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それ故に、士気は常に十倍

2017年11月30日 12:35

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/30(木) 10:57:46.87 ID:q79QVBiF
武田信玄が大敵と戦う前には、度々配下の軍勢の心合いを抑え、「おそらく合戦は無いだろう」
などと言って、彼らの中に、必ず合戦をするという気を励ました。

彼らは「是非御一戦あるべし!」としきりに戦を好むのを、信玄は尚抑えてその気を養い、
その上で戦わせるのだ。それ故に、士卒の士気は常に十倍したという。

(士談)



468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/30(木) 18:19:16.28 ID:74SVy9wm
どうかんがえても逆効果

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/30(木) 18:40:21.74 ID:FEsNPFXR
信玄の話が何でも美談にされちゃうのはやっぱり権現様の力なのかね

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/30(木) 19:18:58.23 ID:OVNfo8Ez
>>467
ダチョウ倶楽部かよw

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/01(金) 14:17:46.20 ID:ARHJJxpy
分かってないなー
殺戮と強姦と掠奪に飢えた兵士を焦らすためにやってんだよ
ペットにメシやるとき必ず待てをさせるだろ
あれと一緒
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故に半兵衛は手足を揉み

2017年11月29日 23:03

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/28(火) 20:43:02.41 ID:q/sq0uZp
竹中半兵衛は普段から着座している時も足や足の指を揉み動かし、寒い時には懐に手を入れ、
甚だしく寒い時は手を揉むなどしていた。これは秀吉の前に伺候している時も同じで、
足を動かし左右片方づつ休めていた。

ある人がこの事について尋ねた時、半兵衛はこう答えた
「主君の前で、自分の逸楽のために手足を自由にする、というのは甚だ無礼であります。
しかし御用のためを思って、手足四肢が痺れないようにしようと考えるのは、忠の致すところです。

大丈夫たるべき人は普段から武義を心に忘れてはいけません。他人の作法と多少違える所が
あってもかまいませんが、武士道の事において汚れた名が有るのは武士の本意ではありません。
今ここで事があった時、足が痺れた手が凍えたなどという言い分が立つでしょうか?」

故に半兵衛は普段から手足を揉み、刀を側から離さず、旅宿我宿の区別なく、聊かも
油断しなかったという。

(士談)



465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/28(火) 21:58:30.49 ID:fMrCqu7j
出典なしだけどまえにも似たようなのが(まとめの791)
竹中半兵衛のちょっと良い話


466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 15:37:46.46 ID:a2a+/ntH
>>464
常在戦場いいですなぁ。

尼子の強弓坂田原蕃、一矢七殺

2017年11月29日 23:02

349 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/28(火) 21:11:23.00 ID:Pev+23F+
尼子の強弓坂田原蕃、一矢七殺

 旗返城主江田隆連は、これまで毛利氏と同盟関係にありましたが、庄原の山之内氏に誘われ、4月初旬山陰の尼子氏に味方しました。
この事を知った毛利元就は山口の大内氏に援軍を求め、たちまちのうちに江田領に進攻して来ました。
7月には隆連の家臣で神杉の武田氏が守る高杉城を全滅させ、その勢いで1万数千の兵をもって、1千百人が守る旗返城に攻め込んできました。
 旗返城は堅固な山城であったため、毛利軍は、旗返城の麓、丸山(陣床山)に臨時の城を築き、食糧や水を断つ作戦をとったと思われます。
 隆連の唯一の頼りは尼子氏の援軍でしたが、毛利軍に阻まれて容易には来られませんでした。
 城中にはすでに尼子晴久の家臣で強弓で知られた坂田原蕃(げんばん)を差し向けていましたが、ある日、旗返城の東方を見ると、数十の敵兵が攻め寄せて来るのを確認して、
坂田原蕃は弓を満月の如く引き絞り、よき敵ござんなれと、ひょーと打ち放てば前方よりの7人が田楽刺しに一矢で射ぬかれました。けれどもこれは手柄でもなんでもなかったのです。

 射抜かれた武士は、隆連救援のために駆けつけた尼子の援軍だったのです。(言い伝えによると、高杉城の援軍だったともいわれている)
後、邑人は(むらびと)は、このあわれな武士たちを厚く葬りました。これを七森(盛)塚と呼ぶようになりました。
(圃場整備により現在位置に移されたが、元は高さ1m・直径5mくらいの塚の上に祠が建っていた。)

 旗返城は、水と食料を断たれ、遂に10月になり城兵は夜陰にまぎれて逃亡し、落城しました。

    川西郷土史研究会”
(当地の看板より)



フランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記」の一部

2017年11月29日 23:01

351 名前:世界周遊記1/3[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 14:19:52.11 ID:8aW+PcUz
フランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記」の一部

1597年5月、我々は日本のソマ船に乗って日本を目指した。
(船の説明が続く、錨が木製などの記述あり)
フィリピンから1000マイル航海し、日本の島に入港した。
長崎に到着したのは1597年6月のことであった。
入港後、役人がやってきて王の命令ですべてのフィリピン製の陶器をその場で買うと伝えられた。
信じられないかもしれないが本当だ。
それらの陶器は5000か6000から10,000スクードもしたが、それらは1ジュリオの価値もないものであった。
(なお1615年にフィレンチェでスペイン人のルイス・ソテロ宣教師が語ったことによれば、
ある陶器が130,000スクードもしたという)
それらの陶器は茶を10年にも20年にも渡って新鮮に、緑色に保つためそれほどの値段がつけられたのだろう。
人々は茶を日々飲むがそれは味というよりも薬として飲んでいる。
茶を濃くすれば胃腸に効き、消化を促進する。興奮も抑えられるので食後に飲むといい、夕食後飲むとよく眠れる。
客を歓待するときにも茶を勧めるが、それはちょうどフランダースやドイツでワインを接待に用いるのと同じだ。
日本ではワインは米から造られ、造る際には、むされてから灰が入れられる。その後水が混ぜられ発酵する。
それから濾過すれば口当たりのよい酒ができる。
また、香料を入れる特別な酒もあり、これは秘密を漏らさない金持ちにのみ振る舞われる。

352 名前:世界周遊記2/3[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 14:21:13.73 ID:8aW+PcUz
我々が長崎を歩いていると、劇的な光景がとびこんできた。
6人の哀れな聖フランシスコ修道僧と20人の日本人キリスト教信者(3人はイエズス会員)が1597年2月5日に磔刑に処せられたものであった。
彼らは十字架にそのまま残されていた。十字架は我々の主がつけられたものと似ていた。

磔刑について:釘の代わりに鉄輪が木に打ち込まれ、手首、首、足首が固定される。
役人により槍が右側から刺され、心臓を貫き左の肩から突き出される。
しばしば二人の執行者が行うため、槍は身体の中で交差し、犠牲者は即座に死ぬ。
それでも死ななければ喉や心臓に刺してとどめを刺す、こうして磔刑にかけられた者は非常に早く死ぬ。
これが通常の日本における磔刑であるが、罪に応じて十字架の上で生きながらえさせ
苦しみや飢えのもとで殺す場合もある。
母乳で育てている女性や子どもでさえも十字架にかけられることがある。
これは正義をなすため、個人の犯罪に家族も連座するためである。
放火などでは近隣住民も一緒に処罰される場合がある。

353 名前:世界周遊記3/3[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 14:23:13.75 ID:8aW+PcUz
私が滞在していた時、非常に軽い犯罪のために多くの人が十字架にかけられた。
例えば、大根を盗むなどの死に値しないような軽い罪である。
人の命はハエの命ほどの価値もなく、すべての道で左右に男女、少年、少女のぶらさがる十字架が見えた。
また、彼らは頭のない死体を使って、cataneと彼らが呼ぶサーベルをテストする。
特に苦もなく骨ごと死体を両断できた時には賞賛される。
そして刀に高い値段がつく。
このような試し斬りをするために、剣の所有者は誰かが処刑されるところに出向き、
処刑執行人が首を切断すると、彼らは死体をつかみ、裸にし、十分な広さのところに横たえる。
体がななめにずれないように杭で固定し、刀を鞘から抜き死体を真っ二つにする。
ただしうまく両断できるのは稀なケースである。
その後、刀は刃こぼれがないか検査され、結果に応じて刀は非難されたり賞賛されたりする。
しばしば刀は20,000から30,000スクードの値段が付けられる。
その後、死体は他の人々によって試し切りをされたあげく全身が解体され、犬や鳥の餌となる。
これは我々の眼にはおそるべき残虐な行為であるが、人々はそれを娯楽とみなし、嫌悪感や興奮を感じることはない。



354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 15:13:08.27 ID:AnDw7w58
興奮も感じないとは興味深いな

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 15:15:42.24 ID:2mHtLpqa
ヒャッハーすぎるわ。

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 15:33:30.02 ID:a2a+/ntH
>>349
華の慶次に出てきそうな描写だw

>>353
修羅の国すぎるw

357 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/29(水) 15:38:11.14 ID:WjRnPd3H
>>353
当時の酒飲んでみたい。アルコール度数は低いと聞くけど、どんな味やら
>>356
でも、射抜かれたの味方なんだぜ…

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 17:46:41.45 ID:O2V6oJYG
スクード金貨3枚くらいが一家4人のひと月の生活費だっけ?
雑器として使われていた坪が一生で使いきれないような金にばけるのか

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 17:57:43.93 ID:3OyeMpp8
修羅スギィ
しかし娯楽とみなしてるわりには興奮もしないのか

360 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/29(水) 18:24:46.18 ID:WjRnPd3H
>>359
そら戦国乱世でそこいらの、農夫ですら人1人殺傷経験が有ってもおかしくない時代だからなぁ
女だって戦の後は生首の化粧やってた時代だし

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 17:56:35.21 ID:JaAPim4b
魔女狩り異端諮問十字軍と異教徒を人間扱いしなかったお前らがゆーなっての

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 18:06:24.35 ID:iKIyFP4P
「お前ら」の範囲広すぎィ!

