朔寧の監司

2016年06月15日 13:13

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/14(火) 20:20:08.45 ID:dzuNT2ui
文禄の役でのこと。

文禄元年10月18日、朝鮮に派遣されていた伊東祐兵は駐屯していた鐵原より出陣、19日早朝に
朔寧の城を攻め落とし、400名余を討ち取った。

するとその後、日本軍が占拠している王城(ソウル)において、朝鮮人が群集し、痛く泣き
哀しんでいた。不審に思った石田治部少輔(三成)が彼らに理由を尋ねると、このように答えた

「鐵原の上官(伊東祐兵)によって、朔寧の監司を討ち取られたとの事なのです。それ故に嘆いて
いるのです。」

石田はこの事を伊東祐兵に伝え、急ぎこの監司の首を送るように言った。
この使いに伊東祐兵は大いに驚いた

「夜懸けであったので切り捨てにしたため、大将を討ち取ったことも知らなかった!
急ぎその首を探すのだ!」
そして落合九右衛門尉、川崎又右衛門尉両人に、士卒70を付けて朔寧城に派遣した。

両人は朔寧に住む朝鮮人二人を捕え、監司の死骸について問うたが、彼らは有無の返答も
しなかった。この態度に落合、川崎は大いに怒り、即座に一人を惨殺した。
すると残った一人は大いに怖れ、死骸のある場所を知っていると白状した。
そこで彼を先に追い立て案内をさせた所、朔寧城から三里ほど奥にある松山に入った。
ここには墳墓が多くあったのだが、監司を埋めた所は墳も築かず、上に木の葉などを撒き散らして
何事もない体に偽装していた。

落合たちは士卒に命じてこれを掘り出し、死骸は長持に入れ、金襴の類にて包んだ。
冬のことであったので、色もほとんど損じていなかった。
そして首を斬って持ち帰ると、すぐに王城へと送った。

この首は中台門に曝されたが、朝鮮人はこの首の前を通る時、必ず再拝して泣いたという。

(日向纂記)



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | sSHoJftA

    いったい、誰の首なんだ…

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ×惨殺 → ○斬殺

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >朔寧の監司
    慕われてたんだな。

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