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その持ち主の名をしるして

2017年10月31日 18:02

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/31(火) 17:31:16.90 ID:jQaAtfFj
長宗我部元親が土佐において弓矢の盛りであった頃、家中の者、各役の道具番は道具にその持ち主の
名をしるして置いた。
このため普段も取り違えること無く、戦の場においても、取り落とした様が無作法であれば、その者の
誤りとなった。
これによって、持ち主たちはそれぞれ、一層心を尽くして疎かにしなくなったそうである。

弓矢の詮議が詳細な家では、心の付けように工夫があるものなのだ。

(士談)



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幸長の筒

2017年10月30日 14:44

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/30(月) 02:57:07.97 ID:bVEVxMsI
浅野幸長は、稲富一夢(祐直)の鉄砲の弟子であり、彼の持ち筒は皆、一夢が指示して製造させたものであった。
徳川秀忠から誓書を下され、幸長にこの芸を習わせるほどであった。

この幸長の筒であるが、現代のものとは違い、巣(銃身の筒穴)の悪しき所を直さず、その筒のまま
それに合わせて見当目割(照準)を付けたため、筒ごとに見当目割に位置が違っていた。
また筒も金厚で重かった。
しかし年月をどれほど経ても、筒からの弾道が変わること無く、筒が老けるという事がないので、
故に標的を狙ったり弾数を多く撃つ場合には、この筒に限ると言う人もいる。

考えるに、現代に及ぶほど、実薄くして術(技術)に厚くなる。故に筒を薄くして、軽く用いる事が
出来るようにし、巣の中も加工してこれを直す事で弾道も一定にした。
しかし製造されて年月が経ち、また何度も使用されると、たちまち当たりが当初から違ってしまう。

これは技術を以って直したものであるので、元に返りやすいのだ。
悪しき所があれば少し槌で叩いてその時は直るが、年月を経ると元の悪しき所に返り、
弾数も撃てず目当ても違う。
鉄砲だけでなく何事もみな、この心得が有るべきだろう。

(士談)



358 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/30(月) 06:41:24.18 ID:I5yfolQr
>>357
K川T景「ウチのボンクラは叩いても叩いても叩き足りませんでした」

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/30(月) 08:37:58.87 ID:VS6wAuNF
現代でも連続射撃する機関銃や精密射撃用の銃は熱で変形して弾道狂わない様に肉厚のヘビーバレル使うんよね

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/30(月) 18:25:26.64 ID:PlJHO+9W
K川で通字が「景」…香川氏かな?

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/30(月) 20:26:49.95 ID:umVqhRCq
誰も通字なんて言ってないw

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/30(月) 23:36:55.73 ID:SbOgUBMk
>>357
???「熱膨張って知ってるか?」

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/31(火) 01:03:15.98 ID:1zbY6Qvi
ボケでもなんでもなく素で香川氏の誰だろと思ってしまった

364 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/31(火) 05:16:16.35 ID:YhjL3Wh0
KBTIT

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/31(火) 13:42:58.23 ID:YTm7Djfi
ボンクラだから金玉蹴られて死ぬんだよな

池田輝政への呪い

2017年10月29日 19:16

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/29(日) 18:50:14.36 ID:TyHBz7w9
池田輝政への呪い

1609年(慶長14年)、城が完成して間もない12月12日の日付で、池田輝政に宛てた不気味な手紙が届いた。

それには輝政と夫人に天神(天狗)が取り付いて呪いを掛けようとしている。
「その呪いを解いて欲しいのなら、城の鬼門に急いで八天塔を建てて、大八天神を祀れ」と書いてあった。

これらは豊臣秀吉が城を築くときに姫山から総社に移した刑部神社の祟りだと人々は噂した。
そこで輝政はさっそく刑部神社を場内の三門内にお迎えし、祀ることにした。

ところがそれからも悪いことが続いた。
1611年(慶長16年)には、輝政がついに重い病気に倒れた。
そこで今度は、呪いの手紙に書いてある通りに、呪文を解く護摩祈祷を行い、
八天塔を刑部神社の横に建てると、輝政の病状は回復した。
その喜びも束の間、1613年(慶長18年)輝政は呆気なく亡くなり、その子供たちも次々に若死にした。

やはり、刑部大神の祟りに違いない。
「誰も居ないはずの天守閣に夜な夜な怪しい灯りがともり、大勢の人が泣き喚く声が聞こえる」
噂はその後も消えなかった。


ソース元 姫路城周辺情報サイト↓より
ttp://castle-himeji.com/dic/a/osakabe/



206 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/31(火) 08:06:02.47 ID:YhjL3Wh0
これらは豊臣秀吉が城を築くときに姫山から総社に移した刑部神社の祟りだと人々は噂した。


池田輝政「何で太閤殿下や秀頼公でなく、私が呪われるんですかねぇ?」

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/31(火) 08:22:55.65 ID:HvVIgT7R
だって引きこもりだよ?
遠出するなんて無理無理

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/31(火) 11:58:06.47 ID:6fXAveTk
天守閣から年1回しか出てこない刑部姫w

209 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/31(火) 12:00:25.06 ID:p2EHdXT7
>>207
妹は遠く猪苗代から生首持参で遊びに来るくらいアグレッシブなのに、お姉さまの方が干物姉なんですか

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/31(火) 12:10:47.86 ID:NdoPDHxu
そも狐なのか蛇なのか

211 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/31(火) 12:18:37.77 ID:G+3TkRin
>>210
妹は亀姫だけど、猪苗代城近所の田んぼで大入道に扮した大狢が退治されたらお城で怪異が起きなくなったとか…
ひ、姫じゃないから別の妖怪だよな…

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/31(火) 13:10:42.29 ID:awjLPz8q
引きこもりにご利益がある、
とすれば参拝?が増えるかな

突き折るほど働いて

2017年10月29日 16:38

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/29(日) 16:35:00.69 ID:aWEy2xZH
鑓の柄というものは、軽くて硬いことに利があるが、上田宗箇は杉の柄の鑓を常に所持していた。
人がその理由を問うと

「突き折るほど働いての討ち死に、本望ではないか」

と答えたという、
滋賀与三右衛門も杉の柄の槍で、主人がその理由を問うと
「いざという時投げ突きにいたします」と言った。

阿波の三好が上方に進出して度々戦のあった頃、彼らの大方は竹の柄の鑓を持っていた。
それ故に、その頃の狂歌に

『阿波武者は 世々をかけて突ぬらん 皆鑓の柄を竹にてぞする』

これを京童が口々に唱えたとか。

(士談)



大将の旗、纏、馬印

2017年10月28日 12:02

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 23:28:17.57 ID:QPdRFwSZ
大将の旗、纏、馬印などというものは、高く遠くからも見えることに利がある。
これは相印となり、将の下知がよく届くためである。

豊前の城井一揆の時、その谷口に戦術上良い地形があり、その山を取れば利があり、取られれば
不利になるものであったので、黒田長政はこれを見て取ると、宵より物見をかけ、この山を占拠するとし、
そうして山に備えを段々と上げた。

ここまで城井の兵は全く見えなかったので、さては黒田勢に辟易して退去したかと、各々喜び
緊張が緩んだ。

その時、城井の馬印である赤い吹抜が突然現れた。
黒田の兵はこれに驚き、「唯今足元よ敵が出たり!」と混乱し敗軍した。

この時黒田の機は、行列の時のように長く立ち備えていた。これが進みながら敵と遭遇したため、
旗を立て直すことが出来なかったのである。
先の方からは「旗を立て直せ!」と下知があったが、旗奉行はこの命令を聞き入れなかった。
「その時間が有るからと言って、もし立て直すようなことをすれば、むしろより早く
軍が崩れます」
という理由であった。