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 18:15:07.13 ID:Xs4NEy7t
戦国時代は窃盗等に関しては超厳罰主義だったから仕方がない
まぁ奴隷商人風情に四の五の言われたくない気持ちは分からんでもないが

週間ブログ拍手ランキング【11/23~/29】

2017年11月29日 23:00

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この夫婦の仲の良き事は、人間の世界にこれほどは 30

ルイス・フロイスによる不思議の国ニッポン 19

さてはますます勇士の機 18
江戸のもののはじまり事典 12

旗返の姫塚由来 10
高櫓は爆発しはじけ飛んだ 10

天正20年5月18日付 豊臣秀吉、秀次宛書状 9
「八重葎」「天の原」 8
マジヤバいお話 8

特に動揺はなかったという 7
居ながら尿を流すは、家の面目 6


今週の1位はこちら!この夫婦の仲の良き事は、人間の世界にこれほどはです!
歴史好きには割と知られているお話ですが、徳川秀忠正妻であるお江の方が「恐妻」というのは後世作られたお話で、
実際には非常に仲睦まじい夫婦であったらしいのです。
恐妻伝説については主に、保科正之に関わる逸話から形成されたものは多そうですふが、アレも実態としては、未だ固まったとは
言いがたかった当時の幕府に、自らの後継問題で無用な混乱を起こしたくなかった、という秀忠自身の意向が強かったと
考えたほうが、秀忠の人物像に合っている気もします。
そしてこのお話、前田家より人質として江戸に送られた芳春院の、江戸城「宮廷」での生活も垣間見られるようで、
非常に興味深く感じました。
そしてこれを書いていてふと思い出しましたが、保科正之関連の話を完全に無視した某大河を僕は今でも許せていませんw

2位はこちら!ルイス・フロイスによる不思議の国ニッポンです!
本当に、実に面白い内容ですね。現代にも通じる部分、現代とは真逆に成っている部分と様々ありますが、
これを一通り見ると、現代の感覚・常識で歴史を見たり評価したりするのが、どれほど危うい行為かよくわかります。
ルイス・フロイスという「外部」の人間による観察のありがたさって、こういう部分にあるのでしょう。
同時代の、同じ社会の人は、自分たちの常識に驚きも感じなければ、書き残そうとも思わないでしょうしね。
そんなことを思わせてくれる記事でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!江戸のもののはじまり事典です!
「天守」などもそうですが、色々なものが「信長からはじまった」という認識、江戸時代も多いのですよね。
やはり織田信長の時代というのは、江戸初期の人から見ても「画期」であったと認識されていたようなのです。
そもそも「戦国乱世」は、現代人だと応仁の乱からを考えがちですが。江戸初期くらいだと「元亀天正」時代の事だと
概ね捉えられていたようなのです。元亀天正、すなわちほぼ織田信長の時代、ですね。
この時代に室町的秩序がほぼ崩壊し、近世につながる新秩序がはじまった、と江戸初期にも考えられ、そこから、
近世的な文物風俗に、信長由来を見るという傾向も出たのでしょう。
そんなことを考えさせてくれた逸話でした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
又気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを推してやってくださいね!
( ´ ▽ ` )ノ

居ながら尿を流すは、家の面目

2017年11月28日 15:49

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/28(火) 13:26:17.99 ID:q/sq0uZp
斎藤道三が3人の息子を前に往昔の軍の手立てなどを語っていた所、嫡男の龍興が、
物語の半ばに立ち上がって用を足しに行った。
道三は不快に思い、龍興が帰ってくるとこのように言った

「武士にとって戦場の物語は、これ皆武義の教えである。志ある者達ならば好んで聞くべきなのだ。
志が有れば、物語の面白さに聞き惚れて、居ながらにして小用を致したとしても無礼とは言わない。
むしろ語り伝えに、『龍興は軍物語に聞き惚れて居ながら尿を流した』と言われるは、家の面目と
言うべきであろう。
お前はやがて家を失い、他の紋に馬をつなぐだろう。」

そう涙を流して諌めたという。

(士談)



342 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/28(火) 15:05:25.94 ID:+NX5BKfl
>>341
義龍「」

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/28(火) 15:16:38.50 ID:q/sq0uZp
>>342
原文ママなのですが、おそらく義龍の間違いでしょうね

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/28(火) 15:35:25.79 ID:fMrCqu7j
竹中半兵衛「私が、小便をかけた斎藤飛騨守を美濃城乗っ取りの際に討ち取ったように
男子に小便、というのはあまりな屈辱。
先先代のお言葉とは思われません」

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/28(火) 16:08:56.81 ID:VQeFYYED
竹中半兵衛でしょ

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/28(火) 16:12:24.89 ID:q/sq0uZp
>>346
有名なのがそれこそ龍興の家来だった竹中半兵衛が息子重門を叱ったやつで、
竹中半兵衛と座り小便・いい話
何故か伊達政宗にも同じような逸話がある
政宗、息子忠宗を叱る

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 10:47:42.90 ID:mFIHIWzA
>>341
その話何パターンあんだよ?
武家の数だけあんのか?

旗返の姫塚由来

2017年11月28日 15:48

343 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/28(火) 15:16:04.32 ID:+NX5BKfl
旗返の姫塚由来

旗返城主江田隆連は、庄原の山之内氏に誘われて、ひそかに山陰の尼子氏と通じたことが発覚すると、毛利元就は山口の大内氏に救援を求め、1万数千の大軍をもって江田領に攻め込んできました。
天文22(1553)7月には隆連の家臣武田祝氏(たけだほうりし)の居城高杉城を全滅させ、その勢いで旗返城に攻め寄せてきました。
隆連は尼子軍の救援を唯一の頼りに1千1百の軍勢で籠城しました。

毛利軍は、要害堅固な旗返城を攻略するため、旗返城の麓、丸山(陣床山)に臨時の城を構え、食糧や水を断つ作戦にでました。
 隆連は、唯一の頼りだった尼子の援軍が来ないため、落城も覚悟したのであろうか。包囲されて間もなく、妻と娘(姫)に一人の家来をつけて、庄原の山之内まで逃がそうとしました。

 始め廻神(めぐりかみ)を通ろうとしましたが、この道は既に敵軍の手に落ちており、仕方なく加風呂谷(かぶろだに)を下って、掛田(かけだ)に降り、夜陰にまぎれて石原から寄国(寄国)を通り、山之内に逃げようとしました。
そして、掛田川の川端までたどり着きましたが、娘(姫)は身ごもっており、ここまで来て急に産気づきました。

 そして苦しみながらかわいい娘の子を出産しましたが、敵陣の中を潜んでの逃亡で体力も尽き果ててしまいました。
 兼ねてより父隆連から、途中逃げ切れぬ時は自刃せよと諭されていたこともあり、妻と娘(姫)赤子ともども、この地で自刃して果てました。

 後、邑人(むらびと)たちはこのあわれな人たちのために祠を建てて供養しました。この祠を「姫塚」と呼びこの一帯を「姫原」と呼ぶようになりました。
 旗返城は、水と食料を断たれ、終に10月になり城兵は夜陰にまぎれて逃亡し、落城しました。

     川西郷郷土史研究会”
(当地の看板より)



「八重葎」「天の原」

2017年11月27日 19:06

千利休   
462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/27(月) 18:58:54.02 ID:mIO4OdMo
>>286
まとめの9276「床の間の掛軸の歴史。および八重むぐらの色紙の事」
に関連した話、井原西鶴「西鶴諸国ばなし」巻5「挑灯に朝顔」より後半部
(前半部は茶の湯を知らない客人が昼前に『朝顔を見せてくれ』と訪ねてきたため、
怒った亭主が芋の葉を見せたところ客が気づかないままだった、という話)

