、老いの目から涙を流した。
元康も、これに大いに感じ入った。

この時忠吉は、銭が十貫づつ束ねて縦に積み置いてあるのを指さし

「このように積み置けば、どれほど重ねても銭が割れる事はありません。世人のするように横に積むと、
たちまち割れてしまいます。」

そう元康に言い聞かせた。

後、家康は銭を積むときは生涯に渡り、そのとおりに行った。そして常々このように言った
「これは伊賀の教えなのだ。」

(鳥居家譜)

有名な、鳥居忠吉銭米を貯め置くというお話。




343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 16:07:05.83 ID:RVGnSxlI
いきなり有名とか言われても

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 16:08:44.58 ID:sTZdITJy
家康の伝記とか小説読んでたら出てくるから、有名、と言われて納得できたが

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 21:20:56.99 ID:sbjfBRtT
>>342-344
鳥居忠吉「(倹約が)利いてる利いてるw」

信長の乗馬

2014年07月24日 18:50

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 17:26:12.07 ID:VVEqGrMO
織田信長が尾州桶狭間において今川義元を討ち取った合戦の時に
お乗りだった馬は牝馬であるとかいうことだ。

後年、信長は秘蔵なされた馬を画工に命じて屏風に描かせた時、
その牝馬も描き加えさせ、描かれた馬は総計十三匹であるそうだ。

その屏風は織田山城守長頼が所持されていたが、長頼死去の時に
遺物として尾州家(尾張徳川家)へ送られ、現在尾州家にあるという。

――『明良洪範』




346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 11:17:49.84 ID:9zqZIUq7
いつから馬を○○頭と数えるようになったんだろう?

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 11:21:30.05 ID:gwO/rgqW
どんなにはやくても幕末だろうなあ…

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 12:26:24.13 ID:7satxje+
今じゃ馬のこと1着・2着と数えるよ

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 12:31:59.91 ID:Kk6EkVvo
それ競馬じゃね?

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 12:48:54.94 ID:KxD94hZB
着順ならともかく数を数えるのに着は使わんじゃろ

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 13:49:57.99 ID:50OarqEx
頑張ってボケたのに・・・かわいそうに

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 14:02:01.80 ID:Kk6EkVvo
え、ボケてたの⁉︎
そうと気づかず…ゴメン‼︎

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 17:17:37.19 ID:Pne0/Jjw
更にキズ口に塩を塗るやつ

脱ぎ捨てた袴

2014年07月24日 18:50

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 17:16:19.97 ID:IMc1f/4v
ある者が八戸の宿の通りで、腹の調子を崩した。
近くの町家に走り込み、便所を借りたいと頼むと、
その家に若い女が一人いて、奥にあると教えてくれた。
ある者は、その場で袴を脱ぎ捨て便所へと駆け込んだ。
そのあとに町家の亭主が帰宅し、脱ぎ捨てた袴を見つけ、
留守の間に密会をしていたのだと思い込んで口論となり、
それでも収まらず訴訟沙汰となった。
直茂さまは、この事件をお聞きになると、
「密通でないとしても、女一人の家で無遠慮に袴を脱いだことは油断である。
女も、夫の留守に見知らぬ男に袴を脱がせたことは油断である。
いずれも密通同然のふるまいだ」
と仰せになり、両人に死罪を命じられた 【葉隠】




759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 17:29:47.91 ID:DGyF2j2g
それはちょっと悪い所の話じゃないな

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 17:31:16.54 ID:kRzG/Jok
女一人って確認する余裕もなかっただろうな…

酔っぱらいを笑った結果

2014年07月23日 18:51

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 01:23:45.06 ID:n1KdZQSZ
慶長12年(1607)5月、薩摩の島津家久の使いが、駿府に参り滞在したが、
この時海浜で遊び、妓女を船に乗せ酒宴を催し、酔興に乗じ大いに戯れた。
ところが丁度この頃、駿府城普請のため全国より集まっていた諸大名の藩士や役夫がこれを見て
大いに嘲り笑った。