賤ヶ岳の戦いで、秀吉の金の纏が出て佐久間玄蕃の兵たちが気を失い、小牧にても家康の扇の纏が出たことで
敵軍気を失い、関ヶ原にても家康の纏が突然現れたことで、石田三成は大いに驚き謀を失ったと言うが、
これらも同一の事例であろう。

(士談)



朝夕樫の柄をこそ

2017年10月27日 17:04

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 13:21:15.40 ID:QPdRFwSZ
織田信長の黒母衣衆に、伊藤武兵衛という者があった。
彼は坂井近盛という者を斬り尾張より退転し、駿河に亡命して今川氏真を頼った。
尾張からの牢人ということで、今川家の人々も彼を丁重に遇した。

ある時、乱舞の座において他の人々より「伊藤殿も何ぞ遊ばし候へ」と、座興を促されたが
彼は元より乱舞というものを知らぬため

「私は何も心得ませんので」

と断った。しかし「いやそう言われずに、何か一色」と更に促された。それでも
「今まで知らぬことであり、面目無いのですが、何も存じませんので。」

そういった所、座の若き者共、「この男、何も知らぬ」と嘲り、小鼓を彼に向かってころばして、
強いて所望した。
この様子を見て伊藤は、居直って言い放った

「私は若き頃より信長の脇に仕えて近国を従え、朝夕樫の柄(槍の柄)をこそ握っていたため、
穢多の皮を叩いた遊ぶ暇もなければ、知らぬなり!」

そして鼓を跳ね戻したが、かの若者達は

「いや、穢多の皮を叩く時は叩き、樫の柄を握るべき所で握る者こそ良いと言うべきだ」

そう言い、これに怒った伊藤が刀を抜こうとしたのを周りの人々が慌てて抑え止めさせた。

程なく、今川氏真は武田信玄のため駿河を退き、遠江掛川に籠った。ここを信玄と連携した
徳川家康が攻めた。
天王山の北に旗を立て、大須賀五郎左衛門、大久保七郎右衛門、松平周防守、土井豊後守らが
大手を攻め立てた時、城中には勇士多かったが、この時伊藤武兵衛が今川家の武士たちに言った

「穢多の皮の事承り及んでおりますが、畳の上では心安いでしょう。こういう時こそ少し叩いては如何か?
この武兵衛は信長の側にて習い置き樫の柄を握ってみせましょうぞ!」

そう申すと城より何度も打って出て、遂に討ち死にした。椋原次郎右衛門に討たれたという。
類少き勇者である。
しかし、もし彼に音曲の方の素養もあったなら、このように後まで心にかかることも無かっただろう。
であれば、知らぬというのは少し劣ることに似ているのではないだろうか。

(士談)



203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 16:29:06.71 ID:xqOpkIKt
価値観が変わってしまっていることが窺えるな

猛き武士の心をも和らぐるは

2017年10月26日 18:22

344 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/25(水) 22:30:10.23 ID:Sc/A6gmx
毛利元就と陶晴賢の厳島合戦が終わって5~6日程した頃のこと。
厳島にて渡辺可性と言う者が捕らえられ、陶方の残存兵の後始末のため滞陣する元就の前に引き出された。元就は彼を見て

「この者は、先年私が山口へ下っていたとき、折々私の前へやって来た狂歌の名人じゃ。助けおいたとて、何として害を及ぼそうぞ」
とあって、召し出し
「これ可性、日頃たしなむところであろうが。狂歌一首、ただちに詠んでみせい。詠めたれば命助けようぞ」
と言った。可性は「かたじけのうございまする」と答え、すぐに

かけてしも頼むや毛利の締襷 命一つに二つ巻きして

と詠んだ。元就は、「この歌、それほどの秀逸ではないが、このような折にしては、よう詠んだ」と約束どおり可性の命を助けた。

345 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/25(水) 22:30:23.26 ID:Sc/A6gmx
また、陶晴賢の同朋で、宗阿弥という者が生け捕られて、同じく引き出された。元就は彼を見て、
「この宗阿弥は普段から極めて大力の猛者と聞いておったが、何とやすやすと生け捕られて参ったことよな。将来の禍をなす者なるぞ。ただ一刻も早う殺せ。」
と言ったが、思い返し、また、
「それにしても、そちはこれまでたびたび武勇をあらわした。その名声の朽ちることをも顧みず、もしや命助かるかと、自害もせずに、こうして縄目の恥をさらすはめになったことよね。
さらば『命の惜しきは恥を思わず』という心を狂歌に詠め。そちも狂歌の名人と聞いたぞ」
と言った。宗阿弥が「かしこまりました」と申して、ただちに、

名を惜しむ人といふとも身を惜しむ 惜しさに代へて名をば惜しまじ

と詠むと、
「可性の狂歌よりは、はるかに勝れておる。助けおいたとて大事あるまい」
と、これも一命を助けたということである。「猛き武士の心をも和らぐるは和歌の徳なり」とはまことに名言である。
昔の大隈郡司の翁は「栲見るにぞ身は冷えにける」と詠んで罪を許され、藤原為明は「わが敷島の道ならで」と詠んで水火の刑を免れたが、
今の宗阿弥は「身を惜しむ惜しさ」と詠んで、一命を助かったのである。優雅な歌の世界は昔も今もその心は変わらぬものだと、当時の人々はこの歌を扇や畳紙に書いては、美談としてもてはやしたということである。
(陰徳太平記)



346 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/25(水) 23:10:50.26 ID:BjysMpzj
>>345
>こうして縄目の恥をさらすはめになったことよね。

 .,'
    |. '、  \    `⌒iエ´ , イ
    |. '、   .',     ノ_,ィ ノ / /    ……出たわね。
    |  `''-、     ヽ二ノ /
  _,,-〈.\  '、 \   '⌒ /|、
     \ `"''-ニ,,_ `"''ー―くノ.|`"''
       .\     ̄ ̄ ̄ ̄ /

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 23:18:50.37 ID:VoDwP3CC
そうわよ

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/26(木) 10:54:04.39 ID:zCLKuaFh
きたわね

349 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/26(木) 11:17:58.18 ID:klTjDjGs
>>345
北斗の拳終盤の王国編思い出した。
雑魚が宮廷作曲家に良い歌を作るから死刑
と、言ってる所にケンシロウが現れ宮廷作曲家を救うと、雑魚に助かりたいか?

350 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/26(木) 11:19:45.63 ID:klTjDjGs
なら歌ってみろ。雑魚歌う→駄目だな→雑魚爆死

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 11:05:06.42 ID:rCCUH/YG
美談なのか・・・?