むかし茶の名人が茶の湯を出したときに、庭の掃除もなく、庭木の梢も枯れ葉をつけたまま
秋の景色をそのままにしておいたところ、客もすぐに心付いて
「さてはなにか珍しい道具を出すのだろう」と思っていたら、案の定、床の掛け軸に
「八重葎茂れる宿(のさびしきに、人こそ見えね、秋は来にけり)」の古歌がかけられていた。
またある人が唐物(中国式)の茶の湯を望んだところ、諸道具がすべて唐物を飾られていた中に
掛け軸だけ、阿倍仲麻呂が詠んだ「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にい出し月かも」
の歌が掛けられていた。
客は皆感心して「この歌は仲麻呂が唐から故郷を思って読んだ歌だ」と主人の作為に感じ入った。
「客もこのような人であってこそ、主人も茶の湯を好んでする甲斐があるものだ」とある人が語った。

この話の元ネタは「槐記」享保十三年3月二十二日の条でその記事だと
「八重葎」の方は利休が客人(もし9276の話に関連してたとすると松永久秀が主人となる)
「天の原」の方は利休が秀吉を招待した時の話となっている

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/27(月) 19:01:38.67 ID:mIO4OdMo
ついでに「槐記」だと
利休に主人が「八重葎」の掛け軸を掛けて茶を出したのが歌の掛け軸の始まりとする



高櫓は爆発しはじけ飛んだ

2017年11月27日 18:49

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/27(月) 18:45:31.90 ID:U5xmHEcL
柴田勝家の軍が加賀一揆勢との戦いを繰り広げていた頃のこと。
加賀国二曲という城、現在は別宮と呼ばれているが、この地は吉原二郎兵衛という者の
領地であった。
ここに一揆の者共集まり、夜中にこれを攻めた。

しかし城方はよく持ちこたえ、敵勢を押し返そうかという時分、城中の高櫓の上から
鉄砲を撃たせていたが、ここの足軽大将は、腕に火縄をかけた状態で鉄砲を撃たせていた。
そして火薬を継ぐ時、火薬箱に火が入り、高櫓は爆発しはじけ飛んだ。

城中は衝撃と黒煙で取り乱し、寄せ手はこれに利を得て、夜明け頃ついに城を乗っ取り、
吉原に腹を斬らせ、城内の土蔵を開けて尽く略奪に及んだ。

このような時に、二曲落城を知った千代城の拝郷五左衛門(家嘉)が駆けつけ
一揆勢を攻め立てた。

一揆勢は略奪の最中の、突然の攻撃に驚き、略奪物を捨てて城の後ろの切所へと落ちた。
拝郷は逃げる一揆勢に追撃をかけ大いにこれを破った。

ところがこの一揆勢の中に一人、才覚のある者がいて、棒に白手ぬぐいを結びつけて山に立て置き
引き上げた。拝郷はこれを見て、伏兵があると判断し、長追いに及ばなかった。
その間に一揆勢は危機を脱して、つづら折りの山路を退くことが出来た。

(士談)

余談だが劇画『子連れ狼』の主人公・拝一刀は、この拝郷家嘉のひ孫という設定であるという。



ルイス・フロイスによる不思議の国ニッポン

2017年11月26日 16:08

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 17:05:50.22 ID:TxoaurS2
ルイス・フロイスによる不思議の国ニッポン的な作品「ヨーロッパ文化と日本文化」よりいくつか

・われわれの間では彩色した衣服を着ることは軽率で笑うべきこととされるであろう。
日本人の間では坊主と剃髪した老人以外は一般に、すべて彩色した衣服をつけている。
・われわれはいつでも唾を吐き出す。日本人は概して唾を呑み込む。
・われわれの間では、貴族が鏡を見ていれば柔弱な行為と考える。
日本人の貴族は衣服を着るために、誰でも鏡を前に置くのが普通である。
・ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。
日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる。
・ヨーロッパでは夫が前、妻が後になって歩く。
日本人では夫が後、妻が前を歩く。
・ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。
日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸し付ける。
・汚れた天性に従って、夫が妻を離別するのが普通である。
日本では、しばしば妻が夫を離別する。
・ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。
日本では娘は両親にことわりもしないで、1日でも幾日でもひとりで好きなところへ出かける。
・ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない?日本の女性は夫にしらせず、好きな所に行く自由をもっている。
・われわれの間では女性が文字を書くことはあまり普及していない。
日本の高貴な女性は、それを知らなければ価値が下がると考えている。
・ヨーロッパでは普通女性が食事を作る。
日本では男性がそれを作る。
・ヨーロッパの女性は人に見られずに道を歩くために頭巾をつける。
日本の女性は道を行く時、頭にタオルを被って結び、両端を顔の前に垂らす。
・ヨーロッパでは白粉一箱あれば一国の需要を充たす。
日本にはそれを積んだソマ船が多数渡来するがそれでもまだ足りない。
・われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。
日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ(言葉?)によって譴責するだけである。
・ヨーロッパの子どもは青年になってもなお口上ひとつ伝えることができない。
日本の子どもは十歳でも、それを伝える判断と思慮において、五十歳にも見られる。
・われわれの子どもは大抵公開の演劇や演技の中ではにかむ。
日本の子どもは恥ずかしがらず、のびのびしていて愛嬌がある。
そして演ずるところは実に堂々としている。
・われわれの間では子どもは度重ねて親戚の家に行き、彼らと親しく交わる。
日本では親戚の家には滅多に行かない。親戚を他人のように扱う。
・われわれはすべてのものを手を使って食べる。
日本人は男も女も、子供の時から二本の棒を用いて食べる。
・われわれの間ではフライにした魚をよろこぶ。
彼らはそれを好まない。
・われわれの間では膿瘍を火で焼く。
日本人はわれわれの外科の過酷な治療を受けるよりも死を選ぶだろう。
・われわれの手紙はたくさん記載しなければ意見を表すことはできない。
日本の手紙はきわめて短く、すこぶる要を得ている。
・ヨーロッパでは水を流すために街路の中央部が低くなっている。
日本では中央が高く、家々の側が低い。それに沿って水を流すためである。
・われわれの間では悲劇でない劇が演ぜられる場合、場面を分けない。
彼らはいつも場面を第一、第二、第三などとわける。
・われわれの劇は談話によって演ぜられる。
彼らのはほとんど常に歌い、または踊る。
・われわれの間では種々のものを贈るのは親愛のしるしである。
日本では贈物が少なければそれだけ礼儀正しい。
・われわれの間では人が贈物として持ってきた物は、その同じ人にこれを勧めることはできない。
日本では親愛のしるしとして、贈った人とそれを受けた人が、すぐにその場で試食しなければならない。
・われわれの間では球戯は手でする。
日本人は足を使って遊ぶ。
・われわれの間では贈物は空の小箱に入れ、リボンを付けないで贈る。
日本では糸で束ねる紙を貼り付ける。
・われわれの間では従者がその主人夫妻を自分の家に招く慣習はない。
日本ではそれがしばしばおこなわれる。義務としておこなわれることもあり、そうでない場合もある。

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 18:06:47.15 ID:TxoaurS2
「ヨーロッパ文化と日本文化」にはこんなのもあった
・われわれの間では男たちは髪を刈っており、禿頭にされると侮辱されたと考える。
日本人は毛抜きを用いて、自分で、毛の残らないように、全部抜いてしまう。そのことは苦痛と涙を伴う。
・われわれのロウソクは本が太くて先が細い。
日本人のは先が太くて本が細い。

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 19:41:58.59 ID:TxoaurS2
なおお気づきかもしれないが、特に現在の日欧の文化と逆のようなものを優先的にピックアップした。
元の本では宗教についての章も立てられてたけど、カトリックと比べて肉食妻帯当たり前の無信心者、悪魔崇拝者というような記述しかなかった。



460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 19:17:29.54 ID:Qeo9lrtY
>>456
日本が上回ってる所もあれば逆もあって面白い。
まあ文化と時代の違いもあるから一概にどちらが良い悪いとも言えないけど。

特に動揺はなかったという

2017年11月25日 15:27

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 14:01:56.38 ID:JplSg2Nq
関ヶ原で東軍が勝利した後、近江佐和山城を筑前中納言小早川秀秋、小川(祐忠)、朽木(元綱)、
脇坂(安治)などに、城の請取が命ぜられた。
諸手面々が取り囲んで攻めたため、佐和山城では持ちこたえる手段無く、各々自害して天守に
焼草を入れ置き、発火のための鉄砲の火薬2,3石ほどを入れた。

この時、櫓の防衛に当たっていた手の足軽大将の元にあった火薬に、どうしたわけか火がうつり、
櫓ごと爆発した。
爆発の衝撃と黒煙のため、そのあたりでは目がくらみ敵味方の見分けもつかぬ状態となり、
攻め手の中の、とくに若い者たちは不覚にも崩れ、その不名誉は後に人の口に上ったという。

