芥田悪六兵衛

2015年03月31日 18:21

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 21:36:15.85 ID:AwbfRslo
耳川の戦いで大友が敗北すると、筑前の秋月種実も、大友に対して反旗を翻した。
これを聞いた豊後の大友宗麟は、臼杵中務に三万騎余りをつけて秋月を攻めさせた。

豊後勢は秋月を十重二十重と取り巻き、日々夜々に攻め戦うこと数日に及ぶと、
秋月勢の勢いも次第に尽きていき、城に籠もる者はわずかに百騎にも足らなくなった。

種実は、これでは防ぐことはできないと、家の子郎党を集め様々の酒肴を調え、酒盛りをして
最期の名残を惜しんだ。

酒宴も半ばに種実は
「しかし数年の鬱憤を散じることが出来ず、明日は詰め腹を斬らねばならないこと、口惜しいものだ。」
そういって涙を流した。
この時、お酌をしていた芥田という少年、この時16歳であったが、彼は銚子を静かに置くと、
畏まって申し上げた

「明日、この芥田に采配を許してください。中務に近づき、組んで勝負を仕ろうと思います。」

種実これを聞くと
「出来もしないことを申す者かな。あれほどの大軍の中をどうやって分け入って中務と組み合うというのか。
詮無きことを申すものだ。」
そしてその言葉が笑壺に入ったか、大笑いした。

かくしてその夜も明けると、豊後勢は鯨波を作り押し寄せてきた。種実は今日を限りと考えていたので、
華やかな出で立ちで94人を前後左右に立て、臼杵中務の本陣を目掛け駆け出そうとした。

が、ここであの芥田少年が馬に取付き、「暫くお待ち下さい!仔細があります!」そう言い捨てると
真っ先に進んで、両陣の矢の口を留めて叫んだ

「大将、臼杵中務殿に申すべき事あって、人数ならぬ童が罷り向かいます!」

そうして持っていた鑓や刀、脇差しを抜き捨て静かに歩み寄り、「御本陣に通させたまえ」と言うと、
豊後勢は定めて秋月種実よりの使いであると考え、道を開いて通した。
芥田は大勢を押し分け、中務の前に来ると畏まり、

「種実より内證の事があって使いに参りました。先に、御近習の人々を遠ざけられ、御馬より降ろして
下さい。そうすれば、委細に申し上げます。」

中務これを見て、『未だ若年の者、その上無刀で来ており、仔細もないだろう。』と考え、
急ぎ馬から降り長刀を杖に突き「どういう使いであるか?」とさし俯いた。その時、

芥田は大力であったので、兜のシロコを掴んで引き伏せ、中務の脇差を奪いとるとたちまちその首を
掻き落とし、稲妻の影よりもなお素早く山の中に飛び入った。

大友の軍勢が、「すわ出し抜かれた!それを討ち取れ!」と追いかける所を、秋月勢が突撃し
四角八角に駆け破る。さすれば豊後勢は大将がいないため、色めき立って備はたちまち乱れ、
遂に敗軍した。

秋月種実は「危うき命が助かったこと、偏に芥田のはかりごとが当たったためである。」と
感状を与えた。この時種実は彼の名を、『芥田悪六兵衛』と、悪の字をつけて書いたそうである。

(大友記)



626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 02:29:19.31 ID:f/9KBo8C
三万もおって本陣はえらい前線なんだなw
しっかし大友は総大将が討たれすぎや

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 10:13:40.15 ID:1vN+SZCT
悪や鬼って、いつからネガティブな意味で使われだしたのかな?

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 17:11:13.28 ID:fArFlw1y
いやネガティブな意味でも使われてるでしょ

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 18:23:53.09 ID:VdUR7WPh
鬼武蔵の鬼は鬼畜の鬼

鬼小島の鬼は鬼神の鬼

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/01(水) 02:28:09.37 ID:6Hr1uTM5
悪は本来人並み外れた強い人をさす
だがそのような人はスタンドプレーを好んで命令に従わない
こうした流れで悪がよくないものとして捉え出した


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摂津味舌村の蜂塚

2015年03月30日 18:39

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/29(日) 22:42:41.14 ID:Vp86fkHZ
 応仁の乱の頃、落ち武者が摂津の味舌村に襲撃してくる事件があった。
その時、村人たちは近くに味舌寺に隠れて、ただひたすらに薬師如来に救いを求めて祈った。
そして、落ち武者たちがいよいよ寺まで押し寄せてきて、村人たちがもうこれまでかと
あきらめかけた時、お堂の中から数万の蜂があふれでて、落ち武者に襲いかかった。
落ち武者たちは蜂に刺され、みなバラバラに逃げ出してしまった。その後、お堂から出た
村人たちはそこでたくさんの蜂の死骸が落ちているのを見つけた。
 村人たちは命をかけて村を救った蜂に感謝して蜂塚をつくって供養したのであった。




797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 00:54:21.38 ID:nzbnSr9a
ググったらそれっぽいの出たけど、スズメバチ?

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 04:03:57.79 ID:U4hKUjdM
実際に起こりえそうな説話ですね

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 06:33:17.26 ID:eQ1KiwQj
村人側に落ちぅどはなかったんですよ

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 09:29:16.38 ID:9PSVJgIM
>>797
スズメバチは何度も相手を刺しても平気だが、ミチバチは一回 人を刺しただけでトゲを失い、亡くなってしまう
この説話に出てくる蜂はミツバチの方ではないかと思った

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 11:31:02.13 ID:64iE0r3n
ハチ「勝ったのはあの百姓たちじゃ、儂たちではない」

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 11:31:34.45 ID:TpF1OTkw
まぁ嘘話でも信じやすいように練られてるわけだしね

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 11:34:19.69 ID:MS9LoveX
ハチってのは雇った鉢屋衆の隠語だったりしてな

山内の兼常

2015年03月30日 18:39

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/29(日) 19:21:49.12 ID:IvT2HKSX
山内の兼常

山内家の先祖、山内一豊が未だ若年で羽柴秀吉に奉公した時分は、わずかに三百石ほどの平士であった。

天正元年のいつごろか、秀吉の旗下であった梶原某という美濃の武士が密かに敵方に内通したとの報が
秀吉の耳に入り彼を成敗することと成った。
この時、彼を放し討ちする事となったが、梶原は勇士であったので一人では仕損ずるかも知れぬと、
三人の部下に命じた。この中に山内一豊も入っていた。

彼ら三人は籤をして、一番を某が、二番を某が引き、一豊は三番の斬手と決まった。

その頃梶原某は、美濃の名抦川の堤普請の指揮をするためその地に出張していたため、三人は
遊山観水のためと称し、梅ヶ寺という山寺へ居たり、梶原に
『折よく弁当も持参しましたので、どうぞお立ち寄りください。』
と使いを出すと、梶原早速やってきた。
三人が門外に出迎えて見ると、家来を十余人も引き連れていて、彼らは主人梶原の傍に付き添い
少しも離れない。三人は梶原とともに連れ立って寺の中に入った。

その時、一豊は少し後に下がって、「梶原殿のお供の衆が混み合っております」と声をかけた。
梶原これを聞くと十間ばかり立ち帰り、家来たちを叱って遠のけた。この時

一豊、「上意である!」と声をかけ、関の兼常の一刀を抜き打ちに斬りつけた。梶原は初太刀を受け損じ、
少し狼狽した所を、他の二名が駆けつけ遂に仕留めた。

この時に兼常の刀は梶原の大骨を断つことが出来なかったので、一豊は少々不満であった。

天正六年、中国にて秀吉が敵城を攻め落とし、自ら乗り込んだ時、明馬屋の内に鎧を着ていない
大男が居たので、秀吉が目ざとく見つけ「それ山内!」と声をかけると、一豊は例の兼常を以って
抜打ちに大袈裟に斬り放った。甚だ見事に斬れたので、秀吉は「素早き太刀風である」と賞賛した。

そののち、天正十五年、一豊の草履取りに不届きなことがあって、一豊は大いに立腹し兼常の刀を持って
追いかけた。すると草履取りは庭口より逃げ出し門前の橋の上から湖水に飛び入ろうとした。
その寸前、追い付くと抜打ちに斬って落とした。
この時も無類の切れ味であったという。

(刀剣談)




