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島左近の炯眼・いい話

2009年01月19日 00:11

島左近   
426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/18(日) 15:05:09 ID:6hsigrMS
そう言えば、今日1月18日は鮭様の命日らしいな。(享年六十九)
みんな、山形に向かって黙祷。

そしてこれを気に最上義光の話をしようか、と言っても種が無いので
まとめサイトを見るに当たり案外上がっていない島左近の話を

"過ぎたるもの"と言われても、鬼は恩義を抱いて獄門に到る。
石田治部少輔の懐刀として関ヶ原を震撼させた島左近清興の先見を見据えた炯眼のお話。

1599年(慶長四年)1月、太閤秀吉薨去を待って居たかの様に江戸の古狸は眼を醒ます。
禁制である他家との縁組を押し進め、奥州伊達家・尾張福島家・阿波蜂須賀家と立て続けに
婚姻を押し進め、自勢力の麾下に置く。これを詰問するために大坂からは使者が幾度も江戸に向かい
特に五大老・前田利家は強い反発を示し、諸大名は利家・家康双方の屋敷に集結する。
世は、一触即発の危機に瀕していた。

そんな中、徳川家康は柳生宗矩に上方での情報収集を指示。元が大和柳生荘出身の国人である柳生家、
宗矩は島左近の屋敷を訪ねていった。

二人は座敷にて対面し、世間話などで茶を濁していたが
柳生宗矩が世上の雲行きが怪しい事に触れると、島左近は呵呵と笑うばかり。

島左近>>なぁに、世間は色々ときな臭いかも知れぬが…杞憂じゃ、何も起きはせんよ。
      今の諸将には松永久秀や明智光秀の様に智謀に優れ果断な人物が居ないからな。(,,´・ω・)旦~

さらに話題が進み、宗矩は五奉行・官僚派の中心人物・石田三成の事に触れる。
すると、島左近はたった一言こう呟いた。

島左近>>あぁ、その話か。───…それも心配しなくていい。もう、"時"を見逃し、見失っているからな。

"時"とはずばり、徳川家康を討つ機会である。
左近は三成に対し、太閤死後の家康台頭が間違いない事を提案、討つのであれば早い方が良いと
たびたび言上しており、実際に昨年末から今日に到るまで複数回、徳川家康を討つ好機があったと言う。
しかし、三成は事後に起こり得る懸念に臆したのか決断しない。
それならば、加藤清正・福島正則ら疎遠な重要人物とのわだかまりを捨てて好誼を結び、家康陣営の
切り崩し策を防御、その間に民政に心を砕いて人望を得るべきだと次の策を進言したが
それも三成は見送った。

島左近>>既に諸将の人望は家康に傾いており、今さら地固めをしても無駄だ。
     治部少輔殿には勝ち目はあるまい…もはや、今となってはな。―…(,,´・ω・)っ旦~ フゥ

そう言って、左近は宗矩を帰させた。
徹底した現実主義者でなければ生き延びれない戦場の武士であった左近と、
推測・期待値で物事を判断する内務官僚であった石田三成。
確かに、左近は"過ぎたる者"だったのかも知れない。

だが、佐和山城と違い左近には意地と忠義に報いる鬼の意思が宿っている。
既に開戦の一年半前に敗北を悟っていた左近は、関ヶ原で鬼の面目を躍如する
裂帛の闘い振りを見せて東軍を慄かせ、そして戦場の露と消えていった。享年不詳。

そんな島左近の、いい(先見の明と判断力の)話。




429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/18(日) 15:59:00 ID:/MdpIWcb
>>426
知られている水口城の暗殺(というかほとんど焼き討ち)計画以前から
秘かに何度も「内府殿を討つならば、今、お下知を!」ってやってたそうだからな。


最後に、子飼いの甲斐忍びへ向かってぽつりと
 「また鯉を獲ってきてくれぬか・・・」呟いて、隆慶一郎の小説が始まるわけで

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/18(日) 16:01:15 ID:SHszI4yy
>>426
>わだかまりを棄てて交誼を結ぶ

それやろうとしても好物の栗を持参いたした、さあ私にかまわずどうぞ、だから所詮無理なのでは
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