これに気がついた島津の使いは激怒し、船から上がって笑っている者たちに斬り込んだ。
殆どの者達は逃げ去ったが、池田宰相(輝政)の藩士たちはそこに残って戦い、終に島津の
使者を生け捕った。その後、使者を追放しようとしたが、彼は

「私はこのような恥辱を受けた上は、生きて人と顔を合わせることは出来ない。よってただ切腹いたす!
であれば、私に敵した者も刑せらるべし!」

そう言って、駿府の奉行所に延々と訴え続けた。このため上裁に及んだが、結果、
その使者二人と、池田の藩士のうち、今回の築城の事を預かる者達の長一人を誅した。

(徳川実記:台德院殿御實紀)

酔っぱらいを笑った結果死者3名、という駿府城下の騒動についてのお話。



748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 12:06:50.68 ID:FOOEmTEk
だからこの戦闘民族はw

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 15:34:09.90 ID:AmINW3Yi
この時代ならどこにでもいそうな
むしろ薩摩なら、切腹前に一人くらい自分で斬ってそうなのにと

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 15:42:54.58 ID:utO8pbcm
好きで遊んでるところをわらわれて怒るってよくわからん
失敗したのをわらわれて切れるならわかるけど

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 15:46:40.94 ID:AmINW3Yi
落語「棒鱈」を聴けばわかると思うよ
江戸で芸者遊びしている薩摩武士があまりにも田舎臭すぎることを言うんで隣室の町人がからかって、
薩摩武士が切れて刀を振り回す、て話。

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 20:04:17.10 ID:de3paWJ5
堅物のイメージが有る薩摩武士が芸者遊びしてたら芋臭くて笑えてくるなw

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 20:08:45.34 ID:utO8pbcm
ああそうか遊び方がなってないって笑われたのね

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 20:20:26.08 ID:dEnQM4Y0
幕末でも笑われてたしこういう人種なんだわな

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 23:00:56.57 ID:FxfD8KhO
一方、良い家久は茶会を辞退した

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 14:19:43.68 ID:TgB+dp5v
薩摩だの津軽だのは、方言の壁も大きそうだな

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 15:05:31.27 ID:eAoQ48K3
津軽は上の方はあんま訛ってないんじゃない?貿易船もきてるし。むしろヒゲ剃るとわからなくなるかと

週間ブログ拍手ランキング07/17~/23

2014年07月23日 18:50

07/17~/23のブログ拍手ランキングです!



進藤三左衛門正次の節義 43

信長の鞍馬 33

栗山利安、朝鮮にて 26
「刃傷あってはお家の一大事」 20

織田信雄を「のぶかつ」と唱する事は 16
栗山善助、大町何助を斬る 16
故太閤恩顧の血誓 14

全く珍しいほどの手練であった 13
三成、加増を辞退する 11
日州は捨て殺そうといたされた 10
佐文にはどういうわけなのか 9



今週の1位はこちら!進藤三左衛門正次の節義です!
宇喜多秀家の時代の宇喜多家は、家中がゴタゴタしてお世辞にもまとまったものではなく、その事が関ヶ原でも
尾を引くことになったのですが、そんな中にもこんな家臣が居た、というのはなんだか秀家にとっても救われた感じが
しますね。また徳川家康という人は、大谷吉継の首の行方を言わなかった藤堂高刑への対応もそうなのですが、
こういう、欲得とは別の所に価値観を置いている武士が本当に好きですね。これも、家康らしい逸話でも在ると思います。
そんなことを思ったお話でした。

2位はこちら!信長の鞍馬です!
鞍馬が信長→秀吉→官兵衛→太兵衛と、コメントにもありましたがたしかにバケツリレーみたいですねw
このような、主君から頂いたものを、実際にはお前の手柄であると家臣に与える、という話はいくつか残っていますね。
逆に考えれば話が残るほどに珍しい事例である、という事かもしれません。現代でも部下の手柄を褒めるどころか、
部下の手柄を奪う上司の話のほうが多いかもしれませんw
こういう事の出来る人を、今も昔も器量人と言うべきなのでしょう。秀吉も官兵衛も、流石ですね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!故太閤恩顧の血誓です!
表面上は大したことは起こっていなくても、なんとも不穏さの漂う逸話です。
秀吉恩顧の結束を固めた、という事なのでしょうが、幕府にとっては疑いを持ち警戒を強める事になり、また
豊臣家としても恩顧大名に対し大きな期待を抱いてしまい、確かにこの中にあるように、結果的には
豊臣家滅亡の端緒であったのかもしれません。
権力社会の難しさ、厳しさを感じさせる、逸話だと思いました。



さて、今回紹介するのは、昨日発売されたばかりのこの本!