木村重成の首

2015年03月29日 15:36

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/28(土) 18:45:15.56 ID:r6orwAxz
大阪夏の陣、井伊直孝の部隊の先鋒であった庵原助右衛門は木村長門守重成の部隊と戦い、
乱軍と成って重成が馬を乗り放ちにし鑓を持って進んできたのを、庵原は二間(訳3.6メートル)ほどの
足元の沼を隔てて鑓を合わせた。

庵原はその十文字鑓を重成の母衣に突き込み、前に引き倒そうとした。
重成は自身の鑓を庵原が立っている岸に突き立て、引き倒されまいと争った。
しかし庵原が強く引くと、重成は遂に沼にうつ伏せに引き倒された。
その時、庵原の家来たちが飛びかかり重成を取り押さえて首を取った。

と、ここに安藤長三郎が走りきて庵原に声をかけた
「私は未だ首一つも取っていません。その首を頂けないでしょうか!?」

庵原はこれを聞いて
「若者にしては奇特な心掛けである。ではこの首は進上いたそう。
この敵、木村長門守と名乗ったが、長門ではないかもしれず、たとえ本物の長門の首であっても、
私はこの首一つにて名を揚げるつもりもない。

大阪も、今日明日で落着しよう。であれば貴殿も、これほどの首を再び取り当たることは
無いだろう。急ぎ大御所の御実検に供えられよ。」

安藤は大いに喜び、首を持って行こうとしたが、ここで庵原は彼を呼び返して
「大御所は至って御吟味の強き大将である。母衣武者の首を取って母衣を首に添えない時は
御非難を受けるぞ!この母衣絹、太刀、脇差まで共々持って行くべし」
そう言って皆取り束ねて渡したが、庵原の家来たちは「せめてこれだけはこの方に残したい」と、
白熊( 白熊(はぐま)の毛で作った払子)のついた金の捻り竹の指物は、押さえて渡さなかった。
この一品は、後に庵原の家の什物となったという。

安藤長三郎は重成の首を本陣に持って行き家康の実検に備えると、正しく長門守の首であり、
若き者の天晴な功名であると、戦い終わった後、安藤を伏見城に召して五代青江の刀を与えたという。

(刀剣談)



前田利家の衣川越え

2015年03月28日 17:39

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/27(金) 22:13:02.71 ID:1RCe/o26
 奥州の仕置きに出羽まで、利家卿利長卿御父子が起こしなされた時のことである。
衣川を越える際、先手の人数の半分ほどが対岸に渡り着いた時、にわかに水の量が増し、舟でなくては通り難くなった。
諸勢はみつくろって川のこちら側で立っていたところに、利家卿が京水という名馬に乗替なさって、かの川へ乗り入れなされると、
軍兵の上下は慌て騒いで、我先にと馬を乗り入れ、乗り入れ、渡り始めたので、
川の勢いは川下でせき止められて、一人も残らず向こうの岸に駆け上がった。
 もし、その夜に利家卿が川のこちら側に本陣を拵えなされたら、一揆が起こって、対岸に渡った者達は討ち取られたであろう。
 昔、宇治川を渡った先陣は、家のため、身のために渡ったのであり、
今、利家卿は軍兵を討たせないと、一命を水に溺れることを顧みず渡りなされたのである。
「なかなか古今に稀なる名大将よ」とそのとき見た者は言うに及ばず、伝え聞いた人々も感じない者はいなかった。
(末森記)



793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/28(土) 02:15:03.99 ID:ogsu5fP+
京水「はいはい、ワシのおかげワシのおかげ」

悪事の取り調べに、落度なく申しひらきした者を、

2015年03月28日 17:37

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/28(土) 10:23:25.67 ID:OsNUgCTi
志波甚兵衛は、
「悪事の取り調べに、落度なく申しひらきした者を、ただ無罪にするだけでは残念と言わざるをえない。
悪事の真っ只中にいながら、ひとり落度なく過ごすという事は、
十年二十年ひとつの役目を勤めるより遥かな手柄だろう。
加増して取り立てたいものだ」
と言っていた【葉隠】

最初は?だけどよくよく考えたらその通りな話




丹羽家の太郎坊

2015年03月28日 17:33

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/27(金) 23:28:06.20 ID:5De09kWQ
丹羽家の太郎坊

加藤嘉明が会津四十万石を拝領して入部した時、白河にあった丹羽五郎左衛門長重は、かねてから
懇意の間柄でもあったので、会津まで入部の見舞いに行った。
これに嘉明は大いに喜び、酒宴を催して饗応し、酒も追々進んで興に入った時、嘉明はこのように言い出した

「今度のあなたの来臨は、どう感謝していいかわからぬほどである。
せめての事として、私が秘蔵する道具を進上しよう。」

そして太郎坊という刀を取り出し

「これは関ヶ原の一戦が終わった後、家康公より下された名刀なのだ。」

そう言って手ずから長重に渡すと、長重は大いに喜び厚く礼を言うと、どう思ったのか、
その日のうちに急ぎ若松を起って白河へと戻っていった。

翌日になり、嘉明は近臣たちを招き尋ねた
「昨日、酒の興に乗じて太郎坊を丹羽に譲ったような気がするのだが、まさかその通りか?」

「御意の通り、進ぜられました。」

これに嘉明たちまち不機嫌となり
「それは私が大酔して前後を忘却した上でしてしまったことだ!例の太郎坊を出せと汝らに申し付けたとしても、
遠慮して他の刀を出すべきなのに!
ともかく秘蔵第一の道具を人手に渡したのは是非もない次第である。急いで取り返すのだ!」

そうしてにわかに早馬をたて白河に向かわし、「件の刀は我家の重宝第一の道具であれば、返し賜るべし」
と申し入れたが、長重は

「重宝の賜り物ですから、お返し申すこと思いもよらず」

と、一向に取り合わなかったという。

この刀はもともと織田信長秘蔵の品で。明智光秀がこれを賜り、光秀が後にこれを愛宕山に奉納したのを、
豊臣秀吉が他の刀を納めてこれを取り出し、太郎坊と名づけた。その後徳川家康の所有となった。
長さは二尺三寸であった。

(刀剣談)





615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/28(土) 08:50:44.37 ID:oFwOfqpk
>>613
返せって言われたら

     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
   <´ 天狗じゃ、天狗の仕業じゃ! >
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| /
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;|// ////
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;|// ///
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| ///
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;| ////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: :   | `ー-----' |__////

ってやれば多分大丈夫だろその刀
そもそも太郎坊は愛宕山に住む天狗の名前
一説によると日本一の大天狗(後白河法皇とは別人)

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/28(土) 11:11:49.18 ID:xiYsLJmM
>>613
懇意の間柄だったのに重宝がもとで…
しかしこの時代って返さない奴おおいな
ごうつくばりばっかり

北陸の関ヶ原の戦いの原因

2015年03月28日 17:32

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/28(土) 00:22:36.97 ID:cx1J4gVH
 慶長五年七月二日、家康公は武州江戸にご到着になり、御仕置等を仰せ置かれ、同二十一日、家康公秀忠公御父子は十二万余の軍勢を
率いて奥州へ向かいなされた。
景勝もかねてから支度していて、城々を堅固に守り、自らも二万余騎を率いて白川口へ出張る。
 利長も本国へ馳せ下り、近隣の勢に会津攻めの軍勢を出すよう促し、小松の丹羽長重にもその旨を達した。

長重が思はれるに、
『心得ぬことだな。去る頃、内府が利長に謀反の企てありとお疑いになったあの時、内府から頼まれてやむなくその周囲を探った。
利長との長い厚誼を振り捨てたのだ。これは忠義のためである。たとえ利長の陳謝がどのくらいであろうとも
内府はわしに知らせてから、和睦なされるべきであった。
 こたびの上杉景勝討伐、相手は天下の逆賊であるから誰が断るはずだろうか。
すぐにも、内府から直々に、長重も兵を出せとのご催促があって然るべきであるのに、利長からこれを達してくる事に納得がいかない。
利長はなにか計っているかもしれない。この頃の、わしの行った計略を遺恨に思い、会津長征の道すがら討ち果たすつもりかもしれぬ。
しばらく世間の様子をよく聞いて検討しよう。』
とて、
「早々に打ち立つべきでありますが、病にて歩行も思うままにできませぬ。
その上、長征の準備もいまだ半分しか整っておりませんので、それがしは後陣を担当したい。
まず、あなか方の国の者をお先に行ってください。」
と返答した。