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 21:32:26.39 ID:wsgJKNCI
元就さん、子供には芸事も学問も不要、って言ってるわりには、
学問と和歌が大好きだよね。

353 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/27(金) 21:50:38.91 ID:8tT7Z6FC
>>352
既出のまとめから引っ張って来たんだが

『藝も要らず、能も要らず、遊も要らず、何もかも要らず。
ただ日夜共に、武略・知略・計策・調略を、工夫することが肝要なのだ。』

学問は否定していない様な…

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 22:03:24.93 ID:wsgJKNCI
>>353
ああ、すまん。
隆景さんの輝への説教の方だった。

赤川元保誅罰

2017年10月26日 18:20

184 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/25(水) 19:13:35.86 ID:w2ASLYq0
赤川元保誅罰

嫡男隆元が早逝した責を理由に切腹に追いやられたされたとされる赤川元保の別のお話

赤川左京亮(元保)は近年、大友氏の抑えとして長門の国府、勝山に駐屯して居たがある日元就の命によって誅罰された。

左京は武勇に優れ、知恵もまた他の人よりも優れていたので元就様は輝元様が幼少の頃からその教育係として付けていた。
この為周囲の人々は左京を粗略には扱わず、左京は次第に驕り高ぶり傲慢な振る舞いが目立つ様になり、
遂には己が教育係を勤める輝元様が毛利家当主となれば自らの権勢はより高まるであろうと考えたか、左京は輝元様に

「輝元様も良いお歳になられました。いつまでそのままでいらっしゃるおつもりですか?元就様もうずいぶんご老衰のようですので、家督のことを急がせたとしても誰が反対しましょうか」
などと強弁していた。当時輝元様は志学(十五歳)の頃であったが、年齢よりも成熟した賢将で
「左京は邪な事を言っている。放ってはおけない」
と考えられ、元就様に直接この事を相談した。
「急いで京兆(左京亮の唐名)の首を刎ねてください」
との輝元様の言葉に元就様は
「左京め、驕りが過ぎるだけでなく、まだ二十歳にもならぬ輝元にこの様な邪な事を吹き込むとは、放っておけば秦の趙高か唐の安禄山が如き者となろう」
とお考えになり赤川左京を誅罰なさり、吉田の隅と言う地に住む左京の弟源右衛門には粟屋弥四郎、粟屋右衛門を差し向け、粟屋弥四郎が刺し違えて彼を討ち取り、
左京の養子又五郎には桂能登守が手勢数百人で囲んだが、屈強な又五郎の前に数十人が切られ、寄せ手は立ち往生してしまった。
そこへ粟屋彦右衛門と言う小兵の者が現れ、物陰に潜むと又五郎が数箇所手傷を負って眩暈がしたのか、しばらく息を整えているところに走りかかって引き倒し、取り押さえて首を切ってしまった。
又五郎は彦右衛門程度の小男ならがんじがらめにできるほどの大力であったが、
彦右衛門に組み伏せられてろくな抵抗もできずに討ち取られてしまったということだ。
彦右衛門もこうした大力の者と知りながら、自分の力が劣っているのも顧みず、無手と組んだその意気が立派であった。

(陰徳記)

185 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/25(水) 19:17:34.15 ID:E3GEJJbr
ちなみにこの最後に出て来る粟屋彦右衛門は幼名を源二郎と言い、既 十六歳の折に元就の命令で、元就の妾と密通した木原兵部少輔を討ち取った男でもある。

既出の逸話
毛利元就、妾のもとに忍ぶ男を
を参照。



189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 20:41:48.26 ID:CcjnGyV8

そして子供の頃は賢将だったと書かれる輝元

【雑談】牡蠣談義

2017年10月26日 18:19

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 22:29:52.43 ID:AjqsyYpU
逸話でなくてニュースだけど

ttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171025-00000027-cnippou-kr
SJシウォン側「『豊臣秀吉が好き』発言、他意はなかった」

続いてシウォンは「この中で一番価値観が合う人物は」という追加の質問に「織田信長だ。織田が好きだったというカキフライをわざわざ食べに行くこともある」と説明した。


何がどうしてこうなった
歴史が伝わらない悪い話

191 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/25(水) 22:56:45.58 ID:Sc/A6gmx
>>190
名前で何処の白人さんがそんな適当な事を?
と思ったら…

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 23:01:03.74 ID:p3fyvArH
ノッブ「そうそう、実はカキに当たっちゃったんだよ」

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 23:13:15.54 ID:08wdza5k
>>190
こんなことでいちいち突っ込まれるのか。めんどくせえ国だわ

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 23:18:03.06 ID:Ef10S7lE
比叡山高校の面接試験か何かで
面接官「尊敬する人物は誰ですか」
受験生「織田信長です!」
面接官「・・・不合格!」

という話を思い出した、本当にあったかは知らないけど

195 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/25(水) 23:23:39.21 ID:BjysMpzj
TERU「牡蠣言うたらやっぱウチじゃけぇ」

広島城、実は3代目 毛利輝元が築いた時代の牡蠣ガラ付き石垣が残る
http://j-town.net/tokyo/news/localtv/248253.html?p=all



カンパイ広島!牡蠣ングダム
https://hiroshima-welcome.jp
https://youtu.be/BSOWyUl0PX0
カープは完敗しましたけどね(涙

196 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/25(水) 23:40:03.98 ID:Sc/A6gmx
武田信玄「ワシも牡蠣大好きよ」
http://www.marutosuisan.jp/Steamed_Oyster/Oyster_story09.html

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/26(木) 10:53:25.09 ID:zCLKuaFh
信長を偲んでカキフライ食うオフやったらおまえら来る?

198 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/26(木) 10:57:55.61 ID:3qLcsWsJ
エビフリャーなら

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/26(木) 11:29:11.87 ID:EzYhYprw
某ゲームの居酒屋コラボイベントで
家康キャラのコラボメニューが「徳川最後の晩餐(鯛の天ぷら)」
だったのを思い出した

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/26(木) 12:40:45.79 ID:0RRMjCpK
>>199
ちゃんとさつま揚げだったのかが気になる。

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 06:00:30.73 ID:mdeSg/6u
家康キャラなんだからそれは間違い

肥後の加藤が来るならば

2017年10月25日 19:07

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 17:50:24.41 ID:pJNNrnk5
薩摩の兵児(へご)の謡に

『肥後の加藤が来るならば、焔硝肴に団子まうそ それでもきかずに来るならば、首に刀の引き出物』

というものがある。
『団子まうそ』とは、即ち弾丸を以て膳に変えるという事である。

当時、加藤清正が肥後国に封じられていたが、島津氏はこれと境を接し、非常に警戒しており、
出水郷に要害を築いた。その時この謡をつくり、人夫たちに歌わせたそうである。

(今古雅談)



340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 18:25:09.83 ID:uHmIUURg
速攻で秀吉に訴えられそうだがw

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 19:04:50.40 ID:Ef10S7lE
NHKのその時歴史が動いたか何かで
「あく巻」ってお菓子といっしょに紹介していたような
秀吉の九州征伐の時の話と言ってた気がするけど、その時はそんなに加藤清正有名じゃないか

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 21:04:01.30 ID:CcjnGyV8
あく巻き、あんまり美味しくなかったなあ
もっと砂糖を使えばよかったかなあ

九州戦の頃の清正って官僚としての役割を期待されていたんだね
ときたまそういうコメントが出てはいたけど、もともと代官職が板についてた人だったんだね

343 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/25(水) 21:44:02.95 ID:Sc/A6gmx
小西行長「あの…」

週間ブログ拍手ランキング【10/19~/25】

2017年10月25日 17:48

10/19~/25のブログ拍手ランキングです!


