梁の武帝が達磨に対面された通りに

2016年06月30日 16:06

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/30(木) 09:14:07.33 ID:xdkSpOUE
 上様が沢庵和尚をお召されたころである。
如何様に応対するのがふさわしいかと、柳生殿が内々に尋ねられた。
沢庵和尚は

「梁の武帝が達磨に対面された通りにしてください」

と申した。
 その時の応対とはどういうものかと柳生殿は次々と尋ねられると、
甚だ仰山に重々しい事であることがわかった。

「それでは余り御崇敬が過ぎますので、いますこし軽くするべきではないか」

と柳生殿は申されると、和尚は

「あなたはそのようにお思いなられるだろうが、当将軍家を武帝ほどには私は思っていない。」

と申されたという。

 しかしながら、沢庵和尚は元来生臭坊主ではありませんでしたので、
江戸逗留の間は柳生殿の長屋に居られ、登城の際には下男を一人連れるだけだというので、
後に上様はそれは余りに粗末な事だと、別に旅宿を仰せ付けられ、
ついには和尚のために東海寺を御建立された。
末代には稀な智識である。

(本阿弥行状記)



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    梁の武帝って、仏教好きすぎて
    晩年のシュミが出家遁世になっちゃった人だjけ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    武帝と達磨さんの問答は禅の歴史の名場面

  3. 人間七七四年 | URL | -

    本阿弥さんが誉めるとはめずらしい

  4. 人間七七四年 | URL | -

    遠まわしに「行きたくねえ」と言ったつもりが伝わらなかったでござる

  5. 人間七七四年 | URL | -

    *1
    そんなことしていたら、反乱を起こした後の宇宙大将軍・侯景に幽閉されて憤死というか餓死させられてしまった人。

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