検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー 382)
平山 優
吉川弘文館
売り上げランキング: 14,461


平山 優 『検証 長篠合戦』です!
前著、長篠合戦と武田勝頼に続く、長篠合戦の研究書ですが、前著以上に、それだけに収まらない、最新かつ多面的な
”戦国大名論”となっています。その内容も、先ず史料評価などの土台から固め、頑強な建築物を作るような、強い
説得力を持って展開していきます。
非常に面白い本で、管理人は昨日一気読みしちゃいましたwまた読みなおしている最中です。
歴史好き・戦国好きなら絶対読んだほうがいいです。
取り急ぎご紹介でした!



今週もたくさんの拍手を各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話を見つけられましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ ▽ ` )ノ

全く珍しいほどの手練であった

2014年07月22日 18:52

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/22(火) 12:51:26.08 ID:qOBkUal5
朝鮮の役でのこと。

有る時黒田家の陣営において、黒田三左衛門美作、野村隼人後藤又兵衛の3人が一緒にあった時、
向かいに敵の唐人(明人)が一人あり、矢をただ3本、手に挟んでいた。

黒田家の3人はこれを見つけると、討ち取らんと争って駆け寄った。

先ず、後藤又兵衛が一番に馬で乗り寄った。しかし唐人が矢を放つと、これが又兵衛の小腹に辺り
落馬し、当の敵を討つことは出来なかった。

次に野村隼人が駆け寄ったが、唐人は近くに寄るまで矢を放たず、なおも近づいた時
放たれた矢が隼人に当たり、これも討つことは出来なくなった。

3番目に三左衛門が唐人の側まで駆け寄って、刀を抜いて振り上げた。
そこを唐人は狙いをつけて矢を放った。その矢は三左衛門の右手に当たり、肘から上腕の後ろまで
貫き、三左衛門はたちまち刀を落とした。

が、三左衛門はそれに構わずこの敵と組打ち、ついに仕留めたのである。
それにしてもこの唐人、ただ3本の矢によって3人を射たというのは、全く珍しいほどの手練であった。

(黒田家臣伝)

黒田美作、矢で撃たれたけど構わず敵を撃つ、というお話。最後はやっぱり力技ですね。




340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/22(火) 15:26:38.89 ID:OcCuZJZB
あー、黒田家臣すごいね

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 06:43:56.47 ID:5E4XFPhC
急所に当たりさえしなければどうと言うことはない、ということなのか

栗山利安、朝鮮にて

2014年07月21日 18:52

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/21(月) 12:39:24.59 ID:2f/+l11S
朝鮮の役でのこと

黒田長政は朝鮮のおける占領地のうち。4,5郡を重臣である栗山利安に預けた。
利安は慈愛を以って民を懐けたために、朝鮮人たちはその支配を喜び、毎日その政庁に来て
利安を拝した。利安は、「大勢の者と毎日対面するのは難しい」と、2,3日に1度づつ来るように
申し付けた。

この様子を知った黒田長政は、「鎮まりかねたる所を良く懐けたものだ、ちょっと様子を見てこよう」と
利安の領地に向かった所、朝鮮人たちはこの軍勢に驚き、合戦の用意を始めた。
しかしそこで利安の馬印が見えたため、そのまま鎮まった。

(黒田家臣伝)

栗山利安、朝鮮で善政を行うというお話。




三成、加増を辞退する

2014年07月20日 19:02

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/19(土) 22:42:40.79 ID:fFPbldre
三成、加増を辞退する

