FC2ブログ

松浦党、波多氏の断絶・悪い話

2009年01月19日 00:05

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/18(日) 13:53:07 ID:sXbcr85K
九州北部、松浦地方(現唐津市周辺)・壱岐に勢力をもっていた松浦党の波多氏にまつわる悪い話

松浦党は後三条天皇の曾孫源久を祖とする水軍で栄えた一族であり、「松浦四十八党」の名で知られていた。
「源平壇ノ浦の戦い」や「元寇の役」で活躍、「南北朝の戦い」では少弐氏の与力として名を残した一族であり、
室町中期には「倭寇」の名で跳躍したが、戦国期には大内・大友・竜造寺など大勢力の前に衰退している。

「松浦四十八党」波多氏の戦国期の当主波多鎮(波多氏は祖源久を習って一文字名。鎮は大友義鎮の一字を受ける)の嫁の話。

波多鎮には臣下の青山氏からもらい受けた円子という妻がおり仲むつまじく過ごしていた。
しかし天正七年(1579年)、竜造寺家(波多氏が従属していた)より突然来訪した使者が事態を一変させる。
なんと使者は唐突に鎮夫人円子死去の弔辞を述べはじめ、その後香典料まで差し出したのである。
当然、鎮は驚き妻円子は健在であると使者に伝える。しかし使者は「自分は主命を果たすだけである」
と言って帰っていってしまったのである。

この事を知った円子は竜造寺家の腹を読み、密かに城を出て寺に入り尼になった。
波多家の浮沈を思い黙って城を去った円子だが、その後さらなる事態が波多家を襲う。
鎮の後妻として竜造寺隆信の養女(実父は前竜造寺家当主胤栄)安子が迎えられたのである。
しかしこの安子は小田鎮光と死別(隆信に謀殺された)しており、すでに38歳の年齢。
当然子をもうけるには厳しい年齢だが竜造寺家の手前、側室をもうける訳にもいかず、
最終的に波多氏は竜造寺隆信の孫を養子に貰い受けることとなり、波多氏直系は途絶えたのである・・・




532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/18(日) 13:58:38 ID:3oLUg/1K
行き先のない38歳の後家を押しつけられたのか。
はた迷惑な話だな。

533 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/18(日) 14:01:10 ID:i0RF8X8J
誰がうまい事を言えと(ry


535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/18(日) 14:20:24 ID:sXbcr85K

せっかくなので安子と前夫小田鎮光について。

安子は17歳で佐賀近郊の蓮池城主(現佐賀市)小田鎮光に輿入れした。夫婦仲は良かったらしい。
ところが隆信は突然、小田鎮光を多久(有明海沿いの長崎との県境付近)へ異動させる。
当然この処置に鎮光は腹を立て、密かに大友と誼を通じる。
それと気付いた隆信は鎮光を謀殺しようと佐賀に誘きよせる。
義父からの誘いをムゲに出来ずに鎮光が佐賀に来たところで謀殺。

まあ戦国時代には良くある話ですが、安子はショックで体調を崩し波多鎮に輿入れしたのは鎮光の死から10年後のことでした。

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/19(月) 02:52:45 ID:yQVSKw82
>>535
宇喜田直家「義理の息子を居城に招いて謀殺とか人間のやることじゃねーな」

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/19(月) 03:22:01 ID:R1uA5+09
>>554
信長「その通りだな」

556 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/19(月) 03:42:19 ID:lH3In+dM
家康「娘婿とは仲良くいきたいものだ」

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/19(月) 06:44:50 ID:/Se26a8V
光秀『裏切りとか信じられないっ!!』
スポンサーサイト





コメント

  1. | |

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/1008-139608d2
この記事へのトラックバック