利長はお聞きになされて、
「長重のこの頃の態度は分からない。わざわざ後陣を望むのはおかしい。ともかく、彼の安否をよく調べた上で打ち立とう。」
と不破斎宮之助という者を使者とした。
「奥州退治のこと、諸方の寄口を知らせる必要があります。催促したのは私ではなく貴命であります。
どのようなお考えから、こんなふうに出兵を延引なされるのか。このままでは人から不審も招きましょう。急ぎ出陣されよ。」
催促は立て続けに四度に及んだが、なおぐずぐずしている。
 そこへ、大坂の三奉行から、『秀頼公の命によって謀反を起こす』との廻文が届き、ほぼ時を同じくして内府から、
北国のことでは、特に長重を勇猛の武将として頼もしく思っている旨の檄文が届いた。
『かように期待されるのは本望であるが、利長の謀略も計り難い。いかがしたものか。』
と思案していた。

 斎宮之助は金沢城へ馳せ戻って、『小松側の態度は心得がたい』と報告した。利長は、
『大坂での三成らの謀反の動きは既に伝え聞いている。その上、謀反に加担せよとの回文も到来した。
さては長重、かねてより三成に与していればこそ、会津への出兵を遅らせたものと思われる。
この上は早々に小松を踏み散らして手元を安全にして、然る後に、上方へ打ち抜けるか、奥州へ向かうか、時宜に応じて行動するとしよう。』
と決めて、七月二十六日申の下刻、四万余騎の軍勢を率いてにわかに小松表へ押し出した。
「松任より向こうは小松領であるので、焼き払って通れ」
と道筋の在家を放火し、手取川を渡り、水島寺井まで押し寄せた。すでに時が過ぎて暁になっていた。
 
 小松側では、思いも寄らぬ事なので、上を下へと騒乱ひとしおの中、長重は、
『かねては内府を敵にまわす覚悟ではなかったといえども、今、大軍に押しかけられ、利長に陳謝するわけにもいかず、
もはやいかんともしがたい。籠城しよう。』
と決めた。
(小松軍記)

北陸の関ヶ原の戦いの原因である




曽呂利新左衛門の「まつくれ丸」

2015年03月27日 18:06

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/26(木) 19:18:35.35 ID:abYXOBT2
曽呂利新左衛門の「まつくれ丸」

ある時、伏見城山里の茶屋に太閤秀吉がいる所に、曽呂利新左衛門が伺候した。
この時曽呂利は秀吉に向かい、「為して成らぬということは一切無いものです。」と言った。
しかし秀吉

「左様はいくまいよ。その方の智慧にて、予がこのように座敷のうちに座しているのを、何となしに
庭に下ろす事が出来るか?もし出来たならこの刀を遣わそう。」

これを聞いて曽呂利は暫く考えていたが
「これは叶いがたき事です。しかし、御庭より御座敷に上げ奉る事はいと容易く出来ます。」

秀吉は曽呂利の答えに笑い出し、「されば、予を庭より何となく座敷へ上げてみよ」と、笑いながら
立って庭に降りた。と、ここで曽呂利は腹を抱えて笑い出し

「さあ、早く御刀を下さるべし!」

と言い出した。秀吉戸惑い「何故か?」と尋ねると、曽呂利

「さればでございます。殿下は今、何となく庭に下りられました。ですからお約束の如く賜りたい。」
そうしきりに笑いながら答えたので、秀吉も
「なるほど、確かに予は何となく庭に下りた。ではこの刀を取らそう。」
そういって刀を与えた。

この時曽呂利は「この御刀は何という御太刀にて作者は何と申すのでしょうか?」と尋ねた。
すると秀吉

「これは汝に『まつくれ丸』(これは汝に「ともかくもくれてやった丸」)という刀だ。作銘は左文字よ。」

そう答えたそうである。


(刀剣談)




「倅めが吠えおるわ」

2015年03月27日 18:05

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/26(木) 23:14:40.79 ID:4eV+rYEN
天正8年7月、細川藤孝が信長に丹後拝領の挨拶に来た時、信長が光秀に「藤孝に天守を見せてやろう。忠興も見るといい」と言った。
忠興が同行すると信長は「丹後国は親父にはやらない。お前にやる」と言った。
「有り難いことです、一生忘れません」と忠興が涙を流すのを見た信長は、額を指で押し動かし、「倅めが吠えおるわ、本当に忘れるんじゃないぞ?」と言った。
忠興は信長が死んだ後も節義を守り、あちこちに菩提寺を立て、毎月忌日には精進し、一生恩を忘れなかったという。


綿考輯録より、かわいい話だと思うんだが出ていなかったと思うので。
「額を指で推し動かし」っていうのはデコつんみたいなものなのかな。
で、これから何十年かたった後の話がこれ↓だと思うとじんわり泣ける。

そんな信長の死後55年経った1637年
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6595.html




790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/27(金) 02:08:50.87 ID:uMoGqq/A
( ´_ゝ`)σ)Д`)ツンツン

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/27(金) 07:56:47.55 ID:U3SAb3wR
>>789
忠興大河があるなら、最後の場面で使えるな。ええ話じゃ。

荒木村重の女房たち

2015年03月27日 18:02

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/26(木) 23:16:08.80 ID:4eV+rYEN
有岡城から荒木村重が逃げた後、村重の妻子一族は織田方に捕らえられ、処刑されることになった。
京都にて磔にされる時、細川忠興は奉行としてその場にいた。
村重の女房たちは忠興と顔見知りだったので、「与一郎様頼みまする」と声々に泣き叫んだ。
光秀の娘が村重の息子に嫁いでいて、村重謀反の際に離縁し、戻されたという経緯があるが、
忠興は光秀の娘を通じて女房たちと顔見知りになったらしい。
(その娘はのちに明智左馬助に嫁いでいる)
忠興はその時のことについて、度々「哀れなことだ」と述べていたらしい。

そんな村重妻子のうち、郡主馬宗保の娘は乳母に隠され、織田信澄や明智光春のもとを転々としたあげく、玉のところに行き着いた。
それが後の忠興の側室、娘のおこほを産んだお藤(松の丸)である。

綿考輯録より




「姫路の城、化物の事」

2015年03月27日 18:02

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/27(金) 00:30:34.08 ID:Gi6hkyQT
祝!グランドオープン!ってことで、「姫路の城、化物の事」

池田輝政はある夜、御座の間に家中の者を集め、
「この城の天守五重目に夜な夜な火をともしている怪しい奴がいるのだが、様子を見に行く者はおらぬか?」と問うた。
我こそはと名乗りを上げるものは一人もいない・・・と見えたその時、18歳になるある侍が、「私が見て参りましょう。」と申し出たので、
輝政は彼に提灯を渡すと「証拠としてあの火をこの提灯に灯して参れ。」と命じた。

侍が天守の五重目まで上ると、そこにはただ一人、17~8歳くらい女郎がいて、十二単を着て火を灯していた。
女郎は侍に問いかける。
「汝は何とて、ここへ来たるぞ?」
「私は主人の仰せによってここまで来たのです。どうかその火をこの提灯に灯してくださいませ。」
と彼が答えると、「主命とあれば許してとらせん。」と言って、女郎は提灯に火を灯してくれた。

侍は嬉しく思って御座の間へ帰ろうとしたが、三重目まで下りたところで提灯の火が消えてしまったので、もう一度五重目へ戻り、
「今度は少々のことでは消えぬようにしてくださいませ。」と言うと、女郎は蝋燭を取り換えて再び火を灯してくれた。
さらに「これを証拠にせよ。」と言って一本の櫛を持たせてくれたので、侍は喜んで主君の所へ立ち返り、提灯を差し上げた。

輝政は奇特なことであるといい、提灯の火を消そうとしたがどうしても消えなかった。しかしかの侍が消せばすぐに消えたのである。
「他に不思議なことはなかったか?」
「そういえば、この櫛を預かったのですが・・・」
「ややっ!これは、具足櫃に入れておいた櫛ではないか!」
不思議に思って具足櫃を開けてみると、一対入れておいたはずの櫛の片方が無い!