手取釜 17

うしとらぬさへうきなたつみに 13
秀次の趣向 13

勝蔵は手負たり 11
宗祇と怪異 9

鬼松出たか、堀出たか 8
勝海舟「陸軍歴史」巻28より『寛永御前試合』 6
川手良列の戦死 4


今週の1位はこちら!手取釜です!
鉄瓶にいわれが作られていく過程、というべき話でしょうか。「名物」が生まれる様子を見ているような、逸話ですね。
この時秀吉の権威に屈して、すんなり渡していればこの「手取釜」が名物になることは無かったでしょう。
砕いたからこそ名品と成った、と考えると、茶道具というもの、あるいは芸術というものの業の深さを感じてしまいます。
そして最後に粋なオチをつくる幽斎さんは、さすがですねw

2位はこちら!うしとらぬさへうきなたつみに
宗祇さんの気転の一句。流石にうまいものです。
この歌が連歌師らしいな、と思うのは、これは明らかに、先に下の句を思いついていますね。そこから上の句の構成を
考えるというのは、これは和歌のみならず様々な創作において参考になる姿勢じゃないかな、なんて思いました。

同票で2位はもう一つ!秀次の趣向 です!
秀次の茶の趣向に、利休までも感嘆したというお話。月の動き、光線の方向まで巧みに取り入れた、茶の湯の精神を
体現した演出の一つとも言えそうです。
このお話が史実かどうかということよりも、「秀次はこういう人だった」という印象がこうやって受け継がれていた、という事の
方が大切ですね。彼が「殺生関白」というだけの存在ではないという認識が、長く存在していたという事です。
こういう所からも、豊臣秀次という人物の興味深さが、見えてくるんじゃないかな、なんて感じます。


今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
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宗祇と怪異

2017年10月24日 17:01

宗祇   
336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/23(月) 21:36:05.22 ID:hy8AdOA6
連歌師の宗祇は旅の途中、怪異ありという廃寺を宿とした。
深夜、ふと目を覚ますと、寺の中に人々が集まり、連歌の会を行っていた。
そのうちに

『今宵の月は空にこそあれ』

という句が吟じられ、その附句を求められたが、その場の者達、みな付けかねて打ち悩んだ様子であった。
この時、宗祇は末席より

『やどるべき 水も氷にとじられて』

そう付けた瞬間、人々は「あっ」と感じ入り、そのまま消え失せた。


また宗祇が石山寺に詣でた時、

『うき草に 火を埋めたる蛍かな』

こう吟じて心ひそかに誇っていたが、その傍らより童子が出てきて
「これでは蛍が死んでしまいます」と

『池水に 火を打つ波の蛍かな』

そう詠ずるとどこともなく消え去ったという。

(今古雅談)



337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/23(月) 23:29:05.04 ID:htmCXMy7
童のくだり、落語の「西行鼓ヶ滝」で
西行が「伝え聞く鼓ヶ滝に来て見れば沢辺に咲きしたんぽぽの花」
と詠んで、我ながらよく詠めた、とほくそ笑んでたら
近くに住んでいた爺さん、婆さん、娘に次々手直しさせられ
「音に聞く鼓ヶ滝をうち見れば川辺に咲きしたんぽぽの花(白百合の花)」
と元の歌より良い歌にされ、西行が自分の自惚れを反省したら、
三人が正体を現し、実は歌の神である住吉三神だった、て話を思い出した。

勝海舟「陸軍歴史」巻28より『寛永御前試合』

2017年10月24日 17:00

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/23(月) 21:58:16.58 ID:htmCXMy7
まとめの9741「講談、寛永御前試合では」でも触れられてるけど
勝海舟「陸軍歴史」巻28から抜粋

三代将軍家光公御代寛永十一甲戌年九月廿二日於吹上上覧所剣道立合之面々左之通り

   井場泉水軒・下谷御徒町住人

負  浅山一伝齋

鎧勝負
   初鹿野伝右衛門

負  朝比奈弥太郎

   竹内加賀之助・播州住人

負  由井直人・仙台藩

   仙台黄門政宗

負  秋元但馬守

   堀尾山城守

負  菅沼新八郎

   柳生市之丞・和州柳生の住人

負  石川又四郎

   佐川蟠龍齋・芝高輪住人

負  関口弥太郎・紀州郷士

   石川軍東齋・江戸小石川

負  松前帯刀・御取立の御旗本

鎧勝負
   大久保彦左衛門

負  加賀爪甲斐守

   樋口十郎兵衛・上州の郷士

討  中条五兵衛・甲州中郷士

   荒木又右衛門

討  宮本八五郎・豊前小倉藩

   芳賀一心齋・備中の郷士

討  難波一刀齋・遠州の郷士

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/23(月) 22:02:20.36 ID:htmCXMy7
荒木又右衛門、宮本八五郎(伊織)の名前が見えるのはご愛嬌として、
編者の勝海舟は大久保彦左衛門や伊達政宗の名前が出てくることに疑問はなかったのだろうか
しかもこの「陸軍歴史」って陸軍省が勝海舟に依頼している真面目な本のはずなのに



182 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/24(火) 17:38:14.80 ID:f/6URLZ0
>>180
これは魔界転生やってますわ

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/24(火) 23:07:06.45 ID:skh5btLk
>>181
海舟は政治家だから歴史が正確かどうかには興味なかったのでは

うしとらぬさへうきなたつみに

2017年10月23日 18:13

宗祇   
335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/22(日) 23:42:11.25 ID:Sh+Hm2dH
連歌師の宗祇が諸国を修行していた折、ある国にて疲れ、近くに遊ぶ、主も知れぬ野飼い牛を見て
これを引き出し打ち乗りて、心に任せて歩ませた。

しばらくして牛の主が、牛のいないことに気が付き「これは悪漢が奪い去ったのだ」と、息せきって
追いかけ、これを発見すると宗祇を捕え、おおいに怒り沙汰のためと現地の奉行所へと突き出した。

奉行が宗祇に仔細を尋ねると
「私は宗祇と言って、諸国を巡る修行者です。あまりに足が疲れたため、野遊びしている牛を引き寄せ
乗り去ってしまいましたが、物盗みなどしようとしたわけではありません。ですがそもそも、
主がいないからと言って乗ってしまったのが過ちです。当然乗ってしまった事への代償は支払いますので、
どうか事無く許していただきたい。」

奉行はこれを聞くと
宗祇といえば聞こえる和歌の修行者ではないか、ならば、何か歌を呼んで謝罪せよ。また、牛のことであるから
十二支をその歌に詠み込んで然るべし。」

宗祇、畏まってしばらく考え、やがてこのように詠んだ

『むまひつじ さるとりいぬもいなばいね うしとらぬさへうきなたつみに』

(今古雅談)

むま(午)ひつじ(未) さる(申)とり(酉)いぬ(戌)もい(亥)なばいね(子)
うし(丑)とら(寅)ぬさへう(卯)きなたつ(辰)み(巳)に
ということですね



338 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/24(火) 07:24:05.89 ID:gGbJkRju
>>335

『むまひつじ さるとりいぬもいなばいね うしとらぬさへうきなたつみに』

ふっかつのじゅもんがちがいます

勝蔵は手負たり

2017年10月22日 16:47

森長可   
332 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote![sage] 投稿日:2017/10/22(日) 10:17:08.95 ID:lD4HBGRz
勝蔵は手負たり


信州高遠城に仁科五郎信盛・小山田備中・渡辺金大夫が立てこもったので
信忠公が攻められた時の先手は森長可・川尻肥前守・毛利河内守・団平八が
追手(大手)より向かうことになった。
然るところ長可は右の衆を出し抜かれて、小笠原掃部之介に案内させて
夜明けには高遠へ詰めかけられたので、(高遠方は)すぐに二の丸を空けて
本丸へ集まったので、(長可は)虎口を固められて御注進された。

信忠公は早々とお越しになられ総攻めと仰せられたので、長可が一番に
本丸へ乗り込まれて、広間口左の方へ入り座敷内で迫り合いになり
比類なき御働きで高名を上げられたが、手傷を負われた。
長可の家臣渡辺助右衛門豊守・林長兵衛為忠も高名した。

長可が腰より下は血になられて、首を持って参られたところを
信忠公が御覧になり
「勝蔵は手負たり」
と仰せになった様子は見事なる義にございました。


――『森家伝記』



333 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote![sage] 投稿日:2017/10/22(日) 12:14:35.34 ID:MmZEA88k
まとめの3131
「森長可『血染めの赤備え』」
だと腕にかすり傷で腰から下は全て返り血だったけど
これだと自分の血も混じってるような