この時に懲りた故か、その後天守に火が付き、火薬のため爆発したが、特に動揺はなかったという。

(士談)



452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 15:05:58.50 ID:fRRJNyEY
鳥羽伏見の戦いで大坂城がほとんどもぬけの殻になった後
民衆が略奪しまくってたら城が爆発炎上した、て話を思い出した
某司馬遼太郎作品では薩長軍はそれを見越して後で悠々と城入りした
てことになってたけど、本当だとしたらこういう話を知ってたんだろうか

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 15:11:15.31 ID:b86Bif5A
幕末までは日本人もちゃんと略奪とかしてたんだな

江戸のもののはじまり事典

2017年11月24日 17:18

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/23(木) 21:29:17.74 ID:XjByv4RE
江戸のもののはじまり事典「本朝世事談綺」よりいくつか


鹿苑相国義満公の時、内野合戦が正月元日に起き、殿中の祝賀会に出席していた者共が
素襖の袖と裾をとって戦に従事したことが吉例となった。
細川頼之の行いであった。
一説によると、信長公の時に松永弾正がはじめたとも。

月代
月代を剃ることは、鎌倉北条執権(泰時の頃)に始まった。
その昔は本朝では貴賤ともにみな総髪でお歯黒をつけていた。
山海経に言う「東海に黒歯国あり、その俗、婦人の歯悉く黒く染む」というのは日本のことである。
その後、貴賤を分かつために男の歯を染めることを禁じたが、気が発さなくなったせいで歯の痛みとなった。
そこで月代を剃ることとなったのだ。
一説によれば、鎌倉時代は髪を抜いたという。信長公のときに剃刀で剃るようになったという。
おそらく髪を抜くというのは額のことであろう。
剃刀は眉を剃るために神功皇后の時に始まった。眉剃り用の剃刀は小さかったのを、
信長公の時に大きくしたのが今の剃刀であろう。
(信長が毛を抜くのを痛がって剃ることにした、という説もある)

ロウソク
文禄年中までは日本にロウソクなし。呂宋助左衛門が秀吉に献ずるところのロウソクを真似してこれをつくった。

一里塚
正親町天皇の御世に信長公の下知にて一里を三十六町に定めてその表示に一里塚をつくり榎を植えさせた。



457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 17:55:58.07 ID:E7qzUXBx
>>450
> (信長が毛を抜くのを痛がって剃ることにした、という説もある)

    ノノ
 〆 ⌒ヽ∩ ブチ!ブチ!
 (  ゚ω゚)ノ⌒ ミ
 ヽ⊂彡(´・ω・`) <信長「…」

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 18:05:03.73 ID:b86Bif5A
抜くんじゃ時間かかりそうだしね

マジヤバいお話

2017年11月24日 17:17

334 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/22(水) 21:13:57.78 ID:hGDrQ4Ly
前野長康はマジヤバい。
まず実の父親が凄い。坪内勝定。
この男は前野長康と12歳差。つまり満11歳の時に仕込んだってことだ。
とんだヤリチンだぜ。

さらに母親が凄い。生駒右近善長の妹。
なお、生駒右近善長は長康より45歳年下。
自分より年下の母親から生まれてくる前野長康はヤバすぎる。



335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/22(水) 21:38:01.55 ID:lnkCnPsw
出典は武功夜話?

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/23(木) 15:15:29.02 ID:jQjOTTHt
細川元勝もなかなかヤバい
父である細川昭元と13歳差
母もすごい。織田信長の妹お犬の方
生まれたのは両親が結婚する16年前で異父兄の佐治一成より6つ年上
マジヤバい



337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/23(木) 21:25:40.38 ID:ArIA571p
>>334>>336
    r⌒\// ////:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ //// //
    (´ ⌒)\ ///::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|// //
ポッポー ||  \|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| _/ /ヽ        /ヽ
     人   ...\    +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;/ /   ヽ      / ヽ
    (__)     \    ( (||||! i: |||! !| |) )    /__/U  ヽ___/  ヽ
また (__)天狗か .\+  U | |||| !! !!||| :U  /__/   U    :::::::::::U:
    (・∀・#)       \   | |!!||l ll|| !! !!|/| | 天 // ___    \     ::::::::|
  _| ̄ ̄||_)        \∧∧∧∧/  | | 狗|   |    |  U     :::::::::|
/旦|――||// /|      <   天 >  | |  |U |    |        :::U::|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |      <   狗 >      l ├―‐┤   U   ...:::::::/
|_____|三|/      < の の >     ヽ      .....:::::::::::::::::::::::<
────────────< 予 仕 >─────────────
      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \< 感 業  >天狗じゃ!天狗の仕業じゃ!   
/⌒ヽ  / ''''''     ''''''  ヽ<.!    >こういう天狗のように鼻が立ってたのが
|  /   | (●),   、(●)   | ∨∨∨∨\天狗の天狗なんだよな今の天狗は
| |   |    ,,ノ(、_, )ヽ、,,     / ヤダヤダ \天狗の天狗を知らないから
| |   |    `-=ニ=- '    /〃〃∩  _, ,_  \天狗の仕業じゃ!  , ;,勹
| |   !     `ニニ´   `/  ⊂⌒( `Д´) <\          ノノ   `'ミ
| /    \ _____ /      `ヽ_つ ⊂ノ    \        / y ,,,,,  ,,, ミ
| |    ////W   / )、._人_人__,.イ.、._人_人_人     / 彡 `゚   ゚' l
| |   ////WW /<´ 天狗じゃ!天狗の仕業じゃ!>\  〃 彡  "二二つ
| |  ////WW /    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒   \|  彡   ~~~~ミ

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/23(木) 21:32:18.42 ID:XjByv4RE
一瞬、「細川元勝」を、天狗の修行した細川政元の父親の「細川勝元」と間違ってレスをしたのかと思った


339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/24(金) 20:27:54.04 ID:BHx6D7ip
細川政元と言えば司箭院興仙っちゅう政元の修験道の師匠がいるんだが
1570年に安芸国から空を飛んで京都の愛宕山に住み着いたとかなんとか
政元に仕えてた人物がその時期まで生きてたとある通り非常に長寿だったようだが
100歳になっても若々しかったなんて話もありなんか嘘くさい

ちなみにこの人物武芸にも優れていて河野通昭(左京大夫通宣の庶子)にそれを伝えたという
河野から築山に改姓した子孫が貫心流として広島藩に剣術を広めたりしている
開祖の名前が源義経になってたりしてどっか嘘くさい


ついでだから書くが河野から築山に改姓した理由は先出の河野通昭が
秀吉への襲撃を企てたため子孫に累が及ぶのを恐れた、とされている
これは築山氏の編纂した史料に記載されており豊臣側の史料にはそれらしい記述はないようである
やっぱり嘘くさい

さてはますます勇士の機

2017年11月23日 13:06

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/23(木) 09:39:25.77 ID:mJcw9C4d
関ヶ原の時、田中筑後守(吉政)の家臣で田辺甚兵衛という者の子、父は早世して
甚兵衛の名を継いだが、10歳にて陣立てした。彼の家臣たちが敵を突き落とし、甚兵衛を
馬より抱き下ろして頸を取らせた。
幼少の子として比類なき儀であると、その頃世間で大変に賞賛された。

後に、黒田長政田中吉政を訪れた時、四方山の物語の中で、吉政がこの甚兵衛の事を語った。
長政はこれに大いに感じ入り、甚兵衛を呼び出し盃を与えた。この時、「甚兵衛を補佐した
家来どもも呼び出して様子を尋ねよう」という事になり、甚兵衛の家来たちも出頭した。

長政が当時の様子を具体的に尋ねると、彼らはこう証言した
「馬より抱き下ろした時、刀を抜いてかかりましたが、わなわなと震えていました。
それを家来どもに恥ずかしめられ、震えながら立ち寄りて頸を討ったのです。」

これを聞いて長政は再び大いに感じ入った。
「さてはますます勇士の機がある。震えずにかかったなら、十方無き故(頭がからっぽだから)と
言うべきであろう。恥ずかしめられてかかったのは、義をつとめて致すという行為だ。」

そう評したという。

(士談)

田辺甚兵衛の初陣・いい話

こちらに既出の逸話ですが、出典があり詳しかったので



この夫婦の仲の良き事は、人間の世界にこれほどは

2017年11月22日 16:45

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/22(水) 16:10:22.18 ID:l+yNUGUe
いい夫婦の日ということで
慶長十年~同十八年のものとされる、前田利家室・まつ(芳春院)が七女・千世に宛てた消息より


