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東北鎮護の為であり

2016年06月12日 17:24

829 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/06/12(日) 03:08:16.25 ID:CjzaKTNh
保科正之は寛永14(1637)年1月、江戸城二の丸留守居役として勤務していた。
同年10月、九州にて「島原の乱」が起こると、正之が将軍の名代として九州に派遣されるという風評が立ち、
正之は下命に備えて家臣達に派遣の準備を命じた。だが下った命令は

「二の丸留守居役を免じ、直ちに山形に帰国せよ。」というものだった。

期待していた大役とは違い、家臣らは失望したが、当の正之は至って機嫌が良く、かつて家康が秀忠に教えたという

「東国に変事ある時は西国を固め、西国に変事ある時は東国を固めよ。」という言葉を紹介した。

そして

「この帰国命令は東北鎮護の為であり、藩屏として信任されている証である。」

と家臣に語ったという。



831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/12(日) 11:09:15.52 ID:5v0A27iF
>>829
奥羽とは言うが東北なんて言葉あったんかね?
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    正之の頃でも、伊達家や南部家って、幕府から警戒されてたのかな。

  2. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    東北の呼び方は江戸時代後半からあったと思う。
    史料が江戸時代後半の成立だと、作者が奥羽を東北と言ったのかもね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    「東北」の呼び名は江戸後期から明治初期に掛けて京から見ての「東海道・東山道・北陸道」
    の地域を囲った呼び名らしいです。具体的には奥羽と呼ばれてた範囲は「東北」。

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