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/22(日) 21:12:38.35 ID:LPWCxxI8
返り血のことを手負いと言い表すのか、手負いが高名なのかどっちだろう

川手良列の戦死

2017年10月21日 10:51

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/20(金) 19:05:32.73 ID:IcLAlNWl
井伊直政の重臣の川手良則は、直政の姉の高瀬を娶ったが嫡男が無かったので、大草松平家の松平康安の三男を婿養子とした。

その川手良列(良行)は大阪の陣で井伊家の一隊を率いたが、夏の陣の若江の戦いで無謀とも言える突撃を繰り返して戦死した。
冬の陣の真田丸の戦いで井伊勢が先走って大損害を受けたが、良列は軍規を忠実に守って動かなかった。ところがかえって
臆病者の誹りを受けてしまい、そこで実父と実兄に相談の上で覚悟を決めていたのだという。

そこまで頑張ったのに、良列の遺児の良富も若死にしたのでお家断絶している。祖母の高瀬は孫より長生きしてますね。

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/20(金) 19:07:01.89 ID:IcLAlNWl
ただし、過去ログ「賞の基準」、こちらの逸話では川手主水(良列)の扱いは正反対になっているようである。

関連
賞の基準


秀次の趣向

2017年10月20日 16:31

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/19(木) 22:36:35.75 ID:5AVF+jbi
関白豊臣秀次が、筑紫において藤原定家の書いた小倉の色紙を手に入れた。
これにより座敷を改め、色紙開きの会を開いた。
千利休を上客として、相伴3人という会であった。

頃は卯月(4月)の二十日あまり。明け方の事であった。
人々、座敷に入ったが。そこには明かりも無く、闇の中に釜の沸く音だけが聞こえ、
いかにも静かな様子であった。

「これは一体どんな御作意であろうか」

その場の人々がそう思っていたその時、利休の後ろの明かり障子が、ほのぼのと明るくなった。
不思議に思い障子を開けると、月の明かりが座敷の内にほのかに入ってきた。
さればとにじり寄って見ると、小倉の色紙がかけ物として飾られていた。その歌は

『時鳥 啼きつる方をながむれば
  ただ有明の月ぞ残れる』

誠におもしろき趣向にて、その時利休をはじめとした人々も、「さても名誉不思議のご趣向かな」と、
同音に感じ入ったという。

(今古雅談)



鬼松出たか、堀出たか

2017年10月19日 21:18

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/18(水) 20:19:59.21 ID:QI+GkoqQ
鬼松出たか、堀出たか


細川家臣・堀内傅右衛門は赤穂浪士を預かったときに接待役を勤め
『旦夕覺書』『堀内傳右衛門覚書』などの著書を残した。
曾祖父にあたる堀内構之助池田輝政に五百石で仕えていた。
以下は『旦夕覺書』からの引用。


祖母の妙菴は構之助殿の一人娘で幼少の時に鬼松と名付けられ
とても大切にされていたので十二、三才までは、門前を池田輝政公が
お通りされる時には召し連れてお目通りさせたので
「鬼松出たか、堀出たか」*
と(輝政公が)毎度おっしゃられたと(自分が)幼少のときに聞きました。

老父は昔話が好きで、妙菴に構之助殿のときの備前の名のある侍や
物事を尋ねたときには、誰は知行何程それは番頭足軽頭と
(妙菴が)一々覚えていて話されたことを(老父が)覚えています。
昔は他にも(妙菴と)似たような人が多くいたそうです。
(中略)
昔は女でも武士の子は男子の心を持っていたのでございます。

* 恐らく名字の"堀内"にかけた洒落



329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/19(木) 10:46:43.50 ID:XGaKRpq4
鬼松は何だろうと思って調べてみたら妙菴の幼名かよ

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/21(土) 20:28:54.82 ID:nnJM5Bc+
>>329
ちゃんと本文を読みなされ

手取釜

2017年10月18日 18:42

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/18(水) 05:30:04.78 ID:xX5oFGGB
天正14年、豊臣秀吉が関白であった頃、京の旧三条通白川橋より東5丁目に良恩寺という浄土宗の
寺があった。この寺の傍らに年老いた隠者が在り、粟田口の善輔と呼ばれた。(善法、または善浦とも云う)

この翁の住居は、藁葺き屋根に四本柱の四畳半一間にて、床の間もなく、土間に爐を切り円座を敷いて
賓主の座を分かち貴賎の別なく茶を振る舞い、物語などして、昼夜の分ち無く楽しんでいた。
また食料が無くなれば、一瓢を鳴らして人の施しを乞うた。
人々は彼の人柄を知っていたので、皆が金銭、米、布を恵んだ。
そうして物のある間は家を出ること無く爐にかけた手取釜にて粥を炊き、また湯を沸かして茶を喫した。
その湯が湧く時は、彷仏松濤の声を吟じて一人笑った。
また「手取釜 おのれは口がさし出たぞ 雑炊たくと人に語るな」など戯れることもあった。

秀吉がそのような話を聞き、利休に「その手取釜を得て茶を点てよ」と命じた。
利休は善輔の元へ行き、云々の命有りと伝えた所、善輔は聞くやいなや感情を損じ

「この釜を奉れば、他に代わりは無い!いわれの無い釜であるからとそのようにぞんざいに言われるとは
思いの外である!」

彼はすぐにその釜を、そのあたりの岩に投げつけ打ち砕き
「あらむつかし 阿弥陀が岸の影法師」
と呟いた。

利休もこれに呆れ果て「秀吉様は短期であるし、いかが致すべきか」と思い煩ったが、今更どうにも出来ず
帰ってありのままに申し上げると、秀吉は却って機嫌よく

「その善輔とやらは真の道人である。彼の持ち物を所望したのは我が過ちであった。」と、
その頃伊勢安濃津に越後という名のある鋳物師があり、彼に命じて、利休が見たままのもの2つを
模造させ、一つは善輔に贈り、もう一つは秀吉自らが蔵した。

その釜は善輔が没した後は良恩寺に納まった。これを見た人の話によると、その高さ五寸五分、
底廣さ七寸、口径三寸二分、弦は蝶番で、蓋から釜の腹にかけて木の葉を広く鋳つけており、
おおよそ今の鉄瓶と言えるものであった。
桐の箱に入れられ、箱書きには利休居士の手で『手とれ釜』と記されていた。
またこの釜に添えた、秀吉の文書が有り、そのその所に曰く

『手取釜並びに鈎箱に入れ、鎖まで念入りに出来、悦び思し召し候。尚山中橘内、木下半介に申すべき也

  十月十一日
                                 太閤(朱印)
                                  田中兵部大輔』

この文章は善輔に関係のないものだが、この釜に縁があることから、後に同寺に寄付されたものだろう。

なお、この釜の後伝とも言うべき話として、細川玄旨法印(幽斎)もこの釜を写させようと先の越後に命を
伝えたが、これに越後

「御所様(秀吉)の命にて、ただ2つ鋳たる物ですから、また同じ形に鋳るというのは、憚りがあります」

と、これを辞した所、玄旨も「それは理である」と戯れ歌を詠み、

「ならばこの歌をその釜に鋳付けよ、これが同じ物ではないという証拠である」

そう言って鋳させた。その狂歌は世にあまねく伝わる
『手とり釜 うぬが口よりさしい出て これは似せじゃと人に語るな』

こちらの釜は、今も細川家に秘蔵されているという。

(今古雅談)