(第一紙欠)
はんふんはんふんにて候、をかしく候、おりへ事、よくそ御きも入候、りくつたて申候ハヽ、御しかり候て、よきやうに御きもいり候へく候、
天下さまハ七つましのミたいさまにて、なかのよき事、人けんにかやうの事ハ見きゝたる事もなく候、かしく、
(後略)

(――増補改訂 図録 芳春院まつの書状)


内容は、まつが従弟の養子で利家の実子とされる篠原長次(おりへ/織部)に嫁を世話するよう千世に頼んだところ、年上の女しか心当たりがないがどう思うか、という問い合わせが来たことへの返信と推測できるもの。
将軍・徳川秀忠(天下さま)は七つ年上のお江(ミたいさま/御台様)を娶っているが、この夫婦の仲の良き事は、人間の世界にこれほどは見たことも聞いたこともないくらいである、と例を挙げて、心配せずに縁談を進めるよう答えている。

よく恐妻家などと揶揄されているけど、人の目から見てこんな風に評されるいい夫婦の話



天正20年5月18日付 豊臣秀吉、秀次宛書状

2017年11月22日 16:44

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/22(水) 12:37:42.57 ID:j6nRfafp
豊臣秀吉豊臣秀次宛書状

一、殿下(秀次)は陣の用意を油断なく行ってください。来年2月には進発するように。
一、高麗の都は二日に落ちました。この上はいよいよ渡海する時は、大明国まで残らず
  征服するよう仰せ付けましたので、大唐の関白職と成るべくお渡りになるでしょう。
一、人数は3万を召し連れ、兵庫より船で来るように。馬などは陸地でさし寄越して下さい。
一、三国の中に敵対するものはこれ無しと雖も、外聞というものが有ります。武具の嗜みには
  十分気を付けて下さい。下々にまで申し聞かせるように。
一、召し連れていく者のうち、人持ちには3万石、馬廻りへは2万石を貸し遣わすように。
  金子も似合い似合いに貸し遣わすように。
一、京都の御城米は留め置いて下さい。八木に手を付けさせてはなりません。
  その他の30万石は先にこちらに輸送しました。八木を陣用意に召し遣わし、
  不足のあった場合は太閤御蔵米が入り次第召されるように。
一、のし(金を延べ貼り付けたもの)付きの刀脇差を千腰用意して下さい。あまり大きすぎては
  指す者遠路の迷惑となるでしょうから、刀は七両、脇差は三両あまりにて申し付けて下さい。
一、のし付きの薙刀30、のし付きの鑓20本、このほかは無用です。
一、長柄槍は柄を金にするように。毛のない鞘は無用です。大阪に樫柄のものを置いてあるので、
  所用の時はこれを召し寄せて下さい。
一、金子について、私の方に今ある分は払底してしまったので、聚楽に有る銀子一万枚を
  大阪に遣わし、大阪の金子千枚をこちらに召し寄せて下さい。ただし五百枚所用の時は、
  銀子五千枚を代わりに遣わして下さい。如何程であっても、10分の1で交換して下さい。
一、具足は5、6丁を持ってくるように。それ以上は無用です。
一、馬たちは現在高麗に半分は曳いていきました。その他は名護屋に鞍道具ともに残し置いて
  ありますので、そちらがあまた曳いてくるのは無用です。広島にも10匹置いてありますので、
  彼の地にて引き換えて下さい。よくよく飼い置く旨、西尾(光教)に仰せ遣わしておくように。
一、名護屋にも高麗にも兵糧はふんだんに有るので、用意には及びません。こちらに向かう道での
  覚悟のみを仕って下さい。
一、小者若党以下、下々までも召し置いて下さい。この方で小者などを雇い入れようとしても、
  にわかには出来ません。前々から用意しておくことが肝心です。
一、丹波中納言(羽柴秀俊)にこちらに来るよう、準備を命じ、きっと同道するようにして下さい。
  8月前には命じるように。尺米等の事については山口の方へ仰せ遣わすように。
  8月前に召し寄せ、高麗か名護屋での留守を仰せ付けます。
一、高麗のための留守居として、宮部中務卿法印(継潤)を召し寄せて下さい。用意を命じ
  従う旨を仰せ遣わして下さい。
一、大唐の都へ叡慮(天皇)をお移し申すつもりですので、その御用意をしてください。
  明後年には行幸が成されるでしょう。その場合、都の周辺10国を進上するでしょう。
  その内において諸公家衆何れも知行が仰せ付けられます。官位の低い衆の知行は
  10倍にし、官位の高い衆は仁礼によるべき事。
一、大唐の関白は先に言ったように、秀次に仰せ付けられる。その上で、都の周辺100国を
  与える。日本の関白は大和中納言(羽柴秀保)、備前宰相(宇喜多秀家)のうち、覚悟次第で
  仰せ付ける。
一、日本の帝位は若宮八条殿(皇弟知仁親王)に、何れにせよ決まるでしょう。
一、高麗については岐阜宰相(羽柴秀勝)か、そうでなければ備前宰相を置きます。
  丹波中納言は九州に置きます。
一、震旦国(中国)への叡慮(天皇)の行路は、例式や行幸の儀式があるので、御泊々、
  今回あなたが出陣する道路の御座所が然るべきでしょう。人足伝馬は、その国の範囲で
  申し付けるように。
一、高麗国はもちろん大明の征服も、手間はいらぬと人々に仰せ付けて下さい。上下の迷惑は
  少しもなく、下々が逃げ走る必要もありません。諸国へ遣わした奉行たちを召し帰し、
  陣の用意を申し付けて下さい。
一、平安城(京都)並びに聚楽の留守居については、追って命じます。
一、民部卿法印(前田玄以)、小出播磨守(秀政)、石川伊賀守(貞政)以下、用意を命じ、
  お考え次第に参陣致す旨、申し聞かせるように。
右の条々、西尾豊後守(光教)に申し含めました。その意を得て下さい。

  天正二十
    五月十八日
                      秀吉(朱印)
(前田家所蔵文書)



333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/22(水) 14:18:56.93 ID:0KuVb4Tj
断られたやつか

週間ブログ拍手ランキング【11/16~/22】

2017年11月22日 16:33

11/16~/22のブログ拍手ランキングです!



これ士の見せしめである 18

犬畜生と呼ばれるのは良いが嘘つきは 16

財貨が有れば何時も 10
山口軍兵衛という勇士 9
先は我なり 9

若き人がそう望むのは 8
もしこの時取り乱せば、 6



今週の1位はこちら! これ士の見せしめであるです!
このお話、良くも悪くも伊達政宗らしいな、なんて感じちゃいました。
政宗って基本大真面目な中でどこか抜けていて、そこが愛嬌にも成っている人物だと思うのですが、このお話も、
峻厳な軍規を見せつつも、やはりそこに至るまでの緩みみたいなものも感じてしまうわけで、「本番の前に
確認は無かったの?」と、泥縄的な処分だなと言うツッコミも頭に浮かぶわけです。
ただこういう逸話も、後世政宗が「最期の戦国大名」とイメージされていく中で肯定的に受け入れられたのも確かであり、
江戸初期頃の人々にとっての「戦国大名」は、概ねこんな感じであったのでしょう。
そんな事も考えさせてくれる逸話でした。

2位はこちら!犬畜生と呼ばれるのは良いが嘘つきはです!
こちらも色々と考えさせてくれる逸話ですね。朝倉宗滴と言えば
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」
が有名ですが、考えてみれば犬畜生とまで言われるためには、その前段階で相当の信頼が無ければならないのかな、とも
思いました。前段階での信頼が高ければ高いほど、裏切りの効果も高く、相手からは犬畜生とまで恨まれ罵られる。
そういう事かなあ、などと解釈してしまいました。
「犬畜生と呼ばれるのも過程が大事」そんな何とも言えない教訓も含んでいるのかな、なんて感じちゃいました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!財貨が有れば何時もです!
「金があればなんでも出来る」「金で買えないものが有る」
相矛盾する2つの言葉が、一つにきれいに収まっている。そんな逸話ですね。
この主人公である某がかねてから考えたとおり、金で諸道具および従者は揃えられているわけです。
ところが普段から気心を通じたり、信頼でつながった関係ではないため、戦場に近づくとたちまち逃げ出してしまう。
この場合逸話の中でも「下人たちであったから」と、雇った人たちの倫理的素養の無さを指摘しており、それは事実でも
あったのでしょうが、逆に言えば金で雇える人たちの中に倫理的素養の高い人たちは少なかったことも、この話の中では
暗に指摘されているのでしょう。
かと言って利益を与えなければそもそも「武士」というユニット(武士は通常、戦場では数人から数十人のユニット単位で
活動します)を形成できないでしょう。
結局は、利益と関係性のバランスが大切。そんな事を言われている気がしました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
又気に入った逸話が有りましたら、そこの拍手ボタンを推してやってくださいね!
( ´ ▽ ` )ノ