小早川秀秋の転封が正式に決まった時期、石田三成の家臣宛ての書状。


『殿下は我らに筑前筑後を下さり、九州の物主にしてくださるとのご内意でしたが、
そんなことをしては佐和山に置ける人もなく、身近で用を申し付ける人も少なくなるので、
(さ候へハ、又さわ山にをかせられ候ハん人もなく、ここもとにて御用御申つけ候人もすくなく候間、)
我らはこのまま(佐和山)でいよとのことになりました。
江州(近江)のその方の知行や蔵入(代官領)が増えないとなれば
悔やむ気持ちもありますが(くやみ申し候間)、よくよく申し付けてください。
次に筑後筑前は蔵入になるので、その旨百姓に言い聞かせるよう。
また金吾殿は越州(越前)へお替りになり、従って我らが(筑前の)代官になるよう命じられました。
近々筑前に下ることになるのでその心得でいるようにし、
この由を妻と父へも伝えてください(此由内儀、おきとのへも可申候也)。

廿二日 三成(花押)』

(「慶長三年(1598年)五月 家臣・大音新介宛て書状」 宇津木文書)





織田信雄を「のぶかつ」と唱する事は

2014年07月20日 19:01

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 07:49:57.79 ID:NMYLKHiG
流れをブッた切る為に投下

------

織田信雄を「のぶかつ」と唱する事は正しいが「のぶを」と呼ぶのも間違いではない。
公家であれば上にあれば「かつ」と読み、下にあれば「を」と読む。

初めは「のぶかつ」と呼ばれていたが公卿となってからは「のぶを」と改めたと言うのが
花山院前大納言定成卿の説である。

真田左衛門佐を諸記録によれば幸村と記すが続武者物語だけは信繁と記す。
西山公(水戸光圀)は御吟味の上、幸村ではなく信仍が正しいと書き残された。
仍の字を「しげ」と訓じるのかどうかは追考が必要だ。

(翁草)

江戸時代後半には読みが分からなくなっていたと言う信雄さんの悲劇




726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 08:41:36.99 ID:y2g7qIgZ
雄って"かつ"と"たけ"とどちらに読ませるほうが多いんだろうか
某所で暇潰しに野球中継を見るようになるまでは信雄の"かつ"しか知らなんだわ

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 08:47:54.09 ID:F8uJjcWj
俺は最初“のぶお”って読むもんだと思ってた
しかし雄が“お”じゃなくて“を”だったとは…

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 09:07:21.90 ID:V7o401sM
ほんと読みはふりがなでも振ってあったのかよて思う位難しいやつあるよな
古代中世の天皇の名前とかなぜこう読める?ての多い

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 10:39:22.94 ID:lkmgnqtr
かなで濁点無いのって難しすぎ

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 12:20:02.81 ID:v712/DjF
北信愛「せやな」
穴山信君「せやな」
後水尾天皇「俺の名前とか初見殺しにも程があるだろ」

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 12:44:41.01 ID:z7uOFCxN
滝川雄利おとしさん説

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 12:54:45.57 ID:aKRY19yj
今度からノブヲって呼ぶわ

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 17:03:22.48 ID:6Ie3+g8v
のぶをなの!なんだかオシャレ

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 18:19:00.32 ID:nQgL6tOU
諱なんてそう呼ばないんだから細かいことはええんじゃよ
主君と親ぐらいだろ?

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 18:40:33.10 ID:8QItkxBx
正宗「いやんちゃんと諱で、呼・ん・で。」

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 18:54:19.55 ID:0fmCEGi0
政宗「誰てめえ」

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 20:11:39.35 ID:EmYnAjsn
政宗「おっと、穴の開けどころが悪かったな」

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 20:53:44.13 ID:PMMLnWz5
>>739
五郎入道が何故このようなところに

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 21:30:02.65 ID:y2g7qIgZ
放浪していて迷いこんだんだろ
昔話なんかじゃあ、野垂れ死にしそうになってたこともあった気もするし

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/22(火) 08:15:42.21 ID:qCB1OruT
陶晴賢って読みにくいよね

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/22(火) 08:26:48.74 ID:uwvZy/Mi
トウセイケン、と読むと大陸の人っぽいよね

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/22(火) 09:42:24.83 ID:I32fJXcL
陶謙か