週間ブログ拍手ランキング【10/12~/18】

2017年10月18日 18:39

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さすが人間ウィキペディア 24

米商人八郎兵衛 17

上杉景勝の厳格 13
朧月夜にしくものぞなき 11
己はどうして斯くも 11

高橋の長刀打 6
鬼絵の始まりであった 6



今週の1位はこちら!さすが人間ウィキペディアです!
林羅山という人、実は昨今では、徳川家康のブレーンというよりも、その博識が重宝されていたに過ぎなかった、なんて言われています。
すなわち本当に百科事典扱いだった、というわけで、そういう知識を持ってこの逸話を読むと、「ああなるほど」と思ってしまいますねw
徳川政権としては、全国各地の色々なことに対応するために、百科事典的知識が必要であり、そのために羅山の能力を求めた、
というのは、儒者として政治に参画することを望んでいたであろう羅山自身にとっては、何とも複雑であったのでしょうね。
林家、および儒者が体制の中において尊敬を受けるように成るのは、だいたい徳川綱吉の時代だと言われます。
元禄は本当に、あらゆる意味で日本史のターニングポイントですね。
そんな事も考えさせてくれた逸話でした。

2位はこちら!米商人八郎兵衛です!
この逸話、基本的には「正直に非を認めたことで、却って徳分を得た」というお話なのですが、リアルに考えていくと色々と
深いものを感じさせますね。確かに大きい升と小さい升の容量差はどれほどだったのか、結果的に「安売り」nとなったことに、
競合商店はどのような反応があったのか、等々、興味深い疑問が次々と出てきます。
こういうところから、時代小説を創作する、というのも面白そうですね。江戸初期の経済や社会を復元しつつ、その中で
このお話を矛盾なく展開すると、実に興味深い作品ができそうです。やる気の有る方、是非!w

今週管理人が気になった逸話はこちら!己はどうして斯くもです!
このお話、現代でも良く使われるお話のパターンの、「原型」とも言うべきものなのでしょう。それだけでも面白いのですが、
コメント欄が「能書あるある」あるいは「書状が残ってしまったあるある」になっていて、それにもとても笑わせてもらいましたw
こういうのが「歴史を楽しむ」事だと思うし、こういう楽しさがあるからこそ、歴史を勉強するのも楽しいのだと思うのですよ。
このあたりのネタが理解できる人は勿論楽しいですが、理解できない人も、いろいろな歴史の本を読んだり、あるいはこのサイトの
逸話を読んでいる内に「あ、あのネタはこれのことだったのか!」と気がつく瞬間が有ると思います、そうやって記憶と知識が
つながる事は、すごい快感だと思うのです。
そういう形でも、このサイトを楽しんでいただけると嬉しいな、なんて思ったのでした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
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高橋の長刀打

2017年10月17日 16:55

関内記   
325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/17(火) 12:51:30.84 ID:NnEHy8T9
筑紫広門と高橋紹運の戦いの時、筑紫が兵を出して岩屋へと攻め寄せた時、紹運の家臣である
関内記の長刀持ちが、打物の鞘を外して用意していた所、どうしたわけか実淵勘解由という侍の頬先に
刀の先をひっかけ、流血におよんだ。
実淵は以ての外に腹を立て、今にも斬りかかろうとしたのを、内記は様々に弁解したが、全く承知なかった。
しかし内記の父・善虎という者がこの騒ぎを聞きつけてやって来て、言葉を尽くしたことで、ようやく
堪忍に及んだ。

この時善虎は内記を叱りつけた
「あれほど多い敵の面を斬らずに、味方の顔を斬るとは言語道断の次第なり!」

しかし内記
「私の存ずるところではありません。長刀持ちの若党の誤りであり、私にはどうにも出来ません。」

「それも其方が常々不覚悟の故に、未だ敵にも逢わぬ内に、早く長刀の鞘を外させていたためだ!
いつでも、敵が近くなってから打物の鞘を外し、敵の顔だけを斬れ!」

内記はこれに一言も反論せず、

「ならば、斬ってみせん」

そういうと長刀を取り陣所を出て大いに戦った。
この当時、関内記の事は”高橋の長刀打”と、九州において大いに評判に成ったという。

(士談)



326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/17(火) 17:29:10.79 ID:7bJ1dOiZ
いかにも江戸時代っぽ

朧月夜にしくものぞなき

2017年10月16日 19:43

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/16(月) 18:33:58.00 ID:0h1KkTJT
豊臣秀吉が名護屋に在陣していた時のある日、陣屋を巡視していたが、ある小屋の庇に額が掲げられ
「朧月夜」とあるのを見た。
秀吉はしばらく考えていたが、ふと、左右を顧みて尋ねた
「これは誰の小屋か?」
「殿下の臣、野間藤六の小屋です。」

やがて小屋の主人、野間藤六が出て秀吉の前に平伏した。
秀吉は彼の姿を見るとうち笑って

「汝は敷物が無いのか。」

そういうと畳に白米を添えて与えた。これはこの額が、『朧月夜に”しくものぞなき”』という古歌によった
ものであると察したためであった。
(元歌は新古今和歌集にある大江千里の『照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜に似るものぞなき』)

またこれと同じ時に、小屋場の僅かに空地のある場所に菜を植えている者を見て大いに賞賛し

「永陣と見て退屈せずわずかの土地をも虚しくしない、誠に武士の注意かくこそあらまほしけれ。」
と、その小屋頭を召して白米を与えた。

(今古雅談)



322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/16(月) 18:57:42.01 ID:TgZ2Wb+O
角川スフィア文庫の「新古今和歌集」第一 春歌上 55だと
「照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき」
で「しくものぞなき」だが異本だと違うのかな

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/16(月) 23:50:02.07 ID:MyjBEA0U
本来は大江千里が「如くものぞなき」と歌ったのだったが源氏物語ではこれを改変して「似るものぞなき」としたとのこと
新古今集には前者が採用されている
ちなみにこの歌はオリジナルは唐の歌でそれを和訳したもの

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/17(火) 00:12:27.94 ID:Xw26Rndi
和訳というか元にしたというか

白氏文集・嘉陵夜有懐 其二

不明不闇朦朧月(あかるからず くらからず もうろうのつき)※新古今集では「不明不暗朧朧月」

非暖非寒慢慢風(あたたかからず さむからず まんまんのかぜ)

独臥空牀好天気(ひとりくうしょうにふせば こうてんき)

平生閒事到心中(へいせいのかんじ しんちゅうにいたる)

鬼絵の始まりであった

2017年10月15日 16:45

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/15(日) 11:56:33.35 ID:CEt5gvj1
一僧あり。かつて古法眼(狩野)元信を訪問して、「愚僧に鬼の絵を画いて与えられよ」と懇望した。
当時、鬼という名称はあったが、それがどんな姿かという絵形は無かったため、困惑した体であったが、
さすがは元信であり、心ひそかに思った

『和俗に丑寅の間を鬼門と号し人々最も恐れる所であるのだから』と、頭は牛の形に型取り、腰より下を
虎に型取り画いて僧に与えたが、実はこれこそ鬼絵の始まりであった。

以降の絵師たちはますます異形を巧みて丹精を施し、虎の皮の褌なども着けるようになったという。

(今古雅談)



319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/16(月) 03:44:43.04 ID:kqqh9NYq
無かったん?