山口軍兵衛という勇士

2017年11月21日 18:30

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/21(火) 13:37:42.65 ID:p2i0Waif
山口軍兵衛という勇士が有り、彼は結城黄門秀康に仕えて越前にあった。
強弓の精兵にて大太刀を好み、三尺(約1メートル)に余る腰刀を帯びていた。

彼は伏見にて秀康家の長屋に住んでいたが、この長屋は二階作りにて、三間梁にいたし、
出格子の窓四寸(約12センチ)ばかりを置いた小柱が立っていた。

山口はその格子窓を通して60間(約109メートル)先に的を立て、それを必ず射抜くほどの
手練であった。

ある時、人々が寄り集まっている中、山口の刀があまりに長く尺に余るとの話題が出た。
山口はこう答えた
「私はこの刀を、各々の尺短い刀同様に存じている故に、常に用いているのだ。
いざ使ってみせよう。その後で何れも御自由に言って頂きたい。」

そう云うと大太刀を抜いて三つ指にて柄の末を取り、何度も振り回すと、その場は
この太刀風の音が響くばかりとなり、これによって初め彼の刀について言っていた輩も、
閉口して退去するしか無かったという。

(士談)



もしこの時取り乱せば、

2017年11月20日 12:56

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/20(月) 09:51:24.57 ID:QuxzyNGx
水野下野守(信元)が、織田信長との間に事あって、三河刈谷から下城し大樹寺にて蟄居した。
信長から密かに、徳川家康へ水野を殺害するよう依頼があり、久松佐渡守(俊勝)を使いとして
水野を招いた。

水野は何の疑いもなく、その上久松が来たのだからと、彼を伴い岡崎へ至ったところ、
平岩七之助(親吉)に命じて水野を殺害させた。

この時、久松はこのような事に成るとは聊かも知らなかった。そのため日々の勤めが薄ければ
必ず取り乱したであろうが、彼は少しも動揺した様子はなく、由々しく見えたという。

しかしながら、久松は自分が人質のように遣わされたにも関わらず、この事について一言の
仰せも無かったため、もしこの時取り乱せば、一生のおくれとなったと、内心遺恨に思い、
以後、御前に出仕せず、死去するまで安居の領地に引き籠もったという。

(士談)



330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/20(月) 11:03:09.52 ID:VzGyCTru
既に出てるな、出典無しだが。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3749.html

先は我なり

2017年11月19日 18:06

堀秀政   
440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 05:18:03.85 ID:rObbxWS5
天正15年、豊臣秀吉による九州征伐の時、堀秀政も秀吉に従って九州へと赴いた。
この時、陣中において秀政近習の山下甚五郎という者が気が狂れ、後ろより秀政を斬りつけた。

秀政の後を歩んでいた家老の堀監物は、これを見て即座に山下を斬った。
秀政も後ろを振り返り、拝み切りに斬った。
秀政と監物の刀は、同時に山下を打った。

山下が絶命したのを確認すると、「先は我なり。」秀政はそう、監物へ言ったという。

(士談)

関連
名人久太郎に油断は無いのだ・いい話



441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 10:05:04.53 ID:x64q5xMC
だいぶ前にあったね
向こうは出典なしで近習の名前が微妙に違うけど

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 11:33:08.26 ID:yZctRNIy
痴情のもつれか

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 12:27:20.59 ID:nMzdiPUl
なんか都合の悪いことでもあったんじゃないの>気が狂れ
徳川信康もそんなこと言われてたし

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 13:56:08.91 ID:FUlARS4v
非がなく殺しちゃったら気狂いにするしかないよね

若き人がそう望むのは

2017年11月18日 16:24

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 23:32:55.32 ID:KP3+s06l
越前朝倉義景滅亡の後、富田長繁は府中に在城していたが、龍門寺と云う者が密かに隠れていたのを、
使者を以て招き、『信長に申し上げ、本領安堵のことを才覚申そう』と伝えた。
龍門寺は大変喜び、府中を訪れて長繁を頼んだ。

しかし長繁は、龍門寺を討って信長への忠とするつもりであった。

彼は富田宗八という小姓を呼び、これを打ち手と定めた。そうして龍門寺を様々にもてなし、そのうちに
このように言った

「朝倉家代々秘蔵の中村太刀いうものを、大野郡より入手したのだが、茶の後にでも見てみないか?」

龍門寺も「それは是非見たいものです」との事であったので、長繁はそれを取り出し龍門寺に渡した。
彼は剣相を眺め、鞘に収めようとした時、この場に居た宗八がまかり出て言った

「一世の思い出に、私にもぜひ拝見させていただけないでしょうか?」

長繁は叱りつけた
「汝若輩の身でありながら、憚るべきことを!」

しかし龍門寺
「若き人がそう望むのは尤もなことです」と、その刀をそのまま宗八に渡した。
宗八はこれを受け取り見る体から、龍門寺を討ち取った。

(士談)



323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/18(土) 06:58:22.68 ID:BfKpxo4p
逸物で死ねるとは果報者

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/18(土) 10:45:11.66 ID:Llxz6Lsp
坊主なんかな

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/18(土) 23:51:33.48 ID:buP+yy+6
長繁意外と頭がいい

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/20(月) 00:24:51.81 ID:ghJqJv0d
もっと狂人っぽいイメージ持ってたんだが

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/20(月) 00:32:07.78 ID:QyfyQpxj
誇張されたイメージだろう

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/20(月) 00:35:03.69 ID:J8ES+cU0
>>326
狂人は頭も悪いという思い込みw
性格と知能は別

犬畜生と呼ばれるのは良いが嘘つきは

2017年11月17日 13:50

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 00:10:38.13 ID:KP3+s06l
朝倉宗滴の言葉にこういうものがある。
『仁不肖によらず、武を心がける者は、第一に嘘をつかず、聊かもうろんな事なく、
不断に実儀を立て、総じて恥を知る事が、その基本である。

その故は、一度大事の用に立つ時、普段嘘をつきうろんな人物は、どれほど実儀を申したとしても
「例の嘘つきだ」と指をさされ、敵味方ともに信用してもらえない。
普段からの嗜みこそ、人として肝要なのだ。』

(士談)

犬畜生と呼ばれるのは良いが嘘つきは駄目らしい。



427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 00:22:49.48 ID:zTBmePbl
そら人を動かせないからな
嘘をつくならバレないように、じゃねw

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 00:34:34.80 ID:agrzQCkt
本人だけバレてないつもりでもバレバレなんてことはざらにあるし
やはりついてはいかんのだよ

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 00:39:41.86 ID:zTBmePbl
その理屈じゃなんもできなくなるw

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 01:14:05.73 ID:agrzQCkt
お前も影で嘘つきって言われてるぞ

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 01:59:43.94 ID:T7bbYKd2
謀略は誠なり

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 07:37:14.11 ID:soPTu9TR
武士の嘘は武略なり

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 07:51:09.39 ID:ZwhB1xgF
宗滴さまは狼少年を読んで思うところがあったんやな(違

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 08:30:26.01 ID:Itwasr9p
朝倉宗滴さまの頃はまだイソップ物語は日本に入ってきてないな
伊曾保物語の前進となる「イソポノハブラス」ローマ字刊行は1593年らしいし
とあえてつっこんでみる

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 10:00:34.58 ID:MyYwJHbm
>>426>>428>>430
こういう事言ってる奴こそが裏では一番嘘つきだからな

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 10:55:37.82 ID:enORPDeU
最も利口な人たちは、
自分が何かの大事に際して
何か大きな利益のために詭計を用いることができるように、
生涯ずっと詭計を非難するふりをし続ける。

ヴォルテール

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 11:23:31.10 ID:1DNQFh/2
その点、「友人が殺人鬼に追われていて自分の家に駆け込んだ。
そのあと殺人鬼が来て『お前のところにあいつが逃げ込まなかったか?』と尋ねてきた場合、
殺人鬼に『駆け込まなかった』と嘘をつくのは罪である」
と言ったカントは偉大

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 23:13:35.73 ID:ps8BgnHl
>>437
あれ?
その場合は嘘をついて良いんじゃなかったっけ

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/18(土) 00:51:37.10 ID:PE1a2IgP
カントによればそれでも嘘をついたらダメ
さすがにこれはあんまりだとして後世の人々がカントの理論から嘘をついてもいいように
いろいろと理論を組み立て

仏教で妄語戒があるのに法華経で三車火宅という例を持ち出して
人を救うためなら嘘を方便として使ってもいい、
と主張するみたいな

財貨が有れば何時も

2017年11月16日 21:09

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/15(水) 22:17:53.84 ID:vEgaCA4Q
紀州に浅野長晟が在国していた頃、この国の地侍の某、功名の沙汰ありし者であったので
浅野家より扶助があり録豊かで、山中に彼の好きなように住ませ置いていた。

