島津義久、磔の木に金塗りして持たせ降参し

2016年06月30日 16:04

784 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/06/30(木) 00:04:29.52 ID:3X+PEQ8D
伊達政宗が金箔の十字架背負って上洛したのは有名ですが、それより先に金箔十字架背負って
秀吉に降伏した人がいるのをご存知でしょうか?

上記の話は、うっかり戦国漫画かいこ様サイトで知ったことですが、「逸話文庫」という本に載っていて

伊達政宗、奥州一揆の時、秀吉の疑を受け、金箔打ちたる磔柱を荷はせ、上京せしと云ふ。よく人の知る所なり。
然るに是より先き秀吉九州を征せし時、島津義久、磔の木に金塗りして持たせ降参し
『若し赦さゞる時は此の磔の木にかゝるべし』と云へる由、南海道記に見えたり。(逸話文庫)

南海道記を探してみたのですが見つからず、この話の出典元はわからなかったのですが、
島津家に関する展示があるところで九州征伐での黒田如水の紹介文に
「黒田家の記録に島津義久が金の磔木を持ち、秀吉に降伏したことが書かれている(後略)」
とあるので、学芸員の方に聞いてみると、
「この話は黒田家譜に書かれていて、初出も(おそらく)黒田家譜です」と言われました。

島津義久髪をそり、墨の衣を着して、名を隆伯と号し、磔木を金みがきにして眞先に持せ、
太平寺に行て秀吉公の陣へ降参し、その罪を謝す。(原文ママ)
若御憤ふかく、御免有まじく候はゞ、此磔木かゝり申べき為、持せ参て候と申上ける。
秀吉公是を感じ給て、其罪をゆるし、却て御懇意を加へらる。(黒田家譜巻之四)

教えていただいた学芸員の方に「何故このようなことをしたのでしょうか?」と聞いてみると
あくまで個人の考えですがと言われた後、
「薩摩は海外の貿易が盛んだったので、金の磔木を見せることでそのことを豊臣方に
思い起こさせ、降伏を認めた方が(豊臣方の)得になると思わせようとしたのでは」と・・・

義久だと違和感あるから、やっぱり金箔十字架は伊達政宗の方が似合うな。



786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/30(木) 16:04:13.10 ID:sv5Jc6ie
>>784
島津の家紋が十字だしただの偶然?でも宣教師九州に多いし知ってて当然か。
政宗がこれをまねしたのかな?

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/30(木) 16:21:18.83 ID:O2r7q+WV
まさむねが初めてじゃなかったんだね
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    戦国の世の西国は銀中心の経済で当事は薩摩の金山は開発されていない筈
    勿論だからと言って沈金工芸があった薩摩で金が無かったわけではないが違和感バリバリだな
    何より黒田家譜……
    一回読んでみたいが現代文で気軽に読める書籍とかないかな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    九州の在地大名やその家臣にキリシタンは多いけど(有馬・大村・大友・宗・相良など)
    島津ってあんまりキリシタンなイメージ無いな
    (小西の側室だか継室だかのカタリナ夫人という島津の縁者がいたらしい話は聞いた事があるけど)
    どうしてだろう

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    一度布教は認めたけど、割と早くに「やっぱりキリスト教ダメ!」ってしたからかね?そのあとずーっと禁教だった上に、キリシタンの大友さんとドンパチ敵対してて、宣教師やキリシタンの皆さんからは印象悪そうだしな
    (ゴメン何となく思っただけ)

    まぁ、義久のパパ(貴久)がザビエルや宣教師と面識あったし、キリスト教の知識も最低限知っててもおかしくはないか

  4. 人間七七四年 | URL | -

    当時は空前の十字架ブームだった・・・訳ないか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※1殿
    薩摩の金山は開発されていないからこそ、金=海外貿易のアピールなのかも。
    ※2殿
    カタリナ夫人は光久の外祖母になるから悪久も処置に大分困ったようですね。
    (小西行長の妻女という説は今では殆ど否定されてますね)
    ※3殿
    義久もアルメイダと面識あるからなあ。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    まあ、汁かけ飯や、武功話を漏らしながら聞くみたく、別人の逸話を持ってきたパターンなんだけど、さすがに政宗の方がしっくりきすぎて、こっちは広まらなかったんじゃないだろうか。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    まー君以外誰が似合うと云うのだろうか?>金箔十字架