佐文にはどういうわけなのか

2014年07月20日 19:01

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 17:07:48.67 ID:3Wfshzas
佐竹義宣の家士に忠野佐文という者がいた。弓馬槍剣に熟達し、
そのうえ猛勇大力の士である。

しかしながら、佐文にはどういうわけなのか礼義というものが
まるで無く、諸人に疎まれて誰一人として交わる者も無かった。
そうではあるが、戦場へ出ては度々とび抜けて優れた働きがあった。

この佐文は、戦場へ出る時は大指物を用いた。その指物は白木綿に
『一足不去忠野佐文』と大文字で書いた幟の指物である。

ある合戦で佐竹勢が敗軍した時、佐文は敗軍の兵士に押され、
心ならず一、二町引き退き、道端の川の水を飲もうとした。

その時、自分の大指物が水に映り、佐文はその文字を見て一、二町
引き返したことを残念に思い、ただ一人取って返して敵の大軍の中へ
突入し、大勇戦をして兜首を三つ取った。

けれども、佐文は平生きわめて不行跡な我儘者であるためか、
生涯二百石で終わった。

――『明良洪範続編』




735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 17:18:08.90 ID:rqgpDVeb
ただの数人、ならともかく大軍相手に
忠野の名がすたると考えるとは

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 17:37:00.99 ID:n8qrhaPF
大ふへん者

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/20(日) 17:41:06.36 ID:lkmgnqtr
どことなく三河武士っぽさを感じる

「刃傷あってはお家の一大事」

2014年07月19日 19:09

327 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/07/18(金) 22:59:30.28 ID:BBI/UJGJ
旗本の方の進藤正次さんの話が出たので少々時代は下るがもう一人の進藤正次さんのお話を一つ。

弘前藩三代目津軽平蔵信義は江戸勤番中、屋敷に大名たちを招いて深夜まで酒宴を張った。
ところが、大名の一人と口論になったため、その大名は裏口からひっそりと帰ってしまった。
信義はこれを知ると激怒し、「首をひき抜いてくれん」と刀をかざして玄関から走り出た。
その時、進藤庄兵衛正次がすばやく門を閉じ、その場に平伏し信義の行く手を遮った。

信義は、正次の首元に刀をつけ、「門を開けよ」と怒鳴ったが、「刃傷あってはお家の一大事」と正次は動かなかった。
しばらくにらみ合いが続いたが、信義はあきらめて屋敷に戻った。
一方の正次は信義の刀がかすって流れ出た血をぬぐい、夜通し門を守り続けた。

(進藤家譜)

津軽さん家の進藤正次さんでした。
時代は下ったけどすでに2つくらい信義さんの逸話出てるからいいですよね。
この進藤さん後に鬼庄兵衛とか呼ばれる家老にまで抜擢されます。




328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/18(金) 23:19:50.20 ID:Fmlp0bYo
>大名の一人と口論になったため

南部じゃないのは確か

栗山善助、大町何助を斬る

2014年07月19日 19:09

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/18(金) 20:22:58.79 ID:ImTMwhdl
永禄11年(1568)頃のこと。
この頃、黒田官兵衛孝高の家臣に大町何助という者があった。彼は隠れなき強者であったが、
官兵衛に対し逆進の色が表れていたため、官兵衛は栗山善助利安と、上原新左衛門とに、
これを殺すよう命じた。
ちなみにこの頃、栗山善助は18歳である。

折しも官兵衛の邸宅には来客があり、栗山善助はこの給仕をしていたのであるが、官兵衛より
何助の所へ使いに行けと言われ、大事の使いであるからと、黒田家に伝わる『森田刀』と呼ばれる
重代の太刀を貸し与えられた。

栗山善助はあえて肩衣袴という公的な衣装のままで向かい、何助が丁度家に滞在していたので、このように
言った

「本日は御使に参りました。その内容ですが、先日上方よりこちらに下ってきた商人が死亡した件、
大変難しい案件でしたが、あなたのご才覚のお陰で無事に相済み、後は荷物を改めそれを上方に送れば
埒の開く事となりました。ですので、貴方が保管しているあの商人の荷物を、私に相渡すようにとの
御意でございます。」