ところがこの者、武義を勤めず職を忘れて、ただ財貨を集めることばかりに熱心であった。
「財貨が有れば何時も、諸道具、人馬ともに揃えることが出来る。」
そう広言していた。

この頃、大阪の陣がはじまった。
彼は財貨を散じて人馬諸器を求め、由々しき姿で出かけた。ところが、集めた者共は元より下々の事であり、
紀伊から大阪までの道で、一人残らず逐電してしまい、残ったのは乗っている馬と我が身ばかりという
有様になった。
このような事では先々はかばかしい働きも出来ず、かといって紀州に変えるのも面目がないと、その場より
行方知らずになったという。

(士談)



311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/15(水) 22:32:32.03 ID:Rp1oDxjj
浅野長晟の動向からして徳川方に付こうとしたのかな
なのに逐電されたのか

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/16(木) 02:41:43.26 ID:yf4aoXSx
いや豊臣のほうじゃね?負け濃厚だし

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/16(木) 09:09:49.57 ID:lcvo0AJ8
大名が徳川についてるのにそれは考えにくいのでは…

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/16(木) 09:43:13.62 ID:gi0/DeLC
じゃあどうして牢人が豊臣に集ったんだ?
勝ち濃厚の徳川に着いたのに逐電てワケワカメ

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/16(木) 10:01:26.44 ID:80FlYgge
金だけ持ち逃げされたつう話だろ

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/16(木) 10:05:55.77 ID:lcvo0AJ8
浪人は行くとこ無い人でしょ?
徳川は勝ち濃厚ったってやっぱり戦するわけだから死んだりケガしたりすることもあるし
いくら当時の日本人が勇敢っつっても臆病者卑怯者のクズもいるわけで

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/16(木) 21:12:04.25 ID:GO7re+P1
これって、中間や小者の話でしょ。

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/16(木) 23:56:41.63 ID:QSnBfgsM
>>316
現代の感覚で語られてもなw

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 00:06:00.09 ID:zTBmePbl
>>318
現代の感覚だったらこんな事起こらないだろw

これ士の見せしめである

2017年11月15日 17:19

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/15(水) 12:32:23.31 ID:vEgaCA4Q
大阪の陣の時、伊達政宗が奈良において、全ての足軽大将を集めて鉄砲を釣瓶撃ちさせたが、
加藤太という足軽大将の足軽たち300ばかりが鉄砲を撃たなかった。

この事を糾明したところ、加藤太は
「道中にて火を持っていれば、火縄を入れておく意味はない。火薬を足軽に預ければ道にこぼして多く
廃ってしまう。」
そう言って火縄、火薬ともに荷に包み小荷駄に付けて後より来るようにしたため、この時の釣瓶撃ちに
間に合わなかったのだという。

政宗は激怒し
「職分を忘れて、役人の出納を気取るか!?これ士の見せしめである!」
そう言うと自ら斬って棄てた。

また足軽たちに命じて、一斉に刀を抜かせ木を切らせた。
この時、一人錆びた刀を差し、木を切ることできなかった。これも糾明したところ、足軽が病のため、
人足を雇って代わりに役を勤めさせた。そのためそのような刀を持っていたのだと答えた。

政宗はこの足軽大将も成敗し、諸卒に示した。

(士談)



308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/15(水) 13:37:17.20 ID:ujGD9s1O
>>307
大阪の陣の頃になると実践遠ざかって久しいから、経済を優先させちゃう輩も増えたんだろうなぁ…
関ヶ原の頃ですら、朝鮮行かなかった大名は結構な期間実戦やっていなかったし。

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/15(水) 13:43:04.94 ID:tw7Qdp6q
鉄砲の件はもっともだが、刀で木を切るのはやめた方が

週間ブログ拍手ランキング【11/09~/15】

2017年11月15日 17:18

11/09~/15のブログ拍手ランキングです


坌銭と頸銭 17

『松野平介に劣らぬよう』 10
餓鬼の首 武田一族終焉の地 10

かかるお情け深き主君のためには 9
武芸の他に乱舞の稽古をしているような輩は 8
おんばんさん 8

あまりに五郎はたしなまず 6
武家事紀での織田岸蔵坊 6
備の場にて馬を 6

戸次川合戦後の讃岐について 5
織田岸蔵坊は激怒した 5
【雑談】そもそも、長曾我部って豊臣にも石田にも 5
「伝説の姫君嶋子」 4



今週の1位はこちら!坌銭と頸銭です!
坌銭という慣習が本当に畿内で存在したのか、なんとも言えませんが、勝ちに乗じてこういうものを要求してくる輩は多くあった
事でしょう。しかしつくずく、中世というのは「関」の時代ですね。治安維持のためだけでなく、何かというと関なり木戸なりを作って
通行料を徴収します。よくこういった関を廃止したと言われる信長も、実は自分の分国内の軍事関を廃止しただけであって、
多くの経済関は温存されていたというのが現在は解っています。有名な京の七口の関も、廃止されたのは秀吉の時代です。
そういう当時の慣習を知ると、このお話もいろいろな角度から読めるかな、なんて思いました。

2位はこちら!『松野平介に劣らぬよう』です!
この松野平介(一忠)という人、最終的には本能寺の変に駆けつけ、信長父子の後を追い自害しています。甥には、小早川秀秋
に仕え、関ヶ原の折の寝返りに反発し戦線を離脱したという松野主馬(重元)がいますね。ウィキペディアによると一説には、
あの吉田松陰の遠い先祖に当たるとか。
こういった名前を上げても、功利主義から程遠い、実直な性格を継承している人々、という感想を持ちますね。
だからこそ信長も「かくあるべき見本」として、彼を評価したのでしょうし、彼の最期は、信長の人物眼に違いがなかったと
証明していますね。
実は結構奥深い逸話だな、なんて思いました。

そして同票でもう一つ!餓鬼の首 武田一族終焉の地です!
実はこの時、安芸武田家当主であり、若狭武田家より養子に入った武田信実は出雲に逃亡していたのですね。なのでここでは、
安芸武田家全体というより、佐東銀山城に籠城した人々の滅亡と言うべきではあるのでしょう。
当主であった武田信実は京に上り足利義昭に仕え、結果めぐりめぐって、義昭の京都追放に付き従い、安芸武田家を滅ぼした
毛利の庇護下に入った、というのも歴史の大きな皮肉でしょう。
しかしこの安芸武田家からは、安国寺恵瓊をはじめとして、多くの人材が毛利家にもたらされることとなりました。
いちばん有名なのは武田元繁の子孫を名乗った、幕末の高杉晋作でしょうか。
恵瓊といい晋作と言い、安芸武田家所縁の者が毛利を守ったという所も、通り一遍の解釈では歴史は見えてこないな、
なんて感じます。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね。
( ´ ▽ ` )

『松野平介に劣らぬよう』

2017年11月14日 21:29

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/14(火) 07:41:35.14 ID:GSRO0ABL
織田信長の家中の諸侍は、ひと月のうち2度ほど、八幡講愛宕講と称して会合し、
武義の詮議を行い、家職を忘れず、武運のことを神慮に祈った。
また同士の輩は、一同に誓詞を記し、互いの非を伝えあった。

ある時、何れも寄り合いをして、願書を書いて武運を祈るとき、
「皆は何を目標にして、どのように武職を勤めたいと思っているのか、それぞれその趣旨を書いて
入札にしよう」
という事になり、集まって書き出した所、皆『松野平介に劣らぬよう』『松野平介より先を致したい』
といった心がけが書かれていた。

この松野平介という人物は、美濃の三人衆に仕えていた武士であり、後に信長に召された、
信長は、その身が陪臣であると雖も、武の職業を勤めたる者であると、彼を非常に高く評価し、
岐阜の大手先の侍町に屋敷を与え、「諸人の規範にもなる人物だ」と言った。

このため織田家の諸侍は彼を見習い勤めを甚だ励み、それぞれに武義の職を勤め守った。

(士談)



421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/14(火) 17:52:44.33 ID:tx0xGda4
織田信長の家中の諸侍は、ひと月のうち2度ほど、八幡講愛宕講と称して会合し、

初めて聞く話やな

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/14(火) 18:53:48.72 ID:Un1oa4VD
織田家では月二回、職場内の勉強会兼飲み会をやっていたという事か。

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/14(火) 19:49:11.27 ID:71UKaADV
織田家中自己啓発セミナー

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/14(火) 20:33:05.07 ID:Cr5IYuoH
織田家で自己啓発とか
無道なことを

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/14(火) 21:07:10.78 ID:WV2H8aGD
庚申講みたいに実質、ただの飲み会じゃないの?
まあ庚申講はいろいろと危ない相談もされてたんじゃないかって話もあるけど

武芸の他に乱舞の稽古をしているような輩は

2017年11月13日 16:44

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 09:55:46.66 ID:QSoFrhPh
加藤清正は、家中の大身小身に限らず、武士が覚悟すべき条目を発したことがある。
その詞に曰く