「なんか凄いじゃないか、うちの城!儂もちょっと行ってくるわ!」
輝政はすぐに単身天守に上がっていったが、そこには女郎などおらず、ただ灯がともっているだけだった。

しばらく天守にいた輝政のもとに、いつも召している座頭がやってきた。
「おい、なんでこんな所にきたのだ?」
「はい。殿がお一人で心細い思いをしているのではないかと思い、琴でも弾いて差し上げようかと参上したのですが・・・実は、この琴の爪箱の蓋が空かずに困っているのです。」
「そうか。よし、儂が開けてやろう。これへよこせ。」
輝政はそう言って爪箱を受け取ると、その爪箱が手に吸い付いてきてどうやっても離れない!
「口惜しや!謀られたか!」と叫んで足で踏み割ろうとすると、爪箱は足にも吸い付いて離れない!

輝政がもがいていると、今度は座頭が巨大化して身の丈1丈ほどの鬼神となり、
「我はこの城の主なり!我を疎かにして尊まずんば、お前を今ここで引き裂き殺してくれよう!」とこの城を魔改造した歴戦の男に脅しをかけた。
さすがの輝政も、両手と足を小箱に吸い付かせた状態ではどうすることもできず、ただただ化物に降参するしかなかった。
すると、爪箱は輝政から離れた。程なく夜も明けた。

我に返った輝政が周りを見渡すと、そこは天守の五重目ではなく、いつもの御座の間だったという。
(播陽諸所古今物語)




611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/27(金) 08:17:56.40 ID:RMyjTiBD
姫路の主ってクロカン?

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/27(金) 09:03:44.72 ID:7X/0UXhu
刑部姫のことでしょ

大友宗麟と怪異

2015年03月26日 18:44

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 20:07:16.68 ID:Y/d1PWex
大友宗麟がある時病を患ったことがあったが、この折、屋敷の天井に血のついた巨大な人の足跡が出現した。
しかし宗麟は、かねてからこのような事を気にしない人物であったので、これが報告されても少しも臆する
様子もなく、

「私の煩いも平癒した。やがて体力も回復するだろう。」

などと言って、驚くことすら無かった。

またある日、お座敷の塀から、小さな松の木が少し顔を出した、かと思うと、にわかに大木と成って
枝を垂れ葉を繁らした。
これに当番の侍が慌てて駆けつけると、この松は次第に細くなり、うつつのように消えてしまった。

人々はこれこそ稀代の珍事だと思ったが、その後のある夜に大友宗麟の座していた畳の間から、
六尺ほどの屏風が自ら出ていき消え失せた。

当時、これだけでなく様々な不思議なことがあった。
人々は、これはきっと不吉の前兆ではないかと、なにか悪いことが起こるのを待ち受けるような心地をしたという。

(大友記)



607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 20:11:22.62 ID:1uV8E8O4
前兆で記録終わりかよw

宗麟公悪逆之事

2015年03月25日 18:41

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 00:03:33.69 ID:Y/d1PWex
宗麟公悪逆之事

豊後の国の鎮守である須原八幡宮の神事は、毎年8月14日から明けて15日まで、放生会御祭として行われた。
所がその年、祭りの最中に恐ろしいことが起こった。
供僧たちが運んでいた御輿がにわかに重くなり、まるで巨岩のようになったためそのまま持ち上げることが出来ず、
御輿は地面に落ちてしまた。
供僧たちは慌てて再び持ち上げようとしたが、動かすことすら出来ない。困り果てている所を、
老僧が一人現れ輿の前に畏まり、三度首を傾け御神体を取り出して、神事の行われる場所へと戻した。
実にただごと成らぬ有り様であった。

この報告を聞いた大友宗麟は言い放った
「そのような世の差し障りなる祭りを渇仰すべきではない!よいか、私はただ、その祭りを今回は中止しろと
言っているのではない。永遠に止めよと言っているのだ!」

これを聞いた人々は困惑した。その祭りは豊年の年にも増やさず、凶年にも減ずること無く、
上古より今まで欠けること無く執り行われてきた祭礼なのだ。それを今に至って捨て去れば、
神慮もいかばかりであろうかと考えたのだ。しかし宗麟は

「それら仏神は、我が宗にとっての魔である!しかれば国中の大寺大社一宇も残らず破却せよ!」

そう言って、先ず第一に住吉大明神の御社の破壊を、山森紹庵に申し付けた。
紹庵は馳せ向かうとこれを焼き払い、御神体を打ち崩した。
紹庵はその後3日を過ぎずに死んだ。

次に豊前国彦山に、清田鎮忠に三千の兵をつけて遣わした。
彦山山中の三千の山伏たちは身命を捨ててこれを防いだが、命知らずのあぶれ者たちが弓鉄砲を揃えて
攻め寄せてきたので、山中の衆も山々谷々に逃げ散った、
鎮忠は上宮まで上り、一宇も残さず灰燼となした。

そんな所に、山伏二人が現れ声高に言い放った「我ら、大友七代までの怨霊となる!」
そう罵倒すると腹を掻っ切り、猛火の中に飛び入った。

さてまた、万寿寺の破却を命ぜられたのは橋本正竹であった。彼は寺に向かうと山門より火をかけた。
その時丁度辻風激しく吹きかけて、回廊、本堂、東行堂に燃え尽き、寺中は瞬く間に灰燼となり、
仏像、経論、聖教はたちまちに寂滅の煙と成って立ち上った。
東堂西堂の人々はこの事態に、わけも分からず裸足のまま、行く末も定めず逃げ惑った。

誠に稀代不思議の悪逆であると、眉をひそめぬ者は居なかった。

吉弘内蔵助には、国中の佛神を薪にせよと命じた。
内蔵助は山々在々を駆け巡り、仏神の尊容(仏像)を日々五駄十駄と集めては打ち割り薪となした。

ある時内蔵助が、阿弥陀観音釈迦如来の仏像を取り集めて湯を沸かそうとした時、釜の中で鉄砲を放った
ような響きがあった。下人たちはこれを怪しみ、内蔵助に報告したが、彼は
「それは膠の焼ける音だろう」と、少しも騒がなかったが、今度は雷が落ちたかのように揺れて鳴り響き、
風呂を沸かしていた仏像の燃え指しが一つ、屋根の上に飛びあがった。

その時、魔風が炎を吹きたて、猛火と煙があっというまに十方全てを覆い尽くした。
内蔵助は慌てふためき逃げようとしたが、逃げ場を失い終に焼死した。
内蔵助の屋敷の者達は七転八倒し、女が泣き叫びながら焼死する有様は、話に聞く八大地獄の罪人が
剣樹に貫かれ、猛火鉄湯に身を焦がす姿というのは、このような物かと思えるほどであった。

(大友記)

関連
大友義統悪逆の事及び彦山の意地


603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 09:59:24.78 ID:AoB6rU9A
山伏「七代祟ろうとしたら保たなかったでござる」

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 12:11:36.07 ID:ArryPMjm
明治の廃仏毀釈より酷い弾圧はかつて無い
日本の文化大革命と言うべき蛮行

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 18:20:19.23 ID:4zrWmo/w
松永ボム正「つまりワシは微罪」

週間ブログ拍手ランキング【03/19~/25】

2015年03月25日 18:40

03/19~/25のブログ拍手ランキングです!


