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伊東家再興の事

2016年06月06日 21:24

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/05(日) 22:48:37.10 ID:uRfp4+2t
天正9年8月下旬、伊東義祐に仕える山伏である三部は、大峯山に登った帰り、羽柴秀吉が
姫路城を建築し、大層な普請であるとの風聞を聞いて、立ち寄って見物した。
するとここで、一人の武士が三部を見て話しかけてきた

「客僧は何国の人ですか?」

「九州日向の者です。」

「であれば、貴方に訪ねたいことが有ります。」

この武士はそう言って、三部を座に招き、聞いた
「日向では伊東殿が浪人されたと聞いていますが、本当でしょうか?」

「はい。島津家に国を奪われ、今は伊予国河野家の領内に蟄居しています。」

「日向伊東家のイトウの”トウ”は、藤の字を用いるのでしょうか?」

「いいえ、”東”の字を用います。」

「であれば!正しく私と同族ではないか!もし義祐殿が羽柴殿に仕える気があるのなら、私が宜しく
周旋しよう。私は伊東掃部助と言う者です。貴方は急ぎ帰国して、この事を告げてほしい。」

これを聞いて三部は彼に篤く謝礼を述べ、急ぎ伊予に下り有りの儘に申し述べた。
しかし伊東家の人々は、数年の間住み慣れた所を出ること名残惜しく、また自分たちを受け入れてくれた
大内氏の情けも捨てがたく、さらに女性たちは、三部のためにこの上さらに憂き目を見るのかと
嘆いたため、決断は先延ばしにされた。

その内に年も暮れ、天正10年正月、伊東義祐70歳、嫡男祐兵は24歳となった。
三部はその間もしきりに秀吉に見参することを進めていたが、終にその言葉に同意し、
伊東義祐父子、並びに奥方、川崎駿河守ら上下二十余名は、名残を惜しみながら道後の城下を離れ
小舟一艘に乗り込み播磨国姫路に渡った。

姫路では三部の案内にて伊東掃部助と対面し、掃部助は懇ろに義祐父子を饗し、秀吉に対して
しきりにこれを推挙したが、秀吉は

「今、蔵米も払底している有様である!こんな時に浪人など扶持できるか!」
そう拒絶された。
そこで掃部助も、ここは暫く様子を見ることにした。
そして伊東祐兵がよろず武芸に達し容貌も魁偉なのを見て、掃部助は工夫し、秀吉が城外に
出る時を見計らい、路の側に平伏させておいた。
案の定、秀吉は祐兵を一目見て、側の者達に聞いた「あいつは何者か?」
そこに掃部助が後ろから出て申し上げた

「彼は前に申し上げた、日向の伊東です。」

「なるほど、骨柄たくましい壮士である。私が西国征伐を行う初めに、西国の武士が頼ってくるのは
吉端であろう。」
そういって即座に三十石を与えた。伊東祐兵はこの頃、六郎五郎と名乗っていたが、この時から
民部太輔と称した。

掃部助は、伊東義祐にも、秀吉に見参するようにと勧めたが、義祐は
「私は不肖なりといえども。辱くも三位の位を頂き、年齢も既に70。今浪人の身とは言いながら、
何の面目あって木下藤吉ごときに追従しようと言うのだ。
しかし子孫再興のためであるから、祐兵は格別である。」

そう言って、ついにそれを受け入れようとはしなかった。

(日向纂記)



802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/06(月) 08:08:23.62 ID:UHSHnu6x
ガラケーなので確認してないけど以前に見たような記憶がある

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/06(月) 08:42:19.06 ID:i4Vt1r+V
>>802
前のは出典が日向記だな。
ベースは日向記なんだが、時代とともに逸話の変化を見るのも楽しいよ

伊東祐兵、秀吉公に仕える。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7567.html


伊東三位入道、秀吉との謁見を断る
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7566.html



805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/06(月) 16:14:07.06 ID:fnaWRgWi
>>801
>伊東義祐70歳、嫡男祐兵は24歳
すげーw

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/06(月) 19:39:05.73 ID:UHSHnu6x
現代でも原樹里の親父さんなんか80超えていたような

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/06(月) 20:06:55.64 ID:vmhAmFX+
金森長近なんかは80越えてから子供生まれてるな

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/06(月) 21:15:35.25 ID:BBMgsAJR
秀吉じゃないが本当にお前の子供かと、問うてみたい

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/06(月) 23:11:47.67 ID:FeuIYPzX
鹿児島の現在の知事は伊藤祐一郎氏だが
先祖は島津日新斎に仕えたそうな
すると日向伊東と同族ではないということか

812 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/06/07(火) 08:41:11.26 ID:hyaoyfFP
>>805
46の時の子供なんて…。
大権現さまを見てごらんよ。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    大名の息子に三十石か・・・
    この当時は毛利攻めに手一杯で、九州に攻め込んで先導させるとかまったく考えてもなかったのかな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    避難先の伊予の大内さん
    どんな人なのか教えてクレメンス

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >「今、蔵米も払底している有様である!こんな時に浪人など扶持できるか!」

    これで引き下らず、仕官させたところが偉いと思った。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    河野氏の重臣大内伊賀守の一族

  5. 人間七七四年 | URL | ixivxIWw

    ※1
    秀吉の配下には名門の山名や赤松の人々がいたけど、天下統一の余裕が出てから数千石をもらえた程度。
    伊東家の場合は元々地頭だし、ネームバリューも日向半国止まりだからこれでもラッキーな方だよ

  6. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    言うても46歳の時の子なら戦国期はそこまで珍しくない気がするわ。
    毛利元就は老いといても、北条氏康だって桂林院殿が47歳の時の子やし、
    伊達政宗やって、宗勝が生まれたんは54歳の時やし。

    医学的には女性に比べれば男性の方がシビアやないって言うし、
    一夫多妻制やった時代は、父親と子供の年齢が離れてる例は多いと思う。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    女性でも経産婦なら46で池田輝政との末の子を産んだ督姫とかもいるし
    男ならむしろよくあることなのでは

  8. 人間七七四年 | URL | -

    いつの間にか祐兵が嫡男になっとるな。
    家督は既に義祐→義益→義賢と継承してたんだけどね。

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