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >薩摩の金山は開発されていないからこそ、金=海外貿易のアピールなのかも。

    えー?金銀って、当時は「日本からの輸出品」ってイメージでしょう。

    「海外貿易のアピール」で「日本の輸出品」を誇示するのは
    産地はやってもいいけど貿易港のやることじゃないよ

  9. 人間七七四年 | URL | -

    まー「よっしゃ真似しよ、んで、俺の逸話にしちまおうw」

  10. 人間七七四年 | URL | -

    義久「友達の友達がアル○イダ」

  11. 人間七七四年 | URL | -

    意外と黒田家譜調べたら該当する箇所無かったとか間違いだったとか有り得そう

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    金銀とまとめて扱うのはよくない。

    ポルトガル船による中国から日本への貨物には金が含まれている。
    一方で日本からの輸出品目に金はない。

    日本からの輸出品として著名なのはあくまで銀であり、
    金は国内の需要さえ賄えていなかった可能性がある。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    まーくんの自己演出力の高さ(=周囲に強い印象を残すという意味で結果を出す)は突出してるからなあ

  14. 784 | URL | -

    ※11殿
    逸話文庫も黒田家譜も~に載っているという情報しかなかったから、
    両方とも国立国会図書館デジタルコレクションで検索しましたが、
    黒田家譜はいくつか出たなかの1つしか確認してないから(出版年月日明治44年の物)
    原本までは調べてないのでその可能性はないとはいえない・・・
    あと、黒田家譜での黒田家以外の記述の信頼度がわからない。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    まー君がこの話を知っていたら、絶対に二番煎じに甘んじないはずなので、
    (偏見だけど)金箔十字架以上のものを遣らかす筈。
    ずんだパーティ以上のなにかを。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    加工の工程を考えると、金箔押しは材料さえ揃っていれば早い。急場のサプライズ向きではある。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    非キリシタンにとって十字架は女柱でしかないのでは。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    政宗「本当はずんだパーティーで茶を濁したかったけど、家臣の小十郎が金を背負えってダダこねたんです」
    景綱「何さらっと虚報をまいてるんですか、帰りますよ」

  19. 人間七七四年 | URL | -

    細川家の家紋を、自分の家の家紋にしたまー君だもの。他家のアイデアを自分のものにするのは、お手のものでしょう。

    悪久「悪どい奴。           
    忠興「狐憑きめ。」

  20. 人間七七四年 | URL | -

    他家のアイデアを拝借するのがお手の物でも
    秀吉にとっては、同じ事を二回見ることになるから
    インパクトに欠けるよな。

  21. 人間七七四年 | URL | -

    つか政宗が実際金の十字架やったことは確定してるっけ?
    義久がやった話を後々誰かが引用して政宗の逸話にしてたり、
    いっそ両方実際にはなくて、中国の古典かなんかから引っ張ってきた話だったりして。

  22. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    黒田家譜は一次史料と整合性のとれない場合が多い。
    黒田家文書とさえ食い違うし

  23. 人間七七四年 | URL | -

    ※22殿
    教えていただきありがとうございました。
    >黒田家譜は一次史料と整合性のとれない場合が多い。
    >黒田家文書とさえ食い違う
    黒田家譜の信憑性って殆どない気がしてきた。
    そもそもあんな話が島津家の記録になく、黒田家譜にある時点で
    変ですね。(※14 )

  24. 人間七七四年 | URL | -

    ていうかこれはキリスト教の十字架に限らず
    日本でも用いられてる磔柱のことじゃないのか

  25. 人間七七四年 | URL | -

    元から、磔木と書かれていますよ。

  26. 人間七七四年 | URL | -

    これの真相は順番が逆なパターンでしょ。
    伊達政宗Ver.に島津義久Ver.が影響を受けた逸話なのが真相だ。

    伊達政宗の鶺鴒の眼事件は、「 1591年 」 の出来事。
    島津義久の黒田家譜は、、、「 1678年 」 に完成↓した本(その後3度の改訂あり)

    福岡県立図書館 『黒田家譜』・『黒田続家譜』 [PDF]
    ttps://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/gallery/H25/PDF/kafukaidai.pdf

    そもそも>>1の逸話の初出という黒田家譜を書いた貝原益軒の産まれが「 1630年 」だしね。

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