黒田長政には、日頃秘蔵の刀があった 33

白鳥小三次の事 23

我が孫六をまいるぞ! 15
大久保の六股 15

『蜻蛉不留(とんぼとまらず)』 13
片倉家の『肌小袖』 11
ごんごさま 11

片倉家の「当引長光」 10
薄田隼人の最期 10
ニュース・高山右近が「福者」に 10
大友宗麟の入信 6



今週の1位はこちら!黒田長政には、日頃秘蔵の刀があったです!
黒田長政の刀「命なりけり」のお話。なにげに、後の黒田騒動の主役の一人、栗山大膳が活躍しているのが
面白いですねw
長政は先の折れた刀を直しって、返って良くなったと言われ喜び褒美を与えますが、このあたり、あえて家臣の
ヨイショに乗ってやっている、という意識を感じられる気がします。こういう、少し抜けた大度を表すのも、主君として
非常に必要なことですね。そんな事も感じる逸話だと思いました。

2位はこちら!白鳥小三次の事です!
こちらは最上義光に仕えた美貌の近習のお話。美形というのは世間的に非常に良い属性ですが、
損な部分もあって、出世しても容姿のおかげと、やっかみから実力を素直に評価されないフシがあります。
この時代だと衆道がありますから、殊に「色仕掛け」というやっかみを受けやすいものです。
若くして出世した人が主君の寵童だったから、という理由付けをされがちなのも、この理由が大きいですね。
森乱丸や井伊直政、直江兼続なんかにもそんな話がありますが、たいていはやっかみの陰口が記録されたものでしょう。
そんな事をふと思い出した逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!薄田隼人の最期です!
コメントなどにもありましたが、橙武者などといわれ評判の悪い薄田兼相が、その最期はかくも勇猛に戦った、
ということがわかる逸話で、彼もまた見事な勇者であったことに、どこか救われるお話ですね。
戦士としての武士は、その死に様で評価が決まると言ってもいい存在だと思います。
その意味で薄田さんも、たとえ悪評があっても、勇者としての名を全うしたのだ。そんな思いをした逸話でした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
ヾ( ´ ▽ ` )ノ

片倉家の「当引長光」

2015年03月24日 18:40

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 20:15:44.56 ID:c6wqUJta
大阪の陣が終わったあと、島津家久(忠恒)伊達政宗を伏見屋敷に尋ねた事があった。
政宗もこれを喜び様々に饗応する中、家久は「御当家の片倉小十郎(重長)をこの席に呼んでほしい」と
望んだため、政宗も早速小十郎を呼び出した。

家久は小十郎に
「今度の大阪表でのあなたの戦功は、比類ないものであった。この刀は「当引長光」という
名物で、私が太閤殿下の御遺物として賜った物であるが、あなたと今日対面のしるしに
進ずるものである。」
と、刀を取って与えた。

しかし小十郎重長
「誠に忝く思いますが、太閤殿下の御遺物を私に頂戴するというのは、あまりに恐れ多きことです。
この御刀は主人政宗に遣わして頂ければ、私にとってもこの上なき喜びです。」
そう言って辞退した。

そこで家久は改めて政宗に贈ったと、片倉代々記にある。

この長光は天和三年になって、伊達綱村より重長の孫の小十郎村長が賜り、それ以後片倉家の重宝となった。

(刀剣談)




782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 22:40:06.69 ID:O5vstNqz
>>780
こいつ絶対なにか悪だくみがあって小十郎に刀贈ろうとしただろ・・・(疑心暗鬼)

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 22:56:05.13 ID:wUXvendR
>>780
政宗は普通に刀を与えたのか。らしくねえなw

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 00:44:14.58 ID:TA9Me2gv
>>783
刀与えたの政宗の曾孫やぞ

薄田隼人の最期

2015年03月23日 18:30

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/22(日) 20:09:11.94 ID:Ulg04xYJ
薄田隼人(兼相)は大力の侍であり、備前吉景の大太刀を二尺四寸に摺り上げたものを常に帯びていたが、
これは幅広の大業物であった。
大阪冬の陣の時、薄田はこの刀で3人と渡り合い一人は兜の真っ向を拝み打ちにし、鉄の筋甲を打ち破り
額に二寸切り込んだ。その者は尻からどうと倒れ、死んだ。
もう一人は胴を払って打ち倒し、最期の一人は驚き恐れて逃げ去った。

「後藤合戦記」によると、大阪夏の陣、道明寺口の合戦において、薄田隼人は一隊を率いて、
水野日向守(勝成)の部隊と戦った。ここで薄田の部隊は敗れ、備え乱れ立ち士卒散乱したが、
薄田はその場を一歩も退かなかった。

ここに水野の家人、川村新八郎重長が鑓で薄田に突きかかった。早々槍を合わせ、やがて刀を抜いて撃ち合った。
最期には組み合い、上に下にと揉み合ったが、薄田は刀を取り直して新八郎を突こうとした。

ところが、その刀は幅広であったので、取り回しが自由にならず手間取っていたところに、新八郎が
差添えの小刀を抜いて薄田の鎧の草摺の隙間に突き通した。
そうして弱った所を跳ね返して首を取った。

川村新八郎は敵の大将を打ち取るという抜群の功名により、将軍より直々の感状を頂いた。
新八郎がこの時使った差添えの小刀は、三角の形をした、俗にいう鎧通しというものであった。

(刀剣談)



594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 08:45:16.44 ID:oLBHOIyp
そういえばこの前、室戸岬の「最御崎寺」に行ったら
薄田兼相の塚」ってのがあった
大坂で死んだのになぜ高知にもあるんだろ

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 11:20:55.54 ID:D6tZgQIG
義経がチンカス汗になった伝承みたいなもん

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 11:41:12.46 ID:YJsXjdga
高知県には何と武田勝頼の墓もあるぞ

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 12:41:12.81 ID:cmRBqwym
墓が複数あるのはおかしなことじゃないけどね

伊豆には源満仲の墓がある

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 13:38:53.31 ID:2gVgBeY2
青森にはキリストの(wy

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/26(木) 09:26:00.39 ID:FPPR5t8Z
>>596
ワロタw

ニュース・高山右近が「福者」に

2015年03月23日 18:30

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 12:13:02.09 ID:JX5Y7Kcm
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150322-00000002-mai-eurp

>法王は禁教下に信仰を死守した潜伏キリシタンを「指針」とたたえた。
>キリシタン大名の高山右近(1552~1615)がカトリックで「聖人」に次ぐ「福者」に認定される見通しで、
>法王は来年、日本で予定される列福式に「可能なら行きたい」と述べたという。




772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 12:51:49.61 ID:OKQLwotX
摂津での下剋上を生き延び、山崎の合戦で奮闘
利休七哲の一人で、城造りも出来る。

江戸時代になり、藩が先祖の話を盛ってプロパガンダされた人達
よりも凄いと思うが、何故かいまいち人気がでない印象。

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 13:09:43.02 ID:c6wqUJta
右近を間違いなく美化しているフロイスなど宣教師の記録を読んですら、一種の狂信者みたいな印象しか持てないんだよなあ。
領内で寺社の破却に強制改宗、僧侶や改宗を拒む人間の追放とかもやってるし。

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 13:52:53.58 ID:UI+n2Hb0
2015年北陸新幹線開業

観光地金沢

金沢城

高山右近

高山右近について知る人が1000人くらいは増えそう

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 13:56:19.71 ID:yhrG7vrH
キリシタン大名って歴史ある神社仏閣をけし飛ばした印象であんまりイメージ良くないなあ
世間一般的にはどんなもんなんだろう

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 14:04:04.68 ID:4fgLFcC2
キリシタンじゃなくても寺を燃やした人がいるから何とも言えない

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 14:04:30.73 ID:5Aes7DBh
へうげもののほうが知名度アップ大きいか

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 16:32:15.27 ID:D7GH2UlQ
首切られたのに生き残ったり、
茶人や庭師の功績があったり、
外国でキリスト教の偉い人として人生終えたりする凄い人だと思ってる

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 17:23:47.03 ID:wUXvendR
昨年は生田斗真が演じてたので知名度アップしてそう。

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/23(月) 20:19:29.05 ID:qbwZI+nq
高山右近というと工場長と三斎様とBBQパーリィやった人ですね

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 11:15:05.43 ID:D6tZgQIG
寺を焼き討ちしたのか…

片倉家の『肌小袖』

2015年03月22日 16:08

764 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/03/22(日) 00:07:50.70 ID:Ulg04xYJ
片倉家に『肌小袖』という名刀がある。
これは片倉小十郎景綱が、嫡子重長元服の時、伊達成実を烏帽子親に頼んで元服式を執り行ったが、
そこで成実は大原真守の鍛えた一刀を取り出し

「これは我家重代の太刀で、『肌小袖』と申す。今日の祝儀に進上いたす。」

と渡した。しかしこの時重長は、一言の礼も言わなかった。

後年、大阪の陣。
重長は父景綱に代わり大阪城攻めの先陣をしたが、道明寺口にて真田の部隊と戦い、
この『肌小袖』にて敵4騎を斬って落とした。

戦いのあと、重長は伊達成実の前に出て
「今日こそこの刀を頂いた御礼を申し上げます」
そう丁重に述べた。

この時の戦いで重長は、敵に猩々緋の羽織を切り破られ、また肌小袖の刀も帽子の部分が折れたという。

(刀剣談)

最上義光
765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/22(日) 00:57:30.74 ID:HUNaw6cP
ようわからん

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/22(日) 06:29:49.99 ID:K8gBbKEj
自分でその刀の真価を発揮してから堂々と礼を言った
そんなに変な話だろうか

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/22(日) 08:33:20.55 ID:JWEMzgqp
手柄をたてられなかったら礼も云わずに知らんふりしちまうかな?

