FC2ブログ

週間ブログ拍手ランキング【06/16~/22】

2016年06月22日 18:01

06/16~/22のブログ拍手ランキングです!


最上義光の武者修行(複数説あり) 28

最上義光の小田原参陣 26

大津の死骸返し 18
だから越中に謀られたのだ 18

御坐所は牀卑く作らせらるゝ事 12
柳生家門番の事 12

立花道雪足疵 11
甲州初て御手に入て神祖命令の事 11
明応二年四月二十八日の怪異 11

遠からぬ内に、世の中は 10
増高を願って 8
「これは危なきことよ」 8

宇都宮国綱改易後の結城朝綱への書状 6
神祖、駿城御坐のとき、遊所ゆきのことに付上意 7
「軍兵どもはかがむな!当たらぬものぞ!」 7
朔寧の監司 7

その刀は皆、正則から賜ったという。 4
智勝院殿には父母が四人いる 4



今週の1位はこちら! 最上義光の武者修行(複数説あり)です!
最上義光の武者修行、のお話です。実はこの手の「武者修業」という言葉、軍記物では、その家から出奔したことを
武者修行と表現して、一時的であってもその家を見限ったことを糊塗する、という使い方があります。
水野勝成や伊達成実など、そういう使い方をされたりしますね。なので、後年父子の争いがあったことも含めて、
義光が一時的に最上家(当時は”山形家”だったと思われます)を離れていた時期があったのでは、なんて事を
想像できるかな、と思ってしまいました。もちろん同時代史料に見える話では有りませんが、いろいろ妄想をふくらませる
事ができるなあとw

2位はこちら!最上義光の小田原参陣です!
家康本人が出迎えた、というお話ですが、家康は信長の時代から、最上義光と信長の間の取次をしていたとも言われ、
相当に古くからの関係に有ったのは確かなのでしょう。それだけに家康の側もかなりの親しみを感じていたと思われ、
その気持ちがこの出迎えにも繋がったのかな、などと想像します。
それにしても当時の「取次」って、人脈、コネクションそのものだなと、この逸話からも強く感じちゃいますね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!だから越中に謀られたのだです!
例の、細川忠興と石田三成の、柿のお話の全体像ですね。
細川家の記録ですから、もちろん「忠興の功績」を描いているわけで、単純に信用すべきものでは有りません。
しかしこの逸話から、当時の政局における多数派工作の一端を感じることは出来ると思います。
この時期、徳川・反徳川の両方が、自陣営に大名を取り込むため様々な活動があったことは想像できます。そういった状況の
「空気」が、この逸話にも込められているのではないかなと感じました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます。
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してみてくださいね!
( ´ ▽ ` )ノ
スポンサーサイト





コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/10054-8442078f
    この記事へのトラックバック