FC2ブログ

米良重矩の帰参

2016年06月13日 11:21

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/12(日) 18:57:26.47 ID:b8183FBv
米良美濃守重矩は日向伊東家の家臣であったが、過ぐる天正4年、一旦の憤りに、
累代の主君に背き、島津家へ寝返った。これが終には伊東家の日向没落へと繋がったのである。

しかし米良は薩摩において栄達したものの、心安い日は無く、鬱々と思った。

『私はこのまま、叛逆の罪を抱いて生き、不快の月日を送るよりも、一度旧主に見まえて、
身の罪過を謝し潔く誅殺を被ってこそ、この上の本意ではないだろうか。』

そう考えている中、天正16年、伊藤祐兵が再び飫肥を拝領したと聞いて、取るものもとりあえず
飫肥に帰り、祐兵に対面して先非を謝した。

伊東祐兵はこれを聞くと
「美濃守は叛逆の徒であり、国を覆した者であるから、必ず厳罰が行われること必定である。
であるのに、死を決して帰ってきたこと、奇特である。」

そう言ってその罪を宥し、さらに知行を与えた。
米良重矩は感激のあまり、叫んだ

「公百年の後、私は必ず殉死します!」

しかし、伊東祐兵が慶長5年、大阪で死去した時、嫡子祐慶は未だ幼少であり、また宮崎一乱の
最中でも在ったため、心ならずも本意を遂げることが出来ず、その後、清武の領主にもなったが、
程なく病死した。
この時、末期に及んで嫡子勘之助にこう言い残した

「汝、必ず我が志を継ぐべし。」

寛永13年(1636)、伊東祐慶が江戸にて死去すると、米良勘之助は清武にて殉死を遂げた。

(日向纂記)



スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    まあ、島津方に寝返る前に無断で領地の一部を没収されてたりするから野心があっての話じゃないしね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    一度、故あって滅びた家の記述は難しいね
    滅びた責任と落とし前をつけた上で
    再興された現在の家の顔を立てたものでなくちゃいけない

  3. 人間七七四年 | URL | TQl5Jic2

    情け深い話である。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    国姫「呼びましたか?」
    (なさ毛深い話である)

  5. 人間七七四年 | URL | -


    米良さん義理堅くて好きだわ、氏真さんとこと家臣団がどことなく似てる

    最近地元の話(日向)が多くて嬉しい。
    最近注目されることがあったんだろうか

  6. 人間七七四年 | URL | -

    擬制的血縁集団が武士の出発点だから、主従と言っても一種のファミリーなんだよね
    伊東も今川も古い家柄だからそういう気風が残っていたのかも

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/10030-bf71a157
この記事へのトラックバック