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/16(月) 11:48:55.65 ID:dJJE5qmC
鎌倉末期の大江山絵巻には鬼が描かれていたような・・・

上杉景勝の厳格

2017年10月14日 17:08

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/14(土) 17:04:08.52 ID:s8Qod1gV
上杉景勝という人は、豪邁肝大の大将にて、その軍陣に臨むや、先陣において既に交戦し、
矢弾雨のごとく降り喚声天地を振動するばかりであっても、身は幕中に有りて普段と変わらず睡眠
を取り、雷の如きいびきを上げるのを常としたという。

彼が豊臣秀吉に臣従し上洛した時、数百人の一行は完全に黙し咳の声すら聞こえず、只人馬の足音を
聞くのみであった。
その折、富士川を渡る際、船が小さく人多く、中流に至ってほとんど沈没せんとした。
この時景勝怒り、舷頭に立って鞭を挙げて一揮すれば、衆皆躍り上がるように水に飛び込み泳ぎ、
よって無難に渡ることを得たという。

景勝の厳格なることかくの如きなれば、彼の生涯において、只一度の外その喜悦の色を見たことが
無いという。
ある時、上杉家に一匹の猿があり、たまたま景勝が脱いでおいていた巾帽をかぶって逃げ、庭の木に
上り景勝に向かって3度頷いた。
彼はこれを見てにっこりと微笑んだ。
これ実に、左右の近臣達ですら、始めとも終わりとも、景勝の笑顔を見た一生の内ただ一度の事であったという。

(今古雅談)



さすが人間ウィキペディア

2017年10月13日 12:52

林羅山   
313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/13(金) 09:16:20.71 ID:HheWmS3P
ある夜、林羅山徳川家康に侍講する折り、列座の者達、羅山の博識がどれほどのものかを試みようとした。

先ず、岡田淡州が問うた
「蓬莱島という能狂言の中に、『鬼の持ちたる宝は隠れ笠、隠れ蓑、打ち出の小槌、ジヨジヨ、ムジヨムジヨ』
と言う所がある。この『ジヨジヨ、ムジヨムジヨ』とは何なのか?」

羅山答える
「鬼の宝として出た品々は、宝物の中でも上々であり、またこの上に上々無し、という意味で、
『上々、無上無上』と言っているのです。」

次に内田信州が問うた
「鎌倉に『ノツケン』堂という場所がある。昔金岡納言(巨勢金岡:平安期の宮廷画家)がここに来て、この
勝景を写さんとしたが、筆に尽くし難く、筆を捨てノッケに成りたる故に、この堂を『ノッケン堂』と云い、
また『筆捨松』と呼ばれる松も今に存在すると云うが、これは本当であろうか」

羅山これに
「金岡が筆を捨ててノッケになったのではありません。あの堂は金澤より出る山越への坂の右の、高い場所に
あり、坂から仰ぎ見ることから『仰見堂』、これが訛って『ノッケン堂』となったのです。」

堀田加州問うた
「子供の遊びに、左右の手を寄せて『鬼の皿』という事をする。その詞に曰く

『タイドノタイドノ、一モタイドノ、二モタイドノ、タイガ嬢、梶原、アノウン、メクラガ杖ヲ、
ツイテ通ルトコロヲ、サラバ、ヨツテ、ツイノケ』

と歌っているが、これは何を意味しているのか。」

羅山、これも
「これは鎌倉時代の、源頼朝の意にかなう、威勢強き人々を数え並べた歌です。
先ず『タイドノタイドノ』とは、”御台殿”すなわち北条政子の事で、『一もタイドノ二もタイドノ』とは
続けて並べる人が居ない、と云っているのです。

『タイガ嬢』とは”大の嬢”、すなわち頼朝の娘、大姫君という、清水冠者の夫人を指します。

次の『梶原』は平三景時で、これも当時の寵臣です。

『アノウン』とは安明寺といって、北条時政の妻である牧の方の一族で、盲人でしたが、彼は特別に
殿中において杖をついて歩くことを許され、この人に行き合う者達はみな彼を避けて通していました。
故に『サラバ、ヨツテ、ツイノケ』と云うのです。」

その後も様々な問答があったが、羅山はすべて滞りなく答え、皆、彼が細事にまで通じることに
感嘆したという。

(今古雅談)

さすが人間ウィキペディア



314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/13(金) 15:02:58.61 ID:Ohs68rOU
クイズ王とファンの集いかな?

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/13(金) 16:40:34.79 ID:ZTvwgvqs
怪力乱神

己はどうして斯くも

2017年10月12日 17:27

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 21:43:47.62 ID:hmMnuSkv
本阿弥光悦は、累代刀剣の目利きであり、研ぎ、および拭いの業を以て聞こえた本阿弥家の跡を継ぎ、
殊に拭いの殊に詳しく、また書に妙であった。

ある時、近衛三藐院殿(信尹)が光悦に尋ねた
「昨今、天下に能書と称すべき人物は誰であろうか?」

光悦は言った
「先ず、さて次は殿下(信尹)、その次は八幡の坊(松花堂昭乗)でしょう。」

「待て、その”先ず”とは誰のことか?」

光悦平然と答えた
「即ち私なり。」

ただし、当時この3人は天下三筆と聞こえ(寛永の三筆)、光悦の私僭ではない。

ある日、近衛信尹がにわかに光悦を召した。光悦、何事ならんと慌てて参上すると、直ぐ様御前に召され、
信尹は光悦の手を屹と掴み「己は!己は!」と言葉荒く叫んだ。

光悦としては思いもよらぬ事にて、「何事や、御意に逆らいましたでしょうか」と恐る恐る申し上げると、
信尹は笑いながら

「己はどうして斯くも能く書く手を有しているのか!」

そう戯れたのだという。

(今古雅談)



311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/12(木) 14:28:07.56 ID:KZ3Q7YcS
>>310
昔からこのネタあったのかw

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/12(木) 14:57:24.61 ID:Pqs6bOG0
なんちゅうもんを食わせてくれたんや…なんちゅうもんを…

米商人八郎兵衛

2017年10月11日 19:09

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 18:00:35.41 ID:hmMnuSkv
成瀬隼人正正成が新たに領した地に、米商人八郎兵衛という奸商があった。彼の父の代より、
密かに大小の二種類の升を用い、不正の利益を得てその富巨万とした。

しかし隼人正が領主と成るに及んで、政令厳格にして姦悪尽く摘発されるに及び、八郎兵衛大いに恐れ、
自首して罪を請うた。

この事に隼人正は思った
「八郎兵衛は人を欺き不正に利得を得ており、その罪は許しがたい。しかし自ら罪悪を知り訴え出た。
その心情は恕するべきであろう。まして、この不正を始めたのは先代であり、必ずしも追求すべきでは
ないだろう。」

そして八郎兵衛にこのように命じた

「自今以降は世間に公表して2つの升を使うべし。ただし購入に小升を以ってし、売る時には大升を
以って行え。これを7ヶ年行うことで、前罪を償うべし。」

隼人正はこれによって不正の富が損ずるとのつもりで命じたのである。
ところが、これ以後八郎兵衛の店頭には米を買う者日々に群集し、その富は昔日の倍となったという。

(今古雅談)



305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 18:07:39.71 ID:K1Mthq9x
意味が分からない

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 20:01:12.55 ID:7KqRD381
不正しなくてももうかる値段設定だったってことかな、もしくは付属品で儲けたか。

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 20:06:27.09 ID:H4+NZ/St
売れば売るほど赤字になりそうだけど…米以外のものも売ってたのかね。

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 20:30:23.18 ID:lV7aeGVh
薄利とはいえ他よりマシな値段設定とか

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 20:54:33.09 ID:OGC4e17e
この店は他店より大きな升で買えると七年経ってもイメージが付いたんじゃないかな

週間ブログ拍手ランキング【10/05~/11】

2017年10月11日 19:08

10/05~/11のブログ拍手ランキングです!