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/22(日) 11:50:24.83 ID:WOS2hXe7
その刀使って切腹か
手柄を立てられなかったことを詫びて返却ってなって
悪い話の方に投稿される

770 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/03/23(月) 06:30:37.86 ID:N21UW2xw
>>769
それやったら無礼すぎるわ
自分の腹しか切れない刀です!みたいじゃん

大友宗麟の入信

2015年03月22日 16:08

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/21(土) 17:30:00.70 ID:gnSwSeyw
南蛮国よりキリシタンという宗旨が伝わり、豊後国の府内丹生島に一寺を建立してその宗旨を布教した。
大友家中の清田鎮忠、田原近江守らはこの宗教に入信し、日夜聴聞した。

大友宗麟はこのことを聞いて、田原近江守を召して吉利支丹宗の事を尋ねた。
近江守は九州一の弁舌の人であったので、切支丹の外道(寺社を認めない事)の仔細を、さも面白く語った。
これを聞いた宗麟は

「昔、源頼朝公の仕置にも、神仏を鎮めよという内容は第一に見える。そのような大法であるので、私も神仏を
渇仰している。所がそうしているのに、良き事はなく世の災いは多い。
そのような役に立たぬ諸寺諸社を破却するには、外道宗でなければ成り難い。」

そう言って、切支丹に入信した。

この事について、ある年、豊後国内の社家の者が、宗麟を調伏するという事があった。
この事が宗麟の耳に入ると彼は激怒し
「私の武運長久の祈祷などこそすべきであるのに、そうではなく私を調伏するとは、手飼の犬に
脛を噛まれるとの言葉通りだ!事を良くしようとして返って悪くすると言うのはこういう事だ。
この事件に関わった者は、一人残らず死罪にせよ!」

そう命じたが、これを重臣である吉岡宗観が留め、領内からの追放処分で済ませた。
しかしこの事で宗麟の憤りは却って深くなり、それがあって切支丹に成ったのだという。

(大友記)



589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/21(土) 19:59:52.45 ID:vQ+0f67r
吉岡宗歓が生きてる間はまだキリスト教に入信してないんだけどな

白鳥小三次の事

2015年03月22日 16:08

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/22(日) 03:58:03.50 ID:PyGNo+GD
白鳥小三次の事

慶長の頃最上義光の近習に白鳥小三次といった美童がいた

武の最上家にあって刀槍の腕はそれほど定かではなかったが、義光からは数百石の知行を受け寵愛されていた

ある日白鳥を嫉(やっかん)だ某(なにがし)といった家来が義光に問い質した

某「小三次は新参の若輩(少年)でありながら高い知行を得ているのにはなにか理由があるのでしょうか?
大崎や蘆名は衆道で傾国し、家を滅ぼす原因にもなっています
まさか殿(最上義光)に限ってとは思いたくありませんが、よければ理由を教えてください」

最上義光(´・ω・`)「それはまったくの誤解である。たしかに小三次は見目好い若者であるが、あれは若いながらに学習意欲があり、文や歌にも長じるところがある
また他の小姓の者よりも懸命に働き、困っている者あらばこれを扶ける所も見ている
武の腕はたしかにそなた(某)に劣ろうが、秀でるところがあるから目を掛け重きをなしているのだ
小三次の仕事をそち(某)が代わってみるか?」

この話をされて某は「つまらぬ考えから恥ずかしい所を見せてしまいました」と自らのをとし(告げ口・嫉妬心?)を恥じたという

「山形の昔話」




ごんごさま

2015年03月22日 16:07

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/22(日) 04:41:57.79 ID:PyGNo+GD
ごんごさま

(1)
山形の若君最上義康の幼妻の伏姫は谷地城の白鳥長久の娘だった
義康の父義光(伏姫から見て義父)に実父の長久が暗殺されると
伏姫は引き留め様とする義康に暇乞いをし、谷地の片隅に小さな庵を建て、ここに隠棲した
義康からは毎月扶持米や織物、金子が届けられたが
伏姫はこの贈り物の中から米五合と暮らしに必要最低限の物を除いて
ほかの物をすべて谷地の民に分け与えたという

谷地の民は伏姫を敬い、米の五合の生活から「ごんごさま」とお呼びしたと伝わる

「谷地の昔話」

(2)
山形城主最上義光の奥方の清水御前は慈悲深いお人であった
日々の暮らしに困まっている人々に毎日五合ずつの施米を永年恵まれたとされる

この事から誰かというとなく、清水御前のことを「ごんごさま」というようになったという

「山形の昔話」

(3)(4)
阿古耶姫&鉢かづきのごんご姫の伝承…時代が異なるので割愛





我が孫六をまいるぞ!

2015年03月21日 16:27

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 20:40:33.15 ID:VayAq84e
土佐の山内忠義は剛気英邁の人であったが、彼には秘蔵の刀で、常に身から離さず帯びていた名刀があった。
関の孫六兼元の作で、二尺三寸五分。仮名で「かねもと」と銘がある。
非常な大業物で、これで度々家来を手打ちにした。役人などが前に出てなにか気に入らないことを言うと
ハタと睨んで「身が孫六をまいるぞ!」と大声で叱りつける。この剣幕に恐れて、皆唯々諾々として
平伏した。もしこの一言を聞いてなお、反抗しようものなら、抜き打ちに殺されるのである。

ある時、高知城より一里ばかりある荒倉山で、猪狩りが催された。
忠義自ら出馬し、大勢の勢子を配置して、猪を追い出す大網を貼り、一番、二番、三番と勢子を立て、
打ち手は鉄砲を持って要所に控えていた。
忠義も手づから鉄砲を持ち猪を待ち伏せた。

ただし、猪が手負いに成ってかかってくる場合、万一殿様に過失があってはならぬので、忠義が
待ち伏せている背後には、家老たちによって老練の猟師が隠し置かれ、
「危急の場合には撃ち留めよ。必ず殿にお怪我のないようにせよ。」と密かに申し付けてあった。

そうしているうちに狩りが始まり、やがて一匹の大猪が手負いと成って荒れに荒れ、忠義の居る方に
飛ぶように駆けてきた。
元より剛毅な人であったから、忠義は大猪を近くまで引き寄せて撃ち留めようと鉄砲の照準を定めた。
その間に猪が間近くまで来た。その時、傍の藪陰より一発の銃声が鳴ったかと思うと、
その猪は撃ち倒された。

これに忠義は激怒した。「何者が我が当の敵を横合いより撃ったのか!?」
すると、一人の年老いた猟師が這い出てきて頭を地につけ平伏した。これを見ると

「おのれ憎き奴!我が孫六をまいるぞ!」と怒鳴って刀の柄に手をかけた。
が、その老人は、「忝く思います。頂戴いたします。」と両手を出した。
その言葉通り、与えられるのだと思ってしまったのである。

忠義もこの意外な体に少し拍子抜けして刀を抜けず戸惑っていた、
そこに、家老たちが慌てて駆けつけ、「この者は我々より予て申し付け置いたもので、万一危急の場合には
殿に変わって撃ち留めよと申し付けました次第です。」と、詳しく申し上げると、
忠義これを聞いて

「その方らの申し付けとあっては、この者の落ち度ではない。
ただし『孫六をまいるぞ』ともうした時、両手を出したのは妙なやつだ。
さりとて、この秘蔵の刀を遣わすことは相成らぬ。差し替えの刀をあやつに遣わせ。」

そう、その場で別の刀が拝領された。しかしこれは不調法のご褒美というものであろう。

(刀剣談)



581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 20:42:19.86 ID:ExqvmYzk
良い話だ

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/21(土) 01:30:52.16 ID:UV/uEQOC
良い話かあ?