『奉公の道、油断するべからず。朝は辰の刻(午前7時頃)には起きて兵法の鍛錬をし、食事を取り、
弓を射、鉄砲を撃ち、馬に乗るべきだ。武士の嗜みの良い者には、別して加増を与えよう。

乱舞は完全に禁止する。太刀を手に取れば、人を斬ろうと思うものである。である以上、万事は
一心の置き所から生ずるものなのだ。武芸の他に乱舞の稽古をしているような輩は、腹を切るべきだ。

武士の家に生まれた以上、太刀を取って死する道こそ本意である。常々から武士の道を吟味していなければ、
潔い死はし難いものだ。よくよく心に武を究める事が肝要である。』

(士談)



411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 11:11:34.93 ID:SMfEMYwZ
ですってよ、柳生宗矩様

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 12:31:03.05 ID:6dPD9ssn
>>411
宗矩の甥の利厳「加藤家に仕えましたが何か?」

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 12:37:35.95 ID:K3XZqWFk
>>411
むしろ秀吉に対する挑戦状じゃないかと

414 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/13(月) 13:32:12.44 ID:JiaZg2xL
尼子経久「若い頃、正月の月山富田城で大乱舞大会やったけど、アレは楽しかったなあ」

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 14:07:33.86 ID:CajRvILA
大乱舞ですとな。

416 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/13(月) 14:16:12.22 ID:JiaZg2xL
>>415
750人くらいの首が舞った正月の大乱舞ですぞ

かかるお情け深き主君のためには

2017年11月12日 16:37

400 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/12(日) 16:26:23.36 ID:ROgrEiQQ
松平広忠エピが少なかったので投稿してみます。

ある年の田植えの頃、近藤某という譜代の士が貧乏だったため、自ら田植えをしていた。
松平広忠は鷹狩りの道すがら見とがめ、近臣に命じた。
「あれは誰か。見覚えがあるが連れて参れ。」

近臣たちは近藤が朋輩のため赤面していたが、命令であるので仕方なくこのことを近藤に告げた。

近藤は泥まみれのまま、真っ黒な顔で広忠の前に出た。
近臣達は近藤は成敗されるに違いないと心配していた。

広忠は涙を浮かべてこう言った。
「譜代の士なればこそ、このような暮らしにも堪え忍び、いざ鎌倉という折に身命や妻子を投げ捨てて、代々の主君のために忠孝を励んでくれるのだ。なんじらもおそらく、この近藤と同じことをこの広忠に隠しておるに相違あるまい。早く家郷に帰り、田を植えよ。」

これを聴いていたものはみな涙を流し、
「かかるお情け深き主君のためには一命はもとより、妻子をも顧みず奉公の誠を尽くそう」
と誓い合ったとのことである。



401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 16:31:11.88 ID:pu3bL6ey
できれば出典を…

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 19:34:15.73 ID:IZ4Go9pO
そして年貢を納めろか

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 20:43:18.40 ID:yuwsjLhx
松平家の家臣の忠義って個人的な美談じゃなくて、他国より中央集権的だったからなのかな

404 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/12(日) 20:43:39.39 ID:xEfHF25d
>>402
考え様によっちや休みも副業して働け
忠勤に努めよ


って事か… これはブラック三河武士

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 21:05:55.71 ID:VvYToCE8
側仕えはいいから野良仕事してこいやろ

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 21:39:06.14 ID:NInLM6wR
松平は野良仕事で済んでいる分まだマシ。宇喜多直家さんのところとか貧乏すぎて家臣一同定期的に「絶食の日」を作ったくらいだからな。

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 04:02:56.43 ID:RuCFRyFm
>>406
横だけどソレ知らなかったわ、備前て貧乏イメージ無かったから。

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 05:09:25.65 ID:By1ObXnd
>>407
元々は家が滅んで放浪の末に戻って来て、一家臣になった時の話みたいだから
初心を忘れないように大名になっても続けてたみたいだけど

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 07:19:55.36 ID:GscqnKpT
それどころか盗賊働きもしてた話があったような

坌銭と頸銭

2017年11月12日 16:29

392 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 22:56:26.21 ID:+P/PnjQW
坌銭と頸銭

羽柴秀吉が鳥取城を兵糧攻めにした時の事。
城将、吉川経言(家)と主立った将士数名が切腹する事と引き換えに城兵や住民の助命が決まり、和議が成った。これにより鳥取城の出城であった丸山城も経言の助命嘆願の甲斐なく奈佐日本助、佐々木三郎左衛門、塩冶周防守らが切腹の上開城する事となった。
その丸山城開城の折の事である。丸山の諸卒が城を出る時、寄せ手の羽柴勢の者らが木戸をふさぐと

「城を明け渡した側は、坌銭(ほこりせん)と言って一人銀五分ずつ出す決まりだ。これは京都流の戦争のやり方だ。もしこれに背く奴らは、一人残らず切り殺すぞ」

と、脅しをかけた。「これはいったいどうしたことか」と皆々は顔色を変えたが、境与三郎右衛門と言う男は一人平然と笑って

「美濃・尾張や五畿内の腰抜けたちが、命の惜しいあまりに、武士の法を知らず、そんなものを出すのだろう。中国筋ではそれを頸銭(くびせんという。
いやしくも、武士たるものが、頸銭を出すということがあるものか。こんな恥辱を受けて命ながらえてもいたし方ないこと、城中の者どもよ。おれと一緒に切り死にしよう」

と言って、鎗を提げてすっくと立ち上がると、羽柴勢を睨め付けた。その有様はどんな鬼神でも敵とならば、ど真ん中を突き抜くべき面構えなので、気をのまれた寄せ手は

「こちらのしきたりを申しただけのことです。どうぞ通って下さい」

と言ったので、境は真っ先に立って場外に去った。

393 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 22:56:57.56 ID:+P/PnjQW
(陰徳太平記)



394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/11(土) 23:58:54.14 ID:OkFOnrZc
>>392
格好いい

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 00:51:38.85 ID:sY2WlIKM
>>392
津本陽作品の雰囲気

餓鬼の首 武田一族終焉の地

2017年11月12日 16:28

299 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 16:59:10.08 ID:sH6ietgp
餓鬼の首 武田一族終焉の地

 武田山の背後、広島市安佐南区長楽寺にある「ふじが丘団地」の下に、こんもりと繁った林が残っており、この一帯が、武田一族の終焉の地と言われています。
この終焉の地は ”餓鬼の首” といわれ、 この地で武田氏が滅びた時、一族郎党たちを”首切り処刑”した所で (<安郷土史懇話会>によれば=悪人や罪人を処刑した場所であった所とされている) 、
掘れば血がでると言われている。 首切り処刑したと言われる 約1.5m 四方で高さ 1m の石積みがあります。

  この場所には武田一族の後裔の方たちが建立された 「武田一族の終焉の地」 の石碑があり、それには次のような碑文が刻んであります。

  『 今を去ること四百年有余年昔、天文十年三月十三日新羅三郎源義光が末裔 安芸の国守護武田信重はおしよせる大内.毛利の大軍に祖父の地を死守せんと戦せしも、 
衆寡敵とせず金山城にて一族諸共に自刃す。
残りし血族は悉く捕われ 六親等に至るまで女人、幼ごの区別なくこの地冷たき石積の上に あわれ無情の刃にかかりてはて封印される。
時は流れ辛くも難をのがれその血を今に伝えし物共真を積みて、悲願結集し尊き仏法の功徳をもって縛はとかる。
今はただ苦もなく怨みもなく一族とともに仏国浄土に赴かん。 願わくはその説く所怨親平等の大慈大悲戦乱に倒れし遍くの諸霊の上に注がれん事を。
      諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽 』

    武田信重が裔    ****  ****
                  ****  ****

    武田源三が裔    ****
         平成十年四月建立

http://www.cf.city.hiroshima.jp/gion-k/webstation/rekishi/takeda-hiwa/syuuennochi/syuennochi.html
http://taketayama-hoshoukai.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-f966.html



300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/11(土) 18:23:55.81 ID:LCc5v4ef
>>299
>今はただ苦もなく怨みもなく一族とともに仏国浄土に赴かん。
凄い名文…
作られたのは結構新しいんだね、400年以上たっても忘れない良い話じゃないか!

301 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 18:55:30.54 ID:/VYwKrBM
いや、後裔の方々が先祖の恨みを忘れるのはそうだけど、根本は一つの戦国大名家の一族がほぼ誅滅される話なんだからどう考えても悪い話だと思うんですが…

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/11(土) 20:08:27.19 ID:Bb8OW2om
フランスに何か用があったん?

303 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:07:45.33 ID:girOAUNf
>>302
その発想はなかったわ

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 02:45:28.05 ID:8lgKdSVl
なるほど
しかしながら浄土とは表現しないだろうなあw