何助は「心得たり」と了承し、立ち上がって手軽く支度をし、酒を飲み、従者に鑓を持たせ、いかにも
用心した様子で「荷物をおいた所に行こう」と道を進んだ。彼も官兵衛の様子を怪しみ警戒していたのだろう。

やがて道の途中で、何助は2尺9寸(約88センチ)ある大太刀を抜くと
「どういうわけか胸騒ぎがする。これより御着城(官兵衛の主君・小寺政職の居城)に退き、
私に私曲が無いことを申し上げてくる!」
と、道よりすき田の中に飛び降り、罵り喚きながら去ろうとした。

栗山善助はこれを追いかけ、「其の方は酒に酔い狂っているのか!?」と色々と言いあしらってみたが
何助は全く納得せず、もはや是非に及ばずと思い、声をかけ、何助が立ち向かってくる所を、
跳びかかり抜き打ちにした。

ほぼ相打ち、であった。が、善助の太刀が一瞬早く何助の右袈裟に当たったため、彼は刀を取り落とした。
このため善助は、何助の頭を両断した。この時、地面に石があって、刀の切っ先の刃が少しこぼれた。
この時は誰か人を呼ぶ時間もなく、上原新左衛門と事前に相談することも出来なかった。
(黒田家臣伝)

栗山善助、大町何助を斬る。というお話し。




693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/18(金) 20:35:16.23 ID:wdGBzw2U
>>692
善助って筆頭家老に置かれるように強いんだよな、大河ドラマだと強そうにみえんw

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/18(金) 20:46:33.85 ID:cYSove4I
家中の栗


言ってみたかっただけや

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/18(金) 23:21:57.41 ID:s1lza5UX
あの粒ぞろいの黒田家臣の筆頭だからな

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/19(土) 00:17:55.12 ID:eT0u4joW
某「やはり逆心の色があらわれてるのはよくないよね」

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/19(土) 07:23:05.83 ID:JOX3gfj0
これ、どう悪い話?
煽りとかではなく普通の話っぽく感じたが

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/19(土) 07:30:39.83 ID:gRWkgcYp
暗殺しに行ったのに、気づかれて正面からの斬り合いになった、間の悪い話
もしくは善介の演技力が悪い話

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/19(土) 13:37:50.91 ID:7LBoo0m0
>>692
読んでから大河ドラマみると強そうに見えるぞ。

信長の鞍馬

2014年07月18日 18:51

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/17(木) 20:28:21.67 ID:P0EZJS5G
羽柴秀吉の中国攻めの中で、ある城を攻めた時のことである。
この時、秀吉配下の黒田官兵衛家来、母里太兵衛友信が一番乗りをし、これに羽柴軍は
勇を得て進み、城中が油断していたこともあって即座に攻め落とし、城兵尽く討ち取った。

さて、この戦果が信長に注進されると、信長は「彼の地が手に入ったのは秀吉の働き故である。」
と大いに喜び、褒美として秀吉に、鞍置きの馬を遣わした。

しかし、これを頂いた秀吉は
「今度の城攻めは、偏に孝高(官兵衛)の働き故である。」
と、鞍馬を官兵衛に与えた。

しかし、これを頂いた官兵衛は
「この度の戦功は、偏に太兵衛の一番乗りの功によるものである。であるからこの鞍馬は
私が拝受すべきものではない。」
と、これを母里太兵衛に与えた。

この鞍は、太兵衛の子孫に今も伝わっている。

(黒田家臣伝)

信長から秀吉への褒美が太兵衛の元に至った過程である。




進藤三左衛門正次の節義

2014年07月17日 18:51

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/16(水) 22:16:02.06 ID:i5spjsh6
宇喜多秀家の家臣に進藤三左衛門正次という者があった。
彼はかねてよりよく知られた武士であり、関ヶ原の合戦の後、秀家とともに逃亡したが、
やがて捕らえられ、家康より秀家の行方を尋問された。