この瓢箪こそ賜るべきもの 21

毛利元就の正親町天皇即位の御料献上とその影響 21

赤い毛氈 16
巻絹裁断 14

きうりの紋 12
利休の才 12

罪一等を減刑し、 11
【疑問】別所安治の弟・別所重棟(重宗)が 9
利太(前田慶次)は浴場で入浴した。 5



今週の1位はこちら!この瓢箪こそ賜るべきものです!
既にいくつか類例逸話が出ていますが、丹羽家の出口藤蔵家臣、出口さんとその妻のお話です。
やはりこの奥さん、凄いインパクトありますよねw旦那さんも勇者なのに、普段の口や態度が悪くて小身に留められている
人ということですが、そういった人と添い遂げる女性だなあと、妙な説得力を感じますw
そしてこの時代の女性の強さを、端的に表している感じがしますね。
本多忠勝「俺の若い頃は女だって」
このお話で、本多忠勝が戦国の女性の強さを賞賛していましたが、この逸話のような女性たちだったのだろうなと、
想像させてくれる逸話だなと感じました。

そして同票でもう一つ!毛利元就の正親町天皇即位の御料献上とその影響です!
毛利元就が正親町天皇即位のための献金をしたお話は有名ですが、それが後世にも影響を与えたと言うお話ですね。
たしかこの縁で、毛利は江戸期を通じても朝廷とつながりが深く、それも幕末の毛利の動きに影響を与えた、とも言われます。
まあ歴史というのは、日々の営みと偶然の積み重ねですから、歴史を積み重ねた勢力にとって、むしろ「影響を与えなかった」
事象の方が少ないといえるかもしれません。しかし元就の献金という史実は、幕末「勤王回天」を旗印とした長州にとって、
非常にシンボリックなものとなったのは間違いないでしょう。また毛利がそもそも「大江毛」という、朝廷に仕える学問の家、
だったことも、江戸期を経た毛利家中の意識に、影響を与えていたのでしょう。
毛利家だけでなく、歴史というものを考えさせてくれるおはなしだな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!きうりの紋です!
織田信長と言えば、現代では創作物(だけでもないですけどね、TVなどでは”歴史番組”でも)では未だに、「無神論者」「反宗教」
みたいな描かれ方をされてしまう信長ですが、実は「信仰」「信心」のお話は意外と残っています。
そもそも信長の織田家は、越前剣神社の神主がルーツですし、彼の自歴を辿っても、「非常に信心深い信長」という像を
描き出すのは実は容易です。現代の、魔王的な信長像は、史実の人物としての織田信長とは何の関係もない、後世の
想像によって作られたキャラクターにすぎない、とも言えます。
そういうキャラとしての「信長」の影響のない時代のお話は、むしろ新鮮さを感じる。
そんな事を考えさせてくれた逸話でもありました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね。
( ´ ▽ ` )ノ

この瓢箪こそ賜るべきもの

2017年10月10日 10:19

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/09(月) 23:19:55.75 ID:6zdH1xbb
丹羽長重の将、江口三郎衛門の従者に出口藤蔵という者があった。
彼は剛勇にして戦功も少なくなかったが、傲岸不遜な性格のためはかばかしい所領を得ず、
齢既に60を過ぎていたが、録僅かに200石であった。

慶長5年、前田利長が大聖寺城を攻め、これを下して凱旋する時、丹羽長重は兵を出してこれを追撃し、
浅井山下にて戦った。
出口藤蔵はこの時後軍にあったが、「吾が畢生の功名を立てるべきは今日にあり!」と、まっしぐらに
敵陣に駆け入って縦横自在になぎ倒し、遂に敵将を斃してその頸を取り去ろうとした所、そこに敵兵
15,6騎駆け集まってきた。藤蔵は彼らの攻撃をとっさに防いだが、彼の斃した敵将の頸は奪い去られた。

この時、この戦場に藤蔵の妻が、半白の髪を後ろに結い上げ、手織りの麻衣をかいがいしく引き掲げ、
腰には短刀を帯び手には瓢箪を持って、足早に歩み来るのに彼は気がついた。

「あわれ我が妻、我に酒を与えん為に敵兵の中を健気にも来たれるものか」

藤蔵は両手を上げて差し招き「出口藤蔵はここに在る!早く来たりて酒を飲ませよ。見まごう事なかれ!」と
声を限りに呼んだ。
ところが妻はこれに応えず、逆に本陣の方に向かって行こうとしたため。傍らに居た兵卒が彼女を呼び止めた
「出口氏があのように呼んでいるのに、何故応えないのか?」

妻は言った
「いいえ、頸わずかに一つばかり、しかもそれを取り返されて追うことも知らぬ男に、私の夫だからといって
どうして言葉を交えることが出来るでしょうか?この酒は、主君に奉らんとわざわざ持ってきた物です。
卑怯者に振る舞うために持ってきたわけではない!」

そう言い捨てて本陣へと向かった。
この言葉を聞いた藤蔵は大いに感奮し、逸足出してかの首級を奪い去った一隊に追いつき火花をちらして
戦闘し、四方八面に追い捲り再び首級を取り返して、山下の本陣へと戻った。
この時彼の主人である江口は、藤蔵の妻が酒を持ってきたのを喜び、副将の南部右衛門と共に
瓢箪の酒を傾けていたが、藤蔵が首級を携えて来たのを見て大いに喜び、
「お前もこの酒を呑むべし」
と言ったのを、藤蔵の妻は傍らで止め

「その酒は、この瓢箪こそ賜るべきものであり、藤蔵が飲むべき理由はありません。
何故ならその首級を取り戻したのはこの瓢箪であり、藤蔵ではありません。」

これには藤蔵も笑いだし
「このババア、またしても悪口を申し出したり。せっかくの勲功も汝のために無駄骨折となったわ」

このやり取りに、陣中で笑い転げぬものはいなかった。

(今古雅談)

関連
酒瓢箪の仕業
江口三郎右衛門の家来出口とその妻、酒と泪と男と女・いい話



298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/10(火) 19:56:05.70 ID:fEscj1Be
こんな女絶対結婚したくねえ

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/10(火) 20:33:34.23 ID:o40fN3zB
大人しい女性ならともかく何十年と連れ添っていればたいていはそうなる

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/10(火) 20:57:37.46 ID:k1cXf0Y7
俺の嫁だったら絶対家で餅食ってるぞ
なんだかんだ情があるよこの夫婦

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/10(火) 23:36:54.30 ID:LIJlKtSs
詰まらせて死ねばいいのに

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 11:32:31.80 ID:LNFCsoX1
戦陣に来るのはまあ無いと言えないが、戦場の最前線に酒持ってくるのはこの時代でも凄い

罪一等を減刑し、

2017年10月09日 21:19

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/08(日) 23:15:16.48 ID:vtU+lYlX
上杉謙信が刑罰を設けた時、第一に奪刀、第二に死罪、第三に所領没収、第四に侍身分の剥奪、
第五(不明)、第六に禁錮の六種類とした。

ある時、謙信配下の長尾右衛門佐という者が、その所行悪しきとして処罰を加えられ、
所領没収の刑を申し渡された。またこれにより、終身帯刀を禁じられた。
右衛門佐の親族はこの処分に大いに驚き哀訴した。
これを請けて謙信も、彼の先代に忠功有るを以って、罪一等を減刑し、特に双刀を許して
切腹を命じた。

(今古雅談)



292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/08(日) 23:56:00.51 ID:hCwvv1Sg
なんとなくだが当時の人にとっては奪刀の方が死罪よりキツい気がする

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/09(月) 14:13:02.70 ID:5R3wNeTf
命より名誉…。

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/09(月) 15:02:34.20 ID:tHmmBpae
名誉が無くなったら大抵の場合暮らしてけなくなって命もなくなるからな
だったら命を無くしてでも名誉くらい残しておこうという簡単な話

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 15:47:17.05 ID:gmnkmarz
>>294
Mine honor is my life; both grow in one.
Take honor from me, and my life is done.

って奴だ