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/21(土) 10:07:24.53 ID:ceRcJez6
高虎さんが両手を出しております

『蜻蛉不留(とんぼとまらず)』

2015年03月20日 18:41

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/19(木) 21:48:56.97 ID:Xlo9luNo
『蜻蛉不留(とんぼとまらず)』

中村一氏の家臣に、飯田新右衛門正国という剛勇の侍があった。
この人の父は越後守正義といい、父子共に一氏に仕えて度々の戦功を現した。

一氏は長男が誕生した時、この飯田正国を命名親として、幼名を一角とつけさせたほど、
正国を信任していた。

その頃、豊臣秀吉は正宗作の鑓を秘蔵し、これを「蜻蛉不留」と名づけた。
それは、ある時この槍の先に蜻蛉が止まると、たちまち二つに断たれ地に落ちたという事から、
天晴天下の名器なりと名付けられたものであった。
そして紀州根来退治の時、一氏の軍功に、秀吉より「わが秘蔵の鑓であるが汝に与える」と
下賜したのである。

一氏の嫡男一角が元服して一忠と名乗った時、この槍も一氏より譲られた。
しかし一忠は
「飯田新右衛門は、私が幼少の頃より武芸の指南をし。万事忠勤を尽くしています。
ですのでこの蜻蛉不留の鑓は、新右衛門に与えたいと思います。」と言った。

一氏も尤もだと思ったが、秀吉に一度伺いを立ててからでないと後日の咎もも測りがたいと思い、
その旨お伺いを立てると
「あの新右衛門か!彼は先年小田原討ち入りの時、二子山にて数ヶ所の敵の篝火を消した男だ。
その時の働き比類なかった。あの鑓は天下に二つ無きものだが、あの男が持つ事に
少しも仔細はない。

ただし、あれは鹿の腹籠の革で鞘を作っているのだが、他に同じものがあっては新右衛門の面目にも
係るであろう。であれば、今後天下に触れて、鹿の腹籠の革で鑓の鞘を作ることを禁止する!」

そう言って飯田新右衛門に与えることを許可した。この事は彼の評判を更に輝かせた。

時に、福島正則の家臣に可児才蔵という者があった、彼も名高き鑓の名人であったのだが、
飯田新右衛門が天下無双の鑓を賜ったと聞くと激しく怒り
「この才蔵を差し置いて新右衛門に天下の鑓を与えるというのは心得がたい!一度新右衛門と
鑓の試合をなし、何れが優れているか世の人に知らせ、かの鑓は私が奪い取る!」
そう人々に吹聴していた。

そしてある時、箱根の山中で偶然にもこの二人が鉢合わせと成った。
可児才蔵は言った「良い折りだ、私と試合をして腕前を試そう!よろしいか?私が勝てばその鑓申し受ける!」
これに飯田新右衛門「言うに及ばず!」と両人鑓を取って突き合う。
一時ばかりの間に、才蔵は三ヶ所、新右衛門は四ヶ所を負傷したが、勝負はついに決せず、
互いに再開を約し物別れと成った。
この事も、正国の名をさらに高くしたという。

(刀剣談)



756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 02:26:54.07 ID:CQ3hmjb2
また蜻蛉が切られてしまったのか

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 09:20:24.00 ID:tR6y122d
可児才蔵って何で自信過剰だったんだろう
主君から干されまくってるのに

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 09:27:42.27 ID:3QC19a9C
試合形式だと宝蔵院の方が強そう

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 09:56:35.68 ID:bS4Zoia5
日本号の時は何もしてないのにな

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 15:12:52.01 ID:2aJzZiA7
正宗の時代に槍・・・あ(察し)

大久保の六股

2015年03月19日 18:42

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/18(水) 20:28:54.88 ID:ILNG2ltH
大久保の六股

小田原を領した大久保相模守家に、六股と称する名刀がある。
これは大久保忠世が帯びていた備前長義の刀であり、忠世はこれを『老の杖』と名付けていた。

ある時、忠世の屋敷に盗賊3人が忍び入ったことがあった。
これに気がついた忠世は、この長義の刀を抜いて、その3人の高股を斬って落とした。
これにより、六股と呼ばれるようになったのである。

その後この刀は、大久保家において無二の宝として伝えられ、藩士が誓言する際にも、
「長義の御刀もご照覧有れ。偽りは申さず!」
などと言うほどに、神霊ある重器として尊んだという。

(刀剣談)




黒田長政には、日頃秘蔵の刀があった

2015年03月18日 18:29

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/17(火) 19:34:21.54 ID:8FfE6wwi
黒田長政には、日頃秘蔵の刀があった。誰の作かわからぬが、『命なりけり』と名付けていた。
「小夜の中山」という意味を込めているのであろうか。
(西行法師の歌『年たけて また越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山』)

ある時のことである、長政が江戸城に登城した折。供の者がこの刀を持って供部屋に控えていたのであるが、
どうしたことかこれを打ち倒し、切っ先の部分を少し折ってしまった。

長政の秘蔵第一の刀であったので、もはや運の尽きと覚悟し、家老の栗山大膳(利章)まで訴え
「私は切腹してお詫び仕ります。」と言上した。
大膳はこれを聞くと
「勿論の事である。追って沙汰するまで控えていよ。」と命じて直ぐに長政の前に出、斯様斯様の不調法
仕り候と報告すると、長政は大いに機嫌を損じたが、何とも言わず、奥に入っていった。
そこで大膳は急いで江戸に出てきていた研師の本阿弥を呼んで言った。

「この切っ先を直して、今夜中に仕上げるように。帽子(刀の先端部分)が少し長過ぎる。」

本阿弥は「ご尤もです」と、その夜一晩かかって帽子を直し翌日持参すると、大膳は長政の前に
本阿弥を招いた。本阿弥はここで

「御刀の先が少々折れたのは、むしろ目出度き事です。私はこの刀が前から、帽子が少し
尖りすぎて、形が少々醜いと思っていましたが、昨夜直した所、天下一の御道具と相成りました。」

そう申し上げると長政も大いに喜んで機嫌も治った。
そこで大膳は「本阿弥に遣わす謝礼金は、不調法を仕った者に差し出させましょうか?」
とお伺いを立てると、

「それには及ばぬ。道具が良くなった以上、むしろその男に加増をしてやるのが至当である。」

そう言って、本阿弥には金三枚、不調法をした侍には二百石が加増された。

(刀剣談)




748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/17(火) 19:48:02.88 ID:ES3wbf2c
加藤嘉明なんかも器物を壊した家臣に寛容だね

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/17(火) 20:00:32.17 ID:Ipdt4G74
>「それには及ばぬ。道具が良くなった以上、むしろその男に加増をしてやるのが至当である。」

>そう言って、本阿弥には金三枚、不調法をした侍には二百石が加増された。

いい話過ぎて気持ち悪いw

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/17(火) 20:08:02.16 ID:V2WXvaHB
>>749
大膳「俺には何も無しかよ…覚えてろ」

後の黒田騒動の、隠れた遠因である。

(民明書房「刀剣余談」)

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/18(水) 01:06:00.59 ID:Fr5lGkE2
加増する必要が見当たらないけど、責任とる態度が良かったのかなぁ

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/18(水) 10:21:19.03 ID:kmjs6lpE
また長政が青筋立てながら家来を誉めてしまったのか

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/18(水) 14:55:49.93 ID:k1WFkLmo
本阿弥さんの話術にかかれば武辺者などいちころよ

週刊ブログ拍手ランキング【3/12~/18】

2015年03月18日 18:28

3/12~/18のブログ拍手ランキングです!