正次は「私は秀家が敗走して後3日ばかり付き従いましたが、その後は主従別れ別れに隠れ忍んで
行方知れずと成りました。」と答えた。

家康はこれを聞くと「正次は君臣の義を重んじるが故に、その隠れる所を申さない事に疑いない。」と
却ってその忠義の志に感じ入り、金10枚を与え自分の元に留めおいた。
この時「秀家が秘蔵していた鵜飼國次の脇差しはどうなったか?」と尋ねたが、これに関しては
正次は関ヶ原の辺りで探し当て、家康に献上した。

さて、慶長8年8月、宇喜多秀家は潜伏していた薩摩から召し上げられた。
この時、本多正純、徳山則秀が彼を尋問したが、進藤正次に関して、彼は伊吹山中にて、
秀家を50日間に渡り深く隠し忍ばせたと、秀家は答えた。

先に正次は3日秀家に付き従ったと証言しており、その言葉と一致しない内容に、家康は
「その主を思うこと厚きが故に、己の美を殊更言い揚げなかったのだ」
と深く感じ入り、正次に500石を与え御家人に加えた。

(徳川実記)

徳川家康宇喜多秀家の旧臣に感じ入る、というお話し。

関連
進藤三左衛門正次の節義・別バージョン


日州は捨て殺そうといたされた

2014年07月16日 18:53

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/15(火) 18:29:38.99 ID:yHmW1y3I
丹羽式部(氏信)は大坂陣の時に大和組の中におり水野日向守(勝成)
の一手だった。式部は手勢三百人ほどで味方から十二、三町も離れて
深入りした。

松倉豊後守(重政)はこれを見て、「式部は必ず討ち取られるだろう。
同勢の際まで退かせられよ」と日向守に再三言ったのだが、日向守は
許容しなかった。しかしながら、敵勢も退いたので式部は無事だった。

後までこの事を豊後守は人に語り、「なんとまあ、大坂で丹羽式部を
日州は捨て殺そうといたされた」と言ったそうである。

――『武功雑記』




679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/15(火) 18:52:59.57 ID:KJkHmawm
水野勝成の薄情な話ともとれるし松倉重政に戦術眼が無い話ともとれるしどっちなんでしょうかね

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/15(火) 22:44:59.85 ID:5cYWamN6
この頃まではきれいな重政だったか

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/15(火) 23:14:14.60 ID:qqeMSKfX
幕府に大事な収入源の海外貿易を禁じられ、さらに幕府のルソン攻略を睨んで城造りをした結果があれらしいが

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/16(水) 00:18:45.50 ID:JM2+t/YI
島原へ行くまでの彼は心優しい素直な武将でした

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/16(水) 11:18:48.21 ID:GJ0XaPYX
>>681
攻撃すんのに城造りする必要あんの?
大概籠城の備えに映るんだが。

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/16(水) 12:46:43.31 ID:4hbc6oyL
>>685
名護屋みたいな位置付けなんじゃないの?

故太閤恩顧の血誓

2014年07月16日 18:53

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/16(水) 00:51:38.38 ID:i5spjsh6
慶長8年7月、豊臣秀頼と、徳川秀忠の娘・千姫との婚儀が行われた。
この頃大阪では、

「今度姫君のお輿入れがあり、ますます将軍家より秀頼公を輔導せられ、後見するという言葉も聞こえ、
四海いよいよ静謐となった。

しかし将軍家の威徳は年を追って盛大となり、事に将軍の重職を宣下された後は、諸国の要地は
尽く一門譜代の人々を封ぜられ、天下の諸大名は皆妻子を江戸に出しおいて、自身も年々参勤する。
これらを考えるに天下は終に、徳川家の天下となってしまった。

さりながら我々は故太閤に数年来恩顧を頂き愛育され、身をも家をも興した大小名である。
もしその深恩を忘却し、豊臣家に対して二心を抱けば、天地神明の冥罰を被る事をどうして免れるだろうか。」

そう会議して、故太閤恩顧の大小名を城中に会集し、今より後、秀頼光に対し二心抱くべからざる旨の
盟約書を捧げ、血誓した。
この事は福島正則が中心と成って申し行った事であると言う。

しかしこれは後年に成って、豊臣家滅亡の兆しであったと言われた。

(徳川実記:東照宮御實紀)




684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/16(水) 10:14:30.56 ID:4hbc6oyL
関ヶ原で家康につかなければなあ

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/16(水) 13:00:06.42 ID:QbjABYPw
大坂城が悪い。あんな強固な城じゃなかったらああにはならん。なまじ固い城はかえって悪いことにつながるとマキャベリ先生もいっておるな

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/17(木) 10:09:25.25 ID:6w0AAzuP
>>687
出れば豊臣は滅びずにすんだ、という指摘は正しいと思うんだが、出ることは
滅びるのと同じ、というのが当の本人たちの実感だったんだろうなとも思う。

財力と武力で天下をとった人間のすべてが詰まっていたイメージ。

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/17(木) 14:03:15.51 ID:JqQbOXm0
旗印になる血統が悪いだけ
子供だからって許してたら平氏の二の舞

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/17(木) 22:05:40.48 ID:x4tNtAoU
そう考えると頼朝がのちの武士に与えた影響は強烈だなw

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/17(木) 22:26:26.52 ID:n9WuWZaG
うつけの振りを演じてた直家や信長はしたたか

大阪城対面前の打ち合わせ

2014年07月15日 18:53

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 21:37:42.78 ID:J7/p7mbT
天正13年10月25日、徳川家康豊臣秀吉の要請に応じ、終に上洛した。
この夜、関白秀吉は密かに家康の旅館を訪ね、「長篠の戦い以来12年ぶりの対面です」と
大いに喜び、そして家康の耳元に口を寄せて、こう囁いた

「黄門(家康)もかねてから知っているように、秀吉は今官位人臣を極め、兵威四海を席巻しているが、
元々は松下なにがしの草履取りとして付き従っていた奴僕であることは、皆知っている。
やうやう織田殿に見立てられ武士の交わりを得た身であるから、天下の諸侯も表向きは畏服しているようでも、
心から帰順している者は居ない。また、今私の被官になっている者達も、元は同僚傍輩であり、実の主君とは
思っていない。

願わくば、近日大阪表で対面するときに、この事をよく心して対応していただきたい。
秀吉に天下を取らせるのも失わさせるのも、卿のお心次第ですぞ。
この事を頼みたくて、このように上洛を進めたのですよ。」
と、家康の背中を叩いた。

家康はこれを聞くと
「私は既に御妹と添い参らせ、またこのように上洛いたせし上は、ともかくも御為に悪しき計らいは
いたしません。」
そう答えると、関白もこれを喜んだ。

やがて大阪に渡り、厳しい作法にて御太刀・御馬。黄金百枚を進ぜられ、家康がこれにいたく敬服し
額ずいているのを見聞して、中国、筑紫の諸大名も
『大政所を人質として上洛された徳川殿ですらかくの如しである。我々がどうして秀吉を軽蔑することが
出来るであろうか』
と、これ以降国々の大名は関白を、以前に比べ10倍も尊敬するようになったと言われる。

(徳川実記:東照宮御實紀)

有名な秀吉と家康の、大阪城対面前の打ち合わせについてのお話し




『猪之助』

2014年07月14日 18:58

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/13(日) 22:03:39.98 ID:B1iJhDnX
慶長10年、春田半兵衛将吉が死去した。73歳であった。
彼は始め、與八郎、又は猪之助と言った。
岡崎三郎(松平信康)に仕え、天正3年5月21日、三河長篠・有三原の戦いで三番鑓をして報償を得て後、
家康に仕えて、長久手の戦では岩ヶ崎の城に使いをしたが、はや落城しており、城主丹羽二郎助の首を
敵兵が取って去ろうとしていた所を、追いかけその首を取り返したことで御感を被った。

また、天正13年、徳川家康の吉良での鷹狩に供奉し、手負った猪が猛り向かってくるのを組み止めた。

家康はこれに大いに感じ入り、彼に『猪之助』という名前を賜った。

(徳川実記:台德院殿御實紀)

大権現の安定のネーミングセンスを物語る逸話である。




301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/13(日) 22:52:31.58 ID:aab7x1lO
もらった名前変えちゃったかあ

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/13(日) 23:36:05.25 ID:nkHQJv3r
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6588.html
出典はないが既出のような