雑談・最上義光、新聞の連載小説に 43

水田長光 34

薬研藤四郎 31
最上光忠 25

一国兼光 24
鬼切丸巷話 22

竹股兼光 21
実休光忠小咄 21
伊達政宗と振分髪 21

八丁念仏団子刺 20
不滅の法灯 18
これぞまさに無血開城 17

石田貞宗 16
雑談・明智光秀は信長に会う前に城持ちだった? 12
今日コンビニで流し読みした本に 10

成政、諸国より勇士を集めること 9
伊良子宗牛の事 8
猿のような侍を氏真公は崇め敬ったので 7



今週の1位はこちら!雑談・最上義光、新聞の連載小説にです!
山形新聞で、最上義光の連載小説が始まるとのこと。義光の最上氏は、元々は「山形氏」を称していたらしいほど、
山形の地に関わり深い人物です。そして戦後の最上義光評の様々な変遷を考えると、殊に山形新聞で
義光の物語が連載されるというのは、非常に感慨深いものが有ります。
どのような義光、そして東北の戦国が描かれるのか、今から楽しみです。

2位はこちら!水田長光です!
立花宗茂の佩刀「水田長光」の逸話。コメントなどでも有りましたが、宗茂の所は、家臣たちもかっこいいですね。
武士らしい武士、を感じさせる人々が揃っています。この風斗さんも勇者にして芯があり、立花の武者を感じさせます。

今週はこれも含めて、刀剣に関する逸話がたくさん投稿されました。これも『刀剣乱舞』効果でしょうか?
ここで発掘された逸話が、また刀剣乱舞などのゲームにも反映されるようになると、また面白いですねw

そんな刀剣乱舞ブームにも関連して、今週管理人が気になったのはこちら!今日コンビニで流し読みした本にです!
昨今の戦国ブームや、刀剣乱舞ブームなどで、コンビニなどでも戦国武将や刀剣に関する、手軽な本が
売られていたりします。
随分前にツイッターでもつぶやいたのですが、この話のコメントなどにもあるように、コンビニ本は安いのですが、
非常に編集が雑なものが多く、この話のように、明らかに間違った情報も少なくありません。
いい悪いスレ丸写しみたいな本もあったりしますねw

このブログを見て頂いているような方は解りきったことだと思いますが、歴史を調べたい時は、手軽さはないかと
思いますが、相応の専門書を先ず読まれたほうが、後々も含めて自分のためになります。
安物買いの銭失いには、気をつけましょう!



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!

ヾ( ´ ▽ ` )ノ

石田貞宗

2015年03月17日 18:32

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/16(月) 19:07:56.58 ID:MmZMVFOT
石田貞宗

慶長5年、関ヶ原の戦いに敗北した石田三成は、近江伊吹山の奥に隠れていたのを、田中兵部少輔吉政の
手の者によって捕縛された。この時、三成は自分の帯びていた貞宗の短刀を吉政へと贈った。
しかし吉政は、その短刀を徳川家康へと差し出した

「この脇差は、治部少輔が腰に帯びていたもので、私に贈られましたが、囚人である彼から
物を受けるのはいかがかと思いますので、公儀に納めて頂きたく思います。」

家康はこれを聞くと、吉政に言った
「そなたの申す所は尤もだと思う。だがな、この貞宗の脇差は『切刀(きりは)』と号して、
元は明智日向守光秀の秘蔵していた物を、太閤(秀吉)が手に入れ常々自慢しておられた名刀である。
先年、石田が拝領して常に身から離さなかった。それを今足下に贈ったのも、定めて志あっての
事であろう。その志を虚しくするというのは、石田に対して気の毒である。

殊にこれは太閤の御遺物でもあるから、私から改めて指図しよう。
兵部少輔、その脇差を、長く所持するが良い。」

このように懇ろに言われ、田中吉政はこれを受けたという。

(刀剣談)




742 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/03/16(月) 20:05:39.45 ID:eootwjmp
イイハナシカナァー?

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/17(火) 00:06:05.42 ID:RoYJCQ3s
東京国立博物館で展示されてる刀だな

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/17(火) 01:15:14.03 ID:SWLjFWlr
家康の性格よんでんだろ、田中w

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/17(火) 19:16:17.27 ID:bynBIjAD
光秀→秀吉→三成→吉政
所持した者の家が没落するという伝説になったり

成政、諸国より勇士を集めること

2015年03月17日 18:31

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/17(火) 01:55:43.08 ID:VZePkvoA
成政、諸国より勇士を集めること

 佐々内蔵助成政の領国の越中は大国と申せども、過分の数の軍兵を召し抱えられていることは不審に思われるのも最もであった。
 その故は成政は謀反の心を抱き、尾張内府(織田信雄)と徳川(家康)殿に加担し、
『北国の大将』と呼ばれたいと心中に思われたからである。
越中は山の多い国であるから、知行の内に、山野までも含めたり、
或いは、上方から知行五千石と約束して呼び出し六千石、七千石、
又は、千石と言って千五百石を判形(知行を与える際の署名)で保証したりしたので、我も我もと越中を志して下ったのである。
 ところが所付(領知の内訳を記した文書)を見ると石高は一割五分から二割足らないものであったので、
人に知られた侍達は暇を乞い上洛したり、あるいは加州利家卿に認められ暇を出す者も多かった。
その内に加賀越中に争いが生じたので、さすがに兵達も成政を見捨て上洛もし難く、そのまま留まらざるを得なくなり、
越中勢は思いの外人数が多かったのである。
(末森記)

成政の浪人採用事情の裏話



575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/17(火) 09:56:22.71 ID:qqL96DcH
ブラックと社畜ですね

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/17(火) 18:16:19.16 ID:VyNDIpmW
銭をけちって兵を集められなかった前田家が佐々よりも兵が少なかった言い訳をしているみたいw

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/18(水) 02:37:23.95 ID:987CuGCF
前田側の資料だし悪く書かれるのは当然だよな

竹股兼光

2015年03月16日 18:36

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/15(日) 21:46:10.43 ID:fqXGeGvU
竹股兼光

上杉謙信の佩刀として有名な竹股兼光は、元越後の農民が、この刀を差して山中に入った折に、
雷激しく鳴り響き、今にも頭に落ちるかと思い、刀を抜いて頭に押し当て、目をつぶっていた。
うあがて空晴れたが、刀の切っ先より血が流れてきた。一体どうしてそうなったのかは解らなかった。

またある時、小豆を袋に入れて肩にかけて帰ると、袋がほころんでいて、豆ひとつぶがこぼれたが、
刀の鞘に当って二つに割れた。怪しんで調べてみると、鞘が割れていて刀の刃がわずかに出ていたところに、
豆が触れたためであるとわかった。

これらが世上の評判となり、その地の領主であった竹股三河守が所望してこれを買い取り、
主君である上杉謙信に献上した。

謙信は川中島の合戦にはこの兼光を帯びて出陣したが、何度めかの戦いの折、謙信が武田の陣へと乗り込んだ時、
公衆の望月平太夫という者が、間近くから鉄砲で狙っているのを見つけると、馬を駆け寄せ一刀で斬り伏せて
駆け通った。後で甲州の兵たちがこれを見ると、望月は甲冑ごと切り捨てられており、持っていた鉄砲も、
筒が両断されていた。これには、「いかなる刀で有ればこのように斬れるのか」と評判したという。

慶長のはじめ、上杉景勝の代になって、この刀を京都に上らせ研がせ、それが出来ると直ぐに越後に持ち帰らせた。
上杉家中の人々集まってこれを見て、「流石に京の水で研ぎあげただけあって、一層見事に見えます、」と
喜んでいた所、竹股三河守はじっと見て、

「この刀は偽物です!何故かといえば、先代に差し上げた兼光には、ハバキの上1寸あたりに、
馬の毛が通るほどの穴がありました。しかしこれには穴がありません。」

皆々大いに驚き、「ならば竹股を京に上らせ吟味すべし」となった。早速竹股三河守は上京し、石田三成を頼り、
京都大阪を捜索させた所、清水の南坂より本物の兼光の刀が発見された。
そこから厳しく捜査され、偽物を作った者達、研師を始め13名が召し捕られ、日ノ岡峠にて死刑になった。
竹股は急ぎ越後に持ち帰り、馬の毛を穴に通して景勝に見せ、本物であることを証明した。

この話を太閤秀吉が聞き、一見したいとの上意で、内々所望したいとの事だったので、景勝より秀吉に
献上された。しかし元和元年大阪落城により、この刀も紛失し、行方不明と成った。
徳川家康も、かねてより聞き知っている名刀であったので、これを捜索させた所、大阪城から
落ちた者が、この刀を取り出し和泉国に逃げたという事が解った。そこで
『この刀を探しだして進上した者には黄金三百枚を与える』
との高札を立てたが、ついに刀は出てこなかったという。

(刀剣談)



572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/16(月) 14:05:54.68 ID:vY5Ou9Yd
黄金三百枚はすごいなw

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/16(月) 18:53:41.17 ID:WvCMDBZr
ケチの家康公に黄金三百枚って言われると
何かの罠かと思ってしまいそう。